【シャニマスSS】甜花「シンデレラと」夏葉「サンドリヨン」 (193)

注意
・地の文有り
・Pの経歴に設定追加
・ユニット越境につき、公式の設定が無い呼称が出てきます

また、モブ(演出家・王子役など)が数人出てきますが、しっかりと甜花・夏葉の話として進行しますので、その点ご容赦頂けると幸いです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1543932346

黎明の夢を見る。

祭囃子を思い出す。

まだ小さかった頃の、姉妹で行った縁日の思い出。

射的屋の奥にポツンと置かれた宝物。

二人とも同じように、心惹かれたヌイグルミ。

お小遣いを出し合って、重い銃に四苦八苦して、何度も挑戦して

結局、手に入らずに泣き出した。

取れないことが悲しくて

それ以上に、取ってあげられないことが悔しくて

帰るその時になるまで泣いていた。

それが1つの原風景。

心の奥底にしまい込んだ古い傷。

大崎甜花の、幼き日の挫折の記憶。

「……なさい」

甜花(あれ……? ゆめ……?)

「……きなさい、もう朝よ」

甜花(うーん……まだ、眠い……)

「甜花、起きなさい。甜花」

甜花「ん……待って、なーちゃん……後30分……」

「……」

「私は、妹さんでは無いのだけど」

甜花(……?)

甜花(じゃあママ……でも無いよね。声違うし……)

甜花(えっと……? 夏休みだからお昼まで寝ててもいいはずで……だけど、夏休みだからお仕事もあって……)

甜花(……あ)



昨日までの事に思考が達すると同時に、羽織っていた毛布が宙を舞う。

引っ剥がされたのだ。

そこで完全に眼が覚めた。

甜花「な、な、な、夏葉さん……!」

夏葉「さあ準備しなさい! ランニングに行くわよ、甜花!」

そこにはジャージ姿で、やる気に満ち溢れた御方が立っている。

ここは、夏葉さんの家だった。



時間にして朝の五時半。

太陽は昇り始めたばかりで、空気はまだ涼しさを残している。

土手の傍らでは朝露が光り、見るものを爽快な気分にさせてくれる。

ランニングをするのには、まさにうってつけ。

そんな時間だった。

甜花「あ、あの……! 夏葉、さん……!」

夏葉「何かしら?」

甜花「な、なんで……! ラ、ランニング……? それも、朝から……!」

とはいえ、条件が良い事と、楽しめるかどうかはまた別の話。

早朝からの運動なんて、普段の自分には縁遠い話で、はっきり言ってかなり辛い。

甜花「夏葉さんの家には……その、仕事の……舞台の練習のためで……」

夏葉「だからこそよ。練習の前に、まずはしっかりと体を起こさないと」

こちらは息が切れ始めているが、夏葉さんは平然としている。

つまりそれは、ペースを合わせてくれていると言う事で。

夏葉さんが良い人なのは、よく分かっているんだけど……

夏葉「それとトレーニングよ。体力は必要だわ。演劇にも、それ以外のことにもね」

夏葉「体力、知力、精神力。そして、筋力があれば何だって出来るのよ!」

やっぱり甜花とは正反対の人だな、って思ってしまう。

甜花(……付いていけるように……甜花、頑張らなきゃ……)


千雪「甜花ちゃんに、舞台のお仕事ですか?」

それは、夏休みも終わりに近づいた、ある日の午前の事だった。

P「ちょっと急な話だが、そうだ」

P「二人は、夏葉……放クラの有栖川夏葉は知っているか?」

甜花「夏葉、さん……?」

アルストロメリア以外の、同じ事務所のアイドル。

一通り名前は知っているが、今の所はそれだけだ。

甜花「うん……事務所で見たことは、何度かあるよ……」

千雪「私も同じくです。お話してみたいとは、常々思っているんですけど」

P「その夏葉なんだがな。ある劇団の舞台で、主役の仕事をもらえたんだ」

千雪「まぁ、それは凄いことじゃないですか」

P「本人も大喜びしてたよ。それで、近頃は劇団で稽古に励んでるんだが……」

プロデューサーさんが、顔をしかめる。

P「困ったことが起こってな。何でも共演者の方が、大怪我をしてしまったらしい」

千雪「お、大怪我……」

P「あ、いや、命に別状は無いそうだぞ。交通事故に巻き込まれて、全治半年程との事だが」

甜花「でも、怪我したその人は……」

P「そうだな。気の毒な話だが、舞台には上がる事は出来なくなった」

つまり、自分の仕事は。

千雪「それでは……甜花ちゃんの仕事は、その人の代役という事ですか?」

P「ああ、そういうことになる。劇団としては、舞台の公演を取り止めにする気は無いみたいでな」

P「良ければ283プロから代役を立ててくれないか、と打診されたわけだ」

そこまで話して、プロデューサーさんが二冊の本を机に置いた。

P「それで肝心の舞台の内容だが……これは、見てもらった方が早いか」

P「これが、その台本になる」

置かれた台本を見る。

その表紙の絵から、なんの話なのかを想像するのは簡単だった。

千雪「カボチャの馬車? あ、このお話って……」

タイトルを読み上げる。

甜花「『シンデレラとサンドリヨン』?」


P「題名、『シンデレラとサンドリヨン』。童話の『シンデレラ』をベースにした創作劇だ」

千雪「シンデレラ。それで、サンドリヨンというと……」

千雪「サンドリヨンってアレですよね。あのペローさんの……」

P「お、詳しいな。さすが千雪」

千雪「ぐ、偶然ですよ。童話とか御伽噺とかが好きで。それで、たまたまです」

甜花(ぺろーさん……?)

人名、だろうか。

しかし重要な話ではないようで、解説される事なく話は進む。

P「この創作劇だが、『サンドリヨン』という登場人物が出てきている」

P「本来の『シンデレラ』には登場しない人物だな」

P「この追加の登場人物である彼女が、話のキーパーソンになるわけだが……」

プロデューサーさんが、台本を持ち上げる。

思ったより重量がありそうだ。

P「長々と口で説明してもアレだしな。ともかく、目を通してみて欲しい」

P「二冊あるし、千雪もどうだ? 急ぎの用事があるなら、無理にとは言わないけど」

自分のお仕事の話なので、本来は千雪さんがいる必要はない。

たまたま、居合わせただけだ。

しかし自分としては、居てくれると安心できるので、とても有り難い。

千雪「それじゃあ、折角ですので」

千雪「はい、甜花ちゃん。意外と重いので、気をつけて下さいね」

千雪さんが軽く立ち上がって、二冊とも台本を受け取る。

それから、その片方を自分に渡してくれた。

甜花「ありがとう、千雪さん……」

台本の表紙に手をかける。

ページの1枚1枚は薄くて、まるで辞書みたいだと思った。

甜花(あ……)

薄いページが塊になって、左から右に流れていってしまう。

甜花(……ページ、余計にめくれちゃった……)

甜花(……分厚い本は、これだから……)

開けたのは、最後の方のページだった。

甜花(え……)

その端っこの文章が目に入る。



『たとえ灰被りでも良いのです』

『大切な人の隣で、笑っていられる自分で在りたいのです』

『だから、私は』



甜花「……」

P「どうした、甜花。そんな風に固まって」

甜花「え……?」

甜花「あ、うん……な、なんでも……ないよ……?」

P「……」

P「そうか」


気を取り直して、最初の方から読む。

話の大筋は、よく知る『シンデレラ』とあまり変わらない。

特に基本的な流れは、本の話そのものだった。

継母や義理の姉たちに苛められている少女が、妖女の老婆と出会って助けてもらう話。

大きく異なる点は、やはりサンドリヨンだ。

主人公・シンデレラの、双子の姉であるサンドリヨン。

彼女は、シンデレラと対照的な人物として描かれている。

歌と踊りが得意なサンドリヨンと、それらに自信が持てないシンデレラ。

活動的なサンドリヨンと、引っ込み思案なシンデレラ。

そしてその極め付けに、継母達との関係性。

社交性が豊かで、馴染まず疎まれずの関係を築けるサンドリヨンと、虐められるだけのシンデレラ。

サンドリヨンは、なーちゃんみたいだな、と思った。



甜花「……プロデューサーさん……今更、なんだけど……」

P「なんだ?」

甜花「甜花、何の役をすればいいの……?」

P「ああ……そういえば伝えてなかったな。確かに今更だ、申し訳ない」

甜花「うん……」

甜花(急な代役を立てるくらいだし、そんなに重要な役じゃ無いとは思うけど……)

甜花(一番目立ったとしても、義理の姉くらいの……)

P「サンドリヨンだ」

甜花「え……」

P「主役・有栖川夏葉と、キーパーソン・大崎甜花。そういう風になるな」

甜花「え……それって、本当に……? なーちゃんの、お仕事じゃなくて……?」

P「こんな所で嘘ついてもしょうがないだろ。そもそも、甘奈には日程的に頼めないよ」

そう。

なーちゃんは地方に遠征中で、今は近くに居ない。

P「ま、キーパーソンどうのというのも、甜花が受けてくれればの話だが……」

P「どうだ、やってみないか? 必ずいい経験になると思うぞ」


お芝居と聞いて、以前にやったお仕事の一つを思い出した。

甜花「学園ドラマのエキストラ……覚えてる……?」

甜花「前に、甜花がやった……」

あれは確か、甜花がソロの仕事を始めたばっかりの頃。

全然思うように出来なくて、プロデューサーさんに弱音を吐いた事を、よく覚えている。

P「もちろん忘れてないよ。あの事が、どうかしたのか?」

甜花「その、甜花……エキストラの役すら、ちゃんと出来なかったよね……」

甜花「それなのに……もっと大事な役なんて、出来るのかな……?」

あれ以来、お芝居の仕事はあまりやっていない。

しかしプロデューサーさんは、当然だと言わんばかりに断言した。

P「できるさ。あの時も言ったが、甜花は磨けば光る子だ」

P「あれから、色んな仕事をしただろ? だから、きっと大丈夫だよ」

甜花「でも、お芝居の仕事は……」

P「していなくても、他の経験はちゃんと積めている」

P「問題は、甜花がやりたいかどうかだ」

やりたいかどうか。

そういう話なら、勿論やってみたい。

やってみたいと思うけど……

甜花「……自信ない、です」

正直な気持ちだ。

素直に言葉にして、落胆されると思った。

そう思ってプロデューサーさんの方を見たが、その様子はない。

腕を組んで、考え込む仕草をしている。

その状態のまま、数十秒ほど経った。

P「そう、だな……」

P「やりたくないわけじゃ、無いんだよな」

甜花「うん……」

P「それならこうしよう。今日明日と舞台稽古に参加して、無理そうなら断る」

P「つまり、お試し期間だな。最終的にどうするかは明日の夜に決める」

甜花「そんなこと……できるの……?」

P「普通は絶対に無理だ。提案しただけで、間違いなく先方に怒られる」

P「だが、今回ばかりは何とかするよ。それでどうだ?」


甜花「それなら……やってみたい、です」

甜花「あ、あと……その、ごめんなさい……」

P「……? 何で謝ってるんだ?」

甜花「プロデューサーさんに、また迷惑かけちゃったから……」

P「ああ、なるほど。気にしなくていいぞ。迷惑かけられるのも仕事だからな」

P「それでも何か言ってくれるなら……そうだな、こういう時は感謝の言葉の方が嬉しい」

甜花「あ、ありがとう……プロデューサーさん……」

P「どういたしまして、だ」

P「よし、それなら善は急げだ。十五分後には出るぞ」

甜花「う、うん……」

そう言って、プロデューサーさんはそそくさと準備に取り掛かる。

その背中を見ていると、申し訳なさが込み上げて来た。

ああは言ってくれたが、そう思ってしまうのは止められない。

なんというか、性分なのだろう。

それに加えて、これから知らない場所に行くと思うと、段々と緊張もしてきて……

千雪「甜花ちゃん、えい♪」

甜花「……わ……!」

千雪さんに、急に手を掴まれた。

掴まれたというより、包まれたと言った方が正確かもしれない。

手の平から千雪さんの暖かさが、ゆっくりと伝わってくる。

千雪「甜花ちゃん、少しでも『やりたい』って思えたなら……」

千雪「楽しむこと、忘れちゃダメですよ? 千雪さんとのお約束です」

千雪さんが、優しく微笑んだ。

P「千雪ー、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」

千雪「あ、はい! 今行きます!」

千雪「それじゃあ甜花ちゃん、頑張って来てくださいね」

手が離される。

それでも両手はまだ、ほんのりと暖かい。

あまりに短い間の事だったのに、気分は不思議と落ち着いていた。

甜花(あ……)

甜花(……お礼、言い忘れちゃった……)

P『俺は、お偉いさん達に挨拶してくるよ。演出家さんには話を通してあるから、稽古に参加していてくれ』

P『代役だから、あんまり気負わずにな。伸び伸びとやってくれていい』

P『あちらさんも、最初から無茶は言ってこないだろうさ』

甜花(……って、言ってたのに)

演出家「大崎ィ! 全然声出てねーぞ! 代役だからって甘えてんじゃねぇッ!」

甜花「ひんっ!」

甜花(プ、プロデューサーさんの、嘘つき……)



演出家「大崎、もう一回やってみろ」

甜花「わ、わかっ……分かり、ました……」

甜花「こ、これで、顔を拭きなさい、シンデレラ。そしたら……」

演出家「やり直し。声に張りがない」

甜花「これで顔を拭きなさい……シンデレラ。そしたら、礼拝に……」

演出家「視線を泳がせるな。やり直し」

甜花「これで顔を拭きなさい、シンデレラ。そしたら、礼拝に」

演出家「棒立ちで演じるつもりか。やり直し」

甜花「これで顔を拭きなさい、シンデレラ……! そしたら、礼拝に……!」

演出家「ここは叫ぶシーンじゃねぇだろ」

甜花「……あぅ……」



プロデューサーさんと別れた後、実力の程を確認する事になった。

台本を読み込む時間として30分を貰って、その後に演出家さん直々の演技指導。

時間内で台本を何度も読み返して、ちゃんと暗記して、自分としては頑張った方……だと思う。

それなのに、セリフの一つも満足に言えなかった。

演出家「……なるほど、な」

演出家「隅っこの方で、もう一回読み込んでこい」

演出家「それと見学だ。個人練をやっている奴らをよく見ておけ」

甜花「……はい……」

言われた通り、他の人の演技を見ている。

王子役『君! そこの麗しの君よ! 名はなんと言うのだ!』

確かに違う。

王子役『明日だ! 明日こそ、私に名前を聞かせて欲しい!』

他の人の演技と自分の演技は、何もかもが違う。

違う所が多すぎて、何処から手をつければいいのか分からない。

甜花「シンデレラ、これで……」

もう一度、演じてみる。

やっぱりダメダメだ。

声も通ってないし、動きもぎこちない。

だけど、どうすればいいんだろう。

夏葉「ちょっといいかしら」

甜花「え……?」

遠くを見ていたせいか、近づいて来る人に気がつかなかった。

舞台の主役、有栖川夏葉さん。

夏葉「失礼するわ」

甜花「な、何……? え……」

夏葉さんは一切の躊躇いなく手を伸ばして、自分のお腹にしっかりと触れた。

というか、強く押した。

甜花「ひんっ……!」

夏葉「さっきのセリフ、もう一回読みなさい」

甜花「あの、でも……! な、なんで……お腹を……」

夏葉「いいから早く。動きの方はいいわ。声だけに集中して」

甜花「は、はい……!」

甜花「え、えっと……シンデレラ、これで顔を拭きなさい。そしたら、礼拝に行きましょう……」

夏葉「やっぱり、そうね。お腹に力が入ってないわ」

甜花「え……?」

夏葉「いい? 基本は腹式呼吸よ。日常の会話とは違う声の出し方をしなくてはいけないわ」

甜花「腹式呼吸、って……」

夏葉「ボーカルレッスンで叩き込まれているはずよね。それを思い出して」

夏葉「ステージ上で歌う時みたいに。それでいて、叫ぶようにしない事を意識するのよ」

夏葉「さぁ、やるわよ。さん、はい……!」

甜花「シ……! 『シンデレラ、これで顔を拭きなさい。そしたら、礼拝に行きましょう』」

甜花「……あ、いい感じ……」

夏葉「悪くなかったわね。それじゃあ次は動きの方ね。こっちはダンスレッスンを思い出しなさい」

甜花「ダンス……?」

甜花「でも……このシーンの動きって、手を差し伸べるだけだよ……?」

甜花「だから、こう……」

特別な動きをせずに、夏葉さんに向かって手を差し伸べる。

夏葉「それだとダメよ。それは普段の動きの模倣であって、演技にはなっていないの」

夏葉「他人の目にどう映っているかを意識しなさい」

夏葉「どういう動きをしているのかを、観る人に伝えなくてはいけないのだから」

甜花「観る人……伝わる、様に……」

他人から見た自分、それは鏡に映った自分とも言えるわけで。

甜花(あ、だから……ダンスレッスンなんだね……)

頭の中での動きと、実際の身体の動きの擦り合わせ。

それを鏡を介して行う作業は、自分にとって慣れ親しんだものになっている。

甜花「こう……かな?」

背筋を伸ばして、腕を少し過剰なくらいピンと張る。

それでいて、指先を開いて柔らかく。

脳内鏡の中の自分が、しっかりとポーズを取って立っている。

夏葉「ええ、いい感じだったわ。少しぎこちない気もするけれど」

夏葉さんが満足げに頷いた。

夏葉「さて、これで発声と動作についての取っ掛かりは掴めたかしら?」

甜花「う、うん……分かりやすかった……です……」

夏葉「それなら良かった。まずは、この二つからしっかりと練習しなさい」

夏葉「なにごとも最初は一つずつ。どんなに複雑に見える問題も、そうすれば必ず解決できるものよ」

そこでようやく、夏葉さんが自分を見てくれていた事に気が付いた。

見兼ねて、助けてくれたのだ。

自分が演じようとしていた場面について、つい考えてしまう。

サンドリヨンが、妹のシンデレラを教会に行こうと誘うシーン。

行きたくないと駄々をこねるシンデレラを、姉のサンドリヨンが励ますシーン。

『シンデレラ、これで顔を拭きなさい。そしたら、礼拝に行きましょう』

『いや。いやよ、サンドリヨン。行きたくないわ』

『どうして? そのために二人掛かりで、すす掃除も終わらせたんじゃない』

『賛美歌を歌いたくないの。だって、サンドリヨンみたいに、上手には出来ないんだもの』

『歌うのは好きなんでしょう?』」

『それは、そうだけど……』

『それなら、行かなくちゃ』

……

それが今の状況と、少しだけ似ていると思った。

手を引こうとするサンドリヨンと、踏み出せないシンデレラ。

教え導いてくれる夏葉さんと、勝手が分からない自分。

ただし、配役は逆さま。

自分に近しいのは、シンデレラの方だ。

なーちゃんがサンドリヨンなら、自分は、この弱いシンデレラだ。

それも、姉妹が逆さまなのだけど。

つくづく思ってしまう。

こんな自分に、サンドリヨンが演じられるのだろうかと。

プロデューサーさんは、代役に立てるべき人を間違えたのではないのかと。

甜花(……あ、プロデューサーさん……)

頭で考えただけであるが、噂をすれば、という奴だろうか。

まさに、というタイミングで、プロデューサーさんが部屋に入ってきた。

P「あ……おーい、甜花!」

プロデューサーさんが近づいてくる。

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甜花「劇団にも、昼休みってあるんだね。学校みたい……」

P「人の集まりだからな。食事とか休息の時間を、取らないって訳には行かないさ」

P「それはそうと……今から演出家の人に挨拶するけど、心の準備は大丈夫か?」

甜花「お願いします、って言うだけなら……たぶん……」

甜花(怖い人だったから……本当は、かなり緊張してるけど……)

P「そう……か。そうだな。少しでも、演出家の人の事を知っておこうか」

甜花「演出家、さんの……」

P「この業界では名が知れている人だし、知っておいて損はない」

P「甜花は、名前くらい聞いたことあったか?」

甜花「ううん……」

甜花「あ、でも……行きの車で、この劇団のこと調べたら……」

P「真っ先に名前が出てきたか」

コクリと頷く。

P「脚本家としても高名な人だしな。今回の脚本だって、あの人が書いている」

P「多分……この劇団よりも、演出家さん個人の方が有名なんだろうさ」

プロデューサーさんの表情が、一瞬だけ寂しそうに見えた。

自分の、単なる気のせいかもしれないけど。

P「……加えて、突拍子もないことで有名だからな。ひょっとしたら脚本の事で何か聞かれるかも」

甜花「あ、えっと……」

甜花「その時は、甜花……どうすればいい……?」

P「正直に答えてしまって問題ない。分かりません、でもいい」

P「下手に取り繕うのは、多分最悪の手だな」

甜花「わ、わかった……甜花、頑張るね……」

P「よし、もう大丈夫そうだな」

甜花「え……? あ……」

P「それじゃあ、行こうか」

甜花「う、うん……!」

プロデューサーさんが、扉をノックする。

P「もしもし、283プロのPと言うものですが……」

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継母役「か・わ・い・い~!!」

義姉1役「ホント、ホント! まじにフランス人形みたい!」

甜花「え、あ……あの……よ、よろしく、おねがい……」

義姉2役「うわ、髪もサラサラ。肌も綺麗だし、凄いよこれ。相当気を使ってるんだろうな……」

義姉1役「いやー、やっぱアイドルって違うわー。夏葉ちゃんも、相当の一品だったし」

甜花「そ、その……甜花、手入れは……じゃ、じゃなくて、あいさつ……」

王子役「髪そんな凄いの!? じゃあ俺も、ちょっと失礼して……うぇ?」

P「男性の方のタッチは御遠慮下さい」

P「というか止めろ。命が失われかねない」

王子役「こ、怖いっすよ……Pさん。じょ、冗談ですって」

P「分かってるけどさ。必死にもなるよ。死因・監督不行き届きは御免こうむるからな」

王子役「?」

P「こっちの話だ。というか、そろそろ甜花にも助け舟出さないとな……」

継母役「うーん……ちょっと気が早いけど、衣装着せちゃおっか。小道具さんに言えば、出してくれるわよね?」

甜花「あの、て、甜花……その前に……」

義姉1役「いいですね! 舞踏会の時のドレス着せたら、可愛すぎるの間違いなしです!」

義姉2役「大賛成。ちょっと聞いてくる」

P「はいはい、そこまそこまで。甜花が困ってる」

甜花「……あぅ……」

継母役「あら」

P「取り敢えず、挨拶だけはさせてくれ」

P「コホン……それでは、うちの大崎甜花のこと、よろしくお願します」

甜花「よろしく、お願いします……!」

甜花(やっと……言えた……)



義姉1役「いやー、283プロってレベル高すぎっしょー。Pさん、よりどりみどりでいいねー」

P「うちのアイドル達を、そういう目で見たことは有りません」

義姉1役「あーあ、私のことをバイトとかで雇ってくれないかな。いい目の保養になりそう……」

P「事務仕事に加えて、各種レッスンとアイドルのメイクが出来たら、社長も考えてくれますよ」

義姉1役「いやいや、そんなバイトいるわけないっしょー」

義姉1役「……え、いないよね?」

P(いるんだなこれが)

行数制限に引っかかったみたいで、所々飛んでますね。
申し訳ありません
>>13の続きから再開します


P「ここで練習していたのか、甜花」

甜花「うん……演出家さんに、言われて……」

P「そうか。頑張ってるみたいだな」

プロデューサーさんが、夏葉さんの方に目を向ける。

P「夏葉もいたんだな。早速仲良くやってくれているようで、何よりだ」

夏葉「ええ、楽しくやらせて貰っているわ」

夏葉「アナタも来ていたのなら、声の一つでも掛けてくれれば良かったのに」

P「すまん。別の仕事があってな」

P「それに夏葉、練習の時にはあまり声を掛けられたくないかと思って」

夏葉「そういう心配は不要よ。そう易々と乱されるような集中はしていないもの」

夏葉「すぐ隣に雷が落ちたとしても、無反応で練習を続けていられる自信があるわ!」

P(それだと俺が声をかけても、無反応って事にならないか……?)

