北条加蓮「藍子と」高森藍子「靄々の桜流しに」 (83)




雨が、残酷な音を叩きつけていた。




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――まえがき――

レンアイカフェテラスシリーズ第49話です。お花見編完結。
以下の作品の続編です。こちらを読んでいただけると、さらに楽しんでいただける……筈です。

・北条加蓮「藍子と」高森藍子「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「膝の上で」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「最初にカフェで会った時のこと」

~中略~

・北条加蓮「……」高森藍子「……加蓮ちゃんと、桜の日の夜に」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「静かな部屋で」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「薄明るい自室で」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「過ぎた後のカフェテラスで」

いつもの2.7倍くらいあります。ゆっくりとお読みくださいませ。

「………………っ……」

玄関先で藍子が立ち竦んでいる。
ライトグリーンのデニムジャケットは、袖の部分が少しだけくしゃりとなっている。桜の日の夜に泣きはらした時と同じように。
藍子は何も言わなかった。
右手でフレアスカートを、もう片方の手でネイビーの傘を強く握りしめ、唇を震わせているばかりだった。
だから私はおどけて笑った。

「何いきなり泣きそうな顔してんのよー」

数秒待ってから。

だって……、と、掠れた声。

「天気予報がちょっと外れただけでしょ? いくら完璧な予報でも、数日経てば変わる時だってあるよ」
「……でも」
「てか実際この前そうだったじゃん。当たらないねー、って笑いあったでしょ? もう忘れちゃった?」
「……わすれて、ないですよ」

天気予報がちょっと外れただけ。
生きていればいくらでも起こり得る出来事だ。
そう言い飛ばそうとして、思い出す。
"起こり得る出来事"のせいで今のぎくしゃくした状態が生まれたんだっけ、私達。

とどめの代わりに、手を伸ばした。
藍子の左手がすごく痛そうに見えた。傘の柄を強く握りしめすぎていて、爪が掌にまで食い込んでるもん。
だから、ばっ、とこじ開けて、力が戻る前に無理矢理に指を絡めて、ぐい、と引き込む。
藍子が少しだけ転びそうになったけどなんとか踏ん張っていた。体勢を立て直したのを見て、繋いだ手を上げて見せて。

「ほら、行こ?」
「え――」
「雨の中のお散歩ってなんかカッコよくない? 風流っていうか、大人っぽいっていうか? 藍子はそういうの、嫌い?」
「……嫌いじゃないです……。いつもなら、嫌いじゃないです……でも、」
「嫌いじゃないんだよね。じゃあいいじゃん。行こうよ!」

言葉よりも行動だ。
あぁでも何も考えないで飛び出すのもプライドが許してくれない。
今着てるのは……グレーのトレンチコート程度だけどこれでいいや。バッグだけ急いで取ってこよう。
レインブーツは……あった。スニーカーっぽいヤツ。誰かさんのお話につられてぶらっと靴屋に行っといてよかった。
傘はこの辺から、適当に引っこ抜いて。
……いや、藍子がらしくもなく大人びた傘を持ってきてるから私は明るめで行こう。
グレイのは戻しておいて、前にお母さんが買ってきてた純白の傘を手に取る。
ちょっと白すぎるけど、たまにはいいよね。

雨の日コーデは5秒で完成した。
こういうのは速さが勝負。
でも、と、だけど、を繰り返す前に、さっさと飛び出してしまおう。

手を繋いだまま、行こ? と繰り返した。
藍子は微かに頷く。2歩3歩と進んだところで、傘で目元を隠した。
この時点で確信した。きっと今日という日は悲しい思い出となる。
2人で笑っての円満解決になんてならない。楽しかったね、で終わる話には絶対にならない。

それでいい。
この雨のようにジメジメと引きずるよりは、何倍もいいに決まってる。


だからせめて、「今日が無ければよかった」と思うことだけはないように。

……。

…………。

で。

「……」
「……」

家を飛び出た時の勢いなんて3分でしぼんでしまった。

どこもかしこも煙っている。
極端に目が悪くなったかのように視界が狭い。
埃の塊を水で覆ったような空気しか肺に流れて来ない。
お散歩マスター・高森藍子ちゃんなら、そんな光景にも良さを見つけ出すと思う。雨の日にしか見られない物があるとか言ってたし。
残念ながら私はまだ、ゆるふわ……えーと何級だっけ。9級とか8級とか……初心者でしかないし、雨はやっぱり好きになれないものだから、つまんないのーって言葉しか出てこなかった。

ぽつぽつぽつ、と。
うるさいというより、少し鬱陶しい。
何か別の音が聞きたくなった。
わざと水たまりが跳ねるように歩いてみる。
反応はない。
「んー」とか「あー」とか、悩んでるフリをしてみる。
反応はない。

藍子を盗み見てみた。
少し俯いたままで、今も傘で顔を隠しているから表情は分からない。
雨雲よりもどんよりしている雰囲気だけは、嫌になるくらい伝わったけど。

いつもの私なら少し意地を張って、あっちから話しかけてくるのを待っていたかもしれない。
気まずさは共有される物。
居心地の悪さは伝染する。
なら隣を歩く相手だって、無言のままやり過ごすのは辛い筈だし。
……なーんて理屈をこねて、話しかけられるのを待つかもしれないけど。

今日、隣を歩いているのは藍子だ。
人の古傷をかき乱し、自分の手が新傷まみれになっても誘ってくれて。
唇を噛み締めてでも迎えに来てくれた子だ。

「藍子ってさー……」

左頬に弱々しい視線を感じる。目元は見えない。

「……んー」

さて、何を言えばいいのかな?
気まずさに耐えきれなくて口を開くとこうなるから嫌なんだよね。いつもなら、だけど。

「昨日テレビで言ってたんだけどさ、今年の桜って変な感じだったんだね。同じ東京なのに咲いてる場所があったり咲いてない場所があったり」
「……」
「で、もう散り終えた場所もあれば満開になってすらない場所もあるみたい」
「……」
「そういえば葉桜がどうこうって言ってたけど、あれってどういう意味だっけ?」
「……桜が散って……若葉が出始めた頃って意味だったと、思いますよ」
「そうなんだ。葉桜って、文字にしたら綺麗に見えるけど口にしたら引っ掛かりそうだよね。葉桜、葉桜、って」
「……はざくら?」
「葉桜」
「葉桜、葉桜……」
「ね? 言いづらいでしょ」
「……少しだけ?」
「でしょー」
「本当」
「普段言わない言葉だから、こういうことでもないと気付かないよね」
「こういうのは、なかなか気付きませんよね」

くすり、と笑みが漏れた。でもやっぱり傘に隠れている。聴覚情報しか入ってこない。
なんだか電話越しに会話しているみたいだね。
といっても、私は滅多なことで藍子に電話なんてかけないけど。

カフェに行きたい時はメッセージで済ませられる。他に何かあった時もそう。
藍子は、寂しくなったり何かあったらいつでも電話してくれていい、って言うけど……正直、あんまり電話って好きじゃないんだよね。
相手の顔を見れないもん。見たくなったら、心がざわざわしちゃうもん。
ビデオ通話? そこにいない人の顔を見たら余計に会いに行きたくなるから論外。
正直あの時――風邪を引いて、藍子がお粥を作ってくれてた間、何度布団を抜け出そうとしたことか。
身体が言うこと聞いてくれなかったし、無理しようと力を込める度に藍子に見透かされて叱られてたけど。

「えい」
「っ」

ましてやそこにいる人の顔を見れないなんて有り得ない。
だから私は傘の縁を軽くつまみ上げた。

「やっと見れた。藍子の顔っ」
「っ……」
「まだ泣くのをこらえてるんだ」
「……だって」
「うん」
「だって……」

だって、と繰り返す。
2歩進んだところで藍子が立ち止まっていることに気付いた。たった2歩なのに、置いていってしまったようになって、慌てて駆け寄った。

「……加蓮ちゃんが、前に言っていたこと……」
「うん。どれ?」
「神様に、嫌われているってお話」
「うん」
「……嫌われてほしくないな、って思うのに」
「私、こんな性格だし」
「お花見の日だって、加蓮ちゃんだけ……体調を崩して行けなかったのは、加蓮ちゃんだけで」
「あれは私が悪いって結論になったでしょ?」
「どうして、あなたが嫌われないといけないんですか……っ……」
「神様の機嫌を損ねることばっかりしてるからじゃない? そもそも信じてすらないけど」

嫌われていることに恨んだことはある。ほんの小さい頃だけ。
今は、嫌うものなら嫌ってみろと胸を張って言える。
名前と性格をよく知っている好きな人に避けられる方が何百万倍も悲しいもんね。
それに比べたら、名前も性格も知らないで神様ってだけで偉い存在なんかにつまはじきにされることなんて、どーでもいい。

「加蓮ちゃんにとっては、これも"いつものこと"なんですか?」
「……さー?」

……って、普段なら笑って言うんだろうけどさ。
大切な人が誘ってくれた時に。
傷つくことを覚悟してでも前に進もうとした時に。
私諸共、邪魔をしてくる、なんて変化球を投げてきたことは一度もない。

