探偵助手の僕が退魔師と組んだら (100)

――――――――――

 この世なんか要らん。終われ。
 と、願っても終わってくれそうになかったので、こっちが終わってやろうと思った。
 月も見えない曇天の夜だった。

 住宅地では、どう頑張ったってダサくなる電飾が光っているんだろう。
 繁華街では、安っぽいインストゥルメンタルのクリスマスソングが、
押しつけがましく通行人を浮かれさせようと躍起になっているに違いない。

 ネオンもBGMもここにはない。私が死のうとしているだけで、パッとしない普通の夜だ。
 靴を脱ぎ、後ろ手にフェンスを掴んで街を見下ろす。
 自分の現状を嘆いて自ら閉じる人生。
 珍しくはない。

 体温で溶けた雪が、靴下に染みて足の裏を濡らした。


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 人が命を断とうとしているこの夜は、聖夜のくせに商業主義と資本主義がぎらついていて、
ついでに、一通りのプログラムを終え、締めに女をホテルに連れ込もうと「空室アリ」の表示を探す男の目もぎらついていて、
ちっとも神聖じゃなかった。ひたすら無粋だった。不躾で、野卑だった。

 私の死体が見つかったら、救急車が来るんだろうか。
 ここは病院だ。
 死亡確認なんてすぐ終わるだろう。
 じゃあ、来るのはパトカーかな。
 お祭り気分の街に、サイレンでほんの少しケチをつけることはできるかもしれない。

 ――ざまあみろ。

 指の関節が痛んだ。
 芯から冷えていたらしく、大きく身震いする。
 指がフェンスから滑りそうになって怯んだ。


「やあ、いい夜だねえ」

 謡うように揺れる、男の声だった。

「君、死ぬの?」

 制止しようとも、面白がってもいないようだった。
 冷え切った足に、既に感覚はなかった。

「そう思ってたんだけど」
「ふうん。この高さで確実に逝けるかな」
「でも、やめたの」
「あ、そう」

 肩越しに振り返った。男は頭からつま先まで、黒いものしか身につけていなかった。
 そのへんの影が、人の形をとって現れたようだった。

 彼岸から此岸に戻ろうと、フェンスをよじのぼる。
 感覚のない足をかけることが怖いと思い、自分が生きることを選んだのだと確認する。
 死のうとした決心も、この両の足と同じくらい頼りなかったのかもしれない。
 現世に向かって靴を放った。


「お手をどうぞ」

 手袋をしたままの、男の手が差し伸べられる。
 何の猜疑心も嫌悪感もなく、その手を取った。

「ひどい顔だな。それにその目はどうした。君はコキュートスでも見てきたのか?」

 当たり前のように地獄の名を口にされ、少し楽しくなった。

「殺したい奴がいるのを思い出したんだけど、誰だかわからなくて困ってるの。
 耳が欠けてるはずなんだけど」

 笑おうとしたけど、表情筋まで凍てついたようで、歯をむき出しにするのが精一杯だった。

「顔は見てない、名前も知らないのに、耳だけはわかるのか。不思議だねえ」
「だって私が食いちぎったんだもの」

「反撃か」と、男は勝手に納得しながら巻いていたマフラーを解き、私の肩をくるんだ。


「生きる気にはなったけど、そいつを殺したくて仕方がないの。
 困ったな。元気になってもムショ暮らしなんて」

 初めて会った素性も知らない男に、私は何を喋ってるんだろう。
 寒さからか、さっきまで死のうとしていた緊張から解放されたせいか、震えが止まらない。
 奥歯がガチガチ鳴りそうなのを食いしばって耐えた。

「女の子に泣かれると弱いんだなぁ、僕は」

 男はちっとも困ってなさそうな口ぶりで帽子を取り、前髪をかき上げて被り直す。
 頬に指で触れると濡れているのがわかった。
 持っていないのか、ハンカチは貸してくれないらしい。
 パジャマの袖で拭った。

「どう? その殺意、僕に預けてみない?」
「あなた何なの? 私を殺し屋にでもする気?」

 工作用の鋏でいい加減に切った不揃いな髪を風がなぶる。
 耳が痛い。
 思わず声を張っていた。

「そんな物騒なもんじゃないよ。ちょっと鍛えて研ぎあげてみたくなっただけさ。
 君が使いたいって言うなら完成品を渡してもいい」

 ――鍛える? 研ぐ? 完成品? 私の気持ちをモノみたいに――

「私の殺意、どうやって持っていくの」

 私のやり場のない殺意を昇華させるということだろうか。
 でも、この男はカウンセラーや精神科医には見えない。
 知性は感じるが、人を救おう、癒そうという意思は見えない。

「ちょっと怖いけど我慢してね」

 男は左手で私の肩を押さえると、右手で私の胸を突いた。
 その手にはナイフが握られている。


「気分のいい眺めじゃないだろう。目をつむった方がいい。なに、死にはしないよ」

 胸にはさらしをきつく巻いているのに、刃は易々と柄元まで通っている。
 刺されたのに痛みがなくて戸惑った。
 胸の中心に突き立ったナイフが死のイメージに直結していて、怖くなって目を閉じた。

「お、よしよし。引っかかったな」

 男は私の胸の中を探るように、くいくいと柄を動かすと刃をゆっくり引き抜いていった。

「うん、なかなかの量が確保できるな。君、溜め込んでたのね」

 刺されたところから何かが引きずり出されていく。
 内臓でも血液でもない何かが胸から抜けていく。
 粘土のような気体のような、触ったことのない物質が体をずっと貫通していくような感覚だった。

「うん、もういいよ」

 体が自由になった。
 男は左手にトランクケースを携えて、右手にナイフを持っていた。
 私を刺したものらしい。
 血は付いていない。

「ああ、これ?」

 と、鉤状に曲がった切っ先を見せた。

「ここに引っかけて取り出すんだよ」
「人の殺意を?」
「うーん、殺意っていうか――ま、君の場合はね。
 どう? ちょっと気分が軽くなったんじゃない?
 少なくともさっきまでの狂犬みたいな君じゃないはずだ」
「随分な言い様ね」

 鼻で笑った。


「うん。ちょっとはマシな顔になったな。
 クリスマスは街がビカビカしてて喧しいから出歩くのは億劫だったんだが、思わぬ拾い物だったなぁ。
 じゃ、僕は行くよ」
「また会える?」
「この子が君に使われたがってたら、会いに来るよ」

 と、男はトランクを掲げて見せる。
 何かいいものが入っていそうだった。
 何だかわからないけど、私のものだと確信していた。

 生きてみて、正解だった。

――――――――――

 数日後に入学式を控えた、四月の夕方だった。

 僕は買い物を終えて駅前のマーケットから帰るところだった。
 茶色い厚手の紙袋に食料を詰め、買い物リストにあるものが全部調達できたことを確認したところで一人の女の子が目に留まった。

 黒い髪を背中の真ん中まで届くポニーテールにして、根本を赤いリボンで縛っている。
 春休みだというのに、隣の学区の中学校のセーラー服を着ていた。
 通学鞄のくたびれ方からして、新入生が新しい制服を着てみたくてフライングしたというわけではなさそうだ。
 たまに翻るスカートの裾から、中にはいているショートパンツが覗く。

 なんだ、パンツじゃないのかとがっかりしながら様子を見る。
 歩き方がおかしかった。

 なんとなく気になってついていく。
 これは尾行でもつきまといでもない。
 偶然進行方向が同じだっただけ。そう、偶然。

 数十メートルついていくと、彼女の歩幅が一定じゃないことに気付いた。
 数歩に一歩、後ろに蹴り出す力が強すぎるのか、下手なスキップみたいなときがある。

 それでいて、後ろを気にしていた。

 僕に気付いたのかと思ったけど、彼女が振り返ったときの視線は僕を捉えない。
 訝しげに首を傾げてみるものの、すぐ頭を振って歩き出してしまう。

 ――他にもいるのか?