ドヤ顔の夏葉さんと、苦い顔のプロデューサーさん。


P「……まぁ、それはそれとしてだ」

P「甜花、もう少しで昼の休みになるから、その時間は空けといてくれ」

甜花「うん……了解、だけど……」

P「共演者の方とか裏方の方達への、挨拶回りをしようと思っていてな」

P「直接お世話になる人達だから、甜花にも居て欲しいんだ」

甜花「挨拶回りって……甜花、何をすればいいの……?」

P「心配するような事はないよ。話は俺がするから、頭を下げる時だけ合わせてくれれば良い」

甜花「うん……それなら、安心……」

いつものように、大きい声と笑顔の心掛けさえ忘れなければ、大丈夫。

P「あ、そうだ。夏葉は昼休み……」

夏葉「……そう、ね。この場面はもっと縮こまる感じで……そうすると……」

夏葉「『いや。いやよ、サンドリヨン』……ううん、少し違う気がするわね」

二人で話している間に、夏葉さんは練習に戻っていた。

P「さすがは夏葉、と言うべきかな」

甜花「うん……」

そこで、ふと気付く。

甜花(あ……夏葉さんに、さっきのお礼……言ってない……)

演技の事を教えてもらったお礼を、まだ一言も言えていない。

それを言おうと夏葉さんの方を見て、今伝える事を諦めた。

夏葉「『行きたく、ないわ』……いえ、『行きたくないわ』……」

夏葉さんが、とても集中していたから。

甜花(今は、話しかけない方が良いよね……)

甜花(……また、言いそびれちゃったな……)

甜花「劇団にも、昼休みってあるんだね。学校みたい……」

P「人の集まりだからな。食事とか休息の時間を、取らないって訳には行かないさ」

P「それはそうと……今から演出家の人に挨拶するけど、心の準備は大丈夫か?」

甜花「お願いします、って言うだけなら……たぶん……」

甜花(怖い人だったから……本当は、かなり緊張してるけど……)

P「そう……か。そうだな。少しでも、演出家の人の事を知っておこうか」

甜花「演出家、さんの……」

P「この業界では名が知れている人だし、知っておいて損はない」

P「甜花は、名前くらい聞いたことあったか?」

甜花「ううん……」

甜花「あ、でも……行きの車で、この劇団のこと調べたら……」

P「真っ先に名前が出てきたか」

コクリと頷く。

P「脚本家としても高名な人だしな。今回の脚本だって、あの人が書いている」

P「多分……この劇団よりも、演出家さん個人の方が有名なんだろうさ」

プロデューサーさんの表情が、一瞬だけ寂しそうに見えた。

自分の、単なる気のせいかもしれないけど。

P「……加えて、突拍子もないことで有名だからな。ひょっとしたら脚本の事で何か聞かれるかも」

甜花「あ、えっと……」

甜花「その時は、甜花……どうすればいい……?」

P「正直に答えてしまって問題ない。分かりません、でもいい」

P「下手に取り繕うのは、多分最悪の手だな」

甜花「わ、わかった……甜花、頑張るね……」

P「よし、もう大丈夫そうだな」

甜花「え……? あ……」

P「それじゃあ、行こうか」

甜花「う、うん……!」

プロデューサーさんが、扉をノックする。

P「もしもし、283プロのPと言うものですが……」


P「……それでは、よろしくお願いします」

甜花「よろしく、お願いします……」

演出家「ああ、こちらからもよろしく頼む」

演出家「急な話を聞いてくれた点については、感謝している」

P「いえ、こちらとしても有難い話です。舞台での経験は、今後に必ず生きてくるものですから」

演出家「そうかい。まぁ、何でもいいがな。引き受ける以上は、きちんと為すべきことは為してもらうぞ」

演出家「代役だから、途中参加だから……そういう甘えは一切認めない。いいな?」

P「はい。正式にお引き受けする際には、よく言い含めておきます」

演出家「正式に……ね。無駄な期間なんぞ設けやがって」

演出家「もう決まった事だし、今更文句は言わないけどよ」

その言っている事がすぐには理解できず、考え込んでしまう。

演出家さんがギョロリと自分を見たところで、ようやく思い当たった。

甜花(あ……プロデューサーさん、本当に作ってくれたんだ……『お試し期間』……)

甜花(でも……)

しかし、思い当たった事実かどうでもなるくらい、演出家さんの目付きが鋭くて怖い。

演出家「そうだな……じゃあ、最後に一つだけ質問をしようか。大崎」

甜花(き、きた……!)

演出家「大崎、お前は双子だそうだな」

甜花「は、はい……双子の妹が、います……」

演出家「今回の演劇は、童話『シンデレラ』の皮を被った全く別の話だ」

演出家「とある夢見る少女の話では無く、とある双子の姉妹の話になっている」

演出家「脚本を書いた者として、その姉妹を演じる人間に聞いておきたい」

演出家「大崎甜花、お前にとって姉妹とは何だ?」


甜花(姉妹のこと……なーちゃんの、こと……?)

姉妹とは何か。

甜花にとって、なーちゃんとは何者であるのか。

正直、考えたことがない。

それは、考えるまでもないことだから。

甜花「家族で、大切な人……です」

演出家「……」

甜花「あ……! えっと、安心できるから、一緒に居たい人です……!」

演出家「……なるほど」

失敗した、と思った。

自分の言葉は、あまりにも普通すぎる。

家族に対する意見としては、一般論に近い。

つまるところ面白みに欠ける。

こういう凄い人達は、もっと深い意見を求めてるのではないだろうか。

演出家「質問は終わりだ。もう出て行ってくれ」

甜花(……や、やっぱり……)

P「それでは失礼致します……甜花、行こう」

甜花「し、失礼……します……」


甜花「……もっと考えてから、言えばよかった……」

甜花「また、失敗……」

P「そんな事はない。俺は、良い受け答えだったと思うよ」

甜花「プロデューサーさん、優しいね……」

P「いやいや、慰めてるわけじゃ無いぞ。本当にそう思ってる」

P「あの人さ、気分が良くなると何故か、そっけない言い回しになるんだよ。だからアレで大正解だ」

甜花「そうなの……? 演出家さんのこと、よく知ってるんだね……」

P「え? あ、ああ……まあな」

P「それより次だ、次。裏方のスタッフさん達と、共演者さんの方達に挨拶に行くぞ、甜花」

甜花(……? 焦ってる……?)

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大道具「大道具だ」

小道具「小道具です。よろしくね」

P「よろしくお願いします。こちらが、うちの大崎甜花です」

甜花「よろしく、お願いします……!」

大道具「……挨拶はこれでいいな? 俺は仕事に戻る。小道具、あとは頼む」

小道具「はいはーい! あ、もう行っちゃいましたね」

小道具「あーあ……相変わらず、ぶっきらぼうな人」

P「急に来てすみません。打ち合わせの途中でしたか?」

小道具「あ、いいのいいの。気にしないで。確かにそうだったけど、ちょうど終わったところだから」

小道具「甜花ちゃん、改めてよろしくね。はい、飴ちゃんあげるわ」

甜花「あ、ありがとう……ございます……」

小道具「うん、よろしい。劇団とか舞台のことでなら、いつでも私を頼ってくれていいからね」

小道具「これでも古参で、小道具班のリーダーをやらせて貰ってるから」

小道具「分からない事とかがあったら、気軽に聞いてちょうだい」

P「甜花、折角だし何か聞いてみたらどうだ?」

甜花「それなら……さっき言ってた『打ち合わせ』って……?」

小道具「打ち合わせね。うーんと、それだと……」

小道具「甜花ちゃん、小道具と大道具の違いってわかるかな?」

甜花「小道具が、アクセサリーとか手に持つ道具とかで……大道具が、セットとかの大きなもの……だよね?」

小道具「うん、大体その通り。とはいえ、小道具も大道具も同じ舞台上のものだからね。チグハグだとまずいのよ」

小道具「そこで、主に大道具と小道具のリーダー同士で、方向性とかの擦り合わせをするの。それが打ち合わせ」

小道具「……まぁ、さっきのはそう言うのじゃ無くて、これの打ち合わせだったんだけど」


甜花「……機械の、箱?」

P「スモークマシンだな。その名の通り、人工的に煙を発生させる装置だ」

小道具「ラストシーンの演出で使おうと思っててね。それで、その相談をしてたのよ」

小道具「台数の調整だったり、天井への取り付け方だったり、話すことが多くて多くて」

小道具「ああ、あと風船選びとか、それを割るための仕掛け作りとか……」

甜花「風船……? 割って、どうするの……?」

小道具「あ……あー、余計なことまで言っちゃった」

P「不都合がなるなら、もちろん口外しないようにしますが」

小道具「あ、いいのいいの。話されて困るものじゃないし」

小道具「本決まりじゃない部分は、まだ秘密にしておきたいってだけよ」

小道具「結構いい演出になると思うから。楽しみにしててね、甜花ちゃん」

継母役「か・わ・い・い~!!」

義姉1役「ホント、ホント! まじにフランス人形みたい!」

甜花「え、あ……あの……よ、よろしく、おねがい……」

義姉2役「うわ、髪もサラサラ。肌も綺麗だし、凄いよこれ。相当気を使ってるんだろうな……」

義姉1役「いやー、やっぱアイドルって違うわー。夏葉ちゃんも、相当の一品だったし」

甜花「そ、その……甜花、手入れは……じゃ、じゃなくて、あいさつ……」

王子役「髪そんな凄いの!? じゃあ俺も、ちょっと失礼して……うぇ?」

P「男性の方のタッチは御遠慮下さい」

P「というか止めろ。命が失われかねない」

王子役「こ、怖いっすよ……Pさん。じょ、冗談ですって」

P「分かってるけどさ。必死にもなるよ。死因・監督不行き届きは御免こうむるからな」

王子役「?」

P「こっちの話だ。というか、そろそろ甜花にも助け舟出さないとな……」

継母役「うーん……ちょっと気が早いけど、衣装着せちゃおっか。小道具さんに言えば、出してくれるわよね?」

甜花「あの、て、甜花……その前に……」

義姉1役「いいですね! 舞踏会の時のドレス着せたら、可愛すぎるの間違いなしです!」

義姉2役「大賛成。ちょっと聞いてくる」

P「はいはい、そこまそこまで。甜花が困ってる」

甜花「……あぅ……」

継母役「あら」

P「取り敢えず、挨拶だけはさせてくれ」

P「コホン……それでは、うちの大崎甜花のこと、よろしくお願します」

甜花「よろしく、お願いします……!」

甜花(やっと……言えた……)



義姉1役「いやー、283プロってレベル高すぎっしょー。Pさん、よりどりみどりでいいねー」

P「うちのアイドル達を、そういう目で見たことは有りません」

義姉1役「あーあ、私のことをバイトとかで雇ってくれないかな。いい目の保養になりそう……」

P「事務仕事に加えて、各種レッスンとアイドルのメイクが出来たら、社長も考えてくれますよ」

義姉1役「いやいや、そんなバイトいるわけないっしょー」

義姉1役「……え、いないよね?」

P(いるんだなこれが)


P「さて、挨拶回りはこんなもんかな。お疲れ、甜花」

甜花「結構、疲れた……」

P「甜花は、これからどうする? 俺は他のみんなの現場に顔出す予定なんだが……」

P「まだ昼休みの時間も残っているし、何か食べに行くか?」

甜花「お腹、まだあんまり空いてない。だから、その……夏葉さん……」

P「夏葉?」

甜花「お話したいんだけど、見当たらないから……どうしようかなって……」

義姉1役「ん、なになに? 夏葉ちゃんのこと、探してんの?」

甜花「知ってる、の……?」

義姉1役「もっちろん! 夏葉ちゃん、すごい努力家だもんねー」

義姉1役「この時間は間違いなく、一人で練習してるっしょ!」

夏葉さんに会いに、劇場の裏まで足を運ぶ。

一番の目的はもちろん、言いそびれた感謝の言葉を伝える事だ。

甜花(それに……夏葉さん、優しかったから……)

その目的以外に、期待してしまう事がある。

ひょっとしたら、夏葉さんとも仲良くなれるかもしれない。

なんていう期待だ。

お礼をして、ちょっとした会話をして、そういう事になれればいいと思う。

甜花(それで、甜花も……友達が増えるよね……)

自分は元々、友達が多い方ではない。

だけど最近は、自分の周りの人の輪が、少しずつ広がっていると感じてる。

アイドルを始めてからの変化だ。

そういう広がりを、楽しめるようになった事も含めて、いい方向に変わって来ている。

ふと、さっきのプロデューサーさんを思い出す。

共演者の人達相手に、少し言葉が砕けていた。

和やか空気を感じた。

あの人達とプロデューサーさんは、以前からの知り合いなのかな、と思った。

仕事を通じて、誰かと仲良くなれるといい。

あんな風になれれば嬉しい。

あんな風に、仲良くなって──



夏葉『ああ!』

甜花「……あ……」

夏葉さんの練習風景が、目に飛び込んでくる。

それは予想以上の何かで。

心がひしゃげる音が、聞こえた気がした。


誰かの目が怖かった。

失敗する事が恐ろしかった。

だから自分は、何にも真剣になる事が出来ない。

挑戦する前から、諦めの気持ちが混じる。

そうやって熱くなれない自分は、つまるところ冷たいのだ。

そんな冷たいものに、寄り添おうとする人間はいない。

家族でも、ないのならば決して。

夏葉『なんて素晴らしいのかしら! こんなこと、生まれてから一度も無かった!』

対して、夏葉さんは熱量の塊だった。

全力で練習をしている。

声を張り上げて、力強く体を動かしている。

誰が見てるとも知れないこの場所で。

誰に評価されるとも分からない、この場所で。

きっと、そういった事を気にせずに。

ただ真っ直ぐに。

夏葉『歌って踊れば、誰かが拍手をしてくれる! 微笑めば、誰かが笑みを返してくれる! 何て心地が良いの!』

演技の良し悪しは分からない。

分かるほど、自分は詳しくない。

夏葉『それなのに! 12時が来れば、終わってしまうわ! 魔法が解けてしまう……!』

それでも魅入ってしまう物が、そこにあった。

夏葉『でも明日になればいいの……! 明日になれば! 明日になれば、また……!』

それはきっと灼熱の太陽のようで。

今までの自分にとって、縁の無かった世界のものだ。


甜花(……違う……)

胸がチクリと痛む。

甜花(……本当は、そうじゃなくて……)

縁が無いなんて大嘘だ。

学校で、部活や委員会に精を出す人達。

休日の街中で、自分を磨こうといる人達。

そんな熱量を持った人達を、何度も見てきた。

その度に、羨ましく思っていた。

それでも踏み出せない。

自分には出来ないと決めつけて、交わろうとはしなかった。

それだけの話。

甜花(甜花が……避けてきた、だけだよね……)

自分は変われていない。

今までと変わらない。

結局、目の前の女性と自分は別の存在であると、そう結論づけてしまうのだ。


夏葉「……あら?」

置いてあった水筒を取ろうとして、夏葉さんは初めてこちらに気がついた。

夏葉「私に、何か用かしら?」

甜花「あ……その……えっと、甜花は……」

言いたかった事があったはずなのに、上手く言葉が出てこない。

甜花「……な、なんでもない……です……」

夏葉「わざわざ、こんな場所まで来たのに?」

夏葉「……まあ、いいわ。私としてはちょうど良かった訳だし」

夏葉「さっき、言いそびれてしまった事があるの」

甜花「夏葉さんが、甜花に……?」

甜花「あ……演技で駄目な所、まだあったとか……?」

夏葉「いえ、そういうのでは無くて……」

夏葉「はい」

夏葉さんが、右手をこちらに差し出した。

夏葉「直接一緒に仕事をするのは初めてだから、こういう事は必要だと思ってね」

夏葉「有栖川夏葉よ。名も知らぬ仲では無いけれど、改めてよろしくお願いするわ」

そこでようやく、握手を求められている事を理解した。

甜花「大崎甜花……です。よろしく、お願いします……」

かろうじて挨拶だけは返せたが、夏葉さんの手を取る事は出来ない。

あの練習風景を見る前なら、躊躇う事なく手を取ることが出来たはずなのに。

夏葉「同じ仕事自体は、海の家の一件以来ね。あの時は、顔を合わせる事は無かったけど……」

夏葉「……どうしたの?」

夏葉さんが、自分の様子がおかしい事に気が付いた。

心配そうな顔を浮かべて、こちらを見ている。

そこで頭をよぎったのは、事務所を出る前の会話だった。

甜花「あ、あの……劇に出るかは、その……まだ分からないから……」

夏葉「どういうこと?」

プロデューサーさんと話した『お試し期間』の話。

自信の無さのせいで生み出された、都合の良い話。

夏葉「……詳しく説明してちょうだい」

夏葉さんが、手を下ろす。


夏葉「……そう。お試し期間、ね」

甜花「うん……」

夏葉「この事、他の誰かには話した?」

甜花「それは……ううん。プロデューサーさんと、だけ……」

甜花「演出家さんとかは……知ってると思う、けど……」

夏葉「それがいいわ。人の耳に入らない方が良い話よ。他の役者のかスタッフさんには、特にね」

甜花「……はい」

それは、よく分かっていた。

真剣にやってる人達からすれば、『お試し』という気分の人が混ざるのは嫌な事だ。

この事を聞かされた夏葉さんが、愉快な気持ちにならない事も分かってる。

甜花(……分かってる。そういうことは、甜花も分かってる……だけど……)

確かに『お試し期間』の話で、舞台に上がる事を決めた。

でもそれは、逃げ道が確保できたからという訳じゃない。

そんな無理を通してでも、プロデューサーさんが自分にやらせようとしてくれたからだ。

だから、今日を『お試し期間』にするつもりなんて無かった。

そのはずだったのに。

それを、言葉に出してしまった。



夏葉「甜花、アナタは何になりたいの?」

何気ない会話のように、夏葉さんはそう聞いてきた。

甜花「え……」

今日2度目の抽象的な質問で、考えたことのない質問。

しかし今度は、全く答えが見つからない。

考える糸口すら見えてこない。

夏葉「私は、トップアイドルになりたい」

だというのに、夏葉さんはハッキリと口にした。

夏葉「主役という大役を頂いた以上、余すことなく自分の糧にしたい」

夏葉「そう思って、この舞台に参加しているわ」

夏葉「他の人達だって変わらない。それぞれが、それぞれの強い目的を持って参加しているはずよ」

夏葉「だから……」

その淀みない物言いに、夏葉さんの言いたい事が分かってしまう。

これは通告だ。

夏葉「自分だけの目的が持てないのなら、やめておきなさい。アナタの為にもならないわ」


その後、どうやって家に帰ったのかは覚えていない。

午後の練習を終えてから、プロデューサーさんに事務所まで送ってもらった。

そういった事実は思い出せるけど、その繋がりがおぼろげで希薄になっている。

たった今ベッドに転がって、ようやく現実感と胸の痛みが戻ってきたところだった。

甜花「……やめといた方が、良いのかな……」

演技における技術と経験の差は、もちろん感じている。

でもそれ以上に、心の面での隔たりが深く横たわっていた。

夏葉さんの言うことは正しい。

それだけに、よく突き刺さる。

何のために舞台に立って、その先の何を目指すのか。

分からない。

甜花(そもそもアイドルだって、何のためにやってるんだろう……)

始めた理由は、なーちゃんに言われたから。

続いている理由は、楽しいから。

その先は、やっぱり分からない。

トップアイドルになりたい気持ちはあるけど、それだって憧れの域を出ない。

オリンピック選手だとか、ゲームの中のヒーローヒロインと同列のもの。

もっと大仰に言えば、空に浮かぶ星とか月みたいなもの。

自分と地続きの物だと思えないから、目指す姿をそもそも想像できない。

甜花「……分からないづくし、だね……」

気が滅入る。

こういう時、普段はどうやって気を紛らわしていたのだろう。

ゲームとかネットサーフィン……という気分にもなれない。

甜花「……あれ、着信……?」

ディスプレイに、『なーちゃん』と表示されていた。

そこで、一人で思い悩む経験など、まるで無かった事に思い至る。

思い返してみれば、辛い時はいつでも、励ましてくれる人が居てくれたのだ。

だから今のこの辛さは、アイドルになった事での初めてなのだろう。


甜花「もしもし、なーちゃん……?」

甘奈『あ、甜花ちゃん! 甜花ちゃんだよね!?』

甜花「そうだけど……」

甘奈『やっと繋がった! 甜花ちゃん大丈夫!? 怪我したりとか、誘拐されたりとかしてないよね!?』

甜花「……ちょっと、待ってね……」

通話状態を維持したまま履歴を確認する。

着信が三回。

SNSでのメッセージがパッと見で数えきれないほど。

甜花「……ごめんね、なーちゃん。連絡が来てるの、気が付かなかった」

甘奈『それならいいんだけど……本当に、何とも無いんだよね?』

甜花「……うん。怪我も病気もしてないよ」

嘘はついてない、はずだ。

甜花「それで、なーちゃん……何か緊急の用事?」

甘奈『ううん、そういうわけじゃないんだけど……』

甘奈『甜花ちゃんのこと考えてたら、声が聞きたくなっちゃって』

甜花「そう……なんだ。それじゃあ、その……お仕事の方は順調?」

甘奈『もっちろん☆ 歌うのは楽しいし、灯織ちゃんとも仲良くなれたし、良いことづくしだよ!』

甘奈『あ、あと食べ物が美味しい! 地産地消、って奴なのかな?』

甜花「そっか……なーちゃんが楽しめてるみたいで、甜花も嬉しい……」

甜花「にへへ……」

なーちゃんと話していると、自然と笑えた。

甘奈『て……甜花ちゃん……!』

甘奈『甜花ちゃん! 甜花ちゃんの方は? 何か変わったことあった?』

甜花「甜花は……うん、舞台のオファーが来たよ」

甘奈『舞台!?』

甜花「一応……準主役みたいな役」

甘奈『おー! さっすが甜花ちゃん☆』

甜花「でも甜花……代役で選ばれただけだよ……?」

甘奈『それでもだよ。それは誰かが、甜花ちゃんを評価してるってことだもん』

甘奈『うん。甜花ちゃん、劇の事もっと聞かせてよ。せっかくだし』

甜花「……」

甘奈『あれ、甜花ちゃん?』

甜花「あ、何でもないよ……劇のこと、だよね……」

甜花「えっとね……『シンデレラとサンドリヨン』って題名なんだけど……」


甜花「……みたいな感じ」

台本の筋書きだとか、劇場の雰囲気だとか、聞かれるままに答えた。

夏葉さんの事は話していない。

話したくなかった。

その意地っ張りが無意味なのは知っている。

こういう時のなーちゃんは、あっさりと見透かしてしまうのだ。

甘奈『……そっか。甜花ちゃん、悩んでるんだね』

甜花「やっぱり……分かっちゃうんだ」

甘奈『まぁ、ね。甜花ちゃんの事だもん。ある程度の事は分かるつもりだよ』

甜花「なーちゃんは、凄いよね……」

甘奈『甜花ちゃんも同じだよ。甘奈が落ち込んでたら、絶対に気づいてくれるでしょ?』

甜花「それは、そうかも……」

声色を聞けば、どんな気分なのかぐらいは分かる。

大切な家族だから。

甜花「その、聞かないんだね……」

甘奈『うん。甜花ちゃんが話したくないなら、聞かないよ』

甘奈『でも、悩んでることを誰かが知っていれば、心強いかなって。だから気が付いた事だけ伝えちゃった』

甜花「ありがとう、なーちゃん……」

甘奈『ううん、甜花ちゃんの為だもん。お礼なんて言わなくても……あ、待って待って!』

甜花「なーちゃん……?」

甘奈『その……ね、甜花ちゃん。ある人からの受け売りなんだけど……』

甘奈『感謝は言葉じゃなくて行動で示せ、って。この前聞いたんだ』

甘奈『それで甘奈ね、今とーっても見てみたい物があるの』

甜花「……? 甜花で用意できるものなら、頑張ってみるよ……」

甜花「その……今月は、ちょっとだけピンチだけど……」

甘奈『あ、お金がかかるものじゃなくて。甜花ちゃんが見せたいって思えば、見せられる物だよ」

甜花「……?」

甘奈『甘奈が見てみたいのは、舞台の上の綺麗な甜花ちゃん』

甘奈『同じステージの上からは何度も見てるけど、客席から見たことって無かったから』

甘奈『だから……ダメ、かな?』

甜花「なーちゃん、それって……」

甘奈『……なーんて、ちょっと露骨すぎかな』

甘奈『やっぱり、プロデューサーさんとか千雪さんみたいには、うまく出来ないね』

甘奈『こういうのって……とっても難しいよ』


甜花「でも……伝わった、から……」

甘奈『甜花ちゃん……』

なーちゃんが背中を押そうとしてくれたこと、しっかりと伝わった。

そう、伝わっている。

それ以前の事だって、ちゃんと伝わっている。

プロデューサーさんが、無理を通してでも『お試し期間』を作ろうとした理由も。

千雪さんが、事務所を出る前に手を握ってくれた理由も。

そして、夏葉さんが手取り足取り教えてくれた理由も。

こんな自分に、色んな人が期待してくれていることは、ちゃんと伝わっているのだ。

その事実が、色んな物に覆い隠されて、見えなくなっていた。

甜花「……なーちゃんと話せて、良かった」

甘奈『甘奈もだよ! 甜花ちゃん成分大補給、って感じ!』

甜花「その……舞台、見に来てね」

甘奈『……! うん、勿論だよ☆』

甜花「もう、切るよ……やらなきゃいけないこと、出来たから」

甘奈『頑張ってね、甜花ちゃん』

甜花「うん……頑張って、みるよ……」

電話を切る。

気分はすっかり回復していた。

よく考えてみると、なーちゃんとの電話で、何が解決したわけでもない。

夏葉さんに言われた事の、その半分も解決できていない。

だけど、今はそれで良い。

それ以前に、やらなくちゃいけない事があるのを思い出した。

伝えられていない、この感謝を伝える。

もう随分と遅くなってしまったから、その分を言葉でなく行動で。

きっと自分は、そういう所から始めなくちゃいけないのだ。

甜花「あった……台本……!」

するべき行動は自然と決まっていた。

台本のページをめくって、その為に必要な、物語の一節を呼び出す。

甜花「きっと……大丈夫。このシーンなら、甜花にだって……」

甜花「あとは……」

もう一度端末を拾い上げて、電話をかける。

それは、二つ目のコール音を待たずに繋がった。

普段の自分なら、相手の反応を待つだろう。

でも今はそうしない。

何より先に、自分の要件を切り出していく。

甜花「プロデューサーさん。お願いが、あります……!」

その言葉は、いつになくハッキリと言えた。


夏葉「おはよう、プロデューサー」

P「ああ、おはよう。急な連絡だったのに、よく来てくれた」

夏葉「そうね。『いいランニングコースを見つけた。明日の朝から走ろう』……」

夏葉「こんな急なメール、無視されても仕方ないわよ?」

P「そうだな。今後は無いように気をつけるよ。急に悪かったな、夏葉」

夏葉「別に責めているわけじゃ無いのだけど……」

夏葉「その辺りのことは、走りながら聞かせてちょうだい」

P「了解した。じゃあ、行こうか」



P「……ふっ、ふっ、はっ……ふっ、ふっ、はっ……」

夏葉「ランニング、すっかり板についてきたわね」

P「最初に、夏葉と走った時に、比べればな。あれから、たまには、走るようにしてるし……」

夏葉「素晴らしいこと事だと思うわ」

P「おかげさま、でな」

夏葉「……それで、今朝は何のためのランニングなのかしら」

夏葉「何かあるんでしょう? アナタ、急な連絡なんて滅多にしないもの」

P「そう、だな。ええと、昨日の、事なんだが……」

夏葉「ペース、落とすわよ」

P「……助かる」

夏葉「昨日と言うと、甜花のことよね」

P「それも関係ある。あるんだが……まずは、俺の口から夏葉に謝罪がしたい」

夏葉「私に、謝罪?」

P「そうだ。『お試し期間』の事を提案したのは、俺だからな」

P「あの話を聞いて気分を害したなら、俺は夏葉に謝らないといけない」

夏葉「……」

P「甜花に何としても仕事を受けてもらいたくて、俺が言った事だ。その全責任は俺にある」

P「あの発言で、夏葉が怒るのも当たり前だ。だけど、その対象は甜花じゃなくて俺に……」

夏葉「ちょっと待って。私が怒ったって、なんの話かしら?」

P「あれ、違うのか。甜花から、『お試し期間』の話を聞いて、それで………」

夏葉「確かにいい気分がしなかったけど、それで怒ったりはしないわ」

P「……というと?」

夏葉「私は、全ての事情が分かっているわけでは無いもの」

夏葉「物事の一面だけを見て感情的になる事はしないわ。少なくとも、そう心掛けているつもりよ」

P「そう……だよな。夏葉なら、確かにそうか」

P「とすると、甜花は……」


朝の公園は閑散としていた。

時間のせいか、人通りは少ない。

発声練習をしている自分を、気に留める者はいなかった。

そんな静けさの中、女性が一人だけ近づいてくる。

服装は、自分と揃いの空色ジャージ。

甜花(夏葉さん……)

