乙倉悠貴「追い風が恋を連れてくる」 (119)


モバマスの乙倉悠貴ちゃんのSSです。地の文風味。


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「ドラマのヒロインですかっ!?」

「おう! まぁ1クールあるやつじゃなくて、4週連続のスペシャルドラマなんだけどな」


事務所に着いた私を待っていたのは、大きなお仕事のお話。
分厚い紙束をぽんぽんと叩きながら、プロデューサーさんは笑って言いました。


「そっ、それで、どんなドラマなんですかっ。どんな役なんですかっ」

「陸上部の青春モノだそうだ。学校行って、部活して、恋してって感じの」


陸上部っ! 私と同じだと思うと嬉しくなる。
授業を受けて、放課後に練習して、部活のコと一緒に帰ったりして……して……
パッと広がった想像は、『恋』にひっかかって途中で転んでしまった。

恋、コイ、こい……
上手く発音できないそれは、きっと私の中にはないものだった。


「それで、悠貴の役は……ヒロインなんだけどな、高1の女の子なんだ。」

「はいっ!……はいっ?」


もっと大きなびっくりがやってきて、頭が混乱する。私、まだ中1ですよ……?
お芝居をやった経験もあまりないのに、年上の役をやるなんて……。
それに高校生の役なんだったらパッションの真尋さんとかっ。


「びっくりする気持ちは分かる。でも、どうしても悠貴にやってみて欲しかったんだ」

「……私の背が高いからですか?」


その考えにたどり着いて、少し拗ねてしまう。
私は、高校生に見えるほどしっかりしてなんてないと思う。
それに背が高いからってだけで、大人扱いされるのはちょっぴりイヤですっ。


「いや、それだけじゃない」

プロデューサーさんの返事は力強いものでした。

「まぁ、高校生なのはインターハイを撮りたいとか役者さんの関係とか、大人な事情はあるんだけど……」

「細かいことを置いておいて、等身大の悠貴を、
 もっとたくさんのファンのみんなに見せれるんじゃないかと思ってさ」

「ステージの上を駆け回る悠貴も魅力的だけど、
 走ることが好きで、もっと可愛くなろうとしてる悠貴は、さらにキラキラしてるからな」


そう言い切ったプロデューサーさんに、ただまっすぐ見つめられます。
プロデューサーさんに見つめられると、私の身体はじわっと熱くなっていきました。

私に期待してくれてる。
期待を背負って走るのは……重くないですっ。


「はいっ! 私、やりますっ。やりたいですっ」


「ん、そう言ってくれて良かった。 台本は後日渡すけど、まずは役作りからだな」


役作り。ヒロインの子になりきらないといけないんだよね。
そういうレッスンはもちろん受けてきたけど、やっぱり難しいだろうなぁ。

心配する私とは違って、プロデューサーさんはあんまり気にしてなさそう。


「といってもあんまり心配してないんだけどな。悠貴自身も陸上部だし」

「はいっ! ハードルとか得意ですよっ!」

「今回の役は、100mが専門の選手で、最後はガチのレースの撮影もあるそうだ。
 結構ハードっぽいけど大丈夫そうか?」

「大丈夫だと思いますっ。ハードルの子は、短距離の練習もしますからっ」


普段は、部活でも、ハードルの練習をすることが多い。
ハードルは歩数が大事なので、身長の高さがいいところになるから。

私の役が短距離の子なら、部活の練習も日課のランニングもそのままで大丈夫のはず。
その共通点は、私を少しだけ安心させてくれます。


「お芝居の方は……トレーナーさんと相談しつつだな」

「モデルの頃も表情の練習はしましたけど、お芝居は全然違いますよねっ」


ジュニアモデルをやっていたから、いろんな表情をすることは得意だと思う。
でも、お芝居は、表情だけじゃない。
顔で、声で、動きで、その役を表現しないといけない…んですよね?


「まぁ、下手っぴでも大丈夫。」

「えっ、え。そんな適当で大丈夫なんですかっ?」


「大丈夫、大丈夫。 お芝居に重要なのは技術じゃないからな。」

「悠貴は悠貴らしく! それがピッタリハマると思ったからこの仕事を受けてきたんだし」


私は私らしく。わりと難しいことを言われているような気がします。
自分のことが1番分からないなんて良く言う話です。


「それに――悠貴ならどんなハードルだって超えられるよ」

不安なことがたくさんあったはずなのに。
そうはっきりと言うプロデューサーさんに、私はとうとう乗せられてしまうのでした。




私、ドラマのヒロインやりますっ。
いい感じにスタートダッシュを決めたと思ったのに。

陸上部の女の子ってことは、もうちょっと走れた方がいいのかなぁ。
あっ、でも高校生なんだったら、子供っぽくないようにしなきゃダメかなっ。

勢いで隠した不安が、ぽこぽこと湧いて、早くも失速気味です。


とにもかくにも、私は役者さんとしてひよっこすぎます。
これはやっぱりなんとかしないといけません。

プロデューサーさんは、自分でも誰でも頼ってくれていいよ、と
みんなで悠貴が上手くやれるようにサポートするから、と言ってくれました。


頼りになりそうな人……芳乃さん、肇さん、響子さん……プロデューサーさん。
たくさんの人の顔が浮かんで、ふわっと消えていって。

大事な人を忘れていました。
えへへっ、困った時は『センパイ』頼みですっ。


翌日。
いつもの日課のランニングは、1人じゃありませんでした。
女子寮の玄関前で軽くストレッチをしながら、その人を待ちます。


「おはようございます。悠貴さん」

「おはようございますっ、泰葉さん」


うちにはたくさんのアイドルがいますが、お芝居といえば泰葉さんですっ。
何回かお仕事を一緒にしたから、頼みやすかったってのもあります。

お芝居について相談があるとお願いしたら、快く引き受けてくださいました。
しかも、一緒に走りながらお話するのはどうですか?、なんて嬉しい提案です。

なんでも次のお仕事が舞台だそうで、体力をつけなきゃとのこと。


朝焼けが少しずつ滲んでいく空を眺めながら、
いつもよりゆっくりと走っていきます。


「ドラマのお仕事が決まったんですね。おめでとうございます、悠貴さん」

「はいっ!ありがとうございますっ。 その前にですね……」

「はい? 何でしょうか?」

「私もちゃん付けで呼んでもらえませんかっ。GIRLS BEのみなさんと同じようにっ」


誰になんて名前を呼んでもらえるかは大事だと思います。
もう長く一緒にいるのに、さん付けはちょっと寂しい感じですっ。


「……分かりました、悠貴ちゃん。これでいいですか?」

「はいっ! 泰葉さんにそう呼んでもらえるの嬉しいですっ」


「こほん。それで、相談はドラマについてですか?」

「えっと、そうなんですっ。あんまりお芝居の経験がないので、どうしたらいいか分かんなくて」

「ふふっ。最初はみんなそうですよ。悠貴ちゃんなら大丈夫です」


スカイブルーのジャージを揺らして、静かに微笑む泰葉さんに少し見とれてしまう。
本当に泰葉さんは素敵な笑顔をするようになったと思う。
それは、アイドルになったからでしょうか、それとも――


「とりあえず、ドラマのあらすじはどんなものなんですか?」


泰葉さんに尋ねられて、現実に引き戻されます。
走っているとぼーっと考えてしまって良くないですね。


台本は、数日前に、プロデューサーさんからいただきました。

ドラマは、高校の陸上部が舞台で、インターハイを目標に、部活内で団結したり、衝突したり、
……そして、好きな人ができたり。王道の青春モノのようです。

私の役は、短距離のヒロインで、長距離のキャプテンと少しづつ惹かれ合って。
最後、インターハイの地方大会で優勝して、その後に告白したところでおしまい。

あらすじを説明した私に、泰葉さんは優しい笑顔で言います。


「やっぱり、そのままの悠貴ちゃんで大丈夫じゃないかなと思います」


でもっ。でもっ。
気が早って上手く言えない。不安なことは山ほどあります。

今の自分よりも大人な役って、どう演技したらそれっぽくなりますか、とか。

恋をするって……どんな気持ちで演技すればいいんですか、とか。


「じ、じゃあ、あのっ。なにか撮影が始まる前に心構えとかないですかっ」

何とかアドバイスが欲しくて、声を絞り出しました。

「ふふっ。そうですね……」

「1つあげるなら……自分のことを良く知ることでしょうか」


それは私がずっと考えていた事とは、全く違ったアドバイスでした。
泰葉さんなら、演技の考え方とか技術とか、そういうことを教えてくれるんじゃないかと。


「自分のこと……? 役のことではなくてですかっ?」

「はい。お芝居は自分を捨てて……役になりきることだってよく言われますよね」

「そうですねっ。恥ずかしがってちゃダメってよくトレーナーさんに怒られます」

「でも、今の私はあまりそう思いません。むしろ自分が大事なのではと考えています」


走りながらとはいえ、泰葉さんの言うことに真剣に耳を傾けます。
泰葉さんのお芝居の授業は続いていきました。


泰葉さん曰く、
役に自分を近づけるのではなくて、自分に役を近づける方が大事だと。
大人の言うことを聞くだけじゃなくて、肩の力を抜いて、自分らしい演技を大事にしてほしいと。


