高山紗代子「敗者復活のうた」 (344)

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「……よーちゃん……」

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     『私は敗者だった』

高山紗代子(17)
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高山紗代子「今度は……今度こそは……2度あることは3度あった落選だけど、これまで7回チャレンジしてこれが最後……七転び八起きで今度こそ!」

真壁瑞希「ずいぶんと、気合いが入っていますね」

紗代子「きゃっ!?」

瑞希「これは驚かせてしまったようで、申し訳ありません。私、真壁瑞希と申します」

紗代子「あ、い、いいえ。私こそ緊張してて。えっと、瑞希……ちゃんもこのオーディションに参加を?」

瑞希「はい。こういう場は初めてなので、緊張しています……ドキドキ」

紗代子「そうは見えないんだけど……ううん、私いつもオーディションだと緊張してるから……あ、私は高山紗代子。今日はよろしくね」

瑞希「はい。どうやら同じぐらいの年齢で、同じように緊張しておられるようでしたので、つい話しかけてしまいました。ご迷惑……だったでしょうか?」

紗代子「ううん。むしろちょっとホッとしたよ。ありがとう」

瑞希「いいえ……先ほど高山さんは『私いつも』とおっしゃいましたが、もう何度もオーディションを受けているんですか?」

紗代子「う……うん。でも一度も通ったことがなくて……だから私、今回を最後にしようと、全力でオーディションを受けようって思っているの」

瑞希「最後……ですか?」

紗代子「もう7回も落ちてて……もちろん、アイドルになるって夢はあきらめられないけど、さすがに七転び八起きでも受からないとなると……」

瑞希「なるほど。わかりました、私も高山さんを見習って全力でオーディション受けてみます」

紗代子「一緒に合格できるよう、がんばりましょうね!」

瑞希「はい」

紗代子「……いつかも、こうだったっけ」

瑞希「? なんでしょう、高山さん」

紗代子「あ、な、なんでもないの! あ、私が呼ばれてるみたい。じゃあ……行ってくるね」

瑞希「はい……一緒に合格して、一緒にがんばりましょう」

紗代子「うん!」


紗代子「13番、高山紗代子です。よろしくお願いします!」

「今回は残念ながら……」

 面接官の言葉は、非情だった。
 さすがに紗代子も、その後どこをどう辿って家に帰り着いたのかを覚えてない。
 気がつけば、部屋にいた。
 ベッドに突っ伏し、涙を枕に吸わせていた。

紗代子「七転び八起きでもダメだったな……やっぱり私じゃあ、アイドル……なれないのかな……」

『そんなことない!』
 いつもなら出てくるその言葉が、今日の紗代子には出せなかった。
 ダメでも次がある! 次こそはがんばろう!!
 オーディション落ちも、最初の3回まではそれでもそうやって自分を鼓舞してきた。
 三度目の正直と勢い込んだ、3回オーディションに落ちてもまだ大丈夫。
 それが、4回5回と重なる度、さすがに心中穏やかにならなくなった。
 少しだけ弱音を吐き、溜息をつくようになる。
 心の隅に押し込んできた、生来の後ろ向きでネガティヴな自分が顔をもたげてくる。
 そしてとうとう今日、紗代子は決定的ともいえる落選を宣告された。

「私には……無理なんじゃないかな? だって私は特別な事なんかなんにももってないし、だから誰が見ても私は落選だったじゃない?」

 そう問いかけてくる自分を、これまでは必死の努力でまた押し込めてきた。

紗代子「そんなことない! 私はできる!! 私はやれる!!! あの子が……待ってるんだから」

 だが今夜の紗代子には、それもできなかった。
 それだけに最後の望みとして、一番憧れているアイドル事務所……765プロのオーディションを受け、そして不合格だったのだ。

 この日、高山紗代子はアイドルへの挑戦という道が途絶えた。
 望んでいた、願っていた未来へと羽ばたけない自分に絶望するしかなかった。

 結局、ほとんど一睡もできぬまま朝が来た。
 リビングで顔を合わせた弟が何かを言いかけるが、紗代子の顔色と表情を見て押し黙る。
 自身も一言も発せぬまま、紗代子は家を出た。
 正直、学校に行くような気分ではなかったが、かといって体調不良でもないのに学校を休むわけにはいかなかった。
 その時だ。

紗代子「あれ? スマホ……鳴ってる? はい、もしもし?」

「……」

紗代子「あの、もしもし?」

 知らない番号からの着信は、無言電話だった。
 普段なら「こういうことはやめてください」とでも紗代子なら言っただろうが、落ち込んでいる今の彼女にはその元気が出せなかった。
 無言で着信を切る。
 が、暫くするとまた同じ番号から着信が入る。

紗代子「もしもし?」

「……」

 やはり無言。
 少し怖くなり、慌てて紗代子は着信を切る。

紗代子「イタズラ電話……かな? なんかやだな、次かかってきたら着信拒否にしよう」

 そう言っている間に、またスマホが鳴る。
 ため息をついて着信拒否をしようとした紗代子だったが、ディスプレイを見てハッとする。
 かけてきたのは先ほど2回の番号ではなく、昨日のオーディション前に登録したばかりの765プロの代表番号だった。
 ドクンと心臓が鳴る。
 もしかして……

音無小鳥「もしもし? 私、765プロの音無と申しますが、高山紗代子さんでいらっしゃいますでしょうか?」

紗代子「は、はい! 私です、高山紗代子です!!」

小鳥「昨日は、弊社の新人アイドル候補生オーディションにご参加いただき、ありがとうございました」

紗代子「い、いえ」

小鳥「それでですね、そのオーディション結果につきまして、昨日は多忙にて立ち会えなかった弊社のプロデューサーの1人が録画していたオーディションを見て、高山紗代子さんのことを『逸材かも知れない』と、こう申しておりまして」

紗代子「本当ですか!?」

小鳥「先ほどもその件につきまして直接、高山紗代子さんのケータイ……スマホにかけてみたそうなんですが、あいにくプロデューサーの出先の電波状態が悪いみたいで繋がるけれど会話ができないと連絡がありまして」

紗代子「あ、さっきの着信はそうだったんですね。私、イタズラ電話かなにかかと思ってしまって」

小鳥「ご心配をおかけして申し訳ありません。それでそのプロデューサーが申すには、オーディション結果を覆す格好になるが、自分の責任で高山紗代子さんを候補生の1人に加えたいとのことなんですよ」

紗代子「本当に……本当ですか? ありがとうございます!」

小鳥「高山紗代子さんにご異存がなければ、本日にでも……もちろん学校が終わった後に昨日の会場、765プロ劇場においでいただけませんでしょうか?」

紗代子「もちろんです! あの……ありがとうございます!! 本当にありがとうございます!!!」

小鳥「いいえ。こちらこそ、色々とご心配をおかけいたしました。では、765プロ劇場にて高山紗代子さんをお待ちしております」

 道ばたで、何度も何度も紗代子は頭を下げた。
 通話を終えて目に入ったのは、いつもと同じ見慣れた風景であるはずの通学路が、まるで金色のように、そして極彩色のように輝いた景色だった。
 終わったと思っていた。
 諦める努力を始めなくちゃ。
 そう思っていた心に、一筋の光が降ってきた。
 昨日まで、いや先ほどまでの惨めな気持ちから一転、紗代子は生き返った気がしていた。
 輝く景色の中を、紗代子は学校に向かって走り出した。


小鳥「三者間通話で聞いてましたよね? これで良かったんですか?」

「……」

小鳥「プロデューサーさん? もう、私にまで……え?」

 気がつくと、小鳥のデスクのパソコンに通知サインが出ている。
 通知を開くと、メッセージが入っていた。

『いいです。ありがとうございます』

小鳥「通話は繋がってるんですから、わざわざメッセージで送らなくても……あ、プロデューサーさん?」

 ツーツーツー。

小鳥「プロデューサーさん……」

 小鳥はため息をついた。

 その日の授業は、まったく頭に入ってこなかった。
 生来まじめな紗代子としては、それが良くないことだとはわかってはいたが、それでもアイドル候補生になれたことに浮かれている自分を責めることはできなかった。
 幼少の頃からの夢。そして約束。
 それが現実になる道が、最後の望みも断たれて途絶えたはずの道が、繋がったのだ。
 学校が終わると紗代子は、夕日に染まる駅へと走っり、そのままの勢いで765プロへと急いだ。

瑞希「なんと……驚きました。高山さんではありませんか」

紗代子「あ、瑞希ちゃん。こんにちは」

瑞希「どうされたのですか……いえ、昨日は失礼しました」

紗代子「え?」

瑞希「挨拶もせずに、帰ってしまいました……いえ、しようとは思ったのですが、高山さんがひどく落ち込んでおられたので……私はてっきり高山さんはオーディションに落ちたのだと思って声をかけられなかったのです……早とちりだぞ瑞希」

紗代子「ううん。気にしないで。それに私、瑞希ちゃんの言う通り昨日は落選だったんだ」

瑞希「はて。昨日は……ということは、今日は違うということですか?」

紗代子「うん! それがね、びっくりなんだけど今朝電話がかかってきて、プロデューサーの1人の眼鏡にかなって候補生になれる、って」

瑞希「そうだったのですか。おめでとうございます。私も……高山さんが一緒で嬉しいです」

紗代子「私も。これからも一緒に、がんばろうね」

青羽美咲「はい。みなさん、こんにちは。本日みなさまに今後のことをご説明させていただく青羽美咲と申します。よろしくお願いいたします」

 その場にいた複数名の娘たち……おそらくは紗代子と同じアイドル候補生であろう全員が挨拶を返す。

美咲「まずは、当事務所の事と契約等に関することなどの資料をお渡しします。呼ばれた方は、取りに来てくださいね。それでは、篠宮可憐さん……豊川風花さん……真壁瑞希さん……」

 読み上げられていく名前。が、青羽と名乗った事務員さんが全員分の資料を配り終えても、紗代子の名前は呼ばれない。

紗代子「あの……私、まだ呼ばれていませんけど」

美咲「え? あれ? ええと失礼ですが、お名前は……」

紗代子「高山紗代子です。あの、昨日はオーディション落選だったんですけど、今朝……その……」

 急に不安に駆られる紗代子。
 もしかしてあれは、イタズラの類だったのかな?
 でもちゃんと、765プロからの電話だったし……

美咲「高山……紗代子さん?」

高木社長「失礼するよ」

 そう言って、全身真っ黒な男性が入ってくる。

美咲「あ、どうしてこちらへ?」

高木社長「うむ。完成した劇場を見ておきたかったのと、大事な用件もあってね。ええと、もしかしてその娘が……」

美咲「あ、それがその、こちらの方が……」

高木社長「いや、私が来た理由というのがまさにそれでね。君が、高山紗代子君だね?」

紗代子「あ、はい、えっと、あの、ありがとうございます!」

高木社長「え?」

紗代子「私を見込んでくださったそうで。一旦はもうダメかと思ったんですが、プロデューサーのお陰で夢が繋がりました。私、なんてお礼を言えばいいのか……」

高木社長「ああ。違う違う」

紗代子「え?」

高木社長「私じゃないんだよ。君を合格にしたのは」

紗代子「あ、そ、そうなんですか?」

美咲「こちらは当765プロの社長、高木順二朗さんです」

紗代子「ええっ!? す、すみませんでした!!」

 紗代子が頭を下げると同時に、候補生達は全員立ち上がる。

高木社長「いやいや、みんなそう固くならなくていいからね。そうか、君が高山紗代子君か。いや、我が765プロの優秀なプロデューサーの1人が、映像の君を見て『この娘だ!』っていうものでね」

紗代子「あの、それでそのプロデューサーは……?」

高木社長「えーと……うむ、彼は多忙な人間でね。なかなかここには来られなかったりするんだ」

紗代子「そう……なんですか」

高木社長「だから、とりあえずレッスンなどは他の娘と一緒にやってもらう。そして随時、君には彼から連絡があるはずだ」

紗代子「わかりました。私、がんばります」

高木社長「ああ」

紗代子「私を見つけて……認めてくださったプロデューサーの為にも、がんばります!」

高木社長「……私から彼に、君がそう言っていたと伝えよう」

美咲「じゃあ社長さん、彼女も間違いなく合格者だったんですね。ごめんなさい。資料は後からまたお渡しいたします」

紗代子「いいえ。もとはといえば私が昨日きちんと合格していれば良かったんですから。そして、これからよろしくお願いします!」

美咲「はい。では説明を続けますね。まずは劇場を案内いたします」

高木社長「ではみんな、今後ともよろしく頼むよ。全員アイドルとしての高み、トップアイドルを目指してくれたまえ」

 765プロの新人アイドル候補生たちは頷くと、美咲に連れられてその場を去っていく。
 それを見届けてから、高木社長はポツリと呟いた。

高木社長「確かに、全然違うタイプの娘みたいだね……」


紗代子「ふうー……劇場、すごい設備だったなあ。私もいずれ、あのステージに立つのかな……あ、ううん! 立つんだ。そのためにがんばらなきゃ」
 
 わずか1日、昨日と今日で目指す目標が全然違う。
 昨日の自分は、夢との決別を悩んでいた。
 それがとうだろう。今日の自分は、夢への歩み方を考えている。

紗代子「これも全部、プロデューサーのお陰だ。今日……会えなかったけど、どんな人なんだろう」

 その時、スマホから着信音が流れた。
 発信先は、今朝と同じ765プロからだ。

紗代子「はい。高山です」

小鳥「こんばんわ。今朝はどうもお世話になりました、音無です」

紗代子「こちらこそありがとうございました。今もまだ、少し信じられない気持ちです。私が、765プロの練習生になれるなんて」

小鳥「全部紗代子ちゃんの才能……あ、ごめんなさい、馴れ馴れしく呼んじゃって」

紗代子「あ、いいんですよ。765プロの人にそう呼んでもらえると、本当に自分もその一員になれたんだ、って思えますし」

小鳥「そう? じゃあ、これからも紗代子ちゃんって呼ばせてもらうわね。それで紗代子ちゃんの担当プロデューサーさんなんだけど」

紗代子「あ、はい」

小鳥「実は今ね、えっと……海外に行ってるのよ」

紗代子「そうなんですか? それで電波も繋がりにくかったんでしょうか」

小鳥「そ、そうかも知れないわね。だから今は紗代子ちゃんに会うことはできないんだけど、レッスンの様子は全て録画してプロデューサーさんに、ネット経由で送ることになってるの」

紗代子「え、それって毎日ですか?」

小鳥「そうよ。その上で指示とかを紗代子ちゃんに送りたいって言ってるんだけど……どうかしら?」

紗代子「ええ、私はそれで構いませんけど、海外の仕事でお忙しいのに 私のレッスンまで目を通してもらってなんだか悪いですね」

小鳥「まあ……そこは気にしなくてもいいと思うわ」

紗代子「え?」

小鳥「あ、ああ、ええと、仕事なんですから。それがプロデューサーさんの」

紗代子「? ともかく、私は構いませんよ」

小鳥「それじゃあ紗代子ちゃんのメアドを教えてもらえるかしら」

紗代子「はい」

 口頭でメアドを小鳥に伝えると、すぐに確認のメールが届いた。

小鳥「うん、間違いないわね。じゃあプロデューサーさんにも、伝えておくから」

紗代子「よろしくお願いします! あ、それから……」

小鳥「なにかしら?」

紗代子「ありがとうございます……って、伝えていただけますか」

小鳥「……それはプロデューサーさんからの連絡に、直接した方がいいと思うわ」

紗代子「あ、そうですね。わかりました」

小鳥「じゃあ、私はこれで」

紗代子「はい。ありがとうございました」

 通話を切ると、ものの十数秒でメールの着信がある。

紗代子「もしかしてプロデューサーかな? あ、やっぱり」

 件名は『プロデューサーより』となっており、さっそく本文を開いてみる。

『これはビジネスだ』
 それが最初の一文だった。
『君は本来、合格者ではない』
 続く言葉も、厳しい内容が続き、思わず紗代子は身を固くする。
『あらゆる面で、君は基本的な基準を満たしてはいない。だが……』
 そこまで読んで、昨日の自分が帰ってくる。
 絶望の底で、全てが否定され、明日という夢を見る権利も無くした、そんな自分が本来の自分なのだ。そう、昨日と今日とで自分は何も変わっていない。昨日の絶望は、何も変わらず厳然として目の前にいる。
『君には将来性がある。少なくとも――私はそう感じた』
 そう、だからこそ自分は、この救いの手に感謝をしている。昨日の自分を、今日の自分にしないように。
『今後、レッスンに私が目を通し、都度都度指示を与える。こういうやり取り故に、細かな質問や疑問は一切受け付けない』
 紗代子は頷いた。もとよりそのつもりだ。
 自分を信じてくれたこの人を、自分も信じよう。そう思っていた。
『私の指示にさえ従えば、君もトップアイドルになれる。明日からのレッスン、がんばるように』

 そうだ、明日からアイドルになる本当のレッスンが始まるんだった。
 まだ自分は、アイドルとして何者でもない。ただ、アイドルになる道が、見えただけだ。
 紗代子はメールに返信した。

『高山紗代子です。オーディションで私を見つけ、そして選んでくださったこと、本当にありがとうございます。私、一生懸命がんばります。どうかよろしくお願いいたします』

 それに対する返信はなかった。
 忙しい身なのだろう。紗代子はそう思っていた。


瑞希「高山さんは……スポーツの経験は、あるのですか?」

紗代子「ううん。マネージャーはやってたんだけど、自分が身体を動かす何かをするのは初めてかな。瑞希ちゃんは?」

瑞希「はい……私は、バトントワリングをやってます」

紗代子「へえ。じゃあ身体を動かすのは得意なんだ」

瑞希「得意というほどではないですが……いささか、自信はあります。ですがやはり、アイドルのレッスンというのは、勝手が違うのではないかと」

紗代子「そうだね。あ、あの人がトレーナーさんかな?」

「はい全員、注目。これからレッスンを始めます。ほとんどの娘が初心者だと思うので、今日は基本のボイスレッスンと、ステップを中心にやっていきます」

 ボイスレッスンとダンスステップは、それぞれ1時間ほどで終了した。

紗代子「瑞希ちゃん、やっぱりすごいね。ステップの足運び、とっても軽やかだったよ」

瑞希「ありがとうございます……ええと、その……高山さんも……」

紗代子「あ、いいのいいの。無理に褒めようとしてくれなくても。うん……わかってる。私、全然なにも出来てなかったよね」

瑞希「そんなことは……私は経験があっただけです。高山さんも、すぐにできるようになります」

紗代子「……うん」

 初レッスンは、散々だった。声の出し方から注意を受けた。音程が不正確な上、声も出ていないと言われた。
 ダンスのステップも、足がもつれて転んでしまった。それも3回。
 最初から何もかもできるわけはないと思ってはいたが、こんなに何もできないのは自分でもショックだった。
 そして紗代子は、ちらりとカメラに目をやる。
 レッスンの間中、ずっと自分たちを撮っていたカメラだ。いや――

紗代子「幻滅されちゃったかな……」

 彼女だけはわかっていた。あのカメラは、忙しい彼女のプロデューサーの為の、そして紗代子を録る為のカメラだ。
 レッスンの様子は、海外にいるプロデューサーへ送られるはずだ。
 そしてそれはその通りなのだが、実は紗代子のプロデューサー以外にもこのカメラで撮ったレッスンの様子を見た者がいた。


     『黒井社長は覗いていた』

黒井社長「あの男……素材を見抜く目だけは確かだからな。その男が見いだした素材……興味はある。必要とあらば、わが961プロに引き抜きをしても……おかしいな」

 黒井社長は首を捻る。
 目の敵にしている765プロ。だがそれだけに無視も出来ない相手だ。当然に諜報活動を行い、その動勢に目を光らせている。
 その765プロの、気になる男が、誰も見向きもしなかった原石を逸材と認め、自らプロデュースに赴く。
 黒井社長にとっては、ビッグニュースだ。
 以来、その原石を彼は個人的に調査した。
 が、その調査結果に彼は眉をひそめる。

黒井社長「これか? これがあの男の認める逸材なのか?」

 隠し撮りされた写真は、確かに目鼻立ちの整った美人ではあるが、それほどの原石には思えなかった。
 アイドルを志望する娘にしては、平凡。それが黒井の持った紗代子に対する第一印象だった。
 しかしなにしろ、あの男の事だ。この自分にすら気づかない何かが、この娘にはあるのかも知れない。
 悔しいが、それだけの実績があの男にはあった。今もあの男が選んだ娘は、海外デビュー間近なのだ。

 そして今日も、その海外へネット経由で送られるというレッスン風景のデータを途中でハッキングしようと彼は待ち構えていた。
 が、待てど暮らせどデータが765プロから海外に送信される気配はない。

黒井社長「? なぜだ? なぜデータ送信をしない……? 765プロの脆弱なプロテクトなぞ、容易に超えられるはず……」

 彼はは、試みにデータベースにアクセスしてみる。
 果たしてデータはそこにあった。送信された気配はない。が、データそのものはそこにある。

黒井社長「罠か? データ名は20190406レッスン……か。どれ」

 データは簡単にハックでき、すぐさま展開をしてみる。
 そこには紗代子を中心……いや、むしろ紗代子のみ、レッスンの様子を撮ってあった。
 冒頭から最後まで、彼はそれを眺めた。
 続いてもう1度、彼は動画ファイルを再生する。
黒井社長「ノン……ノン! ノン!! ノン!!! なんだこれは、これのどこが逸材なのだ!?」
 広い社長室に大声が響く。いかに初めてのレッスンとはいえ、それはあまりにもお粗末に見えた。

黒井社長「わからない……何を考えておるのだ、あの青二才は……」


紗代子「プロデューサー、今日のレッスンいつ見るのかな……」

 自室でペットのハリ子の世話をしながら、ぽつりと漏らす。
 忙しい身と聞いているので、もしかしたら数日……いや、週単位の時間が経過してから連絡があるかも知れない。
 そう思っていた彼女のスマホが鳴る。メールの着信だ。

紗代子「え? プロデューサーから……?」

 相変わらずタイトルは『プロデューサーより』となっている。
 開いてみると、画面に表示しきれないほどの長文が並ぶ。

紗代子「まずボイスレッスン……ええと、すごい。全部問題点とそれに対する指導が書いてある……」

『明日のレッスンまでは時間がないので、指摘した全てを修正することはできないと思う。しかし君には今現在これだけの問題点がある。その事はしっかりと把握し、私の指示した修正を行っていくように』

 スマホが震えていた。いや、その持つ手が震える。
 昨日の自分は、今日と前の日の自分の違いに驚いていた。絶望からの希望。
 今日の自分は、また落胆をしていた。レッスンでの失態が、それ以上に自分の先行きに不安を感じさせていた。
 それが今、不安は霧散している。
 出来ないこと、失敗したことを、こうして指摘しどうすればいいかを、この人が教えてくれるんだ。言う通りにしていけば……いいんだ。
 どのオーディションに出ても見向きもされなかった自分に、ここまで真剣になってくる人がいたことに、彼女は感動すら覚えていた。

紗代子「プロデューサー。私、やります。期待に応えてみせます!」


「あら……高山さん? 今日は音程がぶれないわね」

紗代子「本当ですか!? 上達……しているんですかね」

「そうね。昨日よりは、だいぶ良くなってるわ。じゃあCの音で……そう、音程を維持して……クレッシェンド……クレッシェンド……」

 ボイストレーニングの最中、紗代子はプロデューサーからの指摘を思い出していた。
紗代子「そうだ、出す声よりもお腹の力加減に注意して……声を大きくする時は、口の大きさに気をつけて……」


「では、昨日のステップのお温習いをします。1、2、3、4! 1、2、3、4! 足はそのまま右見てタン、タン、タンで左ターン!」

紗代子「足下は見ない。視線は正面……頭の中で自分の全身をイメージして……」

「はい、1、2、1、2、その調子、その調子!」

 昨日叱られた所を、今日は指摘されずにレッスンがすすむ。
 褒められたわけではない。自分でもまだトレーナーと同じ動きができていないことは、わかっている。
 しかしそれでも、昨日出来なかったことが出来るようになり始めている自分に、紗代子は感動していた。
 涙を堪えながら、必死でレッスンを続けていた。

紗代子「やっぱりプロデューサーの指摘を確認しながら、練習して良かった。気がついたら夜中の2時だったけど……でも、良かった」

 これなら……この調子なら、レッスンにきっとついていける。アイドルにも……なれる!


 レッスンの後、紗代子は呼び止められる。

最上静香「あの、少しいいですか?」

紗代子「え? あ、うん。ええと……」

瑞希「最上さんです。最上静香さん」

静香「単刀直入にうかがいますけど、自宅ではどんな自主トレとかしてるんですか?」

矢吹可奈「あ、それ私も聞きたい~♪ 知りたい~♪ 金目だい~♪」

佐竹美奈子「確かに。昨日と今日で、なんだかすごく上達してたよね」

紗代子「うーんと、私はみんなとはプロデューサーが違う人で、それでそのプロデューサーは今日本にはいないから、後から録画されたレッスンを見て指導が入るんだ」

福田のり子「あ、あのカメラってその為にあるんだ」

北沢志保「うらやましい……私たちのプロデューサー、レッスンの時にはいないし、ちゃんと見ていてくれいるのか不安で……」

瑞希「時々、見に来ておられます……ですが、私も高山さんがどんな指導を受けているのかは、気になります」

紗代子「えっとね。これにまとめてるんだけど……」

静香「これ……日記帳ですか?」

紗代子「うん。あ、でも毎日つけてる自分の日記とは別で。アイドルとしての活動を綴る日記にしようって思ってて」

志保「これ……読んでもいいんですか? なんだか人の日記を読むのって抵抗があるんですけど」

紗代子「大丈夫だよ。見られたくないことなんて書いてないし、まだ昨日から書き始めたばかりだし」

瑞希「では、失礼して……高山さん?」

紗代子「なに? 瑞希ちゃん」

瑞希「この日記……昨日から書かれたと言われましたが」

紗代子「? うん」

瑞希「既に20ページほど、書かれています」

静香「え?」

伊吹翼「うわ~文字がびっしり」

美奈子「えっと、良くなかった点……その改善点……注意する点……短期での到達目標と長期的な目標……すごい」

静香「これ……実際にやったんですよね?」

紗代子「え? うん」

静香「納得しました。やっぱり出来るようになる人は、それなり以上にちゃんとやってるんですね」

紗代子「そんな……私なんて、この中で全然出来てないし」

静香「……私、これで失礼します。お話、ありがとうございました」

紗代子「あ……うん」

 静香が帰って行ったのを見届けると、一番小柄な周防桃子が口を開く。

桃子「桃子、静香さんは帰ってないって思うな」

中谷育「え? 失礼しますって行って出ていったのに?」

桃子「うん。きっとまたレッスン場に戻ってるって思うな」

志保「……私も」

育「え?」

志保「もう一回、戻るわ。弟の迎えの時間まで、まだちょっとあるから」

可奈「え~? あ、じゃあ、私も!」

桃子「ね。みんな同じ。紗代子さんの日記を見たから」

紗代子「え? 私の?」

桃子「なんというのかな……心配になっちゃったんだと思うな」

紗代子「?」

瑞希「高山さんは、着実に実力をつけておられる上、その方途も持っておられます。私や他のみなさんは、心配になってきたのです。自分は壁にぶつかったらどうすればいいのか……と」

紗代子「それは、みんなのプロデューサーに……」

瑞希「はい。私は今から、それを伝えに行きます……プロデューサーに、みんなが不安になっている、と」

桃子「そうだね。お兄ちゃんは、そういうとこドンカンそうだから……桃子もついていってあげる」

育「あ、じゃあ私も」

 それぞれが去った後、紗代子は軽く頷くと言った。

紗代子「私も、もう一回レッスン場に行こうっと!」

 昨日よりも今日は、がんばれた。
 その思いが紗代子に、これまで以上のやる気を起こさせていた。

紗代子「少しずつでいいんだ……一歩ずつ、確実にやっていけば、いつかは……」


悪徳「追加の資料をお持ちしやした。と言っても、以前あっしがお届けしたモンと大して変わりはしやせんが」

黒井社長「……」

悪徳「ははあ、依頼のあったこの娘のレッスンで……しかしまあ、これでアイドルになろうってのはムシが良すぎやしやせんか?」

黒井社長「昨日のレッスンは、もっと見るに耐えなかった」

悪徳「へ?」

黒井社長「発声もダンスもなっちゃいなかったよ。そう、例えるならお猿さんと言ったところだね。まるでマンキーみたいに、キーキー叫びながら、猿回しみたいに踊っていたよ」

悪徳「それはまた……へへへ、あっしも見てみたかったで……」

黒井社長「だが……」

悪徳「へ?」

黒井社長「ヘタはヘタだが、今日見た彼女は、格段に進歩しているんだ……」

悪徳「そ、そうなんで? ですがまあ、それにしたってお猿さんに毛が生えたようなもんでしょう?」

 記者の悪徳を、黒井社長は一瞥する。

黒井社長「……昨日見たときは、間違いなくお猿さんだった。だが……今日見たら、直立猿人になっていたんだよ!」

 腹ただし気に怒鳴ると、黒井社長は高山紗代子の追加資料を、当の彼女のレッスン風景の映るディスプレイに投げつけた。

黒井社長「もう……猿じゃない」


 翌日のレッスン後、候補生達は雑談に興じていた。

可奈「私ね、如月千早さんに憧れてるんだ」

静香「わかるわ。あの歌声、本当にすごいわよね」

志保「天海春香さんにも憧れてるって言ってなかった?」

未来「春香さんに憧れるの、わかるなあ」

静香「もとから765プロ所属の……先輩って言えばいいのかしら……その人たちって今、ツアーなんだっけ?」

翼「北海道から沖縄までまわってるんでしょ? いいな~私も早く、ツアーであちこち行きた~い」

美奈子「その為には、レッスンがんばらないとね」

翼「む~レッスンばっかりじゃ飽きちゃうよー」

志保「そうでもない人も、いるみたいだけど……」

翼「え~? あ」

紗代子「ねえねえ、ロコちゃんは絵が得意なんだよね?」

ロコ「ハイです! まあロコはアートに関しては、ピクチャーに限らずオールマイティーだとシンクしてますけど」

紗代子「ちょっと描き方っていうか、コツみたいなのあれば教えて欲しいんだけど」

ロコ「サヨコもアートに興味があるんですか!?」

紗代子「アートというか、ダンスレッスンの特訓にね」

七尾百合子「絵を描くと、ダンスが得意になれるんですか!?」

永吉昴「うわっ! びっくりした」

百合子「あ、ごめんなさい。あの……実は私、ダンスが特に苦手だと感じていて……それで……」

紗代子「絵を描くというよりは、ダンスを絵に描けたらって思って」

昴「え?」

紗代子「うん。プロデューサーが、ダンスのフリがなかなか覚えられないのは、客観的な動きを理解していないからだって」

百合子「客観的な動き……なるほど。ダンスって自分でやってるとどう踊ってるか、わからなくなることありますもんね」

紗代子「ダンスのフリを絵に描いたら、どう動けばいいかわかるし覚えるのにも役に立つかと思って」

ロコ「いいシンクです! それなら一緒にドローしてみましょう!」

静香「待って!」

紗代子「え?」

静香「絵を描くことなら、私も少し自信があります!」

紗代子「そうなの? じゃあ、静香ちゃんにもお願いできるかな!?」

静香「はい! ではまず、最初のターンを書いてみますね」

~5分後~

静香「どうかしら!」

百合子「えっと……」

昴「これ……」

育「なに?」

静香「ダンスよ! ダンス!! ターンしてるとこでしょ!?」

百合子「ダンスというよりは……タンス?」

昴「冷蔵庫じゃないのか?」

育「しかもそれが、爆発してるみたい……」

静香「ちょっと! どうしてそんな風に見えるのよ!?」

ロコ「それでですね、最初は線で身体をのムーブをトレスしてドローしたら、ミート付けしてドローするとグッドです」

紗代子「こう?」

静香「そこー! 私の絵も参考にしてくださいーー!!」

桃子「でも確かに、動きを描いてみるっていい考えかも知れないよね」

瑞希「はい……混んでなければ、移動の電車とかでもダンスレッスンの代わりになりそうですし」

紗代子「うん! 私もそう考えてたんだ!」

昴「授業中でもできそうだよな、それなら」

琴葉「昴ちゃん? 授業中はちゃんと授業に集中しないと!」

昴「え? あ……」

紗代子「学校はあくまでも、勉強の場だからね?」

昴「うわ。このクラス、委員長が2人いるよ……」

望月杏奈「ゲームの攻略対象キャラでも……委員長キャラが2人は……多い……かも」

紗代子「あ、そういえば静香ちゃん」

静香「あ、絵ですか!? まずですね!!」

紗代子「ううん、絵はいいから。それより静香ちゃんピアノが弾けるんだよね

静香「え……? あ、はい」

紗代子「ピアノのCDとか持ってる? 持ってたら貸して欲しいんだけど」

静香「それは持ってますけど、紗代子さんもピアノを始めるんですか?」

紗代子「弾いたりはしないけど、色々なジャンルの音楽を聴くようにしなさいって言われててね」

志保「それってやっぱり、紗代子さんのプロデューサーからですか?」

紗代子「うん」

志保「そういうアドバイス……うらやましいです」

紗代子「え? あ、じゃあ一緒に静香ちゃんにCD借りよう?」

志保「え? いえ、そういう意味じゃなくて……」

紗代子「静香ちゃんいいよね? 志保ちゃんにも貸してあげても」

静香「別にいいですよ」

エミリー「色々な種類の音楽ですか……実は私、北欧の重金属音楽に興味がありまして」

のり子「重金属音楽……ってなに?」

ロコ「きっと、ヘビーメタルですね」

美奈子「ヘビーメタルだから重金属音楽かあ、あはは。おもしろいね」

風花「エミリーちゃん、ヘビメタに興味があるの?」

エミリー「はい……大和撫子としては、はしたないかも知れませんが熱気のある音色と歌唱には心惹かれるものがあります」

のり子「ヘビメタならアタシも興味あるから、一緒にCD試聴しに行く?」

エミリー「よろしいのですか?」

のり子「うん。メタルも色んな種類があるんだよね。正統派メタルにスラッシュメタル、パワーメタルにプログレッシブメタル、あと忘れちゃいけないデスメタル!」

エミリー「まあ、重金属音楽にもそんなに種類があるのですか? 正統派重金属音楽に斬撃系重金属音楽、力業重金属音楽に革新的重金属音楽、そして丁寧語断定助動詞重金属音楽ですね。忘れないうちに帳面に記入いたしませんと」


