【ペルソナ5 佐倉双葉SS】ケスラー・シンドローム;Surrender (138)

※注意点

・シナリオ終了後の話なので多大にネタバレ含みます
・主人公は各種イベントで双葉を選択してきたと思ってください
・設定的によくわかんないとこは想像で書いてるので許してください

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 隣の部屋から小さな泣き声が聞こえた。

 キーボードから手を離し、椅子の背もたれを限界まで倒して背伸びをする。骨の間の気泡が抜けて乾いた音を立てた。

 もう聞き慣れてしまったものだ。似たような年齢の子供の泣き声がどんなに溢れていても、間違いなく聞き分けることができる、そんな自信がある。わたしがこんなに母親らしくしてるなんて、昔を知ってるみんなが見たらどう思うだろう。

「よしよし、どうしたの?」

 いつものように抱き抱え頭を優しく撫でてやると、グズり方が少し控えめになった。

「……ぐすっ……。おかあさん、あのね、あのね……」

「なあに?」

 それからしばらく待ったが、メソメソしているだけで続きの言葉は出てこない。これは言ってもいいことなのか迷ってるんだろうなぁ。

「嫌なことでもあった?」

 ふるふる。艶のある滑らかな、オレンジがかった茶色の長い髪が左右に揺れた。かわいい。

「じゃあ、どうしたの?」

「……えっとね、いやなことは、まえ、あった」

「前? 今じゃないの?」

「……うん。こわかったこと、おもいだして……」

 なるほど。怖かった体験を思い出して泣いてたのね。わたしもやった記憶があるなぁ。

「そっかー、怖かったねー」

「うん。それはもう、かつてないほどこわかったですよ……」

 妙に大人びた言い方に、ふっと頬が緩んだ。

「だよね、怖いよね。それね、たぶんお母さんのせいなんだよ」

 わたしの言葉に文字通り首を傾げ、キョトンとした顔を浮かべる。やだこの子可愛いわー。なお親バカではない。

「……おかあさんはわるいことしてないよ?」

「うん、してないよ。けどね、嫌なことをなかなか忘れられないのは、たぶん、わたしからの遺伝なんだよ。だから、わたしのせい」

 わたしの「せい」ではあるけど、それが「悪い」ものではないことを、早いかもしれないけど伝えようと思った。

 何故なら、わたしが心からそう思っているからだ。



 わたしは先天的に、特殊な脳を授けられて生を受けた。

 もう少し正確に言うと、構造自体が特殊なわけではなく、一般的な脳と比較して活動させることのできる範囲が著しく広いらしい。脳の局部的なボリュームの増加、領域間の接続性、効率化の向上、etc。これら全てが、端的に"優れている"という特徴をわたしに与えていた。

 さすがに幼すぎて覚えていないことではあるが、わたしも二歳頃には既にその片鱗を見せていたらしい。

 早いうちから、ただ話せるだけではなく主語述語を理解し操り、読み書きやあらゆることを容易に短期間で覚え、お母さんやその周囲の人を何度も驚かせていたと聞かされたことがある。

 それは、サヴァン症候群やアスペルガー症候群、瞬間記憶能力───通称カメラアイと呼ばれる───のようなものではなく、一定の割合で生まれる"ギフテッド"、通常の才能の延長だったようだ。

 それはつまり、類稀な計算能力や記憶力と引き替えに、記憶を引き出す際に感情的になる等の副作用、有り体に言えば"障害"と呼ばれるようなマイナス面がないことを意味していた。

 ただし実際にわたしがそうであったように、周囲とあまりにも違いすぎることによる軋轢と思春期特有の悩みは避けられないだろうけども。

 そして、その才能はこの子にも受け継がれていた。

 この子は既に本に興味を示し、わたしの論文を"眺める"ではなく"読んで"いた。まだ漢字やアルファベットをあまり知らないであろうにも関わらず、文章を目で追って理解しようと務めていた。おそらく間違いではなさそうだ。

 これを、天命だ、世のため人のために役立てる必要があるんだ、立派な仕事に就けるよう育ってくれ、なんて高尚なことは考えていないし、そんな世の理不尽や不条理に折られそうな綺麗事をこの子には託したくない。

 ただ、この子がこの才能を憎むようなことはあってはならない。才能を呪うような事態だけは避けなければならない。だってそんなの、あまりにも悲しすぎる。寂しすぎる。

 遺伝でそうなったと確たる事実はなくとも、わたしのせいであることをわたしは知っている。だからわたしのためにも、なによりこの子のためにも、この才能と向き合い、悪いものなんかじゃないと信じてほしい。受け入れてほしい。そう考えていた。

「……だからね、ちょっと悪いことも、いいことも、すごく覚えやすくなってるの。怖かったことを鮮明に思い出せたり、ふとしたときに甦ったら妙にリアルなのはそのせいなんだ。でもね、この才能はとても素敵なものなんだよ。わたしは感謝してるんだから」

「……そうなんだ」

 この幼い我が子はどこまで理解しているのか、目を見開いて驚いたように言葉を発した。

「そうなの。たぶん、あと何年かしたら、こんなのいらなかった、みんなと一緒がよかったって思うこともあると思う。そんなときはお母さんの言葉を思い出して?」

 コクンと頷くのを見てから話し始める。

「だってね、その才能のおかげで……」

「そのぶん、いいこともたくさん、おぼえてられる?」

 言葉を遮られ、息を呑んだ。まさか、こんな幼い子に先読みされるなんて。

「ふふっ、あはははっ」

「? どうしたの?」

「なんでもないよ。…………うん。その通り。やっぱり……、よかった。大好きだよ」

「うん! わたしもおかあさんだいすき!」

 言葉の通り満面の、弾けてしまいような笑顔を見て確信した。この子はわたしの一部なんだ、もう。



「よし、ご飯にしよっか。今日はカレーだよー」

 …………。…………葉。

 遠くから声が聞こえる。

「やったぁ!」

「まだお子ちゃまカレーな。スパイスたっぷりの特製カレーは、もうちょっと大きくなってからね」

 …………葉。…………。

 男の人の声だ。わたしはこの声を知っている。

「えー、おなじのたべたい。まあ、たぶんどっちもおいしいからだいじょぶ!」

 …………葉。…………葉!

 元気な声と混ざって、今度ははっきり聞こえた。

 この声は───。


* * *


 だれかへやのとびらをたたいてる。うるさい。

「……双葉ー。朝だぞ、双葉!」

 この声の持ち主はきっとアイツだ。妖怪双葉起こし。平日の毎朝やってくる、面妖な暇すぎる妖怪だ。ちなみに趣味はコーヒー豆いじりらしい。ネットで見た。

「ったく毎日毎日……。ちっとは自分で起きらんねぇのかよ。ほら、高校行くんだろ?」

 そうだ。わたしは高校を卒業しなきゃなんないんだ。

 約束ノート、あいつに渡しちゃってるからな。

「……うす」

 届かない声で返事をして、最後の力を振り絞り手だけで眼鏡を探した。最後なのかよ。けど面倒になってそのまま部屋を出た。顔洗ってからにしよう。

 そうじろうはわたしの顔を見るなり、呆れるように溜め息を吐いた。なにそれ失礼。

「……髪、ボサボサだぞ。直してから飯食え」

「……わかった。おはよ、そうじろう」

「おう、おはよう」

 低血圧なわけではない。と思う。けど、去年の一年間に体得した夜型の体内時計はなかなか修正されないままだ。

 ゆえに朝はキライだ。引きこもっている間は心理的に追い詰められていたので幸せなんて口が裂けても言えなかったけど、好きなだけ惰眠を貪れていたことだけは幸せだったのかもしれない。

「はぁぁ~……」

 無意識に憂鬱な溜め息が出ていた。うぅぅ眠いよダルいよ……。

 半分閉じたままの瞼を両手で擦って目を覚まそうと試みる。

「……だらしねえなぁ。お前、もうちょっと女の子らしくしねぇと嫁の貰い手いねぇぞ?」

「…………んなぁっ!?」

 なんか変な声が出た。目も覚めた。

「何変な声出してんだ。……まあ、お前が居たけりゃずっとここに居ていいんだがな」

 もうそうじろうの声は聞こえていなかった。残念。

 わたしには約束がある。人生の最優先事項レベルのやつだ。だから、頑張らないと。朝なんかにっ! 負けないっ!

 洗面台の前に立ち鏡を眺めてみた。うわだれだこいつ。寝癖スゲー。

 しかしそうじろうめ、嫁の貰い手がいないだと……。

 嫁、それはつまり、けけ、ケコン、ということか……。結婚願望はあるって言ってたけど、いつかわたしもそんなことをあいつから、ぷぷ、ぷろぽ……プロポーション。この幼児体型をどうにかせねば言われないのかな……。むむむ。いろいろちんまいな……。杏みたいになれる気がしねぇー。

「よし、そうじろう! 今日は苦くて黒くてあっついブラックコーヒー。……に、たっぷりミルクと砂糖を入れたものを飲むぞ!」

「はいはい、カフェオレな。淹れとく」

 とりあえず気休めに牛乳成分を摂っておこう。直牛乳はちょっとニガテだからコーヒーで中和するけどまあ問題はないだろ。目指せ牛。牛はちょっとアレか。

「じゃあ店行ってくるわ。弁当置いてるから忘れんなよ」

 玄関から声が届いた。わたしよりもずっと早く起きてお弁当を準備してくれているそうじろうは、学校に行くわたしよりも早く仕事に向かった。ほんとに立派な大人だ、そうじろうは。

「……今度、お弁当美味しかったって言っとくか」

 髪を櫛でとかしながら、鏡のわたしに向かって呟いた。

 わたしにできるのはそのぐらいだ。いやもっとあるか。

 ならお父さんってもっかい呼んでみるとか……?

