三章ができましたので投下させて頂きます。
一章
仕事を辞めた俺は超自然現象対策室に再就職した。 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1412704595/)
二章
仕事を辞めた俺は超自然現象対策室に再就職した 二章 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1413129484/)
詳しいストーリーは一章から見て頂ければお分かり頂けるかと思います。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1413548314
*始める前に
今回は雪子視点で物語が進行します。
そしてストーリーの進行上日常パートが多いです。
あらかじめご了承ください。
ーー私は、夢の中にいる。
いつもの事。
私は夢を見ている。
という事が分かる夢を、しばしば私はこうして見る。
この夢はーー
「ーーお母さん! お父さん!」
またこの夢だ。
何度見たことだろう。
もう嫌だ。
記憶から消したい、私の過去と。
そしてこの悪夢。
「ーーやめて! やめて…」
「ーーいたぞ。例の娘だ」
硝煙、大火、亡骸、鮮血。
さっきまで生きていた「何か達」
「ーーやめてぇぇぇぇぇぇ!!」
私は夢の中にいる。
今も、そしてこれからも…
「ーーまたあの夢」
目を覚ますといつもの部屋。
私の部屋。
体を起こしベッドから出る。
じっとりとした嫌な汗が体を濡らし、寝間着は湿って肌に張り付く。
カーテンの隙間から真夏の強い日差しが漏れ、部屋を照らす。
「ーーシャワー浴びよう…」
気持ちを切り替える為に。
まだ寝ぼけ気味で覚醒しない体を起こす為、浴室へ向かいシャワーを浴びたーー
「ーーおはようございます、龍一さん」
「ーーおう。おはよう雪子」
シャワーを浴びた後、浴室から自室に向かう際に、キッチンに向かうと思われる龍一さんとすれ違う。
「朝食の準備ですか? いつもありがとうございます」
「いつもの事だ。仕事だしな」
神山龍一さん。
ここ、超自然現象対策室の支部で手伝いとして働いて下さっている方。
私の無理なお願いにも嫌な顔一つせず承諾して下さった方。
出会いは意外なものだったけれど、一ヶ月を過ぎた今、それはとても懐かしいとさえ思える。
龍一さんはこの家で家事の他に、現象解決の補佐もして下さっている。
彼がいなければ、私達は今頃どうなっていたか…
そう思うくらいに、龍一さんは今やこの家で、私の中で大事な存在になっている。
彼は、
「ーーただ家事とちょっとした仕事の手伝いをしてるだけだ」
と偉ぶる様子もなく、さぞ当たり前という風な調子でいるけれど、きっと普通の人なら務まらないと思う。
龍一さんは強い。
なんとなく、そう感じる。
今まで共にして来て、彼という人間を知りつつある。
危険を顧みず、人に手を差し伸べる事ができる。
それは違う視点から見れば、お人好し、無謀、蛮勇と位置付けられるかもしれない。
しかし、全てを受け入れ前へ向かう姿勢は誰にも真似ができるわけではない。
今や龍一さんは私達の精神的支柱にもなっているのかもしれない。
自室に戻り、着替え、汗をかいて湿ったシーツ等を洗濯に出してから仕事部屋に向かう。
(今のところは依頼もないわね…)
PCを立ち上げ、メール欄を見る。
本部や個人からは特に依頼や連絡もなかった。
次にファックスを確認する。
数枚の書類が届いているが、周辺支部の定期状況報告、現象情報などで依頼はない。
(今日は小説の続き、書こうかな)
依頼は今のところないので、やる事は少ない。
それらは、定期的な、本部や支部間との連絡、現象の報告書を提出する事のみ…
今日は平和に過ごせそう。
今朝見た夢が思い出される。
特別な事はなくとも、何気ない日常や日々が一番大切。
そう思う。
仕事部屋を後にして、私は食堂へ向かったーー
「ーーだから、トーストはちょっと焼けたぐらいが一番いいの!」
「いや、ちゃんと焼いたカリカリが一番美味い。これは常識だ」
今となっては見慣れた大きな食堂。
食堂の扉を開けると、入室一番飛び込んで来たのは、何やら言い合いする桜子と龍一さんの姿。
(ふふっ…今日も仲が良いわね)
平和な日常の風景、その一つ。
二人が真剣そのもので主張し合う光景を見て、思わず笑ってしまう。
初見なら喧嘩だと思われるだろうけど、あれが二人の通常なのだ。
桜子はよっぽど仲が良くなければ、ああやって本音をぶつけたりしない。
(龍一さんを信頼しているのね)
「ーーおはよう桜子。どうしたの?」
私に気づく様子もなかったので、私から声をかけた。
「ーー雪子、朝食出来たしちょうど呼びに行こうと思ってたんだがな、こいつが…」
「おはようお姉…ねえ! お姉これ見てよ!」
桜子はそう言って、テーブル上の1点を指差す。
トースト、クルトンが入った鮮やかなサラダ、コーンスープ、ウインナーとオムレツ…
美味しそうな朝食。何も問題はないように見えるけれど…
「ーー龍一がまたやらかしたの!」
「だから、トーストはカリカリの方が…」
「私はちょっと焼けて柔らかさが残ってる方がいいのに!」
どうやらトーストの焼き加減について抗議していた模様…
「桜子、龍一さんが作って下さったんだから、文句言わないの」
「そうだぞ桜子。嫌なら俺が食うからいいぞ?」
「んぐ…! 嫌ではないわよ!」
「なら別に焼き加減なんざどうでもいいだろ…今度からお前のはそうしてやるから今回は許せ」
「ーーありがと…」
そうして私達は席に着き、朝食を食べ、1日が始まるーー
午前中はなだらかに、静かに流れる。
仕事部屋。 私は小説の続きを執筆している。
ノートPCにカタカタとタイプする。
外では蝉の声が蝉時雨となり、窓を閉め切ってエアコンをかけている部屋にもそれは届いてくる。
真夏、8月初旬。
生命はより一層輝き、それをありありと主張する。
「ーー早く夕方にならないかな…」
個人的な事ではあるが、私は昼間の蝉の音色より、早朝もしくは暮れなずむ夕時のヒグラシの儚げな歌声が好きだった。
(ーーなんだかタイプが進まない)
文章が浮かんだり消えたり…
プロットは既に立ててあるので、後は文章を展開していくだけ。
しかし適した言い回しがなかなか決まらず、私の指はキーボード上に止まったまま…
(少し休憩を入れよう…)
立ち上がり、キッチンへ向かおうとした。
「ーーお疲れ。 紅茶淹れて来たぞ」
ちょうど立ち上がった時、部屋に龍一さんが入って来た。
「ーー今日は小説書くって言ってたし、そろそろ息が詰まってくる時間だと思ってな」
「あ…ちょうど休憩入れようかなって思ってたんです…ありがとうございます」
ジャスト。というタイミングで龍一さんが。
トレーの上には紅茶が淹れられたティーカップと、幾つかのお茶請けたち。
「ーーこれ…凄い良い匂い…
ミルクティーですか?」
「ああ。作り方調べてやってみたが…味悪かったらすまない」
「いえいえ…絶対美味しいです。ありがとうございます」
PCやファックスが置かれるデスクとは他に、この部屋には依頼者等来客用のソファーとテーブルがある。
そこに私は腰をかけ、龍一さんが淹れて下さったミルクティーを一口飲んでみる。
最初に匂いを嗅いで、それから口をつける。
ストレートで淹れられた紅茶の華やかさを、ミルクがまろやかにして上手く調合されている。
「…凄く、美味しいです」
