困り顔のモリィ (14)
意味のない文章を書くのは、想像以上に難しい。
何故なら、文章はそもそも意味を持つ文字列であり、意味の伝わらない文章とは単語の羅列された文の羅列でしかない。あるいは文字の羅列された単語の羅列に他ならないから。
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文章とは文字の有意味の配列であり、書き手がいる以上、配列された文字は何かしらの意味を持つ。文字はコミニュケーションツールであるから、文字の組み合わせによって存在する文章にはどうしたって意味が生まれる。この本質は厄介で、文字が文字たる所以は意思伝達の道具であるが故に、コミニュケーションツールとしての意味を剥奪してしまえば、ただの記号に成り下がってしまう点にある。
記号の羅列は最早文章とは呼ばない。何事にもルールがあり、ルールの中に自由がある。文字を用いて文章を書く行為は、特定でも不特定でも誰かに意思伝達という、言葉の意味を伝える行為そのものなのだ。少なくともルールを守って文字を配列させなければ、それは文章と呼ばれないだろう。
あるいは、文字を用いなければ容易に、純粋に意味のない文章を書くことができるのかもしれない。しかし、わたしは文字を用いない文章の書き方を知らない。
いや、ここは素直に、意味のない文章の書き方を知らないというべきだろうか。
本棚に目をやると、そこに並ぶタイトル群はどれも意味のある文字列。さすがに意味のわからないタイトルはあっても、意味のないタイトルはなさそうだった。
投映されたキーボードとディスプレーを消す。提出されたレポートを評価する作業はまだ半分ほど残っていたが、どうせこのまま作業を続けても、妄想が膨らむだけで進まない。けど、このまま妄想に耽るのはいささか不毛過ぎる気もする。
視線を上げる。薄緑の壁に浮かぶ青いデジタル文字は、無機質に午前十時を表示している。横に浮かぶ天気表示は雨。その下を走るニュースのタイトルに興味の沸くものはなかった。昼食にはまだ早い。仕方ない、雨でも散歩に行くか。と、立ち上がろうとしたとき、凄まじい雷光が窓の外からわたしの影をテーブルに投影した。
完璧な防音処理はわたしの命を奪いかねないな。なんて意味のない言葉を頭に転がした。都市部では落雷による死亡者なんて、もう何十年も出ていない。人類はあらゆる災害に対策してきたのだから当然だ。それなのに、わたしの外出する意欲は削がれる。どうやら本能的に恐怖するものがあるらしい。
背もたれに身体を預けると、エアマットは優しく包み込んでくれる。使用者に負担をかけないよう設計されたエアマットチェアだけど、どちらかというと眠気を誘う効果のほうが大きいと思う。
一定に調節される室温と空気清浄機能も、ヒーリング効果のあるほのかな緑の香りも、完璧な防音も、わたしの眠気を誘う効果を増大させる。便利になりすぎるのも考えものである。
わたしの部屋はわたしを飼い殺すための檻なのかもしれない。もっとも出不精なのは元々だけど。今じゃ研究室も同じような作りなので、どこへ行っても変わらない。まあ、危険な部屋というのもいやなのでこのままで構わない。
それに、余計なことに気を遣わなくていいのは、そう悪い話ではない。思考するにしても作業するにしても、一番の敵は環境だ。人間の身体はわたしたちが思う以上に高機能であり、自覚している以上の情報を得て、処理に脳のリソースを割き、取捨選択の末に意識にフィードバックしている。だから、余計な情報を予め排除してやれば、わたしたちはその機能をより利用できるのだ。
ただし、意欲があればと注釈をつける必要はある。残念ながら現在、わたしの意欲は墜落寸前。こればかりは人間の問題である。どれだけ理想的な環境を用意しても、人間側に意欲がなければ宝の持ち腐れに陥る。
しかし、考えてもやる気はでない。暇なものは暇なので。
わたしは身体を起こして、
「モリィなら意味のない文章、書ける……」
人工知能にこんな質問をするわたしの思考回路こそ、意味のない代物なのかもしれない。シングルベッドほどある白いシリコンテーブル中央に、デフォルメされた猫のホログラムが現れる。
猫はこちらを向いて、姿勢よく正座した。柄は三毛で尻尾は長め。そして表情はいつもの困り顔。モリィはこの不思議な猫を愛着があるらしい。
「『意味のない文章』を定義してください」
モリィは、当然ながら真面目な声音で応えてくれた。女の子特有の高音で透明感のある幼い声は、デフォルメされた猫によく似合う。
だからこそ、わたしは申し訳ない気持ちになる。人間相手なら一笑に付されてしまう話題だ。こうも真面目に返されてしまうと、幼い子供を無理やり付き合わせている気がしてしまう。
