【オリジナル】ファーストプリキュア!【プリキュア】 (647)

ゆうき「はじめまして、わたしは王野(おうの)ゆうき!」

ゆうき「私立ダイアナ学園に通う中学二年生なの」

ゆうき「新しい一年の始まりの日、ぬいぐるみみたいに可愛い妖精、ブレイと出会って、」

ゆうき「いつの間にやら伝説の戦士をやることに!?」

ゆうき「迫り来る闇の欲望『アンリミテッド』の魔の手からブレイたちを守り抜き、」

ゆうき「闇に飲み込まれ消滅した光の世界『ロイヤリティ』を復活させるために!」

ゆうき「勇気と誇りを胸に、精一杯がんばるよ!」


めぐみ「はじめまして。わたしは大埜(おおの)めぐみです」

めぐみ「私立ダイアナ学園に通っています」

めぐみ「新学年の始まりの日、王野さんを想った言ったことで、王野さんを傷つけてしまいました」

めぐみ「不器用で優しくないわたしにどこまでできるかわからないけど、」

めぐみ「妖精のフレンを守るため。光の世界『ロイヤリティ』を救うため」

めぐみ「そして、わたしたちの住まう人間の世界『ホーピッシュ』を守るため」

めぐみ「伝説の戦士としてがんばります!」




   「「プリキュア・エンブレムロード!」」


   「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」


   「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」


   「「ファーストプリキュア!」」





ゆうき「……っていうことで、大埜さん、がんばろうね!」

めぐみ「ええ、王野さん。わたしたちにできることを精一杯やりましょう」

ブレイ 「ブレイもがんばるグリ!」

フレン 「フレンもニコ」




めぐみ「新番組、ファーストプリキュア!」

ゆうき「12月24日(日) 午前10時よりスタート!」

    「「お楽しみに!」」

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1513432793


・毎週日曜10時に更新する予定ですが、お休みをすることや、時間をずらすこともあると思います。

・感想・質問等、たくさんいただけると嬉しいです。更新中の書き込みも大歓迎です。

・スイートプリキュアの頃から書いていたものなので、他のプリキュアとの色々な被りは悪しからずご了承ください。
 (というかめぐみという名前がそもそも最初から被っています)

・キャラクターの容姿等、ご想像にお任せします。本編で描写はします。

・50話ほどで完結です。一年間お付き合いいただければ幸いです。

>>1の番宣もどきは台詞形式ですが、通常の話は小説形式です。

・プリキュア好きの方、その他の女児アニメ好きの方、見て頂けたらうれしいです。



来週からよろしくお願いします。

【結成! 「おーのコンビ」はプリキュアコンビ!?】


★          ★          ★


 ジューッと。ベーコンの焼ける音が小気味良い。

「えっと、たまごは、っと……」

 フッとこうばしい香りがはじけて、頃合いだと分かった。冷蔵庫から取り出しておいたたまごを手に取る。室温で汗をかいたたまごは、キッチンに差し込む朝日に照らされて、キラキラと輝いている。

「……うんっ。きれいな目玉焼きにしてあげるからね」

 フライパンの縁でからを割る。少し力を入れて、片手でパカッ、と。

 ふと、頭上からりんりんとやかましい音が聞こえた。目覚まし時計がねぼすけをがなり立てているのだろう。時計に目を向けてみれば、もう七時だ。

「いっけない。トーストも焼いておかないと」

 たまごをさっさとフライパンに落とし、少し間を置いてから水を少々注いでフタをする。少しキッチンから身を乗り出すと、のろのろとやってきた小さい人影が見えた。

「あ、ひかる、ちょうどいいところにきた!」

「……?」

 寝ぼけまなこをこすりこすり、弟のひかるが自分を認めたようだった。

「あ……おはよ、お姉ちゃん」

「はい、おはよう、ひかる」 にこっと挨拶を返してから。「ごめんね、食パンをトースターで焼いておいて」

「あー……うん」

「まずは顔を洗ってからね」

「あー……」

 基本的に、寝起きはボーッとしている弟だった。のそのそと向かう先は、洗面台だろう。

「……それにしても、ともえが起きてこないなぁ」

 妹のともえが降りてこない。目覚まし時計も鳴りっぱなしだ。

 そんなことを考えていると、フライパンにかぶせておいたフタがカタコトと音を立て始めた。

「あ~、黄身が固くなっちゃう」

 ――ただでさえドジばかりやる自分が、よくここまで家事をこなせるようになったものだ。

 どこか感慨深い思いで、ゆうきはふっと微笑んだ。



 王野 (おうの) ゆうき、13歳。

 今日から中学2年生だ。


☆          ★          ★


 結局、ともえはひかるが起こしにいくまでリビングに来ることはなかった。

「まったくもう。ともえ、もう小学6年生なんだから、自分で起きられるようにしなさい」

「はーい」

 まるっきりの生返事。反抗期というやつだろうか、最近この妹は自分の言うことをきかないことがままある。

「ちょっと、ともえっ」

「分かったってば。明日から気をつけるよ」

 少しつり上がったまなじりに、ぷるんと艶やかな唇、サラサラの亜麻色がかった髪、歯に衣着せぬ性格、何をとっても自分とは正反対の妹だ。

(それに比べてわたしは……)

 嫌になる。トロンと垂れたやる気のない目つき、リップをつけなければすぐ乾いてしまう薄い唇、しっかりリンスをしなければ翌日言うことを聞かない真っ黒の髪、天然と言われることが多いボケた性格。それが自分、王野ゆうきという姉だ。

「お姉ちゃん?」

 気づけばぼーっとしていたようだ。ひかるが自分の顔をのぞき込んでいる。その末弟もまた、ともえとは異質にせよよく整った美男子だ。

「あ……なんでもない。早く食べて学校行こ」

 少し気弱で優しい弟を心配させまいと、ゆうきは気丈に笑った。

 父は単身赴任中。母は看護師のお仕事の関係で夜と朝はいないことが多い。

(だから、わたしがしっかりお母さん代わりをやらなくちゃ)

 新しい1年の始まりの日。ゆうきは慌ただしく弟妹を見送って、自分も学校へと向かった。


 私立ダイアナ学園女子中等部。

 長い伝統と格式を持つ中学校らしいが、ゆうきにはいまいちピンとこない。せいぜいが自分の通っている中学校は少し古い、といった程度の認識だ。

 まばらに自分と同じ制服を身につけた少女たちが目につくようになると、住宅街の向こうに校舎が見えてくる。友達は古くさいと言うが、ゆうきはオシャレな感じがして気に入っている。なんでも、英国の著名な建築家が設計したのだそうな。

「ゆうきぃー!」

 背後からの慌ただしい足音がふたつ。振り返る前に、両肩をパシパシと叩かれる。

「おっはよー、ゆうき」

「おはよう」

「もうっ、両側から挨拶しないでよ。どっちを向いて返せばいいの?」

 怒るポーズだけしてみせて、けれどすぐに顔がほころんでしまう。

「おはよ、ユキナ、有紗(ありさ)」

 当たり前だ。春休み中に何回かは会ったが、それでも登校途中で会うのは昨年度の三学期ぶりなのだから。

「ふふー、ゆうきは相変わらずかわゆいのうかわゆいのう」

 ゆうきにぐりぐりと顔を押しつける小柄な方が更科(さらしな)ユキナ。ハムスターのような少女で、栗色のボブカットがかわいい同級生。

「おっさんくさいぞ、ユキナ」

 それに呆れながら返すのが、背が高い栗原(くりはら)有紗。長い髪をひとつにまとめた大人っぽい美人だが、さばさばした男らしい同級生だ。

「ふたりも相変わらずだねぇ……ちょっとユキナ、暑苦しいよ」

「えへへー、ごめんごめん」

「謝るくらいなら離れなさい」

「ぐへぇ」

 見かねた有紗が引きはがしてくれて、ようやくユキナから解放された。

「うぅ~、今日から新しいクラスかぁ。ドキドキしちゃうよねっ」

「そうだね……今年も、ふたりと一緒だと嬉しいけど」

 ユキナの言葉にそう返すと、突然がばっと両側から抱きつかれた。

「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。このこのー」

「このこのー」

「ちょっと、歩けない! 歩けないから!」

 友達ふたりを半ば引っ張るようにして、ゆうきは校門まで行くハメになった。


 そこは、黒い場所だった。

 光源はある。しかし暗い。一面が黒いからだ。

「……で、取り逃がした、と」

 響く涼やかな声。しかしそれは清涼感というよりは、荒涼とした大地を思わせる冷たい声だった。

「それで、奴らは人間の世界、『ホーピッシュ』に行ったのだな? それぞれの “ロイヤルブレス” と “紋章” を持って」

「申し訳ありません、デザイア様」 声の主に会釈程度に頭を下げるのは、たくましい身体つきの男だった。「しかし問題はありません。奴らの位置は割れています」

「ほう?」

「我々がロイヤリティから奪ったエスカッシャン……これらが奴らの紋章と反応しあっています。これを頼りに捜索すれば、見つかるのも時間の問題でしょう」

「……なるほど」

 涼やかな声は、男の言葉に納得したように。

「分かった。ならば任せよう。しかし事は急がねばならん。ロイヤリティにはとある伝説があるからな」

「伝説?」

「ああ。ロイヤリティから光が消えたとき、伝説の戦士が現れ、4人の王者を助けるだろう、と……」

 声の言葉に、男は目を丸くしていた。

「……まさか、デザイア様ともあろうお方が、そんなおとぎ話を信じていらっしゃるのですか?」

「さあ、な」 男の馬鹿にしたような言葉にも、声は何の感情も見せない。「しかし、くれぐれも侮ることはないように」

「分かっております。同じ愚は犯しません」

「ああ。では行くのだ、ゴーダーツ。ロイヤリティの腑抜けきった王族どもから、紋章を奪い取れ」

 声の言葉は決然と、男に申し渡した。

「それが我ら “アンリミテッド” の欲望だ。ゆめゆめ忘れるな、ゴーダーツ」

「はっ。我らアンリミテッドの欲望を満たす、ただそれだけのために」

 そして、ゴーダーツと呼ばれた男は、闇に溶けるようにかき消えた。


 自分たちの住まう場所に何かが迫っていても、女子中学生には関係ない。

「やったー! 今年も一緒だね、ゆうき!」

「ちょっと、私は?」

「もちろん有紗と一緒も嬉しいよ♪ 演劇部でずっと一緒だけど」

「まったく……調子がいいんだから」

「えへへー」

 クラス替えの結果。それほど女子中学生の心を揺さぶることがあるだろうか。

「…………」

 けれど、どうしてだろう。ゆうきは仲の良い友達ふたりと同じクラスになれたことも気にならないくらい、何かに気を取られていた。

(なに……?)

 わからない。いま、ほんの一瞬だけ、ぞわっと総毛立つような感覚に陥ったのだ。

(何か、来る……ううん、“来た” ?)

「……? ゆうき?」

「どうかしたの? 具合悪い?」

「えっ……?」

 ふたりの声でようやく我に返る。

「あ……な、なんでもないよ。ちょっとボーッとしちゃって」

 ゆうきの言い訳に、ユキナと有紗は顔を見合わせ、深いため息をついた。

「まったく」

「ゆうきは相変わらず天然だねー」

「てっ……天然じゃないよー!」

 憤慨して言い返す。ようやく自分の日常に戻れた気がした。

 ふっ、と。頭の隅を何かがよぎった。

「えっ……?」

「……?」

 目を向けた先、女子中等部の制服を整然と着こなす、伸びやかな背筋が印象的な少女。そして何より、その少女もまた、驚いたような顔で、自分を見つめていることが印象に残った。

「……何か?」

 少女が切れ長の目で自分を射抜く。

「えっ、あっ、いや……」 ゆうきはしどろもどろになりながら。「な、なんでも、ない、です……」

「……そう。私も。ごめんなさい」

「う、ううん。こちらこそ」

 少女はそれだけ言うと、小さく会釈をしてゆうきに背を向けた。げた箱へ向かうのだろう。

「? どうしたの、ゆうき?」

「……わかんない」

「今の、大埜(おおの)さんじゃない。ゆうき、知り合いなの?」

「大埜さん?」

 有紗の問いに反応する。あの少女の名前だろう。

「うん。去年となりのクラスだったけど……あ、今年は同じクラスだね」

「大埜……大埜さん……」

 ふしぎと引っかかる。なんだろう。考えてみても答えはでそうにない。もう一度クラス替えの発表を見る。王野ゆうきのすぐ後ろ、大埜めぐみ。

「なんでも、勉強もスポーツもできるすごい子らしいよ」

「なにそれなにそれ! 文武両道ってこと!?」

「……大埜、めぐみさん」

 有紗とユキナの言葉がどこか遠く感じられた。心のわだかまりは、消えそうにない。


「――グリ!」

 ひとりめ。こてん、ころんころん、と。まるでゴム鞠のようによくはねた。

「ニコっ……」

 ふたりめ。少しバランスを崩しながら、けれどしっかりと着地した。

「……レプ」

 さんにんめ。何か問題がある? とばかりに澄まし顔で両足そろえてきれいに着地した。

「…………」

 よにんめ。落ちてこない。

「……グリ? パーシーはどこグリ?」

「知らないニコ」

「はぐれたレプ?」

 どこかギスギスした3人。

「じゃあ、探しに行かなくちゃグリ!」

「どこへニコ?」

「ナンセンスレプ」

 どこか歯車のズレた3人。

「じゃあどうするグリ!」

「知らないニコ!」

「……パーシーも情熱の王女レプ。自分でなんとかするレプ」

 どこかおかしい、3人

「そんなのおかしいグリ! ブレイはパーシーを探しに行くグリ!」

 ひとりめは、何のアテもないのに、消えたよにんめを探しに行く。

「ち、ちょっと待つニコ! “弱虫ブレイ” !」

 ふたりめは、ひとりめに反発しながらも、ひとりめについていく。

「……ふん。勝手にすればいいレプ。ラブリはラブリで勝手にやらせてもらうレプ」

 澄まし顔のさんにんめが、やっぱり澄ました顔で、そう言った。ふたりについていく気は、ない。

「せいぜい、アンリミテッドの連中に紋章を奪われないように気をつけるレプ」

「言われなくたって気をつけるグリ!」

 そうして、3人は別れた。たった4人の仲間だというのに、ひとりははぐれ、ひとりはケンカ別れ。

 もう、バラバラだった。


 新学期のHR。心機一転がんばるぞ、と意気込むゆうきだった、が。

「…………」

 気づけば、学級委員に任命されていた。

 2年A組、ゆうきが所属する新しいクラスの代表だ。

「な、なんで……?」

 教壇の前に立ち、クラスメイトの拍手を一身に受けながら、ゆうきはわけが分からなかった。

 ともあれ、だ。

「が、がんばろうね、大埜さん」

「ええ、そうね。王野さん」

 隣に立っている大埜めぐみの手前、焦る顔も満足に出来ないゆうきだった。


 時間は少し遡って、ほんの数分前のこと。

 始まりは、となりでゆうきと同じように、しかし大して気負う様子もなく拍手を浴びている大埜めぐみが学級委員に選ばれたことだった。

 始業式が終わり、新しいクラスでの初めてのHRが始まってすぐ、クラスの代表である学級委員2人を決める運びとなったのだ。

『――先生、去年もやっていたし、学級委員は大埜さんがいいと思います!』

 新しいクラスの担任である、若くて美人な誉田(ほんだ)華(はな)先生にそう進言したのは誰だっただろうか。おそらく、去年めぐみと同じクラスだった誰か、だろう。

『……と、いうことだけど、大埜さんはどう? 学級委員、やってくれる?』

『構いません』

 ここでまず一度目の拍手が起こった。学級委員を引き受けてくれためぐみに対する拍手だ。

『じゃあ、もうひとり、誰がいいかしら?』

『はいはいはーい!』

 問題はここからだ。そう、ユキナが手をあげた時点で、どこかいやな予感はしていたのだ。

『もうひとりの学級委員は、王野ゆうきさんがいいと思いまーす!』

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

『はぁ!?』

『えへへー、ゆうきは大埜さんのことが気になってるみたいだったから』

 余計なことを言う。基本的に、ユキナは空気を読まない。

『えへへー、“おーのコンビ” なんつってー』

『王野さん? どうかしら? やってくれる?』

 誉田先生の優しい笑顔。自分の方をややクールに見つめるめぐみ。自分の考えた語呂合わせにご満悦のユキナ。ぐるぐる色んなものが巡り巡って、ゆうきはいつの間にか頷いていた。


 そして、教室中から拍手を受けるこの状況だ。

「……はぁ」

「…………」

 ゆうきは気づかなかった。すぐ横のめぐみが、ふしぎそうな顔で、自分の横顔を見つめていたことに。


「“おーのコンビ” って何よ?」

「あははは……ちょっと勢いで」

「まったく……」

 HR後の休憩中に問いつめてみれば、やはりユキナはユキナで、何も考えていなかったようだ。

「まったくもう……今日の放課後、早速仕事をもらっちゃったよ」

「げっ、マジ?」

「マジもマジ、大マジだよ」

 ゆうきが現実的な被害を被っていると分かったからだろう。ユキナは途端に申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんねぇ、ゆうき。推薦なんてしちゃって……」

「いいよ。誰かがやらなくちゃいけないもん」

 もちろん、ゆうきにユキナを責める気など毛頭ない。

「ただ、今日はちょっと早く帰らなくちゃなんだよね……」

「? どうして?」

「お母さんが帰ってくるのが遅くてね。わたしが晩ご飯つくらなくちゃなの」

「えっ」

「晩ご飯何にするかも考えなくちゃだし……」

「…………」

「買い物にも行かなくちゃだし……」

「…………」

「……? ユキナ?」

 訝しむ。騒がしいちびっ子、ユキナからの応答がない。

 と、

「……ごめんねぇ、ゆうきぃ……」

 大きなクリクリの目いっぱいに涙を溜めていた。

「ちょっ、大げさだよユキナ! 大丈夫だから! 気にしてないから!」

 今まさに泣き出しそうになっていたユキナに、ゆうきも手慣れたもので、あやすように背中をなでる。この友達は、良くも悪くも純粋で、感受性が豊かだ。

「お手伝いなんてすぐに終わらせるから。心配しないで」

「うん……あ、そうだ! ねぇゆうき!」

「? なに?」

「今日はあたしがゆうきの代わりに先生のお手伝いするよ! そうすれば――」

「――それは、ダメ」

「えっ……?」

 ユキナの提案に、ゆうきは間髪入れずに首を振った。

「で、でも……」

「これは、わたしの学級委員のお仕事だもん。それをいきなり他の人に任せるなんて、そんなの勝手はしたくないんだ」

「……そっか。そうだね」 ユキナは納得したように笑った。「ゆうきは責任感が強いもんね」

「そんなんじゃないけど……でも、ありがと、ユキナ」

「ううん」

 友達同士、通じ合うものがある。だからそれだけで十分だ。にっこり笑って、お互いの思っていることが伝えられたら、それだけで、十分だ。


「あ、あの……ゆうき……」

「?」

 HRが終わって、今日はこれで放課だ。プリント類しかない荷物を鞄に詰めていた折、後ろから話しかけられた。

「あきら! 今年は同じクラスになれてよかったねー!」

「あ……う、うん。わたしも、嬉しい……かも」

 美旗(みはた)あきら。公園デビューの頃からの幼なじみ。少し引っ込み思案なゆうきの親友だ。去年はお互い違うクラスになってしまったが、今年から同じクラスで過ごすことができる。

「あの、ゆうき。一緒に、帰らない?」

「あー……」

 あきらの誘いは嬉しかった。けれど、

「ごめん、あきら。わたし、これから学級委員のお仕事があるんだ」

「えっ……? 早速?」

「うん。資料室の整理だって。だから、ごめんね」

「……王野さん、」

 噂をすれば影。鞄を持っためぐみが傍らに立っていた。

「学級委員のお仕事、いきましょう」

「あ、うん。じゃあ、あきら、ごめんね。また明日」

「う、うん……また、明日……」

 望んでなったわけでないからといって、投げ出していいわけがない。ゆうきは残念そうなあきらに別れを告げて、めぐみと一緒に資料室に向かった。


………………


「ねえ、“弱虫ブレイ” 。これからどうするニコ?」

「…………」

「ちょっと! 聞いてるニコ!」

「……聞こえてるグリ。ひとついいグリ?」

「何ニコ」

「その、“弱虫” っていうの、やめてほしいグリ」

「どうしてニコ?」

「どうしてって! ブレイは “未来へ導く勇気の王子” グリ! 弱虫なんて言われたら嫌グリ!」

「……ふん。弱虫のくせに、プライドだけは一人前ニコ! 弱虫のくせに!」

「なっ……! それを言うなら、フレンは優しくないグリ! “未来を守る優しさの王女” のくせに!」

「っ……! “弱虫ブレイ” のくせに!!」

「うるさいグリ! 弱虫って言うくらいならついてくるなグリ!」

「う、うるさいのはそっちニコ! このフレン様がついてあげてるんだから、感謝しなさいニコ!」

「あーもう頭きたグリ! フレンなんか知らないグリ! ラブリみたいにどこかに行っちゃえグリ! パーシーはブレイひとりで探すグリ!」

「勇気の国の王子のくせに、ムキになっちゃって、男らしくないニコ」

「…………」

「ち、ちょっとブレイ! なんとか言いなさいニコ!」

「…………」

「あ、待ちなさいニコ! 弱虫には、この優しいフレン様がついててあげなきゃいけないんだからニコ!」

「…………」

「せめて口答えくらいはするニコ!!」

 ロイヤリティは欲望に飲まれ、闇に包まれた。事態は一刻を争う事態となっている。しかし、彼らはバラバラだ。


………………

「……ラブリひとりで十分レプ」

 だから彼女もまたひとり。

「ラブリが伝説の戦士を見つけだし……ロイヤリティを救うレプ。ラブリならできるレプ。ラブリにしかできないレプ」

 ひとりっきりだった。


………………

「……感じる。この “優しさのエスカッシャン” が、優しさの波動を伝えている」

 そこに、闇に付け入る隙ができる。

「優しさの王女……まずは貴様を見つけだし、優しさの紋章を奪い取る……! このアンリミテッドの戦士、ゴーダーツの名にかけてな!」

 残された希望へと、闇が着実にその魔の手を伸ばしていた。


………………

「どうかしたの?」

「えっ?」

 資料室。誉田先生に頼まれたのは、結構な量の資料整理だった。

「眠いの?」

 訝しげな顔で自分を見つめるめぐみの顔に、ゆうきはなんと返したらいいものか分からなかった。

 いらなくなった書類をファイルから取り出し、束ね、ファイルは回収箱に放り込む。その単純作業の繰り返し。眠くなるような作業だとは思ったが、まだ昼間。さすがに眠くはない。

 と、いうより、自分はそんなにも眠たげな顔をしていたのだろうか。

「えっと……ごめん、ちょっとボーッとしてた」

「そう。気をつけてね」

「あ、うん。ごめんなさい」

 ゆうきは手先があまり器用ではない。ファイリングされた資料の中にはかなり古いものもあって、なかなか取り外せないこともしばしばあった。

 それに比べて、めぐみはどんな書類もすいすいファイルから外していた。捨てる書類が、めぐみの傍らにこれでもかというほど整然と積み上がっている。

「……はぁ」

 作業を再開しためぐみのキリリと整った横顔を見つめつつ思う。すごいなぁ、と。学級委員が決まり、他の役員決めの段になった折、ゆうきはめぐみの本領を見せつけられたような気分だった。

 HRを仕切る能力とでもいうのだろうか、みんなをまとめ、クラスメイトをどんどん係や委員に配置していく。

 HR後、わざわざ誉田先生が褒めたくらい、めぐみの学級委員ぶりはすさまじかった。それに比べて自分は、と、また暗澹たる気持ちになる。

「……あっ」

 そんな詮無いことを考えていたからだろう。もしくは、またボーッとしていたのだろう。回収箱に放ったファイルが、めぐみの積み上げていた書類の山にぶつかった。しまった、と思ったときにはもう遅い。積み上げられた書類の山は、音を立てて崩れ落ちた。

「あ、あわわわわ……」

「…………」

 混乱するゆうきをよそに、めぐみはさして慌てる様子もなく崩れた書類を直しはじめた。それを見て、ゆうきもようやく我に返り、焦ってそれに手を貸そうとする。

 それもいけなかった。

「わっ……わわっ」

「…………」

 めぐみの視線と沈黙が痛い。

 ゆうきは慌てて立ち上がろうとした拍子に、自分の書類の山も倒してしまったのだ。


「……王野さんって、ほんと話に聞いてた通りね」

 ぴくりとも笑わないまま、めぐみが口を開いた。

「えっ……聞いていた通りって……」

「天然でときどきドジの連鎖をやらかす」

「うっ……」

 自分では否定しているが、常々ユキナや有紗から言われていることだ。

『ゆうきって天然でときどきドジだよね』

 それはゆうきの親しみやすさを表すための言葉なのだが、本人にとってはそれだけではない。とくに、ゆうきのようにそれをコンプレックスに感じていれば、なおさら。

「……帰りなさい」

「えっ?」

 悔しさに奥歯を噛みしめていると、そんな声が聞こえた。

「何か気にしてることがあるんでしょう? 帰ったら? これくらいだったら、私ひとりで大丈夫だから」

「だっ、だめだよそんなの! わたしも学級委員なんだから、わたしも一緒にやるよ!」

「でも、なりたくてなったわけじゃないでしょう?」

「そ、そりゃあ……そうだけど、でも……」

 気になること。夕ご飯のおかず。スーパーのタイムセール。反抗期の妹のこと。目の前の大埜めぐみ。そして、天然でドジな自分。言うまでもなくたくさんある。

「……一緒にやるよ。大埜さんだけにやらせるわけにはいかないから」

「そう」

 めぐみは一息つくと、もう一度ゆうきを向いた。

「じゃあ、邪魔だから帰りなさい、って言えば、あなたは帰ってくれるのかしら」

「へ……?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。何を言われたかを理解しても、それを認めたくなかった。

「だから、そういう風に言えば、あなたは帰ってくれるの?」

 そんなゆうきの心情など考慮に入れる意味もないとばかりに、めぐみが追い打ちをかけるように続けた。

「なに、それ……」

「言ったとおりよ。いいから帰りなさい」

 ゆうきは温厚で、天然で、心優しく、素直な、そんな女の子だ。だからそんなことを言われたくらいで怒ったりはしない。

 ただ、怖かった。

 平然と自分に対して悪意を発露するめぐみのことが、純粋におそろしかった。

「わたし、だって……がんばって、お仕事、やってるのに……」

「? それがどうかしたの?」

 決定的だった。きっと、めぐみに悪意はないのだろう。がんばってやっていたところで「それがどうしたの?」。一生懸命やっていたって「邪魔だから」。とどのつまり、ドジで余計な仕事を増やすゆうきが邪魔だからいなくなってほしい、ということだろう。

「……ごめんなさい。わたし、帰るね」

「ええ」

 めぐみはなんでもないかのような表情で、顔を上げた。そんなめぐみの視線にあてられてから、ゆうきもようやく気づく。



 ああ、自分は泣いている。



「王野さん……?」

「っ……!」

 ゆうきは自分の鞄をひっつかむと資料室から飛び出した。

………………

 泣かせるつもりなどなかった。

「うそ……」

 ちょっとした、照れ隠しだったのだ。


 ―― 「お母さんが帰ってくるのが遅くてね。わたしが晩ご飯つくらなくちゃなの」


 今朝から、妙に気になっていたあのクラスメイト。王野ゆうき。自分と名字がよく似ている女の子。学級委員のパートナー。

 怒らせるつもりなんてなかった。ただ、早く帰ってほしかっただけなのだ。

「あーもう! 私のバカ! 私のバカ! 私のバカバカバカバカ!!」

 なんでこうなのだろう。いつもいつも、口を開けば相手を怒らせたり泣かせたりしてばかりな気がする。

 違うのに。本当は、優しくしたかっただけなのに。

 仲良くなりたかっただけなのに。

「……どうして素直に言えないのよ、バカ」

 項垂れたくもなる。何がどうしてこうなって、始業式の日からこう勘違いをさせてしまうのだろう。

「邪魔なんて思ってなかったのに……ただ、「用事があるなら帰ってもいいよ?」って言うだけでよかったのに……」

 何が「邪魔だから」だ。我ながら、照れ隠しにしても尋常ではない。数分前の自分を思いきり張り倒してやりたいくらいだ。

 けれど、項垂れて頭を抱えて、うだうだと言っていても時間は巻き戻らない。泣いて出て行ったゆうきも戻ってきてはくれない。

 めぐみの “本当” は、伝わらない。

「…………」

 昔から、「優しくない」と言われ、育った。

「どうして素直になれないの?」と不思議がられ、我がことながら損な人生を歩んでいるという自覚があった。

 変えたいと思ったのだ。

 素直になりたい。空回りしてばかりの優しさを相手に伝えたい。そう、思ったのに。

 また変わらない? 中学二年生になっても、ずっとこのまま? 大人になっても?

「……そんなの、やだ」

 崩れたままの書類の山が気になった。

 仕事を途中で放り出していくのも気が引けた。

 けれど。

「泣かせちゃったんだから、謝らなきゃ」

 まだ遠くには行っていないだろう。めぐみは資料室を飛び出した。


………………

「……ねぇ、ブレイ」

「グリ?」

「覚えてるニコ? 奴らがロイヤリティに現れたときのこと……」

「…………」

 しばしの沈黙。彼が何を考えているのか、なんとなくだが分かる。自分も同じだから。

 あの日のことを思い出しているのだろう。

「……そりゃあ、もちろんグリ。覚えてるグリ」

 先を歩く彼の表情はうかがえない。

「……何がいけなかったニコ。フレンたち、やっぱりおかしかったのニコ?」

「…………」

「どうして、“エスカッシャン” が奪われてしまったニコ……」

「そんなの……!」

 彼が立ち止まった。怒気をはらんだ声色に、思わず身体がすくむ。

「アイツらが悪いグリ……アイツらが、無理矢理に奪ったグリ! そして、ロイヤリティは、ブレイたち四人と紋章以外、すべて……っ」

 あの日、あのとき、あの瞬間。エスカッシャンが “奴ら” に奪われ、ロイヤリティから光が消えたあのとき。

 光の世界ロイヤリティ、その4つの王国、そして、臣民たちは皆、欲望の闇に飲み込まれたのだ。

「だからなんとかしないといけないグリ……ブレイたちが、なんとかしないと……」

「……そうニコね。フレンたちにしか、できないこと――」




「――それは違うな」


「ニコっ……!?」

 その男の声は、背後から聞こえた。

「お前たちにしかできないのではない。お前たち “には” できないのだ」

「こんなところまで追ってくるなんて……!」

 振り返った先、悠然と立つ中肉中背の男。

「ど、どどど、どうして、ブレイたちの居場所が分かったグリ……?」

 すぐ後ろでそんな声が聞こえた。震えて震えて聞き取るのがやっとといった、情けない声。

 先ほどまでの怒気をはらんだ声はどこへやら。彼が情けなく縮こまり、声を出しているのだ。

「簡単なことだ。お前たちが持つ紋章が、俺の持つエスカッシャンと反応しているというだけのこと」

「そんな……じゃあ、どこへ逃げても……」

「ああ。必ず見つけ出し、捕らえる。お前たちだけではない。残りの2匹も、だ」

「グリっ……」

 背後からがたがたと震える音がする。

 情けない。本当に情けない。これで勇気の国の王子だというのだから笑わせる。

「あーもう! いつまでも震えてないで、逃げるニコ! “弱虫ブレイ” !」

「よ、よよよ、弱虫って言うなグリぃ」

 彼女は弱虫と呼んだ彼の手を取り、よたよたと走り出した。もちろん自分の紋章を奪われるわけにはいかないが、弱虫の持つ紋章をみすみす奪わせるわけにもいかないからだ。

「……ふん。無駄なあがきを」

 よたよたと小さい足取りで、彼と彼女が曲がり角で消えていく。しかし男は余裕の笑みのまま、ゆっくりと歩き出した。

「お前たちは必ず捕まえる。そして、紋章を奪い取る……それが、我ら “アンリミテッド” の欲望だからな」

………………

 まさか泣いてしまうなんて自分でも思っていなかった。

「っ……」

 だらしなく制服の袖口で涙をぬぐいながら、ゆうきはただ走っていた。無心になりたかった。何も考えたくなかった。

 けれど脳裏に浮かぶ。めぐみのこと。めぐみの言葉。自分のこと。だめだめな自分のこと。逃げ出した自分のこと。

 それはもちろん、精一杯やった結果が、めぐみより仕事が遅く、めぐみの仕事を妨げ、自分の足下さえすくうというものなのだから、ひどいといえばひどいだろう。

 邪魔だと言われても仕方ないかもしれない。

 なのに、逃げ出した。書類の山だって倒したままだ。めぐみは今ごろ、ゆうきに呆れながら作業を続けていることだろう。

「……弱虫だ、わたし」

 ゆうきが弱虫だから。ゆうきが弱いから。だからめぐみの言葉が怖くなって、逃げ出した。

 もう中学2年生だというのに、泣き出して、それを見られまいと逃げ出した。

 きっとめぐみには泣いた顔を見られただろう。めぐみは今ごろ笑っているかもしれない。

「わたし、本当にだめだ……なんでこんなに弱いんだろ……――」



「――追いつかれちゃうニコ! 早くするニコ! “弱虫”」


「へ?」

 頭上から降りかかってきた声に反応する。“弱虫” という言葉が自然と耳に響いたのだ。

「ち、ちょっと待つグリ、フレン……こんなとこ、飛び降りるグリ……?」

 遅れて聞こえてきた、いかにも弱そうな声。ゆうきが少しだけおもしろいと思ってしまったことに、ヒステリックに “弱虫” と叫んだ声は小さな女の子のもので、弱そうな声は小さな男の子のものだった。

 声が聞こえてきたのは民家の屋根の上。ゆうきの位置からでは、声の主をうかがい知ることはできない。

「ああ、もう! 仕方ないニコね! 手を繋いであげるから、いっせーのーせ、で飛び降りるニコ!」

 いや、ちょっと待て。飛び降りる? ゆうきはほほえましい気持ちを振り払い、我に返る。よくよく考え直してみれば、小さな男女の声ではあるが、みょうに切羽詰まった声色ではなかったか?

「ちょっと! 飛び降りるって、危な――」

「――いっせーの、せ、ニコ!!」

「ぐっ……グリぃいいいいいいいいい!!」

 甲高い男の子の悲鳴に驚き、のけぞり、そしてゆうきは、ようやく彼らを認めることができた。

 屋根の上から落ちてくる、まるまるとした柔らかそうな物体。

 それには大きな目と口がついていて、小動物のように見えた。



 ――手を繋いだ二体のぬいぐるみが、頭上から落ちてくる。



 それも悲鳴つきで、だ。

「ひっ……!」

 情けない悲鳴をあげてはしまったが、ほとんど条件反射、ゆうきは丸々とした二体を両手で受け止めていた。


「な、なに……? なんなの?」

 小動物、だろう。ただし見たこともないような、不思議な動物だ。

 片方は、少し茶色っぽい。ふるふると震えるごむまりのような身体に、小さい手足が二本ずつ。ずんぐりむっくりした体型だが、偉そうに首もとにたてがみのようなものをはやしている。

 もう片方は、ほんのり青くて、おでこに豆粒のような角をはやしている。やはりごむまりのようにぷにぷに柔らかいが、震えてはいない。否、よく見てみれば、つぶらな瞳で、ゆうきを見返しているではないか。

「あんた、誰ニコ?」

「えっ……? わ、わたし?」

 青いぬいぐるみから放たれたのは、先の女の子の声だ。そのひどく端的な物言いに、驚くタイミングすら逸してしまった。

「わたしは……ゆうき。王野ゆうき。あなたのお名前は?」

「ふん、このフレンに名を名乗れだなんて、不遜もいいところニコね」 丸い身体で、ゆうきの左手の上で、偉そうにふんぞり返る青い方。「特別に教えてあげるニコ。フレンは、ロイヤリティの “未来を守る優しさの王女”フレン、ニコ」

「へ? へ? へ? 王女様?」

「ニコ。本当ならあんたみたいな一般庶民に名乗ることなんてありえないニコ! 感謝するニコ!」

「あ……そ、それは、どうも……ありがとう?」

 お礼を言っている場合ではない。

「いやいやいやそうじゃないでしょ!? なんでぬいぐるみが喋ってるの!?」

「ニコ!? 失礼ニコ! フレンはぬいぐるみじゃないニコ!」

 いやどう見てもぬいぐるみだ。ぬいぐるみが喋っているようにしか見えない。

「あ、頭混乱してきた……」 ふと気づく。もう片方、茶色い方はまだ震えている。「えっと……あなたは?」

「……?」

 涙目の茶色いぬいぐるみが、ゆうきの目を見つめた。


「ブレイ、は…… “未来へ導く勇気の王子”ブレイ、グリ」

「ああ……あなたは男の子なのね」

「グリ……」

 フレンに比べると幾分も穏やかな目だ。その目に浮かぶのは、ありありとした恐怖だ。

「ニコ! こんなことしてる場合じゃないニコ! アイツが来ちゃうニコ!」

 と、フレンがいきなり騒ぎ出す。

「え? アイツ?」

「ちょうどいいニコ! あんた!」

「ゆうきだよ」

「ゆうき! フレンたちをつれて逃げるニコ!」

「え? え?」

「あー、もう! とろいニコね! 逃げろって言ってるニコ!」

 逃げろと言われても、どこに逃げろというのだろう。しかし、フレンの様子を見る限り、相当に切羽詰まっているようだった。

「いいから早くするニコ! アイツが来ちゃうニコ!」

「わ、分かったよ。あんまり大声出さないで」

 喋るぬいぐるみを持っているところを誰かに見られたりしたら、なんて言われるかわかったものじゃない。ゆうきはいそいそとバッグのジッパーを開き、そこにブレイとフレンを入れた。ひょこっと顔だけ出すような様子になってかわいらしい。

「どう? 痛くない?」

「ふん。庶民にしては悪くない乗り物ニコね」

「乗り物じゃないんだけどね……」

 言っても仕方ない。ふたりのサイズなら、ゆうきが持つバッグは立派な乗り物だ。


「それで? どこに逃げたらいいの?」

「そうニコね……どうしたらいいニコ、ブレイ」

「そ、そんなの分からないグリ……」

 震えは収まったようだが、ブレイはまだ伏し目がちだ。

「でも……あ、あの、ゆうき? ひとつだけ聞きたいことがあるグリ」

「なぁに?」

「ブレイは、勇気がある人を探しているグリ。心当たり、ないグリ?」

「勇気のある人?」

 勇気。よく知っている言葉だが、実際に使うとなると話は別だ。ゆうきは平和な女子中学生。勇気なんて言葉、日常で聞くことすら希だ。

「うーん……よく分からないけど……」

 少なくともわたしは当てはまらないね、と。先ほどの事を思い出しての自虐は、心の中でだけにする。

「勇気のあるひとを見つけて、どうするの?」

「それはもちろん、ロイヤリティを救ってもらうグリ!」

「ロイヤリティ?」

 そういえば、さっきもフレンがそんな言葉を使っていたような気がする。

「うん……ブレイたちの住んでいた世界のことグリ。ロイヤリティ、光溢れる、ブレイたちの楽園グリ……」

「住んでいた? それって……」

「……滅ぼされたニコ」

 ブレイの言葉を継ぐように、フレンが口を開いた。

「奴らの、手によって……」

「奴ら……?」

 ――噂をすれば影がさす。

「っあ……」

 ゾワリ、と。身体の中の何かがずれたような、得たいの知れない感覚がゆうきを襲った。

 何かが、来る。



「そんなところに隠れていたか、勇気の王子、そして優しさの王女」


 それは何の変哲もない男の声。けれど何か異質で、何か恐ろしくて、何か妙だった。

 振り返ってはいけないと心が警告を発していた。けれど、ゆうきは振り返らずにはいられなかった。

「人間の手を借りるか。ロイヤリティの王族も落ちたものだな」

 それは普通の男性のように見えた。けれど視界に入れた瞬間、ゆうきには何となくわかった。

 これはいけない。これはダメだ。あれは、正常な存在ではない。

「さて、お嬢さん。その2匹を渡してもらおうか」

「あ、なたは……誰? 何者、なの?」

「うん? 姿は君たち人間と同じにしてあるはずだが、どこかおかしいだろうか?」

「ゆうき、逃げるニコ! アイツに言葉なんて届かないニコ!」

「ふん。亡国の姫がよく吠える。いいだろう」

 春の陽気だというのに、どこか心が薄ら寒い。身体中から冷や汗が流れて止まらない。

(なに? 何これ? 何なの……?)

 男が天に向け腕を大きく掲げた。そして、大空へ向かい声高らかに叫んだ。



「出でよ! ウバイトール!!」



 青空が闇に沈む。視界が暗いモノクロに支配される。

 まるで、世界から色という価値を根こそぎ奪い取るように。

「な、何!? 何が起きてるの!?」

 天が割れる。ぽかぽかと暖かい太陽もきれいな青空もふかふかと柔らかそうな雲も、すべてまとめて。

 そしてその割れ目から、“何か” が現れる。

「何……あれ?」

 それはとてもおそろしいものだと、ゆうきには何となく分かった。黒々とした何か。それはまるでヘドロのように汚らしく大地に落ち、そしてヤドリギのように電柱にくるくると絡みついていく。

「邪悪なものが生まれるニコ……欲望に満ちた、とても邪悪なものニコ……」

「ダメ……だめグリ。また、ロイヤリティみたいに……この世界も、奴らの闇の欲望に、飲み込まれてしまうグリ……」

 そして、生まれる。



『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』


 それは、闇の産声。

 この世界のすべてを欲する、雄叫び。

 邪悪な存在の、誕生だ。

「……さぁ、これで減らず口も叩けまい。おとなしく来てもらおうか、王子、王女」

 電柱ほどの大きさもある怪物。それはあまりにも陳腐で、ステレオタイプな化け物だった。

「……っ!」

 覚悟を決めるために、2秒。

 決断するのに、もう1秒。

 最後に、実行するのに、ほんの少し。

「ブレイ! フレン! しっかり掴まっててね!!」

 怖かった。けれど、そうしなければならないと思った。

 だからゆうきは、男と怪物に背を向け、全速力で走り出した。

「なにっ……」 背後から、男の声が響いた。「追え、ウバイトール! 王子と王女以外は潰してしまって構わん!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 地響きがした。振り返らずとも分かる。あの怪物が、他でもない自分を追ってきているのだ。

「ゆうき……?」

「逃げるって、アイツらからだね?」

「そ、そうグリ。けど……」

「ば、ばか! これ以上関係ないあんたを巻き込むわけにはいかないニコ! 早くフレンたちを置いて逃げるニコ!」

「やだよ」

「ニコ!?」

 ゆうきのにべもない言葉に、フレンが素っ頓狂な声を上げる。

「バカなのニコ!? ううん、あんた本物の馬鹿ニコ!」

「はは、そうだね。でも、あなたたちを置いていくのはいやなんだ。なんとなく、あなたたちを助けてあげたいって思ったから」

「なんとなくって……意味わかんないニコ!」

 そんなのフレンに分かるわけもないだろう。なんせ、ゆうき本人にだって分からないのだから。

 けれどそんな決意をしたところで、ゆうきの身体が強くなるわけではない。だんだん息が上がってくる。

「あっ……あそこに隠れるよ!」

 道路の横に現れた児童公園。ゆうきは半ば頭から突っ込むように、その生け垣に飛び込んだ。


「ふぅ……なんとか隠れられた、かな?」

「……でも、アイツは、優しさのエスカッシャンを持ってるニコ。隠れても、きっと居場所がばれてしまうニコ……」

「エスカッシャン?」

「宝物みたいなものニコ」

 どこかよそよそしくそう言うと、フレンはピョンとひと飛び、ゆうきのバッグから飛び降りた。

「フレン? どうしたの?」

「……ふん、庶民にこんなこと頼むのは癪だけど、ブレイのことをお願いするニコ」

「えっ……? ち、ちょっとまって。それって、どういう……」

「あの男はフレンの居場所が分かるニコ。だから、ひとまずフレンだけ捕まれば、ブレイとあんたは逃げられるニコ」

「!? フレン……何を言い出すグリ!」

 ブレイも鞄から飛び降りた。フレンと違って、鈍くさくごむまりのように地面に弾む。

「ブレイにフレンを売って逃げろっていうグリ!?」

「ニコ? 敵の前じゃ震えて動くことすらできない “弱虫” のくせに、よくそんな口が叩けるニコね」

「グリ……そ、それは……」

「フレンが捕まれば、ひとまず満足してアイツは去るニコ。癪だけど、あんたはその間に見つけるニコ…… “伝説の戦士” を」


「で、でも!」

「うるさいニコね! “弱虫ブレイ” のくせに口答えするなニコ!」

 フレンは必死になっていた。ブレイのことを馬鹿にしてでも、嫌われてでも、ブレイを助けたいと思っているのだろう。

 けれど、

「――ああそうグリ! ブレイは弱虫グリ! “弱虫ブレイ” グリ!」

「!」

 ブレイの言葉に、フレンが身を震わせる。

「フレンに弱虫って呼ばれるのが嫌だったグリ。勇気の国の王子のくせに、いつもいつも情けなくて、とてもとても嫌だったんだグリ」

「…………」

「でも、だから変わりたいグリ! ブレイは! 本当の……本物の、“未来へ導く勇気の王子” になりたいグリ!」

「っ……だったら! だったら、今は逃げて、伝説の戦士を見つけるニコ! そうすれば――」



「――フレンを置いて逃げて! それのどこに勇気があるグリ!」



 ブレイがフレンの手をつかんだ。

「絶対に離さないグリ! それでも捕まりたいっていうんなら、ブレイも一緒に捕まってやるグリ!」

「……っ、ばか! ブレイのバカ! 馬鹿ブレイ! 大馬鹿ブレイ!」

 どうやら一件落着したようだ。フレンは大声でブレイを罵りながら、けれどどこか嬉しそうだ。

 しかしまだ脅威が去ったわけではない、ゆうきは生け垣の隙間から道路の様子をうかがった。

 幸いにしてまだ電柱の怪物は見えない。しかし、代わりにとんでもないものが見えた。

「うそ……!?」

 驚いたなんてものじゃない。世界の意地悪! と叫んでしまいたいくらいだった。


 道路には、何かを探すように周りを見回す、めぐみの姿が見えたのだ。


 もう、何を考えている暇もなかった。

「ブレイ! フレン! あなたたちは先に逃げていて!」

 ふたりにそう告げると、ゆうきは生け垣から飛び出した。


………………

「何……? 昼間なのに、暗い……?」

 それは唐突に訪れた異変だった。曇っているわけではない。現に青空は見えている。

 けれどその青空そのものが薄暗く、まるで作り物の空のようだった。

 考えてみれば人もいない。昼間の住宅街に人は少ないが、それでもこんなに閑散としているのは異常に思えた。

「……早く、王野さんを見つけて、謝らなくちゃ」

 ふと、身体に振動を感じた。地震にしては小さい。工事にしては、そんな音は聞こえない。単純な、ずしんずしんという衝撃。それはまるで、何か巨大なものが歩いているような音。

「……何?」

 嫌な予感がする。ぞくりと、背筋に冷たいものが走る。



『――ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』



「きゃっ!?」

 ズドン! と。大きな衝撃がめぐみを襲った。

 目を閉じて頭を抱え、そして腕の隙間から、薄目を開けた。

「電柱……?」

 しかし、薄目ではよくわからない。恐怖と好奇心が戦って、好奇心が勝利した。めぐみはおそるおそる、目を開いた。

 道路の真ん中に、電柱が立っていた。

 地面に突き刺さっているのではない。電柱が手足を出して、立っていたのだ。

「ひっ……!?」

「ふん、妙だな。ただの人間がこの位相に迷い込んだか」

「だ、誰……!?」

 本音を言えば、怪物でなければ誰でもいいという心境だった。すがるような思いで声がした方を向くと、何の変哲もない黒衣の男が立っていた。

 けれど、一目でわかる。その男は、決して良い存在ではない。

「まぁいい。邪魔なだけだな。潰せ、ウバイトール」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 身体が動かない。電柱の怪物が細長い腕を振り上げる。

(あ、だめ、これ、私、)

 そして、勢いよく振り下ろされ――――



「――――大埜さん!!」


 身体に衝撃が走った。それはけれど、どこか優しく、自分をいたわるような……守ってくれたような、そんな感じがした。

 何が起きたのかはまったく分からなかった。気づけば、めぐみは何かにのしかかられながら、アスファルトに倒れていた。

「えっ……王野さん!?」

「よ、かった……間に合ったぁ……」

 めぐみは頭の回転が速い。倒れる自分を抱き抱えるようにのしかかるゆうき。それを見ただけで、何が起こったのかを瞬時に理解したのだ。

「あなた……私を突き飛ばして、助けてくれたの?」

 つまり、あの怪物に身体がすくみ動けなかった自分を助けるために、無理矢理突き飛ばしてくれたのだろう。

 この、王野ゆうきというクラスメイトが。

「はは……ごめんね。痛かったでしょ?」

「そ、そんなことない!」

「そっか……よかった……痛っ」

 ゆうきが苦悶に顔を歪ませた。足を押さえている。

「王野さん!? その傷……!」

「はは……わたしって、ドジだからさ。やっぱりカッコ良く助けるなんてできないね」

「な、何を言ってるの! こんな、私なんかを助けるために、怪我するなんて……」

 胸の奥に熱いものがこみ上げてきた。喋ることすらままならない。気づけば、視界すら揺らめいていた。

「なんで、こんな……!」

「はは……ごめんね、大埜さん」

 自分を突き飛ばすときに思い切りアスファルトにこすりつけたのだろう。ふくらはぎが真っ赤になっていた。

「謝らないでよ! 王野さんは何も悪くないんだから……何で、こんなムチャをしたの……」

「……なんか、助けなくちゃって思ったんだ」

 ゆうきは、何でもないことのように笑って。

「さっきは、逃げ出しちゃってごめんね。わたし、臆病だから、逃げちゃったんだ」

「ちがう……謝るのは私。私、あなたが今日、おうちの用事があるって知ってたの。休み時間の話、聞いてたから……。だから、早く帰ってもいいよって、ただそれだけ、あなたに伝えたかった……なのに、私、優しくないことばかり言っちゃって、あなたを傷つけた。ごめんなさい……」

「……そっか、そうだったんだ。優しいね、大埜さんは」

「王野さんこそ、勇敢だわ。こんな怪我をしてまで、私を助けてくたんだから」

 めぐみは立ち上がり、ゆうきに手を差し出した。ゆうきは小さくうなずくと、その手を取った。



 ――――その瞬間、つないだ手から小さな光が生まれた。


「な……何……?」

 困惑もするというものだ。光は瞬く間に身体中に行き渡り、今や全身からまばゆいばかりの光が発せられているのだから。

「これは、一体……」

 心地良い。まるで身体中が優しい何かに包まれるような、そんな感覚。

 お日様のようにぽかぽかと、しかし照明のように鮮烈に、ふたりの身体を包み込んでいく。

「見つけたグリ……!」

 傍らで声が聞こえた。ブレイがやってきたのだ。

「ブレイ!? こ、こら! 先に逃げてって言ったでしょ!?」

「そんなこと言ってる場合じゃないグリ! やっと、見つけたグリ! 勇気ある、伝説の戦士を!」

「フレンも、やっと見つけたニコ!」

 ブレイに続いて、フレンも生け垣から飛び出してやってくる。

「優しさある、伝説の戦士を!」

「な、なに!? なにこのぬいぐるみ!? 喋ってる!?」

「話は後ニコ! あんたの名前を教えるニコ!」

「わ、私? 私は……めぐみ。大埜めぐみ」

「ニコ。なかなか良い名前ニコね」 混乱するめぐみをよそに、フレンは悠然と続ける。「フレンの名前はフレン。優しさの国の王女ニコ!」

「は、はぁ……?」

「……そこにいたか、王子、王女」

 話の途中だったが、わざわざそれを待つような相手ではない。欲望の戦士はウバイトールの横からブレイとフレンを嘲笑する。

「臆病な勇気の王子と冷血な優しさの王女のことだ。てっきり、その人間を囮にして逃げたのかと思ったが」


「だ、だだだ、誰が! 勇気の国の王子は、そんな情けない真似はしないグリ!」

「フレンだってそんなことしないニコ!」

「愚かな。ロイヤリティがそんなくだらぬプライドを持っているから、我々につけ込まれ、滅ぼされたのだ」

「……救うグリ。ブレイが……ブレイたちが! ロイヤリティを救うグリ! そのための力は、ここにあるグリ!」

「なんだと……?」

 男の顔に疑問が浮かぶ。ゆうきにもわけが分からない。

「ブレイ、力、って……?」

「……ゆうき、お願いがあるグリ。君のその “勇気” を、ブレイたちに貸してほしいグリ。そして、ブレイと一緒に、ロイヤリティを救ってほしいグリ!」

「勇気……? わたしに勇気なんて……」

「あるグリ。ゆうきは、自分の危険も顧みず、めぐみを救うために飛び出したグリ。それはまぎれもないゆうきの勇気グリ。そして何より、ゆうきの体から出るその光……それこそが、伝説の戦士の証グリ」

「伝説の、戦士……?」

「……お願いニコ、めぐみ。あんたにも力を貸してほしいニコ。あんたのその “優しさ” を、フレンに貸してニコ!」

「優しさ……? 私、優しくなんて……」

「優しいニコ。だって、ゆうきが傷ついたのを見て、そんな辛そうな顔をしていたニコ。まるで、自分のことのように辛かったニコね。それは、めぐみの優しさニコ!」

 光がより強くなる。まるでふたりの光が呼応し合い、お互いを高め合っていくような、そんな不思議な感覚だった。そしてその光は、男にも無視できないものとなっていたようだった。


「この、光は……ッ。忌々しい、ロイヤリティの誇り高き光……! ウバイトール! あの人間どもを潰せ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「急ぐグリ……! ゆうき、受け取るグリ! 勇気のロイヤルブレスを!」

「わっ……!」

 ブレイの身体から桃色の光が飛んだ。それはゆうきの左手に巻き付き、やがてカタチを作り出す。

「ブレスレット……?」

 美しい、桃色のブレスレットだ。装飾が施されたそれは、まるでどこかのお姫様が身につけるもののように燦然と輝いていた。

「めぐみも受け取るグリ! 優しさのロイヤルブレスを!」

 めぐみの腕にも光が巻き付き、やがてカタチを成す。クリアブルーの、ゆうきとおそろいのブレスレットだ。

「これって……」

「“ロイヤルブレス” グリ。かつて伝説の戦士が、王族の許しを得て身につけたとされる装飾品グリ。……フレン!」

「ニコ! ブレイ、やるニコ!」

 光が煌々と輝く。ぬいぐるみにしか見えないふわふわの身体が、どこか高貴な光に包み込まれていく。

「ゆうき! めぐみ! ロイヤルブレスを前に差し出すニコ!」

「へ? へ? へ?」

「いいから言われたとおりにするグリ!」

 ブレイの強い口調に身体が動く。ゆうきとめぐみの手が重なる。

「ブレイたちの希望、未来、光を、君たちに託すグリ! 受け取るグリ! “勇気の紋章” を!」

「お願いニコ! フレンたちのロイヤリティを救ってニコ! “優しさの紋章” ニコ!」

 ブレイとフレンの身体から流れ星のような光が飛ぶ。それはゆうきとめぐみの空いた手におさまり、熱くその存在感を示していた。ゆうきの紋章には、翼を生やした獅子の模様が、そしてめぐみの紋章には、角を生やした白馬の模様が描かれている。

「その紋章をロイヤルブレスに差し込むグリ!」

「そして叫ぶニコ! 伝説の戦士の宣誓を!」

 怪物は目前まで迫っていた。もう逃げることはできない。何が起こるのかなんて分からない。けれど、ロイヤルブレスが、紋章が、ゆうきに熱く何かを教えてくれていた。

 めぐみと目を合わせる。小さく、うん、とうなずきあう。

 やれる。なんとなく、そう思った。

 まるで何回も繰り返したことがあるようになめらかに手が動き、あらかじめ決まったことのように自然に、紋章がロイヤルブレスへと収まる。

 そして、ふたりは声高らかに叫んだ。



「「プリキュア・エンブレムロード!」」

………………

「くっ……!?」

『ウバッ!?』

 強烈な風が吹き荒れた。ふたりの人間を中心に発生したその暴風は、いともたやすく怪物――ウバイトールを吹き飛ばす。

(これは、何事だ……!?)

 ゴーダーツの脳裏に、先の闇からの言葉が思い起こされる。

 ――『ロイヤリティから光が消えたとき、伝説の戦士が現れ、4人の王者を助けるだろう』

(そんな、馬鹿な……伝説の戦士など、ただのおとぎ話ではないのか!?)

 あまりに風圧に、立っているのがやっとだった。ふたりの人間を取り巻く光は、もはや直視できないほどに強くなっていた。

 そして、その光に明確に浮かび上がる、勇気と優しさのシンボル。伝説の神獣、グリフィンとユニコーンの姿――



「生まれるというのか……? ロイヤリティの、伝説の戦士とやらが……!」



 光が、戦士の誕生を祝福するかの如く、はじけ飛ぶ。

 そして、誇り高き光に祝福された伝説の戦士たちが、舞い降りた。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」


「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



 ――――光の世界、ロイヤリティ。

 その世界には、こんな伝説がある。



『世界から光が失われし時、伝説の戦士が現れるだろう』



 そう、その名は。



「「ファーストプリキュア!」」


    次    回    予    告

めぐみ 「……って、ええ!? 変身して終わり!?」

ゆうき 「いや、だってほら、尺の関係で……」

めぐみ 「生々しいわね! そんなのいちいち言わなくていいわよ!」

ゆうき 「……迫る闇と欲望の刺客、ゴーダーツ! 襲い来るウバイトール!」

めぐみ (……誤魔化しに入ったわね)

ゆうき 「わたしたち、ただの中学生なのに、どうやって戦ったらいいの!?」

めぐみ 「……次回、ファーストプリキュア!」

ゆうき&めぐみ『変身! ふたりは伝説の戦士、プリキュア!』

ゆうき 「……どうせ変身するなら戦士じゃなくて、お姫様がよかったなぁ」

めぐみ 「はいはい。それでは次回、また会いましょう!」

ゆうき 「ばいばーい!」

今日はここまでです。

表記の揺らぎや、場面転換・視点変換のときにもう少し工夫が必要かと思いました。
一段落が長いのも問題かと思いました。
改善していきます。

次回も日曜10時から投下できると思います。
見てくださった方、ありがとうございました。


☆ なぜなに ★ ふぁーすと ☆


ゆうき 「ゆうきと、」

めぐみ 「めぐみの、」

ゆうき&めぐみ『なぜなにふぁーすと!』

ブレイ 「わー!!」 パチパチパチ

フレン 「……なにこれ?」

ゆうき 「えー……このコーナーは、ファーストプリキュアについて、よい子のみんなの疑問に答えるコーナーだよっ!」

めぐみ 「私たちプリキュアが、テレビの前のみんなのふしぎにどんどん答えていくわ!」

ブレイ 「わー!!」 パチパチ

フレン 「……あんたは何やってんの、ブレイ?」

ブレイ 「え、いや……盛り上げた方がいいかな、って……」

フレン 「うるさい」

ブレイ 「……ごめん」

ゆうき 「では、記念すべき第一回の質問は!」

めぐみ 「ほまれ町在住の中学二年生、Y.O.さんからの質問よ!」

ゆうき 「わー! Y.O.さん、ありがとう!」

フレン 「白々しい……」

めぐみ 「『プリキュアのふたり、初めまして、こんにちは』」

ゆうき&めぐみ 「「こんにちはー!」」

めぐみ 「『早速ですが、質問です。ずっと疑問に思っていたのですが、ファーストプリキュアの “ファースト” ってどういう意味なんですか?』」

フレン 「変身する当人が意味を知らなかったのね……」

ゆうき 「ふむふむ」

フレン 「したり顔でうなずいてる!?」

めぐみ 「『速い? それとも一番? 気になって夜も眠れません。教えてください』」

ゆうき 「うーん……それは大変だね。答えてあげなくっちゃ!」

めぐみ 「そうね、王野さん。私に任せなさい!」

ゆうき 「おおー! さすが大埜さん! 頼もしい!」

めぐみ 「実は、Y.O.さんの予想もすごく惜しいところまでいってるのよ。正解に近いのは、『一番』の方かしら」

ゆうき 「おー!」

めぐみ 「『ファーストレディ』って言葉を聞いたことはないかしら?」

ゆうき 「ああ! 大統領の奥さん?」

めぐみ 「そのとおり。ファーストプリキュアの “ファースト” は、このファーストレディに近い意味なのよ」

めぐみ 「早い話が、この “ファースト” には、“重要な” とか “王様の” とかそういう意味があるのよ」

ゆうき 「へぇー! わたしプリキュアなのに、そんなこと初めて知ったよ!」

めぐみ 「……と、いうことなのだけど、Y.O.さん、分かってくれたかなー?」

ゆうき 「はーい!」

めぐみ 「よい子のみんなも、Y.O.さんみたいに、どんどん質問を送ってきてね!」

ゆうき 「それじゃあ続いて本編、いっくよー!」

めぐみ 「おー!」

ブレイ 「おー!」

フレン 「…………」

フレン 「……お、おー///」


【第02話 変身! ふたりは伝説の戦士、プリキュア!】


 その場に光が満ちた。色を失った世界でひときわ映えるその光が、ゆうきとめぐみを覆い尽くした。

「その紋章をロイヤルブレスに差し込むグリ!」

「そして叫ぶニコ! 伝説の戦士の宣誓を!」

 言葉に導かれるままに、ふたりは叫んだ。


「「プリキュア・エンブレムロード!」」


 激烈な光が、風が、螺旋となってふたりを取り巻いた。

 その螺旋がうなりを上げ、目前まで迫っていた怪物、ウバイトールを吹き飛ばす。

「生まれるというのか……? ロイヤリティの、伝説の戦士とやらが……!」

 男、ゴーダーツの声が、どこか遠く聞こえた。


 戦え。

 世界に救いをもたらすために。


 
 戦え。

 王者の誇りを示すために。


 戦え。

 欲望に打ち勝つために。


 光がはじけ飛ぶ。舞い降りたその姿は、すでにゆうきとめぐみではなかった。


「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」


「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」


 そう、その名は。


「「ファーストプリキュア!」」


 みなぎる勇気。

 あふれる優しさ。


 伝説の戦士プリキュアが誕生した瞬間だった。

「……え? え!? ええ!? なんなのこの格好!?」

「これが、伝説の戦士、プリキュアの姿……?」

 フリフリと派手な装飾がそこかしこについている割には、なぜか軽くて動きやすい、不思議な服装だった。

「け、結構かわいいかも……」

「ま、まぁ、悪くはないかしらね」



「ふっ……ふははははははははは!!」



 大きな笑い声が響いた。ゴーダーツのものだ。

「強大な光の力が集約したから何が生まれるかと思えば……小娘ふたりの衣装が変わっただけか。くだらん」

「ふん! そんなこと言ってられるのも今のうちニコよ!」

 ゴーダーツの嘲弄に、フレンが噛みついた。

「よかろう。ならば伝説の戦士プリキュアとやらの力、見せてみるがいい! ウバイトール!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 吹き飛ばされて壁にめりこんでいたウバイトールが立ち上がる。

「ち、ちょっと!? 勝手にヒートアップしないでよ!」

 こちらはまだ何が何だか分からないというのに、ゴーダーツはやる気満々の様子だ。

「うろたえてないで、構えるグリ! キュアグリフ!」

「へ? へ? へ? キュアグリフって……もしかしてわたしのこと!?」

「さっき自分で名乗ってたグリ」

「いや、だってあれは……なんか、勝手に……」

「……仕方がないわね。覚悟を決めるわよ、キュアグリフ」

「あ……えっと……」 傍らに同じ境遇のクラスメイトがいる。それだけで心強い。「……うん! キュアユニコ!」

 ドドドドド、と轟音がした。

「ひっ……!?」

 巨大なウバイトールが走ってくる音だ。

「や、やっぱり怖い!」

 キュアグリフは反射的にブレイとフレンを抱え、横に跳んだ。

「わっ……わあっ!!」

「わぁ……すごいグリ!」

 ブレイの歓声が上がる。もっともだとは思う。グリフはひとっ飛びで軽く5メートルは移動していたのだ。それも、宙返りのオプション付きで。

「な、何これ!? 身体が軽い……」

「それが伝説の戦士の力ニコ。ロイヤルブレスと紋章があんたに力を与えているニコ」

「そうなんだ……って、ユニコ!?」

 振り返れば、こちらに突っ込んでくるウバイトールに対し、キュアユニコが悠然と立ったままだ。


「ユニコ! 早く逃げて!」

「……大丈夫。なんとなく、やれる気がするの」

「えっ?」

 ユニコが身体を低く、構える。足下に力が入る。ザリッ、と。ユニコのブーツが大地を踏みしめる。そして、ユニコが跳んだ。まっすぐ、突っ込んでくるウバイトールへと。

「っはぁあああああああ!!」

 弾丸のように飛び出したユニコは、身体を一度ひねると、後ろ回し蹴りをウバイトールに放った。轟音が響きわたり、ウバイトールがきれいに放物線を描いて公園に落下する。

「ほらね?」

「す、すごい……――ッ!? ユニコ、後ろ!」

「……!?」

 華麗に着地したユニコの背後、迫る黒い影、ゴーダーツ。

「敵はウバイトールだけではないぞッ!」

「っ……! ブレイ、フレン、あなたたちは隠れてて!」

 大丈夫。やれる。

 自信なんてあるわけない。もとより鈍くさくて、ドジな自分だ。けれど、やれると信じなければ、やれないと思った。だからグリフも跳んだ。

「まずは一人目だ! 伝説の戦士!」

「っ……」

 着地したばかりのユニコは動けない。その後ろに迫るゴーダーツの魔手に、グリフが飛び込んだ。

「なに!?」

「あなたの相手も、ユニコひとりじゃない!」

「ぐっ……!?」

 誰かを殴ったことなんてない。一瞬のためらいの後、グリフはゴーダーツを突き飛ばした。


「ユニコ、大丈夫?」

「ええ。ありがとう、グリフ」 ユニコがふしぎそうな顔をする。「でもあなた、足の傷は……?」

「えっ? あ、消えてる!」

 痛みもまるでない。プリキュアに変身したことにより、傷が癒えたのだろうか。

「くっ、なんという力だ……これが、伝説の戦士プリキュアの力か」

 ゴーダーツがはるか後方で着地し、うめく。しかしダメージを負っているようには見えない。

「この事態をあの方に報告するのを優先すべきか……まぁいい。どうせ優しさの王女の居場所はいつでも分かる」

「!? 待ちなさい! 逃げるつもり!?」

「戦略的撤退だ。いずれ我らアンリミテッドの欲望を満たすための有意義な逃走と言ってもらおう」

 そう言うと、ゴーダーツは背を向け、

「それではまた会おう、勇気の王子、優しさの王女。そして、伝説の戦士プリキュアよ……!」

 色を失った世界に溶けるようにかき消えた。

「消えた……?」

「ともあれ、これで一安心――」


『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』


「――じゃない!」

「ボケてる場合じゃないわ。行くわよ、キュアグリフ」

「う、うん!」

 首謀者らしき敵は逃げたが、公園にはまだその首謀者が生み出したウバイトールがいる。グリフとユニコは頷き合い、公園へと突き進む。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 本来ならば電柱にあるはずのない邪悪な眼光がふたりを捉える。ウバイトールがプリキュアめがけて腕をふるう。

「くっ……」

 寸前のところで飛び上がり回避する。しかし直後、腕の先端から何かが伸びた。

「えっ!? で、電線!?」

「グリフ!」

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。グリフは電線を足首に巻き付けられ、宙につり上げられてしまう。

「きゃああああああああああああああ!!」

 ウバイトールの邪悪な瞳が嗜虐的に歪む。はるか上方に振り上げられたグリフは、そのまま地面へと叩きつけられた。

「かはっ……」

 肺から空気が押し出される。一瞬の呼吸困難の後、ようやく空気を吸えたと思えばまた振り上げられる。

(だ、ダメ……)


「グリフ!」


 一陣の風が駆け抜けた。

「はぇ?」

 気づけば、グリフはユニコに抱えられ宙を舞っていた。風と間違えるくらいの速さで、ユニコはグリフのことをウバイトールから助けてくれたのだ。

「なに気の抜けた声を出してるのよ」

 ユニコはグリフをお姫様だっこしたまま、華麗に着地した。

「ごめん。ありがとう……」

「ううん。さ、行くわよ」

「うん!」

 助けられたままでは格好がつかない。ユニコの先導に乗るように、グリフも大地を蹴り飛ぶ。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「はぁあああああああああああ!!」

「とぉおおおおおおおおおおお!!」

 ユニコが上、グリフが下、それぞれ渾身の蹴りをウバイトールにたたき込む。


『ウバァアッ!』

 ふたりの蹴りに吹き飛ばされるウバイトールはしかし、耐えた。公園の砂地を削りながら、細い両足で踏ん張ったのだ。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「っ……しつこいわね。さて、どうしたものかしら」

 ふたりにジリジリと距離を詰めてくるウバイトール。グリフとユニコは目を合わせるが、何度殴っても蹴っても同じことの繰り返しのような気がした。

「このまま殴り続ければ倒せるのかしら」

「そもそもこいつって、一体なんなの?」

「グリフーーー! ユニコーーー!」

 甲高い大声。

「フレン……?」

「その怪物は、闇の欲望そのものニコ! 浄化しなきゃ倒せないニコ!」

「浄化? 浄化って、一体どうすればいいの?」

「それは……」

 口ごもるフレン。それを継ぐように、ブレイが口を開く

「昔、父上から聞いたことがあるグリ。欲望に支配された闇の力を解き放つのは、強い絆の力だって」

「絆……?」

「グリ。だから、わからないけど……グリフとユニコが力を合わせれば、きっと浄化できるはずグリ!」

「そんなことを言われても……」

「やれるよ。わたしたちなら、きっとできる」

 困った顔をするユニコに、グリフがそっと手を添えた。

「グリフ?」

「なんかわかんないけど、できる気がするんだ。ユニコと一緒なら!」


 ユニコはあきれ顔で。

「あなたねぇ……その自信はどこから湧いてくるの?」

「うーん……わかんない、かな」

 グリフの答えに、ユニコが呆れたとばかりにため息をつく。けれどすぐ、ニッと笑ってくれた。

「あなたと一緒にいると、悩んでることがばかばかしく思えてくるわ」

 ユニコがグリフの手をそっと、握り返す。

「なんだか、私までなんとかなるって気になってきちゃったじゃない」

 ふたりの戦士が向かい合い、笑顔で頷き合う。そしてまっすぐに、浄化するべき敵を見据える。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』



 その瞬間、激烈な光がふたりを包み込む。



「なに、これ……?」

「わからないけど……やろう! ユニコ!」

「……ええ!」

 ぎゅっと、ふたりはつないだ手に力を込める。

(なんだろう……力が、勇気が湧いてくる……!)

 ユニコと繋いだ手から力が溢れてくるようだった。



「翼持つ獅子よ!」



「角ある駿馬よ!」



 ふたりの頭の中に、明確なイメージが現れる。

 それは勇猛なる翼持つ獅子と、穏やかな一角獣。

 ふたつの清浄で強大な力が渦巻き、ふたりを包み込んでいく。


 動いたのは同時。空いている手をウバイトールに向け、かざす。

 ふたりから発せられる光が指向性を帯びた。

 そして――、


「「プリキュア・ロイヤルストレート!!」」


 ふたりの手から光の奔流がほとばしる。一路、プリキュアが見据える欲望に満ちた敵へと。

『ウバッ……ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 王者の誇り、戦士の絆、その光の力がウバイトールを貫いた。

『ウバ……アアアアアアア……!!』

 ウバイトールから黒い何かが飛び出した。それは苦しみもがきながら、光の中に溶けて、消えた。

 激烈な光はやがて収束し、グリフとユニコは手をかざした格好のまま、虚空を見つめていた。

「…………」

 世界は色と光で満ちていた。暗鬱なモノクロの世界ではなく、美しい色彩に溢れた、いつもの場所だ。

 普段、自分たちが何気なく日常を過ごしている世界のなんと美しいことか。いかに色に包まれ、光に祝福されていることか。それを再認識させられたような気分だった。


「あっ……」

 そして、やわらかい光がふたりの戦士を覆い尽くし、プリキュアの衣装が制服に戻る。装飾も髪型も、何もかも元通りだ。

 いっそのことすべて白昼夢だったと言われた方がよほど信じられる。けれどふたりの腕には、ロイヤルブレスが燦然と輝いていた。

「……終わった、の?」

「たぶん……」

 お互いに確認して、ようやく理解できた。

 終わったのだ。

「はふぅ……」

「ち、ちょっと王野さん?」

 ゆうきは脱力し、ぺたんとへたりこんでしまう。今さら、とてつもないことをしたのだと思えてきた。

「わたしたち、すごいね……」

「え?」

「倒しちゃったよ、あの怪物……ウバイトール、だっけ?」

「え、ええ……」

「やったね、大埜さん!」

「そうね……やったのね、私たち」

「うん!」

「ゆうきー!」

 笑顔でうなずくと同時、首もとに何かが飛びついてきた。ブレイだ。

「すごいグリ! 本当に、やってくれたグリね!!」

「うん! わたしやったよ、ブレイ!」

 ブレイを両手で抱えてくるくる回る。ブレイも両手をあげて喜んでいる。


「ありがとうグリ! 本当にありがとうグリ、ゆうき!」

「えへへー」

 ゆうきとブレイは、そんな自分たちを見つめる冷めた目線ふたつに気づかない。

「……まったく、単純なんだから」

「弱虫のくせに、こういうときばっかり調子がいいニコね」

 その目線ふたつが重なって、しばし見つめ合い、やがて可笑しくなって笑い出す。

「……とりあえず、ありがとうニコ、めぐみ。助かったニコ」

「どういたしまして。こちらこそ、ありがと、フレン」

 澄ました顔で笑うフレンを、めぐみがそっと抱き上げる。

「大丈夫? 怪我はない?」

「ふん、この “未来を守る優しさの王女” がそんなヤワなわけないニコ」

「そうね。あなたって、おてんばそうだものね」

「ニコっ……! ちょっと、めぐみ!」

「ふふ、ごめんなさい」

「謝りながら笑うなニコ!」

 わーわーぎゃーぎゃーと騒ぐフレンに、和やかに笑みを浮かべるめぐみ。

 と、

「ああっ!!」

「ニコっ、い、いきなり大声上げて、どうしたニコ!」

 素っ頓狂な声を上げためぐみに、フレンだけでなく、笑いながら回っていたゆうきとブレイも我に返る。


「どうかしたの? 大埜さん」

「早く学校に戻らないと! 先生に頼まれてた仕事、まだ途中だもの!」

「あっ……」

「あ……」

 少しだけ、現実に帰った気がした。

 思い起こされるほんの少し前のこと。めぐみの照れ隠しがゆうきを傷つけ、ゆうきが逃げてしまったときのこと。

 気まずくなって、無言で見つめ合う。けれど、あとは簡単だった。

「……改めて、さっきはごめんなさい」

「ううん。こちらこそごめんね」

 だって、もうすでに、めぐみは気持ちを伝えられたから。ゆうきはそれを受け取ったから。

 想いが通じて、気持ちが分かって、もう怖くないから。

「えっと、王野さん。家の用事があるって聞いたから、あとの仕事は私がやっておくわ。だから、今日は帰って」

「……じゃあ、お言葉に甘えて、そうさせてもらうね。ありがとう、大埜さん!」

「ううん」

 人に気持ちを伝えるのはとても難しくて、すれ違ってしまうこともままある。

 けれど、お互いが優しさを伝えようとして、お互いが勇気を持ってそれに応えたなら、

「えへへ」

「ふふ……」

 きっと、一緒に笑い合うことができるから。



 光の世界、ロイヤリティの伝説が復活した。

 笑い合う少女たちの双肩に、全世界の命運がゆだねられた、その瞬間のことだった。


…………………………

「……なるほど」

 そこは黒い場所。光はある。けれど、全てが黒い、暗闇の場所。

「プリキュア……ロイヤリティに伝わる伝説は本当だったということか」

「申し訳ありません、デザイア様。私が勇気の王子、優しさの王女を侮ったばかりに……」

「……いや。伝説の戦士に関しては私も信じていたわけではない。不測の事態だったと言えるだろう。貴様だけの責任ではない」

 声に抑揚はない。闇そのものが放つようなその涼やかな声は、ゴーダーツをねぎらうでも、糾弾するでもなく、ただ事実を述べるだけだった。

「先ほど、私が呼び出したウバイトールの消滅を感じました。おそらくは、プリキュアが闇の欲望を解き放ったのかと」

「ふむ。ロイヤリティの伝説の戦士、予想以上に厄介なようだな」

「ええ。早々に排除すべきかと」

 ゴーダーツは深く低頭したまま、闇の言葉を待った。次は遅れを取るような無様な真似はしない。声の命令あらば今すぐにでもあの場に舞い戻り、プリキュアたちを叩きつぶす心づもり
だったのだ。

 しかし。

「……命令だ、ゴーダーツ」

「はっ」

「今すぐに、ダッシューとゴドーをこちらに召喚しろ。いずれ奴らの力も必要になる」

 声が放ったのは、ゴーダーツの予想を大きく外れた命令だった。

「お、お待ちください! 私に、もう一度チャンスをお与えください! 今度こそ、優しさのエスカッシャンを奪い取ってごらんに入れましょう!」

「勘違いをするな、ゴーダーツ。何も貴様を信用しないというわけではない」

 声はやはり、何の感情もみせることはない。

「情熱のエスカッシャン。そして愛のエスカッシャンは、ダッシューとゴドーが持っている。それを使って情熱の王女、そして愛の王女を探させるというだけのことだ」

「……はっ、なるほど。勇気の王子、優しさの王女がプリキュアを生み出したということは……」

「ああ。他のふたりの王女もまた、プリキュアを生み出すことができると考えるべきであろう。その前に、なんとしても王女たちを捕まえ、紋章を奪い取るのだ」

「……かしこまりました。ただちに、ダッシューとゴドーをこちらに呼び出す手配をいたします」

「後は頼んだ。私は少し出る」

「? どちらへ行かれるのですか?」

 言ってしまってから、己が愚を犯したことを悟った。声の主は無為に詮索されることを嫌うのだ。

「も、申し訳ありません! 私の知るところではございませんでした」

「……構わぬ。直にこの目で見ておきたいだけだ。いずれ我々が欲望の赴くままに食い尽くす、希望の世界 “ホーピッシュ” とやらをな」

 言葉を締めくくると同時、黒い暗闇を支配していた声の気配が消えた。冷えた声の余韻を感じながら、ゴーダーツは深く低頭したまま動けずいた。

「やはり恐ろしい。闇の欲望を支配される、暗黒騎士デザイア様」

 ようやく立ち上がったゴーダーツは決意も新たに歩き出した。

「次は無様な体たらくを晒すわけにはいかん。覚えていろ、伝説の戦士……!」

 その胸中に、打倒プリキュアの文字を刻みつけながら。


…………………………

 翌朝。

 何の変哲もない、いつも通りの朝。朝早く起きて、朝食の準備をして、起きてきた末弟のひかるに妹のともえを起こしてもらって、弟妹をきちんと送り出し、そして自分も学校へ向かう。

 そう。いつもと変わらない日常。普段通りの朝。

 けれど、ひとつだけ違うことがある。

「どう? 朝ご飯はあれだけで足りた? ブレイ」

「グリ! 美味しい物が食べられて満足グリ!」

「そう。ありがとう」

 男の子のような声。ゆうきの両手におさまってしまうサイズの、ぬいぐるみのような彼。自称勇気の王子、ブレイ。

「ゆうきは料理が上手なんだグリ」

「そうなのかな。でも、あれくらいなら誰でもできると思うよ?」

「そうグリ? でも、ブレイにはできないグリ」

「そりゃ、その身体じゃねえ……」

 彼の存在、そして腕のロイヤルブレスだけが、昨日の出来事を証明してくれている。

 突然襲いかかってきたゴーダーツ、ウバイトール。

 そして、伝説の戦士、プリキュア。

「……全部、ほんとのこと、なんだよね」

「? 何か言ったグリ?」

「ううん、何でもないよ」


「ゆうき~~~~~~~~!」

「わっ……!」

 背後から呼びかける声に、驚きで思わず飛び上がってしまった。ゆうきは慌ててブレイを鞄に入れた。

「グリっ!!」

(ごめんね、ブレイ)

 うめき声を上げるブレイに心の中で謝りながら振り返ると、ユキナが手を振りながら駆けてくるところだった。

「ユキナ、おはよう」

「うん、おはよ、ゆうき!」

 ユキナがゆうきの横に並ぶ。ふたり並んで歩き出しても、まだ心臓がばくばく言っていた。

「ねえゆうき、今なにか持ってなかった?」

「え!? な、何の話……?」

「おかしいなあ。なんか鞄に入れたように見えたんだけど……」

「き、気のせいだよ、きっと!」

「そっか。ゆうきがそう言うならそうなんだろうねー」

 友達に嘘をつくのは気が引けたが仕方が無い。喋るぬいぐるみなどユキナに見せたら、たちまち大騒ぎになってしまうだろう。

「ところでゆうき、昨日はどうだった?」

「え? き、昨日って……?」

 また心臓が嫌な音をたてる。どうしてユキナが昨日のことなど尋ねるのだろう。

「どうしたの? 変な顔しちゃって。もしかして、大埜さんとケンカでもしたの?」

 心配そうな顔をするユキナにようやく納得する。ユキナが訊いているのは、プリキュアの話ではなく、昨日の学級委員の居残りの話なのだ。

「あ、ああ……。うん。ちょっとだけケンカしちゃったけど、すぐに仲直りできたよ」

「本当にケンカしたんだ! うわぁ、めずらしいね、ゆうきがケンカするなんて」

「ケンカって言っても、そんなに大層なことじゃないけど。それに、すぐに仲直りできたし」

 ゆうきは昨日のことを思い出しながら。

「それに、大埜さんってすごく優しいんだよ。昨日も、わたしに用事があるからって、先に帰らせてくれたんだ」


「へぇ~~~。意外意外意外! 大埜さんって、クールだからそういうこと絶対にしないと思ってた!」

「うーん、意外かぁ……」

 どうなのだろう、とは思う。たしかにゆうきにとっても、めぐみの第一印象は静かでクールな人、だった。けれど昨日の放課後の時間、少しだけ一緒に過ごしてみて、大きくその印象が変わっていた。めぐみは本当はとても優しくて、けれどとても素直じゃない女の子だと、今のゆうきはそう思っている。

「まぁ、ユキナも段々分かってくと思うよ。大埜さん、結構おもしろいひとなんだから」

「ふえー……うーん、想像ができない」

 うんうんと唸るユキナを笑いながら、ゆうきは心の中で思った。

(いつか、大埜さんの優しさを、クラスのみんなが知ってくれたらいいな)

「あ……! 大埜さん、おはよう」

 ユキナと一緒に学校に着くと、校門で手持ちぶさたに立ち尽くしているクラスメイトが目に入った。

「王野さん、おはよう。それから、更科さんも」

「お、おはよう、大埜さん」

 ぴくりとも笑っていない。そのクールな雰囲気に、ユキナが圧倒されるようにやっと挨拶を返す。

「ね、ねえ、あれのどこが素直じゃなくて優しい人なの?」

「……いつか分かるよ」

 こそこそと耳打ちするユキナに、ゆうきもこそこそと返す。いつか分かってもらえるか、ゆうきも少しだけ不安になっていた。

「王野さん、少しいいかしら。お話があるの」

「あ、うん。分かったよ」

 何の話かは、ある程度予想がつく。ゆうきはユキナに片手を立てた。

「ごめんね、ユキナ。ちょっと大埜さんとお話があるから、先に教室に行ってて」

「いいけど……ひょっとして、学級委員の話?」

「そ、そんなところかな」


「うん。分かった。じゃ、先に教室に行ってるねー」

 ユキナは元気にぱたぱたと駆けていった。ユキナはミーハーな面も強いが、こういうところはさっぱりしていて気持ちのいい友達だ。

「……じゃあ、ちょっと人のいないところに行きましょうか。中庭でいい?」

「そうだね。この時間なら、人もいないだろうし」

「いい加減、フレンを鞄から出してあげなくちゃ、可哀想だし」

「あ……ブレイもだ」

 言ってから、忘れてたの!? とばかりに鞄の中身がゴソゴソ動く。申し訳ないことをしてしまった。急いで校舎脇の中庭に向かうと、やはり人気はなかった。

「ごめんね、ブレイ。今出してあげるからね」

 ゆうきがジッパーを開けると、ぷはぁ、とブレイが顔を出した。

「ゆうき! ひどいグリ! 鞄の中に入れるなら入れるで、もっとゆっくりと入れてくれないと苦しいグリ!」

「ごめん! いきなりユキナが来てびっくりしちゃってさ」

 ブレイの顔は真っ赤だ。本当に苦しかったのかもしれない。

「今度はちゃんと入れる場所とか考えるから。ごめんね」

「グリ。頼むグリよ」

「偉そうニコね。運んでもらってる分際で何をわがままを言っているニコ」

 すとっ、と。中庭に華麗に降り立ったのは、薄いライトブルーのぬいぐるみ……のような自称優しさの王女、フレンである。

「フレンだって運んでもらってるグリ!!」

「あら、当たり前ニコよ。だってあたしは優しさの王女なのだからニコ」

「ブレイだって勇気の王子グリ!」

「でも “弱虫” ニコ」

「フレンだって優しくないグリ!」

「な、何ですって!?」


 呆れかえってものも言えない。昨日はあんな絆を見せてくれたというのに、もういがみ合っている。仲がいいのか悪いのか分かったものではない。ふと横に目をやると、めぐみもまた、ふたりの様子を見て呆れたような顔で笑っていた。

「なんか、仲がいいのか悪いのか分からないね」

「そうね。でも、これがふたりの関係なのかもしれないわね」

 先よりよほど、声にも暖かみがある。さっきはどうしてあんなにクールな様子だったのだろう、と疑問に思っていると、めぐみが手をパンパンと叩いた。

「はい、そこまで。ケンカはやめにして、私たちに話をしてちょうだい」

「話?」

 めぐみの言葉に、ゆうきは首をかしげた。話とは何だろう。

「あなたって、本当に天然というか、大物というか、なんというか……」

 ふしぎそうな顔をするゆうきに、めぐみが呆れたような顔をする。

「気にならないの? 昨日の男とか、怪物とか、この子たちとか……それから、プリキュアとか」

「あ、ああ……」

 ようやく、ゆうきの中で少しだけ合点がいった。

「そりゃあ、まぁ……気になるっていえば、気になるけど……」

「というか、その話をしてもらう気が無かったのなら、王野さんはどうして朝っぱらから私に呼び出されたと思っていたの?」

「え? いや、昨日のお話でもするのかと思ってたよ。あの怪物怖かったねー、とか。あの男の人、すぐ逃げちゃったねー、とか。プリキュアの衣装、かわいかったねー、とか……」

「思い出話レベル!? あなたってどういう神経してるの!?」

「いやぁ、そんなこと言われると照れちゃうよぅ……」

「褒めてない! 褒めてないわよ!!」

 やっぱり、めぐみの声が、今は暖かい。ゆうきに突っ込みを入れる様子も、なかなかに様になっている。


「まったく……あなたって、本当に天然ね……」

「ははは……」

 天然とは言われ慣れているが、実は天然と呼ばれるが所以がゆうきにはよく分からない。そういうこところが天然だと言われるのだが、それをゆうきが理解する日は当分来ないだろう。

「じゃあ、そろそろ話してもらっていいかしら? あなたたちのこと。そして、あなたたちが狙われている理由を」

 中庭のベンチに腰かける。まだHRまでは時間がある。ゆっくり話を聞くことができるだろう。

「そうニコね……何から話したらいいニコ?」

「……まずは、ブレイたちの住んでいた世界のことを話すグリ」

 ベンチとセットになっているテーブルの上。ぺたんと座り込んだふたりが話し始める。

「自己紹介でも話したけど、ブレイたちは光の世界ロイヤリティにある四つの王国、そのうちの二つの王子と王女なんだグリ」

「あたしが優しさの国の王女ニコ」

「そして、ブレイが勇気の国の王子グリ。あと、情熱の国と愛の国の王女もいるグリ」

「へえー」

 光の世界、ロイヤリティ。なんだか分からないが、とても素敵な世界なのだろうなと、ゆうきはなんとなく思った。

「ロイヤリティは光に満ちあふれ、みんなが笑って暮らしている、そんな世界だったグリ」

「だった?」

 めぐみがブレイの言葉に反応する。それに呼応するように、ブレイとフレンの表情が暗くなる。

「どういうこと……?」

「……飲み込まれてしまったグリ。奴らに」

 ブレイが悔しそうに声を絞り出した。その手は強く握られ、震えている。

「奴ら? それって、昨日のゴーダーツとかいう男?」

「あの男もその内のひとりニコ。奴らは、無限の欲望を持つ存在、“アンリミテッド” ニコ」

「アンリミテッド……」

「闇の欲望に墜ちた者たちグリ。何を得ても満足せず、永遠に何かを奪い続ける存在……それが、アンリミテッドなんだグリ」

「ロイヤリティは、アンリミテッドに飲み込まれてしまったニコ。そして、四つの王国に伝わる宝、エスカッシャンも、奴らに奪われてしまったニコ」

「ブレイたちはそのエスカッシャンを四つすべて取り戻して、ロイヤリティを復活させないといけないグリ。それが、ブレイたちがこの世界にやってきた意味、そして使命なんだグリ」


 ブレイとフレンは真剣そのものだった。自分の世界が飲み込まれ、消えてしまったというのに、その復活を信じているのだ。自分たちがそんな重い使命を背負っているというのに、それにまっすぐ向き合っているのだ。すごい、とただ純粋に思う。そして、だからこそ、その手助けをしてあげたいと思った。

「ねえ、ブレイ、フレン! わたしたちに何かできることってないかな? わたし、全力でふたりに協力するよ」

 しかし、感極まっているゆうきとは対照的に、ブレイとフレンは怪訝な顔をしている。

「ゆうきって……」

「え?」

「……ほんと、天然ニコね」

「え? え?」

「さすがに今のはないわよ、王野さん」

「え? え? え?」

 ゆうきには本当にわけが分からない。そして、なぜかめぐみまでもが呆れた顔をしている。

「ゆうきは面白いグリね。ゆうきはもう、十分僕たちに協力してくれているグリよ?」

「……どういうこと?」

「だって、ゆうきとめぐみはプリキュアになってくれたニコ」

「あ……」

「つまり、」 と、めぐみがブレイとフレンに向き直る。「私たちが変身した、伝説の戦士プリキュア。あれこそが、ロイヤリティを救うための鍵なのね?」

「その通りニコ。プリキュアは、ロイヤリティの伝説にも記されているニコ。ロイヤリティが闇に覆われたとき、伝説の戦士が現れ、ロイヤリティを救うだろう、って」

「ええ!? じゃあ、わたしたちがあなたたちの世界を救っちゃうの!? わたしたち、ただの中学生だよ!?」

「ただの中学生じゃないグリ! ゆうきは強い勇気を持っているし、めぐみは暖かい優しさを持っているグリ!」

「それも、伝説の戦士に選ばれるくらいの、ニコね」

 そう言われてもそう簡単に実感が湧くわけではない。見れば、めぐみも思案顔だ。本当に自分たちがそんな大層な役割を持ってしまっていいのだろうか。


「それに、これはもうふたりにとっても他人事じゃないグリ」

「え……? どういうこと?」

「さっきも言ったニコ。アンリミテッドは何を手に入れても決して満足することはないニコ。すべてを飲み干すそのときまで、アンリミテッドの欲望は止まらないニコ」

「……まさか、この世界も、アンリミテッドの標的だってこと?」

「その通りニコ。ここは、ロイヤリティでは希望の世界 “ホーピッシュ” と呼ばれていたニコ。このホーピッシュもまた、このままでは闇の欲望に飲み込まれてしまうニコ」

「そんな……」

 ゆうきはもちろんただの中学生で、世界が何かに飲み込まれる様子なんて想像もしようがない。けれど、自分の大切な人たち――家族、友達、たくさんのお世話になっている人々がいっ
ぺんにいなくなることを想像したら、一気に心が寒くなった。

「……それを阻止するためにも、戦わなくちゃならない。そういうことね」

 すぐ傍らからそんな力強い声が聞こえた。アンリミテッドの存在に恐れおののくゆうきのすぐ隣で、めぐみは毅然とした表情で、ブレイとフレンを見つめていた。

(……怖がってる場合じゃない。わたしたちは、この世界を守らなくちゃならない。そして、)

 ブレイとフレンを見つめる。たぶんこのふたりは、まだ小さな子どもだ。けれど、小さい身体で、この世界にやってきて、自分たちの世界を取り戻そうと必死になっている、ふたり。

「……そして、わたしたちがロイヤリティを取り戻す。約束するよ、ブレイ、フレン」

 そんなふたりを前にして、自分が怖がっていてどうする。勇気を買われたというのに、そんなていたらくでは、いけない。

「だから安心して。わたしたちが、あなたたちを守るから」

「ゆうき……」

「そうね。この子たちのことも、私たちが何とかしてあげなくちゃならないわね」

「めぐみ……」

 世界がどうなるかなんてわからない。想像することすら難しい。それでも、いま目の前で助けを求めているふたりを助けてあげたい。鈍くさくて、天然なんて言われる自分だけれど、力
になれるのならなってあげたい。

「わたし、ちゃんとプリキュアできるか分からないけど、精一杯がんばるから」

「私も、できる限りがんばるわ」

「ふたりとも、ありがとうグリ!」

 感極まったのか、ブレイがゆうきに飛びついてきた。ゆうきはそれを受け止めて、にこにこと笑い合う。

「ふ、ふん。感謝してあげないこともないけど……ありがとニコ」

「ふふ……」

 めぐみもまた、和やか顔をしてフレンの頭を撫でる。顔を赤くしながら、けれどフレンもまんざらではなさそうだ。



 ――そして、世界がモノクロに染まる。


「な、なに……?」

「これってまさか……アンリミテッド!」

 ふと気づく。両手の上に座るブレイが、ガタガタと小刻みに震えていた。

「ど、どうしたの、ブレイ?」

「これは、だめグリ……邪悪な……とてつもなく邪悪な存在が、近づいているグリ……」

「フレン!」

 うめくブレイを胸に抱き、傍らに目をやると、フレンもまためぐみに飛びついて、その胸で震えていた。

「怖いニコ……とても、怖いものが、近くに来ているニコ……」

「あのゴーダーツって奴?」

「違うグリ……もっと、とてつもなく邪悪な……――」



「――ごきげんよう、勇気の王子ブレイ。そして、優しさの王女よ」



 背筋が凍り付くような、冷たい声だった。

 どうして今の今まで気づかなかったのだろう。テーブルの向こう、中庭の中心に、何者かが立っていた。

「だ、誰……?」

 それは、仮面をつけた、小柄な紳士のように見えた。マントを羽織り、身体中が黒ずくめの、紳士。笑っているような、怒っているような、表情をまるで窺い知ることができない仮面が、ふたりの背筋を寒くさせる。

(なに、これ……?)


 まるで、そこだけ別の時間が流れているような、不思議な感覚。

 明らかな異質が、異常が、目の前にあるのに、ゆうきもめぐみもそれに気づくことができない。まるで、当たり前のことのように、それを意識しない。意識することができない。目の前に、圧倒的な存在がいるということが分かるのに、身体がどこか、その存在を受け入れているようだった。

「これが我々だ。分かるか? 伝説の戦士」

 まるでふたりの心の中を読み取るように、紳士が口を開いた。

「!? あなたは、一体……!」

 紳士が、手をかざした。身構えるゆうきとめぐみの前で、仮面の紳士はあくまで泰然としていた。

「な……!」

 瞬間的に周りが消滅した。校舎も、木々も、草も、ベンチも、テーブルも、何もかも。残ったのは四人と紳士だけだ。

「案ずるな。ただ我々の存在する位相をずらしただけのことだ」

「位相……?」

「世界とは、貴様らが想像するほど複雑なものではない。単純な網かけの場に、垂直に物があるというだけのこと。その網をたわませて窪みを作り、その窪みに我々だけを降ろしたという
だけのことだ」

「網? 窪み? 降ろした?」

「……そんなことはどうでもいいわ。あなたは一体何者? もしかして、あなたもあの男と同じ、アンリミテッドなのかしら?」

 理解が追いつかないゆうきだが、めぐみは性急に話を進めようとしていた。

「…… “暗黒騎士デザイア” グリ」

「えっ……?」

 ふるえが収まったわけではない。ブレイは未だにゆうきの手の中で震えている。そんな彼が、絞り出すようにして声を発したのだ。

「僕たちの世界を飲み込んだアンリミテッド……その、最高指令官にして、最強の騎士、デザイア……それがあいつグリ」

「アンリミテッドの最高指令官……」

「最強の騎士、デザイア……」

 黒ずくめの仮面の騎士はまだ動かない。まるで、ふたりの様子を見て、品定めをしているかのようだった。

「ふむ。貴様らが、ゴーダーツが召喚したウバイトールを消滅させたのか。おもしろい。貴様らはどうやら、我々アンリミテッドの一番の障害となるようだ」


「……最高指令官、ね。なら、あなたを倒せば、全部解決ってことじゃない」

「ほう? それはどういう意味だろうか」

 めぐみが眼光鋭くデザイアを睨み付ける。

「それくらいも分からないのかしら。あなたを倒せば、フレンたちの事情も、私たちの世界の危機も何もかも、簡単に解決するじゃないって、そう言ってるのよ」

「……面白いことを言う」

「冗談に聞こえたの?」

 めぐみは明確な敵意をデザイアにぶつけた。それに対し、デザイアはまるで幼子のわがままをいさめるように、ただ悠然と受け答えをするだけだ。

「……フレン」

「ニコぉ……」

「フレン、しっかりして。大丈夫。あなたは私たちが守るわ。だから、お願い。勇気を出して。私たちに力を貸して。あなたは、未来を守る優しさの王女、フレンでしょう?」

「…………」

 震えるフレンをギュッと抱きしめ、そっとささやく。その姿はとても温かくて、だからきっと、フレンもそんなめぐみから勇気をもらったのだろう。

「……わかったニコ。めぐみ、変身ニコ」

「ええ」

 未だ立ち尽くしているデザイアを見つめ、めぐみがそっと腕をかざす。その手に煌めくは、ライトブルーのロイヤルブレスだ。

「王野さんも、準備はいい?」

 めぐみの目がゆうきを向く。そう。他でもない、勇気の王子を抱え、腕に桃色のロイヤルブレスをつけた、ゆうきを。

「…………」

 それはきっと当たり前のこと。だって、ゆうきはめぐみの相棒で、昨日だって一緒に戦った仲間だから。

 けれど、

「……ちょっと待って、大埜さん。怖いよ」

「え……?」

「今の大埜さんは怖いよ」

 ゆうきはそう言い切ると、めぐみの腕を優しく下げさせた。


「ねえ、あなた。えっと……デザイアさん」

「…………」

 デザイアが自分に意識を向けたのが分かった。仮面の奥の双眸を感じながら、ゆうきは口を開いた。

「初めまして。わたしは、王野ゆうき。このダイアナ学園女子中等部の2年生です」

「…………」

 デザイアはなんとも言わない。代わりに口を開いたのは、傍らのめぐみだった。

「ち、ちょっと、王野さん! なんで敵に自己紹介してるのよ!」

「敵とか、そういう言い方よくないよ。さっきの大埜さん、怖かったよ?」

「なっ、なっ……何を言ってるのあなたは!!」

「わたしは、怖いのは嫌い。ただそれだけだよ」

 ゆうきはそう言い切ると、再びデザイアに向き直った。

「……そうだな。礼節は大事である」

 その視線に、デザイアが笑ったのが分かった。

「先ほど紹介にあずかった。我が名は暗黒騎士デザイア。アンリミテッドの最高司令官である」

「うん。ほら、大埜さんも自己紹介」

「な、なんで私がそんなこと!」

「仕方ないなぁ。この子はわたしのクラスメイトで、学級委員の相棒で、プリキュア仲間でもある、大埜めぐみさん。こんな風に素直じゃないけど、とっても優しい子なんだ」

「……ふむ」

「素直じゃないって何よ! って違う! そんなことじゃなくて!!」

 めぐみは混乱するように頭を振り乱して。

「なんで敵と仲良く話してるのよ!」

「だから、そういう風に言うの、よくないって」

 ゆうきはめぐみの前に立つと、まっすぐにデザイアを見つめた。


「ねえ、デザイアさん。あなたもエスカッシャンを持っているんでしょう?」

「……ああ」

「返して」

「…………」

「それはこの子たちの、そしてこの子たちが住んでいたロイヤリティの物だよ」

「……返してと言われて、素直に返すとでも思うのか?」

「うん」

 ゆうきの迷いのない言葉に、デザイアが虚を突かれたようだった。

「貴様、正気なのか?」

「正気だよ。じゃあ、どうしたら返してくれるの?」

「……これは我々アンリミテッドが奪い取ったもの 。すでに我々のものだ」

「そんなのおかしいよ」

「おかしいと思うのなら、奪い返すのだな。力尽くで」

「…………」

 デザイアの言葉に対し、ゆうきもまた答える言葉を持たなかった。お互いの主張は平行線をたどり、決して交わることはない。

「……王野さん、もういいわね? いくわよ」

「いや、今日はやめておこう。私はただ、このホーピッシュと貴様たちプリキュアの様子を見に来ただけだ」

 呆然とするゆうき、臨戦態勢に入るめぐみ。そんなふたりに対し、仮面の騎士デザイアはやはり悠然と、片手でめぐみを制した。

「逃げるっていうの?」

「言ったはずだぞ? 私はアンリミテッドの最高司令官だと」

 声は背後から聞こえた。理解と視覚が逆転した。背後から聞こえた声に、ようやく気づいたのだ。

 目の前にいたはずのデザイアが、いつの間にか背後に回っている。


「ど、どうやって……!?」

「先ほども言っていたはずだが? 私はアンリミテッド最強の騎士、デザイアだとな」

 デザイアの声には嘲弄する響きすらあった。それは、ふたりを敵とみなしてすらいない、そんな声色。

「断言しよう。貴様らでは私には勝てぬ。特に、」

 ふと、その目線がゆうきに集中する。たじろぐゆうきに、デザイアはやはりあざ笑うように。

「そんな腰抜けがいるのでは、貴様らに勝ち目はないであろうな」

「っ……」

「では、失礼する。また後ほど私の部下が貴様らを狙うだろう。そのときまでには、戦う覚悟くらいは決めておくのだな」

 デザイアがマントを翻すと同時、その身体がモノクロの世界に溶けるように消えた。そして世界は色を取り戻す。草木も校舎もその姿を取り戻し、どこか薄ら寒い静寂が、心地のよい中庭の自然音に満たされていく。

「消えた……本当に様子を見るだけのつもりだったのね」

「…………」

「それで? どういうつもりだったのかしら? 王野さん?」

「……わたしは、戦いなんてしたくない」

「さっき、フレンたちの力になってあげたいって言ってたのは、嘘なの?」

「嘘じゃないよ! 力になってあげたい! でも……」

 ゆうきは、訝しむような表情のめぐみに必死に訴えた。

「わたしは、相手に仲良くしたいって伝えもせずに戦うなんて、そんなことしたくない! 話し合えるなら、言葉が通じるなら、言葉をかけるべきだよ!」

「相手にそれを聞く気はないみたいだったけれど」

「それは……」

 めぐみの言葉に、ゆうきは返す言葉を持たない。デザイアがエスカッシャンを素直に返してくれることがありえないと、すでに分かっていたからだ。


「……弱虫」

 か細い声が放たれた。フレンが、めぐみの手の中から、声を絞り出していた。

「ゆうきの、弱虫!」

「…………」

「あいつは、ロイヤリティを滅ぼした張本人ニコ! 言葉なんか届くはずがないニコ……!」

 それは、泣きながら放つ小さな声だった。けれど、それがゆうきの心の奥底まで、深く突き刺さった。

「フレンだって怖かったニコ! でも、めぐみの言葉を聞いて、一緒に戦おうって思えたのに……あんたは、どうして戦ってくれないニコ!」

「……だって、わたしは……」

 フレンは大声を上げて泣き出した。フレンに胸を貸し、背中をなでさするめぐみが、ゆうきに冷めた目を向ける。

「……一日、考えなさい。あなたがどうしたいのか。どうなりたいのか。この子の涙も、あなたの考え方も、全部含めて、答えを出して」

 その声には先までの温かみは、なかった。

「使命感なんて持つ必要はないわ。私は……たとえひとりでも、この子たちと共に戦うから」

 めぐみはそれきり、何も言わなかった。フレンを慰めながら、行ってしまったからだ。

「わたし……」

「…………」

 ブレイはゆうきの手の中で、まだ震えていた。ひとり立ち尽くすゆうきに、声をかけてくれる者はいない。自分が何をしたのか、何をしてしまったのか、それすらも分からない。

「わたしは、弱虫……。わたしに、勇気なんてないのかな」

 腕にきらめく桃色のロイヤルブレス。それが、自分に似つかわしくないものに思えてくる。それをつける者は、どこか別にいるのではないだろうか。自分は、キュアグリフを騙るニセモノなのではないか。

 自分には、プリキュアになる資格などないのではないか。

 自分には、ブレイとフレンを助ける資格などないのではないか。

「…………」

 答えは出ない。何も分からない。

 ゆうきはゆっくりと鞄を取り、教室へ向かった。

「うぅ……っ……」

 手の中で震える、自分の居場所を奪われた、小さな小さな存在の、その体温を感じながら。


    次    回    予    告

ゆうき 「わたしには、やっぱりプリキュアになる資格なんてないのかもしれない」

ゆうき 「戦うのは、怖い。悪意を向けられるのも、怖い。だってわたしは、勇敢でもなんでもないから」

ゆうき 「わたしは、臆病者の弱虫だから」

めぐみ 「悩むゆうき。何も言わず、ただ見守るめぐみ」

めぐみ 「けれど、そんなときにも敵は休みなくやってくる」

ゆうき 「次回、ファーストプリキュア」

ゆうき&めぐみ 「「ちょっと早すぎ! プリキュア解散!?」」



めぐみ 「……王野さん。私、あなたのことを信じてるから」

第2話はここまでです。
見てくださった方、ありがとうございました。

また来週同じ時間に投下できると思います。


ゆうき 「ゆうきと、」  めぐみ 「めぐみの、」

ゆうき&めぐみ 「なぜなに、ふぁーすと!」

ブレイ 「わー!!」 パチパチパチ

フレン 「…………」

ブレイ 「? どうしたの、フレン?」

フレン 「いや、その……」

ブレイ 「? まさか、本編でゆうきに言い過ぎちゃったからって、気まずいの?」

フレン 「そっ、そんなことないわよ!!」

ブレイ (……わかりやすい)

ゆうき 「さてさて、今日もよい子のみんなの疑問に、」

めぐみ 「私たちプリキュアがガンガン答えていくわ!」

ゆうき 「本日のおたよりは、ほまれ町在住の、Y.O.さんから頂きました!」

ブレイ 「わー!」 パチパチパチ

フレン (質問が来ないから自作自演するしかないのね)

ゆうき 「『プリキュアの皆さん、それから、妖精の皆さん、こんにちは』」

ゆうき&めぐみ 「「こんにちは!」」

ブレイ 「こんにちはー! ……ほら、フレンも」

フレン 「……こ、こんにちは」

ゆうき 「『早速質問です。光の世界 “ロイヤリティ” というのは、どういう世界なのでしょう?』」

ゆうき 「『きっと素晴らしい世界なのだとは思うのですが、もっと詳しく知りたいです。教えてください』」

ゆうき 「……とのことだよ! Y.O.さん、おたよりありがとー!」

めぐみ 「じゃあ、今日もさくっと疑問に答えていくわよ!」

ゆうき 「でも、わたしたちはロイヤリティのことを詳しく知らないよ?」

めぐみ 「その通りね王野さん! と、いうことで、教えて! フレン!」

フレン 「!? そこであたしに振るの!?」 オホン 「し、仕方ないわね。特別に、このフレン様が教えてあげるわ」

ブレイ 「ちなみにフレンは顔を赤らめて手をモジモジさせてとても嬉しそうだよ!」

フレン 「ブレイは余計なことを言わなくていいの!」

フレン 「……えーっと、ロイヤリティの話だったわよね? ロイヤリティは、それはそれは素晴らしい世界なの」

フレン 「四季折々の花は咲き乱れ、人々は皆優雅で、気品溢れる生活をしていたの」

フレン 「勇気の国、優しさの国、情熱の国、愛の国という四つの国があって、それぞれ王様が治めていたの」

フレン 「……アンリミテッドが、ロイヤリティを飲み込むまでは」

フレン 「だからフレンたちは、そんなロイヤリティを奪ったアンリミテッドが許せない! 絶対に負けないんだから!」

めぐみ 「そうね。私も、精一杯フレンに力を貸すわ」

ゆうき 「…………」

ゆうき 「……と、いうことで、Y.O.さん、分かってくれたかなー?」

めぐみ 「それじゃあ本編、」

ゆうき 「スタート!!」


 いけないことだとわかっていたけれど、授業中はずっと朝のことを考えていた。


 ――――『おかしいと思うのなら、奪い返すのだな。力尽くで』


 ゆうきは、デザイアの言葉を思い出す。ゆうきが奪い返すしかないのだろうか。


 ――――『そんな腰抜けがいるのでは、貴様らに勝ち目はないであろうな』


 ゆうきは、あのとき、めぐみと一緒に戦うべきだったのだろう。

 戦って、勝って、デザイアからエスカッシャンを奪い返すべきだったのだろう。

 けれど、それでいいのだろうかと、疑念が浮かんだのだ。

 ゴーダーツとの戦いは緊急だったから、そんなことを考える余裕はなかった。

 けれど、デザイアは話を聞いてくれた。だから、伝えることができた。

 返して、と。言うことができた。

 けれど、想いは踏みにじられた。

「…………」

 ゆうきにとって、世界とは、人とは、人との関わりとは、優しくて然るべきものだった。

 世界はゆうきを無下にしない。

 ゆうきは世界を無下にしない。

 人はゆうきに優しさを持つ。

 ゆうきは人に優しさを持つ。

 人と関わることは、楽しくて、嬉しくて、そういうドキドキがいっぱいつまった素敵なことのはずなのに。


 ――――『フレンだって怖かった! でも、めぐみの言葉を聞いて、一緒に戦おうって思えたのに……あんたは、どうして戦ってくれないの!』


(わたしは臆病者だ。きっと、わたしは……)

 ゆうきは、机の脇にかけてあるバッグに目を落とす。その中では、デザイアとの邂逅で疲れ果てたブレイが眠っている。

(わたしは……)

第三話 【ちょっと早すぎ! プリキュア解散!?】



 いけないことだとわかっていたけれど、授業中はずっと朝のことを考えていた。


 ――――『おかしいと思うのなら、奪い返すのだな。力尽くで』


 ゆうきは、デザイアの言葉を思い出す。ゆうきが奪い返すしかないのだろうか。


 ――――『そんな腰抜けがいるのでは、貴様らに勝ち目はないであろうな』


 ゆうきは、あのとき、めぐみと一緒に戦うべきだったのだろう。

 戦って、勝って、デザイアからエスカッシャンを奪い返すべきだったのだろう。

 けれど、それでいいのだろうかと、疑念が浮かんだのだ。

 ゴーダーツとの戦いは緊急だったから、そんなことを考える余裕はなかった。

 けれど、デザイアは話を聞いてくれた。だから、伝えることができた。

 返して、と。言うことができた。

 けれど、想いは踏みにじられた。

「…………」

 ゆうきにとって、世界とは、人とは、人との関わりとは、優しくて然るべきものだった。

 世界はゆうきを無下にしない。

 ゆうきは世界を無下にしない。

 人はゆうきに優しさを持つ。

 ゆうきは人に優しさを持つ。

 人と関わることは、楽しくて、嬉しくて、そういうドキドキがいっぱいつまった素敵なことのはずなのに。


 ――――『フレンだって怖かった! でも、めぐみの言葉を聞いて、一緒に戦おうって思えたのに……あんたは、どうして戦ってくれないの!』


(わたしは臆病者だ。きっと、わたしは……)

 ゆうきは、机の脇にかけてあるバッグに目を落とす。その中では、デザイアとの邂逅で疲れ果てたブレイが眠っている。

(わたしは……)


………………

 新学年が始まってすぐの授業は、午前中だけだ。お昼に帰りのホームルームが終わると、ゆうきはそのままカバンを持って中庭に向かった。

 教室を出る直前、一瞬だけめぐみと目が合った。けれど、ゆうきはそのまま、教室を後にした。

「……ねぇ、ブレイ」

「グリ?」

 人気のない中庭につくと、ゆうきは優しくブレイを起こして、膝の上においた。日差しは暖かく、ポカポカの陽気だ。世界は明るい。それを再確認したからこそ、今朝の恐怖と困惑が鮮明に蘇る。

 ともあれ、ふたりきりになれた今、ようやくブレイとまともに話すことができる。

「ブレイは、わたしを勇敢だって言ってくれたけど、」

 ゆうきは言った。

「わたし、やっぱり弱虫だよ。デザイアっていう人を前にして、戦おうとしなかった」

「…………」

「フレンにも怒られちゃった。そしてきっと、大埜さんにも」

「うーん……」 ブレイは考え込むようにしてから、ばつが悪そうに口を開いた。

「ごめんグリ。ブレイは実は、今朝のことをあんまり覚えていないグリ。デザイアが怖くて……」

「そう……」

「グリ。だから、少なくとも、ブレイはゆうきを弱虫なんて言ったりできないグリ」

 それは違う、とゆうきは思った。だって、めぐみは違ったから。めぐみは、怖がるフレンをなだめ、激励し、なんとかしようと懸命だった。そして実際、めぐみはフレンに戦う意志を持たせたのだ。それはゆうきには、王女を支える忠実な戦士のように見えて、それがプリキュアの正しいあり方なのだろうと思わされたのだ。

「……わたし、やっぱりプリキュアに向いてないのかな」

「そんなことはないグリ! だって、勇気のロイヤルブレス、そして勇気の紋章は、ゆうきがキュアグリフだって言ってるグリ!」

「でも、わたしは戦おうとしなかった。ブレイたちの世界を壊した、その張本人を目の前にしても、わたしは戦おうとしなかったんだよ?」

「でもそれは、“怖かったから” というわけじゃないグリ?」

 ブレイの純粋な瞳がゆうきに問いかける。

「それは、違うけど……」

 思い返す。ゆうきはデザイアのことを、怖いとかそういう風には思わなかった。ただ単純に、話し合うことはできないかと、そう思っただけだ。

 ならば今朝、デザイアと出会って感じた恐怖は、一体何だったのだろうか。


「ゆうきにも考えがあってそうしたグリ? だったらブレイは、べつに怒らないグリ」

「ブレイ……」

 ブレイの言葉のおかげで、ゆうきは自分のことをもう一度考え直せる気がした。

(昨日……わたしは戦えた。怖かったけど、それでも、隣に大埜さんがいてくれたから、戦えた)

 ならば、今朝のことはどうだったのだろう。

(隣に大埜さんがいた。ブレイもフレンもいた。けれどわたしは……そっか)

 おかしいことなんて何もなかった。やはり、ゆうきは恐怖していたのだ。

「やっぱりわたし、プリキュアにはなれないよ。わたしに勇気なんてないもん。わたし、やっぱり怖かったんだよ」

「ゆうき……」

 ブレイには悪いと思う。できれば力になってあげたいとも思う。

「……ごめんね」

 ゆうきはおもむろに、腕のロイヤルブレスに触れた。パチッ、と小気味いい音がして、ロイヤルブレスは簡単に外れた。

「はい、これ、返すね。きっと、もっと “キュアグリフ” にふさわしい人がいると思うから、その人に渡して」

「ゆうき、でも、ブレイは……――」

「――ごめんね。大埜さんなら、きっと、ブレイたちのことを守ってくれるよ」

 笑って、頭を撫でる。これ以上この子をぬか喜びさせてはいけない。これ以上、この子たちの迷惑になってはいけない。

 ゆうきはそれきりブレイに話しかけることもなく、ブレイを抱えて、そっと中庭をあとにした。


………………

「…………」

「……王野さん、帰って来ないわね」

「……ふん」

 この日は学期はじめのだから、午前授業で、その後はすぐに放課だった。めぐみはフレンとふたりきり、教室でゆっくりと話をしていた。

「ブレイったら、いやに静かだと思ったら、授業中はずっと寝てたニコね」

 フレンは憮然と言った。

「暢気なものニコ。自分のプリキュアが、やめてしまうかもしれないのに……」

「……フレン。今朝のこと、まだ怒ってるの?」

「…………」

「仕方ないわ。いきなり戦うなんて、誰にだってできることじゃないもの」

「……ゆうきは、プリキュアをやめちゃうニコ?」

「分からないわ」

「ニコぉ……」

 そのときだった。教室前方の引き戸が、力なく開かれたのだ。フレンは直立不動のぬいぐるみのフリ。めぐみは慌ててそちらに目を向ける。

「あれ……? 誰もいない?」

「いるグリ……」

 下の方から小さな声が聞こえた。誰もいないように見えた引き戸の向こう、ずっと下の方に小さなぬいぐるみのような姿がある。

「ブレイ!」

 ピョンとひととび、フレンは慌ててブレイの元に駆け寄った。落ち込んだ顔をするブレイは、フレンを認めた途端、泣きそうな表情をした。

「ど、どうしたニコ?」

「ゆうきが……」

「……王野さんがどうしたの?」

「他に、プリキュアにふさわしい人が、いるって……」

 その声はすでに、涙に震えていた。ブレイが差し出した手には、薄紅色のブレスレットがあった。

「これは、勇気のロイヤルブレスニコ!」


「……そう。王野さんは、プリキュアをやめると言ったのね?」

「…………」

 すでに声も出せないのだろう。ブレイは涙で揺れる瞳で、所在なげにうなずいた。

「……分かったわ。なら、仕方ないわね。これ以上、王野さんを巻き込めないわ」

 めぐみは優しく、足下の小さな妖精たちに語りかけると、ふたりを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。

「大丈夫。あなたたちは私が守るわ。私はプリキュアをやめたりしないから」

「ゆうき……!」

「フレン、悪く思ってはだめよ? 王野さんは、王野さんなりに考えて、そう決めたんだから」

「でも……!」

 言いかけて、けれどやっぱり、フレンは口をすぼめてうつむいてしまった。何をどう伝えたらいいのか分からないのだろう。フレンの心の中で色々な想いがうずまいて、きっと何を言いたいのか自分でも分かっていないのだ。

「ブレイ。王野さんはどこに行ったの?」

「行っちゃったグリ……ブレイをここまで連れてきて、ごめんねって、それだけ言って、行ってしまったグリ……」

「そう」

「ねえ、めぐみ」

「なぁに?」

 ブレイが泣きそうな顔のまま、問いかけた。

「勇気って何グリ? ブレイは、ゆうきに本当の勇気を見つけたグリ。だからゆうきはキュアグリフに変身できたグリ」

「……そうね」

「ブレイは勇気の王子グリ。けど、分からないグリ。ゆうきは本当に、弱虫だから、臆病だから、プリキュアをやめたグリ?」

 まっすぐな言葉。それはブレイの曇りのない純粋な心をそのまま代弁しているのだろう。だからめぐみもまた、真摯に答えなくてはいけないと思った。

「分からないわ。私は王野さんではないもの」

「グリ……」

「あなたが王野さんの気持ちを考えて、自分で判断するのよ」

「…………」

 人との関わりはとても難しい。だって人は、他の誰かの気持ちなんて、完全には分からないから。だからめぐみにも、ゆうきが何を想い、何を考え、プリキュアをやめようとしているのかは分からない。

「……さ、行きましょう。これからのこととか、話し合わなくちゃいけないしね」

 とにかくめぐみは、ふたりを安心させるために笑みを浮かべた。まだ小さいふたりは今まで色々な苦労をしてきたのだろう。その分、今は自分が安心させてあげなくてはならない。



 そのめぐみの優しさを、クラスメイトは知らない。みんな、クールで知的なめぐみしか、知らないからだ。

 そして、めぐみ自身も自分の優しさを、知らない。フレンやブレイを前にして、気丈に笑える自分の優しさに気づいていないからだ。

 その優しさを知っているのは、自らめぐみを “相棒” といった、あの勇気あふれる少女だけなのだから。


………………

「……ゆうきっ」

 校門を出てすぐ、ゆうきは横から声をかけられた。

 前は見ていた。けれどうつろな目は、きっと何も捉えてはいなかったのだろう。

「あきら、どうしたの?」

 校門の横。校名のプレートによりかかるようにして、幼なじみでクラスメイトで幼なじみの美旗あきらが立っていた。

「ゆうき。一緒に帰ろ?」

「……うん。いいよ」

 ひとりで歩いていても、もっと気が滅入りそうだったから、あきらの申し出は素直に嬉しかった。並んで歩き出すと、少しだけ気持ちが温かくなる。

「もしかして、ずっとわたしを待っててくれたの?」

「……そういう、わけじゃ、ないけど。ゆうき、何か様子がおかしかったから……」

 あきらがゆっくりと答える。ゆうきの幼なじみは、あまりお喋りな方ではない。

「様子がおかしい? わたし、なんか変だったかな」

「うん」

 あきらは、眼鏡の奥の瞳でまっすぐにゆうきを見つめた。。

「朝からずっと、様子がおかしかったでしょ? わたし、ちゃんと気づいてたよ。授業中もボーッとしてたし、休み時間中も、何か考えてるみたいだったし」

「あー……」

「昔からそう。誰かとケンカしたりすると、ああやって少しだけ落ち込むんだよね。周りに心配をかけたくないから、表面は取り繕ってるけど、わたしには分かるよ。幼なじみだもん」

「あはは……」

 恐れ入る。やっぱりあきらはゆうきの親友で、きっとゆうきに隠し事なんてできないのだろう。

「誰かとケンカでもしたの?」

「ケンカっていうか……うーん……」

 いくら何でも、プリキュアのことをあきらに言うわけにはいかないだろう。少し逡巡した後、ゆうきは少しだけ、傍らの幼なじみに頼ってみることに決めた。


「じゃあ、あきら、少しだけ相談してもいい?」

「もちろん。だってわたしは、ゆうきの親友だもん」

「でも、ちょっとわけがわからないというか、たとえ話みたいになっちゃうけど」

「とにかく話してみて。それだけで楽になるかもしれないでしょ?」

「……ありがと」

 ゆうきは意を決して口を開いた。

「たとえば、の話なんだけどさ」

「うん」

「友達が大切にしているものが無理矢理奪われてしまって、それを取り返すのに、暴力を振るってもいいと思う?」

「え……?」

 案の定、あきらは怪訝な顔をした。

「ごめん。よく分からないけど……先生に相談するか、警察に行った方がいいと思う」

 それはそうだ。しかしアンリミテッドのことなど、先生はおろか、警察に話してもどうしようもない気がする。

「うーん……もし、警察とかに頼れなくて、代わりに、自分に戦えるようなすごい力があるとしたら?」

「……警察がいない代わりに、自分に戦う力があるの?」

「うん。あと、その大切なものを奪った人たちは、その友達が持っている他の大事なものもほしがっていて、今も友達を脅かしているの」

「…………」

 あきらは黙りこくって考え込んでしまった。あきらは難しいことにぶち当たると、よくこうやって自分ひとりで考え込む。親友のゆうきはそれを知っているから、ゆっくりと、あきらが口を開くのを待った。

「……もし、そうだったら」

「だったら?」

「……わたしだったら、戦うと思うよ」

 やがておもむろに顔を上げたあきらは、ゆうきにはっきりとそう断言した。


「怖くはないの?」

「怖いよ。きっと、とっても怖いことなんだと思う。それでも、戦う」

「でも、相手を傷つけてしまうかもしれないんだよ? 相手が自分に悪意を持って攻撃してくるんだよ?」

「それでも、ゆうきも戦うでしょう?」

「えっ……?」

 意外なことを口にしたあきらは、少しだけ笑っていた。

「どういうこと?」

「ゆうきのこと、もちろん全部は分からないけど、それでも分かるよ。ゆうきは戦う」

「どうしてそう思うの?」

 どうしても知りたかったから、ゆうきは真剣な顔をしてあきらに詰め寄った。けれど当のあきらはゆうきから目線を逸らし、どこか遠くを見た。そして、驚いたような顔をする。


「……あ! 近所の小学生がネコをいじめてる!!」


「なんですって!?」

 バッと急き込んで振り返る。しかし、そこには子どももネコもいない。キョロキョロと見回すが、そんな場面はどこにもなさそうだった。

「ふふっ、昔から、こういうのに引っかかりやすいんだから」

「あ……! あきら!! ふざけないで!」

「でも、分かったでしょ?」

「え?」

 あまりにも自信満々なあきらの顔に、怒る気さえ削がれてしまう。

「分かったでしょって、何が?」

「ゆうきは今、わたしが “小学生がネコをいじめてる!” って言ったのを聞いて、どうしようと思ったの?」

「それは、もちろんそれを止めて、ネコを助けて、小学生を叱るためだよ」

「でしょう? ゆうきは誰かを助けるだけじゃなくて、悪い方もしっかりと叱ってあげるつもりだったんだよね」

「え……?」

 ゆうきの親友。ずっと昔から一緒に遊んできたあきらは、にっこりと、きっとゆうき以外には見せない笑顔を浮かべた。


「ゆうきは戦うよ、絶対。友達を守るために。それから、悪いことをしているひとを、叱ってあげるために」

「…………」

 目が開いた気がした。

 何かが自分の頭の中でカチリと当てはまった気がした。

 ずっと探していた最後のピースが入って、一枚の絵が完成したかのように。

 固く閉じられていた扉の鍵が、開いたかのように。


「そっか。そうだよね。わたしは、きっとそう……」


 はめこむべき最後のピースは、扉を開けるための鍵は、ずっと、ゆうきの手の中にあったのだ。

 ゆうきが戦うのは、ただ相手を倒すためじゃない。

 ゆうきが戦うのは、アンリミテッドからエスカッシャンを取り返すためだけじゃない。

「……あきら、ごめん。わたし、行かなくちゃ」

「え? 今からどこかに行くの?」

 あきらは少し意外そうな顔をして、けれどすぐに相好を崩してくれた。

「……うん。行ってらっしゃい、ゆうき」

 中学生の世界はいつもままならなくて、きっと、答えなんてない問題ばかりなのだろう。

 けれどその答えは、自分の中にあることだってある。

 そしてその答えのヒントを、友達に教えてもらうことだって、あるのだ。

「あ……!」

 走りだしたゆうきは、数歩先で立ち止まり、振り返った。

「ありがとう、あきら!」

「どういたしまして、ゆうき」

 小さい頃からずっと一緒だった親友。そんな人に助けてもらえることが、ただありがたかった。ゆうきはそして、走り出した。

(わたしは……そうだよ。ずっと、わたしは “王野ゆうき” だったんだから)

 自分にできること。自分がするべきこと。

 なんとなくだけれど、分かった気がしたのだ。


………………

 そこは黒い場所。光はあれど、黒すぎて照り返さず、闇のように見える場所。

「……デザイア様」

「ゴーダーツか。首尾はどうだ?」

「はっ。ダッシュー、およびゴドーと連絡がつきました。一刻も早くこちらにはせ参じるように申しつけましたが、いかんせんあの者たちも一筋縄ではいかぬ故に……」

「まぁよい。奴らとてアンリミテッドの一員だ。妖精の持つ紋章がほしくないわけはあるまい」

「はっ」

 ゴーダーツは深く低頭したまま、何かを求めるように待ち続けた。デザイアは彼が何をしたいのか分かっていたから、そっと目をそらし、仮面の下で冷徹に笑った。

「……行きたくば、行け、ゴーダーツ。妖精から紋章を奪い取るのだ」

「は、はっ! ありがとうございます、デザイア様!」

 ゴーダーツは勢いよく立ち上がると、デザイアにまた深く頭を垂れた。

「妖精どもから紋章を奪い取り、戻ってまいります」

「ああ。安心しろ。貴様はあんな腰抜けに遅れは取らぬだろう」

 デザイアは今朝の様子を思い出し、笑った。


 ――――『返して』


 ――――『それはこの子たちの、そしてこの子たちが住んでいたロイヤリティの物だよ』


「片方のプリキュアに戦う意志はない。ゴーダーツ、貴様はもう片方のプリキュアを倒しさえすれば、紋章を手に入れることができるだろう」


「左様ですか。ならば、なお簡単なこと……必ずや、紋章を持ち帰ってごらんにいれましょう」

 ゴーダーツはマントを翻し、デザイアに背を向けた。アンリミテッドの幹部としての自信に溢れるその姿に、迷いはない。

「……ああ、楽しみにしているぞ、ゴーダーツ」

 ロイヤリティがそうなったように、いずれホーピッシュも闇に墜ちる。アンリミテッドの欲望が食い尽くす。

 それを覆すことなど、たとえロイヤリティの伝説の戦士であったとしても、できはしない。


 ――――『初めまして。わたしは、王野ゆうき。このダイアナ学園女子中等部の2年生です』


「…………」

 しかし、である。

 王野ゆうきと名乗った、あの少女は、腰抜けで、弱虫で、臆病者でありながら、どこかデザイアの心の奥深くに引っかかっている。

 あの少女は、もしかしたら、アンリミテッド最大の障害となりえるかもしれない。

「それでは、デザイア様、行って参ります」

「…………」

 しかし、それをゴーダーツに伝える前に、彼は消え去った。ホーピッシュへ飛んだのだろう。

「……否。杞憂だろう。我々アンリミテッドは闇の欲望を統べるのだ。敗北などあり得ない」

 そこは黒い場所。

 光はあれど、闇の中にあるような、そんな場所。


………………

 フレンにとって、アンリミテッドはただ憎むべき敵だった。

 住んでいた世界を飲み込まれ、知らない世界に放り出されたのだから当然だ。

 アンリミテッドが憎い。憎くてたまらない。アンリミテッドは、フレンの大切なものをあまりにも多く奪いすぎたのだ。

「ゆうきの、ばか……」

 やっぱり、当事者でなければ分からないのかもしれない。この悲しみ。この憎しみ。この、どうしようもないほど悔しい気持ちは。だからきっと、ゆうきも、怖くなって逃げたのだ。

「……ねえ、フレン。どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?」

 帰り道。ブレイと一緒に抱えられるようにして、フレンはめぐみの腕の中にいた。鞄に入れて運ぼうとするめぐみに、こうしてほしいと頼んだのだ。理由は恥ずかしくてもちろん言えないが、めぐみの体温を感じていないと不安だったからだ。

「だって、ゆうきが……」

「王野さんがプリキュアをやめてしまったから?」

 頭上から降ってくるめぐみの声は優しさそのものだ。

「……ニコ」

「そうね。王野さんがやめてしまって、少しさみしいわね」

「さ、さみしいなんて言ってないニコ!」

「あら、じゃあなんでそんなに悲しそうなの?」

「それは……プリキュアをやめるゆうきに怒ってるからニコ!」

「でも、怒ってるようには見えないわ」

 何をバカなことを、と怒ることもできなかった。めぐみの言っていることがまさしく本当のことだと、フレンにも分かっていたからだ。

「……でも、怒ってもいるニコ」

「ええ。それだけ、王野さんのことが好きだったのね」

「…………」

「助けてくれるって信じてたから。一緒に戦ってくれるって信じてたから。それだけ、王野さんのことを信じていたから、そんなにやるせないのよ」

「……そうかもしれないニコ」


 フレンはたしかに見たのだ。

 昨日、ゆうきがフレンとブレイに逃げてとだけ短く告げて、今まさにウバイトールが襲いかかろうとしているめぐみの元へ駆けたとき。

 そのときに、見たのだ。

 ゆうきの背中に漂う、戦士の風格。勇気溢れるグリフィンの翼を。

「信じてたのに……」

「……ブレイは、まだ信じてるグリ」

「え……?」

 今の今で黙りこくっていた傍らのブレイ。彼が口を開いた。ブレイの目は遙か遠くを見据えていて、その決然とした目に、もう涙はなかった。

「信じてるって、何をニコ?」

「……ゆうきは戻ってきてくれるグリ。ブレイはゆうきを信じているグリ」

「どうして、そんなことが言えるニコ?」

「だって、ゆうきはプリキュアをやめるなんて一言も言ってないグリ」 ブレイはやっぱり、なぜか自信満々に。「それがブレイが考えた答えグリ。ブレイはゆうきを信じてるグリ」

「……そうニコ。勝手にすればいいニコ」

 もう、信じて裏切られるなんてまっぴらだ。きっと自分はゆうきのことを気に入っていたのだろう。だからこんなに空虚な気持ちになっているのだ。

「でも、大丈夫よ。どちらにしろ、あなたたちは私が守るから」

 ただ、今はゆうきを失ったさみしさを、めぐみの温かい腕と言葉で埋めておきたい。めぐみがかけてくれる優しい言葉がただただ心地いい。

「大丈夫。あなたたちは、私が絶対に守るからね」


「言葉だけならなんとでも言えるぞ? プリキュア」


「っ……!」

 それはやはり、唐突に現れた。ほまれ町を通るほまれ川、そこにかかる橋の中央に、彼は立っていた。

「ゴーダーツ……!」

 それは深く欲望に根ざした、アンリミテッド。闇の戦士、ゴーダーツだ。


「ふん。名前くらいは覚えていたようだな、プリキュア」

「フレン、ブレイ、わたしの後ろに隠れて!」

「ニコ!」 「グリ!」

 フレンはブレイの手をひっつかみ、慌ててめぐみの腕から飛び降りた。身構えるめぐみの足下に隠れ、ゴーダーツの姿を陰から見つめる。

「今度はあなたなのね。デザイアとかいう人はどうかしたの?」

「うぬぼれるな。貴様らごとき、あのアンリミテッド最強の騎士が出撃されるまでもない」

 ゴーダーツは不敵に笑う。

「それにしても、デザイア様がおっしゃっていたことは本当だったようだな。くく……もうひとりのプリキュア、逃げ出したのか?」

「っ……」

 思わずうめき声が漏れる。考えないようにしていたのに、ゴーダーツの言葉でむりやりに思い起こされてしまう。

「とんだ腰抜けがプリキュアになったものだな。それも、勇気の王子が生み出したプリキュアであろう? くく……今の勇気の国の王族と同じか。連中は皆、腰抜けで弱虫だからな」

「弱虫なんかじゃないグリ! ブレイたち勇気の国の王族は、みんな勇敢な心の持ち主グリ!」

 めぐみの後ろから、ブレイが叫んだ。ブレイは誇り高い王族らしい王族だ。自分の家系が馬鹿にされれば、黙ってはいない。けれど、

「ほう? ならば剣を取って私と戦うか? 私は一向に構わんぞ?」

「うっ……」

 ブレイがガタガタと震え出す。ブレイは自分では決して認めようとはしないが、やっぱり臆病なのだ。

「……あなたの相手はこの私、でしょう? それとも、伝説の戦士が怖いのかしら?」

 めぐみがふたりを庇うように言葉を放つ。ゴーダーツは不快そうにめぐみをねめつけた。

「くだらん。貴様の相手は私だけではない」


 そして、世界が闇に沈む。


「出でよ、ウバイトール!!」


 眼下の川が、両側の並木道が、目の先に連なる住宅街が、すべてモノクロに沈む。世界から色が消え失せ、そして、青空に亀裂が走る。

「まずい……! 逃げるわよ!」

 めぐみが慌ててフレンとブレイを抱えて橋の上から逃げる。なんとか道路までたどり着いたとき、地面が大きく揺れて、めぐみは大きくころげてしゃがみこんだ。
「めぐみ!」

「大丈夫よ。大丈夫だから」

 フレンの声に、めぐみが笑って返答する。

「あ……あわわわわ……」

 ブレイが橋の方を見て目を剥いている。フレンがその先に目を向けると、今まさに、橋が動き出すところだった。

「……電柱のときも驚いたけれど、これは……すごいわね」

 それはもはや橋でありながら橋ではなかった。目前で分断された橋と道路のアスファルト。巨人が目覚めるかのように、橋が身をもたげたのである。あるはずのない腕、あるはずのない足、そして、あるはずのない悪辣なる瞳に闇を宿して、橋が川の上に立ち上がる。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「ふははははは!! 守るというのなら、このウバイトールを倒して見せるのだな! 伝説の戦士プリキュア!」

 ウバイトールとなった橋の上から、ゴーダーツが嘲弄する。

「……めぐみ、変身ニコ!」

「ええ!」

 フレンの言葉にめぐみが素早く立ち上がる。そして、薄いブルーのロイヤルブレスをかざした。それはモノクロに墜ちた世界で、燦然と輝くような色の腕輪だ。

「受け取るニコ、めぐみ! 優しさの紋章ニコ!」

 フレンの身体から青い閃光が飛ぶ。それはめぐみの空いた手の中で輝き、やがて形を成す。

 清浄なる、角を持つ白馬の紋章。

 優しさを象徴する神獣、ユニコーンの力。

「……行くわよ!」

 めぐみは優しさの紋章を握りしめ、流れるような仕草でロイヤルブレスに差し込んだ。

 そして、声高らかに叫ぶ。


「プリキュア・エンブレムロード!」


 激烈な光が、色が、めぐみの身体を包み込む。

 それは温かく優しい光。けれど苛烈で、たしかな力を感じる、圧倒的な力の光。

 めぐみの身体を取り巻くその光は、やがてめぐみをリボンのように覆っていき、衣装へと姿を変える。

 胸元のリボン。フリフリのフリルスカート。編み込みのブーツ。

 薄青の光が、めぐみの姿を変えていく。

 そして、その光が炸裂する。

 はるか上方より華麗に大地に舞い降りる。

 それはすでに、めぐみであってめぐみではなかった。



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



 清浄なる空色の光が舞い上がり、散った。

「とっても、きれいニコ……」

 フレンは心の底から誇らしく思うのだ。

 あんなに美しいプリキュアを生み出すことができた、自分自身を。

 そして、キュアユニコそのものを。

 自分のために戦ってくれる、優しいプリキュアを。


「さっさと片をつけてやるんだから!」

 ユニコの心に迷いはない。戦うことが怖くないわけはない。

 けれど、守りたいから。

 自分の後ろにいる、か弱いふたりを。

「はあああああああああああああああああ!!」

 ユニコのブーツがアスファルトを踏みしめる。そして、跳んだ。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 今回のウバイトールは巨大だ。だからこそ、駿馬のごとく速いユニコを捉えきれるわけはなかった。

 一直線にウバイトールの眼前に迫ったユニコは、そのままウバイトールに跳び蹴りを加えた。プリキュアとしての力だろう。幾重にも増幅された蹴りは威力抜群で、ウバイトールはその巨体で後ろに倒れ込む。

『ウバアアアアアアア!!』

 川の水がしぶきを上げ、荒れる。ユニコはそのまま身を翻し、河原に着地した。

「ふん。なかなかやるな、キュアユニコ」

 低い声が響いた。堤防の上の遊歩道から、いつの間にか移動したゴーダーツがこちらを見下ろしていた。

「昨日のあなたのおかげでね。私も、だいぶプリキュアの力の扱い方に慣れることができたわ」

「吠えるな。ウバイトール!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 勢いよくウバイトールが立ち上がる。その巨体が身をもたげただけで、大地がごろごろと大きく地鳴りを起こす。

「思い上がったプリキュアを叩きつぶせ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ウバイトールはその巨体をぶるぶると震わせ、高く飛び上がった。

「なっ……」

 突然のことに呆気に取られたユニコだったが、すぐに飛び退った。ウバイトールの着地地点が、自分だと分かったからだ。

 ズドン! と。大地が揺れる。


「っ……!」

 轟音を響かせて、巨大なウバイトールが河原に着地した。大地の揺れは収まらない。足下がおぼつかないためうずくまる。その一瞬の隙をつき、ウバイトールが長い腕をユニコに向け振るった。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

(まずい……!)

