ヒカル「佐為。オレ、強くなったかな?」 (645)

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ヒカル「佐為。オレ、強くなったかな?」 - SSまとめ速報
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数日後。
海王中。


塔矢「進藤!」

ヒカル「……塔矢か。どうしたんだよ」

塔矢「どうしたのかはキミの方だろう。昨日、ネット碁の約束してたのに
何故現れなかった?」

ヒカル「……あっ、そっか。約束してたっけ。わりぃ、忘れてた」

塔矢「?」

塔矢「なにかあったのか?」

ヒカル「………」

塔矢「言いにくかったら無理にとは言わないが、よかったら話してくれないか。
もしかしたら力になれるかもしれない」

ヒカル「……お前がオレに気を使うなんて、明日は雪でも降るかもな」

塔矢「まだ冬だからな。降るかもしれないよ」

ヒカル「そーゆー意味で言ったんじゃねーけど」

塔矢「キミの顔見たら何かあったと思うさ。そんな死人が歩いてるような
顔されたら」

ヒカル「オレの顔、そんなに酷い?」

塔矢「僕から見たらね」

ヒカル「そっか」

塔矢「……本当にどうしたんだ、進藤?」

ヒカル「なんでもねーよ」

塔矢「なくはないだろう。ついこの間、僕の新初段の棋譜を見て、
キミもプロになると息巻いていたじゃないか」

塔矢「あれからまだ一週間しか経ってないのに、そんな暗い顔して、
心配するのは当たり前だ」

ヒカル「……プロか」

ヒカル「なぁ、塔矢。プロになるのってやっぱり凄く大変だよな」

塔矢「それはまぁそうだろうが、キミの実力なら大丈夫だろう?」

ヒカル「オレじゃねーよ。一般論でさ」

塔矢「……なるほど。それなら確かに大変だと思う。しかしそれは
プロならば碁に限らずどの分野でもね」

塔矢「才能ある者が他者と競いあって、ようやく一握りのプロに
なれるのだから、大変なのは当たり前さ」

ヒカル「……だよな」

ヒカル(高校受験でも、あかりの奴必死に頑張ってたもんなぁ)

ヒカル「必死になって努力しなくちゃ、どんな道も辿り着けない、か」

塔矢「もちろんだ」

ヒカル「………お前はいっつも必死でいいよな。根っからの碁バカで」

塔矢「キミに言われたくはない。キミも相当の碁バカだ」

ヒカル「お前と一緒にするなよな!」

塔矢「パソコンの授業中にこっそりネット碁してるキミに言われたく
はないね」

ヒカル「……知ってたのかよ」

塔矢「というより呆れた。そして腹が立った。こんなに普段から碁を打ってた
くせに僕と打ってくれなかったなんて」

ヒカル「ぐ……お前、まだ根に持ってたのかよ」

塔矢「当たり前だ!恋人が出来たと聞かされた時の、僕の気持ち
がキミに分かるか!?せっかくライバルが現れたと思ったら、片手間
に相手にされてるんだぞ!?そんなの許せる筈ないだろう!」

ヒカル「……碁バカめ」

塔矢「ふん。何とでも言えばいいさ」

ヒカル「でも、今ならその気持ち。少しは分からなくもねーかな」

ヒカル「真剣にやるってのはやっぱ大切だよ」

ヒカル「………大切だ」

塔矢「進藤?」

ヒカル「サンキュ。ちょっとはマシになったかも」

ヒカル「ネット碁、また今度打とうぜ」

塔矢「うん」

ヒカル「じゃ。今日はもう帰るよ」

塔矢「……進藤!僕はプロの世界にいる」

ヒカル「…………」

塔矢「プロになる前より、僕は随分強くなった!新初段での棋譜から
も、それはキミに伝わったハズだ」

ヒカル「ああ」

塔矢「僕はまだまだ強くなる。キミに恥じない打ち手となるために!」

ヒカル「………」

塔矢「だからキミも、僕を失望させるなよ」

ヒカル「言われるまでもねーさ。オレがプロになるまで首を洗って
待ってろ」

塔矢「ああ!」

その頃。奈瀬は。


奈瀬(こないだ、ヒカルくんの顔があんまりにも強張ってた
から、心配になってこっそり後つけちゃったけど、まさか、
あんな話聞くとは思わなかったな)