腹部に意識を集中させる。

頭の中に鏡をイメージする。

夏葉さんが、目の前に立つ。

気持ちを伝える為に、会話をする為に、色々な事を考えた。

でも、その収穫は全く無い。

もともと口下手なのだ。

気の利いた会話など、急に出来るようになるわけがない。

それなら、やれる事は一つ。

甜花「すぅ……」

息を深く吸い込んで、意識を切り替える。

立っているこの場所が、ステージの上であるかのように、自分を錯覚させる。

今の自分にできる事は、これだけなのだ。

当たって、砕ける事だけ。

甜花「『シンデレラ、これで顔を拭きなさい』」

手先を柔らかく、ピンと伸ばす。

無いはずの布切れを、そこに幻視させる。

一歩だけ距離を詰める。

甜花「『そしたら、礼拝に行きましょう』」

そして今度は、自分から手を差し出した。

すみません、一つ飛びました。
>>40の続きからです


夏葉「私は怒ってはいなかった。だけど、厳しい言葉をかけたのは事実よ」

夏葉「あの子……落ち込んでいた?」

P「ああ。帰りの車の中でも、茫然自失という感じだった」

夏葉「悪いことを、してしまったかもしれないわね」

夏葉「間違った事を言ったとは思っていないわ。でも、もう少し言葉を選ぶべきだった」

夏葉「傷つけるつもりは、無かったのだから」

P「ちなみに、どういう事を言ったんだ?」

夏葉「最初に目標を聞いて、答えが帰って来なかったから、まずは自分の事を話したの」

夏葉「それから、『目的意識に欠けるのは為にならない』という趣旨のことを言ったわ」

P(ここまでは、車の中で甜花から聞いたな)

夏葉「その上で『目標設定から始めなさい』とか『明日からもよろしく』……みたいな事を言ったはずよ」

P「……! それで、か」

夏葉「自信を失っているように見えたから、私なりに助言をしたつもりなのだけど……」

夏葉「裏目に出てしまったみたいね。事務所で会ったら、誠心誠意謝らせてもらうわ」

P「……勘違いだ」

夏葉「勘違い……?」

P「甜花から聞いた話と食い違っている。どちらかが嘘を吐いている訳でもない」

P「だから勘違いだ。おそらく途中までしか、甜花の耳に入ってない」

P「ショックのあまり、『為にならない』以降の言葉が聞こえてなかったんだろう」

P「ちなみに、その時の正確な発言は……」

夏葉「『やめておきなさい。アナタの為にもならないわ』」

夏葉「……」

P「……」

夏葉「……辞退を促している事に、ならないかしら?」

P「……なってるな」

夏葉「プロデューサー、彼女に連絡を……!」

P「それは、必要ない」

P「目的地に着いたからな」

夏葉「え……?」

P「ランニングの目的地だよ。事務所近くの公園だ」

P「ここに夏葉を呼び出すように、甜花に頼まれていたんだよ。ほら、あそこを」

夏葉「……あの子」

P「そういうことだ。行ってこい、夏葉」


朝の公園は閑散としていた。

時間のせいか、人通りは少ない。

発声練習をしている自分を、気に留める者はいなかった。

そんな静けさの中、女性が一人だけ近づいてくる。

服装は、自分と揃いの空色ジャージ。

甜花(夏葉さん……)

腹部に意識を集中させる。

頭の中に鏡をイメージする。

夏葉さんが、目の前に立つ。

気持ちを伝える為に、会話をする為に、色々な事を考えた。

でも、その収穫は全く無い。

もともと口下手なのだ。

気の利いた会話など、急に出来るようになるわけがない。

それなら、やれる事は一つ。

甜花「すぅ……」

息を深く吸い込んで、意識を切り替える。

立っているこの場所が、ステージの上であるかのように、自分を錯覚させる。

今の自分にできる事は、これだけなのだ。

当たって、砕ける事だけ。

甜花「『シンデレラ、これで顔を拭きなさい』」

手先を柔らかく、ピンと伸ばす。

無いはずの布切れを、そこに幻視させる。

一歩だけ距離を詰める。

甜花「『そしたら、礼拝に行きましょう』」

そして今度は、自分から手を差し出した。


夏葉「……!」

夏葉さんも、深く息を吸い込んだ。

夏葉「……『いや。いやよ、サンドリヨン。行きたくないわ』」

夏葉さんが、その場にうずくまる。

一瞬だけ驚いた顔をしたけど、そこからの躊躇は一切無い。

目の前に居るのはシンデレラで、自分はもうサンドリヨンなのだ。

甜花「『どうして? そのために二人掛かりで、すす掃除も終わらせたんじゃない』」

自分の演技に、夏葉さんがのって来てくれた。

嬉しくてたまらない事だけど、今はその気持ちをそっと切り離す。

夏葉「『賛美歌を、歌いたくないの』」

それで、満足するわけにはいかない。

ここはまだ、自分の目指すゴールではない。

夏葉「『だって、サンドリヨンみたいに、上手には出来ないんだもの』」

夏葉さんと正面から向き合えた、この場所こそがスタートなのだ。


言葉では無く行動で。

その言葉で真っ先に思い付いたのは、演じる事だった。

演じる事を、助けてくれた人がいたから。

自分が演じる事に、背中を押してくれた人達がいたから。

その期待を形にする事が、感謝を伝える事になると、そう思えたのだ。

だから演じる。

一夜漬けの、付け焼き刃の演技になってしまうのは分かってる。

一場面ですら、まともに出来ないままなのかもしれない。

それでも、拙くても無様でも、示さなくちゃいけないのだ。

受け取った物が根付いている事を、示
してあげたいのだ。

それが自分にできる、最大の『ありがとう』なのだから。

これが、その為のワンシーン。

行きたくないと渋るシンデレラを、サンドリヨンが優しく励ますシーン。

このシーンなら、ちゃんと演じきれる。

このシーンなら、伝えることが出来る。

このシーンから始めないと、きっと自分は立ち上がれない。

だって──


甜花(だって、この言葉は……! 甜花が甜花に、言いたかった言葉だから……!)

甜花「『歌うのは好きなんでしょう?』」

夏葉「『それは、そうだけど……』」

甜花「『それなら、行かなくちゃ』」

さらにもう一歩、シンデレラに近づく。

甜花(この話のシンデレラは、甜花だから……!)

甜花「『嫌なことならまだしも……好きなことから逃げるのは、もったいないわ』」

夏葉「『分かってる。分かってるの』」

甜花「『それなら』」

夏葉「『だけど、怖いの。好きなことでも、失敗するのは怖いの』」

夏葉「『また足を引っ張ってしまう事が、恐ろしいの』」

甜花(変わりたいって……! 震えながらも、ちゃんと思えてるから……!)

甜花「『私は……シンデレラと歌いたいわ』」

夏葉「『そう、言ってくれても……!』」

サンドリヨンも膝を折る。

シンデレラと、目の高さを合わせる。

甜花(それでいて、甜花は……! もう……!)

夏葉「『それでも、力が入らないのよ。頑張ろうって思うのに、頑張れないよ……!』」

甜花「『大丈夫よ、大丈夫』」

甜花「『困っている時はいつだって、私が手を貸してあげる』」

甜花(──もういっぱい……! お手本を魅せてもらったんだから……!)

シンデレラの手に、自分の手を伸ばす。

その手を取って、彼女を立ち上がらせるために。

しかし、それは決して掴むようなモノでは無く

暖かさが伝わるように、しっかりと、シンデレラの手を包み込んだ。

甜花「『行きましょう、シンデレラ。きっと何とでもなるわ』」

そして、シンデレラに微笑みかける。

自分はその手を、ようやく取ることができたのだった。


パチパチパチ、と拍手が聞こえる。

プロデューサーさんだ。

P「いい演技だった」

甜花「見て、たんだ……プロデューサーさんも……」

P「そりゃな。引き合わす段取りをしたんだ。すぐに帰るほど、薄情じゃないさ」

P「それで夏葉は、どう感じた?」

夏葉「そう、ね……」

夏葉「……驚いているわ。昨日と比べて、格段に素晴らしい演技になっていると思う」

夏葉「それでいて、全く別人の演技とは思えない。不思議な気分だわ」

P「そうだな。本当に、見違えた」

甜花「夏葉さんの、おかげ……です……」

夏葉「私の?」

甜花「夏葉さんが教えてくれたから……甜花、一人でも練習できた……」

甜花「お礼、言えなかったから……一人でも、頑張れた……」

甜花「どっちも……夏葉さんのおかげだから……」

甜花「本当に……ありがとう、ございました……」

夏葉「……何よ、それ。アナタが努力をした、というだけの話じゃない」

演技は終わっていて、もう手は離れている。

夏葉さんは、その手で髪をかきあげてから、嬉しそうに笑った。

甜花「プロデューサーさん……甜花、舞台に立ちたい、です……」

甜花「夏葉さんと……一緒に仕事をしたい、です……」

甜花「だ、だから……! よろしく、おねがい、しましゅ……!」

噛んでしまいながらも、頭を下げる。

やはり夏葉さんは、それを笑うことなく、同じように挨拶をしてくれた。

夏葉「ええ、甜花」

夏葉「これから、よろしくお願いします」


P「一件落着だな。これからは二人で、切磋琢磨して……」

甜花「あの……プロデューサーさん……そのこと、なんだけど……」

甜花「練習場所の、相談が……」

P「練習場所?」

甜花「昨晩ね……家で、練習してたんだけど……ママに、怒られちゃった……」

甜花「『夜中に大きな声を出すのはいけません!』って……」

P「あー……まぁ、そうだな」

甜花「昨晩だけは、何とか許してもらったんだけど……今日からは、家で練習できない……」

P「……なるほど」

P(さて、どうしたもんかな。なるだけ練習時間は確保してやりたいが……)

P(しかし、レッスンスタジオにも営業時間はあるし、夜中の公園とかで練習させるわけには……)

夏葉「私の家に、泊まればいいじゃない」

P「……あ」

甜花「……え」

夏葉「ええ、我ながらいい考えだわ。今日からうちの子になりなさい、甜花」


夏葉「いらっしゃい、遅かったわね」

甜花「その、泊まり支度に、時間かかっちゃって……」

甜花「それと、マ……お母さんの、説得に……」

夏葉「それは……そうね、時間が掛かる物よね」

甜花「プロデューサーさんに……また、お世話になっちゃった……」

ママに説明をするプロデューサーさんは、珍しく緊張していたように思う。

夏葉「玄関に立たせっぱなしも何だし、もう畏まってないで入りなさい」

甜花「お、お邪魔します……」

夏葉「ええ、いらっしゃい!」

自分は、ひどく萎縮していた。

夏葉さんの家が、想像以上の高級さを誇っていたからだ。

まず、都内のタワーマンションの高層階。

見たことのない大きさのテレビがあり、リビングから二階までの吹き抜け構造。

その上に、防音まで完璧とのことらしい。

聞いていた通り、夏葉さんは本物のお嬢様のようである。

甜花「夏葉さん……やっぱり、凄いね……」

夏葉「この家に関しては、凄いのは両親よ。私は関係ないわ。それより……」

カラン、と小気味良い音がして、高価そうなグラスが置かれる。

その隣には、ジュースの瓶が数本と、ラベルのないプラボトルが一本だけある。

夏葉「まずは涼むとしましょう。泊まるにあたってのお願いは、その後でね」

夏葉「飲み物、どれがいい?」

甜花「えっと、夏葉さんは……」

夏葉「私はプロテインジュースよ」

甜花「……て、甜花は、ブドウジュースにするね」

夏葉さんは頷いて、自分用の飲み物をグラスに注ぎ、こちらに手渡してくれる。

それから、プラボトルを持って立ち上がった。

夏葉「グラスを持って、付いて来て」

甜花「え……どこか、行くの……?」

夏葉「お気に入りの場所があるの」

夏葉「そこで、ちょっとだけ話をしましょう」


案内された場所は、ベランダだった。

高層階ゆえに風は涼しく、輝く夜の街を見渡せる。

景観が良くて、過ごしやすい。

夏葉さんがお気に入りだと言うのも、よくわかる場所だった。

夏葉「ここから、景色を見るのが好きなの。遠くの方を見るのも、空を見るのも……」

夏葉「だけど、今夜は曇っちゃったわね」

夏葉さんが空を仰ぐ。

あいにくの空模様で、月明かりが僅かに差してくる程度。

それも雲の動きによって、時たま陰ってしまう。

それでも涼むという目的は果たせているので、文句は出てこない。

チビチビと飲み物に口をつけながら、ただ景色を眺めていた。

夏葉「ねえ、甜花。アナタは、何のために舞台に上がるの?」

一、二分ほど経ってから不意に夏葉さんが、そう切り出した。

甜花「その、質問……」

夏葉「昨日と、同じ質問。あの時は誤解を与えてしまったけど……今なら別の答えが聞けると思って」

夏葉「もちろん、答えたくないなら答えないでいいわ。ただの興味本位だから」

興味本位という言葉は、何だか夏葉さんらしくないと思った。

そう断言できるほど、夏葉さんのことを知っているわけでは無いけれど。

甜花「甜花は……」

答えない理由はない。

むしろ、今はハッキリと言いたい。

昨日の夜に、しっかりと見つけてきたのだから。

甜花「……期待に、応えたいから」

甜花「なーちゃんに、千雪さんに、プロデューサーさん……」

甜花「甜花なんかに、なんで期待してくれるのか、分からないけど……」

甜花「期待してくれるなら、応えたいって……今は、そう思えるよ」

そう言葉にしてから、夏葉さんを横目で見る。

どういう反応をするのか、気になったからだ。

自分の理由は、他人が居ないと成り立たないもの。

それを、『悪し』と捉えるかもしれない。

夏葉さんは、自分とは違うから。

自身の力だけで歩いていける、強い人なのだろうから。

夏葉「期待に応えたい、か」

しかし、その一抹の不安に反して、夏葉さんは静かに微笑んでいた。

夏葉「……ふふ、良い理由じゃない」

その表情はどこか親しげで、嬉しそうだった。

それが不思議で、もっと話をしていたくなる。


甜花「夏葉さんは、なんで……今回の舞台に……?」

甜花「その……きっかけとか、聞かせて欲しい……」

夏葉「きっかけ、というと……?」

甜花「甜花は、だだの代役だけど……夏葉さんは、どうだったのかなって……」

夏葉「ああ、そういうこと」

ばつが悪そうに、目を細める。

夏葉「……私が『有栖川』だから、かしらね」

ちょうど影が差して、夏葉さんの表情が隠れた。

夏葉「少し前の話なんだけどね。『ロミオとジュリエット』をやったの。同じユニットの、樹里って子と一緒に」

夏葉「それが、私の初舞台だったのだけど……初回公演の時、父が見に来てくれたわ」

甜花「お父さん……? 社長さん、だよね。それで『有栖川』だからって……」

夏葉「ああ、そういう事じゃないの。紛らわしい言い方をして、ごめんなさい」

夏葉「父が誰かを動かした、と言うことでは無いわ」

夏葉「父も私も、そういう卑しい事は絶対にしない。父の預かり知らぬ所で、事が起こったという話よ」

夏葉「同席した、父の友人のそのまた友人が、偶然に今の劇団の人と繋がりがあったの」

夏葉「その友人さんが大の演劇好きで、私の演技を見て気に入ってくれて……」

夏葉「その話が劇団の人にいって、それでオファーが来た……私のきっかけは、そんな感じよ」

甜花「それだと夏葉さんの……実力、なんだよね……?」

どうあれ、友人の友人さんに気に入られたのは、夏葉さんの演技のはずだ。

夏葉「それは、どうかしらね」

語り口調は淡々としていて、夏葉さんの感情が読み取れない。

自身のきっかけをどう思っているのか、読み取るすべは無かった。

夏葉「オファーをくれた人は、私と父の関係を知らなかった。だから、誰かの悪意があったわけじゃない」

夏葉「それでも、私が『有栖川』じゃなければこの話はなかった。それは事実よ」

そこで再び、月明かりがその場を照らした。

ようやく、表情が見える。

夏葉「……ままならないものよね、家族って」

夏葉さんは、困ったように笑っていた。

その表情は確かな憂いを帯びていて、しかし、怒りや憎しみといった負の物が無い。

不思議な表情だった。


それを見て、唐突に思ってしまう。

夏葉さんは、自分と似ているのかもしれないと。

夏葉「どうしたの、私の顔をじっと見つめて。何か付いているかしら?」

甜花「え、あ……何でも、ないよ……うん……」

言うべきでないと思って、誤魔化した。

自分と似ているなんて、失礼になると思ったから。

甜花(そんなわけ、無いよね……夏葉さんは……)

もう一度、夏葉さんを見た。

表情は既に、普段のそれに戻っている。

似ていると感じた理由は、もう分からなくなっていた。




甜花編・終わり

取り敢えずここまで。続きは三日後に投下します

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本文が長いとそうなるよ

>>59
ありがとうございます。
行数だけかと勝手に思い込んでました。
飛ばしだけはしないように、ゆっくり投下していきます


昔々、シンデレラという美しい娘がおりました。

早くに母親を亡くしたシンデレラは、父親の再婚相手の継母と、義理の姉達と暮らしておりました。

その暮らしぶりは、決して幸せと言えるものではありません。

その美しさ疎まれて、継母からは小間使いの様に扱われ、意地悪な義理の姉達からは虐めを受けていたのです。

しかし、シンデレラはどれだけ辛くとも、自分が不幸のどん底にいるとは思いません。

双子の姉である、サンドリヨンがいたからです。

サンドリヨンは気立てが良く、それでいて、とても聡い娘でした。

いつもシンデレラのことを気にかけていて、時に彼女を励まし、時に彼女を庇い、助けてくれます。

シンデレラにとっては、どんな時でも敬愛できる、良き姉でありました。

そんなサンドリヨンと、気が弱くも優しい父親を心の支えにしていて、彼女は日々を過ごしておりました。

そんな生活の中、ある時、国中に御触れが出されます。

それによると、二日間にわたって、国を挙げての舞踏会が開かれるとの事でした。

シンデレラは、舞踏会に参加したがりましたが、もちろん継母が許してくれません。

サンドリヨンに頼ろうとしても、彼女は彼女で、義姉達の準備に駆り出されて大忙しです。

シンデレラは悲しくなって、森の中にある湖のほとりで、とうとう泣き出してしまいした。

そこに、魔法の杖を持った、シンデレラの名付け親の老婆が現れます。

老婆がひとたび杖を振ると、見すぼらしい服は綺麗なドレスに、朽ちかけたカボチャは絢爛な馬車に変わりました。

老婆はガラスの靴をシンデレラに差し出して、忠告を与えます。

十二時を過ぎると魔法が解けてしまうから、それまでに帰ってくるように、と。

シンデレラは、何度もお礼を言ってから、舞踏会に向かいました。


さて、舞踏会についたシンデレラは、たちまち皆の注目の的となりました。

この国の王子さえも、シンデレラに笑いかけます。

シンデレラは、生まれて始めての夢のようなひと時を、時が経つのも忘れて楽しみました。

そして十二時になる直前、ようやく老婆と約束を思い出します。

シンデレラは、名前を聞こうとする王子の問いに答えることなく、慌てて舞踏会を抜け出しました。



家に帰り着くと、心配そうな面持ちで、サンドリヨンが待っておりました。

シンデレラは姉に抱きつくと、その日に起きたことを、何一つ包み隠さずに話します。

魔法が解けた後にも残ったガラスの靴が、その言葉が真実であることを示しておりました。

シンデレラは全てを話し終えると、そのまま眠りこけてしまいます。

馴れぬことばかりだったので、疲れ果ててしまっていたのです。

サンドリヨンは、ガラスの靴をそっと、人目の付かぬ所に仕舞い込みました。



翌日、舞踏会に向かう時間になっても、まだ彼女は眠っておりました。

サンドリヨンが軽く揺すっても、起きる気配はありません。

無理やりにでもシンデレラを目覚めさせる方法は、幾つでもあったでしょう。

けれどサンドリヨンが、そうする事はありませんでした。

サンドリヨンは、仕舞い込んだガラスの靴を取り出して、話にあった湖のほとりに向かいます。

それは老婆に、今度は自分が魔法をかけてもらう為でした。

そして……


果穂「えーっ!! サンドリヨンさんが、舞踏会に行っちゃうんですか!?」

智代子「え、何で何で!? 今までのサンドリヨンちゃん、素敵なお姉さんしてたのに……!」

粗筋の語りが佳境に入り、思わず2人が立ち上がった。

隣に座っている凛世も、薄っすらと驚いた表情を浮かべている。

智代子「な、夏葉ちゃん! それから! それから、どうなるの!?」

夏葉「落ち着いて智代子。そう急かさなくても、ちゃんと話すわよ」

智代子「あ……うん、そうだよね」

果穂と智代子が、おずおずと席に座り直す。

話が遮られたとは言え、熱心に聞いてくるのは有り難い事だ。

相談する相手が正しかったのだと安心できる。

夏葉「それじゃあ、続けるわよ」

今日私は、ユニットメンバーに相談に来ていた。


煌びやかなドレスに身を包み、サンドリヨンは、お城へと到着しました。

恐る恐る、といった様子のサンドリヨンを、多くの人たちが出迎えます。

そこにいる誰もが、サンドリヨンのことを、ゆうべに現れたシンデレラだと思ったからです。

そんな人々に、サンドリヨンは精一杯の優しさと、最大限の誠意を振り撒きました。

そして請われるがままに、よく踊ってみせました。

そうこうしている内に、魔法が解けてしまう時間が近づいて来ます。

十二時まで四半刻となったところで、サンドリヨンは、舞踏会の場を去ろうとしました。

そこで、またも王子が、帰るのを引き止めます。

今晩こそ名前を聞こうと、王子は躍起になっているのでした。

サンドリヨンは名を言うわけにもいかず、困ってしまいます。

結局、何も答えることなく、黙ってその場から走り去りました。

その時、急に走り出したせいか、右足に履いていたガラスの靴が、外れて落ちてしまいます。

拾い上げる時間があるわけもなく、サンドリヨンは片足だけ裸足のまま、走り去って行きました。

そして幸か不幸か、ガラスの靴の片方だけが、その場に残されました。



十二時を回り、サンドリヨンが家に帰ると、シンデレラは泣いておりました。

シンデレラは、帰ってきたサンドリヨンを責め立てます。

理由を問い詰め、悲しみをぶつけていきます。

サンドリヨンは何一つ言い返しません。

ただ一言謝り、ガラスの靴の片方を置いて、家を出て行きました。

そしてサンドリヨンは、その家に戻って来ませんでした。

シンデレラは、悲嘆にくれてしまいます。


それから数日して、国中に再び御触れが出されました。

その御触れは、ガラスの靴がピタリとはまる娘を探し出して、お妃として迎え入れるというものです。

それを聞いて始めて、シンデレラは、サンドリヨンの本心を知りました。

シンデレラは急いで、片方だけのガラスの靴を持って湖のほとりに向かいます。

その場には、やはり老婆がいました。

湖のほとりに足を踏み入れると、またも服や持ち物が、綺麗な物に変わっていきます。

シンデレラはそれらに目もくれず、老婆に深く頭を下げてから、ガラスの靴を湖に投げ入れました。

すると魔法は立ち消えて、シンデレラは、いつもの見すぼらしい姿に戻っていました。

そうして、二度目の御触れは、空振りに終わりましたとさ。



夏葉「……というのが、大まかな粗
筋になるわけだけど」

智代子「う、うーん……? 分かるようなー、分からないようなー……」

果穂「むむむ、むつかしいです……」

凛世「王子様は、報われないのですね……」

場所は喫茶店の一角。

私の相談事の為に、この三人に集まってもらっている。

相談事いうのは、舞台劇『シンデレラとサンドリヨン』について。

私が悩んでいる姿を見かねた智代子が、この場を設けてくれたのだった。

とはいえ、皆が皆それぞれ忙しい身である。

多くの時間を割いて、一から台本を読んでもらう訳にもいかない。

そこで、物語の要所をかいつまんで語ったのだが……

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果穂「えーと……最後にガラスの靴を返したのは、サンドリヨンさんに戻ってきて欲しかったから、ですよね?」