 いや、それは恥ずい。それに、なんとなく安売りしたくない言葉だ。とまあ、わたしはこんなムズカシイ年頃なのである。



 毎日毎朝、電車に入りきらないほどの人はいったいどっから湧いて来るんだ……。毎朝同じこと考えてるな。という通学風景。

 この春から一年遅れで、怪盗団のみんな(おイナリ除く)が通っていた秀尽学園高校に入学した。友達のカナちゃんも無事遠くの高校に入学することができ、毎日そこそこ楽しくやっているらしい。

 一方わたしの高校生活といえば……なんだ、言うほど悪くはない。

 さすがに小学生よりは精神的に成熟しているからか、わたしの特異性をあまり大っぴらにしてないからか、あの頃のような明らかな嫌がらせはないし、流暢ではないにしろクラスの子と世間話のようなことは一応できてる。と思う。できてるよな?

 ただ、大半の授業がツマラナイ。世界史や地理なんかのあまり自分で調べたりしたことのない、知らないことを教えてくれる授業はまだいい。別にそんなに興味もないけど。

 問題は数学に代表される理数系科目だ。一年間の独学でなんとかしてしまったことを、数十倍に薄められて長い時間に溶かされているような感覚だから授業が異様に長く感じる。あくまで独学だったので、知っていることの中に新発見がないこともないというのが救いか。

 あとは、まあ、あれだ。通学とか、全校集会とか、オマケで体育とか。これがキツい。一番。酔う。体力ゼロだし。だから、混んでる電車内にいる今も、無心になって楽しいことを考えるようにしていた。

 今日の思考は、最近ハマった古いSFアニメについてだ。宇宙で暮らすサラリーマンとか切り口が斬新すぎる。それに、考えさせられる台詞や展開がいくつもあった。あれは名作だ……。

 考えている間に目的の駅に着いた。ヨユー。嘘、ちょっと混み方がいつもより酷くて苦しい。激流に呑まれるようにして押し出される。

 最近では慣れてきて、流れに逆らおうと一切しなくなったからちょっとだけ楽になった。最初の頃は電車を降りてから、駅の隅にうずくまってしばらく動けなかったものだ。

 脳の回路を繋いで記憶を遡ると、そのときの恐怖までもが子細に甦り、慌てて首を振ってリセットしようと心がけた。危なかったー。

 人の流れに乗り、スッとIC定期券を取り出しスイッと改札を通過する。まるで都会人。わたしもこの社会に問題なく溶け込めているような気がしてくる。

 抑圧された地下の駅から解放されると、陽射しにおもわず目を細めた。

 てくてく歩いていると、通学路での途中で変なものばかり売っている自販機を見つけた。

 これまで何度も通っていたはずなのに、今まで目に入るだけで見過ごしていたらしい。胡椒博士NEOとは、かなり惹かれる飲み物ではないか。今度買ってみよう。この自販機はたぶん前から変わってないけど、新しく発見したことでわたしの世界がまた少し広がった。

 そう。わたしは、わたしの世界を生きているけど、わたしも世界の一部だ。そう教えてもらった。実際に、わたしの世界はわたしの速度でゆっくりと変わっている。こんな風に考えられることも、それ自体がわたしの変化によるものだ。

 初夏の風の匂いは春のそれとは違う。澄みわたるような青空は夏の訪れを予感させるけど、今日は体育あるからもうちょっと控えてくれてもいいぞ。

 おしなべて世はすべてこともなし。わたしの世界は、今日もいい天気だ。ぽっかりと空いた大きな穴は埋まらないままだけどね。

 進んで檻に向かう囚人のような学生の群れに混ざり、わたしはこうして秀尽学園へ向かうのだった。


* * *


 チャイムが鳴り響き、ようやく午前の授業の終わりを告げる。お昼ごはーん! の時間だ。

「双葉っちー、ご飯食べよー」

 わたしの二つ後ろの席の子がいつものようにお弁当袋を手に近寄ってきた。ここのところ一緒に食べるのが日課になっている。まあ、嫌ではないというか、ありがたい話です、はい。ぼっち飯をして浮かなくて済むし、この子は割と話しやすいし。

「いいぞー。でも双葉っちはヤメロー。フタバでいい」

「えーいいじゃん別に」

 なんとなく仲良くしているこの子は、わたしと違って社交的で友人も多いようだ。なのに、ナゼかわたしに積極的に話しかけてくれて仲良くしてくれる。

 入学式でアワアワしているわたしに最初に話しかけてくれた子でもある。理由を聞くと、なんかほっとけなかったから、との答えが返ってきた。わたしは子供か。子供だな、うん。年上だけど。

「さっきの数学の授業ヤバくない? 私もう置いてかれそう」

「そう? まだあんなの簡単だろ?」

「え、なに? 双葉っちってもしかして勉強できる子?」

 やはり双葉っちを改める気はないらしい。

「……どうなんだろ。わたし、人と違うからなー」

 記憶力や計算能力なんかが同世代の子たちとまるっきり違うのは幼い頃から理解していた。逆に、何故こんなことができないのかと昔は思っていたような気がする。

「あー、だよね。普通の子と雰囲気違うもん」

「え、マジ? わたし溶け込めてない?」

 浮いてる感は極力抑えようとしていたつもりなんだけどなぁ。知らない人と話すときキョドり気味なのはまだどうにもなんないからそれのせいかな。

「んにゃ、そうでもないけど。話してたらわかるかも。なんだろ、俗っぽくないって言うの? なんかわたし違いますって感じ」

「……なるほど。フワッとしすぎてよくわからん」

「まあ私がそう感じるだけかもだし。気にしないでよ」

 そうじろう特製のお弁当をつつきながら無駄話もとい世間話を続けた。この卵焼きウマイなー、さすがそうじろうだ。

 彼女の話すわたしの雰囲気がどんなものかはよくわかんないけど、俗っぽくないかぁ。

 実はちょっと前まで賊っぽかったんだけどね!



 賊の一員として過ごした、怪盗団の仕事納めからしばしの時間が流れた。

 その間に春と真は大学生になり、リーダーは地元に戻り、わたしは高校生になったわけだが、多少離れ離れになったところでわたしたちの関係が途切れることはなかった。この事実がなによりも嬉しくて、今のわたしに勇気を与えてくれている。

 わたしは怪盗団と出会って、「いのち」をもらった。死んでたわたしの第二の生はあそこから始まった。

 わたしの思い出の中のお母さんはもう、怒ってない。悲しんでない。わたしを責めたりもしない。優しく笑ってくれてる。だからわたしは、こうしていられる。

 本当に、何もかもがみんなと、怪盗団と出会えたおかげだ。あとそうじろうと、お母さんと、特に……リーダーのあいつ。今では、か、かか、カレシ的な? カッコイイやつだ。今ごろ何してるのかな。

 そんなことを考えながらお弁当をつついていると、なんだか急に会いたくなってきた。毎日やり取りはしてるけど、帰ったらすぐ連絡してみよっと。



 お昼ごはんを一緒に食べた子と、午後一番の授業のために移動してたら見知った顔と出会った。

「あ、双葉。やっほー」

「よお双葉。お前、高校生ちゃんとやれてんのか?」

 元怪盗団の金髪コンビ、杏と竜司だ。

 高校に入学してから会うのは初めてではないけど、一人じゃないときに会うのは初めてかもしれない。

 毎度のことだがこの二人はよく目立つ。今日もホルス並に金色に輝いている。それは言い過ぎか。うおっまぶしっ。

「ボチボチ。なんとかやれてるかなー。竜司と杏はなにしてんの?」

 一緒の子は律儀にもわざわざ立ち止まってくれて話を聞いていた。なんか今ビックリしたみたいだけど気のせいかしら。

「ただの立ち話。そこでこいつと会ってな、放課後ジム行くつってたから俺も行くかなーとか話してたとこ」

「余裕だな、いいのか? 受験とか」

「……言うな。まだ先だ」

 ガックリと肩を落とす竜司を見ていろいろと察した。人のこと言えるのかって話ではあるけど、元怪盗団メンバーで将来どうなるのか一番不安なのが竜司だ。生活に困ってリアル怪盗行為は勘弁。

「……あ、お友達? ごめんね呼び止めちゃって」

 杏がわたしの横にいる一年生を見て柔らかく微笑んだ。上級生の余裕を感じる。わたしもこの子よりは年上のハズなのにこの差はなんだろう。身長か? 理不尽!

