ここは大麦香る、広大なわしの畑。
聞こえてくるのは風の音、小屋の家畜たちの声。
そして、ラジオの野太い「ロングウェイティペラリー」だけ。
わしはここらでは変わり者と呼ばれておるそうじゃ。
ただ、趣味で昔の飛行機を……
時おりここから飛ばしておるだけなのだがなぁ。
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そんなある日のこと。
いつもと変わらない風の音、家畜たちの声。
ただラジオだけがけたたましく、こう繰り返しておった。
「ロンドン上空に二機のUFOが来襲!」
「迎撃の空軍機が全滅!」
「市街が被害を受ける前に避難を!」
齢82歳、わしはもう怖いものなどなくなってしまった。
近頃の下品なジェット機がいくら落ちようと何とも思わないが……
昔に親父と一緒に守ったロンドンを滅茶苦茶にされることだけは勘弁だ。
わしは昔のように、英雄になりたかったんじゃ。
年季の入ったゴーグルに、新調したシルクのスカーフ。
この服はWWⅡのとき、本国とアフリカでわしが実際に着ておったものじゃ。
だが……わしの愛機はそんな“新しいもの”じゃないぞ。
“キャメル”だ。
昔は空軍上がりの仲間とともに、RAF同好会なるものを組織しておった。
その時はたくさんあった……。
ソードフィッシュにスピットファイア、ハリケーンにディファイアントまで、たくさんたくさん。
だが仲間たちは先に逝き、残ったわしも畑のために、それらをほとんど売ってしまった。
残ったのは、親父のソッピース・キャメルただひとつ。
これはWWⅡどころか、WWⅠ時代の代物なんじゃ……。
昔は親父が、たくさんのフォッカー(同時期のドイツ機)をこいつで叩き落としたんじゃ。
そんな親父にあこがれて、わしも追うようにRAFに入隊し、そしてパイロットになった。
親父がロンドン上空でくたばった後も、戦争がおわった後も……
こいつをたまに飛ばしてやって、レストアも繰り返して動かしてきた。
そんなこいつに乗って、わしは最新のユーロファイターを叩き落としたエイリアンどもと戦うんじゃ。
気など、狂っておらぬぞ。
見ていろ若造。
キャメルは多少のデコボコ道なら大丈夫。
牛が踏み固めた土の上をゆっくり滑るぞ。
130英馬力ではためく、農耕機のようなエンジン音。
パパパパパパパッ
とても心地の良い音じゃ……惚れ惚れするのぉ。
おおよそ100年分の手垢と摩擦でボロボロとなった操縦稈をゆっくり引き上げる。
老体がより重く感じるとき、風が肌に吹きつけ……そして後ろを見ると。
あっという間にわし1エーカーの麦色畑が、藁束の大きさになってしまうんじゃ。
ここからロンドンまで、たった50マイル。
向こうのどこかで降りられれば、燃料はなんとかなるだろうな。
わしが小僧だったころは、この箱のような飛行機を阿呆のように口をあけ、見上げておった。
眼下には、車に荷物を満載して逃げ惑うロンドンっ子たち。
いま100年前の骨董品が空を飛ぼうが、見向きもしないだろう。
非常時なのだから、仕方がないな。
風を切り……雲を切る、蒼空の木箱。
しかし相変わらず、こいつは真っ直ぐ飛ばないのぉ。
世界一敵を墜とした複葉機のキャメルは、世界一の未亡人製造複葉機でもあったという。
とにかくまぁ……じゃじゃ馬なんじゃよ、こいつは。
いう事を聞かせるには、まずこいつの声を聞いてやる。
コトン、コトン……
エンジン振動の“ふれ”に合わせ、わしも手と足をくまなく動かす。
それさえできれば、こんな老いぼれにも快適な空の旅を約束してもらえるぞ。
テムズ川が見え、タワーブリッジが姿を現す。
街はすっかり静かだが、建物はまだみんな綺麗なもんだ。
ラジオでも言っていたが……まだ連中は地上を襲ってはいないらしい。
どういうつもりなのか?
……くくっ、年老いた頭で考えるのは難しいわい。
あれは……。
わしはすかさずゴーグルをバッっと外す。
ついに見つけたぞ、間違いない。
思い出すのは昔、かじるように読んだ小説の挿絵じゃ。
まさに銀色の円盤がふたつ、ビッグベンのすぐ上にふわふわと浮かんでおる。
こちらに気付いてはいないのだろうか?
だが、油断はできんな。
連中は音速機をも墜としたというしな。
どんな攻撃を仕掛けてくるかも分からん。
しばらく、円盤が動かないうちは周りをくるくる回っておった。
だが、何も起こらなかった。
こんな骨董品じゃ、敵とすら思われていないのかもしれん。
ひひっ、なら……わしが先に行くとしようかのぉ。
ダダダダッ!