「まあ付焼きの知識だが…良かった」
龍一さんはどこか胸を撫で下ろした様子でそう呟く。
何もない、平和なひととき。
夏の気温に合わせて、ややぬるく淹れられたミルクティー。
そこには龍一さんの優しさも溶けているような気がして、私は何かに包まれているようにホッとする。
そうすると自然と顔が綻んで、もっとこのひとときを味わいたいと、欲が生まれる。
「ーーじゃ、食器は後で片付けに来るから、俺はこれで」
「ーーあの、良かったら…」
「ああ…おかわりか。ポットごと持ってくるな」
互いに共に仕事をして来て、以心伝心的な部分が生まれてきたように感じる。
だけど。
「ーーありがとうございます…
それと、良かったら少しお話しませんか?」
全てがそうとはいかない事もあって。
なんというか…私は欲張りなんだと思う。
「ーーそれで今は、どんなものを書いているんだ?」
「今は…ある物語を」
「良かったら、ネタバレしない程度に教えてくれよ」
正午少し前。
龍一さんは私のワガママを聞いてくれて、こうしてお話をしている。
「ーーええと、主人公の女の子がある日から、夢の中に迷い込んでしまうんです。
それはとても恐ろしい夢で、ただの夢じゃないーー
その夢は、自分の過去や未来でもあるんです…」
「ーーほうほう…」
「それで恐ろしい夢を、過去や未来をさ迷う内に、少女は遂に絶望してしまうのですがーー」
「おう。分かった分かった。それ以上は話の核心に触れてしまうからな…ありがとう。
できたら、読ませてもらってもいいか?」
「はい。こういう話をまとめたショートストーリー集を書いているんです。
こちらこそ読んでいただけると、幸せです」
ゆっくりと時間は流れる。
静かな時間…
ただ、それは嫌な沈黙ではなく、心地よいと思えるもの。
「ーーそういえば、対策室には夏季休暇とかあるのか?」
「はい、一応あります。一週間とちょっとですかね」
「おお。意外と結構あるんだな…」
「はい…ただし現象が出たら返上して出勤しないといけないんです」
「まあ、そりゃそうか…何も起きないのが一番だが…」
「はい。実は私達の支部は明後日から休みです…」
「凄い急だな…まあそうか。なら休み前にやれることはやっておくか…
何でも手伝うから言ってくれ」
苦笑気味に笑った後、龍一さんはそう言ってガッツポーズをして見せる。
「ーーはい。ありがとうございます…」
僅かな沈黙…
ミルクティーの香りが部屋に漂う…
「ーーそういえば、雪子達は帰省したりしないのか?
親御さん達が待ってるんじゃないのか?」
優しい微笑みで告げる龍一さん。
その一言で、私は再び夢の中に戻されるーー
「ーー帰省は…そうですね。どうしようかな…」
「親御さん達もきっとかわいい娘の顔を見たいと思ってるさ。行ってやりな?」
「ーーそ、そうですね…!」
優しい龍一さんは、私が真実を話せばきっと、自分を責めるだろう。
だからなるべく悟られないように、精一杯に笑ってやり過ごす。
心地よい沈黙が、少し気まずい沈黙に変わる…
ーージジジ。
その沈黙を裂くように、デスクの方から急に音が発せられた。
「ーーファックスだ。何だろう…」
ファックスに何やら動きが。
どこかから文章が送られて来たみたいだ。
助かったかもしれない…
あれ以上沈黙が続いたら、私は真実をこぼしてしまいそうで…
(ーーでも…龍一さんになら)
いつかそれを話せる日が来るのだろうか…
送られて来た書類、文章に目を通す。
それは…
「ーー依頼か?」
後ろから、心配そうな龍一さんの声。
「ーー龍一さん…」
「やっぱり…そうか…」
「良かった…」
「ん…?」
「本部から、
ーー予定通り休暇を満喫して来い。
…との事です。休暇の許可が下りました…!」
「ーーおお! よし、さっさと仕事済ませて休もうぜ! 予定通りってんなら、明後日からだよな?」
「はい…!」
「どうしようか…あ、もうお昼だし、昼飯の準備するわ!」
「ーー私も手伝います!」
悪夢を振り払う様に、私は無理やり気持ちを上向きにさせる。
そう、休みなんだ。
前を向こう…
だけど私の心の片隅には重い何かが置かれたまま、拭いきれず、黒色の絵の具が水に溶けた様に…どんよりと漂ったままだった。
二人きりの食堂。
「ーーそう言えば桜子は…何も言わず出てったけど」
「桜子は、今日はお友達と遊んでいるようですよ?」
「なるほどな…」
「ーー夕飯までには戻る…とは言っていましたが…」
二人で作った昼食が並ぶ。
食べながら、私と龍一さんは他愛ない談笑に興じる。
「ーーところで、龍一さんって料理が凄いお上手ですよね…
手際も良くて、なんだか私が教えられているみたいでした」
「んなことないぞ…ガサツな、男の料理ってやつだ」
「ここに来る前も普段からやっていたりとかは…?」
「ああ…それはな…」
龍一さんはどこか懐かしむ様な様子で、虚空を眺めながら語り始める。
「大学の時部活に入っててな…部活の寮に住んでたんだ…
それで飯は曜日交代制で一年が作らなくちゃいけなくてな…嫌でもやってく内に身についちまった」
苦笑いを浮かべる龍一さん。
「不味い飯作ると理不尽な先輩からのヤジが飛ぶからな…
そうして恐い先輩に怒られないように作ってたらいつの間にか上達して、そして作るのが楽しみにもなってた…
って訳だ」
「寮生活ですか…なんだか憧れます」
「良いもんでもないぞ? 門限は緩い方だったが、下級生は先輩がいるから色々面倒くさいし。自由じゃない。
まあ、自分が最上級生になった時は楽だけどな…」
「…でも、龍一さんなんだか楽しそうな顔してますよ?」
「まあ…でもなんだかんだ楽しかったな。気心が知れた仲間達と馬鹿やって…」
クックッ、と思い出し笑いをする龍一さん。
きっと彼の事だから、大勢の仲間がいて色々な想い出を作って来たのだろう…
「…辛い事もあったけど、目標に向かって苦楽を共にした仲間だからこそ、その分絆も強いし、今でも連絡はとるしな…
ーーあいつら今頃、何やってっかな…」
そう言う龍一さんは、とても優しい表情をしている。
私も、龍一さんの事…
もっと知りたいのかもしれない。
彼を知れば、そうすればいずれ、私の全ても知ってもらえるのかな…
「ーーそう言えば、桜子がいないから…今日は二人きり…か」
昼食を食べ終わり、食器を片付け洗浄して、龍一さんは日課の仕事に戻って行った。
私はというと、小説の続きをタイプしている…
ふいに独り言を呟いた時、二人きりという言葉がやけに頭に貼り付いて、中々剥がれてくれない。
「いつもお世話になっているから…」
何かしなければらならない事がある…
せっかく何もないのだから、こういう時しかその機会はない。
「ーーそうだ…!」
今日は心置きなく執筆に励めると思っていたけれど、それは休み中にいくらでも時間はある。
だからーー
「ーー龍一さん、いつもありがとうございます!」
依頼もなく、日課のルーティーンが早めに終わった龍一さんを、私は食堂へ案内した。
「ーーこれは…? クレープ?」
「はいっ…! こんな事でしかお返しできないですが…」
ある程度まで執筆を進めた私は、そこでキリよく切り上げてキッチンに一人篭った。
そして家にある物を使って、簡単だけれどおやつを作ったのだった。
私製クレープ。簡単なものだけど…
気に入ってくれるかな…
「ーーこんな事でしか…って、充分だ…何より俺は仕事でやってるんだから…
ーーだから、なんというか…凄い嬉しい…ありがとう」
ーー良かった!!
