提督「如月の深海にて睦月は盲目」 (14)
睦月にとって新しくやってきた吹雪という艦娘は些か扱いづらいものであった。
特型駆逐艦である吹雪は旧式である睦月よりも兵装が充実しており性能が良い。
睦月は吹雪にちょっと身構えた劣等感を持っていた。それは艦娘特有の劣等感であり、結果の評価からではなく性能の評価からという特異な劣等感である。
結果からの劣等感、例えば学校のテストでライバルに点数で負けた時のような劣等感は、「自分はテスト当日風邪気味だった」や「あいつはたまたまヤマが当たったから得点できた」などと自己欺瞞的に言い訳して「あいつに劣っていない」と気分を持ち直すこともできよう。
しかし、性能からの劣等感というものは「あいつはあれまで可能だが、こちらはこれだけで手一杯で、あれは不可能だ」という未来まで含みこんだ劣等感であって、覆ることを期待しようもない絶望的な劣等感なのであった。
戦艦や空母に対するならば自然に諦めきれて特に苦しむこともなかった。しかし、同じ駆逐艦である吹雪に対しては諦めようにも手が届きそうなもどかしさを覚えたのだ。
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なんともどうしようもない劣等感。そう思っているのはもしかしたら睦月だけなのかもしれない。
同期である夕立は敵棲地の親玉を魚雷一発見事撃沈させるという目覚しい戦果をもぎ取っていたりしている。戦艦でさえも容易に成し得ぬ大活躍である。そんな訳で艦娘の間には数値化されたデータはやはり当てにならないという新しい考えが強くなっていた。
しかし、睦月はいまだ旧態依然として古い考えにしがみついていた。「艦型も旧式なら考えも旧式なのね」と皮肉られたりもしたし、また「データを盾にして自分の無能さを理由づけしている」と唾罵を飛ばされたりもした。
口やかましく文句を言って来た娘には別して敵意はなかった。むしろ心配から睦月を奮い立たせようとしている調子さえあった。だから、意固地になって考えにしがみついていたわけではない。ただ睦月はその方が楽であったから、暴言の我慢に値するとしたのだ。
特型駆逐艦吹雪はその能力を見込まれて、この鎮守府の司令官に名指しで招聘されたということらしい。そうしたことは全体数の少ない戦艦や空母でも珍しいことであり、いわんや駆逐艦なら。異例中の異例、とんでもないエリート艦娘だ。
それが自分と同じ第三水雷戦隊に配属されるというのだ。睦月の内心での狼狽の程は想像に難くない。余りに気がかりであったが故に、わざわざ時間を見計らい執務室の前で偶然を装って待ち伏せしたぐらいである。
吹雪は有能な人特有の鋭く近寄りがたいといったふうではなく、本当にエリートかというぐらいに素朴な印象だった。滲み出る凄物オーラに圧倒される気で出向いてきた睦月は肩透かしをくらった感であり、相手がガチガチに敬礼して上ずった声で自己紹介するものだから、慌てて睦月も引っ張られるように同調してこなれていない自己紹介をするのであった。
性格は竹馬のように噛み合った。同室の夕立は好感の持てる艦娘であったが、どこか浮世離れしていて、睦月が幾らか気を遣う必要があった。吹雪と話しているとき、睦月は自然体でいることができた。好きなことを言える相手を親友というなら、睦月にとって吹雪は親友であった。
しかし、それは睦月にとって必ずしも幸運なことではなかった。嚮導艦神通の下で艦隊訓練を行った時には、吹雪は噂通りの成績を残した。海上機動での安定性、そこから確かな射撃能力に裏付けされた砲撃は的のド真ん中を撃ち抜いていく。
訓練後、夕立が吹雪に自分の点数が稼げないとだらけた口調で文句を言っていた。「ねえ、睦月ちゃんもそう思うっぽい!」。唐突に話の矛が睦月にむいた。わざとらしく頬を膨らませている夕立と困った顔の吹雪に、睦月はどうしようかと迷った挙句ただ力なく笑ってみせた。
