とある科学の禁書目録 a certain scientific index - UNWEAVING THE RAINBOW - (189)








           「インデックス、わかる?」






「神様に喧嘩を売るのが仕事なの。だから、私は、アンタのすべてを否定する」 










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 魔術とは何なのか。
思ったよりもあっさりと、その答えは紡がれた。

「魔術とは」

 ステイル=マグヌスが口を開く。言い方を考えなければ、棒読みだった。
小学生に、当たり前の、一般常識を教えるように説いた。
私は顎に手を当てて、聞き入る。神裂は腕を組み、私から観て上手側、部屋の壁に手を組んでたたずんでいた。

「循環を生み出すことだ。A地点からB地点へと、よどみなく流れている一定の流速を、
 術式を用いて派生させる。入り口と出口を生み出し、『流れ』を創出する」

 そう言うと、右手の指先で何やら空に文字を描いた。
空中に炎が生まれる。科学の言い方でいうのであれば、パイロキネシス。
 これが、魔術。

「自然界に宿る『流れ』は、秩序を保っている。A地点からB地点まで、一定の物量で、一定の速度で。
 水道をイメージするといい。変化を与えるのに一番簡単なのは、
 出口と入り口を操作することだ。雑な言い方をするなら、操作の仕方は何でもいい。
 ある意味ではこうやって蛇口をひねる事でもあるし」

 紙に何やら模様が描かれている。曰く、『陣』と呼んでもいいし、
『術式』と呼んでもいいそうだ。ステイルがそれを手を触れると、炎はより強く燃えさかった。

「ある意味では、流れを止めることでもある。
 今は水量を多くした。基本はこれだ。すべての魔術はこの原理原則に基づいている。
 『今ある現実に対しての変化』。これが魔術のすべてだ。
 どんな荒唐無稽な術であっても、この原理原則なしでは語れない」
「『今ある現実に対しての変化』」

 反復した。
私達の言葉で、『自分だけの現実』がある。
科学の原理。


「パーソナルリアリティは思い込みの力。量子理論を基にした、
 可能性に頼った能力」
「可能性の話ではない。今、ここにある、現実に対して直接干渉する。
 それが魔術。それがこの世界の、理(ことわり)」

 すぐに懐疑的になるのが私たちの悪いくせだ。
直感的に疑問を感じる。
 ステイルが述べる、『魔術』の理論は、ある前提に基づいて構成されている。
すなわち、世界の理(ことわり)が、観測者の絶対性に依存するか、相対性に依存するかだ。

「科学と魔術という文脈で話を進めるのならば」

 私は全神経を集中して、頭脳を高速回転させる。

「その理論は相対性に基づいている。つまり、私が『そう』だと思わなくても、
 事象が具現化する。言っている意味はわかる?」
「いまいちだな。どうも科学者のいうことは抽象的すぎてやってられん」
「ある意味では、そちらの理論の方が科学的ってことよ。
 たとえば」

 私は両の指を引き離して、電極を生み出した。
電位に差が生まれる。空気中の粒子が一定の流れを形成する。

「『これ』は。科学だけど、魔術じゃない。
 なぜなら、『今ある現実に対しての変化』ではなく、『ここにない現実に対しての変化』だから」
「ふむ」
「私は確かに『流れ』を生み出している。だけど、蛇口をひねったり、水量を変えたりはしていない。
 結果的にはそういうことになるのだけど。
 根本的なものは、『電極がここにあるとしたら』という仮説。
 それに基づいた、過信。思い込みよ。私という観測者がいて初めて成立する、絶対的なロジック」
「なるほど。我々のやり方でも雷を使った魔術は古来から多数存在する。
 確かに、結果として同じでも、前提が違うな」
「そういうこと」


「私がその、えーと……『術式』を使って、自然界に干渉することは可能なの」
「できませんね。それを試みた人間はたくさん知っています。結果どうなったかも」
「どうなるの」
「最悪の場合は事切れます」
「なるほど」

 俄然、魔術とやらに対して興味がわいてきた。
面白い。これほどまでに好奇心をくすぐるものはそうそうない。

「あなたたちは神……いや、この際なんでもいいわ。そういったものを信じているわけよね」
「信仰、という日本語とは若干ズレますね。なんというか」
「いいの。わかるわ。つまり……ええっと」

 私は鞄からノートを取り出した。
図形を描く。

「今のロジックでいうとね。根本的にアンタたちが操っているものの正体は、私たちが操っているものと差がない。
 でも、きっとそんな簡単な話じゃないはず。なぜなら私たちには神様がいない。
 でも、アンタたちにはいる」
「次の台詞は、『神とは何か』。そういうことか、科学者」
「その通りよ。私だって、魔術なんてサラサラ信じちゃいなかった。
 でも、アンタたちがただのオカルトマニアだとは最早思えないわ。
 




            『いる』んでしょ?」






「……やれやれ」
「ステイル」

 ステイル=マグヌスは立ち上がり、神裂に何やら合図を送った。
神裂は、何かを言おうとしたようだが、すぐに諦めて窓をしめた。
そして、やはり同じように腕を組み、ただずむ。

「『いる』か『いない』かと言われたら、当然答えは『いる』だ。
 見せてやる。ホテルの火災報知機が暴れないといいが」

 ステイルは台詞と共に、紙をばらまいた。
これは嘘ではなく、スローモーションに見えた。ゆっくりと舞い落ちる、紙。
間から見える、ステイルの眼光。

 目を合わせたその瞬間、背筋が凍り付くのを感じた。

   


    「魔女狩りの王<イノケンティウス>」





 轟音と共にほとばしる炎。
ステイル=マグヌスの背後にまとわりつく、灼熱。

「脅しでもあまり見せない」

 ホテルの一室が消し飛びそうなインパクトだった。
どうやら彼らがいうところの、『術式』が貼られているらしく、熱量は多分に遮断されているようだ。

「『これ』自体は神でもなんでもない。
 だが、水道の蛇口を操作するのとはわけが違う。
 応用編だ。貴様ら無知な科学の庭の羊に説明するのは本当に骨が折れる。
 つまりは」

 ステイルが、舞っていた紙の一枚を右手で握りしめる。
とたんに『魔女狩りの王<イノケンティウス>』と呼ばれたそれは、居場所を失ったようにもだえて、消えた。

「自然界の理(ことわり)に対する直接干渉。
 さきほど貴様が言った、『パーソナルリアリティ』とやらに限りなく近いものだ。
 だが、断じて絶対的なものではない。相対性を担保した、システマチックな、完成された理論だ。
 水量を無理矢理補給する。ここではない次元から。
 これを述べるとそれだけでひとつきはかかるんだがな。
 高次元の存在にアクセスする。その<存在>に名前をつけるとしたら、何でもいいが。
 『魔女狩りの王<イノケンティウス>』は高等魔術だ。なぜなら、水量の増幅方法が全く違うからな。
 これも術式。
 召還という言い方は、こちらではあまりしない。あくまで応用編だ。
 いいか。魔術はちっとも不思議じゃない。
 無知な貴様らから見たら、不思議に見えるだけだ」

 私は圧巻して、そして感動していた。
魔術。何ということだろう。科学が500年かかってたどりつく領域に、もはや足を踏み入れている。
だが、致命的なことに、彼らには基礎がない。
サヴァン症候群の人間みたいだ。

 すなわち、なぜそうなったかはわからないけど、理論的には圧倒的に正しい。

「こんなの、冗談じゃないわよ」


 ステイルはベッドに腰掛ける。
私は開いた瞳孔がいまだ押さえきれないでいた。

「僕らの黒幕は、今見せたこれらを極めた人間だ。
 もちろん、組織を統括するのだから政治力も飛び抜けている。
 だが、そもそもが力量ありきの商売さ。魔術の知識は僕なんか比にならない。
 そして、『禁書目録』が抱える知識はそれ以上に膨大だ。
 先ほど述べたように、世界を何回壊してもおつりがくる。
 そういう力を制御するための方法論や、知識やノウハウや、人的リソースなんざ腐るほど持て余している。
 人格も、頭の回転も、貴様なんぞがゴミに見えるほどにな」

 私は後半部分については、あえて無視をした。

「そいつの名前は」
「ローラ=スチュアート。イギリス清教の最大主教(アークビショップ)。
 トボけた言動で僕もよく説教をする。おい科学者。
 ここまで聞いて、後戻りしたいなんて言わないよな」
「何それ、脅し?」

 ステイル=マグヌスは笑った。
無垢な笑顔だった。へえ、もしかしたら同い年くらいかもしれない。

「そんなんじゃないさ。これで僕も共犯だ。
 裏切りはご免だね」
「冗談言わないでよ」

私は額から落ちる汗に気をとられないように、窓際で同じように笑う神裂を見つめた。

「あの子が地獄って言った意味がようやくわかったわ」
「天国に変えるんじゃないんですか」

 神裂が皮肉を言う。心地よかった。

「どうだか」

 電極を導いて雷を通しても、ちっともうまく放電しなかった。

ちっとも進まない。今日はここまで。



「ローラ=スチュアート。そいつが親玉ってわけね。
 話をつけにいかないと」
「待て」

 ステイル=マグヌスはもう魔術師の仮面をつけなおしていた。
仕事が早い。さすがとしか言いようが無い。

「死ぬぞ。脅しじゃない」
「悪いけどもう覚悟してるの」
「……温室育ち特有の根拠のない自信だな。一つ聞いていいか。なぜそこまでする必要がある。
 今までの立ち振る舞いから、貴様が科学を盾にしたくだらん人間ではないことは認めてやってもいい。
 だがなぜだ。なぜ『あの子』にそこまでできる。昨日今日の付き合いだろう。
 貴様はなぜそこまでするんだ」

