勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」後編 (758)

とりあえず立てただけ

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1453610014

立て乙
余計なお世話かもしれんが一応前スレのURL張っておくぞ

勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1415004319/)

 強くなったつもりだった。
 多くの敵を倒し、沢山の神殿を解放して、出来る限り力をつけたつもりだった。
 実感はある。
 獣王との決着をつけたあの日の時点と比較しても、あの世界樹の森での体験を経て自分の力は跳ね上がっている。
 獣王にも到底敵わないと武の国諸侯の前で嘯いてはみたものの、その実、やりようによっては独力で打倒できるのではと思えるほどには自身に自信をつけていた。

 だけど―――――届かない。

勇者「ぐ…はっ、はぁ……! ぜぇ…ぜぇ…!」

 地面に膝をつき、剣を杖として己の体を支えながら、勇者は必死で呼吸を整える。
 相対する騎士は追撃を加えるでもなくそんな勇者をただ見下ろしていた。

騎士「どうした? もう終わりか?」

勇者「…まだ…まだぁ……!」

 乾いて貼りついた喉にごくりと無理やり唾液を通し、勇者は立ち上がり剣を構える。

騎士「はは! そうこなくっちゃなぁ!!」

 その途端に、騎士は嬉々として勇者に向かって突っ込んだ。
 騎士は精霊剣・湖月を横殴りに振り回す。
 勇者は真打・夜桜をもってそれに応じる。
 騎士は片手。勇者は両手だ。
 なのに押し負けたのは勇者の方だった。
 ギャリン、と音を立てて振り切られた騎士の剣に押された勇者の剣は流れ、勇者は無防備な体を晒してしまう。
 そこを騎士に蹴りこまれた。

勇者「げう…!」

 腹部にめり込んだ騎士の足に押され、勇者の体が後方に吹っ飛ぶ。
 ダン、と木の幹で背中を強打した。

勇者「が、は…!」

 勇者の体はそこで止まったものの、衝撃でへし折れた木はめきめきと音を立てて傾いでいく。
 苦痛をぐっと飲みこみ、勇者は顔を上げる。
 騎士が眼前に迫って来ていた。

勇者「う、お…!!」

騎士「そらそらそらぁ!!」

 防御、防御、防御―――――繰り出される連撃を勇者はひたすらに耐え凌ぐ。
 これまでの経験で培われてきた勇者の防御技術は一級品だ。
 ひとたび防御に徹すれば、どんなに格上を相手にしても打ち破られたことはない。
 かの獣王の猛攻をすら、勇者は凌ぎきってみせた。
 なのに―――!

騎士「ほらまた隙が空いたぁ!!」

 勇者の剣をすり抜け、騎士の剣の切っ先が勇者の体に触れる。
 獣王以上の威力で、獣王以上の速度で、確かな技術を持って繰り出される連撃は、勇者の防御を容易く潜り抜けた。

勇者「うおああああああ!!!!」

 無我夢中で身を捩り、勇者は騎士の剣を躱す。
 浅く裂かれた勇者の胸元からどろりと血が零れた。

勇者「ぐ……ちっくしょお!!」

 勇者は地面を蹴ってその場を離れ、騎士から大きく距離を取る。
 追撃に移らんと身を屈める騎士に向かって勇者は指をさした。

勇者「呪文・大烈風!!!!」

 勇者の指先から生まれた風の塊が騎士に向かって突っ込んでいく。
 木々を薙ぎ倒し、まともに当たれば竜の尾撃すら打ち逸らすその威力。

騎士「うざってえ!!!!」

 騎士が剣を振る。
 その余りの速度に生まれた衝撃が、迫る風の塊と激突した。
 相殺し、霧散する勇者の風の呪文。
 ――――剣のたった一振りで、勇者の呪文は無効化されてしまった。

勇者「くっ…」

 わかってはいた。
 わかっていたつもりだった。

 だけど――――こんなにも遠いのか

騎士「茶番はよせよ、勇者」

 騎士は呆れたように勇者にそう声をかけた。
 勇者の肩がピクリと震える。

勇者「茶番…?」

騎士「俺はお前の事を良く知ってる。お前の性格は熟知してる。お前は臆病で―――慎重だ。お前は決して、勝ち目のない戦いは挑まない」

騎士「お前は必ず、ある程度勝ちの算段をつけてから戦いに臨む。今回だって、そのはずだ。あるんだろう? 俺を倒す、何か『切り札』のようなものが」

騎士「それを見せろよ。うだうだと、くだらねえ時間稼ぎなんてしてんじゃねえ」

 勇者と騎士の視線が交差する。
 ふぅ、と勇者は息を吐いた。

勇者「分かったよ。見せてやる。だけど、その前にひとつだけ聞かせてくれよ」

騎士「なんだ?」

勇者「騎士……お前はどうしてあの時、武の国で俺を救ってくれたんだ? どうしてわざわざ、壊れていた俺を元に戻してくれたんだよ」

勇者「お前が『暗黒騎士』だっていうんなら、俺は壊れたままでいた方が良かったはずだ。あのままだったら、俺は多分、ここまで辿りつくことは出来なかった」

勇者「そっちの方が、魔王軍として都合が良かったはずだ……なあ、教えてくれ。お前は一体どうして……」

騎士「ああ、なんだそんなことか。そんなもん決まってるじゃねえか」

 騎士はあっけらかんと笑った。

騎士「教えてやるぜ、勇者。俺の行動理念はいつだって、どんな時だって、たったひとつだ。お前を救ったのだって、それに従っての事に過ぎない」

 騎士の笑みに悪意はない。
 純真無垢とすら言ってよかった。
 だからこそ――――『有害』と彼を評した勇者の言は、正鵠を射ていたのかもしれない。



騎士「つまり――――そっちの方が面白そうだったから、だ」







第二十八章  モンスター






 滑稽な父親の死に様が愉快だった。

 泣き叫ぶ同僚にとどめを刺すのは爽快だった。

 逃げ惑う王を追い詰めた時は興奮した。


 町の住民を虐殺した時は大変だった。

 数も多いし、自分の仕業だとばれないようにするために、かなり気を遣った。

 だからこそ、成し遂げた時の達成感は一入だった。

 あの日ほど、昇る朝日を美しく思ったことはない。



 退屈が嫌いだった。

 人生を半分無駄にした分、これからを楽しまなきゃという気持ちが強かった。

 故郷を滅ぼし、後始末を終えて、やることが無くなった。

 さて、これからどうしようかと悩み―――とりあえず魔王城を目指すことにした。

 戦うことは好きだったから、暇つぶしになればと思い、魔王城に乗り込んだ。

 どこにこれだけ隠れてたんだってくらい大量の魔物が襲って来たけれど、誰も自分に傷一つつけられなかった。

 獣の王、なんて大仰に名乗った猫ちゃんは少しばかり歯ごたえがあったけど、それでも自分の全力を引き出すには遠く及ばなかった。

 そのままあれよあれよと奥に進み、遂には魔王と対面し、剣を交えて――――



 なんとまあ、驚くべきことに、そのままあっさり魔王に勝ってしまった。



 かなり拍子抜けした。こんなものなのかとがっかりした。

 同時に、こうも思った。

 これで、こんなもので、世界は平和になってしまうのか―――と。

 自分なんて世界じゃ無名もいいところだ。

 誰とも知れない人間が、いつの間にやら魔王を倒し、世界を平和にしてくれた。

 世間の人々はどう思うだろう。

 ラッキー、助かった。これで安心して暮らしていける。なんて幸運なんだ、我々は!

 ――――そう想像すると、非常に気分が悪かった。

 まったくもって気に喰わなかった。

 だから、魔王の命乞いを聞き届けた。

 仲間にならないかという誘いも受けた。

 こうして、『暗黒騎士』という魔王の側近が生まれた。



 一応、余計な波風を立たせないために魔王城内では仮面で顔を隠していた。

 魔王の新たな側近、『暗黒騎士』の正体が魔王城を半壊に追い込んだ人間だと知るのは、魔王の他には獣王といったごく一部の魔物だけだった。

 魔王の側近となって、色々と面白い話を聞いた。

 魔界のこと、大魔王のこと、それから―――『伝説の勇者』の結末。

 そんな話を聞けただけで、魔王に協力する価値はあったと思った。

 といっても、部下というよりは賓客という扱いだったから、命令は受けず、協力は完全に自由意志で行った。

 気ままに世界を旅行して回り、気が向いた時だけ魔王にとって利になる行動を取った。

 すなわち―――『魔王討伐を目的とした冒険者の排除』。

 魔王軍にとっての脅威の芽を事前に摘むこと。

 魔王討伐の旅をしている冒険者の噂を聞きつけては、様子を見にそいつの元を訪ねた。

 そして、見込みのない者には実力差を見せつけて心を折り、早々に旅を諦めさせた。

 そんなことを繰り返しているうちに―――あの町で、勇者に出会った。



 『伝説の勇者』の息子がこの町に居ると聞いて、正直言ってかなりテンションは上がっていた。

 親父が目の敵にしていた『伝説の勇者』。

 自分の人生を歪めた遠因となった男の、息子。

 別に恨みつらみがあった訳じゃない。あったのはただただ単純な、興味。

 自身と同じように、いやそれ以上に、父親の名の重圧を受けて育ったであろう男。

 果たして、どんな人間なのか―――ちょっとばかり期待を持って、接触した。


 結論から言って――――まあがっかりした。


 成程話してみると似たような境遇で生きてきた者同士、気が合う部分は確かに有った。

 だけど勇者は弱すぎた。

 父親の重圧からただ逃げて、それでへらへらしているクソ雑魚野郎だった。

 それを知って、もう全く勇者への興味を失った。

 むしろ、父の名から逃げ出したくせに中途半端に『伝説の勇者の息子』としての立場を保ち続けていることに怒りすら覚えた。

 だからもうどうでもいいやと思って、近くにいた猫ちゃんに勇者の存在を教えてやった。

 いちいちこちらに突っかかってくる猫ちゃんへの嫌がらせとして、多少話を盛って。

 それで、勇者のことは頭から綺麗さっぱり忘れてしまった。



 だから『武の国』で再会した時は本当に驚いた。

 あの程度の力量しか無かったのに猫ちゃんの手から逃れたのもそうだし、何より勇者は面白おかしい事になっていた。

 『伝説の勇者の息子』への興味は俄然復活した。

 話を聞くために、勇者を無理やり酒場に連行した。

 女二人がついてきているのには気づいていたが、どうでも良かったので気にしなかった。

 酒場で勇者の話を聞いて、ぞくりと背筋が震えるのが分かった。

 『誰も彼もが自分を「伝説の勇者の息子」としてしか見ていない。本当の自分など、周りの人間は誰も求めてはいないのだ』

 そこに至る過程に違いはあれど、勇者は自分と同じ結論に辿り着いていた。

 だのに、それから取った行動が、勇者は自分の全くの真逆。

 自分は自身を保つために周囲を拒絶した。それが普通で、正常だと思う。

 だけど勇者は周囲を優先して自分自身を拒絶した。全くもって理解が出来ない。

 百歩譲って、勇者が自分を犠牲にして周りを助けることに快感を、幸福を感じる超絶ナルシスだというのなら話は分かる。

 だけど勇者の感性は、どちらかと言えば自分と同一の物だった。

 周囲から物事を押し付けられた時に、「どうして俺が」とストレスを感じる一般的なものだった。

 それでも勇者は周囲を優先する。自身の利益を押し殺す。

 それで周囲が幸せになったとしても、勇者は幸せを感じない。

 強いてその行動による勇者の利益を挙げるなら、奴はそれでようやく多少は心の平衡を保てるようになる、といった程度だ。

 つまり、勇者はおそらく、周囲よりも自身の利益を優先させることに強い罪悪感を覚える性質なのだ。

 他人より自分を優先することは悪い事なのだと思い込んでいる。

 ―――――なんだ、それは。

 究極のお人好し―――いや、もはやこれはそんな次元ではなく―――人として、生物として、故障品ではないか。

 そこで初めて、勇者に対して強い興味を持った。

 『伝説の勇者の息子』ではなく、勇者自身に対して。



 故障品―――そんな言い方をしたが、実際の所、勇者はこの時点で半ば壊れかけていた。

 このまま壊れてしまうのは、余りに勿体無い。そう思って励ました。

 もっともっと、こいつの滑稽な人生を見ていたい。

 それは、きっとすごく楽しい。

 例えば、こんな風に自分を励ましてくれた人間が、実は魔王の側近だと知った時、こいつはどんな顔をするんだろう。

 旅を続けて、魔王を倒せるかもなんて思い上がった時に、背後から刺されたら――――こいつは、親父みたいに驚くんだろうか。



 見たい。それはすごく見たいなあ。


 ああ、勇者。俺はお前を救おう。


 お前が魔王の所まで辿りつけるように、最大限のフォローをしよう。


 だから、最高の結末を俺に見せてくれ。


 ――――そうだな、まずは精霊剣っていう神秘の存在を、お前に教えてあげるとしようか。


勇者「面白そう……か。そうだな。お前はそういう奴だよな」

騎士「本当はな、お前と一緒に魔王の所に行って、そこで正体をばらすつもりだったんだよ。その時のお前の顔を見るのが楽しみだった」

勇者「だけど、先に俺が気づいてしまった……残念だったな。お望みの顔が見れなくて」

騎士「まあ、それ以前にこんな『宝術』なんてもんを引っ張り出された時点でご破算だわな。まさか勇者以外の人間でも魔王を倒せるようになるなんてよ」

騎士「どうするかすげえ迷ったんだぜ~? それでまあ、エルフ少女を殺して、俺をエルフ少女の傍に配置したことを後悔するお前の顔を見て良しとしようと思ったわけだ。それも全部お前の手のひらの上だったわけだけどな」

 もはや本性を隠そうともしない騎士に、勇者は呆れ混じりの笑みを浮かべる。
 いや―――違うのか。勇者はこれまでの騎士の言動を思い返す。
 騎士は元々本性を隠してなんていなかった。
 この男はいつだって倫理を無視して自由奔放に、好き勝手に振る舞って来た。
 自分の利益が最優先―――その本質を、騎士はいつだって大っぴらにしてきた。
 今はただ、今まで言ってなかったことを言っているだけ。

勇者「分かったよ、騎士」

 勇者は騎士に向かって言う。宣言する。

勇者「迷いはもう無くなった。俺はお前を殺すよ。容赦はしない」

騎士「おう、どんと来い」

 勇者の言葉を受け止めて、騎士は不敵に笑った。

 勇者は騎士に向かって再びその指をさした。

騎士「……あん?」

勇者「呪文―――大火炎ッ!!!!」

 勇者の指先に魔力が集中し、業火を生み出す。
 直径三メートルにも及ぶ大火球が騎士に向かって直進する。
 しかし騎士に焦りはない。
 既に見慣れた技だ。何の脅威も無い。

騎士「何のつもりだ?」

 騎士が剣を振る。
 湖月の力を発動させるまでもない。
 ただそれだけで火球は斬り飛ばされ、霧散する。
 火球が散って、勇者の姿が騎士の目に入った。
 勇者は先ほどと変わらぬ立ち位置で、まだ騎士に向かって指を伸ばしている。

勇者「呪文・大烈風ッ!!!!」

 勇者の指先から風の塊が射出された。
 騎士はその攻撃を躱そうともしなかった。
 風の塊が騎士を直撃する。
 呪文の直撃を受けて、しかし騎士は微動だにせず、呆れと失望を顔に浮かべてぽりぽりと頭を掻く。

騎士「……で? これが何だってんだ?」

 勇者の呪文は知っている。
 そしてそのどれもが、今のようにたとえ直撃したとしても騎士の強固な精霊加護を貫けない。

騎士「剣で勝てないから呪文で勝負……まさかそんな単純な結論を出した訳じゃねえよな?」

 騎士の問いに、勇者は笑みを浮かべて答えた。

勇者「いやあ……お前の言う通りさ。剣じゃ絶対にお前に勝てない。だから―――呪文で勝負させてもらう!!」

 勇者の指先に魔力が集中する。

勇者「呪文――――」

 騎士は勇者の指先を注視した。

騎士(くっだらねえ。お前は所詮この程度なのか、勇者)

騎士(もう茶番には付き合わねえ。次の呪文を躱したら、そのままぶった斬ってやる)

 そして、身を低く構え、勇者への突撃の姿勢を固める騎士。
 同時に、勇者の呪文が完成する。

勇者「――――『大雷撃』ッ!!!!」

 勇者の指先を注視していた騎士の頭上から―――閃光と轟音を伴って、雷が降り注いだ。

騎士「ぐぁっ、があああああああ!!!!?」

 ビシャァァアアン!!!! と、凄まじい衝撃が騎士の体を打つ。
 それまでの呪文二連撃によって勇者の指先に意識を集中させられていた騎士は、頭上から降り注ぐ雷に碌な反応も示すことは出来なかった。

騎士(なんっだこりゃあ!!? 今の光と音…そして、このダメージは一体…!?)

 騎士の脳裏に、武の国で兵士長と共に目撃した情景が蘇る。

騎士(雷…!? 勇者の奴、まさか雷を呼んだってのか!!?)

 呪文・大雷撃【ダイライゲキ】。雲なき空より雷を発生させる奇跡の業。
 これこそが、勇者が光の精霊より賜った呪文だった。
 精霊最上位である光の精霊の加護の下に放たれるこの一撃の前には、他の精霊の加護をどれだけ集めていようと意味を為さない。
 雷は騎士の持つ桁外れの加護すら紙のように貫き、甚大なダメージを与えた。
 この効果だけでも恐るべき呪文だが――――実はこの呪文の真価は、むしろ直撃後にこそ発揮される。

騎士(確かに大した威力だが――――意識を持ってかれる程じゃねえ!! この程度なら、十発食らったって耐えられる!!)

 歯を食いしばって痛みに耐えた騎士だったが、視線を勇者の方に戻してぎょっとした。
 いつの間に現れたのか―――戦士と武道家が、自分に向かって突撃してきている。

騎士(な―――!? こいつら、今までずっと隠れていやがったのか!!? クソ、しゃらくせえ!!!!)

 剣を握り、二人を迎撃しようとした騎士だったが、自身の体の変調に気付き愕然とした。

騎士「あ……ぐぁ、か……!?」

騎士(体が…痺れて動かねえ!?)

 そう、これこそが呪文・大雷撃の真価。
 直撃した対象を痺れさせ、その体の自由を奪う。
 無論、それで奪える時はほんの一瞬程度ではあるが―――騎士達のレベルの戦いになれば、その一瞬で十分に明暗が分かたれる。
 戦士が精霊剣・炎天を振りかぶる。
 武道家が精霊甲・竜牙を纏った拳を握りしめる。
 二人の装備は共に神秘の結晶、精霊装備。直撃すれば、加護レベルの差を覆してダメージを通すことが出来る。
 たとえ騎士のような化け物を相手にしても―――問題無く致命傷を与えることが出来るだろう。

騎士(がああああああああああああああ!!!! 動け動け動け動けぇぇぇえええええええ!!!!!!)

 騎士は己の両腕に全神経を集中する。
 引き攣ってまともに動こうとしない指先を、それでも無理やり曲げて剣を握る。
 その執念により、騎士は二人の攻撃が直撃するよりも一瞬早く、己の体の自由を取り戻した。
 だが―――二方向から同時に迫る攻撃を躱しきることは、如何に騎士といえども不可能であった。

 騎士は戦士の一撃をこそ危険と判断し、その剣が向かっていた先―――己の首を両腕で庇った。
 しかし戦士もさるもの、その動きを読み、一瞬で剣を斬り返して狙いを騎士の胴体に変えた。
 ずぶり、と戦士の持つ剣の切っ先が騎士の腹に沈む。

騎士「ぐぼ…!! ……おぉぉぉおおおおおおお!!!!」

 騎士は死力を振り絞って地面を蹴った。
 それでも戦士の剣から逃れきることは叶わず、騎士の腹部は横に大きく裂かれた。
 零れ出る己の臓物を焦りをもって見つめる騎士の頭部に―――武道家の、精霊甲に硬く覆われた拳がめり込んだ。

騎士「ぶがふ」

 奇妙な声が騎士の口から漏れた。
 騎士の体が後方に吹き飛ぶ。
 騎士の頭―――額の右上辺りから武道家の拳が抜ける際、みきぱきぱきと砕けた骨が擦れる音がした。
 ねっとりと、武道家の拳と騎士の額の間に血の線が伸びる。

武道家(仕留めたッ!!!!)

 その手応えに、武道家は勝利を確信する。
 ずしゃあ、と騎士の体が土煙を上げ、横向きに地面に転がった。
 腹からは臓物が零れ、額は深く陥没して目は虚ろ。
 誰がどう見ても致命傷だ。
 その様子を見た勇者もまた、勝利を確信して安堵の息をつく。
 ごろん、と騎士の体が仰向けに転がった。
 勇者、戦士、武道家の三人は同時に異変に気付く。
 いつの間にか、騎士の口には奇妙な形のガラス瓶が咥えられていた。
 騎士の体が仰向けになったことで、重力に引かれるままに中の液体が騎士の口の中に注ぎ込まれていく。

戦士「――――ッ!!!!」

 その液体の正体に唯一思い当った戦士が駆け出した。
 騎士にとどめを刺すため、その剣を騎士の喉元目掛けて振り下ろす。
 騎士の体が跳ね起きた。

騎士「どらっしゃあ!!!!」

 戦士の剣を躱し、騎士は戦士の体を蹴り飛ばした。
 吹き飛んだ戦士の体は木の幹に衝突し、戦士はくぐもった悲鳴を上げる。

僧侶「せ、戦士!!」

 今までずっと身を伏せていた僧侶が回復の為に飛び出してきた。
 勇者と武道家は、驚愕の面持ちで騎士を見つめている。

武道家「ば、馬鹿な……確かに、致命傷だったはず……」

勇者「くそ、まさか、そんな……!」

 騎士は落としていた精霊剣・湖月を拾い上げるとコキコキと首を鳴らした。

騎士「いやー、今のはマジで危なかったぜ。虎の子の魔法薬を使っちまうことになるとは思わなかった」

 騎士の体からは、額の傷も、腹部の傷も、痕を残してこそいるものの―――無くなってしまっていた。

戦士「瞬時に体力を全快させる魔法薬……お前がまさかそれを持っていたとは……」

 僧侶による治療を終えた戦士が立ち上がり、そう騎士に声をかける。
 戦士の脳裏には、かつて盗賊の首領に無理やり魔法薬を飲まされた時の記憶が蘇っていた。

戦士「こんな事なら、確実に首を刎ねてやるべきだった……いや、そうか。だからお前は……」

騎士「そうだ。何が何でも首だけは守り通した。でも危なかったぜ。腹を切られた時、一瞬でも回避が遅れてたら体をそこで上下に両断されてた」

騎士「そうなったらゲームオーバーだったぜ。物理的に距離が離れちまえば、流石に魔法薬の効果は及ばねえ。惜しかったな、戦士ちゃん」

戦士「く…!」

騎士「さて……」

 騎士が改めて勇者の方に向き直る。
 しかしその時には、既に勇者は呪文の発動を終えていた。

勇者「呪文・大雷撃ッ!!!!」

 再び天から放たれ、地面を打つ神の一撃。
 しかしそこに既に騎士の姿は無い。

騎士「不意打ちじゃなきゃ、もうそんなもん食らわねーよ」

 声のした方を振り向く。
 騎士は目にも止まらぬ速度でいつの間にやらたっぷり十メートル以上も移動し、雷から身を躱していた。

騎士「さっきの一撃で俺を仕留められなかったのは痛かったな、勇者。もうこの雷は俺には通じねえ。お前達は、真っ向から俺に立ち向かい、勝利しなくちゃならなくなったわけだ」

 勇者はごくりと唾を飲む。
 出来るのか? そんなことが。
 現に今、騎士の動きを目で追う事すら出来なかったというのに?

戦士「臆するな。気合を入れろ、勇者」

 戦士が勇者の背に手を添えた。

戦士「出来るかどうかじゃない。やらなきゃならないんだ。この戦いに世界の命運がかかっていることを忘れるな」

 武道家が拳を打ち鳴らす。

武道家「こんな状況なんて、もう慣れっこだろう? 俺達は弱くて、いつだって格上の相手ばかりしてきた。なら、今回もいつも通りやるだけさ」

 僧侶が勇者の傷を癒して言った。

僧侶「そうです、勇者様。私達なら勝てます。―――ご指示を。私は貴方を信じています」

 勇者は頷いた。

勇者「そうだな。何度も何度も思ってきたことだった。どうして俺はすぐ忘れちまうんだろう。馬鹿だよな、ホント」

 勇者は騎士を見据え、剣を構える。

勇者「―――やるしかないんだって、マジで」

 まるでその決断を祝福するように―――世界がパァ、と輝いた。





 魔大陸全土を覆う『宝術』が完成した。


 第三中継点――――

兵士A「すげえ……これが、宝術……」

兵士B「優しく包み込まれるような光だ……心地良い……」

兵士A「事前に通達されていた通りだ……回復の速度も上がってる。おい、お前助かるぞ……」

若い兵士「がふ…! ふ、フン…当然だ……この僕が、狂乱の貴公子が、こんな所で死ぬなんてことがあってたまるか……一刻も早く傷を治して、魔王討伐隊に加わらなくては……」

兵士A「はは…死に際までそんな口叩けるなら、本物だよお前。強くなるわ」

若い兵士「何を当然のことを今更……」

兵士B「でも討伐隊には加わんな。ここでじっとしてろ足手まとい」

若い兵士「ぎぎぎ……!」

 第二中継点――――

アマゾネス少女「宝術……本当に凄まじい威力。体が軽い。さっきまであんなに面倒だった魔物達がもう雑魚にしか思えない」

アマゾネス族長「アマゾネス少女、宝術が発動したということで、手筈通り私は魔王討伐隊に加わる。ここの指揮を任せて大丈夫か?」

アマゾネス少女「問題ない……もう負ける気が全くしない」

アマゾネス族長「それにしても竜神様はどこに行かれたのか……先ほどから空を見ても全くお姿を見掛けなくなった」

アマゾネス少女「心配はいらない。どうせ、作戦成功の功績をアピールするために武道家様の所にでも行っているに違いないから」

アマゾネス族長「その不遜な言い回し……竜神様の血を一番色濃く継いでいるのはお前かもしれんな。よし、次の族長はお前に任せたぞ」

アマゾネス少女「やだ。めんどくさい」

アマゾネス族長「やれやれ……」

 数分前、魔大陸上空――――
 たった一人で翼持つ魔物達を相手に空を守り続けた竜神は、大地から放たれる光を興味深く見つめていた。

竜神「ふむ……これが話に聞いていた『宝術』か。エルフ共め、大した術を持っておるわい」

 ぽん、と幼女の姿に戻った竜神は、ふむふむと感心したように顎を撫でた。

竜神「魔物の力を封じると聞いて、儂にまで影響を及ぼした時にはどうしてくれようかと思っていたが、むしろ儂の力さえ底上げしておる」

竜神「これから推測するに……単純に種族ではなく、どうやら『この世界に生きる者』と『それ以外の者』とを区別して効果を与えているようじゃな」

竜神「すなわち、かつて遠い昔にも、この世界は他の世界からの侵略を受けたことがあり、当時のエルフ達がこの術を編み出した、という仮説が成り立つ」

竜神「運が悪かったの、魔王とやら。儂も知らなんだがどうやらこの世界、異界からの侵略に慣れておるようじゃぞ? よりにもよって、こんな世界を侵略の対象にするとは、ご愁傷さまじゃ」

竜神「む? いや、異界に繋がりやすく、容易く侵略に晒されてきたからこそ、こんなにもここで世界防衛のノウハウが発達したのか……ま、推測に推測を重ねても仕方あるまい」

 ぎゅん、とその背から生やした翼をはためかせ、竜神は猛烈な速度で下降する。

竜神「武道家ーーー!! 儂のおかげで術の発動が成功したんじゃぞーーー!!!! 褒めて褒めてーーー!!!!」

 魔王城より僅かに離れた森の中―――勇者達が事前に造り上げていた木造の簡易基地。
 魔王討伐隊に任命された各地の精鋭たちが、翼竜の羽によって次々と基地に飛来する。
 集まった人員の指揮を執るのは、武の国兵士長だ。

兵士長「皆の者!! この宝術によって我々の力は増し、魔物の力は半減している!!」

兵士長「魔王がこの宝術に対して何ら対策を打てていないうちに、一気にケリをつける!! スピードが勝負だ!! 征くぞッ!!」

アマゾネス族長「了解だ」

武士団長「承知でござる!!」

始まりの国騎士団長「勇者様のためにも、必ず勝利を!!」

神官長「微力ながらも、全力をもって皆様を補佐します」

エルフ少年「………」

 士気高く兵士長に同調する面々の中で、唯一苦虫を噛み潰したような顔をしているのは、エルフ少女の弟であるエルフ少年であった。

エルフ少年(どーして俺がこんな責任重大な任務に参加しなきゃならないんだよ!! 普通に考えて、ここは姉ちゃんだろ!!)

エルフ少年(宝術は発動さえしてしまえば、後は魔力を通して結界を維持するだけだから、それは姉ちゃんじゃなくても出来る訳だし……)

エルフ少年(なのに姉ちゃんの奴、『私には魔王討伐より大事な用事があるから』なんて言ってさ!! 魔王討伐より大事なことなんてあるわけないじゃないか!!)

エルフ少年(姉ちゃんのサボり魔!! ばかやろーー!!)

騎士「……増えたな、なんか」

 騎士は己を取り囲む『六人』の顔を見回した。
 真正面に相対するは漆黒の剣を構えた勇者。
 騎士から見て、勇者の左で真紅の大剣を構えるのは戦士だ。
 騎士は顔を左に向ける。
 先ほどがさがさと藪の中から飛び出してきたのは自身が命を取ろうと画策していたエルフ少女だった。
 エルフ少女はクルクルと手の中で二本の短剣を遊ばせている。

エルフ少女「君が勇者の言っていた騎士かい? 成程とっても強そうだ。だけどね、私もちょ~っとは腕に覚えがあるんだよ」

 視線を騎士から見て、勇者の右側へ。
 白銀の輝きを放つ手甲を打ち鳴らす武道家。
 武道家と勇者のちょうど中間あたりで一歩下がって構えているのが僧侶。
 そして武道家のすぐ傍で、武道家の手甲と同色の輝きの髪を靡かせる、褐色の幼女。
 その手は異形の化け物―――竜の爪へと既に変貌している。
 突然上空から乱入してきたその謎の幼女は、騎士に向かって不敵な笑みを浮かべた。

竜神「はてさて、愛しの武道家の元へ馳せ参じてみれば、何やらおかしな成り行きになっとるのう。儂自身はお主に面識などないし、恨みもないが、すまんのう。儂の点数稼ぎのためにひとつ犠牲になってくれ」

 勇者は騎士に向かって口を開く。

勇者「宝術は完成し、俺達の力は底上げされ、逆に魔物の力は弱まった。これで、本当なら俺達の勝利は確定するはずだった」

騎士「確かに、すげえ術だなこりゃ。びんびん力が上がるのを感じるぜ」

勇者「そうだ。この作戦で、お前の存在だけが誤算だった。お前の存在だけが穴だった。宝術によって俺達の力を底上げしても、同様にお前の力も高まってしまう――――俺達の側の力を持ちながら、敵に回った人類の裏切者」

勇者「今、宝術の完成と共に各国から選抜された精鋭部隊が魔王の討伐に向かっている。……そしてそれはきっと成し遂げられるだろう」

勇者「だけど、たとえ魔王を倒そうと、お前を何とかしなくちゃこの戦いは終わらない」

勇者「結局、お前が最後の壁なんだ。お前を実力で乗り越えなくちゃ、この世界に平和は訪れない」

騎士「果たしてそれが出来るかな? 言っておくが俺には、わざと負けてやるとかそんなつもりは一切無いぜ?」

騎士「だってそれじゃあ――――つまらないからな」

勇者「出来るかどうかじゃない。やるしかないんだ。幸いな事にここには、俺達だけじゃなくてエルフ少女と竜神様も居る。二人とも、お前を倒すために力を貸してくれる」

勇者「これで、俺達はこの世界で最強のパーティーだ。この世界で準備できる最大戦力が、今ここにいる。この力で俺達は、お前を打ち倒す!!」

 ジャキン、と全員が武器を揃える音が重なった。
 全員の視線が集中する先で、騎士はくつくつと笑う。

騎士「世界最強とはまた大きく出たな。面白い。ならば、俺はその世界最強とやらを超えて、唯一無二とでも名乗ってみせようか」

 騎士もまた、応じるように剣を構えた。
 その動きを合図として、僧侶を覗く全員が騎士に向かって飛びかかった。
 僧侶は『身体強化』の呪文を紡ぐため、目を閉じて意識を集中させる。
 視界を閉じて、より鋭敏になった聴覚が、騎士の呟きを拾った。










騎士「LEVEL―――――5」








 衝撃が走った。
 目をつぶったまま吹き飛ばされた僧侶は、たっぷりと地面を転がった後、訳も分からず立ち上がり、目を開いた。

僧侶「――――え?」

 僧侶は呆然と呟き、己の目を疑った。
 勇者が地面に転がっていた。周りには血だまりが広がっている。
 戦士も同様に、すぐ傍に倒れていた。やはり地面には血だまりが広がっている。
 武道家は木の幹に背を預けて座っていた。幹は血でべっとりと濡れている。
 幼女の姿のまま右腕と翼を捥がれた竜神が木の枝に引っかかっていた。地面に滴る紫の血がぽたぽたと音を鳴らしている。
 エルフ少女の胸に、自身が持っていたはずの短刀が突き立っていた。地面には血だまりが広がり続けている。


 血に染まった騎士が、その中心に立っていた。
 だけど彼の血だけは、彼自身のものじゃなく、すべて返り血なのだとすぐに分かった。
 何故なら彼は笑っていたからだ。
 苦悶の様子など欠片も無く、その顔はただ愉悦に歪んでいた。


僧侶「あ…あ……」

 その事実は、僧侶の頭に殊更ゆっくり浸透した。
 ようやく頭が理解に追いついて、僧侶の目に大粒の涙が浮かぶ。







 勇者達は、全滅した。


第二十八章  モンスター  完

今回はここまで

>>3
忘れてた ありがとう

僧侶「くっ…!」

 滲んだ涙を慌てて拭って、僧侶は自分を叱咤する。
 何を呆然としていたのだ。仲間が傷ついたのならば、一刻も早くそれを治療する。
 それが自分の役割ではないか。自分などそれしか出来ない無能ではないか。
 ならば全うしろ。それだけは他の誰にも後れをとるな。

僧侶「呪文・―――極大回復ッ!!!!」

 僧侶の体内で紡がれた魔力が彼女の持つ精霊杖・豊潤を伝い、循環し、増幅されて放たれる。
 放たれた魔力は可視化されるほどに濃密で、柔らかな輝きをもって倒れ伏すパーティーの体を包んだ。
 対象の範囲を複数人に広げたことで即効性こそ失われたものの、それでも目を見張るほどの速度で皆の傷口が塞がっていく。
 ヒュウ、と騎士は感嘆の息を漏らした。

騎士「すげえな。どいつもこいつもわりと致命傷だったのに、あっという間に回復しちまいやがる。宝術による呪文効果のブースト、精霊装備による魔力の底上げ……勿論それらも大きな要因ではあるだろうが、そもそもの回復呪文のレベルが桁違いだ」

 騎士は僧侶に視線を送り、にやりと笑った。

騎士「初めて会った時と比べたら、見違えるぜ。頑張ったんだな、お嬢ちゃん」

 騎士に見られるだけで心臓を射抜かれたようなプレッシャーを感じながらも、僧侶はぐっと唇を引き結んで呪文の行使を続ける。
 騎士に対して、その頭上から襲い掛かる影があった。
 右腕と翼を捥がれ、木の枝に引っかかっていた竜神だ。

竜神「ずああッ!!!!」

 無くなったはずの右腕で、竜神は騎士の脳天目掛けて攻撃を繰り出す。
 竜神の腕は肘から先が幼女から竜のソレへと変貌しており、まともに当たればあっさりと頭蓋骨を粉砕し、脳みそをまき散らすことだろう。
 だが騎士はあっさりとその爪に精霊剣・湖月の刃を合わせ、受け止めた。
 チッ、と舌を鳴らした竜神は騎士の腕を蹴り、その反動で後方にくるりと宙返りして着地した。

騎士「お前が一番ダメージデカかっただろうに、一番早く復帰したか。しかも腕も翼も元通りと来てる。マジで蜥蜴だな。笑えるぜ」

 騎士は嘲るように竜神に向かってそう言った。
 トントンと剣で肩を叩きながら言うその様子からは、腕を蹴られたダメージなどほとんど見て取れない。

竜神「戯けめ、人間風情が調子に乗りおって……!! 竜神の真の威光を知り、己の浅はかさを後悔せよ!!」

 竜神の叫びに呼応し、大地が震動する。
 変化を解き、真の姿を解放せんとする竜神に、膨大なエネルギーが流れ込んでいく。

騎士「おっと、本当にいいのか?」

 ゴゴゴゴと大地が震動する轟音の中にあって、騎士の声は良く通った。

竜神「……何がじゃ?」

 怪訝な表情で騎士を見る竜神。
 騎士はにやにや笑いながら言った。

騎士「回復呪文による回復速度ってのは効果範囲に反比例する。効果を及ぼす範囲が広くなればなるほど回復の速度は遅くなるってことだ。まあ、当然だよな」

騎士「果たして、馬鹿でけえ竜の姿で首を刎ねられて、お前さん、回復するまでに命をここに留めてられるかい?」

竜神「戯けたことを…!!」

騎士「そう思うか? なら……やってみな」

 騎士の放つプレッシャーが変質した。
 余りに強大で禍々しいソレは、もはやどす黒い気の流れとして目に映るほどだ。
 ズズ…とこちらに意思をもって這い寄ってくるような、そう錯覚させるほどの漆黒のオーラにまともに当てられて、竜神は自身の体が震えていることを自覚した。

竜神「は…?」

 竜神は、首のない自分の肉体が地面に横たわる姿を幻視する。
 それを杞憂だと、気の迷いだと竜神は笑い飛ばすことが出来ない。

騎士「どうした? 別に俺はどっちでもいいんだぜ? お前がやりたいようにやりな」

竜神「ぐ…く…!」

 恐怖を知った。
 生まれて初めて味わう感覚に、訳も分からず滲み出てくる汗に、竜神はただ困惑していた。
 動きを止めた竜神に対し、騎士はこれ見よがしに剣を手の中で弄んだ。
 竜神はびくりと肩を震わせ、騎士の動きを注視する。
 ――――直後、騎士の体は竜神のすぐ傍まで肉薄していた。
 竜神の目は、その動きについていけていない。

騎士「賢明だな。よし、ご褒美にちょっとばかり優しくしてやろう」

 騎士は撫でるように優しく竜神の頭に手のひらを置くと、そのまま竜神の顔面を地面に叩き付けた。
 竜神の顔が地面に沈む。うつ伏せに倒れた竜神の体がびぐん、びぐんと跳ねた。

武道家「貴ッ様ぁぁぁぁあああああああ!!!!!!」

 その光景を目の当たりにした武道家が激高し、回復しきらぬ体で騎士に向かって突進した。
 右の拳を騎士に向かって振るう。
 騎士は僅かに身を躱しただけでその拳をやり過ごした。
 騎士の顔のすぐ傍を武道家の拳が通り過ぎていく。

武道家「つああッ!!!!」

 右腕を引きもどしながら間髪入れずに左の拳を騎士の脇腹に見舞う。
 しかしバシン、とまるで羽虫を払うような気安さでそれも叩き落とされた。

騎士「あっはっは!! 何キレてんだよロリコン野郎!!」

 騎士は笑い、その手に持っていた精霊剣・湖月を地面に突き立てた。
 そして握りしめた両拳を胸の前で構え、武道家に対してファイティングポーズを取る。

騎士「ホレ来い! お前の歪んだ性癖を俺が叩き直してやる!!」

武道家「おおおおおおおおおおッ!!!!!!」

 間断なく繰り出される武道家の連撃は、その悉くが躱され、いなされ、空を切った。
 騎士とて徒手空拳の戦いに関して全くの素人というわけではない。しかしその専門家である武道家と比べれば、体捌き等の技術は雲泥の差だ。
 にもかかわらず、武道家の拳は騎士に掠りもしない。
 それ程の速度差が、二人にはあった。

騎士「どんな気分だオイ!! 『武道家』のくせに『剣士』に殴り合いで負ける気分ってのは!!」

武道家「く…!! おのれ…!! おのれぇぇぇえええええ!!!!」

 ぎりりと奥歯を噛みしめて放った武道家の拳はやはりあっさりと空を切った。
 武道家の拳を掻い潜った騎士は、その勢いのまま武道家の懐に潜り込む。

騎士「そおらあッ!!!!」

 騎士の拳が地を這うように走り、武道家の腹に叩き込まれた。
 その勢いに押され、武道家の足が地面を離れる。
 ―――そしてそのまま、武道家の体は空高く射出された。

武道家「ごぶ…!」

 止まらない。ぐんぐんと武道家の体は高度を上げていく。
 遂には魔大陸の全容を見下ろせる高さまで、武道家の体は打ち上げられていた。
 魔大陸に刻まれた巨大な六芒星の光。
 霞む視界の中にその光景を捉えながら、武道家は無力感に打ちひしがれていた。
 これではまるで、初めて騎士と会ったあの時の戦いの再現だ。
 騎士の圧倒的な力に押され、無様に天高く飛ばされた自分。
 一緒ではないか。
 こんなにも変わっていないのか。こんなにもあの時のままなのか。
 ぐるりと瞳が瞼の裏に潜り込み、武道家の視界が暗転する。
 意識を手放した武道家の体がゆっくりと落下を開始した。