奈瀬(あかりちゃん。学校の成績悪かったんだ…)

奈瀬(そうだよね。私もそうだったし、院生って碁の勉強が一番
優先度高いもの。学校の勉強してる暇があったら碁の勉強)

奈瀬(由梨に出会ってなかったら、私もこんなに楽な受験環境
じゃなかったわけだし、運が良かったのかも)

奈瀬(ヒカルくんにも言われたことあったっけ。奈瀬は真剣に
やったらもっと伸びるって)

奈瀬(昔の自分振り返ってみたら、結構バカな事言ってるなぁ、私)

奈瀬「丁度ヒカルくんが私の部屋に初めて来たときだっけ?
もっと遊びたい年頃。中学3年生の女の子だよって」

奈瀬「バカだ、私」

奈瀬「そんな甘い考えでプロ試験受けてたなんて。もっと真剣に
取り組まなくちゃ、受かる筈なんてないのに」

奈瀬「……バカだ」

奈瀬は過去の自分を悔いた。

毎年、プロ試験に臨んでいるのに、自分の中に甘さがあったことを
今まで気づかなかったことに。

プロを目指すならば、もっと真剣に碁に向き合う必要があったのだ。
皆、プロになるために真剣だ。

碁は盤上の技術も必要だが、勝敗には気迫も大きく関係する。
実力にさほど差がなければ気持ちが強い方が勝つ。

気持ちに甘えがあれば、負けて当然。

奈瀬「今年のプロ試験。もっと真剣に取り組もう」

奈瀬「幸い、高校入試ももうないことだし、他の事に気を取られる
心配もない」

奈瀬「ヒカルくんとあかりちゃんのことは、気になるけど、まずは
自分のことをしなくちゃ」

奈瀬(プロになる。恋愛はそれからでも遅くないわよ)

奈瀬(中途半端な私よりも、プロになった一人前の私を、ヒカルくん
に見てもらった方が絶対にいい!)

