掃除機、さくらんぼ、カスピ海 (17)

「あんたは本当に存在しているの?」

 部屋のソファーに仰向けに寝そべり、首から上を床に垂れ下げ問う。

 彼・・・か彼女かは定かではないが、とにかく床のあいつに問う。

「何を言う。ここで元気にうぉんうぉん動いているでしょう。そこからじゃ見えませんか」

 返事が返って来る。

 それを存在の証明としてしまえば話はもっと簡単なんだろうけれど、私の頭はそんなに簡単な造りをしていなかった。

「そういう意味で言ったんじゃないよ・・・」

 漫然と目を閉じる。

 瞼の裏の暗闇に、何か濁りのような物が視界をうろちょろする。

 今日は脳を無謀に使ったものだから、きっとすり減った脳のカスが眼球まで下りてきているのだと思う。

「では、どういう意味で言ったのです」

「もういい」


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頭を持ち上げ、体をソファーから起こす。

 あんまり頭を下にして、濁りがまた頭に戻っては困ると思ったのだ。

 こういう時、私はお風呂に入る。

 顔面をシャワーに晒して、軽く閉じた瞼を上から指で押さえつける。

 そうすると、濁りは瞼の隙間から染み出し、流れていく。

 医学的な効果を調べたことはないけど、これで問題はないから、これで問題はない。

「お風呂ですか」

 ソファーから立ち上がり、リビングの外に足を向ける私に、足下から声がする。

「あんたも一緒に入る?」

 視線を下にやりながら誘ってみる。

「遠慮しておきます」

 つれない返事が返ってくる。

 しかし、それも仕方がない。

 こいつは水に濡れると壊れてしまう。

 だって、

「だってあなたは掃除機だものね」

小さい頃から、物にも魂があるという考えをしていた。

 どんな物にも、大事にされて嬉しいと感じる心があるし、乱暴に扱われて悲しいと感じる心があるのだ。

 おかしいとか、気持ち悪いとか言われたこともあるけど、間違っていると考えたことはない。

 物が悲しまないように大事に扱ったし、物が嬉しくなるように、その物本来の使い方を徹底した。

 むしろ、その思いは日に日に強くなるようでもあった。

 私が六歳のある日のことだ。

 幼稚園の、共有おもちゃ箱に古い知恵の輪が有った。

 かっちり、組み合わさった二つ鉄を見て、これを解いた奴は、この園に誰も居ないのではと思った。

 この知恵の輪は誰にも解いて貰えないでいることを、悲しく思っているのでは。と思った。

 ここでひとつ、強く主張しておく。私は、物に魂があるという考え方をしているけれど、声を聞いたりすることができたりするわけではない。
(今でこそ、ひとつ例外が居るけれど。)