「あ、食べてみて下さい! 紅茶…あ、コーヒーも今淹れてきます!」
「いや…紅茶で大丈夫。頂きます」
喜んでもらえて、本当に良かった…
龍一さんが喜ぶ姿は、私の心も温かくさせる。
ーー16時過ぎ。真っ赤な西日と、儚げなヒグラシの歌声。
そして何気なくも大切な、かけがえのないひととき。
頑張って綺麗に巻いたクレープと、そこにシロップで描いたハートマーク。
気付いて欲しいけど、気付かれたくない。その矛盾した私の気持ち。
急に恥ずかしくなって、私はハートの部分にアイスを載せた。
今はこれが、私の精一杯ーー
「ーー桜子、今日は外で夕飯食べてくるみたいです」
龍一さんが美味しそうにクレープを食べてくれている姿を見ながら、私も私の分を食べていた。
そうしていると、私の携帯に桜子からそのような内容のメッセージが届く。
「ーーあいつ…あまり遅くならないといいが…」
「それは大丈夫だと思います。桜子、そこら辺はしっかりしていますから」
「まあ、最近色々あって休めなかっただろうから、楽しんで来てくれれば一番だ」
龍一さんはそう呟いて、ナイフとフォークを皿の上に置く。
「ーーご馳走様でした…凄い美味しかった…
それと、良かったらまた作ってくれると凄くありがたい」
私が簡単なもので作ったおやつを、こんなに気に入ってくれるなんて…
「ーーはい! 喜んで!」
そして。
「ーーなあ雪子、ホットプレートってあるか?」
「…はい。ありますが…」
「ーーよーし! すまん、夕飯はホットプレート借りるぞ?」
「は、はい…」
脈絡なくそう切り出して、何やらしたり顔の龍一さん。
「ーー桜子の事だ。外食はどうせ給料で美味いもんでも食って来るに違いない…
ああー、いいなー。いいなー」
「あの…龍一さん?」
彼の思惑が分からない。
「ーーだが残念だったな桜子…
雪子、良かったら一緒に買い出し行かないか? 歩いてな…
カロリーを消費して、夜の宴に備えよう…な?」
「はい…それは全然大丈夫なのですが…一体何を?」
「今夜は…たまには俺も夕飯一緒に食っていいか…?
その、大概いつも夕飯は作ったきりで帰ってたし…」
「ーーはい! 喜んで!」
桜子が帰って来るまで一人になる私の気を汲んでくれているのかな…
「よし…ありがとう。
なら、早速買い出し行くか!」
「…はい!」
まだ龍一さんの企みが何か分からないけれど、私はそんな彼と一緒に夕暮れの下二人きりで、ヒグラシの声を背景に、最寄りのスーパーマーケットに向かって歩いて行く。
終始彼は子供のように無邪気に微笑み、楽しそうで、私もそれにつられて笑う。
わざとあぜ道を回ってみたり、少し遠回りもしながら、私達は童心に返ったようにはしゃいでいた。
ーーこの時が、ずっと続けばいいのに。
彼の大きな背を眺めながら、私は心の中でそう呟いた。
「ーー龍一さん、焼けましたよ? どうぞ」
「駄目だ。それは雪子が育てた肉なんだから雪子が食ってくれ」
あれから、私達は歩いてカロリーを消費し、往復でいい感じの運動をした。程よくお腹が空いている。
そしてこのホットプレートと、その上で焼かれる大量の肉、野菜。
そう。
私達は二人きりで焼肉をしていた…
食堂に漂う焼けた肉の香り…
龍一さんの傍らには、500mlのビール缶…それは数本、既に空けられている…
私、こんな量食べきれるかな…
「ーー雪子!」
「は、はい!」
「雪子はビール苦手か?」
「いや…別にそういうわけでは」
「そうか…ならこれだ!」
少しほろ酔いな龍一さん…
彼はどうやらそこそこ強い体質のようだ。
数本空けているのに、多少気分が高揚しているようだけれど、それ以外はなんともない。
「ーー俺は知ってるぞ雪子」
そう言って龍一さんは足元から何かを持ち上げ、テーブルにドシリと置く。
ーーこれって…もしかして。
「ーーいやー、雪子はてっきり酒はてんで駄目だと思ってたけど…
やるな。ウイスキーを温めているなんて。
ロックがいいか? 入れてくる…
肉見といてくれ」
それは違うの! 他の支部の人からもらって…
私、お酒全然ダメだから、ただしまっておいただけなのに…!
「ーー龍一さん大丈夫です! 私はまだお腹減ってるので、先に食べてからーー」
「そう言うな…いつも世話になってるし、これ位はさせてくれ…
それに、俺だけ酒呑んで、すまない…」
そう言って龍一さんは退室して行く…
もう…私どうなっちゃうのかな…
「ーーそれで、わたしはしょんなことしたらだめっていったんでしゅけど…」
あれ…? わたしはなにをいっているんだろう…
「ーーいやーそうか…あ、肉焼けてるから食え!」
「ありがとうごじゃいまひゅ…」
からだがすごくあつい…
ないめんからねっされるような…
このえきたいはなんだろー
みずかな?