 迂闊な質問だった。私は当然のように答える。

「なぜ、なぜ、なぜって……。魔術師ってのは思いのほか科学的な人間なのね。
 なら私はこう返す。『信仰』しているからよ」
「なんですって」

 終いには先ほどから距離を保っていた神裂も身を乗り出す。

「根拠のない自信、って言ったよね。それがすべてよ。
 私は天才なんかじゃないもん。ゼロから積み上げてきた人間よ。
 私の上に二人いるけど、そいつらは最初から持っていた。
 私にはなかったの。だから、信じるしかなかった。そしてここにいる。
 同じよ。根拠なんていらないわ。助けたいと思った。
 悟った大人になるつもりはない。だからできることをする。シンプルでいいでしょ」
「ふん、貴様の方がよっぽど不合理なペテン師に向いているよ」
「ありがと」



「ローラには会わせてやる」


 ステイルが煙草をくゆらせた。


「保証はないぞ。小娘と若造だ、僕も貴様も。言っても無駄だろうが」
「いらないわそんなもん。クソ食らえよ」
「仕方が無いですね。すぐに手配をして……」












                 『その必要はなかりけりよ』










 瞬間、空間が歪み、ホテルの一室は無重力空間と化した。
とっさのことに、全員が対応できないでいた。あえていうなら、ステイルと神裂は理解するまで遅くない。

「通信礼装。盗聴か」
「迂闊でしたね。当たり前の処置。気付かず情に翻弄されていた我々の負けです」
『クレイジーという言葉以外に思いつかなけりね。今は小さき炎。無視できそうになかりし』

 私のことを話しているということに気付くまで、10秒を催した。
何らかの通信機器を用いて、空間に直接音波を送っている。エコーがかかったスピーカーが、不意に部屋中で鳴り響いているようだった。
 それに加えて無重力空間。うまく体がコントロールできない。

「アンタがローラ」
『御坂美琴。もうしばし泳がせてみようと思いにしても、どうやら危険因子として認定せざるを得ぬと思いにし。
 ふふっ。『信仰』、ね。素敵な言葉。覚えておくわ』
「インデックスに何をしたの」
『答える義務も必要もない。ステイルー? この空間を押しつぶして全員を圧縮するまでの時間は、2分もいらずにけりよ』
「相変わらず変な日本語を」


はっきりとわかる。これは最大にして最低のピンチだ。

「重力を操作しているの……? 魔術ってのは……信じられないわね。科学者として大変に興味がある」
『学園都市で第三位の天才……。ふふ。実際は積み重ねができる天才。
 一番性質が悪い。無限の可能性。成長をする天才。あな恐ろしい。
 一つ『信仰』を提言してあげる。魔術は貴様が考えているよりもずっと、深く、重い』

 音を立てて、空間が歪んでいく。正確な描写をするのであれば、動物の胃袋が閉じていくようだった。
揺らぎと共に私たちの視界が狭まっていく。押しつぶされる。

「ステイル」
「最大主教。これはテストですか」
『No』

 言葉をうけて、諦めたステイルが笑う。

「すまなかったな、科学者。僕らのミスだ。必要な手続きをふまなかった」
「御坂美琴。名前はあちらに持っていきます」

 冗談じゃない。こんなところで死ねるか。
 思いつつも、手だてはない。まったく。一つも思いつかない。

『さよなら、科学の庭の羊よ』

 そして、ブラックアウトする。


_____________

 学園都市の中枢部については、一般的な公開はなされていない。
当然のことだが。
 
 学園長であるアレイスター=クロウリーについての一切の経歴は謎につつまれていた。
しかし、その存在とコンタクトを取れる人間は少なからず、いる。

「なあ」

 『男』が放つ言葉には、闇の街道を生きてきた者特有の、渋さがあった。
窓のないビル。一室で、小話は行われていた。

「わかってるか。この街で起きている今を」
「それはジョークか? 当然だ」

 アレイスター=クロウリーが対面で話す相手は多くはない。
求められる条件は、資格は、権利は。限定されてはいるが、言葉にして明確にはない。

「ローラか。懐かしい。そして御坂美琴。予想外だった。プロットの修正を急がないとな。
 『幻想殺し』は特異点であると同時に脅威だ。同じ理屈が、
 この街の序列第一位、第二位……それぞれに当てはまる。だが、これはイレギュラーにしても過ぎる。
 カオス理論の典型だな。数値の修正を加味しよう。いいサンプルが取れるだろう」
「あの女は……下手をしたら解析するぞ。魔術とは何なのか。科学とは何なのか。
 貴様の素性も」
「土御門」

 アレイスター=クロウリーは笑っていた。というより、常にその表情は揺るぎないのだ。

「私個人の、私的な問題でいうのであれば、予想外の事態は、いい知らせではないさ。
 だが、世の理(ことわり)に歯向かう存在である以上は受け入れる。甘んじてな。
 泳がせてみようじゃないか。面白い。神は完成された存在だと言った人間がいた。
 人間はそうではないと。ローラの指摘はある意味では正しい。
 すなわち、凡夫の人間こそが神上に至る可能性を持つ」

 アレイスター=クロウリーは笑っていた。まごう事無く、本当に笑っていた。
ステイル=マグヌスが放った笑顔と同種の、無垢な笑顔で。


「私と同じだ、あの子は。法の書にたどり着くまでもう少し見ていよう」


 学園都市は今日も、蒼い。



今日はここまで。


_____________

「お姉さまらしいといえばそれまでですが、まったく」
「ごめんってば」

 テレポーターの白井黒子は私のルームメイト。
 変態で、かわいくて、私をゆっくり見てくれる。私と黒子の話はそれだけで多分に語れるけど、今はなし。

「案の定でしたの。無粋な輩と無粋な茶番に身を投じて、無鉄砲で」
「もう、うるさいなあ。何回も謝ったじゃない。それに、発信器をつけてたなんて権利侵害だからね。
 今回は許してあげる、というか許さざるを得ないけど」

 インデックスと最後に別れた公園だった。そういえば、彼女と出会ってからまだ12時間も経っていないのだ。
ドラマチック、なんて言葉古いと思うけど、人生にはこんな日もあるということだ。理解して納得するしかない。
 黒子はすねている。テレポーテーション。私を連れてホテルから脱出したあの瞬間、とっさに私があの二人を連れて行こうと、
手を伸ばしたことが不服なのだ。いや、そうは言っていないが、そうに違いない。
 それくらいはわかる関係だ。

「……死んじゃったよね」
「そうやって。また抱え込もうとする。悪いクセですの」
「だって」

 だって、という言葉が言い訳じみていて大嫌い。どうやら追いつめられているみたいだ。

「話はわかりましたの。それで? まあ、聞かなくてもわかりますけれど」
「黒子、そういうツテない?」
「そういうツテ?」
「私、小犬みたいだった。あったまくる。今はね。でも、なんとなくだけど、すごく大切なことに触れたの」
「科学者として」
「それもあるわよ。ないなんて嘘、アンタに通じないし。でもそれだけじゃない。
 インデックスは助けるよ。ただ、その手段がまだみえてない。見過ごす賢い子供にもなれそうにない」

 黒子は押し黙って、私に冷たい視線を向けた。そういうことができる子なのだ。
テレポーターの特質にさえ感じる。相手との距離を自由自在に行き来する。
 今は、遠い。


「あいつ等の話は、デタラメなんかじゃない。科学と魔術は、水と油みたいなものじゃなかった。
 政治家とヤクザみたい。もっと密接に関係している。気がする」
「根拠は」
「ステイル=マグヌスが説明した魔術は、極めて科学的……こういう言い方が合っているのかはわからないけど。
 とにかく特定の理論体系に基づいて構成されていた。そいつらは確かに存在する。
 だけど矛盾していることがたくさんあるの。あんな短い時間だから当たり前なんだけど。
 自然界への干渉はできないと言ったけど、
 あいつら、『術式』とやらを用いれば私たちの『自分だけの現実』みたいに、粒子の流れをコントロールしたり、重力を操作したりできると言っていた。
 仮説なしの直接的な操作。これは物理現象そのもの。命を落とすといったけど……何か私の理解に齟齬がある。
 もっと原理に基づいた理解が必要だと思う」
「その一方で、科学が支配するこの街には特定のパイプを所有しているようだった。
 ローラ=スチュアートの口からも学園都市って単語が出たようにね。
 つまり」

 私はしゃべりながら、自分の気分が高揚していることに気付き、また少し景色がくすむ。

「この街の中枢には魔術に精通した人間がいる。それもかなりの権力を持った人間。
 そいつから手がかりを得る。あいつら、重力を操作したのよ。
 ホテルの一室くらいの空間をねじ曲げるなんて、どれくらいのお金が必要だと思う?
 そんなやつらに真っ向から立ち向かっても消されるわよ。セオリー通りなら、魔術の理論を理解して、
 横から強引に『魔術側』に押し入って、ローラからインデックスを解放する」
「どれもこれも……お姉様の推測にしかすぎませんの」
「仮説なしに科学を語るのは、素人」
「それにしたって乱暴な直感ですの」