空を見上げた。
そこにいるかもしれない誰かに、久々に悪態をついてやる為に。
そーいうのは卑怯じゃないかな? って。
いつかの聖夜の時も思ったけど、嫌がらせをするのなら私だけにしてほしい。
べー、と舌を出してやったら、ほんの少しだけ雨脚が強くなった、気がした。

「ん……」

藍子がつられて、灰色一色の空を眺める。
すぐに、ひゃっ、と短い悲鳴が聞こえた。
目に雨粒が入ってしまったみたい。

嫌がらせをしてくる相手の存在なんて認めたくもないから、自然の目薬みたいだね、って言ってみた。
少し間があって、そうかもしれません、と返ってきた。
語尾が、少しだけ弾んでいた。

「でも都会の雨とか空気ってあんまり綺麗じゃないから目薬ほど目には良くないかも。むしろ悪いかも?」
「ええっ。どうしましょう」
「さて、立ち止まるのはこれくらいにして、桜を見に行こっか」
「え、今のは何だったんですか!? あっ待って加蓮ちゃん――!」

あはははっ、と雨音に負けないように、お腹から笑い声を出す。
腹式呼吸がアイドルモードのスイッチになった。
雨で公演が潰された時……そういえばあったっけ。無理に敢行しようとしてモバP(以下「P」)さんに呆れられたことがある。
それから、雨合羽の機能も備えた衣装、なんてアホな提案も出た。結局ダサくてボツになったけど。

くるり、と振り返る。ようやくついてきた藍子は、また表情を陰らせていた。
空元気なんてそう上手くはいかない。
保って10秒。
しかも反動つき。
それでも、きっかけになれるなら十分。
歌ってあげようかな?
……それは、少し違うかな。
今私の前にいるのは私のファンじゃなくて、友達だから。

また手を伸ばす。さ、行こ? って。
決して弱くない雨粒がぴしゃぴしゃと叩きつけてくる。冷たいけど、気にしない。

「……はいっ」

今度は、3秒の間もなかった。

私の手を取ってくれた藍子は、けれどすぐに離してしまった。

「繋いだままだと、加蓮ちゃんが濡れてしまいますから」
「今さら少し濡れても大差ないと思うけどなー」
「……また体調を崩しますよ?」
「大丈夫大丈夫。むしろこの前崩したばっかりだからしばらくは、」
「加蓮ちゃん」
「だ、大丈夫だって、たぶん」
「加蓮ちゃん」
「……すみません」

あ、はい。私の自業自得ですね。
……いや、だから私が何をしたっていうのよ。せいぜいちょっと無理してスケジュール組んでやりたいことをいっぱいやった程度で、

□ ■ □ ■ □


あの日、藍子の提案を受けて、少しだけ悩んだことがある。
桜を見に行くといっても、どこへ行こう?
藍子達がお花見で行った場所。私の家の近く。カフェの近く。プロダクションの近く。
候補はいくつかあった。

私はまず、一番最初の選択肢を消した。
終わったことを取り戻しに行くより、新しい思い出で上書きたい。
それに、足を運んだところで後悔が募るばかりだって思ったから。

藍子に丸投げをしてもよかったけど……というか丸投げしようとしたけど、藍子は私と一緒に考えたいと食い下がってきた。
いやいや。フツーこういうデートって誘った側がプラン作るものでしょ? 別にデートじゃないけど。
……なんて言ったら真顔で、「一緒に考えたいんです」って。
私の目を、じっと見て。

真剣に考えてくれてる相手に笑い飛ばし続けてもいいことなんて何もないし、藍子と一緒にあれやこれやと考えてみた。
30分くらい話し合ったところで、私達はふと見合って、全く同じタイミングで噴き出した。
何を真面目にやってるんだろう? たかが桜を見に行くってだけの話で。別に旅行の計画って訳でもないのに。
笑いが笑いを呼んで、ジメジメした雰囲気を吹っ飛ばすくらいに思いっきり笑い転がった。
落ち着いたところで――あぁ説明してなかったけどこれはカフェでの出来事だ。例によって店員さんと他のお客さんは怪訝な目で私達を見たし、藍子は顔を真っ赤にしていた――いっそぜんぜん違うところまで行こう、って話にまとまった。

電車に乗って2駅。
雑誌情報。桜が綺麗な通りと、知る人ぞ知る綺麗な公園があるみたい。

いつか虹を見た日に、電車を使って散歩することもある、なんて話を聞いたっけ。
あの時は、それもう散歩じゃないでしょ! なんて言ったけど……。
なるほど。
これはこれで散歩なんだね。

「歩いて見つけに行くなら、なんだってお散歩です」

そう藍子が言ったのは、駅からホームに降りた時。
雨は相変わらず降り続く。屋内にいると余計に変な感じだ。いつものカフェでなら聞き慣れた音なのに、ここだと遠出でもしている気分になる。

「こんな大雨でも?」
「雨が降っても、今日しかありませんから」
「また前みたいに何か企んでたりして」
「何も企んでなんていませんよ」
「じゃあ、どうして今日しかないの?」
「本当は、今日しかないってことはないんです」
「ふうん」
「ただ……」

ただ、と、何かを確認するように目を泳がせてから。

「今日、加蓮ちゃんの家に行かないと、加蓮ちゃんが泣いてしまうかも、って思ったから……だから、今日しかないんです」

…………。

「……それは私が泣き虫だって言いたいのかな? んー?」
「ええっ!? 違いますっそうじゃなくて……な、泣いてしまうかもっていうのは例え話というか」
「むしろ最近泣いてばっかりなのは藍子の方じゃない?」
「そんなことないですよ!」
「どーだか。今だってほら、泣きそうなの我慢してる」
「してませんっ」
「してる」
「してないです!」
「してる」
「してません!!」

嘘、ではないかな? 声と表情に芯が戻ってきてる。

「そうじゃなくてっ……」
「うん。分かってるから落ち着こ?」
「……うぅ。分かってて煽ったんですか」
「いつものことじゃん」
「いつものことでしたね……。それに……なんとなくですけれど、今日、約束をしていましたから」
「……"約束"はしてないよ? しない、って私言ったじゃん」
「そうですね。あなたは何も約束していません。ただ、私が迎えに行くって、"私が"約束をしましたから」
「そか」

玄関先で出迎えた時のことを今一度思い出す。引き締めた口元はなんとか泣くまいと堪えていて、適当にタンスをひっくり返しただけのようなコーデで、爪は掌に食い込んでいた。
そんな有様になっても、藍子は私を迎えに来てくれた。

「……そっか」

藍子が覗き込んでくる。何か言いたいことがあるの? と聞いてくるかのように。
何もないよ、と首を横に振った。

「また約束が果たせなかったら、加蓮ちゃん、泣いちゃいそうだって……」
「……実際泣きそうなのは藍子の方だったけどねー」
「だから我慢なんてしてませんってば~!」
「あははっ」

構わず改札を通った。
まだ頬を膨らませている藍子は、もう、と困ったように笑って、私の後に続いた。

駅前広場は相変わらずどこもかしこもだった。
露天はぜんぶ店じまい。いい感じの噴水は濁った雨に侵食されているし、待ち合わせに使われそうなベンチには当然誰もいない。
通りかかる人も色彩の薄い傘ばかり広げていて、誰も彼も早足気味。楽しそうな会話をしている光景なんてどこにもない。

「こんなの、何が楽しいんだろうね」
「これだって、街の姿ですよ」
「……こんなのが?」
「賑やかな事務所だって、24時間、ずっと賑やかだったら疲れてしまいますよね。それと同じです」
「確かに」
「街だって静かなひとときがあるし、あった方がいいじゃないですか」
「じゃあ、藍子はこの光景が好きになれるの?」
「…………私も、今日はちょっと」
「同じじゃん」
「同じですね」

今度は藍子が先に歩きだす。私がついていって、いつの間にか自然に隣に並んで。
ぜんぜん楽しくない道を、進んでいく。
忘れ物なんてもう見つかる気もしなかったけど、別にいいや。

□ ■ □ ■ □


並木道の桜はほとんど散ってしまっていた。
雑誌ではすごく綺麗な光景が広がっていたのに。残念。

雨は容赦なく降り続く。傘をさしていると、なかなか上を向くことは難しい。
当たり前だけどこんな天候の中で足を止める人なんて誰もいない。
だからここはただの歩道だ。
最初の目的なんて霞の中に消えていって、いつしか私と藍子はただ歩いているだけになっていた。
でも、気まずくはない。
静かな時間は好きじゃないけど、藍子とならそれでいい。

歩調がズレて私が先を歩こうとした時だけ、意識して足並みを揃えた。
その度にだけ、呼吸以外の目的で口を開こうとして、結局、あまり綺麗とはいえない空気だけを身体に取り込んで終わる。
言葉が見つからないんじゃない。
言葉を探すより、並んで歩くことを優先したい。

住宅地へと右折し、ウワサの公園に到着した時、そうだ、私達は桜を見に来たんだ、と思い出した。

おかしな話だと自分でも思う。でも、すっと呑み込めた。
てくてくと、足を進めているだけの時間がこんなに楽しいなんて。
ゆるふわ検定……そうだね、6級くらいの称号はもらえたかな?。
雨の中、大切な人と歩くだけの時間を、楽しいと感じられる程度の心。
……我ながらこれは5級、いや4級……いっそ欲張って3級くらいを名乗ってもいいんじゃない?