 彼女は警戒しているような素振りを見せながら、人通りの少ない道へ入っていく。
 マーケットの喧噪からは程遠い。
 住宅地だ。

 僕も昔、友達の家がこのあたりにあったから遊びに来たことがある。
 団地ほど区画が整理されていない。
 土地勘があれば尾行を撒くのに向いているかもしれない。

 でも、今日はマーケット目当てに外出する人が多い。
 人通りはなかった。
 これじゃ人の波に紛れて追手から逃げる手段は使えない。

 ここで、彼女について歩いているのが僕だけではないことに気付いた。
 マーケットの人ごみの中にいて、そこから抜け出しても手ぶらのままで買い物が目的ではなさそうな男。

 後姿しか見えないが、背格好からして「おじさん」と呼ぶにははばかられるけど、その姿勢の悪さから老けて見える。
 この時期の夕方には少し寒そうな、薄手のモスグリーンのジャケットに濃いベージュのチノパン。
 珍しくない服装だ。
 髪のボリュームだって寂しくないのに、寝ぐせを直そうともしなかったのか、妙にみすぼらしく見える。
 服がよれよれなのも、男の冴えない雰囲気を醸し出している。

 その男が、彼女をつけていた。

 さっきから彼女が気にしていたのはこの男だろう。
 彼女はどんどん寂しい道に入っていく。

 ――手を出していいのか? 思い過ごしだったら?

 最近のニュースを思い出す。
 市内で目に執着しているシリアルキラーの仕業らしい事件が起こったと流していた。
 妖族がやらかした事件も少なくないけど、えげつなさは人間だってどっこいどっこいだ。

 いや、でも。もしかしたら。そんなことって。

 ――この男が、レイプ犯や殺人鬼だったら。

 僕は誰だか知らない、後姿しか見ていない(でも絶対可愛い)この女の子を見殺しにすることになるんじゃないか?
 この子が襲われて命を拾ったとしても、姉ちゃんみたいになるんじゃないか?

 だめだ! そんなのだめだ!

 袋小路に入っていこうとする彼女を追っていく男に向かって、紙袋から出したリンゴを投げつけた。
 男の後頭部でリンゴがクラッシュして果汁と砕けた果肉が髪と襟を汚す。
 男が振り返った。

「逃げろ!」

 男の一歩目がこちらに向いたのを見届けて走り出した。
 家が建て替わっていたり駐車場だった場所に店が建っていたりして記憶と違う場所が多いけど、
僕の頭の中の地図を総動員して走る。

 足音はまだついてくる。
 弱い者しか狙えない変質者のくせにタフじゃないか!

 角を曲がって細い道に入ると、宅配のトラックが道を塞いでいた。
 逃亡劇の終わりにしてはあっけない。
 塀に上って逃げられないか、足を掛けられそうな所を探していると吹っ飛んだ。

 僕が。

 あごがしびれる。口の中がしょっぱい。
 鉄臭い。
 目の前がちかちかする。
 畜生。
 殴られたのか。

 護身術は仕込まれたけど、先手を取られた場合はどうしたらいいんですかね、ボス。

 完全に地面に倒された。
 袋から転がった食料がそのへんに散らばっている。
 体勢を立て直そうと地面に手をついたところで、男の手が首にかかった。

 絞められる!
 と覚悟してポケットの中の催涙スプレーをつかんだ瞬間、男が僕の上に崩れ落ちてきた。

 男の体を蹴飛ばして立ち上がる。
 男はふらつきながら、まだ立てるようだ。

 ――まだ追いかけっこできる体力あるかな――

 殴られたショックと、一度倒れてしまったせいで足がもつれる。
 よろけた体を誰かが支える。
 逃がした女の子だった。


「飛ぶから力まないで。逆らったら落ちる」

 「飛ぶ」って? この子は妖族だったのか?
 もしかしたら一人で戦えたかもしれないのか?
 それじゃ僕は殴られ損か?

 戸惑う僕に構わず、彼女は僕の手を取る。
 一瞬、内臓全体が持ち上がるような気持ち悪さの後で体が浮いた。

「なんで戻ってきたんだよ!」

 彼女が屋根や塀を一蹴りする度に、民家を二、三軒飛び越えていく。
 僕の体は体重がなくなったようで、彼女の手荷物みたいに振り回される。

「喋らないで! 集中切れちゃう!」

 彼女は僕の腕を手繰り寄せ、体を抱えて――もう片方の腕は膝の下に入れて――これ、お姫様抱っこじゃないですか。

「なんで助けに入った俺が姫なんだよ!」
「黙ってて! 舌噛むよ!」

 僕を抱えたまま体を大きく沈めると、彼女は一際高く跳んだ。
 いや、飛んだ。


「いってえ」

 ビルの屋上のコンクリートに投げ出され、腕を擦りむいた。
 埃まみれになった体を払う気力もない。
 あの男もさすがに追って来てないようだ。
 大の字に転がって荒く息をした。

「ごめん。人抱えて飛ぶの慣れてなくて」

 彼女は宙に浮いたまま正座のように膝を折って僕を覗き込む。
 両手でスカートの前裾を押さえているせいで、胸当てのないV字型の襟から胸の谷間が見える。
 反射的にまずいと思って体を起こした。

 大きな金の瞳。
 ぱっちりしているのに、目じりがピッと切れ上がっているのが猫のようだ。
 逃げ回って上気したせいか夕焼けのせいか、頬が赤い。
 鼻と口は小さく収まっている。
 少し下唇を噛んでいるのは、困っているからだろうか。

 とにかく僕は、彼女を一目で気に入った。


「何考えてんだよ! 襲われるところだったんだぞ!」

 でも怒るべきところは怒る。
 僕は無駄死にしていたかもしれないのだ。

「あんたこそなんで邪魔したの! 私が行かなきゃ死んでたんだよ!」

 逆に怒られた。思わず怒鳴り返す。

「俺は助けに入ったんだぞ!」

 彼女は猫の目をさらに丸くして息を止めると、「ああ、そういうことか」と吐き出した。

「探してたの。犯人。もう少しだったのに」
「わざとおびき寄せたのか」

「そう」と、彼女は下を向いて目の表面をつまむ仕草をした。

「慣れないなぁ。ゴロゴロしちゃって」

 スカートのポケットからコンタクトレンズのケースを出して、目から外したものを入れて僕に向き直った。
 背後の夕焼けより赤い、頭の奥まで燃やされそうな赤い瞳だった。

「あいつがこだわるのは金の目だから」

 と、レンズの入ったケースを見せる。
 犯人の「好み」に合わせたってことか。

「それで、どうするつもりだったんだよ」
「あいつ、私の友達を傷付けた。許さない」
「犯人が妖族なら退魔師、人間なら警察の仕事だろ」

 妖族も悪いやつばかりじゃないとの抗議を受けて、今、退魔師の呼称は「交渉人」がメジャーだ。
 報道機関も交渉人で統一しているらしい。
 でも、話してわかる相手じゃなきゃボコボコにするんだから結局は一緒だと思う。

「私、その退魔師」

 と、彼女は自分を指さす。

「……修行中だけど」
「俺、探偵助手」

と、僕も自分を指さす。

「修行中だけど」

 ここ数十年をかけて人口が減ったせいで、子供は悠長に勉強だけしていられなくなった。
 中学を出たら働きながら高等教育機関に通う奴の方が多い。
 先に学費を稼いで学びに来る大人もいる。
 昔でいうところの高校と大学が一緒になったような教育機関だけど、名称が長いので「学府」の呼称が根付いている。

 だから、学府の生徒の年齢層は幅広くなる。
 大人も子供もおねーさんも、だ。

 僕も保護者がやっている探偵事務所で働きながら学府に通うことにした。
 もちろん訓練や資格は必要だけど、職業選択は自由だ。

 交渉人になりたがる奴がいたっておかしくない。
 僕が探偵になろうとしているように。


「せめて過剰防衛ギリギリの線まで痛めつけてから突き出そうと思ったのに」
「見習いとはいえ仮にも交渉人だろ。リンチはやめとけよ。立場がまずくなる」
「ツケは払わせなきゃ」

 彼女の右足首で細いアンクレットが光る。
 履いているローファーはほとんど傷がついてない。
 新品同然だ。
 あまり歩かないのかもしれない。

「あのおっさん意外と強かったぞ」
「そう? こう見えて私も強いの」

 彼女が浮遊しているせいで見下ろされている。

「その言い種は俺が弱いみたいだなぁ。これ見よがしにふわふわと……降りて来いよ」

 言い終わらないうちに彼女の表情が歪んだ。
 眉を寄せて僕を睨みつける。
 噛み締めた歯列が見える。
 何か言いたいのに言葉が出てこないような、出さないように噛み殺しているような、何を我慢しているんだろう。

「俺、何かまずいこと――」
「いい。もう会うこともないだろうし。それじゃ」

 彼女は震える声で一方的に告げると、暗くなり始めた空に飛んでいった。

今回はここまで。

地の文、固有名詞アリのオリジナルです。
週一を目標に更新するつもりです。

よかったらお付き合いください。


 事務所に戻って、ボスに買い物ミッションの失敗を報告した。

「――とまあ、こういうことで、食料をロストしました。ごめん」

 社員も何も、探偵一人、助手一人でやってる事務所なのに重役が使うような両袖デスクでふんぞり返るボスは、
椅子に座ったまま伸びをして「ううん」と呻いて「そうか」と答えた。
 薄暗い蛍光灯のちらつきに、あごひげが小汚い。
 いい加減蛍光灯を交換しないとな、と場違いなことを考えていた。

「まあ、飯は……今晩と明日の朝くらい食わなくても死にゃあしねえか」
「マーケットは明日もやってるから朝イチでいってくるよ」

 駅前通りの両サイドが出店で埋まる賑やかさはちょっと好きだった。
 買い物はスーパーでも事足りるけど、月に一度、第一土曜日と第一日曜日のマーケットは安く買えるし食料品だけじゃなく雑貨も並ぶ。
 出店者の面子はいつも同じとは限らない。
 常連もいれば一期一会の人もいる。
 掘り出し物目当てに骨董マニアも遠くから来るらしい。

 ボスはデスクのひきだしから琥珀色の酒が入った瓶を出して、サイドテーブルに置きっぱなしのグラスに注いだ。
 僕、オフィスで飲むなって昔から言ってるんだけどな。

「交渉人とはなるべく仲良くしとけよ。仕事柄組むことも多いからな」

 美味そうに一気にグラスを呷ったボスに、「どうやら怒らせたようです」とは言い出せなくて、曖昧に返事をした。
 ああ、空きっ腹にアルコールはマズイのにな。

「で、雪也よう。お前、顔見られたのか」
「見られたと思う」

 首を絞められたのは一瞬だけど、追い詰められたとき振り返っている。
 僕の虹彩は金色じゃないけど、口封じのために狙われる可能性は十分考えられた。

「明日は俺が行ってくる。お前、ここで潜伏してろ」
「潜伏なんて大げさだよ」
「相手はシリアルキラーかもしれねえんだぞ。今度は気長に尾行なんぞせずに人ごみで一刺し、なんてこともありうるからな」
「目玉は要らないからか。殺しっぱなし」
「お前の目はこげ茶だからな」
「地味だよなぁ。もうちょっとカラフルでもよかったのに」

 彼女の赤い目を思い出す。
 胸がかすかにざわついた。

 最初は「同一犯によるものと見られる新たな被害者が」みたいに報道してたのに、
警察も「犯人の好み」については情報を公開した。
 毎日のようにニュースや新聞で、「瞳の色が金色の人は用心を」と呼びかけている。

 この県内に限ったことかもしれないけど、この一か月で色付きのコンタクトレンズがよく売れているそうだ。
 その代わり、金色は余っていてほぼ投げ売り状態らしい。

「そのへんの犬っころみたいで可愛いじゃねえか」

 僕の頭の中の柴の子犬が、黒豆みたいな目で首を傾げてそのまま畳にゴロンと転がった。
 違う。
 僕は断じて豆太郎ちゃんじゃない。
 犬ならせめてもっと強そうなのがいい。
 そもそも僕の頭の中の子犬は豆太郎ちゃんなのか。

「そういえばマリアも――」
「ボス、姉ちゃんの話は」

 姉のマリアは七つ年上で、僕と同じダークブラウンの瞳に奥二重の目をしていた。
 姉ちゃんは優しかったけど、怖かった。
 六年前、僕が事情をよくわからないうちにここを出ていった。
 七年前のクリスマス――マリアの誕生日でもあった――の夜にボロボロになって帰ってきて何か月かかけて更にボロボロになって、
いつの間にか学府を退学して何も言わずに入院して、いつの間にか出ていった。

 恋しいかと聞かれると、答えに困る。
 わだかまりがあるかと聞かれると、あると即答できる。


「犯人が捕まるまでは、通学にも護衛をつけるぞ」
「やだよ。子供のお使いじゃないんだから」
「そのガキの使いもまともにできなかったのはお前だろ」

と、立てた人差し指の先を僕に突きつける。

「それが嫌なら犯人逮捕まで外出禁止だ」
「えええ。それはもっとやだよ」
「じゃあ文句言うな。学校で浮かないように人選には気ィ遣ってやるよ」

 僕は嫌な予感を覚えながら、しぶしぶ了承した。

 あれから数日後、入学式の朝が来た。
 犯人は捕まっていないのでお守付きだ。

 学府指定の制服はないので、学生は二十歳過ぎると仕事着で来て放課後に出勤したり、夜間部の場合はそのまま職場から来たりする人が多い。
 十代のうちは中学の制服を使い回しながら、洗い替えの状況次第で私服で通学するのが大多数ということだった。
 というわけで、僕は進学してもブレザーである。

 昨晩のうちに作っておいた食事に火を通す。
 シンクに映る制服姿の自分を見て、変わり映えしないな、と思う。
 マリアも、入学式の朝はこうだっただろうか。

 例の護衛がいつ迎えに来るのかそわそわしながらごはんを味噌汁で流し込み、食器を洗いに席を立った。

 そこでふと気付く。

 学府には最長で十五年在籍できる。
 マリアはなぜわざわざ退学したんだろう。
 病気になったなら、休学して療養することもできたはずだ。

 余計、マリアのことがわからなくなった。

 感傷に浸りそうになったところでインターホンが連打された。
 うるさい。
 うんざりする。

 ピンポンは連打するもんじゃないの!
 なんて不躾なやつだ!
 けしからん!
 説教してやる!

 書類と筆記用具しか入っていない、スカスカの鞄をつかんで乱暴にドアを開けると、
詰襟の制服を着た美少年が、僕と同じく中身の軽そうな通学鞄を携えて立っていた。

「ご依頼ありがとうございまっす!
 星に願いを! 穴には棒を! みんなの暮らしに安らぎを!
 おちゃめな退魔師ツインズ『タイマーズ』だよ!」

 いきなりの伸びやかな挙手から朗々と名乗られて、僕のモヤモヤは銀河の彼方にフライ・ハイ。
 今何時だと思ってる。
 このマンションは事務所が入ってるけど、一般家庭も入居してる。
 寝てる子だっているんですよ。

「東条雪也とは君だな! 俺は成田長月ちゃん! よろしくね!」

 僕より少し背の低いところから、赤い虹彩の大きな猫目が真っすぐ見つめてくる。
 直線的で濃い眉が発言と裏腹に賢そうだ。
 どこかで見た顔だった。

 早速フルスロットルで来たな。
 自己紹介でもこれやるのか?
 もしやられたら他人のフリしても許されるかな。
 速攻で手なんか握られちゃってるし。

「お、おう。名乗りにどさくさな下ネタ混ぜんなよ。それから公式には交渉人だと……」
「下ネタとは失敬だな。国産みへのリスペクトを織り交ぜたアカデミックな挨拶なのに。
 えっ、まさか知らないの? イザナギ、イザナミ」

「そりゃあ知ってるけど、露骨にも程があるだろ」

 もう遅いだろうが、動じていない風を装いながら玄関に鍵をかける。

「悪いな。わざわざ迎えに来てもらって」
「いいんだよう。同じ学府に通うんでしょ? お友達ついでってことで」

 精神の一気に間合いを詰められてしまった。
 なんだこいつ。
 どう対処すればいいんだ。
 「ノリがいい」なんて可愛いらしいもんじゃない。

「ツインズってことは、双子? もう一人いるの?」

 長月と連れだって歩きだす。
 家からのんびり徒歩二、三十分。
 交通費がかからないのは魅力的だった。

「うん。さっきから後ろに」

 と、長月が背後を振り返る。
 僕も倣うが、誰もいない。
 ホラーだ。

「何、もう一人ってゴースト?」
「ゴーストじゃないよ、しっぽだよ。うーん、葉月はシャイだからなぁ。呼ぶよ」

 ――しっぽ?
 この二人は妖族なのか?
 しっぽくらい隠せそうなもんだけど。

 気になって長月の尻に目をやる。
 しっぽは見えない。

 学ランの内ポケットから携帯を取り出し、画面に何度か触れている。
 相棒の呼び出しは短縮で登録してあるのだろう。
 頭上から呼出音が聞こえた。
 辺りの建物を見回すが、見当たらない。

「いたいた。やっぱり上だ。あんまり高く飛ぶとパンツ見えるぞー」

 宙空に向かって手を振りながら呼びかける。

「大丈夫だよー。雪也はフレンドリーだよー」
「お前ほどじゃないけどな」
「行こ行こ」

 と、長月は歩き出した。
 僕の脳内では、一歩ごとに「パンツ見えるよ」という明るく楽しくスケベ心をくすぐるフレーズがリフレインしていた。

「なに、もう一人は飛べるの?」

 飛んじゃっていいの? と思う。
 昨日の彼女みたいなのは今まで会ったことがないだけで、実は珍しくないのかもしれない。

 妖族は元の世界に帰れる日まで人間の世界で暮らしやすいように、
また、人間の世界の秩序を守るために適合術を受ける。
 それが人間のお偉いさんと妖族のお偉いさんとの取り決めらしい。
 完全に能力が失われるわけじゃないらしいけど、そうした方が彼らも快適らしい。

 生まれ持った能力や適性を制御する術を甘んじて受け入れるほど、
この世界は素の彼らにとっては生きにくかったり不便だったりするんだろう。

 ほどほどに力を活かして生計を立てる妖族は珍しくない。
 が、普段からあまり飛んでいては目立つ。

「うーん、飛べるっていうか、飛んじゃうっていうか。――まあ、葉月も気が向いたら降りてくるよ」

 長月は気まずそうにはぐらかした。

 少し歩いたところで、肩に手を置かれた。
 長月ではなかった。
 軽すぎた。
 大きな風船を引っ張っているような感覚。

 この手はきっと「葉月」と呼ばれていた、もう一人のものだろう。
 パンツ見える交渉人の葉月。
 いや、パンツ見えそうな交渉人の葉月。
 シャイってことは、長月よりはまともそうだ。

 第一声をどう発していいかわからず、無言のまま歩き続けた。
 僕の心臓は昂揚感にあおられてエイトビートを不格好に刻みまくる。
 葉月の手が僕の肩から外れ、肩に掛けた鞄の取っ手を握る。
 そのまま風に流されるように、ゆるく泳ぐように僕の前まで体を運んできた。

 肩甲骨の下まである立派なポニーテールの根本に赤いリボンを巻き付けている。
 彼女はそのまま僕を素通りして、距離にして数歩分行ったところで振り返った。
 うつむいていて顔がわからないが、すぐに「葉月」だとわかった。

 緊張に負けて歩を止めた。

「ああ、そりゃしっぽだわ」

 感想が漏れた。
 何か気の利いたことを、と思ってたけど僕には無理でした。

「しっぽ?」

 顔を上げた葉月の、真っ赤な猫目が僕を射すくめる。
 小ぶりの唇を、僕と同じように動かす。
 長月に覚えた既視感は、数日前、葉月と会っていたからだった。

「私、こんなだけど。よろしく」

 葉月は重たく、一語ずつ口にした。

「よろしく」も何も僕は既に葉月を好ましく思っていた。

「えらいぞ葉月! ちゃんと挨拶できたな!」

 長月が左側で何か言ってるけど気にしない。
 葉月が困ったように長月を睨んで「ばか」と小さくののしった。

「大丈夫? 緊張してるみたいだけど」
「絶対白い目で見られるんだ……。自己紹介なんかしたくない……」

 いきなり弱音吐きまくりである。

「あの、葉月さん――」
「葉月でいい」

 と、葉月は拗ねた目で返す。

「じゃあ、葉月。浮いてるの気にしてるみたいだけど、歩けばいいんじゃない?」

 さっきの長月に倣って、今度は僕が無遠慮になってみる。

「私だって、去年までは普通に歩いてたもん。足も速かったんだから」

 葉月にとって、飛んでいるということは不本意なことらしい。

「どこから話したらいいんだろう」

 葉月は僕の隣につけると、制服の袖をつまんで下を向いた。
 見かねたのか、長月が話し始めた。

「簡単に言うと、暴走の後遺症。俺がもっとしっかりしてたらよかったんだけどね」

 暴走って、何が暴走するんだ。
 葉月は非行に走りそうにない。
 そもそも後遺症とは痛みが消えなかったり自由が利かなくなったりすることじゃないのか。

「私がこうなってなきゃ、長月がこうなってた。長月のせいじゃないよ」
「そのときのゴタゴタはちゃんと召還師が収めてくれたんだけどね」

 お初な単語の連続に、足を止めたくなるのを我慢して歩き続ける。

「悪い。後遺症とか暴走とか、大変そうな雰囲気はわかるんだけど」

 「実態がイメージできない」と口に出していいのか悩んでいると、長月が僕の疑問を拾った。

「雪也は交渉人の仕事を見たことないんだっけ」
「ないな」
「じゃあ、そもそもの話からするけど……なんで元々退魔師って呼ばれてたかっていうと、
 悪さをしてる妖族や魔が差しちゃった人と対峙して、字のとおり『魔』を『退』けてたからなんだよね」

 葉月は横でうなずいている。長月に丸投げするつもりらしい。

「うん。そこは知ってる」
「もちろんみんな悪くて強くて危険ってわけじゃなくて、いきなりこの世に出てきちゃって混乱したせいで、
 結果的に周りに迷惑かけちゃうのも多いんだ。だから話し合いで解決できることも多い。
 彼らの多くは運悪くこっちに来ちゃっただけで、帰りたいだけだから」

 話し合いとは、いきなり平和的にきたもんだ。
 話してわかるものだろうか。

「落ち着けって?」
「そう。落ち着けって」

 長月は大真面目に答えた。

「でも、混乱してたら聞く耳持ってくれないんじゃないか?」

 交渉人モノのドラマでは、屈強な壮年の男が主人公であることが多い。
 アクションシーンが多いから、撮影する上でその方が都合がいいだけかもしれない。
 どっちにしろクライマックスでは当たり前みたいにドンパチしてる。

「うん。だから退魔師は物騒な仕事だってイメージがついてまわる。
 ドラマではよくあるけど、爆発なんてしないのにね。
 最終的には拳で語るんだから。
 メディアがちょっと穏やかな語感の『交渉人』にシフトしたがるのもこのせいじゃないかな。
 おかしいよね。派手な映像を作って垂れ流してるのに」

 長月の思う、メディアの交渉人の扱いに対する不満は置いといて、話を進める。
 このペースじゃ葉月の事情にたどり着くまでに学府に着いてしまう。

「世間で思われてるより穏やかなのはわかったけど、どうやって語るんだよ。そもそも人の言葉通じるのか」

「通じない個体もいる。だから拳で語る」

 結局は殴るようだ。

「うーん、堂々巡りじゃないか?」
「まあ、殴るっていうか言葉を打ち込むんだよね。魂で語る」
「拳の次は魂かよ」

 いきなり精神論に飛躍したようで、話についていくことが少ししんどくなってきた。

「魂の、ある部分を形にしたものを媒体としてやりとりをするって言ったらわかってもらえるかな」
「余計に抽象的で何が何だか」

 そもそも魂に形はないじゃないか。
 霊的なものは見えないから霊的なんじゃないか。
 見えないから怖くて、見えないから畏怖されるんじゃないか。

「ごめんごめん。交渉人入門はどこから説明するのがいいか難しくてさ」

 完全な門外漢がいきなり放り込まれた職場で、説明下手な社員のOJTを受けるのはこんな感じだろうか。
話についていくも何も、初っ端から振り落とされそうだ。

「じゃあ、まず魂を形にってところから教えてくれ。そんなことできるのかよ」
「それができるんだ」

 即答である。

「取り回ししやすいから、武器の形をしてるものが多くなりがちなんだけどね。
 その道具は『魂器』って呼ばれてる」
「こんき」
「魂の器」

 長月は宙に指で書いた。

「魂器で打ち込むのは思いの丈」

「それで、拳で語る、か。それは誰にでもできるわけじゃないんだよな?」

 葉月が受ける。
 自分で話せる段階まで長月がお膳立てしてくれたということだろうか。

「どこまでを言うのかわからないけど、魂器を持つことだけなら誰にでもできるの。だから危ないんだよ」

 「危ないんだよ」が消え入りそうだった。

「使用者の器以上のことをしようとすれば、魂器がヘソを曲げることもあるから。それが暴走」

 やっと「暴走」に戻ってきた。
 葉月は盗んだバイクで走り出すような子じゃなかったということだ。

「自分の魂は自分のもののはずなのにね、飲まれそうになるの。
 囚われてるもの――執着してるものって言ってもいいかのな」

 と、葉月はしっぽのリボンの結び目をきつく直した。

「そういうのを剥き出しにして、持ち主の正体を変えさせるんだ」

 じゃあ、今の葉月は何なんだろう。

「暴走の結果、それを回避できたとしても私みたいに後遺症が残るケースはあるから。
 ちゃんと意識すれば地面に降りれるんだけど、ずっと足を着けてるのは難しくて」
「地球が葉月のこと、ちゃんと引っ張ってくれなくなったんだよね」

 諦めたような、困ったような顔の葉月と目が合った。
 葉月は何に囚われていたんだろう。

「事情が複雑だったんだな。変なこと訊いてごめん」
「いいの。遠巻きにされるより、単刀直入に訊いてくれた方が楽だもん」

 葉月は唇の端を、くっと上げると、急に挙手して

「周りからも浮いてまっす!」

 と宣言した。
 やっぱりそこは双子か。と、僕は残念に思った。

今回はここまでです。

 成田姉弟(長月に負けた気がするのでタイマーズとは呼んでやらない)の話を聞きながら歩いていると、すぐに学府に着いた。
 敷地の広さにビビったが、幸い目的の建物に一番近いゲートから入れたようだ。

 正面玄関脇の掲示板でクラスを確認する。
 僕と葉月、長月は三人揃って同じクラス。
 ある程度の約束事はあるけどカリキュラムは自分で組むことになっている。
 学籍番号で便宜上のクラス分けをし、基本的にどの教室に居てもらうか決めた方が学府の事務方としては楽なんだろう。

 長月は飄々としたもんだけど、僕につかまる葉月の指はガチガチだ。
 力を込めすぎて関節が白くなっている。
 ――痛いよ、とは言えないな。

「俺とは普通に話せたんだから大丈夫だよ」

 葉月は何も言わなかった。

 こうして新しいコミュニティに入ろうとする度、怯えていたんだろうか。
 可憐な容姿に恵まれながら、大事にされること、受け入れられることを期待できずに、相当なプレッシャーを自分にかけてしまう精神状態とはどんなものだろう。
 大丈夫、大丈夫だよ、と根拠のない気休めにもならない気休めを繰り返すしかなかった。


 不意に肩を叩かれた。

 振り向くと、長身の男子が二人並んでいた。
 うち一人は眠そうな、眉間に皺を刻んで仏頂面をした男前。
 もう一人は赤毛で、柔和そうな顔をしていた。
 こっちはさらにでかく、一九〇センチ近くあるように見えた。
 屈強である。
 県警が機動隊に欲しがりそうだ。

 葉月が身をかがめて僕の後ろに隠れた。

「あ、怖がらないで。俺、遠山っていうの。こっちは忍。君の友達知ってるから。怖くないよ」

 赤毛――遠山と名乗った方が、葉月に声を掛ける。
 「怖くないよ」と二度言うあたり、自分達の容貌が威圧感を与える可能性を自覚しているらしい。
 一瞬、僕の肘を掴んだままの葉月の手に力がこもった。
 掴まれた部分が冷たい。
 知らぬ間にシンクロしていたのかもしれない。
 僕まで筋肉がこわばってしまいそうだった。

「バスケ部にいた巴と桃花ちゃん、友達でしょ」
「でしょ、葉月」

 長月が助け舟を出した。葉月がやっとうなずく。

「やっぱりね。同級生に交渉人の双子ちゃんがいるって聞いてたから」

 その片割れが宙に浮いたまま生活してるって噂だから、とは言わないあたり、この遠山、気を遣える男らしい。
 遠山は「よろしくね」と、ひらひら手を振った。
 忍と紹介された方が「ね」と手の平を向けたが、葉月には憂鬱そうないい男が気だるそうに口を開いたようにしか見えなかったかもしれない。
 多分愛想笑いだろうが、忍のはわかりにくい。

 三人で講堂に行こうとすると、遠山に止められた。
 忍が「要らんことをする奴だ」とでも言いたそうに横目で睨んでいる。

「緊張してるでしょ?」

 葉月は唇を真一文字に固く結んだまま、こくこくと頷いた。
 目に力が入りすぎているせいか、見開いているように見える。

「手、出してみて」

 遠山は右手を差し出す。
 葉月はというと、僕の肘から右手を外し、遠山の手の平に重ねていた。
 拒否権の行使なんて選択肢は忘れているらしかった。

 遠山は口の中で何やら呟くと、しばらく息を止めていた。
 なぜか僕も息を詰めてその様を見守ってしまっていて、忍のちょっと冷ややかな視線に晒されると自分が馬鹿みたいに思えた。

 息苦しさを自覚した頃、遠山はいっぺんに息を吐いた。
 二、三度肩を上下させる遠山を

「何やってんだ、お前は」

 と、忍が視線の冷たさはそのままにいぶかしんだ。

「いやあ、かなりストレスかかってたんだね。見てこれ。手が震えちゃってる」

 不審がる忍を無視して、遠山は僕に白い手のひらをかざして見せた。
 確かに震えてはいる――けど、それが何だっていうんだろう。
 相手が女の子と見ると、だらしなくなるタイプなのか?
 僕にはスキンシップの手段にしか見えなかった。

「今日はもう大丈夫だよ」

 そう言った遠山の笑みはヘラヘラしたようなもんじゃなくて、相手を安心させようって気持ちに溢れていた。

「あ――」

 葉月が口を開いたが、上手く発声できないらしく、咳払いをした。

「ありがとう」

 喉が渇いたせいかハスキーになった声は、長月のそれと似ていた。


 鞄を持ったまま講堂に移動した。

 席は半分以上埋まっていた。
 入り口付近には目を引くような背の高い美人と人形のような美少女がいる。
 そして肘には、少々人見知りが過ぎるが悪い子ではないであろう、葉月がくっついている。
 僕は幸せである。
 葉月をくっつけたまま、薄暗いホールの階段を下りながら僕は適当な席を探す。

「葉月ちゃん、長月君、お仕事?」

 そして、その美しい女子二人が接近してきて声をかけてくるもんだから、僕の気分は第七天である。
 二人とも葉月と同じセーラー服を着ていた。

「うん。東条をキケンからお守りする」
「よかったわね、いい奴みたいで」
「友達?」

 お近付きになれるかも、なんて期待を堪えながら簡潔に訊いた。

「東条、これが桃花。で、巴」
「須藤巴。よろしくね」

 巴と紹介された背の高い方の彼女は、太い黒縁の眼鏡の下、左目に眼帯をしていた。
 片目の視界に慣れないせいか、こっちに向かいながら人の荷物に躓きそうになっては軽く謝っていた。
 その眼帯の下は左右対称の整った美貌が潜んでいるんだろう。
 どこか浮いていて、人間っぽく見えない。
 季節感のない人だと思った。
 きっと、どんな風景の中にいてもどんな格好をしていても、稚拙な合成写真のミスのように彼女を見つけるのは容易いだろう。

 須藤さんは口元だけで笑ってみせた。
 唇を左右に引くバランスも、シンメトリーだった。

「谷本桃花です」

 どうも、と彼女が軽く頭を下げると、鎖骨のラインで切られた張りのある栗色の髪もしゃらんと流れた。
 僕もつられて頭を下げる。
 顔を上げた瞬間、にこっと笑いかけられ、ちょっと幸せになって顔がゆるんだ。

「あ、あそこ空いてるわね」

 と、須藤さんは空席の目立つエリアを指すと、そっちへ歩きだした。
 僕達のことは振り返らない。
 促さなくとも従うものだと認識しているらしい。
 今度は人の脚に引っかかりそうになっている。
 片目だと距離感の認識が難しい。

 葉月の言っていた「傷付けられた友達」とは須藤さんのことなんだろう。
 これ以上、目をやられた友達の友達がいてたまるか。

 そんな憤りも、ちょっと振り向いた桃花ちゃんの微笑みでかき消えてしまう。

「長月よ、今日は最高だな。祝ってくれ」

 もういいです。
 デレデレしてるって笑われてもいいです。
 これが幸せじゃなかったら人類は皆不幸です。

「えー。俺という者がありながら?」

 わざとしなを作って、つんとしてみせる。

「やめろ。お前が言うと洒落にならん」

 この線の細い男は人を現実に戻すのが得意らしい。


 式の時間が近づき、椅子も埋まっていく。
 近くの女子の集団からひそひそ声が聞こえてきた。
 ひそひそしてる割にはテンションが高く、抑える気はあまりなさそうだ。

「あの人良くない?」
「ねー、かっこいいよねー」
「あたし後で見に行ってくる」
「えー、ずるい! あたしも行く!」

 噂されているのはさっきの忍だ。
 背が高いせいで目立つのだろう。
 忍はというと、相変わらず眠そうで仏頂面で、薄い唇をきつく結び、少し迷惑そうにしていた。
 たまにこめかみが微かに動くあたり、口の中では奥歯を噛んでいるんだろう。
 嫌そうに見えたのは、遠山が苦笑いで「まあまあ」となだめていたからだ。


「あれはあれでかわいそうに見えるな。忍は珍獣かっつーの」
「そうだね」

 葉月の溜息の重さは、好奇の視線に晒され続けた者の持つ重さだった。

「景浦君はそういう人じゃないんだけどな」

 その呟きで初めて忍の苗字が景浦だと知ったけど、それよりも桃花ちゃんの声のトーンが重く冷たいと認識したとき、どこかぞくりとした。

 式の後各種ガイダンスがあり、各教室のゆるい緊張感の中で自己紹介を済ませ(葉月も無事にクリアした)、特に授業もなく書類を提出して下校した。
 さすがにマーケットのあった駅前通りを歩くときはじっとり嫌な汗をかいたけど、夕方前に帰れるのはなかなかいいものだ。

「俺、今日はもう外出しないから大丈夫だよ。ありがとう」

 玄関で二人を本日の任務から解放する。

「じゃ、今日のお仕事はこれでおしまいだね。俺達も用事あるから一旦帰るよ」
「じゃあね、東条。後でね」

 と、葉月は僕から離れる。
 ちょっと惜しい気がした。

「おう。じゃーな」

 なかなか濃いキャラをしてるこの二人ともうまくやっていけそうだし、犯人逮捕までは気が抜けないけど、僕は学府で順調に生活できそうだ。

 ――が、去り際の挨拶が引っかかる。
 「一旦」って何だ。
 「後でね」って何だ。
 「明日も来るからね」ということだろうか。
 「(何時間か)後でね」ということだろうか。


