真壁瑞希「Cut. Cut. Cut.」 (14)

彼の手が好きだ。

私を撫でる彼の手が好きだ。

彼に触れられると、
じんじん、暖かくなって、
ぴりぴり、電気が走るようで、
きりきり、切なくなってしまう。

それを我慢しきれずに、身を強張らせてしまうと
彼は、ばつが悪そうに手を離してしまうのだ。

……もっと、撫でてください。

そう思って、
すりすり、彼に身を寄せてみても、
この気持ちが伝わったことはない。

たった一言お願いするだけで済む話なのかもしれないけど、
それくらい、わかってほしい。

伝わらないのは、単に、彼が鈍いからなのか、
それとも。

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朝早くから劇場に連れられてきた私は、事務室のソファーで、彼が仕事をしているのをぼーっと眺めていた。

最近の彼は忙しい。夜も寝る直前まで、パソコンに向かって作業をしている。
どうせにらめっこするなら、パソコンより、もっと楽しい相手がいるんじゃないですか。ここですよ。ここ。

「プロデューサー、おなかがすきました」

しかし、私は、考えていたのと違うことを言う。

反応はない。

もともと、人に気付いてもらうのが少し苦手なのである。
別にそれで困ったことはない。
……なかったのである。

「プロデューサー」

もう一度呼びかけてみる。

「んー?」

生返事が返ってきた。
一歩前進。やったぞ。

「あの、お忙しいでしょうか?」

彼は手を止めて、首を傾ける。

「……ああ、おなかがすいたのかな」

「正解です。ぴんぽん」

彼は私をしばらく見つめた後で、デスクの引き出しを開ける。しばらくの間、何かを探していた。

「何もないなぁ」

彼は時計を見る。

「すまないが、もう少しだけ、待っててくれ」

右手で「待て」の仕草を見せて、彼は再び、仕事に戻ってしまった。

私は犬じゃありませんよ?

そう言ってやりたいのを抑えて、彼が見ていないところで、伏せのポーズをしてみた。
よし、犬もいけるぞ。

「……この書類だけは今日中に出せって言われててなー」

彼は、モニタから目を離さずに言う。

「この企画が通れば、お前ももう少し劇場に馴染めると思うんだ。だからな……」

どうやら、今日は機嫌が良いようである。
彼の仕事の内容は、実は、よくわからない。
それでも今の言葉が、私のことを思ってのものだということは、なんとなく伝わってくる。

そう、
話していることの意味が伝わらなくても、伝わるものがある。

そんな微かな、あたたかいものを、
最近の私はとても大切にするようになった。

「プロデューサーさーん」

事務室のドアが開き、美咲さんが元気よく飛び込んできた。

「青羽さん、お疲れさまです」

「企画書の調子はどうですか?」

「あとは、細かいチェックだけです」

「どれどれ?」

美咲さんはプロデューサーの後ろに回り込んで、モニタを覗きこむ。

「……プロデューサーさん、もしかして英語苦手ですか?」

「自慢じゃありませんが、センター試験は60点でしたね」

「6割なら、悪くはないんでしょうかね?」

「200点満点です」彼は指を三本立てた。「数学は得意なんですよ。60/200が何割か一瞬で計算できます」

「とても納得しました。一ページ目から"THE@TAR BOOST"と書いてあったので、ちょっと頭が痛くなってきたところです」

「なんか間違ってます?……英語って同じような発音なのに沢山綴りがあったりするでしょう。不便ですよね」

「中学生レベルのことを言わないでください……あああ二ページ目も間違ってる。切り裂きジャックでも出るんですか?これ。どうして一番大事なタイトル間違っちゃうんですかぁ!」

