柊四四八「神栖66町?」 (112)

新世界よりのスクィーラが、相州戦神館學園 八命陣のキャラ達と団結して神栖66町に立ち向かうストーリーです。


前作、遊佐司狼「神栖66町?」と、スクィーラ「ラインハルト・ハイドリヒ?」とは地続きになっています。

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いつから自分はここを漂っているのか、スクィーラには分からなかった。目に見えるのは赤色のよ
うにも青色のようにも黒色のようにも見える。

 自分の目の前に広がる光景は果てしない空間だった。景色を見るスクィーラ自身の視界は朧気で、もやがかかっているような感覚だ。

 このぼやけた空間の中を何時からかは知らないがスクィーラは漂流していた。意味不明で、分けの分からない異世界に来たスクィーラ。

 どれ位の時間をここで過ごしたのだろうか? ついさっき来たような気もすし、百年、千年という年数が経ったようにも感じる。正確にど
れ位の時間がここで流れているのか見当すらも付けられない。

 しかしこんな世界においても二つだけ分かっていることがあった。

 一つは気を抜けばこの空間の、奈落の如き深さと、果てが見えない程に広く広大な空間の一部になってしまうことだ。

 本能的にそう分かる、気を抜いた瞬間に自分の意識が周囲に吸い取られそうになったからだ。

 そもそも今の自分は肉体を持っているのかさえ分からない。精神、魂、意識のみの状態でこの世界を漂っているのだろうか? いや、
自分の今の状態以上に、自分が見た最期の光景はハッキリと覚えている。

 二つめは自分が何者で、そして何を目的に生きていたか、だ。

 自分は神を称する者達に戦いを挑み、そして敗れた。自分達の種族の誇りを掛けて連中に反旗を翻したのだ。

 しかし結果は切り札であった救世主が、同じバケネズミである奇狼丸の策略に嵌り死亡。神栖66町に敗れた。

 裁判の時に連中に「我々は人間だ!!」と吐いたものの、今考えればそれは無理な話だろう。

 ミノシロモドキに記録されていたバケネズミに関する歴史を見れば最初にバケネズミが造られた時から五百年もの月日が流れている。そんな月日が経った今日ではバケネズミを人間と思えなど到底無理な話だった。

 自分達バケネズミを人間と認めさせるのは不可能だろう。しかし人間に匹敵するだけの知力を持ち、意思疎通も可能な存在をこれまで虐げ、殺めてきたことに対する罪悪感が町の連中に芽生えるこ
とをスクィーラは期待した。力の差は只でさえ大きい。

 呪力使いである町の人間からすれば赤子にも劣る存在の筈だ。喜怒哀楽を始めとする感情も備わり、尚且つ人間に比肩しうるだけの知性を持つ存在バケネミ。自分達と姿形が違うから、呪力を持たない非力な者だから、
そんな理由でバケネズミは連中に都合の良い道具にされてきたのだろうか?

 ミノシロモドキの記録によれば自分達バケネズミは呪力を持たない旧人類の生き残り。先祖である旧人類と新人類である町の祖先が激しい戦いを繰り広げたことは知っている。今の自分達は先祖の犯した過ちのツケを払わされているのは間違いではない。

 しかしもういいのではないだろうか? 旧人類を人間とはかけ離れた姿に変えそんな者達の支配者として君臨することが楽しいのだろうか? 先祖が敵対関係にあったのは知っている。しかしもう十分だろう? これ以上旧人類の末裔であ
るバケネズミを苦しめたい理由は何なのだ?

 町の人間がバケネズミに対してしてきた冷酷な支配を見直してほしかった。呪力を持つ強大な存在である町の人間になぜ戦いを挑んだのか? 戦いには敗北したものの、せめて町の人間にバケネズミに対する扱いが改めることを期待した。
自分達がこれまでどんな思いで町の支配を受けていたか。常に町の顔色を伺いながら暮らしていくことがどんなに苦しく、過酷なのか。バケネズミが受けてきた苦しみを、痛みを、怒りを知ってもらいたかった。

 だがそれも無駄なことだった。裁判の際の傍聴席にいた町民達、裁判長の自分に向けた嘲笑の声が今にも耳に焼き付いている。スクィーラの期待を無残にも打ち砕いたのだ。そう、連中はバケネズミを苦しめてきたという罪悪感、後悔の念などなかったのだ。
あくまでも自分達が被害者だと、自分達に落ち度はないと、バケネズミをどう扱おうが知ったことではないと……。

 戦いに敗れたこと自体が悔しいのではない、町の人間達がバケネズミをゴミのように扱っておきながら、それを欠片も後悔することなく、当然のことだと思い、自分達は何故バケネズミに攻撃され、反乱を起こされたのか理解しようとしないのが悔しいのだ。

 連中にとってはバケネズミの苦しみなど知ったことではないのだ。いつでも使ったり捨てたりできる便利な道具だと。バケネズミは感情を持たないロボットではない。町の人間とさして変わらぬ知能を持った生き物だ。そんな存在に対して自分達を都合のよ
い家畜にしておいて、何の不満も怒りも抱かないと本気で思っていたのだろうか?

 「やりすぎた」、「厳しくし過ぎた」という考えにも至らないとは。スクィーラの精神は怒りに支配されていた。町の町民に対する果てしない憤怒の炎を一層激しく燃え散らせる。

そしてその「声」は、スクィーラが町への憎悪と怒りを燃やしている時に聞こ
えてきた。

 寒気が走る、怖気が走る、自分の耳に入ってくる声は否応なくスクィーラの神
経を掻き毟る。

 肉体はとうにない筈なのだが、正体不明の謎の声じゃ、精神だけの状態のスク
ィーラに確かな嫌悪感を抱かせていた。

 「いや、実に素晴らしい! 実に甘美で最高級の絶望だよォ。もしかしたら■■■■以上の絶望かもしれない!!」

 まるで何人もの人間が輪唱しているかのようなぶれた声だった。そしてその声
は嘘偽りのない確かな賛辞をスクィーラに送っていた。

 言葉や声自体は嫌悪感を催させる類のものではあったものの、口にした言葉の
は心の底からそう言っているかのようだった。

 そしてスクィーラの目の前に黒い霧のようなモノが集まり始める。それは寒天のように滑らかでありながら、
著しい不潔さを感じさせる鬱気を滲み出させている。

 おそらくその内部には、ありとあらゆる汚物がはち切れんばかりに詰まっているからだろう。
暗黒に染め抜かれた表面は一切の光沢を発していない。

 そしてそれは徐々に形を成してきた。ぞわぞわと歌うように微細な振動を繰り返しながら形づく
られていくその様は、どこか耳元で飛び回る羽虫の不快さを連想させる。

 いや、これは実際に、極小の何かが寄り集まった群れだった。その何かを定義するなら昆虫に
喩えるのがもっとも近い目に見えぬほど小さな蚊や蝿、蜂や百足、蜘蛛、ゴキブリといった、生理的嫌悪感を催す諸々
で編み上げられた黒い霧。その身を構成する粒子の一つ一つが汚らわしく、同じ世界に存在するのが誰であっても許せなく
なるような影であり、邪悪なエネルギーの集合体そのものだった。

 不快感と嫌悪感の奔流が精神だけの存在となったスクィーラを襲う。肉体がない分、ダイレクトにそれらの感情がスクィーラ
を支配していた。こんな存在がいる世界ということはここは地獄なのだろうか?或いはもっとおぞましく、口にするのも憚られる世
界なのか? 目の前の存在を言葉で形容するのであれば「悪魔」としか呼べないだろう。

 そしてソレはついに形を成してスクィーラの前に現れたのだ。

 その面貌は煙状に揺らいでおり、身に纏う漆黒の僧衣もろとも闇一色に染まっている。故に容姿は分からない。
無貌と評すべき外見ながら、それでもその存在が笑っていることが分かるのは、爛れた光を放つ瞳が愉悦の色に濡れている
から。吊り上った口元が、すべてを嘲ってるのだと告げているから。

 
 「あぁんめい、いぇすぞまりぃあ」

 そしてソレは宗教の聖句のような言葉を口にする。

 スクィーラは内心思っていた。自分の目の前にいる存在は悪魔なのだと。塩屋虻コロニーが手に入れたミノシロモドキは
膨大なまでの宗教、科学、歴史、考古学、人類学という過去の人類の記録を全て網羅していた。当
然スクィーラもそれらを熱心に学んだ。自分の今目の前にいる存在は西洋社会のキリスト教における「悪魔」の類のものだろう。

 ミノシロモドキから得た知識を引き出すと悪魔に関することが思い浮かんでくる。

 目の前の混沌が悪魔であるとするならば今自分がいるこの世界は地獄なのだろ
うか?

「Sancta Maria ora pro nobis
 さんたまりや うらうらのーべす

 Sancta Dei Genitrix ora pro nobis
 さんただーじんみびし うらうらのーべす 」

 悪魔は唄っていた。キリスト教における聖歌なのだろうが、この悪魔が歌が歌うと、禍々しいまでの呪詛の奔流となる。

 神聖なる歌が歌い手によって呪いと絶望と堕落を呼び起こさせるような呪歌へと変わるのだ。

 「Sancta Virgo virginum ora pro nobis
 さんたびりごびりぜん うらうらのーべす   

 Mater Christi ora pro nobis
 まいてろきりすて うらうらのーべす    

 Mater Divinae Gratiae ora pro nobis
 まいてろににめがらっさ うらうらのーべす」

 尚も悪魔は唄い続ける。そしてその歌はスクィーラ自身に向けられているのだ。

 「Mater purissima ora pro nobis
まいてろぶりんしま うらうらのーべす   

Mater castissima ora pro nobis
まいてろかすてりんしま うらうらのーべす」

 するとようやく悪魔が歌を歌い終えた。そして愉悦に輝く双眸をスクィーラに向ける。

 「待っていたよスクィーラくん。我が主からの命令で君を迎えにきたんだ」

 「む、迎え……?」

 「そうだよ。君にはこれから行われる未来を掛けた戦いの先頭に立ってもらわなきゃならないのさ。分かる、
分かるよ君の気持ち。君がどんな思いで紛い物の神連中に反旗を翻したか。そして敗れた君がどんな気持ちで死ん
でいったか。所詮家畜と蔑まれ、好き勝手にこき使われて何も感じないなんておかしいのさ。君は機械じゃないだろう? 
ロボットの類じゃないだろう?」

 「元は人間なら、プライドと誇りがある。自分達の真実を知った上での君の動、君を見ていた我が主が狂喜乱舞していたよ。
いやぁ、あの喜ぶ様は滅多に見られるモンじゃなかったねえ。僕の主をあそこまで燃えさせるなんて大したもんだよ。だからね、
主は君に力を貸したいのさ。君の生きる世界、千年後の未来の世界はこれより変わる。我が主が君を新たなる時代に輝ける星にしたいんだ」

 これは悪魔の誘いだった。しかし町の人間に破れ、絶望を味わった今のスクィーラにとっては悪魔の誘惑は救いの天使に見えた。

 「そうだよ、その意気だよスクィーラくん。君が味わった絶望、今度は連中に味合わせてやろうじゃない?」

 ウキウキしているかのような口調で語りかける悪魔。

悪魔の魂胆などスクィーラには関係なかった。スクィーラにあるのは町の人間に対する憎悪、
憤怒しかないのだ。

 「これから主の所に連れていくけど、そこには君に対してキツく当たる人もいるけど気
にしないでね。ああ見えて僕の友達なんだけどこれが素直じゃなくてさァ。君の生きる未来について主直々に説得されてやっと折
れたってワケ。まぁ、神祇省や辰宮のお嬢さんも渋々だけど協力はしてくれるみたいだし、これから主に合ってみればいいよ。君の生きる世界、
僕等にとっちゃ遥か未来の世界は主にとっては地獄なんだってさ。だからこそ君はあの方に目を掛けられたんだよねェ。それじゃぁしっかりと
意識を僕に集中しておいてね。気を抜くとこの無意識の海の一部になっちゃうからさ。それじゃいくよ、「限りなく盧生に近い者」さん」

 スクィーラは言われるがままに悪魔に意識を集中した。

スクィーラは気がつくと見知らぬ場所にいた。よく見たら自分は無限地獄の刑を受ける直前の姿に戻っていた。

 元通り、欠片の傷跡すらもない完全なる五体満足。これも自分の目の前にいる悪魔の力によるものだろうか?

 この場所は恐らくミノシロモドキの記録に存在した「礼拝堂」という場所だろう。西洋社会とは切っても切り離せない思想、
キリスト教、その信者の為に存在するべき神聖なる場所。

 そして言葉では到底言い表せない荘厳さで溢れていた。確かに文字通りの神聖な場所だ。しかし余りにも神聖かつ荘厳過ぎて
スクィーラは恐怖さえ覚えた。

 何故か? 神聖さと同時に禍々しいまでの悪魔的な要素も混在しているからだ。

 敬虔な信徒の安息の場所である教会の礼拝堂である筈が、この場所は何か違和感があった。

 とりわけスクィーラの目を引いたのは教会のステンドグラスに巨大なまでに描かれた仏教の曼荼羅の如き絵だ。見ているだけで精神に震えが来る。

 絵そのものは西欧的なのだが、その描かれ方はどことなく東洋の宗教である仏教を思わせた。

 そして礼拝堂の壇上にソレは立っていた。

 黒衣の装束を纏った男だ。ミノシロモドキに書かれていた記録をスクィーラは思い出す。

 男の着ているのは千年前の世界に存在した「軍隊」で支給されている「軍服」というものだろう。

 時代や国によって多少の違いは見られるものの、少なくとも今スクィーラが見ている男の纏う服は漆黒の軍服だ。

 そして。ソレを目にした瞬間スクィーラは自分の身体に強烈な圧力が掛かってくるのを感じた。

 「こ、これは!?」

 視界にその存在が入っただけでこれ程までのプレッシャーを感じるとは。恐ろしい、たまらなく恐ろしい。生物の持つ根源的
な感情である恐怖がスクィーラを支配していた。

 自分がこれまでに見てきた神栖66町の者達とは根本的に異なる怪物だ。

 「よくぞ来た。限りなく盧生に近き存在、スクィーラよ。俺の名は甘粕正彦。俺はお前がここに来るのを待ち侘びていたぞ」

無表情であった男は、狂気的とさえ呼べる程に禍々しい笑みを浮かべながらそう言った。

 「俺はお前の類まれなるカリスマ性、勇気、胆力、そして誇りを心から賞賛しよう。1000年後の未来において、
お前の姿は泥水の中でも輝きを失わない宝石のようだ。お前の持つ突出した才能、力は盧生にも劣らんだろう」

 「それ故に惜しく思う。お前が盧生であるのならばどれ程素晴らしいだろうか。暗黒の時代に生まれしスクィーラよ。
俺はお前と共に未来を救いたい」

 「み、未来を救うとは……?」

 甘粕と名乗った男の口から自分に対する惜しみない賞賛、賛辞の言葉が出てきたことにスクィーラは内心驚いていた。

 そもそも何故この男は自分を知っているのだ? それにこの甘粕という男は本当に人間なのか?

 疑問と疑念がスクィーラの頭の中を錯綜する。そして甘粕はそんなスクィーラが頭で思っていることが分かっているのかのように続けた。

 「そう恐れなくてもよい。俺はお前の生き様に深く共感している。そしてお前の存在している千年後の未来は俺にとって極めて悪夢とさえ呼べる
世界だからな」

 甘粕が言葉を一言一言発するだけでスクィーラの肉体と精神に圧力が掛かる。単に言葉を交じわしているだけだというのに、
心拍数が上がり、汗も噴出してくる。単に甘粕は何気なく気軽に話しかけているだけでここまでのプレッシャーを与えられるだけ
で甘粕が普通の存在ではないことが分かる。

 それもその筈、甘粕の横に控える先程の悪魔が「我が主」と言っていた。悪魔を従える存在など、どう考えても普通ではない。

 「お前は美しいぞスクィーラ。自分達の種族の真実を知り、その残酷な真実にも屈せずに抗うその勇気、是非お前には俺のぱらいぞに住んで欲しいと
思っている」

 「ぱ、ぱらいぞ?」

 甘粕の目的は何なのか見当すら付かないが、少なくとも敵対的でないことは確かだ。甘粕自身は、あくまでも友好的にスクィーラに接している。

 そもそも敵対すると言っても、この甘粕と対峙しているだけで心臓を握られている気分になってくる。殺そうと思えば瞬きする間もなく自分の命を
容赦なく刈り取ることが出来るだろう。

 この甘粕という男は魔人だ。それは決して比喩や誇張ではない。この男はそれだけの強さを間違いなく持っている。相対しているだけでここまで隔絶した
力の差を思い知らされているのだ。人間の身体に大自然のエネルギーを極限までに凝縮しているような存在。しかもまだ力の一端すらも見せていない状態でこれだ。
この甘粕が自分の持つ力を振るえば……、どれだけの力が顕現するのか想像すらできない。正真正銘、神に等しき力を持った魔人だ。

  「我が主よ、そろそろ本題に入りましょう。彼も少々混乱しているようですし」

 「ああ、そうだな神野。悪かったスクィーラよ。碌な説明もなしに話を進めてしまったようだ」

 甘粕は、スクィーラに謝罪すると、自分達が何者であるのか説明し始めた。

 甘粕と神野なる悪魔は、スクィーラのいた時代からおよそ千年以上も昔の時代から来た存在。甘粕は邯鄲の夢という所の制覇者、盧生なのだ。

 そして傍らにいる神野は人類の持つ普遍的無意識が生み出した存在だと言うのだ。そしてスクィーラが神栖66町に対して起こした
反乱の発端と顛末を甘粕と神野は見ていたのだ。スクィーラが無残にも破れ、町側から無限地獄の刑を言い渡され、文字通りスクィー
ラは地獄の苦しみを味わい、渡辺早季という女によってその生涯に幕を閉じる所まで。

 
 「スクィーラよ、お前は心から神栖66町の者達の支配から脱しようとした。しかしその願いは適わなかった。お前の無念は心中察するに余りあるぞ」

 「私は……、出来れば連中を排除してやりたかった。しかし敗れたのならばせめて町の人間達がバケネズミに対して行ってきた仕打ちを
知って欲しかった。我等は五百年苦しんだのです、その五百年にも渡る辛酸の思いを彼等に知ってもらいたかった。人間と認めろとまではいきません、
だがせめて私達が受けてきた苦しみを知って欲しい! 消耗品のように扱われることがどんなに生きた心地がしないか! 明るい未来など築けるわけがな
いことを知ってもらいたかったのです!」

 「追い討ちを掛けるようで悪いが……、お前が死んだ後の未来を見たが、お前が死んで十年後の未来に日本列島にバケネズミは存在しなくなった」

 「い、いまなんと……?」

 「駆除されたのだ。神栖66町の者達に一匹、いや一人残らずな」

 「そ、そんな馬鹿な……!?」

 「嘘は言っていない。神栖66町の新たなる長、渡辺早季と、その恋人である朝比奈覚の命令でやったことだ」

 「あ、あぁ……、あ……」

 スクィーラは絶句した。二の句が継げない、何も言葉が紡ぎ出せない。

 「う、嘘だ……! 嘘だと言ってください!」

 「……残念だけど事実だよ」

 神野は無表情のままスクィーラにそう告げた。

  「う、うわぁぁぁああああああ!!!!!」

 スクィーラは絶叫した。町の人間の中では古い馴染みである渡辺早季と朝比奈覚。その二人だとて自分達バケネズミ
に同情していたわけではない。現に牢に入れられた際にスクィーラに対して反乱を起こしたことを謝るように要求した。

 所詮はあの二人も呪力使い、町の人間だ。自分達のことなど理解してくれる筈がない、バケネズミの苦しみなど分からない、
姿形も違う存在に同情など抱かない……。

 だがこうして事実を突きつけられれば否応なく取り乱してしまう。

 自分の目から涙が溢れてくるのを感じた。

 「おのれ! おのれ! おのれぇぇぇぇええええええええ!!!!!!」

 ありったけの絶叫を礼拝堂内に響き渡らせるスクィーラ。野獣のような咆哮が自分から出たというのが信じられない。

 地面に伏せ、涙を流すクィーラの背中を優しくさすった者がいた。

 「え……?」

 「だからこそそんな未来を変えるんじゃないか。君が立ち上がらないと何も始まらないよ?」

 それは悪魔とは思えない程に優しく、慈愛に溢れた神野の言葉だった。しかし悪魔という存在は人間を堕落させる為に甘い誘惑を行うのだ。

 「姿形が変わろうと、人間が持てる素晴らしき輝きをお前は持っているのだスクィーラ。そのような姿になろうと自分達種族の為に町に反旗
を翻したのだろう? 家畜としての価値しか認められないという現実に立ち向かった。強大な呪力を持つ町の連中に対して知恵を絞って戦いを挑んだ。
戦いに敗北しても、バケネズミが受けてきた仕打ちをバネにして裁判で啖呵を切った」

 甘粕の賞賛の言葉がスクィーラの心に響いてくる。

 「あの神栖66町だけではない、あの世界に生きる全ての呪力者共に共通して言
えることだ。絶えず前に進み、絶えず研鑽し、絶えず努力するのが人間であろう? それでこそ人は輝けるのだ。問おうスクィーラ。神
栖66町は未来に向かって進んでいると言えるか? 自分達の持つ力に溺れずにいるか? 呪力という力に誇りを持っているか?」

 「そ、それは……」

 「血の滲むような鍛錬、修練の果てに呪力を手にしたわけではあるまい。なん
の苦労も努力もなく生まれながらに力を持てばどうなるかという見本のような存在だ。力を持って『当たり前』とタカをくくっている姿は滑稽とさえ思えるわ」

 甘粕は自分の神栖66町に対する見方に熱弁を振るう。この甘粕でさえ神栖66町の支配方針、思想には嫌悪感を持っているようだ。

 「お前達バケネズミが持つ不満や怒りをあの町の連中には永遠に理解できまい。知性ある生き物を殺し続ければ恨みや憎しみを買うのは至極当然だ。そんな単純な
ことすらも連中は想像がつかんときた」

 「自らの持つ力に何の誇りも抱けない下衆には過ぎた能力よ。自分達より遥かに弱い存在を何の躊躇も戸惑いもなく虐げ、蹂躙する輩のどこに誇りがあると言うのか?
 挙句の果てにその弱者に反乱を起こされようが自分達のしてきたことを顧みることすらもしないとは。このような輩が描く未来など想像するだけで虫唾が走る。未来を考えるのな
らば弱者を労わり、自分達がしてきた過ちを猛省するのが道理であろうが。呪力を持たない、姿形も違うケダモノのような存在ならば何をしてもよい。このような考えだからこそ反旗を
翻されたのではないか。しかも反乱を起こされても自分達のしてきたことを後悔すらもしていない。ここまで救いようのない馬鹿共が千年後の未来に君臨しているだと? おぞまし過
ぎて震えが来るわ。」

 「ど~~せ連中はバケネズミの境遇に同情なんてできませんよ。長年田舎に引きこもってるせいで生まれつき脳味噌にカビが生えているのがデフォの奴等ですから。大体呪力なんて力を持って
ても文明レベル停滞させすぎでしょ。発展なり進化なりすんのが普通なのにそれも出来ない時点で原始人以下の池沼の群れに過ぎませんよ」

 甘粕と神野が容赦なく神栖66町を断罪、糾弾する。二人の熱弁は聖堂を熱気に包ませる程にまでヒートアップしていた。

 「所詮連中は呪力という神の如き力を持って『酔いしれてる』だけに過ぎん。お前達バケネズミを存分に支配し、使役し、馬車馬のように働かせる。
そして気分を損ねれば抹殺し、蹂躙する。町の連中に輝きなど見当たらん。単に自分達の『保身』の為にしているだけよ。呪力という力に胡坐をかき、自分達を『神』
と称して自分達よりも非力な存在に崇めさせる。醜い以外の言葉が当て嵌まらんぞ」

 「神を気取っていてもその実、同胞の中から生まれる悪鬼や業魔なんて存在に怯えてる時点で草不可避だねぇ。おまけに薔薇や百合なんて年頃の子供達に強制させて性的倒錯文
化流行らせてんのがマジでキモイよねー。バケネズミに対して神様気取りで従わせてる時点で弱い者苛めしてるだけのいじめっ子と大差ないしー。こんな薄っぺらい連中が神様称してる
なんてマジ信じらんなーい」

 甘粕と神野はひたすら神栖66町をボロクソに貶している。自分の言わんとしていた不平不満を代弁してくれているような感覚だ、

  「わ、私に力を貸してくれるのですか?」

 「もっちろん。僕達と一緒に自分の世界を変えてみないかい?」

 スクィーラは目の前にいる存在は自分にとって、救世主となるか、破滅させられるのか分からなかった。しかし立ち止まってはいられない。未来を掛けた戦いは今ここに始まったのだ。

 床に座っていたスクィーラはゆっくりと立ち上がり、かつてなく凄絶に大地を強く踏みしめ、決意する。

 そう、必ず自分達の未来を勝ち取ると……。

  「本当に日本からバケネズミを一掃する気?」

 「ああ、もうこれ以上犠牲が出るのは沢山だ」

 スクィーラは甘粕の力で、自分の死後十年間の映像を見ていた。礼拝堂全体が映画館のようになり、上下左右どこを見ても映像が目に飛び込んでくる。

 これが甘粕という男の力だろうか? 甘粕の持つ超常の能力に驚嘆するスクィーラだったが、甘粕が見せている未来で起きた出来事を見たスクィーラは更に驚愕した。

 塩屋虻コロニーの残党勢力が神栖66町に対して十年の潜伏期間を経て蜂起したのだ。何故蜂起したのか?