 風呂で考えた。

 桃花ちゃんは「あわよくば」だけど、須藤さんとは連絡先を交換しておけばよかったと思う。
 須藤さんはおそらく被害者かつ生存者だ。
 彼女と話ができれば犯人にも近付けるんじゃないか。
 いや、それは葉月が試した。
 だからあの日、僕は葉月とマーケット帰りに出くわしたんだ。

 そもそもあいつは金色の目をどうしてるんだろう。
 ただ眼球を狙って傷付けてそれで終わりか?
 それとも持ち帰るのか?
 シリアルキラーにありがちな「戦利品」というやつだろうか。

 眼球はナマモノだ。
 腐る。
 眺めて犯行時の快感を思い出すには向いてないんじゃないか。

 そこまで考えて、薬品棚のような大きな冷蔵庫の中、何かの薬液に満ちたビンに密閉されて並んだ眼球のイメージが浮かんだ。

 須藤さんは眼帯をしていた。
 彼女は目を傷つけられたけど生きている。
 犯人の目的は眼球なのか殺人なのか。
 須藤さんの左目の状態は聞いてないけど、右目は無事だ。

 もし犯人が『仕事』をやりとげることに執着しているなら、護衛をつけるべきなのは僕より須藤さんじゃないか。

 僕は犯人らしき男の顔を見た。
 犯人だと断定しないのは、やっぱり葉月をつけていたあいつが他の変質者である可能性は捨てきれないからだ。
 その場合はこの市内にいる物騒な人間が一人増えることになる。

 葉月は囮になるため、金のカラーコンタクトを入れていたけどそれでいきなり本命がひっかかるのも簡単すぎる。
 葉月は奴がそうだと確信しているような口ぶりだったけど、たまたま葉月が囮になっているタイミングで別の変質者に目をつけられたことも考えられる。

 なぜ葉月はあいつを犯人だと断定できた?

 囮に引っかかったからというだけかもしれない。
 報道されている他に情報を持っているのかもしれない。
 彼女の友達は生き残った被害者じゃないか。
 直接の情報源だ。
 連日飛び交っている憶測とは信用度が違う。

 やっぱり須藤さんが危ないと思う。

 犯人がなぜ須藤さんに目をつけたのかわからないけど、犯人は命と両目を奪うことに失敗している。
 須藤さんを再度襲う可能性はある。

 もし、犯人が中途半端な「手柄」を嫌う完璧主義者であったなら――

 イメージしていたビン詰めされた眼球のひとつが揺れて、僕と目が合った。
 背筋が寒い。
 一人で浴室にいるのが怖くなって風呂を出た。


 タオルで頭をガシガシ拭きながらリビングに行くと成田姉弟がいた。
 リビングにいてボスと食卓を囲んでた。
 葉月なんか、炊飯器からごはんをよそってボスに渡してた。

 そこまでしなくても、と呆れたけどついさっきまでブルっていた僕にはほんの少しありがたかった。
 少しだぞ。
 ほんの少し。

「なんでお前らいるの」
「後でねって言ったじゃーん。ね、葉月」
「言った」
「帰ったんじゃなかったの。なんでうちでメシ食ってんの」
「犯人逮捕まで間借りするからよろしくね!」
「ね」

 と、葉月が手のひらを向ける。それは忍の挨拶だ。

「うーん……うーん……」
「毎朝毎晩うちに寄ってもらうのも手間だろうが。長月はお前と相部屋な。葉月は客間でいいだろう」

 マリアが使っていた部屋を、とは言えないみたいだ。

「相部屋だってさ。寮みたいじゃない? 男同士仲良くしようね! ね!」
「お前の話に付き合ってると寝させてもらえそうにない」

 こいつを女の子の仲良しグループに放り込んだら、際限のないお喋り耐久レースを平然と完走しそうなんだ。
 そんなの、僕はついていけない。

「いいじゃんいいじゃん! ボーイズでガールズトークすればいいじゃん!」
「嫌だ。寝させてくれ」


 長月は風呂に入った。
 葉月と並んで皿を洗う。
 葉月、洗う人。
 僕、拭く人人。

「ごめんね、東条。長月、友達できたと思って浮かれてるみたい」
「それはいいんだけど、あいついつもああなの?」

 あのテンションに振り回されるとさすがに疲れそうだ。

「私達、元々は逆だったのね。人見知りしない私と引っ込み思案の長月」
「何かきっかけが?」
「自分の双子のことを言うのも変だけど、長月ってあの顔でしょ。繊細ではにかみ屋な王子様って扱いだった」

「言われてみればそっちのほうがしっくりくるね」
「何でもできて、優しかったから。自慢の弟だったんだよ」

 「だった」と過去形を強調された。
 自己主張しない万能型の見目麗しい線の細い男の子。
 引っ込み思案なところも、穏やかさ、自分を押し付けない優しさ、有能さを驕らない謙虚さと捉えられたかもしれない。

「でも、変なのにも好かれることが多くて困ってた」

 拒絶しない、主張しないということは、「受け入れてくれるかも」と期待させる。
 「受け入れてくれるはずだ」かもしれない。
 それは「成田長月は自分を受け入れるべきである」になるかもしれない。

「それで私、いつも長月と一緒にいたから嫉妬されちゃった」

 姉弟とはいえ、長月に執着する子からしたら葉月は邪魔なのかもしれない。

「いじめられた?」
「意地悪されたことはあったけど、そんなことするのはごく一部だったから平気だった」

 葉月は元々屈折してなかったのだ。
 ちょっとくらいの嫌なことなら受け流してこれたのだろう。

「さすがに何でも真似されたときは気持ち悪くて堪らなかったな。私になりかわろうとしてたのかな。おかしい人の考えることはよくわかんない」

 シンクの皿がなくなった。

「髪を切られたの」

 葉月が僕に向き直る。

「なんでそんなこと」
「私の髪は長くて、その子も髪を伸ばしたけど、到底追いつかなかったから」
「だったら相手を自分に合わせてしまおうって?」
「さあ? 頭のおかしい人のすることだから」
「怪我は?」
「肩と背中にうっすら」
「許せないな」
「女に傷を残したことが?」
「君を傷付けたことが」
「ならいい」

 つけっぱなしのテレビからはいつの間にか夜のニュースが流れていた。

「進展あったみたい」

 と、葉月は椅子に腰かけながらテーブルの上のリモコンを取ってボリュームを上げる。


 行方不明の男がいる。
 男は人形作家兼華道家で、学府の近くにある芸術系アカデミーの教員を勤めている。
 が、無断欠勤が続いたのを不審に思った関係者が自宅を訪ねたところ、どう見ても作りものじゃない複数の眼球を発見したので通報したそうだ。
 僕のグロい想像を体験した人には同情する。

 動機は不明だが証拠が出た。
 男は指名手配犯となった。

 思ったより早く「お守つき」の生活から解放されそうだ。
 成田姉弟のことは気に入っているけど、彼らはあくまで僕を護衛するために僕のそばにいる。
 全て解決すれば本当に友達になれるんだろう。