「い、いえっ。ぜん、全然大丈夫ですっ」

 彼女は上級生に話しかけられて緊張したのか、わかりやすすぎるほどに取り乱していた。

「そう、双葉と仲良くしたげてね。じゃあまたね」

「双葉、またな。そのうちまたみんなで集合かけっから」

「おー、サラダバー」

 黄金戦士の二人をあとにして再び移動を始めた。

「んじゃ行こっか」

「ね、ねぇ。今の、坂本先輩と高巻先輩だよね?」

 んー、確か杏と竜司はそんな名字だったような気がする。

「うん? そだよ」

 彼女は何度も振り返り、立ち話を継続する二人を眺めていた。

「なんで、双葉っちはそんな仲良さそうなの? しかも呼び捨てとか……どんな関係?」

 あとになって聞いたことだけど、どうやら竜司も杏も一年生から人気のある上級生になっているらしい。三年生同士の評判はともかくとして、その目を引くルックスで、過去のことをよく知らない新一年生からは注目を集めていたようだ。

 杏はともかく、竜司まで人気だとは……。話したら幻滅すること請け合いなのにな。

「どんな関係、と言われると、うーん……」

 ただの友達、ではないな。運命を共にし、死線を潜り抜けた仲間達、とか言いたいけどそんなん変人一直線だし。となると、やっぱりこれか。

「仕事仲間、ってとこかな?」

 次の教室に辿り着いて振り返ると、彼女は盛大に首を傾げていた。そりゃわっかんないよねー。



 その日最後の授業とホームルームを終え、速やかに気配を消して昇降口へ向かうと例の子が後ろから追っかけてきた。しかもあんまり話したことのない子と一緒だ。この子もクラスにいたような気がする。

「双葉っちー、一緒に帰ろー」

「う、あ、お、おう……」

「なんでそんなキョドってんの。あ、この子初めてだっけ?」

 そこからのわたしは空気に、いや木になることに徹し、別れる場所となる駅を無心で目指した。

 これは友達の友達とかいうやつで、そんな子といきなり話せだなんてレベルの高いことを求められても困る。幸い二人は古い付き合いらしく、わたし抜きでも十分盛り上がっているようだしあまり気にしないようにしよう。

 小さい頃の学芸会を思い出せ。調子に乗って全ての役の台詞を覚えたところで何を話してもトチるから結局台詞のない木の役になったあの日を思い出せ。

 わたしは木だ。そこに存在するだけで主張しない、光合成をして酸素を生み出す木だ。わたしもマイナスイオンぐらい出せるようにならないとな、流行ってるし。

 もうダメだ辛くなってきた。

 思い出し凹みはわたしの得意技だけど、直さないといけないなぁ。

「あー、高校生になったし彼氏ほしいなー」

「そうだねぇ。カッコイイ人いないかなー」

 無視してはなんだし一応話は聞いておこうとしてたけど、これはあれか。ガールズトークとかいうやつか。そんなのわたしには無理だ無理、と思っていたのに急に話を振られた。

「双葉っちは彼氏いるの?」

 なんだ。どう答えるのが正解なんだ。わからん。

「……い、いないことも、ない、というか……」

「えぇっ!? マジっ!?」

「っ!?」

 なななんでそんなに驚くんだ。こっちがビックリするじゃないか。

「ねー、どんな人なの?」

「どこの人? 同級生? 同じ高校?」

「あわ、あわわわ……」

 矢継ぎ早に訊ねられ、キョドることしかできないまま校門へ目を向けると、そこに都合の良い幻が見えた。

「あ、あれ」

 半信半疑のまま指を差して確認してみた。

 二人がそちらに目をやる。「えっ! あの人!?」「かっこよくない!?」とかそんな声が聞こえたけど、わたしは、あの姿がわたしだけに見えている幻覚ではないとわかって、ナゼか泣きそうになっていた。


* * *

とりあえずここまで
そんな長くはならないので次で終わりです
春ちゃん好きなら前書いた春のまにまにってやつもまだ落ちてないので是非に
またそのうち



 地元にいるはずじゃないの……?

「あ、双葉。久しぶり」

 向こうもこちらを見つけ、軽く手を挙げて挨拶を済ませる。なんでそんな平然としてるんだよぅ……。

「な、なんでここにいるのー!?」

 わたしは女子二人を置き去りにして駆け出していた。会いたいと思ってたから? もしかしてそれが通じて来てくれたの?

「ダメだった? 迎えに来たんだけど」

「だ、ダメじゃない! ぜんぜん! まったく!」

「……あれは? 友達?」

 視線がわたしを通り越して、わたしの後ろをついてきたらしい二人に向かう。

 むぁ、な、なんだ? なんか今胸がちくっと、ってゆーか、ぎゅっとされたような……。うぐぐ、もやもやする……。

「え? あー、まあ、うん。そんなとこ。クラスメイト」

 なるべく平然を装って答えた。

 ……装う?

 友達の境界線がよくわからないけど、そんなこと今はどうでもよかった。周りに人がいなければ飛び付きたいぐらいなのに、なんかヘンだ……。

「そうか、双葉もちゃんと高校生やってるんだな」

「そ、そうだぞ、わたしはもう子供じゃないんだ」

「偉いな」

 わたしにいろいろな不具合を起こす魔法の手が、ぽんとわたしの頭を叩いた。

「…………」

 ヤバい。何がヤバいって何がヤバいのかわかんないのがヤバい。顔の筋肉とか語彙力とか特にヤバい。

「ふ、双葉っちの彼氏さんですか?」

 友達がおずおずといった具合に話しかけていた。わたしの許可もなく。いや許可なんかいらないから……。

 やっぱり今のわたしはヘンだ。故障か?

 なんだか、ちょっと油断すると狂犬並になんにでも噛みついてしまいそうだ。ガウー。

「うん。そうだよ、双葉の彼氏です」

 彼は事も無げに、わたしの、ここ、恋人であると認め、さらっと会釈をしてみせた。なにこの爽やかさ。風が吹いたのかと思ったわ。えぇ!? わたし、こいつのカノジョなの!? 大丈夫かわたし!