 エルフ少女は己の胸を撫でさする。
 既に剣は抜け、傷口もふさがっている。
 なのにエルフ少女は立ち上がることが出来なかった。
 腰が抜けてしまって、どうしても足に力を入れることが出来なかった。

エルフ少女(訳が分からない……気が付けば、私の手から短剣が消えていた……気が付いたら、その短剣が私の胸に突き刺さっていた……)

エルフ少女(魔王軍最強と名高い獣王と曲がりなりにも打ち合えた私が、動きを視認することすら出来ないなんて……それはもう、一体どれ程の……)

騎士「よう」

エルフ少女「はあ、う…!」

 エルフ少女は息を呑んだ。
 いつの間にか騎士が己の目の前に立ち、こちらを見下ろしていた。

騎士「どうした? さっきまでドヤ顔で何か言ってたろう。『腕に覚えが』何だったっけ?」

エルフ少女「う、ぐ…!」

 エルフ少女は心中で自らを鼓舞し、立ち上がろうと己を叱咤激励する。
 しかし、震える膝には力が入ってくれない。怯えた心は前向きになってはくれない。
 つまり、エルフ少女は既に戦意を失っていた。
 生まれて初めて出会う、手も足も出ない強者の存在は、彼女の自信を木っ端みじんに打ち砕いてしまった。
 動けないエルフ少女に対し、騎士は剣を振り上げた。

騎士「動かなきゃ死ぬだけだぜ? それが嫌なら、呆とせず命乞いの一つでもしてみせな」

 そう言って、騎士は振り下ろしかけたその剣を―――途中で切り返して自身の背後に向けて振るった。
 ギィン! と赤と蒼の刃が交差する。

騎士「へ……その不意打ち上等の精神、嫌いじゃないぜ」

 音も無く騎士の背後に迫り、その背に剣を振り下ろしていたのは―――戦士だった。

戦士「これが…これが答えか、騎士!」

騎士「あん? 何のことだよ」

戦士「とぼけるな! あの時の武闘会での貴様の言葉の真意だ! 『いずれ勇者は壊れる』などと嘯いて、最初から貴様自身が勇者を壊すつもりだったのか!!」

 騎士の剣を斬り払い、戦士は両手で握った大剣を全霊で振り下ろす。
 即座に体勢を立て直した騎士は、頭上に迫る戦士の大剣に己の持つ剣を合わせ、片手であっさりと受け止めきった。
 ぎゃりぎゃりと音を立てて剣が鍔迫り合う中、涼しげな顔で騎士は言う。

騎士「あー、あれか。そりゃちっと誤解だぜ戦士ちゃん。俺に勇者を積極的に壊そうなんて意思はねえ。予言は依然継続中さ。あいつが壊れる時はいつか必ず来る」

騎士「あいつを一時的にも立ち直らせたのがよりによって『暗黒騎士』である俺だった、そのことがあいつの壊れる時期を早まらせるかも、ってな。あの時の俺の言いたかったことってのはそんなもんだ」

戦士「貴様は…また、思わせぶりなことを…!! 吐け!! 貴様は、何を知っている!!」

騎士「お前の知らないことをさ。……はは、ってゆーか、俺の言葉を鵜呑みにすんなよ。俺はお前らの敵だぜ?」

 今度は騎士が戦士の剣を斬り払った。
 その膂力に押され、戦士は体ごと後方に吹き飛ばされる。
 空中で体勢を立て直し、戦士は両足から地面に着地した。
 再び突貫せんと、戦士は騎士に目を向ける。

 ―――瞬間、戦士もまた、騎士の放つ尋常ではない殺気を、目に見える程の黒いオーラを感じ取った。

 カタカタと剣が震える。
 がくがくと膝が震える。
 冷たい、嫌な汗が背中を伝う。
 からからに乾いた喉に、ごくりと無理やり唾を流し込んだ。

戦士「おおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 雄叫びを上げ、己を鼓舞し、戦士は黒いオーラの渦中、騎士の元へと突っ込んだ。
 ぶつかり合う赤い大剣と蒼い長剣。
 必死に恐怖に抗い、怯えを噛み殺して騎士に立ち向かう戦士の姿は悲壮ですらある。

騎士「…は、ふは、あっはははは!!!!」

 どうも、どうやらそれが騎士の琴線に触れたらしかった。

騎士「いい! 戦士お前、いいぜ!! その様子じゃ、お前は『死の恐怖』をもう知ってる! その上で、それを乗り越えて俺に立ち向かっている! 初めて会った時のような無知ゆえの蛮勇とは違う。その覚悟……惚れるぜマジで!!」

 騎士の剣が戦士の剣を滑るように動く。
 いつの間にか騎士の剣と戦士の剣の位置は入れ替わり、騎士の剣が上から押さえつける形になっていた。
 そのまま騎士は戦士の剣を思い切り地面に押し付けた。
 ずん、と音を立て、戦士の剣が地面に埋まる。

戦士「くっ…!」

 すぐに剣から片手を離し、防御態勢に入ろうとした戦士だったが、遅かった。
 騎士の軽く握った拳が戦士の顎を掠める。
 それだけで、戦士の意識は刈り取られてしまった。

騎士「また後でじっくり遊ぼうぜ、戦士。今はちょっと、先約の相手をしてやんなきゃだからよ」

 どさりと地面に倒れる戦士の姿を見届けてから、騎士はゆっくりと振り返った。

騎士「なあ、勇者」

 騎士の視線の先に、勇者は立っていた。
 騎士の放つ黒いオーラに相反するような、白く柔らかな輝きを纏って。

僧侶「……終わりました。これで勇者様の体は、限界まで強化されたことになります」

 勇者の傍らに控えていた僧侶が言う。

僧侶「攻撃強化、防御強化、速度強化……宝術による呪文効果の底上げもあり、勇者様の力はこの世界で実現可能な最大値まで高まっているはずです」

勇者「ありがとう。それじゃ、僧侶ちゃんは……」

 勇者が言いかけた所で、どん! と大きな音が響いた。
 先ほど打ち上げられた武道家の体が地面に落ちた音だった。
 落ちる前から意識を失っていたのだろう。武道家は何の受け身も取らなかった。
 精霊加護に守られているとはいえ、あれだけの高さから地面に叩き付けられては無事ではすむまい。

勇者「……僧侶ちゃんは、騎士の隙をみて皆の回復を頼む」

僧侶「わかりました」

 僧侶への指示を終えて、勇者は騎士の方へ向き直る。
 直後だった。

 一瞬で勇者へ肉薄した騎士の剣が、勇者の腹を貫いていた。

勇者「がふ…!?」

僧侶「勇者様!?」

 武道家のもとへと駆け出そうとしていた僧侶の足が止まる。

勇者「だ、大丈夫だ…まだ、この程度なら…」

 勇者の言葉が終わらぬうちに、騎士の剣は勇者の腹から引き抜かれ、次いで十字に振るわれた。
 僧侶の呪文によって限界まで身体能力を強化されたはずの勇者だが、その剣の動きに反応することすら出来なかった。
 胸を真一文字に、それに交差するように右肩から左腰へ、勇者の体が切り裂かれる。

勇者「あがあああああああ!!!!!!」

 苦痛に顔を歪める勇者。
 騎士は笑った。

騎士「おいおいおい!! きらきら思わせぶりに光っといてその程度かよ勇者!! 笑わせんじゃねえぞ!!」

 騎士の剣が勇者の顔面を突く。
 反応し、身を躱した勇者だったが―――その剣から逃れきることは叶わなかった。
 騎士の持つ精霊剣・湖月の切っ先が勇者の右目を抉った。

勇者「あっぎゃあああああああああああああああ!!!!!!」

 右目を押さえ、勇者は絶叫する。
 その隙を突かれ、先ほど胴に刻まれた十字傷の交点を騎士に蹴りこまれた。
 ずぶり、と皮がめくられ、騎士の足が傷口にめり込んでいく。
 その激痛もまた、とても声を我慢できるものではなかった。
 背後に吹き飛び、木の幹に激しく背中を打ちつける勇者。
 僧侶はすぐに勇者のもとに戻り、回復呪文の行使にかかった。

騎士「無駄なことはやめとけよ勇者。お前だってホントは分かってたんだろ? そんな風に呪文で強化したって俺に敵いやしないってことは。じゃなきゃ、最初から全員にそれをやって俺に挑んでいたはずだもんな」

勇者「うう…うぐ…うああ…!」

 右目を押さえる勇者の手の指の隙間から、どくどくと血が流れ落ちる。

騎士「俺とお前の力の差は、そんな付け焼刃で埋まるもんじゃねえ」

 回復は終わった。
 血は止まり、右目の視力も無事に戻った。
 身体強化の効果も未だ継続中だ。
 だが。

騎士「さあ、どうする?」

 目の前の男に、抗う術がない。
 勝てる望みなどとっくに絶たれてしまった。
 それはまさしく絶望だった。

勇者「嫌だ…嫌だ…クソ、クソ……!」

 涙が滲む。歯の根が合わず、かちかちと音が鳴る。
 勇者は衣服の胸の辺りをぎゅっと握りしめた。

 嫌だ。

 本当に嫌なんだ。


 だけど――――――――命をここで、捨てなくちゃ。






第二十九章   さよなら、嘘つきの君




 もう何度、切り裂かれたのだろう。
 勇者の体が再びその場に崩れ落ちる。

僧侶「う、うぅ…ひぐ…!」

 勇者に向けて回復呪文を行使する僧侶は、もう泣きじゃくってしまっていた。
 傷の塞がった勇者が、のそりと立ち上がった。

騎士「そらぁッ!!!!」

 勇者が立ち上がると同時に騎士が勇者に斬りかかる。
 勇者の剣を掻い潜り、その腕を、その足を、その肩を、その胸を貫いていく。
 どさりと勇者の体が崩れ落ちた。
 どう見ても致命傷だ。
 放っておけばすぐに死んでしまう。
 僧侶は再び勇者に向かって回復呪文を行使せざるを得なかった。

騎士「おいおい……ひでえ女だな。もう死なせてやれよ」

 杖を振る僧侶に、騎士は呆れたように声をかける。

僧侶「うぐ…ひぐ…あなたこそ、どうしてこんな、私達を弄ぶようなことを……」

 僧侶は嗚咽まじりに騎士に対してそう言った。
 そうだ、騎士は遊んでいる。
 本気で勇者達を全滅させようと思えば、騎士が狙うべきはまず僧侶であるはずだ。
 そしてそれをあっさり実行してしまえる実力を、騎士は持っているはずである。

騎士「全員殺すのは簡単だよ。でもさあ、見てえじゃん? 心が折れて、俺に完全に屈服するところをさ」

僧侶「外道…!」

勇者「そいつの言うことに耳を貸すな……僧侶ちゃん……」

 勇者がのそりと立ち上がり、言った。

勇者「これから先、何があろうと……僧侶ちゃんは決して折れずに、俺を回復し続けてくれ……」

僧侶「勇者様……」

騎士「勇者…」

 騎士は立ち上がった勇者に歩み寄り―――剣を使わず、その頬を殴りつけた。

勇者「ぶ、が…!」

 騎士はそのまま襟首を掴み、勇者の体をうつ伏せに引き倒す。
 その後、騎士は勇者の背に乗って体を押さえつけ、勇者の自由を奪った。

騎士「ほんっと、折れねえよなぁ。お前は」

 勇者は騎士を振り落そうと踠くが、圧倒的な力の差によりそれは叶わなかった。
 騎士は精霊剣・湖月を鞘に仕舞う。

騎士「別に他の奴なら一思いに殺ってやってもいいけどな。お前だけは別だ。お前だけは、お前が被ってるその気持ち悪い化けの皮を剥いでやらなきゃ気が済まねえ」

 騎士は鞘に仕舞った状態のまま、湖月を振りかぶった。

騎士「言えよ、勇者」

 騎士は湖月を振り下ろす。
 鞘に仕舞ったままの状態のそれは、勇者の右手、その指先を叩き潰した。

勇者「ぐああッ!!」

 人差し指と中指が折れた。第二関節の辺りから逆さに折れ曲がった指の姿が勇者の目に映る。
 勇者の見ている前で、同じところが再び叩き潰された。

勇者「う、ぎ、ああああああああああ!!!!!!」

 その苦痛は筆舌に尽くしがたい。反射的に勇者は足をばたつかせ、全身を跳ねさせるが騎士の体は勇者の背中から全く動かない。

騎士「嘘をついてましたと言え。綺麗事を言ってましたと言え。他人より自分が大切ですと言え」

 一言発する度に騎士は勇者に向かって鞘に入れた剣を振る。
 狙われる場所は指先から手首へと徐々に移行し、勇者の体は先から少しずつ粉砕されていく。

勇者「ぐう、ぐ、うぎ、があ!!」

僧侶「いやあああああああああ!!!!!!」

 見かねた僧侶が駆け寄り、騎士に向かって杖を振り下ろした。
 しかしそれもあっさりと騎士に片手でいなされ、その動きだけで僧侶の体は宙を舞い周りの樹に叩き付けられてしまう。

 勇者の右腕が、肘と手首のちょうど中ほどまでぐちゃぐちゃに潰された段階で、騎士はその手を止めた。
 ぼそぼそと、勇者が何か呟き始めたからだ。

勇者「……や…だ…」

騎士「……何だって?」

勇者「嫌だ…嫌だ……」

騎士「何が嫌なんだ?」

勇者「痛いのは嫌だ……死ぬのは嫌だ……剣で斬られると本当に痛いんだ……血がいっぱい出るのを見るのは本当に怖いんだ……」

 涙と鼻水と涎で汚れた己の顔を拭おうともせず、勇者は呆としてうわ言のように言葉を漏らす。
 その姿は、もはや正気を保っているのかも疑わしいほどだ。
 騎士は己の悲願の成就を予感し、快感にぶるりと身を震わせる。

騎士「だったら勇者、何て言わなきゃいけないんだ?」

勇者「な、に……を…?」

騎士「教えてやるぜ。こう言うんだ」



騎士「『戦士と僧侶を好きにしてもいいから、僕の命だけは助けてください』ってな」



僧侶「な……」

騎士「もちろん、その言葉の通り戦士と僧侶に関しちゃ俺の好き放題させてもらう。だが、その代わりお前の命は絶対に保障しよう。なーに、心配するな。戦士と僧侶も殺したりはしねえさ」

 騎士が言葉巧みに勇者を誘導する。
 その言葉を吐く勇者の姿こそが、騎士の最も見たいものだった。
 保身のために愛する仲間を差し出した時―――その瞬間が、勇者の在り方の根幹が崩れる時だ。
 もぞもぞと勇者が体を動かした。
 今度は騎士もそれを邪魔したりはしない。
 勇者は己の姿勢を仰向けに直すと、またしてもうわ言のように言葉を発した。

勇者「痛いのは嫌だ……死ぬのは嫌だ……」

 呪詛のように繰り返されるその言葉は、まるで自らを正当化するように。
 これから起こす行動に対し、自らを勇気付けるように。








勇者「だけど――――それ以上に、お前に負けるのだけは絶対に嫌だ」







勇者「『呪文・大回復』!!」

 密かに紡いでいた回復の魔力を勇者は己の右腕に輪転させる。
 完全回復というわけにはいかないが、何とか機能を取り戻した右手も使って、勇者は両手で騎士の体を掴んだ。

勇者「ようやく捕まえたぜ…!」

騎士「な…に…?」

 騎士は完全に不意を突かれ、硬直してしまっていた。
 真っ白になった頭を回転させ、勇者の意図に勘付いた時にはもう遅かった。

勇者「『呪文・大雷撃』ッ!!!!」

 轟音と共に、閃光が騎士の頭上に降り注いだ。

騎士「ぐあああああああああ!!!?」

 バリバリバリィ!! と身を焼かれる激痛に叫びを上げたのは、騎士だけではない。

勇者「うぐううううううう!!!!!」

 勇者もまたその雷に焼かれ、苦痛の呻きを上げていた。
 対象である騎士に対して、近すぎるのだ。
 『呪文・大雷撃』は本来複数の敵を同時に対象にするような大雑把な呪文だ。
 これだけ密着状態にある二人のうち、片方だけにダメージを与えるように威力・効果範囲を調節するなど、そんな器用な真似は出来はしない。

騎士(野郎…!)

 勇者の体を振りほどこうとして、騎士は『呪文・大雷撃』の真価を思い出し、愕然とした。

騎士(体…動かね…!! ああ、くそ!! うざってえ!!!!)

 騎士はそれでも痺れた体を無理やりに動かし、己の体を掴む勇者の手を振り払おうと試みる。
 その時、騎士は勇者が笑っているのに気が付いた。

騎士「てめえ、まさか―――――」

勇者「―――『呪文・大雷撃』ッ!!!!」

 ピシャァァァァンッ!!!!!! と、空気を裂く轟音と閃光が再び二人を襲う。

騎士「ぐうあああああああああああ!!!!!!」

騎士(こいつ!! まさかこのまま!! 心中覚悟で雷を呼び続ける気か!?)

騎士(だが、俺と勇者の間には絶対的な体力差がある!! 先に力尽きるのは、どう考えても勇者の……ッ!?)

 騎士の目に、勇者に杖を向ける僧侶の姿が映った。
 彼女はその目に大粒の涙を浮かべながらも、先ほどの勇者の言いつけに従い勇者の傷を癒そうとしている。









 ――――これから先、何があろうと……僧侶ちゃんは決して折れずに、俺を回復し続けてくれ






僧侶「ううう…! うぐ…ふぐ…!!」

 子供のように泣きじゃくりながら、僧侶は勇者に回復呪文をかけ続ける。
 彼女は知っている。勇者が痛みを病的なまでに嫌っていることを。
 彼女は思い知っている。それでも勇者は、いざという時には他人の為に自分を犠牲にしてしまうことを。
 そうさせないように強くなろうと誓ったはずなのに。
 なのにまた、今回も、結局は。

 ―――また、雷が落ちた。
 僧侶の目が光に眩む。轟く雷鳴が僧侶の耳をつんざく。

僧侶(ごめんなさい……)

 杖を振る度に、僧侶は勇者に謝罪する。
 勇者が命を落とさぬよう回復を続けるということは、裏を返せば死ぬほどの苦しみをずっと延長し続けるということだ。

僧侶(ごめんなさい…ごめんなさい…!)

 傷ついてほしくないと嘯きながら、彼の自殺行為を容認している。
 彼の考えに乗り、杖を振り続けるという事はつまりそういうことだ。
 罪悪感と無力感に苛まれながら、僧侶はただ勇者の言葉に縋り、回復呪文を紡ぎ続ける。

 雷が落ちる。
 既にその数は十を超えている。
 二人の男はもはや声を上げもしない。
 ただ歯を食いしばり、耐え凌いでいる。
 目の前の男が先に倒れるのを待っている。

 また雷が落ちた。
 その苦痛に慣れることは無いのだろう。
 勇者も騎士も、閃光に打たれるたびに苦悶の表情を浮かべている。
 もうやめたいはずだ。やめていっそ楽になりたいはずだ。
 なのに、勇者はまた叫ぶ。騎士の体を掴むその手を、離そうとはしない。



 そんな勇者の姿を見ながら、エルフ少女は昨晩の部屋でのやり取りを思い出していた。



エルフ少女『本当に見るだけで済ませちゃうんだね。私の体は君の好みじゃなかったかな? 結構自信、あったんだけどなあ』

勇者『そんなことないよ。エルフ少女は本当に魅力的な女の子だと思う』

エルフ少女『だったら……』

勇者『だけど、駄目なんだ。もし本気で俺を誘ってくれてるんなら、女性に恥をかかせて申し訳ないと思うけど……』


勇者『その……そういうことをすれば、子供が出来る可能性があるだろ?』


勇者『だけど――――俺、多分明日死ぬからさ』


勇者『だから、ちょっとそんな無責任な真似は出来ないよ。ごめんね、マジで――――』





 雷が落ちる。

勇者「ぐ、あぁ……ッ!! 『呪文・大雷撃』ぃッ!!!!」

 轟音と共に、閃光が勇者の体を打つ。
 いつ終わるとも知れぬ苦痛の繰り返し。
 エルフ少女の頬を伝う水滴が、眩い雷光を反射した。


勇者「『呪文・大雷撃』ッ!!!!」

 失いそうになる意識を必死でつなぎ止めながら、勇者は叫ぶ。
 新たな雷が己の体を打った。直後に、僧侶の回復呪文が飛んでくる。
 それによって痛みは多少マシになる―――が、すぐに新しい雷が体を打つ。
 まあ、呼んでいるのは自分なのだが……常に真新しい苦痛に晒されるというのは、実に凶悪な拷問だ。
 この作戦を思いつき、実行する前は、いずれ痛みにも慣れるのではないかと思っていたが、それは淡い期待だった。
 痛みに慣れるというのは、体の中の痛みを感じる機能が死んでしまう事なのだと思う。
 僧侶の回復により定期的に体が回復する自分には、そんな状況が訪れることはない。

勇者(どうして俺は、こんなにまでなって……)

 勇者はこれまでも何度も沸いてきていた疑問について改めて考えた。
 痛いのは嫌いだ。死ぬのは嫌だ。
 それはずっと昔から変わらない。それらを出来る限り回避して生きていこうという己の根底にある信念は変わっていない。
 と、思う。
 の、はずだ。
 だけども、仲間が出来て、長い旅をして、色んな経験をして、今まで知らなかった自分の一面に気付いた、というのはある。

 痛いのは嫌いだ。死ぬのは嫌だ。
 だけど、平気で他人を傷つけることが出来る奴はもっと嫌いだ。
 自分が何もしないせいで誰かが酷い目にあうというのは死ぬほど嫌だ。

 成程確かに、新たに芽吹いたこんな気持ちによって、最善を希求した結果自分をある程度犠牲にすることもあったかもしれない。
 自分の痛みと他人の幸せを比較して、他人の幸せを優先したこともあったかもしれない。
 だけど今自分がやっているこれは、明らかにやり過ぎだ。
 自分の命を完全に捨てて、敵をやっつけようとするなんて。
 つまりそれは、敵をやっつけた後の結果なんてどうでも良いということではないか。
 自分が敵をやっつけたことで世界にどんな影響が起きるのか、そういうことに全く興味を無くしている。
 つまり『何かを目的とした時の手段としてそいつを倒す』のではなく、『その男を倒すことが最終目的となっている』ということだ。

 ああ―――そうだ
 結局そういうことなのだ

 今の自分にとっては、騎士という男を倒すことだけが至上の目的となっている。

 もし相手が魔王だったら?
 敵わないと悟れば逃げて別の手を考えていただろう。
 もしかしたら他の誰かに任せてしまってもかまわないと思っていたかもしれない。

 相手が大魔王だったとしても?
 一緒だ。変わらない。命を犠牲にしてまで戦いに挑む理由がない。
 平和の為に―――なんて曖昧模糊な理由で人は命を懸けられない。
 人が命を懸けられるのはいつだって――――自分の為だけだ。



 高名な父の元に生まれ、ただその跡継ぎとしての人生を求められた

 『世界を救う』なんて大役を周囲から押し付けられて生きてきた

 そのせいで、色んなものを犠牲にした

 こんな小さなガキの頃に死にかけたこともある

 そんな風に頑張っているのに、誰も俺自身を褒めることなんて無かった

 流石、あの人の息子だ。流石、英雄の血を引くだけある

 果てはまだ足りないと、それでも英雄の息子かと罵倒されたこともある

 俺がどれだけ努力しているかも見ていない奴に

 俺の名前を呼んだことも無い奴に

 嫌気がさした

 だから/だけど

 自分の為に、他人を殺した/他人の為に、自分を殺した

 そうすることが人として正しいことだと信じていた
 そうすることが人として正しいことだと信じていた

 だから、これからもずっとそうやって生きていこうと思った
 だから、これからもずっとそうやって生きていこうと思った

 楽しかった/つまらなかった

 解放された人生だった/牢獄にいるような人生だった

 その代わり、俺は独りだった/その代わり、沢山の人が俺を認めてくれた

 それでいいと思った
 それでいいと思った

 だって、他にやりようなんてない
 だって、他にやりようなんてない

 そう思っていたのに/そう信じていたのに




 あっさりと自分の真逆の道を行く奴が目の前に現れた


 まるで自分の歩いてきた道を否定されたような気分になった


 同族嫌悪、とはきっと違う


 だって俺とあいつは真逆の存在だ


 言うなれば、俺がなりたくないと否定した存在があいつなんだ


 なんておぞましい


 気持ち悪い


 あんな奴の存在を、許しちゃいけない


 だって、あんな奴の存在が許されてしまうなら、俺は―――――








勇者「騎ィィィィィ士ィィィィィイイイイイイイイイ!!!!!!!」

騎士「勇ゥゥゥゥゥ者ぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!!」

 一際眩い雷光が二人の体を貫いた。

勇者「ぐうううううううう!!!!!」

騎士「ぬうあああああああ!!!!!」

 これまでで最大級の威力に、勇者と騎士は歯を食いしばって耐える。

勇者(これでまだ倒れねえのかよ、化け物め!! お前一体何発この呪文食らってると思ってんだよ!!)

 もう一度、と魔力を振り絞ろうとした勇者の視界が突然揺れた。
 呪文によるダメージではない。
 痛みではなく、異常な倦怠感による体のふらつき。
 魔力切れだ。

勇者「な……」

 どすり、と肉を貫く音が勇者の耳に届いた。
 騎士がいつの間にか湖月を鞘から抜き放ち、勇者の胸に突き立てている。

騎士「……ふぅぅ~……ようやく…ようやく品切れか……危なかったぜ、勇者。俺ももう意地で立ってただけだからな。もう一発でも食らってたら終わってた」

勇者「が、ごふ……!」

 勇者の口から鮮血が零れた。

勇者「あー……敵わねえや。俺の負けだよ、騎士」

 そう言って、勇者は騎士の体を掴んでいた手を一度離し、今度は己の胸に剣を突き立てる騎士の腕を掴み取る。

勇者「だけど―――――油断したな。俺達の、勝ちだ」

 ぞわり、と総毛立つ寒気を感じて、騎士は後ろを振り向いた。

 ――――戦士と武道家が立ち上がり、騎士に向かって突進してきていた。

騎士「な…にィ!?」

戦士「おおおおおおおおおおお!!!!!!」

武道家「はああああああああああ!!!!!!」

 戦士も武道家も、その顔は涙に濡れていた。
 勇者の『呪文・大雷撃』が引き起こす轟音と閃光により、二人は早い段階で意識を取り戻していた。
 そして、勇者を手助けすることすら出来ず、ただ勇者の自爆技に任せるしかない自分達を恥じていた。
 己の無力を呪っていた。
 それでも、せめてと。
 勇者が及ばぬ時は、刺し違えても自分達が―――と伏せたままずっと機を伺っていた。
 勇者が雷に打たれるたびに、奥歯を噛みしめ、涙を流しながら。


騎士「クッソ…! 離せぇッ!!」

 騎士は己の腕を掴んで剣を固定する勇者の体を必死で蹴り飛ばした。
 十全の状態の騎士ならば、それだけで勇者の体を爆散させることも可能だっただろう。
 だが今は、二度の蹴りでようやく勇者の体から剣を引き抜くのがやっとという有様だった。

戦士「ああああああああ!!!!!!」

騎士「な、めんなコラァ!!!!」

 小細工なしで大上段に斬りかかってきた戦士を迎え撃つため、騎士は己の足に力を込める。
 ぐらり、と膝が笑って体勢が崩れた。
 繰り返された『呪文・大雷撃』のダメージは、確かに騎士の体に蓄積されていた。
 戦士の剣が振り下ろされ、地面に膝をついてしまっていた騎士は体勢を立て直すのが間に合うはずもなく、ただ我武者羅に回避のために身を捩る。
 湖月を握りしめていた騎士の右腕が宙を舞った。

騎士「……うらぁ!!!!!」

 死力を振り絞り、騎士は残った左手で戦士を殴り飛ばした。
 右腕を失ったことで体のバランスを著しく欠いた騎士はもんどりうって倒れそうになる体を必死になって立て直す。
 そこへ間髪入れず武道家が襲い掛かった。
 精霊甲・竜牙の肘部分から飛び出した槍の穂先のような刃物―――スピアが騎士の胸に突き立つ。

騎士「ごふ……う、おおおおお!!!!!!」

 騎士は武道家の襟首を掴み、顔面に思い切り頭突きを放った。
 そのまま左腕一本で武道家の体を投げ飛ばす。

騎士「ふぅ…ふぅ…ッ!!」

 騎士は喉奥からせり上がってくる血の塊を飲み下す。
 だが、根元から右腕を切られた肩と武道家に貫かれた胸の傷からの出血が夥しく、どの道すぐに血が足りなくなるのは目に見えていた。
 騎士は地面に落ちていた自分の右腕から、精霊剣・湖月を拾う。
 その時、さく、と草を踏む音が背後から聞こえた。
 振り返る。
 勇者だ。
 真打・夜桜をその手に持った勇者が立っていた。


 騎士は一度勇者に対して精霊剣・湖月を構えたが、ふっ、とその顔に笑みを浮かべると剣を下ろした。

騎士「参ったぜ、勇者。俺の負けだ」

 そう言って、騎士はその場に座り込んでしまった。
 実際、もう立っているのもやっとという状態なのだろう。
 そんな状態で、騎士は勇者に気さくに話しかけてきた。
 まるで、酒場で友として語り合ったときのような気安さで。
 そんな二人の様子を、戦士は遠巻きに眺めていた。
 騎士が何か妙な動きをすれば即座に動けるように、油断なく。
 もちろん、真に万全を期すならすぐに勇者のもとに駆け寄って、騎士にとどめを刺すべきだろう。
 だけど、戦士はそうしなかった。
 それは、同じように様子を見ている僧侶も武道家も同様だった。
 皆、騎士との決着は勇者がつけるべきなのだと、そう思っていた。

騎士「なあ、勇者。命だけは助けてくれないか?」

 いくらかの会話を終えた後、騎士はそう切り出してきた。

騎士「この戦いを通して分かったよ。お前は正しい、間違っていたのは俺だってな。今後は俺も心を入れ替える。な? 頼むよ、勇者」

騎士「湖月もお前が使ってくれていい。お前がもし大魔王に挑むなら、俺はお前の右腕として忠実に働くことを誓う。どうだ? 悪い相談じゃ無いはずだぜ?」

 勇者はじっと騎士の目を見つめていた。
 騎士も、目を逸らさず勇者を見ていた。
 勇者はふぅ、と大きなため息をつく。

勇者「そうだな。そうなればどんなにいいかと俺も思う。俺とお前なら、きっとどんな奴が相手だって後れを取ったりはしないだろう」

 騎士は勇者の言葉に口を挟まず、黙ってその先を待っている。

勇者「だけど、万が一のことを考えたら――――――いや、」

 勇者は言葉を切り、言い直した。
 その顔には、笑みが浮かんでいる。



勇者「お前さ―――――絶対裏切るだろ?」


騎士「流石勇者だな。俺のことを、本当によくわかってる」


 答える騎士も、やっぱり笑っていた。




 勇者が真打・夜桜を一閃する。
 騎士も応じて、精霊剣・湖月を振った。
 勇者の胸が切り裂かれ、血が噴き出した。
 騎士も同じ場所に傷を負い、仰向けに倒れる。
 互いに致命傷だ。
 だが、勇者は死なない。
 彼の傷は共にいる仲間によって治療が為されるだろう。
 騎士を治す者は誰も居ない。
 だから、騎士はここで死ぬ。
 それが好き放題に生きてきた、彼の結末。

騎士(悔いはない……割と好き勝手出来たし、ぼちぼち面白い人生だった)

騎士(まあ、そうだな……それでもひとつだけ心残りを挙げるとしたら……)

 最後の力を振り絞って顔を起こし、騎士は勇者の姿を確認する。
 仲間たちに囲まれて、勇者は傷の治療を受けている様子が目に入った。
 首に入れていた力を抜くと、ばしゃんと自分の体から生まれた血だまりに後頭部が沈む。

騎士「勇者……お前の結末を、出来れば見届けたかったな………」

騎士「それが……悔いと言えば、悔いか……」

騎士「…………」

 騎士の目から光が消える。
 彼が最後に呟いた言葉は、誰の耳に届くことも無く、ただ空に吸い込まれていった。

 後日談。
 勇者が提案したこの一大作戦によって、魔王討伐は為された。
 勇者達が騎士を抑え込んでいる間に、魔王城に潜入した各国の精鋭が見事魔王討伐を成し遂げたのだ。
 無論、かつての『伝説の勇者』の一件を経て、人々は『大魔王』の存在を知っている。
 だから、決して手放しで喜べることではないが―――世界はつかの間の平和を手に入れたのだ。
 世界に残った魔物の残党を一掃する討伐隊の活動も各国で活発に行われており、結果、魔物の数は激減した。
 最後の戦いから数か月が経過した今はもう、物資運搬を『翼竜の羽』に依る必要はなくなっていた。
 町と町とを繋ぐ街道を、物資運搬の馬車が活発に行き交っている。
 物流が滞りなく回るようになったことで、この世界はますます発展していくだろう。
 閑話休題。
 勇者は一人、北の大地を歩いていた。
 向かう先は、とある孤児院である。

院長「これはこれは勇者様」

 勇者を出迎えたのは、孤児院を経営する小太りの院長だった。

勇者「皆の様子はどうですか?」

院長「皆、元気にしておられますよ。元気過ぎて困るくらいです」

勇者「今日は随分と人数が少ないように見えますが……」

院長「大多数の者が故郷に戻って『作業』をしております。ここに残っているのはまだ歩んで故郷に戻るのは厳しい幼子ばかりです」

勇者「そうですか……これ、今月の支給リストです。近々に物資を乗せた馬車がやってくる手筈になっています」

院長「おお、おお……! まことに、まことにありがとうございます…!!」

勇者「いえ、貴方達は孤児になってしまった子供たちを支える立派な人たちだ。これからも出来る限りの援助をさせていただきますよ」

院長「ありがたきお言葉……思い起こせばあの日、極北の国が魔族に滅ぼされたことで大量の孤児が発生しました。当然、この院だけでその子たちを全て収容できるはずもなく……皆の寝床を確保するために方々に手を回したものです」

院長「しかし寝床を確保しても、それだけの人数の子供たちを養い続けるには莫大な費用が必要となります。私共だけでその費用を捻出するのはとても不可能でございました。しかし、ある方が援助を申し出てくださり、我々は何とか子供たちを飢えさせずに面倒を見続けることが出来たのです」

院長「この数か月、その方からの援助が途絶えて途方に暮れていた所だったのです。勇者様が新たに援助を申し出てくだされなければ、あの子たちは……うぅ…まことに、まことに、ありがとうございます…!!」

勇者「ですから、どうかお気になさらず。今後の支援はその方から私が引き継いだものとして、責任をもって続けさせていただきます。ああ、そうだ。ちなみにその方の名前などは、まだ覚えていらっしゃいますか?」

院長「ええ、もちろん。『騎士』様と、そう名乗っておられました」



 勇者は『滅びた国』の正門から町の中を覗き込んだ。
 とある家の中から、年若い少年少女の手によって死体が運び出されていた。
 死体は車輪のついた台車に乗せられ、町の奥へと運ばれていく。
 恐らく町の奥に共同墓地の類を設けているのだろう。
 孤児院で院長が言っていた『作業』とはこのことだった。
 世界から魔物がいなくなったことで、ようやくこの国の子供たちは我が家に戻り、手付かずだった肉親の遺体を弔うことが出来始めているのだ。
 それでも、この国から全ての遺体が片付けられるまでには、まだ長い時間がかかるだろう。
 実は勇者は、以前少年たちに手伝いを申し出て断られた経緯がある。
 この国の子供たちは、全てを自分達の手で行うことを選んだ。
 どれだけ時間がかかろうとも、自分達だけで故郷の滅亡という事実に決着をつけると宣言したのだ。
 それはまるで、あの男の信念に従うかのように。

勇者「……頑張れ」

 勇者は『滅びた国』に背を向ける。
 実は、初めてこの国に足を踏み入れた時から、気になっていたことだった。
 あれだけ多くの人間が死んでいるのを見て、だけど、子供の死体は見かけなかった。
 あの時は、色々と他に衝撃が大きすぎて、そこまで思い至らなかったけれど、よく考えれば簡単に分かる事だった。
 たった一人で国を滅ぼすという暴挙に出たけれど、あの男は子供だけは手にかけなかったのだ。

勇者「……まあ、子供にはまだ、自分の命の決定権なんてないしな。結局、全部親次第なんだし」

 だから何だという話ではある。
 あの男は結局、その子供たちから幸せな家庭というものを奪っている。
 極悪非道であることには変わりはない。
 だけど――――



『俺の国は完膚なきまでに滅ぼされていて、生き残りはゼロだった』




勇者(――――かつてあいつは、そんな風に俺に語った)


勇者「…………お前の言うことは、本当に嘘ばっかりだ。騎士」







第二十九章   さよなら、嘘つきの君








今回はここまで

やべ、最後にタイトルに「完」いれるの忘れとる ファック!!

 魔王討伐から二日後の夜、武の国では盛大な祝勝パーティーが行われていた。
 武の国はその位置が魔大陸に最も近いということもあって、諸国の中でも魔王軍との戦闘回数が抜きんでており、それ故に兵の保養、士気の維持を重んじていた。
 その方針が顕著に表れているのが、現在パーティーが催されているこの豪華絢爛な迎賓館だ。
 会場の広さは1000人以上の収容が可能で、その壁や柱は至る所に緻密で華麗な模様が彫刻され、飾り付けられている。
 魔王討伐戦に参加した兵士や神官、出資した諸国の貴族、またその親類等のパーティー参加者は、迎賓館の雰囲気に負けじと華美な衣装に身を包んでおり、会場内の雰囲気をどこまでも煌びやかに高めていた。
 会場内には豪華な食事が並べられた円卓がいくつも設置してあり、参加者はその料理を食み、手に持ったグラスを傾けて大いに歓談している。
 喧騒に包まれる会場の端にはらせん階段が設けられており、そこを上がると会場全体を見下ろせる二階席となっていて、諸国の王など最重要人物達はこちらに列席してパーティーを楽しんでいた。

勇者「ふいぃ~~……」

 魔王討伐の成功に最も寄与した人物としてパーティーの当初に皆の前で紹介され、ちやほやの嵐に巻き込まれた勇者は、這う這うの体で喧騒の中を抜け出してようやく一息ついていた。

勇者「ちやほやされるのは嫌いじゃないはずなんだけど、やっぱり今はどうしてもそんな気分になれないなぁ……」

 会場の壁に背を預け、やや沈んだ印象の声を漏らす勇者。
 そんな勇者の様子の要因として挙げられるのは、まず単純に大きな疲れだ。
 『あの男』との死闘で何度も生死の際を彷徨ってから、僅かに二日しか経っていない。
 体の傷自体は回復呪文によりほぼ完治してはいる。だが肉体的・精神的な疲労はまだまだずっしりと勇者にのしかかっていた。
 また、最後に『あの男』と交わした幾ばくかの会話。
 その内容が、勇者の頭の中をぐるぐると回り続けている。
 勇者はふとした瞬間にその内容に思いを馳せ、黙考してしまうため、気持ちが盛り上がり切らずにいるのであった。

 勇者は頭を振って思考を中断し、会場内の様子を眺める。

勇者「みんな笑顔で、楽しそうだ。良かったよ、本当に……」

 勇者は一人そう呟いて、グラスを傾けた。
 本来であれば魔王討伐の立役者である勇者がこのように一人で落ち着ける時間など取れるはずもない。
 共に戦っていた兵士達、英雄に顔を売ろうとする貴族たち、何とか寵愛を受けようと躍起になる娘たち、そんな輩がひっきりなしに勇者の元を訪れるはずだ。
 先ほどまで勇者はそんな連中の相手をしていたことはしていた。だが、その数は魔王討伐を成し遂げた英雄に対するものとしては明らかに少なかった。
 疲れを残す勇者にとっては幸いであったのだが―――『魔王を倒した英雄』としての名声は、実際に魔王の首を持ち帰った武の国兵士長を始めとした魔王城突入班に贈られたのだ。
 勇者の立場は、あくまで最終作戦立案者。つまりは軍師のような立ち位置だ。
 安全地帯で作戦指揮を執っていたとなれば、実際に命を賭し、魔王と対決した英雄に比べ、民衆から贈られる賛美の声も雲泥の差というわけだ。
 作戦決行のあの日―――勇者が実際に何を為したのかを知る者は少ない。
 だけど勇者に不満は無かった。むしろそれで良かったとすら思っていた。

勇者(どうせ、俺に対する賛辞の声は全部「流石、『伝説の勇者』の息子だ」になる……そんなん言われても何か微妙な気持ちになるし、これで良かったんだ)

勇者(ただ、まあ……母さんはその「流石、『伝説の勇者』の息子だ」が欲しかったわけで……この結果に納得してくれないかもしれないけど…それ考えるとちょっとめんどくさいけど……でも、しょうがねえよな……)

 勇者の視線の先では今も人の群れに揉みくちゃにされている武の国兵士長達の姿がある。
 しばしぼんやりとその様子を眺めていた勇者だったが、くいくいと袖を引っ張られる感覚に我に返った。
 引っ張られた方を振り向くと、金髪の美女が勇者の袖をつまんでいた。
 勇者はぼぅとして思わず女性の姿をまじまじと観察してしまう。
 女性は純白のドレスを身に纏っていた。
 ドレスは肩から胸元まで露出している形状で、胸の下から腰元まで布地がぎゅっと絞られてからふわりとスカートが広がっている。
 そのため上半身の美しい体のラインが露わになっているのだが、純白のドレスの所々に散りばめられた薄桃色の花模様によって、下品さよりむしろ清純さが演出されている。
 肩甲骨の辺りまで伸びた金髪は思わず指を通したくなってしまうほどサラリと流れていて、女性の鎖骨の間では穏やかな光を放つ宝石がネックレスに吊られて揺れていた。

戦士「……なんだその鳩が豆鉄砲を食ったような顔は」

 金髪の女性の正体は戦士であった。

戦士「……退屈なら一緒にここを抜け出さないか? 正直、言い寄ってくる男が多すぎて、辟易しているんだ」


 勇者と戦士は迎賓館を抜け出し、王宮内のテラスにやって来ていた。
 ここはかつて勇者が善の国の神官長と語らった場所で、武の国の町並みを一望できる。
 魔王討伐に沸く町はいつまでも祭りの如き喧騒に包まれていて、絶えることなく揺れる町の灯が何とも幻想的な風景を造り出していた。

戦士「綺麗……」

 ぽつりと呟いた戦士の、思わぬ艶やかさに勇者はどきりとしてしまう。

戦士「……ふん。なんだ、先ほどから呆気にとられた顔をして」

勇者「……いや、いつもと雰囲気が違い過ぎて、その」

戦士「似合わないのは自覚しているよ。武の国の侍女から是非にと勧められて着てみたが、こういうのはもっと淑やかな女性が着るべきだ。こんなに筋肉がついた肩を晒して、みっともないったらありゃしない」

勇者「き、筋肉…? ええ…? そりゃ確かに普通の女の子に比べれば筋肉あるとは思うけど、逆に戦士細すぎるでしょ。何で俺より細いの。そんなんでどうやってあの剣振ってんの」

戦士「私の筋力の高さはあくまで地の精霊の加護によるものだからな。素の腕力ならおそらくお前とそんなに変わらないさ」

勇者(あ、でも素の腕力ちょっと鍛えた男並みにはあるんっすね。コワイ!)