 ため息が出る。でもそれは、黒子に対してのため息ではない。
この案件が内包している、複雑で、およそ私たちの手に負えるようなことではないという事実だ。
 どうしたってマンパワーが足りない。

「でかすぎるわ」
「おっしゃる通りですの」
「………………レベル5のメンバーなら」

 ひらめいてしまう。

「お姉様、正気ですの?」
「イカれちゃってるかも。でも、一番現実的な気がする」


「学園都市に存在する7人の天才……なんて。いいキャッチコピーよね。実際は性格破綻者の集まり」
「破綻の定義によると思いますの」
「破綻してなかったらこんな話しない」

 自虐しても、黒子はフォローしなかった。呆れているのもわかるし、仕方が無いというのもわかる顔。
やっぱり盟友ってこういうことだと思う。

「とにかくアタリはついた。後は方法論。黒子、どうするの」
「その質問は卑怯ですのよ」

 黒子が行儀悪く、ベンチに座り込む。
さっきまで遠くにいたのに、もう隣にいる。さすがテレポーター。
 だから好き。

「わたくしにできることは多くはないですの。でも、少なくもない」
「ありがと」

 缶ジュースを投げた。ゴミ箱からは外れて、落ちる。
黒子はあきれ顔で、どこかへ消えてしまった。


 私は一度、自室に戻ることにした。
 この時間帯に学園都市を歩いていると、思考は進む。
 ステイルと神裂の消息も気になったが、今は諦めて今後の事態について思考を巡らせるほかない。
ステイル=マグヌスの口ぶりからして、インデックスが記憶に押しつぶされる(実際は緊急管理のための処置だと思うが)までの時間は、
そう長くはない。これについては推測で動くにはあまりに危険すぎる。
 かといって、私の身近に魔術に精通しているような人間なんて、思い当たらない。
 ローラ=スチュアートはこの上なく利口で狡猾だった。私の思考のスピードを軽く凌駕している。
私の読みはそう外れてはいないことの裏付けにもなった。あの知能を有する人間がトップなら、いくらでも最悪の事態は想定できる。
 うかつだった。魔術についてあまりにも侮っていた。啖呵を切った結果の今に、拳を突き出したくなる。
 事実に対して、客観的情報量があまりにも少ない。直感で導くには遠すぎる。

 おそらくあの後数十分もあれば件の話題に行き着いていたことだろう。
 すなわち、タイムリミットはあとどれくらいなのか。魔術とは何なのか。

「未知数に対するアプローチ。どうやって解くのがスマートか。基本ね」

 ニュートンが虹を解体したときもこんな気分だったのかもしれない。
 優雅で崇高な自然現象を、七色に分解し、解析し、法則に当てはめ、裸体をあらわにする。

 UNWEAVING THE RAINBOW(虹の解体)。

 崇高で不可思議な事象を、科学の名の下に暴くのは人間のエゴだと言った詩人がいた。
 虹を打ち壊したことで、神秘性が失われたと。それなら、私はエゴイストでいい。
科学者であるということは、すなわち、理性の刃で闘うということだ。

「きっかけを与えてくれたのはアンタよ、インデックス」

 私はニュートンほど優れた頭脳は有していないかもしれない。
だけど、私には100年の歴史を解読し、積み重ねることができる能力がある。
 知恵がある。
 度胸なら負けない。


 レベル5のメンバー全員に面識があるわけではない。知らないツラもある。
これから立ち向かうべき難題に、適性な人材を確保する必要があった。

(バックグラウンドが共有できていないと、途中で破綻する。利害関係の一致と、そいつの人柄を確認しないと)

 どんなに多く見積もったとしても、インデックスの命が手遅れになるまで三日以内だ。
さらにそこから、魔術という理論体系が、科学と同じような経緯で発展してきたのだとすると、数千年の歴史を理解しなくてはならないことになる。
 三日で数千年の理論を解き明かし、さらに必要な人材に対して、必要な情報を開示する。
 その上で、その数千年の歴史に対して風穴を空ける。

「なんつー無謀な話。論文でこんなタイトル、やばすぎて学者にそっぽむかれちゃう」

 まったく雲をつかむような話だった。
いや、雲をつかむよりたちが悪い。雲なんて、人間はとっくに掴んでしまったから。

 それでも、黒子はもう動いてくれている。だとしたら、私に必要なことは解法を設計すること。
自室に戻って『書庫』を徹底的に洗う。この上なくスマートな方法で。
 これから先は、一挙一動がすべて結果に影響する。
 目的という名の仮説に向かって、一心不乱に突き進む意志が必要だ。

 いや、仮説とか意志とか。そんな生温い言葉じゃない。これは、信仰だ。
 
 科学に対する妄信的で圧倒的な信仰が必要だ。どこまでもオカルトに。神様の幻想を生み出すくらいに。

「ナメんじゃねーっての」

 自分の名前をもう一度思い出す。御坂美琴。
 
「刻んでやる。ふざけた理屈で、泣かせるもんか」

 インデックスの笑顔が、ずっと私を縛っていた。



今日はここまで。


_______________

「どのツラ下げて、とか言うつもりはないけどぉ」

 私の眼前には、巧妙に細工が施されたティーカップが並んでいた。
職人が手作りで作ったと言わんばかりの、精巧で、しかしどこかいびつさを残した一品だ。
曰く、いびつさに人は人間味を感じるらしい。

 しかし、私がこいつに感じるいびつさは、もっと得体の知れない、悪寒だった。

「意外よねぇ。ほんと意外。御坂さんはプライドを優先する生き物だと思ってたわぁ」
「アンタが私のプライドを傷つけたことないてないわよ。ただの一度も」

 食蜂操祈は学園都市のランク付けにおいて、私と同じく最高位に位置づけされている。
印象はいつも最悪だった。
 私は基本的に群れて行動するやつらが好きじゃない。
なんでかと聞かれると、それもまた自己分析をしなくてはならないのでかなり長くなる。
が、あえていうなら、その小利口さが気に入らない。
 加えてこいつの能力には、本人の悪意を反映した節があった。
 
「本題なんだけど」
「この紅茶おいしいでしょお?」

 挑発も手馴れていた。いつもなら相手をしてやるのだが、今回はとりあってられない。

「学園都市に戒厳令がしかれるってのは知ってた?」
「知らなぁい」
「そう。アンタの能力ならいくらでも手が届きそうな話だけど」
「興味があることしか彫らないわよぉ」
「その割に私のコンタクトに対しては敏感だったわね。手際がよすぎない?」
「御坂さぁん」

 食蜂は持っていたティーカップを大切そうにテーブルに置きなおした。
間をたっぷりとって、私をなめるように見る。


「交渉、なんでしょぉ? お作法がなってないんじゃなぁい? 
 カードをさらしてくれないと、私からは何も出てこないわよぉ」
「交渉の余地があるかどうか、先に見ておかないとね。
 ポーカーは好き?」
「ルールくらいなら知ってるけどぉ」
「テーブルについたらディーラーがまずすること、何だか知ってる?
 そいつの着ている服、チップの切り方で査定するの。
 そもそもそいつがマトモな人間かどうかね。技術はその次よ」
「御坂さんがディーラーだと思ってるなら、大きな間違いよぉ。
 査定するのは私。貴方は、たまたま同じ場所にいただけ」

  言葉にほんの少しだけ、暴力性をのせてきた。直感的に、こういうときは話を進められると確信する。
 あんまりこういうやり方は好きじゃないけど。下品な雑誌のインタビュアーみたいだからだ。私は食蜂の言葉を無視して査定を続けた。

「私の見立てによると、アンタはそもそもマトモな人間なんかじゃない。
 頭のほうは申し分のないくらいイカれてるし、
 地軸が背骨と同じY軸上にあると思い込んでいるタイプの人間でしょ」
「へぇ、そんな風に思ってたんだぁ」

 笑顔が不快で、私は気付かないうちにティーカップに手を伸ばしていた。

「本題を言うと、ものすごく困ってるの。
 女の子を助けたいんだけど、情報にリーチする手段が私にはない。
 しらばっくれてるの前提で話すけど、
 戒厳令が学園都市に敷かれるっていう情報、私は8割方ウソだと思ってる。
 実際に規制されるのは市民権ではなく、学園都市が抱えている膨大な量の情報。
 圧力とやらから遠ざける建前ね。
 武装勢力が介入する可能性はあるかもしれないけど。
 私の能力はアンタと根本的な性質は似通っているけど、精神感応系の応用力はない。
 アンタの能力で、人為的に、学園都市の情報網から独立した特殊ネットワークを形成したいの」
「やけに焦ってるわねぇ」
「時間がないから」


 食峰の目つきが変わっていた。

「色々と聞きたいことはあるけどぉ。その女の子を助けたいのはどうして? 女子力?」
「あれ。もっと別のところをついてくるかと思ってた」
「やるとは言ってないわよぉ。せっかくのティータイムだから、間を持たせたいのぉ。
 あとそういう事実の裏付けはあんまり興味がないのよねぇ。
 御坂さぁんがどういう思考パターンでここに来たのかのほうがよっぽど興味あるわぁ」