 心の中で危機を察するも、とっさのことに身体が動かない。ユニコはなんとか両腕でガードを作り、そしてそこにウバイトールの巨大な腕が激突する。

「きゃああああああああああああああああああああああ!!」

 吹き飛ばされ、身体が宙に浮く。悪辣なる欲望の化身は、相手が誰であろうと手加減などするつもりはないようだった。圧倒的な膂力に吹き飛ばされたユニコは、そのまま堤防に背中から叩きつけられた。

「ぐっ……」

 プリキュアの力のおかげだろう。痛みはあるが、致命的な怪我をした様子はなかった。しかしあまりの衝撃に身体に力が入らない。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 しかし、それでも敵は攻撃の手を緩めてくれはしない。地響きをたてながら、ウバイトールが目前に迫る。

「くく……いいざまだな、プリキュア。王者の下僕ともあろうものが、大地に這いずるのか」

 ゴーダーツがあざ笑うように言う。

「それがロイヤリティの王者などに仕えた者の末路だ、伝説の戦士。誇りというしがらみにとらわれた王族などに力を貸すから、そうなる。むりに戦わされ、気に入らなくなったらすぐに切り捨て、新しい家臣を徴用する。それがロイヤリティの王族のやり口だ」

「違うニコ! フレンはそんなことはしないニコ!」

 ゴーダーツの言葉に、フレンの言葉が被さる。しかし、ユニコにどちらが正しいのかを判断することはできない。ユニコは、ロイヤリティのことを知らないからだ。

「…………」

「どうした? 悔しくて声も出ないか?」 ゴーダーツの顔は見えない。しかしその顔にはユニコを見下す表情が浮かんでいるのだろう。「まぁ、私も鬼ではない。貴様だけなら助けてやらんこともないぞ?」

「…………」

「その腕にあるロイヤルブレス。そして優しさの紋章をおとなしく差し出すのだ。そうすれば、お前だけは見逃してやる」

「へぇ……」

「ユニコ! お願いニコ、フレンを信じてニコ!」

 目前には巨大なウバイトール。そして、その隣にはゴーダーツの申し出。そして、フレンの声。

 そんなの、迷うまでもなかった。


「……くだらないわ」

「なにっ……?」

「私がそんな申し出を、受けるとでも思ったの?」

 手が震える。足が震える。けれど、大丈夫。手も足も、まだ動く。

「下僕? バカを言わないで。私はフレンとブレイの “友達” よ。私にはロイヤリティのことなんて分からない。知らないもの。けど、友達の言うことを信じことは、できる!」

「ユニコ……!」

「安心して、フレン、ブレイ。あなたたちは私が、絶対に守るから」

「……ふん。ならばこれでどうだ?」

 震える足で反応できるわけがなかった。ゴーダーツは瞬時に姿を消し、次の瞬間には、フレンとブレイを両手に握りしめていたのだ。

「ゆ、ユニコぉ……!」

「なっ……! ふたりを放しなさい!」

「断る。ウバイトール!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 目を離している間に、ウバイトールが再度、長い腕を振り上げていた。

「しまった……!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 真上から振り下ろされた腕に、なんとか耐える。圧倒的な重量がユニコを圧迫する。

「う……くっ……」

「ユニコ!」

「人の心配をしている場合か? 優しさの王女」

 ゴーダーツの声がどこか遠い。心配してくれている、フレンとブレイの声も、どこか、遠い。

 もしかしたらもう限界なのかもしれない。力が入らない。入らないものをむりやり出して、なんとかウバイトールの腕を支えているだけなのだ。

(だめ……動けない。だんだん力が、抜けていく……)

 ウバイトールの腕が段々と下がってくる。それに対し、ユニコはひざまつくように大地に足をついた。懸命に耐える腕も、徐々に下がってくる。


「さて、プリキュアが始末できたら今度はお前たちの番だ。分かっているだろうな?」

「ユニコ……ユニコ!」

「っ……人の心配をしている場合かと言っている!」

「友達の心配をして何が悪いニコ!」

 遠く、その大切な友達の声が聞こえた。ユニコは最後の力を振り絞り、ウバイトールの怪力に対抗する。

「なんだと……?」

「ユニコはフレンの大切な友達ニコ! 心配して当たり前ニコ!」

「貴様……!」

「フレンの言うとおりグリ!」

「……何が言いたい、勇気の王子」

「友達を心配して何が悪いグリ! 友達を想って何が悪いグリ!」

「ッ……! 貴様ら……!」

 フレンとブレイの暖かい声が遠くなっていく。自分が負けたらどうなるのだろうか。フレンとブレイはどうなってしまうのだろうか。

「……私、フレンと約束、したのに……」

 悔しかった。このまま負けてしまうことが、たまらなく悔しい。

 なぜか、頭の中に、いつも笑顔でいる、“相棒” の顔が思い浮かんだ。

「王野、さん……」

 少しドジで、本人はよく分かっていないみたいだけれど、天然で、自分と違って、素直で明るい、そんな女の子。

「……ごめん、ね」


「――――ちょおおおっと待ったああああああああああああああああ!!」


「えっ……?」

 一気に、現実に引き戻された気がした。その声を聞いただけで、心が晴れ渡る気がした。少しだけ、力が湧いた。

「貴様は……」

「……最初は、自己紹介からさせてもらうね」

 その明るい声は、荒らぐ息をゆっくりと静めながら、朗らかに言った。ユニコは、自分が絶対絶命なのも忘れて、少しだけ、笑ってしまった。

「わたしの名前はゆうき。王野ゆうき。初めまして」


………………

 最初から答えなんて決まっていた。

 王野ゆうきという自分自身が、何をどうすべきかなんて、ずっと前から決まっていたのだ。

「……何を言っている、貴様」

「まぁいいや。あんまり時間もないし、これ以上ユニコを苦しめたくないから」

 ゆうきはさばさばと続ける。

「ゆうき、どうして……?」

 ゴーダーツの手の中のフレンが小さく問うた。それに対し、ゆうきは優しく微笑んだ。

「ごめんね、フレン。わたし、分かったんだ」

「へ……?」

「ねえ、あなた。ゴーダーツさんって言ったよね? 優しさのエスカッシャンを、フレンに返して」

「……何を言っている」

「分からない? あなたがフレンの国から奪ったエスカッシャンを返してって言ってるの」

「……だから何を言っているのかと問うている!」

 ゴーダーツがいらいらしたように叫ぶ。それにともなって、ブレイとフレンを握りしめる手の力も強くなる。

「そう。あなたもデザイアと一緒なんだね、ゴーダーツ。分かったよ。なら……」

「ほう? ならどうすると言う? デザイア様が言っていたぞ? お前のことを腰抜けだと。プリキュアとしての戦いから逃げ出した弱虫だと」

「そうだね。わたしは弱いよ。弱虫だよ。腰抜けだよ。だって、怖いもん」

 ゆうきにとって、そんな言葉は意味をなさなかった。そんなこと、わざわざ言われなくたって、自分でもわかりきっていることだからだ。

「ゆうき……」

「でも、怖いのは怪物と戦うからじゃない。あなたたちアンリミテッドと戦うからでもない。あなたたちの悪意そのものが、怖いんだよ」

「なに……?」

「人と人は想い合って、助け合って生きていくことができるはずなんだよ。それなのに、最初から悪意しかないあなたたちは、怖いよ。そんなの、おかしいよ」

 ゆうきは続ける。

「そして、そんなあなたたちとユニコ――大埜さんが戦うのも、怖いよ。大埜さんはとっても優しいひとなのに、あなたたちアンリミテッドに対してはとっても怖いんだ。わたしはね、大好きな人が、誰かにあんな怖い顔をするなんて、そんなの見たくないんだ」


「何を意味の分からぬことを。我々アンリミテッドの欲望がロイヤリティを飲み込んだのだぞ? 我々はロイヤリティの敵だ。つまり、貴様らロイヤリティ王族の下僕は、我々の敵だろう」

「……そうかもしれない。けど、わたしは、悪意に対してただ暴力で対抗するなんてしたくない」

「貴様、さっきから何を言っている……!」

 ゴーダーツが吠える。ゆうきはその悪意を、敵意を、身体中で感じながら、けれどもう臆さない。

 決めたからだ。

「わたしはもう、迷わない。あなたたちは悪いことをしている。だったら……」

 もう、決めたのだから。



「あなたたちアンリミテッドは、わたしが叱りつけて、改心させてやるんだから!」



 ビシッ! と指をつきつける。我ながら、決まったと思った。が、

「…………」

「…………」

「…………」

 ブレイ、フレン、ゴーダーツ、三者が静まりかえる。

(あ、あれ……? 外した……?)

 結局、考えが決まっても、カッコをつけてみても、ゆうきはゆうきで、天然だった。


「よく、わかんないグリ……でも」

 そんな中、一番最初に我に返ったのは、ブレイだった。

「……とりあえず、受け取るグリ! 勇気のロイヤルブレスグリ!」

「!? しまっ……」

 そう。その瞬間こそ、まぎれもないチャンスだったのだ。ゴーダーツが慌てた声を上げるがもう遅い。ブレイが投げたロイヤルブレスは放物線を描き、再びそれを装着すべき人間の手に収まったのだ。

「……ごめんね、ブレイ」

「いいグリ。ブレイは、ゆうきを信じてたグリ」

 ロイヤルブレスを腕に装着する。ほんの一時間くらいつけていなかっただけなのに、なぜか懐かしい感じがした。心の底から、力が湧いてくるような気がした。

「受け取るグリ! 勇気の紋章グリ!」

 薄紅色の光がブレイから放たれる。その光はまっすぐにゆうきへと向かい、その空いた手に収まり、形を成す。

 勇壮なる、翼を持つ獅子。

 勇気を象徴する神獣、グリフィンの力。

「わたしはもう……迷わない!」

 流れるような動作で、勇気の紋章をロイヤルブレスへと差し込む。

 そして、ゆうきは叫んだ。


「プリキュア・エンブレムロード!」


 激烈な光が、色が、ゆうきの身体を包み込む。

 それは温かく優しい光。けれど苛烈で、たしかな力を感じる、圧倒的な力の光。

 ゆうきの身体を取り巻くその光は、やがてゆうきをリボンのように覆っていき、衣装へと姿を変える。

 胸元のリボン。フリフリのフリルスカート。ショートブーツ。

 薄紅の光が、ゆうきの姿を変えていく。

 そして、その光が炸裂する。

 はるか上方より轟音を立てて大地に降り立つ。

 それはすでに、ゆうきであってゆうきではなかった。


「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」


 勇猛なる桃色の光が舞い上がり、散った。


………………

「とっても、かっこいいグリ……」

 ブレイはその伝説の戦士の姿を見て、つぶやいた。

 ブレイは本当に、心の底から誇らしく思うのだ。

 あんなに勇敢なプリキュアを生み出すことができた、自分自身を。

 そして、自分のために戦ってくれる、誠実で勇敢なプリキュアを。


「くっ……よくもやってくれたな、勇気の王子!」

「グリっ……!」

 けれど結局、ブレイは臆病で、ゴーダーツに怒鳴られるだけで萎縮してしまう。

 しかし、彼の生み出したプリキュアが、そんなチャンスを逃すはずがない。

「伝説の戦士の前でよそ見とは、」

「……!?」

「――いい度胸だね、ゴーダーツ!」

 キュアグリフは大地を踏みしめ、跳んだ。ゴーダーツが気づいたときには、すでに彼の眼前に迫り、目の前で笑みを浮かべてやる余裕すらあった。

 不思議だった。暴力は怖いけど、力が溢れてくる。

「はあああああああああああああ!!」

「ごっ……!?」

 腰を回し、全力の正拳を腹に放つ。衝撃によろめくゴーダーツから素早くブレイとフレンを奪い返し、そのままの勢いで河原へと飛び降りる。

「ちょっと揺れるかもだけど、我慢してね!」

「グリ!」 「ニコ!」

 河原に降りたその衝撃を利用して、グリフは先のユニコにも劣らぬスピードでウバイトールへと突っ込んだ。

「はあああああああああああああああああああああああああ!!」

『ウバッ……!?』

 背後から迫る脅威にウバイトールが気づいたようだったが、もう遅い。グリフは身体をひねり、強烈な回し蹴りを放つ。横からの衝撃によろめいたウバイトールの脇に着地し、へたり込んでいるユニコの元へと駆けつける。

「ユニコ、大丈夫!?」

 フレンとブレイを下ろし、尋ねる。しかし、ユニコはうつむいたままで、返事はない。

 グリフにはそれが、ユニコが怒っているように見えた。


「……ごめん」

 無言のユニコに、グリフは大きく腰を折って謝った。自分勝手にプリキュアをやめようとしてしまったこと。またこうして都合良く戻ってきてしまったこと。ひとりで危険なことをさせてしまったこと。許してもらえるとは思わなかった。

 けれど。

「ふふっ……」 ユニコは笑っていた。「……まったくもう。遅いわよ、グリフ」

「え……?」

「それに何よ、さっきの。『あなたたちアンリミテッドは、わたしが叱りつけて、改心させてやるんだから!』って……ふふ」

「わ、笑わないでよ! 真剣なんだから……」

「ふふ……あなたって、本当に天然ね」

 その笑顔にユニコの気持ちが集約されている気がして、グリフは少しだけ心が安らぐ思いだった。

 やっぱり、ユニコは優しい。けれど、だからこそ、いつまでもその優しさに甘えていてはいけない。

「……ユニコ、ブレイとフレンのことをよろしくね」

「何を言ってるのよ、私だって戦うわよ」

「今は、任せて。ユニコ、疲れてるでしょう?」

「……でも」

「わたしなら大丈夫。もう、戦う理由も、意味も、しっかりと見つけたから」

 グリフはだから、笑った。


『ウバ……ウバイトォォォオオオオオオオオオル!! 

 ウバイトールが興奮した様子で、ふたりに腕を振り下ろす。

 しかし。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 グリフが吼え、振り下ろされたウバイトールの腕を掴み、止める。

『ウバ……!?』

「っ……あああああああああああああああああ!!」

 そしてそのまま身体をひねり、力をこめる。

「なっ……!?」

 ユニコの驚く声が聞こえる。けれど、なぜかグリフには何も驚くことなどなかった。



 やれると分かっていたから。



 グリフの身体から桃色の光が立ち上る。それは勇猛果敢なる勇気の光。

 力強きグリフィンの力。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 ブウン!! と。風を切る轟音が鳴り響いた。

『ウバッ……ウバアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 それは、キュアグリフがウバイトールを投げ飛ばした音。

 小さな小さな伝説の戦士が、巨大な怪物を投げ飛ばした音。

 ウバイトールは投げ飛ばされ、轟音を立て大地に倒れ込んだ。

「う、そ……」

 見れば、ユニコとフレンが驚愕に目を見開いていた。ただひとり、ブレイだけは微妙に震えながら、けれど信頼の眼差しでグリフを見つめてくれていた。

「……それは、キュアグリフの “立ち向かう勇気の光” グリ。それがグリフに大いなる力を与えてくれたグリ」

「そ、それにしてもすごいわね。あんな大きいウバイトールを投げ飛ばしちゃうなんて……」

「えへへー、やっぱりすごい?」

「ねぇグリフ。今の私のセリフは褒めてる要素だけじゃないってことに気づいてね?」

 ユニコは呆れるように言うと、笑って立ち上がった。


「あっ、立って大丈夫? ケガはない?」

「大丈夫よ。あなたが大丈夫なように、私も大丈夫なの」

 それは、頼もしい、ユニコの優しさの笑み。

「だって、今はグリフと一緒なんだもの」

「あ……う、うん!」

『ウバァ……ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「……やってくれたな、キュアグリフ」

 投げとばされたウバイトールが立ち上がる。その傍らに憤怒の形相を浮かべたゴーダーツが舞い降りた。

「貴様は腰抜けという話ではなかったのか……!?」

「……腰抜けだよ。勇気なんてないよ。ただの中学生だもん。とっても、怖いよ」

 グリフはゴーダーツをまっすぐに見据え、その憎悪のまなざしも何もかもを受け止めた。

「だって、もう決めたから。わたしは絶対に、ブレイとフレンの宝物と故郷を取り戻す。そして、あなたたちアンリミテッドを叱って、もう悪いことをしないようにさせるって」

「小癪なことを……! ウバイトール! 今度こそあの生意気な小娘を潰せ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 立ち上がったウバイトールが、再びその邪悪な瞳をふたりへ向ける。

「……ユニコ」

「ええ」

 よろめくユニコを支えながら、ぎゅっとぎゅっと、力強く手を繋ぐ。お互いの体温を交換するように、ふたりの伝説の戦士の力が混じりあって溶けていく。

「……ごめんね、ユニコ」

「いいわよ。蒸し返さないの」 ユニコは茶化すように笑って。「それに、私も少しだけ恥ずかしいし」

「え? どうして?」

「ブレイに偉そうに言ったくせに、ブレイに教えてもらっちゃった。あなたっていう人間のことをね」

「え? え? な、何の話?」

「ヒミツ。さ、行くわよ」

「あ、う、うん!」


 凄まじい光が弾けた。伝説の戦士プリキュアの力が集約する。それは、勇気と優しさの力。王者の誇り、戦士の絆。


 ――薄紅色と空色の光が、その場を埋め尽くす。


「翼持つ獅子よ!」

 薄紅色の勇気の光。

「角ある駿馬よ!」

 そして、空色の優しさの光。

「ぐっ……凄まじい光の力……ロイヤリティの光、そのもの……!」

 ゴーダーツの呻く声が遠く聞こえる。ふたりはなおも強くお互いの手を握り、そして、空いている手をかざす。

 闇の欲望に墜ちた、哀れな怪物へと。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』


「「プリキュア……――――」」


 ふたつの光が螺旋を描き、重なり合っていく。お互いを助け合うかのように、混じり合い、解け合っていく。

 ふたりの背中にイメージが現れる。

 それは、勇猛なる獅子。そして、優しき白馬の影。

 伝説の神獣がふたりに力を与えるかのように、吼え、嘶いた。

 そして――、



「「――――……ロイヤルストレート!!」」



 光が集約し、指向性を帯びてはじけ飛ぶ。ただまっすぐに、欲望に墜ちた怪物へと、向かう。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「ぐっ……この光は、まずい……!」

 薄紅と空色の光が到達する直前、ゴーダーツがかき消えた。遮る者がいなくなったウバイトールに、光が押し寄せる。

『ウバ……ウバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 瞬く間にウバイトールは光に飲み込まれる。もがき苦しみながら、黒々とした何かが這い出てくる。それはやはり光に苦しみながら、やがて霧散し、消滅した。


 世界に光と色が戻る。何事もなかったかのように、橋も消え、元の場所にしっかりとかかっていた。

「……ふぅ」

「終わったようね」

 弾けるように、ふたりの衣装がかき消え、制服に戻る。繋ぎ合っていた手もゆっくりとはなし、はにかむように、照れ笑い。

「ゆうきぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

「ブレイ!」

 駆け寄ってきたブレイがピョンと飛び立ち、あきらかにジャンプ力が足りずにコテンと河原に転がってしまう。ゆうきは涙目のブレイをそっと抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。

「……ごめんね、ブレイ」

「ううん、謝らないでほしいグリ。むしろ、お礼をいいたいグリ。ありがとう、ゆうき。戻ってきてくれて」

「……うん!」

 ブレイのもふもふとかわいらしくて温かい身体。その体温を身体いっぱいに感じながら、ゆうきはもう二度とこの友達の事情を投げ出したりはしないと心の中で誓った。


「……まぁ、これで元通りって感じニコ?」

 そんなふたりを眺めながら、もう一組の王女と戦士も語り合う。

「プリキュアに変身したの、まだこれで2回目なのだけれどね」

「なんにせよ、ゆうきが戻ってきてくれてよかったニコ」

「ふふ……」

「何を笑ってるニコ?」

「少し妬けちゃうなぁ、と思ってね。フレンも王野さんのことが大好きなのね」

「なっ……! どうしてそういう話になるニコ!」

「ふふ。ごめんなさい」

「まっ、まったくもう……!」

 めぐみにからかわれたと分かったフレンは顔を真っ赤にしてそっぽを向く。そして、小さな声で呟いた。

「……それに、フレンは……めぐみがいてくれるだけで、嬉しかったニコ」

「? 何か言ったかしら? 聞こえなかったのだけれど」

「!? な、何でもないニコ! 王女の言うことをいちいち詮索するのはマナー違反ニコ!」

「?」

 戦う理由は人それぞれ。心に秘めた想いだって、きっとばらばらだ。

 けれど、それでもひとは手と手を取り合うことができる。手を取り合って、ままならない事情に立ち向かうことができる。

 そして、一緒に笑い合うことができるのだ。

「ねえ、ブレイ」

「グリ?」

 お互いを支え合って、明日に向かっていくこともできるのだ。

「わたし、もっともっと、プリキュアがんばるからね!」


    次    回    予    告


ゆうき 「……とかなんとかで戻ってきたゆうきです! 心機一転がんばるよ!」

めぐみ 「単純ね。そんな簡単なことじゃないのよ? 敵はゴーダーツひとりだけではないし……」

ゆうき 「そうだね……恐ろしい怪物、ウバイトールもいるし……」

めぐみ 「いや、そうじゃなくて……いや、そうでもあるんだけど……」

ゆうき 「?」

めぐみ 「首をかしげないでちょうだい! デザイアのことだってあるでしょう!?」

ゆうき 「ああ、そういえば……」

めぐみ 「まったくもう。大埜さんは本当に天然ね」

ゆうき (うーん……わたしの前だとこんなに可愛いのになぁ、大埜さん)

めぐみ 「王野さん、何か失礼なことを考えてないかしら?」

ゆうき 「……と、いうわけで、次回、ファーストプリキュア!」

めぐみ 「ちょっと、人の話を聞きなさい」

ゆうき 「第四話 【おーのコンビは凸凹コンビ!? でもいいんじゃない?】」

めぐみ 「清々しいまでに無視するわね!?」

ゆうき 「次回もお楽しみに! ばいばーい!」

めぐみ 「ちょっと待ちなさい! 話はまだ終わってないわよ!」

>>1です。
見てくださった方、ありがとうございました。
我ながらこの話は状況描写も心情描写もあやふやで分かりにくいです。
読みにくいと思います。すみません。

もしもプリキュア好きの方が見てくださっていたら嬉しいので、
今まで2ch系の掲示板に投下したシリアス寄りのプリキュアSSを貼らせてください。

つぼみ 「帰ってきた希望の花! 新たなプリキュア誕生です!」

舞 「ふたりはプリキュアSplash☆Star」 咲 「星空のともだち!」

めぐみ「ハピネスチャージプリキュア!」ひめ「誠司結婚!? お相手は女神様!?」
めぐみ「ハピネスチャージプリキュア!」ひめ「誠司結婚!? お相手は女神様!?」 - SSまとめ速報
(ttp://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1483459977/)

来週も投下はできると思います。
時間は予定通り午前10時だと思いますが、今日のようにずれるかもしれません。
ありがとうございました。

なぜなに☆ふぁーすと その3

ゆうき 「ゆうきと、」

めぐみ 「めぐみの、」

ゆうき&めぐみ 「「なぜなに☆ふぁーすと!」」

ゆうき 「あんまり話すこともなくなってきて早くもピンチだよ!」

ゆうき 「質問があるととっても嬉しいんだよね」

めぐみ 「開き直ってそんな圧力かけなくていいわよ王野さん」

ゆうき 「っていうことで早速お便りだよ! ペンネームY.O.さんから!」

めぐみ 「開き直りすぎよ王野さん。落ち着いて」

ゆうき 「『ダイアナ学園ってどんな学校なの?』とのことなので、大埜さん、よろしく!」

めぐみ 「はいはい、では、気合いを入れて質問に答えるわ」

めぐみ 「私立ダイアナ学園は、中高一貫の学校なの」

めぐみ 「私たちが在籍している中等部は女子生徒だけの、いわゆる女子校ね」

めぐみ 「高等部は外部進学の男子生徒もいるから、一応共学の扱いよ。男子生徒は少ないらしいけど」

ゆうき 「学力がそれなりに高いから受験に苦労したよ……」

めぐみ (私はそんなことなかったけど、言わない方が良さそうね)

めぐみ 「丘の上にある学校は英国の著名な建築家にお願いしたものらしく、とてもオシャレなの」

めぐみ 「先生方もやる気に満ちている、歴史と伝統を重んじる学校よ!」

めぐみ 「……といったところでいいかしら。それでは、本編、」

ゆうき 「スタート!」

第4話【プリキュアコンビは凸凹コンビ!? でもいいんじゃない?】


「ゆうき、あなた最近、少し変わった?」

「えっ?」

 ゆうきはお母さんの唐突な問いに首をかしげた。

「変わったって……どういうこと?」

「うーん、なんていうか……」 お母さんは少しだけ悩むように、「雰囲気が変わったというか、なんというか……ねえ、あなたたちもそう思わない?」

「私知らなーい」

「うーん……」

 時は夕食。父を除く家族みんなで晩ご飯を食べていたときのことだった。お母さんの問いに興味ないとばかりにご飯を食べ続ける妹のともえ、そして困ったような顔をする弟のひかるである。

「どうしたの、ひかる?」

「……うーん。これ、言っていいのかなぁ」

「なによ、もったいつけて。気になるじゃない。言いなさいよ」

「う、うん……」

 ともえの言葉に促されて、ひかるが乗り気ではなさそうに口を開いた。

「……なんていうか、おねえちゃん、少しだけおせっかいが減ったよね」

「お、おせっかい?」

 純粋な弟の言葉だけに、少しだけズキリとくる。

「あ、いや、だから、その、悪い意味じゃなくて……色々とやってくれることが減ったっていうか、少し忙しそうというか……」

「ああ……」

 慌ててそう付け足したひかるに悪意はないのだろう。ただ思ったことを口にしただけだ。たしかに忙しいというのはその通りかもしれない。元より朝に関しては完全にお母さん代わりをやっていることに加えて、学級委員にもなった。そして――



「グリ……」



「!?」

 これだ。


「? 今なにか声がした?」

 訝しげなお母さん、ともえ、ひかる。キョロキョロと見回す三人が発見する前に、リビングの戸の影に潜む小さなぬいぐるみに飛びついた。

「……なにやってるの、お姉ちゃん?」

 ひかるが不思議そうな顔で問う。

「あ、あはははは……」 三人の目が集中し、汗がだらだらと流れてくる。後ろ手に隠したブレイがもぞもぞと動いている。今ばかりは少しだけ憎らしい。「ち、ちょっと用事思い出した! すぐ戻るから!」

「あ、ゆうき、食事中に! お行儀悪いわよ!」

 お母さんの声に心の中で謝りながら、ブレイに問う

「どうしてリビングに来たの!?」

「……お腹へったグリ」

「ああ……もう少し我慢してて。後でお菓子か何か持って行くから」

「お腹へったグリ」


「…………」

 そう。

「はぁ……」

 何よりこの王子様のお世話が、一番忙しいかもしれない。


…………………………

「ねえねえねえゆうきぃ」

「なぁに、ユキナ?」

 とある休み時間。平常授業が始まって、休み時間は貴重な骨休みだ。次の時間の準備をして、机でゆっくりくつろいでいたそんなとき、ユキナが甘えるようにしなだれかかってきた。

「これ、クラスの掲示板に貼ってもいいかなぁ?」

 ユキナが上目遣いで差し出してきたのは、A4サイズの一枚の紙。

「なに、これ?」

「演劇部のポスターだよ。今度の新入生歓迎会で講演する演劇の告知なの」

「? 新入生歓迎会のポスターなのに、どうして二年生のうちのクラスに貼るのよ」

「新入生歓迎会は、二年生以上も自由に観に来ていいんだよ。だから、その告知のために貼りたいんだ」

 ゆうきの問いに答えたのは、少し低いボーイッシュな声。いつの間にか傍らに有紗が立っていた。有紗もユキナと同じ演劇部員なのだ。

「私からも頼む、ゆうき。クラスのみんなにも私たちの演劇を観てもらいたいんだ」

「うん、もちろん、そういうことならいいよ。でも、学級委員以外が教室の掲示物を勝手に変えちゃいけないから、これは先生に言ってから、わたしが貼っておくね」

「おお! さっすがゆうきぃ! 話が分かるね!」

「ち、ちょっと重いよユキナ!」

 ますます体重を預けてきたユキナにたまらず声を上げると、呆れたような顔をして有紗が引きはがしてくれる。

「あんたは、まったく……」

「えへへー、ごめん」

 腰に手を当てるお姉さんのような有紗と、反省しているのかしていないのか分からない妹のようなユキナ。そんな凸凹コンビを眺めていると、ふと視線を感じた。

「……?」

「…………」

(大埜さん?)

 数秒間だけ視線が交錯する。クラスでは無表情に徹している(ようにゆうきには見える)めぐみは、そのまま笑みを浮かべることもなく視線を逸らした。

(どうしたんだろ?)

「じゃ、頼んだねー、ゆうきっ」

「あ、うん。今日の放課後までには貼っておくよ」

「ありがとう。頼んだ」

 朗らかに頼むユキナと、丁寧にお辞儀までしてくれる有紗。そんな対照的なふたりだが、どこか馬が合うのだろう。

(まあ、よく考えたら、)

 と、ゆうきは、すでに次の時間の予習に没頭しているめぐみの方を眺めながら思った。

(わたしと大埜さんも、結構凸凹だよね)


……………………

 そこは黒い場所。光はあるが、すべてが黒いために暗く見える、そんな場所。

「……申し訳ありません、デザイア様」

「…………」

 その闇――欲望の闇の主、暗黒騎士デザイア。小柄な紳士のような出で立ちの騎士は、仮面の下に隠された両目で、ひれ伏す部下を無言で眺めている。

「一度ならず二度までも、プリキュアに対し敗走を喫してしまいました。これは私のミスです。いかなる処罰も受ける所存でございます」

 部下――ゴーダーツは、低く低く頭を下げ、主の言葉を待った。相手は恐ろしい闇の主。アンリミテッド最高司令官にして最強の騎士であるデザイアだ。自分の生殺与奪の権利は、すべてあちらに握られていると考えるのが妥当であった。

「……よい」

「は……?」

 やがて、ゴーダーツにとって何時間とも思えるほどの時間が経った頃、デザイアが小さくつぶやきの声を上げた。

「よい。前回は敗走ではなく、私にプリキュアの誕生を伝えるための撤退であろう。そして今回は初の敗走。それも、私の誤った情報によって、貴様が混乱したことも否めない」

「い、いえ! 決して、そのようなことは……!」

「構わん。まさかあの腰抜けのキュアグリフが、再び伝説の戦士として舞い戻るとは、私も思っていなかった。今回の貴様の敗北は、私の無駄な情報によるところも大きい」

「……恐れながら、それに関しては、同意いたしかねます」

「…………」

 ゴーダーツは頭のてっぺんからつま先まで、冷や汗を流しながら、しかし思ったことをそのまま口にした。彼もまたアンリミテッドの一員。己が言わんとしていることを、飲み込むようなタマではないからだ。

「プリキュアがひとりであれ、ふたりであれ、私は勝利しなければならなかった……私が、私の責任で敗北したという事実は、どうであれ変わりようがありません」

「…………」

「申し訳ありません。敗北した身でありながら、デザイア様に失礼なことを申し上げました。お詫びのしようもございません」

「……構わぬ。それが貴様の欲望のあり方だというのなら、な」

 デザイアはそれだけ言うと、彼方を見つめるように上を向いた。


「それで、ダッシューとゴドーはまだ来ないのか?」

「は、それが、まだのようでして……」

「分かった。ならばよい」

 デザイアはふっと息をつくと、再びゴーダーツを見下ろした。

「デザイア様」

「ああ、行け、ゴーダーツ」

「はっ! ありがとうございます!」

 ゴーダーツは颯爽と立ち上がると、マントをたなびかせ身を翻した。

「では、行って参ります、デザイア様」

「ああ」

 ゴーダーツが瞬時に消え失せた。ホーピッシュヘ飛んだのだろう。

「……伝説の戦士、プリキュアか」

 ただひとりが残された闇の中で、デザイアはそっとつぶやいた。

「……どうやら、プリキュア攻略、および妖精の捕獲、そしてホーピッシュ攻略に向けて、本腰を入れる必要がありそうだな」

 アンリミテッド最強の騎士、デザイア。その仮面の下の表情は、誰も知らない。


…………………………

「王野さん」

「うん?」

 放課後、教室に残って作業をしようとしていたゆうきに声がかかる。涼やかでクールなその声は、学級委員の相棒、めぐみのものだ。

「何か用?」

「そうではないのだけれど……それは?」

「?」

 めぐみの目線の先は、ゆうきの机の上。広げられた書類に向いていた。

「ああ……演劇部、吹奏楽部、美術部、文芸部、それから運動部合同、それぞれのポスターだよ」

「何でこんなにたくさん……」 めぐみは不可解だと言わんばかりに。「王野さん、あなた、更科さんと栗原さんに頼まれただけだったんじゃないの?」

「うん、そうだったんだけど……」 ゆうきは少しだけ言葉を濁しながら。「実はあの後、他の部の子たちにも頼まれちゃって……」

「……呆れた。みんなあなたに頼んだのね」

「まぁ、学級委員じゃないと、クラスの掲示物を増やせないからね。仕方ないよ」

「…………」

 めぐみが何か物言いたげな目線をくれる。思い当たることを見つけ、少しだけバツが悪い思いで苦笑い。

「た、多分、みんなが大埜さんに頼まなかったのは、大埜さんが忙しそうだったからじゃないかなー」

「……いいわよ。変に気を遣わなくて」

 近くに誰もいないからだろう。めぐみはクールな装いもどこへやら、頬を膨らませて、子どもっぽくぷいとそっぽを向く。自分がアテにされないことが少し寂しいのだろう。ともあれ、である。

(そういうところをクラスのみんなの前で出していけば、すぐに色々と頼み事もされるようになると思うんだけどなぁ)

 それが良し悪しかはともかくとして。

 そう思いはするが、ゆうきにとってめぐみのように優秀になることが難しいように、めぐみにとってはその朗らかさを人前で出すことが難しいのかもしれない。

 ただ、そんなことは絶対にめぐみには言えないけれど、こう思う。

 その子どもっぽい朗らかさを自分の前だけで出してくれているという事実が、嬉しい、なんて。


「まぁ、仕方ないわ。私も手伝うから、さっさと貼ってしまいましょう」

「あ……で、でも、悪いよ。わたしが勝手に頼まれただけなんだから……」

「いいから貸しなさい。あなた、そうやって何でもかんでもやろうとするの、悪い癖よ」

「あぅ……」

 半ば無理矢理、机の上のポスター類をめぐみに奪われてしまう。けれどゆうきは、めぐみのその優しさには気づけても、めぐみが気づいているゆうき自身のことには気づかない。

 強引に奪い取られでもしない限り、ゆうきは自分に与えられた仕事を手伝ってもらうことすら拒否してしまうということを。

 人に頼られるのは大得意なのに、人に甘えることは苦手なことを。

 めぐみはそんなゆうきに気づいているから、無理にでも仕事を取り上げる。そうでもしないと、ゆうきは自分が頼まれた仕事を自分ひとりでやる癖をつけてしまうから。

(……なんだかんだで、この子も難儀な子よね)

 めぐみは思っても口にはしない。目の前の優しさが過ぎて天然ですらある相棒は、きっとそんなことを言っても信じることはないだろうから。

「これ、ここでいいかしら?」

「あ、先生が左の方の掲示物は全部剥がして良いって言ってたから、もっと下でも大丈夫かも」

「そう……じゃあ、ちょっと均等な配置を考えてくれるかしら? その通りに私が貼るわ」

「うんっ、りょうかーい」

 そう。きっとなんだかんだで、そんなふたりは凸凹で、けれどだからこそ良い相棒なのかもしれない。

 優しすぎて、少し自分を殺してしまいがちなゆうきと、優しいけれど、素直にそれを表現することが苦手なめぐみ。

 そんなふたりだから、きっと、そう――



「――……うまくいってるんだろうね、有紗」

「そうだね、ユキナ」

 教室の外、廊下からそんなふたりの様子をうかがっていたユキナと有紗が、複雑な顔で笑い合う。

「ゆうきったら、妬けちゃうなぁ。どんどん大埜さんと仲良くなっちゃって」

「いいことじゃないか。私も早く大埜さんと友達になりたい」

「はいはい。さ、いつまでも観てないで、部活行こー」

「ああ、分かったよ」

 真剣な顔でなにやら机と掲示板とにらめっこしているゆうきと、それを苦笑しながら眺めるめぐみ。そんなふたりを尻目に、ユキナと有紗は教室を離れた。

 おーのコンビは、なんだかんだですごいコンビなのかもしれないなと、少しだけ思いながら。


…………………………

「はふぅ……やっと終わったね」

「ええ」

 笑い合って見上げた先、教室後方の掲示板には整然とポスターが並んでいる。自分たちでやったことだが、よくできたと思う。

「じゃあ、フレンたちを迎えに行きましょう。きっと待っているわ」

「うんっ」

 教室を出て、向かう先は校舎脇の中庭だ。ふたりの足音を聞きつけたのか、ガサガサと草むらが揺れて、ヒョコッと小さな顔がふたつ、顔を出す。ゆうきはしゃがみ込み、愛らしい姿のふたりを迎えた、が。


「ゆうきぃー!」

「わふっ」

 その片方、茶色いずんぐりむっくり体型のぬいぐるみがゆうきの顔面めがけて突撃した。本人には攻撃する意志はおろか、勇気すらないだろうが、それでもやられた方はたまらない。

「お、王野さん!?」

 あまりの衝撃に後ろに倒れかかるゆうきをめぐみが支えてくれる。なんとか自分で持ち直すことができたゆうきは、そのままずるずるとすべって落ちたブレイを両手でキャッチする。

「……ブレイ、あなたねぇ」

「グリぃ~~~……」

 ブレイにとっても思わぬ衝撃だったのだろう。体中を真っ赤にして目を回している。

「大埜さん、ごめんね。ありがとう」

「どういたしまして。それよりあなた、顔が真っ赤よ?」

「……だろうね」

 鼻血が出ていないことがまだ救いだろうか。

「まったく、これだから弱虫はだめニコ」

「フレン、そういうことを言うものではないわ」

 ゆっくりゆったりと草むらからやってくる、空色のぬいぐるみ。彼女の呆れるような声をたしなめるのは、めぐみの役目だ。しかし当のフレンは気にする様子もなく、ゆったりとめぐみの足下にすり寄る。

「本当のことを言ったまでニコ」

「あなたねえ……」

 ため息をつきながら、しかしめぐみはフレンを優しく抱き上げる。


「ブレイ、ブレイ。しっかりして」

「グリっ」

 ゆうきがブレイを揺すると、ようやくブレイは我に返ったようだった。かと思えばすぐに泣き出して、ゆうきを困らせる。

「グリぃ~~~~~~~~~~!!」

「ち、ちょっとブレイ? 一体どうしたっていうの?」

「フレンがぁ~~~フレンがいじめるグリぃ~~~~~~~~~!!」

「わかった! わかったからちょっと静かにして!」

 中庭に人影がないとはいえ、いつ誰がやってくるか分かったものではない。ゆうきは慌ててブレイをあやしはじめるが、ブレイは一向に泣き止もうとしない。

「フレン! ブレイに何をしたの!」

「何もしてないニコ。ちょっとからかって遊んでただけニコ」

「そういうのを何かしたって言うの!」

 フレンはめぐみの腕の中でそしらぬ顔。それ以上何を言っても意味はなさそうだ。

「まったくもう……あなたたちはどうしてそんなに仲が悪いの?」


「……べつに。仲が悪くなんてないニコ」

「グリ……」

 少し言いよどむように、フレンがそっぽを向いて呟く。ブレイも泣き疲れたのかピタリと泣き止み、フレンと逆方向を向く。少しおかしな雰囲気に、ゆうきとめぐみが顔を見合わせる。

 これではまるで、フレンとブレイが本当に仲が悪いみたいではないか。

「ブレイ……?」

「フレン?」

 世界はままならない。人と人の間には溝があって、それはどんなに仲がよくなろうと、変わらずそれは横たわっている。目を背けるフレン、目を伏せるブレイ、そのふたりの思うこと、考えること、それはゆうきとめぐみにはわからない。わかりようがない。人は、目と目で想いすべてが通じ合うほど便利にはできていないのだ。

「…………」

 けれど、それでも、だからこそ。ゆうきは思うのだ。

(わたし……もっとブレイとフレンのこと、知らなくちゃいけないんだ)


…………………………

 ゴーダーツにとって敗北とは恥ずべきことでしかなかった。敗北とはそれ即ち敗北でしかない。敗北から得られるものなどなにもないからだ。

 闇の欲望、それを司る暗黒騎士デザイアに仕える戦士であるゴーダーツにとって、敗北とは己の欲望を達成することができなかったことに他ならない。闇の欲望そのものであるアンリミテッドにとって、欲望を達成できないということは、己の存在そのものを否定されることと同じなのだ。

「伝説の戦士プリキュア……」

 あの、薄紅色と空色をした少女の戦士ふたり。ロイヤリティの王族に仕える伝説の戦士。ある意味、ゴーダーツの対極に位置するといえる光の戦士。

「奴らの力の源はなんだ……私はなぜ、奴らに勝つことができんのだ」

 実際に力比べをしたわけではない。決闘をしたわけでもない。能力の優劣も分からない。しかし、ゴーダーツはなりたての戦士などに負ける自分自身が信じられなかった。


「奴らはまだ二回しか変身していないのだぞ? 戦士としては未熟もいいところのはず」

 ならばなぜ? そこまでの能力差がゴーダーツとプリキュアの間にあるというのか。

「……否」

 そんなことがあるはずがない。なぜなら、ゴーダーツは。

「そうだ。私は……」

 紡いだ言葉は途中で止まり、続きが洩れることはない。それはゴーダーツにとって、すでに消し去った己だからだ。

「……くだらん。私は、闇の欲望アンリミテッド、暗黒騎士デザイア様に仕える戦士、ゴーダーツだ。それ以外の何者でもない。それ以外の何者でもあってはいけない」

 時間は巻き戻らない。世界は元の在り様を覚えてはいない。時間は流れ、世界は刻一刻と変化していくからだ。そしてその時間と世界の上に乗る人も、また同じ。人は一度進んでしまったらもう戻れない。一度墜ちてしまったら、もう、戻れない。

「……私はもう戻れない。戻る気もない。私は、欲望の戦士ゴーダーツ以外の何者でもない」

 世界は光輝く美しいものばかりではない。ゴーダーツはそれを知っているから、闇の欲望に墜ちたのだ。世界は美しいものばかりではない。世界は嘘と欺瞞にあふれている。世界に、勇気や優しさなどという言葉は不要なのだ。

「私は己の欲望に従い、欲望のみによって、すべてを手に入れる……そう、決めたのだから」

 その言葉に答えてくれる者はいない。

 ゴーダーツはもう何も持っていないから、闇に墜ちたのだから。


…………………………

「ねえ、王野さん」

「うん?」

 空が赤く染まり始める夕方、とりとめのない話をしながらゆっくりと帰り道を歩いていると、めぐみが神妙な顔をして言った。ブレイとフレンは先ほどからずっと、それぞれ鞄の奥に引きこもってしまって、今はやわらかな寝息が聞こえてくる。

「どうしたの、そんな改まって」

「……フレンとブレイの話よ」

 めぐみは、その一言だけで通じると思ったのだろう。事実、ゆうきにはめぐみの言いたいことがすぐに頭に思い浮かんだ。

「……あのふたり、ってさ、」

「ええ」

「……仲、あんまりよくないのかな」

「…………」

 数呼吸分の沈黙。その間に、ブレイとフレンの小さな寝息がふたりの耳朶をたたく。小さな小さな、かわいらしい寝息のはずなのに、ふたりの耳にはやけに鮮明にその寝息が聞こえた。

「……分からないわ。だって、私たち、あの子たちのことをほとんど知らないじゃない」

「…………」

 言われてみればそのとおりなのだ。ゆうきは、そしてきっとめぐみも、ブレイとフレンを胸を張って友達だといえるだろう。けれど、その友達ふたりのことをよく知っているかと問われれば、はいとは答えられないだろう。

 ゆうきとめぐみは、フレンとブレイについて、知らないことが多すぎる。知っていることの方が、きっと少ない。

「どうしたらいいと思う?」

「そんなの、決まってるよ」

 迷うことなんてない。ゆうきとめぐみには、話すための口がある。伝えたい、想いがある。知りたいという気持ちを、ふたりに伝えることができるのだ。

「聞くしかないよ。わたしたち、もっとよくふたりのことを知らなくちゃいけないんだ。ロイヤリティのこと、アンリミテッドのこと……そして、ふたり自身のことを」

「……そうね。そのとおりだわ」 めぐみがふっと、小さく笑った。「だめね、私。やっぱり、あなたみたいにはなれないわ。ただ、友達に友達のことを聞くだけのことが、こんなにも怖い。あなたの言葉がなければ、直接聞くなんてこと、思い浮かびもしなかったと思う」

「そんなこと……」

「聞いたら迷惑なんじゃないかって、そんな風におもってしまって……けど、あなたと一緒でよかった。私ひとりだけじゃ、きっとフレンとブレイのこと、守ることしかできなかったと思うもの」

 めぐみの言葉には重みがあった。きっと本人が意図しているわけではないのだろう。けれど、それはまぎれもなく、めぐみ本人の葛藤でもあった。


「……大埜さんはさ」

「うん?」

「とっても優しいよね。けど、優しすぎるから、いろいろと考えすぎちゃって、だから、その優しさをあんまり表に出せないんじゃないかな」

 ゆうきは本人には天然という言葉はよくわからない。けれど、友達に対してお節介をしてしまうことが天然だというのなら、それはそれでいい気がした。

「きっと、想いを伝えて、迷惑だなって思われることはないと思う。相手のことを知りたいって思うことは、決して迷惑なんかじゃないと思う」

 ゆうきは笑って、続けた。

「だって、わたしは大埜さんに、もっとわたしのことを知ってもらいたいから」

「……王野さん」

 知ってほしい。知りたい。だって、友達だから。それはきっと、ブレイとフレンも変わりないと思うのだ。

「ふふっ……王野さんって、ほんと、お節介ね」

「えっ……」

 我ながら、なかなかいいことを言ったのではないかと思っていたから、そのめぐみの言葉はゆうきにとって少なからずショックであった。

「ああ、ごめんなさい。悪い意味ではないの。ほめ言葉よ、むしろ」

「……そうなの?」

「そうよ」

 にわかには信じられないが、めぐみの優しい笑顔を見て、うそをついていないということはわかった。

「私にはない優しさだもの。そんな風になれたら、私も……」

「?」

「……ごめんなさい。なんでもないわ」

 めぐみが何か、言葉を飲み込んだ。

 世界は勇気と優しさにあふれている。友達のことを知りたいという気持ち。自分の行いが迷惑なんじゃないかと不安になる優しさ。けれどそれを覚悟した上で相手に意見をする勇気。小さなちいさな、すぐにかき消えてしまいそうな想いだけれど、それはしっかりと心に息づき、育まれている。小さなちいさなその想いは、芽を出し、大きな勇気、大きな優しさとして誰かを救うのかもしれない。

「……家に帰ったら、一度ふたりと話してみなくちゃならないわね」

「うん!」

 世界はままならないことばかりだ。けれど、小さな勇気や優しさがひとを救うのなら、そんなままならない世界は、きっと美しいものでいっぱいになる。

 世界はきっとずっと、そうやって回ってきたのだ。


…………………………

「ねえ、お母さん」

「うん?」

 帰ってすぐ、ゆうきは着替えて居間に向かった。お母さんの背中を見たくなったのだ。ブレイはまだ寝ていたから、部屋のベッドで寝かせてある。話を聞くのはその後でいいだろう。

 王野家でゆっくりとお母さんと話せる時間は限られている。

「……どうかしたの、ゆうき」

 その背中はゆうきにとって見慣れたもので、優しい声に心が安らぐ。お母さんはお父さんと結婚する前からずっと、病院で忙しく働いていた。それはゆうきが生まれてからも変わらず、お母さんはきっと、今も病院でたくさんの人に笑顔を振りまいているのだろう。振り返ったお母さんは、やっぱり優しい笑顔で、普通の家庭とは少しだけ違うかもしれないけれど、お母さんはゆうきにとって、しっかりとお母さんなのだ。

「どうかしたって?」

「ゆうきがそんなに色々考えていそうな顔をするなんて、めずらしいから」

「お母さん、それ少し失礼だよ」

「ふふ。ごめんなさい」

 むくれるゆうきに、お母さんは優しく笑って、テーブルについた。

「話があるんじゃないの? 座ったら?」

「……うん」

 お母さんはなんでもお見通しだった。ゆうきは少しだけ改まった感に恥ずかしくなりながら、おもむろにお母さんの対面に腰掛けた。

「ひとつ、聞きたいことがあるの」

「なぁに?」

 どちからといえば、ゆうきはお父さんに似ている。それは外見だけの話ではなく、お母さんは自分と違ってしっかりしているし、そんなお母さんだからこそ、少し抜けたところのある、ゆうきに似ているお父さんを支えてくることができたのだろう。だからゆうきも、少しだけ甘えてみたくなった。

「朝の話なんだけど……」

「うん?」

 自分はひょっとしたらとても弱い人間なのかもしれない。そんな情けな想いが心の中で身をもたげるが、それでもいいだろう。どうせ王野ゆうきという自分は、弱虫でドジで天然な中学生なのだから。

「わたし、変わったのかなぁ?」

「あら、もしかして気にしてたの?」

 いたずらっぽく笑うお母さんの顔は、やっぱり自分にはあまり似ていない。そういう茶目っ気を強く引き継いだのは、お母さんに見た目も似ている妹のともえだ。わがままで傲岸不遜だが、なんだかんだで憎めない、そんな妹にそっくりで、ゆうきは少しだけ腹が立った。

「茶化さないでっ。気にしてたら悪い?」

「ふふ、ごめんなさい」

 謝っているわりには笑っている。憤慨したくもなるが、その前にお母さんが続けた。

「変わった、ね……ええ、私は変わったと思うわよ」

「今朝、ひかるが言ってたようなこと?」

「それもあるわ。ゆうき、あなた最近、私にお節介することも減ったじゃない」

「ま、またお節介って言われた……」

 落ち込みたくもなる。自分はやはりお節介なのだろうか。


「あら。私はお節介なゆうきも好きよ。でも、家のことばかりにかまけて、自分のことをおろそかにしてほしくはないの」

「えっ……?」

 だから、お母さんは憎めない。ずるい、と思う。唐突な笑顔、唐突な言葉、口調だって変わっている。お母さんは優しく、お母さんらしく笑って、ゆうきの手を優しく握ってくれたのだ。

「あなたはまじめでがんばり屋さんだもの。だから私もお父さんも、あなたにお家を任せてお仕事ができるのよ。でも、そのせいであなたに苦労をかけっぱなしだから、それが少し心苦しいの」

「そ、そんなの、大丈夫だよ。だって、お父さんもお母さんも、わたしたちのために働いてくれてるんだから」

「……うん。ありがとう、ゆうき」

 お母さんは小さく笑って、ゆうきの手に両手を添えた。

「お母さんはね、最近のゆうきの話を聞いていてとても嬉しいのよ。学級委員になって忙しいとか、新しいお友達がたくさんできたとか、ゆうきの、ゆうき自身のお話を聞くのが、私にとって何より嬉しいことなの」

「……よくわかんない」

「そうね。きっと今のゆうきにはわからないわ。けど、私はゆうきが変わっていってくれることが嬉しいの。……あんまり、お母さんらしいこと、してあげられていないけど、私はあなたのお母さんだから」

 お母さんの寂しげな表情の意味は、ゆうきにはよくわからない。ゆうきのお母さんはお母さん以外ありえない。少し普通のお母さんとは違うかもしれなけれど、お母さんをお母さんらしくないなんて思ったことは一度もない。

「……あのさ、お母さん」

「うん?」

「たとえばの話なんだけど……」

 ゆうきは言葉を紡ぐのは得意ではない。ただでさえドジな自分が、きちんと伝えたいことを伝えられるか、不安だった。

「大切な友達がいて、その友達が何かに悩んでいて、その悩みを教えてほしいって思うのは、お節介なのかな?」

「…………」

 お母さんは微笑んだまま、小さくうなずいた。

「……やっぱり」

「でもね、たとえお節介であったとしても、私だったら聞くわ」

「えっ?」

「もし、お母さんがゆうきの立場で、そのお友達というのがゆうきだったとしたら、私はゆうきにお節介と思われても、たとえ嫌われても、その悩みを教えてもらいたいと思うわ」

 ゆうきの目をまっすぐに見据えながら、お母さんは続けた。

「だって、私にとって、ゆうきはとっても大切な娘だから。そのお友達は、ゆうきにとってとても大切なお友達なんじゃないの?」

「…………」

 お母さんの言葉は簡潔で、言葉の意味がすんなりと頭の中に入ってきた。お節介と思われてしまうかもしれない。場合によっては嫌われるかもしれない。それでも、お母さんはゆうきのためになると思うことをしてくれると、そう言っているのだ。

「……ありがとう、お母さん」 だからゆうきは、笑うことができた。「うん。私、聞いてみる。もしかしたらお節介って思われちゃうかもしれないけど……それでも、友達のためにできることをしたいから」

「ええ。それでこそ、私の娘だわ」

 お母さんはそう言って、にっこりと笑った。


…………………………

 部屋に入ると、ブレイはすでに起きていた。窓枠に乗り、外の景色を眺めている。その後ろ姿が、さびしそうに見えたのは、ゆうきの見間違いではないだろう。

「……ブレイ」

「グリっ?」

 ゆうきが部屋に入ってきたことにすら、気づいていなかったのだろうか。ブレイは少し驚いたように振り返った。

「ゆうき? どうかしたグリ?」

「ねえ、ブレイ。わたし、あなたのことが知りたい」

「グリ……?」

「ねえ、ブレイ、教えて。あなたのこと、フレンのこと、アンリミテッドのこと。そして、ロイヤリティのこと」

「…………」

「わたしはブレイのこと、もっと知りたいの。だってわたしは、あなたの友達だから。あなたとフレンの友達だから」

「ゆうき……」

 生まれた世界は違う。姿形もまるっきり違う。けれど、ゆうきとブレイは話すことができる。お互いの想いを伝えあうことができる。

「ブレイとフレンがあまり話したがらないから、きっとわたしたちに話したくないんだろうな、って思ってた。けど、知りたいの。じゃないと、分からないよ。友達なのに分からないことだらけって、そんなのさみしいよ」

 想いは伝わる。ゆうきたちは、言葉を形作ることができるから。その想いを受け入れるかは、ブレイ次第だ。

「……グリ。分かったグリ。ブレイも、ゆうきにブレイたちのことを……ロイヤリティのことを知ってもらいたいグリ」

「……うん!」

 笑顔がはじける。ブレイに自分の気持ちが伝わって、とてもうれしかったからだ。


「最初に少しだけ話したグリ。ロイヤリティのこと」

「そうだね。光にあふれ、四季折々の花が咲き乱れ、それはそれはきれいな世界だったって……」

「それは本当のことグリ。ロイヤリティは暖かく、明るく、とても過ごしやすい、楽園のような世界だったグリ」

「けど、そこにアンリミテッドがやってきて、すべて飲み込まれてしまったんだよね……」

「そうグリ……けど、その話には、途中に抜けている部分があったグリ」

 ブレイの顔がみるみる曇っていく。ゆうきに自分の住んでいた世界のことを知ってもらいたいという気持ちに偽りはないのだろう。けれど、同時に話したくないこともあるのだ。

「……安心して、ブレイ。どんな話でも、わたしは聞くよ。わたしはあなたの友達だから」

「……グリ」 ブレイの顔には迷いがあった。「本当は、こんなことをプリキュアに話したくはなかったグリ。そうしたらきっと、プリキュアはロイヤリティのために戦う気を失ってしまうから……」

「……それは、話を聞かないと分からないよ。けれど、わたしはロイヤリティのためだけに戦っているわけじゃない。ブレイとフレン……わたしの大切な友達のために戦っているんだから」

「……ありがとうグリ、ゆうき」

 やがて、ブレイは心を決めたように顔をあげた。観念したという様子ではなく、積極的に話すと決めた顔。かわいらしい顔に、真摯な表情を浮かべている。

「かつて、ロイヤリティに四つの国ができたグリ。それは、勇気の国、優しさの国、情熱の国、愛の国の四つの国グリ」

「うん。そして、ブレイが勇気の国の王子様、フレンが優しさの国の王女様なんだよね」

「そうグリ。四つの国は王族を中心としてお互いを助け合い、共に豊かに暮らしていたグリ……けれど、」

「?」

 ブレイが言葉を詰まらせた。悲しげな表情は口を開かない。よほど、言いたくないことなのだろう。けれどブレイは王子様で、一度言ったことを反故にするような卑怯なことはしなかった。

「……けれど、いつからか、四つの国は、お互いの国を疎んじるようになったグリ」

「えっ……? ど、どうして?」

「……記録にはこうあるグリ。“勇気の国の王族は、勇気をなくし臆病者になった。優しさの国の王族は、優しさをなくし冷血になった。情熱の国の王族は、情熱をなくし無気力になった。愛の国の王族は、愛をなくし何も信じなくなった。“ だから、ブレイたちはお互いを疎み、いがみ合うようになったグリ」

「そんな……」

「……、フレンやゴーダーツが言っていたことは正しいグリ。ブレイは、結局、“弱虫ブレイ”で……本当は、違うって、そう言いたいけど……やっぱりブレイたち勇気の国の王族は、臆病で、だから……――」



「――そんなこと、言わないで……っ」



 我慢など、できるはずがなかった。ゆうきはブレイのつぶらな両目からこぼれ落ちた涙をすくい、顔を上げたブレイを思い切り抱きしめた。

「グリ……」

「勇気の国のこととか、王族とか、わたしにはよくわからない。けれど、あなたは臆病者なんかじゃないよ、ブレイ」

「ゆうき……」

「だって、あなたはフレンを助けようとした。ひとり捕まろうとしていたフレンを逃がすまいと、必死だった。あなたたちは勇敢で、優しい王子様と王女様だよ。あなたを逃がそうとしたフレンの優しさ、そんなフレンの手を掴んだあなたの勇気……わたしは、それを知ってるもの」

 臆病とか、勇敢とか、勇気とか、そんな言葉、使ったことはないし、詳しい意味なんて分からない。どんなひとが勇敢で、どんなひとが臆病かも分からない。けれど、それでも、たとえなんであろうと、

「……わたしは、ブレイのことを臆病だなんて思わない。弱虫だなんて、絶対に思わない。わたしの知っているブレイは、勇敢な王子様だもん」

「ゆうき……っ」

 気づけば、ブレイはまた瞳に涙をいっぱい溜めていた。

「ふふ……でも、泣き虫かもね?」

「グリ!? な、泣き虫じゃないグリ!」

「泣き虫でも、いいんだよ」

 ゆうきはそっと笑った。

「いいんだよ。泣いたら、泣いた分だけ強くなれるよ。笑ったら、笑った分だけ優しくなれるよ。だから、泣いたら泣いた分だけ笑おう? そうすれば、ブレイはもっともっとすごい王子様になれるよ」

「……グリ!」 ブレイは涙をぬぐって、笑った。「ゆうき、お願いがあるグリ。ブレイは、フレンときちんと話したいグリ。ちゃんと話して、わかり合いたいグリ。今すぐに!」

「うん。じゃあ、大埜さんの家に行こうか」

「グリ!」

 人と人との関係はとても複雑で、だからこそ大変なこともたくさんある。それが、元々わだかまりのある関係だったのならなおさらだ。けれど、ブレイは自分からフレンと話したいと願った。

 きっと、人と人が仲良くなるのなんて、そんなちっぽけな願いだけで十分なのだ。


…………………………

 そして、そんな願いを持つ妖精が、もうひとり。

「ねえ、フレンはブレイと仲良くしたい?」

「それは……」

 めぐみとフレン、ふたりは今まさにゆうきの家に向かう途中だった。

「ねえ、どうなの?」

「……言いたくないニコ」

 めぐみの質問に、ぷいっと顔を背けるフレン。めぐみは苦笑しながら、けれど身につまされる思いだった。

(この子ほどじゃないだろうけど……私も、こんな感じなんだろうな)

 ゆうきや、その他多くの人から言われることだ。自分が、素直じゃないということ。

「ねえ、いいじゃない。いま、ここには私しかいないのよ?」

「…………」

 黙りこくったままのフレンに、めぐみは一計を案じた。

「……フレン。私はね、王野さんともっと仲良くなりたいな」

「ニコ?」

「こんなこと、本人の前じゃ恥ずかしくて言えないけど、いつか面と向かって言いたい。王野さんと、もっと仲良くなりたい」

「めぐみ……」

「フレンは違うの? たとえ、国同士の仲が悪くたって、あなたが仲良くしたいと思うのなら、ブレイと仲良くなるなんて簡単なことのはずよ?」

 めぐみの言葉に、フレンは肩を落として。

「……でも、フレンは昔から顔を合わせれば、ブレイのことをからかってばかりだったニコ。きっとブレイは、フレンのことなんか嫌ってるニコ」

「そうかしら? それも、聞いてみないと分からないわよ?」

「……怖いニコ」

「そうね。怖いわね」

 本当に、自分と話しているようだった。フレンと話していると、自分が思っていること、自分自身のこと、そんなものと、まっすぐに向き合える気がした。

「怖いけど、伝えないと伝わらない。想っているだけじゃ、その気持ちは伝わらない。私が今日、フレンにフレンのことを聞いたように、相手に想いを伝えないと」


「ニコ……」

「大丈夫。人はそう簡単に誰かを拒絶したりしないわ」

「でも、怖いニコ。フレンは昔から、人と仲良くするのが得意じゃなかったニコ……」

「……でも、ブレイはきっと、フレンと仲良くしてくれるわ」

「なんでそんなことが言えるニコ?」

「だって、」

 めぐみは言いながら、思わず笑ってしまった。

「ニコ?」

「……ふふ、ほら、あっちも同じ気持ちみたいだもの」

「えっ……?」

 めぐみの目線の先には、人影がひとつ。そして、その人影に抱きかかえられるようにしてやってくる、ぬいぐるみのような影が、ひとつ。

「ブレイ……」

「フレン……」

 ふたつの国の王子と王女が目を合わせる。バツが悪そうに目を逸らしあうふたりを、その守護者である少女ふたりが温かく見守っている。

「うまく話ができたみたいね、お互い」

「うん」

 ゆうきとめぐみは目配せし合い、それぞれが抱える妖精をそっと地面に下ろした。しばし不安そうに守護者を見上げていたブレイとフレンは、やがてゆうきとめぐみの視線に励まされるように、そっと一歩、前に進んだ。

「……フレン」

「……ニコ」

「勇気の国と、優しさの国は、たしかに、仲があまりよくなかったグリ。けれど、だからきっと、アンリミテッドにつけいる隙を与えてしまったグリ」

「ニコ」

 最初はためらうように、けれど段々と伝える言葉は強くなっていく。

「フレンもそう思うニコ。きっと、四つの国が手を取り合っていたから、かつてのロイヤリティは栄えていたニコ」

「だからきっと、ブレイたちが変えなきゃいけないグリ。ブレイたちが仲良くしなければ、ロイヤリティに未来はないグリ」

 ブレイは言い切ると、そっとフレンの手を取った。


「ニコ?」

「……でも、それは勇気の王子としての言葉グリ。ブレイは勇気の王子である前に、ブレイグリ」

「ブレイ?」

「ブレイは、フレンと仲良くしたいグリ。ロイヤリティとか、王族とか、そういうことを抜きにして、もっとフレンのことを知りたいグリ」

「…………」

 人と人との関係はとっても難しくて、それにそれぞれの立場が加われば、それはなおのことだ。けれど、それは簡単に乗り越えることができる。仲良くなりたいというただひとつも想いで、克服できるのだ。

「……ブレイ!」

「グリ?」

「フレンも、ブレイに言いたいことがあるニコ!」

 真っ赤な顔をして、フレンがブレイに詰め寄る。今を逃せば、もう言えない。そう思ったからだ。

「……ブレイ。フレンは、ブレイに……――」



「――――くだらんな。家臣ごっこの次は、仲良しごっこか?」



 暗く冷たい声が放たれた。夕暮れに沈む町並みに、明らかに異質な存在が紛れ込んでいた。

「この声は……!」

「どこ? どこにいるの!?」

「!? あ、あそこグリ!」

 ブレイが指を差す先。すぐとなりの家の屋根の上。

「ゴーダーツ!」

 そこに、ゴーダーツが悠然と立っていた。

「プリキュア、今日こそ決着をつけるぞ」

「あ、あのねえ! こっちはそれどころじゃないのよ!」

 頭上のゴーダーツに向け、めぐみが今にも噛みつかんばかりにわめく。

「せっかく素直じゃないフレンが想いのたけを口にできると思ったのに! タイミングが悪いのよ! 馬鹿!!」

「め、めぐみ! 恥ずかしいことを言うのはやめるニコ!」

 コントをやっている場合ではない。ゆうきは普段は絶対に見せてくれない子どもっぽいめぐみの調子に苦笑しながら、まっすぐにゴーダーツを見つめた。

「…………」

 ゴーダーツとはすでに二度戦った。しかし今日ばかりは、その雰囲気が少しばかり違うように感じられた。ゴーダーツは屋根の上から飛び降りると、当たり前のようにゆうきたちの前に着地した。

「……用意はいいな」

 身構えるゆうきとめぐみ。もう迷っている暇はない。


「っ……ブレイ!」

「フレン!」

「「変身よ!!」」

 夕日に赤く染まる世界が、暗くなりつつある。アンリミテッドの欲望が支配する位相へと変わっていくのだ。しかしそこに、光が生まれる。伝説の戦士プリキュアという名の、強大な光が。

「受け取るグリ!」

「プリキュアの紋章ニコ!」

 ブレイとフレンから薄紅と薄青の光が放たれる。それはゆうきとめぐみの手の中で形を成す。

 勇猛なる獅子と、清浄なる駿馬の紋章。そしてふたりは、流れるような動作で、紋章をロイヤルブレスへと差し込み、叫ぶ。


「「プリキュア・エンブレムロード!」」


 温かい光が生まれる。その光に包まれながら、ゆうきとめぐみは変身を遂げる。そして、空より舞い降りたふたりは、すでにゆうきとめぐみではなかった。


「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」


「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」


 ふたりの伝説の戦士の背後に、明確な力がイメージとして映し出される。それは、翼持つ獅子と、角ある駿馬の像。



「「ファーストプリキュア!」」



 ――ロイヤリティの王族に祝福されたふたりの戦士が、欲望の戦士に立ち向かう。


「……いいだろう。今日こそは、その紋章をいただいていく! ウバイトール!」

 ゴーダーツが手を掲げる。薄暗い空が割れ、そこから欲望の化身たるあやふやな存在が地に墜ちる。それはすぐそばの街灯に取り付き、そして欲望に満ちた怪物が誕生する。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 本来ならあるはずのない手、足、そして、悪辣な瞳。街灯から生み出されたウバイトールが、ふたりの伝説の戦士に向け明確な敵意を表す。

「なんだろう……よくわかんないけど、これ、いつも以上にすごい……」

「ええ。すごい敵意だわ……」

 思わず後じさる。しかし、それを見逃す敵ではなかった。

「臆したか、プリキュア。しかしもう遅い!」

 ウバイトールに気を取られていたふたりは、ゴーダーツの一瞬の挙動に追いつくことができなかった。ゴーダーツは大地を蹴り、一瞬でふたりに肉薄した。

「ッ……!」

「はぁあああああああああああああああああああ!!!」

 ゴーダーツの蹴りがユニコへ飛ぶ。ユニコはそれを両腕でいなし、続けて放たれた拳も避け、防戦一方ながらゴーダーツの動きに合わせ続ける。

「ユニコ!」

「グリフ! あなたはウバイトールを!」

 よそ見をできるような相手ではない。ユニコはそう叫ぶと、自らもゴーダーツに向け蹴りを放つ。ほんの一瞬だけゴーダーツが攻撃の手を緩めるが、その直後にすぐに攻撃が開始される。

「っ……ゴーダーツ! いい加減にしなさい! あなたは間違ってるわ!」

「なんだ? 貴様まで腰抜けになったか、キュアユニコ!」

「腰抜けと笑うのは自由にしなさい! けれど、グリフはあなたたちを止めようとしているのよ!」

「何をバカな。我々のことも知らずに、よくもまぁそんな無責任なことが言えたものだ!」

「っ……」

 その物言いに、ユニコは少しだけ頭に来た。だから少しくらい無茶でも、ゴーダーツの蹴りを真正面から受け止めた。

「ふざけてんじゃないわよ! 知ってほしいなら話しなさいよ! あんたには喋るための口があるでしょうが!!」

「な……! 貴様……」

 さすがに、痛い。けれど、ゴーダーツの動きを止めることはできた。

「あんたたちがどうしてこんなことをしているのかなんて知らない。知らないから、理解しようもない。私自身は、あんまり理解したいとも思わない」

 目の前には、生気の抜け落ちた男の顔があった。あまりにも陳腐な悪役の顔だ。それはユニコにとって、敵でしかない。だけど、

「……けど、グリフは助けたいのよ。あんたたちのことも。あんたたちのことを叱って、改心させたいって言ってるのよ。だから、私もあんたたちのことを、あきらめるわけにはいかないのよ!」


「ぐっ……黙れ……黙れぇええええええええええええええええ!!」

 ゴーダーツが掴まれた足に力をこめる。まずいと思ったときにはすでに、ユニコはゴーダーツの圧倒的な脚力によって吹き飛ばされていた。足を踏ん張り、道路を削ってなんとか止まる。

「……分かってもらう気などない! 私はもう、戻れないのだ!!」

 ゴーダーツが両手をユニコに向け掲げる。そこに、光が集約する。それはプリキュアの光とは似ても似つかない、悪辣な光だ。見ているだけで気が滅入るような、邪悪な感情がこれでもかと詰まっている。

「…… “戻れない” ね」 そんな危機的な状況だというのに、ユニコはどうとも思わなかった。ただそっと、誰にも聞こえない声で呟いた。「ってことは、戻りたいってことじゃない」

 とはいえゴーダーツの光は脅威である。あれが自分に向かって飛んできたら、避けられるだろうか。

「ユニコ!」

 そんな杞憂を吹き飛ばすように、ユニコの耳朶を甲高い声が叩いた。

「フレン!? 危ないじゃない! 隠れていなさい!」

「そんなことを言っている場合じゃないニコ! よく聞くニコ! この前の、河原での戦いを思い出すニコ!」

「河原での戦い? ああ、あのグリフが戻ってきたときの……」

「そうニコ! そのとき、グリフがとんでもない力を発揮したことを覚えているニコ?」

 そういえば、と思い出す。ウバイトールが自分とグリフに向け腕を振り下ろしたとき、薄紅色の光を纏ったグリフがその腕をつかみ、あまつさえウバイトールの巨体を投げ飛ばしさえしたのだ。あのときのグリフは、たしかにすさまじかった。

「あれがどうかしたの?」

「あれは、キュアグリフの “立ち向かう勇気の光” ニコ。そして、ユニコにはユニコの力があるニコ!」

「私の力……?」

「よそ見をするとは、大層な余裕だな! キュアユニコッ!!」

 集約した光が、轟音と共にゴーダーツの手を離れた。フレンを連れて逃げる余裕はない。

「ユニコの力…… “守り抜く優しさの光” を使うニコ!!」

「守り抜く、優しさの光……」

 ゴーダーツの放った光は道路を削り、生け垣をなぎ倒し、目前まで迫っている。圧倒的な圧力を内包するその光の弾丸に、しかしユニコはひるむことなく立ち向かう。

 フレンの言葉を信じていたから。そして、フレンを守らなければならないからだ。

(守り抜く優しさの光。あのときの、グリフのように、私も……)

 だからユニコは、光に対し手をかざした。できると、信じた。

(私も……グリフのように!)


 瞬間、空色の光がユニコの周囲で爆ぜた。それはしなやかでなめらかで、しかし雄々しい激流のごとき光。ユニコは確信した。これこそが、自分が持つ優しさの力なのだと。

「……フレンは、私が守る!!」

「なにッ!?」

 ユニコの身体から発せられる青白い光が指向性を帯びた。それは壁となり、ユニコの前面を覆い尽くす。

 それは凄まじい守護の力だった。

 優しさのプリキュアが持つ、絶対防御の盾だ。

「……優しさは、その強さ故に、誰かを守ることができるニコ」

 そんなユニコの背中を頼もしく見つめながら、フレンは呟いた。

「ユニコの優しさが、苛烈な防御の力となって、フレンを守ってくれたニコ」

 ゴーダーツの放った光は、ユニコの防御の光の前に儚く砕け散った。ユニコの苛烈なる守護の光は、役目を終え、すっとかき消えた。

「……これが、私の “守り抜く優しさの光” 。ふふ、何か不思議だわ」

「ッ……キュア、ユニコ……!!」

「ごめんなさい、ゴーダーツ。あなたの覚悟も何もかも、私の知ったことではないの」

 そしてユニコは、フレンを抱え、かろやかな足取りで飛んだ。

「あなたにあなたの使命があるように、私には私の想いがあるの。だから、絶対に負けないわ!」

 ゴーダーツの頭上を飛び越え、着地する。そこには、往来の真ん中でウバイトールと格闘を繰り広げるキュアグリフの姿があった。

「――はぁあああああああああああああああ!!」

 ずどん、と空気が震える。その振動は空気を伝わりユニコの身体をも揺るがすほどで、ユニコは自身の目を疑った。

「す、すごい……」

 グリフの拳が、ウバイトールに正面からたたき込まれる。一瞬遅れて、まるで頂点から下るジェットコースターのように、ウバイトールが轟音を立てて吹き飛ばされる。グリフの拳、そして身体には、薄紅色の光が立ち上っていた。

「ふぅ。なんか、よく分からないけど、今日のウバイトールはそんなに強くないよ」

「い、いや……なんか、むしろあなたが強くなっているような気がするけれど……」

「? そうかな」

 そうよ! とよっぽど言ってやりたかったが、我慢しておいた。吹き飛ばされたウバイトールが、今まさに立ち上がろうとしていたからだ。

「グリフ、いくわよ!」

「うん!」


 ひとりではない。だから、戦える。ユニコはそっとフレンを下におろす。そして、ふたりは手を取り合い、頷き合う。

 薄紅色と空色の光が、その場を埋め尽くす。

「翼持つ獅子よ!」

「角ある駿馬よ!」

 明確に浮かび上がるは、勇壮なる神獣の姿。

 その名は、勇気と優しさの守り神、グリフィンとユニコーン。

 王者を守る神獣の力が、光が、ふたりの伝説の戦士に力を授ける。

 光が指向性を帯びた。そしてふたりが同時に手をかざし、その手から光の奔流が放たれる。



「「プリキュア・ロイヤルストレート!!」」



 戦士の絆だけではない。王者同士が手を取り合い、それによって戦士の力も高まっていく。

 手を取り合った勇気と優しさの力が、欲望の闇を打ち払う。

『ウバッ……ウバアアアアアアアアアアアアアアア……!!』

 欲望の化身は光に包まれ、その姿を消していく。最後に残ったかたまりが、もだえ苦しみ霧散する。残されたのは、何の変哲もない街灯だけだ。

「? なんだろ、今日のウバイトールはやけに弱かった気がするけど……」

「えっ?」

 グリフの言葉に、そういえばと思い直す。守り抜く優しさの光が使えたとはいえ、ユニコはあまりにも簡単にゴーダーツを突破することができた。あの抜け目のない男が、こうも容易くユニコにグリフの手を取らせるだろうか。と、

「――そこまでだ!! 動くな、プリキュア!!」

「!?」

 鋭い声が飛ぶ。思わず振り返った先に、目を疑いたくなるような光景があった。

「グリ……」

「ブレイ!!」

 フレンの甲高い声が響く。振り返った先、ゴーダーツの手の中にあるブレイの姿があった。


「グリぃ。ごめんグリ……」

「ブレイ……」

 申し訳なさそうなブレイの声に、力が抜けてしまう。本当に、鈍くさいったらない。

「そんなところは、誰かさんにそっくり、ってわけね」

「ちょっとユニコ。すごい失礼なこと言わなかった、今?」

 軽口をたたき合うが、状況は良くはない。ゴーダーツがその気になれば、ブレイの身体などすぐさま握りつぶされてしまうだろう。しかし思案するより早く、駆け出す姿があった。

「フレン……!?」

 ユニコは制止しようとするが、届かない。フレンは小さな足で、懸命にゴーダーツに向けて駆けている。

「っ……動くなと言ったはずだぞ!」

「動くなって言ったのはプリキュアに対してだけニコ!」

「うっ……ま、まぁ、たしかにそのとおりだが……ではない!! 貴様……!」

 ゴーダーツが片手をフレンに向ける。その手に、ユニコに撃ったものを小さくしたような光が生まれる。

「いけない……!!」

「フレン!!」

 動き出したのは同時だった。目配せし合ったわけでも、頷き合ったわけでもないのに、グリフとユニコはお互いが何を考えているのか、なぜか手に取るように分かった。

「なに……!?」

 ふたりは左右両側からゴーダーツに突撃した。片手でブレイを握りしめ、空いた手をフレンに向けているゴーダーツは、そのプリキュアの素早い行動に追いつくことができなかった。

「ばっ……ばかな!!」

「ばかはどっちよ! この卑怯者!!」

「ッ……!」

 グリフとユニコの蹴りがほぼ同時にゴーダーツに直撃する。よろけたゴーダーツの手から光がはじけ飛び、ブレイが衝撃で放り投げられるように飛び出す。

「ぐ、グリ~~~~~~~~~!! 落ちるグリ!!」

「ニコ! ブレイ!!」

 頭から真っ逆さまにアスファルトに落下するブレイの下に、フレンがすべりこむ。もふもふとやわらかいふたりの身体がお互いにバウンドしあうようにして、ブレイの落下の衝撃を小さくする。

「ぐ、グリ……フレン、ありがとうグリ……」

「べ、べつに……」 フレンはぐったりと横たわったまま、顔だけブレイから背けた。「優しさの王女にここまでさせたニコ。これは貸しニコ」

「グリ。いつか絶対に返すグリ!」

 微笑んでうなずくブレイに、けれどやっぱりフレンは顔を向けなかった。


「……さて」

「覚悟はいいかしら、ゴーダーツ」

「ぐっ……伝説の戦士、プリキュア……!!」

 ふたりの蹴りを防御もできず二発まともに浴びたのだ。ゴーダーツはもはやふらふらの様子だった。

「それでも、私は……欲望の戦士として、負けるわけにはいかないのだッ!!」

「そう。わかった」

 だからグリフとユニコは、そっと手を繋いだ。

「だったら、あんたのそのくだらない意地も何もかも、きれいさっぱり洗い流してあげる!!」


 世界が薄紅色と空色の光に埋まる。


「ぐっ……なぜだ。なぜお前たちプリキュアは、こんなにも強大な力を持っているのだ!!」

 ゴーダーツのうめき声が、遠く聞こえた。


「翼持つ獅子よ!」


「角ある駿馬よ!」


 それは、悪辣なる存在を浄化する、誇りと絆の一撃。



「「プリキュア・ロイヤルストレート!!」」



「私は……これで、終わりなのか……?」

 圧倒的なまでの光の奔流が、ゴーダーツに迫る。そして、

(これで……――――)




「――――……否。まだ貴様にはやってもらうことが山ほどある」



 ロイヤルストレートの光が、あまりにも呆気なくかき消される。それはまるで、排水溝に吸い込まれる水のように、あまりにも簡単に、何かに飲み込まれるようにかき消えたのだ。

「なっ……何が起きたの!?」

「う、うそ! ロイヤルストレートが……消えた!?」

「!?」

 光が消えた先、ふたりはようやく気が付いた。その場に、ゴーダーツとは違う人影があることに。

「で……で、で……ででで……!!」

「デザイア!?」

 そう、それは漆黒のマントを羽織り、仮面で顔を隠した、アンリミテッドの最高司令官にして、最強の騎士。

 暗黒騎士デザイア。

 グリフとユニコに対してまっすぐに伸ばした小さな手で、強大なロイヤルストレートをかき消したのだ。

「で、デザイア様……!?」

「ゴーダーツ。己の欲望を満たすことと、己のプライドを保つこと、それを混同するな。私は、紋章を持ち帰らぬ貴様に愛想を尽かしたりはしない。なぜなら、私は卑劣なるロイヤリティの王族とは違うからな」

「デザイア様……」

 ゴーダーツにはゴーダーツの事情があったのだろう。デザイアのその言葉に、どこか救われたような表情を見せる。しかし、そんなことはプリキュアたちのあずかり知ることではない。

「ちょっと! 勝手なこと言わないでよ! 何が、“卑劣なロイヤリティの王族” よ!」

「卑劣なのは、ロイヤリティを飲み込んだり、ブレイを人質にとったりするあんたたちの方でしょ!」

 激高するグリフとユニコに対し、しかしデザイアはあくまで泰然と返答する。

「……ふむ。前者についてはそれこそ我々の正当性しか分からぬが、後者については謝罪しよう。私の部下がすまないことをした」

「えっ……?」

「デザイア様?」

「ゴーダーツ。たしかに我々にはロイヤリティのくだらぬ慣習や誇りなどにはとらわれぬ。しかし、だからこそ欲望の戦士として、己の欲望に対して真摯であれ。もしそうでなくなれば、貴様は貴様が忌み嫌うロイヤリティと同等ということになるぞ? 欲しいものがあれば、真っ向から奪い取れ。人質を取るなどといった卑劣な真似は慎むべきであろう」

「デザイア様……申し訳ありません!!」

「……構わぬ」

 何の話をしているのか、さっぱりだった。けれど、そのデザイアの言葉にはっきりと浮かぶのは、ロイヤリティに対する憎しみだ。当惑するグリフとユニコはしかし、再び自分たちに向き直ったデザイアに対し、身構えるより仕方なかった。

(暗黒騎士デザイア……)

(ロイヤルストレートを簡単に吹き飛ばしてしまうような奴を相手に……勝てるの?)


「ふっ……」

 どれくらいの時間、向き合っていたのだろう。やがてデザイアは小さく笑うような声を出すと、ふたりに背を向けた。

「言っただろう。私はまだ貴様らと戦う気はない。ゴーダーツを迎えに来ただけだ」

「ま、待つニコ! ロイヤリティの王族が卑劣って、どういうことニコ!」

「……待たぬよ、優しさの王女。もし興味があるのなら、父上か母上にでも聞いてみるといい。貴様ら王族の、卑劣なる所行の数々を、な」

「ニコ……」

 そのデザイアの言葉は、あまりにも真に迫りすぎていた。だからきっと、フレンは思わず信じてしまったのだろう。けれど、そんなフレンのすぐそばで、彼女を支える小さい影があった。温かく、優しい手が、そんなフレンをそっと支えた。

「ニコ?」

「あんな奴の言うこと、信じちゃだめグリ。優しさをなくしていたって、優しさの王族は優しかったグリ。だから――」


「――ふん。よくもまぁ、その口でそんなことがヌケヌケと言えたものだな、勇気の王子ブレイ」


「グリ!?」

 デザイアが、明らかな憎しみをもってブレイを向いた。表情はおろか、目線すら追えないが、しかしわかる。デザイアは強すぎるほどに、ブレイを憎んでいる。否、勇気の国を憎んでいる。

「ぶ、ぶぶぶ、ブレイが……ブレイたちが何をしたグリ!!」

 ブレイが震える声で問う。しかし、ブレイを見ることすらなく、マントを翻し、背を向けた。

「……全てを忘れてしまった貴様には糾弾の言葉すら生ぬるい」

 言葉を残し、ゴーダーツと闇に溶けるように消えた。

 世界に色と光が戻り、ゆうきとめぐみの姿も制服に戻る。

 アンリミテッドは撃退した。しかし、心の底から喜ぶことができない。

「……ゴーダーツとデザイア……一体どうして、ロイヤリティを憎んでいるの……?」

「お父様とお母様は、ロイヤリティとともに飲み込まれた。そんなふたりに、何を聞けって言うニコ……!」

「ブレイが何を忘れたっていうグリ……」

 答えは出ない。風が、夕暮れの街並みをさびしく駆け抜ける。


…………………………

「まぁ、深く考えても仕方ないよ。それに、まだお話が終わってないしね」

 しょぼくれるブレイとフレンに、ゆうきがそっと声をかけた。

「話……?」 首をかしげるめぐみだったが、すぐに察してくれたようだった。「ああ……フレン」

「ニコ?」

「さっき、ブレイに言いかけてたこと、言っちゃいなさい」

「ニコ!? 今さら言うニコ!?」

「もちろん。あなた、今言えなかったら一生言えないでしょ?」

「ニコぉ……」

「グリ?」

 フレンが渋々といった様子でブレイに向き直る。ブレイは不思議そうな顔で、そんなフレンを見つめる。

「……ブレイ。フレンは、ブレイに言いたいことがあるニコ」

「グリ?」

「……いつも、弱虫とか、臆病とか、悪口を言ってごめんなさいニコ」

「グリ?」

 きょとんと目を丸くしたブレイだったが、その直後に目を驚愕の色に染めて飛び上がった。

「グリぃぃいいいいいいいいいいいい!?」

「ニコ!? 驚かせないでほしいニコ!!」

「グリ!! フレンが謝った!? フレンが!?」

「う、うるさいニコ! 少し静かにするニコ!!」

「フレンが!! フレンが!!」

「だからうるさいニコ!! 弱虫ブレイ!!」

 騒ぎ回るブレイに、それを追いかけ回すフレン。やかましい光景だが、思わず微笑んでしまうくらい温かい。

「……また弱虫って言ってるし」

「でも、まぁ……悪意がないなら、ねぇ? 素直じゃない大埜さん?」

「そうね。天然でドジな王野さん?」

 ぐぬぬと視線をぶつけ合って、すぐさま笑い合う。友達同士、言っていいことと悪いことの判断くらい、簡単にできるのだ。

「グリ!! 素直じゃなくて優しくないフレンが!! ブレイに謝ったグリ!! 大変グリ!! 明日は雨が降るグリ!!」

「だからうるさぁあああああああああああああいニコ!!!」

 まだまだ、分からないことだらけだ。けれど、ブレイとフレンの気持ちはわかったし、ふたりのわだかまりを少しだけ解消することができた。だから、今はそれだけでいいだろう。

(光の世界ロイヤリティと、闇の欲望アンリミテッド……ふたつの間に、一体何があったんだろう……)

 答えはでない。ゆうきにはまだまだ分からないことばかりだ。

 それでも、今はこの気持ちだけで十分だろう。

 目の前のかけがえのない、小さな王子と姫を守りたいという気持ちだけで。

 そんな簡単な気持ちだけで、伝説の戦士を続けられる、そんな気がするのだ。


    次    回    予    告

ゆうき 「すごかったねえ……」

めぐみ 「ええ、すごかったわねえ……」

ゆうき 「まさかあんなに強いなんて……」

めぐみ 「ええ、私もびっくりしたわ……」

ゆうき 「……ユニコの、“守り抜く優しさの力”」

めぐみ 「ええ。暗黒騎士デザイア……――」

めぐみ 「――えっ?」

ゆうき 「えっ?」

めぐみ 「…………」

ゆうき 「…………」

めぐみ 「……と、いうわけで、次回、ファーストプリ――――」

ゆうき 「――――ちょっと待って大埜さん。しっかり話をしようよ。なんで今生暖かい目でわたしを見たの?」

めぐみ 「…………」

ゆうき 「ねえ、しっかりわたしの目を見て。天然じゃないよ? 普通だよ?」

めぐみ 「…………」

ゆうき 「今だって、ちょっとお互い思い違いしただけだよね? ねえねえ?」

めぐみ 「……次回! ファーストプリキュア!!」

ゆうき (強引に流された……)

めぐみ 「第五話 【新たな力! カルテナって、何!?】」

ゆうき 「? ねえ大埜さん、カルテナってなぁに?」

めぐみ 「……ええ。次回出てくるから、それまで良い子で待ちましょうね」

ゆうき 「えっ? なんでそんな幼稚園児に話しかけるみたいな感じなの?」

めぐみ 「……それじゃ、次回も楽しみにしててね。ばいばーい!」

ゆうき 「ねえねえ大埜さん。わたし何かおかしなこと言った? ねえねえねえわたしの目を見て?」

>>1です。
第四話はここまでです。
読んでくださった方、ありがとうございました。
また来週日曜日、投下できると思います。

>>1です。
少々遅れましたが、今週の投下を始めます。
本日の「なぜなに☆ふぁーすと」はネタがないのでお休みします。


第四話 【新たな力! カルテナって、何!?】


 そこは、暗闇の世界。光はある。されど、すべてが黒いから光を返さない、そんな場所。

 そんなアンリミテッドが統べる場を、ゴーダーツは思案顔で歩いていた。


 ――――『ゴーダーツ。たしかに我々はロイヤリティのくだらぬ慣習や誇りなどにはとらわれぬ。しかし、だからこそ欲望の戦士として、己の欲望に対して真摯であれ。もしそうでなくなれば、貴様は貴様が忌み嫌うロイヤリティと同等ということになるぞ? 欲しいものがあれば、真っ向から奪い取れ。人質を取るなどといった卑劣な真似は慎むべきであろう』


 頭に浮かぶのは、デザイアの言葉。それはあまりにも深く、ゴーダーツの奥底に突き刺さっていた。

「己の欲望に対して真摯であれ、か」

 自分は必死になりすぎたのだろうか。その必死さで、まさか、上司であるデザイアの手を煩わせてしまうとは、思っていなかった。

「私は……――」

「――……やあ、ゴーダーツ。久しぶりだね」

 進む先、デザイアが待つ部屋の手前で、ゴーダーツを待ち構える影があった。上背はゴーダーツと同じか少し低いくらい。細身の身体に、それこそあのプリキュアたちともそう変わらぬ細腕の男。細い目にうさんくさい笑みを貼り付けて、彼はゴーダーツに笑いかけた。

「……ふん。ようやく召喚に応じたか。ダッシュー」

 彼の名はダッシュー。ゴーダーツの同志、アンリミテッドの欲望の戦士である。

「いやあ、遅くなって申し訳なかったね。その間、どうも君にがんばらせすぎてしまったようだ」

「……なんだと?」

 しかし、たとえ同志であろうとなんだろうと、必ずしも好意的な仲ではない。

「はは、そう怖い顔をしないでおくれよ。聞いたよ。先日、わざわざデザイア様に迎えに来させたんだって? 君も随分と偉くなったものだね、ゴーダーツ」

「っ……」

 目の前のひねくれた男の皮肉が事実であるからこそ、ゴーダーツはそれに返す言葉を持たなかった。

「まぁ、安心してくれていいよ。君がもう無様な体たらくを晒すことはない。だって、これから僕がプリキュアとやらを倒しに行くんだからね」

「なに?」

「おっと、だから怖い顔をしないでくれって。これはデザイア様のご命令だよ? 僕に、情熱の王女捕獲とプリキュア撃退をお命じになったんだ」

「ぐっ……」

 デザイアはゴーダーツのことを見限ったのだろうか。役立たずだから働くなと、そう暗に告げているのだろうか。

「まぁ、せいぜい休んでおきなよ。それじゃ、僕はホーピッシュヘ行く。ゆっくり養生してくれたまえ、ゴーダーツ」

 嘲弄するように告げて、ダッシューは消えた。ただ、ゴーダーツの脳裏には、未だダッシューの言葉が染みついている。

 デザイアはゴーダーツではなく、ダッシューにプリキュア討伐を命じたのだ。

「プリキュア……なぜ、私に倒すことが叶わなかったのだ……」



「決まっている。貴様の欲望の力が足りぬからであろう」


「!? で、デザイア様!?」

 重い扉に寄りかかるようにして、ゴーダーツはおろか、ダッシューよりも華奢な黒ずくめの紳士が立っていた。仮面の下の表情は窺い知ることができず、ただ空虚な目線がゴーダーツを貫く。

「貴様は欲望の力で何がしたい? 何を望んだ? そして、ロイヤリティをなぜ憎んだ?」

「…………」

「思い出せ。そして悲しみに泣き、怒りに震え、憎しみに悶え、憤りに吼えろ。貴様を裏切ったロイヤリティとその王族を許すな。叩きつぶせ。そのための欲望は、貴様の中にしかないのだ」

 言葉は淡々としていた、どこまでも簡潔だった。しかし、そのデザイアの冷たい言葉は、冷たく暗い炎をゴーダーツの中によみがえらせた。

「……デザイア様」

「なんだ?」

「……佩刀の許可を頂きたく存じます」

 ゴーダーツの暗い瞳がデザイアの仮面を見据える。その覚悟がデザイアにも伝わったのだろう。おごそかにうなずいた仮面の紳士は、細い腕を振るう。その手が黒いもやに包まれ、やがてそのもやが形を作る。それは、長大な漆黒の剣だ。

「……使え。欲望の闇で塗り固められた業物だ」

 デザイアがその剣を放り投げる。受け取ったゴーダーツは、恐ろしく重いその剣を、厳かに拝領した。

「……かつてのことを思い出すわけではありません。私は、私として、欲望の戦士ゴーダーツとして、かつての“私”を利用するというだけのこと。そう、私は、私の欲望のために、過去の己を利用する。ただ、それだけです」

「ああ。己の何もかもを利用してでも、己の欲望を全うする。それでこそアンリミテッドの戦士だ」 デザイアは抑揚のない声で告げると、ゴーダーツに背を向け、扉に手をかけた。「今日のところはダッシューに任せておけ。貴様は剣の稽古でもしているがいいだろう」

「はっ。そうさせていただきます」

「ああ」

 扉を開き、暗黒へと足を踏み出したデザイアを、しかしゴーダーツが呼び止めた。

「デザイア様!」

「……何だ?」

 ゴーダーツは深く低頭し、腹の底から声を出した。

「ありがとう、ございます……!!」

「…………」

 デザイアはもはや顔すら見えぬほどに深く頭を下げるゴーダーツに何を言うこともなく、そのまま扉の奥へと消えた。


…………………………

 空気はひんやりと冷たいが、日差しが温かい。夏服だったら寒いだろうけど、冬服だから心地良い。

 私立ダイアナ学園女子中等部の屋上は、まさに春まっさかりという陽気だった。

「あー、暖かいグリぃ……」

「そうニコねぇ……」

 のんきなものだ。ぬいぐるみのような王族、ブレイとフレンは屋上に横たわり、ぐーたらと寝こけている。

「それに引き替え、わたしたちは……」

「こら、王野さん。なまけてないで、王野さんも考えなさいよ」

「ふぁーい」

 せっかくの昼休み、わたしものんびりしたいなー、なんて思っていても、横にいるパートナーがそれを許してはくれそうにない。

「実際、真剣に考えなくちゃいけないんだから。私たちのロイヤルストレートが、あんなに簡単にデザイアに防がれてしまったのよ?」

「うーん……」

 たしかに、めぐみの言うとおりなのだ。先日、ゴーダーツをあと一歩のところまで追い詰めたキュアグリフとキュアユニコだったが、そのゴーダーツに放ったロイヤルストレートを、アンリミテッドの最高司令官、暗黒騎士デザイアにいとも容易く吹き飛ばされてしまったのだ。

「今のところはデザイア自身に私たちと戦う意志はないようだけど、もし気が変わったら……」

「……勝てるのかな、わたしたちで」

「…………」

 ゆうきとめぐみは成り立ての戦士だ。だから、戦いのいろはも何も知らない。プリキュアとしての圧倒的な身体能力、耐久力、体力、そして、王者の誇りと戦士の絆の光――それらにものを言わせて勝ってきたのだ。

 もし、デザイアがそれらをすべて合わせても勝てない相手だったとしたら、どうなる。

「……でも、それでも、わたしたちは勝たなくちゃ。ブレイとフレンのために。そして、自分たちのためにも」

「ええ」

 目を合わせ、頷き合う。勝てるか勝てないかではなく、勝たなければならないのだ。そうでなければ、ロイヤリティを取り戻すことはおろか、自分たちの住まうこのホーピッシュすら守れないのだから。

「……カルテナ」

「えっ?」

 ふと、ゆうきでもめぐみでもない声が小さく響いた。目を向ければ、ブレイがゆっくりと身をもたげるところだった。


「“カルテナ”グリ。ロイヤリティの伝説に記されている、プリキュアが持つ伝説の武器グリ」

「フレンも聞いたことがあるニコ。かつて、伝説の戦士プリキュアは、王者よりカルテナを賜り、それで闇を打ち倒したという伝説を」

「カルテナ……」

「それって、一体……」

「ブレイたちにも詳しいことは分からないグリ。けれど、ふたりが伝説の戦士である以上、カルテナはふたりに力を貸してくれるはずグリ」

 伝説の戦士が持つ伝説の武器、カルテナ。それは一体、どこにあるというのだろうか。

「……それから、もうひとつ気になることがあるニコ」

「? なに、フレン?」

 フレンが少し浮かない顔をして言った。

「情熱の王女、パーシーのことニコ」

「グリ……」

 フレンとブレイはお互い不安そうな顔を見合わせる。

「パーシー? 情熱の王女ってことは、ふたりと同じロイヤリティの王族なの?」

「グリ。ロイヤリティの四つの王国のひとつ、情熱の国の王女グリ。ロイヤリティからこっちの世界にくるときにはぐれてしまったグリ……」

「パーシーは物静かでおとなしい子だから、心配ニコ……」

「そっか。ゴーダーツが優しさのエスカッシャンを持っているみたいに、情熱のエスカッシャンを持っているアンリミテッドの戦士がいたら……」

「……早く見つけてあげないとね」

 今もひとりで震えているのだとしたら、いくらなんでもさみしすぎる。ただ、ゆうきにはもうひとつ気になることがあった。

「あれ? でも、あとひとり、愛の国の王女様は?」

「……?」

 途端に、ブレイとフレンは不思議そうに首をかしげた。


「ラブリなら、大丈夫グリ」

「ニコ。大丈夫ニコ」

「えっ? で、でも、そのラブリっていう子も、今はひとりぼっちなんじゃない?」

「グリ。もちろん、ラブリはひとりグリ。でも、ラブリはひとりが好きな完ぺき主義者だから、大丈夫グリ」

 ブレイとフレンの言葉には、どこか確信めいたものがあった。パーシーという情熱の王女のことは心配だが、ラブリという愛の王女のことはまったく心配していないらしい。

「……もしかして、だけどさ。ブレイ、フレン、そのラブリっていう王女様のこと、苦手なの?」

 図星だったようだ。ブレイとフレンはほぼ同時にぷいっとそっぽを向いた。

「ラブリは、ちょっと勉強ができてスポーツが得意で剣術も馬術もすごくて王室の作法も何もかも完ぺきにこなすからって、フレンたちのことを馬鹿にするニコ」

「……ブレイはとくに、何もかもダメダメだったから、よくラブリに馬鹿にされたグリ」

 なるほど。とんでもない完全無欠の王女様らしい。しかし、だ。

「……でも、ブレイとフレンも仲良くなれたんだから、そのラブリとも仲良くなれるといいね」

「グリ……」

「ニコ……」

 あんまり乗り気ではないようだ。ラブリは、そんなに高慢な王女様だったのだろうか。

 ともあれ。

「……ふたりの王女様捜索に、伝説の武器カルテナ……やることだらけだなぁ」

「それだけじゃないわよ。学級委員のお仕事と、あと、中間テストも迫ってるんだからね?」

「…………」

「それから、明日は新入生歓迎会だから、放課後は準備よ?」

 女子中学生は、忙しい。


…………………………

 放課後、ブレイとフレンをカバンに入れて、ゆうきとめぐみは体育館に向かった。

「――そこはそうじゃないでしょ! もっとこう、感情的に!!」

「いや、これくらい淡々としていた方がいい。その方が、後の展開での感情が映える」

 体育館に入った途端に大音声が耳に入る。喧嘩をしているようにも聞こえるそのふたりの声は、ゆうきにとって聞き慣れたものだった。

「ユキナ? 有紗?」

 体育館の奥、舞台の上で大声で話し合う友達ふたりの姿があった。ふたりともジャージ姿で、どうやら部活動の真っ最中らしい。

「お、王野さん。どうしよう。止めた方がいいのかしら……」

「えっ?」

 緊張をはらんだ声。傍らのめぐみがおろおろと所在なげに舞台を見つめている。その視線の先には、大声で言い合うユキナと有紗の姿がある。

「でもさ! それじゃなんか違和感ない!? ここのシーン!」

「いやいや! ここは「感情を表に出したいんだけど抑えなくちゃいけない……」そういう複雑な気持ちを表すべきだよ!」

 声はますます大きくなる。それはたしかに、端から見ればまるっきり、言い争いだ。

「……大丈夫だよ。あんなの、ふたりにとっては日常茶飯事だもん」

「え……?」

「見てれば分かるよ」

 不思議そうな顔をするめぐみから目を離し、舞台に目を向ける。

「むむむ……」

「うーむ……」

 ユキナと有紗は向かい合ったまま悩むように顔をひそめている。しかしやがて、双方同時にぽんと手を叩き、明るい表情で口を開いた。

「そうだ! じゃあ、このシーンは、もう少しBGMを工夫して、内面の感情を表現しようよ!」

「いいね! それから、照明にも協力してもらって、光も効果的に使おう。ライトの色を一工夫してもらったら、もっとよくなる!」

「よーし、決定!」

「そうと決まれば、早速みんなにフィードバックしよう! おーい、みんなー!」

 ものの数十秒ほどの出来事である。


「な……なに、あれ?」

 呆気に取られたような声で、めぐみが問う。

「最初は喧嘩してるように見えた? でも、あんなのユキナと有紗の間じゃ喧嘩って言わないよ。あのふたりは、どこまでも演劇に真剣なんだ。だから、時々あんな風にぶつかり合うけど、お互いが真剣だって分かってるから、ぶつけ合った言葉をお互いに考えあって、ああやって結論を出すの。すごいよね」

「お互いの考えをぶつけ合って、結論を出す……うん。すごいわ」

 めぐみは心の底から感心しているようだった。ミーティングを始めた演劇部、そしてその中心に立つユキナと有紗を熱心に見つめている。

「私たちも、いつか、あんな風に……」

「えっ? 何か言った?」

 めぐみの口から小さく洩れた声を聞き逃してしまった。聞き返すと、めぐみはなぜか慌てた顔で首を振った。

「う、ううん。なんでもないわ」

「え? でも……」

「あ、ほら! あっちの隅に学級委員が集まってるわ! 新入生歓迎会の準備を始めるみたい! 行きましょう!」

「わっ、わあ! いきなり引っ張らないでよぉ!」

 めぐみに引きずられながら、ゆうきは心の中でそっと思った。

 いつか、自分とめぐみも、あんな風になれたらいいな、と。


…………………………

「これはいったいなんの準備をしているグリ?」

 シートを敷き、パイプイスを運び、並べ、それなりにハードな準備作業をしていたゆうきとめぐみは、その言葉が耳に入って思わず飛び上がりそうなほど驚いた。

「ブレイ!?」

「グリ?」

 不思議そうに目を丸くしないでほしい。勇気の王子ことブレイが、シートの敷かれた体育館の床に、ずんぐりむっくりと立っていたのだ。そのすぐとなりにはフレンがいて、学級委員たちが働く姿を物珍しそうに眺めていた。

「ふたりとも! みんないるんだから、出てきたらダメじゃない!」

「ずっとバッグの中にいたら苦しいニコ! それに……」

 小声でブレイとフレンをしかるが、当の二人はそ知らぬ顔だ。

「……誰もブレイたちのことなんか見てないグリ」

「えっ?」

「みんな一生懸命に準備してるニコ」

 見回してみればその通りだ、作業の手を止めてブレイたちと話しているゆうきたちの方が目立っていそうなくらいだ。みんな協力し合い、あと少しで完成しそうな新入生歓迎会会場の準備に真剣に取り組んでいる。

「みんなどうしてこんなに真剣に作業をしているニコ?」

「そんなの決まってるわ。私たちだって、去年、先輩方がこうして準備してくれた会場で歓迎会をしてもらったんだから」

「わたしたちが次の新入生のために会場準備をしてあげるなんて、当たり前のことだよ」

 それは、少なくとも当たり前の想い。してもらったことを、してもらったように、次の新入生に返してあげるというだけのことだ。けれどそれを自分たちで口にし、自覚した途端、どこか気恥ずかしくも誇らしく思えてきた。こんな素敵な伝統を引き継いでいるダイアナ学園のことが、準備をしている学級委員の仲間たちのことが、そして、自分たち自身のことが、である。

「それに、ゆうきたちのことだけじゃないグリ。あの舞台の上の人たちも、すごくがんばってるグリ!」

「舞台の上って……」

 ブレイの見つめる先に目をやると、そこには演劇に打ち込むユキナら演劇部の姿がある。下で準備をしている学級委員のことを気にする様子も見せず、おそらく通し稽古だろう、遠く離れた場所にも声高々と台詞が響かせている。

 新入生歓迎会のほんの一コマ。ほんの二十分ほどの時間の演劇のために一生懸命がんばっているユキナたちの姿に、しばし見ほれてしまう。

「……あの人たちは、私たちとは少し違うわ」

「違うニコ?」

 めぐみの言葉に、フレンが首をかしげる。

「ええ。もちろん、演劇部のみんなは、新入生に楽しんでもらおうとも思っているわ。でも、それ以上に、自分たちが好きでやっている演劇をがんばりたいっていう気持ちから、あんなに熱心にやっているのだと思うわ」

「……うん。きっとそうだよ。ユキナも有紗も、演劇が大好きだから。もちろん、他の演劇部の人たちも」

 と、いつまでも呆けているわけにはいかない。ふたりボーッとしている間にも、三年生や他のクラスの学級委員はどんどん準備を進めているのだ。

「……ま、いいや。みんなの邪魔にならないようにね。それからもし見つかったら、ただのぬいぐるみのフリをするんだよ」

「ニコ!? この高貴な優しさの王女にぬいぐるみのフリをしろってこと言ってるニコ!? 失礼ニコ!」

「あら、ならバッグの中でじっとしてる?」

「ニコぉ……」

 押し黙ってしまったフレンに見送られながら、ゆうきとめぐみは学級委員の仕事に戻っていった。


…………………………

「……ここか」

 彼、闇の戦士ダッシューは知っていた。

「私立ダイアナ学園女子中等部……まだ、いてくれるといいけど」

 ロイヤリティの伝説の戦士プリキュア。欲望の戦士である己とは対極に位置する、光と誇りの戦士。

「本当は、情熱の王女を見つけてからの方が効率的なのだろうけど、まぁいいか」

 ふたりの戦士が、この学園の生徒であることを。

「アンリミテッドが飲み込んだロイヤリティの残りカス。なんの力も持たない腐った王族の生き残り。そんなもの、どうせ恐るるに足ものじゃない。なら、僕は、僕のこの “欲望” を優先する」

 即ち、“伝説の戦士とやらをこの目で見てみたい” という好奇心に近い欲望である。

「ゴーダーツを三度も退けた伝説の戦士……その力、しっかりと見せてもらおうじゃないか、プリキュア」

 端正な顔立ちに酷薄な笑みを浮かべ、彼はダイアナ学園へと足を踏み入れた。


…………………………

「ゆうきっ、お疲れ様っ」

「わっ」

 あらかた作業も終わり、残りの準備は明日の朝という運びとなった。学級委員は皆晴れやかな顔をして解散し、ゆうきとめぐみもまた気持ちよく家路につこうとしていた。

 そんなときに、急に背後から飛びつかれれば驚きもする。

「ユキナ?」

「うんっ。見てたよー、ゆうきと大埜さん、途中でちょっと作業サボってたでしょ?」

「さ、サボってなんかないよ」

 言い返してから気づく。そういえば、ブレイとフレンと話していたときは、周りからはサボっているように見えたかもしれない。

「あー……」

「ちょっとちょっと! 冗談だよ、冗談。そんな気にしないでよ」

「ゆうきはマジメだから、冗談でも気に病んでしまうんだ。あんまり変なことを言うんじゃない」

「あいたっ」

 慌てるユキナの頭を軽くはたく手。背が高いクラスメイト、ユキナとセットの有紗だ。

「有紗ひっどーい」

「ひどくない」

 ふたりのかけあいはもはや定番と言ってもいいかもしれない。ユキナがバカをやって、有紗がたしなめるのだ。

「ふたりとも、練習は?」

「今は休憩中なんだ。あと一回通し稽古をして、それでおしまいだよ」

「そっか」

 先の、演劇部の練習の様子を思い出す。誰も彼も、自分たちのやっていることに誇りを持っていて、キラキラと輝いていた。きっと、明日はもっと輝くのだろう。ゆうきは、そんなユキナと有紗を、去年一年間、ずっと間近で見てきたのだ。

「……明日の本番、がんばってね」

「うん。ありがと、ゆうき」


 そんなふたりだからこそ、がんばってほしい。そんなふたりだからこそ、報われてほしい。

 きっとこんな勝手なことを考えずとも、ふたりは自分たちでがんばって、自分たちで報われていくのだろうけれど。

「明日、見に来てくれるとうれしい。もちろん、大埜さんも」

「えっ……」

 ゆうきより一歩下がった位置で話を聞いていただけのめぐみに、有紗が声をかける。急なことで驚いた様子のめぐみにかまわず、有紗は続けた。

「もちろん、予定があったりしたら来られないとは思うけど……」

「あっ……その、行くわ。私も、行く。楽しみに、してるから……」

「そっか。ありがとう、大埜さん」

「あ、そろそろ休憩終わりだよ、有紗」

「ああ、本当だ。じゃあ、また明日。ゆうき。大埜さん」

「ふたりとも、明日の演劇部の舞台、楽しみにしててねえっ」

 体育館を舞台に向けて駆けていくゆうきと有紗。笑顔が弾け、輝いている。

「……まるで、ホーピッシュそのものみたいグリ」

「えっ?」

 いつの間にか、ブレイとフレンが足下にやってきていた。ブレイは大きな瞳でユキナと有紗を見つめながら、小さな声でつぶやいた。

「あのふたりグリ。あれが、希望の世界ホーピッシュの希望の力グリ……」

「あのふたりが? ははっ、それ、面白い冗談だね」

「冗談じゃないニコ。ゆうき、あんたにはあの希望の力が足りてないニコっ」

「えっ……怒られてるの、わたし……」

「希望の力……」

 少しだけへこむゆうきと、感慨深げにユキナと有紗を見つめるめぐみ。

「……なんとなく、わかる気がするかも。あそこまで熱心になれる何かを、私は持っていないもの」

「大埜さんまで……」

 ゆうきにはよくわからない。よくわからないけれど、ユキナと有紗を見ていてすごいとは思う。すごいと思うし、応援してあげたいと思う。

「それが、希望の力……」



「――いいや、違う。すばらしい欲望の力だ」


 世界が暗闇に落ちる。体育館の照明は落ち、すべてが薄暗く染まる。しかし響いたのは、朗々としたとても明るい声だ。

「誰!?」

「アンリミテッド……!」

 周囲を見回す。体育館で作業をしていた生徒も、教員も、もちろんユキナや有紗も消えている。

 ゆうきたち以外が消えたその場に、しかし彼だけははっきりとその存在を示していた。

「まったく、すばらしい。あれこそが正しい欲望のあり方だ」

「あなた、誰!? アンリミテッドの仲間!?」

 体育館の真ん中に彼は立ち尽くしていた。透き通るような白い肌。ゴーダーツよりは低いが男性としては十分すぎる上背。デザイアのそれと大して変わらない細腕。ゴーダーツが戦士、デザイアが紳士とすれば、彼は若い小姓といった風情だ。

「初めまして、お嬢さん方。僕の名はダッシュー。ゴーダーツと同じく、アンリミテッドの闇の欲望の戦士だ。以後、お見知りおきを」

 どこまでもへりくだった様子で、彼は軽薄な笑みを浮かべて恭しく頭を垂れた。その姿に、ゴーダーツのように、相手を上から馬鹿にした傲慢な態度はない。しかしながら、そもそも真剣に相手と向き合っていない、相手をなんとも思っていない、小馬鹿にするよう態度がにじみ出ていた。

 それはゴーダーツよりよっぽど身近に感じられる敵で、だからこそゆうきにはそれが恐怖に感じられた。

 ゴーダーツのように、敵らしい敵だけでなく、こんなにも当たり前の人間までもが、アンリミテッドの欲望の戦士なのだ。こんなどこにでもいそうな、少しひねくれているだけのような人間が、ブレイたちの世界を飲み込み、滅ぼしたのだと実感してしまうから。

 そんな当たり前の人間までもが、欲望のために誰かを不幸にしてしまうのだと、否応なしに理解させられるから。

「……こちらこそ、初めまして、ダッシューさん」

 けれど、だからといって、その程度で引き下がるゆうきではない。

 こちとら伊達に、十余年も王野ゆうきをやっているわけではないのだ。

「わたしは王野ゆうき。ううん、あなたたち的には、こう名乗った方がいいのかな? ロイヤリティの伝説の戦士、勇気のプリキュア・キュアグリフ。よろしくね」

「……私は、大埜めぐみ。優しさのプリキュア・キュアユニコよ」

 めぐみがゆうきに付き合って、名乗ってくれるだけで、嬉しい。めぐみはできる限り、ゆうきのわがままに合わせてくれているのだ。

「ねえ、ダッシュー、あなたもエスカッシャンを持っているの?」

「うん、もちろん」

 言うや、ダッシューは懐からいびつな五角形をした小さな板を取り出した。それはキラキラと輝く、とても美しい赤の盾だった。

「あれが……」

「エスカッシャン……」


「ああ。紅蓮に燃え立つ赤のエスカッシャン。情熱の国のエスカッシャンだ」

「グリ!?」

 ブレイが驚きに身を震わせる。

「まさか……おまえはもうパーシーを捕まえてしまったグリ!?」

「いやいや。生憎とぼくは、最近アンリミテッド本部に戻ってきたばかりでね。このホーピッシュに来るのは今回が初めてなんだよ。だから、まだ情熱の王女捕獲はおろか、捜索すら満足にできていない状況でね。

「な、なら何で……フレンたちのところへ来たニコ?」

「おや? まるで情熱の王女を囮にして、自分たちは助かろうというような言葉ですね。優しさの王女?」

「ニコ!? そ、そんなこと言ってないニコ!」

「どうだかね」

 くすくすと、秀麗な顔をそのままに、上品に笑う。その姿は、意地悪くこそあれ、やはり敵とは思えなかった。

「ふざけないで! フレンはそんな卑怯なことを考えるような子じゃないわ!」

「めぐみ……」

「……あんた、最低ね。そういうの、意地が悪いっていうのよ」

「はは、うん、知ってるよ。よく言われるからね」

 その意地悪さは、飄々とした様子は、どこまでも自然だった。だからこそ、恐ろしい。そんな存在が、世界をひとつ、国を四つ、滅ぼしてしまえるというその事実が。

「っ……」

「おや? そっちの君は怖いのかな、僕が?」

「…………」

 身体が震える。目の前のどこにでもいそうな男が、ただ己の欲望を満たすためだけに世界を滅ぼす一助となったこと。その事実が、ゆうきの心を苛み、苦しめる。心が寒くなる。足が震え、手が震え、歯の根さえかみ合わなくなる。

 けれど、手の震えは、止まる。

「あっ……」

「……ひとりで考え込まないの。あなたの悪い癖よ」

 握られた手から、熱が伝わるから。温かい手を持つ仲間が、傍らで自分を支えてくれているから。

「がんばって」

「……うん!」


 大丈夫。前を向ける。戦う前の、自分だけの戦い。王野ゆうきとしての譲れない一線を、守らなければ。

「ダッシュー」

「なにかな?」

 薄ら寒い笑みも、もう怖くない。まだやり直せると、ゆうきは信じているから。

「……そのエスカッシャンを、返して」

「…………」

「返して。それは、ロイヤリティのものだよ」

 ダッシューは笑みを浮かべたまま、品定めをするかのようにゆうきを眺めた。視線を不快に思いながらも、ゆうきは一秒たりともダッシューから視線を逸らすような愚行は犯さなかった。

「……はは」 やがて、ダッシューは小さく声を出して笑った。「なるほどね。これは厄介だ。デザイア様がわざわざ僕に警戒を促す理由も分かるというものだ。君のような人間と、僕らアンリミテッドは、絶対に相容れない」

「な……なんですって?」

「分からなくていいさ。僕も、わざわざ説明をする気はない。答えを返そう。僕はこれを君に返す義務を負わない。だから、返さない」

 ダッシューの軽薄な口調が、そのときばかりは何かを胸に秘めるかのように、強い口調へと変わっていた。

「どうして? それは、ロイヤリティのものでしょ? それを無理矢理奪ったあなたに、そんなことが言えるはずない!」

「そうだね。けれど、これはロイヤリティのものであり、情熱の国のものであり、情熱の王女のものだ。君たちに渡してしまっては、情熱の王女に申し訳がないじゃないか」

「ニコ!! そんなこと少しも思っていないくせに、よくもヌケヌケとそんなことが言えるニコ!!」

「おっと、これは怖いな。けれど、言わせてもらえるなら、優しさの王女? 僕はあなたのような人間が一番信用ならないと思いますが?」

「ニコ!?」

 ダッシューの笑みを含んだ視線が、フレンを向く。

「……ねえ、優しさの王女? あなたは情熱のエスカッシャンを手に入れたら、それを自分のものにしてしまうのではありませんか?」

「に、ニコ!? そんなことしないニコ!!」

「ちょっと待ちなさい! あなた一体何を言っているの!?」

 ダッシューの言葉に、めぐみが大声を上げた。大切な友達が小馬鹿にされっぱなしなのだ。それをずっと耐えていられるほど、めぐみは “優しくなく” ない。

「フレンは仲間のエスカッシャンを自分のものにしたりしないわ! フレンとブレイは、ロイヤリティの王族すべてが手を取り合う未来を望んでいるのよ!」

「……へぇ。どうだかね。残念ながら、僕は王族のそんな言葉を鵜呑みにしていとは、とても思えないけど」


「いい加減にするグリ! お前は……お前たちアンリミテッドは、いったい何がしたいグリ!」

 そしてやはり、ブレイもまた、友達や自分の誇りを傷つけられて黙っていられるほど、“勇敢でなく” ない。

「それが自分たちの欲望だと言って、エスカッシャンを奪い、ロイヤリティを飲み込んだグリ! そんなお前たちに、信用なんてことを言われたくはないグリ!」

「そうか。うん、そうだね。その通りだ。なら、始めようか? ロイヤリティの王子様、王女様……そして、伝説の戦士プリキュア」

「……!」

 ダッシューの言葉に、ゆうきとめぐみは身構えた。

 もう、戦うしかないのだろうか。やはり、ゴーダーツのときと同じように、目の前の男とも戦わなくてはならないのだろうか。


 ―――― 『でも、ゆうきも戦うでしょ?』


「…………」

 そう。そうだ。自分は、何のために戦うのだ。思い出せ。大切な幼なじみが教えてくれた、自分の戦う理由。ブレイのため、フレンのため、ロイヤリティのため、このホーピッシュのため、そして――、

「……やろう、大埜さん。わたしたちが止めなくちゃ。こんな馬鹿なことをしてる、あの人たちを。わたしたちが、叱り飛ばしてでも止めてあげなくちゃ」

「ええ」

 ゆうきは臆病だ。戦うことが、未だに怖い。もしもめぐみが隣にいなかったらなんて考えたら、震えが止まらない。

 けれど、それでも、たとえなんであったとしても。

「……わたしは、あなたたちを止めるために、改心させるために、戦う」

「……へぇ」

 ダッシューが、いやらしく笑う。

「ほんと、嫌な子だ」

「嫌な子でいいよ! ブレイ!」


「グリ! ゆうき、めぐみ、プリキュアの紋章を受け取るグリ!」

 薄紅色と空色の光が、ふたりの妖精から飛び出した。それは、レーザーのようにまっすぐゆうきとめぐみの手の中へとおさまり、その形を成す。

 すなわち、勇気の象徴たる薄紅色の勇気の紋章、そして、優しさの象徴たる空色の優しさの紋章である。

 その紋章に描かれるは、神獣。



 勇気を司る雄々しき翼獅子、グリフィン。

 優しさを司る安らぎの白馬、ユニコーン。



 そして、差し出した手に輝くロイヤルブレスへと、紋章を滑らせるように挿入する。まるで何百回も繰り返した動作のように自然に、紋章がロイヤルブレスに収まる。

 ふたりは叫ぶ。色を失い、闇に落ちた世界の中でこそ、声高に。


「「プリキュア・エンブレムロード!」」


 眩いばかりの光が生まれる。

「……嫌な光だ。これは、ロイヤリティの王族の光……誇り高き、光……」

 薄紅色と空色の光の外で、ダッシューのつぶやく声がどこか遠くに聞こえた。それぞれの光が混ざり合い、反発し合い、螺旋を描き、そして段々とふたりの身体を取り巻いていく。光が形を成し、リボンとなり、ブーツとなり、スカートとなり、ふたりの姿を変えていく。

 そして、宙より舞い降りたふたりは、すでにゆうきとめぐみではなかった。


「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」


「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」


 ロイヤリティはアンリミテッドに飲み込まれ、消滅した。しかし、希望はまだついえてはいない。

 世界そのものの色を塗り替えるかのごとく眩い、ふたりの戦士の存在が、ある限りは。

 そう、その名は――、


「「ファーストプリキュア!」」


「……ふん。伝説の戦士プリキュアか。ロイヤリティも厄介な置きみやげを残してくれたものだよ」

「あなたたちは、わたしたちが叱りつけて、改心させてやるんだから!!」

「いいだろう。いでよ! ウバイトール!」

 ダッシューが掲げる手に呼応するように、真っ暗な闇に染まる体育館の天井。そこから、色を失った世界より一層暗い “何か” が染み出し、床に落ちる。まるでヘドロのようなそれは、体育館の前方、舞台の暗幕にまとわりつき、浸食していく。世界が色を失ったように、黒い暗幕もまた、その黒さを失い、闇に落ちていく。


『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 そして、闇の欲望の化身が誕生する。ひらひらと不気味に翻る暗幕そのものが本体。手も足もなく、幽霊のようにゆらゆらと浮き上がり、揺らめいている。しかし、悪辣なる瞳だけは爛々と輝き、ふたりの伝説の戦士を上から見下ろしている。


「さあ、見せてくれ。ロイヤリティの伝説の戦士、プリキュアとやらの力を」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 カーテンが翻るように、ウバイトールがその波打つ身体でふたりに迫る。しかし今さら、そんなものに動揺するふたりではない。

「ユニコ!」

「ええ!」

 薄紅色と純白の戦士が駆け抜け、飛ぶ。ウバイトールに向かい自ら突撃し、その身体にふたり同時の蹴りを放つ。

 しかし、

「えっ……!?」

 明らかな違和感。ふたりの跳び蹴りはまるでただ空を切るように、呆気なくかわされた。否、しっかりと当たったはずだった。

 まるで、自分たちがウバイトールをすり抜けたようだった。着地し、振り返る。ウバイトールは変わらず身体をはためかせながら、悠然とふたりに迫ってくる。

「グリフ! あのウバイトールは元が暗幕だから、攻撃が通用しないみたいだわ!」

「だったら……!」

 薄紅色の光が爆ぜた。

「へぇ……」

 ウバイトールの後ろで悠然と戦いを眺めているダッシューが、かすかに唇を歪ませた。

「あれが、勇気のプリキュアの力ってわけか」

「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 それは、“立ち向かう勇気の光” 。勇気の王族に仕える戦士、キュアグリフにこそふさわしい勇猛なる力。薄紅色の光をまとい、駆け抜けるその姿はさながら翼を羽ばたかせる獅子がごとく、グリフはウバイトールに取り付き、その身体の端をつかみ取る。


 薄紅色の光が力を与えてくれている。できる。やれる。力も何もない自分だけれど、いまだけは、そう、きっと。

「はぁああああああああああ!!」

『ウバッ……!?』

 気合いの雄叫び。ウバイトールの巨体を引き寄せ、その場で力任せに回す。巨体は強大な遠心力を生みだし、その力は轟音となって体育館に響き渡る。そしてグリフはその勢いのまま、ウバイトールを放り投げた。

『ウバァアアアア……!!』

 振り回された挙げ句に放り投げられたウバイトールはたまったものではなかっただろう。ものすごい速度で吹き飛び、体育館の壁に轟音を立てて激突する。

「やった!!」

「!? まだグリ! ふたりとも気をつけるグリ!」


『ウバ……ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「なっ……!」

 ウバイトールが、何事もなかったかのように宙に浮かび上がる。

「そんな……全然ダメージを与えられてないなんて!」

「あのウバイトールには、どんなに衝撃を与えても無駄なんだわ……」

「……なら、やるしかないね、ユニコ」

「ええ」

 ふたりで頷き合い、手を繋ぐ。お互いの気持ちまで共有し合うように、心と心が通じ合うように、ギュッとギュッと強く手を握る。



「――おっと。少し待ってくれないかな?」



 背後からの声に振り返ったときには、何かを構えたダッシューがすぐ近くまで迫っていた。グリフとユニコは声を掛け合う暇もなく、お互いがお互いを突き飛ばし合った。

「っ……」

 ほんの一瞬前までふたりの身体があった場所を、ダッシューの持つ何かが薙いだ。

 グリフは体勢を立て直しながら、ダッシューに向かい叫ぶ。

「卑怯よ!」

「戦いに卑怯も何もないさ。より強い者が弱い者に勝ち、己の欲望を満たしていくというだけのことさ」

 そして、グリフは見た。ダッシューの手に握られた “何か” の存在を。

「の、のこぎり……!?」

「うん。剪定用ののこぎりだね。惜しかったなぁ。あと少しでザクッと一撃で、君たちを倒せたのに」

 ダッシューは何でもないことのように、先ほどまでと変わらない笑顔で言う。


 心の奥底からゾッとした。妖しくきらめくのこぎりの凶刃にではない。なんでもないような笑顔で、人に刃物を振るうことができるダッシューの存在に、だ。

「あなた……あなた、何を考えてるの!?」

「何を考えてるかって? 決まってるさ」 ダッシューはのこぎりを肩に担ぎ、言った。「自分の欲望を満たすこと。ただそれだけを考えている。それがアンリミテッドの戦士である僕の役目でもあるからね」

 あくまで笑顔で。あくまで当たり前のように。ダッシューは何でもないことのように言ってのけた。

「……ねえ、あなたは他の人のこととか、考えられないの?」

「他の人? 関係ないじゃないか。一番大事なことは、自分のことだろう?」

「…………」

 怖い。たまらなく怖い。当たり前のように、当然のことのように、自分のためならば誰をどう傷つけても構わないと思っている人間が、目の前にいる。その事実が、たまらなく怖い。

「――グリフ!」

「……!」

 頭の芯まで響くような声。それは、相棒であるユニコの声だ。

「忘れないで! あなたは、そんな相手を叱りつけるって決めたんでしょう!」

 そうだ。瞬間的にグリフの脳裏に浮かぶ、自分自身の決意。

 アンリミテッドを倒すわけではない。アンリミテッドを改心させるために戦うという、決意を。

「……そうだ。わたしは、だから、戦うって決めたんだ」

 怖さなんてどこかへ吹き飛んでしまったようだった。グリフはユニコと目を合わせ、微笑み合う。

「……はは。お互いを想い合う戦士たち、か。これがロイヤリティの伝説ということか。けど、邪魔だ」

 ダッシューは笑顔のまま、指をぱちっと鳴らした。その瞬間、壁際で揺らめいていたウバイトールが猛スピードでユニコの方へ突撃を始めた。

「っ……!」

「ユニコ!」

「こっちは私に任せて! グリフは、その男を!」

 ユニコとウバイトールが交錯する。グリフはユニコを信じ、ダッシューへと目を向けた。

「さて、行くよ? キュアグリフ」

 ダッシューが言葉と同時にのこぎりを振り上げ、迫る。グリフはのこぎりを警戒しながら、それを迎え撃つ。


「目に生気が戻ってるね。怖かったんじゃないのかな?」

「……怖いよ。とっても怖いよ」

 上から振り下ろされたのこぎりを避け、その勢いのままダッシューに回し蹴りを放つ。

「だって、あなたは、誰かを傷つけても構わないって思ってる。そんな考え方、とっても怖いよ。嫌だよ」

「……面白いことを言うね」

 ダッシューは身軽な動作で後方へと飛び退り、次の瞬間には床を蹴って飛び込むようにのこぎりを突き出した。

「っ……!」

 きらめく刃がグリフの首のすぐ近くを通る。

「誰だってそうだと思うけどね。結局、人は自分の欲望でしか生きられない」

「……だからって、それは人を傷つけていい理由にはならない!」

 勇敢なんかじゃない。勇気なんて、きっとない。けれど、グリフには通さなければならない意地があった。グリフは目の前の刃の腹を、下から思い切り拳で打った。

「なに!?」

 ダッシューの笑顔が、初めて歪んだ。グリフの拳に打たれたのこぎりはダッシューの手を離れ、床に乾いた音をたてて落ちた。

「……あなたは、間違ってる。だからわたしは、あなたを叱ってでも改心させてあげる」

「思ったよりやるね。なるほど、これはゴーダーツが手こずるわけだ。だが……」

 ダッシューが手を振るう。何もないその手に、次の瞬間には凶器が握られている。それは、巨大なはさみだ。

「……だが、僕はゴーダーツとは違う。過去をいつまでも引きずるなんて、愚かなことはしない」

 ダッシューは、笑顔を引っ込めたままだった。

「僕は、僕のために。僕の欲望を満たすただそれだけのために、過去の僕をも利用する。ただ、それだけのことだ」

「なに……? 何を言っているの?」

 思い詰めたような言葉。しかし直後に、ダッシューはまた軽薄な笑みを顔に貼り付けた。

「……僕は、君に何を伝える気もない。それは、僕の欲望ではないからだ」

 ダッシューが再びグリフに向け飛ぶ。剪定用の巨大なはさみの刃が、グリフの首を狙って間髪入れずに突き出される。


「っ……」

「君を倒し、勇気の紋章をいただく。そしてもちろん、優しさの紋章も。情熱の紋章もね」

「させない……。そんなこと、絶対にさせない!」

「言うだけなら簡単だね」

 じゃきん、と。無機質で無慈悲な音をたて、はさみが衣装の袖と髪を一房を切り取った。顔の間近をかすめたその凶刃に気を取られ、グリフは次のダッシューの行動を見通すことができなかった。

「……怖いのは刃物だけじゃないだろう?」

「!?」

 右足がうなりをあげ、グリフの腹部を正確無比に蹴り上げる。グリフはそのまま吹き飛ばされ、体育館の壁に激突し、ずるずると崩れ落ちた。

「っ……ぐ……」

「……弱い者は、自分の欲望を口にすることも許されてはいないんだよ。それが世界の決まりだからね」


「――違うグリ! そんなことはないグリ!」


 ダッシューの蔑むような言葉を、遮る大声があがった。ブレイが物陰から飛びだし、ダッシューに向かって大声をあげていた。

「ゆうきが口にしているのは、お前らなんかとは違うグリ! ゆうきは欲望なんかじゃなく、希望で戦っているグリ!」

「ブレ、イ……?」

「希望? ああ、そんなことをさっきも言っていたね。けれどそれは間違いだ」

 さっきとは、ユキナと有紗の背中を眺めていたときのことだろう。あのときも、ブレイはそのふたりを見て希望の話をしていたはずだ。

「ひとは希望なんかじゃ戦えない。ひとは希望なんかじゃ、やりたいこともやれないんだ」

「何を言っているグリ!!」

「……それをいちいち僕に言わせるのかい? 君たち王族は、本当に残酷だね」

 ダッシューの酷薄な笑みの中に浮かぶのは、たしかな憎悪。その表情に、キュアグリフは見覚えがあった。先日のデザイアが見せた憎しみの発露。あれとまったく同じ雰囲気がダッシューから放たれているのだ。

「グリ……っ」


「何かを成し遂げるために必要なのは、希望じゃない。欲望だ。さっきの舞台に立っていた彼女たちもそうさ。何かを成し遂げたいと思う強い欲望。そのためならいくらでも時間を使い、舞台を占拠し、練習をしていていいと思っているのだからね。人間なんてそんなものだよ。そしてそれが正しいんだ。欲望のおもむくままに自分勝手に行動し、己の欲望を満たす。それこそが人間の正しい有り様だ」

 ダッシューは笑ったまま続ける。

「そしてそれを僕らに教えてくれたのは、君たちロイヤリティの王族だろう? ねぇ? 勇気の王子、優しさの王女?」

「ニコ……あんたたちは、一体……一体、フレンたちに何の恨みがあるニコ!!」

「……だから、言わないよ。それは僕の欲望ではないからね」

 ダッシューがブレイとフレンに向け、はさみを構える。そして、そのはさみをふたりに向けて投げた。

「グリ!?」

「さようなら、ふたりの王族」

 その凶刃が真っ直ぐ、小さな王子と王女に向かい、そして、すべてが終わるはずだった。

「――なっ……!?」

 しかし、横合いから飛び込んだ影が、いとも容易くそのはさみを吹き飛ばす。

「……ふざけないでよ」

 それは、薄紅色の光をまとった小さな戦士。誰よりも勇敢で誰よりも強靱な、薄紅色のプリキュア。

「ふざけないでよ!!」

「っ……」

 その気迫に、ダッシューがたじろぐように一歩下がる。

「あなたに何が分かるの? ユキナと有紗は、誰にも迷惑なんてかけてない。決められた時間で、決められた場所で、決められた通り、誰にも迷惑をかけないように練習をしてるの。それは、自分たちの希望を叶えるため。たくさんの人の前で、素晴らしい演劇がしたいていう、自分たちの希望を叶えるためのことなんだよ!」

 グリフは引き下がらない。ぼろぼろになりながらも、立ち上がる。そして、大事な友達を守り、大切な友達のために言葉を紡ぐ。

「わたしは知ってる。ユキナと有紗がどれだけがんばってるか。どれだけ必死か。一年生の頃から、ずっと見てきたから。だから……」

 だからグリフは、大切な友達のために、怒る。


「それを、あなたたちの自分勝手な欲望と一緒にしないで!!」


「ぐっ……。な、なんだ、この気迫は……!」

 ダッシューはたじろぎがらも、腕を振るい虚空からのこぎりを取り出だす。


「君と言葉遊びをしている暇はないんだ」

 ダッシューが飛ぶ。身軽な彼の持つのこぎりが、グリフ、そしてその背後にいるブレイとフレンに迫る。

「ニコ……。グリフ!」

「大丈夫だよ。安心して。ユキナと有紗のことを自分勝手だなんて言って、ブレイとフレンに容赦なくはさみを投げつけるような人に、」

 言葉とともに、グリフのぼろぼろの身体から、薄紅色の光が立ち上った。しかし、それがただの “立ち向かう勇気の光” ではないことは明白だった。

「わたしは絶対に負けない!!」

 光が圧倒的な圧力をもって、グリフの身体を取り巻く。そして、質量すら感じさせるその光が、グリフの右手に集約したのだ。

「あの、光は……」

 ブレイには、その光に見覚えがあった。否、実際に見たことはないが、絵本代わりに両親に読み聞かせてもらったロイヤリティの伝説の中に、たしかにその光の記述があったのだ。



「勇気の光よ、ここに集え!」



 そう、その名は――、


「カルテナ・グリフィン!」


 光が形を成す。小さな小さな、しかし確かな力を宿す、翼をかたどった剣。

 王者の誇りと戦士の勇気、その結晶である、伝説の武器。

 伝説の戦士のみ持つことを許される、伝説の中の伝説。

「“カルテナ” グリ……!」


…………………………

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「っ……」

 ユニコは、ひらひらと宙を舞うウバイトールを相手に苦戦していた。ウバイトールは暗幕の身体のいたるところから、触手のように布を飛ばし、それをしならせてユニコを攻撃する。しかし、ユニコにはその攻撃を避ける力はあっても、ウバイトールにダメージを与えるすべはなかったのだ。

「どうしたら……」

 しかし、次の瞬間にはその悩みは吹き飛んでいた。

「えっ……?」

『ウバッ?』

 あまりにも激烈な光が、遠くから発せられていた。その光に吸い寄せられるように、ユニコはおろかウバイトールまでもがそちらに目を向けていた。きっと、その場にいた全員が、目を向けずにはいられなかったのだろう。

「あれは、何……? グリフ……?」


…………………………

 ギイン!! と、凄まじい金属音が鳴り響いた。

「っ……なんだ、これは……!」

 それは、ダッシューののこぎりとグリフのカルテナとか激突した音。

「……分からないけど、分かる。これは、わたしの新しい力だよ」

「っ……そんなもので何ができるんだい?」

「できてるじゃない。あなたののこぎりを受け止めてるよ?」

「ッ……」

 のこぎりとカルテナを挟み、欲望の戦士と伝説の戦士が向かい合う。しかしこのときばかりは、圧倒的にグリフに分があった。

「大切な友達をバカにして、大事な友達を傷つけようとしたあなたのことを、わたしは絶対に許さない!」

「ぐっ……!」

 グリフの手の中のカルテナが薄紅色に輝き、ダッシューをのこぎりもろとも吹き飛ばす。

「なんだ、この力は……これは、一体……」

「分からないだろうね。何もかもを、自分の欲望でしか見られない、いまのあなたには」

 グリフはしかし、そんな相手にも言葉を紡ぎ、諭す。

 それが、グリフの希望だからだ。

「……けれど、いつか分かってもらうよ。それが、わたしの希望だから」

 そして、グリフは床を蹴り、飛んだ。加速するグリフが身体に纏うように、薄紅色の “立ち向かう勇気の光” が追従する。

 その姿は、さながら空を駆ける翼持つ獅子。

 勇気の国のシンボル――神獣グリフィンそのものだ。

「あれが……グリフと、カルテナの力グリ……」

 薄紅色の光が翼の如く展開する。空を駆ける伝説の戦士は、カルテナを右に構え、そのままウバイトールへと突撃する。




「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」


 光がカルテナに集約される。

 そして、



「プリキュア・グリフィンスラッシュ!!」



 実体がないかのようにゆらゆらと宙を舞うウバイトールの横を、空を駆ける獅子のごときキュアグリフが駆け抜ける。

『ウバッ……?』

 一瞬にしてウバイトールと交錯したグリフは、そっとカルテナを振った。

『ウバッ……アアアアアアアアアアアアアア!!!』

 その瞬間、ウバイトールが真っ二つに両断され、霞のような黒々としたものが悶え、苦しみ、霧散した。



 一瞬の交錯のうちに、グリフがウバイトールを両断していた様を、視認できた者はいない。



「すごいわ! グリフ!」

 ユニコが駆け寄ってくる。

「ううん。わたしだけの力じゃないよ。ユニコが、ウバイトールを足止めしててくれたからだよ」

 お互いに手を取り合い、無事を喜び合う。それだけのことが、とても嬉しい。

「それがカルテナなのね。すごい力だわ……」

「うん。わたしもびっくりしちゃった」

 しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。敵はまだ目の前にいるのだ。

「ば……馬鹿な。こんな力を、プリキュアは持っているというのか……。デザイア様に報告しなければ」

 ダッシューが震える声で呟く。

「……次は覚えているといい。やられっぱなしで終わるものか」

「何度来たって、わたしたちは負けないよ」

 グリフはカルテナの切っ先をダッシューに向け言い放つ。

「それどころか、いつかあなたたちを改心させて見せるんだから!」

「……できるものならやってみろ」

 そう捨て台詞を残すと、ダッシューは霞のようにかき消えた。

 グリフとユニコの変身も解け、世界に光が、色が、そして音が戻る。

「あっ……ユキナと有紗、練習やってる。最後の通し稽古かな」

 ゆうきは舞台の上で通し稽古を続けるふたりを見つめ、心の中でそっと思った。

 ブレイとフレンが言っていた希望の力。その意味が、少しだけ分かった気がしたのだ。

「……輝いているわね、あのふたり」

「うん!」

 きっとふたりは明日、素晴らしい演劇を見せてくれることだろう。

 希望に満ちあふれた、素晴らしい演劇を。


    次    回    予    告

ゆうき 「うわああああああああああああ!! すごかったねえ、カルテナの力!」

めぐみ 「そうね。ウバイトールも一撃だったし」 ブスーッ

ゆうき 「ダッシューののこぎりも受け止めちゃったりして!」

めぐみ 「そうね。カッコ良かったわね」 ブスーッ

ゆうき 「……どうかしたの、大埜さん?」

めぐみ 「…………」

ゆうき 「あっ、ひょっとして出番が少なかったからむくれてるの?」

めぐみ 「! そういうことを気遣わずずばずば訊いちゃうあたりが天然よねあなたは!!」

ゆうき 「うわぁ! ご、ごめんなさーい!」

めぐみ (……それに、王野さんったら更科さんと栗原さんの相手も多かったし……)

ゆうき (だからそういう子どもっぽい可愛いところをもっと出していこうよ、大埜さん)

めぐみ 「…………」

ゆうき 「…………」

ハッ

めぐみ 「と、いうわけで、次回、ファーストプリキュア!」

ゆうき 「『生徒会選挙 めぐみが会長に立候補、ってマジ!?』」

めぐみ 「それじゃあ、次回もお楽しみに!」

ゆうき 「みんな、ばいばーい!」

>>1です。
第五話はここまでです。
読んでいただいている方、ありがとうございます。
また来週、日曜日に投下する予定です。
よろしくお願いします。


登場キャラの名前の由来とか気になるところ


ゆうき 「ゆうきと、」

めぐみ 「めぐみの、」

ゆうき&めぐみ 「「なぜなに☆ふぁーすと!」」

ゆうき 「早速だけど質問っぽいものが来て感激だよ!」

めぐみ 「興奮しすぎよゆうき。少し落ち着いて。それに厳密には質問ではないわ」

ゆうき 「そんな細かいことはいいんだよ!」

ゆうき 「と、いうことで、いってみましょう。>>175さんからの質問、」

ゆうき 「『キャラクターの名前の由来を教えてください』とのことです!」

めぐみ 「悪びれもせず質問を脚色してきたわね。まぁいいわ。質問に答えていくわよ」

めぐみ 「今日はわたしたちふたりの名前の由来からね」

めぐみ 「ずばり、そのままよ。“王様の勇気”と“王様の恵”から、王野ゆうきと大埜めぐみね」

ゆうき 「うわー、単純だー」

めぐみ 「子ども向けアニメって設定だからそれでいいの!」

めぐみ 「それから、プリキュアの名前は空想上の生き物から取っているわ。グリフィンとユニコーンね」

ゆうき 「妖精たちの名前は?」

めぐみ 「それはまた今度ね。そろそろ本編が始まるわ」

ゆうき 「それじゃあ、>>175さん、分かってくれたかなー? みんなも質問どんどん送ってね!」

めぐみ 「それでは、本編、スタート!」



第六話【生徒会選挙 めぐみが会長に立候補、ってマジ!?】



『……ダメです。私は、あなたと一緒には行けません』

 彼女は、みすぼらしい身なりでも、精一杯生きていた。

『私には、あなたのようなひとは眩しすぎる。だからきっと、私があなたと一緒にいては、あなたに迷惑をかけてしまう』

 それでも、彼女は少なくとも、自分の身分をわきまえているつもりだった。

『だから、私は……――』

『――それでも!』

 しかし、彼にとっては、彼女の考えも何も、関係なかった。

『……それでも僕は、君と一緒にいたい。君と、添い遂げたいんだ!』

 彼だって、怖い。

『僕は、君を幸せにできるか分からない。僕のような人間に、君と一緒にいる資格があるのか、君と一緒にいていいのか、とっても不安だよ』

 けれど、彼は。

『……でも、僕は、君を幸せにするために精一杯がんばる。君と一緒にいるために一生懸命がんばる。だから……』

 彼は、何かを理由にして逃げるなんてことを、したくはなかった。

『……僕と一緒に来てくれ! 僕には、君が必要なんだ!』

『…………』

 彼女は、みすぼらしい格好で、涙を流し、けれど、太陽のように眩しい笑顔を見せた。

『……はい!』

 そっと抱き合うふたり。そして舞台は、幕を閉じた。


 大歓声の中、一度閉じた幕が上がる。一年生を初めとして、体育館の後ろの方で立ち見をしていた多くの二、三年生からも大きな拍手が巻き起こる。その拍手の向かう先、舞台の上では、“彼女” と “彼” を中心とした演劇部員たちが手を繋ぎ、観客に頭を下げている。

 新入生歓迎会当日。みんなで力を合わせて準備をした会場で、様々な部活が発表をしている真っ最中だった。今まさに、演劇部の演劇発表が終わったところだった。

『皆さん、ご観覧ありがとうございました!』

 やがて、マイクを持った “彼女” ことユキナが朗らかに礼を述べ、

『一年生の皆さん、もしもいまの演劇で、少しでも演劇部に興味を持ってくれたなら、ぜひ一度、演劇部に見学に来てください』

 ユキナからマイクを引き継いだ “彼” こと有紗が、静かに、ゆったりと部の宣伝をする。

「ふはぁ……」

 そんなふたりの様子を、演劇の最初から最後まで、そしていまの挨拶までもを見て、思わずため息が出てしまう。

「すごいなぁ、あのふたりは」

「……あれは、さすがに驚いたわ。本当にすごいのね、更科さんと栗原さん」

 現演劇部三年生は演技をする生徒よりも舞台裏を専門としている生徒の方が多いらしいのだが、それでもユキナと有紗は二年生の春から、すでに主役やヒロインに抜擢されているのだ。それは本当にとてつもないことなのではないかと思う。それに、事実、ゆうきとめぐみは心の底からふたりに魅せられてしまったのだ。演劇をしていたふたりは、もうすでにいつものふたりではなかった。まるでゆうきとめぐみがプリキュアに変身するかのごとく、ユキナと有紗は普段とはまったく別の誰かになりきっていたのだ。

「ニコ……」

 耳元で鼻をすする音。見れば、めぐみの肩にちょこんと乗っかっているフレンが、目にいっぱい涙を溜めていた。

「……良かったニコ。最後、ふたりが一緒に旅に出られて、よかったニコ……」

 意外と乙女な王女だった。

「……あはは、そういえば、ブレイはどうだった?」

「グリィいいいいいいいいい!!!」

 聞くまでもなく、ゆうきの肩の上で号泣していた。

「……ま、この熱気と暗さなら誰も気づかないよね。みんな舞台にすっかり魅せられちゃってるし」

 目をやれば、演劇部の面々が舞台上で再び頭を下げているところだった。顔を上げたユキナと有紗の顔にはやりきったような満足感がうかがえて、ゆうきまで嬉しくなるような気持ちだった。

「……あ、いたいた。大埜さん」

「グリ!」 「ニコ!」

 突然の声に驚き固まるブレイとフレン。そんなふたりを慌てて鞄の中に押し込み、ゆうきとめぐみは後ろを振り返った。

「誉田先生?」

 背後には、優しい顔をしたクラス担任、誉田先生が立っていた。クラスメイト満場一致で美人と噂される誉田先生は、安心するようにホッと息をついた。

「ああ、ここにいてくれて良かったわ、大埜さん。少し話があるのだけど、いいかしら?」

「?」

 ふたりして顔を見合わせ、首をかしげる。

 誉田先生の話とは、一体なんだろう?