『誰にも解かれたことがない』なんて申告を受けたわけではないし、『誰かに解かれたい』と願われたわけでもない。

 けれど、『そうではない』という否定をしてくれる人も、目の前の無口な知恵の輪を含め、誰も居なかった。

 解こう。と思った。

 一週間かかった。

 それが最長記録。

 以降もいろんなパズルを見かけては、必ず一週間以内に解いてあげた。

「・・・そんな日々を続けていたら、パズル学者。ということになっていました」

「・・・ということになっていました。って、曖昧だなぁ。そこはあまり話したくないのかい」

「いえ、本当に、よくわからないのです。気付いていたら、なっていました」

 家賃の高そうなマンションの一室に呼ばれ、男に私がこうなった理由を聞かれたので、話した。

 お話が私の仕事ではないのだが、彼は依頼人だし、別に邪険にする理由もなかった。

「一人暮らしと言っていたね。お金はどうしているんだい」

「さぁ・・・あなたのような人が、何故かお金をくれます」

「・・・自分の生活について、恐ろしく無頓着だな。君は。詐欺などには気をつけたまえ」

「知らない人には付いていきません」

 幼い頃、周りの人が何度も教えてくれた文言を繰り返す。

 あれだけ何度も言っていたのだから、きっとこれさえ守っていれば大丈夫のはずだ。

「・・・まぁ、万が一破産したら、うちに来たまえ。一生遊んで暮らせる程の報酬が出る仕事を、何件も紹介してやろう」

 そういって男は、トランクケースを机の上に置いた。

「例えば、それらの一つがこれだ」

 トランクケースが男の手によって開かれる。

 中には、さくらんぼを模した、幾何学的に絡み合った細い鉄があった。

 知恵の輪。

「作品名、『cherry』。禁断の果実から取って、『善悪』と呼ぶ者も居る」

「『善悪』、ですか」

 さくらんぼの片房が、善。もう片方が悪。ということだろうか。

「・・・知らないのか?」

 男が少し驚いた顔を私に向ける。

「有名なんですか?これ」

「パズルに関わる者なら、誰もが・・・いや、関係のないことか。君には。君はただこれを解いてくれればいい」

「はぁ・・・お断りします」

 男は少し沈黙した後に口を開いた。

「・・・・・・何故かな」

「だってこれ、解けませんよ」

 今まで私は色々なパズルを解いてきた。知恵の輪だけでも、数百個は軽い。

 間違いない。これは解けない。

「ふむ・・・まぁ。それが君の答えなら仕方がない。なら、これはどうやってできたと思う」

「・・・?作ろうとした人が居たんじゃないですか」

「そういう意味ではない」

 男がため息をつく。

「解けない知恵の輪を、どうして作れるのかという話だ」

「・・・鉄ですから、熱で曲げたとか。鎖みたいに後から繋げたとか・・・」

「だとしたら、こんな綺麗な姿に作ることはできんだろうね」

 cherryにもう一度目を向ける。

 男の言う通り、どんなに器用な職人でもこんなに細く、複雑な作品を、容姿を損ねることなく仕上げることは無理だろう。そんな仕上がりだった。

「さらに言えば、これができたのは15世紀後半とされている」

「15世紀」

 歴史なんかに詳しい訳ではないけれど、その数字が意味する所は、私にも解った。

「現代の技術でも不可能である代物が、四百年も前にこの世界に生まれていた。これは事件だ。事件だよ」

 男の語りに熱が籠る。

「私が解いて欲しいのは、この事件の謎だよ。cherryの正体だ。今まで解ける者が居なかった、ただの難しい知恵の輪なのか、全く別の物なのか。それを解き明かして欲しい」

「・・・やります」

 以前、この鉄が解れ、外れる気は一切しなかったけれど。

『解いてくれ』

 それでも、男ではなく、cherryにそう言われた気がしたのだ。

 ここでひとつ、強く主張しておく。私は、物に魂があるという考え方をしているけれど、声を聞いたりすることができたりするわけではない。
(今でこそ、ひとつ例外が居るけれど。)