 この大嘘つきが。事実なんて裏を取っているに決まっている。
 でなければこの人間不信女が私との交渉に応じるはずがない。遊びに興じるにも何かとリスクを求める性質なのはもうわかっている。

「……残念だけど、あんまり期待に沿う返答は返せないわね。
 一つ目は建前。科学者として、その女の子が絡んでいる案件に興味があるの。
 二つ目は本音。私の性格から論理的に導きだされる帰結よ。
 理不尽だと思ったから」
「……、」

 食峰はここで間をとった。目つきがまた変容する。考え事、かと思ったがどうやら違う。
打算と好奇心の振り子の間で、シナプスを行き来させているのだ。

「一応聞いておくけどぉ、見返りはなぁに?」
「私の頭の中をいじらせてあげるわ。丸一日。好き放題していいよ」
 
 私は即答した。
 
「あっは、大きく出たわねぇ」
「別に。アンタが好きそうな話でしょ。これで第三位の序列はあげてもいいかな」

 しかし、思いのほか食峰操祈は冷静だった。冷静というか、視線の先に私が映っていないようだった。
もしかしたら、と私は思った。……すでに私よりこの案件に対して数手先にいる?
 戒厳の原因や、魔術師の存在、または、魔術のロジックに対しても。
個人的な利益を度外視して参戦するようなお人好しではないから、利害関係の一致が計れない限り結託はありえないと思っていた。
 でも、今は何だ? 天秤に何を置いている?
 
 まさか。私は思わず自分の考えに鳥肌がたった。

「頭の中が覗けないあなたのことは信頼してないんだけどぉ。今回はやってもいいかな」
「気まぐれな女王様ね」
「お互い様でしょぉ?」

 今回は何も言えなかった。


「具体的なプランはいつ教えてもらえるのぉ?」
「何をつかんでるの、アンタ」

 気付けば外に、雨が降りはじめていた。そうだ、ここは喫茶店。
食峰が指定した、彼女『お気に入り』の店だそうだ。

「それを聴くのって、そんなに大事なことぉ?」
「私の推測が正しければ、とっても大事なこと」
「今は言えないわねぇ。ただ、御坂さんが進む方向に、ほんの少しだけ私も興味があるだけ」
「悪巧み?」
「さぁねぇ」
 
 十中八九そうだろう。私はすでに引き返しのきかない局面に来ている。
計画についてこの女に吐露すれば、よからぬ方向に舵を切られる可能性もあるわけだ。
 食峰操祈の能力は、『心理掌握』。
 精神感応系と呼ばれる体系の中で、頂点に位置する、かなり非人道的な能力。
私の計算では初期段階で協力者から外す予定だったが、読みが外れていなければ、
長い付き合いになってしまう。
 私はもう一度考えた。
 
 だが、食峰の方が一手早かった。

「第二位の居場所、知ってるぅ?」
 
 さすがに虚をつかれて絶句する。

「どうやって」
「あは、さすがにびっくりしたぁ? 色々やり方はあるのよぉ。やり方次第よねぇ。
 御坂さんに私の能力は効かないけど……ふふ」
「やっぱりこの件に関して何かつかんでるみたいね」
「さぁ?」
 
 私はひと呼吸おいて、指に握っていたコインを眺めた。

「利害関係が一致しているなら別にいい。今回はね。
 でも、あくまで短期的な付き合いがお互いのためでしょ。
 アンタが何企んでるんだか知らないけど」
「それを言うなら御坂さぁん、私も言わせてもらうけどぉ。
 かなり非人道的なこと考えていたんじゃない?
 違う?
 私の能力を使って人為的な精神ネットワークを形成しようとしてたんじゃないのぉ?
 学園都市の生徒を使って。
 人体実験と何が違うのかしらぁ?」 
「違う。あくまで……借りるだけ」
「何があなたをそうさせるのかは知らないけどぉ。ちょっと考えられない指し手よねぇ。
 裏があるのはあなたなんじゃないのぉ?」

 私は無視した。


「アンタは場所を教えてくれたら同行する必要はないわ」
 
 私は何事もなかったように呼吸を取り戻そうと努力した。

「話つけるのは私。いいでしょ」
「えー。でもイケメンらしいしぃ。ちょっと顔は拝みたいかなぁ」
「いいから案内して」

 どうやら食峰はすでにかなり先の段階まで駒を進めているらしい。
時間を言い訳にはできないが、妥協するしかなかった。
 同盟関係と呼ぶにはあまりにも脆い。
黒子と初春さんが手に入れてくれた情報を信頼した結果だし、これは仕方がない。
 私はディーラーとして、この女がテーブルにつくことを許可した。
しかし、カードはまだ配らない。 

「かなり乱暴なやり方だけど、私は信じてる」
「何を信じてるの?」
「私をよ」

 言い切る前に、窓が割れて、破片があたりに飛び散っていた。
 
 私は瞬間的に食峰を抱いて、店の奥に伏せた。

 銃弾だった。

 銃撃戦。突然始まった。街中で。
 瞬間的に戒厳令の文字が頭に浮かぶが、次には別の言葉に移り変わっていた。

(これはどっちの銃弾)

 学園都市に圧力をかける相手が、いかなる勢力なのか。

「ど、どうなってるのよぉ、御坂さぁん、こんなの聞いてない」
「うっさい運動音痴。伏せてて」

 私は店内の静電気を調整して破片を飛ばした。
外では相変わらず撃ち合いが続いている。

「ここにいて」
「や、やぁだ、こわい」
「どうしたの。アンタの能力で操ってやればいいじゃない」
「リモコンが……」
「いいから伏せてて」

 私は外へと駆け出した。


 飛び出した先の雨は、もはや豪雨と化していた。四方八方から銃弾の音が響く。
私は瞬時に自分の半径200メートルに、電子のセンサーを張り巡らせた。
 そして携帯を取り出す。

(雨の日の外でしか使えないってのが難点ね。
 電解質が足りないっての。
 ……サーモグラフィで表示したほうがよさそうね)

 半径200メートル以内の温度変化を色分けする。1,2,3……7人。
さらに私は、自分の半径3メートルに磁力場を生み出した。金属に反応して絡めとる。これで銃弾は効かない。

 注意して携帯を見てみると、サーモグラフィの表示がおかしなことになっていた。

(火事? ……いや)
「貴様も魔術師か」

 背後から怒鳴り声がして、振り返る。
武装した人間が銃弾をこちらに向けて立っていた。
 声からして男性。

「魔術師?」
「学生か。証明できるものを出せ」
「いや、これ制服だし」
「出せ」

 携帯を確認すると、男の体温はかなり上昇していた。
呼吸の荒さが目で確認できるほどで、相当気が張っている。
 私は考えた。
 おそらくここでマトモな対応をしたところで、煙にまかれて終わってしまう。
ならばこの男がいう『魔術師』を装って、もう少し現状に近づく努力をしたほうがいいのではないか。

「早く出せッ!!」
「魔術を出せばいいの?」

 私は男と私の間に落雷を落としてやった。
轟音と衝撃で大地が揺れる。男は容赦なく私に向けて銃弾を放ってきた。
 もちろん私には効かない。


「化け物がッ」
「私の仲間はどこにいるの」
「知るか」
 
 かなり訓練されているようだった。
学園都市にはアンチスキルと呼ばれる、警備相当組織が存在するが、どうも雰囲気がおかしかった。

「アンタたちはどこの誰」
「応援要請。新手の魔術師が」

 まずい。私は距離をつめて腹部に蹴りを入れた。
 男は気絶したが、どうやら並大抵の鍛え方はしていないようだった。
軍隊相手でも負ける気はしないが、この段階でおおっぴらに動きがバレるのは不都合だ。
 携帯を慌てて確認すると、すでに区画には相当数の『武装勢力』が集まってきていた。
何かがおかしい。ローラ=スチュアートが次の行動に出たのだろうか。
 
(っと。今はそれどころじゃない。食峰を連れてここを離れないと)
「御坂さぁん」

 食峰の馬鹿が、生身で外へ出てきていた。
あわてて磁気フィールドを拡大する。

「アンタ死にたいわけ」
「だ、だってリモコンが」
「とりあえずここを離れるわよ」

 電流を足から流して、空中浮遊した。
狭い空間ならある程度は飛ぶことができる。出力係数は二人分。
 学区を離れようとしたその瞬間、再び声をかけられる。

「忙しそうだな、科学者」
「やっぱり。火事なわけないもんね」
 
 サーモグラフィの表示は、最初からおかしかった。
あんな短期間に銃撃戦で火災が発生するわけがない。
 あんなことができるのは、パイロキネシスを使った上位の能力者か、あるいは。

「今はそんなに話せないな。行けよ。そいつが精霊だろう」

 ステイル=マグヌスと神裂火織が、蜃気楼の中、ゆっくりとこちらに歩いていた。

今日はここまで。


「とっくに死んだと思ってた」
「そういう会話に浸ってる場合じゃないな」

 口を開いたのはステイルだったが、隣にいた神裂火織が抜刀して空を薙ぎ払った。衝撃波で一瞬、周囲の雨粒が吹っ飛ぶ。
背後から放たれた銃弾を撃ち落としたと気付いたのはさらにその数秒後だった。

