沙紀「ひとかけらの微熱を乗せて」 (26)


・吉岡沙紀ちゃんのSSです

・今月のカバーガール、エントリー記念

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「らしさ、ってなんすかねー」

彼女は目の前に置かれた小さなカップを手持ち無沙汰気味に持って、なにかを期待するような視線をこちらに飛ばしてきた。

「会話に脈絡がなさすぎるぞ」

数分前は「秋といえば?」という話題だったはずなのに、エスプレッソとコーヒーが届いたのをきっかけに議題がすり替わってしまったみたいだ。

朝夜の肌寒さはどこに隠れてしまったのか。
夏の喧騒を洗い流すような澄んだ空気とは対照的に、陽気とも言える日差しが照りつけてきてわきの下にじわりと汗をかかせる。

平日の昼間。
カフェテラスにて。


もうじきに外でゆっくり過ごすのも難しくなるからということと、たまには二人でゆっくりしないか、という彼女からの提案。
次の仕事までの空き時間に担当アイドルと向かい合わせで座り、秋の余暇を過ごしている。

隠れ家的、と言ったら少し大げさか。
郊外から少し離れた場所に位置するこの店は、ゆっくりするならこれ以上ないほど最適で、おまけに今日は貸し切りに近い状態でなんだか得した気分だ。

「女心と秋の空っていうじゃないっすか。アタシだって女の子なんすから」


ショートカット。
パンツルック。
女性にしては少し高い身長。
見る人によっては彼女のことを男だと勘違いしてしまう人は少なくないだろう。
実際、一部のファン(特に女性ファンに多い)は彼女のことを「吉岡くん」と呼んでいたりする。

「そういうのは慣れっこで、気にしてないっすよ」と彼女は言うけど、自分がその立場ならあまりいい気はしない。
だからプロデューサーである俺くらいはと動いてきたけど、戸籍上で男と書かれた俺でもかっこいいと不覚にもときめいてしまうことがあったりして、もう意識して女性扱いしようとするのはやめにした。

それをまるっと全部含めて吉岡沙紀という人物なんだと結論づけて自然体で接しようとしたけど、今度は彼女の女性的な面が襲いかかってきた。


一例をあげると、すっかり桜が散って木々の青さが目立ち始めたころまで遡る。
今話題のジェットコースターに乗ったときの話。

とにかく凄いんだと目をキラキラさせていた沙紀は、並ぶ時間がと俺がグズるのをわかっていたかのようで、いつの間に手に入れたのか、したり顔で優先パスを目の前に泳がせた。

「もしかして……怖いっすか?」

おまけにこんなことを言われたらウソとか本心とか関係なく「怖くないに決まってる」と言うしかない。
俺だって男の子だ。
男の子というにはいささか歳を重ねているけど。

普通なら一時間近く待つようなところが、並んで十五分もしないうちに自分たちの番まで回ってきた。
実は絶叫マシーンが得意でないこととか、まだ腹をくくれていないこととか、なんの準備もできないまま、気付いたら安全バーが俺の前にゆっくりと降りてきた。


「実はアタシもドキドキしてるっす」

多分俺と沙紀のドキドキはまた違うものだと言う前に、ひときわ大きな音で発車のベルが鳴った。
ゴゥンという大げさな音とともにジェットコースターは動き始め、まるで処刑台にのぼる罪人のような気分だと心の中でつぶやいた。

きれいな水色の絵の具をだだっ広いキャンバス一面に塗ったみたいな雲ひとつない空が視界に飛び込んできたけど、俺の心は分厚い暗雲が立ち込める不穏な空模様。

「大丈夫っすか? 真っ青な顔して」

その問いに対して壊れた人形みたいにうなづくしかできず、わざとらしいくらい息を大きく吸っては吐いてをひたすら繰り返す。
面接のときもこんなに緊張することはなかった。

今までにない心臓の動きに戸惑っていると、なにかあたたかな感触が震える右手をおおった。

「手、にぎっててあげるっす。少しは落ち着くんじゃないかなって」


そう言う沙紀の手も緊張してなのか少しだけ震えていて、ほんのり汗をかいていた。
その柔らかでスベスベした感触はまさに女性的なもので、そのあたたかさはどこか安心を覚える。
手首を返して握り返すと、少し驚いたのかビクッと反応するも、次には彼女の方からも力を入れて手のひらを重ねてきた。

「まわりから見るとカップルに見えちゃったりするんすかね、アタシたち」

なんて言葉が耳に届いたとき、遮るように風と空気の抵抗が上半身をぶん殴り、終わるまでの数分間、気絶していたかのように記憶がぽっかりと抜け落ちていた。


たった数分前の出来事。
なのに地面へ足をついたときの感覚が久しぶりみたいで、とにかく変だった。
地に足はしっかり二本あるけど、片足で立っているフラミンゴの方が随分安定している気がしてならない。