 幸いに、帰りの電車は空いていた。
 座席に座り、紗代子はレッスン用日記を取り出す。

紗代子「ここでこう……ポーズで。ここから左手、右手……でターン。うん、自分で絵に描くとよくわかる! 実際に身体を動かせない場所でも出来る、これはいいレッスンかも」

「次は涸沼~。涸沼。お降り口は右側となっております。次は、涸沼~」

紗代子「……えっ! あ、乗り過ごしちゃった!?」

 電車は大洗を過ぎ、夕日へと向かっていっていた。

紗代子「えっと……自分の中では一番苦手でもあり、今よりもダンスを磨く為にレッスンを増やしたいんですけど、どうでしょうか……と」

 プロデューサーからの指示伝達が届くより前に、紗代子は初めて自分からメールをしてみた。絵に描く特訓は、電車ではできないとわかると、何か代替の方途が必要ではないかと心配になってきたからでもあった。
 定期的な伝達と合わせて返事がもらえればとの思いだったが、予想に反し返事はすぐきた。

『それは許可できない』

紗代子「えっ!? どうしてですか……っと」

 返信は淀みなく送られてくる。

『すべては基礎的な力をつけてからだ。君はまだ、私の求める基礎的な体力をも持ってはいない』

 以前の紗代子なら、単刀直入な指摘にショックを受けたかも知れない。
 しかし今の彼女は、プロデューサーに全幅の信頼をおいていた。
 そう、プロデューサーならそれをどうすればいいのかを、教えてくれるからだ。

紗代子「基礎的な体力か……うん!」


「だめよ」

 普段はノリの軽い母親が、珍しく強く紗代子に言う。

紗代子「どうして? 別に遊びに行くとかじゃなくて、ランニングだよ?」

「時計を見てみなさい。もう夜の九時過ぎよ。外だって真っ暗じゃない。女の子が1人で出歩いていい時間じゃないでしょ」

紗代子「でも……そうだ! ボディーガード!! ボディーガードがいるならいいよね!?」

 この時点で、紗代子の弟には悪寒が走る。慌てて自室に戻ろうとするが、残念ながらそれは少しばかり遅かった。
 普段は物わかりがよく優しい姉が、問答無用にその腕を強く引っ張ってきた。

紗代子「一緒についてきて!」

「……俺、これから勉強が……」

紗代子「後でみてあげるから! ね、お願い!?」

「そうね……まあ、一緒ならいいでしょ。戦車には気をつけるのよ」

紗代子「はーい!」

 紗代子の弟は項垂れる。
 しかし時々……アイドル関係のことになると平静でいられなくなる面があるとはいえ、紗代子は彼にとっては優しい姉だ。
 仕方ない。彼は、スニーカーを履く。

 並んで走りながら、彼は姉に聞いてみる。

「姉ちゃん、マジの本気でアイドルになるの?」

紗代子「え? もちろん。候補生にだってなれたんだから、これからはアイドルに一直線だよ」

「候補生って言ったって、全員がアイドルになれるってわけじゃないんでしょ?」

紗代子「それは……」

「姉ちゃんがずっとアイドルになりたがってたのは知ってるけどさあ」

紗代子「大丈夫」

「え?」

紗代子「私には、すごいプロデューサーがついてるの。その人の言う通りにしていけば絶対トップアイドルになれるんだって」

「ホントかなあ……だいたい、なんでそんな人が姉ちゃんのプロデューサーになってくれたんだよ?」

紗代子「……なんでだろ?」

「言っちゃなんだけどさ、姉ちゃんホント普通じゃんか」

紗代子「きっと私には、プロだけにわかる隠された才能とか能力があるのかも!」

「……そっかな?」

紗代子「もしお姉ちゃんがアイドルになったら、自慢していいよ」

「はいはい。もしそうなったらね」

 最初は――そうこの時はそう言っていた弟も、次第に紗代子が揺るぎなく本気でそう思っている事を思い知る。
 夜間のランニングは、その日だけにとどまらなかった。
 時間こそ一時間ほどと決まっているが、次第に遠くまでランニングに行くようになる。そして、走る速度が上がっていく。
 一週間で彼は、姉に頭を下げる。

「姉ちゃん。お金貸して欲しいんだけど」

紗代子「えっ? 何に使うの?」

「自転車」

紗代子「?」

「もう姉ちゃんに、走ってついてくの無理。ママチャリなら1万ちょっとで買えるから」

 それを聞き、嬉しそうに母親が言う。

「いいわよ。お母さんが、買ってあげる」

紗代子「そんな……悪いよ。私が!」

「いいから。紗代子ががんばってるから、この子もつき合ってくれてるんだし、2人とも投げ出さず続けてて偉いから買ってあげるわ」

紗代子「おかあさん、ありがとう! 大事に使うから!!」

「いや姉ちゃんそれ、俺が使う自転車だから」

 やはり体力をつけ始めた効果が現れたのか、プロデューサーからのメールにもこうあった。

『目に見えて体力の向上が見受けられるが、何か特別な事をしているのか?』

紗代子「プロデューサーに指摘されて、毎晩ランニングをしています。よくなかったでしょうか? と……どうかな」

 相変わらず、返信がすぐにくる。

『かまわない。効果も現れている』

紗代子「良かった……あ、またメール」

『身体は銀行のようなものだ。運動はローンであり、貸せば貸すほど利息が付いて返ってくる』

紗代子「そうなんだ。じゃあ……もっとランニングの時間、伸ばした方がいいのかな!?」

 しかし続くメールの部分には、こう書かれていた。

『とはいえ、ただ闇雲に貸付金……即ち運動量を増やせば良いというものではない。自己資本、要するに体力に見合った融資をしなければ、貸し倒れのリスクに直面してしまう。つまり、運動は自らの体にとって資産にもなれば負債にもなる。重要なのはそのバランスを知り、把握しておくということだ』

紗代子「そ、そう……なのかな???」


瑞希「経済の本ですか……父の仕事の関係で、そうしたものも確かに家にはありますが……高山さんのことですから、それもアイドルに関係することなのですか?」

紗代子「うん……これなんだけど、昨日のプロデューサーからのメール。なんとなくはわかるんだけど、どういうことかちゃんと理解したくて!」

瑞希「ふむふむ……なるほど。これは少し、難しいですね」

千鶴「おはようございますですわ! あら、紗代子に瑞希。どうなさいましたの?」

紗代子「あ。千鶴さん、おはようございます。昨日のプロデューサーからのメールでちょっとわからないことが……」

千鶴「あの紗代子のプロデューサーからの? わたくしも拝見してみて、よろしくて?」

紗代子「もちろんです。ここの部分なんですけど……」

千鶴「どれどれ? ……まあ! 貸し倒れ!! リスクに直面!! た、大変ですわ!!!」

瑞希「なんと……二階堂さん、おわかりになるのですか?」

千鶴「ここには大変重要で危機感に溢れた示唆が書かれていますわ! な、なるほど……運動に対する姿勢をここまで見事に経済に例えられるなんて……」

紗代子「つまり、どういうことなんです?」

千鶴「運動とはローン、つまり自身の体力を削ることで後々には削った以上の体力を自分に戻すことなわけですわ」

紗代子「それは、なんとなくわかります」

千鶴「ですけれど、削りすぎ身体に悪影響が出る程の運動をしてしまっては……と、ととと、倒産……もしくは、と、ととと、取り付け……つまり、身体を壊してしまうことになるわけです」

紗代子「貸し倒れ、というのはつまり、自分が倒れちゃうのと同じような意味だと思えばいいんですね」

千鶴「そうですわね。運動はすればするほど体力として自分に還元されるけど、自分の基の体力を把握して正しくやらないと、身体を壊す……当たり前かも知れませんけれど、こんなに理解できる言葉で……さ、紗代子!」

紗代子「え? あ、はい」

千鶴「この文、わたしくも書き写してもよろしくて? わたくしの金言にいたしますわ!」

紗代子「あ、はい、もちろんです。どうぞ」

千鶴「感謝いたしますわ。そうですわ……わたくしも無理せず、今日は休養日といたします」

瑞希「休養日……つまり、今日のレッスンはお休みされるのですか?」

千鶴「ええ。実は昨日がハードでしたし、体調もあまりすぐれませんの。それでは、ごきげんよう」

紗代子「あ、はい……」

瑞希「ごきげんよう……さまです。ばいばい」


翼「というわけで~私も今日は帰りま~す」

 意気揚々と帰ろうとする翼をトレーナーが捉まえる。

「なにが、というわけだ! 伊吹! 伊吹だけ最初に3回ダンス追加な」

翼「え~! だって千鶴さんは~」

「二階堂は確かにハードワークが見てとれたから、今日はもともと休ませるつもりだったんだ。伊吹はまだそんなに元気だろ」

翼「そんな~」


瑞希「ひとつ、うかがいたいのですが、高山さんはどんなアイドルになりたいのですか?」

紗代子「え? どんなアイドル? うーん、やっぱり歌とダンスが素敵なアイドルに憧れてるかなあ」

瑞希「なるほど……つまり、正統派アイドルですね」

風花「わかるわ!」

紗代子「え? ふ、風花さん?」

風花「やっぱり憧れて、目指すのは正統派アイドルよね。歌声やダンスで見ている人を元気にさせる……そんなアイドルに」

紗代子「え、ええ! もしかして、風花さんも正統派アイドルに憧れてるんですか?」

風花「そうなの! だから一緒に正統派アイドルへの道、がんばりましょょう」

紗代子「はい!」

瑞希「実は、私は……セクシー系アイドルに憧れを持っています」

風花「えっ!?」

瑞希「女性としての魅力を、存在からだけでも感じてもらえる……そういう存在に憧れています」

風花「それは、まあ……人それぞれよね」

瑞希「私は、お世辞にもスタイルが良いとは言えません……自分でもよくわかっています。名前も真壁、と呼ばれることが多いです。でも、やはり……女性として魅力的になりたいとも思っているのです」

紗代子「瑞希ちゃんは、スラリとしていて魅力的だと思うけど……なんていうか私は、中途半端というか」

風花「2人とも、私から言わせると魅力的だけどなあ。瑞希ちゃんは羨ましいぐらいにスリムだし、紗代子ちゃんは本当に均整がとれていて可愛いし」

瑞希「自分の魅力は、自分ではなかなかわからないものですか……ですが、お2人にほめられて、私も少しだけ自信がでてきました」

紗代子「うん。私も、そう言われると自分のプロポーションも……悪くはないかな、って」

風花「そうよ。私も胸が少し大きくて恥ずかしいんだけど、でもこれだって魅力的に見てもらえれば、嬉しくない訳じゃないから」

瑞希「正直、豊川さんの胸は垂涎です……ですが私にも将来性はあります。なにしろ母はナイスバディですから」

紗代子「プロポーションかあ、色々節制とかした方がいいのかなあ。それもプロデューサーに相談してみよう」


 その後も、レッスンに対する指導以外でも、尋ねればどんな質問にもプロデューサーは紗代子に返信をくれた。
 最初は堅く、返信も紋切り型の文章だったが、次第に穏やかで親しみを感じる文章へとなっていった。

紗代子「リズム感ですけれど、どうすれば鍛えることができるんでしょうか……と」

 忙しい身であるはずだが、プロデューサーからの返信はいつも迅速だった。
 時折、時差の事などが気にかかるが、そもそも海外としか紗代子は聞いておらず、どこの国なのかすら知らないためにどのくらいの時差があるのかすらも彼女にはわからず、結局メールだからいいかと時間にこだわらず質問や助言を求めたりしていた。

紗代子「あ、返信だ。ええと、なになに……リズム感を養うには身体を使ってリズムを刻むのが一番良い。具体的には……」


 その後も、レッスンに対する指導以外でも、尋ねればどんな質問にもプロデューサーは紗代子に返信をくれた。
 最初は堅く、返信も紋切り型の文章だったが、次第に穏やかで親しみを感じる文章へとなっていった。

紗代子「リズム感ですけれど、どうすれば鍛えることができるんでしょうか……と」

 忙しい身であるはずだが、プロデューサーからの返信はいつも迅速だった。
 時折、時差の事などが気にかかるが、そもそも海外としか紗代子は聞いておらず、どこの国なのかすら知らないためにどのくらいの時差があるのかすらも彼女にはわからず、結局メールだからいいかと時間にこだわらず質問や助言を求めたりしていた。

紗代子「あ、返信だ。ええと、なになに……リズム感を養うには身体を使ってリズムを刻むのが一番良い。具体的には……」


のり子「それで、バスケットボールを持ってきたわけ?」

紗代子「はい。音楽に合わせて自分でも歌いながらドリブルしてみるといいって……ボールは学校で借りたんですけど、問題は場所で……」

昴「えー? でもそれってアイドルになる為の特訓だろ? それなら遠慮しなくても、レッスン場で……」

琴葉「昴ちゃん?」

昴「人や物にぶつかったりすると、あぶないもんな!」

紗代子「特にレッスン場は姿見の大きな鏡もあるから……」

のり子「なーんだ。そういうことなら、いい場所があるよ」

紗代子「本当ですか!?」


瑞希「なるほど……これは広いですし、少々ボールが転がったりしても問題はありませんね」

のり子「美咲さんに言って、ここの一角はアタシたちだけにしてもらったから、安心して使えるよ!」

 のり子が一同を案内したのは、劇場の地下駐車場だった。

琴葉「よく知ってたわね、のり子はこんな場所」

のり子「えへへ。アタシはほら、バイクで劇場に来ることもあるから」

瑞希「なるほど。ミニコンポも持ってきました」

エミリー「楽曲は、これなどいかがでしょうか」

琴葉「デスメタルで聞く日本の原風景……?」

のり子「あ、この間アタシと行ったCDショップで買ったのだ」

エミリー「はい。重金属音楽の燃えるような拍子や歌声と、美しい日本の情景が織りなす和音の調べが素晴らしいと思いまして」

紗代子「うん。じゃあミュージックスタート」

『あんたー↑↓↑↑↓がた~どこ↓↑↑さ→あ!』

♪~♪(間奏30秒)

『肥後さ!』

紗代子「この音楽に合わせてドリブルを!」

のり子「なーるほど。ボールのドリブルは、直接打楽器を演奏するのと違って、跳ね返ってくる時間とかも体感で覚えるわけか」

瑞希「慣れるまで少しかかりそうですが……これは確かに、効果がありそうです。では始めましょう……ごー」

紗代子「えっと……お、音楽に合わない……もっと早く……あ、今度は早過ぎ!?」

エミリー「あんたがった~~~肥後さ♪」

昴「お、エミリーなかなかやるな。オレも……肥後さ!」


琴葉「え!? 紗代子まだやってるの? だってあれから……」

瑞希「はい。6時間は少々オーバーワークですね。私が、止めに行きます」

琴葉「私も行くわ。紗代子……倒れてなきゃいいけど」


紗代子「あんたー」

 ↑バン↓バン↑バン↑バン↓バン

紗代子「がた~どこ」

 ↓バン↑バン↑バン

紗代子「さ→あ!』

 バンバンバンバンバンバンバン

紗代子「肥後さ!」

 バン!

瑞希「なんと……高山さん、できるように……」

琴葉「それも両手交互に組み替えながら……」

紗代子「できた……両手を使ってもできたよ!」

瑞希「すごいです……時間はかかりましたが、ついにやりましたね」

紗代子「うん! 絶対に私にも出来るって信じてたから。弱い自分を出したくなかったから……時間?」

琴葉「紗代子、6時間も休まずやってたのよ? 大丈夫?」

紗代子「6時間……って、6時間も!? うわ、帰らないと!!」

瑞希「高山さん……途中まで、一緒に帰りましょう。だから、大丈夫です。田中さん……」

琴葉「お願いね、瑞希ちゃん」


瑞希「……先程」

紗代子「え?」

瑞希「弱い自分と高山さんはおっしゃいましたが」

紗代子「私……ね、本当は弱いんだ。それを隠していつもせいいっぱいやろうって、心に決めてるの」

瑞希「私には……少し、信じられませんが。高山さんは、いつも全力で迷わずがんばっておられるイメージです」

紗代子「そんなことないよ。でも、自分が弱いってわかっているけど、でもそんな自分に負けたくないから!」

瑞希「……高山さんは、ご自分で気づいておられないだけで、本当は……強い人です」

紗代子「私が? ううん、私は強がってるだけ。本当は強くなんかないの……」

瑞希「あります。では、私はここで……」

紗代子「あ、うん。また明日ね」

瑞希「はい。明日……」


 紗代子が765プロのアイドル候補生になって半月が過ぎた。
 ついに、765プロ設立当初から所属するアイドル達がツアーから帰ってきた。

三浦あずさ「まあ~。本当に素敵な劇場が完成したのね~」

萩原雪歩「立派な設備で、ちょっと圧倒されちゃうね」

双海真美「事務所とえらい差だねえ」

如月千早「音響も素晴らしいわ。早く、歌いたいわ。ここで」

静香「ほ、本当に765プロのアイドルだわ……て、テレビで見るのと同じ……」

未来「もう、静香ちゃん。そんなの当たり前じゃない。さ、挨拶しないと」

静香「ま、待って! ま、まだ心の準備が……」

水瀬伊織「それで? 新しく所属になったって娘たちは?」

未来「ほら、呼ばれてるみたいだよ?」

静香「待ってって! あなたは気楽に言うけど、あの有名アイドルの人達にそんな軽々しくは……」

翼「は~い! 伊吹翼で~す。よろしくお願いしま~す」

静香「翼!!!」

天海春香「あ、よろしくね。いちおう、765プロの先輩っていう形にはなるけど、同じ事務所のアイドル同士なんだから、よろしくね」

未来「ほらー。あの春香さんだってすっごくフレンドリーだよ? はーい、春日未来でーす。お願いしまーす!」

静香「み、未来~!」

千早「……あなた、名前は?」

静香「え!? あ、は、はい!! 最上……静香で、す……」

千早「如月千早です。よろしくね」

静香「あ、こ、こちらこそ……お願いします」

千早「心配いらないから」

静香「え?」

千早「私たちは仲間よ。だから、心配いらないわ」

静香「は、はい」

伊織「にひひっ。千早が言うと説得力かあるわね」

千早「もう、冷やかさないで」

 世間では有名になった765プロのアイドルたちは、思っていた以上に優しく、友好的だった。

春香「さっき千早ちゃんも言ってたけど」

瑞希「? はい……」

春香「私たちは、仲間。これから同じ765プロのアイドルとして、絆を深めあいながらがんばっていこうね!」

桃子「きずな?」

高槻やよい「だーいじょーぶ。すぐにわかるからね」

桃子「あ、えっと……うん」

雪歩「うん。わからないことがあったら、なんでも聞いてね」

真「さーて。じゃあ軽く汗を流していく? レッスン場も完備されてるんだよね?」

伊織「ちっょと真、ツアー終わったばかりだからダウン期間じゃないの?」

真「ちっょとだけだって。いくらダウン中でもなんにもしないとなまっちゃうからさ」

千早「そうね。私も少し、歌っておきたいわ」

春香「あはは。そうだね。ねえ、レッスン場はどこかな?」

未来「あ、私が案内しま~す」

翼「こっち、こっちぃ!」


真「へえ、立派なレッスン場だね。あ、みんな続けていいからね」

 先に自主レッスンを始めていた一同は、憧れの765プロアイドルに驚き、頭を下げる。

千早「少し、一緒にいいかしら?」

可奈「も、もちろんです! あ、あの、後でサイン……いいですか!?」

千早「え? ええ」

 結局、先輩アイドルを含めた合同レッスンとなり、和やかなままそれは終了する。
 ロッカー室で着替えながら、彼女たちは談笑を始める。

雪歩「みんな、いい娘たちだったね」

伊織「そうね。私たちも、もう先輩なんだからしっかりしないといけないわね」

真美「いおりんは、今以上にしっかりしなくてもいいと思いまするぞ」

伊織「なによ……ってまあ、褒め言葉と受け取っておくわ」

真美「うむ。受け取っておきたまえ」

千早「思っていたより、レッスンもすすんでいるのね」

雪歩「半月後には、劇場もこけら落としで、バックでデビューしてもらうって聞いたよ」

真「1人……気になる娘がいなかった?」

伊織「ああ……まあ、ね」

千早「誰? あ、もしかして……」

春香「高山……紗代子ちゃんだっけ? ちょっとまだまだって感じではあったけど、大丈夫だよ」

真「そう?」

春香「うん……大丈夫」

伊織「まあ、リーダーである春香が言うならそうなんでしょ」

春香「あの娘はあきらめない、そういう目をしてたよ。だからきっと、大丈夫」

真「目、ねえ」


「けど姉ちゃんもよく続くよな」

紗代子「え?」

「毎晩毎晩、よく走るなって」

紗代子「何をするにも基礎的な体力は必要だ、って言われたからね。どうかな? 体力、ついてきたと思う? 毎日一緒に走ってきて」

 紗代子の弟は肩を竦める。これだけ毎日走り、そして1時間という制限の中で速度も距離もどんどんと早く長くなっているのに、まだ実感がないのだろうか?」

「姉ちゃん、もっと自信持っていいと思う」

紗代子「……今日ね、765プロの先輩アイドルの人たちが帰ってきたの」

「え!? あの、春香ちゃんとか雪歩ちゃんとかが!?」

紗代子「みなさんやっぱり……すごかった。私もああなりたい!」

「姉ちゃんさ」

紗代子「え?」

「やっぱお金貸して」

紗代子「今度はなに?」

「自転車、ちゃっとしたの買うよ」

紗代子「? どういうこと?」

「ママチャリじゃ、間に合わなくなりそうだからさ」

 弟の言葉通り、すぐにママチャリでは弟は紗代子についていけなくなってしまった。
 ママチャリは母親にお下がりというか、お上りになり、弟はクリスマスプレゼントとお年玉の前借りで、変速機付きの自転車を購入した。

紗代子「本当にいいの? 私の為にクリスマスもお年玉も使っちゃって」

「まあ、きっかけは姉ちゃんだけどさ。自転車は自転車で楽しくてさ」

 ピカピカの新車を嬉しそうに更に磨く弟を、紗代子は背後から抱きしめた。

「ね、姉ちゃん!?」

紗代子「ありがとう……絶対にトップアイドルになるからね」

「……うん」


『ダンスは随分と上達したが、まだ表現が固い』

 次第に体力もつきリズム感も鍛えられ、まだ自信は持てないがそれでも成長を実感し始めた頃、プロデューサーからメールが届いた。
 そしてその指摘に、紗代子は静かに、だが確かに胸が燃え上がるのを感じていた。
 自分の未熟さは、伸びしろだ。そう思うようになってきていた。事実、出来なくてもレッスンや努力で出来るようになった事のなんと多いことか。
 最初からは何も出来なくても、こうして身につければそれが実力になっていく。
 指摘され、注意されたのなら、それは自分が成長するチャンスだとプロデューサーのお陰で思えるようになってきていた。

紗代子「もしかして、だからプロデューサーは私を選んでくれたのかな……う、ううん。今はそれよりも……どうしたらいいんでしょうか、と」

『身体に無駄な力が入りすぎている。もちろん、体力がなければダンスはできないし、君はその体力をつけてきた。しかし逆にそれが君のダンス表現を固くしている』

紗代子「そうか。体力はついたけど、その分動きに力が入りすぎているんだ」

『言っておくがそれは悪いことではない。成長の過程ではままあることだ。これからは身体から無駄な力を抜くことを心がけることだ』

紗代子「それにはどうすればいいんですか……と」

『イメージとしては、両手に生卵をもっているつもりでダンスをするといい』

紗代子「生卵? はい、わかりました! そうか……生卵か」

 母親はニコニコとしているが、それでも紗代子は申し訳なさそうに頭を下げている。

「なるほどね。それが卵を割っちゃった理由なわけね?」

紗代子「ごめんなさい……やっぱり実際にやってみないとイメージもわかなくて……」

「なるほどなるほど。それで卵を2パックも割っちゃったのね?」

紗代子「ごめんなさい……」

「いいのよ? その代わり」

紗代子「え?」

「割った卵は、紗代子が責任を持って使うこと。いいわね?」

紗代子「……はい」


「ふあーぁ……姉ちゃんおはよう。夕べ夜中に母さんとキッチンでなんかやってた?」

紗代子「あら、おはよう。これ、お弁当」

「え? 今日は姉ちゃんが作ってくれたの?」

紗代子「う、うん。まあね」

「?」


「……高山」

「……なんだよ」

「お前……そんなに卵、好きか?」

「……」

「弁当、真っ黄色じゃん」

「……姉ちゃあああぁぁぁーーーんんん!!!」


瑞希「高山さんは、卵料理がお好きなんですか?」

紗代子「え? えーと……あはは」

翼「うわ~紗代子ちゃんのお弁当、真っ黄色!」

可奈「卵焼きにスクランブルエッグに……オムレツ?」

紗代子「それが実は……プロデューサーに、生卵を持っているイメージでダンスをしろと言われて」

志保「生卵を持つイメージ……そうか、力みすぎないダンスのコツですね。……え? もしかして紗代子さんは、本当に生卵を持ってダンスをしたんですか……」

紗代子「これがなかなか難しくてね! 特に両手で持つと、片方に意識がいくと反対側が割れちゃったり」

二階堂千鶴「なんということを!」

紗代子「え!? ち、千鶴さん?」

千鶴「紗代子! あなた今、卵が1パックいくらかご存知でらっしゃいまして!?」

紗代子「え、ええと……」

風花「それに卵の摂りすぎは、コレステロール過多になっちゃうわよ?」

紗代子「すみません……」

美奈子「ふむふむ。私、いいこと思いついちゃいましたよ」

志保「?」

美奈子「みんなも、紗代子ちゃんと同じように自然体のダンスをする特訓、してみたくない?」

志保「それは私も……やってみたいですけど」

翼「どうするんですか?」

美奈子「わっほーい! 私についてきてくださいね」


未来「ここって……佐竹飯店?」

静香「もしかしてここって、美奈子さんの家ですか?」

美奈子「そうなんです! さあさあ、みんな中へ」


美奈子「じゃあみんな、両手に生卵を持って……はい、ミュージックスタート!」

 ダンスレッスンと同じ曲が始まり、全員が踊り出す。
 が、ものの数秒で半数の手の卵が割れてしまう。

志保「え? あ……これ、難しい」

未来「ちょっとステップに気を取られただけなのに、割れちゃったー!」

美奈子「はーい! 割れた卵はこのボウルに入れてね。じゃんじゃん、割れても大丈夫だよ。次々と料理に使っちゃうからね」

静香「そういうこと……でも、なるべく割らないで……あ!」

 注意しながらでも割れてしまう卵。しかし、その内に全員コツを掴んでくる。
 ただ1人を除いて……

紗代子「えっと……はっ! あ!!」

のり子「こう言うとなんだけど、紗代子はあんまり飲み込みがいい方じゃないみたいだね」

瑞希「はい……ですが、高山さんは着実に実力をつけていくタイプです。そして必ず最後までやり遂げ、妥協もしない……そういう人です」

のり子「なるほどね。体格やセンスは劣っていても、根性でファイトを続ける……そういうのアタシも嫌いじゃないな」

瑞希「飲み込みの良くない高山さんが、飲み込んだ時。きっとその技術は、高山さんから離れない身体の一部になっているのでしょう」

のり子「そっか……」


美奈子「どう? 新しい卵、あるかな?」

紗代子「あ、はい。これ、お願いします美奈子さん」

美奈子「うん。助かるよ……まだまだ、かかりそうだね」

紗代子「助かってます。美奈子さんのお陰で、いくらでも特訓できて」

美奈子「こちらこそ、助かってるから、お礼なんていいんだよ」

紗代子「お陰で、ようやく卵3個はクリアできたので、4個に挑戦中なんです」

美奈子「そうなんだ……4個?」

紗代子「はい。こうやって、卵を両手に持ってから……こう」

 いつの間にか、紗代子は卵3個をジャグリングしながらダンスをするようになっていた。
 特訓を始め、一人残ってダンスをすること、3日目のことだった。

美奈子「ええっ! す、すごいけど……これって意味があるのかな」


のり子「もちろんあるよ」

 格闘技好きを自認するだけあり、候補生の中では一番フィジカルが強くダンスも得意なのり子が言う。

のり子「身体に余計な力を入れずにスムーズに動いて、体感バランスも鍛えられるんだから、意味はあるよ」

美奈子「なるほど。確かに……本当だ」

 ダンスレッスン中、紗代子は息切れもせず最後まで踊るようになっていた。
 なにより、ダンスがスムーズだ。いや、見ていて迫力すら感じるのに、動きそのものも繊細になっている。

のり子「これは、アタシも負けてらんないよね!」

美奈子「そうだね。よーし、がんばろう!」

志保「あの……美奈子さん」

美奈子「ん? どうしたの、志保ちゃん」

志保「その……私も美奈子さんの家でまた特訓、いいですか?」

美奈子「いいけど……志保ちゃんはもう生卵特訓はクリアしたんじゃなかったっけ?」

志保「ええ。ですけど……紗代子さんに聞いたら、ジャグリングするといいって聞いて……」

美奈子「え? あ……」

静香「美奈子さん、私また美奈子さんま家で特訓をしたいんですけど」

美奈子「……静香ちゃんもか」

未来「あのぉー美奈子さん、私お願いがあって……」

 美奈子とのり子は、顔を見合わせて笑った。
 翌日、佐竹飯店は卵関連料理30%オフのサービスを行った。

紗代子「もっと……もっと踊れるように……歌いながらでも、踊れるように……」


 卵の特訓で、紗代子のダンスは上達し、しかも歌いながらリズムに合った踊りが出来るようになっていた。

のり子「すごいよね。でも、同じ特訓をしたし、つられてお陰でアタシも上達できたよ」

志保「はい……すごいです。効果ありました。これって高山さんのプロデューサーが教えてくれたんですよね?」

紗代子「まあ、ジャグリングは私が勝手に始めたんだけど、コツや練習方法は聞けば色々と教えてもらえるんだ」

志保「うらやましい……」

のり子「あはは。ねえねえ、その紗代子のプロデューサーってどんな人なの?」

紗代子「それが……」

のり子「え?」

紗代子「まだ会ったことなくて」

のり子「えー? そうなの? まだ帰ってきてないんだ」

紗代子「はい。どんな人なのかな……」

瑞希「聞いてみては、いかがでしょう?」

紗代子「え? 聞くって誰に?」

瑞希「高山さんのプロデューサーを、知っている人に……です」

紗代子「うーん。でも私たち候補生はもちろん誰も知らないし、美咲さんも劇場ができてからのスタッフだから知らないみたいだったし。社長さんや小鳥さんに、どんな人かだけ聞くために事務所まで行くのも……」