 それを聞いた二人は歓喜? の叫びをあげながら手を握り合っていた。うわぁ目立つなこれ。あ、もやもやどっかいっちゃったな。なんだったんだろ。

「そ、それで、なんでこっち来たの?」

 とりあえず近づきたい話したい触りたい。いろいろ、いっぱい聞かせて。わたしもいっぱい話したいことある。

「あ、そうそう。車の免許取ったんだよ。マスターに車借りて運転してみようと思って」

「おおお、もう取ったのかー。ってことは、ここまでも車で?」

「そういうこと。ちょっと離れたとこに停めてる」

 く、車でお迎えだと……。このカレシちょっとカッコよすぎじゃないのか……。

 夢中になって話し込んでいると、後ろから肩をちょんとつつかれた。

「私達、邪魔しちゃいけないから先帰るね。双葉っち、明日いろいろ聞かせてねぇ~? ごゆっくり~」

 ニヤニヤと意味深な顔を残して二人は去っていき、そしてわたしと、か、カレシが取り残された。

「じゃあ帰ろうか」

「……う、うん」

 いかん、急に緊張してきた。さっきまではドッキワク浮かれ成分のほうが強かったから誤魔化せてたんだけど、静かになるとどうしていいかよくわかんなくなる。

 車を停めている場所へ二人で並んで歩く。その間何度か話かれられたけど、まともに受け答えができたかヒジョーに怪しい。あああ、時間がもったいないよぅ……。

「オイ、すぐ戻ってくるんじゃなかったのかよー」

 車がどこにあるかを探す必要はなかった。その場所には黒い猫がニャーニャー言いながら座ってたからだ。

「おおおモーナー! 久しぶり久しぶり元気してたかー?」

 駆け寄ってしゃがみこみ、目線を低くする。

「フタバこそどうなんだよ? 相変わらずちんまいけどほんとに高校生か?」

「なんだとー? モナのがずっとちんまい癖にー」

 ほっぺたや頭をぐりぐりと伸ばしたり引っ張ったり。モッフモフだモッフモフ。なつかしー。相変わらず生意気可愛いなこんにゃろー。

「やーめーろー、引っ張るなー、もげるー」

「あはは、うりうりー」

 モナも嫌がるのは口だけで、笑いながらにゃんにゃんごろごろしてた。かわいすぎてヤベー。

「乗らないのか?」

 彼はいつの間にか運転席に座り、窓から右腕を出して催促していた。

「乗るのるっ」

 慌ててモナを抱えて助手席に滑り込んだ。モナはわたしの膝の上だ。

「行こうか」

 言葉と同時に車が揺れ、ゆっくりと前進を始めた。

 乗ったことのあるそうじろうの車なのに、わたしには別の車にしか思えなかった。ぎこちなくシートベルトを閉めてから、流れていく景色はそっちのけで隣の横顔を見ていた。

 前を向いた瞳。たまに一瞬だけこっちに向けてくれる。細かく修正するようにハンドルを動かす姿。シフトレバーを触るときに浮き出る手の筋。

 そのどれもがわたしのナニカをおかしくさせる。

 顔、熱い。

「なんか大人しいな、フタバ。どうかしたか?」

「そそ、そんなことないぞ、うん。ねぇねぇ、運転どう?」

 モナに顔の赤さがバレたのかと思い、慌てて話しかけた。

「こっちは道と標識が複雑すぎるけど、運転は問題ないかな」

「だよなー、ワガハイで随分慣れてるだろうしなー。ワガハイのお陰だよなー」

「電動モナアシストなくても大丈夫?」

「ワガハイは電動じゃないぞ……」

「ああ、大丈夫。むしろ勝手に動かないから楽かも。ただちょっと気を遣うな。モルガナカーと違ってぶつけると傷付くし」

「ワガハイも傷付くんだけど!? 気を遣えよ!」

「まあもうモナは車になれないしー。気にするなっ」

 膝の上で大人しく座っている猫のお腹を撫でた。

「わたしはボチボチやれてるけどー、そっちはどうなの? 地元」

「あー、うん。まあ、それなり」

 彼にしては珍しく、歯切れの悪い答え方だった。

「けど、レッテルってなかなか剥がれないもんだな。疑惑があった、ってだけでもうそんな扱いのままだ。実際にやったかやってないかなんて誰も気にしてないよ」

「ほんと嫌になるよなー。ニンゲンも楽じゃないって思うぜ、ホントに」

 ……悪いこと、聞いちゃったな。

「……ごめん」

「ううん、謝らなくていい」

 そう言ってわたしの頭をまた撫でてくれた。

「……やっぱり、こっち残ればよかったんじゃない?」

 別れのときも同じようなことを言ったけど、地元がそんな感じなら、どう考えたってこっちのが楽に決まってる。わたしが離れたくないのももちろんだけど、それだけじゃない。

 何よりも、心から、辛い思いはしてほしくない。この人に。

「ああ、うん。来年からはまたお世話になるつもり。来たのはマスターにそれをお願いするためでもあったんだ。もう話してきた」

「……どゆこと?」

「こっちの大学にするってこと。またあそこから通うよ。まあ、受かったらの話なんだけど」

 ………………。

「まーオマエなら大丈夫だろ。去年も試験ずっと一位だったじゃねーか」

「まあね」

 …………。

「忙しい怪盗やりながらよくやったよなー。立派なもんだぜ」

「あれぐらい楽勝だ」

 ……。

「言うねー。さすがワガハイの認めた……」

「ほんとにっっっ!?」

「うわビックリしたぁ! フタバ、脅かすなよー」

 今、何秒かトんでた気がする。

 なんかモナが騒いでるけどそれどころじゃない。来年からまたルブランに住むだとぉ?

「本当。双葉も受かるよう祈っといてくれると嬉しい」

「い、祈る祈る! お百度参りでも丑の刻参りでもなんでもする!」

「オイ、最後呪ってんじゃねーか……」

 来年かぁ……。三年は無理かと思ってたのに、だいぶ縮まった。これはスゴいぞ。

「やったー、嬉しいなぁ嬉しいなー」

 もうメチャクチャにモナを撫で回してやった。嫌がってたようにも見えるけど気にしない。

 と、そこで気づいた。

「あり? そいえばなんで私服? てか学校は?」

 よく見たら制服じゃない。実は引き締まっている体のラインがハッキリわかる格好をしている。この服見たことないかも。

「今日は午前だけ。さらに明日は創立記念日で休みだから、着替えてこっちにきた」

 明日は土曜日だ。つまり、明後日は。

「えっ! とと、ということは……」

「うん、泊まっていくよ。二泊して日曜に帰る」

 心臓が強く、ドクンと跳ねた。一緒にいられる。今日も、明日も。

「やたっ! じゃあこのままどっか行こう!」

 どこに行こうとか、そんなことはなにも考えてなかった。一緒ならホントにどこだっていい。出かけるのがこんなに楽しいなんて、去年のわたしじゃ考えられないな。

 けど、彼は申し訳なさそうに眉を寄せて言った。

「ごめん、寄り道せず帰れって言われてるから。車も返さないといけないし」

「そ、そっか。じゃあ……帰るか。別にいい、だいじょぶ。わたし、おうち好きだし」

 わたしは今(´・ω・`)こんな顔をしてそうだ。ショボーンの気持ちがよくわかる。

「……そのうちお金貯めて自分の車買うからさ、それから行こう。約束」

「……それは、わたしがなにか達成できたらの、ご褒美的なヤツ?」

「いや。俺が双葉とするって決めた、ただの約束」

「そ、そか。……なら、うん。約束、だぞ?」

「ああ。楽しみだ」

 楽しみなの、わたしだけじゃないんだ。よかった。

 こいつといると、こうしてわたしの未来に色がついていく。わたしの前の道に標ができる。

 こういう感覚、お母さんがいなくなってからほとんどなかった。ずっとわたしの目の前は道もなくて、真っ白か真っ暗かのどっちかだった。

「オマエ、車買うの? カネは?」

「バイトだな。まあなんとかするよ、高いの買うつもりはないし。……メメントスがあればカツアゲで楽に稼げたんだが」

「なにサラッと物騒なこと言ってんだよ……」

「あ、今さらなんだけどさ、パレスとかメメントスとかのお金って使って問題なかったのか?」

「さあ? ワガハイはそういう細かいことはわからん」

 ハンドルが大きく右に切られ、車体が傾く。膝のモナと一緒に体が反対側に揺れた。国道から逸れて脇の道に入ったみたいだ。

「あのね」

 二人の会話に割り込むようにして声を出した。

「なに?」

「どっか寄る、まではいいからさ。ちょっとだけ、遠回りしてかえろーよ。ドライブ、楽しい」

 モナと、わたしと、こいつ。この空間は、いい感じだ。もうちょっと味わいたいな。

「ま、それぐらいならご主人も許してくれるだろ。いいんじゃねーの?」

「そうだな。知らない道通って帰ろうか」

「うんっ」

 助手席の窓を開けると、涼しい風が車内に吹き込んできた。モナの毛とわたしの髪が暴れまわるようにバタバタと揺れる。

 気持ちいい。どこまででも行けそうな気分だ。

 このとき確かに、わたしの心に空いた穴が塞がったような気がした。足りなかったのは、やっぱりあれか。胸のトキメキ、みたいなやつか。乙女心、難しいな。勉強せねば。



「ただいまー」

 ルブランのドアベルが鳴り響いた。お客さんは……いない。大丈夫なのかこの店。

 短かったけど楽しいドライブを終えると、うちには帰らず直接店にやってきた。今日は三人と一匹で晩御飯にするつもりだったからだ。

 わたしに続いて彼とモナが入ってくる。

「おお、おかえり。車でのお出迎えはどうだった?」

「気分は貴族だな! 毎日やってくれてもいいぞ。そうじろうでもいい」

「毎日は無理だけど、明日も行くよ。もっと路上の運転慣れたいし」

「俺はやだよ、めんどくせぇ。甘えんな」

 そうじろうは甘くなかった。まあ、ほんとに甘すぎても胸焼けするしな。たまに苦いぐらいで十分だ。

「今日はこっちでご飯食べよう!」

「そのつもりだよ。片付けて準備するから上で待ってな。お前も手伝わなくていいよ」

「ガッテンだ」

「お言葉に甘えます」

 久しぶりにルブランの階段を昇った。誰も住んでない部屋になってから一度だけ入ったことがあるけど、寂しい気持ちばかり膨らんであんまり長くはいられなかった。それ以来かな。

 部屋はそうじろうが何回か掃除をしてたぐらいで、基本的には手付かずのまま残してあった。いつでも帰ってこられるように、と思っていたのはわたしだけじゃないってことだ。

「なにも変わってねーなー。ベッドも布団もあるし、ご主人には感謝だな」

 モナが鞄から飛び降りて手すりに座った。指定席だ。

「ああ、ありがたい」

 そこから、この屋根裏部屋で作ったたくさんの思出話に花を咲かせた。みんなで詰めかけると騒がしくて狭かったアジト。楽しさよりも得体の知れない苦しさのほうが強かったクリスマス。

 わたしはソファで膝を抱えて、彼と猫のいる、もう寂しくない部屋を眺めた。

 怪盗団をやっていた約半年の間、わたしはたくさんの信じられないほど刺激的な体験をした。数え切れないほどの思い出をもらった。その全部をわたしは思い出せる。

 勇気を出して最初のコンタクトをとったチャットの内容も、思いきって押し入れから飛び出たのに予想と違って引っ込んだあの恥ずかしさも、たくさん話したときのみんなの表情も、全部だ。

 未だに整理しきれない場面の数々。切り取られた写真のような記憶の欠片。そのどれもに、みんながいる。モナがいる。こいつがいる。

 たぶん、同じように、みんなの思い出にもわたしがいる。わたしはそこでも生きてる。

 だから、わたしはもう一人じゃない。わたしも世界の一部っていうのは、こういうことなんだ。

「……えと、あの」

「?」

 わたしが一人でモジモジしていることに彼が気づき、首を捻った。

 言いたいことはたくさんあるのに、全然言葉になってくれない。

「その……、あれ、えーと……」

「おーい、飯出来たぞ、降りてこい」

 そうじろうの声に驚いて、喉まで出かけていた言葉が引っ込んだ。モナは手すりを飛び降りて先に下に向かった。

「…………」

「またあとで聞かせて。時間ならあるから」

 彼はそう言って笑ってくれる。ダメなわたしを責めることなく待っててくれる。

 ……ズルいよ。そんなに優しくするとか。

 ふと、温かくなる心に小さな影が射した。

「……うん。さー、ご飯だご飯」

 気にしないようにわざと能天気な声を出して階段に向かう途中、不意に手に何かが触れた。

「はわあっ、なな、なに!」

「ちょっとだけ」

 わたしの手は、わたしのよりも大きな手に握られていた。

「う、わ、わかた……」

 そうじろうにバレないところまで、手を繋いだまま階段を降りた。短い時間だったのに超ドキドキした。死ぬヤツじゃないのかこれと思った。

「ま、やっぱうちの食事つったらこれだよな」

 テーブルに用意されていたのは当然というべきか、カレーだった。うん、うちの家族の味って言ったらこれだな。

 久々の三人の食事は楽しかった。楽しかったよ? けど、味がイマイチよくわかんなかった。食事中、テーブルの下でちょこちょこわたしの手を触ってきたヤツのせいだ、絶対。訴訟。