凛世「はい。その通りだと……思われます……」

果穂「そうすると、サンドリヨンさんが、ガラスの靴を置いていったのは……」

智代子「王子様が探しに来ると思ったから、じゃないかな」

智代子「それで、シンデレラが見つけてもらえるように……だと思う。多分」

果穂「……? じゃあ、そもそもサンドリヨンさんは、何で舞踏会に行ったんでしょう……?」

智代子「それは、その……なんでだろうね?」

当然の話だが、粗筋だけでは物語について十分な解釈は得られない。

解釈の話を深めるのは、絶対的に時間が足りないのだ。

なので、彼女達の力を借りるのは、別の部分である事が望ましい。

夏葉「それで相談というのは、役作りのことなんだけど……」

解釈の相談ではなく、役作りそのものの相談をする。

解釈と役作りは表裏一体の物だが、時間が足りない以上、相談の内容は絞らざるを得ない。


智代子「そ、そうだった。あれ? 夏葉ちゃんの役ってたしか……」

凛世「シンデレラ様で……ございですね……」

智代子「あー……」

合点がいった、と言わんばかりに智代子がうなづく。

それから目をつぶり、何やらブツブツと呟き始めた。

これは彼女なりの、考えをまとめる為の奇妙な所作だ。

智代子「ズバリ! 夏葉ちゃんは、かなり切羽詰まっていると見ました!」

数秒の後、智代子がカッと目を見開く。

果穂「ど、どういうことですか! チョコ先輩!?」

智代子「ズバリズバリ! 夏葉ちゃんは、シンデレラのキャラが掴めずに悩んでいるのです!」

智代子「何故なら! 夏葉ちゃんとシンデレラで、キャラが違いすぎるからです!」

智代子がビシッと、探偵がするようなポーズを取った。

その推測は中々に的を得ていたので、私から見て、ポーズはかなり様になって見える。

凛世「切羽詰まっている、というのは……?」

智代子「夏葉ちゃんが素直に頼ってくれてるから、そういうことなのかなって。滅多にないことだし」

凛世「納得、致しました……」

文句なく名探偵のようだった。

しかし、いつにも増してテンションが高めなのは、一体何故なのだろう。


夏葉「演出家の方曰く、『お前の演技は、ただキャラの輪郭をなぞっているだけ』……だそうよ」

夏葉「正直な所、舞台の練習が上手くいっているとは言い難いわ」

台本は空で言えるくらい、何度も何度も読み込んだ。

それに伴って、登場人物の心情解釈も問題なく出来ていると思っている。

しかし、いざ演じてみると、まるでしっくりこない。

シンデレラになりきる事が出来ず、演技に有栖川夏葉が混じってしまうのだ。

智代子「ううん……何かアドバイスできれば良いんだけど……うーん……」

果穂「樹里ちゃん、来れないのが残念です……」

智代子「そうだね。後は樹里ちゃんくらいだもん、舞台経験があるのって……」

智代子「あ、そうだ! はい、果穂先生!」

智代子が勢いよく挙手をする。

このユニットにおいて、時たま見られる光景だ。

果穂「なんでしょうか、園田さん」

智代子「『学ぶ』は『真似ぶ』ということで、シンデレラに似た人を観察してみるのはどうでしょう!」

夏葉「同じ事を、プロデューサーからも言われたわ」

智代子「あれ、そうなの? というか、プロデューサーさんにも相談してたんだ」

夏葉「ええ。六日ほど前だったかしら」

演じたい対象と似ているモノを肌で感じるのが一番手取り早いと、プロデューサーは言っていた。

つい最近、この方法の威力を知った身としては、同意しないわけにはいかない意見である。

夏葉「問題は、学ぶ対象が丁度よく居てくれるわけではない、という所よね」

智代子「あ……うん、そうだよね」


凛世「では、次は私が……」

凛世が手の平を、顔の高さまで上げる。

果穂「はい、杜野さん!」

凛世「はい……」

凛世「夏葉さんは……シンデレラの話を、あまり好まれていないのでは……?」

夏葉「どういうことかしら?」

凛世「好きなものを語る時ほど……人の気持ちも……高まるもので、ございます……」

凛世「先ほどまでの、智代子さんの様に……」

智代子「え」

凛世「逆もまた然り……だと思います……」

凛世「今日の夏葉さんは、覇気がなく見えましたので……」

なるほど、と素直に思う。

自分の好みに関しては、考えたことがなかった。

シンデレラの童話は『良い心がけをしていたから、幸せになれた』という話だ。

しかし穿った見方をすれば、『良い心がけをしているだけで、幸せになれる』という話にもなる。

そう考えるならば、答えは明白だ。

夏葉「……たしかに、凛世の言う通りかもしれないわね。待っているだけなんて、性に合わないもの」

果穂「夏葉さんなら、悪い継母さん達なんてやっつけちゃいそうです!」

智代子「うんうん。お城に行くのだって、カボチャの馬車を使わずに徒歩で行っちゃいそう」

夏葉「そんなことは事はしないわよ」

智代子「あ、さすがに?」

時間的余裕があっても、ちゃんと走って行くに決まっている。


夏葉「でも、そっか。好みじゃない、か……」

心が清らかだったから、誰かに救ってもらえる。

辛い現実に耐えてきたから、最後には幸福になれる。

私は、その在り方が気に入らないのだろう。

叶えたい願いがあるなら、努力をすればいい。

蹲っているくらいなら、立ち上がればいい。

そう考えてしまって、自分と役の中を重ね合わせることが出来ない。

感情や考えをなぞることが出来ても、奥底にあるものが理解できない。

表現できていない。

演じる者として、私は未熟だ。


智代子「夏葉ちゃん、そういえば何だけど」

夏葉「何かしら?」

うって変わって、智代子は神妙な面持ちだった。

智代子「ここ数日、夏葉ちゃんの家に泊めてるよね。たしか、アルストロメリアの……」

夏葉「甜花ね。舞台練習の為よ」

智代子「それって、いつから?」

夏葉「……三日前からになるわ」

智代子「そっか。三日差かぁ……どうなんだろう。でも、勘違いだとなぁ……」

再び、ブツブツと呟きながら、智代子が考え込む。

思いついたことを言うべきかどうか、迷っているのだろう。

夏葉「言ってちょうだい、智代子」

少しでも多くの意見を欲して、智代子の言葉を促す。

チロリと、黒い予感が脳裏をかすめた。

智代子「あ、うん……さっきの『真似ぶ』の話に戻っちゃうんだけど」

智代子「プロデューサーに相談したのが五日前で、その数日後に、甜花ちゃんが来たんだよね?」

夏葉「……ええ」

そこで、智代子の言いたいことが分かってしまった。

元より、その事を考えなかったわけではない。

プロデューサーが代役に甜花を選んだ理由を、少しでも考えなかったはずがない。

それはつまり、プロデューサーもまた、私の行き詰まりを見兼ねたからで。

智代子「やっぱり、そういうこと……なんじゃないかな」

私の悪辣とも言える推測を、智代子名探偵が肯定した。


劇中のシンデレラと大崎甜花は、よく似ている。

だだし、それは表面上の話だ。

確かに、どちらもよくへこたれているし、自分に自信が持てていない様子である。

だが不思議な事に、私は甜花に悪い印象を持っていない。

彼女自身を不愉快に思ったことなど、殆ど無いのだ。

たとえ今のように、目の前で見慣れぬ光景が展開されたとしても、決して。

甜花「て、甜花は……美味しくない……です……!」

カトレア「はっ! はっ!」

甜花「ひんっ!」

家に帰ると、客人と飼い犬が対峙していた。

夏葉「その……何をしているのかしら?」

甜花「あ! た、助けて……夏葉さん……!」

カトレア「ハゥッ! はっ! はっ!」

甜花「ひんっ!」

じゃれ付こうとするカトレアと、必要以上に怖がっている甜花、といった所だろうか。

犬が苦手なわけではない、と聞いていたが、じゃれつかれる経験が無ければ、怖がるのも無理はない。

夏葉「ステイ、カトレア」

一声かけて頭を撫でると、カトレアはすぐに大人しくなる。

甜花「あ、ありがとう……夏葉さん」

夏葉「礼には及ばないわ。カトレアの方から、近寄って来たのでしょう?」

甜花「うん……練習してたら、急に。そんなこと今までなかったのに、何でだろう……」

夏葉「カトレアも、アナタに馴れてきたんじゃないかしら。もう三日目だしね」

甜花「そう、なのかな……?」

夏葉「少なくとも、もう警戒はされていないわよ」

甜花「そうだと……嬉しい」

夏葉「ほら、アナタからも撫でてあげて。カトレアも遊んで欲しかっただけだから」

甜花「や、やってみる……! えっと……よし、よし……」

カトレア「……くぅん」

甜花「可愛い、ね……にへへ……」

カトレアと戯れる姿を見ていると、自然と笑みがこぼれる。

そう、私は甜花を気に入っているのだ。

親近感を覚えていると言ってもいい。

彼女に感じているのは、ある一点を除いて、ほぼ全てがプラスの感情だ。

だからこそ、甜花とシンデレラもまた、重ね合わせられない。

彼女からシンデレラ像を『真似ぶ』ことが、出来るとは思えない。

夏葉(でも……あの推測が、まるで的外れだとも思えないのよね)

大崎甜花とシンデレラの間にある、印象の隔たり。

それを埋めることが出来れば、あるいは、今の停滞を打破し得るのかもしれない。

夏葉「……」

甜花の姿を、じっと見つめる。


甜花「夏葉さん……? 甜花、何か変……?」

夏葉「いえ、変なところは無いわ。ただ……」

甜花を見ていて、改めて思ったことがある。

そして、新たな疑問点が一つ。

夏葉「アナタって、髪も肌も凄く綺麗よね」

甜花「え……あ、ありがとう……ございます……?」

夏葉「普段の手入れって、どういう風にやっているの?」

考えてみると、この三日間で、甜花がその手のことをしている姿を見たことがない。

せいぜい簡素な洗顔、ドライヤー、ブラッシングくらいだろうか。

他に彼女なりの秘訣があるというのなら、是非とも知りたいものだ。

甜花「甜花……そういうのしたこと、ない……」

夏葉「……! 特に何もせずに、これを保っていられるの……!?」

甜花「そ、その……なーちゃんが色々持ってて、よくやってくれる……」

甜花「えっと……だから、方法とかはよく分からない、です……」

夏葉「……納得したわ」

薄々感じていたことだが、ついに確信に至った。

甜花の妹さんは、かなり過保護だ。

夏葉「甜花、浴室に行くわよ」

甜花「い、今から……?」

夏葉「ええ、今すぐ」

そう話しながら、オイルや化粧水などの、必要なものを?き集める。

甜花の肌や髪との相性も考えて、一つの物につき数種類ずつ。

何だか、少しだけ楽しくなってきた。

夏葉「さ、行きましょう。基本の基から教えてあげるわ」


甜花「夏葉さん、どう……?」

夏葉「気持ちいいわ。上手なのね、甜花」

説明を一通り終えた後、二人してシャワーを浴びていた。

実践も兼ねてということで、私が甜花の髪を洗ってから、今は甜花が私の髪を洗っている。

いわゆる洗いっこ、と言う物になるのだろうか。

甜花「なーちゃんと、時々してるから……」

なるほど。

それならば、この手付きの良さにも納得できる。

洗いっこの経験で言えば、私より遥かに上のようだ。

夏葉「本当に仲良しなのね、アナタたち」

甜花「うん。なーちゃんは……甜花にとって、自慢の家族だよ……」

甜花「何でもできるし……優しいし……」

甜花「……それに家族だから、仲良し」

その理由付けが、引っかかった。


夏葉「家族だから……ね」

甜花「夏葉さん、家族仲は良くないの……? そうは見えないけど……」

夏葉「いたって良好よ。私は家族の事が好きだし、有栖川の家のことも誇りに思ってる」

夏葉「両親からだって、信頼を得れているわ」

その言葉に、偽りも含む所もない。

引っかかったのは、自分と家族の関係ではなく、彼女の発言そのもの。

仲が悪い家族だって、この世には沢山いるはずだ。

家族だから仲がいいのだと、当然のように言った事に、驚いたのだ。

夏葉「……大したことじゃないわ。さ、もう流してちょうだい」

そう思えるのは、間違いなく甜花の美徳だ。

だから、わざわざ指摘するような事はしない。

甜花「うん……分かった」

三十九度に設定された湯で、甜花が丁寧に泡を落としていく。

これが終われば、洗髪の実践は一区切りになる。

次は洗顔のレクチャーして、湯からあがったら乾かし方の話をして……と、やる事はまだまだあった。

夏葉「いっそのこと、服とかのコーディネートまでやってしまおうかしら」

そんな願望がつい口から溢れる。

夏葉「でも、ダメね。それは寄り道がすぎるわ」

甜花を泊めているのは、あくまでも舞台の練習のためだ。

緊急性が高いわけでもない限り、そこから逸脱した事はすべきではない。


甜花「それじゃあ……またの機会、だね」

夏葉「いいの?」

甜花「甜花、そういうのも勉強中だから。見てくれると、嬉しい……」

夏葉「それなら大船に乗ったつもりでいなさい。私、人の服を見繕うのは得意なのよ」

甜花「特技の……トータルコーディネート、だよね……」

夏葉「あら」

283プロのホームページでは、所属アイドルのプロフィールが公開されている。

私は、自分のプロフィールの特技という欄に『トータルコーディネート』と書いていた。

夏葉「私のプロフィール、見てくれてたのね」

甜花「うん、気になっちゃって……」

夏葉「アナタは何を書いたの、特技のところ」

甜花「え、甜花……? 甜花は……」

急に、甜花が口ごもった。

甜花「その、えっと……自分の口からだと言いにくい、です……」

夏葉「……? それなら、後で自分で確認するのは……」

『問題ないか?』と問う前に、甜花がコクリと頷いた。

どうやら、よほど話したくないことのようだ。

夏葉(恥ずかしく思うような特技なのかしら……?)

好奇心がいっそう刺激されたが、問いただすことはしなかった。


深夜、甜花が眠ったのを確認してから、PCを立ち上げる。

理由はもちろん、甜花のプロフィールを確認するためだ。

夏葉(自分のことながら、酷いうっかりね。もっと早くに見ておけばよかったわ)

甜花と特技の話をするまで、事務所のプロフィールのことなど完全に忘れていた。

体を鍛えるのにあたって、身長・体重は重要な情報である。

ここ数日、それを直接聞くのがはばかられて、目測でトレーニングメニューを立てていた自分が恥ずかしい。

少し考えれば、それらを確認する方法はあったのだ。

夏葉「見つけた。ええっと、身長159cmに体重が44kg……」

目測が大きく外れていなかったようで一安心。

そのまま、画面を下にスクロールさせていく。

夏葉「出身地・富山県……趣味・お昼寝、ネットサーフィン、アニメ、ゲーム……」

夏葉「特技……」

ピタリと、マウスを動かす手が止まる。

夏葉「特技……『特に無い』」


何故だか、言いようのない悪寒が走った。

『特技なし』とは、どういうことなのだろう。

単純に考えれば、自信のなさの現れに過ぎない。

甜花を見ていれば、それで納得できなくもない。

夏葉(だけど……)

自信のなさの裏側に何かが在ると、そう直感した。

そして、その何かが私の心に影を落としている。

底が見えない暗い坂道を見下ろしているような、そんな気分だった。

夏葉(また、だわ……)