なんて冗談めかしこんでみたら鼻で笑われた。

「ちょ、何その反応!?」
「お散歩は奥が深いんです。加蓮ちゃんでは、まだまだですね♪」
「むぅ。藍子のくせに……」
「もし、もっとお散歩を極めたかったら、」
「ヤダ」
「また、私と一緒に――って返事するのが早すぎますよっ。しかも嫌なんですか!?」
「こそこそやって藍子をびっくりさせたいもん」
「またそんなことをっ」

児童公園にしては少し広い。かといって花見で賑わうには少し手狭だ。確かに、知る人ぞ知るスポット、って感じ。
入口側には色々な遊具が並んでいて、奥側はだだっ広くなっている。
花見の時は、子供がこっち側で遊んで、大人は向こうで飲んだり食べたりするのかな。

すべり台の隣を通った時、手すりの塗装がある部分だけ剥がれているのが目に留まった。
晴れた日には桜なんてなくても、賑わいの声が聞こえるのかな。
歌のお姉さん、またやりたいなぁ。
でも今は桜だ。
名残惜しい気持ちは拾わない。公園の中央の大樹へと歩いて、そして、立ち止まる。

「…………」
「…………」

ざっ、と足音が止んだら、次に耳につくのは雨が私達の心を殴りつけてくる音。
あぁでもさっきよりはマシかな。こういうものだって分かったから。

並んで、桜の木を見上げた。

もう花びらはほとんど残っていない。それどころか今もまた雨が降り風が吹き、しがみついていた分までもぎとられていく。
灰色の中に微かに淡い桜色が浮かび上がっている感じ。スケッチをしても寂しい絵にしかなりそうにない。
灰桜色、って言葉はあるのかな。
あるとしたら図鑑に載せたいくらいだ。この光景を。

目の前でなくなっていくもの、崩れていくもの。手を伸ばしたところでどうにもならない。
花びらをつかむことができてもそれは私のやりたかったことじゃない。

私は、咲いていた桜が見たかった。
満開の桜の下で、笑いたかった。

……じゃあ私は今、何がやりたくて、ここで藍子と一緒に立っているのかな?
今日、何度か疑問に思って、そして泡となって消えていった気持ちが、また浮かび上がる。

答えが知りたくて、藍子を見た。
朝一で見た顔と同じだった。
私よりずっと真剣に、ずっと悲しそうな顔で、唇を緩く噛み締めて、消え行く春を見ていた。

たまに思う。藍子は、どうして私よりも私のことで悲しむのだろう。
どうして、傷つかなくていいことにわざわざ関わってきて、私以上に苦しむんだろう。
私のことを好きでいてくれるから?
それとも、藍子がそういう子だから?
どっちでもなくて、今の私には推し量れないほどの深い理由があるの?

「ねえ、藍子」
「……」
「……なんでもない」
「……」

私のことを私よりも悲しむなら、私のことで私より喜んでほしい。
どうせ一緒にいるなら、幸せになりたい。
笑ってほしい。
これまで過ごしてきた中で、一番強く感じた。
……今日はもう、悲しい思い出にしかならないと思うけど。

藍子の頬のところが少し濡れている。
雨か、涙か。どっちにしても拭いてあげたくてハンカチを取り出そうとして――
端がくしゃくしゃになった花びらが。
ひらり、と。
ひどく緩やかに横切る。
まるでそれが合図だったかのように、藍子がこっちへ、くるり、と振り向いた。

「加蓮ちゃん」
「なに?」

いつもよりいくらか色褪せて見える髪が、ふわ、と揺れる。

「……」
「……」

次の言葉を待つ。
藍子もきっと、私の言葉を待っている。
時間が、流れていく。
雨の勢いが、弱くなっていく。
いつの間にか耳を澄まさなければ音が聞こえないほどに小降りになる。

桜はまだ、残っているのだろうか。

「……先に目を逸らしてよ」
「どうしてですか?」
「桜、気になるじゃん」
「…………え、え?」

藍子は困ったように頬をかいた。
……冷静に考えると私って何言ってるんだろう。……いや、マジで何言ってんの? 私?
色々とごちゃごちゃになってついでに何かにムカついたので勢いよく顔を背けてやった。視界の端でますます何をしているのか分からないってきょとん顔が映り込む。
藍子が悪い。
悪いったら悪いんだ。
後で何か奢らせる。
もしそれが気に入らなかったら追加オーダーしてやるっ。

桜は、まだほんの少しだけ花びらをつけていた。

今が春の終わりではなくて、春のはじまりだったらよかったのに。
それなら、もっとワクワクできるのに。
春が来て、何をやろうかって、あれこれ話して、最後にはカフェでのんびりするってだけの、いつも通りのオチ。
でもせっかくだから、花見を1度くらい――

……それをやった結果が、そして、できなかった結果が今なんだよね。

「これは……お花見って言えますか?」
「桜の木を見てるんだから花見なんじゃない?」
「お花見って、桜の木じゃなくて、桜の花を見る物なんじゃ……。でも、ここには桜の花がありますから、やっぱりお花見でいいですよね」
「そーそー。別に大きくて派手なのだけが花って訳でもないでしょ」
「そうでした。小さくても、地味でも、咲くことができたら確かにお花……」
「私は、」

こーいうのも好きだよ、と言おうとして、喉の途中で引っかかった。綺麗事はそこまで好きじゃない。

「……やっぱり派手な方が好きかな」
「加蓮ちゃんならそう言うと思いました」

「だから天気予報が悪いんだって。もしくは花見の日に体調を崩した私が悪い」
「……」
「藍子。しょんぼりばっかりしてないでさ……ほら、写真でも撮ろ?」
「……」
「私達いっぱい話したじゃん。綺麗な写真を撮った方が勝ちー、なんて。藍子が珍しく、絶対に負けませんからっ、って両手を握ってたじゃん」
「……」
「それとも藍子ちゃんは、この景色を綺麗に撮ることができないのかなー?」

煽ってみた。
あんまり効果はなかった。
こういう時、いつもの藍子なら"らしくもなく"ムキになるのに。

それでもカバンをがさごそやり始めてるし、全く効果がなかった訳でもないのかも。

「……えい」
「どう? どんな写真――うっわ、すごく地味ぃ」
「も、もう1枚!」
「……」
「ぱしゃっ、ぱしゃっ」
「…………ふふっ」

ぱしゃりぱしゃりと、シャッター音が連続する。なんだかちょっぴり楽しそう。

私も、カメラ……はないからスマフォを取り出す。慣れた手つきで、まず1枚。
2枚目を撮ろうとしてふと思い返して、腕と肩で傘を挟んでスマフォが濡れないようにしてギャラリーを確認してみた。
……藍子のことを笑えやしない。何この写真。地味以前に何の写真かすら分からないんだけど!

「ぱしゃっぱしゃっ……あ、加蓮ちゃん。左肩、濡れちゃってますよ」

はい、と。
藍子は、自分の傘を高く持ち上げてくれた。
呆けて目を見る。
ん? と小首を傾げられる。
スマフォをギャラリーモードからカメラモードに切り替えた。藍子はまだ、動かない。

「そーいえばどうやって傘をさしながら写真を撮ってたの?」
「それは、片手でこう傘を持って、もう片方の手と……」
「……おー、上手く持てるんだ。参考にしてみよ」
「スマートフォンだとまた勝手が変わっちゃいます。いっそ片手で撮ってみた方が、やりやすくなるかもしれませんね」

言われた通りにスマフォを左手に持ち帰る。
確かにこれは撮影しやすい。出来上がりもブレてないし。さすがスマフォ。

「……でも肝心の写真がこの有様なんだけどねー」
「見せてくださいっ。……あぁ、確かにこれは……寂しいですよね」
「ねー」
「後から見返しても、何の写真か分からなくなっちゃいそうです」
「やっぱり? 私もそう思った」

そう言いながらも2枚3枚と撮っていく。
雨音に負けないようにシャッターマークを連打していたら、負けるもんかと雨がぶり返してきた。
そこへ藍子が加勢してきた。
ぱしゃりぱしゃり、かたかたかた。
こんなことにも夢中になれる自分達に、少しびっくりした。

そして我に帰って私達は笑う。何やってるんだろう、って。

「負けたくないじゃないですか」
「藍子がそんなこと言うなんて。珍しー」
「負けたくない時だってありますっ」
「それに藍子、途中から私ばっかり撮ってなかった?」
「あは、ばれちゃいました」
「桜はどうしたのよ、桜は」
「桜を見ている加蓮ちゃんも、撮りたくて。だって、」

あの日に。
そこで藍子は声を細めた。唇は動いていたけど、弱々しい雨の音にかき消されて、何を言ったかは分からない。
でも予想はつく。

あの日に、約束をしたから。

「ねえ、藍子――」

私が体調を崩した時から1つ気になっていることがある。そしてそれは、今日を逃すともう永遠に言えなくなってしまう。
私よりも私のことで悲しんでくれる子。
いつも私を気遣ってばかりで、それが嬉しかったり余計なお世話だったりする相手。

「あのさ、」

くしゅん、と。
くしゃみが出た。
雨の中にいても、あるいはシャッター音が鳴り響く中でも、余裕で聞こえる音だった。

「あ……!」
「……い、いや、今のは」
「ごめんなさいっ。傘をさしていても、ずっと雨の中じゃ体が冷えちゃいますよね」
「あの、」
「雨も強くなってしまいましたし、どこかで雨宿りをしませんか? ううん、しましょうっ。確かこの辺に行ってみたいって思っていたカフェがあるんです」
「相変わらずカフェが好きな、」
「ほら、行きましょうっ」
「んだね――せめて最後まで喋らせてくれない!?」

いつも私を気遣ってばかりで、それが余計なお世話だったりする相手。
今日も藍子は全開だった。
あの泣き崩れてしまいそうな姿はどこへ行ってしまったんだろ?