* * *


 不覚。失態。あり得ぬミス。業務上過失致死。最後は違う。

 「ミスを認めるんですね?」「不注意では済まないと思うのですが!」「しゃーざーい! しゃーざーい!」。頭の中のわたしの大群がわたしを責め、シュプレヒコールをあげる。謝る相手もいませんけどごめんなさい。

 その日、わたしは始業前の席に座り机に突っ伏していた。クラスメイトが作る喧騒は耳に入らない。凹みまくりだ。

 昨日の晩、味のよくわからないご飯を食べ終えてから三人と一匹でまったりとした家族っぽい時間を過ごした。ここまではいい。問題はそのあとだ。

 着替えるためにいったん家に帰り、いつもより入念なお風呂に入った。入念、に意味はない。ないったらない。

 それから部屋で着替え、ルブランにもう一度向かおうとしたところで朝のそうじろうの台詞が蘇り、躊躇いが生まれた。結果的にはこれがよくなかった。なんだ悪いのはそうじろうか。違うな。

「……だらしねえなぁ。お前、もうちょっと女の子らしくしねぇと嫁の貰い手いねぇぞ?」

 風呂上がりの火照った体で、ろくに乾かしていない濡れた髪のまま、カレシの部屋に向かってもいいのか。薄い世間の常識と年頃のそれとズレていそうな乙女心を振りかざし自問した結果、答えはノーだった。

 落ち着いて髪を乾かし、普段着のままではあるけど身だしなみを整え、ベッドに横になって行く前に少しでも少女の心の機微を学ぼうとマンガを読み初めて、カナちゃんにメールの返信をして……、次の記憶は妖怪双葉起こしの声だ。

 せっかくカレシがルブランにいるというのに、連絡もせず無駄に一日が経ってしまった。あぁぁ……。

 制服にまた着替え、学校に行く前にでも会えないかと階段を昇ると、待っていたのは非情な現実と非現実的な喋るネコだった。

「こいつ休みの日は昼まで起きねーぞ。残念だったな」

 わたしの都合で無理矢理起こすのはさすがにできなかった。『今日はもう来ない?』と書かれていた昨晩の時間のチャットが胸に刺さった。

 そして今に至る。普段のわたしは夜更かしなんて全然平気なのに、ナゼ昨日に限って健康的に寝てしまったのか。バーカわたしのバーカ!

「おはよー、双葉っち」

 頭上から声が降ってきた。わざわざ突っ伏したわたしに個別で挨拶をする子なんていつもの彼女しかいない。

「……おはよ」

「あれ、なんで元気ない?」

 彼女はまだ来ていないわたしの前の席に陣取った。昨日予告していたように、"いろいろ"聞いてくるに違いない。

「フラれた?」

「フラれてないっ!」

 つい顔を上げて否定してしまった。

 するとまさに興味津々といった目の彼女にいろいろと聞かれた。答えられることは答えたけど、答えられない部分ははぐらかして質問攻めに耐える。

「ふーん。遠恋なんだ、大変だねー」

 えんれん? とあまり聞きなれない言葉があったけど、一応すぐにわかった。

「別に、そうでもない。寂しいけど。……ねー、女の子らしくってさ、何したらいいの?」

 参考に一般女子の意見が欲しいと思っていたところだったので、とりあえず聞いておいた。

「ん? 双葉っち女の子らしくて可愛いじゃん。言葉遣いはアレかもだけど」

「……女子のカワイイは信用できないって見たことある」

 訝しい視線を送ると、彼女は手をブンブン振って否定した。

「いやいや、口だけじゃないから。ちっちゃいし髪の毛サラサラだし、女の子らしいって、マジで」

「……マジか。照れるなぁ。あ、いや、女の子らしいことってどんなのがある?」

「あー、んー、双葉っちならー……」



 なるほど。あまり試したことはないし、どんな反応をされるのか見てみたいかも。それに女の子の特権って感じもする。

 ……よし。機会があったらやってみるか。


* * *


 土曜の午前の授業を終え一人で校門に向かうと、昨日と同じようにして待ってくれていたことに安心した。怒るような性格じゃないってのはわかってたけど、それでも。

 聞くと、今日はモナは家の周りをうろついているので来ていないらしい。車に乗り込んで二人きりになってから本題に入った。

「昨日は、ごめん。行くつもりだったけど、気がついたら寝てた……」

「ああ、別にいいよ。疲れてたんだろうなって思ってたから」

「そ、そか……」

 これは怒ってないって安心するところのはずなのに、全然気が晴れない。むしろ、目を向けたくないモヤモヤが拡大した気がする。

 わたしの冴えない返事を聞いて、彼は一瞬わたしに目をやった。

「どうかした?」

「わかんな……くも、ない。結構、わかってる。でもあんまり認めたくない、んだと思う」

「……言いたくなければ無理にとは言わないけど、話してほしい。今運転してるから、帰ってゆっくり聞かせて」

 ちょうど信号に引っ掛かって止まったタイミングだったから、膝に置いたわたしの手にそっと左手を重ねてくれた。

 言ったら嫌われるかもしれない。けど、言わなきゃ伝わらない。

 こんなのを抱えたままずっと続けていくのは、たぶん無理だ。どこかで向き合わなくちゃならない。

 向き合う。そうだ。あのとき聞こえた、わたし自身の声。

 いかなる謎も幻も、もはやお前を惑わせない。

 あのときわたしを追い込み、惑わせていたのはわたしの心だった。そして、それは今も。わたし自身が作り上げた負の幻想がわたしを不安に誘い、苛む。

 前を向き、あのとき目覚めたわたしのペルソナに改めて誓ってみた。

 わたしはもう、迷わない。全部話す。向き合うんだ。

「えっと、実は、たくさんあるんだ。言いたいこと。聞いてほしいこと。話してほしいこと。……なにから言えばいいかわかんないから、帰るまでに整理しとく」

「うん。どっちで話す?」

「……うち、きて」

「わかった」

 できるなら二人きりで邪魔が入らないほうがいい。昼の間はそうじろうも戻ってこないから、わたしの部屋なら大丈夫だ。

 言わなきゃいけない言葉。伝えたくてどうしようもない想い。目を背けたい不安。そんなことを考えながら見る景色は、昨日と同じ色には見えなかった。



「お邪魔します」

 彼がわたしの部屋に一歩踏み出した。

 掃除は、してある。整理整頓は、あんましてない。わたしは部屋がごちゃっとしてて狭いほうが落ち着く性分なので困る。

「お、おかまいまくっ」

 噛んだ。しかもおかしなこと言ってるし。

「緊張してる?」

「し、してる」

 ころころと感情が揺れ動いていた。車の中ではあんなだったのに、実際に部屋にこいつが来たらすぐこれだ。

「俺も緊張してるよ」

「嘘つけ」

 緊張してるやつは堂々とベッドに腰かけて脚組んだりしないダロ。

 でも、わかる。わたしの緊張を解こうとしてるんだって。

 いつもの椅子に逆向きに座り、一度深く息を吸った。隣に座るのは、話が終わってからだ。

「……よし、話すぞ。もしかしたら長くなるかもだけど、許してくれ」

「うん。聞かせて」

「まずは、昨日言いかけて言えなかったこと。……ありがとう、だ」

 こんな簡単なことぐらい、昨日言っておけばよかった。

「どういたしまして。……何が?」

「それはまあ、いろいろ。今さらだし、言ったこともあるけど。わたしを助けてくれて。わたしに優しくしてくれて。……帰ってきてくれて」

「それはお礼を言われるようなことじゃない。双葉のことが好きだからそうしてるだけ」

 こういうことをさらっと言ってくれるところが、わたしも好き。でもここで照れて話せなくなるようじゃダメだ。平常心、平常心。

「そう。二つ目、それ。好きって言ってくれるのも、頭撫でてくれるのもスゴい嬉しい。ドキドキする。けど、わかんなくなる」

「何が?」

「昨日わたしが寝ちゃってて、それをさっきごめんって言ったら別にいいって言ってくれた。怒ってなくて安心ってなるのかと思ったら、違った。わたし、別に行かなくてもよかったの? って思った」

「それは違う」

「うん、わかってる。頭ではわかってるんだ。そんなつもりないんだってことぐらい。でも、自分じゃどうにもなんない」

 自己分析するなら、これは自分に自信がないことが原因だ。わたしが負い目や引け目のようなものを抱えているからだ。

 イヤだ。そんな自分が。

「わたし、ちゃんとカノジョ? ちゃんと必要とされてる? もし、わたしだけが一方的に依存してるようなら、それを好きって言ってもいいのか、わかんない。助けてもらった直後はね、他のことなんて全然見えてなかったからそれでもよかったんだ。けど高校行くようになって、やっと周りが見えてきたら、それでいいのかって思うようになった」

 ダメだ。平静じゃいられなくなってきた。胸の内の暗い塊が大きくなった気がする。

「昨日一緒にいた友達の子に、今日、言われた。わたしたち、兄妹みたいだったって。別に、周りから妹って言われてもそんなに悪い気はしない。こんな頼りになるお兄ちゃんなら、ほしい。自慢できるし」

 見ないようにしていた、別のもので覆い隠して埋めていた感情が、芽吹くように顔を出す。

「でも、わたしはそれ、なんか違う。もうそれで終わらせたくない。わたしは守られてるだけの妹と、何があっても守ってくれるお兄ちゃんじゃいたくない。カノジョなんだから、わたしだって助けてあげたい」

