モバP「炬燵」 (37)


例によってモノローグ調なので読みにくいかも知れません

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 日本という国の特色の一つとして、しばしば四季の変化が挙げられることがある。

なるほどと思う。春には桜など、その時分時分でお色直しする景色を楽しめるというのは、何とも贅沢な話である。

とはいえ良いことばかりでもないのも実情である。四季があるということは、気温の寒暖差が激しいという意味でもあるのだ。

そのため私たちはクーラーやヒーターといった機器を生み出してきた。

そういった文明の利器とは偉大なるなるもので、今日の我々にとっては欠かせぬものであり、生活の一部といっても過言ではなかろう。

中でも特に日本人にとって外せぬものがある。

それは人々を無気力な駄目人間に貶め、時には発熱や頭痛といった症状をもたらして牙を向く。

恐怖のスクエアと呼び声高き悪魔の発明。その名も――



「何故こんな物がここにあるのだ。」


出勤した私が開口一番に放った言葉である。

ソファにワークデスク、内線付きの電話にホワイトボード。凡そ事務所に必要な物が揃った、少し手狭な室内に一際異彩を放つ其れ。

しげしげと眺める。

膝ほどまである高さのテーブル。天板は真四角である。そしてそこから几帳面に広げられた厚みのある布団。

それを捲ってみれば、グレーのコードが蛇のようにうねっている。その行き着く先は白い長方形であり、コンセントという。

プラグはきっちりと平行線上に開いた穴へと収まっている。

試しにスイッチを入れてみれば「ジジジ」と少し古臭い音を立てて中が仄かに赤く染まる。

いや、まだ分からぬ。これは罠に違いない。この仕事場と呼ぶべき神聖な場所に、人を堕落させる機器が置かれる訳がない。

嬉々として入った所でただ温もりもない過酷な世界が待ち受けるだけに違いない。

そして絶望に陥った私を陰から嗤うに決まっている。

こんな罠には引っかからぬという矜持のもと足を入れてみればじわりと体に熱が回る。


「そういえば空調を入れ忘れてしまった。」



私は冷えて悴む手を布団の中に尽き入れた。



 もはや言い逃れは出来まい。これは紛れも無く、そして何処からどう見ても炬燵である。

嗚呼。入ってしまった。

意志の弱い私など、後はもう炬燵に蹂躙されるが侭である。

無理のない話だ。人間などは産まれてこの方弱い生き物なのである。産声は鳴き声なのだ。

この世に生を受けた瞬間より、人はその先に待ち受けるであろう暗澹たる未来に嘆くのである。

そう、人の意志など弱い。

蛇の甘言に乗らぬアダムは居らず、悪魔の囁きに耳を貸さないファウストもいない。

文明の利器というぬるま湯の中に確りと浸かりきった現代人に、どうしてこの偉大なる発明品に抗えるといえようか!

私は通勤鞄よりノートパソコンを取り出す。少し前に買い替えたばかりだ。

立ち上がりの遅さにストレスを感じることはなく、頗る快適である。

寒々とした床の上にあるワークデスクに向かうという選択肢など、もはや微塵も存在していない。


「我が愛機よ。何もこの冬空に汗水垂らして働く必要などなかろう。
 老齢の身なればこの寒さは堪えるに違いない。いや堪えるに決まっている。今日はそこでゆっくりと休むのだ。」