笑って息を吐く睦月は吹雪が親友であることに息苦しさを感じた。距離が近い分、存在が近い分、睦月も吹雪も根本は変わらない艦娘だとありあり知らされた。友情というのはただ親しくなればなるほど良いってわけじゃないと思った。
すると、睦月に妙な間があったのを訝しんでいる夕立のさも純真で思慮浅そうな表情が実は夕立なりの気遣いなのではないかという気もしてきた。道化を演じて睦月を気楽にさせているんじゃないかと。睦月は妙に恥ずかしくなったので、道端の枝を拾って「夕立ちゃん!」と言って前に投げた。夕立は驚きつつも素直に「ぽーい!」と叫びながら空で回転する枝を追っかけていく。
吹雪は瞠目して小さくなる夕立の背中と肩で一息つく睦月を交互に眺めた。「夕立ちゃんは犬なの」。酷い言い草だった。「へ、へええ。ま、まあ友人関係にも色々あるよね!」と吹雪は納得してくれた。一体どういう関係に見えたのか、何か変な誤解を与えたのではないかと心配になった。
「そういえば、睦月ちゃんって第一世代なんだよね」。吹雪は不都合な話題から逃れるために何気なく言っただけだろう。しかし、睦月は「第一世代」と聞いた時、鎮守府のレンガの赤色も光に輝く草木の緑色も一挙に色褪せ流れ消えるような目眩を覚えた。吹雪は「第一世代って熟練の称号みたいで格好良いね!」とお気楽に言っていた。
「睦月ちゃん、とってきたっぽい!」。夕立が戻ってくる。睦月はそれに曖昧な返事を返すしか出来なかった。褒められて撫でられることを期待していた夕立はムスっとしたかと思うと「吹雪ちゃんが今度はやるっぽい!」と言って吹雪を引きずっていく。おいおい、本気かよ、この犬っころはというニュアンスを含んだかもしれない「ええええ!」という悲鳴はどんどん小さくなっていった。
睦月は脇道に逸れて、根元で木陰となる芝生の上に腰を下ろした。夕立のある意味冷酷とも言える無関心の愛情に感謝した。木漏れ日は暖かく鮮明であったが、今の睦月には廃墟に舞う埃を照らすような想像の栄華を懐かしませるだけの空疎な光であった。
第一世代。あの頃の空はどんなものだったか。太陽が出ていても薄く灰色の空だった。あの頃の風はどんなものだったか。寒くカラカラに乾き身を刺すような風にも、何か不吉な湿気があって体全体を粘つかせたものだった。
第一世代。突如人類を危急存亡の秋に追いやり、その存在は謎に包まれる深海棲艦。彼らへの対抗手段として初めて実戦投入された艦娘。それが第一世代の由来であった。
世間一般の評価では第一世代は英雄だった。危機に真っ先に飛び込んでいった艦娘として。ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』を模した絵画まで誕生し、薄暗い曇天から差し込む光の杖を背後にして勇ましく進軍する様は視覚的にも随分高尚な印象を大衆にもたらしめた。「艦娘は人類文明の叡智と尊厳を象徴する。見よ、何と彼女たちは猛々しくもしなやかで美しいことか」
その当時「艦娘は神からの使い」だという主張が宣伝されていた。実際のところ艦娘はただ女子に艤装をつけたものだと、国も知っていたはずだが、何よりもまず脅威を取り去ることを優先したのだ。すなわち、艦娘の実戦投入への大衆からの倫理的反対を押さえつけるために「艦娘は人間じゃない」と刷り込みを行ったのだった。
一般の中には艦娘はただの女の子じゃないか、だから実戦投入は待つべきだと論客もあったが、深海棲艦の脅威がいよいよ陸地にまで来るかとなると、翻然として艦娘は神の使いだ、実戦投入をするべきだという風潮に染まっていった。無知が利益に繋がるなら、明確な事実を目隠ししてでも否定するというのが大衆の総意である。
人格を剥奪され神格化されたのが第一世代艦娘である。その戦場は地獄であった。現在のように鎮守府を設けてそこから艦娘達を指揮するなんてシステムはなかった。政府の考えは楽観的で、害虫が増えたのならば、その天敵を野に放てば自然に数が減少すると考えていたのだ。深海棲艦を弱肉強食の自然摂理で解決しようとしたのであって、そこには戦争なんて発想はなかった。