胸がざわつく。

この胸のざわつきは、甜花へと感じる、プラスの感情でない唯一のもの。

彼女を見ていると時折現れて、私の内部をチクリと刺す。

痛くもないし、苦しくもない。

かゆみが鈍く広がるだけ。

これがプラスの感情なのか、マイナスの感情なのかすら判別できない。

ただ、分かっている事もある。

このざわつきが、私にとって大切なものであるという奇妙な確信。

だからこそ私は、この情動の中身を知りたいと、強く願ってしまう。


小道具「というわけでラストシーンは、当初に予定していた通りの演出となります」

小道具「再確認致しますと……ステップ1、シンデレラ役が舞台の池にガラスの靴を返す」

小道具「ステップ2、靴が沈んだのを確認した後、上部から煙を降らせて舞台を隠す」

小道具「ステップ3、煙で舞台が隠れている内に、総出で指定されたセットを撤収する」

小道具「以上の段取りもちまして、『魔法が解ける』という演出になりますが、何か質問はあるでしょうか」

継母役「ネックだった煙の量とか、降らせる方法は?」

継母役「スモークマシンだけだと、まばらな煙になるって話だったわよね」

小道具「その点を解決するために、特注の巨大二重構造バルーンを用意しました」

小道具「この特注バルーンは、内側バルーンの部分と外側バルーンに分けられて……」

小道具「内側バルーンに煙が溜められる様になっています」

小道具「外側バルーンには半径50ミリの穴が、既に等間隔で開けられています」

小道具「天井付近に設置したこの特注バルーンに煙を注入しておき、必要なタイミングで内側バルーンを割って煙を降らせます」

小道具「内側のバルーンで煙の量を確保して、外側のバルーンの穴によって、煙の出方を制御できる予定です」

小道具「デメリットして、公演ごと内側のバルーンの交換が必要となりますが……」


夏葉「内側バルーンに、穴を開ける方法は?」

小道具「大道具さんに、既に作成してもらっています」

大道具「ボタン一つで割れる仕掛けを作ってある」

大道具「内側バルーンの一箇所にでも穴が開けばいいからな。簡単な仕事だ」

王子役「一気に大量の煙を……となると、お客さんは大丈夫なの?」

小道具「人体には無害なので健康被害はあり得ません。一応ですが、最前列を開けて、吸引機を設置することになっています」

義姉2役「ケムることを観客が知れるの? 一応の注意喚起とかをした方がいいんじゃない?」

小道具「ええっと、それは……」

演出家「ああ」

小道具「はい。採用の方向で、検討させてもらいます」

王子役「あ、そうそう! 例の脅迫じょ……」

演出家「その話は後にしろ」

継母役「? それじゃあ、ステージの……」

……


甜花「ラストシーンの打ち合わせ……みんな、気合いが入ってた……」

夏葉「一番大切なシーンだもの。自然な事だわ」

甜花「甜花も……このラストシーンは、好き……」

夏葉「私もよ」

老婆の魔法によって、シンデレラに与えられた綺麗な服や馬車達。

それらの代表であるガラス靴を返すと、ステージに白い煙の幕がかかる。

そして幕が上がると、それらが全て消え失せて、魔法の解けたシンデレラが立っている。

私は、この演出がとても気に入っていた。

甜花「……甜花、本当に何もしなくていいのかな?」

甜花が先ほど配れられた資料に目を落とす。

そこには、撤収の具体的な段取りや、物品ごとの担当者が記されていた。

そこに甜花の名前はない。

夏葉「仕方がないわよ。割り振りが決まったのは、代役を探してる時期だったから」

甜花「それは、そうなんだけど……でも……」

寂しげな表情で、甜花は置いてあるセットの前に立った。

ラストシーンで使う、装飾の施された大樹だ。

甜花「でも……みんな凄いよね。こんな大きいの……甜花の力じゃ、無理かな……」


夏葉「動かせるわよ」

甜花「え……かなり重そう、だよ……?」

夏葉「見た目はそうだけどね。甜花、裏側を覗いてみなさい」

甜花「裏側……? あ……」

セットの裏側は詰まっておらず、数人くらいなら隠れていられる空間があった。

加えて、表側から見えないようにして滑車も取り付けてある。

夏葉「動かしやすくしているみたいよ。言い方が悪くなるけど、ハリボテみたいな物ね」

このセットに限らず、ラストシーン用に作られている物がいくつもある。

例えば、シンデレラの衣装。

シンデレラの服装も、短い時間で、素早く変化させなければならない。

そのために見すぼらしい服と、重ね着をしても違和感の無い、絢爛な服を用意してある。

その絢爛な服を着て舞台に立ち、煙がある間にそれを脱いで、回収してもらう手筈になっているのだ。

甜花「工夫、してるんだ……」

甜花「これなら甜花でも、役に立てそう……」

夏葉「撤収にも代役が必要になったら、その時はアナタの出番が来るかもしれないわね」

甜花「そうなったら、頑張る……」

そう言って、小さくガッツポーズ。


夏葉「甜花だったら、どんなセットでも十分役に立てるわ」

甜花「そう、かな……?」

夏葉「ええ。筋トレ、頑張っているもの」

甜花「あ……うん……」

家に来た初日の夜、嬉しいことに甜花は『ビシバシ鍛えて欲しい』と言ってくれた。

なので、台本の読み合わせや発声練習の合間で、軽い筋トレをしている。

物を引き寄せる筋肉である、腕橈骨筋(わんとうこつきん)のトレーニングだって、もちろん忘れていない。

もっとも、長い期間が取れるわけではないので、あくまで主目的は精神鍛錬なのだが。

甜花「毎日、やってるもんね。筋トレ……」

夏葉「日々の筋トレは欠かせないわ。二人なら、出来るトレーニングの幅も広がるし」

甜花「筋肉って……そんなに、舞台の役に立つのかな……?」

夏葉「全てにおいて、筋トレは裏切らないものよ」

甜花「そ、そう……だよね……」

甜花「……甜花、夏葉さんのこと……わかってきたと思う……」

甜花が何故か、遠い目をしている。


甜花との雑談の後、私は演出家さんの部屋の前まで来ていた。

渡したい物があるとの事で、呼び出されたのだが……

大道具「アンタには、人の気持ちなど分かるまい……!」

演出家「……」

大道具「不出来な弟の気持ちなど! 俺の気持ちなど……!」

大道具「優秀なアンタには……! 絶対に……!」

演出家「そうかもな」

大道具「……っ!」

演出家「なら、どうすればいい?」

大道具「もういい……!!」

怒声が聞こえたかと思うと、部屋から勢いよく大道具さんが出てくる。

よほどいきり立っていたのか、私には気づかずに、その場を去って行った。

まさしくそれは、修羅場であったようだ。

演出家「おい、いるんだろ? 入んな」

立ち尽くしていると、中から声が掛かった。

促されて、部屋に入る。

演出家「つまんねぇところ、見せちまったな」

夏葉「い、いえ……」

さすがに、大人の男性の修羅場に居合わせた経験など、殆どない。

少なからず動揺していた。


夏葉「その、御兄弟だったんですね」

何と言うべきか迷った挙句、口に出たのは単なる事実確認だった。

演出家「そうだな。仲の悪い兄弟だよ」

この劇団は、演出家さんとその弟の二人で立ち上げられたと聞いた事がある。

その弟さんが、あの大道具の方とは知らなかった。

演出家「というか、Pの奴から聞いてないのか」

夏葉「P……?」

夏葉「うちのプロデューサーの、Pですか?」

『P』とは、私達のプロデューサーの下の名前だ。

置き所を失っていた気持ちが、少し落ち着いたのを感じる。

演出家「そうか……あの野郎、何も話してないんだな」

演出家「そりゃそうか。古巣の事なんて、そんなもんだ」

さらっと、衝撃の事実を口にされた。

彼の態度から、この劇団と繋がりがあるとは思っていた。

しかし、そこまでの関係者だとは思わなかった。

プロデューサーとして新米とは思えない彼の成熟さに、それなりの過去があるとは考えていたが。

演出家「まぁいい。呼び出した理由はこいつだ」

演出家「持って帰って、貴社のプロデューサー殿に渡してくれ」

机の上に数冊のボロボロのノートが置かれる。

表紙には力強い文字で、『P』と書かれていた。


演出家「少し前に、古い倉庫でボヤ騒ぎがあったんだ」

演出家「それで倉庫の整理をしてたら、コイツが出て来たんだよ。捨てても良かったんだが、一応な」

中身をパラパラとめくると、演技に関する研究ノートだと分かる。

ページいっぱいの書き込みから、持ち主の当時の真剣さが、ヒシヒシと伝わって来た。

夏葉「……あの人は何故、この劇団を辞めたんですか?」

当然の疑問だった。

演出家「嫌気がさしたんだろうさ」

夏葉「嫌気……」

演出家「何かと鋭い奴だったからな。気づいてしまったんだろうさ、俺と弟の軋轢に」

演出家「あいつは、見て見ぬ振りだって出来たんだろうけどな」

演出家「知った顔で捨て台詞を吐いてから、この劇団を去って行ったよ」

上役に捨て台詞を言っている彼を、明確に想像する事が出来ない。

しかし、理解は出来る。

現在の彼が持っている、目下の私達への寛容さ。

そこに繋がっていると思えば、それが事実だと信じる事は出来た。

演出家「奴に言わせると……」

別れ話の最後が語られる。

それを聞いて、今の彼に関する思考が吹き飛んだ。

それほど、その捨て台詞が印象的だったのだ。

演出家「『優秀な身内というのは、苦しいものですよ』だとさ」

思い浮かんだのは、自分の両親と甜花の顔。

そして、プロデューサーのノートにあった走り書き。

シェイクスピア曰く

『避けることができないものは、抱擁してしまわなければならない』


甜花「夏葉さんは……甜花の『先輩』なのかな……?」

夕食の席に着く。

向かい側に座っている甜花が、首を傾げながら、そう言った。

夏葉「質問の意図が、よく分からないのだけど」

甜花「あ、そうだよね……えっと……」

皿の上のニンジンを、スプーンで二つに割る。

今晩の夕食は、私特製のカレーライスだ。

甜花「さっきまで、なーちゃんと電話してたんだけど……」

甜花「夏葉さんのこと……なーちゃんが知ってるか、分からなかったから……」

甜花「事務所の『先輩』って、言ったんだけど……変じゃ、なかったのかな……?」

夏葉「ああ、そういうこと。それだと、そうね……」

夏葉「……っ!」

カレーに似つかわしくない、シャッキリとした触感が広がった。

甜花「な、夏葉さん……? どうしたの……?」

夏葉「その……ジャガイモが一つ、生煮えだったわ」

大きく切り過ぎてしまったか、煮込み時間が足りなかったのか。

何にせよ、私のポカである。


甜花「失敗すること……夏葉さんでも、あるんだね」

夏葉「私だってそれなりに……いえ、たまには失敗する事もあるわよ」

夏葉「最近までは、自分の力を過信することも多かったしね」

甜花「……そう、なの……?」

夏葉「でも! カレー作りに関しては、かなり上達しているのよ!」

夏葉「これでも!」

私の初めてのカレー作りは、ユニットメンバーと一緒だった。

その時は、随分と周りの足を引っ張ってしまった様に思う。

しかし、その経験のおかげで、失敗しつつも今現在はカレーが作れている。

弱さを知ることは、強くなるための第一歩なのだ。

夏葉「……カレーのことはともかく、話を戻すわよ」

甜花「うん……」

夏葉「芸能界における先輩後輩って、芸歴で決まるものじゃないかしら」

夏葉「とすると、デビューの時期は同じくらいだし……『先輩』とは違うと思うわ」

確かに同じ事務所の、年上の人間ではあるのだが。

甜花「やっぱり、そうだよね……」

夏葉「ちなみに、どういう話の流れでそう言ったの?」

甜花「なーちゃんに、今どこにいるのかを、聞かれた……」

夏葉「……え」

甜花「それで、先輩の家だよ……って」

それは、誤解を招く表現であるような。


甘奈「そういえば、甜花ちゃん。今って、何処にいるの?」

甘奈「自分の部屋……じゃないよね?」

甜花『そうだけど……何で、分かるの……?』

甘奈「声の聞こえ方……かな。前の時みたいに、若干こもった風じゃなかったから」

甘奈「それで室内じゃなくて外にいるのかなって、思ったんだー」

甜花「やっぱり……なーちゃんは、さすが……」

甘奈「甜花ちゃんのことだもん。そのくらい、分かっちゃうよ☆」

甘奈「それで、帰る途中? それとも事務所近くの公園とかかな?」

甘奈「甘奈も、もうすぐ家に着くから……」

甜花『えっと……甜花が今いる場所は、な……』

甘奈「な?」

甜花『あ、その……(事務所の)先輩の家の、ベランダかな……』

甘奈「え……? (学校の)先輩の家!?」

甜花『うん』

甘奈(え、えっと……甜花ちゃんと仲のいい先輩の話なんて、聞いた事ないけど……)

甘奈(さすがに女の人……だよね? た、確かめなきゃ……!)

甘奈「……甜花ちゃん。その人って、どんな人なの?」

甜花『どんな、人……?』

甜花『背が高くて、カッコイイ人……かな』


甘奈「背が高くて! 格好いい(男の)人……!?」

甘奈「~~っ!」

甜花『な、なーちゃん……?』

甘奈「もう8時も回ってて……それで、甜花ちゃんが先輩の家にって……」

甘奈「だ、ダメだよ、甜花ちゃん! 甜花ちゃんには、まだ早いよ!」

甜花『ダメなの……? 何で……? それに、まだ早いって……』

甘奈「と、とにかくダメ! この時間に人の家なんて! まして、お泊まりなんてしたら……」

甜花『甜花、もう何泊かしてるけど……』

甘奈「え……」

甘奈「え……?」

甜花『あ、カレーが出来たって呼ばれてるから……もう切るね』

甘奈「……あ! 待って、甜花ちゃん! 待っ……!」

甘奈「……あ、切れちゃった……」

甘奈(……)

甘奈「~~~~~~っ!!」

甘奈(た、助けて……千雪さん……プロデューサーさん……!)


P「さて。落ち着いたか、甘奈?」

甘奈「うん……」

甘奈「ごめんね、プロデューサーさん。変なところ見せちゃって」

P「謝ることはないさ。直帰するって言ってから、急に来たことには驚いたけどな。それだけだよ」

P「紅茶だ。甘奈の分も淹れておいたぞ」

甘奈「……ありがとう、プロデューサーさん」

P「どういたしまして」

P「……それにしても、甜花も少しおっちょこちょいだな。泊まりの事、伝え忘れているだなんて」

甘奈「……忘れてただけ、だよね」

甘奈「伝えなくてもいいって思われたわけじゃ、ないんだよね?」

P「それは考えすぎだ。甜花がどういう子なのか、甘奈が一番知ってるだろ」

P「それに、甜花は集中力が高いからな」

甘奈「そ、そうだよね。それくらい甜花ちゃんが、真剣だってことで……」

甘奈「それは、間違いなく良い事のはずなんだけど……」

甘奈「でも……」

P「……」

甘奈「……」


はづき「コホン」

P「あ、はづきさん」

はづき「『あ』とは何ですか。『あ』とは。ずっと居ましたよ」

はづき「甘奈さんと、一緒に戻ってきたんですからね」

P「それはそうなんですが、全く会話に入って来なかったものですから」

P「何にせよ、お疲れ様でした。地方遠征の引率は大変だったでしょう」

はづき「ええ、本当に」

はづき「そもそも社長は、人使いが荒すぎます」

はづき「普通なら、アルバイトの事務員に出張とか任せないですよね」

P「それほど信頼されてるってことじゃないですか。人間的にも、能力的にも」

P(事務員とは何ぞや、と思いますけどね)

はづき「まぁ……任せて頂いた以上は、ちゃんと責任持ってやりますけど」

P「そういう所ですよ」

はづき「……と、そういう話がしたいんじゃないんです」

はづき「プロデューサーさん、言ってましたよね。甘奈ちゃんが帰ってきたら、ぜひ見せたい物があるって」

P「ああ、そうでした。驚いたせいで、すっかり忘れてましたよ」

甘奈「甘奈に、見せたいもの?」

P「正確にいうなら『読ませたい物』かな。今は時間大丈夫か、甘奈?」

甘奈「うん。元々、家に帰るだけだったし……」

P「それなら、これを。はづきさんも読んで、意見お願いします」

はづき「はい、お願いされました~」

甘奈「……あ、これって……」

P「ああ。『シンデレラとサンドリヨン』の舞台台本だ」


はづき「むむむ……」

甘奈「……」

P「二人とも読み終わったみたいですね。どうでした?」

はづき「そうですね。なんというか、不思議なお話でした。元の話から結構変わっていて」

P「だけど、悪くない話じゃないですか?」

はづき「そうですね~。私は好きかもしれません」

はづき「あ、でも……サンドリヨンさんが舞踏会に行った理由、よく分かりませんでした」

はづき「あ、単にお城に憧れたからでない事くらいは分かりますよ」

はづき「シンデレラに、思う所があったんですよね」

はづき「ただサンドリヨンの気持ちに、しっくり来る解釈が思いつかなくて……」

甘奈「……甘奈は、分かる気がする」

甘奈「きっとね……サンドリヨンも、置いて行かれたくなかったんだ」

はづき「甘奈さん?」

甘奈「姉妹から知らない世界の話を聞かされて、怖くなった」

甘奈「大好きな姉妹が見たものを、自分も見たくなった」

甘奈「それできっと、魔が差しちゃったんだ」

P「……その、根拠は?」

甘奈「ここだよ。サンドリヨンが、王宮を去るシーン」

P「サンドリヨンが王子に名を問われて、何も言えなくなった場面だな」

甘奈「うん。サンドリヨンは、どちらの名前も言わなかった」

甘奈「王宮での暮らしを夢見るなら、『サンドリヨン』だと」

甘奈「姉妹のことだけを思うのなら、『シンデレラ』だと」

甘奈「そう言えれば、よかったはずなのに……」


P「そうだな」

P「姉妹が大好きだったからこそ、どうすべきか分からなったのだろう」

甘奈「……でもサンドリヨンは、最後にちゃんと答えを出したんだね」

P「ああ。ガラスの靴は、シンデレラの手元に残った」

甘奈「ねぇ、プロデューサーさん」

P「何だ?」

甘奈「なんで甜花ちゃんを、この舞台の代役に選んだの?」

P「……」

P「理由は二つ。一つは夏葉のため。甜花が、彼女の演技の助けになると思ったからだ」

P「そして、もう一つはもちろん、甜花のためだよ」

P「この舞台は間違いなく、甜花の成長に繋がると思ったんだ」


P「……『サンドリヨン』というのは、『シンデレラ』のフランス語書きだ」

P「和名なら『灰かぶり姫』か」

P「言語の違いの他に、『サンドリヨン』と言う場合は、シャルル・ペロー版のシンデレラを指すことが多い」

はづき「まるまる版と言うと……」

はづき「ああ、シンデレラの話って色々ありますもんね」

P「元は民間伝承ですからね。まとめる人や媒体で、少しずつ話が異なってはきます」

P「まぁ、長々と講釈を垂れて、結局なにが言いたいのかと言うと……」

P「シンデレラもサンドリヨンも、元は同じ人物だって事ですよ」

P「この舞台の二人に関して言えば、コインの裏表みたいなもの」

P「サンドリヨンの強さも、シンデレラの弱さも、表裏一体のはずなんですよ」

P「だからこそ、この台本を初めて読んだ時に強く思いました」

P「甜花に、『シンデレラとサンドリヨン』を演じて欲しいと」

甘奈「……甜花ちゃん、この台本を何処まで読み解けたのかな?」

P「さあな。それは分からない。だけど、甜花が今一生懸命頑張っているのは確かだよ」

甘奈「そっか……」

甘奈「それなら……このお話なら……」

甘奈「ちょっとくらい忘れられても、仕方がないのかな……」

はづき「あ」

P「お」

甘奈「うぇ? ど、どうしたの、二人とも……?」

P「いや、やっと笑ってくれたなって」

はづき「事務所に着いてからの甘奈さん、ずっと沈んだ顔でしたからね~」

甘奈「え、そうだったかな……」

はづき「はい♪ プロデューサーさん、これで一安心ですね~」

P「ですね。それじゃあ、元気になったところで、家まで送っていきますかね」

甘奈「いいの?」

P「当たり前だ。この遅い時間に、一人で帰すことはしないさ」

P「あ、そうだ」

甘奈「どうしたの、プロデューサーさん?」

P「今日はもう無理だけど、時間を見つけて夏葉の所に遊びに行ったらどうだ?」

P「甜花はもちろんのこと、夏葉も喜ぶぞ」

甘奈「あ! それ、とっても楽しそうかも!」

甘奈「……あ、でも……」

甘奈「……でも、やめとくね」

P「何でだ? 遠慮する事でもないと思うぞ。俺が言うのも何だが」

甘奈「ううん、遠慮とかじゃなくて」

甘奈「甜花ちゃんが頑張ってるなら、甘奈もいっぱい頑張んなくちゃ」

甘奈「だから、そういう時間はレッスンとかいれてね。プロデューサーさん☆」

P「甘奈……」

甘奈「大丈夫だよ。仕事とかあるから、甜花ちゃんと全く会えなくなるわけじゃないし」

甘奈「それに、甜花ちゃんの初回公演は絶対見にいくからね!」

P「そう、か。そうだな……ああ」

P「……少し早くなってしまったが、地方遠征お疲れ様だな。甘奈」

甘奈「うん!」


微睡みの中に、古い記憶を掘り起こす。

自分の底に強く焼きついた、幼少期の思い出。

今の自分を形作っている、始まりの感情の一つ。

忘却されながらも、無意識下に蓄えられている自己の基底部分。

それらをぼんやりと、まぶたの裏側に思い描いていた。

言うなれば、黎明の夢を見る。



有栖川の屋敷の一室にて。

私は自室の窓から、仕事に出る父親の姿を見ていた。

父に頭を下げる、黒いスーツの人達。

送迎のために、綺麗に磨かれた車。

そして何より、父の威厳と自信に満ちた顔つき。

私は、自分の父親がそういう人間であることを、その時はっきりと理解した。

暗転。


再び父親の夢。

場所はやはり有栖川の屋敷。

父親の書斎で、私が泣いていた。

父が、私の頭を撫でている。

優しげな手付きで、柔和な笑みを浮かべて、父はそうしていた。

私はそれに、確かな親の愛情を感じていたのだと思う。

だからこそ。

大きな父の手のひらが、私には恐ろしい物に思えたのだった。

覚醒。



夏葉(……朝……)

枕元に置かれた時計に目をやる。

いつも通りの時間である事を確認して、五分後に鳴るはずのアラーム機能を切った。

その時点で既に、夢の内容は立ち消えている。

おぼろげに覚えているのは、昔の夢という事だけ。

夏葉(なぜ今更、そんな昔のことなんて……)

昨夜のカレーの失敗が尾を引いているのか、プロデューサーの過去の言葉が気にかかっているのか。

理由はいくつか考えられるが、その正解は求めないでおく。

夏葉(まぁ、そんな夢を見ることもあるわよね)

意識を切り替える。

今日は舞台練習こそ無いものの、私も甜花も、ユニットでの仕事が入っているのだ。

夢の理由など考察している暇があれば、そちらの事を考えていた方が、よっぽど有意義なのは間違いない。

夏葉「よし! 甜花を起こしてきましょうか」

声に出して気合いを入れる。

これでもう、普段と変わらぬ有栖川夏葉だ。

ただ、違う所を違う所があるとすれば、胸中にある微かな予感。

何かを見い出すような、或いは、何かを見出したような、好転の兆し。


予感が確信に変わったのは、その日の夕方のこと。

街中で偶然、甜花を見つけたのだ。

仕事が思いのほか早く終わり、私は事務所近くのブックカフェに向かっていた。

一応の目的は、色々なシンデレラの本に触れてみる事。

想定外の空き時間を、せめて有効活用しようと思っての行動だ。

元より、大きな成果など期待していない。

そんな望み薄な道行きの終点前で、私は甜花を見つけたのであった。

夏葉「甜……」

声をかけようとして、思いとどまる。

甜花がゲームセンターに入っていったからだ。

今が彼女なりの息抜きの時であるなら、無闇に声をかけるのは躊躇われる。

それに加えて、理由がもう一つ。

智代子『やっぱり、そういうこと……なんじゃないかな』

演技のためだ。

期待と予感と焦り、そして少しの後ろめたさ。

それらを抱えながら、甜花を見ている。

そこで、ふと気付く。

遊んでいる彼女の姿をまじまじと見るのは、これが初めてだ。


甜花がゲームの箱から、備え付けてある銃を引き抜いた。

少し驚いたが、銃型のコントローラでる事はすぐに分かる。

作りの細部がチープであるし、常識的に、街中の娯楽施設に実銃が置いてあるはずはない。

甜花がゲームの箱に向かって銃の引き金を引くと、モニターの映像が切り替わった。

大きく表示されてるのは『Easy』や『Very Hard』という英文字。

ゲームの設定をしているのだろうか。

それから、また数回ほど引き金を引くと、モニターが暗転する。

その暗転が、上映開始直前の映画のように思えた。

そして、ゲームが開始される。



その内容は直ぐに理解できた。

襲いかかってくるゾンビを、持っている銃で撃つという単純なものだ。

甜花は二丁の銃を器用に操って、次々と現れるゾンビを撃退している。

撃つ、撃つ、撃つ、妙な動作。

撃つ、撃つ、妙な動作、また撃つ。

甜花の動きに一切の淀みは無い。

その迷いの無い所作は、確かな練度を感じさせる。

甜花自身も生き生きとしていて、楽しげだ。

やがて、『Congratulations!!』の文字が画面に踊った。

甜花は銃の片方だけを、ゲームの箱の定位置に戻す。

そして一本の銃のみで、もう一度。

先程と同様に、いとも簡単そうにクリアして、甜花はゲームセンターを出て行った。


私は一人、ゲームの箱の前に立っている。

狐につままれた様な気分だった。

さっきの甜花からは、紛れも無い自信が感じられた。

それが、ここ数日見てきた彼女と何処か繋がらない。

ゲームが上手である事自体には納得できる分、余計に違和感を覚えてしまう。

その正体を見極めようと、銃型コントローラを引き抜いた。

あれこれと考えるより、このゲームに私自身で触れてみた方が早い。

そう判断して、甜花がそうしたように、モニターに向けて引き金を一度引く。

夏葉(これだけでも、愉快な気分になれるものなのね……)

設定の画面が出てくるのを待つ。

その間、興が乗ったので、二丁拳銃で格好良いポーズなどを取ってみる。

しかし、何も起こらなかった。

夏葉(おかしいわ……)

もう二、三度引き金を引いてみる。

その途中、別の良いポーズを思いついたので、そのように銃を構えてみる。

やはり、何も起こらない。

これはこれで楽しいが、このゲームが出来ないのは困る。

「さっきから何してるんだよ、夏葉?」

背後から、救いの舟が現れてくれた。


夏葉「樹里じゃない。奇遇ね、こんな所で会うなんて」

樹里「それはアタシの台詞だよ。何で夏葉がゲーセンに居るんだ?」

夏葉「居たら、まずいのかしら」

樹里「え? いや、そういう意味じゃねぇけど……」

樹里「なんつーか、その……珍しいと思ったんだよ。うん」

その言葉に異論は無い。

現にこうして、不慣れで困っているという事実もある。

夏葉「樹里、手を貸してほしいわ」

樹里「は?」

夏葉「これで遊びたいのだけど、どうしてか動かないの。壊してしまったのかしら」

樹里「そりゃ、お金を入れないと動かねーよ」

そう言われて、銃が備え付けてある場所の真横を見ると、100円硬化を投入する穴があった。

しかし、またも問題発生だ。

運悪く、ちょうど硬貨を切らしてしまっている。

夏葉「キャッシュカードじゃ駄目なのかしら?」

樹里「いや、何処に読み取らせるんだよ」

夏葉「あ、ICカードはあるわよ! 最近作ったの」

樹里「それも同じ! 読み込む所が明らかにねーだろ!?」

夏葉「そ、そういう物なのね……」

自動販売機には使えたのだが、ICカードも万能では無いらしい。

樹里「あのな。小銭が無いなら、そこらへんにある両替機で……まぁ、いいか」

樹里が投入口に二人分の100円硬化をいれて、銃を持った。

樹里「アタシもやる。二人プレイできる奴だろ、これ」


夏葉「このゲーム、得意なの?」

樹里のプロフィールには、趣味『ゲーム』とあった事を思い出した。

樹里「操作方法は知ってるけど、やった事は無い。あんまし、やろうと思えなくて……」

樹里「というか! 夏葉は大丈夫なのかよ、このゲーム」

夏葉「何がよ?」

樹里「何がって、その……このゲーム、ゾンビ物じゃん」

夏葉「……」

私は、お化けの類が得意な方では無い。

甜花が遊んでいる時に、モニターから目を逸らしていて、彼女の様子ばかり見ていたのも事実だ。

だからといって、それをそのまま認めるのは癪に触る。

夏葉「大丈夫に決まっているじゃない。樹里、アナタこそ怖がっているのかしら」

樹里「ア、アタシだって全然平気だっての!」

夏葉「なら何の問題も無いわね。始めるわよ!」

甜花が選んでいた難易度と、同じ物を選択する。

樹里「お、おう! ……って、ちょっと待て夏葉! 今選んだの、最高難度じゃなかったか!?」

樹里「おい、夏葉? 夏葉!?」


夏葉「……」

樹里「なぁ、もう止めにしないか?」

夏葉「そう……ね。諦めることにするわ、さすがに」

少なくない回数挑戦して、一度もクリアする事は出来なかった。

ゾンビの一挙一動にすら驚いて、まともに遊べてなかった最初の方と比べれば、上達はしている。

しかし、クリアには程遠い。

明確な収穫といえば、両替機が使えるようになったくらいだ。

後は、あの妙な動作がリロードだと分かった事も、ぎりぎり収穫と言えるかもしれない。

夏葉「付き合わせちゃって、悪かったわね」

樹里「別にいいよ。アタシも楽しかったし」

夏葉「そう言ってくれると、ありがたいわ」

手伝ってくれた事を含め、素直に礼を言う。

どうやらそれが、樹里には落ちこんでいる様に映ったらしい。

樹里「無理もねえよ。このゲームの最高難度、クリアできない事でちょっと有名だしさ」

樹里「夏葉だって、やったの初めてなんだろ?」

夏葉「家にあるエアガンくらいなら、撃った事はあるんだけど……」

樹里「たぶん関係ねーぞ、それ」

エアガンを撃つ時のコツは役に立ったので、全くの無関係ではないと思う。

それはともかく、難しいと有名なのは納得できた。

だからこそ、甜花が遊んでいる時の姿が、一層不可思議に感じられる。

夏葉「これがクリアできたら、ゲームが特技って言えるのかしら」

樹里「特技? いや、どうだろう。人に寄るんじゃないか」

夏葉「じゃあ、これを片方の銃だけでクリアできたら?」

樹里「そんな奴、居ると思えねーけど……」

樹里「そんな事まで出来たら、胸張って良いと思うぞ」


夏葉「そう……そうよね」

この違和感の正体は、甜花のプロフィールだ。

自信を持てるような技術が有るのに、それを誇れない彼女。

大崎甜花という人間の、その一端に触れた気がした。

再び例のざわつきが、心の中を走り抜ける。

それを感じてしまうと、動かずにはいられない。

甜花と、話がしたい。

樹里「もう行くのかよ?」

夏葉「事務所に戻ってみようと思うの」

樹里「ふーん……」

樹里「その……込み入ったこと、聞いたりしないけどさ。根詰め過ぎないようにしろよな」

夏葉「ええ、ありがとう。樹里」

心からの礼を言って、その場を後にする。

急ごう。

事務所に、まだ彼女が居るかもしれない。


夏葉「甜……!」

夏葉(いない、わね……)

とんだ勇み足だった。

事務所のリビングルームに人影はない。

珍しく、プロデューサーとはづきさんの両者ともが不在である。

夏葉「何かしら、これ……?」

事務所の中において、見慣れていないものが、もう一組。

三つの髪飾りが、寄り添うように机の上に置かれている。

つまみ細工の施された華々しい物が一つと、織物で花をこしらえてある物が二つ。

この特徴的な織物の名を、私は知っていた。

記憶が正しければ、たしかタテニシキという名のはず。

千雪「綺麗ですよね、それ?」

不意に声をかけられる。

考えてみれば、事務所の明かりは点灯していたので、全くの無人というはずは無かった。

どうやら、給湯室の方に彼女は居たらしい。

彼女は、アルストロメリアの桑山千雪。


夏葉「えっと……千雪、でいいのよね?」

千雪「はい。唯一の成年同士ですから、そういうのは無しでいきましょう」

会話の最初に、敬語を禁じられた。

話やすくて有難いのだが、いきなり年上の人に平常語で話すのは、やや気後れする。

夏葉(でもプロデューサーには、最初から敬語を外していたわね)

