京太郎「扉の向こう側」 淡「あはっ」(187)

扉があった。


閉まっていて、もう開かない。


それだけ。

京太郎「扉の向こう側」 照「あはっ」 - SSまとめ速報
(http://www.logsoku.com/r/news4vip/1363522032/)

弘世菫は、名門白糸台高校の女子麻雀部の部長である。

その人徳と真面目な気性、そして何より。

白糸台における最大級の爆弾、宮永照の舵を二年間曲がりなりにも握れていた実績が、彼女が選ばれた最大の理由だ。

だがそれを彼女に伝えれば、彼女は反吐を吐いてからこちらに告げるだろう。


菫「アレの舵を握れる奴なんていない」

菫「私の忠告を聞くのは、あいつの気まぐれだよ」

菫「ハンドルを握っているように見えても、そもそもだ」

菫「ハンドルもブレーキも無視するタイヤが走るのを、誰が止められる?」

菫「アレは自分が行きたい方向にしか行かないし、生きたい様にしか生きないさ」



成程。全くもって正論である。

では、どう対処するのがいいのか? という問いを彼女にすれば。


菫「関わるな」

菫「地雷は触らない内は無害だ、わざわざ触りに行くことはない」


成程。全くもって正論である。

だがその方法は、提案した彼女自身は絶対に実行できないのだ。


地雷を処理する人間が必要であるように。
蜜柑の入った箱の中から、腐った物を選り分け捨てる人間が必要であるように。


貧乏くじを引く人間は必要で、それは誰かがやらなくてはならない。


そして彼女がそうする理由を、誰かが彼女に聞けば。


菫「誰かがやらなければならない事なら、私がやってもいいだろう」

菫「好きでやってる事じゃないが、誰かにやらせようとも思わない」



そんな風に、答えるに違いない。

そんな彼女も、全国の頂点に立つ白糸台の部長。

その実力はお飾りなどではない本物だ。一流と言って良い。


菫「……」


彼女の強さの基点となるのは、人並み外れた観察力と集中力。

これを用いて、待ちを寄せ相手の浮いた牌を狙い撃つ。

それが彼女が『シャープシューター』と呼ばれる所以。

しかし。


「リーチ。ダブリーね」

菫「(……こいつも、か?)」


そんな彼女も、勝てる相手と勝てない相手は存在する。


「カン」

「ツモ。見るまでもなく裏乗って、6000オール!」

菫「(少なくとも、普通の麻雀にはなってないな……)」

二年間。

二年間、弘世菫はただ一人、宮永照を近くで見続けてきた。

離れるでもなく、近づくでもなく。

その結果、彼女は『宮永照の同類』であるのならその眼を見れば判別する事が出来るようになる。

他人には絶対に真似できない、彼女だけの特質。

無論、彼女が望んで手に入れた力ではない。

そんな彼女が、今卓の向こう側に座る新入生の眼を見た結果。


菫「大星、淡といったか」

淡「はーい?」

菫「先輩には敬語を使え」

淡「えー、二つしか歳違わないんだからスミレでいいじ」

菫「使え」

淡「……はーい、菫先輩」



弘世菫は、まだこの子は取り返しが付きそうだと、そう思った。

一方その頃、菫の胃を激しく痛める二人の内片方は。


京太郎「……」

「……」

京太郎「お茶、美味しいですね。渋谷先輩」

尭深「そ、そうだね」

京太郎「……」

尭深「……」

京太郎「あ、お茶請け買ってきたんで、どうぞ」

尭深「わ、ありがとね」

京太郎「……」

尭深「……」

京太郎「……うん、美味い」

尭深「(……落ち着くなぁ)」


呑気に暖かいお茶で、胃を安らげていた。

尭深「(……あ、お茶切れちゃった)」

京太郎「……ん? あ、お茶淹れてきますね」

尭深「あ、えと、私がほとんど飲んでたんだから、私が」

京太郎「良いですって、先輩は座ってて下さい。俺、後輩ですし」

尭深「……あっ」

尭深「(……いい子だなぁ)」


ごく普通の光景だ。
何もおかしな所はない。
そう。


尭深「(私が喋らなくても、嫌な顔しないし)」

尭深「(……ちょっと、ぺちゃくちゃお喋りするのって苦手なんだよね)」

尭深「(それに、何も話してなくてもヤな空気にならないし)」

京太郎「お茶、入りましたー」

尭深「あ、ありがとう」


彼女の認識が根本的に間違っているという点に眼をつぶれば、何もおかしな所はない。

   
この物語は。作者が別に咲キャラでやる必要なくね?なんていう至極真っ当な突っ込みすら付かねえか荒れるかのどっちかだよっ!私のSSがつまんねーのは、何もかんも政治が悪い!


などと自分の事は完全に棚に上げた上に逆上した挙句、何書いても同じなら、だったら何書いてもええやないか。いつ書くの?今でしょ!!と後ろ向きに前向きに奮起して書いたものである。

 