「双葉……」

 彼が驚いたようにわたしの名を呟いた。

 言葉が、感情が溢れてくる。

「そりゃ、怪盗団やってたときはよかったよ? わたしにもナビがあったから。ちゃんと助けになれてる、わたしも役に立ててるって思えてた。けど今の現実は違う。わたしは引きこもりをやっと卒業できただけの高校生だ。なにも持ってない。わたしが助けてあげられることなんて、なんにもない。わたしはまだまだ、まだまだ……」

 声が震えて上擦ってきた。目が焼けてるのかと思うほど熱い。

「もういいよ、双葉」

 彼は首を振ってわたしを止めようとした。でも、

「よくないっ。これはちゃんと、わたしの口から言わなきゃダメなんだ。だから、聞いてくれ」

 もう止まらない。涙も、嗚咽も。

「わたしは、まだまだ、子供だよ……。ぇぐっ、けどさ、けど、クリスマのあとだって、わたしに黙っていなくなって、どれだけ悲しくて、寂しかったと思ってんだッ! …………わたしが、ひっく、頼りにならないなんて、わかってるよ……。でも、ちゃんと言ってよ……。わたしも、隣に立ちたい……。ちゃんと、彼女になりたいんだよぉ……」

 水滴が頬を伝って流れ落ちた。目は血が出てるのかと思うぐらい熱いのに、流れ落ちたあとは冷たい。

 途中、支離滅裂でなにを言ってるのか自分でもよくわからなかったけど、たぶんこれで、思ってたことは全部出てきたような気がする。昔のことをほじくり返して、八つ当たりみたいなことまでしてしまった。最低だ。

「双葉、こっちに来て」

「……やだ」

 ほんとは隣に行きたいけど、子供のワガママみたいなことを言ってしまった手前、素直に甘える気にはなれなかった。

 お互い沈黙したまま目線を交わした。わたしの鼻を啜る音に混ざって、パソコンの起動音と時計の刻む音が聞こえる。

 やがて、彼はおもむろに立ち上がり、わたしの手を掴んで椅子から立たせると、

「ちょっ、なぁっ!?」

 わたしの腰と脚を支え、お姫様みたいに抱き抱えた。視界が揺れる。そのままベッドまで輸送されたわたしは、膝の上で横向きに座っていた。

「軽いな、双葉は」

「な、なにをするっ。はなせっ」

 言葉とは裏腹に、力が全然入らない。

 不意を突かれた驚きという別の感情が勝り、昂りは波が引くように薄らいでいった。目から溢れていたものもおさまり始めた。

「聞いて」

 彼の真剣な眼差しにたじろぎ、体を硬直させた。膝の上で抱えられたまま。

「そんな風に思ってるなんて考えてなかった。本当にごめん」

「……こんなの、言わなきゃわかるわけないんだから……、別にいい。謝ってほしいわけじゃない。それよりわたし、どうやったらちゃんと彼女になれる? お前のためにわたしができること、なにかない?」

「どうって言われても、双葉はもうちゃんと彼女だよ。助けてももらってる」

「……嘘だ。わたし、なにもしてないもん」

 そんな甘い言葉をおいそれと信じるわたしではない。案外意固地なんだぞ、わたしは。

「嘘じゃない。双葉がいなきゃ今もこっちに帰ってきてないし、大学をこっちにしようなんて思ってない。向こうで嫌なことがあっても、双葉の存在が支えになってる」

「…………ほんとに?」

 やっぱり信じちゃいそう。わたしチョロくね……。

「ああ、本当だ。でもちょっと妹っぽいなって思ったことはある、かな」

「まあ、それぐらいなら……許す」

「それは助かる」

 何様なんだわたしは、と思っていると彼が微笑み、ふっと場の空気が和らいだのがわかった。

「双葉はまだ子供だって言ったけど、それは俺も同じだよ。誰かの助けがないとしんどいし、生活だってままならない。無理に変わろうとしなくたって大丈夫、双葉は成長してる」

「って言われても、自分じゃよくわかんない……」

「ちゃんと高校生やれてるじゃないか」

「それは当たり前のことだろー? 普通に戻っただけだ」

「それでも成長だ。それに今だって、双葉の思ってる本音を全部聞かせてくれた。今の自分を認めて、相手と向き合おうとしないとできないことじゃないのか」

「……そう、かも」

「そうだよ。もう少し自分を信用していい。だから、何もやれることがないなんて言わないでくれ。双葉のお陰で目標ができた自分が言うんだ、これなら間違いないだろ?」

「…………うん。じゃあ、信じる。でもわたし、もっと釣り合うような子になってみせるから……見てて」

「わかった」

 膝に横向きに座ったまま、首にしがみついた。わたしの顔は彼の肩ぐらいにある。でっかいな。いや、わたしがちっちゃいのか。

「ね、目標って、大学のこと?」

 上にある顔を見上げて話す。

「それもあるけど……もっと先のこともある。まだ内緒」

「わかった。楽しみにしとく」

 それはきっと、わたしにとって喜ばしいことのはずだから。聞かないままでも、平気だ。

「あ、そうだ。まだ話すことあった」

「何?」

 恋人みたいに抱き合ったまま、囁くような声で語り合う。恋人みたい、じゃないか。恋人でいいんだよね。

「約束ノートのこと。高校卒業したら、その、離れなくてもいい権利、行使するって言っただろ?」

「あ、そうか。卒業しなくても来年から叶っちゃうな」

 もう完全に受かること前提の話になっているのが可笑しい。やっぱりこいつ完璧超人じゃないのか。

「そうそう。だからさ、卒業したら、の次がほしい。……ダメか?」

「いいよ、何?」

 ごくりと唾を飲み込んだ。こんな妄想、子供だと笑われたりしないだろうか。

「離れなくてもいい権利、の次だ。だから、もっと重いぞ?」

「なんでもこい」

「……その、あれだ。高校、卒業したら、だな……。い、一生、わたしを離さないでいてくれる、権利、ほしい」

「いいよ」

 あっさり即答された。予想とちょっと反応が違うんだが?

「な、なんか軽くない……? 一生だぞ? 一生って、ずっとだぞ? わたしの言いたいこと、わかってるか?」

「わかってる。まだ学生のくせに馬鹿みたいだけど、俺もそのつもりで考えてたよ」

 二人とも具体的な言葉を使わずに会話を続けた。なんか耳の奥が痒いみたいなくすぐったさがある。

「わたしから言っといてなんだけど……あれだな。わたしたち、バカップルだな」

「かもな」

 リア充死すべし、なんてもう言えないな。

 しかし、人生わかんないもんだってレベルじゃないぞこれ、わたしの場合。ジェットコースターすぎる。死ぬつもりだった去年から一年足らずで、こんな夢みたいな約束してるなんて。

「……そだ。ちょっと、目閉じて?」

 ついでに、一般女子の意見を聞いて試そうとしていたことを思い出し、やってみることにした。

「これでいい?」

 彼は素直に従い、瞳を閉じている。薄目は開けて……ないな、うん。

「そのままな?」

 膝を降りて机の引き出しを漁る。ほとんど使ってないけど、確かここにしまってあったはずだ。

 …………あった。あとは、鏡……。この部屋にはちっちゃい手鏡しかなかった。まあこれでいいか。

「まだ?」

「まだー。もうちょい」

 鏡とにらめっこしながらこめかみの上あたりの髪をまとめ、髪留めのゴムで束ねる。反対側にも、もう一つ。見よう見まねだけど、こんなもんだろ。あとは眼鏡を外して……と。

 自信? あるわけない。

 だから、おとなしく目を閉じて待ってるヤツの眼鏡も外してやった。わたしもよく見えないし、おあいこだ。

「……いいぞ」

 彼がゆっくりと目を開く。

 う。眼鏡ないと全然印象違う。カッコいいヤバい。わたしは……どうなんだろう。ドドドドうるさい。

「…………」

「……見えてる?」

 瞬きを繰り返すだけで、なにも言わないから不安になった。

「もっと近くじゃないとわからないな」

 言うと、わたしを抱き寄せ、強引に膝に座らせる。わたしは彼を跨いだ形で、身体同士が完全に密着してしまった。

 至近距離で見つめ合う。

「うん。これならよく見える」

「う、嘘だ。そこまで目悪くないだろ……」

「悪くないよ?」

「ぐぬぬ……」

 堂々とされすぎて言い返せない。意地が悪いぞ、こいつ。悪人だ。

「感想。……なんか、言ってもらえる?」

 恥ずかしいやらドキドキしてるやら感情がごちゃ混ぜになって、もうなにがなんだかわからない。オーバーフロー寸前だ。

「可愛い。似合ってる」

「……そ、そか。……嬉しい」 

 ツインテールなんかメイドさんかアニメぐらいでしか見たことないけど、そう不評ではなさそうだ。お世辞という可能性は……考えない。

「こ、こんなの、お前にしか見せないんだからな」

 言ってから、この台詞ツンデレっぽいなと思った。ツインテールにはそんな効果があるのか?