「ーーすげーな雪子…もうボトル半分いきそうだぞ…
俺でもさすがに無理だわ…
実は酒豪だったんだな! いやー恐れ入った。降参だ!」
「しょんなことないれふ…
りゅーいちしゃんぜんぜんのんでないじゃないでしゅか! だめでひゅよ!」
「おうすまんすまん! ビールあと一本しかねぇな…」
「しゃけもってこーい!」
「アハハハ…! 雪子親父みてー!」
なにがなんだかわからない…
あたまがぐわんぐわんする…
あれ…? これみずのはずなのになんかあつい…
ごぞうろっぷにしみわたるー…
「いや…そう言えば雪子って彼氏とかいないのか…?」
「いるわけないじゃないれすかー」
「いやー嘘つくなよー…」
「ーーりゅーいちしゃん!」
「は、はい!」
「だいたいりゅーいちしゃんはどうなんでしゅか!」
「俺はなー… 見ての通りだ」
「うしょです! ちゃんとはなしてくだしゃい!」
「そうだなー あれは俺が高校の時ーー」
なんだかねむくなってきた…
わたし…
でもたのしーからいーや!
「ーー二人ともただいまー…
って臭っ! てか焼肉とかずるいよ龍一!」
あれ? …さくらこかえってきた…
「おう桜子お帰り! いや、もちろん大食いのお前の為に肉残ってるぞ!
ほら座った座った! 食え!
酒は… あ、お前の酒買ってくるな!」
「ちょ…肉の臭いに紛れて凄い酒臭!
私未成年だから…!
ってか酔ってるでしょ…もう!」
「さくらこもすわって! いっしょにたべよー! さけのせきではぶれいこーだよ!」
もう…たのしーからどーでもいーや!
「ーーちょ…! 龍一あんたお姉に酒呑ませた!?」
「おーう! 雪子すげーぞ! 酒豪だ酒豪!」
「あんた…馬鹿龍一! お姉酒弱いのに!」
「ーーみんな、おやすみー!」
「お姉ぇぇぇ!」
なんだかきもちいい。
ねむい。
ごめんね、わたしねむいや…
「ーー雪子、ごめんね…ごめんね…」
「雪子、本当にすまない…こうするしかないんだ…」
「お父さん…お母さん」
「雪子、目を閉じて…」
またこの夢だ…
何十回も見た夢…
私の、消したい過去。
「ーーいたぞ! 奴らだ!」
「あなた…! 早く!」
「雪子…後は頼んだぞ…!」
そう。ここでいつも場面が切り替わって…
そして。
視界一杯に広がる業火と、黒焦げの家屋と。
さっきまで生きていた人達…
もうやめて。
こんなの私の望んだ結末じゃない。
「ーー嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
何十回も見た悪夢。
夢はいつも決まってここで覚める…
ほら。視界が段々霞んで、そしてーー
頭が痛い。ガンガンする…
またあの夢…
「ーーここは…?」
体を起こして、辺りを見回す…
この部屋…
私の部屋じゃない…?
「ーー客間…?」
それは広い洋館のとある部屋。
私の部屋じゃない…
そのベッドの上…
誰かが布団を敷いてくれている…
そう言えば昨日私どうしたんだっけ…
記憶が一部抜け落ちている。
確か私…龍一さんと一緒に…
「ーービールゥゥ…」
ーー!
ベッドから出ようした。
(ベッドに誰かいる…?)
その時、私の足に何かが当たった。
その何かが、モゾッと動く…
「ーーもしかして…私…」
何か大変な過ちを犯してしまったの…!?
思わず自分の体を見回す…
特に乱れてはいない…昨日着てた服…
ベッドの中でうごめく何か。
そーっと布団をめくっていくと…
「ーーりゅ…龍一さん!?」
「ーーおはよー…
ーーえっ!? 雪子…え!? 何でここに…!」
私は何か大変な事をしでかしてしまったのかもしれない…
「ーーそれで…何か言い訳はありますか…? 下僕」
「はい…何もありません」
「被告人、罪状を述べよ」
「ーーはい。
雪子に酒を呑ませ、潰させました」
「その他には…?」
「…え? その他?」
「あんた…何であんたに用意してあげたベッドにお姉が眠ってたのよ!」
もう何がなんだか…
食堂。
仁王立ちする桜子と、その前に正座する龍一さん…
目を覚ました私は何故か、桜子が龍一さんの為に用意したベッドに龍一さんと眠っていた…
そういえば…
「俺は知らない…桜子が用意してくれたベッドで寝た…
そしたら何故か雪子がいた…」
「ーー言い訳するのね…!」
「やめろ…! その手の呪符をしまえ! 俺は本当に何も知らないんだ!何もしてない! 天地神明に誓って!」
そういえば、私夜中トイレの為に起きて…それで…
「ーーあんた…最低の馬鹿ね!」
「だから誤解だ!」
「ーーごめんなさい!!」
「「ーーえっ!?」」
夜中トイレに起きて、私は確か龍一さんの眠る部屋に…
誤解を解かないと…龍一さんの身が…!
私は深く頭を下げ、全てを話した…
「ーーもう…お姉もこんな男に酒を勧められても付き合っちゃダメ!」
「ごめんね…気をつけるから…」
「雪子、本当にごめん」
「私も、誤解を招くような事をしてすみませんでした…」
もう、これは一体どんな光景だろう…
互いに深い土下座をし合う私と龍一さん…
「ーーそれで、罰として龍一はしばらく下僕としてより一層私達に尽くすこと。いい…? 龍一!」
「ーーそれなんだが…」
「まだ言い訳する気!?」
「ひっ…! 滅相もございません桜子様…!」
歳下の桜子に完全に主導権を握られる龍一さん…
「ーー桜子様…一ついいでしょうか…?」
「話しかけられた時以外は口を開くな! 口で○たれる前と後に サー と言え! 分かったか○虫!」
「Sir! Yes,Sir!」
桜子…完全にキャラ変わってる…
「発言を許可する」
「サーッ! お詫びとして、海へ招待します! サーッ!」
「ダメだ…それだけじゃ許されん」
「サー! しかしそこはスゲーデカい波が来ます! サー!」
「なぜ先にそれを言わん! さっそくそこを攻めるぞ…!」
…これって何かの芝居なの?
一悶着あって。
「ーーそれでは、明日から海に行こうと思います」
足が痺れた様子でふらふらと立ち上がった龍一さんは、突然そう宣言した。
「ということで、お姉! 海行こうよ海!」
さっきの芝居? の前、桜子は龍一さんに目配せを一つ送った気がするけど、もしかしてこれの為の伏線だったのかな…
海か…凄く行きたいけれど。
「ーーでも、色々とその…準備があるし急には…」
「細かい事はいいの…! 二泊三日だよ? 準備なんて今日パパッと済ませちゃえば問題なーし!」
これ以上ないほど張り切る桜子。
え…? 二泊三日?