…………………………

 そこは、闇と欲望が渦巻く、黒い場所。

「…………」

 目を閉じ、神経を研ぎ澄ます。胸の内に秘める欲望を、己の意志ひとつで制御する。渦巻く憎しみの炎をも、己の力に変換する。

 己の目的を達成するために。

 己の欲望を満たすために。

 重い剣を横に滑らせ、そして――、



「――近寄るな。斬られたいのか?」



 己の言葉に、闇の中で何かが動く。光はあるが、すべてが黒いために何も照り返さない。そんな闇の中から、同僚である男が現れた。

「やあ、よく分かったね。足音はさせていないつもりだったんだけど」

 細面の顔に貼り付けられた、薄ら寒い笑顔。何もかもをあきらめたような顔をしているくせに、細い目の奥の瞳には、恐ろしいほど貪欲な欲望を抱いている。同胞とはいえ、油断のならない相手である。

「あまり私を舐めるな、ダッシュー」

「はは、そう嫌わないでくれよ。悲しいじゃないか、ゴーダーツ」

 ゴーダーツは剣を鞘へと納め、ダッシューへに向き直った。

「何の用だ?」

「いや、デザイア様が見当たらなくてね。それで君に聞きに来たんだ。知らないかい?」

「……なるほどな」

 ゴーダーツは首を振った。

「知らんな。そもそもあの方は、あまりご自分の行動を我々に知られたくないのではないか?」

「そうだねぇ。仮面といい、秘密主義だよね、デザイア様は」

 その言葉には、少なからず気に入らないという意志が見え隠れしていた。

「文句でもあるのか?」

「はは。君は忠誠心が強いねえ。そんな顔をしなくても、僕もまた君と同じ、デザイア様の忠実な下僕だよ」

 その言葉にはひとかけらの誠意も感じられなかった。このダッシューという男は、何につけても真剣になるということを知らないのだ。

「……ともあれ、デザイア様はどちらへ行かれたのかねぇ」

「知らん。言いたいことがそれだけなら、去れ。私は剣の稽古を続けなければならん」

「はいはい。マジメだねえ、ゴーダーツは」

 ダッシューはくるりと背を向けると、歩き出した。

「……さて、じゃあ、僕がもう一度プリキュアのところへ行っても、咎めるひとはいないっていうわけだ」

 そのつぶやきは、ゴーダーツに届いてはいなかった。


…………………………

「ええええええええええええ!?」

「……王野さん、うるさいわ」

「……って、何であなたまでついてきてるの、王野さん」

 私立ダイアナ学院女子中等部。体育館から場所を移した先の教室で、ゆうきは思わず大声を上げてしまった。

「いや、あはは……つい、気になって……じゃなくて!」

 ゆうきは誉田先生に釈明しつつも、驚きの心境を隠せない。

「大埜さん、そんな涼しげな顔してる場合じゃないよ!」

「……そんなに驚くことでもないでしょう」

 当のめぐみは涼しげな顔だ。それを認めた誉田先生が、嬉しそうに笑う。

「あら、それは良かった。じゃあ、生徒会長への立候補、引き受けてくれるっていうことでいいかしら?」

「それとこれとは、また話が別です」

 めぐみはにべもなく。

「……生徒会長に立候補なんて、私の性に合いません。他にもっと適任がいるはずです」

 そう、生徒会長。

 私立ダイアナ学院女子中等部では、五月の最初に次期生徒会の役員決めが行われるのだ。生徒会長を初めとしたほとんどの役職は選挙で決まり、原則的に立候補した者同士で票を争うこととなる。

「? でも、生徒会長って大埜さんにぴったりだと思うけどなぁ」

「あなたは黙ってて」

「うぅ……」

 本心からの言葉だったのだが、めぐみはあまり気に入らなかったようだ。めぐみは優等生だし、なんでもできるし、学級委員ではあるものの、部活には入っていない。もちろん暇ということはないだろうけれど、忙しいということはないのではないだろうか。

(あれ……?)

 そういえば、とふと思う。

(わたし……大埜さんのこと、あんまり知らないや)


…………………………

 とにかく、一度よく考えてみて、と。

 誉田先生は優しくそう言い残し、めぐみに一枚のプリントを渡すと、教室を後にした。ゆうきとめぐみも、体育館に戻ろうと教室を出た。

「そのプリントは何?」

 道すがら、めぐみにそれとなく話を振ってみる。

「生徒会長に立候補するときに必要な書類みたいね。必要事項を書いて提出するんでしょう」

 めぐみの言葉はどこか投げやりだ。

「まったく、何で私なんかにあんな話をしたのかしらね」

「何でって……たぶん、大埜さんが生徒会長にぴったりだからじゃないかな?」

「王野さん、その冗談は笑えないわ」

 冗談じゃないのに、と言ったところで信じてもらえるような雰囲気ではなかった。

「だいたい、生徒会長って言ったって、何をするのかもよく分からないし……」

「そんなの、なってから教えてもらえばいいんじゃない?」

「あなたねぇ……」 めぐみは呆れるように嘆息して。「生徒会長っていうのは、全生徒の規範になるべき人なのよ? そんな人が、回りの生徒に自分が何をしたらいいのか聞くなんて、情けないったらないわ」

「そうかなぁ?」

「え?」

 ゆうきは首をかしげ、続けた。

「わたしは、そうじゃないと思うな。分からないことは聞いて、それで分かるようになって、きちんと仕事ができるようになる。それって、そんなにおかしなことかな」

「…………」

 てっきり、めぐみのことだから、ぷいっとそっぽを向いて、「知らないわ」とでも言うと思っていた。けれどめぐみはうつむき、ゆうきの言葉に何かを考え込むような顔をして、やがて顔を上げた。

「そんな風に考えるなんて、思いつきもしなかったわ。あなた、すごいのね」

「えっ? いや、そんなことないけど……」

 そんな素直な賞賛が、少しだけ嬉しい。


「……生徒会長……でも、私にそんな大層な役職、できるかしら……」

「できるよ! 大埜さんならできる!」

「そうかしら……?」

 それでも、やっぱりめぐみはあまり乗り気ではなさそうだ。と、

「生徒会長って何ニコ?」

 めぐみの鞄から、ヒョコッとフレンが顔を出す。ロイヤリティの王女であるフレンは、もしかしたら学校には行っていなかったのかもしれない。

「生徒会長っていうのは、学校で一番偉いひとのことグリ」 今度はブレイが顔を出し、とんでもないことを宣った。「めぐみ! 生徒会長になって、ロイヤリティの王族のように、しっかりとこの学校を治めるグリ!」

「いや、違うから……」

 この王子様は一体何を言っているのだろう。呆れながらも、思わず笑みがこぼれてしまう。

「生徒会長って、べつに偉いとかそういうわけじゃないの。生徒の代表で、生徒の模範。生徒のために一生懸命働くひとのことだよ」

「グリ!? 生徒会長っていうのは、この学校の王様のことじゃないグリ!?」

「学校に王様なんていないよ」

 ブレイの的外れな言葉に思わず笑ってしまう。けれど、ふとめぐみを見てみるとまだ思案顔だ。

「……でも、仮に私が生徒会長向きだったとして、どうして誉田先生は私にわざわざ立候補するようにおっしゃったのかしら?」

「えっ?」

「だって、他に立候補する人がいれば、わざわざ私が立候補する必要なんてないじゃない」

「ああ……」

 言われてみればその通りだ。

「じゃあ、もしかして立候補した人がいなかったのかな……?」

「かもしれないわね」

 めぐみは顔を上げて、真剣な目をしてゆうきを見つめた。

「ねえ、王野さん。もし私が生徒会長に立候補したら……応援してくれる?」

「? うん。そんなの当たり前じゃない」

「……ありがと」

 何を当たり前のことを聞くのだろう。けれど、めぐみは少し顔を綻ばせて嬉しそうだ。


「じゃあ、立候補してみようかしら……生徒会長」

「!? ほんとに!?」

「……なんであなたが嬉しそうなのよ」

 恥ずかしそうに目をそらすめぐみに、けれどゆうきは笑顔を隠せない。

「そりゃあ嬉しいよ。だって、友達が生徒会長に立候補するなんて、すごいことだもん!」

「……要領を得ない言葉ね」

 めぐみのことを誰より知っている、なんてことはもちろんない。けれど、めぐみの優しさだったら、学校の誰よりも知っている自信はある。だからその言葉が、めぐみなりの照れ隠しであることも、ゆうきはもちろん知っている。

「言っておくけどね、他に誰も立候補するひとがいないと大変だろうから、仕方なく立候補するってだけなんだからね?」

「はいはい」

「……なんで笑ってるのかしら、王野さん?」

「笑ってないヨーやだナー」

「…………」

 ジーッと疑うようなめぐみの視線。けれど嬉しくて、笑みは引っ込まない。

「……まぁ、本当のことを言ったら、少しだけ興味があるのよね、生徒会長って」

「え?」

 めぐみが少し恥ずかしそうな顔をする。

「ほ、本当に少しだけよ? どうせ誉田先生に勧められたなら、やってもいいかなって思えるくらいの興味だけど……」

「でも、やってみたいと少しでも思ってたなら、立候補してみたらいいよ! それってきっと、大埜さんにとってすごく良いことだと思う!」

「……うん。私もそう思うわ。ありがとう、王野さ――」




「――それで、どうですか、誉田先生? 大埜めぐみは立候補してくれそうですか?」


 廊下の奥からそんな男性の声が聞こえた。目を向けてみれば、誉田先生と、隣のクラスの皆井先生が話し込んでいる。

「……私の名前?」

 めぐみが訝しげに言う。たしかに、皆井先生がめぐみの名前を出していた。本人は気になるだろう。ゆうきとめぐみは顔を見合わせ、少しの逡巡の後、こっそりと物陰に隠れた。盗み聞きはいけないことだが、気になったのだから少しくらい仕方ない。

「まだ分かりません。でも、大埜さんならきっと、やってくれると思いますよ」

「そうですか。そうだといいですなあ。さすがに、生徒会長が信任投票ではつまらないですからな。伝統あるダイアナ学園生徒会の選挙は、やはりしっかりとふたり以上の候補が争わなければ」

 誉田先生の言葉に、皆井先生が笑いながら答える。若い男の先生で、ゆうきの個人的な見解としては、結構イケてるクチだと思う。ニヒルな笑顔が似合う、まぁまぁのイケメンだ。

「あの騎馬はじめが立候補するということで、少しでも立候補の意欲を見せていた生徒たちが、皆辞退してしまいました。これは由々しきことです。このままでは、生徒会長選挙が、信任投票という形になってしまいますからな」

「信任投票……?」

「どうかしたの、大埜さん?」

 めぐみの呟きに問いかけると、神妙な顔で答えてくれた。

「信任投票っていうのは、たとえば生徒会長に立候補したひとが一人だけだった場合に、対立する候補がいないから、その候補を生徒会長にするかしないかを投票で決めるっていうことよ」

「えっ? じゃあ、それってもしかして……」

 つまり、それが意味することは――



「――当て馬くらいでもいい。あの騎馬はじめに少しでも釣り合うような生徒を対立候補に立てないといけませんから。その点、大埜めぐみは適任ですね」



「……!」

 ゆうきには、あまり難しいことは分からない。

 けれど、ひとつ分かったことがある。

 皆井先生の言葉が、少なからずめぐみを貶めていて、その言葉を聞いて、めぐみが傷ついたということだ。

「大埜さん……」

「……なるほど、ね」

 めぐみは、先までの照れ隠しの顔とは正反対の、口角をつり上げるような笑みだった。ゆうきにも分かる。自分を笑っているのだ。


「馬鹿みたい。勝手に勘違いして勝手にはしゃいじゃって。ほんと、馬鹿みたいね、私。ふふ……当て馬だってね」

「大埜さん!」

「……ごめんなさい、王野さん。私、ちょっと気分が悪くなっちゃった。帰るわね。学級委員の後片付け、出られないわ。先生に伝えておいてちょうだい」

「大埜さん。ちがうよ、きっと、何かの間違いだよ」

「……ありがとう。ごめんなさい」

 めぐみはゆうきに背を向け、足早に廊下を行ってしまった。ゆうきは不器用で、ドジで、だからその背中にかける言葉を持たなかった。声をかけたら、余計に傷つけてしまいそうで、自分がめぐみを傷つけてしまうことが怖くて、だからゆうきは口から出かけた言葉も、喉元まで来ていた言葉も、全部まとめて飲み込んだ。

 自分の臆病さを、呪いながら。そして、無神経な話をしていた先生ふたりに少しだけ怒りを覚えながら。



「皆井先生、訂正してください」



 けれど、ゆうきが一歩前に進む前に、そんなキリリと引き締まった声が響いた。

「誉田先生……?」

「私は、そんなつもりで大埜さんに立候補を勧めたつもりはありません。当て馬なんてそんな言い方、大埜さんに失礼です」

 普段から優しく、いつも先生とも生徒とも朗らかに話している姿しか見たことがない、そんな誉田先生が、目をつり上げていた。鈍いゆうきにだって分かる。誉田先生は、皆井先生に対して、少なからず怒っているのだ。

「あ、いや、これは失礼しました。たしかに、おっしゃるとおりです。訂正しましょう」

「……ええ」

 皆井先生も、決して嫌な先生というわけではないのだ。誉田先生の言葉にハッとし、その雰囲気にたじろぎながらもしっかりと訂正した。きっと、本人にも悪気はなかったのだろう。誉田先生もそれを分かっているから、すぐにいつもの笑顔になって、その言葉を受け入れたのだ。

「何にせよ、生徒会長の立候補が騎馬はじめだけの信任投票というのも問題ですからな。大埜めぐみには、ぜひ立候補してもらいたいものです」

「そうですね。でも、私はきっと、大埜さんなら引き受けてくれると信じています」

「楽しみです。それでは、よろしくお願いしますよ、誉田先生」

「はい」

 皆井先生がこちらに向かって歩いてくる。ゆうきは息を押し殺して、物陰で身体を縮こまらせた。幸いにして皆井先生はそのまま足早にゆうきの横を通って、行ってしまった。

「……ほっ」

「あら? そんなところでどうしたの、王野さん?」

「わひゃあっ!」

 すぐ横に、誉田先生が不思議そうな顔をして立っていた。


…………………………

「めぐみ! めぐみ!」

「…………」

 鞄の中から呼びかける声。昇降口で上履きをはきかえようとしていたところだった。周囲に人影はない。めぐみはそっと、鞄の中からフレンを抱え上げた。

「どうかした?」

「分かってるニコ? フレンが何を言いたいか」

「……分からないわ」

 フレンは大きな瞳でまっすぐに見つめてきた。それがあまりにもまぶしくて、めぐみは思わず目をそらしてしまう。

「うそニコ。でも、まあいいニコ。めぐみ、今すぐ戻って、先生たちとしっかり話をするニコ」

「…………」

 無理よ、と言うだけの勇気すらなかった。自分でも驚いてしまう。

 ああ、そうか。

 大埜めぐみという己は、こんなにも弱かったのか、と。

「……フレンは、めぐみの優しさを知っているニコ」

「……?」

「めぐみは優しくて、とても素敵な女の子ニコ。先生がめぐみに生徒会長に立候補してほしいって言ったのは、きっとそんなめぐみの素敵なところを知っているからニコ」

「…………」

「めぐみがしっかり者で優しい素敵な生徒だって知ってるから、生徒の規範になる生徒会長に立候補するべきだって、生徒会長になるべきだって、そう思ったから、先生はめぐみに立候補を勧めたニコ」

「そんなの――」

「絶対そうニコ」

 ――分からないわ、という言葉を続けることはできなかった。どこまでも純粋でひたむきなフレンの声が、その否定的な言葉をかき消してしまったからだ。

「絶対、そうニコ」

 フレンは優しい目をしてそう言い切った。

「……ここで逃げたら、きっと明日はもっと辛くなるわね」

 めぐみは、そんなフレンの言葉を聞いて、思わされてしまったのだ。

「それに、具合が悪いなんて嘘をついて、学級委員の仕事をズル休みするなんて、私がやることじゃないわ」

「ニコ! その通りニコ! それでこそフレンの友達で従者、めぐみニコ!」

「はいはい。でも、従者ってところは余計よ、フレン」

 さあ、行こう。

 きっと心配している、優しい友達のところへ。


…………………………

「あ、いや、その……」

 反射的に弁明の言葉を紡ごうとして、ゆうきはふと思う。少なくとも、自分には誉田先生に言わなければならないことがあるだろう。言って、伝えななければならないことがあるだろう。

「……誉田先生、話があります」

「? 何かしら?」

「……まず、盗み聞きをしていたことを謝ります。今の話、聞いていました。ごめんなさい」

 ゆうきはまっすぐ、誉田先生の目を見据えて。

「でも、さっきのこと、ひどいと思います」

「そう……。聞いてたのね、あなた」

 誉田先生は押し黙って、困ったような顔をした。ゆうきにだって分かっている。ひどいことを言ったのは皆井先生で、しかも皆井先生はしっかりとその言葉を訂正している。誉田先生にこんなことを言うのは、筋違いだって分かっている。

 それでも、大切な友達のために、ゆうきは言わなければならなかった。

「わたしだけじゃありません。大埜さんも聞いてました。きっと、ショックを受けてました」

「…………」

「当て馬って言ってたことを皆井先生が訂正してたこと、それはしっかりとわたしが伝えておきます。でも、それだけじゃないです。大埜さんは、自分以外に立候補したひとがいるなんて知らなかった。誉田先生が言わなかったからです。だから、きっと誰も立候補してないから、自分が立候補するよう言われたんだって、そう思ってました。だから、きっと余計ショックだったんだと思います」

「……そうね。私の落ち度だわ。その点に関して、しっかりと大埜さんに謝ることにするわ」

 誉田先生は、誠実でしっかりとした先生だ。だから、生徒であるゆうきの、聞きようによっては生意気とも思える言葉を真っ向から真摯に受け止め、まっすぐゆうきの目を見つめながら、そう答えることができたのだろう。

「教えてください。立候補したひとがいるなら、どうして大埜さんに立候補してほしいなんて言ったんですか? 信任投票だと、伝統あるダイアナ学園の生徒会選挙がつまらなくなるから? 伝統を崩すから? そんな理由で、大埜さんに立候補するように勧めたんですか? そんな、大人だけにしか分からないような、勝手な理由で、大埜さんを傷つけたんですか?」

「…………」

 誉田先生は、決して生徒から逃げたりしない。まっすぐ目を見つめたまま、しっかりと向き合ってくれる。だから、ゆうきも安心して、自分の言葉を誉田先生にぶつけることができるのだ。

「……いいえ。違うわ。少なくとも私は、伝統とか、つまらないとか、そういう理由で大埜さんに生徒会長への立候補を勧めたつもりはないわ。そして、誤解はあるでしょうけど、きっと皆井先生たち、他の先生も違うと思うわ」

 だから、誉田先生から否定の言葉が出て、ゆうきは心の底から安心していた。

「私は、大埜さんのためになると思ったから、生徒会長になるように勧めたの。きっと、大埜さんが生徒会長選挙を通して、大きく成長してくれると思ったから」

「大埜さんの成長……?」

「ええ。大埜さんって、勉強もできるし運動も大得意でしょう? でも、人付き合いは少し苦手みたいじゃない? けど、私はあの子の本当を知ってるから。あの子は本当に楽しそうに笑って、誰かのために泣いて、誰かのために怒れる優しい女の子だって、知ってるから。だから私は、大埜さんにそんな “本当” をもっともっと出してほしいの」


 ああ、やっぱり誉田先生は本当に “先生” なのだ、と。そう分かって、ゆうきは少しだけ恥ずかしい思いだった。めぐみのことをこの学校で誰よりも理解しているなんて思って、恥ずかしい。誉田先生のことを少しでも疑って、恥ずかしい。誉田先生はしっかり、めぐみの “本当” を知ってくれていたのだ。

「あなたもよく知っているでしょう? 王野さん」

「……はい! わたし、大埜さんが本当は優しくて、少し子どもっぽくて、負けず嫌いで、がんばり屋さんだってこと、しっかり知ってます!」

「ふふ。そうね。大埜さん、王野さんと一緒だと、とても楽しそうだものね」

 そうなのだろうか。そうなら、嬉しい。

「それに、王野さんも思わない?」

「えっ?」

 そして誉田先生は、まるで女子学生のように茶目っ気たっぷりに笑って、いたずらっぽく続けた。

「大埜さんが生徒会長をやったら、きっととても素敵よ? この学校もきっと、もっともっと素敵な学校になるわ」

「あっ……はい! それはもう、素敵な生徒会長になってくれること請け合いです! わたしが保証します!」

「ふふ。…… “おーのコンビ” とはよく言ったものだわ。更科さんって、演劇だけじゃなくてネーミングセンスもあるのかもしれないわね。ほんと、良いコンビだわ、あなたたちって」

「……はい!」

 大好きな大人から認めてもらうこと。大好きな先生から褒めてもらうこと。それが、とても嬉しい。

 めぐみもきっと、いまの言葉を聞いたら嬉しいだろう。さっきの皆井先生の言葉なんか吹き飛んでしまうくらい、嬉しいだろう。

 早くいまの言葉を伝えてあげたい! ゆうきの大好きなあの相棒に!!

「……じゃあ、私はこれから少し仕事があるから行くわね。大埜さんには、明日しっかりと謝っておくから安心して。それから、あなたの方からもなぐさめておいてくれると嬉しいわ」

「はい。わざわざ話を聞いてくれて、ありがとうございました」

「ううん。こちらこそ、話してくれてありがとう。王野さんが大埜さんのことを想って私に色々と話してくれて嬉しかったわ。王野さん、あなたはとっても優しいのね。優しくて、とっても勇敢だわ」

「そっ、そんなこと……」

「ふふ……それじゃあ、新入生歓迎会の片づけ、よろしくね。また明日」

「さようなら」

「はい、さようなら」

 誉田先生の可愛らしくも頼もしい背中を見送ってから、ゆうきは大きく伸びをした。

「とっても良い先生グリ」

「わっ!」

 そんなときに唐突に声をかけられたのだからたまらない。器用にもカバンの内側からジッパーを開け、ブレイがヒョコッと顔を出していた。


「……びっくりさせないでよ」

「ゆうき。あの誉田先生は、とっても良い先生グリね」

「誉田先生? うん、もちろん。とーっても良い先生だよ? 大らかだし、優しいし、けど厳しいときは厳しいし、しっかりとわたしたちのことを見てくれてるし……それに、美人だし、かわいいし、声もきれいだし、キャリアウーマンタイプなのに、どこか守ってあげたくなるような……――」


「――それ、最後の方は関係ないじゃない」


「わわっ!」

 誰も彼も、どうして驚かせたがるのか。ゆうきは憤慨しそうになって、けれどできなかった。背後に立っていたのが、めぐみだったからだ。

「大埜さん!?」

「ええ。驚かせちゃったかしら?」

「それはもう! ……ってそうじゃなくて……帰ったんじゃなかったの?」

「……よくよく考えてみたら、体調は全然悪くなかったから、戻ってきたの。危なかったわ。危うく、片づけの仕事をズル休みするところだったわ」

 茶化すようにそう言うめぐみの顔は、もう自嘲で歪んだりはしていない。いつも通りのめぐみだ。

「……もしかして、話聞いてた?」

「しっ、仕方ないじゃない。盗み聞きするつもりはなかったけど、まさかあそこに私本人が入っていくわけにもいかないし……べっ、べつにわざと聞いてたわけじゃないのよ? 仕方なく、王野さんと誉田先生の話を聞いてたっていうだけのことなんだからね?」

「……ふふっ。はいはい。分かったよ」

「……それから、もうひとつ」

「うん?」

 めぐみはそっぽを向いて、恥ずかしそうに口を開いた。

「私のことで、誉田先生と話してくれて、ありがとう。その……とっても、嬉しかったわ」

 そのとき、ゆうきは理解した。

 ああ、そうか、自分は、大埜さんのことを何も知らないわけじゃないんだ、と。

 ゆうきは、そう、たくさんのことを知っていたのだ。

「……わたし、大埜さんのそういう素敵なところ、たくさん知ってるもんね」

「!? い、いきなり何を言い出すのよ!」

 顔を真っ赤にしてムキになるめぐみが、本当は嬉しく思ってくれていることも、知っている。ゆうきはめぐみのことを知っている。


「ねえ、大埜さん。わたしね、そんな大埜さんに、生徒会長に立候補してもらいたいな」

「…………」

 めぐみはけれど、表情を険しくして黙りこくってしまった。

「フレンもそう思うニコ! めぐみは、絶対、生徒会長に立候補するべきニコ!」

「グリ! ブレイもそれに同意グリ!」

 ブレイとフレンも応援してくれている。けれど、それでもめぐみはなかなか首を縦に振ろうとはしてくれなかった。

 仕方がない。めぐみが嫌だということを、これ以上ムリヤリにやれというのは、それこそいけないことだ。お節介などではない。場合によっては、ただの嫌がらせに他ならないのだから。

「……でも、覚えておいてほしいな、大埜さん」

「……なに?」

 だからゆうきはニコッと笑って。

「わたしは、大埜さんが生徒会長に立候補しようとしまいと、友達だからね。大埜さんはわたしの、大切な相棒だから」

「王野さん……」

 言葉は万能だ。正しく使うことは難しいけれど、つたない言葉でも、ひたむきな想いは、真摯な気持ちは、きっと伝わる。伝えたいという気持ちがあれば、言葉という道具はきっと人に応えてくれる。



「ははっ、また面白いことをやっているなぁ、君たちは」



 ゴオッ、と廊下を風が駆け抜けた。

「あっ……」

 その風に奪われるように、めぐみの手から生徒会長への立候補書類が離れる。強風に運ばれ、廊下の窓から飛び出した書類は、そのまま眼下の校庭に立っていたとある男の手の中に収まる。

「へぇ……生徒会長ねぇ……」

 書類を見つめ、鼻で笑うその男は、明らかにダイアナ学園の教職員ではなかった。しかし、めぐみとゆうきにとって、初対面の人間というわけではない。

「「アンリミテッド……!」」

 ――アンリミテッドの欲望の戦士、ダッシュー。彼は薄ら寒い笑みを浮かべ、ふたりを戦いへと誘う。


「その書類を返しなさい!」

 急いで階下へ向かい、校庭へ出る。未だ校庭に立ち尽くしていたダッシューに、めぐみが叫ぶ。

「返せ? ははっ、おもしろいな。アンリミテッドが一度でも奪った物を返すと思っているのかい?」

「それは大事なものなのよ! 早く返しなさい!」

「断る」

 めぐみの必死な顔に真面目に取り合う気すらないように、ダッシューは笑っている。どうでもよさそうに。ただ、必死な顔をするめぐみを見て、小馬鹿にするように笑っている。

「……どうして……」

「うん? 臆病者の君、何か言ったかい?」

 だから、声が洩れるなんて当たり前のことだ。言葉は、勝手に紡がれる。

「どうして……あなたたちはどうして! そんな風に何かを奪うことしか考えられないの!? 何かを必死になってやろうとしている人! 何かを必死で求めている人! そんな人たちから何かを奪って、笑って……どうしてそんなひどいことができるの!?」

「決まっているさ。僕らはアンリミテッドだからだ。それ以外の理由なんてないよ。僕らは、欲しい物を欲しいがままに手に入れるために、アンリミテッドになったのだから」

「そんなの、間違ってる! あなたたちは、絶対に間違ってる!」

 誉田先生のように、自分たち生徒のために親身になってくれる大人がいる。子どものために必死になってくれる大人がいる。それなのに、目の前の男は、そんな大人とは正反対の、まるで大きな子どものようなことを言っているのだ。

「御託はいい。返してほしいのなら、力づくで奪い返してみなよ。君たちにはその力があるだろう?」

「……私は……」

 めぐみが口を開いた。

「私は、まだ生徒会長に立候補するかどうかも分からない。もしかしたら、しないかもしれない。けど……」

 腕を差し出す。そこに煌めくは、空色のロイヤルブレス。ロイヤリティの王家に伝わる、伝説を呼び起こす鍵。

「……あなたに書類を奪われたから立候補しないなんて、そんな逃げるような理由にはしたくない! 私は、私の気持ちで、想いで、立候補するかどうかを決めるわ! ……王野さん、行くわよ」

「うん!」

 世界が暗闇に包まれる。急速に世界が変質していく様子を身体中で感じながら、ゆうきもまためぐみの隣で腕を差し出す。きらめく薄紅色のロイヤルブレスが、すべてを物語っているようだった。

 たとえどんなに強大な闇の欲望だって、この光の希望を消すことはできないのだ。


「ブレイ!」

「フレン!」

「グリ! ふたりとも受け取るグリ!」

「プリキュアの紋章ニコ!」

 ブレイとフレンの身体から一筋の光が放たれる。薄紅色と空色のその光はまっすぐゆうきとめぐみへと向かい、その手の中に収まり、形を成す。

 それは、伝説の神獣、グリフィンとユニコーンを象った紋章。ロイヤリティを守護せし神獣の力が宿った紋章。

 ゆうきとめぐみは紋章の熱を掌に感じながら、何度も繰り返されたような動作でなめらかに滑らせ、ロイヤルブレスに接続する。


「「プリキュア・エンブレムロード!」」


 そしてふたりは手をつなぎ、声高に叫ぶ。自分たちの光を、希望を、闇の中に響かせるように。

 薄紅色の光が、空色の光が、世界を埋め尽くす。闇など吹き飛ばすかのように煌めく光がふたりを包み込み、その光がふたりをふたりならぬ存在へと変えていく。想いが力になる。希望が未来になる。

 その力は、勇気と優しさという偉大な存在によって支えられているのだ。

 天空より舞い降りるふたりの姿は、すでにゆうきとめぐみではなかった。


「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」


「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「「ファーストプリキュア!」」


 たとえ世界が闇に包まれようとも、この光だけは消えることはないだろう。

 それこそ、彼女たちプリキュアなのだ。


「……出でよ、ウバイトール!」

 ダッシューの声に呼応するように、空が割れる。暗い空よりなお暗い闇から、“何か” が漏れ出すように地に落ちる。それは欲望に満ちた悪辣なる存在。それが、ダッシューの近くをグチャグチャとうごめいている。

「……この世の全ての “物” には、それにまつわる欲望がある。それは、一見して何でもない物であったとしても変わらない。ウバイトールは、その物に込められた欲望に反応し、相応の力を得る」

 ダッシューはそう言うと、生徒会長の立候補書類をその “何か” へと差し出した。

「なっ……! や、やめなさい!」

「断る。見せてもらうよ。君の持っていたこの書類にまつわる欲望を」

“何か” が書類を飲み込み、そしてそこに欲望に満ちた怪物が生みだされる。すさまじい風が吹き荒れ、そこにウバイトールが出現する。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「書類のウバイトール……!」

「ユニコの大切な書類に、何をするのよ!」

「だから言ってるだろう? 僕は僕の欲望でしか動かない。悔しいのなら、返してほしいのなら、奪い返してみるんだね」

 言葉の終わり、まるで見計らったかのようにウバイトールが跳ぶ。本来ならあるはずのない足を使い、校庭の中央から端まで一気に移動する、すさまじい跳躍力だ。

「大きい上に身軽なのね……厄介だわ」

「とにかくやろう、ユニコ! 行くよ!」

「ええ!」

 ふたりほぼ同時に土を蹴り、跳ぶ。それに気づいたウバイトールが悪辣な瞳を歪ませ、ふたりに向け跳躍する。

「っ……!?」

 激突すると思った瞬間、ウバイトールが自らの身体をすぼめた。ふたりは蹴りを入れる姿勢のまま、ウバイトールの巨大な身体、即ち書類に包み込まれ、拘束されてしまった。

「しまった……!」

 慌ててウバイトールの身体を弾こうとするが、もう遅い。完全に包み込まれてしまったグリフとユニコは、ウバイトールに拘束されたまま校庭に落下した。

「ふふ……滑稽な姿だね、キュアグリフ、キュアユニコ」

 ウバイトールの身体から抜け出せずいるふたりを小馬鹿にするように見下ろして、ダッシューが言う。

「必死になった結果がそれだよ。君が持っていた書類、その欲望にすら勝てないなんて、ははっ、本当におもしろいね」


「っ……」

 めぐみが顔を歪ませる。ダッシューはなおも、そんなめぐみを嘲笑する。

「そもそも、さっきの話を聞いていた限りでは、君は生徒会長とやらになりたくないんじゃないのかい?」

「…………」

 めぐみはダッシューの言葉に何を言い返すこともできなかった。

 そもそも、言い返す言葉がなかったのだ。

 自分はいま、何のために戦っている? フレンとブレイのため? 違う。奪われてしまった自分自身の物を取り返すために戦っているのだ。

 けれど、それは本当に必要なことか?

 意地になっているだけなのではないか?

 ただダッシューに書類を奪われて、腹立たしくなっているだけなのではないか?

 だってそうだろう。皆井先生には散々なことを言われてしまった。誉田先生だって、もしかしたらゆうきに思ってもいないことを言っただけだったのかもしれない。誰も本当はめぐみの立候補なんて求めてないのかもしれない。

 だったら、自分が立候補する意味なんてないだろう。

 意地になって、自棄になって、ダッシューから書類を奪い返す必要もないだろう?

「…………」

 手から力が抜けていく。足を踏ん張ることもできない。目の前が暗くなり始める。自分の目が、暗く濁り始めていることが、分かる。

「……うん、良い目だよ、キュアユニコ。世界とはそういうものだよ。何かを手に入れるときに、それが本当に必要かどうかはしっかりと考えなければならないね。でないと、本当は “必要でない物” を、意地や惰性で手に入れてしまうときもある。それは、本当の欲望とはいえない。欲望を満たしたとはいえないんだ」

「私……」

「想いなんて捨てろ。気持ちなんて考えるな。希望なんて、捨ててしまえ。そして、残った自分自身の欲望に向き合うんだ」 ダッシューは、まるでそんなユニコに優しく語りかけるように。「君は、本当にロイヤリティの王族を守りたいと思っているのかい? それが本当に君の欲望なのかい? この書類のように、ただ意地や惰性で守ろうとしているだけなのではないのかい? それなら、君はもう一度君自身の欲望に向き合い、答えを出すべきだ。君は、自分の欲望に素直になりさえすれば、これ以上戦う必要はないんだ。これ以上傷つく必要はないんだよ」

 ああ、自分は弱い。本当に弱い。

 欲望とは、かくも甘いものなのか。その甘さに、抗えない。きっと心が弱いからだ。だから、ダッシューの言葉が、心の奥底、柔らかい部分を掴んで離さない。

 こんなに苦しい思いをして戦う必要があるのか。この苦しみから解放されることと書類を比べて、どっちの方が大きいか。

 この苦しみとプリキュアの紋章、どちらの方が重いのか――、



「――違う。そんなの、絶対に間違ってる!」



 その強い声が、ユニコの耳朶を叩いた。


 気がついた。まるで、甘い幻想を無理矢理に吹き飛ばすように、その重い一言がユニコの心を大きく揺さぶった。

 それは、相棒の、強く重い、言葉。

「……何だい? 臆病者さん?」

「わたしのことは好きなように呼んだらいい。けど、ひとつ訂正してもらうよ」

「何だって?」

 ダッシューは不真面目な笑みを崩さない。それに対し、ユニコの相棒である戦士は、ただ彼の顔を睨みつける。

「欲望と向き合う? 答えを出す? ……ははっ、馬鹿みたい」

 そう。キュアグリフは、どこまでもまっすぐ、一途に、真摯な言葉を紡ぐ。

「ほんと、馬鹿みたい。ほんっと……馬鹿みたい」

「……何が言いたいんだい、キュアグリフ」

「ユニコは欲望とか、そんなくだらないことで生徒会長のこと、悩んでるわけじゃないんだよ」

 それは、断言するような言葉。めぐみの心を貫く、まっすぐな言葉。

「ユニコはね、自分が生徒会長に相応しいのかとか、自分が立候補していいのかとか、他の誰かのことを考えて悩んでいるんだよ。そこに自分の欲とかそんなのはないよ。ユニコは、いつも誰かのことを考えてるんだ」

「馬鹿なことを。そんな人間、いるはずがないだろう」

「いるよ。わたしは知ってる。わたしが迷うとき、いつも優しく選択を促してくれるユニコのことを。わたしが怖がっているとき、いつも叱咤激励して支えてくれるユニコのことを。わたしが悩んで、プリキュアをやめようとしたときも、たったひとりでブレイとフレンを守ろうとがんばっていたユニコのことを。いっぱいいっぱい、たくさんのユニコを……優しくてカッコ良いキュアユニコという相棒を、わたしは知ってる」

「グリフ……」

 自分はそんな大それた人間ではない。優しくもない。カッコ良くなんてあるはずない。支えているなんて言って、本当はいつもいつも、自分が支えられているのに。なのに。

「……わたしは、そんなユニコを知ってる。だから、ユニコの立候補を、あなたなんかに左右させない! ブレイとフレンを守りたいって気持ちを、あなたなんかに潰させない! わたしは……ユニコの相棒、キュアグリフだから!」

 グリフの声に呼応するように、薄紅色の光が炸裂する。苛烈なる光はグリフの戒めを吹き飛ばす。

「なに……!?」

「ダッシュー!」

 グリフが跳躍する。ダッシューに向け蹴りを放つ。それをいなし、ダッシューがグリフと向かい合う。

「グリフ……」

 ユニコは、必死にダッシューと攻防を続けるグリフを見つめ、拳を握りしめた。


「……グリフはいつも、そうやって私を助けてくれる。グリフはいつも、私に力をくれる。グリフの勇気が温かくて、だから私は、こうやって笑うことができるのよ」

 迷っていたことが馬鹿らしい。悩んでいたことが何だったのかすら、思い出せそうにない。たとえ、ダッシューが何を言おうと、ユニコの希望はユニコの物なのだ。ユニコが何をするのも、何を望むのも、ダッシューに選択される謂われはない。ましてや、選択のための大事な物を、ダッシューに奪われていいはずない。

「私は……キュアユニコ。そして、大埜めぐみ! 私は、ブレイとフレンを守るし、生徒会長への立候補だって、自分で決める!」

 ユニコを中心として、空色の光が立ち上る。それはユニコの “守り抜く優しさの力” 。攻撃するための力ではない。しかし。

「私は……私を優しく見守ってくれている大切な相棒のためにも、絶対に負けない!」

『ウバッ……!?』

 苛烈なる守護の力は、ときとして攻性へとその性質を変える。ユニコを戒めるウバイトールを、青白い光の壁が内側から吹き飛ばす。ユニコの “守り抜く優しさの力” の光の盾が膨張したのだ。

「ぐっ……あれが、優しさの光だというのか……!」

「優しく包み込むだけが優しさじゃない! 相手を思いやることだけでも足りない! 時には怒ってくれる、それも優しさなんだ! ユニコはそれができる、本当に優しい女の子なんだよ!」

「ぐっ……キュアグリフ……!」

 よそ見をしているダッシューを、グリフの蹴りが吹き飛ばす。

「屁理屈を……!」

 ダッシューは後方に着地し、両の手を振るう。何もない場所からいくつもののこぎりが現れ、ダッシューは宙に浮かぶその刃物を操るように、一斉にグリフに向け放つ。

「さすがに、これは防ぎきれないだろう!」

「グリフにふせぐことができないなら、私が守るわよ!」

「何……!?」

 グリフの前に躍り出る影。それは白く美しい、優しさのプリキュア。

「ユニコ!」

「安心して、グリフ」 その笑顔は優しく、そして強い。「あなたは私が守るから!」

 かざす手に生まれる空色の光。それは巨大で強大な、守護の壁。空色の光の壁が、ダッシューの手繰る無数ののこぎりを弾き飛ばす。

「今よ、グリフ!」

「うん!」

 そう、今こそが決定的なチャンスだ。グリフはユニコの言葉を受け、右手を眼前にかざす。

「しまった……!」

 ダッシューの声が響くが、もう遅い。


「勇気の光よ、この手に集え!」


 グリフの身体から薄紅色の光が立ち上る。それは、グリフの持つ “立ち向かう勇気の力” 。そしてその光はどんどん強くなり、やがてグリフの右手に集約する。圧倒的な圧力を持つ光が弾け飛び、その中心にあった光の核が、その形を成す。

 それは、剣。翼を持つ勇猛なる獅子を象った一振りの剣。

 王者に認められた戦士の中の戦士のみ持つことを許される、伝説の中の伝説ともされる剣。



「カルテナ・グリフィン!」



 身体中から立ち上る薄紅色の光を纏い、勇壮なる戦士はカルテナを右に構え、駆けだした。向かう先は、欲望に支配された怪物、ウバイトール。大事な相棒の大切な物を取り返すために、グリフは駆ける。

 身に纏う薄紅色の光が展開する。空を駆けるかの如く速いグリフの動きに追従する光は、まるで翼のようで。



「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を! 」



 キュアグリフは大地を滑り、空を駆けるかの如く戦場を駆け抜ける。

 その姿はさながら、勇猛果敢なる神獣グリフィンそのものだ。

「プリキュア・グリフィンスラッシュ!」

『ウバ……?』

 そして、グリフィンのシルエットを持つ伝説の戦士は、そのままウバイトールの横を駆け抜ける。何が起こったのかと困惑するウバイトールの背後に着地したグリフは立ち上がり、露を払うように、そっとカルテナを振った。

『ウバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 瞬間、ウバイトールが真っ二つに両断される。ただ駆け抜けたようにしか見えない刹那の交錯で、キュアグリフがウバイトールを斬り捨てていたことを視認できた者は、いない。

 ウバイトールから這い出てきた暗い存在が、苦しみ悶え霧散した。残された立候補書類がヒラヒラと宙を舞い、ユニコの手へと収まる。

「たしかに返してもらったわよ? ダッシュー」

「……ふん、いいさ。そんなもの、べつに僕はほしくない」

 そう捨て台詞を残すと、ダッシューは飛び上がり、消えた。世界に色と光が戻り、グリフとユニコも姿を変える。


「ゆうきぃ~!」

「めぐみー!」

 どこかに隠れていたのだろう。ブレイとフレンが駆け寄ってくる。

「良かったニコね、めぐみ。書類を取り返すことができて」

「……ええ。ありがとう、フレン」

「うん。本当に良かったね、大埜さん」

「ふふ。あなたも、ありがとう。王野さん」

「えへへー」

 相棒同士、笑顔で頷き合う。けれど、そんなふたりに水を差すような声が響く。

「グリ……ゆうき、めぐみ……あの、そろそろ片づけの時間グリ……」

「!? いっけない! 早く行かなくちゃ!」

「そうね! 急ぎましょう、王野さん!」

「わっ、わあ!」

 グイと手を引かれ、ゆうきはめぐみに連れられ走り出す。頼もしい背中は、やっぱり優しさで満ちている。

「……ねえ、王野さん」

「えっ?」

 走っているめぐみは、ゆうきに目を向けることはない。もしかしたら、それを狙っていたのかもしれない。めぐみは、本当に恥ずかしがり屋で照れ屋な女の子なのだ。

「あなたのおかげで、私、決心したわ。当て馬なんて言わせない。私は私で、本気で生徒会長になるためにがんばる。私、立候補してみるわ、生徒会長」

「大埜さん……」

 ああ、なんて嬉しいのだろう。自分のことでもないのに、心の底から喜びがわき上がってくる。

「わたし、精一杯応援するからね!」

「……うん! ありがとう、王野さん!」

 そのときばかりは、めぐみはきらめかんばかりの眩しい笑顔で、頷いた。


…………………………

「へへへ……」

「グリ、ゆうき、嬉しそうグリ」

「もちろん!」

 帰り道、ブレイと話ながら家路につく。あの後、体育館の片付けの際に誉田先生はめぐみに謝ってくれたし、めぐみはそれを何でもないことのように許し、生徒会長へ立候補する旨を誉田先生に告げたのだ。

「友達が生徒会長に立候補だなんて……えへへ、なんかワクワクしちゃうよ」

「? そう思うなら、ゆうきも生徒会に立候補したらいいグリ」

「ええ? そんなの無理だよ。だってわたし、字も下手だし計算も苦手だから、書記も会計もできないし」

「じゃあ、副会長グリ!」

「そんな無茶言わないでよ……」

 会長は元より、副会長というガラでもない。少し想像してみよう。




『王野副会長、この書類の整理、よろしくね』

『えっ、あっ、はいっ。分かりました、大埜会長!』

 バラバラバラバラ……。

『あ……あああああ!! 書類の山がバラバラに!』

『王野副会長!? 何をやってるの!』

『ひーん! ごめんなさーい!!』

 バラバラバラバラ……。

『ああ!! 謝った拍子に別の書類の山が!』

『…………』

『ご、ごめんなさーい!!』




「……ってな感じになっちゃうよ?」

「ゆうきはダメな方向に妄想がたくましいグリね……」

 ブレイの呆れ声。そんなことを言われたって仕方ないじゃないか。副会長をやっている自分なんて、何か取り返しのつかない失敗ばかりを繰り返している姿しか想像できない。


「わたしはいいの。わたしは、生徒会長に立候補する大埜さんを応援できれば、それで……」

「でも、どうしてゆうきはめぐみに生徒会長に立候補してもらいたいグリ?」

「ふふ。そんなの決まってるじゃない、ブレイ」

 ゆうきは、嬉しくて嬉しくて、朗らかに笑う。

「わたしは、みんなに知ってもらいたいんだ。いつもは不器用で滅多に笑わない大埜さんだけど、とってもいい笑顔で笑うんだってこと。とっても優しくて、頼りになる女の子なんだってこと。みんなに、そんな大埜さんを知ってもらいたいの」

「グリ……」 ブレイもまた、まん丸のおめめで笑ってくれた。「ブレイも、めぐみの優しさをみんなに知ってもらいたいグリ!」

「うん! だから、わたしはがんばるよ! 大埜さんの選挙活動、がんばって応援しちゃうんだから!」

 選挙活動を通して、クラスでは物静かなめぐみが少しでも変わってくれれば、ゆうきは嬉しい。

 人通りのほとんどない夕焼けの街を、ほとんどスキップ同然の軽やかな足で駆ける。と、

「あっ……」

 しまった、と思ったときにはもう遅い。人がいないと思っていた住宅街の細い道端に、人がいたのだ。少しだけ顔が赤くなる。

 見られただろうか? 見られただろう。スキップまがいの足取りで、顔をにやけさせながら歩いていた自分を。

 ゆうきは慌ててたたずまいを正しながら、少しだけ八つ当たり、ブレイを鞄の奥へとむぎゅっと押し込んだ。

「…………」

 そのひとは、女の人だった。オシャレなバンダナを頭に巻いて、工作着のようにも見える簡素なエプロンを身につけて、チラシのような束を持って立っていた。

「ふわぁ……」

 少しだけ立ち止まり、思わず見とれてしまう。簡素な格好ながら、とてつもない美人がそこにいたのだ。

「あら……」

 その女性はゆうきを認めると、優しげな微笑みを浮かべると歩み寄ってきた。驚くゆうきに気づいているのかいないのか、そのまま正面に立つと、笑顔のままチラシのようなものを一枚、ゆうきに差し出した。

「これ……」 冷たく澄んだきれいな声だった。「あそこに新しくできるカフェの、チラシなの。私のお店なんだけど、もし良かったら、オープンしたら来てくれると嬉しいな」

「あっ……ありがとうございます」

「その制服、ダイアナ学園の生徒さんよね?」

「は、はい! そうです!」

 美人さんを前に緊張するゆうきに、彼女はあくまで朗らかだった。

「来週からオープンだから、よかったら来てね。お友達も連れてきてくれると嬉しいな」

「わぁ……すごい」

 また声が洩れてしまう。美人さんが示した先、たしか空き家があった場所に、オシャレなオープンテラスを備えたカフェができあがっていた。夕日になお映えるそのカフェは、女子中学生の心を奪うにふさわしい外装だった。ロンドンやパリの街角にあっても問題ないくらいおしゃれな見た目にすっかり夢中になって、ゆうきは女性に大きく頷いた。

「はい! 絶対に来ます! すごいなぁ……」

「ありがとう。わたしも、我ながらよくできたなぁ、って思ってたの」

「お店の名前は…… “ひなカフェ” ……?」

 チラシに目を落とす。『ひなカフェ』 。それがあのお店の名前のようだ。

「ええ。わたしの名前から取ったの。初めまして、ひなカフェの店長、小紋(こもん)ひなぎくです。お店共々、よろしくね」

 シンプルで飾り気のない格好をした、けれど華に溢れている美人さん――ひなぎくさんは、そう名乗った。


    次    回    予    告

めぐみ 「さて問題です。生徒会長に立候補するにあたって、必要なものはなんでしょう?」

ゆうき 「うーん……勇気?」

めぐみ 「良い感じのこと言えば正解みたいな風潮が憎い! 不正解!」

ゆうき 「ええー……じゃあ、優しさ?」

めぐみ 「喧嘩を売ってるのかしら?」

ゆうき 「ふぇーん……大埜さんが厳しい……」

めぐみ 「正解は……」

ゆうき 「正解は?」

めぐみ 「……次回、ファーストプリキュア! 第七話『本命候補! 騎馬はじめ現る!』」

ゆうき 「……正解は?」

めぐみ 「それはまた次回。よい子のみんなも考えておいてね、ばいばーい!」

ゆうき 「ああっ! ま、待ってよー!」

>>1です。
第六話はここまでです。
sage続けてしまいました。間違えました。すみません。

質問、感想、報告、大変ありがたいことです。ありがとうございます。
いつも見てくださっている方も、ありがとうございます。
また来週日曜日、投下できると思います。
よろしくお願いします。


ゆうき 「ゆうきと、」

めぐみ 「めぐみの、」

ゆうき&めぐみ 「「なぜなに☆ふぁーすと!」」

ブレイ 「と、いうことで、前回の続きから話していくよ!」

フレン 「今週はあたしたちふたりの名前についてね」

ブレイ 「ぼくの名前ブレイは、ブレイブ、“勇敢な”という意味の英語から取っているんだ」

フレン 「そしてあたし、フレンの名前はフレンドリー“優しい”という意味の英語から取っているわ」

フレン 「あと、情熱の国の王女パーシーはパッション、“情熱”から、」

フレン 「そして愛の国の王女ラブリはラブリー、“愛らしい”から取られているわ」

ブレイ 「パーシーとラブリに関してはまだまともに出てないけど、今後会えたらまた確認してくれると嬉しいな!」

めぐみ 「では、今日も元気に、」

ゆうき 「本編、はっじまっるよー!」


第七話【本命候補! 騎馬はじめ現る!】

「ともえー! ひかるー! 早く起きなさーい!」

 朝7時、王野宅。はきはきとした声が響く。

 それはいつものこと。けれど、少しだけいつもと違う。

「……ぼくは起きてるよ、お姉ちゃん。おはよう」

「あ、おはよう、ひかる。顔を洗ってたのね」

 にっこり笑顔。朗々とした声。

「……お姉ちゃん、どうしたの?」

「えっ?」

「なんか……楽しそう」

「そう?」 特に自覚はない。けれど、お利口な弟が言うのなら。「……うん。たぶん、楽しいんだと思う」

「?」

 不思議そうな顔をする弟の頭をサッと撫でて、ゆうきは玄関に向けて駆け出した。

「あっ……」

「ひかる! ともえのことちゃんと起こしてあげて、きちんと学校に行くのよ! お姉ちゃん、今日はもう学校に行かなくちゃだから!」

「何かあるの?」

「うん! 友達と、大事な相談をね!」

 ピシッと整った襟元をピンと弾き、プリーツスカートを翻して、ゆうきは振り返る。

 その姿は少しだけ、キマっていた。

「えへっ☆」

(お姉ちゃんが壊れた……)

 少なくとも、本人の中では、だけれど。


…………………………

「……相変わらず、辛気くさい場所だわ」

 そこは、暗闇の世界。欲望に支配された、黒い世界。

 アンリミテッド。

 そのひたすら黒い場所を歩くのは、ゴーダーツでもダッシューでもない。

 そのふたりとは比べられないほど華奢で小柄な影。

 女性的なスタイルというよりは、まだ子どもといっても差し支えないくらいだ。

「……遅かったな、ゴドー」

「あら?」

 彼女の名はゴドー。アンリミテッドの欲望の戦士、ゴーダーツとダッシューと並び立つ三幹部のひとりである。ゴドーは壁に寄りかかる大柄な男、ゴーダーツを認め、歩み寄った。

「よくも招集を無視し続けてくれたものだ。それなりの弁明はあるのだろうな?」

「…………」

 ゴーダーツの前に立てば、その身長差は歴然だ。ともすれば、ゴドーの二倍はあろうかというゴーダーツに対し、彼女はあまりにも小さい。

「何を黙っている。何か言ったらどう――」

「――うるさい。黙りなさい。無能な豚のくせして、偉そうにあたしに意見するんじゃないわよ」

「なっ……」

 しかし、である。ゴドーはそんなことを意にかけない。恐れなんて持つはずがない。彼女もまた、欲望の戦士なのだ。

「あたしはね、あんたに手柄を譲ってあげようと思ってたの。ロイヤリティの王族なんて、あんたならすぐに捕まえてお終いだろうと思っていたから、わざわざ遅く来てあげたのよ」

 ゴドーは圧倒的な上背の差をものともせず、ゴーダーツに詰め寄った。

「それなのに、あんたが情けなくて無能だから、やっぱり来てあげなくちゃって思って来てあげたの。感謝されこそすれ、非難されるいわれはないわ」

「貴様……」

「あら? 何か反論することがあって? 無能な欲望の戦士さん?」

「ははっ、相変わらず随分な物言いだなぁ、君は」

 パチパチと暗い空間に不釣り合いな弾けた音がする。暗闇から拍手とともに現れたのは、薄ら寒い笑顔を張り付けたもうひとりの欲望の戦士、ダッシューである。

「それくらいにしておいてあげなよ。彼も反省しているみたいだし」

「ダッシュー、貴様……」


 ダッシューのからかいにいちいち目くじらを立てるゴーダーツ。それを面白がるようなダッシュー。どっちもどっちだ。片や真面目すぎで、片や不真面目すぎる。そんなところが、ゴドーにはどうにもこうにも我慢できない。

「ダッシュー、そういうあんただって、すでにプリキュアに二回も負けているって話じゃない。そんな偉そうなことが言える立場かしら?」

「まあ、そういうこともあるさ。ぼくも遊びたいときだってある」

「どうだか。結果を出せていないんじゃ、そんな言葉、単なる言い訳にしか聞こえないわよ」

「…………」

 相も変わらず考えていることが読めない男。軽薄な笑みの裏に、何を考えているのか皆目検討がつかない。ゴドーの直接的な罵倒にも、眉一つ動かすことなく微笑んだままだ。

「もういいわ。あんたたちに用なんてないの。ゴーダーツ、デザイア様は奥の間?」

「いや……」

 上司の行き先を問うた途端、ゴーダーツが言いよどんだ。

「どうかしたの?」

「……姿を拝見していない。奥の間にもいらっしゃらないようだ。おそらくは、どちらかへお出かけになっている」

「はぁ? 最高司令官がお出かけ? のんきなもんねー。ったく」

「貴様……! 俺のことならいざ知らず、デザイア様のことを愚弄することは許さんぞ」

 こんなキャラだっただろうか。いや、だったような気もしないでもない。どうでもいい。

「はいはい、どうでもいいわ。何にせよ、居場所が分からないんじゃ、到着の報告もできないわね……」



「――……否。私はここにいる」



 アンリミテッドの暗闇がより一層黒くなった。世界が有り様を変えたようだった。

「っ……」

 腹の内が抉られるような、著しい緊張感。あり得ないほどの焦燥感。手の内に、じっとりと汗が湿る。

「遅かったな、ゴドー。一体何をしていた?」

 ゴーダーツ、ダッシュー、ゴドーは慌てて膝をつき、低頭した。

 ゴドーにとっては久しぶりの対面だった。


「どうかしたか、ゴドー? 体調でも優れぬのか?」

 あまりにも圧倒的すぎるその存在。全身を暗闇で塗り固めたような姿。その上に覆い被さる、なお暗いマント。そして、見るもの全てを恐怖のどん底に落とす仮面。

 その名は、アンリミテッド最強の騎士にして、最高司令官。

 暗黒騎士デザイア。

「滅相もございません。私は、快調です。召集に遅れたことに関しては、謝罪いたします。少し、欲をかきすぎたため、ここに戻るのに遅れました」

「そうか。己の欲望に従った結果なら、それでいい」

 しかしゴドーにも意地がある。心の内の恐れは振り払い、まっすぐ仮面を見つめながら言葉を紡ぐ。

「デザイア様! ぜひ、次のプリキュア討伐に、私を!」

「ほう?」

 ゴーダーツが嫌そうな顔をするが、そんなものに構ってはいられない。

「遅れて参上したお詫びの意味も込めて、ロイヤリティの紋章を奪い取り、デザイア様に献上いたします」

「…………」

 デザイアは何の感情も見せることはない。それは仮面を被っているからというだけでなく、本人の挙動すべてにおいて感情というものが欠如しているのだ。仮面の奥の瞳が、見上げるゴドーを睥睨する。

「……よかろう。行け、ゴドー」

「……はい。ありがとうございます、デザイア様」

 ゴドーはコケティッシュに笑い、立ち上がって優雅に一礼した。

「必ずや、デザイア様の御前に紋章をお持ちいたします。お楽しみに」

 言うや否や、ゴドーの姿がかき消える。ホーピッシュへと飛んだのだ。


「……ゴーダーツ。ダッシュー」

「はっ」

 デザイアはやはり感情の見えない声で言う。

「後は任せる。私はもう出なければならない」

「……また、ですか?」

 不満そうな声。それは、低頭したままのダッシューから放たれたものだ。

 デザイアがダッシューに目を向ける。

「何か言いたいことがあるのか、ダッシュー?」

「ええ、まぁ。最高司令官であるデザイア様がそう何度も席を空けるというのは如何なものかと」

「ダッシュー!」

 あまりの物言いに、傍らのゴーダーツがたしなめる。

「ふむ。たしかに貴様の言うとおりだな。しかし、私にはやることがある」

 世界はあまりに無情だ。それをダッシューはよく知っている。

 そう、この世は力関係で成り立っているのだ。より力強き者が勝ち、その者の欲望が優先される。

 たとえ上司であるデザイアの勝手が過ぎたとしても、ダッシューには文句を言うことしかできない。文句を言ったところで、ダッシューよりよほど強いデザイアの “やることがある” という欲望が優先されてしまうのだ。

「……もうよいか? では、行ってくる。頼んだぞ、ゴーダーツ。ダッシュー」

「はっ」

「……はい」

 力は正義だ。欲望を満たすための正義だ。それこそが正しいあり方。世界の回り方。

 力と欲望に支配された何より黒き暗闇の世界。

 それが、アンリミテッドなのだから。


…………………………

「ぐぬぬぬぬ……」

 朝っぱらから、めぐみは唸っていた。

「ぬぬぬぬぬ……」

 唸りまくっていた。

「ぬぬぬぅうううううううう……」

 せっかくの美人が台無しだ。

「あの、大埜さん? どうしたの……?」

「王野さん!? いたの!?」

「いたよ! ずっといたよ! 気づいてなかったの!?」

「……ごめんなさい」

 めぐみは恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 まだゆうきとめぐみしかいない朝の教室。ふたりきりなので、めぐみの調子は少しだけ軽い。

 ともあれ、朝からふたりで生徒会長立候補についての話し合いをするという話だったのだが、めぐみの様子がややおかしい。

「どうかしたの?」

「うん。あのね……」

 めぐみはおずおずと、ゆうきに一枚の書類を差し出した。先日アンリミテッドから取り返した生徒会長の立候補書類だ。

「? これ、まだ誉田先生に出してなかったの?」

「ええ。まだ必要事項が全部書き入れられていないから……」

 ザッと書面に目を通してみる。学年、クラス、出席番号、氏名、志望動機……と有り体な項目が並んでいる。そのほとんどが埋まっているが、終わりの方、項目がひとつだけ空欄の箇所があった。

「……推薦者?」

「うん……」

 めぐみが恥ずかしさと悲しみをない交ぜにしたような顔をして。

「ほら……私って、仲のいい友達が少ないから……」

 はは……ははは……と暗く笑うめぐみ。本人は笑っているが、ゆうきに笑うことなどできるはずもない。というか、である。


「だ、だったらわたしがやるよ! 推薦者」

「よく見てみなさい。生徒会長に立候補するには、三人の推薦者が必要なの」

「あぅ……」

「申し訳ないけど、あなたは最初から頭数に入れていたわ」

 つまりは、あとふたり。あとふたりに推薦者を頼めば、めぐみは生徒会長に立候補できるのだ。

「じゃあ、わたしから誰かに頼もうか?」

「……ううん。ありがたいけど、遠慮しておくわ。だってこれは、私が立候補することなんだもの」

 ゆうきの申し出に、めぐみはけれどまっすぐそう答えた。

「だからこれは、私のこと。私がやらなくちゃ。王野さんには立候補に関しての相談とか、推薦者とか、そういう協力をしてもらって本当に感謝してるわ。私は私で、推薦者くらい自分で集めてみる」

 その言葉にはめぐみの強い意志が感じられた。少なくとも、その意志を邪魔したら悪いと、ゆうきが思うくらいには。

「……うん、分かったよ。じゃあ、推薦者集め、がんばってね。選挙に関しては、わたし、いくらでも大埜さんのお手伝いをするからね。協力がほしくなったらいつでも言ってね」

「ええ。本当にありがとう、王野さん」

 さすがは大埜さんだなぁ、と思いながら、しかしゆうきは少し不安だった。

(大埜さん、本当に大丈夫かなぁ)


…………………………

 ある休み時間。

「あの……」

「うん?」

 クラスメイトに話しかけるめぐみ。その表情はクールで、カッコ良くて、きれいで、けれどいつもゆうきに見せてくれる “めぐみっぽさ” は微塵も感じられない。ゆうきは自分の席からそんなめぐみを見守っていた。見ていられたものではなかったが、心配で目をそらすこともできない。

「どうかしたの、大埜さん?」

「……私、今度の生徒会選挙で、生徒会長に立候補することにしたの」

「えっ!?」

「それほんと!? 大埜さん!」

「え、ええ」

 色めき立つクラスメイトたちに押され気味のめぐみ。なんとか体裁を保とうと、コホンと一回咳払い。

「……それで、実は――」

「ねえねえねえ! どうして生徒会長に立候補するの!?」

「すごいなぁ! やっぱり大埜さんは違うね! 勉強もスポーツもすごいもんね!」

「私、大埜さんが生徒会長ってイメージぴったり! がんばってね! 私、絶対大埜さんに投票するから!」

「あ……そ、そう? ありがとう」

 かしましいことこの上ない。めぐみはもはや完全に押し負けながらも、なおも口を開こうとがんばっている。ゆうきはもはや、神に祈るような心境だった。

「それでね、実は――」

「なになに、どうしたの?」

「生徒会長って聞こえたけど、大埜さんが立候補するってほんと?」

 騒ぎを聞きつけて、他のクラスメイトたちも集まってくる。

「えっ、いや、あの……」

「よーし! クラスみんなで大埜さんを応援するぞーっ!」

『おーっ!!』

「……うぅ……」

 クラスメイトの輪の中で萎縮しながら、めぐみはガクッとうなだれた。ゆうきは遠くからその様を見つめ、あちゃーと頭に手をやった。

 めぐみの推薦者探し。これは予想以上に、難しそうだ。


…………………………

「……ふん。これが学校ね。つまらなそうな場所だわ」

 ダイアナ学園女子中等部前。ゴドーは校舎や体育館、校庭へと続く道を見つめ、吐き捨てるように口を開いた。

「勉強とかそういうの、面倒くさいだけじゃない。自分の欲望に背いたことをして何が楽しいのかしら」

 ゴドーは己の欲望に従うことができない臆病者が嫌いだ。自分がしたいことをすべてする、欲しいものはすべて手に入れる、それこそが正しい行いであり、彼女にはその正しい行いを実行するだけの力があるからだ。

「やりたくないことをやるなんて、くだらないことだわ。あたしには全然分からない」

 その言葉は誰に向けてのものなのか。それはゴドー本人にも分からない。

 構わない。分かっていることなど、ひとつきりで十分なのだから。

「……ここに勇気の国の王子と優しさの国の王女がいる。そして、勇気の紋章と優しさの紋章も。あたしはそれを手に入れる。ただそれだけのこと」

 彼女は口角を吊り上げ、歩を進めた。

「伝説の戦士プリキュア……どれほどのものかは知らないけれど、あたしの敵ではないわ」


…………………………

「……すまない、ひとつお聞きしたいんだが」

「はい?」

 2年A組教室前。彼女は教室から出てきた長身の生徒にそう話しかけた。

「大埜めぐみさんを探しているんだ。教室にいるだろうか?」

「大埜さん? えーっと……」 律儀に教室の中を見回してから、その生徒はかぶりを振った。「ううん。いないみたいだ」

「そうか。……どこに行ったか分からないかな?」

「うーん、この時間なら、もしかしたら――」

「――あっ、それならあたし知ってるー!」

 と、違う生徒が割り込んでくる。小柄な身体に短い髪。みるからに活発そうな外見に、人なつっこそうな笑みを浮かべている。

「ゆうきったら、最近は大埜さんにべったりだからねー! ちょっと妬いちゃうね!」

「ユキナ。人の会話に割り込むんじゃない。それから、割り込むならせめて相手様に有益な情報をもたらしてくれ」

 長身の生徒が、小柄な生徒を漫才のようにたしなめる。

「なにさー、有紗。今のどこが有益じゃないっていうのよー」

「有益も何も今のじゃ何も分からないだろう」

 有紗とユキナという名には聞き覚えがある。なるほど、と納得する。これが校内で少なからず有名な演劇部の凸凹コンビか。

「すまない。大埜めぐみさんのいる場所を知っているなら教えてもらえるだろうか」

「ああ、ごめんごめん。大埜さんなら、たぶん屋上にいると思うよ。最近は、昼休みにそこで昼食を取っていることが多いんだ」

 結局答えたのは長身の生徒だ。小柄な生徒はその態度にブウ垂れるような顔をしている。

「なにさー、有紗ー! せっかくあたしが言おうとしてたのにぃー!」

「言おうとしてなかったじゃないか」

 いつまでも見ていたいような愉快な二人組だが、そうしているわけにもいかない。

「ありがとう。では、屋上に行ってみるよ」

 彼女は短くふたりにそう告げると、きびすを返し屋上へと続く階段を目指した。


…………………………

「うーん……あの人、どこかで見たことがあるような……?」

 残された小柄なユキナと長身の有紗。ユキナが、颯爽と、まるでモデルのように歩みゆく彼女の後ろ姿を見つめながら小首を傾げた。

「何を言ってるんだ、ユキナ。あの人は現生徒会副会長で、次の生徒会長に立候補してる騎馬はじめさんじゃないか」

「……ああ! どっかで見たことがあると思ったら、あの人があの質実剛健、文武両道の騎馬はじめかぁー!」

 待てよ、とユキナが納得しつつまたも首を傾げる。

「……で、その副会長さんが、大埜さんに何の用?」

「いや、休み時間に言ってたじゃないか。大埜さん、生徒会長に立候補するって。その関係の話だろう」

「……それってさ」

「うん?」

 ユキナはいやらしくニヤァ、と口角を歪めながら、

「……もしかして、宣戦布告ってやつ?」

「……ユキナ」

 このミーハーめ、と半ば呆れながら、有紗は小さくなりゆく彼女――騎馬はじめの颯爽とした後ろ姿を見つめる。

(……相手は強敵だ。がんばれよ、大埜さん、ゆうき)


…………………………

 昼休みの屋上は、太陽がサンサンと輝き、少しだけ夏みたいだ。屋上の一面が白いことも相まって、ほんのり暑い。

「…………」

 しかしめぐみは、夏とは正反対の枯れた顔をしている。無言でお弁当を口に運び、租借する。その姿は少し、不気味だ。

「あ、あの……大埜さん?」

「……何?」

 死んだ魚のような目がゆうきを向く。ゆうきはその様相にたじろぎながらも、言葉を続けた。

「もう一回、クラスの誰かに言ってみようよ。推薦者をやってほしいって」

「……言いづらいわ。ダメ。私、やっぱり怖いもの」

「えっ……?」

 めぐみが下に目を落とす。

「私……王野さんとは、色々あって仲良くなれたけど、他の人とそうなれるかすごく不安だもの。さっきはみんなで応援してくれるって言っていたけど、推薦者を頼んだときにどんな顔をされるかって想像したら……」

 めぐみの気持ちも分からなくはない。せっかく、クラスのみんなが応援してくれると言ったのだ。その今の状況に推薦者を頼むという一石を投じることによって、どんな結果が生まれるのか。それは誰にも分からない。誰かが引き受けてくれればいいが、誰も引き受けてくれなかったらどうだろう?

「ごめんなさい。私、とっても勝手なこと言ってるわよね……臆病で、情けなくて、本当に王野さんに申し訳ないわ」

 めぐみは本気で落ち込んでいる。本気でゆうきに対して申し訳ないと思っているのだ。

「大埜さんは優しいね。自分のことで大変なのに、わたしに申し訳ないって思えるって、すごいよ」

「えっ……」

 めぐみが顔を上げた。

「けど、わたしのことは気にしないで。わたしは大埜さんの友達だから。友達が困っていたら手を貸すよ。友達が何かをやろうとしているならそれを全力で応援するよ。そんなの、当たり前のことだもん」

 ゆうきはめぐみのことが好きだ。友達だから好きだし、好きだから友達だと思う。どっちが先かはよく分からないけれど、そういうものだと思う。

「王野さん……」

 めぐみがスーッと息を吸い込み、目をつむる。そして両手を上げ、それを不思議な目で見るゆうきの前で、めぐみは自分の顔を両側から思い切りはたいた。小気味いい音が響いて、めぐみが一瞬クラッと身体を泳がせた。


…………………………

「お、大埜さん!?」

「……あなたの言葉で目が覚めたわ。ううん。あなたの言葉のおかげで目を覚ましたいと思ったから、無理矢理覚ましたわ」

「それって……今の張り手で目を覚ましたってこと?」

 無茶苦茶だ。仮にも女の子、それも優等生を地で行くめぐみのすることではない。せっかくの美人が、両頬に残った真っ赤な手形で台無しだ。

「ありがとう、王野さん。あなたに勇気をもらったわ。協力してくれるって言っている友達がいるのに、何を怖がっていたのかしら、私は」

 けれど、その目はいつも通りのめぐみの、まっすぐな目だ。とても頼もしくて優しい、めぐみの目だ。

「私、がんばる。みんなに推薦者を頼んでみるわ」

「……うん!」

 やるといったらやるのだろう。めぐみはそういう性格だ。やると決めた生徒会長への立候補だから、こうして悩んででもやろうとする。人付き合いのあまり得意ではないめぐみだけど、自分でがんばって推薦者を集めると決めたのだから、懸命にやろうと努力する。

 それがめぐみなのだ。ゆうきが尊敬して憧れる、相棒なのだ。

 と――、

「……?」

 キィ、と軽い音がして、塔屋のドアが開かれた。校舎内へと続く唯一の出入り口だ。

「ああ、よかった。本当にここにいてくれた」

 それは、ゆっくりと聞き取りやすい、しっかりとした声。どこか男性的な雰囲気も漂う、中性的な少女の声だった。

 ドアを開けて現れたのは、声とは対照的な外見の女子生徒だった。襟のラインの色からして同級生だろう。艶やかな黒髪は腰に届きそうなくらい長く、そよ風にふよふよと揺られている。目元は穏やかで、余裕に満ちあふれている。その少女が、まっすぐめぐみを見つめながら歩み寄ってきた。

「君が大埜めぐみさんだね?」

 めぐみの前で立ち止まり、少女はニコッと穏やかな笑みを浮かべて問うた。

「そうだけど……あなたは?」

「失礼。こちらから名乗るべきだった」 少女は優雅に華麗に、その場で一礼した。「私は騎馬はじめ。現生徒会の副会長を務めている」

「騎馬、はじめさん……?」 めぐみがハッと息をのんだ。「じ、じゃあ、あなたが……生徒会長に立候補しているっていう……騎馬さん!?」

 めぐみの言葉を聞いて、ゆうきも思い出した。



 ―― 『何にせよ、生徒会長の立候補が騎馬はじめだけの信任投票というのも問題ですからね。大埜めぐみには、ぜひ立候補してもらいたいものです』



 先日、皆井先生が無神経な言葉と同時に言っていた名前。生徒会長の立候補者である、騎馬はじめ。

 目の前の、外見と言動がややちぐはぐな同級生が、その騎馬はじめなのだ。


「はは、おもしろいことを言うね、大埜さん。大埜さんも生徒会長に立候補するんだろう?」

「あっ……」

 めぐみが恥ずかしそうに顔を伏せる。

「それに、まだ立候補してはいないよ。この書類をまだ提出していないからね」

 はじめがブレザーの懐から綺麗にたたまれた書類を取り出し、開いて見せてくれた。めぐみと同じ、生徒会長の立候補書類だ。

 その一挙手一投足が妙に様になっている。内ポケットをこんなにスタイリッシュに扱える同級生を、ゆうきは知らない。ゆうきに至っては、内ポケットなんて使ったこともない。

「今から生徒会顧問の先生に提出しに行くつもりなんだ」

 めぐみの書類とは違い、全ての項目がしっかりとうまっている。もちろん、推薦者の欄もしっかりと三人の名前がある。

「なら、どうしてここに?」

 けれど、めぐみも負けていない。ゆうきの頼もしい相棒は、そんな相手に一歩も引かずまっすぐ目を見返している。

(……って、べつに戦ってるわけじゃないんだけど)

「いや、正式に立候補する前に一度挨拶をしておきたかったんだ。これから生徒会長の座を争う大埜めぐみさん、君に」

「……そう」

 めぐみは強い。けれどその強さは、少しだけ脆い。

「私が立候補したことによって、立候補するつもりだった生徒たちが皆身を引いてしまったと聞いたんだ。だから、大埜さんが立候補してくれて良かった。私も、できることならしっかりと他の候補と票を争った上で生徒会長に臨みたいからね」

 はじめの身体中から放たれる存在感。圧倒的な余裕。

 今までの人生で、ゆうきにはおよびがつかないほどのことをしてきたのだろう、大人びた物言い。

 すごいと思うまでもない。感覚が、身体が、目の前の同級生がただならぬ存在だと教えてくれている。

「え、ええ……」

 ゆうきには分かる。めぐみがそんなはじめに圧倒されていることが。けれどそれを表には出さず、「がんばらなきゃ」とか「負けたくない」とか、そんな風に踏ん張っているのだ。それはめぐみの優しさで、強さだ。けれどゆうきは、そんなめぐみを助けたい。手伝いたい。

 だから――、

「あっ……」

 ぎゅっ、と。ゆうきはそっと、さりげなく、当たり前のことのように。

「……うん」

 めぐみの手を取り、握って、頷いた。お互いの熱が巡る。少し汗ばんでいためぐみの手を通して、めぐみの心境を、ゆうきの心で中和する。

 目線だけで意志疎通。申し訳ないような、けれど嬉しそうなめぐみの目を見ることができて、ゆうきはそれだけで嬉しい。


「……私もがんばるから。だから、いい生徒会選挙にしましょう」

「ああ。よろしく頼む」

 めぐみはゆうきの手を離し、はじめが差し出した手を握る。

「私の推薦者には現生徒会長もいる。だから、みんな気後れして立候補を辞退してしまったんだが……とにかく、大埜さんが立候補してくれて、本当に嬉しいんだ。だから、大埜さんの言うとおり、いい生徒会選挙にしよう」

 聞きようによっては少し嫌味だったかもしれない。けれど、騎馬はじめという目の前の現生徒会副会長は、そんな成分を微塵も感じさせなかった。心の底からめぐみの立候補を嬉しく思っているのだろう。

「それでは、私はおいとまさせてもらう。昼休みの時間をとらせてしまって申し訳ない」

 去るときもやはり、どこまでも気品ある挙動で。

「またすぐ、選挙に関連する場で会おう」

「ええ。また今度」

 はじめはピシリと一礼すると、校舎内へと消えた。

「……ふはぁ、緊張したぁ」

 驚いたことに、そんな気の抜けた声をめぐみが発し、ベンチにぺたんと座り込んだ。

「すごいわね、あの騎馬さんって。なんか気後れしちゃったわ」

「で、でもでも! 大埜さんも負けてなかったよ! なんか、騎馬さんが王子様で、大埜さんがお姫様みたいだった! で、わたしはお姫様に付き従うみすぼらしい小姓!」

 興奮して思っていたことをそのまま口にして、気づく。

「……わたし、小姓……ははっ、どうせ、わたしは王子様はおろか、お姫様にもなれない、下賤の者……」

「お、王野さん? どうして自分の発言にダメージを受けてるの?」

「ふふ……わたしはどうせ、お姫様にはなれない冴えない女……ふふっ……ふふふ……」

「はいはい。勝手にしょぼくれないで。あなたにニヒルな笑いは似合わないわ」

 ひとりうなだれて屋上にのの字を書くゆうきを、めぐみがそっと立ち上がらせる。

「さっきはありがとう、王野さん。手を握ってくれて嬉しかったわ。また、あなたに勇気をもらっちゃったわね」

「……ううん。そう言ってくれるだけで嬉しいよ」

 騎馬はじめ。あの同級生はたしかに強敵だ。制服の着こなしから言葉遣い、行動や雰囲気を取っても生徒会長に相応しい。それに加えて、はじめには現生徒会長の推薦まであるのだ。

「ま、がんばるしかないわね。まずは……推薦者を誰かに頼まないと」

「そうだね……」

 まずは同じ土俵にたつところから、ふたりの戦いは始まる。


…………………………

「くだらないくだらないくだらない。こんな場所、いったい何の役に立つって言うの?」

 中に入ってみれば何か理解が示せるかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。学校という存在は結局ゴドーにとってあまりにも不可解で、なおかつ不愉快なものであった。

「こんな建物の中に押し込められて、勉強とか運動とか、したくもないことをさせられて……ああ、不快だわ」

 そんな場所に自分がいることが。そして、そんな場所に押し込められていることを甘んじて受け入れている生徒たちが、不可解で不愉快でたまらない。こんな欲望とは対極に位置するような場所は、ゴドーには似つかわしくない。

「さっさとプリキュアを見つけて倒して、こんなところ退散してやるんだから」

 と、そんなことを考えながら、何の気なしに廊下の窓から外を眺めたときのことだ。

「ん……?」

 人気のない裏庭。その一角に、何本か樹木が植えられている。そのうちの一本の梢に、何羽か小鳥が止まっていた。春も深まりだいぶ温かくなってきた陽気を喜ぶかのように歌う小鳥たちは、本当に幸せそうだ。

「…………」

 あれこそが正しい姿なのだ。ゴドーは確信する。こんな鳥かごのような場所に閉じこめられ、望まぬことをし続ける生徒より、自由に飛び回り、歌うことができる小鳥たちの方が、よほど理に適っている。

「温かい陽気だから、鳥たちも元気いっぱいだ」

 と、そんな声が耳朶を叩いた。

「少し暑いくらいだから、日陰の裏庭に逃げてきたのかもしれないね」

 ゆっくりと振り返る。ゴドーのすぐそばに、長い髪をした女子生徒が立っていた。見た目はお嬢様然としているのに、口調や声、仕草はどこか男らしい。というよりは、紳士然としているといった方が正しいかもしれない。

「君はどこの誰かな? この学校の生徒ではないだろう?」

「…………」

 もちろんのこと、ゴドーは制服など着てはいない。普段通りの、黒ずくめのアンリミテッドスタイルだ。そんな部外者であるゴドーを正面から責めるのではなく、あくまで淡々と問う。そんな生やさしい姿勢が、ゴドーは気に入らない。

「そう言うあんたは誰?」

「私かい? 私は騎馬はじめ。生徒会副会長だ」

「生徒会? 副会長?」

 思わず吹き出してしまう。真面目くさった顔をした目の前の生徒は、言うに事欠いて、生徒会の副会長様だと言うのだ。

「どうかしたかい?」

「……ふふ。ふふふ。ああ、可笑しい」


…………………………

「……大変グリ」

「大変ニコ!」

 そんなゴドーとはじめの姿を見つめる小さな影が、ふたつ。

「早くゆうきとめぐみに知らせるグリ!」

「ニコ! 屋上に急ぐニコ!」

 今日は少し暑いから、日陰になる裏庭でのんびしていたブレイとフレン。

 ふたりは頷き合うと、小さな身体で精一杯、屋上へと急いだ。


…………………………

「可笑しい……?」

 はじめが困惑するような声で問うた。

「ええ、とっても可笑しいわ。生徒会って、こんな不自由な場所で過ごす生徒を束ねるものでしょ? くっだらないわ。学校なんて不自由なものに惰性で縛られている人間もどうしようもないけれど、自分から望んで縛られに行くようなことしてるあんたは、もっとどうしようもないわね」

 欲望を達成することもできず、ただ望まぬ事をやり続ける場所。そんな場所の規範たろうとするはじめのことを、ゴドーはくだらない存在だとしか思えなかった。そして、そんなことを面と向かって言ったのだ。はじめは怒っているだろう。その怒りすら嘲笑してやろうとゴドーが顔を上げる。

「うむ。たしかに、自ら何かを成そうと望まない人にとって、この学校という場所は、単に不自由な場所に映るかもしれない」

 しかしはじめは、ゴドーの顔を興味深げに見つめているだけだ。怒りの気配など、微塵もない。

(なに、こいつ……?)

「けれど、違う。学校という場所は、たしかに退屈で不自由な場所かもしれない。けれど、それは見方によって変わることなんだ」

 たじろぐゴドーに、はじめは続けた。

「私は学校が好きだよ。それは、ここが自分にとって心地がいいからというだけじゃない。学校という場所は、生徒全員に開かれているんだ。ここに通う生徒全員を受け入れ、生徒おのおのが望めば、その望みに向かう手伝いをしてくれる場所なんだ。この学校は先生方も熱意溢れる方ばかりだし、環境も適切だ。私は、そんなこの学校が大好きなんだ」

 まあ、と。はじめは含むように笑って。

「ただ、君から見たら、私は望んで不自由に縛られているように見えるのか。なるほど。そんな風に考えたことはなかったから、新鮮だ。後学のためになりそうだよ。ありがとう」

 本心からそう思っているのであろう、裏表のない笑顔。

 ゴドーがどこの誰かということにすら頓着していない。まじめすぎて、人間を疑うということを知らないのかもしれない。

 どこまでもよくできた人間だ。

 まるで、自分とは正反対――、

「……ッ!」

 気に入らない。気に入らない。気に入らない。

「……?」 一歩後じさったゴドーに、はじめが心配するような顔をする。「大丈夫かい?」

 気に入らないことを、我慢する必要があるだろうか?

 否。

「……あたしは、アンリミテッド。闇の戦士、ゴドー」

「えっ……?」

 瞬きすら許さず、ゴドーは小さい手をはじめの前で振った。

「あ……れ……?」

 はじめの身体がふらりと傾ぎ、廊下に倒れ込む。簡単な催眠術のようなものだ。

「……だから、何かを我慢する必要なんてない。不快だと思ったものは、目の前から排除する。ただ、それだけのことよ」

 ぱさっ、と。はじめの身体から何かが落ちた。

「……?」

 それは、一枚の紙だ。


…………………………

「本当にこっちでいいのね、ブレイ!?」

「グリ! 間違いないグリ!」

 お昼を食べ終わった頃、文字通りブレイとフレンが屋上に転がり込んできた。相当急いだのだろう、息も絶え絶えなふたりからなんとか事情を聞きだし、ゆうきとめぐみはブレイとフレンに案内されて廊下を急いでいた。

「けど、その女の子は本当にアンリミテッドだったの?」

「ニコ! アンリミテッドは気配で分かるニコ! アイツは間違いなくアンリミテッドニコ!」

「それで、そのアンリミテッドと話してた生徒っていうのは誰か分かる?」

「えーっと、たしか……」

「騎馬はじめ、って名乗ってたニコ!」

「騎馬さんが!?」

 めぐみが大声を上げる。めぐみに抱えられているフレンが身をすくめるが、それにすら気づいていないようだった。

「ってことは、騎馬さんが危ないわ! 急ぐわよ、王野さん!」

「うん!」

 もちろん、相手がアンリミテッドであれば、誰であろうと心配だ。それがさっき出会ったばかりのはじめだというならなおさらのことだ。

「あの角を曲がった先グリ!」

 ほとんど飛び出すように、曲がり角に飛び出す。そして、ゆうきとめぐみは見た。

「……あら?」

 明らかにこの学校には不釣り合いな、黒ずくめの格好をした少女と、その脇に倒れる騎馬はじめの姿を。

「あなたが……!」

「アンリミテッド!」

「ふぅん……」

 少女は口角を歪め、品定めをするようにふたりを見た。

「ってことは、あんたたちがプリキュア? なぁんだ。全然大したことなさそうじゃない」

 上背や顔立ちは、ゆうきたちとほぼ同い年くらいに見える。しかし、浮かべる表情は、どこか幼い。幼く、そして残酷な雰囲気だ。


「騎馬さんに何をしたの!?」

「騎馬……? ああ、こいつ? そういえばそんな風に名乗ってたかしらね」

「何をしたのかと聞いてるの!」

「べつに。うるさいし不快だったから眠ってもらったってだけのことよ」

 少女はなんでもないことのように言う。人一人に危害を加えておいて、それを何とも思っていないのだ。それがゆうきには信じられなかった。

「さて、そんなことはどうでもいいじゃない。ねえ、勇気の王子と優しさの王女?」

 まるで幼子に語りかけるような声色。けれど、そこに浮かぶのは侮蔑という悪意だけだ。

「聞き分けの悪い王族は臣民に嫌われますわよ? どうか、このゴドーめに紋章をお渡しくださいな」

「ふっ……ふざけるなグリ! その臣民は、お前たちが奪ったグリ! みんなを……みんなを返せグリ!」

「ふふっ……ムキになっちゃって、ばっかみたいっ」

 ゴドーと名乗った欲望の戦士は、唾棄するように言葉を吐く。

「あんたたち王族って、そんなだからダメなのよ。そんなだから、あたしたちアンリミテッドに負けたのよ」

「グリ……」

 涙ながらに、みんなを返せと叫ぶブレイ。ゴドーは、そんなブレイの言葉すら意に介してはいない。

「おとなしく、紋章を渡しなさい。それは、誰も何も守れなかったあんたたち無能な王族ではなく、あたしみたいな強い欲望を持つ者こそ、持つに相応しいものだわ」

 自分たちが奪ったものの大きさを理解していない。自分たちが何をしたのかすら、もしかしたら分かっていないのかもしれない。

 ゆうきはたまらず、口を開いた。

「ねえ、あなた! ゴドーさん!」

「何かしら?」

 ゴドーの邪気を含む目がゆうきに向けられる。

「あなたたちアンリミテッドが何をしたのか分かってるの? あなたは、ブレイとフレンの大切なものをたくさん奪ったんだよ? そんなひどいことをしておいて、ブレイにまたそんなひどいことを言うの?」

「はぁ? あんた何言ってんの?」

 ゴドーは不快そうに顔を歪めた。

「馬鹿も休み休み言いなさいよ。あたしはアンリミテッドの戦士なのよ? 自分の欲望にしか従わない。そんなあたしに、あんたは何を求めてるわけ?」

 くだらないとばかりに吐き捨てるゴドーに、ゆうきはようやく踏ん切りがついた。


「……そっか、あなた、本当にアンリミテッドなんだね」

 そんなゴドーの姿を見て、ゆうきはそっと腕を差し出した。

「ばーか、そんなの当たり前じゃない」

「うん。そうだよね。あなた、わたしたちと同い年くらいだから、もしかしたら分かってくれるかも、って思ったけど、そんなことはないみたいだね」

 その腕に煌めくは、薄紅色のロイヤルブレスだ。

「……騎馬さんを傷つけて、ブレイの心を傷つけて……わたしは、そんなあなたを許さない」

「へぇ? 許さなかったらどうするっていうの?」

「決まってるわ」

 静かな怒声。それは、ゆうきの傍らから発せられた。

「訂正させる。いつか、必ず。あなたの口から発せられた、その許せない言葉を」

「めぐみ……」 フレンが頼もしいめぐみを見つめ、ほっと息をつく。

 ブレイとフレンの傍らには、ゆうきとめぐみがいる。だから、大丈夫。

「ふん、くだらない。自分の欲望で言葉を語ることすらできない人間に、用なんてないわ」

 ゴドーはつまらなそうにそう言うと、手に持っている紙をかざした。

「なかなか良い欲望の品だったからもらっておいたわ。あんたたちの相手はこれで十分だわ」

「!? それは……騎馬さんの立候補書類!?」

 めぐみの顔色が変わる。

「それは騎馬さんの大事なものよ! 返しなさい!」

「馬鹿言うんじゃないわよ。これはあたしがこいつから奪ったの。もうあたしのものよ」 ゴドーは邪気に満ちあふれた笑みを浮かべた。「こいつ、生徒会長に立候補するのね。今も副会長をやっているとか言って、散々あたしに生意気なことを言ってきたから、あまりに不愉快で思わず眠らせちゃったわ。ははっ、いいザマよね」

「ゴドー……!」

 めぐみの純粋な怒りの声にも、ゴドーはどこ吹く風だ。

「生徒会長になりたいだなんて馬鹿みたい。生徒の規範? 生徒の模範? 学校を取り仕切る? ばっかみたい。そんなの、自分から進んで不自由な方向に進もうとしているだけじゃない。自分の欲望を恐れて、逃げているだけだわ」

「違う! 生徒会長になりたいっていうのは、欲望から逃げることじゃない! この学校が好きで、この学校をもっと好きになりたくて、そのための仕事がしたいって、ただそう思うだけのことよ!」

「っ……ばっかみたい! ばっかみたい! あんたも、こいつと同じことをいうのね」

 ゴドーが不愉快そうに顔を歪めた。


「当たり前よ!」 それに対し、めぐみは毅然と叫んだ。「私も騎馬さんと同じように、生徒会長に立候補するんだからっ!」

「ああそう。だったら、あたしに感謝することね!」

「感謝……? あなた、一体何を――」

「――うっさい! 出でよ、ウバイトール!」

 ゴドーは両手をかざし、叫ぶ。そしてはじめの立候補書類を窓から裏庭に落とした。

 空が暗く染まる。雲が黒く染まる。そんな大空に亀裂が生まれ、そこからこの世ならざるものが大地に落ちる。そしてそれが、はじめの書類へと取り付いた。

「書類を取り返したいなら、取り返してみなさい。できるものなら、ね」

 言うと、ゴドーは窓から裏庭へ降り立った。ゆうきとめぐみは慌てて窓にとりつき、そして見た。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 悪辣なる欲望の化身が生み出された、その瞬間を。

「……王野さん!」

「うん!」

 ふたりは頷き合い、ロイヤルブレスをかざした。

「受け取るグリ!」

「プリキュアの紋章ニコ!」

 ブレイとフレンの声が廊下に響く。桃色と空色の光が鋭い軌跡を描き、ふたりの手へと落ちる。

 それは、伝説の神獣、グリフィンとユニコーンをかたどった紋章。

 ふたりはそれをロイヤルブレスへと滑らせ、声高に叫ぶ。


「「プリキュア・エンブレムロード!」」


 闇の中に一筋の光が生まれる。その光は、桃色と空色の、勇気と優しさの光。

 光は爆発的に広がり、やがて集約しゆうきとめぐみを取り巻き、その姿を変化させていく。

 やがて、光がはじけ飛び、裏庭にふたりの伝説の戦士が降り立った。


「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」

「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」


 そう、その戦士こそ――、


「「ファーストプリキュア!」」


 世界が闇に墜ち、欲望に飲み込まれようとしても、その光が守ってくれる。

 伝説の戦士プリキュアという名の、光が。


…………………………

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「ふん、よりによって、二回連続で同じものをウバイトールにするとはね!」

 ユニコがグリフに先んじて飛び出す。

「芸がないのよ、あんたたちは!」

 ユニコの蹴りがウバイトールにの身体に炸裂する。巨大な紙のようなウバイトールは、前回と同様、その身体を使ってユニコを拘束しようとする。

「同じ手が通用すると思わないで!」

 すかさずグリフが飛び出し、ウバイトールを横から殴りつける。大きく揺らぐウバイトールに、そのままグリフは拳の乱打を放つ。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

『ウバッ……ウバアアアアアアアアアアア!!』

 横からの絶え間ない攻撃に、ウバイトールがグリフを拘束することはおろか、攻撃を満足に防ぐこともできず、徐々に後退していく。

「はぁあああああああああ!!」

 そんなウバイトールの頭部に、ユニコが強烈な跳び蹴りを放つ。ウバイトールはそのまま後方に吹き飛び、大きな音を立てて裏庭に墜落した。

「なっ……なんだってのよ! ちょっと! 早く立ちなさいよ、ウバイトール!」

 その脇に現れ、ウバイトールをたきつけるゴドー。その言うことは絶対なのか、ウバイトールがよろよろと立ち上がる。

『ウバ……ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「ゴドー、答えなさい! 感謝することね、ってどういう意味!!」

「はぁ?」

 ゴドーが、心底呆れたとばかりにユニコを見る。

「あんた、それ本気で言ってるの?」

「私は答えなさいと言ったのよ!」

「……決まってるじゃない、そんなの」 ゴドーは酷薄に笑んだ。「あんた、くっだらない生徒会長なんかになりたいんでしょ? 騎馬さんとやらの書類がなくなれば、立候補するのはあんたひとりになって、生徒会長はあんたで決まりじゃない」

「は……はぁ!?」

 ゴドーの言葉はユニコにとって理解しがたいものだった。反論しようという気すら起こらなかった。

「だから感謝しなさいって言ったの。良かったじゃない、あんた、生徒会長になれるわよ? あたしには、何でそんなものになりたいのか分からないけどね」

「…………」


 ユニコは、無言。顔はうつむき、肩が震え、固く握りしめられた拳もまた、ブルブルと震えている。

「あ、あの……ユニコ?」

「…………」

 ああ、これはいけない。もはやユニコにはグリフの言葉さえ届いていないのだ。グリフは慌ててユニコの傍を離れ、近くに隠れていたブレイとフレンを優しく抱き上げ、その目を覆った。

「グリ?」

「どうしたニコ、グリフ」

「いや……なんかすごく嫌な予感がするから」

 と、いうよりは相棒としての勘だろうか。これからユニコは、きっととんでもないことをしでかす。

 それはもう確信に近い。

「だからブレイ、フレン……もしかしたら、耳を塞いでた方がいいかも」

「何でグリ?」

「だって……優しくて恥ずかしがり屋で照れ屋で、少し素直になれない……そんなユニコのイメージ、壊したくないでしょ?」

 我ながらすさまじい説得力だと思った。ブレイとフレンはビクリと身体を震わせると、グリフの手の中で固く目をつむり、ギュッと耳を塞いだようだった。

「……? 何やってるんだか知らないけど、チャンスね! ウバイトール! まずはあの白い方を倒しなさい!」

「…………」

 うつむき、今や全身をブルブルと震わせているユニコ。

(ああ……わたし、どこかで聞いたことあるなぁ)

 と、グリフはどこか遠い場所からその光景を眺めているような気分で。

(あれ……たぶん、“武者震い” ってやつだよね)

 というよりは、抑えきれないほど強い怒りによる震えか。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 哀れかな。けれどそんなこと、ゴドーはおろか、ウバイトールも知る由もない。ユニコに向け突進し、その巨体をもって吹き飛ばそうとする。

「……はぁあああああああああああああああ……」

 まるで武道の呼吸法。ユニコがうつむいたまま、深い声をあげる。瞬間的に生まれたのは、空色の優しい光。

“守り抜く優しさの光” 。


『ウバッ……!?』

 ウバイトールはようやく何かに気づいたようだったが、もう遅い。勢いがついてしまったものは、そう簡単には止まれない。

「な……あれは、何……?」

 空色の光が、やがて実体をともなってユニコの前に形成される。その異様な姿に、さしものゴドーも何かに気づいたようだった。

「……ねえ、ゴドー。私、怒ってるのよ?」

「は……はぁ!? だったら何だって言うのよ!!」

 ウバイトールが、そんなユニコの間近まで迫る。



「オオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!



 それは気合いの声というよりは、獣の雄叫びに近かった。グリフはホッと安堵する。

(ブレイとフレンに耳を塞がせて良かった……)

 あんなユニコの姿と声、できれば、いや絶対に見せたくないし聞かせたくない。というか、

(わたしも見たくなかったし聞きたくなかったよぅ……)

 そんな詮無いことを考えているうちに、その雄叫びをあげる当の本人は、空色の光を拳に集約させていた。

「――って、はぁ!?」

 あまりにも不自然なことを、しかしユニコはあまりにも自然な動作で行っていた。本人には、自分が何をしなければならなくて、そのために何をすればいいのか、それが分かっているのだ。

「いや、でも、だって……ええー……?」

 グリフの呆れ声も、ユニコには届かない。そしてユニコはそのまま、空色の光――即ち誰かを守るための優しさの光をまとわせた拳を引き絞り、自らに突撃してきたウバイトールへ迷いなく突き出した。

 圧倒的な守りの力である “守り抜く優しさの力” 。その光が、勢いよく突っ込んできたウバイトールに向けて突き出されたのだ。

『ウバァアアアアアアアアアアア!!!』

「……はぁ!?」

 ウバイトールが吹き飛び、軽く十メートル以上先に落下する。ゴドーの素っ頓狂な声ももっともだとは思うが、今ばかりはそれは自業自得だと思えた。

 ゴドーは、ユニコの怒りに触れてしまったのだ。


「な、何あれ!? 何なの!?」

「……言ったはずよ、ゴドー?」

 その声に、ゴドーがビクリと身体を震わせる。グリフはいっそ、ブレイとフレンを投げ出して自分が耳を塞いでしまいたい気分だった。

「私、とっても怒っているの。ねえ、さっき言ったわよね?」

「えっ、いや、だって、それは――」

「――言ったわよね?」

 さすがにゴドーも気づいたようだった。藪をつついて蛇を出すどころか、怒り猛る暴れ一角獣を出してしまったことを。

「ばっ……しっ、知らないわよ!! ばーかばーか!!」

「…………」

「ひっ……おっ、覚えてなさいよー!!」

 一歩踏み出したユニコがあまりにも恐ろしかったのか、ゴドーが背を向け、宙にかき消えた。撤退したのだろう。

「あ……い、行っちゃったね、ユニコ」

「……ええ。でもまだ終わりじゃないわ。やっちゃって、グリフ」

「えっ、あっ、うん」

 声にいつもの感じが戻り始めている。ウバイトールに反則まがいの “守り抜く優しさの拳” をキメたからだろうか。少し気が晴れたようだ。

『ウバッ……!?』

「……ってことで、悪いけど、ゴドーも帰っちゃったし」 グリフは、少しだけウバイトールを哀れに思いながらも、手を振ってカルテナを取り出す。「……さようなら?」

『ウバ……ウバアアアアアアアアアアアア!!!』

「あら? フレン? ブレイ? どうしたの、そんなに震えちゃって」

“立ち向かう勇気の光” の翼をまとい、駆けだしたグリフの置きみやげ。ブレイとフレンの姿を見て、ユニコが問う。

「な、なんでもないグリ……」

「ふ、フレンは何も見てないし聞いてないニコ……」

「?」

 ブレイとフレンは、少しの間、めぐみを見つめて地上でガタガタと震えていたという。


…………………………

「う……うーん……」

 揺れる感覚。視界の端に光を感じ、はじめは目を開いた。

「……あれ? ここは……」

「良かった。気がついたのね」

「えっ……大埜さん?」

 自分を上からのぞき込む同級生の顔に、安堵の表情が浮かぶ。

「私は一体……」

「疲れていたんじゃないかしら? 私と王野さんが廊下を歩いていたら、あなたが倒れていたのよ」

「疲れ……?」

 ゆっくりと身を起こしながら考える。

(私……誰かと話していたような……)

「あの……大埜さん」

「何かしら?」

「ここに、黒ずくめの女の子がいなかったかい? 私たちと同い年くらいだけど、この学校の生徒じゃなさそうな子なんだが」

「……? そんな子見かけてないわ。ねえ、王野さん」

「えっ? あっ、う、うん。そんな子見てないなぁ~」

 そうか。このふたりがそう言うのなら間違いないだろう。自分は夢を見ていたのだろうか。それとも、彼女はふたりが現れる前にどこかに消えてしまったのだろうか。

 どちらにせよ、だ。

「……もう少しだけ話を聞きたかったなぁ」

「えっ?」

「いや、なんでもない。ありがとう、大埜さん。王野さん」

「どういたしまして。保健室行く?」

「いや、体調が悪いわけではないよ。そろそろ授業が始まる。教室に戻ろう」

 まさか、生徒会長に立候補するふたりともが遅刻などというわけにもいかないだろう。

「アンリミテッド……の、ゴドーさんか……」

「「う゛ぇっ!?」」

「? どうかしたかい?」

 ふと思い出したのだ。記憶がとぎれる直前、彼女は自分にそう名乗っていたのだ。

「う、ううん。なんでもないわ……」

「うんうん! なんでもないなんでもない!」

 ゆうきとめぐみは慌てた様子だったけれど、その理由がはじめには分からない。

 ともあれ、だ。

「……おもしろいことを言う子だった。もう一度会ってみたいな」

 はじめはふと、窓の外に目を向ける。そこではやはり、木々の梢に小鳥が止まり、さえずっている。

 彼女もまた、今の自分のように小鳥を眺めていたのだ。

 本人にはきっと自覚はなかっただろうけれど、とても優しい目で。

「もう一度、会いたいな……」

 様々な想いをつないで、物語は進んでいく。

 その先にある未来へと。


…………………………

 夕暮れには、温かく立ち上る湯気がよく似合う。

「…………」

 赤光に染まり、湯気がふよふよと温かい色合いを演出してくれるのだ。

「……来てくれるかしら?」

 自分がいれた紅茶を見つめながら、彼女はそっと呟いた。

「ゆうきちゃん……お友達をたくさん連れてきてくれると嬉しいけど」

 カランコロンとベルが鳴り、入り口のドアが開かれる。

 そこは喫茶店、“ひなカフェ” 。

「噂をすればっ、と」

 彼女は、今の今まで自分以外誰もいなかった店内にやってきたお客を出迎えた。

「……って、これまたえらくお洒落な喫茶店だねえ。よくこんなお店見つけたね、ゆうき」

「うん。この前の帰り道、たまたま見つけたんだ。今日からオープンなんだよ」

 背の高い女の子、背が低い女の子、少し険の強そうな女の子、そして、優しげなゆうき。

 驚いたことに、彼女は三人も友達をつれてきてくれたのだ!

「いらっしゃい、ゆうきちゃん」

「ひなぎくさん、こんにちは!」

 朗らかな応答。彼女の笑顔に、こちらも自然、笑顔になる。

「約束通り、お友達をたくさん連れてきてくれたのね。ありがとう。とっても嬉しいな」

「そんな……っていうか……」

「――すっごーい!! かわいいかわいいかわいすぎるぅー! それにカッコイイ!」

「……こんな風に、このひなカフェの話をしたら、是非行きたいってみんなが……」

「ふふ、そうだったの。ありがとう……えっと、あなた……」

「更科ユキナです! こんなすてきなお店に美人さん! なんかの舞台みたい! すごいです!」

「そ、そう? それはどうもありがとう」


 ユキナと名乗った小柄な女の子は、かなりミーハーな性格のようだ。その元気いっぱいの自己紹介に、他の子たちも続いた。

「初めまして。栗原有紗です」

「どうも、初めまして。大埜めぐみです」

「ご丁寧にどうも。私はここのオーナーの小紋ひなぎく。適当に呼んでね」

 彼女は自己紹介もそこそこに、四人を席に座らせて、自分はカウンターの向こうへと引っ込んだ。

「今日はサービスしちゃおうかしら。紅茶でいい?」

「やたっ! ありがとうございます!」

 年頃の少女たちの笑顔に、彼女も嬉しくなる。さっき自分でいれた紅茶で舌を潤し、四人のための紅茶の用意を始める。

「……でも、大埜さんも水くさいなぁ。推薦者だっけ? そんなの、一言くれればすぐに了承したのに」

 ふと耳に入ったのは、四人の話す声。朗々と響くやや男らしい声は、有紗のものだ。

「いきなり廊下に呼び出されたかと思えば、今にも死にそうなくらい緊張した大埜さんが待っているときたもんだ。あのときは驚いたなぁ」

「し、仕方ないじゃない……だって、断られたらって思ったら、怖かったんだもの」

「断らないよー! 大埜さん、あたしたちの演技、しっかり見ててくれたじゃん。だから、今度はあたしたちが大埜さんのお手伝いをしてあげるの」

 ユキナが朗らかに応える。

「……うん、ありがと」

 きっと、あのめぐみという子はあまり友達づきあいが得意ではないのだろう。けれど、お礼を言ったその口は少しゆるんでいて、嬉しく思っていることは誰にだって分かる。

「よーし!」 と、ゆうきが気合いに満ちた声をあげた。「ともあれ、みんなでがんばって、大埜さんを生徒会長にするぞー!」

「「おー!!」」

「……お、おー」

 めぐみ本人はとても恥ずかしそうだ。

(……希望に満ちている)

 この世界は常に希望に満ちあふれている。その希望は、消えることはない。

 ゆうきたちのような人間が、次から次へと希望を作り出しているからだ。

(けれど、私は……)

 あまりにもまぶしすぎる。

 暗闇に慣れすぎてしまった、自分には。

 光り輝きすぎて、目が潰れてしまいそうなくらい。

 この世界の人々は、まぶしすぎる。


 次 回 予 告

ゆうき 「…………」

めぐみ 「あら? 王野さん、黙りこくっちゃってどうしたの?」

ゆうき 「ひっ……」 ビクッ

めぐみ 「……?」

ゆうき (よかった……もうゴドーのことで怒ってないみたい。ほっ……)

めぐみ 「……ええ。もう怒ってないから安心していいわよ、王野さん」

ゆうき 「心を読まれた!?」

めぐみ 「この天然さん。あなたは考えていることが顔に出やすすぎなのよ」

めぐみ (……はぁ。私も、この子くらい単純だったらなぁ)

ゆうき (大埜さんは何を考えているか分からないけど……なんか馬鹿にされてる気がする)

めぐみ 「……私は、あなたがうらやましいわ」

ゆうき 「???」

めぐみ 「……と、いうわけで次回、第八話! 【姉妹喧嘩!? どうする、めぐみ?】」

ゆうき 「姉妹? あれ、大埜さんってお姉さんか妹さんがいるの?」

めぐみ 「おあいにくさま。私じゃなくて、誰かさんの妹よ」

ゆうき 「???」

めぐみ 「天然さんは置いておいて、それではまた次回。ばいばーい!」

ゆうき 「あっ! 薄々は感づいてたけど、やっぱりまだ怒ってるよね!? ねえ大埜さん!」

>>1です。
第七話はここまでです。
見てくださった方、ありがとうございます。
また来週日曜日、投下できると思います。


なぜなにプリキュア

ゆうき 「ゆうきと、」

めぐみ 「めぐみの、」

ゆうき&めぐみ 「「なぜなに☆ふぁーすと!」」

ゆうき 「さぁ、今日はみんなの名前の由来はちょっとお休みで、」

ゆうき 「別の質問に答えていくよ!」

めぐみ 「やる気満々ね、王野さん。やや空回り気味なのが気になるけど」

ゆうき 「いただいた質問です! 『カルテナの名前の由来について』だよ!」

めぐみ 「たしかにカルテナってあんまり聞き慣れた言葉ではないものね」

めぐみ 「カルテナは、英国王家に伝わる剣 “Curtana”から名前をもらっているわ」

めぐみ 「“カーテナ” って言った方が伝わる人は多いかもしれないわね」

めぐみ 「……まぁ、そもそもファーストプリキュア自体が英国をモチーフにしているところはあるのだけど、」

めぐみ 「それはまた、別の機会で話すことにしましょう」

ゆうき 「“Curtana” について詳しくは、インターネットで調べてみてね!」

ゆうき 「それでは、本編、スタートだよ!」


ファーストプリキュア!

第八話【姉妹喧嘩!? どうする、めぐみ?】



…………………………

 王野ともえの物心がついて間もない頃、お父さんはまだ家にいて、お母さんも今ほどは仕事をしていなかった。

 お父さんとお母さん、それからお姉ちゃんと赤ん坊だった弟のひかると一緒に、よくお出かけをしたものだ。

 ともえはお父さんとお母さんのことが大好きで、お姉ちゃんもひかるも大好きだった。

 変わったのはいつからだろう。

「……う……ん」

 まどろみから覚醒へ。ともえはベッドの上を転がり、そして聞いた。

「ともえー! 朝よー! 起きなさーい!」

 階下から声を張り上げているのだろう。姉、ゆうきの声は、がらがらとうるさい。

「…………」

 温かい布団から身をもたげ、考える。

 変わってしまったのはいつからだろう。

 自分は、あの優しい姉のことを……――――


…………………………

 それは朝、家族三人揃っての朝食のときのこと。

「めぐみちゃん、なんだか変わったね」

「えっ?」

 唐突な言葉だった。めぐみはかじろうとしていたトーストをお皿に置いて、対面に座るママを向いた。ママはお行儀悪く頬杖をついて、ニヤニヤとめぐみの顔を見て笑っている。

「何よ、いきなり」

「ふふ、だから、変わったねって」

「変わったって、何が?」

 ママの笑みがうさんくさい。少し不機嫌な声で応じるが、当の本人は相変わらず笑っている。

「なんていうかね……よく笑うようになったかも?」

「かもって……」

 とても自分の親とは思えない、適当な物言いだ。娘に対して示しがつかないとか、そういうことは考えないのだろうか。

「ねえねえ、めぐみちゃん」

「何よ?」

 もう相手をするのも馬鹿らしくなって、めぐみはトーストをかじりかじり応える。

「もしかして……」 ママは、ニヤァ、という擬音がよく似合う、いやらしい笑みを浮かべて。「ボーイフレンドでもできた?」

「ぶっ……」

 ゴホッ、ゴホッ、とむせながら、めぐみはトーストをまたお皿に置く。

 娘の平穏なブレークファーストを邪魔するとは、なんという親だろう。

「ママ!! いい加減にしてよ!」

「……めぐみ」

 と、ママの横に座るパパが口を開く。厳格で無口で、けれど優しい自慢のパパだ。めぐみの性格はどちらかといえば、パパに似ている。

「な、何? パパ」

「……お付き合いしている男の子がいるのか?」

 一瞬思考がおいつかなくなった。パパが何を言っているのか、まるっきり分からなかった。

「え?」


「……だから、お付き合いしている男の子がいるのか?」

「いやいやいや! いないよ、そんなの!」

 大体、めぐみが通っているのは女子校であるダイアナ学園だ。彼氏なんて、作ろうと思ってもそう簡単に作れるものではない。そもそも、めぐみにはそんなものを作る気はない。

「そうか……」

 ママの冗談を真に受けたのだろうか、パパがほっと安心するように息をつく。いくらなんでもまじめすぎる。そんな性格で、よくこのママと結婚できたものだ。

「でもでもー、めぐみちゃん最近よく話してくれるじゃない? “ゆうきくん” のこと」

「はっ……? はぁ!?」

 ママがいやらしい笑みのまま、とんでもないことを言ってくれる。パパの鋭い目線がママを向く。

「……ママ、ゆうきくんとは誰だ?」

「それが聞いてよパパぁ。なんか、めぐみちゃんの新しいお友達らしいんだけど、一緒に学級委員をしているうちに随分仲良くなったらしいの」

「……本当か、めぐみ?」

 いや本当だけれど!

 まさしく本当のことだけど!

 けど思い出して、パパ!

 ダイアナ学園中等部は女子校よ!?

「いや、だから……」

 何から説明をしたらいいか、困り果てるめぐみの視界の隅で、ママはニシシと心底楽しそうに笑っていた。

「はぁ……」

 まぁ、面倒ではあるけれど、楽しい家だ。めぐみは一人っ子だけど、それを寂しいとか、そんな風には思ったことはない。

「めぐみ、ゆうきくんとは一体どういう少年なんだ?」

「……だーかーらー!」

 ふと、そういえばゆうきには妹と弟がいると聞いたことを思い出した。

(どんな子たちなんだろう?)

「めぐみ。めぐみ、聞いているのか? ゆうきくんというのはどこの馬の骨――いや、どこのどちら様なんだ? そうだ、今度うちに連れてきなさい。いいな、めぐみ? めぐみ? 聞いているのか? めぐみ? めぐみ?」


…………………………

 世界は欲望に満ちている。

「……うざいうざいうざいうざい!!!」

 欲望とは、何も『あれをしたい』『あれが欲しい』といった単純なことだけを指すのではない。

 何かをしたくない。何かを消してしまいたい。そういった想いもまた、欲望となりえるのだ。

「うるさいぞ、ゴドー。少しは静かにできないのか」

 床に寝そべり、まるで駄々っ子のように騒がしいゴドーをいさめるのはゴーダーツの役目だ。

「うっさい! 何をするかなんて、あたしの勝手でしょ!」

「その勝手とやらが、俺の迷惑になっているのだ。理解しろ」

「うっさい!」

 とりつく島がない。会話をしようという気すらないのだろう。

「……仕方がない」

 ゴーダーツは合理主義者だ。己の欲望を達成することができないなら、他の方法を探し実行する。ゴドーが騒ぐことをやめないのなら、ゴーダーツが別の場所へ移ればいいだけの話だ。

「くだらん……」

「待ちなさいよ」 剣を提げ、腰を上げたゴーダーツを引き留める声。ゴドーだ。「どこに行くのよ」

「どこであろうと俺の勝手だ」

「……ねえ、ゴーダーツ」

「何だ」

 これを最後の会話にしようと心に決めて、ゴーダーツはゴドーに背を向けたまま応じた。そうしてしまったのは、自分を呼ぶゴドーの声に、普段の彼女らしからぬ弱さが垣間見えたからだ。

「プリキュアって、何なの? あいつらはどうして王子たちを守るの?」

「…………」

 ゴーダーツは黙したまま、そっと振り返った。ゴドーは起き上がり、真剣な顔をしていた。

「あいつらからは何の欲望も感じられなかった。自分のために何かをしようとしているのではないのよ。あんなの……信じられない」

「……そうだな」

 世界は欲望に満ちている。それはアンリミテッドに限った話ではない。ゴーダーツはダッシューやゴドーに先んじて、ホーピッシュにてロイヤリティの生き残りを捜していたから分かる。プリキュアたちが住まうあの世界もまた、欲望に満ちているのだ。あそこに住まう人間たちも、自分たちアンリミテッドに勝るとも劣らないほどの欲望を、それぞれの心のうちに秘めているのだ。

 そしてきっと、プリキュアたちもまたその心の内に欲望を持っているはずなのだ。

「奴らは王子たちを利用して何かをしようとか、そういう考えは持っていないようだ。ただ純粋に王子たちを守りたいのだろう」

「……意味わかんない。何それ」

 不機嫌そうなゴドーの声。そう言われたところで、ゴーダーツにも分からない。

「さぁな。とにかく、我々とは考え方が根本から違うのだろう」

 ゴーダーツはそれだけ言うと、さっさと歩き出した。ゴドーの言葉は真剣そのものであったし、憂慮すべきことでもあったが、今のゴーダーツは何より己に目を向けていた。

(もっと強くならねば……俺は、一度、完膚なきまでにプリキュアに敗れているのだから)


 ゴーダーツが去った後、しばし彼が去った方向を見つめていたゴドーだったが、すぐにまた床に寝ころんでしまった。

「あたし、どうして勝てなかったのかしら? あたしの欲望が達成できないなんて……」

 欲望が弱かったか?

 否、強かったはずだ。

 プリキュアの欲望はそれを凌駕して強かったか?

 否、奴らから欲望は感じられなかった。

 ならば、何故?

「……奴らは、欲望以外の何かで戦っている?」

 ロイヤリティの誇りはあるだろう。けれど、それだけではないはずだ。

 自分が、くだらないロイヤリティの誇りの力程度に後れを取るはずがない。ゴドーは、ロイヤリティそのものを飲み込んだアンリミテッドの一員なのだから。

「ならば、それは一体何? ロイヤリティの伝説の戦士、プリキュア。奴らは一体、何を糧に戦っているというの?」

 知りたいという欲望が身をもたげた。

 あわよくばそれを奪い取り、自分の力としてやろうという欲望も現れた。

 そうなってしまっては、もう誰にもゴドーを止められない。

「……待っていなさいプリキュア。あんたたちの力の秘密を暴いて、今度こそあんたたちを倒してあげるから」

 そして、ゴドーはその場からかき消えた。


…………………………

「……んう?」

 朝食を済ませて、登校準備の真っ最中。自分の部屋で持ち物の最終確認。忘れ物をすることが多い自分だからこそ、厳重に何度も何度も確認だ。そんなときに、その音は聞こえた。

 ぽよんぽよんぽよん、という規則的なやわらかい音。どうやら廊下の方からしているようだ。

「なんだろう?」

 ゆうきは訝しみながら、部屋のドアを開けた。

「あ……」

 開けて音のする方を見た途端、目が合った。

 おもしろそうな顔をしながら、廊下で何かをお手玉のように投げている妹のともえ。問題は、その何かだ。

「あ、あああああああ!!」

 勇気の王子こと、もふもふのぬいぐるみのような妖精、ブレイ。涙目で、ゆうきに向けて助けて! と視線で訴えている。

「ちょっ、ちょっとともえ!? あんた何やってるの!」

「お姉ちゃん、このぬいぐるみ、どうしたの? こんなの持ってなかったよね?」

「えっ、ど、どうしたって……」

 質問で返されて、ゆうきは返答に窮する。まさか空から降ってきたなんて言えるはずもない。

「と、友達からもらったんだよ」

「……ふーん。

 ともえは目を回しているブレイを両手で受け止めると、思案顔をして、やがてニィと意地悪く笑った。

「じゃ、これあたしにちょうだい?」

「えっ!? だ、ダメだよ! それは大事なものなの!」

「そ。じゃあ、返すね」

「えっ、あっ、ちょっと……!」

 ぽいっと、ともえがどうでもよさそうにブレイを放る。ゆうきが慌てて自分の方に飛んできたブレイをキャッチする。

「ほっ。よかった……。じゃない! こら、ともえ!!」

「じゃあ、行ってきまーす!」

「あ、ま、待ちなさい!! こらーーー!!!」

 言って聞くような妹ではない。ゆうきがブレイをキャッチしているすきに、すでに階下に降りていたともえは、ランドセルを背負ってそのまま玄関を出て行ってしまった。ゆうきが階段から下をのぞいたときにはすでに、不思議そうな顔をしたひかるが、「行ってきます」と言い残してともえを追いかけていくところだった。

「はぁ……」

 ゆうきはどうしたものかと嘆息する。

 ここのところ、ともえの反抗期がひどすぎる。

「グリ~~~~~」

 その手の中では、散々お手玉にされたからだろう。ブレイが目を回して呻いていた。

…………………………

「「はぁ……」」

 ダイアナ学園、2年A組教室でのことだ。見事に重なり合うため息ふたつに、対面のユキナがぶはっ、と思い切り吹き出した。

「ははっ、おもしろーい! ため息もシンクロするなんて、さすが “おーのコンビ”」

「人が悩ましげなのを笑い物にするんじゃない」

「あいたっ」

 そんなユキナの頭をパシッと軽く叩くのは有紗である。

「どうしたんだい、ふたりとも。ため息なんてらしくない」

 らしくないだろうか。自然と目を合わせるゆうきとめぐみ。お互いの目を見て、それがユキナと有紗に話してはいけない類の悩みではないと確認しあう。

「いや……私は大したことではないのよ。パパの誤解がなかなか解けなくて困ってるの」

 先に答えたのはめぐみだった。

「誤解?」

「ええ。ちょっと、ね……」

 言いづらそうに言葉を濁らせると、めぐみはなぜか少し顔を赤くしてゆうきを見た。何だというのだろう。

「へぇ、意外だなぁ」

「え?」

 有紗が感心するように言った。

「いや、大埜さんって大人っぽいと思っていたから、お父さんのことを “パパ” って呼んでるのが、少し意外だな、って」

「!!」

 ボフン! とめぐみの顔の赤みが一気に強く広がる。

「ち、違うのよ! い、いまのは言葉の綾というか、なんというか……わ、わわわ、私が、そんな……」

 あからさまな動揺に、ゆうきも吹き出しそうになる。言わずもがな、ユキナは大爆笑しているし、有紗もくすくすと笑っている。

「うぅ……」

 少し涙目になりながら、恨めしそうにそんな三人を見つめるめぐみ。元々が美人なのだから、その可愛らしさは推して知るべしであろう。


「いいじゃない。大埜さんがお父さんのことパパって……すっごくかわいいと思う!」

「うん。ギャップがすばらしいな」

 ユキナと有紗の褒めているのかどうなのか微妙な言葉に、めぐみは困惑顔だ。

「で、ゆうきは? 何かあったのー?」

 続いて、ユキナがゆうきに目を向ける。当然の流れとはいえ、どう話したものかと少し考える。

 ゆうきのため息の原因は、もちろんのこと、妹のともえのことだ。

「……うーん、ちょっと妹がね。反抗期が行きすぎているというか、なんというか……」

 隠しても仕方ないだろう。ゆうきは今朝の出来事を簡潔に話した。もちろん、ブレイのことはただのぬいぐるみとして話したが。

「……ねえ、王野さん、それって……」

「うん……」

 ブレイは朝から調子が悪くなってしまったらしく、家に置いてきた。勇気の紋章のこともあるし心配ではあったが、体調が悪いのに連れ出した方が心配だ。少なくともアンリミテッドが今まで自分たちの家までやってきたことはない。あちらとて、自分たちが狙っている王子をプリキュアたちが家に置いてけぼりにするとは思わないだろう。

「うーん、それって甘えてるんだと思うなぁー」

 ゆうきとめぐみがブレイの心配をしていると、ユキナがそう言った。

「甘え?」

「うん」

 ゆうきのオウム返しの問いに、ユキナが当たり前のことのように頷いた。

「ともえちゃんはゆうきに甘えてるんだよ。一回ガツン! と言ってやったらどうかな」

「ガツンって……」

 ゆうきとて親代わりを放棄しているわけではない。ともえの行儀が悪ければ注意するし、ともえの態度が悪ければ怒る。しかしそれも、最近はあまり効果がないような気がしてならないのだ。

「だってぇ、ゆうきって怒っても怖くないしぃ」

「なっ……」

「うん。それはユキナの言うとおりだな」

「ちょ、ちょっと有沙!」

「私も同感だわ」

「大埜さんまで!」

 ユキナの軽口のような指摘に有紗が頷き、先ほどの仕返しとばかりにめぐみまでもが乗っかってくる。けれど三人とも冗談を言っているような口振りではなくて、それが余計にゆうきを動揺させる。


「じゃあ試してみるよ?」

「言うが早いか、ユキナがゆうきに抱きついてきた。

「わっ……こ、こら! ユキナ!」

「ふひひぃ、ゆうきやわらかーい。おなかぽにょぽにょ~」

「だっ、誰がぽにょぽにょよ!」

 おなかをまさぐるユキナを、顔を真っ赤にして押しのけようとするゆうきだが、ユキナは離れない。いつもならここらで有紗が止めに入ってくれるのだが、今日に限っては事の推移をにやにやと見守っている。

「……ね? 怖くないでしょ?」

「わ、わかったよ……」

 やがて離れたユキナに、息も絶え絶えに応じるゆうき。そうか。怒っても怖くないから、今のユキナのように、ともえも言うことを聞かないのか。

「……でも、わたしがどんなに怒って見せてもなぁ。怖く感じるのかなぁ」

 誰にともない問いに、ゆうきを含めてみんなが首を傾げてしまう。

 本人すら想像できない怖いゆうき。それは一体、どんなものなのだろう。


…………………………

 ともえが物心ついたころ王野家は本当に普通の家庭だった。

 普遍的な、ごくありふれた、けれどとても幸せな家庭だった。

 お母さんは家にいて、お父さんは遅くなる日もあったけれど、毎日家に帰ってきて。

 お姉ちゃんはやさしくて、弟はまだ小さくて。

「…………」

 ふと、とっても近い過去、今朝のことを思い出す。

 姉の部屋から転がったのだろうか。廊下に落ちていたぬいぐるみを拾った。気になって持ち上げてみると、ほのかに温かい気がする。それに、むくむくの毛並みもどことなく本物といった風情だ。どこか気品のようなものも感じられる。

 きっと高いものだ、と思った。

 それに姉は、あのとき「とても大事なものだから」と言った。

 どうしてそんなものをお姉ちゃんが?

 理由は分からなくて、けれど少し腹が立ったから、姉にまたあんな態度を取ってしまった。

 後悔しているわけではない。自分が姉にいたずらをするのは今に始まったことではない。けれど、何かここ最近の自分は、おかしくはないだろうか。

「はい、ともえ」

「へ?」

 そんなことをぼーっと考える小学校の休み時間。ともえは友達から唐突に差し出された小さな紙包みを反射的に受け取っていた。

「……これ、何?」

「やだなぁ、忘れちゃったの? 先週話したじゃない。私、先週末に家族と旅行に行くって」

「え、ああ……ごめん」

 そんな話をしていただろうか。頭をふっとフル回転。そういえば、していたような気がする。

「だから、おみやげだよ」

「う、うん。ありがとう。開けてもいい?」

 中身はキーホルダーか何かだろうか。軽いが固い感触がする。ともえは紙袋を丁寧に開ける。中から出てきたのは、小さな髪飾りのついた髪留めだ。

「ありがとう。とってもかわいい」

「どうしたしまして」


 せっかくもらったのだから、と。ともえは今つけていた髪留めを外して、その髪留めで髪をまとめた。

「……どうかな?」

「似合うよ、ともえ。ともえはかわいから何でも似合ってうらやましいよ」

「そんなことないよ。でも、ありがとう。大事に使うね」

「うん」

 友達から何か物をもらえば、それはもちろん、とっても嬉しい。ともえはいつもつけている髪留めをポケットにしまった。

 小さな頃から使っている、大事な髪留めだ。まだ小さな頃、誰かからもらったものだ。

(あれ……?)

 ともえはポケットの中の髪留めをもう一度取り出して、見る。

(これって、誰からもらったんだっけ……?)

 小さな頃だから、母か父だろう。しかし、そうではない気もする。親戚か誰かだろうか。

「旅行、どこに行ってきたんだっけ?」

 おみやげをくれた友達に、他の友達が聞く。その声で、ともえは現実に引き戻された。髪留めをポケットにしまい直し、顔を上げる。

「夕凪町っていうところ。海がすっごくきれいだったよ」

「へぇー、いいなぁ。私もお父さんとお母さんにどこか連れてってもらいたい……」

 ふたりの話を聞きながら、ふとともえは思う。

(あれ……? そういえば、私、家族旅行に最後に行ったのっていつだっけ……?)