「そうしておいて。ファンが増えると困る」

「増えねーよ!」

「そんなことないと思うけどな」

「それはもういい。…………わたし、少しは女の子らしい? ちゃんと、彼女?」

 その返事は言葉でなく、行動で示された。驚きすぎて息もできなかった。

「彼女じゃなきゃこんなことしない」

 柔らかい感触の残った唇の隙間から、言葉を紡ぐ。

「……よかった。なら、好き、って言ってもいい?」

「もう言ってる。けど、もっと聞かせて」

「……うん」

 こうしてわたしの道がまた綺麗な色で塗られ、未来に向かってゆっくりと伸びていった。


* * *



 時は流れ、桜の季節。

「シキオウジ」

「じ……ジオ」

 わたしたちは営業を終えたルブランの一階で、あるゲームをしていた。

「オンモラキ」

 ゲームの名称は、しりとり。実はほとんどやったことがなかったりする。

 ただし使える語句は、今となっては懐かしい「ペルソナ名・スキル名・ペルソナを使える人物名」に限定してある。元怪盗団メンバーだけができる特別なしりとりだ。

「き…………」

 彼が何度目かの長考を始めた。

 無理もないと思う。怪盗団でペルソナを使っていたのは三年以上前の話だ。あれほどの体験の記憶が消えるわけはないにしても、一人でたくさん使い分けていたペルソナの名前をいきなり思い出すのは難しいに違いない。

 けど、わたしは別だ。

 わたしはジョーカーの使った膨大なペルソナ名もスキル名も、全部記憶に残っている。つまり、これはほぼわたしの勝ちが確定しているクソゲーなのだ。

 まあ勝ち負けに何か賭けているわけでもないし、ただのお遊び、意味のない暇潰し───と見せかけ、わたしはある目的を持って彼をこのゲームに誘っていた。

 「面白そうだ」と乗ってきたときは危うく小躍りするところだったけど、「だ……駄目だ、まだ笑うな……こらえるんだ……」という竜司の声に似た謎の台詞が聞こえてきて思いとどまった。

 それに、目論見通りいくかはまだわからない。途中で終わってしまう可能性だってまだ残ってる。

「き……きか、きき、きく……あ、キクリヒメ」

 よし。これでまたひとつ「き」を潰した。

「メディア」

「あ、アラハバキ」

 キタ。それは読めていたぞ!

「キンキ」

「む、また「き」か……」

「ん~? まだあるぞ? 別にペルソナじゃなくて人物名でもいいんだぞ?」

「人物か……。……あ、喜多川祐介」

 ガッツポーズしそうになるのを慌てて自重した。

 計 画 通 り。

 ワードをペルソナだけに限定せず、わざわざ少ない人物名まで可能としておいたのはまさにこのためだ。

 ペルソナにはやたら「き」で終わるものが多く、逆に「き」で始まるものはそう多くない。「き」攻めをすることで、強烈な存在感を発揮していたおイナリの名前が出てくることは予想できた。そしておイナリは「け」で終わる。素晴らしいぞおイナリ。初めてお前に感謝だ。



 高校に入学してから初めて見た、某SFアニメ。そこでの有名なクライマックスシーン。わたしはそれに激しく憧れた。

 そして今、「け」がわたしに渡された。

 胸はどっきゅんどっきゅん言ってるけど、お膳立ては整った。

 ほんとは向こうから言ってもらいたかったけど、こんな形で言ってもらうなんて無茶な話だ。それに約束はお互い忘れていないとわたしは信じているから、どちらから言うかなんて些細なことだろう。

 だから、言ってみよう。さあ言おう。言うんだ。

「け……」

 なんだコレ、心臓が口から飛び出そうだ。

「もうない? 双葉の負け?」

 ふるふると首を降って意思を伝える。もうないどころか、これを言いたくて始めたことなんだ。

 震えないよう、慎重に。

「け、だな。……け、ケコ……、結婚、しよう」

 ああぁわわわわ、言っちゃった。言ってしまった。

「……う、だぞ」

 アニメではここで、この場に相応しい納得の答えが返ってきてしりとりに決着が着き、シーンを終える。ニヨニヨなしでは見られない名場面だ。

 当然、わたしも同じことを期待していた。

 彼は表情を変えなかった。長々と思案し、やがて答えた。



「ウリエル」

 ダメでした。

「ルシファー……じゃなくて! いや流れ明らかにおかしいだろ!? そこは「うん」って言うとこじゃないのか!?」

「え? …………ああ。そういうこと。でもそれ言うと負けちゃうし」

「たかがしりとりでどんだけ負けたくないんだよ! あぁぁ、もう台無しだよぅ……」

 頭を抱えてテーブルに突っ伏した。終わった……。

「……なんか、ごめん」

「もういいよ……。わたしが悪かった……」

「よくない、諦めるのか?」

「なにをだよ……」

「まだ負けてない。ルシファーだから「あ」でいいな?」

「えー……。まだやんの?」

「やるぞ。アルセーヌ」

 あそこで「うん」って言えないくせに、なんなんだよもう……。もしかして約束、忘れてるのか? まさかな……。

 強引に再開されてしまったけど、そもそも始めたのはわたしのほうだから一応付き合わないといけないか。

「ヌエ」

 でも、もうほんとどうでもいいよ。こんな勝負。

「え、エナジードロップ」

「プリンシパリティ」

 普通にやったら、いくらこいつが相手でもわたしが負けるわけないし。なんでも思い出せるわけじゃないけど、わたしと引き出しの数が全然違う。

「い……、イシス」

「スラオシャ」

「や、ヤクシニー」

「ニギミタマ」

「ま……、マンドレイク」

「クシナダヒメ」

「め……、め……」

 そこで彼は腕を組み、真剣に悩み始めた。思い付かない様子が見てとれる。メディラマとかメパトラでいいのに、何を悩む必要があるんだろう。

「終わりか? ならわたしの勝ちでいいな?」

 まさに試合に勝って勝負に負けたって感じだけどな。

 はぁ……。こいつがこんなに負けず嫌いだったとは。そこが計算違いだった。

 次の言葉を聞くまではそんな風に考えていた。

「め、めんどくさくなってきたから言うよ、結婚しよう」

「…………はぁ!?」

 めんどくさくなってきたってなんだよそれ!? しかもパクリじゃん! そもそもわたしもなんだけど!

「う、だよ?」

「だよ? じゃねーよ! それ「め」なのか!?」

「そうだ」

 なんなんだその自信満々な顔は。

「くっ……じゃあクシナダヒメ取り消し! クヴァンダ!」

 もう「うん」なんて簡単に言ってやるもんか。わたしの策略を台無しにしたくせに。

 でも、こいつはわたしの予想とか計算を簡単に飛び越える。というより、すべてを無にする。破壊神かよ。ラスボスかよ。

「だ、大好きだ双葉、結婚しよう」

 なんてことを言うんだ。恥ずかしくないのか。わたしは恥ずかしくて死にそうだ。

「……もうメチャクチャじゃないか……。クヴァンダやめ、クイーンメイブ」

 もはや諦め気味に他の言葉に変更してみた。

「ぶ……ぶっちゃけ双葉のこと愛してるから、結婚しよう」

 何を言っても無理矢理同じ言葉に繋げてくる。

 わたしのなにかが決壊した音が聞こえた。

「…………。ぷっ、あはっ、あはははっ!」

「う、だよ?」

「だよ? って、あっはははっ、殺す気かっ! ひーっ、苦しいっ」

「そんなに可笑しい?」

「っあー、おっかしー。超おかしいよ。ルールも何もあったもんじゃないな」

 涙を拭いながら途切れ途切れになんとか話す。

 呼吸困難になりそうだった。笑いすぎて泣いちゃったよ。

「ルールを守ってたら怪盗なんてやれなかったからな。……それで、続きは?」

 彼はいつも通りの飄々とした顔で佇んでいた。

「…………ズルい。ほんっとズルい。勝てるわけないじゃん、こんなの」

 これはきっと、信頼というやつだ。わたしの答えを知っている顔だ。わたしの敗北を確信している顔だ。

 絶対に勝てない勝負に誘ったのはわたしのほうか。

「……あ、あの、いまさらだけど、これ……ぷ、プロポーズに、なるわけ?」

 実際これどうなんだ? ムードもロマンもあったもんじゃない気がする。憧れてたヤツと全然違う。

「そうなる。こういうのはやっぱり男から言わないとな」

 うんって言わなかったのはそういうことか。なるほどなー。……ほんとか? まあもうどっちでもいいや。

「……「う」、だけど?」

 わかったよ。わたしの負け、降参だ。

 これでゲームには負ける。けど、これから先はもう誰にも負けないかも。

 わたしはこいつとなら、二人なら、無敵だ。

「……うん」

 降伏宣言に他ならない言葉で負けを認めると、負けたにも関わらず清々しい気分になれた。同時に、幸せが訪れた。

「よしっ」

 彼はそう呟いて拳を握ると、見たことのない満足げな顔で微笑んだ。おもわずわたしもつられるように笑った。

「なんだ、その喜びよう。勝負に勝ったからってだけじゃな……んむっ」

 言い終わらないうちに、前触れもなく唇に柔らかいものが触れ、わたしは瞼を静かに閉じた。

 記憶力がいいとか悪いとか、関係ないな。こんなの、わたしじゃなくても忘れられるはずないだろ。

 でもいいよ、それならわたしは全部覚える。

 プロポーズの言葉も言い方も、繋いだ手の温度も、唇の柔らかさも、片手で抱き締める力も、全部。残さずわたしの脳裏に刻み込む。

 今ここにあるすべてが、わたしの宝物だ。忘れるなんてもったいないこと、できないよ。

 だから、絶対に、忘れてやらない。


* * *



 佐倉家にとある怪盗からの予告状が届いた。

 その予告状はかつてのそれとは違い、送り主を糾弾するものではなかった。

 綴られていたのは、感謝の言葉。およそ予告状の体を成してはいなかったが、ターゲットだけは明確に記されていた。

 数年の沈黙を破り、予告状を届けた相手は家主、佐倉惣治郎。

 これで最後と書かれていた、盗む対象はその娘、佐倉双葉。

 その夜、怪盗は正装し、堂々と玄関を開けて真正面から訪れた。


* * *



 …………。…………葉。

 遠くから声が聞こえる。

 わたしは今眠りについているらしい。視界も記憶もボヤけてよくわからない。今、何時だ?