「桜子…二泊三日って…」
「依頼入ってないし、休みだから大丈夫でしょ?」
「大丈夫だけど…宿とかその…」
「へへん…! それは問題ないよお姉! 龍一!」
「おう…!」
桜子に呼びかけられた龍一さんは、堂々とした足取りで食堂の隅に向かう。
あれ…食堂にいつの間にホワイトボードが…
ガラガラ…とホワイトボードを私達の方まで押してくる龍一さん。
マジックでその白地に文字を書き連ねる。
ホワイトボードには…
「ザ サプライズ! 真夏の二泊三日ケチケチ旅行! ポロリもあるぞ!」
達筆な字体でその文字が…
「ーーポロリはないけど…実はお姉には黙ってたんだ。
私と龍一で日頃から頑張ってくれてるお姉の為に考えたの!
私達がお姉を素敵なケチ旅行に案内するよ!」
私の為に…? そんな…
「ーー嬉しい…」
「宿は既に取ってある。予算の関係上宿は満足して貰えるかは分からんが…
とりあえず買い物、海、エトセトラ!
日頃の事は忘れて楽しんでくれ!」
「うんうん。とりあえず明日に備えて準備しよ!
依頼が入らない事を祈りましょ…」
そんな…こんな私の為に…
何だろう…私まだ酔ってるのかな…
「ーーお姉、何で泣いてるのっ!?」
「ううん…大丈夫よ…まだ酔いが抜けてないのかな…
凄く、本当に凄く嬉しい…本当に、ありがとう…」
ポロポロと頬を伝う涙…
私ってこんなに涙脆かったっけ…?
止まらないや…
「ーー今日も特に仕事はありませんから…準備、しましょう」
「うんうん! お姉買い物行こ! 水着買わないと!」
「ーーよし。車は俺が出す!」
「当たり前よ下僕なんだから」
「え…許してくれたんじゃ…」
「んなわけないでしょ!」
それからは慌ただしく時が過ぎた。
こんな嬉しくて楽しい事、もしかしたら初めてかもしれない。
何気ない日常が一番大切だと思っていたけれど、こういう非日常的な事ならそれが乱されてもいいのかもしれない…
祭りの前の様な胸騒ぎ…
年甲斐もなく私の心は踊って、うずうずして、早く動きたい衝動に駆られる。
みんな、本当にありがとう。
大好き。
もしかしたら、これも夢なのかもしれない。起きたらいつもの日常で…
でも、それでもいいやと思える。
あの悪夢じゃなく、こんな幸せな夢が続くなら…
私は夢の中にいる。今も、そしてこれからもーー
ーー私の大切な、絶対に忘れられない宝物の夏が、こうして始まった。
「ーーえー…という事で、兼ねてから計画しておりましたーー」
「はいはい! 前置きなんていらないから、さっさと電車乗るよ! ほら、来たから!」
私達の荷物を持って下さっている龍一さんの前置きを遮り、桜子は声を張り上げる。
8月某日。今日も朝から日差しが強い。
昨夜はあの夢を見なかった。
このままずっと見ませんように…
二人が計画してくれた旅は、最寄りの駅からスタートする。
当初は龍一さんの車で近くの海までドライブ旅…という事であったみたいだけれど、せっかくだからと列車を使って少し遠くの海まで行く事にしたようだった。
片道1時間30分〜2時間ほどで着くようで、それまでは列車を二回乗り換えるらしい。
まずは一つ目の乗り換え駅を目指す。
「ーーさて、最初は何がしたい?」
ボックス型の席に座りながら、龍一さんはそう切り出す。
「そうね…まずは買い物がしたい! ね? お姉」
「うん…そうだね!」
「おいおい…これ以上荷物は増やさんでくれよ…」
「自業自得よ下僕」
「やっぱり私、自分の荷物は持ちます…」
「いいのお姉は! こいつを甘やかしたら終わりよ!」
「くそ…何も言い返せない…」
列車は私達を乗せて目的地へ進む。
「しょうがないわね…私は自分で荷物持つわよ…その代わりお姉に負担はかけないこと!」
「ああ…なんというご寛大なご措置! ありがとうございます桜子様…」
「あんたふざけてんの?」
「その呪符をしまって下さい…」
列車の旅。
私達は息つく暇なく次から次へ会話を弾ませる。
普段とは違う非日常が私達の心を浮つかせる。
隠す事もない。
正直に、楽しい時は楽しまないと。
二人が私の為に用意してくれたのだから。
移り変わる景色。
移り変わる人達。
まるで異国に来ているような…
何もかも捨て去り、自由になれる。
そんな気さえする。
世間を、煩わしい関係を、社会を。
それらを振り切るように列車は走る…
「ーーよし。それじゃ少し自由時間にしよう。
電車の時間まで余裕あるしな」
一つの乗り換えが終わり、やがて次の乗り換え駅に着く。
そうして私達は駅中でお昼を摂り、電車の時間までまだ余裕があるので各自自由行動となった。
「ーーお姉! この駅って中に色々お店があるみたい! 回って来ようよ!」
「あ…! 桜子待って!」
まるで幼子のようにはしゃぐ桜子。
(ずっと、こういう事できなかったもんね)
私のせいで、桜子には不自由な思いもさせてきてしまった。
(私、頑張るから)
桜子の背を追いながら、一つ決意を固める。
屈託無く笑う桜子。
この笑顔が見れるなら、私はどうなったっていい…
「ーーおい! あんま遠くに行くなよー! 雪子! 30分後にここに集合な!」
「ーーはい! 龍一さんは!?」
「俺はタバコが切れたからコンビニだ! んじゃな!」
桜子を見失わない様に注視しつつ、龍一さんの呼びかけに応える。
慌ただしいけど、楽しい。
そうして30分後に集まる約束で、私達はそれぞれ繰り出したーー
「ーー桜子、私ちょっとお手洗いに行ってくるね…」
「うん! ここで待ってる!」
それぞれ別れて10分ほど経った頃、駅中のモールを見て回る桜子に待ってもらって、私はお手洗いへ向かう。
(えーと…あった)
数十メートル先にお手洗いの表示が掲示されている。
人混みの間を縫って向かう。
この駅は大きく、行き来する人も多い。
喧騒。
いつもなら苦手な雑音も、今は自然と苦に感じない。
(私の心もざわついているからなのかな…)
あと数メートル。
もうすぐそこ。
「ーーお嬢さん、ちょっといいかい?」
お手洗いまですぐそこで。
「ーーすまないね…ちょっと道に迷っちゃって」
どうやら私に呼びかけたのだろう。
その声のする方へ振り向くと、1人の老年の紳士が。
「ーー私も初めてここに来たので、お力になれるかわかりませんが…」
「ええと、ーー線に乗りたいのだが…」
老年の男性…
グレーの背広をピシッと着込み、黒のボーラーハットを被っている。
なんともおしゃれで高貴さ漂う格好、雰囲気をしているので、紳士という印象を持った。
…その路線は確か、私達が乗って来たものだ!