瑞希「765プロの先輩アイドルのみなさんは、どうでしょうか?」

紗代子「え? あ!」

瑞希「先輩のみなさんは、劇場ができるより以前からおられますし、高山さんのプロデューサーの事もご存知なのではないでしょうか?」

紗代子「そうだね! 聞いてみよう!」


雪歩「プロデューサー?」

紗代子「はい。あ、でもみなさんのプロデューサーじゃなくて、私の担当プロデューサーのことなんですけど」

真「え? そんな人いたっけ?」

あずさ「紗代子のちゃん担当プロデューサーさんだけ、違う人なの?」

紗代子「はい。今は海外におられて、私もメールでしかまだやり取りをしていないんですけど……」

伊織「海外……思い出したわ。ほら、アイツじゃないの? 海外事業部だかの」

雪歩「ああ、そうか。そうだよきっと」

真「かいがいじぎょうぶ……? あ。あれってまだ動いてる企画だったんだ」

紗代子「どんな企画なんですか!?」

雪歩「えっとね。765プロも、ゆくゆくは国内だけじゃなくて海外へも羽ばたく事を視野に入れなくてはいけない、って社長さんが言い出して」

真「そうそう。それで、海外事業部っていう部門を立ち上げたのは覚えてるけど……」

千早「私も海外進出は嬉しいと思ったけれど、その後なにも話を聞かなくなったわね」

真「担当者も1人だけだったしね」

紗代子「そ、その人って、どんな人なんですか?」

伊織「ええと……」

雪歩「うーん……」

真「……」

紗代子「どうしたんですか?」

伊織「ごめんなさい。正直、あんまり印象にないのよね」

雪歩「社長さんに紹介はされたんだけど、それっきりだし」

真「ボクらとは完全に別行動だもんなあ。あ、でも」

紗代子「え?」

真「海外進出用の人材をスカウティングしてる、っていうのは聞いたよ」

あずさ「私もそれは聞いたわ。それに確か、1人スカウトしたんじゃなかったかしら」

伊織「あれって本当にいたの? 姿は誰も見てないんでしょ?」

千早「社長さんが『乞うご期待だよ』って言ってたけど……その後なにも聞かないわよね」

雪歩「あの2人ならヒュッテに籠もってるよ、とも社長さんは言ってたなあ」

紗代子「ヒュッテ……ってどこですか?」

真「さあ?」

紗代子「え?」

あずさ「765プロにそんな場所はないのよね~」

伊織「あんたたち、社長の言葉を真に受けすぎよ。ヒュッテってのは、ドイツ語よ。山小屋って意味。英語だとハット」

真「ハットって、帽子じゃないの?」

雪歩「真ちゃん、それはhat。伊織ちゃんが言ってるのは、hutのハット。ほら、ピザハットって言うでしょ?」

真「え? ピザハットのハットって、帽子のハットじゃないの?」

伊織「違うわよ。山小屋……つまり社長はどっかにこもってレッスンとかしてるって言いたかっただけでしょ」

紗代子「つまり、そのどこか……っていうのが海外なんですか?」

伊織「そこまでは……でも、そうなんじゃないの。きっと」

 先輩アイドルたちも、紗代子のプロデューサーについてはよく知らないようだ。そして、どうやらもう1人そのプロデューサーが担当しているアイドルもいるらしい。

あずさ「ごめんなさいね~。あまりはっきりとしたことを教えてあげられなくて」

紗代子「いいえ。ありがとうございました」

真「あ、紗代子」

紗代子「なんですか?」

真「なんていうか……ゴメンね」

紗代子「え? いいえ、少しだけでもプロデューサーの話が聞けて良かったです」

真「あー……そうじゃなくてさ」

紗代子「?」

真「ボクさ、最初は紗代子のこと、ちょっと誤解してたんだよね。一番に脱落しちゃうんじゃないか、って」

紗代子「そ、そうなんですか?」

真「でも違った。すごいよ、紗代子。最近の上達ぶり」

紗代子「あ、ありがとうございます!」

真「最初はバックって話だけど、ボクのソロの時にお願いしたいな」

伊織「あら、それは私もよ。お願いできる?」

紗代子「もちろんです。嬉しいです」

千早「でも、最初は春香のバックじゃないかしら。ほら」

真「あー……うん」

伊織「そうね」

紗代子「あの、なにか?」

千早「私も真も水瀬さんも、みんな高山さんを心配してたけど、春香だけは大丈夫だって言っていたのよね」

紗代子「え……」

千早「さすが、リーダーよね」

紗代子「ありがとうございます! みなさん、ありがとうございます!!」


瑞希「残念でしたね。あまり、詳しいことはわからなくて」

紗代子「うん。でも、いいんだ」

瑞希「?」

紗代子「私がひとつひとつ成長していって、少しずつ実力をつけて、そしてアイドルとして成功していけば、いつかプロデューサーに会える気がするんだ」

瑞希「そうなんですか?」

紗代子「今はメールだけでしかやり取りをできなくても、いつか……ね」

瑞希「その日がくるのが……楽しみですね」


瑞希「衣装合わせでも着ましたが、やはりこう……衣装というものに袖を通すと、アイドルになった……という気がしてきますね。ひしひし」

のり子「ね、ねえ、これ……こんな可愛い衣装、アタシに本当に似合ってるのかな?」

美奈子「大丈夫だよ! のり子ちゃんもちゃんと可愛いよ。ほら、私もエプロンは似合うって言われるけど、この衣装も……似合ってるって言われたから」

琴葉「のり子もさっきプロデューサーに可愛いって言われて、喜んでいたじゃない」

のり子「ええーっ!? み、見てたの!?」

琴葉「……私も」

のり子「え?」

琴葉「心配だから聞きに行ったから……」

のり子「え? 琴葉でも?」

琴葉「それはやっぱり……アイドルの衣装って初めてだし」

志保「あの……みなさん、プロデューサーに衣装が似合ってるか聞いたんですか?」

桃子「だって自分からは客観的に見えないこともあるんだから、全身を見てくれる人の感想は重要だよ」

志保「え、あ……ど、どうしよう。見て、もらった方が……?」

可憐「あ、あの……さ、紗代子さんがまだ来てない……みたいなんですけど」

環「まだメイク室にいたぞ。たまき、呼んでくる」

紗代子「ごめんね、おそくなっちゃった」

のり子「……え?」

育「さ、紗代子さん?」

桃子「だよね?」

紗代子「え? どうかした?」

瑞希「これは驚きました……高山さん、今日はメガネを外しておられるのですね」

風花「髪もほどいて……そうか、ちょっとクセっ毛でも、伸ばすと可愛く見えるかも」

紗代子「あ、うん。ステージではメガネは外して髪もほどこうって……変、かな」

のり子「そんなことないよ! すっごく可愛い!」

琴葉「ええ。ちょっと驚いちゃったな。いつもと違う可愛さだよ」

昴「すっげー可愛いよ!」

紗代子「そ、そう? 良かった……実はプロデューサーにこの姿を見てもらってないから、不安で」

麗花「あれ? 見てもらってないの? こーんなに可愛い紗代子ちゃんの晴れ姿を」

紗代子「メガネを外して髪もほどくことは話してあるんですけど……たぶん、プロデューサーがこの姿を見てくれるのは、今日のステージ録画が送られてからかな」

志保「紗代子さん」

紗代子「え? なに? 志保ちゃん」

志保「ステージ前にプロデューサーに衣装を着たところを見てもらってなくても、今日はがんばりましょう」

紗代子「う? うん」

春香「みんな、準備できた? 緊張しなくても大丈夫だよ。私たちで一緒にステージを作ろう……ね? えっと……紗代子ちゃん、だね。今日はがんばろう」

真「ボクのバック、頼むね」

紗代子「はい!」

春香「じゃあみんな、円陣組んで……そうそう、手を伸ばして……いくよ……765プロー! ファイトーー!!」

一同「おーーー!!!」


 765プロ劇場のこけら落としである公演が始まった。
 駆けつけたファンもマスコミも、後にそのステージを絶賛する。765プロの新しい活躍の場。いや、躍進の発信基地を765プロは手に入れたのだ。
 新しい場には、新しい花が加わった。
 新たに加わった候補生たちは、一同に紹介を受け、お披露目をされた。
 高山紗代子も、その中にいた。
 ここに、ささやかながら彼女のアイドルとしての活動が始まったのだった。
 候補生たちは、それぞれ先輩たちのバックで踊り、コーラスをし、最後には全員で一曲を歌った。


 同じ頃、紗代子のプロデューサーは1人、やきもきしていた。

P「ど、どうなったんだ……す、す、ステージは……さ、紗代子も、どんな姿で? 衣装は似合っていたか? メガネを外し……髪も……ど、どんな髪型になった? え、映像は……まだ、か……?」


     『奇蹟がはじまった』

順二朗「次回公演のセンターは、プロダクション内の公募で決めたいと思う」

 久しぶりに劇場にやってきた765プロの社長は、開口一番そう言った。

可奈「こうぼ? こうぼってなんですか?」

エミリー「公募は、公に募ると書きます。つまり、誰でも自分がやりたいと表明しても構わないということですね?」

順二朗「うむ。最近の君たちの上達ぶりには目を見張るものがある。正直、目移りしてしまって誰を選んでいいのかわからないほどだ。それならいっそ、やりたい者にやってもらおうかと思ってね」

静香「複数の人が立候補した場合は、どうなるんですか?」

順二朗「その場合は……そうだな、社内オーディションを開催したら面白いかも知れないね」

小鳥「社長。またそんな、思いつきをすぐ口にされて……」

順二朗「いやいや、自分で言っておいてなかなかいいアイディアだと思うよ。アイドルは互いに磨きあい、高めあってトップを目指すものだよ」

志保「じゃあ私、立候補してもいいですか」

可奈「え、志保ちゃんが!? そ、そうか……はい!! 私もやりたいです」

静香「私も、やりたいと思います」

 結局、その場のほぼ全員が手を挙げた。
 そして手を挙げた全員が『ほぼ』に入っていない、紗代子を見る。

紗代子「私も……やりたいです! センター公演!!」

 こうして熾烈な、社内オーディションの開催が決まった。
 候補生として入ってきた彼女たちの、最初の大きな舞台を賭けての争奪戦が始まったのだ。

瑞希「先ほど……どうして高山さんは、なかなか手を挙げなかったのですか?」

紗代子「え?」

瑞希「私以外のみなさんも、不思議に思っていたと思います。そして……だから高山さんが手を挙げて、ホッとしました。おそらく、みんなも」

紗代子「えっとね。もちろん、真っ先に手を挙げようかとも思ったんだけど」

瑞希「はい」

紗代子「プロデューサーに相談せずに、勝手に決めちゃっていいのかなって思って」

瑞希「なるほど。しかし、それは……杞憂でしょう」

紗代子「え?」

瑞希「杞憂というのは、取り越し苦労のことです。これは……その昔、杞の国のある人が……」

紗代子「あ、うん、その意味や由来は知ってるよ。そうじゃなくて、どうして杞憂だって思うの?」

瑞希「私は……高山さんをすごいと思っています」

紗代子「私を!? や、やだな、そんなお世辞なんて……」

瑞希「お世辞ではありません。失礼ながら、高山さんは候補生になった当初は、確かに様々な面で一緒に候補生となった私たちの中でも飛び抜けた才能を持っているようには見えませんでした」

紗代子「うん……」

瑞希「ですが、それは……私の間違いでした。高山さんは、努力と諦めない天才です」

紗代子「えっ!?」

瑞希「高山さんは、決して諦めません。妥協もしません。夢に向かって真っ直ぐに進んでいます。どんな難しい課題も、一生懸命取り組み……いつのまにかなんとかしています」

紗代子「そ、そんなの、必死なだけだよ。天才だなんて大げさな……」

瑞希「そうでしょうか? では、なぜ先ほど他のみなさん全員が、手を挙げない高山さんを気にして、注目していたのでしょうか?」

紗代子「……どうして?」

瑞希「みんな、私と同じ思いだからです」

紗代子「瑞希ちゃん……」

瑞希「私たちはみんな、高山さんの必死な姿を、そしてあきらめないで最後にはなんでもできるようになっている姿を、すべて知っています」

紗代子「うん……」

瑞希「みんな、高山さんをすごいと思っています。そして、負けたくないと思っています。だから、高山さんが参加しない社内オーディションに不満がありました」

紗代子「そんな風に言ってもらえて嬉しい。でも、私はやっぱり自分を天才だなんて思えないな……だから」

瑞希「? なんでしょうか」

紗代子「これまで通り、一生懸命やるだけかな。オーディション!」

瑞希「はい……それでこそ、高山さんです」

 どちらからともなく、2人は手を出し合い握手をした。
 夜の帳が降り始め、星空が顔をのぞかせる空の下、2人は互いに戦い合い健闘することを誓い合った。


 社内オーディション前日、再び高木社長が劇場へとやって来る。

未来「それで、社内オーディションって、どうやってセンターを決めるんですか?」

高木社長「うむ。社内オーディションは投票によって決める」

のり子「投票……って、誰が投票するの?」

高木社長「無論、オーディション参加者である君たちだ」

志保「え? 参加者が投票をするんですか?」

高木社長「そう。そしてルールその1、投票は自分以外の誰かに入れなくてはならない」

麗花「自信があっても、自分は選んじゃいけないってことですね?」

高木社長「そうだ。そしてルールその2。オーディションは脱落形式で進行する。最初の投票で10位以内に入った者だけが、次の投票に進む。当然にその都度、パフォーマンスを披露してもらう」

琴葉「質問してもいいですか? 最終的に何回の投票が行われるんですか?」

高木社長「最初の投票で10人に、次の投票で3人に、そしてその次が決戦投票だ」

のり子「ということは、三回勝ち抜けで優勝ってことだね」

高木社長「そして社内オーディションルールその3、パフォーマンス披露は1人1分でやってもらう」

昴「い、1分!?」

高木社長「1分をどう使うかは、各人の自由だ。無論、なにをやるのかも自由」

杏奈「歌や……ダンスじゃなくても、いい……の?」

高木社長「なんでもいい。それをどう審査するのかも君たちなのだから」

美奈子「そうか……1分間をどう使うか、なにをするかが既にひとつの課題なんだ」

のり子「ううっ、アタシなにをやろうか」

 ほとんどの候補生が、困惑している。

瑞希「高山さんは、なにをされるつもりですか……?」

紗代子「うーん。どうしよう」

高木社長「他に質問はあるかね?」

ロコ「クエスチョンではないですけど!」

高木社長「なんだね、ロコ君」

ロコ「ロコは今回のエントリー、バードダウンしたいとシンクしてます!」

風花「バードダウン?」

エミリー「取り下げる……という意味だと思われます」

 高木社長とロコ以外のメンバーがざわつく。

高木社長「理由を聞いてもいいかね?」

ロコ「パフォーマンスのための衣装が仕上がらなかったんです。ロコアートは、衣装も大事なファクトリー……じゃなくて、ファクターだと思っています。だから今回はとりさげ……バードダウンします」

高木社長「よかろう。他にも誰かいるかな? エントリーを取り下げたいという者は」

馬場このみ「質問してもいいかしら」

高木社長「なんなりと」

このみ「エントリーを取り下げた場合、何らかの不利益を被る可能性は? 具体的には、消極的であると見なされて活躍の機会が少なくなるとか、今後の公演でのセンターが先送りされるとか」

高木社長「それはない。今回の社内オーディションは、次の公演のセンターを決めるためだけのものだ。それ以上も以下も意味はない。断言しよう」

このみ「わかりました。じゃあ私も、取り下げるわ」

高木社長「理由は?」

このみ「そうね……土俵が違いすぎるというのかしら……ここにいる全員で競うという意味において、私のセクシーは他の娘とジャンルが違いすぎると思うのよね」

高木社長「ふうむ……個人の見解としては理解して、取り下げは受理しよう。では、明日を楽しみにしているよ」


亜利沙「あの、レッスンの後でいいので、ちょっとだけありさとお話していただけませんか!?」

紗代子「え? うん」

可憐「あの……」

紗代子「え?」

可憐「……も」

瑞希「どうされました? 篠宮さん」

可憐「私も……聞いて欲しいことがあるんです」

紗代子「? わかった。いいよ」


瑞希「それで、お話というのは……」

亜利沙「ありさ、歌に自信がないんですよ……」

紗代子「そ、そう? いつも大きな声が出ていて、羨ましいぐらいだけど」

可憐「……っ!」

瑞希「どうされました?」

可憐「わ、私……ぎ、逆に声が、小さくて……学校でも、なにを言ってるかわからないとか言われて……」

紗代子「うーん。でも可憐ちゃんの声、綺麗だし伸びやかだよ?」

可憐「あ、ありがとう……ございます」

紗代子「それで、亜利沙ちゃんの歌だっけ?」

亜利沙「それが、ありさ……ダンスも自信ないんですよ。容姿だって……ううっ」

可憐「私も、見た目が地味だし、そもそもアイドルに向いていないのかも……」

紗代子「2人とも、そんなことないよ! 2人とも、私から見たらすっごく魅力的だし、一緒にアイドルやれるの嬉しいもの!!」

亜利沙「ううう……さ、紗代子ちゃんにそう言っていただけるとわぁ~! ありさ、か、感激です!!」

可憐「私も……嬉しいです」

瑞希「松田さんは、もっと自信を持っても良いのではと思います。もちろん……篠宮さんも、いえ、特に篠宮さんは、私の憧れる容姿です……」

可憐「見た目は……でも、私……よ、弱い人間なんです!」

紗代子「?」

可憐「アイドルにはなってみましたけど、今でも足が……手も震えるんです。こんなんで、社内オーディションなんて……」

亜利沙「ありさも……得意なことないのに、何をやればいいのか……足がガクガクになっちゃいます」

紗代子「……私も、ね」

可憐「え?」

紗代子「自信なんてないし、弱い人間なんだ」

可憐「でも……だって、いつもあんなに堂々と、一生懸命レッスンをして……」

紗代子「自信がないから、一生懸命練習するんだ。いつか、思い描く自分になれるように」

可憐「紗代子さんも……?」

紗代子「私、なんにもできなかったんだ。今だって、全然。でも、少しずつだけど色々できるようになってきた」

亜利沙「はい、それはありさも間近に見てきましたケド」

紗代子「手や足が震えるっていうなら、特訓で克服するしかないよ!」

可憐「え?」

亜利沙「そんな特訓が、あるんですか!?」


紗代子「社内オーディションで緊張せずに、具体的には手や足が震えないような特訓はないものでしょうか? ……と、どうかな」

 いつものように、プロデューサーに疑問をぶつけてみる。
 相変わらず、返信はすぐだ。

『手足が震えるのか?』

紗代子「ええと……どうしよう。そうだ、プロデューサーには正直に言おう。一緒にやってる娘がそう悩んでいて、私もそうなったらと思ったからです……と」

『基本的には』

紗代子「え? なんだろう」

『私は紗代子の担当であり、他の娘には別の担当プロデューサーがいる。その人を無視した越権でのアドバイスはできかねる』

紗代子「え、そこをなんとか……お願いします、プロデューサー!」

 紗代子の願いを聞いたか知らずか、メールの文章は続いている。

『が、紗代子がそうなった時の為というのと、単なる一般的な方法として君に特訓内容を伝えておこう』

紗代子「やった! ありがとうございます、プロデューサー!!」


亜利沙「紗代子さん! 言われた通り、ホウキを用意しましたけど、これをどうするんですか?」

可憐「机も……用意しましたけど」

瑞希「私も、みなさんにお集まりいただきました……れでぃーす・あんど・じぇんとるがーる」

志保「なにが始まるんですか?」

紗代子「あのね、本番であがって手足が震えない特訓」

のり子「え?」

紗代子「論より証拠。はい、亜利沙ちゃん机の上にあがって」

亜利沙「えっ!?」

紗代子「あがって。大丈夫。危なくないように、私と瑞希ちゃんが両隣で支えるから」

亜利沙「こう……ふおおおっ!? きらびやかなアイドルちゃんの卵であるみなさんが、ありさを見つめています~!!」

紗代子「そこで、ホウキを持って」

亜利沙「ま、待ってください!! き、緊張して、て、手が……うおあわあああっっっ!!!」

紗代子「そこで、手のひらにホウキを立てて乗せて」

亜利沙「こ、こここ、こうっ……て、ててて、手が震えて……」

 亜利沙の掌の上で、ホウキはガクガクと震え、落ちそうになる。

紗代子「落としちゃダメだよ。あのね、コツは乗せてる掌じゃなくて、ホウキの先端を見ることなんだって!」

亜利沙「ホウキの先端……あ、ホントです。ホウキの揺れがなくなりました」

紗代子「手、震えてないでしょ?」

亜利沙「そう言えば……ほ、ホントです! 手が震えていません!!」

紗代子「手や足が震える時は、動きの先の方を見るんだって! 震えている手や足を見ちゃダメだってプロデューサーが教えてくれたの」

志保「そうか……それは参考になります」

静香「あれ? 志保も緊張して手足が震えたりするの?」

志保「っ! そ、そうなった時の為のために、よ」

紗代子「あとね。アイドルとしての活動も一緒なんだって」

可憐「え?」

紗代子「今の自分ばかり気にしないで、もっと先……未来の自分を夢見た方が手も足も、心も揺らがないって」

可憐「未来の……夢見る……さ、紗代子さん。あの、私もこの特訓やってみていいですか?」

紗代子「もちろん! 亜利沙ちゃーん。可憐ちゃんと代わってあげて!!」

静香「その後は、私もいいですか?」

志保「ふーん」

静香「な、なによ」

志保「静香も手や足が震えるんだな、って」

静香「そうならない時のためよ!」

 結局、全員がホウキによる特訓をやってみた。
 効果は上々だった。

亜利沙「紗代子さん、ありがとうございました! ありさ、やっぱり紗代子さんに相談して良かったです」

紗代子「そんな、亜利沙ちゃんががんばったからだよ」

亜利沙「社内オーディションも、ありさがんばります!!」

紗代子「うん。一緒にがんばろう!」

可憐「わ、私も……紗代子さんを見ていて、もしかしたら私も……って。ちょっとだけ、自信が出ました。あ、ありがとうございます」

紗代子「可憐ちゃんも、一緒にがんばろうね!!」


瑞希「高山さんは、不思議です……」

紗代子「え? なにが?」

瑞希「私たちは、同じ事務所のアイドル候補生ではありますが、ライバルでもあります。特に今回は社内オーディションです。なのに高山さんは、いつも私たちに、自分が受けている指導内容を惜しみなく教えてくださいます」

紗代子「うーん……でも、私たちは仲間だから」

瑞希「今回は、ご自分のことではなく、他の娘の悩みをわざわざプロデューサーに聞いて特訓を始められました」

紗代子「だってみんな、友達じゃない」

瑞希「高山さんが、不思議だと言うのはそのことです」

紗代子「?」

瑞希「頭では、高山さんは不合理だとも思います。指導内容を自分だけのものにしないし、他の娘り為にプロデューサーに質問したり。でも……高山さんが、仲間だからとか友達だからと言うと、私の中から不合理が消えてしまいます」

紗代子「それって、瑞希ちゃんも同じ気持ちになるってこと?」

瑞希「はい。それが……高山さんの言ってることが、正しいとしか思えなくなってきます」

紗代子「それはきっと、瑞希ちゃんも最初からそう思ってるからだよ。みんなが笑顔だと、幸せだって感じるのは一緒だからだよ」

瑞希「なんだか……うまくはぐらかされた気もしますが……はい、そう思うことにします」

紗代子「うん。うふふ、良かった」

瑞希「はい……良かった、です」


 とある場所で、高山紗代子のプロデューサーは、ホウキを手にしていた。
 独りであり、誰見ることのない場所であったが、掌に乗せる前から手は激しく震えている。
 そして掌に乗せると同時に、ホウキは手のふるえを伝え揺れながら床に落ちる。

P「……」

 気だるそうに、落ちたそのホウキを横目に見ながら、彼は呟いた。

P「人に教えるのと、自分が実際にやるのとでは、大違い……か」


高木社長「ではこれより、765プロ劇場公演センター争奪社内オーディションを開催する。まずは誰かな」

のり子「はい。アタシから。福田のり子、ハウスダンス踊ります」

 社内オーディションのパフォーマンス披露の順番は、事前にクジで決めた。
 のり子のダンスに、一同は感嘆する。

百合子「やっぱり……人のダンスって見てると楽しいなあ」

杏奈「杏奈も……あんな風に……踊り、できたら……」

瑞希「真壁瑞希、バトントワリングやります。いくぞ……瑞希」

百合子「うわあ、あんな風にバトンを使えるんだ」

琴葉「これはすごいわ……なかなか真似できないわね」

 それぞれが、得意なことや特技を利用した1分間パフォーマンスを披露していく。

可奈「矢吹可奈、歌います」

琴葉「田中琴葉、フェンシングを披露します」

未来「春日未来、歌な合わせてボタンを押します!」

翼「伊吹翼、歌って踊っちゃいま~す」

風花「豊川風花、救急蘇生を披露します」

志保「北沢志保、パントマイムをやります」

桃子「周防桃子、1人寸劇をやります」

静香「最上静香、キーボードで弾き語りをします」

杏奈「杏奈……あ、望月杏奈、タイムアタックモード、で……1分以内に、ラスボスを……倒すよ……倒します……あ、もう勝っちゃった……」

 そして亜利沙の順が回ってきた。

亜利沙「松田亜利沙、蒼い鳥をう、歌います!」

志保「え!? 歌唱力で有名な千早さんの名曲をわざわざ……?」

亜利沙「武道館での千早さんの蒼い鳥……何回も何回も見た、あの輝きを……ありさも!」

 前奏が流れる。と、亜利沙の表情も目つきも、千早に似てくる。

可奈「あ、あれ?」

亜利沙「泣くことならたやすいけれど~♪」

 振り付けは勿論、仕草や細かな表情、そして目線まで亜利沙は完璧に先輩である千早をコピーしていた。
 言ってみればモノマネであるが、繰り返し見て研究していた亜利沙のそれは、本物の完全コピーだった」

小鳥「はい。1分です」

亜利沙「~♪ あ、し、失礼しました!」

高木社長「ううむ! なかなかやるねえ。まるで本物の千早君のようだったよ。いや、大したのものだ」

小鳥「はい、では次は可憐ちゃん」

可憐「は、はい。あ、あの……篠宮可憐、あ、歩きます」

昴「え? 歩く?」

可憐「自信を持って……わ、私……地味だけど、みんなもスタイルはいいって誉めて……くれたんだから……」

 可憐は、ギュッと目を閉じたまま、レッスン場を歩き出す。
 スタイルの良い可憐が、顔を上げ、時折ポーズを交えながら歩く姿はサマになっていた。全員の目を惹く。

ロコ「ビューティフルです! これはもうムーブするアートです」

志保「歩くだけで、あんなに綺麗なんて……」

風花「自分の武器を活かす……で、でも私はそういうアピールは恥ずかしいし~!」

のり子「さあ、いよいよ紗代子の番だけど、いったい何をやるの?」

瑞希「さあ……私は、聞いていませんが……」

紗代子「高山紗代子、童謡を歌います」

静香「え? 童謡? アイドルなのに?」

紗代子「どんぐりころころ~♪ どんぶりこ~♪」

百合子「わあ……」

のり子「へえ。アカペラだけで童謡って、案外いいね」

エミリー「……わたくし、思わず聞きほれてしまいました」

美奈子「うん。それにやっぱり、紗代子ちゃん歌が上手いよね。声質と歌唱が合ってるし」

志保「それに……最初の頃と全然違う……目に見えて上達してるわ」

茜「というか、耳に聞こえてだよね」

紗代子「泣いてはドジョウを~困らせた~♪ 以上です」

小鳥「はい。1分です」

のり子「え? ちょうど1分!?」

紗代子「うん。特訓通り。やった!」

琴葉「え? もしかして、狙ってちょうど1分にしてたの?」

紗代子「ええ。どうせなら1分間を使い切って、内容も完結させたい! って思って。1分の曲ってなかなかないんだけど、童謡なら歌い方で調整すればできるかもってプロデューサーが」

志保「え……」

琴葉「すごかったわ。うん、認める。すごいよ、紗代子」

紗代子「そんなことないです。でも、ありがとう」

 希望者全員のパフォーマンスが終了すると、全員が誰かに投票をする。
 その結果を小鳥が集計し、高木社長に渡す。

高木社長「では第一回目の審査結果を発表しよう。勝ち抜けたのは、松田亜利沙君、篠宮可憐君、最上静香君、伊吹翼君、春日未来君、福田のり子君、周防桃子君、田中琴葉君、真壁瑞希君。そして最後は……」

 全員が息を飲む。

高木社長「高山紗代子君。以上10名だ」

 勝ち抜けた娘からは歓声が上がり、名を呼ばれなかった娘は顔を伏せた。

亜利沙「あ。ありさ……ありさが合格……」

可憐「私も……信じられない……」

志保「どうして……ううん、やっぱり……」

紗代子「大丈夫だよ」

志保「え?」

紗代子「なんにもできなかった私でも、こうしてなんとかやってきて、選ばれたりもするんだもん。志保ちゃんも大丈夫。まだまだこれから、ね」

志保「……はい」

高木社長「では引き続き、二回戦を行う。パフォーマンス時間はやはり1分。投票者は、残っている娘でおこなう。

亜利沙「ああっ!?」

琴葉「どうしたの?」

亜利沙「ありさ……まさか一回戦を勝ち抜けると思っていませんでしたから、次のパフォーマンスの準備をしていませんでした」

紗代子「大丈夫だよ」

亜利沙「え?」

紗代子「亜利沙ちゃん、あの千早さんの歌も急にできるようになったわけじゃないんでしょ?」

亜利沙「それは……ありさ、あのDVDをもう再生しなくても覚えちゃうぐらいみましたから」

紗代子「ね。だから、他のアイドルの歌やパフォーマンスでも一緒だよ。同じようにやれば大丈夫」

亜利沙「わ……わかりました。ありさ、やってみます」

琴葉「……紗代子は変わってるわね」

紗代子「え?」

琴葉「オーディション中に落ちた娘に声をかけたり、ライバルにアドバイスしたり」

紗代子「あ……でも」

琴葉「うん。わかってるわ。そういうの……今までは業界の常識みたいに思ってたけど、そう思っていたことが間違っている気がしてきた」

紗代子「え?」

桃子「桃子も……」

琴葉「うん」

桃子「その方がちょっとかっこいいかな……って。あ、で、でももちょっとだけだよ!」

可憐「次……なにしよう……どうしよう……」

琴葉「可憐」

可憐「あ、は、はい!」

琴葉「スカートの裾、折れてるわよ。髪も……ほら。これでよし」

可憐「あ、ありがとうございます」

※訂正
>>131
×琴葉「可憐」
○琴葉「可憐ちゃん」

桃子「のり子さんのマイム、もっと手足を伸ばした方がいいって、桃子思うな」

のり子「え? こう?」

桃子「そうじゃなくて、指先を伸ばして……それじゃあ空手みたいだよ。あはは」

のり子「こ、こう? こう?」

翼「ねえねえ~3人で歌っちゃダメかな~?」

未来「あ、それいいかも!」

静香「なに言ってるのよ。勝ち抜けのオーディションで3人でパフォーマンスやってどうするのよ。選ばれたとして、誰が次に進むのよ」

未来「えー静香ちゃん、私たちと一緒は嫌なの?」

静香「そ、そんなことは言ってないでしょ!」

瑞希「なんだか……みんなの雰囲気がかわりました……」

紗代子「うん」

高木社長「うむ。互いに高め合い、実力を磨き合う、これこそが絆だよ。この場に居合わせたこと、私も嬉しいよ」

春香「社長さん、準備できましたよ」

可奈「あ、春香さん!」

高木社長「ありがとう春香君。では、場所を移そうか」

紗代子「え?」


亜利沙「こ、ここで2回戦をやるんですか!?」

 一同がやって来たのは、劇場の舞台の上だった。

高木社長「さよう。本番の場で、君たちにはパフォーマンスを披露してもらう」

可憐「あ、あの……き、客席に……」

 そして客席には、765プロが誇る先輩アイドル達が着席している。

千早「楽しみに見させてもらうわね」

雪歩「みんな、がんばってー!」

 そして、それ以外にも。

千鶴「次の機会の参考にさせていただきますわね」

風花「やっぱり私、正統派だけじゃなくて、セクシー要素も必要だったのかしら……」

育「桃子ちゃん、がんばってー!」

エミリー「ごヒイキ様からは、このように舞台が見えているのですね」

律子「そうよ。よく覚えておくといいわね」

 一回戦で選ばれなかった娘も、客席に座っている。

可憐「こ、こんなに見られていると、緊張……してしまいます」

真美「ファイトだよ、しのみやん!」

高木社長「では2回戦は、可憐君から」

可憐「わ、私ですか!? え、えっと……し、篠宮可憐、は、走ります」

千鶴「なるほど。先程の歩く、の進化版ですわね」

可憐「い、いきます……!」

杏奈「か、可憐さん……歩くのも、きれい……だけど……」

真「なんか……どっか行っちゃったんだけど……」

美奈子「歩く、からさらに先に進んだみたいだけど、進み過ぎちゃったのかな」

高木社長「しかたない。では次は、琴葉君から」

琴葉「はい。田中琴葉、歌とダンスです」

このみ「フェンシングから一転して、アイドルに寄せてきたわね」

エミリー「こ、この歌は」

琴葉「バケツリレ~♪ 水よこせ~♪」

 琴葉はヘビーメタルを歌い踊った。驚くエミリーに、琴葉はウインクをする。

ロコ「あの真面目なコトハが……これはサプライズです」

エミリー「はい……しかも舞踊の要素のある踊りでした」

琴葉「ふふっ。エミリーちゃんと被ったらどうしよう、って思ってたんだけどね」

エミリー「とんでもないです。参考になりました! あの、後で教えていただけませんか?」

琴葉「いいわよ」

高木社長「次は亜利沙君だね」

亜利沙「は、ははは、はいっ! 松田亜利沙、太陽のジェラシーをやります」

春香「あ、私の曲?」

 1回戦動揺、亜利沙は春香の完コピを行う。
 が、やはり先輩からの目で見ると、1回戦のようにはいかなかった。

千早「よく真似ているけれど、もうひとつ迫力が足らないわね」

亜利沙「は、迫力……ですか?」

真「そうだね。ボクらは、間近で春香と接してるから言えるかもだけど」

亜利沙「はい……」

雪歩「同じじゃまだ駄目なのかな。やっぱり亜利沙ちゃんらしそも欲しいね」

亜利沙「わかりました! ありさ、次はもっとありさらしさ全開でがんばります!」

小鳥「社長? どうしたんですか?」

高木社長「いいねえ……この活気。これでこそ、だよ。よし、次は瑞希君だ」

瑞希「真壁瑞希、バトントワリングマジック……やります。やるぞー」

環「ばとんとわりんぐまじっく?」

 瑞希は1回戦でのバトントワリングを再度演じ始める。と、一瞬でバトンが消える。

育「ええええええ!?」

 と、次の瞬間、どこからかバントが落下してきてそれを受け止めた瑞希は、バトントワリングを再開する。

千鶴「ど、どうなってますの?」

美奈子「わからないけど……すごいね」

 最終的に、バトンが消え1分が経過する。そしてそのバトンは……

のり子「どこ行ったの?」

瑞希「バトンでしたら、小鳥さんのとなりの席に……ほら」

小鳥「えっ!? ほ、ほんとだ。いつの間に……」

 一同は拍手喝采する。
 続く未来と翼と静香は……

未来「この世の永久のね~がい~♪」

翼「唇にけ~だか~さを~♪」

静香「どこよりもと~おく♪ だれよりもは~やく♪ あなたに会いにいきた~い♪」

翼「考えたよな、3人一緒で歌えないなら、3人で1つの曲を3分割して歌い繋ぐって。まさにクリーンナップって感じだよな」

ロコ「クリナップですか? クリンミセスはよくわかりませんが、3人の個性が伝わってグッドでした」

育「うん。とってもよかった」

高木社長「……では、次は紗代子君」

紗代子「はい! 高山紗代子、ジャイブを踊ります」

真「へえ。ジャイブ」

雪歩「難しいんだよね?」

真「難易度は高いね」

 紗代子はその難易度の高いダンスを、楽しそうに踊る。事実、口元には笑美が見える。

春香「……楽しいんだね」

千早「楽しい?」

春香「たぶん、紗代子ちゃん。あのダンスできるようになったばっかりだと思う」

伊織「オーディション直前まで練習してた、ってこと? あきれた」

真「でも、上手いよ」

春香「うん。すごいね」

紗代子「タッターン! 終わりです」

小鳥「はい、1分です」

琴葉「……また」

美奈子「これってやっぱり?」

千鶴「ええ。意図して1分ぴったりのダンスにしたんでしょうね」

高木社長「では最後に、桃子君」

桃子「はい。周防桃子、詩を朗読します」

このみ「へえ……デスノスね。こういうの、どこで知ったのかしら」

千鶴「きっと陰で、すごい努力をしてるんでしょうね」

桃子「すぐまた会えるよ! すぐまた会えるよ! ……以上です」

千早「歌うだけじゃなくて、詩を抒情込めて朗読するのもいいわね」

雪歩「うん。ちょっとじんときたよ」

高木社長「次は、のり子君だね」

のり子「はーい。福田のり子、太鼓を叩きます」

琴葉「え? あ、それで浴衣姿なんだ」

のり子「よー、はい!」

 ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドン、ドン!

