剣闘士「あー……マジで試合出たくねえ」 (28)


吐いた。


今朝食べたパンどころか、昨晩食べた干し肉やサラダまでみごとにぶち撒けた。

試合直前になるといつもこうだ。



「あー……マジで試合出たくねえ」


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俺はまもなく闘技場での試合を控えた剣闘士。


剣闘士というと皆さん、どんなものを想像するだろうか。

二人の男が剣を持ち、見世物としてどちらかが死ぬまで戦う……。
こんな光景を想像してるのではなかろうか。


たしかにかつては――といっても俺が生まれる前の話であるが――そういう側面もあった。

興業のたびに死人が出るわ出るわ。
剣闘士というのは世間からあぶれ、もはや自分の命ぐらいしか財産がない落伍者がなる職業、
そういうものだったそうだ。


しかし、今の闘技場興業からはそういった血生臭さは極力排除されている。


剣闘士にはグレードの高い兜や鎧が支給され、剣は切れ味を落としたものが使われ、
審判は専門の資格を持った者が行う。

闘技場では年間1000試合以上行われるが、死人が出ることなど稀も稀。重傷者ですらめったに出ない。
極めて高い安全性が保証されている。

もし死人が出れば、その試合を担当した審判は厳しく罰せられることになる。
悪質だった場合は「殺人罪」が適用されることも。


つまり闘技場における戦いは、いたって健全な「強さ比べ」へと昇華されているのだ。

それにつれ、剣闘士の地位も上がり、今や見世物どころか尊敬される職業になってるといっていい。


それならば吐くほど緊張することもあるまい、と思う方もいるかもしれない。
めったに死ぬことはないんだから……と。

俺もそう思う。


けれどもやはり「死なない」と「めったに死なない」は天と地ほどにも違うのだ。

どれだけ安全性が高められようと、制度が整おうと、どこまでいってもしょせん戦いは戦いである。
低確率ではあっても、剣闘士たちは「命を賭けている」ことに変わりはない。


だからこそ、大勢の観客は俺たちを尊敬し、俺たちの戦いに熱狂してくれるのだ。


それに、いかに切れ味を落とした剣とはいえ、攻撃されればやっぱり痛い。


いつだったか怪力の対戦相手から胴に一撃もらった時は、鎧を装着してたにもかかわらず、
肋骨にヒビが入っていた。

いつだったか技巧派の対戦相手から腕に一閃を浴びた時は、出血のわりに浅手だったにもかかわらず、
鋭い痛みが一週間は続いた。


はっきりいうが、俺は痛いのが嫌いだ。大嫌いだ。
これらの記憶を思い出すだけで、視界は暗くなり、背筋は凍り、戦う気力がみるみる萎えていく。

もしまだ胃に内容物が残っていたら、再び吐き出してたところだ。


というわけで、俺が戦いたくない理由は痛いほど分かってもらえただろう。


「あー……マジで試合出たくねえ」


頭を抱え、俺は先ほどと同じセリフを、ため息とともに垂れ流した。


こういう時、俺は決まってなぜ自分が剣闘士になったかを振り返る。
初心に帰ることで、もしかしたら闘志が湧いてくるかもしれないからだ。



俺は子供の頃から闘技場観戦が大好きだった。

親にせがんで大きな興業があるたびに闘技場に連れていってもらい、
剣闘士たちの華々しい活躍に一喜一憂したものだ。


かなり幼い頃から、将来は闘技場で働く人になろう、と決めてたのはよく覚えている。


闘技場で働く人といえば、剣闘士、審判、実況、警備員、雑用スタッフなどが挙げられる。

俺は初めのうちは真っ先に剣闘士を候補から除外していたのだが、


「君、なかなか才能あるね」


学校の休み時間、丸めた紙で剣闘士ごっこをしていた時、担任教師にこういわれたのがきっかけだった。
いい気になった俺はこれまた親にせがんで木剣を購入し、剣闘士への道を歩むことになってしまった。

ああ、なんという選択ミス……。
担任のあの一言がなければ、あれでその気にならなければ、俺はこんな目にあわなくて済んだかもしれないのに。
世の中なにがきっかけになるか分かったものではない。