それなら分かる。
「あ、私その路線でここに来たので分かります…!
案内します」
「悪いねお嬢さん…お願いするよ」
みんなには連絡すれば大丈夫だよね…
ごめんね桜子。
突然のアクシデントに見舞われたけれど、道案内くらいなら許容範囲だろう。
老紳士を後ろに、私は構内を進む…
やがて老紳士を改札の前まで案内して…
「ありがとうお嬢さん…なんとお礼すればいいか…」
「お礼なんてそんな…! あの、私そろそろ待ち合わせの時間なので…」
「おお…すまないね…本当にありがとう」
よし。任務完了!
みんなを待たせちゃいけない、早く戻ろうーー
「それじゃ私はこれでーー」
「お嬢さん、一ついいかい?」
踵を返そうとしたところ、老紳士に呼び止められた。
何だろう…? 道は間違ってないし…
「ーーお嬢さん、もし自分の未来が見れたとしたら、見たいと思うかねーー?」
ーー時間が、止まった気がした。
口角を僅かに上げ、ニヤリと笑う老紳士。
その微笑は、どこか怪しげで…
眼光は、ギラリと輝いていて…
その一言は、周囲の雑音をかき消して良く響き、時間を止める。
ーー未来を見れたら? 私の、未来を?
「ーーこれも何かの縁だ。お礼になるかは分からんが、お嬢さんの未来を占ってあげよう…」
占い師なのかな…
ボーラーハットを被り直す老紳士…
したり顔で、もう一度微笑む。
「ーーすみません! もう時間なので!」
何故かは分からない。
このまま承諾すれば、何か恐ろしい領域に踏み込んでしまいそうで、私は老紳士に背を向け逃げ出してしまった…
時間がないからしょうがない。
悪い事をしたと思いつつも、そう言い聞かせて正当化する。
楽しいはずの旅なのに、私の心には以前感じた様な黒い何かが漂って、嫌な胸騒ぎがしたーー
「ーーもう、お姉遅いよー!」
「ごめんなさい…! 実は道案内してたの…」
「もう…駅員さんに任せれば良かったのに」
乱れる呼吸を整える。
嫌な汗、冷や汗が浮かんで、真夏なのに寒気がする…
嫌な予感を払うように走って、私は桜子の待つ地点に戻る。
やがて。
「ーーここにいたか! そろそろ時間だから行くぞー」
集合場所ではなく、わざわざ私達を見つけて来てくれた龍一さんがそう言い放つ。
(もう…せっかくの楽しい旅なのに)
目的地は、この駅発の列車に乗って終点の駅を降りた場所。
そこに向け、再び列車の旅が始まった…
再び列車での移動。
普段なら長時間の移動というのは酷に感じるだろう。しかし私達は小さな旅をしている。
移動も旅の醍醐味の一つで、むしろそれを主と位置付けることもできる。
旅は道連れ。
苦でさえも、旅のフィルターが良き想い出に変える。
ーーただ、アクシデントはその限りではない。
「ーー現象ですか…わかりました」
少し前半ではしゃぎ過ぎた私達の口数はめっきり減って、沈黙が現れ始めた頃、私の携帯が着信を告げる。
車内に乗客はあまりいないようだけれど、マナーの関係で最低限声を抑え応答する。
電話を寄越したのは対策室本部であった。
「現象」の言葉に二人は反応し、怪訝な表情で私を見つめる。
「ーー雪子、依頼か?」
「もしかして…休暇取り消し…」
不安そうな面持ちで二人は呟く。
「ーーいや、依頼ではありません。新たな現象が確認されたみたいなので、その事についてです」
本部からの連絡は、新たな現象が確認されたので念の為警戒せよとの事だった。
「ーー依頼じゃないなら良かった…
俺達は別に何もしなくていいんだよな…?」
「ーーはい。出現した地域を担当する支部が調査に動いたようですから…私達は管轄外なので大丈夫です」
「ーーお姉、どんな現象かは言ってた?」
新たに確認された超自然現象…
「ーー時間漂浪の現象、
ナイトメアトレインーー、
が起こったとの事です」
悪夢列車。
「ーートレインって…」
龍一さんの弱々しい呟きがエコーのように響き渡り、やがて列車の音にかき消される…
「鉄道に関する現象とは言っていましたが、ここからは離れた地域で起こったようですし…」
「そうよ! よりにもよってこのタイミングで私達が遭遇するはずないわ…
とりあえず依頼じゃないなら安心ね…ふわぁ…なんか眠くなってきたから私は寝るね。
着いたら起こして龍一」
「…お、おう。
ーーというかすまん。俺も何だか急に睡魔が…」
「大丈夫ですよ。私は特に眠くありませんから、着いたら起こしますね」
「すまん…頼む」
ーー列車は走る。
何もかもを払い除け、時間でさえも振り切って。
列車は、走る。
私達を乗せて。
静かな車内。
そのボックス席。
互いにもたれかかるようにして眠る二人。
微かに寝息を立て、それを聞いているとこちらも心地よくなり、やがてつられるように睡魔が顔を覗かせる。
(ダメだ…私まで眠ったら)
先程まではなんともなかったのに、急に瞼が重くなる。
そうしてうつらうつら舟を漕ぎだすけど、なんとか意識を保って、一度立ち上がることにした。
(うーん…終点の駅まではまだかかるかな…)
まだ出発地点から数えて二番目の駅を通過し、三番目に向かう最中。
目的地の終点駅まではまだ時間がかかりそうだ…
立ち上がって、一度伸びをする。背筋を伸ばし、辺りを見回してみた。
(ーー乗客がいない…?)
あまり使う人がいない路線なのか、たまたまそういう時間帯なのか、辺りに他の乗客は見当たらない。
キョロキョロと他の車両も覗いたりしてみたが、まるで私達以外に誰も乗客が見当たらなかった。
(まだ昼間なのに…誰かしらは乗っているはずだけど)
列車の音以外何も聞こえない車内。
さすがに違和感を感じてきた…
不気味なほどの静けさ。
(近くにはいないだけだ…きっと、もっと前か後ろには乗客がいるはず)
そうやって無理矢理誤魔化して、私は着席する。
自分の勘違いだと、無心で外の風景をただ眺める。
(ーーやっぱり何かおかしい)
そして。
「ーー眠い…」
どうしてだろう? 昨日は良く眠れたし、ほんの数分前までは全然眠くなかったのに…
二人ともごめんなさい…
私も…
ーー何だか、眠い…
「雪子…ごめんね」
「雪子…本当にすまない」
またこの夢だ。
「ーー雪子、目を閉じて」
そう。ここで夢は切り替わる。
これで何回目かな…
この夢。
亡骸、大火、倒壊した家屋。
淀んだ雲からは、やがて雨が降る。
殺伐とした恐ろしい景色の中、私は1人雨に打たれる。
傍に倒れるのは、父と母。
冷たくなった、父と母。
そしてもう一方には、気を失った桜子。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁ!!」
夢の中の私は叫ぶ。
そして夢は決まってここで終わる。もう何度目か、私の消したい過去。
…ほら。
ーー段々明るくなっていって…
ーー
「ーーお楽しみ頂けましたかな?」
「ーーここはっ!?」
夢は覚めた…そのはず。
私は列車に乗っていた…
それなら、ここはどこ…?