雪歩「わあ、力強いけど華やかだね」

エミリー「はあ……すごい」

春香「うん、リズムもいいし。これはステージでも披露できるよ」

高木社長「さて、それでは1回戦を勝ち抜いた10人による投票結果だが……上位3名は」

 全員が固唾を飲んで見守る。

高木社長「真壁瑞希君、田中琴葉君、高山紗代子君。以上の3名だ」

瑞希「やったぞ瑞希……」

琴葉「……うん、良かった」

紗代子「……うそみたい」

高木社長「ではこのまま3回戦を行う。まずは琴葉君」

琴葉「はい、田中琴葉……歌って踊ります」

 やはり最後は、アイドルらしく歌とダンスと彼女は決めていた。
 これまでのレッスンで学んだことを、活かす。

高木社長「次は瑞希君。準備はいいかな?」

瑞希「はい……真壁瑞希、歌とダンスをやります」

 瑞希もまた、同じ思いだったのだろう。
 バトンは持ったまま、トワリングはせず。だが、動揺にしなやかに身体を動かし歌う。

高木社長「うむ。では、最後は紗代子君だ」

紗代子「高山紗代子、童謡を歌いながらジャイブをします」

琴葉「やっぱり……」

美奈子「え? どういうこと?」

琴葉「紗代子はずっと、練習してたんだと思う。1分間ジャストでの歌、1分間ジャストでの難易度の高いダンス。そして次はその複合」

のり子「あー、そうか。少しずつレベルアップしつつ、本番に備えてたんだ」

紗代子「泣いてはどじょうを~♪ こ、ま、ら、せ~た! はい」

小鳥「はい1分終了です」

亜利沙「ま、また1分丁度ですか!?」

真「あはは。れは難しいよ。リズム取りながら、時間を正確に把握して演じるっていうのは」

雪歩「うん。普段は音楽に合わせて歌ったり踊ったりするけど、その目安がないとね」

千早「ジャイブしながら1分歌い続けるのも、すごいわ」

高木社長「さて。では最後は、オープン投票で決着をつけてもらう。真壁瑞希君のパフォーマンスに軍配を揚げる者は、挙手を」

 紗代子が手を上げた。

高木社長「では次に、高山紗代子君のパフォーマンスは……」

 ここで瑞希も琴葉も手を上げた。

瑞希「田中さん? ここで田中さんが手を上げると、田中さんは負けが確定してしまいますが……?」

琴葉「うん。だから、はい! 私、紗代子に入れる。歌もダンスも良かった。でもそれだけじゃなくて、練習で体感時間まで会得して披露した紗代子に私、感動したわ。だから、私は負けでいい」

高木社長「いいんだね? では決定だ。次の公演は2週間後、センターは高山紗代子君で決定とする」

紗代子「ええっ!? い、いいんです……か?」

高木社長「いいもなにも、君もそれを望んでいたんだろう? 君は勝ち取ったんだ、胸を張るといい」

琴葉「そうよ。やっぱり努力って実を結ぶんだなって、紗代子を見ていて再認識した。それが嬉しい。だからおめでとう」

紗代子「琴葉さん……はい、ありがとうございます」

瑞希「次は、私も……センターを目指します」

紗代子「うん。がんばっていこうね」

 この時、客席にいた、765プロのアイドルとその関係者だけがこの紗代子の起こした、最初の奇蹟の目撃者だった。
 誰にも見いだされず、誰にも選ばれなかった少女が、1人のプロデューサーと共に実力をつけ、磨き、あきらめずにセンターという大役を掴んだこの瞬間の。
 少女は仲間達からの祝福を受け、少しだけ流れようとする涙をこらえた。

紗代子「まだ……まだ泣いちゃだめだよね。これから……なんだもの」


     『ついに2人は出会った』

紗代子「事務所内オーディション、合格でした。ありがとうございました……っと」

 スマホでプロデューサーにメールを打つと、ものの数秒で返信がくる。
 メールでのプロデュースを受けるようになって三ヶ月が過ぎようとしていた。こうしたやり取りに慣れてはきたが、それでも海外で忙しくしているプロデューサーの手を煩わせているのではないかと、時々不安に駆られる。

紗代子「お忙しい中、私のために時間を割いていただき、申し訳ありません……え? もう返信が!?」

『君の成功は、私の成功でもある。気にしなくていい。最近は、レッスンも順調なようだし、今回のオーディションのように結果も出ている。ファンも増えつつある。君はよくやっている』

 最近は、指摘や指示以外にも、プロデューサーからのコメントが多くなってきた。
 と、少なくとも紗代子はそう思っている。
 尊敬するプロデューサーとの距離が縮まっている。そう感じられることは、彼女の喜びにもなっていた。
 センター公演が決まると、更にプロデューサーは様々指示を出し、紗代子はそれに従った準備を進めた。彼は事務所へも連絡をしているみたいで、公演内容もスムーズに決まりリハーサルも順調に進んでいる。

 そして2日後にセンター公演を控えたある夜、紗代子はプロデューサーにメールをしてみた。

紗代子「ひとつ、質問してもいいでしょうか?」

 返事はすぐにきた。

『なにか問題か?』

紗代子「ボイスレッスンは順調ですけど、今よりもっと歌声を磨きたいんです。何かアドバイスをいただけませんか?」

 今度は返信に少し時間がかかった。と言っても時間にすれば5分ほどだ。

『一朝一夕に効果のある手法など、ありはしない。少なくとも俺はそんな方法は知らない。ダンスやメイク・着こなし等と同じく、日々の積み重ね以外に歌が上手くなる道などあろうはずがない』

 それは当然そうだろう。紗代子もそう思ったところで、画面をスクロールさせると、意外な言葉をプロデューサーは綴っていた。

『だが』

紗代子「えっ!?」

 もしかしてあるのだろうか、何かそういう魔法のような特別な方法が。

『声質、声量、テクニック、そうしたものはレッスンで身につけ磨くしかない。だが、これはある意味精神論的というか、感覚的というか観念的、もしくは超自然的なことになるかも知れないが』

 紗代子は必死でメールを読み進める。
 そしてそこには、こう書かれていた。

『これは伝聞だが、山で遭難した人が助けを呼んでいた。山岳救助ボランティアの人がその声を聞きつけ、声のする方へ急いで向かった。果たしてその声の聞こえた方角に、遭難者はいた。だが』

紗代子「? なんだろう」

『遭難者がいたのは、数キロも先の場所だった。常識的に考えて、声など届くはずもない。だが、救助者は確かにその声を聞き、遭難者を見つけた。俺も経験があるが、山というのは不思議な場所だ。だが、それを差し引いても思うのは、必死な人間の懸命な声は、物理的な事柄を飛び越えて人の心……魂というものに届くのではないだろうか』

紗代子「必死な人間の懸命な声は、人の魂に届く……」

 紗代子は虚空を見つめ、大きく頷いた。

紗代子「プロデューサーは山登りをするんですか?」

『今でこそこんなだが、学生時代は登山部だった。高校や大学の頃は山にばかり登っていた』

紗代子「ふふふっ。こんな、って言われても見えませんよ。ええと……だから私を、選んでくれたんですか? っと」

『? どういう意味だ?』

紗代子「私の名前が、高山だからです」

 珍しく返信が遅くなった。
 もしかして、つまらない冗談でプロデューサーの気を悪くさせてしまったのだろうか?

紗代子「あ!」

『関係ない。今のも、そういう話を聞いたことがある、というだけのことだ。ではまた』

 返信があったことで、紗代子は少しホッとした。
 そして再度、大きく頷くと押入からリュックを取り出した。


 ディスプレイだけが明かりを放つ室内で、紗代子のプロデューサーである彼はキーボードを叩いていた。
 昨日は、自分らしくもなく雑談などに興じてしまった。
 最後の紗代子からの、名前が高山だから山好きの自分は選んだのか、との問いには思わず笑い転げてしまった。誰かと会話……ではないが、言葉のやり取りで笑ったのなどいつ以来だっただろう。
 だがそれはともかくとして、それによって肝心な指示を出し忘れていては、野望……いや、復讐など果たせないではないか。
 改めて指示をメールで送る。が、普段ならすぐにある返信が、今日に限ってはない。1時間が経過し、さすがに彼も小首を傾げる。
 こんなことは初めてだった。紗代子だって年頃の女の子であり、常にスマホを携帯していないこともあるだろうが、それにしてもこれほど返信がないのは、初めての経験だけに彼も次第に不安になってくる。

P「通話を……し、してみる……か? ま、まあ、出ればそれでよし。そのまま切れば……う、うむ、いいんだから」

 ブツブツ言いながら、30分ほども逡巡した末についに彼は紗代子のスマホに通話をかけた。が、彼女のスマホは電源が切られているようだった。

P「どうする……ど、どうするべきか……そ、そうだ。おと、音無さん……音無さんに……!」

 震える指が痛む程の勢いで、Pはキーボードを打鍵する。
 永遠かと思える時間が過ぎーー実際には10分程のことだったがーー音無小鳥との通話回線が開く。

小鳥「どうしたんですか?」

『紗代子と連絡が取れない。こんなことは初めてだ。何か知りませんか?』

小鳥「え? うーん。でも、紗代子ちゃんだって色々と私用とかあるんじゃないですか? 明日は大事な舞台ですし、友達とリフレッシュしてるとか」

『メールにこんなに長時間、返信がないなんて初めてなんです!』

小鳥「ふう……わかりました。ちょっと紗代子ちゃんのお家に電話してみますね」

『おねがいします』

 またしても気の遠くなるような時間が過ぎる。
 果たして小鳥から、再度通話回線が開かれる。

小鳥「紗代子ちゃん、朝早くから出かけたそうですよ。なんでも山に行く、って」

 ギクリとした。
 まさか……まさかだが、昨夜の自分の話を紗代子は本気にしたのではなかろうか。
 そしてそれを、実践しようと……

『どこですか?』

小鳥「え?」

『どこの山へ行ったんですか?』

 紗代子が住んでいるのは、茨城県の大洗だ。茨城の山といえば……

小鳥「ええと……確か、なんだっけ? そうそう、筑波山だとお母さんはおっしゃってましたけれど。でもですね、大丈夫ですよ。紗代子ちゃん、ちゃんと……」

 なんという無謀なことを!
 プロデューサーは、部屋を飛び出していた。
 自分が余計な話などしたから!!
 素直で、そしてなんでも全力でいつも要求に応えてくれる彼女を、埒も根拠もない話で危機に追いやってしまった!!!
 息を切らしながら走り、飛び込むように帰宅した彼は、押入にしまってあった登山用具を引っ張り出すと、車に飛び乗った。


 はたと気がつくと、手も指も震えてはいなかった。
 それ自体、驚くべき事だが、今の彼はそれどころではなかった。すぐに頭の中を紗代子への心配が占める。

P「筑波山って、どっちだ!? 男体山か!? 女体山か!?」

 筑波山は、男体山と女体山の2つから成る山だ。それに加えて登山ルートも複数散在する。
 紗代子が登ったのは、そのどちらの山の、どのルートか……

P「確か筑波の男体山は、標高871メートルだったな。そして女体山は877メートル……」

 プロデューサーは、考えながら常磐自動車道を土浦北ICで降りた。
 そして筑波山神社の駐車場に車を停めると、荷物を担いで山頂を見上げる。

P「どのルートから山頂を目指したのか……そして男体山を目指したのか女体山を目指したのか……いや、そもそも筑波山に登るとは言っても、それが頂上とは限らないわけだし……」

 遭難者の気持ちになろうとしているのなら、逆に頂上は目指さないかも知れない。
 しかし気候も天候も今日はいい。登山客も多いルートだと、途中で横道に逸れるような真似はできないだろう。

P「よし。険しい白雲橋コースで女体山にまず登ろう」

紗代子「意外とあっという間でしたね。男体山の頂上って」

北上麗花「うーん。今日は初心者の紗代子ちゃんと登るんだし、御幸ヶ原の筑波山頂駅までケーブルカーで来たからね」

紗代子「ありがとうございます。急に山に行きたいなんてお願いして、申し訳ありませんでした」

麗花「ううん。それはいいんだよ? 私もピクニック気分だったし。でも、紗代子ちゃんは違うんだよね?」

紗代子「え?」

麗花「山に来た目的。ピクニックじゃないんだよね?」

紗代子「……はい。小学校で登山はしたことがあっても、ちゃんと山に登ったことってなくて」

麗花「それだけ?」

紗代子「あと、山に登れば少し近づけるかなって思って」

麗花「そうなの? そうなんだ~」

紗代子「あの、麗花さん。もう少し山登りをしたいんですけど、いいですか?」

麗花「うん。じゃあこのまま、さっきの御幸ヶ原へ戻って、そこから今度は女体山に登ろうか」

紗代子「はい。お願いします……え?」


P「どこだ……紗代子……紗代子ーーー!!!」

 一瞬、紗代子はハッとすると進む先、頭上の女体山を見上げた。

紗代子「プロ……デューサー?」

麗花「紗代子ちゃん? どうしたの?」

紗代子「今……呼ばれたような気が……したんですけど」

麗花「ふむふむ。あ、紗代子ちゃんのプロデューサーさんは、私のプロデューサーさんとは違うんだっけ。それって紗代子ちゃんのプロデューサーさんのことだよね?」

紗代子「はい……でも今、私のプロデューサーは」

麗花「海外に行ってるんだっけ? いいな~どこの国かな~? 北京? ベルリン? ダブリン? バビロニア~♪」

紗代子「そういえば、どこの国なのかな? 私、聞いたことなかったです」

麗花「でもでも、紗代子ちゃんが声を聞いたなら、日本に戻ってきているかも知れないよ」

紗代子「え?」

麗花「山って、不思議だよ。普段はないような感覚が、ぶわあーってぶつかつてきたりするんだ」

紗代子「それって、自然の中にいるから……ですか?」

麗花「どうなのかな~? でも、そうかも知れないよね」

紗代子「プロデューサー。もし本当に帰国しているのなら、会いたいな……」

麗花「紗代子ちゃんのプロデューサーさんって、どんな人なのかな?」

紗代子「きっと私と違って、自信に満ちあふれた人じゃないかなって思います」

麗花「それはどうして?」

紗代子「いつも、的確で厳しくて、でも優しさを感じる文章だから……」

麗花「なるほど、なるほど。自信家の普通の人って感じだね」

紗代子「え? ええと……うーん、そ、そうですね」

麗花「それなら早く帰った方がいいのかな。ニイタカヤマノボレ、じゃなくてツクバヤマハレーってね」

紗代子「? でもちょっと気がついたことがあるんです。麗花さん、女体山までは、行きたいんですけど駄目ですか?」

麗花「駄目じゃないよ~。私も、紗代子ちゃんとピクニック楽しいから」

紗代子「良かった。じゃあ、行きましょう!」


 かつての山男とはいえ、そのブランクは深刻だった。まして彼は、ここ暫くはろくに部屋から出てすらいなかったのだ。
 女体山頂を目指すコースは、かなりの急勾配だ。それを彼は、必死に進んでいく。

P「紗代子……今、行くぞ……紗代子……」

 呻くように必死に登り、山頂に着く頃には疲労困憊は限界に達していた。
 そこで周囲を見渡すが、紗代子の姿はない。

P「いないか……よし、このまま男体山へ……」

 しかし体力は限界だった。道の途中、荒い息で、四肢を着き、顔を伏せるP。
 もはやその口から出る声は、譫言のように微かだった。

P「紗代子……」

紗代子「はい?」

麗花「どうしたの? 紗代子ちゃん」

紗代子「そこの人が今、私の名前を呼んだような……」

麗花「ん~? 私には聞こえなかったけど……」

 刹那、プロデューサーと紗代子の目が合った。
 紗代子には、わかった。
 この人こそが……

紗代子「プロデューサー……ですか?」

P「紗代子……!」

 どこにこれほどの元気が残っていたのかという勢いでプロデューサーは立ち上がると、肩を掴んだ。

P「心配したぞ! こんな……こんな無茶をして!! だが、良かった!!!」

紗代子「え? あの、プロデューサーなんですよね? 私、ええ?」

P「すまなかった。昨日、俺があんな話をしたから……」

紗代子「そ、そんなことはないんですけど、プロデューサー。人が……」

 気がつけば、周りの登山客が全員2人を見ている。
 それはそうだろう、気息奄々としていた男がいきなり立ち上がると若い女性の肩を掴み、よくわからないことをまくし立て始めたのだ。

P「あ、す、すまん。だが、無事で良かった」

紗代子「無事……って、私は別に危なくなんかなかったですよ? お天気もいいし、いい気分転換になりました」

P「へ? いや、紗代子。遭難する為に山に来た……んじゃないのか?」

紗代子「え? そ、そんな危ないことするわけないじゃないですか! 人に迷惑がかかりますし……あ、プロデューサー!?」

 今度こそ、本当にプロデューサーは脱力をした。
 その場に崩れ落ちると、顔だけは苦笑の表情になる。

P「なんだ……俺の早トチリか……良かった……」

紗代子「プロデューサー、もしかして私を心配して来てくれたんですか?」

 プロデューサーの傍らに、紗代子は腰を下ろす。その顔つきは、心配と申し訳なさがない交ぜになっている。

P「メールの返信が……なかったからな、お母さんは紗代子は男体山に行ったとおっしゃるし、昨日あんな話を俺がしたから……」

紗代子「すみません。確かに今日、山に来たのはプロデューサーからのメールがきっかけではあるんですけど、そんな遭難なんて……ちゃんと山に詳しい人も一緒ですし」

P「え?」

麗花「ふふふ~紗代子ちゃんと紗代子ちゃんのプロデューサーさんの運命の出会い、私見ちゃいましたよ~」

P「うおわっ! だ、誰だ!?」

麗花「はじめまして。私、北上麗花といいます。紗代子ちゃんとは765プロで一緒にアイドルやってま~す」

P「そ、そうです……そうでしたか。は、はじめ……まして」

紗代子「麗花さんは山登りが趣味で、経験も豊富なので、お願いして一緒に山に登ってもらってたんです」

P「ちゃんと詳しい人も同伴だったのか……」

紗代子「スマホは、山では通じないと思って電源をきっていたんですけど」

麗花「あ、紗代子ちゃん言わなかったっけ? 山でもけっこう電波通じるんだよ?」

紗代子「そうなんですか!? あの、プロデューサー本当に申し訳ありませんでした!!」

P「いや、無事で何よりだ……」

 青空がプロデューサーの目に映る。確かにいい天気だ。
 もう人前に出ることもない。そう考えていた自分が、気がつけばここまで夢中でやって来て、空を見上げている。
 それがなんだか可笑しかった。無性に可笑しかった。

紗代子「プロデューサー? もしかして私を笑っているんですか?」

 心配そうな紗代子には何も答えず、プロデューサーはただ笑っていた。


麗花「じゃあ紗代子ちゃんは、お迎えに来た白馬の普通の人にお任せしちゃいますね」

P「べ、別に俺は1人で帰るつもりだ……が」

紗代子「あの、私からお願いして山に連れてきてもらったのに、麗花さんを1人で帰すなんて……」

麗花「いいの、いいの。せっかく会えたんだから、私は気にしないで2人でお話をどうぞ。私は、2人がどんなお話をしてるのかな~って想像しながら楽しく帰るから」

P「べ、別に、俺は……は、話とか……」

麗花「紗代子ちゃんのプロデューサーさん。紗代子ちゃんですね、男体山の頂上で私に、何か気がついたことがあるって話してくれたんですよね」

P「え?」

麗花「それが何か、知りたいですよね?」

 何だろう。そういえば紗代子は先ほど「山に来たのはプロデューサーからのメールがきっかけではあるんですけど」と言っていた。
 遭難が目的ではないにしろ、何をしに筑波山まで彼女はやって来たのか?

麗花「ひとつだけ聞いてもいいですか?」

P「え? あ、い、や、あ……は、ああ」

麗花「紗代子ちゃんのプロデューサーさんは、山登りをする人なんですね?」

 この娘は、おそらく自分の服装や装備を見てそう思ったのだろう。
 プロデューサーは、そう思った。確かにそれなりに準備をしたとはいえ、着ているものも持っている装備も、いささか年季が入ってはいるが、それなりのものだ。

P「あ……あ、ああ」

麗花「うふふ。は~い。わかっちゃいました~」

 麗花が何をわかったのかはプロデューサーにはさっぱりわからなかったが、彼にとってありがたいことに彼女はそれ以上は何も聞いてこなかった。

麗花「紗代子ちゃん、会いたいって言ってたプロデューサーさんと、しっかりお話をしてね」

紗代子「麗花さん……ありがとうございます」

麗花「バイバーイ! また一緒に山に登ろうね。次は越生の駒ヶ岳とか紗代子ちゃんにはぴったりかも」

紗代子「はい。また、ぜひ」


 北上麗花は、顔に風を受け微笑んでいた。
 幸せな気持ちだった。
 どうして紗代子が急に山に行きたいと言い出したのか、彼女はなんとなく言葉を濁していたが、彼女のプロデューサーに出会ったことで、麗花は全てを理解した。

麗花「プロデューサーさんが山男だったから、少しでもプロデューサーさんに関係あるものを知りたくて……触れたくて、紗代子ちゃんは山に行きたくなったんだね」

 山は素敵だ。大好きだ。
 その山で、大好きな同僚で友である紗代子が、会いたがっていたプロデューサーと運命的な出会いをした。
 嬉しかった。
 それだけで麗花は、とても幸せだった。


 麗花と別れた後、2人は駐車場に停めてあったプロデューサーの車に乗り込む。そして車が走り出しても、2人は無言のままだった。
 それぞれ、お互いに話したいこと、聞きたいことはたくさんある。
 だが、そのきっかけが掴めない。

紗代子「あ」

P「ど、どうした?」

紗代子「鳥が……」

P「……ヒバリか。珍しいな」

紗代子「プロデューサー、鳥にも詳しいんですか?」

P「茨城県の、県鳥だぞ」

紗代子「……知りませんでした」

 数秒の沈黙の後、2人は声を上げて笑い合った。
 笑いは、次第に言葉を呼び会話となる。

紗代子「いつ帰って来たんですか?」

P「え?」

紗代子「海外から」

P「あ! あ、ああ……け、今朝……か、かな」

紗代子「え?」

P「い、いやあ、ほら。時差とかあってよくわからなくなるんだ」

紗代子「ああ! すみません、それなのに私のが心配をかけてしまって」

P「いや、それはいい……んだが、そもそもなんで山に登ろうと思ったんだ?」

 プロデューサーの問いに、急に紗代子は俯く。その頬は少し赤くなっている。

P「どうした?」

紗代子「えっと、遭難するつもりまではなかったんですけど、遭難する人の気持ちがわかるかなっていうか、そもそも山にいるってどういう感じか肌で感じたかったんです!」

 真剣な瞳の彼女に、プロデューサーは小首を傾げる。
 その理由と、頬を染めた理由は関係があるのか?

P「それで? どうだったんだ?」

紗代子「そうですね……山はとっても気持ちよかったですし、楽しかったんですけど、遭難した人の気持ちはわかりませんでした」

P「そりゃそうだろうな」

紗代子「はい。でも……」

P「ん?」

紗代子「気がついたことが、2つあります」

P「それは、なんだ?」

紗代子「ひとつは、プロデューサーの言ってた事は本当だった、ってことです」

P「俺が?」

紗代子「必死な人の懸命な声は人の魂に届く、という話です。プロデューサーの私を呼ぶ声、聞こえました。確かに……」

P「……そうか、聞こえたか。それで、紗代子はすぐに俺だとわかったんだな」

紗代子「男体山の頂上にいた時から、なんとなく聞こえた気がしていました。そして、あの時……目が合った時にわかりました。この人だ、この人が私を呼んでいたんだ。私のプロデューサーなんだ、って」

P「やっぱり山は、不思議だな。それから? もうひとつのわかった事っていうのは?」

紗代子「明日の公演、プロデューサーは見ていてくださるんですか?」

 そうだった。明日はこの娘の、初主演公演だったのだ。
 こうして帰国しているという体裁なのだ、見ないのはおかしいだろう。
 しかし……
 まだプロデューサーは、迷っていた。いや、恐れていた。
 人前で自分は……大丈夫なのか?

紗代子「だめ……なんですか?」

P「いや、わかった。行くよ、明日は劇場に」

紗代子「良かった! 私、全力でがんばります。そして……」

P「え?」

紗代子「今日、気づいたこと。プロデューサーに明日、劇場でお目にかけます!!」

P「なんだかわからんが、楽しみにしておく。じゃあ、俺も聞いていいか?」

紗代子「なんですか?」

P「紗代子の熱意は素晴らしいと思う。だが、紗代子をそこまで駆り立てるものはなんだ?」

紗代子「約束が……あるんです」

P「約束?」

紗代子「小さい頃、いつも一緒に遊んでいた幼馴染みの女の子。その子と、約束したんです。2人ともアイドルになろうね、って。そして一緒のステージで歌おう、って」

P「そうだったのか」

紗代子「きっとあの子も、がんばっているはずです。だから、私も……」

P「それでステージではメガネを外して髪もほどくんだな」

紗代子「あの子の知っている私は、メガネをかけていませんでしたから……」

P「そうか。会えるといいな、いつか」

紗代子「はい。あの……私からも、もうひとつ聞いてもいいですか?」

P「なんだ?」

紗代子「プロデューサーは、どうして私を選んでくれたんですか?」

 紗代子の問いに、プロデューサーは何も答えない。

紗代子「私には特別なものはなにもありません。だからオーディションにも落ち続けました。そんな私を……どうしてプロデューサーは私を……?」

P「お、水戸大洗ICだ。ここで降りればいいんだよな?」

紗代子「え? あ、はい……」

P「遠い未来……」

紗代子「?」

P「今日のことや、そういうことを懐かしく話す日もあるかも知れない。だが、紗代子も俺もまだ道半ばだ。今はただ、目の前だけを見ていこう」

紗代子「……わかりました」


 高山家の前で紗代子を下ろしたら、そのまま帰るつもりだったプロデューサーの腕を、紗代子は必死で引っ張ってきた。

紗代子「今日のお詫びに! いいえ!! 今までのお礼もこめて、夕食だけでも食べていってください!!!」

P「いや、俺は……は、放せって……」

「なあに、紗代子。どうしたの? 確か今日はいつもお世話になっている女性の方と筑波山に……あら」

P「あ……ど、どどど、どうも」

 家から出てきた紗代子の母親に、プロデューサーはぎこちなく頭を下げる。その彼を見て、母親は首を捻る。

「確かに……紗代子は、女の人と出かけるって言ってたわよね。でも……つまり……」

紗代子「あ、あのねお母さん。この人は……」

「わかった! この方、こう見えて女性の方ね!?」

P「は?」

紗代子「違います。この人は……」

「え? ちょっと待って、状況を整理するわよ……紗代子は女の人とでかけると言った。でも帰ってきたのは男の人とだった。つまり……お母さんに嘘をついてのね!?」

紗代子「う、嘘じゃなくてね。最初は女の人と出かけたんだけど、今一緒にいるこの男の人はね、私の……」

「つまり……山で性別が変わった、と?」

紗代子「ちーがーう! あのね、この人は……」

「誰なの?」

紗代子「私のプロデューサー! いつも話をしてるでしょ? お世話になっている方なの」

 結局、女性2人に両腕を引っ張られ、プロデューサーは高山家へと招き入れ……いや、引きずり込まれた。
 手際よく夕食の調理を始める紗代子の母を横目に見ながら、プロデューサーは紗代子に小声で話しかける。

P「なんだか……紗代子とはちょっとノリが違うな」

紗代子「ええ……いい両親なんですけど、なんというか冗談とかが多くて軽いんですよね。時々、本当に実の両親なのかな、って思っちゃったり……」

 確かに、今まではメールでしかやり取りをしたことがなかったが、プロデューサーの紗代子に対する印象は真面目で情熱に溢れているというイメージだ。

「そうですか。プロデューサーさんは、山男でらっしゃるんですか」

 改めて、プロデューサーは紗代子と一緒に帰ってきた経緯を母親に説明する。

P「は、はあ……学生時代は、日本中の山を登ってました」

「富士山もです?」

P「の、登りました」

「まあすごい。なるほど、だからなんですのね」

P「なに……何がで、ですか?」

「紗代子を担当してくださった理由ですわよ。名前が高い山だから選んだ! ……当たりです?」

P「……紗代子」

紗代子「な、なんですか?」

P「安心しろ。間違いなく血の繋がったお母さんだ。うん」

紗代子「えー……」

「ただいまー。姉ちゃん今日はもう帰って……あれ? お客さん?」

P「あ、ああ、あ、ど、どうも」

「どうも……どなたさん?」

紗代子「あ、あのね、この人は……」

 紗代子が説明するより早く、母親が弟に説明を始める。

「この人はね、お姉ちゃんの大事な人よ」

「ええっ!? マジで!? そういう人が来るの、もっと先だと思ってたけど」

紗代子「ちょっと、お母さん! あなたも勘違いしないで!!」

「これからはこの人を、兄さんだと思っていいのよ」

P「や、ま、ちょ、ちが」

「それで兄さん、仕事はなにをしてる人なんですか?」

P「あ、しょ、し、職業は、あい、あ、アイドルのぷ、プロデューサーを……」

「そうなんですかー。僕も好きですよ、アイドル」

紗代子「そ、そうなの? えへへ」

「雪歩ちゃんと伊織ちゃんが好きなんです」

紗代子「ちっょとー! 私はーー!?」

「新規加入した765プロアイドルでは、真壁瑞希ちゃんの大ファンです!」

P「そ、そうなの……そうなんで……か」

「この人はね、あなたのお姉ちゃんと、とてもよく理解し合っているのよ」

紗代子「お母さん! やめてって!」

「姉ちゃんのこと、よろしくお願いします!」

P「え? あ、え、あ、ええ」


紗代子「なんだかすみません。ノリの軽い家族で」

P「いや、ごちそうになった」

紗代子「いいえ。じゃあ、明日……劇場で」

P「……」

紗代子「プロデューサー?」

P「わかってる……明日、劇場で……」

 挨拶を交わし、プロデューサーは高山家を辞して去った。
 その後ろ姿を、紗代子は不安げにずっと見ていた。

P「明日……か。行くべき……だろうな」

 いっそこのまま、またあの場所に籠もろうかとも思った。
 人前なんて、とんでもない。
 だが……

P「約束……してしまったしな……」

 そう。そしてそれだけではない。
 俺には、返さなければならない借りがある。
 それから劇場のこけら落としの時、あの場所に籠もって悶々として映像が届くのを待っていた記憶が蘇る。
 どうせ、どちらにしても辛いことなら……


     『歌声は魂に届いた』

高木社長「き、君!?」

 765プロ社長の高木順二朗が、目を剥いて驚いた後、心底嬉しそうに両手を開く。

高木社長「ついに君は、あそこから出てきてくれたんだね。いや、待っていたよ」

P「……色々とすみませんでした。そして、紗代子が世話をおかけしました」

高木社長「そんなことはないよ……しかし、最初はどうなることかと思っていたが、さすがは君の手腕だ。今日の公演センターを勝ち取った事務所内オーディションは見事だったよ」

P「紗代子は……よくやってくれています。時々、忘れそうになりますよ。あの時のこと」

高木社長「もう、忘れた方がいいんじゃないかね」

P「そうはいきません。今日出てこられたのだって、それがあるからこそ……あの時の屈辱を晴らす為に俺は!」

高木社長「……高山紗代子君を選んだ理由もそれかい?」

P「え!?」

高木社長「時々、可哀想になるよ。何も知らない高山紗代子という娘が」

 暫く、沈黙が流れた。
 やがて高木社長は、肩を竦めると言った。

高木社長「まあそれは、2人の問題だ。高山紗代子君は、確かに目的であるトップアイドルにちゃんと向かっている。あの娘の望む通りに」

P「そうですとも。ギブアンドテイクだ。お互いがお互いを利用して、何が悪いというんです!?」

高木社長「……ひとつだけ、君に言っておこう」

P「? なんです」

高木社長「復讐は、いつか終わる。終わらない復讐などない。なぜなら……」

P「復讐は何も生まない、なんていう話じゃないですよね?」

高木社長「無論、違う。これは君よりは長く人生を歩み、そして多少は愛憎というものを経験している身としての、経験則だ」

P「……うかがいましょう」

高木社長「復讐は、何を以て成し遂げられたとするか……そう考えれば、自ずと明らかだろう。復讐は、その過程が報われた時、終了するのだ」

P「? 復讐をするな、という話ではないんですね?」

高木社長「逆に君に聞こう。君はどうなれば、復讐が終わると思っているのだね?」

P「それは……俺を馬鹿にしたやつらを……そう、特にあいつを見返して……」

高木社長「君は、それを確認できるのかね? 目に見える所で見返せたとわかるのかね?」

P「……」

高木社長「君の復讐も、いつか終わる。そして、そのいつかは突然にやってくる」

P「それは、予言ですか?」

高木社長「先程も言っただろう? これは経験則だよ。そしてそのいつかがやって来た時に、君はプロデューサーとしての真価が問われるだろう」

P「……お言葉は、覚えておきます」

高木社長「うむ。それはそうと、気になることがあるんだが」

P「え? なんです?」

高木社長「二階の最前列……ここから見えると思うが」

P「ええ……ん? あれは……961プロの……」

高木社長「黒井が来ているんだよ。いや、業界としての礼儀で劇場のこけら落とし時から招待状は送っていたんだが、今回初めて来たっていうのがどうにも不思議でね」

 765プロと961プロは、互いにライバル関係にある芸能事務所だ。そしてそこには社長同士の因縁もある。
 その961プロの社長が、一体なんの用でやって来たのか。それも初めて。

P「確かにいい予感はしませんね」

 無愛想に、というよりは不機嫌に腕を組んで座る黒井社長に、プロデューサーは眉を顰めるが、招待客としてやって来たわけでもあり無下にもできない。が、無視もできない。

高木社長「まあともかく、私が目を光らせておく。君は、高山君を頼む」

P「わかりました」


 765プロ劇場において、高山紗代子の名前は少しは知られ始めている。
 だがそれは、765プロの新鋭アイドルメンバーの1人としてであり、単独のアイドルとしては「ああ、あの娘か」程度の認知であるのが大半だ。
 無論。紗代子のファンも存在はしている。が、まだこれといって目立った活動実績のない紗代子のファン達も今は「ちょっと気になる娘」「あの娘、可愛いな」「今後に注目をしている」といった人達だ。
 事実、今日は紗代子が主役のセンター公演だが、客席は探せば空席もあるといった状況である。

P「見てろよ。そのうち、紗代子単独でもこの劇場を満席にしてやる」

 舞台袖から客席を見ながら、プロデューサーは呟く。
 そこへ紗代子がやって来る。

紗代子「プロデューサー、行ってきます!」

 舞台に上がる時、すなわち仕事の時、紗代子はメガネを外す。意志の強い瞳が、普段より更に際だって見える。
 表情だけ見れば、自信にあふれている。
 だが、その実この少女は、コンプレックスという弱い自分を抱えているのを、プロデューサーは知っていた。

