白菊ほたる「あの日の写真」 (15)


 鏡に映るのはいつだって暗い色の服、竦んだ肩、俯きがちな青白い顔におどおどした目の私自身。

 私はそんな陰気な自分の姿を見るのが嫌だったんです。

 だって、暗く縮こまった自分の姿を見ていると、ああ、やっぱりみんなの言うことは本当なんだ、って思ってしまうから。

 白菊ほたるは不幸を呼ぶ、縁起の悪い子。

 そういわれるにふさわしい姿をしているって納得してしまうからです。

 鏡を見るのがいやで、人に顔を見られるのがいやで、私はいつも俯いていました。

 私の顔を見たい人なんてきっといないから、それでいいんだって思っていました。

 私は自分の外見に、すこしも自信を持っていなかったのです。

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 たぶん、きっかけがなかったら、私はきっとずっと俯いたままだったでしょう。

 ――小学校四年の、秋のころだったと思います。

 いつものように俯いて家に帰ると、玄関に見慣れない靴がありました。

 居間で、お父さんとお母さんと、知らないおばさんが話をしていました。

 ぎょろっと目の大きい、ちょっと太ったおばさんです。

 お母さんの大学時代のお友達で、岡山から出張に来たついでに寄ってくれたんだよ、ってお父さんが教えてくれました。

 ほたる、ご挨拶なさい、ってお母さんが言いました。

 わたしは白菊ほたるです、とちょっと頭を下げて、すぐ自分の部屋に戻ろうとしました。

 だけど、そのおばさんが、そんな私を呼び止めて、いったんです。

 貴女、モデルを引き受けてくれない? って。

 おばさんはにこにこ笑って喋り出しました。

 自分が写真家をしていること。

 今度、賞に出す写真のモデルを探していたこと。

 私がそのイメージにぴったりだったこと――。

 私は、嫌ですっていいました。

 こんな陰気な私の顔を写真にとって、たくさんの人に見てもらうなんていやです、って。

 私の写真がどこかに飾られている。

 それを想像するだけで、嫌な気持ちになります。

 きっと見た人は、いやな気持ちになるでしょう。

 陰気で、まるで不運を呼びそうな子だ、って言うでしょう。

 写真に、いつも私が浴びているようなまなざしを注ぐでしょう。

 想像すると、まるで実際に無数の冷たい目に見られているような気がしてきて、小さく震えてしまいます。

 だけどおばさんは、ぱちくりと目を瞬かせて、言ったんです。

 あらどうして? そんな綺麗な、かわいい顔してるのに勿体無い、って。

 ――冗談だと思いました。

 私を『かわいい』って言ってくれるのは、肉親だけでしたから。

 そういう人たちが言う『かわいい』は贔屓目で、必ずしも見た目の事を言ってるわけではないんだってことぐらい、私だって知っています。

 たくさんの人が言う、陰気でいやなかんじの子だって評価のほうが、きっと正しいんです。

 ずっとずっと、私は自分の外見に欠片の自信も持ってはいなかった。

 だけどおばさんは嫌だって言う私を何度もなんども説得しました。

 何度もなんども頼み込まれるうちに、私にも解りました。

 この人は冗談じゃなくて、真剣に頼んでるんだって。

 私を、本当に、綺麗な顔してるって言ってくれたんだって。

 そう理解した途端に――どきっ、て小さく胸が鳴るのが解りました。

 私を『かわいい』って言ってくれるのは、肉親だけです。

 沢山の人たちが、私を陰気で嫌な感じの子だって言いました。

 いつも鏡に映る自分の顔を見て、私もそう思っていました。

 私はちっともかわいくない子だ。

 不幸を呼ぶ私に似合いの顔だ、って。

 だけど、初めて他人に、本気で『かわいい』って、『綺麗』って言われて――ちょっとだけ、もしかしたらって思ってしまったんです。

 もしかしたら、もしかしたら、私をかわいいって思ってくれる人もいるんでしょうか。

 私のこのくらい顔のどこかに、少しぐらいはかわいらしさが隠れているんでしょうか。

 私のこの顔を、好きだって言ってくれる人が、いるんでしょうか。

 ――私は結局、モデルを引き受けました。


 次の日曜に、お父さんに連れられて、岡山にあるそのおばさんの写真館に連れて行ってもらいました。