「手もこんなに冷たくなってます……! 早めに気付いてよかったっ」

半身が濡れるのも構わず藍子は私の手を取り、転ばないように、でも駆け足になる。
掴まれていない方の手で傘を持ち直すのが精一杯だった。さっきスマフォを一旦しまっておいてホントによかったよ。
待って、と反射的に言って、これもまた雨にかき消されるくらいの音量だったから、2度目を言うのはやめた。
ちょっと冷えてきたのはホントのことだし。
藍子が行きたいと思ってたカフェにも興味はあるし。

結局。
散り際の桜なんて見ても何も面白くなかったし。

公園を出る時にもう1度だけ、私は何しにここに来たのだろうと思い返した。
答えが見つからないからといって、時間をムダにしたとは思ってないけど。
……まぁ。
藍子に付き合ってみた、ってことで、今はいいや。
今は。

□ ■ □ ■ □



――シックな雰囲気のカフェ――

加蓮「ふぅ……。ちょっと疲れちゃったかも」

藍子「寒くないですか? 上着ももう1枚、用意しておけばよかったんですけれど……」

加蓮「タオルとストールを貸してくれただけで十分だって。これ、準備してたの?」

藍子「……準備した覚えがないんです。今日、家を出た時は……ホントに、加蓮ちゃんのところに行くことしか考えてなくて」

藍子「こうして、雨の中を歩くことになるとは思っていませんでしたから……ただ、約束だけは果たさないといけない、って思っていただけですから」

加蓮「じゃあ藍子のお母さんが気を遣って入れてくれたのかもね」

藍子「そういえば、家を出る寸前にお母さんが色々渡してくれたような……?」

加蓮「えー……覚えてないの?」

藍子「ぜんぶバッグに詰め込んだだけで、詳しくは覚えていないんです。あはは……」

加蓮「全くっ」

藍子「そ、それよりっ。本当に寒くないですか? また風邪を引いちゃったら――」

加蓮「大丈夫だってー。ここも暖かいし。ホットコーヒーでも飲めばもう大丈夫だよ」

藍子「……」

加蓮「この前から心配しすぎ。逆に藍子のことが心配になっちゃうよ。気持ちは分かるし、頼んだのは私だけど……しなきゃいけない、って思い詰め過ぎたら疲れちゃうよ?」

藍子「……そうですよね」

加蓮「ふふっ。ね、何か注文しよ? って私はホットコーヒーって決めてるけど、藍子は?」

藍子「じゃあ……」パラパラ

藍子「……なににしよう?」

加蓮「迷うねー」

藍子「初めて来るカフェですから……。こういう時は、いつも悩んでしまうんですよね」

加蓮「藍子なら1時間も2時間もメニューを眺めてそうだね」

藍子「さすがにそこまではっ…………、……あったかもしれません」

加蓮「え、マジであったんだ」

藍子「だってあれはっ、メニューの写真がどれも美味しそうだったからで」

加蓮「一緒にいた相手が呆れてなかった?」

藍子「あ、それは大丈夫です。1人で行った時のお話ですから」

加蓮「そっか」

藍子「その時は、今日みたいに、電車を使って、いつもとはぜんぜん違う道を歩きたくなって……」

藍子「そうしたら、静かな雰囲気の森カフェを見つけたんです。都内なのに、森の中の雰囲気みたいなカフェを」

加蓮「ふんふん」

藍子「お店の中は、ゆったりとしたオルゴールが流れていて……あたたかな陽の光が当たる席に座ったんです」

加蓮「なんかそれ、すぐにでも寝ちゃいそうだね」

藍子「……さ、30分だけでしたから」

加蓮「相変わらず無防備な」

藍子「あっ、そういえば、そのカフェには店長さんが飼っていた猫さんがいました。すっごく人懐っこくて、ふかふかで。じーっと見ていても、逃げないんですよ♪」

加蓮「いいなー。猫のいるカフェ」

藍子「ふふっ。それから、メニューを選ぶのに……1時間くらいかかって……」

藍子「……その後ものんびりしすぎちゃいました」

加蓮「いつの間にかすごい時間になっちゃったり?」

藍子「気がつけば、外は真っ暗です」

加蓮「あーあー」

藍子「帰ったら、お母さんに心配したんだって怒られちゃました」

加蓮「すごく想像できるなぁ。藍子のお母さん、藍子には意外と厳しいもんね」

藍子「そうなんですよ~。カフェから出る時に連絡をしたのに、それでもすごく怒られたんです」

加蓮「いや藍子が7時とか8時とかに帰ってきたら私だって怒る。心配して怒る」

藍子「れ、連絡はしましたから」

加蓮「連絡しても怒る」

藍子「そんなぁ」

加蓮「藍子は危なっかしいもんね。いつもほわほわしてて。危機感ゼロで」

藍子「これでも、しっかり周りには気をつけてるつもりですよ?」

加蓮「だといいんだけど。注文は決まった?」

藍子「あ、はいっ。すこしお腹が空いたから、なにか食べてみようかな……」パラパラ

加蓮「……」キョロキョロ

藍子「ふんわりホットケーキと米粉ワッフル。どっちもおいしそう」

藍子「でもこれ、どれくらいの量なんでしょうか? あんまり食べ過ぎたら、歩けなくなっちゃいそうです」

加蓮「……あぁそっか。いつものカフェならいつものメニューで量も分かるし、食べ過ぎても車をお願いすればいいけど」

藍子「今日は、そういう訳にはいきませんから」

加蓮「そう言われてみると、ここ自体ちょっと落ち着かないかも?」

藍子「今、加蓮ちゃん、きょろきょろしていましたよね」

加蓮「ついね。藍子じゃないけど気になって」

藍子「あはっ。気持ちは分かります」

加蓮「それに、ちょっと落ち着かない感じ。シックな感じの照明とか、カウンター席がバーみたいになっててすごく大人っぽい感じじゃん? 音楽も静かなクラシックだし。間違ってもいつもみたいに騒げる感じじゃないよね」

藍子「あまり大きな声でお話したら、お店の雰囲気を壊してしまいそうですよね」

加蓮「このテーブルもなんかすごく高そう。ピカピカに磨かれてるし。これ、私達がいなくなった後も念入りに磨くよ、絶対」

藍子「バー? 加蓮ちゃん、行ったことがあるんですか?」

加蓮「ないよー。ないけど前にPさんに教えてもらったことあるの。私、大人になったらああいうところに行ってみたいんだ。だから予習ー」

藍子「なるほど」

加蓮「まだ16歳だけど、その夢が半分くらい叶っちゃったかも」

加蓮「ううん……半分ってほどじゃないかなぁ。4分の1くらい?」

藍子「4分の1くらい叶った夢なんて、なんだか不思議」

加蓮「ホントだね~」

藍子「残り4分の3が叶うのが、今から楽しみですねっ」

加蓮「うんうん!」

藍子「決めました。パンケーキを注文してみます。もし多すぎたら、加蓮ちゃん、はんぶんこしませんか?」

加蓮「うんいーよ。すみませー……ん……」

藍子「加蓮ちゃん?」

加蓮「あ、いや……ついいつもの言い方になっちゃった」

藍子「……ふふ。雰囲気がぜんぜん違っても、カフェはカフェなんですから。いつもの言い方で、いいと思いますよ」

加蓮「そ、そお?」

藍子「あ、店員さんっ。今日もありがとうございます♪」

藍子「……」

藍子「……あ」

加蓮「……あー……ホットコーヒーとふんわりパンケーキでお願いします」

加蓮「え? あ、選べるんですね。……藍子? カシスベリーとチョコバナナ、どっちにする?」

藍子「ち、チョコバナナでお願いしますっ」ペコッ

加蓮「お願いします」ペコッ

……。…………。

加蓮「……今、いつもの店員さんだと思って話しかけちゃったでしょ」

藍子「言わないでぇ……」カオマッカ

加蓮「すごいポカーンとしてたよ。あのおしゃれな店員さんっていうよりもうウェイターみたいな人。そりゃそうだよね。私達ここに来るの初めてなのにね」

藍子「あううぅ……」

加蓮「あはははっ。しかも顔真っ赤ー」ツンツン

藍子「つつかないでくださいぃ」

加蓮「ホットコーヒーどんなのかなぁ。コーヒーって味がぜんぜん違うし。すごく苦くて飲めなかったらどうしよっかなぁ」チラッ

藍子「……」プスプス

加蓮「パンケーキがすごく美味しそうだったら、藍子よりたくさん食べたくなっちゃうかもねー」チラッ

藍子「……」プスプス

加蓮「……」ヤレヤレ

加蓮「スマフォを撮りだしてっと。今日は灰色っぽい写真しか撮れてないからー、ここで1つー」パシャッ

加蓮「うん。我ながらいい出来♪ さーてこれをまずはPさんに」<ガシ

加蓮「がし?」

藍子「~~~~~~」(顔真っ赤でぷるぷるしながらせいいっぱい加蓮を睨んでいる)