自嘲気味に笑う。

今にして思えばあれは、私なりの過信と不安の表れだったのだろう。

千雪「これ……とっても美味しいわ。上手なのね、夏葉ちゃん」

敬語を外す代わりと言う訳ではないが、せめて二人分の紅茶くらいは淹れさせてもらった。

紅茶を置き、つまみ細工とタテニシキに話を戻す。

夏葉「千雪の言う通りね。その髪飾り、本当に可愛らしくて綺麗だわ」

夏葉「手入れでもしていたの?」

彼女のプロフィールは、趣味『雑貨作り』、特技『裁縫・道案内』だったはずだ。

千雪「そんなところです。たまに陰干ししてあげないと、痛んじゃいますから」

千雪「あ……でも、それは半分かな。何か理由を付けて、眺めたくなっちゃっただけなのかも」

千雪がつまみ細工の方を手に取って、柔らかく微笑む。

千雪「この髪飾り、アルストロメリアでの仕事で使った物なんです」

千雪「思い出の品かな。また使うかもって思って、事務所に置いているの」

夏葉「どんな仕事だったの?」

千雪「縁日の取材のお仕事です。浴衣を着て行く予定だったから、それに似合う髪飾りを用意したんだけど……」

千雪「結局、三人とも浴衣を用意できなくて、髪飾りだけを付けていく事になっちゃいました」

千雪「ああ、えっと……そうですね……」

髪飾りに秘められた話を、始まりから顛末まで嬉しそうに千雪が語る。

ちょっとした、賢者の贈り物。

それもまた、私の知らない甜花の話であった。


アルストロメリアについて考える。

桑山千雪と大崎姉妹で構成される三人ユニット。

大崎甜花と大崎甘奈の繋がりは、傍から見てすぐ分かる程に強固だ。

危うさを感じてしまうくらいの、深い絆を持っている。

そんな二人に『他者』として寄り添って来たのが、目の前にいる桑山千雪だ。

時に大人として、時に仲間として、あの姉妹と真摯に接して来たはずだ。

それは、二人を語る彼女を見ればよく分かる。

そんな彼女ならば、私の心のざわつきの正体を知っているのかもしれない。

彼女から、もっと甜花の話を……

千雪「甜花ちゃんのこと、知りたいんですよね?」

夏葉「……驚いたわ。アナタ、人の心でも読めるのかしら?」

千雪「事務所に入って来た時、名前を呼びかけていたじゃないですか」

夏葉「……」

夏葉「それもそうだったわね」

千雪「それだけじゃないですけどね。甜花ちゃん、夏葉ちゃんの事をよく話してくれますから」

夏葉「甜花が、私のことを?」

千雪「ええ。舞台での事とか、家での事とか……」

千雪「最近はいつも、『夏葉さんは凄い』って言っていますよ」


夏葉「甜花は……他人の事を、褒めてばっかりね」

千雪「そうですね。ええ、確かにそう……」

私との会話でも、甜花はユニットの二人の事をよく話してくれる。

誹謗中傷など一度もなく、いつだって二人の事に微笑んでいた。

甜花は、他人を誇れる人間だ。

それでいて、その輪の中で、自分の事だけは決して誇る事はない。

誇る事が出来ない。

その感覚を、私はよく知っていたはずだ。

夏葉「……千雪。甜花について、聞きたい事があるの」

千雪「はい」

夏葉「彼女の、プロフィールの事なんだけど……」

話す。

プロフィール、家での生活、今日のゲームセンターで見た光景。

私が知る、彼女に関する事を順番に話していく。

そして問う。

夏葉「甜花には、出来ることがある」

夏葉「自信を持てない自分に、苦しんでいる」

夏葉「それなら何故……彼女は、自分を誇ってあげられないの?」

大崎甜花とは、どのような人物であるのかと。


千雪「私には、答えられない……と思います」

千雪「夏葉ちゃんが望む答えを、私だと上手く言語に出来ないの」

千雪「でも……一つだけなら、話をしてあげられます」

タテニシキ付きの髪飾りを、千雪が愛おしそうに見つめる。

千雪「だからその前に、聞かせて下さい」

千雪「夏葉ちゃんは、何で甜花ちゃんの事を知りたいんですか?」

夏葉「何故……」

私が、甜花に惹かれる理由。

ざわつきの正体を確かめたい理由。

少し考えて、言うべき事は直ぐに見つかった。

夏葉「よく、分からないわ」

何故、甜花の事を知りたいのか。

それも含めて、私が知りたい事。

だから今、私が言うべき事は、私自身の気持ちだ。

夏葉「最初は、演技の為だったわ」

仕事の為、それは切っ掛けに過ぎない。

夏葉「それも、もちろん大事な理由よ。それは変わっていない」

夏葉「だけど今は、それだけじゃないの」

同じ屋根の下で、切磋琢磨し合った結果だ。

頑張っている甜花を見ると、嬉しくなる。

落ち込んでいる甜花を見ると、心が痛くなる。

そういう当たり前が、私の中には積み重なっているのだ。

夏葉「それらを、色々と引っくるめて、ちゃんと言葉にするのなら……」

力強く千雪を見つめる。

夏葉「私は甜花の、良き友人で在りたいわ」

彼女が、頷いた。


「私から話して良いのか、本当は分からないけれど」と、そう前置きして千雪が話し始める。

それは、大崎姉妹の昔話だった。

幼い二人で行った縁日の話。

その縁日の射的屋に、二人が心惹かれたぬいぐるみがあった。

それを欲しがって、二人とも射的に挑戦する。

お金を出し合って、何度か挑戦して、でも結局、その景品を取る事は出来なかった。

そこで、甜花が泣き出してしまったらしい。

つられて妹さんも泣き出して、そこまででで縁日の話は終わり。

それから、二人で射的をする事は殆ど無くなったそうだ。

千雪「このお話はね、甘奈ちゃんから聞いた物なの」

千雪「甘奈ちゃんに取っては、甜花ちゃんをもっと好きになった話なんだけど……」

夏葉「甜花がどう思ってるかは……分からない」

千雪「そう。甜花ちゃんから、この話を聞いた事は無いの」

千雪「甜花ちゃんですから、そこまで深刻に引きずってはいないと思いますけど」

千雪「……少なくとも、表面上は」

よくある昔話と言えば、その通りの話だ。

甜花にこの話を尋ねても、彼女は至って普通に話してくれるだろう。

だけど、この話が今の彼女に取って、単なる過去であるとは思わない。

それを聞いて私は、今朝の夢を思い出せたのだから。


夏葉(あれは小学生の頃)

夏葉(何かのコンクールの結果を、報告した時の……)

父の愛情を感じながらも、それに恐怖してしまった記憶。

あの時の私は、期待に応えられなかった。

コンクールの詳細は覚えていない。

はっきりしているのは、私が両親に金賞を見せたかった事。

銀賞止まりの賞状を握りしめていて、泣き出しそうだった事の二つだけ。

父が優秀な人間である事は、そのずっと前から理解していた。

そんな父親を誇りに思っていた。

だから、期待に応えられなかったと思い込んだ時、その大きさに恐怖を感じたのだ。

そしてそれ以上に、涙が溢れ出してしまうほどに悲しかった。

胸が張り裂けそうなほどに悔しかった。

その痛みは、今の私に繋がっている。

夏葉(甜花も、同じ痛みを感じたとしたなら……)

私が甜花を見て、心がざわついてしまう事に説明がつく。

彼女に親近感を感じてしまう理由が分かる。

簡単な話だったのだ。

甜花と、私は──



千雪「お役に立てたようで、良かったです」

私の顔を覗き込んで、千雪が言う。

彼女のプロフィールが、再び思い起こされた。


帰り道の途中、プロデューサーが言ったであろう言葉を思い出す。

『優秀な身内というのは、苦しいものですよ』

この言葉は間違いではない。

だけど、本質というわけでもない。

どれだけ優秀な身内あっても、ただの他人に落とし込めれば苦しまずに済むのだから。

好きだからこそ、辛い。

愛しているからこそ、身悶える。

愛されてると感じるたびに、自分の弱さに苛まされるのだ。

並び立てないのだと分かった時、その現実に打ちのめされるのだ。

自分が弱くとも、見捨てるような人達ではないと分かっている。

それでも、優しければ優しいほど、鋭く胸の内に突き刺ささるのだ。



それはさながら、火山灰の坂道を登るようなものだ。

足場は悪くて、その場に立っているだけで精一杯。

何もしていなくても、ズブズブと沈んでいく。

それでも上を見上げることだけは出来るから、進まずにはいられない。

無理に登ろうとして、足を取られる。

掴める物など無くて、そのまま転んでしまう。

そして、ただ灰にまみれてしまうだけ。


夏葉(だから、私は……)

だから私は、杖を手にしたのだ。

支えを頼りに、立ち上がる事を決めたのだ。

私が杖とした物は、『有栖川』としての誇り。

有栖川の名に恥じぬ人間として在らねばならぬと

両親の期待に少しずつでも応えていくのだと

懸命に、遮二無二に、足掻き続けた。

そうして、私は変われた。

努力が報われる喜びを知り、夢ができた。

大きな事を成すのだという、自分の為だけの願いを手に入れた。

気が付くと私は、灰の坂道とは別の道を歩いていたのだ。

そこに至るまでの、自分が選んだ道に後悔はない。

自分の歩いて来た道は正しかったのだと、胸を張って言える。



だけど

だからといって、自分の選ばなかった道が間違いだったとは思わない。

甜花の道が間違いなどとは、決して思えるはずもない。

元より、人ひとりの力など取るに足らないもの。

杖であれ、靴であれ、ロープであれ

過信であれ、誇りであれ、強がりであれ、進むためには何かが必要なのだ。


それが、どんな物であってもいい。

どういう風に、折り合いを付けてきていても構わない。

あの灰の坂道の絶望が、今の彼女に繋がっていると言うのなら

私は絶対に、彼女が歩んできた道を、価値あるものだって思えるはずだ。

夏葉(だから、確かめなくちゃ)

彼女に問わねばならない。

彼女がどう向き合っているのか、その予測はついている。

恐らくそれは、私が選べなかった道。

その予測が合っているのかどうかを、確かめたい。

夏葉(明日の……早朝)

確かめる為の、準備が要る。

暗くなった今では出来ない。

となれば明日の早朝、日が出てから直ぐに。

夏葉(また、早朝ね)

彼女に対して、始めてあのざわつきを感じた時も早朝だった。

だとすればやはり、決着を付けるのも早朝が相応しいのだろう。


夏葉「起きて、甜花。着いたわよ」

甜花「ふぇ……? あ……うん……」

夏葉「悪いわね。朝早くから付き合わせちゃって」

甜花「ううん、大丈夫……車の中で寝れたから……」

甜花「甜花……その気になれば、何処でも寝れる……」

夏葉「それは便利でいいわね。さ、こっちよ」

鉄格子を開けて、裏門から中に入った。

それから、玄関とは逆方向にある庭に向かう。

甜花「な、夏葉さん……こ、ここ……どこなの……?」

夏葉「何処、と言われる難しいわね。だけど心配はいらないわ」

夏葉「有栖川家の管理してる土地で、ちゃんと許可は取っているから」

甜花「あ、そうなんだ……それじゃあ、甜花を連れてきたのは……」

夏葉「アレよ」

開けた場所にポツンと置いてある机を指差した。

厳密に言えば、その机に乗っている物と、その向こう側を指差している。

甜花「え……これって、エアガンと的……だよね……」

甜花「甜花、これ……撃ってみてもいいの……?」

夏葉「ええ、もちろん。その為に連れて来たのだもの」

夏葉「でも条件……というより、やって欲しい事があるわ」

夏葉「あの右から三番目の的、距離にして20メートル。アレに当てられるようになりなさい」

用意したハンドガンタイプのエアガン、その有効射程ぎりぎりの距離だ。

夏葉「時間は30分。できそう?」

甜花「サイトとかの……調整は……?」

夏葉「好きに使ってもらっていいわ。道具は一通り揃えてあるはずよ」

甜花「それなら……うん、やってみる……」

夏葉「一応聞くけど、使い方の説明は必要?」

甜花「ううん、大丈夫……」

夏葉「……そうよね」

甜花がグローブをはめて、エアガンを握る。

銃を持つ手を伸ばして、しっかりと構える。

彼女の纏う空気が変わった。

一射。

その最初の一発は外れて、虚空に消える。

それに眉一つ動かすことなく、二発目を撃つ準備を整える。

集中していた。

もう私のことなど、目に入っていないのだろう。

顔付きは鋭く、普段から想像できない眼光を湛えている。

ピンと伸ばされた、銃を持つ彼女の手が、私には何かにすがる手の様に思えた。


夏葉「経ったわよ、30分」

甜花「え……? あれ、もう……?」

夏葉「ラスト五分の命中率が八割五分くらいかしら。なかなか良い成績じゃない」

甜花「そ、そうかな……にへへ……」

甜花「あ、でも……撃つのは初めてってわけじゃない……」

夏葉「エアガンも経験あったのね」

甜花「うん、ちょっとだけ……それに興味があって……色々調べたことあって……」

甜花「だから、甜花……大したことないよ……?」

甜花が困った顔で俯く。

私の心がまたざわついた。

この表情、この憂いだ。

このざわつきは、古傷の疼き。

彼女に昔の自分を見出して、私の心は掻き乱されるのだ。

夏葉「私が……今、やったとして」

声に心情が表れないように、慎重に口を開く。

夏葉「アナタの射撃精度には及ばないわ」

甜花「夏葉さん……? だけど……」

夏葉「聞いて、甜花。私はアナタに聞きたい事があるの」

夏葉「だから、今日この場所にアナタを呼んだの」

夏葉「見たわ、アナタのプロフィールと……その特技のところも」

特技『なし』と書かれたそれは、私の心に重くのしかかっている。


夏葉「でも、見たのはそれだけじゃないの」

夏葉「ゲームセンターでのアナタも、今ここで銃を撃つアナタも見たわ」

私は知っている。

甜花の真剣さも自信も、私は知っている。

夏葉「確かな技術をアナタは持っている。だけど、それを誇ることは決してない」

夏葉「誇ることなく、ただ自分を痛めつけている」

灰の坂道の苦しみを、確かに覚えている。

夏葉「教えて、甜花。アナタは……」

夏葉「アナタは何で……!」

感情が高ぶって、つい言葉が途切れてしまう。

たけど甜花はそれを読み取って、小さくも明瞭な声で答えた。

その表情を崩さないまま。

甜花「……甜花、誰かの役に立てるわけじゃないから……」

甜花が言葉を続ける。

その答えには、予測が付いていた。

私の考えている通りなら、きっと甜花は、あの名前を言うのだろう。

甜花「射撃じゃ……なーちゃんの役には、立てなかったから……」

胸が軋む。

やはり彼女は、杖も靴も持っていなかった。

持つ事を選ばなかったのだ。

彼女はまだ、灰の坂道に居る。

あの灰の坂道に居ながら、確かに家族を愛し続けている。

それはきっと、とても痛々しくて

とても美しい在り方なのだろう。


甜花「質問、ちゃんと答えられてるかな……?」

夏葉「……ええ、これ以上ないくらいに」

私の道と彼女の道には、優劣も貴賎も無い。

私達はただ別の道を歩いている。

だからこそ、どちらかがどちらかを引っ張りあげる事も、ましてや助ける事もできない。

だとしたら私は

目の前の友人の為に、一体何をしてあげられるのだろう?

夏葉「甜花」

甜花「なに、夏葉さん……?」

夏葉「今日の舞台練習、私を見ていなさい」

何が出来るかは、分からない。

だけど今ならば、私はシンデレラを演じられる。

演じる事で、何かが理解できると思うのだ。

夏葉「瞬きすらさせないわ。だから私の姿を……」

夏葉「目に、焼き付けていて」


夏葉「『サンドリヨン……何処に、行ってしまったの……』」

夏葉「『私は、そんなつもりじゃなかった……』」

夏葉「『そんなつもりで、舞踏会に行ったのではないの……』」

シンデレラは、中間地点だ。

夏葉「『サンドリヨン……貴女が、羨ましかった』」

夏葉「『舞踏会に行けば、貴女に追いつけるのだと思った……』」

夏葉「『それだけ……それだけ、なの……』」

私とは別の道を行き、甜花とは同じ道を行っている。

昔の私より強くて、今の甜花より弱い。

そんな私達の中間地点。

夏葉「『私は……あの笑顔に、いつも心の中で震えていた……』」

夏葉「『その手のひらが、いつだって怖かった……』」

彼女達の道を、想う。

夏葉「『だけど……貴女の事が、好きだった……』」

曲げられても折れず

夏葉「『私は……! 貴女と自分を比べてしまって、苦しかった……!」』

夏葉「『それでも、貴女を憎めなかった……!』」

へこまされても歪まず

夏葉「『惨めな自分を……! 浮き彫りにされるのが、たまらなく嫌だった……!』」

夏葉「『それでも、貴女を嫌いになんてなれなかった……!』」

弱さも、惨めさも、拙さも、その原因と結果の全てを、ただ自分の中にだけ求める事が出来たなら

夏葉「『でも……苦しいのも、辛いのも……私が弱いからだって……本当は、知っている……』

誰をも恨まず、憎まず、依らず、ただ在り続けることが出来たなら

夏葉「『貴女に、悪いところなんて無い……どんな私でも愛してくれるって、分かっているわ……』」

それは……


夏葉「『貴女を、憎いと思った事なんてない……!』」

夏葉「『私達は露ほどだって、貴女を嫌いになったりしない……!』」

夏葉「『居なくなって欲しいなんて、一度だって思った事はないよ……!』」

夏葉「『だから笑いかけてよ……! 手を差し伸べてよ……』」

夏葉「『その恐ろしい両腕で、私を抱きしめて……』」

夏葉「『側に居てよ……離れて、いかないでよぅ……』」

夏葉「『……お姉ちゃん……』」

それは、一歩だって踏み出せなくなってしまうような、深い絶望なのかもしれない。



その在り方は、強さとは呼べないのだろう。

だけど、それは尊くて

そして紛れもなく、彼女の中に在る強さのカケラなのだ。

だから、彼女の未来を信じられる。

その誰にも負けない強さのカケラを、私は信じている。


夜風に当たる。

今夜は比較的気温が低めで、ベランダに出て語らうには丁度良い。

甜花「今日の演技……よかった、と思う……」

甜花「その……なんて言うか、鬼気迫る……? みたいな……」

夏葉「褒めてくれて嬉しいわ。でも、まだまだ私は満足していないわよ」

夏葉「セリフだって、間違えてしまったし」

甜花「で、でも……!」

甜花「演出家さん……そこ以外は、褒めてくれてたよね……?」

夏葉「そうね。分かりにくかったけど、そうだと思うわ」

甜花「うん……あれは、分かりにくいと思う……」

二人で空を見上げる。

甜花が始めて来た日よりも雲が薄く、少しだけ星が見えた。

夏葉「ねえ、甜花」

演技の熱がまだ体にこもっているせいなのか、今は妙に語りたい気分だった。

夏葉「私、信じている事があるの」


甜花「それって、神様とか……奇跡とか……?」

夏葉「ううん、そういうのじゃなくて。言うならそう……信条という奴ね」

甜花「……信条……」

夏葉「ずっと思っていた事だけど、最近やっと言葉になったの」

甜花を見て、昔の自分を思い出した。

そうして繋がって線になった、今の自分の想いがある。

夏葉「聞いてくれるかしら?」

甜花「うん……聞かせて、欲しい……」

甜花「夏葉さんが、信じてるものなら……聞きたい……」

夏葉「ふふ、ありがとう」

笑いかけて、言葉を探す。

灰の坂道、自分が杖としてきたもの、大切な家族。

プロデューサー、ユニットのメンバー、支えてくれているファンのみんな。

目を一瞬閉じて、それらをありったけ想う。

すると言葉は、私の中から自然に出てきた。


夏葉「私は、信じてる」

弱い自分を肯定して

夏葉「どんなに現実に打ちのめされて、自分の弱さに苛まされたとしても……」

痛みも苦しみも抱きしめて

夏葉「歯を食いしばって、足を地に踏ん張って、前を向いて立っていられるのなら……」

それでも笑う。

夏葉「必ず人は、望んだものに成れるって……私は、そう信じているの」

夏葉「だから──」

甜花にも、そう在って欲しいと願う。

願うだけで口にはしない。

言葉にしてしまえば、それは傲慢になってしまうから。

甜花の道は、甜花だけのものなのだから。

結局、私達に出来ることは一つだけ。

夏葉「──だから、私は言うわ」

そこに有るはずの、星の海に手を伸ばす。

夏葉「私は絶対に、トップアイドルになるんだって……」

夏葉「有栖川夏葉は、きっと何処へだって行けるんだって……!」

夏葉「どんな時だって胸を張って、私はそう叫ぶのよ!」

私達に許されているのは、自分の生き方を見せつける事だけ。

甜花の在り方に、私が惹きつけられたように。

私も、自分の在り方を魅せていく事しか出来ない。

それが、彼女にしてあげられる唯一の事。

それだけが、私がこの尊い友人に寄り添える、唯一の方法なのだ。


甜花「甜花も……そう、なれるのかな……」

私の伸ばした手に、甜花が自らの手を重ねようとした。

彼女の体重が私にかかる。

甜花「甜花も、そんな風になりたよ……でも……」

甜花「そう出来るのは……夏葉さんみたいな、凄い人だけだって……」

甜花「そう……思っちゃうんだ……」

甜花のその弱気に、私は心から安堵した。

夏葉「『大丈夫よ、大丈夫』」

体重をかけ返す。

甜花はそれを、どっしりと支えてくれた。

夏葉「アナタが、私をそう思ってくれているなら……大丈夫」

そうだ。

私が甜花を信じていて、甜花が私を認めてくれているなら、大丈夫に決まっている。

私達は迷いながらも、自分の道を進んでいける。

苦しみながらも笑って、望んだ場所まで、しっかりと歩いて行けるはずなのだ。

だって

夏葉「だって私達、結構似た者同士なんだから」

二人の手が、重なる。





夏葉編・終わり

とりあえずここまで。明日2レス投下して、その三日後(計四日後)に最後まで投下できると思います


大道具「初回公演、本当にやるんだな」

演出家「変更はしない」

大道具「例の脅迫状はいいのか? この前に見せてもらった奴」

大道具「『公演を中止しないと不幸になるぞ』……だったか」

大道具「何回か、送られてきてるんだろう」

演出家「そんなベタベタな脅迫状なんて、気にする意味もねぇよ」

演出家「こういうの自体、初めてじゃないしな。それに……」

演出家「アレ書いたのはお前だろ、大道具」

大道具「何を……」

演出家「もっと言うなら、主演の奴の自動車事故も、倉庫のボヤ騒ぎもお前だ」

大道具「……何故、俺だと?」

大道具「優秀なアンタに恨みを抱いている奴なんて、ごまんといるだろうに」

演出家「ただの勘だよ」

演出家「証拠なんかねぇ。だから何も言わないし、何もしない」

演出家「だが初回公演は必ず行う。おまえの意見を聞くことはない」

大道具「……そうかよ」

大道具「そこまでして演りたいのかよ。あんな三文芝居を」

演出家「三文芝居、か」

大道具「そうだろ? あんな姉妹、この世の何処を探したって存在しない」

大道具「あんなもの、絵空事の滑稽劇だ」


演出家「俺たちだって、昔は……」

大道具「昔の話だろ。今の俺はアンタの事が嫌いだ」

大道具「お情けで劇団に残っている、今のアンタには反吐がでる」

演出家「……」

大道具「それに」

大道具「アンタは人でなしだよ。なんでも平気で劇にしちまえる、人でなしだ」

大道具「そう言う所が、一番嫌いだ」

演出家「そう、かもな……」

演出家「確かに俺は、人でなしだろうさ」

大道具「……っ」

演出家「何だよ?」

大道具「……それなら俺は、好きなやらせてもらう」

大道具「アンタが何も言わないんだ。好きにやらせてもらうからな」

大道具「好きに、やらせてもらう……っ!」



演出家「……行っちまったか」

演出家「最後の最後まで、不出来な弟だったな」

演出家「……」

演出家「『シンデレラとサンドリヨン』……か」

演出家「書くのが、ちと遅かったのかね」


はづき「初回公演、いよいよ明日ですね~」

P「はい」

はづき「お二人の活躍、とっても楽しみですね~」

P「はい」

はづき「舞踏会のシーンの衣装、どんな可愛い物なんでしょうね~」

P「はい」

はづき「む……」

はづき「プロデューサーさんは、女の子が大好きですもんね~?」

P「はい」

はづき「どんな女の子が好きなんですか~?」

P「それは頑張っている……」

P「……って、何を言わせるんですか、はづきさん」

はづき「何って、ちゃんと答えないプロデューサーさんが悪いんですよ」

P「えっと……」

はづき「さっきから上の空でしたよ、プロデューサーさん」

P「……! すみません……! もしかして、適当に相槌を……」

はづき「もう……」

はづき「聞きましたよ、プロデューサーさん。今回の舞台の劇団に、以前は所属していたそうじゃないですか」

はづき「それも、前途有望な舞台役者さんだったとか」

はづき「さっきから仕事も受け答えも今ひとつなのは、そのせいですよね」

P「……そう、だと思います」

はづき「何で辞めちゃったんですか?」

はづき「思い入れ、あったんですよね。そんな風になってしまうくらいには」


P「……劇団って、家族みたいなものだと思うんですよ」

P「その家族が、いがみ合ってるのを見るのが嫌だったんです。だから辞めました」

P「嫌なものから逃げ出そうとしたのか、受け入れた上で先に進もうとしたのか……」

P「今となっては、それはもう分かりませんけど」

はづき「寝逃げたのか、受け入れたのか……」

P「気になっているのは、その事です」

P「明日……あの二人が、それがどっちだったのかを示してくれる気がして」

はづき「この舞台の仕事を受けた、本当の理由はそれなんですか?」

P「え……? ああ、それは無いですよ。仕事に私情は挟みません」

P「純粋に彼女達の今後を考えて、ベストだと思う選択をしたまでです」

P「個人的な感情で言うならむしろ、あの劇団には関わりたくなかったですよ」

P「理由はどうあれ、勝手に辞めた場所ですからね」

はづき「でも、参加させたと」

P「まぁ……今は、この仕事が一番ですから」

P「彼女達の事が、一番大切で優先すべき事柄ですよ」

P「はづきさんの言う通り、女の子が大好きらしいですから」

はづき「な……」

はづき「ふふふ、それって意趣返しのつもりですか~?」

P「すみません、つい。ですけど……」

P「……そんなわけですから、単なる副産物ですよ。辞めた理由の答え合わせは」



P(そう。彼女達の事が一番だ)