未だ時代の流れに逆らい続ける、モニタ部分が厚いデスクトップパソコンに私は労いの言葉を掛けた。


 
 「おはよう御座います……。ああ寒い。」


カタカタとキーを叩く私に届く声。同僚である千川ちひろである。

二十代半ばに差し掛かるか掛からないかというまだ若い女性でありながら、この職場の金銭管理を一手に引き受けている。

一部ではお金にガメツイなどとの風評がたっているが、この事務所のようなまだまだ小さい会社であるのならば、
多少なりともにシビアになるというものだろう。


「何ですか? ソレ。」


ちひろ嬢は尋ねた。


「ウム、炬燵だ。」


「そんなことは分かっています。何でそんなものがあるのかと聞いているんです。」


彼女の言いたいことは重々に承知しているが、其れという問いかけに対する答えに最も適切なのは炬燵に違いない。

だがそんなことを馬鹿正直に言った所で和を乱すだけである。「来た時にはあったのだ」と私は答えた。


「そうなんですか? じゃあ誰が……。」


事務所の管理は基本的には私か彼女が担っている。

その二人が知らぬというのならば、答えは出ているに等しい。

この場所の鍵を持っているのは私たちの他にもう一人いるのだ。


「社長だろう。きっと。」


「……あぁ。」


ちひろ嬢はやや呆れたような声を上げた。

些か風変わりな人物が多いとされるこの業界の例に漏れず、彼もまたそうであった。


 
 私が社長と出会ったのは五年程前の話である。三月ももう終わりかけている頃のことだ。

そんな時分にも関わらず、私はスーツ姿で様々な企業を駆けずり回っていた。

大学の同期たちが既に研修に入っている中、私という大人物を雇おうという商社が現れないのである。

能ある鷹は爪を隠すとはよく言うように、私は寝る間も惜しんで爪をより鋭利に研ぎ続けたのにも関わらず、それを見抜ける者がいなかった。

決して隠し過ぎて見つからなくなった訳ではないと、そう思いたい。

兎も角、どの面接に出てもサークルがどうのとかアルバイトがどうだのだとか、箸も棒にも掛からない上っ面ばかりを話す者が採用されていく。

こうにも人事とは見る目がないのかと私は世を儚んだ。伯楽は常には有らずという言葉が嫌にも刻まれた日々であった。


その日の私は、職を失った中年男性よろしく公園のブランコに揺られていた。

最も私の場合は失うどころかそもそも得てもいなかったが。


「私の今後を祈ってどうというのだ。私は二度とあの商品は買わぬ。」


もはや八つ当たりに近い叫びを上げてみた所で私の心が晴れることはなかった。

それどころかより一層と鬱屈とした気持ちが募るばかりである。



「キミはそこで何をしているんだい?」


世も末である。

遂に変質者扱いを受けて警官が乗り出したかと私は身構えた。

私ほど清廉潔白な人物はいないと彼に説くべくして鼻息を荒くする。

その男は私の隣のブランコに腰掛けた。見れば四十半ば程の人物であった。

体中から若々しさが溢れ、光り輝かんとするばかりである。

その瞳は情熱に燃え、天をも焦がさんと焚けている。少なくともその歳の警察官が湛えるものではなかった。

私は自身の不明を恥じた。私などはその辺りの塵芥に過ぎず、真の大人物とはこの男のような者をいうのだろうと思った。

体中を覆っていた万能感はすっかりと剥がれ落ち、吹き荒ぶ風が身に染みる。

悪いことをしたと、子供特有の無邪気さで蓑虫を剥いたことを思い返した。



「職が決まらないのです。」


すっかりと丸まってしまった背中で、そう素直に打ち明けると彼は口を開く。

聞く所によると、男はアイドルプロダクションの社長らしかった。

まだまだ立ち上げたばかりで人手が足りていないのだという。


「うちで働いてみないか?」


彼はそう言った。ほんの少し前の私ならば諸手を上げて飛び込んだであろう。

だが私は身の程を知ってしまった。矮小な私に、そのような大任が務まるとは思えなかった。


「お誘いは有難いのですが、私には難しいと思います。」


「どうしてそう思うんだい。」


「アイドルのプロダクションなど、私は受けようとも思いませんでした。
 何をすればいいのか全くと検討がつきません。そんな素人を雇ってもなんの旨味もありません。」


「なに、そんなに難しく考えることはない。
 プロダクションといってもやることは他の会社変わらないよ。キミが受けたどの商社ともだ。」


そう言って彼は私が受けた社名を次々と挙げていく。

自分が話したとはいえ、よくもこう簡単に覚えられるものだと私は舌を巻いた。


「売り込むのが商品ではなく、アイドルというだけだ。
 品物と違って、彼女たちには多くの魅力がある。物を売るよりかは或いは簡単かも知れないよ?」


そう言って彼はにやりと笑う。

簡単というのは酷く魅力的な響きであった。

自信を失っている時にそんな言葉を掛けられてしまえば、自分でも出来るのではないかという錯覚に陥る。

そして焦りがあった。

このまま無職では同期に合わせる顔もなく、皆が同窓会で和気藹々とする中、一人枕を濡らすなど虚しさに胸が張り裂けそうになるに違いない。



結局、私は社長の口車に乗って就職を決めた。

口車である。よくよくと考えてみれば、売り込むという以上、簡単な筈がなかった。

それでも、何とかこの五年間勤められていることを考えてみれば、意外と自分に合った仕事なのかも知れぬ。

社長の見る目があったのか、将又私にも人並の能力があったのかは分からない。

分からないが初対面の人間を面接もなしに雇い入れるなど、凡そ普通の事ではないだろう。

 