第一世代艦娘にとって「戦術的」撤退なるものは許されなかった。常に進軍あるのみ。艦娘たちは内心それに反発心を持ったりしたが、世間やまた仲間の雰囲気がそれを口に出すことを憚らせた。それにどうせ死ぬなら戦って死ぬ方が良いと多くの艦娘は考えていた。
艦娘の海路には常に深海棲艦の生命を軋ませたような不愉快な鳴き声がこだましていたし、倒れた艦娘から流れる燃料なのか血液なのか分からないものは海を黒く染めた。夜でも煙焔が立ち上り戦場の影を濃くし、ゆらゆら動く影と疲憊にて微動だにできない艦娘達、どちらが生きていたのか艦娘たち自身わからなかった。
補給は輸送艦にて行われた。波立つ流体の上で一日中を過ごす艦娘たちは甲板の硬い床上での姿勢制御が困難になっていた。揺れない頑丈な床に立ち続けていると、足が急に階段を踏み外したみたいにバタバタと痙攣するような発作に見舞われる。それで倒れて、「もう、もとの生活に戻れないんだわ」と涙ぐむ娘も散見した。
睦月もその発作でものの見事に無様な姿を晒す羽目になった。度重なる疲労で立ち上がる気力もない。顔は煤で汚れきっていて真っ黒であったが、洗顔したいとも思わない。綺麗にしても、目元の濃いクマの黒色が残っているのを目の当たりにしたら傷つくなと思ったからだ。遮蔽物のない日光と潮風によって髪も肌もパサパサなのだから、今更美容なんて気にする必要もなかったのだが。
「あらあら、こんなところでお昼寝? 背中を痛めちゃうわよ?」と随分甘い声で睦月に話しかけてきた艦娘がいた。睦月は狸寝入りを決め込もうとしたが、いつまで経っても香水の甘い香りが離れる気配はない。いよいよ面倒だなと思い始め、ぶっきらぼうに用を尋ねると反応があったことに跳ね上がって喜んだ。
その娘の名は如月。どうやら食事の誘いにきたらしい。断ろうとしても無理やり立たされた。ほらほら、と手を引かれてやってきたのは艦内の食堂であった。配給の方で済ませるものだとばかり考えていた睦月は焦り、それを見てとった如月は意地悪そうに目を光らせたかと思うと、結果、浴場に連れ込まれ互いの背中を流すことになった。「女の子はやっぱり清潔に気を付けないとね」
睦月は体から石鹸の香りを漂わせて清潔でさっぱりした感じを久方ぶりに味わった。そして、如月と共に食堂で椅子に腰掛けて食器を用いた食事をした。決して豪勢なものではなかったが、睦月は改めて自分は人間だったと少し感動したりした。それと同時にとんでもない疲労が瞼を重くした。如月は優しく睦月の手を引いて寝室に連れて行き、その夜は小さなベッドで二人肩を寄せ合って眠った。
次の日から睦月は如月と共に行動することにした。もともと艦隊なんて組んでもいない進軍であったから、誰が誰と組もうが良かったのだ。如月は「昨晩はあんなにいやいやだったのに、どうして?」と疑問だったらしいが、睦月に答えはなかった。ただ何となくこの荒廃した戦場で人間味を失わずにいた如月と接して郷愁の思いが出てきて離れたくないと思ったからかもしれない。
これまでずっと孤独を貫き通してきた睦月にとって如月との遊泳はとても愉快なものであった。如月の話しぶりは自由だった。海の上は敵がいない限り平和そのもので変化なんて何もないのに、どこからともなく話題を汲み取ってきた。お洒落や好きな食べ物といった女子らしい話題もあれば、波の揺れを見て、もし時間が波ならば丁度打ち消す波を与えてやればそこだけ時間は置き去りにされるのかといった不思議な話題まで網羅していた。
話題が豊富ということは、その中に睦月にとって退屈極まりないものもあるということになる。あれは「天使は針の上で何人踊れるか」という問への「無限である。天使は空間量、外延を持たない存在であるから」という答に対して如月が何か文句を言っていた時だった。睦月は出し抜けに「如月ちゃんはどうしてそんなに色々ずっと喋れるの?」と聞いたことがあった。