「そういう映画あったよね。電脳空間でインストールした情報を元に、仮想世界で銃弾を避ける話」
「時間と余裕がないから簡単にいうぞ。
 僕たちはローラを怒らせたようだ。少々乱暴なやり方でこの街を攻めている。
 僕も神裂も、今は魔術師側としてこの街にいる」
「私の敵ってこと?」
「貴様が言う敵とは何だ」
 
 武装勢力はすでに後方50メートルまで迫っていた。聴きだしたいことは腐る程あるのに、時間がない。
いや、いつだって時間なんてないのだ。あるのは前を向く意志だ。
 あとはいくつかの決断。そして、諦めという名の覚悟。

「敵なのか味方なのかは、貴方が決めればいいことです。私たちもそうする。
 それは多分立場によって決まることじゃないでしょう。行ってください」

 私は振り返らず、食蜂を抱えて飛んだ。
 ステイル=マグヌスが最後の瞬間、不意に何かを叫んでいたが、雨音にかき消されて聞こえない。
でも、何を言おうとしていたかはわかった。
さっき私が考えたようなことだ。すなわち、前に進むこと。
 私は私で、一番大切なことを聞き忘れていた。インデックスはどこにいるのか。無事なのか。

「あの人たち、味方なんでしょう? 連れて行かなくていいのぉ?」
「一緒に行動したらリスクが増えるだけよ。あとは体裁もあるでしょ。
 あいつらの親玉、ホテル一室の空間を一人でねじ曲げるくらいの能力もってるのよ。
 殺すだけならいつでもできる。フリがバレても、今は離れて行動したほうがいい。
 土壇場で利害が一致する瞬間までね」
「私の能力で何を考えているのか測ってあげてもいいんだけどぉ」
「食蜂、アンタの能力の重大な欠陥を教えてあげる。
 インターネットで調べればわかるっていうのはね、調べなきゃわからないってことよ」
「……ふぅん」


「これはインデックスをどっちが先に見つけるかのゲームなの。
 武装勢力の建前がどういう政治的意味合いを持っているかはわからないけど、
 学園都市と魔術師側の外交に何らかの支障があったんだと思う」

 情報が足りないんだから、ヒントから推察するしかない。
インデックスは相手側にとって、国家機密レベルの重要なカード。
本来だったらあの二人が『回収』して終わりだったのに、私が介入したことで画が崩れてしまった。
 でも、この事実はあることを裏付けている。頭のどこかでくすぶっていた考えが、さきほどのやり取りで定着した。

「この街のトップは、魔術の存在を知っている」

 始めから不思議だった。
オカルトとはほど遠いこの街で、インデックスのような人間について真剣に考える輩がどこにいるだろう?
 代理的な戦闘行為が行われている。さきほどの武装勢力と魔術師。科学と魔術の闘いだ。
 
 この小さな戦争の火種になるような、決定的な亀裂が生じるということは、
ある出来事が両者にとって同じ価値を持っていなければ成立しない。
 
 すなわち、トップの人間は正真正銘の間抜けか、正真正銘の魔術師でしかありえない。
インデックスの重要性を理解しているからこその対応。秘密裏に回収して、こちら側に引き入れる。
 外交カードを増やす。
 政治の授業は飛び抜けて得意だったわけじゃない。
もっと高度な情報戦が繰り広げられているのかもしれないが、私は確信していた。
 
「それならすぐに学園長に会いにいけばいいじゃなぁい?」
「時間は確かにないけど、現状私たちには人的リソースが足りていない。
 ここをおろそかにしたらもみ消されて終わり。
 急がば回れよ。私が描いている画を完成させるには、
 私の脳みそだけじゃどうしたって限界がある。
 後輩が与えてくれたデータは最大限利用する。天才ってやつが必要なの」
「天分は信じてなさそうだけどぉ」

 気付くと、戦闘行為が行われている学区はとうに通り過ぎていた。
私は地上に着陸して、身を伏せた。雨はまだ止まない。
 学園都市の常設アナウンスが何かを叫んでいた。戒厳令が本格的に発令されたようだ。
あちこちで聞こえるサイレンの音。

「それは私的な話。天才っていうのはああいう二人のことを言うんだと思う。
 ギフテッドっていうでしょ。受動系なのが肝心ね。
 私は始め、それを持っていなかったから努力した。でも上の二人は違う」

 天分なのか、悪魔のしっぽなのかは問題ではない。

「第二位の居場所を教えて」
「その必要はないみたいだけどぉ」


 食蜂が指差した方向に、確かに立っていた。和傘をさした、制服の男。

「すげぇ能力だな。代理演算するのにも街の中枢にあるコンピュータ何台が必要なんだ?」
「偶然じゃないわよね。何の用?」

 傘で表情が一部しか読み取れないが、男はすでに嘲笑的な仮面を纏っていた。

「そりゃねえだろ。あんたが呼んだんだ。俺と、この街の今を。
 まさか第三位がテロリストだとはな。話が早えよ。握手して合併と行こうじゃねえか、なあ?」
「そんなことは聞いていない」

 名前は言わなくてもわかっていた。

「上層部の裏をかくために都合よく戒厳令が起きて、
 必要であると願った第二位が都合よく私を探していて、
 さらに都合よくアンタと利害が一致する?
 ずいぶんお粗末なプロットじゃない」
「素人が戦略的発想をするとよく陥るピットフォールだ。
 絵面はいいが、解像度が足りない。だから現実を受け入れられない。
 まぐれや奇跡を前提としていて、かつ誰よりも渇望しているのに、
 いざ向かい合ってそれを信じる器量が足りない。
 御坂美琴、仕事っつうのはもっと腰を入れてやらなきゃだめだぜ」

 食蜂の表情は見えなかったが、ろくな顔はしていないだろう。
会話からにじみ出る余裕が、私たちとの絶対的な差を物語っていた。

「俺が垣根帝督だ。ついてこいよ。断言するが、お互い目的は共通さ。
 馬鹿みてえに圧倒的に一致している。
 こうなった理由なら、テメェの脳みそでいくらでも後付けできるだろう。
 しかし大事なことは子供の好きな論理パズルじゃない。大事なのは今この瞬間。この事実だ。
 裏をかくとか、小手先の小細工が通用する次元の話じゃねえ。
 テメェはもう選べないのさ。だが」

 はっとした。一瞬すぎて気付かなかったが、雨が止んでいる。『都合よく』。
何だ? こいつの能力? 

「そういう思考パターンに陥るあんたは、まあ常識的なんだろう。
 極限状態の交渉において、最も重要なことは心理的な負荷を抑制することだ。
 判断の瞬発力が土壇場でモノを言う。
 無限にある可能性という名の粒子を、いかに見逃さず手におさめるか。
 そのためのハードルは低く設定する必要がある。
 テメェに足りないものは矛盾を受け入れてなおかつ直進できる推進力だ」
「やっぱり、アンタとは仲良くなれそうにないわ」
「そりゃ残念だ。だが、そんな話こそどうだっていいな。繰り返す。
 テメェはもう選べない。そんな権利はとっくに放棄しているんだ。
 それでも、俺がこれから開示する情報を受け取る権利は、まああるだろう。
 言っておくが俺は女には優しいんだぜ。嫌いなのは保守派のクソジジイどもと常識という名の偏見だけだ」

 第二位は振り返って、歩き出した。

「一つこちらの世界の先輩からアドバイスだ。
 こちら側では、奇跡やまぐれはただの一つも起きない。
 それでも似たようなことを目の当たりにした瞬間は俺にもある。
 では奇跡が起きるのはどんな時か」

 雨が降り出す。プレゼンテーションには十分だった。

「誰かが描いた画の中で踊っているときだけだ」


_________________________

 垣根帝督がアジトにしているのは、学区内の雑居ビルだった。
見かけはどう見てもボロボロの建物だったが、内装は整備されている。
 私と食蜂(全く帰る気配がない)の二人は、
 さらのその中の一室、巨大なスクリーンがある部屋に通された。
 セミナーや記者会見の会場として使われていたようで、かなり広い。私たちは一番前に着席した。
 丁寧に飲み物まで添えてある。

「一時間ほどで終わる」

 垣根帝督がリモコンを操作すると、スクリーンが上昇する。まるで学会の発表をするみたいだった。
食蜂はよほど楽しいのか、さきほどからずっとニヤニヤしている。

「これは」

 垣根が手持ちのレーザーポインタでスクリーンにポイントをあてた。

 画面には3D空間が表示されていた。

 全部で4つのタイプの座標空間が存在していて、それぞれ色分けがなされている。四つの空間では、何かの立体がうにょうにょと動いていた。

「学園都市のレベル5の思考パターンを可視化したものだ。
 X座標は論理性、Y座標には発想力、そしてZ座標にはパーソナル・リアリティの強固さを加えてある。
 空間に対して動的なのは、外部の状況によってそれぞれの値は大きく変動するからだ。
 それぞれが持っているこの立体の体積が、まあ俺たちの能力値ということになる」

 私はいつぞや、黒子に連れられて11次元空間の特殊講義を受けたことがあった。
似たような話は聞いた覚えがある。


「大切なのはこれらの体積はシークエンスとしてとらえる必要があるということだ。
 つまり連続したこの動きそのものが、それぞれの思考パターンとして定義できる」
「やぁだぁ、むずかしくてわかんなぁい」