>>16
あ?ヘテロを咲-Saki-に持ち込むなよクズ

尭深「(……新入生は、私がお茶飲んでると変な顔するし)」

尭深「(慣れとかじゃなくて、普通に接してくれるのは嬉しいな)」


少年は笑顔だ。しかし。

……笑顔は善い物だが、笑顔の下もそうであるとは限らない。


京太郎「(この人、良い人だなぁ)」

京太郎「(良い人には、丁寧に接するのが常識だっけか)」

京太郎「(うんうん、それが普通だよな)」


例えば、目の前で転んだ子供が居たとする。

「かわいそうだ」「痛そうだ」と考えて、それから「助けてあげよう」と思うのは正常だろう。

だが、「助けるのが常識」「そうするのが普通」という思考だけで「助けてあげよう」と思うのは、明らかに異常である。

無論、そういう気持ちは誰の中にもある。
だが微塵も他人に同情していない状態で他人に向けられる善意は、普通はありえない。

まるで、人間のフリをしている人形だ。


京太郎「(この人はどうでもいい人だけど、良い人だし、優しくするのが普通だよな)」

表面上の付き合いをする内はいい。

それなら『ボロ』は出ないし、互いにいい人だという認識程度で終わる。

だが一歩踏み込めば、そのおぞましさに恐れおののく以外の結末はありえない。

ヤマアラシが考え無しに互いに踏み込めば、ただ血まみれになるだけだ。



京太郎「茶碗熱いんで、気を付けてくださいね」

尭深「あ、うん。ありがとう」


特に、相手に対して踏み込もうとしない内気な性格なら。

あまり喋らない、相手の内心を自分の中で推測して完結しがちな性格なら。


尭深「(この人、良い人だ。優しい後輩ができたなぁ)」

京太郎「(この人、本当にいい人だな)」


下手をすれば、最悪一生。


『これ』を良い人だと思って、生きていくのではないだろうか。

『腐りかけ』。

それが彼女の、とある新入生の眼を見た時の第一印象。


菫「(大星淡……まだ、たぶん手遅れじゃない。なら)」

菫「淡」

淡「なにー?」

菫「(念は押しておくべきだ。私は、そういう立場にある)」

菫「入部するにあたって、お前に一つ注意しておく事がある。それと敬語を使え」

淡「はーい」

菫「(……まあ、敬語の方はおいおい定着させていけば良いか)」

菫「いいか? 二人、お前が近付くべきじゃない人間が居る」

淡「え? なに? 危険人物ってやつ?」

菫「いや、触れなければ害はない。だから、近付くな」

淡「ふーん……? で、なんて名前?」


菫「宮永照。ここのエースと、そいつがいつも連れてるであろう須賀という――」

淡「やだ」



菫「は?」

淡「やだよ、そんなの」

菫「待て、詳しく説明をすると長くなるが、お前の為にも……」



淡「私、ここに宮永照を倒しに来たんだから」



菫「……は?」

淡「ふふん」

淡「日本人なら誰だって知ってる、高校生最強!」

淡「そいつを倒しちゃえば、誰がなんと言おうと文句なく最強でしょう?」

淡「テレビで見た時から、ずーっと思ってたんだ」

淡「挑んでみたいって、勝ってみたいって!」

淡「あの人が立ってる場所に、私も立ってみたいって!」

淡「それが私の夢。だから私、その忠告は聞けないな」



キラキラした眼で、夢を語る淡。
腐敗しかけた瞳が、その間だけは真っ当な方向に戻る淡。

そんな彼女を見て、菫は。
彼女が腐り切ってはいない理由の一端を見た、菫は。



菫「(……ああ、くそったれめ)」

菫「(本当に、ままならない)」

菫「(神なんてものが本当に居るのなら、例え雲の上だとしても撃ち抜きたい気分だ)」


苦虫を噛み潰したような顔になりそうな自分を、必死に抑えていた。

菫の心中は、嬉々として崖に向かう者を見る心境だ。

菫は黙して見るには責任感がありすぎて。
淡を止めるには、力が足りなすぎた。

言葉だけでは『彼等』の危険性を伝えるには足りなすぎて。
実際会わせるには、淡にとって危険過ぎる。

だから菫が選んだ答えは、結局ベターな選択肢。


菫「……わかった、もう止めない」

淡「マジで!? やたっ」

菫「だが一つ、条件がある」

淡「なにー?」

菫「照と最初に会う時、私も同席させてもらう」

淡「……もー、心配症だなぁ」

菫「立場に付属する責任というものがある。約束できなければ、私もしつこく食い下がるぞ」

淡「はいはい、約束するよ」

菫「……本当に、分かってるのか?」

淡「私だって、菫先輩が本気で心配して言ってくれてる事くらい分かってるもん」

菫が心配しているのは、似ているからこそ、近いからこそ淡が引っ張られる可能性。

あちら側に半歩踏み出している淡が、完全に向こう側に行ってしまうかもしれない可能性。


淡「約束する。それは、ちゃんと守るから」

菫「……そうか。それなら、良かった」

淡「何か、私のお母さんみたい」

菫「それは若く見えんということか」

淡「痛い痛い、グリグリしないでー!」

菫「(……まあ、心配は要らないか)」


こんなにも真っ直ぐなら。

こんなにも素直なバカなら、きっと大丈夫。

淡は向こう側には行かないし、自分がそうならないように止めてみせる。

弘世菫は心の片隅で、そう誓いを立てた。




彼女はこの時の見通しの甘さを、長い間後悔し、苦悩し続ける事になる。

菫「それじゃあ、私は職員室に行ってくる」

淡「いってらっしゃーい」

菫「……すまん、危なっかしいコイツを頼む」

「はい、部長」

「おまかせですよっ」


部長として、部の用事を片づけに職員室に向かう菫。
見送る淡。
菫に頼まれた、名も無き部員二人。

結果的に言えば、これが運命の分岐点だったのかもしれない。

分かれ道の良し悪しなど、行ってみなければ分からないのは当然だが。


淡「……ん? アレ、誰?」

「あー、あの子? 宮永先輩の幼馴染さんだって」

「ふっつーの子だよ。麻雀弱っちいけど。あと私達先輩だから敬語ね」

淡「ふーん……?」


道の先に崖が待っているのなら、その選択は間違いだったと、断じて言える。

――いいか? 二人、お前が近付くべきじゃない人間が居る

――宮永照。ここのエースと、そいつがいつも連れてるであろう須賀という

――照と最初に会う時、私も同席させてもらう


淡「もしかして、須賀ってやつ?」

「そうだねー。須賀京太郎君」

「部長から聞いてたの?」

淡「(……スミレとの約束は、宮永照とだけだしね)」

淡「(なら、別に良いよね? あのチャンピオンの幼馴染ってんだから、弱くはないでしょ)」

淡「(スミレがあれだけ危険視してるヤツが、どんなのかすっごく気になるし)」


結果的に言えば。


淡「よっす、そこの少年!」

淡「私も新入生なんだけどさ、ちょっと打ってみない?」


弘世菫が出かけた隙の、この一局。

 



これが彼女の人生、最後にして最大の失敗だった。



 

長くなりましたがこのSSはこれで終わりです。
ここまで支援、保守をしてくれた方々本当にありがとうごさいました!
パート化に至らずこのスレで完結できたのは皆さんのおかげです(正直ぎりぎりでした(汗)
今読み返すと、中盤での伏線引きやエロシーンにおける表現等、これまでの自分の作品の中では一番の出来だったと感じています。
皆さんがこのSSを読み何を思い、何を考え、どのような感情に浸れたのか、それは人それぞれだと思います。
少しでもこのSSを読んで「自分もがんばろう!」という気持ちになってくれた方がいれば嬉しいです。
長編となりましたが、ここまでお付き合い頂き本当に本当にありがとうございました。
またいつかスレを立てることがあれば、その時はまたよろしくお願いします!ではこれにて。
皆さんお疲れ様でした!