 それは単純明快だった。大雀蜂コロニー傘下の勢力、その他独立系のコロニーに対する支配が更に凄惨且つ過酷なものだったからだ。

 確かに町の長となった早季は奇狼丸との約束を守り、大雀蜂傘下のコロニーを生き残らせることはできた。が、消えなかったことがイコール
幸運な結果になるとは限らない。そう、あくまでも「残させて」もらっただけで、バケネズミに対する待遇そのものは以前以上に苛烈を極めた。

 些細な失敗ミスをしただけでバケネズミは容赦なく呪力によって殺害された。数少ない独立系のコロニーも強制的に町に忠誠を誓わされ、過酷な徴収、労働、奉仕を強要された。

 幾ら早季が長になろうが、スクィーラの起こした反乱によってバケネズミに対する感情は確実に悪化しているのだ。自分達は元々バケネズミ達と「信頼関係」で結ばれていたと心の底
から思っていた町民だ。反抗イコール裏切りと見ているだろう。長とはいえ町の住民の感情全てを無視できる筈もなく、バケネズミに対する無情な仕打ちを見て見ぬ振りをしていたのだ。

 生き残ったバケネズミ達は特に理由のないまま町民の呪力の餌食になっていった。大人の立会いの下、子供達の呪力の練習台にさせられる個体も
数多くいた。

 呪力によって飛ばされた石で全身の骨を砕かれた者。

 身体を火達磨にされ、焚き火代わりにされた者。

 手足を呪力で引き裂かれ、苦しむ様子を町の人間から嘲笑された者。

 呪力で操られ、同じバケネズミ同士で殺し合いをさせられた者。

 特に理由などない気軽さで町の住民のストレス発散道具にされた者。

 余りにも凄惨だった。余りにも無慈悲だった。余りにも残酷だった。こんな状況が十年も続いたある日、地下に潜った塩屋虻
コロニーの生き残り達が、町の住民の玩具にされ、苦しめられる大雀蜂コロニーを糾合し、町に反乱を仕掛けた。

  が、結果は無残なものだった。スクィーラがいたからこそ、あそこまで町に対して打撃を与えることができたのだ。それにメシアの存在があったことも大きい。
しかし明晰な頭脳のスクィーラ、町民に対抗できるメシアがいない弱体化した残党の塩屋虻の反乱はあっけなく鎮圧された。

 町の人間にも五十名程の被害が出たものの、この反乱によって日本全国に生息するバケネズミを一掃する声が町の上層部や町民から上がり始めた。

 「よく考えてくれ早季、良好な関係を二度も裏切られたんだぞ俺達は! この信頼を踏みにじったバケネズミ共を生き残らせたらまた同じ悲劇が起こるかもしれない!」

 「わかった、そこまで覚が言うのなら。バケネズミは所詮私達とは違うケダモノ。醜い存在に対して慈愛の心を見せた所で付け込まれるだけ。スクィーラは決して許されない
最悪の行いをした悪魔。今考えれば同情なんて無意味だったのかもしれない。何故バケネズミという存在に姿を変えられたのか分かる気がするわ。信頼を裏切る存在に対して
掛ける情けなんてあるわけない」

 覚に押されて早季がバケネズミの殲滅に同意する姿を見てスクィーラは茫然自失としていた。所詮は自分達を理解などしてくれる筈がないのだ。

 「渡辺早季……! 貴様は偽善者だ……!!!」

 唇を噛み締め、映像の中の早季、覚に対して怒りを露にするスクィーラ。

 「悔しいだろう? 悔しいよね? よくよく考えてみなよ。君達バケネズミの苦労なんかこの女はな~~~んも分かっちゃいないっ。呪力っていう力に溺れて、自分達とは
違う存在を対等に見れないのさ。夏季キャンプの時に「本当の敵はあいつらじゃない」な~~んて台詞がよく言えたもんだよ。結局自分は町の方針に逆らえず、
妹や親友の死の原因を作った町に抗議の一つもあげやしない!! 町に対して「大嫌い」なんて愚痴零すのが精々な偽善者、臆病者の典型だよ! 強いのはバケネズミみたいな自分より
も格下の存在に対してだけ! 涼しい顔して町の長になるって信じらんなーーーい!!」

 神野は軽いステップを踏みながらスクィーラの狂騒的なまでのテンションで周囲を回る。耳元まで裂けているかのような笑顔、ダラダラと口からは涎を垂れ流しながら
、一人で熱狂していた。

  「分かるだろう、スクィーラ。神を気取っていようが、その中身は全く伴ってない。常に自分達の同胞の中から誕生する悪鬼、業魔の脅威に怯え続ている。その上自分
達よりも遥かに非力な存在に対して、支配者を気取り、その命をゴミのように扱う。まぁ、同じ呪力者の中から危険分子を出さない為に最善を尽くすのはよしとしよう、し
かしお前達バケネズミに対して散々に扱っておきながら反乱を起こされても何も学べない時点で愚か者でしかない。こんな薄っぺらい連中のどこが大それた存在だというのだ?」


 確かに甘粕と神野の言う通りだった。何故バケネズミのコロニーから反旗を翻されたのか。自分達の支配体制に問題はなかったのか。この二つ
について永遠に神栖66町は理解できないだろう。

 自分達が生き残る為には最善を尽くしていても、旧人類の末裔であるバケネズミは徹底して嫌悪し、蔑視し、支配するのが当然だと思っているのだ。

 歩み寄ることも、同情することも、理解し合うことも、和解することも、助け合うことも、信頼し合うこともない。

 ただひたすらに一方的に支配する者とされる者の関係が五百年も続いた。だがもうよいのではないだろうか? そこまで力を持つのであれば、バケ
ネズミを従える必要などどこにあるのか? バケネズミを支配させることで神の気分に浸りたいだけなのか?

 能力者と非能力者の戦いの歴史から何も変わっていない。非能力者を支配していた暗黒時代の奴隷王朝とどこに違いがあるのか。

 「欲しい、力が欲しい!! もっと強い力が……! あいつらに負けない力が、強さが欲しい!!!!」

 スクィーラは魂を込めた咆哮をした。

 「スクィーラ、お前の意思を確かに見たぞ。俺がお前に新たなる肉体を与える」

 甘粕がそう言うと、スクィーラの身体に異変が生じた。全身の骨が砕け、変形していくような激痛に襲われる。その痛み、苦しみは無限地獄の刑にも
匹敵しうるものだった。

 「ぐぁああ!? がぁ!?」

 これは単なる痛みではなく実際に自分の肉体が変異している。骨格、肌の色、体形のあらゆる面で別の存在に変化している。

 自分の目からは自分の手足が変貌を遂げていくのが分かる。どんな存在になるのか? という疑問がスクィーラの脳裏をよぎる。

 そしてようやく痛みが治まる。そして自分の身体を見たスクィーラは驚愕した。

 「こ! これは……! 人間……!?」

 間違いない、目の前にいる甘粕、神栖66町の人間達と変わらぬ人間の身体そのものだった。

 「これはお前にとっての試練だスクィーラ。真に人間であるという誇りを持つお前が憎む、神栖66町の者達と寸
分違わぬ姿形を持つことに耐えられるか? 誇りを持つのであれば、ありのままのバケネズミの姿の自分になるか? 
この状態からお前はいつでも自分の意思でバケネズミに戻ることが出来るだろう。これから「出会う者達」に誇りを持ってお前の「真実の姿」を曝け出せるのか俺は見てみたい」

 確かに今のバケネズミである姿こそが自分にとっての普通だ。しかし本来の醜い姿をありのままに曝け出せば、当然普通の人間は自分を怪物の類として見るだろう。しかし人間の姿で
い続ければ……、普通に接してもらえるのだろう。ケダモノと蔑まれなくなるのだろう。スクィーラは苦悩していた。信頼し合える仲間に出会えても自分の本来の姿を見れば対等
な存在だと見做されないのでは? だがバケネズミの姿こそが自分の本来の姿なのだ。この姿だからこそ町の人間に対して立ち向かうことができた。それはスクィーラにとっての誇りだ。
自分が憎む連中の皮を被るなど耐えられないことだ。しかし力を手に入れる為に必要なことならば……。

 「いつもながら試練を与えるのが好きなお方だ。彼をどうするおつもりですか?」

 「決まっているだろう」

 スクィーラは自分の身に起きたことに思考が追いつかない状態だった。そんなスクィーラを尻目に甘粕と神野が会話を続ける。

 「まさか主よ……、彼を?」

 「そう、そのまさかだ。スクィーラには第四層ギルガルの戦真館に行って貰う。そこで邯鄲の夢を学ぶのだ」

 「あははっ、貴方のいつものやり方ですねっ! 彼には試練が、鍛錬が必要と?」

 「そうだ。スクィーラよ、戦真館に入るに当たってお前には新しい名を付けよう。『塩屋虻之』、お前の新しい名だ。そしてお前はそこで仲間と出会うだろう。彼
等が本当にお前にとって信頼のできる仲間であれば自分自身のありのままの姿を見せるのだ。本当に信頼で結ばれた仲間がお前を受け入れるのかが見て見たい! 醜い
姿形をした存在でも絆と信頼で結ばれるのかが俺は見たいのだ!! これはお前にとっての試練なのだ!! 
さぁスクィーラ! 私に絆の力を、人間の持つ愛の力を見せてくれ!!」

 甘粕はマントを翻しながら、咆哮する。そう、これはまごうことなき試練なのだ。

 スクィーラは力を欲していた。神栖66町の者達に負けない力を、強さを。そして自分を受け入れてくれる存在に出会ってみたかった。自分の世界で、
バケモノの蔑まれ、人間として見てもらえなかった。だが、自分を受け入れる存在がいるのであれば……。

 そんな者達がいるのならば是非会ってみたい、そして力と強さを手にしてみたい。そう、自分の未来を変える為に。


 昨夜見た夢の続きを今夜見て、その続きを明晩見る。
 情景は鮮明。 それが夢であることを常に理解し、かつ起きた後も忘れない。
 つまり、連続した明晰夢。 たとえ身体は眠っていても、心は片時も止まっていない。

 幼い頃から毎夜そうした夢を見続けてきた 柊四四八は、通常なら人生の三分の一を要する休眠を、精神的な面ではしていないも同然だった。
 ゆえに心配される疲労も、不健康も、なぜか彼には一切無い。
 むしろ覚醒が途切れないことで気持ちは同世代の友人たちより数年先行しており、能力も高い秀才としてさえ通っていた。
 異常体質と言えば異常体質。
 だが実際に問題は起きていないので四四八はこれを己の長所と解釈しており、それ以外はごく普通の学生として日々の生活を送っていた。

 しかし、そうした自分と同じ特徴を持つ初めての相手――世良水希に出会ったことで四四八の人生は一変する。
 彼の友人たちも夢の世界に入ることが可能となり、当初は不思議に思いつつも楽しんでいた面々だったが、ある日を境に自分たちが巨大な
 歯車に絡め取られたのを自覚した。

 この夢は人を[ピーーー]。
 この夢は歴史を変える。
 この夢は、一度足を踏み入れた者を絶対に逃がさない。

 生涯不眠を貫くことなど不可能である以上、死の夢は夜毎 四四八たちを招き入れる。
 ゆえに、そこから脱する方法は二つだけ。
 今すぐ自ら命を絶つか、どこまでも突き進んで悪夢の謎を解き明かすか。
 否応のない二択であり、戦わなくてはならない動機もあった。 そして何より、四四八たちは皆が等しく思っていたのだ。
 これほど理不尽で不可解な状況なのに、なぜか巻き込まれたという気がまったく起きない。
 まるで、こうなることこそ皆の総意…… 自ら選んだ願いなのだというかのように。

 夢界における勢力の一つである貴族院辰宮の保護下に入った四四八達七人は第四層に存在する戦真館に入学した。そこで夢界における戦い方を教わる為であった。

 夢界において生き残る為の最大の手段が「邯鄲の夢」だからだ。現実では有り得ない超常能力を発現させる力である邯鄲の夢。現
状において四四八達はその力を十分に鍛えておらず、夢界における戦いに生き延びるべく、身を粉にして鍛錬に明け暮れていた。

 四四八達が戦真館に入学して一ヶ月程経った日、四四八達のクラスに転入生が来た。

 「今日から同じクラスになる塩屋虻之です。若輩の身ではありますが、誠心誠意向上に努めさせていただきます」

 端正な容貌に長身の塩屋はどこか心の篭っていない言葉でそう皆に告げる。

 そして塩屋は眉目秀麗な容姿に負けていない程の才覚を如何なく発揮していた。

 体力、実技、戦いにおける知識、戦術、戦略、兵法のどれをとっても抜きん出た才能を持っており、それこそ文武両道の四四八にさえ劣らない程だ。

 今や塩屋は四四八とクラスの首位を争うまでになる。

 そんな文武に秀でる塩屋ではあるが、どこかクラスの生徒とは壁を作っているような気が四四八を含む仲間達は感じていた。

 転校初日に四四八の幼馴染である歩美と栄光の二人が塩屋に声を掛けたのだ。すると塩屋の表情に若干の苛立ちが浮いて出たのだ。対人関係を築くの
は得意な方である歩美と栄光ではあるが、二人が塩屋の気に障ったような言葉は言った記憶がない。たまたまその時の塩屋の虫の居所が悪かったのか
もしれないが、その日の花恵教官の授業で「我も人、彼も人」という戦真館を代表する言葉を聞いた塩屋の様子が明らかにおかしかったのだ。

  「……何が『我も人、彼も人』だ」

 塩屋の表情は憤怒に彩られており、それは暴発寸前の火山を思わせた。

 何か深い事情や過去を抱えているのだろうか? しかしそれだけが塩屋のおかしい所ではなかった。

 授業が終わった後も一人校庭で鍛錬を積んでいるのを水希が目撃していたのだ。このようなことは一度や二度
ではない。ほぼ毎日のように血の滲むような鍛錬を繰り返しているという。その時の塩屋の気迫は正に鬼気迫る程で、気
軽に話しかけられるような状態ではなかった。

 塩屋は誰とも深く交わろうとはしなかった。それどころか他の生徒との関係を拒絶しているようにも見える。そういったことが続き、
塩屋はクラスから孤立していく。人と人との繋がり、仲間との絆を誇りの一つとしている戦真館において決定的に塩屋の存在は浮いていた。

 「ねぇ、敦。塩屋って以前のアンタとソックリじゃない? 何というか色々と似てるのよね」

 「一緒にすんな鈴子」

 鈴子が対人関係を築けないでいる塩屋を一匹狼で通っていた鳴滝と重ね合わせる。

 「ただ、アイツは何か尋常じゃないモン背負い込んでるみたいだがな。ああいった雰囲気の奴ってのはデカイものを失ったことのある奴特有のもんだ」

 塩屋が四四八のクラスに転入してきて五ヶ月目。クラスから完全に浮き上がった存在となった塩屋を見かねた四四八はついに塩屋に声を掛けた。

 「塩屋、いい加減にお前もこの学校の信念を学んだらどうだ? 勉強して良い成績を残すことだけが学校の本分じゃないぞ」

 「柊さん。悪いですが後にしてもらえますか? 勉強に忙しいので」

 今日話四四八が塩屋に話しかけた理由は、塩屋がぶつかって尻餅をついた穂積百に謝罪もしないどころか悪態をついたのが原因だった。

 「穂積に謝れ。さっきのはどう見てもお前が悪いだろ」

 「自分が通ろうとした先に穂積さんがいたまででしょう。どくのを待つよりは押しのける方が早いんじゃないですか?」

 「お前……!」

 四四八は塩屋の態度に苛立ちを募らせる。最近の孤立している状況が続き、周囲の生徒を嘲笑し、冷笑するような態度を取る
ことも珍しくなくなった。今や周囲から浮いているというより嫌われているという方が正しいだろう。

 「お前なぁ、捻くれてるのがカッコイイとでも思ってんのかよ? そんな厨二な性格設定、ここじゃ生かせないっつーの!」

 四四八の幼馴染である、晶が塩屋に喰って掛かる。

  「人と人との信頼関係が世の中じゃ一番大事なことだ。一匹狼を通しているだけじゃ人との繋がりなんて出来るわけがない。なぜそこまで他の生徒を拒絶する?」

 四四八の仲間である鳴滝も以前は一匹狼で通っており、強面の風貌かららか他の生徒から怖がられていた。しかし当の鳴滝はけっして噂のような野蛮で凶暴な男では
なく、芯はしっかりとした男だ。しかし似ているように見える塩屋と鳴滝は決定的に違っている所があった。

 塩屋は明らかに周囲の人間を嫌悪し、拒絶していた。人間嫌いという言葉が当て嵌まる。四四八の父であり、夢界六勢力の一つ、逆十字の首魁である柊聖十郎も現実
世界では天才学徒として名が通っていたが、極度の人嫌いであり、変人でも知られていた。

 だが聖十郎と同じ類の人間かと言えばそれとも違っていた。

 十日程前、放課後の誰もいない教室ですすり泣く塩屋の姿を四四八は見た。その時の塩屋は机に突っ伏しながら泣いていたのだ。その時の塩屋はこう呟いていた。

 「できない、できるわけがない……。自分の「本当の姿」を晒せば……。……絶対に拒絶される! 醜い自分のことを仲間などと思う人間などいるはずがない……!」

 「何が……、何が仲間だ! 本当の自分を受け入れてくれる存在などいるわけが……!」

 他人を拒絶し、近づきがたい雰囲気を醸し出していた塩屋の悲痛な言葉と嗚咽が耳から離れなかった。

 「……塩屋。お前がどんな経緯でこの戦真館に入ったかは知らん。だがお前がどんな苦しい経験を、過去を引きずっているのかは分かる」

 「何が言いたいんですか?」

 「お前の「本当の姿」とは何だ?」

 「そんなのは貴方には関係ない!!」

 そう叫ぶと、塩屋は教室を勢いよく飛び出した。

 深夜、戦真館の寮にある自分の部屋の全身鏡に塩屋は本当の「自分の姿」を映し出していた。

 醜い、の一言が集約された姿だった。顔も、肌も、目も、口も、身体も、足も、手も、何もかもが普通の人間とはかけ離れたいる、違い過ぎる。

 神話に登場するモンスター、獣人の一種だと言えばそれだけで納得してもらえるだろう。

 唯一人間との共通点は、二足歩行すること、人間に比肩する知力、言葉を話すことだけ。

 人間などと認めてくれるのを期待などしていない。余りにも人間とは遠すぎる肉体に改造されたバケネズミを見て人間と同胞だという方が無理な話だ。

 柊四四八を含む七人の生徒。あの七人はことに自分を気にかけてくれている存在だ。しかし心配をしてくれるのも、気にかけてくれるのも自分が彼等と同じ人間の姿形をしているかだ。

 彼等が決して悪い人間でないことは分かる。しかし本来の自分の姿をあの七人に見せればどんな反応をするだろうか? 掌を返した態度を取り、自分を
バケモノと罵るだろう。

 本当の自分の姿をしながら、あの者達と信頼関係を築くなど土台無理な話だ。怪物のような姿形の存在など所詮は怪物としか見られない。

 自分達をこんな姿に改造した者達もそれを見越した上でやったことだろう。

 「こんな姿で……、仲間など出来るものかぁ!!」

 叫んだ。ただそう叫びたかった。自分の目からは熱い液体が流れてくるのを感じる。偽りの姿で信頼関係を築けてもそれを本当の信頼と呼べるだろうか?

 醜い本来の姿を見て、それでも信頼関係を結べるということが有り得るのだろうか……?

 「ありえない! 絶対にありえない! 私は……、私は所詮人間とは違うケダモだ! こんなケダモノを仲間として見てくれる存在がどこにいるのだ!?」

 スクィーラは自分の全身を映す鏡を拳で殴りつけて割った。

 「一皮剥けば彼等も同じだ! あの神栖66町の連中のように私をケダモノと見做すだろう!」

 毎夜、スクィーラは全身鏡に本当の自分の姿を映し、自分自身の本来の姿を見るのが日課になっていた。自由に人間の姿とバケネズミの姿になれるが、人間の姿
は偽りの姿に他ならなかった。

 人間と同等と見てくれることなど期待はしていなかった。本当の姿を曝け出せばどんな人間だとて眉を潜め、自分をバケモノの類だと見做すだろう。

 人間の姿に戻ったスクィーラは戦真館の制服に着替えると、校庭に向かった。毎夜の自己鍛錬は気分を紛らわせてくれるのだ。

 校庭に来たスクィーラはいつものように鍛錬を始めようとすると、不意に後ろから声が掛かった。

 「塩屋くん」

 後ろを振り向くと、そこには柊四四八の仲間である世良水希が立っていた。

 「世良さん……。何しに来たんですか?」

 「えっと……、塩屋くんのことが気になって」

 「放っておいて下さい……」

 気にかけてくれるのも、心配をしてくれるのも全ては偽りのこの肉体だからこそだ。本来の自分の姿を晒せば反応は神栖66町の連中と変わらないだろう。

 「塩屋くん……、人間じゃないんだね」

 「え……?」

 千年という月日は人間の文明を様変わりさせるには十分な程の時間だ。

 古くから人類は年月をかけて自分達の生活様式を試行錯誤を繰り返して発展させてきた。政治形態、
衣食住、移動手段の多岐に渡る分野の数々を刻をかけて磨き上げていったのだ。

 飽くなき人類の進化に対する執念。

 他の生物には絶対に持ち得ない頭脳は人類の人類たる所以であろう。人間は歩みを止めることをしない、立ち止まった
ままではいられない。

 進化、進歩、発展、発達、昇華、練磨……。

 人類の歴史は発展の歴史だ。誕生以来、万単位の年月をかけて「進んできた」のが人である。

 だがその人類の進化への歩みが「止まっている」。五百年、或いは千年という年数に渡って「停止」しているのだ。

 千年という年月もの間、人類は歩むことができなくなった。

 進化を、発展を止めざるを得ない程の異常事態。過去の歴史においてこれ程までの進歩の停滞は見られなかった。

 何故人類は進化という未来に向かう足を止めたのか? 千年という月日に渡って文明が停滞しているのは何故か?

