「お前はドライブが嫌いだったよな」 (42)
まあね。
「俺は冬のドライブって結構好きだ」
そうかな?わたしは寒いから苦手かな。
「そうだな、お前はいっつもコタツに引きこもりだった」
年なんだよ、許して欲しいな。
「なんだよソレ、俺のほうが年上じゃないか?」
それはそうだけど。
「イメージ的にお前は雪が好きそうだ」
そんなわけ無いじゃん。知ってるでしょうに、わたしは家の中がいいよ。
「そうだな、お前はいつでも引きこもっていた」
まあ、散歩は嫌いじゃないけどね。でも君だって冬が好きなくせに、散歩は嫌いじゃん。
「まあな。けど冬は好きだ」
へえ、どうしてかな。
「クリスマスから年末にかけての、あの、街中がフワフワした感じになるのが好きなんだ」
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わたしはどうでもいいかな。
「情緒が無いなぁ」
まあ、おいしいものが食べられるなら、それはいいけど。
「ああ、冬は暖かいものがおいしいな」
あんまり熱いのは苦手かな。
「わがままだなぁ」
あんまり冷たいのも苦手かな。
「ああ、コタツで食べる冷たいものも格別だ」
ええ、暖かいところで冷たいものを食べるの?
「それが、いいんだよ」
わたしにはわからないな。
「まあ、好き嫌いはそれぞれさ」
まあね。
「よいっしょっと」
お疲れ様。
「……こんなに軽かったかなぁ」
軽いよ、軽い。なのに君はいっつも……
「悪かったよ、もう言わないよ」
ならいいよ。
「……お前はドライブが嫌いだったよな」
なにか落ち着かないんだよね。こう、あっちにフラれてこっちにフラれて。
「まあ、そんなに時間もかからないから我慢してくれよな」
お山に行くの?
「そうだな」
あ、そうそう、それが嫌なんだよね。
「それって?なにが?」
行き先がわからないこととか、それにわかっていたとしても慣れない所や初めての所は落ち着かないよ。
「ああ、確かにね」
あんまり揺らさないで欲しいな。
「わかったよ、じゃあ、行こうか」
うん……
「おいおい、エンジンかかったくらいでそんなに緊張するなよ」
怖いものは怖いんだよ。
「……なるべく安全に行くよ、ほら、ソッチのドアも閉めるからな」
お願い……あ。
「なんだよ」
お母さんは?君の弟もいないよ。
「……いいんだよ、今日は俺とドライブだ」
ふーん、そっか。わ、ゆっくり、ゆっくりね。
「わかったよ」
うー、景色が飛ぶのが……相変わらず慣れないなぁ。
「…………」
…………。
「すっかり冬だな」
そうだね。どの木も葉っぱが全然無いや。こんなのが好きなの?
「街の方は綺麗なんだ」
変なの。臭いし、人は多いし、うるさいし。全然綺麗じゃない。
「まあお前には解りにくいかな?」
にくいじゃないよ、解らないね。お父さんのお母さんがいるところの方が全然綺麗だ。
「ああ、田舎だからな。川も綺麗だし」
怖いヤツや悪いヤツが野放しにされてるのは嫌だけどね。
「ああ、田舎だからな。変なのもいるよ」
やっぱりわたしは家が一番いいな。あそこが一番だ。
「なんで?」
なんでって、お母さんもいるし、弟君もいる、お父さんも。君だって。
「……そっか」
なんで泣くの?痛いの?
「いや、多分、お前はそう言うだろうなと思って」
それでなんで泣くの?変なの。
「そうだな、でもそれが人間なんだ」
泣かないで。泣くとわたしも悲しいよ。
「ゴメンな、もう大丈夫だ」
あれ、もう泣き止んじゃった。変なの。
「……本当にな」
でも安心したよ。
「そうか、ありがとう」
あ……犬。
「なに、どこだ?」
ほら、あそこ、おじいさんと歩いてる。
「あ、ほんとだ」
あの犬、もうおじいちゃんだね。
「老犬なのは解るけど……オスだって解るものなのか?」
解るよ、解る。
「そうか……そろそろ、ふもとまで来る」
そうなんだ、それで?