 よく思い出せない。低学年の頃に行ったのが最後だったような記憶がある。

 おぼろげで、あいまいな記憶だ。少なくとも、今すぐにはっきりと思い出せるほど明確な記憶ではない。

「…………」

 つまりは、それだけ長い間、家族旅行をしていないということだ。

「ともえ、どうかしたの?」

「……ううん」

 それがどうしたというのだ。どうも、今朝の夢といい今といい、今日は調子が狂う。ともえにはその理由はまったく分からないし、考えたくもない。

 分からない。

 分からないけれど、なんだか、胸がとってもムカムカする。


…………………………

「ねえ、今日は本当に私がお家に伺ってしまっていいのかしら?」

「へ?」

 放課後。暖かい陽気の下、通学路をゆうきと並んで歩く。けれどめぐみの心は不安でもやもやしていた。

「どうしたの、大埜さん?」

「どうかしたニコ?」

 ゆうきと一緒に、めぐみのカバンの中からひょっこり顔を出したフレンも不思議そうな顔をしている。

 めぐみとフレンがゆうきと一緒にいるのは、ブレイのお見舞いに行くためだ。ゆうきがめぐみとフレンに、ブレイのお見舞いに行くことを提案したからだ。フレンはブレイのことなど心配ではないと毒づきつつついてきて、そしてめぐみはというと、

「いえ、あの、その……」

 どうしてもさっきから落ち着きがない。ブレイのお見舞いには行きたい。行きたいが、しかし。

「実は、その……お友達の家に遊びに行くのって、小学生のとき以来だから、緊張してしまって……」

 ゆうきとフレンの視線に、めぐみが顔を真っ赤にしてそう答えた。

「緊張?」

「ええ……」 めぐみは、ぷいと目をそらして。「私、そういう友達、今までいなかったから」

 べつに、嫌われ者というわけではない。

 取り立てて浮いているというわけでもない。

 けれど、どこか、人と接することが少なくて。

 たまに誰かとお話したと思えば、相手を怒らせてしまったり、悲しませてしまったり。

 自分の口べたを、心の底から呪っていても、なかなか直せなくて。

 子どもの頃は、どんな風に友達と接していたか、どうしても思い出せなくて。

「大埜さん……」

「でもね、緊張してるけど、嬉しいの」

 めぐみは顔を上げた。ゆうきがオロオロと、どうしていいのか分からないような顔をしている。その顔に、ふっとほほえみかける。

「王野さんが私をお家に誘ってくれて、本当に嬉しかったわ」

「……うん! それなら良かったよ!」

 屈託なく笑うゆうきの顔を見て、めぐみは本当に、心の底から思うのだ。

 この子と友達になれて、良かった。


…………………………

 学校が終わって、いつもなら友達と遊びに出かけるものだが、今日ばかりはどうしてもそんな気分にはなれなかった。

「はぁ」

 友達には気分が優れないなどと適当に理由をつけて、ともえは制服も着替えずリビングでひとりごろんと寝転がっていた。姉が見たら何と言うだろうか。お行儀が悪いとか、だらしないとか、そんな風にお小言をくれることだろう。

「…………」

 姉のことを思い出すと、また胸のむかつきが広がっていく。

 ムカムカと広がっていく。

 本当に気分が悪そうだったからだろうか。友達が心配して家に行こうかとまで言ってくれた。でも、姉の取り決めによってお友達を家に招くときは事前の許可が必要だ。お母さんぶる姉には辟易としているが、日中に両親がいない王野家ではあっても仕方のない決まりだとは理解している。

 そんなときだ。

 ガチャッと玄関の方から音がして、続いて玄関の戸が開く音がした。

「ただいまー」

 脳天気な声は、間違いなく姉のものだ。しかしどこか様子がおかしい。ともえは寝転んだまま考える。姉の声に脳天気さが足りない。どこか、よそ行きのような気配がする。

 まさか、と。ともえはがばっと身を起こした。

「お、お邪魔します」

 その直後だ。おずおずといった風の聞き慣れない声が聞こえた。ともえは長い髪の毛をサッと整える。制服がしわになっていないか確認しているときに、ガチャッと音を立ててリビングのドアが開いた。

「あら、ともえ、帰ってたの」

「……悪い?」

「そんなこと言ってないでしょ。帰っていたならおかえりくらい言いなさい」

 またお小言だ。胸のむかつきがまた少し増える。

「お姉ちゃんこそ」

「な、なによ」

「お友達、家に連れてきたんだね。私のときは事前に許可が必要なのに」

「あ……」

 姉はバツが悪そうな顔をした。

「それは……ごめん」

「私のときはダメで、お姉ちゃん自身はいいんだね」

「そ、そうじゃないよ! 忘れてただけで……」


 ヒョコッと、申し訳なさそうな顔がドアのスキマから覗く。姉の友達だろう。

「王野さん? もし都合が悪いなら、申し訳ないから帰るけど……」

「そ、そんなことないよ! ないない!」

 姉は慌てた様子で友達らしき人に言う。ふと、その姉の友達がこちらを見る。透き通るような涼やかな目線に、ともえは一瞬たじろいでしまった。よくよく見てみれば、驚くくらい美人のお姉さんだ。とても子どもっぽい姉の同級生とは思えない。

「はじめまして。えーっと、ともえちゃんだよね。私はゆうきさんのクラスメイトの大埜めぐみです」

「……こんにちは」

 外面だけはよくしようと心がけているともえだが、今ばかりは愛想を振ることもできなかった。昼からの胸のむかつきが、なおいっそう大きくなったようだった。ともえは姉を睨み付けた。

「……二枚舌」

「そ、そんな風に言わなくたって」

「ずるい」

 不思議と姉を困らせようという意地の悪い感情はわいてこなかった。ただ怒っていた。

「私だって……今日は友達と家で遊びたかったのに」

「……ごめん。で、でもね――」

「言い訳なんて聞きたくない。いいよ、もう」

 家族とどこかに出かけることが少ない。

『夕凪町っていうところ。海がすっごくきれいだったよ』

 それどころか、お父さんとお母さんはいつも家を空けている。いるのは口うるさい姉と、自分に似ず素直で誰からも好かれる弟だけだ。



 ――――『ちょっ、ちょっとともえ!? あんた何やってるの!』



 胸のむかむかがまた大きくなる。それどろか、心なしか頭がくらくらする。気分がどんどん悪くなっていく。

「……もう、やだ」

 何もかもがいやになってきた。これといった嫌なことがあるわけではない。ただ、気分が悪い。自分自身の気持ち。姉に対する気持ち。両親に対する気持ち。色々な気持ちがぐちゃぐちゃになって、どう言葉に表したらいいのか分からない。だから、口をついて出たのは、そんな言葉だった。



「こんな家に生まれたくなかった」



 言ってしまってから、少しだけ、しまった、と思った。何を言っているんだろうとも思った。

 それが本心ではないことは明確だった。

 けれど、口に出してしまったことは取り返せない。それは間違いなく姉の耳に入っただろう。だから、そして。

「っ……」

 頬に軽い衝撃が走った。ともえはかすかに痛む頬を押さえて、目を見開いて目の前の姉を見た。姉も目を見開いていた。信じられないという顔をして、ともえと、今まさにともえの頬を張った自分の右手を交互に見つめていた。


…………………………

 してはいけないことをしてしまった。ゆうきは自分がしたことが信じられないでいた。

 妹の言葉に驚き、衝動的に頬を張ってしまった。

「あ、いや、その……」

 言葉が出てこない。信じられないという顔をするともえと、今まさにその頬を叩いてしまった自分の右手を交互に見比べる。ともえの頬は少し赤くなっている。自分の右手もまた、少し赤くなっていて、ジンジンと痛む。



 ――――『だってぇ、ゆうきって怒っても怖くないしぃ』



 ユキナの言葉が思い出される。怒っても怖くない。だからともえが言うことを聞かないのだとしたら、ここでまた厳しい言葉をかけないといけないのだろうか。事実、ともえの言葉は家族として許しておけるものではない。

 しかし、ならば自分が暴力に訴えてしまったことはどうなる。妹の言葉に衝動を抑えられず、頬を叩いてしまうなど、それこそともえの先の言葉よりひどいことではないか。

 どうしたらいいか、分からない。

「……バカ」

 どれくらい逡巡していたのだろうか。ともえはやがて悲しげな目をして、ゆうきの脇を通り抜け、リビングから出て行った。

「あっ……と、ともえ!」

 そのままバタバタと玄関から外へ出て行く音が聞こえる。慌てて追いかけようと玄関へ身を翻したゆうきの手を、掴む手があった。めぐみの手は、いつになく強い力でゆうきを掴んでいた。

「大埜さん……」

「…………」

 めぐみは渋い表情をして、首を横に振るだけだった。

「で、でも、追いかけなきゃ!」

「追いかけて、どうするの? あなたはともえちゃんになんて声をかけるつもり?」

 めぐみの問いかけは、淡々としていた。

「そ、それは……」

 分からない。先ほどだって逡巡するだけで何も言えなかった。それは今も変わっていない。ともえに追いついて話を聞いてもらったところで、ゆうきが言葉を紡げない。


「私は、あなたの友達だわ」

 めぐみが厳しい表情のまま言う。

「だから言う。あなたも分かっているでしょうけど、暴力はいけないわ」

「わ、分かってるよ! そんなこと!」

 恥ずかしさでどうにかなりそうだった。ともえを追いかけたいというよりは、めぐみの冷たい目線から逃れたくて、ゆうきはめぐみの手をふりほどこうとした。

「もちろん、思わず手が出てしまうこともなくはないと思うわ。でも、その後のあなたは、本当にあなたらしくなかった」

 めぐみの手が、万力のようにがっちりとゆうきの腕を掴んで離さない。

「暴力を振るってしまったら、謝らないといけない。謝る時間は十分にあったのに、あなたはそうしようとはしなかった。わたしの問いかけにも、すぐに『謝る』と言えなかった。それが、本当にあなたらしくないわ」

 分かっている。ゆうきは、謝らなければならないと分かりながら、謝ることをためらっていた。しつけをすることと謝ることは別のことなのに、それを混同して、謝ることができなかった。

 分かっている。分かっているからこそ、ゆうきはそのめぐみの言葉に耐えられなかった。

「……大埜さんには分からないよ!」

「王野さん?」

「大埜さんはひとりっこでしょ! 大埜さんに妹も弟もいるわたしの気持ちなんて分からないよ! 勝手なことばかり言わないでよ!」

 自分は一体何を口走っているのだろうか。後悔、恥ずかしさ、そういったものがないまぜになって、頭の中がぐちゃぐちゃだ。だから、思ってもいないことを口走ってしまった。

「あ、いや、あ……」

 まただ、とゆうきは心の中で頭を抱える。今度は直接的な暴力ではない。けれど、言葉の暴力といってもいいような、ひどい言葉だ。ゆうきのために言葉をかけてくれためぐみに、ひどいことを言ってしまった。ゆうきはおそるおそる後ろを振り返る。

 めぐみは怒っているだろうか。怒っているだろう。しかし――、

「そうね。私、あなたたち姉妹のことをよく知りもせず、勝手なことを言ったわ。ごめんなさい、王野さん。私、きっとまた余計なことを言ってしまったのだわ」

 めぐみは寂しげな表情でそう言って、頭を下げた。

「でもね、王野さん。私はそういう顔を、これ以上ともえちゃんに向けてほしくないの。なんていうか……あなたにはやっぱり、ずっと笑っていてもらいたいから。少なくとも、家族の前では」

 めぐみはもう、ゆうきに目を合わせようとすらしなかった。

「お節介ついでに、私がともえちゃんを探してくるわ。だから、あなたは落ち着くまで家にいなさい」

 いいわね、と優しく言い残して、めぐみは玄関から外へ出て行った。

「わたし……最低だ」

 ともえだけではない。きっとめぐみにも嫌われた。ふたりが去った玄関を見つめ、届くはずのない素直な言葉を呟いた。

「……ごめんなさい」


…………………………

「めぐみ、大丈夫ニコ?」

「……わからないわ」

 ゆうきの家を出てすぐ、カバンからフレンが心配そうな顔を覗かせた。

「私は口べただから、上手くできるか分からないけど、とにかくともえちゃんとお話しなくちゃ」

「そうじゃないニコ。めぐみはさっきのゆうきの言葉に、傷ついてないニコ?」

「…………」

 傷つかなかったわけではない。

 ――――『大埜さんはひとりっこでしょ! 大埜さんに妹も弟もいるわたしの気持ちなんて分からないよ! 勝手なことばかり言わないでよ!』

 自分が勝手なことを言ったからゆうきを怒らせてしまったかもしれない。もしかしたら、嫌われただろうか。嫌われただろう。

「……今は私のことはいいの」

「ニコ……」

 今は自分のことより、ゆうきとともえの姉妹のことだ。めぐみは注意深く周囲を見回しながら町内を歩き回った。

 ほどなくしてともえは見つかった。ともえは橋の欄干に寄りかかり、ボーッと川を眺めていた。

「こんなところにいたの」

「…………」

「走るの速いのね」 我ながらぎこちないと思いつつ、めぐみは必死で笑みを浮べた。「隣、いい?」

「ご自由に」

 ともえは素っ気ない。一瞬自分の方を向いても、またすぐに川に目を落としてしまう。

「姉妹喧嘩はいつもあんな感じなの?」

「……お姉ちゃんに頼まれたんですか」

 ともえはめぐみの問いには答えなかった。


「あら、何を?」

「私を連れ戻してこいって」

 めぐみは目をまんまるにして。

「違うわ。私が勝手にあなたを追いかけただけよ。でも、安心した」

「なんですか」

 めぐみの話に興味なんてないだろう。だからめぐみはわざと含みを持たせるように言った。

「『お姉ちゃんが自分のことを案じてくれている』って思うくらいには、お姉ちゃんのことを信じているのね」

「っ……」

 ともえの顔が赤くなった。恨みがましい目がめぐみを向く。めぐみはそのともえの可愛らしい様子に、いつの間にか意識せずとも微笑みが浮べられていることに気がついた。だからめぐみは、自然と言葉を続けることができた。

「実はね、私も王野さんと喧嘩しちゃったの」

「えっ」

「喧嘩っていうか、私が怒られちゃっただけだけどね」

 めぐみは川の水面を眺めたまま言う。心がズキズキと痛んだ。



 ――――『……大埜さんには分からないよ!』



 たしかに、分からないのかもしれない。また、友達を怒らせてしまった。お節介だっただろうか。迷惑だっただろうか。嫌われてしまっただろうか。

 それでも、めぐみはゆうきのために言ってあげたかったのだ。

 しばらくして、ともえがそっと呟いた。

「……お姉ちゃんのバカ」

「そう言わないであげて。王野さんもあなたのためを思っているのよ。もちろん、叩くのはいけないことだけれど……」

「そうじゃないです。お姉ちゃんのために色々としてくれてるあなたを怒るなんて、バカだって言うんです」

 ともえから発せられたのは予想外の言葉だった。


「ともえちゃん……」

「お姉ちゃんがときどき話してくれてます。新しい友達ができたって嬉しそうに、あなたの話を」

「そっか」

 嬉しいような、くすぐったいような、不思議な気持ちだった。

「ほっぺ、大丈夫?」

「ああ……」

 めぐみの問いに、ともえは思い出したように頬に手をやる。

「もう痛くないです。聞かれるまで忘れてました」

「そう、よかった。王野さんも思わず手が出てしまっただけだから、許してあげてね」

「……わかってます」

「それから、今日は突然お邪魔しちゃってごめんなさい。ブレイ――あー、王野さんのぬいぐるみの様子を見に来たの」

「それって……」

 ともえはハッと口を押さえて。

「……あの、あれ、ひょっとして、あなたがお姉ちゃんにプレゼントしたものだったんですか?」

「えっ? あー、うーん、まぁ、そんな感じかな?」

 まさかロイヤリティやプリキュアの話をともえにするわけにもいかないだろう。言葉を濁すめぐみだったが、ともえは神妙な表情でめぐみの顔を見つめていた。

「どうかした?」

「その、ごめんなさい。私、あなたのプレゼントだと知らなくて……今朝、あのぬいぐるみをボールみたいに乱暴に扱っちゃって」

「ああ……」

 そういえばゆうきが言っていた。そもそも、今日ブレイの様子を見に来たのはそれが理由だったのだ。

「いいのよ。プレゼントっていうか、ふたりの思い出の品、って感じだから」

「そうですか。お姉ちゃんにとって、本当に大切な友達なんですね……えーっと……」

「めぐみでいいわ」


 いつの間にか、自分でも驚くくらい自然にともえと話していた。年下の女の子と話をする機会なんてほとんどないというのに、不思議だった。ともえがゆうきの妹だからかもしれないし、ひょっとしたらともえが少し自分に似ていたからかもしれない。

「私も、ともえちゃんって呼んで大丈夫かしら?」

「はい、めぐみさん」

 素直に笑う女の子だとめぐみは思った。ゆうきは手のかかる妹だと言っていたが、少なくとも笑うこともろくろくできなかった自分の小学生時代よりはよほど普通の、かわいらしい女の子だ。

「それじゃ、お家に帰りましょうか。きっと王野さんも心配してるわ」

「はい」

 連れ立って歩き出そうとした、そのときだった。



「――見つけた」



 聞いたことのある、敵意を含んだ声が耳朶を叩いた。めぐみは反射的に声のする方を向く。道路を挟んで向かいの欄干の上、支柱に手を置いて立つ小さな影があった。

「ゴドー……!」

「学校にいないんだもの。探したわよ」

 なんていうタイミングだろう。傍らにいるのはゆうきではなくその妹のともえだというのに。

「な、何……? 空が、暗い?」

 みるみるうちに暗くなっていく空に、怯えた声を出すともえ。めぐみはそんなともえを後ろに庇いながら、ゴドーと対峙する。

「待ちなさい、ゴドー! 今は――」

「あんたの都合なんか知ったことじゃなーい!」

 まるでだだっ子のような言葉とともに、ゴドーは腕を一振りする。暴風が吹き荒れ、めぐみはともえと共に後方に吹き飛ばされた。

「あら?」

 ともえのポケットから小さな何かが転がり落ちる。それは可愛らしい髪飾りのついた、髪留めだ。ゴドーは嗜虐的な笑みを浮べて、それを拾い上げた。


…………………………

 よくよく考えて見れば、ともえが自分のことを嫌うのも当たり前の話だったのかもしれない。

 お母さんぶって色々な決まりを作って、お節介を焼いて、そのくせ自分がその決まりを守れず、暴力まで振るってしまった。

 ゆうきはともえのためを思ってやっていたつもりだけれど、それが本当にともえにとって良いことだったのか、今思えば疑問だ。もしかしたら、ただの自己満足だったのではないか。そう考えるとゾッとしない。

 それに、せっかく自分とともえのために言葉をかけてくれためぐみにまでひどいことを言ってしまった。めぐみに嫌われただろうか。嫌われただろう。

「わたし、本当にダメな人間だなぁ……」

「そんなことないと思うグリ」

 ふわっと、温かい感触がへたりこむゆうきのふくらはぎを撫でた。ブレイが心配そうにゆうきを見上げていた。

「ブレイ……」

「ゆうきはダメじゃないグリ。間違っているなら、正せばいいグリ。仲直りがしたいなら、謝らなくちゃいけないグリ。それをブレイに教えてくれたのは、ゆうきグリ?」

 ブレイの言葉は純粋で真っ直ぐだ。ゆうきがブレイに言ったことをしっかりと覚えてくれているのだろう。ブレイはフレンと仲直りできた。だからこそ、こうして今度はゆうきに言葉をかけているのだ。

「……うん」

 だからゆうきもへこたれた気持ちを奮い立たせて、頷くことができた。

「とにかく、謝らないとね。ともえにも、大埜さんにも」

「グリ!」

 嬉しそうに頷くブレイを頭にのせ、ゆうきは立ち上がった。今すぐにでも、ともえとめぐみに謝りたい。その気持ちに素直に、外へ向かう。

「ところでブレイ、体調は大丈夫?」

「もう大丈夫グリ」

「そう。よかった。大埜さんとフレン、今日はブレイのお見舞いに来てくれたんだよ」

「それは嬉しいグリ!」

 笑顔が自然と生まれる。しかし外に出た途端、ふたりの笑顔は凍り付いた。

「これは……」

 真っ暗なアンリミテッドの世界。人っ子ひとりいない空虚な世界。

「ゆうき!」

「うん。ブレイ、急ぐよ!」

 ゆうきは何を考える前に走り出していた。

 どうか無事でいてと、心の中で必死に祈りながら。


…………………………

「それ、返して!」

 ゴドーが手に取ったものを見て、ともえは反射的にそう言っていた。

「それは大事なものなんだから、返して!」

「はぁ? いやよ。嫌に決まってるでしょ」

 対するゴドーは、ともえの必死な様子も素知らぬ顔だ。

「これはあたしが手に入れたの。もうあたしのものよ。返してほしいなら、力尽くで奪い返すことね!」

 そして、にやりと悪辣な笑みを浮かべる。

「出でよ、ウバイトール!」

 いけない、と思った瞬間には、めぐみはともえを連れてゴドーとは反対方向に走り出していた。暗く染まる空から何かが落ちてくる。それは、欲望の闇の塊だ。

「めぐみさん!」

「ダメよ! 今は逃げるの。アレは、常識の通じる相手じゃないの!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 背後で、悪辣なる欲望の化身が生まれる声がした。

「でも、あれはお姉ちゃんからもらった、大事なものなんです!」

「王野さんから……?」

 ともえはまっすぐめぐみに訴えかけるような目をしていた。

「そう……。いま思い出した。わたし、あれ……お姉ちゃんからもらったんです!」

「わかったわ。絶対に取り戻しましょう。でも、今は……」

 なんとしても取り戻さなければならないだろう。しかし、まずはともえを逃がすことが最優先だ。めぐみは心を鬼にして、ともえの手を引き、走った。

「逃がさないわよ! 行っちゃいなさい、ウバイトール!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 雄叫びと共に、大きく橋が揺れる。次の瞬間、上空から目の前に巨大なウバイトールが現れる。ひとっ飛びでめぐみとともえを飛び越えたのだ。

 可愛らしい髪飾りを模したウバイトール。それは、その外見と雰囲気のギャップから、めぐみにはとてつもなく醜悪なものだと思えた。

「っ……」


 前方にはウバイトール。後方にはゴドー。そして傍らには震えるともえがいる。絶対絶命だった。

「どこに行くつもりかしら? キュアユニコ」

「ともえちゃんは関係ないわ! 巻き込むのはやめなさい!」

「そんなの、それこそあたしに関係ないわ!」

 ゴドーは高々と宣言する。

「あんた、本当に自分勝手ね!」

「だってあたしはアンリミテッド! 闇の戦士だもの!」

 開き直るばかりのゴドーに、めぐみの焦燥が大きくなる。ゴドーはまるっきりこちらの話を聞く気などないのだ。しかし、ともえの前で変身するわけにもいかない。

「めぐみさん……」

「……大丈夫。大丈夫よ」

 ともえをなだめながら、ゴドーを警戒しつつ後ずさる。しかし――、

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。いつの間にか距離を詰めていたウバイトールが、背後から大きな腕をめぐみとともえめがけて振り下ろした。

「きゃっ……!」

 ともえを引き寄せ、かろうじて横に跳ぶ。ウバイトールの攻撃の直撃は免れたものの、欄干に身体を叩きつけられる。

「っ……」

 息が詰まりそうになりながら、すぐに立ち上がろうとする。しかし抱き寄せていたともえの身体がくたりと動かない。

「ともえちゃん? ともえちゃん!」

「…………」

 返事はない。庇ったつもりだったが、今の衝撃で気を失ってしまったのだろう。


「ゴドー、あなた……!」

「あら、その子気を失っちゃったの? あっはは、すごい剣幕だったのに、呆気なーい」

「関係ないともえちゃんを巻き込んで! 私はあなたを絶対に許さない!」

 ボン! とカバンの中からフレンが飛び出す。

「フレンも同感ニコ!」

 と、

「……あら?」

 ゴドーがめぐみから目をそらす。ウバイトールの後ろ、そこにひとりの人影があった。

「とも、え……?」

 気を失ったともえとそれを支えるめぐみ。それを呆然とした顔で見つめるのは、肩で息をするゆうきだ。

「ともえ!」

 ゆうきは大声をあげ、でウバイトールがいるのも構わずその横を駆け抜け、めぐみの傍らに滑り込むように座り込んだ。

「王野さん……」

「ともえ! ともえ!」

 血相を変えるゆうきに、心がキシキシと痛んだ。

「今は気を失っているの。ごめんなさい、私がついていながら――」



「ゴドー」



 ゆうきからゾッとするような声が発せられた。ゆうきの耳には、めぐみの声すら届いてはいないのだ。

「どうして関係ないともえを巻き込んだの?」

 めぐみが初めて見るゆうきだった。

(ああ、そっか。私、勝手に仲の良い友達になったつもりでいたけど) めぐみは、傍らのゆうきを見上げながら。(王野さんのこと、まだ何にも知らないんだ)

 めぐみの横にいるゆうきは本当にゆうきなのか。めぐみにも痛いくらい感じられる、とてつもない怒りを発露するゆうきが、あの優しいゆうきなのか。

 めぐみが未だかつてみたこともない怒りの感情。これがもし、ゆうきの一面なのだとしたら、とめぐみは思う。

「ゴドー!!」

 めぐみは果たして、本当にゆうきの友達といえるのだろうか。

「大埜さん。行くよ」

「あ……え、ええ!」

 静かな怒りを含んだゆうきの声に、めぐみは反射的に立ち上がっていた。普段のゆうきらしくない雰囲気に怯え、戸惑いながら、めぐみはゆうきと共に叫んだ。

「プリキュア・エンブレムロード!」

 暗闇に満ちた世界に光が射す。天空より舞い降りるふたりの伝説の戦士は、邪悪な欲望を打ち払うべく、ゴドーと対峙する。

(私……)

 けれど、ようやく変身できたというのに。

 キュアユニコ――めぐみの心に指すのは不安だけだった。


 次 回 予 告


ゆうき 「わたしのせいでともえが怪我をしてしまった」

ゆうき 「わたしがともえを戦いに巻き込んでしまった」

めぐみ 「私、王野さんのことが分からなくなってきた」

めぐみ 「王野さんは私の……なんだろう」

めぐみ 「友達、でいいのかな。でも、もし嫌われていたら……」

めぐみ 「私は……」

ゆうき 「次回、ファーストプリキュア。第九話【仲直り! キュアユニコの新たなる力!】

めぐみ 「私、王野さんのこと、もっと知りたい!」

>>1です。
第八話はここまでです。
読んでくださった方、ありがとうございます。

プリキュアの第八話ということで、気合いを入れて書こうとした結果、二話続きものになってしまいました。
来週も日曜日に投下できると思います。
また読んでくださると嬉しいです。


ゆうき 「ゆうきと、」

めぐみ 「めぐみの、」

ゆうき&めぐみ 「「なぜなに☆ふぁーすと!」」

めぐみ 「今回はアンリミテッドに焦点を当てて話していくわよ」

ゆうき 「おー! めぐみ先生、よろしくお願いします!」

めぐみ 「プリキュアでは多くのシリーズで俗に「三幹部」と呼ばれる敵が登場するけど、」

めぐみ 「『ファーストプリキュア!』も例外ではないわ」

ゆうき 「ゴーダーツとダッシューとゴドーだね」

ゆうき 「ゴーダーツとダッシューの名前は分かるよ。「強奪」と「奪取」だよね!」

めぐみ 「正解よ。で、残るゴドーは……、一応、「強盗」から取っているようね」

ゆうき 「……強盗から、ゴドー。うーん。結構苦しいね」

めぐみ 「それは言わないであげてちょうだい。ちなみに最高司令官デザイアは、そのまま英語「desire」ね」

ゆうき 「……と、いうことで、わかってもらえたかなー?」

めぐみ 「それでは、本編、スタートよ!」


第九話【仲直り! キュアユニコの新たなる力!】



「プリキュア・エンブレムロード!」

 暗闇に染まる世界に差し込む鮮烈な光。それは伝説の戦士プリキュアが生まれる光だ。

 それはふたりのプリキュアが生み出す絆の光でもある。

(私……)

 しかし、今ばかりは分からない。

 天空より舞い降りたキュアユニコの心に差すのは、不安だった。

「……行くよ、ユニコ」

「えっ、ちょっと、グリフ!?」

 着地した途端、グリフは地を蹴って跳んだ。名乗りの口上すら忘れたというのだろうか。それほどまでに、ゆうきは怒り狂っているのだろうか。

「ゴドー!!」

「馬鹿ね! あんたの相手は、こいつよ!」

 ゆうきの鬼気迫る雰囲気にあてられたのか、それとも嗜虐心がくすぐられたのか、ゴドーもまた凄絶な笑みを浮かべていた。ゴドーが腕を一振りすると、ウバイトールが横合いから飛び出し、グリフに強烈な体当たりをぶつけた。

「ッ……!」

「ウバイトール! やっちゃいなさい!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 追撃するウバイトールに、再びグリフの行動が遅れる。ガードすら間に合わず、大きく後方に吹き飛ばされる。

「グリフ!」

 ユニコはグリフを空中で受け止めると、半ば倒れるようにして着地した。

「ダメよ、あんな戦い方。もっと考えないと……」

「……放して」

 ユニコを突き放すように、グリフが立ち上がる。へたり込んだままのユニコを見ようともせず、グリフは普段からは想像もつかないような暗い表情でゴドーを見据えた。


「だ、ダメよ!」

 ユニコはすがりつくようにグリフの腕を掴んだ。ここで掴めなかったら絶対に後悔すると思ったからだ。

 しかし、

「放して」

「いやよ! また無茶をする気でしょう! 一度落ち着きなさい!」

「だって、ともえが傷つけられたんだよ? 大事な家族なんだよ?」

 グリフはやはり、ユニコに顔すら向けようとしない。

「わからないかな。わからないよね。だって大埜さん、一人っ子だもんね」

「グリフ……」

「大埜さんには、関係ないもんね」

「っ……」

 放してはいけない。放したら、絶対に後悔する。

 そう分かっていても、指から力が抜けていくのを止められなかった。

「……ありがとう」

 グリフはそれだけ言うと、再びゴドーに向かって跳んだ。

「私……」

 ユニコは、グリフを放してしまった自分の手を見つめた。放す気などなかったのに、放してはいけないと分かっていたのに、それでも放してしまった、手だ。

 掴んだ手の力を抜いてしまった。

 キュアグリフを行かせてはいけないと思っていても、行かせてしまった。

 グリフの――ゆうきの敵意が、自分に向くのが怖かった。

 また、ゆうきに厳しい言葉を放たれるのが怖くて、ユニコは手を放してしまったのだ。

 伸ばした手は届かない。

 大切な友達に、今は、届かない。


…………………………

「私……」

 涙がこぼれる。友達とはなんだろう。自分は、誰とも友達になれないのだろうか。やはり、また無神経なことを言ってしまったのだろうか。

 己はやはり、優しさなど微塵も持ち合わせていないのだろうか。

「――ユニコ」

 目元の涙が、そっと優しく拭われた。目を開けると、目の前には可愛らしいふたりの妖精がいて、心配そうに、けれど優しげな目をしていた。

「フレン……ブレイ……ごめんなさい」

「ユニコが謝ることはないニコ」

「そ、そうグリ!」

 フレンとブレイは、大きく身振り手振りをして。

「ユニコは、とーっても優しいニコ。だから、安心するといいニコ!」

「グリフは少し混乱してるだけグリ。だから、お願いグリ」

 ブレイは真剣な顔をして、言った。

「キュアユニコ。キュアグリフを、助けてほしいグリ!」

「…………」

 友達なら、どうするだろうか。

 本当に、友達なのだろうか。

 友達と思って、いいのだろうか。

「……ふふ、そうね」

 ユニコはふるふると首を振って、笑った。

「ありがとう。フレン、ブレイ。おかげで目が覚めた気がするわ」

「ユニコ!」

「ふたりはともえちゃんのことをよろしくね」


 そして、ユニコは立ち上がった。そのユニコの表情を見たのだろう。フレンとブレイは頷くと、足早にともえの元に駆けていった。

「…………」

 友達ならどうするだろうか。そんなの、助けるに決まっている。

 本当に友達なのだろうか。そんなの、確かめてみればいい。

 友達と思っていいのだろうか。そんなの、誰の許可が必要だろうか。

「お節介はあなたの専売特許かもしれないけど」

 ユニコは、何度吹き飛ばされてもゴドーに立ち向かうキュアグリフを見て、呟いた。

「今ばっかりは、私がさせてもらうわよ」

 そして、友達を助けるために跳ぶ。


…………………………

「ッ……」

 キュアグリフは他の何も考えられないくらい、ともえを傷つけられたことで動揺していた。

 それが怒りなのか、悲しみなのか、憎しみなのか、それすら分からないくらい、頭の中をともえが傷つけられた事実が駆け巡っていた。

「ふふっ、あんた何をそんなに怒ってるの?」

「分からない!? ゴドー、あなたはやっちゃいけないことをやったのよ!」

「分からないわね! ほら、ウバイトール!」

 ゴドーの挑発に乗って、再びウバイトールに吹き飛ばされる。普段の1/3も周りが見えていないようだった。まるで、ウバイトールのことを意識しても、次の瞬間には忘れてしまうようだった。

「ゴドーッ!」

「あ、ははは!! おもしろいわね! まるで電灯にたかる虫みたいよ、あなた! そういえば、あの伸びちゃった子、あんたの妹なのね? そういうところ、あんたにそっくりだわ!」

 再びカッと頭の中が熱くなる。ウバイトールが見えなくなる。

「ゴドー!!」

「馬っ鹿じゃないの! ウバイトール!」

 しまった、と思ったときには、ウバイトールの拳が目の前に迫っていた。

 今まですんでのところでガードしていた強烈な拳が、正面から叩きつけられた。ウバイトールは巨大だ。だからこそ、その打撃は本来、警戒を怠っていいものではない。

「か、は……っ」

 一瞬呼吸が止まった。身体全体に打撃が浸透するように、痛みが広がる。ウバイトールの拳に吹き飛ばされ、背中から欄干に叩きつけられたのだ。身体に力が入らない。ずるずると地面にくずれ落ちる。

「ふふっ、拍子抜けだわ。この前とは全然違うのね。弱くて笑っちゃうわ」

 ゴドーが嘲笑するように。

「あんたは弱いのよ! 結局、ひとりじゃなんにもできないんじゃない!」

 必死で立ち上がろうとするが、力が出ない。ダメージをおして、立ち上がれると思った。けれど、なぜだか立てなかった。ふと、思う。隣にもし、大切な相棒がいたら、自分は立ち上がれる。けれど、隣には誰もいない。当然だ。グリフが、隣に立つことを拒絶したのだから。

「っ……」

 何をやっているのだろう。ほんの少し前、同じような後悔をしたばかりだというのに、何も変わっていない。また、めぐみにひどいことを言ってしまった。

「もう立ち上がることもできないのね。残念。あんたたちの力、探るつもりだったけど、その手間も省けちゃったわ」

 ゴドーがくいと手を振る、低い音を響かせて、ウバイトールがグリフの目の前にやってくる。


「ウバイトール、やっちゃいなさい」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ウバイトールが拳を振り上げた。ああ、これで終わりなのかもしれない、とグリフは漠然と思った。それでも、力が入らなかった。ブレイとフレン、そしてまだ見ぬふたりの王女に申し訳なかった。己の自分勝手な行いで、プリキュアが負けてしまう。

(ああ、あと、一言、大埜さんに謝りたかったな……)

 目を閉じた。そのまま、風を切る音がして、ウバイトールの拳が眼前に迫り――、

「――キュアグリフ!」

 凛とした声が飛んだ。目の前に人が立ちはだかる気配がして、グリフは閉じた目を開けた。

 目の前には、ウバイトールの拳を青き清浄な光で受け止める、キュアユニコの姿があった。

「ユニコ……!?」

「はぁ……ッ!」

 キュアグリフとウバイトールの間に割り込んだキュアユニコは、“守り抜く優しさの光”に力を込める。ウバイトールの拳が大きく弾かれる。

「ユニコ……」

 キュアユニコの必死な声と、“守り抜く優しさの光”の清浄な光に照らされて、グリフはいつの間にか落ち着きを取り戻していた。

 そして、自分が何を言ったのか、何をしてしまったのか、それを改めてしっかりと理解した。

「わ、わたし……」

 ひどいことを言った。友達だなんて二度と言えないような、ひどいことだ。

 大埜さんには分からない、と。関係ない、と。そんなひどいことを、友達だと思っている相手に、言ってしまったのだ。

 ユニコは、そんなひどいことを言った自分を、それでも守ってくれるような、優しい人なのに。

 そんな相手を、友達を、ひどい言葉で傷つけてしまった。

 ユニコはグリフに背を向けたまま、こちらを見ようともしない。

「……関係ないわけ、ないじゃない」

 それは今にも泣きそうなくらい、か弱い声だった。

「たしかに、私は一人っ子で、姉妹のことなんて分からないけど……それでも、あなたと私が関係ないだなんて、そんな悲しいこと言わないで」

 決定的だった。振り返ったキュアユニコの瞳には、いっぱいの涙がたまっていた。本当の本当に、傷つけてしまったのだ。


 傷つけてしまったのなら、どうするか。

 きっと、さっきまでのグリフならすぐには思い浮かばなかっただろう。思い浮かんだとしても、また傷つけてしまうのが怖くて、行動には移せなかったかもしれない。けれど、今は怖いなどと考える余裕すらなかった。

 自分勝手なことだ。その瞬間、ゆうきはめぐみを失いたくないと、心の底から思ったのだ。

 気づいたら、ほんの少し前まで立ち上がれなかったのが嘘のように、グリフはユニコに駆け寄って、背後から抱きついていた。

「ごめん……ごめんなさい。ひどいこと言ってごめんなさい。関係ないなんて言っちゃってごめんなさい。だから、お願いだから……嫌いにならないで」

 まるっきり自分勝手でしかない言葉だ。悪いことをしてしまった。それなのに、謝罪だけで許してもらおうとしている。嫌いにならないでなんてわがまま、臆面もなく言っている。

「私のこと、嫌いになったんじゃないの?」

 キュアユニコが、鼻を啜りながら問うた。

「嫌いになるわけないじゃん! わたしはだって、ユニコともっと仲良くなりたいもん!」返す言葉は、本当にだだっ子のようだった。「わたしは、大埜さんともっと仲良くなりたいんだもん!」

 ユニコに抱きつく手が、優しく握られた。

「私だって、あなたに嫌われるなんて嫌よ。王野さん」

「大埜、さん……」

 ああ、やっぱり、ユニコはユニコだ、と。グリフは、ユニコに優しく握られた手から、ユニコの暖かさが自分に流れ込んでくるように思えた。

「あの、ごめんね。ひどいこと、たくさん言っちゃった」

「……親友に “嫌われるなんていやだ" なんて言われたんだもの。何を言われたか、もう忘れちゃったわ」

 ユニコの茶目っ気たっぷりの言葉。グリフを励ます、魔法の言葉だ。

「親友……わたしと、ユニコが、親友……」

「……いや?」

 本当は不安で仕方なかったのだろう。ユニコが不安げに問う。

「いやなわけないよ! すっっっっっごく嬉しい! わたしたち、親友だよ!」

「ちょ、ちょっと苦しいわよ、グリフ!」

 グリフに背後から抱き竦められたままのユニコが悲鳴を上げる。けれど、すぐに笑顔に変わる。お互いの暖かさを感じながら、ふたりは身体中から力がわき上がるのを感じた。


…………………………

 笑顔が笑顔を呼ぶ。お互いを見つめ合う伝説の戦士から笑みがこぼれる。世界はいまだ、アンリミテッドの暗闇に包まれている。それでも、キュアグリフとキュアユニコの周りだけは光り輝いていた。

 それは、ロイヤリティの光ではない。ゴドーにも美しいと思える光。

「それよ! 私は、その力を求めているの……ッ!」

 遠く、その力の意味を理解していないゴドーの声が響く。直後、身構える暇もなく、ウバイトールがふたりめがけ突っ込んでくる。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「グリフ!」

「ユニコー!」

 ブレイとフレンの悲鳴に近い声が響く。それが聞こえても、グリフとユニコはなお笑う。

「大丈夫」

「ええ、大丈夫」

 瞬間、ふたりは同時にドン! と足をつける。小柄なふたりの戦士の足の動きが、それだけで大地を揺るがす。そして、ふたりは飛び込んできたウバイトールに向け、同時に拳を突き出した。

『ウバッ……!?』

 薄紅色と空色の光をまとったふたりの拳が、あまりにも呆気なくウバイトールを吹き飛ばした。

「なっ……」

 言葉を失うゴドー。そのゴドーのはるか頭上を超えて、ウバイトールが落下する。轟音に揺れる地面に、ゴドーはぺたりと座り込んだ。

「うそ……何よ、これ……」

 震えているのは大地か、それとも、己か。

 目の前の力を欲していたはずなのに、その力が恐ろしくてたまらない。

 眼前で、圧倒的な力を持って欲望の化身たるウバイトールを吹き飛ばした伝説の戦士が、恐ろしい。

 勝てない、と。悟ってしまったから。

 プリキュアたちのたった一撃で、己の欲望を果たすことなど到底できっこないと、分かってしまったから。

 だからゴドーは、力なく座り込むしかなかった。

 自が欲望を果たせぬ欲望の戦士は、脆い。


「……えへへ、親友、親友かぁ」

「なんか、照れるわね……」

 目の前で仲良く笑っている伝説の戦士が憎くてたまらない。ゴドーやウバイトールを歯牙にもかけぬその強さが、ほしくてたまらない。

 けれど、ゴドーの欲望という名の戦意は、すでに――、

「……ゴドー」

「ひっ……」

 情けないことだというのは分かっていた。欲望の戦士にあるまじき、弱い悲鳴をあげてしまったのだ。そんなゴドーを、キュアユニコは哀れむような目で見ていた。

「そこをどきなさい。私たちはウバイトールを浄化するわ。そこにいたら、あなたも巻き込んでしまうわ」

「な、何を……」

「強がらないで。あなた、戦えるの?」

 キュアユニコの問いに、腹の内に冷たいものが差した。戦えないと、分かっているのだ。戦うのが怖いと、肝が冷えてしまうのだ。

 こうして対峙しているだけで、怖くて仕方がないのだ。

「ともえちゃんを傷つけたことは許せないし、あなたには何の義理もないけど、戦う気がない人にまで危害を加える気はないわ。どきなさい、ゴドー。そしておとなしく、エスカッシャンを返しなさい」

 このままでは、自分は滅ぶ。ロイヤリティの圧倒的な光の力は、間違いなく自分を貫き、浄化し、容赦なく消滅させるだろう。

 そう、あの、忌々しいロイヤリティの力が――、



『――ぼくは、君を愛している――』



 浮かぶ言葉。思い出したくもない過去。忘れてしまった過去。

 何も思い出せないのに、激烈な拒否反応が生まれる記憶。

 それを振り払うように、ゴドーはかぶりを振った。

「ッ……!!」

 死ぬのは怖い。怖いけれど、それでも。

「……撃ちなさいよ。撃って、あたしを消滅させなさいよ!! ロイヤリティの犬風情がッ!!」

 それでも、譲れない。怖くたって、絶対に譲れない。

 ゴドーは、覚えている。そして、絶対に忘れないだろう。

 ロイヤリティという名の、彼女にとっての、地獄を……!


「ロイヤリティに跪き頭を垂れるくらいなら、あたしは今ここで死を選ぶわ! さあ、撃ちなさい! そのカビの生えたありがたい光で、あたしを撃ってみなさいよッ!!」

 ゴドーは気づいていなかったが、それはもはや悲鳴のようだった。ゴドーの中にあるロイヤリティの記憶。忌々しい、忘れたくも忘れがたい、最悪の記憶。それが、ゴドーの中を渦巻いていたのだ。

 いつの間にか、恐怖はどこかへ吹き飛んでいた。ゴドーは己の言葉に戸惑いの表情を浮かべる伝説の戦士に向かい、駆けだした。

「ご、ゴドー! いきなりどうしたの!?」

「うるさいうるさいうるさい!! 目障りなロイヤリティの光を、あたしに見せるなッ!!」

 ゴドーはすでに、考えることをやめていた。己の頭が示す嫌悪感のまま、己の憎しみという欲望を果たさんと突き進む、ただひとりの戦士だ。キュアグリフとキュアユニコが、迫るゴドーに向けて手を差し出す。それが示すのは、ロイヤリティの光が己を浄化するということだというのに、それでもゴドーは止まらない。憎いロイヤリティに向け、突き進む。

「ゴドー!!」

 キュアグリフの声も、すでに悲鳴のようだった。彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。しかしそんな彼女とキュアユニコの手には、すでにロイヤリティの浄化の力が集まっていた。

 そして、ロイヤルストレートの清浄なる光が、ゴドーへ向け、放たれた。

(ああ……) 眼前に迫る清い光にゴドーは己の死を悟った。(あたし、これで終わりなんだ)

 このまま、ロイヤリティの光に浄化され――、



「――そろそろ試してみたかったところだ」



 深く暗い声とともに、目の前に降り立つ漆黒の影。何が起きたのか、すぐには理解できなかった。

「……はァッ!!」

 裂帛の声。影が長大な剣を振り上げ、眼前に迫るロイヤリティの光に、その漆黒の刃を突き立てた。

 どこまでも清浄で、どこまでも苛烈なロイヤリティの光は、その漆黒の刃を前にふたつに分かたれた。ゴドーの両脇をかすめ、あまりにも呆気なくかき消えた。

「あんた……」

 ゴドーは、自分を守るようにプリキュアに立ちはだかる、その漆黒の背中に向け声をかける。

「ど、どうして……?」

「偶然私が通りかかって良かったな、ゴドー」

 彼は振り向きもせず、そう応じた。

「まぁおまえのことだ。私が助けるまでもなく、ロイヤリティの光などはじき返していただろうが、な」

「…………」

 彼の励ましとも嫌みともつかない言葉に、ゴドーはどうとも返せなかった。

「……ふん、つまらん」

 彼は見切りをつけるように言うと、再びプリキュアと対峙した。

「久しぶりだな、プリキュア」

 ――その名はゴーダーツ。深く闇の欲望に根ざした、アンリミテッドの戦士である。


…………………………

「ゴーダーツ……!」

 プリキュアにとって、少なからず因縁のある相手である。出で立ちは、グリフもユニコもよく知るゴーダーツそのものだ。

 しかし、何かが明確に違う。

「礼を言うぞ、プリキュア。これではっきりした」

 その身に纏う雰囲気が明らかに異質なものだった。

「貴様らロイヤリティの光は、我が剣の前には無力だ」

「何を……!」

 ユニコはゴーダーツを睨み付ける。

「それなら、もう一撃よ! いくわよ、グリフ!」

「う、うん!」

 唐突なゴーダーツの登場に頭が追いつかないグリフは、ユニコの言葉でようやく我に返り、繋いでいる手にぐっと力を込める。

 ふたりの絆の力が新たな光を生む。それは圧倒的な、ロイヤリティの清浄なる光だ。

「私にとって、その力はもはや脅威ではない」

 言葉を紡ぐときには、ゴーダーツはすでに跳んでいた。

「しかし、黙って撃たせると思うか?」

「っ……!」

 ゴーダーツの漆黒の凶刃がふたりに迫る。とっさに両手をかざし、ユニコが “守りぬく優しさの光” の壁を作り出す。青く優しい光は剣を受け止めた、かのように見えた。

「この程度の壁、破れぬと思ったかッ!」

「キャッ……!」

 ゴーダーツの剣は、あまりにも呆気なく光の壁を切り裂く。その余波だけで、グリフとユニコは後ろへ吹き飛ばされた。

「キャアアアアアアアアアアアア!」

 まるで巨人の手で、“守り抜く優しさの光”が無理に引き裂かれたようだった。ゴーダーツは倒れ伏すグリフとユニコを睥睨し、確かめるように自らの手を握った。

「……私はもう、過去を見返すようなことはしない。されど、私自身の欲望のため、今一度過去を利用する。ただ、それだけだ」

 ゴーダーツの言葉の意味は分からない。意味は分からなくとも、彼がただならぬ覚悟を決めてその場に立っていることは嫌でも理解できた。そうでなければ、ロイヤルストレートを切り裂き、“守り抜く優しさの光”を破ることなど到底できないだろう。


「ぐっ……」

 グリフは振り返る。すぐ後ろに、気を失ったままのともえがいる。そのともえを庇うように立つ、ブレイとフレンがいる。そして目の前には、長大な剣を構え、悠然と自分たちに向け歩を進めるゴーダーツがいる。

 どうすればいい。

 どうすれば、大切な妹を守ることができる。

「安心して、グリフ」

 その落ち着き払った声は、傍らから聞こえた。ユニコが少しの焦りも見せず、悠然と立ち上がった。

「あなたはともえちゃんを安全な場所まで移動させて。ブレイとフレンもお願い」

「ゆ、ユニコはどうするの?」

「ゴーダーツを食い止めるわ」

 ユニコは事も無げに言い切った。

「そんな、無茶だよ! ゴーダーツは、さっきロイヤルストレートも切り裂いたんだよ!? ユニコひとりでなんて行かせられないよ!」

 グリフの必死な言葉に、けれどユニコは、笑った。

「ありがとう。わたしを心配してくれるのね。でも大丈夫。私を信じて、“ゆうき”」

 凄絶な笑みだった。それは、歓喜に心の底から打ち震える、凄まじいほどに美しい、笑顔!

「わたし、あなたのために戦いたいの。親友のために、戦いたいの!」

 世界が空色に染まる。それは見るものすべてを暖かく、清々しく、心地よく包み込む、優しさの光。

“守り抜く優しさ” そのものの光。

「何が起こってるっていうの……!?」

 ゴドーの言葉はすでに悲鳴に近い。あまりのことに思考が追いついていないのだ。

 しかしそのゴドーの正面で、まるでプリキュアからゴドーを守らんとしているかのように立ちはだかる戦士は揺るがない。

 動じもしない。

「…………」

 己の内に憎しみの炎を宿し、己のなすべきことを見据え、己の欲望にのみ従うと決めた闇の戦士に、恐れはない。

「……ゴーダーツ」


「そこで見ていろ、ゴドー。これが、我々が敵対して “しまった” ロイヤリティの戦士の力だ。我々アンリミテッドが倒さねばならぬ、圧倒的な力だ」

 揺るがぬゴーダーツの言葉に、ゴドーはユニコを見据える。手がふるえる。歯の根も微妙にかみ合わない。そう、まぎれもないことだ。ゴドーは恐れている。目の前に広がっていく、ロイヤリティの美しい力を。

「折を見てアンリミテッドへ撤退しろ、ゴドー。あれは、危険だ」

「えっ……」

 短くそう言うと、ゴーダーツはゴドーの返事も待たず、視線を再びキュアユニコへ戻した。

「……行くぞ、キュアユニコ! 我が剣の腕、そしてデザイア様から賜ったこの業物の切れ味、しかと味わうといい!」

 ゴーダーツは低く唸り、ロイヤリティの優しさのプリキュアに向け、跳んだ。

「……ええ、来なさい、ゴーダーツ! そして、私の優しさを! プリキュアの光を! 受け取りなさい!」

 優しさのプリキュアが身を捻り、そして――、



「――優しさの光よ、この手に集え!」



 空色の光がキュアユニコの手に集約する。その光はまるでそうなることが当たり前であるかのように、ひとつの形を成す。

「きれい……」

 気を失っているともえを抱えて、グリフはその光が変化していく様を目の当たりにした。それはグリフ自身がすでに経験したことではあったが、それを心を許した相棒がやっていることが、グリフの心を歓喜で包み込んだ。

「あれが……あれこそが、ユニコの……」

「そうニコ」 いつの間にか、グリフの傍で、フレンが大きな瞳に涙を溜めていた。「あれこそが、優しさの……!」

 そして、フレンは力一杯叫んだ。

 己のプリキュアに。己を守ってくれるプリキュアに。

 届けと。有らん限りのこの想いをすべて、叩き込まんと。

 フレンは叫んだのだ。

「行くニコ! ユニコ! 行くニコーーーーーーーーー!!」

 それがユニコに届いたかは分からない。けれど、グリフは見た。ユニコがほんの一瞬、グリフとフレンに目を向けて、小さく頷いたのだ。


「カルテナ・ユニコーン!」


 現れるは一振りの剣。雄々しき一角獣を模した空色の剣。

 伝説の戦士のみ持つことを許されるという、伝説の中の伝説。

 それこそが、カルテナ。優しき守りの剣、カルテナ・ユニコーン。


「はぁああああああああああああああああああ……」

 ユニコが低く吼える。それに呼応するように、カルテナの周囲に空色の光が集う。

「あれが、カルテナ……ロイヤリティの伝説の中の伝説……」

 そしてそのユニコへ、ゴーダーツの凶刃が迫る。

「だが、それでも俺は……ッ!」

 ユニコとゴーダーツの視線が交錯する。空色の光を纏うユニコと、暗き闇を背負うゴーダーツ。両者は、その直後に激突する。

「わっ……」

 空気が震える。キュアユニコのカルテナとゴーダーツの大剣が激突した余波だ。グリフの身体すら大きく揺るがしたその大気の震えに、グリフは慌ててブレイとフレンを拾い上げ、肩に乗せる。

「す、すごい……」

 そして、グリフは幾たびにも及ぶ衝撃を身体に浴びながら、見た。

 ゴーダーツが長大な大剣を振るう。それに呼応するように、ユニコがカルテナを振るい、受ける。青き清浄なる光を纏う優しさのプリキュアは、ゴーダーツの圧倒的な力さえも、その優しさで受け入れているようだった。

「さすがは優しさのプリキュア、さすがはその真価たるカルテナ・ユニコーンといったところか」

「くっ……なんて強さなの……!」

 お互いに一歩も引かない剣戟は、間合いを置く刹那の間だけ静けさを生む。言葉数は多くはない。お互いの力を認め合った上で、闇と光の戦士は再びぶつかり合う。

 闇が光を飲み込まんとするように。

 光が闇を包み込まんとするように。

 黒い闇が光を蹴散らし、それでもなお白い光は、闇をも守らんと包み込む。ゴーダーツの強大な欲望の闇と、キュアユニコの苛烈な優しさの光が生まれては消え、また生まれては消え、闇と光の剣戟を彩るように空を舞う。


…………………………

「撤退しろ、ですって……?」

 手が震える。

「逃げろ、ってことかしら……?」

 足が震える。それどころか、体中が震えている。

「舐めんじゃないわよ!」

 それでも、ゴドーにも譲れない一線がある。せめて、一矢報いなければ。

 その視線の先にいるのは、キュアグリフだ。


…………………………

「すごい……」

 二言目にも、同じ言葉しか出なかった。グリフの目から見ても、ゴーダーツとユニコの激突のすさまじさが見て取れた。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「わっ……」

 そちらに目を奪われている場合ではない。背後から聞こえた怪物の叫び声に、グリフは気持ちを切り替える。

「あたしだって……」 ウバイトールの傍らに、震える足で立つ小さな影があった。「あたしだって、アンリミテッドの戦士よ!」

 ゴドーである。怖いのだろう。震える両足は今にも崩れ落ちそうだ。それでも、彼女は立ち上がったのだ。立ち上がり、立ち向かおうとしているのだ。

「やっちゃいなさい、ウバイトール!」

「グリ!」

「ニコ!」

「っ……」

 ブレイとフレンがグリフの肩にしがみつく。グリフは素早くともえの身体をしっかりと抱えると、後方へ飛びすさった。

「ゴドー! わたしも、今回は怒ってるんだからね!」

「へえ、その割には怖くないわね! どっかの優しさのプリキュアと違って!」

 後方へ飛んだグリフを、巨体のウバイトールが追撃する。それに合わせるように、ゴドーもまたグリフへ飛びかかる。

「っ……」

「あんた、弱いんじゃない? 全然怖くないしっ!」

 まるで子どもだ。それこそ、もしかしたらともえより幼いかもしれない。どこか微笑ましさもあるゴドーの言動を、けれど今ばかりは許すわけにはいかなかった。

 グリフにとて、譲れない一線はある。そしてゴドーは今回その一線を越えてしまったのだ。

 両手にはともえ。両肩にはブレイとフレン。そして目の前にはウバイトールとゴドーが迫る。絶体絶命の状況だ。それでも、グリフは前を見据え、心を奮い立たせる。

「負けるわけにはいかないから……!」

 ウバイトールの追撃の手を蹴り飛ばし、空中で身を捻り、ウバイトールの本体へ突撃する。

「なっ……!」

 まさかグリフが、ともえを抱え、ブレイとフレンを肩にしがみつかせたまま反撃に転じるとは思っていなかったのだろう。ゴドーがうろたえる。グリフのドロップキックがウバイトールを吹き飛ばす。


(大丈夫……わたしだって、何も考えずにプリキュアやってるわけじゃない!)

 グリフとて、ともえたちを危険な目に遭わせたくはない。それでも、立ち向かわなければやられてしまう。ユニコは自分のために戦うと言ってくれた。グリフはその言葉に報いなければならないのだ。

「キュアグリフ!」

「……ゴドー。わたしは、あなたを絶対に許さない」

 着地したグリフは、ともえをそっと寝かせ、ブレイとフレンをその傍らにそっと下ろす。

「ブレイ、フレン、ともえのことをお願い」

「わ、分かったグリ!」

「任せるニコ!」

 先のグリフの行動が怖かったのか、ブレイは震えていた。それでも、グリフの気持ちに応えようと頷く姿は、勇敢以外の何物でもない。

「ありがとう」

 ユニコがいる。ブレイがいる。フレンがいる。グリフはひとりじゃない。一緒に戦ってくれる、頼もしい仲間たちがいる。

「ウバイトール!」

 悲痛とも思えるゴドーの叫び声。その呼び声に応じ、かなたへ吹き飛んでいたウバイトールが、再びグリフへ向かう。グリフは誇り高き王子と王女に微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。

「ゴドー、わたしは負けないよ」

「な、何を! そんな足手まといが後ろにいて、何ができるのよ!」

「何だって、できる」

 グリフの静かな言葉に、ゴドーが半歩下がる。

「な、何よ……!」

「怖くなくたっていい。想いは絶対に、伝わるから」

 そして、想いを伝えるための力はこの手にある。大切な仲間からもらった、大切な力が、この手にはある。


「勇気の光よ! この手に集え!!」

 薄紅色にきらめく“立ち向かう勇気の光”。グリフの身体をとりまくその光は、グリフの心に勇気を与えてくれる。

「カルテナ・グリフィン!」

 グリフの手に握られる、翼をかたどった剣。グリフを取り巻いていた光が、明確な形を背中に作り出す。薄紅色の翼、それは雄々しきグリフィンの翼だ。
「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」
 駆け抜ける姿は、さながら勇気のシンボル、神獣グリフィンそのものだ。

「プリキュア・グリフィンスラッシュ!」

 自らに突き進んできたウバイトールに、接触ざまにカルテナを一閃する。

 まとった翼がはためき、切り裂かれたウバイトールは消滅する。

「っ……覚えてなさいよ! あたしは、あんたに負けたわけじゃないんだから!」

 捨て台詞を吐いて、ゴドーは中空にかき消えた。

「わたしも、勝った気はしないよ……」

 ゴドーが消えた瞬間、身体中から力が抜けたようだった。

 何かがアスファルトの上に落ちる。グリフは、それを拾い上げ、思い出す。

 それは、記憶の片隅に残る、可愛らしい髪飾りだ。

「ユニコ……」

 ユニコを助けなければ、と思うのだが、身体が動かない。ダメージと疲労が、安心感のせいで一斉にやってきたように思えた。しかし、次の瞬間、身体は自然と動いていた。

 グリフの視線の先で、ユニコがゴーダーツの力任せの剣戟に、大きく吹き飛ばされたのだ。


…………………………

「はァ……!」

「ッ……!?」

 一進一退の攻防を続けていたつもりだった。しかし、キュアユニコはその瞬間思い知らされた。

(この人、とてつもなく強い……!)

 まるでこの前までのゴーダーツとは別人のようだった。剣を持ち、何かの覚悟を決めたゴーダーツに、カルテナの力をもってしてもユニコは圧倒されていた。それは、現時点で埋めようのない明確な戦力差に思えた。

 気合いの声とともに振られた剣はうなりを上げ、ユニコに襲いかかる。ユニコはカルテナでそれを受け止めたつもりだが、大きく後ろにはじき飛ばされた。膂力、重量、剣技、何をとってもゴーダーツの方が二枚も、三枚も上手だったのだ。

 しかし、吹き飛ばされたユニコは、空中で優しく抱き留められた。キュアグリフだ。

「大丈夫、ユニコ?」

「ええ、ありがとう、グリフ。でも、あのゴーダーツはとてつもない強さだわ。まるでこの前までとは別人よ」

 ようやく、ふたりのプリキュアが並び立った。喧嘩をして、行き違いがあって、それでもこうして、お互いの手を取り前を向ける。それが、とてもありがたいことだと、ユニコには思えた。

「これだけ斬り結べたのは、貴様が初めてだ、キュアユニコ。だが、所詮は素人の剣。俺の敵ではない」

 ゴーダーツが剣を構え、言う。ゴーダーツの剣の技量はすさまじい。全力で打ちかかられれば、グリフとユニコが二人同時にかかったとしても、勝てるかどうか分からない。とてつもない強敵だ。それでも、ユニコは不思議と怖くなかった。

「ねえ、あの、“めぐみ”?」

「……何、ゆうき?」

 おずおずと、自分の名前を呼んでくれる親友。勇敢で、かわいらしくて、ちょっとドジな、彼女が隣にいてくれるから。だから、怖くない。

「今さらな気もするけど、名乗りたいなー、なんて」

「そうね。誰かさんが変身端に突っ込むから、口上を言えていないものね」

「……うぅ、ごめんなさい」

「冗談よ。ごめんなさい、意地悪だったわね」

 それは、ひょっとしたらプリキュアたちの心をひとつにする、おまじないのようなものなのかもしれない。キュアグリフとキュアユニコは、背筋をピンと伸ばし、高らかに宣言した。


「立ち向かう勇気の証、キュアグリフ!」


「守り抜く優しさの証、キュアユニコ!」


「「ファーストプリキュア!」」


 ふたりは無言で目を合わせ、うなずき合う。

「ふたりがかりで来い、プリキュア!」

 ゴーダーツが再び向かってくる。ゴーダーツの剣は脅威だ。だからこそ、それに対して真正面から立ち向かうのは、勇気のプリキュアだ。

「む……!」

「はぁああああああああああああああああああああ!!」

 気合いの声、キュアグリフがカルテナ・グリフィンに“立ち向かう勇気の光”をまとわせ、ゴーダーツの剣に立ち向かう。グリフは自身の膂力を利用して、果敢にゴーダーツに攻めいった。グリフの力が真正面からぶつかり、さしものゴーダーツも剣を弾かれる幅が大きくなる。

「力はキュアユニコ以上。しかし、所詮は付け焼き刃の剣技……!」

 ゴーダーツはキュアグリフに弾かれた力を利用して、一回転してキュアグリフに向け剣を一文字に薙いだ。屈んでかろうじてかわしたキュアグリフは、下から大きくカルテナを振り上げる。ゴーダーツは背後に飛び退き、カルテナをかわす。しかしその瞬間、横合いから飛び出した影があった。

「ひとりで届かなくたって、ふたりなら……!」

 キュアユニコは、すでに白い翼をまとっていた。ゴーダーツは飛び退いた姿勢のまま、動けない。



「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ! プリキュアに力を!」



 言葉とともにあふれ出す、空色の光。

“守り抜く優しさの光”。

「なるほど……! 見事だ、プリキュアどもッ!」

 カルテナの切っ先が己に迫る中、ゴーダーツは豪快に笑った。



「プリキュア・ユニコーンアサルト!」



 まるで、ユニコーンの突撃そのもののようだった。神速の突きはしっかりとゴーダーツに向け放たれたのだ。


 しかし、

「大した “優しさ" だな、キュアユニコ」

「っ……」

 ゴーダーツは長剣の腹で、カルテナを受け止めていた。渾身の必殺技が惜しくも阻まれたことを察したキュアユニコは、すぐに後ろに飛び退き、ゴーダーツから距離を取った。

「筋はいいが、素人同然だ。それでは俺には勝てんな」

 言うと、ゴーダーツはキュアユニコに背を向けた。

「今日は挨拶代わりに来ただけだ。俺はもう、以前の俺ではない、とな」

「大した余裕ね。たしかに今のあなたは強いわ」

 それに対し、キュアユニコが言葉を返す。

「でも、わたしたちも強くなる。絶対に、負けない」

「ああ、それまで、俺も刃を研いでおくことにしよう。さらばだ、キュアユニコ。キュアグリフ」

 ゴーダーツが闇に溶けるように消え、世界は色を取り戻した。


…………………………

 彼女は空を見上げた。先ほどまでアンリミテッドの暗い色をしていた空は、今は普段の青空に戻っている。

「……ふん。すぐにプリキュアを生みだしてみせるレプ」

 自分は何でもできる。自分にしかできないことがたくさんある。

 自分は完ぺきだから。

「愛ある人間。必ず探し出してみせるレプ」

 完ぺきでなければならないのだから。

「愛のプリキュアを見つけ出し、ロイヤリティを取り戻すレプ


…………………………

 夢を見ていた。どこから夢なのか、分からないけれど、夢を見ていた。

 気の強そうな女の子にプレゼントを奪い取られて、巨大な怪物が現れて、そして、そこからよく覚えていない。ただ、うつろな意識の中で、姉によく似たお姉さんが、自分を抱えて戦ってくれていたのを見た。優しくて、頼もしくて、大好きな姉にそっくりで、夢の中だと分かっていたけれど、ともえは嬉しかった。

 ああ、自分はお姉ちゃんのことが大好きなのだと。

 そして、お姉ちゃんはきっとこんな風に自分を守ってくれるだろうと。

 そう、思えたから。

 少し昔の夢も見た。

 きっと自分がまだ小学校にも上がっていないような頃の思い出だ。

 姉が買ってもらった髪留めがうらやましくて、ともえはワガママを言ったのだ。

『あたしもほしい! おねえちゃん、ちょうだい!』

 姉は困ったような顔をして、少しためらいはしたものの、ともえの髪にその髪留めをつけてくれたのだ。

 大切にしていた髪留めは、小さい頃、姉からもらったものだった。

 今の今まで忘れていた、そんな記憶が、夢の中に現れたのだ。

「ん……」

 夢から覚めて、まどろみの中で、ともえは温かい何かにくっついていた。誰かの背中だ。ともえは、誰かにおぶさっている。

「あの、大埜さん、ほんとにごめんね」

「そんなに何度も謝らなくていいわよ」

 ふたりの声が聞こえた。姉と、姉の友達の声だ。ああ、そうか、とまどろみの中で気づく。ともえは、ゆうきにおぶってもらっているのだ。

「それより、せっかく名前で呼んでくれたのに、また戻ってる」

「えっ? あっ……」

 じれったい会話だと思う。そのまま、姉に甘えて眠ってしまおうとしていたというのに、だんだんと意識が覚醒に向かっていく。

「ご、ごめん……」

「どうして謝るのか分からないけど……」めぐみは笑うような声だ。「わたしとしては、親友なら、ゆうきに名前で呼んでほしいかな」

「ほんと!? いいの!?」

 がばっと姉が動く。まぶしいのを我慢してそろりと目を開けると、ゆうきがめぐみの手を取っていた。姉は人付き合いもそこまで器用ではないだろうに、こういうところは大胆というか、何も考えていないのだ。


「え、ええ」

 めぐみは顔を赤くして、そっぽを向いてから、

「もちろんよ、ゆうき」

 見ているだけのともえですら、心が直接くすぐられるような奇妙な感覚を憶えた。けれど、それは決していやな感覚ではない。姉とめぐみの関係は、どうやら一歩前進したようだ。

「ありがとね、めぐみ」

「どういたしまして」

「えへへ。めぐみ、大好き」

「……そ、それはちょっと、恥ずかしいわ」

「ええー!」

 くすぐったい。くすぐったいし、関わり合うのも野暮だろう。何より、家まで歩きたくはない。ともえはそのまま、ゆうきの背中で寝たふりを続けることにした。

 自分の頬をたたいたのだから、これくらいの意地悪をしても、罰は当たらないだろう。

(帰ったら、また、少し……意地悪……して、やるん、だから……)

 寝たふりのつもりが、眠気がむくむくと身をもたげる。

(……でも、わたしも、お姉ちゃんのこと……大好き……)

 結局、ともえはそのまま、大好きな姉の背中で、すやすやと寝息を立て始めた。


…………………………

「ロイヤリティと無関係のホーピッシュの人間までもが、我々アンリミテッドの位相に巻き込まれたか」

 広範囲に広がっていた闇は収束し、世界は元の色を取り戻した。この世界はもはや、必ずしも希望の世界ホーピッシュであるとはいえない。アンリミテッドの侵攻は、ゆっくりと、しかし間違いなくホーピッシュを闇に塗り替えつつあった。

「王野ゆうきの妹は、王野ゆうきからロイヤリティの影響を受けたため、アンリミテッドの位相にまぎれこんだ、と考えるべきか」

 光にも闇にも、近づけば近づくほどそのどちらの影響も受けやすくなる。プリキュアたちがアンリミテッドの位相で戦うことができるのは、光の戦士そのものだからだ。そしてその光の戦士に近しい存在ほど、闇の影響も受けることになる。

「この世界にも闇が広がっている。悪くない気配だ。ホーピッシュが我々の闇に飲まれる日も近い」

 空高くからほまれ町を見下ろす小柄な影。アンリミテッドの最高司令官、暗黒騎士デザイアは満足げに言う。

「やはり見込んだ通りであったな。ゴドーの闇は、規模だけで言えば私以上だ。ゴーダーツもまた、あの剣の腕ならばプリキュアも容易に歯は立つまい」

 デザイアは戦いの一部始終を眺めていた。ゴーダーツが現れなければ、ゴドーを回収して撤退するつもりだったが、その手間が省けた。アンリミテッドがさしたる打算もなく仲間を助けるという光景を見ても、デザイアはさして動じることはなかった。

「……あの忠義の騎士ならば、さもありなん、か。頼もしいが、難儀な男だ」

 デザイアはそう呟くと、やや大きな声を出した。

「そしておまえの狡猾さも頼もしい限りだよ、ダッシュー」

「……気づいてらっしゃったんですか。さすがはデザイア様」

 虚空から姿を現すダッシュ-。慇懃無礼な態度で頭を下げる。部下ではあるが、気を抜けばデザイアの寝首すらかくかもしれない相手だ。だが、デザイアの言葉の通り、その狡猾さはホーピッシュ侵攻の重要な武器だ。

「失礼をいたしました。ところで、しばらく単独行動をさせていただきたいのですが」

「貴様の目論見は大体分かっている。それは構わんが、しばし待て」

 ダッシューは表面上デザイアに忠誠を誓うアンリミテッドの戦士だが、その欲望は底が知れない。ゴーダーツやゴドーのようなある種の単純さがない。油断のならない相手だ。

「待て、と言われますと?」

「ゴーダーツとゴドーを招集し、アンリミテッドで待て。準備ができ次第、貴様らに命令を下す」

 ダッシューの目が不審げに動く。

「命令? 我々は今まさに、プリキュア撲滅、およびロイヤルブレスと紋章の回収命令を実行している最中だと思いますが」

「その通りだ。だが、それに平行して貴様らに頼みたいことがある」

 デザイアは腕を振った。放たれたのはカードだ。ダッシューはそれを受け取り、見た。それは、身分証のようだった。

「……なんですか、これは」

「追って詳細を伝える。貴様らには、ホーピッシュ攻略のための戦略的命令を下す。端的に言えば、そうだな」

 デザイアは仮面の下で笑った。

「――貴様らには、ホーピッシュに長期的に潜入してもらう」

 ダッシューが受け取ったカード。そこには、こう記されていた。

 曰く、『ダイアナ学園専属庭師兼主事 蘭童シュウ』と。


…………………………

 ますます絆を深めた姉妹。

 そして、お互いを親友と言い合ったプリキュアたち。

 世界はまだ明るい。しかし、闇の勢力は少しずつ、確実にホーピッシュを蝕んでいた。


…………………………

 次 回 予 告

ゆうき「えへへ……」

めぐみ「ふふ……」

ブレイ「何あれ?」

フレン「親友同士になって嬉しいから見つめ合ってるそうよ。馬鹿みたいよね」

ブレイ「ふーん……」

ゆうき「へへー」

めぐみ「ふふふ」

ブレイ「端から見ると、見つめ合って笑い合う女子中学生二人組って不気味だね」

フレン「あんた、言うこと結構どぎついわよね……」

ブレイ「ま、いいや。じゃあ次回予告……げっ」

フレン「なによ変な声出して……げっ」

ブレイ「……えー、次回、ファーストプリキュア」

フレン「第十話【超天才!? 愛の王女ラブリ!】」

ブレイ「……はぁ、ラブリかぁ。あんまり会いたくないなぁ」

フレン「次回もお楽しみに! あたしはこれっぽっちも楽しみじゃないけどね!」

>>1です。
読んでくださった方、ありがとうございます。
第九話はここまでです。
また来週、日曜日に投下できると思います。

>>1です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。
所用で10時の投下ができません。
夕方頃の投下になると思います。


>>1です。
遅くなりましたが、今週の投下を始めます。
本日の「なぜなに☆ふぁーすと」はお休みします。


第十話 【超天才!? 愛の王女ラブリ!】

…………………………

「投票、よろしくお願いします!」

「「「お願いしまーす!」」」

 ダイアナ学園は生徒会選挙活動期間に入った。

 めぐみを生徒会長に推薦するゆうき、ユキナ、有紗は学校にいつもより早く来て、登校する生徒たちに挨拶と選挙活動を行うようになった。

 当のめぐみも張り切って挨拶をしている。

「あ、大埜さん、おはよう。今日もがんばってね!」

「おはよう。ありがとう。がんばるわ」

 クラスメイトたちが通りかかるたび、めぐみたちに声をかけてくれる。

 ここのところ、めぐみはゆうきの前以外でもよく笑うようになった。近づき難かった頃のめぐみはもう遠い場所にいるようだった。ユキナと有紗は、
『ゆうきの影響じゃない?』などと言うが、もし本当にそうなら、ゆうきも嬉しい。

 親友のために自分が何かをしてあげられるというのは、本当に嬉しい。だからゆうきは張り切って声を張り上げる。

「おはようございます! 優しくて美人で、勉強も運動も得意な大埜めぐみに清き一票を!」

「ゆ、ゆうき! 何よその恥ずかしい謳い文句は!?」

 気合いを入れすぎて、いささかやりすぎてしまったようだ。


…………………………

 アンリミテッドは常に闇に包まれている。光はある。しかし、すべてが黒いため照らす光は拡散しないのだ。

「……これはどういうことですか?」

 震える声は、ゴドーが発したものだ。

 アンリミテッドの闇の戦士たち。三幹部は困惑とも怒りとも取れない感情を抱いていた。それは、彼らが仕えるアンリミテッドの最高司令官にして最強の戦士、暗黒騎士デザイアから渡された一枚のカードによって表れた感情だ。

「今しがた言ったとおりだが?」

 対するデザイアは何でもないことのように言う。

「貴様らにはホーピッシュに潜入しつつ、プリキュア撃滅、及び紋章とロイヤルブレスの回収の任を遂行してもらう」

「だから、それがどういうことかと聞いているんです!」

「ゴドー、言葉がすぎるぞ」

 怒りをあらわにするゴドーを押しとどめたのはゴーダーツだ。

「デザイア様、お教えください。ホーピッシュに潜入することで、我々は何を得るのですか?」

「いずれ分かる」

 ゴーダーツの問いに対してもデザイアは答える気はないようだった。

「命令が聞けないようなら致し方ない。アンリミテッドから消えてもらっても構わん」

 それは、三幹部にとってありえない未来だった。彼らは一蓮托生なのだ。彼らは強大なロイヤリティという敵に反旗を翻した。その時点で、破滅するか勝利するかの二択しかなかった。そして、彼らは勝利した。勝利したが、再びロイヤリティはその胎動を見せ始めた。伝説の戦士プリキュアが現れたということは、伝説のとおり、エスカッシャンにロイヤリティを蘇らせる力があるとも考えられる。もしも三幹部とデザイアが持つ四国のエスカッシャンがプリキュアに奪われ、ロイヤリティが復活したら、あの高貴な世界は彼らのことを絶対に許さないだろう。

 再び、容赦のない正義の鉄槌が下るだろう。



 ――――『プリキュア・ロイヤルストレート!』



「ッ……」

 そう、それこそあのプリキュアたちの放つ強大な光で刺し貫かれるように、三幹部は為すすべもなく光に飲み込まれ消滅してしまうだろう。


「異存はない、ということでよいのだな」

 黙りこくってしまった三幹部を見て、仮面の騎士デザイアは満足げに言う。

「貴様らにとっても無益なことではない。準備が完了し次第おって連絡をする。そのときまでに、ホーピッシュに馴染む練習でもしておくのだな」

 言うだけ言うと、デザイアは身を翻し闇に溶けて消えた。

「さて、と」

 その途端、それまで黙ってカードを見つめていたダッシューがゴーダーツとゴドーに背を向けた。

「待て、ダッシュー。どこへ行くつもりだ」

「さぁて、ね。まぁぼくにとって無益なことでないのはたしかだよ」

 ゴーダーツの問いに煙に巻くような台詞を残して、ダッシューも闇に溶けて消えた。

「……いやよ、あたし」

 ゴドーは己の身体をかき抱くように震えている。

「あたしは……」

 ドクン、と。その瞬間、ゴドーの胸元で何かが動いた。愛のエスカッシャンが震えたのだ。

「これは、愛の王女の鼓動……?」

 それはつまり、愛の王女がすぐ近くにいるということだ。

「おい、ゴドー、どうした?」

 じっとしてなどいられなかった。ゴドーは立ち上がると、ゴーダーツの制止も聞かずホーピッシュへと飛びだした。

 プリキュアの光は強大だ。ふたりでも手に余るというのに、これ以上増えられてはたまらない。あの光を、いまのうちに潰しておかなければ。


…………………………

 ――――『大した “優しさ" だな、キュアユニコ』

 ――――『筋はいいが、素人同然だ。それでは俺には勝てんな』

 ――――『ああ、それまで、俺も刃を研いでおくことにしよう。さらばだ、キュアユニコ』

 思い起こされる先日のゴーダーツとの戦い。めぐみの、キュアユニコの全力は闇の戦士に遠く及ばなかった。今思い出してもわかる。あれは、とてつもない強さだ。そしてゴーダーツは恐らく、一度プリキュアに敗北寸前まで追い詰められたからこそあの力を得た。つまり、もう油断も慢心もすることはないだろう。次に目の前に現れるときは、もっと強くなっていることだろう。

 ――――『でも、わたしたちも強くなる。絶対に、負けない』

 ああ言ったものの、どうしていいのか、具体的な考えはまったく浮かばない。ようやく手にすることができたカルテナの力も、ゴーダーツには及ばなかった。このまま再びゴーダーツとぶつかれば、次こそは負けてしまうかもしれない。そうしたら、フレンやブレイ、延いてはこの世界は――


「――深刻な顔してどうしたの?」


「わひゃっ!?」

 突然目の前に脳天気な親友の顔が現れて変な声が出た。時刻はお昼休み、ゆうきとふたり、お弁当に舌鼓を打っている最中だった。

「そんなに驚かなくても……」

「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたの」

「だと思ったよ。で、何を考えていたの?」

 めぐみは正直に思っていたことを話した。このままでは、きっとゴーダーツには勝てないであろうという予想も含めて、しっかりと。しかし、ゆうきの反応は脳天気どころか、予想をはるかに超えたものだった。

「そんなことであんな深刻な顔をしていたの?」

 呆れるような声だった。

「そ、そんなことって。深刻なことでしょう。ゴーダーツどころか、その背後にはあのデザイアだって控えているのよ」

「まぁ、それはそうなんだけど。てっきり、生徒会選挙のことで何か悩んでるのかと思ったよ」

「世界の危機より生徒会選挙!?」

「そりゃそうだよ! なんてったって、大親友の晴れの舞台だからね! はりきっちゃうよ!」

 まったく、この親友は。と、めぐみは脳天気に笑うゆうきを見て、深刻に考えていた自分がバカみたいに思えてきた。ゆうきの顔を見ていると、本当に自分が考えていたことなど、大したことではないように思えてくるから、不思議だ。

「大丈夫。きっとなんとかなるよ。だって、情熱のプリキュアと愛のプリキュアもいるんでしょ? 王女様ふたりを探し出して、プリキュアを見つけるお手伝いをすれば、きっとゴーダーツにだって勝てるよ。デザイアにもね。そうしたら、ちゃんとお話、聞いてもらえると思うんだ」

 ゆうきの言葉は、どこまでも希望にあふれている。めぐみは元より、自分たちの国を滅ぼされたブレイとフレンも、そんな彼女の笑顔だからこそ、信じてくれているのだろう。


「……そうね。まずは、ふたりの王女を探し出さないとね」

「案外近くにいたりして。王女様たちも、情熱のプリキュアと愛のプリキュアも」

「そうだったらいいのだけど」

 ゆうきは希望的観測が過ぎる。そうであればそうに越したことはないが、そうでなければ、どうするか。

 ゆうきが希望を口にするのならば、めぐみはその希望を叶えるための道筋を見据えなければならない。めぐみにはゆうきのように、人の心をほだすような言葉を作り出す能力はない。ならば、めぐみはゆうきに欠けている様々な可能性を模索する能力をフルに発揮しなければならないだろう。

(フレンは、ホーピッシュに降りたってすぐ、愛の王女と別れたと言っていたわね。それに、ロイヤリティから旅立つ直前まで、情熱の王女とも一緒だったと。少なくとも、愛の王女はこの近辺にいると考えて問題はないわね。それに、以前のゴドーの様子から見て、アンリミテッドに捕まったとも考えづらい)

 ゴドーの取り乱し方は尋常ではなかった。あれが演技とは、めぐみには思えない。

(だとすれば、問題は情熱の国の王女。ロイヤリティからこの世界へどのようにしてやってきたのか、詳細が分からない以上なんとも言えないけれど、ひょっとしたら、ほまれ町の外に飛ばされた可能性がある。そうなれば、あの小さいフレンとブレイの仲間を探し出すのは困難すぎるわ。なんとかして探し出す方法を考えないと……)

 うんうんと唸るめぐみ。目の前の脳天気な親友が、ため息をついたことにすら、気づかない。

「はぁ。めぐみは本当に生真面目だなぁ」


…………………………

 そこは、ロイヤリティでは感じたことのない、異質な地面が広がる土地だった。石張りの床によく似たその地面は、黒々とどこまでも広がっている。ホーピッシュは、異質だ。とても希望の世界とは思えないくらい、無機質だ。緑はあるにはあるが、あまり多いとは言えないし、何よりこの黒々として硬い異質な地面があまりにも広すぎる。この世界は、妖精の姿で歩き回るにはあまりにも厳しい。土とは違い、歩くだけで足が痛いし、お日様の照り返しも強い。体力もどんどん奪われていく気がする。

 愛の王女ラブリはそんな場所で、ひとりぼっちのまま愛のプリキュアを探していた。

「…………」

 ひとりは昔から慣れっこだった。

 ひとりでいるのが当たり前だったから、さみしいなんて思ったこともなかった。

 いつだって、ラブリはひとりぼっちだった。

「……関係ないレプ。ラブリが愛のプリキュアを生み出して、ロイヤリティを復活させればいいだけレプ」

 なんでそんなことを考えてしまったのだろう。考えたって仕方のないことだって知っているはずなのに。

「ブレイ……フレン……パーシー……」

 そういえば、とふと思い出す。自分以外の、たった三人のロイヤリティの生き残り。彼らは一体、どうしているだろうか。どこかで行き倒れしていないだろうか。敵に捕まってブレスと紋章を奪われてはいないだろうか。

「……関係ないレプ。ラブリには、関係ないことレプ」

 グゥ~、と。その瞬間、とんでもない轟音が鳴り響いた。すわ敵襲かと身構えるラブリだが、すぐに気づく。自分の、お腹が鳴った音だ。

「そういえば、もうしばらく何も食べてないレプ……」

 ラブリはとうとう、道のすみに座り込んだ。

 ホーピッシュにつてなどはない。初めてやってきた土地で、さびしくさまよっているだけだ。それを「プリキュア探し」と言い張って、虚勢を張っているだけだ。四人の王子・王女の中で一番優秀だった己がこのていたらくなのだから、考えるまでもない。他の三人は、捕まるか、とっくに行き倒れているかのどちらかだろう。

「レプ……ッ」

 胸が痛む。

 関係ないはず、ないのだ。仲良くしていたわけではない。どちらかといえば、いがみ合ってばかりだった。それでも、容易に見捨てていい相手ではなかったはずだ。共に祖国を救うための使命を帯びた身の、仲間だったはずだ。そんな仲間たちを、自分は見捨ててしまったのだ。

「――ラブリ……?」

 おどおどとした声。少しだけなつかしい声。ああ、とうとう幻聴まで聞こえるようになってしまった。愛の王女ともあろうものが情けない。

 こんなところで、勇気の王子の声など、聞けるはずがないというのに。

「やっぱり、ラブリグリ!」

 ただし、それは幻聴というには、あまりにもはっきりとしすぎていた。背後からのその声に、ラブリが振り返る。果たしてそこには、勇気の王子ブレイと、優しさの王女フレンが並んで立っていた。

「無事だったグリね! よかったグリ!」

「ふ、ふん。ラブリのことだから、心配ないと思ってたニコ」

 これはいったいどういうことだろうか。思考を巡らすことはできなかった。ふたりの姿を認めた瞬間、ラブリは何かが外れたように、道端に倒れ込んでしまったからだ。

「ラブリ!? ラブリ、しっかりするグリ!」

「めぐみたちを呼んでくるニコ!」

 意識が遠のいていく中、そんなふたりの声が、聞こえた気がした。


…………………………

 ゴドーは物陰から、倒れる愛の王女と、走り去るふたりの王子と王女の姿を眺めていた。

 千載一遇の好機と言えよう。なにせ、探し求めていた愛の国の王女が、たったひとり目の前で倒れている。

「今なら、邪魔なプリキュアもいない……! 今なら!」

 そう。今ならば、プリキュアがいない今ならば、少なくとも弱り果てている愛の王女だけでも、アンリミテッドに連れて帰ることができるだろう。ゴドーははやる心のままに、倒れ伏す愛の王女に向け走り出した。しかし、唐突に目の前に現われる陰があった。

「待ちなよ。そう急ぐことでもない」

「なっ……」

 空から降りてきたダッシューは、通せんぼをするように、ゴドーの目の前で両腕を広げた。

「何の真似よ! 悪趣味な奴ね! ずっと空から見てたのね!」

「たまたまさ。ぼくはぼくの目的のために動いている。ただ、偶然にも君が、愚を犯そうとしているのを見かけたから、止めにきてあげただけさ」

「どういうことよ!」

 ゴドーの剣幕にも、ダッシューはひるむ様子もない。端からゴドーの相手など、本気でするつもりなどないのだ。

「考えてもみなよ。いま出て行ったところで、どうせすぐにプリキュアたちが現われる。そうなれば、どちらにしろ愛の紋章やブレスを手に入れることは不可能だ。違うかい?」

「っ……」

 それは確かにその通りかもしれない。勇気の王子と優しさの王女はプリキュアたちを呼びに行った。プリキュアたちはほどなくして現われるだろう。そうすれば、何の策もない現状であれば、ゴドーの敗北は必至だろう。

「でもこのまま待っていたって変わらないじゃない!」

「変わるさ」 ダッシューは酷薄に笑う。「忘れたのかい? 彼らロイヤリティの王族たちは、どこまでも仲が悪いんだよ?」

 ダッシューのその笑みに、ゴドーもようやく、彼の意図するところに気づいた。

「……それもそうね。ふふ。国を奪われてもなお仲違いをする王族。見物だわ」


…………………………

 ほんの数日さまよっていただけだというのに、もう何年も当て所のない旅をしていたように思える。

 ラブリはようやくロイヤリティに帰ることができたのだ。

 暖かい陽気。やわらかな光。穏やかな笑い声。それらが織りなす優しい世界に、帰ってきたのだ。

 ラブリの故郷、愛の国は、やはり愛で溢れていた。臣民は皆、ラブリを笑顔で出迎えてくれた。

 そして、人々の向こう、ラブリの両親である愛の国の王とお后様が待ってくれてる。

 ああ、ようやく帰ってくることができた。

 きっと、お父様もお母様も、ラブリを温かく迎えてくれる。

 ラブリは走り出した。

 あと少し。あと少しで両親に手が届く。

 あと少しで、温かい笑顔を、声を、愛を――



 ――世界が反転した。



「……っ、あ……」

「グリ! ラブリが目を覚ましたグリ!」

「ほんとニコ!」

 視界がぼやける。そのぼやけた視界の中を、何かが動いた。

「大丈夫グリ?」

 それが、モコモコの身体をした王子だとわかると、ラブリは自分を怒鳴りつけたい気持ちになった。ラブリはすぐに状況を把握したのだ。つまり、己は道端で倒れ、ブレイとフレンのふたりに拾われたということだろう。ここはどこだろうか。屋内のようだが、妖精のラブリにとっては、何もかもが大きく映る。ホーピッシュの人間の家なのだろう。

「レプ……」

「あ、まだ起きない方がいいグリ!」

 起きようとすると、モコモコの王子が自分の身体を押す。ただでさえ弱っているラブリは、それだけで動けない。しかし、そのまま寝ていることは、ラブリの色々なものが許さない。

「……大丈夫レプ。ラブリは君たちに情けをかけられるほど落ちぶれていないレプ」

「なっ……! まだそんなことを言っているニコ!?」


 予想していた通り、人の好い勇気の王子は首を傾げるだけだが、優しさの王女は顔を真っ赤にして憤慨のご様子だ。ラブリは今度こそ起き上がり、ふたりの王族を睥睨した。

「ブレイ、フレン、よく無事でいられたレプ。もうとっくに行き倒れていると思っていたレプ」

「行き倒れていたのはそっちニコ!」

 フレンがますます顔を真っ赤にする。

「せっかく助けてあげたのに、相変わらずひどい性格ニコ!」

 助けてあげた。ああ、そうかと納得する。それと同時にこみ上げてくるのは怒りとも後悔ともつかない嫌な感情だ。

 つまりは、この愛の王女が、勇気の王子と優しさの王女などに、助けられたということだ。

 そして、愛の王女である己が行き倒れのような状態になっていたというのに、このふたりの王子と王女は、そんな己を助けるだけの余力すらあったということだ。

「……助けてなんて頼んだ憶えはないレプ」

 口をついて出てきたのは、そんな力ない言葉だけだった。ラブリが何をどう考えても、その事実を消すことはできなかった。

「もう怒ったニコ! そんなに偉そうなことを言うなら、どこかで行き倒れたらいいニコ! 今すぐ出て行くニコ!」

「言われなくても、そうさせてもらうレプ」

 ラブリは何も言えずオロオロとするブレイを押しのけ、立ち上がった。

「フレン! ラブリ! ブレイたちは、こんなケンカをするためにホーピッシュに来たわけじゃないグリ!」

「……うるさいレプ。臆病者が、このラブリに意見する気レプ?」

 ブレイを睨みつけると、ブレイはびくりと身体を震わせて、目を逸らした。

「相変わらずレプ。優しさのカケラもないフレン。臆病者のブレイ。そんな風に、何もできない同士一緒にいるといいレプ」

「何もできない? ふん! よーく聞くといいニコ! フレンとブレイは、プリキュアを生み出したニコ!」

 立ち去ろうとしたラブリの背中に、その言葉がガツンと響く。

「プリキュアを……?」

「そうニコ! あんたはその様子じゃまだみたいニコね! どうニコ? 散々バカにしていたフレンたちに先を越された気分は!」

「……っ」

 それはあまりにも重い事実だった。考えないように目を逸らしていたが、当たり前のことだ。弱い妖精でしかないブレイとフレンが行き倒れることもなくしっかりと生きているというこは、ふたりを保護してくれたホーピッシュの人間がいるということだ。その保護者が、プリキュアである可能性は大いにある。

 それはつまり、天才と謳われ、天才であることを義務づけられたラブリが、ブレイとフレンにできたことを未だ達成できていないことに他ならない。

「ふ、フレン! 言い過ぎグリ!」

「……ふん! いつもフレンたちをバカにしていたんだから、お返しニコ!」

「ふん……」

 関係ない。そう思うことにして、ラブリはその場を後にした。


…………………………

「なんて女ニコ! せっかく助けてあげたのに!」

 憤慨するフレン。それも無理もないことかもしれない。道端で倒れたラブリを助けるため、下校中だっためぐみとゆうきを探して走り回っていたのだから。ブレイは、フレンの腹立たしい気持ちがわからないわけではない。けれど。

「……心配グリ」

「ニコ……?」

 ブレイの言葉に、フレンが顔を向ける。

「ブレイはあんな奴のことが心配ニコ?」

「もちろん、ブレイだってあの態度はひどいと思うグリ。でも、仕方がないことかもしれないグリ」

「仕方がないって何ニコ?」

 ブレイは考える。自分は臆病だ。だからこそ、昔からバカにされ続けてきたラブリの冷たい目線を見て、さっきだって何も言うことができなかった。それはきっと、仕方がないこと。もちろん、勇気の王子としてそのままでいいはずがないけれど、今はまだ、きっと、仕方がないことだ。

「……フレンは、ラブリに対して怒ってるグリ」

「当然ニコ! せっかく助けてあげたのに、あんなことを言われて、腹が立たないわけがないニコ!」

「そうグリ。それもきっと、仕方がないことグリ。ラブリもきっと、ブレイたちに助けられて、ああいう風に言うしかなかったグリ」

「ニコ……」

 フレンはブレイの言葉を受けて、少し考え込んでいるようだった。

「……そうかもしれないニコ」

 やがて顔を上げたフレンは、そっと口を開いた。

「ラブリはプライドも高いし、自分が天才だって自負もあるニコ。それに、本当になんでもできる、すごい王女だったニコ」

「そんなラブリが、ブレイたちにプリキュアを先に生み出されたと知って、ショックを受けないわけがないグリ」

「……それにしても、あんな態度はないと思うニコ」


「それは、段々と直していくしかないグリ。ブレイも、もっと勇敢にならないといけないグリ。フレンも、もっと優しくならないとだめグリ?」

「ニコ……。痛いところをついてくるニコ」

 フレンはほぅ、とため息をつく。

「……フレンもさっきは言い過ぎたニコ。優しさの王女なら、優しくラブリを諭すべきだったニコ」

「そう思えるだけで、フレンは大した王女グリ。それに比べてブレイは、さっき何も言えなかったグリ」

「でも、いま言えてるニコ。フレンに、大事なことを気づかせてくれたニコ。ブレイも、きちんと勇気の王子をしてるニコ」

「そ、そうグリ……?」

 フレンが真正面から褒めてくれるなんて、少し前に想像ができただろうか。ブレイはこそばゆいような気持ちで、そっとフレンに向き直った。

「もう一度、ラブリを迎えに行くグリ。ブレイたちが力を合わせないと、ロイヤリティは蘇らないグリ」

「ニコ!」

「話はまとまったみたいね?」

 開きかけだった部屋のドアが、キィと開く。外から顔を覗かせるのは、ブレイとフレンの大切な仲間、ゆうきとめぐみだ。

「せっかく弱った愛の王女様のために、急いで甘い物を買ってきたんだから、」 ゆうきが買い物袋をぶら下げて笑う。「ちゃんと食べさせてあげなくちゃね」

「グリ!」

 ブレイとフレンは頼もしい相棒の肩に乗る。大切な友達を、迎えに行くために。


…………………………

 一度、“助かった”なんて、思ってしまったからだろう。

 身体は、先にも増して重いような気がする。

 何より、空腹が限界を超えて、もはやお腹が空いているのか空いていないのか、それすら判然としない。

 少し眠ることができたから、妙に頭が冴えている。

 ギラギラと照りつける日光と、黒い大地からの照り返しに、今にも倒れそうだ。

 ふと、倒れたらまた、ブレイとフレンが助けてくれるだろうか、なんて考えが頭をよぎった。

 なんて情けないことを考えているのだろう。

 それに、助けに来てくれるわけがないではないか。

 あんな、ひどい啖呵を切って飛び出してきたのだ。さしものお人好したちも、フレンに愛想を尽かしたことだろう。

 あんなの、ただの強がりだ。

 ブレイとフレンに助けられたことが情けなくて、ブレイとフレンが先にプリキュアを生み出していることが悔しくて、それで、あんなことを言ってしまっただけだ。

 愛の王女ともあろう者が、なんて情けないことをしてしまったのだろう。

「……愛。ああ、そうレプ。それは、ラブリには分からないものレプ」

 何が愛の王女だろう。今まで、一度だって誰かの愛に触れたことがあるだろうか。そんな己が、どうして愛の王女などを名乗れるだろうか。

 もはや、思考も判然としない。自信を打ち砕かれた天才王女は、そっとその場に跪いた。

 倒れるなと教えられた。媚びるなと教えられた。常に王族らしくあれと教えられた。

 その結果が、これだろうか。

 ラブリはそのまま、天を仰ぐように地面に転がった。

 どう考えたって終わりだ。これ以上歩く体力もない。気力もない。何もない。

「……これで終わりレプ。祖国はきっと、ブレイとフレンが救い出してくれるレプ」

 そう思うと、安心できる気がした。ラブリはすべてを放棄して、そのまま――




『ラブリ……』




「レプ……」


 遠く、声が聞こえた気がした。それは、聞こえるはずのない声。ロイヤリティが闇に飲まれ、消滅する直前。ラブリたちが、ホーピッシュヘと旅立つ直前。最後かもしれない、母と父の、己を呼ぶ声。

 両親にさしたる感慨があるわけではない。

 むしろ、公務で忙しく、放任主義の母と父は、厳しい言葉をかけてはくれるが、優しい言葉をかけてくれることは多くはなかった。

「……ラブリ、は……っ」

 倒れるわけにいかないだろう。ここで。王族としての、責務を真っ当せぬまま。朽ちていくわけにはいかないだろう。

「まだ、やらなければならないことが、あるレプ……」

 たとえ情けなくたって、なんだって、やらなければならないことがある。

 倒れている場合では、ない。

「お父様を、お母様を、臣民を……救わないといけないレプ……」

 けれど。



「救わないといけない? 救うべき臣民もいないのに、何を言っているのかしら」



「レプ……!」

 情けなく立ち上がったラブリを、冷たく見下ろす瞳がふたつ。思い起こされる、愛の国が滅ぼされたときのこと。燃え上がる愛の国の街並みを見下ろしながら、酷薄に笑う顔。忘れもしない。愛の国を滅ぼしたアンリミテッドの戦士――、

「ご、ゴドー……!」

「あら。名前を覚えていてくださったなんて、光栄ですわ。愛の王女、ラブリ・ラブリィ様」

 くすくすと、まるで普通の少女のように、黒衣の戦士は笑う。

「冷たい冷たい愛の国の王族ですもの。下々の者の名前なんて、すぐ忘れてしまうものと存じておりましたのに」

「も、紋章とブレスは渡さないレプ!」

「それをお決めになるのは、ラブリ様ではないのですよ」

 ゴドーは身をかがめると、恐怖と極度の疲労で動けないラブリを、なんでもないことのようにすくい上げた。

「は、はなすレプ!」

「紋章とブレスをいただければ、王女様に用はございません。はなして差し上げますよ?」

「渡せないレプ! これは、ロイヤリティを救う最後の希望レプ!」

「わがままな王族は臣民に嫌われましてよ? まぁ、もう手遅れですけれど」

 キリキリと、まるでラブリが苦しむ様を楽しむように、ゴドーの両手が少しずつラブリの身体を締め付ける。


「さぁ、王女様? 闇に飲まれ消滅した亡国の王女様? 逃げ惑う臣民を見捨てて逃げ出した王女様?」

 ゴドーの声は嗜虐的にラブリを責め立てる。

「あなたに紋章とブレスを持つ資格はございません。わたくしめにお渡しくださいな」

 ああ、そうだ。その通りだ。ラブリは何もできず、逃げ出したのだ。

 必ず救うと誓って、このホーピッシュの地に降り立ったのだ。

 けれど、結局何もできていない。愛のプリキュアにふさわしい人物も見つからない。

 ゴドーの言うとおり、これではただ逃げ出しただけだ。闇に飲み込まれたロイヤリティから、逃げ出しただけの臆病者だ。

「――……レプっ」

「あら? 渡してくださる気になったのかしら」

 ラブリの声にならない声に、ゴドーの手が緩む。ラブリはだから、それを口にすることができた。

「……それでも、やり遂げることが、ある、レプ……!」

「っ……。それが無駄だと言っているのよ!」

「闇に身をやつした、アンリミテッドの者には、分からないレプ。ここで諦められないから、立ち上がるレプ。ここで潰えるわけにはいかないから、戦うレプ……!」

 ギリリ、と。今度は猛烈な力が込められた。憎しみがそのまま表層に表れたかのように、ゴドーの笑みが消え、怒りとも憎しみともつかない激烈な表情が浮かぶ。

「あんたによくそんなことが言えたものね……! あんたたちのせいで、あたしたちは……ッ!」

 こもった力に、ラブリは抜け出すことができない。それでも、ほとんど力の入らない両手に力をこめる。少しでもアンリミテッドの力に抗おうと、力をこめる。たとえ彼我の戦力差がどうであれ、ラブリがあきらめていい理由には、ならない。

「早くブレスと紋章を渡しなさいよ! あんたが持っていたって、もう意味のないものなのよ!」

「あきらめない、レプ……。救うレプ……。絶対に……絶対に、取り戻すレプ……!」



「「ラブリ!!」」


 ああ、どうしてだろう。

 さっき、あんなにもひどいことを言ってしまったというのに。

 どうして彼らは、自分の名を呼んでくれるのだろう。

 そして、どうして、こんなにも。

 こんなにも、自分は、この声を聞いて、安心してしまっているのだろう。

「プリキュア……!」

 ゴドーが震えた声を上げる。かすむ目で、ゴドーの目線の先を追う。

 そこには、勇気の王子と優しさの王女に伴われた、ふたりの少女の姿があった。


…………………………

「プリキュア……!」

 しまったと思ったときにはもおう遅かった。プリキュアたちはゴドーを目の前にして油断なく身構えている。

「っ……」

「早くアンリミテッドに連れて帰るべきだったね。君は本当に、激情家だから困るよ」

 先と同じように、虚空からダッシューが現われる。

「手伝ってあげよう。君は早く愛の王女を連れて逃げなよ」

「なっ……あたしに尻尾を巻いて逃げろって言うの!?」

「実利を取って欲しいと言っているだけだけどね。まぁ好きにしたらいい」

 それだけ言うと、ダッシューは両手を掲げ、叫ぶ。

「出でよ、ウバイトール!!」

 世界が闇に墜ちる。青かった空が真っ二つに割れ、その隙間から尋常ならざる何かが現われ、地に落ちる。

「そうだな……今日は、アレにしようか」

 ダッシューが指を差す。その先にあるのは、美しく立ち並ぶ街路樹のうちの一つだ。

「ウバイトールは物に込められた人間の欲望が具現化するものだ。だから、本来であれば自然物にウバイトールは宿らないが、人の欲望によって成り立つものならばその限りではない」

 闇の塊のような何かが、街路樹に取り付く。そして生まれるのは、闇の鼓動を持つ怪物、ウバイトールだ。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「木々を整えて美しくしたいという欲望。わからなくはない。利用させてもらおう」


…………………………

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 唐突に現われたもうひとりのアンリミテッドの戦士がウバイトールを呼び出す。それに対してふたりの少女の行動は早かった。



「「プリキュア・エンブレムロード!」」



 世界を闇に染めようという怪異、それに立ち向かえる唯一の存在。

 伝説の戦士プリキュアが大地に降り立つ。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアグリフ!」



(あれが、プリキュア……)

 夢現とも判断がつかないくらい消耗したラブリは、その光を温かいと感じた。

「ゴドー! ラブリを返してもらうよ!」

「ッ……!」

 ギリッ、と、己を戒める両手に力が込められる。痛みは感じなかった。ただただ、疲れ果てた身体に不思議な安心感が満ちていた。

(きっと、大丈夫レプ……)


…………………………

「ゴドー! ラブリを返してもらうよ!」

 キュアグリフはまっすぐゴドーに向かい跳ぶ。それを阻まんとウバイトールが立ちはだかる。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「邪魔、だ!」

 ズドン! と凄まじい音が響く。キュアグリフがウバイトールを殴りつけた音だ。

『ウバッ……ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「なっ……!?」

 しかし、その重い拳は、ウバイトールに響いてはいないようだった。街路樹のウバイトールは枝の両腕を振るい、目の前のキュアグリフを吹き飛ばす。

「ッ……! どうして!」

「加工前の生木は折れにくいし切りにくい。そして何より、衝撃に強いものさ」

 中空からダッシューが語りかける。

「君の拳程度じゃ、このウバイトールは倒せないよ」

「……ふん、だ。べつに今は倒さなくたっていいもん」

「なに……?」

 タッと、キュアグリフの脇を駆け抜ける影。優しさのプリキュア、キュアユニコだ。

「っ、行かせると思うか! ウバイトール!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「それは、」

 しかし、キュアグリフが、キュアユニコを迎撃しようと動くウバイトールの前に立ちはだかる。

「こっちの台詞だよ!」

『ウバッ……!』

 もう一度、鈍い音が響く。キュアグリフがウバイトールを真正面から殴り飛ばす音だ。キュアグリフから立ちのぼる薄紅色の光――それは、“立ち向かう勇気の光”。その光がキュアグリフにとてつもない力を与えているのは、誰の目から見ても明らかだった。そのまま、ウバイトールに反撃の暇すら与えず、グリフは拳を打ち付け続けた。


「今は効かなくたっていい! ラブリが助けられれば、それでいい!」

「ッ……! キュアグリフ!」

 その間にキュアユニコがゴドーへ迫る。

「ゴドー! ラブリを返しなさい!」

「舐めんじゃないわよ! あたしだって……!」

 ゴドーは片手にラブリを握りしめたまま、向かってくるキュアユニコに相対する。

「悪いけど、ブレイとフレンの友達を連れ去らせるわけにはいかないから、本気を出すわよ」

「はん! 何が友達よ! いがみあってばかりの王族が友達なわけないでしょ!」

「そうかもしれない。ううん、そうだったかもしれない。けど、これからはきっと、大丈夫」

 キュアユニコは笑う。その不敵な笑みに、ゴドーは大地を蹴り、跳んだ。アンリミテッドの位相に逃げ込んでしまえば、さしものプリキュアも追ってはこれない。それは戦略的撤退だ。

「あんたが何を言ってるのかまるでわからないわ! どっちにしろ、これで終わりよ! 愛の王女はアンリミテッドがいただくわ!」

「本気を出すって、言ったわよね」

 ゾクッと、ゴドーは背筋が寒くなるのを感じた。それは、まぎれもなく、眼下を走る空色のプリキュアから放たれている、闘気のような何かだ。

「優しさの光よ、この手に集え!」

 空色の光がキュアユニコの手に集約する。そして現われるのは、ロイヤリティの伝説の戦士が携えるとされる伝説の剣――、

「――カルテナ・ユニコーン!」

「ッ……」

 その剣がとてつもない力を内包していることは火を見るより明らかだ。しかしゴドーはすでに飛び上がり、アンリミテッドへ消える準備は万端だ。何も心配する必要はない。

 そう。大丈夫。大丈夫なはずだ。

「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ! プリキュアに力を!」

 しかし、その希望的観測はあまりにも容易く打ち崩された。




「プリキュア・ユニコーンアサルト!!」




「ッ……!?」

 空色の光を爆発させるように、キュアユニコが跳び上がる。まっすぐ、ゴドーに向かって、まるでロケットのようなアサルトを放ったのだ。


 ゴドーはあまりの出来事に、目をつむり、事の推移を把握することを放棄した。心のどこかで、自分が敗北するのだと理解しながら。

 しかし、痛みはない。恐る恐る目を開けると、目の前にキュアユニコの姿はなかった。

「……?」

「……ラブリは返してもらったわよ」

 声は真下から聞こえた。今まさに着地したのだろう。屈んだ姿勢から立ち上がるキュアユニコが両手で優しく抱きかかえるのは、まぎれもなく愛の王女、ラブリだ。手に握っていたはずの王女は、いつの間にかキュアユニコに奪い取られていたのだ。

「……はぁ。形勢逆転かな。仕方ない。ここは退こう」

 ダッシューがゴドーに近寄り、言う。しかし、ゴドーの耳にその言葉は届いていなかった。

「アンタ……ッ!」

 その怒りの矛先は、眼下のキュアユニコに向けられていた。

「どうして、あたしを攻撃しなかったの」

「どうしてって……。わたしはラブリを助けたかっただけよ。あなたを傷つけたいわけではないもの」

「どこまでもッ! 人のことを舐めくさってんじゃないわよ!」

「その怒りはわからなくもない。けれど、今は退くよ、ゴドー」

 今にもキュアユニコに飛びかからんばかりのゴドーを留めながら、ダッシューが笑う。

「……しかし、ぼくからも言わせてもらおう。キュアユニコ、その慢心がいつか必ず命取りになる」

「べつに油断しているわけじゃないわ。あなたたちをいつか改心させるための行動よ」

「そうかい。それは殊勝なことだ」

 ダッシューはニヤリと笑う。

「……ゆめゆめ、その言葉を忘れないことだ。油断は、君たちの足下をすうくうことになる」

「……?」

 そう言い残すと、ダッシューはゴドーを伴って消えた。残されたのは、今まさにキュアグリフが応戦しているウバイトールだ。

「……ブレイ、フレン。ラブリをよろしく」

 手の中のラブリをふたりに任せ、キュアグリフの横に並ぶ。


「お待たせ、グリフ。ラブリは無事助け出したわ」

「さっすがユニコ! うまくやると思ったよ」

 ふたりは笑みを交わすと、ぎゅっと手を握る。強く、強く、お互いの絆の分だけ、強く。

「……いくわよ、グリフ」

「うん! ユニコ!」


「翼持つ獅子よ!」


「角ある駿馬よ!」


「「プリキュア・ロイヤルストレート!!」」


 ふたりのプリキュアから放たれた激烈な光が、街路樹のウバイトールを直撃する。

『ウバッ……!! ウバァアアアアアアアアアア!!』

 そして、世界に広がっていた闇が晴れる。ウバイトールは街路樹に戻り、元の場所へと戻る。ふたりのプリキュアもまた、変身が解かれ、元の姿に戻る。

「ゆうき~! めぐみ~!」

「ブレイ……?」

 変身を解いて早々、遠くからブレイの呼び声がする。

「ラブリが苦しそうニコ! 早くお布団で寝かせてあげたいニコ!」

「そうね。王野さん、早く連れて行ってあげましょう」

「うん! 急ごう!」


…………………………

 また、夢を見た。

 それはそれは、怖い夢だった。

 ロイヤリティを脱出する瞬間の夢。

 本当はそんなもの見てはいないというのに、闇の欲望に飲み込まれ、消滅する様を見た。

 敬愛する父、母、臣民が一斉に飲み込まれる様を。

 怖い。

 恐ろしい。

 そして、自分だけがそんな中逃げ出したという罪悪感が生まれる。

 臣民を見捨て逃げ出したという罪悪感。

 それは消えない。

 それでも。

 その最悪の情景を吹き飛ばし、再びロイヤリティを取り戻すために、戦う。

 そう決めたのだ。

 だからラブリは、叫び声も上げず、目を背けることもせず、その惨状を目の当たりにしながらも、ただ、頷いた。

『いつか必ず戻るレプ。伝説の戦士、プリキュアを連れて、戻るレプ!』


…………………………

 目覚めると、目の前には心配そうな顔をしたブレイとフレンがいた。パチリと目を開けたラブリに対し、ふたりはバツが悪そうな顔をして、目を逸らした。

「……ラブリ」

「……何レプ」

 最初に口を開いたのは優しさの王女、フレンだった。

「さっきは悪かったニコ。言い過ぎたニコ。全然優しくない言い方をしてしまったニコ。だから、ごめんなさいニコ」

「…………」

 ラブリの無言をどう受け取ったのだろうか。フレンはそれだけ言うと、目線を落とした。

「ラブリ、ブレイも悪かったグリ」

 続いて口を開いたのはブレイだ。

「ラブリのことを分かっていたのに、口に出すことができなかったグリ。怖くて口をつぐんでしまったグリ。ブレイに勇気があれば、もっとうまくできていたかもしれないグリ。だから、ごめんなさいグリ」

 ラブリは、本当の本当に、心の底から驚いていた。

「……すごいレプ。ブレイとフレンが、プリキュアを生み出すことができた理由がわかった気がするレプ」

「ニコ……?」

 だからラブリは、その気持ちに逆らわず、従った。立ち上がり、頭を深く深く、下げた。

「申し訳ないことをしたレプ。ラブリは、ふたりに助けられたというのに、それを認めたくないから、あんなひどいことを言ってしまったレプ。ふたりが謝る必要なんてないレプ。ラブリが悪かったレプ。ごめんなさいレプ」

 そのラブリの行動に、ふたりが呆気に取られていることが、なんとなく伝わってきた。恐る恐る頭を上げると、やはりふたりは、開いた口が塞がらないとばかりに、あんぐりと口を開けて、まるで見たことのない光景を見つめるかのように、不気味そうにラブリを見つめていた。

「あ、あの高慢ちきなラブリが……」

「自分の非を認めて謝ったグリ……」

「わ、悪かったレプね。どうせラブリは高慢ちきな王女レプ」

 むくれてみせるが、すぐに頬は緩んでしまう。ともすれば悪口になってしまうような言葉が、どこかくすぐったかった。ふたりと、仲良くなれるような気がしたからだ。

「……ラブリ。ラブリさえよければ、フレンたちと一緒にいるニコ」

「そうするといいグリ。愛のプリキュアは、ブレイたちと一緒に探すグリ」

「……ああ。そうさせてもらうレプ。よろしくお願いしますレプ」

 ラブリはふたりの申し出にもう一度頭を下げた。自分のちゃちなプライドより何より、失われたロイヤリティを救い出すことが何より大事だと痛感したからだ。

 ぐぅ~、と。

「あっ……」

 盛大な音が響く。その音のは、ラブリのお腹から発せられていた。

「……あの完ぺき超人のラブリが」

「腹の虫をならしたグリ」

「う、うるさいレプ! ラブリだっておなかくらい空くレプ!」

 まだ、どこかぎくしゃくはするけれど、それでも。

「ゆうき~! めぐみ~! ラブリが起きたグリ! 紹介するグリ!」

 きっとうまくいく。そんな、ラブリらしくない確証もない希望が、心地よかった。


…………………………

 ある、朝のこと。ダイアナ学園、2年B組の教室は、普段とは違うざわめきに包まれていた。

 そのざわめきの中、生徒会長候補のひとり、騎馬はじめは、自分のことを見失いつつあった。

 はじめは、今まで、自分で自分のことを正しく認識できていると思っていた。

 今まで、一度とて自分の考えや行動の理由がわからないことなどなかった。

 しかし、その日、その朝、それが初めて崩れた。

「――今日からこのクラスの仲間になる、後藤鈴蘭さんだ。みんな、仲良くするように」

 朝のホームルーム。唐突な転入生の紹介があった。ニコニコと体裁の良い笑顔を浮かべる、担任の皆井浩二先生。失礼な話ではあるが、黙っていればそれなりにイケメンなのに、口を開くと三枚目になると評判の先生だ。年頃の女子生徒たちから黄色い歓声こそ浴びることはないが、親しみと尊敬を込めて、浩二先生と呼ばれている。

「…………」

 そして、そんな皆井先生のすぐ隣で、不機嫌そうな顔を隠そうともしない、当の転入生。

 真っ黒な髪に、真っ黒な瞳。肌は病的なまでに白く、足も腕も細い。しかしその佇まいは、どことなく上品だ。

 意志の強そうなつり上がり気味の目は、クラス全体を睥睨しているようだった。口は硬く真一文字に結ばれ、にこりとする気もなさそうだ。

「では、後藤さん。簡単に自己紹介をしてくれるかな」

 そして顔立ちは整っているがどこかズレた担任、皆井先生はそんな転入生の様子に気づかない。鈴蘭はちらと面倒くさそうに皆井先生を見てから、諦めたように口を開いた。

「……後藤鈴蘭。よろしく」

「はい、じゃあみんな、拍手で迎えてあげよう!」

 きっと緊張しているだけだろう、と。人の良いクラスメイトたちは、皆井先生の音頭のとおり、手を叩く。もちろんはじめも手を叩いた。心から、彼女を歓迎する気持ちで。


 けれど、胸からわき上がる気持ちは、まったく別の属性を持っているようだった。

(私は、後藤さんを知っている?)

 そんなはずはない。彼女とは間違いなく初対面だ。それなのに、違和感がぬぐえない。まるで自分のことが分からない。どうして、会ったこともない彼女に、自分はこんなにも親近感を憶えている? どうして、彼女と早く仲良くなりたいと強く望んでいる?

「後藤さんの席はあそこだ。隣は生徒会副会長だから、なんでも聞くといい」

 皆井先生が示したのは、はじめの隣の空席だ。きっと、転入生のために事前に先生が運び入れておいたのだろう。はじめの隣に置いたのも、生徒会のはじめの近くなら後藤さんに都合がいいと判断したのだろう。こういった細かい気遣いができるあたり、皆井先生は不器用なだけで、決して悪い先生ではないと、はじめは思う。

 後藤さんが険しい顔をしたまま、その席の前までやってくる。すでに皆井先生はべつの話題に入ろうとしている。

「後藤さん。はじめまして。わたしは騎馬はじめ。困ったことがあったら、何でも言ってほしい」

 内心の動揺を隠して、はじめは笑顔で言った。転入生ははじめの顔を見て、少しだけ表情を変えた。それははじめには、驚いているように見えた。

「どうかしたかい?」

「……何でもないわ。よろしく」

「うん。よろしく!」

 ――どうしてかは、まるでわからない。

 自分でも理由がわからないなんて、今まで一度もなかったのに。

(私は後藤さんと仲良くなりたい)




 ホーピッシュはその名の通り、希望の世界だ。ロイヤリティにおいてそれは、希望溢れる人々の住まう場所という意味に他ならない。

 ロイヤリティは闇に飲み込まれ、消えた。そして、ホーピッシュまでもが、その闇に蝕まれつつある。

 しかし、その混迷の中にあるからこそ、その感情が光り輝く。

(後藤さんと友達になりたい) 


 次 回 予 告

ラブリ 「ブレイとフレンには申し訳ないことをしてしまった。しっかりと謝らなきゃいけない」

ブレイ 「そんなのいいよ。ぼくは、ラブリと仲良くできるだけで嬉しいし」

フレン 「昔の高慢なラブリだったら、絶対そんなこと言わないものね」

ブレイ 「フレン、そういうこと言っちゃダメだよ」

ラブリ 「……そうだな。昔の冷血なフレンなら、私を許してはくれないだろうな」

ブレイ 「ら、ラブリまで……」

フレン 「…………」

ラブリ 「…………」

バヂバヂバヂバヂ

ブレイ 「……と、いうわけで、怖いふたりは放っておいて、次回予告だよ!」

ブレイ 「学校に忍び寄る影!? ウバイトールが校内に現われまくってゆうきとめぐみがさぁ大変!」

ブレイ 「次回、ファーストプリキュア! 【疲労困憊!? プリキュアは大忙し!】」

ブレイ 「次回もお楽しみに! ばいばーい!」

ラブリ 「…………」

フレン 「…………」

バヂバヂバヂバヂ

ブレイ 「ふ、ふたりとも、怖いからいい加減にしてよ……」 ガタガタ

>>1です。
今日は投下が遅くなり申し訳ないです。
第十話はここまでです。
また来週、日曜日に投下できると思います。


>>1です。
遅くなりましたが、今週の投下を始めます。
今週のなぜなに☆ふぁーすと! はお休みします。


ファーストプリキュア!

第十一話【疲労困憊!? プリキュアは大忙し!】




「全校集会?」

「ええ。なんでも、体育の先生と主事さん、それから購買の新しいパン屋さんの紹介があるそうよ」

 ある日の朝、ダイアナ学園はそんな話で持ちきりだった。

「元々体育の先生が足りていなかったらしいよ。むふふ」

 楽しそうに語るのは、そういった情報収集が大好きなユキナだ。

「三月で退職された先生の後任の先生、理事長のお眼鏡に適うひとがなかなか見つからなかったんだって。それがようやく見つかって、四月から遅れること一ヶ月ちょい、ようやく赴任することになったんだよ」

「ユキナ。毎回思うが、そういう情報は一体どこから仕入れてくるんだ……」

 情報通のユキナに呆れながらツッコミを入れるのは相棒の有紗だ。

「ふふふーん、蛇の道は蛇、ってやつだよ、有紗クン」

「主事の方は? たしか、お歳を召した方がいらしたはずだけれど……」

「ああ、あのおじいちゃんなら、『腰が限界』 って言い残して、少し前に辞めたんだって」

「あらら……」

 主事の方ならゆうきも何度か話したことがある。気さくで優しいおじいさんだったはずだ。

「それがね、これはトップシークレットなんだけど……」

「? なんだよ。やけにもったいぶるじゃないか」

 急に声をひそめるユキナ。にやりと笑うと、続けた。

「なんでも、新しい主事さん、とんでもないイケメンらしいよ」

「……はぁ」

「そうなんだ」

「ありゃりゃ」

 ゆうきとめぐみの反応に、ユキナが肩すかしとばかりによろけて見せた。


「あんたたちねえ、お年頃の女子中学生にしては枯れすぎじゃない?」

「枯れすぎって言われてもなぁ」

 イケメンが来る、と言われてもいまいちピンとこない。元々アイドルなどにもさして興味はないし、ユキナのようなミーハーでもない。それはとなりのめぐみも同じようだ。ゆうきと同じように興味のなさそうな顔をしている。

「わたしもどうでもいいかな」

「有紗まで! せっかくのトップシークレットを流してあげたのに!」

「べつに話してくれなんて頼んでないだろ? というか、どうせすぐにわかることだ」

「むきー!」

 ユキナと有紗が普段通りのじゃれ合いを始めようかというその瞬間、教室の引き戸が開き、誉田先生が顔を覗かせた。

「みんなー、今日は朝のHRはなしです。そのかわり、全校集会があるので体育館へ速やかに移動してください」

 はーい、という返事を返し、ぞろぞろと生徒たちが廊下へ出る。その中にあって、ゆうきはふとユキナの言葉を思い出す。

「購買のパン屋さん、変わるのかあ」

 じゅるり、とヨダレが垂れそうになる。

「美味しいといいなぁ……」

「色気より食い気、かぁ。さすがゆうきだね~」

 ユキナの呆れるような声は、パンの味に思いを馳せるゆうきの耳には届かなかった。


…………………………

「……あら、どうしたのよ。ガラにもなく緊張した顔ね」

 それは、嘲弄するような少女の声だ。長い真っ黒の髪に、切れ長の瞳が特徴的な少女だった。身につける制服は明るい色合いだが、その彩りすら飲み込むような、黒い印象を与える少女だった。

 そこはダイアナ学園の体育館にある控え室だ。本来講演会などを開く際に講師の待機所となる場所だ。

「黙っていろ。人前に出るのは得意ではないのだ」

 それに応じるのは、いかめしい顔をした若い男性だ。筋骨隆々とした身体に、暗い色のスーツがよく似合っている。その眼光は鋭く、少女を射貫くように睨み付ける。

「これから毎日人前に出ることになるのよ? そんなんで大丈夫?」

「だから黙っていろ。それが命令ならば、私はそれに従うまでだ」

「ふん。あたしはこんな命令、納得してないけどね」

「………………」

 少女が目を向けた先、壁により掛かるように立つ細身の男性がいる。黙りこくって、うつむき、目を閉じている。いまにも消えてしまいそうなくらい、儚い印象の青年だ。

「なによ、さっきから黙りこくっちゃって。あんたも緊張してるの?」

「べつに。どうでもいい。これも仕事なら、やりきるまでさ」

 青年は身じろぎもせずそれだけ言うと、また口を閉じて黙ってしまった。

「ふん。どいつもこいつも」

「はいはい、みんな緊張しいなのね」

 どんよりした空気を吹き飛ばすような、その場にふさわしくないくらいやわらかくやさしい女性の声が響いた。こざっぱりとした装いの、見目麗しい女性だ。若々しいが、落ち着いた雰囲気だ。

「鈴蘭ちゃんも、いつもより口数が多いわよ?」

「っ……」

 女性の声に、少女が歯がみする。図星をつかれたからだろう。

「そろそろ子どもたちが体育館に集まるみたいね。鈴蘭ちゃんもクラスに戻りなさい」

「……わかりました」

 少女は不満そうに答えると、部屋を後にした。

「では、我々も行きましょうか。子どもたちを待たせてしまっては悪いわ」

「はっ」

 女性の声に、スーツの男性が応じる。それはまるで、主君に応じる家臣のように、かっちりと型にはまっていた。


「もうっ、郷田先生? そういうのはやめてくださいって言ったでしょう?」

「は、はぁ……」 男性は女性のたしなめるような言葉に戸惑うように。「し、しかしデ――ひなぎく、様……」

「様付けもやめてください。わたしは小紋ひなぎく。ただのカフェのオーナーです」

「……わかりました」

「ふん……」

 線の細い青年が小声で吐き捨てるように言う。

「……なんの茶番だ、これは」

「シュウくん? 聞こえてるわよ?」

「これは失礼」

 慇懃無礼な態度だが、それが女性にはかえって嬉しいことらしい。満足げに青年の生意気な態度を見つめている。

「何か?」

「ううん、ごめんなさい。シュウくんを見ていると、昔飼っていた猫を思い出して懐かしくなるの」

「ッ……」

 女性の言葉に、青年がたじろぐ。その様子に、スーツ姿の男性が小さく笑う。

「猫か。言い得て妙だな、蘭童」

「ふん。それならあなたははさしずめ犬ですね、郷田先生。躾をされ牙を抜かれた賢い忠犬だ」

「……ふん」

「ふふ。ふたりとも仲良しね」

 そんな男二人の険悪なやりとりを見て、やはり女性は嬉しそうに笑うのだった。


…………………………

 全校集会は体育館で行われる。全校集会といっても、ダイアナ学園中等部と高等部が一堂に会することは少ない。今回は、その少ない方のようだった。

「この体育館さ」

「何?」

 めぐみがゆうきのつぶやきに答えた。

「中等部と高等部が全員入るには狭いよね」

「そんな無駄口を叩くんじゃないの。わたしたちは学級委員なのよ?」

「はーい」

 やはりめぐみは根が真面目だ。めぐみにいさめられたゆうきは、そっと壇上に目をやった。普段ならピアノが置いてあるだけの壇上に、パイプ椅子が三つと、演台がひとつ並んでいる。これから何が始まるかなんて、先ほどのユキナの発言を踏まえてみれば、分からないはずもない。

『皆さん、静粛に。本日、全校集会を開いたのは、ダイアナ学園に新しく赴任される方を紹介するためです』

 ほどなくして前でマイクを持った副校長先生が喋りはじめた。

『それでは、皆さん、温かい拍手でお迎えしましょう』

 生徒、教職員が手を叩き始める。壇上横から現われた人を見て、ゆうきは小さな声を上げてしまった。

「ひ、ひなぎくさん!?」

「しっ。声が大きいわよ、ゆうき」

 隣のめぐみにたしなめられて、慌てて口をつぐむ。めぐみも、驚いている様子だ。

「ひなぎくさんが体育の先生!?」

「そんなわけないでしょ」

 私語を慎め、と言うわりにゆうきのうめき声にツッコミを入れてくれるあたり、めぐみは本当に人が好い。

 ふと、ひなぎくの目がこちらを向く。ゆうきと目が合ったひなぎくさんは、ニコッと笑って、小さく手を振ってくれた。

「あっ、ひなぎくさん、わたしに気づいてくれたよ! めぐみ!」

「だから、声が大きいわよ!」

 学級委員だというのに、少し騒がしくしてしまったことで、後で少しだけ誉田先生に絞られたのは、また別のお話。


…………………………

「郷田先生」

「……なんだ?」

 全校集会で挨拶を済ませ、壇上を後にしてすぐのことだ。先を行くひなぎくから遠ざけるように、彼はシュウに呼び止められた

「これは、一体どういうことなのだろうね」

「これ、とは何のことだ」

「とぼけるなよ、郷田先生。あなただっておかしいと思っているんだろう? どうしてぼくたちが、こんなことをしなくちゃならないんだ?」

「……あの方にはあの方のお考えがあるのだろう」

「そう納得できるほど、ぼくはお人好しになれそうにない。たぶん、生徒として紛れ込んでいる彼女もね」

 シュウの顔が眼前に迫る。その目に浮かぶのは、明確な疑念と敵意だ。

「ならば去るか? 私はあまり勧めんぞ」

「そうだね。あの方の元を去ることも考えた。けど、とても得策とは思えない」

 シュウはそこでニコッと、まるで能面に笑顔を塗りつけたように笑う。

「だから、あの方に従いながら、好き勝手することにしたよ。きっと面白いことになる」

「……何をするつもりだ」

「さて、ね。なんにせよ、あの方のお役に立つことだけは確かだよ」

 シュウは彼を残し、ひなぎくさんの後を追った。その背中を睨み付けながら、彼は己の決心をもう一度なぞるのだった。

「私は私だ。成すべき事を成すだけだ」

 本人は気づかない。それはまるで、自分自身に言い聞かせるような言葉になっていた。


…………………………

 体育の郷田(ごうだ)篤志(あつし)先生、主事の蘭童(らんどう)シュウさん、購買のパン販売の小紋(こもん)ひなぎくさん。

 それぞれ壇上で校長先生から紹介されて、挨拶もしたようなのだが、ゆうきはよく覚えていない。ひなぎくさんがパン販売をするということで頭がいっぱいだったからだ。

 周囲は周囲で、精悍な顔をした郷田先生やスタイリッシュな蘭童さん、簡素な出で立ちでも美人さを隠しきれないひなぎくさんにキャーキャー言っていたのだけれど。

「でもびっくりだね。ひなカフェでパンを作り始めたんだね」

「あのねぇ……」

 その日の昼休み、いつも通り屋上でお昼を食べながらゆうきが言うと、めぐみは頭を抱えてため息をついた。

「ひなぎくさんが壇上で言っていたじゃない。近所のパン屋さんの代わりに自分が運んでくるんだ、って」

「はぇ? そうなの?」

「そうなの。パン屋さんのおじいちゃんが腰を痛めて配達ができないから、代わりにやるんだって。その代わり、学校でひなカフェの紅茶とコーヒーも売り出すんだそうよ」

 商魂たくましいわよね、ひなぎくさん、とめぐみは続けた。

「そうなのかぁ。残念。てっきりひなカフェのパンが食べられるんだと思ったのに」

「あなたねぇ。何一つ話を聞いていなかったのね」

「だってぇ」 ゆうきはブゥ垂れる。「ひなぎくさんが出てきて嬉しかったんだもん」

「急に知り合いに会ったくらいでその喜びよう、まるで小学生ね……」

「ふんだ。わたしはどうせちんちくりんの小学生ですよーだ」

「体型に関しては何も言ってないけど……」

 ゆうきはぷいとそっぽを向く。その瞬間、階下から大きな音が響いた。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「……えっ?」

「ええっ?」

 ゆうきとめぐみは目を見合わせ、叫んだ。

「「ええええええええええええっ!?」」


…………………………

 昼休み、小紋ひなぎくを名乗る女性から持たされたお弁当を咀嚼しながら。

 話しかけるな、と暗に言っているような不機嫌顔を貼り付けて。

「美味しそうなお弁当だ。お母様が作ってくれるのかい?」

 それなのに、どうしてこの女は、己に話しかけてくるというのか。彼女は横のクラスメイトを睥睨して。

「……騎馬さん、だっけ?」

「うんっ」

 清々しい笑顔を、己などに向ける軽率な女。生徒会副会長だという騎馬はじめ。けれど、逆にその笑顔に毒気を抜かれてしまう。嫌味のひとつふたつ言ってやろうとしか悪意が、するするとしぼんでいく。

「……あたし、母親って知らないから」

「え……?」

「いないの。母親。いまは父親もいないけど」

「あっ……そ、そうなのか。すまない。つらいことを聞いてしまった」

「べつに」

 しめたものだ。事実を言っただけで、はじめは申し訳なさそうな顔をして押し黙ってしまった。

「じゃあ、そのお弁当は、自分で作ったのかい?」

 しかし敵も然る者。はじめはそれくらいで、自分とのコミュニケーションを諦めるつもりはないようだ。

「まさか。下宿先の管理人が作ってくれたのよ」

「そうなのか」

 まるで自分の一言一言を反すうするように応えるはじめに、彼女はイライラしながら。

「……はぁ」

 深いため息をついた瞬間のことだ。


『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』


「なっ……」


 響いた声は、聞き間違いようもない。彼女のよく知るものだ。

「どうして……」

 幸いにして、周囲のクラスメイトたちが騒ぐ様子はない。位相の違う場所から聞こえた怪物の怒号は、どうやらまだこの世界に届いてはいないようだった。ただ、ひとりを除いては。

「……? なんだろう。後藤さん、いま何か、変な声が聞こえなかったかい?」

「っ……」

 少し前に自分との接触があったせいだろう、隣にいるはじめだけは、位相のずれをものともせず、怪物の声が聞こえているようだった。

「……さぁ。あたしには何も聞こえなかったけど」

 言いつつ、そっと席を立つ。

「後藤さん? どこかへ行くのかい?」

「あたしがどこへ行こうとあたしの勝手でしょ」

 彼女はそう言い残すと、教室を出た。

(あいつらの誰かが……? なんにせよ……)

 ギリッと、知らず知らずのうちに、歯がみしながら。

「潜入初日に、一体何をするつもり……?」


…………………………

「さっきの声、中庭から聞こえたわね?」

「たぶん!」

 めぐみとゆうきは、早歩きで校舎を進みながら、周囲の様子を見る。

「でも、誰も慌てている様子はないわね」

「当然レプ」

 ポーチからヒョコッと顔を出したのはラブリだ。

「まだこのホーピッシュはそこまで闇に侵食されていないレプ。だから、アンリミテッドが闇を作り出す際には、この世界から少し位相をずらした場所に落ちる必要があるレプ。アンリミテッドやロイヤリティと関わった人間にしか、アンリミテッドを感知することはできないレプ」

「ああ……。そういえば、デザイアがそんなようなことを言っていたわね」

「わたしには何がなんだか分からないけどね」

「同じくグリ……」

 顔を出したブレイとゆうきがうんうんと唸る。飼い主とペットのように、主従とは似るものなのだろうか。

「けど、このままアンリミテッドの浸食が進めば、やがてこの世界すべてが闇に墜ちるニコ」

「そうなれば、ホーピッシュの住人にもアンリミテッドが感知できるようになるレプ。つまり、アンリミテッドが直接、この世界に危害を加えることが可能になるレプ」

「でも、この前、わたしの妹がウバイトールに襲われたよ?」

 ゆうきが首を傾げる。

「それはおそらく、ゆうきの妹がブレイや、プリキュアとなったゆうきとの関わりが強かったからレプ。闇と光の両方の影響を強く受けてしまうレプ」

「なるほど……」

「なんにせよ、ウバイトールが現われたなら、早く浄化しないといけないニコ!」

 他の生徒たちに不自然に見られない程度に急いで中庭へ向かう。中庭に出ると、そこはすでに別の場所になってしまったようだった。

「っ……」

「いつもの感じね。空が暗い」

 さっきまで晴れていたはずだ。それだけではない。世界が不自然な色に塗りつぶされてしまったようだ。その場に、めぐみたちを見下ろすように、ウバイトールが悠然と立っている。以前見たものと同じ、木のウバイトールだ。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「妙レプ」

「どうかしたの、ラブリ?」

 ラブリが冷めた目でウバイトールを睥睨しながら、言う。

「アンリミテッドの姿がないレプ。気配もないレプ」

「どういうこと……? ウバイトールを作り出して、どこかへ行ったってこと?」

「不思議グリ。アンリミテッドがウバイトールを作り出すのは、ブレイたちから紋章とブレスを奪い取るためグリ。それなのに気配すらないなんて不思議グリ」

「いまは考えるより先にすることがあるわ。ゆうき、行くわよ!」

「うん!」

 めぐみはそっとブレスを構える。隣のゆうきと目を合わせ、頷き合う。


「「プリキュア・エンブレムロード!」」


…………………………

「どういうこと……?」

 彼女は中庭の隅の生け垣に隠れ、その様子を眺めていた。

「ウバイトールだけ……? あのウバイトールは、ダッシューが作り出したもののようだけど……」

「ご明察。そのとおりだよ」

 いつの間に立っていたのだろう。背後には、この学校に新しく主事としてやってきた、シュウが立っていた。

「……あんた。どういうつもり?」

「言葉遣いがよくないなぁ。君は生徒。ぼくは学校関係者。一応、礼節は重んじるべきだと思うけど?」

「ふん。ロイヤリティみたいなこと言わないでくれる? 不快だわ」

 彼女はシュウを睨み付ける。

「どういうつもり?」

「……ふふ。考えてもみたまえよ。この潜入は、滅多にないチャンスなんだ」

「チャンス?」

「プリキュアたちを弱らせるチャンス、さ。君も一枚噛まないかい?」

 シュウは酷薄に笑う。

「ぼくたちは常にプリキュアたちの傍にいられるんだ。それを利用して、ウバイトールでプリキュアたちに断続的に攻撃をさせる。プリキュアたちはウバイトールを無視するわけにはいかないだろう?」

「ただのウバイトールなんて、今のあいつらの敵じゃないわ」

「大した敵でなくたって、疲労はたまる。彼女たちが疲れたときが、ぼくらがプリキュアを狩るチャンスなのさ」

 彼女はダッシューの言葉の意味を理解した。つまり、プリキュアたちを疲れさせ、弱らせ、疲弊したときに、本腰を入れて戦うということだ。

「……悪くないわね。いいわ。あんたのウバイトールが倒されたら、次はあたしのウバイトールね」

「決まりだ。三時間おきくらいかな。学校にいる間、断続的に攻撃を加え続けるんだ」

「ふふ。楽しみだわ。あのプリキュアどもが、あたしたちに跪く様が見られるのね」

 くくく、ふふふ、と、ふたつの笑いがこだまする。

 その横で、ロイヤリティの光が吹き荒れ、ウバイトールが浄化される。空の闇が晴れ、ホーピッシュが元の色を取り戻す。

 どこか釈然としない顔をするプリキュアたちの顔をそっと盗み見て、彼女はニヤリと笑みを浮べるのだった。


…………………………

「あ……後藤さん!」

 その日放課後、はじめはそそくさと荷物をまとめて教室を後にしようとするクラスメイトを呼び止めた。

「なに?」

 相手――転校してきたばかりの後藤鈴蘭――は、面倒くさそうという顔を隠そうともせず、応える。

「いや、その……もしよかったら、一緒に学校を回らないかい? 案内するよ」

「案内?」

「転校したばっかりで分からない場所も多いだろう? もしよかったら、だけど……」

「じゃあ遠慮しておくわ。この後用事があるの」

「そ、そうか……」

 なぜか少しだけ胸が痛む。あまり経験したことがない痛みだ。

「呼び止めて悪かった。また明日」

「ええ。また明日。騎馬さん」

 はじめは、そのまま教室を後にする鈴蘭の後ろ姿を見つめ、キリキリと痛む胸を、不思議に思うのだった。

(わたしはどうして、あの子のことがこんなに気になるのだろう。どうして……)

 自分のことで頭がいっぱいだったからだろう。

 立ち去る寸前、鈴蘭の目が、そっと自分を見つめていたことに、はじめは気づかなかった。

 その鈴蘭の瞳が、どこか申し訳なさそうに揺れたことに、気づかなかった。


…………………………

「結局、アレはなんだったんだろうね」

「さて、ね。どっちにしろ、アンリミテッドのいないウバイトールなんて、わたしたちの敵じゃないわ」

「そうだけど……」

 放課後は、目前まで迫った生徒会選挙の準備だ。教室で推薦の原稿の読み合わせをするユキナと有紗の目を盗んでめぐみに耳打ちするが、やはり答えはでそうにない。

「不思議なのはわたしも同じよ。今は生徒会選挙の準備に集中しましょう」

「ま、それもそうだね」

「? ゆうき? めぐみ? どうかしたの?」

「なんでもないなんでもない」

 ユキナの不思議そうな目にそう返すと、ゆうきも準備に集中しようと思いなおす。

 と――、

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「なっ……!」

「うそでしょう……!?」

「? どうかしたのかい、ゆうき、めぐみ」

 突然大声を上げたゆうきとめぐみに、有紗が目を丸くしている。

「いや、あ、えーと……」

 ゆうきは勢いよく立ち上がって。

「そ、そうだ! 誉田先生に頼まれてた学級委員の仕事を忘れてた!」

「そ、そうだったわね、ゆうき! ごめんなさい、ユキナ、有紗。少しふたりで読み合わせをしていてちょうだい」

「それは構わないけど……」

「今日なんか頼まれたっけー?」

「ごめん!」

 不思議そうな顔をするユキナと有紗を残し、ゆうきとめぐみは急いで教室を後にした。


…………………………

「翼持つ獅子よ!」

「角ある駿馬よ!」

「「プリキュア・ロイヤルストレート!」」

 ウバイトールは体育館裏に現われていた。高く跳びたいという欲望を体現した跳び箱のウバイトールに少々手こずりながらも、なんとか浄化する。やはりその場にアンリミテッドの姿はない。

「はぁ……はぁ……」

「一日に二回……こんなことって今まであったっけ?」

 肩で息をしながらユニコに問う。

「ないこともなかったけど、やっぱりおかしいわ。アンリミテッドがいないもの」

「うん……」

 頭の良いユニコでもわからないとなると、グリフもお手上げだ。

「レプ……。これは一体……」

 肩でラブリが呟く。ラブリにもわからないようだ。

「グリ! そんなことより、早く教室に戻るグリ! 友達を待たせちゃダメグリ!」

「そうだったー! ユキナと有紗を放ったままだー!」

「急ぎましょう! わたしのために色々としてもらっているのに、待たせては申し訳ないわ!」



…………………………

 彼女は変身を解いて走り出したゆうきとめぐみを物陰から見つめ、くすくすと笑う。

「ふふ。滑稽だわ、プリキュア。明日も同じようにやってあげるから、覚悟しなさい」


…………………………

「はぁ……なんか、今日は疲れたな……」

 帰宅し、ベッドにごろんと転がる。着替えてからでないとしわが寄るのは分かっているけれど、そんなことを考えられないほどに疲れ切っていた。

「ゆうき、大丈夫グリ?」

「うーん、大丈夫だよー」

 心配そうにやって来たブレイを優しく撫でる。

「……レプ。あとひとり、プリキュアがいれば、もう少し負担が軽減されるレプ」

 ラブリも心配そうだ。

「ラブリががんばって、愛のプリキュアを探さないと……」

「大丈夫だよー。焦らないで、ラブリ。ゆっくり探そう」

「レプ……」

 ずっと横になっていたいところだけれど、今日はお母さんが夜勤の日だ。晩ご飯は作ってくれているようだけれど、お洗濯だけはしておかなければなるまい。

「うぅ……」

 プリキュアだけならまだしも、授業や生徒会選挙の準備に家事もある。明日の朝も朝食とお弁当を作らなければならないから早い。ゆうきは重い身体を起こした。

「つらいけど、がんばらなくちゃ……。学校だって、プリキュアだって、生徒会選挙だって、自分で決めたことなんだから」



『わたし、大丈夫だよ。お家のこと手伝うよ! だからお父さん、海外に行っても、大丈夫だよ!』



 思い起こされる遠い昔のこと。まだ小学生中学年くらいだったときの、自分の言葉だ。海外の大学に赴任する打診をされたお父さんの背中を押したのは、まぎれもない、自分の言葉だったのだ。



『わたしね、ダイアナ学園に行きたい! あの素敵な学校なら、きっと素敵なことがたくさん勉強できると思うの!』



 ダイアナ学園は私立だから、当然学費がかかる。その他諸々のお金もかかる。それでも、そう言ったゆうきの背中を、今度は両親が押してくれた。幼なじみのあきらにたくさん勉強を教えてもらって、なんとか合格を勝ち取った、そんな学校なのだ。

「負けられないよ。これくらいで」

 ぐっと拳を握る。

「アンリミテッドめ……。来るなら何度だって来いってのよ!」


…………………………

 その日の夜。

 彼女は今日のことを思い出しながら、ニヤニヤと笑っていた。

「本当に面白いわ。今までのことがバカみたいね」

 思い起こされる苦い記憶。プリキュアの光に臆し、怯え、震えていたこと。

「もうあんな思いはしない。プリキュアを翻弄して、疲れ果てさせて、そして……」

 コンコンと、部屋のドアがノックされた。

「鈴蘭ちゃん。ちょっといいかしら?」

 その声は、この家の主であるひなぎくさんのものだ。

「……何か用ですか?」

 相手が相手だ。無視するわけにもいかず、ドアを開ける。ひなぎくさんは心配そうな顔で、彼女を見下ろしていた。

「どうかしら。ダイアナ学園に転入して数日経ったけど、学校には慣れた?」

「……あんな不自由なところ、到底慣れません。慣れたいとも思いませんけど」

「まぁ、そうよね」

 ひなぎくさんは困ったように笑って。

「お友達はできた?」

「そんなもの必要ありません。もう寝るので、そろそろよろしいですか?」

「え、ええ。ごめんなさい。あ、ひとつだけいいかしら?」

 はぁ、と。ため息を隠す気にもならず、彼女は応じた。

「なんです?」

「シュウくんがまだ帰らないの。何か知らない?」

「……あたしが知るわけないでしょう」

「そう……。そうよね」

 ひなぎくさんは心配そうに目を泳がせて。

「……遅くにごめんなさい。おやすみなさい。また明日」

「はい」

 ドアを閉め。嘆息する。

「……この変わり様は一体何? あの方は一体何をお考えなのかしら」

 考えても答えは出ない。あの方の考えが、今まで一度だって、分かったことなどないのだから。


…………………………

 ひなカフェの裏には、外から二階に上がることが出来る階段がある。その階段を上り、引き戸を開けると、簡易的な寮のような趣の宿舎の玄関が広がっている。ひなカフェのオーナー、ひなぎくが運営する寮のようなアパートだ。

「あら、おかえりなさい、シュウくん」

「……ただいま戻りました」

 まさか、帰ってすぐ、その宿舎の主と出くわすとは、思っていなかった。

「シュウくん、遅かったのね。こんな時間までお仕事?」

「ええ。造園の仕事がなかなかはかどらなくて」

「シュウくんが庭師として働くんだもの。きっとあのお庭はもっと素敵になるわね」

「だといいんですけどね」

 慇懃無礼に返しながら、彼は靴を脱いで宿舎に上がる。

「あ、シュウくん」

「なんです?」

 真っ直ぐ部屋に向かおうとする彼は、ひなぎくに呼び止められる。

「お仕事が忙しいのはわかるのだけど、これからは、遅くなるときは連絡をちょうだいね? 心配するし、ご飯も冷めちゃうから」

「……はぁ?」

「ご飯、リビングに置いてあるから、温めて食べてね。食器は流しに置いてくれればいいから」

 言うだけ言うと、ひなぎくさんは、おやすみなさい、と言い残して部屋へ行ってしまった。

「……なんなんだろうか」

 変だ。妙だ。けれど、それを本人にぶつけるのは、いくらなんでもリスキーすぎる。

「まぁいい。ぼくはぼくのやることをやるだけだ」


…………………………

 ――――『アンリミテッドめ……。来るなら何度だって来いってのよ!』

 前日にあんなことを言ってしまったからだろうか。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「うそでしょ!?」

 翌日早朝、校門前で生徒会選挙で大声を張り上げていたら、ウバイトールの声が聞こえた。体育館の方角だ。ゆうきとめぐみは顔を見合わせ、持っていた旗とプラカードをユキナと有紗に渡す。

「ごめん!」

「本当にごめんなさい!」

 首を傾げるふたりに後を任せ、体育館に向け、走る。

「ふふ……」

 そんなふたりを、ニヤニヤといやらしく見つめる目に、ふたりはやはり、気づくことはなかった。


…………………………

 昼休み。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「またぁ!?」

「もうやだ……」



 放課後。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「ああああ、もう!」



 帰宅途中。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「……なんなの」


……………………

 まるで、ふたりをあざ笑うようなウバイトールの猛攻に、精も根も尽き果てそうだった。ゆうきとめぐみは、日暮の河川敷にぐたっと大の字に横たわった。

「なんだっていうのー!」

「なんなのよー!」

 夕日に向けて叫ぶが、特に返答はない。

「……もう疲れたよ」

「わたしも、さすがにヘトヘトだわ」

「グリ……」

「ニコ……」

「レプ……」

 妖精たちがカバンから出てきて頭をポンポンしてくれるが、当分身体を動かしたくないくらいには疲れ果てていた。

「……明らかに、私たちを疲れさせようとしているわね」

「うん。でも、どうしたらいいのかな。このままじゃどうにかなっちゃうよ」

「そうね……」

 めぐみがうんうんと唸り出す。それと同じく、ラブリも唸る。妙案は頭の良いふたりをしても、なかなか浮かばないようだった。

 と――、

「大埜さん? と、王野さん?」

 コロン、と。妖精たちの行動は素早かった。すぐさまぬいぐるみのフリに移行すると、河川敷に転がったのだ。ゆうきとめぐみも、慌てて起き上がり、草を払って体裁を整える。

「き、騎馬さん?」

「奇遇だね。いま帰りかい?」

「ええ、そうなの。ちょっと夕日を眺めていたところよ」

 土手の上からふたりを見下ろすのは、長い髪に麗しい顔立ちの大和撫子。けれどハスキーボイスで紡がれる男らしい口調。堂に入った貫禄を持つ騎馬はじめだ。


「最近、生徒会選挙の活動に精力的だね。私も負けていられないと、気を引き締め直しているところだよ」

「そうかしら? 現副会長にそう言ってもらえると嬉しいわ」

「いい生徒会選挙になりそうだ。私も本当に嬉しいよ」

「そ、そうね」

 ゆうきにはいい生徒会選挙と悪い生徒会選挙の違いがよくわからないが、わざわざ口を挟むようなことでもないだろう。ニコニコとめぐみの言葉に相づちを打つに留めた。

 そのまま立ち去るだろうと思われたはじめだったが、少し逡巡するような顔をした後、こう切り出した。

「あの……君たちにこんな話をするのは、筋違いかもしれないんだが……」

「? どうかしたの?」

「少し、話を聞いてもらいたいんだ。いや、相談したいことがあるんだ。いいかな?」

「相談……? 騎馬さんが!? わたしたちに!?」

「そ、そんな驚くようなことだろうか……」

 ゆうきの大声に、めぐみがしーっとたしなめる。

「ゆうき、失礼でしょ」

「あ、ごめんなさい……」

「いや、いいんだ。唐突に変なことを言った私も悪い」

 はじめは悲しそうな顔をしているように見えた。ゆうきが何かを言う前に、めぐみが先に口を開いた。

「もしよかったら、一緒に夕日を眺めていかない?」

 ニコッと笑うめぐみは、体面やメンツというものを取り払った、ゆうきと一緒にいるときの、優しいめぐみだ。ゆうきの大好きな、めぐみだ。

「大埜さん……」

「ほら」

 めぐみはそっと原っぱに座り込み、隣をぽんぽんと叩いた。

「騎馬さんは、あんまりこういうところに座るの、好きじゃないかもしれないけど」

「いや、ありがたい。お言葉に甘えるよ」

 はじめはめぐみの隣に座ると、ホッと息をついた。


「なんだか不思議だ。学校ではいつも気をはっているんだ。君たちの前だと、不思議と落ち着けるよ。こんな姿はクラスメイトや生徒会の皆には見せられないな」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。それで、相談って何?」

「ああ……」

 はじめがうつむく。ゆうきはふたりを回り込み、はじめの逆隣に座り込んだ。

「実は、恥ずかしい話なんだが、友達になりたい人がいるんだ」

「……? 友達になりたい人?」

「うん。転校生の後藤さんなんだけど……」

 そういえば、と思い出す。いつだか誉田先生が、皆井先生のクラスに転入生がやって来たという話をしていた。

「不思議なんだ。こんなこと初めてなんだ。一目見たときから、初めて会った気がしなくて、彼女のことが知りたくてたまらないんだ。友達に、なりたいんだ。でも、彼女は私のことが苦手みたいなんだ……」

 はじめは恥ずかしそうに続けた。

「情けない話なのだが、私は、友達というものがよく分からない。だから、君たちに教えてもらいたいんだ。私の目には、君たちふたりはとても仲の良い親友同士のように見えるから」

「そ、そうかしら」

「えへへ、なんか嬉しいね」

 はじめを挟んで笑い合う。けれど、はじめの問いは難解だ。友達とは何か、友達になるにはどのようにしたらいいか、そんなこと、考えたこともない。

「私も、あなたと同じように悩むこと、多いわ。私も、友達というものがよく分からないから。変な強がりばっかり言って、呆れさせてしまうことも多いし……」

 めぐみが言った。

「けど、私はゆうきと友達になれた。それは、ゆうきがまっすぐ、勇気を持って、私に言葉をかけてくれたからよ」

「うん。それと、めぐみが、優しく応えてくれたからだよ」

 だから、とゆうきは続けた。

「騎馬さん、もう一回後藤さんに話しかけてみよう? 言葉はきっと通じるよ」

「でも、嫌がられはしないだろうか……」

「分からないわ。でも、きっとこれ以上話しかけなければそれまでよ。何も分からないまま、それできっと、おしまい。それでもいいの?」

「……いやだ」


「そうね。なら、少しだけ勇気を持って」

「きっと、想いは通じるよ!」

 両側からはじめの手を握る。驚いたような顔をするはじめだけど、嫌がる素振りはない。むしろ、顔を赤くして、照れているようだ。

「……ありがとう。生徒会選挙前に、こんなことを相談してしまって、情けないな、わたしも」

「いいと思うわ。騎馬さんだって人間だもの」

「ああ。そうだな……」

 はじめはスッと立ち上がると、夕日を真っ直ぐに見つめた。その瞳に、もう迷うような色はない。

「明日、もう一度後藤さんに声をかけてみるよ。それで嫌われるなら、それはそれ、だ」

「うまくいくことを祈ってるよ!」

「ええ。がんばってね、騎馬さん」

「ああ」

 ――結局、何一つ解決しないままだけれど。

 どこか清々しい気持ちで、ゆうきとめぐみは帰路についた。


…………………………

 その夜。

 ひなカフェ二階の下宿で、顔をつきあわせるのは、鈴蘭とシュウだ。

「明日の放課後、最後の仕上げといこうじゃないか」

「朝はあたし。昼はあんた。そして、放課後に……」

「そう。ぼくらふたりでウバイトールを呼び出し、弱ったところを叩く」

 ニヤリと笑みを交わす。

「明日こそがプリキュアの最後だ。そして、ブレスと紋章を一気に手に入れる」

「ふふふ……。明日が待ち遠しいわ」

 そんなふたりを、キッチンの奥から、心配そうに眺める目線があった。

「……あのふたり、大丈夫かしら。シュウくん、本当にちゃんと仕事をやっているのかしら。鈴蘭ちゃんは、お勉強についていけてるのかしら」

 はぁ、とため息をつく。下宿の管理人業も、一筋縄ではいかないのだ。


…………………………

 翌日、朝。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「出たわね!」

 出ると心構えができていれば、なんてことはない。もちろん朝から大立ち回りをして疲れることは疲れるが、心労はある程度抑えることが出来る。



 昼。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「今日のお弁当は今期最高傑作なの! 早く食べたいの!」

 ウバイトールを倒すテンポができつつある。カルテナを駆使すれば、それほど労力なく倒すことができるようだ。




 とはいえ、である。

「……めちゃくちゃ疲れた」

「私もよ。でも、授業中に寝たりしちゃダメよ」

「わかってるよぅ……」

 なんとか六時間目の授業まで持ちこたえて、帰りのホームルームが終わった瞬間、机に突っ伏す。

「なんかお疲れだけど大丈夫?」

「体調もよくなさそうだが……」

 ユキナと有紗が心配そうに言う。それに手をひらひらと返答しながら、頭をもたげる。

「今日はふたりは部活だよね。いってらっしゃい」

「ああ……」

「ゆうきとめぐみ、あんまり無理しないでね。生徒会選挙、部活の後なら手伝えるからね!」

「ありがとう。ふたりは優しいのね。本当に大丈夫だから、心配しないでいってらっしゃい」

「うん……」


 何度も振り返りながら心配そうに教室を後にしたふたりを見送って、ゆうきとめぐみは同時にため息をついた。

「……そういえばさ」

「何かしら?」

「騎馬さん、うまくいったかな?」

「……どうかしらね。うまくいっているといいわね」

「うん」

 疲れ果ててはいるが、はじめの真摯な心を思うと、心配になると同時に、心が温かくなる。あんなに真面目で誠実な女の子に友達になりたいと言われて、嫌な気持ちになる子がいるとは到底思えない。

「あ……あの、ゆうき」

 横合いから声がかかる。振り向くと、幼なじみのあきらが、所在なげに立っていた。

「ああ、あきら。どうしたの?」

「も、もしよかったら、一緒に帰らない? この前言ってたオススメの喫茶店、連れてってほしいなー、なんて……」

「ああ……」

 そういえば、あきらにはひなカフェの話をしただけで、まだ一緒に行っていない。ゆうきとしてはその申し出は願ったり叶ったりだけれど、そうも言ってはいられない。

「ごめん。このあと、めぐみと生徒会選挙の準備をしなきゃいけないんだ。また今度、一緒に行こう?」

「あ……そ、そうなんだ……」 あきらは、視線を落とし、寂しそうに。「ううん。こちらこそ気を遣わせてごめんね。また今度ね」

「ゆうき、疲れているだろうし、美旗さんと行ってきたら? 準備は私ひとりでゆっくりやってもいいし……」

「そんなわけにはいかないよ!」

 めぐみの申し出に、自然と声が大きくなる。

「めぐみの推薦人を買って出たのはわたしだよ。そのわたしが、そんなことしちゃダメだよ」

「そ、そう?」 めぐみは嬉しそうにはにかんで。「嬉しいわ。ありがとう」

「うん!」

 だから、ゆうきは気づかなかった。あきらの寂しそうな瞳が揺れていたことに。

「……また、大埜さんなんだよね」


「へ? あきら、何か言った?」

「ううん。なんでもないよ。それじゃ、また明日ね、ゆうき。大埜さん」

「あ、うん。また明日、あきら!」

「さようなら、美旗さん」

 あきらが教室を後にし、さぁ準備に取りかかろうとめぐみを見ると、あきらが消えた教室の戸を見つめていた。

「どうしたの、めぐみ?」

「……なんだか、すごく悲しそうだったわ。美旗さん、大丈夫かしら」

「そう? あきらは無口な子だからね。そう見えるだけじゃない?」

「うーん……そうは思えなかったけどな」

 めぐみの心配そうな顔に、ゆうきも少しだけ心配になってくる。そういえば、ここ最近は生徒会選挙やプリキュアのことばかりで、あきらと一緒に帰るどころか、ろくろく話もできていない。

「今度、わたしから一緒に帰ろうって誘ってみようかな」

「ええ。それがいいわ。幼なじみなんだものね」

「うん! 大切な幼なじみだよ! わたしがダイアナ学園に入れたのだって、あきらが勉強を教えてくれたからなんだから! めぐみと同じくらい勉強が得意なんだよ!」

「ええ。私も騎馬さんと美旗さんは勉強でライバルだと思っているわ。特に美旗さんは文系科目では一度も勝ったことがないもの。難敵よ」

「……あー、勉強の話はそれくらいにして、作業をしようか。わたしがいたたまれなくなってくるから」


…………………………

 校舎裏。ほとんど人がよりつかないそこに、彼女は主事のシュウと一緒に立っていた。

「そろそろ仕上げといこうか」

「疲れ切っているところにあたしたちふたりのウバイトール……。ふふ、さしものプリキュアもこれで終わりね」

「まぁ、ぼくひとりでも問題ないとは思うけどね」

「……手柄を独り占めするつもり?」

「冗談だよ」

 シュウとふたりでプリキュアを倒す。そして、脅威となるものすべてがなくなったこのホーピッシュを制圧する。それで、終わり――、

「――ご、後藤さん!」

「っ……?」

 背後からの声に振り返ると、そこには肩で息をするクラスメイト――騎馬はじめが立っていた。

「騎馬さん……?」

「放課後、脇目も振らずにいなくなるものだから探したよ。こんなことならためらっていないで、昼休みにでも話しかければよかった。でも、見つかってよかった」

「何か用?」

 焦れる気持ちをおさえて、はじめに向き直る。かつて、別の姿で相対したときのように、気絶させてしまえばそれで終わりだ。しかし、今はかりそめであれ生徒の姿をしている。その姿でそんなことをすれば、後々の不審に繋がりかねない。

「……お友達は大切にした方がいい」

 笑いをこらえているのを隠そうともせず、シュウは小声で言う。

「ぼくは先に言っている。君が来なければ、先にプリキュアを倒しているが、悪く思わないでくれよ」

「なっ……」

 言うが早いか、シュウは校舎裏を後にした。

「ち、ちょっと待ちなさいよ!」

「ま、待ってくれ!」

 慌ててシュウを追いかけようとするも、その手をはじめに掴まれる。

「何よ!」

「すまない。だが、少しだけでいい、私の話を聞いてくれないか」

「っ……」

 ここで無理を通して話がこじれるのも面倒だ。聞くだけ聞いて、すぐにシュウの後を追えばいい。それだけだと自分に言い聞かせ、はやる心を抑えてはじめに向き直る。

「言うなら早くしてちょうだい」

「ああ。単刀直入に言う」

 いつの間にか、はじめから、躊躇うような雰囲気は消えていた。

「私は……君と、友達になりたい」


…………………………

「お、おおお、大埜さんは、ま、まま、まま、真面目で……――」

「――カット。噛みすぎよ、ゆうき」

「だって、大勢の前で話をするって想像すると、緊張しちゃって……」

 ゆうきとめぐみしかいない教室で立ち会い演説会の練習だ。他に妖精たち以外誰もいない教室でも、ゆうきは緊張してしまって噛み噛みだ。

「想像力が豊かなのも考え物ニコ」

 それだけではない。今さらながら、あきらの誘いを無下に断ってしまったことが、心にずしりとのしかかる。それが原稿の読み合わせを阻んでいることは明白だった。

「うぅ……あきら、怒ってるかなぁ。怒ってるよねぇ」

「もう、後悔するくらいなら、一緒に帰ったらよかったのに……」

「それもやだよー。そうしたらめぐみが怒っちゃうよ」

「怒らないわよ!」

 と、

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 教室のすぐ横、中庭からその雄叫びが聞こえた。

「……ねえ、ゆうき」

「うん。めぐみ」

「私、ちょっといい加減、頭に来てるのかもしれないわ」

「同感だよ。わたしも、ちょーっと、めずらしく怒ってるかも」

 ガッ、と。いつもなら手をつなぐところを、拳と拳をぶつけ合う。

「ブレイ」

「フレン」

「グリ……? て、手を繋がないグリ?」


「必要ないよ。紋章、ちょうだい」

「ニコ……なんか、ふたりとも怖いニコ」

「怖くなんかないわ。ちょっとだけ、怒ってるだけよ」

 普段なら、手を繋いで変身するが、今日は、そういう気分ではないから。

 ふたりが仲違いをしているわけではない。むしろ、より強い何かで結ばれているからこそだろう。

 真正面から拳と拳を合わせたまま、唱える。そして、合わせたままの拳に紋章を持たせたまま、ブレスを紋章に横切らせる。



「「プリキュア・エンブレムロード!」」



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「「ファーストプリキュア!」」


…………………………

 中庭に降り立ったふたりのプリキュアを認めたとき、ダッシューは喜びに高笑いをしたい気分だった。彼が隠れているのは中庭の木の陰。プリキュアたちはここ数日のウバイトールのみとの戦いに慣れ、すぐ近くにアンリミテッドがいることを警戒していない。ウバイトールひとりにかかりきりになっているところに刃物を飛ばし、ひとりずつ確実に仕留めていく。本当ならゴドーのウバイトールも呼び出し、ゴドーとふたりがかりで当たればもっと確実だったかもしれないが、仕方ない。ゴドーがいてもいなくても、作戦の成功率にそう影響はない。

「ふふ。これで終わりだよ、プリキュア」

 ――決して、ダッシューの目が曇っていたわけではないだろう。

 それは、誰にも想像できることではなかったのだ。

「あんたちの都合は知らないけどね!」

「いい加減、頭に来てるんだから!」

「は……?」

「正義のヒーローにだって!」

「プライベートはある!」

 それは、悪夢を見ているような光景だった。

 正義のために戦う誇り高き戦士プリキュアが、怒りに身を任せ、ふたり同時の正拳突きをウバイトールに放ち、屋上を越え、ウバイトールを校舎裏まで吹き飛ばすなんて誰に想像できただろうか。

「……うそだろう」

 さしたる感慨も見せず、プリキュアたちは校舎裏へと飛ぶ。さっさと、ウバイトールを片付けようという義務感しか見られないその行動に、ダッシューは人知れず身震いした。

「……違う。ぼくたちは、プリキュアを疲れさせて追い詰めていたんじゃない」

 そこでダッシューは、ようやく己の失策を知った。

「ウバイトールを効率的に倒す方法を奴らに教えてしまっただけなんだ」


…………………………

「は……? 友達?」

 最初、彼女は目の前の人気者のクラスメイトが何を言っているのかわからなかった。

 けれど、その意味がわかったとき、彼女の心に浮かんだのは、怒りだ。

「なにそれ? もしかして、哀れみ? お友達ができないあたしを心配してるフリ? お友達ができないあたしのお友達になってあげて、自分のことを褒めてあげたいの?」

「えっ? えっ? えっ?」

 波状的に質問攻めにする彼女に、はじめは困惑しているようだった。

「えっと、その……」

 図星だろう。彼女は答えを聞くまでもないと身を翻しかけ、

「……君が何を言っているかわからないけど、私はただ、君と友達になりたいだけだよ。恥ずかしい話だけど、初めて会った気がしないんだ。君とお話がしたくてたまらないんだ」

「は……?」

 今度こそ、どんなに考えても、彼女にははじめが何を言っているのかわからなかった。わからないけれど、意味だけは理解できる。意味が理解できるからこそ、はじめが何を言っているのかわからない。なぜそんなことを言うのか、わからない。

「なっ、あ、あんた……な、何を言っているのよ……!」

 顔が赤くなるのを抑えられない。見えない何かが、むりやりに彼女の顔を火照らせているようだった。

「ダメかな。私じゃ、君の友達になれないかな」

「だ、だから! あんたは一体、何を……――」

 ――ドォオン!! と。轟音が鳴り響く。次いで衝撃と風が彼女を襲う。もうもうとたちこめる砂煙が視界を覆い尽くす。

『ウバ……』

「げ……」

 その砂煙の中、凶悪な眼光が煌めく。よろよろと立ち上がったソレは、全長数メートルはあろうという、怪物だ。

「な、なんだ、これは……?」

 はじめが困惑した声を上げる。けれど、彼女にも何がなんだか分からない。どうしてこの“ウバイトール”が空から降ってくる?