「よ、予想以上に凄かったっすね。アタシの方が絶叫しちゃって……ちょっとフラフラっす。あの、腕借りていいっすか?」

返事をする前に俺の右腕が彼女の止まり木になると、再び柔らかな感触が神経を秒速で駆け抜ける。
しかもそのときの柔らかさったら前回の比どころじゃなかった。

ほぼ全開のパーカーから春らしい色のインナーが見える。
そこにある二つのふくらみ。

その日は春の陽気と言うにふさわしい天気と気温で、まわりを見渡しても比較的薄着な人が多く、彼女も例に漏れず春から夏への移行を感じさせるような服装だった。
そう、薄かったのだ。


八十六。

はちじゅうろく。

ボーイッシュと呼ぶにはあまりにも不釣り合いで凶暴なそれが牙をむいてきたのだ。

「いやぁ、隣にいたのがプロデューサーでよかったっす……ちょっと安心できてたし。えへっ」

信頼されているっていうのはやっぱり嬉しいことだけど、それよりも自分の中の大小問わずいろんなものが今にも暴れ出してしまいそうでそれどころじゃなかった。
強く握った手のひらは冷蔵庫から取り出して少し時間の経ったペットボトルよりもびっしり汗をかいていて、急勾配を上っていくジェットコースターに乗っていたときよりも心臓は激しく動いていた。

別にそれからなにかあったわけじゃないけど、少なくともその日以降、俺は彼女のことを女性としか見れなくなっていた。
ただ俺はプロデューサーで、彼女もこちらを信頼しているからこそ、つい気がゆるんでしまっての行動のはず。
だから変な期待はしないし、おっぱいが柔らかかろうがそれを押し付けられようが俺は勘違いをしたりしない。
多分。

あんまり自信はない。
無理っぽいな。


「……プロデューサー? 聞いてる?」

「あ、あぁ、ごめん……ちょっと考えことしてた。で、なんだっけ?」

気がつくと呼吸音まで聞こえてきそうなくらいの近さに沙紀の顔があって、おもわず唾をひとつ飲み込んだ。

イケメンイケメンと言われるけど、言葉を変えれば整っているということで、まじまじと見るとやっぱり女性らしいパーツが並んでいて正直かわいい。
それは担当アイドルだからとかそういうひいき目を抜いても自信を持って言えることで、気を張っていないと頬擦りしたくなりそうになる綺麗な肌に、しなっとした柔らかな髪の毛に意味もなく触れたくなる。

スタイルの良さもそうだけど、やっぱりボーイッシュな雰囲気とは対照的と言える女性らしさの象徴はなによりの武器。
そう、おっぱいは正義。


「なに考えてたっすか? もしかしてアタシのこと? なーんて……」

「そうだけど」

「えっ、マ、マジっすか。て、照れるっすね、こう面と向かって言われると」

ただその内容を伝えることはできないけど。

「自分の担当のことは常日頃から考えてるよ。どうやったらもっとよくなるかとかね」

「仕事人間っすねー。こういうときくらい忘れてのんびりすればいいのに」

「もうクセみたいなもんだよ」

口をつけない間にすっかりぬるくなってしまったコーヒーを一口。
インスタントや安いものは時間が経つと酸味が出ておいしくなくなるけど、ここはいい豆を使っているのか普通にイケる。


「じゃあ意識して仕事以外の話を」

「……例えば?」

「そう言われると難しいっすね。うーん……」

腕を組み、首を傾げ、口を真一文字に結んで考え込むその姿。
女性ファンが見たら瞳をハートの形にして黄色い歓声をあげそうだ。

撫でるような風が吹くと、これから紅葉を迎えようとしている秋色になりきれていない木々たちと一緒に少し癖のついた彼女の髪がさらりと揺れた。

「じゃあ恋バナとかどうっすか?」

「……しばらく考えた結果がそれ?」


「む、いいじゃないっすか恋バナ。アタシも女の子っすから、そういう話に興味はあるっすよ」

「アイドルが恋バナってどうよ」

しかも出先でなんて、下手すればスキャンダルだ。

「プロデューサーの恋バナだからセーフっすよね?」

「そういう問題?」

「そういう問題っす。ホラホラ、オトナの恋バナ聞かせてほしいっすよー」

「いや、ないよ。ないない。仕事ばっかだって」

「とか言ってオトナはすぐごまかすんすから」

そう言われても、しばらくそんなことからご無沙汰している身なので話題にできるカードが手元にない。

恋愛なんていつからしていないんだろう。

それを思い出したとしても、面白い話になるどころかほとんど忘れてしまっている自分がいる。
考える時間があったって、ないものを生み出すには時間が足りない。
そんな期待するまなざしをしたって出てこないぞ。