大星淡は、片足を邪道、もう片足を王道に突っ込んで歩いている。

扉を開きつつも、扉の向こう側の素晴らしさを知りつつも、その誘惑に負ける事無く。

今まで培って来た物をないがしろにする事も無く。

人を大事にして、人の気持ちを理解して、人に心から優しくしてきた。

そんな彼女は無邪気で、無垢で、今までの人生において無敵であった。


完全に向こう側に行ってはいないから、どちら側の気持ちも理解できる。

かと言ってこちら側でもないから、常人では歯が立たない。


そんな彼女は意識せずとも生来の性格で周囲に好かれ、彼女も周囲に好意を向ける。


腐りかけとはそういう事だ。


人の理の外側と内側の丁度境界に彼女は立っている。


夢、友情、絆、信頼、愛。
そういったものを、彼女は捨てては来なかった。


だから彼女にとって、完全に『向こう側』の人間と相対するのはこれが初体験である。

腐りかけって「くさりかけ」か
何か知らんが「ふりかけ」って読んでた

淡「(手は、抜かないから)」

淡「(弱かったら、さっさと飛んでいいよ)」

淡「リーチっ!」

「え、嘘ダブリー!?」

「安牌とか無いって、勘弁してよ……」

京太郎「(……んー)」


大星淡には、二つの武器がある。
最強の盾と、最強の矛だ。
矛盾は、その二つを一人の人間が持つのなら矛盾しない。

盾は『絶対安全圏』。
そこに最速であるダブリーと、槓裏の火力を乗せた矛。

常人であれば何も出来ず、ただ蹴散らされるだけの圧倒的な力だ。


淡「カン」

京太郎「(……どれだ?)」

淡「ツモ! ダブリー裏四、3000・6000!」

「(なんで裏ドラも見ないで、この子……)」

淡「(……なんか、期待ハズレ)」

淡「(弱っちいし、感じるものも無いし)」

淡「(同卓してる二人も、全然強くないし)」

淡「(これならスミレやセーコの方が、ずっと強かった)」

淡「(あーあ、つまんない)」


現代における麻雀のセオリーの一つに、『5向聴ならオリろ』というものがある。

配牌の向聴数の平均値が3~4であるため、そこまで配牌が悪いのならいっそ切ってしまえ、というものだ。

この事からも、絶対安全圏の『他人の配牌を5向聴以下にする』という特性の強力さが伺える。

加えてダブリーに、役を問わない槓裏。
待ちは読めない上に、高火力。まったくもってふざけるなという能力だ。

能力者でなければ抗う事すら出来ず、生半可な能力であれば蹴散らされる。


まるで、王者となるべくして創られたかのような能力だ。


京太郎「凄いな、お前」

淡「ん?」

京太郎「『それ』でそこまで強いなんて」

淡「ふふん。まーね、それほどでもあるかな」

京太郎「何か、目標でもあったりするのか?」

淡「もっちろん。アンタにも関係あることだしね」

京太郎「俺?」

淡「私の目標は、打倒宮永照!」

淡「そんでもって、テッペン取る事!」

淡「そのためにも、もっと強くならないとね!」

京太郎「……? お前、強くなりたいのか?」

淡「あったりまえでしょ。強くなりたくない奴なんて居るの?」

京太郎「そうか……強くなりたいのか」


小さな親切。


京太郎「分かった。俺も手伝おう」


大きなお世話。

淡「……あれ?」


違和感。
それは、手牌が来る直前に感じた事。

今まで手の中にあったものが、すっぽりと抜けてしまった感覚。
掴めていたものが、急に遠くに行ってしまった感覚。

そして、体内をまさぐられるような不快な悪寒。


手牌を見た瞬間、その正体の一端を彼女は理解した。


淡「(……テンパってない!?)」

淡「(え、ウソ、なんで!?)」


そうしようと、彼女が思ったにも関わらず。

彼女の手牌は、配牌の時点で聴牌してはいなかった。


淡「(三人の捨て牌を見る限り……うん、絶対安全圏は、発動してると思う)」

淡「(何……なんなの、これ)」

じわり、じわりと、呑まれる。
足首から泥沼に浸かっていて、徐々に沈んでいく。

そんな感覚だけが、この卓を包んでいく。


淡「(手が……進まない)」

淡「(向聴が、変わらない)」

淡「(ありえないって、これ)」


大星淡の配牌時の向聴は、4向聴。
そして6巡目の現在。彼女の手牌は、いまだ4向聴のままだった。

不動の向聴。何をしようが、一向に手が進まない悪夢。
一度向聴をわざと戻してもみたが、次のツモで戻ってしまった。


淡「(……気持ち悪い)」

淡「(やだ、気持ち悪い)」


足元から這い上がってくる不快感。

蟻の群れが、肌の上を這いずりまわっている錯覚。

大星淡は、この悪夢の発生源をいまだに理解出来ていない。

淡「(……流、局)」

淡「(結局、何も出来ないまま、流局)」


淡「ノーテン」

「……ノーテン」

「……ノーテン」



京太郎「テンパイ。連荘だな」



淡「……え?」

淡「……ああ、そういう事」

淡「アンタ、だったんだ」

京太郎「? どうした」

淡「なんて、言うかさ」



淡「……私より終わってる人、この眼で見たの初めてかも」

気付けば、周りを見る余裕もできる。


淡「(私と、アイツ以外の二人)」

淡「(ひっどいことになってる)」


熱くもないこの部屋で、汗だくになって震える手で牌を掴む二人の名も無き部員。

……冷や汗、である。

滝のように流れる冷や汗が服を濡らし、椅子に垂れ、水滴となって床に落ちている。

脱水症状で死んでしまうのではないか、とばかりの汗。

語るべくもない。彼女達は、淡よりも先にこの卓の本当の異常さに気付いていたのだから。


淡「(私の、絶対安全圏は……)」

淡「(途中から発動すら、してなかった)」


この卓で、本当に全員の配牌を支配していたのは。
他人の向聴を完全に固定し配牌で聴牌するという、淡にも出来ない事をしてのけたのは。


淡「(この、死骸みたいな笑顔の男)」

京太郎「流局だな。テンパイ」

淡「ノーテン」

「…ノーテン」

「…ノーテン」

京太郎「連荘だな」


他家全員の向聴を固定して、自分だけは聴牌できるのなら。
理論上、永遠に連荘を続けられる。

あくまで理論上だ。小学生が考えるような稚拙な論理。

だがその論理が、今現実としてこの場所にある。

これを悪夢と呼ばずして、何を悪夢と呼ぶのだろうか。


淡「(これ、もしかしてずっと続けるつもり?)」

淡「(誰かが、飛ぶまで)」


牌を山から取る。切る。牌を山から取る。切る。
これをただひたすら四人が、山が尽きるまで続ける作業。

これを麻雀と、呼んでいいのだろうか?

霞「咲の魅力はキャラクターの多さなの」

霞「様々な人が、色々なキャラクターを好きになっているわ」

霞「それを欲望のために汚すような行為は、当然反感を買うことになるのよ」

牌を切る音だけが流れる。

鳴いても無駄だ。結果的に、向聴は戻ってしまう。
よって全員、流れるまで無言となる。

牌を取って、切って、流れるのだけの作業。
既にこの卓を囲む四人の内二人は、心が折れている。

しかし、折れていない者も居る。


淡「(こんな所で折れてちゃ、てっぺんまで届かない!)」

淡「(私の目標は、もっと高いんだ)」

淡「(こんな所で躓いてなんて……!)」


そんな彼女の諦めない、強く輝く思考は。



京太郎「これも、閉じておくか」



そんな彼の発した、意味の分からない言葉で停止した。

淡「(……あれ?)」


大星淡も、扉を開けた人間だ。
だから扉と鍵という概念も、しっかりと分かっている。


淡「(……あれ?)」


だから彼の言葉から扉を連想し、ふと見直してみた。
自分の扉。自分の中の、自分を構成する要素である扉。


淡「……あれ?」


気付けば、何故か扉が片っ端から閉じられている。
閉じた覚えはない。閉じる理由がない。


淡「……あれ?」


そして、気付く。


目の前の男が牌を打つ度に、己の扉が一枚締まっていく事に。

淡「やめて」


鍵を持つ者なら、開く事も閉じる事も出来る。
そしてこの瞬間、須賀京太郎は鍵を司る力に関して、大星淡の上位に居た。


淡「やめてよ」


閉じられていく。もう開けない。
本人の意志と関係無く。


淡「やめて、やめて」


家族愛。
中学時代の友人。
進路の相談に乗ってくれた先生。
優しい近所の住人。

それらに対する感情が、扉を閉められる度に、削がれていく。


淡「やめてってば」


愛も、友情も、信頼も、絆も。
人間の中にある、扉の向こう側にあるものの一つでしか無い。

須賀京太郎しまっちゃうおじさん説

淡「お願いだから、やめて」


彼がこの卓をこういう状況にした目的は、ただ一つ。
時間が必要だったのだ。予想以上に、淡の中の『余分』な扉が多かったために。


淡「やめて、やめて、やめて」


もう逃げる事すら出来ない。
全員足に根が生えてしまったかのように、立ち上がる事すら出来ない。
ただ、牌を切っていくしか無い。


淡「だめ、だめだってば、やめて、お願い」


そして彼の手番が来れば、彼女の扉が一つ閉まる。

彼女の大切なものが、扉の向こう側に取り残される。


淡「いや、いやだ、いやだってば!」



そして彼女の心も、一つ欠ける。

なんか背中がむず痒くなってくる文章だな

京太郎「ああ、分かるぜその感覚。すっげー怖いんだよな、自分が自分でなくなるみたいで」

京太郎「大丈夫だ、最初は怖いけどそのうちだんだんどうでも良くなるから」

京太郎「そしてその内、余分なものが無くなって、素晴らしい景色が視えるようになる」

京太郎「経験者の体験談だ、信じろよ」

淡「そんな事して欲しいなんて、頼んでない!」

京太郎「? 強くなりたいんだろ?」

京太郎「それなら足を引っ張る余分な扉は閉めて、さっさと扉の先に進んだほうが早いんだよ」

京太郎「お前は俺より見込みがあるのに、俺より弱いのがその証拠だ」

淡「余分なものなんかじゃない! 私には大切なもので、捨てたくなんかない!」

淡「こんなものまで捨てたら、本当に『人間』じゃなくなっちゃう!」

淡「だからやめてってば! 私は、こんな――」




京太郎「大丈夫だ。やる前は俺もそんな事言ってたけど」

京太郎「やった後はどうでも良くなって悩む事も無くなった奴が、ここにいるだろ?」

京太郎「心配するな。終われば、どうでもよくなる」

京太郎「強くなりたいんだよね?なら『余分』な扉はどんどん閉まっちゃおうねー」

淡「もうダメだぁ……」

淡「こんなの、麻雀じゃない……!」



京太郎「何言ってんだ、これも麻雀だろ?」



京太郎「麻雀って楽しいよな。一緒に楽しもうぜ」

薄れていく。
彼女の中の大切だったものが、薄れていく。



家族の顔を思い出す。
……?
あれ、私の家族、こんなのだったっけ?
なんか、他人の家族の写真見てるみたい。


あれ、中学の時私の友達だった奴って、男だっけ?女だっけ?名前なんだっけ?
まあいいや、どうでもいいし。
親友がどうでもよくたって、別に何か変わるわけでもないしね。