 身震いをしてちひろ嬢は炬燵へと入った。

いかに仕事が出来る彼女とはいえ、やはり炬燵の魔力には抗い難いらしい。


「ふう」と彼女は可愛らしい声をもらす。

そして「温まりますねぇ」と言った。


「確かに。しかし職場に炬燵とは如何なものか。」


「いいじゃありませんか。人間我慢してもいいことなどありませんよ?
 これで仕事の効率が上がるのならば万々歳です。」


彼女から炬燵を容認するような言葉が出たのには驚かされた。

どうやらちひろ嬢は既に陥落してしまったらしい。げに恐ろしき炬燵の魔力である。

とはいえ、私は先程からノートパソコンに向かっているが、彼女は専ら年季の入ったデスクトップを仕事の共としていた。

果たして本当に効率が上がるのかと疑問に思える。

それを問えば「今日買いにいきます」とバツの悪そうな顔で答えた。

炬燵を目前としては、お金にシビアであるちひろ嬢でさえも、財布の紐を緩めざるを得ないようであった。

 

 それから暫く。私がモニタと睨み合いをする横で彼女はその温もりを堪能していた。

仕事はいいのだろうかと思ったが、ちひろ嬢も、もういい大人である。

さぼった分だけ後々ツケが回ってくることなど重々承知だろう。

そのようなことを考えていると事務所の扉が開く。

「おはようございます」といくらかトーンの低い声で入ってきたのはアイドルの一人であった。

姫川友紀。普段のテンションに慣れていると驚くであろう。

彼女は一年を通して溌溂としているイメージではあるが、どうにもこの時期だけは余り気分が乗らないのだ。

始めはその理由が分からなかった。体調が悪いのか、悩みがあるのか、まだ駆け出しだった私はかなり頭を悩ませることとなる。

そうした悶々とした日々を過ごしたある日、私は遂に意を決して彼女に尋ねた。

結果としては案ずるより産むが易しといったところか。

蓋を開けてみれば、その理由は至って簡単であった。友紀が心の底から愛する野球がないのである。

少し前ならばドラフト、もう少し経てばキャンプと彼女の心を躍らせる出来事があるが、この時期だけはメディアは野球を伝えない。

代わりにサッカーやフィギア、マラソンといったスポーツを報じるのである。

故に友紀は元気がない。いや、そう言っては語弊がある。本来の彼女に戻っただけだ。



「うわぁ、コタツだ!」


驚きの声を上げ、彼女はいそいそと潜り込んだ。所謂コタツムリというやつである。


「やっぱいいよねぇー。コタツ。」


友紀はこちらに顔を向けた。喜色満面であった。

炬燵は冷えた彼女の心までも温めたようである。


「これでビールあったら最高なんだけど……。」


「流石にそれは認められない。一応、職場だ。」


「けちー」と友紀は唇を尖らせる。ケチで結構。私だって呑みたいのだ。


「じゃあゲーム位はいいよね。」


そう言って彼女はバッグから携帯ゲーム機を取り出し起動させた。有名メーカーの野球ゲームだ。

事務所はいつの間にやらアイドルたちの駄弁り場と化しており、仕事がないはずの人間がいることなど、たいして珍しいことではない。

ゲームをやっている姿や、持ち込んだ菓子を分けあっている光景などは、既に日常茶飯事であった。

こうして炬燵の四辺のうち三辺が埋まった。

私の左にちひろ嬢、右側には友紀である。残された一席に座るのは誰であろうか。

私は幸運の女神に愛された彼女を思った。



 しかし私の予想に反して現れたのは神崎蘭子であった。