「そのためには、まずちゃんと自分を知らないといけませんね」


何が好きか、何が嫌いか。
私が嬉しかったことは、怒ったことは、哀しかったことは、楽しかったことは何か。

自分だけの経験を、自分だけの気持ちを大事にするんだと。


「まぁ、完全になりきる人もいると思います。
 自分に役を憑依させるというか……例えば、聖靴学園の時の響子さんとか」

「ひゃっ。あ、あれはホントに怖かったですっ」


役作りの参考に見た映画を思い出して、冷や汗が出る。
可愛くて、お姉ちゃんみたいな響子さんが、あんな目をするなんて思ってもみてませんでした。


「もしかしたら悠貴ちゃんも、そういう風にお芝居できるかもしれません」

「それでも、自分を知ることは、きっと役に立ちますよ。 私が……そうでしたから」


そう言った泰葉さんは、少しだけ目を伏せました。
子役の時のことを思い出しているのでしょうか。

でも、泰葉さんはすぐに、ぱっと顔をあげます。


「例えば、悠貴ちゃんは走ることが好きですよね?」

「はいっ! もっと遠く、速く走って行きたくて」

「ふふっ。良いことだと思います。」


自分の好きが認められるって嬉しい。
いつもの優しい顔に戻った泰葉さんは続けて言います。


「悠貴ちゃんが部活で練習を楽しんだり、自分の記録に挑戦してみたり。
 そういった経験はちゃんとヒロインの役と重なって、自分だけのお芝居になります」

「大人の指導する子どもの演技は、ちょっとオーバーになっちゃうんです。」


すごく実感のこもった言葉でした。
子役だった泰葉さん自身をちゃんと自分で分かった上で、今の素敵なアイドルの泰葉さんがあるのだと。

「背伸びなんてしなくても、悠貴ちゃんらしいお芝居ができれば……
 きっと高校生じゃないことだって小さな問題だと思います」


気がつくと、いつのまにか完全に私のペースで走っていました。
慌てて、ゆっくりとしたペースに戻します。


「ご、ごめんなさいっ、泰葉さん。速くなかったですかっ?」

「大丈夫ですよ、あんまりゆっくりなのも性に合わなくって……」

「そ、そうなんですかっ。良かったですっ!」

「ふふっ。悠貴ちゃんと部活気分を味わえて私は楽しいですよ?」


こういうところが『センパイ』らしいなって思う。
泰葉さんに相談できて良かった。
優しくて、見守ってくれて、そんな大事な『センパイ』です。


――――――
―――

ぐるっと走って2kmちょっと、周りを1周して女子寮まで戻ってきました。
眩しい朝の光が屋根に写って、穏やかに広がっています。
最後に軽くストレッチして、今日のランニングはおしまいです。


「今日は悠貴ちゃんと一緒に走れて良かったです。また困ったら頼ってくださいね」

「えへへっ、こちらこそ、ありがとうございましたっ」


泰葉さんが部屋に戻るのを見送って、
私は、泰葉さんに言われたことを噛み締めながら、自分の部屋に戻ります。

まず私を知ること。

そういえば、いいものを持っていましたっ。
本棚からいつものスクラップブックを探し出して、開いてみます。


私はどんな人でしょうか。

走ることが大好きです。
生野菜は苦いから苦手で、だからミックスジュース作りが好きになりました。

ジュニアモデルの頃も楽しかったけど、かっこいいとか大人っぽいじゃなくて。
背が高くても可愛いって言われるような、そんなアイドルになりたくて。


私はどんなことが嬉しかったでしょうか、どんなことが悲しかったでしょうか。

お正月にかくし芸に挑戦したり、旅番組でハワイに行ったり……
とにかくいろんなお仕事をさせてもらってきたなぁ。


1ページ、1ページ、『私』を思い出していきます。
そこにはいつだって、アイドルのみんなと、ファンのみなさんと……プロデューサーさんがいます。

お芝居がどのようなものかを知りたくて。
恋というものを知りたくて。

こんな私にも分かるときが来るのかな。
その時はもっと自慢できる私でいたいな。




「あっ、おはようございまーすっ!」


駅の改札口にプロデューサーさんを見つけて、私は駆け出しました。
ドラマの撮影が始まってから、こうしてプロデューサーさんと待ち合わせをするのがお約束。
撮影場所の学校は通っている学校の近くで、通学の定期を使って来れてしまいます。


「おはよう、悠貴」

「はいっ! 早くお仕事したいな、
 早くプロデューサーさんに会いたいなって思って、走ってきましたよっ」


ふわってなった髪を押さえつけながら、私はプロデューサーさんの隣に並びます。
私よりもちょっと背の高い肩に、私の身体が触れました。


「そう言ってもらえると、プロデューサー冥利に尽きるよ」

「えへへ、プロデューサーさん、いつも一緒に現場入ってくれてありがとうございますっ」


笑い合いながら、学校までの道のりを2人で歩き出します。
私にとっては、本日2回目の『登校』です。

お仕事のこと、他のみんなのこと、なんでもない話をしながら、
こうして歩いていくのは、ちょっと憧れだったりしました。

男のヒトと一緒に登校なんて、なんだか少女漫画の世界のようです。


「撮影の方はどう? 見てる感じでは順調そうだけど」

「今のところは順調だと思いますっ。みなさんホントに優しくて」


始まったばかりの撮影は、やっぱりぺーぺーの私には、
知らないこと、分からないことだらけで緊張しきり。

それでも、少し年の離れた私に、みなさん優しくしてくれます。
アイドルだから、中学生だから、馴染めなかったらどうしようって。
ムダな心配だったと心から思えるほどです。