今日、夢とかなんか先輩に語った気がするけどなんて言ったんだっけかなー。
昨夜の晩御飯は思い出せるんだけど、ううん。
まあいいや。思い出せないって事は、どうでもいいってことだし。


あ、色違いの扉だ。
さっさと開けて、追いつかないと。


あー。



扉の向こう側は、やっぱ良いなぁ。

淡「……」

京太郎「ハッピーバースデー」

淡「……」

京太郎「おめでとう、大星淡」

淡「……」

京太郎「お前は今日一度死んで、生まれ変わった」

淡「……」

京太郎「気分はどうだ?」

淡「……最っ高」

京太郎「悪いな、乱暴なやり方になった」

淡「良いよ、別に」




淡「そんなどうでもいいことより、続き打たない?」



結果だけを言わせてもらうのなら。その卓は、僅差で淡が勝利した。

菫「……なんだ、これは」

菫「何故、こうなった」

菫「私か? 私が……私が、悪いのか!?」


帰って来た彼女を迎えたのは、新入生の生意気な後輩でもなく。
日常風景である、白糸台女子麻雀部の練習風景でもなく。

彼女の想像の遥か上を行く、悪夢の光景。



淡「キョータロー、ちょっと椅子に座ってよ」

京太郎「ん? まあいいけどよ」

淡「よいしょっ」

京太郎「……なんで、俺の膝の上にわざわざ座る」

淡「座布団無いし」

京太郎「我慢しろよそのくらい!」

淡「えー、役得だって素直に喜びなよ」


目の輝きが、穢され朽ちて腐り果て、終わり果てた少女の眼。

京太郎「いやー長野→東京間の移動とかマジで死ぬわ」

京太郎「路線だとサイレントヒルのほうが近いんだっけか……まぁ、いいや」


俺の名は須賀京太郎。
最近のトレンドだと、『何の変哲もない普通の少年』とでも言うべきなのだろうか。


京太郎「ビバ、東京!」

京太郎「……ビバってもう死語なんだっけか」


白糸台駅とかいう駅の前に、俺は立っている。
シンプルな駅だが、シンプルは良い事だ。

新宿駅は間違った方向の進化だと俺は思う。



京太郎「時代の流れと最近の若い子の事情は分からんな」

京太郎「……いや、俺も若い子じゃねーか。何言ってんだ俺」

東京(こっち)に来たのは、進学のためだ。


別に俺は地元で近場の通学の楽な偏差値そこそこの高校にでも良かったんだが……


知り合いに誘われて、白糸台とかいう学校を受けてみた。受かってた。
そんなこんなで、「友達と同じ学校に行きたかったので」
みたいな一昔前の頭のゆるい子みたいな理由で進学先を決めてしまった。


デーモン小暮閣下だって早稲田出てんだぞ!
オリエンタルラジオの片割れだって慶應出てるんだ!
お前らが笑ってる小島よしおですら早稲田出てるんだぞ!
ムツゴロウさんなんて伝説の雀士の上、東大出だ!


と、説得に叫ぶ教師を見たのも今は昔。


今やアレらと同類だ。嘆くべきなのだろうか。




京太郎「っと、人探し人探し」

京太郎「えっと、『そのうちハゲそうな苦労人臭のする凛とした美人』だっけか」

京太郎「ちょっとは役得だと思ってるけどな、前が見えねぇんだよ」

淡「……重い?」

京太郎「軽いぐらいだ、そっちは心配すんな」

淡「そっか、よかったー」

京太郎「……なんか、いい匂いするな」

淡「ちょ、かがないでよっ、エッチ!」

京太郎「お前から座っといてなんつー言い草だ」

菫「……おい」

京太郎「あ、弘世先輩」

菫「お前、これは、一体どういう」

淡「あ、菫先輩。お疲れ様です。用事はどうでしたか?」

菫「……!!」


敬語。

菫「お前、その、敬語は」

淡「あれ? 敬語を使えと言われたのでそうしたんですが……どうかしましたか?」

菫「(くたばれ、照)」

菫「(人をパシリか何かと勘違いしてないか、アイツ)」

菫「(……一応、私は部長なんだがなぁ。だが、アレに言っても詮は無いか)」

菫「はぁ……」


部長である自分が一部員の指示で人を迎えに行っているという現状。
しかも話を聞く限り、100%私情な理由で、だ。

だが、断れない。

仕方無い。

仕方無いんだ。


菫「(『あの』照の幼馴染、か。どんな人外だ)」

菫「(『見れば分かる』とは言われたが、私にも許容範囲というものがある)」

菫「(腕が四本あったり、口が三つも四つもあったりするのは勘弁して欲しいな)」



そうであっても、照の幼馴染なら別に私は驚かないが。

宮永照に家族以外の人間の知人が存在すると聞いたその時点で、私の脳の驚く部分は麻痺しているだろうし。

菫「(探すのなら、人物的特徴よりもっと手っ取り早いものもあるしな)」

菫「(この時間、この駅の前で、不自然に浮いてる学生服を探せばいい)」

菫「(ほら、あっという間に見つかっ――)」


どれ、眼が三つあるのか。耳が四つあるのか。

その顔を拝見しようと、歩いて近づき……少年が振り向いて、私と目が合う。


京太郎「あ」

菫「あ」

京太郎「(『そのうちハゲそうな苦労人臭のする凛とした美人』だ)」

菫「(……ああ、なるほど)」


確かに。

確かにこれは、あの照の幼馴染だ。

これなら、確かに間違えない。



菫「(……濁ってはいないが、腐り果ててる眼だ)」

京太郎「ここが、白糸台高校ですか」

菫「ああ。荷物はそれだけか?」

京太郎「先に宅配便で送ってましたので。寮の方に届いてんじゃないですかね」

菫「そうか、それならいい。この後に何か予定は?」

京太郎「特に無いですね。あえて言うならジャンプ読みにコンビニ行きますけど」

菫「後にしろ。ちょっと顔を貸せ」

京太郎「……屋上ですか。告白ですか」

菫「違う」

京太郎「体育館裏ですか。俺をシメるんですか」

菫「違う」

京太郎「じゃあアレですか。桜の木の下で……」

菫「黙って聞け。酷薄に首を絞めて桜の木の下に埋めるぞ」

京太郎「はい、すみません」



菫「照に言われてるんだよ。まず自分の下に連れて来いと」

二次創作だしそんな深く考えんでも

普通だ。
その眼以外は、普通だ。

良かった、照よりまともだと。

なんとかなるかもしれないと、そう思っていた。


京太郎「へー、照ちゃんに?」

菫「ああ。照に機嫌を損ねられると、私が困る」

京太郎「ははっ、野生の虎にでも接してるみたいですねー」

菫「……」

京太郎「よくそんなノリで、照ちゃんと仲良く出来ますね」

菫「慣れだ、慣れ」

京太郎「おお、すげえ。流石照ちゃんの友達」



菫「……友達?」



だがそれは、きっと儚く散る願いに終わる。
そんな、不思議で怖気のする確信があった。

口調が、癖が、性格が。

そんなに簡単に、変わったりするものだろうか?