 人類の歴史における最大最悪の不足事態。ソレは進化の歩みを止めざるを得ないレベルの「力」だった……。

 呪力。

 その力の誕生は人類の歴史を、文明を崩壊に導いた。そしてその力を持つ者達によって力を持たない多くの人類が五百年に
渡る苦難の道を歩むことになった……。

 力を持たない人間、いやバケネズミから見れば正しく神の如き力を行使できる神栖66町の者達。ミノシロモドキの記録には呪力、PK能力者達は生き残る為に「愧死機構」、「攻撃翌抑制」を作りだした。これ以上の殺し合いは人類を滅ぼすという危機感からそれら二つを呪力者の遺伝子に埋め込んだのだ。

 そしてPKを持たない非能力者の人間達はバケネズミに改造された。相手を人間と認識すれば、遺伝子に刻まれた二つの力が働き、能力者を死に
至らしめる。人類を生き延びらせる為とはいえ、五百年という年月の間、呪力使いである町の人間達はバケネズミを支配続けてきた。

 生き残る手段としては適切だったかもしれない。だが所詮は自分達よりも非力で脆い存在である非能力者を都合の良く合理的に支配している
だけではないだろうか?

 お互いに歩み寄るでもなく、暗黒時代におけるサクラ王朝と本質的にどこが違うというのだ? このまま非能力者が呪力使いに支配さ
れ続けるのが本当に正しいのか?

 これから先も、永久に町の者達に支配され続けて明るい未来など築けるのだろうか? 非能力者は、能力者に抑圧されながら生きろというのか?

 知性がそこまで違わないのであれば、バケネズミがどんな思いをしながら町の人間を神と崇めているかは分かる筈だ。呪力者だけが有利な条件
で、今日まで生き残ってきたのだ。

 非能力者のとその子孫は未来永劫、醜い化け物同然の姿で呪力者に支配され続けろとでも言うのだろうか?

 他に方法はなかったのか? こんなやり方でしか生き残れなかったのか? 自分達の祖先の非能力者達はバケネズミに改造されることに納得した
上で今のような姿になったというのか?

 どれだけの数のバケネズミが五百年の間に呪力者に殺されただろうか? 

 確かにこの姿ならば同じ人間だとは思うまい。呪力者が生き残るには最適で合理的だろう。だが自分達のような、非能力者の子孫のバケネズミ
にとっては……。

 お互いに手を取り合うでもなく、単に能力者ばかり有利な手法を取ったに過ぎない。

 そのせいで五百年も呪力者に虐げられることになったのだ。非能力者を能力者が生き残る為の踏み台にしているだけではないか。これに納得する
など到底できない。

 非能力者の都合などハナから度外視していなければこんな方法をとるわけがない。非能力者は能力者の奴隷家畜でいろというのか。

 祖先をバケネズミに改造した科学技術の集団は能力者が一方的に有利な立場で生き残る方法を与えただけだ。

 何故ならば呪力者同士の殺し合いは避けられて、非能力者の子孫であるバケネズミは何人でも殺し放題。非能力者には余りに無慈悲かる冷酷な
仕打ちだ。

 こんな支配に納得できるわけがない。

 こんな立場に納得できるわけがない。

 こんな状況に納得できるわけがない。


 納得できない、納得できない、納得できない、納得できない、納得できない……。

 スクィーラの脳内はこの六文字で埋め尽くされていた。こんな醜い姿では同じ人間として見てもらうなど到底できるわけがない。
町の人間はバケネズミの立場など考慮に入れて
いないからこそ、あそこまでの非道をバケネズミに対してできるのだろう。

 神話に登場するモンスターのような自分のことなど、単に知恵のある化け物と見られるのが精々だ。知性が人間と同じ
であるのなら人間と同じく喜怒哀楽も備わっている。

  町の人間の影に怯えながらコロニーを運営していくしかないのが千年後の旧人類の子孫であるバケネズミの役目。

 スクィーラはこの状況を変えたかった、自分達の立場を変えたかった、能力者が支配する世界を変えたかった……。

 こんな醜い自分を仲間だと認める人間がどこにいる? 苦しみを理解してくれる人間などどこにいる?

 世良の言葉にスクィーラは諦めにも似た感情が自分を支配していくのを感じた。

 「私が人間ではない、と。それで私に何が言いたいのです?」

 「え、えっと……。何でこの戦真館に入学したのかなー?って」

 世良は戸惑ったような顔をして答える。

 「ええ、確かに私は化け物ですよ。醜悪で、人間とは似ても似つかぬ土の中に生きる卑しい生命体だ!!!!」

 スクィーラは裁判の時以来の激情を世良に対して爆発させた。

 「それでこんな化け物の私に何か用ですか? 大した用事もないのに声を掛けないでくれませんか? どうせ化け物の事
情なんて分かるわけはないでしょうけど」

 「塩屋くん!!」

 怒気なのか、それとも悲しみなのか分からない怒号を世良が発した。

 「そんなこと言わないでよ……」

 世良の目には僅かに涙が浮かんでいた。

 なぜ涙など浮かべているのかスクィーラには理解できなかった。

 「何なんですか……?」

 「ご、ごめん。怒鳴ったりして……」

 そう言うと世良は足早にその場を去っていった。スクィーラは世良の背中を見送ると、いつもの日課である修練、鍛錬に打ち込み始めた。


 そして数時間後、鍛錬を終え、寮にある自分の部屋にたどり着いたスクィーラはそのままベッドに倒れこんだ。先ほどの世良とのやり取りを
忘れたいスクィーラは眠りに落ちていった。自分が人間ではないことがバレたこと自体は然程気にしていない。逃げようと思えばいつでも逃げられる。
五ヶ月にも渡る血の滲むような鍛錬を積み重ねたスクィーラは邯鄲の夢の破段にまで昇りつめていた。

 以前とは違う自分の力に達成感を感じたスクィーラにとっては自分の正体が露見するなど些細なことに過ぎなかった。

  『スクィーラ、お前自身望むことは一体何だ?』

 『これも我等バケネズミにとっては必要なことだったのです』

 『■■様、私はミノシロモドキを持って部下と共に明日、町へと赴こうと考えております』

 『何する気だ?』

 『決まっております。ミノシロモドキに記録された真実を町の人間達に伝えるのです。この事実を知れば町の人間達も我らのことを考えなおすやもしれません』

 誰かと会話している夢をスクィーラは見ていた。目の前にいる若い男の容貌はよく分からない。霞が掛かったようにボヤけている。

 そしてスクィーラはその男の名前を呼んだ瞬間に、雑音のような音が入ってきた。頭の中で考えても目の前の男の名前が言えない、いや、考えることが出来ないのだ。

 だが会話している目の前の男のことをスクィーラは知っている。この男に町を倒す為に助力を懇願したのだ。

 「そうだ……、私は町に行ったんだ……」

 スクーラは無意識下の海に来る前にこの男に出会っている。そして命を落としてあの無意識の空間に流れ着いたのだ。

 「この男は……、まさか……」

 スクィーラは力を込めて男の名前を叫ぼうとする。

 「■■■■!!」

 しかし発する言葉も、頭の中でも雑音、モヤがかかって結局男の正体と名前が思い出せなかった。

 スクィーラは男の名前を叫んだ瞬間、夢から覚醒する。

 「夢、か……」

 スクィーラは身支度を整えると、学校へと向かう。昨夜の世良がこの学校の生徒に自分の招待を触れ回っているかもしれない。

 その可能性を第一に考えるスクィーラは警戒心を最大限にして自分の教室に入る。

 「あ、塩屋くん」

 世良が、柊四四八ら七人と共にスクィーラに視線を浴びせかける。

 
 「おはようございます、世良さん、柊さん、そしてその他の皆さん」

 「ちょ、ちょっと! 何で水希と柊だけに挨拶して、私達はその他なのよ!」

 我堂鈴子が食って掛かるも、スクィーラは相手にしなかった。

 「塩屋……」

 柊四四八が何か言いたげな表情でスクィーラを見つめていた。

 「何ですか、柊さん」

 「放課後、俺達の所に来い。もし時間がないのなら無理にとは言わんが……」

 何の用かはスクィーラも気付いていた。。所詮は自分は人間にバケモノとしか見られない存在だ。そんなバケモノがこの学校にいることは迷惑なのだろう。

 「いえ、大丈夫ですよ。授業が終わったら直ぐに向かいますから」

 放課後、夕日が差し込み、静寂に包まれた特科生の教室にはスクィーラ、柊四四八、世良水希、真奈瀬晶、龍辺歩美、我堂鈴子、大杉栄光、鳴滝敦士の計八名。

 スクィーラは七人と対峙するような形で距離を置いた。重苦しい空気の中、教室に来て数分程は無言で見つめ合っていた。

 柊四四八を始めよする七人のスクィーラに向ける眼差しはどこかしら強い決意を秘めているようにも見えた。当然だろう。自分のような普通の人間
から見れば化け物としか思えない生物に対する感情などそんなものだ。

 スクィーラは四四八達の口から蔑みや罵倒の言葉が、表情には醜い怪物に対する嫌悪感と恐怖感が出る瞬間を待っていた。

 目の前の七人は千年後の未来に生きる神栖66町を始めとする呪力者ではない。だがそれが自分達バケネズミを受け入れるか否か、苦しみが
分かるか否かは別問題だ。

 姿形がここまで違えば例え町の住民でなくともモンスターの類と思われるだけに違いない。最初から期待などしてはいないのだ。

 自分を仲間だと思ってくれる人間に出会うなど……。

 「塩屋、お前の正体に最初に気が付いたのは一ヶ月前だ。栄光が解法(キャンセル)を使ってお前のレベルを計っている時にな。俺も見てみたが流石に
驚いたぞ。解法に長けた者が目を凝らさないと分からない程に巧妙に姿を隠蔽していたんだからな」

  ───解法。

 邯鄲の夢の持つ技術の一つであり、他者の力や感覚、場の状況等を解析・解体する夢だ。この夢の資質が高い者は敵の力量や技の正体を見抜くことさえ
可能だと言う。

 柊四四八の仲間の一人、大杉栄光は解法に長けているのは知っていたが、まさかこの偽りの肉体を見破る程だとは。いや、甘粕は最初からこの能力の
熟達者には見えるようにしたのかもしれないが。

 しかしそんなことはどうでもよかった。怪物の類だと分かれば自分をこの学校から追い出すのか? それとも駆除するのか? スクィーラは
七人と戦う為に身構える。

  「それで? 貴方達が私の正体に気づいたから私に対して何をしようと? 追い出しますか? そうでしょうね、こんな醜い怪物がこの学校にいて良い
はずがない。殺しますか? それもそうですね。目の前にいるモンスターの類など人間にとっては脅威。さすれば[ピーーー]のが道理でしょう」

 スクィーラは目の前の七人に対しての嘲笑と蔑みの言葉を投げつける。

 「ったく! 流行の厨二病患者かお前は! 「俺に近づくな、近づけば不幸になる」、「俺に関わるな、死にたくないならな」なーんて考えに
酔ってるクチかよ。いいか! ヘソ曲がりなお前によ~~く聞かせてやるから耳かっぽじいて聞け!」

 真奈瀬晶が前に出てくるなり、スクィーラに対して渇でも入れるかのように吼える。

 「あたし等はお前を追い出すつもりも、駆除するつもりも毛頭ない! ただ、お前のことが知りたいんだよ!」

 「私のことを……?」

 「そーだよ! お前が人間じゃないことまでは分かった! けどな、お前は何をしにこの学校に来たわけだ? 人間に危害を加えるでもなく、あたし等の命
を狙うでもないんなら何が目的だ!?」

 「そ、それは……」

 スクィーラは言葉に詰まった。人間でないことが分かるのであれば、異分子は排除する筈だ。それをしないばかりか、自分に対して何をしにこの学校に
来たのかを問いているのだ。

 「授業中はカッコ付けてる癖して、たま~に放課後の教室や自分の部屋で泣いたりしてるよな。お前、自分が人間じゃないことに負い目でもあんのか? だったら
気にすんなよ。意思疎通も不可能な化け物ってわけじゃないんだろ? あたし等人間と同じ知能も感情も立派にあるだろ。自分を誤魔化すのはやめろよ、
お前は俺達を皆殺しにしたり危害を加える為にここに来たんじゃないんだろ? ならあたし等と仲良くしたって別にいいじゃんか」

 「私は……、私は……」

 スクィーラは動揺していた。本気なのだろうか? 本気で真奈瀬晶はこう思っているのだろうか? 言葉の端々に嘘偽りなどは微塵も感じない。ただ、自分の
ことが知りたいのだ。

  「ああもう! 煮え切らないわね! 男だったら胸を張りなさいよ! 正体不明で、皆と溶け込めない孤独なヒーロー気取ってないで自分の言葉をハッキリ言ったらどう?」

 我堂鈴子も真奈瀬に負けじとスクィーラに詰め寄ってくる。

 「もう五ヶ月も一緒にいるんだよ。だったら赤の他人ってわけじゃないんだし、私達に何か話しても良いでしょ?」

 我堂に続くように龍辺鮎美も同じくスクィーラに近寄ってくる。

 「ま、まあ! お前の正体には俺もちょっとばかしビビったんだよな……。けどよ、お前が俺達に何か危害や攻撃の一度も加えたことがないのはハッキリしてるしな。
敵対したくて来たんじゃねぇんなら俺達に何か話してくれよ!」

 大杉栄光も鮎美に遅れて近づいてくる。

 「お前の面は何かデカいモンを失ったことがあるって書いてんだよ。何の為に来たかはわかんねぇけどよ、相当な決意があるってことは毎日放課後に一人で鍛錬しまくってる光景で
分かんだよ。お前をそこまで駆り立てるのは何なのかは分かんねぇけど、ここらで一つ話してもいいんじゃねえか?」

 鳴滝は無愛想ながらも、スクィーラ自身の持つ強い意思と決意を察しているようだ。

 「塩屋くん……。貴方の背中を見てると何だか悲しくなるんだ……。けど、この戦真館に来た以上ここの教訓には従ってもらうから。正体が人間じゃないこと位私達は気にして
なんかいないよ。私達とこうしてコミュニケーションを取ってる存在を人間じゃないから邪険に扱うのはこの学校の理念に反するしね」

 世良は他の五人に遅れるようにして、スクィーラに近づいてくる。

 スクィーラは自分の瞳から熱い液体が流れ出してくるのを感じた。その液体は限りなく熱く、火傷をしてしまいそうな程にまでに煮えたぎっているような気がした。

 「わ、私のような存在を……、た、対等に扱う……? う、嘘だ、嘘だと言って……言ってくれ……!」

 溢れ出してくる感情を抑えることがスクィーラにはできなかった。

 「だ、駄目だ……! 私の本当の姿を見れば……! 唯の醜い化け物としか映らない……!」

 そう、皆がこのような言葉を掛けるのは今の自分が偽りの姿だからだ……。一皮向けば醜悪なバケネズミとしての本来の姿がある。

 どんなに言葉で取り繕っても、本能が、理性が本当の自分を拒絶してしまう。所詮自分は人間とは違う姿なのだ。

 誰がこんな醜い自分を受け入れてくれよう? 怪物に改造された祖先が受けた罪人の烙印のようなものだ。この呪われた姿は
普通の人間からはかけ離れすぎている。

 「本当の……! 本当の姿など見せたくない! 貴方達も私を醜いケダモノとしか見ないだろう! この姿は偽りのものに過ぎない! 私が真実を見せれば……!!」

 「塩屋……。誓うぞ、俺達はお前のどんな姿だろうが受け入れてやる!!」

 それは真摯で、勤勉で、文武両道、仁義八行を体現する柊四四八の嘘偽りのない力強い言葉だった。

 「栄光がお前の正体に気づいてから一ヶ月間、お前の本当の姿を受け入れるかどうかを俺達は議論したんだ。実を言えばお前の本当の姿については俺と
栄光にはもう気付いてるんだ。だがお前が自分の意思で自分の本当の姿を見せなければ何の意味もない」

 「夜中にこっそり寮にある塩屋くんの部屋に行った時に塩屋君が言っていた言葉だけどね、「自分は受け入れて貰えるわけがない」って言っていたよ。立ち聞きは
悪いんだけど、放課後の教室で一人で泣いてる塩屋くんが気になったんだ」

 そう、五ヶ月もの間を一緒に過ごせば自分の持つ秘密が漏れるのは当たり前だ。この七人はスクィーラの持つ苦しみ、孤独を共に生活してきた五ヶ月間の間に感じていたのだ。

 「塩屋、お前は胸を張って本当の姿を曝け出してみろ。姿形を云々言うのは俺達の、千信館(トラスト)の考えじゃない。お前は欲しかったんじゃないのか? 仲間を、自分を
受け入れてくれる存在を」

 四四八の言葉がスクィーラの胸に突き刺さる。

 「柊さん……」

 そしてスクィーラは意を決して偽りの肉体から、真実の肉体に切り替える。虚飾の殻に閉じこもっていては何も始まらないのだ。そんなことも気付けなかった自分が恨めしい。

 神栖66町の者達に面従腹背していた頃とは違う、本当に心からバケネズミを受け入れてくれる存在がいて欲しかったと願っていたのだ。もう頭を下げるのには疲れた。もう
恐怖で従わされるのにはウンザリだ……。

 スクィーラは恐れていたのだ。この姿を何より恐れていたのは他ならない自分自身だったのだ。この自分の姿を何より恐怖し、嫌悪していた。

 どうせこの醜い姿を受け入れてくれる存在などいるわけがない。

 どうせこの化け物のような生き物は排除される。

 どうせ自分のような人間とはかけ離れた怪物は人間から嫌悪される。

 幾度となく自分自身の姿を呪ってきた。自分自身の姿を幾度となく嫌悪してきた。

 自分自身の真実の姿を何より憎んでいたのは自分なのだ……。

 そして余す所なく七人に自分自身の真実の身体を曝け出した。隠す必要もない、虚飾の肉体で偽る必要もない。目の前の七人は自分自身の本当の姿を受け入れる
と言ってくれた。

 それに応えなくてはならないのだ。嘘偽りの装飾品で塗装された姿は本当のモノではない。まず自分の本音を、真実を伝えないことには始めらない。

 本当に自分を受け入れてくれる仲間にようやく出会ったスクィーラ。目からは涙が止め処なく流れてくる。スクィーラの胸の中には炎は燃え盛っていた。

 熱いのは流れてくる涙だけではない。自分の身体全てが熱くなっている。これ以上ない程の解放感に満たされていた。そして自分の体の中には抑えきれぬ程の
炎が燃え盛っている……。

 「ようやく本当の自分を見せてくれたな」

 四四八の顔には嘘偽りのない笑みが浮かんでいる。世良に至っては目に涙を浮かべていた。

 「私の本当の名前はスクィーラ。塩屋虻之は偽りの名です」

 今、ここにスクィーラは本当の名前を七人の仲間達に告げた。そう、これから戦いが始まるのだ。人類の未来をかけた呪力者達との戦いが……。

 地脈、というものがある。

 それは近代において地層の連続面を指しての言葉であり。
 かつての東洋では、陰陽五行太極風水においていつパン的に用いられる。

 曰く、地を走る血管。

 曰く、力を司る経路。

 曰く、大龍の寝床。

 これらは地域や思想によって表現を微々に変えつつも、示している太源は何も変わって
いない。大地を流れる霊的な力の通り道、地球という巨大な生命体に張り巡らされた血流
のようなものだった。

 その解釈と表現は単なる荒唐無稽に留まらない。人間にも経路の集うツボがある。
神経が集中する箇所がある。

 神経・血管・筋走行上に位置した体性内臓反射など。それらを性格な知識のもと鍼や
灸など刺激するという医療は近代でも一般的なものだ。そこをうまく操作すれば対象を
健康にすることも、逆に病ませることも自由自在。

 要はそれと同じこと。星を生命と解釈するなら、人間のつぼに該当するものが大地にあるのも
当然だろう。

 森羅、あまねくものは「混ざってしまう」。純金や蒸留水など、純度の高いものはおしなべて
人工的だ。

 巣のままに生まれた天然物であるほどに、不純物となってしまうし単一では
いられない。だからこそ自然と陰陽  "吉"と"凶"が顕在化する。

 科学的に述べるなら、大陸間断層同士の干渉による地表の軋り……とでもいうべき
だろうか。天然から生まれた資源の宝庫を吉とするなら、煽りをうけて痩せた土壌を
凶とするというように。

 だからこそ大地に張り付いて生きる人間にとって、健常な地脈にそって街を造るのは
非常に重要なこと。

 活力のある土地に住めば人の調子も良くなるが、病んだ土地に住めば不幸が起こる。破滅する。

 それは噴火などの災害であったり、それによって発生する陰鬱や怨恨という気質であったり、
現象は様々であるが、徹底して凶事だ。

 逆に言うなら、地から利を得て福寿と成すのが人の営み。都を繁栄させる要である。

 これは世の理であり、少なくとも古くからそう信じられてきた事実だった。黒船が
来航するより以前となれば語るまでもない常識であり、風水師とはすなわち方位と地脈に
相通じる専門の科学者でもある。

 星の動脈───東洋ではこの力を龍に喩えている。

 黄龍、または勾陳。大地を走る黄金の龍。
 五行説における黄は土行、方位として中央を指す吉兆そのもの。都を守る龍神である。

 だが今、それが病んでいる。近代化を遂げていく日本、いや世界全体で突如として起きた
不足事態、異常事態───。

 人の身でありながら、超越した力を生まれながらに持っている存在。

 呪力───。

 この力を持つ者と持たざる者との戦いの末に文明は滅びた。いや、正確に言えば「後退した」と言うべきだろう。

 文明のレベルで言えば近代以前に逆行したと言っていい。文明の崩壊により、多くの命は死に絶えた。

 そして最初の文明の崩壊から五百年に達した時、人類の歴史において大きな転換点が訪れた。

 人の身にして神の如き超常の力を持つに至った呪力者は自らを「神」と称したのだ。

 その呪力使い達を神と崇めるは持たざる人間達───否、醜く、醜悪な生物に改造された者達だ。

 人間でありながら、同じ人間であった者達に対して「神」となった新人類、呪力者達。

 その思考は端的に言って傲慢でしかない。だが、その傲慢さも人類を生き延びらせる為にしたこと。

 傍目から見れば非道という言葉すらも生温い所業によって五百年に渡る新人類と旧人類の戦いに終止符を打ったのだ。

 人間であった時の誇りや尊厳を奪われ、力のある者に支配され、抑えつけられる旧人類。

 とはいえ、呪力者達は過去に存在した宗教、信仰を捨てているわけではなかった。

 信仰とは即ち神にとっての力の源。だが最大の問題はソコではないのだ。

 言うまでもなく呪力者よりも、旧人類、怪物に改造された者達の人口は比べるまでもないまでに大きい。

 信ずる者が多いに越したことはない。しかし、決定的な過ちを呪力者達は犯してしまったのだ。

 怪物に改造された旧人類の者達は当然のことながら自分達の出自など知る筈もない。呪力者達が真実の歴史
を隠蔽した為だ。文明崩壊以前の歴史など五百年の時を経た旧人類の子孫達が知る由もないのだ。