如月は艤装に引っ掛けてある防水性のスクールバッグから幾つかの文庫本を取り出して見せた。本を読むのが好きなのかと聞くと、少し微妙な表情をした。「確かに読書は好きだけど、読書家ってわけじゃないの」。睦月が釈然としなかったので、付け加えて「お化粧をしたり髪を梳いたりお風呂に入ったりするのが好きなように本も好きなの」。如月にとって読書も女を磨くためのものであった。彼女曰く、「人間は感情といったものでさえ学び直さなければいけない」
如月には女磨きへの並々ならぬ執念があった。睦月はそれに言葉を発することが出来なかった。馬鹿げたことだと思ったが馬鹿にできなかった。如月は女磨きを生きがいにして、この戦場で正気を保っていたのだ。睦月のように人間としての意識を捨て獣のように生きていく道ではない。あくまで人間らしく。そういった如月の姿勢は男や女といった区別なんて超越した美しさがあったし、また儚くもあった。
睦月は初めて尊敬という言葉を知った。そして、如月の中に自分の生きるべき道を見出したような気がしたのだ。女らしくなりたかったわけではない。そもそも如月の女らしさにはどこか珍妙なところがあった。「もし、外延のない天使を個体化できるなら、そこで初めてプラトニックなラブも可能になるんだわ」という話を「女らしい恋バナ」だと思っているような娘だった。
ある寒い星空の下ぷかぷか浮いている艦娘の死骸を見つけた。砲撃音は聞こえない。どこからか流れてきたのだろう。睦月はそれを調べた。まだ艤装の駆動部は生きていたし、燃料もあった。これなら、艤装を発火させて暖を取ることができると喜んだ。当時の艦娘たちの間では一般的なことだった。海上で暖まろうとしても何もない、だから死骸を焚き火にしようというわけだ。
如月は睦月を止めた。そんなのは女の子がしていいことじゃないわ。睦月は不満だった。寒さに耐えましょう。女の子は冬でも気合でミニスカートなんだから。気合って女の子らしい? ええ、亡骸を燃やすなんてことよりかはね。睦月はこうした残酷な行いこそ女らしいのではないかと思ったが、沈黙を通した。女らしさに関して女らしさの求道者如月に議論をふっかけても負けるだけである。
如月は睦月に色々なことを教えてくれた。化粧や料理のコツといったことから、男性心理、またそこから派生してどう男を魅了するかも教えてくれた。如月の所作は確かに艶かしく色気があるなと女ながらに睦月も評価していたが、如月の話はいつもベッドインの直前まで、つまり男女がいい雰囲気になるところで終わってしまう。
如月は猥書の類をその女らしさ故に避けてきていたようだったので、「本番」に関しては無知だった。睦月の方はと言えば、学校の男子たちが隠し持っていたエロ本を面白半分に何度か見せてもらっていたりした。睦月はそこでも如月の育ちの良さを垣間見た。如月がどこぞの高級女学院で昼下がり「おほほほ」と友人たちと一緒に紅茶に口づけする様が想像できた。
二人の連携にも熟練した軽さが現れ始めた頃、不穏な噂を耳にする。艦娘たちは戦前をずっと前面に押し広げてきたが、深海棲艦がその内側、制圧したはずの海域に突如出現しだしたと言うのだ。通商船や客船にも被害が出ており、政府に非難が殺到している。なので一部の艦娘たちは折り返すように命令が下された。戦艦や空母の主力艦隊はそのまま戦前の維持拡大の任を任されたので、折り返し艦隊は駆逐艦を中心とした編成であった。その中に睦月と如月も含まれた。
大海原の綺麗な青色の単調さは変わらず、引き返す道といえども、それを示すのは羅針盤の示す記号的な数値だけであったから、特に感慨もなかった。他の艦娘も同様であったらしい。しかし、彼女たちは退屈さも忘れたような懈怠の面持ちであった。この状況を退屈と感じてあくびできる自分はまだ「マシ」だと睦月は思った。