「それで、やっぱりcherryは解けなかったのですか」

 そのたったひとつの例外が、お風呂上がりの私に話かける。

「なんでcherryのことを知っているの。話してないのに」

「何故でしょう」

 掃除機がノズルを傾ける。首を傾げたつもりだろうか。

「やっぱりあんたは私の妄想なんだ。だからcherryのことを知っていたんだ」

「だったら、『解けなかったのですか』なんて聞かないでしょう。知っているんですから」

「それは演技なんだ。さも知らないように振る舞っているだけなんだ」

「そもそも、私がただの妄想なら、一人でに動けるわけないでしょう」

 自分には自我があるのだと言わんばかりに、掃除機はホースを振り回した。

「それも私が動かしているんだ。それをあんたが一人でに動いているように錯視しているんだ」

「そこまで重症の人間がまともに生活できるわけないでしょうに」

「うるさい」

 私は掃除機のコンセントを引っこ抜いた。

 ううぅぅん。と唸り、静寂が流れて数秒。コードが一人でに動いて、自らコンセントに刺さった。

 んぅぅうう。と唸り、掃除機がもう一度口(?)を開く。

「おやすみにはまだ早いでしょう」

無視して、持ち帰らせてもらったcherryを鞄から取り出す。

 そのさくらんぼを模した姿は、男の部屋で見た時から変わりはない。

 あれから六時間ぶっ通しで触ってみたものの、動かせる場所は一つも見つからず、進展は一切なかった。

 結果、私の脳は目の濁りになった。

「それがcherryですか」

 掃除機がホースをcherryのそばまで近付ける。覗き込んでいるつもりだろうか。目はそこなのか。

 錯視。

 私は、cherryに対しても錯視しているのではないだろうか。

 cherryは、騙し絵のように、何か錯覚させる形になっているのではないか。それが解けない知恵の輪の正体ではないのだろうか。

 ・・・考えてすぐ馬鹿らしい話だと思い、cherryをもう一度鞄にしまった。

 まともにその可能性を考察するにしても、もう今日はこれ以上同じパズルを見たくなかった。

 錯視うんぬん以前に、見ているだけで脳がすり減るようだった。

「今日はもうしないのですか」

「しない」

「別名、善悪・・・やはり善と悪は切り離せないということですかね」

「ただの掃除機が何を言う」

 cherryをしまった鞄に目をやる。

 直接目にしなくても、ずっと動かせず眺め続けたあの形が、脳裏に浮かぶようだった。

「最長記録・・・二十年ぶりに更新しちゃうかもなぁ・・・」

 やっぱり、解ける気がしなかった。

「・・・何ですかこれは」

 cherryはとても貴重な物。らしい。

 ので、挑戦する時はできるだけ管理の効くここでして欲しい。と男が言うので、私はもう一度男の部屋に赴いた。

 そこで朝食はまだだということを伝えると、白くてどろりとしたものが皿に乗って私の前まではこばれた。

「カスピ海ヨーグルト。というものだ」

 かすぴ海。地理の教科書で見たような。見てなかったような。

「旅行で訪れた際に、健康に良いし。自宅でも増やしやすいというものだから」

 男は自分の分を用意し、食べ始めた。正直、気持ち悪くて食べる気になれない。

「それにね。これ食べると、あの時の景色を鮮明に思い出せる。ずっとずっと先まで青一色なんだ」

 男が語りだす。だから私の仕事はお話することではないんだけれど。

「・・・まぁ、そんな怪訝な顔をしないでくれたまえ。ほんの気分転換だと思って欲しい」

 顔に出てしまっていたようだ。私が掃除機なら、バレなかっただろう。

「さて、クイズだ。カスピ海は、実は湖でね。どれくらいの大きさだと思う」

 大きな湖。私は真っ先に琵琶湖を思い出した。

「琵琶湖の・・・2、3倍ぐらいですか?」

「不正解」

「はぁ」

「正解はね。琵琶湖の約553倍」

「553・・・倍?」

 少なからず、驚いた。予想と差が有り過ぎる。何かの冗談かとさえ思う。

「日本がすっぽり収まってしまうそうだ。私も最初、驚いた。視界いっぱいに見える青でさえ、ほんの一部」

 男が指で小さなわっかを作った。

「私はね、日頃から自分をちっぽけな存在だと思っている。この世界と比較すれば、小さい、余りに小さい存在だと思う。けれど、それにすら思い違いがあった」

 男は、小さな指のわっかをほとんど握ってしまった。

「もっとだ。私はもっと小さかった・・・これ以上はない。そう考えて初めてスタートなんだろうね、人間というのは。その、つまりだ」

 男が、机の上のcherryを持ち上げる。

「解ける気がしない。と考えて、ようやくスタートなんだと思うよ、僕は」

「・・・はい」