P(だから俺は願えていて、祈っている)

P(彼女達の成長と、それと……)

P(誰かの悪意が、彼女達に降り掛かりませんように、という事を)



幕間・終わり

大幅に書き直していて、今日明日中の投下は難しそうです。申し訳ありません
エタらず今週末には投下したいと思います


照準器を覗き、息を止める。

ゆっくりと狙いを定めて、引き金を引く。

そうして発射された弾は、的のど真ん中に命中した。

銃を下ろす。

夏葉「甜花、今日も来ていたのね」

甜花「あ、夏葉さん……」

気が付くと、夏葉さんが後ろに立っていた。

甜花「うん……撃ってると、落ち着くから……」

甜花「色々と許可をくれて……ありがとう、夏葉さん……」

ここは、有栖川家管理の射撃場。

夏葉さんの家に泊まっている期間は、自由に使って良いと言われている。

夏葉「どういたしまして。言ってくれればまた、いつでも許可を取ってみるわよ?」

甜花「楽しそうだけど……」

甜花「ううん……ここに来るのは、今日までにする……」


夏葉「……そうね。分かったわ」

甜花「代わりにこれ……今日、借りて行っても良いかな……?」

さっきまで使っていたエアガンを、手元でかざす。

夏葉「構わないけど……それ、何に使うの?」

甜花「エアガンを……お守り代わりに、しようかと思って……」

夏葉「納得したわ」

夏葉「ふふ、ちゃんと弾が出ないようにしておきなさいよ?」

甜花「甜花……そこは、抜かりない……」

弾を別々にして、安全装置を下ろし、銃口を布で括ってから、ガンケースに収納する。

これで完璧。

甜花「準備、できた……」

エアガンをカバンに入れて、しっかりと手に持つ。

夏葉「それじゃあ、行きましょうか。迎えの車がもう来ているわ」

甜花「うん……」

去り際に、お世話になった射撃場を振り返る。

もう二度とに来ることはない。

今日は、初回公演の日だ。


車の中で、自分の手のひらを見つめる。

あの夜のベランダで、この手が重なったのはもう一週間以上前の事だ。

それなのに時折、こうして思い返してしまう。

『だって私達、結構似た者同士なんだから』

あの言葉が自分の中に、強く残っている。

甜花(『似ている』……)

似た者同士だと言われた。

似ているね、と言ってくれた。

その言葉自体は、自分にとって言われ慣れている言葉だ。

双子だから、いつも何回でも言われている。

なーちゃんと並んで、『似ているね』とよく言われてきている。

もちろん嬉しかった。

そして、嬉しいだけじゃなかった。

なーちゃんと似ているなんて、嬉しいし誇らしい。

だけど、似ているのに、と勝手に自分の心が囁いてしまう。

甜花(なのに……夏葉さんに、言われた時は……)

嬉しくはなかった。

痛くもなかった。

ただ、心に光が灯った気がした。

甜花(甜花は……)

重ねた手を握りしめる。

自分は感じていた。

あの日から、自分の中の何かが変わったのだと。


P「番号」

果穂「いちっ!」

樹里「2!」

凛世「参……です……」

智代子「4だよ!」

千雪「5です♪」

甘奈「ろーく☆」

P「よし、全員揃ってるな」

P「全員、揃えられちゃったな……」

甘奈「6人のオフを合わせるの、大変じゃなかった?」

甘奈「希望した甘奈が聞くのも、アレなんだけど……」

P「何とかなって正直驚いている」

凛世「壮観で……ございます……」

P「はづきさんに助けられた結果だな。何故か本人は、社長のせいで来れなくなってしまったが……」

P「帰ったらちゃんと、お礼を言わないとな」

果穂「はい! あたしも手伝いますっ!」

P「おお、ありがとう。やっぱり果穂は偉いな!」

果穂「えへへ」

P「しかし、現役アイドル6人か。こうして見ると……」

千雪「甜花ちゃん、随分とお世話になったみたいで……」

智代子「いえいえ! 夏葉ちゃんも、ああ見えて……」

千雪「いえいえ」

智代子「いえいえ」

P(お母さん同士の会話か!)


P「座席番号は……よし、ここだな」

樹里「時間ギリギリになったよな。誰かさんのせいで」

P「すまん……まさか懇意にしてるディレクターさんが居るとは思わなくて」

樹里「別に責めてるわけじゃねーよ」

智代子「でも一言いいたくなるよね。樹里ちゃん、凄い楽しみにしてるもん」

樹里「な……!」

智代子「だって凄いソワソワしてるし。さっきから時計ばっかり見てるし……」

樹里「わ、悪いかよ! アタシが楽しみにしてたら!」

樹里「『ロミオとジュリエット』の時は一緒の舞台だったし、客席から夏葉を見るの初めてなんだよ」

甘奈「……」

樹里「だから、楽しみ! それだけだ!」

智代子「あはは、ごめんごめん」

樹里「……それに、アタシよりも楽しみにしてる奴が居るだろ」

智代子「あ、うん。プロデューサーさんだね」

P「俺?」

樹里「そうだよ。さっき6人のオフって言ったけど、本当は7人だよな」

智代子「今日はプロデューサーさんもオフなんですよね? スーツ着てますけど」

P「誰かが情報漏洩をしてくれているようだな」

樹里「社長から聞いたんだよ。オフ取るのが珍しい、なんて言ってたぜ」

樹里「だから……プロデューサーも、楽しみにしてるんだよな?」

P「楽しみ……」

智代子「プロデューサーさん?」

P「……ああ、そうだな。多分そうだ」

P「ここに来るのを、俺はずっと楽しみにしていたよ」


夏葉「もうすぐね」

甜花「うん……」

袖から舞台の上を眺める。

点いている照明は最低限で、目の前には大きな薄暗い空間が広がっていた。

観客席の方は幕が掛けられていて、見る事が出来ない。

夏葉「甜花って、意外と肝が座っているわよね」

夏葉「きちんと受け応えが出来ているし、落ち着いている様に見えるわ」

甜花「緊張して……何していいのか、分からないだけ……」

心臓が有り得ない速度で脈打っている。

気を抜けば足が震えてしまうことは確実だ。

ただ良い点としては、緊張のしすぎで逆に滑らかに喋れている気がする。

少なくとも、言葉をかむ気はまるでしない。

夏葉「緊張しても動揺せず。良い事じゃない」

甜花「ポジティブシンキング……夏葉さん、いつも通り……」

夏葉「私の場合は、これが2回目の初回公演だからね。平静を保つ事くらいは出来るわ」

夏葉「これでも一応、緊張はしているのよ?」

夏葉さんが髪をかきあげる。

全然緊張している様には見えないが、夏葉さんが言うならそうなのだろう。

『開幕まで後5分です』

伝令が飛ぶ。

甜花「夏葉さんは……前の公演の時も、そんな感じでいられたの……?」

夏葉「前は……そうね。樹里に緊張を悟られたくなくて、必死に隠していたわ」

甜花「うまく、隠せてた……?」

夏葉「樹里も緊張を隠そうとしてバレバレだったから、きっと私も同じね」

夏葉「今よりずっとずっと緊張していたわ。初めてだったから」

『開幕まで後4分です』


夏葉「その靴は、もう慣れたかしら?」

自分の履いている靴を、夏葉さんが指差す。

自分と夏葉さんの間にある、9cmの身長差。

双子設定の為に、その9cm差を埋める厚底の靴だ。

シンデレラとサンドリヨンが、同時に舞台に居るシーンでは、これを履かなければならない。

甜花「うん……もう、違和感ないよ……」

最初の頃は、この靴のせいで転んでばかりだった。

だけど今は躓く事すら無くなった。

夏葉「今のアナタの演技力なら……」

夏葉「私としては、無くても誤魔化せると思うのだけど」

甜花「でも……まだ、必要だよ……」

夏葉「……まだ……」

夏葉「そうね。甜花が言うなら、そうよね」

『開幕まで後3分です』

3度目の伝令が来て、最後の照明が落ちる。

見えるのは目印である蛍光テープのみ。

心臓の鼓動が、さらに速度を増していく。


会話は続く。

身体中の熱は、静まる気配すらない。

夏葉「アナタの演技、上手になった」

夏葉「公園の時から上手だったけど、さらに磨きがかかっているわ」

甜花「そう……かな……?」

夏葉「ええ。通し稽古の時なんて、ビックリして目が離せなかったもの」

演技が上達してる自覚は無い。

だけど、思い当たる心境の変化はある。

甜花「それは、多分……」

甜花「サンドリヨンが、なーちゃんじゃないって分かったから……」

甜花「サンドリヨンは……甜花と地続きだって、分かったから……」

夏葉「なら甜花は、サンドリヨンみたいになりたい?」

なりたいもの。

夏葉さんに、劇団で初めて会った時にされた質問だ。

何のために舞台に上がるのか。

それは期待に応えたいから。

その日の夜に、そう見つけた。

舞台の先に何を見て、何になりたいのか。

その日には、それは分からなかった。

甜花「ううん……甜花がなりたいのは、サンドリヨンじゃないよ……」

だけど今は、不確かながらも、そう答えられる。

『開幕まで後2分です』

心臓を強く握りしめた。


会話を切り上げる。

4度目の伝令は、移動開始の合図でもあった。

最初のシーンの為に、定位置に着いておかなければならない。

甜花(ここ……)

音を立てない様に気をつけながら、目印を頼りに辿り着いた。

少ししか歩いていないのに、わずかに息が切れている。

夏葉さんが舞台の中心に立っている。

その夏葉さんから見て、自分は3メートルほど右に立ち、半歩下がる。

夏葉さんを挟んで自分と反対側、その舞台端に、継母役と二人の義姉役が既に待機していた。

甜花(もうすぐ、だよね……)

もう伝令はない。

幕が上がる10秒前に、開演のブザーが鳴るだけ。

甜花(夏葉さんは……)

舞台の中心を見る。

夏葉さんが自分の方を向いてた。

暗くとも、夏葉さんが頷いてくれたのが分かった。

だから、自分も頷き返しておく。

甜花(あ……れ……?)

そこで気づいた。

この瞬間に感じている緊張が、今までのモノとまるで質が違う事に。


それに気づくや否や、開演のブザーが鳴る。

幕が上がった。

そして、夏葉さんなスポットライトが当たる。

『昔々、シンデレラという美しい娘がおりました』

ナレーションが入る。

夏葉さんはシンデレラとして、自らの手を握り合っていた。

祈りのポーズだ。

セリフはまだ無い。

『シンデレラは、意地悪な継母と義姉達と共に暮らしております』

ナレーションに合わせて、スポットライトが登場人物に当てられていく。

継母、二人の義理の姉、そして

『ですがシンデレラは、自分が不幸のドン底に居るとは思いません』

サンドリヨン。

『シンデレラには、双子の姉であるサンドリヨンがいたからです』

自分の姿が、明るく照らし出された。


眩しい。

明るすぎて、未だに観客席は見えていない。

緊張が頂点に達している。

叫び出しそうになるくらいに心臓が熱い。

しかし不思議と気持ち悪さは感じていなかった。

今まで感じていた緊張は、心臓が熱くなるだけ。

体は冷たいままで、肺も脳も縮みあがっていた。

やめておけと、冷たく自分に囁いてきていた。

今は違う。

肺も、頭も、筋肉も暖かい。

爪先の一片に至るまで、全てが温まっている。

熱を持って、動き出せと叫んでいる。

甜花(これなら……大丈夫……)

甜花(『大丈夫よ、大丈夫』……)

自分で言って、言ってもらったセリフを噛みしめる。

それは時間にして、一瞬にも満たない思考だったのだろう。

自分の体は、自然と演技を開始した。

甜花「『……』」

やはりセリフはない。

シンデレラに笑いかけるだけ。

その動きのみに集中していて、もう舞台の上しか認識できない。

もうシンデレラしか見えていない。


夏葉「『サンドリヨン!』」

シンデレラが姉に呼びかける。

最初の言葉を口にする。

夏葉「『サンドリヨン! サンドリヨン! ねえったら……!』」

甜花「『なあに、シンデレラ?』」

自分の口から、半ば自動的に言葉が出てきた。

サンドリヨンが勝手に喋りだしたように。

甜花「『あらシンデレラ。また汚れているじゃない』」

夏葉「『あ、これは上のお姉様に掃除を頼まれて……』」

甜花「『ジッとしてなさいな。はたいて上げるから』」

脳内鏡を作り出す必要はない。

腹式呼吸を意識する必要もない。

もうそうしなくとも、最適な演技が可能になっていた。

甜花「『綺麗になったわ』」

夏葉「『あ、ありがとう。サンドリヨン』」

甜花「『それじゃあ、行きましょうか』」

夏葉「『ええ! 今日はワルツを教えてね!』」

甜花「『もちろん。約束だものね』」

シンデレラの手を取る。

そこで余計な事が脳裏によぎる。

演技の初日に夏葉さんの手を取れなかった事、学園ドラマのエキストラの事。

それらが浮かんできては、薄れて消えていく。

演技に影響する事なく、ぼやけて霞んでいった。

甜花「『ああ……今日も明日も、楽しくなりそうね』」

自分は今、演じられているという確信を持てている。


……

甜花「『私はこれから姉様たちに、舞踏会用の服を見たてなくちゃいけないから……』」

義姉1役「『そうよ。貴方、服飾を見繕う腕だけは確かだもの』」

甜花「『そう言うわけだから……ごめんなさい、シンデレラ』」

夏葉「『あ、待って!』」

夏葉「『待って……! サンドリヨン……!』」

……



甜花「ふぅ……」

控え室で一息つく。

この後は舞踏会の初日のシーンになる。

自分の出番はしばらくないので、こうして休息に励んでいるのだ。

とはいえ備え付けのモニターで、舞台の進行はしっかりと確認している。

気は抜いていない。

主人公の夏葉さんは出突っ張りだ。

小道具「お疲れ様、甜花ちゃん。飴ちゃんいる?」

甜花「お疲れ様……です……」

甜花「飴ちゃんは……大丈夫、です……」

甘い物を口にしたら緊張が途切れてしまいそうなので、申し訳ないと思いつつも断っておく。

小道具さんが向かい席に座った。

小道具「さっきの演技、とっても良かったわ。通し練習の時よりもずっとね」

小道具「ひょっとして、通しの時は手を抜いてた?」

小道具「なーんて……」


甜花「え……? あ、えっと……!」

甜花「甜花、そんなことしてない……です……!」

小道具「分かってる分かってる。ゴメンね、冗談よ」

甜花「あ……はい……」

小道具「それほど、上達してたって事よ」

甜花「そう……なのかな……」

練習の時の演技と、さっきの演技を比べてみる。

思い当たる節はあった。

甜花「確かに……声もスッと出せてたし……感情も乗せられてた……と思う……」

甜花「あ、でも……動きはちょっと先走っちゃった部分が……」

良くなった部分も多かったが、逆に不安になった部分も少しあった。

小道具「へぇ……」

小道具さんが目を細める。

甜花「甜花……変なこと、言ったかな……?」

小道具「ううん、そんな事ないよ。それはそうと……」

小道具「甜花ちゃん、大道具さん見てない?」

甜花「大道具さん……?」

小道具「ずっと探してるんだけど、見当たらないのよ。昨日までは、間違いなく居たらしいんだけど」

小道具「あの人もベテランだから。何かあった時を考えると、居てくれないと不安で……」

甜花「甜花、分からない……ごめんなさい……」

考えてみると、自分も朝から大道具さんの姿を一度も見ていない。

小道具「特に連絡ないし……というか、連絡も何故かつかないし」

小道具「それなのに、演出家さんは探さなくて良いって言うし……もう訳が分からないのよ」


甜花「あの……」

小道具「あ、何か知ってるの?」

甜花「そういうわけじゃないけど……」

甜花「甜花、何か手伝えること……ないかな……?」

小道具「まあ……」

小道具さんは目を丸くしてから、再び先程の様に目を細めた。

小道具「気持ちだけ受け取っておくわね」

小道具「本番が始まった以上は、演者さんに裏方の手伝いなんてさせられないわ」

甜花「そう……?」

小道具「極力ね。甜花ちゃんには、演技に集中してもらいたいから」

小道具さんが席を立つ。

小道具「もう一度電話してみて、他の所も探してくるわね」

そして、去り際に言う。

小道具「甜花ちゃん、変わったわね」

小道具「何というか……視野が広くなって、遠くまで見えてる」

小道具「そんな感じよ」

聞き返そうとした時には、もう部屋を退出していた。

甜花(遠く……? それに『変わった』って……)

変わった。

変わりたい。

それは、自分が願い続けてきた事で。

甜花(……あ……)

ようやく自分は、あの夜に起きた自分の変化を自覚した。

夏葉さんの言葉で、自分に宿った物が分かったのだ。

……

甜花「『このガラスの靴を持って、湖のほとりに行けば……いいのね』」

甜花「『そして私が、代わりに舞踏会に……』」

甜花「『代わり……シンデレラの、代わりに……? 本当に……?』」

甜花「『いいえ、嘘よ……本当は、本当に私がしたいのは……』」

甜花「『それは……』」

……



一度、幕が降りた。

舞台も折り返し地点に差し掛かり、これから20分の休憩に入る。

甜花「夏葉さん、もう幕は降りたよ……」

夏葉「分かっているわ。ありがとう」

夏葉さんがベッドの中から、静かな動きで出てくる。

先程のシーンでは、シンデレラは眠っていた。

夏葉「今のところは順調ね」

甜花「うん……」

夏葉「お互い集中できているみたいで、何よりだわ」

小声で話す。

幕が掛かっていて、観客席は休憩時間で騒がしくなっている。

とはいえ、音が漏れるのは余りよろしくない。

甜花「あ、そうだ……夏葉さん……」

観客席の事を考えていたせいか、気になる事ができた。

甜花「夏葉さんは……観客席って、見えてる……?」

甜花「甜花は、全然見る余裕なくて……」


夏葉「いえ、私もよ。舞台の事で手一杯ね。どうして?」

甜花「なーちゃんと千雪さん……来てくれてるから、どの辺りにいるのか気になって……」

夏葉「そうだったの。アルストロメリアの二人も来ているのね」

甜花「も……?」

夏葉「放クラの残りメンバーも来ているのよ」

甜花「プロデューサーさんも来てるから……ユニットのみんなは、全員集合だね……」

夏葉「事務所の半数が来ているって、結構なことよね」

夏葉「……悪い気はしないわ」

甜花「うん……」

夏葉「だから、もっと集中ね。そっちの方が大切よ。無理して見るものでもないし」

甜花「今日は、甜花達が見られる側……だもんね……」

舞台の上の自分を見せると、なーちゃんに約束した。

プロデューサーさんと、千雪さんの期待に応えると決めた。

今のところは手応えがある。

自分はよくやれていると、そう感じられている。

甜花(このまま、続けられれば……)

やっと3人にも、感謝を返せるかもしれない。

自分自身に期待してしまう。

期待して、自分の中から不安が溢れ出した。

甜花(劇場の裏で、夏葉さんと会った時も……)

甜花(その直前は……自分に、期待してたよね……)

自分自身に期待して裏切られる。

そんな経験を、幾度となく繰り返してきた事を思い出してしまう。

ふと、祭囃子が聞こえた気がした。


夏葉「これ……」

否、劇場の中で祭囃子など聞こえるはずがない。

聞こえたのは、練習中に何度か聞いた効果音だった。

ピンポンパンポンというアナウンス音。

甜花「館内放送……?」

夏葉「そのようね」

頭上を見上げる。

ラストシーンのための仕掛けが見えた。

『本日は当劇団に起こし頂き、誠に有難うございます』

『お客様にお知らせ致します。予定では15時10分から、劇の再開となっておりますが……』

『劇団側の都合により、再開を20分遅らせた15時30分からとさせて頂きます。15時30分からの再開とさせて頂きます』

『大変申し訳ありません。繰り返します……』

夏葉「休憩時間の延長ね。トラブルかしら?」

甜花「あ……」

夏葉「何か心当たりがあるの、甜花?」

甜花「ひょっとしたら、だけど……大道具さんが……」

小道具さんから聞いたことを伝える。

大道具さんの姿が見つからない事。

演出家さんが探さなくても良いと言った事。

夏葉さんの顔が、みるみる曇っていくのが分かった。

夏葉「……行きましょう、演出家さんの所に」

苦々しく、夏葉さんが言う。

自分の中で何故だか、幼い日の縁日の思い出が蘇っていた。


夏葉「ラストシーンの演出が出来なくなった……?」

小道具「そうなの、そうなのよ……」

ミーティング室は重苦しい雰囲気に包まれていた。

夏葉さんは、憤りを隠せていない。

小道具さんは泣きそうな顔でオロオロしている。

他の人達は、その二人のどちらかに近い表情をしていたか、もしくは悔しそうに俯いていた。

自分は……分からない。

小道具「そ、その……気づいたらこうなってて……! 昨日までは、ちゃんとしてたのに……!」

机の上に置かれているのは、粉々に砕かれた手の平サイズの装置。

ラストシーンの仕掛け、その内側バルーンを割るためのスイッチだ。

演出家「破壊された上に丁寧に水にまで浸してある。それに加えて、巧妙に隠されていた」

演出家「今から修理するのは不可能。仕掛けを作動させるのも不可能だ」

演出家「よってラストシーンは、煙の演出は無しで行う」

義姉2役「そんな……!」

役者の一部が悲痛な叫びをあげる。

同じ気持ちだ。

それ以上の気持ちだ。

自分はシンデレラに、自分自身を重ねていた。

ラストシーンは、そのシンデレラが信念を得て、ガラスの靴を返す大事なシーンだ。

王宮に行く道を諦めて、姉との再会を願い、歩き始める為のシーンだ。

シンデレラが歩き始めれば、自分だって歩き出せる気がしているのだ。

だから、そのシーンが完璧に行われないのは、我が身が裂ける様に思えてしまう。


小道具「……装置の管理は、大道具さんの管轄でした」

小道具「あの人の姿が見えない以上……誰がこれをやったのかは、もう明白です」

小道具「そして演出家さんは……あの人を探すなと言いました……」

演出家「……そうだな」

小道具さんの目に暗い光が宿る。

小道具「アナタは知っていた……! 大道具さんが何かをするかもって……! こういう事をする人だって……!」

小道具「何で止めてくれなかったんですか!? 何で防げなかったんですか!?」

小道具「何で……! 何で……!!」

演出家さんに非難の目が向けられる。

自分もそうすべきかは、やはり分からない。

演出家「小道具の言う通り。全責任は俺にある。どんな非難も罰も受けよう」

演出家「だが舞台は舞台だ。何がしらかの完結に、必ず着地させなくてはならない」

演出家「それなら、お前達はどうしたい?」

演出家「どうすべきだと……思うんだ?」

演出家さんが、指針についての意見を求めるのは珍しいと思った。

この人なりに動揺しているのか、罪の意識を感じているのか……

その辺りの事は、今は関係ない事かもしれないけど、それも分からない。

甜花(……寒い、よ……)

体が冷えていくのを感じる。

この状況下において、どうしたいのか。

あるいは、どうするべきなのか、どうすればいいのか、何一つ分からない。

思考が混沌に沈んでいき、熱が失われていく。

前にもあった、分からないづくしだ。

自分には何も分からない。

何も、できない。

甜花(……助けて、なー……)


『なにごとも最初は一つずつ』

混沌とした思考の中で、その言葉が最初に煌めいた。

『どんなに複雑に見える問題も、そうすれば必ず解決できるものよ』

夏葉さんの言葉だ。

それに呼応して、いくつもの言葉が蘇る。

『楽しむこと、忘れちゃダメですよ?』

この舞台は楽しい、自分は楽しんでる。

『甘奈が見てみたいのは、舞台の上の綺麗な甜花ちゃん』

『だから……ダメ、かな?』

なーちゃんとの約束がある。

『だが、今回ばかりは何とかするよ。それでどうだ?』

『期待してくれるなら、応えたいって……今は、そう思えるよ』

『遠くまで見えてる。そんな感じよ』

期待に応えたいという気持ちがあって。

今はその先の、遠くまで見えて来ている。

なら、どうしたい?

『甜花も……このラストシーンは、好き……』

『私もよ』

自分は、ラストシーンをやり通したい。

なら、どうするべき?

『そうなったら、頑張る……』

『歯を食いしばって、足を地に踏ん張って、前を向いて立っていられるのなら……』

『甜花も……そう、なれるのかな……』

自分にできることを、全力でやるべきだ。

なら、どうすればいい?