否、変わらない。だからこそ菫も、淡の口調を時間をかけて強制しようと思っていた。

しかし、菫につきつけられた現実は。


菫「(……ああ、そうか。淡)」

菫「(お前はもう、本当に……)」


そして、変えたのは。


菫「(照は向こう側ではあるが、この部で同類を増やした事はない)」

菫「だが、お前は……」

京太郎「? ええと、何か御用ですかね?」


菫「(……お前は。お前達は)」

菫「(この世に、存在すべきじゃない)」

菫「(お前達が在る事自体が、絶望的に間違っている)」

菫「友達と言ったか、今」

菫「笑わせるな。それに、虫酸が走るだろう」


『アレ』と、友達?
それは流石に、許容できない。否定せずには居られない。
悪寒と寒気が、同時に襲って来て気持ちが悪い。


菫「あんなのと友達になろうなんて『人間』が、居るわけ無いだろう」

菫「だからお前も、必然的に『人間じゃない』」

菫「違うか?」


普通じゃない人間に対して普通の言葉を向けるのは、その時点で普通じゃない。
だからコイツも、普通じゃない。

人外を友と呼び、意思疎通し、分かり合える『人間』が居るのは、物語の中だけだ。


京太郎「……あはっ、ひっでー。傷付きましたよ、せんぱーい」


そんな彼が、ニッコリと笑う。
普通の表情。普通に整った顔。普通に安心させる笑顔。

だが腐りきった眼がその真ん中にあるだけで、全て一切合切台無しだった。

菫「ここが、白糸台の女子麻雀部の部室だ」

京太郎「へー、ここが……」

菫「まあ、君がよくお世話になるだろう場所は男子麻雀部の方だろうが」

京太郎「でも多分、照ちゃんにけっこう呼ばれると思うんですよね」

菫「だろうな」

京太郎「ご迷惑をお掛けします」

菫「私に、そんな心にも無い事を言ってもしょうがないだろうに」

京太郎「あ、そうですかね?」

菫「そうだ。……ただいま、皆」


部室内は牌を打つ音と擦れる音、自動卓の稼働音。
そこに人の声が混ざった音で満ちている。

そんな音が一瞬止まり、一斉にこっちを向いた。

「あ、部長!」
「お帰りなさいませ!」
「お疲れ様です!」


ここが私の居場所。……叶うなら、こういう手合いには一生晒したくはない場所だ。

「部長、宮永先輩から言付けです」

菫「聞かせてくれ」

「『先生に呼ばれたから行ってくる。待たせておいて』だそうです」

菫「私は使用人か何かか……?」


「わ、私達はそんな風に思ってませんよ!」
「そうです! 宮永先輩が特殊なだけですって!」
「部長を尊敬してない奴なんて、この部には絶対に居ません!」


良い仲間が集まった部だと、私は思う。
同級生も後輩も、先月卒業した先輩も良い人達だった。
だからこそ、浮くのだ。


異端は正常の中に在ってこそ、その存在を知らしめるのだから。


「あれ? その後ろの子、誰ですか?」
「新入生? 男子?」
「部長の知り合いですか? 弟さんとか?」


菫「ああ、こいつはな――」

例え話をしよう。とある宗教には、全知全能と定義された神が居る。

しかしその神は、全知全能でありながら『悪』であるサタンという悪魔を生み出した。
悪として生まれた、悪になった、悪を行った、それは関係ない。

善く在れと、善く生きろと全ての存在に命じたにも関わらず、生み出したのだ。


神が全知全能であるのなら、神が許さなかった存在は生まれない。ならば何故なのか?


それはつまり、『悪』であっても存在する事だけは許されるという事。

『悪』は否定され、いつか滅ぼされるものであっても、存在を否定される程のものではないという事だ。


必要悪という言葉が存在する時点で、それは当たり前の事。


でなければ、『贖罪』という概念の意味が分からなくなってしまう。


だが。それでも、存在を否定されるべき存在は居る。


菫「(悪でもなく、善でもなく。そのどちらにも存在を否定されるであろうお前達は)」

菫「(在るべきじゃないんだ、この世界に)」

菫「(……誰にも、止められないのか)」

「何の冗談だ」「嘘」
「ひっ」「笑えない」
「何それ」「勘違いとか」
「ありえないって」「夢?」


そんな小声の囁きが、そこかしこから出始める。
静寂が保たれたのは、その一瞬のみ。
喋っていないと正気を保てない、そんな様相だ。

その気持ちは、痛いほど分かる。


京太郎「はじめまして、皆さん」

京太郎「須賀京太郎と申します。何かとお世話になるかもしれませんが、よろしくお願いします」


普通だ。
普通に丁寧で、好感の持てる挨拶。

だが。
だが、前提が。

あの宮永照の関係者という前提が皆の頭にある、それだけで。

目の前のこうべを垂れる少年の行動が、ただの茶番にしか見えなくなる。


肌が粟立つほどに、気持ち悪い。

菫「……亦野、ちょっと来い」

誠子「へ? あ、はい」

菫「済まないが、私は少しだけ所要で席を外す。好きに見学していてくれ」

京太郎「りょーかいです」

部室に都合よくいてくれた亦野を連れて廊下へ。
話をあの少年に聞かれたくはなかったし、頼みたかった事もある。

亦野が居てくれて助かった。
少なくとも、適当な人物を探す手間は省けたし。


誠子「弘世先輩、さっきのあれどういう……」

菫「手伝え、亦野」

亦野「は?」

菫「危険物を処理するのなら、まずそれがどの程度の威力なのか確かめないと話にならん」

菫「照を基準にして、それ以下か、最悪同格か、無害の部類に入るのか」

菫「お前の実力を見込んで、頼みたい。……協力してくれ」

誠子「……先輩が人を頼るなんて、本当に珍しいですよね」

誠子「分かりました。私に出来る事なら、喜んで」

「あー、弱っちいねー。須賀君」

京太郎「一応小学校の時から打ってはいるんだけどな」

「才能とか大きいからね……でも、麻雀は好きなんでしょ?」

京太郎「そりゃ、好きじゃなきゃ長続きしないさ」

「よくあの宮永先輩を見てて麻雀やめる気にならなかったね」

京太郎「他人は他人、自分は自分だろ?」

「宮永先輩が入学した年から、毎年何人もうちの部やめてるんだけどねー」

「須賀君は立派だよ、立派」



菫「……なんだ、これは」


確かに。
確かに、『目を離すと何が起こるか分からない』と思って早めに帰ってきたのだが。

これは確かに、予想外だ。

色々嫌な予想はしていたが、それは全てマイナス方向であって。


この短時間で部に馴染むなど、想定の範囲外だった。

何で性格まで変わったの?