P「ホウキは必要か?」

紗代子「え? あ、いいえ。もうわかっていますから、プロデューサーの教えは」

 紗代子は、はにかんだように笑った。
 どうしたことか、今日は本当に自信に満ちているかのようだ。
 何かあったのだろうか。

紗代子「じゃあプロデューサー……約束を果たします」

P「約束?」

紗代子「筑波山からの帰り、お話ししたことです」

 プロデューサーの脳裏に、あの時の事が蘇る。
 そう。あの時、紗代子は……

P「気づいたことを、俺に見せる……というあれか」

紗代子「はい。上手くいくかはわかりませんけど、試してみます!」

 自信だけじゃない。心底楽しそうな姿が、そこにはある。

P「ひとつ、気をつけて欲しいが二階席最前列に、やや年輩の男性がいると思う」

紗代子「え? あ、はい」

P「気をつけろ」

紗代子「えっ? 気をつけるって、それはどういう……」

P「うむ……俺にも正直わからん。が、もしかしたら何かをしてくるかも知れない。少なくとも、そういう心の準備だけはしておいてくれ」

紗代子「誰なんですか? その人は」

P「黒井崇男といってな、あの」

紗代子「961プロの社長さんですね」

P「知っているのか!?」

紗代子「以前、劇場の新規アイドルを邪魔したり引き抜こうとしたりして……」

 迂闊だった。いや、現状把握ができていなかった。一番のライバルであるのみならず、様々な妨害を仕掛けてくる961プロとその社長の動静に無頓着だった自分が ※はらただしく なる。
 これもすべて、あんな部屋などに閉じこもっていたせいだ。

紗代子「プロデューサー?」

P「なんにせよ、気をつけろ。それから……がんばってこい」

紗代子「はい! プロデューサー、見ていて下さい!!」


 幕が上がった。
 舞台袖から見える紗代子の顔も、いい表情にプロデューサーには見えている。
 幕の上がる直前の、少しだけ不安げな顔はもうない。いや、口元には笑みすら見て取れる。
 最初の曲のイントロが流れる。紗代子の歌声をまずは聞かせようと選んだ、バラードだ。
 吐息のような、歌い出しから……

紗代子「あーーー♪」

 突然、紗代子は大声で歌い出した。いや、絶唱だ。
 バックの志保と静香が呆気にとられた。つまり、明らかにリハーサルとは違う歌い出しだ。
 しかし構わず紗代子は手を客席に、そう二階席の方に向けてそのままの声量で歌い出す。

紗代子「私は ここにいます♪
    私は ここで歌っています♪
    ねえ 聞こえますか?
    私が わかりますか?
    私が ここにいます♪」

 冒頭の絶唱で、もしかしたら紗代子は初のセンターで混乱してるんじゃないか。プロデューサーは一瞬、そう思った。必要があれば、曲を止めるつもりだった。
 しかし彼は、戸惑いながらもそれはやめた。
 紗代子は明らかに、意図して絶唱している。
 本来なら、気弱な少女の不安な胸の内を歌った曲が、今紗代子によって強い問いかけの歌になっている。

紗代子「誰も 知らない私♪
    明かりもない ここで♪
    私は あなたの為に歌います♪
    お願い 私を見て♪
    お願い 私を聞いて♪
    お願い 気づいて♪
    あなた♪」

 客席は静まりかえっていた。
 誰もこんな始まりを想定していなかった。
 が、呆然としていた観客は、曲の途中で思い出したかのようにペンライトを振り出す。
 そして紗代子が歌い終わると、その場の全員がーーおそらく黒井社長以外はーー熱狂的な拍手をもって彼女を讃えた。
 その熱気は最後まで途絶えることなく、公演は終了した。
 アンコールまでの間に、プロデューサーは紗代子の元に走った。

P「ああいうことをやるなら、せめて俺には事前に報告して欲しかったな」

紗代子「すみません。試してみようと思ったら、もう胸を抑えきれなくて、幕が上がってから、そうだここでやってみようって」

 そう言えば紗代子は、この初センター公演で先日気づいた何かをプロデューサーに見せると言っていた。
 確かに彼は驚かされた。そして客席全ての人の心に響く歌声だった。

P「結局、気づいた事っていうのはなんだったんだ?」

紗代子「プロデューサーの言ってた事は本当でした。必死な人間の懸命な声は、人の魂に届くって」

P「ああ、俺の声が聞こえたんだったな」

紗代子「でも……じゃあどうすれば必死で懸命な人の声を出せるのかは、山に行っても遭難した人の気持にはなれないのでわかりませんでした。だけど……」

P「?」

紗代子「それなら遭難した人の気持ち、必死な人の懸命な心境ってどんなだろうって考えてたら、思いあたることがありました」

P「なんだ? それは」

紗代子「765プロのオーディションを、落ちた時の私の気持ちです」

P「……」

紗代子「もう駄目なのかな……これで……ここで終わりなのかなって絶望だけがあって……希望や明日も見えなくて……誰かに助けて欲しくて……そんな気持ちを、歌にこめました」

P「夢を失い、人生の絶望を経験した者の強み……か」

 彼にはわかった。紗代子のあの冒頭の絶唱は、出そうと思ったのではない。自然と出た、助けを呼ぶ声だったのだ。
 まだ17歳の少女が、生きる目標である輝く夢を失いそうになり、それを恐れ、そして助けを呼んでいたのだ。聞いた者の心に響かないはずがない。
 そしてそれだけに、紗代子のアイドルにかける夢の強さと、想いに彼は震える思いだった。
 この純粋な夢に対して、自分はなんと汚い人間なのだろうかと、恥ずかしくなった。
 そう、泣きたくなるぐらいに……

紗代子「え?」

P「なんでもない。さあ、アンコールだ。早く行け」

紗代子「はい! あ、プロデューサー」

P「……なんだ?」

紗代子「待ってて、くれますよね?」

P「……」

紗代子「またどこかに行ったりしないですよね?」

P「……俺は」

紗代子「ずっと、私を見ていて……いいえ、教えてください! トップアイドルになる夢の叶えかたを!!」

 実際、プロデューサーは内心このままここから去ろうかとも考えていた。
 逃げ出したかった。
 少なくとも紗代子に、顔向けが出来なかった。
 だが、まるでそれを見透かしたように紗代子に念を押され、改めて彼は決意した。

P「待ってるさ。ここで、紗代子をな」

 紗代子は笑顔で頷くと、ステージへと走って行った。
 センター公演を終えたばかりとは思えない力強さに、Pは苦笑を漏らす。

P「時々だが……本当に時々だが、復讐とか……ばからしくなるな」


 公演が終了した後、765プロ劇場はちょっとしたパニックに陥った。
 公演前はまばらだったグッズ売り場に、お客さんが大挙して押し寄せたのだ。
 紗代子関連のグッズは見る間に完売し、急きょ倉庫から在庫が運ばれた。

美咲「て、手伝ってください。お願いします~」

P「い、いや、お、俺は……」

 言いかけて彼は考え直す。
 今日の主役は、紗代子だ。その紗代子が起こした成功の証しなのだ、これは。
 体験し、見届けておこう。自分は彼女のプロデューサーなのだから。

「今日の高山紗代子ちゃんの歌、CDはないんですか?」

P「申し訳ありません。CDは近日発売予定です。配信も同時販売の予定でして」

「タオルを3枚ください! 自分用と保存用と布教用!」
「マスコットぬいぐるみ、もうないの!? Tシャツは!?」
「ラバストがあるの!? 全部一揃いください!!!」

 売れたのは紗代子のグッズだけでなく、触発されるように他の娘のグッズも売れ出し、とうとう売店も倉庫もカラになってしまった。
 観客が帰り静寂の戻った劇場で、プロデューサーは鈍りきった身体を隠そうともせずに投げ出す。
 疲労感は強いが、それ以上に満足と達成感に満たされる。
 自分と紗代子が、この劇場のグッズを空にしてやったのだ。
 知らず、笑みが漏れる。

紗代子「いつも……」

P「うおわっ!」

 気がつけば、紗代子が上から顔を覗き込みようにしている。
 衣装から私服に着替え、メガネも髪もいつものように戻している。
 こうしていると、本当に普通の女の子だ。本当にあの絶唱をした娘と同一人物だろうかと、心配になってくるほどに。

紗代子「あ、驚かせてしまってすみません。プロデューサーは、いつも横になって目を閉じて笑ってるなあって思って」

P「ぐ、偶然だ。そうだ……見ておくんだ。この光景を」

紗代子「え?」

P「ここの売店だけじゃないぞ。倉庫も空っぽだ」

紗代子「これ、私の歌で……?」

P「そうだ。紗代子のステージを見て、みんなファンになってくれたんだろう」

紗代子「……嬉しいです」

P「まだまだトップアイドルへの道はこれからだ……レッスンだって現場だって、辛いこともあるだろう。けれど……」

紗代子「はい。この光景を、忘れないでおきます」

 薄暗い、物のなくなった売店という、ドラマのワンシーンとはほど遠い、殺風景な光景を2人は目に焼きつけるようにしてしばらくの間、佇んでいた。


     『プロデューサーも敗者だった』

「歌姫様は、ご機嫌ナナメかい」
「ナナメどころか、癇癪玉をぶつけてきてるよ。どうすんだ、もうすぐ本番だってのに、リハーサルもできちゃいない」

 場所はラスベガス。その中にあるベガスを代表する有名ホテル、シーザース・パレス。
 歌姫、とやや揶揄の隠った呼ばれ方をされている少女は、そのロイヤルスイートに立てこもっていた。
 理由は特にない。
 いや、特にないーーと本人は思っている。
 だが何だか気に入らない。
 思えばなぜ、自分はこんな所にいるのだろう。
 本当は、日本でアイドルをしているはずだった。
 いや、別に日本でやると決めていたわけではないが、それでもアメリカに来るつもりなどなかった。
 見込まれ、条件を出され、それに両親がのったというだけのことだ。自分にはどうすることも出来なかった。
 しかしそれとても、それはそれで別にいいだろう。自分はアイドルになりたかったのだから。今も自分が歌えば、会場は熱狂し、ファンは日に日に増えている。
 歌うたび、会場は大きくなっている。
 そして今日の会場が、コロシアム・アット・シーザーズ・パレス。名にし負う、世界的に有名な劇場だ。
 本来ならば、申し分のない……いや、名誉に思えるはずのこの会場でのコンサートにも気乗りがしない。
 彼女は、先ほど自分で蹴飛ばしたイスを引きずってテーブルの前に戻すと、いつもの儀式めいた行動に入る。

 カタカタカタカタ

検索結果『たかやまさよこ アイドル』……107件HIT

「えっ!?」

 彼女は思わず立ち上がった。
 これまで何度も検索をして、その都度落胆をしていた検索結果。それが今夜、期待もせずに習慣のように検索した結果は、思わぬ結果を表示していた。

「よー……ちゃん?」

 震える指先が、ヒットした検索結果の一番上を開く。
 そこにはあの765プロの新入アイドルとして、高山紗代子の名とプロフィールが掲載されている。

「よーちゃん……よーちゃんだ! アイドルに……なったんだ!! やっぱり私との約束、忘れていなかったんだ!!!」

 涙が溢れ、滲むディスプレイを彼女は読み進む。
 日本では有名なライターの書いた、高山紗代子の初センター公演の記事だ。

「新人とは思えない見事な歌声は、観客全員の心をいっぺんに掴んでしまった。いや、掴んで激しく揺さぶってみせた……冒頭からの絶唱は、我々に対する呼びかけだった……この日この公演をもって、彼女ーー高山紗代子は一躍、歌姫として我々の記憶に残るアイドルになった……公演後、765プロ劇場の売店とその倉庫は、売る物を何もなくし文字通り空っぽになった。いや、彼女の歌声が空っぽにしたのだ……」

 文章を指でなぞりながら、声を出して彼女は記事を読んだ。
 記事は、あの子を絶賛していた。
 読み終えた少女は、笑みと燃えるような瞳で立ち上がった。

「負けないよ……よーちゃん」

 鍵を開け、ドアから出てきた少女にプロモーターである、コーエンは苦言を述べようとする。
 が、それより早く彼女は口を開く。

「さあ、私を歌わせなさい」

 コーエンの顔はにがり切る。が、そもそもそれこそが彼の目的であり仕事なのだ。

「準備はすべて終わっている。リハもしてないが、いけるのか?」

 彼女は答えなかった。代わりに、ハイトーンで歌い始める。

「馬鹿な。まだステージじゃないんだぞ」

 プロモーターであるコーエンなどお構いなしに、彼女は歌いながら廊下を歩いて行く。
 そしてそのままステージに登る。

「あ~~~♪♪♪」

 司会も呆気にとられる登場と、絶唱。
 観客も驚くがもさすがにサプライズ好きで、慣れているベガスの常連客である。
 すぐにコロッセオは、熱狂に巻き込まれた。

 最初の1曲を歌い終え、満座の拍手を浴びながら、彼女の目はまったく観客を見ていなかった。
 彼女の目は、そこから見えないはずの遠く……海の向こうを見ていた。

「よーちゃん。負けないよ……私、負けない!」

 そう呟く少女は、心底嬉しそうだった。


翼「歌姫にラスベガスが揺れた。デビュー間もない新鋭歌姫。既に貫禄のショー。えっと……これなんて読むのかな~?」

未来「えっと……さ……し? す……違うかな、せ……そ?」

静香「Shah……は、ええと……シャーでいいのかしら? どう、エミリー」

エミリー「そうですね。発音はシャーだと思います」

百合子「プロフィールは一切未公開の、新生歌姫かあ。なんか衣装もスタイルもセクシーって感じがしますね」

琴葉「そうね。でもメイクはしてても、なんとなく顔立ちは少し幼い気がするわ。私とそんなに年齢は違わないんじゃないかな」

瑞希「はい……そして髪は染めているみたいですが、東洋系とも見てとれます。お名前の、シャーからもオリエンタルな響きが感じられますね」

昴「オリエンタル?」

瑞希「シャーは、ペルシャ語で王という意味だったと……記憶しています。めいびー」

のり子「そうそう。ほら、シャー・ナーメって世界史で習ったじゃない」

望月杏奈「そう……なの? 杏奈、まだ……そういう世界史とか、習ってない……からわからない……」

育「どうなの? 高校生のみんな」

茜「そ、そういうのはまだ、茜ちゃんにはちょーっと早いかなー……」

美奈子「ええっと。古代ペルシアの神話、伝説、歴史を集めた叙事詩……って習ったかな? シャー・ナーメは王の書って意味で」

茜「あ、そうそう! そうだったね!! 茜ちゃんもちょうど今、思い出したよ!!!」

静香「じゃあやっぱり、このShahっていう人、中央アジア出身なのかな」

翼「とか言って案外、日本人だったりして~」

のり子「まっさか~。でもそんなにいい歌なら、ちょっと聞いてみたいよね」

紗代子「おはようございますー。? みんな、どうしたの?」

瑞希「おはようございます、高山さん。今週発売の週刊誌に、アメリカで人気急上昇のアーティストの記事が……載っていたので、みなさんと盛り上がっていました」

紗代子「へえ……アメリカかあ。私たちも、日本でトップアイドルになったりしたら、全米デビューとか……?」

桃子「どうしたの? 紗代子さん」

紗代子「この写真のアーティスト……どこかで見たことがあるような……」

未来「え? それって紗代子さんのお知り合い、ってことですか?」

翼「ほら~。Shah日本人説、がぜんシンピョーセー? が出てきましたー」

静香「まさか……どうなんです? 紗代子さん」

紗代子「え? シャー?」

瑞希「そのアーティストの、お名前です。Shahと書いてシャーと読むよう……です。めいびー」

可憐「ほ、本当にお知り合い……なんですか?」

紗代子「ど、どうかな……なんとなく見たことあるような気がするだけのかも知れないし……」

琴葉「写真も白黒で小さいしね。東洋系だから、親近感あるだけかも知れないわね」

小鳥「みんな、こんにちは」

未来「あ、小鳥さん。おはようございまーす」

小鳥「劇場に来るのも久しぶりで……ぴ、ピヨッ! さ、紗代子ちゃんその記事は!?」

紗代子「え?」

小鳥「そ、それ、紗代子ちゃんのプロデューサーさんには……見せてないわよね!?」

紗代子「え……え、ええ。はい」

P「おはようございます。おや、音無さん」

小鳥「ピーヨーーーッッッ!!!」

P「どうしました?」

小鳥「あ、あの、ええと、そ、その、さ、紗代子ちゃん」

紗代子「え?」

 小鳥は紗代子の方を見ずにヒソヒソと声だけかけると、後ろ手に何かを渡せと合図する。

紗代子「?」

瑞希「何かを渡せ……という、合図でしょうか?」

環「じゃあこれ、くふふ」

小鳥「ん? この暖かくて柔らかい、そして私の指をペロペロと……」

こぶん「にゃーん」

小鳥「わ~可愛い~♪ ん。ネコちゃんネコちゃん!!」

こぶん「にゃーん」

P「音無さん?」

小鳥「ハッ! そ、そうじゃなくて、その週刊誌……」

 ヒソヒソと小鳥は紗代子に言い、手を出す。
 よくはわからないが、言われるまま紗代子は週刊誌を渡す。

P「なんです? その本」

小鳥「こ、これはその、私の秘蔵の、う、薄い本で……」

P「え? 音無さん、そういうのみんなの前では……」

小鳥「ですよね! ね! だからこれ、私が持って帰りますね。それじゃあみんな、またねーーー!!!」

P「……なんだありゃ? 何しに来たんだ?」

翼「さあ……」

静香「なんだったのかしら?」

P「まあいい。紗代子、レッスンのことでちょっと」

 この所……そう、先日の紗代子のセンター公演以来、プロデューサーは毎日劇場にやってくるようになった。
 それに伴い、紗代子のレッスンは格段にすすんだ。やはり、一度行ったレッスンを後で確認してから指示を出すのと、その場で指示を出すのとでは内容は同じでも早くそして的確だった。
 ひとつ予想外だったのは、彼が毎日顔を出すようになると、他のアイドル達もアドバイスや指導を求めるようになった事だ。


志保「あの、すみません。私のダンスも見ていただいていいですか?」

P「え? や、いや、お、俺は……紗代子の担当で……で、だ、だから、北沢さんには担当のプロデューサーが……」

志保「ちょっとでいいんです! お願いします!!」

P「え、ええと……」

のり子「そういえば、公演終盤の紗代子のダンス」

P「え、お、俺に……い、言ってる……のか?」

のり子「アタシにも教えて! あの後自分でやってみたんだけど、ピンとこなくて」

P「あ、あの……」

可奈「あと、あの曲なんですけど」

P「い、いや……」

 そうした光景に、紗代子は少しだけ悋気を感じてはいたが、誇らしくもあった。
 自分のプロデューサーが有能であることを、みんなにわかってもらえるのは単純に嬉しかった。
 そして紗代子にとって意外だったのは、強気で自信に溢れてるんじゃないかと思っていたプロデューサーが、案外……いや、かなり気弱で素振りの落ち着かない人物だったことだ。
 紗代子以外の娘に対しては、言葉遣いがやや口ごもりがちで、目線もなかなか合わせてはくれない。
 だがプロデュースに関しては真摯で、厳しくもあった。

 そうこうするうちにやがて……毎日劇場でみんなに会うようになり、必要に駆られ会話を交わし関わるうち、1ヶ月もするとプロデューサーは紗代子以外の他のアイドルに対しても物怖じしなくなってきた。
 今では普通に会話をし、求められれば紗代子以外の他の娘にもアドバイスや指導をする。

「もっと高山さんのプロデューサーみたいに指導して欲しいって言われてまいりましたよ」

 他の娘の担当プロデューサーが、そう苦笑していた。
 いずれにしろ、765プロ内の歯車は、上手く回り始めていた。

紗代子「あ。はい! そうだプロデューサー、私ちょっと思ったんですけど」

P「なんだ?」

紗代子「千鶴さんがきのうやっていたステップなんですけど」

P「なんでもやりたがるんだな、紗代子は。後でちょっと見てやる」

紗代子「はい!」

 そのまま個別レッスンに入りそうな紗代子の腕を、瑞希がチョイと引く。

紗代子「え? どうしたの瑞希ちゃん」

瑞希「後で……ちょっとよろしいですか」

紗代子「?」


桃子「かくれんぼ?」

環「うん。劇場ってかくれるとこがたくさんあるから、きっと楽しいぞ~」

桃子「はあ……そんな子供みたいな遊び。第一、劇場でそんなことしちゃダメ」

環「だってたまき、子供だぞ?」

育「隠れるって言っても、機材とか大事なものがある場所は勝手に入ったらだめなんだよ?」

環「じゃあ、劇場のステージと客席と、機械の置いてある場所はナシでやろう!」

育「うーん。それなら」

桃子「一回だけだよ?」

桃子「あはははは。じゃあ次は、環が鬼だよ」

環「よーし。たまき、すぐ2人をみつけてやるぞ~! いーち、にー……」

育「桃子ちゃん、桃子ちゃん」

桃子「なに? 育」

育「今度は一緒に隠れようよ。だって、1人で隠れてるとつまんないもん」

桃子「そうだね……いいよ」

育「やったあ。あ、そうだ。わたし、さっき面白そうな所に気がついたんだ」

桃子「面白そうなところ?」


桃子「二階と三階の間の階段? ここが面白そうなの?」

育「それがね。ほら、ここから下の方見えるでしょ? 階段はジグザグになってるんだけど、一階と二階の間の階段下には何もないでしょ?」

桃子「うん」

育「で、上の方を見て。ほら、三階と四階の間の階段下も何もないのに」

桃子「あれ? 二階と三階の間には、壁がある」

育「ね、ここってもしかして倉庫みたいになってるんじゃないかな」

桃子「なるほどね」

 コンコンと桃子が壁を叩くと、明らかに中は空間があるような音がする。

桃子「ほんとだね。中に入れそう……ここかな?」

 壁の下部に小さなスペースがあり、指を入れてみるとカチャリと何かが外れる音がする。

育「桃子ちゃんすごーい。あ、ここを持つと壁が横に動くよ」

環「育も桃子もみーつけた! あ、ずるいぞ2人とも」

桃子「あー。環が来ちゃったか……え? なにがずるいの?」

環「機械の置いてある場所はもなしだってたまき、言ったぞ」

育「え? あ、ほんとうだ。これ……パソコンかな」

桃子「本当だ……なんの部屋だろ」

環「なんだっていいけど、機械のある場所だからここはなしで、続けるぞ」

桃子「はいはい。じゃあ次は桃子が鬼でいいよ」

環「よーし」

育「じゃあ、どこに隠れようかな」


 事前に予定されているレッスン時間は1時間だったが、2時間半後に紗代子は戻ってきた。

紗代子「ごめんね! つ、つい夢中になっちゃって」

瑞希「大丈夫です。そうだろうと、最初から思っていましたから……学校の課題をやっていました」

 無表情にそう言う瑞希だが、口の端と瞳の動きで紗代子には彼女が笑っている事がわかる。いや、正確には心中そう思っているということだ。

瑞希「これから……音無さんに会いに行きませんか?」

紗代子「あ、さっきのこと? うん……そうだね。少し変だったもんね」

瑞希「なんだか気になります……、ではさっそく765プロ事務所に向かいましょう……ごー!」

 電車から降り、事務所に向かいつつ紗代子は改めて今日の小鳥とプロデューサーのやり取りを思い出す。
 あれはなんだったのか。
 思い当たるのはあの記事の主……

瑞希「どうされました? 高山さん」

紗代子「あ、うん……さっきの小鳥さん、なんであんなに必死にShahの記事のこと、プロデューサーから隠そうとしてたのかな、って」

瑞希「確かに……あの慌てようは、普通ではありませんでしたね」

紗代子「私のプロデューサー、ずっと外国に行ってたんだよね」

瑞希「はい。……なるほど、Shahさんとその時に何かあったのでは、思っているのですね?」

紗代子「なんとなくだけど……でも、そう考えると小鳥さんがShahのこと知ってそうだったり、プロデューサーさんから記事を隠そうとしたのも、理解できるかも知れないって思ったの」

瑞希「確かに、そうかも知れません。あ、765プロが見えてきました」

高木社長「では、よろしく頼むよ。また何かあれば、すぐに知らせてくれ」

善澤「ああ。ま、あんまり期待するなよ」

瑞希「あれは高木社長さんと、確か芸能記者の……」

紗代子「善澤さん、だっけ? そうだ!」

瑞希「え……高山さん?」

紗代子「あ、あの!」

善澤「ん? おや、君は確か……高山紗代子君だったかな」

紗代子「はい! あの、先日は私の主演公演の記事を書いてくださってありがとうございました!!」

善澤「いやいや。こちらこそ、素晴らしいステージをありがとう。ふむ……」

紗代子「?」

善澤「ステージを離れると、また印象が違うね」

紗代子「あ、メガネをしてますから。普段は」

善澤「いやいや。そういう些細な点だけじゃないな。なんていうか……こういう言い方をしたら失礼かも知れないが、普通の女の子という雰囲気になるね」

紗代子「そうですね。わかります、私には特別なものは何もないですから」

善澤「気を悪くしないでくれ。だからこそ、先日のあの公演での君の輝きが更に印象深くなったよ。うむ……素顔の高山紗代子の特集とか、ぜひ書かせてもらいたいな」

紗代子「それはそうと……あの」

善澤「なにかな?」

紗代子「善澤さんは、Shahっていうアメリカのアーティストをご存じですか?」

善澤「ああ。今、全米チャートを急上昇中の新鋭アーティストだね。まだ日本ではほとんど知られていないけどその内に人気が出ると取材を始めてるんだが、困ったことにプライベートに限らずプロフィールは全て厳重なトップシークレットでね」

紗代子「そのShahは、プロデューサーと何か関係があるんじゃないかと思っているんです」

善澤「? プロデューサー? 765プロ劇場のプロデューサーといえば……」

瑞希「いえ。高山さんだけは、私たちとは別のプロデューサーです。――とおっしゃるプロデューサーなのですが」

善澤「――君だって!? 復職していたのか……そうか、彼が高山紗代子君のプロデューサーだったのか。なるほど」

紗代子「復職?」

善澤「あれ? 知らなかったのかい?」

紗代子「ずっと外国にいたと……」

善澤「ふうむ。これは、僕が言ってもいいことかちょっと迷うな」

紗代子「教えてください! この通りです!!」

 往来で、人気の高まりつつあるアイドルが頭を下げる姿に、善澤も少し慌てる。

善澤「とにかく、ここでは何だから少し落ち着いて話せる場所に移ろうか」


瑞希「カフェなのに個室があるのですか……これは驚きました」

善澤「まあ職業柄、こういう場所も知っているというわけだ。人目を気にする話でも自由にできる場所が必要でね」

 善澤が2人を連れてきたのは、歩いて数分のカフェだった。
 彼が目配せをすると、店員は黙ってこの個室に通してくれた。

善澤「さて……君のプロデューサーの話だったね。いや、来る途中でティンときた」

紗代子「え? 何がですか?」

善澤「Shahの正体……というか、彼女が何者なのかがさ」

瑞希「なんと! どういうことなのですか……?」

善澤「うむ……まあ高山君は、自分の担当プロデューサーのことであるし、真壁君はその親友だ。彼のことについて知る権利はあるかも知れない」

紗代子「はい!」

善澤「なにより、私が話すのを断ったら、君たちは他の者に聞いて回るかも知れない。アイドルがそういうことをするのは危険だ。この業界、悪徳みたいな記者だっているのだからね」

瑞希「はい」

善澤「だからこれは、君たちを護る意味も含めて話そう。それから、君たちがいずれトップアイドルになったら、独占取材でもさせてもらうからね?」

 笑いながら言う善澤に、2人は頷いた。

善澤「かつて……765プロにある男がプロデューサーとして入社してきた。彼はまだ若く、経験も未熟だったが、並々ならぬ熱意と才能を見出す目。そしてそれを育てる知識を持っていた」

紗代子「もしかして……」

善澤「アイドルの未熟さと、彼の未熟さ、両者が互いに磨き合い成長し合っていけば素晴らしいアイドルとプロデューサーが誕生する予感がすると、高木は目を細めていたものだ」

瑞希「その方が、高山さんの……」

善澤「ある日、その彼が勢い込んで事務所に帰ってきた。ものすごい逸材を見つけた! 絶対にトップアイドルになれる娘だ!! と、たまたま居合わせた私も驚くほどの、それはもう興奮した面持ちでね」

 善澤は、懐かしい思い出を語りながら煙草に火をつける。
 壁には『禁煙』と書かれていたが、個室なので店員も注意には来ない。
 紗代子と瑞希も話の腰を折るまいと黙っていた。

善澤「確かにその娘は逸材だった。容姿、歌声、ダンスと既に高いクオリティを身につけており、それに加え彼がレッスンで鍛えたこともあり、メキメキと実力を伸ばしていった」

瑞希「なるほど……今の高山さんと、同じように……ですね」

紗代子「そんな。私なんて……まだまだだけど」

善澤「……だが、ある日。事件が起きた」

紗代子「え?」


P「社長! ついに決まりましたよ!! デビューイベントが!!!」

高木社長「……」

P「都の文化会館大ホールもおさえましたよ。いやあ、これは広告もバンバンうたないといけませんね。なに、見て聞いてもらえれば間違いなく観客は納得してくれるはずです!」

高木社長「……残念だが」

P「グッズですが、今からだと……え?」

高木社長「そのイベントは中止だ」

P「なんですって!? な、なんでです!? 本人もレッスンじゃなくて、早く観客の前で歌いたいと言ってるのを宥めてすかして、ここまで事務所の他のアイドルとも別レッスンにしてまで人前には出さず実力を磨いてきたのに!!」

高木社長「彼女は、引き抜きにあった」

P「……え?」

高木社長「AISの代理人から先ほど、連絡があった。彼女は本日付けをもってAISの所属となった。我が765プロとの契約解除に伴う違約金も、既に振り込み済みだそうだ」

P「そんな馬鹿な! AIS? AISってどこの……まさか!?」

高木社長「アメリカン・インターナショナル・シンガーズ。通称AIS。アメリカでも1、2を争う大プロモート事務所だ」

P「なんで……なんであの娘がそんな……どうして……」

高木社長「詳しいことはわからない。善澤に調べてもらったが、事の経緯は不明だ。だが、彼女は既にアメリカにいる。どうやらAISのドン、コーエンと彼女の両親が極秘裏に示し合わせていたらしい」

P「な、なんとか……なんとかならないんですか!? そ、そうだ、訴訟! 訴訟を起こしましょう!!」

高木社長「難しいだろうね……なによりこの移籍を、当の彼女が承知をしているんだ」

P「俺が……俺が育てた……俺の……自慢のアイドルになるはずだったのに……」

高木社長「残念だが、致し方あるまい。また君には新たに最初から別の娘のアイドルプロデュースを……」

P「そんな……馬鹿な……そんな……なぜ……なんでだ……どうして……」

高木社長「……」


善澤「才能を見いだし、育て、その成功を夢見ていたアイドルが突然に引き抜かれ、彼は精神的に大変なショックを受けてね」

紗代子「そんなことが……」

善澤「それに加え、担当していたアイドルに逃げられただとか、そもそも大したアイドルじゃなかったのをエラそうに吹聴してたんじゃないかとか、そんな娘なんか最初からいない……全部ウソなんじゃないかとか、大金をせしめる為に外国に彼女を売り飛ばしたとか散々に業界内で陰口を叩かれてね」

瑞希「なんという……ひどい話です。ぷんぷん」

善澤「未来のトップアイドルを極秘に育てていると彼も言っていたとはいえね……特に酷かったのは、プロデューサーが無能だからその娘は海外に出ていったらしい……担当アイドルに見限られて捨てられたんだ、という声だったな」

紗代子「そんなことまで……」

善澤「そういったことが重なり、彼は人前に出られなくなってしまったんだ。人の目が気になり、手が震え、言葉も上手く出せなくなって」

 そう言われ、紗代子と瑞希にはピンときた。劇場に来るようになってからしばらく、プロデューサーがやや挙動不審ともとれる言動であった理由が。

紗代子「……それで、どうなったんですか?」

善澤「高木は彼に休養を勧めた。まあ、そうでなくても人前に出られない彼にはプロデュースそのものが無理だった。その後の消息を聞かなくなったから、もしかしたら765プロを辞めたんじゃないかとも思っていたんだが、今日その名前を久しぶりに聞いたというわけさ」

 初めて聞くプロデューサーの過去に、紗代子は少なからず衝撃を受けた。
 確かに外国に行っていたという話は、結果として嘘だったのかも知れないが、それでもプロデューサーに対する同情が胸に去来する。
 苦労して、夢の実現まであと一歩という所での挫折……いや、絶望。その悲しさや苦しさは、いかばかりだっただろうか。
 瞬間、あの夜のことが脳裏に蘇る。
 765プロオーディションを落ちた、あの夜の自分の苦しみだ。
 絶望の淵で、必死にプロデューサーも助けを求めたのだろうか? いや、それを乗り越えて今、彼は自分のプロデュースをしてくれているんだ。

善澤「これはまだ記事にはしないから教えてくれないかな、彼はどうやって君のプロデューサーになったんだい?」

紗代子「オーディションの様子を録画で見て逸材かも知れないって言ってくれたそうで……最初はレッスンの様子を録画して、後からそれを見て指導を……」

善澤「外国にいることにして、そうやってプロデュースをしていたのか……」

瑞希「そうだと、思います。ですが……今はもう、いつも劇場に来てくださいます。きっと、高山さんをプロデュースしているうちに、心の傷も癒えたのではないでしょうか」

善澤「そうかも知れないね。そして、Shahの件だ」

紗代子「あ! そういえば最初に、Shahの正体がわかったっておっしゃってましたね」

瑞希「そうでした……今の話を聞いて、Shahの正体を予測すると……はっ! もしやShahさんは、高山さんのプロデューサーが担当していた……」

紗代子「そうか……その、引き抜かれたアイドルなんですね?」

善澤「うむ。僕も、そうじゃないかと思ったんだ。アメリカでのデビュー、そして活動を始めた時期、そのポテンシャル。写真からでは少しわかりにくいが、そう思って見るとかつての面影もある気がする」

 善澤が、件の週刊誌をカバンから取り出す。
 この娘が、かつて自分のプロデューサーの担当アイドルだった……
 そう思うと、紗代子は不思議な思いがした。
 そしてなんとなくだが、自分がこのShahに対してどこか既視感にも似た感情を抱いたのは、そうした因縁がそう思わせたのだろうかという気もした。