「ちょっと揺れるかも」
じゃあ……少しでいいから支えて欲しいな。
「わかったよ……」
ん……んふふ。
「なんだよ」
いやね、寝る時にさ、今みたいにこうやってほんの少しだけ体を触れておくの。
「ああ……お前はあんまりべったりするのは嫌いだったよな」
そうそう、でも、ほんのすこしだけ、爪先だけでも触れているとなにか安心してさ。
「そうだよ、お前からやり始めたのに、いつの間にか俺の方からするようになった」
君はいつまでも子どもだね。
「お前に言われたく無いよ」
そうだね。でもそうやって年をとっていくんだ。
「……いいな、それ」
何が?年をとるなんてロクなモンじゃないよ。寒くて外に出る気もなくなるし。眼も見えなくなるし。
へんな腫れ物が体の中に……体の中にできるんだ。
「……ああ」
最後なんてさ、腫れ物が眼の奥でうずくんだ。痛いしさ、血も吹き出て、酷く膿むんだ。
体も起きないし、歩けないんだ。そうしようとするとあっちこっちに体をぶつけてさ。
「……どうしようもないよな」
寝ててもダメさ。腫れ物をかばって寝るから床に当たる部分が腐るのさ。
「……毛布だけじゃどうにもならないよな」
それだけじゃないよ、自分が今、立っているのか倒れているのかも解らなくて、今まで出したこと無いような声で大声あげてさ。
「……辛いよな」
うん、辛いし、痛いよ。
「……そうだよな」
……でもさ。
「……うん」
みんなの声は聴こえるんだよ。
「そうなんだろうな」
そうだよ。
「…………」
…………。
「……俺もさ」
うん。
「俺もお前の声と姿だけは絶対に覚えてると思う」
……本当に?
「本当だ、誓ってもいい」
解るものなの?
「解るよ、解る」
そうかな?
「誰がお前にミルクを飲ませてやったと思ってるんだ?」
さあ?お母さんじゃないの?
「お母さんも勿論したけどな。お前が夜中に泣き出したら自然に眼が覚めたんだよ」
本当に?
「ああ、そのうち泣き出す前に体が起きてな、いつもお前のそばにいた」
そうだね。それは知ってる。
「お前もそうだったよな」
うん、そうだね。
「楽しい時も、苦しい時も、いや、苦しくて辛い時こそ、お前は俺のそばを離れなかった」
ほっとけないよ。
「本当に、人生の半分以上をお前と過ごしたんだもんな」
わたしは一生だよ。
「なのにな……」
なのに?
「……最後だけは」
……そうだね。
「ゴメンな……本当に、ゴメン」
動かない彼女は『いいよ』とは言わない。言うわけも無い。
『言わせたら』、それは自分の行動を正当化してしまうようで、そしてそれだけは絶対にしてはいけない気がして、俺は彼女との会話を切り上げる。
信号待ちになり、ふと眠る彼女を見る。
とても安らかに、彼女が幼い頃から毎夜そうしていた時のように穏やかに眼を閉じていた。
声をかければ、今にも彼女の耳は反応し、片目だけ開け『呼んだ?』というように眼だけで確認するのでは無いか。
けれども、当然、彼女が応えることは無い。有り得ない、有り得ないのだ。
信号の赤が、早く行けとせっつくように黄色く点滅し始め、その通りに車を再発進させた。
久々すぎて取り付けんの忘れてた。今日はここまで。
「お前はドライブが嫌いだったな」
そうだね。
「でも長時間乗ってたら大概慣れてくるよな」
そりゃあまあ、大抵、君かお母さんがいたからね。
「……フフ」
どうしたの?なにか可笑しいことあった?