『ウバ……ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「なっ……!」

 そして、怪物は活動を再開する。目の前にホーピッシュの住人がいるなら、それはもちろん、襲いかかるだろう。それがウバイトールの仕事だ。


「ッ……あたしに襲いかかってどうするのよ! バカ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 そう言った所でウバイトールが止まるはずもない。いまの彼女は、ただのダイアナ学園の生徒でしかないのだから。

「す、鈴蘭!」

 ウバイトールの突撃に動けずいた彼女の手を引いたのははじめだった。はじめはそのまま、彼女の手を掴んだまま走り出す。

「なっ、は、放しなさいよ! ひとりで逃げればいいでしょうが!」

「君だけ置いていけるか!」

「どうしてよ!」

「どうしてもこうしてもあるか! 友達を置いていけるわけないだろうが!」

「なっ……」 自然、また顔が赤くなる。「誰が友達よ!」

 このままはじめに連れて行かれれば、作戦がすべて台無しになる。本来の姿に戻り、ウバイトールを操らなければならない。

 はじめの手を振りほどき、校舎裏に戻らなければならない。

 それは、分かっているのだけれど。

(なんで……)

 彼女は、はじめに手を引かれながら、その手を振り払うことができずにいた。

 その手から感じられる熱を、心地良いと思ってしまっていた。

(あたし……どうかしてるわ)

 それを分かっていても、それ以上何もできず、彼女ははじめに手を引かれるまま、その場を後にした。


…………………………

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 そのウバイトールの不幸は、何より、プリキュアの怒りを買ってしまったことだろう。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「ふふ。ごめんなさい。でも、今日ばかりは、怒りが抑えられないの」

「同感だよ」

 携えるカルテナは二振り。ふたりの伝説の戦士が、同時に構えを取る。薄紅色と空色の光が翼を成す。それはすなわち、ふたりのプリキュアの必殺技の前兆だ。

「同時に決めるよ」

「行きましょう、グリフ」



「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」



「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ! プリキュアに力を!」



 その場が薄紅色と空色の光で満たされる。それはロイヤリティの伝説の戦士、プリキュアが持つ勇気と優しさの光だ。

 その光が悪辣なる存在に対し向けられる。、




「「プリキュア!」」



「グリフィンスラッシュ!」



「ユニコーンアサルト!」




 神速の一刀両断と抜群の突貫力を持つ突きに、ウバイトールは瞬きをする間もなく、浄化された。


…………………………

 ひなカフェ二階の下宿には、共用のお風呂がある。同居人たちは年頃の少女である彼女に気を遣ってか、いつも一番風呂にしてくれる。

「……騎馬はじめ」



 ――――『君を置いていけるか!』



 ――――『友達を置いていけるわけないだろうが!』



 ――――『私は……君と、友達になりたい』



「ともだち……」

 どうしてだろう。きっと、お風呂の湯がいつもより熱いせいだ。そうに決まっている。

 そう言い聞かせながらも、やはり戸惑いは消えない。

「どうして……」

 そっと、胸に手を当てる。鼓動が高鳴る。ドキドキが、止まらない。

「どうしてこんなに、ドキドキするの……?」

 答えは出ない。

 それは、彼女が忘れてしまった感情だからだ。


…………………………

「……それで、お話とはなんでしょうか」

 下宿に帰宅してすぐ、彼は管理人であるひなぎくに呼び出され、彼女の部屋に赴いた。彼女らしからぬ、いや、らしいと言った方がいいのだろうか。簡素ながらも可愛らしい家具やぬいぐるみを置いた部屋だ。

「あのね、学校では、仕事に専念した方がいいと思うの」

「……?」

「学校はあなたにとって仕事場だわ。仕事場で、仕事以外のことばかりしているというのは、社会人としてよくないことだわ」

「はぁ。そうですか」

 何を言われるかと少なからず緊張していたが、そんな気の抜ける話だったとは。彼は袖の裏に隠していたナイフをそっと奥に戻す。

「それは命令ですか?」

「命令だなんてそんな。そうじゃなくて、あなたは社会人なの。しっかりとしなくちゃいけないわ。それだけよ」

 本当に、どうしたというのだろう。化けの皮を一枚被っただけで、この変わり様か。彼は呆れかえりながらも、ひなぎくの言葉に素直に首肯した。

「なるほど。わかりました。今後、学校での勝手な行動は慎みます」

 彼のその言葉に、ひなぎくさんは目に見えてホッとしたようだった。

「分かってくれたなら嬉しいわ。晩ご飯、いつも通り用意してあるから、たくさん食べてね。おやすみなさい」

「ありがとうございます。おやすみなさい」

 部屋を後にして、ドアを閉める。酷薄な笑みは、自然と浮かぶ。

「……腑抜けになったのか? それとも演技か? どちらにしろ、ぼくをあまり甘く見ない方がいいと、思うけどね」

 ふと、リビングの灯りがついていることに気づく。覗き込むと、テーブルにはこれでもかと書類が広がり、その前でうんうんと唸っているガタイのいい男性がいる。

「……何をやっているんだい、郷田先生?」

 そういえばこのガタイのいい体育教師もダイアナ学園にいるはずなのに、しばらく姿を見かけていない。郷田先生は憔悴しきった顔を上げ、言った。

「ああ、蘭童か。家では先生をつけなくて構わんぞ。学校では同僚だが、家では同居人にすぎんからな」

「君はまったく、この世界に馴染みすぎだと思うけどね」

 彼は対面に座り、そっと書類を一枚取り上げる。

「……なんだいこれは」

「研究授業用の学習指導案だ。作ってみたのだが、指導教諭の先生にダメ出しをたくさんもらってしまった。今度の研究授業までに練り直さねばならん」

「仕事は職場でやったほうが良いと思うけどね」

「そうしたいのは山々だが、先日、高等部の部活動の指導も頼まれたのでな。学校では事務的な仕事をする時間がなかなか取れないのだ」

「……君は一体どこに向かっているんだ」

「与えられた使命である以上、潜入もしっかりとこなさねばならん。そのための授業力向上、それだけだ。生徒に半端な授業をするわけにはいかんからな」

「そうかい。真面目だねぇ」

 興味は失せた。彼はそっと立ち上がり、玄関に向かう。

「おい、こんな時間にどこへ行く」

「君の作業が終わるまで晩ご飯が食べられそうにないからね。ちょっと散歩だよ」

「あ……! す、すまん、すぐに片付けるから、ちょっと待っててくれ! 自室の机も書類でいっぱいなんだ!」

「構わないよ。好きなだけやってくれ」

 生真面目な同僚兼同居人とのやりとりに嫌気がさして、彼はそのまま外へ出る。

「……さて。今回の作戦は失敗したけど、今度ばかりは、失敗するわけにはいかないからね」

 酷薄に笑み、跳ぶ。彼には、そう。もうひとつ、ホーピッシュ侵攻の足がかりがある。


…………………………

「はぁ……」

 小さいため息のつもりだった。その後で、想像よりよほど重いため息だったことに、自分で驚いた。

「ゆうき……」

 中学生の世界というのは、なんてままならないのだろう。これは、皆が感じているもどかしさなのだろうか。それとも、自分が特別臆病なだけなのだろうか。

 きっと、後者なのだろう。

 そっと書き綴る日記の中ならば、いくらでも想いを綴ることができるというのに。

 小学生の頃から書き続けている詩でも、想いの丈をぶつけることはできるのに。

 どうして己の口は、こんなにも不器用なのだ。

「どうしてだろ」

 話したいことはいくらでもある。口にしたい言葉がたくさんある。

 伝えたい想いが、胸の中に幾重にも積もっている。

 もしかしたら、積もり積もって、積もりすぎて、まるで降り積もった雪で開かなくなった戸のように、口を開くことがきないくらい重くなってしまっているのかもしれない。

 詮無い考えが頭の中を堂々巡り。窓の外から月明かりを眺めても、いつものようにきれいだと思う気持ちも湧いてこない。世界全部が色を変えてしまったようだった。

「……ううん。きっと、私が閉じこもってるだけ」

 分かっていても、変えられない。分かるだけで変えられるのなら、他に何もいらない。きっとお母さんやお父さん、先生、そんなおとなだったら笑ってしまうようなちっぽけな悩み。けれど、それが自分にとっては、すさまじく重く、大事な意味を持っているのだ。子どもの世界と子どもの時間は、たぶんおとなが思っているほど簡単ではない。と、いうよりは、おとなになると、その大事な世界や時間を忘れてしまうのかもしれない。

「どうか、した、ドラ……?」

 不意に暗い部屋の片隅から、声が聞こえた。彼女は悲しげな顔に柔らかな笑顔を貼り付けて、その声の主を振り返った。ベッドの奥、彼女がいつも寝ている枕の上。もぞもぞと小さな影が身をもたげる。

「ごめんね。起こしちゃった?」

「ちがう、ドラ……」

 それは真っ赤なぬいぐるみ――のようなずんぐりむっくりした小動物。背中に小さな翼が生えているが、少なくとも彼女は飛んでいるところを見たことはない。

「一緒に寝たい、から……待ってた、ドラ……」

「ふふ……」

 甘えたさんだ。彼女は悩みを頭の隅においやり、ペンを置いた。日記は書き終えた。悩んでいても仕方ないと、ベッドに寝転んだ。頭のすぐ横に、かわいらしい姿がある。


「あ、あのね……」

「なぁに?」

「今日も……ギュッて、してほしい、ドラ……」

 真っ赤な顔をますます赤くする。その姿はもう、愛らしい以外の何ものでもない。

「うん」

「ドラぁ……」

 ギュッと抱きしめてあげると、それは愛くるしい安堵の声をつく。それが可愛くて、彼女は少し、抱きしめる力を強くした。

「……ごめんね。もう少し時間がかかりそうなの」

「いいドラ。どうせ……見つけること、なんてできない、ドラ……」

「あきらめちゃだめだよ。わたしも、できるだけがんばるから」

「……ドラ」

 彼女は急速に眠りに落ちていく自分を意識しながら、口を開いた。

「……おやすみ」

「ドラ。おやすみドラ、あきら」



 彼女の名は、美旗あきら。私立ダイアナ学園中等部の2年生。

 そしてあきらが自分の部屋にかくまう小動物こそが。



「……うん。また明日、パーシー」



 そう。

 光の世界ロイヤリティにある情熱の国の王女。

“未来を支える情熱の王女” パーシーなのであった。


 次 回 予 告

ゆうき 「うーん、パーシー見つからないねぇ」

めぐみ 「愛のプリキュアもだわ。どこにいるのかしら」

ゆうき 「まぁまぁそれは置いておくとして」

めぐみ 「置いておいていいものなのかしら……」

ゆうき 「次回はいよいよ待ちに待った生徒会選挙!」

ゆうき 「わたしたちのがんばりの集大成、ばばんと見せちゃうよ!」

めぐみ 「そんなにはりきって、本番で噛まないでよ、ゆうき」

ゆうき 「大丈夫! めぐみのためだもん! がんばるよ!」

めぐみ 「……ありがと、ゆうき。わたしも精一杯がんばるわ」

ゆうき 「えへへー」

めぐみ 「ふふ……」

ブレイ 「またふたりの世界に入っちゃったよ」

フレン 「仕方ないわね。次回、ファーストプリキュア!」

ラブリ 「第十二話【会長はどっち!? 生徒会選挙!】」

ブレイ 「次回もお楽しみに! ばいばーい!」

>>1です。
今週はここまでです。
見てくださった方、ありがとうございました。

来週なのですが、所用で日曜日の投下ができません。
そのため、来週はお休みさせていただきます。
再来週日曜日には投下できると思います。

それではまた、よろしくお願いいたします。


ファーストプリキュア!

第十二話【会長はどっち!? 生徒会選挙!】



「大埜めぐみに、清き一票を!」

「「よろしくお願いしまーす!」」

 ゆうきの声に呼応するように、ユキナと有紗が大きな声で続く。それに合わせて、めぐみは登校するひとりひとりの生徒に笑顔を向け、会釈する。その様は、この生徒会選挙を通して、段々と洗練されている。当初こそ緊張してろくに声を出せなかっためぐみや、噛み噛みのゆうきが目立っていたが、演劇部のユキナと有紗の助言もあり、自然と選挙活動をすることができるようになっていた。

「皆さんの清き一票を、どうか、大埜めぐみに!」

「「よろしくお願いしまーす!」」

(やるだけのことはやったわ)

 だからめぐみは、どこか清々しい気持ちで、その日を迎えていた。

(私には、騎馬さんのような実績はないし、生徒会に立候補するなんて初めての経験だけど、それでも、)

 そっと横を見る。朗らかに声を出すゆうきがいる。ゆうきの声に合わせて、演劇部らしく滑舌良く、聞き取りやすい声を出すユキナと有紗がいる。

 ゆうきというかけがえのない親友との仲をますます深くすることができた。

 ユキナと有紗という新しい、大切な友達もできた。

 クラスメイトとも、少しずつ気兼ねなく話せるようになってきた。

 おの生徒会選挙を通じて、自分自身がどんどん成長していることが分かる。

 これから、結果がどうなるかなんてわからない。それでも。

「……私、精一杯がんばります! だから、清き一票を、」

「「「よろしくお願いしまーす!」」」


…………………………

「生徒会選挙ねぇ……」

 掲示板に大きく張り出された、候補者告示の文字。その中に、彼のよく知る少女の名前もある。

 大埜めぐみ。

 何度も煮え湯を飲まされた相手だ。

「……蘭童。一体何を考えている」

 声に振り返る。厳めしい顔をした長身の同僚が目を眇める。

「おや、郷田先生。いらしていたんですか」

「わざとらしいことを言うな。白々しい」

 同僚もまた、掲示板を見上げた。

「職員室で他の先生方がおっしゃっていた。大埜めぐみに勝ち目はないだろう、と」

「へぇ。それはまた、なんというか……」

 彼は、めぐみたちが毎朝の挨拶運動やその他の生徒会選挙の準備をしていた様子を見ていた。彼にとって大した感慨のあることではない。ただ、彼女たちが努力をしている様を、黙って見ていただけだ。

「……不憫なものだね、プリキュアも。勝ち目のない戦いに無理矢理に引きずり出されているわけだ」

「私はそうは思わんがな」

 体育の教諭であり、高等部男子剣道部の顧問でもある同僚は、目を眇めて。

「奴は強いぞ。ひょっとすれば、ひょっとするかもしれんな」

「ふぅん。随分と優しさのプリキュアを買っているんだねぇ。ま、どちらにしろ、この学校の生徒会がどうなろうと、ぼくらには関係ないことだろう?」

「潜入している以上、潜入先の役職が変わるのなら問題だろう」

「……ああ、そうだったね。ここ最近の君は、ただの真面目くんになってしまったんだったね」

 興味は失せた。彼は同僚に背を向けて、歩き出す。

「どこへ行く」

「どこへ行くって、決まってるでしょう、郷田先生」

 振り返り、笑みを見せる。

「あの方に釘を刺されたばかりですから。真面目に、しっかりと仕事に励みにいくんですよ」

「……ふん。そうは見えぬがな」

 さりとて、彼とて仕事をしなければならないことは確かだ。生徒総会と生徒会選挙が同時に行われる今日、普段は授業で使っていて掃除ができない場所をすべて掃除しなければならないのだ。

「……ま、少しは真面目にやりますかね。べつに、掃除も嫌いではないし」


…………………………

 ドキドキドキドキ。

「……はぁ」

「またため息?」

「あ、ご、ごめん。緊張しちゃって……」

 生徒総会が滞りなく終わり、前生徒会が解散した。少々の休憩時間をはさみ、すぐに生徒会選挙立ち会い演説会が始まる。選挙演説のトップバッターは、生徒会長候補であるめぐみの推薦人である、ゆうきだ。

「ああ、どうしてわたしが一番最初なの……」

「そんなの、ゆうきがめぐみのことを一番理解してるからに決まってるじゃん」

 事も無げにユキナが言う。

「最初だろうが二番目だろうが何番目だろうが、変わんないよ。どうせやるんだから、早くやっちゃった方がいいってもんじゃない?」

「ユキナは演劇部で前に立つの慣れっこだからそうだろうけどね……」

「はは、ゆうきはあがり症だなぁ。大丈夫。聴衆はみんなカボチャ、そう思い込めば緊張なんかどっかに言っちゃうよ」

 優しく元気づけてくれる有紗だが、そう簡単に事が運べば苦労はしない。

「カボチャは喋らないしわたしの話も聞かないよぅ……」

「まったく。めずらしく弱気ね」

 何かがゆうきの手を撫でる。直後、その何かがゆうきの手を、優しく包み込むように握った。めぐみの手だ。

「でも、安心して。ほら、感じるでしょ? 私の手の震え」

 ゆうきは、ハッとして横のめぐみの顔を見た。

 めぐみの声は、少し震えている。そして、その震える声が言うとおり、めぐみの手は、本当に細かく、震えている。それは、緊張から来る痺れのような、本物の震えだ。


「めぐみ……」

「私も緊張しているもの。ゆうきだって、緊張していいのよ」

 そしてめぐみは、ユキナと有紗のほうも向く。

「ふたりとも、ありがとう。ふたりがたくさん手伝ってくれたおかげで、私はここまで来ることができたわ。本当にありがとう」

「なんのなんの。あたしたちもたくさん勉強になったよ。ありがとね、めぐみ」

「その通り。それに、私たちはもう友達だろう? これくらい、友達だったらなんてことないさ」

「……嬉しい。私、何より、あなたたちという友達が得られたことが、嬉しくて仕方ないの」

「むっふっふ、嬉しいこと言ってくれるねぇ、めぐみクン」

「調子に乗るんじゃない、ユキナ」

「あいたぁ! もう、チョップ入れないでよ、有紗!」

 さすがは演劇部のエース二人組。まったく緊張する素振りすらみせず、普段通りだ。それはひょっとしたら、緊張しているゆうきとめぐみのために、わざと普段通りを演じてくれているのかもしれない。ユキナと有紗は、本当にすごい。

 それに比べて、と。ゆうきは反省しきりだった。ゆうきはそっと、めぐみの手を握り返す。

「……? どうかした、ゆうき?」

「めぐみも緊張してるのに、わたし、自分のことで精一杯で、恥ずかしいよ……」

「何言ってるのよ。そんなものよ」

「でも、生徒会長に立候補したのはめぐみで、一番緊張しているのはめぐみのはずなのに、わたしったら、じぶんのことばっかりで……本当に恥ずかしいよ」

「言いっこなしよ。そんなこといったら、あなたは私の選挙を手伝ってくれているんだから、私が気遣わなきゃいけないわ」

「……めぐみ」

「もう大丈夫ね。精一杯がんばりましょう、ゆうき」

「うん!」


…………………………

 たとえば、中等部の生徒が一同に会するこの生徒会選挙の会場に、ウバイトールを発生させたらどうなるだろうか、と。

 そんなことを彼女はふと考える。

 きっと面白いことになるだろう。このホーピッシュがどれくらい闇に近づいているのかわからないが、それを計るチャンスにもなるだろう。より多くの人間がウバイトールの存在を認知し、闇の存在を知れば、この世界はもっと闇に墜ちていく。彼女たちアンリミテッドは、そんな闇の循環を作り、世界を侵食し、飲み込んでいくのだ。

 けれど、なぜだかそれをする気にはなれなかった。

「っ……」

 頭の中に浮かぶ、絶望的な考えを振り払う。

 単純に、潜入中は潜入にできる限り集中するよう、あの方から言われたからだと、自分にいい聞かせる。決して、ウバイトールを出したくないなどと考えてはいないと言い聞かせる。



 勝手に友達面するクラスメイトの生徒会長候補の、晴れの舞台を邪魔したくないからなどではないと言い聞かせる。



「やってやるわよ。あの方の言うとおり、今は潜入任務に集中するだけのことよ」

 それこそ本当に言い聞かせるように、彼女はつぶやいた。

 そして、壇上の幕が引かれ、生徒会選挙が始まった。


…………………………

 幕が開いたとき、初めてに近い壇上からの景色に、ゆうきは面食らう思いだった。中等部の生徒が一同に介した講堂は、とてつもない威圧感を持って、見下ろすゆうきを圧倒していた。

『ただいまより、第87回、ダイアナ学園中等部生徒会選挙を始めます』

 司会の選挙管理委員の声がマイクを通して響き渡る。

 ああ、手が震える。いまは座っているから大丈夫だけれど、立ったらきっと脚も震えるだろう。口がカラカラだ。ほんの少し前、めぐみから勇気をもらったばかりだというのに、緊張が身体をこわばらせる。

 それでも。やれると思った。やれると、確信があった。

(大丈夫。だってわたしは、自分のためじゃない、めぐみのために、ここにいるんだから)

『それでは、大埜めぐみさんの推薦人、王野ゆうきさん、更科ユキナさん、栗原有紗さんの応援演説です。よろしくお願いします』

 その声が響いたとき、すでにゆうきの気持ちは定まっていた。緊張はする。それでも、

 すぐ横に座る、めぐみを見る。めぐみも、ゆうきを見ていた。目を合わせたのは、ほんの数瞬の間。それでも、お互いの気持ちを確認するには十分な時間だった。ゆうきは席を立ち、ユキナと有紗を先導するように、背筋を伸ばして歩いた。演台までの距離がとても長く感じられる。それでも、ゆうきは演台の前に立ち、後ろにユキナと有紗が控える気配を感じ、落ち着いて、そっと口を開くことができた。

「大埜めぐみの推薦人、王野ゆうきです」

 ダイアナ学園の生徒たちは、静かにゆうきの言葉を聞いてくれているようだった。

「わたしは口下手で、ドジなので、あまりうまく伝えられるかわからないけど、できるだけ、大埜めぐみが……わたしの大切な友達のめぐみが、どういう人なのか、分かりやすく伝えられたらな、と思います」


…………………………

「……すごいな。原稿を持っていないのか」

 呟く声は、すぐ隣から。めぐみと同じく生徒会長に立候補しているライバル、騎馬はじめだ。

「丸暗記したわけでもない。大まかな原稿にアドリブを加えて喋っているようだ。すごいな。先生方みたいだ。少なくとも中学生がやることじゃない」

「……やるって、聞かなかったのよ」

 めぐみが小声で応じる。

「だってあの子、演劇部のユキナと有紗が台本を持って舞台に立つのは格好悪いって言うのを聞いて、ふたりがそうするならわたしもそうするって聞かないんだもの」

「……ふふ。なるほど」

 はじめは面白そうに小さく笑って。

「大埜さん、君は王野さんに愛されているんだね」

「あ、愛って……」

 生徒たちに向けはきはきと喋るゆうきの後ろ姿を見つめる。どれだけ練習してくれたのだろう。めぐみも一緒に練習をしたけれど、その練習の何倍もの時間、ひとりで練習したのではないだろうか。

「……ありがとう、ゆうき」

 だからめぐみは、誰にも聞こえない声で、頼もしい親友の背中に微笑んだ。


……………………

「めぐみは、自分自身を表すのが苦手です。だから、ひょっとしたら勘違いしている人も多いかもしれません」

 大まかな台本はある。それに即して、ゆうきは自分の言葉を肉付けして、口に出す。

「めぐみはとても優しいひとです。わたしと学級委員をやっているとき、わたしが困っているとき、いつでも助け船を出してくれます」

 ゆっくりと、聞き取りやすいように言葉を続ける。少しくらい言葉に詰まったっていい。落ち着いて、ただ、伝えたいことを、伝わるように、伝える。それだけのことだ。

「そう、めぐみはいつも、わたしを助けてくれるんです。学級委員の仕事が放課後にあったとき、早く家に帰らなきゃいけなかったわたしを気遣って、仕事をひとりでやってくれると言ってくれました。わたしが大事なことから逃げ出してしまったとき、わたしを信じて待っていてくれました。めぐみは、いつだって、わたしを信じてくれました。わたしにとって、かけがえのない友達です」

 思い起こされる、めぐみと過ごした、短いけれど密度の高い月日。もちろんプリキュアの話なんかはできないけれど、一緒に過ごした思い出がいくらでも湧いてくる。

「ケンカもしました。ケンカというか、わたしがひとりで怒って、めぐみにひどいことを言ってしまっただけですけど……。それでも、めぐみは優しく、わたしを諭して、助けてくれました」

 ああ、本当の本当に。



 わたしはめぐみのことが大好きなんだなぁ、と。



 ゆうきは、自分の応援演説で、改めてそう思わされた。

「……わたしは、そんなめぐみのことが大好きです。信頼しています。めぐみなら、絶対にいい生徒会長になると思います。だから、わたしは、そんな大埜めぐみのことを、心の底から、生徒会長に推薦します。大埜めぐみを、どうかよろしくお願いします」

 途中から、台本から少し逸れてしまったけれど。

 少なくとも、間違ったことは言っていないと思えた。

 だって、一礼して顔を上げると、大きな拍手が、ゆうきを包み込んでくれたから。

「わっ、わっ、わっ……」

 皆、真剣に、応援演説とも言いがたいような、ゆうきの言葉を聞いてくれたのだ。そして、明るい顔で、拍手をくれているのだ。何の気なしに、教職員の席を見る。嬉しそうな顔の誉田先生が頷きながら拍手をしてくれている。

「あーん、もう。まだあたしたちもいるのにー」

「仕方ないさ。ゆうきのめぐみ愛に溢れる演説には勝てないよ」

 ポン、と肩が叩かれる。ゆうきの後に控えていたユキナと有紗だ。

「じゃ、ゆうき。あとはあたしたちに任せるんだぜ、ってな」

「ゆうきが言い忘れたことも、捕捉しておくよ」

「あっ……ありがとう」

 ゆうきと代わり、マイクの前に、頼りになるふたりのクラスメイトが立つ。その後ろに控えながら、ゆうきはそっと、小さく、ガッツポーズをした。


…………………………

「ふっ。王野さんは、なんともおもしろい子ですね、郷田先生」

「……生徒の演説中だ。私語を慎め、蘭童」

「はいはい」

 隣の郷田先生にしか聞こえない声で話しかけるも、当の真面目な郷田先生は耳を貸す気もないようだ。壇上では、王野ゆうきに続き、演劇部だというふたりの少女が大勢の観衆に向けて、まったく臆することなく演説をしている。

「まったくいやになるものだ」

 誰にも聞こえないように、彼はそっと、口の中だけで言葉を紡ぐ。

「誰も彼も、光に染められて、まったく暢気なものだ。闇がすぐ近くに迫っていることにも気づかず、いつまでそう笑っていられるかな」

 世界は脆い。それを、彼は知っている。だって、ひとつの世界を、彼らは滅ぼしたのだから。


…………………………

『応援演説、ありがとうございました。続きまして、生徒会長候補、大埜めぐみさんの立候補演説です』

 選挙管理委員の声に、とうとう来たるべき時が来たと、めぐみは立ち上がった。応援席に座るゆうき、ユキナ、有紗と目を合わせる。小さく頷く三人に微笑みを返し、めぐみは登壇する。マイクの前に立ち、そっと、小さく深呼吸。そして、めぐみは、口を開いた。

「今回、生徒会長に立候補しました、大埜めぐみです。私は、現生徒会の一員ではありません。だからきっと、生徒会長になっても、最初は戸惑って、なかなかうまくできないと思います。それでも、それを挽回することはできると思います。自信があるかと言われれば、正直なところ、私にもわかりません。でも、自分ならできるって、思えるんです。それは、今、応援演説をしてくれた三人が、『めぐみならできる』って信じてくれているからです」

 そっと、心の中の言葉を、カタチにする。少し、台本とはずれてしまうけれど、内容に変わりはないはずだから。

「私の信じる三人が、私のことを信じてくれるなら、私も、私のことが信じられる気がするんです。私なら、絶対にできるって、思えるんです」

 ゆっくりと、分かりやすく、しっかりと。何度も練習したことを思い出す。ゆっくり体育館を見渡して、心を落ち着かせる。

「そして、もうひとつ。今、こうして私の拙い演説をしっかりと聴いてくれる皆さんがいるからです。応援演説も、私の演説も、決して、皆さんにとって楽しいものではないと思います。それでも、こうやって聴いてくれる、次の生徒会長を真剣に見定めてくれようとしている、そんな皆さんがいるから、私ならできると思うんです。私は、そんな皆さんがいるこの学校が、大好きです。わたしは、この大好きな学校の生徒会長として、この学校を、もっとよりよくしていきたいと思います」

 めぐみはそっと、胸に手を当てた。思い起こされる、生徒会長に立候補してから今までのこと。短い間の出来事だったけれど、それは本当に、めぐみにとってかけがえのない時間だ。ゆうきともっと仲良くなれた。ユキナや有紗と仲良くなれた。クラスメイトとだって、たくさん話すことができた。今なら心の底から言える。生徒会長に立候補してよかった。

「ご静聴ありがとうございました。私からは以上です。どうか、大埜めぐみをよろしくお願いします」

 拍手が鳴り響く中、めぐみはゆっくりと自分の席に戻る。はじめと目が合う。はじめは拍手をしながら、にこりと微笑み、ウインクをしてくれた。キザな所作があまりにも様になっていて、めぐみはそっと微笑んで、頷いた。


…………………………

「……くだらない」

 誰にも聞こえない声でそっと呟く。

「何が大好きよ。何が信頼しているよ」

 どうせ、そんなもの、口先だけ、上っ面だけの言葉だ。それをさも上等なもののように、よく口が回るものだ。

 手が動く。今、この場でウバイトールを呼び出すことができれば、きっと。

 その上っ面だけの言葉を引き剥がすことができる。そして、このホーピッシュを闇の位相へと誘うことができる。

「いまなら……――」



『――応援演説、ありがとうございました。続きまして、生徒会長候補、騎馬はじめさんの立候補演説です』



「っ……」

 その名前が出た途端。動かそうとしていた手が止まる。今まさに、虚空より闇のカタマリを召喚しようとしていた手が、止まったのだ。

「どうして……」

 世界を一度滅ぼした己が、なぜそんなことを躊躇う。

 今まさに、世界を闇に堕とそうとしていたというのに、それをなぜ躊躇う。

 どうして、騎馬はじめという名が、気になって仕方がないというのか。 



 ――――『私は……君と、友達になりたい』



 なぜ、あの言葉が思い起こされるのか。

 どうして、その言葉を思い浮かべた途端、頬が熱くなり、胸がドキドキと高鳴るのか。

「ッ……」

 彼女には分からない。分からなくても、事実として、彼女はそのまま、ウバイトールを呼び出すこともなく、ただ座り続けるのだった。


…………………………

 生徒会副会長、会計、書記の立候補者たちの演説も終わり、生徒会選挙立ち会い演説会はつつがなく終了した。

 めぐみとゆうき、ユキナと有紗も2年A組の列に戻り、クラスメイトたちと一緒に教室に戻り、クラスの選挙管理委員が配布した投票用紙に記入をした。

 やることはすべてやった。後は野となれ山となれ、だ。

 めぐみはどこか清々しい気持ちで、集計の結果を待った。



『生徒会役員選挙の集計が終わりました。結果をお伝えします』



 教室の席で、ドキドキと放送を聞く。書記、会計、副会長の信任が発表される。そして、とうとう生徒会長の発表という段になった。



『生徒会長は、2年B組、騎馬はじめさんが当選しました』



 ああ、そうか、と。

 遠い場所の関係ないことのように、聞こえた。



 ああそうか、負けたのか、と。

 その実感が、少し遅れてやってきた。


…………………………

「めぐみ」

 結果の放送がされた後のことはあまり覚えていない。

 めぐみは、気づけば人気のない体育館にいて、後から声をかけられていた。

 振り返ると、そこに立っていたのは、ゆうきだ。

「……負けちゃったわね」

 微笑みながらそう声をかける。それが、精一杯のめぐみの強がりだ。

「負けちゃったけど、がんばったニコ」

「そうグリ。めぐみもゆうきも、がんばったグリ」

 ヒョコッと、ゆうきの肩からフレンとブレイが顔を覗かせる。

「ふたりの言うとおりだよ。めぐみもわたしも、ユキナも有紗もがんばったよ」

 ゆうきも微笑む。けれど、その笑顔はすぐに、くしゃっと歪んでしまう。

「あ、あれ……。おかしいな……」

 ゆうきも戸惑っているようだった。必死で笑顔を作ろうとしているけれど、それは長続きしなかった。ゆうきの両目から、涙が溢れだした。

「めぐみぃ……」

「……まったくもう。あなたが泣いてどうするのよ」

 そっとゆうきに近づいて、ぎゅっと抱きしめる。ゆうきの嗚咽が響く。

「負けちゃったよぅ……」

「そうね。負けちゃったわね」

「めぐみぃ、でも、わたしたちがんばったよ……」

「そうね。がんばったわね」

 そう。自分たちは精一杯がんばった。学級委員の仕事をしながら、プリキュアをしながら、それでも、精一杯がんばった。みんなと一緒に、がんばったのだ。

「……そう。私たちは、がんばったのよ」

 ツーと、めぐみの頬を、涙が伝った。ゆうきの涙が呼び水になったようだった。めぐみの視界が歪み、涙がどんどんあふれ出した。それは、めぐみの奥底にしまわれた、悲しみの発露だ。


「でも、悔しいよぅ……。わたし、めぐみに生徒会長になってほしかったよぅ」

「……そうね。私も、とっても悔しいわ」

 悔しい。勝ちたかった。それは、きっと負の感情ではないと、めぐみには思えた。

「……ゆうき、でもね、私、本当に嬉しいの。私がこんなことをするなんて、全然思ってなかったから。だから、ありがとう。ゆうきがいてくれたから、私はここまで、がんばれたわ」

「わたしは何もしてないよ。ほんの少し、手伝っただけだよ」

「そんなことないわ。負けちゃったけれど、ゆうきのおかげでここまでがんばれたんだもの。すごいことよ」




「負けたら、何の意味もないと思うけどね」




 世界が闇に染まる。開けた体育館に、その声は響き渡った。

「一度負けたら、負けを知ってしまう。敵愾心が小さいから、『負けたけどよかった』なんて言葉が言えるんだ」

「ダッシュー!」

 舞台の上、壇上に立つ人影は、まぎれもなくアンリミテッドの闇の戦士、ダッシューだ。

「敗北して、それでもなおヘラヘラと笑っていられる君たちに、本当の敗北を教えてあげよう」

 ダッシューは壇上のマイクを手に取り、眺める。

「良い欲望の品だ。この学校で、様々な人間の想いの丈を受け続けてきたのだろう。これは、良いウバイトールの素材になる」

 それは、ゆうきが、ユキナが、有紗が、めぐみのために演説をしたマイク。めぐみが、めぐみとめぐみを応援してくれる皆から力をもらって演説をしたマイクだ。

「やめなさい! ダッシュー!」

「やめないよ。それはぼくの欲望ではないからね」

 ダッシューは虚空に向けて叫ぶ。

「出でよ! ウバイトール!」

 世界が割れる。宙空に現われた世界の裂け目から、黒々としたヘドロのような何かが落ちる。それはダッシューの持つマイクをその身体に取り込むと、世界を黒々と染め上げながら、その姿を変貌させる。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 巨大化したマイクのウバイトールだ。轟音を立てて体育館に降り立った怪物は、大声を上げゆうきとめぐみを威嚇する。


「ッ……! 行くよ、めぐみ!」

「ええ! フレン!」

「受け取るニコ!」

「プリキュアの紋章グリ!」

 ブレイとフレンから光が放たれる。それは、まっすぐゆうきとめぐみの手に収まり、カタチを成す。勇気の紋章、そして優しさの紋章だ。ふたりはそれを確認すると、頷き合い、声高らかに叫んだ。

「「プリキュア・エンブレムロード!!」」

 世界は暗い。だからこそ、今まさにその高貴な輝きを示さんとするように。

 ふたりの少女は光の中で、厳かにその姿を変えた。

 そして、光溢れるふたりの戦士が、大地に舞い降りる。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「行け! ウバイトール! プリキュアを倒し、ロイヤルブレスとプリキュアの紋章を奪い取れ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ウバイトールが舞台から飛び降りる。その勢いのまま、ふたりに向かい突っ込んでくる。

「わたしが止める! ユニコはダッシューを!」

「ええ!」

 キュアグリフが向かってくるウバイトールへ真正面から跳ぶ。マイクのウバイトールは重い頭をたくみに振り回し、キュアグリフの跳び蹴りを回避する。

「なっ……!?」

 ウバイトールの背後に着地したグリフだが、次の瞬間には何かに縛り付けられる。それは、ウバイトールのお尻から伸びるマイクのコードだ。ウバイトールの凶悪な目が嗜虐的に歪む。コードが大きくたわみ、次の瞬間には強大な膂力を持ってキュアグリフを振り回そうとコードを引く。


 しかし、ウバイトールが相対する勇気のプリキュアは、それを許すほどヤワではない。

『ウバッ……!?』

「ふふん。プリキュアになりたての頃、電柱のウバイトールに同じ事をされたけど、」

 キュアグリフは身体を縛り付けられながらも、コードを両手で握りしめ、ウバイトールの力に負けないように引っ張っていた。

「同じ手が通じると思わないでよね!」

『ウバッ……ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「負けないって、言ってるの!!」

 コードの引き合いはなかなか決着を見せそうにない。裂帛の表情とともにグリフの身体から“立ち向かう勇気の光”が立ちのぼる。


…………………………

「ふん。さすがは伝説の戦士といったところかな。あのウバイトールを相手に互角に戦えるとはね」

 目の前のダッシューは、どこか他人事のように、ウバイトールとキュアグリフとの戦いを眺めていた。

「ひとつ聞きたいことがあるわ」

 そして、キュアユニコは仲間を信じて、まっすぐにダッシューと相対した。

「なんだろう」

「さっきの言葉の意味よ」



 ――――『良い欲望の品だ。この学校で、様々な人間の想いの丈を受け続けてきたのだろう。これは、良いウバイトールの素材になる』



「あの言葉は、どういう意味。ウバイトールにするものによって、ウバイトールの強さは変わるの?」

「ああ、そんなことか」

 ダッシューはどうでもよさそうに言う。

「そうだよ。ぼくたちアンリミテッドは、モノに込められた人間の欲望を引き出し、ウバイトールとする。モノに込められた欲望が強ければ強いほど、ウバイトールは強く凶暴になる」

 目の前にユニコがいるというのに、ダッシューはキュアグリフとウバイトールの綱引きのような戦いに目を向ける。

「見てごらんよ。あのマイクは、今まで幾人もの教員、生徒、その他の様々な人々の欲望を一心に浴びてきたんだ。話を聞いてほしい、思いを伝えたい、気持ちをぶつけたい、そんな欲望をね。ああ、あと、生徒会長になりたい、なんて欲望もあったかもしれないね」

「…………」

 ダッシューの視線の先で、ウバイトールから黒々とした何かが立ちのぼる。それはグリフの放つ“立ち向かう勇気の光”の対極に位置するような、欲望の塊だ。

「見えるかい? あれが、君たち人間が作り出した欲望さ。生徒会長になりたいという欲望を叶えることができず敗北した君たちに、あのウバイトールに勝つことができるかな?」

「……ふふ」

「……? 何が可笑しい」

 怪訝な顔のダッシューに、ユニコは笑みを浮かべたまま答えた。

「ねえ、ダッシュー。私はたしかに負けたわ。生徒会長になりたかったし、それが叶わなかったのは本当に悔しいわ」

「……ふん。所詮君たちなんてその程度ということさ」

 ダッシューが虚空よりノコギリを取り出し、握る。


「前生徒会長の後ろ盾もあった騎馬はじめに、最初から勝てるわけがなかったんだよ!」

 ダッシューはそのノコギリを手に、ユニコに向かい突撃する。振り上げられたノコギリはまっすぐユニコへ振り下ろされ――、

「――あら。随分と詳しいのね。まぁいいわ」

「ッ……!?」



「優しさの力よ、この手に集え! カルテナ・ユニコーン!」



 空色の光が集約し、ユニコの手にカルテナが握られる。その空色の刀身は、当たり前のようにダッシューの凶刃を受け止めていた。

「私ね、悔しいけど、満足よ」

「なに……?」

「だって、私は生徒会長にはなれなかったけど、それ以外のたくさんのものを手に入れることができたもの」

 キュアユニコが腕を振り、ダッシューのノコギリを弾く。ダッシューが体勢を立て直し、慌てた様子でノコギリを降る。

「私、本当に嬉しいのよ、ダッシュー」

「ぐっ……」

 歓喜の笑みを浮かべたまま、ユニコはノコギリの刃を避け続ける。

「ゆうきのことをたくさん知ることができたわ。すごく仲良くなれた。親友って呼べる相手ができたのよ」

「それが、どうしたッ!」

「それから、ユキナと有紗とも仲良くなれたわ。他のクラスメイトの皆とも話せるようになったわ。あと、騎馬さんとだって知り合いになれたもの」

 キュアユニコが空いた手をダッシューにかざす。とてつもない圧力が集約し、空色の光がの壁が現われる。

「ぐッ……!」

 現われた“守り抜く優しさの光”の壁が、ダッシューの身体ごと、凶刃を吹き飛ばす。

「……ねえ、ダッシュー。私、負けてしまったけれど、いま、とても満足な気持ちだわ」


「た、たとえ、どうであろうと……」

 ダッシューはよろよろと立ち上がる。

「君たちは、あのウバイトールには勝てない。君たちの欲望も入ったあのウバイトールは、自分たちの欲望すら叶えることができない君たち程度に、勝てるはずがない」

「そうかしら?」

 その直後、体育館中に大音声が響き渡る。

「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

『ウバッ……!?』

 薄紅色の光が弾けた。それは苛烈な勢いをもって、ウバイトールを圧倒していた。キュアグリフの“立ち向かう勇気の光”が爆発的な勢いで広がっていく。

「ばっ、バカな……!?」

 ダッシューが呻く。キュアグリフは今まさにその戒めから逃れようとしていた。ウバイトールのコードが今にも千切れそうなほど細くなっていく。

「はぁぁあああああ!!」

 そして、キュアグリフが気合いを入れた瞬間、コードがはじけ飛ぶ。

『ウバァアッ!!』

 引っ張るために力を入れていたウバイトールが後ろに倒れ込む。

 キュアグリフは追撃の手を緩めない。そのままウバイトールに近づき、千切れたコードを握ると、力一杯引っ張り、振り回しはじめた。

『ウバァアアアアアアア!?』

「はぁああああああああああああああああああああ!!」

 グルグルとウバイトールを振り回すキュアグリフと、一瞬目線が交錯する。その刹那にグリフの意志を読み取ったユニコは、厳かに頷いた。

「……ダッシュー。私たちは生徒会選挙には負けたけど、あなたたちには負けられないのよ」

「ッ……」

「ユニコ!」

「ええ! 来なさい! グリフ!」

 グリフが勢いをつけ、コードを放す。散々振り回され目を回しているウバイトールが、まっすぐ、ユニコに向け放たれる。

「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ! プリキュアに力を!」

 ユニコは迫るウバイトールに向け駆け出した。“守り抜く優しさの光”がそれに追随し、神獣ユニコーンの姿を形作る。



「プリキュア・ユニコーンアサルト!」



 ウバイトールに向け放たれた神速の突きは、過つことなく欲望の闇を打ち貫く。


『ウバッ……ウバァアアアアア……』

 ウバイトールはさらさらとそのカタチを崩していく。そして黒々とした欲望の塊は霧散し、世界に色が戻る。

「いずれ世界は闇に墜ちる。欲望に飲み込まれる。君たちがやっていることは、それを少しだけ先延ばしにしているだけに過ぎない」

 ダッシューが言う。

「欲望に抗うことはできない。人は、やりたいことしかできないのさ」

「私には、それがあなたの言い訳にしか聞こえないわ」

「っ……」

 ユニコの応えに、ダッシューは歯がみして、消えた。ユニコとグリフも変身を解き、元の姿に戻る。

「……ゆうき。話が途中だったわね」

「ん?」

 微笑む親友に、めぐみはそっと笑いかけた。

「あなたがいなければ、私は生徒会選挙に出ることもなかったでしょうし、こんなに選挙をがんばることもできなかったわ」

「だ、だから、そんなことないって……」

 恥ずかしそうにはにかむゆうき。その親友の姿がただただ愛おしくて、めぐみはおずおずと、ゆっくり、ゆうきに抱きついた

「これからも、私の親友でいてね。ゆうき」

「もちろんだよ! わたし、ずっとめぐみの大親友だよ!」

 ゆうきが、そんなめぐみに応えて、めぐみを抱きしめ返してくれたことが、何より嬉しかった。

 ふふ、えへへ、と笑い合う。

 ダッシューの言うようなことにはきっとならない。

 だって、この世界はこんなにも明るくて、色に溢れているのだから。



「――こんなところにいたのか。探したよ。大埜さん、王野さん」



「ひゃっ」

「きゃっ」


 唐突にかけられた言葉に、めぐみとゆうきは慌てて離れる。

「……っと、ひょっとしてお邪魔だったかな」

「お、お邪魔って何!? って、騎馬さん?」

「いや、私の見間違いでなければ、抱き合っているように見えたから。すまない。他言はしない。恋愛に節度は必要だが、自由ではあるべきだ」

「どんな勘違いをしているのかしらないけど違うからね!?」

 体育館の入り口に、とても同い年とは思えない、大人びた少女が立っている。はじめは冗談だよ、と笑いながらふたりにゆっくり歩み寄る。

「ど、どうかしたの? 私たちを探していたみたいだけど……」

「先ほど、選挙管理委員会から、正式に得票数の内訳のデータを頂いた。君たちにも見せておきたくてね」

 はじめはめぐみとゆうきの前に立つ。

「まったく恥じ入るような気持ちだよ。前生徒会長の先輩の助力を得ながら、私の得票数と大埜さんの得票数にほとんど差が見られなかったのだからね。正式な政治の場であれば、ともすれば再投票になっていたかもしれないよ」

 はじめはやれやれと笑う。その顔は、少し悔しそうに、めぐみには見えた。

「実質的に私の負けのようなものだ。全く、悔しくて仕方ないよ。そして、君たちのすごさに感服するばかりだ」

「そんな、言い過ぎよ。騎馬さんが勝ったのだから、もっと誇るべきだわ」

「……うん。そう、そうなのだろうな。いや、すまない。ヘンな話をしてしまった。こんな話を、他の生徒会のメンバーや、クラスメイトの皆に話すわけにはいかなくてね。なんとも情けないことだ。私は君たちに甘えてばかりいるな」

「そんなことないと思うけど……」

 自分に厳しすぎはしないだろうかと訝しむめぐみをよそに、はじめは気が抜けたように笑う。

「なんにせよ、いい立ち会い演説会だった。ふたりとも、本当にいい演説だったよ」

「あ、ありがとう……」

 はじめが手を差し出す。めぐみはその手を握り返しながら、はじめの澄んだ真っ直ぐな目を見つめ返す。はじめはゆうきとも握手をすると、言った。




「そして、これからもよろしく頼むよ。大埜副会長」



「え……?」

 そのはじめの言葉の真意を計りかねて、めぐみが聞き返す。

「聞き間違えかしら? 副会長?」


「ん? ひょっとして知らなかったのかい?」

 はじめが意外そうな顔をする。

「生徒会副会長はふたりいるんだ。毎年、ひとりは選挙で、もうひとりは新生徒会長が選任するんだ。そして、その選任枠は毎年、生徒会長選挙で落選した人になるのが慣例なんだ」

 そんなことはまったく知らない。誉田先生にも言われていないし、他の誰も教えてはくれなかった。

 はじめは真っ直ぐめぐみを見つめた。そして、おずおずと、めぐみの手を取った。

「もちろん私は君に副会長をお願いしたい。慣例ではあるけれど、それ以上に、私は君にやってもらいたいんだ。頼まれてくれるだろうか、大埜さん」

「え、あ、えーっと……」

 ついついゆうきの方を見てしまう。ゆうきは本当に嬉しそうな顔で、うんうんと頷いてくれた。

「……うん」

 めぐみはだから、安心してはじめの手を握り返すことができた。

「私からも、よろしくお願いします。精一杯がんばるわ」

「ああ。一緒にこの学校をより良くしていこう」

 はじめは今度はゆうきに向き直った。

「王野さん」

「は、はい!」

 唐突に目を向けられ、ゆうきがびくりと身体を震わせる。

「私には新生徒会の庶務2名の任命権もあるんだ。王野さんも生徒会に入らないかい?」

「へ?」

「生徒会の庶務を、君にお願いしたいんだ」

「わ、わたしが生徒会!?」

「ゆうきが!? 正気なの!?」

 ゆうきが驚きの声をあげ、それとほぼ同時、めぐみも大きな声を上げてしまう。直後、ゆうきがめぐみをじろりと見る。

「……めぐみ、今のはちょっと失礼じゃない?」

「あ、あははは……」

 めぐみは笑って誤魔化すしかない。


「王野さん、君のように、友達のことを考えて一所懸命がんばることができる人が、生徒会には必要だ」

 ふたりの様子を知ってか知らずか、はじめが熱く続ける。

「生徒会の一員として、学校のために一緒にがんばってほしいんだ」

「あー、でも、わたし、不器用だし、ドジだし、失敗ばっかりだよ?」

「それでも、君の様子を見ていれば、君が懸命にがんばることができる人だというのはわかる。私には、それだけで十分だよ」

「わ、わたしは……」

 ゆうきはまるで、やってはいけない理由を探しているようだった。

「さっきも言ったでしょ。あなたがいなければ、私はここまで来られなかったわ」

 だからめぐみは、そっとゆうきの肩を叩いた。

「私もあなたと一緒なら心強いわ」

「…………」

 ゆうきがめぐみの目を見る。めぐみは真っ直ぐにその目を見返して、頷いた。

「……うん。わたし、がんばるね。庶務、やらせて」

「本当かい!? 嬉しいよ。ありがとう!」

 はじめは本当に嬉しそうにめぐみとゆうきの手を取って、ぶんぶんと振る。年上にしか見えなかった少女が、今ばかりは、同い年の女の子に見える。それもまた、クラスメイトには見せられない、子どもっぽい素のはじめなのかもしれない。

(騎馬さんって、少し私と似てるかもしれないわね)


…………………………

 そんな三人の様子を、ラブリたちは物陰から見つめていた。

「負けたのに、めぐみもゆうきも嬉しそうレプ」

「負けても精一杯がんばったから、あんな風に笑えるグリ」

「レプ? がんばっても、負けたら意味がないレプ」

「ラブリにもいつか分かるニコ」

 ラブリは、確信に満ちたブレイとフレンの表情の意味がわからなかった。

 その答えを自分自身が持っていることに、まだラブリは気づいていないからだ。

(負けたら意味がない。それをわかっているのに、どうして……)

 ラブリは胸に手を当てた。

(どうして、こんなに胸がドキドキするレプ?)

 三人の人間の様子を見つめていると、胸が高鳴ることが、まったくもって、不可解だった。


…………………………

「……ふぅ」

 めぐみとゆうきと別れて、はじめは教室に戻る廊下の途中、周囲に誰もいないことを確かめてから、そっと息をついた。

「どうもあのふたりと一緒だと、ついつい甘えてしまうな……」

 家でも、学校でも、あんな自分を出したことがあっただろうか。少なくとも、中学生になってから、嬉しい気持ちをあんなに子どもっぽく発露したことはなかったように思う。

「私は騎馬家の跡取りなのだから、もっとしっかりしなければ……」

 それがはじめの矜持だから、はじめは気持ちをきゅっと引き締める。

 引き締めた、つもりなのだけれど。



「……おめでと」



 それは、教室に向かう廊下の途中でかけられた言葉だった。

「あ……鈴蘭」

「っ……」

 カバンを持ち、帰る途中だったのだろう。廊下の隅に立っていた鈴蘭は、恥ずかしそうに、悔しそうに、目を伏せた。

「……べつに、あんたにこれを言うために待ってたわけじゃないから」

「えっ、あっ……えーっと」

 はじめは、鈴蘭にかけられた言葉の意味を反すうする。

「……私に、おめでとうを言うために、待っててくれたのかい?」

「!? だ、だからそうじゃないって今言ったでしょ!?」

「あ、そ、そっか……」

 ゆっくりと浸透していくように、はじめの心の中に、鈴蘭の言葉の意味が入っていく。

「……ありがとう、鈴蘭」

「ふん。べつに、こういう社交辞令も必要だって、勉強しただけよ」

「それでも嬉しいよ」


 頭をよぎったのは、先ほど、めぐみとゆうきと話をする前。見つけたふたりが、抱き合っていた姿だ。

 はじめは周囲を見回す。大丈夫。誰もいない。少しくらい、いいだろう。

「……ねえ、鈴蘭」

「何よ」

 はじめは、ガバッ、と鈴蘭に抱きついて、頬ずりした。

「はぁ!? ち、ちょっとあんた、何すんのよ!?」

「ごめん。本当に、嬉しくて嬉しくて仕方ないんだ」

「せ、生徒会長になれたくらいで、そんなに喜ばなくてもいいでしょ!」

「それだけじゃないよ。鈴蘭が、わざわざ私を待っていてくれて、おめでとうって言ってくれたのが、すごく嬉しいんだ」

「はぁ!?」

「なんか、懐かなくて苦労した猫が、甘えてくれたような嬉しさが……」

「あんたあたしのことをなんだと思ってるわけ!?」

 鈴蘭の動揺する声に耳を傾けながらも、はじめは鈴蘭を放さなかった。


…………………………

「……し、仕方ないヤツね」

 彼女は、そんな同級生を突き飛ばすことも、引き剥がすこともしなかった。

(コイツ、格闘技かなんかやってるのね。こんなの、この姿じゃどうにもできないわ)

 その心の中の声は、ただの言い訳だ。けれど、その言い訳をいなければ、彼女は彼女でいられない。

 だって、そうだろう。

 ただのどうでもいい同級生に抱きつかれて、心がドキドキと高鳴るなんて。

 そんなの、彼女に認められるはずもないことだから。

 その胸の高鳴りを、心地良いと思っているなんて、認められるはずもないから。

「い、いつまでくっついてるつもりよ」

「うーん、もう少しだけ……」

「……ふん。ほんと、仕方ないヤツ! あんたみたいなのが生徒会長になるのね!」

「ごめん。でも、ありがとう」

 周囲からの尊敬を一身に浴びる彼女が、自分にだらけきった姿を見せていることが。

「ほんと、仕方ないんだから」


 嬉しい、なんて。


 そう思っているなんて、認められるわけが、ないから。


…………………………

 ゆうきが教室に戻ると、教室はほとんど空っぽだった。ひとりがボーッと席に座ったまま窓の外を眺めているくらいだ。そのひとりは、ゆうきが教室に入った瞬間、ゆっくりとこちらを向き、ゆうきを認めた瞬間、ホッとした顔で笑った。

「ゆうき」

「あきら? まだ帰ってなかったんだ」

「うん。ゆうきのカバンがまだ残ってたから……」

 ゆうきの幼なじみの美旗あきらだ。

「応援演説、ちゃんと聞いてたよ。すごかったね」

「わー、ありがとう! 嬉しいよ! 少し恥ずかしいけど……」

「昔のゆうきからは想像できないよ。変わったんだね、ゆうき」

 あきらは嬉しそうに、けれど少し寂しそうに言った。

「あきら……?」

「ううん。なんでもない。ねえ、ゆうき、一緒に帰らない?」

「えっ、あー、えーっと……」

 ゆうきが逡巡していると、めぐみが教室の入り口からヒョコッと顔を出した。

「ゆうき? 誰かいるの?」

「大埜さん……」


「美旗さん?」

 あきらが目を伏せる。ゆうきには、あきらがどうしてそんなに悲しそうな表情をするのか、わからなかった。

「ごめん、あきら。この後、めぐみの副会長就任のお祝いなの」

「そっか……。うん、わかった。また今度ね」

「うん。また今度ね、あきら」

 あきらはカバンを持つと、立ち上がった。そして、めぐみの前まで行くと、言った。

「大埜さん、選挙、お疲れ様でした。副会長、がんばってね」

「ありがとう、美旗さん。嬉しいわ」

「……それじゃ、また明日」

「ええ。また明日。さようなら」

「ゆうきも、また明日」

「うん。ばいばい」

 ハッとする。教室から去る瞬間、あきらの横顔、その目尻に、涙が見えた気がしたのだ。

「あきら……?」

「どうしたのかしら、美旗さん。あまり体調が良さそうに見えなかったけど……」

「うん……」

 めぐみと同様、ゆうきも心配だ。

「うーん……」

 ゆうきは、あきらが消えた教室の出口を見つめる。

「一緒に来る? って誘えばよかったな……」


…………………………

 その日は、そのまままっすぐ家に帰った。

 本当は、久久にゆうきと色々なところに寄り道して帰りたかった。

 あきらは自室に入ると、そのままベッドに倒れ込んだ。

「あきら……?」

「ただいま」

 暗闇から響く声に応じる。声の主――ロイヤリティの情熱の王女、パーシーはベッドを歩いて近づいてくる。

「大丈夫ドラ……?」

「うん。大丈夫だよ」

「でも、なんか辛そう、ドラ。あきら、悲しいドラ……?」

「……どうかな。どうなんだろ。わかんないや」

 ぽふ、と。頭にやわらかい手が当たる。きっと撫でてくれているつもりなのだろう。

「あきら、一体どうしたドラ?」

「……ゆうきとね、一緒に帰りたかったの」

 あきらはポツポツと話し始めた。

「ドラ」

「でもね、断られちゃった。大埜さんと約束があるんだって」

「ドラ……」

 きゅっと、あきらの頭を抱きしめるように、小さな身体が密着する。

「どうしてだろう。日記とか詩ならいくらでも想いの丈を書けるのに、どうして口に出して言うことが、こんなに怖いんだろう」

 気づけば、情けなさと悲しさで、目がうるんでいた。

「わたし、ダメな子だよ。大埜さんに嫉妬してるんだ。ゆうきを取られたって、そんな風に思ってるんだ」

「あきらはダメな子なんかじゃないドラ。パーシーを守ってくれている優しい人ドラ」

 声はか細くて、今にもかき消えてしまいそうなほどだ。けれど、その優しさがただただ暖かい、そんな声だった。


「あきらの書く詩、大好きドラ。あきらがとても良い子で、優しいって、分かるドラ。あきらはすごいドラ」

「でも、わたしはまだ、情熱的な人を見つけられてないよ」

 それは、その小さな王女様との約束だった。けれど、その約束を、あきらはまだ果たせていない。

「……いいドラ。あきらにがんばってもらっても、きっと、無理なんだドラ」

 そんなこと言わないで、なんて、言うのは無責任だろうか。

 あきらはむくりと身をもたげ、震える小さな身体を抱きしめた。

 伝えたい言葉はたくさんある。それなのに、その言葉はなかなか口から出てこない。

 腕の中で震えるパーシーが何を考えているかなんて、あきらには分からない。

 気休めと分かっていて、それを伝えるのが正しいことかも分からない。

 きっと、ゆうきに対しても同じ事をしている。

 あきらが伝えなければ、ゆうきには伝わらない。ゆうきに伝わってほしい気持ちがたくさんあるのなら、それをカタチにしなければ、絶対にゆうきには伝わらないのに。

(でも、わたし、怖いよ……)

 あきらは小さな命をぎゅっと強く抱きしめる。その温かさが、ただただ心地良かった。

 そして。

「パーシーはあきらと一緒にいるドラ」

「……うん。ありがとう、パーシー」

 あきらは言った。

「わたしも、パーシーとずっと一緒にいるよ」


…………………………

「ふふ。さてさて、プリキュアたちには散々煮え湯を飲まされたが、時は満ちたかな」

 美旗家の外、上空からそんなふたりを眺める影がひとつ。

「情熱の王女パーシー。紋章とブレスはぼくがいただく」

 世界は少しずつ闇に傾きつつある。小さな光が何度闇の欲望を倒そうと、希望の世界ホーピッシュは少しずつ確実に、闇に墜ちつつある。

 光の世界ロイヤリティは闇に墜ちた。

 アンリミテッドの欲望は、それでもなお、果てることはない。


…………………………

「それでは、大埜めぐみの副会長就任を祝って、かんぱーい!」

「「「かんぱーい!」」」

 カンコンと、アイスティーのグラスが音を立てる。

「みんな、本当にありがとう」

 かんぱいの直後、めぐみが三人に頭を下げた。

「みんなのおかげで私はここまでやれたわ。得票数も騎馬さんに匹敵する数だったらしいわ」

「ふふふ、その通りだよめぐみクン。もっとあたしを敬うといいよ!」

「調子に乗るな、ユキナ」

「あ痛ぁ! ひどいよ有紗!」

 胸を張るユキナを、有紗が小さく小突く。

「私たちは友達のためにできることをしただけだよ。めぐみ、残念だったけど、それでも、副会長就任は、本当におめでとう」

「ええ。ありがとう」

 ユキナと有紗の言葉に、めぐみは笑ってお礼を言う。ユキナと有紗の前でも、素のめぐみが出ていることが、ゆうきにとっては嬉しいことだった。

「あら、めぐみちゃん、生徒会の副会長になったの?」

 四人がかけるテーブルに、ひなカフェの店長、ひなぎくさんが現われた。

「そうなんです。会長にはなれなかったけど……」

「でも、すごいことじゃない。じゃあ、お姉さんからもお祝いしなきゃね。このクッキー、試作品なのだけど、サービスしちゃうわね」

「わー! めちゃくちゃ美味しそー!」

「すみません、ありがとうございます」

「いえいえ。ふふふ、ゆっくりしていってね」

 ひなぎくさんは焼きたてであろう、まだ湯気を立てるクッキーを置いて、にこやかに立ち去った。

 とても楽しい時間だけれど、ゆうきの心の中には、小さな棘が刺さったままだった。

(最近、あきらとあまり話してないなぁ。誘いも断ってばかりだし、せっかく同じクラスになれたのに、悪いことしてばかりだ)

「ゆうき? どうかした?」

「えっ? あ、ううん。なんでもないよ」

 不思議そうなめぐみにそう返すと、ゆうきはアイスティーを口に含んだ。

(……明日、遊びに行こうって誘おうかな。わたしもあきらとお喋りしたいことたくさんあるし)


…………………………

「ふふ。めぐみちゃん、いい顔で笑うようになったわね」

 彼女は、カフェの奥でひっそりと祝賀会を上げる少女たちを眺めながら、そっと呟いた。

「うちの鈴蘭ちゃんも、同じように笑ってくれると嬉しいのだけど」

 噂をすれば影、というわけではないのだろうけれど。

「あら……?」

 店のガラスの向こう、道を歩くダイアナ学園の女子生徒は、鈴蘭だ。裏から二階の自分の部屋に向かうのだろう。その顔は、困惑するような、嬉しそうな、どこかボーッとしたような、色々な感情がない交ぜになったような表情を浮かべていた。

「……鈴蘭ちゃんもあんな顔をするのね」

 彼女はだから、嬉しくて、笑った。

「良いお友達でもできたのかしら。今晩、聞いてみようかしら」

 ニッと笑う。その笑顔は、何の裏表もない、本物の笑みだ。




「大丈夫。鈴蘭ちゃん、あなたの抱える闇は、そんなものじゃないはずよ」




 その清々しい笑顔のまま、彼女はそう言った。

「ふふ。これからが楽しみだわ」


 次 回 予 告

ゆうき 「と、いうことで、めぐみ、副会長就任おめでとう!」

めぐみ 「ありがとう。ゆうきも、庶務就任おめでとう!」

ゆうき 「うん! 精一杯がんばろうね! わたしも足を引っ張らないようにがんばるよ!」

めぐみ 「後ろ向きすぎないかしら!?」

ゆうき 「ファイル倒してめぐみに怒られないようにがんばるよ!」

めぐみ 「あなたひょっとして1話のことまだ根に持ってるの!?」

ブレイ 「……はぁ。まったく、最近あのふたりが次回予告で仕事をしないね」

フレン 「仕方ないわね。嬉しいんでしょ、色々と」

ラブリ 「まったく。理解しがたいがね」

ブレイ 「さて、次回のファーストプリキュア!」

フレン 「第13話【燃える情熱! それは紅蓮のプリキュア、キュアドラゴ!】」

ラブリ 「次回もお楽しみに」

フレン 「また来週! ばいばーい!」

>>1です。
読んでくださった方、ありがとうございます。
来週は所用により投下できません。
また再来週、よろしくお願いします。


ゆうき 「ゆうきと、」

めぐみ 「めぐみの、」

ゆうき&めぐみ 「「なぜなに☆ふぁーすと!」」

めぐみ 「なんだかすごく久しぶりな気がするわね」

ゆうき 「気がするんじゃなくて本当に久しぶりなんだけどね……」

ゆうき 「まぁ、それはそれとして、気を取り直してやっていきましょう」

ゆうき 「『キャラクターが増えてきて把握するのが大変』、という声を頂きました!」

めぐみ 「と、いうことで、今までに登場したメインキャラクターの簡単な紹介をさせてもらうわね」


☆希望の世界ホーピッシュ(人間界)

○王野(おうの)ゆうき
 勇気のプリキュア、キュアグリフに変身する。とてつもない怪力を発する“立ち向かう勇気の光”を持つ。おっちょこちょいでドジをやらかすことが多いけど、クラスメイトたちから頼られることが多い。家事全般大得意だけど、勉強や運動は苦手。生徒会選挙でのがんばりがはじめの目にとまり、生徒会庶務に専任される。

○大埜(おおの)めぐみ
 優しさのプリキュア・キュアユニコに変身する。“守り抜く優しさの光”を持つ。成績優秀で何でもできるが、人付き合いが苦手で、冷淡な性格だと勘違いされることが多い。口下手で、余計なことを言って悪気なく相手を傷つけてしまうことも。生徒会長には落選するが、はじめから副会長に任命される。

○栗原有紗(くりはらありさ)
 ゆうきたちのクラスメイト。演劇部。ユキナといつも一緒にいる。夢はドラマ・映画・舞台女優!

○更科(さらしな)ユキナ
 ゆうきたちのクラスメイト。演劇部。有紗といつも一緒にいる。夢は歌って踊れるアイドル女優!

○美旗(みはた)あきら
 ゆうきたちのクラスメイト。ゆうきの幼なじみ。ゆうきがアンリミテッドとの戦いに悩んでいたときにアドバイスをしたことがある。引っ込み思案で無口。知らない人と話をするのが苦手で、ゆうきが唯一の友達。ロイヤリティの情熱の国の王女、パーシーを人知れず保護している。

○騎馬(きば)はじめ
 ゆうきたちの隣のクラス、2年B組の生徒。名家騎馬家の跡取りで、自他共に認める文武両道の超人。新生徒会長で、選挙ではめぐみと票を争った。鈴蘭の唯一の友達。

○十条(じゅうじょう)みこと
 はじめのクラスの生徒。はじめの友達で、生徒会副会長。美術部に入っていて、絵を描くのが上手。

○後藤鈴蘭(ごとうすずらん)
 はじめのクラスに転入してきた少女。血色が悪く腕も足も細い。漆黒の瞳の眼光は鋭い。人付き合いをしようという気持ちが希薄で、クラス内でも少し浮いている。はじめが唯一の友達。

○誉田華(ほんだはな)先生
 ゆうきたちのクラスの担任。優しいが、厳しいときは厳しい先生。怒ると怖い。生徒たちから好かれているが、本人も生徒たちのことが大好き! 

○皆井浩二(みないこうじ)先生
 はじめたちのクラスの担任。

○郷田篤志(ごうだあつし)先生
 新しくダイアナ学園に赴任した体育の先生。筋骨隆々で厳めしい顔をした先生で、口数が少ない。

○蘭童シュウ(蘭童シュウ)
 新しくダイアナ学園に赴任した主事兼庭師。スマートなイケメンで、赴任して早々に女子生徒からの人気を獲得している。


☆光の世界ロイヤリティ

○ブレイ
 本名ブレイ・ブレイブリィ。光の世界ロイヤリティの勇気の国の王子様で、“未来へ導く勇気の王子”。モコモコの妖精。“弱虫ブレイ”というあだ名を持つが、勇敢になろうと日々がんばっている。

○フレン
 本名フレン・フレンドリィ。光の世界ロイヤリティの優しさの国の王女で、“未来を守る優しさの王女”。モコモコの妖精。冷血でヒステリックに見えるが、優しさをうまく表現できないだけで、心根は優しく温かい。

○ラブリ
 本名ラブリ・ラブリィ。光の世界ロイヤリティの愛の国の王女で、“未来を育む愛の王女”。モコモコの妖精。冷淡でブレイやフレンたちから苦手意識を持たれていたが、和解した。ゆうきたちと行動を共にしている。

○パーシー
 光の世界ロイヤリティの情熱の国の王女で、“未来を灯す情熱の王女”。ホーピッシュに降り立ったときにはすでにブレイたちとはぐれている。所在も安否も不明だったが、人知れずあきらに匿われている。



☆闇の欲望アンリミテッド

○暗黒騎士デザイア
 アンリミテッドの最高司令官にして最強の騎士。三幹部の上司にあたる。仮面をつけていて、その表情を窺い知ることはできない。単騎でプリキュアを圧倒し、必殺のロイヤルストレートをかき消すなど、凄まじい戦闘力を持つ。

○ゴーダーツ
 巨漢の幹部。プリキュアたちに敗北を繰り返したことにより、自身を見つめ直し、剣を用いて戦うようになる。凄まじい剣技でプリキュアを圧倒する。

○ダッシュー
 細身の男の姿をした幹部。姑息な手段を用いることを厭わず、奇襲や言葉による攪乱を平然と行う。剪定用のノコギリやハサミを投擲して戦う。

○ゴドー
 情緒不安定な少女の姿をした幹部。ヒステリックで気分屋で、アンリミテッドの誰より欲望に忠実。戦闘能力はそれなりだが、デザイア以上の闇を持つとされる。


ゆうき 「……っていうことで、一応今日のお話までで登場するキャラクターの紹介だよ!」

めぐみ 「多いわね」

ゆうき 「うん。端的にばっさり切り捨ててくれてありがとうめぐみ」

ゆうき 「キャラクターが多くて申し訳ないけど、このレスを参考にしてくれると嬉しいな」

ゆうき 「またキャラクターが増えたりキャラクターの立場が変わったりしたら更新するよ!」

めぐみ 「では、そんなところで、本編スタートよ!」


ファーストプリキュア!
第十三話【燃える情熱! それは紅蓮のプリキュア、キュアドラゴ!】


 数週間前、ダイアナ学園、始業式の放課後のこと。

「はぁ……」

 あきらはあまり学校帰りに寄り道をするタイプの中学生ではない。しかしその日は、大好きな作家さんの新刊の発売日だ。本当なら幼なじみのゆうきと一緒に商店街を回って、一緒に本屋をめぐり、一緒にお茶でもして……なんて考えていたのだけれど、当のゆうきは学級委員に選ばれてしまい、放課後に早速仕事にかり出されてしまった。せっかく同じクラスになれたのに、と寂しい気持ちはあるが、仕方がないだろう。

 本を買って、商店街を後にする。自宅に歩を進めていると、ふと違和感が頭をよぎった。

「なんだろう。空が暗い……?」

 それはとても異様な光景だった。まるで、世界全体をモノクロに落としたようだった。極限までコントラストを落としたかのような世界は、人気をまるで感じない。まるで、ゴーストタウンにあきらひとり取り残されたかのようだった。

「な、なに……? これ、一体……」


『ウバイトォオ……オオ……オオオオル』


「へっ……?」

 遠くから、何かの雄叫びのような声が聞こえた。それは明らかに人間が発したような声ではなかった。遠く遠く、本当に遠くからの声だけれど、それを聞いて、あきらは真っ先に怪物という単語を思い浮かべた。ホラー小説は嫌いではないけれど、本当にホラーな状況に巻き込まれるわけにはいかない。あきらはどうしたものか考えながら、とにかく自宅へと急いだ。

 と――、

「――ドラァアア……!」

「ひぁ……!?」

 頭上からうめき声が聞こえた。それはどこか可愛らしい声だったのだけれど、状況を把握しきれていないあきらには、恐ろしい怪物の雄叫びと同じように、驚くべきものだった。

 コテン、と。

「ひゃっ!!」

「ドラっ!?」

 あきらの頭にポコンと何かやわらかいものが当たった。とっさにしゃがみ込み目をつむるあきらのすぐ近くに、ポコン、と、そのやわらかい何かは落ちたようだった。

「な、なになになに……。なんなの……?」

 涙目になりながら、そっと目を開く。目の前には、モコモコのぬいぐるみが落ちていた。


 ぬいぐるみといえばホラー作品ではよく使われる舞台装置だ。あきらは叫び声を上げそうになるのを必死でこらえ――

「――た、助けて、ドラ」

「きゃっ、きゃああああ!!」

 こらえきれずにたまらず叫んでしまう。致し方ないことだろう。だって、ぬいぐるみが喋るなんて、誰に想像できようものだろうか。

「ど、ドラ。びっくり、させないで、ほしい、ドラ」

「こっ、こっちの台詞だよ。いきなり喋らないでよ」

 よく見て見れば、可愛らしいぬいぐるみだ。ホラー小説に出てくるようなぬいぐるみではなく、どちらかといえばローファンタジーにでも出てきそうなぬいぐるみだ。あきらは幾分か落ち着いて、そのぬいぐるみに歩み寄った。

「あ、あなた、喋れるの?」

「? もちろん、ドラ」

 ふわふわの身体に、もこもこの翼。頭に生えているのはトサカだろうか。口元から見え隠れする牙……というにはあまりにも可愛らしい、八重歯。あきらを見つめる目はくりくりと、少し怯えるように潤んでいる。

「あなた、名前は?」

「ドラ? パーシー、ドラ」

「パーシー……。わたしはあきら。美旗あきらっていうの」

「あきら、ドラ……」

「…………」

 それが、お互い口数の少ないふたりの出会いだった。


…………………………

 時は戻って、生徒会選挙翌日のこと。

「新生徒会会長、騎馬はじめだ。学級は2年B組。趣味は各種お稽古事と勉強だ。これから一年間、どうかよろしく頼む」

「生徒会副会長の十条みこと。騎馬さんと同じく2年B組。美術部に入っています。趣味は絵を描くこと。将来の夢は画家。これからよろしくお願いします」

「同じく生徒会副会長を会長信任枠でやることになりました、2年A組の大埜めぐみです。趣味……は、えっと、特にないです。勉強も運動も好きです。よろしくお願いします」

 生徒会選挙明くる日の朝が、初の生徒会活動だった。とはいえ、各自が簡単な自己紹介をするだけの顔合わせのようなものだけだ。会長、副会長二人に続いて、書記一人、会計一人と自己紹介を進めていく。やがて、庶務のゆうきの番になった。

「は、ははは、はじめまして! 王野ゆうきです! えっと、趣味って言えるかわからないけど、家事全般大得意です! 炊事家事洗濯掃除何でもござれです! 特技は……えっと、えーっと……あっ! 三枚おろし! です! よろしくお願いします!」

 我ながらなんと情けない自己紹介だろうか。めぐみは頭を抱えているし、ゆうきのことを知っているはじめはからからと気持ちよく笑ってくれるが、もうひとりの副会長――ボブカットに猫を思わせるつり目が特徴的な、十条みことは目をぱちくりさせてゆうきを見ているし、書記、会計担当の一年生たちは一様にどう反応したものか考えあぐねているようだった。ゆうきは真っ赤になって、すごすごとめぐみの後に隠れた。

「庶務がもうひとり必要なんだ」

 自己紹介が済んだところで、一同にはじめはそう言った。

「生徒会は書類作成の仕事が多い。後世に残る大切な資料だ。それをすべて手書きで作るのだけど、書記ひとりだけじゃ大変なんだ。だから、字が上手な子が望ましいんだけど……」

 はじめは妙に様になる仕草で肩をすくめた。ゆうきははじめほど肩をすくめる動作が様になる同学年の女子に会ったことはない。

「あいにく、心当たりは皆部活で忙しい子ばかりでね。どうだろうか、大埜さんと王野さんの知り合いに、字が上手な子はいないだろうか」

「話は分かったけど、字が上手な子ねぇ……」

 めぐみが唸る。

「みんな、上手といえば上手だけど、女の子っぽい丸字が多いのよね」

「有紗は達筆だけど、演劇部で大忙しだしなぁ」

 ゆうきも考える。

「部活に入っていなくて、字が上手な子……。うーん」

 ふと、字が上手という言葉に引っかかる何かがあった。

「……あ」


「……? 心当たりがあるの、ゆうき?」

「心当たりって言っていいのかな」

 ゆうきははじめに向き直る。

「えっと、美旗あきらっていう、うちのクラスの子なんだけど……」

「ああ、美旗さんのことならよく知っているよ」

 はじめが言う。

「なにせ、一年の頃から、勝手に勉強のライバルに認定させてもらっているからね。もちろん、大埜さんもだけど」

「あ、わかるわ。私も騎馬さんと美旗さんに勝つのを目標に定期テストをがんばっているもの」

 勉強ができる人種というのは、みんなこういう感じなのだろうか。定期テストといえば毎回赤点を回避することを目標としているゆうきとしては辟易とするものだが、ともあれ、だ。

「知っているなら話が早いよ。あきらとは幼なじみなんだけど、本当に字が上手なの。小学校の頃は毛筆・硬筆両方とも地域の代表だったんだよ」

「それはすごい。それに王野さんの幼なじみなら、間違いないだろう。手間をかけるが、王野さん、ぜひ美旗さんを生徒会庶務に誘ってもらえないだろうか」

 あきらのことを考える。あまり人前に立つのは得意な子ではないが、生徒会庶務ならば、きっと快く引き受けてくれるに違いない。ふと、思い出す。このところ、あきらとすれ違ってばかりだったこと。それの埋め合わせというわけではないが、あきらと一緒にいられる時間が増えれば、ゆうきとしてもとても嬉しい。

「うん、わかったよ! 任せて!」

 ゆうきは胸をどんと叩いて承諾した。


…………………………

 自信満々にそう言い切ったものの、である。

「えー、今日はお家から連絡があって、美旗さんが体調不良でお休みだそうです」

 朝のホームルームの冒頭、誉田先生はそう言った。

「美旗さん以外はみんないるわね。誰か、明日美旗さんにノートを見せてあげてね」

 はーい! と元気よく返事をする良い子揃いのA組の面々の中、ゆうきだけは神妙な面持ちをしていた。

「あきらが休み……」

 休み時間、ゆうきが呟く。それを見て、めぐみが肩を叩いた。

「そんな渋い顔をしても仕方ないじゃない。生徒会に誘うのはまた明日にしましょう」

「いや、そうじゃなくてね」

 ゆうきが答える。

「あきら、あんまり学校を休む子じゃないんだよ。めがねをかけてて三つ編みでおとなしいから勘違いされがちだけど、小学校の遠足の山登りとか、毎回一番になっちゃうくらい体力があって、身体も丈夫なんだ」

「そ、そうなの? 意外ね」

「うん。あきらが体調を崩すなんて、わたし滅多に見たことないんだ」

 ゆうきは窓を見て。

「……心配だな。あきら、大丈夫かな」

「幼なじみなのよね。お家は近いの?」

「うん。なんてったって公園デビューからの付き合いだからね」

 ゆうきの返事を聞いて、めぐみが言った。

「じゃあ、午後、一緒にお見舞いに行くのはどう?」

「いいね! ついでにプリント類も持って行ってあげて、調子がそこまで悪くなさそうだったら、少し生徒会の話をさせてもらってもいいし」

「決まりね。今日の放課後は、ふたりで美旗さんのお宅に伺いましょう」

「うん!」


…………………………

 ズル休みではない。朝起きたときは少しだけ熱があった。それはお母さんだって知っているし、だからこそ学校にお休みの電話もしてくれた。

「……暇だなぁ」

 とはいえ、元々微熱程度でどうとなるようなヤワな身体ではないし、昼前に計り直した時点で熱はしっかりと平熱に戻っていた。あきら自身も分かっている。ゆうきとめぐみに会うのが怖くて、微熱を理由に、学校を休んだのだ。

「これじゃあ、ズル休みみたいなものだよね」

「そんなこと、ないと、思うドラ……」

 ズル休みをしているという自責の念に耐えられなくて、あきらは制服に着替えた。そんなあきらを見て、パーシー――ドラゴンのカドをとことんまで落として、ふわふわにしたようなぬいぐるみにしか見えない王女様――が、心配そうに言う。

「学校、行くドラ?」

「うん。今からじゃ6時間目からの参加になっちゃうだろうけど、行くよ」

「ドラ……」

 その心配そうな顔をよしよしと撫でて、あきらはカバンを手に取った。

「……あ、そうだ」

「ドラ?」

「パーシー、ずっとお留守番じゃ退屈でしょ? 一緒に学校、行ってみない?」

「ドラ!?」

 パーシーは驚きで目をまん丸にした。

「ぱ、パーシーが学校にドラ……?」

「そんな怖いところじゃないよ。パーシー、わたしと会ってから、わたしの家から出てないでしょ? 運動不足になっちゃうよ」

「で、でも、ドラ……」

「あと、情熱的な人も探せるよ。学校、行こ?」

「ドラ……」

 パーシーはしばし逡巡するような顔をしたが、やがて顔を上げ、小さく不安げに頷いた。

「よろしく、お願いします、ドラ……」

「うん!」

 あきらはにこりと笑って頷いた。


…………………………

 この世界の日差しは嫌いだ。

 ポカポカと暖かくて、昔のことを思い出してしまうから。

「ふぅ……今日はこのくらいでいいかな」

 このダイアナ学園の中庭は、しばらく専門の業者が入っていなかったというだけあって、彼が直すところばかりだった。彼が赴任して数週間が経って、ようやく彼の思うとおりの庭を作る、基礎ができてきた。

「ま、どうでもいいことだけどね」

 彼はそれだけ言うと、剪定のための道具一式を倉庫に片付けた。彼には今まさに、成さなければならないことがあるからだ。

「あら、今日はもう終わりなの?」

「っ……!?」

 背後から声がかけられる。慌てて振り返ると、そこにはとぼけた顔をした、質素な風体の女性が立っていた。質素な格好ではあるが、スタイルから顔立ちまで、恐ろしいほどに整っていて、どこか気品すら感じさせる女性だ。

「……ひなぎくさんでしたか。パンの販売ですか」

「ええ。今日から、自家製のクッキーと紅茶、コーヒーの販売もするわ。シュウくんもぜひ来てね」

「相変わらず商魂逞しいことですね」

 彼は片付けを終え、ひなぎくさんに向き直った。

「残念ですが、今日は午後から休暇を頂いているんです。少し、用事があるもので」

「そう?」

 彼女はにこりと笑う。すっと、彼に避ける暇も与えず近づき、耳元で囁く。



「焦ってはダメよ? しっかりとやりなさい」



 空気が変わったように彼には思えた。顔は笑ったままだが、声はどこまでも冷たい。それは、彼が恐れる上司そのものだ。

「……ふん。やはり、あなたはぼくの動向を把握していたのですね」

「ふふ。だって私はあなたの家主だもの。当然よ」

「あなたに言われるまでもない。後藤さんのようなヘマをするつもりはありません」

「そう。安心だわ」

 ひなぎくさんはゆっくりと彼から離れた。

「安心して。もしもゆうきちゃんたちが向かっても、私が止めるわ」

「……御自ら出撃されるのですか」

「全力を出すつもりはないわ。ただ足止めをするだけよ」

 ひなぎくさんはそう言うと、身を翻し、ひらひらと手を振った。

「それじゃ、がんばってね、シュウくん」

「……ええ。ひなぎくさんも、パンの販売、がんばってください。紅茶とクッキーも売れたらいいですね」

「ありがと」

 その姿は、本当にただの学校に出入りする業者さんだ。それでも、その内に内包する闇は、彼を遙かに凌駕する。

「……ふん。ただの腑抜けになったようではなくて、安心したよ」

 彼はニヤリと笑う。

「どういう風の吹き回しか分からないけど、協力してくれるというのなら、利用させてもらうだけさ」

 ドクン、と。胸に隠してあるエスカッシャンが胎動する。

「……おや、王女様はお出かけになるのかな。都合がいいことだ」


…………………………

「パーシー、大丈夫?」

「ドラ……」

 カバンの中に入っている王女様の返事は、いつも以上に元気がない。まだ外に出て数分だというのに、出会って以来出たことのないあきらの部屋の外の景色に気後れしているのだろう。

「しょうがないなぁ」

「ドラ?」

 ひょいと、パーシーをカバンから抱き上げる。周囲に人はいないし、いたとしてもぬいぐるみだと言えば大丈夫だろう。あきらはパーシーを胸元で抱きしめた。

「こうした方が外も見やすいでしょ? そんなに怖いところじゃないんだよ、この世界……えーっと……」

「ホーピッシュ、ドラ」

「そうそう、ホーピッシュ」

 パーシーは恐る恐るといった様子で、あきらに抱きかかえられたまま、周囲を見つめる。

「明るい世界ドラ……」

「そうなのかな。パーシーが住んでた世界は違うの?」

「よく、覚えていないドラ。でも、こんなに……自由な気持ちは、初めてドラ」

「自由?」

 パーシーは暗い表情を浮かべていた。

「……きっと、パーシーたちが、悪かった、ドラ。パーシーたちが、もっと、きちんとしていたら、ロイヤリティは、もっと自由な場所になっていた、ドラ。滅ぶこともきっと、なかったドラ……」

 あきらは、パーシーからロイヤリティがアンリミテッドに飲み込まれた話を聞いている。そして、ホーピッシュがいずれは、ロイヤリティと同様、アンリミテッドに飲み込まれるであろうということも、知っている。それを防ぐために、またロイヤリティを復活させるために、パーシーが情熱にあふれる人を探しているということも知っている。

「パーシー、きっと大丈夫だよ。情熱にあふれる人を探し出して、伝説の戦士になってもらおう?」

「ドラ……。パーシーには、無理ドラ。パーシーは情熱の、国の王女なのに、情熱のじの字もないドラ。喋るのが苦手で、人と話すのが怖くて、こんなパーシーじゃ、きっと伝説の戦士なんて、生み出すことはできないドラ……」

「パーシー……」

 パーシーはとことんまで自分に自信がないようだった。こんなとき、どんな言葉をかけてあげたらいいのだろうか。あきらにはすぐには思い浮かばない。思いついたとしても、なかなかその言葉を口にしてあげることができない。それが正しいことか、わからないからだ。

「……情熱にあふれる人って、どんな人かな」

 あきらは話を変えるために、そう聞いた。

「わからない、ドラ。でも、きっとパーシーとは正反対な人、ドラ」

「……きっと、わたしとも正反対な人だろうね」

 慰めるつもりが、自分までダウナーな気分になってくる。あきらは顔を上げて、恨めしい気持ちで空を見上げた。どこまでも高くどこまでも明るい。


 ――その空が、一瞬にしてモノクロに染まった。


「ひゃっ……!」

「ドラ!」


 周囲を見渡す。パーシーが明るく自由と評したホーピッシュが、その明るさを失っていた。人の気配もない。まるで、世界からあきらとパーシー以外の生き物が消え去ってしまったようだった。

「これ、見たことある……。パーシーと出会ったときと同じだ」

「ドラぁ……」

 胸に抱くパーシーが震え出す。

「どうしたの、パーシー。大丈夫?」

「アンリミテッド、ドラ……」

「え……?」

「アンリミテッドの気配、ドラ。この気配は、知っているドラ……」

 パーシーの震えが大きくなる。

「あの日。ロイヤリティが消えた、あの日……。情熱の国の王宮で、パーシーは……アイツに……追われて……」

「パーシー! パーシー、しっかりして!」

 パーシーは縮こまり、両手で頭を抱えた。よほど怖いのだろう。

「パーシー、アイツって……」

「……アンリミテッドの欲望の戦士、ドラ。情熱の国に攻めてきた、幹部、ダッシュー……」

「ダッシュー……――」




「――……おや、王女様。ぼくのことを覚えていてくださったのですね。光栄です」




「!?」

「ドラっ……」

 人が消え去ったと思っていた街に、ただひとり彼だけが立っていた。

 背が高いというよりは、細いという印象だ。笑みを浮かべてはいるが、それはどこか人を小馬鹿にしたような、うすら寒い笑みだ。

「あ、あなたは……」

「ドラ……! あきら、逃げる、ドラ……!」

「パーシー……?」

「あれが、ダッシュー、ドラ……。闇の欲望に墜ちた、恐ろしい戦士、ドラ……」


「ご紹介にあずかり光栄です。パーシー・パッション王女閣下」

 ダッシューと呼ばれた細面の男は、腰の前に手を当て、恭しく頭を下げた。

「そして、初めまして、お嬢さん。最近はぼくの姿を見ても怯えることなく立ち向かってくる子どもばかりを相手にしていたから、君のその怯えた顔はとても新鮮だ」

「お、怯えてなんか……」

「手が震えているね。足もだ。そして、歯の根もかみ合っていないように見える」

「っ……」

 ダッシューの言ったとおりだ。震えているのはパーシーだけではない。パーシーを抱きかかえるあきらの手が、足が、そして口元が、震える。目の前の男が怖くて仕方がない。色を失った世界が、怖くて仕方がない。

「怖がる必要はない。この世界もいずれは闇に墜ちる。ロイヤリティと同じようにね。そうすれば何も感じない。怖がる必要もない。痛みもない。悲しみもない。皆がただただ闇の中にたゆたう、素晴らしい世界が待っているんだよ」

「そ、そんなこと、させない、ドラ……!」

 あきらの胸元で震えていたパーシーが、声を上げた。

「パーシーは、それを防ぐため、に、ホーピッシュに、やってきた、ドラ……!」

「たとえどうであれ、それはもう、無理です」

 ダッシューはうすら笑いを浮かべたまま続けた。

「だって、王女閣下の持っていらっしゃるプリキュアの紋章も、ロイヤルブレスも、ぼくが今から、いただくのですから」

「ひゃっ……」

 ぞわっと、背筋が泡立つようだった。何もかもを馬鹿にするような表情をしていたダッシューが、その瞬間、明確な敵意をパーシーに向けたのだ。あきらはパーシーを抱えたまま、尻餅をついた。

「おや、かわいそうに。お嬢さん、その王女様を置いてお逃げなさい。君はただ、ロイヤリティの王族に利用されているだけだ。この世界もいずれは闇に墜ちるが、それは今じゃない。束の間ではあるだろうけど、もうしばらくは、このホーピッシュで幸せを謳歌したいだろう?」

 考えるまでもないことだ。ゆっくりと歩み寄るダッシューが恐ろしくて仕方ない。ダッシューの言うとおり、パーシーを置いていけば、きっとダッシューはあきらを追うようなことはしないだろう。

「……あきら」

 手の中でパーシーが震える。不安げな瞳は、涙でゆらゆらと揺れている。

 これもまた、わかりきっていることだ。

 あきらは、手の中の暖かな王女を、置いてなど、いけない。

「……パーシー、逃げるよ。しっかり掴まって」

「おや?」

 あきらはパーシーをカバンに入れ、立ち上がると、身を翻し、駆けだした。

「……まったく、この世界の人間は、聞き分けの悪いことだ」

 あきらはすでに背を向けていたから、気づかなかった。

 ダッシューが、まるで獲物を追うハンターのように、酷薄に笑ったことを。


…………………………

(ゆうき、ゆうき)

「ひゃうっ!?」

 それは、六時間目の授業中の出来事だった。唐突にかけられた声に、ゆうきは驚いて声を上げてしまう。

「……どうしました? 王野さん?」

「あ、いえ……」

 数学科の初老の晴田先生が、優しげな目をゆうきに向ける。

「すみません。ちょっと、寝ぼけちゃって……」

「ほほほ、私の授業は眠くなりそうと話題ですからね」

「……ごめんなさい」

 晴田先生はゆったりとしたしゃべり方で、一見して眠くなりそうだが、実際にはたくみな話術で生徒を数学の奥深い世界に導くと有名な出来る先生なのだ――というのはおいておくとして、だ。

(ちょっとブレイ! 授業中に話しかけないでよ!)

(それどころじゃないグリ! どこかにアンリミテッドが現われたグリ!)

「ええっ!?」

「……王野さん?」

 再び晴田先生の目線がゆうきを向く。大声を出したのだから当然だ。

「す、すみません。何でもないです。集中します」

「はい、そうしてください」

 めぐみが離れた席で頭を抱えるのが見える。それでこそゆうき、と言わんばかりの顔でこちらに親指を上げるユキナの姿も見える。有紗は我関せず、というよりは、数学のノートに何か書き殴っている。大方、いまのゆうきのボケが、次の演劇に使えると思ってメモをしているのだろう。基本的に演劇部凸凹コンビのふたりは、授業に対してはあまり真面目ではない。

(アンリミテッドって、本当なの……?)

(間違いないグリ! フレンとラブリも感じているはずグリ!)

 ふたりはいま、めぐみのカバンの中に入っている。ゆうきの席から様子を伺うことはできないが、めぐみも同じようにフレンとラブリとこっそり話しているかもしれない。

(でも、いまは授業中だから、授業が終わったらね)

(グリ……。授業は大事グリ。仕方ないグリ)

 アンリミテッドのことは心配だが、ゆうきもめぐみもプリキュアである前に、女子中学生だ。ゆうきは特に、数学が大の苦手なのだから、授業を抜けるわけにはいかない。

(うぅ~、早く授業終わってよ~!)

 晴田先生のゆったりとした聞き取りやすい口調が、今ばかりは焦りを助長するようだった。


…………………………

 あきらは、必死で逃げた。

 その努力をあざ笑うかのように、逃げる先逃げる先に、ダッシューは待ち受けていた。

「どうしてそんなにがんばれるんだい?」

 ダッシューはあきらにそう問うた。

「体力には自信があるから。そう簡単に、わたしを捕まえられると思わないでほしい、です」

「そういうことじゃないんだよなぁ……」

 ダッシューは笑いながら、そう言った。

「どうして、そんなちっぽけな王女様を抱えて、苦しい思いをして、逃げ回ることができるんだい? 君には関係ないことだろう?」

「……そんなこと、ない」

「へぇ?」

 あきらは走った。どこへ逃げてもダッシューはいる。それでも、簡単に諦められるはずがなかった。

「パーシーは大事な友達だから。置いていけるわけ、ない!」

「……ふぅん。さすがは希望の世界ホーピッシュの子ども、といったところだろうか。けど……」

 次の瞬間、目の前にダッシューの薄ら寒い笑みがあった。

「なっ……!?」

 あきらは、両肩をダッシューに掴まれて、その場に止められた。

「その王女様は、本当に君が守る価値がある、大事な友達なのかい?」

 そして、ダッシューはそう言ったのだ。


…………………………

「ようやく授業が終わったグリ! 急ぐグリ!」

「わ、わかってるよぅ。めぐみ、急ごう!」

「ええ」

 ゆうきとめぐみは、帰りのホームルームが終わった瞬間、誉田先生からあきらの分のプリントをもらうこともできず、教室を飛び出した。

「アンリミテッドがいるのはどっち!?」

「向こうグリ!」

「えーっ! うちの方向だよ!」

「余計なこと言ってないで、急ぐニコよ!」

「わ、わかってるよぅ」

 そんなことを言い合っている横で、ラブリはめぐみの肩に乗り、言った。

「何か、嫌な予感がするレプ」

「奇遇ね。私もよ。何か、とてつもない悪意が動いているような気がするわ。この胸騒ぎは一体……――」



「――なるほど。勘がいいことだな。キュアユニコ」



「ッ……!?」

 いつの間に現われたのだろう。

 否、いつの間に、世界はこんなにも真っ暗になったのだろう。

 他のアンリミテッドの幹部であれば、こんなことはありえない。ゆうきとめぐみが気づく前に、世界が真っ暗なアンリミテッドの領域に入ることなど、絶対にありえない。

 それはつまり、ふたりの認識が遅れるくらい速く、世界が一瞬にして切り替わったということに他ならない。

「デザイア……!」

 ふたりの進行方向に、ただひとりたたずむ黒衣の仮面の騎士。

 アンリミテッドの最高幹部にして、最強の騎士、デザイアだ。


「ふん。ゴドーから報告は受けていたが、プリキュアの庇護下に入ったのだな、ラブリ・ラブリィ王女」

「れ、レプ……!」

 名指しされ、ラブリはめぐみの肩の上でびくりと震える。

「プライドの高い貴様が、未だにプリキュアを生み出せていないという恥辱に耐えていることだけは、称賛に値することだな」

「っ……」

 嘲弄するような声に、ラブリの目線が鋭くなる。そんなラブリを、めぐみは優しく撫でた。

「見え見えの挑発よ。大丈夫。あなたは立派な愛の王女だもの。愛のプリキュアも、すぐに生み出すことができるわ」

「……レプ。ラブリとしたことが、向こうのペースに乗せられるところだったレプ」

 ラブリは落ち着いたようだった。

「ありがとうレプ、めぐみ」

「礼には及ばないわ」

「……ふふ。なるほど。しっかりと王族を助ける下僕らしくなってきたな、プリキュア。王族に利用されているとも知らず、全く健気で泣かせてくれる」

「そんな挑発になんか、乗らないんだから!」

 ゆうきがビシッとデザイアに宣言する。

「ところで! ひとつ聞きたいんだけど!」

「……調子が狂うものだな。なんだ、キュアグリフ」

「ブレイたちが言っていた、さっき現われたアンリミテッドって、あなたのこと?」

「……ふむ。しかし、思慮に欠けているわけではない、か」

 デザイアがどこか感心したように言う。

「正直に答えてやる義理もないが、貴様らのやる気を出すために、少しだけ教えてやろう」

「……?」

 デザイアは漆黒のマントを広げる。その手に握られているのは、細身の剣、レイピアだ。それを、まるで映画の中から飛び出てきた本物の騎士のように仮面の前にかかげる。

「ダッシューが情熱の国の王女を追い詰めている、と言ったら、どうする?」

「グリ!? パーシーが!?」

「その通りだ。臆病者の勇気の王子」

「グリ……」

 デザイアの仮面の下の鋭い視線が己に飛んだ瞬間、ブレイは縮こまる。

「もしも情熱の王女を助けに行きたいのなら、私を倒すことだ。私は積極的に戦う気はない。貴様らが情熱の王女を見捨てて退くというのならば、私もまた退こう」

「なっ……!」

 ブレイが震える身体で、叫んだ。

「そんなことできるわけないグリ! パーシーを見捨てることなんて、できるわけないグリ!」

「ほう。そうか。では、来い。勇気の国の王子、ブレイ・ブレイブリィ」

 デザイアの仮面の下の冷たい瞳が、ブレイを見据える。その瞳に込められているのは、明確な憎悪と敵意。それを受けて、ブレイの小さな身体は固まり、動けない。

「グリ……」


「……ブレイ。偉かったね」

 ゆうきは、固まったままのブレイを、そっと抱きしめた。

「ゆうき……?」

 ブレイは、震える身体で、声で、情けなく縮こまりながら、それでも叫んだ。

 小さい身体で、恐ろしく強いデザイアを相手に、逃げないと言いきったのだ。

「ふん。くだらんな。所詮勇気をなくした王族か。プリキュアがいなければ何もできないのだな」

「こんな小さな子たちに戦えって言っているのなら、それこそナンセンスだわ」

「なに?」

 めぐみが言葉を紡ぐ。

「ロイヤルストレートすら吹き飛ばすあなたに、この子たちが勝てるわけないじゃない。アリの子どもにアフリカ象に立ち向かえって言ってるようなものだわ」

「あ、アリの子どもはひどいグリ……」

 ブレイが誰にも聞こえない声でぼそっとぼやく。

「そうだよ」

 頼もしい相棒の言葉を受けて、ゆうきもまた、口を開いた。

「ブレイは怖くても、震えていても、あなたに対して一歩も退かなかった。わたしたちプリキュアは、そんなブレイからたくさんの勇気をもらったよ。もちろん、フレンも、ラブリもだよ」

 ゆうきは手を前に掲げる。そこに燦然と輝くのは、薄紅色のロイヤルブレスだ。ゆうきとめぐみは目を見合わせ、頷いた。

「あなたの言っていることが本当なら、わたしたちは情熱の国の王女を助けに行かなくちゃならない」

「あなたはたしかに強いかもしれないわ。それでも、私たちが尻尾を巻いて逃げるわけにはいかないのよ」

「……なるほど」

 デザイアの仮面の下の表情はわからない。しかし、纏う雰囲気が変わるのがわかった。

「ゆうき、めぐみ、受け取るニコ!」

「ロイヤルブレス、行くグリ!」

 ふたりの妖精から放たれた光を受け取る。二体の神獣がかたどられた美しい紋章は、ふたりの少女に大いなる勇気と優しさを与えているようだった。



「「プリキュア・エンブレムロード!」」



 色を失った世界で、神々しいまでに明るい光が弾けた。

 その光の中で、ふたりの少女はお互いの手を取ったまま、戦士へと姿を変える。

 そして、美しいふたりの、伝説の戦士が大空より舞い降りる。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」


「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」


「「ファーストプリキュア!」」



 変身したふたりの戦士を前に、仮面の騎士は、誰にも見えない表情を歪め、笑う。

「闇の欲望、アンリミテッド。最高司令官、暗黒騎士デザイア。参る!」

 デザイアは、レイピアを構え、ふたりのプリキュアに突撃する。


…………………………

「っ……」

 掴まれた肩に痛みはない。ダッシューには、あきらを傷つける様子は微塵も感じられなかった。ダッシューは一見して優しげな笑みを浮かべて、とうとうと語る。

「ねえ、お嬢さん。君はその王女様の何を知っているんだい?」

「な、何を、って……」

「何も知らないんじゃないかい? いや、もちろん、ロイヤリティのこととか、情熱の国のこととか、ぼくらアンリミテッドのことくらいは聞いているかもしれないねぇ」

 けれど、と。ダッシューは酷薄に笑う。

「王女様をはじめとした王族が何をしたのか、それは聞いていないんじゃないかな。正直な話、君の誠実さと体力には、少しだけ敬意を表したいところなんだ。大方、すぐにぼくに王女様を差し出すか、もしくはすぐに疲れ果てて、ぼくに王女様を取られるか、そのどちらかだと思っていたからね」

「ど、ドラ……」

 パーシーがガタガタと震え出す。ダッシューはその様を見て、やはり嗜虐的に笑う。

「ねえ、王女閣下。あなたたちは卑怯だ。ホーピッシュの人間を利用するために、まるで自分たちは被害者だというような顔をする。あのとき、あの瞬間、あなたは情熱の国の臣民を見捨てて、王様やお后様と一緒に、情熱の国を逃げたというのに」

「ど、ドラ……! に、逃げた、わけじゃ、ない……ドラ……。パーシーたちは、エスカッシャンを、守るために……――」



「――その言い訳を、果たして闇に飲み込まれたロイヤリティの臣民は、聞いてくれますかねぇ」



「ドラ……」

「パーシー……」

 ダッシューは、あきらの肩から力が抜けたのを感じたのだろう。そっとあきらの肩を放すと、優しく話し始めた。

「さ、お嬢さん。王女様を渡してくれるかな。その王女様は、ロイヤリティを捨てて逃げ出した。そして、その事実を君に隠し、君を利用するために近づいたんだ」

「…………」

「君が守る必要なんてないんだ。だから、ほら、ぼくに、ちょうだい?」

 それは、ダッシューの最後通牒だったのだろう。言葉は優しげだが、ダッシューは、それを最後と決めているようだった。もしもあきらがそれを断れば、直接あきらに危害を加えるかもしれないと、暗に言っているようだった。

「……わたしは」

「うん」

 あきらは、震えるパーシーをぎゅっと抱きしめた。

「パーシーは、言わなかったんじゃないと、思う」

「……なに?」

 ダッシューの顔から笑みが消えた。それを恐ろしく思いながら、それでもあきらは、口から紡がれる言葉を止めることができなかった。

「パーシーの気持ち、わかるんだ。言いたいことは山ほどあっても、気持ちって、全然伝えられないし、伝えるのは、怖いし」

「…………」

「それを伝えた後、相手がどんな反応をするか、想像するのも怖い。考えるのも怖い。だから、人と話をしたくなくなるんだ」

「何が言いたい?」

「……それでも、想いを伝えなきゃ、想いは伝わらないんだ」


 ダッシューが焦れているのがわかった。余裕の笑みが歪み、彼の内なる凶暴さが姿を見せているようだった。

「ねえ、パーシー」

「ドラ……?」

 あきらは胸に抱くパーシーを見下ろした。パーシーはその声を受けて、ビクビクと震えながら、それでもあきらを見上げてくれた。

「パーシー、いま、わたしが何を考えてるか、わかる?」

「ど、ドラ……。そんなの、わからないドラ……」

「そうだよね。そうなんだよ」

 人の気持ちは、きっと少しだけわかる。けど、わかるのは少しだけだ。目を見るだけで、何から何までわかるようなことは、きっと、どんなに仲が良くても、ない。

 だから人は、言葉をつむぎ、意志を伝えるのだ。

「人の気持ちを考えて、心を考えて、それで言葉を選ぶことは、大事だよ」

「ドラ……?」

「でも、それをやり過ぎて、人に気持ちを伝えることができなくなったら、逆にダメなんだよ」

 自分は、ゆうきに一緒にいたいという気持ちを伝えただろうか。

 自分は、ゆうきに寂しいという気持ちを伝えただろうか。

 自分は、ゆうきとめぐみに、仲間に入れてほしいという気持ちを伝えただろうか。

「わたし、恥ずかしいや。勝手に嫉妬して、勝手に仲間はずれにされたような気持ちになって、勝手に、恨んで……」

 あきらはだから、パーシーに言った。

「パーシー。わたし、あなたがどうしたいかは聞いてなかった気がするよ。あなたの使命、ロイヤリティのこと、アンリミテッドのこと、それは聞いたけど、あなたがどうしたいかは教えてもらってないよね」

「あきら……」

「……それを聞いて、どうするというんだい?」

 ダッシューが両手を広げる。顔に張り付いていた薄ら寒い笑みは、すでになくなっていた。

「意志なんて伝えてどうなる。想いをくみ取ってどうなる。君には何の力もない。それで、一体どうなるんだ」

「パーシーが何をしたいのか、知りたい。それだけだよ。それがわからなかったら、わたしにはどうしようもないもの」

「そうか。では、情熱の国の王女様。あなたはこう言うべきだ。“わたしを置いて逃げて”とね」

「ドラ……」

「これ以上、その純粋なお嬢さんを我々の事情に巻き込む気ですか?」

「……ねぇ、パーシー」

 あきらは、ダッシューの冷たい声を遮るように言った。

「わたしの気持ち、伝えるね。わたしは、パーシーを助けたいよ。パーシーの力になりたいよ。きっと、何の役にも立たないけど、それでも、パーシーのために、できることをしたいよ」

「ドラ……」


 あきらは想いを伝えた。その想いを、パーシーがどう受け取ったかなんて、あきらにはわからない。

「パーシー、は……」

 パーシーが口を開く。

「……王女様」

 想いを伝えることなど意味がないと言いきったダッシューが、何かに怯えるように口を開く。

「あなたがどういうことを言うべきか、あなたはしっかり分かっているはずだ」

「パーシー」

 あきらは、優しく口を開く。

「パーシーがどうしたいか、教えて。お願い」

「パーシーは……」

 パーシーが涙を拭う。あきらに抱きしめられたまま、それでもあきらを真っ直ぐに見上げ、言った。

「パーシーは、情熱のプリキュアを生み出し、世界を救いたいドラ。ロイヤリティを取り戻したいドラ。パーシーはきっと、迷惑ばっかりかけてしまうけど、それでも……」

 それは、パーシーの想いの発露に他ならなかった。



「……お願いドラ。パーシーを、助けてドラ!」



「ッ……」

 ダッシューが虚空からはさみを取り出し、あきらの喉元に突きつける。

「このはさみは、君の首程度なら簡単に切り飛ばせる。こんなスマートでない方法をとるとは思わなかったけど、君もこれで思い知っただろう。絶対的な力を前に、想いなんて伝えたところで、無力だ」

「…………」

 怖い。

 怖くて仕方がない。

 いまダッシューから示されているのは、明確な敵意、憎悪、そして、本気の殺意だ。ただの女子中学生のあきらに、それが怖くないはずがない。

「……ダッシューさん。あなたは、ひょっとして、あんまり悪い人じゃないのかな」

「ッ……!?」

 けれど、あきらは、その恐怖と同じくらい、言わなければならない気持ちがあった。

「どうしてわたしたちの話を聞いてくれたの? どうして、パーシーの言葉を誘導してまで、わたしを遠ざけようとしてくれたの?」

「何を……!」

 ダッシューが明確な動揺を見せた。ダッシューは空いた手であきらの肩を突き飛ばす。

「きゃっ……!」

 あきらは背中から倒れ込む。パーシーが手から離れ、コロコロと道に転がる。

「……ほら。ロイヤリティなんかを庇うから、そういう目に合うんだ」

 ダッシューは自分を落ち着かせるように言うと、パーシーを拾い上げた。

「さぁ、わがままはこれくらいに致しましょう、王女様。参りますよ」


…………………………

 デザイアがレイピアを振るう。その所作は、素早さ、身のこなし、何をとっても隙がないように思えた。

「少しは腕を上げたか、プリキュア!」

「っ……」

 身を翻すたび、デザイアのレイピアが急所を狙い、振るわれる。

「なら、見せてあげるわよ!」

 キュアユニコが距離を取り、右手を振るう。

「優しさの光よ、この手に集え! カルテナ・ユニコーン!」

 空色の清浄な光がユニコの右手に集約される。そこに現れるのは、伝説の戦士が王族より賜ったとされる伝説の剣、カルテナだ。

「ほぅ」

 デザイアはユニコをまっすぐに見据え、突撃する。

「ゴーダーツと渡り合い、少しは強くなったか?」

「ぐッ……!?」

 ゴーダーツの何倍も速い剣戟がユニコを襲う。

(速いだけじゃない……! ゴーダーツ以上に、一撃が重い……!)

 右手にカルテナを、左手に空色の“守り抜く優しさの光”の盾を作り出し、それでも防戦一方だ。

「ふッ……!」

「きゃっ……」

 デザイアのレイピアを防いだ瞬間、空いた腹にデザイアの蹴りが入れられる。ユニコは後ろに吹き飛ばされるも、かろうじて着地する。

「っ……」

「剣筋は素人同然。剣と盾を使う頭はあるようだが、それだけだ。私のレイピアを目で追うだけで手一杯。蹴りや拳が出たらどう対処するかもわからない。話にならんな。伝説の剣、カルテナを手に入れてもその程度か」

「……ふふ」

「何がおかしい?」

「そうね。私はまだまだ未熟だわ。でも、あなたの相手は、私ひとりじゃないわよ」

「なんだと……?」



「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」



「ッ……!?」

 背後からの声に、デザイアが反転する。その目線の先にいるのは、薄紅色の翼をたたえ、カルテナ・グリフィンを構えた、勇気のプリキュアだ。


 そして――、


「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ! プリキュアに力を!」


「何……!?」

 デザイアが首を回し、ユニコに目を向ける。その時にはすでに、ユニコは“守り抜く優しさの光”を身に纏い、ユニコーンの角のように、カルテナを構えていた。

「この距離で挟み撃ち! 絶対に外さないよ!」

 グリフが叫ぶ。

「なるほど。キュアユニコ、貴様は囮を買って出たわけか。私を挟撃するために」

「そういうことよ。あなたはとても強いって分かっているもの。頭くらい使うわよ」

 ユニコはグリフと目を合わせる。頷き合い、そして――、



「「プリキュア!」」



「グリフィンスラッシュ!!」



「ユニコーンアサルト!!」



 神速の斬撃と突撃が同時に放たれる。それを回避することは、アンリミテッド最強の騎士デザイアにすら叶わないことだった。


…………………………

 ああ、目の前で、友達がさらわれてしまう。

「っ……」

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 あきらは、目の前の男が、怖くて仕方がない。

 人に、なんのためらいもなくはさみを向けることができる彼が。

 はるかに年下であろうあきらを、突き飛ばせる彼が。

 怖い。

 怖くて仕方がない。



「それ、でも……!」



 あきらは、立ち上がった。

 身体中が痛い。暴力を振るわれた経験なんてない。心臓が嫌な音を立てている。

 ストレスで頭も痛い。きっと、胃も痛くなる。



「それでも!」



「……おや」

 パーシーを掴んだままのダッシューが、立ち上がったあきらに目を向ける。

「怖いだろうに。無理をする必要はないよ。君はある意味でぼくに勝ったんだ。君のような弱い存在に暴力なんて振るうつもりはなかったけれど、それをしなければ君から王女様を奪い取ることはできなかった。君はすごいよ。上出来だ。素晴らしい」

 その称賛の言葉にはしかし、馬鹿にするような響きしか含まれていなかった。

「さ、疾くお引き取りを、お嬢さん。もう君の出番は終わったんだ」

「……終わってなんか、ないよ」

「……?」


 ダッシューが怪訝な顔をする。パーシーがあきらに目を向ける。

「あ、きら……。ありがとう、ドラ。パーシーを守ってくれて、嬉しかったドラ」

 パーシーが弱々しい言葉を紡ぐ。

「あきらと出会えて良かったドラ。あきらに言われたことが、心に響いたドラ。あきらのおかげで、パーシーは自分の気持ちを、伝えることができたドラ。だから……――」



「――だからも、何も、ないよ!」



「ドラ……?」

 あきらは言った。

「パーシーは、わたしが落ち込んだり、悲しんだり、辛かったりするとき、ぎゅって、優しく頭を抱きしめてくれたよね。パーシーは、ゆうきのことで落ち込んだわたしを、何度も慰めてくれたよね。わたし、それが、とっても嬉しかったんだよ」

「あきら……」

「パーシーは、わたしにとって、とても大切な友達なんだよ」

 伝えたい言葉がある。

 あんなに、言葉にすることが難しかったことが、今はするすると頭から口へ流れていく。心の声が、具現化する。それは、あきらの心の発露に他ならなかった。

「わたしは、パーシーを助けたい。パーシーの力になりたいの!」

「……くだらない」

 ダッシューがはさみをあきらに向ける。巨大なはさみは、ギラリと凶悪にきらめく。

「邪魔だ。失せろ」

「……ねぇ、ダッシューさん」

 怖くても、立ち向かうと決めた。

 何の力がなくても、パーシーを助けると決めた。

 だから、あきらは、

「パーシーを返して……!」

「……そのお願いを、どうしてぼくが聞くと思う!」

 ダッシューが怒りをあらわにする。

「ぼくはアンリミテッドの戦士だ! 君たち希望の世界の人間が、ぼくに敵うはずがない! どうしてあきらめない!? どうしてぼくを、こんなにもイライラさせるんだ!」

「!? ど、ドラ! やめるドラ!」

 ダッシューがはさみを振りかぶる。間違いなく、その凶悪な刃をあきらに向けて投擲するつもりだろう。パーシーはそれを止めようと、ダッシューの手の中で暴れる。

「ッ……情熱の国の王女! あなたに情熱などはない! 情熱の国は、情熱をなくし無気力になっていた! あなたたち王族は、その最たる例だったはずだ! なのに、どうして……!」

「ドラ! パーシーは、たしかに無気力だったドラ! それでも! 大切な友達が傷つけられようとしているときに、黙って見ているなんて、できない、ドラ!」

 パーシーはそして、言った。

「パーシーは、あきらのことが大好きだから!」



 瞬間、光が爆ぜた。


…………………………

「……なるほど。これは、三幹部が苦戦をするのもうなずける話だな」

「う、うそでしょ……!」

「っ……」

 グリフがうめき声をあげる。それももっともだと、ユニコは思った。ユニコもまた、目の前の光景がにわかには信じられなかった。

 デザイアは、前屈みになり、背中でグリフの右腕を受け止め、左手でユニコの右腕を抱え込むように押さえていた。グリフの斬撃の威力は根元で殺され、ユニコの突撃は右腕ごときれいに受け止められていた。

「私たちの技を同時に見切ったって言うの……」

「回避することは叶わなかったが、な。さすがはロイヤリティの最秘奥、カルテナの力といったところか」

 デザイアは笑う。

「私はアンリミテッドの最高司令官にして、最強の騎士だと、貴様らも知っているはずであろう?」

「ッ……!」

 デザイアから不穏な雰囲気が漏れる。

 ユニコは何かを感じ取り、デザイアを振りほどき、離れる。グリフもまた、デザイアから離れ、カルテナを構える。

「やられっぱなしというのも性に合わぬな。大人げないかもしれぬが、少し、本気を見せておこう」

 デザイアがレイピアを鞘にしまう。しかし、柄に手を置いたままだ。デザイアの身体から黒い何かが立ちのぼる。それとともに放たれるのは凄まじい圧力を持った闘気だ。眼下によぎる影。それは、地面で固唾を呑んで戦いを見守る三人の妖精だ。まずいと思ったときにはすでに、ユニコは動いていた。同じ事を考えたのだろう。グリフもユニコと同様、妖精たちを庇うように前に立つ。

「グリフ! あなたはフレンたちを守って! 私は、“守り抜く優しさの光”でできる限り衝撃を防ぐわ!」

「わかったよ! でも、何をするかわからないけど、すごいのが来るよ!」

「ええ!」

 ユニコはカルテナを前に構え、その伝説の剣を中心に、“守り抜く優しさの光”を展開する。空色の光を幾重にも重ね、何が来ても必ず妖精たちを守り抜くと心に決める。

「ゴーダーツの剣戟ひとつ防げぬその軟弱な盾で、これが防げるか見物だな」

 デザイアが嘲弄するように言う。そして、その直後、デザイアがレイピアを鞘から抜いた。その所作は、ユニコにはまったく、見切ることはできなかった。



「この程度でやられてくれるなよ? プリキュア」



 瞬間、とてつもない衝撃がユニコを襲った。それが、ただデザイアがレイピアを引き抜いただけで生み出された衝撃とは、とても信じられなかった。抜刀の風圧によって、ユニコの“守り抜く優しさの光”が揺らいでいるのだ。

 ピシッ、と。

 ユニコの空色の光にヒビが入る。いけないと思った次の瞬間には、“守り抜く優しさの光”は、吹き飛ばされていた。

「ユニコ!」

 あまりの衝撃に背後に吹き飛ばされそうになっていたユニコは、グリフに支えられ、かろうじてその場にとどまる。しかし、消耗しきった力で、立つことも叶わず、その場にくずれ落ちた。

「……ふん。やはり、まだまだだな、プリキュア」

「そのまだまだなわたしたちだけど、しっかりとブレイたちを守ったよ!」

「そうだな。素晴らしいことだ」

 わざとらしくデザイアが手を叩く。

「ふたりきりでは、絶対に私には勝てぬ。もしも我々アンリミテッドに本気で対抗するつもりならば、早く残りのプリキュアを見つけるのだな」


「言われ、なくたって……!」

 ぜぇぜぇと肩で息をしながらも、ユニコはグリフに支えてもらいながら、立ち上がる。

「しかしお前たちがいかに努力しようと、肝心の王族がその体たらくではな」

 笑い声を上げるデザイア。その目線が向かうのは、プリキュアたちの背後でガタガタと震える妖精たちだ。

「愛の国の王女よ」

「れ、レプ……」

「貴様は愛を知らない。プライドと頭ばかりが大きくなり、もはや愛を知ることなど絶対に叶わないだろう」

「レプ……」

 デザイアの冷たい声に、ラブリがたじろぐ。

「ラブリをバカにしないで!」

「事実を述べているだけだ」

 デザイアは興味が失せたように、明後日の方向の空を見つめた。

「……目覚めた、か」

「えっ……?」

 その瞬間、デザイアが見つめる方向の空に、高く高く、火柱が上がった。

「なっ……!?」

「炎!? いや、あれは、光……?」

「……貴様らにとっては朗報だな。新たなプリキュアが生まれるぞ」

 デザイアは吐き捨てるように言った。

「ど、どういうこと!?」

「さてな。実際に行って確かめてみるといい」

「……どういうつもり?」

 デザイアの言葉に、ユニコが眉をひそめる。

「あなた、私たちを情熱の国の王女の元へ行かせないつもりだったのではないの?」

「その意味が失われたということだ」

 デザイアはそう言い残すと、レイピアを鞘に戻し、マントで身体を覆った。

「では、失礼する。三人の王子、王女、そして、未熟な伝説の戦士たちよ」

「ま、待ちなさい!」

 ユニコの言葉もむなしく、デザイアは宙に溶けるように消えた。デザイアの言葉の意味はわからないことばかりだ。しかし、今は他に優先するべきことがある。

「ユニコ! 今はあの光の方向に急ごう!」

「……そうね。デザイアとはどうせまた戦うことになるでしょうし」

 妖精たちを抱え上げ、ユニコとグリフは、光の方向へ急いだ。


…………………………

「ッ……!?」

 それは、爆発的な光だ。赤い赤い、真紅の、紅蓮の、光。

 燃え上がる炎のような、熱い光。

 その光を発しているのは、パーシーとあきらだった。

「ぐっ……!」

 ダッシューがうめき、パーシーを取り落とす。パーシーは、情けなく地べたに落ちるようなことはなかった。しっかりと二本の足で着地すると、まっすぐ、あきらの元へ馳せた。

「な、何……? この光は……」

 あきらは困惑するばかりだ。モノクロに染まった世界で、まるで自分だけが色を持っているようだった。紅蓮の炎のような光は、今やあきらを覆い尽くさんばかりに広がり、空を貫くように高く高く、火柱のように立ちのぼる。

「あきら! 無理を承知で、お願いしたいドラ!」

「パーシー……?」

「パーシーは、今まさに、情熱にあふれる人を見つけたドラ! あきらが、情熱にあふれる人ドラ!」

「わ、わたしが!? 情熱にあふれる人!?」

 あきらは目をぱちくりさせて。

「だ、だって、わたし、引っ込み思案だし、唯一の友達に振られっぱなしなだけで落ち込んじゃうような中学生だよ?」

「違うドラ。あきらは、誰より熱い情熱を、内に秘めていたドラ。そして、その情熱を、心を、しっかりと伝えることができるようになったドラ。それは、誰より強い情熱の力ドラ」

 パーシーはまっすぐにあきらを見据える。その目に、もう迷う気配はなかった。

「だから、お願いドラ! あきらのその情熱の力を、パーシーに貸してほしいドラ! 伝説の戦士プリキュアとなって、ロイヤリティを救い出してほしいドラ!」

「わ、わたしが、伝説の戦士に……」

 あきらは手を握る。弱々しい自分自身の手だ。誰より自分が知っている、弱々しい手だ。

 この手で、一体何ができるだろう。

 戦士になったところで、何ができるだろうか。

「……うん」

 それでも、できることをしたいと思って、言ったのだ。

 パーシーのためにできることがあるというのなら、あきらは。

「わたし、やるよ。伝説の戦士なんてできるかわからないけど、パーシーの言うことなら信じられるよ」

「あきら……! とっても嬉しいドラ!」


「この光は……ッ!」

 ダッシューが目を覆いながら、叫ぶ。

「憎らしい! 恨めしい! この光は、情熱の国の光! 情熱を表す紅蓮の光! 情熱を失ったロイヤリティの王族の分際で、どうしてこの光を持つことができるッ!」

「あきらがパーシーに教えてくれたからドラ! パーシーはもう迷わないドラ! パーシーは……ロイヤリティを救い出し、愛すべき臣民たちを取り戻すドラ!」

「臣民を捨て、逃げ出した分際で、何をッ!」

「ちゃんと謝るドラ! あなたに奪われたエスカッシャンも取り戻し、その上で、しっかりと説明するドラ! パーシーはもう、言葉を紡ぐことを、怖がらないドラ!」

 パーシーから光が放たれる。その光は、まっすぐあきらの左手へ向かう。そして、その紅蓮の光はあきらの左手首の上でカタチを成す。それは、真紅の美しい腕輪だ。

「それが情熱のロイヤルブレス、ドラ。そして、これも受け取るドラ! 情熱の紋章ドラ!」

「わっ……!」

 もうひとつ、パーシーから放たれた光を、あきらは右手で受け取った。熱いくらいに暖かいその光は、小さなプレートになる。

「これが、情熱の紋章……」

 それは、情熱を表す神獣ドラゴンをかたどった紋章だ。左手のロイヤルブレスと右手の紋章が、あきらの熱い心を、もっと熱くしてくれているようだった。

「っ……! 生まれるというのか、情熱のプリキュアが……!」

 ダッシューがうめく。しかし、ロイヤリティの光を直視できないのだろう。手で目を覆ったままだ。

「叫ぶドラ! 伝説の戦士の宣誓を!」

「……うん!」

 あきらは、まるで最初からわかっていたことのように、自然な動作で、ロイヤルブレスにプリキュアの紋章を差し込んだ。

 そして、やはり最初から知っていたことのように、戦士の宣誓を、叫ぶ。



「プリキュア・エンブレムロード!」



 天に届かんばかりに、紅蓮の光が炸裂した。その光の中にあって、熱いほどの光を浴びながら、あきらは自分自身が姿を変えていくのを感じた。炎は髪飾りとなり、耳飾りとなり、グローブとなり、衣装となる。

 そして、天高くから、まるで飛竜のように、伝説の戦士が舞い降りた。





 戦え。その情熱を示すために。

 戦え。世界に光を取り戻すために。

 戦え。誇りを取り戻すために。



 さあ、名乗れ。その名は――、



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」



 炎が爆ぜ、情熱の戦士の誕生を祝福した。


 次 回 予 告

めぐみ 「ぐぬぬぬぬ……!」

ゆうき 「? めぐみ、なんで唸ってるんだろ?」

フレン 「たぶん、ゴーダーツにもデザイアにも剣で勝てなくて悔しいんじゃないかしら」

ゆうき 「わーお。熱血だぁ」

めぐみ 「……むー、これは、修行が必要ね」

ゆうき 「修行!? めちゃくちゃ少年漫画的だね!?」

めぐみ 「もう負けてられないわ。カルテナでゴーダーツにもデザイアにも勝てるようにしないと!」

ゆうき 「うーん、めぐみがどんどん熱血方向へ行ってしまう……」

めぐみ 「何を呆けているの、ゆうき! 今から筋トレに走り込みよ!」

ゆうき 「ええっ!? わたしもやるの!?」

めぐみ 「当然でしょ! ほら、腕立てから! よーい……」

ゆうき 「わ、わわわ、ちょっと待ってよぅ~」

ラブリ 「………………」

ギリッ

ラブリ 「……私も、早くプリキュアを生み出さなければ」

ブレイ (うーん。誰も彼も、悩みは尽きないなぁ)

ブレイ 「と、いうことで、次回! ファーストプリキュア!」

ブレイ 「第十四話【同じ想い? あなたと友達になりたい!】」

ブレイ 「次回もお楽しみに! ばいばーい!」

>>1です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。
毎話開始のレスを一覧にしておきます。

第一話 >>4

第二話 >>43

第三話 >>74

第四話 >>111

第五話 >>145

第六話 >>176

第七話 >>203

第八話 >>236

第九話 >>265

第十話 >>297

第十一話 >>324

第十二話 >>364

第十三話 >>402

また来週、よろしくお願いします。


ファーストプリキュア!
第十四話 【同じ想い あなたと友達になりたい!】




「っ……! 生まれるというのか、情熱のプリキュアが……!」

 ダッシューは爆発的に広がるロイヤリティの光を直視することができずいた。

 しかし、明確にわかることは、目の前でとてつもない存在が生まれるということだ。

(情熱など……ッ!)