奈瀬は碁に対する姿勢を改め、以前より真剣に打ち込むことを心に
決めた。

元々、調子のいい時には本田にも勝利することもある彼女である。
真剣に取り組むことによって、この後、急速に成長し、平常時でも
本田には負けることがなくなっていく。

それはつまり、彼女がプロ試験を突破することの出来るレベルまで
成長したということだった。

そして少し時間は流れ、四月。

塔矢が本格的にプロとして活動を始め、奈瀬は高校に入学した。
ヒカルの決心も固まり、家の近くの公園にあかりを呼び出した。



あかり「なに?ヒカル。話って」

ヒカル「あかり。お前、碁は好きか?」

あかり「なによ改まって。好きに決まってるじゃない」

ヒカル「プロになりたいくらい?」

あかり「当たり前じゃない。私、院生なんだから」

ヒカル「……お前、オレに黙ってることあるだろ」

あかり「……え?」

ヒカル「院生、2組に落ちたんだろ?」

あかり「知ってたんだ…」

ヒカル「……あぁ」

あかり「ち、ちがうのヒカル。ちょっと最近調子悪いだけ。私、
頑張ってるから。心配しないで」

ヒカル「違うよ。最近、お前と打っててオレ、ちゃんと分かってるから。
調子が悪い訳じゃない」

あかり「?」

ヒカル「真剣さが足りないんだ」

あかり「え?」

ヒカル「厳しいこと言わせてもらう。あかり、お前はきちんと碁に
向き合えてない」

あかり「そ、そんなことない!」

ヒカル「だったらなんで2組に落ちてるんだ?プロになりたい
んじゃなかったのかよ!?」

あかり「それは………」

ヒカル「……あかり、もしプロを目指すなら、オレと別れてくれ」

あかり「えっ………?」

ヒカル「オレがお前の側にいるから、お前は真剣になれないんだ」

あかり「えっ、えっ……?」

ヒカル「オレはお前の夢を潰したくない。お前の人生を潰したくない。
でも、選ぶのはお前だ。オレじゃない。お前の人生だから、お前に
決めてほしい」

あかり「そんな、急にそんなこと言われても…」

ヒカル「別に今すぐ答えを出せって言ってる訳じゃない。オレ
だってこの話をするのに随分悩んだ」

あかり「……ヒカル、一つ聞いて良い?もし私がプロを選ばなかったら…?」

ヒカル「そんときゃ今まで通りさ。もっとも、お前には学校の勉強
頑張ってもらって、高校行ってもらうけど」

あかり「高校受験なんて、まだまだ先じゃない」

ヒカル「あっという間だよ。時間が過ぎるなんて」

あかり「ヒカルってば、おじさんくさーい」

ヒカル「……オレも、そう思う。でも、本当にあっという間だよ」

あかり「…………」

あかり「……ヒカル。別れるなんて、本気で言ってるの?」

ヒカル「こんなこと冗談で言えるかよ」

あかり「私、なにかヒカルに悪いことした?怒らせるようなこと
しちゃった!?」

ヒカル「そんなのない」

あかり「じゃあ、どうして別れるなんて言うの!?ヒカルの言ってる
意味、私分かんないよ!」

あかり「確かに院生順位は下がっちゃたけど、でも…それで別れる
なんて……」

ヒカル「……」

あかり「ヒカル、私のこと嫌いになっちゃったのかな?」

ヒカル「お前を嫌いになるはずねーだろ!お前はオレの大切な……
彼女なんだから」

あかり「だったら、別れるなんて言わないでよ…」

あかり「私、ヒカルのためならなんだってするよ?」

あかり「ヒカルの為なら料理だってするし、え、えっちなことだって
我慢する!勉強だって頑張れるよ」

ヒカル「オレのためにしてくれなくていいんだ」

あかり「えっ?」

ヒカル「あかりが自分のためにしなくちゃ、意味がない。だって、
あかり自身の問題なんだから」

あかり「…………」

ヒカル「今、あかりが言ってくれたの聞いて痛いほど分かった。やっぱり
お前から真剣さを取り上げたのはオレだってことが」

ヒカル(佐為の言った通りだった。あかりはオレと一緒にいるために、
碁を打ってた。あかりがプロを目指すんなら、恋人じゃいられない)

ヒカル「オレはあかりが大好きだから、あかりの夢を潰すなんて
したくないし、あかりの人生だって潰したくもない」

ヒカル「お前にとってオレが邪魔なら、オレはお前の前から喜んで
いなくなる。……いや、喜んでは無理かな。でも、それでもお前には
幸せになってほしい。そう思ってる」


ヒカルはあかりのことを思って、精一杯言ったつもりだったが、
あかりには今一つ伝わらなかった。

まだ中学二年生になったばかりのあかりには、高校受験の大変さも、
そして、プロ試験を合格する大変さもまだ理解できていなかった
からである。

彼女の頭にあるのは、プロを目指せばヒカルと別れる。
しかし、プロにならなければヒカルが遠くに行ってしまうのでは
ないかという、漠然とした不安だった。

別にヒカルが離れていく明確な理由はないのだが、このときのあかりは
何故だかそう思い込んでいた。それはもしかしたら、ヒカルは碁の強い人
が好きという、幼少期からの刷り込みのせいだったのかもしれない。