プロペラの回転を縫って弧を描く曳光弾、いつみても美しいなぁ。
そして、美しいそいつは円盤一機の上面にババッとあたって、僅かに煙を上げる。
遅れてわしの機がそいつの上を通りぬけた。
……だが、まったくこたえてないようじゃのう。困ったぞ。
連中はとうとうわしを敵だと判断したらしい。
音もなく、すさまじい速さでわしを追いかけてきおった。
年寄りは熱しやすいが、諦めも早い。
その時、気圧の動きを顔面で受けながらわしは思ったんじゃ……
「親父と仲間に会えると」
なぜなら連中は、見たこともない光の帯を放った。
ロール軌道を描くキャメルのすぐ左下をかすめ、なにかが蒸発したのだ。
だが、頭より体が先に操縦稈を引かせた。
やっぱり、まだくたばりたくないな。
ブロロロロ……
空に響く音は、キャメルの心臓音だけ。
とても気味が悪いのぉ……連中はどうやって飛んでいるんだ。
そう考えながらも、老体に鞭打ちバレルロールを行う。
先ほどの光は何度も撃てはしないようだが……。
それでも7.7㎜の豆鉄砲が効かない相手じゃ、体当たりで“アーメン”は間違いない。
とにかくわしは、テムズ川に沿って連中を海に誘い込むことにした。
万一わしが墜ちることになっても、街には墜ちたくないからなぁ。
ブロロロロロ……
カタッ カタッ
操縦稈がけたたましく鳴く中、眼下に浜が見える。
ここまでは持たせたが……さきほどの光で車輪を持っていかれたらしい。
いつも以上にフラフラするぞ。
それに……連中はあきらめないようだ。
だが、わしはここらであることに気付く。
「奴らの射撃はへたくそじゃな」
ここまで放たれた光は三度。あの後、いずれも当たらずに済んでいる。
まっすぐ速く飛ぶことに慣れておるからか、遅くとも軽快な曲芸飛行を行うこいつの動き。
奴らはそれにかえってついて来られないと見た。
カタッ カタッ
65年以上前に、わしがメッサーシュミットに追いかけられた時も……似たようなことがあったなぁ。
空で生き残るにはセンスがモノを言う。一瞬の閃き。
自分の方が速いからといって、遅いと見下した相手の背中に付いていく……。
それをしてしまったら、もう相手のペースに引き込まれてしまっているも同然じゃ。
浮遊感と降下感の連続。内臓がひとつになってしまいそうだわ。
じゃが、伊達に歳はくっとらんつもりだ。
身体は衰えても……粘り強さでは、負けんよ。
ブオオオオォォォォッ
全開になったキャメルのクレルジェ9Bエンジンがけたたましく唸る。
捻りを加えた白いリボンを撫ぜるように、機体を一機の円盤の直上に滑りこませた。
反動で唾液が漏れたが、気にしてはいられない。
くくっ、連中は律儀じゃな。
わざわざこいつと同じ、時速160kmで後ろについて来ようとするなんてのぉ。
その瞬間、4度目の光が放たれたのだろう。
仰角90度の恰好になったこいつの腹を滑って、光が真上の雲にまん丸な大穴をあけた。
今の連中に豆鉄砲は効かない。それは分かった。
なら巴戦に引き込み、別の方法で墜とさねばならんのぉ。
そう考えておった時、背中の方からなにかが弾ける音が鳴った。
確認している暇は無く、すかさずスライスバックで下に潜った。
その先にもう一機の円盤が回り込みおった。
とっさにループ。せわしないことこの上ないわ。
ここまでは良かったが、次に見たそれはもう凄かった。たまげちまったよ。
円盤の一機が形を変えて、爪状の腕を生やしていたんじゃ……
先ほどこいつの尾ぞり周りをもぎ取ったのはあれだろう。
なかなか光に捉えられない事に業を煮やしたのか。
“直接”わしをやる気だな。
あれはどうするか……。
さすがのわしも、体当たりしてくる敵の相手はしたことないからなぁ。
とにかく、高度を稼がんとな。
3度目のループの途中、インメルマンターンを披露してやった。
連中もこんなマニューバを既に何度も見ておる。
星を渡ってきた連中なのだから、近いうちに学習してしまうじゃろうて。
さっさと攻め手が欲しいが、何も思いつかん。
せめて、一機だけでも……。
わしは焦っていた。これほどの焦燥、危機感など何十年ぶりだろうか。
そんなわしの一瞬の迷いが命取りとなった。
ガンッ!
大きな振動に思わず操縦稈の手が外れる。
長さ10mほどの爪が、片尾翼を持っていきおった。
ブロロロッ
カタッ
ブロロロロ……
振動が止まらんッ
だんだん、こいつも思うように動かなくなってきおった。
とうとう、ここまでか。
ブロロッブロロ……
死ぬ前に一度、故郷の18年のシングルモルトで一杯やりたかったなぁ。
いつもわしがピックでロックを作り、暖炉の前で出て行った女房の分も注いでやった。
そんな記憶が、チカチカと目に浮かんできた……
ピックで……ロックを……
……っ!