撮影も中学校の部活の延長線みたいな感じです。
みんなでアップしたり、一緒にタイムを競ってみたり、
部室でお話してたら、話題が尽きなくって、先生に怒られてみたり。


今のところは上手くいっているような気がします。
きっと泰葉さんのアドバイスのおかげですっ。

あれから、できるだけいっぱい私を知ろうとしました。

昔のお仕事やライブのVTRを見直してみたり。
部活や学校で自分がどんなことを考えているのか意識してみたり。
新しい私も探すために、別のスポーツに挑戦してみたり。

その結果が、上手くお芝居できている理由なんだったら嬉しい。


「そういえばっ、撮影で50mの自己新記録が出たんですよっ」


走る方はもともと好きだから、
高校生のちょっとレベルの上がった練習が楽しみで仕方がありません。
昨日は、悠貴ちゃん、走るの速いねってみんなに褒めてもらえました。


「普段のランニングとレッスンのおかげかな? 悠貴は頑張り屋さんだからな」

「いっぱい走ると、もっと走りたくなっちゃってっ!
 あっ、大丈夫です、無理はしませんっ」

「うん、怪我だけには気をつけて。 そうだなぁ、何か心配なこととかはないか?」


心配なこと。お芝居ぜんぶですっ、とは言えないけど。

似ているようで、やっぱり皆さん、大人っぽくて、
中学生の私は、高校生やそれより年上の人たちにちゃんと並べているか不安です。
それから――


「えっと、あのっ。あんまりお芝居してるって感じがしないんですけど、
 このままでいいんでしょうかっ」


上手くいっているからこそ怖いんです。
時々、お芝居をしているというより、ただの私がそこにいるだけのような気がします。
ヒロインと私が似たもの同士だから。


「うーん。大丈夫だと思うぞ……と言っても信じきれないよな」


思っていることを見抜かれたようで、ただこくこくと頷きます。


「悠貴、いちばん大事なことだけ、できたらいいんだよ」

「大事なこと、ですかっ?」


確かに今の私はあれこれと考え過ぎなのかもしれません。
上手くいってるんだから、それでいいじゃないか。
そう思ってしまう自分も心の中にいます。


「悠貴は役者さんとしては新人だからな。技術とか演技論とか難しいことはいらないと思う」

「はい……」


「ライブと一緒だよ。ライブで見てくれる人たちに悠貴の楽しいって気持ち伝えられただろう?」


アリーナから3階席まで駆け回った1番大きなライブを思い出します。
あのときは、ファンのみんなとハイタッチして、楽しいって気持ちを伝えたくて必死でした。


プロデューサーさんは続けます。


「お芝居だったら、周りの人に、テレビの向こう側に、
 お芝居をしているその時の悠貴の気持ちを伝えるんだ」

「私のキモチを伝える……」

「そうそう。きっと今の悠貴はそれができてると思うよ。
 悠貴の気持ち、ちゃんと伝わってる」


泰葉さんと同じように、プロデューサーさんも、
大事なことは『私』だと言います。


「泰葉さんにも似たようなことを言われましたっ、まず自分を知ることから始めようって」

「さすが泰葉だなぁ。自分の気持ちがちゃんと分かったら、今度は伝える努力をしないとな」


走ることを楽しんでみたり、タイムが出せないことを悔しがったり。
そんなヒロインの気持ちを、私の気持ちに重ねて。

じゃあ、私が知らないキモチはどうすればいいのかな。
例えば――ヒロインがキャプテンを見てドキドキするようなキモチとか。

私はすっかり考え込んでしまいました。


気がつくといい時間になっています。
いつの間に……最初は結構余裕があったはずなのに。


「あっ、急ぎましょう、Pさんっ。手っ! 出してくださいっ」

「え。は、はい」


差し出された手をぎゅっと掴むと、
私とプロデューサーさんは駆け出しました。


「ちょ、ちょっと。悠貴、走らなくても十分間に合うぞ!」

「えへへっ。聞こえませーんっ。Pさんはのんびり屋さんだからっ」


青々とした木々のアーケードを抜けて、撮影場所の学校を目指します。
きっとPさんの言うとおり時間に余裕はあるはず。

うんうん悩むのがイヤになってきて、とにかく身体を動かしたくて。
お芝居だって、恋だって、走ることみたいに、もっと分かりやすかったらいいのに。

それに、一緒に駆け抜けていくの、気持ちいいですよっ。
心の中でそう言います。


学校の校門まで走ってきて、私はやっとPさんの手を離しました。
さすがにちょっと子どもっぽかったかな。


「はぁっ…ちょっとはしゃぎすぎちゃいましたねっ」

「はぁっ……はぁっ。ちょっとっ、俺は運動できないからっ」


プロデューサーさんにはちょっぴり厳しい運動だったみたいです。
2人で息が落ち着くのを待ちます。

触れていた手が、走ったあとの身体が、熱を持ってドキドキしてる。

なんだか、悩んでいてもしょうがないって思えてきました。
やっぱり悩んだ時は、身体を動かさないとですねっ!


「はぁっ…ひぃー、やっぱり俺は運動不足だよ」


プロデューサーさんはまだ肩で息をしています。
それでも笑ってくれていました。


「なんだか駆け出さずにはいられなくてっ、ごめんなさいっ」


普段から運動しているので、身体はすぐに落ち着きます。
でも、触れていた手は、なんだか暖かいままです。
その暖かさは、心まで暖かくしてくれる優しいものでした。

まだ熱を持っている手のひらを見つめてみます。
プロデューサーさんの手は魔法の手だったりするのかな?
ちょっと確かめてみたくなります。


「Pさんっ、もう一回だけ、手ちょっと出してもらえますかっ」

「えっ。お、おう」

ちょっとビクビクしながら私に向けられた手のひらに、
私はパーンッと自分の手を合わせます。

「はいっ! 今日も頑張りましょうっ! おまじないですっ」

手が触れるとなんだか元気が出るような気がして。
そう言うのはなんだか気恥ずかしくて、勢いに任せて、おまじないのせいにしました。

「あはははっ。まぁ、頑張るのは悠貴だけどな。」


そう言ったプロデューサーさんはさっと身体の向きを変えて、
学校の入り口に向かって歩きだしました。

まだ、私の手のひらには鈍い痛みと熱さが残っています。
不思議とイヤな感じじゃありません。やっぱり本当に勇気を貰えたみたいで嬉しくなります。

私は急いでプロデューサーさんを追いかけて。

春から夏に変わろうとする新緑の校門を、今度は2人でゆっくりと歩きながら、
手のひらに残った感覚を忘れないように、忘れないようにしようと思いました。




「難しいんです、せんぱいっ!」


私は事務所のソファーで膝を抱えると、もやもやを投げ出すようにそう訴えかけました。


「そうですね……お悩みはどんなところですか?
 それから、悠貴ちゃん、先輩はやめてほしいなって言いませんでしたっけ?」


ドラマの撮影はやっぱり悪くはないはずです。
けど、気にしないようにしてきた問題が、ちょっとづつ大きくなってきていました。


「すみませんっ。泰葉せ……さんっ」

「もうっ。撮影が順調で鼻が高いと悠貴ちゃんのプロデューサーさんから聞きましたよ?」


ソファーで本を読んでいた泰葉さんは、手をとめて、顔を上げました。


「そうなんでしょうかっ。やっぱり同じ陸上部だったり、学生だったりするから、
 部活とか学校生活とかではそのまま演じられるんですが……」

「恋愛のところですか?」

「はい……。撮影が止まったりすることはないんですけどっ、
 なんというか上手くハマらない?みたいな感じで私がもやもやするんですっ!」


私の悩みを泰葉さんは静かに聞いてくれます。
膝を抱えたまま、自分の頭を泰葉さんの肩に預けます。


恋愛がどういうものなのか、知らないわけではありません。
恋をしていることがどんな感じなのかも、ちゃんと勉強して、レッスンしました。

でも、例えば、
グラウンドを駆けるキャプテンに無意識に目がいってしまったり、
ドキドキしてちゃんと目が見れなくて、上手く話せなくなったり。

目を向ける演技ができても、上手く話せない演技ができても、
伝えなきゃいけない気持ちがなんだかふわふわしたままなのです。


「今はこのままでもいいのかもしれませんっ。
 でも、エンディングは告白するシーンなので……。
 そういう大事なところで気持ちが伝わらなかったらどうしようって」

「うん、うん。その気持ちは分かりますよ」

「あ、あのっ。やっぱり好きな人とか恋とかよく分からなくてって、
 どういう気持ちでお芝居すれば良いんでしょう?」


ずっと、それこそ始めから抱えていた疑問を泰葉さんにぶつけます。
きっと泰葉さんなら、またピッタリの答えを教えてくれる、そんな風に思って。


「そうですね。悠貴ちゃん、例えば……
 学校のクラスとかでこの人いいなって思ったことはありませんか?」


えっ。予想外の質問が飛んできて驚いてしまいます。


「えっと、クラスの男子は、ようやく話しかけてくれるようになったところなんです……。
 やっぱりモデルの頃は怖がられたみたいでっ。だから、あんまり……その……」


あとは、背が高いからってからかわれたりしたこともありました。
ちょっとだけ普通の男の子より背が高い、それだけなのに。


「じゃあ……プロデューサーさんはどうですか?」


えっ、ええっ! そこでプロデューサーさんがどうして出てくるんですかっ。
ばっと頭をあげると、両手を顔の前でぶんぶんと振ります。
いやっ、と、とりあえずなんか否定しとかないと恥ずかしいっ。


「ふふっ。とりあえず落ち着いてください」


泰葉さんは、いたずらっこのように笑っています。
そんなセンパイもかわいいですねって、そうじゃなくて。


「えっと。プロデューサーさんは……こんな私でも可愛いアイドルにしてくれてっ。
 ずーっと憧れてたキラキラした人になるためにサポートしてくれて」

 
あれっ、やっぱり顔が熱くてしょうがない。
プロデューサーさんにいつも似たようなことを言っているのに。


「一緒にいて楽しくて、笑っちゃって……とにかく大切な人なんですっ。
 あ、あれ。こ、これって好きってことなんでしょうか?」

「ふふっ、どうでしょうか。私は――」

泰葉さんは、いたずら笑みのまま続けます。

「悠貴ちゃんとプロデューサーさんはステキな関係だなって思いますよ。
 なんというか……先生と生徒って感じかもしれませんけど」


ステキな関係……そうなんでしょうか。

私が勝手に、はしゃいじゃったり、甘えちゃったりして。
そんな私をプロデューサーさんはしょうがないなって見守ってくれる。
それだけだとずっと思っていました。


「で、でも。例えば、私は泰葉さんも一緒にいると安心できて大切な人だなって思っていてっ」

「悠貴ちゃんにそう言ってもらえるのは嬉しいですね。可愛い後輩ですから♪」


泰葉さんだけじゃ、ありません。
芳乃さんや涼さん、肇さん、茄子さん、響子さん、きらりさん……とかとか。
私はみんなが、みんなのことが同じように好きだと思うのです。