「あ、あれ。ホントにないんすか?」

「……ない」

「なんか……ごめんなさい」

「いや、いいよ。謝られると余計、な」

しゅんとした沙紀もなかなかいい。
年少組のような極端な振れ幅はないけど、彼女も感情が表に出るタイプだ。
特にその瞬間を楽しもう、楽しんでいるときの表情は百万ドルの夜景よりもキラキラと輝いていて、綺麗で。

あぁ、そうだ。彼女をスカウトした理由もそれだ。

最初声かけたらナンパだって勘違いされて「そういうチャラいのはキライっす。他を当たってください」って突っぱねられらたっけ。
それでもめげずに彼女に会いに行った。
それだけの理由が彼女にあったから。


「熱意に負けたっす。それに……この人ならアタシの知らない世界に連れて行ってくれるかなっておもって……えへっ、なんか恥ずかしいっすね。よろしくお願いするっす!」

三顧の礼で迎えるじゃないけど、三度目でようやく話を聞いてもらえて、当日のうちに彼女からアイドルをやってみるという返事を聞けた。

アートのことは未だにわかっていない部分があると担当失格みたいなことを言ってしまうけど、趣味でもライブでも、全身を使って表現をしている彼女は誰よりも輝いている。
これはちょっとひいき目が過ぎるかな。
それだけ沙紀に惚れ込んでいるっていうことで。

「ところで、らしさがどうとかって言ってなかった?」

「うん。言ってたっすけど、プロデューサーが上の空で流れちゃって。まぁアタシのこと考えてたみたいなんで今日のとこは許す!」

「そりゃどうもありがとう」

「へへっ、どういたしまして」

今度は照れ笑い。
なんだこのかわいい生き物。


「……あの、隣行っていいっすか?」

「は?」

「失礼するっす」

半ば強制的にイスを持って隣に来たかとおもうと、何故か俺の肩に頭を預けてきた。
あまりにも突然のことで注意することも忘れて、ただただ驚くことしかできないでいた。

「お、おい。ここ外だぞ」

「いいじゃないっすか。どうせ誰も見てないっすよ」

「お前なぁ、自分が見られる立場だってわかってるだろ」

「今この瞬間はアイドルじゃなくてひとりの女の子っす」

「屁理屈聞きたいわけじゃ……」

「……アタシだって甘えたいときはあるっす」

こういうところも俺が女の子としか見れない理由のひとつ。
卑怯だ。
なんて卑怯なんだ。


「……隣にいるのはいいから、せめて肩から頭を離してくれ」

「減るもんじゃないのに」

「二重の意味でドキドキして寿命が減る」

「それは困るっす」

「わかればよろしい。ただその右手はなにかな?」

彼女の右手は不思議なことに俺の左手の上に置かれていて、指摘した瞬間ぎゅっと力を入れて握ってきた。
ジェットコースターのときよりも彼女の体温がはっきりと伝わってくる。

「机より下にあるっすから、他から見てもわかんないっすよ」

「そういう問題じゃない」

「そういう問題っす」

握る力が強くなる。
無理にはがすことだってできるのに、何故か体はそれを実行しなかった。


静かだ。
耳をすませば呼吸も、もしくは心臓の音まで聞こえるんじゃないかっておもうほどの静寂。

まるでここだけ時間が止まっているみたいだ。

「時間が止まってるみたい」

「……まったく同じこと考えてた」

「やっぱりアタシとプロデューサーは相性いいっすね。へへっ」

手の甲で感じている彼女の体温が少しだけあがったように感じた。
いや、熱を帯びているのは俺の方なのかもしれない。

なんとなく気恥ずかしくておもわずコーヒーに手を伸ばすも、いつの間にか中身は空っぽになっていて、なんとも間抜けな格好になってしまった。
それを元に戻して一度も口を付けていない水をぐいっと半分くらい流し込む。
すっかり氷も溶けてしまっていたけど、キンキンに冷えた水が落ち着かない心を冷静にしてくれた。


「おもえばこうやってのんびり話したことなかったなぁ」

「そうっすよ。基本的に仕事の合間合間っすからね。プロデューサーがアタシを知っておかないといけないように、アタシもプロデューサーのこと知っておかないとダメなんすから、ちゃんと会話するっすよ」

「なんだそりゃ」

俺のことを知ったってどうもならないだろ。

「さっそく質問っす! えーっと、なにから聞けばいいっすかね……」


どうも俺に拒否権はないようで、真剣な面持ちに変わったかとおもったら、小声でなにやら呪文のようにブツブツとつぶやき始めた。

円滑なコミュニケーションをとるためにはこういうことも必要か。
なによりかわいい担当アイドルの頼み。
ここはプロデューサーとして、大人としてなんでも聞いて、言ってあげようじゃないか。

どんとこい、女子高生。


おわり


吉岡ちゃんと相撲をとってたわわに実った86をさりげなくヘディングしたい……女の顔にしたい……それがアートってもんだろ……

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