とりあえず、彼の周りに物珍しげに集まっている部員の一人を捕まえて話を聞かなくては。


菫「おい、何があったんだ」

「あ、部長。暇だから誰か一局相手してくれませんか、って彼が言い出しまして」

菫「それで?」

「最初は恐る恐る何人か、と言った感じでメンツ集めて、打ち出しまして」

菫「雀力は、どの程度だと思った?」

「……正直、あの宮永先輩の知人というのはガセなんじゃないでしょうか」

菫「……」

「初心者に毛が生えた程度です。高校から麻雀を始めた子達と、大差はないですね」

菫「そう、か」

「で、注目されてた分どっと来た安心感で皆絡み始めまして。あんな感じです」

菫「……ふむ」

「まあ、アレですよね。事前情報だけで人となりを把握するのは、やっぱダメだってことで」

菫「……かも、しれないな」

誠子「……どうします?」

菫「すまん、『念の為』、頼む」

誠子「分かりました。ですけど、本当にあっち側なんですかね?」

誠子「目が腐ってるとか、弘世先輩以外には分からない感覚なんですよ?」

菫「ああ、苦労をかけるな」

誠子「貴女は先輩で、私は後輩です。お気になさらず」


京太郎「……あ、お帰りなさい。早かったですね」

菫「ああ、待たせたな。すまないが、コイツも混ぜてやってくれ」

誠子「どうも」

京太郎「あ、どうも」

菫「二年だから、お前の先輩にあたるな。亦野誠子だ」

誠子「よろしく」

京太郎「よろしくお願いします!」



菫「(……さあ、どう転がったものかな)」

――何度か、彼を狙ってみてくれ

――分かりづらいように、数回でいい

――私は彼の後ろで、彼の打ち方を見ている

――少し揺さぶった後は、お前の判断に任せる


誠子「(……そのぐらいなら、お茶の子さいさいだけれども)」

誠子「(どう見ても素人だよなぁ、この少年)」

誠子「(気が引けるけど、弘世先輩との約束だし)」

誠子「チー」


鳴く。
河から、私の武器を釣り上げる。

だから早い。速さには自信がある。

誰かが言った、『麻雀には一巡に四回ツモの機会がある』は至言だと思う。



誠子「ロン。5800」

京太郎「うわっ」

菫「(……こう言っては何だが、本当に弱いな)」

菫「(牌効率もなってない。押し引きも壊滅的だ)」

菫「(スジすら理解してないんじゃないのか、これは)」

菫「(……これは、彼に悪いことをしたか?)」


誠子「ロン。5200」

京太郎「うわっ、直撃二回目」

「須賀君捨て牌無警戒だし、そりゃそーなるって」

「亦野も大人気ないなー」



集まっていた部員を練習に戻らせながらも、彼の一挙一動を見逃さない。

……だが、彼は想像を下回っていた。
それ自体は彼には悪いが、私にとっては良い事だ。
それは、間違い無い。


だが。

菫「(この卓を囲む三人と、私)」

菫「(今彼を見ているのは、この四人だけだ)」

菫「(……だが、確信がある)」


今四人全員が、同じ違和感を彼に感じている。


菫「(もっと、彼は……)」


『強い』、はずなんだ。

そんな意味も無い、根拠も無い感覚と確信が在る。


自分達を蟻とするのなら、人間が蟻に圧倒されている光景を見るような。


蟻にかけっこで負け、力比べで負け、ズタボロにされている人間を見るような。


そんな違和感と、恐怖と、嫌悪感が在る。


……『危険だ』。

何がヤバいのが分からないのが、『危険だ』。

誠子「しかし、それだけ長い間打ってるのに上達しないのか、難儀だな」

京太郎「まあ、そこら辺はしゃーないですよ」

誠子「麻雀初心者の一番の上達法は、上手い人の真似だって言うけど」

京太郎「真似ですか。そう言えば、やった事無いですね」

誠子「ふーん……ああ、それなら」

菫「(……!)」


瞬間、弘世菫の背筋に走る特大の悪寒。

やめろ、と。制止の声も間に合わず。

亦野誠子は、自分の地獄の扉を開き、その向こう側を見た。



誠子「私の真似をしてみるってのも、いいのかも」

誠子「まだまだ未熟だけど、鳴きの上手さだけなら自信があるし」





京太郎「あ、じゃあお言葉に甘えて」

突然だが、『扉』と聞いて諸君は何を思い浮かべるだろうか。

扉は開くもの。鍵があれば開くもの。その向こう側に新しい世界が広がっているもの。

それこそが扉の本質だと、俺こと須賀京太郎は思う。


昔、ある日から俺は『扉』が見えるようになった。

手の中には、いつだって『鍵』が在った。


眼の前に在る扉を、鍵で開いてみる。

その扉を開いた瞬間、それが何かをようやく理解した。


この扉は、人間なら誰でも持っているものだ。
全ての人間に、この扉は等しい数、等しい大きさで存在する。


開く扉。
その扉は自分の中に在って、その扉を俺は自分で開いている。
だから、世界が広がるのは『俺自身』だ。





その日の麻雀で、俺は今までやった事もないハイテイを半荘に三度和了った。

この扉は、『人間に出来る事』だ。

「人を思いやる事」だとか、「50m泳ぎ切る事」だとか、「自転車に乗る事」だとか。

そういう、人間が出来る事が目に見えている。

扉が開けば、それが出来るようになる。

そういう事。


手元にある鍵は、それを開く鍵だ。

それらには『努力』『才能』『指導』『絆』『経験』と、それぞれ名が付いている。

それらを使って、人は扉を開ける。

鍵があれば、扉を開く事が出来る。

そういう事。


つまり人生とは、扉を開け続ける事。


扉の向こう側を求め続ける事。


当時小学生ながら、シンプルな真理は俺の中に染み渡った。

菫「(……ああ、本当に、同類だった)」

菫「(人の気持ちが分からない辺りが、特に)」

京太郎「チー」


三度鳴いて、和了る。
この卓を囲む四人の内、二人が同じ行動を取る。

それでも、速度に差が出る。


京太郎「ロン。2000」

誠子「……」

菫「(……腐ってる)」

菫「(本当に、こいつらはどうしようもなく腐ってる)」

菫「(他人が大切にしてる物を、無自覚で踏みにじる)」

菫「(和了るのが早い理由は、単純明快で……)」



京太郎「あの」

誠子「……何?」

菫「(ああ、やっぱりあっち側か)」

分かってない。
分かってない。

どこまで行っても、分かってない。

結局こいつも照と同じで、『扉の向こう側』に居る。

扉を間に挟んでいるから、『こっち側』を理解していない。

こっち側の声は掠れてしか聞こえていないし、表情は見えていないし、気持ちは伝わらない。

扉をなまじ選んで開けてきたから、『優しさ』とか『気遣い』とか、そんな扉を開けて来なかった。

腐ってる。腐り切っている。

人が大切にしているもの、努力で磨いてきたもの。

人が尊ぶべき道徳、常識、善性、それら全てを貶めている。

それら全てを、『価値の無い物』だと断じた過去を積み上げてきている。


否定しながら、蹂躙しながら、この生き物は生きている。

こんな狭い学校に、そんな生き物が二匹も居る。


菫「(なんの、冗談だ)」

京太郎「あ、トビましたね」

誠子「……」

菫「……須賀」

京太郎「はい?」

菫「おまえ、この惨状をどう思う」

菫「亦野を見ろ。俯いて、泣いている」

菫「左右の二人を見ろ。お前を見る、その怯えきった目を見ろ」

菫「私を見ろ。私が今、どういう目でお前を見ているか見ろ」

菫「どう思った」

京太郎「んー」



京太郎「女の子の涙は胸が痛みますね。女を泣かせないのが、男の役目だと思います」



本気で言っている。嘘偽り無く、本気で言っている。
だから、私は……ほんの少しだけ抱いていた更正の希望を、諦めた。

菫「(……ああ、本当に。こいつらは……『終わってる』)」

他人が大切に思うもの、善き物だと思う物。

それらの価値が分からない。当然だ。
大人が何年間もかけて子供に築きあげさせる倫理や常識の価値が、子供に分かるわけがない。

そして一度切り捨てれば、二度と戻っては来ないのだ。
そして彼等は、切り捨てた。

彼等はもう、そんな扉を開けようとはしない。


努力の過程がないから、手に入れた力に頓着がない。

数十年誰かが磨いた力をあっさり手に入れ、あっさり捨てる。

二人はずっと、そうやって生きてきた。



『扉を開けるのが人間の本質』だと思う二人は、自分達を正常だと思っている。



ただ、周囲に理解を得られていないだけで。



自分達は正常だと、思っている。

だから、こんなにも無能。

普通の扉を、二人は開けてこなかった。


だから、こんなにも無垢。

二人には、一切の邪心も悪意もない。


だから、こんなにも無敵。




人間に出来る事なら、何だって出来る。






だから、こんなにも無残。






そんな、在り方。

京太郎「男子麻雀部ってどっち?」

照「もう行くの? 私、もっと京くんとくっついてたい気分なんだけど」

京太郎「そりゃまあ、会ってなかった期間は長かったけど……」

照「お願い」

京太郎「……まあ、いっか。学校の案内しつつ、ゆっくり行こう」

照「うんうん、素直な君は大好きだよ」

京太郎「じゃあ普段の俺は、素直じゃないから嫌いなのか」

照「勿論」

京太郎「あらら」


扉を開けて、向こう側に行って、その向こう側を二人は見た。
そして、終わった。
この二人は、そこでどうしようもなく終わってしまった。
だが、終わらなかった者、踏み留まった者もいる。