たくさんある好きの中に、トクベツな好きがあるのかどうか。
自分のことを少し知っても、それが私には分からないままです。

ヒロインがキャプテンに向けるあの気持ちとは違うような気がして。

私が話を続けても、泰葉さんは優しく笑ったままでした。
溢れるように出てくる気持ちを、時々頷いて、ただ静かに聞いてくれていました。


「まぁ、恋は考えるものではなくて、落ちるものと良く言いますからね」


やっぱり泰葉さんは『センパイ』だ。
3歳違うだけで、どうしてこんなに大人っぽいんだろう。
高校生になったらみんな恋が分かるんだろうか、そんなことを思って。

つい尋ねてしまった。


「あのっ、泰葉さんは……その、恋をしたことあるんですかっ?」

「はい、私は恋をしていますよ」


泰葉さんはまるで何でもないことのように言いました。
恋をしているってことは、過去形じゃなくて現在進行形ってことで。


「えーっ!? それって誰を想ってっ、というかそんなあっさりっ」


聞いておいて、ただ、ただ慌ててしまいます。
というかこれって聞いちゃって良かったんでしょうか。


「ふふっ。もう1回落ち着いてください、悠貴ちゃん。私の話で良ければ、ねっ」


そう言った泰葉さんは、私の顔を見て、にっこりと笑います。
泰葉さんと私の秘密の恋バナが始まりました。


「えっと、その。……泰葉さんのプロデューサーさんですかっ?」


そう聞いておいて、私の挙げることのできる候補はその1人しかいません。
でも、泰葉さんとプロデューサーさんは、周りから見ても、
お互いに寄り添い合っていて、理想の関係に見えていました。


「はい、あの人はトクベツですよ」


泰葉さんは少しの迷いも照れもなくそう言いました。


「あの人はずるいんです」


泰葉さんは、遠くにいる誰かを想うように、私に恋の秘密を教えてくれます。


「元子役としての私も、アイドルとしての私も、普通の女の子としての私も全部知っていて。
 そんな私を信じて、そのままでいいって一緒に頑張ろうって言ってくれるんです」

「そんな暖かい居場所をくれるから、私はあの人ことが……好きです」


泰葉さんがステキな笑顔をする理由。

泰葉さんのプロデューサーさんと出会って、
アイドルになったことが大きいんだろうなってずっと思ってました。
でも、きっと、それだけじゃなかったんだ。


「今どうしたいってわけじゃないんです。付き合ったりなんて、アイドルには御法度ですからね」

「でも、今は自分が思った通りにいたくて。自分のことは……自分が決めたいんです。
 だから私は、自分の好きを大切にしようと思っています」


自分の好きを大事にする。
泰葉さんの恋の秘密は、泰葉さんらしくて、そしてとても優しかった。
照れたり、迷ったりしないくらい大事にできるキモチが、泰葉さんにはあるんだ。


「そのっ、答えてくださってありがとうございますっ」

「いえいえ。恋だってきっと何通りもあります。でも、ただ自分のためでいいんですよ」


言われてみれば、私は恋を知ろうと一生懸命で。
漫画やドラマを見て、気持ちを真似っこしてみたり。

泰葉さんにも、プロデューサーさんにも自分が大事だと言われたのに。
私の気持ちはずっと置いてけぼりのままでした。


「ここから先は、私に似ている悠貴ちゃんにアドバイスです」と、
泰葉さんはまたいたずらっこのように笑いました。

「私は、恋は気づくものではなくて、分かるものだと思っています。
 いろいろと積み重ねて考えていくことで分かるというか」


まぁこれは私の性格だと思うんですけどね、と泰葉さんは続けました。


「悠貴ちゃんは、たくさんの好きを持っていて、
 もしかしたらその中に大切にしたい気持ちがあるかもしれません」

「ということで、誰かともっと親しくなることから始めるのはどうですか?
 例えば……一緒におでかけするとか、好きなことを一緒にやってみるとか」

「その中で、悠貴ちゃんが伝えたい恋が分かるかもしれませんよ?」


さて、そろそろ、レッスンの時間ですね。
そう言って泰葉さんは、本を鞄にしまうと、ソファーから立ち上がりました。


「それじゃあ、悠貴ちゃん。お疲れ様でした」


そう言ったあと、少し立ち止まって、くるっと顔を向けた泰葉さんは、
私にとびっきりのウィンクを残していきました。


「ふふっ。悠貴ちゃん、あなたにとって大事な人ほどすぐそばにいるの、ですよ♪」


やっぱり恋はむずかしいなぁ。
いろんな人が、いろんなことを言うから。

それでも泰葉さんのウィンクが可愛かったことくらいは分かる。
あの向こうにあるステキな関係を想像してしまうほどに。

私が、もっとしっかりしていたら、もっと大人だったら、こんなに悩まなかったのかな。

鞄からスマートフォンを取り出して、とりあえずメールを打った。
どうしてだか、1人しか、思い浮かばなかった。


『プロデューサーさん、一緒にしたいことがあるんです』


ソファーで膝を抱えたまま。
そのたった1行を、私はまだ、送れずにいる。

ちょっと休憩、またすぐ再開します




オフの日。
お日様が顔を出して、街が目を覚まし始めた頃に。
私はまた女子寮の前で人を待っています。

この前の泰葉さんのお話は、ストンと心の奥底に落ちていくようでした。
あんな素敵な笑顔に、関係に、私だって憧れたりします。

でも、自分のことは自分にしか分かりません。

私の好きはあんなに素敵なモノでしょうか。
私の好きの中に、恋と呼べるものはあるのかな。

『オフの日に一緒にランニングをしませんか』
『いいぞー』

あんなに悩んだのに、あっさりOKを貰ってしまって。
ちょっとくらいは悩んでくれたっていいのに!

ごちゃごちゃ考えていると、プロデューサーさんの顔が浮かんできて、
なんだか無性にドキドキして、もやもやしてきます。


「おっ。おはよう、悠貴」

「はいっ! おっ、おはようございますっ!」


Pさんの顔を見たら、もやもやはどこかへ行ってしまいます。
少し眠そうな顔をしたプロデューサーさんは、スーツじゃなくて真っ黒のジャージ姿で現れました。

ちょっぴりスーツで現れるんじゃないかって思ってました。
スーツ以外の服を着ているプロデューサーさんを見るのはこれが初めてです。
なんだかこうしてみると、学校のセンパイみたいっ。


「あー。あんまり運動は得意じゃないから、お手柔らかに頼むよ」

「えっと、はいっ、ゆっくり走るので大丈夫ですよっ」


今日は私がリードしますね。そう言うのはぐっと我慢した。
いつも引っ張ってくれるプロデューサーさんがなんだか頼りなさそうで。
それが、少し可笑しかったから。


「もうこの際だから、走り方とかフォームとかも教えてくれたら嬉しい」

「はいっ、任せてくださいっ! とりあえず、最初はちょっと歩いていきましょう!」


女子寮をあとにして、ゆっくりと街の方へ歩きだします。

まずは、近くのおっきな公園まで歩いて、軽く体操。
それから周りのランニングコースをぐるっと一周する予定です。


「適当に歩いちゃって大丈夫か?」

「えっと、腕の振りをちょっと意識してみてくださいっ!
 あんまり肩に力いれないで、腕が楽に振れるといい感じですっ」

「楽に……こんな感じ?」

「はいっ。上手ですよっ」


やっぱり私が先生になったみたい。
いつもはプロデューサーさんが先生だから、今日は反対ですねっ。
いつもていねいに教えてくれるプロデューサーさんみたいにできているかな。


「えへへっ。プロデューサーさんは普段、運動しないんですかっ?」

「通勤も車だしなぁ。あんまり動く機会がないんだ」

「じ、じゃあ、これを機にウォーキングとかランニングはどうでしょうっ」


わずかな隙を見て勧誘も忘れません。
一緒に走ってくれる仲間がいたら、絶対に楽しいから。

んーと苦笑いしたプロデューサーさんは、あんまり乗り気じゃなさそうでした。


そんな感じで歩いていって、公園までは10分くらいで到着しました。

ここからはランニングコースを走ります。
私のやる気が一歩間違えると、プロデューサーさんがランニングを嫌いになっちゃいます。
それだけは、それだけはイヤです。


「今からこのランニングコースを走りましょうっ!」

「分かった。とりあえずは腕振りだけ気にしてればいいかな?」

「うーんと……Pさん、ちょっと背筋ピッと伸ばして立ってくださいっ」


Pさんをその場に立たせると、正面に回って、プロデューサーさんの腰の部分に触れます。


「ちょっとっ。悠貴!?」

「まず、腰ができるだけ高い位置にあるといいですよっ。こんな感じですねっ」

「それから、顎をちょっと引いて――」


今度は目線を上げて、プロデューサーさんの顎に触れます。
目を合わせるには少し届かないけど、プロデューサーさんの顔がすぐ近くにあります。
こんなにマジマジとお顔を見たこと、そういえばなかったな。