 ――――『わたくしは、あなたを愛しています』



「情熱などッ……!」

 遠い記憶。それは、ダッシューにももう思い出せない誰かの記憶。

 明確に覚えている、裏切られた己の情熱。

 愛。

 ロイヤリティの圧倒的な光は、そんなダッシューを許してはくれなかった。

 だからダッシューは、アンリミテッドに墜ちたのだ。

「情熱など、何にもならないッ! 愛など、無駄だッ! 人を傷つけ、悲しみをもらたらし、憎しみを生むだけのものだッ!」

 ダッシューは光から目を背けたまま、剪定用のはさみを投げた。目の前の圧倒的な脅威を、消し去らなければならないと思ったからだ。

 しかし。

「ッ……!」

 投げたはさみは、光に当たり、一瞬のうちに燃え尽きた。

 それは、ロイヤリティの光が持つ、凄まじいまでの力だ。


「ロイヤリティ……!」

 世界はままならない。ダッシューはそれを知っている。

 かつて、もう記憶もないあの日、ロイヤリティに排斥されたあのとき、ダッシューは、ロイヤリティの光の強大さを知った。

 その圧倒的な高貴が、己を許さないということも知った。

 そう、だから、ダッシューは。

「……ぼくは、負けるわけにはいかないんだ」

 光を、まっすぐに見据える。

 目が焼け付くようだが、それでも、明確な敵意を持って。

 そして、その炎のように熱い光の奔流の中から現れた人影を、睨み付ける。



「燃え上がる情熱の証!」



 それは、紅蓮の炎を纏う伝説の戦士。

 情熱のプリキュア――、



「――――キュアドラゴ!」



「プリキュアが……ッ!」

 ダッシューは目の前の、ただの気弱な少女だったはずの戦士に、吼えた。


…………………………

 ゆっくりと目の前の光景を確認する。

 炎のような光は収束し、目の前に広がる世界は、相変わらずモノクロのままだ。

 そして、自分自身を見下ろす。

 赤と白を基調とした、かわいらしく勇ましい衣装を身につける、自分自身を。

「……えっ?」

 思わず疑問の声が洩れる。髪が伸びている。色は燃え上がるような赤だ。顔に手を当てる。眼鏡はそのままだが、少し形が変わっている。

「な、なにこれ!? わたし、どうなっちゃってるの!?」

「ドラ! それこそ、ロイヤリティの伝説の戦士プリキュア、“キュアドラゴ”の姿ドラ!」

「ええっ……えええええええええええ!?」

 驚きは冷めない。自分自身の姿が変わったのだから当然だ。しかし、暢気に驚いていられるのはそこまでだった。視界の隅で、何かが動いたのだ。

「あっ……危ない、パーシー!」

 ダッシューが大量のノコギリを取り出し、パーシーとキュアドラゴを狙い、放ったのだ。ドラゴはパーシー抱きかかえると、横に跳んだ。

「わっ……わわわわっ!」

「ドラぁ……!」

 少し横に跳んだだけだった。それなのに、道路の端まで、少なくとも五メートルは超える大ジャンプになってしまった。

「な、なにこれ……?」

「プリキュアは伝説の戦士ドラ! キュアドラゴはその中でも、最強の攻撃力を持つとされるドラ! だから、それくらい訳ないはずドラ!」

「こ、攻撃力は関係ないんじゃないかな……」

 興奮しているのか、パーシーは少し饒舌になっていた。

 ドラゴは体勢を崩しながらもなんとか着地し、パーシーを地面に下ろした。

「パーシーは危ないから離れていて」

「ドラ……! あきら!」

「うん?」

 ドラゴを見上げるパーシーが、ぐっと拳を握った。

「がんばって、ドラ!」

「うん!」


 パーシーが走って逃げるのを見届けて、ドラゴは真っ直ぐにダッシューを見据えた。

「キュアドラゴ、か。まさか君が、伝説の戦士プリキュアになるとはね」

「さっきののこぎり、パーシーに当たるかもしれなかった。危ないとは思わないの?」

「ふん。この世界の基準や倫理観で物事を考えるのはやめた方がいい」

 ダッシューはとうとうと、ドラゴに語りかけるように。

「君はぼくとよく似ている。ぼくも、君と同じように、人に何かを伝えるのが嫌いだ。本心をさらけ出すなんて馬鹿げている」

 ダッシューは笑う。

「本心は隠してこそ、だ。傍から人が失敗するのを見て笑う。要領が悪い奴を見て笑う。それでいいじゃないか。情熱なんて持ったって、自分が周りから笑われる立場になるだけさ」

「…………」

「黙りこくったままでいいじゃないか。君は友達とトラブルになったんだろう? だったら、もう関わらなければいい。そうすれば何も起きない。君が傷つくこともない。友達を傷つけることもない。それでいいじゃないか」

「……わたしは」

「うん?」

 ダッシューの言っていることは、きっとある一面では正しい。人を傷つけるくらいなら、関わらない方がいい。傷つくだけなら、関わらない方がいい。それは、間違いないことだろう。

「人と関わるのが苦手だよ。怖いよ。だから、黙りこくって、うつむいて、じっとしていることも多いよ」

 一年生のとき、ずっと一緒だった小学校の友達と離れて、親友のゆうきとも別のクラスになって、ダイアナ学園でひとりきり、無為に時間を過ごすことが多かった。

 クラスメイトは何度も話しかけてきてくれたのに。

 あきらは、その優しさが痛くて、怖くて、逃げ出した。

 そして、大切な幼なじみの心からも逃げようとしている。

 そうすれば、たしかにあきらは傷つかないだろう。

 きっと誰も傷つかないだろう。

 しかし、それでも。

「でもね、わたしは……」

 心に灯ったこの炎を消したくない。

 せっかく生まれたこの情熱を、消したくない。

 だから――、



「わたしは誰かと一緒に生きていきたいよ。傷つくかもしれない。傷つけてしまうかもしれない。でも、そのたびに謝って、謝られて、そうやって、生きていきたいよ」


「ッ……! 人の情熱は人を傷つける! 心と心がぶつかり合って炎が上がる! その炎は、君の心や友達の心を焼き尽くすぞ!」

 ダッシューが激昂する。

「けど、その炎はきっと、人の心を温める炎でもあるんだよ。その温かさが、きっと、人にたくさんの力をくれるんだよ。わたしは、もう、それから逃げたくないんだ」

 あきらの情熱はもう止まらない。

「怖いことだってたくさんあるよ。ゆうきとお話しするのも、今は少し怖いよ。それでも、わたしは、たくさんの情熱を持って、たくさんの人と一緒に生きていきたいんだ」

「……いっておくが、人との関わり程度を恐れる君に、プリキュアなど無理だよ。戦うのはもっと苦しいし、怖いよ。それでも、君は――」

「――戦うよ、わたしは、戦う。パーシーを守るために。パーシーの願いを叶えるために。そして、この世界を守るために」

「……わかった。なら、少し怖い思いをしてもらおうか」

 ダッシューが虚空から何かを引っ張り出す。それは、巨大なはさみと、巨大なノコギリだ。

「ぼくたちはアンリミテッドだ。己の欲望のためなら何でもするよ」

「っ……」

「怖いだろう? こののこぎりが、このはさみが、君の喉元に突き刺さるかもしれない。怖いだろう? ぼくは、人を傷つけることを何とも思わない」

 ダッシューの目はどこまでも本気だった。今や明確な敵意をドラゴに向けている。

 伝説の戦士に変身したって、怖いことに変わりはない。

 それでも、パーシーからもらった力は、ドラゴに勇気を与えてくれる。

「……怖いけど、わたしに戦う力があるなら。パーシーを守る力があるなら!」

「悪いが、君にまで強くなってもらっては困る。ここで仕留めさせてもらう」

 ダッシューは両手を空へ掲げ、叫んだ。

「出でよ! ウバイトール!」

「な、何……?」

 暗く濁る空が割れる。その隙間から漏れ出たのは、ヘドロのような黒い“何か”だ。その何かは大地に落ちると、そのまま雨水が染みこむように、アスファルトに消えた。



『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』


「何が起きてるの……?」

「闇の欲望の化身、ウバイトールさ。世界を闇に染めるための怪物だ」

 ダッシューが言う。

「道とは、人間の欲望そのものだ。もっと活動範囲を広げたい。世界を広げたい。その思いは明確な欲望だ。それは、大いなる闇の一助となる」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 怪物の雄叫びは直下から聞こえた。気づけば、アスファルトが真っ暗に染まっている。ドラゴの目の前に、凶悪な目が、口が、現れる。

「道路が怪物になったっていうの……!?」

「行け! ウバイトール! あの未熟なプリキュアをひねり潰すんだ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 アスファルトから腕が伸びる。予想のできない動きに、反応が追いつかない。ドラゴはその腕に弾かれ、吹き飛ばされる。

「きゃぁああああああああああああああ!!」

 塀に叩きつけられ、頭がクラクラと揺れる。膝をつくが、それでも倒れるわけにはいかない。

「さぁ、どうする、キュアドラゴ。未熟な君にこのウバイトールが倒せるかな」

「っ……」

 どうしたらいいのか、皆目見当もつかない。先ほどの腕はすでにアスファルトの中に消えている。暗闇に墜ちたアスファルトには、色が変わった以外に何の変化も見られない。直後、ドラゴの真下から巨大な腕が伸び上がる。

「なっ……!?」

「道路すべてが君の敵だ!」

 真下からの攻撃に対応できず、ドラゴはそのまま直上へ吹き飛ばされる。そのまま真下へ急降下をはじめるが、着地を心配するドラゴの目に、別のものが飛び込んできた。

「ぱ、パーシー!?」

 パーシーが、アスファルトから生える小さな手に、追い回されているのが見えたのだ。

「っ……!」

 空中で身体を反転させる。まっすぐに、守りたい小さな命を見据える。そちらへ向かって加速するイメージで、ドラゴは宙を蹴った。

 ドラゴの足先から炎が爆ぜる。宙を蹴り、パーシーに向け加速する。

 それは、意識して行ったことではなかった。だから、ドラゴにも、それをどうやったかはわからない。

「パーシー!」

 今まさに黒い手に捕まりそうになっていたパーシーを抱え、地面を転がる。はるか上方から地面に向かい加速したドラゴは、身体中を痛めながら、それでも、大切な友達を守り切る。擦り傷だからけになりながら、それでも、大切な友達を守り切ったのだ。


「目障りだな。なぜそんな王族のために命を危険にさらす。なぜそんなに傷ついてまで、その王女を守る」

「……何度も、言わせないで」

 ドラゴはパーシーを抱えたまま立ち上がった。全身の傷が痛い。衝撃で視界も揺れる。それでも、まっすぐ、こちらに歩み寄るダッシューを見据える。

「パーシーは大事な友達なの。だから、守るよ……」

「そうか。なら、君には何もできないということを、改めて教えてあげよう」

「な……」

 音もなく接近したダッシューが、ドラゴの喉元にノコギリを突きつける。

「っ……」

「痛いだろう? 怖いだろう? これが、本当の戦いだ」

 チクリと首が痛む。ツーと、血が垂れたのがわかった。

 思わず目を閉じ、敗北を覚悟する。その様を見て、ダッシューが高笑いする。

「やはりその程度か。ホーピッシュのぬるま湯に浸かった分際で、ぼくたちアンリミテッドに刃向かうからそうなる! 弱くて情けないロイヤリティの王族などを庇うから、そうなる!」

「弱く、ても……」

 それは、弱々しくて、小さな声だった。

「弱くても……戦う、ドラ……!」

 あきらの胸に抱かれたままではあったけれど、パーシーは、声を発し、身体を広げた。小さな小さな身体で、まるで、あきらを庇うように、両手を広げたのだ。

「キュアドラゴは、プリキュアは、世界の希望ドラ。ドラゴを傷つけるつもりなら、パーシーが守る、ドラ……!」

「っ……。力のない分際で、何が“守る”だ!」

 パーシーはダッシューの声に震えながらも、縮こまるようなことはしなかった。震える瞳で、それでも、毅然とダッシューを見返していた。

(わたしは……)

 ドラゴは、その胸に抱く暖かい友達の行為に、思い出す。ああ、そうだ。



 わたしはひとりじゃない。


「伝説の戦士共々、ここで朽ち果てろ! 情熱の国の王女、パーシー!」

「ああああああああああああ!!」

 ドラゴは目を開いた。恐怖から目を背けていた己を叱咤するように、吼える。

 今まさに引かれようとしていたノコギリを、片手で掴む。激痛が走るが、それでも、放さない。手が震えるけれど、それでも、絶対に放さない。

「な、何を……」

「わたしはプリキュア! 伝説の戦士、キュアドラゴ!」

 頭の中に明確なイメージが生まれる。それは、伝説の神獣、ドラゴンの炎。

 そのイメージをそのまま、現出させるように。

 ドラゴはノコギリを掴む手に力を込めた。

「ばっ、バカな……!?」

 ドラゴの手から炎が噴出する。その炎は、瞬く間にダッシューのノコギリを覆い尽くし、燃やし尽くした。

「馬鹿な! 薄いとはいえ、金属の刃だぞ!? それを、一瞬で燃やし尽くしたというのか!?」

 ダッシューは柄を放し、燃え尽きるノコギリを見ていることしかできないようだった。

「これが、キュアドラゴの力……?」

「“燃え上がる情熱の光”ドラ……」

「えっ?」

 パーシーが言う。

「ロイヤリティの伝説に記されているドラ。キュアドラゴの持つ力、“燃え上がる情熱の光”。悪辣なるもの、邪悪なるもの、そのすべてを燃やし尽くす力ドラ」

 ドラゴは右手から発現するその炎を見つめる。それは、ドラゴの心の中の熱い情熱の炎そのものに違いなかった。その情熱の炎は、ドラゴに力を与えてくれていた。

「パーシー。しっかり掴まっていてね」

「ドラ!」

 パーシーはドラゴの肩に掴まる。ドラゴは熱い心を燃やし、左手にも炎を纏わせた。両拳に燃える炎を確認し、ドラゴは真っ直ぐにダッシューを見据えた。

「っ……! ウバイトール!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ダッシューの声と共に、前方のアスファルトから巨大な腕が幾本も飛び出す。ドラゴに向かってくるその大量の腕を、ドラゴは両拳の炎で殴り、燃やし尽くす。

「なんて攻撃能力だ……! 今までのプリキュアとは段違いじゃないか!」

「ダッシュー!」

 ドラゴは足下を爆発させ、加速する。まっすぐ、ダッシューに向け跳ぶ。

「ウバイトール!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ダッシューに届く前に、ウバイトールの腕に阻まれる。今までより数倍も大きい手が、ドラゴの行く手を阻む。

「ぐっ……は、離れない……!」

 その手にめり込んだ拳が抜けない。炎を強くするが、すぐには燃え尽きそうにない。


「その大きさなら、すぐには燃やせないだろう。これで終わりだ」

 ダッシューが気取った仕草で指を鳴らす。アスファルトから、無数の巨大な腕が出現する。それは瞬く間にドラゴを取り囲み、ドラゴとパーシーを威嚇する。

「全方位からウバイトールの拳が飛ぶ。君がどうやって、その大事な友達を守り抜くのか、見物だね」

「っ……」

 言うが早いか、ダッシューが手を振り下ろす。それが合図となり、全方位からドラゴに向け、巨大な手が幾重にも重なり振り下ろされる。

 今度は、キュアドラゴは目をつむるようなことはしなかった。まっすぐ、己に振り下ろされる無数の拳を見て、ただ、パーシーを庇うように胸に抱いた。そして――、



「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ!」



「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ!」



「「プリキュアに力を!」」



 ――天高くからふたりの人影が舞い降りる。

「ッ……! プリキュアかッ!」

 ダッシューの憎々しげな声が飛ぶ。



「プリキュア・グリフィンスラッシュ!!」



「プリキュア・ユニコーンアサルト!」



『ウバァアアアアアアアア!!』

「な、何……?」


 薄紅色の斬撃はアスファルトから伸びるすべての腕を両断した。


 空色の突撃は地面に向け放たれ、それ以上の腕の出現を阻害した。


 そして、そのふたりは、まるでドラゴを守るように、着地した。


「あ、えっと、その……」

 そのふたりは、ドラゴと同じような格好をしていた。

「無事で良かった。あなたが新しいプリキュアだね」

「えっ……?」

 薄紅色の女の子が、嬉しそうに言った。

「真っ赤なプリキュア、かっこいいなぁ。それに髪も長くってきれいで、おとぎ話のお姫様みたいだよ」

「えっと、その……あ、ありがとう?」

「こら、グリフ。天然で相手を困らせるのも大概にしなさい」

 空色の女の子が呆れたように言う。

「はじめまして。私はキュアユニコ。優しさのプリキュアよ」

「わたしはキュアグリフ。勇気のプリキュアなんだ」

「あ、は、はじめまして。わたしは情熱のプリキュア、キュアドラゴです」

 ようやく事態を飲み込めてきたドラゴは、深々とそのふたりに頭を下げた。

「た、助けてくれて、ありがとう。わたし、プリキュアになったばかりで、何が何だか分からなくて……――」

「――パーシーグリ!!」

「ひゃあっ!」

 ふたりしかいないと思っていたのに、別の声が聞こえて面食らう。薄紅色のプリキュア――キュアグリフの肩から、ヒョコッと肩を出したのは、柔和な顔をしたもこもこのぬいぐるみだ。

「あっ……ブレイ、ドラ……?」

「フレンもいるニコ!」

「ラブリもレプ」

「ひぇっ」

 ヒョコヒョコッと、空色のプリキュア――キュアユニコの両肩からも、ぬいぐるみたちが顔を出す。

「あ、あれ、パーシーの知り合い……?」

「そう、ドラ。みんな、ロイヤリティの王子と王女、ドラ」

「へぇ……」


 どの子ももふもふで可愛らしい。抱き心地を確かめたいところだが、真面目な顔をしたキュアユニコが、それを許してくれそうにない。

「聞きたいことは色々あるでしょうけど、話は後よ。とりあえず今は……」

 ユニコが目線を向けたのはダッシューだ。

「ダッシュー! あなた、生まれたてのプリキュアにここまでやることはないでしょう! こんな身体中ボロボロにさせて! 両手だって火傷しちゃってるじゃない!」

「あ、そ、それは……」

 ほとんど自分で負ったキズだと言い出せる雰囲気ではなかった。ユニコの言葉を受けて両手を見ると、たしかに、ひどい火傷を負っているように見える。間違いなくキュアドラゴの炎を使って戦った影響だろう。

「まったく、調子が狂う連中だ。しかし、いかに君たちでも、このウバイトールは倒せまい」

 ダッシューは笑う。直下のアスファルトが盛り上がり、手を形成する。ダッシューはアスファルトから伸びるウバイトールの手の上から、三人のプリキュアを見下ろす。

「うーん、さっきもあの腕を斬ったんだけどなぁ」

「道路に向けて放ったアサルトも、驚いてはいたけど決定打にはなっていないみたいね」

「あ、あの……」

 ふたりの先達のプリキュアに対して、気後れしつつもドラゴが口を挟む。

「ダッシューが、このあたりの道路ずべてをあの怪物にしたの。だから、どうしたらいいかわからなくて……」

「なるほど。有益な情報ね。ありがとう」

 ユニコが考え込むようにうんうんと唸る。しかしそれを待つ敵ではなかった。

「行け、ウバイトール! プリキュアも王族もまとめて叩きつぶせ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「ああ、もう! こっちは考え事をしているのよ!」

 ユニコは片手をアゴに当てた考え事のポーズのまま、空いた手で剣を掲げる。その剣から空色の光が発せられ、ドームを形成する。目前まで迫っていたアスファルトから生える巨大な拳を、その光のドームがはじき返す。

「すごい……!」

「ま、まぁね……」

 ドラゴの感嘆の言葉に、ユニコが頬を染める。クールそうな見た目からは想像もつかない、可愛らしい仕草だ。

「防いでいるだけじゃ倒せないグリ!」

「そうニコ! どうすればこのウバイトールを倒せるニコ!?」

「ふ、ふたりとも落ち着くレプ。王族が慌てる姿を見せるなんて情けないレプ」

 三人の妖精がワイワイと騒ぎ出す。


「あ、あの……」

 パーシーがそろそろと手を上げる。しかし、他の妖精たちは気づいていないようだった。

「じゃあラブリには何か考えがあるニコ!?」

「そ、それを今必死で考えているレプ!」

「さすがの天才様も今回はお手上げニコね!」

「なっ……! だ、誰も諦めたなんて言っていないレプ! 勝手なことを言うなレプ!」

「ふ、ふたりともケンカしないでグリ……」

「あ、うぅ……」

 パーシーはドラゴの手の中で縮こまる。そんなパーシーの様子を見て、きっと自分は、こんなことを繰り返してきたのだろうと、身につまされる思いだった。だから、ドラゴはそっと、パーシーの頭を撫でた。

「あ……ドラゴ……」

「大丈夫。情熱を持って。パーシーならちゃんと伝えられるよ。言いたいことがあるんでしょ?」

「……ドラ!」

 パーシーの目から不安げな色が消えた。パーシーは 三人の妖精の方を向き直った。

「ど、ドラ!」

「ニコ!?」

「レプ!?」

「ぐ、グリ!?」

 大きな声を上げたパーシーに、三人の妖精たちが驚いて動きを止める。ブレイにいたっては、驚きすぎてグリフの肩から墜ちそうになる。

「い、いきなり大声を出して、どうしたニコ。パーシー」

「み、みんなに思い出して、ほしい、ドラ……」

 パーシーは恥ずかしそうに、けれどしっかりと言葉を紡いだ。

「プリキュアが三人揃った、ドラ。伝説によれば、三人のプリキュアがそろうことによって、光の大爆発を放つことができる、とされるドラ……」

「グリ! そういえば、そんな話をお母様から聞いたことがあるグリ!」

「……レプ。試してみる価値はあるレプ」

「ニコ! やってみるニコ!」

 三人の妖精がドラゴに抱えられるパーシーを見る。たじろぐパーシーに、三人は言った。

「さすがパーシーグリ!」

「レプ。まぁ、よく思い出したレプ」

「教えてくれてありがとうニコ!」

「あっ……」

 パーシーは嬉しそうに笑った。

「み、みんなのおかげドラ……」

 パーシーはしっかりと意志を伝えることができた。それが、窮地を脱するヒントになることは、誰にも疑いようのないことだ。

「キュアグリフ、キュアユニコ。力を貸して」

 だからドラゴもまた、自分の意志を伝える。パーシーを肩に乗せ、ふたりのプリキュアに手を差し出す。

「もちろん」

「ええ。やりましょう。キュアドラゴ」

 グリフとユニコは、ドラゴの手を取った。そして、三人の戦士たちは、頷き合い、まっすぐ、ダッシューを見据えた。


…………………………

 場の空気が一変したことが、ダッシューにはすぐにわかった。

「っ……なんだ、この焦燥感は……」

 ウバイトールは今も、三人のプリキュアめがけ、拳を振り上げ続けている。このまま続ければ、間違いなくキュアユニコの“守り抜く優しさの光”を破り、攻撃が通るだろう。

 だというのに、頭の中から嫌な予感が消えなかった。

「ッ……! ウバイトール! 早くプリキュアを潰せ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 アスファルトから幾本もの腕が生える。それがすべて拳を握り、一斉にプリキュアに殺到する。

 その瞬間、空色の光が猛烈な圧力を伴って膨張した。

「なに……!?」

“守り抜く優しさの光”が爆発するように広がり、幾本にも及ぶ腕をすべて吹き飛ばしたのだ。

「なるほど。だが……!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 腕はすぐに再生する。道路すべてを浄化されでもしない限り、ウバイトールは敗れない。腕がすぐに生えはじめる。そして、プリキュアに狙いを定め、拳を握る。

「今度こそ終わりだ!」

 はるか上方から三人のプリキュアを見下ろし、ダッシューは勝利を確信した。



「翼持つ獅子よ!」



 風が吹き荒れた。それは、薄紅色の光を伴い、どこまでも強く、周囲のすべてを吹き飛ばさんばかりに吹き荒れた。



「角ある駿馬よ!」



 光がカタチを成した。薄紅色の光は、雄々しい神獣グリフィンを、空色の光は、清浄なる神獣ユニコーンを、そして――、



「天翔る飛竜よ!」



 残る紅蓮の光は、荒々しい神獣ドラゴンを、カタチ作る。



「な、何が起きるというんだ……!」

 ダッシューが見下ろす前で、三人のプリキュアたちはその光の中心にたち、手をつないでいるだけだ。しかし圧倒的な高貴が、光が、その場を支配していた。

「滅んだはずのロイヤリティの光がここまで強くなるのか……! なぜ、なぜだ!?」

 身の危険を感じ、ダッシューはウバイトールの手から跳び、空に逃げた。


…………………………

 光がドラゴをとりまいている。それだけではない。ふたりのプリキュアから、熱が流れ込んでくるようだった。

「これは、一体……」

「大丈夫だよ。安心して」

 キュアグリフがにこりと笑う。

「わたしたち三人ならやれるよ」

「ええ。大丈夫。私たちを信じて」

 キュアユニコが微笑んだ。

「三人で、あのウバイトールを倒すのよ」

「…………」

 だから、キュアドラゴも笑うことができた。

「……うん! やろう! わたしたち三人で!」


「翼持つ獅子よ!」

「角持つ駿馬よ!」


 頭に明確に浮かび上がるフレーズ。それを、ドラゴはそのまま、叫んだ。


「天翔る飛竜よ!」


 光が爆発的に広がった。己の背後に、荒々しいドラゴンが浮かび上がっていることに、ドラゴは気づかなかった。

 ドラゴは前に両手をかざした。グリフもユニコも同様、前に手をかざしている。

 それがトリガーだった。

 ドラゴは、グリフは、ユニコは、己の心が命じるままに、それを唱えた。




「「「プリキュア・ロイヤルフラッシュ!!」」」


 光の奔流が指向性を持つことなく四方へ飛ぶ。それは、周囲全てを浄化するような、爆発的な光の広がりだった。

『ウバッ……ウバァアアアアアアアア!!』

 周辺をすべて埋め尽くしたその光は、道路となり広がったウバイトールを残らず浄化し尽くした。やがてその凄まじい光が消えた後には、色を取り戻した世界が広がっていた。アスファルトは、いつも通りのねずみ色に戻っている。

「な、なんて力だ……」

 上空からのうめき声に顔を上げる。ダッシューが苦々しげな顔をして、三人を見下ろしていた。

「ダッシュー!」

「三人目のプリキュア、キュドラゴ、か……」

 ドラゴの呼び声に耳を貸すことなく、ダッシューは言う。

「覚えておくといい。これで済むと思うなよ。絶対に、君たちを倒す……!」

 そう言い残すと、ダッシューは宙に溶けるように消えた。

「あっ……」

 怪物はいない。

 ダッシューも消えた。

 世界は色を取り戻した。

 緊張の糸が一気に切れたようだった。意識が少し遠のき、身体がふらりと揺らぐ。

「おっとっと……」

「大丈夫?」

 ふたりの先達の戦士たちはさすがだ。そんなドラゴを抱え、支えてくれるだけの余力が残っているのだから。

「ご、ごめんなさい……ちょっと気が抜けて」

「初めて変身したんだもんね。無理させてごめんね?」

「いえ……」

「あら、先輩気分ね、グリフ」

「ユニコだって、さっきまで頼れるお姉さん、みたいな顔してたくせにー」

「そ、そんな顔してないわよ!」

 ふたりの手を借りて、なんとか自立する。すると、三人の身体から光が弾け、伝説の戦士の衣装が制服に戻る。髪の色も何もかも、元通りだ。身体中に負ったキズも治っている。

「……へ?」

「あっ……」

「あー……」

 その瞬間、三者三様の顔をして、変身前の三人が顔を合わせた。

「あ、あきら!?」

「ゆうき!? それに、大埜さんも!?」

「美旗さんだったのね。驚いたわ」

 あきらは理解が追いつかない頭を抱えて、うんうんと唸った。

「ゆ、ゆうきが、キュアグリフ?」

「うん」

「大埜さんが、キュアユニコ?」

「ええ」

 混乱しているあきらは、そのまま思っていることを口に出す。

「で、わたしが、キュアドラゴ?」

「そうだね」

「そうみたいね」

「え……ええええええええええええええええええええええ!?」

 あまりにも膨大な情報量に、あきらは驚くことしかできなかった。


…………………………

 そこは黒い場所。光はあるがすべてが黒いために光が反射しない場所。

「っ……ハァ……ハァ……」

 ダッシューはそこに敗走した。希望あふれる世界ホーピッシュにおいて、目の前でむざむざ新たなプリキュアを誕生させてしまった。

 そして三人のプリキュア相手に敗北を喫し、逃げてきたのだ。

「情熱のプリキュア……――」



「――キュアドラゴ」



「っ……!?」

 いつの間にそこに現れたのだろう。漆黒の壁にもたれるように、仮面の騎士デザイアが立っていた。

「デザイア様……」

「私はしっかりと他のプリキュアたちの足止めをしていたぞ? 情熱のプリキュアが生まれる瞬間までは、な」

 ダッシューの責めるような目線に気づいたのだろう。デザイアが言った。

「情熱のプリキュアが生まれてしまった以上、あれ以上のプリキュアたちの足止めは無駄であろう?」

「……ええ。おっしゃるとおりですよ」

 ダッシューは歯がみしながら。

「では、どうします? むざむざプリキュアを生み出すのを許したぼくを、始末しますか?」

 その言葉に、デザイアは仮面をつけた顔をもたげた。まっすぐにこちらを向く仮面には、何の感情も見て取ることが出来ない。

「……馬鹿を申すな。貴様にはまだやってもらうことがある。貴様もまた、大切なアンリミテッドの同志であるからな」

 デザイアはそれだけ言うと、デザイアのみが入ることを許されている、漆黒の扉を開いた。その中は光のない真の闇。そこに何があるのか、それはデザイア以外誰も知らない。

「情熱のプリキュアが生まれてしまった以上、貴様もまた、真正面から戦って打ち倒すしかない」

 デザイアは背を向けたまま、言った。

「より強い力を求めるのだな。過去の己を、振り返ってでも」

 そしてデザイアは扉の中へ姿を消した。残された彼は、歯を噛みしめ、壁を殴りつけた。

「ッ……! ぼくは……!」

 そこはアンリミテッド。

 光はあれど、すべてが黒いから、闇のように見える場所。


…………………………

 翌早朝に登校したあきらは、同じく早く登校したゆうきとめぐみから、中庭でプリキュアやロイヤリティ、アンリミテッドについて説明を受けていた。

「はぁ……ゆうきたちは今まで、そんなことをしてたんだね」

 話があらかた終わっても、未だに信じられない。昨日の一件もあるから、信じるしかないのだけれど、それでも、簡単に納得できる話ではない。

「プリキュア、かぁ……」

 早朝の澄んだ空気の中、空を見上げる。かざした左手に煌めく、真紅の腕輪。ロイヤルブレス。それは、あきらの情熱を呼び覚ましてくれた宝物だ。

「……わたしにできるかな」

「できる、ドラ」

 あきらのひざの上で、パーシーが言った。

「あきらは初めての変身でも、必死でパーシーを守ってくれたドラ。パーシーはそれが嬉しかったドラ。だから、あきらには、絶対にできるドラ」

「パーシー……」

 嬉しくて、パーシーを持ち上げ、ぎゅっと抱きしめる。ふと、視線を感じて目を向ける。ゆうきとめぐみのひざの上から、こちらをまじまじと見つめるのは、三人の妖精だ。

「引っ込み思案のパーシーが……」

「あんなに喋ってるの……」

「初めて見たレプ……」

「ドラ……っ」

 パーシーは恥ずかしそうに顔を赤くすると、もぞもぞとあきらの腕の中に隠れるように身を縮こまらせた。

「うーん……まだ、ブレイたちとはうまく喋れないみたいだね」

「グリ?」

 ゆうきが困ったように、ブレイを抱え上げた。

「三人が一斉に話しかけたら、パーシーが驚くから、ひとりずつね」


「わかったグリ!」

 ブレイはゆうきの手の中からピョンと飛び降りると、テーブルに降り立ち、言った。

「パーシー! ブレイたちはみんな、パーシーが無事で嬉しかったグリ! これから、よろしくグリ!」

「ど、ドラ……」

 パーシーがあきらの腕の中から顔を出す。

「ぱ、パーシーも、みんなに会えて嬉しいドラ。みんなで、ロイヤリティを、復活させる、ドラ……」

「グリ!」

 パーシーは恥ずかしそうだけれど、それ以上に嬉しそうにはにかんだ。ブレイも、フレンも、ラブリも、それを受け入れるように頷いた。

「と、言うことで、わたしたちもこれからはプリキュア仲間だね! よろしく、あきら!」

「う、うん」

 ゆうきが差し出した手を握る。

「よろしく、ゆうき」

「っと……」

 ゆうきが小さく震える。何事かと思ったら、ゆうきは恥ずかしそうに目を伏せて、言った。

「もう夏も近いのに、朝は少し冷えるね……。ごめん、ちょっとお手洗い……」

「あ、ち、ちょっと、ゆうき……」

「みんなで少し話しててー!」

 そう言い残して、ゆうきはその場を足早に後にした。


…………………………

「はふぅ……」

 お手洗いを済ませ、中庭に戻る。テーブルを挟んで、あきらとめぐみが向かい合っている様子が見て取れる。が、

「ん……?」

「…………」

「…………」

 遠目でも様子がおかしいのがわかる。あきらは顔を真っ赤にしてうつむいているし、めぐみは涼しい日陰だというのに汗をダラダラと流し、キョロキョロとせわしなく目を泳がせている。

「な、何をやってるんだろう……」

「あっ、ゆ、ゆうき!」

「ゆうき!」

 ふたりはゆうきを認めると、あからさまに安心したような顔をした。

「ど、どこまでいってたの……。すごく長かったよ……」

「えっ? いや、一番近いお手洗いだけど……。っていうか、五分も経ってないよね」

 あきらの不可解極まりない問いに、ゆうきは答えた。

「き、急にいなくなるから、どうしたらいいのかわからなかくて、焦ったわ……」

「えっ? いや、どういうこと?」

 非常にめずらしいことに、めぐみもよく分からないことを言っていた。

「…………」

「…………」

 ふたりは押し黙り、下を向いてしまった。

「?」

 本物の天然ボケと名高いゆうきに、そのふたりの心境をその場で察することなど、できようはずもなかった。


…………………………

 ゆうきがいくら天然ぼけで鈍いとはいえ、その日のうちになんとなく、めぐみとあきらの不可解な言動の意味が分かってきた。

 たとえば三人で話しているとき、ゆうきだけが用事ではずそうとすると、なぜかふたりとも着いてくる。

「?」

 たとえばお昼ご飯を食べているとき、ユキナと有紗に呼ばれたとき、なぜかふたりとも着いてくる。

「? ? ?」

 たとえば休み時間にお手洗いに立つと、なぜかふたりとも着いてくる。

「!? いやちょっと個室に一緒に入ろうとするのはやめてよふたりとも!」

 尋常なことではない。うんうんと考えをめぐらせて、ゆうきはようやく結論にたどり着いた。

「……ふたりとも、人付き合い苦手だもんなぁ」

 つまり、めぐみとあきらはふたりになるとどうしたらいいか分からなくなるのだろう。めぐみはきっといつも通りのクールなめぐみになってしまうだろうし、あきらはゆうきがいなくなったら一言も喋らない可能性がある。

(由々しき事態だね、これは……)

 ゆうきはうんうんと唸る。

(どうしたものかなぁ……)

 このままではプリキュアの戦いにも影響が出るかもしれない。ゆうきはうんうんと唸り続ける。二度目のプリキュア解散の危機なんてことになったら目も当てられない。

「……? 王野さん? どうかしましたか?」

 時は授業中。ゆうきは気づかないが、頭をふりふり考え事をするゆうきは、悪目立ちをしていた。数学の晴田先生は、そんなゆうきを優しく咎める。

「王野さん? 体調でも悪いんですか?」

(うーん、ふたりが仲良くなってくれたら一番いいんだけどなぁ。ふたりとも頭いいし、気も合うと思うんだけど……)

「王野さん……」

(ふたりを仲良くする方法……うーん……あっ)

「わかった!!」

 パンと手を叩いて立ち上がる。が、

「そうですか。わかりましたか」

 目の前に、ニコニコ顔の晴田先生がいた。

「あ、えっと、その……」

「わかったようなので、解いてもらいましょうか。黒板の問題、お願いします」

「えっ、あっ……」

 ゆうきは数学の授業中だということを思いだし、顔を真っ赤にして、言った。

「す、すみません。わかりません……」

「はい」

 晴田先生の笑顔が、日に日に怖くなっていく気がして、ゆうきは汗をダラダラと流すのだった。


…………………………

 その日の放課後のこと。

「「明日、三人でお買い物?」」

 ハモり方を見るに、決してこのふたりは気が合わないということはなさそうだ。ゆうきはそんなことを考えながら頷いた。

「うん。夏物の服とか買いに行きたいんだよね。隣町のショッピングモールに行きたいんだけど、ふたりとも予定が空いてたらどうかなー、って」

 数学の時間に思いついたのは、ふたりの親睦を深めるためのお出かけだ。幸いにして明日は休日だ。しかし、急にどこかに行こうと言っても不審がられるだろうし、何よりふたりが気まずい思いをするかもしれない。買い物くらいなら、自由も利くしいいだろうという、ゆうきの気遣いだ。

「わ、私はいいけど……」

 めぐみは言葉を濁し、ちらりとあきらを見る。

「わたしも、大丈夫だけど……」

 あきらもめぐみを見る。ふたりはバッチリ目が合ったようで、慌てた様子でそっぽを向く。

「……なんだろう。数年前のともえの公園デビューの頃を思い出すよ」

 あの妹は妹で、小さい頃は人見知りをしたものだ。と、そんなことはおいておくとして。

「じゃあ決まりだね。明日、10時にショッピングモールに集合ね」

「う、うん……」

「わかったわ」

 頷いたふたりを見て、ゆうきは内心気合いを入れる。

(よーし、こうなったらわたしが人肌脱いで、ふたりを仲良しにさせちゃうんだから!)


…………………………

 翌日、あきらは久々のゆうきとのお出かけに胸を高鳴らせながらショッピングモールへやってきた。それに、もしかしたら、めぐみとも仲良くなれるかもしれないし、なんてことも考えながら、だ。

 ショッピングモールのエントランスについたのは9時30分。まだ誰も来ていないだろうと思い込んでいたあきらは、そこに立っていためぐみを見つけて驚いた。

「……大埜さん、おはよ。早いね」

「おはよう、美旗さん。ちょっと、朝早くに起きてしまったの」

「そうなんだ」

「ええ」

 隣に並ぶが、会話はそこで途絶えてしまった。

(こ、こここ、こういうとき、どうしたらいいの!?)

 あきらは戦々恐々と、時計を見つめる。ゆうきは昔から時間ギリギリにならないとやってこないタチだ。少なくともあと30分は、めぐみとふたりきりの時間が続くことになる。

「えっと、その……良い天気ね」

 めぐみが口を開いた。あきらはびくりと身体を震わせ、反応する。

「そ、そ、そうだね。空、すごく、青いね」

 何を言っているのだ己は。あきらは、誰もいなければきっと自分の頭を思い切り叩いていただろう。

「晴れて良かったよね。ま、まぁ、このショッピングモール、屋内型だから、あんまり関係ないけど……」

「そうね。関係ないけど、晴れて良かったわよね」

 冷静に聞いていれば、めぐみもおかしなことを口走っているのだが、現状あきらにそれを感じ取ることはできなかった。

「てっ、天気ってさ、」

 あきらは何を取り繕おうとしているのか自分でも分からないまま、口を開いた。

「不思議だよね。なんか、こう、最近は、天気予報、すごく当たるし……」

「ほんとね。雨雲の位置もわかるものね。すごいことね」

 めぐみが頷く。お互い、目を合わせないまま、不毛な会話は続く。

 天気から雨雲の話に移り、雨雲から水たまりの話に移り、延々と続く会話は、やがて世界情勢に至り、いつの間にか無言に収束した。

(き、気まずい……!)

 あきらは頭を抱えたいような気持ちだった。正常な女子中学生は、たぶんこんな不毛な会話は繰り広げない。どうしたものかと思案していると、ぽーん、と、10時を知らせるチャイムが鳴る。果たして、そこに駆け込む影があった。

 ゆうきかと期待するが、妙に身体が小さい。

「あれ……? ひかるくん?」


「あっ、あきらさん。それから、えっと、お姉ちゃんのお友達の、めぐみさんですね?」

「え、ええ……」

「はじめまして。ぼくは王野ゆうきの弟のひかるです」

 現れたのは、ゆうきの弟のひかるだ。たしか小学校の中学年くらいだったはずだ。昔はゆうきと一緒によく遊んであげたものだ。ひかるは小学生とは思えないほど丁寧に頭を下げ、ふたりに向き直った。

「すみません。ぼくのもうひとりの姉のともえが、風邪を引いてしまって、姉が家を出られなくなりました。父は家にいませんし、母は仕事で家を空けているので、姉が看病していないといけないんです」

「えっ……?」

「それを伝えるために来ました。姉は、本当にごめん、と伝えてと言っていました」

「そ、そうなの……」

 あきらとめぐみはほとんど同じような顔をしていた。

 どうしよう、という顔だ。

「ひかるくん、わざわざありがとう。ともえちゃんにお大事にね、って伝えてもらえるかな」

「あと、ゆうきに、気にしないで、って伝えてほしいな」

「わかりました。姉たちにしっかり伝えます。それでは、ぼくはスーパーで買い物をして帰らないといけないので、これで失礼します」

 どこまで出来る弟くんだろうか。

 ふたりはそんなひかるを見送ると、お互い、ゆっくりと、驚かないように気をつけながら、目を合わせた。

「……ど、どうしようか?」

「そ、そう、だね。どうしようか……」

 このままめぐみと買い物をする?

 ふたりきりで?

 耐えられるだろうか。

 かといってこのまま別れる?

 ゆうきが来ないなら、ふたりでいても仕方ないね、って?

 無理だ。そんなこと言えるはずもないし、それは決してあきらの本意ではない。


「……あきら」

 手元で声がした。バッグの中から、パーシーが顔を覗かせていた。

「あきらは、パーシーに想いの伝え方を教えてくれたドラ。だから大丈夫ドラ」

 そのパーシーの言葉が、あきらに勇気を与えてくれたようだった。

 そうだ。大丈夫。

 あきらはもう、自分の意志を、情熱を、伝えることをためらわないと決めたのだ。

「えっと、その……」

「?」

 めぐみの目がこちらを向く。今までずっと、冷たくてそっけないと思っていた視線だ。

 けれど、それが彼女の本質でないことは、今はなんとなくわかる。

「……わたし、せっかく大埜さんと一緒にここにいるんだから、ふたりで、ショッピングモール、回りたいな」

「えっ……?」

 めぐみの頬に朱がさした。それを見て、あきらは、自分の想像が間違いではないと悟った。

「で、でも……私と一緒にいても、たぶん、あんまり、楽しくないわよ……」

「そういうことじゃなくて、わたしが大埜さんと一緒にいたいんだよ。わたしの方こそ、あんまり楽しい人間じゃないけど、それでも……」

「……うん」

 めぐみが嬉しそうにはにかんで、頷いた。それを見て、あきらもまた、自然と笑みを浮かべていた。

「あのね、ともえちゃんのお見舞いにいかない? そのために、このショッピングモールでお見舞いのための何かを買うの」

「それ、名案だわ。ゆうきを驚かせて、ともえちゃんを喜ばせてあげましょう」

「うん!」

 ふたりは笑い合って、ショッピングモールへと入っていった。


…………………………

 昨夜は本当の本当に、お出かけが楽しみで仕方なかったのだ。

 だって十年来の幼なじみと、最近知り合った親友を仲良くさせるなんて、どう考えたってわくわくするに決まっている。

 それなのに、だ。

「ゴホッ……ゲホッ、うぅ……」

「もうっ、体調悪いのに昨日遅くまで起きてるから……」

「うぅ……ごめん、なさい……ゴホッ……」

 ゆうきはともえの部屋で、清潔なタオルを冷水につけ、絞っていた。ベッドに横たわるともえは顔を真っ赤にして、本当につらそうな表情をしている。そんな顔を見てしまえば、妹想いの姉としては、それ以上何も言えなくなってしまう。

「ごめんねぇ、お姉ちゃん……」

「いいよ。謝らないで」

 涙すら流しそうな勢いのともえに言うと、ゆうきはよく絞ったタオルを優しくともえの額に乗せる。朝方、この普段は生意気極まりない妹は38度の高熱を出していた。解熱薬を飲んだとはいえ、まだ下がってはいないだろう。意識ももうろうとしているかもしれない。

「でも、お姉ちゃん、今日は、めぐ姉(ねえ)と、あきらちゃんと、お出かけだったんでしょ……」

「そうだけど……。って、あきらは幼なじみだからいいとして、めぐ姉って……」

 随分となついたものだ。まぁ、めぐみは姉妹喧嘩の仲裁をしてくれたこともある。ともえがなついていても不思議はない。

「ごめんねぇ……。せっかくのお出かけだったのに……うぅ……」

「ともえ、あんた、普段からそれくらい可愛かったらお姉ちゃんとっても嬉しいんだけどね」

 冗談めかして言うと、ゆうきは立ち上がった。

「じゃあ、お姉ちゃん、ちょっと洗濯物干してくるから、ゆっくり寝てなさい」

「えっ!? お姉ちゃん行っちゃうの!?」

 ともえがびくりと反応する。布団を蹴飛ばしかねない勢いに、ゆうきは慌てて屈む。

「せ、洗濯物干しに行くだけだよ」

「や、や~あ~! 一緒にいてよ~! うわーーーーーん!」

 普段の生意気さがなければもっと可愛く思えるのだろうなぁ、なんて。どこか他人事に感じながら、それでもゆうきはお姉ちゃんで、甘える妹を無下にすることはできない。泣き出したともえの頭を撫で続けると、やがてともえは泣き止んだ。

「わかった。お姉ちゃんどこにも行かないから、目をつむって寝なさい」

「うん……。ねえ、お姉ちゃん」

「なぁに?」

「手、握って」

「……本当、動画に撮っておいて普段のあんたに見せてあげたいわ」

 言いながらも、ゆうきは布団から出てきたともえの手を握る。火照った手は、冷水で冷え切ったゆうきの手を、心地よさそうに握り返した。

「えへへ、お姉ちゃん、大好き」

「……知ってるよ」

 現金なものだと思いながら、ゆうきはそっと、微笑んだ。

(あっ……)

 ふと、念頭に浮かぶ、親友と幼なじみのこと。

(めぐみとあきら、大丈夫かな……?)

 心配は尽きない。コミュニケーション能力に問題が多いふたりのことだ。最悪、ケンカなんてことになっていないだろうか。それでなくともめぐみは誤解を生むようなことを口走ることが多いし、あきらは本当にゆうき以外の人相手には無口だ。

 ドキドキと、心臓がいやな音を立てる。

(だ、大丈夫、だよね……?)


…………………………

 めぐみとあきらは、ショッピングモールでスイーツを中心に色々と見て回った。

 めぐみは、ふとした会話や言動から、あきらの人となりを少し、知ることができた。

(美旗さんって、笑うとすごく可愛いのね……)

 今まであまり笑ったところを見たことがなかったから知らなかった。眼鏡の下の瞳はクリクリと大きくて、目鼻立ちもスッと整っている。めぐみはよく周囲から美人だと言われるが、自分などよりよほど親しみやすく可愛らしい、整った顔をしているのではないだろうか。

「大埜さん、どうかした?」

「え、あ、いや、なんでもないわ」

 そして、あきらは、口数は少ないものの、決してめぐみのように口下手なわけではないように思えた。よく言葉を選んで喋っているように見えるし、色々な気遣いも見て取れる。

「……じゃあ、このプリンと、このチョコケーキと、モンブランと……」

「チーズケーキ、ショートケーキ……で、いいかな」

 ショッピングモールのスイーツショップで、自分たちと王野兄弟の分のスイーツを買い、ショッピングモールを出る。ゆうきの家までなら、そう時間はかからないだろう。

「それにしても、ともえちゃん、心配ね」

「うん……。あんまり悪くないといいけど……」

 あきらが目を伏せる。本当にともえのことが心配なのだろう。

「美旗さんは、」

「うん?」

 あきらの目がめぐみを向く。

「ゆうきの、幼なじみ、なのよね」

「うん。そうだよ。公園デビューの頃からの付き合いなの」

「……ふふっ」

 あきらの言葉に、思わず笑みがこぼれる。あきらが不思議そうな顔でめぐみを見つめた。

「どうかした?」

「ごめんなさい。ゆうきとまったく同じ事を言うものだから、可笑しくて……」

「えっ……」

 あきらはカァ、と頬を赤くした。

「や、やだ、すごく恥ずかしい……」

「ごめんなさい。でも、美旗さんとゆうきは本当に仲良しなのね」

「……どうかな」

 あきらは遠くを見つめるように。

「去年、別のクラスになってからはあまり話をしなくなっちゃったし、今年も、全然お話できてなかったし……」

「あっ……」

 己はまた地雷を踏んでしまったのだと、めぐみは直感で理解した。


「ご、ごめんなさい! 私、たぶん無神経なことを言ったわね。ごめんなさい」

「えっ? あ、いや……」

「本当にごめんなさい……。私、意図せず人を傷つけてばかりいるの。美旗さんに深いな思いをさせたなら、本当に謝っても謝りきれないわ」

「そんな、謝らないで。違うの。大埜さんは悪くないよ。わたしが勝手に……」

 あきらは恥ずかしそうに目を伏せた。しかし思い直すように、すぐに顔を上げて、めぐみの目を見つめた。

「……その、勝手に……大埜さんに、嫉妬してた、だけだから」

「えっ……? 嫉妬?」

 あきらは恥ずかしそうに続けた。

「わたしの方こそごめんなさい。わたし、大埜さんにゆうきが取られたって、勝手なこと思ってたんだ。ゆうきとせっかく一緒のクラスになれたのに、大埜さんとばかり一緒にいるから……」

「ああ……」

 ゆうきが何度かあきらの誘いを断っているのはめぐみも目にしていた。それを受けて、あきらはゆうきと一緒にいるめぐみに嫉妬していた、ということだろう。

「ごめんなさい。プリキュアのこととか、生徒会長選挙のこととかがあって、美旗さんとゆうきとの時間を、潰してしまっていたのね。本当にごめんなさい……」

「だっ、だから違うよ! 大埜さんは悪くないんだよ。悪いのはわたしだよ。大埜さんはゆうきと仲良くしてただけだもん。わたしは、仲間に入れて、とも言えなくて、勝手に嫉妬してただけだから……」

「でも、私、もっとゆうきに強く、美旗さんとの時間を作るように言ってればよかったわ」

「大埜さん……」

 あきらが立ち止まった。めぐみも立ち止まる。あきらは、立ち止まったまま、目いっぱいに涙を溜めていた。

「えっ!? み、美旗さん!? どうしたの!? わ、私、また何か気に障るようなことを言ってしまったかしら……?」

「っ……ちっ、違うの……わたし……嬉しくて……情けなくて……」

 あきらは、途切れ途切れの言葉を紡いだ。

「わたし、大埜さんが、こんなに優しいひとだって、知らなかった……。大埜さんの優しい、言葉が嬉しくて……でも、それ以上に、そんな人に嫉妬してた、自分が……情けなくて……」

「あっ、えっと……」

 こういうとき、どうしたらいいか、めぐみにはわからない。

 また、相手に嫌な思いをさせてしまうかもしれないと思うと、身体が動かない。

 きっと、今までだったら、そんな風に言い訳をして、何もできずいただろう。

 けど、今は。

 王野ゆうきという親友を得た今ならば。

 きっと、ゆうきなら、こうすると思える、今ならば。

「……美旗さん」

「あっ……」

 ぎゅっと、あきらの身体を包み込むように、抱きしめる。

「美旗さんは、感受性が豊かなのね。それって素敵なことだわ。美旗さんは情熱のプリキュアに選ばれるべくして選ばれたのね」

 ぽんぽんと背中を叩きながら、優しく抱きしめ続ける。

「情けなくなんかないわ。私だって嫉妬したりするもの。それって人間なら、誰だって一緒よ。だから、気にしないで。私は気にしてないから」

「大埜さん……」

 しばらく抱きしめると、やがてあきらは落ち着いたようだった。めぐみはそっとあきらを放すと、あきらの眼鏡の奥の目は少し赤いままだが、涙を流してはいなかった。


「ごめんね、大埜さん。取り乱しちゃって……」

「いいのよ。お役に立てたなら嬉しいわ」

 ふたりは笑い合い、王野家に向けてまた歩き出した。

「……最近、ともえちゃんにも会ってないなぁ。大埜さんはともえちゃんには会ったことがあるんだっけ?」

 あきらが口を開いた。

「ええ。この前、ゆうきの家に伺ったときに会ったわ」

「そっか。大埜さんは、もうゆうきの家に行くくらい仲良しさんなんだよね。いいなぁ」

 涙を流して、色々と吹っ切れたようだった。あきらは茶化すように言う。

「あら。私には美旗さんの方がゆうきと仲良しに見えるわ。それに、私の知らない昔のゆうきも知っているでしょう? わたしはそれが羨ましい」

 それはまぎれもなくめぐみの本心だ。初めての親友の昔を知らないのが、めぐみにはとても口惜しいことだ。

「なんか、わたしたち、ゆうきの話ばっかりだね」

「本当ね。こんなこと本人に言うのは癪だけど、私たち、本当にゆうきのことが好きなのね」

「似たもの同士だね、わたしたち」

「ふふ……」

 ふたりは声を上げた笑った。それは不自然な笑いではない、まるで友達同士で笑い合うような、自然な笑顔だった。

 ふと、めぐみは思い出す。あきらに言わなければならなかったことを。

「あのね、美旗さん」

「なに?」

「生徒会でね、ゆうきが庶務になったの」

「あっ……そうなんだ」

 あきらが寂しそうな顔をする。きっと、またゆうきと一緒にいる時間が減ることを考えているのだろう。めぐみは続けた。

「でもね、庶務はもうひとり必要なの。ぜひ、あなたにも庶務をやってもらいたいのよ、美旗さん」

「えっ……」

 あきらが信じられないという顔をした。

「わ、わたしが生徒会!? 本気……?」

「もちろん本気よ。もし、美旗さんがいいのなら、だけど」

「わたしが、生徒会の庶務……」

 あきらは考え込んでいるようだった。やがてめぐみを見ると、おずおずと口を開いた。

「……わたしでいいのかな」

「ゆうきが、あなたの字が上手だって、会長の騎馬さんに推薦したのよ。ゆうきが、あなたに庶務になってもらいたいって言っていたのよ」


「そっか。ゆうきが、わたしを……」

 あきらは笑って、頷いた。

「……わたし、やりたいな。生徒会の庶務」

「よかった。ありがとう、美旗さん」

「ううん。こちらこそ、誘ってくれてありがとう。大埜さん」

 笑顔が笑顔を呼んでいるようだった。ふたりは笑い合い、そして。



 男がふたりの目の前に立ちはだかった。



「久しぶりだな、キュアユニコ。そして、お初にお目にかかる。貴様がキュアドラゴだな」

「ッ……!?」

 世界が闇に染まる。それは、その男の登場によって現出した、アンリミテッドの闇だ。

「あ、あなたは、一体……」

 あきらが後ずさる。無理もない。あきらは知らない相手だ。めぐみはあきらをかばうように前に立つ。

「こんな休日にまでやってくるなんて!」

「そちらの都合など知らんな。まぁ、私は休日だからこそ出撃できたのだが」

「……?」

 男の言葉の意味は分からない。しかし、それを詮索している暇はない。

「我が名はゴーダーツ。アンリミテッドの戦士だ」

「アンリミテッド……!?」

 あきらがうろたえる。昨日ダッシューと戦ったばかりのあきらは、まだ戦いに不慣れだ。めぐみがサポートするのが筋だろう。めぐみは振り返り、言った。

「美旗さん、ゆうきはきっと戦えないわ。私たちふたりでやるしかないわ」

「……うん!」

 妖精たちを逃がし、ふたりはロイヤルブレスを掲げる。妖精たちよりもたらされた紋章をブレスに差し込み、戦士の宣誓を叫んだ。



「「プリキュア・エンブレムロード!」」



 ふたりの少女の姿が変わっていく。闇に染まった世界を救い出す戦士の姿だ。世界に色を、希望を、光を、取り戻すための力だ。


「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」


「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」


「「ファーストプリキュア!」」


…………………………

「この感覚は……!」

 ぴょこん、とブレイが跳び上がる。

「アンリミテッドレプ!」

 ラブリも跳び上がる。しかし、

「しーっ、静かにしてっ。せっかく寝ついたともえが起きちゃうっ」

 小声のゆうきにたしなめられる。それでも、ブレイもラブリも引き下がらない。

「で、でも、ゆうき! アンリミテッドが現れた気配がしたグリ!」

「わ、わかってるよ。でも、ともえをひとりにできないよ。っていうか、手を掴まれたままだよ~」

 寝ついたらともえの手を放し、洗濯物を干しに行く予定だったというのに。せっかく寝ついたともえは、ゆうきの手を万力のように掴んで放そうとはしないのだ。無理に引き抜こうとしたら、うんうんとうなって目覚めそうになったので、それ以上はやっていない。

「ど、どうしよう……」

「レプ……。どちらにしろ、体調の悪い子どもをひとりで家に置いていくわけにも行かないレプ。めぐみとあきらを信じるしかないレプ……」

 しかし、折良く階下の玄関が開く音がした。

「ただいまー」

「しめた。ひかるが帰ってきた」

 階下からの音に聞き耳を立てる。ひかるは手を洗い、買い物の荷物を冷蔵庫や戸棚にしまってくれているようだった。そしてそれが済むと、すぐに二階に上がってくる音がした。そして、程なくして、ゆっくりとともえの部屋のドアが開かれた。ブレイとラブリはすでにぬいぐるみのフリをして転がっている。

「あ、お姉ちゃん。ここにいたんだ。ただいま。頼まれてた伝言と、買い物は終わったよ」

「うん。ありがとう、ひかる。おかえりなさい」

 ゆうきは小声で応じた。

「ちょっと、近くに来て。いまね、ともえに手を掴まれて抜け出せないの」

「? ああ、ともえお姉ちゃん、強がりだけど寂しがり屋だもんね」

 ひかるは普段のともえが聞いたら怒り出しそうなことをさらっと言って、ゆうきのすぐ隣に座った。

「ひかる、ちょっと手を出して」

「……? いいけど……」

 ひかるが出した手を、空いている手で掴む。そして、ともえに掴まれている手を瞬間的に引き抜くと、ともえの手が寂しがる余裕すら与えず、間髪入れずにひかるの手を掴ませた。

「えっ? えっ? な、何事?」

「ふぅ。身代わり作戦成功」

「なっ、なんなの? 一体」

「ひかる。あんた、ともえお姉ちゃんのこと好きよね?」

「えっ……? うーん、まぁ、もう少し傍若無人で唯我独尊なところは直してほしいけど、好きだよ」

 素直だが、意外と言いたい放題の弟だ。


「じゃあ、ともえお姉ちゃんが寂しがらないように、一緒にいて、手を握ってあげててね」

「いいけど……。お姉ちゃんは?」

「わたし? ねえ、ひかる、わたしのことも好きよね?」

「えっ? 一体何なの……?」

「す・き・よ・ね?」

「……時々強引になってお母さんぶるところは正直辟易してるけど、色々と世話を焼いてくれたりお母さん代わりをしてくれたり、苦労をかけてるのは事実だし、好きだよ」

「……少しは歯に衣着せてよ」

 少しだけ心にダメージを負うが、仕方ない。これくらいは想定の範囲内だ。

「じゃあ、わたしは、これからちょっと出かけます」

「えっ? 本気?」

「ちょっと急に用事ができちゃったの。本当に、外せない大事な用事なの。30分……長くても一時間で戻るわ。だから、お留守番、お願い」

「…………」

 ひかるは呆れるような顔をしていたが、やがてため息をついて、頷いた。

「……ぼくも、友達とサッカーの約束してたけど行けなくなったってこと、忘れないでね」

「もちろん、感謝してるよ、ひかる。ありがと」

「どういたしまして」

 本当に良く出来た弟だと思う。寝起きはボーッとしているが、ゆうきやともえ以上に頭が回る、自慢の弟だ。

「……あと」

「何?」

 ゆうきはブレイとラブリを拾い、ドアに向かいながら、言った。

「……洗濯物干せてないの。もしともえの手を振りほどけたら、よろしく、なんて……」

「…………」

 弟の目線がこれほどまでに痛かったことがあっただろうか。

「……いいよ。やっておくよ。いつもお姉ちゃんばっかりにやらせてるのもおかしいことだし」

「うぐっ……。ここでそういうマジな感じのこと言われると、少し胸が痛いよ」

「ともえお姉ちゃんがぼくを解放してくれたら、だけどね」

 ひかるはそう言って、笑った。

「行ってらっしゃい、お姉ちゃん。車に気をつけてね」

「うん。行ってきます!」

 ゆうきはそう答えて、急いで家を飛び出した。


…………………………

「出でよ、ウバイトール!」

 ゴーダーツが手を掲げる。その声に応じるように、空が割れ、黒いヘドロのような固まりが落ちる。それはまっすぐふたりのプリキュアめがけて跳んだ。

「ドラゴ!」

 ユニコはドラゴの手を引き、かろうじて黒い固まりを回避する。

「ご、ごめん。ありがとう、ユニコ……」

「気にしないで。ドラゴにケガがなくてよかったわ」

「でも、お見舞いのケーキが……」

 黒い固まりはドラゴの手から、ケーキの入った紙箱を奪い取っていた。黒い固まりは紙箱の中に染みこんでいき、その真の姿をホーピッシュに現した。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「ああ!! ともえちゃんへのお見舞いが!」

 紙箱が巨大化したようなウバイトールが現れる。

「ゴーダーツ!」

「誰かに喜ばせたい、という気持ちだけではないな」

 ゴーダーツが笑う。

「自分たちも食べるためにケーキを買ったのだな。卑しいことだ」

「なっ……! こ、こちとら女子中学生よ!? ケーキが食べたくて何が悪いのよ!」

「悪いとは言わん。だが、その自分自身の欲望に勝てるか、プリキュア」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ウバイトールが拳を振り下ろす。ユニコとドラゴは二手に分かれ、跳ぶ。ユニコは大地を蹴り、ウバイトールめがけて拳を放つ。

『ウバッ……?』

「なっ……!?」

 バコッ、と。ウバイトールの身体が凹む。しかし、手応えはない。ウバイトールの凶悪な瞳が歪む。

『ウバァ!!』

「ぐっ……」

 ユニコがひるんだ隙に、ウバイトールの拳が飛ぶ。ユニコは寸前で回避し、後退する。

「ドラゴ、気をつけて! このウバイトールは紙箱が元だから、殴ってもダメージを与えられないわ!」

「任せて!」

 ドラゴの声が上空から聞こえた。ドラゴは上方に跳び上がり、ウバイトールの正面に降り立った。まるで、ユニコを守るように両手を広げた。


「情熱の炎を燃やす。あのとき、やれたみたいに」

「ドラゴ? 一体何を……?」

「ユニコを守りたい気持ち。ユニコと仲良くなりたい気持ち。そんな情熱を、拳に乗せて」

 ドラゴは目を見開き、拳を握った。その瞬間、ドラゴの両拳に炎が灯る。それは、何をも燃やし尽くすような、凄まじい熱気を持った炎だ。

「あれが、“燃え上がる情熱の光”……」

「はぁあああああああああ!!」

 感嘆するユニコをよそに、ドラゴが炎を手にウバイトールに迫る。

『ウバッ……!? ウバァアアアアアア!!』

 ウバイトールは巨体をよじらせてドラゴの拳を回避する。炎を恐れているようだった。

「ああ、元が紙箱だから、火は怖いのね……」

「感心している場合か、キュアユニコ」

 金属同士がこすれ合う音。前方でゴーダーツが剣を抜いた音だ。

「少しは強くなったか」

「……試してみたらいいわ」

 あの様子なら、ウバイトールはしばらくドラゴに任せて大丈夫だろう。ユニコは目の前のアンリミテッドの戦士を真っ直ぐに見据える。

「優しさの光よ、この手に集え! カルテナ・ユニコーン!」

“守り抜く優しさの光”がめぐみの手に収束し、カルテナが現れる。そして空いた手には“守り抜く優しさの光”で盾を作りだし、ゴーダーツと対峙する。

「デザイア様と刃を交えたと聞いた。よく生き残ることができたものだ」

「……たしかに、とんでもない実力の差を見せつけられたわ」

 ユニコは剣を構え、跳んだ。

「それでも、がんばって戦うしかないのよ!」

「心意気や良し。しかし、力がなければ何もできぬ!」

 カルテナの斬撃を、ゴーダーツは長大な漆黒の剣で受け止める。

「素人同然の剣で、何ができるというか!」

「剣は素人でも!」

 ユニコは心の中の想いを直接たたき込むように、カルテナに力を込める。ドラゴが拳に炎を纏わせるように、ユニコもまた、カルテナに“守り抜く優しさの光”を纏わせる。


「ッ……!」

「応えて! カルテナ・ユニコーン!」

 空色の光が膨張する。それは明らかな圧力をもって、ゴーダーツの剣を揺るがす。

「ぐっ……! そんな小手先の技で、このゴーダーツがやられるか!」

「まだよ!」

 さしものゴーダーツも体勢が崩れたようだった。ユニコはがら空きのゴーダーツの胸元に、空いた手で掌底をたたき込む。空色の光が集約し、小さな爆発を起こす。

「がッ……!」

「……っ」

 ゴーダーツが後へ吹き飛ぶ。しかし、アンリミテッドの戦士は倒れない。アスファルトを両足で削りながら、留まる。胸元を押さえながら、未だに衰えぬ闘志を見せつけるように、キュアユニコを睨み付ける。

「……なるほど。認めよう。貴様は紛れもなく、伝説の戦士だ」

「ありがとう。嬉しいわ、とってもね」

 対するユニコは、膝をつく。身体中から力が抜けるようだった。

(キュアユニコの力は、本来防御に特化したものなのね。防御の力で打撃を行ったり、ユニコーンアサルトのようにカルテナに光を纏わせて突撃するだけならまだしも、“守り抜く優しさの光”を直接攻撃に使おうとすると、負荷が高い気がするわ……)

 伝説の戦士プリキュアには明確に役割が振られているのだろう。力はその役割に準じたこと以外にも使えるが、効率は明らかに悪いと考えるべきだろうか。

「ここまでか、キュアユニコ」

「……悔しいけど、今の私じゃ、あなたと一対一では勝てないようね」

「そうか。ならば、これで終わりだ」

 ゴーダーツがゆったりとユニコに迫る。そして、長大な漆黒の剣を振り上げ――、



「――ユニコ!!」



 その声は、熱い情熱をまとっていた。

「むッ……!?」

 ゴーダーツが何かに反応し、振り上げた剣を、そのまま横に逸らした。その直後、剣に紅く熱い火炎がたたき込まれる。背後を振り返ると、ドラゴが肩で息をしながら、拳を前に突き出していた。

「わたしの大切な友達を、傷つけさせない、から!」

「……ぐっ。キュアドラゴの力、これほどまでとはな」

 ゴーダーツの漆黒の剣が、赤く熱を帯びていた。キュアドラゴの炎を受けて、剣がダメージを受けたのだ。


「ええい! ウバイトールは何をしている!」

「あっちにいるけど……」

 ドラゴが指をさす。

『ウバっ、ウバっ、ウバァっ……』

 その方向には、身体中を炎に包まれたウバイトールが、バタバタと手で自分の身体を叩き、必死で消火活動にいそしむ姿があった。

「なっ、情けない……私の生み出したウバイトールがあの体たらくとは……。キュアドラゴの炎で、剣にもダメージを与えてしまった。私もまだ修行が足りんようだな」

「ユニコ、大丈夫?」

 ゴーダーツが呻いているうちに、ドラゴがユニコに近づいて、ささやく。

「ええ。ありがとう。助かったわ」

 ユニコはドラゴの手を借りて立ち上がった。そして、呻くゴーダーツを尻目に、ドラゴの手をぎゅっと強く握った。

「あの、美旗さん」

「えっ? えっと、あの……何かな、大埜さん」

 顔をつきあわせ、お友達同士お喋りするように。

「あきら、って呼んでも、いいかしら?」

「えっ、あっ、えっ……ええっ!?」

「いや、嫌なら、アレだけど……」

「いやいやいや!」

「そ、そんなに嫌なのね……」

「ち、違うよ! 嫌じゃないよ! っていうか、呼んでほしいよ!」

 ドラゴは衣装と髪に負けないくらい、頬を真っ赤にして。

「わた、わたわた、わたしも……その、めぐみ、って、呼んでいい?」

「もちろん! 呼んでくれたら嬉しいわ!」

「あっ……う、うれしいな……め、めぐみ」

「うん。あきら」

 その瞬間、繋いだ手から光が噴出した。空色の清浄な光と、烈火の如く燃えさかる光が、ふたりの繋いだ手から噴き出し、瞬く間に周囲を埋め尽くした。

「これは、“守り抜く優しさの光”と……」

「“燃え上がる情熱の光”……」

 ふたりは顔を見合わせる。


「キュアドラゴ! キュアユニコ!」

 そんなふたりに、大声で呼びかけるのは、フレンと一緒に物陰にかくれていたパーシーだ。

「優しさと情熱は、未来を守って、未来を灯す、大事なものドラ! 優しさと情熱が手を取り合えば……」

「勝てない相手なんて、いないニコー!」

 パーシーの言葉を継いで、フレンも大声を張り上げる。

「だから、行くニコ!」

「ふたりで、欲望に墜ちた敵を、浄化するドラ!」

 ユニコはドラゴを見つめた。ドラゴも、ユニコを見つめ返してくれる。ふたりは頷いて、お互いの手を、もっと強く、握った。



「角ある駿馬よ!」

「天翔る飛竜よ!」



 光が指向性を帯びた。炎のような光と、空色の光が絡み合い、渦となって、プリキュアたちの手に集約する。

「ぐっ……」

 ゴーダーツが上空へ待避する。

 そして、ふたりのプリキュアから、猛烈な光が放たれた。




「プリキュア・ロイヤルストレート!」



『ウバッ……!?』

 ロイヤルストレートは、まっすぐウバイトールへ向かい、その闇の怪物を包み込む。

『ウバァアアアアアアアアアアアアア……!』

 ウバイトールはロイヤリティの光に包まれ、消滅する。残されたのは、元通りきれいになったケーキの紙箱だ。

「……キュアユニコは確かな力をつけている。そして、キュアドラゴの炎は、明確な脅威だ」

 ゴーダーツは上空で言う。

「四人目のプリキュア復活は、絶対に阻止しなければ……!」

 ゴーダーツはそう言い残し、空に溶けるように消えた。


「……ふぅ」

「はぁ~」

 ふたりのプリキュアは光に包まれ、元の姿に戻る。

「やったわね、あきら」

「うん、めぐみ!」

 ふたりは笑い合い、パンと、ハイタッチした。



「わ、わたし、せっかく急いで来たのに……」



「へ?」

「ゆ、ゆうき!?」

 震える声に振り返ると、そこにはぜぇぜぇと息を切らすゆうきの姿があった。

「いつ来たの!?」

「今さっきだよぅ……」


…………………………

 ゆうきは本当に、全速力で闇が広がる場所へと駆けつけたのだ。

(めぐみとあきらに任せるなんて、やっぱりダメだよ! ふたりはまだ仲良くなれてないんだから、わたしがサポートしないと、絶対ダメダメだよ!)

 ゆうきの中でそれは疑いようがないことだった。ゆうきはどうか無事でいてと祈りながら、とにかく走った。

 しかし、ようやくアンリミテッドの領域にたどり着いたとき、ゆうきの目に飛び込んできたのは、想像とはまったく別の光景だった。




「わたしの大切な友達を、傷つけさせない、から!」

 ドラゴが放った炎は、ゴーダーツの大剣を真っ赤にしていた。




 そして。

「あきら、って呼んでも、いいかしら?」

「わた、わたわた、わたしも……その、めぐみ、って、呼んでいい?」

 なぜアンリミテッドを前にもじもじと友情を確かめ合っているというのか。



 そんな風にゆうきが呆気に取られていると、ふたりのプリキュアはお互いに手を取り合い、凄まじいロイヤリティの光を放ち、瞬く間にウバイトールを浄化してしまったのだ。


…………………………

「ふたりともいつの間にそんなに仲良くなったの……?」

 ゆうきは呆然とするような顔でそう言った。

「わたしの心配は必要なかったわけだね……。っていうか、わたし自身がもう必要ない感じだね……」

 そしてその答えを聞く前に、勝手に落ち込んだ。

 ゆうきはうなだれていたから気づかなかったけれど。

「……まったくもう」

「仕方ないね、ゆうきは」

 あきらとめぐみは目を合わせ、苦笑していた。そして頷き合い、両側から、ゆうきの腕を取った。

「ゆうきは必要だよ。だって、ねぇ、めぐみ?」

「ええ。私たちが仲良くなったのは、ゆうきのおかげだもの」

「「ねー?」」

「へ? へ? へ?」

 あきらはめぐみと声を合わせる。ただひとり、ふたりに挟まれたゆうきだけが何も理解していないようだった。

「どういうこと? 教えてよ~!」

「内緒よ。ね、あきら?」

「うん。ふたりだけの秘密だね、めぐみ」

「なんかふたりともメチャクチャ仲良しになってるしー! ずるいよー!」

 ゆうきがジタバタと暴れるが、めぐみとあきらはゆうきの手を握ったまま、笑っている。

「今からあきらと一緒にゆうきの家に、ともえちゃんのお見舞いに行くところだったの」

「へ?」

「さ、行こう、ゆうき。ケーキも買ってあるよ」

「ほんと!? やったぁ! ありがとう、めぐみ、あきら!」

 ゆうきは意気揚々とご機嫌だ。するりとふたりの間から抜け出すと、ぴょんぴょんとスキップで前に行く。


「ほら、ふたりとも早く行こう。ケーキだよ、ケーキ!」

「まったくもう。現金なんだから」

 めぐみが苦笑する。あきらも笑って、ゆうきを追いかけようと手を握り、

「痛っ……!?」

 ずきりと、手が痛む。

「……?」

 気のせいだろうか。

 あきらは両手を握って開いて、確認する。

「っ……」

 今度は明確な痛みを感じた。しかし、両手には何のキズもない。

(なんだろう、これ……?)

 しかし、その痛みは一時的なもののようだった。しばらく手をグーパーさせると、痛みはいつの間にか消えてなくなった。

(……なんだろう。切り傷みたいな痛みと、火傷みたいなジンジンする痛みだった……)

「あきら? どうかしたの?」

 先に歩いていたゆうきが振り返る。

「大丈夫?」

 めぐみも心配そうな顔だ。

「……ううん。なんでもない」

 あきらはそう答えて、ふたりに駆け寄った。

 今はもう、痛みはない。

 きっと戦いを通して、少し気分が高ぶっているせいだろう。

 あきらはそんな風に考えることにした。


…………………………

 喫茶店、ひなカフェの裏から入れる二階は、寮のような宿舎になっている。

 彼は考え事をしながら、その二階の戸を開ける。広い入り口でくつばこに靴をしまい、廊下へ上がる。

「おかえりなさい、郷田先生」

 横から声がかかる。寮母のように世話をやいてくれる、この宿舎の管理人、ひなぎくさんだ。下のひなカフェを切り盛りしながら管理人もやっているのだから、日々忙しい人だ。

「先生はやめてください。ここでは私はただの店子です」

「難しい言葉を覚えたんですね。さすが、学校の先生です」

「体育科の教員ですがね」

 ひなぎくさんは嬉しそうな笑みを浮かべている。

「……シュウくんがね、申し訳ありませんでした、って謝りに来たの」

「……? 蘭童が?」

「ええ。新たな脅威をむざむざ生み出してしまった、って」

「ああ……」

 昨日の、美旗あきらのことを話しているのだとわかった。

「仕方がないことでしょう。それを言えば、わたしは王野ゆうきと大埜めぐみを目覚めさせました。奴の二倍の責任があるでしょう」

「そうね。私も、シュウくんには気にしないように言っておいたわ。彼のせいではないもの」

 そう言うと、ひなぎくさんはてくてくと彼に歩み寄った。

「ところで、大事な話があります」

 ひなぎくさんは、彼の目の前でそう言った。

「……なんです?」

「“郷田先生”がダメなら、私はあなたのことを何てお呼びしたらいいでしょうか?」

 深刻な話をされると思っていた彼は、気が抜けるような思いだった。

「お好きなように」

「うーん……そうね。じゃあ“篤志さん”って呼ぼうかしら」

「……御随意に」

 彼はそう答えると、ひなぎくさんの横を通り、自室へ向かった。

「ふふ」

 遠く、後から、ひなぎくさんの声が、かすかに聞こえた。



「……順調に育っているようですね。安心しました」



 それが何を指しているのか、彼には分からない。なぜなら、その瞬間に、とてつもない闇の発露を感じたからだ。

 振り返ることすら恐ろしくて、彼はそのまま、自室のドアを開け、逃げるように、入った。

「ふふ……ふふふふふ……」

 宿舎の二階には、その闇を帯びた笑い声が、しばらくの間響いていた。


 次 回 予 告

めぐみ 「また負けたー!」

あきら 「ひっ……! い、いきなり何……!?」

ゆうき 「最近の恒例行事だから気にしないで、あきら」

ゆうき 「それより、ファーストプリキュア就任おめでとう! あと、生徒会庶務も!」

あきら 「あっ、ありがとう、ゆうき。えへへ、とっても嬉しいな」

ゆうき 「……まぁ、本当は、わたしがあきらを庶務に誘いたかったんだけどね」

ジロリ

めぐみ 「えっ」 ビクッ 「し、仕方ないじゃない。あなたが言わないんだもの」

ゆうき 「ちょっと忘れてただけだもん!」

ゆうき 「……ふん、だ。ふたりともわたしの知らないところで仲良くなってるしさ……。って、あきら?」

あきら 「…………」 ズーン……

あきら 「……わたし、ゆうきに忘れられてたんだ。庶務に誘うの、忘れられてたんだ……」

ゆうき 「わー! ど、どどど、どうしよう!? またあきらが闇墜ちモードに!?」

めぐみ 「自分でなんとかしなさいよ。幼なじみでしょう。まったく……」

ハァ

めぐみ 「……と、いうわけで、次回、ファーストプリキュア!!」

めぐみ 「第15話【がんばれゆうき! 居残りは初恋の香り?】」

ゆうき 「……えっ!? わたし居残り!? っていうか初恋!?」

めぐみ 「ということで、また来週! ばいばーい!」

ゆうき 「ち、ちょっとめぐみ!? 居残りと初恋って……――わ、あきら! 泣かないでー!」

>>1です。
読んでくれた方、ありがとうございます。
来週は所用で投下できません。
また再来週、よろしくお願いします。

>>1です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。
すみません、連絡が遅くなりましたが、本日は夜頃に投下を始めます。
よろしくお願いします。


…………………………

「ぬぬぬぬぬ……」

 うなり声が鳴り響く。そこは、通常の教室よりはるかに広い木工室。それでも、響く。

 技術・家庭科の技術分野の授業中だ。みんな身につけているのは長袖のジャージで、木工の実習中だ。思い思いの作品の仕上げ段階だ。

「どうしたの、ゆうき」

「いま話しかけないで」

 うなり声の元凶、ゆうきは、めぐみの声を制する。ゆうきらしからぬ物言いに、めぐみは困惑した。

「? ゆうき、どうかしたのかしら……」

「ああ、いつものことだから気にしないで」

「いつものこと?」

 したり顔で言うのはあきらだ。その言葉に、近くにいた有紗とユキナもうんうんと頷く。

「ゆうきはねぇ、絶望的なまでに不器用なんだよ。ね、あきら」

「う、うん……」

 あきら――ゆうきとめぐみの働きかけによって、ユキナと有紗とも友達になったあきら――が、少しびくつきながら、ユキナの言葉に応じた。

「不器用?」

「そう。あんな風に、作った本棚がピサの斜塔よろしく傾いちゃうくらいにはね」

 有紗が言葉と一緒に指を差す。示した先にあるのは、唸るゆうきと、そのゆうきに押さえつけられて、なんとかカタチを成そうとしている、本棚のような何かだ。

「それで、ゆうきは唸りながら何をしているのかしら」

「大方、なんとか木を曲げて本棚を完成させようとしているんじゃないかな」

「木を曲げて、って……」

 曲げわっぱでも作ろうとしているのだろうか。

 しかしその有紗の言葉は間違っていなかった。ゆうきはうなり声を上げながらも、なんとか木の板を押し曲げると、体重をかけたまま釘と金槌を取り出し、こんこんと釘を打ち始めたのだ。

「……あれで止まるの?」

「うーん、無理だろうね」

 大道具の心得もある有紗とユキナが残念そうに首を振る。

「ゆうきは家庭科のお裁縫とかお料理は得意なのに、それ以外はからきしなんだよね」

 ゆうきを心配そうに見つめながら言うのはあきらだ。

「小学校の頃の図画工作もセンス皆無だったし、音楽もリコーダーで音程を外すくらいだし」

「美術の授業もなかなかだよね。ピカソの描いた絵に何重にも絵の具をぶちまけたような絵を描くもん」

「……色々とすごいわね」

 あきらもユキナも散々な言いようだが、その友人たちの言葉を疑う理由があまりなかった。ゆうきの不器用さとかドジさとか、そのあたりはめぐみにも多分に憶えがあるからだ。


 四人がハラハラと見守る中、ゆうきは金槌を台に置くと、満足そうな顔をした。

「……よし」

「何がよしなんだろう」

 そのユキナの言葉に、全面的に同意したい気分だった。ゆうきの作った本棚らしきものは、凄まじくななめに傾き、今にも倒れそうだが、なんとか自立している。使われている木材には今にも悲鳴を上げそうなほど曲がっているものもある。釘が飛び出している部分もある。

 しかし当のゆうきは、それを見てもやはり満足そうだ。

「は、初めて自分ひとりで木工ができた……!」

「見てて悲しくなってきたわ」

「同じく」

「ほんとだねぇ」

「うぅ、ゆうき……」

 あきらに至ってはゆうきを哀れむあまり涙を流している。

 と――、

「わっ……わわわわわっ!!」

 ゆうきの悲鳴が木工室中に響く。ゆうきの完成させたピサの斜塔よろしく傾いている本棚の、曲がっていた板の一部が外れたのだ。そしてそれを皮切りに、すべての木材が外れていく。

 カランカランと音を立てて、本棚だった歪なカタチをした木材たちが、ゆうきの足下にすべて転がった。

「…………」

 呆然とするゆうきに、めぐみたちは近づいて、無言で肩を叩いた。どんな言葉をかけていいのか、どんな顔をしていたらいいのか、わからなかった。

「……みんなぁ」

 振り返ったゆうきは、今にも泣き出しそうな顔だった。

「そんな顔しないの。手伝ってあげるから、もう一度作り直しましょう」

「でも、みんなも、自分の作品の作業があるでしょ?」

「えっ。今日で木工の授業は最後だって先生が言ってたから、」

 めぐみがが正直に答える。その隣ではあきらたちがめぐみの口を押さえようとしていたが、遅かった。

「私たちは全員、もうニス塗りも磨きも終えて提出したけど?」


「…………」

「あっ……」

 ゆうき表情がますます暗くなる。めぐみもすぐに、自分がまたもや失言をしたのだと悟った。

「……みんなわたしの敵だ」

「ご、ごめんなさい。嫌味みたいになっちゃったけど、そんなつもりなかったの。だってほら、ゆうき以外クラスのほぼ全員がもう最後の磨き作業に入ってるし……」

「……ねえ、めぐみ。いくらなんでもわざとやってない?」

「うっ……」

 あきらの呆れるような声がめぐみの心にグサグサと刺さる。

「……ごめんなさい。私、どうしてこう余計なことばかり言ってしまうのかしら」

「いいよ。めぐみがわざと言ってるわけじゃないって知ってるから」

 ゆうきは意気消沈した表情のまま、言った。

「いいもん。みんなが先に作業終わってても、わたしひとりでがんばるもん」

「だ、だから、私たちも手伝うって――」

「――そりゃダメだぞ、大埜」

 背後から声がかかる。

「みんなひとりでがんばって作品を完成させてるんだ。王野だけお前たちに手伝ってもらうのは、フェアじゃないだろう?」

「松永先生……」

 ヨレヨレの作業着に、成人男性にしては高くも低くもない上背。スリムというよりは、痩せているという表現の方が似合いそうなスタイル。分厚い眼鏡にかさなる前髪。やる気がなさそうに見える垂れ目。決してイケているとは言えない若手の教諭、松永小次郎先生だ。

 松永先生はくずれ落ちたゆうきの本棚だった木材を拾い上げ、眺める。

「んー……これは一から作り直しだな」

「はい……」

 ゆうきがうなだれたまま応える。

「もうすぐチャイムが鳴ってしまうから、居残りだな。今日の放課後は大丈夫か?」

「……はい、残れます」

「よし。じゃあ、今日の放課後、またジャージに着替えてここに来い」

「……わかりました」

 ゆうきの表情は沈んだままだ。松永先生は心配そうな顔をしていたが、授業の残り時間が少ないことを思い出したのだろう。前方の教員用の作業台に戻り、作業をやめるよう声を張り上げた。

「居残りかぁ……。初めてだけど、なんか心細いなぁ……」

「ゆうき……」

 ゆうきの顔色は優れない。めぐみは、拳をぎゅっと握って、ゆうきをどうにかして元気づけようと心に決める。


…………………………

 そんなめぐみを見つめて、あきらはぼそっと演劇部のふたりぐみに呟いた。

「めぐみってさ」

「うん?」

「ゆうきに負けず劣らず、不器用だよね。色々と」

「まぁねぇ」

 ユキナがニヤリと笑う。

「そんなところも含めて、可愛いんだけどね」

「……言えてる」

 あきらは微笑んで、頷いた。


…………………………

 初夏の空気も相まって、校庭は熱気に満ちていた。そんな中を、生徒たちは元気いっぱい、ボールめがけて走り回る。体育のサッカーの授業中だ。

 彼はそれを眺めながら、ボードの上に書類を広げ、逐一生徒の情報記入する。評価基準と評価規準とを思い出しながら、生徒ひとりひとりについて、明確なフィードバックと評定のためにひたすらペンと目をせわしなく動かし続ける。

「まったく、真面目だねぇ、君は」

「……蘭童か。授業中だ。邪魔をするな」

 背後からの声に、彼は目も向けず答えた。

「いやいや、郷田先生。ぼくは今、校庭の掃除をしているところなのですよ。ぼくもしっかりと仕事中ですよ」

「そうか。ならば無言で職務に励め」

「……はぁ。まったく、君はいつから真面目な体育教師に成り下がったのだい?」

「教師という言葉は好かん」

「……はぁ?」

 シュウが怪訝な顔をしたのが、声だけでわかった。

「常に上からものを言っているような印象を与えるからな。私は職務を全うする上で、生徒たちに対して偉そうではありたくない。だから私は、教員とか、教諭とか、そういう事務的な肩書きの方が性に合っている」

「……君は本当にどこに向かおうとしているんだ」

「この学校の先生は真面目で真摯に生徒と向き合っている方ばかりだ。適当な授業をしていたらすぐに潜入がバレてしまう。私は教員の経験などはないのだから、人一倍努力をしなければならん」

「そうかい。どうでもいいよ」

 シュウが呆れるように吐き捨てる。その間も、彼はひたすら、ボードの上の書類に、授業の様子を書き続ける。生徒ひとりひとりの適切な評価のために。

「お前も適当な仕事をしていないだろうな?」

「ぼくが? 心外だな。それは、この学校全体を見ても言えることなのかい?」

「…………」

 たしかに、シュウが赴任してから、学校が隅々までキレイになったとは、職員室でももっぱら評判だ。特に評価が高いのが、中庭の整備作業だ。中庭はまるでヨーロッパの庭園のように生まれ変わりつつある。伸び放題だった植樹は、今やシュウの手によって、様々な動物に姿を変えている。

「……ふん、そうか。そういえばお前は、元庭師で――」



「――その話はやめてくれないか」



 背後に立つシュウの気配が変わった。凄まじい怒気に、彼の背中が総毛立つ。しかし、己が失言をしたということはわかっていたので、彼は素直に、シュウの目を見て、口を開いた。

「すまない。失言だった。私も、同じ事を言われれば恐らく怒るだろう」


「わかってくれたらいいさ」

 シュウはすでに薄っぺらい笑みを顔に貼り付けていた。

「ほら、ぼくを見ていてどうする? 授業に集中しないとダメだろう? 新米の先生?」

「…………」

 シュウは器用な人間だ。怒りをすぐにどこかへ隠し、にこやかに嫌味を言うことができる。彼はその器用さにため息をつきながら、校庭の生徒たちに目を戻した。

「それにしても」

 シュウが言った。

「君もおかしいが、あっちは別の意味で可笑しいね」

 シュウの目線が向かう先は、彼にも予測できた。

「あー、もう!」

 ソレは、とても目立っていたからだ。

「どうしてこのサッカーってやつは、足でボールを蹴らなくちゃならないのよー!」

 ソレは後藤鈴蘭という、彼やシュウが赴任するのと同時期に転入した少女だ。とても浮いている子だと教員の間では有名だが、このダイアナ学園の女子生徒たちは鷹揚な子が多いから、問題にはなっていない。それどころか、気のいい生徒たちは鈴蘭のわがままや奇抜な言動を可愛らしいと考えている節すらある。

「何で体育の授業なんてあるのよー!」

 鈴蘭はなおも理不尽なことを叫ぶ。

「……メチャクチャだね。あの子に学校生活は無理があるんじゃないかと思うけどね」

「それはあのお方が決めることだ。私の知るところではない」

 応えつつ、彼の頭の中には、あの跳ねっ返りの小娘に、どう体育の楽しさを教えるか。どう身体を動かすことの大切さを教えるか。そんなことが駆け巡っていた。

 と、

「ふぎゃっ……!」

 ピッチの上で、鈴蘭が何かにつまずいで倒れ込んだ。駆け寄るべきか迷う彼の視線の先で、素早く鈴蘭に駆け寄る影があった。

「……騎馬か」

 先日生徒会長になった騎馬はじめだ。はじめが鈴蘭に手を差し伸べると、しばし逡巡していた鈴蘭であったが、素直にはじめの手を取って、立ち上がった。はじめはにこやかだが、鈴蘭は困惑と恥ずかしさを足したような、複雑な表情だ。しかし、それは決して、悪い感情ばかりの表情ではない。ふたりは二言三言会話をすると、またサッカーに戻っていった。鈴蘭にケガはないようだ。

「やれやれ。まったく、友達なんて作って、どうするつもりなんだか」

「教育的には大変意義があることだ」

「……君はまったく、本当に、プロの教育者になってしまったんだね。恐れ入るよ」

 シュウはそれだけ言うと、興味が失せたとばかりに、箒を持って彼に背を向けた。

「……ふん。私の闇が晴れることはない。欲望は決して消えはしない」

 彼は、ひとり、ペンを走らせながら、呟いた。

「今は雌伏のとき。潜入でホーピッシュを知り、徹底的に奴らを追い詰める。それだけだ」

 その目には、まじめな先生としての色だけではない。凶悪で、凶暴で、暗い暗い色が、含まれていた。


…………………………

 放課後、ゆうきはジャージに着替えて木工室の引き戸を開けた。補習や居残りという言葉にわくわくする子どもはそうはいないだろう。例に漏れず、ゆうきも暗澹たる気持ちだった。

「失礼しまーす」

「はい、どうぞ」

「待ってたわよ」

 疲れているのだろうか。ゆうきの目の前には、松永先生だけではなく、めぐみとあきらの姿もあった。

 一度戸を閉め、もう一度開ける。

「……なんでいるの?」

 結果は変わらなかった。めぐみとあきらは制服のまま、木工室の椅子に腰かけていた。

「応援よ、応援。先生にはちゃんと許可を取ったわ」

 めぐみが拳を握って言う。

「手伝わないって約束をしたから、手は貸せないけど……でも、アドバイスくらいはできるから」

 あきらが微笑む。

「一緒にがんばろ、ゆうき」

「めぐみぃ……あきらぁ……」

 なんて素晴らしい友情だろうか。ウルウルと目が潤む。ふたりにだって放課後、やりたいことくらいあるだろうに、ゆうきを優先してくれたのだ。ゆうきは嬉しくて、ふたりに歩み寄った。

 その直後のことだ。

「失礼します。松永先生、こんにちは。鈴蘭を連れて参りました」

 木工室の引き戸が勢いよく開けられて、はじめが顔を覗かせた。かと思えば、その後ろから、ドタドタと暴れながら、何者かが入ってくる。

「ちょっと、はじめ! 放しなさいよ!」

「暴れるな、鈴蘭。これもすべて君のためだ」

 その女子生徒は、ゆうきと同じようにジャージを身につけていた。漆黒と表現した方がいいくらい、艶やかで真っ黒な髪に、血色が悪そうな白い肌。牙のような八重歯が、可愛らしく口元から覗いている。必死で抵抗している様子だが、文武両道のはじめにその不健康そうな血色の細腕では敵わないだろう。

「ああ、騎馬。後藤を連れてきてくれたのか。わざわざ悪いな。ありがとう」

「いえ、礼には及びません。これもすべて鈴蘭のためです」

「あたしのためって言うなら、こんなことするんじゃないわよ!」

「居残り授業から逃げようとするからだ。授業中に終わらせられなかった分は、放課後に残ってやるしかないだろう」

 はじめは呆れたように言う。

「ワガママを言って先生を困らせるんじゃない、鈴蘭」

「むきー! 大体あんたは――」

 と、鈴蘭と呼ばれた女子生徒の言葉が止まった。口をあんぐり開けて、なぜかゆうきとめぐみを見つめている。

「……げっ、あ、あんたたち……」


「? あら、私たちのことを知っているの?」

 めぐみが問いかけると、鈴蘭はブルブルと首を振った。

「し、知らないわ! 全然、これっぽっちも……」

「まぁ、そうよね。初めましてだし。転校生の後藤さんよね? はじめまして、私は大埜めぐみ。あなたのお友達の……」

 めぐみがチラリとイタズラっぽくはじめを見る。はじめは恥ずかしそうにはにかんで、頷いた。

「……騎馬さんと同じ、生徒会役員なの」

「べっ、べつに、自己紹介しろなんて言ってないわよ」

 鈴蘭はぷいとそっぽを向く。

「すまないね、大埜さん。鈴蘭は気分屋なんだ」

 はじめが言った。

「でも、根は悪い子じゃないから、どうか許してあげてほしい」

「……ふん!」

 鈴蘭は、不機嫌そうに鼻を鳴らすと、そのままどかっと席に腰かけた。観念したということだろう。はじめはホッとしたように笑い、ゆうきたちに向き直った。

「大埜さん、王野さん、美旗さん、こんなところにいたのか。探す手間が省けてよかったよ」

「? どうかしたの?」

「実は、生徒会で緊急の仕事が出来たんだ。それでみんなを探していたんだ」

「あら。じゃあ、私とあきらは行った方が良さそうね」

 めぐみが心配そうにゆうきを見る。しかし、当のゆうきはそれに気づかない。

「えっ? じゃあ、わたし、生徒会に行っていいの?」

 ゆうきが期待を込めて言う。居残りを回避するのは、とても魅力的だ。が、はじめが不思議そうに言った。

「ん? 王野さん、どうしてジャージなんだい?」

「えっ? いや、その、今から、技術の居残りの予定で……」

「居残り? それは仕方がない。学業は学校において何より優先されるべきものだ。今日の生徒会活動には参加しなくていいから、王野さんはしっかり居残り授業に励むように」

 にべもない言葉だった。

「……はぁい」

 ゆうきの元気のない返事に頷くと、はじめはめぐみとあきらの肩に手を置いて、言った。

「それでは、大埜さん、美旗さん、生徒会室に向かおう」

「え、ええ」

「うん……」

「鈴蘭、しっかりと居残り授業を受けるんだよ。後で様子を見に来るからね」

「わかったわよ! しつこいわね!」

 そのまま、はじめと連れ立って、めぐみとあきらは木工室を後にした。


「じゃ、はじめるか。王野。後藤」

「はい……。って、わたしたちだけですか?」

「ん? ああ、他に時間内に作品が仕上がらなかった奴がいないからな」

「うぅ、わたしたちだけ……」

 そのゆうきの言葉に、鈴蘭が八重歯をむき出しに、言う。

「一緒にしないでよね。あたしは、転入生だから終わらなかっただけだし。もうすぐ終わるもの」

「……うぅ。転入生にも負けるわたしって……」

「ほらほら、お喋りする暇があったら手を動かせ」

 松永先生が呆れ顔で。

「後藤はあと組み立てとニス塗りと磨きだけだな。サクッと終わらせるぞ」

「わかってるわよ」

 先生に対しても同じ態度なのか、と、ゆうきは戦慄する。ゆうきの常識の中で、年上の人、特に先生に対して丁寧な言葉を使わないなど、ありえないことだったからだ。

「……はぁ。まぁ、少しずつでいいが、後藤は丁寧語を使えるようになるんだぞ」

「ふん、だ。使う場面があればちゃんと使うから、関係ないわ」

 鈴蘭はそう吐き捨てて、自分の作り途中の作品を取りに、木工室後方の保管棚へ向かった。

「あのー、先生」

「ああ、王野はこれだ」

 松永先生はそう言うと、教員用の作業机の上に、木材をどんと置いた。

「この中から好きなだけ持って行け。みんなの材料のあまりだ」

「えっ、こんなにですか?」

「全部使う必要はない。ただ、お前は色々と基礎ができていないからな、マンツーマンで教えながらやっていくぞ」

「……はぁい」

 みんなは普通にできていることなのに、自分だけがマンツーマンでないとできないのかと、肩を落とす。

「まず、図面は読めるな? まずは図面の通りにけがくところからだ。王野のけがきは、なんというかこう……うーん、個性的? だからな」

「無理してフォローしてくれなくていいですよ……」

 けがきとは、材に切断線や穴の印などをえんぴつなどで書くことだ。ゆうきは大量の木材の中から使えそうなものを取り出し、ひとつずつ丁寧にえんぴつでけがき線を入れていった。途中、ぶつからなければならない線と線がずれたり、穴の印の位置がかみ合わなかったり、投げ出したくなるようなことが何度もあったが、そのたびに松永先生は、ゆっくりと、ゆったりと、ゆうきにヒントを投げかけた。

「うーん……」

 松永先生は、決してゆうきに答えを教えてはくれなかった。ゆうきの作業がうまくいかない理由を、ゆうきは自分自身で探し出すしかなかった。

「……終わったわ。ニス塗りも磨きも完ぺきのはずよ」

「ああ、後藤。終わったか」

 松永先生はゆうきにつきっきりだったから、鈴蘭の作業は見ていなかった。ゆうきと違い、鈴蘭はひとりでも大丈夫だと考えていたのだろう。


「うん、しっかりできているな。後藤は物作りが得意なんだな」

「ふふん、当然よ。昔から色々な習い事をしてきたもの。これくらい――」

 鈴蘭の自慢げな声が止まった。

 不思議に思い、手を止めて振り返る。鈴蘭が頭を押さえて、明らかに狼狽していた。

「あ、あたしの昔……? いや、あたしは……」

「……? 後藤? どうかしたか?」

 松永先生が心配そうに声をかける。鈴蘭はハッとしたような顔をして、直後、表情が不機嫌なものになる。

「……なんでもないわ」

「そうか。体調が悪いとか、そういうことはないか?」

「なんでもないって言ってるでしょ」

 鈴蘭は吐き捨てるように言った。

「……そうか。ならいい。ところで、この作品だが、もう一回ニスを塗り足して、もう一度磨いたらもっときれいになるんだが……」

「……それは、やらないといけないこと?」

「ん……そういうことではないな」

「なら、いいわ。完成したんだから、これでいいでしょ」

 鈴蘭はそう言うと、てきぱきと片付けと掃除を終え、作品を提出用の棚に入れると、さっさと木工室を出て行った。

「んー……後藤が自分から片付けと掃除をするとは、よっぽど早く帰りたかったんだな」

 松永先生が不思議そうに言う。

「それにしても、もったいないなぁ。これだけの作品を作れるなら、あと一歩がんばれば、もっとすごい作品になるのに」

 それは、本当に残念がるような声だった。松永先生は鈴蘭が置いていった作品を見て、ボードに何かをかき込んでいく。作品の表面を撫でたり、底を見たり、内面を覗き込んだり、様々な角度から作品を見つめているようだった。

「あ、あの、先生」

「……ん、ああ、すまん、王野。いま行くよ」

「いや、聞きたいことがあるんじゃないんです。何をしてるのかな、って……」

「ああ」 松永先生は恥ずかしそうに。「生徒に見せるもんじゃなかったな。すまん。作品の評価をつけていたんだよ」

「あ、そっか。作品で成績を出すんですもんね」

「ん、まぁ、それもあるが、それ以上に、生徒へのフィードバックだな」

「フィードバック?」

 ゆうきの頭に大きなはてなマークが生まれた。

「要は、お前たち生徒がやったことに対して、俺たち教員は何かを返さなくちゃいけないってことなんだ。テストの点数然り、日記へのコメント然り、提出された作品に対しての講評然り、な。評価ってのはカタチに表われる成績だけじゃない。俺たち教員自身の授業への自己評価だったり、生徒自身の到達度の指標だったりするんだ――って、こんな話をしても仕方ないな」

「?」

「俺たち教員の仕事の話だよ。ヘンな話をして悪かったな。お前は気にしなくていい」


 ゆうきの中ではてなマークが増えただけだった。話の内容は四分の一もわからなかったけれど、ただひとつ、ゆうきには確かに分かることがあった。

「あの」

「うん?」

「松永先生は、本当に技術の授業が好きなんですね。あと、わたしたち生徒のことも」

「ん……」

 松永先生は狐につままれたような顔をする。かと思えば相好を崩し、愉快そうに笑った。ゆうきの近くに戻ってきて、隣の椅子に腰かけた。

「俺が技術が好きで、お前たちのことが好き、か。ま、間違いではないな」

 松永先生はニヤッと笑う。先生のそんな顔を見たことがなくて、ゆうきは少し、ドキリとした。

「じゃあ、俺もお前に、技術を好きになってもらって、俺自身を好きになってもらわないとな」

「へっ……?」

「後半は冗談だ。さ、続きをやるぞ」

「……はい!」

 ゆうきはえんぴつとスコヤを持ち、再び、ゆっくりと線を引き始めた。

 ふと、真剣な顔で自分の作業を見つめてくれる、松永先生の横顔を盗み見た。こんな真剣な顔も、あまり見たことがない。さっきのような、無邪気な笑い声も聞いたことがない。普段の松永先生といえば、自他共に認める冴えない先生で、ふにゃふにゃとした顔しかしないのに。

 真剣な顔をするとこんなにもキリッとするなんて、ずるい。

「……? 俺の顔に何かついてるか?」

「へっ? あ、いや、何も……」

 目と目が合う。ゆうきは慌てて目を逸らし、作業に集中することにした。

(ど、どうしてだろう……)

 ドクドクと流れる血液の音を感じながら、ゆうきは自分の頬が熱くなるのを感じた。

(わたし、なんでこんなにドキドキしてるの……?)


………………………………

 結局その日は、けがき作業だけで終わってしまった。明日は慎重に切断をしていくぞ、という松永先生の予告で、翌日も居残りが確定した。

 けれど、不思議なことに、ゆうきには居残りに対しての嫌な気持ちはきれいさっぱりなくなっていた。

 代わりに、明日も松永先生とふたりきりという事実に対するドキドキが生まれていた。

 作業が終わる寸前に来てくれためぐみとあきらは、ニコニコと楽しそうに片付けと掃除をするゆうきを手伝いながら、首を傾げていた。

 そしてめぐみとあきらと一緒にやってきたはじめは、鈴蘭がすでに帰宅していたことに、少し肩を落としていた。

「よし、今日も居残り作業がんばるぞ!」

 放課後、更衣室でジャージに着替え、意気揚々と木工室へ向かうゆうきを、めぐみとあきらは首を傾げて見送った。ふたりは今日も生徒会の活動で応援には来られないらしい。

 木工室に近づくにつれて、胸がドキドキと高鳴る。木工室の入り口の前に立ったとき、そのドキドキは最高潮に達していた。そのドキドキの正体がなんなのか、ゆうきには分からない。分からないけれど、それが嫌なものではないから、ゆうきはそのドキドキに身を任せ、頬を紅潮させながら、木工室の戸を開いた。

「し、失礼します」

「おう、王野か」

 待っていたのは、冴えない顔をした技術の教諭、松永先生だ。

今日はノコギリ挽きからだな」

「はい。がんばります!」

 けれどその冴えない姿を見かけた瞬間、ひときわ大きく、ゆうきの心臓が跳ねた。

 が、ふわふわとした気分はそこまでだった。

「まずは練習だな」

 松永先生はそう言うと、どさっと机の上に段ボール箱を置く。その中には、細かい端材がこれでもかと詰め込まれていた。

「あの、これは……?」

「ノコギリ挽きの練習用の端材だ」

 松永先生が答えた。

「ちゃんと切断線と仕上がり線をけがいてある。王野はノコギリ挽きが一番ひどかったからな。本番の前に、これで練習しろ」

 よくよく見てみれば、たしかに段ボール箱の中の端材には、切断線と仕上がり線のような線が描かれている。

「……い、いくつ、やればいいんですか?」

 ゆうきは恐る恐る尋ねる。そのときにはすでに、色々と浮かれていた気持ちはどこかへ吹き飛んでいた。

「当然、うまく切れるようになるまでだ」

 松永先生はすまし顔で答えた。ゆうきは昨日のスパルタな松永先生を思い出し、ほんの数分前まで浮かれきっていた自分を、突き飛ばしてやりたい気分になった。

「返事はどうした?」

「はぁい……」

 ゆうきは力なく返事することしかできなかった。


…………………………

 その少し前のこと。ゆうきが更衣室でジャージに着替えている頃、2年B組の教室では、HRが終わり、生徒たちは各自帰り支度や部活動の準備などにいそしんでいた。そんな中、窓際後ろに席を置く彼女は、ひとりきりで、ささっと帰り支度を終えていた。そのまま、カバンを持ち、席を立つ。と――、

「鈴蘭」

 呼び止められる。声は、HRが終わった後、せわしなく教室から飛び出していったはじめだ。

「……なんで戻ってきたの?」

 彼女は面倒くさそうに応じる。本当なら返事もしたくないような気分だが、それはどうしてもできなかった。はじめは鈴蘭の正面に回り込むと、言った。

「松永先生から聞いたよ。しっかり作品を完成させて、片付けと掃除もしてから帰ったんだってね。偉いよ、鈴蘭」

「……べつに。やりたくなくてもやれって言われるんだから、自分からやっただけよ」

 彼女ははじめの顔も見ずに言った。

「もう帰りたいんだけど」

「もう少しだけ」

 はじめはしかし、道を譲ろうとはしなかった。

「松永先生が、昨日、帰る直前に鈴蘭が急に元気をなくしたと言っていた。それが気になっていたんだ。今日も、あまり元気がないようだったしね」

「そんなのあたしの勝手でしょ。放っといてよ」

 そう言い捨てる。それでもなお、はじめは言葉を続ける。

「それから、松永先生が、鈴蘭の作品はあと一回ニス塗りと磨きをすれば、本当にきれいな木工作品になるとおっしゃっていた。もしも今日、時間があるなら、やっていかないかい?」

「やるかやらないかもあたしの勝手よ。あんたに言われることじゃないわ」

 彼女はそう言って、はじめの身体を押しのけて歩を進めた。

「しかし、もったいないとは思わないか? もう少しがんばるだけで、ひょっとしたら地区の展覧会の作品に選ばれるかもしれないんだ」

「あたしには関係ない。あたしは、あたしが欲しいものしか欲しくない」

 彼女は自分について歩くはじめを、憎々しげに睨み付けた。

「なんであんたはあたしなんかに構うのよ。放っておいてよ」

「友達だからに決まっているだろう」

「……じゃあ、友達なんかじゃなくていいわよ。邪魔なのよ」

 今度こそ、はじめの言葉は止まった。彼女について歩いていた足も止まった。けれど、ほんの一瞬だけ、彼女の足も、止まった。

「……あっ――」

「――そうか。そうだよね。すまない。お節介がすぎたかもしれない」

 彼女は、自分が何を口走ろうとしていたのか、わからない。

 ひょっとしたら、彼女の矜持に反するようなことを、口走ろうとしていたのかもしれない。

 それは、誰にも分からない。

「じゃあ、また明日。鈴蘭」

「…………」

 はじめは彼女の言葉を遮ってしまったことにすら気づかず、申し訳なさそうな顔をして、立ち去った。彼女は、昨日生まれたモヤモヤが、頭の中にどんどん広がっていくような気分だった。

「っ……」

 ギリリと、噛みしめる奥歯から、血がにじむ。鉄さびのような味が口に広がる。

「あたし……っ」

 答えは出ない。

 彼女はいま、問いすら満足に描けないのだから。


…………………………

 ノコギリ挽きについても、松永先生はやはり積極的に答えを言うようなことはなかった。ゆうきが何度も失敗して、自分で学んでいくのを待っているようだった。なかなかまっすぐに切断できないゆうきを、忍耐強く、辛抱強く、見守り続けてくれているように、ゆうきには思えた。やがて、ゆうきは松永先生に見守られたまま、端材をまっすぐに切り落とすことができるようになった。切断した端材はいくつに及んだだろうか。ゆうきの足下は切断するときに飛び散る木屑でいっぱいになっていた。

「……よし。よくがんばったな、王野。切り方のコツは、身体が覚えただろう」

「はい。力の入れ方とかが、わかったような気がします」

 へとへとのゆうきが答えると、松永先生は頷いた。

「それじゃあ、本番に行ってみよう。失敗したら、またけがきからだからな」

「……はい」

 ゆうきは本棚の材料――本番の材を万力に固定し、ノコギリを挽き始めた。ギコギコとリズミカルに、一定間隔で力を入れていく。ノコギリから出る木屑に惑わされずに、切断線を意識する。最後に切り落とすときは一番慎重に、ゆっくりと最後の部分が折れないように。そして、ゆうきはノコギリを挽き終えた。

「……よかった。仕上がり線はちゃんと残ってる」

 材はしかっかりと切断されていた。ゆうきはほっと胸をなで下ろし、次の材を万力に固定した。

 そんなことを数回繰り返して、ようやくすべての木材を切断し終えることができた。緊張の糸が切れ、どっと疲れが出てきたようだった。ゆうきはノコギリを作業机に置くと、ゆっくりと椅子に腰かけた。

「終わったぁ~」

「……ああ。全部しっかりと切断できてるな。ほとんど切断線の通りだ」

 松永先生がすべての材を確認して、笑みを浮かべた。

「よくがんばったな、王野」

「……は、はい!」

 ゆうきは、自分がノコギリを挽いた材をもう一度確認した。何度見ても、自分がやったとは思えないくらい、きれいな仕上がりだ。

「不器用なわたしに、ここまでできるなんて、思ってませんでした」

「ああ、よくがんばったよ。王野はがんばり屋さんだな」

 松永先生はゆうきを手放しに褒めてくれた。

「王野はたしかに、少し手先が不器用かもしれないが、それでもここまでできたんだ。それは王野の努力の賜だ」

「そ、そんな……そこまで言われるほどのことじゃ……」

 ふと、すぐ隣に松永先生が座っていることを思い出す。手を伸ばせば、触れられる距離だ。そんな距離で、松永先生は、ドジな自分のことを、笑顔で褒めてくれている。

 あまり先生に褒められるようなこともない、自分を。

「はぅ……」

 ゆうきの頬が一気に赤みを帯びる。

(ど、どうしよう……わたし……)

 ゆうきは困惑と嬉しさがないまぜになったような気持ちで、思った。

(……わたし、ひょっとして、松永先生のこと、好きになっちゃったのかもしれない)


…………………………

 生徒会の活動を終えて来てみれば、これは一体どういうことだろうか。

「……? なにをやってるんだろう」

「わからないけど、ゆうき、顔が真っ赤ね」

 あきらとめぐみは、こっそり木工室の戸を開け、中をのぞき見していた。最初は気づかれないように様子を見るだけのつもりだったけれど、ゆうきの妙な様子が気になってしばらく覗いていたのだ。そして、ゆうきが少し潤んだ瞳を、松永先生の方に向けたとき、ふたりは何とはなしに、悟った。

「……ねえ、めぐみ」

「ええ、あきら。あれって、そうよね……?」

 ふたりは顔を赤くしながら、事の推移を見守る。

「入ったらお邪魔だよね」

「そうね。ここで様子を見ていてあげましょう……――」



「――ふたりとも、何をしているの?」



 危うく跳び上がるところだった。無言のまま身体を震わせたふたりは、背後に立っていた人物に目を向ける。

「あっ……」

「ほ、誉田先生?」

 ゆうき、めぐみ、あきらの担任の先生。誉田華先生が、立っていた。

「あなたたちも松永先生に用事があるの?」

「あ、いえ。私たちは、ゆうきの居残りの応援に来たんです」

 めぐみがそつなく答える。

「ただ、その……入るのがためらわれて」

「? どういうこと?」

 誉田先生が怪訝な顔をして、戸に手をかける。

「わーっ。邪魔しちゃうんですか?」

「邪魔って……。仕方ないでしょ。お仕事なんだから」

 誉田先生はそう言って、戸を開けた。


…………………………

「失礼します」

「ん……?」

 木工室の戸が開き、誉田先生が入ってきた。松永先生は席を立ち、誉田先生を迎えた。

「おつかれさま、松永先生。王野さんの作業は順調?」

「ええ。ゆっくりですが、しっかり進んでますよ。ご心配なく」

 松永先生はやる気のない目のまま、誉田先生に応じる。

「……さすがは“先生の中の先生”。担任の生徒が心配ですか」

「あら。そんな風に言われるのは光栄だけど、わたしは王野さんの心配なんてしてないわよ?」

 ん? と、ゆうきは首を傾げる。先生ふたりの会話が、どうにも先生同士の会話らしくない。

「なんてったって、“小次郎くん”が見てくれているんだもの」

 小次郎くん!? と内心驚くゆうきだが、ふたりの雰囲気に圧倒されて、微動だにできないでいた。松永先生は呆れた、というような顔をして。

「……学校でその呼び方はやめてくれよ」

「そうね。ごめんなさい」

 対する誉田先生も、茶目っ気全開の口調だ。

「小次郎くんも、今はしっかり先生やってるんだから、“松永先生”って呼ばなくちゃね」

「だーかーらー、それをやめてくれって言ってるんだよ。っていうか、用が済んだなら職員室に帰れ」

 ゆうきはもう、半ば放心状態になりつつあった。あまりにも親密な会話の応酬は、恋する女子中学生の内心をずたずたにするに足るだけの威力があった。

「あら、ご挨拶ね。せっかく私が様子を見にきてあげたのに」

「見に来たのは、俺じゃなくて王野の様子だろうが」

「一応、若手教員のOJTも兼ねているつもりだけど?」

「そっちに若手って言われる憶えはねぇよ。二つしか違わないだろうが、歳」

「女性に年齢の話を振らない。相変わらずデリカシーがないわね」

 この、親密な感じは、恐らく、いや、間違いなく。

 いわゆる、アレだ。

 アレといえば、アレだ。

 アレだろう。

 ゆうきの中でいろいろなものがガラガラと崩れ落ちていくようだった。


「王野さん?」

「ひゃいっ!」

 唐突に声がかけられて、びくりと身体が反応する。誉田先生が優しく微笑んでいた。

「製作は順調?」

「は、はい。今のところは、しっかりできてます。……松永先生の、おかげで」

 精一杯の抵抗のつもりだった。優しく微笑んでいる、美人でスタイルも頭も良くて、優しくて頼れる、みんなの憧れの、誉田先生に対しての。誉田先生は面白そうな顔をして、近くの松永先生を肘で小突いた。

「へぇー。小次郎くんも、きちんと先生やってるのね。私も鼻が高いわ」

「なんであんたの鼻が高いんだよ。いいから、用事が終わったなら帰れ。俺は王野の居残りで忙しいんだ」

「……はいはい、わかったわよ。じゃ、王野さん、残りもがんばってね。応援してるわ」

 誉田先生はそう言い残し、木工室を後にした。

「ありがとう、ございます……」

 対抗したつもりが、返り討ちに遭ったような心境だった。

 肘で小突くくらい、親密な仲なのだろう。

 名前で呼ぶくらい、親密な仲なのだろう。

 そんなこと、火を見るより明らかなことだ。

「さ、じゃあ邪魔者もいなくなったことだし、作業の続きをするか」

「…………」

「? 王野? どうした?」

 松永先生の声も聞こえていなかった。ゆうきは、明確に言葉を思い描くのをためらったが、無駄なことだった。

 ゆうきの中でも、それはもう間違いないことだった。

(松永先生と、誉田先生は、きっと、とっても親密な……恋人同士……)

 ゆうきは疲れも相まって、がくっと机に突っ伏した。

「お、王野? 大丈夫か?」

 松永先生の声が遠く聞こえた気がした。けれど、ゆうきは何も考えたくはなかった。

(わ、わたしの初恋、一時間と保たずに終わった……)

 その日は結局、それ以上の作業はできず、ゆうきはいつの間にか木工室にやって来ていためぐみとあきらに付き添われて、帰路についた。


…………………………

 翌日、放課後。

「……うん。完ぺきに仕上がったな」

 材のやすりがけを行い、組み立て、ニスを塗り、磨く。

 それら一連の作業が終わり、ゆうきの本棚が完成した。今日は生徒会の活動がなかったゆうきとめぐみも木工室で本棚の完成を見届けた。

「わぁ……すごいよ、ゆうき! ゆうきが作ったものでこんなに形が整ってるの、初めて見たよ!」

「すごいわ! とてもゆうきが作ったとは思えない仕上がりよ!」

「……ふたりとも、褒めているつもりなんだろうけど、失礼だからね、それ」

 ゆうきは力なく憤慨しながら、それでも心の中は達成感で満たされていた。

 昨日の出来事はショックではあったが、それ以上に、自分自身でひとつのものを完成させられた喜びが圧倒的に大きかった。

「松永先生のおかげです。ありがとうございます」

「いや、俺は王野の作業を見ていただけだ。作業をやったのは全部王野だろう?」

「……はい!」

 信頼している大人からの言葉に、ゆうきの頬も自然と緩む。それこそ、昨日のショックなど、吹き飛んでしまうくらいに、嬉しいことだった。

(いや、まぁ、まだ引きずってはいるけど……)

 しくしくと痛む胸はどうしようもない。今は、自分自身でものづくりを達成したことを、喜ばなければ損だろう。

「わたし、この居残りがなかったら、絶対にものづくりが苦手なままでした。だから、やりきれてよかった……」

「……そうだな」

 松永先生は優しい目をして、言った。

「たとえ将来ものづくりに関わるような仕事につかなくても、これを作った経験値はお前の中に残る。それはきっといつか、王野の役に立つと思うぞ」

「はい。わたしもそう思います」

 ふと、視界の隅でめぐみとあきらがホッとしたような顔をしているのが目に入った。

「どうしたの?」

「えっ? いや、その……ゆうきがあんまり落ち込んでないみたいだったから」

「安心してたんだよ」

「へぇ?」

 どういうことだろうか。昨日の自分自身の恋する乙女のような瞳や、失恋をする瞬間を見られていたとはつゆ知らず、ゆうきは首を傾げる。しかしそれを問いただす前に、木工室の戸が開いた。

「王野さん。今日も様子を見に来たわよ」

 その声を聞いて、ドキリと心臓が跳ねる。

「……昨日の今日でまた来るか、普通」

「あら、あなたが言ったんじゃない。王野さんの作品が今日仕上がるから放課後見に来い、って」

「っ……余計なこと言うんじゃねぇよ」

 入ってきた人物に、心が軋んで嫌な音を立てる。大好きな人のはずなのに、そんな風になってしまうことが、ますますゆうきの心を苛む。

「誉田先生……」


「わ、すごいわね。とうとう仕上がったのね、作品」

「は、はい……」

 誉田先生は色々な方向からゆうきの本棚を眺めた。それはゆうきには、本当に興味深く生徒の作品を覗き込んでいるように思えて、居残り初日に、鈴蘭の作品を見つめていた松永先生の姿と重なって見えた。

(……入り込む余地もない。お似合いの先生カップルだ)

 なんて諦観混じりのことをゆうきが考えるくらいには、似ている。

「誉田先生、今日も邪魔をしにきたんですか?」

 松永先生がトゲトゲしく言う。

「残念でした。今日は松永先生に用事です。校長先生が呼んでるわ」

「えっ、俺を?」

 松永先生が嫌そうな顔をする。

「……俺、なんかやらかしたかな」

「そういう話じゃないわ。教育委員会への提出書類に目を通してほしいんですって」

「ん、ああ……そういやそんなこと言われてたな」

 松永先生は参ったという顔をして、ゆうきを見て、それから誉田先生に向き直った。

「悪い、誉田先生。ちょっと校長室行ってくるから、王野の片付けと掃除、見ていてやってくれ」


「最初からそのつもりよ」

「ありがたい。助かるよ」

 松永先生はゆうきに掃除が終わる頃には戻ると言い残し、木工室から急いで出て行った。ゆうきは椅子に座った誉田先生が監督する中、片付けと掃除に取りかかった。めぐみとあきらもそれを手伝う。

「……うーん、聞けば聞くほど、仲良しさが伝わってくる会話だね」

 こそこそと、あきらが言う。

「そうね。やっぱりあのお二人は……その、えっと……お付き合い、してるのかしら……」

 めぐみが顔を真っ赤にしながら言う。

「……だよねぇ」

 ゆうきがずーんと沈み込みながら言う。

「うーん、でも……」

 めぐみが言う。

「こう言っては何だけど、誉田先生と松永先生って……なんていうか……あんまり、釣り合っている感じはしないわよね」

 悪気はないのだろうが、めぐみが松永先生に対してとても失礼なことを言う。もちろん、ゆうきだってめぐみの言わんとしていることが分からないわけではない。


 ちらりと、誉田先生を盗み見る。私も手伝うわ! と言って箒を持って掃いている誉田先生は、こんな埃っぽい木工室にいても、どこか上品な美人さんだ。松永先生とは仲睦まじそうに見えるが、たしかにあの冴えない技術の先生に、誉田先生が釣り合うとは思えない。

「……よし」

「? ゆうき、どうしたの?」

「わたし、聞いてみる」

「えっ……? あっ、ゆうき……」

 ゆうきはゆっくりと誉田先生に歩み寄った。床の木くずを集めていた誉田先生は、ゆうきに気づくと、微笑んだ。

「あら、どうしたの? 王野さん」

「……誉田先生におたずねしたいことがあります」

「何かしら?」

 ゆうきは勇気を出して、問うた。

「“小次郎くん”って、何ですか?」

「えっ? ……ああ」

 誉田先生は一瞬、虚を突かれたような顔をして。

「……ごめんなさい。生徒の前でする呼び方じゃなかったわね。先生、ちょっとおふざけがすぎちゃったかもしれないわ」

 誉田先生は恥ずかしそうに笑う。

「気にしないで。プライベートな呼び方なの。友達に言っちゃダメよ?」

 誉田先生は茶目っ気たっぷりにそう言った。

「ぷ、プライベート、って……」

 ゆうきは、ためらいながらも、質問を続けた。普段のゆうきなら絶対にしないことだが、今ばかりは、気になって仕方がなかったのだ。

「ひ、ひょっとして、誉田先生と、松永先生って、その……お付き合い、してらっしゃるんですか……?」

「……? えっ?」

 誉田先生が心底不思議そうな顔をする。

「わ、私が、松永先生とお付き合い……?」

 直後、誉田先生が声を上げて笑いだした。

「……ふふ。ああ、そっか。多感なお年頃だものね、王野さん。ごめんなさい。ヘンな勘違いをさせてしまって」

「勘違い……?」

「幼なじみなの。私のほうが少し年上だけど、家が隣同士で、昔から“小次郎くん”って呼んでたから、ついつい出ちゃうのよね」

「えっ? じ、じゃあ、誉田先生は、松永先生と恋人同士じゃ……」

「ないわ。ただの仲良しの幼なじみよ」

 視界を覆っていたモヤモヤが晴れるような気分だった。ゆうきはほぅと大きくため息をつき、つい、思ったことを口に出してしまう。

「……よかった」

「……? よかった、って?」

「えっ!? あ、いや……なんでもないです」

「……あらあら」

 誉田先生は笑って。

「小次郎くんってば、モテるのね」

 考えていることを読まれているようで、ゆうきは頬が熱くなる。鏡を見なくても分かる。顔は絶対、真っ赤になっていることだろう。

 ぽん、と。両側から肩が叩かれる。めぐみとあきらが、うんうんと頷きながら言った。

「よかったね、ゆうき」

「これで片思いを続けられるわね」

「や、やめてよぅ……。恥ずかしいんだから」

 ゆうきはますます顔を赤くして、生暖かい笑みを浮かべる友達と先生から離れて、ひたすら掃除に没頭した。


…………………………

 木工室の中での会話が、意図せず聞こえてきた。

 恋人だとか、モテる、だとか。そんな、愛にまつわる会話だ。

 彼女はその話を聞いて、自分でも気づかないうちに、戸の持ち手に力が入っていた。

 手が、怒りとも憎しみともつかない感情で震え出す。

 目の前の全てが、憎くて仕方がない。

 ありとあらゆるものに、怒りをぶつけたくて仕方がない。



 ――――『――ぼくは、君を愛している――』



「ッ……!」

 遠い過去。もう思い出せない。思い出してはいけない。思い出したくもない。過去。

 世界が固く暗い鉄格子で閉じられていたときのこと。

 そこに現れた光のような誰か。

 その、誰かに裏切られ、ロイヤリティの中の地獄を味わった、あのときのこと。

 何も思い出せないのに、ただただ、ロイヤリティへの憎しみだけがあふれていく。

 あの世界を形作った王族に対する怒りがあふれていく。

「愛なんて……ッ!」

 世界を真っ暗に染める闇が、彼女のその憎しみから、怒りから、ホーピッシュのきらびやかな世界を浸食する。

 世界が暗く染まる。コントラストを失い、色が消えていく。



「――愛なんて、いらないッ!!」



 それはモノクロの、アンリミテッドの世界だ。


…………………………

 教室の中が急に暗くなる。何事かと判断するより先に、今まで楽しそうに笑っていた誉田先生が膝をついた。

「誉田先生!? 大丈夫ですか?」

「な、何かしら……? すごく、眠い……の……」

 誉田先生は、そのまま床に倒れた。

「ほ、誉田先生!?」

「……大丈夫。呼吸はしてるわ」

 取り乱すゆうきに、めぐみが冷静に言った。

「一体これは何なのかしら。アンリミテッドだとは思うのだけど、今までと何かが違うような……」

 その瞬間、凄まじい音がして、木工室の戸が蹴破られた。

「っ……!? ゴドー!」

「…………」

 うつろな目をして立っていたのは、アンリミテッドの戦士がひとり、ゴドーだ。ゴドーは焦点も定まらないような目をしたまま顔を上げ、ゆうきたちを睨み付けた。

「……この、ホーピッシュまでもが」

「えっ……?」

 ゴドーが小声で呟く。しかし、次の瞬間、ゴドーの身体から、凄まじい黒い波動が発せられた。

「この、ホーピッシュまでもが!! あたしを苦しめるのか!! あたしを、あざ笑うのか!!」

 ゴドーの大声とともに、闇が吹き荒れる。

 誉田先生をかばいつつ、伏せる。ゴドーから四方八方に発せられた闇は、全校生徒たちが技術の授業で製作した作品にとけ込んでいく。

「なっ……何、これは……?」

 あきらが周囲を見回しながら言う。まるで、木工室全体が闇で塗り固められたような状態だった。ゴドーは焦点の定まらない目をしたまま、気が狂ったように諸手を挙げた。

「出でよ!! ウバイトールども!! このホーピッシュを、欲望の闇で染め上げなさい!!」

 闇の瞳が開く音が、いくつも重なって聞こえた。

『ウバ……!』

『ウバァアアア!!』

『ウバッ!!!』



『『『『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』』』』


…………………………

「素晴らしい闇だ。ゴドー」

 仮面の騎士、デザイアは、はるか上空から、その闇の発生を見届けていた。

「これは、位相をずらしたのではない。ゴドーの強大な闇が、ホーピッシュそのものを闇に染めているのだな。そして、ゴドーそのものの闇が、いくつものウバイトールを同時に発現させた。素晴らしい! 素晴らしい力だ、ゴドー!」

 ひとつの学校のひとつの教室という、極小規模領域ではある。しかし、そのエネルギーは、凄まじいものだ。もしもこのゴドーの闇の力が安定的に供給できるのならば、ホーピッシュを闇が飲み込むことなど、容易いことだろう。

「……ゴドーの愛への憎しみ、ロイヤリティへの憎しみ、王族への憎しみは本物だ。さぁ、プリキュアたちよ。今までのゴドーだと思ってかかると、痛い目を見るぞ。さぁ、我々アンリミテッドに抗ってみせろ、伝説の戦士よ」

 しかし、闇の領域が教室ひとつではいくら何でも狭すぎるだろう。デザイアは指を鳴らし、闇に墜ちた木工室ごと、学校の位相をアンリミテッドへとずらした。

 学校全体がモノクロに覆われ、無関係の生徒たちが消える。

「む……?」

 しかし、デザイアはアンリミテッドの位相に墜ちた学校の中に、いくつかの人の気配を感じた。

「すでに闇の影響を受けている人間は、共にアンリミテッドの位相にズレる」

 少し前に、王野ゆうきの妹、ともえがゴドーの戦いに巻き込まれたのと同じ事だ。アンリミテッドの闇やロイヤリティの光と関係が深くなってしまった人間は、ホーピッシュ以外の力から強い影響を受けることになる。

「このホーピッシュ全体が闇の影響を強く受ければ、いずれこの世界すべてがアンリミテッドと同化する。人間も、何もかも、アンリミテッドへと墜ちるのだ」

 デザイアははるか上空からダイアナ学園を見下ろし、笑う。

 ロイヤリティを飲み込んだアンリミテッドは今、希望の世界ホーピッシュへの侵攻を、本格的に始めたのだ。


…………………………

「う、うそでしょ……!?」

 数えきれる量ではなかった。木工室中を埋め尽くさんばかりに、大量のウバイトールが発生する。

「まずいわ! 退路を断たれる前に、外に逃げるわよ!」

「うん!」

 めぐみが先導し、素早く窓を開ける。ゆうきとあきらは肩に誉田先生の手を回し、少し引きずるようにはなってしまうが、丁寧に運ぶ。大量のウバイトールが狭い場所でうまく動けないうちに、誉田先生を連れた三人は、外に逃れることができた。

「ちょっと、ブレイ。あれは一体何事なの?」

 カバンに呼びかけるも、返事はない。ブレイは、カバンの中でガタガタと震えていた。

「ど、どうしたの、ブレイ?」

「あっ、あのときと、一緒グリ……」

「あのとき?」

「……ロイヤリティが滅んだときと同じ闇の波動レプ」

 震えるブレイに変わり、ラブリが答えた。

「あの闇の波動は、世界中を闇の化身――ウバイトールで埋め尽くすに足るだけの力を持っているレプ。もしもあの闇がもっと大きくなれば、ホーピッシュも、ロイヤリティと同じ命運を辿るレプ」

「でも、今はプリキュアがいるニコ!」

 めぐみのカバンからフレンが顔を出す。

「そう、ドラ。あきらたちの力があれば、この闇も止められるはずドラ」

 あきらのカバンからパーシーも飛び出した。

「……レプ。まだ、ロイヤリティが滅んだときとは状況が違うレプ。どうやら、いま闇に侵食されているのは、この世界のほんの一部だけのようレプ。だから、今すぐあの闇を浄化すれば、ホーピッシュヘのダメージはないレプ」

「……うん。それだけわかれば十分だよ」

 ゆうきはロイヤルブレスに手を置いた。勇気を象徴する伝説の腕輪が、ゆうきに力をくれるようだった。ゆうきはめぐみとあきらと目配せし合い、頷いた。

「いくよ! みんな!」

「ええ!」

「うん!」

 妖精たちも身を乗り出し、叫ぶ。

「勇気の紋章!」

「優しさの紋章!」

「情熱の紋章!」

「「「受け取るグリ!」 ニコ!」 ドラ!」

 三人の王族から光が飛ぶ。それぞれの光は、それぞれの戦士の手に渡り、カタチを成す。それは、勇気、優しさ、情熱を象徴する紋章だ。少女たちはそれを、ロイヤルブレスへと差し込んだ。そして、伝説の戦士の宣誓を叫ぶ。


「「「プリキュア・エンブレムロード!!!」」」


 光が爆発する。三人となった伝説の戦士は、その光の力を三倍以上に増幅しているようだった。世界に一時的に色が戻るような、そんな圧倒的な光を放ちながら、少女たちはその姿を変えていく。

 薄紅色の、勇気のプリキュアへ。

 空色の、優しさのプリキュアへ。

 紅蓮の、情熱のプリキュアへ。

 そして、伝説の戦士へと姿を変えた少女たちが、はるか上空より大地に舞い降りた

「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」

「守りぬく優しさの証! キュアユニコ!」

「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」


「「「ファーストプリキュア!!」」」


 光の世界ロイヤリティ、その伝説の戦士が、闇の軍勢に真っ向から対峙する。


…………………………

「これは、一体何事なんだ……」

 はじめは、急に暗くなり色を失った学校にひとり取り残されていた。廊下にも、教室にも、職員室にも、生徒や教員の姿はなかった。



『ウバイトォ……ォオオオ……オオオル!!』



「っ……!」

 どこかから、怪物の叫び声のようなものが聞こえる。はじめは周囲から完ぺき超人と言われているが、本人にそんな自覚はない。騎馬家の娘として、そしてダイアナ学園中等部の生徒会長として完ぺきであろうとはしているが、ただの女子中学生だ。

 怖くないわけなどない。

 はじめは怖い物知らずなわけではない。ただ、もしもこの異変に巻き込まれ、倒れている生徒がいたら、生徒会長として放っておくわけにはいかないだろう。その使命感が、はじめを突き動かす。

 だから、はじめは怖くても、恐ろしくても、怪物たちの叫び声が聞こえる方向へ進んでいった。

 そして、たどり着いたのは木工室だった。

「ッ……!?」

 入り口に身を隠し、中の様子を伺うと、にわかには信じがたい光景が広がっていた。

『ウバァァアアアアア!!』

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

『ウバッウバッ!!』

 木工室内は、異形の怪物で埋め尽くされていた。本棚のようなカタチをしたものや、ラジオのようなカタチをしたものなど、様々な姿をしている。しかしそれらは一様に、悪辣な瞳ををたたえ、一点を見つめていた。

「なんだ、あれは……?」

 窓の外、怪物たちが見つめる先に、光り輝く何かが見える。かすかに見えるそれは、人のカタチをしていた。桃色、青色、赤色だろうか。三者三様の色の衣装を身につけ、どうやら、外に出た異形の怪物たちと戦っているようだった。

「……あの女の子たちが圧倒しているのか」

 かすかに見える外。それは、間違いなく、怪物たちを三人の少女たちが倒す光景だった。力の差は明確だった。しかし、怪物たちは何度倒されても少女たちに立ち向かっていく。やがて、木工室内にいた怪物たちもすべて外に出て、少女たちは怪物に埋め尽くされ、見えなくなってしまった。しかし怪物たちは相変わらずどんどん吹き飛ばされているから、少女たちが健在なのは間違いないだろう。ふと、木工室内に目を向ける。すると、あまり見たくはないようなものが目に飛び込んできた。

「……す、鈴蘭!?」

 それを見た瞬間、目の前にスパークが散ったような気がした。はじめは怪物に見つかるかもしれないという不安すら感じる余裕もなく、木工室内に倒れる鈴蘭に駆け寄った。

「す、鈴蘭!! 鈴蘭!!」

 はじめは動揺していたが、冷静でもあった。鈴蘭の呼吸と脈拍が正常だということを確認すると、すぐに鈴蘭を木工室の外に連れ出し、その華奢な身体を負ぶって、廊下を走って安全圏へと待避した。怪物と戦っていた三人の少女たちのことも気がかりだが、それ以上に、鈴蘭を安全な場所に逃がすことが最優先だった。

「鈴蘭、君は絶対私が守る……!」

「…………」

 眠っている鈴蘭から返事はない。はじめはただ、鈴蘭の無事を祈りながら、廊下を走った。


…………………………

「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ! プリキュアに力を! プリキュア・ユニコーンアサルト!」

『ウバッ……!? ウバァアアアアアア……』

 清浄なる空色の突撃が、ウバイトールを一体浄化する。浄化するたびに、ダイアナ学園の生徒が技術の授業中に製作した様々な作品が姿を現す。しかし、ウバイトールの数はあまりにも多く、そしてプリキュアたちの体力には限界があった。

「さすがに数が多いわね!」

 キュアユニコは、押し寄せるウバイトールの大群を“守り抜く優しさの光”で押しのけながら、それぞれウバイトールと戦っているであろうキュアグリフとキュアドラゴに向け、叫ぶ。

「一体一体カルテナで浄化するのは効率が悪いわ! ロイヤルフラッシュでまとめて浄化するわよ!」

「そ、そうは言っても!」

 ウバイトールの大群がうごめく中、どこかからグリフの声が聞こえた。

「ユニコとドラゴがどこにいるのかわからないよー!」

「っ……そうね!」

 三人のロイヤリティの力の光は凄まじいが、それを覆い尽くしてあまりある闇の瘴気が漂っている。これは尋常ではない。今まで、自分たちの放つ光が闇に負けることなどなかったというのに、今はウバイトールの大群がひしめき合っていることもあって、まったくお互いの光が届かない。

「今までのアンリミテッドの闇とは桁違いだわ! 何かが起こったと考えるべきね!」

「アンリミテッドの戦士も、いないしね!」

 ドラゴの声も飛ぶ。

「でも、あのダッシューとか、ゴーダーツっていうひとがいないなら、チャンスかも!」

 ドカン! と凄まじい爆炎が彼方で上がった。複数のウバイトールが空を舞う。それはまぎれもない、キュアドラゴの“燃え上がる情熱の光”だ。闇の瘴気すら燃やし尽くす勢いで、ユニコに光を届けたのだ。

「今の炎、見えた!?」

「うん!」

「ええ!」

 ドラゴの問いにグリフの声も応える。ユニコも大声で応じる。ドラゴは言った。

「今からわたしが全力で“燃え上がる情熱の光”を放つよ! 周辺のウバイトールを全部吹き飛ばすから、その隙にふたりはわたしのところに跳んで!」

「いい作戦だわ!」

「さっすがドラゴ! 学年一の秀才!」

 常に定期テストでははじめ、あきらとトップの座を巡り熾烈な争いをしているめぐみとしては、ゆうきの“学年一の秀才”という言葉に釈然としないものを憶えたが、それはそれ、だ。今はそんなことを考えている場合ではない。

「じゃあ、いくよ! 3,2,1――」


 ――ゴオオオォオオオオ!!


 それは炎の濁流だった。ただしその濁流は、上から下に落ちるのではなく、地上から暗い空の雲を突き刺すように立ちのぼったのだ。紅く熱い紅蓮の炎は、ドラゴの狙い通り、周辺のウバイトールを根こそぎ吹き飛ばす。


(な、なんて力なの……!? あれが、伝説の戦士の中でも最強の攻撃力を持つ、キュアドラゴの力……!)