 当然のことながら、人口の多い旧人類の分だけ「信仰が減った」ことを意味する。

 文明崩壊以前の宗教、神など知らない旧人類は、自分達を支配する呪力者達だけが神と信じる。

 旧人類が崇めて良いのは呪力者達だけ。

 人の身でありながら神を騙るその姿勢こそが黄龍を反転させることになったのだ。

 即ち狂える邪龍へと───。
 
 が、その龍は今は眠っているのだ。深く、深遠なる眠りについている。

 何かのきっかけで目覚めてしまうことは確実だ。

 そのきっかけが成された時───前の時・・・とは比べようがないまでの暴威を顕現させるだろう。

 今この時点では本来の主の制御下には置かれていない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 邪龍は何者かの手により変えられたのだ・・・・・・・

 本来の主以上の力によって……。

 今、この瞬間に黒衣の影法師がゆらめき続けている。深い眠りにつく邪龍を愛でるかのように見守っているのだ。

 この存在こそが邪龍の主の計画を狂わせた張本人。

 黒衣の影は、霞掛かった唇を僅かに歪ませながら呟いた。

 「さあ、恐怖劇グランギニョルを始めよう───」

 影の言葉と同時に邪龍の胎動が大きくなってゆく。そう、時は近い。邪龍がその牙で偽りの神達に裁きを与えるその時が───。

 「いよいよ納得できんなってきたのぉ……」

 壇狩摩は不機嫌そうに煙管を吹かせながらぼやく。

 「あの甘粕がこがぁなヘボイ試練を与えるとは到底思えんのぉ。お嬢、あんたもそう思うか?」

 狩摩はそう言うと傲岸さで光る蜥蜴のような細い目の中の瞳を椅子に座る宝石、芸術品と言っても比喩ではない程の美しさで形成された少女に向けて告げた。

 辰宮百合香は狩摩の思う心中を察しているのか、

 「狩摩殿の不信感、このわたくしもよく分かります。大尉殿にしては聊か手温いとしか呼べない試練です」

 「おぅよ。そもそも甘粕ちゅう男は手加減、手心の類なんて持ち合わせとらんのじゃけ。あれは気に入った輩にこそ洒落にならん真似を
する男じゃ。試練、試練の釣瓶打ちよ」

 「甘粕殿が危惧しておられる未来……。あれはわたくし達にとっても由々しい事態なことは確かなのですがね。それにしても
五ヶ月もの間、あの廃神を戦真館に入らせ、柊四四八以下七名とお戯れを命じるなど不自然としか映りません。塩屋虻之、確か
その名前を使ってはおりますが、本来の名はスクィーラ。あの方には一度人間の皮を着た状態で会いましたが……。あの方には
私の「術」がどうしても通じませんでした」

 「ほう……」

 辰宮百合香の持つ邯鄲の夢を知る狩摩は不自然がる。術のタネ・・を知る狩摩であるが、
スクィーラがあの術を逃れる条件に当て嵌まっているとは考えにくい。

 「あの廃神モドキがのぅ……。ちょっと待てや、それじゃひょっとするとあのネズミ……」

 狩摩は思いついたかのように考え込むと、直後に大笑いを上げた。

 「くはっ! かはははははははは!!! そうきたか! そう来るでか!? いよいよこの夢は退屈させんわ!!!」

 小首を傾げながら洪笑をあげる狩摩を不思議そうな目で見つめる百合香を尻目に、狩摩は愉快とばかりに笑い続けた。

 「となるとどの道、あの町の神様気取っちょる連中には灸を据えなきゃならんのぅ!!! 気になるんは甘粕から指揮権・・・
奪っちょる奴じゃけえ」

 そこは深海の底に沈んだような空間だった。

 重く、暗く、冷たく、静か。華やかさや温かみは徹底して存在せず、正常な世界から切り離された特殊な様相を呈している。

 一見すれば冥府や地下墓所、そのように表現するほうが正しいようにも思えるが、にも関わらず海の底を思わせるのには訳があった。

 ここには生ある者が存在する。よって死者の国では断じてなく、ある種の前向きな営みが行われているのは間違いない。

 ただし、それが常人のものとは趣をまったく異にするという事実があるから、ここは海の底なのだ。

 深海魚は異形である。

 日の光を浴びて生きる者には、その姿と習性が奇怪でグロテスクな異次元の仕様に見える。

 だが彼らにとっては至極真っ当で、自らの行き場に適応した美しくも無駄のないカタチなのだ。

 暗黒の闇に包まれる礼拝堂を、燭台に点った炎が不気味に照らしていた。

 そしてその蝋燭の放つ光を跨いで、対峙している二つの影がある。

 無貌、神野明影。

 盧生、甘粕正彦。

 この時点で数十分程の沈黙が両者の間に続いていたものの、この静寂を神野の振動する蝿声が破った。

  「主よ……、まさか空亡の主導権まで奪われてしまうとは予想外でしたね」

 普段は嗜虐と諧謔、冷笑、嘲笑の四拍子が合わさった笑みを常時浮かべる神野ではあるが、今この場に限っては
無表情だった。

 「全くだ。まさか盧生であるこの俺でさえも抗えない力があるとはな」

 「何せ全世界の盧生になりえる資格を持つ者が人質ですから。そして挙句には全ての人間は庇護されることだけを
求める輝きの欠片もない凡愚だけしか存在しなくなる、と。まぁ、つまり全ての人間が人質ってわけでしょう。
貴方にとっては地獄しかない未来が待っているだけ……。貴方にとっては自分が死ぬことなんて大して気にも留めない
でしょうけど、人間達がひたすらに堕落していき、盧生になりえる者は0人にされると言われちゃ貴方でも従わざるを
えませんよね。眼前には貴方の嫌悪する光景、未来が広がるだけ……」

 「認めたくはない世界だな。俺にとっては断じて受け入れたくはない地獄だ」

 「ひたすらに救いようのない愚図、凡愚、劣等だけが存在する世界……。しかもその中には盧生なんて一人もいない、
ぱらいぞなんて作りようがありませんねぇ、これじゃ」

 「盧生とて神ではない。だが神とはいってもピンからキリまでだがな。あの黒衣の男の目的が何なのかは分からん。
だが、千年後の世界は俺にとっても認められん世界であることには変わりはない。使い走りにされても、しようとしている
ことは少なくとも俺的に言わせれば悪くはないと思っている」

 「ま、それもそうでしょうね。きははっ、きはははあははははあ!!!!」

 神野は甘粕の言葉を受けて普段通りの嘲笑的な雰囲気を纏い、礼拝堂を哄笑で振るわせた。

 夢界の頂点を極めている筈の甘粕の絶対的支配権が、今この時限りは別の存在に握られている。

 そう、盧生以上の何かに……。

 四四八は夢を見ていた。夢を見る、それは四四八が十年以上も生きてきた中でごく普通の当たり前の光景である筈だった。

 明晰夢───。

 生まれた時から自分にはこの明晰夢を毎日のように見ている。人生の三分の一を睡眠に費やす普通の人間とは異なり、
片時も心が休まる暇などなかった。

 しかしその体質を四四八自身は自分の長所と見ていた。これがあるからこそ四四八は年齢以上に成熟した精神を持ちえたのだから。

 だが今四四八が見ている光景はそうしたこれまで自分が見てきた明晰夢とは決定的に異なっていたのだ。

 今まで見てきた夢の光景は世間一般の人間が見るぼやけたような視界ではなく、ハッキリとしたものであった。それこそ
現実と区別がつかない程にまでリアルな情景が広がっていたのだ。

 だが今自分の見ている夢もそうだが、その夢の内容に四四八自身は不快感を禁じ得なかった。

 怒り、嘲り、侮蔑、軽蔑、傲慢、卑下、罵倒、怒声───。

 ありとあらゆるマイナスの感情が奔流となって四四八に伝わってくる。

 視界は朧気ではあるものの、おおよその光景は分かっていた。

 これは裁判だ。

 そう、今四四八が見ている光景は法廷であり、罪人に対して有罪無罪を宣告する場所。四四八自身も法律家への道を志望している。

 だがこの裁判はどこかが歪んでいた。

 一介の犯罪者に対するようなものではない。これは四四八の直感が告げていた。

 「何なんだ、この裁判は……?」

 被告らしき人物は傍聴席、裁判官に向けて何か叫んでいる。その被告を傍聴席の者達、裁判官は嘲笑っているかのように見えた。

 そして今まで何を喋っているのか分からなかったが、ここに来てようやく被告人の声がハッキリと聞こえてきた。

 「私は野狐丸ではない!! スクィーラだ!!!」

 「スクィーラ!?」

 四四八は驚愕した。それと同時に朧気だった光景がハッキリとしたものに変わっていった。そう、これはスクィーラが何らかの裁判にかけられている光景だ。

 「ほう? 我等が与えた崇高な名をいらないと申すか!?」

 「[ピーーー]! バケネズミめ!」

 「町を裏切ったケダモノがぁ!!」

 「よくも俺たちの仲間を殺してくれたな!!」

 スクィーラが叫ぶと同時に傍聴席から怒声が飛んでくる。

 「町を裏切った? 反乱? どういうことだ……? まさか……?」

 四四八はスクィーラの過去の背景がようやく掴めてきた気がした。

 そう、スクィーラは傍聴席の者達に対して反乱を起こした罪で捕らえられ、裁判に掛けられているのだ。

 スクィーラの持っていた人間への不信感、自分の姿形それらの感情はここから来ていたのだろうか?

 しかし四四八が最も感じた感情は周囲の町の人間に対する不快感だった。

 悲痛な叫びを上げるスクィーラをケダモノか何かだとしか思っていない。

 スクィーラに向けられている怒りは同じ人間に対してのソレではなかった。

 ケダモノ───。

 確かに見た目から言えばそうだろう。姿形は人間とはかけ離れ、ネズミの怪物を思わせるものだ。

 だがスクィーラにも四四八達普通の人間とさして変わらぬ感情、知性を持ち合わせている。明らかにこのレベルの知能を
持っている時点で牛や馬とは違う筈だ。

 ここまでの知性を持つ存在であればこの町の人間達に対して何らかの不満を抱いていたのではないだろうか?

 反乱とは言っていたが、何が目的で反乱を起こしたのだろうか?

 町の人間達がスクィーラに向ける感情───。

 四四八自身が最も嫌悪する思想からくるものに近かった。そう、怒りながらも相手のことをまるで見てはいないのだ。スクィーラの発する怒号を
嘲笑し、見下し、ケダモノの戯言と切って捨てている。

 今までスクィーラがどのような思いをしてきたのか、四四八はようやく理解できた。

 スクィーラの抱いていた感情を理解すると、四四八は夢から覚醒し、こう呟いた。

 「スクィーラ……、お前は……」

 柊四四八達に自分の真実を見せてからはや一ヶ月が経った。

 にわかには信じられなかった。自分を、バケネズミを受け入れてくれる者がいるなど。

 これまで町の人間を神と畏れ、敬い従ってきた。ミノシロモドキの真実に触れなければ町の人間の道具にされている真実を知らない
一介のバケネズミとしての生を終えていただろう。

 町の人間達に勝利するには力が必要だった。自らのコロニーの女王であり生みの母に対して特殊な手術を施したりもした。

 子供を悪鬼し仕立て上げて町に対する攻撃に利用したりもした。全ては町の人間を排除する為だった。だがそれも失敗に終わった。

 同じバケネズミである奇狼丸が町の人間に味方したせいだ。同じバケネズミとして町の人間に不満を持っていたのは同じ筈だ。
 
 にも関わらずなぜ呪力者に従う道を選んだのだ。町の人間の庇護下、いや、圧制下でのコロニーの繁栄などいつ消されるかも分からない蝋燭の火と同じではないか。

 町の人間の気分次第でコロニーなど簡単に消される。そんな程度の存在としか思われていないのだ。

 こんな状況でコロニーの繁栄など出来るわけがない。道具のように扱われているだけの生に耐えられないからこそスクィーラは反旗を翻したのだ。

 しかし敗北し、挙句に十年後にはバケネズミという存在は日本から消えた……。

 新人類である呪力者は結局旧人類の命などどうでもよいのだ。

 争いの歴史に終止符を打つ方法が、旧人類に対して永劫の地獄の苦しみを味あわせることだとは。

 スクィーラの胸には怒りがこみ上げてくる。それこそ呪力者への、町の人間への果てしないまでの憤怒で……。

 「糞……! 糞……!」

 スクィーラは苛立ちの余り歯軋りする。

 「塩屋君……」

 世良が心配そうな顔をしてスクィーラの顔を覗き込む。

 今日はスクィーラ、柊、世良を含む八名が校庭に呼び出されていた。

 何かのテストをやるらしい。何をするのかはまだ聞かされてはいない。

 先日の貴族院辰宮の執事、幽雫宗冬との戦いを経て見事合格を勝ち取った。

 次は何をするというのだろうか? スクィーラがそう考えていると、柊四四八がスクィーラに声を掛ける。

 「塩屋。いや、スクィーラと呼ぶ方がよかったか? 昨夜お前の夢を───」

 その時だった。

 『機は熟した。これより戦争の開始だ』

 「え?」

 「な! 何だぁ!?」

 声が聞こえた。それも頭の中に直接響いてきたのだ。その声と同時に周囲が「変わり」始める。

 校庭は軋りを上げて歪み出し、空は褐色に染まってゆく。変わっていく、世界が変わってゆく。

 この異常を素早く察知したスクィーラは意図せずして柊と同時に声を上げていた。

 「気をつけろ! 皆!」

 「ちぃ! 敵か!?」

 「いきなりかよ!」

 鳴滝と大杉が叫ぶ。

 「こ、これは───」

 スクィーラは周囲で起きた変化を見逃さなかった。

 そう、歪んでいるのではない。「塗り替えられて」いるのだ。

 戦真館は何かの景色に塗り変わっていっているのだ。学校がみるみる内に何かの景色に変化していく。森の中?

 いや、違う。これはスクィーラがよく知っている場所だった。コンクリートで出来た建物が薄っすらと見える。
間違いない、ここは塩屋虻コロニーだ!!

 しかし次第にコロニーへと環境が変わっていくと同時に、コロニーで何が起きているのかもハッキリと分かった。

 「ま! まさか!?」

 目の前で広がっている光景にスクィーラは絶句した。

 殺戮、屠殺、蹂躙、暴虐───。

 当て嵌まるのならそれらの言葉しかありえない。そう、コロニーのバケネズミ達が町の監視員達によって殺されているのだ。

 景色がハッキリすると同時に同胞であるバケネズミ達の悲鳴が響き始め、むせ返るような血の匂いがしてくる。

 塩屋虻コロニーの地面にはバケネズミの血と臓物が無造作に散乱、鼻腔を突くような血の臭いが充満し、さながら地獄を思わせる惨状だった。

 逃げ纏うバケネズミの兵士達の悲鳴が辺りに響き渡り、町の人間達による虐殺(ホロコースト)の舞台と化している。

 逃げ回るバケネズミ達は一人、また一人と同胞達の肉体が破裂し、周囲を更に血で染める。

 もはやその光景は「戦い」にすらなっていなかった。圧倒的なまでの力、「呪力」を使い、バケネズミ達を虫ケラのように殺していく。

 やはりそうだ。町の人間達はバケネズミの命など家畜と同等程度としか思っていない。幾ら知能があろうが連中に
とってはそれは何の躊躇いの要素にもならない。

 自分達と違って醜い「化け物」の姿をした者達に何の情けをかける必要があるだろうか?

 所詮使い捨ての道具をいつ捨てようが構わないのではないか?

 「やめろ! やめてくれぇぇぇぇ!!!」

 自分の同胞達が殺されていく光景に気が動転したスクィーラは同胞を殺している目の先五十メートル程にいた監視員に猛然と駆け寄り、その男を突き飛ばす。

 「ぐぁ! な! 何だお前は!?」

 「黙れ!! 貴様等町の連中はどこまで我等バケネズミを殺せば気が済む!!」

 「何だと?」

 「俺の姿をよく見ろぉ!!」

 スクィーラは自分の本来の姿を監視員の目に晒した。

 「ほう! お前は野狐丸。貴様のコロニーで反乱の兆候があったのでな。知らないとは言わせんぞ!」

 「反乱だと? 当然だろう! 貴様等のような者達に隷属して繁栄など出来るものかぁ!!」

 「がぁ!?」

 スクィーラは邯鄲の夢の技の一つ、創法の形で槍を素早く作り上げ、監視員の頭を電光の速さで貫いた。

 「許さん! 許さんぞ神栖66町!!!」

 生まれて以来過去最高の憤怒の感情で支配されたスクィーラは、残りの監視員を抹[ピーーー]るべくコロニー中を駆け回る。戟法の迅の数値が高いスクィーラは迅雷の速さで
コロニーを疾走した。

  「柊くん!」

 「分かってる世良!」

 四四八は、昨夜の夢を見たのが自分だけではないことを他の六人と今朝会って知った。そう、この世界はスクィーラが元々いた世界だ。

 この世界は第四層か? もしくは第五層なのか? それすらもハッキリとは分からない。だが目の前で繰り広げられるスクィーラと同じ姿形をした
異形の者達の悲痛な叫びを聞いた四四八は行動するのを躊躇わなかった。

 「四四八!」

 「四四八くん!」

 「柊!」

 「柊!」

 「四四八!」

 仲間達全員が目の前の虐殺を止めるという選択をした。詳しい事情は分からない。だが目の前にいる虐げられる者達を救うことを躊躇うのは四四八
の行動理念としている仁義八行に反する。

 「分かってる! いいかお前等! 殺されてるスクィーラに似た者達をあの黒いフードの連中から救え!! 力づくでも止めさせろ! やむを得なければ[ピーーー]のも
覚悟しろ!」

 「了解!」

 「行くぞお前等。腹を括れぇ!!」

 四四八達七人は全員で固まり、目の前の黒いフードの男達を止めにいった。

 「オラァ!!」

 鳴滝の豪腕が虐殺を続ける黒フードの男を吹き飛ばす! 妙な力で異形の者達を破裂させたり、火あぶりにしていた。その力に十分に警戒しなければならない。

 「ば! 馬鹿な!? 「また」人間だと!? こいつらまで「攻撃翌抑制」がないのか!?」

 黒フードの男の一人が叫ぶ。

 「はぁ!!」

 世良が電光の速さで叫んだ男を峰打ちする。すると力なく男は地面に崩れた。

 「ア、アリガトウござイまス」

 たどたどしい言葉で異形のネズミの一人が世良に礼を言う。

 「ど、どういたしまして……」

 戦っている仲間がいる一方、回復術に長けた晶は負傷した異形の者の治療をしていた。

 「イタい……! 血が止まらなイ……!」

 「しっかりしろよ! 死ぬんじゃねぇぞ!!」

 苦しむ異形の者を励ましつつ、晶は治療に専念する。

 周囲は以前として虐殺が続いていた。黒いフードの男達は四四八達の姿を見るやいなや攻撃を中止してこちらに向かってきた。

 「な! 何なんだ君達は!?」

 「お前達が今している虐殺を止めてもらおうか!」

 四四八は問いかけてきた黒フードの男にそう告げる。

  「しかしこのコロニーのバケネズミ共は抹殺せよとの町の命令だ。君達は何者だ? 他の町の者達か? それとも「連中」の仲間か?」

 「俺達は戦真館の学生だ。なぜこんな無抵抗の存在を大量に殺せる?」

 「バケネズミは我々町の人間に従わねばならない決まりだ。バケネズミと我等はそういう関係で成り立っている」

 「あんたらの長と直接話しが出来るか? 直に会って話しがしたい」

 四四八は夢で見た光景、スクィーラの過去、バケネズミと呼ばれる虐殺されていた者達とこの黒フードの男達の関係。

 諸々の事情を飲み込まない限りは迂闊に動けない。

 「分かった。同じ人間を攻撃することは出来ないからな。付いてきなさい」

 「四四八……」

 「分かってる栄光。まずは事情と背景を知らないとどうにもならないんだ」

 四四八は他の六人を同意させると、黒フードの男達の後に付いていった。

 二日掛けて辿り着いた先には町があった。建物自体は昔ながらの家屋であり、四四八が在籍している戦真館のある第四層の時代と
然程違いは見られない。

 江戸時代、明治の初め頃の階層があるなど聞いていない。しかしこうして目の前に広がる光景は昔ながらの日本の物で間違いはないのだ。

 「四四八くん、昔の田舎町みたいなとこだね……」

 「あぁ、そうだな」

 「しっかしここが現代日本だったらあのバケネズミとかいう奴等は何なんだ? 時代が違うにしてもあんな連中、それこそ神話とか伝奇とかに
登場するもんだろ?」

 「栄光、お前の疑問も分かる。俺もこの目で彼等を……、バケネズミを見ているからな」

 「そういやスクィーラの奴はどこいったんだ? 一人で駆け出してそれっきりだぜ」

 鳴滝の言う通りスクィーラは一人で森の中を、コロニーと呼ばれる場所の中に消えたままだ。

 各々の疑問は栄光と同じだろう。この世界は違う歴史を歩んだ日本なのか? はては御伽話の世界なのか? いずれにせよこれから会う町の長と会えば全て分かるこ
とだ。

 そして到着した先には屋敷があった。そこいらにある家屋とは明らかに別格と呼べる豪邸。

 四四八達はそこに通され、待合室で町の長を待つことにした。

 そして戸が開き、現れたのは知的な雰囲気を備えた壮年の和服の女性だった。

 「始めまして。この町の長を務める朝比奈富子です」

 「戦真館特科生筆頭、柊四四八以下六名です」

 「礼儀正しい者達で助かったわ。「好戦的な者達」ばかりでなくて」

 朝比奈富子の言葉が僅かに引っ掛かった四四八だが、前置きなしの単刀直入に富子に疑問を
投げかける。

 「貴方方が大量に殺していた存在、あのバケネズミと貴方達が呼んでいる存在は何なのですか? そしてこの時代はいつなのでしょうか」

 礼節のある態度で質問する四四八

 そして富子の口から説明される背景に四四八は驚きを隠せなかった。

 今いるこの時代は四四八達が現実と呼ぶ世界の千年後の世界。そしてバケネズミと呼ばれる者達の真実だ。

 この時代からおよそ千年前にPK能力者という存在が生まれ、それが原因で文明が崩壊した。そして生き残ったPK能力者、
旧人類と呼ばれる非能力者との戦いが続いたが、ついにその戦いに終止符が打たれたのだ。

 そう、バケネズミと呼ばれる存在はかつての旧人類の末裔の成れの果てだったのだ。

 争いを生み出さないようにする為にとった手段としては余りにも冷酷で非道な手段だと四四八は思った。

 これ以上の殺し合いは避ける為に、これ以上の死を生み出さない為に。

 「この町の未来を、いえ人類を生き残らせる為には後継者が必要なの。この町の今の「手段」では未来は決して明るくはない」

 朝比奈富子の語る歴史の中には「悪鬼」、「業魔」という特殊な呪力使いを出さないように町では徹底してその芽となりうる子供
を「間引き」しているのだ。過去に神栖66町で起きた大量虐殺、異常現象などの原因は「悪鬼」、「業魔」が原因なのだ。

 それらが生まれる原因は様々ではあるが、町としては生き残る為にこの手段を取り続けているらしい。

 それこそ長年に渡る歳月を危険分子を排除することに費やしながら。

 「そうですか、町の未来を憂う気持ちは分かります。ですがかつての人間達であるバケネズミはどうなるのですか? あのような姿でも
元は人間。旧人類の末裔だからといってなぜあのような惨い仕打ちを?」

 四四八の問いかけに富子は僅かに微笑した後に言った。

 「それが今の社会を形成できているからよ」

  「今の社会?」

 「そう、今の社会は私達町の人間がバケネズミを支配下に置くことで成立してい
る。この支配体制こそが長年に渡る旧人類との戦いを終わらせたの。バケネズミ達
は今のこの時代において私達に従うべき存在、だから彼等に対する支配に文句を言
うのはお門違いよ」

 争いの歴史に終止符を打った、とはいえ今のバケネズミ達の境遇は悲惨そのもの
だ。それこそ暗黒時代の神聖サクラ王朝が非能力者達を支配している構図と何が
違うのだろうか?

 「ですが……、彼等バケネズミは苦しんでいます。彼等だとて元は人間なら、今の
支配体制に不満や怒りは抱くでしょう。支配下に置かれる彼等の苦しみや恐怖、怒り
を知って、もう少し配慮をしてやるべきなのでは?」

 自分達戦真館の掲げる「仁義八行」。この理念を考えればバケネズミの境遇は
悲惨そのものだ。醜い異形の姿に変えられて、町の支配を受け続ける。こんな状態が
五百年も続いていれば反乱が起きても当然だろう。寧ろよく今まで起きなかったのか
不思議な位だ。

 「けど、私達が彼等バケネズミを支配するのは当然の流れなのは先程の歴史の流れ
から分かる筈でしょう? この支配体制が旧人類、いやバケネズミとの争いを止めた
のです。そのことを考慮すればバケネズミにいちいち気を使っていられると思う
かしら?」

 四四八は驚愕した。町の未来、ひいては人類の未来を憂うように見えて、その実かつての人類であるバケネズミのことなど考えもしていない。

 「バケネズミは私達を神と敬っているけど、その神に歯向かえばどうなるかは彼等も知っているでしょう。これまでも少しでも町に不満を持つコロニーは消してきたわ」

 「それが当たり前だと?」

 「そうよ、彼等に不満を持つ権利は少なくとも皆無。何度も言うけど今の支配
体制こそが平和を生み出した。そして旧人類をバケネズミに変えることで争いを
なくした。支配に置かれるのなら、私達の不満を買えば滅ぼされるという自覚は
持って欲しいわね」

 臆面もなくバケネズミの価値など道具程度としか認めていない朝比奈富子の態度に四四八は自分の内側に怒りの炎が燃え上がるのを感じた。

 「けどさ! 元は人間だろ!? 知能だって人間と大差ないんだろ!? 何でそんな奴等をゴミみたいに扱うんだよ!!」

 「これも仕方のないことよ。彼等旧人類との戦いでどれだけの犠牲者が出たか。バ
ケネズミを支配しているのは確かにそうよ。けど今の社会ではこれは当たり前のこと
。バケネズミ達を支配している以上、彼等に対する生殺与奪は私達にあるから。そし
てバケネズミが反逆すれば、私たちが怒るのは当然じゃない?」

 富子の姿勢に怒りを感じたのか、晶が食って掛かるが、富子は涼しげにバケネ
ズミを虐げるのは当然のことだと言ってのけた。

 「呪力者と非呪力者はそもそも対等じゃないの。私は町の人達を殺したバケネ
ズミが許せない。第一、バケネズミ達は、反乱の際に数十名の町民を殺したわ。
彼等にも家族がいたのに、卑劣で下賎なバケネズミが彼等の未来を奪い取った」

 「……それは確かにそうでしょうが、貴方達だとて過去に幾度もバケネズミの
コロニーを潰し続けてきたのは事実だろう。彼等にだって未来はあった筈だと
思います」

 確かにバケネズミ達は反乱を起こし、その際に町民達を殺した。それに関して
は町側にも言い分があるだろう。だがバケネズミ達が反乱を起こした背景には町
側が彼等に対して行ってきた理不尽な仕打ちがある。いつ自分達は町の都合によ
って消されるのかという恐怖と常に隣り合わせの状況だったバケネズミ達を思え
ば四四八自身、一概にバケネズミの起こした反乱を責める気にはなれなかった。

 無論、罪もない町民達を殺したのは事実だが、かといって町側が「自分達に一
切の非などない」とこうも臆面もなく言ってのけるという傲慢さに四四八は内心
憤っていた。

 「そもそもバケネズミと私達町の人間が対等だということには無理があるでし
ょう。事実どれだけ彼等と私達が違うのかを理解できている筈よ。私達がこうし
て平和に暮らせるのはバケネズミのお陰なのは確かよ。でも、彼等の事情など一
々考慮なんてしていられないの。私達に従っている以上、関係は必然的に不平等
になるもの。それに文句を言うのはお門違いね」

 
要するに自分達が被害を蒙るのは許せないが、他の連中がどれだけ被害を蒙
り、どれだけの数が死のうと構わないという考えなのだ。自分達がやられれば
怒り、相手方にどれだけ復讐し、反撃しようがそれは当然のことであり、相手
方には怒る権利も文句を言う権利もないというダブルスタンダード。そこに四
四八は致命的なズレを感じた。自分達の行ってきた落ち度、過ち、その他一切の
反省するべき点も省みずに、ただただ自分達は攻撃を受けた哀れな被害者だと言
いたいのか。

 町の人間を殺したバケネズミが許せない。醜く下等なケダモノのくせに、ケダモノのくせに、ケダモノのくせに、ケダモノのくせに。

 なぜバケネズミが神と敬う人間に対して反乱を起こしたのか、なぜ反乱しなければならないのか、そして自分達はなぜ
攻撃されたのか。そんなことなど完全に無視していた。少なくとも自分達に原因があるなどとは欠片も思ってはいない。

 「ふざけるな」

 自分達がバケネズミに対してしてきた仕打ちは棚上げして、自分達こそが被害者だと臆面もなく言う朝比奈富子を始めとする
町の連中を四四八は許せなかった。

 「何様だ、お前」

 神などという高尚な存在ではない。単に呪力という念動力があるだけで自分達を神と称し、自分達より非力で弱い存在
を道具のように扱うことに対して何とも思っていない。ひたすらに陳腐で幼稚で矮小な思考回路しか持っていなかった。バケ
ネズミ達が思うように自分達に従わなければコロニー丸ごと消し去るという暴挙を何の躊躇いもなくやってのける。それを
間違いなどとはこれっぽっちも思っていない。自分達は神などと誇ってはいるが、四四八からすれば選民思想に取り付かれた
最悪極まる下種でしかない。バケネズミ達がどんな思いをしながら五百年という月日を過ごしてきたのか。

 「俺が一番納得している戦の真を教えてやるよ」

 「我も人、彼も人」

 それを弁えた上で戦い、殺せ。所詮バケネズミを下等な種族と軽んじ、見下し、こき使うことに対して何の疑問も抱いていない癖に
バケネズミ達に反旗を翻されれば被害者面をしながらバケネズミ達に対して「信頼を裏切ったケダモノ」と吼える。どこが良好な関係
を築いてきたのだ。力関係は一方的で、バケネズミ達を無理矢理に服従、従属させて優越感に浸るだけの薄っぺらい考えしか持てない
など卑怯者以外の何者でもない。

 「そう教わったぞ。正直、身につまされたからしっかり胸に刻んでいる」

 「柊聖十郎が許せない。神野明影が許せない。そしてお前らが許せない」

 命があり、意思も疎通でき、知性も人間と対等の生き物を何の躊躇いもなく踏み潰せるような思考で被害者を騙る神栖66町。それの積み重ねで
町の人間は反乱を起こされたのだ。自分達の行いも省みることすらもせずに、未来を語る姿勢に四四八の怒りは頂点に達していた。

 今までに自分達がバケネズミに対してしてきたことがそのまま自分達に返って来ているだけに過ぎない。反乱を起
こされてもまだ自分達がしてきたことを見ようともせずに、未来がどうのと講釈を垂れ流す。怒りながらも相手を見て
いないような輩の語る未来など薄ら寒いだけの机上の空論だ。

 四四八は立ち上がり、富子に毅然とした態度で答える。

 「来い。俺達戦真館、今よりバケネズミの側に立つ!!」

 例えば、己の一生がすべて定められていたとしたらどうだろう

 人生におけるあらゆる選択、些細なものから大事なものまで、選んでいるのではなく、選ばされているとしたらどうだろう。

 無限の可能性などというものは幻想であり人はどれだけ足掻こうとも、定められた道の上から降りられない。

 富める者は富めるように。貧しき者は飢えるように。善人は善人として、悪人は悪人として。

 美しき者醜き者、強き者弱き者、幸福な者不幸な者


 ――――そして、勝つ者負ける者。


 すべて初めからそうなるように……それ以外のモノにはなれぬように定められていたとしたらどうだろう。

 ならばどのような咎人にも罪はなく、聖人にも徳などない。

 何事も己の意思で決めたのではなく、そうさせられているのだとしたら?



 ただ流されているだけだとしたら?



 問うが、諸君らそれで良しとするのか?

 持てる者らは、ただ与えられただけにすぎない虚構の玉座に満足か?

 持たざる者らは、一片の罪咎なしに虐げられて許せるか?


 否、断じて否。


 それを知った上で笑えるものなど、生きるということの意味を忘れた劣等種。人とは呼べぬ奴隷だろう。

 気の抜けた勝利の酒ほど、興の削げるものはない。運命とやらに舐めさせられる敗北ほど、耐え難い苦汁はない。

 このような屈辱を、このような茶番劇を、ただ繰り返し続けるのが人生ならよろしい、私は足掻き抜こう。

 どこまでも、どこまでも、道が終わるまで歩き続ける。遥か果てに至った場所で、私は私だけのオペラを作る。ゆえに、諸君らの力を借りたい。

 虐げられ、踏み潰され、今まさに殺されんとしている君ら、一時同胞だった者たちよ。

 諸君らは敗北者として生まれ、敗北者として死に続ける。その運命を呪うのならば、私のもとに来るがいい。

 百度繰り返して勝てぬのならば、千度繰り返し戦えばよい。千度繰り返して勝てぬのならば、万度繰り返し戦えばよい。

 未来永劫、永遠に、勝つまで戦い続けることを誓えばよい。

 それが出来るというのならば、諸君らが"術"の一部となることを許可しよう。

 永劫に勝つために。獣のたてがみ――その一本一本が、諸君らの血肉で編まれることを祝福しよう。

 今はまだ私も君らも、そして彼も……忌々しい環の内ではあるものの。

 これから先、ここでの"選択"が真に意味あるものであったと思えるように

 いつかまたこの無限に続く環を壊せるように

 さあ、どうする。諸君ら、この時代の敗北者たちよ。私に答えを聞かせてくれ。







 戦うか、否か――。

  「た、戦う……! ……………………これ……は?」

 そう、この言葉は以前に聞いたことがある。思い出せはしないものの、確かにこの声をいつかどこかで確かに聞いた。

 それがいつかは分からないが、この言葉を聞いたスクィーラは即座に「戦う」という選択肢を選んだ。

 再びこの言葉を聞いた今この時も迷わず戦いを選んだ。

 しかしいつ自分はこの言葉を耳にしたのだろうか? つい数日前のような気もするし、気の遠くなる程の長い昔のようにも思える。

 「分からない、分からない……」

 スクィーラは今の自分の気持ちをつい言葉に出してしまう。そもそもこの場所は何なのか? 目の前には何かがぼんやりと映像のように
映し出されている。スクィーラは目を凝らしてそれを凝視する。


 
 「……何の用? 貴方に伝える言葉なんてあるわけないでしょ……」

 「貴方達が我等のことを「人間」と認めればそれでいいのです。認めさえすれば直ぐにでも貴方達二人を自由にしてさしあげるのに」

 「ふざけるな!! 罪もない町の人々を殺した癖に!! こんなことが出来るお前は最低のドブ鼠だ!! 人間などと認めるか!!」

 「ったく、町の連中は皆それを言うぜ。お前等もミノシロモドキの記録を聞いただろ? 誰が何と言おうとこいつらが「人間」だったのは事実なんだからよ。いい加減
認めたらどうだ?」

 
 「お前等がしたことは畜生にも劣る所業だ! 殺された人達に謝れ!!」

 「……るせぇよ」

 「え?」

 「ごちゃごちゃ五月蠅いんだよ糞餓鬼。こいつらバケネズミは人間様に服従するロボットだとでも思ってんのか? 自分達の境遇がどんな悲惨なものだったかをこのスクィーラは
知ったんだよ。なら聞くがお前等町の人間が今ままでこいつらをゴミのように殺してきた事実は嘘だってか? 平然とコロニーごとバケネズミを消すってやり方してきた癖して
自分達がやられればそれかよ。消されたバケネズミ共の中に何人今のお前みたいな考えの奴がいただろうな。「今まで従ってきたのになぜ殺されなければならない?」って考える奴
が一人もいないとでも思ってんのか?」


 

 この光景も見たことがある。牢屋に入っている、渡辺早季、朝比奈覚に対して啖呵を切る金髪の男。

 しかしこの男が誰なのかは思い出せない。過去に幾度か会い、そして共に戦ったという断片的な記憶しか分からない。

 自分の目の前に広がる光景にスクィーラは歯がゆい思いをしていた。

 「この光景は何なのだ……? そして私の隣にいるこの男は誰なのだ……!?」

 そして目の前の映像は次に切り替わる。

 

 「なんだそういうことか。いや、嫌いじゃねぇぜそういう賭け。最後に勝ちを狙うんならそれ位危険な綱渡りも必要だろ」

 「これも我等バケネズミにとっては必要なことだったのです」

 「スクィーラ、お前自身望むことは一体何だ?」

 「私は……我等の真実を町の人間達に伝えられれば……」

 「■■様、私はミノシロモドキを持って部下と共に明日、町へと赴こうと考えております」

 「何する気だ?」

 「決まっております。ミノシロモドキに記録された真実を町の人間達に伝えるのです。この事実を知れば町の人間達も我らのことを考えなおすやもしれません」




 謎の男との会話が続く。映像の中のスクィーラが男の名前を喋ると、雑音が入り、名前までは聞き取れない。

 そして次の映像が目に入る。

 金髪の男が、監視員に襲撃された塩屋虻コロニーを駆け回り、監視員達を排除しつつスクィーラに対して怒りにも似た怒号を発していた。


 「話し合おうとした結果がこれかよ!!」

 「お前は甘すぎんだよスクィーラ!!」



 自分は果たしてこんな真似をするような男だろうか? スクィーラの胸中にはこんな思いがあった。

 町に対しての直訴など馬鹿馬鹿しいだけの徒労だ。そんな真似をした所で町がバケネズミに対する支配
を見直すなど到底あり得ない。

 映像の中の自分の姿にスクィーラは驚きを禁じえなかった。そして次の映像が入ってくる。


 町の人間達が、柱に縛り付けたスクィーラを楽しげに拷問しているのだ。

 それこそ以前自分が受けた無限地獄の刑にも匹敵する程に凄惨極まっている。

 そして渡辺早季が、自分を火葬すると同時に、町の屋根から拷問の様子を見ていた金髪の男が、会戦の合図を外で待機しているバケネズミ達に
送る。

 自分の命と引き換えに、町を攻撃するという約束を金髪の男としていたのだ。

 考えてみれば自分はこのような自己犠牲をするような考えは持っていない。

 目の前で繰り広げられる光景の数々が低レベルな茶番の類としか思えなかった。

 スクィーラ自身、聖人の類でも、人格者でもない。卑劣で汚く、土の中に暮らす獣そのものの精神をしたバケネズミ。

 生きる為には手段を選ばず、平然と非道な真似が出来る。

 そして神を称す町の者達に頭を垂れ、傅き、地面の土を舐めながら服従していた神に仕えるバケネズミだった。

 自分のことは一番自分がよく分かっている。

 だが、そんな歪に捻じ曲げられた自分の姿を見たスクィーラはここに来てようやく確信を持てた。

 以前にこれらを「経験」した。目の前で繰り広げられた光景の中に間違いなく自分はいた。あの時、あの場所で
これらの「行動」をしたのだ。

 そして、これは都合「何度目」だろうか……?

 「覚えている……、覚えているぞ。ようやく思い出した……」

 そしてスクィーラが自分がこの不可思議な空間に来る前に、塩屋虻コロニーに来襲した町の監視員達を殺し回っている最中に
ソレ・・と目が合ってしまったのだ。あれは間違える筈もなく、自分自身・・・・だった。
なぜ自分はそもそもあそこにいたのか? 自分はそもそも本物のスクィーラなのか? 兎にも角にも、もう一人の自分と目が合った直後にこの
摩訶不思議な空間を漂っていたのだ。この空間は、神野に拾われた時に漂っていた空間に酷似している。

 そう思っている時に不意に後ろから声が聞こえてきた。

 この声は聞き覚えがある。

 ただ発せられただけで、自分の精神を蛇にでも舐められているような感覚に陥る。

 「おめでとうスクィーラ。随分と遠回りをさせて非礼を詫びよう」

 スクィーラは声のする方に顔を向けると、黒い影法師が茫洋な気配を纏いながらそこにいた。

 「貴方は……、確か最初の時の……?」

 「そう、黄金の獣の隣にいた私が、最初に君の魂を拾ったのさ」

 最初にスクィーラは眩いばかりの玉座の間で目覚めたのを思い出す。思えばあれが最初に目覚めた時だった。

 「これもこの時代、この次元の因果律の歪みを矯正する為にしたことだよ。少々回りくどい方法だったがね」

  「映像の中の私は……、あれは私本来の姿ではない」

 「当然さ。私が色々と小細工をしておいた。ツァラトゥストラの友人、遊佐司狼に関しても、手を少し加えてある。彼の本来の精神・・・・・
を考慮すれば、何も手を加えていない状態では、君らバケネズミに助力などしないだろうからね」

 黒衣の男は淡々と、スクィーラに真実を聞かせた。この男の本当の目的は分からないが、自分がしなければならない使命は胸に刻まれているのは
理解できた。

 「これから君が歩むのは『本当の歴史の時間』だ。自分自身の本当の使命を今こそ果たす時が来た。スクィーラよ、千年後の世界に
戻るがいい。そして町の者達に分からせてやりなさい。本当の神・・・・・が誰なのかを」

 スクィーラは、黒衣の男の言う言葉に深く頷いた。今更疑問など感じている時間はない。自分のやるべきことがやっと分かったのだから。

 「さぁ、戦真館の子らと共に戦うのだ」

 影法師の言葉と共に、自分の身体が光に包まれていく。

 そう、自分の本当の戦い、役割はこれから果たされるのだ。今までのは予行演習。これからが本当の戦いの始まりなのだ……。

 神栖66町に宣戦布告をした四四八達は、スクィーラを主とする塩屋虻コロニーに来ていた。

 町の長である朝比奈富子に対して啖呵を切った四四八は、これから本格的な戦いに備えて、コロニーのバケネズミ達に指示を出していた。

 町に対して戦うことを宣言した四四八達を朝比奈富子は部下に手を出さないように命令し、四四八達は戦うことなく無事に神栖66町を
出られた。しかし戦うことを堂々と相手に伝えた以上、戦いは嫌が応でも避けられないだろう。自分達の意思で旧人類であるバケネズミの
側に立ったのだ。それ相応の覚悟をしなければならない。


 コロニーのバケネズミ達は暖かく四四八達を迎え入れた。つい先日町の監視員達から助けられた恩を返したいと言って来たのだ。見た目こそ、
モンスターのそれであるバケネズミ達ではあるが、精一杯の感謝の気持ちを示され、四四八を含む、他のメンバーの顔にみ笑顔が浮かぶ。

 バケネズミ達の話によれば、町の人間はこの世界で暮らすバケネズミにとって恐怖の対象でしかなく、不可解な理由でバケネズミのコロニーが
消されることも決して珍しいことではないという。

 「私たチ……、ズっと怯えテ暮らしてイる……。カミサマ達の怒リに震エル毎日もう嫌ダ……! ずっと怖がっテ生きてイルのハ嫌ダ……!」

 たどたどしい人間の言葉で、町に対する恐怖と怒りを吐露するスクィーラの兵士に、四四八は同情を禁じ得なかった。

 町の人間達はバケネズミを何でも言うことを聞く家畜だとでも思っているのだろうか? いや、家畜どころか圧倒的に立場が上の町の人間の命令に
何の疑問も抱かないロボットだとしか思ってはいないだろう。自分達よりも遥かに非力な存在をどうしてこうまで苦しめられるのだろうか?


 歴史の流れについては町で、朝比奈富子に聞いた通りであるが、だからといってこんな支配体制を許容しろと言うのは余りにも傲慢だろう。

 新人類、PK能力者の子孫である神栖66町の連中のしていることは暗黒王朝時代に非能力者を奴隷にしていたサクラ王朝と大差がない。

 しかも旧人類の子孫であるバケネズミ達は、祖先を醜い姿に変えられ、今日まで辛酸を舐める日々を送っている。

 新人類と旧人類の争いを止める方法はこれしかなかったのか? もっと何か他に方法はなかったのか?

 こんな支配体制が長きに渡る戦いの歴史に終止符を打ったというのか?

 戦いを止めることができていたとしても、五百年に渡る月日を新人類への服従に費やしてきたバケネズミ達がどんな思いをしているのか町の連中は少しでも考えた
のだろうか? 若しくはバケネズミの立場に同情する人間が一人もいないのだろうか? 同情こそされはするだろうが、それは対等の存在に向けられるものではない。
所詮はか弱い動物、醜く、卑しく、土の中に暮らす動物に対しての見下した思考回路で、だ。

 所詮偽善には違いないが、元の四四八達の世界では一般的な「動物愛護」的な考え方すらも連中は持っていないだろう。いや、そも
そもそんな偽善すらも連中は作り出すことができないのだ。そうでもしなければ五百年もの間バケネズミを支配などできまい。

 「人類の未来がどうとか、過去が悲惨だったとか、生き残る為の道についての講釈を垂れ流しておきながら、中身は安っぽい選民思
想に毒されてるだけの勘違いした馬鹿共だな」

 四四八は町の人間に対しての感想を仲間達の前で述べる。

 「まったくだぜ。今流行りの俺TUEEEEEEEってやつか? 神様気取っといてやってることは底の浅い糞餓鬼共と一緒じゃねーか」

 鳴滝は露骨に町の人間達に対して嫌悪感を露にしている。現実の世界で四四八達が通う高校、千信館では不良と恐れられる鳴滝ではあるが、
芯は中々にしっかりとした男だ。

 
 「……柊」

 「ああ……」

 四四八は、鳴滝と共に塩屋虻コロニーに対して視線を送る気配を察知した。

 夢の中で使う「邯鄲の夢」「五常顕象」が、この世界でも普通に使えることに少々驚いたものの、塩屋虻コロニーの外にいる存在を素早く察知できたのだ。

 四四八は鳴滝と共に、テントを離れ、気配のする方向に足を運んだ。

 二人で森の中に入っていくと、そこには二人の男女が立っていた。

 「あんた達は?」

 鳴滝が二人に対して尋ねる。服装からして町の人間だろうか。共に二十代半ば程の年齢だ。

 「私は渡辺早季」

 「俺は朝比奈覚」

 男の方は町の長である朝比奈富子と同じ苗字だが親類だろうか?

 「貴方達は何故バケネズミに味方をするの?」

 「決まっているだろう。町が彼等に対して何をしてきたと思う?」

 渡辺早季と名乗った女が、心配そうな表情で四四八達に言葉を投げかける。

  「今までの良好な関係を破壊したのはバケネズミだ。そんな奴等を生かしておく道理はない」

 「彼等が町との関係を良好だと本気で思っているのか? 彼等がどんな思いをしながら町の支配を受けてるのかあんた等は考えたのか?」

 少々苛立った様子の朝比奈覚が、反乱を起こし、町を裏切ったバケネズミが全面的に悪いかのように言う。それを聞いた四四八は
町の人間達に対する悪感情がより一層強まった。

 「奴等と町とで今までは良好な関係を築いてきたんだ。それを塩屋虻の連中が滅茶苦茶にした! 罪もない町の人達を平気で殺し回ったケダモノ共に
何故味方する!?」

 「いい加減にしろ! 彼等を家畜か何かだとしか思えないのか!?」

 「当たり前だろう! 連中の価値など、それ以上でもそれ以下でもない」

 バケネズミが全面的に悪いかのような覚の言葉に四四八は激高する。

 「あいつらは俺達を神だと敬っているが、それはそうさ。俺達とバケネズミとの関係は今の社会構造の一部なんだよ。そんなことも理解
できない奴が俺達を非難する資格はない!! ここまでの歴史の流れを見れば、バケネズミ共は支配されるべき存在だってことが理解でき
るだろう。醜いあの連中に同情なんかするとでも思うか? あのケダモノ共は俺達に従って始めて価値があるんだよ! お前達が思っているの
は大方俺達を極悪な支配者だとでも思ってるんだろうが、お目出度いことこの上ないな!」

 「覚の言う通り。例え私達の支配を受け入れないバケネズミがいたとしても、それは社会構造を受け入れられないだけの落伍者だと思う。外来種のバケネズミ
なんかがそうね。私達町と、バケネズミの関係を単純に善と悪という概念できって捨てるなんてお門違いよ」

 覚、早季はバケネズミに対して町が行う支配に疑問など抱いていない、バケネズミを支配するのが「当然」のことであり、今の社会構造の一部だと言っている。

 「確かにコロニーを勝手に消すことはあるけど、そんなことをされるコロニーは単に俺達に従わなかっただけの話だ。今もこれからもこの社会構造は続いていく」

 「貴様等……!」

 二人の言葉をずっと聞いていた四四八であったが、我慢の臨界点に達していた。これ以上この二人がバケネズミに対する支配を正当化する言葉を紡ぎ出せば、
自分の得物である旋棍を創形し、目の前の二人の頭を粉々にしている所だ。

  「オ! お待チ下さいカミさま!!」

 すると草むらから一匹のバケネズミが飛び出してきた。そして覚と、早季の前に立つと、深々と頭を垂れ、跪いた。

 「カミサマ! 私達は苦しんデいます!! カミサマ方の力を敬イながら生きテ参りましたが、カミサマ方は、私達ノコロニーを破壊する行イを何度もしてイます!
私達は使い捨テニされる立場にズット苦しんデきました……! 私達は弱イ……! 弱イからカミサマ方が恐ろしいノです……! こんな私達でも恐怖ハ感ジルことを
分かってくださイ……!」

 涙ながらに覚達町の者達の支配に恐怖していることを訴えるバケネズミ。

 鬼気迫る勢いでバケネズミの苦悩を理解して欲しいと懇願するバケネズミを覚はただ冷徹に見下ろしていた。

 「……そうか。お前は反乱を起こした塩屋虻コロニーのバケネズミだな?」

 「ソ、ソウデすが?」

 「[ピーーー]」

 その瞬間、二人の前に土下座していたバケネズミの身体が勢いよく燃え出した。

 「ギャァァァァァァアアアア!!!!?? ガミザマ!? カミサマァァァァァアアアア!!!」

 激しい炎で燃える中、バケネズミは絶叫すると、その場に倒れ、絶命した。

 「反乱を起こしたお前達なら、自分が何をされるか分かっているな? 恐怖を感じる? なら結構だ。自分のしでかした過ちを……」

 「おい」

 「な、何をする!?」

 覚が次の言葉を言おうとした瞬間、鳴滝が覚の目の前に立ち、覚の胸倉を掴んでいた。

 「は、離せ!」

 「……」

 「おい! 離せよ!!」

 「……かましい」

 「何?」

 「べらべらと喧しいんだよ!! 神気取りの糞餓鬼があ!!!!!」

 「がべぇ!?」

 鳴滝の豪拳が、覚の顔面を思い切り抉り、覚は後方十メートルまで身体が吹き飛んだ。

 「さ、覚!?」

 「が、がべ……、ぎべ……」

 地面に倒れ、顔面を陥没させた覚が呻き声を上げている。

 「柊、このコロニーに来てんのはこの二人だけじゃないみてぇだ」

 「ああ」

 幾らなんでもこの二人だけでこの塩屋虻コロニーを襲うわけがないと思っていた四四八は、森の周囲に複数の人間が潜んでいることを察知する。

 「よし……、戦いの開始だ」

 四四八は、鳴滝と共に足早にコロニーに戻っていった。

 四四八は鳴滝と共に大急ぎで塩屋虻コロニーに急行する。

 「柊、あれを見ろ!」

 「もう始まってるのか……!」

 森から僅かに見える塩屋虻コロニーの家屋から火の手が上がっている。

 「くそ……!」

 悪い予感は見事なまでに的中した。幾らなんでも先程の二人だけでコロニーに来るなどありえるわけがない。

 正々堂々と町に宣戦布告したのだ。いつ来てもおかしい状況ではなかった。

 コロニー中の家屋が炎上し、バケネズミ達は悲鳴を上げながら逃げまとう。姿形こそ人間とは遠くかけ離れてはいる
ものの、呪力者、ひいては町の人間達に対するこの上ない程の恐怖の感情が四四八にも痛い程に伝わってくる。

 数百年もの間このような仕打ちを受け続けていたのか。こんな行いを続けていれば反乱が起こるなど馬鹿でも分かるはずだ。
それに対して町の長である朝比奈富子は「恨まれる筋合いなどない」と吐き捨てた。

 「笑わせるなよ……!」

 僅かに歯軋りをしながら、神栖66町の者達に対する怒りを露にする四四八。

 「行くぞ鳴滝!!」

 「応!!」

 鳴滝が返事をするのと同時に四四八は大地を穿つ勢いで地面を蹴り、迅雷の速度でバケネズミ達を焼き殺し回る監視員の背後に迫る。
戟法の迅により、通常の何倍ものスピードで間合いを詰めて肉薄する。そして自身の得物である旋棍を創形すると、素早く監視員の
背中目掛けて渾身の一撃を叩き込んだ。

 「ぎばぁ!?」

 トンファーの一撃は、監視員の脊髄を粉々に砕くと同時に、その身体を炎上する家屋の中に入る形で吹き飛す。

 電光石火の迅さで監視員一人を仕留めた四四八。以前と比較すれば確実に力が上がっている。

 「これも戦真館で学んだ成果か……」

 四四八は自分の成長を確認すると、監視員を殲滅すべくコロニー中を駆け回る。

 他の仲間達も恐らく監視員達と戦闘を繰り広げている筈だ。

 監視員数人が四四八に気づいたようだ。

 「やれ、あいつだ!」

 その声と同時に、崩れ落ちたコロニーの建物の瓦礫を浮かせたかと思うと、それらはミサイルの如き速さで四四八目掛けて飛来してきた。

 「ちぃ!」

 四四八は創法の形を使い、素早く自身の眼前に透明な壁を作り出す。

 そして間髪入れずに横に飛ぶと、監視員達目掛けて肉薄する。

 「させるか!」

 監視員の一人が叫ぶと、四四八の身体に謎の衝撃が走る。

 「ぐ!?」

 体勢が崩れ、地面に転倒するも直ぐに身体を立て直すと、咒法の散と、戟法の剛を複合させた、旋棍の一撃を監視員達に放つ。

 「がぁぁ!!??」

 マズルフラッシュを光らせた衝撃波により、監視員達は勢いよく吹き飛んだ。

 「これが呪力か……」

 町長である朝比奈富子や塩屋虻コロニーのバケネズミ達から聞いた呪力。一種の念動力にも見えるが、物体を燃やしたり、バケネズミの身体を破裂させたり、
地形を容易に変えたりと、幅広い応用が利く力のようだ。

 
 ここに来るまでの過程で地面には呪力によって身体が破裂し、至る所に内臓を散乱させたバケネズミの死体が大量にあった。確かに何の能力も持たないバケネズミ
から見れば正しく神のような力だ。

 「どんなに凄まじい力だとしても、使い手がロクデナシだとどうしようもないないな……」

 そう、如何に神の如き強大無比の能力でも、使い方次第で最悪の怪物を生み出しかねない。

 人間にホイホイと強力な力を与えれば碌な結果にならないことなど目に見えている。

 「そうだ、他の皆を探さないと」

 呪力を使用し、その力でバケネズミに神を崇めさせる町の者達の未熟さに呆れつつ、四四八は仲間を探しにコロニーを奔走する。

 足を進めると、コロニーの会議場に辿り着く。

 「いたぞ! あそこだ!」

 会議場の下には十名近い監視員達が待ち構えていた。

 「ちっ! 流石にまずいか!?」

 只でさえ強力な呪力使いが十名近くもいるのだ、四四八はすかさず右横の家屋に身を隠す。

 と、その瞬間身を隠していた家屋が崩れ落ち、その瓦礫が空中に舞い上がった。

 「喰らえ!」

 大量の木と石で構成されたミサイルが恐るべきスピードで四四八に降り注ぐ。

 四四八も戟法の迅を応用し、素早くかわし続ける。

 休む間もなくそれは続き、振ってくる木材やコンクリートはさながら絨毯爆撃を思わせた。

 「ぐ!?」

 振ってくる落下物を避け続ける四四八の身体に衝撃が走る。先程受けたモノと同じ攻撃だろう。文字通り全身がハンマーで殴られたような衝撃に襲われ、必然的に動きが鈍り、止まる。

 「動け! 俺の身体!!」

 四四八は自身に活をを入れると、間髪入れずに降り注ぐ攻撃を紙一重でよける。

 空をよく見ると、空中に舞い上がっている木や石、コンクリートの量が数倍になっているではないか。

 複数人の呪力者がいるのだ。飛び道具を増やすこと位はするだろう。

 飛び道具だけでなく、身体に受ける謎の衝撃という波状攻撃に晒される四四八。

 「近づこうにも、この状況では……!」

 四四八が、改めて呪力の強大さを認識すると同時に、数名の監視員の脳天が破裂する。

 「ぐばぁ!?」

 「な! 何だ!?」

 監視員達も突然のことに気が動転し、一瞬の隙が生まれる。

 「喰らえ!!」

 四四八は右手を突き出し、咒法の射を使ったエネルギー弾を数十発放った。

 「がぁぁぁ!!!???」

 放ったエネルギー弾は、監視員達の身体を穿ち、コロニーの会議場の壁を穴だらけにする。

 エネルギー弾をまともに受けた監視員達は、バラバラの肉塊となり、惨殺されたような無惨な死骸になっていた。

 ようやく監視員全員を倒すことに成功した。監視員達の呪力によって舞い上げられた多数の瓦礫が、術者が死んだ影響からか、
地上に落下してくる。

 「今の攻撃は……」

 「あたしだよ! 四四八くん!」

 「歩美!」

 歩美だけではなかった。世良、栄光、我堂、鳴滝、晶も全員一緒だ。

 「お前達、無事だったか!」

 「うん、とりあえず生き残ったバケネズミさん達は一通り避難させておいたから」

 「とうとう始まっちゃったね四四八くん……」

 「ああ、だがこれは俺達全員が望んだ戦いだ」

 呪力という力は実に強大かつ、変幻自在、千変万化だ。一言で呪力といってもその奥深さと応用の広さは正しく驚異としか言
い様がない。単なる力押し一辺倒の超能力とはワケが違う。そしてそれ故に惜しかった。如何に本当の神の如き力だとしても、町の連
中は非力なバケネズミ達を支配する目的で使っていることに。崇高な理念や目的、信念で使っているのではない。ただひたすらに自分達が支配
する側でいたいのだ。呪力は自分達が神でいる為の力だと言わんばかりに。

 「結局あいつらのしてることは弱いもの苛めじゃない。こんな低レベルのことしててプライドはあるのかしら」

 「想像力の足りない人間が、強い力を持てばどうなるかという見本だな……」

 巨大過ぎる力は人間の思考を狂わせる。千年前に人間の中に生まれた呪力によって全てが狂いだしたのだ。
生まれながらに大きな力を持って生まれてくるのは、メリットばかりではない。それ相応にデメリットも付いてまわる。
人間が手にするには余りに強すぎる呪力という病に冒されている神栖66町。彼等は決して旧人類であるバケネズミとは
交わらないだろう。

 「貴方達、自分達が何をしているのか理解してるの……!?」

 「誰だ!?」

  四四八が、声の方向に目を向けると、森から出てきた二人の男女がいた。先程の渡辺早季と、朝比奈覚だ。

 「今の社会が平和なのは私達呪力者がバケネズミを管理してるからよ! その平和な社会を壊そうとするなんて気は確か!?」

 「そうだ! お前達はケダモノの肩を持つのか!?」

 バケネズミの味方をした四四八達に対して罵声を浴びせる二人。

 「お前らなぁ! バケネズミが何で反乱起こしたのか知っているのかよ!!」

 晶が二人に喰って掛かる。

 「まさかお前達、バケネズミを人間と同じだとでも思ってるのか? あんな醜いケダモノが俺達と同じに見えるとでも?」

 「人間とは程遠くても、感情や理性があんだよ! お前達に支配されてるのが、どんだけあいつらを苦しませてるのか理解してんのか!?」

 「先に良好な関係を裏切った連中だ。反乱で町の人達が死んでいるんだぞ!! こんなことをしておいて被害者面だと? いい加減にしろ!!」

 晶と覚はお互いに頭に血が昇った状態だ。

 「何を言おうと先に反乱を起こしたのはバケネズミだろうが!! こいつらのせいで死んだ町の人達に謝れ!!」

 「そうよ、どんな理由であれ、バケネズミが反乱を起こしたことによって町の人達が死んだことに変わりない。あんなことをしておいて
バケネズミに正義があるとでも?」

 喚き散らす覚と、反乱を起こしたバケネズミを一方的に悪だと糾弾する早季。

 「いい加減にしろよお前等……!」

 晶が二人に近づき、覚の胸倉を掴む。

 「いい加減にするのはお前達だ! まだ俺の言うことが理解できないのか!?」

 「……晶、よせ。こいつらに何を言っても無駄だ」

 「けど四四八!!」

 四四八はこうもバケネズミ側の事情など一切合切無視し、一方的に自分達が被害者だと言ってのける町の人間達の救いのなさに
内心甚だ憤っていた。爆発寸前のマグマが自分の体内で燻っているような感覚になる。

 朝比奈富子から聞いた千年にもわたる争いの歴史は終わり、スクィーラの生きる時代は平和なのだが、その平和の裏ではバケネズミ達が
理不尽な仕打ちを受けながら暮らしているのだ。所詮呪力を持つ者と、持たない者との差と言ってしまえばそれまでだが、歩み寄る人間の
一人や二人すらもいないとは救いようがなかった。

 これも一つの社会の形なのだろう。しかし四四八自身、目の前で苦しむバケネズミ達を「社会の形」という一言で見殺しに
するなど、自分の理念、ひいては千信館の理念に反する行いだ。「仁義八行」、この四文字は四四八自身のポリシーであり、
誇りとしている考えだ。四四八から見れば町の行う支配体制は到底見過ごすことのできないものだった。

 四四八は、晶を下がらせ、覚と早季の二人に近づく。

 「もう一度問おう、本当にバケネズミと歩み寄る気はないんだな? 今回の反乱はバケネズミだけに責任があると?」

 「当たり前だ! 連中が行った非道は許せない!! 信頼を裏切ったケダモノ共!!」

 「そうよ、私達は平和に暮らしていたのに、それをバケネズミが!」

 「……もういい、黙れ」

 四四八は最早この二人の言葉は一言として聞きたくなかった。

 「何か言ったか!?」

 「何よ?」

 「黙れよ貴様等ァ!!!!!!!!!!」

 怒髪天を突いた四四八は、二人の顔面に鉄拳を叩き込む!

 「ぐべぇ!?」

 「ぎゃ!?」

 二人は、四四八の拳をモロに受け、口から折れた歯を吐き出しながら、森の木に叩きつけられた。

 「もういい、分かった。お前達に期待した俺が愚かだったみたいだ。そこまで言うのならお前達の町と戦ってやる!!!!」

  そう四四八が言うと同時に「ソレ」は聞こえてきた。

 「ふっ、どうやら案の定、お前達も連中と戦うことになったようだ」

 「あぁ……、こういうのを呉越同舟って言うんだっけセージ? 敵対していた者達が共通の敵の為に団結するって、使い古されたパターンだけど、
こういうのは所謂王道って言うんだろうねぇ……」

 聞き覚えがある、忘れはしない、忘れるわけがない。地の底から響き渡る幽鬼を思わせるこの声を、この世の不協和音を全て合わせたかのような
耳障りなこの声を。

 およそ血の通った人間には到底出せないであろうこの声の主を四四八、並びに他の仲間達もよく知っているであろう声だ。

 そう、第四層起きたあの出来事を生み出した張本人、そして四四八の母である恵理子をその手で殺した男……。

 「柊聖十郎……!!」

 「久しぶりだな、四四八……」

 目の前にその男が現れた。自分の妻であり、四四八の母恵理子を何の躊躇もなく虫でも潰すかのような気軽さで、その命を奪い取った男。

 それと同時に現実の世界では天才学徒として世に知られた存在でもあるこの男こそ、夢界六勢力の一角、逆十字の首領柊聖十郎だ。

 「何をしにきた貴様……!」

 四四八は、燃え盛る憎悪と憤怒に満ちているであろう眼差しを、柊聖十郎に向けていた。

 「やあ、水希。君と肩を並べて戦えるなんて僕は何て幸せ者なんだろうか。これは何よりも『彼』が望んでいたことなんだよ?」

 「神野ぉ……!」

 世良も四四八と同じく今この瞬間にも暴発しそうな勢いで神野明影を憤怒に彩られた双眸で睨んでいる。

 四四八等、戦真館のメンバーにとっては正真正銘不倶戴天の敵である柊聖十郎と神野明影。この二人が四四八達に持ちかけてきたのは
『共闘』だった。

 「僕等にとっての共通の敵、即ち神栖66町を夢界にいる全勢力で叩き潰すのが僕の主のお望みさ。町の連中を潰さないと色々と面倒な
ことになるからねぇ。神栖66町、ひいてはこの時代に存在する呪力者の存在は絶対に無視できないんだよ。僕とセージだけじゃなくて、
君達にとっても最悪の事態を招きかねないんだ」

 神野明影は以前のような嘲笑的な道化師の雰囲気を控えめにして、四四八達に今回の事態の説明をした。

 「だからといってお前達と組めと言うのか……?」

 「言ってるじゃないか。肩組んで団結しなきゃ勝てる相手じゃないって」

 逆十字、べんぼうの両勢力と同盟をするということは今までにされてきたことを一時的であるが、水に流すという意味でもあった。

 簡単に同盟とは言うが、そう易々と受け入れることのできる四四八達ではなかった。確かに町の連中の行ってきた非道の数々を目の当たり
にしたのは事実だ。確かに町は強大な呪力者の集まりではあるものの、それでも戦真館メンバーだけで立ち向かうのは不可能ではないと四四八
は思っていた。

 「そう簡単に納得できるかよ!」

 晶が神野に食って掛かる。

 「それは俺も同じことだ。お前等のような凡愚共と同盟を組まされる身にもなってみろ。だが俺の道具として利用してやる分には
それもいいと思っている。精々俺の役に立ってみるがいい」

 「セージ、今回は戦いに来たんじゃないよ。彼等を煽るような真似は逆効果だと思うけどねぇ」

  「ふっ、それを貴様が言うか?」

 「あっ、そうだったね。きはははは!」

 神野は以前と変わらぬ下劣な不協和音を思わせる哄笑を上げる。

 「ま、僕等が彼等にいくら言った所で徒労だろうから、僕の主が今、ここに来ているよ」

 神野がそう言った瞬間、四四八達に掛かっている重力が数十倍になったかのような感覚に陥った。

 「ぐ!? これは!?」

 「な、何これ!?」

 「か、体が重い!」

 尋常ではない圧力と重力の奔流が身体に襲い掛かる。それだけでなく自分の心臓を誰かに握られているかのようだ。

 「あんめいぞ、ぐろぉりあぁあす! ようこそ、我が主よ」

 「ほぅ、お前がセージの息子か……」

 「だ、誰だお前は……?」

 四四八は俯いていた自分の顔を上げ、声のする方向に目を向ける。そこには黒衣の軍装を纏った長身の男が立っていた。

 「もう一人のイェホーシュアよ、俺はお前を歓迎しよう」

 スクィーラは、気がつくと自身のコロニーである塩屋虻の入り口に立っていた。あの影法師の言っていたスクィーラに課せられた使命。

 それを果たさなければならない時が来たのだ。そう、今度こそ本当の最後の戦いになるだろう。スクィーラは塩屋虻コロニーの中に入って
いった。

 コロニーの中に入ったスクィーラの目には建物は破壊され、地面にはコロニーに住むバケネズミ達の姿が飛び込んでくる。

 反乱を起こした代償、今の目の前の惨状はこの一言が全てを現していた。初めてミノシロモドキから真実を聞かされた時の衝撃は今でも
覚えている。あの時は数日間も放心状態に陥ってしまった。そして次の一ヶ月の間は自分の今の姿と祖先達のこと、今の社会構造についての疑問
と、自分達の現在の立場について大いに苦悩した。

 放心、苦悩、疑問、憤り、憎悪、やるせなさ、その他諸々のマイナス感情に支配されてしまったのだ。自分の配下のバケネズミ達も似たような
心境だっただろう。

 今のバケネズミ達の立場を考えてみれば、ミノシロモドキに記録されていた残酷な真実は到底受け入れ難いものだったのは確かだ。

 しかしやがてその真実をスクィーラは受け入れた。幾ら悩んだ所で、悲しんだ所で今の自分達の立場がひっくり返るわけではない。
この真実を町に伝えた所で分かってもらえるのだろうか? 今思えば四回目で町に直訴に行くなど自分からすれば考えられないことだった。
自分の性格を考えれば自己犠牲などするわけがない。

 スクィーラは自分の汚さを十分に理解していた。コロニーを生き残らせ、発展させる為であればそれこそどんな汚い手段も取ってきた。
利用できるものはとことん利用する。ミノシロモドキの真実を知った後も更に非道とも呼べる行いに手を染める。

 自分を産んだ母の脳を手術し、生ける屍に変えたこと。町の人間達に立ち向かう為に救世主、悪鬼の子供を育て上げたりもした。数千の部下達を
使い捨てにした。町から赤子を攫い、第二第三の悪鬼にしようとした。今更後悔などはしない、するわけがない。

 全ては自分達の立場を変える為に行ったことだ。こうでもしなければ町の連中に勝利することなど到底不可能だったから。

 しかしそのような汚い手段を用いても、結果は町に敗れた。敗れたスクィーラは裁判にかけられ、傍聴席の町民達の嘲笑と罵倒を一身に受け、
無限地獄の刑にかけられた。

 自分のことを理解しているように見えた渡辺早季だとて、大雀蜂の傘下のコロニーを生き残らせたものの、町の人間達が行うバケネズミに対する
非道な仕打ちの数々を見てみぬふりを続け、塩屋虻の生き残りが反乱をすれば、日本中のバケネズミのコロニーを殲滅しろという町民の声を
受け入れ、それを実行した。

 渡辺早季という女は偽善者そのものだ。反乱を起こさざるをえなかったバケネズミの立場を都合よく無視して町の人間を攻撃した行為だけを
責め続けたのだから。自分の住んでいる町がバケネズミに対してどのような仕打ちや支配を行ってきたのかをまるで見ていない。