照「そういえばさ」

京太郎「うん?」

照「咲は、どう?」

誠子「……すみません、情けない所を見せてしまって」

菫「構わない。むしろ、私が謝るべきだ」

菫「お前の好意に甘えず、私が自分で行くべきだった」

誠子「いえ、そんな……たぶん、誰が行こうとどうしようもなかったと思いますよ」


この卓を囲んだ三人と、菫と照にしかあの少年の本質は理解出来ていない。
先程まで彼を囲んでいた大半の部員たちは、「ちょっと変わってるけど麻雀の弱い少年」程度の認識から変わっていない。

だけど彼女達は、それを声高に叫ばない。
叫ぶ意味が無いと、その眼で見なければ本質的に理解できないと、そう分かっている。

いずれ、誰もが知る事になるのには変わりがないというのに、それを先延ばしにしようとする。

それほどまでに、悍ましかった。友人に、グロ画像を嬉々として見せるものが居るだろうか?

つまりはそういうことだった。
善意が源泉の現実逃避、先延ばし。


誠子「ああ、二人目なんて、笑い話にもならない……」

菫「……二人で、すめばいいがな」

誠子「はい?」

菫「もう一部の新入生は入部届を出しに来ている。その中に、女子の方の新入生に一人だけ」

つづく。見切り発車

総合スレで「今日のIDの数字がすこやんの年齢超えてたらSS書く」とか言って流れで書いた。約十二時間前の事でした

書き溜め終わる前に始めてスマンな
どうにかなるだろ程度の認識だった


京太郎+咲キャラ二人でゾイドやらウルトラマンやらを語ってたSSも結局投げ出しちまったし、完結は期待するない


このお話は皆で分かり合って互いの考えを理解できるようになってしまうお話だよ、00だよ


鍵があれば他人の扉も開けられるから、咲が照の、照が京太郎の扉を開けたのが発端


そんな京太郎が、誰かの扉を開けて行く話


ある種の幸せスパイラル



扉の向こう側に皆で行こうっていう、夢のある話




あ、支援感謝。支援してくれてる人には頭が上がらんね

京太郎「いやー長野→東京間の移動とかマジで死ぬわ」

京太郎「路線だとサイレントヒルのほうが近いんだっけか……まぁ、いいや」


俺の名は須賀京太郎。
最近のトレンドだと、『何の変哲もない普通の少年』とでも言うべきなのだろうか。


京太郎「ビバ、東京!」

京太郎「……ビバってもう死語なんだっけか」


白糸台駅とかいう駅の前に、俺は立っている。
シンプルな駅だが、シンプルは良い事だ。



新宿駅は間違った方向の進化だと俺は思う。





京太郎「時代の流れと最近の若い子の事情は分からんな」



京太郎「……いや、俺も若い子じゃねーか。何言ってんだ俺」

東京(こっち)に来たのは、進学のためだ。


別に俺は地元で近場の通学の楽な偏差値そこそこの高校にでも良かったんだが……


知り合いに誘われて、白糸台とかいう学校を受けてみた。受かってた。
そんなこんなで、「友達と同じ学校に行きたかったので」
みたいな一昔前の頭のゆるい子みたいな理由で進学先を決めてしまった。


デーモン小暮閣下だって早稲田出てんだぞ!
オリエンタルラジオの片割れだって慶應出てるんだ!
お前らが笑ってる小島よしおですら早稲田出てるんだぞ!
ムツゴロウさんなんて伝説の雀士の上、東大出だ!