戦士「お前は細いというが、やはり一般的な女性に比べれば段違いに太い。今日パーティーに来ていた貴族の娘たちを見て思い知った……似合わんことはするもんじゃないな」

勇者「そんなことねえって!!」

 少し悲しそうに目を伏せた戦士に、勇者は思わず大声を上げていた。
 戦士が目をぱちくりとして勇者を見る。

勇者「あ、やー、その……」

 勇者はしどろもどろになりながら言った。

勇者「さ、さっきも言ったとおり、俺は全然太いなんて思わないし、むしろ細いと思ってるし、めちゃ綺麗だよ、戦士。俺、戦士見てぼけっとしてただろ? 正直、見惚れてた」

戦士「な、な、」

勇者「戦士カワイイ! 可愛いよホント! カワイイ! カワイイ!」

戦士「ふあ…!?」

 戦士へのフォローのつもりで喋っていた勇者だったが、喋っているうちに恥ずかしくなって、それを誤魔化すために妙にテンションが上がって、何だかどストレートに戦士を褒めちぎりだした。
 戦士の顔が真っ赤に染まる。
 戦士は自分の心臓の音が高まり、全身が一気に熱くなったのを自覚した。

勇者「それに戦士さっき言ってたじゃん! 男に言い寄られまくってるって! モテモテやん! モッテモテやんキミ!! ヒュウー! 僕も惚れてまうわこんなん!!」

 羞恥心を誤魔化すための暴走で謎のチャラ男と化した勇者の言葉に、戦士が敏感に反応した。

戦士「ほ、惚れ…!? お、おまえぇ!! 本気か!? それ本気で言ってるのかオマエ!!」

勇者「本気も本気!! ちょーマジホンキっすよパイセン!!」

戦士「いいのか!? 私も(お前が私に惚れたという事を)本気にするからな!?」

勇者「しちゃいなYO! YOU(自分が魅力的な女の子だっていうのを)本気にしちゃいなYO!!」

 ぷすぷすと戦士の頭から湯気が上がり出す。
 勇者は戦士が女としての自信を取り戻したものだと確信し、自分の仕事に満足感を覚え拳をぐっと握った。

戦士「で、でも……」

 もじもじとしていた戦士は、おずおずと口を開いた。




戦士「お前……エ、エルフ少女のことは、どうするんだ?」


勇者(何故ここで突然エルフ少女の名前が……?)キョトンヌ



 戦士の問いにキョトンとする勇者だったが、何とか戦士の意図を汲み取ろうと頭をフル回転させた。

勇者(なるほどつまり、戦士はエルフ少女と比べて自分の魅力に劣等感を抱いてしまってるというわけだ。同じ金髪だしね。仕方ないね)

勇者(ならば俺の次なるミッションは戦士がエルフ少女に抱く劣等感を払拭してやる事!!)

 自身の導き出した結論に何ら疑いを持たず、勇者は口を開く。

勇者「エルフ少女? あー、エルフ少女ね。彼女も確かに綺麗だ。まさしく人間離れしていると言っていい。だけどね、僕は君の魅力が決して彼女に劣っているとは思わない。いや、僕個人の好みの話で言えば、むしろ君の方が魅力的だよ。だから、君は(自分が魅力的な女の子だと)自信を持っていいんだ」

戦士(『俺がお前のことを好きだという事に自信を持っていい』だとぉ…!? 何だこいつ、言ってることがまるでスケコマシじゃないか! 自信満々にこんな事……コイツ、本当はすごく女慣れしてるのか!?)

 勇者は己の任務として一度こうすると定めたなら、迷いなくそのための最善手を選択するプロフェッショナルである。
 そこには躊躇いも衒いも無い。

戦士(くそぉ…!! こんなチャラチャラした言い回しは私の大っ嫌いなもののはずだ……なのに何でこんなに嬉しいと思ってしまうんだぁ…!!)

 ぼん! と戦士の頭から蒸気が噴き出し、戦士は思わず勇者から顔を背けて両手で自分の顔を覆った。
 その様子を見て、勇者は己の任務達成を確信し、ぐっとガッツポーズをする。

勇者(エルフ少女……そういえば、彼女は戦いの後に『自分の矮小さを思い知った。私は君の傍にいるには相応しくないようだ』と言い残し、姿を消してしまった)

勇者(彼女には本当に世話になって、まだまだ何の恩返しも出来ていないのに……)

勇者「会いに行かなきゃな、エルフ少女に」

戦士「 な ん で だ キ サ マ ! ! ! ! 」

勇者「ひええ!?」

 ぐわっ! と牙を剥かんばかりに勇者に食って掛かった戦士だったが、すんでの所で思いとどまり、頭痛をこらえるように頭を抱えた。

戦士(わ、わからん…! 何のつもりなんだコイツは…! もしかして私は弄ばれているのか? マジでコイツはプレイボーイのスケコマシで、私はその術中に陥ってしまっているのか…!?)

勇者「…!? …!?」ドキドキ…!

 煩悶する戦士の様子を勇者は恐る恐る伺っている。
 やがて戦士はふぅー、と大きく息をついて、勇者の方に向き直った。

戦士「まあ、いい。どうせ、私の取るべき道はひとつだ」

 戦士は決意に満ちた瞳で勇者を見つめている。
 その表情に、先ほどまでの狼狽は欠片も無い。

戦士「勇者。私はもう、先日のような無様な姿を晒しはしない。お前一人に全てを押し付けずにすむよう、私は強くなる。そして私はお前の傍に立ち続け、お前の為に剣を振り、お前の負担を分かち合う。そのことを今ここで誓おう」

 凛とした瞳に射抜かれ、勇者は面映ゆくなってぽりぽりと頭を掻いた。

勇者「……ありがとう戦士。戦士がそう言ってくれることは凄く嬉しい」

 勇者の顔に笑みが浮かぶ。

勇者「……だけどもう、必要ないんだ」

戦士「必要ない? どういうことだ? むしろ必要なのはこれからだろう。魔界にはまだ、大魔王が控えている。私達の戦いはこれからが本番のはずだ」

 戦士の言葉に、勇者は首を横に振って、はっきりと口にした。

勇者「魔界には行かない。大魔王を倒さずとも世界を平和にすることは出来る。俺達はもう、戦わなくていいんだ」








     第三十章   勇者、______




 パーティーも終わって、翌日。
 武の国の会議室には各国の代表とその護衛が再び集められていた。
 勇者は会議室に集まった皆の顔をゆっくりと見回し、言った。

勇者「今回皆様にこうしてお集まりいただいたのは今後の方針について提案をさせていただくためです」

武王「今後の方針……ふむ、魔王を倒したとはいえ、魔界には大魔王が控えている。その大魔王打倒の為の対策をここで練るという訳だな?」

勇者「……いえ、少し違います」

 勇者は首を横に振って武王の言葉を否定した。
 俄かに会議室がざわめき始める。

勇者「大魔王に対する対策、という意味では間違っておりません。しかし、必ずしも大魔王を打倒しなくともこの世界に平和をもたらすことが出来るというのが私の考えです」

善王「具体的には?」

 秩序を重んじる若き王、善王が勇者の話の先を促した。
 勇者は頷く。

勇者「魔物達は魔界というこの世界とは異なる別の世界から来ているということは既に皆さんご承知の通りかと思います。ならば今後魔物の侵略を防ぐのは簡単な話で、要はその通り道に蓋をしてしまえばいいわけです」

勇者「その通り道というのが、魔王城です。魔物達は皆、魔王城を通じてこの世界に現れていました。魔王城の容量からは有り得ない数の魔物が次々と魔王城から現れたのも、これが理由です」

勇者「今回我々は魔王城の制圧に成功し、魔物の出現を防ぐことが出来ている。あとはこの状況を継続していけばいい」

勇者「具体的には現在魔大陸を覆っている『宝術』の結界を維持するために堅牢な結界陣を魔王城周りに敷設する。そして魔王城の奥に発見された『魔界への出入り口と思しき泉』には常に見張りを置く。見張りと軍との通信手段を整備し、有事の際には即座に戦力をそこに投入できるようにする」

勇者「要点を挙げるなら、こんな所でしょうか。折角ですので、今回大まかな役割の分担と費用負担の割合まで決めてしまいたいのですが」

武王「待て待て待て。勇者、ちょっと待て」

 淡々と議事を進行しようとする勇者に待ったをかけたのは武王だ。

武王「何故そんな面倒なことをしなくちゃならん。魔界への入口が判明しているのならやることはひとつだろう。すなわち、魔界への突貫! これまでただひたすらに受け身になって耐え凌いだ我々が攻勢に転じる、今がまさに好機であろう!!」

兵士長「然り。魔王を討伐したことで兵の士気もこの上なく高まっております。大魔王討伐を掲げれば、この勢いは決して衰えることは無いでしょう」

 やはり魔王討伐の中心的役割を担ったためか、武の国の面々には自信が漲っている。
 しかし勇者は二人の熱意を受けてなお、首を横に振った。

勇者「いえ、いいえ。確かに兵達の士気はこの上なく軒昂でありましょう。しかしそれでも人類の力は大魔王には及ばない」

武王「そんなことはやってみなくてはわからん。勇者たるお主がそんなに臆病でなんとする」

勇者「いいえ、わかります。何故なら―――魔界では『宝術』が使えない」

勇者「我々の精霊加護を底上げし、相対的に魔物の力を押さえつける宝術。この宝術無くしてこの度の我々の勝利は有り得なかった。そうでしょう?」

勇者「しかし宝術はあくまで土地の精霊に働きかけ、その力を強めるもの。魔界にはその土地の精霊が存在しない。もしかしたらそれに類する存在はいるかもしれないが、それらがこちらの宝術に反応してくれるわけがない」

勇者「宝術が使えない以上、こちらの勝利は絶望的だ。なんせ、『光の精霊』の加護を得ていた我が父、『伝説の勇者』ですら大魔王討伐を成すことが出来なかったのだから」

勇者「いや、それ以前にそもそも、我々の持つ精霊加護が魔界でも維持できるのかすら疑問だ。もし精霊加護が消失してしまうとしたら、我々は一般の民とそれほど変わらぬ動きしか出来なくなる。勝てる道理が無い」

勇者「だから―――次善の策しかないのです。私の提案では確かに、根本的な解決には至らない。常に魔界の出入り口を監視しなくてはならないという負担も生じる。しかしそれでも――――確かに世界に平和をもたらすことは出来るのです」

 ―――沈黙があった。
 誰も彼もが苦虫を噛み潰したような顔になって、勇者の言葉を飲み込んでいた。
 再び手を挙げて発言したのは善王だった。

善王「魔王城の出入り口を塞いだところで、また別の所に出入り口を造られたら意味がないのではないか?」

勇者「その可能性はほとんどないとみています。理由は、この十年余りの間、魔王城以外の出入り口が造られていないからです。異界への出入り口を簡単に造れるのならば、世界中の至る所に造っていたでしょう。その方が、この世界を侵略する上で遥かに効率がいい」

勇者「それをしなかったということは、大魔王にとっても異界への出入り口を造るということはそう軽々には出来ることではないと、そう推測できます」

 勇者の説明に、善王は納得したようだった。
 勇者は参列した諸国の王の顔を見回す。

勇者「他に質問は…? ……無いようでしたら具体的な段取りの話に入らせていただきたいと思います」








 ―――こうして、世界には平和が訪れた。





 抜けるような青空の下、とある教会で二人の男女が多くの人々の祝福を受けていた。
 教会の入口から出てきた男女に、周囲の人々から色とりどりの花びらが散りばめられる。
 男女は幸せそうに笑みを浮かべながら、人々の列の真ん中を歩んでいく。
 女性が身に纏っているのは、純白のウェディングドレスだ。
 つまり、結婚式である。
 新郎の名は武道家。
 新婦の名は僧侶であった。

戦士「おめでとう僧侶!! 本当におめでとう!!」

僧侶「ありがとう! 本当にありがとう戦士!!」

勇者「くわぁーー!!!! ちくしょうがこの野郎うまい事やりやがって!! そういや祝勝パーティーの時もお前らシレっといなくなってたもんな!! この野郎が!! コンチクショウが!!」

武道家「えーいやめろひっぱるな!! 高いんだぞこの衣装!!」

勇者「パーティーの仲間に涼しい顔して手を出すヤリチン野郎め!! おめでとう!!」

武道家「凄まじく人聞きが悪い!! ありがとよ!!」

竜神「うおろろろ~~ん!!!! クッソーーー!! 諦めんぞーー!! こら僧侶!! お前武道家を不満にさせたら私がすぐ寝取りにいくからな!!」

僧侶「ま、負けません!! 私、武道家さんの望むことなら何だってしてみせますから!!」

勇者「ファック!! ファァァァァァック!!!! クソが!! 爆発しろ幸せ新婚きゃっきゃうふふ野郎が!!!!」

武道家「痛い痛い痛い揺らすな揺らすな」ガックンガックン!

黒髪の少女(うう…! 来るのだろうとは思っていたけれど、やはり勇者が来ている…! どうしよう、いざとなると緊張するわ……二次会よ、二次会が勝負よ私!!)

戦士(あの娘、確か港町ポルトの……何かすっごく勇者の方見てない?)


 沢山の祝福を受け、最後に新婦はその手に持ったブーケを天高く放り投げた。

 次に幸せを掴む者として、そのブーケを受け取ったのは――――――



 それから、勇者は魔王軍残党の討伐隊として世界各地を転々とした。

 魔物の残党の中で今の勇者を苦しめられるものなど存在せず、勇者は危なげなく魔物を討伐していった。

 世界を回る中で、勇者は多くの事を知った。

 たとえば、倭の国にて、『鉄火』の娘の健在を。

 たとえば、極北の地にて、とある孤児院の存在を。


 更に月日が経過し、魔物の残党もほぼほぼいなくなって、世界はいよいよ平穏を取り戻し――――




 ―――――勇者は、魔王城に立っていた。





騎士『魔王城の奥にな、底を覗き込んだ時に何故か空が見える変な泉がある。それが魔界への入口だ』

騎士『魔界で精霊加護が維持できるか? ああ、それは大丈夫だ。ただ、魔界には精霊なんてものが存在しねえから、新たに精霊加護を得ることが不可能だ。つまり、魔界ではレベルアップが出来ない』

騎士『魔界って名前のイメージ通り、何ともおどろおどろしい環境で最初は面食らうだろうけどな。食糧さえちゃんと持って行きゃ、生きていく上で問題は無い』

騎士『入口も一方通行って訳じゃないぜ。行ってから、食糧が尽きたりしてやっぱ無理だと思ったら向こうの泉に飛びこみゃいい。それでこっちに帰ってこれる』

騎士『……ここでお前にスーパーサプライズをくれてやろう。実はな、「伝説の勇者」……お前の親父は、魔界で生きているんだぜ』

騎士『なに? 知ってた? 何だよマジかよ。ここでのお前のリアクションに期待してたのによ~』

騎士『でもまあ、ってことは、さっきの俺の説明を聞いて、お前ならもう気付くよな?』

騎士『そうだ。お前の親父は生きている。なのに、帰ってこない。入口を通りさえすりゃ、こっちの世界には簡単に帰ってこれるのに。つまり、そこには何かしらの理由があるんだ』

騎士『……そして俺はその理由を知っている。「伝説の勇者」の結末を知っている。だが、こればかりは教えてやらない。お前が自分で確認しなきゃ、意味がないからな』

騎士『こんだけ根掘り葉掘り聞いたんだ……行くつもりなんだろ? ……魔界に』



 勇者の脳裏に浮かぶのは、『あの時』騎士と交わした最後の会話。
 ずっと忘れようと思っていた。
 ずっと、気にしないように努めていた。
 だけど、駄目だった。
 父の墓の前で今でも涙を流し、ふとした時に深いため息をつく母の姿を見るたびに、胸が締め付けられる思いだった。
 だから勇者は決心した。

 魔界へ向かう。
 ただしそれは、大魔王を討伐するためではなく、父を救出するために。
 いつだって帰ってこれると騎士は言った。
 なのに父が帰ってこないという事は、帰ってこれないという事だ。
 なにかのっぴきならない状況に、父は陥ってしまっているという事だ。
 だから、助けに向かう。
 死んだはずの『伝説の勇者』を連れて帰って来て、この物語はようやくハッピーエンドを迎えることが出来るのだ。

勇者「よし…!」

 決意を新たに、勇者は魔王城の奥へと進む。
 見張りの者には既に話をつけてある。勇者を止めようとする者は誰も居ない。
 そのはずだった。

「待て」

 勇者の前に立ち塞がる者があった。
 燃え盛る火炎の如き紅蓮の大剣を背負った金髪の美女。
 勇者の前に立ち塞がったのは、戦士だった。

戦士「……どこに行くつもりだ?」

勇者「……少しだけ、魔界へ」

 逡巡の末、勇者は正直に答えることにした。
 元より、この場所にあってはどう言いつくろっても誤魔化しはきくまい。

戦士「そうか」

勇者「驚かないんだな」

戦士「お前の様子を見て、何か考え込んでるのは分かってたからな」

 戦士もまた、勇者と共に魔物の残党の討伐を行っていた。
 必然、勇者と行動を共にする機会は多かったのだ。

戦士「お前、黒髪の少女の告白を断ったろう」

勇者「……何で知ってるんだ?」

戦士「気になってな。後をつけてしまった」

勇者「プライバシーの侵害だ」

戦士「ごめん。でも、その時に聞いてしまったんだ。お前が『まだ自分の命がどうなるかわからないから』と言って断るのを」

戦士「その時に、色々考えた。正直、お前も私も、もはやこの世界に敵はいない。それほど、突出した強さを私達は得てしまっている。そんなお前が、命を危ぶむほどの状況……考えるほどに、答えはひとつしか思い浮かばなかった」

戦士「だから、お前の様子を注意深く伺っていた。そうしたらこの二、三日で、大荷物の準備を始めたから、ピンときたんだ」

勇者「いよいよもって、プライバシーの侵害だな」

戦士「ごめん。本当にごめん」

勇者「いいよ。それで、何しに来たんだ? お前も、そんな大荷物を持って」

戦士「わかっているんだろう? 私も一緒に連れていけ」




勇者「駄目だ、って言っても聞かないんだろうな」

戦士「そうだな。流石に付き合いが長い。私の事をよくわかってるじゃないか」

勇者「よくよく考えてみれば、お前も俺の親父―――『伝説の勇者』のことが、大好きだったな。一緒に行きたいと言い出すのも、当然のことだった」

戦士「だ、大好…!? オイ、変な言い方をするな!! 私が『伝説の勇者』様に抱く感情は、あくまで師弟としての敬愛だ!!」

勇者「さあ、行こう。ここから先は命の保障は出来ないぞ。――――俺も、そんな風に誰かに、命を賭す程に想われてみたいもんだ」

戦士「おい待て!! お前! 何か盛大な勘違いをしてないか!!?」




 こうして勇者は新たな旅への一歩を踏み出した。


 この先、どれ程の苦難が待ち受けているのか――――――勇者はまだ、何も知らない。








第三十章   勇者、魔界へ       完






今回はここまで

お待たせして申し訳ない

本当に遅筆じゃが、必ず完結するんで思い出した頃にひょいと覗いてほしいんじゃー


……待ってると行ってくれる皆様のおかげでモチベを保っていられます

俺の周りを包む緑色のバリアが水の剣の攻撃を防ぐ。

賢者「何!?」

ザコ「そのままタックル!」

賢者「グハッ!」

完全防御を纏ったまま突撃してやった。ダメージはでかいはずだ。
と言っても回復魔法陣の上なので回復するのだが・・・

ザコ(参ったって言わせるの面倒臭すぎるだろ!)

正直このままじゃ終わりそうにない。

ザコ(そうだ!良い事思いついた)ニタァ

ザコ「竜王、今から言うことを勇者に伝えに行ってほしい」

竜王「むぅ・・・この竜王を雑用に使うとは」

ザコ「頼むよ」

竜王「仕方ない、行ってやろう」

やばい別スレご送信。恥ずかしいとごめんなさい!

 勇者が魔界行きを決意した、その夜――――とある別れの記憶。

武道家「魔界に行く、だと……!?」

勇者「ああ」

武道家「馬鹿な…! お前は行くつもりは無いと前に散々…!」

勇者「気が変わったんだよ」

武道家「ならば、俺も一緒に…!」

勇者「駄目だ。あんな状態の僧侶ちゃんをほっぽり出していくっつうのか? そんなもん許さねえぜ、俺は」

武道家「く…! どうして、隠していた……お前が最初からそのつもりだったと知っていたら、俺は……」

勇者「だからだよ。今回魔界に行くのは世界の為とか、誰かの為とか、そんなんじゃない。完全に俺のわがままなんだ。それに、誰かを付き合わせるわけにはいかなかった」

武道家「友達だろうが、俺達は…! くそ…! 余計な気を使いやがって…! 友が死地に向かうのに何もできない歯がゆさがわかるか!? そちらの方が、余程酷だ…!!」

勇者「……悪いな。ただまあ、そんなに心配するほどの事はないさ。目的はあくまで親父の安否の確認だ。何も命を賭して大魔王と決戦しようってんじゃない」

武道家「……必ず帰って来いよ。帰ってこなかったら、ぶん殴ってやるからな」

勇者「またベタな矛盾を……予定日、二か月後だっけ? それまでには必ず帰ってくるよ」

 話を終え、武道家と連れ立って玄関に向かう勇者の背中にかけられる声があった。

僧侶「あら? 勇者様、もうお帰りになってしまうのですか?」

 声をかけてきたのは武道家と晴れて夫婦の関係となった僧侶だ。
 僧侶のお腹はもうエプロン越しにも分かるくらいに大きく膨らんでいる。

勇者「ああ、色々と準備を進めなきゃいけなくてさ。また今度時間見つけてゆっくりしに来るよ」

僧侶「世界が平和になっても、勇者様はお忙しいのですね。何のお手伝いも出来ないこの身が歯がゆいですわ」

武道家「………」

僧侶「どうしたの、あなた? 何だかとても不機嫌な表情」

武道家「……なんでもない。少し部屋で頭を冷やしてくる」

 そう言って武道家は自室に戻っていった。

僧侶「…? 一体何の話をしていたんです?」

勇者「な~に、くだらない話さ。なあ、僧侶ちゃん」

僧侶「はい、なんでしょう?」

 小首を傾げる僧侶に、勇者はにっこりと笑ってみせる。

勇者「元気な赤ちゃんを産んで、絶対に幸せになってくれよな。君はさっき俺の手伝いが出来なくて歯がゆいと言ってくれたけど、そんな事は全然思わなくていいんだ」

勇者「そんな事より、俺達が頑張って平和にしたこの世界で、君や、武道家や、勿論戦士も…みんなが幸せになってくれた方が、俺は百倍嬉しいんだからさ」







第三十一章  そして彼女は彼の言葉の意味を知る





勇者「……なんて言ってたのに、俺が幸せを祈っていたはずの彼女は俺の傍で一緒に魔界に挑もうとしているのでした。まる」

戦士「何を一人でぶつくさ言ってるんだ」

 しみじみと思いを馳せていた勇者に戦士から呆れ気味の声が飛ぶ。
 勇者と戦士の二人は魔王城の最深部、騎士の話にもあった泉の前にやってきていた。
 二人は共に泉を覗き込む。

勇者「……騎士の言ってた通りだ。水の底に空が見える」

戦士「この場所は魔王城の中だから、水面に空が反射しているという訳ではない。それならば石造りの天井が映るはず」

勇者「うわ~、何コレすっごい気持ち悪い。水底がないなら何であっちに水が落ちていかないの? 感覚的にすっごい気持ち悪い」

戦士「向こう側に見えているのが魔界の空ということか…? なんだ? 潜ってあっち側に向かえばいいのか?」

勇者「騎士は単純に飛び込んでしまえばいいと言っていたけど……まあ剣とか装備品持ったまま飛び込めば、重さで勝手に沈むわな」

勇者「でも俺が怖いのはそのまま向こう側の空に落ちていっちゃうことなんだよね。空に落ちるとか何それ怖い。どこまで落ちて行っちゃうの? 空の果てはどこにあるの?」

戦士「そんなものは学者にでも考えさせておけ……行くぞ勇者。覚悟を決めろ」

勇者「相変わらずの即断即決……オットコ前やでえ……」

戦士「それは褒めてるのか? 貶してるのか? それともからかってるのか?」

勇者「ほ、褒めてますです、はい」

戦士「そういう褒め方は今後控えろ……私だって女なんだ」

勇者「ア、ハイ、スンマセンッス」

 唇を尖らせてぷい、とそっぽを向いてしまった戦士の反応が予想外過ぎて、勇者は咄嗟に小声で小者のような返事をしてしまった。
 気を取り直して、勇者は自分の荷物の中からロープを取り出した。

勇者「念の為に、俺と戦士の体をロープで繋いでおこう。万が一分断された状態で魔界に放り出されたら危険だからな」

戦士「いらん」

勇者「ほえ?」

戦士「手を繋げばよかろう。分断を危惧するなら、いつ千切れるか分からんロープを使うよりそっちの方が確実だ」

 そう言って戦士は水面から視線を外さぬまま後ろにいる勇者に手を差し出してくる。

勇者(お、オットコ前やでえ……)

 先ほどの一幕で学習した勇者は、今度は感想を口に出さずに心の中に留めておくことに成功した。
 戦士の手を握り、その隣に並び立った勇者は気づかない。
 勇者が男前と評した戦士は、頬を桃色に染めて口をもにょもにょさせていた。

勇者「さあ、行こう」

 勇者と戦士は覚悟を決めて泉の中に飛び込んだ。
 身に纏う装備品や剣の重量に引かれてどんどん自分の体が沈んでいくのが分かる。
 勇者と戦士は固く閉じていた目を開いて水底に視線を向けた。
 水底に見える空は、まだ遠い。
 息もそれ程長く止められるものではない。勇者と戦士は頭を下に向け、水を蹴ることで潜る速度を上げようと試みた。

 ―――瞬間、凄まじい勢いの水流が二人の体を襲った。

 横合いから突如襲ってきた水圧に為すすべなく巻かれ、ぐるぐると回転した二人はあっさりと平衡感覚を手放し、上下左右も分からなくなった。
 それでも繋ぎ合った手だけは離さぬよう必死で握りしめ、二人は互いに無我夢中で水流からの脱出を試みる。
 水圧に耐えて目を見開くと、そう遠くない所に水面があるのが分かった。
 勇者と戦士は頷き合い、二人で必死に水を蹴って水面を目指す。

勇者「ぷあっ!!!!」

戦士「ぷはっ!!!!」

 勇者と戦士は二人同時に水面から顔を出した。
 そして二人とも大きく息を吸って肺の中一杯に空気を取り込む。

勇者「はぁ~~びびった!! 死ぬかと思った!!」

戦士「おい、勇者……周り……」

 勇者は戦士に促されて周囲の景色に目を向ける。
 辺りの景色は、泉に飛び込む前の魔王城のものとは一変していた。
 空が見える。赤い空に、黒い雲。
 見渡す限りの、灰色の荒野。

勇者「ここが……魔界……」

 勇者と戦士は泉から這い上がり、息を整えてから改めて周りを見渡した。
 空が赤いのは、既に今が夕焼けの時間帯だからか。それとも、元々空の色が赤いのか。
 見渡す限りの灰色の荒野は、遠く霞む地平線まで続いていて、永遠に広がっているかのように錯覚させる。
 見える範囲においては、生物のようなものは見受けられなかった。
 それは、そう、植物さえも。

勇者「……いや、植物の色も緑とは限らないからな……植物は緑っていう先入観のせいで、見逃しているだけかも……」

戦士「勇者、あれはなんだろう?」

 戦士が指差す先に視線を向けてみれば、地面に一部黒い部分があることに気付いた。

勇者「なんだろう…パッと見、沼っぽく見えるけど……」

戦士「行ってみるか?」

勇者「そだね。他に指標もないし、俺の火炎呪文で濡れたもん乾かしたら行ってみよう。薪がないから呪文出しっぱにせにゃならんくて辛いぜ!」

 勇者と戦士は黒く見えていた場所に辿り着いた。
 向かっている途中で薄々分かってはいたが、勇者が予測した通り、それは沼だった。

勇者「生き物が生息しているようには見えねーなあ……」

 勇者はしばらく沼の表面を目で伺っていたが、やがて思い切って指を突っ込んでみた。
 ボジュウ!と音を立て、突っ込んだ人差し指に激痛が走る。

勇者「ぐぁっち!!!!」

戦士「大丈夫か勇者!!」

 勇者は慌てて指を抜き、状態を確認する。
 指の表面の、皮膚が焼けただれたようになっていた。

勇者「毒の沼だこれ……それもかなり強い毒性の」

戦士「魔物の肉は悉く毒を持ち、打ち捨てられた魔物の死体はやがて溶けてその周囲の土を腐らせる。その死体の量が大量になると、毒の沼が出来るのだったな」

勇者「ああ、周りを良く見るとそこかしこに毒の沼が見えるな……ってゆーか毒の沼だらけだ。流石は魔物の本拠地、魔界ってところか」

 勇者は自分の指を呪文で回復させると、今度は荷物からあるアイテムを取り出した。

勇者「さて、今度はこれを試そう。戦士、俺の体に触れてくれ」

 勇者にそう言われて、戦士は勇者の肩に手を置いた。
 それを確認して、勇者は手に持ったアイテムを発動させる。
 勇者と戦士の体が空に向かって飛びあがった。
 そして二人は先ほどの泉のほとりに着地する。
 過去に行ったことがある所なら、その場所をイメージするだけで使用者をそこまで飛翔させることが出来る魔法のアイテム、『翼竜の羽』の効果だ。

勇者「よし、使えた。翼竜の羽を使ってここまで戻ってこれるなら、ある程度大胆に探索を進めていって大丈夫だな」

戦士「今回持ってきた食糧の量なら、とりあえず五日間の探索といったところか」

勇者「何もトラブルが無ければ、そんなところだろう。それにしても戦士、そういう計算するの上手くなったよな。前は全然だったのに」

戦士「……勉強したんだよ」

 素直に褒めた勇者の言葉に、戦士はぷいっとそっぽを向いてしまった。

 勇者と戦士はこれから探索に向かう先を、泉のほとりにあった独特な形をした岩を背にして真っ直ぐ進んだ方と定めた。

勇者「北も東も分からんから、とりあえずま~っすぐ進んでみよう」

戦士「今が昼なのか夜なのかも分からんな……私達の世界を基準にするなら、まだまだ昼前のはずだが」

勇者「そもそも昼とか夜の概念があるのかね」

戦士「それにしても静かだ。魔界というからには、もっと魔物がうじゃうじゃいるものだと思っていたが」

勇者「そうだね。でも、そういうことを言ってると大抵……」

 何気なく周りをくるりと見渡した勇者は、ある一点で視線を止めた。
 土煙を上げながら、何やら巨大な生物がこちらに向かって駆けてきている。

恐竜型魔物「ギャオオオオアッ!!!!」

 その魔物は二足歩行で歩く蜥蜴といったような出で立ちだった。
 ただ、その体がとても大きい。体高は5mを軽く超えていた。
 口には鋭い牙が並び、太い手には頑丈そうな爪が生えている。
 どうみてもその魔物は肉食だった。

勇者「こんな風になっちゃうよねー。すっごい勢いでこっち来てるよ。どう見ても友好的じゃねえなありゃ」

 そう言って勇者が構えたのはそれ自体が青く輝く不思議な金属で造られた神秘の塊、精霊剣・湖月だ。

戦士「涎をだらだら流している。どうも、私達を捕食対象と捉えているのは間違いなさそうだ」

 戦士もまた、赤く輝く精霊剣・炎天を構えた。
 未知の敵を相手にしても、二人に焦りは無い。
 既に二人は歴戦の強者。迫る敵が自分達に及ばないことは剣を交えずとも感じ取れている。
 しかし、油断なく。
 されど、慢心せず。
 散開した勇者と戦士は二人で挟み撃ちする形で恐竜型魔物を迎え撃った。

 さしたる傷も負わず、勇者と戦士は恐竜型魔物を打ち倒した。
 かつては報奨金を得るために魔物を倒せば必ず戦利品を持ち帰っていたものだが、もう今はそんなことをする必要はない。
 魔王討伐に多大に寄与した勇者一行は、各国から手厚い補償を受けている。
 勇者も戦士も、武具の更新や旅に必要な物資についてはほぼ無償で提供を受けることが出来た。

勇者「さて……」

 しかし勇者は倒した魔物の死体の傍に屈みこみ、検分を始めた。
 先ほどの戦闘を通して、少しばかり魔物の様子に違和感を覚えたためである。

勇者「この魔物、途中で明らかに俺達の方が強いってことに気が付いていたはずだ。なのに、逃げずに最後までこちらに向かってきた。言うなれば、そう、必死だった」

 勇者は魔物の腹を湖月を使って斬り開いた。

勇者「内臓の構造はそれ程変わった点は見られない……とすると、これが恐らく胃だな」

 それまでは内臓を傷つけないように腹内から引っ張り出していた勇者だったが、胃と思しき部位を見つけるとそれを躊躇なく切り開いた。
 どろりと胃液らしき粘性を持った黄色の液体が零れだすが、そこには固形物の類は何ら見当たらなかった。

勇者「やっぱり、胃の中がからっぽだ。それに、腹の下に全然脂肪分が無い。余程飢えていたんだな、この魔物」

 あらかた魔物の体を調べ終えた勇者は、風の呪文を地面にぶつけて土を吹き飛ばし、巨大な穴を掘った。
 そこに魔物の残さを放り込み、土を被せて埋める。
 作業を終えた勇者に、戦士が水で濡らしたタオルを差し出した。

勇者「ありがとう」

 勇者はそれを受けとり、血で汚れた体を拭く。

戦士「まだ汚れているぞ」

 戦士はもうひとつタオルを準備し、それで勇者の顔を拭った。

勇者「あ、あり、ありがとう?」

戦士「どういたしまして」

 咄嗟の事にどぎまぎして勇者は戦士に礼を言った。

勇者「さて、ちょっと分かったことがある」

 気を取り直して勇者はそう切り出した。

勇者「魔界ってことで身構えていたけど、魔物の強さは俺達の世界に居た奴と比べても大した違いは無い。むしろ、もっと弱いんじゃないかってとこまである」

戦士「考えてみれば、私達の世界に居たのは異世界を侵略するための尖兵ということだものな。より強い魔物を送るのが当たり前か」

勇者「騎士との戦いを経て、今の俺達はもはや万全の獣王にすら独力で勝ち得る程に加護レベルが上がっている。これからの戦いで魔物相手に後れを取ることはそうそうないだろう」

 戦士が頷くのを確認して、勇者は言葉を続けた。

勇者「ただし、どうもこの辺りの魔物は飢えて気が立っている様子だ。そういう奴は何をしてくるかわからんので、くれぐれも油断しないこと」

戦士「ああ、わかっている」

勇者「それじゃ、行こう。この砂漠みたいに何もないエリアがどれだけ続いてるか分からないけど、ここはさっさと抜け出したいな」

 しかしそんな勇者の願い空しく、いつまでたっても荒野を抜けることが出来ないまま夜を迎えてしまった。
 勇者と戦士は荒野にテントを立てて野営の準備を進める。

勇者「魔界にも夜ってあるんだな」

戦士「星も瞬いているぞ。そしてあれが……多分、私達の世界で言う月なのだろうな」

 漆黒の空、戦士が指差す先には、青く輝く月のような円があった。

戦士「最初は不気味だと思ったが、見慣れると美しくすら思える。何とも幻想的な光景だ」

勇者「辺りが薄青く照らされてる。結構強い光が出てるんだな。わりと辺りを見通せるから先に進めなくもないけど、ま、やめとこう。念の為な」

 テントを組み立ててから、勇者は戦士に中に入るように促した。

勇者「魔界の夜がどれくらいの時間続くのか分からないけど、とりあえず三時間を目処に見張りを交代しよう。まずは戦士が先に寝てくれ」

戦士「わかった」

 そう言って戦士はもぞもぞとテントの中に入っていった。

勇者「う~、若干肌寒いな…火種になるようなものが無いから火も焚けないし…次に来るときは薪もある程度準備してきた方がいいな」

戦士「な、なあ……」

 勇者がごしごしと手のひらで体を擦って暖を取ろうとしていると、テントの中から戦士の妙に弱弱しい声がした。

勇者「どうした?」

戦士「そ、その……体を拭きたいから、ちょっと中で服を脱ぐけど……」

勇者「ファッ!?」

戦士「覗くなよ!? ぜ、絶対に覗いちゃ駄目だからな!!」

勇者「ファ、ふぁい!!」

 しばらくの沈黙の後、ごそごそと衣擦れの音がテントの中から聞こえてきた。

勇者(あばばばば! まずい! よく考えたら戦士と二人きりで夜を過ごすなんて初めてやんけ!!)

戦士(お、落ち着かない……! 今まではこうやって着替えたりする時は僧侶と交代でしていたから、安心していたけれど……今勇者が破廉恥な行動に出たとしたら、私にはそれを止める術がない……!)

勇者(あかん! 落ち着け! 意識するな!! 心頭滅却すれば火もまた涼し!! うおおおおおおお!!)

戦士(あ、いや……こんな傷だらけの女の体なんて、誰も見たいなんて思わないか……)シュン…

勇者(あかん!! よこしまな気持ちよどっかいけ!! 緊張感を保つんだ!! ああ、もう、敵の本拠地である魔界での初夜でなーにをこんな浮かれポンチな思考に陥っとるのだ!!)