善澤「いずれにしても、辛い挫折があったとはいえ、まだまだ彼の才能を見いだす目と、それを育てる力は健在だということが、よくわかったよ」

紗代子「え?」

善澤「高山紗代子君というアイドルを、見てね」

紗代子「あ、ありがとうございます」

善澤「こうしていると普通の女の子に見える君を見出したのは流石だよ。いや、もちろんこうしていても君が可愛いのは間違いないけれどね」

 紗代子と瑞希は、善澤に礼を言い別れると共に帰途についた。

紗代子「……」

瑞希「……ショックでしたか? 高山さん」

紗代子「え?」

瑞希「高山さんのプロデューサーが……嘘をついておられたこと、です」

紗代子「うん……びっくりはしたかな。でも、ごめんね。今は違うことを考えていたの」

瑞希「違うこと……それは、なんですか?」

紗代子「やっぱりプロデューサーはすごいなあ、っていうことと」

瑞希「はい。辛いことがあって、人前に出られないほど精神を痛めて、それでも復帰してこられたのは、尋常な強さではありません」

紗代子「それと……前から不思議に思ってること、あれはなんだろうなあ、って」

瑞希「?」

紗代子「プロデューサーはオーディションの私の映像を見て、逸材かも知れないって選んでくれたんだけど、私のどこにそんな要素を見つけたのかな」

瑞希「それは……以前にも言いましたが、高山さんは心の強い人です。きっと高山さんのプロデューサーも……」

紗代子「うん。正直、瑞希ちゃんにそう言ってもらえるのは嬉しいよ。でも、あのオーディションでそういうの、プロデューサーはわかったのかな?」

瑞希「それは……確かにあのオーディションは、面接がほとんどでした」

紗代子「ちょっと発声とか身のこなしはさせられたけど、それで私のどこを逸材だと思ってくれたのかな?」

瑞希「私には、わかりません……ですが、高山さんのプロデューサーは、あのShahも見つけた眼力の持ち主です。きっと、私たちにはわからない目の付け所が、あるのではないでしょうか?」

紗代子「……前にそれを聞いた時、プロデューサーにははぐらかされちゃったし、さっき善澤さんにも言われたじゃない。普通の女の子にしか見えない私を見出したのは流石だ、って」

瑞希「はい」

紗代子「ずっと気になってるんだ。どうして私なんだろうって。なんで私は選んでもらえたのかな、って。今日の話を聞いて、それが強くなったの。人前に出られなくなったプロデューサーが、私を見てプロデューサーに復帰して、人前に出られるようになるほどのものが、本当にあるのかな、って」

瑞希「高山さん。現実だけを見ましょう」

紗代子「え? 現実?」

瑞希「はい。高山さんのプロデューサーは、高山さんを見つけた。プロデュースをしたいと思った。そしてプロデュースをして、人前に出られるようになった。高山さんも、ちゃくちゃくと実力をつけています」

紗代子「うん……」

瑞希「これらは全部、本当にあった事です。それだけで十分ではないでしょうか」

紗代子「そうかな……うん、そうだね。自分にわからないことをあれこれ考えるより、現実がすべてだよね」

瑞希「そうです。私も……自分が可愛いと呼ばれるとは思っていませんでした。ですが今、ファンからは瑞希ちゃん可愛いと言ってもらえます……うれしはずかしですが」

紗代子「瑞希ちゃんは可愛いよ?」

瑞希「……不意打ちで、高山さんの強い瞳に見つめられながら言われると、照れてしまいます。ともかく、自分の魅力は、自分ではわかりにくいものなのでしょう」

紗代子「そうか……そうかも知れないね」

瑞希「きっとそうです」

紗代子「わかった。プロデューサーが、私の何を認めて選んでくれたのかはわからないけど、その期待に私は応えたい! トップアイドルになって、プロデューサーに報いたい!! いつかトップアイドルになったら、私の夢もプロデューサーの夢もかなうんだよね!!!」

 帰りの電車内。窓から見える夕日。その夕日に負けない、強く燃える瞳で、紗代子はトップアイドルへの想いを更に強くしていた。


 紗代子と瑞希が電車に乗って帰っているのと同じ頃、当のプロデューサーは劇場内の、あの暗い部屋にいた。
 相変わらず光源はディスプレイしかなく、その黄昏のような灯りで彼は週刊誌を読んでいた。
 音無小鳥が隠したものではない。もうとっくに彼はそれを見つけ、手に入れていた。
 小さなその記事は、読めば数分程度の長さだ。
 それを彼は、飽くことなく読んでいた。いや、眺めていた。
 そして急に殺気だった顔で立ち上がると、週刊誌を壁に投げつける。
 荒い息をしながら、彼は吠えた。

P「なにが新鋭歌姫だ! なにが貫禄のショーだ!! なにがShahだ!!!」

 投げ捨てた週刊誌を、彼は再度拾うとそれをビリビリに引き裂いた。

P「今に見てろよ……」


     『すべては嘘だった』

紗代子「て、テレビに出演ですか!?」

P「もうそろそろ、そういう段階に進んでもいいかと思っている。どうだ? やるか?」

紗代子「は、はい! もちろんやりたいです!! やらせてください!!!」

翼「え~! 紗代子ちゃんだけ、もうテレビとか出ちゃうのー? 私は~?」

静香「翼はまだ、センター公演だってやってないでしょう? でも……私も早くテレビには……」

永吉昴「センター公演も、紗代子をトップバッターにしてこの間、瑞希がやっただろ? 次は誰だ? 3番目からはクリーンナップだから、案外オレとか!?」

のり子「ジャジャーン! 実は次のセンターは……なんとアタシなんだよね!!」

静香「えっ!? それ、決定なんですか!?」

のり子「うん! 昨日プロデューサーに言われたんだ」

静香「そんな……私は……私の番はまだなんですか!?」

未来「まあまあ静香ちゃん。そのうち私たちの順番も回ってくるよ。それで、その次はテレビでデビュー!」

美奈子「うんうん。焦らなくても、順番はちゃんとやってくるし、プロデューサーさんはちゃんと色々考えてるみたいだから、ね!」

静香「わ、わかってます。けれど、なんていうか、紗代子さんを見ていると焦っちゃうんです!」

紗代子「え?」

静香「紗代子さんの努力はわかってます。でも……なんだかどんどん先に進んでいって、私は置いて行かれてるような……」

P「……じゃあ、紗代子と一緒に出るか?」

静香「え?」

翼「それって、テレビに一緒に出るってことですよね~? えーそれなら私も出たい、出たーい!」

静香「ま、待って! 声をかけられたのは私よ!! あ、あの……本当に紗代子さんと一緒に出て……いいんですか?」

P「というか、君たちのプロデューサーには話を通してあって、紗代子のバックで一緒に出る娘を2人ばかり出していいかと思……」

未来「はい! じゃあ私も出たいです!!」

翼「え? あ、ズルい~! 私も出たーい!!」

育「テレビに出られるの!? 私も!!」

高坂海美「私も出たい! お願い!!」

P「ま、待て待て。最上さんに声をかけたのは、身長がちょうどいいからなんだ」

静香「身長……ですか?」

P「紗代子のバックってことは、当然に紗代子よりちょっと後ろでダンスとコーラスをやることになる。その時に身長が揃ってるといいんだ」

昴「さ、紗代子! 身長は!?」

紗代子「え? あ、えっと、156cmだけど」

P「最上さんは見た感じ160とちょっとぐらいだろう?」

静香「はい。162cmです」

P「そのぐらいの娘がちょうどいいんだ」

美奈子「じゃあ私もだめですね……残念」

翼「私、ヒールを履きますから~!」

P「慣れないヒールは危険だ。そして実はもう1人は既に考えていて……真壁さん、どうかな?」

瑞希「私が……ですか? それはテレビには出たいですが」

翼「む~! 瑞希ちゃんはもうセンターも経験してるし、やっぱズルいー!」

P「身長が160cmぐらいだし、紗代子とは仲がいいみたいだから、スムーズにいくかと思うんだ」

瑞希「わかりました……私が高山さんのために、一肌脱ぎましょう」

静香「わ、私もがんばります!」

P「よし! じゃあ決まりだな。2人のプロデューサーには言っておくから、今日から紗代子と一緒にレッスンをしてくれるな?」

静香「はい……チャンスだわ。テレビにも出られるし、あの高山さんが受けているレッスンを、私も受けられるなんて、貴重な経験なんだから」

瑞希「高山さん、よろしくおねがいします!」

紗代子「こちらこそ! 2人とも、よろしくね。一緒に最高の番組にしようね!!」

静香「もちろんです。がんばります!」

P「じゃあ俺は、そのことを伝えたり打ち合わせがあるから、紗代子頼むな」

紗代子「はい! じゃあまず、日課であるレッスン前のランニングから」

瑞希「わかりました」

紗代子「瑞希ちゃんも静香ちゃんも初めてだし、今日は初日だからハーフでいくね」

静香「よろしくお願いします」


静香「……ハーフってなんだろう?」

瑞希「はあ……はあ……ま、まさかレッスン前から20km以上走らされるとは……予想外でした。気息奄々だぞ、瑞希……」

静香「………………」

紗代子「だ、大丈夫? 静香ちゃん?」

静香「だ、だい゛じょ・ぶでず! だい゛じょぶ……」

紗代子「ちょっと休憩しようか」

静香「らいじょうぶれすから!」

紗代子「整理体操が終わったらね」

静香「えっ!? は、はい……あの、瑞希さん」

瑞希「なんでしょう……私、既に答える気力が残りわずかです……」

静香「紗代子さんの、あのレッスンでの吸収力の源泉を見た気がします……すべてはこの体力があってなんですね……」

瑞希「それに加えて、あのやる気と熱意です……すごいです、高山さんは……」

静香「ええ……本気でアイドル目指すんだから、見習わないと……あ、そういえば」

瑞希「なんですか?」

静香「ShahのアルバムやMV、手に入りそうなんです」

紗代子「えっ!?」

瑞希「なんと……それはまた、どうやって?」

静香「父の仕事の関係もあって、海外によく親戚が行くんですけど、お土産としてお願いしたんです」

紗代子「本当に!? 私にもそれ、聞かせてくれるかな」

静香「もちろんです。みんなで見ようかと思ってます」

瑞希「楽しみです……全米で人気急上昇の歌姫は、絶対に参考になるでしょうし……」

 瑞希は紗代子を見る。
 Shahは紗代子にとって、プロデューサーが前に担当していた娘になる。その意味でも紗代子は色々と気になっているはずだ。

静香「? なんですか?」

瑞希「なんでもありません……歌だけではなく、ダンスやパフォーマンスも、さー……しゃ……しゃあー……すみません、かみました」

紗代子「あれ? ……」

瑞希「?」

紗代子「……あっ!」

静香「ど、どうしたんですか!?」

紗代子「Shahって……もしかして……」

瑞希「?」


善澤「やあ、久しぶり」

P「え? あ、善澤さん! ご無沙汰しています。先日は紗代子の記事、ありがとうございました」

善澤「ああ。いいライブだったよ。そして君もまた、バリバリとやってるらしいね」

P「はい……また、色々とお願いします。あ、そうだ」

善澤「なんだい?」

P「黒井社長……なんですが」

善澤「黒井が? どうかしたのかい?」

P「いや、特になにがってわけじゃないんですが、先日ウチの劇場に観客として来てたんですよ」

善澤「黒井がかい? それはまた珍しいな……いや、他はともかく765プロの劇場にか。確かに彼は、意外と自分の足でスカウトをしたり、芸能界の情勢を掴んだりする男ではあるんだが」

P「そうなんですか?」

善澤「以前、沖縄や礼文島で偶然会った時には驚いたものだよ。しかし目の敵にしている765プロ劇場になあ……」

P「ええ。それがなんとなく気になってまして」

善澤「うーん……待てよ、それっていつのことだい?」

P「2週間ぐらい前ですか」

善澤「というと、高山君のセンター公演か」

P「そうです」

善澤「僕もその時いたが、黒井には気がつかなかったな」

P「何か言ってくるかとも思ったんですが、すぐに帰られて……逆に心配なんですよ」

善澤「ふむ……ちょっと探ってみるか」

P「お願いします」

善澤「代わりに、高山君の独占取材でも頼むよ。いや、彼女と君のね」

P「え? 俺、ですか?」

善澤「一度は挫折した男が、才能を見いだした少女をトップアイドルにする、その復活劇を記事にしたいんだよ」

P「……」

善澤「なに、高山君にはトップアイドルになったら独占記事を書かせてもらうと約束をしてあるんだ。君には内緒だったがね」

P「そんな、かっこいいものじゃないんです……」

善澤「え?」

P「今はこうやって落ち着いて善澤さんと話もしていますが、俺の心の中にはまだ俺を馬鹿にした連中と、あの娘……今はShahですか、あいつを恨む気持ちが残っているんです」

善澤「それはまあ……きれいさっぱり忘れて赦せなんていうのも、無理というものだろうが」

P「紗代子や、765プロのみんなと過ごして、そんな自分が嫌になることもあります。けれど……まだ俺の心の奥底には、あいつらを見返したい気持ちが強くあって、時々頭をもたげてくるんだ……」

善澤「見返す?」

P「善澤さんには、話しておきます。俺は……復讐のために、紗代子のプロデューサーになりました」

善澤「なんだって?」

P「俺が……なぜ彼女を……高山紗代子という娘を選んだのか、わかりますか?」

善澤「いや。皆目見当がつかない。それだけに、よくぞあの娘を見いだしたと、感心しているよ」

P「違うんだ……」

善澤「違う?」

P「俺が、彼女を……高山紗代子を選んだ、その理由は……」

 プロデューサーは、善澤にだけ聞こえるよう小さな声で呟いた。
 瞬間、善澤はペンを落とした。
 その表情は、驚愕を示していた。

善澤「馬鹿なことを……それは、いくらなんでもあんまりだ。彼女はこのことを!? い、いや、知るはずもないか」

P「紗代子は俺を全面的に信用してくれています。それは嬉しいし、きっと彼女のお陰で俺はまた人前に出られるようになったと思います。だがもし紗代子が、自分が選ばれた理由を知ったら……」

善澤「もし彼女が知ってしまったら、君はどうする?」

P「……今度こそ、二度と人前には出ないつもりです」

善澤「そうならない事を祈っているよ。そして今の話、決して高山君には話すんじゃないよ」

P「復讐を望む俺が、口を滑らせなければ……ね」


 ふと、プロデューサーの脳裏にShahがまだ彼の担当だった頃のことが去来する。


「芸能活動って、本名じゃなくてもいいんでしょ?」

P「? そりゃアイドルでも芸名で活動してる人は大勢いるけど、本名を使うのは嫌か?」

「本名が嫌なんじゃなくて、名乗りたい名前があるの」

P「ほう? なんていう名前だ?」

「サー、って芸名どう?」

P「サー? それだけ?」

「表記はSAHでもSirでもなんでもいいわ。読み方がサーなら」

P「覚えやすいし、インパクトはあるけど、どういう意味があるんだ?」

「アイドルが、サーって名乗ってたらファンやマスコミからは『サーちゃん』って呼ばれるでしょ?」

P「まあ、そうなるだろうな」

「サーちゃんっていうアイドルがいたら……気づいて……もらえるかも……」

P「え? なんだって?」

「……なんでもない。いいでしょ?」

P「うむ……まあいいだろう。いや、確かに印象的だからいいかも知れない」

「決まり! 私、今日からアイドルのサーよ」


瑞希「相変わらず、念入りな下見ですね」

静香「え? いつもこんなに念入りに下見をしてるんですか? ステージの大きさをわざわざ測ったりを?」

紗代子「うん。実はメガネを外すと、ちょっと視界がぼんやりしちゃうから、下見の段階で距離感とか掴んでおかないといけないから」

瑞希「そうでした……そして、そうまでしてステージではメガネを外すのは、訳があるんでしたね」

紗代子「私……小さい頃、仲良しだった友達がいたんだ。その子も私もアイドルが好きで……それで、2人で約束したの。絶対2人ともアイドルになろうね、って」

瑞希「幼い頃の、大切な友達との約束ですか……それを守ろうと、高山さんは一生懸命なんですね」

紗代子「あ、もちろん私自身がアイドルが好きで、憧れてて、なりたいって思ってたんだけど、あの子だってきっと今もそうだって……そして私も信じてるから」

瑞希「なるほど。そして、それはまだ、高山さんがメガネを使用するようになるより前のことなのですね?」

紗代子「うん……アイドルごっことかして遊んでいた頃は、メガネをしてなかったから。もしかしてメガネをしてたらわかってもらえないかも、って」

瑞希「お名前では、わからないのですか?」

紗代子「なんとなく覚えてはいるんだけど、漢字でどう書くのとか詳しいことは……小さい頃だったからね。でも2人とも名前が『さよこ』だったのは印象深いからはっきりと覚えてるよ」

静香「2人とも……? その子も、さよこというお名前なんですか?」

紗代子「うん。一緒に遊んでいたりして、周りの誰かが『さよこちゃん』って呼んだりすると2人とも『はーい』って返事しちゃったりしてたから、ある時にあの子が『じゃあ、私はさーちゃんで、あなたはよーちゃん。ね!』って言って」

瑞希「じゃあそのさーちゃんという方も、今アイドルになろうとしているのかも知れませんね」

紗代子「というか、もうなっていると思う」

静香「えっ!? 本当ですか!?」

紗代子「Shahが、あの子……さーちゃんだと思う」

瑞希「……なんですって。びっくり」

静香「え? じゃあその紗代子さんの幼なじみの、さーちゃんがShahだっていうんですか?」

紗代子「うん……さっき瑞希ちゃんが、かんでShahのことをさーって言った時に思い出したの。週刊誌に載っていたShahの写真、あれは……」

瑞希「そういえば、高山さんはあの写真を見た時に見覚えがあるような気がする……とおっしゃってましたね。まさか私がかんだことが、手がかりになるとは……お手柄だぞ、瑞希」

静香「ま、待ってください! ほ、本当にそうなんですか? 勘違いとか見間違いじゃないんですか!?」

紗代子「? たぶん、間違いないと思うけど……どうして?」

静香「っ……実は、翼と賭をしていて……」

瑞希「賭け、ですか?」

静香「か、賭って言っても、金銭とかは賭けていなくて、そ、そう!  射幸心を煽るようなものじゃなくて……」

紗代子「え? それってもしかして翼ちゃんが言ってた、Shah日本人説……のこと?」

 静香は、コクリと頷く。

静香「翼が大穴ねらいで日本人説、でもけっこう自信あるんだ~♪ って言い出して……じゃあもし違ったら花坊のうどんをおごりなさいよ、って話になって……」

紗代子「う、うん」

静香「かわりに、もし本当にShahが日本人だったら私は翼に、根の津でうどんをおごるってことに……しかも私は翼が食べるのを見てるだけっていう……あああ、本当にShahは紗代子さんの幼なじみなんですか!?」

紗代子「う、うん! ま、間違いない……と、思う!!」

静香「ああ……」

 ガッカリと項垂れる静香。

紗代子「元気出して、静香ちゃん。うどんなら、今度私がヤマサ製麺所でおごってあげるから」

 瞬間、バッと静香は頭を上げると、紗代子に詰め寄る。

静香「そこって、美味しいんですか!?」

紗代子「う、うん! うちの家族はみんな大好きだよ」

静香「どんな? どんな、うどんなんですか!?」

紗代子「えっと、セルフのお店なんだけど」

静香「セルフ!? セルフって、自分で作るってことですか!?」

紗代子「そ、そうだよ」

静香「製麺所のセルフうどんなんて、香川に行かないと体験できないと思ってました……あ、味はどうなんですか!?」

紗代子「や、柔らかくて美味しいよ」

瑞希「待ってください最上さん、少々落ち着きましょう」

静香「あ……す、すみません私、ちょっと興奮してしまって……」

瑞希「高山さん、高山さんのプロデューサーは、この事ご存じなのでしょうか?」

紗代子「どう……かな? そもそもShahの存在を知っているのかがわからないし、知っていたとしてもShahが自分の担当していた娘だっていうことも気づいているのかな」

静香「え? 紗代子さんのプロデューサーが、Shahのプロデューサーなんですか!?」

瑞希「元……ですが、これはまたあとできちんと説明しますね」

静香「そうだったんですか……」

瑞希「この事、お知らせすべきでしょうか?」

静香「この間の、小鳥さんの様子を見ると、私は慎重に考えた方がいいんじゃないかと思いますけど」

瑞希「はい……せっかく心の傷が癒えたプロデューサーが、またショックを受けたら大変です」

紗代子「確かにそうだね。うん、まだちょっと黙っておくよ」

瑞希「それが良いでしょう。しかしそれにしても……」

静香「?」

瑞希「不思議なご縁ですね。高山さんとShah、子供の頃に一緒にアイドルになろうと約束した幼馴染みのお2人が2人とも、同じプロデューサーに担当されて」

 それは紗代子も思っていた。
 そして、自分とShahを友にのプロデューサーが見出したということは、自分とShahに共通するような才能か、それに類するなんらかの見所があったということなのだろうか。

紗代子「私も……がんばれば、さーちゃんみたいに、アメリカでも通用するようなアイドルになれる……のかな?」

瑞希「もちろんです」

静香「ええ、紗代子さんの歌声はすごいです。それに、あのがんばりなら絶対に大丈夫だと思います」

紗代子「そうだね。今はまだまだでも、いつかはあの子に届くって、私も信じるよ……ありがとう。さあ、じゃあ続きをやろうか。ますは、明日のために!!」

静香「はい!!」

瑞希「やるぞー瑞希。えいえいおう!!」

 紗代子のテレビ出演は大成功だった。
 容姿の美しさと、軽やかなダンス。そしてなにより、画面越しでも伝わるあの、魂を揺さぶられる歌声に視聴者は驚き、話題になった。
 効果はすぐ現れた。問い合わせは殺到し、関連グッズがまた在庫から消えた。
 町中で、紗代子の歌が流れるようになる。

「姉ちゃんのサイン、欲しいって言われるようになったよ。とうとう姉ちゃんのこと、自慢しちゃった」

 弟が少し恥ずかしそうに、紗代子に言う。

静香「私にテレビのお仕事ですか!?」

翼「え~また静香ちゃん~?」

P「先日のテレビで、注目されたみたいだな。真壁さんにも声がかかってるそうで、改めて2人のプロデューサーから話があると思う」

瑞希「やったぞ……瑞希。がんばります」

紗代子「ふふっ。私たちも、段々アイドルとして有名になってきたんだね……」


     『あの子がやってきた』

 アメリカ、テキサス州のダラスから飛び立ったプライベートジェットの操縦室で、機長は困惑していた。
 このジェット唯一の乗客である少女が、突然ハイジャック宣言をしたのだ。行き先を日本に変更しろという脅迫と共に、だ。
 このハイジャッカーは別に武装しているわけでも、人質をとっているわけでもなかったが、機長はフライト前に雇い主であるコーエン氏から「くれぐれも乗客の機嫌を損ねないよう、最大限のワガママを許してやって欲しい」と強く言われていた。
 だがしかしこれは、最大限というワガママを越えているのではないだろうか。
 本来の行き先は、イギリスのヒースローである。そこへ向かわずに日本になど行って良いものだろうか? そしていずれにしろ最終的にはこの乗客はヒースローに向かわなくてはならないのだ。
 なにしろあの、ロイヤル・アルバート・ホールでのライブが控えているのだ。

「数時間でいいのよ。今回は少し余裕のある移動のはずでしょ? お願い!」

 乗客の瞳は真剣だった。ワガママというよりは、今しかないという一瞬に望みをかける、懇願の目だった。

 機長は成田空港へ、連絡を取ることにした。


P「歌番組も好評だった。色々と仕事も入ってきている」

紗代子「本当ですか!? 良かった……あ、でも、まだまだですよね。もっと私、上を目指したいです!!」

P「うむ……確かにまだまだやるべきことは、ある。だが、こうした世間からの求めに応じるのもアイドルとしての大切な仕事だ」

紗代子「はい。私、がんばります」

P「とりあえず、劇場外で単独ライブをうつ」

紗代子「劇場外……ですか?」

P「今度は本当に1人だぞ。どうだ? やるか?」

紗代子「はい」

P「いい返事だ。単独だから、色々とやってもらうぞ。覚悟しておけ」

紗代子「もちろんです。それで、どこなんですか? 劇場外って」

 一瞬、プロデューサーの顔が曇ったのを、紗代子は見逃さなかった。
 が、彼は軽く頭を降ると、殊更に笑顔で答える。

P「東京都の文化会館だ。しかも、大ホールだぞ。大きなハコだが、気後れするなよ」

 その答えで、紗代子はなぜプロデューサーの表情が曇ったのかを悟った。
 東京都文化会館は、Shah……いや、あの子のデビューイベントとなるはずだった会場だ。
 プロデューサーにとっては、苦い思いでの場所だ。
 今度は……いや、自分はなんとしてもプロデューサーに成功の喜びを味あわせてあげたいと強く彼女は思った。

瑞希「東京都文化会館ですか? 確か……上野だったと思いますが……どうかされましたか?」

紗代子「私の単独ライブが決まったの!」

瑞希「本当ですか……いよいよ単独でのライブなのですね。私、当日は観客として、高山さんに声援を送りたいと思います」

紗代子「ありがとう。それで、その会場がその東京都文化会館なんだ」

瑞希「待ってください。都の文化会館といえば……確かShahさんの……」

紗代子「……うん。それも同じ大ホールなんだって」

瑞希「高山さんは……本当に、良いのですか?」

紗代子「え? なにが?」

瑞希「高山さんは、Shahさんではありません。トップアイドルになって、自分だけでなく高山さんのプロデューサーの夢もかなえたいという想いは立派です。ですが、高山さんがShahさんの身代わりになることは……ありません」

紗代子「ありがとう、瑞希ちゃん。瑞希ちゃんの言ってること、わかるよ」

瑞希「はい……」

紗代子「それから……この間、私に言ってくれたことも」

瑞希「高山さんに……私が、言ったこと……ですか?」

紗代子「瑞希ちゃんは私に、事実だけを見ようって言ってくれたよね。だから……うん、今起きてることだけ見ていくよ。Shahのことは、今はプロデューサーとは分けて考える」

瑞希「そうですか……なんだか私は、余計なことを高山さんに言ってしまったような気もしますが、いつでも相談にはのります。なんでも私に言って、頼ってください……」

紗代子「うん。ありがとうね!」

 2人は笑顔を交わしあうと、東京都文化会館へと向かった。

瑞希「スマホのルート案内だとここを曲がって……見えました、あれが東京都文化会館です」

紗代子「お、思っていたより大きいんだね」

瑞希「そうですね……外観も立派な……おや、なんでしょう?」

紗代子「すごい人だかり……何かあったのかな」

「ホントにマジだって! いたんだよ、あのShahが」

「もうすぐロンドンでライブだろ? こんなとこにいるもんか」

「でも確かにちょっと似てたな」

紗代子「……え? Shah?」

瑞希「そんなまさか……そう、都合よく……」

Shah「ふう。もう日本でも知られてきてるんだ。まさか、ファンに見つかるとは……」

瑞希「!? あ、あの、もしかしてShahさん……ですか?」

Shah「え!? ち、違います。私は通りすがりのアーティストで……」

紗代子「……さーちゃん?」

Shah「……え? まさか……」

紗代子「私……わかる? 私は……」

Shah「よーちゃん! よーちゃんでしょ!? まさか会えるなんて……元気にしてた!?」

紗代子「さーちやんこそ!! ずっとずっと……会いたかったよ!!」

 抱き合う2人。しかしその再会を瑞希が止める。

瑞希「待ってください。こんな人目の多いところで、日米の新鋭アイドル2人が親しげにはぐするなど、騒ぎの元です」

紗代子「そ、そうか。ごめん、瑞希ちゃん」

Shah「じゃあ、どうしたら……」

瑞希「大丈夫です……私に、ついてきてください」

 瑞希が2人を連れてきたのは、いつぞや善澤記者が紗代子と瑞希を連れてきたカフェだった。
 瑞希が善澤の名前を出すと、さして詮索もされず件の個室に3人は通された。

Shah「もしかしたら会えたりするかもとは思っていたけど、本当によーちゃんに会えるなんて! ネットで見たよ。アイドルとして、がんばってるんだ」

紗代子「私こそ、さーちゃんの活躍は聞いてるよ。すごいね、アメリカで活躍してるなんて!」

Shah「……私は乗り気じゃなかったけどね」

紗代子「え? あ、うん……プロデューサーのことだよね」

Shah「プロデューサー?」

瑞希「端的にご説明しますが今、高山さんを担当しているプロデューサーは、Shahさんを以前担当しておられたプロデューサーです」

Shah「え?」

紗代子「さーちゃんが引き抜きでアメリカに行った後、色々とあって……今は私のプロデューサーなの」

 Shahは青ざめると、その表情を強ばらせた。

紗代子「さーちゃん?」

Shah「ごめんなさい! よーちゃん!! 私の……私のせいで!!!」

紗代子「え?」

Shah「謝ってゆるしてもらえるとは思わないけど、本当にごめんなさい」

紗代子「ま、待ってよ。さーちゃん。なんで私に謝るの?」

Shah「なんで……って、私のせいでよーちゃんがあの人の片棒を担がされて……やっぱり、あの人に脅されたりされてるの?」

紗代子「お、脅される!?」

瑞希「待ってくださいShahさん。話が噛み合っていません……脅されるとはなんのことですか?」

Shah「え? だって……あんな条件でプロデュースを受けて……無理矢理だとばかり……もしかしてよーちゃん、なにも知らないの?」

紗代子「なにも……? 私は、どこの面接やオーディションでも落ちて絶望していた所を、プロデューサーに……」

Shah「本当に……なにも知らないの……ラングレーだって動いたって聞いてたけど」

紗代子「ラングレー?」

Shah「Central Intelligence Agency。CIAのこと……つまり、ええと、日本語に訳すと……」

瑞希「アメリカ中央情報局……ですね。映画とかでは聞く名前ですが……」

紗代子「ど、どういうことなの!? なんでそんな所が私やプロデューサーに関係あるの!?」

Shah「あの人……あのプロデューサー、私を脅迫してたの」

紗代子「きょう……はく?」

Shah「アメリカは訴訟に対しては寛容よ。だけど、脅迫となるとそれは別。明らかに反社会的な行為として咎められるわ。コーエンは事を重く見て、CIAに相談したって言ってた。国を跨いでの犯行予告だったし」

 茫然とする紗代子。代わりに瑞希が、Shahに聞く。

瑞希「脅迫とは、具体的にはどういうものだったのですか?」

Shah「当初は支離滅裂な言動だったわ。日本に戻らないと天罰が下るとか、今までのレッスンや指導料として1億円払えとか、AISは俺に株を売って俺のものになるべきだ、とか……」

紗代子「そんな……そんなこと……」

 心配そうに紗代子を見ながら、それでも瑞希は聞く。

瑞希「当初は、ということは。その後が……あるのですか?」

Shah「ええ……しばらくすると、文章は妙に紳士的なものになったわ。でもそこから先は、一切がラングレーが証拠として管理をしだしたから、私はよく知らないの」

紗代子「……」

瑞希「では、現在は?」

Shah「コーエンは、もう心配ないって言ってたわね。両者の間で、合意があったみたい。ただ……脅迫がなくなった代わりに、たわごとを言うようになった、とも」

瑞希「高山さん、もう……やめておきましょうか?」

紗代子「……聞きたい。話して、さーちゃん」

Shah「よーちゃん、本当にいいの? ようやく再会できたのに、こんな話をしちゃって……」

紗代子「大丈夫。私は……私たちの友情と夢は変わらないよ。でも、私はやっぱり本当のことを全部知っておきたい」

Shah「……わかった。あの人は……ごめんねよーちゃん、これはあの人の言ってたことだからね。私が思ってることじゃなくて……」

紗代子「……うん」

Shah「あの人は、今に見ていろ、俺の実力を証明してやる……なんの……なんの才能もないやつを、誰も見向きもしないような者を、俺だけの力でプロデュースしてトップアイドルにしてみせてやるからな……って……」

 紗代子の顔から、顔色と表情が抜け落ちた。
 涙すら出なかった。
 凍ったように世界が止まった。
 ずっと不思議だった。
 ずっとずっと謎だった。
 どうして自分なんだろう。
 どうしてプロデューサーは、私を選んだんだろう。
 ようやくわかった。

 自分は、なにもない、なにもできない、なんの才能も将来性もないことを理由に選ばれたのだ。
 プロデューサーの力の証明のために……

Shah「慰めのつもりじゃないけど」

 ポツリとShahが口を開く。

Shah「私は、よーちゃんの実力も才能も信じてるよ。それから……あの人のことも」

瑞希「高山さんの、プロデューサーをですか?」

Shah「今日、あの場所……都の文化会館に私が行ったのは、どうしてもあの場所を見ておきたかったからなの」

瑞希「高山さんや私と会えたのは、予想外の偶然……なのでしたね」

Shah「あの文化会館は、私のデビューイベントが行われるはずだった場所。そして、イベントは中止になったけど、会場はキャンセルされなかった」

瑞希「? イベントは中止になったのに、会場はそのまま借りていたんですか?」

Shah「後から聞いたの。当日、あの人は本来ならデビューイベントが開かれているはずのあの会場で、ずっと呆然と客席に座っていたそうよ。会場代は自腹でね」

瑞希「そうなんですか……」

Shah「あの人は、あの人なりに真剣だった。私に期待をしてくれていた。それに応える時間も機会もなく、私はアメリカに連れて行かれてしまったの……あの人は、私やコーエンを脅迫したかもしれないけど、あの人なりに傷ついた」

瑞希「……しばらく、人前には出られなくなってしまっていたそうです」

Shah「私は、自分のしでかした事を見ておきたくて、今日あそこへ行ったの」

瑞希「そうだったんですか……高山さん、大丈夫ですか」

紗代子「……え? あ、うん……」

Shah「ごめんね。せっかく会えたのに、こんな話で……」

紗代子「ううん。私もプロデューサーに聞いてみる。今まで聞かなかったこと」

瑞希「それは……それこそ、大丈夫ですか? 高山さんも傷つくことに……」

紗代子「もう、後戻りはしたくないし、前に進むなら全身でぶつかりたいの」

Shah「そっか。じゃあそろそろ、私は行かなくちゃ。よーちゃん、約束……まだ忘れてないよ」

紗代子「私もだよ、さーちゃん。今日はありがとう」

 紗代子とShahは抱き合い、別れた。
 そして悲壮な表情で、紗代子は劇場に帰ってきた。

P「どこに行ってたんだ? これから……」

紗代子「プロデューサー!」

P「な、なんだ?」

紗代子「私、会いました」

P「会った? 誰にだ?」

紗代子「さーちゃん……いえ、Shahにです!」

 ハッとするP。
 紗代子は構わず続ける。

紗代子「プロデューサーが、以前担当していたんですよね?」

P「な、なんで……どうして知って……」

紗代子「Shahがあの子だったんです。一緒にアイドルになろうって誓い合った、その子がShahなんです」

P「なんだと……」

紗代子「あの子を脅迫したっていうのは、本当なんですか?」

P「ま、待て。それは……あの時、俺はどうかしていた……」

紗代子「あの子を見返すために……自分の力を認めさせるために、私の担当になったんですか?」

P「紗代子! き、聞いてくれ!!」

紗代子「私がなんにもない! なんの才能もない、ほっといたらアイドルになれない娘だから、選んだんですね!?」

 泣き叫ぶように追求する紗代子に、プロデューサーの足は震えた。
 恐れていた事が起きた。起きてしまった。
 自分のしてきたことが、一番知られたくない紗代子に全部知られてしまったのだ。
 崩れ落ちるように床にへたり込んだ後、プロデューサーは絶叫した。