加蓮「うん。大声を挙げなかっただけ偉い偉い」ナデナデ

……。

…………。

加蓮「ふむ」ゴクゴク

藍子「あむっ」モグモグ

加蓮「にが――じ、じゃなくて。お、おとなのあじってやつだね、うん。これは大人の味だー」

藍子「苦いのなら、我慢しないで苦いって言っちゃえばいいのに……」

加蓮「大人の味」

藍子「大人の味」

加蓮「そう、これは大人の味、大人の味……」ゴク

加蓮「うぇ、苦……。苦いだけじゃなくてなんだろ……お腹にこうダイレクトに来る感じ。喉じゃなくてお腹に、ずんっ、って」

藍子「ついでにココアを注文しておけばよかったですね。そうしたら、加蓮ちゃんのコーヒーと交換できたのに」

加蓮「それはそれでヤダ!」

藍子「言われる気がしてました。……パンケーキ、ふんわりしてて美味しい……♪ 加蓮ちゃんもこれ、食べてみてくださいっ」スッ

加蓮「あむっ」モグッ

加蓮「……あ、これヤバイ。リピーターになりたくなるヤツ」

藍子「加蓮ちゃんも、同じのを注文してみますか?」

加蓮「それはさすがに動けなくなっちゃうからなー。チョコバナナのところ、ちょっとだけもらっていい?」

藍子「えー。……本当にちょっとだけですよ?」

加蓮「うんうん」アーン

藍子「って言いながらどうして大きな口を開けて待機してるんですかっ」

加蓮「なんてねっ。ほら、端のところだけもらうね」パク

加蓮「ん~~~っ。甘いけど良い感じの甘さ。さっきコーヒー飲んだからかな?」

藍子「それに、体が疲れている時にはやっぱり甘い物ですから♪」パク

加蓮「そうそう。結構歩いたからかな。意外と疲れてるんだよね、今」

藍子「ゆっくり、疲れを癒やしていきましょうね。……ん~~~♪」モグモグ

加蓮「癒やされてる藍子を見てる方が癒やされる気がする。……苦ぁい」ゴクゴク

加蓮「……桜さ。やっぱ、だいぶ散ってたね」

藍子「……」モグモグ、ゴクン

加蓮「うん。しょうがないと思う。むしろちょっとでも残ってたことに感謝したいくらいでしょ」

藍子「……そう、ですね。いつもなら……もう、ぜんぶ散っちゃってる頃ですから」

加蓮「やっぱりさ、終わったことを無理にやろうとしても上手くいかないんだよ」

加蓮「終わったことは終わったこと。無かったことは無かったこと。それでいいの」

加蓮「それでも何かが欲しいんだったら、新しい物を見つけに行けばいい。それは、咲いている桜じゃなくていいと思う」

藍子「…………」

加蓮「……あ、違う違う。んーっと……どう説明したらいいかなぁ……」

加蓮「ほら……例えばさ。藍子が誘ってくれたから、今日はこのカフェに来ることができたでしょ?」

加蓮「さっき言ったじゃん。大人になったらやりたかったこと、4分の1くらい叶ったって」

加蓮「それは藍子のおかげだよ」

加蓮「雨が降っても、私を想ってくれて、迎えに来てくれた藍子のおかげ」

加蓮「もし藍子が来てくれなかったら私、ずっと家にいたと思うもん。藍子の言う通り、家でこっそり大泣きしてたかもしれない」

加蓮「最初に藍子が思うようにはいかなかったかもしれないけどさ。バッドエンドでおしまい、って訳じゃないだから」

加蓮「元気出そ?」

藍子「…………」

加蓮「……もうっ! 私を励ましてくれる為に藍子が誘ったのに、その藍子が落ち込んでてどーするの!」ポン

藍子「きゃっ」

加蓮「やっとこっち向いた。ずっと俯いたままなんて、藍子らしくないよ?」

藍子「……加蓮ちゃんは……本当に、強いんですね」

加蓮「そんなことないと思うけどね。……うぇ、苦っ」ゴクゴク

加蓮「このコーヒーも飲むのが辛い(つらい)くらいなのに。ほら、藍子、飲んでみてよ。ホントに苦いから」

藍子「……いただきます」ゴクゴウ

藍子「……」

藍子「……へ?」

加蓮「えっ」

藍子「これ、そんなに苦いですか? ううん……確かに、いつもの場所で飲む物よりは、かなり濃いと思いますけれど……苦いっていうより濃い感じで、飲めない程じゃないような?」

加蓮「……」

藍子「……」

加蓮「……」

藍子「……」

加蓮「……ぷっ」

藍子「……うくっ」

加蓮「あはははっ……! ほらね? その程度なんだって!」

藍子「ふふっ……! 加蓮ちゃん、今すごくヘンな顔してた!」

加蓮「変な顔にもなるよ! 何今の、10時間かけても上手くいかなかったダンスレッスンを目の前で一発クリアされたみたいなの! すっごいムカつくんだけど!」

藍子「そ、そんなこと私に言われても困りますよ。加蓮ちゃんには加蓮ちゃんの、私には私の好みってありますからっ」

加蓮「それもまたムカつく!」

藍子「知りません~っ」

加蓮「余裕ぶってる藍子がムカつく。藍子なんてグスグス泣いてればいいのに!」

藍子「だから泣いてませんし、我慢もしていませんってば~っ」

加蓮「罰としてパンケーキを半分よこしなさい!」

藍子「何の罰ですか、それっ。……ああっ、半分どころかいっぱい持って行っちゃってる! だめーっ! 私だって食べたいんです!」

加蓮「前に言ったでしょ? 私の口は、藍子のおやつを食べる為についている」モグ

藍子「もっと別のためについているハズですよ~~~!」

加蓮「あむあむ。うん、美味し……♪ ふんわりしてて、甘すぎないのにずっと噛んでいたくなるような味わい深さがあって……あっ、今なら苦――お、おとなのあじのコーヒーもいけるかも」ゴクゴク