勇者(しょ、初夜ッ!!!?)ボムッ! ←自爆

 結局、勇者も戦士もまんじりともせず翌朝を迎えたのであった。

 翌日―――

勇者「おお、山だ……あれ多分山だよな…?」

戦士「おそらく…な」

 荒野をひたすら進んでいた勇者達は、地平線に浮かぶ山の影をその目に捉えた。

勇者「いや、山なんだけどね…ただの山なんだけどね……それでも、景色に変化が出てきたことがこんなに嬉しいとは……」

戦士「今までまっっったく景色に変化が無かったからな……」

勇者「ずーーーっと無言の時間あったよね……今更だけどあの時間帯何考えてた?」

戦士「何か…色々……お前は?」

勇者「俺も……何か色々……」

戦士「そうか……」

勇者「うん…」

 やがてはっきりと山の姿が目に入ると、心なしか二人とも声が弾み、足取りも軽くなった。

勇者「あの山を越えた先にはさ、一体どんな景色が広がっているんだろう?」

戦士「きっと、私達の知らない、素敵な世界が待っているんだ!」

勇者「どうする? 山の頂上から見た景色がずーーーっと荒野だったら」

戦士「一回帰る。いくらなんでもちょっと心折れる」

 疲れからか、かように妙なテンションのまま、勇者と戦士は謎の山脈に突入していった。

 山の中で勇者を少なからず驚かせるものがあった。
 それは植物らしきものの存在である。
 山の中にはごく僅かではあるが、植物らしきものが群生していたのだ。
 植物だと断言できなかったのは、それが紫や赤など、あまり元の世界では見られないような色のものばかりだったからである。
 しかも、先に進むにつれてその植物らしきものの量はどんどんと増えているように思えた。

戦士「勇者! あれ!!」

 戦士が指差した方を見て、勇者は目を見開いた。
 山の中腹に、果樹園があった。
 どのような実がなっているのかは遠くて確認できない。
 だが、あまりに整然と並ぶその木々の様子からして、明らかにそれは誰かの手によって管理されているものだった。
 逸る気持ちを押さえ、勇者達は慎重に山を登る。
 やがて頂上に出て、景色が急に開けた。
 勇者も戦士も、息を呑む。


 眼下には、町並みが広がっていた。


勇者(町……町だ。本当にあった)

勇者(『魔界』なんて名前から、勝手におどろおどろしい世界を想像していたけど、よく考えたら魔物の中にも人間みたいな奴がいたから、当然そいつらの町とかがあってもおかしくはないんだ)

勇者(予想はしていたけれど、やっぱり衝撃が大きい……それはきっと、天敵だと決めつけていた奴らが、理解し得ないものとして忌避してきた奴らが俺達と同じ『営み』をしているんだってことを見せつけられたから)

勇者(人間と魔物にも、共通する部分があるのだということを、直視せざるをえなくなったからだ)


 勇者と戦士は山を下りる前に、変化の杖で自分達の姿を変えた。
 山の方まで何者かの手が入っている以上、その何者かと下山中に鉢合わせる可能性は少なくなく、その際人間の姿だと何かと問題が生じる可能性があると危惧したからだ。
 顔の造形などは特にいじらず、肌の色を浅黒く変え、そして背中から翼を生やした。
 これは今まで何度か遭遇した魔族の姿を参考にしたものである。

勇者「それじゃ、行こう」

 勇者と戦士は頷き合って、眼下に広がる町へと歩を進めた。

勇者(魔界に生きる者達の町……魔界を統治するという『大魔王』の情報はきっと集まるだろう。だけど果たして、親父の、『伝説の勇者』のことを知っている奴はどれくらいいるだろうか……)

 そして、勇者と戦士は無事に下山を終え、遂に町の中へと足を踏み入れた。
 緊張でからからになった喉にごくりと唾液を通して、勇者はきょろきょろと周りを見渡す。
 建造物は色合いこそ人間が作る物と異なるものの、木造建築やレンガ造りに近いものではないかと推測されるものばかりで、魔界特有の何かしらというものを特別感じることは無かった。
 道行く者が実に様々な種族の魔物であることを除けば、そこまで大きくない普通の人間の町と―――それこそ、勇者と戦士の故郷の町と、それほど変わらぬ雰囲気であった。

魔族A「××××××、×××××××?」

勇者「はぅ…!」

 町の住人らしき魔族の男に話しかけられて、勇者の息が一瞬止まる。

勇者「ええと、その、何というか、その……」

魔族A『なんだ、言葉がわからねえのか? おいおい、あんたら何処から来たんだよ』

勇者(え~っと、なんだろ。多分何処から来たのか聞いてるっぽい?)

勇者「え~っと、向こう。ず~と、ず~~っと向こう。オーケー?」

魔族A『俺達の言葉がわからねえ程遠くってことは、もしかして西の果てから来たのか? あっちの方は特に荒廃が酷いって聞くぜ。よく生きてここまで来られたな!』

 町の住民らしき魔族の男は豪快に笑うと勇者の背中をばんばんと叩いた。
 勇者の背中から生えている翼は、変化の杖でそこにある様に見せかけているだけなので、変化がばれないか冷や冷やしながら勇者は男の言葉を必死で考察する。

勇者(何か歓迎されてるっぽい? 敵意がないなら、もう少し関わって反応を伺ってみるか…?)

勇者「なあ、この町は何なんだ? 魔界にはこんな町が他にもいっぱいあるのか?」

魔族A『この町を見て驚いているようだな。無理もねえ。今の魔界でこんな豊かな場所なんて、もうここぐらいだからな。それもこれも、みんな大魔王様のおかげだ』

勇者(ん? 今なんか魔王みたいな発音が聞こえたような気が……)

魔族A『ここは試験都市フィルスト。大魔王様が魔界を救う第一歩として始めなさった実験的生活都市さ』

 勇者には魔族の言葉はほとんど理解できなかった。
 ただ何となく、この町の名前がフィルストであることと、この町に大魔王が関わっていることだけは、ニュアンスで掴んだのだった。

魔族A『ここまでの道中大変だったろう。俺ん家に来な。ちょうど今日はご近所さん集めてパーティーするところだったんだ。余所じゃ絶対食えないような旨いものを食わせてやるぜ』

 魔族に手招きされ、勇者は考える。
 どうやら魔族はついてこいと言っているようだが……

戦士「勇者…ついて行って大丈夫なのか?」

勇者「わからん……でも、どうやら変化がばれてる様子もないし、友好的っぽいから、大丈夫だとは思うけど……いざとなれば、『翼竜の羽』での緊急離脱も出来るし、行ってみよう。虎穴に入らずんばってやつだ」

 迷った末に、勇者と戦士は取りあえず魔族についていくことにした。
 勇者も戦士も、少しでも何か情報は無いかと目を皿にして町の様子を観察する。
 そのうち、どうにも違和感があることに気付いた。
 どこもかしこも、何か見たことがある気がする。
 物の本によると、初めて見たはずの光景が、かつてどこかで見たことがある様に感じられる現象をデジャヴと呼ぶらしい。
 その類の現象かと思い、勇者がふと戦士の顔を見ると、戦士も何やら難しい顔をしていた。

勇者「もしかして、戦士も何か変な感じしてる?」

戦士「ああ……何なんだコレは。この町は、まるで……」

 戦士は勇者よりも違和感の正体に思い至っている様子だった。
 勇者もまた、戦士の言葉を受けて違和感の正体について考察する。

勇者(まるで…? 戦士は今、まるで、と言ったな。まるで何の様だと、戦士は感じているんだ?)

 勇者は再び町の様子を観察した。
 よく分からない看板が出ている建物があった。おそらくは何かを販売している店だろう。
 看板の文字はまるで読めないが、あの位置なら恐らく道具屋だ。
 あっちの店は、多分宿屋だ。あの位置にあるのなら、多分そうだ。

勇者(――――どうしてそんなことが俺にわかるんだ?)

 ぞくり、と寒気が走るのが分かった。
 空は赤くて、建物は緑で、草の絨毯は紫色で、色彩感覚が狂ってしまっていたから気付くのが遅れたけれど。
 最初にこの町を訪れた時に抱いた感想。
 似ている、と、そう思った。
 自分達の故郷に。『始まりの国』に。
 だけど、気付いてみれば、これは――――似ているどころではない。
 同じだ。
 使われている材料が異なるだけで、この町は自分達の故郷と同じ形をしているのだ。

勇者(そうだ……あの家なんて、まるで俺ん家、そのものじゃないか……)

 ぼうと足を止めてしまった勇者の見ている前で、その家の玄関の扉が開いた。
 じわりと勇者の手のひらに嫌な汗がにじむ。

魔族娘「パパー!! 早く早くーー!!」

 しかしその玄関のドアから飛び出してきたのは、勇者の全く知らない少女だった。
 少女はその肌こそ浅黒くあるものの、魔族特有の翼を持っておらず、人間だと言い張っても通じるような姿かたちをしていたが、ともかく。
 知らない少女であることには変わりない。
 ほっと息をつき、歩みを再開しようとして。
 再び、勇者の息が止まった。










勇者(どうして――――あの少女は俺たちの世界の言葉で喋っている?)









魔族娘「もう、パパ! 早く行かないと××君に料理全部取られちゃうでしょ!!」

父「ははは。慌てなくても大丈夫だよ。ちゃんと料理をとっておくようにAさんには言っておいたから」

魔族娘「だからって遅刻していい理由にはならないでしょ! 急ぎなさーい!!」

父「こらこら待ちなさい。母さんがまだ来てないだろう」

魔族娘「もう! 夫婦そろってのんびり屋なんだから! マーマ! 早くしなさい!」

魔族母「はーい……ごめんなさいね。お待たせしてしまって」

父「気にしていないさ。さ、行こう」

 仲睦まじい様子の家族が、玄関を出て、こちらに向かって歩いてくる。
 少女を真ん中に、父と母と手を繋いで。

魔族A「×××××××××!!」

 目の前の魔族がその家族に声をかけている。
 相変わらず何を言っているのかわからない。

父「×××××! ×××、×××××」

 よく知っている顔をしたそいつは、だけどよくわからない言葉で喋り出した。
 なーんだ、じゃああいつもやっぱり魔族なんだ。
 よかったよかった。
 そうだよ、そんなはずねえじゃん。
 そんな、そんなはず、あんな、あんなアレが――――――





 アイツのはず、ねえじゃんか――――――




戦士「あ、ああ……」

 その光景を見て、わなわなと震えていたのは、戦士だ。
 見間違いではない。
 見間違いであるはずがない。
 だって、その男は、余りに自身の記憶にある姿のままだったから。
 ずっとずっと、忘れることなく胸に思い描いていた姿のままだったから。

戦士「『伝説の勇者』、様……!」

 戦士の前に居た勇者は、歩みを止めてしまっていた。
 見えていないはずはない。
 勇者もまた、同じ光景をその目に収めているはずだ。

戦士「う、あ…! あ、あぁ……!!」

 胸がぎゅうぅ、と締め付けられる思いがした。
 ぼろぼろと、勝手に涙が零れてくる。










 ずっと前を向いたままの勇者の表情は、未だ見えない―――――――――














第三十一章  そして彼女は彼の言葉の意味を知る  完



今回はここまで

 感情が昂りすぎて、頭の中は真っ白になってしまっていた。
 冷静になろうと努めても、それはとても叶わなくて、自分がちゃんと呼吸をしているのかどうかさえ判然としない。
 両手は固く握っているはずなのに、肘から先の感覚が曖昧で、実はまったく力が入っていないんじゃないかと錯覚する。
 ゆっくりと一歩を踏み出したつもりだったのに、体はつんのめって前向きに転んでしまった。
 自分が転んだその音に、ようやくその男は反応して、こちらの方に目を向ける。

「×××、×××××」

 最初に自分達に声をかけて来た魔族が、その男に何か話している。
 男は魔族の言葉に二度、三度と頷くと、こちらに歩み寄り、手を差し伸べてきた。

「××。×××、××」

 優し気な眼差しで微笑みかけてくる。


 ――――その性質を、知っている。


 困っている者を見かけたら、手を差し伸べずにはいられない、その性質を知っている。
 それが高じて、この男は家族を置き去りにして、世界平和なんて曖昧模糊な目的の為に旅立った。
 そうして、一度はその目的を達成し、闇の底へ消えて―――コイツは誰もが知る伝説の存在となったのだ。


 ああ―――――よく、知っているとも――――――!!


「訳わかんねえ言葉で喋ってんな。ちゃんと自分の国の言葉で話せよ。―――『伝説の勇者』」

 手を差し伸べていた男の肩がギクリと跳ねた。
 自身で発した声の冷たさに、自分で少し驚いてしまった。
 そして、一度口を開けば『それ』はもう止まらなかった。
 水門は開かれ、せき止められていた大量の水が怒涛の勢いで流れ出す。
 一度そうなってしまえばもはや、それに再度蓋をすることなど不可能だ。

 感情の奔流――――――――元よりそれを抑え込むつもりなど、無い。







第三十二章  終わりのとき





 勇者の体から煙が噴出した。
 煙が噴出したところから肌の色は黒から元の肌色に戻り、背中から生えていた羽は文字通り煙のように消えていく。
 変化の杖の効果を解除した勇者の姿を、目の前の男は大きく目を見開いて見つめていた。

魔族A『に、人間だああああーーーーーーーーッ!!!!』

 勇者達を案内していた魔族が叫び声を上げた。
 その声に反応した町の住民たちも勇者の姿を次々と確認し、どよめきが町中に広まっていく。
 しかしその全てが、今の勇者にとってはどうでもよかった。
 勇者は立ちあがり、目の前で固まってしまった男をじっと睨みつけている。

勇者「なあおいどうした。魔界で幸せに過ごしすぎて人間の言葉を忘れちまったのか、ああ? いや、そんなわけねえな。さっきそっちの奴らと俺らの言葉できゃっきゃきゃっきゃ喋ってたもんなあ?」

 勇者はそう言って男の背後で寄り添って震えている魔族の母娘を指差した。
 男はようやく我に返り、恐る恐る口を開く。

男「お前は…お前は、まさか……」

 勇者はチッ、と舌を打つ。

勇者「五年以上も経てば顔も分からなくなっちまうか? そりゃそうか。アンタが知っている俺は、まだ毛も生えてねえガキだった!!」

 男は―――勇者と同じように黒髪で、目鼻立ちも面影を同じくするその男は、驚きを顔に貼りつけたまま、言った。

男「…………勇者、なのか…?」


 瞬間―――――勇者の拳が、男の顔面に叩き込まれていた。


「きゃああああああああああ!!!!」

 男の背後に控えていた、魔族母と魔族娘の叫び声が重なる。
 鼻っ柱にまともに勇者の拳を受けた男は背後に吹っ飛び、背中から地面に倒れた。

勇者「は、はは。ははははは!!!! 結構思いっきり殴ったのに、頭砕けねえんだな!! 流石は『伝説の勇者』様だ!! かつて世界を救ったその精霊加護は健在ってわけか!!」

男「う…ぐ…」

 男は呻き声を上げつつ、地面から身を起こそうとする。
 その鼻からはどくどくと血が流れ、男の服の襟を汚していた。
 ずかずかと勇者は男に歩み寄る。
 身を起こしかけていた男の顔面を、勇者は靴の底で踏み蹴った。

男「ぶがっ!!」

戦士「勇者ッ!!」

 そのまま男に馬乗りになって拳を振り上げた勇者を、戦士は慌てて羽交い絞めにして男から引きはがした。

勇者「ぐぅ! ふぐ!! んぬううう!!」

 鼻息荒く、勇者は戦士の拘束を解こうと我武者羅に身を捩る。

勇者「覚えてやがった!! 覚えてやがったよこの野郎!! 俺達の事を、ちゃんと覚えてやがる!!」

 勇者が戦士に拘束されたまま喚き散らす。
 それは魔界の町で家族をもって過ごす父の姿を目撃した時に、勇者が咄嗟に考えた可能性だった。
 父は、激しい戦いによる故か、はたまた大魔王の妖術による故か、過去の記憶を失って操り人形と化してしまっている。
 ―――――そんな可能性に、縋った。
 そんな妄想に逃避した。
 でも、違った。
 父は、勇者のことを覚えていた。
 勇者の正体に気付いた時、明らかに罪悪感に顔が曇った。
 つまり――――
 つまり、つまり――――!!

勇者「コイツはまっとうに俺達を―――――母さんを、捨てていやがった!!!!!!」

 どう見ても父はその身に束縛を受けていない。
 この町を抜け出すのは容易だったはずだ。
 魔界と元の世界を繋ぐあの池までは、『伝説の勇者』ほどの脚力なら二日とかからず辿りつく距離だ。
 帰ってくるのは容易かったはずなのだ。

 ――――帰ってこれなかったんじゃない。
 ――――帰ってこなかっただけなんだ。

勇者「しかも、ええ? おい、何なんだよそいつらは。何なんだよパパってよ」

 勇者は魔族の母娘に目を向ける。
 魔族の娘は人間でいえば4~5歳といった年のころだろうか。肌の色は他の魔族と比べて薄く、人間と言い張っても通じそうなくらい、その容姿は人間に寄っている。
 魔族の母もまた人間に非常に近い姿かたちをしており、しかも良く見ればその容姿は人間の価値基準で言えばとびきり美人でグラマラスといってよかった。
 そのことが、今の勇者を殊更に苛立たせた。

勇者「魔界の女たらしこんで、よろしくやって子供まで作ってましたって……? 何だオイ、てめえ随分楽しんでたんだなあこの五年間!!!! 俺はよぉ、俺は、てめえのせいで、てめえの息子ってだけで、俺は……!!」

 勇者の脳裏を長く辛かった修業の記憶が駆け巡る。
 ここに至るまでの旅路を急速に思い返す。
 ぼろぼろと、勇者の目から涙が零れだした。

勇者「ほんっと、もう、俺馬鹿みてえじゃん……なんなんだよ、お前……お前、クソ……なんで、なんでてめえみたいのの息子ってだけでさあ!!!!」

勇者「せめてお前言いに来いよ!! 駄目でしたって! 大魔王倒すの諦めました、僕なんて全然大したこと無かったですって!! そうすりゃみんな目ェ覚ましてさぁ……俺みたいな奴に馬鹿みたいに期待するようなことも無かったのによぉ!!!!」

 嗚咽まじりで言葉を詰まらせながら、勇者は男を責め続ける。

男「すまない……すまない……」

 男は顔を伏せ、ただただ謝罪の言葉を繰り返した。
 勇者は一瞬の隙をついて戦士の拘束を振りほどき、男に掴みかかる。
 慌てて再度勇者に向かって手を伸ばそうとした戦士の動きが止まった。
 男の襟首を掴む勇者の顔からは、不気味なほど色が消えていた。

勇者「謝罪とか、そういうのいいからさ……ほら、立てよ『伝説の勇者』」

 一転して、一切の感情が抜け落ちたように、勇者は抑揚のない声で男に話しかけた。

男「え…?」

勇者「え、じゃなくて、ほら。立って、これから大魔王をぶっ倒しに行くんだよ。ほら、早く」

 勇者の声が段々と震えだす。

勇者「今からでも遅くねえからさあ……頼むよ……俺の人生に、どうか意味を与えてくれ……」

 男は勇者から目を逸らし、言った。

男「……出来ない。それは、出来ないんだ……! すまない…本当に、すまない…!!」

 勇者の手から力が抜けた。
 解放された男の背中が地面を打つ。
 ふらふらと勇者は立ちあがり、くるりと男に背を向けた。

魔族母「あなた!!」

魔族娘「パパ!!」

 魔族の母娘が男の元へ駆け寄って来て、その顔を心配そうに覗き込んだ。
 父の無事に安堵すると共に、魔族の娘はキッ、と敵意をもって勇者を睨み付ける。
 その視線に反応し、ちらりと後ろを振り返った勇者だったが―――すぐに前に向き直り、駆け出した。
 行き先も定まらぬまま。
 心の平衡を欠いたまま。

戦士「勇…!」

 戦士は即座に勇者の背中を追いかけようと一歩を踏み出す。

男「お前はまさか、戦士…か…?」

 人生で最も敬愛してやまなかった男からの呼びかけ。
 戦士の足が、ぴたりと止まった。




 走った。

 ただただ走った。

 何かから逃げ出すために。

 何から?

 決まっている。

 あのおぞましい光景からだ。

 直視するのも憚られる現実から、少しでも距離を取るために走った。

 あれはただの夢だったんだと、何かの間違いなんだと、そう自分に言い聞かせ続けた。

 ――――そうであってほしいと、願い続けた。


勇者「はひぃ、ひぐ、うっぐ、うぅ……!!」

 勇者は子供のように泣きじゃくっていた。
 嗚咽が止まないのに走り続けるから、息が乱れて呼吸もままならない。
 苦しくて苦しくてしょうがないのに、それでも勇者は走り続けた。
 走り続けなければ、胸の内から次から次へと沸いてくる、正体不明の衝動に押し潰されてしまいそうだった。
 石につまずいて、勇者は盛大に転んだ。
 だけどすぐに立ち上がって駆け出した。
 目からは涙が溢れ、鼻水を垂れ流し、涎が口の端から糸を引いている。
 けれどそんな物に頓着する余裕などとうに失っていた。
 涙を拭うこともしないから、目の前の景色はずっとぼやけていて不明瞭だった。
 そんな状態で走っていたから、勇者は地面に広がる毒の沼に気付けず、沼の中に思いっきり足を突っ込んでしまった。
 泥に足を取られて転倒し、勇者の体が毒の沼に放り出される。
 助走をつけて飛び込んだようなものだったから、泥の抵抗などあってないようなもので、勇者の体はその全身が瞬く間に汚泥に沈んだ。
 毒の浸食を受け、勇者の全身の皮膚がじゅうじゅうと音を立てて爛れていく。
 耐え難い責め苦に晒されながら、しかし勇者は足掻こうとしない。

勇者(もういい……何もかもが、どうでもいい……)

 勇者は目を瞑り、全身の力を抜いた。
 ずぶずぶと、重力に引かれるままに、勇者の体が汚泥の底に沈んでいく。


戦士「はぁ…! はぁ…! はぁ…!」

 戦士は勇者の影を追って、魔界の荒野を必死に走り続けていた。
 しかしどれだけ周囲の景色に目を凝らしてみても、勇者の姿は見当たらない。
 完全に戦士は勇者の姿を見失ってしまっていた。

戦士「くそ…! 何で、どうして、私は……!!」

 後悔と自責の念で胸が張り裂けそうになる。

戦士「勇者ぁーーーーーーッ!!!!!!」

 涙を拭い、戦士は勇者の名を叫ぶ。
 しかしその声に応える者は無く、戦士の叫びは虚しく荒野に響くばかりだった。

勇者(……あれ?)

 ふと気付けば、勇者は部屋の中に立っていた。
 石造りの床に赤を基調とした絨毯が敷き詰められ、高さ2m超の本棚が列になって並んでいる。
 どうやらここは図書室のようだった。
 しかも、そこは勇者にとってとても見覚えのある所だった。

勇者(ここは……故郷の、『始まりの国』の……図書室……か…?)

 部屋の中央付近には長机と椅子が置かれており、読書の為のスペースとなっている。
 そちらに目を向けると小さな男の子が本を開いていた。
 本のタイトルは『大陸冒険録』。かつて勇者たちの住む大陸を一周した冒険家が記した冒険譚で、幼い頃から勇者が愛読していたものだ。
 何度も開かれて手垢まみれになったその本を、男の子はふんふんと鼻を鳴らしながら目を輝かせて読みふけっている。

『今日こそ私と勝負してもらうぞ!』

 凛とした声が図書室に響く。
 美しい金髪を肩の所で切り揃えた、可愛らしい女の子が男の子に向かって仁王立ちしていた。
 男の子はうへぇ、と心底めんどくさそうな顔をする。

『嫌だよ。何度も言ってるじゃないか。痛いのは嫌いなんだ、僕』

 そう言って、男の子は閉じた本を脇に抱えて椅子から降りた。
 そのまま、女の子に背を向けてそそくさと図書室を出ていく。

『あ、待て! 男らしくないぞ! それでもお前は――――』

 女の子も男の子の後を追って図書室を出て行った。
 シン、と部屋の中に静寂が満ちる。
 一人残された勇者は、何とはなしに、男の子が座っていた机をそっと撫でた。

 風が吹いた。
 気付けば景色が変わっていた。
 緑の芝生が敷き詰められた公園。
 ここは豊作祈願の祭りや国の要人の冠婚葬祭など、色々な催事が執り行われる『始まりの国』の中央広場だ。
 そこに、国中の人間が集まって跪いている。
 広場の中央には、参列者の献花によって色とりどりの花が並べられていた。

勇者(これは…親父の葬式の時の……)

 魔界へ消えて消息を絶ち、三ヶ月が経って―――『伝説の勇者』は死亡したものと国で認定された。
 その葬儀は国を挙げて大々的に行われ、ほとんどの国民がここ中央広場に集まり、涙を流して嘆き悲しんだ。

『おお…! 信じられない……何という事だ……!』

『これから、世界はどうなってしまうんだ……!』

 悲しみに背中を丸める人々を、一歩引いたところから俯瞰して眺める男の子がいた。

勇者(……何て顔してんだよ)

 男の子の顔もまた、悲しみに歪んでいる。
 だけどそれは、『伝説の勇者』の死を悼むというよりは―――悲しみ嘆く人々の様子に胸を痛めているように思えた。

勇者(いいんだよ。気にすんな。そんなこと気にしたって―――――馬鹿を見るだけなんだから)

 これは広場での葬儀からどれ程の時間が経過した時なのだろう。
 薄暗い廊下で、あの男の子が息をひそめてとある部屋を覗き込んでいる。
 見ているものには想像がついた。
 というより、覚えていた。
 勇者は男の子の背後に立ち、その子の頭の上から部屋を覗き込む。
 そこには男の子の母がいた。
 男の子の母が父の形見である古い剣を抱きしめて泣き崩れていた。
 勇者はちらりと男の子の顔を覗き込む。男の子がこちらに気付く様子はない。
 男の子の顔には、ある決意のようなものが表れていた。

勇者(……やめろ。やめとけ。お前が歩もうとしているその道は、碌なことがありゃしないんだ)

 踵を返し、歩み出す男の子を引き止めようとした勇者の手は、男の子の体をするりと通り抜ける。
 勇者は通り抜けた自分の手のひらを眺め、拳を握り、苦々しく口を歪め、目を瞑った。

 目の前の情景は、男の子が大の大人に木剣で打ち据えられている状況に切り替わった。

『うげぇ!! がはッ!! ゲホッ、ゲホッ!!』

『何をしてる!! 早く立て!!』

『ひっく…うぐ、あぁ、嫌だ…ひぐ…痛いの嫌だよう……』

『情けないことを……それでも『あの方』の息子か!!』

『ひぐ…うぅ…! うあぁぁぁああああああああ!!!!』

 吐瀉物を無理やり飲み下し、震える指で木剣を握りしめて、男の子は剣術指南役に飛びかかっていく。
 がり、と音がした。
 無意識に奥歯を強く噛みしめていたようだ。

 気付けば、夜になっていた。
 特訓広場にはもう誰も居ない。
 勇者は自分の家に足を向けた。
 玄関の扉を開け、中に入る。鍵はかかっていなかった。
 勝手知ったる廊下を歩き、見慣れた扉を開けて中を覗き込む。
 燭台の明かりの下で、男の子が書物を開いていた。
 読んでいるのは魔術書――魔法を使う基礎知識を身につけるための教本だ。
 ページを捲る男の子の指は包帯にまみれている。
 目の下の隈が酷い。疲労が相当に蓄積しているのだろう。
 男の子はごしごしと目を擦り、本を読み進める。

勇者(…………はは)


 ――――ああ、もう、本当に哀れだなぁ

 本当に哀れで――――滑稽だ


勇者(なあ、知ってるか? お前がそうやって必死でこつこつ頑張ってる間、アイツはな――――)

 男の子の机の上に堆く積まれた本の山の中に、図書室で読んでいた『大陸冒険録』があった。
 ページの途中にいくつも栞が挟まれている。
 その本を読む意味合いも――――きっともう変わってしまっていた。




 旅に出た。
 旅路の途中で、魔物に襲われていた村を救った。

 旅を続けた。
 旅路の途中で、極悪非道な盗賊団を壊滅させた。

 折れそうになる心を奮い立たせ、歩み続けた。
 赤い鱗の竜を、虎の顔の化け物を、強力な魔物達を打倒した。


 そして――――旅路の果てに、遂には魔王討伐の立役者となった。



 文句なしの英雄だ。世界の救世主だ。
 そうだろう?
 なあ、誰か―――――――


 誰か、俺を見てくれよ。


 パチパチパチ――――
 聞こえてきた拍手の音に、勇者は伏せていた顔を上げる。
 途端に、怒号のような拍手喝采が勇者に向かって贈られた。

勇者「な、は、へ…?」

 目をぱちくりとして勇者は周囲を見渡す。
 夥しい程の人数の群衆が、いつの間にか勇者を取り囲んでいた。
 人々は笑顔を浮かべ、盛大に両手を打ち鳴らし、温かな賞賛の声を勇者に贈っている。

勇者「……へ、へへ。ど、どうもどうも…!」

 勇者は顔を赤らめ、照れ笑いを浮かべながら手を上げて周囲の群衆に応える。
 勇者が手を上げると、それに合わせて歓声が上がった。
 嬉しいと、そう思った。
 ようやく自分自身に価値を認められた気がして、頬が緩んだ。
 歓声がまた上がった。

『流石『伝説の勇者』様の息子だ!!』

 ぴくり、と勇者の肩が震えた。


『『伝説の勇者』様の息子、万歳!!』

 わなわなと、肩に震えが強くなる。




『いやしかし、大したものだ。勇者様は紛れもなく英雄だ。世界の救世主と言っても過言ではない』











『そんな勇者様を生み出した『伝説の勇者』様とは、一体どれほど素晴らしいお方なのだろう!!』
















勇者「うるっせえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!」










勇者「うるせえってんだよ!! ふざけんな!! 俺は俺だ!! あんなクソ野郎の息子なんかじゃねえ!! 俺なんだ!!」

勇者「もういいよ! やってらんねえ!! 『あんな奴の息子』なんて、もうやってられっか!! 知ったこっちゃねえ! 俺は、俺の生きたいように生きてやる!!」

勇者「は、ははは…! そうだ、すぐに元の世界に戻ってハーレムを作ってやろう!! 俺が本気で口説けば、女なんかいくらでも寄ってくるぜ!! 何せ俺は『伝説の勇者』様の息子なんだからな!!」

勇者「あんなクソ野郎の重荷を継いでこれまでの人生を無駄にしちまった分、名前くらい利用して楽しませてもらうぜ!! ……へ、へへへ、そうだ、黒髪の少女やエルフ少女もハーレムに加えてやる。あの二人の事だ。俺が誘えば、きっと喜んでケツを振るぜ」

勇者「は、ははは!! アハハハハハハハハハ!!!!」

 ヒタリ、と足音が聞こえた。
 びくりと肩を震わせて勇者は音のした方を振り返る。
 そこには、頭のない男が立っていた。
 男の頭は脇に抱えられている。その顔は腐食が進んで髑髏と化しており、それが誰なのか顔からは判別できない。
 しかし綺麗に切り離された首の切断面と、男が身に着けていた『善の国大神官団』の法衣が、勇者に男の正体を推測させた。

勇者「何だよ…?」

 勇者は目の前の亡霊に問う。
 しかし亡霊は黙して語らない。

勇者「な、なんだよぉ…! 『俺を否定したくせに』とでも言うつもりか!? だ、だけど俺とお前じゃ状況が違う! 俺は裏切られたんだ!! 俺に役目を押し付けたあの野郎は、英雄気取りのクソ野郎だった!! 俺は、お前とは違う!!」

 ヒタリ、ともうひとつの足音。
 振り返る。
 そこに、右腕を無くした男が立っていた。
 やはり顔は腐食して髑髏が露出しており、その男が誰なのか顔からは判別がつかない。
 だけど、その金髪に、額の赤いバンダナに、勇者は見覚えがありすぎた。

勇者「………駄目か…?」

 勇者は弱々しく二人の亡霊に問う。
 亡霊は黙して語らない。
 ただじっと、眼球の無い眼窩の暗闇が勇者を見据えている。

勇者「………そうか……駄目か…」

 勇者は肩を落とし、ぽつりとそう呟いた。


 汚泥の中で、勇者はカッと目を見開いた。

勇者「『呪文・大烈風』!!!!」

 勇者の周囲から爆発的な風が生じた。
 まるで火山の噴火のように、巻き上げられた毒の汚泥が地面から噴出する。

戦士「……あれは!!」

 その様を、荒野を駆ける戦士は目撃した。
 一縷の望みをかけ、方向を転換し、戦士はその沼に向かって走り出す。
 勇者の呪文により巻き上げられた泥は周囲に撒き散らされ、沼があった場所はぽっかりと地面に穴が空いたような形になった。
 勇者は泥の無くなった沼底を歩き、毒の沼からの脱出を果たす。
 そこに、折よく戦士が駆け寄ってきた。

戦士「勇者ッ!! ……うっ」

 戦士は勇者の姿を見て顔を顰めた。
 長時間毒に晒されていた勇者の体は、至る所が焼け爛れ、正視に耐えない状態になっていた。

戦士「あ、ああ……! すぐに、すぐに治療を……」

 慌てふためいた戦士は荷物から薬草を取り出し、勇者の傷口に当てようとする。
 勇者はそれを手で制した。

勇者「『呪文・大回復』」

 勇者の体が輝き、見る見るうちに焼け爛れた皮膚が回復していく。
 戦士はほっと息をついたが、すぐにハッと思いなおして勇者の顔を覗き込んだ。

戦士「勇者、大丈夫か!?」

勇者「ああ。大丈夫だよ。心配ない」

 余りにあっさりと答える勇者に、戦士は逆に不安を募らせた。

戦士(そんなわけがない……そんなに簡単に立ち直れるはずが……)

 そうは思っても勇者が大丈夫だと言い張る以上、戦士にはこの件に関してもう何も言えなくなってしまった。

戦士「それで……その……これからどうするんだ?」

 戦士は恐る恐る今後の方針について勇者に尋ねる。
 勇者の返答は驚くべきものだった。

勇者「さっきの町に戻って親父から大魔王の居場所を聞き出して、大魔王に挑む」

戦士「勇者ッ!?」

勇者「何を驚く? 俺は何か間違ったことを言っているか? 『伝説の勇者の息子』としてやるべきことは、もうこれしかないだろう」

勇者「ああ、もちろんついてこいなんて言わないさ。むしろついてこなくていい。戦士にはそんな責務は無いんだからな」

戦士「本気で言っているのか!?」

勇者「本気だよ。むしろ戦士がどうしてそんなに驚いているのか、理解に苦しむね。君が求めた『伝説の勇者の息子』の在り方として、これは真っ当な行動だろう」

戦士「………ッ!!」

 戦士の顔が赤く染まった。
 何かに耐えるようにぐっと唇を引き結んでから、戦士は絞り出すように声を出す。

戦士「………大魔王に挑んで勝てると、本当にそう思っているのか?」

勇者「勝てるかどうかなんてどうでもいい。大魔王に挑まないなんて選択肢は『伝説の勇者の息子』には存在しない」

戦士「………それじゃ、死にに行くと言っているようなものじゃないか」

勇者「そうかな? そうかもな。どうだろう? でもどっちでも良くないか? どっちでもいいだろ。生きようが、死のうが、こんな俺なんか」

勇者「『伝説の勇者の息子』ってだけが俺の価値だった。でも『伝説の勇者』にそんな価値なんて無かった。なら俺も無価値だ。価値のない命だ。ならばせめて有意義に消費するべきだ。そうだろ?」

 ふるふると、戦士の握りしめた拳が震えていた。
 やがて、戦士は涙に濡れた目でキッ、と勇者を睨み付け―――その頬に、強烈な平手打ちを見舞った。

 バヂィィィィン!! と凄まじい音が響く。
 もんどりうって背中から倒れた勇者の襟首を、戦士は掴み上げた。

戦士「ふざけるな……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!!!」

勇者「いってぇな……何すんだよ」

戦士「『伝説の勇者の息子』であること以外に価値がない? ふざけるな! 忘れたのか!?」

戦士「武道家も、僧侶も、そして私も!! お前についてきたのはお前が『伝説の勇者の息子』だからじゃない!! お前が、お前自身が、信頼に足る奴だったからだ!! お前と一緒に旅をしたいと、そう思わせる奴だったからだ!!」

戦士「そうやって、ちゃんと言ったじゃないか!! ちゃんと伝えたじゃないか!! なのに、何でまたそういう風に言うんだ!!」

勇者「うるせええええええええええええええ!!!!!! お前に何がわかる!! 俺は、俺の人生を『伝説の勇者の息子』としてだけ生きてきた!! そう強制されて、俺もそれを飲み込んで生きてきた!!」

勇者「そうだ、俺は俺として、ただの自分として物事を決めたことがない!! 『伝説の勇者の息子という被り物』を口では否定しながら、その実俺自身が何よりもそれを頼りにして生きてきたんだ!!」

勇者「なんて情けない奴……!! その結果が、このザマだ!! 自分の人生を自分自身に依らなかったことのツケ……!! 寄る辺が無くなって、もう訳が分からなくなっちまってる。どうしたらいいのか分からなくなっちまってる!!」

勇者「だから、もういいんだ……俺は、最後まで、たとえハリボテだって分かってしまっても、『伝説の勇者の息子』としての在り方に縋って、そして、死ぬ。もう、それでいいんだ……いいんだよ、もう………」

 ぼろぼろと、勇者の目から涙が零れる。
 ひっく、ひっくと嗚咽が漏れる。
 戦士は――――そんな勇者の頭を優しくその胸に掻き抱いた。



戦士「違う……勇者、それは違うよ。お前は、ちゃんとお前自身として旅をし、物事を感じ、生きていた」




戦士「巨大ゴキブリから私を庇ってくれた時、いちいち『伝説の勇者の息子』ならこうするなんて考えていたか?」


戦士「盗賊の所業に対して怒りを感じた時、『伝説の勇者の息子』ならここは怒りを感じるべきだ、なんて思ったのか?」


戦士「アマゾネスのハーレムに鼻を伸ばしていたお前は? エルフ少女と酒を酌み交わし、げらげらと笑っていたお前は?」


戦士「端和で義憤に燃えたお前は? 騎士の裏切りに心を痛めたお前はどうだった?」




戦士「獣王にやられた私の為に泣いてくれたのも――――『伝説の勇者の息子』としてか?」




勇者「そ、れ…は……」

戦士「ずっと……ずっとずっと、誰よりも近くでお前を見続けた私が保証してやる。勇者、お前が今までの旅の中で感じたこと、得たものは全てお前自身のもので、そのままお前自身の価値になっている」

戦士「『伝説の勇者の息子』だなんて囃し立てる有象無象は放っておけ。気にするな。お前自身に価値がないなんて、誰にも言わせはしない」

 戦士は勇者の肩を抱き、自身の胸から顔を離させる。
 そしてしっかりと目と目を合わせ、にこりと微笑んで、言った。











戦士「だってお前は私が惚れた男なんだぞ? 価値がないなんて――――そんなふざけたこと、誰にも言わせるもんか」











 しばらく勇者は、ぼうと呆けて戦士の顔を見つめていた。
 戦士の言葉の意味がゆっくり脳味噌に浸透するにつれて、勇者の顔にも赤みがさしていく。

戦士「私はお前を愛している。勇者」

 追撃された。勇者の顔が一分の隙間もなく真っ赤に染まる。

勇者「なあ?!? はぁ!?! ほぁぁ!!? へぇ!?」

 混乱した勇者はあたふたと腕を無意味に動かし、視線をあっちこっちと彷徨わせた。
 そんな勇者の様子に、戦士はくすりと優しく笑う。

戦士「少し落ち着きなさい、勇者」

勇者「な、は、ふ……で、でも、だって、戦士は『伝説の勇者』のことが……」

戦士「それなんだけどな、どーしてそんな風に誤解するんだ。私が『伝説の勇者』様に抱いていたのは師弟としての純粋な敬愛だ。そこに男女の情は一切ない」

勇者「でも、でも、だって……」

戦士「それに……さっきな? お前があの町を飛び出して行ってしまっただろ? あの時、私はすぐに後を追いかけようとしたんだが……あの人に名前を呼ばれて、つい足を止めてしまった」

戦士「すぐに我に返って、何か話しかけてこようとしたあの人を振り切ってお前を追いかけたんだが、既に遅くて、私はお前の姿を見失ってしまった」

戦士「その時、本当に本当に後悔したんだよ。どうして一瞬でも立ち止まってしまったのかって……そして、気付いたんだ」

戦士「私は『伝説の勇者』様を敬愛してやまなかった。それが高じて当初はお前とも衝突していたくらいにな。なのに、その理想が目の前で崩れ去ったのに、私にその悲しみは驚くほどなかった」

戦士「それどころじゃなかったんだよ。お前のことが心配過ぎて」

戦士「はっきり言って、その時の私は『伝説の勇者』様のことなんてもうどうでも良くなってたんだ」

戦士「お前のことだけが心配だった。お前の気持ちを考えると胸が張り裂けそうだった」

戦士「だからこうしてお前とまた会えて……本当に安心しているんだ。本当に嬉しいと思っているんだ」

戦士「だから、お願い………死ぬなんて、言わないで」

戦士「これからもどうか………私と一緒に生きてほしい」


勇者「は、ははは……」

 勇者の口から、笑みが零れた。

勇者「ははは! あははははは!!」

戦士「む。笑うなよ。私は真剣に……」

勇者「ははは……ごめんごめん。もう、自分の単純さ加減が可笑しくってしょうがなくてさ」

勇者「ついさっきまで、全部の事に絶望して、何もかもどうでも良くなって、死んでもいいとすら思っていたのに……戦士に告白されて、そんなもんが全部吹っ飛んじまった」

勇者「それこそ、さっきまでの絶望なんて、なんかもうどうでも良くなっちまってさ。それで、つい笑っちゃったんだ。単純すぎてアホの域ですわこんなん」

戦士「勇者…! それじゃあ…!!」

勇者「ああ。悪かった。もう死ぬなんて言わないよ」

戦士「勇者!!」

 感極まった戦士は思わず勇者を思い切り抱きしめた。

勇者「わぷっ! はは、それに、こんな可愛い恋人が出来たんだ。死ねないって、そりゃ」

戦士「はえ?」

 一瞬勇者の言葉に固まった戦士は、ぼん!と頭から湯気を出すと瞬く間に顔を真っ赤に染めた。
 そして勇者の体をどーん!と突き飛ばした。

勇者「え、ええぇ~…?」

戦士「こ、こここ恋人とか! は、恥ずかしいこと、言うな! ばか!!」

勇者「ええ…? じゃあ違うの?」

戦士「ち、違わないけど!! よ、よろしくお願いしますだけど!! でもぉ!!」

勇者(う~む……まさか戦士に対してこの言葉を使う日がくるとは……)

 勇者はしみじみと感じ入り、心の中で叫んだ。

勇者(きゃわわ!! 戦士たんきゃわわ!!!!)