立ち上がろうと脚に力を入れた。
しかし。
(ーー脚が椅子に固定されている!?)
いや、手もだ!
自分の状況を確認する。
夢は覚めたはず。
それなのに目が覚めると見覚えのない場所で、椅子に座っている私は、加えて椅子に取り付けられた鉄の輪で足首と手首を固定させられている…!
そして。
「ーーシネマ、ナイトメアへようこそ」
私の周囲には無数の椅子。
目の前には大きなスクリーン。
まるでここは…
(映画館…)
「ーー状況を理解して頂けましたかな? お嬢さん」
「あなたは…!?」
声のする方に顔を向けると、仄暗い闇の中に誰かが立っている。
やがてどういうわけか、瞬時の内に室内の照明が一気に点灯して闇は消えた。
そこに立っていた者。
「ーーまた会いましたね…お嬢さん」
「あなたは…あの時の!」
グレーの背広にボーラーハット。
私が道を案内した老紳士。
帽子を脱いで、一度挨拶のような仕草を大仰にしてみせる。
「ーーあなた、現象だったんですね…!!」
老紳士は問いかけに答えず、ニヤリと笑う…
「ーー私をどうするつもりですか…」
「どうするもこうするも、あなたが道を案内して下さったので、お礼ですよ。
先刻は立ち去ってしまわれたのでね」
私の前を行ったり来たりしながら、ブツブツと1人呟く老紳士。
「ーーやめて…ここから出して下さい…!」
「それは困りますねえ…あなた達は私を封じ込めるおつもりだ。
それに…私のお礼はこれからが本番なのだよ…
言ったでしょう…?
未来を占ってあげよう…と。
見せてあげよう! あなたの未来を」
「私は…そんなもの見たくありません!」
パチリ…! と指を鳴らす老紳士。
やがて照明が一気に落とされ、再び仄暗くなる館内。
「ーーさあさあ! あなたの未来、あなたの物語の始まり始まり!」
真っ暗な大スクリーンに映像が映し出されていき…
「ーー時間漂浪の旅をお楽しみ下さい」
老紳士の声を最後に、私の瞼は強制的に閉じられて。
ーー気絶した様に眠りに落ちた…
「ーーまた眠って…!? ここは!?」
再び眠りに落ち、真っ暗になったかと思いきや、次の瞬間にはまた違う景色の中で目を覚ます。
ここはどこ…?
立ったままの状態で私は目を覚ます。
椅子が…ない。
周囲を見渡す。
恐らく夜。空には丸々とした月が浮かび、まるで地上に落ちてくると錯覚させるほど近く、大きく見える。
そして何もない、見渡す限り何もない荒涼とした荒野に1人立つ私。
彼方の地平線には真赤な色が浮かんで、闇に支配された世界を月と共に照らしている。
「ーー何かが燃えている?」
まるで私は、無限の宇宙に放り出されて無の空間をさ迷う迷子…
どうすればいいかわからず、トボトボと1人歩く。
老紳士は? みんなは…?
孤独がこの世界を支配している。
そうして行くあてもなく、しばらくさ迷い歩いた。
「ーーあれは…?」
そうすると、やがて視界の端で動く何かを捉える。
(誰か、助けて!)
藁にもすがる思いで、私は何かに向かって走った。
段々と近くなる何か。
(ーー女の人?)
近づくにつれて、その全貌が段々明らかになる。
そこにはこちらに背を向ける女性が。
女性だと思ったのは、その人物の髪が腰の前辺りまで伸びているから。
その髪は白みがかった銀髪に見える。
もう女性まで数十メートルのところまで近づいた。
そのところで、新たな事実が発覚する。
(耳と…尻尾?)
こちらに背を向ける女性の頭には、獣のもののような真白い耳が生え、尾・骨の辺りからは同じく真白な尻尾が生えている。
そして、彼女は白装束を着ている。
(ヤエさん…?)
いや、違う。
ヤエさんは黒髪だし、耳は縁が黒く、尾は茶色だった。
それでは…この人は…
もうすぐ後ろまで、私は彼女に接近した。
声をかけようと思った。
その時。
ふっと、目の前の女性がこちらに振り向く。
白みがかった長い銀髪、瞳は朱色がかって…
(この人…もしかして)
振り向いた女性。
誤字すみません…
尾・骨 ×
びていこつ ○
すみません。 それでは続けます。
ーーそれはまるで、私そのものだった。
似ているとか瓜二つとかいう次元ではなく、その女性は私だった…
第六感的な感覚がそれを告げている…
女性、いや…もう一人の私は私をじっと見つめて、
「ーー助けて…みんな私のせいで…」
嗚咽を交え、掠れた声で呟いた。
一体これは…
もう一人の私は大粒の涙を流しながら、やがて膝から崩れ落ちたーー
かけるべき言葉が見つからない。
無限の荒野でふたりぼっちな私と、「もう一人の私」。
もう一人の私は、膝から崩れ落ちて顔を両手で覆い、ただ泣き叫んでいる。
対する私は、真っ白な状態でどうすることもできない…
「ーーこれは、夢なの…?」
自分の意思に反して、そんな言葉が口からこぼれた。
「ーー違うの…これは未来のあなたよ…!」
もう一人の私はそう叫ぶ。
「ーー嘘でしょ…? これも夢なんだよね?」
「違う…! これはあなたの未来! あなたはいずれこうなるの…!
ーー見て…! 私のせいで…」
もう一人の私は、そう言って一点を指差す。
指し示す先を辿っていくと…
「ーー嘘…嘘でしょ!? ねえ…!」
「嘘じゃないわ…」
倒れ伏す龍一さんと、桜子の姿。
二人の元に駆け寄る。
流れ出た血は乾き、目は固く閉じられ…そして…
「ーー死んで…るの!?」
「そうよ…私のせいで…」
背後から降り注ぐ、もう一人の私の声。
嘘だ…! こんなの嘘よ!
「ーーこんなの…ただの夢に決まってるわ!」
「ーー夢だけど、夢じゃないの。
これはあなたの未来。
このまま生きていけば、いずれこうなる…確実に来る未来よ…」
「そんな…」
死刑宣告のような、重い響き。
「ーーこれだけじゃない。あなたは大切な人の他にも、大勢の人を失うの…
しかも、全て私が手をかけた…!」
「ーー嘘よ! 現象には騙されない…!」
「嘘じゃない…!