加蓮「……うんっ、すっごく合う! 最初からこうすればよかったんだね」

藍子「ああぁ、いっぱい食べてる~~~~っ!」

加蓮「ほらほら。藍子が私を連れ出してくれたお陰で、こんなに美味しい組み合わせを見つけられたんだよ。これは藍子に感謝だね♪」

藍子「もうっ。上手いこといったつもりですか!」

加蓮「あははっ」

藍子「……もう。加蓮ちゃんったら。……ふふっ」

……。

…………。

藍子「結局加蓮ちゃんがほとんど食べちゃった」ジトー

加蓮「~~~♪」

藍子「あと店員さんがこっちをじろって見ていました」

加蓮「あぁ、それはごめん。ついいつものクセっていうか……」

加蓮「ねーねー藍子、それよりもさ、外、雨止んでるっぽくない?」

藍子「あれ? ……本当ですね。空も、だいぶ青くなっています。今日はもう降らないのかも?」

藍子「えーっと……」ポチポチ

藍子「あっ。天気予報も少し変わっています。今日はもう、ずっと晴れと曇りみたいですよ」

加蓮「信じてみよっか」

藍子「…………」ウーン

加蓮「私はそうなってほしいから信じることにする」

藍子「……そうでしたねっ。加蓮ちゃんの、すてきな考え」

加蓮「照れるなー。これからどうする?」

藍子「桜……は、もういいんですよね」

加蓮「うん。もういいや。なんかすっきりしちゃった。雨が流してくれたのかな?」

藍子「かもしれませんねっ」

加蓮「テキトーにぶらぶらしてみる? この辺って藍子もあんまり来たことないんでしょ」

藍子「駅から反対方向に歩いたことなら……。こっち側は、今日が初めてですね。雑誌とかで見たことはあるけれど……迷子にならないようにしなきゃ」

加蓮「迷子になってもスマフォがあるし私もいるからへーきへーき。まだ昼過ぎなんだし、暗くなる前にちゃんと言ってあげるから」

藍子「その時は、お願いしますね」

加蓮「藍子ちゃんを家まで無事に送り届けるのが私の使命」キリッ

藍子「ふふ。加蓮ちゃんも、私と同じ女の子なのに」

加蓮「さて、じゃあ行っちゃおっか。そうだ、この辺で面白いものってあるかなぁ。ちょっと調べてみよっと」ガサゴソ

藍子「うーん……。調べるのは、なしにしませんか?」

加蓮「ん?」

藍子「このカフェのことだけは前から知っていましたけれど、それ以外のお店や場所は私、あまり知らないんです。あえて調べないようにしていましたから」

藍子「気ままに歩いた方が、きっと色々見つかります。その方が、楽しそうだなって……。どうでしょうか?」

加蓮「……それもそっか。さすがお散歩マスター藍子ちゃん」

藍子「ま、マスターなんて照れてしまいます」

藍子「……ごほんっ。ではっ、お散歩マスターの私についてきてください!」キリッ

加蓮「おー」パチパチ

藍子「むんっ」ドヤッ

加蓮「ついていくー」パチパチ

藍子「……」

藍子「…………」

藍子「………………何やらせるんですか」プクー

加蓮「膨れても可愛いだけだよー。……目はちょっと怖いけど」

……。

…………。

□ ■ □ ■ □


それから、いっぱい歩いた。

住宅地を通った時、庭への窓が半開きになっている家を発見した。
きっと急いで洗濯物を取り込んだんだろうって推理から、家でも似たことがあったって話になった。
お母さんがいなくて、珍しく休みで家にいたお父さんがばたばたしているのを私は何もせず眺めているだけだったって言ったら、手伝ってあげてください、と藍子に咎められた。

すれ違った子供達が、傘をずるずると引きずっていた。
ぼんやり振り返ったら、今度は男の子同士がチャンバラを始めていた。
危ないのに、と藍子が口にしたから、見知らぬ場所の見知らぬ相手だけど、注意してあげることにした。
意外と素直な男の子達はあっさりと、ごめんなさーい、と手を降ろした。
ばいばい、と手を振ってあげた。
その時の藍子の顔がすごく綺麗だったことをよく覚えている。

表通りで美味しそうなパン屋を見つけた。
何か言う前に藍子が入っていた。というか、私を引きずり込んだ。どこに隠していたのか分からないような力で。
文句を言おうと開いた口が店内の空気を吸って、涎が出そうになった。
店を出た私はメロンパンを、藍子はチョココロネを購入していた。
ホントはもっと買いたかったけど、食べ過ぎたら歩きたくなくなるかもしれないから。
これがお散歩の一番の悩みなんです、って。藍子が眉を八の字にしていた。
メロンパンとチョココロネはそれぞれ、はんぶんこにして交換した。すごく甘かったけど、美味しかった。

雨上がりには色んな顔がある。

日常を取り戻した場所から、雨が降ったからこそ生まれた物。

それが街の姿なんですよ、と藍子が感慨深そうに言った。
少しだけ、あの駅前に戻ってみたくなった。
最初に降り立った時は鈍色が広がるばかりで何も面白くない。何の良さも分からなかった場所
今ならきっと、違って見える。
……でも今駅前に行ってしまうとそのまま帰ろうという話になりそうなので、提案はお腹の中に呑み込んでおいた。

楽しい時間が、もうちょっとだけ。
藍子との時間が、もうちょっとだけ欲しかったから。

手を繋ごう、って提案した。
傘をさしている間は、繋げなかったから。
藍子は少しだけ不思議そうな顔をしてから、ぎゅ、と握り返してくれた。
雨上がりで少し冷えていたから、冷たい感触を予想していたけど、藍子の手はあたたかくて柔らかかった。
普通に握っているのに、包み込まれているようだった。

……ただ、これが意外と歩きにくい。
私と藍子では微妙に歩調が違うのと、何かある度に藍子が立ち止まって、私まで引っ張られて転びそうになる。
結局、やっぱり並んで歩くだけの方が私達らしい、ってオチがついた。

歩いて。
見つけて。
話して。
笑って。

今日、初めて私の方から足を止めたのは、ある広場にたどり着いた時のことだった。

「…………」
「? 加蓮ちゃん?」

緩やかな円状になっている広場の中央には、もうほとんどが緑色になってしまった木が、どん、と据えられている。
それを囲んで並べてある長椅子は、テレビで見た「お団子屋の前に並んでいるアレ」っぽい感じ(後で調べてみたら"縁台"って言うんだね)。
ってことはお団子屋があるのかな? と期待したけれど、残念ながら露店らしきものはない。
円状の外周にはぽんぽんとこれまた木が植えられている。やはり、目をこらしても桜色はほとんど見えなかった。
外周の柵の向こうには、川が流れている。
そこに、桜の花びらが敷き詰められていた。
まるで絨毯のように。

「……わぁ……!」

落ちない程度に身を乗り出す。水面を揺蕩う花びら達は、日曜日の駅前のようでもあったし、前に芸能人のお宅訪問企画番組で見た高級絵画のようでもあった。
とても綺麗で、ずっと見入っていたくなって、でも、見慣れている気もするような光景。

なんだか、船みたい。
桜の花びらでできあがった、船。
どこへ運んでくれるのだろう。
でも私は乗り遅れてしまった。
……やっぱりさ。
上書きじゃ、足りないな。
私は花見に行きたかった。
みんなとはしゃぎたかった。
歌を歌いたかった。

藍子と一緒に、桜の下で、ご飯を食べたり、のんびり話したり、時には周りにあてられて騒いだり……そんな、春のいっときを過ごしたかった。

「加蓮ちゃん――!」
「あ」

名前を呼ばれて現実に引き戻される。ぼやけた視界が急激にクリアになった。
思っていたよりも身を乗り出していたせいでバランスを崩した。危ないっ、と、少し慌てた様子で藍子がしがみついてくる。
腰に回された手を感じて、少し冷静になれた。
今の私を藍子視点で見たら、こう……川に、飛び込もうとしていたように見えてたのかな?
桜に魅入られたとか、未練が形になってとか、そんな理由を連想してしまいそう。
それなら慌てるのも無理ないよね。

冷静になれたからこそ……なってしまったからこそ、分かる。
やっぱり終わったことは終わったことだし、参加できなかったことは参加できなかったことだ。
無かったことは、無かったこと。
……やだなぁ。
また頭の中がぐちゃぐちゃになってる。
あぁ、ホント何がしたいんだろ、私。自分が分かんないや。

「もう大丈夫だよ」

藍子の手をゆっくりと解く。瞳が少し揺れている。

「水面の桜があんまり綺麗だったから、つい乗り出しちゃった」
「……びっくりしちゃいました。加蓮ちゃんが落ちちゃうっ、って」
「だってさー、ほら。桜の木じゃないけど……散り終わった桜だって、こんな綺麗な光景を生み出すんだなって思ったら……なんかすごいなぁ、って」
「そうですね。すごく綺麗……」
「誘ってくれた時に藍子がそんなことを言ってたね。あれ、ホントのことだったんだ」
「ふふ。……でもこの光景、私にはちょっぴり寂しいかもしれません」
「寂しいの?」
「桜の季節が終わったんだって、見せつけられているような気がしてしまうんです」

そう言った藍子は薄く笑った。
……つくづく合わないなぁ。
時々、私と藍子で感想がズレることがある。もちろん私は私で藍子は藍子なんだからいいんだけどさ、あまりにもピンポイントすぎるから笑っちゃうんだよね。

「また来年になれば、見られるのは分かっています。でも――」
「……」
「……あっ。あはは、ちょっと暗いお話をしてしまいました。次はどっちに行きますか? それとも、少しここでのんびりしちゃいましょうかっ」
「……」
「加蓮ちゃん?」
「あ、うん……」

桜の水絨毯は、藍子の目にはどう映っているのかな。
もっと知りたくなった。

スマフォを取り出した。
何がしたいのか分からないなら自分に素直になろう。
やってないことをやろう。
傷を舐めているだけかどうかなんて、終わってから考えればいいんだしさ。

「あー。あー」
「……?」

声色はこんな感じかな? ついでに口の端を少し引き締めてから。

「"はい、高森さん"」
「はいっ」

とっても引き締まった返事。
数テンポ遅れて、……はれ? と首を傾げる藍子。

「あ、あれ? 今の……あれ?」
「あはははははっ! 今、身体が勝手に反応したでしょ。スタッフさんに呼ばれたって思った? うんうん、藍子ちゃんも立派なアイドルだね」
「で、でも今のって加蓮ちゃんです……よね?」
「うん。加蓮ちゃんだよ。スタッフさんごっこをしてる加蓮ちゃん」
「スタッフさんごっこ?」
「じゃあ高森さんっ。お花見シーズンは終わってしまいましたが、散った後の桜にも楽しみ方があるみたいですね」
「え、え?」

スマフォを動画撮影モードにして藍子に見せつける。

「藍子の話をもっと聞いてみたいなぁって。何を見てるのかなー、とか、何を考えてるのかなー、とか。そしたらこういうのもアリじゃない? ねね、教えてよ。藍子にはこの光景がどう映ってるか」
「えっと……私は、何をすればいいんですか?」
「テキトーにレポっぽく。後から何かに使えるかもしれないじゃん。使えなくても、思い出にはなるし」
「はあ」
「あと……あの日にできなかったこと」
「……っ」
「ムービー。撮りたくなっちゃった。……"ほらほら! 高森さん、本番ですよ! 今日もゆるふわな感じでお願いします!"」
「……加蓮ちゃん」