「闇に飲まれよ」と元気に扉を開く。ちなみに「お疲れ様です」との意味である。

事務所内では略して「やみのま」と言う者もいる。


「そ、其れは……。神より授かりし聖なる領域!」


恐らく炬燵のことである。

現世に降り立った堕天使には神聖なるものと認識されているようであった。

魔なるモノという私の見解とは正反対である。

彼女は「とてとて」といった可愛らしい様子で炬燵に近寄るとゆっくりと足を入れた。


「はふぅ。」


幸福に満ちた声を上げた蘭子の顔はほんわかとしたものであった。

叶うのならばノートパソコンを閉じ日が暮れるまで眺めていたい。

そう、思ってしまう程に癒やされる表情である。

白磁の如く美しき?には薄っすらと朱が差している。

小ぶりで形の良い唇は僅かに開き、時折、春風めいた吐息を漏らす。

人々を惹きつけて止まぬ真紅の瞳は、今は閉じられ一転して安らかな眠りを楽しんでいるようでもあった。

慈母の微笑みである。そう言っても過言ではない。彼女のそれは天よりもたらされた奇跡であった。

荒れ果てた大地に恵みの雨が降り注ぐように、私の心に温かいものが染みこんでゆく。

もはや仕事などしている場合ではない。心の安寧を求めねばならぬ。


「少し休憩。」


わざとらしく呟いた私は、視界を妨げるモニタ部分を畳む。



その後の私は夢心地であった。

体中が充足感に満たされていく。冷たい視線を向けるちひろ嬢のことなど、全く気にはならなかった。

やがて蘭子は「こてん」と上半身を天板に預ける。炬燵の熱に火照った体には、ひんやりとした感触が気持ち良いことだろう。

私は彼女の為すがままにさせてやりたかったが、銀糸の如く美しき髪が頬の下敷きとなっていることに気付く。

折角と巻いたものが崩れてしまうのを見るのは忍びない。私は彼女へと声をかける。


「蘭子。」


「なんですかぁ?」


彼女は普段よりも随分と甘い声で答えた。

何となくその言葉に物足りなさを感じたが、その時の私は大して気にも止めなかった。


「髪を挟んでいる。セットが崩れてしまうぞ。」


「髪ですか……? 別に良いんです、また整えればいいんですからぁ。」


「フム。蘭子がそれでいいのなら構わないが……。」



いや待て。

何かが可怪しい。私は重大な見落としをしていないか?

私は神崎蘭子というアイドルを思い返す。

彼女は所謂ゴシックロリータというファッションを好む。

背中に翼をつけて喜んだり、魔導書といった怪しげなものに目を輝かせる、業界でも少し変わったアイドルであった。

そしてその立ち振舞は物語の堕天使のようで、妖しく光る赤い瞳が印象的である。

何より最も印象的なのは――。

そこまで考えて漸くと私は彼女の違和感に思い至った。

私は驚く。驚きすぎて思わず声が上ずってしまった。



「どうした蘭子! 言葉遣いが変だぞ!?」


乙女の声には低すぎる、男としては高音で気持ちの悪過ぎる声。

普段は金糸雀もかくやとばかりの私の美声が、聞くに堪えない惨めなものと化す。

それほどまでに私が受けた衝撃とは甚大なるものであった。

だが当の彼女はそんな私の驚きなど気にもかけず、ぐったりと上半身を預けたままに答えた。


「いいんです。おこたに入る時は、安らかでなくてはいけないんです。
 リラックスしてないと駄目なんです。今はアイドルじゃないんです。」


そう言って蘭子は満ち足りた吐息をもらす。

何という魔力!