結局のところ、あかりはヒカルに別れるとは言わなかった。

プロを目指さなければヒカルが離れて行ってしまうかもしれない
という漠然とした不安はあるものの、今すぐヒカルと別れてしまう
のだけは、どうしても嫌だった。

まだ自分達は恋人らしいことを何もしてない。
同級生の女の子達が会話しているような、甘ったるい話をあかりも
してみたかった。

さらに言えば、九星会もやめ、院生順位も2組11位まで下がってしまって、
プロ試験を受けるどころではなかった。

あかりは、ヒカルに今年はプロ試験を受けないと伝え、まだ彼女でいたい
と答えた。

がっかりされるかと思ったあかりだったが、思いの外ヒカルはほっとした
ような顔で

「お前がそう決めたんならそれでいいさ」

と、笑顔でいってくれたことが、あかりを安心させた。

また、院生はもう暫く続けたいともあかりはヒカルに言ったが、

「別に囲碁をやめろなんて言ってないぜ。オレが言ってるのは
プロになるんなら覚悟を持って臨めって言ってるだけさ」

「それに院生研修は第二土曜と日曜だけだしな。勉強さえ、
きっちりやってくれれば、他には何も言わねえよ」

と、特に反対もされず、あかりは胸を撫で下ろした。

あかり(よかった。いつものヒカルだ)

あかり(急に別れようなんて言うからビックリしちゃったじゃない)

ヒカル「なにニヤニヤしてんだよ、あかり」

あかり「なんでもないですよーだ」

ヒカル「?」

ヒカル「それよりもう0点のテストは出てこねーだろうな。ったく。
あかりのお母さんが心配するのも、これじゃ当然だぜ」

あかり「うっ……。ヒカルにだけは見せたくなかったのに。引き出し
の奥に仕舞ってたの引っ張り出しちゃうんだから」

ヒカル「ばーか。お前もちったぁ危機感持てよなぁ。もしこんな
成績のまま中三だったら高校どこも受からねーじゃねーか」

あかり「……そう言われるとそうなんだけど」

ヒカル「とにかく。オレも見てやるからちったぁ勉強しろよな」

あかり「えっ、そんなの悪いよ」

ヒカル「だめだめ。成績上がるまでは面倒みてやるから」

あかり「あ、ありがと。ヒカル」

あかりの今の学力を確認するために、最近のテストを無理矢理引っ張り
出させたが、前の世界の自分とさして変わらない点数に、ヒカルは頭を
抱えた。

今では、あかりがプロにならないと言ってくれて、正直なところヒカル
はホッとしている。

もしも中三の時点でプロになれなければ、あかりの人生はお先真っ暗だった
だろう。この点数じゃどこも受からない。まさか、小学生レベルの問題でも
曖昧な箇所が多いなんて。