 食蜂はすっかり猫かぶりモードだった。

「ならもっと簡単に言う。
 ここに黒い丸がある。これは何だ」
「何って、黒い丸でしょ」
「そうだ。しかしここに連続性を加える」

 垣根帝督は黒丸の横に、全く同じ黒丸をいくつかコピー&ペーストした。

「これは何だ?」
「だから黒い丸でしょ。横一列に並んだ黒い丸」
「そうだ。ではこれだとどうだ」

 今度は黒い丸の上に、簡略された人間を描いた。ピクトグラム。
そして同じように横一列にコピー&ペーストする。
 左から右にいくに連れて、だんだんと人間と黒い丸との距離が近づくように配置していき、そして、一番右の黒丸の上には何も配置しなかった。

「……黒い丸じゃなくて、落とし穴? ブラックホールとか」
「その通り。これが連続性だ。しかし今の思考プロセスは正しい。
 単体での情報では定義しきれないものは世の中にたくさんある。
 空間的、あるいは視覚的な連続性を加えることで初めて意味を持ってくるもののほうが多いんだ。マスコミが叩かれる要因もこれさ。文脈、流れ、他にも言い方はあるだろうが。
 さきほどの立体だが、それ単体では単なる能力値としての意味しかもたない。
 連続性、すなわち動きを加えることではじめて思考回路を暴くことができる」
「色々突っ込みたいけど、質問は受け付けるの?」
「理解ができているのなら最後にしてくれ。重要じゃない部分で時間を取りたくはねえだろ」

 垣根帝督はプレゼンを続けた。

今日はここまで。ちなみにみこっちゃんのキャラクターは最後までこれなので、あしからず。


「外的要因というのは、生きていく中で変化する。端的な例で言うなら、学校の成績や人間関係、
 あるいは精神的なストレス……ま、ここらへんは説明する必要はねえか」

 垣根帝督の語り口調はどこか演説じみていた。私がこの男を初めて見たときに感じた、嫌な雰囲気。
まるですべての事柄が、予定調和的に収束していくのを楽しんでいくようだった。
 小さい頃に見た演劇。良い奴が、悪い奴をやっつける話。私は起死回生のシーンでいつもため息をついていた。
いつからか、多分そうなるんだろうと思ったことがそうなるようになった。私の趣味はとても子供じみているらしい。
信頼する後輩が断言するくらいだからよっぽどだ。
 私は自分の中の大切な子供らしさを、外側に求めるようになった。

「レベル5の中で最も安定したパフォーマンスを誇る……すなわち、外的要因によって極端な変動が生じないのが、御坂美琴。
 テメェだ」
「あんまりしっくり来ないわね。第一位やアンタのほうがよっぽど強靭なメンタルを有していそうだけど」
「俺と一方通行の思考パターンは、3つのパラメータのうち、発想力や論理性に特化している。
 走り幅跳びをしたら、ロケットエンジンで助走を取り、地球の裏側までジャンプして、着地するって具合だ。
 逆にテメェら三位以下が持っているエンジンは比べてかなり貧弱で、常識的なジャンプしかできない。 
 だが、大きな力は大きなエネルギーを有するがゆえのリスクもある。
 これをどう表現するかはかなり文才が必要だな。ま、簡単にいうと挫折を知らねえやつは挫折に弱いのさ」
「それって自虐?」

 垣根帝督の表情は凍り付いたように動いていなかった。

「俺は自分自身を過大評価はしねえ。これから話す俺の計画には、大きく分けて二つのやり方があった。
 過去形なのは、前者のやり方はすでに切り捨てたからだ。その理由もこれから説明する。
 だが、第三位。少なくともテメェが持つ最も優れた能力は、天分を持ち得ないが故の安定性と評してやる」

 私は鼻で笑ってやった。天才と呼ばれたことはもちろんある。
でも、多くは努力を放棄した人間からの、意図的ではないにしろ皮肉めいた助言だった。
 教師でさえも。
 
「三つのパラメータのうち、論理性とパーソナルリアリティの強固さは訓練によってある程度鍛えることができる。
 鍛えるためにはトレーニングが必要だ。ロジカルトレーニング、そして演算処理演習。
 しかし、最後の要素を鍛えるためには、信仰が必要だ」

 私は耳を反応させた。また信仰。ステイル=マグヌスが語っていた魔術の上澄み。
そして同時に、科学の上澄みでもある。

「それってなんか、しっくりこないのよねぇ。御坂さんが言ってたマジュツってのも、
 正直私には全然うなづけないしぃ」
「学園都市は今、あの魔術師たちを何て定義しているの」
「戒厳令が下ってから、生徒たちは外に出ることを許可されていない。
 アナウンスはこうさ、『一部の学生による反乱』。
 今この街で起きていることは内部闘争ということでカタがついている」
「真相は」
「真相? 真相か。それは俺たちがこれから突き止めりゃいいことだ。
 語るも自由、捏造するも自由。
 俺たちはでっかい闘争の中心点に向かおうとしている。
 その資格は十分にあるさ。天下のレベル5ならな」


「情報ソースはもう遮断されているはず。どうやって現状を把握するの」
「それは建前だ。『書庫』にアクセスして俺の情報を得たようだが、
 あんな見え見えのブラフにひっかかってるようじゃ話にならねえな。
 学園都市の情報管理を甘く見るな。もっとえげつない方法でアレイスターのクソ野郎はこの街を監視している。
 国を統治するネットワークが一つや二つだと思うか? なあ、食蜂操祈」
「ここは国じゃないわよぉ。今は、ね」

 食蜂はそう言って口角を少しつりあげただけで、それ以上の反応は見せなかった。
私は再度確信した。こいつも、味方ではない。

「話を戻すぞ」

 垣根帝督が再びスライドを進める。私はまだ自分が聞きたいことの5分の1も引き出せていない。

「俺の目的は、アレイスターと対等に交渉し、野郎の持つ資源……そのすべてを手に入れること」
「いいわねそれ。小学生の作文で出したら賞を貰えるかも」
「テメェらが起こしたいざこざは、俺がこの街に散布した『未元物質』によって観察できた。
 よく降る雨だっただろ」

 まさか。私は思わず体に付着した雨水を見返す。

「やり方について、詳しい説明が聞きたかったら教えてやるよ。だが、こんなふうにネットワーク形成なんてのは、誰だってできる。
 大切なのはピンポイントでビッグデータから必要な情報を選択するセンスだ。
 俺はテメェら二人の会話からだった。アタリをつけた理由か。悪いがそれはさっきのパラメータでいう、『発想力』だよ。
 十中八九、イレギュラーな要素は能力者、しかもトップ層の人間から生じると確信していた。
 テメェの目的を知った。
 決め手になったのはやはりさきほど見せた立体思考パターン。そうして設計図ができあがった」

 『未元物質』の能力がわかってきた。おそらく量子力学の根幹を支える理論。
粒子レベルでの物体を生成して、物理法則に影響する。あれは雨なんかじゃない。雨によく似た、未知の物質だ。

「アレイスターはこの街を『滞空回線(アンダーライン)』と呼ばれるナノマシーンで常時観察し、記録をつけている。
 中にあるデータは『書庫』とは比べ物にならないくらいの機密情報だ。窓のないビルと都市をつなぐ唯一の道。
 解析するためには特殊な装置が必要だ。超微粒物体干渉吸着式マニピュレーター、通称『ピンセット』。
 混乱に乗じてこいつをぶんどる。手に入れた後は簡単だ。
 交渉のために有利な情報を根こそぎ手に入れて、魔術師側が優勢になったタイミングで交渉開始。
 魔術と科学のすべてを盗む」
「そのネタを交渉材料にするの」
「もちろんこれだけでは不十分だ。だから最初はダメ押しに、第一位の野郎をぶっ殺して、権利を手に入れようと思っていた。
 だが、テメェのおかげで状況が変わった。もっとノーリスクで有利に交渉を進めることができる方法が出現した。
 それが」

 魔術。魔術の解析。そして運用。



「アレイスターは間違いなく魔術の存在を知っている。
 そして、意図的に俺たちに隠しているんだ。
 今回の声明からも明らかだしな。
 その理由はいくらでも考えられるが、軍事的要素としても有用な俺たちレベル5が
 魔術に接触して、かつ原理を理解したとしたら? さらには、相手方に取り入って魔術師側に加担してしまったら?
 あいつはこう考える。
 『計画に致命的なリスクが生じるかもしれない』。あるいは、『今のうちに処分しなくてはいけない』」
「そこが狙い目ってこと」
「そうだ。勝てるかどうかは問題じゃねえ。同じテーブルで、ポーカーが出来る状態には持っていける。
 さて、この途方もないテロに勝算はあるかと言われたら、あると俺は答える」

 次に何を言うかは阿呆みたいにわかりきっていたが、私はあえて聞いた。

「根拠は」
「俺は俺を誰よりも信じているからだ。テメェらと同じだよ」
「だからアンタとは仲良くできそうにないのよね。傲慢な人間が進む道に光なんてない」
「そんなもん、とっくに見失った。
 それに、そっちも一皮むいたらそうさ。現に御坂、あんたは俺も隣にいる食蜂のことも信頼していねえだろ」