P「あ……あああ、あああーーーっっっ!!! あ、あーーー!!! あああぁぁぁあああーーーっっっ!!!」

 そのまま彼は、もつれる足でその場を逃げ出した。
 代わりに紗代子が、その場に泣き崩れる。

紗代子「うう……わーーーーーーっ!!!」

 仲間のアイドルたちも、立ち尽くすしかなかった。
 そして翼が、静香の袖を引く。

翼「つまり……やっぱりShahは日本人だった、ってコトだよね~?」

静香「……今は、それどころじゃないでしょ」

翼「わかってるけど……こういう空気、どうしたらいのかわかんないよ……」

瑞希「帰りましょう……高山さん。今日は、私が送ります……」

 紗代子を抱えるようにして乗り込んだ、帰りの電車内。彼女は一言も発しなかった。
 瑞希も言うべき言葉がなく、黙っていた。
 帰宅した紗代子を見て、さすがに母親は何が起こったのかはともかく、娘の精神状態は察し、黙って娘を自室に送る。

「わざわざ心配して送り届けてくれたんでしょ? ごめんなさいね」

瑞希「いえ……1人にするわけには、いかないと思いましたから」

「今夜は、お夕飯を食べていってね。あ、なんなら泊まってもいいのよ?」

瑞希「いえ、それは……ですが、やはり高山さんが心配ではあります……」

「決まり! ね、お宅には私からも一言添えて連絡することにして」

瑞希「では、お言葉に甘えて……それにしても、大丈夫でしょうか?」

「紗代子なら心配ないわよ」

瑞希「なぜですか……あの熱意と懸命さの塊のような高山さんが、あれほど落ち込んだ姿を、私は見たことがありません」

「ま、確かに久々ね。春頃に、765プロのオーディションを落ちて帰ってきた時以来かしら」

瑞希「あの時の……」

「あの子はね、どんなことがあっても、一晩寝たら元気になってるから。だから、大丈夫。そうね、明日の朝食は、たい焼きでも焼いておいてあげようかしらね」

瑞希「本当ですか……しかし、今回はどうでしょう」

 これまでも苦難や困難はあった。だがそれとは次元が違う。
 今回彼女は、信頼するプロデューサーとの根源的な関係が崩れそうであるのだ。
 ずっと心の支えだった、プロデューサーに見出されたという自信が、今回は粉々に砕かれたのだ。それもそのプロデューサーによって。

「ただいまー。え!? あ、アイドルの真壁瑞希ちゃん!?」

瑞希「おじゃましています、真壁瑞希です。私のことは気軽に、瑞希ちゃんと呼んでください」

「もしかして姉ちゃんが、友達だって言ってたのは……マジ?」

瑞希「はい……マジです、マジ。真実の本当です……まじまじ」

「今夜はうちに泊まってくれるそうよ。失礼のないようにね」

「マージでえええ!?!?!?」

 夕食にも紗代子は部屋から出てこなかった。
 紗代子の弟も「765プロのオーディションを落ちて以来だよな」と母親と同じことを言い、あまり動じていないようだ。
 そして夕食後、その弟が自転車に乗る。

「姉ちゃんがいないのに走るって、変な感じだな」

瑞希「それはつまり……高山さんは、毎晩走っておられるということですか?」

「ああ……いや、はい。最初は自転車使わずに一緒に走ってたんだけど、だんだん追いつけなくなって、ママチャリに乗るようになって、それでも追いつけなくなってちゃんとした自転車買って、そして今はあれを組んでるとこです」

瑞希「あれ……ほほう、緑色の綺麗な自転車ですね。び……びあん……き?」

「うん! お陰様で、今は自転車部でエースですよ。あのビアンキの自転車も姉ちゃんに見せて自慢するつもりだったのに」

瑞希「明日には……本当に高山さんは、元気になっているでしょうか」

「ま、大丈夫でしょ」

瑞希「今夜は……高山さんの代わりに、私が走ります」

「え? ま、マジですか!?」

「ちゃんとボディガードするのよ? 瑞希ちゃんも、戦車とかに気をつけてね」

瑞希「はい……戦車?」


「こんなにのんびり走るの、久しぶりかな」

瑞希「つまり高山さんは、もっと早く走っているのですね?」

「慣れっこになってたから麻痺してたよな。駅から海岸線まで出て、そのまま神社前を登って降りてマリンワールドまで……けっこうなスピードで」

 瑞希は、その距離と速さに驚く。いや、紗代子の弟は、今日は速度を控えて走っているというから、普段は……

瑞希「すごいです……高山さんは……」


 来客用のベッドに横になりながら、それでも瑞希は紗代子が心配だった。
 紗代子の家族は心配していなかったが、あれだけの精神的なショックを受けて、それでも一晩で立ち直れるものだろうか。
 いや、もし立ち直れなかったとしたら、紗代子はアイドルをやめてしまうのではないだろうか。

 その想像は、瑞希の胸を悲しみの棘で刺した。
 彼女にとって、紗代子は単に親友というだけではない、同僚のアイドルだけでもない。
 紗代子の努力と、その諦めない熱意でここまで来る様を間近に瑞希は見てきたのだ。
 それは美しいだけの道程ではなかった。時に涙を流し、もがくように苦しみながら歩んできた茨の道だ。
 それだけに、紗代子のすごさを如実に物語り、自分も影響を受けた道でもあった。

瑞希「高山さん……」

 ステージの上での、楽しそうに、嬉しそうに、輝くように歌う紗代子。
 そしてその陰で、弱い自分を必死に鼓舞し、その自分を励まし、寄り添っていた紗代子。
 2人の紗代子は、瑞希にとって。いや、765プロ全員の、今や宝物となっていた。

瑞希「やめないで……ください」


 朝がきた。
 結局ほとんど眠れなかった瑞希は、紗代子の部屋の前で座り込んでそのドアが開くのを待っていた。

紗代子「あれ……瑞希……ちゃん!? なんでここに!?」

 ウトウトしていた所に、紗代子の声が聞こえ瑞希は目を開ける。
 そこには不思議とさっぱりとした表情の紗代子が、立っていた。

瑞希「おはようございます、高山さん。高山さんのお母さんが、勧めてくださったので、昨夜はお泊まりをさせていただきました」

紗代子「そうだったの!? ごめんね、相手もしてあげないで」

瑞希「よいのです。それにしても……」

紗代子「な、なに?」

瑞希「ご家族のお話は、本当でした……元気になられましたね。よかったぞ……ほっ」

紗代子「うん……自分でも不思議だけど、なんか一晩寝ちゃうと元気になれるんだよね。それに……」

瑞希「はて、なんですか?」

紗代子「こんなの……あの時にくらべれば……765プロのオーディションを落ちたあの日の夜にくらべれば、なんでもない!」

瑞希「私は、もしかして高山さんがアイドルをやめてしまうのではないかと、心配していました」

紗代子「やめないよ。やめない……このままじゃ、絶対にやめない! 今度は私が……」

 紗代子の母親は、起きてきてた娘を見て少し笑うと「おはよう」とだけ言った。父親も似たような反応で、弟はしきりに瑞希に話しかけてきていた。
 つまり、これといって特別な反応を紗代子にしめさず、家族は朝の時間を迎えていた。
 なるほど、やはり紗代子のことをよくわかっている。

 朝食を終え高山家を辞した瑞希と、紗代子の2人は765プロ劇場へと向かった。


のり子「あ、紗代子! 大丈夫?」

紗代子「のり子さん、ご心配おかけしました。もう大丈夫です」

のり子「良かった~! もう、このまま紗代子がアイドルやめちゃったらどうしようって心配してたよ!」

紗代子「瑞希ちゃんにも言われました。でも、やめません私」

桃子「おはようございま……紗代子さん! 良かった、やめないんだね!?」

のり子「あはは」

桃子「え? もう、のり子さんなにがおかしいの?」

のり子「みんな同じ心配をしてるんだなあっていうのと、紗代子は今日これから765プロのアイドルの数だけ、同じこと言われるんだなって思ったの」

桃子「じゃあ、ほんとうにやめないんだね? 紗代子さん」

紗代子「うん。ごめんね心配かけて」

桃子「ううん。桃子も嬉しいよ」

翼「おはようございまーす。あ、紗代子さん、やめないんだ!」

のり子「ほらね」

桃子「ほんとだ。おかしい」

 その後やって来るアイドルと、ほぼ同じようなやり取りをし、先に来た娘が笑うということを繰り返した後、意を決したように紗代子は言った。

紗代子「それでプロデューサーは?」

未来「あ、うん、それが……」

紗代子「? どうしたの?」

静香「昨日、あの後プロデューサーをみんなで追いかけたんですけど、見つからなくて」

紗代子「え?」

翼「駅までの道にいなかったし、別の道も探したりしたんですけど」

のり子「アタシもクラウザー号で、劇場の周辺を走ってみたんだけど、全然姿がないんだよね」

瑞希「プロデューサーは、どこへ行かれたのでしょう……みすてりー」

茜「空を飛んでいっちゃったとか?」

麗花「空にもいませんでしたよ?」

茜「ここで深く追求はしないでおくけど、じゃあどこへ行っちゃったの!?」

昴「なあなあ、可憐の嗅覚でプロデューサーを探せないかな」

可憐「えっ!? そ、それは無理だと思いますけど……」

風花「待ってみんな。プロデューサーさんは、多分……劇場のどこかにいると思うの」

翼「え~? なんでわかるの?」

風花「紗代子ちゃんのプロデューサーさんは、逃げ出しちゃったわよね?」

志保「はい。うろたえた様子でした」

風花「精神的にショックを受けた人の逃避は、闇雲に走り出したりしないの。たいていは、よく知っている場所や慣れ親しんだ場所に行ってしまうものなのよ」

美奈子「なるほど。それじゃあこの劇場内で紗代子ちゃんのプロデューサーの慣れてる場所……どこかな?」

琴葉「この人数で、しらみつぶしに劇場を調べるのがいいかな」

桃子「まって。この劇場の中で、誰かが隠れていて、しかも誰にも気づかれないところ、ってことでしょ?」

のり子「桃子、心当たりがあるの!?」

育「あ! もしかして」

桃子「うん。あそこじゃないかと思うんだ。ね、環」

環「? どこだ?」

桃子「もう、育が見つけた、あのトマソンだよ!」

環「とまそん……?」

育「私たちが、かくれぼしてた時に見つけた、あそこのことだよ」

環「ああ、たまきもわかったぞ。でもなんであそこなんだ?」

桃子「あの後ちょっと考えてみたんだけど、あの場所って機材置き場でもないし、あそこにあった機械ってパソコンとかだったと思うんだ」

瑞希「なるほど。高山さんのプロデューサーは、そこからレッスンを見たり高山さんに指示を出したりしておられたのですね」

のり子「えー!? ということはあのプロデューサー、外国じゃなくて……まさか、ずっと劇場にいたってこと!?」

紗代子「桃子ちゃん、その場所に案内して!」

桃子「うん、こっちだよ」


美奈子「ここって……壁じゃないの?」

育「わたしが見つけたんだ。ここの足下に触ると……あれ?」

桃子「どうしたの?」

育「開かないの。あの時は中を押したらカチッっていって、スルって壁が開いたのに」

美奈子「ということは……中から鍵がかけてあるのかな」

のり子「どうする紗代子。壁、ぶち破っちゃう?」

昴「お! それならオレも手伝うよ」

琴葉「待って! そんな乱暴な……いくらなんでも劇場を壊すなんて」

昴「えー。でもじゃあどうすんだよ」

琴葉「なにか穏やかな方法を何か考えましょう」

このみ「鉄球をぶつけるとか、放水するとか……」

琴葉「もっと物騒になってるじゃないですか!」

紗代子「みんな、私に任せて」

琴葉「もちろん紗代子が一番の当事者だから、いいけど……まさか紗代子も壁を壊して無理矢理入ろうって言うんじゃないわよね」

紗代子「そ、そんなことはしません」

 紗代子は、ひとつ咳払いをすると歌い出した。

紗代子「あーーーーーー♪♪♪」

志保「この曲……」

静香「センター公演の時の……」

紗代子「私は ここにいます♪
    私は ここで歌っています♪
    ねえ 聞こえますか?
    私が わかりますか?
    私が ここにいます♪」

麗花「なるほど! 因幡の白うさぎ作戦だね!」

琴葉「いえ……天岩戸作戦だと思いますけど……歌で本当にプロデューサーが……あ!」

 ゴトリ。
 壁の中から、物音がした。と、続いてチャリという音が響き、壁そのものがスライドした。
 中からプロデューサーが出てくる。

昴「す、スッゲー。ほんとに出てきた」

のり子「は、早く捕まえて引っ張り出さないと」

瑞希「お待ちください。おそらく……その必要はありません」

静香「え?」

 気まずそうに、だがそれでも紗代子の歌声を聞き、出てきてしまったプロデューサーの前に、紗代子は真剣な瞳で対峙する。

P「紗代子……」

紗代子「アイドルは要りませんか?」

P「な、なに?」

紗代子「こういう歌をうたえるアイドルを、プロデュースしたくはありませんか?」

P「それは……」

紗代子「はやくしないと、他のプロデューサーを探しに行きますよ?」

P「ま、待て」

紗代子「才能のあるなしじゃなくて、今の私を見て決めてください」

P「お、俺……俺は……」

紗代子「私じゃあ、トップアイドルになれませんか?」

P「そ、そんなことはない!」

紗代子「以前の私は、こんな風に歌えたりはしませんでした」

P「それは……」

紗代子「ダンスもステップひとつできませんでした」

P「まあ、確かに……」

紗代子「でも、今はできます」

P「あ、ああ……」

紗代子「こんな逸材を、見逃していいんですか? プロデューサーがプロデュースしてくれないなら私、他のプロデューサーを探さないといけません!」

P「だ、ダメだ!」

紗代子「……」

P「紗代子は俺の担当だ。俺が見つけて、俺が育てたんだ! 俺が紗代子のプロデューサーで!! 紗代子の一番のファンだ!!!」

紗代子「……はい」

P「はあ……はぁ……い、いいのか?」

紗代子「トップアイドルには、一流のプロデューサーが必要です」

P「……」

紗代子「私のプロデューサーは、あなたしかいません! 要らないって言われても、あなたに私をおしつけます!!」

P「わかった。そしてすまなかった……」

紗代子「もういいんです。ここまでこられたのも、プロデューサーのお陰です。そしてこれから先の光景も、一緒に見て行きたいんです」

P「改めて頼む、俺に高山紗代子をプロデュースさせて欲しい。その理由は、高山紗代子が希にみる逸材だからだ。この娘をトップアイドルにしたいと思ったからだ!! 俺じゃないとできないからだ!!!」

紗代子「はい、よろしくお願いします!!!」

 仲間達が見守る笑顔の和の中心で、改めて2人は出会い、そして夢を誓い合った。
 後にトップアイドルとなる少女と、そのプロデューサーとなった男。つまり連壁の関係となる、この初めてではないこの出会いは、2人を強く結びつけた。

 なんの才能も持っていない事を見込まれた少女。
 それを復讐に利用しようとした男。
 だがそれを過去のものとして、2人は手を取り合った。

未来「そっか。私、ようやくわかったよ」

静香「え? なにが?」

未来「春香さんに言われたこと。絆、って言葉の意味」

翼「う~ん。まあ、確かにちょっとわかったかな」

志保「何もないからという理由で選んだアイドルと、そのプロデューサー。それがまたもう一度お互いを認めて選び合う……」

静香「これが、絆……なのね」

翼「うんうん。ところで静香ちゃん。イッケンラクチャクしたから改めて確認なんだけど~?」

静香「え? なに?」

翼「Shahはやっぱり日本人だったんだよね~?」

静香「ええ……あ!」

翼「うどん、おごってぇ~!」

静香「もう……わかったわよ」


善澤「なんと……そんなことが」

P「ええ。なんというか、不思議な縁を感じました。まさかサー……いやShahが紗代子の言っていた『あの子』だったとは」

善澤「だろうねえ。しかしそれを含めて、君と高山君が全てを知った上で和解して、改めて担当アイドルとプロデューサーになってくれたのは、僕にとっても嬉しいよ」

P「え?」

善澤「改めて、君達の歩んだ軌跡を、独占記事にさせてもらいたいな」

P「……紗代子が、トップアイドルになったなら」

善澤「いい返事だ。事実上のO.K.サインとしてうかがっておくよ。そうそう、君には話しておくんだが」

P「え?」

善澤「君と高山君のこと……記事になりかけていたんだ。書いたのは悪徳だ」

P「なんですって!?」

善澤「Shahのことももちろん含め、君が彼女を脅迫したことなども書かれていた。不起訴とはいえ、イメージダウンになりかねないところだったよ」

P「だっと、ということは……」

善澤「ゲラになる前に記事は消された。なかったこと、になっている」

P「消されたって、誰が……もしかして社長が?」

善澤「高木ではないな。彼も驚いていたからね」

P「じゃあ誰が……まさか、コーエンですか?」

善澤「おそらくそうだろうが、まあそれは僕が調べておくよ。いずれ書く君と高山君の物語のひとつのエピソードにもなろうからね」

P「お願いします」

善澤「ああ。高山君……あれ以来、さらに熱の入ったレッスンをしているようだね」

P「まだまだ……紗代子には足らないものが多いですから」

善澤「ということは、まだまだ彼女は伸びていくわけだ。まったく、末恐ろしいアイドルとその担当プロデューサーだね」

P「そうだ。これから葬式があるんですが、善澤さんも参列されますか?」

善澤「葬式!? だ、誰のだい?」

P「俺の……いや、かつての俺の、ですよ」

善澤「?」

 その頃、紗代子と他のアイドルの面々は、ヒュッテ……いや、プロデューサーがずっと隠れていた階段にあるトマソンに集まっていた。

のり子「これってジグソーパズル? けっこう大きいね」

紗代子「はい。これだけは運び出して欲しいって言われてて……わあ、山の写真のパズルなんだ」

桃子「これって、なんて山かな?」

翼「えっと~富士山?」

育「違うよ翼さん、富士山ってもっとこう広がってる感じだけど、この山はほら形が……さんかくだもん」

桃子「そうだよね」

亜利沙「フォーーーッッッ! 桃子ちゃん先輩、そこはこう、もっと、さん・かっ・けー♪ってお願いしまあああーーーすすす」

桃子「富士山じゃないよね」

亜利沙「あああぁぁぁあああ!!! 桃子ちゃん先輩の冷たい視線、ごちそうさまでえええす!!!」

美奈子「じゃあ、鋸山かな?」

麗花「違いま~す。この山はね、K2って山だよ。世界で2番目に高い山」

静香「世界で2番目? なんだか変わっているというか、半端ですね。世界1の山を飾っているなら、なんとなくわかりますけど」

麗花「K2は高さでは世界で2番目だけど、世界1なこともあるんだよ?」

育「なになに? なにが世界1なの、麗花さん?」

麗花「登頂って言ってね、頂上まで登るのが一番難しい山なの」

紗代子「世界1、登るのが難しい山……」

桃子「それって、エベレストよりも難しいってことなの?」

麗花「うん。高さではエベレストにはかなわないけど、険しさや厳しさはエベレストよりも上でね、登頂を果たした人もすっごく少ないの。事実、冬期に登頂を果たした人はまだ誰もいないんだ」

千鶴「つまりこのジグソーパズルは、紗代子のプロデューサーの、困難に挑む矜持を示したものなのですわね」

瑞希「かも知れません……いえ、きっとそうなのでしょう」

P「残念ながら違う」

紗代子「プロデューサー!」

P「たまたま、見つけた1000ピースのパズルがこれだっただけだ。深い意味はない」

紗代子「本当ですか?」

P「……」

志保「あら?」

育「どうしたの? 志保さん」

志保「これ、パズルのピースが落ちちゃってるんじゃない?」

のり子「あれ? 気をつけて運んでるつもりだったけど……ん? それって、床じゃなくてデスクの上にあったんだよね」

志保「そう言われてみれば……じゃあこれは、落ちたんじゃなくてまだ嵌めずに置いてあったのかしら」

静香「たった10ピースだけ嵌めずに……何か意味があるんですか?」

環「たまき、パズルとか得意だから、完成させてやるぞ」

P「待て待て。そうはいかない」

紗代子「え?」

P「これを嵌めるのはまだまだ先だ」

紗代子「? どうしてですか?」

P「紗代子もまだ、このパズルみたいに未完成だからな」

紗代子「?」

P「俺は今まで紗代子に、990の事を教えてきた。そして紗代子がそれを覚えるたびにピースをひとつずつ嵌めてきた」

紗代子「えっ!?」

P「自分じゃ気づいてないだろうが、紗代子は既にそれだけのものを身につけてるんだぞ」

紗代子「私が……?」

P「ま、それはまた後でいいだろう。それより今は……」

琴葉「あの……プロデューサー? その手にしているハンマーみたいなものはなんですか?」

P「これか? これは、ハンマーだ」

琴葉「それで……そのハンマーでなにをするつもりなんですか?」

P「これはな、こう……使う!」

 ドガッ!
 プロデューサーはハンマーを隠し部屋のデスクに叩き込む。
 載っていたパソコン等の機材にヒビが入る。

琴葉「や、やめてください! 劇場でなんてことを!!」

P「大丈夫。安心してくれ、田中さん」

琴葉「え?」

P「心配しなくても、これらは全部、俺の私物だ」

琴葉「なるほど。それなら……い、いいえ! よくありませんよ!!」

 制止する琴葉を横目に、プロデューサーはハンマーを振り下ろし続ける。

P「こんな……こんな場所があるからいけないんだ! もう、ここは……こんなものは……必要ない!!」

 その言葉に、琴葉も制止を解く。

美奈子「もう止めないの?」

琴葉「……後片付けは、自分でしてもらうわね」

P「ほら、紗代子も」

紗代子「えええっ!? わ、私もやるんですか?」

P「もうここには、戻らないからな」

紗代子「プロデューサー……わかりました」

 冷静に考えると、不思議な気もする。
 ずっと外国にいると思っていた、自室から受け取ったり送ったりしていたメールは、実際にはここでやりとりされていたのだ。
 紗代子の振り下ろしたハンマーに、ディスプレイが砕ける。

百合子「な、なんだか少し、もったいない気もしますね」

昴「ああいう機械って、どのくらいするんだ?」

杏奈「あの機種だと……たぶん……120万円ぐらい?」

紗代子「え?」

百合子「も、もったいなくないです!?」

紗代子「ぷ、プロデューサー! そ、そんな高価な機械、私……」

P「いいんだ。もう要らない。こんな機械も、場所も。もうオサラバだ」

 その後、全員で代わる代わるトマソン内でハンマーを振るった。
 琴葉は最初遠慮をしていたが、それでも紗代子の心情を慮り1度ハンマーを振り下ろした。
 紗代子と片付けをしながら、プロデューサーはポツリと言う。

P「単独ライブ、がんばろうな」

紗代子「はい! ご指導、お願いします!!」


 紗代子の単独ライブの日が来た。
 会場前からファンが大挙して押し寄せ、物販の売れ行きも好調だ。
 そこへ神妙な顔の、このみがやって来る。

このみ「紗代子ちゃんのプロデューサー」

P「あ、馬場さん。どうされました? 紗代子だったら……」

このみ「違うのよ。来てるの」

P「え?」

このみ「5階席に、黒井社長が来てるのよ!」

P「……」

 黒井社長は、紗代子のセンター公演にも来ていた。それも、初めて765プロの招待を受けて、だ。
 幸いにも特に何かを仕掛けてきたわけではなかったが、それだけに不気味でもあった。いや、後に何かとんでもない事をしてくる下準備のような気すらしている。
 その黒井社長が、今日も来ているというのだ。
 いったいどんな企みを狙っているのか……

P「しかもまあ5階席か。また腕を組んで座ってるんだろうな」

このみ「渋い顔してたわね。まあチケットを買って来てくれたお客さんだから、無碍にはできないんでしょうけど」

P「ええ、気をつけておきます」


志保「今日は、客席でみんなと応援をします」

P「ありがとう北沢さん。よろしくな」

志保「楽屋で紗代子さんに会いました……いつも以上に、魅力的に見えました。それに、堂々としてる様にも見えました」

P「今までやってきた事が、ようやく紗代子にも淡い自信となってきたんだろうな」

志保「紗代子さんは、Shahをライバルにしているんですよね」

P「紗代子が世界一のアイドルになるには……少なくともそれを目指す為には、世界一のプロデューサーが必要だ」

志保「え? でも、高山さんにはプロデューサーがいるじゃないですか」

P「俺も、自分が世界一だなんて自惚れているつもりはないさ」

志保「そうなんですか?」

P「だからこそ、Shahの一件があった時に、あれほど俺はショックを受けたんだろうな。思い当たることがあったから……図星を指されたから、あんなに辛かったんだうな」

志保「……」

P「まあ、誰だってそうさ。自信はあっても過信しちゃいけない。真に世界一のプロデューサー以外はな」

志保「誰なんです? 世界一のプロデューサーって」

P「AISの創業者にして社長、そして現役プロモーターのコーエン……ロジャー・コーエンだ」

志保「ロジャー・コーエン……」

P「コーエンには借りがある。いや、以前はなんで俺の担当アイドルを、コーエンが引き抜いて掻っ攫っていったのかがわからなかった。だが、今ならわかる」

志保「? どうしてなんですか?」

P「紗代子にとってサー、いやShahが運命の相手であったように、俺にとってコーエンは宿敵であり、そして目指すべき、尊敬すべきライバルだからだ」

志保「運命って、言いたいんですか? プロデューサーは、そういうのを信じない人かと思っていました」

P「不思議な巡り合わせを体験したからな……俺は世界1のプロデューサーになる。コーエン以上のな。きっとその為に俺はコーエンと縁があったのさ」

志保「はい……」

P「それで? 君の悩みは? 北沢さん」

志保「え?」

P「なにか悩みがあるんだろう?」

志保「紗代子さんのプロデューサーは、私のプロデューサーじゃありません」

P「? ああ」

志保「だから、言えます……いえ、言います。どうすれば私と私のプロデューサーも、紗代子さんと紗代子さんのプロデューサーみたいになれるんでしょうか?」

P「彼と話し合えばいい」

志保「っ……それは……ひ、人に頼ったりするのは……得意じゃありません」

P「頼るんじゃない」

志保「え?」

P「君の方から、協力させるんだ」

志保「私から……協力をさせる……」

P「阿諛佞媚を絵に描く必要なんてない。求められれば応じる、そうやって共に協力していく。俺は紗代子からそれを教わった」

志保「逆じゃないんですか?」

P「え?」

志保「あなたが紗代子さんを、引っ張ってきたんじゃないんですか? その……色々と別の思惑があったにしろ」

P「色々な……いや、紗代子でなければ俺はいつまでもあの穴蔵のようなヒュッテに閉じこもったままだっただろう。紗代子が、俺をあそこから出してくれた。というよりは、引きずり出されたも同然だがな」

志保「私にも……そんなことできるでしょうか」

P「少しずつでいい。気持ちを相手にぶつければいい。必ずそれに応えてくれる。それがプロデューサーってもんだ」

志保「わかりました。あの……この話は……」

P「もう忘れた。さあ、行こう」


 東京都文化会館大ホールは満席となった。
 その満座のステージで、迷いも不安もふっきった彼女は、2時間の間歌い、踊った。
 彼女の歌声は、どの曲も観客の心を揺さぶった。
 観客も歌声に応えるように熱狂した。
 SNSでもその様子はすぐに伝えられ、話題になった。
 次の日から、紗代子関連のグッズがどこも品切れになった。CDも完売し、増産がすぐに決まった。
 テレビの出演を含め、次々と仕事が舞い込んできた。
 765プロの先輩アイドルを追いかけるように、彼女の周囲は変わっていった。
 そして、さらにその後を追いかけるように……

可奈「えー!? 私のセンター公演ですか!?」

志保「! み、みんな次々にセンター公演を……」

美奈子「私、テレビ番組のレギュラーが決まったよ」

のり子「アタシは単独ライブ」

桃子「べ、別にドラマの主役なんて今更だけど、主題歌は……ちょっと嬉しいかな。ちょ、ちょっとだよ!」

環「たまきと育、そのドラマのレギュラーだぞ」

育「可憐さんは、ラジオ番組だったっけ?」

可憐「は、はい……こ、声はミキサーで調整してもらえるから……゛、がんばります!」

瑞希「みなさん……躍進ですね。私も……セクシー枠を狙っていますが……とりあえずは、クイズ番組に出演です」

P「これは、先日の礼だ」

 2人だけになるとプロデューサーはそう言い、綺麗にラッピングされた包みを紗代子に渡す。

紗代子「礼?」

P「俺をゆるしてくれた事と、俺をプロデューサーに選んでくれた事」

紗代子「そんな! そんなの、当たり前の事ですから」

P「それと」

紗代子「え?」

P「いつだったかの、夕食の礼だ。遅くなったがな」

紗代子「はい……」

P「どうした? 元気がないな」

紗代子「プロデューサー、私……」

P「今更、日本を代表するトップアイドルになるのはやめます、とか言うんじゃないだろうな」

紗代子「ち、違います。あの……ジグソーパズルのことです」

P「ん?」

紗代子「私、もうプロデューサーから教えてもらうことは、あと10個しかないんですか? もう私には、成長の余地は……伸びしろはないんですか!?」

P「俺からの礼……」

紗代子「えっ!?」

P「開けて見てくれないのか?」

紗代子「はあ……あ!」

 ラッピングの中から出てきたのは……

紗代子「新しいジグソーパズル! プロデューサー、これって!!」

P「まだまだ高山紗代子というアイドルが完成するわけないだろう? 1000ピースはただの区切りだ。これからも……いや、これからは今まで以上に厳しくいくぞ」

紗代子「はい! あ、このジグソーパズルの絵は」

P「わかったか。俺たちが最初に会った、筑波山だ」

紗代子「やっぱり、K2も意味があるんですね?」

P「昔……登ろうとしたが、断念した」

紗代子「K2をですか? 確か、世界一登るのが難しい山……なんですよね」

P「俺の場合は、スタートラインにも立てなかったがな」

紗代子「?」

P「入山許可が下りなかったんだ。それ以来、俺にとっては高嶺の花さ。見果てぬ夢とも言うか……」

紗代子「プロデューサーと一緒なら、私はどこまでも、どんな困難な山でも、頂点にたどり着くつもりです!」

P「じゃあとりあえず、日本のトップになりにいくか」

紗代子「はい! ……え?」


瑞希「ワールドフェスティバル オブ ニューオーダーズ……これは、世界規模の新人アイドルフェスですか。すごい」

P「AIS主導の、な。当然に会場も主催も放映権もアメリカ……AISが握っている」

紗代子「もしかしてプロデューサー、これに私が出られるんですか!?」

P「いや待て。出たいとは思っているが、まだ決まった訳じゃない」

翼「紗代子ちゃんのプロデューサーさ~ん。私もこれ、出た~い」

P「日本からの出場枠は、ひとつだけだ」

瑞希「なんと……しかしそうなると、まず765プロにも先輩にあたるみなさまが……」

琴葉「ううん。この要項を読むと、出場者は本年デビューしたアイドル・アーティストに限る……とあるわ」

P「そう。順当な人選でいけば、確かに他の娘の可能性もあるが、この規定に沿えば今年候補生になった娘から、選ぶことになる」

翼「私は~?」

P「そしてその中でやはり、センター公演を経験している、即ち紗代子か真壁さんか、福田さんとなる」

翼「え~!」

P「そして765プロの代表となっても、次に日本予選がある」

紗代子「そうでしたね。日本からの出場枠は1つなんですものね」

P「そう。誰がこのワールドフェスに出るのか、それを決める大会があるのさ。無論、そこで優勝すれば今年の新人アイドルで一番と認められることになるだろう」

紗代子「プロデューサーの言っていた、とりあえず日本のトップになりにいくか、って言うのはそういう意味だったんですね」

P「そうだ。さて、真壁さんと福田さん」

瑞希「はい。高山さん……出てください」

のり子「そうだね。約束の対決、果たしなよ」

紗代子「え?」

瑞希「私はまだまだ、実力をつけてから挑みます。今回は、高山さん、どうぞ」

のり子「アタシも、少なくとも単独ライブやってから。ね、これは遠慮じゃないよ。だから、約束……果たしなよ紗代子!」

紗代子「2人とも……ありがとう。うん! 私、優勝する!! 優勝して、約束を果たしに行くよ!!!」

翼「私は~?」

静香「翼はまず、センター公演してからでしょ」

翼「え~~~」

静香「私の次は、未来か翼にやって欲しいんだから」

翼「それは私も~……え? 次の……センター静香ちゃんなの!?」

静香「そうよ。昨日、決まったの」

未来「ええーいいなあ」

静香「だから未来、翼、2人とも、がんばってね」

翼「あ~ん。負けてられない。私もセンターやるー!」

未来「私も!」

紗代子「それて予選大会っていつあるんですか?」

P「12月29日だ。そして本フェスは新年の19日だ。結構な過密日程だが、やるしかない」

紗代子「12月29日……」

P「どうした?」

紗代子「私の、誕生日です」

P「そういえば、そうだったな。よし、最高の誕生日プレゼントになるよう、がんばるしかないな」

紗代子「そうですね。このバースデープレゼント、自分で掴み取ります!」

のり子「あははっ。自分の誕生日プレゼントを、自分で掴み取るっていうの、紗代子らしいなあ」

美奈子「うんうん。すっごく紗代子ちゃんらしいよね」

紗代子「え? へ、変ですか?」

のり子「そんなことないよ」

美奈子「そうだよ。紗代子ちゃんらしくていいなあ、ってことだよ」

小鳥「おはようございます」

P「おや、音無さん。どうされました?」

小鳥「あ、良かったプロデューサーさん。実はですね、765プロで管理している紗代子ちゃんの公式Twitterが、Shahの公式Twitterからフォローされまして」