蘭子のアイデンティティとも言えるべきものを、こうも容易く打ち崩すとは。

決して神より授かりし聖なる領域などではない。やはり悪魔の発明である。

……とはいえ。

蠱惑的な魅力のある普段とは違い、あどけない姿を見せる彼女も悪くはないと思った。



 暫くして再び扉が開く。

次に姿を見せたのは高垣楓であった。

特徴的なオッドアイにふんわりとウェーブがかった亜麻色の髪。

その風貌は優しげなお姉さんといった風情なのだが、何故か駄洒落を好む。

性格は雲の様に掴みどころがなく、二年程の付き合いにも関わらず、私は未だ彼女のペースに慣れないでいた。


「あら、おこたですか。」


目をぱちくりとさせること僅か。

彼女は口の端を釣り上げて笑った。チシャ猫のような顔である。

私は諦めの境地に達した。悲しいことに、彼女がその笑みを浮かべた時、私はロクな目に遭わないのである。

そしてその予想は現実のものとなってしまうのだった。

楓さんは流れるように、そして寸分の迷いも見せず歩き出した。

その一挙手一投足は正に精練されおり、思わず見惚れてしまう程である。

そして「失礼しますね」と炬燵に入った。……よりにもよって私の隣である。



「楓さん、どうしてこっちに。」


「あら、いけませんでした?」


「別にいけない訳じゃない。でも狭いだろう。」


「肩を寄せあって入るのも、おこたの楽しみだと思いますよ。」


彼女はそう言ってくすくすと笑う。

子猫のような笑みであった。

愛らしさと、少しの悪戯っぽさが同居している。

私には、それを本心から言っているのか、からかう為に言っているのかの判断がつかなかい。

そんな私を他所に、楓さんは「おこたの準備を怠らない」と何とも言えぬ駄洒落を飛ばしていた。

ご機嫌である。

やれやれと一つ息を零し、私は閉じていたノートパソコンのモニタを開く。

決して彼女との距離を掴みかねたのではない。休憩中なのを思い出したためである。



「何をやっているんですか?」


ひょこっとディスプレイを覗きこみ、楓さんは尋ねた。


「スケジュールの管理だ。」


「そうですか。私のスケジュール、どうなっています?」


「直近は年末年始のライブだがこれは皆一緒だな。来月は今の所渡したスケジュール通りだ。
 最初は八日にファッション誌の撮影がある。二月は二日、五日、九日と――。」


私は現状分かっている予定を伝えた。彼女はそれを手帳に書き込んでいく。


「とりあえず今言った日は空けておいてくれ。
 後はこちらでも調整するから何かあったら連絡をいれるように。」


もう月末である。

今日中に再来月のスケジュール表をプリントアウトするべく、私は再びディスプレイへと向かった。



 カタカタとキーボードを叩く音が響く中、「うーん」と伸びをする者いた。

友紀であった。

一段落がついたのか彼女はゲーム機の電源を落とす。


「ねぇプロデューサー。蜜柑食べたい。」


そして唐突とそんなことを言った。

私だって食べたい。だがそれを私に言ってどうなる。

買いに行けとでもいうのだろうか。


「いいですねぇ。やっぱりコタツには蜜柑ですよね。」


ちひろ嬢、君は仕事はいいのか。


「お煎餅もいいとおもいます。」


蘭子は既に愛らしいだけの少女である。


「梅昆布茶、美味しいですよね?」


楓さん事務所に梅昆布茶はなかったと思います。

そんな折である。事務所の扉が開いた。

正しく彼女は幸運の女神に愛されているのだろうと私は思った。



「おはようございます。」


鷹富士茄子は朗らかに言う。

そして「あら」というような表情を見せた。


「おこたなんて事務所にありましたっけ?」


「今日になって出てたんです。どうやら社長が用意したみたいで。」


茄子さんの問いかけに答えたのはちひろ嬢であった。