 垣根帝督は言い切ると、スクリーンを片付けて私たちに再度向き直った。豹みたいな男だった。
狡猾で、残忍で、しかし容貌や立ち振る舞いは堂々としている。孤独に耐え、機知に富む。

「第三位のテメェを選んだ『理由』、そして計画に参加する『利害』は話した。
 ここからは『方法論』の話だ。上出来なプレゼンだろう。スタートアップ企業なら満点だ」
「その前に私からもいくつか質問があるんだけど、いい」

 もちろん質問という名の探りだった。

「ふうん。俺のイメージではもっと竹を割ったような単細胞だと思っていたんだがな。
 あるいは、まだ希望とか未来とかを信じているような類かと。
 どうやら思考パターン自体は安定していても、今回のような特殊なケースによってはテメェも」
「アンタの計画は理解した。確かに私個人の目標としても、学園長との交渉は必須事項になってる。
 でも、私が聞きたいのはもっと別のこと。駆け引きはなしね。
 今この場でそういうことを考えるメリットはない。なぜなら、私たちが協定を結ぶ理由は、
 見せかけの利害一致だけであって、いつでも裏切ることができるから。
 カードはさらしてこそ意味があるの、わかるでしょ」
「政治的なオープンソースの話か。いいだろう、聞いてやる」


「アンタは魔術について何をどこまで知っているの」


 沈黙が訪れた。だが、さっきの口ぶりからして私以上に何かを掴んでいると感じていた。


「かなりコアな質問だな。現時点でそれに答えることはもちろんできる。
 知っているのか、と聞かれたらもちろんイエスだ。
 だが完全な形ではないし、俺はその理論体系を魔術とは呼んでいないし、定義もしていない。
 答えはすべてアレイスターの手の中だ」
「どうやって知ったの? 学園都市の現存するデータからそれにたどり着くことはおそらく不可能。
 私みたいに特別な体験がない限りは。アンタが魔術に触れたことが?」
「ガキの妄想みたいな話さ」

 垣根帝督は椅子に座って、私たちに背を向けた。年がいくつなのかはわからないが、向かい合ったときより幼い後ろ姿だった。

「俺の能力は『未元物質』。この世に存在しない物質を生み出す能力だ。猫箱理論はわかるよな」
「シュレティンガーの猫」
「脳の認識によって現実を収束させる。そもそも科学の定義とは何だ?
 再現性、無矛盾性。色々な言い方はできる。
 仮に起きてしまった事実に対して納得のいく後付けができるシステムそのものが科学だとする。
 システムはいつだって秩序をもたらす。
 確かに観測した結果、そこにないはずのものがあったとき、
 俺たちは色んな理屈をはてはめ、秩序を得ることができるだろう。
 俺はそこに疑いを持った。……根拠は俺の能力だ。こいつは、思い込みの力ってのを超越している。
 なぜかというと、矛盾しているんだ、奴らが言うところの『超能力』の定義と。
 俺の能力によって物理法則が、科学が歪んでしまうのなら、科学の完全性も否定されることになる。
 ……ゲーデルの不完全性定理は?」
「理屈は知ってる」

 公理体系の中で、無矛盾であることと完全であることは両立できない。必ず、真偽が証明できない命題が発生してしまう。

「俺はこれこそがまさに不完全性定理の命題だと確信した。
 つまり量子理論を応用した『超能力』の証明不能な命題。物理法則をゆがめてしまえるのなら、
 これはもう科学とは呼べねえ。だが、だったら『これ』は何だ?
 テメェは別の方法で、『これ』にたどり着いた。呼びたいのならそれを魔術と呼んでもいいだろう。
 俺は解き明かす。俺の能力が一体全体、この世の摂理のどの部分を司っているのかをな」
「それは言葉遊びじゃないの。アンタの能力を科学的に説明することだってできる。
 パーソナルリアリティで打ち立てた仮説を、信じることで実現させることに変わりはないはず」
「なら『魔術的に』説明することもできるんじゃねえのか?
 それこそ言葉遊びだ。テメェが言っていることは致命的にズレているよ。
 電解質の分解を、物質の消滅と観測するくらいズレている」

 私は返せなかった。


「問題なのはテメェの言う通り言葉じゃねえ。システムだ。
 俺たちは科学が完全だとどこかで哀れに信じている。宗教と同じだ。
 同時に科学が完全を求めたが故に生じる矛盾もあった。不完全性定理は悲劇だったが、
 こいつを無視して科学を妄信すること。これはオカルトだな。
 この世は、もっと大きな理論体系によって支配されているはずなんだ。
 俺はそいつを手に入れる。そのためなら何だってしてやる」

 私はいよいよ科学こそが信仰によって支えられているという、
 認めたくないが、ある意味で体感してしまった事実に押しつぶされそうだった。
ステイル=マグヌスとの会話を思い出す。
 科学が信仰によって成り立っていて、魔術が理論によって成り立っているという、矛盾。
垣根帝督の推論はその両者を結びつけるものだった。

「理解したようならそろそろ作戦を練らねえとな。おっとその前に名前をつけるか」
「名前?」
「俺たちのチーム名だ。




    そうだな、『スクール』がいい」




「見かけによらずごっこが好きなの?」
「こう見えて験を担ぐ方なんだ。俺たちは科学の歴史に新しい理論を植え付けようとしている。
 学派と言ってもいい。ぴったりだろ。くく、構成員はどいつもこいつも裏切る気満々だけどな」
 
 私たちはお互いの顔を見合わせた。そうなのだ。
私たちは見せかけの連帯感でここにいる。いつだって誰かを犠牲にできる理由がある。
 多分、食蜂も。
 
「いいじゃねえか。それくらい啀み合っていたほうが目的のために徹することができる。
 エッジの効いた組織だよ。
 始めようぜ。テロリストに必要なのは勇気と信念さ」

 まるで似合わない単語で皮肉った。

 私はやはり、この男の言った通り、選べない。何も選べなかった。
単独行動で自分が学園長にたどり着く、ありもしない未来を想像したが、どうしても途中で仮説は途切れてしまう。
 目的のために手段を選んでいる余裕がない。それでも守り通したい信念がまだ残っているだけ、私は恵まれていた。
いざとなったときに自分が取る行動はある程度予想できる。
 
 問題は実力的に出し抜けるかどうかだった。利害関係があまりにも複雑に絡んできている。
問題を解決しようとして、展開した式の途中で計算が煩雑になったみたいだった。
 泥沼から脱出する方法は一つしかない。

 インデックスを助けること。最早生きているかもわからない彼女を。

夜にもう少し投下します。


目的地である素粒子工学研究所まで後数メートルにさしかかったとき。私は背後から何者かに話しかけられた。
言葉はこうだった。

「見つけた見つけた。うまくいくもんだな」
 
 私は振り返らず、頭を少しだけ傾けて、空気を読んだ。

「普通に到着できると思ってたのに」
「早とちりすんなって。足止めが目的なら背後から一撃でおしまいだろ。
 俺から話しかけたんだ」
「相当腕っ節に自信があるみたいね」
「ま、ここでドンパチやってもいいけど、今回はそういう目的で来たわけじゃない」

 振り返ると、外人が立っていた。金髪の髪。魔術師?

「御坂美琴だな。俺はトール。イギリス清教とはまた別なんだが、まあ、向こう側の人間だ」
「何で私に話しかけたの?」
「単純に興味があってね。お察しの通り、科学と魔術の戦火が広がってる。これだけ公にやり合うのは歴史上でも初めてかな。
 偵察がてら、野次馬がてら来てみたら……どうやらアンタが火種みたいだしな」

 トールと名乗る魔術師の第一印象は、垣根帝督が持つニヒルな雰囲気とどこか似ていて、そしてどこかで決定的に違っていた。
俗っぽさもあった。しかしその振る舞いから気品が漏れていた。

「私が火種って? そんなに大それたことはやってないわよ」
「ん、そこはまだ情報を掴んでないのか。俺が説明してもいいけど、そうだな。
 助言するよ、今のうちに手を引いておけ」
「理由は?」
「アンタがやろうとしてることが実際に成されてしまうと、色々と都合が悪いってのが本音だよ。
 魔術師ってのも一枚岩じゃない。例えば俺たち組織の利害と、
 ローラ=スチュアートとの利害は対立している部分も多々ある。
 表面的にはわかんねえだろうけど、複雑に絡み合った相関図の中ではやっかいな存在なんだよ、アンタ」
 
 また厄介な話になってきた。どれだけの勢力が存在していて、そのうちの何割がこの争いに参加しているのか。


「それともう一つ。……こっちは俺にはあんまり関係ないことだ。
 計画はある地点までは思うように行くだろう。だが、最後の最後で、
 辿り着いた誰かが選択を迫られることになる。
 どっちも選んでも不幸になるのはその誰かと、禁書目録、それから学園都市だ。
 つまりやる事なすこと、何のメリットもないのさ。それならもっと大きな流れに身を任せたほうがいい。
 バッドエンドは嫌だろ?」
「魔術師ってのは予言までできるのね。だったらそれを言っても無駄ってこと、わかるでしょ」
「めんどくせえなあ。ここでぶっ倒して止めてやるっていうボランティアもいいけど、
 趣味じゃない」