「いやさ、そういえばお前を車に乗せた時はこんな感じだったなって思って」
こんな感じ?
「最初はエンジン音にすらビビって、車の中や外の景色をせわしく見回すんだけど」
ああ。仕方ないじゃないか。慣れないんだもの。
「でも今みたいにしおらしくなるんだよ。それとも飽きたのかな」
どっちもじゃないかな。
「どっちもか」
そんなことが可笑しいの?
「いや?違うよ?」
じゃあ、何で笑うのさ。
「いい加減慣れてきたら、その内お前がハンドルを握る俺の腕に、そっと手を乗せるんだ」
あー、アレね。
「いや、そっと、なんてモンじゃないな。妙に重みがあるんだ。それだけでお前の言いたいことがわかったもんだよ」
本当に?君はいつもそんな事を言ってるけど。
「応じてお前の頬に手を当てたら、これまた妙に重みがあるんだ、擦り付けるんじゃない、俺の手に頭を預けようとするんだ」
君はいつもわたしの頬をなでるよね。
「そうだな、頭に手をやると怖いんじゃないかってな、いっつも頬をなでてた」
……まあ、嫌いじゃないけど。
「知ってる」
また。だからさ、何を証拠に言うのさ。
「なでるのを止めたら」
うん。
「お前はまた俺の腕に手を乗せてたんだ。だから間違いないよ」
……うん。
「間違いない」
……そうかもね。
「きっとそうだ」
『わたし』は答えられないよ。君に確信が無いんだもの。
「解ってるよ、けど」
けど?なにかな?
「なんか腕が重い気がするんだ」
…………。
「…………」
有り得ないよ。
「……解ってるよ」
いいや解って無いよ。
「それも解ってる」
解ってないことを解ってるの?ならどうして解らないの?あれ?こんがらがってきた。
「どんなに崇高で、理知に富んで、この上なく公平だとしても、それしか他に選択肢が無くて、迷いようの無いことでも」
そんなモノってあるの?
「何千年も人々の価値観の基にあった凄い言葉や文章や、考え方を学んでも、体得したとしても、それでも……それでも」
……それでも?
「それでも悩むのが人間なんだ」
……それでも悩む。
「そう、それでも悩む」
泣かないで。
「だから、泣く」
泣くと私も悲しいよ。
「俺は本当に正しかったのか?」
『わたし』には答えられないよ……
「生命はみんな死を遠ざける。人間みたいに余計なこと考えない動物であればそうであるほど」
それは、そうだろうね。
「だとしても、そうだとしても俺がとった選択はお前が苦しむことを傍観しているだけだった」
そんなことは無いよ。病院は大嫌いだけど、君はわたしを連れて行ったじゃないか。薬だって。
「そんなのは全部、言い訳だ」
……そうなるの、かな?
「結果、お前は一年以上のた打ち回った。腫瘍が眼球を押しやって、毎日、血が飛び散り、膿み、肉が露出するほどの床ずれができた」
腫れ物は脳に近すぎたし、大体わたしはおばあちゃんじゃないか、切って取ることも出来なかったんでしょ?
「認知症と激痛と、脳が圧迫されて平衡感覚を失って、お前はのた打ち回った。痛み止めもやがて効かなくなった」
確かに痛かったよ……
「俺はそれでもお前の最後を選ぶことが出来なかった、このまま逝くことが正しい在り方なんじゃないかと、そう思った」
なら、いいじゃないか。
「そんなのは全部、言い訳だッ!!」
…………。
「…………ごめん」
大きな声を出さないで欲しいな。怖いよ。
「……生を高めることと死を遠ざけることは違う」
なんで?同じじゃないか。
「全然、違う」
なんで?
「……俺は仕事でたくさん死んでいく人を見てきた」
そうなの?君達の『仕事』っていうのがよく解らないけれど。
「まあ、言ってもわからないだろうけどな。お客さんにお年寄りが多いんだ」
へえ?それで?
「その中に結構な数がいるんだ」
なにが?