しかし、中学二年生になったばかりの今からならまだ間に合う。
自分が勉強を見れないときには日高にも頼んでみよう。

このときほどヒカルは、自分が海王中学に通っていて良かったと思った
ことはなかった。

そして。



奈瀬「…………50…59。私の3目半勝ちですね」

プロ「くそっ!」


奈瀬は院生順位を3位まで上げ、若獅子戦でも2回戦まで勝利を納めた。

ヒカルの部屋。



ヒカル「すげーじゃんか、奈瀬。若獅子戦3回戦まで進むなんて」

奈瀬「いやー、それほどでも、あるかな♪」

和谷「くっそー。あんまり調子乗るなよ、奈瀬」

奈瀬「あーら和谷ったら、自分が一回戦で負けちゃったからってヒガミぃ?」

和谷「くぅぅぅ」

ヒカル「まーまー。碁の内容見たら和谷も惜しかったし」

和谷「だよなだよなっ!へんっ。浮かれてるのも今の内だからな奈瀬。プロ試験
はぜってーオレが勝ってやる」

奈瀬「かかってきなさい!返り討ちにしてやるわよ」

奈瀬と和谷は若獅子戦という院生と若手プロが戦うトーナメント戦に
出場していた。

優勝は塔矢アキラが飾ったが、奈瀬も十分健闘。
院生の中で2回戦も勝ったのは越智と奈瀬の二人だけで、今年のプロ試験
でも、二人は有力視されている。

和谷は一回戦で惜しくも敗れてしまったが、碁の内容は悪くはなく、プロ
試験に向け徐々に調子が上がっていた。

ちなみに若獅子戦に出場出来る院生は1組16位までで、2組のあかりが出場
することは叶わなかった。

和谷「そーいえば進藤。藤崎は?」

ヒカル「あかり?今日は塾だぜ。最近ようやく勉強の成果が
あらわれたみたいで、塾の先生の話がちったぁ理解できる
ようになったみたいでさぁ。オレもホッとしてるよ」

和谷「あいつ、そんなにあた…成績悪かったのか」

ヒカル「まーな。でも今年いっぱい勉強頑張ったら、来年は他の
受験生達と同じスタートラインには立てると思う」

和谷「ふーん」

奈瀬「いーなぁ、あかりちゃんは。頭のいい彼氏がいて~」

和谷「だったら奈瀬も彼氏作ればいーじゃん」

ヒカル「そーだよ。奈瀬は美人なんだし男の方から寄ってくるだろ」

和谷「ま、性格がキツイから、すぐ別れそーだけどな。へへへ」

奈瀬「和谷ぁ!」

和谷「ジョーダンだよ。怒るなって」

奈瀬「ふーんだ。私はそんな安っぽくないですよーだ。ちゃんと
気になってる人いるんだから」

和谷「それは初耳だな。誰?オレが知ってる奴?」

奈瀬「あんたに教えるワケないでしょー。秘密よ。ヒミツ」

ヒカル「へー。でも奈瀬が好きになる奴なんだからきっと
良い奴なんだろうな」

奈瀬「……アタリマエデショ……バカ」ボソッ

ヒカル「なに?聞こえなかったけど?」

奈瀬「んーん。ま、今は恋愛よりもプロ試験、プロ試験」

和谷「そーだなー。他事に気を取られてる場合じゃねーよな」

和谷「そーだ。プロ試験といえば二人とも知ってるか?今年のプロ試験に
門脇が出てくるらしーぜ」

奈瀬「カドワキ?誰よそれ」

和谷「なんだ、知らねーのか。何年か前、学生名人、学生本因坊、学生十傑
の三冠とった奴だよ」

ヒカル「…………」

奈瀬「あっ、聞いたことあるかも。その門脇が今年のプロ試験に?」

和谷「出てくるかもってさ。ネットに書いてあった」

奈瀬「えぇー」

和谷「今年のプロ試験は進藤も受けるっていうし、激戦になりそうだな」

奈瀬「なんか最近外来から強い人ばっかり来てるわね。去年も院生で
受かったの真柴だけよ」

和谷「塔矢も辻岡さんも外来だったからな。今年は頑張らないと、院生のレベル
が下がってるって言われるぜ、こりゃ」

ヒカル「…………」

和谷「進藤?」

ヒカル「二人とも、気を引き締めてプロ試験に挑めよ。門脇さんはつえーからな。
舐めてかかると負けるぜ」

奈瀬「もしかして、打ったことあるの?」

ヒカル「まだ。でも強いのは知ってる」

和谷「………」ゴクッ

奈瀬「誰が相手でも私は勝つわよ。いつまでも院生のまま足踏み
してるわけにはいかないもの」

ヒカル「そうだな。奈瀬ならいい線行くと思うぜ」

奈瀬「うんっ!ヒカルくんにそう言ってもらえると自信になる」

ヒカル「それじゃあ、いつまでもくっちゃべっててもなんだし、
そろそろ打とうか」

奈瀬「ええ!お願いします」

ヒカル「お願いします」

そして、ついにプロ試験の予選が始まった。


佐為「ヒカル、いよいよですね」

ヒカル(ああ。ここからもう一度始まるんだ。プロとしての人生が)

ヒカル(今度はお前とずっと一緒だ、佐為)

ヒカル(前の世界でお前が打ちたがってた強い奴等は、この試験を
突破した先にいる。それもネット碁じゃない。真剣勝負でだ)

佐為「ええ」

ヒカル(前の世界のオレじゃお前の影を背負うことが出来なかった)

ヒカル(でも今のオレなら背負える!お前にも打たせてやれるし、
オレ自身も打てるくらい強くなった!)