もう後戻りはできないの…
あなたは未来に、大切な人達を殺す。確実に」
きっとあの老紳士の現象だ。
これは現象。
だけど…
「ーー私のせいで…あなたのせいで…
世界の全てが無くなる…
龍一さんも、桜子も…みんな!」
「嫌ぁぁぁぁ! やめてっ…!」
やめて…お願いだから…
私が何をしたの…?
私は普通の幸せを願ってはいけないの…?
こんなの、私が望む結末じゃない…
「ーーだから…」
もう一人の私は、白装束の懐から何かを出して、私の手にそれを握らせる。
これは…
「ーー絶望の未来が来ない為に…
大切な人を失わない為に。
ーーここで死ぬのよ」
私の手には、回転式の拳銃。
「ーーこのまま生きれば、あなたは確実に災厄を起こす。
その前にここで死ぬの…
未来の人々のために」
「…嫌。嫌よ…こんなの…」
「ーーあなたが今死ねば、こんな風に大切な人を殺さずに済む!
他の大勢も同じ!
さあ…!」
冷たくなった龍一さんと桜子…
私は…私は…
私のせいで? 私のせいなの…?
本当に…私のせいでこんな事になるの?
「ーーあなたは今死ぬべきなの…!
大切な人を失くしたくなければ…
さあ…さあ! 引き金を引くのよ!」
もう…わかんないよ…
これは夢なの?
夢だとしたら…この拳銃の引き金を引けば…
ーー私は悪夢から解放される…
壊れた人形のように、意志はなく、心も壊れて。
ただ何も考えず、そうして拳銃を頭に当てて…
「ーーごめんなさい。さようなら」
悪夢が覚めるなら。
目を閉じる。そして。
ーー私は、引き金を引いた。
これで、全てが終わる…
ーーあれ…?
引き金を引いたはず…
意識は未だ保たれている。
どういうこと…?
(ーー拳銃が…ない)
私の手から拳銃が無くなっている。
目を開け、それを確認した瞬間ーー
ーー!
「ーー貴様ぁ…! どうやって…!」
乾いた銃声。
拳銃の咆哮が、「もう一人の私」になぶりかかった。
弾は腕に着弾し、もう一人の私の腕から鮮血が流れる。
「ーーどういうことっ…!?」
「ーーすまん。待たせた」
引き金を引こうとした瞬間、私の持っていた拳銃は誰かに奪われたのだ。
それを奪って、もう一人の私に向け発砲したのは…
「ーー龍一…さん」
「あいつは現象だ。騙されるな」
振り返ると、そこには龍一さんが拳銃を構えたまま立っている。
銃口から上がる硝煙。
「ーークソッ! 邪魔をするな…!」
「悪いな。もう夢から覚めちまって」
苦しむもう一人の私に、龍一さんは続けざま数発弾を撃ち込む。
ダン! ダン! ダン! と響く銃声。
数十メートルほど後退していくもう一人の私。
「ーー貴様ぁ…」
もう一人の私はもがき苦しんだ後、膝から崩れ落ちて…そして。
「ーーもう少しだったんだが…
しょうがない…!
遊びは止めて、纏めて殺す!」
もう一人の私は、その姿を変え…
「ーー正体を現したか」
「あれは…」
老紳士は、ふらふらとおぼつかない足で立ち上がった。
「ーー残念だな…楽しめるかと思ったのに…邪魔が入った!」
やがて老紳士の体は異様にうごめき…
「ーー鬼…!?」
二本の角、大柄な体躯、片手には体ほどの大槌…
「ーーこいつが本当の姿か」
そこには鬼と形容できる、邪悪な巨体が立っている。
「ーー貴様らを殺して、食ってやる! 人間!」
ーーどうすれば…!?
聖典や呪符は持っていない…!
「ーー雪子!」
張り詰めた龍一さんの叫び。
大鬼は拳銃で風穴が空けられた体をゆっくりと、ゆっくりと引きずってこちらに押し迫る。
「ーーあいつが見せた夢は、未来は、本当かもしれない…
でもな…本当だったとしても、
ーー未来は変えられる」
拳銃を私の手に握らせる龍一さん。
その顔はどこか悟ったようでいながらも、強く…強く、未来を見据えたような、覚悟が刻まれたものだった…
「ーー過去なんて関係ない。
お前は今、この瞬間を生きている…違うか?」
私は何も言えない。
龍一さんの声は福音の様に私の内まで響く。
「ーー俺だって、消したい過去はある…
だが、俺は今ここで生きてる。
過去でもない、未来でもない。
ーー今だ」
「ーー龍一…さん」
「ーー雪子、お前は今ここに生きている。
あんなものはでまかせだ…
進みたい方向はお前が決めろ。
振り向くな。
両目を、両手を、両足を、全身を前へ向けるんだ…
覚悟があれば、踏み出す勇気があれば、未来は変えられる…」
「ーー私は…生き続けても…いいのですか?」
「当たり前だ…
ーーそれに、もう答えは出てるみたいじゃねぇか」
龍一さんは顎をしゃくって、私の方を指し示す。
彼の目線は私の手もとへ…
「ーーこれって…!?」
「覚悟…既にできてるみたいだな」
私の両手には、拳銃ではなく…
ーー大柄な、大口径のライフル銃が置かれている。
「ーーそれがお前の覚悟だ…
意志だ…!
未来を変えたいという、今を生きるお前の意志だ…!」
「ーー私の…意志」
「そうだ! 貫け…! 雪子、お前の意志を!」
私は…
ーー消したい過去。
悪夢。
そして、絶望の未来。
走馬灯の様に駆け巡る幾多の記憶達。
(過去なんて関係ない)
私は、過去に生きているんじゃない…!
未来でもない!
ーー今を、生きている。
「ーー私は、生きたい。
これからも…みんなと一緒に!
だから私は今を生きる…
ーーそして、未来を変える!」
もうすぐ目の前に迫った大鬼。
大槌を両手で握り、ゆっくり振りかぶっていく…
「ーー行け! お前ならできる…!
未来を変えろ…! 雪子!」
過去があって。
そして私は今を生きる。
過去は消せない。
過ぎ去ったものはもうどうすることもできない。
だから私達は今を生きて、未来を変えようと進むしかないんだ。
どうしてまだ変わってもないのに、進むのを諦めなくちゃならないの?
そんなの、本当のゴールじゃない。
私達の目は前に向けられている。
例え茨の道であろうと。
僅かな可能性が…いや、可能性なんて無くたって。
その意志が、覚悟が、勇気があれば…
「ーー未来は、変えられる…!」
「行け…! 雪子!」
ライフルを構え、そしてーー。
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