 その瞬間、ドラゴだけでなく、グリフの姿すら、ユニコの視界に入った。ドラゴの放った炎は、ウバイトールだけでなく、視界を狭めていた闇の瘴気すらまとめて吹き飛ばしたのだ。ユニコはまっすぐ、ドラゴの元へ跳ぶ。同様に、グリフもドラゴの元へ着地する。そして三人は頷き合い、手を取り合った。


「翼持つ獅子よ!」


「角ある駿馬よ!」


「天翔る飛竜よ!」


 三人が唱える。闇に墜ちた世界に、伝説の神獣たちが浮かび上がる。それは、ロイヤリティを守護する誇り高き力だ。プリキュアたちはその力に誇りと絆を乗せ、そして放った。



「「「プリキュア・ロイヤルフラッシュ!!」」」



 凄まじい光が全方位に向けて放たれた。

 ドラゴの炎に吹き飛ばされ、地面でのたうち回るウバイトールも。

 炎の影響を逃れ、今まさにプリキュアに手を伸ばそうとしていたウバイトールも。

 その場にいたウバイトールが、まとめてその光に浄化されていく。


…………………………

「……ふぅ」

 やがて光が収束すると、その場には大量の作品が積み上がっていた。

「……す、すごいことになってるね」

「いつも通り、ホーピッシュに位相が戻れば元通りでしょ」

 ユニコの言葉は、色々とスレスレだ。

「あれ、でも……なんか、世界が元に戻らないね」

「……? 本当ね」

 グリフは周囲を見渡す。世界は真っ暗でモノクロのままだ。いつもならば、ウバイトールを倒せば世界は戻る。なぜ戻らないのだろう。

「……ん?」

『ウ、ウバ……!』

「ああー! ウバイトールがまだ残ってるー!」

「ええっ!?」

 グリフは、木の陰にかくれ、こちらをチラチラと見ているウバイトールを見つけた。

「ん……? あ、あのウバイトールって……」

 そのウバイトールは、グリフにとってとても見覚えがあるものだった。

「わ、わたしの作品!?」

「……そうみたいね」

『ウバ……ウバ……』

「……? 何かしら? 何かを言いたいみたいね」

『ウバ……先生、好き……』

「……!?」

 一瞬、ふたりは耳を疑った。

『松永、先生……好き……ウバ……』

「……ああ。そういえば、ウバイトールって、そのものに込められた欲望によって戦うのよね」

 ユニコがさらりと言う。

「つまり、ゆうきの恋慕の気持ちが、あの作品に込められていて、その気持ちによってあのウバイトールは具現化したのね」

「ち、ちょっとやめてよ! さらっと解説しないでよ! 恥ずかしいよ!」

『……好き……ウバ』

「あれを放っておく方が恥ずかしくないかしら?」

「わぁああああああああああ!」

 グリフは顔を真っ赤にしながら、そのウバイトールに向け駆け出した。

『ウバ!?』

「あ、こら、逃げるな! 今浄化してあげるから……って、だから、逃げるなぁあああああ!!」

『先生のこと、好き、ウバ……』

「だぁあああああああ!! 段々わたしに声に近くなってきてるー!? 」

 グリフがカルテナでそのウバイトールを浄化するまで、しばらくその鬼ごっこは続いた。


…………………………

 世界から闇が消えた。

 世界に色が戻った。

 光が、戻った。

「っ……」

 しかしあきらはそれすら知覚できないほどに、身体中を駆け巡る猛烈な痛みを感じていた。

 身体中が熱い。

 身体中が、痛い。

 それは激痛ではなかった。しかし、ジンジンと確実に身体中を苛む痛みだ。

 身体中が軽い火傷を負っているような感覚。

 その痛みは、変身が解けた瞬間、あきらを襲ったのだ。

 あきらは今まで感じたことのないその痛みに膝をついた。

「……!? あきら!?」

「大丈夫? どうしたの?」

 口から声がでない。まるで、口の中も火傷を負っているように、熱かった。

 あきらはそのまま、駆け寄ってきたゆうきとめぐみに身体を任せ、意識を失った。

「あきら!? あきら、しっかりして!」

 親友ふたりの呼び声は、すでにあきらに届いてはいなかった。


…………………………

「あきら!」

 その様子を物陰から見ていた妖精たちは、すぐに飛び出してあきらに駆け寄った。

「あきら……」

 あきらの顔は火照り、まるで熱があるかのように苦しそうに息をしている。ゆうきとめぐみがあきらに懸命に呼びかけるが、その声は届いてはいないようだった。

「……パーシー」

 ラブリがパーシーを呼ぶ。ラブリはあきらから離れたところで、口を開いた。

「どうするレプ? あれは間違いなく、キュアドラゴの力を使いすぎた反動レプ」

「……ドラ。あきらのキュアドラゴとしての能力が開花するにつれて、身体への負荷が増えているドラ」

 パーシーは、悔しさと情けなさで、震えていた。

「パーシーのせいドラ。パーシーは、キュアドラゴの力を、あきらに詳しく説明していなかったドラ……」

「……そうレプ。でも、ラブリの責任でもあるレプ。ラブリが愛のプリキュアを目覚めさせられていないばっかりに、キュアドラゴに負担をかけているレプ」

 ラブリもまた、うつむき、悔しそうに手を震わせている。

「でも、済んでしまったことを話しても仕方ないレプ。悔やむより、これからの手立てレプ。ラブリは愛のプリキュアを全力で探すレプ。パーシーはどうするレプ?」

「……パーシーは、あきらにキュアドラゴの力を詳しく伝えるドラ。そして、あきらに、しばらくキュアドラゴに変身しないように言うドラ」

 ふたりは振り返る。ゆうきとめぐみ、そしてブレイとフレンがあきらに呼びかけている。その呼び声がようやく届き、あきらが身じろぎし、目を開けた。一様に、四人が明るい顔をする。しかし、パーシーとラブリはその様子を眺めながら、未だに悔しさに震えている。

「……“ドラゴネイト”を、完成させる必要があるドラ」

 パーシーは悔しさと自責の念に震える拳を握り、決意を固めた。


…………………………

 目覚めたのは、真っ白な場所だった。

「っ……? ここは……」

「……あっ、よかった。目が覚めたのか」

 彼女はどうやら、布団に寝かされていたようだった。傍らから覗き込むのは、一応友人ということになっている、騎馬はじめというお節介な人間だ。

 鼻をつく消毒液の香り。清潔感はあるが、ゴワゴワと事務的な感触がする布団。そして、天井から引かれた真っ白なカーテン。彼女には覚えがない場所だった。

「保健室だよ。君が木工室で倒れていたから連れてきたんだ」

「……? 倒れていた……?」

 記憶が曖昧になっている。木工室の前まで行ったことは覚えている。それ以降、自分が何をして、どうなったのかはよく覚えていない。

(何か、大事なことを忘れてしまったような気がする……? でも、思い出せる気がしない……)

 思い出せないものを無理に思い出そうとすると、頭が割れるように痛むことがある。彼女は記憶を掘り起こす努力を早々に放棄し、布団を出た。

「まだふらついているじゃないか。もう少し休んでいた方がいい」

 しかし、はじめがそれを制する。彼女はむかっときて、その優等生を睨み付けた。

「そんなのあたしの勝手でしょ」

「いや、それは君の勝手にさせるわけにはいかないよ」

 しかし、はじめはどかなかった。

「君がまたどこかで倒れてしまったら、君が一番損をする。だから、君を行かせられない」

「っ……」

 そのはじめの目には、たしかな意志が宿っていた。それをどかすのは骨だろう。彼女は不承不承、布団に戻った。

「もう少し落ち着くまで休みなさい。私が一緒にいてあげるから」

「……余計なお世話よ」

「そうかもね」

 はじめは笑うと、ベッドの脇の椅子に腰かけた。

「……どうしてあたしなんかに構うのよ」

 口をついて出たのは、以前と同じ質問だ。


「前も言っただろう? 友達だからだよ」

 そして同じように、はじめが答えた。



 ――――『……じゃあ、友達なんかじゃなくていいわよ。邪魔なのよ』



 以前吐き出した、ひどい言葉を思い出す。



 ――――『そうか。そうだよね。すまない。お節介がすぎたかもしれない』



 ショックを受けたような、はじめの顔を思い出す。

「……あんなひどいこと言ったのに、どうして」

「? ひどいことって、何だったっけ?」

 信じられなくてはじめの顔を見る。はじめは本当に不思議そうな顔で、首を傾げていた。

「しっ……信じらんない。あんた、おかしいんじゃない?」

「ははっ、完ぺきすぎて怖いとかはよく言われるけど、おかしいって言われたのは初めてだね」

「嫌味な奴……」

 彼女はその笑顔がまぶしい友達から目を逸らした。これ以上話をしても、こっちの頭が痛くなるだけだ。しかし、はじめはまだ話を続けたいようだった。

「ところでさ、ひとつ聞きたいんだけど」

「……何よ」

「鈴蘭は、どうして木工室に行ったんだい?」

 瞬間的に頬が紅潮する。自分でも驚くくらい、顔中が熱くなる。

「ど、どうしてって……そんなの、あんたには関係ないでしょ!」

「ははぁ。その動揺から察することができたから、もう答えなくて良いよ」

 はじめは可笑しそうに笑った。

「なっ、何を想像してるのか知らないけど、違うから! あんたにひどいこと言っちゃったから、せめてあんたの言うことを聞いてやろうと思ったとか、そういうことじゃないから!」

「すごいな。所謂ツンデレというやつの見本を見ているようだ」

「あー! もう! あんた、本当にムカつくわね!」

「はいはい。今は誰もいないけど、ここは保健室だから静かにね」

「きーっ!」

 はじめは、言葉とは裏腹に、けらけらと愉快そうに笑い続けた。

 彼女は怒りを憶えながら、どこか心安らかな気持ちで、その友達に怒りをぶつけていた。

 彼女は、彼女の仲間にも、クラスメイトにも、上司にも、絶対にそんな顔を向けたりはしない。

 そして彼女は知らないが、目の前で楽しそうに笑うはじめも、両親にも、クラスメイトにも、そんな笑顔を見せることはしない。

 それはお互いに、ふたりだけの間で現れる、ふたりだけの無邪気さだ。



 それは、闇が消えた世界での、ほんの一幕。

 愛を失った少女と、愛を知らない少女の出会いがもたらした、束の間の安らぎの時間だ。


…………………………

 心地よい夢を見ていた気がする。

 二十年来の幼なじみと、野山を駆けまわり、遊び回り、勉強をした、そんな記憶。幼なじみの彼は、それを覚えてくれているだろうか。

 彼女と同じように、彼もまた、こうやって思い出して、懐かしんでくれていたり、するだろうか。

「……おい、“華姉(はなねえ)”」

 優しさとぶっきらぼうさを混ぜたような声だった。続いて、身体がゆったりと揺すられる。夢からゆっくりと引き上げられるように、彼女――誉田先生は目を覚ました。どうやら、机に突っ伏して寝てしまったようだ。顔を上げると、呆れた様子の松永先生が立っていた。

「……? あれ、小次郎くん? どうしたの?」

「どうしたの、じゃねぇよ。黒板を見ろ」

「はぇ……?」

 生徒にはとても見せられない、寝ぼけまなこをこすりこすり、誉田先生は背後の黒板を見た。そこには大きく、



『誉田先生! ぐっすりお休みのようだったので、今日は帰ります! お掃除の監督、ありがとうございました! 王野 大埜 美旗』



 チョークでそう書かれていた。

「……へ? へ? へ!?」

 ガバッと、誉田先生は机から跳び上がる。

「私!? 生徒の居残り授業の監督中に寝ちゃったの!? し、信じられない……職務放棄だわ……」

 わなわなと震える身体が止められない。誉田先生の、良い先生としての矜持が、そんなことをしてしまった自分自身を許せないのだ。

「……んー、つか、俺も信じられないんだけどな。あの華姉がそんなことするなんて。睡眠時無呼吸症候群とかなんじゃねぇの? 体調大丈夫か?」

「そ、そうなのかしら……? 酸欠で急に意識を失った、ってこと……?」

 よく思い出してみると、急激に睡魔が襲ってきたことは、なんとなく覚えている。しかしその原因も何も思い当たる節はない。

「ま、華姉は俺と違って超優秀な“先生の中の先生”だし、お忙しいでしょうから疲れが出たんでしょうな」

 茶化すように言う松永先生に、けれど今はあまり憤慨する気になれなかった。

「学校でそういう呼び方はどうかと思いますよ、小次郎くん?」

「あっ……」

 松永先生はバツが悪そうに目を逸らした。

「仕方ねぇだろうが。俺たちしかいねえから、ついついいつもの呼び方が出ちまった」

「ふふ、そうね。私もついつい、あなたのこと“小次郎くん”って呼んじゃうし」

「……生徒の前では本当にやめてほしいけどな」


「え、ええ……。それは少し反省しているわ」

 松永先生の冷たい目に、今度は誉田先生が目を逸らした。

「そのせいで、王野さんに変な勘違いさせてしまったし……」

「はぁ? 王野が何を勘違いしたんだよ」

 松永先生が嫌そうに問う。

「それくらい自分で勘づいてほしいわね、小次郎くん」

 誉田先生が毒づきながら答えた。

「私とあなたがお付き合いしているんじゃないかって、そう思ってたそうよ」

「はぁ?」

 松永先生はわけが分からないという顔をした。

「……なんてひどい勘違いをするんだあいつは」

「多感な年頃だもの、仕方ないわ。ちゃんと私たちが幼なじみだって伝えておいたから安心して」

「幼なじみというよりは、腐れ縁という感じだけどな」

 松永先生のため息はとても重いものだった。

「……最低限、生徒の前では“松永先生”だ。頼むぞ」

「それはもう、今後は本当に気をつけるわ。小次郎くん」

「……あんた、俺のことからかって遊でるだろ?」

「あら、バレた?」

「ほんっと、あんたは昔から意地悪な姉貴分だよなぁ」

 からからと、二十年来の付き合いの幼なじみをからかって遊ぶ。それは、ずっとずっと、何度も繰り返してきた光景だ。あきれ果てた松永先生は、ゆうきたちの残した黒板のメッセージを消し始めた。その背中を眺めながら、そっと、誉田先生はつぶやいた。

「“ひどい勘違い”、か……」 

「んあ? なんか言ったか?」

「……べつに」

 鈍い鈍い幼なじみに、少しだけ胸が軋んだ。


 次 回 予 告

ゆうき 「わー! わー! わー! なんか自分の初恋が淡々と描写されると恥ずかしいね!?」

めぐみ 「ゆうき、松永先生のことが好きって……うーん、なんていうか……」

あきら 「あんまり趣味がよくないね」

ゆうき 「口下手なめぐみだって言うのをためらってくれたことをズバリと言うね幼なじみ!?」

あきら 「まぁ、顔はともかく性格は良さそうだよね」

あきら 「……良い感じに家庭にお金を入れてくれそう。イクメンにもなってくれそう」 ニヤリ

ゆうき 「うわーん、めぐみー! あきらがなんか怖いよー!」

めぐみ 「次回予告は本編と関係ないから、みんな結構やりたい放題ね」

めぐみ 「収集がつかなそうだから、私は関わらないでおくわね」

ゆうき 「ドライすぎないかな!?」

めぐみ 「……ということで、次回のファーストプリキュア!」

めぐみ 「迫り来るアンリミテッドの脅威に、倒れるあきら! 立ち上がるは我らが生徒会副会長、大埜めぐみ!」

ゆうき (……自分で言ってるよ)

めぐみ 「第十六話【先生お願いします! めぐみの弟子入り!】」

めぐみ 「……って、私のメイン回!? 聞いてないわよ!?」

あきら 「っていうことで、次回もよろしくね!」

ゆうき 「また来週。ばいばーい!」

>>1です。
読んでくれている方、ありがとうございます。
来週もよろしくお願いします。


…………………………


 ―――― 強くならなければならない。



 それは、めぐみの心の中に生まれた強い意志だ。

 デザイアの剣には全く歯が立たなかった。

 ゴーダーツの剣にも全く歯が立たなかった。

 そして、キュアユニコの “守り抜く優しさの光” は守護と防御に重きを置かれていて、それを攻撃に転用するのは難しい。

 それはつまり、めぐみは自分自身の地力を高めなければならないということに他ならない。



 ――――『フェンシング部にすごく強い先輩がいるらしいよ! 今度全国大会に出るんだって!』



 それは、自称情報通のユキナの言葉だ。めぐみはその情報を聞いてすぐ、その日の放課後にフェンシング部の見学に赴いた。しばらく練習風景を眺めたが、それはめぐみの求めるものではなかった。あんなに細い剣を振るうための技術は、きっとカルテナを振るう役には立たないだろう。もしかしたら役立つのかもしれないが、きっとそれはめぐみの求めるものではない。

 ふと思い出されるのは、もうひとつのユキナの言葉だ。

 ――――『しかもすごいイケメンで、ファンも多いんだって! 練習のおっかけとかもいるらしいよ!』

 そんなどうでもいい情報もあったが、めぐみにはよく分からない。そもそも、面を被っているから、顔など見ようもない。なんとなく、片隅で少し残念な動きをしていたのが、フェンシング部顧問の皆井先生というのだけはわかったが。

 何がどうであれ、フェンシング部にめぐみの求める強さはありそうになかったのだ。

 めぐみは落胆しながら、フェンシング部の練習場がある格技棟を出ようと歩を進めた。そのときである。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 すぐ横から、そんな怒号のような声が聞こえた。

 人影と、それより大きい人影が、正面から向かい合っている。その怒号のような声は、小さい方の人影から発せられているようだった。



「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」



 対する大きい人影の声は、もっと凄まじい大音声を持って、その場を制圧した。

 そして、二つの人影が交錯する。声の差だけではない。速度、力強さ、その他の何もかもにおいて、大きい人影が圧倒的だった。

 目が、離せなかった。

「……アレだわ」

 めぐみはようやく、自分が探し求めていたものを見つけたのだ。

 入り口にかかっている札を見る。

 曰く、『剣道場』。

 あの、圧倒的な剣戟に対抗する術を見つけたのだ。めぐみは再び、竹刀をぶつけ合うふたりの人影に目線を戻す。

 勇猛果敢にも打ちかかった小さい人影は、対する山のような存在に、いとも容易く捌かれ、素人のめぐみには何がなんだか分からないまま、すぐに勝負は決したようだった。

 そこでひとまず休憩と相成ったようで、生徒たちが面をとり、各々休憩し水分補給をしている。その中に入っていくことに抵抗はなかった。入っていかなければならない。もう迷っている猶予はあまりないのだ。

 中等部の女子生徒が入ってきたからだろう。周囲の、高等部の男子生徒たちが戸惑いを隠せないという顔をする。

「あの、部活動の指導中、失礼します」

「……? 2年A組の大埜か。何か用か?」

 突然のめぐみの乱入に、当の相手は戸惑う様子はない。その胴着姿は、周囲の男子高校生と比べて、圧倒的に様になっている。

「郷田先生、無理を承知でお願いしたいことがあります」

「なんだ」

 相手――郷田先生はまっすぐにめぐみの目を見返した。

「私を、先生の弟子にしてください」

 めぐみは大真面目にそう言うと、深々と頭を下げた。


…………………………

 時は数日前に遡る。

 木工室で大量のウバイトールに囲まれ、なんとか打ち倒した後のこと。めぐみたちは目覚めたばかりでまだフラフラと足取りのおぼつかないあきらを家に送り、そのままあきらの部屋にお邪魔することになった。パーシーとラブリが、皆に話したいことがあると言ったからだ。

「……パーシーは、あきらに言っておかなければならないことがあったドラ」

 パーシーは辛そうな顔でそう言った。

「ごめんなさいドラ。あきらが倒れたのは、パーシーのせいドラ」

「パーシーのせいって、どういうこと……?」

 まだ本調子ではないあきらが横になったまま問う。あきらは大丈夫と言ったが、めぐみたちがベッドに寝かせたのだ。

「キュアドラゴの能力は強大ドラ。みんなもわかると思うドラ。“燃え上がる情熱の光”は、ウバイトールすら簡単に吹き飛ばすほどの威力を持っているドラ」

 めぐみはキュアドラゴの戦いを思い出す。真紅に燃え上がる炎のような光が、容易にウバイトールを吹き飛ばすその様を。

「けど、その力はあまりにも強大すぎるが故に、扱い方が難しいレプ」

 ラブリがパーシーの言葉を継ぐ。

「あまりにも強大すぎる力は、自然とセーブがかかるレプ。キュアドラゴの強大な力は本来、制限がかかり、その本当の力は簡単に解放されるものではないレプ。けど……」

「……あきらの心の情熱が強すぎたドラ。パーシーが、見誤っていたドラ。あきらの想いの強さが、キュアドラゴの力の限界を突破しているドラ」

「それは、話だけ聞くと、良いことのように思えるのだけど」

 めぐみが口を開く。

「だってそれは、あきらの想いの強さがキュアドラゴの力を強くしているということでしょう?」

「ドラ。でも、強大な力は、キュアドラゴ自身を傷つけてしまうドラ。情熱の炎が強大になればなるほど、その炎はキュアドラゴ自身を傷つけてしまうドラ。本来であれば悪辣なる者たちのみを燃やし尽くす炎が、清浄なる使い手を傷つけるようになってしまうドラ。その結果が、今のあきらの不調ドラ」

 パーシーは、いつの間にか目に涙を浮かべていた。

「あきら、ごめんなさいドラ。パーシーのせいで、あきらが傷ついているドラ。パーシーのことを守ってくれたあきらに、ひどいことをしてしまったドラ……」

「……いいよ、パーシー。言いたくなくて言わなかったわけじゃないでしょ? わたしは怒ってないよ」

 あきらが横になったまま、パーシーに手を伸ばす。パーシーを持ち上げ、胸に抱く。あきらがよしよしと撫でると、パーシーは安心したように頷いた。

「でも、どうしたらいいの? このままじゃあきらは、戦えば戦うだけ、自分自身も傷ついてしまうの?」

 ゆうきが心配そうに言う。

「そんなの、わたし嫌だよ……」

 めぐみだって嫌だ。あきらが傷つくとわかっていて、どうして一緒に戦うことが出来るだろうか。


「ドラ。だから、あきらは、しばらくキュアドラゴに変身してはダメドラ」

「えっ……?」

 あきらが信じられないという顔をする。

「わ、わたし、せっかくパーシーを守るためにプリキュアになったのに、変身しちゃダメって……」

「その気持ちはありがたいドラ。でも、パーシーもあきらに傷ついてほしくないドラ」

「……けど、アンリミテッドの攻撃は勢いを増しているわ。昨日のようにウバイトールを大量に召喚されたりしたら……。それでなくとも、ゴーダーツやデザイアは強敵だわ。キュアドラゴ抜きで、どれだけ戦えるか……」

 めぐみが言う。

「レプ。だからこそ、あきらには、キュアドラゴの本当の力を会得してもらわなければならないレプ」

 ラブリが言う。パーシーがあきらに抱かれたまま、頷く。

「キュアドラゴの本当の力――“ドラゴネイト”ドラ」

「ドラゴネイト……?」

「そうドラ。伝説には、かつて情熱のプリキュアは、“静かな心の中で、激しい情熱の炎を燃やした”とあるドラ。それこそがドラゴネイトドラ。ドラゴネイトは、悪辣なる者すべてを燃やし尽くし、しかし清浄なる者には何の影響もなかったと言われているドラ」

「“静かな心の中で、激しい情熱の炎を燃やす”」

 あきらが言う。その顔には戸惑いが浮かんでいる。めぐみにも言葉の意味がわからない。心を落ち着かせたまま、激しい情熱を持つなど、できるのだろうか。

「ドラゴネイトさえ会得すれば、キュアドラゴの力はあきらを傷つけるようなことはないはずドラ」

「ラブリも急いで愛のプリキュアを見つけるレプ。四人のプリキュアがそろえば、キュアドラゴひとりに負担がかかるようなこともなくなるレプ」

 パーシーとラブリの瞳には決意が浮かんでいた。ふたりの小さな王女たちは、自分たちのせいであきらが傷ついているという事実が許せないのだろう。あきらのために、がんばると決めたのだ。

「…………」

 めぐみは、黙ったまま、自分の手を見下ろした。その手にカルテナを握り、しかしゴーダーツとデザイアに全く歯が立たなかったことを思い出す。

 ふたりの小さな王女が決意を固めるのなら、自分も同様にやらねばならないことがあるはずだ。

 キュアユニコの“守り抜く優しさの光”は、ゴーダーツとデザイアに破られた。カルテナを使っても、その二人の力には到底及ばない。そして、キュアユニコの力は、守護の力に重きを置かれている。

 ならば、自分自身が強くなるしかない。

 めぐみは強く強く手を握る。ゴーダーツとデザイアの剣に、対抗するための力を手に入れる。その決意を強く固めながら。


…………………………

 そして現在。めぐみは、格技棟にある剣道場で正座する郷田先生と向き合っていた。

「……弟子だと?」

 郷田先生は表情を変えなかった。

「どういう意味だ?」

 郷田先生は、最初は中等部の女子生徒から少し恐れられていたように思う。寡黙で表情も変わらず、淡々と事実のみを口にするからだ。年頃の少女ばかりのダイナ学園女子中等部において、やや異質な教員だったかもしれない。しかし、今は、めぐみ自身も含めて、女子生徒で郷田先生を怖がる者は少ない。なぜなら、子どもの目から見ても、郷田先生が真摯に学校現場に向き合い、生徒たちに目を向けていると分かったからだ。

 ある生徒は放課後の空き教室で一人で保健の模擬授業をする郷田先生を目撃したと言い、ある生徒は部活帰りの遅い時間に、グラウンドで黙々と翌日の体育の授業の予習をする郷田先生を目撃したと言う。かくいうめぐみも、生徒会活動の後で、部活動の終わったグラウンドでサッカーコートの確認をする郷田先生を見かけたことがある。体育の授業の準備は、運動部の兼ね合いもあり、生徒たちが帰る時間にならないとできないのだろう。

 だからめぐみはいま、寡黙で暗い表情のその体育の教員と向き合っても、決して怖いとは思わなかった。

「先生に剣道を教えてほしいんです」

「……ダメだ。中等部に剣道部はない。高等部にも女子剣道部はない」

 郷田先生の返答は簡潔だった。話はそれで終わりだろうとばかりに、郷田先生はめぐみから目を逸らした。

「わかってます。でも、私、勝手なことだとは分かっていますけど、先生から剣道を習いたいんです。さっき、少し試合を見せてもらいました。先生がすごく強いのがよく分かりました。私には、その強さが必要なんです」

 郷田先生が顔を上げ、立ち上がる。めぐみをはるか見下ろす瞳は、ひどく暗い。しかしめぐみはひるまなかった。

「お願いします。私に剣道を教えてください」

 めぐみはもう一度頭を下げた。顔を上げると、郷田先生は何の感情も見えない表情で、めぐみを見下ろしていた。

「なぜ強さが必要なのだ?」

「守りたいものがあるからです」

 理由など決まりきっている。自分は強くならなければならない。あきらを守るためにも。フレンたちを守るためにも。

「…………」

 郷田先生は無言でめぐみを見続けた。めぐみもまた、郷田先生を見返し続けた。どれくらいの時間そうしていただろうか。やがて郷田先生は息を吐くと、こういった。

「……明日は部活がない。明日の放課後、もう一度剣道場に来い。話はそのときだ。もう部活の休憩時間が終わる。悪いが、出ていってくれ」

「わかりました。お話を聞いてくださってありがとうございました。明日、またここに来ます」

 めぐみは素直にそう答えると、呆気に取られてめぐみを見つめている剣道部の高等部男子たちにも頭を下げて、剣道場出て、格技棟を後にした。

 と――、

「おーい、めぐみー!」

「……? ゆうき? あきら?」

 なぜかそこで、大親友ふたりがめぐみを待っていたのだ。


…………………………

 先日の木工室での戦いの後から、ゆうきとあきらはめぐみのことが気にかかっていた。明らかに、思い詰めるような顔をするようなことが増えたからだ。ふたりは時々、めぐみがいないところで話し合った。十年来の幼なじみふたりの考えは全く一緒だった。

 絶対、めぐみは先日のパーシーとラブリの話を受けて、何らかの使命感に燃えている、と。

 だからその日、放課後になった途端、思い詰めたような顔で教室を後にし、どこかへ向かっためぐみのことを心配し、ふたりでこっそり後をつけたのだ。

「友達の後をつけるなんて良くないことグリ」

「パーシーも、あんまり良くないと思うドラ……」

「……やれやれレプ」

 妖精たちの憤慨するような声や呆れる声を無視して、ふたりはめぐみの後をつけた。めぐみは校門へ向かうのではなく、学校の中を進んでいった。まっすぐ目的地へ向かっているようだった。

「こっちって学校の奥だよね。何かあったっけ?」

「うーん……。たしか、格技棟とプールがあったはずだけど」

 プールは今の時期は閉まっている。ならば、めぐみは格技棟に向かっているのだろうか。

「格技棟って何があるんだっけ? 柔道場?」

「柔道場と、剣道場と……あと、フェンシング部の競技場だね」

「フェンシング部? うちってそんな部活もあるんだ」

 ゆうきが感心しながら言った。

「うん。高等部だけだけどね。でも、かなり強豪らしいよ?」

「ほへ~」

「なんでも、格好いい先輩がたくさんいるんだって」

「……あきら、それ誰情報?」

「えっ? ユキナだけど……」

「やっぱりそうか」

 あの耳年増な演劇部員は、ゆうきの幼なじみに何を吹き込んでいるのだろうか。

 そんな話をしていると、めぐみは格技棟の中に入っていった。ゆうきとあきらは頷き合い、そろりそろりと格技棟に入る。中は部活動が行われていて、色々な声で騒がしい。そんな中を、めぐみはゆっくりと歩いて行く。

 めぐみはあるところで足を止めた。そこは、フェンシング部の練習場の入り口だ。女子生徒数人が、きゃーきゃー言いながらすでに練習を眺めている。それに混ざるように、めぐみもフェンシング部の見学を始めたようだった。

「め、めぐみがあれに混ざった!?」

「そういえば、今日ユキナが格好良い先輩の話をしたとき、わたしと一緒にめぐみもその話を聞いてたよ」

「えっ!? じゃあ、めぐみはひょっとして、その格好良い先輩に、興味津々……!?」

「……ふわー。めぐみって、結構年頃の女の子なところあるんだね」

 ふたりは頬を赤くしながら、しばらくフェンシング部の練習を眺めるめぐみを眺めていた。やがて、めぐみは憂いを帯びた顔でため息をつき、こちらを振り返った。

 ゆうきとはじめは慌てて物陰に隠れ、そのままめぐみに見つからないように格技棟を出た。しかし、なかなかめぐみが出てこない。フェンシング部の見学を終えたなら、すぐに出てくるはずだろう。不思議に思ったふたりは、そのままめぐみを待っていたのだ。

「……めぐみ、イケメンに興味あったんだね」

「まぁ、イケメンに興味ない女子は、あんまりいないと思うけど……」

 そんなくだらない話をしていると、めぐみが格技棟から出てきた。その目は先ほどの憂いを帯びた色ではなく、希望に満ち満ちた色だ。その表情の変化は不思議だが、考えてもわからない。

「おーい、めぐみー!」

 ゆうきはめぐみにそう呼びかけた。


…………………………

「えっ? 戦いの参考になるかもしれない部活を見学してた?」

「え、ええ、そうだけど……」

 ゆうきとあきらと一緒に帰る道すがら今日のことを話すと、ふたりはあからさまに残念そうな顔をした。

「やっぱりめぐみは真面目だね。浮ついた話をしてた自分が恥ずかしいよ……」

 あきらが悔やむような顔をする。一体ふたりしてどんな話をしていたというのだろうか。それはともかくとして、めぐみはふたりに言った。

「フェンシング部は私にはあまりピンとこなかったわ。でも、その後すごいものを見つけたのよ。体育の郷田先生よ」

「へ? 郷田先生がすごいって、何が?」

「剣道よ。郷田先生は剣道部の顧問なの。すごいのよ。高等部の男子生徒の攻めも全部防ぎきって、一方的に一本を取ってしまうの。あれは、ゴーダーツに勝るとも劣らない剣技だと思うわ」

 ついつい説明に力が入ってしまう。ゆうきとあきらは呆気に取られているようだ。

「それで、弟子入りをお願いしてきたわ」

「で、弟子入りって……。少年漫画じゃないんだから」

「めぐみらしいね」

 ふたりは面白そうに笑う。めぐみは大真面目だというのに、失礼な話である。

「笑っていたらいいわ。私は何としても、ゴーダーツに対抗できるだけの力を手に入れないといけないんだから」

「ごめんごめん。でも、郷田先生が弟子にしてくれるといいね」

「ええ。あの凄まじい剣技を、ぜひ教えてもらいたいわ」

 めぐみは思い出す。今日目にした、郷田先生の凄まじいまでの闘気と剣技を。

 そして、ゴーダーツのあの圧倒的な強さを。

(わたしは、あきらのため、フレンたちのため。もっともっと強くならないといけないのよ)

 めぐみは拳を握る。

「…………」

 めぐみは気づいていなかったけれど、そんなめぐみを見つめて、あきらは心配そうな顔をしていた。


…………………………

「どういうつもりだい?」

 部活が終わり、事務的な仕事を片付けるために職員室にこもっているときのことだった。いつも遅くまで同じように仕事をしている若手の松永先生や皆井先生、誉田先生はもう帰ってしまっていた。彼はすでに職場には自分ひとりが残っていると思っていたから、その声に少し驚いた。

 その声は、職員室の入り口に寄りかかる、主事のシュウのものだった。

「こんな時間まで仕事をしていたのか。感心なことだな、蘭童」

「夜しかできない作業もあるんだ。仕方ないだろう」 シュウは嫌そうな顔をしながら。「そんなことはどうでもいい。君は一体、どういうつもりなんだい?」

「何の話だ?」

「大埜めぐみの話だよ」

「なるほど。聞いていたか」

 シュウが言っているのは、今日の剣道部の活動のときのことだろう。



 ――――『私を、弟子にしてください』



 真っ直ぐそう言った、宿敵の顔が思い出される。



 ――――『お願いします。私に剣道を教えてください』



 ――――『守りたいものがあるからです』



 その目は、決意に満ちていた。本気で強くなりたいという意志が、ありありと見て取れるほどの、決意だ。

「どうもこうもない。向こうが私に言ってきたことで、私が責められるいわれはない」

「それはそうかもしれない。だが明日、君は大埜めぐみに何て言うつもりだい? なぜ今日、大埜めぐみの頼みを断らなかった?」

 シュウの追求は止まらない。その目に浮かぶのは、いつもの愉快的な色だけではない。彼を責めるような、彼に怒りを憶えているような、そんな真面目さが見え隠れする。

「明日、大埜の力と決意を試す。もし私の欲望に適うようであれば、奴に剣を教えるも吝かではない」

「正気か? ぼくらの障害となりかねない存在を強くするつもりか?」

 シュウが明確な敵意を彼に向ける。今にもはさみを取り出しそうな様子に、しかし彼は動じない。

「不服か? 蘭童」

「……ぼくがどうでも、あのお方が何と言うかな。悪いが、このことはあの方に報告させてもらうぞ」

「構わん。お前こそ、あの方をあまり舐めるなよ。あの方が、我々の動向を把握していないとでも思っているのか?」

「っ……ならば君は、あの方に滅される可能性もあるというのに、なぜそんな危険なことをする」

「……なんとなくわかるのだ。あの方は、私の欲望を無下にはなさらない。私がしたいことを、きっと許してくださるとな」

「何の信頼だ、それは」

 シュウが吐き捨てるように言う。

「……くだらない。ロイヤリティの家臣ごっこでもしたいのならよそでやるんだね」

 そう言って、シュウは彼に背を向けた。

「ぼくはもう帰る。校内に人はもういない。施錠と警備開始を忘れるなよ」

「誰に言っている。当然だ」

 彼はシュウが去ってからも、しばし目の前を見つめていた。

「……ロイヤリティの家臣ごっこ、か。ふん、くだらん。私は、そんなことがしたいわけではない。ただ、あの方を信頼しているだけだ」

 彼はそう呟くと、机に目を落とし、仕事の続きに取りかかった。


…………………………

 学校でそんな会話があったのとほぼ同時刻。ひなカフェ二階の宿舎で電話のベルが鳴る。

「はいはーい」

 パタパタとスリッパの音がして、家主がその電話を取ったようだ。彼女はそんな音を自室から聞きながら、ただボーッと考え事をしていた。

 つい先日の、木工室でのこと。自分が倒れていたらしいということ。後で同じ宿舎に住まう仲間たちに聞くと、同時刻、凄まじい闇の力を感じた、と口を揃えて言うのだった。そしてどうやら、その闇の力は、彼女のものであったようだと。

「あたし、一体あの日、何をしたの……? あたしは一体どうなったの……」

 無理に思い出そうとすると、己の過去を思い出そうとするときのように頭が痛む。かろうじて、木工室の前までいったことは覚えている。そして、そのとき、木工室の中で、プリキュアたちが何かを話していたことも。しかし、その話の内容までは思い出せない。

 次の記憶は、保健室で目覚めてからのものだ。はじめに聞いても、何も教えてはくれなかった。はじめも何かを見たようだったが、それを話して彼女に無用な心配を与えるのを厭ったのだろう。

「あたし……」

「鈴蘭ちゃーん! 電話よー!」

 と、廊下から大声が飛んでくる。家主のひなぎくさんの声だ。

「お友達の、騎馬はじめさんからよー!」

「……!? はじめから!?」

 彼女は部屋を飛び出して、ひなぎくさんの元へと馳せた。ひなぎくさんからひったくるように電話を奪い取ると、受話器を耳に当てる。

「も、もしもし……?」

『ああ、鈴蘭。夜遅くに急に電話してすまないね』

「……べつに」

 彼女は精一杯、不機嫌そうな声を出そうと努めた。けれど、顔は自然と赤くなるし、声は上ずってしまう。そんな様を見て、目の前でニヤニヤと彼女を見つめているひなぎくさんも気にかかる。

「何の用よ?」

『うん……』はじめは歯切れ悪く。『実は、用事という用事はないんだ。ただ、少し鈴蘭の声が聞きたくなって』

「は……?」

 動揺で受話器を取り落としそうになる。顔が火照る。

「ばっ、ばかじゃないの。用もないのに電話してきたの?」

『ああ、私もばかだと思う。でも、普通の女子中学生というものは、結構そういうことをするそうだよ。仲良しの友達同士なら』

「し、知らないわよ」

『ふふ、私も知らない。今までそういうことには疎かったからね。でも、ふと鈴蘭のことを思い浮かべたら、声が聞きたくなったんだ』

「……ふん」

 彼女は内心のドキドキを絶対に悟られまいと、努めて落ち着いた声を出す。

「じゃあ、もう気は済んだ?」

『いや、もう少しだけお話をしないかい? 鈴蘭が忙しかったら断ってくれて構わないけど』

「い、忙しくはないけど……」

『じゃあ、いいね。お話をしよう』

「誰もいいなんて言ってないでしょ!」

 そう答えつつも、彼女は決して受話器を置こうとはしなかった。はじめが言葉を紡ぐのを、しっかりと聞いて、応えて、笑った。はじめは最近、生徒会活動で大忙しだ。そんな話を、彼女にしてくれた。学校でのはじめは多忙だ。彼女ばかりに構っていられるわけではない。だからこそ、ひょっとしたらはじめは、ゆっくり彼女とふたりきりで話をする時間が欲しかったのかもしれない。そんなことを考えると、また頬が熱くなっていく。

『それでね――あっ……』

 ふと、はじめの言葉が途切れた。


「どうかしたの?」

『あっ、いや……』

 電話の向こうで、はじめが誰かと話す声が聞こえる。遠くて聞き取ることはできないが、彼女はなんとか聞き取ろうと耳を澄ましたが、結果は変わらなかった。

『……ごめん、鈴蘭。もう切らなきゃだ』

「えっ……」

 やがて声が戻ると、はじめはそう言った。

『そろそろ寝る時間だしね。じゃあ、おやすみ』

「え、ええ。おやすみ」

『また明日』

 そして、はじめは電話を切ったようだった。

「……何よ、あいつ。自分から話したいとか言ってきたくせに、自分から切っちゃうんじゃない。勝手な奴」

 ぼやきが勝手に口をつく。もっと話をしていたかったなんて、口が裂けても言えないけれど、そのぼやきは、暗にそう言っているようなものだった。

「……へぇえ」

「っ!?」

 彼女が受話器を置くと、すぐそばでそんな楽しそうな声が聞こえた。

「鈴蘭ちゃん、随分と仲良しなお友達ができたのね」

「ず、ずっとそこにいたの!?」

 ひなぎくさんだ。ニヤニヤと物珍しげに彼女を見つめている。

「いたよ。鈴蘭ちゃんが、楽しそうにお喋りするの、ずっと聞いてたよ。はじめちゃんだっけ?」

「っ……べ、べつに楽しくなんかなかったし!」

「通話を終えるときもなんか名残惜しそうだったね」

「そんなことないです!!」

 まったく失礼な家主である。彼女はそのままずんずんと自分の部屋に行き、戸を閉じる。

「……誰が、楽しそう、よ」

 胸がドキドキする。

 まるで、友達からの電話を喜ぶみたいに、心が跳ねているのだ。

「こんなの、あたしじゃない。これは、本当のあたしじゃない……」

 彼女はその感情の正体を知らない。彼女は、その感情をはるか昔に失ってしまったからだ。

 ふと、気がかりなことが頭に浮かぶ。

「はじめ、一体どうして、いきなり電話を切らなきゃだなんて言ったのかしら……?」


…………………………

 騎馬家は代々将軍家に仕えていたとされる由緒正しい名家である。

 騎馬家の子息、息女は学業において優秀な成績を修め、また武道・スポーツにおいても結果を残さなければならない。はじめもまた、その家訓に則り、騎馬家の娘たろうとたゆまぬ努力をし、そして実際に誰にも恥じることなく生きてきた。

「はじめさん。あまり感心はしません」

 だから、本当に久しぶりのことだったのだ。母から、そんな咎めるような声を聞くのは。

「こんな夜中に余所の娘さんと数十分にわたって通話をするだなんて」

「……はい。面目次第もありません。数分で済ませるつもりが、長引いてしまいました」

「それも、わたくしが聞く限りでは、はじめさん、あなたの方がお話に夢中でしたね。お相手の娘さんは、どうやらあなたの話を聞いてくれているようでしたが」

「はい。まったく仰有るとおりです。お母様」

 母は呆れたように頭に手を当てて、大仰にため息をついた。

「はじめさん。何も堅苦しいことを申すつもりはありません。あなたはとても優秀な子です。わたくしもお爺様も、あなたのことを誇りに思っております。だからこそ、あなたにはそんな愚を犯してもらいたくないのです」

「……はい。存じています」

「お相手の娘さんには、明日、しっかりと謝っておきなさい。それから、今後は夜中に長電話をするようなことはしないこと。電話とは、本来用件だけを伝え、速やかに切るものです」

「はい」

 母の説教は数分に及んだ。はじめが久々に見せた愚に、母も内心動揺しているのかもしれないと、はじめは思った。

 昔から、騎馬家の娘らしくあれと言われて育った。騎馬家の人間らしく、堂々と、完ぺきに生きろと言われ続けてきた。だからきっと、はじめは今まで、“騎馬はじめ”としてしか生きてこなかった。その自分自身の騎馬家という仮面を取り去ってくれたのが、鈴蘭なのだ。

 周囲から見れば、鈴蘭がはじめに甘えきっているように見えることだろう。しかし、はじめにとっては、甘えているのは自分自身の方だ。はじめの年頃の少女らしさを見せられるのは、鈴蘭相手だけなのだから。

 しかし、母の言っていることもわかる。騎馬家の人間として、人様に恥じるようなことは絶対にしてはならないのだ。そもそも、たしかに長電話はあまり褒められたことではないだろう。

「ふぅ」

 母が去った廊下で、はじめは小さくため息をついた。

 ため息をついてから、その自分らしくない行動に驚いていた。


…………………………

 翌日放課後。めぐみは郷田先生に指示されたとおり、剣道場へ向かった。ゆうきとあきらは着いていくと言っていたが、めぐみはその申し出を丁重に断った。きっと、郷田先生は女子生徒が姦しくするのを好まない。郷田先生に本当に師事したいと考えるなら、自分ひとりで行くべきだと考えたからだ。ふたりはそんなめぐみの想いを聞き入れ、教室で待っていると言ってくれた。その気遣いは、めぐみにとって本当に嬉しいことだった。

 格技棟の中はフェンシング部や柔道部の声は聞こえてくるが、剣道場は静まり返っていた。

「失礼します」

 剣道場の戸は開いていた。めぐみは声だけかけて、中に入る。電灯はついているが、中はシンと静まり返り、めぐみはどこか暗い印象を憶えた。昨日、高等部の男子生徒たちがいたときは活気にあふれていたというのに、人がいなくなった道場というのは、こうも静謐な場所になるのかと、不思議な気持ちだった。

「……来たか」

 剣道場の奥、そんな静謐な場所に、郷田先生は正座で待っていた。

「こんにちは、郷田先生。今日はお時間を取っていただいて、ありがとうございます」

「ああ」

 郷田先生は短くそう答えると立ち上がった。

「最初に言っておくことがある。私は、剣道の専門家というわけではない」

「……?」

「昔、剣道ではない剣術を学んだことがある。それを見込まれ、高等部の生徒たちから剣道部の顧問をお願いされたのだ。だから、私を剣道の教員だと思っているなら筋違いだ」

 郷田先生の言葉は、めぐみにはどこまでも誠実に思えた。めぐみが郷田先生のことを勘違いしているなら、正さなければならないと思ったのだろう。

「それは、違います。私は、昨日の郷田先生の竹刀を振る姿を見て、先生に師事したいと思っただけですから」

「そうか。ならばよい」

 郷田先生は傍らに置いてあった何かの布を手に取り、めぐみに差し出した。

「女子用の剣道着だ。隣の更衣室でこれに着替えて来い」

「わかりました」

 めぐみは郷田先生から剣道着を受け取り、頷いた。めぐみが困らないようにだろう。剣道着の身に付け方を丁寧に描いた書類も一緒に渡された。めぐみは更衣室に向かい、書類とにらめっこしながら、剣道着を身につけた。郷田先生のようにピシリとはしていないが、何とか様にはなっているだろう。

「お待たせしました」

「ああ」

「ヘン、じゃないですかね?」

「剣道着の身に付け方にヘンも何もないだろう」

 郷田先生は興味なさそうに言うと、竹刀をめぐみに渡した。

「基本は教えてやる。とはいえ、私も指南書を読んで覚えた程度だがな」

 めぐみは郷田先生から、竹刀の握り方からひとつひとつ、丁寧に教わった。竹刀は予想より重く長く、めぐみはそれを素早く動かすことができるとはとても思えなかった。郷田先生はできる限りめぐみに分かりやすい言葉を選んでいるようだった。最低限の基本をめぐみに伝えた後、郷田先生は言った。

「その竹刀を振って、強くなれると思うか?」

 郷田先生の問いに、めぐみは少し考えてから、答えた。

「相当な鍛錬と修練が必要だと思います。気が遠くなるほど長く続ける必要があると感じました」


「そうだな。武道とは本来そういうものだ。いや、この国において、“道”とつくものはすべてそうかもしれない。身体の鍛練や技術の修練などは二の次、三の次だ。その本質は心の修行にある」

「心……」

「強さを求めるお前に、武道は必ずしも有効なものではない。強くなりたいのなら、体力をつけるために自主トレーニングに励むべきだと、私なら考える」

「…………」

 めぐみは黙ったまま考えた。郷田先生の言うことは正しいだろう。そして、もしも本当にフレンたちを守り、ロイヤリティを復活させるためには、それもまた必要なことなのだろうと思わされた。しかし。

「郷田先生。昨日私が見た、郷田先生の凄まじいまでの闘気、剣技、あれも自主トレーニングだけで身につくのですか?」

「……む」

 郷田先生はめぐみを見返した。今まであまり関心がなさそうだった郷田先生の目に、光が灯ったように見えた。

「無理だろうな」

「では、先生のおっしゃる心の修行も必要ということですね。なら、私は先生からその修行を受けたいです」

「…………」

 郷田先生は黙り込み、真っ直ぐにめぐみを見つめた。それはいつも通り、寡黙で厳めしい先生に他ならなかったけれど、めぐみには何かをためらい、迷っているように見えた。

「もしも私のお願いが先生のお仕事を逼迫するようであれば、無理は言いません。すっぱり諦めます。無理を言っていることは重々承知していますから」

「そんな気遣いは無用だ。私は出来もしないことを引き受けるつもりはない」

 郷田先生は頷いて、言った。

「剣道部の活動はほぼ毎日ある。放課後におまえに剣を教えることはできない」

「そうですか……」

 わかっていたことだ。郷田先生は多忙だ。めぐみのわがままに付き合うような時間はない。

「だが、朝ならば空いている」

「えっ……?」

 郷田先生は何でもないような顔をして言った。

「もしもお前が毎朝七時に学校に来るというのなら、私もお前の強くなりたいという気持ちが続く限り付き合おう」

「ほ、本当ですか!? でも、先生、お忙しいのでは……」

「朝は八時半から勤務時間だ。一時間ほどなら何の問題もない」

 まるで何でもないことのような口調だが、それはつまり、勤務時間外にめぐみに付き合ってくれるということだ。

「いや、さすがにそれは……」

「そもそも、お前の強くなりたいという想いを叶えることは私の仕事ではない。勤務時間内にしていいものではない」

「それは、まぁ……そうですけど」

「さっきまでの勢いはどうした? お前の強くなりたいという欲望はその程度なのか?」

「…………」

 めぐみは考える。この世界の命運を。フレンたちの今後を。そして、郷田先生の被る迷惑を。


「……わかりました。先生のお言葉に甘えます。毎朝七時、お願いします」

「ああ」

 めぐみが頭を下げ、郷田先生が頷いた、その瞬間だった。



「――やあ、まったく面白いものを見せてくれるものだ」



 瞬間、世界がモノクロに墜ちた。

 剣道場の入り口に人影が立っている。それはめぐみにとって、顔を合わせたいような人物ではない。冷たくどこまでもふざけるような笑みを浮かべるアンリミテッドの戦士、ダッシューだ。しかし、めぐみの隣には郷田先生がいる。めぐみは身を強ばらせるも、ロイヤルブレスを構えることはできない。

「……何者だ?」

 郷田先生がめぐみを庇うように立つ。対するダッシューはやはり、ふざけるような笑みを浮かべ、剣道場を歩く。

「ふぅん。なるほど。うん。まぁ、今はそう言うしかないよね」

 ダッシューは意味深そうにそう言う。

「いや、邪魔をしたのなら申し訳ない。剣道場というのは初めて入ったが、なかなか興味深いものが置いてあるものだね」

「……何を言っている」

「すぐにわかるさ」

 ダッシューが立ち止まり、剣道場の端の棚に手を伸ばす。そこには、展示用の防具一式が飾られていた。ダッシューはその防具を手に取ると、満足そうに笑った。

「凄まじい欲望だ。強くなりたいという、純粋な願い。これは良い素材になる」

 いけない、と瞬間的に判断した。ダッシューを止めなければならない。しかし、隣の郷田先生がそれを許してくれるとは思えない。郷田先生から見れば、ダッシューはただの不審者だろう。そんな彼に向かうことを、許してくれるはずがない。

「出でよ! ウバイトール!」

 果たして、闇の欲望が顕現する。モノクロに染まった世界で、その黒々としたヘドロのような何かは剣道の防具に取り付き、そして、生まれる。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 闇が産声をあげるのを、めぐみは黙って見ていることしかできなかった。それは剣道の防具を身につけたウバイトールに見えた。否、実際には、防具そのものがウバイトールになったのだろう。巨大な小手は巨大な竹刀を握り、その全身からは禍々しい闘気があふれ出ているようだった。

「……なるほど」

 郷田先生は驚くでも取り乱すでもなく、淡々と目の前の事実を受け止めているようだった。

「大埜。私がアレを引きつけておく。その間に逃げろ」

「えっ……? いや、でも――」

「――でもも何もない。お前は生徒で、俺は教諭だ。是非もない」

 郷田先生の言わんとしていることは分かる。しかし、めぐみはプリキュアだ。闇の欲望を司るアンリミテッドを打ち倒す力がある。ただ、それを郷田先生に話すわけにはいかないことがもどかしい。

「……わかりました」

 めぐみは頷いて、走り出した。ダッシューが目を細め、言う。

「逃がすと思うかい?」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ウバイトールが凄まじい速度でめぐみに追いすがる。しかし、そのふたりの間に割って入る影があった。郷田先生だ。

「なっ……!?」

「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 ドバン! と凄まじい音が鳴り響き、ウバイトールと郷田先生が激突する。郷田先生の振るう竹刀が、圧倒的な巨体を持つウバイトールの竹刀と拮抗する。

「す、すごい……」

 走りながら振り返り、その様を見る。めぐみはすぐに剣道場の出入り口までいたり、振り返る。

「郷田先生! 助けを呼んできます! 少しだけ待っていてください!」

 そしてめぐみは、フレンと仲間たちを呼ぶため、全速力で駆けた。


…………………………

「……さて、申し開きがあるのなら聞いておくけど?」

「…………」

 怪物とつばぜり合いをしたままの彼に、怪物を呼び出した下手人の男が話しかける。

「どういうつもりだい? せっかく、君を利用してキュアユニコを倒そうと思っていたのに、予定が狂ったじゃないか。君をただのホーピッシュの住人だと思い込んでいる大埜めぐみは、プリキュアに変身することができないからね」

「そんな予定は知らんな」

 彼は両腕に力を込める。しかし敵も然る者、怪物は凄まじい膂力を持って、その彼の力に対抗する。怪物から立ちのぼる黒い闘気は、達人のソレに近い。

「正気か? プリキュアを倒すチャンスだったんだぞ」

「あの方がそんな卑怯な手段を許すとは思えん。そして、私は今、生徒を守る立場なのでな」

 彼は力をずらし、怪物の竹刀を凌ぐ。その巨大な竹刀は、轟音を立て剣道場の板張りの床を破壊する。

「なるほど。そちらがその気なら、ぼくは君をホーピッシュの人間と見なし、攻撃しても構わないということだね」

「ッ……!」

 怪物が明確な敵意をもって、悪辣なる瞳で彼を睨み付ける。男の愉快的な言葉が怪物に影響を与えていることは疑いようもないことだった。怪物は地を這うような足捌きで移動し、彼に竹刀を振り下ろす。

「いやいや、これも君を助けるためさ」

 ダッシューは心の底から楽しそうに笑う。

「プリキュアたちが戻ってきたときに君がぼくと楽しそうにお喋りをしていたら、潜入がバレてしまうだろう?」

「ッ……」

 彼は怪物が上段から振り下ろす竹刀をただ避け続けるしかなかった。今の彼には、正面から怪物と戦うような力はない。

「ケガをさせるつもりはない。少し眠っているんだね」

 男の声と同時、怪物が竹刀を引く。かと思えば、凄まじい風圧をともなって、彼に向かって突きが放たれる。

「ぐッ……!?」

 なんとか竹刀で受けるも、威力は少し減じただけだった。彼は吹き飛ばされ、壁に背中から激突する。今の彼は何の力もないただの人間に等しい存在だ。鍛えていなければ重傷を負っていたかもしれない。

「きっ……さま……!」

「ふふ。タイミングぴったりだ。気絶したフリでもしておくといい」

 男はもう彼を見ていなかった。剣道場の入り口には、既にプリキュアたちがやってきていたのだ。

「このウバイトールは凄まじい力を持っている。このウバイトールならば、きっと奴らを正攻法で倒せるからね」

 男のその声を聞いて、彼はそのまま、フリではなく、本当に意識を手放した。


…………………………

「ダッシュー……!」

 めぐみは、その剣道場の光景を目の当たりにした瞬間、頭に血が上る感覚というのを生まれて初めて理解した。

 めぐみは、助けを呼ぶため、袴姿のまま急いで格技棟を出て、そのまま校舎を走った。そして闇の顕現を察した仲間たちと合流し、剣道場へとんぼ返りした。息を切らせながら剣道場に入った瞬間、郷田先生がウバイトールの突きで吹き飛ばされたのだ。

「あなた、無関係な郷田先生を、どうして……!」

「抵抗したからさ。まったく、本当に無駄な努力だったけれどね」

 ダッシューは、何の力も持たない郷田先生に手を出したことを、まるっきり悪いことだと思っていないようだった。

「あなたは……」

 あきらが複雑そうな顔で言った。

「パーシーを連れて逃げるわたしを、傷つけることを嫌がっていたように見えた。なのにどうして、郷田先生を傷つけるようなことを……」

「勘違いするなよ、プリキュア。ぼくはぼくの欲望を満たすために戦っている。その邪魔をするのであれば、排除するまでのことだ」

「ひどい……」

 あきらが怯えたような顔をみせる。ゆうきがそんなあきらを庇うように前に出た。

「ダッシュー! あなたのその性根、わたしたちがたたき直してあげる!」

 そして、めぐみとゆうきは目を合わせ、頷き合う。

「あきらは妖精のみんなをよろしくね」

「う、うん……」

「ブレイ! フレン! 変身よ!」

「グリ!」 「ニコ!」

 ふたりの妖精からプリキュアの紋章が放たれる。ふたりは紋章をロイヤルブレスに差し込み、戦士の宣誓を叫んだ。

「「プリキュア・エンブレムロード!」」

 モノクロに墜ちた世界で、光が燦然と輝き出す。薄紅色と空色の光が周囲を埋め尽くし、ふたりの少女の姿を変えていく。そして、天高くからふたりの伝説の戦士が舞い降りた。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「「ファーストプリキュア!」」



…………………………

 四人の妖精を抱えながらそんなふたりの戦士の姿を見つめ、あきらは複雑な感情を抱いていた。

 ふたりは、あきらのために、あきらが戦わないようにしてくれている。

 あきらに変身するなと暗に言っているのだ。

「わたしが、キュアドラゴの力を使いこなせていないばっかりに……」

 あきらが歯がみする。そんなあきらに対し、口を開いたのはパーシーだ。

「違うドラ! あきらは、素晴らしい情熱を心に宿しているドラ。その情熱をうまくコントロールする方法“ドラゴネイト”を具体的に教えることができない、パーシーのせいドラ……」

「……パーシー」

 あきらとパーシーは、ふたりとも悲痛な面持ちだった。

「大丈夫グリ」

「そうニコ。大丈夫ニコ」

 けれど、そんなふたりに優しい声がかかる。ブレイとフレンだ。

「ゆうきたちは、ブレイたちのために戦ってくれているグリ。ブレイたちにできるのは、ゆうきたちを信じて、応援することグリ」

「ニコ。あきらも、一緒に応援するニコ」

 ふたりの妖精は、あきらの手を優しくぽんぽんと叩いてくれた。あきらは微笑んで、頷いた。

「そうだね。ふたりのことを応援してあげなくちゃね」

「グリ!」

 そう頷き合った直後、剣道場内が大きく揺れた。

「わっ……!」

 慌てて四人の妖精をぎゅっと抱きしめて、あきらは揺れの元凶を見た。巨大な防具のウバイトールが、やはり巨大な竹刀を振り回し、ふたりのプリキュアを吹き飛ばしていた。


…………………………

 グリフはウバイトールに真っ向から立ち向かった。正面から振り下ろされた竹刀を捌き、ウバイトールの小手に飛び乗って、そのまま面に向かい渾身の拳を放った。

「なっ……!?」

 たしかな手応えがあった。ウバイトールを吹き飛ばし、壁に叩きつけるところまで明確に想像ができた。しかし、ウバイトールは揺るがなかった。面の奥の悪辣な瞳を歪め、嘲弄するように笑ったのだ。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「……!?」

 直後、ウバイトールは高速で反転すると、横薙ぎの一振りをグリフに浴びせた。それはまるでバットのスイングのように、グリフを芯で捉えていた。グリフは予期せぬ反撃に受け身もままならないまま壁に叩きつけられ、床に落ちた。

「グリフ!」

 ユニコの声が聞こえるが、すぐには立ち上がることができない。ウバイトールはすり足による高速移動で、すぐにグリフに近づき、竹刀を振り下ろした。

「優しさの力よ、この手に集え! カルテナ・ユニコーン!」

 空色の清浄な光が場を制圧した。倒れるグリフの目の前に、キュアユニコが躍り出たのだ。その手に握られるカルテナは、途方もない量の“守り抜く優しさの光”を放出し、その壁でウバイトールの竹刀を防ぐ。しかし、そのウバイトールから、黒い欲望にまみれた闘気が放たれる。その闘気が強くなればなるほど、ユニコのカルテナが押し込まれていく。

「っ……なんて強いウバイトールなの……!?」

 ユニコがうめき声をあげたその瞬間だった。“守り抜く優しさの光”の壁が、竹刀に押し破られた。グリフはその直前になんとか立ち上がり、ユニコを抱えて跳んだ。

「助かったわ。ありがとう、グリフ」

「ううん。こちらこそ、守ってくれてありがとう――……!?」

 予想もしないような動きで、ウバイトールが竹刀を振り上げた。空気を切り裂き、唸りをあげる竹刀が、ふたりのプリキュアを直撃する。轟音が鳴り響き、吹き飛ばされる。

(力だけじゃない……! 速さもすごいんだ)

 グリフとユニコは空中で反転し、着地する。竹刀の振り下ろしではないからだろう。幸いにしてダメージは少ないが、目の前のウバイトールのあまりの強さに、グリフは戦慄する思いだった。

「ロイヤルストレートを放つ隙さえあれば……」

「そうね……」

 ウバイトールはすぐさまふたりに近づき、竹刀を振る。ふたりのプリキュアはそれを避けるだけで精一杯だ。

(どうにか、活路を見いださないと……!)


…………………………

「…………」

 ずっとその戦いを黙って見ているつもりだった。

 だってふたりは、自分のために戦ってくれているんだから。

 応援でふたりを助けられるならいくらでも応援する。

 けれど、現実問題として、ふたりは明らかにウバイトールに追い詰められつつあった。

「ふふ。さすがは、戦いに対しての欲望が染みついた品だ」

「……!?」

 すぐ近くにダッシューが立っていた。その接近に気づかないほど、あきらはプリキュアの戦いに集中していたのだ。

「そう身構える必要はないよ。君たちに何かをする意味も失われた。もうぼくらアンリミテッドの勝利は目前だ」

「そんなことない! ふたりはウバイトールなんかに負けたりしない!」

 あきらはそう言うのが精一杯だった。その最中にも、ウバイトールはどんどんプリキュアたちを追い詰めていく。

「どうしたんだい、キュアドラゴ。どうして君は変身しないんだ」

「わたしは……」

 手首を握る。そこに紅くきらめくロイヤルブレスを、何のために身につけている。

 どうして自分はここにいる。

「……あきら?」

 パーシーが心配そうな目をあきらに向ける。

「パーシー、わたし、戦わなくちゃ」

「ドラ……!? だめドラ! またあきらが傷ついてしまうドラ!」

「それでも、」

 言葉は自然と出てきた。

「わたしは、ふたりの戦いを見ているだけなんて、やっぱりできないよ……」

「あきら……」

 パーシーは迷うようにかぶりを振った。やがて、決心するように、頷いた。

「パーシー!」

 ラブリの声が飛ぶ。しかし、パーシーの決意は揺るがないようだった。

「分かってるドラ。でも、あきらが黙って見ていられない気持ちも分かるドラ」

「あきらの身体にどんな影響があるかわからないレプ! そんな危険な状態であきらにキュアドラゴの力を使わせるつもりレプ?」

「ごめんね、ラブリ。わたしはそれでも、ゆうきとめぐみを守れるなら、満足だよ」

 あきらは剣道場の隅を見る。倒れている郷田先生はめぐみを守って、ウバイトールと戦ったという。

「郷田先生はめぐみを逃がすために戦ったんだよ。それなのに、戦う力を持っているわたしが戦わずにただ見ているだけなんて、そんなの耐えられないよ」

 あきらは優しく妖精たちを床に下ろした。そして、空いた手をパーシーにかざした。

「……行くよ、パーシー」

「ドラ。行くドラ、情熱の紋章ドラ!」

 パーシーから紅い光が放たれる。その光はあきらの手の中でカタチを成す。それは、情熱の国を司る、紅き紋章だ。それを手に、あきらは戦士の宣誓を叫んだ。



「プリキュア・エンブレムロード!」



 紋章をロイヤルブレスに差し込んだ瞬間、紅蓮の炎が爆発した。炎のような光は瞬く間に広がり、あきらの姿を変貌させていく。髪は伸び、燃え上がるような紅に染まる。制服が炎により、戦士の装束へと変わる。

 世界へその情熱の炎を見せつけるように、情熱のプリキュアが誕生する。



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」


…………………………

 炎が吹き荒れた。それは剣道場内を席巻し、制圧するような勢いだった。その炎を生み出す戦士が、跳んだ。炎が、まるで戦士に付き従うように追随する。

(大丈夫。やれる……!)

 キュアドラゴは精神を統一し、心を平静に保とうと意識し続けた。感情に任せて炎を振るうのが危険だというのなら、ドラゴが気をつければ問題ないはずだ。

「グリフ! ユニコ!」

 ドラゴは叫び、拳から炎を放つ。その炎はウバイトールに命中し、燃え移る。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 しかしその黒い闘気により炎が消し飛ぶ。ウバイトールはドラゴと向き合い、その竹刀を構える。

「ドラゴ!?」

 グリフが叫ぶ。

「どうして変身したの!? キュアドラゴの力は、あなたを傷つけるんだよ!?」

「ふたりが戦ってるのを黙って見てるなんてできないよ!」

 ドラゴは叫び、両手に炎を纏わせる。

「大丈夫だよ。わたし、今なら“燃え上がる情熱の光”を使いこなせる気がするんだ」

 ドラゴは跳び、一気にウバイトールとの距離を詰める。

『ウバッ……!』

「ハァアアアア!!」

 拳をウバイトールにたたき込むも、竹刀で防がれる。しかしドラゴは、攻撃の手を緩めなかった。そのままウバイトールを押し込むように両拳でウバイトールを攻め立てる。

『ウバッ……!』

「なっ……!?」

 しかし、ウバイトールも強敵だった。何度目かのドラゴの拳を竹刀で完全に止めると、そのまま身体ごと前に出る。ドラゴは完全にウバイトールに押し負けて、距離を離される。その瞬間、ウバイトールは上段から竹刀を振り下ろした。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「……っ、この、程度で!」

 ドラゴを倒したと思ったのだろう。ウバイトールが歓喜の声を上げる。しかし、ドラゴはその攻撃を寸前で回避していた。床にめり込んだ竹刀に飛び乗り、そのまま小手を駆け上がる。

『ウバッ……!?』

「わたしの炎を喰らいなさい!」

 平静な心を保つことなど不可能だった。ドラゴは心を燃え上がらせ、爆炎とも呼べる炎を両拳に纏わせる。

 ドラゴはそのまま、面の内側に拳を叩き込み、“燃え上がる情熱の炎”を最大出力で放った。

『ウバァアアアアアアアアア!?』

 面の内側で弾けた炎に、さしもの強大なウバイトールも竹刀を取り落とした。

「今だよ、グリフ、ユニコ!」

 ウバイトールから飛び退いて、ドラゴが叫ぶ。ふたりの仲間たちは、そのドラゴの声に応えるように、すでにロイヤリティの光を身体に纏っていた。

「翼持つ獅子よ!」

「角ある駿馬よ!」

 よかった、と。これで大丈夫だ、と。そう安堵した瞬間のことだった。

「「プリキュア・ロイヤルストレート!!」

 光の奔流が吹き荒れると同時、ドラゴの身体から小さな炎が爆ぜた。炎を出そうとして出したわけではなかった。

(な、何……? “燃え上がる情熱の光”が、勝手に……!)

 炎が瞬く間にドラゴを覆い尽くした。その瞬間、凄まじい痛みと熱がドラゴの感覚を覆い尽くした。


…………………………

 ロイヤルストレートはウバイトールに直撃し、その闇は浄化された。世界に色が戻る。グリフは視界の隅で、ドラゴが炎に包み込まれる瞬間を目撃した。

「ドラゴ……!」

 大切な幼なじみなのだ。

 大好きな親友なのだ。

 だから、グリフは走った。苦悶に顔を歪めるドラゴを抱いた瞬間、その炎がグリフにも燃え移る。

「ッ……!?」

 それはとてつもない痛みと熱だった。まるで本物の炎に巻かれるような感覚に、グリフは驚愕した。

(あきらは、ずっとこんな痛みに耐え続けていたの……!?)

 どうしてそれを理解していなかったのだろう。それをわかっていれば、あきらにキュアドラゴへの変身をさせるようなことは、絶対になかったのに。情熱のロイヤルブレスを預かるなり、していたはずなのに。

「あきらは、こんなに痛かったんだ……」

 薄紅色の光がグリフから発せられる。“立ち向かう勇気の光”で、炎を鎮火しようと試みる。凄まじい力を持った炎は、薄紅色の光すら飲み込もうと渦巻いている。

「ゆうき」

 気づけば、すぐ傍でユニコが屈み込んでいた。その身体から発せられる“守り抜く優しさの光”が、反対側からドラゴの炎を消そうと優しく瞬く。

「っ……」

 やがて、ふたつの光はドラゴの炎を消し去り、ドラゴの身体を包み込んだ。

 三人の戦士たちから光がはじけ飛び、変身が解除される。

 ゆうきはめぐみと安堵から笑い合い、そして、倒れた。


…………………………

 目覚めた瞬間、身体に痛みがないことに驚いた。自分自身で、炎に巻かれたところまでは覚えていた。その炎の痛みと熱で意識を失ったからこそ、意識が戻った瞬間、痛みを覚悟していたのだ。

「……ゆ、ゆうき!? めぐみ!?」

 そして、すぐそばで、ふたりの親友が倒れている姿を見て、利発なあきらはすべてを理解した。

 自分の炎が、ふたりを傷つけたのだ。

「そ、そんな……。ゆうき、めぐみ……!」

「はははは。情熱の戦士は、その炎によってすべてを燃やし尽くしてしまうのさ」

 返事はない。代わりに応えたのは、すぐ傍でそれを嗜虐的に見つめるダッシューだ。

「あのウバイトールをもってしても、プリキュアは倒せなかったか。まぁいい。面白いものが見られたから満足だ」

「おもしろくなんかない!」

 あきらがダッシューを睨み付ける。しかし、ダッシューは涼しい顔だ。

「そうだねぇ。君は面白くないだろうねぇ。なんてったって、君自身の力が、君のお友達を傷つけたんだから」

「っ……!」

 あきらは何も言い返すことができなかった。

「ぼくは失礼するよ。それじゃ、また会おう。伝説の戦士プリキュア」

 嘲弄するような言葉を残し、ダッシューは空に溶けて消えた。

「……ゆうき。めぐみ……」

 残されたあきらは、ただ力なく、ふたりの友達の名を、呼び続けることしかできなかった。


 次 回 予 告

あきら 「わたしは、ゆうきとめぐみを傷つけてしまった……」

あきら 「わたしが弱いばっかりに、ふたりに迷惑をかけてしまった」

あきら 「わたしは、プリキュアを続けていいのかな……」

あきら 「わたしにキュアドラゴの力なんて、使いこなせるのかな……」

ゆうき 「……あきら」

めぐみ 「だいぶ参っているようね。どうしたものかしら……」

ゆうき 「わたしたちが励ましても謝るだけだし、ひとりにするのも心配だし……」

パーシー 「あきら……」

ブレイ 「……ということで、次回、ファーストプリキュア! 第17話【紡ぐ詩に想いを乗せて 復活のキュアドラゴ!】」

ブレイ 「次回もお楽しみに! ばいばーい!」

フレン 「……みんなが暗いときに明るく立ち回らなきゃいけないって、あんたも損な役回りよね」

ブレイ 「そう思うなら少しは手伝ってよ……」

>>1です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。
来週は所用により投下ができません。
また再来週、よろしくお願いします。


ファーストプリキュア!
第十七話【紡ぐ詩に想いを乗せて 復活のキュアドラゴ!】


…………………………

 ダイアナ学園は小高い丘の上に建てられている。そのためか、季節によっては、朝方にボウと霧が立ちこめることがある。特に、校舎に囲まれた中庭は、それが顕著だ。霧の中見え隠れする、英国の著名な建築家に設計してもらったのだという英国式の校舎も相まって、そこはそう、まるで霧の都と称されるロンドンのようだ。

「――って言っても、本当はただの田舎の私立中学校だけどね」

 あきらはそんな霧の立ちこめるダイアナ学園を歩きながら、独りごちた。

 とはいえ、あきらはこの景色が好きだ。一年生の頃、何の気なしに朝早くに登校して、偶然この霧がかかる景色を見つけてから、霧が出そうな朝はこうして早く登校するようになった。シーンと静まり返った中庭は、そこだけ世界から隔絶されたように思える。そこはあきらだけのヒミツのスポットだ。けれど――、

「声……?」

 何かが聞こえる。誰かの声。歌声だろうか。それは、さしかかった中庭の中から聞こえるようだ。霧の立ちこめる中庭で、その美しい歌声は、慎ましやかに小さく響き渡っていた。あきらにはその声が、誰にも聞かれないように意図的に押し殺しているように思えた。

「何だろう……」

 早朝の学校、霧が立ちこめる中、努めて目立たないように押し殺した、美しい歌声。あきらの興味を引かないわけがなかった。そっと耳を澄ましてみる。中庭に小さく響き渡るその歌声は、中庭の隅、あきらが普段、秘密の作業をする場所から聞こえてくるようだった。そこは、木々に囲まれた中に、小さな石の椅子とテーブルが置かれている場所。開放感のある中庭において異質なその空間は、あまり他の生徒が寄りつくような場所ではない。

 そっと、枝葉の隙間から中を覗く。誰かが、こちらに背を向けて立ち、小さな声で歌っている。誰だろう。もう少し見たい。その欲求に負けて、あきらは枝葉を引き、隙間を広げる。力を入れすぎただろうか。ガサッと音がして、枝葉が揺れて音が出る。しまったと思ったときには歌は止み、件の人物はこちらを振り返っていた。

 霧がかかっているその場で、そこだけが光り輝いているようだった。それほどまでに、彼は美しかったのだ。


…………………………

 剣道場でのウバイトールとの戦いの後、幸いにしてゆうきとめぐみはすぐに目覚めてくれた。ふたりは大丈夫だと笑っていたが、あきらは自分が友達を傷つけてしまったことに、深く衝撃を受けていた。

 自分の力が、自分のみならず大切な友達を傷つけてしまったのだ。

 あきらはふたりに何度も謝った。そのたびに、ふたりはあきらのせいじゃないと、自分を責めないでと言ってくれた。その優しい気遣いが逆に、胸に刺さるようだった。

 これ以上ふたりを傷つけるわけにはいかない。あきらは、ロイヤルブレスを外し、パーシーに返却した。パーシーはしばしあきらの顔を見つめた後、頷いて受け取ってくれた。そしてキュアドラゴに変身することができなくなったあきらは、パーシーもふたりに預けることにした。

 あきらがただの中学二年生に戻って、数日が経過した。


…………………………

「あきらの様子がおかしい」

「え……?」

 親友からの唐突な言葉だった。朝、HR前の教室で、郷田先生との熾烈を極める剣道の稽古で疲れ果てているめぐみにそう言ったゆうきの顔は、心配げでもあり、不満げでもある。

「一体どうしたのよ」

「どうしたもこうしたもないよ。昨日あきらにふたりで帰ろうって言ったら、『今日は用事があるの』って断られちゃったの」

「……それがどうかしたの?」

 ゆうきの鼻息がどんどん荒くなっていく。めぐみはそろそろついていけなくなりつつあるのだけれど、そんなことにゆうきは気づきそうにない。

「何かあるのって聞いたら、なんか口ごもっちゃって!」

「はぁ」

「教えてくれなかったんだよ!」

「話したくないことだってあるでしょう」

「それだけじゃないんだよ! 昨日の朝、すごく早く学校に来たみたいなの!」

「へぇ」

「しかも中庭で何かをやっていたって目撃証言が!」

「そんな情報をどこで手に入れてくるのよあなたは」

「演劇部の朝練があったユキナと有紗!」

「わかっていたけどね……」

 めぐみはいい加減疲れて来たけれど、ゆうきの言葉はまだ止まりそうにない。めぐみは先んじて口を開いた。

「朝早く来て中庭でボーッとしていたいときもあるんじゃないかしら。うちの中庭は、主事の蘭童さんのおかげでキレイなイングリッシュガーデンになっているわけだし」

 ここ最近、昼休みや放課後に中庭で談笑をする生徒が多くなっている。それは間違いなく、主事の蘭童さんがきれいに整備したおかげだろう。少し前まで何の変哲もない木々に囲まれただけの中庭だったというのに、蘭童さんが整備した途端にそれはそれは美しい庭園になりつつあるのだ。

「そうかもしれないけどー!」

 そんなゆうきの様子に、めぐみはほぅとため息をつく。

「あなたって結構嫉妬深いのね。わたしが同じようなことをしても、そんな風に言ってくれるのかしらね」

「? なんか言った?」

「なんでもないわ。それで、あきらのことが心配なのね。ゆうきは」

「うん。あきらはいいこだから、変なことに巻き込まれていないかなって……」

「あなたって本当にお節介なお母さんみたいね」

 もちろん、それがゆうきの良いところでもあるのだけれど。


「わかったわ。わたしも今日、ちょっとあきらの様子を見てみるわね」

「よろしく! めぐみ大先生!」

「何が大先生よ……。まったく」

 話はこれで終わりでいいのだろうか。折良く、教室の引き戸が開き、あきらが顔を覗かせた。あきらはゆうきとめぐみを認めると、笑みを浮かべて近づいてくる。

「おはよ、ゆうき、めぐみ」

「おはよう、あきら」

「お、おはよ、あきら」

 わざとらしすぎる。普段通り、なんでもない顔をすればいいものを、なぜゆうきは、ひきつった笑みしか浮べられないのだろう。

「どうかした、ゆうき?」

「へ? ど、どうもしてないよ?」

「そう……?」

 あきらの目が訝しげにゆうきを見つめる。これでは、様子がおかしいのはあきらではなくゆうきのように見える。

「ところで、“ドラゴネイト”のヒントは見つかりそう?」

 めぐみはあきらに問う。あきらは悲しそうにかぶりを振った。

「全然だよ。“静かな心の中で、激しい情熱の炎を燃やす”……。あんまりピンとこないよ」

「そうよね……」

 あきらは浮かない顔をする。先日めぐみとゆうきを傷つけてしまったことをまだ引きずっているのだろう。

「わたしには無理なのかな……」

「そんなことないドラ!」

 めぐみのカバンの中から大きな声が響く。教室にいるクラスメイトたちが何事かとこちらを向く。

「ないドラ……どら……どら焼き食べたいね~、なんて……」

 ゆうきが誤魔化すために無理矢理なことを言う。しかしクラスメイトたちはそれで納得したのか、皆すぐに意識を逸らしてくれた。それは普段からのゆうきの天然キャラのなせる技だろう。

「……ちょっと、パーシー。気持ちはわかるけど、大声出しちゃダメだよ」

「ドラ……」

 ゆうきがめぐみのバッグに話しかける。あきらがロイヤルブレスを外し、パーシーを守る力がなくなったため、めぐみが預かっているのだ。


「……でも、ありがとう、パーシー。嬉しいよ。わたしも弱気なこと言わずにがんばるね」

 あきらが嬉しそうに言う。その言葉を言えるあきらを、めぐみは本当に強いと思う。自分のみならず友達を傷つけてしまったというのに、あきらはまだがんばろうと思えるのだ。もしかしたら、めぐみがあきらの立場だったら、怖くて投げ出してしまうかもしれない。

「大丈夫よ、あきら。あきらなら絶対できるわ」

「うん。あきらならできるよ。でも、無理しないでね」

「ありがとう、ふたりとも」

 あきらに笑顔が戻る。めぐみはそれだけで嬉しい。ゆうきだってきっとそうだろう。

「あ、そうだ。あきら、今日の放課後は大丈夫? 三人でひなカフェに行こうよ。ひなぎくさんが新作スイーツの試食に来てって言ってたよ」

「……あー、ごめん、ゆうき。今日もちょっと放課後用事があるんだ。めぐみとふたりで行ってきて」

 あきらの申し訳なさそうな顔に、めぐみとゆうきの視線が交錯する。

「用事って学校の?」

 詮索するつもりはないけれど、気になって問う。あきらは困ったような顔をして、答えた。

「んー……まぁ、そうかな。ちょっと学校でやることがあるんだ」

「……そう」

「ごめんね、ゆうき。また今度」

「うん……」

 折良く教室に誉田先生が入ってきて、あきらは自分の席に向かった。

(うーん……たしかに、あきら、少しヘンかしら)

 ゆうきの思い過ごしだろうと思っていたけれど、あながちそうでもないかもしれない。

 あきらは早朝や放課後に、一体何をやっているのだろうか。


…………………………

 悪趣味だからやめなさい、とは言ったのだ。

「でも、あきらのことが心配だよ」

 しかしゆうきは頑としてそのめぐみの言葉を聞き入れなかった。だから、めぐみはゆうきとふたり、放課後にあきらの後をこっそりつけるようなことをしているのだ。

「……こんなことをしてしまっていることに自己嫌悪だわ」

「わかってるよ。わたしだってしたくてしてるわけじゃないもん」

 ゆうきがむくれ顔で言う。

「剣道場での戦いの後のあきらの顔を思い出すと、心配なんだもん」

「……まぁ、そうね」

 ゆうきも気持ちが分からないわけではない。あきらはゆうきとめぐみを自分の力で傷つけてしまったことに、本当にショックを受けていたのだ。それを考えると、やはり放課後、自分たちに内緒で何かをしていることは心配だ。あきらが何か思うところがなければ、自分たちに内緒にするようなことはしないだろう。まじめで責任感の強いあきらのことだ。思い詰めて、思いもよらないことをし始めるかもしれない。

「……とか言って、単純に男の子との逢瀬とかだったらどうするのよ」

「おうせ? おうせってなぁに?」

「……そうだったわね。あなたはゆうきだったわ」

 めぐみはため息をついた。

「つまり、男の子との放課後デート、とかだったらどうするの、って言ってるの」

 冗談のつもりだった。けれど、ゆうきの反応は苛烈だった。すわ前方を歩くあきらに気づかれるのではないかというくらいのオーバーリアクションを見せたのだ。

「……ありえる! ありえるよ! あきらめっちゃかわいいし!」

「あのねぇ、ダイアナ学園は女子校よ? そんなことあるわけないじゃない」

「高等部には男の先輩もいるよ。それに、もしかしたら先生とのデートとかだったら……」

 きゃー! と姦しい声を上げるゆうきに辟易としつつ、考える。ここ最近、ゆうきは初恋に目覚めてからというもの、色恋沙汰が大好物になったようだ。イケメンやアイドルの話題には相変わらずまったく関心を示さないというのに、友達同士のそういう話にはめっぽう弱くなっている。

「あなた、最近ユキナに似てきたわよ」

「えっ? ユキナだったらわーきゃー騒いで直接あきらに聞きに行くと思うよ?」

「……そうかもしれないわね」

 と、そんなことを話していると、あきらが昇降口で靴に履き替え、外に出た。

「あれ? 学校の外に行くのかな?」

「……いいえ。中庭のほうに向かうみたいよ」

「ん、そういえば、ユキナたちが昨日の朝あきらを見かけたのも中庭って言ってたっけ……」


 ふたりは身を隠せる場所が少なくなった外で、見つからないようにあきらの後をつけた。あきらが中庭に入るのを見届けて、ふたりも中庭に足を踏み入れる。と――、

「……ん? あれ? あきらは?」

「急にいなくなったわね……」

 一瞬、あきらが自分たちを撒いたのかという考えがよぎったが、そこまで時間的な余裕があったとは思えない。そもそも、尾行が気づかれている様子はなかったし、あきらが自分たちにそこまでするとは思えない。ふたりはそろりそろりと中庭を進む。プリキュアに成り立ての頃、まだただの緑地という風情だった中庭は、今や立派なイングリッシュガーデンに仕上がっている。そこかしこに植えられているハーブや色とりどりの花が季節感を出し、きれいに動物の形に刈りそろえられている植樹が何とも楽しい印象を与えてくれる。これを主事の蘭童さんひとりでやったというのだから、凄まじいことだとめぐみは思う。

「……ん、ねぇめぐみ。何か聞こえない?」

「……?」

 ゆうきの小声に耳を澄ませてみると、たしかに小さな話し声が聞こえる。ふたりは顔を見合わせ、お互いに口の前に人差し指を当てた。そのまま、そろりそろりと、その話し声のする方向へ歩を進める。と――、



「――ここはこうした方がいいかな」

「ふむふむ。なるほど……」



「「……!?」」

 ふたりして驚きに声を上げそうになる。お互いの口を手で押さえ合い、驚きで見開いた目を見合わせる。とんでもないものを見つけてしまった。

 そこは、綺麗に刈りそろえられた植樹に囲まれたスペースだ。中に入るには、身をかがめて――場合によっては匍匐前進で――植樹をくぐる必要がある。生徒たちはその手間を厭って滅多にその中には入らない。そのスペースにあるのは、座るのに適した大きな岩が四つだけだ。そんなスペースに入るくらいなら、誰だって中庭に点在するベンチや椅子に座るだろう。

 けれど、その植樹の中に、今は人がいた。それもふたり。片方はふたりが後をつけていたあきら。そしてもう片方が、とんでもなく意外で、なおかつ先ほどのめぐみの冗談に合致する相手だったのだ。ふたりは植樹の陰に隠れて、あきらと何やら親しげに話をするその相手を何度も確認した。

(ね、ねえねえ、あれ、主事の蘭童さん……だよね)

(そうね。わたしにもそれ以外の人に見えないわ)

(ほ、本当にデートだったんだね……)

 ゆうきは声を潜めたまま、顔を真っ赤にして、

(しかも、赴任して一週間で、中等部から高等部までファンでいっぱいになった、イケメンの蘭童さんが相手とは……)

(まだそうと決まったわけじゃないでしょう)

 と言いつつも、めぐみも顔を赤くしている。あのおとなしいあきらが、年上のイケメンと親しげに放課後に密会をしているだなんて、誰が想像できただろうか。

(や、やっぱり、そういうことなのかしら……)

(……はぇ~、あきら、おっとなー)

 ふたりの少女はそれからしばらく、年上のイケメンと親友との逢瀬の現場をドキドキと眺め続けていた。


…………………………

「……じゃあ、今日はこんなところかな。すまない、そろそろ仕事に戻らないといけないんだ」

「はい。お仕事の時間を割いていただいて、どうもありがとうございます。いつもすみません」

「いいさ」

 爽やかな笑顔が似合う主事の蘭童さんは、やはり爽やかな笑みを浮かべて。

「ぼくは先生ではないが、学校現場にいる以上、生徒の相談には乗らなくちゃならないだろうから。……ん?」

 ふと、蘭童さんがあきらに手を伸ばした。ドキリと心臓が跳ねて、身体が固まる。年上のイケメンに、すわ頬を撫でられるかと身構えるが、そうではなかった。蘭童さんはあきらのすぐ後ろの植樹に手を伸ばしただけだった。

「少し手入れが必要だな。すまない、少しどいてもらってもいいかい?」

「あ、はい」

 ヘンな勘違いをしたことが恥ずかしくて、あきらは顔を赤くする。腰かけていた岩からどくと、蘭童さんは手慣れた手つきで腰のホルダーから剪定用の小さなはさみを取り出して、植樹の一地部分を撫でるようにそろえてしまう。それは本当に一瞬の出来事で、その一瞬だけであきらには蘭童さんがとても優秀な庭師なのだとわかった。

「すごいですね。歌や詩だけじゃなくて、こんなこともできるんだ……」

「そりゃ、これがぼくの本業だからね」

 蘭童さんは困ったように笑った。その手に握られているはさみを見て、あきらは言った。

「……そのはさみ」

「ん?」

「とても使い込んでいるんですね。ずっと使ってるんですか?」

 そのはさみはとても使い込まれていて、そこかしこボロボロではあったが、よく整備されているように、あきらには見えた。

「ああ……まぁ、これとも長い付き合いだね。また庭師になって使うことになるとは思わなかったけど」

 蘭童さんはそう言うと、はさみをしまった。

「そのはさみには、きっと蘭童さんの今までの色々なものが詰まっているんですね」

「……はは、本当に君は、感受性が豊かだな。まぁ、たしかに色々なことを、ぼくと一緒に経験したはさみではあるね」

 蘭童さんは笑う。けれど、あきらにはその目の奥が寂しげに揺らめいているように見えた。

 蘭童さんは、ときどき、表層には絶対に表さない悲しげな目をすることがある。

「……それじゃ、失礼するよ。美旗さん」

「今日も大変参考になりました。また、よろしくお願いします」

「ああ。明日の朝も大丈夫だ。気が向いたら来るといい」

「ありがとうございます。絶対来ます」

 蘭童さんはにこりと笑うと、そのまま植樹を颯爽とくぐってそのスペースから出て行った。あきらが同じことをしようとしても、きっと植樹に頭を突っ込んでしまうだろう。どこまでも爽やかで、格好良さの塊のような人だ。あきらがそのスペースが出るときは、たっぷり気合いを入れてしゃがみ込んでもぞもぞと不格好に動いてようやく植樹をくぐり抜けることができるというのに。蘭童さんとの差に自分で落胆しながら、あきらが植樹をくぐろうと屈んだ、その瞬間だった。




「あーきらっ」


「わひゃっ!?」

 変な声が洩れた。危うく尻餅をつきそうになって、いくらなんでもそれは格好悪すぎるから耐えた。今まさにくぐり抜けようとした場所から、ふたつの顔が覗いている。

「ゆ、ゆうき!? めぐみ!?」

「あーきーらー、わたしの誘いを断って何をしてるのかと思えば、イケメンさんとデートだったんだねー!」

 ゆうきが言う。

「そういうことなら教えてよー! 親友でしょー! 幼なじみでしょー!」

 植樹をくぐってスペースの中に入ってきたゆうきは、がくがくとあきらの肩を揺する。あきらは思考が追いつかず、されるがままになってしまう。

「ど、どうしてここにいるの?」

「ごめんなさい。私は止めたのだけど、ゆうきがあなたのことが心配だからって、後をつけたのよ」

 遅れて植樹をくぐってめぐみが中に入る。

「あ、ずるい! めぐみ、わたしのせいにしようとしてる!」

「しようとしてるもなにも、言い出したのはあなたでしょ」

「でもめぐみだってついてきてくれたでしょー」

「それはだって、私もあきらのことが心配だったから……」

 ふたりがわーわーと言い合いを始める。それを聞いてあきらも合点がいく。つまり、あきらの親友二人は、あきらのことを心配して、あきらの後をつけたのだろう。そして、今の今までここで行われていたマンツーマンのレッスンを、デートと勘違いしたのだろう。

「……ってデート!?」

 あきらがむせそうになりながら言った。

「デートじゃないよ! っていうかイケメンさんとデートって何!?」

「えっ? だって主事の蘭童さんと楽しそうにお喋りしてたじゃん」

「お喋りしてたらデートなの!?」

「放課後の密会かと……」

「めぐみまでゆうきの天然が移ったの!?」

 そんなふたりにどう説明したものかと、あきらは植樹の梢から見え隠れする空を仰ぎ、ため息をつくのだった。


…………………………

 天使か、はたまた悪魔か。

 そう思えるくらい、彼は美しかった。彼の歌声も、美しかった。ただただ、感嘆に胸を震わせていると、歌声が止まった。

 霧の中振り返った彼と、あきらの目線がぶつかった。

『……?』

『あっ……』

 胡乱げな目線をくれる、当の彼――主事の蘭童さん――は、どういった感慨も見せず、淡々とあきらの目を見つめていた。

『……おはようございます』

『あ……お、おはようございます』

 蘭童さんから放たれたのは、ひどく陳腐なあいさつだった。当然だ。ここは学校で、あいさつは美徳とされる場所だ。本来であれば、あきらからあいさつをするべきだっただろう。

『こんな時間に生徒がいるとは思わなかった。しかも、よりによって君か』

『へ……? わたしのこと、ご存知なんですか?』

『……はは。まぁ、君がよくこの場所で、何か書き物をしているのを見かけていてね』

『あっ……』

 顔が熱くなる。誰にも見られていないと思っていたのに、あの秘密の作業をよりによって学校職員に見られていたなんて。

『そんな顔をしなくていい。君が何をしているのかまでは知らないよ』

 あきらの心の中を見透かすように、蘭童さんはそう言って笑った。あきらは途端に恥ずかしくなって、頭を下げた。

『君はよくこの場所を秘密の場所のように使っているようだね。実はぼくもなんだ。こうやって、始業前に時々歌を歌わせてもらっている』

『あっ、その……邪魔をしてしまって、すみません……』

『いいさ。始業前に、ストレス発散で歌っているだけだから』

 蘭童さんは本当にどうでも良さそうに。

『こんなに早くから登校とは感心だね。なんとも、光が強いことだ』


『……光?』

『何でもない。忘れてくれ』

 あきらには蘭童さんの言わんとしていることがわからなかった。蘭童さんが言わないつもりのことを無理に聞き出すつもりはないが、あきらの心の中に、言わなければならない想いがくすぶっていた。

『あの、今の歌……』

『うん?』

『とても綺麗でした。歌がお上手なんですね』

 そう言ったあきらの顔を、蘭童さんはぽかんと見つめるだけだった。

『……それはどうも』

『今の歌、聞いた事がありません。何の歌なんですか?』

『……グイグイくるね』

 蘭童さんは呆れ顔で。

『名前はないよ。ぼくが作った曲に歌詞を乗せただけだ。歌詞は気分で変わるし、主旋律も気分で変わる』

『曲も歌詞も、自分で考えたんですか!?』

『……そうだよ。悪いか』

 そう言った蘭童さんの目は、とても冷たかった。けれどあきらは、そんなことを気にしている余裕がなかった。

『あ、あの!』

『なんだい?』

『わたしに、詩の書き方を教えてください!』

『…………』

 たっぷり数秒沈黙した後、蘭童さんは、イケメンが絶対にしないであろう間の抜けた顔をした。

『……へ?』


…………………………

「と、いうことがあって、それからずっと蘭童さんに詩の書き方を教わってるの。詩のレッスンっていうのかな」

「「詩のレッスン?」」

「そうだよ。蘭童さんに色々と教わっていたの」

 懇切丁寧に説明して、ふたりはようやく理解をしてくれた。けれど、納得はしていないようだった。めぐみが不思議そうに問う。

「あきら、詩を書くの?」

「う、うん……」

 あまり人に話したいと思うようなことではない。そんなことをやっていて、気取った中学生だと思われるのも嫌だし、痛々しいと思われるのも嫌なのだ。けれど、めぐみの反応はそんな程度ではなかった。

「あきらは感受性豊かで、色々な物事を多角的に見られるものね。うん。詩って、あきらにぴったりだと思うわ」

 ゆうきも言う。

「そういえば、あきらって昔からこまめに日記をつけてたもんね。文章を書くの好きだよね」

「……そうだね。日記で、その日あった楽しかったこと、嬉しかったこと、嫌なこと……そういう色々なことを考えて書いていたら、詩みたいになったの。それから、少しずつ日記とは別に詩を書くようになったんだ」

 ゆうきにも話したことがないことだ。ふたりは嘲るでも引くでもなく、真剣に聞いてくれた。

「でも、蘭童さんって作曲と作詞ができるのね。主事さんなのにすごいわ」

「あくまで趣味だって言ってたけどね」

 あきらははにかみながら。

「でも、わたしは蘭童さんの歌を聴いて、すごく心に響いたんだ。だから無理を承知で色々と教えてもらっているの」

 ふと、親友二人がわくわくするような目をしていることに気づく。

「……? どうしたの?」

「あきら、なんか、蘭童さんのこと話してるとき、目がキラキラしてるよね」

「そうね」

「……どういうこと?」

 ふたりは「またまたー」とあきらの肩を叩く。

「蘭童さんに詩を教えてもらっているうちに、」

「ときめいたり、してるんじゃないの?」

 ふたりの言わんとしていることがわかって、あきらはまたため息をつく。そういえば、出会い端にデートだなんだと言っていた。ふたりの女子中学生らしい姦しい勘ぐりに、あきらはそっと呟いた。

「ふたりともさ、なんかユキナに似てきたよね」

「……えっ? わ、私も……!?」

 その言葉に、めぐみが愕然としたことは、言うまでもない。


…………………………

「……どういうつもり?」

 彼は草木への水やりのため、古風な学園に似つかわしい金属製のじょうろに水を汲んでいた。そんな彼に黄色い歓声を上げる女子生徒なら多数いるが、こんなつめたい声をかける人物は、そう多くはない。

「おやおや。後藤さん。まずはあいさつが先だろう? おはようございます」

「この辺には誰もいないわよ。その嫌みったらしい営業スマイル、さっさと取りなさいよ」

「はは、これでも先生方と生徒の信頼は勝ち得ているつもりなんだけどね」

 彼は水を止め、声の主を振り返った。漆黒の長髪に漆黒の目、病的なまでに白い肌、細い手足。不健康そうな見た目ではあるが、尖ったナイフのような鋭い美しさを持った少女だ。洗練されているといって、間違いではないだろう。鈴蘭は元より不機嫌そうな目をますますすがめて、彼を睨み付けた。

「くだらないおしゃべりをするつもりはないの。どういうつもりかと聞いているのよ」

「何の話かな」

「とぼけないで。美旗あきらのことよ」

 なるほど。ただのヒステリックな少女だと思っていたが、それだけでもないようだ。よく周囲を見て、彼の不審な行動を気にかけていたのだろう。

「どういうつもりも何もない。ただの気まぐれだよ」

「うそをつきなさい。あんた、一体何をたくらんでいるの?」

 鈴蘭の目は疑念に満ちていた。もちろん、彼だって鈴蘭がそんな顔をする理由はわかっている。彼自身、己が敵である美旗あきらに何かをしていると知れば、罠にでもかけようと考えていると思うだろう。

「どうせ、プリキュアを陥れる算段でも練っているんでしょう? 一枚噛ませなさいよ」

 鈴蘭が嗜虐的に笑う。彼女の本質は、その嗜虐的な闇だ。過去に何があったのか知らないし知りたいとも思わないが、その彼女の闇がロイヤリティの光やホーピッシュの希望を許せるはずもないだろう。鈴蘭は決して光とは相容れない。それは彼とて同じことだ。しかし。

「そうしたいところは山々だけどね。ぼくらの総大将はそういう汚い手を好まないらしい」

「あら、じゃあどうして美旗あきらに毎朝付き合ってやってるわけ? どっかの体育の先生みたいに、『どこまで強くなるか見てみたい』なんて言い出すつもりじゃないでしょうね」

「郷田先生みたいな酔狂なことをするつもりはない。ただの気まぐれだよ」

 鈴蘭はしばらく疑念に満ちた顔で彼を睨み付けていた。やがて、どうでも良さそうに言った。

「……あっそ。じゃ、あたしはあたしでやらせてもらうわ」

 興味は失せたとばかりに、まるで猫のような気質の鈴蘭は、すでに彼に背を向けていた。彼はその鈴蘭の背中が消えるのを見送って、そっと、蛇口をひねり、水を再びじょうろに注ぎ始めた。

「……そう。ただの気まぐれさ。やりたいと思ったことを我慢するなんて、ぼくではないからね」

 彼は腰のホルダーに手をやり、目当てのものを取り出した。



 ―――― 『蘭童さんの今までの色々なものが詰まっているんですね』



「ははっ。まったく、プリキュアに教えられるとはね」

 それは、小さく、くたびれた、彼愛用の剪定ばさみだ。

「過去にとらわれたりはしない。過去のぼくも、利用してやるというだけのことだ。このはさみにこめられた、もう思い出せない過去のぼくの欲望を利用すれば……」

 彼は酷薄に笑む。

「キュアドラゴが変身できない今がチャンスだ。いまのうちに、プリキュアを叩きつぶす」


…………………………

 翌日のことだ。

「レプ……」

 ゆうき、めぐみ、あきらが授業を受けている間、ラブリはひとりで学校の中を歩き回り、愛のプリキュアを探している。ゆうきたちに保護されてからずっと続けていることだが、活動範囲が学校内だけだから、そろそろ回る場所もなくなってきた。

「愛のプリキュアは、この学校にはいないレプ……」

 ラブリは昔から様々な文献や資料に目を通してきた。その中には、伝説の戦士に関わるものもたくさんあった。

「愛のプリキュアは、愛にあふれる人から生まれるレプ。でも、愛にあふれる人なんて見つからないレプ……」

 愛にあふれる人とは、一体どんな人なのだろうか。果たして、世界のどこを探したら愛にあふれる人が見つかるのだろうか。

 それとも、愛を知らない自分には、愛にあふれる人なんて、見つけることはできないということなのだろうか。

 本人たちには言えないが、このホーピッシュにやって来てから、ブレイは弱虫なりに勇気を持つようになったし、フレンは素直ではないが優しさを見せるようになった。そしてあの寡黙でオドオドしていたパーシーまでもが、その心に熱い情熱を宿し、それを口に出せるようになった。

「皆、王族らしくなってきているレプ……」

 ならば己は、愛を知らなければならないだろう。しかし、ラブリには愛が分からない。愛とは一体なんなのだろうか。

 と、人の話し声が聞こえた。ラブリは廊下の隅にこそっと隠れ、様子を伺う。前方から、ふたりの女子生徒が歩いてきた。

「鈴蘭、何度も言うけど、しっかり食べているのかい? 今日もまた顔色が悪いよ」

「うるさいわね。ちゃんと食べてるわよ」

「購買のひなぎくさんにも確認したぞ。トマトを食べないんだって?」

「はぁ!? なんで人の保護者に勝手にコンタクト取ってるわけ!?」

 騒がしくやってきたふたりは、ゆうきたちがよく会うふたりだ。片方は生徒会長の騎馬はじめ、もう片方ははじめの友達の後藤鈴蘭だ。

「……相変わらず、すごいレプ」

 そのふたりはきっと、ラブリと同じなのだろう。ふたりの心の中は、空っぽに近い。

 ふたりは、まるっきり愛を知らないのだ。

「でも……」

 ラブリの横を通り過ぎ、姦しく歩いて行くふたりの後ろ姿を見つめて、思う。

「少しずつ愛が芽生えているみたいレプ。その調子で、ふたりで仲良く愛を深めていけば、きっとその愛が周囲にも広がっていくレプ」

 あのふたりはきっと大丈夫だろう。


「それに比べてラブリは……」

 己は愛を知らない。

 幼少の頃から、父上と母上と接する時間より、勉強をする時間、本を読む時間、馬術の稽古をする時間、ダンスのレッスンを受ける時間、そして礼儀作法を学ぶ時間のほうがずっと長かった。人との繋がりは事務的なものでしかなかった。そんな自分に、どうして愛がわかるだろうか。

(……それでも)

 落ち込んでいる暇はない。

 ロイヤリティのために、ホーピッシュのために、そして、あきらのためにも、早く愛のプリキュアを見つけなければならないのだ。と――、



「ぬいぐるみ?」



(レプっ……!?)

 拳を握りしめ、決意を固めていたから、その接近に気づくことが出来なかった。

 はじめと鈴蘭が通り過ぎた後、もうひとりがその場を通りかかったのだ。

「ん……」

 その何者かは、身じろぎできないラブリをひょいと持ち上げた。目の前に来た女子生徒の顔も、ラブリには見覚えのあるものだった。

(レプ……そうレプ。たしか、生徒会副会長の、十条みことレプ)

「なんか、どことなく上品なぬいぐるみ。誰かの落とし物?」

 とはいえ、ぬいぐるみのフリを続けなければならないラブリにはどうすることもできない。

「どうしよう。とりあえず先生に届けるべき?」

 矯めつ眇めつ、ラブリを見つめる目は興味深そうだ。ラブリは冷や汗をかきながら、耐える。

「……高そう。皆井先生に届ける」

 大切そうに持ってくれるのはいいのだが、その歩が向かうのは職員室の方向だ。

(れ、レプ~~~~~~~~~~! ゆうき、めぐみ、あきら~~~~、助けてレプ~~~~~~~!)

 その声にならない悲鳴は届くことはなく、ラブリはそのまま第一職員室まで丁重に運ばれていった。


…………………………

 高等部の男子の体育は全く体力を削られる。彼の鍛え上げた身体をしても、ここ最近のデスクワーク中心の仕事がたたったのか、三時間連続で高等部の男子たちを相手に球技をすれば、多少なりともヘトヘトだ。若い彼のことを思いやって、年配の先生ばかりの体育科の教諭たちは、男子高校生たちに混じって球技を楽しむと良いと言ってくれるが、それが逆に彼の体力を削っているとは思いもよらないだろう。

 そんな高等部での授業を終え、昼休みになった。片付けなどで時間を取ってしまったので、もう昼休みも終わる頃だ。今日もお昼ご飯は食べられそうにない。

「郷田先生、おつかれさんです。コーヒーいれたばっかりだけど、飲みます?」

「ああ……ありがとうございます。いただきます」

 中等部の職員室に戻ってきた彼にカップを差し出してくれるのは、同僚の松永先生だ。若い教諭の多いダイアナ学園は、生徒のいないところではお互いにフランクに話すことが多い。

「高等部での授業ですか? 男子の相手はきつそうですね」

「いや、まぁ、さすがに十代の体力には敵いません」

「俺の技術科は中等部にしかないから、高等部がどんなもんかわからないんですよね。今度授業見に行ってもいいですか?」

「私の授業をご覧になるより、先達の先生方の授業をご覧になった方がいいかと……」

「いやいや、体育科のおじいちゃん先生、言ってましたよ。『郷田くんは生真面目で勉強熱心で素晴らしい』って」

 松永先生はいたずらっぽく笑う。痩身の彼は、しばしばやや失礼な物言いをするが、そのあたりも彼の人徳なのだろうが、それを咎める先生はいない。言葉の選び方がうまいのだろう。

 現に、職員室の奥から「松永ー、誰がジジイだー!」という声が飛んできて、松永先生はわざとらしく「実際おじいちゃんでしょー」と笑いながら返し、職員室中が笑いに包まれている。

「そうですか。未だに指導案はダメ出しばかりですが……」

「そんなもんすよ」

 松永先生が笑う。と、

「松永先生、私にもコーヒーをくれないかな?」

 空のコーヒーカップを松永先生に差し出すのは、顔色の悪い英語科の皆井先生だ。

「んあ? 皆井先生、さっきコーヒーあげたばっかりでしょ。もう飲んだの?」

「眠くて仕方がないんだ。最近、寝付きが悪くて……」

「仕方ないなぁ」

 松永先生がカップを受け取り、サーバから注ぐ。

「寝付きが悪いって、何かあったんですか?」

「いや、うちのクラスの後藤鈴蘭が、なかなか手の焼ける生徒で……」

「っ……」

 ちょうどコーヒーに口をつけかけていた彼は、思わぬ名前が飛び出して、噴き出しそうになる。


「ああー……」

 松永先生が納得するように。

「たしかに、後藤は手がかかりそうですね。地頭もいいし手先も器用だから、きちんとやればちゃんとできるだろうに、もったいない」

「今は生徒会長の騎馬が世話を焼いてくれているが、騎馬に負担をかけ続けるのも悪いし……どうしたものか……」

 皆井先生は真剣に悩んでいるようだった。松永先生から手渡されたカップを傾け、ずずずとコーヒーをすする。

「あー……私も、授業の中で後藤のことは気になっていました。私からも、一度後藤と話をしてみます」

「本当ですか? 助かります、郷田先生」

 皆井先生はガバッと郷田先生の手を握る。皆井先生は決して悪い先生ではないし、甘いマスクも相まって生徒を引きつける力はあるのだが、いかんせん言動がズレることが多い。彼は冷静に皆井先生の手を引き剥がす。

「あ、そうだ。さっき十条が私のところにきて、落とし物を届けに来たんだ。これ、覚えはないですか?」

 皆井先生がデスクから何かを取り出した。彼は皆井先生が差し出したソレを見て、またコーヒーを噴き出しそうになる。

「ぬいぐるみみたいなんだけど、生徒が学校にぬいぐるみを持ってくるかなぁ、って」

「どれどれ」

 松永先生が皆井先生からソレを受け取る。

「なんか毛並みもしっかりしていて、高そうだなぁ。生徒の持ち物か?」

「うーん……」

 なぜ。

 なぜ、こんなところに。

「ふたりとも、もしこのぬいぐるみの持ち主がわかったら、教えてくれると助かります」

「わかりました」

 皆井先生は疲れ果てた顔だ。よっぽど鈴蘭に手を焼いているのだろう。その上担任学級の生徒から落とし物まで届けられて、昼休みにろくろく休めていないのだろう。その気持ちはわかるし同情するのだが、彼は皆がぬいぐるみと思い込んでいるソレから目が離せない。

「……じゃ、皆井先生のストレス発散がてら、今日飲みにでも行きますか」

 松永先生が言った。

「本当かい? ありがたい。お酒でも飲まないとやってられないですよ……」

「郷田先生も今夜空いてますか?」

「えっ……?」

 急に話を振られ、彼はたじろぐ。歓迎会は開いてもらったが、個別の飲み会の誘いをされたのは初めてだ。そもそも、彼の頭の中はそれどころではなかった。

 なぜこんなところに、愛の王女がいる?

「あ、いや、その……私は……――」



「――あら、ご一緒してきたらいいじゃないですか、篤志さん」


「……!? ひ、ひなぎくさん……!」

「そんな怖い上司を見たような顔をしなくてもいいじゃないですか。傷つきますよ?」

 パン販売の小紋ひなぎくさんは職員室の戸を開け、顔を覗かせていた。

「今日のパン販売は終わりました。今日はこれで失礼します」

「ああ、今日もご苦労様でした。売れ行きは順調ですか?」

 松永先生が丁寧に対応する。ひなぎくさんは学校内でパンの販売はしているが、外部の人間だからスイッチを切り替えたのだろう。内輪での談笑と対外的な話ではしっかりと線を引いているのだ。

「ええ、おかげさまで。パンはもちろん、紅茶とクッキーのセットも完売です」

「それは何よりです。今後とも、生徒たちの胃袋と午後のやる気のために、よろしくお願いします」

 しかし、その一線がなかなか引けない先生も、いる。

「ち、ちちち、ちょっと待ってください!」

 皆井先生が血相を変えて言う。その狼狽した様子に、彼は戸惑う。まさか、潜入がバレたのでは――

「――ひ、ひなぎくさん、い、今、郷田先生のこと、親しげに“篤志さん”って呼ばれました?」

 そんなことか、と。彼は危うくよろけそうになる。やはり皆井先生はどこかズレている。

「へ……?」

 対するひなぎくさんは不思議そうな顔で。

「家ではいつも篤志さんとお呼びしていますが、やはり学校では郷田先生とお呼びした方がいいでしょうか……?」

「家!?」

 皆井先生がよろよろと自分の席に倒れ込むように座る。

「ひ、ひなぎくさん、美しくていいな、と思っていたら、郷田先生の奥さんだったとは……」

「何を勘違いしているのか知りませんが、違います。小紋さんは私の下宿先の大家さんです」

「……あ、なるほど」

 皆井先生が立ち上がり、ネクタイを直し、ビシッとジャケットの襟元を正し、うやうやしくひなぎくさんに礼をする。

「これはとんだ失礼を致しました。私としたことが、とんだ早とちりを」

「今さらその態度は遅いと思うけどな」

 松永先生が呆れたように言う。

「……じゃ、大家さんの許可も取れたということで、郷田先生も今夜付き合ってくださいね」

「え、ええ……」

「ここだけの話」

 松永先生が、ひなぎくさんに何やら身振り手振りをまじえて話しかけている皆井先生を示しながら、小声で言った。

「皆井先生、酔っ払うと大変なんですよ。悪いですけど、巻き込まれてください」

「……まあ、そういうことであれば」


 否、そんな同僚同士の談笑に付き合っている場合ではない。彼は皆井先生のデスクの上に鎮座する愛の王女を見つめる。

 あれをどう手に入れるか。それをただ考える。と、

「あら?」

「どうかされました?」

 皆井先生の箸にも棒にもかからない話をさえぎって、ひなぎくさんが驚いた顔をする。その目線の先にあるのは、彼と同じ、ぬいぐるみと思い込まれている愛の王女ラブリだ。

「ああ、よかった。あのぬいぐるみ、私のなんです。喫茶店の装飾に使おうと思って買ったのですけど、今日、どこかで落としてしまったみたいで」

「そうだったんですね」 皆井先生がさっと愛の王女を手に取ると、恭しくひなぎくさんに差し出す。「どうぞ。うちのクラスの生徒が見つけて取りに来てくれたんです」

「そうですか。それはそれは。今度その子には、昼休みに購買に来るように言ってください。お礼がしたいので」

「わかりました。本人も喜ぶと思います」

 基本的に女性の前だと格好をつけたがる皆井先生の姿に辟易とした様子で、松永先生が言った。

「ほら、いつまでも引き留めてたら迷惑でしょ、皆井先生。それでは、ひなぎくさん、また明日、購買の方をよろしくお願いします」

「はい。では、失礼いたします」

 彼が口を挟む暇もなく、ひなぎくさんは一礼して職員室を後にした。

「ねぇ、松永先生、いまちょっと楽しそうな話をしてたわね」

「げっ。誉田先生、なんで来たんだよ」

「げっ、ってのはいくらなんでもひどいでしょ。まったく。で、今夜飲むんでしょ? 私も行くわ」

「何であんたまでくるんだよ。男だけの飲みなん――」

「――大歓迎ですよ、誉田先生! ぜひ来てください」

「人のこと押しのけてまで会話に入ってくるんじゃないよ。まったく皆井先生は本当に、女性とみたら見境ないんだから……」

「なっ……そ、その言い方は失敬だろう!?」

 と、仲の良い若い同僚たちがそんな会話をしている中、彼はこっそり職員室を出た。幸いにして、目当ての相手はまだ近くにいてくれた。

「ひなぎくさん」

 彼は質素な出で立ちのひなぎくさんの後ろ姿に声をかけた。

「あら、篤志さん。血相を変えてどうかされましたか?」

「……ソレを、どうするおつもりですか?」

「あら」

 ひなぎくさんは楽しそうに笑う。笑いながら、口元に人差し指を当てている。

“ぬいぐるみ” の前で、滅多なことを口にするな、ということだろう。

「私の落とし物ですもの。私が持ち帰るに決まっているでしょう?」

「……わかりました」

 彼は、自分が何のためにひなぎくさんにその問いをしたのか、自分でもわからなかった。

「つまらないことを申しました。忘れてください」

「はい」

 ひなぎくさんはそう言って、再び歩き出した。長い髪を後ろでまとめているだけの、質素な後ろ姿。その髪が一瞬跳ねて、ひなぎくさんはもう一度彼を振り返った。

「ああ、そうそう」

 ひなぎくさんはにこりと笑う。

「今夜は篤志さんの晩ご飯は用意しませんから、ゆっくりと楽しんできてくださいね。お酒もいいですが、しっかりと栄養バランスも考えてお料理を食べてきてくださいね」

「は、はぁ……」

「あと、あまり遅くならないでくださいね。心配しますから」

 それだけ言うと、ひなぎくさんは今度こそ、廊下の奥へと消えた。


…………………………

 授業が終わり、放課後になっても、ラブリはゆうきたちの元へ戻ってこなかった。

「ラブリ、どこへ行ったんだろう……」

「心配ね。アンリミテッドの連中に連れ去られたりしてないかしら」

 めぐみも心配顔だ。

「それはないと思うグリ。アンリミテッドがこの世界に現れれば、その波動が絶対にブレイたちに伝わるグリ」

「うーん……ラブリのことだから、道に迷ったとは思えないし……」

 ブレイだったらさもありなんかもしれないが、とはブレイの名誉のために言わないでおく。

「可能性として一番高いのは、学園の生徒に拾われた、ってところかしら」

 めぐみが思案顔で。

「だとすれば、この学園に自分のものにしちゃうような人がいるとは思えないから、先生のところに届けられていると考えるべきね」

 推論は出た。ゆうきたちはカバンを持ち、職員室へ向かう。

 道すがら、あきらが問う。

「ラブリはどうしていつもひとりで出歩いているの?」

 ブレイたち妖精は、ゆうきたちが学校で授業を受けている間、カバンの中で眠っているか、決まった場所で待っていることになっている。しかし、ラブリはここ数日、授業中はずっと校内を歩き回っている。あきらが疑問に思うのも無理ないだろう。

「……愛のプリキュアを、早く見つけたいんだと思うドラ」

 カバンから顔を出し、パーシーが答える。

「ああ……。ラブリ、自分ひとりがプリキュアを生み出せていないことを気にしていたものね」

「…………」

 めぐみの言葉に、パーシーが考えるように押し黙る。やがて、パーシーは口を開いた。

「それだけじゃないドラ。パーシーは、あきらのためにも愛のプリキュアを早く見つけなきゃいけないって思ってるドラ」

「わたしのため?」

「ドラ」 パーシーが頷く。「情熱のプリキュアは、愛のプリキュアの“差し伸べる愛の光”があってこそ、その真の力を発揮できるとされているドラ。だから、きっとラブリは、あきらがキュアドラゴの力を使って傷ついたのは、自分が愛のプリキュアを生み出せていないせいだと思っているドラ」

「……そんなことないのに」

 あきらが悲しそうに言う。

 世界はままならない。愛のプリキュアを生み出すことができないラブリの葛藤や、変身したくてもできないあきらの悲しみは、ゆうきには分からない。

 けれど、それはそこまで悲観するべきことだろうか。

「すごいね。あきらも、パーシーも、ラブリも、お互いのことを想い合ってるんだ」

 だからゆうきは、思ったことをそのまま口にした。

「ラブリはこれ以上あきらに傷ついてほしくないんだろうし、あきらは自分の力が及んでないから悔しいと思っているし、パーシーはラブリのために今、ラブリがあきらのことを考えていることを教えてくれたんだよね」

 ゆうきは、その思いやりにあふれる皆の行動を口にすることに、抵抗なんてこれっぽっちもなかった。

「それってすごいことだよ。わたし、なんか、すごく嬉しくなってきちゃった」

「なんであなたが嬉しくなるのよ」

 呆れるようなめぐみの声も、どこか嬉しそうだ。


「そうグリ。みんながお互いのことを考えて、色々なことをして……それで悪いことになんて、絶対にならないグリ」

「ニコ。失敗もするかもしれないけど、お互いフォローしあって、きっとうまくいくニコ」

 ブレイとフレンも笑顔で言う。

 それはきっと、まぎれもない皆の本心だ。

 その本心を受けて、あきらとパーシーは目を見合わせ、笑った。

「……うん。わたしも、ドラゴネイトの会得をがんばるよ」

「パーシーも、どうしたらあきらがドラゴネイトを使えるようになるか、考えるドラ」

 ゆうきはふたりが笑顔になってほっと胸をなで下ろす。

「……やっぱりゆうきはすごいな」

 あきらが呟いた。

「すごいって、何が?」

「今だってそうだよ。みんなが思ってることを考えて、伝えることができるんだ。それって、人と人の心を繋げることだよ。すごいよ」

 あきらは本心からそういっているようだった。かといって、ゆうきは自分の何がすごいのか、いまいちよくわからない。

「アンリミテッドに対してだってそうだよね。ゆうきは、本気でアンリミテッドを改心させるつもりなんだよね。なんとかアンリミテッドとも心をつなげようとがんばってるんだ。わたしにはきっと、そんなことできないよ……」

 一瞬、ゆうきは笑ってしまいそうになった。真剣な顔をしているあきらを前にそんなことをしたら失礼だと思った我慢したけれど、少しだけ吹きだしてしまった。

「な、何か可笑しい?」

 少しむっとしたような顔であきらが言う。そんなあきらに、ゆうきは言った。

「だってさ、あきら、忘れちゃったの? わたしにそれを思い出させてくれたのは、あきらなんだよ?」

「えっ……?」

「四月にさ、わたしが落ち込んでたとき、一緒に帰ろうって言ってくれたよね。あのとき、あきらがわたしにくれた言葉が、今のわたしそのものなんだよ」



 ――――『ゆうきは誰かを助けるだけじゃなくて、悪い方もしっかりと叱ってあげるつもりだったんだよね』



 ――――『ゆうきは戦うよ、絶対。友達を守るために。それから、悪いことをしているひとを、叱ってあげるために』



「あの言葉があったから、わたしは戦えるんだよ。あの言葉があったから、わたしは怖くても立ち向かえるんだよ」

 ゆうきはそっと胸に手を当てる。大切な大親友で幼なじみの、あきらからの言葉は、いつもその中に入っている。

「わたしがすごいって言うなら、きっとそのすごさは、あきらが教えてくれたものなんだよ」

 あきらはしばらく目をぱちくりさせていた。やがて、恥ずかしそうに微笑んだ。

「……ありがと、ゆうき」



 その瞬間、まるで照明のスイッチが切られたように、世界から色が消え去った。


 それはアンリミテッドの深く暗い位相が表出したことに他ならない。

「やあ、剣道場以来だね、プリキュア諸君」

 その人を小馬鹿にするような声を聞き間違えるはずがない。窓の外、中庭をゆっくりと歩いてくるのは、ダッシューだ。

「おやおや」 ダッシューは嘲笑するように。「君、ロイヤルブレスはどうしたんだい?」

「っ……」

 あきらは左手首を押さえる。本来そこにあるべき、真紅のブレスが、あきらの手元にはないのだ。

「情熱の王女に返したのかな。懸命な判断だ。君のような弱い人間は、キュアドラゴのような強大な力を扱うに相応しくない」

「そ、そんなことないドラ!」

 パーシーが叫ぶ。

「あきらは強い情熱の力を持っているドラ! パーシーが、それを上手に導いてあげられないから、いけないドラ……」

「違うよ、パーシー。わたしがもっと、うまくキュアドラゴの力を使えれば……」

「……ふん。くだらない。お互いをかばい合う主従になど興味はないよ。戦う力がないのなら、邪魔になるだけだ。下がっていたらどうだい?」

 ダッシューの冷たい目線が飛ぶ。萎縮するパーシーを抱きしめ、ブレイたち他の妖精も預かり、あきらはふたりの戦いを見守るべく、後へ下がった。

「邪魔なんかじゃないよ。あきらの言葉で、わたしは戦うことができるんだから」

「あきらがフレンたちを守ってくれるから、私たちはあなたと戦えるのよ」

 ゆうきとめぐみはダッシューに言い返す。そして、ロイヤルブレスへ、プリキュアの紋章を差し込んだ。



「「プリキュア・エンブレムロード!」」



 色が消えた世界で、薄紅色と空色の光が炸裂する。ふたりの少女の姿が光に包まれ、伝説の戦士の装いとなっていく。そして、大空から舞い降りたふたりは、欲望に墜ちた敵に向かい、己が存在を宣言する。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「「ファーストプリキュア!」」



 闇に墜ちた世界で、伝説の戦士が、闇の戦士と対峙する。


…………………………

「プリキュア。今日こそ君たちを倒す。そのための算段はもうついている」

 ダッシューは何かを掲げる。廊下から中庭のダッシューまで距離がある。しかし、あきらにはそれがなんだかわかった。今朝、見たばかりだったからだ。

「あ、あれ……! 蘭童さんのはさみだよ!」

「なんですって?」

 ユニコが歯がみする。

「……ってことは、ダッシューのやつ、蘭童さんからはさみを奪い取ったのね」

「許せないよ! いこう、ユニコ!」

「ええ!」

 グリフとユニコは、窓から中庭へ降りる。その瞬間、ダッシューが大空に向け叫んだ。

「出でよ、ウバイトール!」

 モノクロの空が割れる。その裂け目の中から現れた黒々とした何かが、ダッシューの掲げるはさみにまとわりつき、取り付く。

 そして、闇の怪物が誕生する。

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

「っ……! 蘭童さんのはさみを!」

「気をつけなよ、プリキュア」

 ダッシューが笑う。

「このはさみに込められた欲望は並大抵のものではない」



 ――――『まぁ、たしかに色々なことを、ぼくと一緒に経験したはさみではあるね』



「っ……」

 あきらは思い出す。蘭童さんのさみしそうな笑みを。

 そのはさみに込められた、きっと大切であろう想いを、欲望の怪物に変えられているのだ。

「ふたりの友達が戦っているのに、わたしは見ていることしかできない」

「あきら……」

「それだけじゃない。色々なことを教えてくれる、お世話になっている人の大切なものが奪われたっていうのに、わたしは何もできない……」





「――――そうだな。貴様にはそうやって、何もできないと嘆いている姿がお似合いだ」


「ッ……!?」

 気配などまるで感じなかった。廊下の奥から、コツコツと音を立ててこちらへ歩いてくる人影。それは、仮面をかぶった、漆黒の出で立ちの、華奢な紳士だ。

「で、デザイア!?」

「どうしてここにいるニコ!?」

 ブレイとフレンがうめく。その声を聞いて、ようやくあきらは理解した。

 こちらに近づいてくる漆黒の仮面の紳士。それこそが、ゆうきとめぐみが何度も敗北を喫した、アンリミテッド最強の騎士、デザイアなのだと。

「お初にお目にかかる。情熱のプリキュア、キュアドラゴ。私がアンリミテッド最高司令官、暗黒騎士デザイアだ」

「……はじめまして。美旗あきら。キュアドラゴです」

 歩を止めたデザイアに、あきらも油断なく身構える。

「安心すると良い。私は変身できない貴様に危害を加えるつもりはない」

 仮面の下の表情を窺い知ることはできない。しかし、そのデザイアの言葉に、嘲笑の響きが含まれていることは、嫌でもわかった。

「しかし、変身できぬとは、情熱のプリキュアが聞いて呆れるな。貴様の情熱はその程度なのか?」

「あ、あきらを馬鹿にしないでほしいドラ!」

 あきらに抱かれたまま、パーシーが身体を震わせる。

「聞かぬよ、情熱の王女。貴様もまた、大した情熱だ。なにせ、せっかく伝説のプリキュアになってくれた美旗あきらから、何も言わずロイヤルブレスを受け取ってしまったのだからな」

「ど、ドラ……」

「情熱の王女。貴様は、己のために戦ってくれている美旗あきらを信じることができなかったから、ロイヤルブレスを受け取ったのだろう?」

「ち、違うドラ。パーシーは、あきらがこれ以上傷つくのを見たくなくて……」

「表面上はそうであろう。しかしそれは即ち、美旗あきらのことを信じることができなかったということだ」

 そのデザイアの言葉は、きっと正しい。

 あきらは、自分のことが信じられなくて、パーシーに情熱のロイヤルブレスを返した。

 パーシーもまた、あきらが今はまだキュアドラゴの力を使いこなすことはできないだろうと思い、何も言わず受け取ってくれたのだろう。

 それは言葉を変えれば、デザイアの言うとおり、パーシーはあきらがキュアドラゴの力を扱えると信じてはくれなかったということでもある。

「……言い方はいくらでもできると思うよ」

 言葉を変えれば、いくらでも言いようはある。だからあきらは、平静にそう言うことが出来た。

「パーシーはわたしのことを想って、ロイヤルブレスを受け取ってくれたんだよね。わたし、すごく心強かったよ」

「あきら……」

 あきらはパーシーたち四人の妖精を廊下に下ろした。

「下がってて。わたし、デザイアと話さなきゃいけないことがあるんだ」

 パーシーたちは心配そうな目をあきらに向けていた。やがて頷くと、四人は廊下の向こう、隅の柱に隠れた。


「ゆうき――キュアグリフがね、言ってたんだ。あなたも知ってるでしょう? ゆうきは、あなたたちを改心させるために戦ってるんだよ」

「ああ。まったく理解しがたいことであるがな。そして、無駄な努力だ」

「そうかもしれない。それでも、ゆうきは心の底から、それを信じてる。そのためにがんばるって決めてるんだよ」

 あきらは胸に手を当てる。この心の中に、自分だけの情熱をもっている。けれど、その情熱が人を傷つけてしまうことがある。それはきっと、キュアドラゴだけの話ではない。

 人間誰しも、心の中に情熱を持っていて、その情熱を言葉にして、相手に伝える。その情熱はきっと、人の背中を押したり、励ましたり、力をあげたりできる、素晴らしいものだ。

 けれど、その情熱が人を傷つけることがある。意図せず、相手を傷つけてしまうことがある。言葉には、情熱には、それだけの力がある。その情熱を炎に変えて戦うキュアドラゴだからこそ、凄まじい力を持っていると同時に、意図せず自分や周りを傷つけてしまう可能性を持っているのだろう。

「わたしはね、きっと余裕がなかったんだ」

 あきらは心の中の情熱を整理しながら、口に出した。

「アンリミテッドがパーシーたちの世界を飲み込んで、大切なエスカッシャンも奪い取って、そして今もまた、このホーピッシュをどうにかしようとしていて……」

「…………」

「わたしは、そんなアンリミテッドが怖くて、許せなくて、仕方なかったんだ」

「……当然だ。それは人間として当たり前の感情だろう」

 デザイアが頷く。

「むしろ、我々を改心させるなどと宣う王野ゆうきのほうが特異だと思うがな」

「違うよ。ゆうきだって、わたしと同じように、あなたたちのことを怖いと思ってるよ。許せないとも思ってるよ」

「……なに?」

 デザイアの仮面の下の目が動いたのがわかった。冷たい視線があきらを貫く。

「怖いと思ってるけど、許せないと思ってるけど、それでもゆうきは、あなたたちのために、あなたたちを変えたいと思ってるんだ。そして、めぐみはゆうきのそんな気持ちを理解しているからこそ、ゆうきと一緒にがんばってるんだと思う」

 あきらはだから、そっとデザイアに手を差し出した。

「今、わたしにもわかったよ。ゆうきとめぐみが、プリキュアの力を正しく扱える理由が。ロイヤリティの光の力は、ホーピッシュの希望の力は、あなたたちを倒したい、怖い、許せない、そんな気持ちだけじゃ扱えないんだ」

 パーシーを守りたい。

 パーシーの大切な世界を取り戻したい。

 そして――、



「――わたしは、何かにもがいているあなたたちのことも、助けてあげたい」



「ッ……」

 デザイアがたじろいだ。


 あきらの目は、慈悲にあふれていた。今は、本心から、デザイアのことを、ダッシューのことを、アンリミテッドのことを、知りたいと思っているのだ。

「ねえ、教えて。あなたたちは一体、何を恐れているの?」

「……我々はアンリミテッドだ。何も恐れはしない」

「そっか」

 あきらは笑って、差し出した左手を見下ろした。

「じゃあ、わたし、もっとがんばらないとね」

 その左手が、まばゆいばかりに輝き出す。それは、あきらにとって、なぜか不思議なことではなかった。

「パーシー」

 あきらはだから、背後に呼びかけた。

「……ドラ! あきら、受け取ってほしいドラ! 情熱のロイヤルブレスドラ!」

 紅蓮の光が飛ぶ。それは、情熱が凝縮された、炎に等しい光だ。それはあきらの左手で、腕輪の形を作り出す。現れた真紅の腕輪を、そっと右手で包み込む。その温かさが、あきらに勇気を与えてくれるようだった。

「……ほう。変身するか。また暴走するつもりか?」

「しないよ。今なら大丈夫だってわかるんだ」

 あきらはそっと、笑った。

「情熱は無敵だよ。だってわたし、今は心の底から、あなたたちのことを救い出したいって思うんだもの」

「……ふっ」

 デザイアはマントを翻し、消えた。それを見届けると、あきらはパーシーと頷き合う。

「……受け取るドラ。情熱の紋章ドラ」

 紅蓮の光が飛ぶ。パーシーから放たれたその光は、あきらの手の中でカタチを成す。

 それは、紅蓮の紋章。

 情熱の国を象徴する神獣、ドラゴンをかたどった紋章だ。

 あきらはその紋章を、ロイヤルブレスに差し込み、叫んだ。



「プリキュア・エンブレムロード!」



…………………………

「さぁ、行け、ウバイトール!」

 ダッシューの声に呼応するように、闇に墜ちたはさみの怪物がその切っ先をプリキュアに向ける。

「グリフ!」

「うん!」

 ユニコが空色の光を放つ。それは空中に階段のような足場を成す。グリフはその空色の階段を駆け上がり、ウバイトールの直上から蹴りを放つ。

『ウバッ……!』

 切っ先を横に向けていたウバイトールはその攻撃に対応できず、地面に叩きつけられる。しかし、すぐさまウバイトールから黒い闘気が発せられ、グリフを吹き飛ばす。

「ッ……! すごい力だよ、ユニコ!」

「ええ」

 ユニコはそのときにはすでに、ウバイトールの真横から蹴りを放っていた。

『ウバッ!』

 しかしウバイトールは凄まじい速度で反転し、その切っ先でユニコを両断しようと動く。

「ッ……」

 ユニコは後退し、その横にグリフも着地する。

「剣道場のときほどではないにしろ、かなり強いわね」

「うん。どうしようかな……」

 構えを取るふたりに、ウバイトールがにじり寄る。その後ろで、ダッシューが言った。

「こんなものだと思うなよ? このはさみに込められた欲望は、すごいぞ」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ウバイトールが吼える。その瞬間、ウバイトールの周囲に大量のはさみが出現する。


「なっ……!?」

『ウバァアアアアアア!!』

 ウバイトールの叫び声に呼応するように、大量のはさみがプリキュアめがけて飛ぶ。

「優しさの力よ、この手に集え! カルテナ・ユニコーン!」

 ユニコの行動は早かった。呼び出したカルテナを構え、空色の光を集約させる。それは、以前より何倍にも強化された“守り抜く優しさの光”の盾だ。グリフと己を守るその盾に、大量のはさみが切っ先をうならせ激突する。

「ッ……ただのはさみじゃないわ、これは……!」

 まるでひとつひとつが重い石のようだった。それが凄まじい切れ味を持っていることは、疑いようがなかった。グリフに支えられながらすべてのはさみをはじき返した後、ユニコは身体中の力が抜けて、倒れ込んだ。

「ユニコ!」

「……ふふ。さすがは、あのはさみだ。凄まじい力を持っている」

 黒い闘気を纏うウバイトールの横から、ダッシューが現れる。

「あれは主事の蘭童さんのものだよ。返して」

 そんなダッシューにまっすぐ、ゆうきは言った。

「それがどうした。ぼくには関係ない」

 そして、そのゆうきの言葉を、ダッシューは聞かない。

「……さぁ、終わりだよ、プリキュア。キュアユニコが倒れた今、きみひとりではこの攻撃は防げない」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ダッシューが手を上げる。ウバイトールが再び大量のはさみを生み出す。そして、ダッシュー自身も、その身体の周囲に大量のはさみやのこぎりを呼び出した。

「変身を解いて降伏しろ。ブレスと紋章を渡せ。命まで取る気はない。束の間ではあるが、アンリミテッドがこの世界を闇に染めるまでの間、余生を楽しむといい」

 ダッシューの目は本気だ。グリフはぎゅっと、ユニコを抱きしめる。

 降伏するわけにはいかない。

 けれどせめて、ユニコだけは守らなければならない。

「……ふん。まったく、嫌になる。諦めが悪いのも大概にしろ」

 その瞬間だった。



「プリキュア・エンブレムロード!」



 校舎の方から、凄まじい熱量が発せられた。

 見間違うはずもない、それは、まぎれもなく、キュアドラゴの“燃え上がる情熱の光”――、



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」



 情熱のプリキュアが、中庭に降り立った。

 目をつむっている彼女が、静かに目を開けた。

 その目に浮かぶのは、激しい情熱だけではない。

 すべてを慈しみ、包み込むような、とてつもない慈愛が浮かんでいる。

「ドラゴ……?」

 大丈夫なの? だとか。

 変身しちゃダメだよ! だとか。

 そういった陳腐な言葉は出てこなかった。

 だって――、

「す、すごい……」

 ドラゴの姿を、目を、見ればわかるくらい。

 ドラゴは、意図せず自分を傷つけるようなことはないと、確信できたから。



「……ダッシュー。やっぱりあなたは優しいね」



「……ッ、何を……」

 口を開いたキュアドラゴの声は、やはり慈愛に満ちているようだった。

「あなたは、わたしが初めてキュアドラゴに変身したとき、変身する前も、後も、まるでわたしを説得するように、怖いだろう? って脅し続けたよね」

 そのドラゴの言葉を、邪魔してはいけないとわかった。それは、ダッシューもウバイトールも、同じようだった。ウバイトールは、ガクガクと、震えているようにも見えた。

「そして今、あなたはグリフとユニコに、降伏しろ、って言ったよね。あなたは本当は、人を傷つけたくなんてないんだね」

「ッ……! 勝手なことを、言うなッ!」

 ダッシューがのこぎりをドラゴに向ける。それに呼応するように、ウバイトールの周囲のはさみも、ダッシューの周囲ののこぎりも、すべてドラゴにその切っ先を向ける。

「その身に宿した情熱で燃え尽きるか、このはさみとのこぎりで切り刻まれるか、好きな方を選ぶといい」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ダッシューがノコギリを振り下ろす。その瞬間、すべてのはさみとのこぎりがキュアドラゴに向けて飛んだ。

「ど、ドラゴ!」

「大丈夫だよ」

 絶体絶命の中、ドラゴはグリフに、笑った。

「わたし、あの人を助けてあげたいの」


…………………………

 そして、ドラゴは静かに目を閉じ、唱えた。


「情熱の光よ、この手に集え」


 ドラゴの身体から炎が立ちのぼる。しかしその炎が、ドラゴの身体を傷つけることはないとわかった。ドラゴは、その炎を優しく抱きしめる。

(この炎は、わたしの情熱。勢いに流されるままじゃダメ。自分自身がしたいことを考えて、しっかりと使ってあげないと。それはきっと、詩を書くときと一緒なんだ)

 思い出す。蘭童さんが、己に教えてくれたたくさんのこと。

(表現方法は多彩だ。だからこそ、できるだけ分かりやすく、読み手のことを考えて、詩を作らなくちゃいけない。色々な手法を覚えて、正しく使ってあげる必要がある。情熱を、心の内を、ただ書き殴るだけじゃダメ。それと一緒。情熱の炎を、正しく導いてあげる必要がある)

 もう道は見えている。大丈夫。

 ――わたしなら、やれる。



「カルテナ・ドラゴン」



 炎が爆発した。しかしその炎は、ドラゴを傷つけることはない。

 それは、正しく発現した情熱の炎だからだ。

 そして、その爆発は、そのままドラゴの手の中に集約する。やがて、それは剣のカタチを成す。それこそがカルテナ・ドラゴン。伝説の中の伝説。情熱の国の最秘奥。

 王者より賜りし、伝説の剣。

 そして――、

(あの人を――ダッシューを助けるために、わたしの情熱の炎を燃やす)

 そう、それこそが、きっと、正しい“燃え上がる情熱の光”の使い方。

 戦うつもりだけで使ってはいけない、炎。

 守りたい、助けたい、救い出したい。

 そんな気持ちにだけ応えてくれる、強大な光の力。

 静かなる決意の中に浮かぶ、熱い情熱。

 それを、燃やす。



「“ドラゴネイト”」



 それが何なのか、ドラゴにもよくわからない。けれど、その炎は、ドラゴが理解するより早く、その力を発揮した。

 ドラゴの目前まで迫っていた無数のはさみやのこぎりが、全て瞬間的に燃え尽きたのだ。それは小さな花火がいくつも上がったかのような光景だ。

「なっ……なんだと……!?」

 その様を見て、ダッシューが呻く。

「こんなの、どうやって……!?」

「これがドラゴネイトだよ。“燃え上がる情熱の光”の精密操作。人が相手を傷つけない言葉を選ぶように、ドラゴネイトは“燃え上がる情熱の光”で燃やすものを瞬時に判別するんだよ」

「ッ……伝説の中の伝説、情熱の国の最秘奥を、会得したというのか……君は……!」

「色んなひとの助けがあったからできたことだよ。わたしひとりの力じゃない」

 そして、キュアドラゴは、微笑んだ。空いている手を、ダッシューに差し出した。

「あなたを助けたい。あなただけじゃない。ゴーダーツも。あの女の子も。デザイアも。救い出したいんだ」

「勝手なことを! 行け、ウバイトール! キュアドラゴを潰せ!」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ダッシューから余裕の笑みは消えていた。その姿に哀れみを憶えながら、ドラゴはカルテナを構えた。

「ドラゴ!」

 グリフの呼び声が届く。

「大丈夫。大丈夫だよ」

 それに、ドラゴはやはり微笑んで返す。

「ちょっと待っててね。もう終わらせるから」

『ウバイトォォォオオオオオオオオオル!!』

 ウバイトールがはさみを開く。その切っ先がまっすぐ、ドラゴを両断しようと動く。



「天翔る烈火の飛竜、ドラゴンよ。プリキュアに力を」



 しかし、ドラゴの平静な気持ちは揺るがなかった。まっすぐにウバイトールを見据え、カルテナを構えたままだ。



「プリキュア・ドラゴンストライク」


 それは、凄まじい速度の炎の射出だった。カルテナ・ドラゴンに宿った炎を、向かってきたウバイトールに叩きつけたのだ。

『ウバッ……ウバァアアアアアアアアアア!!』

 ウバイトールに燃え移った炎は瞬く間にウバイトールを覆い尽くし、そして、はさみから現れた暗く黒い闇の塊を燃やし尽くす。そして、闇から浄化されたはさみがドラゴの手の中に落ちた。

「……とうとう情熱の炎を使いこなすようになったか、プリキュア……ッ」

 ダッシューが上空から憎々しげに言う。

「覚えていろ。ぼくはこのままじゃ終わらない。終われないんだ」

「ねえ、ダッシュー。教えて。あなたは一体、何に苦しんでいるの?」

「黙れ! ぼくに、そんな情熱に満ちた言葉をかけるな……!」

 激昂するダッシューは、そのまま空に溶けて消えた。アンリミテッドに帰ったのだろう。ドラゴもまた光に包まれ、変身が解ける。

 一体彼は、何に苦しみ、何を憎んでいるのだろうか。

「「あきら!」」

 そんなことを考えていると、あきらに駆け寄り、抱きつく影がふたつあった。

「わっ……き、急に飛びつかないでよ。びっくりしたよ」

「すごいわ、あきら! ドラゴネイトを習得したのね!」

「すごいよ! あの強いウバイトールを一撃で倒しちゃったよ!」

「……うん。みんなのおかげだよ」

 ふたりの友達が心の底から喜んでくれている。それが嬉しくて、あきらも笑った。

「あきら~~!」

 窓枠を飛び越え、パーシーたちも駆け寄ってくる。

 正しく伝えた情熱も、相手に届くとは限らない。

 言葉にした情熱は、相手を傷つけるかもしれない。

(……でも)

 相手を思いやって、伝えようと努力すれば、傷ついて、傷つけられて、そんなことがあっても、きっといつか伝わる。

(ダッシュー。いつか、しっかりお話できたら、嬉しいな)


…………………………

「あら、ゆうきちゃん」

「はぇ? あ、ひなぎくさん」

 戦い終わって、廊下に戻り職員室へ向かう道すがら、ひなぎくさんと出会った。

「ちょうどよかったわ。はい、これ」

「へ……?」

 ひなぎくさんが差し出したのは、今まさに探していた、ラブリだった。ラブリの目は安堵で潤み、今にも泣き出しそうなほどだ。ゆうきは慌ててひなぎくさんからラブリを受け取った。

「あ、ありがとうございます! でも、これ……」

「いつも持ち歩いているぬいぐるみのひとつでしょ? 職員室に届けられてたから、ちょっとうそをついて持ってきちゃった」

 てへっ、とひなぎくさんは舌を出して笑う。そんな所作が似合うのは、間違いなくひなぎくさんが美人さんだからだろう。と、そんなことはどうでもよくて。

「ど、どうしてそんなことを?」

「だって、学校にぬいぐるみを持ってきてることがバレたら、ゆうきちゃん怒られちゃうでしょ?」

「あっ……」

 たしかにその通りだ。怒られるかどうかはともかく、注意はされるだろう。ダイアナ学園は、基本的に勉学に不要なものは持ってきてはいけないのだ。生徒会の一員であるゆうきがそんなことをしていたら、間違いなく先生はいい気持ちではないだろう。

「すみません……。ありがとうございます」

「いえいえ。もう落としちゃダメよ」

「はい!」

「それじゃ、ね。新作のスイーツ考えてるから、またお店に試食しに来てね」

「わー、ぜひぜひ! 行きます行きます!」

「……こら。恩人にがっつかないの」

 愉快そうに笑うひなぎくさんと別れ、人が周囲にいないのを確認して、そっとラブリをカバンにしまう。ラブリはカバンの中でようやく一心地ついたように、大きく息を吐いた。

「……た、助かったレプ」

「まったく、気をつけてよね」

「面目ないレプ」

 肩を落とすラブリに、あきらは言った。

「でも、わたしのためにがんばってくれたんだよね。ありがとう、ラブリ」

「レプ……。お礼を言われるようなことじゃないレプ」

 何はともあれ、問題はすべて解決した。三人と四人の妖精たちは帰路についた。と――、

(ん、でも……)

 めぐみの頭には、ひとつひっかかることがあった。

(ひなぎくさんのパン販売、お昼休みだけよね。こんな時間までどうして学校にいたのかしら……?)