ちなみにずっと後になって分かったことなのだが、担任に剣の心得などまるでなかった。
ようするに適当なことをいっていたのだ。

まったく罪な先生ですよ、あなたは。


自分がなぜ剣闘士になったかを思い返してみても、浮かぶのは後悔の念ばかり。
これじゃダメだ。


じゃあ次はどうしよう。
そうだ、俺が贔屓にしていた剣闘士のことを思い出してみよう。

そうすれば「俺は今、あの人と同じ職業についてるんだ、やってやる」って気持ちになれるかもしれない。


俺が贔屓にしていた剣闘士は、300戦以上試合をして無敗という、まさに英雄だった。


あの人の戦い方を一言で評するなら、勇猛果敢。
いついかなる時も前に出て、きつい一撃をもらっても決して退かず、勝ち続けた。
どんなに苦しい時も、ファンの声援に応え続けた。
剣闘士の理想像といっていい存在だった。

幸か不幸か、俺が剣闘士になる頃にはすでに引退していたため、剣を交えることはなかったが……。


「同じ職業……? 俺はなにを思い上がってるんだ。
 俺とあの人じゃ、それこそ刃が折れたナマクラ剣と名剣ぐらいの差があるってのに」


この試みも、結局自分と憧れの人の差を改めて思い知るだけの結果となった。


恐怖で体が震える。冷や汗がじわじわにじみ出る。手足がますます重くなる。

そうこうしているうちに、スタッフが俺のもとへやってきた。


「まもなく試合ですので、スタンバイお願いします」

「もうそんな時間か……すぐ準備するよ」


プレッシャーで一瞬意識が遠くなるが、ここで俺はあるアイディアをひらめく。

この体の震えを病気によるものということにして、スタッフに棄権を申し出ようというのだ。


当然不戦敗になるから戦績に傷はつくし、今日は収入ゼロになってしまうが、なあにかまやしない。


剣闘士が体調不良を理由に、試合を直前で棄権するケースは年に何度か発生する。

大昔の見世物興業だった頃はこんなこと認められなかっただろうが、今は認められている。
不調な者を無理に戦わせる方が残酷だ、という風潮が広がっているためだ。


よし、仮病を使おう……俺は心に決めた。


「おや? 体が震えていますが、どこか具合が悪いのでは……」

「これかい? 武者震いだよ、いつものことさ」


反射的にこう答えてしまった。

俺のバカ。なぜ見栄を張った。

せっかくあっちから俺の逃げ道を作ってくれたのに、自ら塞いでどうする。
こんなことをいってしまった以上、やっぱり具合が悪いんです、とはさすがにいえない。

俺は自分をゲンコツで殴った。


「自分で自分を殴って、気合を入れてるんですか? さすがですね」


全然違うから。そんな上等なもんじゃないから。もう放っておいてくれ。


俺は仮病作戦を断念し、しぶしぶ準備を開始する。


青い鎧、青い兜、青いレガースなどをため息をつきながら装着していく。
これを全部身にまとったら、もう試合なのだ。

防具を一つ身につけるたび、死刑執行の階段を一段ずつ上っていくような感覚を味わう。


本来防具とは不安を消すための存在であるはずなのに、皮肉なものである。


ちなみになぜ全て青色なのかというと、あれはまだ俺が剣闘士になりたての頃、
防具をどれにするか悩んでいると、
(剣闘士の武具は公正を期すため、全て闘技場からの支給品を身につける決まりになっているが、
 どういうファッションにするかは支給品の中から剣闘士自身で選択できる)
先輩がやってきて、