 到着したのは、夕方ごろです。

 おばさんは良く来てくれたって凄く喜んでくれて。

 そして私を、沢山の衣装や化粧品のある部屋に連れて行ってくれました。

 さあおとなしくしていてねと私を鏡に向わせて、化粧品を広げます。

 鏡を見るのが嫌で視線を下げようとする私に何着もの服や髪飾りをとっかえひっかえして、リップはこの色がいいかしらやっぱりこっちかしらと思案顔。

 甘い香りのパウダーを頬にはたいてくれながら、おばさんはおどけた話をたくさんしてくれました。

 昔話、冗談、おとぎ話。

 お話は楽しくて、おばさんはひょうきんにつぎつぎ表情を変えて。

 私はおばさんのお話を聞くうちに、だんだん楽しい気持ちになっていきました。

 そんな私のお顔にちょっとお化粧をして、服を整えて、やがておばさんは『さあ完成』と頷いて、ぐいっと私の背筋を伸ばして姿勢を整えさせました。

 鏡の中の自分を見て、私は目をまんまるにします。

 だって。

 だって、鏡の中のその子が、可愛かったから。

 髪の毛に菊の飾りをつけて、白いレースの服を着せてもらって。

 顔はかるいメイクをしてもらって、眉毛をすこし整えて。

 そんなふうに整えてもらいはしたけれど、基本はもちろん私の顔で。

 たしかに、それ私の顔で――

 それなのに私は、鏡の自分を、私はかわいいって思ったんです。

 ――暗い表情をしてない自分の顔を見るのが本当に久しぶりだったことに気がつくのに、すこし時間がかかりました。

 おばさんのたくさんの面白い話や、楽しい表情が、気付かないうちに私のおどおどした表情を消してくれていて。

 いつも俯いていた顔を、おばさんが上げてくれました。

 ――私は、自分の外見に、ずっと何も期待をしていませんでした。

 だけど私は、そんな私を『かわいい』って思えたんです。

「ほら、言ったとおりだったでしょう?」

 してやったりと笑うおばさんに小さくはいと答えてから、私は小さく、鏡の中の自分に笑いかけました。

 ああ、私はこんなふうな顔が出来るんだ。

 それは秋晴れの空を見上げるような、とても新鮮でさわやかな驚きでした――。


 
 ――おばさんは、白いレースの服を着た私をすすき野原に立たせて、満月を背にした写真を撮りました。

 明るい満月を背にして淡く光るすすきの中でちいさく、照れたように笑う私。

 その光景はなんだか、夢みたいで。

 残念なことにその写真は賞をいただけませんでしたが、私はその写真がとても好きになりました。

 おばさんは県展が終わったあとその写真を私にくれました。

 だけどいつもの『不幸』で、その写真は冬に空き巣に入られたとき、いくつかの品物と一緒に盗まれてしまいました。

 写真はなくなって、おばさんは岡山からどこかに引っ越してしまって、私にはもとどおり、陰気だ、不吉そうな顔だと指差される日々が戻ってきました。

 おばさんが『綺麗なかわいい顔だ』って言ってくれたことも、まるでなかったことみたい。

 私はまた俯いて、おどおどとしたまなざしで過ごすようになりました。

 ――だけど、胸の奥の方に消えないものが残りました。

 私がかわいいから、写真を撮りたいって。

 それで賞に出してみたいと言ってくれた人がいたこと。

 私を選んでくれた、そこが素敵だって言ってくれた他人が、確かに居たということ。

 その事が、ちいさなちいさな自信を生んでくれたのです。

 それから日が経って、暗い気持ちの底にあったとき、TVで歌うアイドルを見て、アイドルを目指したいと思って。

 そんなことできっこない、と考えそうになる私の背中を押してくれたものの中に、その小さな自信は、確かに含まれていたんです――。


                                 (おしまい)

 最後まで読んでくださってありがとうございました。
 不幸つづきで自分に自信がもてなかったはずの白菊ほたるが、アイドルに出会ったとき勇気を出してその道に踏み出せたのは、過去に彼女のかわいさを承認してくれた「他人」の存在があったんじゃないかな、などと考えて書きました。

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