『外側バルーンには半径50ミリの穴が、既に等間隔で開けられています』

『内側バルーンの一箇所にでも穴が開けばいいからな。簡単な仕事だ』

『……甜花、本当に何もしなくていいのかな?』

『仕方がないわよ。割り振りが決まったのは、代役を探してる時期だったから』

『裏側……? あ……』

『言い方が悪くなるけど、ハリボテみたいな物ね』

『アナタの射撃精度には及ばないわ』

『エアガンを……お守り代わりに、しようかと思って……』

ピースが順番に埋まっていく。

敷き詰められて、一枚の風景を描き出す。

それは、あの日の縁日だった。

幼いなーちゃんが自分の手を引いて、屋台の奥にある宝物を指差す。

そして言うのだ。

だからその前に、もう一度だけ自分に問おう。

それなら自分は、どうすればいい?

『あまなもね。あれがほしいの』

『だから、うって! あれにあてて、てんかちゃん!』



思考はクリアに。

視界は現実に戻って来た。

もう迷う必要はない。

自分はなーちゃんに、最高の舞台を見せるのだ。

甜花「甜花になら……」

甜花「甜花になら、出来ることがあります!」


王子役「現実的じゃない! セットの裏に隠れておいて、エアガンで穴を開けるなんて馬鹿げている!」

王子役「隠れるのは……まぁ、多分可能だろうとは思うよ」

王子役「だけど問題は射撃の方だ! 当たる保証はない! 当たったとして割れる保証は、もっと無いだろ!」

夏葉「当たるわ」

王子役「へ……?」

夏葉「命中に関しては、私が保証します。何を賭けたっていいです」

継母役「彼女の射撃精度は、プロ級だとも?」

夏葉「そう言うわけでは無いけれど……一定水準以上の腕はあります」

夏葉「今の彼女なら、必ず当てられます。そう私は信じています」

継母「つまり……精神論?」

夏葉「ええ」

夏葉「割れるかどうかに関しては……注入する煙の量を想定より多く、設計ギリギリにすれば割れ易くなると思います」

夏葉「バルーン自体をパンパンにするんです」

演出家「それは可能か、小道具?」

小道具「え……? え、ええ! 恐らく可能です。計算し直してみないことには確実には言えませんが……」

小道具「スモークマシンの遠隔操作機器は、壊されていませんから!」

演出家「だが……煙の量を増やせば、予期せぬタイミングで割れる事もある」

小道具「……あ」

演出家「関係ない場面で煙が出て仕舞えば、舞台は続行不可能。その時点で中止だ」

演出家「つまり、70点の舞台で満足するか、0点の可能性を孕みながら100点を目指すかだ」

演出家さんが、周囲に目で問いかける。

王子役「そりゃあ出来ることなら、100点狙いたいですよ! 俺だって!」

義姉2役「私もそう。でも……」

そこにいる全員が口々同じことを言い、そして自分に目を向ける。

博打だと判明して、それをうつ本人である自分に、意見を求めていた。


演出家「総意は決まった。後はお前さんの意見次第だ」

演出家「お前さんが、やりたいかどうかだ」

一段と、視線が強まった気がした。

そう問われて、縮んで俯くような仕草をする。

それは、最近気づいた自分の癖だ。

落ち込んだ時、辛くなった時、右腕を左腕で隠すような体勢を取ってしまう。

だけど今は違う。

この動作は、右腕が左腕の裏側に触れる。

少しだけ膨れた、左腕の腕橈骨筋に触れるのだ。

ほんのちょっぴりだけの筋トレの成果が、自分の努力を思い出させてくれる。

努力を始めた時の想いを、胸の内に蘇らせてくれる。

それが力をくれる。

失敗する事への恐れに対する力を。

自分の判断によって、不幸になってしまう事への怖さに対する力を。

そこに宿った想いが、恐怖と共にある勇気を与えてくれるのだ。

『問題は、甜花がやりたいかどうかだ』

最後に、プロデューサーさんの言葉が輝いた。

腕橈骨筋から右腕を離す。

そして、力強く頷いた。


P「あれ、まだ始まっていないのか?」

凛世「はい……休憩時間を20分の延長する……とのことです」

樹里「館内全体でかかってたみてーだぞ。聞いてないのか?」

P「いや、取引先と電話したり、さっきのディレクターの話し相手になってたりしたから……」

智代子「プロデューサーさん、一応オフなんですよね……?」

P「そうだが……いや、今は俺の事はどうでもいい」

P「それより延長の事だ。何が理由わ言ってなかったか?」

凛世「それは……ただ『劇団側の都合』とだけ……」

P(トラブルか。それも、かなり偶発的な)

P(……)

凛世「プロデューサー……さま……?」

智代子「プ、プロデューサーさんが……珍しく怖い顔してる……!」

P「……え、そうだったか? すまん、意識してやったわけじゃないんだ。ごめんな」

智代子「い、いえ……大丈夫です、はい」

P「とにかく事情を聞いてくるよ。あの二人のプロデューサーだから、関係者証はあるしな」

P「それじゃあ行ってくる。ああ、それと……」

P「多分時間までには戻れないから、俺の事は気にせず鑑賞していてくれ」


舞台が再開されている。

サンドリヨンは魔法をかけられて、舞踏会におもむいた。

夢の様な一時を過ごし、名前を問われるという責め苦を受けて、家に帰還した。

そして今はもう、サンドリヨンという意味でのラストシーン。

シンデレラに責められて、ガラスの靴を返して、彼女から離れていくシーン。

このシーンが終われば自分は、この劇の裏側での戦いに挑まなければならない。

その為に、このラストシーンの最後の最後を全力で演じるのだ。



甜花「『最後に……これ、返すわね』」

ガラスの靴を差し出す。

これは、シンデレラに置いていかれたくなかった彼女が、自分の為に持ち出したもの。

だから感情は悲痛に。

甜花「『それを……大事に持っておいて』」

それは、シンデレラの幸せのために、彼女の元に返そうとしているもの。

だから、悲痛さを必死に取り繕う様な表情で。

だけどそんな事は、まだシンデレラには分からない。

シンデレラは、声を上げるしかない。

夏葉「『貴女は……』」

夏葉「『貴女は……!』」

サンドリヨンに、悲しみをぶつけるしかないのだ。


シンデレラが叫ぶ。

夏葉「『貴女は、何がしたいの……!?』」

ガラスの靴を使って、シンデレラに王宮で幸せになって欲しいと思う。

これは、サンドリヨンの気持ち。

サンドリヨンは、シンデレラの言葉に黙っているしかない。

夏葉「『貴女は何がしたかったの……!?』」

大好きな家族とずっと一緒に居たい。

ずっと一緒に居たかった。

これは、自分とサンドリヨンの気持ち。

夏葉「『貴女は……! サンドリヨンは……!』」

夏葉「『私は……! 私は、ただ……私は……』」

シンデレラが泣き崩れる。

それをサンドリヨンが抱き止める。

そして、別れの言葉を告げる。

大好きな家族に、最後の言葉を告げる。

甜花「『……ごめんなさい、さようなら』」

これは、サンドリヨンの言葉。

甜花「『……ずっとずっと、ありがとう』」

これは、自分とサンドリヨンの言葉。

でも自分は、なーちゃんに別れの言葉なんて言えない。

だから自分は、サンドリヨンになりたいわけじゃない。

同じなのは、大好きな人達と一緒に居たい事。

その為に必要な願い事は、もう分かっている。

自分がなりたいものは、もう見つけてある。

そうして、自分のラストシーンが終わった。


私服に着替えて、控室を飛び出す。

舞台のラストシーンがもうすぐ始まる。

その前に裏口から入って、セットの裏側に隠れていなくてはならない。

エアガンはあらかじめ、セットの裏側に置いてある。

弾も既に装填済み。

後は自分がそこに行くだけで良い。

辿り着くだけで良い。

だと言うのに。

その道を塞ぐかの様にして、人が立っていた。

それは、プロデューサーさん。

プロデューサーさんが、まるで最後の敵の様に、その場所に仁王立ちしていたのだ。

P「事情は聞いた」

P「それで俺は、甜花を止めに来たんだよ」

P「俺は283のプロデューサーとして、甜花を止めなくちゃいけない」

P「このまま甜花を……この先に、進ませるわけには行かないんだ」

明確な意思を持つ壁が立ち塞がる。

プロデューサーさんのことだ。

それはきっと、自分の為なのだろう。

だけど、自分は撃つと決めた。

プロデューサーさんが何を言おうと、自分が撃たなくてはいけない。

だったら、この壁を超える以外にはないのだ。


P「単刀直入に言う」

P「エアガンは、俺が代わりに撃つ」

P「甜花が撃つ必然性はない。この劇団の人間の尻拭いを、甜花がする必要は無い」

おそらく、正論なのだろう。

最後の仕掛けの不備について、自分には責任はないはずだ。

甜花「甜花じゃ……当てられないと、思ってるの……?」

話題をわざと誤魔化す。

しかしそれは、無意味に終わった。

P「そういう話をしているんじゃない。個人としては、甜花を信じているよ」

P「だけど組織に属する人間としては、リスクを考慮しない訳にはいかない」

P「それを止めないという選択肢は無い」

甜花「で、でも……甜花がちゃんと当てれば……」

P「話が変わっていないが……リスクを度外視しても、許可はできない」

P「メリットがない。甜花が撃って当てたとして、得るものが無い。せいぜい劇団の人間に褒められるくらいだ」

P「はっきり言ってしまえば……甜花がやろうとしているのは、名誉なき戦いだよ」

甜花「あう……」

正論の、たったの二発でKOされてしまう。

つくづく自分の口下手さが恨めしい。

かと言って、プロデューサーさんの言葉には従えない。

だけど言い返す事が出来なくなって、プロデューサーを見つめている事しか出来ない。


視線をぶつけ合うこと数秒ほど、プロデューサーが先に目を逸らした。

P「やっぱり甜花は……意外と肝が据わってるんだよな」

甜花「そ、それじゃあ……」

P「それとこれは話が別だ。リスクとリターンが釣り合ってない以上は、許可できない」

甜花「そう……だよね……」

P「……だから、リターンを示してくれ」

甜花「え……?」

P「単純な話だよ。甜花か撃つ事で得られるものを、俺に教えて欲しい」

P「甜花の言葉で、俺を説得して欲しいんだ」

P「そうしたら……俺は、喜んでこの道を譲るさ」

プロデューサーさんがニコリと笑う。

その表情は、坂の上で子供が登り切るのを待つ親の様な、そんな柔らかさを持っていた。

不意に、涙が溢れてくる。

自分はきっと誰よりも、周囲の人にだけは恵まれていたのだろう。

こんな自分だけど。

周り人達が暖かかったからこそ、自分は今ここで、腐らずにいられるのだ。

甜花(ちゃんと……言葉に、しなきゃ……)

甜花(それで……これからは甜花の……自分だけの、力で……)

自分は口下手だ。

それでも、言葉が必要な時はある。

言葉はいつだって、誰かを変えてくれるものだから。

自分を変えてくれた言葉で、目の前の壁を越えてみせる。

その為に必要な言葉は、自分の心に火を灯してくれた、あの言葉だ。

自分の中に一杯あった言葉達に、意味を見出させてくれた、あの言葉だ。

今あの言葉に、想いをありったけ乗せて。


甜花「甜花ね……『似ているね』って、言われたんだ……」

甜花「夏葉さんが、甜花にね……『似ているね』って言ってくれたんだ……」

声が震える。

甜花「おかしい、よね……? 夏葉さんとは双子じゃないし……性格だって、全然違うし……」

甜花「好きな本も知らないし……趣味だって、きっと合っていないのに……それなのに……」

甜花「夏葉さんは『似ているね』って……こんな甜花に……そう、言ってくれたんだ……」

甜花「確信を持って……迷う事もなくて……『似ているね』って……!」

甜花「ちゃんと……『似ているね』って……甜花に、そう……言ってくれたよ……!」

重なった手の平を、心臓に当てる。

そうして心臓を握りしめる。


甜花「それが不思議で……甜花ね、たくさん考えたよ……」

甜花「そうしたら……思えたんだ……」

甜花「自分の中にあるものを……ちょっとぐらいは、信じて良いのかもって……」

声の震えは上ずりに変わった。

でも止まらない。

言葉が溢れてくる。

甜花「それで……ちょっとだけ信じてみたらね……」

甜花「すぐに……願い事が、できたよ……」

甜花「そして、甜花がなりたいもの……ちゃんと、見つけられた……」

甜花「やっと……やっと、見つけられたよ……!」

鼻をすすり、より強く心臓を握りしめる。

ここから先は決意表明だ。

それは、確かな声で言わなくてはならない。

甜花「だから……! 甜花は、もう逃げない……!」

甜花「きっと、甜花が撃たなくちゃダメ……!」

甜花「だって、甜花の願い事は……!」

甜花「甜花が、なりたい甜花は──!!」

俯きがちで言ってしまったけど、それでも言葉にした。

しっかりと宣言した。

プロデューサーさんの、息を飲む音が聞こえる。


P「それは、ささいで……ちっぽけな願い事だ」

甜花「うん……甜花も、そう思う……」

P「ありふれていて……だからこそ、誰もが心のどこかで願っていて……尊くて……」

P「それでいて……とても、難しい願いだ」

甜花「……強く、なるよ」

P「甜花……?」

甜花「なりたいもの、やっと分かったから……目指す場所が分かったから……それなら……」

甜花「甜花だって、強くなれるよ」

P「……甜花、お前は……」

甜花「……でも、甜花はまだ弱いから……」

甜花「これからもきっと、たくさん転んで……たくさん泣くと思う……」

甜花「だから見守ってて、プロデューサーさん」

甜花「見てくれてる人が居たら、甜花は何度だって、立ち上がるから……」

甜花「そして立ち上がったら……これからは、自分の足だけで歩いていけるから……」

なーちゃん、パパ、ママ、千雪さん、プロデューサーさん……

立ち上がる力はいつだって、周りの人が与えてくれていた。

そこから歩み出す勇気は、夏葉さんがくれた。

だからここから先は、自分の力で歩いていく番だ。


P「ああ。ああ……」

P「分かったよ。ちゃんと見てる。見守ってる」

P「甜花がトップアイドルになる日まで、ちゃんと側に居るさ」

甜花「トップ、アイドル……?」

P「ああ、トップアイドルだ」

甜花「そう、だよね……甜花だって、目指していいんだよね……」

甜花「トップアイドル」

P「ははは、当たり前だろ」

プロデューサーさんが拳を突き出す。

包み込む手の平からは、もう卒業だ。

P「その願い事じゃ、甜花が撃たないわけにはいかないよな」

P「よし。行って来い、甜花」

拳の先だけを軽くぶつけ合う。

そして笑う。

甜花「行ってくるね、プロデューサーさん」

一言だけ告げる。

それから振り向いて、駆け出した。


王子役「あれ、Pさん? こんな所で何してるんすか?」

P「……」

P「曰く、『この世は舞台なり──誰もがそこでは、一役演じなくてはならぬ』」

王子役「シェイクスピアっすね」

P「ああ。そして俺たち役者にとって、いつだって舞台は戦場だ」

王子役「……? 急に、どうしたんです?」

P「いや、な……」

P「あいつは、演じるべき舞台と役を、自分の意思で選べるようになったんだな、って……」

P「そう、思ったんだよ」

P「それだけさ」


セットの裏側は冷たくて暗かった。

同じステージの上、演劇のラストシーンは進んでいく。

そこではきっと、名誉と称賛に満ちているのだろう。

夏葉「『私は姉の心を見つけたのです。自分のすべき事を見つけたのです』」

置いてあったエアガンを拾う。

それは朝に撃った時より重く感じられた。

老婆「『だからガラスの靴を返すと? それがあれば、不自由のない世界に行けるというのに』」

老婆「『それが無ければ、灰にまみれるだけの生活に戻るだけだと言うのに』」

壁を隔てただけのステージが、とても遠く感じた。

それでいて、遠く離れたこの場所が、今の自分には丁度いいと感じる。

それも当然だ。

だって自分は誇りも自信も、まだ持ててはいないのだから。

夏葉『それは……違います』


サンドリヨンが演じられるようになった。

遠くのマトに当てられるようになった。

それは嬉しいことだ。

少しずつ先に進めてると、感じる事が出来たから。

だけどまだ、自信に満ちた自分など描けない。

誰かに追いつけているとは、到底思えない。

それでも

夏葉『ガラスの靴が無くなっても、私が得たものは失われません』

それでも、強くなりたかった。

栄光を掴めるような強さはいらない。

誰かに認められるような強さもいらない。

夏葉『父を、姉を、貴女を──家族を愛しています』

夏葉『この気持ちが消えることは、決してありません』

ただ、一緒に歩いて行きたい人達がいるだけ。

その人達と肩を並べて、歩いて行きたいだけ。

夏葉『だから……』

だから自分は、その為だけに強くなりたいのだ。


「甜花は誇れるものなんて、何一つ持ってない」

歯を食いしばる。

「弱くて、何もできなくて、いつも助けて貰ってばっかりで」

足を地に踏ん張って、射撃体勢に入る。

「きっとこのままじゃ、笑っていられなくなるんだって……分かってるよ」

落としていた視線を前に向けて、それから、目標物を見上げる。

そして、言葉にする。

「だから、変わりたい」

それは願い。

「こんな甜花でも、強くなりたい」

それは、今描ける精一杯の幸福の形。

「自分の為に、強くならなくちゃいけない」

それは、あの縁日の日から燻り続けてた想い。

「誇れる自分なんて分からないけど……! だけど……! だからこそ……!」

「だから、甜花は甜花を……! 自分自身の事を……!」

「蔑まずにいられるような、甜花になりたい──!」

その叫びのような呟きは、誰にも届くことはなくて

それでも、自分の中では確かに木霊して

全身に力が漲った。


『たとえ灰被りでも良いのです』

『まずは大切な人の隣で、曇りなく笑える自分でいたいのです』

『だから』

『ガラスの靴でなく、自分の足で歩いて行きたいのです』


煙が舞台に満ちている。

何とか成功したらしい。

白いカーテンがかかって、何も見えないけれど。

その事が何よりの成功の証だ。

ステージの袖の方に移動して、観客席の方を見た。

煙が掛かっていても、方向は分かる。

拍手の音が耳に響いているから。

煙が晴れて、魔法が解けているのを見れば、万雷の拍手になるのだろうか。

そうでなくてもいいと思った。

もう祭囃子が聞こえなくなるくらいには、この音は大きいのだから。

煙が中央の方から晴れてきて、拍手がさらに大きくなる。

もう一度、観客席の方向に目を向ける。

袖の方だって、じきに煙が晴れていくだろう。

その瞬間を心待ちにする。

もう目を離すまいと決めて、一点だけを見つめ続ける。

(……)

ついに、目の前の煙のカーテンが切れた。

視界が開けて、観客席がよく見えるようになる。

そして

大好きな家族の、笑顔が見えた。

終わりです。長々とお目汚し失礼しました。

夏葉さんの良さはtrueコミュの「期待に応えるのは得意なのよ」というセリフに詰まってると思います。

途中でコメントを頂いた皆様には、心から感謝を述べたいと思います。本当に大きな励みになりました。ありがとうございます。

皆さん、コメントありがとうございます。

エアガンは18禁と10禁の物があり、法律には一応抵触していません。
まぁ、10禁のエアガンのパワーで割れるの?と言われると限りなく怪しいですが……
その辺りは話の都合と思って貰えると助かります。

おまけ(ギャグ)をふと思いついたので、近日中に投下します。HTML申請はその後で……


以下おまけ(ギャグ)
本編の空気感などを完全にぶち壊しているので、その点を踏まえた上でお読み頂くか、ブラウザバックをお願いします。

シャニマス本編と4コマ時空くらいの差があると思って読んで頂けると幸いです。


『うけつがれるちから』



甜花「じゅういち……じゅうに……じゅう……さん……」

甘奈「たっだいまー☆」

甜花「……あと、ちょっと……じゅう……よん……」

甘奈「うぇ……?」

甘奈(て、甜花ちゃんが……ダンベルを持ってる……!?)

甜花「……じゅう……ご……ふぅ……」

甜花「あ、なーちゃん……おかえり……」

甘奈「て、て、て、甜花ちゃん? そ、その……何してるの?」

甜花「……? 一応、筋トレのつもりなんだけど……」

甘奈(甜花ちゃんが、家で筋トレを……!?)

甜花「甜花、最近気がついた……」

甜花「筋肉って……凄いのよ……」

甘奈(これ絶対、誰かから変な影響受けてるー!)

甜花「なーちゃん……?」

甘奈(いや、いやいやいや……あわわわわわ……あわわ……)

甘奈(……で、でも……! 甜花ちゃんにしては変だけど、家で筋トレくらいは普通の範疇のはず……!)

甜花「筋肉がつくと……基礎代謝が増える……」

甜花「基礎代謝が増えれば……プリンもポテチも食べ放題……にへへ……」

甘奈(あ、やっぱり甜花ちゃんは甜花ちゃんかも……)

甜花「そういえば……プロテイン入りプリンってあるのかな……」

甘奈「やっぱりダメー!!」

甘奈(こ、このままじゃ甜花ちゃんがムキムキになっちゃう……!!)


『みぎてにおもしを、ひだりてにほんを』



P「それでは、富山県出身のA・Oさんからのお便りです」

P「『突然ですが、私は甜花ちゃんの大ファンです! とにかく甜花ちゃんの事が大好きです』」

P「『いち早く甜花ちゃんの魅力に気が付いた事が私の自慢です! たぶん、世界で三番目です!』

甜花「これ……なーちゃん、だよね……?」

P「何を言う。富山県出身のA・Oさんだ」

P「えー……『最近甜花ちゃんが、筋肉トレーニングにハマっていると聞きました!』」

夏葉「そうなの?」

甜花「うん……まだ、家族しか知らないことだけど……」

P「『ですが私は心配です! 筋肉がつき過ぎると、甜花ちゃんの可愛さが損なわれ兼ねません!』」

P「『甜花ちゃんは今の時点でも、十分かわいくて、愛らしくて、良いお姉ちゃんで、それで』……」

P「……まぁ、この後はいいか」

P「とにかく! 事務所に届いたこの怪文書の事で甜花に話がある!」

夏葉「私が呼ばれたのは?」

P「夏葉も当事者だからだ。間違いなく」

P「……とは言え、別に説教する訳じゃないんだ。喫茶店で談笑するような気分でいい」

甜花「喫茶店で……」

夏葉「談笑を……」

甜花←カバンからダンベルを取り出す
夏葉←何処からともなく鉄アレイを取り出す

甜花←漫画本を出して左手に装備する
夏葉←君主論を開いて左手で持つ

甜花←丸まりながらも空いた手にダンベル
夏葉←足組みポーズで空いた手に鉄アレイ

P(アカン)


『はんぱつかんせん』



P「言ったけど! 喫茶店で、って言ったけど!」

P「その何処でも努力する姿勢は見習いたいけど! 感心しているけどさ!」

P「甜花にまで感染ってるのは何でだー!?」

甜花「にへへ……」

P「可愛いけど誤魔化されないならな!」

夏葉「……そこまで言うのなら、よ。プロデューサー」

P「何だ?」

夏葉「アナタが普通の『喫茶店の過ごし方』を見せてくれるのよね?」

P「えっと、何故そうなるか分からないんだが……分かった」

P「注文を済ませたところから始めるぞ? まずは……そうだな、注文した物が来るまで空き時間になる」

P「ぼーっとしてるのも勿体無いので、手帳を取り出してスケジュールチェックやら何やらをするな」

P「しかし、本格的な仕事をするには半端な時間だ。だから過去の情報の再確認が中心になって……」

P「そうすると片手が淋しくなるから、カバンから水ダンベルを取り出して……」

P「周りに気をつけながら……いち、に、いち、に……と」

P「……はっ!!」

甜花「にへへ……プロデューサーさんも、一緒……」

夏葉「ええ、それでこそ私達のプロデューサーよ!」

P(俺にも感染ってるぅーッ!!)



夏葉「……真面目な話をすると、甜花がムキムキになるのはマズイわよね」

P「そうだな。アルストロメリアにもイメージがある」

夏葉「それなら、私に良い考えがあるわ」


『みえるんだけど、みえないもの』



甜花「42……43……44……」

甘奈「たっだいまー☆」

甜花「……あと、15秒……46……47……」

甘奈「うぇ……?」

甘奈(て、甜花ちゃんが……変なポーズでプルプル震えてる……!?)

甜花「……50……51……おかえり、なーちゃん……54……55……」

甘奈「て、甜花ちゃん?」

甜花「58……59……60……終わり……」

甘奈「それ……何してるの?」

甜花「辛い姿勢を、長時間維持する……体幹トレーニングみたいな……」

甜花「インナーマッスルを鍛える、トレーニング……うん、もう一セット……」

甘奈「インナーマッスル……?」

甜花「体の内側の筋肉で……鍛えると、姿勢が良くなったりする……」

甜花「鍛えた成果は自分で分かるけど……見た目は、あんまり変わらない……」

甜花「つまり……見えるんだけど、見えないもの……!」

甘奈(わ……甜花ちゃん、凄いドヤ顔……これは……)

甜花「……? なーちゃん、今度はダメって言わないんだね……」

甘奈「う、うん……それは、だって……」

甘奈(ドヤ顔でプルプルしてる甜花ちゃん、メッチャ可愛いんだもん!!)



甘奈(……それに……)

甘奈(カッコいいよ、頑張ってる甜花ちゃんは)

甘奈(ムキムキ甜花ちゃんは、さすがに嫌だけどね☆)

お目汚し失礼しました。HTML申請してきます

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