人格を無くし神格化されたとは言うが、機械化されたの間違いじゃないか。「デウスエクスマキナね」「なにそれ」「機械仕掛けの神って意味よ。物語のどんな悲劇も払拭して大団円を迎えさせる存在よ」「ゴミみたいな脚本」「でも、私たちはそれになれって言われているみたいね」「もっとまともな筋書きの映画を見たいかな」
にわかに艦娘たちが騒ぎ立て始めた。敵艦を発見したのだ。しかし、機械化された艦娘たちがそれだけで驚くなんてことはない。原因は敵艦勢力にあった。軽空母を中心とした編成。こちらは軽巡と駆逐の水雷戦隊、対空能力に不安が残る。深海棲艦の大きく開いた口から、小さな艦載機がブンブンと蜂のような羽音を立てて溢れるように発艦しだした。
「ねえ、睦月ちゃん。だったら、この戦いが終わったら一緒に映画でも見に行きましょ」。味方が迎撃準備と叫ぶ中、敵機の不気味な雄叫びの中、如月は静かにそう提案した。睦月は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、如月のその神妙な表情を見たとき得心した。「わかったよ。私もこの戦いが終わったら如月ちゃんに伝えたいことがあるんだ」「まあ、なにかしら」。如月は笑いながら、散開のため睦月から離れていった。もはや二人は戦火の中にあった。
如月の死を示唆するような突然の口約束は彼女なりの意地であったのかもしれない。戦力差的に轟沈することを強く意識せねばならない状況下で、交わされる未来への約束は今生の別れ、永訣の言葉であった。それは余裕さを損なわず、また湿っぽくもならないための態度である。生存できればさも当然のように約束を果たし、ダメだったらやはりねと自嘲気味に笑って死ぬ。如月の生と死を複雑に内包したはなむけは、彼女が目指したものの末にある境地であったのだろう。
戦場は苛烈であった。敵も味方も火取虫の如くそれが自然であるかのように炎に包まれてバタバタ倒れていった。睦月がその中で生き残ったのは幸運であったか、それとも獣に成り下がることなく戦況をある程度冷静に把握できていたからであるか。水平線の向こうに本土大陸が疚しそうに隠れているのが見えていた。あそこの人々は砲撃音に怯える必要のない安全な生活をしているのだろうか。
睦月は一息ついた。こちらも甚大な被害を受けつつも、敵艦隊を撃滅した。少し遠くに如月の姿を認めた睦月には安堵と喜びがあった。不自然なぐらい静かな風が吹いた。凪ぐような風。
何か虫に知らされたように上空に注意を向けた。如月の上方に黒い小さな影を発見する。どんどん降下してくるそれは敵艦載機だった。煙をふいている駆動部は既に壊れており、ただグライダーの要領で風に乗っているだけだった。無音の滑空に如月は気づいていない。睦月は張り叫んだ。気づくよう何度も上空を指差した。しかし、如月が気づいて振り返った時にはもう避けようもなくその凶弾は差し迫っていて。爆破。炎上。如月は轟沈した。
期間を隔てないすぐ後のことだった。政府が鎮守府を発足させ、全艦娘に帰還命令を出した。艦娘の轟沈を抑えるためであった。その理由は政府が良心の呵責を覚えたためではない。海水浴場から毎日クラゲのように艦娘の死骸が干上がってくるやら漁作業中に艦娘の死骸が引っかかり艤装の鋼で捕獲網が破れたという陳状があったのだ。その中でも一番大きな理由は網にかかった死骸の中に半身が陶器のように白く変色しだしているものが発見されたらしいということだった。
「艦娘が深海棲艦になるのではないか」という仮説が立てられた。実際には艦娘が深海棲艦になる瞬間が確認されていないどころか、件の半身が白い艦娘さえどこにあるのか行方不明だったが、このことを重く見た政府は艦娘を無闇矢鱈に沈ませないために鎮守府を創設したのだった。そして今度は「艦娘も我々と同じ人間である」と宣伝した。艦娘の人格化が始まったのだ。艦娘の指揮を任された提督たちは艦娘を一人でも沈めようものなら世間からも仲間内からも糾弾され精神的去勢を受けることとなった。