と、説得に叫ぶ教師を見たのも今は昔。



今やアレらと同類だ。嘆くべきなのだろうか。



京太郎「っと、人探し人探し」



京太郎「えっと、『そのうちハゲそうな苦労人臭のする凛とした美人』だっけか」

菫「(くたばれ、照)」

菫「(人をパシリか何かと勘違いしてないか、アイツ)」

菫「(……一応、私は部長なんだがなぁ。だが、アレに言っても詮は無いか)」

菫「はぁ……」


部長である自分が一部員の指示で人を迎えに行っているという現状。
しかも話を聞く限り、100%私情な理由で、だ。

だが、断れない。

仕方無い。

仕方無いんだ。


菫「(『あの』照の幼馴染、か。どんな人外だ)」

菫「(『見れば分かる』とは言われたが、私にも許容範囲というものがある)」

菫「(腕が四本あったり、口が三つも四つもあったりするのは勘弁して欲しいな)」



そうであっても、照の幼馴染なら別に私は驚かないが。

宮永照に家族以外の人間の知人が存在すると聞いたその時点で、私の脳の驚く部分は麻痺しているだろうし。

菫「(探すのなら、人物的特徴よりもっと手っ取り早いものもあるしな)」

菫「(この時間、この駅の前で、不自然に浮いてる学生服を探せばいい)」

菫「(ほら、あっという間に見つかっ――)」


どれ、眼が三つあるのか。耳が四つあるのか。

その顔を拝見しようと、歩いて近づき……少年が振り向いて、私と目が合う。


京太郎「あ」

菫「あ」

京太郎「(『そのうちハゲそうな苦労人臭のする凛とした美人』だ)」

菫「(……ああ、なるほど)」


確かに。

確かにこれは、あの照の幼馴染だ。

これなら、確かに間違えない。



菫「(……濁ってはいないが、腐り果ててる眼だ)」

京太郎「ここが、白糸台高校ですか」

菫「ああ。荷物はそれだけか?」

京太郎「先に宅配便で送ってましたので。寮の方に届いてんじゃないですかね」

菫「そうか、それならいい。この後に何か予定は?」

京太郎「特に無いですね。あえて言うならジャンプ読みにコンビニ行きますけど」

菫「後にしろ。ちょっと顔を貸せ」

京太郎「……屋上ですか。告白ですか」

菫「違う」

京太郎「体育館裏ですか。俺をシメるんですか」

菫「違う」

京太郎「じゃあアレですか。桜の木の下で……」

菫「黙って聞け。酷薄に首を絞めて桜の木の下に埋めるぞ」

京太郎「はい、すみません」



菫「照に言われてるんだよ。まず自分の下に連れて来いと」

普通だ。
その眼以外は、普通だ。

良かった、照よりまともだと。

なんとかなるかもしれないと、そう思っていた。


京太郎「へー、照ちゃんに?」

菫「ああ。照に機嫌を損ねられると、私が困る」

京太郎「ははっ、野生の虎にでも接してるみたいですねー」

菫「……」

京太郎「よくそんなノリで、照ちゃんと仲良く出来ますね」

菫「慣れだ、慣れ」

京太郎「おお、すげえ。流石照ちゃんの友達」



菫「……友達?」



だがそれは、きっと儚く散る願いに終わる。
そんな、不思議で怖気のする確信があった。

菫「友達と言ったか、今」

菫「笑わせるな。それに、虫酸が走るだろう」


『アレ』と、友達?
それは流石に、許容できない。否定せずには居られない。
悪寒と寒気が、同時に襲って来て気持ちが悪い。


菫「あんなのと友達になろうなんて『人間』が、居るわけ無いだろう」

菫「だからお前も、必然的に『人間じゃない』」

菫「違うか?」


普通じゃない人間に対して普通の言葉を向けるのは、その時点で普通じゃない。
だからコイツも、普通じゃない。

人外を友と呼び、意思疎通し、分かり合える『人間』が居るのは、物語の中だけだ。


京太郎「……あはっ、ひっでー。傷付きましたよ、せんぱーい」


そんな彼が、ニッコリと笑う。
普通の表情。普通に整った顔。普通に安心させる笑顔。

だが腐りきった眼がその真ん中にあるだけで、全て一切合切台無しだった。

菫「ここが、白糸台の女子麻雀部の部室だ」

京太郎「へー、ここが……」

菫「まあ、君がよくお世話になるだろう場所は男子麻雀部の方だろうが」

京太郎「でも多分、照ちゃんにけっこう呼ばれると思うんですよね」

菫「だろうな」

京太郎「ご迷惑をお掛けします」

菫「私に、そんな心にも無い事を言ってもしょうがないだろうに」

京太郎「あ、そうですかね?」

菫「そうだ。……ただいま、皆」


部室内は牌を打つ音と擦れる音、自動卓の稼働音。
そこに人の声が混ざった音で満ちている。

そんな音が一瞬止まり、一斉にこっちを向いた。

「あ、部長!」
「お帰りなさいませ!」
「お疲れ様です!」


ここが私の居場所。……叶うなら、こういう手合いには一生晒したくはない場所だ。

「部長、宮永先輩から言付けです」

菫「聞かせてくれ」

「『先生に呼ばれたから行ってくる。待たせておいて』だそうです」

菫「私は使用人か何かか……?」


「わ、私達はそんな風に思ってませんよ!」
「そうです! 宮永先輩が特殊なだけですって!」
「部長を尊敬してない奴なんて、この部には絶対に居ません!」


良い仲間が集まった部だと、私は思う。
同級生も後輩も、先月卒業した先輩も良い人達だった。
だからこそ、浮くのだ。


異端は正常の中に在ってこそ、その存在を知らしめるのだから。


「あれ? その後ろの子、誰ですか?」
「新入生? 男子?」
「部長の知り合いですか? 弟さんとか?」




菫「ああ、こいつはな――」

「何の冗談だ」「嘘」
「ひっ」「笑えない」
「何それ」「勘違いとか」
「ありえないって」「夢?」


そんな小声の囁きが、そこかしこから出始める。
静寂が保たれたのは、その一瞬のみ。
喋っていないと正気を保てない、そんな様相だ。

その気持ちは、痛いほど分かる。


京太郎「はじめまして、皆さん」

京太郎「須賀京太郎と申します。何かとお世話になるかもしれませんが、よろしくお願いします」


普通だ。
普通に丁寧で、好感の持てる挨拶。

だが。
だが、前提が。

あの宮永照の関係者という前提が皆の頭にある、それだけで。

目の前のこうべを垂れる少年の行動が、ただの茶番にしか見えなくなる。


肌が粟立つほどに、気持ち悪い。

菫「……亦野、ちょっと来い」

誠子「へ? あ、はい」

菫「済まないが、私は少しだけ所要で席を外す。好きに見学していてくれ」

京太郎「りょーかいです」

部室に都合よくいてくれた亦野を連れて廊下へ。
話をあの少年に聞かれたくはなかったし、頼みたかった事もある。

亦野が居てくれて助かった。
少なくとも、適当な人物を探す手間は省けたし。


誠子「弘世先輩、さっきのあれどういう……」

菫「手伝え、亦野」

亦野「は?」

菫「危険物を処理するのなら、まずそれがどの程度の威力なのか確かめないと話にならん」

菫「照を基準にして、それ以下か、最悪同格か、無害の部類に入るのか」

菫「お前の実力を見込んで、頼みたい。……協力してくれ」

誠子「……先輩が人を頼るなんて、本当に珍しいですよね」

誠子「分かりました。私に出来る事なら、喜んで」

「あー、弱っちいねー。須賀君」

京太郎「一応小学校の時から打ってはいるんだけどな」

「才能とか大きいからね……でも、麻雀は好きなんでしょ?」

京太郎「そりゃ、好きじゃなきゃ長続きしないさ」

「よくあの宮永先輩を見てて麻雀やめる気にならなかったね」

京太郎「他人は他人、自分は自分だろ?」

「宮永先輩が入学した年から、毎年何人もうちの部やめてるんだけどねー」

「須賀君は立派だよ、立派」



菫「……なんだ、これは」


確かに。
確かに、『目を離すと何が起こるか分からない』と思って早めに帰ってきたのだが。

これは確かに、予想外だ。

色々嫌な予想はしていたが、それは全てマイナス方向であって。


この短時間で部に馴染むなど、想定の範囲外だった。

とりあえず、彼の周りに物珍しげに集まっている部員の一人を捕まえて話を聞かなくては。


菫「おい、何があったんだ」

「あ、部長。暇だから誰か一局相手してくれませんか、って彼が言い出しまして」

菫「それで?」

「最初は恐る恐る何人か、と言った感じでメンツ集めて、打ち出しまして」

菫「雀力は、どの程度だと思った?」

「……正直、あの宮永先輩の知人というのはガセなんじゃないでしょうか」

菫「……」

「初心者に毛が生えた程度です。高校から麻雀を始めた子達と、大差はないですね」

菫「そう、か」

「で、注目されてた分どっと来た安心感で皆絡み始めまして。あんな感じです」

菫「……ふむ」

「まあ、アレですよね。事前情報だけで人となりを把握するのは、やっぱダメだってことで」

菫「……かも、しれないな」

誠子「……どうします?」

菫「すまん、『念の為』、頼む」

誠子「分かりました。ですけど、本当にあっち側なんですかね?」

誠子「目が腐ってるとか、弘世先輩以外には分からない感覚なんですよ?」

菫「ああ、苦労をかけるな」

誠子「貴女は先輩で、私は後輩です。お気になさらず」


京太郎「……あ、お帰りなさい。早かったですね」

菫「ああ、待たせたな。すまないが、コイツも混ぜてやってくれ」

誠子「どうも」

京太郎「あ、どうも」

菫「二年だから、お前の先輩にあたるな。亦野誠子だ」

誠子「よろしく」

京太郎「よろしくお願いします!」



菫「(……さあ、どう転がったものかな)」

今四人全員が、同じ違和感を彼に感じている。


菫「(もっと、彼は……)」


『強い』、はずなんだ。

そんな意味も無い、根拠も無い感覚と確信が在る。


自分達を蟻とするのなら、人間が蟻に圧倒されている光景を見るような。



蟻にかけっこで負け、力比べで負け、ズタボロにされている人間を見るような。



そんな違和感と、恐怖と、嫌悪感が在る。




……『危険だ』。



何がヤバいのが分からないのが、『危険だ』。

突然だが、『扉』と聞いて諸君は何を思い浮かべるだろうか。


扉は開くもの。鍵があれば開くもの。その向こう側に新しい世界が広がっているもの。

それこそが扉の本質だと、俺こと須賀京太郎は思う。


昔、ある日から俺は『扉』が見えるようになった。

手の中には、いつだって『鍵』が在った。


眼の前に在る扉を、鍵で開いてみる。

その扉を開いた瞬間、それが何かをようやく理解した。



この扉は、人間なら誰でも持っているものだ。


全ての人間に、この扉は等しい数、等しい大きさで存在する。



開く扉。
その扉は自分の中に在って、その扉を俺は自分で開いている。
だから、世界が広がるのは『俺自身』だ。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom