ボールペン「ご主人様と出会ったのは、2年半ほど前でしょうか」
ボールペン「町はずれの文房具屋で、買い手もつかないまま店頭に並んでいた頃」
ボールペン「隣の赤ペンさんや青ペンさんはどんどん買われていくのに」
ボールペン「私を買ってくれる人はなかなか現れなくて」
ボールペン「入荷したら早いうちに売れる黒ペンさんがうらやましくてたまらなかったあの頃」
ボールペン「真新しい制服に身を包んで」
ボールペン「四角のはっきりしたスクールバッグをしょったご主人様がやってきて」
ボールペン「黒ペンさん、赤ペンさん、青ペンさんと一緒に」
ボールペン「私も一緒に買ってくれましたね」
ボールペン「お店で買われていくみんなを見て」
ボールペン「私もいつか、いいご主人様に巡り合いたい」
ボールペン「お役に立ちたいと思っていました」
ボールペン「でもようやく」
ボールペン「抱き続けてきた夢が」
ボールペン「やっと叶いました」
ボールペン「試し書きだけで私の人生が終わるんじゃないんだって」
ボールペン「とっても嬉しかったんですよ?」
ボールペン「でも」
ボールペン「学校の授業で黒板にチョークで字を書くときは」
ボールペン「白、黄、赤の3色までしか使わない先生が多くて」
ボールペン「私の出番はなかなかありませんでした」
ボールペン「筆箱の中からご主人様のお役に立っている赤ペンさんたちを見て」
ボールペン「あんな風にお役に立てればなぁって思ってました」
ボールペン「筆箱のチャックが開くたび」
ボールペン「いつもドキドキします」
ボールペン「今日は使われるんじゃないかな」
ボールペン「ご主人様のお役に立てる時が来たんじゃないかなって」
ボールペン「でも、その指は」
ボールペン「赤ペンさん、青ペンさんを手に取ってしまうんですよね」
ボールペン「赤ペンさんと青ペンさんのインクがどんどん減っているのを見て」
ボールペン「ご主人様に愛されているんだなぁとうらやましく、悲しくなります」
ボールペン「キャップの内側に着いたインクの染みも」
ボールペン「赤ペンさんたちは、こんなに汚れちゃったよとぼやくけど」
ボールペン「私にはそれがどうしても活躍の証に見えてしまって」
ボールペン「悔しくなって」
ボールペン「自分を使ってもらうために」
ボールペン「筆箱の揺れにまぎれて赤ペンさんたちを筆箱の底に追いやって」
ボールペン「私が一番上になるようにもしました」
ボールペン「でも、ご主人様は私を押しのけて行ってしまいましたね」
ボールペン「そんなある日」
ボールペン「筆箱の口の隙間から不機嫌そうなご主人様が見えました」
ボールペン「キャップを閉められ、少し乱暴に筆箱に押し込められてきた赤ペンさん」
ボールペン「私を見ると、赤ペンさんは悲しそうな顔をして言いました」
ボールペン「"僕、もうそろそろだめかも"って」
ボールペン「その瞬間」
ボールペン「ご主人様に筆箱から私を取り出して」
ボールペン「"しょうがないからこっちでいいか"といいながらキャップを外しました」
ボールペン「やっとでご主人様のお役に立てる時が来たのに」
ボールペン「筆箱の向こうで悲しむ赤ペンさんを想うと、」
ボールペン「どうしても喜びきれませんでした」
ボールペン「赤ペンさんの代わりとして取り出された今の私も、」
ボールペン「進んで求められて筆箱から出てきた存在でないのだと悲しくなりました」
ボールペン「翌日」
ボールペン「新しい赤ペンさんが筆箱にやってきました」
ボールペン「"先輩、よろしくお願いします!"」
ボールペン「青ペンさんと私に挨拶をする新入りの赤ペンさん」
ボールペン「キャップもピカピカでインクもいっぱい」
ボールペン「あの頃が懐かしいなぁなんて青ペンさんは笑ってるけど」
ボールペン「私は、ずっと何も変わらない」
ボールペン「インクも減らないし、キャップも汚れてない」
ボールペン「私は、全然先輩なんかじゃないよ・・・。」
ボールペン「黒ペンさんはご主人様の胸ポケットでいつも行動を共にしていて」
ボールペン「赤ペンさんは授業になると、いの一番で飛び出していく」
ボールペン「青ペンさんは赤ペンさんのいいパートナーで」
ボールペン「緑ペンの私は・・・」
ボールペン「・・・」
ボールペン「いったい何なんだろう・・・?」
ボールペン「ご主人様に買われてから1年が経ちました」
ボールペン「私のインクが1㎝減るまでの間に」
ボールペン「何回新しい赤ペンさんと青ペンさんがやって来たでしょうか」
ボールペン「先輩と呼ばれた相手に、何度先に筆箱から旅立たれたでしょうか」
ボールペン「筆箱の中で他の人たちとぶつかる痛みにももう慣れました」
ボールペン「赤ペンさん、青ペンさんのインクが切れた後の、」
ボールペン「つかのまの間に合わせとして私の出番が来ることにも慣れました」
ボールペン「私はそういう生き方をご主人に求められるのなら」
ボールペン「私はそうやって生きていきます」
ボールペン「ずっとお店で誰にももらわれずに並んでいるよりは」
ボールペン「その方がずっと幸せだと思ったから」
ボールペン「夏休みの直前の7月」
ボールペン「私は頻繁に筆箱から取り出されるようになりました」
ボールペン「筆箱の隙間から見ていましたが、」
ボールペン「ご主人様には好きな女の子が出来たんです」
ボールペン「相手は、席替えで隣になってから教科書をよく見せてくれた子です」
ボールペン「告白しようと思いましたが、なかなか言葉にすることが出来ず、」
ボールペン「手紙で想いを伝えようとして、私を手に取ってくれました」
ボールペン「今回は、赤ペンさんや青ペンさんの代わりじゃなく」
ボールペン「私を緑ペンそのものとして使ってくれました」
ボールペン「それだけで、私は十分すぎるほどに嬉しい気持ちだったんです」
ボールペン「"シャーペンだと味気ないし、」
ボールペン「赤ペンだととげとげしい。」
ボールペン「青ペンだと冷たく見えるけど、」
ボールペン「緑だったらやわらかい感じがするから"」
ボールペン「少し不器用なご主人様は、他に色を付けようとせず、」
ボールペン「何度も何度も私だけを使って手紙を書いてくれましたね」
ボールペン「鉛筆で下書きしてもいいのに、」
ボールペン「練習の時からいきなり緑ペンなんてびっくりしましたけど、」
ボールペン「一生懸命なご主人様のためなら、いくらでも頑張れました」
ボールペン「試行錯誤を重ねてようやく手紙が書きあがった頃には」
ボールペン「これまでのペースで2か月分ほどの量のインクが減っていました」
ボールペン「気が付くと、キャップにも私の緑のインクの染みがついていました」
ボールペン「ずっと憧れてたこの汚れや減り具合」
ボールペン「ちょっと疲れたけど、とても清々しかったのを覚えています」
ボールペン「放課後、その手紙を私て隣の席の子に告白し」
ボールペン「めでたくお二人が付き合うことになった日の夜」
ボールペン「赤ペンさん、青ペンさんたちには」
ボールペン「"先輩、さすがっすね~!"って褒められて」
ボールペン「壁に掛けられた制服の胸ポケットから、わざわざ黒ペンさんが"おめでとう!"って言ってくれました」
ボールペン「恥ずかしかったけど、とても嬉しくてたまりませんでしたよ」
ボールペン「ご主人様のキューピッドになれたような気がしてね」
ボールペン「それから毎日が変わりました」
ボールペン「彼女さんへのプレゼントに添えるバースデーメッセージや」
ボールペン「クリスマス、ホワイトデーなどのお手紙で」
ボールペン「私の出番がどんどん来るようになりました」
ボールペン「お二人にとって大事なライフイベントで、」
ボールペン「こんなにご主人様に必要にされるとは1年前の自分からでは想像できませんでした」
ボールペン「そして相変わらず練習一発目から本番の勢いで緑ペンを使うご主人様」
ボールペン「大抵失敗するのに、何度も何度も私を使って一生懸命書いてくれました」
ボールペン「クリスマスプレゼント、ホワイトデーのプレゼントに添えた手紙で」
ボールペン「彼女さんが喜んでくれると、私もとっても嬉しかったんです」
ボールペン「でも私にも、とうとうその時が来てしまいました」
ボールペン「字が、書けなくなってきたんです」
ボールペン「インクがかすれるようになって、」
ボールペン「せっかくのお手紙がところどころかすれてしまいます」
ボールペン「ガリガリこすれるような、削れるような感触が、」
ボールペン「そのままご主人様に伝わって、眉が逆ハの字になるご主人様」
ボールペン「こんなところで書けなくなったら」
ボールペン「ご主人様の大事なお手紙が台無しになってしまう」
ボールペン「それだけはなんとしても避けたいと思いました」
ボールペン「ティッシュにこすりつけたりペン先を温めるうちに」
ボールペン「インクが柔らかくなって少しずつ力が出るようになってきました」
ボールペン「しかし、書き進めるうち、何度も文字がかすれて」
ボールペン「そのたびご主人様はペン先に息を吐きかけます」
ボールペン「この手紙は、いつもとは違う手紙」
ボールペン「1年前に同じように手紙を書いて付き合うことになってから1周年記念の手紙」
ボールペン「ご主人様は私のインクの量を見て、残りがもう少ないことを感じ、」
ボールペン「いつもやる下書きを飛ばして頭の中で整理した言葉を全力で綺麗に書こうとしてくれます」
ボールペン「せめてそのお気持ちに応えたい。」
ボールペン「1周年記念のこの手紙に、ご主人様が一番伝えたい言葉を敷き詰められるように。」
ボールペン「残り僅かな力を絞って」
ボールペン「ご主人様の思いを果たしたいと思いました」
ボールペン「書き始めて1時間が過ぎた頃」
ボールペン「ご主人様の心のこもった手紙が出来上がりました」
ボールペン「かすれるのを必死にこらえ、」
ボールペン「なんとか最後の一文字までつなげることが出来ました」
ボールペン「でも・・・」
ボールペン「私に残された力は、もうありませんでした」
ボールペン「今まで筆箱の中から数々の別れを見てきました」
ボールペン「私もきっとゴミ箱に適当に投げ捨てられるのかと思いました」
ボールペン「でもご主人様は、」
ボールペン「先に行ったみんなみたいに投げ捨てるようなことはせず、」
ボールペン「私を惜しみながらゴミ箱にそっと入れました」
ボールペン「薄れゆく意識の中で、」
ボールペン「手紙を封筒に詰め、感慨深げにため息をついたご主人様を見て」
ボールペン「あの時ご主人様に買われてよかった、」
ボールペン「ご主人様の思い出を彩ることができたと思いました」
ボールペン「どこにでも売ってる198円のボールペンですが」
ボールペン「ご主人様の大事な思い出に寄り添えたこの2年半は」
ボールペン「とても200円やそこらで買えるようなものではありませんでした」
ボールペン「なかなか使ってもらえず寂しかった1年半、」
ボールペン「好きな子のために一生懸命になるご主人様と過ごした1年間」
ボールペン「私にとっては、あっという間の2年半でした」
ボールペン「ご主人様、」
ボールペン「ご主人様にとって、私はお役に立ちましたか?」
ボールペン「大切な思い出を飾るお手伝いを、きちんと出来ていましたか?」
ボールペン「まだまだ一緒に暮らしたかったですが、」
ボールペン「インクがなくなる時が、ボールペンの人生の終わりなんです。」
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