「葉月、まだ自分で犯人探す?」

 テレビをにらみつけていた葉月が、険しさはそのままに視線を僕に向けた。
 大きな目いっぱいに涙を溜めている。

「巴のことも――」

 続く言葉は「守りたい」か。
 このニュースで犯人は追い詰められるだろう。
 犯行が過激になるかもしれない。
 取りこぼした獲物をきちんと仕留めに戻ってくることも考えられる。

 葉月と付き合いが長いのは須藤さんだ。
 僕より須藤さんを守っていたいに違いない。

 でも、自分の受けた依頼がそれを邪魔している。
 僕を守っているせいで、葉月は須藤さんを守れない。

「俺とも離れなければ職務放棄にはならない」

 須藤さんといるのは緊張しそうだけど、そのうち慣れるだろう。
 せめて学府にいる間くらいは、願いを叶えてやりたいじゃないか。

 葉月の目から涙が落ちた。

今回はここまでです。

>>74
訂正
✕ 拭く人人
○ 拭く人

生存報告です

生存報告です。
週明けに更新します。


「ファー! いいお湯だったー!」

 唐突にリビングの戸が開いて僕と葉月の肩が同時に跳ねた。
葉月が慌てて目元を拭う。

「あー! 雪也が葉月泣かしてるぅ!」

 風呂から上がった長月がきっちり巻いたバスタオルを片手で押さえながら乱入してきたのだった。

「誤解だ! 騒ぐな! 胸までバスタオルを巻くな!」
「ただならぬ気配がすると思ったんだよね! 片割れの危機を感知するなんてさすが俺! 鋭い俺! 美しい俺!」
「うるせえ! 服着てスキンケアでもしてろ!」

「おあぁ……もう……」

 葉月はげんなりした顔を隠そうともしない。
ニュースを見るために、浮遊してしまう体を椅子に落ち着けた気力もどこかにいったようで、彼女の背中は天井にくっつきそうになっている。

「あたし、お風呂入ってくる……」

 葉月は疲れた顔で僕らを見下ろす。
その顔は照明の色味のせいで真っ白に見える。
こういう天井からぶらさがる妖怪っていたよな。

「うん、そうして」

 不安定な軌道でリビングを出ていく葉月は風にあおられたラジコンのようだった。

「お前なー、真面目な話だったんだぞー。葉月泣いちゃったのは不可抗力だぞー。俺のせいじゃねえー俺のせいじゃねえー」

 そもそも犯人が全部悪い。

「だから、何の話してたんだよ」

 長月は椅子を引いて座ると、テーブルに肘を載せて指で天板を叩いた。

「ああ、そうだ。お前にも言おうと思ってたんだよ。犯人わかったってニュースで」
「それだけで葉月泣くぅ?」

 長月は半目になって唇をとがらせる。

「いや、今回の発表で犯行が過激になったらって心配してた。捕まりやすくなるリスクを負ってでも、きっちり殺しにくるんじゃないかって」

 さっきまでの葉月との会話をかいつまんで伝えた。

「――巴ちゃんの無事な方の目は、『半端な仕事』ってわけか」
「葉月が心配するのもわかるよ」
「なるほどね……」

 神妙な面持ちで黙り込む長月は、悔しいが確かに美しかった。
見とれてしまっては負けた気分になりそうで、長月から目を逸らすために水を汲みに立ち上がった。

「ところで俺、今ノーパンなんだけどどう思う?」

 呼び止められるように心底どうでもいい情報をカミングアウトされて力が抜けた。

「どうも思わねえよ生ケツを俺んちの椅子に載せるなさっさとはいてこい」

 葉月の昔話を思い出して、長月は何を考えてこんなナルシスバカへの進化を選んだのか知りたくなった。
いや、知りたくない。
いやいや、でもちょっと知りたい。

でも、知ってしまっていいものかとも思う。

 誰にだって心の闇はあるし、それを覗き見したくなることは誰にだってあるだろう。
僕にも葉月にも長月にも、桃花ちゃんや須藤さんにも、景浦にも遠山にも、もしかしたらボスにも、あのマリアにも――


 自覚の有無に関わらず、きっと「誰にも明かすものか」と閉じ込めたものがあるんだろう。
自分にも気付かせないでいる何か。

 ふと、こんな「胸まできっちりバスタオルノーパン男」を前に真面目っぽいことを考えている自分に気付いて、鼻で笑ってしまった。

「なに? 俺面白いこと言った?」
「言ってないからパンツはけ」

 シリアルキラーに狙われてるかもしれなくても、僕は笑えるのだ。
それについては喜ぼうと思った。

今回はここまでです。
また明日。

 数日後。
 学府に入って初めての週末がきた。

 僕たち新入生は週明けから臨海学習に行くので、成田姉弟との話題も「お泊りヤッホー」な感じだ。
 ボスはまだ犯人が捕まっていないのに僕を行かせることを渋っていたけど、日の出前と日没後は宿舎から出歩かないことを条件に折れてくれた。

 今日は事務所で留守番だ。

 来客の予定が一件ある。
 応接セットのテーブルに未開封の蛍光灯がホームセンターの袋に入ったまま置いてあった。
 ボスもやっと蛍光灯を交換する気になったらしい。

「入ってすぐ臨海学習なんて意外だよね」

 薄暗い事務所内、葉月が長月から蛍光灯を受け取りながら言う。
 葉月がいれば脚立がいらない。
 僕はテーブルや棚を拭いていた。
 僕の仕事の一部だ。

「みんないろんな境遇だったり種族だったりするからなぁ。早いうちに馴染んでもらおうってことじゃないかな」
「なるほどねー……っと。これではまったはず。長月、電気つけて」

 長月が壁のスイッチを押すと明るくなった。
 これで鬱陶しいちらつきから解放された。

「『焚き火の際はパイロキネシス使用禁止』ってしおりに書いてあったときはちょっと笑ったよね」
「過去にやらかした奴がいたんだろうなー」
「ふふふ」

 金曜、葉月は担任に個別に呼ばれていた。
 「オリエンテーリングの際は必要以上に高く飛行しないで」なんて話をされたのかもしれない。

「よし、二人ともありがとう。俺、今日は仕事だから二人は休んでていいよ」
「そう言われても俺らは犯人逮捕までが仕事ですけど?」
「あいつがここに来ないとも言いきれないしね」

 ボスが不在の今、二人を家に帰すことはできないらしい。
 ここまで拘束することが契約内容に含まれてるなんて、ボスはどれだけギャラを積んだんだろう。
 うちの事務所はなんだかんだでやってこれてるけど、経理のことは聞いたことがない。
 そのうち任されるようになるんだろうか。

「じゃあ、奥が休憩室になってるからそこで待機しててくれ」
「待機という名のフリータイム!」
「そうだよ。守秘義務があるから、接客中は出てこないでくれよ」

 二人を休憩室に押しこんだ。

「大丈夫? いきなりドスッと刺されたりしない?」
「なんで恐ろしめなオノマトペをチョイスするかな」

 でも、葉月は真面目に心配しているのだ。

「来客の顔はボスから知らされてるから大丈夫だよ」

 今日の客はボスの古い知り合いらしいが、ボスは嫌そうにしていた。


 ――悪い奴じゃないんだが、あいつが来るとろくなことがない。


 ボスが溜息まじりに吐き出した一言を思い出して、今更のように緊張してきた。

今回はここまでです

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