「そうなんですか? でも丁度良かったみたいです。」


そう、茄子さんはがさがさとバッグから袋を取り出す。


「実家から送られてきたんです」とそこから蜜柑を一つ見せ、こちらへと微笑んだ。


「さっすが茄子さんだねぇ。今まさに蜜柑の話をしてたんだよ。」


やや興奮した様子で友紀が手招きをする。だが既に炬燵は定員オーバーである。

無理をすれば蘭子の隣に座れるだろうが、狭いことこの上ない。

楓さんと接している私の右肩は二人分の熱で何が何だか分からないような有り様である。

流石にアイドルに炬燵から出て行けという訳にはいかぬ。



私の視線は自然と彼女へと向いた。


「ちひろさん。そろそろ仕事を始めた方がいいんじゃないか。」


「プロデューサーさんこそ、いつまで楓さんとくっついているつもりですか?」


私とちひろ嬢の間に火花が散った。

面白くなりそうだと、良く利く鼻で嗅ぎつけたのは友紀である。

蘭子の隣に座ろうとする茄子さんを「いま場所を空けるから」と静止した。


「プロデューサーさん、セクハラで訴えられても知らないですよ。」


ちひろ嬢は言う。

だかそんな攻めはまだまだ甘い。


「私が後から入ったのではない。楓さんが後から来て入ったのだ。
 それをセクハラなどと言えるだろうか。いや、言えはしまい。」



分かりきったことである。

残念ながら其処から崩すことなど出来ん。

私はフフンと鼻を鳴らした。

しかし伏兵とは意外な所にいるもので、私は見事に背後から切りつけられる事となる。


「そういえばプロデューサー、嫌らしい手つきで私の腰をこねこねしてました。」


楓さんであった。

こねこねって何だ。私は思わず振り返る。

彼女は「てへ」とばかりに舌を出してみせた。

ええい、この悪戯っ子め。悔しいが少し可愛いではないか。

楓さんの言葉に友紀はケラケラと笑った。

旗色悪し。

そう察した私はちひろ嬢へと目を向ける。彼女は既に勝ち誇った顔であった。


「ま、まあ待つのだ。このまま互いに言い合った所で先には進むまい。
 ここは一つ、公平な方法で決めようではないか。」


「ええ、いいでしょう。方法はじゃんけんでいいですか。」


「構わん。何回勝負だ?」


少し考え彼女は「一回、一回でいきましょう」と言った。


「わかった。当然負けた方が炬燵から出て行く。それでいいか。」


「勿論。もっともプロデューサーさんが勝つなど万に一つもありませんけどね。」


「言っていろ。勝つのは私だ。」



 いざ「最初はグー」と掛け声を始めようとした所で静止が入る。


「……今度はなんだというのだ。」


私はちひろ嬢へと言う。

彼女はニヤリと笑い「私はパーを出します」とそう言い放った。


「ぬう、心理戦か。」


私は悩んだ。大いに悩んだ。

彼女を信じチョキを出すべきか。

それともグーを出すと見越してパーを出すべきか。将又そこまで読まれていると考えグーを出すべきか。

掌が次々と形を変え、螺旋状にぐるぐると回っていた。



「……もう、いいですか?」


少し呆れたような声色でちひろ嬢は言った。

ええい、人を惑わせておいて考える時間も与えぬというのか。


「ああ。いつでも来い。」


私は絞り出すように答えた。

取りあえずパーを出そう。言葉通りに出すのならば相子である。

もし彼女が勝とうと欲を出しグーを選ぶのならば私の勝ちだ。



「やはり日和ましたね?」


彼女が出したのはチョキであった。


「貴方は私を信じることも疑うことも出来なかった。それがプロデューサーの敗因です。
 私を信じるならばチョキを。ハナから疑ってかかるのならばグーを出すべきだったんです。」


そうすれば負けることはなかったでしょうとちひろ嬢は言う。

私は泣く泣く炬燵から出ざるを得なかった。

 