 そうでなければ檻の中にいたスクィーラに謝罪を要求などできまい。バケネズミ達の受ける苦しみなど結局の所どうでもいいのだ。

 それはそうだろう、余りにも人間とはかけ離れすぎた自分達バケネズミなど家畜程度の見方しかしていまい。

 共存? 和解? 歩み寄る? そんなことなど絶対に不可能だ。

 旧人類はバケネズミに改造され、新人類が支配者となったことは大いに疑問が残る。そもそも旧人類が新人類を終始苦しめ、支配していたのとは
違う筈だ。暗黒時代の神聖サクラ王朝は呪力者が非能力者を支配する国であったし、呪力を使って略奪や虐殺を行う輩も多数存在していた。

 にも関わらず、新人類同士は「攻撃翌抑制」と「愧死機構」により殺し合いはできないのに、旧人類はバケネズミという人間とはかけ離れた姿に
変えられ、新人類は改造された旧人類を一方的に殺せるということ自体がおかしい。

 傍から見ても余りに新人類側に有利な計画だ。

 過ぎたことを悔やんでも仕方のないことだが、旧人類をバケネズミに改造した科学技術集団を見つけたら、肉片も残さずにこの世から消し去りたい
気分になる。
 
 「覚悟しろ神栖66町……。これが、これが最後の戦いだ……!」

 スクィーラは破壊された町の中を歩みながら改めて固く決意する。

 「待っていたぞスクィーラ、盧生に近い者よ」

 聞き覚えのある声がした。スクィーラは声の方角に向けて歩みを速めると、そこには見知った顔がいた。

 「貴方は……」

 「久しぶりだな。こうしてまた会えるのは嬉しいぞ」

 スクィーラを待っていた人間は甘粕だけではなかった。戦真館の面々、神野明影、柊聖十郎、神祇省の壇狩摩、貴族院辰宮の辰宮百合香までいた。

 「久しぶりじゃのう、スクィーラ。この戦いにはわしも参加させてもらうでよ」

 壇狩摩が蜥蜴のような目を細めながら言う。

 戦真館に入学して以降、数回程顔を合わせたことがある。その時に狩摩の配下である鬼面衆と手合わせして勝利を収めた。

 「貴方も変わりなようですね狩摩様」

 「お前、随分と様変わりしたのぉ。最初にお前の姿を見た時にはてっきり廃神タタリの類かと思ったわ」

 壇狩摩と顔を合わせた時には人間の姿だったので、今のこの姿に驚かれるのは無理もないだろう。

 「お久しぶりですね、塩屋……いえ、スクィーラ殿」

 「相変わらずのようですね。辰宮様も」

 貴族院辰宮家の令嬢、辰宮百合香が、スクィーラに笑顔を向けて軽く会釈をする。

 百合香と、その執事である幽雫宗冬には初めて顔を合わせた際に本当の姿を見せている。

 「スクィーラ! 無事だったのか!?」

 「塩屋くん!」

 「塩屋!」

 戦真館のメンバーがスクィーラに駆け寄る。

 「皆さん……、急にいなくなって申し訳ありません」

 「気にするな、お前にはお前の事情があるんだろう」

 「柊様……」

 スクィーラは、自分の瞳を真っ直ぐと見据える四四八の眼差しは、スクィーラを家畜の類として見下している神栖66町の者達とは明らかに
違うものだった。対等な存在に向ける視線であり、しっかりと相手を見ている目だ。

 町の人間達の中に四四八達戦真館のメンバーのような者がせめて一人でもいてくれたら……。

 「スクィーラよ、これより我等の世界の命運を掛けた決戦を行う。遠慮は無用だ、町の連中に情けは無用だ。生き残
る為に知恵を絞っていても、自分達が支配者であるという愉悦に浸りたいのだ。自分達の祖先と同じ過ちを繰り返している
ことに気付かないとは救いようがない」

 「連中が自分達の過去の行いに真摯に向き合えると思うか? そんなことなど不可能だろう。連中はひたすらに自分達こそが神という崇高な存在
だと思い込んでいるだけよ。呪力という力に「胡坐をかき」、呪力を振りかざして思う存分にバケネズミを支配し、蹂躙する。こんなことを
していて町の未来や日本の未来など語る資格などあると思うか?」

 「未来を語るならば自分達の過去の行いを振り返り、自分達の落ち度を反省してその上で未来に繋げるべきだろう。所詮は支配す
ることでしかバケネズミとの関係を持てない分際で未来を容易く語るとは片腹痛いわ。自分達のしてきたツケがそのまま返ってきている
至極単純な道理も解せない阿呆共が君臨する未来など微塵の価値すらもない」

 甘粕は熱の篭った弁舌を振るう。神栖66町はバケネズミの受ける苦しみも、反乱をするまでに彼等を追い込んでしまったという事
実もまるで理解していないのだ。

 そう、ここからが本当の戦い、スクィーラにとっての最後の戦いが始まるのだ……。

 それは異様な光景だった。暗く、冷たく、およそあらゆる温かみという要素を全部纏めて取り払ったこの室内では、一人の少女の絶叫が響き渡っていた。しかしその程度で
あれば異様という言葉で表現するには足りないような気もするが、叫び声を上げる少女の姿は最早少女などというカテゴリーに当て嵌まらないものだった。

 雪を思わせる白く美しい肌だった肢体には、グロテスクな膿だらけになり、しかもその膿からは蛆を思わせるおぞましい生物がポトポトと生み出されていた。

 いや、それだけではない。少女の肢体中に広がる膿は、生きているかのように律動を繰り返し、膿の幅が広がったり狭まったりしていて安定していなかった。

 そもそも膿自体は生き物ではない。ましてや膿から蛆が生まれるなど普通では考えられないことだ。

 しかし膿が生きているかのように動くだけであれば、まだ救いがあった。

 少女の両手両足の骨は粉レベルまで砕かれており、手足を軟体動物のようにくねらせる。口からは血とも反吐ともつかない液体が絶えずはきだしていた。

 しかしそれらの事象ですらも、少女が苦しんでいる原因に比較すればどうということはない。

 何らかの生き物の赤子を思わせる生物が十匹以上も床を這いずり回っている。その生物はどこから来たのか?

 答えは明確だった。少女が自分の股から、この生物を産まされて・・・・・いるのだ。

 床を這いずり回る生物は、イザナギとイザナミとの間に生まれた蛭子。いや、それ以上におぞましく、異次元に棲む生命体を思わせた。

 このような生き物が自分の腹から生まれてくるという事実に耐えられる人間の女など存在しないだろう。

 更に言えばこの生き物を産む時に伴う激痛は人間のそれを軽く凌駕していた。出産に伴う激痛や苦しみなど、これに比べれば針が刺さった程度なのだから。

 そんな出産を十回以上繰り返しても尚、自分をこんな目に遭わせている存在に対する怒りの感情が消えないのは正しく驚嘆に値する精神力だった。

 苦しむ自分の姿を見ながら、あざ笑う者達に憤怒の炎が燃え盛る眼光を向けるこの少女こそが、夢界六勢力の一角、鋼牙の首魁であるキーラ・ゲオルギエヴナ・グルジェワなのだ。

 自分の率いる部下達と、バケネズミ達を連れて、神栖66町に最初に殴りこんだキーラであったが、町が誇る最強の呪力者鏑木肆星と、最高の呪力者日野光風の二人によってあえなく敗れた。

 そして囚われたキーラは、呪力による拷問を受け続けていたのだ。
 
 「貴様等ァァァ!! 許さんぞぉ!!!!」

 「ほう、まだそんな口が聞けるのか」

 神栖66町の拷問官は、憤怒の形相で吼えるキーラを見ながら口元を歪める。

 「バケネズミに組し、町を攻撃した不届き者が! 町民を殺した貴様にはまだまだ地獄をその身で味あわせてやるぞ」

 「ギャァァァァアアア!!!!????」

 拷問官がそう言うと、キーラの身体が大きく歪み始める。さながら水飴か粘土の如く形状は目まぐるしく変わっていく。しかしこんなことをされても尚死ぬことのない
キーラの生命力は文字通り脅威的でもある。

 しかし持ち前の生命力がかえって苦しみを長引かせているという皮肉な結果となってしまった。

 「穢れたバケネズミなど我等の道具、家畜に過ぎん! 何なら貴様もバケネズミと同じにしてやろうか!!」

 「ぐぁぁぁ!!!?? ギャアアアア!!!!???」

 拷問されるキーラの様子を、町の長の朝比奈富子、渡辺早季、朝比奈覚が見守っていた。

 早季と覚は、四四八に殴り飛ばされて気絶していたが、目を覚ますと、スクィーラ達に気付かれないようにその場を離れたのだ。

 あれから丸五日。戦真館の面々の宣戦布告を受けた神栖66町は戦いの準備に余念がなかった。拷問を受けるキーラは、十日前にバケネズミと連合を組んで
町に戦いを挑んできたのだ。五十名の町民が犠牲になったものの、戦いの末にキーラ率いる軍と、バケネズミは破れ、敗軍の将であるキーラは囚われの身となったのだ。

 「貴方がバケネズミと一緒に戦いを仕掛けてきたせいで町の人達が死んだ! 今謝ればこの拷問から解放してあげるのに……」

 「卑劣なバケネズミ達に組して、町の人達が死んだんだぞ! 自分が何をしたか分かっているのか!」

 早季と覚はバケネズミ達がどのような経緯で反乱を起こしたのかなど眼中にない。町の人間達が反乱によって死亡したことにだけ執着していた。

 主従関係になったバケネズミの裏切りが許せないのだろう。少なくともバケネズミ達がどのような心境で町の人間達に従っていたのかなど興味はない。

 バケネズミとの関係はすべからく「良好」であるから。その信頼関係を踏み躙ったバケネズミ達の言い分など一切聞く気などなかった。ただひたすらに町を攻撃したバケネズミ
に対する怒りの感情しかなかったのだ。

 これが神栖66町に生きる呪力者として常識の考えなのだ。自分達の気分を損ねただけで、意に沿わなかっただけで平然とコロニーごとバケネズミ達を抹[ピーーー]る。まるで虫でも
踏み潰すかのような気軽さで。最初からバケネズミがどんな気持ちで支配を受けているのかなどどうでもいい。自分達呪力者を敬い、従うことが「普通」であり「常識」。

 「家畜」「道具」が主人に逆らうようなことなど認めるわけがないから。「家畜」「道具」の都合など知る由もないから。「家畜」「道具」は主に従うことが普通だから。

 町民はまさしく神であり、バケネズミ達はそれを敬う卑しい存在。千年後の未来においてはこの思想は常識的なものだから。

 が、そんな町民をあざけ嗤う来訪者が今、この尋問室に来たのだ。

 部屋の片隅から糞尿があふれ出して来る。比喩や誇張などではない、正真正銘本物の糞尿だ。

 「何? この臭いは……?」

 鼻腔を突くような臭気を持つ糞尿の存在に最初に気付いたのは朝比奈富子だった。

 目の前で行われているキーラの拷問に気を取られ、数分程気付くのが遅れた。

 富子に続いて覚、早季、拷問官もこの部屋全体に漂う臭気に気付き、事態の異常さを察知した。

 そして糞尿は天井、壁からも湧き水のように溢れ出してくる。

 「Sancta Maria ora pro nobis
 さんたまりや うらうらのーべす

  Sancta Dei Genitrix ora pro nobis
 さんただーじんみびし うらうらのーべす 」

 そして部屋全体に祈祷聞こえてくる。まるで何人もの人間が輪唱しているかのようなぶれた声で。

 寒々しく、温かみの欠片もない無機質な拷問室が瞬く間にこの世のありとあらゆる穢れの数々が充満する便房と化した。

 溢れ出してくるのは糞尿だけではない、ヘドロ、蝿、蛆、蜘蛛等々およそ人間からは忌み嫌われる要素のある代物がこの部
屋全体を塗り替えていく。

 どこか虚無的とさえ言える冷徹な空間は、この世の汚物穢れの類を凝縮した不浄の異界へと様変わりした。もはや一種の芸
術とさえ呼べる程の冒涜的な穢れをこの部屋に呼び出した存在、曰くタタリ、神野明影である。

 「誰!? 貴方は!?」

 「どうも、神野明影と申します。この度は反乱軍の使者として参上しました」

 「貴方のような存在を招待した覚えはないけど?」

 朝比奈富子が、悪魔の化身である神野に堂々とした態度で言い放つ。

 「貴方もバケネズミに味方するの!?」

 「ああ……、君は確か渡辺早季だったね。バケネズミの立場なんてどーでもいい癖して、無理してバケネズミのこ
とを理解した気になってるだけの偽善者だろ?いーよいーよ、無理してバケネズミのことを分かった気にならなくてもさ。
バケネズミくん達が反乱しなくちゃならなかった経緯もぜーんぶ丸ごと見て見ぬフリして
町のしてきた行いは知らん振り。で、反乱起こしたスクィーラ君に謝罪要求してる糞ビッチじゃーーーん!! 
こういう形だけ理解者みたいなフリしてる人間って恥も感じないんだろうねー」

 「バケネズミとの関係は今の社会に必要なことだからよ!」

 「あいつ等と人間が対等に見えるのか!?」

 神野明影はいつも通りの狂騒的な表情を浮かべつつ、早季に対して煽りを入れる。

 「ま、この世界に生きて呪力って力に胡坐かいてる連中に何言っても通用しないだろうけどねー。それはそうと、
もう君達の町を僕達の軍が包囲している頃なんじゃないかな?」

 「何ですって!?」

 驚嘆する早季、覚、富子、拷問官の四人だったが、神野の言葉は直ぐに現実のものであると思い知らされることとなる。

 「富子様!! 町の外が奴等に包囲されています!!」

 委員会の女が血相を変えて拷問室に飛び込んできたのは、神野の言葉から十秒足らずのことであった。

 スクィーラは塩屋虻コロニーの生き残ったバケネズミ達を招集し、四四八達戦真館や、甘粕率いる夢界六勢力の面々と共に神栖66町を包囲していた。

 反乱軍のリーダーはスクィーラ。ようやくこれが本当に最後の戦いとなるだろう。都合五回のループを経験したスクィーラにとっての最後の戦い。

 影法師の言葉通りであればこの決戦で未来が決まると言っても過言ではないから。

 「いよいよだな、スクィーラ」

 「ええ、柊様」

 自分を受け入れてくれた戦真館の面々にスクィーラは言葉にできない程の感謝を捧げていた。意地汚く、曲がりきった性根のスクィーラではあるが、本当の自分を
受け入れてくれた四四八達に対しては掛け値なしの感謝の念があった。そして自分を拾い上げた甘粕正彦という存在に対しても。

 耳障りな蝿声が聞こえたと思えば、神野が甘粕の横に立っていた。

 「神野よ、首尾は?」

 「ええ、万事滞りはありません我が主よ。連中も本気のようです。本腰を入れての決戦となりましょう」

 ついに、ついに町との決戦となる。

 町の入り口には数十名の町民が陣取っていた。数十名とはいえ、一人一人が強力無比の呪力使いだ。油断は禁物なのはスクィーラ自身も承知している。

 「あれを見て!」

 世良が叫ぶ方角を見ると、町の長である朝比奈富子が姿を現した。そしてこちらの方に数名の従者を連れて近づいてくる。

 そしてスクィーラの軍の位置から数十メートルの位置まで来た。

 「スクィーラ、町を裏切ったケダモノが懲りずにまた反乱ですか? 我々も軽く見られたものですね」

 「ケダモノだとてプライドや感情がある。文句の一つも言わない家畜が欲しいのならロボットでも作ればいいものを」

 スクィーラは睨み据える朝比奈富子の眼光を睨み返す勢いで言い放つ。

  「笑わせないでくれるかしら。今の貴方達バケネズミが今日まで生きてこられたのは私達があってこそなのよ。自らの祖先の受けた罪の烙印
を受け入れなさい」

 「どこまでも想像力の足りない連中だ。自分達より遥かに非力な存在の上に立ち、意思も自由も尊厳も踏みにじるのがお前らのやり方か。神を名乗っていてもや
ってることは頭の悪い独裁者のそれだな」

 四四八も富子の発言に黙っていられなかったのか、喰って掛かる。

 「貴方も人間なら、なぜバケネズミなどの味方をするの?」

 「人間だからこそ、だ。強大な力に溺れ、人間の持つ道徳心や倫理観も失ったお前等が自分達は人間だとでも?」

 「ただの人間ではありません、呪力という力を持つ神です」

 「へっ、自分で神とか名乗るのかよ」

 鳴滝は嘆息をしつつ、自分の口で神と称す富子の言葉に呆れ返っている。

 「一つ教えといてやるぜ、俺達の世界じゃ、お前等みたいな神様面した馬鹿共のことを単に痛い奴って言うんだよ」

 鳴滝の言葉に頭に来たのか、富子は僅かに歯軋りをしている。

 「つまらん、まったくつまらんぞお前達。どんな苦労をして呪力を手に入れた? 何の鍛錬も修練も試練も乗り越えずに力を得てしまえば怪物が生まれるだけよ。
自分達の力に誇りもプライドも持てないから平然と非力な存在を虐げるのだ」

 甘粕も富子を始めとする町の人間の思想に辟易している様子だった。

 そして甘粕の言葉が決定打となり、富子は言い放った。

 「もうこれ以上話し合いをしても埒があきません。いいでしょう、私達の力を存分に見せてあげます。貴方達が人間の姿形をしているからこそ、ここまで話し合いに
乗ってあげたのですが、それももう終わりです」

 「ふっ、相手がバケネズミだと交渉も話し合いもしない癖に、相手が同じ人間なら平和的な解決方法ときたか。呆れ返る程にお粗末な思考回路だ。お前等のような
小物にはバケネズミの苦しみなど未来永劫理解できまい」

 「何とでも言いなさい。貴方達は自分の犯した過ちを後悔するでしょう」

 四四八の煽りに苛立った様子の富子は足早に町の中へと戻っていった。

 「これで開戦ですね」

 「ああ、いくぞお前等ァ! 腹を括れぇ!!」

 「応!!!!!!!」

 四四八の掛け声と共に、開戦の火蓋が切って落とされた。

 まず最初の反乱軍側の第一波である塩屋虻コロニーのバケネズミ兵士達の突撃は、町民の呪力によって阻まれた。バケネズミの兵士達は、身体
を爆竹のように破裂させられ、地面に内臓をぶち撒けた。やはり強大な呪力者とバケネズミ達との力の差は隔絶したものだった。

 が、そんな戦況はすぐに覆されることとなる。

 貴族院辰宮の筆頭執事である幽雫宗冬がバケネズミ達の指揮を取るやいなや、状況が一変したのだ。幽雫は
呪力者達との距離を信じられない速度で詰め、町民達が反応しきれないままに、得物のサーベルで十名前後の町民達を悲鳴を上げさせ
る暇もなく斬り捨てた。その余りの鮮やかな戦いぶりは一種の芸術とも呼べる程に完璧なものだった。一切の無駄の
ない洗練された太刀捌き、足運び、反応速度、戦法の数々を前に、戦争慣れしていない町の人間達は手も足も出なかったのだ。

 邯鄲の夢を持つ者は呪力者の使うPK能力に対して耐性があると、甘粕から聞かされている。勢いにのるバケネズミ達の軍を率
先して先導したのは幽雫だけではなかった。

 四四八達、戦真館の面々は勿論のこと、スクィーラ自身もまさしく戦場を駆ける鬼神の如き勇猛さで町民達を蹴散らしていった。

 五常楽のうち、破段に達しているスクィーラは、自身の適正の中で特に高い戟法の迅、創法の形を最大限に活用し、迅雷の如き素早さで町中を駆け回る。

 そして創形した槍で片っ端から町民達を突き殺していく。

 時折身体に掛かる衝撃は、恐らく呪力による攻撃だろう。耐性はあるといっても痛みはあるのだ。全身の骨が軋んでいく感覚に陥る。

 しかし町に対する怒りの炎を燃やすスクィーラは、そんな痛みなど意に介さず、町民達を見つけ次第殺していった。

 「私は新たな力を得た!! 貴様等を[ピーーー]為の力をなぁ!!!」

 咆哮するスクィーラ。スクィーラは全身を支配する町に対しての憤怒と憎悪を加速させつつ、町民達を虐殺していく。

 勢いづく反乱軍に押された形の町民達は、町の大広場まで後退する。そしてスクィーラ、幽雫、戦真館のメンバー率いる反乱軍は、大広場に雪崩れ込み、
大広場は反乱軍と町民との戦場と化した。

 そしてその様子を町の上空から甘粕は見下ろしていた。まさしく、人同士の戦いを愉悦の表情で見物して楽しむ魔王のように。

 「さぁ、神栖66町の町民共よ!! 自らを神と称するのならばお前等の持つ力、輝きを俺に見せてみろ!!! 神であるならばこの試練、乗り越えてみるがいい!!!!
さぁ、人の身でありながら神と名乗るその言葉、嘘偽りがないか証明してみるがいい!!!!! 俺がお前達に対して抱いた失望感を覆してみろ!!!!」

 黒いマントを翻し、神栖66町の町民達に対して叫ぶ。人の持つ輝きを何よりも愛する甘粕は、神を称する町の人間達が、試練を乗り越えられるのかどうかを
見定めようとしていた。

  「ほう、ほう。なんともこりゃしっちゃかめっちゃかなザマじゃのう」

 町の大広場での戦闘を見下ろしつつ、壇狩摩は嘆息するかのようにぼやいていた。

 「神栖の連中が小物か。そりゃ確かにそうじゃろうの」

 狩摩は、四四八が朝比奈富子に言い放った言葉を思い出す。

 夢界六勢力の面々だとて大人物とはいい難い。

 心は汚く、利己的で、王道を嗤い、捻じ曲がっている。

 町の長たる朝比奈富子でさえ、町の未来を憂いているように見えて、実際は支配され続けるバケネズミという旧人類の末裔
を気に掛けることすらしない。思慮深く、平和的な考えのような言動を取っていてもその実、自分達より下等な存在である
バケネズミ達の上に立ち、道具のように扱うことに対して欠片の抵抗感すら抱かない。

 バケネズミの反乱を「信頼に対する裏切り」と臆面もなく言ってのける浅はかさ。

 「所詮は物を動かす程度の力で神仏気取って悦に浸るだけの俗物共よ。そがぁな奴等に未来が築ける筈がなかろうが。甘粕
の言う通り、こりゃ聞きしに勝る馬鹿共よ」

 「どれ、馬鹿共の相手をわしもしちゃるか。鬼面共ォ! お前等も混ざれや!!」

 狩摩の言葉と同時に、狩摩の頭上に三つの鬼面が浮かび上がる。

 「町の連中を全員血祭りに上げたれや」

 怪士、夜叉、泥面の三鬼面が主である狩摩の号令と同時に人型を形成し、町の大広間に突撃していく。

 まず最初に町民に対する攻撃を仕掛けたのは夜叉だった。

 何も無い空間から無数の刀剣を創法の形で具現化させるやいなや、数十名の町民目掛けて豪雨の如く降り注がせる。

 「ぐぎゃ!?」

 「が!?」

 「くそ!? 剣だと!?」

 不意打ち、騙し打ちを得意とする神祇省の戦法は、強大無比な力を持っているものの肉体そのものは生身の人間であり、
意識外からの不意打ちには脆い町の呪力者相手に如何なく発揮された。

 何人かの町民は咄嗟に呪力で作った障壁によって難を逃れたものの、突然の攻撃に対処しきれなかった多くの町民は、
夜叉の放った刀剣により串刺しにされた。

「糞! 新手か!?」

 数名の町民が、屋根の上にいる狩摩と鬼面衆に気付き、攻撃に転じようとしたその時、目に見えない一迅の疾風が町民達の間を駆け抜ける。

 「な?」

 「がぁ!?」

 何が起きたのかも分からないという風に、町民達の身体はズタズタの細切れになり、調理されたように刻まれた肉塊が多量の血液と共に地面にぶちまけられる。

 そう、鬼面衆の中でも隠形に特化した暗殺者の一人、泥眼だ。零の奔流と化した泥眼は文字通りの無の風となって標的に対して不意打ちを仕掛けた。

 呪力を使うにはまず対象を目視しなければならない。呪力使いにとって目は命であり神栖66町の町民達は総じて視力が良いのだ。しかし相手を見る
ことを前提としているならば、見ることも感じることもできない存在による攻撃は正しく呪力使いにとっての鬼門であり、天敵であろう。