「『私はあらゆる延命治療を拒否します』ってカードを持ち歩いてる人だ」
ふーん。それで?
「だから、意思の無い生は、生きているとは……」
そんなわけ無いでしょ?
「どうしてだよ、なんでお前にそんなことが」
『わたし』だから解るよ。わたしが解るってことは君が解ってるってことでしょ?
「……そうだな」
そもそも、今、眠っている、この『わたし』は、私達はその『生きたい』って意思を伝えられないじゃないか。
「そうかもしれない」
君はわたしの言いたいことが解るような時があるようだけれど、こればっかりは解らなかったんだよね。だからこんなに言い訳してるんだ。
「でもお前は痛くて、苦しくて、辛かったに違いない、それは間違いない」
それは間違いないよ。
「だったら……」
でも君は、わたしが『死にたい』、って思っていたか。『この苦しみから解放して』ってそう言ってたかが解らないんだ。
「それは……」
君は選択なんてしてない。だからこんなに後悔してるんだ。
「止めろよ……」
君に出来たのはすぐそばにいることだけだった。子どもの時、辛くて、苦しい時、わたしが君にそうしたように。
「止めろって」
君の心はズタスタになりそうだった、けど当初、思ってた結末を迎えそうだったのに君はこんなところで言い訳ばかりしてる。
「うるさい」
だってそうだよ、君は決断なんて何一つ出来なかったんだ。
わたしがのた打ち回っている時に、血しぶきを上げて、肉が腐っていく中、本当に決断して、わたしが苦しまない代わりに自分達が苦しもうとして……
「うるさいッ!黙れッ!」
最後にわたしを眠らせたのはお母さんと弟君じゃないか!!
今日はここまで。
「お願いだ、もう、黙ってくれ……!」
黙らないよ、わたしは今ここで眠っている『わたし』じゃない。君が思う『わたし』だもの。
「解ってんだよ、頭でどんなに理屈捻っても、天寿とやらを待つにしても俺はそばにいることしかできない、ソレしか許されない」
じゃあ、君はお母さんと弟君の判断が間違ってたと思うんだ。
「ソレも違う。苦しみから放ってやりたいと思うことが間違ってるものか。でもソレしか方法が無かった」
違うね。君はそう思ってない自分がいるのを認めたくないんだ。だから『わたし』がここにいるんじゃないか。
「だから言っただろう」
何のこと?
「それでも悩むのが人間なんだ……」
…………。
「天寿がどうとか、自然の摂理がどうとか言うのは簡単だよ、そりゃそうだ、言うだけだからな、俺はソレを思い知った」
どうしてかな?
「本当にそんな場面に直面してるヤツはそんなことは思えない。人でないにしても、人生の大半を一緒に過ごした、愛すべき者が血を撒き散らして苦しんでいる時にそんなこと考えられる余裕なんてない」
どうしてかな?
「本当にそんな場面に直面してるヤツはそんなことは思えない。人でないにしても、人生の大半を一緒に過ごした、愛すべき者が血を撒き散らして苦しんでいる時にそんなこと考えられる余裕なんてない」
君の記憶によると、そうじゃない人もいるみたいだけど?
「今、俺がやっていることと同じだ」
どういうことかな?
「苦しませてしまったことに道理をつけている。自分が納得したい、だから人を批判もする、違う選択をした人が正しければ自分の行いは非道になってしまうから」
…………。
「でもそれは逆の立場でも当然そうなる。なるに決まってるんだ」
だとすれば、君がやろうとしてることは随分と腑に落ちないね。両立するわけが無いじゃないか。
「『お前等』は確かに意思を俺達に伝えられない。けどそうじゃない時だってある」
どういうことかな?