戦士「はあっ!?」

 魔界の荒野に戦士の叫びが響き渡った。

戦士「本気なのか!?」

勇者「ああ、本気だ。心は入れ替えたけど、行動方針は変えない」

勇者「俺はこれから町に戻り、親父から情報を収集して―――大魔王に挑む」

勇者「勿論、死ぬつもりは毛頭ない。現状の力ではまだ打倒できないと分かれば、ちゃんと撤退するよ」

戦士「ど、どうしてそんな……『伝説の勇者』様ですら打倒を諦めたような相手だぞ? もうそんなこと誰も強要しない。勿論、私だって……なのに、どうして」

勇者「これは責任なんだ。曲がりなりにも今まで『伝説の勇者の息子』として生きてきた俺の責任」

勇者「『伝説の勇者』がハリボテだったと分かったからって、その息子としてすべきことを放り出すわけにはいかない。俺は、『伝説の勇者の息子』を全うする」

勇者「それが……『あの二人』を否定した俺の責任なんだ」

戦士「………それほどまでに決意が固いのなら、私は止めないよ」

勇者「勿論、戦士はついてくる必要は」

戦士「くだらないことを言うなよ? 勇者」

勇者「笑顔が怖い」

戦士「当然私も行く。生きるも死ぬも、お前と一緒だ」

勇者「………ありがとう。戦士のおかげで、もう一度親父に会う勇気も湧いてくるよ」

 試験都市フィルスト。
 その一角にある、勇者の生家を模した家――――その物置をごそごそと漁る者がいた。
 かつて『伝説の勇者』として一度は世界を救い、大魔王に挑んだ者―――勇者の父である。
 勇者の父は物置の奥で目当ての物を見つけ出すと、それを引っ張り出して物置から姿を現した。

「あなた……」

 その背中に、魔族の女性が声をかける。
 魔族の女性は勇者の父が手に持っている物の正体に気が付くと、「あぁ…」と小さく呻きを漏らした。

「征くのですね?」

「ああ」

 勇者の父は短く答えた。
 勇者の父は、脳裏に先ほどもう一度自分を訪ねてきた己の息子の姿を思い浮かべる。

『アンタの代わりに大魔王をやっつけてやる。だから大魔王の居場所を教えろ』

 大魔王の恐ろしさをどんなに説いても、勇者は一切聞く耳を持たなかった。

『ごちゃごちゃ言うな。テメエは俺に大魔王の居場所を伝えるだけでいいんだ。あとはそこの紛い物の家で震えてろ』

 観念して大魔王の居場所を伝えると、勇者はすぐに旅立っていった。
 その傍らには、かつての愛弟子である戦士の姿もあった。
 そして勇者の父は決心した。
 だから、物置からこれを引っ張り出してきたのだ。
 かつて己の愛用していた神秘の武器――――『伝説の剣』を。

「だけど、出来ますか? あの人に剣を向けることが」

 魔族の女性の問いに、勇者の父は重く頷いた。

「正直に言うと、怖い。あいつに剣を向けると考えただけで手が震えてくる。背筋に寒いものが通り抜ける。だけど――――――」

 勇者の父は息を大きく吸って、ゆっくりと吐き出してから、言った。




「やらなくちゃならないんだ―――――あいつらを死なせる訳には、いかないからな」







 そして――――――――



大魔王「ようこそ余の城へ。歓迎するぞ、勇者よ」


勇者「そうかい。おもてなしってんなら、テメエの首を差し出してくれよ」



 勇者は遂に、大魔王と対面する。











第三十二章  終わりのとき  完



今回はここまで

大変大変お待たせして申し訳ないぜよ

 魔界、大魔王城―――試験都市フィルストより大河を挟んで南東に位置する険しい山脈の中腹に、それは在った。
 外敵を阻む城壁、その門を守護する門番、その他勇者達の進撃を止めるべく雲霞の如く現れる魔物の群れ―――そんな修羅場を想定して突入した勇者と戦士であったが、魔物の抵抗は拍子抜けするほど無かった。
 勇者達は大魔王城の奥へ奥へとあっさりと進み続け、遂には最奥の大魔王の間へとたどり着いたのだった。

戦士「こんなにも簡単に辿りつくものなのか。大魔王の懐というものは」

勇者「どうかな。何かの罠かもしれない。この大魔王城、城というのは名ばかりで、実際ここに来るまで下へ下へと降りてきた。潜ってきた。これはもはやダンジョンと呼んだ方が正しい。もしここで何か罠を仕掛けられたとしたら、地上に出るのは、まあ、骨だろうな」

戦士「引き返すか?」

勇者「虎穴に入らずんば虎児を得ず、って奴さ。進もう。周囲への警戒を怠らないで」

戦士「了解だ」

 これは、大魔王の間へと通じる扉を前にした時の、勇者と戦士の会話だ。
 そして今、勇者と戦士は扉を潜り、広大で静謐な大広間で大魔王と向かい合っている。
 広間の中央に立つ大魔王は、身の丈2m程で、癖のついた長い黒髪を後ろに流した切れ長の目の男だった。
 白を基調とした衣服に黒いマントを羽織った大魔王の姿は、その額から二本の角が伸びていること以外は、およそ人間とほとんど変わらぬものだった。
 少なくない皺の刻まれたその顔からして、年の頃は(あくまで人間の基準で言えば)五十も半ばといったところだろうか。

大魔王「ようこそ余の城へ。歓迎するぞ、勇者よ」

勇者「そうかい。おもてなしってんなら、テメエの首を差し出してくれよ」

 鷹揚に話しかけてきた大魔王に、勇者は軽口をもって返した。
 しかしその実――――大魔王から感じ取れる圧倒的な強者の雰囲気に、勇者は己の肌がヒリヒリと痛むような感覚を覚えていた。

勇者「ふぅぅ~…」

 肺の底で押し固まるようになってしまっていた空気を吐き出し、勇者は突進の姿勢を取る。
 隣で戦士も同様に剣を構えた。

大魔王「ほう、こうして面と向かって対峙してなお、余に挑む気概があるか」

 大魔王は感嘆するように言った。
 そして大魔王は一度静かに目を瞑る。
 再度の開眼と同時に大魔王の眼光はギラリと鋭さを増し、その全身から放たれていた圧力が倍増した。
 もはやどす黒い気の流れとして可視化できるまでになったソレは、勇者と戦士の体を否が応にも震えさせる。
 だが、このようなプレッシャーに晒されるのは初めてのことではない。
 既に一度、受けたことがある。
 勇者と戦士は気後れしそうになる己を鼓舞し、下っ腹に力を入れて大魔王の姿を睨み付けた。
 そんな二人の様子に、大魔王は己の顎を撫でてふぅむと声を漏らす。

大魔王「力の差がわからんはずはないのだ、お主等ほどの力量があれば。挑めば死ぬと、それを察することが出来ん程に愚鈍というわけでもあるまい」

 そこまで言って、大魔王ははたと気づいたように首をひねった。

大魔王「いや、逆か? 敵わぬと悟った上で、余の手から逃れきる算段をつけておるのか。だから、敵わぬと知ってなお、挑める。であれば、その賢しさは『俺』の好むところではあるが」

 勇者と戦士は、こちらに語り続ける大魔王の様子を伺い、仕掛ける機を探る。
 そしていざ、飛びかからんと地を蹴ろうとした刹那―――その機先を制するように、大魔王が手のひらをこちらに向けた。

大魔王「よせよせ。まずは話をしようぜ。俺達には話し合いでケリをつけることが出来る脳味噌がある。そうだろう? 『伝説の勇者』の息子よ」

 トントン、と己の額を指で叩き、大魔王は不敵に笑った。







第三十三章  あなたは何のために戦うのですか?






 大魔王はばさりとマントを翻すと、なんとその場にドカッと胡坐をかいて腰を下ろしてしまった。
 そして懐からキセルを取り出して口に咥え、火をつける。

大魔王「面白きものよな。異なる世界を生きていながら、俺達の姿形は驚くほど酷似している。どうも知性持つ生物の進化過程というものは、世界程度の違いでは変わらぬ決まった型があるらしいな」

 呵々と笑った大魔王は肺に入れた煙を吐き出し、ぷかぷかと紫煙を漂わせた。

大魔王「どうした。座れよ。敷物が無きゃ座れねえなんてお上品なことはまさか言わねえだろう?」

 大魔王は口の端でキセルを噛んだまま、手で差して勇者と戦士に着座を促す。
 勇者と戦士は困惑してお互いの顔を見合わせた。

大魔王「なんだ、面食らった顔をして。ああ、この喋り方か? 気にするな、こっちのこれが俺の素だ。さっきまでのはな、如何にも大魔王様って感じで振る舞って、お前達をビビらせて戦意を削ぐための演技だ。戦わずにケリをつけられるなら、それに越したこたぁないと思ったんでな」

勇者「……とても魔王軍のトップとは思えない台詞だな」

大魔王「誰だって戦うのは嫌さ。それでも、戦わなければならないから戦うんだ。そうだろ? 『伝説の勇者』の息子―――勇者よ」

 大魔王は再び手で勇者と戦士に着座するよう示す。
 勇者と戦士は頷き合い、勇者だけが大魔王に倣って胡坐をかいて腰を下ろした。
 戦士は勇者の傍で直立不動のまま動かない。

大魔王「まあ、上等だ」

 大魔王は咥えていたキセルを手に取ると勇者に向かって差し出した。

大魔王「吸うか?」

勇者「いらん」

大魔王「くくく。そう警戒するなよ、勇者」

勇者「元々煙草は吸わないんだよ。というか、魔界にも煙草なんてものがあるのか」

大魔王「いやいや、これはお前たちの世界の一品よ。人間、エルフ、竜種……知性ある種族の数の差というのかな、こういった嗜好品の発展はお前らの世界と魔界とでは比べるべくもない。魔界でお前達人間ほどに知性が発達している種族なぞ稀よ」

勇者「……そうなのか? そりゃ、ケダモノじみた魔物が多いことは認めるが、ある程度高位の魔物となると俺達の世界の言語を理解し、操っていた。それは相当な知性が無いと出来ない芸当だ。そして、そんな魔物の数は決して少なくないと、これまでの旅の中で俺はそう感じていたが」

大魔王「ああ、それは違う。あやつらのアレは俺が与えてやったものに過ぎん」

勇者「なっ!?」

大魔王「対象にある程度の知性があればな、俺にはそれが出来るのだ。脳みその隙間に、俺の持つ知識を分け与えることが出来る。でなければ、あの獣共が独力で他言語の習得なぞ出来るものかよ」

 勇者は慄いた。
 そんな芸当が可能だとすれば、目の前の男はまさしく――――

大魔王「故に神と―――ケダモノ共が数多跋扈するこの魔界において、俺は『大魔王』などと神の如く崇められたのだ」

 ぞくりと勇者の背筋が震えた。
 大魔王の得体の知れぬ威圧感に圧され、勇者はごくりと唾を飲む。

大魔王「時に勇者よ。この大魔王城に辿り着くまでに魔界の地を歩き、お前は何を思った。何を感じた」

勇者「何……というと?」

大魔王「自らの世界との違いに驚きを感じなかったか? 余りにも荒れ果てた大地を見て、とある感想を抱きはしなかったか?」

大魔王「すなわち――――魔界という世界は、とっくに終わってしまっているのではないか、と」

 勇者は草一つ無かった大地を、飢えて死に物狂いになっていた恐竜型魔物の姿を思い返した。

大魔王「その印象は正しい。木々は悉く枯れ、水は隙間なく濁り、大地は命を腐らせる毒に満ち満ちている。もはやこの地で自然のままに次世代に命を繋ぐことなど不可能だ。これを終わっていると言わずして何と言う」

大魔王「何とかせねばならなかった。この世界に生きるいち生命体として、このまま絶滅することを良しとするわけにはいかなかった」

勇者「それで、お前は魔王軍を組織し、俺達の世界へ差し向けたわけか。自分達の生きる新天地として、俺達の世界を奪い取るために」

大魔王「そうではない。そうではないのだ、勇者よ」

 大魔王はふるふると首を横に振った。

大魔王「俺がお前達の世界の事を知ったのは偶々、偶然によるものだった」

大魔王「初めてお前達の世界を目にした時、俺はただただ感動したものだよ。大地には植物が雄々しく茂り、その実りは数多の生命の営みを支えていた。清涼なる川の流れは海に繋がり、海より出でる雲は大地に雨を降らす……澱みなく循環する水は、あらゆる命の温床となっていた」

大魔王「俺は分析した。俺は考察した。何故この世界は俺達の世界とこうまで違う? この世界をここまで豊かたらしめている要因とは何だ? それを知ることで、俺達の世界を蘇らせることが出来るのではと、俺は夢見たのだ」

大魔王「だが、結果として分かったのは、お前たちの世界を豊かたらしてめている要因などではなく、逆だった。俺達の世界が荒廃してしまった理由。それが浮き彫りになっただけだった」

大魔王「魔界はどうひっくり返っても生命豊かな世界などにはなれん。世界の構造が、そうなっていた。俺達の世界は、どうしようもなくどん詰まってしまっていたのだ」

大魔王「食物連鎖、という言葉がお前達の世界にはある。知っているか? 勇者よ」

勇者「植物を食べて生きる虫や動物は、肉を食べて生きる生物の糧になり、その上位捕食者もやがては死して土へと還り、植物の育つ温床となる。その命の循環を食物連鎖と呼ぶと、以前書物で目にしたことがある」

大魔王「博識だな。その通りだ。食物連鎖とは、世界の命の総量を一定に保つ、奇跡のサイクルの名だ。奇跡、そう、まさしく奇跡なのだ。そんな世界を当たり前に生きてきたお前達には実感できぬことだろうがな」

 勇者はここまでの会話の流れから、大魔王の言葉の意味を推し量った。

勇者「つまり……魔界では食物連鎖が成立していない、と?」

大魔王「そうだ、その通りだ」

 大魔王はその顔に自虐の笑みを浮かべた。

大魔王「魔界の生態系は円環の形を成さず、奈落へとひた走る一本道よ。ならば今こうして魔界が終末を迎えているのも、自明の理ではないか」

 呵々と笑った後、大魔王はその顔から笑みを消した。

大魔王「勇者よ。お前も知っていよう。俺達魔界に生きる者は、お前らの言う所の『魔物』は、死したところで土には還らん。死したところで、我等の体は大地を腐らす毒となる」

大魔王「なんと罪深い命よ。そうは思わんか? 魔物は基本的に雑食だ。いや、その節操のなさはもはや悪食と呼ぶべきものだ。草、虫、鳥、獣……魔物はあらゆる命を己の糧とする。そうして一つの個体が我武者羅に周囲の命を食い散らかして、挙句の果てにその体から毒を無遠慮に周囲に撒き散らすのだ」

大魔王「これでは魔界の生物の総量は目減りする一方だ。故に対策を打つ必要があった。その為に俺は『大魔王』として己を神格化した。そうすることで、あのケダモノ共をコントロールしようと画策したのだ」

大魔王「まず、少しでも毒による大地の侵蝕を遅らせる為、死した魔物の死体は必ずそれに気づいた者が既定の場所に運搬するよう仕組みを整えた。結果として、確かに毒の無秩序な拡散はある程度抑えられたが、代わりに山積した死体から大量に染み出た毒が大規模な沼となり大地を抉ってしまった」

大魔王「次に、徒に数を増やすことなく、秩序ある繁殖を心がけるよう触れを出した。しかし程度の低い獣共はそんなことおかまいなしに性交した。確かに俺は他者に知性を与える術を持ってはいたが、当然にして限界はあった。全ての愚者に英知を授けることは不可能だった」

大魔王「だから俺は戦争を起こした。『魔王軍』を組織し、お前達の世界に攻め入った。そうする以外に、魔界を救う方法は無かったのだ」

 大魔王の言葉を聞いて、今度は勇者が首を横に振る番だった。

勇者「それでは結局、俺の言った通りじゃないか。お前達は、自分達の新しい棲家として俺達の世界をぶんどるために俺達の世界に攻め入った! そんな俺達の間に、交渉の余地などあるものか!!」

大魔王「結論を急くな勇者よ。それは違うと、俺はさっきはっきりとそう言った。いいか、断言してやるぞ。俺は何かが欲しくてこの戦争をお前たちの世界に仕掛けた訳じゃない。緑雄々しい大地も、青く澄み渡る海も、何もいらん」

 勇者は困惑した。
 ならば、何故? と、勇者は震える声で大魔王に問う。

大魔王「俺の目的はお前達の世界から何かを得ることではない―――逆だ。俺はあるものを失いたいが為にこの戦争を起こした」










大魔王「すなわち、お前達に魔物という名の『害獣』を駆除してもらうため――――そのためだけに、俺は魔王軍をお前たちの世界に送り込んだのだ」










勇者「なん…だと…?」

大魔王「俺達のような呪われた命が世界と折り合いをつけて生きていくためには、無秩序な繁殖を抑え、個体数を適正に管理することが必須だ。無論、食事に関してもある程度の縛りを設ける必要がある」

大魔王「しかしこれは生存本能に意思の力で無理やり蓋をするようなものだ。叶うのは、俺や試験都市フィルストに居住している者共のような、一部の知性が高い種族に限られるだろう。いわんや、あの無秩序な獣共にそのような我慢が出来るはずもない」

大魔王「だから、強制的に『間引き』を行う必要があった」

勇者「……その為に、そんな事の為だけに、俺達の世界に攻め入ったと?」

大魔王「そうだ」

 勇者は勢いよくその場に立ちあがり、大魔王の顔を指差した。

勇者「ふざけるな!! そんなもんはテメエの手で勝手にやりやがれ!! いちいち俺達の世界を巻き込んでんじゃねえよ!!」

大魔王「俺自らの手で直接間引きを行えば当然『大魔王』としての威光は地に落ちる。そうなれば俺の言葉に耳を傾ける者などいなくなる。それはならん。間引き後の魔界改革にこそ『大魔王』としての立場が必要だ。俺は『大魔王』の立場を、統率力を保ちつつ、事を成さねばならなかった」

勇者「だから……そんなのはテメエの勝手な都合だろうが!!」

大魔王「許してくれとは言わん。だがどうか見逃してくれ。あと一度の遠征があれば、魔物の数は俺の想定する適正値に落ち着く。あとたった一回なのだ。だから、頼む。なあ、勇者よ」

大魔王「なぁに、これまで通りきちんとそちらに配慮して攻め入るので、間違ってもお前達の負けは無い。まして、お前とそこの娘が戦列に加わるとなれば」

勇者「待て……待て待て……! なんだと? 今何て言った? 配慮? 配慮して攻めていたと、今そう言ったのか?」

大魔王「そうだ。まさしくそう言った。余りにも魔王軍の用兵は稚拙だと、これまでにそう感じたことは無かったか? 一つ所に戦力を集中せず、世界各地を散発的に攻める様子に違和感を覚えなかったか? 所詮は獣が為すことだと、見縊っていたか?」

大魔王「調整していたのだ、この俺が。間違ってもお前たちを滅ぼしてしまうことが無いように。適切にお前達が勝利できるように。微に入り細に穿ち、丹念に、念入りに」

 勇者は震える手でくしゃりと己の前髪を握りしめた。

勇者「は…はは……なんだよ………結局俺達は、お前の手のひらの上で転がされてただけだったってのか……?」

 勇者の脳裏に、これまでの旅路で経た数々の困難が急速に思い返される。

勇者「あ? じゃあなんだ? それならむしろ、俺はお前にお礼を言わなきゃいけないじゃないか。手加減してくれてありがとうって。俺はお前のおかげで親父のような英雄になれましたって」

 言い終わると同時に、勇者は大魔王に向かって駆けた。
 その手には精霊剣・湖月を固く握りしめている。

勇者「―――――――ざっけんなコラァッ!!!!!」

 大魔王の心臓目掛けて突き出された勇者の剣先は、突如大魔王の前に現れた暗闇に飲まれて消えた。
 ぽっかり空中に空いた穴に吸い込まれた勇者の剣だが、暗闇の先で確かに肉を突き刺す感触を勇者に伝える。

戦士「か……は……」

 戦士の背後に突然現れた暗闇から勇者の剣が突き出していた。
 その剣先が戦士の胸を背中から貫いている。

勇者「せ……」

 勇者は慌てて剣を引き抜いた。
 ずるりと剣の抜けた戦士の体がゆっくりとその場に崩れ落ちる。

勇者「戦士ぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいい!!!!!!!!」

 勇者の絶叫が『大魔王の間』に響き渡った。

大魔王「『異空間魔術』と、俺はそう呼んでいる。どうも俺の一族はこの手の術に長けていてな。お前達の世界と魔界を繋げられたのもこの能力があった故だ。今のように離れた空間を繋ぐトンネルを設けたりと、用途は様々よ」

 ゆっくりと立ち上がった大魔王の周囲に、次々と暗闇が生まれ始めた。
 その中には、奥に明らかに大魔王城とは違う野外の景色が見て取れるものもある。
 勇者は講釈する大魔王に構わず、戦士に駆け寄った。

戦士「う…ぐ…」

勇者「良かった…急所は外れてる…! 『呪文・大回復』!!」

 勇者の放つ癒しの魔力の輝きに包まれて、戦士は意識を取り戻す。
 立ち上がった戦士の姿を見て、大魔王は感嘆の声を漏らした。

大魔王「ほぉぉ……即死しておらぬのか。これは流石だと言うしかない。やはりお前達と直接事を構えるのは得策ではないな」

勇者「逃げるのか!!」

 大魔王の言葉に反応し、勇者は吼えた。
 そんな勇者に対し、大魔王はあくまで鷹揚に頷く。

大魔王「うむ、逃げる。そこな娘、確実に死角から剣を放ってやったのに、剣先がその身に触れた瞬間に身を躱し、即死を免れおった。恐るべき反応よ。その娘が躱しきれぬお前の剣の鋭さも侮りがたい」

大魔王「実際戦えば、まあ俺が勝つだろう。しかし、お前達が勝つ可能性もゼロではない。だから逃げる。俺は万が一にもここで死ぬわけにはいかんのだ」

戦士「私達がお前を易々と見逃すと思うか!!」

大魔王「それを可能にするのが俺の能力【ちから】よ」

 大魔王の言葉と同時、一際大きな暗闇が大魔王の頭上に生じた。
 そしてその暗闇から、足、膝、腰―――と姿を現し、何者かがゆっくりとその場に降り立つ。
 その正体に思い至った勇者と戦士は驚愕で足を止めてしまっていた。

大魔王「このように離れた地点に居る者を召喚することも出来る」

 大魔王を守護するように、勇者達と大魔王の間に立ち塞がったのは、虚ろな目をした銀髪の魔族だった。
 大魔王と同様に、額から伸びた二本の角と、青みがかった肌の色以外に、一見して人間の容姿と大差がある部分は見受けられない。
 その魔族の顔に、勇者と戦士は見覚えがあった。
 以前、魔王討伐に成功した武の国兵士長達が持ち帰ってきた魔王の首。
 その顔が、今勇者達の目の前にいる魔族と非常によく似ている気がする。
 いや、似ているというより、これはもはや、完全に同一の――――――――――

大魔王「お察しの通りよ。こいつはお前達が魔王と呼んでいた者に相違ない」

 勇者達の心を見透かしたように、大魔王は笑って言った。

大魔王「つまるところ三人目となる、魔王」

勇者「魔王………さ、三人目……?」

大魔王「全滅することが目的の軍の指揮を、新天地を夢見る魔物共の誰かに任せると思うか? かといって俺の賛同者に犠牲を強いるのもしのびない。故に俺はコレを造った。『魔王』という名の人造生命体。俺の意思を媒介するための操り人形を」

戦士「ば、馬鹿な……」

勇者「俺達が長年追いかけていた魔王という存在が……複製可能な作り物だった……?」

 次々と判明する想像の斜め上をいく事実に、勇者は眩暈すら覚えた。
 しかし同時に、どこかで勇者は納得もしていた。
 勇者は、自身にとっては初の対峙となる魔王の姿を見て、思う。

勇者(きっと、親父の心を折ったのは―――――今の、この光景だ)

 勇者達が魔王の討伐に成功した時は、『宝術』という切り札を用いていた。
 宝術の影響下では、魔物の力は半減し、逆にこちらの力は倍増する。
 故に、武の国兵士長を始めとした魔王討伐隊は、さしたる困難も無く魔王討伐に成功したと聞く。

 だが、勇者の父は―――『伝説の勇者』は違う。

 『伝説の勇者』は単身魔王城という敵地に乗り込み、万全の状態の魔王を独力で打倒した。
 そこには数多の困難があったはずだ。そこには無数の苦難があったはずだ。
 死に物狂いで死力を尽くし、艱難辛苦の果てに―――『伝説の勇者』は魔王討伐を成し遂げた。
 だからこそ――――この光景を前にした時の衝撃は、恐らく今勇者自身が感じている物とは比べ物にならなかっただろう。

大魔王「さて……」

 大魔王が魔王の頭に手を触れた。と同時に、虚ろだった魔王の目に光が宿る。

魔王「ここから先に進みたくば、私を倒していくのだな。人間」

 魔王はそう言って改めて勇者達の前に立ち塞がった。
 『魔王』という定型の人格を、大魔王によって植え付けられたのだ。

勇者「………ふん…」

 勇者は震える膝を殴りつけ、剣を握る手に力を込めた。
 そんな勇者の姿を目にして、戦士もまた、己を奮い立たせ、剣を構える。

大魔王「この事実を目の当たりにして、まだ折れぬか。やはりお前は俺の想像を悉く超えてくるな、勇者よ」

勇者「今まで散々手のひらの上で弄んでおいて何を言う」

大魔王「いやいや、本当だ。お前だけが唯一、俺の描く絵図の通りに動いてくれぬ。特にあの『宝術』とやらには参った。まさかあんなものを引っ張り出してくるとは思いもしなかった」

大魔王「おかげで新たな門を開くのに四苦八苦よ。流石にあの規模で世界を繋げ、安定させるにはそれなりの手間がかかるのだ」

 大魔王の掌の上に暗闇が生じた。
 目を凝らせば、暗闇の奥に見慣れた空の色が見て取れる。
 勇者はふっ、と諦観の笑みを浮かべた。

勇者「手間はかかるが出来ないことはない……つくづくお前の手のひらの上じゃないか、俺達は」

 『魔王城以外に魔界との出入り口が作られる心配はない。何故なら、それが出来るならとっくにやっているはずだから』
 それも、違った。
 大魔王は嗤う。
 新たな門とやらを造るために、自ら生み出した暗闇に紛れ、大魔王の姿が消える。


 同時に、魔王の体から漆黒の炎が巻き上がり、勇者達に襲い掛かった。


 魔王との戦いは熾烈を極めた。
 宝術の加護の無い、全くの実力同士でのぶつかり合い。
 躱しても躱しても追尾してくる魔王の漆黒の炎を相殺するため、勇者もまたその指先から真っ赤な炎を生み出し、魔王の炎にぶつける。

魔王「隙ありだ!!」

 その隙に、魔王は勇者の背後に回り込み、その腕を振りかぶっていた。
 魔王の手には剣も鋭い爪もない。
 だがその腕を振り回すだけで人間の体など紙のように引き裂く威力を持つ。
 その速度、威力―――――成程確かに、魔王軍を率いる首領に相応しいと言える。
 かの獣王をすら、遥かに凌ぐその力。
 しかし。

戦士「つあぁッ!!」

魔王「ぬぅっ!?」

 魔王の動きに即応した戦士が勇者との間に割って入り、魔王の腕を斬り飛ばした。

魔王「チィッ!!」

 肘辺りから吹き飛び、宙を回る己の右腕に頓着せず、魔王は戦士の体を蹴り飛ばす。
 吹き飛ぶ戦士と入れ替わるように、今度は勇者が前に出た。
 魔王の首目掛けて水平に振るわれた勇者の剣を魔王は紙一重で躱し、背後に飛んで距離を取る。
 魔王が何事か呟くと右腕が発光し、ちぎれた腕が再生した。

勇者「『呪文・大回復』」

 勇者もまた、戦士に向かって回復呪文を唱える。

勇者「大丈夫か?」

戦士「ああ。ありがとう」

魔王「……大したダメージは無しか。ならば!!」

 魔王の姿が掻き消えた。
 間髪入れず勇者と戦士は反転し、背後に向かって斬りかかる。
 魔王の両腕と勇者と戦士、それぞれの剣が衝突した。

魔王「ぬううう!!!!」

勇者「があああ!!!!」

戦士「はああ!!!!」

 そのまましばらく拮抗状態が続いたが、埒が明かぬと判断したのか魔王が先に飛び退った。
 黒い炎が魔王の体から巻き上がり始めるのを見て、そうはさせぬと戦士が追撃を行う。
 戦士の全力の剣は魔王の体すら容易く寸断する。それは先ほどのやり取りで既にわかっていた。
 故に魔王は剣を受け止めることはせず、身を躱すことを選択した。
 しかし即座に斬り返した戦士の剣が、身を躱した魔王の首を追う。

魔王「う、おおお!?」

 今度は躱しきれず、魔王の頬を戦士の剣が掠めた。

 ぎり、とその顔に焦りを浮かべて魔王は奥歯を噛みしめる。

魔王「大したものだ……宝術とやらに頼らなければ獣王にすら勝てぬ程度の実力と踏んでいたが……」

戦士「魔王よ。お前は確かに速い。確かに強い。お前は確かに、私達が戦ってきた魔物の中でも一番強いのだろう。まさしく、魔王という名が相応しい」

勇者「だけど魔王。俺達はお前よりもっと速い奴を知っている。俺達は、お前よりもっともっと強い奴を知っている」

魔王「……? お前達が戦った中で、私が最も強いのではないのか?」

勇者「『魔物』の中じゃな。こちとら、もっと化け物みてえな『人間』とやりあってんだよ!!」

 勇者は一気に魔王との距離を詰め、剣を振り下ろす。
 魔王は剣を受けることはせず、再び背後に飛び退って躱すことを選択した。
 何か嫌な予感が頭を巡ったからだ。
 しかし、その魔王の動きこそが勇者の狙い通りだった。

勇者「『呪文・大雷撃』!!!!」

 魔王が着地したその瞬間を狙いすまして、虚空から生じた雷が轟音と共に魔王の体を打つ。

魔王「うが、ぐあああああああああああああ!!!!!!」

 大雷撃のダメージに悶える魔王へ向かって、勇者と戦士が追撃を行う。
 魔王は痛みに耐えて、二人を迎撃せんと迎え撃つ。
 否―――――迎え撃とうとした。
 だけどその体は痺れ、まったく言う事を聞いてくれなかった。

魔王「なぁ!? ぐ、か…!!」

勇者「その程度の実力じゃ、騎士【あいつ】にくらべたら雑魚みてえなもんだぜアンタ!!」

 勇者と戦士の剣が煌めく。
 交差するそれぞれの剣が、魔王の首と魔王の上半身を寸断した。

勇者「勝った……」

 魔王の息の根が完全に止まっているのを確認して、勇者は呆然と呟いた。
 ふと気が付くと、戦士が勇者のすぐ隣まで歩み寄って来ていた。
 そしてそのまま、二人はお互いの体を抱きしめあう。

勇者「は、はは……勝てた。魔王に実力で勝てた。やべえよ、なんか俺すっげえ震えちゃってる」

戦士「うん…うん…! やったな、勇者。私達、やったんだ」

 しばしそうして喜びに打ち震えていた二人だったが、我に返ってぱっと体を離した。




















 カツーン――――――……………

 どこかから、足音が聞こえる。





戦士「どうする? このまま先に進んでみるか?」

勇者「そうだな。大魔王の奴がどこに行ったのか、現時点じゃ判断しようがない。ここが最奥だと思っていたけど、もしかしたら先に進む道がどこかにあるかもしれない」




















 カツーン――――――……………

 その音は、勇者達の進んできた道を辿る様に。

 勇者達の後を追いかけてくるように、大魔王城の中に響く。





勇者「大魔王の奴は、魔王を人造生命体と言っていた。ということは、それを造る工房のようなものがあるはずだ。少なくとも、そこだけは今回破壊してしまいたい」

戦士「そうだな。魔王の『在庫』なんてものを次々造られたら冗談じゃないしな」

勇者「工房を見つけられれば、大魔王の奴も大慌てて戻ってくるかもしれない。よし、決定だ。先に進む隠し扉のようなものがないか、この部屋を隈なく探そう」




















 カツーン――――――……………

 足音が、止まる。

 大魔王の間へと通じる、その扉の前で。








 ギイイィィィ――――――と殊更に音を響かせて、大魔王の間の扉が開かれた。

 勇者と戦士は音に反応し、反射的に振り返った。

 そして、目を丸くした。

 次いで、言葉を無くした。

 大魔王の間に入室してきた男の姿を見て、勇者と戦士はただただ固まってしまっていた。


「そこまでだ、勇者」


 男は、とても聞き覚えのある声で勇者達にそう言った。

 聞き覚えがあるのは当然で、それはほんのちょっと前に聞いたばかりの声だったからだ。

 具体的には、魔界に在った試験都市フィルストで。

 この大魔王城を目指す直前に、聞いている。

 だけどその姿は見慣れぬものになっていた。

 白銀に輝く鎧に身を包み、そしてその手には鮮烈な輝きを放つ白金の剣を持っている。

 神々しささえ伴う、その姿。

 まるで『伝説に語り継がれる勇者のような、その姿』。

 否、違う。

 この男が、この男こそが―――――――















伝説の勇者「それ以上先に進むというのなら、私が相手になろう」













 そう言って、『伝説の勇者』は勇者に向かってその剣先を向けた。












        第三十三章















        あなたは何のために戦うのですか?





























 プチン、と自分の何処かで何かが切れる音を、勇者は聞いた。



今回はここまで





 いつから自分は特別なのだと思い上がってしまったのかは曖昧だ。



 だけどその幻想(ユメ)から覚めた時のことははっきりと覚えている。










第三十四章  『伝説の勇者』、その結末




 彼の生まれは何の変哲もない農家だった。

 由緒正しき騎士の家柄というわけでもない。名のある貴族の跡取りというわけでもない。

 日々の営みの中で獣と対峙することはままあるけれど、彼は基本的に争いというものからは縁遠い立場にいるはずの人間だった。

 転機が訪れたのは、彼が15歳の時。

 とある日のこと。

 彼の住む村が盗賊の集団に襲われた。

 盗賊たちは金品の類と食料を要求し、従わぬ村民に理不尽な暴力をふるった。

 元より彼は正義感の強い青年であったので、そんな盗賊たちの行為に対して激しい憤りを見せた。

 刃向えば死―――周囲からのそんな説得によって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでいた彼だったが、盗賊の一人が村の女性を――その美しさが大層評判であった彼の母を辱めようとしたことで、彼の怒りは弾けた。

 彼は農作業用の鉈を取り、盗賊たちに挑んだ。

 相手は戦闘を生業とする盗賊集団だ。当然、いち農民如きが勝てる訳がない。

 勝てる訳はないのだが―――驚くべきことに、彼は負けなかった。

 多くの傷を負い、血に塗れながらも―――遂に彼は十人以上もの盗賊達を、知らせを受けた王宮騎士団がそこに駆け付けるまで足止めしてみせた。

 そんな彼の働きを当時の王宮騎士団の団長はいたく気に入り、なんと彼は騎士団長直属の部下として王宮騎士団に召し抱えられてしまった。

 ただの農民から王宮騎士団へ―――しかも王宮騎士団長の懐刀への大抜擢。

 彼の存在は、周囲の注目を否応なしに集めた。

 周囲の好奇の目に晒されながらも彼は真摯に修業に打ち込み、めきめきと剣の腕を上げていった。

 彼が騎士団随一の剣の使い手になった背景として、勿論本人の才覚もあっただろうが、何より騎士団長の熱心な指導があった。

 「どうして自分などにここまでしていただけるのか」と、彼は問うた。

 「なに、ただの気まぐれさ」と、騎士団長は答えた。

 騎士団長には息子がいなかった。

 独身というわけではない。騎士団長には仲睦まじいと評判の妻がおり、その間に三人の子をもうけている。

 しかしその子らは全て女児であった。

 そのことに、騎士団長は内心忸怩たる思いがあったのかもしれない。

 だから、才ある彼を召し抱え、息子のように可愛がったのだ―――と、周囲はもっぱらそのように解釈していた。それは、騎士団長の寵愛を実際に受けた彼自身でさえも。

 だが、事実は少し違う。

 彼を息子の『代わり』などと―――騎士団長は断じてそんな風には考えていなかったのだ。

 さて、更なる転機が訪れたのは彼が王宮騎士団に召し抱えられて五年が経った時のこと。

 隣国との小競り合いの最中、件の騎士団長が戦死した。

 歴戦の勇士として名高かった騎士団長は、戦時の混乱の中、誰が放ったかもしれぬ流れ矢に倒れた。

 矢尻には毒が塗られていた。

 騎士団長はもがき苦しみ、傍らにいた彼に介錯を頼んだ。

 無論彼は拒んだ。諦めてくださるなと懇願した。

 しかし間に合わぬと騎士団長は断じた。

 早くせよ。間に合わぬ。毒では駄目だ、『お前がやらねばならぬのだ』。

 その時、騎士団長の言葉の意味を深く考察できるほど、彼は冷静ではなかった。

 彼は騎士団長に対して非常に大きな恩義を感じていた。

 だから彼は、騎士団長の願いのままに介錯し、その亡骸に縋りついて涙を流し、慟哭した。

 その時生じていた不可思議な現象には目もくれず。

 『加護の継承』。

 騎士団長がその身に宿していた精霊の加護が、彼の身に移行していた。

 それも一部ではなく、一分の残りもなく――――全て。

 彼が自身の異常に―――自身の力が飛躍的に向上していることに気付いたのは、騎士団長の葬儀を終えて、落ち着いてからだった。

 彼はそれを奇跡と解釈した。騎士団長の遺志によりその使命を託されたのだと信じた。

 以降、彼は『国を守ること』を絶対の使命として己に課し―――――彼は騎士団史上最年少かつ最速で騎士団長の立場に就任する。

 まずはこれが、彼の伝説の始まり。






 ――――もはや殊更に述べる必要もないかもしれないが、一応訂正しておこう。


 彼が何の変哲もない農家の生まれというのは、誤りだった。


 どうも、どうやら――――彼の出自は中々に複雑なものだったらしい。



 騎士団長となった彼の活躍は目覚ましく、彼は周辺諸国との争いに悉く勝利し、『始まりの国』の平定に多大に貢献した。

 彼はまさしく全ての戦に勝利した。こと武力という点において、彼に並び立つ者は存在しなかった。

 その上、彼は政の分野でも類まれな才覚を披露した。かつて農民であった経験を持つ彼の助言は、時の為政者を大いに唸らせた。

 彼の活躍によって『始まりの国』は確かな繁栄を得た。

 人々は彼を『太陽の騎士』、『神々に選ばれた男』、『常勝無敗の大英傑』などと褒め称えた。

 あるいは、そう―――――『勇者』、とも。

 彼は騎士団長に就任して間もなく、王宮内で給仕を務めていた女性と結婚した。

 その女性との結婚に関しては、彼の同僚はおろか女性の家族、果ては女性自身からも反対されていた(曰く、身分が違いすぎるだの、恐れ多いだの)のだが、まあそれはともかく。

 彼は彼自身が見初めた女性と結ばれ、さらにその間に男子を授かるなど、まさに幸せの絶頂にあったのだ。

 とりわけ彼を喜ばせたのは、その息子が類まれな剣の才能に恵まれていたことだった。

 まだ歩き始めて間もない頃に、彼は戯れに息子に剣を模した木の棒を与えた。

 日夜修練として剣を振る父の姿が目に焼き付いていたのだろう。その息子はその棒の意味をすぐに理解し、父の真似をして振り回し始めた。

 これには彼も、彼の妻も、周囲の者達も大いに喜んだ。

 父を超える勇者の誕生だと盛大に盛り上がった。

 そして彼は嬉々として息子に剣の稽古をつけ始めた。

 メキメキと剣の腕を上げる息子を見て、彼はこの上ない喜びと高揚感を覚えていた。

 それは熱狂と言ってさえ良かっただろう。

 まさしく、熱に狂っていた。

 でなければ――――年端もいかぬ幼子に真剣を向けるという凶行など行われるものか。




 そして悲劇は起きた。


 彼の剣は彼の息子を切り裂き、彼の息子は死の淵を彷徨った。

 一気に熱から覚めた彼は己の愚行を後悔し、激しい自己嫌悪に陥った。

 しかしながら彼を責め立てたのは彼自身ばかりで、他の誰も彼を責めることはしなかった。

 それは、本来最も彼を非難するべき彼の妻でさえも。

 『人でなし』と誹りを受けることすら覚悟していた彼である。

 「僕を責めないのか」と、不安になって彼は妻に問うた。

 妻の返答に、彼は戦慄した。

 妻は、まったく無垢な顔でこう言ったのだ。








 『どうして?』






 ここに至り、ようやく彼は自身の置かれた状況について理解が及んだ。

 そう―――――『始まりの国』において、もはや彼の存在は神格化しており、彼の発言、行動は全てが是とされてしまう。

 例えどんなに荒唐無稽な政策を王に具申したって、王はそれを実施するだろう。

 例えどんなに的外れな軍事作戦を展開したって、部下たちは何も疑問に思うまい。

 この事実は、彼に非常に大きな重圧を与えた。

 だってその事実に気づいてから、彼は決して間違えられなくなってしまった。

 誰も彼の過ちを糾してなんてくれないから、彼は自分だけで正解を掴まなければならなくなってしまったのだ。

 彼がその状況に開き直ることが出来れば、王をも凌ぐ権力を得たのだと喜ぶような感性の持ち主であれば、まだ良かったのだろう。

 だけど彼はまったく清廉潔白で、良心に満ち、正義感に溢れていた。

 彼は『絶対的な英雄』として、皆の期待に応え続けようとしてしまった。

 そして―――――応え続けることが出来てしまった。


 かくして彼は、『絶対的な英雄』としての当然の流れとして魔王討伐に旅立つ。

 その心に、僅かに黒い影を落としたまま。


 大魔王城大広間に剣戟の音が木霊する。
 剣を交えているのは『伝説の勇者』とそのかつての愛弟子である戦士だ。

戦士「つああッ!!!!」

 裂帛の気合いをもって振るわれる戦士の剣は、しかし悉く『伝説の勇者』に打ち払われる。

戦士「チッ…!」

 斬り払われた剣を握りなおし、体勢を整えた時には『伝説の勇者』の剣が戦士の目前に迫っていた。

戦士「うお…!」

 戦士は大きく体を逸らし、そのまま後方にバク転して一度『伝説の勇者』と距離をとった。

戦士「くっ…!」

 『伝説の勇者』の追撃はなかった。
 体勢を整えてから、戦士は一度大きく息を吐き、剣を構えなおす。
 その顔には陰りがあった。
 戦士はその端正な顔に眉根を寄せて、苦々しく目の前の男を睨み付けていた。

伝説の勇者「強くなったな、戦士」

 優しい声音で目の前の男はそんな言葉を吐く。
 やめてほしい、と戦士は願った。
 かつて敬愛してやまなかった師。その背中を追い続けてきた男。
 覚悟は決めたはずだった。その男が敵に回った瞬間に自分の感情は切り捨てたつもりだった。
 だけど、目の前の男は余りにも思い出の中の姿のままで――――胸に去来する思いが、どうしても戦士の剣を鈍らせた。

戦士「うあああああああああ!!!!!!」

 そんな自分が許せなかった。
 獣のように雄叫びを上げたのはそんな自分を打ち払いたかったからだ。

戦士(ふざけるな!! なんなんだ私は!! 私が! ここで私がやらないと!! でないと……!!)