 トールは迷っているようだった。この時相手の反応があと数手遅かったら、私から仕掛けていただろう。
物腰は確かに柔らかだったが、背後に気概を感じた。

「アレイスターはアンタらが思っているよりずっと先を観ている。
 マトモにやり合っても勝ち目はねえ」
「別に勝つことが目的じゃない。なんとなくだけど、科学と魔術の戦力差ならわかったわ。
 この状況、放っておいたら間違いなく魔術側が勝つ。インデックスは回収されて、訳の分からない外交カードとして、
 理不尽な要求に一生振り回される。そんなのは嫌」
「ガチンコの勝負の話をしてるんじゃない。今のこの状況、中心はアンタだと言ったが、
 画を描いてるのはアレイスター=クロウリーただ一人だ。ローラですらも気付いていない。
 もっと大きな意志の流れに。俺は外から観ているからよくわかるんだ。
 渦に飲み込まれていく未来も安易に想像できる。この街も、アンタもな」
「意志の流れ……?」
「科学と魔術は、同じものを目指しているんだよ。歴史が浅いのが前者ってだけさ。
 世の中の三大宗教、あれが同じ神様を信仰しているのと一緒だ。
 たいていそういう流れに身を任せていると、戦争が起きる。
 表面上はいくらうまくやっていてもな。俺の二つ名は戦争代理人。
 そういう局面ならいくらでも見てきた」


 気付けばまた、雨が降り出していた。

「俺が本気を出せばこの程度の争いなら半日もかからずに収拾つけることくらいわけはねえ。
 代わりにたくさんの人間が犠牲になる。そういうのは嫌だろ? だから、取引だ。
 もしもこのまま突き進むつもりなら、禁書目録を回収した後は俺たちの組織に回してくれ。身の安全は保証する。
 悪くないだろ?」
「どこが? アンタのことだって全く信用していないし、私はアンタがいう『不幸な結末』とやらも全くイメージできていない。
 断ったらどうするの? 私を拘束する?」
「そのときは、『不幸な結末』ってやつを見届けるよ。ま、アンタは必ず俺らを選ぶと思うぜ」

「ついでに言うと、そのときは俺がテメェら二人ともぶっ殺してハッピーエンドだ」
 
 出し抜けに、死角に潜んでいた垣根帝督が、芝居がかった台詞を吐いた。

「ん、こっちが出てきたか。ちょうどいいや。どっちかっていうとお前の方が話したかったんだよな」
「なんだこのガキは? 御坂美琴。テメェのケツ持ちか?」
「関係ない。会話、聞いてたでしょ」
「俺はどうしたらいい? ここで二人とも殺っちまっても構わねえ。裏切るならもうちょっとうまくやれよ、クソ野郎。
 このカマ野郎には俺の『未元物質』が通用しねえ。かろうじてテメェと何かの交渉をしているのはわかったが、それだけだ。
 この街の粒子を操ってるな」
「大気演算……ってんだろ、そっちの言い方だと。俺は何もしてねえよ。
 どっちにしろ、情報戦だとおたくらにあんまり勝ち目ねえぞ。とっちらかすのはゲリラ戦で馴れてるんでね」
「黙ってろ」

 第二位の背後に、羽が出現する。思わず私も身構えるが、反応したのはトールだった。

「おお。さすがに経験値持ってそうだ」
「先行ってろ。テメェとの関係の前に、こいつのスカしたツラが気に入らねえ。ぶっ飛ばして吐かせてやる」
「食蜂は?」
「さあな。来なかったならそれまでの関係だ」

 すでに二人とも臨戦態勢に入っていた。


「よし、こうしよう。俺にまいったって言わせたら、余計な手出しはしねえよ。
 その代わり、俺がお前をぶっ飛ばしたときは、俺のやり方でこの戦を終わらせる。
 いいよな、みこっちゃん?」
「軽い口きかないでよ」
「そういう交渉はもっと血の気のねえ輩にするんだな。こっちはムカついたらもう手が出ちまうからよ。
 御坂、早く行っておけよ。次はテメェの番だからな」

 好都合だった。とても人道的な判断じゃない。だが、垣根帝督より先に、『ピンセット』に辿り着ければ、
情報に差が生まれる。先手が打てる。
 食蜂がいないことは気がかりではあった。確実に知恵を働かせている。あるいは垣根帝督とすでに共謀しているかも。

「俺は雷神トール。学園都市の能力者とやるのは始めてだ。お手柔らかにしてくれよな」
「心配しなくてもすぐ終わる」

 それ以上は見ないようにした。どちらが勝つかは、私にとって全く問題じゃない。
誰が敵か味方か、目の前に立たれたときに対処していくしかない。
 未来を想像しても、用意していた芝居なんか、何の役にも立たないのと同じだ。

「御坂」

 去り際に、印象的な台詞が響く。

「『ピンセット』なら、持ち逃げできると思うなよ。俺をナメるな」
 
 私は何も言わずに、目的地へと走った。

_____________________


 素粒子工学については、あまりに専門的すぎて、私が知っている部分と、
おそらく第二位が知っているであろう部分の知識とでは、差がありすぎた。
 私がフォローしている領域はその一部。根幹を支えているのは第二位や第一位のような、理論分野の人間だ。
 だから私が『ピンセット』を仮に手に入れたとしても、彼らよりはその有用性を使い切れないだろう。

 研究所の人間は戒厳令に合わせて退避したようだった。
別にいようがいまいが関係なかったが、私は入り口に設営された端末から、内部の情報にハッキングをかける。

 電源は生きていた。

(すでに誰か……)

 暗号化された情報を読み解く際に、ほんの少しの人為的介入を感じる。根拠のない直感だった。
一瞬迷う。垣根帝督がトールと名乗った男とケリをつけてから行ったほうがいいか?

 ダメだ。リスクを取ってでも先んじる必要がある。私の立場では、情報の差をもって制するしかない。
非常に狡猾な人間が、一度こちら側に向けた疑いを晴らすのは容易ではないと判断した。


 すぐに内部に潜入する。情報のガードは思ったよりずっと甘かった。
職員はかなり厳重なチェックの元に配備されているらしい。
中身はザル同然の設備。物理的に破壊して侵入されることをそもそも想定されていない。

 目当ての『ピンセット』の情報も簡単に入手できてしまった。
時刻はすでに夕暮れ時を過ぎていた。疲れた。頭の冴えが鈍っている。

 廊下を走りながら、私はふと考える。

 まただ。何もかもが、都合が良すぎる。
 だけど、踊らされるしかない。意思を持った人形みたいだ、と思った。
 
 トールの言葉を思い出す。画を描いているのはアレイスターで、私は駒の中心。本当だろうか。
 
 インデックスと出会ったことで、私が物語の中心に組み込まれた。それは何となく理解できる。
あの娘が持つ力の特異性を考えれば(根本的な理解はしていないといえど)、危険因子として認識されても仕方がない。

(問題はなぜ、危険因子の私にとって、都合のいいルートを確保しているのか。
何が目的なの。ある程度まで泳がせて始末するため?)

 そもそもの話、これだけ複雑に利害関係が入り乱れた中で、
人意を超越した誘導なんて、どんな天才だろうができるはずがない。
 インデックスと私が出会ったのは今朝のことだ。偶然性も必然性も否定したくなる。
 
 と。前方から足音が聞こえた。
とっさに身を隠すことを考えるが、やめた。この歩き方は、私の存在を認知している。
 
 もったいつけた歩き方だった。足音は二つ。心拍がほんの少しだけ跳ねて、安定した。
 まだ私は冷静だった。
 
 そいつの顔を見るまでは。

「どういうこと? 私をハメたの?」

 ステイル=マグヌスは何も言わなかった。


 続いて隣に立っていた金髪が口を開く。また、金髪。
どいつもこいつも。今日は金髪に縁がある。

「お疲れさん。とりあえずはここまでだ。独りで踊ってもらうのはもう結構だぜい」

 特徴的なしゃべりをする男だった。
 金髪、サングラス、アロハシャツ。カモフラージュだ、とすぐに察知する。
現象と本質が微妙にズレている。そして、あえてそう演出している。

「うんざりなんだけど。今日だけでこのたらい回し、何回経験してると思ってるの」
 
 サングラスごしに瞳は伺えなかった。だけど、だいたいそれからの話は予測できた。

「アンタがこの物語を紡いだわけ」
「それは違う。お前の足かせを取っ払っただけだ。オレの立場を説明しておくと、こいつと同じであり、お前とも一緒。
 外での足止めは助かっただろ?」

 疲れで頭の回転が大分鈍っている。
 何重にも重ねられた相関図の整理で精一杯だ。

「さっきの金髪を差し向けて、第二位の大気演算を狂わせた?」
「間接的だが。どうしてもコンタクトが取りたかったからな」

 お手上げだ。完全に行動を読み切られている。

「混乱するさ、普通は。お前の力不足じゃない。
 そろそろ説明してやるよ。今この街で何が起きているのか。お前がやろうとしていることは、
 どういう意味を持っているのか。答え合わせだ」
「それですべてが解決する?」

 金髪の男はそれっきり押し黙り、ステイルを観た。

「少なくとも、迷いは消えるはずだ。あとは貴様次第だ、科学者」



 

今日はここまで。

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