わたしとしては笑いながら一緒に考えてくれる程度でいいのだが、人間は相手にしてくれないし、人工知能は真面目に考え過ぎてしまう。人工知能と人間の中間が欲しいところだ。
もちろん、人間と人工知能は生殖活動はできない。ただ、もし子孫を残せたとしても、それは生物なのか判断に困るだろうからこのままでいいけれど。
余計な思考を端に寄せて、定義を考える。
「文章として読めるけど意味のない文章。あるいは意味を無意味にする文章。ただし無意味や矛盾を伝える文章は、意味を有すると捉える」
即興の定義としてはまあまあといったところか。モリィは定義を聞くと、ほぼノータイムで明快に答える。
「可能です。ただし、読者はモリィでなくてはなりません」
「それは……」
わたしにもできそうだった。モリィは続ける。
「人間に向けた『意味のない文章』の執筆は難しいです。難しいというのは、不可能を意味しません。しかし、意図して『意味のない文章』と認識をさせるのは確率の問題になります」
「確率の問題……」
「モリィはある基準において、意味の有無を即座に判断し、分別できます。ですが人間は時に、意味を想像し、そして創造します。もちろん全員ではありません。即座に意味のない文章だと判断する人もいます。ここが確率問題たる所以です。読めるだけで意味を有すると判断された場合、モリィには太刀打ちできません」
読めるだけで意味を持つとされたら、たぶん誰にも太刀打ちできない。文法や言語の教材として利用されだしたら、確かにどんな書物でも教科書になり得る。
「なら、わたしがわたしに向けて意味のない文章を書くことは可能……」
「それもまた難しいと思います。ある瞬間においては可能ですが、恒常的に『意味のない文章』であることは、時間の経過を無視しなくてはなりません」
申し訳なさそうに無理を言うモリィ。不満のひとつでも表明しようかと思ったけれど、わたしが好きで老いているわけではないように、モリィもまた好きで不変なわけではないのだ。さすがに八つ当たりはかわいそうだろう。
「わかった。じゃあ、モリィにとって意味のない文章はどんな文章……」
「モリィには、モリィが泣く姿を描写した文章は『意味のない文章』です。他にも笑う描写も、怒る描写も、恋する描写も『意味のない文章』です。モリィには感情はないので、感情のないモリィの書いた感情に関する文章は、モリィにとって意味がありません」
困り顔のモリィが本当に困っているように見えて、わたしは噴き出しそうになった。感情のないはずのモリィに感情を見いだすのは、わたしがモリィの言葉に意味を見いだそうとしているからだ。なるほど、確かにわたしには意味のない文章の執筆は難しい。
と、そこでひとつの疑問が浮かぶ。
「わたしがモリィを書いたら意味はなくなる……」
人工知能は不変だ。ならば、人工知能にとって意味のない文章は恒常的に『意味のない文章』たり得る。もちろん実際に書き上げられればの話にはなる。でも、モリィにとって意味のないことを意味あり気に書くことはできそうな気もする。
そんなわたしの思惑を見抜いてか、モリィは即答する。
「不可能です。モリィにとって人間の事柄は全て意味を含みます。人間の執筆した時点で、モリィにとって有意味なのです」
「そっか。じゃあ、意味の有無はいいからさ、書いたら読んでくれる……」
すると、モリィは立ち上がり、わたしの目の前にキーボードとディスプレイを投映した。意味がわからず首を傾げるとモリィは、
「モリィは先読みできます。もう書き始めるのでしょう……」
そうして急かしてくるモリィを、わたしは無性に愛しく思えた。
わたしは文字を打つ。モリィにとって限りなく意味のない文章を書き上げるために四苦八苦しながら、それを横で眺める困り顔の猫のホログラムを困らせる文章を書き上げる。
モリィにとって意味のない文章とは意味のない文章。困り顔のモリィは感情がないけれど、困り顔のままこの文章を読むだろう。その実、困り顔のモリィは困っていない。なぜなら感情がないから。
わたしは感情のないモリィにこの文章を読ませる。この文章にはモリィにとって意味のある文章であるけれど、それは意味のない文章としての意味を持つ文章である。そしてこの文章を読んだとき、モリィは困り顔で困らない。
意味のない文章を書くのは、想像しているより難しい。
完成した短い文章をモリィは瞬時に読む。
「この文章は『意味のない文章』という意味を持つ『意味のない文章』です」
モリィはやっぱり困り顔で言った。
終わりです。
依頼してきます。
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