 煩悶する戦士の横を追い抜いていく影があった。
 勇者だ。

戦士「あっ…!!」

 咄嗟に伸ばした戦士の指先は勇者のマントを掠めただけだった。
 勇者は『伝説の勇者』に向かって飛びかかり――――二人の持つ刃が交差した。

伝説の勇者「勇者…!」

勇者「……」

 父と子の持つ剣が拮抗する。
 『伝説の勇者』の顔には苦渋の色があった。
 対する勇者は無表情で、その感情はうかがい知れない。
 二度、三度と切り結び、勇者が後退したことで両者の間の距離が開く。
 その隙に再び勇者より前に出ようとした戦士だったが、その動きを勇者に手で制された。
 戦士の動きを制した手で、続いて勇者は目の前の『伝説の勇者』を指差す。

勇者「『呪文・大雷撃』」

 虚空より生じた雷光が『伝説の勇者』の体を打った。
 『伝説の勇者』は突如前触れなく現れた雷に碌な反応も示せなかった。
 勇者は精霊剣・湖月の柄をぎゅうと握りしめて前進する。

勇者「おおお!!!!」

 短い気合の声。
 振るわれた勇者の剣は真っ直ぐに『伝説の勇者』の喉元を狙っていた。
 呪文・大雷撃の直撃を受けた者は電撃に痺れ、体が一瞬硬直する。
 その一瞬を狙いすました、この上ないタイミングの一撃だった。
 しかし勇者の剣は『伝説の勇者』によって打ち払われた。

伝説の勇者「光と轟音で前後不覚に陥らせる呪文か……肝を冷やしたぞ」

 『伝説の勇者』の呟きを拾った勇者は一瞬で理解する。
 呪文・大雷撃は『光の精霊』の加護の力でもって放たれる一撃。
 どうやらそれは、同じ『光の精霊』の加護を身に着けたこの男には通じないらしい。
 格上の相手をする時の切り札が無為になった衝撃、その理不尽さに爆発しそうになる感情を勇者は抑えた。
 勇者は一度『伝説の勇者』と距離を取った上で、努めて冷静に状況を分析する。

勇者(おそらく、火炎も烈風も睡魔もコイツには大した効果がない)

 ならば、使いどころを考えなければならない。
 ダメージを与えることではなく、不意を突くことで大きな隙を生む――――そのために、勇者は呪文の温存を選択することにした。
 勇者が思索に転じていた間に、戦士が再び『伝説の勇者』に攻撃を繰り出していた。
 150センチにも及ぼうかという刀身を小枝のように振り回す戦士の剣戟はさながら竜巻のようで、圧巻と言う他に無かった。
 どんなに強力な魔物であっても、この剣の奔流に飲み込まれれば瞬く間に細切れと化してしまうだろう。
 しかし『伝説の勇者』はその全てを捌き切り、どころか戦士の連撃の間を縫って攻撃を仕掛けることで戦士の攻撃からリズムを奪った。
 『伝説の勇者』の攻撃をギリギリで躱すことは出来たものの、連撃の勢いを止められてしまった戦士は一度呼吸を整える為に間を取った。
 その間、ただ泰然と構えてこちらの様子を伺っている『伝説の勇者』の姿に、戦士は苦々しく唇の端を噛む。
 手加減されている。それは明らかだった。
 先ほどからギリギリで躱している『伝説の勇者』の攻撃も、こちらが『ギリギリで躱せるように』攻撃をしているだけなのだと、戦士は理解していた。
 そも、手加減というものは両者の技量に余程の差が無ければ成立しない。
 もちろん、戦士とて十全にその力を揮えているわけではない。
 かつて敬愛してやまなかった男を相手にして、困惑と躊躇いによる心理的なブレーキが如何ともし難く戦士の体を縛り付けている。
 しかし、だからといって、それにしても――――――だ。
 元々望んでいない戦いである。
 これ程の力量差を見せつけられて、なお心を奮い立たせることが出来るのか―――――


 そのようなことは、どうやら勇者にはお構いなしであったようだ。

 無言で駆け出した勇者はその勢いのままに『伝説の勇者』に剣を叩き付ける。

伝説の勇者「まだわからないのか勇者!! お前達の剣は、決してこの私には届かない!!」

 力量差を殊更に誇示するためであろう。『伝説の勇者』は勇者の全身全霊の剣を片手一本で受け止めた。
 勇者は怯まず両手で柄を握りしめ、怒涛の勢いで剣を打ち下ろす。
 勇者は剣を『伝説の勇者』に向かって叩き付け、叩き付け、叩き付け、叩き付けた。
 『伝説の勇者』はあくまで片手持ちで勇者の剣を受け止めた。
 全霊をもって打ち下ろされる一撃を続けざまに受け止めたことで、流石に『伝説の勇者』の手に痺れが生じ始める。
 『伝説の勇者』は勇者の勢いを止める為、勇者が剣を振りかぶった隙に攻撃を差し込んだ。
 それは今まで戦士に放ってきたものと同様に、ギリギリで躱せるように絶妙に加減された一撃。
 ずぶり、と肉に刃が沈み込む感触があった。
 驚愕したのは『伝説の勇者』と戦士だ。
 勇者は『伝説の勇者』の剣を一切躱そうとせず、結果、『伝説の勇者』の剣は深く勇者の胸元を抉っていた。

勇者「……痛えなぁ。あぁ…ひでえよアンタ。一度ならず二度までも、実の息子を剣で斬りつけるなんて」

 勇者の胸から溢れ出した血が刃を伝い、『伝説の勇者』の手を濡らす。
 勇者の血に濡れた『伝説の勇者』の手はカタカタと小刻みに震えていた。

伝説の勇者「あ、あぁ…!! ち、違う……違うんだ…! 勇者、私は……!!」

 勇者は振り上げたままだった剣を渾身の力で振り下ろす。
 『伝説の勇者』の体が大きく切り裂かれ、血飛沫が舞った。

伝説の勇者「が…ふ…!」

 『伝説の勇者』の体がゆっくりと倒れる。
 『伝説の勇者』に刻まれた傷のその位置は、奇しくも幼い頃に勇者が受けたものとほぼ一致していた。

 『伝説の勇者』は倒れた。
 まだ息はあるものの、そう長くは保つまい。
 戦士の目からは大粒の涙が溢れだしていた。
 戦士は自分の目から溢れるソレを、怪訝な表情で拭った。
 戦士は自分の涙の正体を自分自身掴めず、ただ困惑していた。
 憧れの男が敵に回ったこと、そして死んだこと。
 それもよりにもよって、勇者自身の手でそれをさせてしまったこと。
 悲しみと後悔と憤りと悔恨と―――色々な感情がない交ぜになって戦士の心は千々に乱れていた。
 胸を刺す痛みに耐えかねて、遂に戦士はその場にしゃがみ込んでしまった。
 勇者は無感情に自らの胸に突き立ったままだった『伝説の勇者』の剣を引き抜き、がらんと床に放った。
 血だまりの中にうつ伏せに倒れた『伝説の勇者』の姿を見下ろす勇者は、どこまでも無表情だった。

 『伝説の勇者』は、薄れゆく意識の中でそんな勇者の姿を見つめていた。

(ごめんな、痛かったよな)

 勇者の胸元から溢れる血を見て、『伝説の勇者』は思う。

(痛かったよな、苦しかったよな)

 『伝説の勇者』の脳裏に浮かぶのは、傷を負い、熱にうなされる幼い勇者の姿。

(俺のせいで、お前は痛みをひどく怖がる子供になってしまった)

 『伝説の勇者』が想うのは、回復はしたものの、痛みに怯え、遠巻きから自分たちの修業を冷めた目で眺めていた勇者の姿。

(痛いの嫌だって泣いてたよな。苦しいの嫌だって震えてたよな。なのに……)

 『伝説の勇者』の目に映るのは、己の傷口に無感情に処置を施していく現在の勇者の姿。

(お前をそんな風に壊してしまったのは俺なのか? 俺のせいで、お前の人生は無茶苦茶になってしまったのか?)

(だとしたら俺は一体、何のために……)

 『伝説の勇者』は思い出す。思い返す。まるで夢を見るように。
 かつての敗北の記憶を。幻想(ユメ)から覚めた瞬間を。






『俺は魔界を救う。その為にお前の力を貸せ。「伝説の勇者」よ』




伝説の勇者『ぐ…う……』

大魔王『まだ立とうっていうのか? やめとけよ。力の差はもう十分理解しただろう』

伝説の勇者『黙れ…俺は負けない……負けるわけにはいかないんだ……』

大魔王『死ぬことが怖くはないのか?』

伝説の勇者『怖いさ……死ぬのは怖い……だけど、それ以上に俺がここで諦めてしまうことで、今まで積み上げてきたものが全部台無しになってしまうことの方がよっぽど怖いんだよ…!』

大魔王『立ちやがった。よせ。それ以上無理をすると本当に死ぬぞ。ここでお前に死なれては、お前を殺さぬように立ち回った甲斐がない』

伝説の勇者『な…に……?』

大魔王『お前ほどの猛者を相手にして、殺さぬよう加減するのは相当苦労したんだぞ? 色んな思惑とか全部うっちゃって、全力で暴れまわれりゃ俺も楽だったんだがな』

伝説の勇者『ぐ…く……!』

大魔王『……少しは話を聞く準備が出来たようだな。なぁに、心配するな。俺の話を聞いてまだ俺の首を取るつもりがあれば、もう一度機会を設けてやるさ』

伝説の勇者『……?』

大魔王『何から話そうか……そうだな。「伝説の勇者」よ、この大魔王城に辿り着くまでに魔界の地を歩き、お前は何を思った。何を感じた』

大魔王『……とまぁ、こんなところだ。魔界のクソッタレな現状ってのが少しでも伝わってくれたのならありがたい』

伝説の勇者『まさか…そんな……』

大魔王『―――俺は魔界を救う。その為にお前の力を貸せ。「伝説の勇者」よ』

伝説の勇者『お、俺の力を…?』

大魔王『そうだ。俺は「向こう側」の、お前たちの世界の知識が欲しい。お前達「人間(ヒト)」の営みを、俺はこの魔界で再現したいのだ』

大魔王『そのために、「伝説の勇者」よ。俺の下につけ。俺の下につき、お前の世界の事を俺に教えるのだ』

伝説の勇者『お、俺に人類を裏切れというのか』

大魔王『断るのならば仕方がない。その場合はお前にはここで死んでもらう。「向こう側」にこちらの真の目的を伝えられても厄介なのでな』

大魔王『しかし協力を約束するのならば俺はお前に最大限便宜を図ろう。生活に不自由はさせないし、必要な時以外はお前の行動を一切束縛することはない。お前は、自由だ』

伝説の勇者『……ッ!!』

大魔王『揺れたな。ふむ、やはりお前の核はこの辺りか。気になってはおったのだ。「世界平和」などという曖昧模糊な理由の為に、単身魔界に乗り込んでくるなどと常軌を逸している。狂気の沙汰だ。その行動理念について、俺は少し考えてみたのだ』

大魔王『察するに、お前は降りられなくなったのではないか? 皆の期待に応え続けたことで、応え続けすぎてしまったことで、次第にお前は皆が期待する通りにしか動けなくなったのではないか? 「伝説の勇者」たる者こうでなくてはならない、そんなイメージを誰よりも強くお前自身が持ち続けてしまったのでは?』

伝説の勇者『う、あ……』

大魔王『うむ、その顔が何よりも雄弁に答えを物語っている。「伝説の勇者」よ。良いのだ。お前はもう「伝説の勇者」を辞めていい』

伝説の勇者『ち…が、う…!! 違う!! 俺は、俺の意思でここに来た!! 俺には守りたいものがある!! その為に、ここでお前に屈する訳には』

大魔王『お前が俺に協力すればお前の家族の命は保障しよう。俺手ずから調整し、お前の故郷には決して強力な魔物は近づけさせん』

伝説の勇者『………ッ!!?』

大魔王『正解か。そうだよな。家族は大事だ。その気持ちは俺にも痛いほどよくわかる』

伝説の勇者『う、ぐ…! く、うぅ……!!』

大魔王『まったく強情な奴だ。わかったわかった。しょうがないから、俺がお前を負けさせてやる』





大魔王『こう言えばよいのだろう? ―――――家族の命が惜しければ、俺の軍門に下れ。「伝説の勇者」よ』







 おいおい、そんな暗い顔をするな。



 お前、折角自由になれたんだぜ?



 魔界で一番の美女を世話役につけてやるから、まあ元気出せや。



 なぁに―――――生きてりゃその内いいこともあるさ。






 ぴくり、と『伝説の勇者』の指が動いた。
 その手が地面に打ち捨てられた己の剣を取る。

伝説の勇者(そうだ……何もかも、生きていてこそだ)

 『伝説の勇者』は己の剣を杖として立ち上がった。
 目を見開いてこちらを見てくる勇者と目が合って、『伝説の勇者』は薄く笑う。

伝説の勇者(今更父親面なんて出来ないし、するつもりもないけれど……)

 かちゃかちゃと震えの止まらぬ手で、それでも『伝説の勇者』は剣を構える。

伝説の勇者(せめて、最初の志だけは貫いてみせる)

 『伝説の勇者』の脳裏に、目の前に立つ勇者が幼かった時の記憶がよぎる。
 剣に見立てた木の棒を持って、よちよちと自分の後ろをついてきていた勇者の姿。
 母の胎内から生まれ出でて、おぎゃあと己の腕の中で力いっぱい泣いていた勇者の姿。

伝説の勇者(―――――お前だけは絶対に死なせない!!)

 ごぼっ、と『伝説の勇者』は己の口内に溜まっていた血液を吐き出した。
 そしてすぅ、と息を吸い、静かに口を開く。

伝説の勇者「導け――――『覇王樹(ハオウジュ)』」

 『伝説の勇者』の体から黄金の輝きが迸った。
 その余りに鮮烈な光の奔流に、勇者も戦士も思わず手で目を覆ってしまう。
 光がやみ、勇者は恐る恐る『伝説の勇者』の方に目を向けた。

勇者「……なんだ…」

 わなわなと、勇者の肩が震える。

勇者「何なんだよ、それはぁッ!!!!」

 勇者が『伝説の勇者』と相対して初めて感情を爆発させた。
 今もなお仄かに輝きを放つ『伝説の勇者』の体からは、先ほど勇者がつけた傷が綺麗さっぱり消えていた。

伝説の勇者「これが―――俺の剣、『覇王樹』の力だ」

 『伝説の勇者』は己の持つ剣を、『伝説剣・覇王樹(デンセツケン・ハオウジュ)』を勇者の前に掲げる。

伝説の勇者「一日に一度だけ使用者の傷を全快させ、更に一定時間精霊加護を爆発的に高めてくれる」

勇者「精霊加護を……高める?」

伝説の勇者「そうだ」




 すまない。すまない。すまない。


 きっと、とても痛いだろう。きっと、たくさん苦しむだろう。


 だけど、たとえ心折れてしまったとしても。


 ―――――それでも、生きてさえいれば。



伝説の勇者「こういう風に――――な!!」

 『伝説の勇者』が動く。
 ただならぬ気配を感じ取った勇者は反射的に防御の体勢に移行する。
 しかし勇者の防御をあっさりと潜り抜け―――『伝説の勇者』の剣が勇者の体を切り裂いた。

勇者「あ……」

 勇者は信じられぬといった面持ちで自身の体を見下ろしている。
 その体に刻まれた傷の様相は、まさしく幼少の頃の再現であった。
 鮮血が噴き出し、勇者の体が崩れ落ちた。

戦士「いやあ!!!!」

 戦士が勇者に駆け寄った。
 うつ伏せに倒れた勇者の傍らに膝をついて、戦士は涙に濡れた目で『伝説の勇者』を睨み付ける。

戦士「『伝説の勇者』様……!! どうして…こんな……どうして……!!」

 『伝説の勇者』は戦士から顔を逸らした。
 いや、正確には血を流し続ける己の息子から目を逸らしたのだ。

伝説の勇者「……これでわかっただろう。私にすら及ばぬ者が大魔王に挑んでも、徒に命を散らすだけだ」

 『伝説の勇者』は必死で表情を取り繕い、厳しい視線を戦士に向ける。

伝説の勇者「勇者を担いで『向こう側』に帰れ、戦士。そして二度と魔界に戻ってくるな。人類に出来るのは大魔王の『間引き』が早々に終わるのを願うことだけだ」

 それだけ言い捨てて、『伝説の勇者』は再び戦士と勇者に背を向けた。

戦士「う、うぅ…!」

 ごそごそと戦士が荷物を探る音が聞こえてくる。
 おそらく手持ちの薬草で勇者に応急処置を施すつもりなのだろう。
 つまり戦士は完全に剣を置いたという事だ。もうこちらに向かってくるということはあるまい。
 何とか自分の思惑どおりに事が進み、『伝説の勇者』はほっと胸をなで下ろした。

勇者「……『呪文・大回復』」

 聞こえてきた勇者の言葉に、『伝説の勇者』も戦士も目を見開く。
 『伝説の勇者』は後ろを振り返った。
 勇者の体が仄かに輝きを放っている。
 やがて勇者がのそりとその場に立ちあがった。

伝説の勇者「勇…者……」

 『伝説の勇者』は祈るような気持ちで勇者の動きを注視する。
 勇者はにへら、とその顔に笑みを貼りつけ、精霊剣・湖月を構えた。

伝説の勇者「勇者ッ!!!?」

戦士「勇者ッ!!!?」

 『伝説の勇者』と戦士の、悲鳴のような声が重なった。

勇者「何を驚いてんだよ、アンタ……」

 勇者は『伝説の勇者』をせせら笑うように言った。

伝説の勇者「もうよせ! 敵わないのはわかったはずだ!」

 勇者は『伝説の勇者』の言葉に聞く耳など持たず、一歩踏み出した。
 よく見れば、勇者の体は全快などしていない。
 傷は塞がり切らず、ポタポタと零れる血は床の水溜りを広げ続けている。

伝説の勇者「何故お前は……そこまでして……」

勇者「大魔王を倒すのに邪魔な敵が目の前にいる。剣を振るのにこれ以上の理由がいるかい?」

伝説の勇者「俺は!! ……俺は……お前の敵なんかじゃ……!!」

勇者「……くく」

 勇者は笑い出した。

勇者「くく、ははは……あは!! あはははは!!!! ぎゃははははははははははは!!!!!!」

伝説の勇者「勇者……!!」

勇者「あー、傷が痛え。笑わせんなよ親父―――――父さん」

 一転して、勇者の顔から笑みが消える。
 笑みどころか―――勇者の顔からは、あらゆる感情が抜け落ちてしまったようだった。

勇者「もう俺にとってはあなたの存在自体が耐え難い。あなたが息をしているってだけで息苦しい。あなたが生きる世界に同時に生きていくなんて、俺にはもう無理だ」

勇者「――――俺が死ぬか、アンタが死ぬか。どちらかが死ぬことでしか、もうこの話は決着しないんだよ」

 勇者からの剥き出しの敵意を受けて、しかし『伝説の勇者』は逆に覚悟を決めた。

伝説の勇者「……そうだな。わかってもらおうだなんて、許してもらおうだなんておこがましかった。恥知らずにも程があったよ」

 勇者に呼応するように、『伝説の勇者』は剣を構える。

伝説の勇者「次は確実に意識を刈り取る。回復呪文など唱えさせはしない。俺は絶対にお前を救ってみせるぞ、勇者」

勇者「喋んなよ。俺を救うってんなら、黙って今すぐ喉を掻き切ってくれ」

戦士「勇者…!」

勇者「悪いけど下がっててくれ戦士。邪魔だ。巻き込まれるぞ」

 勇者は精霊剣・湖月を右手に持った。

勇者「『呪文・大火炎』」

 そして上に掲げた左手から巨大な火球を出現させる。

伝説の勇者(呪文…! 勇者の奴、一体いくつの呪文を習得しているんだ…!)

 一瞬目を見開いた『伝説の勇者』だったが、すぐに冷静になって勇者の生み出した火球の威力を推し量る。

伝説の勇者(成程、大した威力だが……覇王樹によって加護が増大した今ならば、たとえ無防備な所に直撃したとしてもダメージは無い)

伝説の勇者(しかしあれだけの規模の火球だ。ダメージは無くともこちらの視界を塞ぐことは十分可能。ならば何かをされる前に火球に自ら突っ込み、剣風で炎を散らすが最善!!)

 そう決断した『伝説の勇者』がその足に力を込める―――より早く。
 勇者の口は動いていた。

勇者「穿て――――『湖月』」

 右手に持った精霊剣・湖月から水流が迸る。
 そしてその水は勇者の頭上にあった火球に突っ込み、瞬く間に蒸発して大量の蒸気を生んだ。

伝説の勇者「むお…!」

 蒸気に巻かれ、『伝説の勇者』の視界が白く染まる。
 だが視界の制限は形こそ違えど元々予期していたところであったため、『伝説の勇者』に動揺は無い。

伝説の勇者(小癪……!! いくら煙に紛れて近づこうと、いざ剣を振る瞬間には必ずその勢いで蒸気は割れ、勇者は姿を現す。俺が剣を振るのはそれからでいい。たとえ勇者がどれだけ早く攻撃の姿勢に移っていても、それを覆すほどの速度差が今の俺達にはある!)

 『伝説の勇者』は剣を構え、周囲に向かって気を巡らす。
 あらゆる動きを逃さぬよう集中する。
 煙が割れた。
 例えそこに現れたのが勇者ではなく戦士であったとしても、『伝説の勇者』は動揺なく迎撃できる自信があった。







 しかしそこに現れたのは勇者の母であった。



 つまり、『伝説の勇者』の妻であった。



 当然に『伝説の勇者』の剣は止まった。




 突然そこに現れた、『伝説の勇者』の妻であり勇者の母であるその女性は、その手に持った精霊剣・湖月の蒼い刃で『伝説の勇者』の胸を切り裂いた。



伝説の勇者「が、は……! ば、か…な……これは…一体どういう……」

 仰向けに崩れ落ちた『伝説の勇者』は必死で首を持ちあげ、自身の妻であった女性に目を向ける。
 その目の前で、その女性の体から煙が噴き出し、やがて煙の中から勇者が姿を現した。
 『変化の杖』。
 持って念じるだけで、イメージした人物に化けることが出来るマジックアイテム。
 何しろ自分の母親だ。その姿を寸分違わずイメージすることは容易であった。

伝説の勇者「勇者…!! き、さま……何という……!!」

 伝説の勇者は激高し、勇者に掴みかかろうともがくが、体はちっとも言う事を聞かず寝返りを打つように僅かに身じろぎ出来ただけだった。

伝説の勇者「し、死ぬのか……俺は、ここで死ぬのか……!?」

 どくどくと『伝説の勇者』の胸の傷からは血が溢れ続けている。
 どんどんと自分の体が冷たくなっていくのを、『伝説の勇者』は自覚した。

伝説の勇者「あ、あぁ…あぁぁああああぁぁぁぁあああああ!!!!!! い、嫌だ!! 怖い!! 死にたくないぃぃ…!!」

 戦士はぎゅう、と己の胸の辺りで拳を握りしめた。
 勇者はあくまで無表情で己の父の姿を見下ろしている。
 二人とも、今『伝説の勇者』が味わっている死の感覚を知っている。
 それがどれ程の恐怖なのか、勇者も戦士も身をもって知っているのだ。

伝説の勇者「ゆ、勇者……頼む……助けてくれ……」

 青白くなった顔で、『伝説の勇者』は途切れがちにそう口にした。
 ぴくり、と勇者の指が震える。

伝説の勇者「もうお前の邪魔はしない……共に大魔王に立ち向かうと誓う……だからどうか……助けてくれ……」

 今まさに死にゆく父の、必死の命乞いを目の前にして、遂に勇者の感情が揺れた。
 眉根にはっきりと皺を寄せ、勇者の顔には苦渋の色がありありと浮かびでている。

伝説の勇者「頼む……どう、か……勇、者………」

勇者「う…あ…」

 勇者は思わずその手のひらを父に向かって開いた。
 あとは回復のための呪文を唱えてやれば、父は一命を取り留めることが出来るだろう。
 しかし勇者は開いた手を閉じた。
 そして代わりに精霊剣・湖月を手に取り、父に向かって高々と掲げて見せた。
 せめて苦しみを長引かせることなく一瞬で――――そう考えた上での勇者の行動であった。
 そんな勇者の姿に気付いた『伝説の勇者』の表情は、まさしく絶望と、そう表するに相応しいものだった。

伝説の勇者「あ、あぁぁぁあああああ!!!!!! いやだ!! いやだ!! いやだぁぁぁああああぁぁぁあああ!!!!!!!」


 ただただ悲痛に叫び、ぼろぼろと涙を零すその姿に、もはや伝説に謳われるような威厳など欠片も無い。


伝説の勇者「あぁ、すまない…!! すまない××××……!! すまない……!!」


 『伝説の勇者』の口から勇者の知らない名前が飛び出した。
 もしかしたら試験都市フィルストにいた魔族の母の名前かもしれない。


伝説の勇者「ごめんな××××…ごめん、ごめんよ……!!」


 また勇者の知らない名前だった。
 もしかしたら、仲睦まじく手を繋いでいた魔族の娘の名前かもしれない。


伝説の勇者「すまなかった……○○○○……俺は、俺は……君を……」


 今度は勇者の知っている名前だった。
 それは勇者の母であり、彼の妻であった女性の名前だった。


伝説の勇者「勇者……はぁ……勇者……」


 遂に彼は勇者の名を呼んだ。
 勇者は剣を掲げたまま、思わず彼の言葉の先を待ってしまう。










伝説の勇者「………勇者…………よくも……」























 ガァン、と勇者の剣が床を叩く音が響き、ごろりと『伝説の勇者』の首が転がった。










 『伝説の勇者』の死体から溢れ出た精霊加護が勇者の体へと移っていく。


 勇者は『伝説の勇者』の加護を継承した。




 大広間の虚空に突如暗闇が生まれた。

 その暗闇から、ゆっくりと一人の男が姿を現す。

 それが誰かなど、問うまでもない。


大魔王「加護継承の例外だと…? まさかそんな厄介な現象が存在するとはな」


 大魔王が、魔界の民から神とまで崇められた怪物が再び大広間に降り立つ。

 しかしその顔からは先ほどまでの余裕は全く消え失せていた。







第三十四章  『伝説の勇者』、その結末  完


今回はここまで

次回、最終章

目処が立ったら投下日を予告します

6,このスレ(作品)をもう忘れてる
7,病んでいる(色んな意味で)
8,息をしていない(まるで屍の様だ)9,実は最初から尻切れトンボで終わらす予定で読者の反応を見てニヤニヤしてる(ドS)
10,Rに移った(笑)

『「伝説の勇者」の伝説は我が子によって首を刎ねられて終わりを迎えた。ふむ、なんとも痛ましいものだ。己が父の首を刎ねた時、君は一体何を思った?』

「特に、何も」

『強い覚悟をもって事に臨んでいたということかな。何が起きても心が揺らがぬよう、君は心を決めていた』

「いいや、違う。そんなんじゃない。ただ、本当にどうでもよかった。俺は、どちらでもよかったんだ」

『どちらでも、とは?』

「勝っても負けても、どちらでもいいということさ。親父が大魔王の手先として剣を取り、俺の前に立ちふさがった時点で、俺と親父のどちらかが死ぬことは決まってしまった」

「親父にそんな意図は全くなかっただろう。あの臆病なお人よしは、あの場に及んでさえ俺との間に平和的な解決があるものと、きっとそう考えていた」

「あいつは、何も知らなかったから」

「この世に『加護の継承の例外』なんてものが存在することを知らなかったから」

「迂闊にも、その時俺は運命というものを信じてしまいそうになったよ」

「俺は知っていた。知ってしまっていた。その現象を、騎士に教えてもらっていた」

「知っていたから、自暴自棄というのかな、もうどうなってもいいと思ってしまっていた。ああ、誤解はしないでほしい。どうでもよくなったのは、自分の命に関してだけだ。『伝説の勇者の息子』としての使命は、変わらずこの胸に抱いていたさ」

「俺が死んでも、親父が死んでも、その加護は生き残った方に集中する。たとえ親父が生き残ったとしても、流石に俺の力をまるごと継承すればもう一度大魔王に挑もうという気概も沸くはずだ。俺はそう思った」

「……結果は知っての通りさ。俺は親父の首を断ち、その加護を、つまりはあんたの加護を丸ごと継承した。死んでも構わんと捨て身でかかる俺と、何とか俺を殺さず無力化しようと手加減していた親父じゃ、この結果も当然と言えるのかもしれないが」

『しかし、君は父の死に対して随分と淡泊な印象を受ける。普通の人間ならば、自らの手で父を殺めたことをもっと気に病みそうなものだが』

「あの親父のせいで今まで散々苦労を背負わされてきて、それでいて魔界であんな手酷い裏切りを受けたんだ。親子の情なんてきれいさっぱり無くなっちまうさ」

『「伝説の勇者」の責務も何もかもを放り投げ、魔界で隠遁していたという話か。なるほど確かに、これはひどい話だ。捨てられた本人である君が憤るのも理解できる』

『しかし、そんな彼の心情を最もよく理解できるのもまた、君なのではないかな?』

「……はあ?」

『彼は「伝説の勇者」としてその身に大きな使命を背負っていた。世界中の期待を一身に請け負っていた。それはどれ程の苦悩であったことか。それを、諦めていいのだと、そう思った時に彼が覚えたであろう安堵の気持ち……君こそが、一番わかってあげられるのではないか?』

「冗談はやめてくれ。俺とあいつは全然違う。そりゃ、『伝説の勇者』の名前の重圧に、皆の期待に雁字搦めにされていたってのは一緒なのかもしれないが、それでも」

「あいつは、望んでそうなった。何でもなかった一青年から、本人の意思で『伝説の勇者』になったんだ」

「俺は違う。俺は生まれた時から『伝説の勇者の息子』だった。俺に自身の在り方を選択する余地なんてなかった」

『周囲の期待も何もかもを投げ捨てて生きるという選択肢もあったはずだ。現にそうして生きた青年がいたことを君は知っている。「伝説の勇者の息子」としての人生を全うすると選択したのは、まぎれもなく君の意思であったはずだ』

「………」

『責めているわけではない。君がそういう人間であるということを改めて確認しただけだ』

『自己犠牲を嫌いながら、それでも他者を優先してしまう善性の塊。極めて特異な「勇気ある者」』

『実に、実に興味深い』

『さあ、もっと聞かせてくれ』



『「伝説の勇者」の息子―――――――勇者。君の物語を』











     最終章










 爆ぜる衝撃が戦士の頬を撫でた。
 勇者の体を中心に荒れ狂う嵐が『大魔王の間』の広大な空間を切り裂いていく。

勇者「『呪文・極大烈風』」

 勇者の魔力によって生み出された風の塊は、まるでそれ自身が意思を持つかのように唸りをあげ、その様相は風でかたどられた龍の姿を幻視させた。
 荒れ狂う暴風の龍は勇者の指さす先、大魔王へと襲いかかる。

大魔王「風刃(ふうじん)」

 大魔王がその腕を振るうとまるで巨大な獣の爪に引き裂かれたように風の龍の体は千切れ飛んだ。

勇者「『呪文・極大火炎』」

 間髪入れずに勇者は次なる呪文を紡ぐ。
 極大火炎の名のもとに生み出された火球はまるで太陽が地上に顕現したかのようで、並の者ならば直撃を受けるまでもなくただその場に居るだけで焼け溶けていただろう。

大魔王「虚空(こくう)」

 大魔王の手から放たれた暗闇が極大火炎を飲み込んだ。
 火球の放つ光と熱に照らされていた『大魔王の間』に一瞬の静寂が訪れる。

勇者「『呪文・――――極大雷撃』!!!!」

 轟音と烈光が静寂を引き裂いた。
 突如現れ瞬時に部屋全体を蹂躙した雷光は、流石の大魔王といえども完全に躱しきることは叶わなかった。
 端が焼け焦げたマントを払い、大魔王は勇者を睨め付ける。
 勇者と大魔王、二人の戦いに戦士はただただ圧倒されていた。
 勇者の放つ魔法は人知を超えた威力で、大魔王城が今も形を保っていることが奇跡に思えるほどだ。
 しかしそれを、大魔王は事も無げにいなしている。
 がり、と戦士は奥歯を強く噛みしめる。
 レベルの違いを痛感した。
 この二人の戦いに、自分の力量では割って入ることは叶わない。
 これはもはや――――神々の領域の戦いだ。

勇者「戦士。大魔王の相手は俺に任せて、君は先に城を離れるんだ」

 いつの間にかすぐ傍まで戻ってきていた勇者の言葉に、しかし戦士は首を振った。

戦士「いやだ。誰がお前を一人で戦わせるものか。私はずっとお前の傍にいる」

 勇者は困ったような笑いを見せた。
 戦士とてわかっている。
 この局面において、自分はもうただの足手まといにしかならない。
 それでも、今の勇者を。
 父をその手にかけ、深く―――とても深く傷心しているだろう勇者を一人にすることは耐え難かった。
 ――――それでも。

戦士(私がここにいれば、巻き込むことを恐れて勇者は本気を出せない。それに、大魔王のあの得体のしれない術に私が捕まれば、人質として利用されてしまう可能性すらある)

 そんな戦況も、戦士にはよく理解できていた。
 嫌だ嫌だと喚く自分の感情に蓋をする。
 たまらず涙が込み上げてきた。
 弱い自分に、この一番大事な時に、大切な人の傍に立てない自分の弱さにはらわたが煮えくり返る思いだった。
 ぐっ、と戦士は爆発しそうになる感情をこらえ、こぼれそうになっていた涙をぬぐう。

戦士「勇者、約束しろ。―――――必ず、絶対に戻ってこい」

勇者「ああ。わかったよ。約束する。必ず戻るよ、戦士」

 戦士はその場を立ち去ろうとして踏みとどまり、床に転がっていた『伝説の勇者』の首を胸に抱え上げて駆け出した。
 勇者は戦士が『大魔王の間』から出て行ったことを横目で確認し、大魔王へと向き直る。

勇者「随分と素直に行かせるんだな」

大魔王「お前を刺激するような真似はせんよ。俺たちにはまだ交渉の余地がある。そうだろう?」

 大魔王は勇者に問う。

大魔王「なあ、勇者。俺のやっていることは悪か? 俺がこの胸に抱き、叶えたいと望む願いは断罪されるべきものなのか?」

大魔王「だって、見てみろよ。この魔界の荒れ果てた様を。新たな命など芽吹くはずもない荒涼とした大地を。こんなの、誰が見たってこう思うだろう」

大魔王「『何とかしなきゃ』、と」

大魔王「後に生きる者のため、健全な世界を残したいと思うのは、今を生きる者として当然の感情だ。いや、もはや義務と言ってしまってもいい」

大魔王「だから俺は行動を起こした。確かにお前たちの世界に迷惑をかけていることは認めよう。しかし俺たちには他に手段が無かったのだ」

大魔王「……あと少しなのだ。あと少しで俺の魔界再生計画は成る。頼む、勇者。異なる世界に生きようとも、俺たちの根底にある思いは同じのはずだ」

大魔王「『皆が幸せになる世界を作る』―――――俺たちは、手を取り合って共存できるはずだ。それともお前は、それでも俺たちを否定するのか。一匹残らず滅び絶えろと、俺たちにそう言うのか。勇者よ」

 大魔王の言葉を受けて、勇者はしばし目を瞑り、それから大きく息を吐いた。
 そして、勇者は口元に笑みを形作る。

勇者「そうやって、親父も丸め込んだのか?」

 なるほどな、と勇者は愉快そうに呟いた。
 そして、勇者は大魔王に返答する。

勇者「確かにお前は間違っちゃいないよ、大魔王。お前のその思いは当然だ。お前の立場なら、自分の世界を救いたいと願うのはひどく真っ当な感情だ」

勇者「だけどな、やり方が悪いよ。わかるぜ? 人の家の庭を見て、芝が青いなと憧れるのは、羨ましがるのはしょうがねえ。でも、だからって、テメエんとこの庭のゴミをこっちに投げ込まれちゃたまったもんじゃないんだよ」

勇者「どんなに綺麗ごとを並べても、お前がやってることってのは結局そういうことなんだ。 そりゃゴミを投げ込まれた俺たちはキレるだろ? それをなんだ? 『あと少しでこっち側も綺麗になるんですからあとちょっとだけ辛抱してくださいよ』って? 馬鹿言ってんじゃねえよ」

勇者「お前たちは自分たちが生きるために俺たちを犠牲にしようとした。だから俺たちは反撃した。それだけのことだろうが。どれだけ高尚な言葉を並べ立てようと―――つまるところ、これはただの生存競争。望む結果を得たいなら――――それに反発する俺たちを駆逐してみせろ」


 戦士は大魔王城を脱出し、城の南西に位置する小高い丘の上にいた。
 ある程度の距離が離れたこの場所にまで伝わってくる大地の鳴動が戦いの激しさを戦士に伝えている。
 光の柱が大魔王城の壁を突き破って噴出した。
 勇者の呪文・極大雷撃だ。

戦士「勇者……」

 戦士は祈るようにその手を胸の前で握りしめ、ただ勇者の無事を願った。

 勇者が大魔王に肉薄し、剣を振る。
 一度、二度――――三度、四度、五度。
 絶え間なく繰り出される連撃を、大魔王はその腕で打ち払う。
 大魔王の腕は理外の強度を誇り、今の勇者の剣をすら両断されることなく受け止めている。
 衝突、衝突。そのたびに巻き起こる空気の爆裂とそれに伴う轟音。
 大振りになった大魔王の腕をかいくぐり、勇者が懐に入り込む。

大魔王「ぬう!?」

 大魔王は勇者と自分の間に、空間転移魔法・虚空を発動させる。
 だが間に合わない。
 『暗闇』が生じた時にはすでに勇者の剣はその場所を通り抜け、大魔王の体に迫っていた。

大魔王「ぬがぁ!!」

 大魔王は慌てて勇者の剣を右腕で防御する。
 肘のやや下あたりに勇者の剣がめり込んだ。

勇者「はああ!!」

 これを機と見た勇者の全霊の剣。
 いかに強固な大魔王の腕といえども受け止めきれるものではなく、その刃はずぶずぶと肉と骨を裂き進んでいく。
 ズバン! と勇者の剣が振り切られ、大魔王の右腕が宙を舞った。
 勇者は即座に剣を切り返し、続けざまに大魔王の首を狙う。
 ぞくり、と勇者の背に怖気が走った。
 勇者の第六感が危機を告げている。
 よく目を凝らせば、宙を舞う腕に大魔王の体から魔力の糸が伸びていた。
 直後、大魔王の右腕から四方八方に槍のような刃が飛び出した。
 勇者は身をかわし、心臓と頭への直撃はまぬがれたものの、左肩と両足を貫かれてしまう。

勇者「ぬ…ぐ…!!」

 勇者は大魔王から距離をとり、己に刺さった刃を剣で叩き折った。
 大魔王の右腕はもう元の形に戻っており、床に転がっている。
 眼前に立つ大魔王。その腕の切断面からは血液が零れる気配がない。

勇者「その手……義手か。道理で、馬鹿みたいに固いわけだ」

大魔王「ふん。してやったり、と高笑いのひとつでもしてやりたいものだが」

 勇者に一杯食わせたはずの大魔王の表情は渋い。

勇者「『呪文・極大回復』」

 その理由は、先ほどから負ったダメージを瞬く間に治してしまう勇者の治癒呪文にあった。
 今しがた負わせた肩と両足の傷も、綺麗さっぱりと無くなってしまう。
 その様子に、大魔王は歯噛みした。

大魔王(……これ程とは、な)

 攻撃力や防御力、或いは魔力―――両者の単純な戦闘能力は互角といっていい。
 しかしながらその力を活かす戦闘技術において、勇者と大魔王の間には雲泥の差があった。
 それは常に格上を相手にしてきた勇者と、常に君臨してきた大魔王との経験値の差。
 大魔王は、これ程実力が伯仲した相手との戦いになると、己の空間魔法が全く戦闘の役に立たなくなることを知った。
 ひとつの暗闇を生み出す間に、10も20も攻撃が飛んでくるのだ。それだけの速度差があっては、空間魔法を攻撃や防御に利用できるはずもない。
 大魔王ははっきりと自覚した。

大魔王(認めざるをえまい……勇者の力は、すでに俺を上回っている……!!)