「お前、好きな色はなんだ?」

「青……ですかね」

「じゃあ全部青にしちゃえよ! 決まり!」

「ええっ!?」


このやり取りで決まってしまった。

いくら青が好きでも青づくめってのはちょっと……と抗議することができず、
結局デビュー戦から今に至るまでずるずると青ずくめ装備のままである。

おかげで『ブルーファイター』なんて異名まで付けられてしまった。


まあ、試合直前はいつもブルーになってる俺にはぴったりな異名かもしれないが。


防具を付け終われば、あとはもう出陣するしかない。

支給品の剣を握り締め、試合場に続く通路を一歩一歩進んでいく。


「相手が棄権してくれて、不戦勝になったりしないかなー……」


あるわけないと分かってるのに、こんなことを小声でつぶやいてしまう。

ああ……試合したくない。逃げ出したい。剣も鎧も打ち捨てて、おうちに帰りたい。
もうそんなタイミングはとっくに逸しているというのに。



汗が止まらない。体が震える。泣きそう。腹痛い。誰か助けて――


「がんばってくださいっ!」



突然の声だった。

俺のすぐ横には、いったいいつからいたのか、小さな男の子が立っていた。


「ぼく、あなたのファンなんです! いつも応援してます!」

「あ……」


この子の熱い眼差し、かつての俺にそっくりだ。

闘技場が大好きで、剣闘士や闘技場で働く人たちに憧れてた頃の俺に……。


こんな子供の期待を裏切ることができるだろうか?
もちろんできるわけがない。


俺は男の子に右手を差し出し、握手を交わした。


「嬉しいよ。応援ありがとう」

「あ、あと……実は……」

「サイン欲しいのかい? 書いてあげるよ」


俺は男の子が左手に隠していた紙とペンを受け取り、我ながら汚い字でサインを書いてあげた。

俺なんかのサインで喜んでくれるなら安いものだ。


スタッフが飛んできた。


「コラッ、どこから入り込んだんだ! ここは関係者以外立ち入り禁止だってのに!
 申し訳ありませんっ!」

「いいっていいって。叱らないであげてくれよ」


スタッフに連れて行かれる子供を笑顔で見送ると、俺の中にも覚悟が決まっていた。



そう、俺は剣闘士――

どうしようもないほど臆病で、痛いのが嫌いで、吐いてしまうくらい試合に出たくなくても、
俺の活躍を待ってくれてる人がいる限り、試合せずにはいられない。

そういう人種なのだ。


試合場の方角から歓声が聞こえる。

吐き気や震えは、もう止まっている。



「行くか!」



俺は剣をよりいっそう強く握り締め、試合場へと足を踏み入れた。




……

……

……


ある大きな闘技場で、まもなく試合が始まろうとしている。

これから試合を行う二人の剣闘士のうち、すでに一人は入場している。
屈強な外見をしているが、その表情には明らかに過度の緊張と興奮が漂っている。


そして、もう一人が登場するや否や、満員御礼の観客席が沸いた。

ここぞとばかりに実況が盛り上げる。



「お待たせしました! デビュー以来無敗の英雄、人呼んで『ブルーファイター』の登場だぁっ!」



頭、胴、足を青色の装備で固めた剣闘士が、力強く右手を上げ、観客の声援に応じる。

この『ブルーファイター』が、今もっとも強く、勢いのある剣闘士だということは間違いない。


観客席にて、雑談に興じる若者二人。


「さっすが『ブルーファイター』だわな。恐れも気負いもない顔してる。
 一方の対戦相手はもう顔がこわばってやがる。試合する前から勝負が見えてるようなもんだ」

「まったくだよ。こんな大舞台なのにあんなクールでいられるなんて、いつもながら鋼鉄の精神力だね」

「しかもいざ試合が始まると、その戦いぶりは勇猛果敢そのもの。
 アバラを砕かれても、腕から大出血しても、勝っちまうってんだから大したもんだぜ」

「心も体も技もいうことなし。そりゃあこれだけファンがつくわけだよね」

「この完全無欠ぶり……まるでかつてのあなたの再来ですよね!」


若者のうちの一人が、隣に座っている初老の紳士に話題を振る。


初老の紳士――かつて338戦無敗という大記録を打ち立て、引退した偉大なる剣闘士。

彼は『ブルーファイター』と呼ばれる剣闘士を見て、微笑みを浮かべた。


「うん……若い頃の私にそっくりだ。きっと彼も試合前は……」


初老の紳士は、現役時代に何度も味わった胃液のあの苦みを、ふと思い出していた。







― 終 ―

※訂正
文中で何度か出ている「興業」は、正しくは「興行」となります。
失礼いたしました。

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