あのとき、鏡の中の俺は完璧だった。
完全に、春香ちゃんや彼女と戯れる少女たちと同じ種類の人間であった。
告白しよう。
今となってはもう遅いかもしれないけれど。
俺は君達のような存在に酷くあこがれていたんだ。
これは二度居場所を失った――と、いうのも全ては自分の蒔いた種によってだけれど
愚かな人間の話だ。
このもつれた荊をご覧ください。*
*ナボコフ「ロリータ」第一部一章の終わりの言葉。
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また、いかなる特定の人物・団体を誹謗中傷するものではありません。
それから、SSは割とアレな話なので鬱いのは嫌だという人は読まないほうがよろしいかと思います。
……
…
社長「そういうワケだから。彼女の扱いは、くれぐれも慎重に頼むよ」
P「はい。わかりました」
社長「それじゃ、天海君を宜しく」
P「はい」
小鳥「あの、プロデューサーさん」
P「はい?なんですか」
小鳥「春香ちゃん、以前のことがあってかなり精神的に疲れてるというか…」
小鳥「人をうまく信じられなくなってしまっている節があるんですよ」
P「はあ…」
小鳥「だから、できるだけ親身になってあげてほしくって」
めっちゃ緊張する…
手が振るえてれう
小鳥「友達同士みたいな、というとちょっと違うかもしれませんけど」
小鳥「あまり仕事としての付き合い、みたいな接し方をしないであけてほしいんです」
P「なるほど」
小うるさいのは仕方ない。
一度あんなことがあったのだ。事務所としては相当に気を使っているんだろう。
P「わかりました。まあ、うまくやってみるつもりです」
小鳥「はい、春香ちゃんをよろしくおねがいしますね」
P「はい。では――」
俺が社長室を後にしようとしたそのとき、音無さんが不意に口を開いた。
小鳥「あのっ」
P「はい?」
小鳥「スーツ、その、とても似合ってらっしゃるなあ…って…。素敵ですよ」
P「……ありがとうございます」
春香「おはようございます…」
事務所のドアを開けて、頭に二つリボンをつけた女の子が入ってくる。
リボンはシックなサーモンピンクで、シエナ色の飾り布が付いていた。
可愛い。
あの子が――
あの子が俺の、担当アイドルなのか。
可愛い。
真「あっ!春香!」
雪歩「春香ちゃん!」
千早「春香…」
事務所の子達が、やってきたばかりの彼女の周りにわっと群がる。
無理もない。
この子達が彼女に会うのは一ヶ月以上ぶりなのだ。
春香「えへへ……み、みんな、久しぶり」
千早「春香、もう大丈夫なの?」
春香「ありがとう千早ちゃん。私、もう平気だよ」
真「よかったあ!春香が辞めちゃったらどうしようって、みんな心配してたんだよ」
亜美「そうだよ!はるるんいないと、おいし→ドーナッツ食べらんなくなっちゃうし!」
春香「辞めるわけないよ!だってアイドルになるの、夢だったんだし…」
春香「心配かけちゃってごめんね」
みんなは春香に夢中で、俺は完全にアウトサイダーだった。
眼中にないというか完全に存在を忘れられてしまっているようだ。
仕方あるまい。
小学生や中学生、ひいては世の中の少年少女たちというのは、
往々にして目新しいものにとりわけの興味を示す生き物ではある。
けれども、どこの誰ともわからない転校生と、長らく入院して会うことが出来なかったクラスの仲間が
一同に教室に入ってきたならば、彼らはよっぽど後者のほうに群がるに違いない。
しかし。
春香「あ……あの…」
千早「春香、どうかしたの?」
春香「あ、あの人…」
誰もがリボンの彼女に目を向ける中、
ただふたつビリジアンの美しい瞳だけが俺のほうを見つめていた。
千早「ああ、あの人なら心配しないで」
真「そーそー。さっきみんなで話してたけど、凄くいい人だよ」
真「春香の、新しいプロデューサー」
彼女は明らかに小さく震えていた。
首もとのチョーカーがすごくお洒落だ。
P「天海春香さんですよね?」
春香「は……はい…」
P「俺は春香さんの、新しい担当プロデューサー。これからよろしく」
ここで、君の事はみんなや社長からよく聞いているよ、などとはくれぐれも口にしてはならない。
お互いの距離を縮める為に、相手の触れられるべきでない過去を穿り返して
ほらね君の事はよく知っているよ、なんて顔をするのは最低なやり方だ。
…
……
真「まだぎこちない感じなんですか、春香は」
P「うん…あっちも、他人行儀にならないようなしゃべり方をしたりとか」
P「一生懸命、ふつうっぽい会話をしようとしたりかなり努力してくれてるみたいなんだけど」
真「うーん…春香がプロデューサーを信用してくれるようになる、何か決定的な事さえあれば…」
春香と仕事を始めて早くも二週間が過ぎた。
しかし春香は俺に対して不信感みたいなものをぬぐいきれずにいるようだ。
この前は、仕事帰りに話題になっているパンケーキ屋に一緒に行ってはみたものの、
彼女は酷く窮屈そうにしていた。
震える手でパンケーキを切り取り、口に運んで、
引きつった笑顔でこう言ってくれた。
「すごくおいしいです。ここのパンケーキ、前から食べてみたかったんです」
「連れてきてくれて、ありがとうございます。すいません、私のために」
真「そーいうときは、相手に気を使わせないような台詞を言うんですよ!」
P「たとえば?」
真「俺もここのパンケーキ食べてみたかったんだ!とか」
P「でも。男がパンケーキを食べたがるってのも変じゃあないか?」
真「ぜんっぜん変じゃないです」
P「ほんとに?あれは女の子の食べ物だろ?」
真「ほんとです。スイーツは男女関係なく、好きな人は好きですから」
P「じゃ、参考にしとくかな」
真「そういえば何かの雑誌で読んだんですけど、類似の法則ってゆーのがあるらしいです」
P「類似の法則?」
真「人は自分と感じ方とか、考え方とか、好きなものとかが似ている人に親近感を感じるんです」
真「あと誕生日が近いとか。プロデューサーの誕生日はいつですか?」
P「9月だけど」
真「残念…。春香は3月うまれなんですよねー」
P「世の中そう上手くはいかないさ。でも、いい話を聞いたよ。ありがとう」
真「そんなことより、プロデューサー」
P「何?」
真「こんどは、ボクと一緒に行きましょうよ、パンケーキ!」
P「おーい、春香さん。そろそろ車出すよ」
春香「すいませーん、今行きます」
今日は黒のチョーカーをつけている。
リボンは黒いメッシュ生地のものに、金のラインが入ったスマートなもの。
彼女を車に乗せると、俺は車を出した。
P「春香さん、いつもチョーカーお洒落だよね。それとリボン。こだわりとかあるの?」
今日こそ、彼女に肩の力を抜いて会話をしてもらおう。
春香と仕事をしたこの二週間ほどで、俺はあることに気が付いた。
彼女はお洒落に凄く気を使っている。
まあアイドルだし、何より年頃の女の子だから、それは当たり前。
しかし、他の子達とは違う、彼女自身のこだわりポイントがあるようなのだ。
それは、リボンとチョーカー。
それらのアクセサリーは必ず日替わりで付けている。
特にリボンのほうは優に十種類以上はあるだろうか。
春香「あ、ありがとうございます」
彼女に歩み寄ろうとこの話題を振ったつもりではあったけれど、
反応は芳しいものではなかった。
むしろ、いつも以上に声がおどおどとしている。
なぜだろう?
P「女の子はいいよなあ。いろんなアクセサリーつけられるし」
春香「そ、そうですね。でも。プロデューサーさんもいっつもお洒落です」
P「えー、俺が?どんなとこが?」
春香「ネクタイとか。今日の柄、魔女の宅配便に出てくる猫のシルエットですよね」
P「おお。よく気づいたね。誰も見てないかなーと思ったんだけど」
春香「私、魔女の宅配便好きなんです」
P「そうだったんだ。俺もあの映画大好きで、家でよくDVDを見てたよ」
P「ところでそのチョーカーだけど…」
春香「あっ!プロデューサーさん!!」
P「何?」
春香「途中でコンビニ寄ってもらってもいいですか?今日朝ごはん食べてなくて」
P「わかったけど、そんな大きな声出さなくても…」
春香「すいません…」
春香「あ、ありがとうございます」
彼女に歩み寄ろうとこの話題を振ったつもりではあったけれど、
反応は芳しいものではなかった。
むしろ、いつも以上に声がおどおどとしている。
なぜだろう?
P「女の子はいいよなあ。いろんなアクセサリーつけられるし」
春香「そ、そうですね。でも。プロデューサーさんもいっつもお洒落です」
P「えー、俺が?どんなとこが?」
春香「ネクタイとか。今日の柄、魔女の宅配便に出てくる猫のシルエットですよね」
P「おお。よく気づいたね。誰も見てないかなーと思ったんだけど」
春香「私、魔女の宅配便好きなんです」
P「そうだったんだ。俺もあの映画大好きで、家でよくDVDを見てたよ」
P「ところでそのチョーカーだけど…」
春香「あっ!プロデューサーさん!!」
P「何?」
春香「途中でコンビニ寄ってもらってもいいですか?今日朝ごはん食べてなくて」
P「わかったけど、そんな大きな声出さなくても…」
春香「すいません…」
春香は車の後部座席で、静かにウィダーインジェリーを飲んでいた。
ウィダーインジェリーを飲んでいる人は、口が利けない。
パンやおにぎりを食べている人以上に口が不自由なのだ。
もはや話しかける余地がない。
しかも春香がウィダーインジェリーを飲む速度は、およそ十秒飯などとはよべない
非常にかわいらしいスピードであった。
彼女がそれを飲み干すまでには、車がラジオ局に到着するまでと同じだけの時間を要した。
…
……
数週間前
社長「君が担当することになっているアイドルだがね」
P「はい」
アイドルのプロデュース。
それは俺にとって夢のような仕事であった。
俺が担当する子は、誰よりも可愛く、素敵なアイドルにプロデュースしよう。
社長「彼女には問題、というか」
社長は、まるで長年隠し通してきた
自分についての恐るべき秘密を告白するように、重々しく話し始める。
社長「君に知っておいて欲しいことがあるんだよ」
社長「彼女の以前の、プロデューサーについてだ」
P「以前の、プロデューサー…」
社長「そう。いまはもうここにはいないがね。彼女は――」
……
…
春香「プロデューサーさん?」
ごめんなさい、今日ちょっと続けられないので鳥だけ付けておきます。
春香がラジオの収録をしていた間、俺はボンヤリと考え事をしていた。
そして収録が終わったあとも、その考え事にふけりきりでいたようで、
春香が呼ぶ声で我に返ったというわけだ。
春香「収録、おわりました」
P「お疲れ様。じゃ、事務所に帰ろうか」
春香「はい」
P「そうだ。このあと時間あるかな?」
P「せっかく青山まで来たんだしさ、ちょっとその辺を見て帰らない?」
春香「え……」
春香は明らかに不安そうだった。
でもここで引いたら、あくまで距離は開いたままなのだ。
P「先週、ここにラジオの打ち合わせに来たときも、色々見て回ってみたんだけど」
P「小物屋とか、アクセサリーショップもあったんだ」
そのお店の店内は、いわゆるアール・ヌーヴォー調*の装飾がされていて
ライトも薄橙色でなかなか雰囲気があった。
ここは髪留めやピアスなどを売っているアクセサリーショップだった。
色々あったお店の中から、俺が自分の感覚で一番かわいらしいと思ったお店を選んだ。
P「ここ、リボンも売ってるね」
春香「そうですね」
P「不思議の国のアリスをイメージしたリボンだってさ、これ。ウサギのマークがついてる」
春香「可愛いです」
P「ちょっと付けてみたらどうかな?ほら、そこに鏡あるよ」
春香「いえ、大丈夫です」
大丈夫です、という春香の口調はやはり酷くこわばっている。
なんとかして、もっとうちとけることができないだろうか。
そこで、俺はふと、真の言っていた類似の法則の話を思い出した。
P「春香さん」
春香「な、なんでしょう?」
P「ちょっと、目閉じてもらってもいいかな?」
春香は目を閉じる直前、恐ろしくおびえたような表情をした。
*フランス語で「新しい芸術の意」今となっては新しくない。
俺は自分の髪に、リボンを留めた。
鏡は、怖いから覗かないでおくことにする。
P「春香さん、目開けていいよ」
春香はゆっくりと目をあける。
その目にはしっかりと、髪にリボンを泊めた俺の姿が映っているはずだ。
春香「……っ!」
彼女は驚いたように目を丸くした。そして
春香「あははっ、それ、素敵です…っ!あ、ごめんなさい、笑っちゃって」
春香は可笑しそうに笑ってくれた。
それが心からの笑いなのかは自信がないけれど、少なくとも
今までに見た彼女のどの表情より、それはリアリティを持っていた。
P「じゃあ、春香さんもどうぞ」
モウひとつ同じリボンを取って、彼女に渡す。
春香「あはははは、じゃあ、ちょっと…」
彼女はおずおずと自分のつけていたリボンをはずし、
新たに手渡したそれを髪に留めた。
俺はとても嬉しかった。
…
……
社長「彼女はね、以前のプロデューサーから」
社長「まあ有体に言ってしまえば暴力を振るわれていたんだ」
P「暴力を?」
社長「そうだ。天海君は彼からの私刑を恐れて、暴力を振るわれていることを誰にも相談しなかった」
社長「それですこしばかり発見が遅れてしまってね」
社長「彼女が話してくれた限りでは、約ニ週間もの間彼女はひそかに暴行を受けていたらしい」
社長「彼は上手く見えない場所に暴行を加えていてね。端からはそれと気が付かなかった」
社長「いや、言い逃れや言い訳をするつもりはない」
社長「発見が遅れてしまったのは我々の責任だ」
社長「アイドルを続けるのは難しいのではないかと話してみたんだが」
社長「彼女自身がそれを拒否した」
P「それだけアイドルになるという夢を大切にしている子だったんですね」
社長「そうだ。彼女はとてもいい子だよ」
社長「だからこそ、私も彼女の夢を諦めさせたくなかったんだ」
社長「もう一度、今度こそ素晴らしいプロデューサーと出会って」
社長「彼女には素晴らしいアイドルになって欲しいんだ。これが私の願う全てだ」
……
…
…
……
帰りの車で、春香を新宿駅まで送っていった。
そのとき彼女はいつもより明るい声で「ありがとうございました」と言ってくれた。
彼女の心に触れ合えるところまで辿りつけるだろうか。
小鳥「すいません、お疲れのところ」
P「いえ、ぜんぜん」
事務所に戻ると、音無さんに仕事の手伝いをお願いされた。
その仕事というのは、アイドルたちの衣装の整理だった。
なんでも今日、新しい衣装が届いたそうだ。
しかし、事務所の衣裳部屋は酷く狭く、
新しく到着した衣装を保管する場所を確保する為には、
衣裳部屋を整理しなくてはならなかった。
P「可愛いですね、今度の衣装。まさにアイドルって感じで…」
小鳥「うふふ。でも、プロデュサーさんはミズギとか」
小鳥「もっと露出が多いのがお好きだったりして」
P「いやあ、俺はこういうフリフリのほうが好きなんです」
そんな可愛い素敵な衣装たちを眺めながら、今晩の夕食は抜こうと決めた。
家に帰ると九時を少し回ったところだった。
俺はスーツを脱ぐのもそこそこに、トイレの隣の小さな部屋に入る。
そこは物置にでもする為に設計されたと思われる小部屋。
そして俺にとっては秘密の王国。
天海春香には悲しい過去がある。
そして俺にも。
この王国は、俺が悲しむことのない世界。
俺の欲望を、俺自身を(そして俺とかかわるほかの誰かを)傷つけることなく叶える世界。
部屋の奥で鏡が光っている。
まずはこの間届いたのを試してみよう。
夜は短い。急がなければ。
俺が本当の俺でいられる時間は限られている。
…
……
真「もー、聞いてくださいよおー」
目の前には大きな雪山、もといパンケーキをはさんで真が机に突っ伏していた。
最近のパンケーキにはクリームを日本昔話に出てくるご飯のように盛るのが常識となっている。
オレンジ色のマンゴーソースが魅力的。俺を誘惑しないでくれ。
彼女はいつも溌剌として悩みがなさそうに見えるけれど勿論そんなはずはなく、
俺は今まさに彼女の悩みについて相談を受けているところだった。
真「ボクのプロデューサーってば、何もわかってないんです!!」
昨日のTV出演の際のことについてだった。
彼女が出演した番組はバラエティ番組で、衣装は私服風のカジュアルなものを用意されていたらしい。
衣装を用意したのは、真のプロデューサー自身。
真「ボク、前々からあの番組に出るときはスカートの衣装の方が良いって言ってたのに」
真「プロデューサーは、パンツを用意してきたんですよ!!」
彼女は中性的な魅力を備えた、素敵な女の子だ。
しかしその魅力こそが彼女自身の不幸。
P「気持ちは、よくわかるんだけどねえ…」
真「うそだー!どうせプロデューサーだって、ボクにはスカートなんて似合わないって思ってるんでしょ!」
P「どうしてそんなこと言うんだよ」
真「だって、プロデューサーは」
真「自分が着たいと思った服を着られないなんてこと、なかったでしょ?」
真「普通の人ならそうなんです。着たい服を着られるのは当たり前。でも、ボクは――」
人は、他人の不幸の本質的な悲しみというものを理解することが出来ない。
自分が不幸の渦中にいる人間、つまり当事者でなければその悲しみを共有することは適わないのだ。
しかし似たような不幸を経験したことがあれば、ある種の共感を持つことは出来る。
あれはもう、かれこれ十年近く前になるだろうか。
俺は実家を追い出されてしまった。というのも――
真「ところでプロデューサー」
P「何?」
真「ホントにそれだけしか注文しないんですか?」
P「うん」
俺はパンケーキを注文しなかった。俺が注文したのは、コーヒーだけ。
真「もしかして、やっぱりあんまり好きじゃなかったんですか、パンケーキ」
P「いやあ、そーいうわけでもないんだけど。むしろ超食べたい」
真「じゃあどうして?」
P「あのさあ俺」
真「はい」
P「ダイエット中なんだよね」
真「えーっ、でもプロデューサー全然太ってないのに」
P「まあ、自分でもなかなかプロポーションはイケてると思ってるよ」
P「でもね、着たい服があって。今のままだととても着られそうに無いからさ」
真「男の人でもそういうことがあるんですね」
P「まあね」
真「その服が着られるようになったら、ボクに見せてくださいよ」
P「ええ?なんか恥ずかしいなあ」
真「いいじゃないですか。きっとその服も似合いますよ」
P「そ、そうかな」
真「はい!だってプロデューサー、かっこいいし!」
P「……ありがと」
嗚呼、やっぱり。
人は、他人の不幸の本質的な悲しみを理解することが出来ない。
真「最近、春香とうまくいってるみたいじゃないですか」
P「一週間前くらいに、仕事先でちょっと一緒にアクセサリーショップなんかを見て回って」
P「それ以来けっこうスムーズにコミュニケーションがとれるようになってきたって感じかな」
P「最近は、話し方もあんまりぎこちなさが無くなってきたし」
真「あー、それでですか」
P「何が?」
真「春香が嬉しそうにしてた理由。それとリボン」
真「そのとき、春香にリボンを買ってあげたりしたでしょ」
P「ああ、アリスのやつ」
真「そうそう」
P「春香、そのリボンつけてたの?」
真「はい。嬉しそーにしてましたよ」
P「そっか」
真「プロデューサーは春香とうまくやっていけるか不安だったみたいですけど」
真「春香のほうも不安だったんですよ」
真「本当は、もっと早くプロデューサーと仲良くなりたかったって」
真「でも、うまく接することが出来なくて。悩んでたみたいです」
P「春香がそう言ってたの?」
真「そうです。何度か本人から相談もされましたし。内緒にしてましたけどね」
真「でも春香は…これは、プロデューサーもたぶん知ってると思いますけど」
天海春香には悲しい過去がある。
以前のプロデューサーから受けた暴行。
きっとほんとうに恐ろしかったことだろう。
信頼できるはずの大人から暴力を振るわれて、さぞ裏切られた気持ちでいたことだろう。
真「どうしても、前のことが頭から離れなかったんでしょうね」
真「それでも自分のせいで新しいプロデューサーを困らせちゃいけないって」
真「一生懸命プロデューサーと接する努力をしてたんですよ、春香なりに」
P「うん…」
真「プロデューサー、これからちょっと時間あります?」
P「16時に春香のボーカルレッスンが終わるから、それまでに春香を迎えに行かなきゃ行けないけど」
P「それまでは特に用事も無いかな」
真「一緒にショッピング行きませんか?」
P「どうしてまた、急に」
真「ボクのプロデューサー、服とかアクセサリーに全然興味ないんです」
真「だから一緒にそういうの見てまわっても反応薄くって」
真「それ以外は頼りになるカッコイイ人なんですけど…」
P「俺なら、そういうのにも興味があると?」
真「っていうか、春香を見てちょっとうらやましくなったんですよ」
真「あんなふうに、自分に似合うアクセサリーを選んでくれる人がいるのって、いいなと思って」
まるで女友達みたい。
真「見てくださいよ、これすごいですよ。裏地が全部ピンク色!」
P「うーん、それも可愛いけど」
P「こっちの方もどうかな」
真「わあ!それ、かわいいっ!!」
真とやってきたのは、いわゆる甘ロリ系の洋服を売っているお店だった。
真「はぁ…一回で良いから、ステージかTVでこんな服を着てみたいなあ…」
P「俺の方からも、真のプロデューサーに話してみようかな」
真「あ、プロデューサー、そっちの服ちょっととってもらっても良いですか」
P「はい。あっ、ちょっと待って、こっちもなかなか」
楽しい。なんて楽しいんだろう。
女の子と一緒に洋服を見てまわれるなんて。
何度夢見てきたことだろうか、こんな日のことを…。
あとは、俺自身もこんな服を着られたら完璧なのに……
真「プロデューサー、ボク今、すッごく楽しいです!」
P「俺も楽しいよ」
真「事務所まで送ってもらっちゃって、すみませんでした」
P「いいんだよ。俺も一回事務所に寄ってから春香のところに行くつもりだったの」
真「でもでも、本屋まで寄ってもらっちゃったし」
真「意外だったなあ~、プロデューサーもラララ読んでたなんて」
ラララとは、真の愛読誌の少女漫画雑誌のタイトルである。そして俺の愛読誌でもある。
P「俺なんか小学生の頃から読んでたよ」
真「へぇー、好きなんですね、少女漫画」
真「でも、買うときちょっと恥ずかしくないですか?」
P「まあやっぱり…多少はね」
真「ボクも、ラララを買うときは回りにあんまり人がいないときにサッとレジに持っていくんです」
P「昔は姉が買ってきたのをこっそり読んでたなあ」
真「プロデューサー、お姉さんがいるんですか」
P「そうだよ」
真「なんか納得です。やっぱりって感じで。だからかなぁ」
P「なにが?」
真「今日プロデューサーと一緒にいたとき、なんか友達と一緒にいるときみたいな気分だったんです」
P「真さん」
真「なんですか?」
P「俺たちは、着たい服を着るべきだと思わない?」
真「どうしたんですか、急に」
なんだか、シンパシーを感じてしまたのだ。
シンパシー?痛切な共感?いやいや、失礼じゃないか。真は本当の女の子なのに。
それでも、
真ならば、真ならば。
俺の苦しみの切れ端を分かち合ってくれるのではないか。
俺が苦しみを脱する為に、一緒に心を痛めてくれるのではないか。
ふとそんな気がしてしまったのだ。
P「真さん、俺の友達になって…欲しいんだけど…」
真「え?どういうことですか、それ」
俺は意を決する。
大切な友達を作る為に、女の子達の間では欠かせない、ひとつの重要なプロセスがある。
それは、ずっと大事に仕舞ってきた秘密を共有すること。
P「俺は…女の子に、なりたい…!」
…
……
小さい頃からずっと、女の子にあこがれていた。
いわゆるMtFではない。
自分の性別が男であるということは自分でも勿論理解していた。
つまり、俺自身の性自認は男だった。
でも、自分が男であるということを判っているのと同じくらい、どうしようもなく女の子に憧れていた。
髪を切られるのがとても嫌だった。
姉のラララを勝手に借りて読み続けた。
紙で作った髪飾りやブレスレットを密かにつけては一人喜んでいた。
これは性的趣向などではない。
そんなものより、ずっと原初的な欲求だった。
俺も、女の子になりたい。
女の子達の会話に混ざりたい。
どうして俺は女の子ではないんだろう?
俺は不幸な星のもとに生まれてしまった。
素敵な洋服を着られない世界。
可愛いお化粧をして出かけることが出来ない世界。
俺には悲しい過去がある。
15歳、中学三年生だったときのこと。
二つ上の姉の下着を隠れてつけてみた。
それは、今まで身に着けてきたどんな衣服よりも違和感無く俺の体を包んでくれた。
そこで俺は確信した。
やっぱり俺は、女の子に生まれるべき人間だったんだと。
なにかの不幸な間違いで、俺は男に生まれてきてしまったけれど、
本当の俺自身というのは、やっぱり女の子なのだ。
姉の下着を身に着けているとき、俺は人生で一番幸せな気持ちだった。
しかし、見られてしまった。
よりによって、姉自身に、俺の秘密の行為を。
姉は泣きながらこのことを両親に話した。
父は俺を思い切り殴りつけると、こう言った。
「結婚するまで、二度と面を見せるな。大学までは出させてやる。だがこの家には置いておけない」
高校生になると、俺は家を追い出されてしまった。
……
…
ボーカルレッスンを終えて春香がレッスン先近くの駐車場へやって来るまで
俺はそんな俺自身の悲しい昔話のことを思い出していた。
感傷に浸ってふてくされるつもりもないし、自分の不幸を撒き散らして自慢したいわけでもない。
世界には、俺よりも深い悲しみや不幸を抱えた人がたくさんいる。
大丈夫、よくわかってる。
それでも世界は元気に回り続けるのだ。
春香「プロデューサーさーん」
春香「すいません、レッスン長引いちゃって」
車のドアを開けると、迷いなく春香は後部座席に乗り込んだ。
春香「いつから?」
P「さっき来たばっかりだったんだ」
春香「えへへ、それ、嘘ですよね。だって十六時に終わるっから、それまでに迎えに来るって」
春香「プロデューサーさん、約束してくれましたもんね」
実際のところ、時計は七時を回っていた。
春香「ごめんなさい」
P「謝らなくてもいいんだよ、こういう時は」
春香「今日は、いつもより調子が良くって」
P「よかったね」
春香「せっかくだからと思ってレッスンを続けてたら、こんな時間になっちゃったんです」
春香「プロデューサーさんおなかすいてないですか?」
P「ちょっとすいたかなあ」
春香「そうですよね。本当にすいません、ずっとお待たせしちゃって」
春香「あの、もしよかったらこの近くで前からよく行ってたパスタのお店があるんですけど」
P「あぁ、ごめんなんだけど」
P「今日は事務所に戻って明日使う書類を整理しないとなんだ」
春香「あ、そうでしたか…」
P「ごめんね」
春香「いえ、いいんですぜんぜん。一緒にご飯食べられたら良いなって思っただけで」
P「でも嬉しいな。春香さんが自分からそういう話を持ちかけてくれるようになって」
P「仕事を始めてすぐの頃とか、あんまりしゃべってくれなかったし」
春香「すいません、あんまり愛想よく出来なくって…」
春香「私、新しいプロデューサー三のことが嫌だとか、そういうんじゃないんです」
春香「でも、あんなんじゃ、そう勘違いされても仕方ないですよね」
P「そんなことない。春香は目一杯、俺に歩み寄ってきてくれているって」
P「俺、そう思うんだよ」
P「人にはそれぞれいろんな事情があるよね」
P「うん、よくわかってるんだ」
P「だからとにかく、初めて会った頃より親密になれてよかったって思う」
P「これからも一緒に頑張ろうね」
P「今日も事務所まで行かずに、駅まで送っていくよ」
十一時ごろで仕事を切り上げ家に帰った。
今日の昼間は遊びすぎてしまった。これくらいの残業は仕方ない。
それに晩飯を抜けば、それなりに時間の余裕が出来る。
ダイエットには、夜に食べるご飯が一番よろしくないという。
家に帰ると、俺はラララを読んだ。
ラララの巻頭カラーは、俺の好きな連載だった。
それはこんな話。
両親を事故で失い、失意に沈む主人公。
そこで久しく会っていない幼馴染が主人公の学校に転校してきて、
彼は彼女とのふれあいのうちに、彼女の心を癒していき、
彼女は自身を救ってくれた幼馴染に恋をするというもの。
こういった
物語というのは、話の構成としてはかなり強引だ。それに安っぽい。
「両親を失った悲しみに沈む主人公」というのは、出来合いのお惣菜のようなものだ。
このお惣菜に「主人公を慰める幼馴染」という合わせ調味料をかければ彼と彼女の好意的関係が成立する。
作者が「彼女が彼を好きになるまでの経過」をうまくすっ飛ばしてしまいたいときに用いるインスタント的手法なのだ。これは、
そして我々読者は調理の過程よりも完成した料理を味わうことに楽しみを見出すわけである。
まあこうしたありきたりな物語というのは、
いささかユーモアに欠け、ロマンチックが過ぎると思われるかもしれない。
しかしそうしたストーリーが、俺はまったく、嫌いでもないのである。
…
……
真「マニキュアとかどうかなぁ?」
P「うーん、それもいいんだけど…」
P「春香ちゃんだけじゃなくて、真ちゃんも、他のアイドルのみんなもそうだと思うけど」
P「ドラマの撮影なんかがあると、せっかくマニキュアを塗っても落とさなくちゃいけないでしょ?」
P「役作りしないといけないからね」
真「あー、たしかに」
真「じゃあ、ペディキュア*は?」
P「あー、それいいかも。さすが真ちゃん」
*ご存知の方多いとは思いますが、マニキュアとは異なりペディキュアは足の爪に塗るものを指します。
俺は真と、友達として一緒にショッピングに来ていた。
今日の買い物の目的は、春香へのプレゼントを探すこと。
実は今度、長らく続いていた彼女の出演している映画の撮影が終了するのだ。
主演でこそ無いけれど、これはひとつの到達点だ。
そして、俺と春香が一緒に成し遂げた今まで出一番大きな仕事なのだ。
撮影の終了記念に、彼女にプレゼントを渡そうと思い、今日はそのプレゼントを探しに来ている。
真「ボク的には、春香ってやっぱり赤のイメージなんですよね」
P「そうだよね」
P「でもグリーン系も良いかなと思うんだ」
真「グリーンですか?」
P「うん。春香ちゃんとはじめて会った時、目の色が凄く綺麗だなあと思ったんだ」
P「こっちのモスグリーンなんか、結構イメージに近いんだけど…」
真「んーちょっと暗すぎるような気もしますね」
P「そっかー」
真「こっちのシリーズの方がカラーバリエーションが多いですよ」
P「パステルカラーも可愛いね」
P「コレ可愛いなあ」
手に取ったのはコーラルグリーンのペディキュア。
春香の声のように柔らかいグリーン。
うん、これだ。これならきっと彼女に似合う。
P「これにするよ」
真「マットとラメ入りがありますね。ボクはラメが入ってる方がすきなんですけど…」
P「んー、春香ちゃんには…マットのほうがいいかな」
P「そうだ、それとコレも買ってこう」
真「にしても、夏ももう終わりなのにあっついですね」
P「ホントだね。喉乾かない?」
真「もうカラッカラです」
P「クメタコーヒーがあるから入ろうか」
真「えー、ムーンバックスにしませんか?」
P「ムーンバックス、あんまり行ったことないんだよね」
真「ボクのおすすめがあるんですよ。一緒に飲みましょうよー」
P「でもさ、メニューとか良く知らないし」
真「ホントにおいしいんですよ。メニューがわからないなら、ボクのおすすめを飲みましょうよ」
P「わ、わかった。信じてるからね!」
真「まかせといてください!」
店員「ご注文どうぞ」
真「えーと、バニラクリームフラペチーノに、チョコチップ追加で…」
女の子と一緒にムーンバックスに入るなんて。
もうこれはほんとうに、夢でも見ているみたいだ。
真「プロデューサーさーん、ボクドリンクもらっておくんで、先に席見つけておいてくださーい」
P「おっけー」
真「おいしいですか?」
P「うーん、まさかこんなにおいしいなんて思わなかった」
真「えへへー、みんな最初は敬遠しがちなんですけどね」
真「一回飲んだら大体の子ははまりますよ」
真「春香もよく一緒に来ますし」
P「へえ…」
俺は真と秘密を共有し、なおかつ理解を得て、
こうして彼女に願いをか叶えてもらうことができた。
でも人間、ひとつの欲求を満たせば新たに欲求が生まれるもの。
・・・
俺は最終的に、春香ともこうしたお友達になりたかった。
P「そうだ、これ」
真「なんですか?」
P「一緒に買い物に付き合ってくれたお礼にね。どーぞ」
それはラメ入りのマゼンタピンクのペディキュア。
真「うわあ、いいんですか、これ、貰っちゃっても…超素敵ですよ、これ…っ!」
P「せっかくだから貰って。きっと真ちゃんに似合うと思うし」
真「ありがとうございます!」
P「いーのいーの」
真「今日帰ったら、早速使ってみようかなー!」
俺はあの時三つペディキュアを買った。
マゼンタピンクのをひとつ。そして、コーラルグリーンのをふたつ。
P「それとあともういっこ、見たいお店があるから、付き合って欲しいんだけど…」
真「あれ、このリボン…春香と来たのって、ここのお店だったんですね?」
P「うん」
P「あの時、リボンとあわせてこのチョーカーをすすめてみたんだけど」
真「反応が良くなかった?」
P「チョーカー自体は気に入ってくれたみたいだった。でも」
P「試着を薦めたら、それとなく嫌がるというか」
P「そのときつけてた自分のチョーカーをとるのが嫌そうだったんだよね」
P「よっぽど思い入れのあるチョーカーだったのか、それとも…」
P「チョイスは間違ってなかったと思うんだけど…うーん…」
真「あの、プロデューサー…ボクてっきり、プロデューサーは当然知ってるものと思ってたんですけど」
真「この話、春香から聞いてないんですか?」
P「え?」
真「どうしていつも、チョーカーをつけているのか」
…
……
監督「カット!オーケーです」
スタッフ「クランクアップです!皆さんお疲れ様でしたー!」
春香「おつかれさまでーす!」
スタッフ「それじゃ片付け入りましょうかー」
P「おーい、春香さーん」
春香「あー!プロデューサーさん!」
P「お疲れ様」
春香「ありがとうございます!私、映画の撮影って初めてですごく緊張しちゃったんですけど」
春香「なんとか、最後まで出来ました…!」
P「本当にお疲れ様」
スタッフ「おーい、春香ちゃーん」
春香「はーい、今行きまーす」
スタッフ「春香ちゃんのプロデューサーさんですよね?」
P「はい、そうですが」
スタッフ「この後みんなで打ち上げなんですよ。プロデューサーさんも、いかがですか?」
スタッフ「監督も是非、と」
P「はあ、ではお言葉に甘えて…」
春香「プロデューサーさーん、この後打ち上げみたいなんですけど」
P「うん、もちろん出席しよう。俺も行くよ」
春香「やったあ!」
P「一応事務所に連絡しておくね」
監督「それじゃ、皆さんお揃いいただけましたようなので…」
監督「乾杯!」
一同「カンパーイ!」
ガヤガヤ
監督「そーだ、春香ちゃんのプロデューサーさんいらっしゃるかな?」
スタッフ「呼んで来ますよ」
スタッフ「すいませーん」
P「はい?」
スタッフ「監督がお呼びですよ」
P「えっ、監督さんが?」
スタッフ「ええ。天海春香さんのプロデューサーを呼んできて欲しいと」
監督「いやあ、お仕事お疲れ様です」
P「いえいえ、監督も撮影お疲れ様です」
監督「春香ちゃんにも今回は頑張っていただいて。いい画が沢山取れました」
P「ありがとうございます」
監督「ところで、知り合いの監督さんが来年放送予定のドラマに出演できる十代の女の子を探しているんだけれど。」
監督「春香ちゃんを紹介できないかな、と思っているんですよ」
P「本当ですか…!」
監督「少女漫画原作のドラマなんですけどね」
監督「彼女を撮っていたらこう…ピン!ときまして」
監督「よろしければ、是非春香ちゃんを彼に紹介したいと思ってます」
P「ありがとうございます!宜しくお願いします!」
スタッフ「春香さん、ジュースおかわりとってきましょうか?」
春香「んん……」ウトウト
P「春香?」
春香「はっ…!ご、ごめんなさい、なんのお話でしたっけ?」
スタッフ「いえ、ジュースのおかわりは、とお聞きしたんですけど…」
スタッフ「疲れちゃってるみたいですね」
春香「すいません、ついうとうとしちゃって…」
スタッフ「大丈夫ですよ。たしかにもうそろそろ春香ちゃんは帰してあげた方が良いかもしれませんね」
P「そうですね。もう結構遅い時間だし」
P「じゃあ、お先に失礼します。皆さんお疲れ様でした」
スタッフ「はーい、お疲れ様でーす」
P「帰ろっか、春香さん」
春香「はい…」
P「車に乗って。駅まで送るから」
春香「ありがとうございます」
…
……
数日前
P「どうして春香ちゃんがチョーカーをつけているかって…?」
P「お洒落のため、じゃないの…?」
真「ボクがはじめて春香に会った頃、まだ春香はチョーカーをつけていませんでした」
真「というか、前まではずっと、春香は衣装以外でチョーカーはつけませんでした」
真「春香がチョーカーを着けているのには理由があるんです」
真「これ、ボクが勝手に話しちゃっていいのかわからないんですけど…」
P「お、おしえてくれないかな…。その、理由って何なのか…」
真「春香の首には、やけどの跡があるんですよ」
真「それを隠す為に、春香はチョーカーをつけているんですよ」
P「やけど…?」
真「そうです」
真「春香が、前のプロデューサーから酷い暴力を受けてたのは、知ってるんですよね?」
P「うん。それは、社長からも聞いてる」
真「そいつにやられたんです。たばこの火を押し付けられてできたやけどだったんです」
P「そんな…」
真「そのやけど跡が、あいつの悪事がバレる原因になって」
真「春香はようやくあいつの暴力から救われたんです」
真「ただ、そのやけどの跡が少し残ってしまって」
真「そこがやけどの跡だって確信を持って目を凝らして見ない限り、わからないくらいまで傷跡は薄くなっているんですけど」
真「でも、凄く気にしてるんです、そのやけど跡のこと…」
P「そうだったんだね」
真「はい。だから、人前で春香はチョーカーをはずしたがりません」
P「そう、だったんだね…」
P「ねえ、真ちゃん」
P「このチョーカー、春香ちゃんに似合うかな…?」
……
…
…
……
P「春香さん、撮影終了おめでとう」
春香「ありがとうございます。なんか、やり遂げたってかんじですね!」
P「後ろに、小包が乗ってない?」
春香「小包ですか?」
P「うん、ちょっと見てみて」
春香「えーと…あった、これですか?」
P「ごめん、今ちょっと後ろ向けないんだ」
春香「この、赤いリボンの小包ですよね?」
P「あぁ、そうそう」
P「ちょっと開けてみて」
春香「はい…わあ!」
春香「どうしたんですか、これ、とっても可愛い色ですね、このペディキュア…」
P「映画撮影終了記念に、プレゼントを、と思って」
春香「プロデューサーさんが選んでくださったんですか?」
P「初めて春香さんを見たときに、とっても綺麗な目をしているなあって思って」
P「そのときのことを思い出して、この色にしたんだ」
P「きっと春香さんに良く似合うと思って」
春香「う、嬉しいです…っ」
春香「私、こんな風にしてもらったこと、いままでなくって…」ポロポロ
P「春香さん…?」
春香「これ、大切にしますね。ずっと大切にします…!」
P「そ、そんな大げさな…でも喜んでもらえてよかった」
春香「プロデューサーさん、今何時ですか?」
P「えっと…八時過ぎだけど」
春香「あの、さっきの打ち上げで、私いろんな人と挨拶をしてたら」
春香「ほとんど何にも食べられなくって…」
春香「ちょっとお腹がすいちゃってるんですけど」
P「どこか寄ろうか?」
P「実は俺もあんまり食べてないから、結構お腹すいてるんだ」
春香「はい!じゃあ…」
P「結構遅くまでやってるもんなんだね、こういうお店って」
春香「私も、あんまり遅い時間に来たことはないんですけど」
そこはスイートユートピアという、ケーキバイキングのお店だった。
2、3センチ角のさまざまな種類のケーキがバイキング形式で置かれており、
ドリンクバーも豊富で、そのほかにもパスタなどの軽食がある。
春香「ん~、おいしいっ!」
P「あんまり食べ過ぎちゃダメだよ。仕事に響くんだから」
春香「わかってます。でも、いっぱい食べた方がお得だし…」
春香「そういうプロデューサーさんなんて、全然食べてないじゃないですか」
P「俺はダイエット中だから」
春香「もう、せっかくスイトピに来たのに…」
春香は楽しそうだった。
俺も勿論楽しかった。
俺はコーヒーを一杯と、春香が薦めてくれたいくつかのケーキを少しだけ食べた。
あんまりおいしいかったのと、春香とケーキの話をするのがあまりに楽しかったのとで心の中で感激しつつ、
それでももうひとつ、俺にはやらなければならないことがあるのを忘れてはいけない。
P「春香さん、そういえば監督さんがね」
P「知り合いにテレビドラマ制作をしている人がいるらしくて」
P「その人が、自作の主演をする女の子を探しているらしいんだ」
P「それで、今回の映画で一緒に仕事をした監督さんが春香さんを見てて」
P「是非その人に、春香さんを紹介したいって思ったんだって」
春香「そうだったんですか!すごいなあ…ドラマの主演なんて…」
P「それでね、まあそういうことのお祝いもかねてかな、もうひとつプレゼントがあるんだ」
春香「そんな、なんだか悪いです」
P「ううん。これも、是非春香さんに似合うと思って選んだんだ」
P「これ…」
俺が取り出した小さな紙袋の中には、先日真と一緒に買い物に言った際に買った
赤いチョーカーが入っている。
春香「開けてみても、良いですか?」
P「うん」
春香「これは…チョーカー、ですか…」
P「そうだよ。結構前に、春香と一緒に行った」
P「あのアリスのリボンのお店で買ったんだ」
春香「あ、ありがとうございます…」
やっぱり、さっきプレゼントを渡したときとは打って変わった反応だった。
彼女にとってチョーカーはただのアクセサリーではない。
もっと正確に言うなら、ある時点からチョーカーは
彼女にとってただのアクセサリーではなくなってしまった。
P「ねえ、付けて見せてくれないかな、そのチョーカー」
P「今つけてるチョーカーも素敵だけど」
P「そのチョーカーもきっと似合う。付けて見せて、もらえないかな…」
春香「……」
春香はふいに考え事をするように俯いて、手元の赤いチョーカーを見つめた。
春香「…わかりました」
春香は自分の首のチョーカーに手を伸ばす。
その一連の動きに、酷く見とれてしまった。
そうだ。そのチョーカーをはずして。
彼女は意を決する。
大切な友達を作る為に、女の子達の間では欠かせない、ひとつの重要なプロセスがある。
それは、ずっと大事に仕舞ってきた秘密を共有すること。
彼女は首もとのチョーカーをするりとはずした。
春香「私、前のプロデューサーだった人と、あんまり上手く付き合えなかったっていうか…」
春香「どっちが悪かったのか、とかはわかりません」
俺は春香の首を熱く見つめる。
そこには真の言ったとおり、うっすらと
溶け残りの雪のような、白いケロイドが残っていた。
ほんの小さな傷跡だ。
そこに傷があるという確信を持って見つめなければ、見つけられない。
しかし春香の中では、その跡は付けられた当時と変わらず赤々と痛んでいることになっているんだろう。
見るたびに忌々しい思い出がよみがえる屈辱の名残なのだ。
春香「私のことを、あの人は嫌いだったのかもしれない…」
春香「彼が何を考えていたのかは、私にもわからないんです」
春香「たしかなことは、私は彼から暴力を受けていた、ということだけで…」
春香は今にも泣き出しそうだった。
声が震えて、いつ嗚咽に変わってしまうともわからないような声で、
彼女は話し続ける。
春香「とっても怖かった。誰にも話せなかったし、誰かに知られたらきっと大変なことになると思って」
春香「でもある時、彼が私の首に、火の付いたたばこを押し付けてきて…」
春香「やけどの跡が見つかって、みんなに彼の暴力が露呈したんです」
春香「そして私は、彼の暴力から解放されました」
春香「私は、その跡を隠す為に、チョーカーをつけていたんです」
彼女は何も悪いことなどしていないのに、まるで懺悔するように、
自らのことについて俺に話してくれた。
春香「見えますか?これがそのときの跡です」
P「うん、見える。だけどきっと、もうすぐ消えちゃうよ、そんな傷は」
春香「じゃあ、それまでは…」
春香は赤いチョーカーを首につけると、俺の目をじっと見据えた。
春香「これからも、よしくお願いします。一緒にお仕事、頑張りましょうね…!」
春香を駅に送り届け事務所に帰ると、社長が俺を待っていた。
社長「お疲れ様」
P「お疲れ様です」
社長「天海君が出演していた映画の監督から、連絡があってね」
P「ドラマの件ですか」
社長「いや、よくやってくれた!」
社長「まだ完全な決定ではないそうだが、彼女は今、主演第一候補だ」
社長「これからも天海君を、よろしくたのむよ」
P「はい」
長い一日の終わりに、俺は秘密の王国を訪れる。
そこから一着の服を引っ張り出し、着てみると
以前ほどキツさがなくなっていた。
順調に痩せていっている証拠だろう。
明日からはコルセットでもつけてみようか。
そうだ、この間買ったアレを試すのを忘れていた。
コーラルグリーンのペディキュア。
綺麗に塗るのには、実はそれなりにコツがいる。
ムラにならないように、均一に。
俺は足の爪にゆっくりとペディキュアを塗っていく。
本当に魅力的な色だ。
彼女の瞳の色。
ああ、彼女とも、素敵なお友達になりたい。
もっと、彼女達の存在に近づきたい。
素敵な春香たちの仲間に加えて欲しいんだ。
その為には……どうすればいい?
P「おはようございます、○○監督からご紹介いただいた765プロの――」
ドラマ監督「ああ、天海春香ちゃんの、話は彼から聞いているよ」
ド監「映画のカットもいくつか見せてもらったんだけどね」
ド監「春香ちゃんはボクのイメージするキャラクターにかなり近いものを演じきってくれそうだなと思った」
ド監「明るく健気な感じの表情が上手くて、しかしその一方でどこか影がある」
ド監「春香ちゃんはまだ高校生だったかな?」
春香「はい」
ド監「大したもんだよ。高校生でこれだけ深みとリアリティのある演技が出来るとはねぇ」
春香「えへへ…ありがとうございます」
ド監「君で決めてしまってもいいんじゃないかとは思ったけど、一応形だけでもオーディションはするつもりだから」
P「褒めてもらっちゃったね、春香さん」
春香「はい、実は私、最近ほめてもらってばっかりなんですよ」
春香「レッスンでもトレーナーさんにいいね!って言って貰う回数が増えてきたし」
春香「この間の映画撮影のときも監督さんに何度かほめてもらっちゃって」
P「そっかあ、よかったなあ。ま、春香さん実力派だし、当然といえば当然かな?」
春香「そ、そんなことないです!プロデューサーさんからリボンを買っていただいてから、ずっと調子がいいのかも…?」
P「アリスのやつ?」
春香「そうです。今度オーディションにも付けて行っちゃおうかなー」
春香「ああ、それと…真のおかげもあるかな…」
P「真さんが?」
春香「はい、何かと相談に乗ってもらってたし。ああ、そういえば」
春香「もうすぐ真の誕生日じゃないですか」
春香「プロデューサーさん、これから真の誕生日プレゼント、一緒に買いに行きませんか?」
P「いいねぇ。俺も真には色々してもらっちゃったし」
春香「じゃあ決まりですね!」
春香「私、最初は新しいリストバンドとか」
春香「最近、真は髪が伸びてきたからヘアバンドも良いかなあと思ったんです」
P「リストバンドにヘアバンドかあ。でも、真さんはもっと」
春香「そうなんですよ。もっとガーリィなものの方が喜びますよね、きっと」
P「そう思うよ」
春香「でも、その反面あんまりベタベタに可愛いものあげても」
春香「照れてあんまり使ってくれなさそうな気がするんですよ」
P「そこが難しいところだね」
春香「そこでなんですけど」
春香「口紅はどうかと思って」
P「口紅かあ…」
春香「これからは服もお化粧品もみんな秋ものに移っていきますから」
春香「オータムカラーの落着いた色合いの口紅なら、真が使っても似合うと思うんです」
P「なるほど」
春香「こーいうの見てると、自分のもほしくなっちゃいますね」
春香は口紅の色を一本一本確かめつつ言った。
人へのプレゼントを探すのは楽しいことだ。
特に女の子にとって、プレゼント選びは自分のセンスを示すチャンスでもある。
P「春香さん、これどうかな。ピンクトルマリン」
春香「真にしてはちょっとビビットすぎません?」
春香「あんまり季節感もないですし…」
春香「どうですかプロデューサーさん、これなら真に似合いそうじゃないですか」
春香が手に取っているのはボビーブラウンの口紅だった。
P「結構落着いた色だね」
春香「はい、秋もののお洋服に合うように」
P「そこまで考えて選ぶんだね、こういうのって」
春香「はい。プレゼントは、どこまで相手のことを考えられるかが勝負ですから!」
春香「すいません、真のプレゼントを探すだけじゃなく、私の買い物まで付き合ってもらっちゃいましたね」
P「気にしないでよ。俺こういうの結構好きなんだよ」
春香「男の人は、お化粧品の買い物なんてつまらないかなって気にしてたんですけど」
春香「プロデューサーさん、退屈そうにするどころか積極的にアドバイスしてくれて」
P「楽しかったよ」
春香「私も楽しかったです。またこうやってお出かけしましょうね」
彼女はおいしそうに、キャラメルソースを加えたホワイトチョコレートモカフラペチーノを飲んでいる。
俺のはチョコチップを追加したバニラクリームフラペチーノ。
真に教えてもらったあのメニューだ。
春香「それ、真も好きなんですよ」
P「さ、コレ飲んだら午後のお仕事もがんばろー!」
春香「おー!」
…
……
今日は春香と一緒にお買い物できて幸せだった。
彼女と同じ存在に、彼女たちのような存在に、確実に近づいていっている。
しかし、これだけではまだだめだ。
欲を満たせばまたあとから際限なく欲が沸く。
彼女達とおなじような少女になれるまで、満足するところを知らない。
春香があの傷を見せくれたときから、
春香との秘密を共有してから、
そして春香といっしょに友達の真似事のような好意を楽しんでから、
これは酷くなる一方だ。
特に真が俺の告白を受け入れてからは、俺はタガが外れてしまったように――
それから数日後、真の誕生日パーティーは事務所で盛大に行われた。
みんなで持ち寄ったケーキを食べ、
誰かがテイクアウトしてきたムーンバックスを飲んだ。
この光景はどこかで見たような気がするなあ、と思ったけれど
それは多分、俺の学生時代に同級生の女の子達がクラスで派手にやっていた
バースデーパーティーの光景だろう。
彼女達はいかにも楽しそうだった。
今なら俺も、同じ楽しみがわかる。
真は皆からたくさんのプレゼントをもらい嬉しそうだった。
真「春香、ありがとう。この口紅綺麗な色だね」
春香「私のプロデューサーさんと一緒に選んだんだよ」
真「どうりでいつもの春香よりセンスがいいわけだ」
春香「ちょっとー、それどういう意味よー」
真「あははは、冗談冗談。ありがと、春香」
春香「もう真ってばー」
真「ごめんごめん」
春香と真はひとしきり笑いあうと、思い出した様に真が言った。
真「プロデューサーも、ありがとうございます」
こうして俺は自分の夢の断片を叶えていくうちに、
あるどうしようもない違和感が俺には常に付きまとっていることに気が付く。
彼女達の中に俺がいるとき、あくまで彼女達は、
”プロデューサーとアイドル”として俺に接している。
真にしてもそうだ。
彼女は俺の不幸とそこから始まる俺の悲しみを理解してくれた。
そしてそうして不幸を払拭する為に尽力してくれている。
でもそれというのは、”プロデューサーの悲しみをなくす為”にしてくれていることなのだ。
君は俺のために素敵な女友達を演じてくれたね。
嬉しい。けれど違うんだよ、真。
俺が望むのは、そうしたことではない。
仮初に悲しみをなくすために友達ごっこをするのではなく…。
なあ、俺はどんどん我侭になっていく。軽蔑してくれ。
軽蔑してくれてかまわないから、どうか俺を君達の仲間、同じ存在として認めて欲しい。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
トレーナー「今日はここまでです。皆さんお疲れ様でした」
春香「お疲れ様でした!」
真「お疲れ様でしたーっ!」
春香「疲れたぁ」
真「ねえ春香、もうすぐ春香のプロデューサーの誕生日じゃないの?」
春香「え、そうだったの?」
真「なんだ、知らなかったんだ」
春香「そういう真はどうして知ってるの?」
真「前に、どうしてかは忘れちゃったけどさ」
真「春香のプロデューサーと誕生日の話をしたんだよね」
春香「それで?」
真「春香のプロデューサーは9月生まれだって。それに、ボクと同じおとめ座だってさ」
真「だから覚えてたんだ」
春香「このあと探しに行こうかな、プレゼント」
真「それ、ボクも一緒に行っていいかな?」
真「ねえ、見てよコレ。カレーが三倍おいしくなるスプーンだって」
春香「ちょっとー、真剣に探してよー」
春香「さっきからそんなくだらないのばっかり見てるでしょ。時間なくなっちゃうよ」
真「ごめんごめん、でも面白くない?本当に三倍おいしくなるのかな?」
春香「プロデューサーさんが欲しいものってなんだろう?」
春香「お父さんのプレゼントを探すのとは違うもんね」
春香「ネクタイとかかなあ、やっぱり」
真「そうだね。それなら使ってもらえるよ」
春香「じゃ、ネクタイ見に行こっか」
真「これすごいなあ、猫の言葉を翻訳してくれるんだって。響のプレゼント候補に入れておこうかな?」
春香「もー、早く行くよ」
真「わー、待って待って」
春香「プロデューサーさん、ネクタイにはこだわりがあるっぽいんだよね」
真「うん、ボクも思ってたけど柄がお洒落だよね。この間はモーミンのネクタイ付けてた」
春香「あとクヌーピーとか。可愛い系のが多いんだ」
春香「実は彼女さんに選んでもらったネクタイだったりするのかなあ」
真(うーん、プロデューサーのこと、ここで勝手に春香に話すとマズイよね、きっと)
真(ボクはプロデューサーの”告白”を聞いたとき可笑しいと思わなかったし)
真(力になってあげたいなと思った。でも、誰もがそう思うかといえば、そうじゃないんだ)
春香「ねー、聞いてる?」
真「えっ、なんの話してたっけ?」
春香「これ、可愛くない?」
真「リ、リボン柄…?あんまり実用的じゃないような…パーティーぐらいしか使いどころが無いよ」
春香「ウソウソ。本命はこっち」
P「それじゃ、小鳥さんお疲れ様でした」
小鳥「お疲れ様でした。明日はいよいよ、映画の試写会ですね」
P「はい。春香さんも楽しみにしてるみたいで」
小鳥「ところでプロデューサーさん、最近なんだか無理されてませんか?」
P「はい?どういうことですか」
小鳥「入社したころより、結構痩せられたなあ、と」
小鳥「あの、きちんとご飯食べてますか?」
P「あ、ああ、ええ、大丈夫ですよ、全然。ちょっとしたダイエットというか…」
小鳥「ダイエットもほどほどにしてくださいね」
P「はい、大丈夫ですよ。それじゃ」
小鳥「ああ、そうそう、そういえば」
小鳥「最近、たまに衣裳部屋の衣装の並びが勝手に替えられてるんですよね」
小鳥「だれかが黙って試着してるんでしょうか?」
小鳥「もう、試着するのは良いけど一声かけてって、いつも言ってるのに…」
もうすぐだ。
もうすぐ俺は、君達の側へ行く。
そのときには是非、意地悪を言わないで、
俺を仲間に入れて欲しい。
いや、そんな心配は要らないかな。
君達はとっても優しいから。
…
……
数日前
真「それにしても可愛いねー、このネクタイ」
春香「うん、プロデューサーさん、魔女の宅配便が好きなんだって」
真「へえ、春香とおそろいだ」
真「だからこの柄なんだね」
春香「うん。喜んでくれると良いな…」
真「プロデューサーの誕生日って、試写会の次の日だっけ」
春香「それでなんだけど…」
春香「プロデューサーさんより先に朝早く事務所に行って」
春香「ドッキリをするってゆうのどうかな」
真「いいね!普段は必ずボクたちよりプロデューサーのほうが先に事務所に来てるもんね」
春香「そう。だからきっと驚くだろうな、プロデューサーさん」
春香「あー、楽しみだなあ…」
真「でも、春香の家からじゃ始発で来ても事務所に来るのプロデューサーより遅くなるよね?」
春香「千早ちゃん家に泊めてもらいます!」
真「なるほどねえ」
真「事務所の鍵は?」
春香「小鳥さんに相談したら、その日だけ特別に貸してくれるって」
真「準備万端だね!」
……
…
春香(プロデューサーさん、喜んでくれるかなあ)
カチャカチャ
春香「あれ?鍵が開いてる…」
春香「プロデューサーさん、さきに来ちゃったのかなあ」
春香「あーあ、一番乗りでドッキリプレゼントのつもりだったのに」
ガチャッ
春香「おはようございまーす」
春香「あれー、だれもいないんですかー?」
春香「昨日小鳥さんが鍵閉め忘れたのかなあ…?」
ガタン
春香「あれ…今、なんか音が…」
春香「衣裳部屋のほうかな…?」
…
……
数分前
P「ハァ、今日はまた朝から暑いな…汗かいちゃったよ…」
午前六時前。
汗をかくのは良くない。
ただでさえ着づらいキツい服なのに、
汗をかけば肌すべりが悪くなって、余計に着づらくなる。
事務所に入り、真っ先に衣裳部屋のほうへ行く。
今日はきっといける。
今日こそ俺は本当に、彼女達と同じ種類の人間になることが出来るはず。
P「春香の衣装は……」
衣裳部屋を漁る。
罪悪感も何も無い。これは当然の行為なんだ。自然な行為なんだ。
何がおかしいもんか。
俺は彼女達と同じなんだから。
彼女達と同じ服を着もするさ。
P「これだ…」
春香の衣装に、ゆっくりと手を伸ばしていく。
ウェストは、スカートのベルトを最大までゆるくして何とか入った。
しかしトップはかなり辛い。
それでもなんとか体をねじ込んだ。
部屋の奥にある鏡を見つめると、そこには一人の少女がいた。
ああ、ついになれたじゃないか。
鏡の中の俺は完璧だった。
完全に、春香ちゃんや彼女と戯れる少女たちと同じ種類の人間であった。
そのとき。
背後で扉の開く音がした。
……
…
真「ふあ~っ、ねむい…」
真(春香のドッキリに参加したくなって、早起きしたのは良いけど)
真(お邪魔虫になっちゃうかなー、春香とプロデューサー今頃いいかんじになっちゃってたりして)
真(ボクも一応、プレゼントとクラッカー用意してきたんだけど…)
小鳥「あら、真ちゃん」
真「あ、小鳥さん。おはようございます」
小鳥「今日はずいぶん早いのね?」
真「えへへ、今日はちょっとしたイベントがあるんです」
小鳥「ああ、真ちゃんも、春香ちゃんのプロデューサーさんのお誕生日を祝いに来たのね」
ガチャ
真「おはよーございまーす」
小鳥「おはようございます」
キャ――ッ
真「あれ、春香…?」
P「待って、春香ちゃん、これは――」
春香「な、なんなんですか、これ…ッ」
P「違うの、話をきい――」
春香「おかしいですよこんなの…!」
P「違うの、これは」
春香「酷い、酷いですよなんでッ…」
春香「どうして私の服を…」
P「春香ちゃん、話を聞いて――」
春香「こんなの、あんまりです………プロデューサーさんのこと信じてたのに…!」
春香「今度のプロデューサーさんは――」
P「春香ちゃん…」
春香「私に酷いことなんかしないって…きっと優しい人だって…!」
春香「私、信じてたのに――!」
真「春香…?」
ヒドイッ!
小鳥「どうしたのかしら、春香ちゃんの声が…」
真「衣裳部屋…のほうでしょう…」
P「春香ちゃん、違うの、これはね…」
真「プロデューサー……!何を…」
小鳥「プロデューサーさん…!!」
P「ああ、真ちゃん!真ちゃんはわかってくれるよね…?」
春香「真…っ……助けて!プロデューサーさんがおかしいの…!」
真「春香……」
泣きじゃくる春香と困惑する真を見て、少しずつ冷静になってきた。
俺はとんでもないことをしてしまった。
また、同じ間違いをしてしまった。
床に崩れ落ちている春香の側に、リボンをかけた、白い箱が落ちている。
真「プロデューサー……」
真はとても悲しそうな顔をしていた。
小鳥「ど、どうしちゃったんですか、プロデューサーさん…これは一体……」
…
……
社長「……君は、私を裏切った」
社長「私は君を信頼して、彼女のプロデューサーとして君を据えた」
社長「それだというのに、どういうことなのかね、今回のことは」
社長「まさか、彼女に起こった悲劇を、知らないわけではあるまいね」
社長「彼女がどんな辛い過去を抱えているのか、知らないわけでもあるまい」
社長「私は言ったはずだ。彼女の扱いは、くれぐれも慎重に頼む、と」
頭の中で、あの十余年前の過ちが反芻される。
驚愕とも恐れとも憤りともわからない、酷く大きな感情によってゆがめられた姉の表情。
そして、つい先ほどの春香の嗚咽。
耳にまとわり付くように、彼女の鳴き声が俺を責め立てている。
社長「残念だよ」
社長「君は勿論解雇だ。警察沙汰にこそならなかったものの」
社長「警察に突き出されてもおかしくないところだったんだよ。君は犯罪者だ」
俺が犯したことが罪であるなら、
これはは一体、どんな罪に問われるのだろう。
社長「本当に残念だ。君と出会ってからの天海君は、見違えるように輝いていたというのに…」
社長「もう二度と、君と会うこともないだろう」
きっとおかしくなってしまっていたんだ。勘違いしてしまったんだ。
真があんまりに、何の疑念も無く、俺を受け入れてくれてしまったから。
誰もが真のように俺のことを受け入れてくれるわけではなかったんだ。
わかりきっていたはずだろう。
十五歳のとき、お前の姉は、どんな顔をしていた?
お前の父は、お前になんと言った?
お前の家族は悲しんでいた。
お前の姉の身に起こった悲劇を悲しんでいたのではない。
お前が異常な人間であることを
お前が頭のおかしい、イカレ野郎だったことを
お前の家族は悲しんでいたんだよ。
俺は異常だ。
今回のことで本当に、よくわかってしまった。
また誰かを傷つけるまで、己の本当の異常性に気づくことが出来なかった。
このままでは、俺の願いは永遠に叶うことは無い。
そしてこのまま生き続ければいずれまた、何かの拍子に
俺は勘違いしてしまうかもしれない。
そして同じように、誰かを傷つけることになるかもしれない。
生きている限り、同じ過ちを繰り返す輪の中から抜け出せはしない。
もうこんな悲しいことは終わりにしよう。
俺の願いをかなえる道はただひとつじゃないか。
ようやくわかったよ。
生まれ変わるんだ。
新しく、女の子に生まれ変わろう。
それしかない。
生まれ変わるまで、どれだけ時間がかかるかはわからない。
これだけ人を悲しませてきた人間が、
ほんとうに生まれ変わることが出来るのかさえ怪しい。
無間地獄に落ちて、もう生まれ変わることは叶わないかもしれない。
それでも、信じよう。
俺はきっと生まれ変わって、素敵な女の子になるんだ。
君達と同じ、やわらかな薔薇の息吹を頬に秘め、コーラルグリーンの声をした、艶やかな髪の――
ああ、遠くで少女たちの遊ぶ声がする。
少女が鼻歌を歌っているのが聞こえてくる。
いつか俺が生まれ変わって、君達のような素敵な少女になったときには――
君達の仲間に、
どうか私も混ぜてくれないだろうか。
おわり
ここまで読んでくださってほんとうに有難うございました。
Pが私情にかまけて仕事と自分の願望との区別を上手くつけられなくなってしまっている時点で
これは「プロデューサーと春香の物語」としては破綻していると思います。
どちらかといえば「頭のおかしい、どこか可愛そうな、プロデューサーを名乗る人物の物語」ですね。
おかしい点、批評等はあればぜひお願いします。
それと春香Pの人ごめんなさい。ホントごめんなさい。ゆるしてちょんまげ。
このSSまとめへのコメント
設定が結構ねられててよかった。最近のアイマスssは、pととりあえずイチャラブしてるハーレム物だったり、物語になってないオナニーssが多くてつまらないから、こういうssはかなりいいと思う。