P「え? ああ、そうだったな。2人はもう会ったんだったな」

小鳥「公式ですし、問題ないと思ってこちらからもフォローを返したらDMがきまして」

P「なんて言ってきたんです? 彼女は?」

小鳥「Facebookはやってないの? って」 

のり子「どうなの、紗代子」

紗代子「やってません。けど、どうしたのかな」

P「おそらく話がしたいんだろう。アメリカじゃLINEはほとんど使われていなくて、代わりにFacebookのメッセンジャーが主流だ」

瑞希「そういうことですか……高山さん、今から登録しましょう。Facebook」

紗代子「うん! ええと……」

杏奈「紗代子さん……杏奈、手伝っても……いい……よ」

紗代子「ありがとう! 助かるよ、杏奈ちゃん」


杏奈「んと……それで、完了……だよ」

紗代子「うん。助かったよ、ありがとうね。えっと……登録したよ……と、わ! すぐ返事が来た。えっと、ビデオ通話?」

Shah「よーちゃん、久しぶり! 顔色は……いいわね?」

紗代子「うん。あの後のこと、心配してくれたんでしょ? もう、大丈夫だよ」

P「……俺は打ち合わせがある。じゃあな」

紗代子「あ、はい」

Shah「……あの人も元気そうね」

紗代子「あ、うん」

静香「瑞希さん、やっぱり紗代子さんのプロデューサーは、わざと席を外したんでしょうか」

瑞希「はい……かも知れません。高山さんと和解したとはいえ、Shahさんに対してはまだ、わだかまりがあるのかも……知れません」

Shah「さて、よーちゃんもワールドフェスの話は聞いた?」

紗代子「聞いたよ。私も出られるよう、がんばる」

Shah「待ってる。あの時の約束……果たせるよう、待ってるね」

紗代子「絶対に行くから、少しだけ待ってて!」

Shah「あ、ひとつだけ助言……というか警告。961プロに気をつけて」

紗代子「えっ!? どうして?」

Shah「何を考えているのかはわからないけど、あそこの社長がコーエンに接触してるみたいなの」

瑞希「Mr.コーエン……Shahさんのプロモーターで、AISの社長さんですね」

Shah「ええ。日本の予選大会で、何かしてくるかも」

紗代子「ありがとう、さーちゃん。でも、私は誰が何をしてきても負けないよ! あ、私とプロデューサーは、ね」

Shah「……2人にアメリカで会うの、楽しみにしてる。じゃあ……次はアメリカでね、よーちゃん」

紗代子「私も楽しみにしてる。ありがとう、さーちゃん!」

高木社長「では、我が765プロからはワールドフェス日本代表予選へ高山紗代子君を、代表として出場することに決定したわけだね」

P「はい。他の娘の担当プロデューサーからも了承を得ました」

高木社長「では改めて、君にひとつ聞きたい」

P「なんでしょうか?」

高木社長「君の復讐は、終わったのかね?」

P「……」

高木社長「その様子を見ると、まだのようだね」

P「教えてください、社長。復讐は、いつ終わるんですか? どうすれば終わるんですか? もう誰が何を言っても気にしません。Shahもそうです。でもまだ、俺の心は何かを求めてざわついているんです!」」

高木社長「私が、以前君に言ったことを覚えているかね?」

P「覚えています。俺の復讐も、いつか終わる。そして、そのいつかは突然にやってくる……でしたね」

高木社長「私としては、そのいつかも遠くないと思っているよ」

P「そしてその時、俺はプロデューサーとしての真価が問われるんですか……」

高木社長「そうだ。心に傷を負った……人生の敗北を味わった君が、そこから真の意味で抜け出す時がやがて来る」

P「そんな日が果たして、来るんでしょうか……」


     『いつかは今日だった』

 ワールドフェスを前日に控え、瑞希は紗代子に声をかける。

瑞希「高山さん。調子は……いかがですか?」

紗代子「あ、うん……大丈夫」

瑞希「私たちも、そろそろ……長いつき合いです」

紗代子「え? うん」

瑞希「今の高山さんが、強がっておられることぐらいは、わかります」

紗代子「……そっかー。瑞希ちゃんにはお見通しかー!」

瑞希「何か、心配事があるのですか?」

紗代子「プロデューサーのジグソーパズル、ね」

瑞希「?」

紗代子「まだ1ピース、嵌まってないの……」

瑞希「しかしあれは、1000ピースで完成するという類いのものではない……そうではありませんでしたか?」

紗代子「そうなんだけど、なんとなく……気になってて」

瑞希「高山さん、あまり心配しないでください……ふぁいとです。おー」

紗代子「うん……そうだね!」


 そして大会当日。

紗代子「こんなに大勢の参加者がいるんですか!?」

P「確かに多いな。いや、確かに定員とかは書いてなかったし、応募資格は今年活動を開始したアイドルかアーティストということだけだからな」

 会場である新国立劇場は、アイドルとその関係者達でごった返している。
 そしてその中を掻き分けながら、瑞希とこのみがやって来る。

瑞希「大変です……実は、大変なお知らせが2つあるのですが、どちらから聞きたいですか?」

紗代子「じゃあ、大変な方から!」

瑞希「わかりました。当初は全員1回ずつのパフォーマンスで最高得点者が合格と予定されていましたが、勝ち抜き戦のトーナメント方式での開催となったそうです」

P「なんだと!? 最低でも4回はパフォーマンスをするってことになるのか……」

紗代子「それで? 大変な方のお知らせっていうのは?」

このみ「それが……こっちは大問題なのよね」

P「なんですか? いい予感はしませんが」

このみ「961プロから出場予定のアイドルもいたんだけど、出場を取り下げたのよ」

P「なんだって? 961プロにだって今年活動を開始した娘はいるのに……まさか、会場を爆破したりとかするつもりじゃないだろうな」

瑞希「なんでも、961プロは海外も既に視野に入れて活動をしており、今更日本予選などには出ない……と、黒井社長さんはおっしゃっておられたとか」

このみ「なんにしても、気味が悪いのよね。いつもやって来るけど、何もせず帰って行くのは」

 確かにこのみの言う通り、結局黒井社長は紗代子のセンター公演も単独ライブもやっては来たが、なにもせず帰っている。
 それが何を意味するのかがわからないだけに、765プロの面々としては嫌な予感がしている。

司会「それではワールドフェスティバル オブ ニューオーダーズ、日本予選を開催いたします! 本大会は予選とはいえ日本を代表する本年新人アイドルの大会……すなわち、№1を決定する場でもあります。もちろん全国放送もされております」

 司会者がテレビを意識したMCを始めた。

司会「本大会は脱落形式で進行、最終的に5回の勝ち抜きを果たした娘の優勝となります!」

P「5回もパフォーマンスをやるのか!? ライブやショーじゃないんだぞ!!」

 通常のライブや舞台なら連続して5曲を歌うことも、ないわけではない。だがそれは、事前準備も十分でリハーサルもやった上でのことだ。
 だがこれは、観客も入ったショーではあるが、コンテストでもあるのだ。

紗代子「プロデューサー、私は大丈夫です」

P「そうは言うがな……

 言い掛けて、プロデューサーは口をつぐむ。
 この娘はここまで、こうやって登ってきたのだ。
 止めない歩み、あきらめない心、それがあってこその紗代子なのだ。

P「……5回パフォーマンスをやるなら、順序も大事だ。最初はスローテンポの曲でいこう」

紗代子「わかりました。じゃあ、プレシャスとかどうですか?」

P「いや、もう少しメッセージ性の強い曲にしよう。Half Moonは?」

紗代子「いいと思います。準備します」

 控え室へと走る紗代子を見て、このみが表情を曇らせる。

このみ「そうとうキツい、戦いになりそうね」

P「申し訳ありませんが、豊川さんを呼んできていただけませんか?」

このみ「そうね。でも、いざという時、紗代子ちゃんをあなたは止められるの?」

P「紗代子の身体が一番です。無理なら止めさせます」

このみ「そう。安心したわ、それが聞けて。じゃあ風花ちゃんと代わるわね」

P「お願いします」

 この期に及んで、復讐など気にするはずもない。自分でそう思いながらも、胸のざわつきはプロデューサーに残っていた。

P「決まってるじゃないか。紗代子が最優先だ……」

 大会は進行していく。
 紗代子の歌はやはり、観客や審査員の心を捉えた。
 今や、劇場でも紗代子の歌声は名声を博しつつある。紗代子の歌目当てのお客さんもいるほどだ。
 その歌を、表現豊かなダンスやフリが支えている。
 彼女は疲弊しつつも、順調に勝ち進んだ。

風花「紗代子ちゃん、大丈夫? 少しでいいから座って休んで。ゼリー飲料も用意したから、摂って」

紗代子「あ、ありがとうございます……大丈夫です。あと1つ……あと1つ勝てば優勝です」


司会「ここで皆様に、ひとつお知らせがございます」

 四回戦終了後、残っているアイドルは5人になったところで、唐突に登壇した司会者が言った。

司会「審査員の一人である、大河内先生ですが体調が優れないとのことでここで降板されます。なお、代わりの審査員には」

 プロデューサーは愕然とした。
 代わりの審査員とは……

司会「黒井崇男さんです。黒井さんはご存じの方もおられるかも知れませんが、あの961プロの社長であり、その目は確かであるということで、主催であるAISも審査員として間違いないと、認定をされております」

P「なんだと……そ、そんな馬鹿な!」

黒井「ウイ。緊急事態でもあり、主催者であるコーエン氏から是非にとのご指名で、不肖この黒井崇男、審査員を務めることになったよ。よろしく」

 その瞬間、ようやくプロデューサーはわかった。

P「これか……これが黒井社長の狙いか……」

 今まで765プロの動勢を探っていたのも、紗代子の様子をみていたのも、この大会に961プロからのエントリーがなかったのも……

風花「利害関係者ではなくなる為。なんですね?」

P「なんてことだ……これじゃあもう、紗代子は……」

紗代子「だ、大丈夫です。私、まだまだやれます!」

 元気に答える紗代子だが、さすがに息があがっている。
 一瞬、棄権しようかという思考がプロデューサーの脳裏をよぎる。
 黒井社長が審査員である以上、紗代子はトータル得点で他のアイドルより10点は低く集計されることは間違いない。
 そして今現在残っている娘は、全員が今年デビューしたアイドルの中でも、それこそトップの娘らだ。
 1点の損失が命取りになりかねない。
 つまり、紗代子が優勝できる可能性はほぼ0だ。
 ここで身体を壊すような無理をすべきではないのではなかろうか……

P「紗代子、黒井社長が審査員になった以上、彼が紗代子に入れる点はおそらく0点だろう。だから……」

 プロデューサーが棄権という言葉を口にしかけたその瞬間、それより早く、紗代子は意外な言葉を口にした。

紗代子「じゃあ、今まで以上の……最高の歌声で歌う必要がありますね!」

 プロデューサーは、唖然として出るべき言葉がなかった。
 いや、紗代子のあきらめない心と、熱意はよくわかっている。
 だがそれにしても、それは現実を無視するものではないはずだ。
 それなのに紗代子は、まだあきらめていない。まだやるというのだ。

P「わかっているのか、紗代子!? 他のアイドルより10点のハンデを負って戦うんだぞ。あの娘らとだ!!」

紗代子「なら、他の審査員が10点以上! 11点や12点をつけてくれるような歌を歌うだけです!!!」

 どうかしている。
 どう考えても普通じゃない。
 しかし紗代子は、それでも輝く瞳で彼を見つめている。

P「なぜだ……」

紗代子「え?」

P「どうして紗代子は、そんなにも希望を持っていられるんだ……希望を捨てずにいられるんだ……どうして……」

 『俺には出来なかった』その言葉を、プロデューサーは必死で飲み込む。
 そうだ。だからこそ、今にして思えば馬鹿な手段で紗代子をプロデュースしようなどと思い上がっていたのだ。それでこの娘を傷つけたりもしながら。
 自分の手でトップアイドルを生み出そう、そう固執していた自分はなんと醜かっただろう。
 だがこの娘は、ただひたすらに純粋に、前を上だけを燃えるような想いで見つめている。

紗代子「プロデューサー」

 一瞬、微笑むと、紗代子はステップを踏んだ。
 疲れているはずの身体で、難易度の高いジャイブのステップを軽やかに踏んでみせた。

P「お、おい紗代子。無理するな」

紗代子「プロデューサーに教わるまで、私はこんなステップどころか普通にダンスをすることもできませんでした」

P「? ああ」

紗代子「今は、歌えば歌声をほめられたりします。でも、発声の基本も、歌に気持ちをのせる方法も、プロデューサーが教えてくれました」

P「……そうだな」

紗代子「私はプロデューサーが最初に見込んだ通り、何もできませんでした。そんな透明な私に、アイドルに必要な事は全部プロデューサーが教えてくださいました」

P「……だからなんだ?」

紗代子「私は、プロデューサーが教えてくれたことしかできません。でも、私はまだ教わっていませんから」

P「……なにをだ?」



紗代子「夢の、あきらめかたです」


P「!」

紗代子「私のプロデューサーは、将来を夢見たアイドルを引き抜かれても、周りからひどいことを言われても、それで心に傷を負って人前に出られなくなっても、夢をあきらめなかった人です」

P「俺は……」

紗代子「心に傷を負い、人前に出られなくてもプロデュースをする方法を模索し、相応しいアイドルを見つけ、そのアイドルをここまで育てた人です」

P「……俺は」

紗代子「担当アイドルを、トップアイドルにするという夢を絶対にあきらめない姿を、私は尊敬しています!」

 彼には、わかった。
 紗代子と和解しても消えなかった、心の中のもやもやとしたざわめきは、きれいさっぱりと消えてなくなっていた。
 自分は誰かに認められたかった。肯定されたかった。
 紗代子が自分を認めてくれた。
 自分はトップアイドルを育てたかった。それが夢だった。
 紗代子をトップアイドルにしよう。それが俺の夢だ。

 彼にはわかった。
 高木社長の言っていた、復習の終わる時……いつかがやってきたのだ。

 いつかは今日だった!

P「わかった」

紗代子「え?」

P「今、わかった。俺は今、プロデューサーとしての真価を問われているんだ」

紗代子「プロデューサー?」

P「この窮地から、紗代子を助けてこそプロデューサーだ!」

P「豊川さん、紗代子をお願いします。できたら可能な限り疲労を取ってやって欲しいんですが」

風花「わかりました。水分補給と、マッサージをしてあげてます」

紗代子「すみません、風花さん」

P「お願いします」

 プロデューサーはそう言うと、ディレクターの元に走る。

P「765プロの高山ですが、順番を最後にしていただけませんか。ちょっとトラブルがありまして。いや、単純なものなので、出演は続けられます」

 開催ディレクターは渋い顔をしている。が、プロデューサーは引き下がらない。

P「大会規定には、速やかな進行の為に準備が遅れた者は出番を後回しにさせる……とあります。この履行を求めます。後回しにして進行してください」

 本来この規定は、準備に手間取るなら出演者を待ったりせず進行を優先するという為のものだ。が、プロデューサーはそれを逆手に取った。
 規定にあるならば、やむを得ない。ディレクターも渋々ではあるが、首を縦に振る。

 そのままプロデューサーは、舞台裏のミキシングルームに走る。

P「ちょっと調整させてください」

 当初から気になっていた、マイクのミキシングを、プロデューサーは紗代子に合わせたものに変える。

P「これで! この調整でお願いします!!」

 プロデューサーの迫力に、ミキサールームのスタッフも頷く。
 そして紗代子の元に帰ってきた彼は、風花のマッサージを受けている紗代子に話しかける。

P「そのまま聞いてくれ。衣装を変える。あの紫のシックドレスだ。歌は『明日……』だ」

紗代子「あの歌はまだ……」

P「練習中なのは、わかっている。だが、歌える。紗代子は歌えるんだ」

紗代子「え?」

P「あの歌は、紗代子をイメージして作った曲だ。センター公演の時を覚えているだろう? あの時を思い出せ。同じように、気持ちをのせて歌えばそれでいい。テクニックや歌唱は、もう既に紗代子の中にあるものが、自然についてきて紗代子を歌わせてくれる」

紗代子「そうなんですか……?」

P「ジグソーパズルの最後のピースが、それだ。今までのピースを意識せずに使う……今ここで、あのパズルを完成させよう」

紗代子「わかりました! そうか……そうだったんだ」

P「マイクはスタンドを使う」

紗代子「今まで使ったこと、ほとんどありませんけど」

P「その方が動く量が減る。その上で、ハンドアクションで表現を量・質共に補うんだ。それもできるはずだ」

紗代子「し、指示が多いですね」

P「当たり前だ。世界一になるため……だからな」

紗代子「! そうですね……わかりました。他にはなにかありますか?」

P「日本とアメリカ……ラスベガスとの時差、わかるか?」

紗代子「えっ?」

P「こっちはむこうより17時間早い。今が夜8時だからむこうは……」

紗代子「朝の5時ですか」

P「Shahはきっと起きている」

紗代子「そうですね……はい、立場が逆なら私だって夜中でも起きていると思います」

P「中継回線で、きっとこの会場を見ている」

紗代子「はい」

P「Shahに……あの子に聞かせてやるんだ。会ったとはいえ、そんなに話はできなかったんだろう?」

紗代子「わかりました。歌で聞かせてあげます、あの子に、私のアイドルとしての今までを」

P「それでいい。黒井社長以外の審査員に10点以上を出させる……奇蹟に挑戦だ」

紗代子「儚い奇蹟ですけど、私はかなうって信じてます!」

「高山紗代子さん、時間です。スタンバイ、お願いします」

P「わかりました」

紗代子「じゃあ……プロデューサー、行ってきます!」

P「次に会う時は、紗代子は今年の新人日本一だな」

紗代子「でも私はきっと、何も変わっていません。きっと今のまま、ここへ帰ってきます」

P「そうか……よし、行こう」

 紗代子が舞台に上がる。
 これまでにない、スタンドマイク。それでも緊張せずに、ファンの声援に応えながら彼女は前を見据えた。
 いつもの、燃えるような瞳だ。

紗代子「あーーー~~~♪♪♪」

 前奏が始まるより早く、紗代子は絶唱する。
 そう、あの時のように。

P「思い出せ、とは言ったが……」

 いいかけてプロデューサーは苦笑する。
 そうだった。この娘は、こうだった。
 言われたことは素直に、時に頑迷に、そして着実に実行するんだった。
 そして観客はやはり、紗代子の呼びかけの声に、応えるように魂をふるわせた。
 その証拠に、一瞬ーー駆けつけたファンの間からすら音が消えた。
 全員が、その全身全霊を紗代子に向けていた。
 やがてーーわすれていたかのように、怒濤のような歓声が紗代子を包む。

紗代子「ここには誰も いない♪
    ここには誰も こない♪
    独りきりで 迎える朝♪
    でも今日からは 違うの♪」

 紗代子の歌に、会場は熱狂した。
 みんなが紗代子を注目し、その歌を一瞬たりとも聞き逃すまいと耳を向けた。

紗代子「絶望と暮らした日 サヨナラ♪
    弱くて孤独な私に バイバイ♪
    弱虫 泣き虫 一番星♪
    負けてばかりの私が 歌う♪」

 紗代子の歌を聞き、知らずプロデューサーも涙が浮かぶ。
 紗代子をイメージした曲と言ったがーーいや、事実その通りなのだが、紗代子が歌うとそれはまるで、自分のことのように彼には感じられた。
 もう復讐もない、敗者もいない。あるのは、世界一を目指そうとするアイドルと、それを支える男だけだった。


 パフォーマンスが終わった瞬間、紗代子は倒れ込みそうになるのを必死でこらえた。伏せた顔は披露で苦悶に歪み、息は完全にあがっている。
 だが顔を上げた刹那、彼女は完璧な笑顔で観客に応え、手を振った。
 激情の迸るようなステージたった。
 観客もそれに対し、惜しみない拍手と声援をおくった。
 客席から、笑顔や歓声と賞賛の言葉が紗代子に飛んでくる。

瑞希「すごい……」

P「完璧だ。紗代子は、全部出し切った。そして、問題は……」

 司会者は、やや畏れるような目で黒井社長をちらりと見た。
 黒井社長は、業界の実力者だ。しかも必要とあらばどんな手段でもとってくる。有名司会者とはいえ、黒井社長の勘気を被ればひとたまりもなく明日からの職を失うだろう。
 その黒井社長は、腕を組んだまま微動だにしない。そして険しい表情からは、意図が見てとれない。

司会「えー……そ、それでは採点です。高山紗代子さんのパフォーマンス、審査員のみなさん得点をお願いいたします!」

 十人の審査員は、それぞれ得点のボタンを押す。
 それぞれの席にその点数が表示され、司会者はそれを読み上げていく。

司会「これはすごい! 10点、10点、10点、10点、10点、10点、10点、10点、10点……」

 司会者はそこで言葉を失った。
 黒井社長と目が合う。

司会「黒井……社長?」

 765プロに対する黒井社長の敵意はよく知っている。確執も承知だ。
 司会者は不思議そうに黒井社長を再度見る。

黒井「なんだね? なにが言いたいのかね」

司会「これは……この点数は、間違いないんですか?」

黒井「君はこの私を誰だと思っているんだい? この私に限り、間違いなどあるはずがない。私の採点はこの通りだ」

 やはり間違いはないのだ。いやーーここで黒井社長がこう言っているのだ。これ以上話を延ばせば、自分が危うい。

司会「は、はいっ! それでは黒井審査員の10点を加え、合計は……100点! ま、満点の最高得点です!! この時点で優勝は、765プロ所属の高山紗代子さんに決定です!!!」

紗代子「プロデューサー? 私……私?」

P「や、やったぞ。紗代子……満点だ! 優勝だ!!」

紗代子「プロデューサー!!!」

 抱き合う2人。やがて促され、紗代子はステージに登壇する。
 目に涙をいっぱいい浮かべながらも、清々しい笑顔で観客に一礼する。

司会「最優秀新人大賞、そしてワールドフェスへの参加、共に手中に収められたわけですが、今のお気持ちは」

紗代子「まず、いつも応援してくださっているファンのみなさんにお礼を言わせてください。本当にありがとうございます!」

司会「大変な熱戦でしたね」

紗代子「私1人では、優勝どころかここまで来ることもてできなかったと思います。私をここまで導いてくれたのは、家族や同じ765プロの友達でありライバルでもあるみんなのお陰です」

司会「ワールドフェスへの意気込みは」

紗代子「去年の今頃、私はまだアイドルに憧れているだけの、どこにでもいる普通の高校生でした。それが今、こうして新人大賞をいただきました。私の周りの、私を知る人すべてが「まさか」という言葉を言っていると思います」

 ここで紗代子は舞台袖のプロデューサーを見た。

紗代子「でも1人だけ、プロデューサーだけは最初から私にトップアイドルになれると言ってくれました。そのプロデューサーと世界に行きます。目指すのは……優勝です!」

司会「本年の最優秀新人大賞の、高山紗代子さんからワールドフェスの夕所宣言が飛び出しました!」

 満座の拍手と喝采を浴び、大会は終わった。
 ステージから降りると、駆けつけていた765プロの同僚・先輩アイドルが一斉に紗代子に駆け寄り祝福の言葉を浴びせる。


 アメリカではその様子を、Shahが……あの子が見ていた。
 その表情は微笑みながらも、強い瞳で紗代子を見ていた。

Shah「負けないよ。絶対に負けない。だから……待ってるよ。私たちで素敵なステージを作ろうね。私と、よーちゃんと……それから、あの人もね」


     『敗者復活のうた』

 華々しく終了したワールドフェス日本予選。その舞台裏で、善澤記者は黒井社長に話しかける。

善澤「黒井」

黒井社長「なんだね? 昔なじみだからといって、気安く呼ぶんじゃないよ」

善澤「なぜわざわざ、コーエンに働きかけてまで審査員になったんだい?」

黒井社長「……なんのことか、わからないね」

善澤「思えば君は、ずっと高山紗代子君というアイドルを見ていた。そう、765プロのアイドル候補生になってから、ずっとだ。センター公演も、単独ライブも来ていたが、それ以前からずっと気にかけていたようだね」

黒井社長「わからないと言ってるだろう!」

善澤「君はずっと見続けていて、あの高山紗代子君というアイドルに興味以上の好意をもったのではないかね?」

黒井社長「……馬鹿な邪推はやめていただきたいね」

善澤「例の記事……握りつぶしたのも、君だろう?」

黒井社長「なぜ私が、そんなことをする必要があるのだ」

善澤「……高木も馬鹿じゃない」

黒井社長「なんだって?」

善澤「ハッキングのことは、とうに気づいていたそうだよ」

黒井社長「信じられないねえ。まあ、なんのことかはわからないけれども」

善澤「ライバルの動勢に目を光らせるのは当然だ……お互いにね、と高木は言っていた」

黒井社長「なんだって!? ……くそう、まあいい。君も余計な勘ぐりなどしないことだ。さっきも言ったように、私は私のやりたいこと……自分の仕事を正しくこなしただけだ」

善澤「うむ。では僕も、自分の仕事をすることにするよ」

黒井社長「なんだって?」

善澤「高山紗代子君と、そのプロデューサーの出会いと栄光への軌跡を独占取材記事として出版しようと思ってね」

黒井社長「ほう。それは……い、いや! も、物好きだね君も。まあ売れるかどうかはわからないが、出来たら持って来るといい」

善澤「タイトルは『敗者復活のうた』にしようと思っているんだ」

黒井社長「……別に、まあ……それでいいんじゃないかね。うむ……うむ、うむ!」


P「ワールドフェス優勝とは、大きくでたな」

 765プロ劇場でのささやかな祝勝会の後、紗代子を自宅まで送り届けるという名目のもと、2人は車に乗る。

紗代子「夢が大きいと、努力もしがいがありますし、絶対に叶えたいですから!」

P「言っておくが、俺は夢のあきらめかたを知らんぞ。夢を持ったなら、かなえるしかないからな」

紗代子「はい! これからも、よろしくお願いします!!」

P「……改めて紗代子、優勝おめでとう」

紗代子「全部、プロデューサーのお陰です」

P「それから、ありがとう」

紗代子「え? いいえ、こちらこそありがとうございました」

P「紗代子がいなければ、俺は立ち直れなかった。だから感謝している。紗代子が俺を、プロデューサーに戻してくれたんだ」

紗代子「私が!? とんでもありません。私こそ、プロデューサーにアイドルに……トップアイドルにしてもらいました」

P「要するに……俺と紗代子は、連壁の関係ってことだ。2人で一人前だが、2人なら最強の一人前だってことかな」

紗代子「はい! これからも……よろしくお願いします!」

 いつしか雪が降り始めていた。
 混雑する道を車は、高山家まで安全運転でゆっくり、長い時間をかけて2人は語り合いながら帰って行った。

~2週間後~


紗代子「じゃあみんな、行ってくるよ! 世界一のアイドルになりに!!」

瑞希「はい……テレビ中継で、応援しています……そして、信じています。お2人の勝利を……」

志保「紗代子さん」

紗代子「志保ちゃん。なにかいいことあったんでしょ?」

志保「はい……テレビのお仕事、決まりました、プロデューサーが見つけてきてくれたんです……」

紗代子「そっか……良かったね」

志保「はい。あの……がんばってきてください。私も、必ず追いつくようがんばりますから!」

紗代子「ありがとう、志保ちゃん。志保ちゃんのプロデューサーと一緒にがんばってね!!」

 その後も、765プロの面々が次々と激励を送るその横で、高木社長とプロデューサーは握手を交わしていた。

高木社長「復讐は終わった。復讐は、過去からの清算なのだから、もう君たちは過去に捕らわれてなどいない。これからは、未来に向かって羽ばたく姿を楽しみにしているよ」

P「色々とご迷惑と、心配をおかけしました。行ってきます。最高のアイドルとプロデューサーになりに」

高木社長「うむ。吉報を待っているよ」

紗代子「プロデューサー、さあ行きましょう!」

P「おいおい。フライトまでまだ時間があるぞ」

紗代子「わかっていますけど……待ちきれないんです。あの子が、待ってるんです!」

P「……そうだな。行くか、世界一になるために」


 高山紗代子とそのプロデューサーが渡米したのと相前後して、人気絶頂となった高山紗代子の特集誌が刊行され、たちまち売り切れとなった。特集誌のタイトルは『敗者復活のうた』。
 綿密に取材され、また関係者からの証言をふんだんに盛り込んだ本となっていた。
 その本は、紗代子の候補生時代から現在までのふんだんの写真と共に、こう最後が結ばれていた。


『少女はかつて、敗者だった。何も持たず、誰にも認められず、誰にも選ばれず、夢だけが支えだった』

『男もかつて、敗者だった。夢破れ、嘲笑を受け、人目を気にし、それでも夢を捨てなかった』

https://i.imgur.com/tfctpcc.jpg


『2人の敗者は、出会い、手を取り合った。少女はアイドルとなり、男はプロデューサーだった』

『少女は敗者であったが故に敗北を知った。男も敗者であるが故に敗北を知っていた』

https://i.imgur.com/m9kxQLk.jpg


『敗北を知る2人は、敗者の気持ちがわかった。その気持ちを、歌い上げた』

『彼女が歌えば、聞いた人の弱っていた魂も震え、前へと進む勇気が湧いてきた。それは敗者へ復活を促すエールとなって人々に広がっていく。』

https://i.imgur.com/dNaXZY3.jpg


『男はそれを支える。彼自身もそうであったから』

『もう敗者はいない』

https://i.imgur.com/8MaExkv.jpg


『今日も少女は歌う。敗北からの復活を。自らの辿った苦難と、夢見た未来を』

『これからも彼女は歌い続ける。敗者復活のうたを』


   Fin.

以上で終わりです。おつき合いいただきまして、ありがとうございます。

高山紗代子、誕生日おめでとう!

紗代子の誕生日にこのSSを読めてよかった、乙です
>>3
真壁瑞希(17) Da/Fa
http://i.imgur.com/T5y34Mg.png
http://i.imgur.com/8S36pLF.jpg

>>9
音無小鳥(2X) Ex
http://i.imgur.com/hFRWAa5.jpg
http://i.imgur.com/rJCkhta.jpg

>>15
青羽美咲(20) Ex
http://i.imgur.com/N78dpoq.png

>>36
最上静香(14) Vo/Fa
http://i.imgur.com/TKoEetC.jpg
http://i.imgur.com/Bz6miZw.jpg

矢吹可奈(14) Vo/Pr
http://i.imgur.com/kQHQF7j.jpg
http://i.imgur.com/kB9imcc.png

佐竹美奈子(18) Da/Pr
http://i.imgur.com/3jWPs9K.jpg
http://i.imgur.com/ZYK7Gek.png

福田のり子(18) Da/Pr
http://i.imgur.com/NmGswZv.png
http://i.imgur.com/6T0ZmJ4.jpg

>>37
北沢志保(14) Vi/Fa
http://i.imgur.com/ZhetECD.png
http://i.imgur.com/gVLQiiV.png

>>38
伊吹翼(14) Vi/An
http://i.imgur.com/Qm7jkFE.jpg
http://i.imgur.com/JUAw9ZX.jpg

>>39
周防桃子(11) Vi/Fa
http://i.imgur.com/s0804VA.jpg
http://i.imgur.com/BXJEqF4.jpg

中谷育(10) Vi/Pr
http://i.imgur.com/hLqdrjz.png
http://i.imgur.com/8NRFxHY.jpg

>>44
春日未来(14) Vo/Pr
http://i.imgur.com/aQyOApp.jpg
http://i.imgur.com/iuy368T.jpg

>>45
ロコ(15) Vi/Fa
http://i.imgur.com/zbhE4XZ.png
http://i.imgur.com/6vr5piz.jpg

七尾百合子(15) Vi/Pr
http://i.imgur.com/IUJ2Sr7.png
http://i.imgur.com/kQEEf3G.jpg

永吉昴(15) Da/Fa
http://i.imgur.com/hy1aMi8.png
http://i.imgur.com/vkU9hQM.png

>>48
田中琴葉(18) Vo/Pr
http://i.imgur.com/wCLVKQw.png
http://i.imgur.com/EUkPWYq.png

望月杏奈(14) Vi/An
http://i.imgur.com/olHxThh.jpg
http://i.imgur.com/yfmgm0L.png

>>50
エミリー(13) Da/Pr
http://i.imgur.com/vp3VNfy.png
http://i.imgur.com/J79yJ2G.jpg

豊川風花(22) Vi/An
http://i.imgur.com/61iE4NY.jpg
http://i.imgur.com/F8LeGBr.png

>>62
二階堂千鶴(21) Vi/Fa
http://i.imgur.com/b4ZIKIL.jpg
http://i.imgur.com/wHN7zmx.jpg

>>79
三浦あずさ(21) Vo/An
http://i.imgur.com/QXOWM2N.jpg
http://i.imgur.com/lQzJiBd.jpg

萩原雪歩(17) Vi/Pr
http://i.imgur.com/Lg4Bp6y.jpg
http://i.imgur.com/iHIb3Hg.jpg

双海真美(13) Vi/An
http://i.imgur.com/49OQlWm.jpg
http://i.imgur.com/xiw237e.jpg

如月千早(16) Vo/Fa
htts://i.imgur.com/7ViyqyT.png
http://i.imgur.com/fRks4gt.png

水瀬伊織(15) Vo/Fa
http://i.imgur.com/Avg4Gn9.jpg
http://i.imgur.com/iB7Bev1.jpg

天海春香(17) Vo/Pr
http://i.imgur.com/Zqinpkx.jpg
http://i.imgur.com/iWL3wyB.jpg

>>80
高槻やよい(14) Da/An
http://i.imgur.com/9M3mluh.jpg
http://i.imgur.com/pa87Eqk.jpg

>>81
菊地真(17) Da/Pr
http://i.imgur.com/5fzVEHO.jpg
http://i.imgur.com/5ESJljZ.jpg

>>103
篠宮可憐(16) Vi/An
http://i.imgur.com/DPH0oeL.png
http://i.imgur.com/T4feSIe.png

大神環(12) Da/An
http://i.imgur.com/YdWmluz.png
http://i.imgur.com/CaSWHcQ.png

>>104
北上麗花(20) Da/An
http://i.imgur.com/CUHLGYY.jpg
http://i.imgur.com/tOz74dv.jpg

>>114
馬場このみ(24) Da/An
http://i.imgur.com/F9ukoPA.png
http://i.imgur.com/RXWGcYk.jpg

>>115
松田亜利沙(16) Vo/Pr
http://i.imgur.com/IfsfgHL.jpg
http://i.imgur.com/7tt6OQk.png

>>127
野々原茜(16) Da/An
http://i.imgur.com/q2MQX7n.png
http://i.imgur.com/dpRLfWW.jpg

>>134
秋月律子(19) Vi/Fa
http://i.imgur.com/Rc5OXgS.jpg
http://i.imgur.com/FUliF1H.jpg
>>224
高坂海美(16) Da/Pr
http://i.imgur.com/V0WHHVd.png
http://i.imgur.com/7fjDCne.jpg

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