艦娘たちの生存率は鎮守府によって飛躍的に上昇した。第一世代の戦死者数は調査機関によってバラバラの報告がなされ正確なことは謎に包まれている。しかし、艦娘が最もよく死んだ時代であったことは確かであり、世間はそれを「次世代に繋ぐための崇高な殉職」として第一世代の「戦争」を美化した。死の原因の大部分は政府の無思慮さだったが、彼女たちの死はいつの間にか「意義」のあったものとして賞賛され、英雄化され、その内実は「栄耀栄華の光」に葬り去られたのだった。
睦月はいつの間にか暮れ時になっていることに気づいた。木漏れ日の生命的で過剰に見透かすような光はなく、夕暮れと星空が混じりあうような陰の濃い明るさ、昼間は白く輝いていた草木もいまや赤空を背に影絵から切り抜かれたようであった。睦月は奥に奥にと引き込まれるような楽しさをそこに見出した。
睦月はそこで自分が陰鬱な気分に沈んでいないことに驚くような失望するような気分だった。戦友の死を含む回想をしても落ち込むことがないというのは睦月自身の酷薄さを示すのか。あの回想そのものは不愉快だったが、睦月にはどうも如月の死を悲しむ気にはならなかった。彼女の死を悲しむことは何かわざとらしさがあって、戦友として嘘をつくことになりそうだった。
睦月にとって如月の死はどこまでも「無意味」なものでなければならなかった。睦月は彼女の死を悲しむこともできる、そしてその悲しみの末一回り成長するということもできるだろう。しかし、睦月にとってそんな筋書きは気に入らなかったのだ。戦友が死ぬことによってのみ知れる人生の妙諦なんて糞くらえだと思ったのだ。
睦月は如月の死を起因とする結果を全て否定した。そんなものはないだ。如月の死から結果を引き出して、「結果的に」あれは良かった悪かったという評価をしたくなかった。如月の死は如月の死だ。全てはそこで停止するべきだ。
如月の死に対して悼んだり悲しんだりする感情の作用は無粋だし、ましてや理由付けをして飲み込み消化しようとするなんてもってのほかだ。如月の死は純粋な死であるべきだというのが睦月の考えであった。といっても、睦月は如月の死に無関心で無関係でいることもできない。睦月の中にはあの気高き戦友の死が宙ぶらりんのまま保存されている。
睦月の心情にはだから、喜怒哀楽と並んで如月の死があった。どんな感情かというと「如月の死」としか言えないような感情だ。一般には友人の死は乗り越えるべきだと言われるが、睦月にはピンと来ない。だいたいそれは「死への悲しみ」を乗り越えるということなのだが、如月の死はその「悲しみ」と同レベルであって、だから「喜への悲しみ」と言えないように「如月の死への悲しみ」も言えないのだった。
しかし、喜怒哀楽は分かっても如月の死は睦月自身よく解さなかった。結局、睦月にとって如月の死はどうしても不可解なものであったのだ。完全にいらないものなのかと言われると、そうでもないような気がする。じゃあ、何に必要なのかと聞かれると、何にも必要ないと思う。全てがそこにあってないようなものが如月の死であった。
如月の死を通してみると優勝劣敗とされる世界全ての関節が外れて見えた。艦娘の性能? 戦果のほど? 司令官殿との恋路? 一体私たちは何に囚われているのだと。如月の死とはある意味喜怒哀楽の色合いが完全に払拭された透明な感情であって、それを伴うと色眼鏡を外したかのように生の世界が広がるようであった。
それに意味はあるのか。きっとない。でも、如月の死を理解したいとは思う。そしてそれを理解するには如月に近づくことが必要だ。如月の死を一番理解できたのは如月であろうから。劣等感に苛まれようとも睦月はだから艦娘を続けようと思えた。睦月は立ち上がりスカートについた土を払った。黄昏の夕日は眩しい。睦月は宵闇の道を愉快に歩みだしたばかりだ。
おわり
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