 ゆうきにラブリを届けるためだろうか。しかし、ひなカフェのこともあるというのに、そこまでお人好しなことを、普通するだろうか?

「……ま、いいわ。大したことじゃないわね」


…………………………

 翌日、早朝。

 彼は苦々しい気持ちを抱きながら、ダイアナ学園の中庭、あきら曰く“秘密の場所”である植樹に囲まれたそのスペースで、彼女と向き合っていた。

「昨日、新しい詩を書いてきたんです」

 そう言って、あきらは彼にノートを差し出した。年頃の少女が想いの丈を書き綴ったそのノートを差し出すことに抵抗がないはずはないだろう。彼のことを信頼しているのだろう。

 彼などのことを、信頼してくれているのだろう。

(くだらない……)

 彼はいちいち感傷にひたりたがる己に嫌気がさして、あきらが差し出したノートを黙って受け取った。開かれていたページ綴られている文字を目で追っていく

「……わたし、今まできっと、思ったことを、感じたことを、そのまま文字にしていただけだったんです」

 あきらがとうとうと口を開く。

「今回は、考えて書きました。ただ思いの丈をぶつけるだけじゃなくて、しっかりと、考えて」

「……なるほど」

 その詩には、たしかにその努力が見て取れるようだった。

「昨日の出来事を、早速自分の力に変えたのか。まったく、すごいことだ」

「へ? 昨日の出来事……?」

「なんでもない。忘れてくれ」

 彼はノートを閉じて、あきらに差し出した。

「いいと思うよ。これ以上、ぼくから何を言うこともない。技術的なものも何もかも、伝えられることは伝えたからね。あとは君が、書き続けるだけだ」

 そう言って、彼は立ち上がった。

 気まぐれでしていた彼女への詩のレッスンだが、本来詩というものは、本人の心の発露でしかない。国語的な技術さえ伝えてしまえば、もう彼がどうすることもない。

「あ……待ってください。渡すものがあるんです」

 あきらがそう言って、カバンから何かを取り出した。それを見て、彼は少し驚いた。

「このはさみ、昨日拾ったんです」

「ぼくの、剪定用のはさみ……なぜ……?」

「えっ? いや、だから、拾ったんですけど……」

 動揺する彼に、彼女も少し動揺している。

“拾った”というウソをついているからだろう。

「……そうか。ありがとう」

 そう言って、彼はあきらからはさみを受け取った。

(なぜ……)

 その疑問を、心の中でだけ反すうする。



 ――――なぜ、はさみを破壊しなかった?


 プリキュアにとって、昨日のウバイトールは脅威でないはずはない。キュアドラゴのドラゴネイトでようやく撃退したような欲望の品を、なぜ自分に返すというのか。再びそのはさみを敵が“奪い取り”、使うという可能性を考慮に入れていないのか?

「それ、大事なものなんですよね」

「え……?」

 あきらは満面の笑みで、言った。

「ちゃんと返せてよかったです」

(……なるほど)

 彼は、そのあきらの笑顔に納得した。

(自分たちの脅威となる可能性を考慮しても、ぼくにこのはさみを返すことを優先したのか)



 一度ウバイトールにした品物は、再びその欲望を闇に堕とすことはできない。



 そんなルールがあるから、もちろんもう一度そのはさみをウバイトールにすることはできない。

 しかし、それをプリキュアたちは知らないだろう。

 もう一度あのはさみのウバイトールと戦う可能性を考えてでも、彼が大事にしているそのはさみを、彼の手元に戻すことを望んだのだ。

「……まったく。本当に光が強いことだ」

「?」

 不思議そうな顔をするあきら。そんな彼女に背を向けて、彼はそのスペースを出て行こうとした。と、


「あっ……その、蘭童さん」

「なんだい?」

 振り返る。あきらは、おずおずと、ためらうように言った。

「ご迷惑なのはわかっています。けど、これからも、詩を見てもらってもいいですか?」

「……なぜだい? ぼくから教えられることはもうないよ」

「そうかもしれません。でも、蘭童さんに見てもらいたいんです。それから……」

 あきらは、頬を赤く染めながら。

「……もしよかったら、蘭童さんの歌も、また聞きたいな、なんて」

「…………」

 彼は押し黙ったまま、あきらを見つめた。その心の情熱は計り知れない。なにせ、悪辣なるものすべてを燃やし尽くす、あの炎を扱いきるほどの情熱だ。

 是非もない。

 今までは気まぐれであきらに付き合っていただけだ。これ以上関わるのは彼の矜持が許さないし、何より仲間や上司に立つ瀬がない。現実問題として、朝にやるべきダイアナ学園の主事としての仕事にも関わってくる。

 しかし。

「……いいよ。毎日は難しいが、この曜日なら、毎週大丈夫だ」

「本当ですか!? わっ……す、すごく嬉しいです。ありがとうございます」

「……べつに」

 それだけ言うと、彼はその場を後にした。

 それ以上そこにいたら、どうにかなってしまいそうだったから。

(……ッ、なんだ、この気持ちは)

 彼は、愛用の剪定はさみを見つめる。それは、彼にとって、きっと大切だったものだ。

 記憶がない過去、きっと己は、このはさみを大事に、大切に、使っていたのだ。

(ぼくが何者だったかなんて関係ない。ぼくはロイヤリティのようにこのホーピッシュも破壊する。それだけだ)

 それなのに、なぜ。



(――なぜ、こんなにも、心がざわつくんだ……!)



 世界はままならない。闇が光を侵食するにつれて、光が闇を包み込む。

 希望の世界ホーピッシュにおいて、闇と光が交錯し、すべてが新たな局面へ向かおうとしていた。


 次 回 予 告

あきら 「……と、いうわけで無事プリキュアに復帰できました、あきらです。みんな、心配かけてごめんね」

パーシー 「わたしは、あきらのこと、信じてた。本当に嬉しい」

あきら 「パーシーのおかげだよ。ありがとう」

パーシー 「えへへ……」

ゆうき 「でもさー、あきらー、どうしていきなりドラゴネイトが使えるようになったのかなー」 ニヤニヤ

めぐみ 「どうしてかしらねー?」 ニヤニヤ

あきら 「……? ニヤニヤしちゃって、どうかしたの?」

ゆうき 「あらあら、とぼけちゃってますよ、奥さん」

めぐみ 「そうね。いやね、奥さん」

あきら (面倒くさいノリだなぁ……)

フレン 「ふたりは、あきらが主事の蘭童さんの影響でドラゴネイトを使えるようになったと思ってるのよ」

あきら 「!?」 ボン!! 「そ、そそそそ、そんなこと、ないし……」

ゆうき 「わー、あきら、顔真っ赤だよ」

めぐみ 「ほんとね。ゆでだこみたい」

ゆうき&めぐみ 「「かーわいいー!!」」

あきら 「わ、わぁ! だ、抱きつかないでよぅ……」

パーシー 「あ……わ、わたしも、抱きつきたい、かも」 ギュッ

フレン 「じゃ、あたしも」 ギュッ

ラブリ 「……し、仕方ない。私も」 ピトッ

ブレイ 「……と、いうことで、ラブリまであきらにまとわりついたところで、次回予告」

ブレイ 「誰もが憂鬱な雨の日。とある少女が、とある男の子と出会う」

ブレイ 「それはとっても素敵な出会いで……――」

ブレイ 「――次回、ファーストプリキュア! 第十八話【雨の日の出会い 優しい? 紳士な? 男の子】」

あきら 「みんな……。ありがとう」

ブレイ 「……目のやり場に困るから、そろそろみんなでくっつくのやめてくれないかな。ぼく以外の男子出ないかな……」

ブレイ 「ってことで、また来週! ばいばーい!」

>>1です。
第十七話は終わりです。
来週の投下はまだ未定ですが、また来週告知します。
読んでくださった方、ありがとうございます。


ファーストプリキュア!

第十八話【雨の日の出会い 優しい? 紳士な? 男の子】



「はじめさん」

 朝、母とふたりで朝食を頂いているときのことだ。いつもなら、食事中に口を開くようなことをしない母が、箸を置き、口を開いた。

「はい。お母様」

 はじめも、箸を置き、母と目を合わせた。緊張で、少し心臓が高鳴る。

 母が食事の際に口を開くというのは、大体はじめに何かを咎めるときだ。

「先日、担任の皆井先生からお電話を頂きました。あなたのことです」

「は、はい……」

 何かをしただろうか。思い返してみるが、特に思い当たることはない。

「“最近、よく笑うようになった”と。皆井先生は仰有っていました」

 母はぴくりとも笑わずにそう言った。

「お友達も増えたようですね。後藤さん、といいましたか。先日の長電話のお相手は、その方ですか?」

 鈴蘭の名が飛び出して、はじめは内心の動揺を見せまいとする。

「はい、その通りです」

「皆井先生が仰有るには、その後藤さんと一緒にいるとき、あなたはいい笑顔をしているそうですね」

「そ、そうなのでしょうか……」

 それは自分ではよくわからないことだ。ただ、母には口が裂けても言えないが、鈴蘭と一緒にいると、騎馬家のことだとか、生徒会長であることとか、そういったことを忘れるときがある。

「……悪いこととは申しません。ただ、先日の長電話のような、騎馬家の跡取りとして相応しくないような行為は慎みなさい」

「はい。肝に銘じております」

 それきり、母は箸を取り、食事を再開した。はじめも母に倣い、箸を取る。

(……まるで、)

 はじめは心に大きな杭が刺さったような気持ちで、思った。

(鈴蘭と付き合うなと言われているようだ……)

 けれど、それを母に尋ねる勇気は、はじめにはなかった。


…………………………

「おはようございます、生徒会長」

「はい、おはようございます」

 家を出て、学校が近づくにつれて、はじめと同じ制服を身につけた生徒が増えていく。皆、はじめを認めると笑顔で、場合によってはかしこまりながら、あいさつをしてくれる。はじめはそれにひとつひとつ、丁寧に対応する。

「騎馬さん、おはよう」

「……ん、ああ、おはよう。君たちか」

 何人目だろうか。はじめがあいさつを返した相手は、よく見知った生徒会のメンバーだ。王野ゆうきと美旗あきら、庶務の二人組だ。

「騎馬さんってすごいよね。遠くから見てもすらっと伸びた背筋と綺麗な黒髪ですぐわかるよ」

「それは褒め言葉と受け取っていいのだろうか」

 ゆうきの言葉に、はじめは少し笑う。本当に、この同級生は面白いことを言う。

「今日は大埜さんは一緒じゃないのかな?」

「ああ、めぐみはここのところ毎朝剣道の稽古を受けているから、朝早くに学校に行ってるの」

「剣道……?」

「郷田先生に教わってるんだ」

 中等部に剣道部はなかったはずだ。一体全体どういうことだろうか。はじめは困惑しつつも、真面目なめぐみのことだから、何か意図があるのだろうと考えることにした。

「ん……?」

 ふと視線を感じ、振り返る。電柱の陰に隠れるようにして、何者かがこちらを見つめている。はじめの視線に驚き、電柱に身を隠そうとするその人物は、見間違えるはずもない、鈴蘭だ。

「ちょっとすまない」

「へ?」

 ゆうきとあきらに短く告げて、はじめは後方の電柱までずんずんと戻る。

「おはよう、鈴蘭」

 そして電柱の陰に身を隠そうともがいている鈴蘭に声をかけた。

「一体何をやっているんだい?」

「う、うるさいわね。あたしが何をしていようが、あんたには関係ないでしょ」

 真っ黒な髪、真っ黒な瞳、そして病的なまでに白い肌、細い手足。鈴蘭は、ただでさえまなじりの上がった目を釣り上げて、そう言った。

「隠れるくらいなら、素直に来てくれたらいいのに」

「は、はぁ!? べつに隠れたりしてないし……」

「仲間に入りたかったんじゃないのかい?」

「!? だ、誰があいつらなんかと……!」

 鈴蘭の動揺は凄まじかった。

「あいつら? 王野さんと美旗さんを知っているのかい?」

「……知らない。あたしが知ってるわけないでしょ」

 当のゆうきとあきらはこちらを見つめて不思議そうに首を傾げている。

「ま、いいや。紹介するよ」

「は、はぁ!? ちょっと、手を放しなさいよ!」

 暴れる鈴蘭の手を掴み、引く。鈴蘭の華奢な手足では、文武両道を地で行くはじめの膂力に敵うはずもない。はじめはゆうきとあきらの元へ戻ると、疲れ果てて逃げる気力もなくなった様子の鈴蘭の手を放した。


「待たせたようですまなかった。道すがらで申し訳ないが、改めて紹介するよ。先月転校してきた後藤鈴蘭さん、私の友達だ」

「だ、誰が、友達、よ……」

 鈴蘭が生きも絶え絶えの様子で憎まれ口を叩く。

「で、鈴蘭。こちらが生徒会のメンバーの王野ゆうきさんと、美旗あきらさんだ。優秀な庶務なんだ」

「優秀……。そ、そんなこと言われたの初めてだよ」

「ヘンなところで卑屈になるよね、ゆうきって」

 ゆうきとあきらかにこやかに言う。

「よろしくね、後藤さん」

「よろしくなんて、するつもりないし……」

 鈴蘭はぷいとそっぽを向くと、そのまま学校の方向へ行ってしまう。

「……? わたしたち、何か気に障ることしちゃったかな」

「いや、気にしないでくれ。色々難しい子なんだ」

 そう言ってる間にも、鈴蘭はどんどん行ってしまう。

「……すまない。ちょっと追いかける。また学校で」

「うん。気にしないで」

 ゆうきとあきらに見送られて、はじめは駆け足で鈴蘭に追いつく。鈴蘭はなんとも苦々しい顔をしていた。

「どうかしたのかい?」

「……あたしは、友達なんてほしくないから」

「へ?」

 鈴蘭ははじめを見ようともしない。

「あたしは友達なんかほしくない。いらない。だから、紹介なんかしてくれなくて、いい」

「……そうか。すまない」

「ふん……」



 ――『……悪いこととは申しません。ただ、先日の長電話のような、騎馬家の跡取りとして相応しくないような行為は慎みなさい』



 ふと、今朝の母の言葉が思い起こされる。

 鈴蘭のことが気にかかる。

 鈴蘭を気にしてしまう。

 母はひょっとしたら、それを危惧しているのだろうか。

「…………」

 答えは出ない。はじめはそのまま、鈴蘭とともに無言のまま、学校へ向けて歩を進めるのだった。


…………………………

「はぁ……」

 毎朝、新聞には目を通しているのだから、当然、夕方から雨が降るということは知っていた。

 そうでなくたって、今は梅雨時。雨が降ることを予測して、カバンの中に折りたたみ傘を入れておくのが基本だ。

「やってしまった……」

 はじめは肩を落として、ため息をついた。

 どうして雨が降ることを予見していたのに、折りたたみ傘を入れてくるのを忘れてしまったのだろう。

 間違いなく、母から鈴蘭の話が出たからだろう。

 どうして学園のロッカーに入れてある置き傘を持ってくるのを忘れてしまったのだろう。

 間違いなく、学校で鈴蘭と母のことをずっと考えていたせいだろう。

「くしっ……」

 くしゃみと共に、身体に寒気が走る。身体中びしょ濡れで、震えは止まりそうにない。

 この日は、帰りのホームルームが終わるまではよかった。その後、置き傘を持たずに学園を出たのがよくなかった。水分をたっぷりとため込んだ雨雲が決壊したのは、家まであと数分という地点だ。慌てて折りたたみ傘を取り出そうとカバンを漁るも、見当たらない。仕方なく近くにあったスーパーマーケットの軒先に逃げ込んだときには、すでに身体はびしょ濡れだった。

「さすがに寒いな……」

 とはいえ、雨は止みそうにない。スーパーマーケットで傘を購入することも考えたが、びしょ濡れのまま店の中に入り店を汚すのははじめの矜持が許さない。雨に打たれながら家まで走ることも検討したが、それが果たして騎馬家の跡取りとして、ダイアナ学園中等部の生徒会長として、相応しい姿なのかというと、そうは思えない。しかしこのままびしょ濡れのまま、店の軒先で震えているというものあまりにも惨めではないだろうか。



 ―――― 『騎馬家の跡取りとして相応しくないような行為は慎みなさい』



 母の言葉が脳内を駆け巡る。母ならどうするだろうかと考える。

 間違いなく、母ならばまず傘を忘れるような愚を犯さないだろう。つまり、はじめはびしょ濡れの状態で軒下を借りている現状からして、母の期待を裏切っていることになる。

「あの……」

 そんな風に悩んでいると、横から話しかけられた。顔を向けてみると、そこには小学校中学年くらいだろうか。小さな男の子が片手にスーパーマーケットのビニル袋を提げて立っていた。

「ん、なんだろうか。何かお困りかい? 迷子かな? 私にできることがあれば、何でも言ってくれ」

 びしょ濡れだろうとなんだろうと、はじめははじめだ。直前まで悩んでいたことなどおくびにも出さず、はじめは騎馬家の跡取り、そしてダイアナ学園中等部生徒会長らしい余裕にあふれた泰然たる笑みを浮かべて、男の子に応対した。

「いや……どちらかというと、困っているのはそちらだと思いますけど……」

 男の子はそのはじめの変わり様に少し戸惑っているようだった。

「傘がないんですか?」

「む……。まぁ、そうなるかな」

「女性が身体を冷やすといけないと、母と姉から聞いています」

 男の子ははじめに傘を差しだした。

「これ、使ってください」

 その唐突な申し出に、はじめは面食らう思いだった。

「それを私が受け取ったとして、君はどうするんだ」

「走って帰ります。家、すぐ近くなので」

「いや、いやいや……」

 男の子が何を言っているのか、はじめには理解しがたいことだった。


「この私に、年下であろう君から傘を取り上げ、雨の中君に濡れて帰ることを強要させろと言っているのか」

「……いや、そんな端的な言い方をする必要はないと思いますけど」

 男の子ははじめの物言いに、また戸惑っているようだった。

「さっき言いましたけど、女性が身体を冷やすのはよくないことだと思います」

「大丈夫だ。私は強いからね……くしっ……」

「まったく説得力ないですけどね……」

 男の子はそう言うと、はじめのすぐ横に傘を立てて置き、手を放した。当然、傘は倒れる。慌ててその傘を受け止めたはじめに背を向けて、男の子は歩き出した。

「ま、待ちたまえ! 私は大丈夫だから、君から傘の施しを受ける理由がない」

「身体中びしょ濡れで、震えていて、くしゃみもしている時点で、理由には十分だと思いますよ」

 男の子は振り返りもせず、言った

 はじめにそんなことを言える者が、学園にいるだろうか。

 まず間違いなく、いないだろう。

「む……」

 はじめはその男の子の生意気とも取れる発言に、何も言い返すことができなかったのだ。

「……では、せめてこの傘を返すために住所と電話番号と名前を――」

「――自分のお小遣いで買ったビニル傘なので、返してもらわなくて結構です。では」

「せ、せめて名前だけでも教えてくれないか。このまま君を帰してしまっては、何のお礼もできずに終わってしまう。それでは騎馬家の跡取りとしての面目が丸つぶれだ」

 はじめの必死な声に、軒から出る直前、男の子が足を止めて振り返った。その顔は、先ほどまでの柔和そうな表情ではない。はじめが面食らっているのを楽しむような笑みだ。

「名前だけでいいんですね?」

「へ……?」

「“ひかる”、です」

 男の子はやはり、意地悪そうな笑みを浮かべている。

「名前だけで、ぼくにお礼ができるなら、してみてください」

「なっ……」

「面目が丸つぶれにならないといいですね」

 そう言って、男の子は軒先から出て駆けだした。雨の中、男の子の姿はすぐに見えなくなった。

「……いいだろう」

 はじめは、ブルブルと両手を震わせていた。しかしそれは、寒さによる震えではない。

「“ひかる”くん、ね。騎馬家の跡取りの、そしてダイアナ学園中等部生徒会長の誇りにかけて、意地でも君にお礼をしてやろうではないか」

 闘志をメラメラと燃やし、そしてはじめは――、

「――くしゅん」

 くしゃみをした。 


…………………………

「あー、しまったなぁ」

 はじめにひかると名乗った少年は、走りながら呟いた。

「あの制服、お姉ちゃんと一緒だ。ってことは、お姉ちゃん経由でバレるかもなぁ……」

 まぁ、どうでもいいことか。

 雨に濡れて、ガタガタと震えて、それを隠そうと必死な表情をしていて。

 そんな様になってまで、面目だとか、家だとか、そんなことを気にしていたあのお姉さんが。

「……見つけられるものなら、見つけてみろ、ってね」

 彼はとある家の前で足を止め、手早く門扉を開けた。急いで家の玄関を開け、中に入る。

「ただいまー」

「おかえり……って、ひかる!? あんたどうしてそんなびしょ濡れなの!?」

 途端、自分の姿を認めた姉が大声を上げる。

「ごめん、お姉ちゃん。傘を置いてきちゃって」

「置いてきたって……スーパーに置いてくるわけないでしょ」

「うーん……」

 彼はあの名前も知らないお姉さんの姿を思い浮かべ、言った。

「雨の中捨て犬がいて可哀想だったから、あげちゃった」

「や、やたらドラマチックなことをしてきたのね……。まぁいいけど」

 姉はいそいそとバスタオルを持ってくると、彼の頭と身体を拭き始めた。

「じ、自分でできるから大丈夫だよ」

「いいからじっとしてなさい。身体拭いたら、温かいシャワーを浴びるのよ」

「……はーい」

 ――その家の表札は、“王野”。

 姉にバスタオルで身体中を拭かれているその少年の名前はひかる。

 王野ひかるという。


…………………………

 その翌日、生徒会の仕事で書類整理をしているときのことだ。

「……?」

 ゆうきはふと視線を感じて、書類に落としていた視線を上げた。目が合ったのは、会長席に座るはじめだ。

「どうかした?」

「いや……」

 はじめにしては珍しい、歯切れの悪い物言いだった。

「すまない。仕事中だというのに、少しボーッとしてしまった。なんでもないよ」

 ガタッ、と。椅子が揺れた。見れば、書記と会計の一年生コンビが、そろって立ち上がっていた。ガタガタと身を震わせ、ひしとお互いの手を取り合い、驚きの表情を浮かべている。

「あ、あの騎馬はじめ会長が……!」

「仕事中にボーッとされるなんて……!」

「「大事件です!!」」

「あー……」

 後輩ふたりは真面目そうな見た目から勘違いしていたが、結構面白いキャラクターなのだ。

「……それは言い過ぎとしても、たしかに、会長がボーッとするなんて珍しい」

 口を開いたのははじめと同じクラスの十条みことだ。

「珍しいなんてものではありません!」

 一年生コンビのひとり、書記さんが口を挟む。

「わたくしたちははじめ先輩に憧れてこの学園に入学し、生徒会に立候補したのです」

「はじめ先輩のことはよく存じ上げております。はじめ先輩は、生徒会の職務中にボーッとされるような方ではないはずです!」

 会計さんがそう締めくくる。はじめはどう答えたものか分からないような顔だ。後輩の言葉に困っているのだろう。

「……なんかすごいわね」

 めぐみの呆れ声に、ゆうきも全面的に同意したい気分だった。

「仕事、って雰囲気じゃなくなっちゃったね」 あきらが言う。「ちょっと休憩しようか。お茶でもいれるよ」

「ああ。私も手伝うよ」

 あきらに続いてみことが給湯室の方へ向かう。最初こそ後輩やはじめ、みことの前でオドオドしていたあきらだが、ここ最近は普通にお喋りができるようになっている。あきらのその提案に皆が乗り、休憩と相成った。

 ふと、書類整理で凝り固まった身体を伸ばしながら、はじめに目を向ける。

 はじめのどこか虚ろな目は、心ここにあらずという様子で、窓の外を見つめていた。


「お茶、どうぞ」

「あ……あきら、ありがと」

 あきらとみことが持ってきてくれたお茶がテーブルに置かれる。はじめに目を向けると、すでにはじめはみことから笑顔でお茶を受け取っていた。虚ろな目ではない、いつも通り、生気にあふれる目で。

「そういえば、昨日の雨、すごかったわね」

 めぐみが口を開いた。

「私はもう家に帰っていたから大丈夫だったけど、雨に降られたひとは大変だったんじゃないかしら」

「わたしも雨が降り出したときには家にいたけど、弟のひかるがお遣いに行っててね、」

 ゆうきが応えた。

「傘を持っていったはずなのに、びしょ濡れになって帰ってきたの。なんかヘンなこと言ってたけど……。捨て犬に傘をあげた、とかなんとか」

 ガタッ、と。机が揺れる。

 今度は一体何が一年生書記会計コンビの琴線に触れたのだろうと目を向ける。しかし、そうではなかった。立ち上がって驚き顔をしていたのは、はじめだった。

「き、騎馬さん……?」

「あ……いや、すまない。なんでもない」

 はじめは驚いたような顔を引っ込めて、ゆっくりと椅子に座り直した。

「は、はじめ先輩が……!?」

「動揺されている……!? 大事件です!」

 書記会計コンビの悲鳴だけが、生徒会室に響いた。


…………………………

 なんとなく、似ているとは思っていたのだ。

 ボーッとゆうきの顔を眺めていると、ふと昨日の男の子に重なる部分が多いことに気づいたのだ。

 柔和そうな目鼻立ちとか、少しくせっ毛っぽい髪質とか。

「王野さん」

 生徒会の活動が終わった後のことだ。各自身支度を整え、学校を出るため下駄箱に向かっているとき、はじめはゆうきに声をかけた。

「なぁに、騎馬さん?」

 この王野ゆうきという少女は、不思議だ。

 取り立てて、何か特異なものを持っているわけではないのに、なぜか惹きつけられる。

 心が、温かくなって、落ち着く。

 ついつい、甘えたくなってしまうような、甘美な雰囲気を持つ女の子なのだ。

「すまない。ひとつだけ聞きたい。君には弟さんがいらっしゃるんだね」

「へ? 弟? うん、いるけど……」

 ゆうきが不思議そうな顔をして。

「どうかしたの?」

「名前はひかるくんで、昨日はスーパーへ買い物へ行ってなぜか傘をなくして帰ってきた?」

「そうだけど……」

 なるほど。昨日の男の子は本当にゆうきの弟さんのようだ。たしかに見た目からにじみ出る柔和そうな感じは似ている。しかし、性格はまるで真逆だろう。

「いや、実は、昨日“捨て犬に傘をあげている”ひかるくんに会ってね。ぜひ会ってお礼を言いたいんだ」

 はじめはあくまで泰然とした笑顔で。

「今日はもうお家に帰っているだろうか」

「うーん……今日は友達とサッカーをするって言ってたかな。まだ外が明るいから、学校にいると思うけど……」

「学校はほまれ小学校?」

「そうだけど……」

 はじめは気づいていない。

 グイグイと質問するはじめが、どんどんゆうきに顔を近づけていることに。

 そのゆうきが顔を真っ赤にしながらのけぞり気味になっていることに。

 そして、周囲にいるめぐみ、あきら、みこと、そして一年生二人組が、呆気に取られてその光景を眺めていることに。

「ありがとう、王野さん。それじゃあ、みんな。また明日」

 はじめはそう言い残し、さっと手を上げて昇降口へと向かった。

「ふぁあ……」

「ち、ちょっと大丈夫? ゆうき?」

 はじめは知らない。

 はじめの端正な顔立ちを間近に見て、ゆうきがフラフラと目を回してしまったことを。

「きゃー!」

「ゆうき先輩、うらやましいですー!」

 そして、書記会計一年生コンビが、黄色い悲鳴を上げたことを。


…………………………

 サッカーは好きだ。野球のように、待っている時間が長くない。じっとしているのも嫌いではないけれど、どうせ身体を動かすのならずっと動かしていたい。

 王野ひかるという彼は、そんな風に考える。

「なぁ、王野」

 サッカーの合間の休憩中、同級生に声をかけられる。

「ん? なぁに?」

 決して作っているわけではない。

 ただ、自然とそうなってしまうだけ。

 誰かに話しかけられれば、柔和な笑みを浮かべて、同級生にやわらかく応じる。

「前にも聞いたけどさ、うちのチーム入らないか?」

「ああ……」

 活発な彼は、週末に活動するサッカーチームに入っている。そして、ひかるにもそのチームに入らないかと聞いているのだ。

「ごめん。悪いけど、うちのお手伝いとかがあるから」

「そうか……。王野くらいサッカーが上手いなら、即戦力なんだけどな……」

「はは、ありがとう」

 興味がない、わけではない。しかし、毎週末の活動となると、家族にも負担をかけることになる。王野家の場合、家族に負担をかけるということは、それ即ち長姉であるゆうきに負担をかけることに他ならない。進級し、ダイアナ学園で楽しそうに色々な活動に励んでいる姉を見ていて、それを邪魔したくないと考えるのは自然なことだとひかるは思う。

「ま、いいや。じゃあ、そろそろチーム替えしてもう一試合しようぜ」

「そうだね。……って、みんな?」

 活発な彼と、ひかるが立ち上がる。しかし、周囲の友達は皆、試合どころではないような様子だ。校門の方を見つめ、何事か話しているようだ。

「どうかしたの、みんな?」

「いや、あれ、誰かの知り合いか?」

「あれ?」

 同級生が指さす校門付近。学校の敷地の外から、こちらに手を振る人影がある。そのシルエットを見た瞬間、ひかるは頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。

「うそでしょ……」

 頭がクラクラする思いだが、あの姉と同じ制服を身につけるお姉さんを、そのまま放置するわけにもいかないだろう。あのバイタリティあふれていそうな物言いから鑑みるに、ヘタをしたら学校内に入ってきかねない。


「王野の知り合い?」

「知り合いっていうか、なんていうか……えっと……」

「めちゃくちゃきれいな人だな」

 ひとりのその言葉に、同級生たちがうんうんと頷いている。どうでもいいよ、と心の中で思いながら、ひかるは言った。

「……あー、ごめん。用事を思い出したから、ぼくはこれで帰るね」

「えっ? やっぱりあのお姉さんと知り合いなのか、王野」

「お姉ちゃんの友達だよ」

 多分。とは心の中だけでつぶやいて、ひかるは校門まで急いだ。同級生たちの好奇の眼差しが自分の背中を貫いているのは、振り返らなくてもわかる。

「……やあ、“ひかる”くん。無事君を発見できて嬉しいよ」

 校門で、勝ち誇るような顔で、お姉さんは言った。そして、ビニル傘をひかるに渡したのだ。

「うん。分かってはいたけど、なかなか上等な性格をしていますよね、お姉さん」

「君に言われたくはない。こんなにムキになってしまったのは、幼稚園のとき以来だ」

「小学生相手にムキになるのはどうかと思いますけどね」

 ひかるはため息をついて、言った。

「ほら、早く行きましょう。同級生の視線が痛い」

「あいさつでもしていってあげようか?」

「冗談でもやめてください」

 まさか、本当に見つけられるとは思っていなかった。

 ひかるは勝ち誇るお姉さんの背中を押して、その場を後にした。


…………………………

 騎馬はじめだ、と。お姉さんは名乗った。

「残念だったね。君のお姉さんの王野ゆうきさんは、私の大切な生徒会の一員だ」

「あー……。ってことは、姉がよく話してくれる、何もかも完ぺきですごい生徒会長って、あなたのことだったんですね」

 道中、ひかるははじめがこちらの居場所を把握していた理由を知った。本当ならばそんなこと聞きたくもないし、すぐ別れたいところだったが、見つけたのだから礼をさせろとうるさいはじめに強引に誘われて一緒に歩いている。

「いや、しかし、もう少し喜んでくれてもいいだろう?」

 はじめは皮肉たっぷりの口調で言った。

「こうして、“捨て犬”がお礼をしにわざわざ来てあげているんだから」

「ものの例えですよ。怒らないでください」

 あの天然ぼけの姉は一体どこまでこの根に持ちそうなお姉さんに話したのだろう。

「なるほど。私は捨て犬に例えられるということか」

「雨に打たれて震える姿は、まぁ犬みたいに可愛かったですよ」 ひかるが鼻を鳴らす。「今は怖い猛犬って感じですけど」

「口が減らない少年だな」

「そっちこそ、ですよ」

 ひかるはため息をついた。

「というか、お礼って、どこまで行くんですか」

「君みたいな小学生の男の子が喜びそうなものなど知らないからね。まぁ、無難なところだよ」

「もったいぶるなぁ……」

 しばらく住宅街を歩くと、それは現れた。

 おしゃれなオープンテラスや、シックな外装が、けれど住宅街の中で不思議と悪目立ちせず自然ととけ込んでいる。

『ひなカフェ』というシンプルな看板も、自己主張を抑えている。

「喫茶店……?」

「できたばかりらしい。うちの生徒もよく行っているらしいが、私は初めてだ」

 見れば、オープンテラスや店内には、様々な制服を身につけた中学生や高校生がいる。学校帰りの女子学生から見れば、ちょうどいい立ち寄り場所なのだろう。

「ここに入るんですか?」

「好きな飲み物や食べ物を頼むといい」

「傘を貸しただけでそこまでしてもらう理由がないです」

「名前だけで自分を探し当てられたらお礼を受けてやる、といったのはどの口だったかな」

「……わかりました。ごちそうになります」

 聞く耳はもたないのだろう。とはいえ、晩ご飯のこともある。飲み物だけをいただくことにしよう。


「……じゃあ、入ろうか」

「? なんでそんな覚悟を決めたみたいな顔をしてるんですか」

「……ああいう浮ついたお店に入るのは初めてなんだ。私は騎馬家の跡取りで、ダイアナ学園中等部の生徒会長だからね」

「関係ありますか、それ……」

 ひかるは残念な気持ちではじめを見た。その横顔は厳めしく口は一文字に結ばれている。先ほどまでひかると軽口の応酬をしていたときの余裕の表情はどこへ消えたのだろうか。

「騎馬さんって、見た目と違っていろいろと残念なひとですね」

「君に言えたことか。君は容姿こそお姉さんに似ているが、性格は全然違うな」

「……姉は姉、ぼくはぼく、です」

 ひかるはそう言って、ゆっくりと店に進むはじめを追い越してカフェの戸を開けた。

「あっ……」

「そんな緊張した顔をしなくても、取って食われりゃしませんよ」

 ひかるは戸を開けたまま、はじめが店内に入るのを待った。

「いらっしゃいませ。おふたりですか?」

「はい」

 ふたりの姿を認めて、気さくな笑顔の店員さんがやってくる。

「では、あちらの席にどうぞ」

「はい。……ほら、騎馬さん、固まってないで、行きますよ」

「あ、ああ……」

 はじめは店内をキョロキョロと見回していた。その顔には先ほどまでの恐れるような、戸惑うような表情はない。どちらかというと、好奇心でいっぱいといった顔だ。

「すごいな。色々な紅茶の銘柄が置いてある。コーヒーも色々な産地が置いてあるのか」

「意外と本格的な喫茶店なんですね」

「店内もおしゃれだ。うちの生徒たちに人気が出るのもうなずける話だな」

 いつまでもキョロキョロと店内を見回し続けるはじめがいい加減恥ずかしく思えてきて、ひかるはずいとメニューを押しつけた。

「選んでください」

「君が先に選んだらいいだろう」

「ぼくはもう決めました」

「むぅ……」

 はじめは口を尖らせながら、メニューのページをめくり始めた。

「あっ……」

 その口角が少し上がる。目がキラキラと輝く。何を見ているのかとひかるがメニューを覗き込む。



『ラテアート、はじめました!』



 そこにはそんな文字がカラフルにポップに踊っていた。

 そのページには様々な写真が掲載されている。動物や乗り物など、子どもが喜びそうなラテアートの写真だ。

 はじめはそんなページを見つめながら、頬を紅潮させ、目をキラキラさせているのだ。


「……騎馬さん?」

「はっ……。す、すまない。大丈夫だ。私も決まった」

 バタンとメニューを閉じると、はじめはそう言った。ひかるは手を上げて、先ほどの店員さんを呼ぶ。

「お決まりですか?」

「はい。騎馬さんからどうぞ」

「あ、ああ……」

 はじめは逡巡するような目をした後、ひかるの目を見て、言った。

「……アイスティーをお願いします」

「はい。レモンかミルクはおつけしますか?」

「えっ、あ……け、結構です」

「ガムシロップはどうされますか?」

「……それも結構です」

 はじめの声のトーンはどんどん落ちていった。ひかるはその様子を冷めた目で見つめていた。はじめの注文を書き取り、店員さんの目がひかるを向く。

 仕方がない。

 ひかるはそんな心境で、はじめの手元からメニューを取り、開く。

「……このラテアート、お願いします」

「はい、かしこまりました。何をお描きしましょうか?」

 ひかるは少し考えてから、はじめを見て、言った。

「お任せします。女の子が喜びそうな、かわいいのでお願いします」

「かしこまりました。アイスティーおひとつと、ラテおひとつですね。少々お待ちください」

 店員さんはそう言うと、足早にカウンターに回った。他に店員の姿は見当たらない。ひとりでこのお店を回しているのだとしたら、相当な労力だろう。

「……では、改めて」

 はじめが言った。ひかるが目を向けると、はじめは真剣な顔をしていた。

「昨日は傘を貸していただいて、本当にありがとうございました。おかげで、あの後は濡れずに家に帰ることができました」

「……そんな、改まってお礼を言われるようなことではないと思いますけど。どういたしまして」

 深々と頭を下げるはじめに、ひかるは呆れかえるような気分だった。

 騎馬はじめという目の前のお姉さんは、義理堅いというか、融通が利かないというか、とにかくそういう難儀な性格なのだろう。


「それから、ひとつ伝えておくことがある」

「なんですか?」

「昨日はたまたまなんだ。たまたま、偶然、折りたたみ傘をカバンに入れるのを忘れていただけなんだ」

「……はぁ」

 なぜ釈明をはじめているのだろう。まったくはじめの言わんとしていることが分からない。

「とにかく、昨日は偶然傘を忘れただけであって、普段の私は忘れ物なんてしないんだ」

「そうですか。まぁ、誰だって忘れ物をするときくらいありますよね」

「……私はそれではダメなんだ。完ぺきでなければ。なぜなら私は――」

「――騎馬家の跡取りで、ダイアナ学園中等部の生徒会長だから、ですか?」

「む……」

 言葉を遮ったひかるを、はじめが見つめる。

「関係ないと思いますけどね、そんなの」

「し、しかし、私は……」

 折悪く、店員さんがおぼんを持ってくるところだった。

「アイスティーのお客様」

「あ、こっちにお願いします」

 店員さんがはじめの前にアイスティーを置こうとするのを止めて、ひかるは自分の手元にアイスティーを置く。

「で、ラテは向こうに、お願いします」

「……はい」

 店員さんは得心したような顔で、何も言わずはじめの前にラテを置いてくれた。戸惑っているのははじめひとりだ。

「どうしてだい?」

「べつに。ただの嫌がらせだと思ってくれればいいです」

 ひかるは言って、笑った。

「そんなことより、見てみたらどうですか、それ」

「……? あっ……」

 はじめがラテに目を落とす。ラテの表面には、クリームで絵が描いてある。それは、犬。まるまるとしていて可愛らしい犬の絵だ。

「か、かわいい……!」

「ふふ。力作です。喜んでいただけて何よりです」

 店員さんはそう言って笑うと、ひかるにウインクして去って行った。ひかるは、あんなにウインクが様になっている人を他に見たことがない。

「……気を遣ってくれたのか。ありがとう」

「はぁ? べつに、お礼を言われるようなこと何もしてないですし」

 ひかるはそっぽを向いて言った。

「ごちそうになります。いただきます」

「ああ」

 ひかるはアイスティーに口をつけた。少しだけ火照った頬に、その冷たさが染み渡るようだった。


「君といると、どうも調子が狂うな」

 はじめが口を開いた。

「私が背伸びをしているのを見透かされているようで」

「そんなつもりはないですけどね」

 ひかるが応える。

「ぼくは逆ですよ。こんな素の自分、家族にも友達にも見せられないですから、気が楽です」

「君は、普段はどんな感じなんだい?」

 はじめの問いかけに考える。普段の自分は、一体どんな様子だろうか。家での自分や、学校での自分はほとんど同じだ。物腰柔らかく、笑みを絶やさず、はきはきと喋るというよりは、ゆっくりと間延びして喋るように心がけている。それは少なくとも、今の自分――何も着飾らずいる自分とは全く違うものだろう。

「……少なくとも、こんなに毒々しくはないと思います」

「なるほど。たしかに君は、初対面の時はもう少しやわらかそうだったな」

 はじめが笑う。それは、少なくともひかるには年相応のお姉さんの笑顔に見えた。

「私も、ある意味で気が楽なのだろうな。今ほどではないが、君のお姉さんの前でもついつい気を抜いてしまうことがある。君たち姉弟は不思議な特質を持っているのだね」

「なんですか、それ」

 同じなのだろうか。

 自分が、姉や友人の前で、ついつい“良い子の自分”を出してしまうことと。

 目の前のお姉さんが、ついつい“しっかりした自分”を出してしまうことが。

「……雨に濡れているのに、やせ我慢をして、頑なに傘を受け取ろうとしなかったから」

「うん? なんだい?」

「騎馬さんがそんなだったから、意地悪したくなったんでしょうね」

「は……?」

 はじめが目をぱちくりさせる。

「きっと、だからこんなに素でいられるんだと思います」

「……なるほど。本当に、良い性格をしているな、君は」

 はじめが顔を引きつらせながら笑う。

「私も、君が生意気だから、ついムキになってしまうのだろうな。泰然余裕としている普段の私は、きっと素の私ではない」

 はじめはそう言うと、シュガーポットを手に取った。角砂糖をひとつ、ラテの中に落とす。

「普段ならばコーヒーはブラック、紅茶はストレートでしか飲まないが、今はそう肩肘をはる必要はないね。苦いのは苦手だ」

「ぼくは、姉やクラスメイトからは甘い物大好きだと思われてますよ。本当はあまり得意じゃないですけどね」

 言いながら、思う。昨日、雨の中、強がるはじめを見て、なぜあんなにイライラしたのか。自分の素を出してしまうくらい、はじめに当たったのか。

 はじめを見て、自分の姿を重ねてしまったからだ。

 良い自分を家でも学校でも演じ続けている自分と、重なったからだ。

「同族嫌悪、っていうのかな……」

「うん?」

「……いえ。なんでもないです」

 そんなこと、わざわざはじめに言ってやる義理もない。ひかるはもう一度、グラスを呷った。


…………………………

 生徒会の仲間であるゆうきの弟、ひかるは、口ぶりこそ意地悪だが、心根は優しい少年のようだった。はじめがラテを見つめていたことに気づく観察力、そして飲み物を交換するような行動力もある。そのあたり、ゆうきの弟らしいというか、なんというか。

 砂糖を入れたラテを口に含む。甘くて温かいラテが口の中に広がって、なんとも幸せな心地だ。

「……“何もかも完ぺきですごい生徒会長”か」

「はい?」

 口をついて出た言葉に、ひかるの目がこちらを向く。

「君のお姉さんが、私のことをそう言っていたのだろう?」

「まぁ……。あ、でも、可愛いところもあるとか、そんなことも言っていましたけどね」

「……可愛い。私からはとことん縁遠い言葉だな」

 ゆうきは一体、はじめのどんなところを見て、そんな感想を抱いたのだろうか。

「常々完ぺきでありたいとは思っているが、私もまだまだだな」

「息苦しそうな生き方をしてますね」

「何度も言うが、君に言われたくはない」

 ひかるの目が不満そうに歪む。

「ぼくはべつに、好きでやっていることですから。良い子でいたいと思うことは、悪いことではないでしょう?」

「私だって、無理しているつもりはない。完ぺきでありたいと願うのはまぎれもない私自身の意志によるものだ」

「そうですか」

 ひかるは興味なさそうに言うと、アイスティーのグラスを置いた。いつの間にか、グラスの中は氷を残し、空になっていた。

「あ……すまない。小学生をいつまでも付き合わせているわけにはいかないな」

 外に目を向けてみれば、住宅街は少し赤みを帯び始めている。暗くなるまではまだ猶予があるだろうが、いつまでも小学生が外を出歩いていていい時間ではない。はじめはラテを飲み干して、カップを置いた。

「そんなに急がなくてもいいと思いますけど」

「いや、小学生は暗くなる前に家に帰るべきだ。少なくとも、私には君にそう言う義務がある」

「どんな使命感ですか……」

 はじめは席を立つ――つもりだった。

 その瞬間、自分でもよく分からないことに、立ち上がることができなかった。

「あれ……?」

 腰を上げることができなくて、椅子に座ったまま、頭がふらつくことに気づく。座っている間は何も感じていなかったが、立ち上がろうと力を入れた瞬間に、ぐらりと視界が揺れたのだ。


「……何やってるんですか?」

 ひかるのあきれ顔が回って歪む。目が回るような感覚に、額を押さえる。

「すまない。少しフラつくんだ」

「フラつく……?」

 ひかるが怪訝な顔をする。

「……少し休めば大丈夫だ。私の意地に付き合わせてすまなかった。親御さんや王野さんが心配するから、もう帰りなさい」

「あのねぇ……」

 はじめの言葉に、ひかるは嫌そうな顔を隠そうともせず、言った。

「昨日も似たようなことを言った気がしますけど、体調が悪そうな相手を放って帰れると思いますか?」

「心配してくれる必要はないよ。朝からフラつく感覚はあったんだ。それが今、少し強くなってるだけだから」

「それでなんで学校を休まないかなぁ……」

「わっ……」

 ひかるはためらう様子もなくはじめの額に手を伸ばした。ひかるの手が額に触れた瞬間、そのひんやりとした感触が心地よくて、恥ずかしい気持ちも忘れてしまう。

「……すごい熱。どうして学校を休まないんですか。それはいいとしても、どうしてわざわざぼくに会いに来たりしたんですか」

「少し体調が悪い程度で学校を休むわけにはいかない。私は生徒会長だから、生徒の規範にならないといけないからね。ちなみに君に会いに来たのは私の意地だ」

「呆れました。体調が悪いのに無理をして学校に行くことは、規範でも何でもないと思いますけどね」

「それだけではないよ。騎馬家の跡取りとして、熱程度で――」

「――もういいです。こっちまで熱が出そうだ」

 ひかるは大仰にため息をついた。

「立てますか? ……って、無理そうですね。さっきまでよく平気な顔をしてましたね」

 ひかるの大げさな言葉に、はじめは立ち上がろうとする。しかし、身体に力は入るが、その力があらぬ方向に働くような感覚だった。

「……びっくりするくらい、立ち上がれない」

「そうみたいですね。本当に驚いている顔に、こっちがびっくりですよ」

「いや、実は、物心ついてから熱を出したのは初めてなんだ。どうして急にこんなことになったのだろうか……」

「昨日ずぶ濡れになったまま雨宿りなんかしてたからでしょう」

「……ああ。なるほど」

 ひかるはまたため息をついて、はじめに手を伸ばした。

「お家の連絡先、教えてください」


「む? なぜだい?」

「お家に電話をするんですよ。ご家族に迎えに来てもらいましょう」

 はじめはそのひかるの申し出に首を振った。

「いや、こんなことでお母様の手を煩わせるわけには……。私は――」

「――騎馬さんは騎馬家の跡取りでダイアナ学園の生徒会長である前に、ひとりの女の子です。いいから早く電話番号を教えてください」

「む……」

 ひかるの意志は固いようだった。結局、はじめは生徒手帳を取り出し、ひかるに渡すことになった。

「ちょっと電話してきますから、待っててくださいね」

「いや、よく考えたら、私が電話をすれば済む話……」

 言うより早く、ひかるは席を立って行ってしまった。店員さんに何事か告げて、店の奥へ入っていく。ひかるの姿が見えなくなって、はじめは自分の中でも何か糸が切れるような感覚を憶えた。だらしないことだとは思うが、そのまま、オシャレなテーブルに半ば突っ伏すように頭を置く。

「……しまったな。一気にこんなに来るとは」

 先ほどひかるに伝えた通り、朝から体調は悪かった。

 ただ、それを母に伝えるということは念頭に浮かびもしなかった。

 騎馬家の跡取りとして、ダイアナ学園中等部の生徒会長として、きっとしてはいけないことだと思ったからだ。

 昨日の母の言葉が頭に浮かんだというのもある。

 ひかるの真剣な顔に押し負けて、電話番号を渡してしまった。電話を受けた母は、どんな顔をするだろうか。

 どんな言葉を、自分にかけるだろうか。

 呆れかえるだろう。

 厳しい叱責すらあるかもしれない。

「……騎馬家の名折れだ、私は」


…………………………

 連れが体調が悪いようなので、電話を貸してもらえませんか?

 そう伝えたところ、気さくな店員さんは快く店の裏に案内してくれた。細い階段を上ると、広い廊下のようなところに出て、そこは店内とは異質な雰囲気の場所だった。

「二階は下宿なの」

 ひかるの疑問を感じ取ったのだろう。店員さんはそう言うと、ひかるを廊下の電話に案内した。

「すぐ済みます。すみません」

「ええ、どうぞ」

 ひかるははじめからもらった生徒手帳の裏表紙に、達筆な字で書かれた電話番号をプッシュホンに押し込んでいく。数コールも待たず、先方は受話器を取ったようだった。

『はい。騎馬でございます』

 その涼やか声を聞いた瞬間、それがはじめの母親であると確信した。静かながら自信と威厳にあふれ、はじめが成長したらこういう声になるのだろうなと、一瞬にして想像させられたのだ。

「もしもし。はじめまして。はじめさんの友人の王野ゆうき……の弟のひかるです。はじめさんのお母様ですか?」

『はぁ……。そうですが』

 怪訝そうな声。当然だろう。突然電話がかかってきたと思えば、友人の弟からだというのだから。かといって、ひかるもためらっている場合ではないので、話を続けた。

「はじめさんが体調を崩されて、ひとりでは帰れない状態です。迎えに来ていただけると助かります」

 ひかるは、嫌そうな声か、疑うような声か、はたまた、悪意を発露するような声を予想していた。しかし、ひかるがそう告げると、電話口の相手が動揺するのがわかった。

『は、はじめが……!?』

 泰然としていて、絶対に動じないだろうと思われた電話口の声が震えた。

『はじめはどこにおりますの? 学校ですか?』

「いえ。学校から少し離れた喫茶店“ひなカフェ”です。住所をお伝えします」

 女性は住所を聞くと、電話の向こうで誰かに車を出すように指示しているようだった。そして、電話口に声が戻ってくる頃には、平静さを取り戻していたようだった。

『……すみません。宅の娘が、まったくご迷惑をおかけしたようで、面目次第もありません』

 声は、無理をして冷静を保っているようにひかるには思えた。

 それがどうというわけではない。

 ただ、なんとなく、少し。

 昨日、ひかるが傘を貸そうとするのを固辞するはじめと重なるように思えて。

 本当の本当に、少しだけ。

(……なんか、ムカつく)

 そう、思った。

『娘には迷惑をかけぬようきつく言っておきますので……――』

「――きつく言う必要はないですし、もしもぼくに面目次第もないのなら、はじめさんに優しい言葉をかけてあげてください」

 だからひかるは、相手の声を遮って、そう言った。

『なっ……』

 当然、電話口のはじめの母親は、驚いているようだった。


「お母さんがお迎えに来てくださいね。それでは、お借りしている電話なので、切ります。失礼します」

 そのまま、何を言わせる間も置かず受話器を置く。言い過ぎただろうか。

 姉たちやクラスメイトに気を遣う必要がないから、やりすぎてしまった気がする。

 ふと思う。本当の自分の、こんな冷たい一面を知ったら、家族やクラスメイトの皆はどう思うだろうか。

「……そんなこと考えても仕方ないのは分かってるんだけどさ」

 これが本当の自分。

 王野ひかるという、自分。

 情けないとは思う。

 そんな後ろ向きなことを考えていたからだろう。

「……あれ……?」

 気づいたときには、世界が変質していた。

 それは言い過ぎだろうか。場所が変わったわけではない。何の特質もない廊下のままだ。

 けれど、何かが確実に異質だった。

 その正体に気づくのに、数秒を要した。それだけ、その変容はありえないことだったのだ。

「色が……」

 色が消えた、モノクロの世界。音が消え、寒さも暑さも消えた、異様な世界だ。

 すぐ傍にいたはずの店員さんが消えている。

 その静かな世界に、まるでひかるひとりが取り残されたようだった。

「……騎馬さん」

 ひかるは体調を悪くしていたはじめのことを思い出し、慌てて元来た道を戻った。店の奥から戻ると、やはり客席スペースはおろか、窓から覗く外の景色までもがモノクロに墜ちていた。そして、学校帰りの女子学生たちが大勢いた店内は、いつの間にか空っぽになっている。

「なんなんだ、一体……」

 ひかるは焦燥を憶えつつ、席に戻る。果たしてはじめはそこにいた。しかし、とても容態がいいとはいえない様子だ。テーブルに突っ伏し、息は荒い。

「騎馬さん。騎馬さん」

「ん……。ひかるくんか……」

 呼びかけると、少しだけ目が開く。

「何か様子がおかしいんです。まるで、色が抜け落ちたように、真っ黒なんです。わかりますか?」

「以前、一度だけ見たことがある。これは、暗い場所。暗い世界。しばらく待っていれば、いつもの世界に戻れる。けれど、怪物が……」

「怪物……?」




「――なるほど。位相をここまでアンリミテッドに近づけても、貴様らはまだ残るのだな」




 ゾッと、背筋が凍る。

 いつからそこにいたのだろうか。華奢な背格好に漆黒の装い、表情の見えない仮面。そんな紳士が店の入り口に立っていた。


「それだけ、このホーピッシュが我らアンリミテッドに近づいてきたということか。特に、貴様らふたりは光と闇の影響を色濃く受けた影響で、闇にも光にもなじみやすくなっているのだな」

 その黒衣の紳士が何を言っているのかはわからなかった。ただ、その紳士がただ者ではないことだけは明確にわかる。ひかるは荒く息をするはじめを庇うように立った。

「ほう。男気あふれることだ。さすがは王野ゆうきの弟といったところか」

「なっ……! お、お姉ちゃんを知っているのか!」

「ふっ……」

 紳士は一笑に付すと、仮面の顔をひかるに向けた。表情は分からない。目線も見えない。しかし、その視線がひかるの全てを見透かしているのは、疑いようもないことだった。つかつかと歩み寄り、ひかるのすぐ前までやってくる。

「なるほど。貴様は、普段は良い子の自分を演じ続けているのか。姉やクラスメイトの前では、良い子の仮面を被り続けているのだな。殊勝なことだ」

「ッ……!?」

 心まで見透かされている。ひかるがたじろぐと、紳士はまっすぐひかるに腕を伸ばした。

「良い子でありたいという欲望か。まったく理解できないことではあるが、欲望は欲望だ。それも、極上だ」

 ひかるの目の前で、紳士が仮面の奥の顔を嗜虐的に歪めたのがわかった。ひかるは内心の焦燥と恐怖を悟られまいと、仮面を睨み付け続けるだけで精一杯だった。

「貴様ならば生み出せるかもしれんな。ウバイトールを超える、新たな闇の使徒を」

「……なっ」

 紳士がひかるの手をつかむ。華奢な割には凄まじい力で、ひかるの腕が押さえつけられる。

「何をするんだ……!」

「貴様の良い子でありたいという欲望に用がある。安心しろ。悪いようにはしない」

 そして、紳士の手から黒い波動が生まれる。その黒いもやのような波動は、瞬く間にひかるを覆い尽くす。



「その欲望、自分自身で購うのだな」



「がっ……」

 ドクン、と。

 ひかるの中で、何かが胎動した。

 頭の中に、何かが生まれた。

 “悪い奴だと思われたくない。”

 “良い子だと言われたい。”

 “姉に褒められたい。”

 “クラスメイトから頼りにされたい。”

 それは、欲望の胎動。

 そして、生まれる。世界を闇に染める使途。





『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』





「ふっ……生まれたか。このホーピッシュもだいぶ闇に染まってきたのだな」

 紳士は仮面の奥で微笑んだ。

「さぁ、いけ。“ウバイトーレ”。ウバイトールより強靱なその力で、プリキュアどもを迎え撃て」


…………………………

 ゆうきたちは全速力でほまれ町の住宅街を走り抜けた。

「とても強い闇の波動レプ……! この前の、大量のウバイトーレが現れたとき以上の闇レプ!」

 ゆうきの肩の上でラブリが言う。

「うん。わたしたちも、少しだけわかるよ」

 ゆうきは走りながら、胸に手を当てた。

「なんだろう。とてつもなく嫌なものが生まれた。とんでもないものが生まれた。それが、なんとなくわかるんだ」

 めぐみも、あきらも、小さく頷く。プリキュアたちは皆、そのゆうきが感じたものと同じようなものを感じたのだろう。

 その気配が生まれたのは、学校帰りのときだった。はじめたちと別れ、三人と妖精たちで少しだけプリキュアの作戦会議をしているときに、ブレイたちが凄まじい勢いで闇が生まれたと騒ぎはじめたのだ。そしてブレイたちの言うとおり、その方向に向かうにつれて、ゆうきたちにもしっかりとわかるようになってきた。

 そして気づけば、ゆうきたちは闇の領域に足を踏み入れていた。

「……空が暗い。アンリミテッドだわ」

 モノクロに沈んだ世界。建物や街見覚えこそあるものの、そこはまぎれもなくアンリミテッドの闇の領域に他ならない。そして、ゆうきたちがよく見知った場所が、その闇の中心のようだった。

「うそでしょ……! あれ、ひなカフェだよ!?」

「……グリ!?」

 ブレイがうめき声を上げる。その理由は、ひなカフェの入り口に立っていた人物にある。

「で、デザイア!?」

 全員が一斉に身構える。のんきに構えていられる相手ではないと知っているからだ。

「ん……? あ、あれ、騎馬さんよね?」

 めぐみが声を上げる。指で示す方向には、窓越しにはじめの姿見える。しかし、どうも様子がおかしい。テーブルに突っ伏す姿は、まるで体調を崩しているようだ。

「ふっ……。驚くべきはそちらではないのではないか? 王野ゆうき」

「へ……?」

 デザイアの言葉に、デザイアが示すソレを見つけた。その瞬間、いつかと同じように、ゆうきの中の何かが弾けそうになる。



「ひ、ひかる……!?」



 モノクロに墜ちた世界で、なおモノクロに沈むような姿だった。だからこそそれにすぐに気づくことができなかったのだ。

 ひかるは、ひなカフェの入り口近くで、幾重にも及ぶ鉄格子のようなものに囲まれ、縮こまるように座り込んでいた。

 はじめは色を持ったままそこに存在しているが、ひかるは違う。ひかるは、まるで世界と同じように、アンリミテッドのモノクロに染まっているのだ。

「ひかる! ひかる!! ひかるってば!! 返事をして! ひかる!!」

 うつろな目は何も映していないようで、ゆうきの悲鳴にも近い声にも何の反応も示すことはなかった。


「……ゆうき。落ち着いて」

「うん。大丈夫だよ、ゆうき。みんなでひかるくんを助けよう」

「……うん」

 そんなゆうきの手を、めぐみとあきらが両側から取ってくれる。ふたりの温かい手が、ゆうきに落ち着きをくれるようだった。ゆうきは大きく頷いた。目を閉じ、深呼吸をして、目を開く。

 大丈夫。やれる。

「ふむ。以前、ゴドーに妹が巻き込まれたときは、もう少し動揺していたようだが、変わりもするか。戦士として強くなってきたようだな、プリキュア」

 デザイアが嘲笑する。

「しかし、果たしてこれを相手に今の貴様たちでどこまで戦えるかな」

 ずしん、ずしん、と。地を響かせるような轟音が響いた。それが何かの足音だと気づいたときには、その何かは近くの住宅の陰から身を乗り出していた。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「ウバイトール……? じゃない?」

 その巨大な怪物は、少年の姿をしていた。全身が黒く染まっていて、手にはサッカーボールのようなものを持っている。全体的に見ればウバイトールによく似ているが、その実何もかもがウバイトールとは違うようにゆうきには思えた。

 しかし、そんなことを気にしている余裕はない。

「……行くよ、みんな」

 ブレイ、フレン、パーシーからそれぞれの紋章が飛ぶ。三人はそれぞれの紋章を受け取り、それをロイヤルブレスに装填する。

 そして、叫ぶ。

 伝説の戦士の宣誓を。



「「「プリキュア・エンブレムロード!」」」



 世界が闇に墜ちたとしても、その光だけは色あせることはない。

 それは、ロイヤリティの誇りと戦士たちの絆によって生まれる光。

 薄紅色、空色、真紅の光。

 世界に光を取り戻すために、戦士たちは大地へ降り立った。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」



「「「ファーストプリキュア!」」」


…………………………

「まだプロトタイプだが、やれるな。行け、“ウバイトーレ”」

 デザイアが指示を出すように腕を振る。その途端、ウバイトーレと呼ばれたその怪物は、凶悪な目を嗜虐的に眇め、足音を響かせながらその巨体でプリキュアたちに向かい前進する。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエ!!』

「ウバイトーレ……? やはりウバイトールではないのね」

「ユニコ、わたしたちであの怪物を引きつけよう」

 冷静に分析をするユニコに、ドラゴが言う。

「グリフは、わたしたちがアレを引きつけている間に、ひかるくんと騎馬さんを助けてあげて」

「うん、わかった。ありがとう、ドラゴ」

「そうと決まれば、行くわよ!」

 ユニコとドラゴが怪物に向かい走り出す。怪物と相対したふたりの横を、グリフは足早に通り抜けた。

『ウバッ……!!』

 ウバイトーレがグリフに手を伸ばす。しかし、その手は空色の光によって弾かれる。

「あなたの相手はわたしたちよ。グリフの邪魔はさせないわ」

「そういうこと!」

 ドラゴが跳び上がり、炎をまとわせた拳でウバイトーレの腹に正拳突きを放つ。

『ウバァ……!?』

 ウバイトーレはよろけ、後退する。その間に、グリフはデザイアの近くまでたどり着いていた。

「デザイア! ひかるを返してもらうよ!」

「無駄なことだ。なんなら試してみるといいだろう」

 デザイアはグリフに道を譲る。デザイアは罠を仕掛けるような敵ではない。グリフは警戒しつつも、ひかるに近づき、牢獄にてをかけた。

「ひかる! ひかる! 起きなさい!」

「………………」

 やはりひかるの目はうつろで、何を映してもいない。返事どころか、呼吸をしているのかすら、判然としないほどだ。

「……っ! デザイア! ひかるに何をしたの!? この牢獄は何!?」

「その子が己の欲望を果たせるようにしてあげただけのことだ。礼を言ってもらいたいくらいなのだがな」

 デザイアは嘲笑するように言う。

「その牢獄こそ、欲望にとらわれた証。人間の本質を引き出すためのものだ」

「人間の本質を引き出す……?」

「ふふ。その結果が、あのウバイトーレだ」

 その瞬間、轟音が響いた。振り返ると、ウバイトーレが黒い塊のような巨大なサッカーボールを蹴り、ユニコとドラゴを吹き飛ばしていた。

「きゃっ……!?」

「っ……!? 強い! その辺のウバイトールと比較にならないくらい強いわ!」

 ふたりはなんとか体勢を立て直し、ウバイトーレと対峙する。しかしふたりがこの短い時間で消耗していることは火を見るより明らかだ。


「ウバイトーレって何なの? ウバイトールとは違うものなの?」

「ウバイトールはご存知のように、物に込められた欲望を解放することで生み出される闇の使徒だ」

 デザイアは言う。

「そしてウバイトーレは、人の持つ欲望を解放することで生み出される闇の使徒……いわば、本物の欲望の化身だ」

「人の持つ欲望……? じゃあ、あの怪物は――」

「――そう。貴様の弟、王野ひかるの欲望で生み出されたのだ」

 衝撃的なことだった。つまり、方法はわからないが、デザイアはひかるの欲望を抜き出し、あの怪物にしたということだろう。

 つまり、あの怪物は、ひかるから生まれたということに他ならないのだ。

「わけがわからないことを言わないで! 良い子のひかるに欲望なんてあるわけないじゃない!」

 少なくとも、グリフにとって、弟のひかるはとても良い子だ。手もかからない。友達も多くて、勉強もできて、スポーツも上手だ。そんなひかるが、あんな怪物を生み出すような欲望を抱くとは思えない。

「そうか。ならば、その少年の欲望の化身である、あのウバイトーレに聞いてみるとしよう」

 デザイアがウバイトーレに向かい、言う。

「さぁ、良い子でありたいのだろう? ならば、プリキュアを全員倒すのだ。それが、良い子への近道だ」

『ウバッ……!! ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「きゃっ!?」

 ウバイトーレが凄まじい速度で蹴りを放つ。防御する暇もなく、ふたりのプリキュアが瞬く間に吹き飛ばされる。

「ユニコ! ドラゴ!」

「ほら見たことか。貴様は姉でありながら、弟のことをまるで分かっていないな」

 デザイアが言う。

「貴様は弟のことを良い子だと言っていたな? 良い子だと褒めそやしたな。良い子でい続けろという呪縛を、その子に与え続けたな。それが弟に、どれだけの枷だったか分かるか? 貴様は、姉という立場にかこつけて、弟を利用していたのだ。その結果が、これだ」

「わ、わたしは……」

 そんなつもりはなかった、と言うのは簡単だろう。

 けれど、それがウバイトーレになるほどに抑圧されていたひかるに対して、何の意味があるだろう。

 もしも、ひかるがウバイトーレになるに至るだけの欲望を溜めることになったのが、王野ゆうきという己のせいなのなら、キュアグリフは。

「……わたしが、もっとひかるのことを見てあげられていたら……――」



「――そんなわけ、ないでしょ……!」

「……そうだよ、違うよ。絶対!」



 耳朶を叩いたのは、よく知った声。

 グリフが誰よりも信頼する、ふたりの声。


「ひかるくんが“良い子でありたい”と願うことの、何がいけないのよ!」

「それは“ゆうきのせい”なんかじゃない! “ゆうきのため”なんだよ!」

 ふたりのプリキュアは、よろよろと立ち上がる。けれどその眼光は力強く、言葉はその場を圧倒していた。

「私だってそうよ。みんなに頭が良いって思われたいもの。ゆうきに、頼れると思われたいもの」

「わたしだって。ゆうきに勉強で頼りにされたいし、お母さんからも褒められたいよ」

 だから、と。ふたりのプリキュアは断言する。

「人間、誰だってなりたい自分になろうって必死なのよ。そうやって自分を作っていくんだもの」

「だから、いいんだよ。苦しいときもあるかもしれないけど、それでも、」



「「どんな自分も、自分なんだから!」」



『ウバッ……! ウバァアアアアアアアアアアアアア!!』

 ふたりのプリキュアの言葉に、ウバイトーレが頭を抱える。ゆうきのすぐ近くのひかるも、苦悶の表情を浮かべていた。

 ふたりの言葉に、闇に支配されたひかるの心が動かされようとしているのだ。

「……ふん。まだ動作は不安定か。致し方ない。もっと安定する欲望を探さねばならんな」

「デザイア! ひかるを元に戻しなさい!」

「案ずるな、キュアグリフ。あのウバイトーレを倒せばすべては元に戻る」

 デザイアが仮面の下で笑うのが分かった。

「貴様ら三人のプリキュアに、ウバイトーレを倒すことができるのならば、だがな」

 デザイアの言葉を聞いたユニコとドラゴの反応は早かった。ふたりは目を合わせ、頷き合う。

「それがわかればこっちのものよ!」

「いくよ、ユニコ!」

「ええ!」



「優しさの光よ、この手に集え! カルテナ・ユニコーン!」



「情熱の光よ、この手に集え! カルテナ・ドラゴン!」




 ドラゴがカルテナを振るう。

「情熱の炎を燃やす。心穏やかに、燃やすべき物を、見極めて」

 そして、炎が生まれる。

「行って、ドラゴネイト!」

 ドラゴの拳から無数の炎が弾ける。それはまっすぐにウバイトーレに直撃する。しかし、ウバイトーレは少しよろけただけで、致命的なダメージとはなっていないようだった。

「並のウバイトールと同じ耐久力だと思わぬ方が身のためだぞ? しかし、貴様は愛のプリキュアがいない今、それ以上出力を上げれば身を滅ぼすことになる。さて、どうする?」

「こうするのよ」

 デザイアの嘲笑に、ユニコもまた余裕の笑みを返す。そして、カルテナが空色に瞬いた。

「角ある純白の駿馬よ! プリキュアに力を!」

 ユニコがカルテナをウバイトーレに向けて突き出した。



「プリキュア・ユニコーンシール!」



「何ッ……!?」

 デザイアの声が驚愕を帯びた。そのユニコの技は、空色の巨大な光の壁を作り出すものだった。しかし、それがただの“守り抜く優しさの光”でないことは誰の目にも明らかだった。青く輝くその光の壁は、瞬く間にウバイトーレを四方から囲み、閉じ込める。

「このユニコーンの清浄なる壁は、悪辣なる者を絶対に逃さないわ」

「そして、このドラゴンの炎は、悪辣なる者だけを徹底的に燃やし尽くす」

 ドラゴが、空色の壁の内側に入り、慌てふためくウバイトーレの足下に触れた。

 その瞬間、壁の中を紅蓮の炎が支配した。

『ウバッ……!? ウバアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 ウバイトーレが凄まじい勢いの炎にダメージを受けていく。空色の壁はウバイトーレを逃さないだけでなく、炎の熱を逃さない役割も果たしているのだ。

 やがて壁が払われると、ウバイトーレはその場に膝をついた。ドラゴは素早く飛び退りながら、叫ぶ。

「グリフ! ウバイトーレを浄化して、ひかるくんを解放してあげて!」

 その声に我に返り、ゆうきは心を集中させる。

「勇気の光よ、この手に集え! カルテナ・グリフィン!」

 薄紅色の光がその場を照らす。グリフの右手にその光が集約され、勇気の国の伝説の剣が現れる。

「……なるほど。頭がキレるキュアユニコとキュアドラゴは厄介なものだ」

 デザイアの呟く声が耳に届く。しかし、次の瞬間には、グリフは駆けだしていた。


「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」

 薄紅色の光を羽ばたかせ、グリフはウバイトーレの横を駆け抜けた。



「プリキュア・グリフィンスラッシュ!」



『ウバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!!』

 両断されたウバイトーレは宙に溶けて消え、そのうちの幾分かはひかるの中へと戻る。そして、ひかるは牢獄から解放され、倒れた。

「ひかる!」

 慌てて駆け寄り抱き起こす。ひかるはむにゃむにゃと寝ぼけていた。

「……よかった」

「ふっ。やはりプロトタイプは不安定だな。より安定させるには、もっと強い欲望が必要ということか」

「デザイア! 人の家族を巻き込んで!」

「ふっ……。いずれこの世界すべてがアンリミテッドに飲み込まれるのだ。家族も何もあるものか」

 デザイアはマントを翻し、三人に背を向けた。

「今後はウバイトーレを主戦力として戦うことができそうだ。貴様らの命運が尽きる日も近い。ゆめゆめ、油断せぬことだな」

 デザイアはそれだけ言い残すと、宙に溶けて消えた。

 世界が色と光を取り戻す。そして、ひかるがうーんと目覚めそうになったので、三人は慌てて身を隠した。


…………………………

 まぶた越しに眩しい光が見えた。それが夕焼けの赤光だと気づき、目を開ける。

「あれ……? ぼく、寝てたのか……」

 周囲を見渡す。どうやらひかるは、ひなカフェ前の通りで座って眠っていたようだった。

 周囲には喧噪が戻り、行き交う人やテラスで談笑をする女子学生の姿も見える。

「さっきのは夢……?」

 いやに生々しい夢だった。世界から色が消え、光が消え、人が消えた、あの夢のこと。

 そして、自分自身が怪物となり暴れ回った夢。

「……そんなことより、はじめさんだ」

 席に戻る。はじめは荒い息をしているが、先ほどよりは具合がマシになったようだった。

 ふと、視界の隅、窓の外に車が止まるのが見えた。車に詳しくないひかるでも分かるくらい、見るからに高そうな高級車だ。そこから着物を身につけた上品そうな女性が降りてくるのを見て、ひかるはその女性の正体を察した。

 はじめの母親だ。

 ひかるは店を出て、その女性と目を合わせる。それだけで、女性もひかるが先ほどの電話の相手だと見抜いたようだった。

「……宅の娘がご迷惑をおかけします。はじめはどちらですか?」

「店内の席です。ご案内します」

「ええ」

 出てきた運転手を連れて、はじめが突っ伏す席まで案内する。筋骨隆々とした運転手は軽々とはじめを持ち上げると、車まで運び、後部座席に優しく乗せた。その間、はじめの母親は店員さんにも頭を下げているようだった。ひかるははじめの表情を見る。汗をかき、紅潮した顔は、辛そうだ。辛そうだが、年相応の表情だ。さすがの意地っ張りも、発熱して苦しいときにまで澄ました顔をすることはできないらしい。

「王野ひかるさん、とおっしゃいましたか」

「……はい」

 背後からの声に振り返る。はじめの母親が、何の感情も見えない顔で、ひかるを見下ろしていた。

「このたびのこと、お礼を申し上げます。後々改めてお礼に伺いますから、連絡先を教えていただけますか?」

「必要ありません。苦しんでいる人がいたら助けるのは当然のことじゃないですか」

 ひかるはその、はじめによく似た女性の言葉に、淡々と返すだけだ。

「ぼくにお礼をする余裕があるのなら、それをはじめさんに向けてあげたらどうですか」

「はじめに?」

 ひかるの言葉に、女性が眉をひそめる。ひかるの無礼な物言いに、明確な不快感を示しているのだ。


「さっき、電話口で、はじめさんの体調不良を言った瞬間、あなたはとても慌てていました」

「……それが何か?」

「はじめさんは、騎馬家の跡取りであること、そしてダイアナ学園の生徒会長であること、その他の色々なことに誇りを持っていました。それはとても良いことだと思います。けど、反面、それらすべてが、はじめさんの枷にもなっていると思います。それがはじめさんを縛り付けています」

「…………」

「……さっき、電話口でぼくに見せてくれた慌てようを、本人にも見せてあげてください。その愛情を、きっとはじめさんは知らない。失礼を承知で言わせてもらえるなら、はじめさんは、あなたを恐れているようにも見えた。あなたに電話をしようとしたぼくを、止めようとするくらいには」

「……随分と言ってくれますね。ですが、それでいいのです。わたくしは、愛情を見せることだけが、愛情の示し方ではないと思いますので」

 女性は後部座席のはじめに手を伸ばす。で荒い息をするはじめを、とても慈しみ深い目で見つめる。

「この子は女として生まれました。そして、騎馬家の子どもはこの子だけです。だから、この子には今後、あらゆるしがらみが生まれます。そのときに、ひとりで対処できるだけの能力と胆力、その他すべてを与えてあげるのが、わたくしの責務であり、この子への愛情です」

「……わかりました。なら」

 ひかるはその女性の言うこともまた正しいと分かっていたからこそ、敬意を払い、言った。

「その他の愛情は、ぼくや、ぼくの姉が、責任を持って与えます」

「……ご勝手に」

 女性はそれだけ言うと、もうひかるを見ることもなく、反対側の後部座席に乗り込んだ。

 車はゆっくりと発進した。ひかるはただ、その車を見送ることしかできなかった。

 間違いなく、はじめはひかるにとって、昨日知り合っただけのただの姉の友達だった。

 しかし、今は違う。

 思い返す、昨日、雨に打たれ、寒さに震えるはじめの姿を。

 震えながら、どうしたものか考えて、けれど答えを出すことができず、途方に暮れて寂しく揺れていた瞳を。

 もしも、はじめがまたあんな目にあっていたら。

 もしもはじめが、今後もあんなことになるのなら。

「……ぼくが」

 ひかるは、拳を握りしめ、決意する。

「ぼくが、助けてあげればいい。あの意地っ張りなひとを、ぼくが」


…………………………

 車の中、そっと、娘に手を伸ばした。何年ぶりかというくらい久しぶりに、娘の頭を撫でた。

「はじめ、あなたを愛していますよ」

 はじめがすでに眠っていると知っていた。だから、そう言うことが出来た。

「けれど、その愛は見せません。あなたを強くするのが、わたくしのあなたへの愛の形なのですから」

 はじめは知らない。



 熱にうなされる己を見る母の目が、慈愛に満ちていることを。

 そして――、



「わたくしは、他の何より、あなたが大切なのですよ」



 その愛を、まだ。

 はじめは、知らない。


 次 回 予 告

ひかる 「ちょっとマジでこういう話やめてほしいんだけど」

ゆうき 「のっけから真っ黒全開だなぁ弟よ。機嫌直してよ」

ひかる 「身内どころか姉の友達のお姉さんたちにまで本性を知られるって……どんな罰ゲームだよ」

ゆうき 「まぁまぁまぁ」

めぐみ 「まったく、ゆうきは暢気ね。ウバイトーレなんて新しい脅威が生まれたっていうのに」

あきら 「はは、まぁ姉弟水入らずにしてあげようよ」

ブレイ 「…………」 ソワソワ

フレン 「……? なんでブレイはソワソワしてるわけ?」

パーシー 「自分以外の男の子が出てきて、嬉しくて、早く仲良くなりたい、ってこと、かも……」

フレン 「ああ、そういうこと……。なんだかブレイが可哀想に思えてきたわ」

ラブリ 「……まぁそんなブレイは置いておいて、次回予告だ」

めぐみ 「新たに生まれた脅威、ウバイトーレ! デザイアはその力を三幹部に教えるため、ある人物をウバイトーレにする……!」

あきら 「次回、ファーストプリキュア! 第19話【凶悪な陰! その名はウバイトーレ!】」

めぐみ 「次回もよろしくね! それじゃ、また来週!」

あきら 「ばいばーい!」

>>1です。キャラクターが増えてきて分かりづらいかもしれませんが、もうしばらくお付き合いいただければと思います。
読んでくださった方ありがとうございました。来週は所用により投下できません。
また再来週、よろしくお願いします。


ファーストプリキュア!
第十八話【凶悪な陰! その名はウバイトーレ!】




…………………………

「……まったく。校長先生も、渡す書類があるのなら、直接出向けばいいのに」

 昼休みのことだ。ダイアナ学園教諭、皆井先生は、木工室に向けて歩を進めていた。ダイアナ学園の校長先生から、同僚の松永先生に書類を渡してくれと頼まれたのだ。

「あ、皆井先生。こんにちは」

「ああ、こんにちは」

 すれ違う女子生徒数人があいさつをしてくれる。皆井先生はそれに笑顔で応じる。

「あ、そうだ。皆井せーんせっ」

「ん? なんだい?」

 すれ違ってから、女子生徒たちが振り返り、こちらを見ている。

「皆井先生にずっと聞きたいことがあったんです。いま、少しだけいいですか?」

「ん、ああ。まぁ少しなら。勉強で分からないところでもあるのかな?」

 皆井先生は基本的には熱意のある先生だ。だからこそ、生徒からの学びたいという想いを踏みにじったりしない。たとえ、ただでさえ校長先生に頼まれ事をされてお昼ご飯を食べる時間が怪しくなりつつあったとしても、生徒の要望を聞いてあげることを最優先にする。

「皆井先生って……」

「ん?」

「絶対、誉田先生のこと、好きですよね?」

「……んなっ」

 女子生徒たちはくすくすと笑う。

「お、大人をからかうようなことを言うんじゃない。私は先生だ。誉田先生は、ただの同僚だよ」

「へぇ~」

 女子生徒たちはニヤニヤと笑う。

「そうですか。でも、ライバルは多いですから、がんばってくださいね、浩二先生」

「だ、だからなぁ……」

 皆井先生が何かを言う前に、女子生徒たちはどこかへと走り去ってしまう。

「こ、こら! 廊下を走るんじゃない……って、もう行ってしまったな」


 女子生徒からそれなりにイケメンと評されることの多い彼だが、やや空気を読めない性格とついうっかり失言をしてしまう特質から、女子生徒からは憧れというより色々と残念な人というレッテルを貼られている先生だ。この学校にそれを理由に先生を舐めてかかるような生徒はいないものの、その自覚があるからこそ、彼はつらい。

 色々と残念なことや、失言を繰り返してしまう自覚くらい、皆井先生自身にもある。

 とぼとぼと歩いて、ようやく木工室の前までくる。

 書類を渡す相手は、木工室で授業をすることが多いから、隣の技術準備室にこもりきりなことがある。木工室は校舎の一番奥にあるから、職員室から遠く、校長先生は木工室へ行くのを厭って皆井先生にお遣いを頼んだのだろう。

「まったく、仕方ないよな……」

 皆井先生はそして、木工室の引き戸に手をかけ――、




「――小次郎くん」



 木工室の中から聞こえた、その声。

 そう声はどこまでも親密そうで。

「その呼び方はやめろって言ってるだろ、華姉」

 そう返す声は嫌そうでいて、その実嬉しそうで。

 ああ、そうか、と。

 彼は気づいてしまった。

 己の恋は叶うことはないのだ、と。

 叶わぬ恋を、己は捨てなければならないのだ、と。

 彼はゆっくりと引き戸を開け、中を覗く。


 皆井浩二。


 20代も中盤にさしかかった男性教諭。

 彼は昼休みの木工室で、きゃっきゃと楽しそうに同僚と話をする想い人を、見てしまったのだ。


…………………………

「……へぇ」

 そして、そんな姿を廊下から見つめる陰があった。

「これは、ひょっとしたら、使えるかもしれないわ」

 ふふ、と、小さく笑う。

 彼女は、エプロンの紐を縛りながら、皆井先生を見つめ、ニヤリと笑った。


…………………………

「本当にすまなかった」

 ひなカフェでの戦いの翌日、はじめはそう言って、ゆうきに凄まじい勢いで頭を下げた。

「へ? へ? へ?」

「騎馬さん、ゆうきが困惑してるわ。どうして謝ってるのか教えてあげて」

 めぐみが混乱するゆうきを代弁して言う。

「ああ、そうか。いや、本当にすまない。昨日、実はひかるくんと会っていたんだ」

「え……? ああ、うん。知ってるよ。ひかるから聞いたし」

 本当は直接一緒にいるところを見もしたのだけど、それは言っても仕方がないだろう。

「っていうか、騎馬さん、学校来て大丈夫なの? 昨日すごい熱があったって聞いたけど……」

「それは大丈夫だ。騎馬家の跡取りたる者、発熱くらいなら一日で全快しなければならないからね」

「どういう理屈なんだろう……」

 あきらが首を傾げる。

「それはいいとして、だ。ひかるくんに大変迷惑をかけてしまったようだ。ひかるくんは、動けなくなった私を喝破して、お母様に電話をしてくれたんだ。あまり記憶はないのだが、お母様はその電話を受けて、私を迎えに来てくれたらしい」

 はじめは言う。

「王野さん。ひかるくんは本当に良く出来た弟さんだね。大切にしてあげてくれ。……まぁ、凄まじく生意気ではあったけれど」

「?」

 後半、はじめが何と言ったかよく聞き取れなかったが、詳しく聞かない方が良さそうだと、ゆうきははじめの表情を見て思った。

「それでだね、お母様が、なんとしてもお礼をしたいから、連絡先を絶対に手に入れなさいと言っているんだ」

「なんとしても……。絶対……」

 少し怖いのは気のせいだろうか。

「だから、王野さんの家の電話番号を教えてもらってもいいかい? 今夜あたり、ひかるくんにお礼の電話をしたいらしいんだ」

「らしいって……?」

「いや、もちろん私も電話で謝意を伝えたいが、それ以上に、お母様がひかるくんと電話で話したいと言っているんだ」

「そ、そういうことなら……」

 ゆうきは困惑しつつも素直にはじめに電話番号を伝えた。はじめは丁寧に生徒手帳にそれをかき込むと、もう一度ゆうきに頭を下げた。


「……ともあれ、本当に、遅くまで弟君を連れ出して、すまなかった」

「いいって。気にしてないよ。ひかるはしっかりしてるから、少しくらい夜遅くなっても大丈夫だし」

「うむ……。ところで、ひとつ聞きたいんだが」

「? なぁに?」

 はじめが恥ずかしそうに目を伏せる。はじめらしからぬその表情に、ゆうきは首を傾げた。

「……つまらない話なのだが、ひかるくんは、私のことを何か言っていただろうか?」

「はぇ? 騎馬さんのこと?」

 ゆうきは昨晩のことを思い出す。ウバイトーレとなっていたひかるに変化などが見られずほっと安心している晩ご飯のときだ。ひかるは、そう、たしか。

「えっと、“黒くて長い髪がとても綺麗で、凄まじい美人さん”、とか言ってたかな……?」

「……び、美人」

 はじめの頬が紅潮する。その本当にはじめらしからぬ反応に、ゆうきの首がもっと傾く。

「あとは、素直じゃなくて、意地っ張りで、不器用で、口うるさくて、もう少し歳相応に振る舞ったらいいのに……とかも」

「む……」

 一瞬ではじめの頬の紅潮が消える。残されたのは、はじめらしいキリッと引き締まった顔だ。

「……なるほど。ひかるくんには、今度覚えておいてくれ、と伝えてくれるかい?」

「え、ああ、いいけど……」

 と、いうか、だ。

 驚くべきなのか、困惑するべきなのか、分からないけれど。

(騎馬さん、ひかると今後も会うつもりなんだ……)

 小学生の弟相手にご立腹の様子のはじめに、それを聞く勇気が、ゆうきにはなかった。


…………………………

 高等部の体育の授業で体力をゴリゴリと削られ、昼休みももう終わるという段になって、彼はようやく職員室に戻ることができた。今日もお昼ご飯は抜きになるだろう。

「……? 皆井先生、どうかされましたか?」

 そして職員室の戸を開けた瞬間目に飛び込んできたのは、見るからに沈み込む皆井先生の姿だ。

「ああ、郷田先生……」

 皆井先生はゆっくりと振り返った。その顔は見るからに落ち込んでいる。

「いえ、ちょっと、凹んでいるだけなので、お気になさらずに……」

「いや、尋常な落ち込み方ではなさそうですが……」

 あくまで職務を遂行するための言葉だ。同僚がもし悩みを持っているのなら、それを聞いてあげなければ、組織的な行動に支障が出る可能性がある。

「私で良ければ話を聞きますが」

「……うぅ。今はその優しさが胸に痛い」

「……はい?」

 皆井先生は暗い顔のまま。

「いや、あることにショックを受けたのです。そして、それにショックを受けている自分自身が、嫌になっているんです……」

「……よく、わかりませんが、わかりました」

 彼は言った。

「何か悩み事があるのなら聞きますから、無理をなさらずに」

「ありがとうございます……」

 そのとき、職員室の戸が開いて、同僚の松永先生が顔を覗かせた。

「げっ、もうこんな時間か。今日も昼飯食う時間はなさそうだな」

「あら、無計画ね。私はもう食べたわよ?」

 松永先生に続いて職員室に入ってきたのは、やはり同僚の誉田先生だ。

「あんたの長話を聞いてたおかげで、時間がなくなったんだけどな」

「失礼ね。先輩として、後輩に指導をしてあげていたんじゃない」

「昨日ひなカフェに行ってひなぎくさんに新作スイーツの試食をさせてもらった、ってのがOJTのつもりかよ」

 軽快な会話は幼なじみだからこそ成り立つものだろう。松永先生は嫌々という様子だが、誉田先生は間違いなく会話を楽しんでいる。ふと、暗い気配を感じて振り返る。

「…………」

 そこには、暗い目でそんなふたりの同僚を見つめる、皆井先生の姿があった。

「……皆井先生?」

「あっ、いや……」

 松永先生の不思議そうな声に、皆井先生はそう言って机に向き直り、書類整理を始めた。

 一体、皆井先生はどうしたというのだろうか。


…………………………

 六時間目の授業の終了を告げるチャイムが校内に響いた。

 担当の先生に礼をして、その日の授業はおしまいだ。

「……ねぇ、はじめ」

 帰り支度をしていると、横から声がかけられた。隣の席の鈴蘭だ。

「なんだい?」

「……その、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」

「うん?」

 鈴蘭は言いづらそうにうつむいて、かと思えば顔を真っ赤にして上を向いて、また下を向く。

「……なんだい? にらめっこでもしたいのかい?」

「そんなわけないでしょ」

 鈴蘭は恨みがましそうな視線をくれる。そんな目をされても、はじめには鈴蘭の真意は計りようがない。

「言いにくいことなら、無理して言わなくていいと思うよ」

「……べつに、言いにくくはないわよ。ただ、あんたにちょっと、勘違いされたら、嫌だなって思うだけ」

「それは聞いてみないと分からないよ」

 はじめは苦笑いしながら。

「とにかく話してごらんよ。皆井先生がいらしてしまうよ?」

「……ん。その、あのね」

 鈴蘭はぽつりぽつりと話しはじめた。

「はじめは、あたしの友達よね」

「なんだい、いきなり。当然だろう」

 鈴蘭からそんな言葉が飛び出て嬉しいが、周囲には他のクラスメイトもいる。内心の嬉しさを抑えながら、はじめは応えた。


…………………………

「じゃあ、あの、王野さんとか、大埜さんとか、美旗さんは……?」

「へ?」

 鈴蘭から飛び出るとは思わなかった生徒会メンバーの名前だ。はじめは驚きながら、少し考える。

 友達というものについてだ。

「……どうだろう。難しいな。私が勝手に友達と思っていても、向こうはそうは思っていないかもしれないからね」

「はじめは友達だと思ってるの?」

「……たぶん。私は、そうでありたいと思うよ」

 はじめの答えに、鈴蘭はどんな反応も見せなかった。ただ、それきり話は終わりだとばかりに、カバンの整理をし始めた。

「……でも、私は」

「何よ」

 はじめが口を開く。鈴蘭ははじめのほうを見ようともしない。

「でも、私は、鈴蘭がいてくれれば、それでいいけどね」

「なっ……」

 鈴蘭の頬に朱がさした。病的に白い肌は、紅潮するとすぐわかる。

「……あ、あたしは別に、あんたの友達じゃないし」

「さっき確認したばかりじゃないか。友達だよ」

「……ふん」

 鈴蘭の横顔を見つめて、はじめは微笑んだ。

 たとえ何がどうなっても、この子の友達でい続けたいな、なんて考えながら。


………………………………

 どうしてそんなことを聞いてしまったのか、彼女自身にも分からないことだった。

「はじめは、あたしの友達よね」

 そして、続けざまに聞いてしまったことが、もっと不可解なことだった。

「じゃあ、あの、王野さんとか、大埜さんとか、美旗さんは……?」

 まるで己が、はじめに嫉妬しているような問いかけ。

 わけが分からない。どうして自分があんなことを聞いたのか、まるっきり分からないのだ。

「……たぶん。私は、そうでありたいと思うよ」

 そして、はじめの返答を聞いて、なぜかイライラと機嫌を悪くして。

「でも、私は、鈴蘭がいてくれれば、それでいいよ」

 続いて飛び出したはじめの言葉が嬉しいなんて思ってしまって、頬が熱くなって。

 本当の本当に、一体何をやっているのだろう。

 彼女が必死で頬の朱と戦っていると、担任の皆井先生が教室に入ってきた。良い子揃いのダイアナ学園では、担任の先生が入ってきた瞬間に全員が着席し、口を閉じる。隣のはじめもまた、ピシリと姿勢を正した。

「……特に、連絡事項はないです。皆さんから何かありますか?」

 いやに低く暗い声だった。最初、彼女はそれがいつも元気が空回り気味の担任の声とは思えなくて、顔を上げた。どう見ても前に立っているのは皆井先生だ。しかし、いつもは快活で爽やかな笑みを浮かべている皆井先生が、なぜか暗い顔をしている。彼女だけではない。周囲のクラスメイトも皆、驚いた顔で皆井先生を見つめている。

「……あの、先生」

 はじめが手を挙げた。

「はい、騎馬さん。どうしましたか?」

「あの、失礼かもしれませんが、お聞きします。先生、体調でも悪いのでしょうか? 顔色が優れないようですが……」

 皆の疑問を代弁するように、はじめが言う。

「……ああ、ごめんなさい。気にしないでください。何でもありませんから」

「は、はぁ……」

 当の皆井先生にそう言われてしまえばそこまでだ。はじめは着席し、その他に生徒からは何もなく、終礼をして、HRもつつがなく終わった。皆井先生は暗い顔をしたまま、暗いオーラを携えて、教室を後にした。その間、口を開く生徒はいなかったが、皆井先生が去った直後、教室にざわめきが走った。

「ど、どうしたのかな、浩二先生」

 皆井先生は、女子生徒から黄色い歓声を浴びることはないが、親しみを込めて浩二先生と下の名前で呼ぶ生徒はいる。


「今までどんなときでも笑顔だった浩二先生が、あんなお暗い顔をされるなんて……」

「きっと何かあったのよ」

「でも、会長がお聞きになっても何も答えてくれなかったわ」

「どうしたらいいかしら」

 いつの間にやら、教室中の生徒がはじめの席を中心に集まりつつある。少し様子がおかしかっただけで、担任の先生の心配をしているのだ。彼女には信じられないことだが、どの生徒も本気で皆井先生のことを心配しているようだ。

 はじめの席を囲むわけだから、自然、その隣の彼女の席も巻き込まれることになる。クラスメイトたちに囲まれ、出るに出られない状態だ。

「会長。どうしたらいいかしら」

「……うーむ。先生は社会人で、大人でいらっしゃる。私たち中学生には及びもつかないような悩みがあるのかもしれない。だから、心配もするし不安だろうが、皆にできることは少ないとは思う」

 不安そうなクラスメイトたちに、はじめは諭すように言う。その口調は、普段彼女と喋るときとは打って変わり、頼れる生徒会長然としている。

「私たちにできることは、できるだけ先生の負担にならないよう、普段通りの学校生活を送ることだと思う。そうすればきっと皆井先生もすぐに、元の皆井先生に戻ってくださるよ」

 ぱぁぁ、と光明を得たかのように、クラスメイトたちの顔が明るくなる。はじめの言葉は、それだけクラスに影響力をもたらすのだ。

「……でも、私、浩二先生のために何かしてあげたいです」

 生徒のひとりが言う。ショートカットにリボンが可愛らしい彼女は、今にも泣き出しそうな顔だ。

「ふふ。リエさんは浩二先生のことが大好きですものね」

「やっ、やめてください。恥ずかしいです……」

 あの空回りしてばかりの担任のどこがいいのか、彼女には分からない。。リエさんと呼ばれた生徒は、顔を真っ赤にしてうつむている。

「そうだなぁ……」

 はじめがうんうんと唸る。

「学校に迷惑がかからなくて、なおかつ先生にも迷惑がかからないものなら……」

 はじめが何かを思いついたように手を叩いた。

「寄せ書きをする、というのはどうだろうか」

「寄せ書き?」

 リエさんが聞き返す。はじめは頷いて続けた。

「色紙一枚なら100円もしない。皆で5円玉一枚ずつくらいお金を出せば買えるだろう。そこに、皆の想いを素直に書くんだ。もちろん、お金が絡むことだから、賛同してくれるひとだけになるが……」

 返事は聞くまでもないようだった。クラスメイトたちは一様に名案だとはじめを褒めそやしだしたのだ。

「名案ですわ、会長」

「さすがダイアナ学園中等部の生徒会長ね!」

「はじめさんってやっぱりすごいわ」

 口々に褒める言葉に、はじめが笑みで応えながら言う。

「よし、では、私は今日の帰りに色紙を買うよ。この趣旨に賛同してくれる人は、明日の朝、早くに学校に来てくれ。みんな、書く内容を考えておいてほしい」

 クラスメイトたちは元気よく返事をして、その臨時集会はお開きとなった。


「……ふん。なんか、ばかみたいね」

 誰にも聞こえない声で、彼女は言った。もしもその声を誰かが聞いていたら、きっとこう思っただろう。

 素直になればいいのに、と。

 それくらい、彼女は自身では気づかなかったけれど、とても温かい声色だったのだ。

「リエさん、元気を出して。明日、浩二先生を励まして差し上げましょう」

「……はい!」

 リエさんは頬を赤くして、笑顔で頷いた。

「……いやあ、私たちの担任は愛されているねえ」

「ふんだ。あたしのしったことじゃないけどね」

 はじめのヒソヒソ声にそう返す。

「じゃあ、鈴蘭、行こうか」

「? 行くって、どこによ」

「当然、商店街に色紙を買いに、さ。付き合ってくれるだろう?」

「は、はぁ? なんであたしがそんな……」

「あら、後藤さんも行ってくださるの? ありがとうございます」

 ふたりの会話が聞こえたのだろう。お上品そうなクラスメイトがそう言った。

「おふたりには手間をかけますが、よろしくお願いします」

「……しっ、仕方ないわね」

 そのときだった。



 ――ぞわ、と。

 

 背筋が泡立つような感覚を憶えた。

「……ッ!?」

「……? どうかされました、後藤さん?」

「あ……な、なんでもないわ」

 それはとてつもない闇の発露だ。その闇の波動が、彼女の背筋を凍らせたのだ。

 こんなとてつもない闇を持っている者など、彼女の知る限りひとりしかいない。

(どうして学園内で、あの方が現れるの……!?)

 彼女はカバンを持つと、はじめに言った。

「……ごめん。今日は、約束があるの。だから、買い物、付き合えないわ」

「えっ……? あ、そうだったのか。そうとは知らず、勝手に盛り上がってしまった。すまない」

「……いいわよ」

 彼女はそれきり、誰も振り返らず、教室を後にした。


…………………………

「後藤さん、色紙書いてくださるかしら……」

「何か気を悪くするようなことを言ってしまったかしら」

「……大丈夫だよ」

 クラスメイトたちの不安げな声に、はじめは断言するようにいった。

「鈴蘭も明日の朝、ちゃんと寄せ書きを書いてくれるさ」


………………………………

 HRが終わり、皆井先生は心の底まで落ち込んでいた。

「……生徒に沈んだ顔を見せてしまった」

 少なくとも皆井先生は、生徒に対して自分の個人的な事を押しつけるつもりはない。そんなことしたくもない。

 そして今まで、できるだけそういったことをしないようにしてきたつもりだ。

 だというのに、今日は生徒相手にひどく落ち込んだ様を見せてしまった。

 それは、学校の先生としてしてはならないことだと、皆井先生は考えている。

 その、してはならないこと、をしてしまったことが、皆井先生の心を強く苛んだ。

「まったく、不甲斐ない。私事と仕事をごっちゃにしてしまった」

 廊下をとぼとぼと歩くが、その姿を他の生徒に見られるのもいけないことだ。皆井先生は息を吐いて、背筋を伸ばす。

 自分にできることは、過ぎてしまったことを引きずらず、今をきちんとすることだけだ。

 とはいえ、だ。

「……はぁ。へこむものはへこむよなぁ」

「あら、何か悩み事ですか?」

「あ……ひなぎくさん」

 かけられた声は涼やかで、透き通っている。少し前まで誰もいないと思っていた廊下の先に、笑顔のひなぎくさんがたたずんでいた。簡素なエプロン姿だが、上品な気配は隠しきれていない。親しみやすいが、とてつもない美人だ。普段の皆井先生なら、ここでお世辞のひとつでも言ってその場を白けさせていただろうが、今はそんな気分にはならない。

「いや、ちょっと……。色々ありまして」

「身近な人には逆に話しづらいこと、ありますよね」

 ひなぎくさんは微笑んで、手招きした。

「購買でお茶でもいれますよ。私で良ければ、話してみませんか?」

「……じゃあ、少しだけ、お言葉に甘えます」

 せっかくの申し出だ。皆井先生はひなぎくさんに誘われるまま、彼女についていった。


…………………………

 闇の戦士ゴーダーツは、久々にホーピッシュの大地を踏んだ。そこはダイアナ学園の裏庭だ。

「……あの方の闇の波動はこのあたりで感じたが」

 プリキュアやその他の学校関係者に、いまの姿で見つかるわけにはいかない。良くて不審者、最悪妖怪や都市伝説の類いにされてしまうかもしれない。

 放課後に現れる漆黒の巨漢、なんて学校の七不思議になってしまったら、本当に目も当てられない。

「やっぱりあんたも来たのね」

「……ゴドーか」

 ガサガサと草を踏み分けながら、同志である闇の戦士ゴドーが現れる。

「あれほどの闇の発露。今すぐ来いと言っているようなものだったからね」

 そして木の上には先客がいた。暇そうに太い枝に腰かけるのは、もうひとりの同志、闇の戦士ダッシューだ。

「いや、しかし、このホーピッシュで君たちとこんな形で顔を合わせることになるとは思わなかったね。まったく、あのお方は何をお考えなのか」

「お前はデザイア様のお考えに文句をつけることしか知らんのか」

「盲目に付き従うよりはいいと思うけどね」

「……何だと?」

「やめなさいよ、くだらないわね。あたしだって予定があったのに行けなくなって、気が立ってるんだから」

 三人は押し黙り、それきりその不毛な会話をやめにした。

 そしてその場に、彼らを呼び寄せた人物が現れた。

「よく来てくれた、ゴーダーツ、ダッシュー、ゴドー」

 その漆黒の出で立ちは、まるでホーピッシュに穴が空いたような印象を与える。それはあながち間違いではないだろう。

 アンリミテッド最強の騎士、暗黒騎士デザイア。

 それは、ホーピッシュに巨大な穴を穿ち、闇に染め上げようとしている彼らの最高司令官だ。

「今日は貴様たちに、新たな力を授けようと思う」

「新たな力?」

 ダッシューが木の上から降りて、問う。

「それは一体……」

「今から見せてやろう」

 デザイアが腕を振るう。闇がその場を覆う。一瞬にして、ホーピッシュからアンリミテッドへ位相をずらしたのだ。

 そしてそこに現れたのは、座って寝息を立てる――、

「――――ッ……!? 皆井先生!?」

 ゴドー動揺するような声を出す。デザイアが仮面の顔をもたげ、問うた。

「どうかしたか、ゴドー」

「い、いえ。なんでもありません」

 ゴドーは何かを飲み込むように、そう言った。


「……この男をどうするおつもりですか?」

 次いで、ゴーダーツがデザイアに問う。

「すぐにわかる」

 デザイアが皆井先生に腕をかざす。

「見えるか? この男の欲望が。この男の胸の中にある、悲哀、憎悪、そして、欲望が」

 言葉とともに、それが明確なビジョンとして三人の脳裏に再生される。





 想いを寄せる女性がいた。

 しかし、その女性には、他に好意を寄せる男性がいた。

 そのふたりは、己から見てもお似合いで、自分にはどうすることもできない。

 その気持ちを押し込めて、押し込めて、我慢する。

 同僚が羨ましい。想いを寄せる女性が、好意を寄せる男だ。

 羨ましい。

 けれど、彼が自分にないものをたくさん持っていることも知っている。

 そしてそんな彼に惹かれる彼女の気持ちも分かる。

 自分のように、生徒からは気軽に名前で呼ばれ、慕われているのか舐められているのか分からないような立場にいるような教員よりは、よっぽど。

 彼のように、校長や理事長からも信頼され、色々な仕事を任される男の方が魅力的なのも分かる。

 彼のようになりたい。

 けれど、自分には無理だとわかる。

 苦しい。

 つらい。

 憎らしい。

 そんな人間になりたい。

 願わくは、彼女の好意を勝ち取りたい。





「この欲望を解き放つ。それが、“ウバイトーレ”を生み出す方法だ」

 いつの間にか、皆井先生の心の中に入り込んでいたようだった。デザイアの言葉で我に返る。


「ウバイトーレ……?」

「そうだ。ウバイトールは人間が物に込めた欲望を解放することによって誕生する。しかし、ウバイトーレは人間の欲望そのものを解放する。その強さは、ウバイトールの比ではない」

「……ウバイトーレにされた人間は、どうなるのですか?」

 ゴドーが問う。本人は隠しているつもりだが、どうしても倒れる皆井先生に目を向けてしまう。

「それを知ってどうするというのだ?」

「…………」

 ゴドーは黙したまま、デザイアの仮面を見つめた。ゴーダーツは、無言のまま視線を交わす司令官と同志の間に入る。

「……単純な疑問でしょう。そうだな、ゴドー」

「……ええ。そうよ」

「そうか」

 デザイアが再び口を開いた。

「どうなるも何もない。いずれはこの世界も闇に墜ち、我々アンリミテッドの領域に完全に墜ちる。そのとき、すべての人間は欲望に取り込まれる運命だ」

 デザイアはそのまま続ける。

「まぁ、もしもウバイトーレとされた人間を取り戻したいなどと考えるのなら、」

「っ……」

「……プリキュアたちに、浄化させればいい。そうすれば、ウバイトーレは元の人間に戻る」

「……そんなこと、思ってはいないです」

「そうか」

 会話は終わった。デザイアは再び皆井先生に手をかざす。そして、皆井先生の心に巣くう欲望に向かい、言った。



「その欲望、自分自身で購うのだな」



 闇が爆発的に広がっていく。デザイアの身体から放たれたその闇は、皆井先生に取り付き、その心の中にある欲望を無尽蔵に広げていく。闇が胎動し、産声を上げる。


『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』


「これがウバイトーレだ。生み出し方はわかったな?」

 三人が頷いたのを見て、デザイアも満足げに頷いた。

「さぁ、そろそろプリキュアどもがやってくる。我々は、ウバイトーレとプリキュアの戦いを眺めるとしようではないか」

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 ウバイトーレは雄叫びをあげながら、進軍を始めた。

「……皆井先生」

 デザイア、ゴーダーツ、ダッシューがその後に続く。しかし、ゴドーだけは、ウバイトーレの近くに浮遊する、闇の牢獄に囚われた皆井先生を見つめる。

「……関係ない。あたしには、関係ない」

 まるで自分に言い聞かせるようにそう言って、ゴドーもまた、ウバイトーレを追いかけた。


………………………………

「この気配は、昨日の怪物と同じ気配グリ……」

 ブレイが震えながら言うとおり、そこはすでにアンリミテッドのモノクロの世界に墜ちていた。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 闇の瘴気が発生する中庭で、三人は昨日のウバイトーレと似た怪物を発見した。そのウバイトーレは、スーツを身につけているようだった。しっかりとネクタイをしめ、教科書とチョークを持っている。背中に提げているのは指し棒だろうか。

「あっ! あれ!」

 ゆうきが指をさす。ウバイトーレのすぐ近くに、昨日ひかるが囚われていた闇の牢獄と同じものがある。そこに囚われているのは、隣のクラスの担任、皆井先生だ。

「皆井先生……!」

「この学校の教員か。なるほど。大した欲望を持っていたぞ」

 巨大なウバイトーレの足下から現れる陰。それは凄まじいまでの圧力を放つ、アンリミテッドの最高司令官――、

「――デザイア……!」

「皆井先生は、少し口下手で空回りも多いけど、しっかりとした熱意あふれる先生よ!」

「先生を解放しなさい!」

 三人の言葉に、デザイアはにべもなく答える。

「昨日告げた通りだ。この男をとりもどしたければ、ウバイトーレを浄化するのだな。昨日のウバイトーレとは比べものにならない、本物の欲望を宿すこのウバイトーレを、」

 そして、仮面の奥で、笑った。

「……浄化できるものなら、浄化してみるがいい」

「昨日やれたんだもの! やってやるわよ!」

 三人はロイヤルブレスを掲げる。それは、その闇の世界にあって、なお一層光り輝いているようだった。

 妖精たちから放たれた紋章を受け取り、ゆうき、めぐみ、あきらは伝説の戦士の宣誓を叫ぶ。



「「「プリキュア・エンブレムロード!」」」



 旋風と光が吹き荒れたそれは闇の瘴気に包まれた中庭を鋭く照らし出す。薄紅色と空色と真紅の光が吹き荒れ、その場を制圧する。それは、ロイヤリティの誇りの光。勇気・優しさ・情熱の発露そのものだ。そして、高貴な光が埋め尽くしたその場に、三人の伝説の戦士が降り立った。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」



 世界が闇に飲まれ、欲望に囚われた使途たちが毒牙を伸ばすとき、現れるとされる伝説の戦士。

 その名は――、



「「「ファーストプリキュア!」」」



 三人が変身するのを見届けて、どこか満足したように、デザイアは闇に溶けて消えた。


…………………………

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 ウバイトーレが右手を振りかぶる。それを振り抜いた瞬間、そこに握られるチョークが、まるで小さなミサイルのようにプリキュアたちめがけて放たれる。三人は飛び上がり、散開して回避する。

「昨日みたいに浄化して、皆井先生を救い出すんだから!」

 キュアグリフはウバイトーレに真正面から飛び込んだ。巨大なウバイトーレの胸元めがけて跳び蹴りを放つも、ウバイトーレが左手に持つ教科書で叩かれる。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「きゃっ……!」

 巨大な教科書による殴打は、いともたやすくグリフを弾き飛ばす。

「わたしの炎なら……!」

 左方からキュアドラゴがウバイトーレに接近する。情熱の炎を燃やして戦う、最高の攻撃力を持つプリキュアは、すでに両手に炎を宿していた。ドラゴに対しても教科書で応戦しようとするウバイトーレに対し、ドラゴは拳を振りかぶり、教科書めがけて拳を放った。

『ウバッ……!? ウバァアアアアア!!』

 教科書がドラゴの炎に飲まれ、燃え上がる。たまらず、ウバイトーレがその教科書を取り落とす。

「ユニコ!」

「ええ!」

 続けて、キュアユニコが右方からウバイトーレに接近する。その手にためた空色の光を、ウバイトーレの前で展開する。

「優しさの光よ、この手に集え!」

 集約した光がカタチを成す。それは伝説の神獣、ユニコーンを模した剣だ。

「カルテナ・ユニコ-ン!」

 ユニコはその剣を振るい、ウバイトーレに肉薄する。

 ギィン! と、凄まじい金属音が鳴り響いた。ウバイトーレは背中から抜いた指し棒で、ユニコのカルテナを受け止めたのだ。

「ッ……。指し棒なんかで、私のカルテナを受けたって言うの!」

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 まるで剣のように指し棒を構えたウバイトーレが、ユニコに向かい指し棒を振るう。圧倒的な上背の差が、如実に戦力差として表われる。ウバイトーレは巨人のようなものだ。その巨人に対し、ユニコはあまりにも小さい。

「ユニコ!」

 グリフが横からウバイトーレに飛び込む。しかしウバイトーレはその動きすら見切っていた。ユニコに向け上段から指し棒を打ち下ろすと、そのまま斬り上げるようにグリフに向け指し棒を振ったのだ。ユニコはあまりの衝撃に膝をつき、グリフは指し棒を下から叩きつけられた。

 しかし、グリフはそれだけでは終わらなかった。

『ウバッ……!?』

「ふん、だ……つかんじゃえば、こっちのもんだもんね」

 グリフは指し棒の先端を両手を使って掴んでいた。そのまま着地し、指し棒を引き抜こうとするウバイトーレに負けないよう、力一杯指し棒を引く。


「情熱の炎を燃やす。正確に。燃やす物を見極めて! 行って、ドラゴネイト!」

 ドラゴの拳から炎が放たれる。その炎は、まっすぐ指し棒に向かう。すわグリフも巻き込むかと思われたその炎はしかし、グリフにキズ一つつけることはない。情熱の国に伝わる伝説の中の伝説、最秘奥とされる“ドラゴネイト”は、その正確無比な特性によって、光強い存在を傷つけることはない。そしてその炎は、ダッシューの持つのこぎりやはさみすら一瞬で燃やし尽くすほどの出力だ。ウバイトーレの指し棒など、ひとたまりもない――、

「……えっ!?」

「うそ……!」

 ――はずだった。

『ウバッ……ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 指し棒は燃え上がった。しかし、その外側だけが剥がれ落ちる。指し棒だと思っていたものに隠されたソレが、プリキュアたちの目の前に現れる。それは、細長い剣だ。

「剣……?」

「あれはフルーレだよ」

 グリフの不思議そうな声に、ドラゴが応える。

「あのウバイトーレ、指し棒の中にあんなものを隠してるなんてね」

「あ、そういえば、皆井先生ってたしか、フェンシング部の顧問だよね……」

 納得する。昨日のウバイトーレはサッカーボールのようなものを持っていた。ひかるはサッカーが好きだ。つまり、ウバイトーレは元の人間の特性や好みを反映する姿になるようだ。

「……ちょうどいいわ」

 ゆらりと、立ち上がる影があった。それは、空色の優しさのプリキュア、キュアユニコだ。

「ユニコ、大丈夫?」

「大丈夫よ。相手も剣を持っているのね。そして、皆井先生のフェンシングの技術を持っているっていうわけね」

「えっ……?」

 大丈夫、などと聞くだけ野暮だったかもしれない。ユニコの目は闘志に燃えていた。それこそ、少年漫画の主人公のように、メラメラと。

「郷田先生との毎朝の特訓の成果を見せるときだわ。ゴーダーツとデザイアの代わりの、仮想敵にちょうどいいわ。ふたりとも、悪いけど手出しは無用よ。私は自分の剣技がどこまで通用するか確認したいの」

 ユニコはカルテナを構える。それは、郷田先生に毎朝一時間ほど習っている、剣道の型だ。目を閉じ、呼吸をするユニコは、大真面目にウバイトーレと決闘をするつもりのようだ。

「……あー」

「ああなっちゃったら、ユニコは止まらないよね」

「本当に、少年漫画みたいなんだもん……」

 グリフとドラゴが目を見合わせ、苦笑する。驚異的な力を持つウバイトーレを相手に苦戦しているはずなのに、どうにかなると思えてくるから不思議だ。

「……アアアアアアアアアアアアアア!!」

 カッ、と目を見開いたユニコが吼えた。そして、まっすぐに跳ぶ。巨大な相手を物ともせず、“守り抜く優しさの光”で足場を作り、まるで階段を駆け上るように、一気にウバイトーレの顔に肉薄する。

『ウバッ……!?』


 そのユニコの三次元的な移動に、ウバイトーレは対応しきれないようだった。慌てて目の前にかざしたフルーレで防御をしようとする。

「そんな中途半端な防御で、何ができるのよ!」

 ユニコはそのまま、カルテナをフルーレに叩きつけた。

「………………」

『………………』

 交錯し、ウバイトーレの背後に、ユニコは着地した。グリフとドラゴが固唾を呑んで見守る中、一拍遅れて、カラン、と乾いた音が響いた。両断されたフルーレが地に落ちた音だ。

『ウバッ……!? ウバァアアア!?』

「……つまらないものを斬ってしまったわ」

 一体あの学業優秀スポーツ万能な生徒会副会長は、どこを目指しているのだろうか。一瞬グリフとドラゴの頭に不安がよぎるが、それはそれとして、だ。

『ウバ……! ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「あっ……! ゆ、ユニコ!」

 ウバイトーレが逆上したように、後ろを振り返りユニコに両手を伸ばす。しかし、慌てたグリフとドラゴが動くより早く、ユニコは振り返った。その顔は、歓喜に満ちていた。

 己の剣が通用したことが、心の底から嬉しいのだろう。

「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ! プリキュアに力を!」

 空色の光がその場を埋め尽くさんばかりに広がり、カルテナに集約される。

『ウバッ……!?』

 ウバイトーレが己の危機に気づくが、もう遅い。ユニコは空色の光をこれでもかとため込んだカルテナを、すでに構えていた。



「プリキュア・ユニコーンアサルト!!」



 それは、初めてカルテナを手にしたとき、ゴーダーツに放ったのと同じ、零距離で敵を穿つアサルトだ。回避不能のその一角獣の突撃に、ウバイトーレの腹に大きな穴が穿たれる。しかし。

『ウバッ……ウバッ……』

 ウバイトーレは倒れない。ウバイトールであれば、それで浄化されて終わりだっただろう。ウバイトーレは、ユニコの凄まじい剣戟をもってしても、浄化しきることができなかったのだ。


「……大丈夫だよ。あとはわたしに任せて」

 前に出たのはキュアドラゴだ。よろよろとよろけるウバイトーレに向かい、精神を集中する。心の中から湧き上がる情熱の炎を、まっすぐに、相手に届かせるように。

「……わたし、皆井先生の不器用なところ、好きですよ」

 ぽつぽつと、ドラゴは口を開く。

「少しゆうきと似てるし、めぐみとも似てる気がするんです。空回りしちゃうところとか、口下手なところとか」

 自然と笑みが洩れる。心の中が、皆井先生を救い出したいという気持ちでいっぱいになる。その情熱により生み出される炎は、苛烈だが、優しく、美しい。

「だから、戻ってきて欲しい。先生のそういうところが好きな生徒、他にもたくさんいると思うから」

 だから、と。ドラゴは胸の内の情熱を解放した。

「情熱の光よ、この手に集え」

 心静かに。けれど、心を燃やして。静かな中に宿る、高尚な情熱を、纏わせるように。

「カルテナ・ドラゴン」

 苛烈な力を持つ情熱の剣が炎の中から現れる。

「天翔る烈火の飛竜、ドラゴンよ。プリキュアに力を」

 紅蓮の炎を付き従え、まるで天高く空を駆けるドラゴンのように、ドラゴは跳んだ。



「プリキュア・ドラゴンストライク」



 放たれた必殺の炎弾は、ウバイトーレに直撃した。プリキュアたちの浄化の力を二回連続で浴びたウバイトーレはしかし、それでもまだ立ち上がる。

『ウバッ……アアアアア……』

「うそでしょ……」

 ドラゴは間違いなく、ドラゴネイトを使い、現時点で放てる最強の炎を放ったのだ。それでもまだ立ち上がるウバイトーレは、一体どれほどの力を持っているのだろう。デザイアの言った、昨日のウバイトーレの比ではないという言葉は、ウソでも何でもなかったのだ。

 腹に穴を空けながら、身体を燃え上がらせながら、それでもなお、ウバイトーレは立ち上がる。



『……なり、たい……』



「えっ……」

 ウバイトーレから、人間の声のようなものが聞こえた。けれどそれは、ウバイトーレから放たれたことばではなかった。ウバイトーレの横に浮遊する、牢獄に囚われた皆井先生から放たれた言葉だった。それはきっと、ウバイトーレを介して流れ込んでくる、皆井先生の心そのものなのだろう。


『なりたい……私も……松永先生のような、立派な先生に……郷田先生のような、強い先生に……。私は……弱いから……』

「っ……」

『誉田先生に、相応しい、男になりたい……』

 グリフにとって、その大人が見せる弱気な姿は、とても珍しいもので、衝撃的だった。大人とは皆強くて、心にしっかりとした志を持っていて、子どもである自分たちには及びもつかないような、すごい生き方をしているのだろうと思っていたからだ。

 大人はきっと、自分たちとは違う。完成された存在なのだと、心のどこかで思っていたからだ。

「……そっか。先生も、そういう弱いところがあるんだね」

 だからグリフは、胸に手を当てて、その既存の考えを上書きする。

「そうだよね。私だって、あと何年かしたら大人になるんだもん。そのときに、何もかも完ぺきで、自分に満足することなんて、きっとできないよね。先生たちだって、悩んで、考えて、苦しんで、生きているんだよね」

 頭のいいユニコやドラゴは、きっとそんなこと百も承知だったのだろう。だから、ウバイトーレと対話するように、自分の気持ちを技に乗せて打つことができたのだ。

「……わたし、子どもだから、先生が何に悩んでるかわからないけど、皆井先生にもいいところ、たくさんあると思いますよ」

 だから、グリフも、ウバイトーレに、皆井先生に、語りかけるように言葉をつむいだ。

「さっきドラゴも言ってたけど、皆井先生の時々空回りしちゃうところとか、すごく親近感が湧くし、口下手なところも、めぐみみたいでかわいいと思うし……」

 ジロッ、と。ユニコの鋭い視線が飛ぶ。視線で謝りながら、グリフは続けた。

「……誰かに憧れて、近づきたいっていうのは、きっと素晴らしいことだと思います。でも、皆井先生は他の誰にもなれないですよ。なっちゃいけないんです。だってわたし、皆井先生がいなくなったら、寂しいです」

 炎に巻かれて苦しんでいたウバイトーレの動きが止まった。グリフの言葉が、皆井先生の欲望に支配された心に、届いたのだ。

「だから、戻ってきてください。ううん。わたしが連れ戻します。このキュアグリフが、先生の心を解放してみせます」

 グリフは薄紅色の光を纏う。

「勇気の光よ、この手に集え! カルテナ・グリフィン!」

 その光が集約される右手に現れるのは伝説の剣、グリフィンを模したカルテナ・グリフィンだ。

「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」

 薄紅色の光が翼のように広がり、駆けだしたグリフに追随する。光を付き従えた伝説の戦士は、本物のグリフィンの如く、駆ける。まっすぐ、欲望に落ちた怪物へと。



「プリキュア・グリフィンスラッシュ!」



 ウバイトーレと交錯する刹那、神速の斬撃が放たれた様を視認できたものはいない。交錯の直後、血を払うかのように、グリフが剣を振る。

『ウバッ……ウバアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 その瞬間、ウバイトーレは両断され、今度こそ宙に溶けて消えた。黒々とした欲望は、少しだけ皆井先生の元に向かい、その胸元にとけ込んだ。皆井先生は牢獄から解放され、その場に倒れた。


「……っ」

 ふらりと、身体中の力が抜ける気がして、グリフは膝をついた。周囲を見渡せば、ユニコとドラゴもまた、ひざまずいて、肩で息をしていた。全員が全力で必殺技を放ち、ようやくウバイトーレ一体を浄化することができたのだ。

 もしも、この場にもう一体ウバイトーレが現れたら。

 いや、今、自分たちが弱っているこの瞬間に、アンリミテッドの幹部が現れたら――、



「――三人しかいない現状で、よくあのウバイトーレを退けられたものだ」



「ッ……!」

「デザイア!」

 恐れていた事態が、最悪のカタチを伴ってやってきた。消えたと思われたデザイアが、はるか頭上、校舎の屋上からプリキュアたちを見下ろしていた。そして、その傍に控えるのは、ゴーダーツ、ダッシュー、ゴドーの三幹部だ。

 いま、この消耗しきった状態で、デザイアを含めたアンリミテッドの幹部と戦う余裕はない。疲れ果てた身体は、立ち上がることはおろか、カルテナを握ることすら難しいほどに消耗している。

「ふっ……。なんともまぁ、絶望に暮れるような顔をしているな。安心しろ。いま、我々は貴様らと戦う気はない」

 デザイアが言う。その言葉に反応したのは、ダッシューだ。

「なぜです? いまこの場でプリキュアを倒してしまえば、すべて終わることでしょう?」

「ダッシュー!」

 ゴーダーツのたしなめるような声が飛ぶ。しかし、ダッシューは構わず続けた。

「デザイア様の生み出したウバイトーレが弱らせたのでしょう? なら、今ここでデザイア様があの三人と妖精から紋章とブレスを奪い取れば、それで済む話ではありませんか」

「……なるほど。貴様の言い分ももっともだ」

 デザイアが納得するように言う。

「しかし、“私はそうしたいとは思わない”。それだけだ」

「なっ……」

 デザイアの言葉は、どこまでも淡泊だった。滅多なことでは感情を見せないダッシューが顔を歪め、腰につけたはさみに手を伸ばした。

「……やめておけ。我々で敵うお方ではないとわかっているはずだ」

「っ……」

 その手をゴーダーツに掴まれて、ダッシューは平静さを取り戻したようだった。ゴーダーツの手を振り払い、そっぽを向いた。


「……と、いうことだ。しかし安心するなよ、プリキュア諸君」

 デザイアははるか頭上からプリキュアたちに言う。

「三幹部もウバイトーレの生み出し方を知った。今後は、ウバイトーレとの戦いが続くと思うのだな」

 デザイアは仮面の奥で笑う。

「三人のまま戦い続ければ、いずれ貴様らは消耗して敗北する。三人のままでは、ウバイトーレには絶対に対抗しきれぬよ」

「っ……」

 プリキュアたちは、その言葉に何も返すことができなかった。現状、プリキュアは誰一人、立ち上がることすらできないのだから。

「せいぜい、ウバイトーレとなるに足るだけの欲望を持つ者が現れぬことを祈るのだな」

 デザイアはそう言い残すと、マントを翻し、宙に消えた。それに追随するように、ゴーダーツとゴドーも消える。そして、残されたダッシューがプリキュアを見下ろした。

「……命拾いしたね、プリキュア。しかし、これまでと同じだと思わない方がいい」

 顔は普段通り、貼り付けたような不自然な笑みだ。けれど、声は今までにないくらいに冷たい。

「君たちがロイヤリティに与する限り、ぼくらアンリミテッドは君たちを絶対に許さない」

 そう言い残すと、ダッシューもまた宙に溶けて消えた。

「……皆井先生を取り戻すことはできたけど、」

「課題ばかりが残る戦いだったわね」

「愛のプリキュア……。一体どこにいるんだろう……」

 辛勝を得たプリキュアたちだが、その心は、不安に占拠されていた。


…………………………

「よかった……」

 彼女は、誰にも聞こえない声で、そう呟いた。

「皆井先生が無事で、よかった……」


…………………………

 朝の職員室は戦場だ。生徒の欠席連絡や教員からの服務事項の連絡で、電話線がパンクする勢いだ。そしてそんな朝の電話を取るのは、若手教諭の仕事だ。このダイアナ学園に若輩の教諭に電話番をやらせるような文化はないが、若手たちは年配の先生方に電話を取らせる気まずさを厭って、自ら率先して電話に手を伸ばす。

「……はぁ。今日電話取るの何件目だよ。つか、今日誰かいないな?」

 いつもより電話を取る回数が多くて、勤務時間前の雑務が終わらない。松永先生は通話を終えて受話器を置くと、周囲を見回す。郷田先生、誉田先生は受話器相手に何事か会話をしている。その近くにいるはずの、皆井先生が見当たらない。と、

「……おはようございます、松永先生」

「ああ、皆井先生、おはようございます……って、どうしたんですか? すごい隈ですね」

「ああ……。昨日、全然寝られなくてね……」

「また悩み事ですか?」

 皆井先生は自席に着くと、首を振った。

「いや、夢を見ていた……。嫌な夢だったな。自分が怪物になり、女の子たちに腹に穴を空けられ、燃やされ、両断された」

「……すげえ夢っすね」

「元は昨日の昼に見た白昼夢なのだけどね。夜にまったく同じ夢を見たんだ……」

 そう言う皆井先生は、今にも倒れそうな様子で雑務を始めた。と、電話のベルが鳴る。慌てて受話器を取ろうとすると、皆井先生が先に受話器を取った。

「……遅れてきたのだから、少しくらいやらせてください」

 受話器をふさいで、皆井先生は小声でそう言った。そのまま、耳に当てた。

「おはようございます。ダイアナ学園です」

 そんな皆井先生を見て、松永先生は決して本人に聞こえないように、小さく呟いた。

「……そういうところがあるから、すごいと思うんだよな。この人」

 直接言ったらすぐ調子に乗るから、絶対に本人には言わないけれど、それはまぎれもなく松永先生の本心だ。

 何か落ち込むようなことがあっても、夢見が悪くて眠れていなくても、それでも自分にできることを一生懸命やろうとする。

 そんなところが、松永先生が見習いたいと思う、皆井先生のいいところなのだ。


…………………………

 朝の学年の打ち合わせが終わり、皆井先生はHRに向かっていた。

 昨日は本当にほぼ一睡もできていないのだ。

 その上、昨日のショックがまだ残っている。

 松永先生と誉田先生がどういう関係なのか、問いただす勇気もなくて、聞けてはいない。

 たとえ、「ただの幼なじみ」という返答が返ってきたって、きっとふたりの気持ちはそれだけではないだろう。

 ならば、皆井先生に割り込む余地などないのだ。

「……それでも、好きでいさせてもらうくらいは、いいだろうか」

 呟いてから、いつの間にか2年B組の前まで来ていることに気がついた。皆井先生は両手でぱしんと頬を叩く。昨日の反省を生かさねばならない。生徒の前で、気落ちした姿を見せるのは、教員としてあるまじき姿だ。

「私のことなど生徒にとってはどうでもいいことだ」

 そう。生徒にとって、教員は信頼できる大人でなければならない。それは、少なくとも、皆井先生にとっては、絶対のことだ。

 生徒を不安がらせたり、ましてや生徒に心配されるようなことはあってはならない。だから、皆井先生はできるだけ普段通りの笑みを浮かべて、努めて明るく教室の戸を開けた。

「みんな、おはよう!」

『おはようございます!』

「うおっ……」

 驚いた。普段ならば、始業のチャイムが鳴る前に生徒たちが着席していることなどない。なぜなら、皆井先生自身が、朝のHRに担任が来て、始業のチャイムが鳴ったら着席をしなさい、と指導しているからだ。

 しかしどうだろう。この日は、全員が揃ってピシリと、姿勢正しく席に着いているではないか。その上、普段なら空回り気味の皆井先生のあいさつに、全員がそろってあいさつを返してくれたのだ。

「ん、えっと……みんな、どうしたんだ……?」

 困惑しつつも、皆井先生は教壇に立つ。出席簿を教卓において、改めてクラスを眺める。今日は空いている席がないから、遅刻や欠席の生徒はいないようだ。不思議なのは、全員が皆井先生をまっすぐ見つめていることだ。

(な、なんだろう……。ひょっとして昨日の私の態度に怒っているのだろうか……)

 皆井先生の胃がキリキリと痛み始めた頃、教室の一角がにわかに活気づき始めた。

「……ほら、いってらっしゃい、リエさん」

「で、でも。やっぱりこういうのって、会長が行った方が……」

「いいんだよ。リエさんが“何かをしてあげたい”と言ってやったことなのだから、リエさんが渡すべきだ」

 話しているのは生徒会長の騎馬はじめと、大きなリボンが可愛らしい佐藤リエさんだ。やがて、はじめに促されて、リエさんが立ち上がった。その手には四角い板のようなものがある。リエさんがおずおずと近づいてきて、その板のようなものが色紙だとわかった。

「……あ、あの、皆井先生」

「あ、ああ。なんだい?」

 元々、リエさんはおとなしいタイプの生徒だったはずだ。皆井先生はそのおとなしい生徒の突然の行動に戸惑いながらも、しっかりとリエさんと向き合った。

「これ、みんなで書いたんです。色紙は会長が買ってきて、みんなでお金を出し合いました」

 リエさんはそう言うと、色紙を皆井先生に差し出した。皆井先生は賞状を受け取るように、両手でその色紙を受け取った。

 何が起きているのか分からなかった。

 その色紙の上に踊る、多くのメッセージを見てもまだ、現実感が湧かなかった。


「ど、どうして……?」

 皆井先生は、そんなつまらないことしか言えない自分を全力で呪いたい気分だが、そうとしか言えなかったのだ。

「昨日、浩二先生が、落ち込んでらっしゃるように見えたので……」

「みんなで相談して、会長が色紙に寄せ書きを書こうって提案をしてくださったんです」

「私たち、浩二先生が心配で、だから……」

「私たちにできることはないから、できるだけ良い子でいます。先生の迷惑にならないように、しっかりします」

「その色紙をもらって、先生が嬉しいかも、わかりません、でも……」

 生徒たちは口々に言う。その言葉のひとつひとつだけで、皆井先生は倒れてしまいそうなくらい衝撃を受けていた。

「私たち、浩二先生のために何かをしてあげたかったんです」

 ああ、そうか、と。

 気づけば、両目から、涙がこぼれ落ちていた。その涙が色紙に落ちそうになって、慌ててスーツの袖で拭う。けれど涙は次々あふれてきて、生徒たちの目の前で、皆井先生は床に大粒の涙を床に落としていた。

「浩二先生……」

「……ごめん。みんな、本当に、ごめんなさい」

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「……昨日は、落ち込むような姿を見せてしまって、ごめんなさい……。少し、プライベートで、嫌なことがあって、それで、みんなにも気落ちしている姿を見せてしまいました……。ごめんなさい」

「あ、謝らないでください! わたしたちは、先生に謝ってもらうために寄せ書きをしたわけではありません!」

 リエさんの言葉にハッとする。

「……そう。そうだ。ごめんより、言うことが、あるね」

 皆井先生は、それ以上生徒に情けない姿を見せたくなかった。だから、ポケットからハンカチを取り出し、徹底的に涙を拭うと、目を真っ赤にしたまま、深々と頭を下げた。

「みんな、本当にありがとう」

 すぐ傍のリエさんが笑った。クラス全体が笑顔で包まれた。そして、皆井先生は顔を上げ、寄せ書きに目を落とした。皆、思い思いの言葉で、皆井先生を励ましてくれている。その中で、ひとつ、簡素だが綺麗な字で書かれた一文が目にとまった。



『あんたが元気ないとつまらないから、早く元気になんなさいよ 後藤鈴蘭』



 その名前がそこにあることが信じられなくて、皆井先生は顔を上げ、後方の鈴蘭を見つめた。

「な、何よ……」

「……散々手を焼かせてくれた後藤まで書いてくれるとは……」

「なっ……! そ、そんなことでまた泣き出すんじゃないわよ!」

 鈴蘭の声に、教室中がどっとわいた。皆井先生はひとりひとりの寄せ書きに目を通しながら、もう一度、心の中で、言った。

(……本当にありがとう)

 もう、何に悩んでいたのか思い出せないくらい、心は充足で満たされていた。


…………………………

 同日、夕方のこと。

 この日の王野家は、久々にお母さんが家にいる日だ。ひかるはお母さんの背中が見えるリビングで、夕飯ができるのを待っていた。

「お母さん、もうお皿出しておく?」

「そうね。じゃあ、大きなお皿を一枚と、お椀を四つ持ってきてくれる?」

「はーい」

 次姉のともえはお母さんにべったりで、楽しそうにお手伝いをしている。長姉のゆうきにお手伝いを頼まれると嫌そうな顔をするくせに、お母さんには頼まれなくてもお手伝いをしているのだ。ひかるの前では大人ぶったりするけれど、次姉はかなり子どもだ。

(……まぁ、ぼくも人のことは言えないけど)

 次姉のように思い切り甘えるのは恥ずかしいけれど、こうやってお母さんの背中を見ていたいと思うのだ。ひかるもまた、まだまだ子どもだ。

 と、電話のベルが鳴る。お母さんが振り返る。お母さんは元より、ともえも皿を出している最中で手が離せない。ひかるは自発的にソファを立って、電話に向かい、受話器を取った。

「もしもし」

『お忙しいところ失礼致します。王野さんのお宅でよろしいでしょうか?』

 その澄ました声には聞き覚えがあった。

「……はじめさん?」

『ああ、声から察しはついていたが、やはりひかるくんか。それにしても、最初の「もしもし」は随分と可愛らしい声だったのに、私だとわかった途端に随分と怖い声になったな。君の変わり様にはまったく感服だ』

「姉ならまだ学校から帰っていませんよ。帰ったら折り返し電話をさせますね。では、失礼します」

『ちょっと待ちたまえ。まだ何も言っていないだろう』

 はじめの声は慌てた様子だ。何も言っていないも何も、のっけから失礼極まりないことを言っただろう。

『お姉さんに用事があるのではない。君に用があって電話をしたんだ』

「……ぼくに?」

『そう嫌そうな声を出さないでくれ』

 はじめが言った。

『……昨日は本当にありがとう。助かったよ。また今度お礼をさせてくれ』

「……なんだ。そんなことですか。お礼なら結構です。また熱を出されて倒れられても嫌なので」

『君は少し相手をいたわることを覚えたらどうだ?』

 いたわるも何も、はじめの声は昨日高熱を出した人と同一人物とは思えないほどに元気だ。

「それだけですか? では、失礼します」

『いや、私からはこれだけなのだが……』

 電話口ではじめが口ごもる。何事だといぶかしむひかるの耳朶を、別の声が叩いた。

『……もしもし? お電話を代わりました。騎馬はじめの母です』

「え……」

 一瞬思考が止まった。


「……はじめさんの、お母さん?」

『はい。王野ひかるさんですね?』

「は、はい……」

 ふと思い出されるのは、先日、はじめの母と別れる前に言ったことだ。



 ――――『その他の愛情は、ぼくや、ぼくの姉が、責任を持って与えます』



 今さらなことではあるけれど。

 いくらなんでも、恥ずかしい啖呵を切りすぎた気がする。

 自然と頬が熱くなるが、相手がそれを意に介するわけもない。

『昨日のお礼を、わたくしの口からも言っておきたくて、お電話を差し上げました』

「はぁ……」

『昨日はありがとうございました。はじめには体調が悪いときは無理をしないように言っておきました』

「……そうですか」

『それから……』

 電話口の声の調子が変わる。

『あの子に、愛を与えてくださるのですよね?』

「……はい?」

 それは、素のはじめとそっくりの、挑戦的な声だ。

『そう言ってくださいましたよね? はじめに、愛を与えてくれると』

「……言いましたけれども」

 口から出てしまった言葉は取り消すことができない。


『では、今後とも、娘をよろしくお願いします』

「それはぼくの姉に言うべきでは?」

『お姉さんはお姉さん。あなたはあなたでしょう』

 正論にぐうの音も出ない。ひかるは嘆息して、頷いた。

「わかりました。はじめさんが望むなら、そうしますよ」

『はい、よろしくお願いします』

 まるではじめがひかると今後も関わり続けることを予見しているような口ぶりだ。ひかるはまだ小学生で、どうしてはじめのお母さんがそんなことを言うのかわからない。

『では、宿題などでお忙しい時間帯にお時間をいただいてありがとうございました』

「宿題なんて帰ってすぐ終わらせましたよ」

『ふふ、そうですか。では、失礼致します』

「……はい。失礼します」

 受話器を置いて、ひかるは思う。

 はじめの気持ちも、はじめのお母さんの意志も分からない。

 分からないけれど、分からないなりに、なんとなく、思う。

 今度、はじめはどこに連れて行ってくれるのだろうか、なんて。

 そんなことを考えてしまうあたり、自分もまた、はじめに会いたいなんて、考えているのだろうか、と。


 次 回 予 告

めぐみ 「………………」

あきら 「……ねえ、ゆうき。なんでめぐみはあんなに不満そうな顔なの?」

ゆうき 「たぶん、自分の剣が相手に通用しきらなかったからじゃないかな」

あきら 「熱血だなぁ。少年漫画みたい」

めぐみ 「……剣の道は険しい。私はまだ未熟だわ」

ゆうき 「うん。本当にあの優等生がどこに向かっているのか知りたいね」

ゆうき 「ま、いいや。気を取り直して次回予告、いっちゃおう!」

あきら 「生徒会副会長、十条さんのために、生徒会が写生大会を企画することに!」

あきら 「けれどそんな十条さんに、アンリミテッドの魔の手が迫る!?」

ゆうき 「次回、ファーストプリキュア! 第二十話【芸術家みことの苦悩? みんなで写生大会!】」

ゆうき 「次回もお楽しみに!」

あきら 「また来週! ばいばーい!」

>>1です。
お待たせしてしまってすみません。
また来週、よろしくお願いします。

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