「まあまあ、落ち着いて」

「誰のせいだと……」美咲さんは額に手を当てた。

「わかりました、早めに出していただければこちらでチェックします。三時くらいには読めますか?」

「……ええ、はい、もちろん。それくらいに出すつもりでした」

彼は不穏な空気を感じ取ったのか、真剣な表情を作る。「前向きに善処します」

「お願いしますよ」

美咲さんはプロデューサーを睨んでみせる。
けど、すぐに笑顔になった。

「それはともかく、お昼ご一緒しませんか?今日、お弁当忘れてきちゃって」

「え?……ああ、いや……」

彼は一瞬ためらうような素振りを見せてから、答える。「……真壁さんと先約がありまして」

「おやおや」

美咲さんは横目でこちらを見た。

「あらあら、まあまあ……」

「あの、申し訳ありません」

「それは……ええ、三人で事務所を空けるわけにはいきませんし、仕方ないですね」

「仕方ないですね」彼は適当に相槌を打つ。

「お邪魔すると馬に蹴られたり猫に引っ掛かれたり大変ですからねー」

「……何が言いたいのかさっぱりわかりませんが。あの、今度埋め合わせはしましょう」

「書類のチェック料プラス、口止め料ですからね」美羽は舌を出す。「覚悟しといてください」

「前向きに善処します」

「じゃあ、コンビニでお弁当でも買ってきますねー」

「すいません」

「何奢ってもらおうかなぁー。楽しみだなぁ。ではでは、行ってきまーす」

部屋を出るときに美咲さんはこちらにウィンクしてみせた。

「行ってらっしゃい」私はそれに応える。

「……さて、昼休みまで、あと15分というところかな」

そう言ったきり、彼は黙った。
彼なりに集中しているようだ。

私は、美咲さんのことを考える。

プロデューサーは、美咲さんと話すときは態度が違う。
距離が違う。

ああいう軽口の応酬に意味なんかないとしても、
いや、意味がないからこそ、
それこそが、コミュケーションの本質で、
人間らしさというのは、そういう無駄の積み重ねでできているのかもしれない。

それは、明らかに、私には足りないもので、
たぶん、どんなに頑張っても、手に入らないような気がしていた。

私は、プロデューサーとの距離を考える。

返答もなく、答えもない。

言わないのではなく、言わない。

意味がないのではなく、意味があってはいけない。

それが、プロデューサーがギリギリ保とうとしている、二人の距離。

何回計算をやり直しても、
路地裏に迷い込んだ子猫のように、
いつもその薄暗い行き止まりに辿り着く。

私は首を振って、こっそり、ソファを降りる。

「……よし、こんなもんでいいだろー」

宣言通りのほぼ15分後、独り言とともに、彼は大きく伸びをした。

「プロデューサー」

私は背後から忍び寄り、声をかけた。

「ん?」

振り返るその隙に、私は彼の正面に回り込む。

「と見せかけて、前から、どーん!」

そのまま、机の下から思いきり飛び出した。

「わっ?」

後ろにのけぞった彼の膝上に、勢いのまま飛び乗る。
そのまま、彼の胸に顔をこすりつける。

「ごめんなさい、驚かせてしまいましたね。心臓、どくどくいっています」

「……なんだ、今日は随分甘えん坊さんだな」

いつもと違う声の低さから、彼の困惑が伝わってくる。

「私はいつも甘えん坊なんです。知らなかったでしょう?」

「どうしたの?」

「もっと、かまってください。褒めてください。撫でてください」

彼は少しだけ悩んだあと、私の頭を優しく撫でてくれた。「これで、いいのかな?」

泣きたいはずなのに、涙は出ない。
けれど、今、きっと、私は笑っているはず。

「プロデューサー、らぶです。すきです。あいしています」

そう、

彼の声が好きだ。

彼の匂いが好きだ。

私を撫でる、彼の手が好きだ。

「おねがいです。ずっと、一緒にいてください。九回、生まれ変わっても、わたしは、貴方のそばにいたいです」

彼の瞳に、私が映る。

そのまま、彼の顔がゆっくり近づいてくるのを見て、

私は、そっと、目を閉じた。


。。
゚●゜

。。
゚●゜

。。
゚●゜


騒ぎ疲れて眠ってしまった彼女を撫でて、プロデューサーはため息をつく。
そのままの体勢でキーボードを打とうとして、腕を精一杯伸ばしてみた。そして、諦めた。

仕事自体はこなしているつもりではある。
しかし、彼女と事務所でこうしてじゃれあっている、という証拠は確実に残ってゆく。

散らかったものは片付ければ良いが、
例えば、匂いはなかなか消しきれない。篠宮可憐は最近、この事務室を露骨に避けている。
机やソファについたひっかき傷に気付けば、秋月律子や田中琴葉あたりも渋い顔をするに決まっている。