藍子の背中を、ぽん、と叩いた。

もう1度だけ揺れる瞳が言葉にならない何かを訴えかけてきたけど無視無視。3歩下がって、スマフォを藍子に向ける。
それでも藍子は数度瞬きして。もう、としょうがなさそうに息を吐いた。
ごほんっ、とわざとらしく咳払い。
その一瞬だけで、柔らかい空気を身に纏う。

「こんにちはっ。お散歩アイドル、高森藍子です♪」
「……へー」
「今日は、いつもとは違う街に来ちゃいました。ここは、私の家から2駅隔てていて――」

……堂々としすぎている態度に少しだけ、ほんの少しだけ口の中に棘の塊が生まれた。
もしかしたら私は心のどこかで藍子を見下していたのかもしれない。
いつもアイドルらしくないと自虐するこの子になら、アイドル界隈でなら負けないなんて驕っていたのかもしれない。

「さっきまであいにくの雨でしたけれど、今はうって変わって快晴ですっ。絶好のお散歩日和ですね♪」

喉を通り過ぎる頃にはもう、棘の痛みはなくなっていた。
嫉妬と同時に、嬉しさがこみ上げてきたから。
藍子だってアイドルだ。
私と同じアイドルだ。
……今日の私はなんだか変だ。矛盾する気持ちが生まれたり、今さらのことを特別嬉しく感じたり。
ホント、変。

「この川、見てみてください。桜の花は散ってしまいましたけれど、川にぷかぷか浮いているんですっ。まるで、水の上に絨毯が敷き詰められているみたい……」

変といえば私達ってホントに何をしてるんだろう。散歩していたと思ったら、えーと……春レポ? お散歩レポ?
藍子ってこーいう番組に出てるよね。いつ私をゲストで呼んでくれるんだろう。ゆるふわ検定1級になったら?
通りかかった人達が私と藍子を見て足を止める。少しだけざわめいて、でもちゃんとした撮影器具がないのを見て去っていく。
中には子供の遊びだと思った人もいるみたいで、微笑ましい笑みを浮かべていた。

……いっそのこと私達で番組を作ってみるのはどうだろ?
藍子ちゃんと加蓮ちゃんの……うーん。タイトルはまた帰ってから考えよっと。
で、通りがかった人全員を悔しがらせてやるんだ。
あれは番組の撮影だったんだ! ちゃんと見てれば自分も藍子ちゃんと一緒に出られたかもしれないのに! なんてさっ。
私?
私は……まー、いいんじゃない?

「ううん、絨毯ではありませんね。船ですっ。これ、花筏(はないかだ)って言うんですよ」
「……花筏?」

あ。口を挟んじゃった。

「はい。たくさんの花びらが川を流れていく様子が、筏に見えたんだと思います。だから花筏――」
「へー、そんな言葉があるんだねー……じゃなかった。"そんな言葉があるんですね!"」
「ふふっ。実は私も、つい最近まで知りませんでした。前に、」
「……」
「……なんでもありません。……あっ、そうだ! 桜の花びらたちは、どこへ旅をするのでしょう。春の次だから、夏かな? それとも、来年の春が来るまで、私たちの知らない場所へと行ってしまうのでしょうか」
「……」
「もしそうなら、ちょっぴり寂しいかな……? ふふ、でも、来年になったらまた出会えますよね」
「……」
「来年になったら、また――」
「……」
「……また、来年に……」

……私が変なのはもう認める。意地を張ってもしょうがない。
でも、それ以上に変なのは藍子の方。
今日だけじゃない。
ずっと変。
私が倒れた日から、ずっと。

「……」
「……」
「……」
「……今日……いっぱい、お散歩をしましたよね」

藍子に2つの表情が入り混じっていた。
半分は困惑している「藍子」の顔で、もう半分は勝手にスイッチが入りお散歩コーナーの出演者を演じる「高森藍子ちゃん」の顔。

「カフェに行ったり、パン屋さんに行ったり。あと、傘で遊んでいる子ども達に、加蓮ちゃんがお姉ちゃんっぽく注意をしていたり……」
「……うん」
「その間、いっぱいお話をしました」
「うん」
「私達、いつもいっぱいお話をしていますよね」
「うん」
「笑ったり、からかわれたり、真剣になって聞き入ったり、……つらそうな顔をしたり」
「……」
「なんでも話せるんです。話したくなるんです。それが私にとって、あなたと過ごす時間なんです――」

高森藍子ちゃんが、藍子の気持ちを話している。
私の好きな人が2人いるみたい。
……さすがに現実味が薄くて、すごく不気味に思えてくる。でも……今しかない。
話したがる藍子を引きずり出せるのは、今だけなんだ。

私は。

「ねえ、藍子」
「……何でしょうか?」
「川に桜がたくさん浮いてるのって、花筏、って言うんだ。知らなかったなー」
「……」
「それさ、」

聞きたかったんだ。

「どこで知ったの? 花筏、って言葉。藍子もつい最近まで知らなかったんだよね? じゃあ、誰かに教えてもらったとか?」
「…………」

藍子の話を。

「…………花筏、という言葉は前に」
「うん」
「……前に」
「前に?」
「……、」

藍子の、想いを。
隠し続ける、"言いたかったこと"を。



「――前に、お花見の時に、教えてもらいました」

「Pさ――プロデューサーさんが……私のプロデューサーさんはすごく物知りで、私の知らないことをいっぱい知っています」

「お花見の時に、プロデューサーさんは少しお酒を飲んでいて、いつもより饒舌だったんです。私に、色んなお話をしてくれました」

「桜が散った後だって、こういう楽しみ方があるんだって」

「……実際に見てみたら、少し、寂しいなって思っちゃいました。でも素敵な言葉だと思います。"花筏"」

「他にも……あの日、色々なことがありました」

「加蓮ちゃんが気にしていた未央ちゃんは、あの日、手当たり次第にLIVEバトルをしかけていました」

「加蓮ちゃんと勝負の約束をしていたから、きっと消化不良だったんだと思います」

「茜ちゃんも乗っちゃったので、大騒ぎになってしまいました。周囲の皆さんをびっくりさせていました」

「凛ちゃんと奈緒ちゃんも、加蓮ちゃんのことをすごく心配していましたけれど、私が"心配しすぎたら後で加蓮ちゃんが怒る"って何度も言ったら」

「後から悔しがらせるくらいに楽しもう、って、奈緒ちゃんが言って、凛ちゃんもそれに頷いていました」

「そうやって、お花見はすごく盛り上がりました」

「色とりどりのお弁当があって、味が濃くて薄くて、甘くて辛くて、美味しくて、ときどき、ちょっぴり失敗したような物もあって」

「コーラとソーダを混ぜたのを歌鈴ちゃんが挑戦したら、すごい顔になっていました」

「途中で飲み物が足りなくなっちゃったから、Pさんとこそっとコンビニに買いに行っちゃいました」

「バレちゃって、抜け駆けなんて言われちゃって、周りから追及されてしまいました」

「私も巻き込まれて、LIVEっぽいこともして……Pさんが真剣な表情になって、カバーソングの収録が決定しちゃいました」

「お花見が終わった時、みんなでPさんと未央ちゃんにお礼を言いました」

「すごく楽しかったから……計画してくれた2人に、お礼を、いっぱい言ったんです」

「……本当に」

「本当に、本当に……すごく楽しかったんです。お花見」

「私も奈緒ちゃんと同じで、後から、」

「……後から、加蓮ちゃんにお話したかったんです」

「お話しようって決めていたんです」

「こんなに楽しかったよ、って」

「せめて、……来られなかった加蓮ちゃんが、私のお話で、寂しがらずに、楽しんでくれると、……いいなぁ、なんてっ……!」

「お話っ……する、つもりでっ……」

「でもあの時、部屋に入った瞬間、それは……ダメだ、って……っ……!」

「真っ暗な部屋で眠っていた、加蓮ちゃんが……ずっと、泣いていたことが、分かったから……」

「……私っ……ずっと、話したかったの……! 楽しかったよって、いっぱい言いたかったの……!」

「でもっ……加蓮ちゃんを見てたら、それは、ダメだって……でも……っ!」

……。

…………。

「……結局泣くんだね」
「だってぇ……!」
「いいの。私、今すごく安心してるんだよ? お花見、本当に楽しかったんだよね。そのことが藍子から聞くことができて、良かった」
「ぐすっ……」
「藍子って優しすぎるもん。もしかしたら、私に余計な気遣いをしてたり……なんて思っちゃってさっ」
「ひくっ……」

唇の端が震える。
心臓がうるさい。
それでも泣かないで済むのは、ずっと服の袖で目を覆う藍子が、私の代わりに泣いてくれているから。

「ありがと、藍子」
「ぐすっ……、……ふぇ? なにが……?」
「やっと、藍子が言いたいことを言ってくれた」
「っ……!」
「ずっと隠してたんでしょ。ずっと、私に話したかったんでしょ。花見は楽しかったよって」
「そう、ですっ……! でもっ……」
「……ん」
「独りで泣いていた加蓮ちゃんに、こんなこと、話せるわけなかった……っ……!」
「うん。……今、いっぱい聞いたよ。だから……聞かせてくれて、ありがと」