 …………葉。…………。

 男の人の声だ。わたしはこの声を知っている。

 大切な人の声。大切な人を呼ぶ声。

 …………葉。…………葉?

 今度ははっきり聞こえた。

 この声は───。

「蒼葉ー? あれ、どこ行ったんだ?」

 お父さんの声だ。

「あー……、寝てた……。って、おわぁっ!」

 机でうとうとしている間に涎を垂らしていたらしく、無造作に置いてあった資料がベタベタになっていた。

「うーわ、これ借りてたヤツじゃん。元データ持ってないぞ……」

「おーい、双葉。蒼葉どこ行った?」

 今日使う予定だった資料をどうしたものかと思案していると、お父さんが顔を覗かせた。

「いない? あんにゃろ、また勝手にルブラン行ったなー」

 最近ではもう歩き回れるようになったから、わたしが相手してくれないとわかると一人でルブランに向かうようになってしまった。すぐ近くにあるとはいえ、一人は危ないからダメだって何度も言ってるのに。

「ああ、あっちか。そんならじじいも行ってみるかね」

「あ、わたしも行く。注意しないと」

 二人で家を出るとき、眩しい陽射しにおもわず目を細めた。見上げれば、雲一つない鮮やかな青空が広がっていた。

 うん。わたしの世界は、今日もいい天気だ。

 古めかしい喫茶店の扉を開けると、昔とまったく変わらないドアベルが鳴り響いた。

 お客さんは……いない。大丈夫なのかこの店。まあ朝の半端な時間だしいつものことか。いやいつもじゃダメだろ。

 仕方ない、その分もわたしが稼いでやるかぁ。

「あー! おじいちゃん!」

 カウンターの高い椅子に座ってお絵描き? をしていたらしい蒼葉が振り返り、パッと瞳を輝かせる。

「はいはい、じじいだぞー」

「コラ蒼葉、勝手に出ちゃダメって言ったろー? 近くても危ないんだからなー?」

「……だって、おかあさんねてたから、おこしちゃかわいそうって……」

 蒼葉はモゴモゴと言い訳を始める。……まあうたた寝してたわたしも悪いか。

「そういうときはおじいちゃんに言いなさい。蒼葉には超甘いからなんでも聞いてくれるし」

「おい双葉、……いや、否定はできねぇな……」

 蒼葉が産まれて一番喜んでいたのは、わたしたちよりもそうじろうじゃないかと思っている。

 産まれたときは人目を憚らず泣くわ、溺愛って言葉じゃ足りないほどのレベルで甘やかすわ、孫は特別なものだとは聞いてたけど、蒼葉の前ではもはや誰だよこいつ状態だ。

「じじいが何でもきいてやるからなー、危ないからどっか行きたいときはちゃんと言うんだぞ?」

「うん! おじいちゃんだいすき!」

「嬉しいねぇ。じじいも大好きだぞー」

 また始まった。もうほっとこう。

「で、蒼葉は何してたの?」

 カウンターにいる旦那に訊ねる。

「最初はモナと遊んでたんだけどね、モナ途中で弄りに耐えかねて逃げちゃって」 

 そういえばモナには猫の寿命とか関係ないんだろうか……。いつかは死ぬよね、たぶん。……なんかわたしたちより長生きしてそうな気もするけど。

「それからは漢字を教えてた。"蒼葉"って書きたいんだって」

「もう漢字覚えようとしてんのかよ……。どうなってんだお前の血筋は」

 そうじろうが驚きの声をあげた。ふふん、なんたってわたしと旦那の娘だからな。わたしのお母さんの孫でもあるし。

「でもまだ難しいみたい。葉はギリギリ書けるようになったけど、蒼が書けなくて困ってる」

「あー! そうだおかあさん! なんでこんなことしたの!」

 何故かプンプンしている蒼葉の手元を見ると、ガタガタの線でなんとか葉と書かれていた。ていうか葉もかなり怪しいじゃないか。

「こんなことって、何?」

「これ! あおばの"あお"っていうじ! なんでこんなごちゃごちゃしたのにしたの!」

 指差している紙には、旦那が書いたらしき「蒼」と「青」が並んでいた。

「こっちのがかんたんじゃない!」

「あー、そういうこと」

「そういえばなんでなんだ? 青葉って言葉はあるけど、こっちの蒼葉なんて言葉はねぇだろ。あれか、わざわざ難しい漢字使うの流行ってるからか?」

 そうじろうも首を捻って疑問を口にした。

「あれ? 双葉、お義父さんに言ってないのか?」

「おっかしーな、言ってなかったっけ?」

「ん、俺は聞いてねえぞ」

 何故か言ったつもりになっていた。まさか今さらそうじろうにも説明することになるとは。

 まあいいか、ついでに聞いてもらおう。

「あのな蒼葉、これにはちゃんと意味があるんだ。"青"じゃダメで、"蒼"じゃないといけないんだ、これは」

「なんで?」

 蒼葉が大きく首を傾けると、オレンジがかった茶色の髪がサラサラと流れた。やだこの子可愛いわー。なお親バカではない。

「漢字には音読みと訓読みっていう違う読み方があってね、これは訓読みでどっちも"あお"なんだけど、音読みだとそれぞれ別の読み方になるんだよ」

「なんてよむの? こっちは?」

 蒼葉が"青"を指差す。

「こっちは、"せい"」

「……バカ野郎。そういうの言い忘れるとか、無しだろ……」

 そうじろうが意味に気付いたみたいだ。涙目になってるのをわたしは見逃さなかった。

「ふーん。じゃあ、こっちは?」

 "蒼"。

「こっちは……"そう"。惣治郎って名前から、音をもらったんだ」

「おじいちゃんと、おそろい?」

「そういうこと。だからこっちじゃないとダメなの。わたしの双葉の"双"も"そう"って読めるから、わたしもお揃い。たとえ血が繋がってなくても、ちゃんと繋がってられる、家族になれる。そういう意味が込めてあるんだ」

「…………ちょっと出てくる」

 そうじろうが顔を背けて席を立った。

「……ハンカチ要ります?」

「余計な気遣いすんじゃねえよ」

 気遣いを断られた旦那は、カウンターの向こうで大袈裟に方を竦めた。

 これで、少しは親孝行できたかな。お父さん?

「ねぇねぇ、おかあさん。きょう、いそがしい?」

 蒼葉がモジモジしながら上目遣いで聞いてきた。

「忙しいかと言われると、学会までに急いでやらなきゃいけないことはあるけど……。どうかした?」

「かんじ、これ、はやくかけるようになりたい。でもおとうさんはこれからおひるで、おきゃくさんくるから、だめだって……」

「ごめん。お昼時はさすがに混むからね」

 彼は申し訳なさそうに言った。ランチ目当てのお客さんはそこそこ来るから仕方ないか。

 思案しながら蒼葉を見た。気まずそうにオロオロしている。

 古い記憶の、幼いわたしが問いかける。

 わたしとしごと、どっちがたいせつなの!?

 ……うん。そんなの蒼葉には言わせたくないな。わたしの答えは決まってる。わたしはもう、迷わない。

 蒼葉に決まってるだろ!

「よし、じゃあ帰って練習するか!」

「やったぁ! はやくいこ!」

 蒼葉が器用に高い椅子から飛び降りた。

「いいの? もう期限迫ってるんじゃなかった?」

 彼はわたしに気遣いの言葉をかけた。

「うん、追い込みかければなんとかなる。いや、なんとかする!」

「そう。まあ双葉なら平気か。いってらっしゃい」

 蒼葉から見えないように、カウンター越しにキスをした。店だからよくないと思うけど、誰もいないし許してもらおう。

「じゃあ、いってきまーす」

 わたしと蒼葉の声が重なった。ドアベルが鳴り、光の下へ一歩踏み出す。

「いいてんきだねー」

「だねー。どっかお出掛けするのもいいねー」

 お母さん。

 手を繋いだまま、蒼い空を見上げ思いを馳せる。

 わたし自身はまだお母さんに全然追い付けてないけど、一つだけ自慢できることがあるんだ。

 わたしには、娘以外に大切な家族が二人もいるよ。すぐ傍で、いつも見守ってくれてる。

 だからわたしは、もう迷わなくて済むんだ。

 またちゃんと全員で報告に行くから待っててね、お母さん。

「わわっ!」

 蒼葉が驚いた声をあげ、髪を手で抑えた。

 二人の間を通り抜けた湿り気の少ない爽やかな風は、お母さんからの返事のようにも思えた。


思い付いたこと全部書いてたらえらい長くなった……

あ、忘れてた注意点
・都合により主人公は早めの誕生日になってます

読んでくれた方、レスつけてくれた方ありがとう愛してる
二周目も終わったんで次があるはわかりませんが
機会があればまたどこかで、あでゅー

>>118
方を竦めた
→肩を竦めた

どうせ誤字とかいっぱいあるんだ、知ってるんだ……
許してください

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