このままでは、そのうち、『事務所で猫を飼ってはいけません』という不名誉な貼り紙が追加されることになるだろう。

膝の上の子猫をそっと抱えて、彼は立ち上がった。

野良猫は、人にはあまり懐かない。
人に飼われた形跡がないこの子猫は、何らかの刷り込みでプロデューサーを親だと思っているのではないか……と言ったのは、我那覇響である。
その推測が正しいかはともかく、
自分に愛情を向ける存在を裏切るようなことは、あまりしたくない。
あくまで一般論としてだ。

まずはあの「三姉妹カフェ」の企画を形にして、
役作りだなんだと言って、無理矢理子猫の居場所を作る。

その後は、どうしようか。

時計は一時を指している。

そのまま彼女をソファに寝かせて、隣の仮眠室に忍び込む。

「瑞希、そろそろご飯に行くよ。起きてくれ」

控えめに呼びかける。
反応はなかった。

静かにベッドへと近づく。
真壁瑞希は、まだ夢の中にいるようだ。
寝顔を見ながら無意識に頭を撫でようとして、彼は慌てて手を止めた。

……どうも、猫のせいで、癖になっているな。
そのまま肩に手を当てて、ゆっくり揺すってやる。

「みーずーきー、おきろー」

瑞希はされるがままで、手応えがない。
ふむ。
どうしたものか。次の手を考えようとしたとき、彼の背後から呼びかける声があった。

『眠り姫は、悪い魔女の呪いによって、長い眠りについてしまいました』

「……それは、たいへんだ」

理解のため懸命に頭を働かせる。

これはナレーションか。
かなり近くで見ているのに、瑞希の唇は動いていない。
何度見ても素晴らしい技術である。欠点は、ステージ上で映えないことくらいだ。
もし彼女がアイドルでなければ、腹話術師でもやっていけるだろう。

もし彼女がアイドルでなければ。

その仮定は危険なように思えたので、それ以上考えるのをやめる。

『眠り姫を起こすための方法は、ただひとつ……」

「……キス以外で頼む」

『……、……頭を撫でてあげれば良いと思いますよ』

プロデューサーは苦笑する。「腹話術は知っているが、目を閉じたままものを見る技術はなんて言うんだろうね?」

『以心伝心ですかね。さあ、本人の合意の上ですから、ガッとやってしまってください』

「駄目だ。髪が乱れるからな」

『ぶっぶー。ダウトです』

「このナレーション、厳しすぎないか?」

『眠り姫が髪を切ってきたって、一度だって、気付いてくれたことなんてない王子様だったのです』

「ぐうの音も出ないプロデューサーだったのでした」

彼は笑う。

彼女は笑わなかった。

しばらくの沈黙。

しかし、プロデューサーの手は動かない。

何事もなかったかのように、瑞希は上半身を起こして、こちらを向いた。

「……結局、言葉にしても、伝わらないことって、あるみたいですよね」

「伝わっても、思い通りにならないこともあるよ」

「髪を切ったことに気付いても、何も言えないみたいに?」瑞希は首を傾けた。「誰のせいでしょうね?」

「誰かのせいにできれば楽なのに、と思うことばかりだ」

17歳の子にするような話ではないか、と彼は思い直した。「どうしたの?」

「……いえ、昔の夢を、見たものですから」

瑞希は不意に天井を見上げる。

プロデューサーが視線の先を追っても、そこには何もなかった。


おしまい。

くだらん駄洒落が今日のうちに形になってよかった。

猫の手がずれてしまったのが唯一の心残りです。

ではでは。

ネコがいる事務所とか羨ましい
乙です

真壁瑞希(17)Da/Fa
http://i.imgur.com/gdzqjQd.jpg
http://i.imgur.com/Pro45Dr.jpg

すっかり騙されてしまった
読み返すとたしかにたしかに
面白かったわ

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