「お前は俺が辛くて苦しい時いつもそばにいた。お前は俺が辛くて苦しいことが解ってるんだ。けどそれは、それは」
…………。
「それは俺達だって同じなんだ。お前が辛くて苦しいことが、痛いくらいに解るんだよ……!」
そう、かもしれないね。
「お前らは、死を選べない。けど俺達は望むことが出来る、それをすることも。それに決定的な違いがあるんだ」
確かに違うね。本当に決定的だ。
「だから俺達は選ぶんだ、絶対に後悔するってわかっている選択でも、後で苦しむってわかっていてもそうする、人からは非難もされるだろう、それどころか非人扱いもされるかもしれない」
…………。
「そんなことは承知で、それでもお前を苦しませたくない、そして同時に死なせたくない。どっちも本末転倒で、最悪の手段かもしれない、でも事の道理なんて関係ない。そもそも道理なんて感情を納得させるものだ」
じゃあ、なんで君は今になってこんなに同じ道をグルグル廻って時間を潰してるのさ。そこまで納得しているなら、何故君はこんなに悩んでるんだよ。
「ゴメンな……それでも悩むんだ……こうしてドライブしてると、腕に重みがかかる気がするんだ」
泣かないで、君が泣くとわたしも悲しいよ。
「もう少し、もう少しこうさせてくれ。今度はちゃんと決めるから、今度は間違えないから……」
車道の脇に停車し大声を上げて泣いた。
とめどなく流れる涙は眼を見えなくした。煮えたぎった湯の中につけられたように沸いた頭は激痛が走り、今まで出したこともないような声で喚き散らした。
足らない。
俺は血を流していない。体が腐ってもない。彼女が苦しんできたことに比べ、ほんの一瞬にしか過ぎないこの間でも俺には辛すぎた。
そんな時に必ず寄り添ってきた、日差しのような暖かさの持ち主はもう動かない。一粒残らず涙を掬い取ってきた彼女はもう俺のそばに立つことは無いのだ。
自分が今、どこを向いているのか解らない。立っているのか、座っているのかも。
だがそれでもまるで足らない。
この身はいまだ生に執着しており、『死にたい』などと考えるはずも無い。だからまた泣く。泣き続ける。
今日はここまで。
**********
山頂に構えられた斎場はほかに類を見ない造りであり、大きいくせに屋根は低く、暗い色調で何か寺であるかのようなに錯覚した。
あちこちに不自然なまでに大きな駐車場と、そこにいいたるまでの道、奇妙なまでに手入れされた植え込みとで合わさり、同じ世界にあって尚、異界であるように思えた。
当然ながら山頂であるゆえに人気も無い。
やかましい車のクラクションや人のざわめきなど全く聴こえず、ただ風に煽られる木々のざわめきが、やけに空の近い空間に満ちていた。
うるさいくらいに静かだった。
事前に連絡していた職員の名前を伝えると職員が速やかに応接する。
金銭関係、彼女が入っている箱の材質、骨の持ち帰りの有無、そして残った骨の処置。
何故か車のナンバーも聞かれた。それらはつつがなく、簡潔且つ丁寧に進められ、半ば抜け殻になった俺でも問題なかった。
彼らの俺を見る眼差しはこの異界にあって普段の社会で見ることの無いものだった。
決して世にある悪質な公務員像的な事務的な態度でもなく、ましてや軽薄な同情でもない。
干渉しすぎることも無く、かといって無関心なわけでもない。ただただ、彼らの中では線引きが出来ているのであろう。
彼らの他にそのような眼差しをする人々を俺はコレまで見たことが無かった。そこには確かな心遣いを感じた。
火葬の準備には時間がかかるらしく、残された僅かな時間という言葉が浮かび、同時に吐き捨てた。
もう時間などとうに無くなっていたのだ。
しかし、それでも俺は彼女と一緒にいることにした。
車の助手席、カスミソウに満たされた箱の中で、彼女はこの上なく安らかな眠りについていた。
もう一年以上彼女は安らかに眠ったことなど無かった。
それが原因で彼女はこうなっているというのに、その寝顔ともいえる死に顔を愛おしくすら思えた。