抱き寄せた。

「……っとと」

今だけ。
身長が全く同じであることを呪った。
くるんで安心させてあげたかったのに。
つま先立ちをしてよろけながら抱き寄せる、というすごく格好悪い形になった。

「ぐすっ……加蓮ちゃんっ……!」
「なあに?」
「どうして……」
「うん」
「……どうしてっ……」
「うん」
「…………っ……!」
「いいよ。ぜんぶ言ってよ。藍子の気持ちが知りたいの」
「………………あんなに、楽しく、て……どうして……どうして、加蓮ちゃんは――」

くぐもった声で、でも藍子ははっきりと言った。


「どうしてっ……お花見に一緒に来てくれなかったんですか!! なんで体調なんて崩しちゃったんですか……っ!!!」

――歯を食いしばって、手に力が篭って、心が自制の為に冷えていって、それでも、刺さる。
どうして?
そんなもの、私の方が聞きたいよ。
なんで楽しみにしていた約束を潰されないといけないの。
私が何をしたっていうの。

「…………藍子」
「どうしてっ……加蓮ちゃん、いてくれなかったんですか……!!」

……でも。
刺さったのは、私だけではない。
藍子も。

一緒にお花見をしたかった。その場にいてほしかった。
私と同じ気持ちを、でも藍子は隠し続けていた。
藍子は優しすぎるから。

「加蓮ちゃんのばかっ……! いて欲しい時にいてくれない加蓮ちゃんなんて……だいっきらいですっ……!」
「……うん」
「……だいすきだから、いてほしかったのに……!」
「うん」
「ひぐっ……わああああぁあああぁぁああ~~~~~~ん!!!」
「うん……っ……」

しばらくの間、藍子は泣き続けた。
ぐさぐさと、心に無数の楔が撃ち込まれるのを自覚しながら、それでも抱きしめて、抱きしめ続けた。

激情をよそに、花筏は緩やかに流れていく。
その先がどこなのかは誰にも分からない。

でも――
もし、桜の次の季節を連れてきてくれるなら、今度こそ藍子との時間を作ろう。
何も後悔しないように、笑顔になれる時間を作ろう。
もし、来年までおあずけなら、今度こそ約束を守ろう。
もう2度と、大泣きなんてさせないように――
ううん。
大泣きしたっていい。
せめて、我慢させないように。
藍子が言いたいことをぜんぶ言えるように、約束を守ろう。

桜流しの1日は、沈みゆく陽の中にありったけの想いをぶつけられながら、幕を閉じた。

――後日、いつものおしゃれなカフェにて――

あの後、藍子が落ち着いた頃にはもうすっかり暗くなりはじめていて、私達は慌ててそれぞれの家に連絡し電車に飛び乗った。
結果として駅にて待ち伏せしていたお互いの親と鉢合わせ、これは何時間コースを覚悟したものか……と身を竦めていたけど、意外にもお説教はなかった。「心配させないように」の一言だけだった。
たぶん私のお母さんは藍子のお母さんがその場にいたから外行きの顔になったんだと思う。
藍子のお母さん……も案外そうだったりして。私のお母さんと似てたりするのかな? もしかしたら母親ってみんなそうなんだったりして。

「みんな、きょとんとしていましたね」
「……私が頭を下げるのってそんなにおかしいことなのかなぁ」

新緑の、ある晴れの日。
私はいつものカフェに"逃げてきて"いた。
ついでに言えば藍子も逃げてきている。

「ふふっ。加蓮ちゃんって、いつでも堂々としているイメージがありますから」
「そんなことないよ……藍子にだって、謝りすぎだって言われたばっかりじゃん」
「……あははっ」
「何」
「みなさんがきょとんとしているのを思い出したら、その、つい……」
「……思い出すとなんかこう、なんかこう……」
「なんかこう?」
「モヤモヤするー」

遅れを取り戻す為に詰め込んだスケジュールも一段落した頃、私は改めて事務所のみんなに謝ることにした。
お花見に参加できなくてごめん、と。
そうしたら、ほぼ全員に「……え?」という反応をされた。
当たり前といえば当たり前だ。今さら頭を下げられても困るだろうし、何より隣で藍子まで一緒になって「ごめんなさいっ」と言い出すのだから、言われた側としては意味が分からないと思う。

「いやいや、やっぱりあの反応は藍子のせいだって」
「ええっ」
「ほら、私が改めて謝るのはまだ分かるけどさ。藍子まで頭を下げてたじゃん。みんな絶対、え、なんで藍子が謝ってんの? って思うよ」
「……言われてみれば、私はどうして頭を下げたんでしょう?」
「少し前の自分に聞いてみたら?」
「どうしてでしょうか、当時の私っ」

さらに言えば私は謝るだけ謝って説明をほとんどしていない。
だってさ、説明って言われても、最終的に藍子がああなった話に行き着くしかなくて……いくら加蓮ちゃんでもあのエピソードを暴露する訳には……ちょっとね。
しばらく頭を下げ続ける私に、みんなは「気にしてないよ」「次のパーティーは絶対参加してよ!」って言ってくれた。すごく嬉しかった。
未央が「次のパーティーはかれんが主催すること!」って言ってきた。心地よいプレッシャーだ。

そこまではよかった。
問題は「また謝るなんて、何があったの?」という質問。
さらにひどいのは「何を企んでるの!?」って反応。いやあの私を何だと思ってるのかな!? どういうつもりで言ってるのかなぁ!?
問い詰めたかったけど空気がすごく微妙だし藍子も困り顔だったし、そのうち気にしてないって言ってくれた子もまた怪訝な顔になりつつあったから、とにかくそういうことだから! と言い残して私は逃げた。
藍子を巻き添えにして。
なんかどこかのドジ巫女が追っかけてこようとして盛大に転んでいた気がする。今度和菓子でも持っていっとこっかな?

そして、今に至る。

「……ま、今日はもう予定ないからいいんだけどね」
「あはは……せっかく生まれた時間ですから、ここでのんびりしちゃいましょ?」
「そだねー。あ、そうだ。巻き込んでおいてアレだけど藍子は大丈夫だった? レッスンとか、お仕事とか」
「大丈夫です。今日はもう帰るつもりで、支度をしていたらレッスン終わりの加蓮ちゃんが急に謝り始めたから……私まで、首を傾げちゃいました」
「藍子までもかー……」
「すぐに意図は分かりましたよ」
「そう? さすが藍子」

次は逃げたことを謝ることになるのかな。
そうしたらその次は、逃げたことを謝る時に逃げたことを――ああぁ面倒くさい!
もういい、終わったことにしよう。
終わったことは無かったこと。何も無かったんだ。謝って空気を微妙にさせた出来事なんて"無かった"。私が無かったって言ったらそれは無かったことなの!

「……でも」
「?」

……でも、人生には、無かったことにできないことと、したくないことがある。
お花見に参加できなかったことは、今でも少しもやもやするし。
花筏の前で藍子が大号泣したことは、どんなことがあっても忘れない。

「ううん。それより今日も疲れちゃった。ケーキでも食べない?」
「いいですねっ。すみませーん! ――あっ、いつもの店員さん♪ ふふ、今日もお疲れ様ですっ」
「やっほー。……そういえば思い出しちゃった。あのカフェに行った時、藍子がついクセで、」
「わ~~~~~~!? そ、それは無かったことにしてください! そういうの加蓮ちゃん得意なんでしょ!? ほら、恥ずかしかったことは無かったことに……え? 店員さん? あのカフェはどこなのか、って? え、あの、どうしてそんな険しい顔になっているんですか……?」
「あっははははははははははは!!! 店員さーん、ショートケーキ2つ、お願いねっ」
「あ、はい、お願いします! あとコーヒーも!」
「私もコーヒーお願い~」

やがて運ばれてきたケーキだけど、珍しく私の分と藍子の分でいちごの大きさが同じだった。
ごゆっくり、といつもよりか細い声の店員さんから微妙な哀愁が漂っていた。
ふふん。分かってないなぁ。
この前言ったじゃん。「私のだよ?」って。
……なんてねっ。

「いただきます」
「いただきますっ」

同時に手を合わせて、タイミングがかぶったことに笑って、それもまた全く同時だったからもっと笑った。
おんなじことなのに、私より藍子の方がいっぱい笑っていた。

桜の季節のお話はこれにて終わり。
新緑がやってきて、梅雨が来て、やがて夏が到来する。
さ、次はどんな時間を過ごそうかな。
せめて――いや。

絶対に。
この桜の季節よりも、いっぱい笑えるような時間を。



おしまい。
読んでいただき、ありがとうございました。

おつですー

よかったー……
素敵過ぎて言葉の代わりに涙出ますー……

中間でこのふたりが似たような位置だったのも、なんかシンパシー感じますねー

おつおつ
感動

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