 大魔王は戦闘態勢を解き、再度勇者に語り掛けた。

大魔王「勇者よ……これが最後だ。今一度問う。剣を収める気はないか?」

大魔王「このままだと、俺は奥の手を使わなくてはならなくなる。これをしてしまうと、俺もお前も絶対にただではすまん。そうなる前に、平和的解決を模索したいのだ、俺は」

勇者「下手な脅しだな。まあいい。言ってみろよ、お前なりの折衷案ってやつを」

大魔王「これ以上お前の世界を侵攻することはしない。その代わり、俺の強権をもって、あらゆる不平不満を鏖殺して魔物を一つ所に集めるから、そ奴らをお前の手で始末してほしいのだ」

勇者「もうなりふり構わず有害な魔物を駆除してしまおうって腹か。別にやってやってもいいが、それだと巨大な毒沼が俺たちの世界に出来上がってしまう。やるなら魔界でだ」

大魔王「……それは出来ん。血気盛んな魔物を一つ所に集めるためには、全軍総突撃のためという大義名分がいる。その為にはお前の世界でなくてはならぬ。集合地を魔界にすれば、それは全軍退却の意味を孕んでしまう。それでは奴らは聞かんのだ」

勇者「なら交渉は決裂だ。魔界のゴミをこちらが引き受けてやる義理はない」

大魔王「そうか……ならば……やむをえん、な……」

 大魔王は残った左腕を前に向かって掲げた。
 勇者は油断なく剣を構え、大魔王の様子を注視する。
 何か妙な動きがあれば、即座に首を切り飛ばしにかかるつもりであった。



大魔王「『奈落(ならく)』」


 唐突であった。
 ほんの僅か、ほんの数ミリほど、大魔王の左手の先に暗闇が生じた瞬間。
 大魔王の左腕がもぎ取られ、その穴に吸い込まれていった。

大魔王「ぬ、ぐ…!!」

勇者「な、あ…!?」

 目の前で起きた現象に理解が追い付かず、逡巡した一瞬の間に、その穴は拡大した。
 今までに生じた暗闇とは違う。
 あらゆるものを飲み込まんと口を開けたその穴は、凄まじい吸引力で周囲にあるものを吸い込んでいく。
 勇者は咄嗟に床に剣を突き立て、吸い込まれないように踏ん張った。

大魔王「かつて、空間魔法の能力を自覚したばかりの俺は、とにかくいろんな世界に穴をあけてはその世界の様子を見てまわっていた。ある時だ。いつものように適当に世界を繋げた瞬間、俺は両腕を持っていかれた」

大魔王「あらゆるものを飲み込む深淵の闇。そんな世界がどうやらどこかには存在していたようなのだ。あらゆる命の存在を許さぬ暗黒空間。さしずめ、ブラック・ホールとでもいうべきか。その時はとにかく必死で門を閉じて、両腕の犠牲だけで済んだのだが」

 大魔王は地に伏せ、必死で『奈落』の吸引に抗っている。
 両腕を失くし、それでもなお地面にしがみつく。
 如何にしてそんな芸当を可能にしているのか―――その秘密は床にあった。
 いつの間にか、床の一部が突出しており、触手のように大魔王の体に巻き付いていた。

大魔王「先ほど見せたように、俺の義手は特別製だ。俺の魔力に反応し、任意にその形を変えることが出来る。そしてだな、実はこの大魔王城も同じ材質で出来ているのだ。俺の魔力が通っている間は途轍もなく頑丈になるし―――こんな芸当だって、可能になる」

 大魔王が嗤った。
 大魔王の体から発せられた魔力に反応し、勇者の足元の床が輝く。
 剣を突き立てて踏ん張る勇者の足元が爆砕し、勇者の体が宙に投げ出された。

勇者「な、に…!?」

大魔王「さよならだ、勇者。出来ることなら分かり合いたかったぜ」

 宙に浮いてしまっては、どんなに強大な力を持っていようと踏ん張ることは出来ない。
 虚空を泳ぐように手足をばたつかせたって、『奈落』の吸引に抗うだけの推進力を得られるわけもない。
 だというのに、勇者は笑った。
 こんな状況もまた、勇者にとっては慣れっこのものだった。

勇者「『呪文・極大烈風』!!!!」

 勇者は己の体に風をぶつけ、空中での推進力を得る。
 これは勇者が今まで好んでよく使っていた戦法だった。
 しかして呪文の威力はこれまでとは比にならず。
 その威を得た勇者はもはや一筋の流星となって大魔王の元へと突進する。

大魔王「なに!?」

 驚愕する大魔王。着弾する流星。
 大魔王の体を支えていた床は爆散し、大魔王の体が宙に投げ出される。
 その体を、勇者が両腕でがっしりと拘束した。

勇者「行くなら一緒に行こうぜ。奈落の底ってやつによ」

 勇者と大魔王は二人して宙を舞い、『奈落』に向かって吸い込まれていく。
 両腕を失くした大魔王に、勇者の体を振りほどく術はない。
 この状況では、如何に床から体を繋ぎとめるための楔を伸ばそうと、勇者によって切り離されてしまうだろう。

大魔王「ぬああ!!」

 大魔王は慌てて『奈落』を閉じた。
 『奈落』の吸引によって宙を舞っていた大魔王の体は落ち、背中を強か地面に打ち付けた。

大魔王「ぐ…ぬ…」

 苦痛に顔を歪める大魔王。
 ごほっ、とひとつ咳をして、大魔王は咄嗟に閉じてしまっていた目を見開いた。


 ―――大魔王の目に飛び込んできた光景は、自身に跨って剣を振りかぶる勇者の姿だった。

 ドスン、と肉を裂く音がする。
 大魔王の心臓を、勇者の剣が貫いていた。
 がふ、と大魔王は血の塊を吐き出す。

大魔王「…そうか……」

 大魔王はぼぅ、と視線を虚空に彷徨わせ、呟いた。
 しかしその後には再び爛と目を輝かせ、にやりと笑ってしっかりと勇者の顔を見据える。

大魔王「お前の勝ちだ、勇者。俺はもう死ぬ。俺の魔界再生の夢は儚くもここで志半ばに散るというわけだ。はっはっは。あっはっはっは!!」

 大魔王が背にしていた床が輝いた。
 ボン! と音を立てて飛び出した鎖が勇者の体を絡めとる。

大魔王「先ほども言ったがこの城は俺の魔力でその形を自由に変える。つまり、『壊すのも自由というわけだ』。俺の夢を、魔界の未来を潰したお前だけは絶対に生かして帰さん。ここで潰れて死ね、勇者。俺と共に」

 大魔王の背から伸びる光が、城中に広がっていく。
 それはまるで、波にさらされた砂の城に罅が刻まれていくように。






大魔王「奈落の底まで付き合ってくれると、そう言ったよな? 勇者」














 勇者を待ち続ける戦士の目の前で、大魔王城が崩落する。


 ―――――戦士は勇者の名を絶叫した。

 時を大魔王城完全崩壊の直前に巻き戻す。
 勇者は大魔王の拘束を解き、出口に向かって城内を駆けていた。
 振動は絶え間なく続き、頭上からは次々と巨大な瓦礫が降り注いでくる。
 その内のひとつが勇者の体を直撃した。
 しかし勇者はあっさりとその瓦礫をひっくり返して立ち上がり、再び駆け出す。

勇者「崩壊するまであと十数秒ってところか……」

 そう呟く勇者の顔に焦りは無い。
 それは例え脱出が間に合わず、崩壊に巻き込まれようと、先ほど瓦礫を押しのけたように簡単に生還できることが分かっているからだ。
 そこで、勇者ははたと気づいた。

勇者(……大魔王は、どうしてこんな真似をした?)

 大魔王の最後の様子を見れば、なるほど確かに、狂乱の果てにこんな自爆紛いのことをしたのも納得できる。
 しかし、本当にそうなのだろうか?
 大魔王は賢しい。この程度では今の勇者にダメージを与えられないことなど、百も承知のはずだ。
 あの男が、こんな無意味な真似をするものだろうか?
 死の際に乱心したのだと結論付けるのは簡単だ。
 だがもし、そうではないとしたら?
 この行動にも、れっきとした意味があるとしたら?
 城を崩壊させたのは、勇者の命を奪うためではないことは明白。
 だとしたら、他にどんな理由が―――――
 勇者は踵を返し、再び大魔王城の奥へと舞い戻った。
 直後に大魔王城は崩落し、勇者の姿は瓦礫の中に消えた。

 ―――――全壊したはずの大魔王城において、ひとつだけ傷ひとつ入っていない部屋があった。
 室内には円柱形の水槽が三本立っており、それぞれに魔王と同じ姿をした魔物が浮かんでいる。
 壁際の本棚には手垢で汚れた様々な書物がみっちりと並んでおり、その中には勇者の世界の言語で記された物もあった。
 たくさんの資料が綴られた分厚い冊子を片手に、魔王のサンプルを観察する少女がいた。
 ゆるくウェーブがかった黒髪を肩甲骨の辺りまで伸ばしている。
 その額の両端からぴょこんと小さな角が二本飛び出していること以外は、その見た目に人間との大きな差異は見当たらなかった。
 年の頃は、人間でいえば12~3歳といったところか。
 部屋の入口のドアが開き、入ってきた者の姿を見て、少女は驚きに目を見開いた。

「お父様!!」

 部屋に入ってきたのは、血にまみれた大魔王だった。

大魔王「娘よ、すぐに室内の資料を持ち出す準備をせよ。上の城を崩壊させた。ここはもう研究室として機能できん」

 娘はまず、何より目についた大魔王の傷―――無くなった両腕を補うため、新しい義手を部屋の奥から持ち出してきた。

娘「一体何があったのですか?」

 義手を大魔王に取り付けながら、娘は問う。

大魔王「勇者だ。俺たちの理想郷に住む人間たちの代表。奴にやられた」

娘「信じられません……神の如き力を持つお父様を凌駕する人間がいるなど……」

大魔王「しかし事実だ。くそ…『伝説の勇者』と奴を接触させたのが最大の間違いだった。まさかこんなことになるとは……これで、計画は10年単位で遅れてしまうぞ」





「いや――――やっぱりここで終わりなんだよ。その計画は」



 室内に響く、もう一人の男の声。
 大魔王の顔が凍り付いた。
 大魔王が恐る恐る部屋の入り口に目を向けると――――そこには、勇者が立っていた。

勇者「お前が城を崩落させた意味を考えた」

 一歩、勇者は歩みを進める。

勇者「俺を殺すためじゃない。であれば、考えられるのは俺をあの場から離れさせるため。ならば、俺をあの場から離れさせる理由は? 可能性として考えられるのは、俺にあの部屋から奥に進んでほしくなかったから」

 さらに一歩。
 大魔王の肩が震えだした。

勇者「お前があんなはったりをかましてまで守りたいもの。それは何かを考えた。候補として浮かんだのは研究成果。試験都市フィルストを造り上げた、魔界再生のための叡智の結晶。そういうものが、残っているんだと考えた」

 さらに一歩。
 勇者は遂に大魔王とその娘の眼前に。

勇者「だけど、そんなもんじゃなかったな――――成程、受け継ぐ者がいたって訳だ」

大魔王「ま、待て!! 待ってくれ!!!!」

 大魔王は激しく狼狽した。
 大魔王の視線は勇者の持つ剣に釘付けになっている。

大魔王「わかった!! 終わりだ!! 全ての計画は棄却する!! 二度とお前たちの世界には関わらない!! お前たちの世界に残っている魔物たちも責任をもって俺が全て処理する!! だから―――」

 大魔王は地面に膝をつき、首を垂れた。

大魔王「だから……娘の命だけは助けてくれ……」

娘「お父様…!」

大魔王「何も言うな。頼む、勇者……この通りだ……」

 しばしの沈黙が部屋に満ちる。
 チャキ、と勇者が剣を揺らす音が響いた。
 大魔王はぎくりと肩を震わせる。

大魔王「待て!! 待ってくれ!! 勇者!!!!」

勇者「聞けないよ、大魔王。お前の娘、ばっちりお前の助手やってますって感じだ。お前の計画の理念も骨子も理解できているものだと、そう判断せざるを得ない。であれば、お前の娘を見逃すことは後に大きな禍根を残すことになる」

大魔王「誓う!! 絶対に娘には計画を受け継がせない!! この研究室も今からお前の目の前で破壊する!!」

勇者「駄目だ。大魔王再誕の可能性は万に一つも残せない。お前の娘は見逃せない」

大魔王「が…か…!」

 大魔王は思案する。何とか異世界への扉を開き、娘だけでも逃がすことは出来ないか。
 駄目だ。勇者の速度は身に染みてわかっている。
 異世界への穴が開き切る前に、勇者の剣は娘の喉元を切り裂くだろう。
 煩悶の末に、大魔王の目尻から一筋の涙が零れ落ちた。
 大魔王はその顔に慈愛に満ちた笑みを浮かべ、娘の頭にぽんと手を置いた。

娘「お父様……?」

大魔王「事ここに至ってはもはやお前の命だけが全てだ。ただお前が生きてさえいれば、俺はそれでいい。苦労ばかりかけたな。すまなかった」

娘「お父様、まさか!!」

大魔王「全てを忘れ、人として生きよ。愛しているぞ、娘よ」

 バヂン、と電気が流れたように、娘の体が跳ねた。
 大魔王が娘の頭から手を離す。
 虚ろな顔でしばらく虚空に視線を彷徨わせていた娘だったが、やがて目の焦点が合うとキョトンと首を傾げた。

娘「あーうー?」

 まるで赤子のような声を発しながら、娘は部屋中を見回している。

大魔王「見ての通りだ」

 大魔王は憔悴した笑みを浮かべ、言った。

大魔王「俺が他の生物の脳に干渉できるという話はしたな。今、俺は娘から全ての記憶を奪った。この子はもはや言葉を発することすら叶わぬただの赤子だ。俺の跡を継ぐことなど出来ようはずもない」

 大魔王は指先を娘の鼻先に近づけ、くるくると回してみせた。
 娘は不思議そうにその指の動きを目で追って、やがてきゃっきゃと笑い声をあげた。
 大魔王は目を細める。穏やかなその顔は、かつての幼い娘との日々を思い返しているのかもしれない。

大魔王「だから勇者、あらためて頼む。俺の首は自由に持っていけ。だが、哀れなこの子の命だけは、見逃してやってほしい」

 ――――沈黙。
 長い、とても長い沈黙があった。
 やがて、勇者が口を開く。伏せられたその顔からは、表情が読み取れない。

勇者「……そうだな。確かに、もうその子がお前の計画を継ぐなんてことは無理なんだろう。俺たちの世界に連れ帰り、人として育てれば、魔界なんて世界があることさえ知ることなく生きていくことも出来るかもしれない」

 勇者が顔を上げた。
 勇者の顔には笑みが浮かんでいた。
 だけどもそれは、とても寂しくて、大事な何かを諦めてしまったような、そんな力の無い笑みだった。



勇者「だけどな――――それでもゼロじゃない。いつかその子は何かのきっかけで記憶を取り戻して、俺たちの世界に牙をむくかもしれない。そんな可能性が万が一にも存在している以上――――この子を見逃すことは出来ないんだよ、大魔王」



 大魔王の顔が凍り付く。
 勇者が一歩を踏み出した。

大魔王「うおあああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 奇声を発し、半狂乱で暗闇を発動させる大魔王。
 そして、娘の手を引き、その暗闇に押し込もうとして――――ごとり、と大魔王の首が地面に転がった。
 一拍遅れて噴き出した鮮血が娘の頬を濡らす。

娘「うゆ?」

 どさりと大魔王の体が崩れ落ちた。
 首を失くし、地面に血の水たまりを広げ続ける己の父の姿を、娘は不思議そうに見つめている。
 勇者は振り切った剣をもう一度構えなおした。
 娘が勇者の気配に気付く。キョトンと目を丸くし、首を傾げながら娘は勇者の顔を見上げている。
 剣を振りかぶる勇者の姿を見ても、娘は逃げようとしない。

娘「あう。うー! うー!」

 娘は勇者に向かって両手を伸ばした。
 まるで、抱っこをせがむ赤子のように。
 勇者の目から大粒の涙がこぼれた。







 そして勇者は剣を下ろした。



 ―――――試験都市フィルスト。

 勇者の実家を模した家の中で、魔族の娘が窓越しに空を見上げている。
 物憂げなその表情からは、彼女が己の父―――『伝説の勇者』の安否を心配していることが容易に読み取れた。
 はぁ、と魔族の娘は大きなため息をつく。
 どうしてこうなってしまったのだろう。本当なら今頃は、家族三人で仲良くピクニックに行っているはずだったのに。
 自分が初めて作ったお弁当を、自慢気に父に披露するつもりだったのに。

「お父さんのことが心配?」

 かけられた声に振り向く。
 いつの間にか、母が部屋の中に入ってきていた。

魔族娘「心配だよ。パパ、すごく怖い顔してた。あんな物々しい格好までして…」

魔族母「大丈夫よ。あの人はとても強いもの」

 母は娘を抱き寄せ、安心させるようにその背を撫でる。

魔族母「あの人は大魔王様と戦い、それでも生き残った唯一の人。敵であったはずの私達を慮って剣を振れなくなった優しい人。本当はもう戦いたくなんてないのに、誰かの命を救うためにもう一度立ち上がった勇気ある人―――『勇者』、なんだから」

 娘は母に背を預け、ふうと息をつく。

魔族娘「……パパが助けに行ったあいつ。あいつも、パパの子供なの?」

魔族母「そう……そうね。そのようだわ」

魔族娘「ママは知ってたの? パパに他の子供がいるってこと」

魔族母「知っていたわ。それでも、ママはパパを愛した。戦いに傷つき、魔界と自分の世界との間で葛藤するあの人を救ってあげたかった」

 魔族の母は、かつて大魔王との戦いに敗れ瀕死となった『伝説の勇者』の世話役として、彼と共に過ごした日々に思いをはせる。
 『伝説の勇者』はずっと自分を責めていた。ずっとずっと誰かに謝っていた。
 その姿を見て、胸が締め付けられるような切なさを感じた。
 キュンと締め付けられた胸の熱は庇護欲をそそり、母性を刺激し、やがて大いなる愛情となった。
 ほう、と魔族の母は熱のこもった息を吐く。

魔族母「パパはきっとあの子を連れて帰ってくる。ねえ、○○。どうかあの子と、パパのもう一人の子供と仲良くしてくれないかしら?」

 娘は頬を膨らませた。
 父を殴りつけた勇者の姿を思い出して怒りを再燃させたのだろう。
 しかし娘はぷしゅーと息を吐くとにこりと母に微笑みかけた。

魔族娘「しょうがないなぁ。ママと、何よりパパのためだもの。我慢して、仲良くしてあげる」

 それは、母譲りの慈愛に満ちた笑みだった。
 娘は窓の向こう、空の彼方を見据え、父に思いを馳せる。

魔族娘「……あれ?」

 広い空の下、小高い丘の上。
 娘はそこに、何だか見覚えのある人影を見たような気がした。










     「『呪文・―――――極大雷撃』」











 轟音が鳴り響き、烈光が迸る。



 極大の熱量が、フィルストの街を焼き尽くした。


 パチパチと、火の手が家屋を燃やす音がする。

魔族娘「痛い……痛いよ……ママ…どこ……?」

 衝撃に家ごと吹き飛ばされた魔族の娘は、痛む体を引きずって瓦礫の隙間から這い出した。
 烈光をまともに直視してしまった彼女は既に視力を失ってしまっている。
 だから、彼女はすぐ傍で物言わぬ肉塊となっている母の姿に気付けない。
 暗闇の世界を、母を求めて彼女はただひたすらに手探りで進んでいく。

「ぎゃあ!!」

 遠くで悲鳴が聞こえた。
 びくり、と彼女は肩を震わせる。

「やめ、たすけ…あぁぁ!!!!」

 すぐ近くで悲鳴が聞こえた。

魔族娘「なに…? なんなの…?」

 目は見えなくなってしまったけれど、皮膚に伝わる熱が燃え盛る街並みを彼女に想像させる。
 轟々と燃える炎の音の中で、小さくサクリと草を踏む音が聞こえた。

魔族娘「誰…?」

 返答は無かった。
 そしてそれが彼女の最後の言葉になった。

 魔族娘の喉に突き立てた剣を引き抜き、勇者は剣についた血を払う。
 勇者の腰には二つの首が――――大魔王と、その娘の首が下げられていた。

戦士「ここまで……ここまでする必要があったのか?」

 勇者の背後から、神妙な顔で戦士が声をかけた。

勇者「あったさ」

 勇者はとても平坦な声で戦士に返答した。

勇者「この試験都市フィルストに住む者は皆知性の高い高位の魔族ばかりだ。ここに住む者は誰しもが第二の大魔王に成り得る。残しておけば必ず後の禍根となる。親父の家族なんて、その最たるものだ。とても生かしておくことなど出来なかった」

 勇者は戦士に向かって振り向いた。
 血と煤で汚れた顔が、炎の赤い光に照らされている。

勇者「親父の首もここに埋めていく。本望だろ。愛する家族と一緒に眠れるんだ」

 そんな勇者の言い草に、戦士は何だかとても泣きたい気持ちになった。

勇者「なんだよその顔……いいんだぜ、別に。もうついてこなくたって」

 勇者は戦士に背を向けた。
 そして、言った。
 震える声を、必死に押し殺して。






「正直、もう無理だろ。こんな奴」



『―――それで? 彼女とはその後、どうなったんだ?』

 光の精霊の荘厳な声が、神話の森に響く。

勇者「別に、どうも。特に会話もなく、俺たちは地上に戻ってきた。今頃彼女は武の国で体を休めているんじゃないかな。明日からの祝勝パーティーに備えて」

光の精霊『勝利に浮き立つ城を抜け出し、君はここに来たというわけか。しかし、城を出たのは皆が寝静まってからだろう? そう考えると、君はほんの僅かな時間でこの森の最奥までたどり着いたことになる』

光の精霊『数多の精霊の加護に加え、私の加護を完全に得た君は、まさしく神の如き力を得たと言えるだろう』

勇者「そうだ。俺はその点で確認したいことがあってここに来たんだ」

光の精霊『何かな? 面白い話を聞かせてもらった礼だ。何でも答えようじゃないか』

勇者「俺は魔界で親父に会った時、一目でそれが親父だと分かった。五年以上の歳月が経過しているにも関わらず、『親父は余りにも昔のままの外見をしていて、俺の記憶にあるそのままの姿』だったからだ」

勇者「そこで仮説だ。つまり光の精霊。アンタの加護を得た者は老化を抑えることが出来るんじゃないか?」

光の精霊『ご明察だ。強大に過ぎる私の力は、生物を命の理から外してしまう。老化を抑える、どころではない。不老だ。私の加護がある限り、君に老いによる死は訪れない』



『まさしく―――――神の如き力を、君は得たのだ』


 武の国は連日、祭りの如き喧騒に包まれた。
 何しろ、世界に真の平和が訪れたのだ。
 人々は一様に、その顔に笑みを浮かべていた。
 感激の涙を流している者さえあった。
 酒に顔を赤らめて、陽気に肩を組んで踊る男たちがいる。

「「「世界に平和が訪れた。恐ろしい魔物の王はもういない。一体誰がしてくれた。一体誰が、こんな偉業を成し遂げた」」」

「「「勇者、勇者だ、『伝説の勇者』の息子、勇者様! 親子二代に渡って人類悲願の世界平和を成し遂げた! おお、なんたる献身、なんたる勇気!!」」」

「「「『伝説の勇者』、万歳!! 『伝説の勇者』の息子、万歳!!!!」」」

 人々は声高に歌い、勇者の偉業を讃えた。
 詩人はこぞって勇者の冒険譚を謳い上げ、勇者は瞬く間に幼子まで憧れるような英雄へと祭り上げられた。
 世界中から人々が集まった武の国の盛り上がりは、今、最高潮を迎えていた。
 何故なら今宵、大魔王討伐を成し遂げた勇者が遂に民衆の前に姿を現すことになっているからだ。
 武の国中央広場は、世界を救った英雄を一目見ようと集まった群衆によって埋め尽くされていた。
 広場の北側に用意された舞台上には、武王を始めとした諸国の王が並び、大魔王討伐記念のセレモニーが進められている。
 ざわ、と広場の前列から声が上がり、やがてそれは歓声の波となって民衆の最後尾まで到達した。
 楽団による演奏と共に、勇者が壇上に姿を現したのだ。
 中央広場は割れんばかりの歓声に包まれた。
 勇者はいつもよりは小奇麗にしているものの、華美な衣装は身にまとわず、およそいつもと変わらぬ風体をしていた。
 豪華な衣装も準備されてはいたが、どうしても袖を通す気にはなれなかったのだ。
 勇者は眼前に広がる人々の姿を―――自分が救った人々の姿を目に納める。
 盛り上がる広場の熱気に酔い、やや興奮しすぎの様子ではあるものの、皆その顔に笑みを浮かべていた。
 それを、素直に嬉しいと勇者は思った。
 ごほん、と勇者が咳払いし、武王が民衆を手で制した。
 途端にしん、と広場に静寂が満ちる。
 聴衆は皆、勇者の言葉を聞き漏らすまいと、じっと耳を傾けていた。
 勇者は一度深々と頭を下げてから、語り始めた。

勇者「今日は、私の口から皆さんに改めてご報告をさせていただきます」

勇者「大魔王は倒れました。もう、獰猛な魔物が皆さんを脅かすことはありません」

 歓声が上がった。
 人々は口々に勇者の名を連呼し、褒め称えた。

勇者「ありがとうございます。しかし、この平和を手にするまでに多くの苦労がありました。本当に―――沢山の、辛いことがありました」

 勇者は目を閉じた。
 脳裏には、これまでの旅路が走馬灯のように駆け巡っている。




 旅の当初によく起きていた、戦士との衝突。


 第六の町での、騎士との出会い。


 獣王との邂逅。瀕死の傷を負い、死の恐怖に打ちのめされた記憶。


 エルフ少女との出会い。


 母に追い詰められ、自身の価値を喪失した。


 盗賊との争いで、初めて人間を殺めた。


 心の均衡を保てず、仲間を困惑させた。


 善の国での人身売買撲滅活動で、自身に似た境遇に生きた『神官長の息子』を死に追いやった。


 武の国で参加した武闘会では、騎士に手も足も出なかった。


 アマゾネスという部族の存在を知り、ハーレムの実現を夢想した。


 そしてその夢は武道家に丸ごとかっさらわれた。


 狂剣・凶ツ喰――――呪いまで生み出すほどの人の執念を知った。


 呪いを解くために海を越えてはるばる倭の国を目指した。


 道中、かつて救った黒髪の少女との再会があった。


 端和で、とある武器職人家族の末路を知った。


 神を騙る竜との激戦があった。


 かの獣王との決戦があった。


 神話の森の冒険があった。


 魔王討伐のための大作戦があった。


 己の分身ともいえる男との――――騎士との、決着があった。


 父との決別があった。


 大魔王との戦いがあった。




 ―――――心に反した、苦渋の決断があった。




 勇者はゆっくりと目を開けた。



勇者「……どうか、お願いです。ようやく実現したこの平和を、たくさんの犠牲があってようやくたどり着いたこの幸せを、どうか永久のものとしてください」




勇者「本当に、本当に……苦労したんです。どうか、皆が笑顔で過ごせるこの日々の継続を。誰かが夢見た理想郷を、この世界に実現させましょう」




勇者「もしもちっぽけな我欲のためにこの平和を脅かす何者かが現れた時―――――私は、その存在を決して許しはしません」




 その言葉をもって、勇者のスピーチは終わった。

 これからも平和の為の献身を続ける宣言とも取れるその内容に、聴衆は熱狂したのだった。

「何だと!!?」

 大声が上がったのはセレモニー後の武の国大会議室だった。
 そこには、勇者の要望により世界各国の代表が集められていた。

「一体何を仰るのだ! 勇者殿!!」

 泡を吹く勢いで勇者に詰め寄っているのは武の国の大臣だ。
 ひどく慌てた様子の大臣とは対照的に、勇者は冷静に先ほど行った各国への通達を繰り返した。

勇者「ですから、これより全ての国において武力の保有を禁ずると申し上げたのです。この世界から魔物は消え、もう人々が武器を持つ意味も無くなった」

勇者「であればもう武器など無用の長物。いやむしろ徒に人の命を奪う害悪。故に、破棄を命じます」

国王「馬鹿な!!」

 反論の声を上げたのは誰あろう、勇者の故郷である『始まりの国』の国王だった。

国王「気は確かか勇者! 魔物はいなくなっても悪事を働く盗賊などの犯罪者は依然存在する! 国家が武力をもって治安維持に務めねば、住民の安寧を維持することなど出来ん!!」

勇者「その役目は私が負います。今の私は万里先の事象を見通し、千里の道すら一歩で駆けることが出来る。この世界のどこにおいても、罪を犯した者の前に瞬時に姿を現し、裁きを下すことが可能です」

国王「ば、馬鹿な。そんなことが出来るはずが……」

勇者「疑われるのならここの地下牢を見学に行くとよろしい。戦勝に酔う人々の隙をついて盗みなどの不逞を働こうとした者達を私の手で捕らえております。既に収容するスペースが足りないほどだ。悲しいことにね」

国王「な……」

 国王は武王の顔を見た。
 武王は苦々しげに頷いてみせる。

国王「し、しかし、軍事力の無い国などというものはそもそも成立しない! 税の徴収などに強制力を持たせていられるのは、あくまで国家の武力が背景にあってこそなのだ!!」

勇者「その程度で成立しなくなる国なら無くなってしまえばよろしい。民の不満を武力で押さえつけていた無能領主をあぶりだすいい機会となるでしょう。例えば善の国などは、きっとこの程度のことで揺らぎはしない」

善王「買い被りが過ぎるぞ。勇者殿」

勇者「そうかな? 罪を犯した者に対する苛烈な罰則。それが私の裁きという形態で存続する以上、あなたの国政には武力の有無はさして影響しないはずだ」

武王「影響があるのは強大な武力で国力を維持していた我が国が最たるものだよ、勇者。お前は我が国の勇壮な兵士達に路頭に迷えと言うのか?」

勇者「逆に聞くがこれからの世界で勇壮な兵士の剣は誰に向かって振るわれるというのだ? 人々を脅かす魔物はもういない。他の国々が一斉に武力を放棄すれば他所に侵略される恐れもない」

勇者「あなたが持つ兵士の強靭な肉体は、これからは畑を耕すことや土地の開発を行うことに使ったらいい。そしてその改革は、決して難しいことではないはずだ」

国王「民は混乱する。そんな大規模な改革を行えば、せっかくお主がもたらしたこの平和も露と消えることになるぞ!!」

勇者「混乱は私が収束する。必要となれば、私が一時的に世界を統一して導く役割として君臨しよう。何しろ、実際に私にはその為の力が備わっている」

 勇者のこの言葉に反応したのは善王だった。
 ずっと難しい顔で思案していた善王は、抱いていた疑問を勇者に投げかける。

善王「勇者殿。君は罪を犯した者に対する罰則装置になると言ったな。確かに、大魔王を倒した今の君ならば、そんな途方もない芸当も可能なのだろう」

善王「だが、君亡き後の世はどうなる? 君ほどの男が、こんなことにすら思い至らず、短絡的に物を述べるはずがないと様子を伺っていたが……先程の発言、君はもしや……」

勇者「やはり貴方は優秀だ、善王様。私の望む治世には今よりもっと整備された法の存在が必須。貴方にはその制定に存分に手腕を発揮していただきたい」

勇者「ともあれ貴方の疑問に答えよう、善王様。お察しの通りだ。余りに多量の精霊加護が集中したことで、私は人の理を外れた。私に寿命は存在しない。未来永劫に渡り、罪に対する抑止力として存在することが可能だ」

善王「それは想像もできない、したくもない、茨の道のりだ。君は感情ある人間だ。神ではない。己の意に反した決断を迫られることもあろう。それが、どれほど君の心を削り取っていくことか」

勇者「なに、心配には及ばない――――『もう慣れた』さ、そういった類のことは」



国王「ふざけるな……ふざけるな!!!!」

 『始まりの国』の国王は、勇者を指差し、弾劾するように叫んだ。



国王「何たる不遜な物言い…!! 神を気取るか、痴れ者が!!!! それでもお前は、あの『伝説の勇者』の息子か!!!!」







 その言葉に、ぴくり、と勇者の肩が震えた。



 そして、勇者は笑い始めた。



 大口を開けて、大声をあげて、笑い続けた。



 とても楽しそうに。腹の底から愉快気に。



 その異様な雰囲気に、誰も口を挟むことが出来ない。








 ――――どれほどの時間が経ったのだろう。




 やがて―――笑みがやんだ。




 そして勇者は、ゆっくりとその場に集まった者たちの顔を見回し――――――――







 ―――――――その口を、開いた。














     最 終 章





















   『伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件』










次回、エピローグ

本当はそこまで仕上げて一気に投下したかった

ホントにラストだ 頑張ります

1です

今回は故あってトリップ付き

最後の投下を始めます








 ―――――三十年後。







 ――――雲一つない青空。
 一面に広がる黄金色の小麦畑。
 涼やかな風がたわわに実った穂を揺らした。
 荷台にくくられた馬は、たてがみを靡かせながら街道沿いでのんきに草を食んでいる。

「んしょ。んん…!」

 小麦畑には、うんうんと唸りながら収穫作業を行う二人の少年の姿があった。
 二人とも顔立ちがよく似ている。きっと兄弟なのだろう。
 年の頃は―――兄が10歳ほどで、弟はその二つか三つ下といったところだろうか。
 二人とも額に汗をかきながら一生懸命小麦を掴み、鎌を振るっている。
 ふと、ごろごろと雷の音が聞こえて、弟は空を見上げた。
 天気は変わらず快晴で、雨雲らしきものはひとつも見当たらない。
 弟は怪訝に思って周りを見回すが、兄も、少し離れたところで作業をしている父も雷の音を気にした素振りは見せず、急な雨を警戒する様子もない。

弟「……?」

 首を傾げる弟だったが、すぐにその疑問は彼の頭から消えた。
 道の向こうに、彼の敬愛する祖父の姿を見つけたからだ。

弟「うわあ~! じいちゃん、すっげえ~!!」

 弟も兄も、実に子供らしく大はしゃぎで声を上げた。
 彼らの祖父は、なんと2m四方に及ぼうかという小麦の束を担いできたのだ。
 重さは500㎏以上あろう。
 およそ人が持ち上げられる重さではない。いわんや、担いで歩こうなど。

兄「俺も早くじいちゃんみたいに力持ちになりたいなぁ~」

 兄が無邪気に願いを口にした。
 荷馬車の荷台に収穫した小麦を下ろしながら(それは片腕で抱えられるほどの量で、精々2~3㎏程度だ)、父は苦笑して言った。

父「じいちゃんみたいには無理だよ。あの人は、ちょっと特別だからな」

弟「とくべつ?」

 弟が聞き返した。

父「ああ、特別だ。なんせあの人は、大魔王を打倒してこの世界に真の平和をもたらしたあの勇者様のパーティーの一員だったんだからな」



 ―――この平和な世の中に、魔物の姿はもはや無い。


 つまりそれは、『精霊の加護』という現象の消失をも意味していた。


 土地を害する魔物が姿を消した今、精霊が人間に力を貸す義理はない。


 さりとて精霊は個々人に既に与えられていた加護を殊更に取り立てるような真似もしなかった。


 この世界にわずかに残る、その身に精霊加護を宿した人間は、治水工事や農地の造成、その他都市建設などの分野において大いに活躍した。


 しかしながら、更にあと三十年も時が経過すれば、加護を持つ人間はこの世に一人もいなくなるだろう。





 かつて勇者が断行した武力の根絶により徴兵制が廃止になり、多くの人材が野に下ったことで人々の生活文化は目覚ましく発展した。


 例えば、元兵士であった者の多くは冒険家となり、世界各地を探検した。


 その結果、これまで人類未踏の地とされていた地域が次々と開拓され、新種の動植物や鉱物が数多く発見された。


 国家による過度な徴税が禁じられ、衣食住に余裕が出来たことで研究に没頭できる学者も増えた。そういった者たちの手によって前述の新しく発見された動植物、鉱物の研究は進み、様々な利用法が開発された。


 また、探検・開拓が進んだ副産物として、地図の精度が格段に向上したこともこの三十年間の特徴の一つと言えよう。





 生活水準が向上し、医療技術も発展したことで世界人口はどんどんと増加していた。


 増加する人口を賄うため、土地開拓は進み、人々の生活圏は広がっていった。


 開拓の拠点として集落が生まれ、多くの人の交流点では街が発展する。


 そうして目まぐるしく進む開拓の中で、国境線はあやふやになりつつあった。


 いつか人類は、境界線をめぐって隣人と争いを起こすことになるかもしれない。


 しかし今のところ、世界は確かに活気に満ちていて、人々は熱気に溢れていた。



「ああ……確かに、世界は平和で、人々は幸せなのだろう。だがな……」

 背負っていた小麦を下ろし、汗をぬぐって初老の男性は―――かつて勇者と共に旅をした男―――武道家は、ぽつりと呟いて空を見上げた。
 澄み渡る青空の下にありながら、武道家の顔は暗い。
 それはきっと、収穫作業の疲れだけが原因ではなかった。
 雲一つない青空に、遠雷が響いている。

武道家「お前の幸せはどこにある? お前は今、笑っているのか? ――――勇者」

 今もどこかで、平和維持のための断罪装置として彼はその力を振るっている。
 ふぅ、と武道家は深く長くため息をついた。

 港町ポルトでは、近年になって実用化された蒸気機関を搭載した船―――『蒸気船』が盛んに行き交っていた。
 その船の一つから、港町ポルトに降りる影がある。
 肩のあたりで切り揃えられた水色の髪。
 優しいまなざしに、老いてなお瑞々しく張りを保つ豊かな胸。
 かつての勇者パーティーの一人―――――僧侶だ。

「相変わらず若々しいわね。羨ましいわ」

 僧侶を出迎えたのは、腰まで伸びた艶やかな黒髪が特徴的な女性。
 かつてこの地で僧侶の友となった『黒髪の少女』だ。
 この少女も美しく年を重ね、今はもう『黒髪の貴婦人』といった様子だ。