んー、すっごくカッコイイってわけじゃないんだけどなぁ。
でも笑うとすごく優しくて、暖かくて。


「えっと。あの、悠貴、少し恥ずかしいんだけど……」

「わっ。あ、あの、ごめんなさいっ」


自分がやってることを思い出して、ぱっと手を離します。
わあああ。だいぶ、だいぶ恥ずかしいっ。


「えーっと。……こんな感じで走れば大丈夫?」

「は、はいっ。あっ。あと1つだけ」


わたわたしちゃって、大事なことを忘れていました。


「楽しく走りましょうっ! 辛くなったら休んだり、行けそうならスピード上げてみたりっ」


自分の身体に正直に走るのは、ランニングを嫌いにならない秘訣です。
でも、できれば楽しんで、そして好きになってくれたら嬉しいな、なんて。

Pさんに合わせて、ゆっくりと朝のランニングコースを往きます。


「悠貴は、毎朝走ってるんだもんなぁ。ホントすごいよ」

そんなことないですよ、Pさんの横に並びながら答えます。

「少し前までは、都会を走るのは怖かったんですっ。最近はちょっと慣れてきましたっ」

「いつもこんな感じで走ってるのか?」

「はいっ。あ、今日は特別気持ちがいいですっ! 一緒だからかな? えへっ」


空がキラキラ光って、眩しくて。
見慣れた景色もいつもよりずっとステキなものに思えます。


いつもよりゆったりとしたペースは、おしゃべりには最適です。
部活のアップでみんなとお喋りしながらだらだらと走る日常を、ふと思い出します。


「えへへっ。プロデューサーさん、順調ですよっ」

「もうこんなとこまで来たのか。話してるとあっという間だな。」

「もうちょっと、スピード上げてみますかっ?」

「いや、このままでいいよ。悠貴とのんびり話すチャンスだしな」


そう言ったプロデューサーさんは、リラックスして走れているように見えます。
肩に力が入ったり、ぎこちなかったり、そんな感じはしなくて。


「はいっ! じゃあ、あと少し頑張りましょうっ」

このままどこへでもいけるような、そんな気持ちで。


――――――
―――

2人並んだランニングは、あっという間にゴールを迎えました。

あー。楽しかったっ。
もうちょっと距離伸ばせば良かったかな。
あ、でもでも、プロデューサーさんがバテちゃったら。


「ふーぅ。いい運動になったよ、ありがとうな」

「いえいえっ。あ、運動後はきちんとストレッチですよっ!」


プロデューサーさんは分かってるよと言うように、芝生の上に足を投げ出しました。
それに習って、私も、ぽーんと足を投げ出します。


こうやって足を伸ばすと、ここのストレッチになるんですよ。
そこをマッサージすると、疲労が溜まりにくいんです

そんなことを話しながら、走った後の身体を落ち着かせていきます。


「あ、見てくださいっ! あの飛行機雲っ。」

「おぉ、綺麗に伸びてるなぁ。今日もいい天気だ」

「はいっ! きっと今日もいい日になりますねっ!」


楽しかった時間もそろそろお終いです。
もっと一緒にいたいのにっ。
そんなことを思ってると、プロデューサーさんが声を掛けてくれます。


「悠貴、ちょっとだけ話していこうか」

「え、えっと。はいっ!」


もしかして顔に出てたかな、気持ち伝わったのかな。

2人、木製のベンチに、1本のペットボトルを挟んで座ります。
走って火照った身体を、すーっと風が冷ましていくのがくすぐったい。


「そうだ。演技、何か掴めたか? 泰葉が相談されましたーって報告に来たよ」

「えっ。えっと、あの、どんな相談……だったかは聞いてたりとか、しますかっ?」


泰葉さんっ!!!!
確かに黙ってて欲しいとは言いませんでしたけどっ。


「いや、聞いてないぞ。プロデューサーもプロデューサーらしく、
 相談に乗ってあげてくれって言われたくらいだ」


よ、良かったっ。
別に真っ当な悩みのはずなのに、他の人から言われるのは恥ずかしいです。
でも、今だったらプロデューサーさんにも聞けるでしょうか


ずっと聞きたかったことを、勇気を出して聞かないと。


「あのっ。……Pさんは、恋ってしたことありますかっ」

またすごい質問だなとプロデューサーさんは笑って、でもちゃんと答えてくれます。

「そりゃもちろんあるぞー。初恋は悠貴と同じくらいのときだったかなぁ」

「えっと、良かったら、どんな感じだったのか教えてくださいっ。」

「聞いてても多分面白くないぞ?」


それでも、私が、知りたいんです。
あなたのことを。恋のことを。


「んー、確か幼馴染の子がいてな、付き合いが長いからか一緒にいて心地良かったんだ」

「それで、あぁ、この子のところが自分の居場所になってるんだなって分かった時に、
 やっぱり好きなんだなって、恋なんだなって気づいたんだ」


お話を聞きながら、プロデューサーさんの中学時代を想像してみます。
私の全く知らないプロデューサーさんがそこにいることが……何だか悔しい。


「でも、その時期の男子ってのは自分の気持ちに正直じゃないんだ。
 好きなはずの女の子に優しくできなかったりな」

「えっ。そうなんですかっ!」


そう言われて自分のクラスの男子を思い出します。
背が高いとかモデルをやってるからって怖がられてたことは覚えてるけど……


「まぁ、そんな感じで疎遠になっちゃってな。 気づいたら終わってたよ」


「しかし、またどうしてそんなことを聞きたくなったんだ?」


プロデューサーさんは不思議そうな顔をしました。
確かに急にこんなこと聞かれたらびっくりしますよね。


「えっと、そのっ、恋がもうちょっと分かれば演技しやすいのかなって」

「それは確かにそうだなぁ。うーん。」


プロデューサーさんが考え込むような仕草を取って。
その真剣な横顔を、ついぼーっと眺めてしまいます。


「そうだな、きっと自分が恋だと思えば恋なんじゃないか」

「自分が思えば、ですかっ?」

「そうそう。恋だと分かる関係があるってステキなことじゃないか。
 一緒にいて楽しいとか、気がついたらふと考えちゃうとかさ。自分が納得できればいいんだ」


「ふふっ、私はプロデューサーさんといると楽しくて、笑っちゃいますっ」


普段ずっと思っていることを正直に伝えてみる。
これは、恋とか、好きとか関係ない、私の本音。


「それは良かった。悠貴に笑ってもらって、
 その姿をみんなに届けるのがプロデューサーだからな」


そのあとも、好きなだけ喋って、好きなだけ黙って。
朝の風が身体を冷ましてくれるから、並んで座っているだけで心地良かった。


「やっぱりこの機会に少し運動しようかなぁ」とプロデューサーさんがつぶやきます。

「ホントですかっ! そしたら毎朝一緒に走りましょうっ」

ぐっと身を乗り出して、私はそのつぶやきに反応しました。

「毎日はちょっと勘弁してほしいかな」

「えーっ。そんなこといわずにっ」


せっかくまた一緒に走れると思ったのに。
私はぷくーっと抗議します。


「たまになら付き合うから。 今日悠貴と走ってみて、楽しいなって思ってさ」

やっぱり教える先生が上手だからかな、プロデューサーさんは笑って言いました。


私が好きなことを、ちょっとだけ分かってもらえた気がして。
同じことを好きになってもらえるような気がして。

たったそれだけのことが嬉しくて、ドキドキします。

やっぱりプロデューサーさんのこと好きなのかな。
もっと、もっと、知りたい、知ってほしい。

でも、それを恋だと呼ぶ自信は、まだありません。
真っ青な空に描かれた1本の白い線は、ぼんやりと広がっていきました。




紫陽花が綺麗に咲く頃。
ドラマの撮影はもう終盤に入ってきました。

私は、やっと何かをつかみかけているのか、
自分でも納得のいくお芝居ができているような気がします。

そのかわりに――
現場にプロデューサーさんが来てくれなくなりました。
お仕事が立て込んでいて、営業に飛び回ったり、事務所に泊まり込んだりしているみたいです。

スタッフさんに見てくれるようお願いしておくから。
そう言ったプロデューサーさんは、少し影のある笑い方をしていました。

お疲れなんですかっ?とつい、訊いてしまいます。
目を丸くしたプロデューサーさんは、ちゃんと休んでるよと笑います。
さっきと同じ笑い方だと気づいて、私は何も言えませんでした。


撮影の度に待ち合わせてくれたり、ランニングに付き合ってくれたり。

今までが特別だったんだって分かっています。
分かっているはずなんです。
私だけのプロデューサーさんじゃないんだから。

それでも、駅の改札口に向かう階段を、駆け上がってしまいます。
いつもの待ち合わせ場所に、今日も同じようにいてくれる気がして。


「悠貴ちゃん、今日はおしまい! お疲れ様でしたー!」


スタッフさんの大きな声で現実に戻されました。
これで私の今日の撮影はおしまい。
今日のメインは授業風景で、ぼーっと先生の話を聞いたり、授業の間に何気ないおしゃべりをしたり。