 常道を逸した戦い方を得意とする神祇省の戦法はまさしく呪力者を[ピーーー]為に存在していると言っても過言ではない。

 狩摩は口元を歪めて不適に嗤うと、重い腰を上げ、屋根から飛び降りて自らも大広場に降り立つ。

 「俺も遊ばせてもらうでよ」

  「やぁぁぁぁああ!!!」

 スクィーラは、町が誇る二大巨頭、鏑木肆星と、最高の呪力者日野光風に戦いを挑んでいた。

 流石は神栖66町の中でも最強と最高の二人を同時に相手にするのはスクィーラといえど苦戦していた。

 地球すらも破壊できる程の力を有してはいるものの、肉体は常人に変わりないので、致命傷を与えてやればそれでお陀仏になる。
問題は鏑木自身の動体視力の異常性だ。
通常の人間の範疇を超えるレベルの反射神経、360度全方位を見渡せ、遮蔽物すらも見通す視力。

 邯鄲の夢で強化されたとはいえ、鏑木の持つ常軌を逸した魔眼に手を焼く。

 二人は先程からスクィーラの身体を破裂させる為に呪力による攻撃を仕掛けてきているが、それと同時にスクィーラの身体の自由を奪おうと金
縛りのような技まで仕掛けてきた。しかしスクィーラはは力づくで呪力による拘束を振りほどく。呪力に対する耐性があるとはいえ、こう何度もも攻
撃を受け続ける内にダメージは蓄積してく。しかし問題は拘束時速数百kmの速さで二人の周りを駆け抜けているにも関わらず捉えられているということは恐ら
く鏑木がやっているのだろう。これ程の速さを易々と捉えるとは脅威の動体視力と言える。

 大量の木と石で構成されたミサイルが恐るべきスピードでスクィーラに襲い掛かる。休む間もなくそれは続き、スクィーラの足場である家屋が無残に粉砕されていく。
呪力を応用した絨毯爆撃とも呼ぶべきか。

 家屋から家屋に飛び移りつつ、二人に向けて槍を投擲する。一つだけではない、素早く新たな槍を数本創形し、間髪入れずに二人目掛けて勢いよく投げつけた。しかしどれもが
呪力の盾で悉くが防がれてしまう。

 状況を不利と悟ったスクィーラは一旦広場に戻り、二人がいる建物の屋根に向かって一直線で向かっていく。

 「はぁぁぁぁあああああああ!!!!!」

 自分の眼前に百本近い槍を創形し、それを一斉に二人目掛けて浴びせかける。

 しかしそんな槍の暴雨も、呪力の盾によって防がれる。

 そして次の瞬間、巨大なハンマーで殴られたのかと思う程の衝撃がスクィーラの右から襲いかかった。

 「ぐぁ!?」

 唐突な衝撃に一瞬気が動転したスクィーラだったが、すぐに状況を理解できた。

 直径数メートルはあろうかという巨大な岩が自分の真横から襲ってきたのだ。今思えば呪力同士は干渉する。先ほど二人が周囲にある材木やら石
やらを呪力で持ち上げたかに見えたが、実際に呪力を使用していたのは日野か鏑木のどちらか一人だけで、その一人が周りの物体を動かして
いたのだろう。それ程の衝撃を受けても尚、吹き飛ばされずにその場に踏みとどまるスクィーラ。循法の堅の値がそれなりにあるので、どうにか耐えられた。

 このまま戦いが長引けば、攻撃を受け続けている自分が不利になる。いくら素早く移動できるとはいえ、相手の動体視力がこちらの動きを容易く捉えてしまう。

 「あの二人ですらも反応できない程にまで速く動ければ……」

 スクィーラは願った。相手が反応できない程にまで速く動ければ、こちらを意識できない程にまで速くなれれば。


 ──────より速く


 ──────より早く


 ──────より迅く


 「破段───顕象」

 スクィーラは、自らの破段を出し、日野と鏑木と交差する形で彼らの後ろに着地する。

 「な、何をしたバケネズミめ……? わ、我等にな……何を……?」

 「か、身体が動かん……、スクィーラ、何を、何をしたぁ!?」

 余りの速さ故に自分達が「攻撃された」ということにすらも気付いていないのだ。スクィーラは二人に百人分を殺せる程の猛攻撃を叩き込んだのだ。二人が
喋れる状態ではないのが普通ではあるが、スクィーラの破段の影響により、効果が現れるまでに「時間差」があるのだ。

 「ぐぶ!?」

 「がへぇ!??」

 ようやく最初の一撃の影響が二人の身体に出たようだ。二人の脇腹を槍で一突きしたのが最初の攻撃だ。

 そして二人が口から血を吐き出したのを皮切りに、二人の身体にスクィーラの繰り出した攻撃の影響が現れ始める。

 「が……体が崩れるぅうううう!!!??? か、神である我らがぁぁ!!!」

 「ぐべ!? がばぁ!!??」

 耳が削げ、手足が第一関節からポトポトと屋根を転がり、地面に落ちていく光景を見て二人は思考が追いついていないようだ。

 「わ、わだじの……腕が、耳がぁああ……!! 血、血が止まらない!! だ、誰が……、だ、だずげ……で……!!」

 「ば、バゲネズミ如ぎにぃぃぃ……!」

 最後の言葉を口にすると二人の身体は細切れになり、完全に地面に崩れ落ちた。

 「貴様等には似合いの末路だ……!」

 スクィーラは、残った二人の肉塊に唾を吐き捨てる。

 鏑木肆星、日野光風という二人の実力者を失った町は総崩れとなり、町民達は我先にと逃亡を始める。

 その様子を屋根の上から見守るスクィーラ。

 「これでやっと終わりか……」

 終わってみればあっけないものだった。あれ程までに強大な力を振るい、自分達を神と称していた町の人間達は形勢不利と見るや一目散に逃げ出しているではないか。町民達への憎悪に取り付かれていた
スクィーラも、逃げ纏う町民達の姿を哀れだと思い始めていた。

 「連中は何も超越した神のような存在ではなかった……。一皮剥けば我等と大して変わらない」

 これ以上痛めつけた所で何が変わるというのだろうか? スクィーラはこの辺りが潮時だと思い、戦いを終わらせる決意をする。

 スクィーラは、屋根から下りて、四四八達の元に向かおうとしたその時、自分の前方に二つの人影が見えた。

 「あれは……」

 そう、自分にとって忘れようにも忘れられない存在の二人、渡辺早季、朝比奈覚。

 「渡辺様……、もはや戦いは終わりです。諦めて降伏しなさい」

 スクィーラは心の底では期待していたのだ。早季と覚の二人は自分達バケネズミのことを僅かでも理解してくれると。そして苦しめられてきたバケネズミ達の痛みや恐怖を分かってくれると。

 そんな淡い期待を寄せていたのだ。

 「断るわ、スクィーラ。私達はあなた達バケネズミに降伏なんてしない!」

 「もうこれ以上の戦いは無意味ではありませんか? 貴方達だとて我等バケネズミがどれだけ追い詰められたのか理解できた筈です」

 昔からの腐れ縁とも言える関係であるこの二人にだけはバケネズミの受けてきた苦しみを理解して欲しいとスクィーラは願う。

 「私達は人間と然程変わらない知能を持っています。そんな生き物が、町の人間達の顔色を伺いながら暮らしていくという意味が
分かりますか? いつ用済みになって消されるかも分からない恐怖と戦う日々が想像できますか? 私達は苦痛も悲しみも怒りも感じな
い機械人形ではありません! 私達は人間と変わらない知能や感情を持つ生き物なのです。どうか我等の痛みと悲しみを理解してください……!」

 「例え貴方達が苦しんでいるのだとしても、それが今の社会を構築しているのよ。貴方はそれを受け入れられずに、独りよがりな考えで反乱を起こして、そ
の結果大勢の町の人達を殺した!!感情? 恐怖? 支配を受けているのなら、なぜそれを受け入れようとしないの?」

 「なら不満も憤りも感じるなということですか!?」

 「当たり前だ!!」

 スクィーラの悲痛な言葉を遮るようにして覚が怒鳴った。

 「そういう関係だということは最初から分かっていた筈だ!! 支配する者とされる者の関係などそれが普通なんだよ!! 自分勝手な欲望で反
乱を起こしておいて! その他大勢のバケネズミは俺達の支配を受け入れている。そういう社会だということを受け入れているんだよ! お前はそれを受け
入れようとせず、俺達町の人間を裏切ったんだろうが!!!!」

 「スクィーラ、貴方の気持ちは分かる。だけど今のこの社会は私達町の人間とバケネズミとの共存で成り立っているの。私は町の委員会に姉妹と友達
の命を奪われたけど、それも今の社会を維持する上では仕方のないことなの。嫌でも自分の立場を受け入れないといけないのよ」

 二人の口から出てくる言葉は絶望だった。スクィーラの淡い期待を踏み躙るには十分過ぎる程の冷酷無比とも言える言葉だった。
 
 今の社会を維持していくのに必要だから、この言葉で二人はスクィーラ達バケネズミの抱いていた感情を全否定したのだ。

 確かに社会を維持していく上では必要なことなのかもしれない。だが所詮二人の言うことは、呪力という力を持ってバケネズミの上に立つ人間
による自分達に都合の良い理論に過ぎないだろう。

 自分達の支配体制を維持していく上で、最もらしい言葉を吐いて無理矢理納得させる。

 自分達バケネズミを人間だと認めてくれることなど最初から期待などしてはいないが、バケネズミ達が五百年近くも受けてきた屈辱
と苦しみ、地獄のような日々の一切を考慮すらもせず、「今の社会には必要なこと」という一言で全否定ときた。

 下らない期待などするべきではなかったのだ。所詮呪力者とバケネズミとでは違い過ぎる。

 「もう一度聞こう、渡辺早季。バケネズミと歩み寄るつもりはないんだな?」

 自分でも驚く程に乾いた言葉で早季に尋ねる。次に早季からバケネズミに対する否定の言葉が出れば自分の中で何かが弾けてしまうかもしれない。

 今の自分は自分ではないような気がしてきた。スクィーラの抱いた絶望という感情。町の人間に対する救い難い程の失望。これらの要素が合わさった今、
自分の中にいる「何か」を呼び起こしてしまう……。

 ──────目覚める


 ──────目覚めてしまう


 ──────おぞましい何かが


 ──────自分の「中」から


 ──────何が生まれてくる?


 ──────自分ではなくなってしまう


 ──────何が生まれる?


 ──────何が?


 ──────何が?


 ──────何……が……?


 「何度でも言うわよスクィーラ。貴方達バケネズミは町の人間に従うのが社会の構造なのよ! 身勝手な理由で反乱を起こしてよく被害者面ができるわね!!!!」



 ──────ここに、「協力強制」が実現した……。

 ああ、人の子よ、忠の心を忘れたか。そして自らを神と称するのか。ならば今一度知らしめよう。そして再び見せるがいい、清々しい息吹によって
一切成就祓と成れや。

 神栖66町を中心とした全方角20kmから無限に湧き出す凶将陣・百鬼夜行
 
 津波となって木々という木々を薙ぎ倒し、森を瞬く間に埋め尽くしていく無数の廃神が、町を目指し我先に遁走する。眼前の悉くを潰しながら。

 文字通りそこに逃げ場など存在せず、神を騙る者達の全てを根絶やしにするまでこの凶将の進撃は止まることはない。

 龍は祀り、鎮めるもの。拝跪し、畏れ、敬うもの。

 だが今、千年の時を経た龍は狂っている。黄金の身体は爛れて腐り、万象灰燼と帰す魔性の震と化している。

 ついに真価を見せる魔震の咆哮。大地の神威。

 今こそ人の身でありながら神となろうとした者達への鉄槌を、制裁を、怒りを叩き込む。
 
 「オン・コロコロ・センダリマトワギソワカ───」

 「六算祓エヤ滅・滅・滅・滅」

 「亡・亡・亡」

 黄龍の化身は膿み爛れて邪龍と化し、神を称する者達の町へと怒涛の進撃を続ける。

 人の身で神となることへの怒り。

 本来敬うべく対象を蔑ろにしたことへの怒り。

 忠の心を忘れし呪力者に対する憎悪憤怒に支配された裏勾陳首領、百鬼空亡が天地を震撼させる。

 そしてついに町にたどり着いた。空亡から逃げ纏う凶将達は、激流となり町の家屋、逃げ纏う人々を全て纏めて蹂躙していく。

 どんな火砕流や洪水よりもこの凶将百鬼陣の奔流は危険かつ破壊的だ。

 ムカデ、犬、鬼、髑髏等の雑多な廃神の恐怖に駆られた突撃は、大陸そのものが向かってくるに等しい。

 町に入った空亡は、逃げ纏う町民はおろか、配下である凶将達をも片っ端からとらえて無数の手を使いバラバラに解体していく。

 「痛い? 痛いィ? 苦しい? 悲しいィ?」

 「愛しい? 憎いィ?」

 「辛い? 悔しいィ?」

 「痛い痛い痛い痛いィーーーーキャァァァァァ、ぎゃぎゃぎゃはァーーー!」

 空亡に殺された町民達の悲鳴、絶叫が周囲に響き渡る。しかし当の空亡はそんなことは意に介していない。

 ただひたすらに暴虐、残虐、蹂躙、非道の限りを尽くしているのだ。

 自分の中に戻っていく・・・・・・・・・・感覚に酔いしれながら、殺戮を続ける。

 こうすることにに戻るのだ。

 空亡は一人の女を見つける。

 「早季!! 逃げろ!!!」

 空亡が見下ろす先に一組の男と女がいた。

 空亡はこの二人に特別に興味を抱き、逃げようとする二人を巨大な手を使い、摘み上げた。

 「離せ!! 化け物ォォォ!!!」

 「いや! 離して!!!!」

 空亡はまず最初に男の方から「壊して」みた。

 まずは男の両手両足を無造作に折り曲げた

 「ぎゃぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!!!?????」

 次に男の下をくり貫いた。

 「ゲボォォォ!!??」

 肋骨を砕いた、鎖骨を砕いた、髪の毛を頭皮ごと引きちぎり、喉を潰し、背骨を折り曲げ、内臓を抉り出し、脳味噌を掻き毟った。

 男は呆気なく死んだ。

 「嫌!! 覚ぅぅうううううう!!!!!!」

  男の死に女は悲鳴を上げる。男の死体を放り投げると、女の方を見る。

 「この化け物!! よくも覚を!!!」

 女は叫ぶものの、顔は恐怖に引き攣っていた。

 「女、女だ」

 「乳をくれ、尻をくれ」

 「旨そげない腹をくれろ」

 「その指わいにくりゃしぇんせ」

 「わいに血をくれええええぇぇぇッ!」

 空亡の無数の手が女の身体に殺到する。女の衣服を引き裂くと、女の身体を蹂躙し始めた。

 「ギャァァァァァアアアア!!!!???」

 腕をもぎ千切る、両目を潰して抉り取る。舌を引き抜き鼻を削ぎ、乳房を握り潰して喰らいはじめる

 「痛い? 痛いィ? 苦しい? 悲しいィ?」

 「愛しい? 憎いィ?」

 「辛い? 悔しいィ?」

 「痛い痛い痛い痛いィーーーーキャァァァァァ、ぎゃぎゃぎゃはァーーー!」

 空亡は女を喰らい尽くすと、他の逃げ纏う町民達を手当たり次第に喰らい始める。

 空亡の暴威暴虐暴食は止まらない。止められる者など存在しない。「本当の自分」に戻る為、
本来の姿に戻る為、それまでは決して行動を止めることはない。

 そう、その時が来るまでは……。

  「ま、町が……、神栖66町が壊れていく……」

 町の長である朝比奈富子はその場にへたりこみながら、町を蹂躙する空亡を茫然と眺めていた。

 四四八は、突如として現れた正体不明の強大な存在に自分の目を疑った。他のメンバーも似たような心境なのだろうが、
町を蹂躙していく怪物の群れはどういうわけか自分達戦真館のメンバーはおろか、他の六勢力には目もくれずひたすら神栖66町の人間達を
殺戮し、むさぼり尽くしている。

 「一体あれは……」

 目の前で暴威を振るう天災じみたモンスターが如何に自分達の手におえる相手ではないという事実肌で感じ取る。

 最早アレは人の力でどうこう出来る類のモノではない。

 「が!? は、離せ!?」

 怪物の手が、目の前でへたりこむ朝比奈富子を掴みあげると、無数の手で富子の身体を解体し始めた。

 「ぎゃ!? ギャァァァァァッァアアア!!!??」

 町の長である朝比奈富子の断末魔が大広場に響き渡った。地面には富子の身体の肉片が落ちてくる。思わず吐き気を
催す程におぞましい光景だ。

 「痛い? 痛いィ? 苦しい? 悲しいィ?」

 「愛しい? 憎いィ?」

 「辛い? 悔しいィ?」

 「痛い痛い痛い痛いィーーーーキャァァァァァ、ぎゃぎゃぎゃはァーーー!」

 この怪物がいつ自分達を標的にするか分からない状況だ。四四八は、後ろに控えるメンバーにいつで
も戦闘ができるように呼びかける。

 その時、怪物の身に異変が起きた。

 「忠なるや……?」

 「汝、忠なるや……?」

 怪物の身体が眩いばかりの光に包まれ始めたのだ。次から次に起きる事態の数々に四四八は状況が上手く飲み込めないでいた。

 「今度は何だ?」

 四四八が呟くと、隣に立っていた甘粕がゆっくりと口を開いた。

 「どうやら、「元」に戻ったようだな……」
 
 「どういうことだ?」

 甘粕の言葉の意図が分からない四四八。

 「見ての通りだ。スクィーラ……、いや百鬼空亡という目の前の怪物は元に戻ろうとしているだけだ・・・・・・・・・・・・・」

 「だから、その言葉の意味は何だ?」

 「町の連中は元々空亡の『一部』だからだ」

 「何だって?」

 甘粕の言葉を聞き、驚嘆する四四八。今目の前で光を出して輝いている百鬼空亡という名の怪物の正体はスクィーラだというのだ。しかも町の人間達は空亡の一部なのだという。

 「詳しく聞かせてもらおうか、甘粕」

 「よかろう、お前達には真実を知る権利がある」

 甘粕の口から衝撃とも言える真実が語られた。

 今この夢界で暴威を振るう六勢力の一角、裏勾陳首領である百鬼空亡は、スクィーラの生きる世界の千年前に、ここ夢界とは違う形で忠の心を忘却
した人類に対して牙を剥いたのだ。

 呪力、所謂PK能力と呼ばれる力を先天的に生まれ持った者達、後の呪力者の祖先である彼等に呪力という力を分け与えた存在こそが空亡だった。
人類の文明は呪力の誕生をきっかけとして崩壊した。更に暗黒時代における呪力者による非能力者支配を経て、現在の呪力者とバケネズミ達との関係に辿り着く。

 「五百年にも渡るバケネズミ……いや、旧人類に対する支配でようやく「溜飲を下げた」ようだ」

 現在の日本に存在する呪力者達は空亡の力を分け与えられた存在、呪力そのものが空亡の力の一部なのだ。

 空亡が呪力者である町の人間を殺し、喰らうことで自分の元に還しているのだ。自分自身の欠片(ピース)を集め、再び完全なる姿を取り戻す為に。

 神に対する忠義、忠心、忠誠を忘れ去った人類に対する怒りがここ夢界とは違った形で具現化したのだ。普遍的無意識の海を漂っていた
スクィーラの魂と融合した空亡。

 間接的とはいえ、自分に対する忠誠の心を数百年に渡って見届けてきた。空亡自身の怒りは長きに渡る月日を経てようやく沈静化した。

 空亡が暴れた理由は、自分の完全な力を取り戻す為。その為に町の人間達を残らず平らげた。

 「見て、四四八くん! 空亡の様子が!!」

 歩美が指差す方向を見ると、空亡の輝きが更に眩いものとなっていた。

 「高天原に坐し坐して、天と地に御働きを現し給う龍王は」


 「大宇宙根元の御祖の御使いにして一切を産み、一切を育て、万物を御支配あらせ給う王神なれば」


 「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十の十種の御寶を己がすがたと変じ給いて、自在自由に天界地界人界を治め給う」


 「龍王神なるを尊み敬いて、真の六根一筋に御仕え申すことの由を受け引き給いて 」


 「愚かなる心の数々を戒め給いて、一切衆生の罪穢の衣を脱ぎさらしめ給いて、万物の病災をも立所に祓い清め給い」


 「万世界も御親のもとに治めしせめ給へと、祈願奉ることの由を聞こし食して、六根の内に念じ申す大願を成就なさしめ給へと」


 ────恐み恐み白す



 空亡が光に包まれ、天に昇っていく。 

 天に昇っていく空亡……否、スクィーラを食い入るように見つめる四四八。

 「スクィーラ……、お前は……」

 その影法師はいつからそこにいたのか。何もない虚無の暗黒空間に朧気に漂いながら、一つの神が浄化されていく様子を見ていた。

 そう、自分の役目を果たしておく必要があるのだ。最後の仕上げ、最後の仕事、この瞬間に自分の果たすべき役割があるのだから。


 「武器も言葉も(人を)傷つける
 Et arma et verba vulnerant Et arma

 順境は友を与え、欠乏は友を試す
 Fortuna amicos conciliat inopia amicos probat Exempla

 運命は、軽薄である 運命は、与えたものをすぐに返すよう求める
 Levis est fortuna id cito reposcit quod dedit

 運命は、それ自身が盲目であるだけでなく、常に助ける者たちを盲目にする
 Non solum fortuna ipsa est caeca sed etiam eos caecos facit quos semper adiuvat

 僅かの愚かさを思慮に混ぜよ、時に理性を失うことも好ましい
 Misce stultitiam consiliis brevem dulce est desipere in loc

 食べろ、飲め、遊べ、死後に快楽はなし
 Ede bibe lude post mortem nulla voluptas

 未知の結末を見る
 Acta est fabula 」


 そして、全てが巻き戻っていく、あの頃の、あの時の、あの瞬間まで……。

 
────2011年日本 東京 AM8:00


その日はいつもの平常運転を続けていた。いつも通りのルーチンを繰り返す日々をこうして消化していく。

 「ちぇっ……、いくら超能力なんて夢想したって現実じゃ空しいだけか~」

 通学路を歩く一人の高校生が現実世界の退屈さを嘆く。所詮は夢、妄想、空想の考えや概念など現実の世界には入ってこない。

 ひとたび現実の世界にそれらの要素を入れれば、取り返しの付かない事態を起こしてしまう故に……。

 「ま、こういうのは子供のうちだけの特権だよな。早いとこ大人になって分別を付けるか」

 平穏で繰り返される退屈な毎日。しかしそういった毎日を送れるのは幸福なことでもある。

 この時、この瞬間こそが『分岐点』だった。しかし、多くの血が流れる未来はこうして回避された。

 歴史の大きな歪は正されたのだ。目の前に広がるのは、いつも通りの世界、社会。

 世界線を変え、多くの命は救われる。世界が真の平和と平穏を得たことを喜ぶ人間は、まだこの時点ではいない。

以上で終了です。理想郷で感想を貰えないので、ここに来ました。ご感想を頂ければ幸いです。

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