澱み始めていた目に、琥珀色の光が灯ったように思えた。
その瞬間、叩くように稈を引き込むんじゃ。
エンジンから黒い煙を吐き出したこいつの最後の力を振り絞って、わしはもう一度高度を取ろう。
ブオオオオオオォォォォォォ
描く雲と煙のコントラスト。
わしはこのまま頭上の雲海に突っ込むことにした。
奴らもこっちにやってくるなぁ。
……くくっ。
わしは、にやけが収まらなんだ。
二筋の帯を後ろに流し、雲の中をかき猛然と進んでゆくキャメル。
気がつけば、右腕がひどく腫れておる。
さきほどの振動で強く打ったか。
だが、こいつが息絶え絶えで頑張っておるからには負けられん。
じゃじゃ馬なこいつとわし、二人分の力が機体を揺り動かしている。
今なら、奴らに捉えられることはないだろう。
下から放たれた光を軸に、大きなループを描くことで下方へ滑った。
顔面周囲の水蒸気が吹き上がる。
そんなことはお構いなしに、急降下は決行した。
ブオオオオオォォォォォォ
あちらもトドメを刺すつもりらしいな。
わしを追いかけていた“爪持ち”が同様のマニューバで猛然と追いかけてきよった。
「良い子じゃ……」
「来い……来い……!」
雲が晴れ、先ほどの光の発振原がすぐそこにおった!
眼下に一機の円盤、頭上に爪持ち。わしはすかさず、操縦稈を最大まで前に押し倒した。
円盤を背中に捉えたとき、わしはニタリとわらってしまったよ。
猛然と急降下する爪持ちの腕が、急上昇するもう一機の円盤とクロスするのを見たんじゃ。
―――ゴッ
円盤の放った初めての音は、未知の物質を激しく損壊する音じゃった。
一機の円盤に、爪持ちのあけた風穴が痛々しく空いたのだ。
風穴を空けながらも、奴はまだ飛んでおった。たいしたもんじゃ。
こちらももういつまで飛べるか分からんが、あの空いた穴なら“中の連中”に機銃が通る。
わしは65年ぶりの“殺し”を腹に決めた。
錐もみして落ちて行った爪持ちが戻って来るまでに、トドメを刺す。
そのために、わしはキャメルをゆっくりと円盤の後方上に寄せる。
カタッカタッと機体が大きく振動する。もうエンジンが止まりそうだ。
奴はもう光の帯も撃てないようだ。
極めて不安定な挙動で、ただ飛ぶことに注力しているのが分かる。
中に何かがいるのぉ……
ここからではよく見えないが、うごめくものは「エイリアン」で間違いはないだろう。
親指を押し込めば、同調機銃が火を噴く。こいつはこれで終わりじゃ……。
「…………」
……わしの親父は、立派なパイロットだった。
……紛う事なき英雄、騎士道精神溢れる理想的な空の男。
……だがその栄光は、たくさんの敵を殺して得たものではない……。
「…………」
わしは引き金から指を離し、ゆっくりとしたロール機動で、円盤の横にキャメルを付けた。
ゴーグルを外し、穴を覗きこむ。
円盤に乗ってるそいつは、驚くことに人間の少女そっくりであった。
……まぁ相手がなんであろうと、もう関係ないわな。こいつにもう戦う力は無い。
……ならばと、わしはそいつに向かって“敬礼”をくれてやったんじゃ。
奴が狼狽えているのが、ここからだとよく分かる。
意味は伝わらなかったかもしれないが、まぁ良い。
運がよければ、奴はどこかで不時着できる。
まだ一機残っておるから、そいつに助けてもらえば良いじゃろ。
「……これでよかったのだな」
そうつぶやいたとき……それに呼応するかのように、キャメルのエンジンがガスンと音を立てて動きを止めた。
「キャメル……先に逝きおったか」
「……わしもすぐ逝くぞ、待っておれ」
海面がみるみる近づいておる。
親父と同じ逝き方も悪くない。
……くくっ
……
…………
………………
「ん、ではなぜ今生きているんじゃと?」
「あぁ……それなんだが……」
「気がついたら、ロンドン郊外の砂浜に打ち上げられておったのだ」
「なにかに握られた跡のあるキャメルとともにな」
「……その目、信じておらんな?」
この戦いを通して、わしは英雄にはなれなかった。
だが、その浜に居た警官によれば、連中はあれから“そら”に帰ったらしい。
結局、なんで地球にきたのかは分からんから気持ちが悪いが……まぁ良いだろ。
とにかく、今回のUFO騒動はこれでおしまい。
じゃが、わしはまた彼女達に会ってみたいとも思った。
今度はこの麦畑を眺めながら、風の音を聞いて、お話をする。
それができたとき、今回の戦いの意味が果たされる……そんな気がするのだ。
……ククッ、まるでできの悪いおとぎ話だのぉ。
―――終わり―――
高校の時に考えた一発ネタをSSにしたらこうなりました。
チカレタ…(小声)
短かったですが、ここまでよんでくださった方、ありがとうございました。
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