外は今日も雨が降っていて、本格的に梅雨入りしたんだなぁと。
走れなくなるのであんまり好きな季節じゃないですっ。


「お疲れ様でしたっ! お先に失礼しますっ」


共演者の方たちやスタッフさんたちに挨拶を済まして、
撮影用の制服から、自分の学校の制服に着替えたら、帰る準備をしました。


プロデューサーさんが現場に来てくれなくなってから、
撮影が終わったという報告をすれば、直帰してもいいと言われています。

スマートフォンからプロデューサーさんの連絡先を探して。

学校の校門を出たところで、ぶるっと身体が震えて、手が止まってしまいます。
雨のせいで冷えるからでしょうか。上手く操作できません。

なんとくなく……寂しいです。

そう気づいたら、もう電話をかけるのがイヤになってきました。

空が暗いから、身体が冷たいから、
きっと……プロデューサーさんがいないから。


ビニール傘をくるくる回して、らしくないなぁなんて笑います。
お仕事はこんなに上手くいってるのに。

でも、いつまでも、うじうじしてはいられませんっ。

やっぱり今日は、事務所に直接報告しに行こう。
ちひろさんや他のみんな、きっと誰かがいるはずです。

もしかしたら、プロデューサーさんも。


そう思ったら、この雨の道も悪くありません。
今日はちょっと元気がないだけ。
また明日から頑張るために、元気を貰いにいくだけなんだと。

1歩、1歩、そう言い聞かせながら、駅までの道を戻りました。


雨の跳ねる音も、冷たい手足も、ペタッとなった髪の毛も、
少しづつ、少しづつ、気にならなくなっていきます。

なんとなくの寂しさも、少しの期待で塗りつぶされていくようでした。


――――――
―――

「ただいま戻りましたー」


やっと辿り着いた事務所に私の声だけが響いて……そして何も返ってきません。
あ、あれっ。誰もいないなんてことはないよね。


「あのっ。ちひろさん? 誰かいませんかっ?」


きょろきょろを見回してみても、やっぱり誰もいないようです。
さすがに誰かには会えるだろうって思ってたのに。
期待していた心の中に寂しさが滲んで、沈んでいきます。


「……プロデューサーさん……」


いつも一緒にいてくれたのに、どこいっちゃったんですかっ。


「すーっ……」

ふと、ソファーに意識を向けると穏やかな寝息が聞こえます。

その人は、薄手のタオルケットを身体にかけていました。
あんまり寝相が良くないのか、ソファーの縁から頭がずり落ちています。


「Pさんっ。」


ついキモチと一緒に、声が跳ねてしまう。
ずっと探していた人は、そんなところに、なんでもないかのようにいました。

って、起こしちゃダメだよね!


「あの? こういうときはどうすればいいのかなっ。えっとっ、まくら!」


わざわざ会いに来たはずなのに、なんの心の準備もしていなかった私は、
とりあえずその寝づらそうな頭を何とかすることに決めました。
決して慌ててなどいませんっ。


プロデューサーさんの頭をなんとか持ち上げて、小さなスペースを作ります。
私の細身のカラダはすっと隙間に入り込めました。


「すーっ……んんっ」


プロデューサーさんは時々顔をしかめながらも、どうやら熟睡しているようです。
膝枕ですよーなんて小声で呟いてみます。
起きたらびっくりしちゃうかな、少しは喜んでくれたりしないかな。


静かな事務所に聞こえるのは、雨音と寝息だけ。
起こしてしまわないように息を潜めて、ぼんやりとプロデューサーさんの顔を眺めます。

ただ顔を見ているだけなのに、少し触れ合っているだけなのに。
こんなに暖かいのはどうしてかな。
プロデューサーさんは、その理由を、教えてくれますか。


もうちょっとだけその身体に触れてみたくて。

プロデューサーさんの胸のところにあった手に、私の手のひらを重ねます。
思い返すと、プロデューサーさんとハイタッチをしたり、手を繋いだり、
私は手が触れ合うのが好きなかもしれません。


手のひらと一緒に、心も重ねられたらいいなっ。なんて。
もし心が重なったら、今の私のキモチも伝わってしまうのかな。


なんだか最近、プロデューサーさんのことばっかりなんです。

アイドルのためとか言って、頑張り過ぎちゃうプロデューサーさんは嫌いです。
いつも私のこと、心配して、期待して、信じてくれるプロデューサーさんは好きです。


伝わって欲しいのか、欲しくないのか分からない気持ちを込めます。
手のひらからは少し高い体温が伝わってきて。

ホントに何かが伝わったようなそんな気がします。


「ん……んっ。……悠貴?」

膝の上のプロデューサーさんと目が合いました。

あれっ。お、起こしちゃいました……
まだ寝ぼけているみたいで、そんなに驚いているような感じはしません。


「た、ただいまですっ、Pさん」

「ふわぁーあ。おー、おかえり、悠貴」


大きなあくびを1つしたプロデューサーさんは、
そのまま手足をぐっと伸ばすと、ぱっと身体を起こしてしまいました。

もうちょっとそのままでも良かったんですよ?

そのまま並んでソファーに座ったプロデューサーさんに恨めしい目を向けてみます。


「膝枕してくれてたのか……ありがとう。現役アイドルにやってもらえるなんて役得だな」

「いえっ。そのっ、私がやってあげたくてっ」

「おかげでだいぶ楽になったよ。もうすぐ仕事が片付きそうだから油断しちゃってさ」

そう言うと、プロデューサーさんは立ち上がって、いたずらっぽく笑いました。

「雨降ってたよな。車で女子寮まで送るからちょっと――」


あっ。も、もうちょっと待ってくださいっ。
なんとかしたくてつい手を伸ばしてしまいます。
私の手は、行ってしまいそうになるプロデューサーさんの袖を捕まえました。


「――悠貴?」


「あの、そのっ…ワガママかもしれませんけど…も、もう少しだけ、
 Pさんと一緒にいたいなって…ダメ、ですかっ?」


言った途端に、やってしまったと思った。

でも、もう引き下がれません。
もうどうにでもなーれっ。
私は、何とかしようと早口で理由を並べていきます。


「えっと。あの。Pさんも寝起きで今運転したら危ないですしっ。
 あとは、その、お仕事でお疲れだと思いますしっ」


なんだか傷口を広げただけな気がする。


「あはははは。落ち着いて、悠貴。確かにその通りだ」


プロデューサーさんは、降参だとでも言うように両手を挙げると、
くるっと向き直して、また私の隣に座ってくれました。


「撮影、お疲れ様。見に行けなくて悪いな。今日はどうだった?」


もうちょっと私と一緒にいてくれる。
できるだけこの時間を長くしたくて、ゆっくり、今日のことを話した。

それっぽく授業風景を撮ってるんですけど、高校生の授業だから全然分かんないんです、とか。
湿気でみんなの髪のセットが上手く決まらなくて、スタイリストさんが叫んでたんです、とか。

とりとめのない話を、1つずつ、プロデューサーさんは聞いてくれました。


「雨の日はイヤだよなぁ。悠貴もわざわざこっち来ないで直帰してくれて良かったんだぞ?」


何気なく痛いところを突かれました。
誤魔化すのもイヤだなって思って。力なく笑って答えます。


「なんだか少し疲れちゃって、寂しくなって……。
 誰かとお話したら元気でるかなって思ったので」


それに、いつもほめてくれた人がいなくなっちゃったからですよ。
本当のことは上手く隠せたはずなのに。

そう言った後、プロデューサーさんはすごく申し訳無さそうな顔をしました。


「ここんとこ、現場一緒に行ってやれなくてごめんな」


「悠貴は、いつも考え過ぎだよってくらい真面目なんだ。でもそれがいいところだと思う」

「仕事も、学校も、ファンのみんなと触れ合おうことも、
 全部、全部、頑張ろうとして、大事にしようとして、
 それらを叶えるためにもっとしっかりしなきゃ!ってさ。」


悠貴はホント自慢のアイドルだよ。
そう、プロデューサーさんは言ってくれました。


「でもさ、たまには力抜いて休んでもいんだぞ。」


優しい言葉に、視界が少し滲みます。

ホントは全然大人なんかじゃないのに、大人っぽく見られることが多いから、
やっぱりしっかりしなくちゃって、いつも思います。
でも、プロデューサーさんがいると笑っちゃって、肩の力が抜けるんです。


「あと今日はみんないなくてごめんな。雨だったからそのまま直帰させた子が多いんだ」

「いえっ。あの、Pさんと過ごす時間、好きですっ。」


やっぱり、プロデューサーさんがいるから。だから頑張れるんですよ。
ずっと分かっていたはずのことをもう一度確かめて、少し嬉しくなりました。


「そう言ってもらえると助かるよ。悠貴には元気よく笑っていて欲しいからな」


「じゃあ、私も少しだけ休もうかな…Pさん、傍にいてください……ふあ……」


私の頭が、プロデューサーさんの肩に触れる。
少しづつ強張っていた力が抜けていきます。


「悠貴、いつもお疲れ様。無理してないか心配だよ」


近くで響いた声は、細身のカラダに伝わっていきました。


きっと今だけの、大切な時間。

最近の私はきっとわがままです。
1番大切にしたい気持ちを探して、こんなことまでしちゃってます。

私が大切にしたかった時間をプロデューサーさんも大事に思ってくれて嬉しかったんです。
だから、だから――

心地よい優しさを少しづつ噛み締めて、
私の意識は、まどろみに落ちていきました。




6月下旬。
ドラマ撮影も残りわずかとなりました。

今日はいつもの学校ではなく、競技場での撮影です。
インハイの地方大会、100mの真剣勝負を、一番大事なクライマックスを撮影する日。
この日のためにトレーニングしてきたから、一層気合が入る……はず。