 事務所には簡易的なキッチンが備わっており、その側には戸棚がある。

白い観音開きの扉を開ければ、中には来客用の茶請けや茶葉が整然と並んでいる。

確かここを管理しているのはちひろ嬢であったか。彼女の几帳面な性格が見て取れた。

私はそこから煎餅と緑茶を取り出し、ヤカンを火にかけた。

追い出されるついでに申し付けられたのである。

お茶を持って戻れば炬燵にちひろ嬢の姿はない。

どうやら仕事に取り掛かったらしく、彼女はワークデスクに腰掛けていた。


「良かったのか。」


今日は休ませる筈だったパソコンに電源を入れると、私は隣に座る彼女に問うた。


「はい。
 まぁ、よくよく考えれば、仕事もせずいつまでもコタツに入っている訳にもいきませんし。」


「それもそうか。」


快適とは言えぬ音を立てながら、漸くとディスプレイにOSが表示される。

やはり買い換えるべきだろうと私は古ぼけたデスクトップを眺めた。



「そうだ、プロデューサーさん。」


「何だ?」


「ノートパソコンって、いくら位なんでしょう?」


「物にもよるが、十万もあれば大抵は買えるだろう。」


「やっぱり結構するんですね。」


「精密機械はどうしてもな。だが安いものなら五万しないのもある。」


「プロデューサーさんが使っているのは?」


「あれか? あれは八万くらいだったと思うが。」


「じゃあそれにしようかな。」


「実物も見ずそんな簡単に決めていいのか。」


「いいんです」と彼女は答えた。


「同じ機種なら分からないことをプロデューサーさんに聞けますし。」



 仄かな暖かさを健気に振りまいていた日輪も、今では遠くに見える山の向こうである。

変わって空には群青色の世界が広がり、星々が煌めいている。その様は互いの美しさを競っているようでもあった。

街にはネオンが溢れ、ヘッドライトの点いた車が止めどなく車道を流れている。

彼らも、もう仕事終わりなのだろうかとそんなことを思った。

アイドルたちは既に帰路へとついており、残されたのは私とちひろ嬢のみである。

私はプリンタから吐き出されたスケジュール表を手に取ると、モニタと睨み合いをする彼女に声をかけた。


「こっちは一通りは済んだが、そちらは?」


「もうちょっとかかりそうです。」


「そうか。何か手伝えることは?」


「いいんですか? それじゃあ、ちょっとお願いしちゃおうかな。」


私がそちらに寄れば「そうだ」と彼女は不意に思い至ったような声を上げた。


「出かけましょう。」


ちひろ嬢はコートに袖を通すと、私にも仕度をするように急かす。



「待て待て。一体何処へ行くというのだ。」


「電気屋です」と彼女は私の問いかけに返した。


「電気屋? 一体なぜ。」


「パソコンです。」


そういえば彼女はノートパソコンを買うようなことを言っていた。


「今からか?」


「ええ。今からです。」


既に彼女は靴を履き終え、首元に赤いマフラーを巻きつけようとしている。

どうやら本気で言っているらしいと、私は諦めて彼女に従った。



 事務所に戻った私は、色違いのノートパソコンを開封し、初期設定を済ませた。

ただ、それだけでは仕事にならないので、必要なソフトを幾つかCDからインストールしている所である。

その間、彼女には私のノートパソコンで仕事を進めるようにと伝えた。

正面からはリズミカルにキーを叩く音が響く。

正面、正面だ。ワークデスクならば隣り合っている。

私たちは炬燵に入っていた。

真逆とは思ったが、彼女は本当に炬燵で仕事をするためだけにノートパソコンを購入したらしい。

何とも思い切りの良い話である。



しかしまあ、気持ちは分からなくもない。

日本人として生まれた以上、炬燵の魔手から逃れることなど出来ぬ。

奴は我々を怠惰の極みに陥れ、時には病魔をもって牙を向く。

それでも私たちは抗えないのである。

極上の酒のように体を温め、母の子守歌のように微睡みへと誘う。

そうして囚われた者がまた一人。

いつの間にやら静まり返った打音。

そちらを見やれば、すやすやと寝息を立てるちひろ嬢。

その表情は幸福感に満ち溢れている。私は起こすべきかと思ったが止めた。

頬にキーボードの跡が残った彼女を、からかうのも悪く無いと思ったのである。

>>14訂正


 しかし私の予想に反して現れたのは神崎蘭子であった。

「闇に飲まれよ」と元気に扉を開く。ちなみに「お疲れ様です」との意味である。

事務所内では略して「やみのま」と言う者もいる。


「そ、其れは……。神より授かりし聖なる領域!」


恐らく炬燵のことである。

現世に降り立った堕天使には神聖なるものと認識されているようであった。

魔なるモノという私の見解とは正反対である。

彼女は「とてとて」といった可愛らしい様子で炬燵に近寄るとゆっくりと足を入れた。


「はふぅ。」


幸福に満ちた声を上げた蘭子の顔はほんわかとしたものであった。

叶うのならばノートパソコンを閉じ日が暮れるまで眺めていたい。

そう、思ってしまう程に癒やされる表情である。

白磁の如く美しき頬には薄っすらと朱が差している。

小ぶりで形の良い唇は僅かに開き、時折、春風めいた吐息を漏らす。

人々を惹きつけて止まぬ真紅の瞳は、今は閉じられ一転して安らかな眠りを楽しんでいるようでもあった。

慈母の微笑みである。そう言っても過言ではない。彼女のそれは天よりもたらされた奇跡であった。

荒れ果てた大地に恵みの雨が降り注ぐように、私の心に温かいものが染みこんでゆく。

もはや仕事などしている場合ではない。心の安寧を求めねばならぬ。


「少し休憩。」


わざとらしく呟いた私は、視界を妨げるモニタ部分を畳む。


以上で完結となります


クリスマスに何やってんだろうという気持ちになりましたが
お付き合い頂きありがとうございました

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