首輪の後がくっきり残った彼女の首筋を見つめて、黙って、物音も立てずに一時間くらいそうして過ごした。
彼女は少しの物音で起きるから、彼女が寝ている時はそうするのが癖になっていたからだろうか。
突如、窓からノック音が鳴り響き、心音が高まった。
「お待たせいたしました、準備が整いましたので移動をお願いいたします」
パワーウィンドを下げると、人のよさそうな中年の職員がそう言う。
ずいぶんこちらを探したのだろう、彼は息が上がっていた。行き先を告げないとは失礼をしてしまった。
「いえ、かまいません。誘導いたしますので、お気をつけて運転なさってください」
そう一礼し、彼は息も休まらぬうちに駆け出す。その様子に頭が下る。
ふと、気が付く、そういえば何故か車番を聞かれた、それはこういうことかと納得した。
つくづく頭が下る。
焼き場は屋外にあり、窓らしい窓も無く、なんだか公衆トイレのような格好をしていたが、内装の違いは明らかで、病院で見かけるストレッチャーのような台を認め、箱のまま彼女を抱いたまま俺は凍った。
こちらに置いて下さい、という意であろう、職員は手で促す。
弟と母はこんな気持ちで病院の扉をくぐったのだろうか。
そんなはずは無い、彼らの決断は俺の臆病とは違う。そう思えば俺の足は自然、進んだ。
職員が炉の扉を開けた時、絶句した。
狭い、暗い、今は昼であるにも関わらず、炉の中は闇に満ちていた。
ここで何百、何千と火葬が行われた事実にも震えただろう、だが、何にもまして、彼女をこんなところに入れるのは絶対に許されざる行為に思えた。
彼女の入った箱をストレッチャーごと入れようとする職員の腕を捻り上げたい衝動を押さえ込む。
俺は決めた。ちゃんと見送ると、最後まで一緒にいると決めておきながら、そうできなかった、今度こそ間違いは犯さない。彼女を送ると。
職員の流れるような動作により彼女は闇の中に投じられ、彼が赤いボタンを押そうと手を伸ばした時、乾いた唇を千切り言った。
「あの……私がボタンを押していいですか?」
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「お前はドライブが嫌いだったよな」
山間を一人で走らせる車の中にあって、当然応えるものはいない。
「俺は冬のドライブって結構好きだ」
山頂にあっては電波も通らなかったせいか、不通だったラジオがノイズと共に復活しつつあった。
そんなこととは関係なく、もはや壊れ、再起不能なラジオのように独り言を言い続ける俺はなんとも滑稽だと思う。
「お前はいっつもコタツに引きこもりだった」
スピーカーから聴こえるラジオDJの陽気な声はリスナーからの便りの基、栓の無い話を延々続けていた。
間もなくリクエストコーナーである、少しはマシになるだろう。
「でもな……俺は、お前とのドライブが好きだったよ」
助手席には彼女はいない。彼女が眠っていた箱も、俺の言い訳の為に妄想したその亡霊も。
白く、小さく、それでもどこか荘厳な威容を持った壷の入った箱があるだけだった。
「……もう、腕に重みは感じないけどな」
きっと一生、今日の事を忘れることは無いだろうと思う。この疑問の答えも決して正解を出すことは出来ない気もする。
ただハッキリと断言できる。
彼女と生を共にしたこと、彼らが人間と暮らすこと、それ自体を否定することは決してない。
『リクエストは、ベン・E・キングで「 stand by me 」……』
今、この曲を聴けばまた泣き喚くことになるの察し、俺はラジオを消した。
「お前はドライブが嫌いだったよな」
了
くぅ疲。
途中で何言ってんのか解らなくなってんのは私もなに書いてんのか解らなくなった。
錯乱してたとでも思ってください。
一応言っておきますが、このSSは安楽死を推奨擁護するものではありません。
立場を逆にしてもSS中の彼は同じように悩むでしょう。
以上です。ありがとうございました。
このSSまとめへのコメント
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