「悠貴、緊張してるだろ?」


待機場所になっているスタンド下で、
さらっとプロデューサーさんが言いました。

どうしてそんなに目ざといんですかっ。
がちがちの私に言い返す余裕はありませんでした。


「しかし、陸上のユニフォームって結構際どいんだな」

「は、恥ずかしいですからっ」


やっと声が出せました。
お芝居だって分かっているのに、指先も足も震えが止まりません。

ピンクのブラトップに、黒のショーツ。ゼッケンもしっかりつけて。
なんだかアイドルの衣装とそんなに変わらないような気もします。
へそ出しはやっぱり少し勇気がいりますけどっ。


「足がホント綺麗だ」


きっと、Pさんはわざとやっています。
顔あげて、どうにか笑ってみせます。


「もう、セクハラですよっ!」


「悠貴、1番大事なことだけ、できたらいいんだよ」


プロデューサーさんの声が、優しいものに変わりました。
いつか言われた台詞は、いつもの私を思い出させてくれます。


「ヒロインは、みんなと頑張ってきて、精一杯自分を磨いて、
 そして、好きな人が応援してくれる前で最高の勝負ができるんだ」

「それって、めちゃめちゃ楽しくないか」

「俺は、それを演じる悠貴を日本中に見せられるんだって思うと、嬉しくてしょうがないよ」


プロデューサーさんは本当に嬉しそうで、
まるでこれからいたずらをする子どものようです。


この人なりに勇気づけようとしてくれるんだ。
大人扱いも、子ども扱いもしない。ちゃんと私が頑張れる一言を言ってくれる。


「じゃあ、Pさんと仲間とファンのみんなに、笑ってもらわないといけませんねっ」


緊張が静かに高揚感と期待に変わっていく。
えへへっ。いつもありがとうございます。感謝してもし足りないんですよっ。
でも、今は、まだ言わない。代わりにやるべきことがあるから。


「Pさんっ、お願いがあるんですっ」

「おう。 俺はどうすればいい?」

「ゴールラインの先で待っていてくれませんかっ」


ゴールラインの向こう側には、普段なら選手の集合場所になる小さなスペースがあります。
そこは100mのスタートラインの見つめる先。


「分かった。ギリギリまで一緒にいなくていいのか?」

「はいっ! Pさんのところまで走っていきますから、どーんと待っていてくださいっ」


――――――
―――

「悠貴ちゃん、スタンバイお願いします!」

「分かりましたっ!」


とうとう、このときがやってきました。
ここから先は1人です。きっとどんなすごい選手もみんな同じ気持ちになるんでしょう。


「じゃあ……また後で」

プロデューサーさんは、くるっと身体の向きを変えました。
あっ。ちょっと待って――


「あのっ。私の名前呼んでください! 迷わず前を向いていられるようにっ!」


頑張るって決意したばかりなのに。口からこぼれるようにして、叫んでしまう。
やっぱり、ちょっとだけ勇気が欲しくて。

プロデューサーさんはこちらに向き直ると、優しく笑います。
それは、私の1番好きな表情でした。


「悠貴。 転ばないように、気をつけてな」

プロデューサーさんは、そう言ってすっと手を上げました。

Pさんはあんまり頑張れって言いません。
でもちゃんと見てくれています。いつも心配してくれます。
だから、私はいつだって安心して頑張れるんです。

そんな気持ちは、上手く言葉にできなかったから、自分の手のひらに託します。
パーンっと、手の重なる音が、スタンド下に響きました。

「はいっ! ユウキいってきますっ」




私は、8レーンある内、真ん中の5レーンを走ることになりました。
本当の大会だったら、一番速い人たちが走ることを許される特等席です。
ぞろぞろとランナーがレーンに揃っていきます。

ヒロインは、ここで優勝して、インハイへの出場を決めます。
ドラマの撮影とは言えど、本気の勝負。
全力の私でいかないと、きっと上手くはいきません。

『ただいまより、南関東100m女子決勝戦を行います』

『出場選手の紹介をいたします、1レーン――』

1レーンずつ、名前や高校の名前が呼ばれていく。
ランナーたちはスタンドにお辞儀をして、そのたびにスタンドがわーっと盛り上がる。

もし私が本当に大会に出られるなら、こんな景色が見られるのかな。
一度、深呼吸をしました。景色も歓声もタータンの匂いも、全部忘れないために。


『――以上、8名により、南関東100m女子決勝戦のレースを行います』


『位置について』


ブロックに足を掛けて、スタートラインに手をつくと、
広げた両手に、私のすべてを乗せます。


『用意』


お尻をあげて、ぴたっと止まる。
今は何も見えない。でもきっとこの先にプロデューサーさんがいてくれますっ。


ピストル音。

1歩目がぐっと地面をつかんで、すっと次の足が出ていきます。
背が高い私は、細かく足を刻めないので、他の人より素早くスタートできません。

でも、私は私でいいんだって、みんなから教えてもらいました。
ぐい、ぐいと加速して、1歩が少しづつ大きくなっていきます。
背が高い私だけの歩幅で、ただまっすぐ、まっすぐ。