 出されたカスピ海ヨーグルトを眺める。

 意を決して口に運んでみれば、決して嫌いな味ではなかった。

「ああ、それとね。もうひとつ話がある」

「?なんでしょう」

「昨日は君を家に帰したが・・・やはり、うちに泊まってくれないか。物を大事にする、君を信頼しないわけじゃないが、

やはりcherryを誰か個人に預けてしまうのは危険だという意見が多くてね」

「・・・はぁ。別に構いま」

 せんけど。

 と、言おうとしたところで、一台の掃除機を思い出した。

 今日も一人でに動いて、私が留守の部屋の中をうぉんうぉん掃除しているであろう、掃除機。

「掃除機・・・」

「ん?部屋が気になるなら、クリーナーを君の家に寄越そうか」

「だ、駄目です!」

 何故か、声が大きくなっていた。

「cherryを壊したりは、しません。ですから、持ち帰らせて頂けないでしょうか。それができないなら、挑戦するのはこの部屋の中だけにします」

 男は少し考えた後、口を開いた。

「解った。持ち帰りなさい。ここに通う事もしなくていい。ずっと君が望む環境でやりたまえ。それが最優先だ」

「・・・ありがとうございます」

 もう一度、cherryを鞄にしまって、男の部屋を後にした。

「何故、向こうに泊まらなかったのです」

 掃除機は、私が帰るなり、そんなことを聞いた。

「向こうでの会話を知っている。やはりあんたは私の妄想だ」

「そう思うなら、何故確かめないのです」

「確かめる?」

「誰か人を呼べば良いのです。そして、この掃除機の声が聞こえるかと問えば良いのです」

「そんな友達は居ない」

「ではクリーナーを拒んだのは何故です。声を荒げてまで」

「・・・それは」

 掃除機は、動かない。いつもはうぉんうぉんうるさいのに。

 声さえなければ、普通の掃除機と変わらなかった。

「あなたは、本気で否定しないのに、何故口では否定の言葉ばかり口にするのです。

物にも魂があると考えながら、何故私を否定するのです」

「・・・うるさい」

 ・・・なんと言えばいいのか解らなくて、コンセントを引っこ抜いた。

 静寂は、数秒しかないと解っていたけれど、そうした。

 鞄からcherryを取り出し、体を逸らす。

 これを解いていれば、掃除機と話さなくてもいい。無視できる。そう思った。

 けれど、無視はできなかった。話しかけてこないのだ。

 数秒で聞こえるはずの、あの唸るような起動音が聞こえない。

 振り返ると、コンセントが引っこ抜かれたままだった。

 何故だ。

 死んでしまったのか?

 妄想が終わってしまったのか?

 急いでコンセントを付けようと手を伸ばそうとして、空中で止める。

 私は、何がしたいんだ?

 あいつを、否定したいのか? 

 物にも魂がある。その証明でいて欲しいのか?

 私は正常である思いたいのか?

 違うのか?

 あいつは本当に存在しているのか?

 私は、何がしたいんだ?

 そこで、中途半端に傾いた私の体から、ごとりと何かが落ちた。

 言うまでもなく、cherryだ。

「わっ」

 急いで拾う。あれだけ貴重だと言われたのに。

 傷がないか見回してみると、ある変化に気付いた。

 傷が有った訳ではない、折れた訳でもない。

 動いたのだ。一手だけ。

「うっ、動いた」

 あんなに動かなかったのに。力の掛け方か?どこだ?どこがどう動いたんだ?

「考えてもわかんないと思いますよきっと」

「うわっ」

 いつのまにか掃除機が復活していた。ばっちりコンセントにコードが刺さっている。

「・・・結局。なんなんだ。あんたは」

「さぁ。誰がどれだけ考えても答えは出ないと思います。けれど、それでいいじゃないですか。

元々、人間は答えのない問を、何個も何個も背負って生まれてくるものです」

「掃除機が何を言う」

「そうして、答えが出せなくても、それを投げ出さなければ、あとで神様が答え合わせしてくれますよ。きっと」

「・・・あの世って、あるの?」

「これ以上はない。そう考えて初めてスタートなんですよ。人間というのは」 

「・・・向こうでの会話を知っている。やはりあんたは私の妄想だ」

 一手だけ動いた、cherryをそっと握る。

 今は、これでいい。

 投げ出さなければ、いつか。



 -終-

先日、友人と三題噺をやろうという事になりました。
今、その友人とは音信不通です。
読み手ががいなくなってしまったので、ここに供養します。
スレタイは友人に出された三題です。
読んでくれて、ありがとうございました。


わりと好き

光る白い歯、ブラジル人

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