僧侶「あなたこそ。相変わらず素敵な黒髪ね」

 笑みを浮かべ、言葉を交わした二人は肩を並べて歩き始めた。

僧侶「この町も相変わらずね。素晴らしい活気だわ――――お仕事は順調?」

黒髪の貴婦人「ええ、とても。この町が想定外のスピードで発展を続けるせいで、家の仕事はもうてんてこまいといったところだけど、それも嬉しい悲鳴として享受しているわ」

僧侶「お手紙が少なくなったのは寂しかったけれど、それもお仕事が順調な証だと喜んでいたわ。あなたが仕事を継いで、今やご実家はこの町最大手の商会にまで発展したものね」

黒髪の貴婦人「私に商才があったなんて、我ながら意外だったけれど。お手紙の返事が遅くなったことは本当にごめんなさいね。お詫びに今日は美味しいケーキを御馳走するわ」

僧侶「あら、それは楽しみ」

 三十年―――彼女たちはあれからずっと親交を深めてきた。
 近況を報告し、悩みを共有し―――――互いを導きあってきた。

僧侶「……旦那さんとは、うまくやってる?」

黒髪の貴婦人「ええ、とても……こんな私をずっと愛してくれて……本当に、ありがたいことだわ」

 仲睦まじくケーキをつつき、和やかに談笑していた二人だったが、いつしかその顔は神妙な面持ちになっていた。
 きっかけはきっと、さっき遠くで聞こえた雷の音。

黒髪の貴婦人「幸せにならなくてはならないと思った。あの人が平和にしてくれた世界で、幸せになる努力を怠ることはひどい裏切りだと思った。そう思ったから、二十年前に夫のプロポーズを受けた」

 黒髪の貴婦人は、かつての『黒髪の少女』は、きゅっと唇を引き結ぶ。

黒髪の貴婦人「けれど私は未だにあの人を吹っ切ることが出来ずにいる。この遠雷の音を聞くたびに胸がぎゅうと締め付けられる思いがするわ。そんな私を、夫がどんな思いで見ているのか……とても不安だわ。とても不安で、とても申し訳ない……」

僧侶「いいのよ」

 黒髪の貴婦人に、僧侶は柔らかな笑みを向けた。

僧侶「私たちは人間で、ましてや女なんだもの。感情を完全に整理することなんてできないわ。大事なのは、今確かにある想いを見失わないこと。旦那さんのこと、愛してるんでしょ?」

黒髪の貴婦人「もちろんよ。それだけは断言できるわ。でなきゃ、体を許して子供を産むなんてことするものですか」

僧侶「ならいいの。女なら誰だってたまには甘やかな初恋の記憶に浸りたいものよ。あなたが特別なことなんてな~んにも無い」

 胸を張ってそう断言する僧侶に、黒髪の貴婦人はくすりと笑顔を見せた。

黒髪の貴婦人「本当に強い人ね。あなた、昔っからちっとも変わらないわ」

僧侶「うふふ。こう見えても私、世界で二番目に強い女よ? それに、もう六人も孫のいるおばあちゃんなんだから! 強くなきゃ、やってられませんっての!」

黒髪の貴婦人「そうそう。実はね、私も来年にはおばあちゃんになるのよ」

 僧侶は目を丸くする。
 黒髪の貴婦人は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

僧侶「うわぁ~!!!! いつ!? 予定日はいつになるの!? 私絶対お祝いに行くからね!!」

 まるで我が事のように喜び、僧侶は肩を弾ませる。
 机の上のケーキはまだ半分以上残っている。
 淑女二人のお茶会はまだまだ終わりそうにない。

 『第六の町』の西に位置する大森林。その奥深くに存在する『エルフの里』。
 エルフの里も、この三十年で大きく変わりつつあった。
 魔王との決戦の際の共闘がきっかけで、人間との共存の道を探ろうという気運が高まったのだ。
 このエルフの歴史の大きな転換点を迎えて、エルフの長老は長の座から身を引き、年若いエルフの少女が新たな族長となった。
 新たな族長となったエルフの少女が元々人間に対してかなり好意的であったことも手伝って、エルフと人間の交流は進み、エルフの里の存在は公になりつつあった。

エルフ少女「ああ~もう! 人間滅ぼしちゃおっかなぁーー!!!!」

エルフ少年「うわぁ!! いきなり何言ってんだ姉ちゃん!!」

 椅子の背もたれに思いっきり背を預けながら両手両足を伸ばし、新たな族長、『エルフ少女』は叫んだ。
 族長補佐という立ち位置についたその弟、『エルフ少年』はその突飛な発言にただただ目を丸くするばかりである。

エルフ少女「…………ダメか~。二十年くらい前まではこれ言うと目の前に飛んできてくれたけどな~。もう相手にしてもらえなくなったか~」

エルフ少年「そりゃおんなじ手口を何年も使ってりゃあそうなるよ。ってか、姉ちゃんそのうちマジで裁かれるぞ。あの手この手で勇者様を呼ぼうとして……」

エルフ少女「だぁって彼ったら全っ然こっちに顔出さないんだもん。こっちから行こうにも居場所全くわからないし……ここまで世界開拓が進んだこのご時世で、未だに影も形も掴めないなんて信じられる?」

エルフ少年「簡単に手が届く場所に居ちゃ、威厳が損なわれる。そう考えてのことじゃないかな。もっともあの人の場合は、どこにでも現れすぎて逆にどこにいるのか分からなくなっちまってるパターンだと思うけど」

エルフ少女「……ほんとに、どうしてそこまで自分を犠牲にしちゃえるんだろうね。ずっと一人で、孤独に役割に徹して……馬鹿だよねえ、ホント」

エルフ少年「……姉ちゃん」

エルフ少女「いくらエルフが人間より長生きだって言ったって私の寿命は精々あと150年程度……永遠を生きる彼には到底寄り添うことは出来ない。ならばせめて、私は私に出来ることで彼の手伝いを―――なんて、柄でもない族長なんて立場を引き受けちゃったけどさ」

エルフ少年「……正直、ちょっと意外」

エルフ少女「何がよ?」

エルフ少年「勇者様のこと、結構本気だったんだな、姉ちゃん」

エルフ少女「好きでもない男に肌を晒すほど、私は軽薄な女じゃないよ」

エルフ少年「今明かされる衝撃の事実……姉は勇者様に裸を見せていた……いや、それを何で今更弟に言うんだよ……リアクション困るよ……」

エルフ少女「結局あれからいい男も見つからずに三十年間も独り身のまま!! あ~あ、族長なんて辞めて婚活の旅に出ようかな~」

エルフ少年「焦るなよ。俺だってまだ独り身だ。今みたいにエルフの発展の為に頑張っていれば、きっとこの先いい出会いもある」

エルフ少女「う~ん……今から10歳くらいの杜氏の子を探して手をつけちゃおうかしらん」

「長、ご報告が」

 固い声が部屋の中に響いた途端、それまでの弛緩した空気は一気に打ち切られた。
 報告を聞いたエルフ少女とエルフ少年の二人は、真剣な面持ちのまま視線を交わらせた。

エルフ少年「……今年に入ってもう五回目だ。人間たちが取り決め以上の量の木々を伐採している」

エルフ少女「……若い衆を何人か集めて、現地に向かわせて。出来るだけ口が達者な者がいい」

エルフ少年「腕の立つもの、じゃなくてか?」

エルフ少女「武力による排斥は絶対に禁止だ。それをすれば、現在狩りのためとして最低限所有を認められている武具すら取り上げられる可能性がある。それだけならまだしも、私たちエルフそのものが粛清の対象になる可能性だって……」

エルフ少年「――――絶対中立の制裁装置、か。やれやれ……俺も現地に行くよ」

エルフ少女「ごめんね。お願い」

エルフ少年「人間は、数を増やして、ただでさえ薄かった精霊信仰の意識がますます希薄になってきてる。そこあたり、俺たちの言葉が伝わってくれればいいんだけどな……中立の神様にも」

エルフ少女「………」

 エルフ少年が立ち去り、一人になった部屋でエルフ少女はひとつ大きく息を吐いた。

エルフ少女「いや~、平和ってのも大変だね、こりゃ。最近は竜神ちゃんとこのアマゾネスも色々大変だって聞くし……」

 いつもの明るい調子ではなく、ほんの少し疲れを滲ませた笑みをエルフ少女は浮かべる。

エルフ少女「人間なんて滅ぼしちゃおっかな……なんて、私が本気で口にしたとき、果たして君は――――」

 ぶんぶんと、エルフ少女は大きく頭を振った。
 ぱん、と両手で頬を叩いてエルフ少女はニカッと笑う。

エルフ少女「ま、君も頑張ってるんだ。私だって、やれる限り頑張らなきゃだ!」

 殊更に明るい声で、自分を鼓舞するようにエルフ少女は言った。
 どこか遠くで、どことも知れないところに落ちる雷の音が聞こえた。

 大陸南端に位置する霊峰ゾア。
 その山頂で、空を走る遠雷を苦々しく睨みつける影があった。

竜神「勇者よ。貴様がアマゾネスの試練を禁じてから、より良き子種の選別が出来なくなった我が子らは確実に力を弱めておる。種族として、弱体化の一途をたどっておる」

 銀色の鱗が雷光を反射する。
 唸りを上げる竜神の口からは、鋭い歯がこぼれ見えている。

竜神「貴様は我らアマゾネスの風習に手を突っ込んだ。我らアマゾネスの在り方を捻じ曲げた。結果がこれじゃ」

竜神「貴様の前でとても竜の神などとは名乗れぬ無様を晒した儂じゃ。今は従ってやる。しかし言わせてもらうぞ。聞こえておるのじゃろう?」

竜神「貴様は力をもって我らを管理する。貴様の価値基準に則って、有無を言わさず」

竜神「我らはこのままではいずれ滅ぶ。人との融和は我らの種としての優位性、独自性を失わせ、アマゾネスという種は緩やかに死へと向かっておる」

竜神「はてさて、貴様、何様のつもりじゃ?」

竜神「貴様にとって、我らは滅ぶべき悪であると、そういうことか?」

竜神「貴様が儂らをそう断じるのであれば、儂らにとって貴様は―――――」

 勇者の故郷、『始まりの国』。
 もっとも、当時の国家は解体され、今は名を変えているが―――そこに、ひとつの墓があった。
 墓に刻まれている名前は、もはや世界の誰もが知っているもので。
 つまるところ―――世界を救った勇者、その母の名前がその墓には刻まれているのであった。
 『伝説の勇者の息子』を正しく育て導いた者として、『聖母』と崇められすらした女性の墓前に、武道家の姿があった。
 武道家はこうして足繁くこの墓に通い、その維持管理に務めている。
 それは、本来それをすべき彼の役目を肩代わりするかのように。

武道家「……こうしてここに来るたび、あなたの死に顔を思い出します。とても満ち足りた、悔いなど欠片もないような顔……」

武道家「人々はあなたを讃えました。実際、あなたは正しかったんでしょう。あなたが居なければ、きっと今の世の平和は無かった」

 墓前に花を添え、武道家は黙とうする。
 深くしわの刻まれた目が、ゆっくりと開いた。

武道家「だけどね……俺はやっぱりアンタを許せない。どうしてこんなことになっちまったんだって、いつも思っちまうよ……おばちゃん」

 そう言って立ち去る武道家の脳裏に浮かぶのは、勇者の母が死んだ日のこと。
 死ぬ間際に、勇者の母が口にした言葉。

『ああ、勇者……私たちの息子……私はあなたを本当に誇りに思います……』

 武道家は親指で目元を拭う。
 目頭が熱くなったのは、悲しみからでも、ましてや感動からでもない。
 煮え滾りそうになる感情を武道家は努めて押し殺す。

武道家(―――どうして、どうしてたった一言―――――)





 もういいのだ、と―――――あいつに言ってやらなかったのか。



 世界の中心、地球のへそというべき場所に存在する『世界樹の森』。
 常人では決して到達することの出来ない、その森の最奥に勇者はいた。
 膝ほどの高さの岩に腰かけ、目を閉じて瞑想している。
 傍には半ばで折れた精霊剣・湖月が打ち捨てられていた。
 伝説剣・覇王樹も血錆に塗れ、かつての輝きを失い、今はもうただの鈍らと化して転がっている。
 だけど、それで別に問題は無かった。
 今の勇者には剣など必要ない。
 なにせ今の勇者は腕の一振りで何十もの人間を同時に肉塊と変えてしまえるほどの膂力を備えている。
 ぴくり、と勇者の肩が震えた。

勇者「……少し、眠ってしまっていたか」

 そう呟き、勇者は目を開けた。
 勇者の目の下には色濃く隈が刻まれているけれど、三十年の月日で勇者の顔にあった変化と言えば逆にそこくらいのものだった。
 光の精霊の言葉の通り、勇者は老いることなく、かつての姿のまま今を生きている。
 勇者は腰に下げていた水筒を手に取り、ぐい、とあおって喉を潤した。

勇者「……疲労感が強いな。もう少し、休む必要があるか……」

 勇者は不老ではあっても不死ではない。
 命の理すら捻じ曲げる大量の精霊加護によって、勇者の体は物理的なダメージや病魔を跳ねのけることが出来る。
 出来るが、それだけだ。
 飢えれば死ぬし、寝なくても死ぬ。
 蓄積された疲労によって体調も悪くなる。
 備蓄していた食料に手を伸ばすために立ち上がろうとした勇者の足ががくりと崩れた。

勇者「ふ、ふふふ……」

 勇者から自嘲の笑みがこぼれる。

勇者「たかだか三十年だぞ……これからあと何年この状況が続くと思ってんだ。気合い入れろ、馬鹿野郎……」

 がつんと己の膝を殴りつけ、勇者は立ち上がる。
 干し肉を噛み、水筒をあおって無理やり喉の奥に流し込んだ。
 そこで、勇者ははたと気づいた。

『気づいたかね?』

 勇者の脳裏に直接響いてくるのは『光の精霊』の声だ。

光の精霊『君ともあろうものが随分と迂闊だったな。いつもならば十里も寄れば気配を察知して即座に身を隠していたろうに。何者かに近づかれたぞ―――もはや視認することすら可能な位置にまで』

勇者「………」

 気づいていたなら声をかけてくれれば―――そう言いかけて、勇者は口を噤んだ。
 光の精霊は、勇者の生き方・在り方を面白がってちょっかいをかけてきているだけで、別に仲間という訳ではない。
 光の精霊は誰の味方もせず、誰とも敵対せず、ただ好奇心のままに動く特異な精霊だ。
 勇者は思考を侵入者の方に戻す。
 確かにお互いの姿を視認できるまでに近づかれたのは迂闊だったが、今から逃げればいいだけのこと。
 今の立場になってから、勇者は誰とも関わりを持とうとはしない。
 それはいつまでも絶対中立の装置であり続けるために。

勇者(あの人影がこちらに駆け寄ってくる十数秒の間に俺は万里の彼方まで離れることが出来る。何も問題は無い。とはいえ、この世界樹の森の最奥までたどり着くとは、並の者ではないな)

 勇者は侵入者の正体を探ろうと人影に目を凝らして、固まった。
 長く動かしていなかった心を鷲掴みにされたような気分になった。

 鷲掴みにされて、揺さぶられた。

 人影はほんの一瞬の間に、もう勇者の目の前まで迫っていた。
 完全に想定外の速度。かつ放心した虚を突かれた勇者は、その動きに碌な反応も出来ず。
 勇者はその人影にがっしりと腕を掴まれてしまった。

「ようやく……ようやく見つけた……!」

 はぁはぁと息荒く口を開いた人影の正体は金髪の美しい女性だった。
 勇者は掴まれた腕を振り払うこともせず、硬直してしまっている。
 勇者は混乱していた。
 突然目の前に現れた、年の頃およそ二十の半ばに見えるその女性は。
 かつての仲間に。
 かつての最愛の人に。
 三十年前に袂を分かったはずの。

 ―――――戦士に、とてもよく似ていた。

 だけど、この女性が戦士であるはずはない。
 三十年。三十年だ。
 あれからもう三十年もの月日が経過している。
 つまり戦士はもう五十歳に届こうかという年齢になっているはずだ。
 目の前の女性の年代は二十の半ばから、どんなに多めに見積もっても三十の前半だ。
 だから、この女性は戦士本人ではない。
 だとすれば、そう、この女性の正体は―――――

勇者「もしや君は―――――戦士の子供なのか?」

 ぴくり、と女性の眉が上がった。

勇者「は、はは……」

 勇者の胸中に複雑な思いが溢れた。
 けれど、様々な感情がない交ぜになって込み上げる中で、最も大きかったのは――――安堵の気持ち。

勇者「……良かった。幸せになれたんだな、彼女は……」

女性「おい…」

 眉根にしわを寄せて、女性は勇者の顔を覗き込んだ。
 勇者の目には、これ以上ないほどの慈しみの感情が満ち溢れている。

勇者「ふふ……俺に、こんなことを問う資格なんて無いんだけど……正直、気になってしょうがないな。教えてくれないか? 戦士は、君の母さんは……一体どんな奴と結婚したんだ?」

 ビシィ!と空気に緊張が走った。
 女性のこめかみに血管が浮かび上がり、ひくひくと蠢いている。

女性「おい…!」

 それは地の底から響いてくるような、低くドスのきいた声だった。

勇者「……ん? あれ?」

 様子を一変させた女性の剣幕に、勇者は恐怖を覚え後ずさりする。
 しかし腕を掴まれた勇者は逃げられなかった。
 はう、と息を飲む勇者。全身を突き抜けていくこの絶体絶命感。
 それはすごく――――――ものすごく、懐かしい感覚だった。

勇者「もしかして……」

 女性は掴んでいた勇者の手を放し、がしりと胸倉を掴みなおした。
 そして、女性はすぅ~、と息を吸い始めた。
 吸って、吸って、吸って―――――そして。







「誰がお前以外の男と結婚するかッ!!!! この大馬鹿たれがぁぁぁああああああああああああ!!!!!!」





 鼓膜よ破けよとばかりに勇者の耳元で思いっきり叫んだ。






 キーン、と響く耳鳴りに勇者は目を回す。
 はっと我に返って、勇者は女性を振り返った。

勇者「戦士…? まさか、戦士なのか!?」

 勇者の問いに、女性は――――かつて勇者の仲間であり、恋人でもあった戦士は頷いた。

戦士「ああ、そうだ。正真正銘、私だ」

 勇者は信じられない、という風に頭を振った。

勇者「馬鹿な…ありえない。三十年だ。三十年だぞ? どうして君は、そんな若々しい姿のままなんだ? 君のもつ精霊加護の量では、寿命に影響なんて無いはずだ」

戦士「奇跡を起こすのは精霊の専売特許というわけではあるまい? 少なくともお前はそれを知っているはずだ。他ならぬお前自身がその身で味わったことなのだからな」

勇者「何…?」

戦士「『狂剣・凶ツ喰(キョウケン・マガツバミ)』。覚えていないか?」

 勇者は目を見開く。
 当然、その名前には覚えがあった。
 忘れるはずもない。
 『狂剣・凶ツ喰』。
 竜に殺意を燃やす人間の狂気が生んだ、呪いの剣。
 装備した者を不死に近い回復能力を持った狂戦士へと変貌させる―――人の怨念が生んだ、奇跡の産物。

戦士「苦労したぞ。あの時お前に拒絶されてから、私はお前と同じ時を生きる方法を探し続けた。探して、探して―――――そして、遂に見つけたんだ」

 戦士は勇者の目の前に左手を差し出した。
 その中指には、一目で分かるほど禍々しい気配を放つ指輪がはめられていた。

戦士「『死者の指輪』という。この指輪には不老不死の呪いがあり、これを装備した者は永遠に老いず、永遠に『死ねない』。一体どれほどの怨念、情念が込められればこんな馬鹿げた一品が生まれるのか……想像もつかないよな」

 戦士はそう言って悪戯っぽく笑った。

勇者「そ、そんな……」

 わなわなと、勇者は肩を震わせている。

戦士「12年。この指輪を発見するまでに12年もの時を要してしまった。だから、私の肉体年齢はお前より12年分年上になってしまったけど……まあ、自分で言うのもなんだけど、綺麗に成長できただろう? 胸も、ほら、僧侶ほどじゃないけどちょっと大きくなった」

勇者「馬鹿野郎!!!!」

 戦士の言葉は勇者の怒号で遮られた。

勇者「なんて…なんて馬鹿なことを!!!! どうして、こんな……俺は、お前に普通に幸せになってほしくて、だから、俺は……!!」

 勇者の目に涙が浮かぶ。
 実に三十年ぶりに流す、人間としての涙。
 しかしそんな勇者の様子に、戦士はふんと鼻を鳴らした。

戦士「言っておくが、この件についてお前にどうこう言う資格はないぞ。三十年前、今のお前のように叫んだ私達の気持ちを、お前は蔑ろにしたんだ」

勇者「そ、れ…は……」

戦士「いいんだ。今更責めるつもりはない。私の願いはひとつだけ。ひとつだけなんだ、勇者」

 戦士は再び勇者の手を取った。
 今度は優しく―――温もりを共有するように、柔らかく―――手を握る。






戦士「いつも肝心な時に私はお前の傍にいられなかった。今度こそ…今度こそ、だ」



戦士「誓うよ。私はお前の傍を離れない。私はお前を絶対に一人にはしない」



戦士「死すら、もう私達を分かつことは出来ない」




戦士「共に生きよう。今度こそ、一緒に―――ずっとずっと、一緒に」





 長い沈黙があった。
 そして―――ぽたぽたと、勇者の頬から大粒の涙がこぼれ始めた。

勇者「お、俺は…俺は、自分が情けない……!」

 嗚咽を漏らし、言葉を詰まらせながら、勇者は心中を吐露する。

勇者「本当は駄目なのに……俺は独りでなくてはならないのに……だけど、嬉しくってしょうがない…! 戦士の気持ちが、ありがたくってしょうがない……!!」

 戦士は微笑みを浮かべ、勇者の手を引き、その体を抱き寄せた。

勇者「うぐ、うぅ…! なんて体たらく…! 何が神だ……俺は、無様だ……!!」

戦士「いいんだ。いいんだよ、勇者。ずっと、どんなことがあっても、私だけはお前の味方だ」

 ぐしゅぐしゅと、勇者は子供のように泣きじゃくる。
 戦士もまた、その目にうっすらと涙を浮かべて、勇者の頭を抱きしめた。

戦士「不死になるために12年。それからも18年もの間、お前を探し求め続けたんだ……やっと、やっとこうしてこの手で抱きしめることが出来た……!」

勇者「ごめん…! ごめんよ……戦士……!!」

戦士「ううん、いいよ……愛してる、勇者……」






 これまでの空白を埋めるように、二人は熱く抱擁を交わす。


 しかし、もう間もなく、人の世で新たに罪を犯す者は現れる。


 そうなれば、勇者は裁きの為にこの地を離れなくてはならない。


 現在、勇者は自らが生きる時間のほとんどを裁きの執行に費やしている。


 勇者と戦士、共に生きると誓っても、これから先二人が蜜月の日々を送ることはない。



 それが、絶対の罰則装置として君臨することを選んだ彼の運命。












 だけれども、ほんの僅か、一日のうちほんの僅か数分だけでも。


 彼が人としての幸せを享受することを、どうか許してほしい。


 それが、長い長い旅路の果てに彼に与えられた、唯一の報酬だろうから。











戦士「ところでお前、この三十年でまさか浮気とかしていないだろうな?」


勇者「見くびらないでほしいですぅ~!! 僕まだ童貞ですぅ~!! は!? まさかそういう戦士は…!」


戦士「処女だよ大馬鹿野郎!!!!」


勇者「ヒィ! サ、サーセン!」











 願わくは―――――少しでも長く、彼らが笑顔で過ごせる日々の継続を。





 これにて、『伝説の勇者の息子』として生を受けた、とある少年の物語は終幕とする。





























 だから―――――ここから先は、見なくていい。














 物語の結末としては、これで十分だ。








 ただ―――――語り部の義務として、彼の人生の結末をこれから記す。


 だけど、見なくてもいい。


 知る必要はない。








 きっと―――――気分のいいものではないだろうから。



















































 







 ―――――人間は住処を作るのに森を切り開いたり川の流れを好き勝手に弄繰り回したりするでしょう?



 ―――――いつか人間は精霊様の住処を悉く奪い尽くすって、長生きのお爺ちゃんお婆ちゃん達は危惧しているんだ。






 彼のおかげで、世界は長く平和であった。

 平和であったから、人は増えた。

 人が増えたから、土地が必要になった。

 人は木を切り、山を拓き、川を曲げ、海を埋めて生活圏を拡大していった。

 当然に、森に生きるエルフ、山に生きる竜種などの亜人種との衝突が起きた。

 しかし彼によって彼らは平和であることを強制された―――あらゆるいざこざを、力尽くで収束させられ続けた。

 『繁栄を妨げる邪魔者』として、人は彼を嫌った。

 『人に肩入れする不公平な偽神』と、エルフは彼を憎んだ。

 人食を禁止されたこともあり、竜種は元より彼を快く思ってはいなかった。

 結果として彼は排斥された。

 その気になれば彼はその排斥に抗うことも出来ただろう。

 その力を十全に振るえば、彼に敵対する悉くを打ち倒すことが出来ただろう。

 しかし彼はそれをしなかった。


 彼に剣を向ける者達を―――――新たな『勇者』として擁立され、彼に立ち向かってくる少年を―――――彼は、どうしても薙ぎ払うことが出来なかった。


 敗北した彼は世界の果てというべき場所へと追いやられた。

 歯止めの利かなくなった人と他種族の生存競争は、その圧倒的な数の差により人が圧勝した。

 エルフや竜種などの亜人種は歴史から消え去り、人はなお一層勢力を拡大していった。

 木々は減り、山は姿を変え、精霊は眠りにつき世界から姿を消した。

 それは、あの光の精霊であっても例外ではなく。

 勇者の力の源として、世界樹の森は徹底的に破壊されてしまった。

 精霊加護を失った彼は、いつしか普通に年老い始めた。

 そして、やがて彼は病に侵され、程なくして――――普通に、死んだ。



 それは、彼によって大魔王討伐が為されてから、およそ二百年後のことであった。







 ―――――まるで自分は世界にとって有益だとでも言いたげだな。


 ははっ。


 笑わすんじゃねえよ―――――勇者。









 今際の際に、彼の耳に蘇ったのは――――いつかどこかで誰かが口にした、嘲るような声だった。









   Epilogue of this story.



   >> 女戦士「死に場所を探している」ぼく「はあ…」 - SSまとめ速報
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   - Last episode -






 ポチャン、と鼻先に落ちた水滴がきっかけだった。
 久方ぶりにまぶたを刺激する陽光に、戦士は目を開いた。
 すっかり闇に慣れきってしまった瞳はうまく光を感じ取ることが出来ず、視界は白く塗りつぶされてしまっている。
 瞳が光に順応するまでの間、戦士はぼんやりと考える。
 こうやって思考を巡らせることも、ずいぶんと久しぶりだ。

 ――――この目が光を捉えるのは、一体何年振りのことだろう。

 幾百、幾千、幾万―――はたまた幾億年ぶりなのかもしれない。
 長い―――ずっと長い時間を、一人で旅をしてきた。
 一人だ。
 呪いに侵された我が身は子を成すことが出来なかった。
 食物すら拒絶する我が身に、愛する者の種など到底受け入れられるはずもなかった。
 一人で―――長い時を、不老不死の呪いを解く方法を探してさ迷い歩いた。
 しかし如何なる方法をもってしても肉体は死せず、あらゆる外法に手を出しても五体は無事で――――いつしか、心だけが死んでしまった。
 既に遥か昔のことになるが、天変地異が起きて人の世は滅んだ。
 それからはじっと目を瞑って眠ることが多くなった。
 雨が降ろうと、大地が揺れようと眠り続けた。
 砂が被さり、体が土の下に埋まってしまっても、起き上がろうとはしなかった。
 当然、息が出来ずに死ぬ。しかしこの身に宿る不死の呪いは魂を無理やりに引き戻す。
 そうして延々と繰り返される死と再生の苦悶の果てに、いつしか考えることすらやめてしまった。

 ようやく光に目が慣れて、ぼやけていた視界が輪郭を取り戻す。
 戦士の目の前に広がっていたのは、巨大な植物群だった。
 色鮮やかな、生命力溢れる緑、緑、緑―――――
 どうやら大量の木々が密集する密林地帯にいるようだ、と戦士は自身の置かれた状況を把握する。
 そこで気付いたが、戦士は巨大な木の根にその身を絡めとられていた。

戦士「いよ、っと……」

 戦士はその身を束縛していた木の根を引きちぎり、立ち上がった。
 地面に降り立ち、体を捻る。ぱきぽきと小気味良い音が鳴った。
 まともに体を動かすのも、随分と久しぶりだ。
 バキバキと首を鳴らしながら、戦士は周囲の様子を見渡した。

 ――――しかし、植物の力とはすさまじいものだ。

 かつて起きた、人類を絶滅に追い込むほどの天変地異は、植物界においても甚大なダメージを与えた。
 すっかり荒野と化した地上の光景を、戦士は確かに目にしている。
 それでも長い年月をかけて植物は成長し、勢力を拡げ、かくも雄大な自然の様相を再び創りあげた。
 鳥や獣の鳴き声が森の中に反響する。この森には多くの命が息づいているのだ。
 戦士はふと、自分が全裸であることに気付いた。
 まあ当然か、と戦士は思う。
 自分の知る景色から激変した周囲の状況を見るに、自身が土に埋もれてから相当な期間の年月が、それこそ少なくとも数千年規模で経過しているはずだ。
 身に着けていた衣服などとっくに朽ちて無くなってしまっただろう。
 とはいえ、人類が絶滅して久しい。
 はしたなくはあるが、今更人の目など気にする必要もあるまい。
 戦士は気にせずそのままの姿で行動することにした。
 行動―――といっても、陽光に誘われて気まぐれに起きただけだ。
 やるべきこと、やりたいこと――――どちらも特に無い。
 強いて言えば、体にへばりつく土と埃っぽさが気にはなった。
 戦士は清流を求めて密林を探検することにした。
 川はすぐに見つかった。
 川の水に身を浸しながら、戦士は考える。
 これからどうしようか。これから、何をすべきか。
 気まぐれではあるが、久しぶりに身を起こした手前、少しは行動を起こしてみようという気にはなっていた―――これも、気まぐれだが。
 今の世界の様子がどうなっているのか、歩いて見て回ってみようか。
 目の前に広がるこの雄大な大自然の姿に、死んだはずの心が少しは動かされたから。
 なにしろ、これ程の大自然はかつて自分が真っ当に生きていた時代ですらお目にかかったことはなかった。
 真っ当に、生きた時代――――今もなお色褪せることのない、輝かしい思い出。
 じんわりと、戦士の目に涙が浮かぶ。
 戦士はバシャバシャと水で顔を洗った。


 歩き続けよう―――――戦士はそう思った。




 世界中を歩いて回って―――――変わってしまった世界で、それでもかつての面影を探し続けよう。


 この記憶が決して色褪せないように。


 この胸に、永遠に彼らの――――彼の姿を思い描けるように。


 歩いて、歩いて、進み続けよう。


 いつか、彼のいる場所にたどりつけることを夢見て。


 戦士がそんな風に考えていた時だった。

『×××、××××××』

 耳慣れないが、それでも人間の言語であることは明白な声が聞こえた。
 戦士は両手で秘所を隠し、咄嗟に体を川の水の中に沈める。

『△△△? 〇〇〇〇〇』

『”’&%$#$’&%|=`{*?><!!!”#$???』

『faygfiugiuhvnaurygoahviuaga?jdfgyrwyaiyegyaugwe?』

 謎の声は連続した。
 戦士とて悠久の時を生きてきた中で、それなりに多くの言語を体得している。
 それでも、声が次々に異なる言語に切り替わっていることを掴むのが精一杯で、言葉の意味まではわからなかった。

戦士「何者だ?」

 周囲の気配を探りながら、戦士は問う。
 これだけはっきりと声が聞こえながら、周囲に人、あるいはそれに類するものの存在を一切感じることが出来ないのが不可解だった。

『――――何者だ。おはようございます。ありがとう。こんにちは』

 再び声が聞こえた。
 今度はわかった。意味の分かる言葉を聞き取れた。
 しかし文脈が意味不明だ。
 戦士は首をひねった。

戦士「何だ? 何を言っている。訳がわからんぞ」

『――――あぁ、そうだった。この言語だったな。ようやく行き当たった』

 声はようやく明瞭な響きをもって戦士に応えた。

『何者か、と君は私に問うたな。さて、私は果たして何者であったか。君たちは、私をなんと呼んでいたのだったか』

『私の中に累積する記録に劣化はない。しかし何しろ量が膨大だ。検索するにも時間がかかる――――あぁ、そうだ。見つけたぞ。私は、そう』











『私は―――――かつて君たちが光の精霊と呼んでいた存在だ』









光の精霊『君たちのことは実に印象深く私の記録に刻まれている。幾星霜の時を超えてまさかまたこうして邂逅することがあろうとは』

光の精霊『驚きを感じるよ。これが縁というものなのかな。久しぶりだな。かつて我が加護を一身に受けた者―――その伴侶、戦士よ』

 戦士は驚きにぽかんと口を開けたまま、ぐるりと周囲を見回す。

戦士「光の精霊…? ならば、ここはもしかして、あの世界樹の森なのか?」

光の精霊『君の知る当時とは場所はかけ離れているがね。海も大地も大きく動いた。それだけの時が経ったのだ』

光の精霊『そういえば、君には礼を言わなくてはな。まさしく奇縁というものか。この森の復活の一因を担ったのは君だった』

戦士「……? 何のことだ?」

光の精霊『忘れているのならいい。遥かな昔の、ほんの小さな物語だ』

光の精霊『それよりも、それこそ覚えている範囲で構わない。私に話して聞かせてくれないか? 戦士。ここに至るまでの旅路を――――悠久の時を生きた、君の物語を』

戦士「………」

 まあいいか、と戦士は思った。
 どうせ時間はたっぷりとある。
 誰かとコミュニケーションをとるのは本当に久しぶりだ。
 その相手がまさかあの『光の精霊』というのは甚だ意外ではあったけれど。
 これも、いい暇つぶしになるだろう。

戦士「いいだろう。話してやる。そうだな、とはいえ、どこから話したものか――――」

 ――――長い時間が過ぎた。
 あれから、夜の帳が下りてなお戦士の話は尽きず、結局、戦士が一度話を区切りとしたのは実に15回目の太陽が昇った時だった。
 戦士は樹皮をほぐして得た繊維を編み込んで作った簡易的な服を身にまとっていた。
 永遠に近い時間を旅してきた彼女だ。こういった生活のノウハウはもうすっかりと身についている。

光の精霊『ありがとう。実に面白い話だった』

戦士「どういたしまして。私もいい頭のリハビリになったよ」

光の精霊『それで、これからまた旅に出るというのか? それだけの苦難を経験しながらも、なお諦めずに?』

戦士「まあ、折角目を覚ましたからな。また飽きるまで、しばらく頑張ってみるさ」

戦士「それに、希望が全くないというわけでもない。これだけ自然に満ちた世界だ。どこかに何かとんでもないパワースポットみたいなものが出来ているかもしれないじゃないか」

光の精霊『確かに、我ら精霊の力は今が最盛と言っても過言ではないが……ふむ。いいだろう。本来、我らのようなものが人間にここまで肩入れすることなどあり得ないのだがね』

戦士「ん?」

光の精霊『興味深い話を聞かせてもらった礼だ。何か願いをひとつ言いたまえ、戦士』










光の精霊『それが如何なる願いであったとしても――――私は、その願いを叶えよう』






戦士「……………なに?」

 ぶるり、と戦士の体が震えた。

戦士「それは、私を殺してくれるということか?」

光の精霊『違う』

 光の精霊は戦士の言葉を否定する。

光の精霊『君の願いは他にあるはずだ。真なる望みを言うがいい』

戦士「………呪いを、解きたい」

光の精霊『違う。繰り返すが、我らの力は今が最盛。およそ不可能なことなど無い』

光の精霊『―――――君の、真なる望みを言うがいい』

戦士「―――――!」

 戦士は息を飲んだ。
 その瞳に、大粒の涙が浮かぶ。



戦士「――――――会いたい」














戦士「勇者に会いたい。勇者に会って、普通の人間として二人で生きていきたい」










 ――――瞬間、世界が輝いた。
 その様子は、かつて『宝術』が発動した時に似ている。
 大地から立ち昇る光は、まるで世界全体が輝きに満ちているかのような錯覚をその中に居る者に与える。
 しかし光の強さがかつてとは桁違いだ。
 周囲の景色はもはや白銀の一色で塗りつぶされ、視認できるのはかろうじて自分自身の体のみ。

戦士「――――あ」

 戦士の目の前で、中指にあった『死者の指輪』が、高熱に焼かれた木くずのように灰と化した。
 涙が溢れる。
 歓喜に震え、戦士は己の肩をかき抱く。

 ――――その手の甲に、そっと重ねられる手があった。

 どくん、と心臓が跳ね上がる。

 ごくり、と戦士は息を飲みこむ。

 ゆっくりと―――戦士は後ろを振り返った。


















勇者「………よう」











 抱きしめた。
 言葉も出なかった。
 涙は滝のように溢れ、嗚咽が怒涛の如く込み上げた。

戦士「えぐ、うぐ、ふぅ、う、うぅぅ~~~!!!!」

勇者「ごめんな。ずっと辛い思いをさせちまった」

 戦士は勇者の胸に顔を埋めながら、ううんと首を横に振る。

光の精霊『感動の再会に水を差すようで申し訳ないが、少しいいかな。戦士』

 光の精霊の声が響く。
 ぐしゅ、と鼻をすすり上げて、戦士は勇者の胸から顔を上げた。

光の精霊『実はね、先ほどは不可能など無いと嘯いてみせたが、遠い過去に死んで、魂すら失せた人間を今更生き返らせることなど、いくら今の私でも出来ないのだよ』

光の精霊『通常は、だがね』

光の精霊『それが可能となったのには理由がある。要はだね、勇者の魂は消えることなく君の傍らにあったのだ。魂が今もなお存在していたからこそ、私は願いを叶えられた。なにしろ肉の器を用意するだけでいい。その程度であれば今の私の力なら容易いものだ』

 光の精霊の言葉の意味を理解した戦士は、目を大きく見開いて勇者の顔を見上げる。
 勇者は照れたように、あるいはばつが悪そうに、ぽりぽりと頬を掻いてはにかんでいた。
 戦士の目から、ぽろぽろと大きな涙が次から次に零れ落ちる。

戦士「ずっと―――ずっと傍にいてくれたのか。今までずっと……ずっと――――!!」

勇者「だって、お前ときたら、本当に俺の為だけに生きてるんだもんな。途中でお前が俺のことを忘れて他の奴になびいてたりしたら、俺もこう、気兼ねなく成仏的な感じになろうと思ってたのに――――」

 ―――――勇者の言葉は戦士の唇で遮られた。
 最初は驚きに目を見開いていた勇者も、やがて目を閉じ、戦士の体を抱きしめる。
 長い間、二人は互いの体を強く抱きしめたまま、口付けを交わしていた。








「子供を作ろう――――たくさん、たくさん子供を作ろう」




「幸せになろう―――――今まで歩んできた道のりに比べたら、ほんの短い、一瞬のような時間かもしれないけれど、精一杯幸せになろう」













 二人は寄り添いあって、これまでのことと、これからのことを話し続ける。




 時折、思い出したように口付けを重ねながら。










 これにて、彼と彼女の長きにわたる物語に幕を引く。



 那由他の時の果てに、彼らは遂にめぐり逢った。



 永劫に渡る暗闇の道を踏破した、彼らの不屈の魂に喝采を。



 そして―――――――これから歩む、二人の未来に祝福を。
























勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」




 ―――――以上、完全終了。



途中でレス挟んで申し訳ない。
改めて言わせてください。最高でした

というわけで、終わりです

演出なども色々頑張ってみたつもりですが、いかがだったでしょうか?

コメント、乙をくださった皆さんのおかげでやりきれましたよ~

特に最初からずっとコメをくれてた方には感謝してもしきれません

三年間、見捨てずに見てくれて本当にありがとうございました!!

>>718
いえいえ、お気になさらず

読んでくれてありがとう

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年02月06日 (土) 19:50:26   ID: _xtdVF1F

面白いです。続き楽しみにしてます!

2 :  SS好きの774さん   2016年07月06日 (水) 02:45:14   ID: bhqybz2q

勇者父がクズ過ぎてムカつく〜。

3 :  SS好きの774さん   2016年07月12日 (火) 23:36:08   ID: ZE7shbDF

この作品大好きです。
頑張ってください!

4 :  SS好きの774さん   2016年11月09日 (水) 12:23:11   ID: syuyZhvA

勇者父は死んで当然だなぁ〜。ざまぁ。

5 :  SS好きの774さん   2016年11月24日 (木) 18:47:52   ID: L-HQLBYr

この作品ホントに面白いです!続き待ってます!!

6 :  SS好きの774さん   2017年01月17日 (火) 20:27:04   ID: J6AG0K_g

続き楽しみにしています。

7 :  SS好きの774さん   2017年07月15日 (土) 10:06:46   ID: h_13Z3Y4

勇者父の本質は普通の弱気き人間で醜い最後だったが、加護の偏りもなく弱く、そしてすべてをなすために外道のような思考をもたなければならないとなると、わりとしかたがないのかなーと。

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