色とりどりのユニフォームが1つ、1つ、目の前から消えて。
遠くのスタンドから聞こえる歓声も、私の周りの風景も消えて。


追い風がびゅんびゅんと背中を押していきます。

早くプロデューサーさんのところまで走っていきたい。
もっと、もっと、あなたに近づきたいんですっ。
想っているだけじゃ届かないから。


もう、ゴールとその先のプロデューサーさんしか見えません――


私は身体ごとゴールラインに突っ込んでいきました。
とにかく終わったんだって気持ちで一杯で、もう何も分かりません。

ちゃんと1位でゴールできたよねっ?上手く撮れたのかな?
ぐるぐるする視界の中で、心配が泡のように湧いては消えていきます。

少しづつ世界が戻ってきて、プロデューサーさんの輪郭が見えます。
そうしたら、じわじわと染み込んでくる嬉しさに耐えられなくなって。


「プロデューサーさんっ!」

「え…あの、うわっと!」


大きめのタオルを広げたプロデューサーさんが私を抱きとめてくれます。
触れた部分からまた暖かさが広がっていくような気がしました。


「えへへっ…ちゃんと見ててくれましたかっ」

「おう、ちゃんと見てたよ」

「これが、これが、私ですっ。走るのって楽しいんですよっ!」


「分かってるよ」


気持ちも身体も舞い上がって落ち着かない私に、プロデューサーさんが笑いました。


「最後、笑ってたろ」

「最後……ですか?」

「ゴールの時にな、ふっと笑ったんだ。監督もいい絵が撮れたって喜んでたぞ」

「あっ…っと、それはっ――」


どうしましょう、プロデューサーさんのことを考えていてとは言えません。
なんだか、だんだんと嬉しさよりも恥ずかしさの方が強くなってきて、顔もうつむいていきます。


バサッと私の頭にタオルがかけられたと思ったら、
そのまま髪をわしゃわしゃーっとされます。


「悠貴、ホントよく頑張ったな! やってくれるってずっと信じてたぞ!!」


プロデューサーさんが、子どものように笑って褒めてくれました。
その笑顔は、お仕事が上手くいった時に見せてくれる一番の笑顔でした。

いつもだったら、もう子どもじゃありませんっ!って言うのがお約束なのに。
なでられたことなんて全然なくて、苦手だったはずなのに。

とうとう、気づいてしまいました。

この顔がずっと見たかったんだと。
それが何を意味するのかを。


このドキドキは、この暖かさは、走ったからだけじゃありません。
いっぱい遠回りして、いろんなことを経験して、今日やっと分かったキモチなんだ。

私は、いつだってプロデューサーさんに笑っててほしくて。
プロデューサーさんがそこにいるだけで幸せなんです。

きっと今は言葉じゃ伝えられないから。
見慣れたその手が恋しくなって、ぎゅっと両手で包み込みます。


「えっと、その、Pさんっ! ただいまですっ」


時間にして数秒。
たったそれだけに私が気づいたキモチを込めました。

そして、ちゃんと顔をあげて、私にできる最高の笑顔で。


「応援してくれて、信じてくれてありがとうございましたっ」


100mのタイムは、自己新記録でした。
お芝居だから、タイムはあんまり関係ないんですけど。

それでも、嬉しい記録です。
私は私らしく。全力で挑めたんだって分かるから。
今日のこと、きっと一生忘れないと思います。

追い風 2.0mのベストレース。

もしかしたら、追い風が連れてきてくれたのかもしれません。
ゴールの向こうで待っていたプロデューサーさんのところまで。

走っていく私の身体とキモチを。




『――センパイっ。』


学校のグラウンドに私の声だけが響きます。


『応援、ありがとうございましたっ。センパイが背中押してくれたから、私、頑張れたんですっ』


私は、泰葉さんが言うように、私を知って、ヒロインのキモチを知りました。
今は、この子のために、伝えなきゃいけない私のキモチを乗せるんです。


『ずっと私のこと信じて、そのままで大丈夫だって、背伸びしなくていいって言ってくれました』


こんな私にもアイドルができるってずっと信じてくれてたんですよね。
大人っぽいとか、子どもっぽくないじゃなくて、わたしをちゃんと知ろうとしてくれました。


『転んだこともありました。引っ張り起こしてくれましたよねっ』


私が、私のことを信じてあげられなくて、何度も困らせちゃいました。
そのたびに一緒に悩んでくれて、私ならどんなことだって跳べるって言ってくれました。


『一緒にいると楽しくって、笑っちゃって。私ずっと恋だって気づいてなかったんです』


好きにだって、ちゃんと理由があるんですね。
落ちるような恋もステキだけど、考え過ぎちゃうような恋で良かった。

もしサイコロを振り間違えて、振り出しに戻されても、
思い出を1つ、1つ拾っていったら、
きっと私、また恋してるって分かると思うから。


『今しかないから、ちゃんと伝えますっ』


プロデューサーさん――

もう何かを与えてもらうだけじゃダメなんです。
あなたにも、私の気持ちを伝えたいんです。



『センパイっ、好きですっ! これからもずっと一緒に走ってくれませんかっ』



生まれてはじめて、好きだと伝えました。
真似っこなのかもしれない。ただのお芝居なのかもしれない。
でも誰かに伝えたいこの気持ちだけは、ニセモノなんかじゃありませんっ。

ドキドキで苦しくて、怖くて、ふわふわして、恥ずかしくて。

響いたはずのカットの声は、
一瞬の風になって通り抜けていってしまったような、そんな気がしました。




「それでは、みなさま、ドラマスペシャルの撮影お疲れ様でしたー!乾杯!!」

「「「「乾杯!」」」」


監督さんのよく通る声がお店の中に響きます。
なんとかすべてのシーンを撮り終えて、こうして打ち上げを迎えることができました。
他の出演者の皆さん、スタッフの皆さん……そして私とPさんも。

子どもたちの席に座らされた私は、先輩方に囲まれて、たくさん褒められています。

最後の告白シーン私もドキドキしちゃったよ! あんなに足速いなんて知らなかった!
撮影中もたくさんお話ししたのに、まだまだ話題は尽きません。

困った顔をしたり、あいまいな相槌を浮かべたり、目の前がぐるぐるしながらも。

それでも、年齢も、アイドルも関係ない、
一緒に走ってきたメンバーとして、ここにいることができる嬉しさを感じています。


気がつくと先輩たちは、恋バナの方にヒートアップし始めています。

さすがについていけなくなって、逃げ出そうかと振り返ると、
大人たちの席に座っているプロデューサーさんは、スタッフさんたちと楽しそうです。

隣の女性スタッフさんがお酒を注ぐたびに、
「ありがとうございますっ」とか言って、笑いかけています。

それも、お酒のせいか、少し顔を赤くさせながら。


ぷくーっと頬を膨らませたくなります。
これはあとで追求しないといけませんねっ。

そんなありきたりな反応をしている私に少し驚いて、苦笑いをしました。


――――――
―――

「はい、それではお手を拝借。よーぉっ―」

パンッ

打ち上げがひとまず終わったところで、私とプロデューサーさんは抜け出してきました。
最寄りの駅までの道のりを2人で歩いていきます。


「やー、飲んだ食った喋った。悠貴の方もなんだか楽しそうだったな?」

「は、はいっ! で、でも見てたなら助けて欲しかったですっ」

「ごめん、ごめん」


少し酔っ払っているプロデューサーさんが、にへらと笑います。
はじめて私に向けられた表情は、なんだかふにゃふにゃして可愛いものでした。

プロデューサーさんもこんな顔するんだ。
また、1つ、プロデューサーさんのことを知って、嬉しくなります。


でも、それはそれ、これはこれです。


「ダメですっ、許してあげませんっ」


私は笑って、プロデューサーさんにずいっと詰め寄ります。
これは、隣の女性スタッフさんにデレデレしてた分です。


「えー。そ、それじゃあ、お詫びとご褒美を兼ねて、何でも言うことを聞くよ」

「何でもですかっ?」


そう言われると、私の心がちょっぴり跳ねます。


「俺のできる範囲でね」

「じゃあ、えっと、その……お願いがあるんですっ――」


私は、1つだけお願いをしました。
それは、プロデューサーさんにとっては小さなものでも、
今の私にとっては、大きな、大きなお願いです。

望んだものに向かってまっすぐ。
私の少し震えた声は、暑い夏の夜に溶けていくようでした。




「おじゃまします」

「どうぞっ、Pさん。あ、これ、なんか照れますねっ!」


あの夜、私は自分のお部屋で2人でお祝いがしたいとお願いしました。
小さなテーブルの上は、ケーキやら、お菓子やらでいっぱいです。

プロデューサーさんには、高いお店とかに連れて行っても良いんだぞ?と聞き返されました。
これがいいんです。私はきっぱり言えたでしょうか。


「そういえば飲み物、買わなくて良かったのか?」

「はいっ!とっておきがあるんですっ」


きょろきょろと落ち着かなさそうなプロデューサーさんに、私は笑って答えます。
いつもは支えてもらってますけど、たまには私がPさんをリードしたいから。


「Pさん、一緒に、ミックスジュース作りませんかっ?」


――――――
―――

ベビーリーフ、バナナ、ヨーグルト、牛乳、はちみつをミキサーに入れて、スイッチオンっ。
ごーっと音をたてて、ミキサーが回り始めます。
ちょっとした待ち時間がやってきました。


「へー、野菜のミックスジュースってこうやって作るのか」

「はいっ!こうすれば苦い生野菜だって、なんとかなりますっ」


備え付けの小さなキッチンに2人並んで、なんでもない話をします。

いつもはどうしていいか分からない待ち時間も、
一緒にいてくれる人がいるだけでこんなに違うんですね。


「悠貴が趣味の欄に書くくらいだもんなぁ。それ系のCMとか取って来れないかな」

「Pさんっ。今くらいはお仕事のこと、忘れましょうっ


私の好きなことを2人で一緒にする。
改めてやってみると、こんなにドキドキすることはありません。

私が好きなことを、プロデューサーさんも好きになってくれたら嬉しいんです。
大人でも、子どもでも、アイドルでもない、私をもっと知って欲しいんです。

そうしたら、私は、自分がどれだけあなたを想っているのかを知って、
そして、もっと、もっとあなたのことを好きになります。


やっぱり今はまだ子どもかもしれませんけど、
今まで一緒に頑張ってきたプロデューサーさんに認めてもらえたら……
私、もっとかわいくなれる気がするんですっ!

いつかプロデューサーさんもびっくりするくらいに。


だから、プロデューサーさん、これからも私をいっぱい、かわいいって褒めてくださいっ!

アイドルとしての可愛いを、私がずっとなりたかった可愛いを、
いつだって、ていねいに教えてくれるのはプロデューサーさんだけですっ。


アイドルになって嬉しかったこと、数え切れないくらいあります。
悲しかったことや辛かったことだってたくさんあります。

きっとこれからもそんな毎日が続いていくのでしょう。


今はこれでいいんです。
触れ合って、甘い言葉を囁き合って、なんて、まだまだ私には恥ずかしいから。


アイドルとしての夢も、可愛くなりたいってことも、
走ることも、小さな恋のキモチも、
ぜんぶまるごとミックスジュースにして。

そうしたら、何気ない毎日だって、きっと生まれ変わります。
もっと、ずっと楽しくなります。


パチンとミキサーのスイッチが鳴りました。
それは、なんだかスタートを告げるピストルの音みたいです。

止まったミキサーから、並んだ2つのコップに半分ずつ注いで。
それぞれがコップを取ったなら、乾杯の合図にお互いの目を見つめ合って。


私、恋をしたんですっ。 きっとこの先もずっと――
そんな私とあなたを、今日と明日を、このジュースが繋いでくれますように。


「Pさん、悠貴特製のミックスジュースっ。どうぞ召し上がれっ!」



おしまい。
こんな子がいる陸上部に入りたかった。
乙倉ちゃんはかわいい、やったぜ。

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