佐為「今では三局打てば、一局はヒカルに勝ちを譲ってしまいますからね。
本当に強くなりました、ヒカル」

あかりの一件に目処がつき、落ち着きを取り戻したヒカルは
また一段と強くなっていた。

このときの佐為の強さは囲碁界トップの塔矢名人とほぼ互角。
そして、当の塔矢名人も佐為との対局を何度も重ねる内に更に
強くなっていた。

名人、緒方、アキラなど、佐為と打った者は、一段と成長し、
対局者を驚かる。

その成長ぶりは国内だけでなく、海外からも注目され始めていた。

ヒカル(……そして、プロになる関門の一人目が)チラッ

門脇「ふっ」ニヤッ

ヒカル「まさか、門脇さんだなんてね」

門脇「おっ、オレを知ってるのかい?嬉しいね」

ヒカル「うん。有名だしね。ネットで見たよ。今年のプロ試験受けるって」

門脇「ネット?……あのヤローだな。期待してやがる、オレに」

ヒカル「悪いけど、勝たせてもらうよ」

門脇「………いい自信だ。オレも全力でいかせてもらおうか」



「時間です。始めてください」


対局開始の合図がなされた。

ヒカル(佐為!)

佐為「良いのですね、ヒカル。私が打っても?」

ヒカル(門脇さんには、お前との一局が必要だからな。全力で打て!)

佐為「分かりました。では……右上スミ小目!」

ヒカル「……」パシィッ

門脇「ふっ」パチ

ヒカル「……」パチ

門脇(久しぶりだな。碁を打つのも)パチ

ヒカル「……」パチ

門脇(碁ってのはしばらくやめてても腕は落ちないと言われているが、
それでもカンを取り戻すために行きつけだった碁会所に通ってみた)パチ

ヒカル「……」パチ

門脇(結果は上場。腕は錆び付いちゃあいなかった)パチ

ヒカル「……」パチ

門脇(会社勤めも3年で飽きたし、そろそろ碁が恋しくなってきたとこだ)パチ

ヒカル「……」パチ

門脇(また碁で一花咲かせて、有名になってやろうじゃないか!)パチ

ヒカル「…………!」パシィッ

門脇(なっ………。こいつ、それでしのげるってのか?)チラッ

ヒカル「…………」

門脇(いいだろう!やってやろうじゃないか!)パシッ

ヒカル「……」パチ

門脇「……」パチ

ヒカル「……」パチ


…………………
……………
………


門脇「ぐっ……」

門脇(鮮やかにしのがれてしまった。見事というほかない)

門脇(これで右辺にも手を付けられては、絶望的だ)

門脇「…………」

門脇「…………」

門脇「…………負けました」

ヒカル「ありがとうございました」

門脇「……ありがとうございました」

門脇「まさか、院生にここまで打てる奴がいるとはな。完敗だ」

ヒカル「オレ、院生じゃないけど」

門脇「なっ、院生じゃない?じゃあ、何処で碁の勉強を?」

ヒカル「家で、かな」

門脇「…………碁を始めて何年になる?」

ヒカル「千年!」

門脇「ふっ。ははは。敵わないはずだ。あぁ、キミみたいなのが
いるんなら、一年鍛え直した方が良かったと思えてくるよ」

ヒカル「……でも、もう始まっちゃったよ。プロ試験」

門脇「だな。こうなったら仕方ない。今年が無理でも来年もある。
せいぜい、今回のプロ試験で実践の練習でもさせてもらうとするよ」

ヒカル「もちろん全力で打つんだよね?」

門脇「あたりまえさ。打つからには真剣に打つ。キミも今日真剣に
打ってくれたんだろ?」

ヒカル「へへへ♪」

この後、ヒカルは3勝で予選を勝ち抜き、門脇も3勝1敗で予選を通過。
総勢28名の本戦出場者が決まった。


ヒカルの家。



奈瀬「ヒカルくん。予選突破おめでとー♪」

ヒカル「ありがと、奈瀬」

和谷「ほんとにお前は崩れねーよな。初めてのプロ試験だったんだろ。
緊張とかしなかったのかよ」

ヒカル「まーね」

和谷「はぁ。体調管理もきちっと出来てそうだし、この分じゃ本戦も
全部白星奪ってきそーだな」

ヒカル「一応、そのつもり」

奈瀬「させないわよ。私が阻止するんだからっ」

和谷「阻止するったって、奈瀬。お前、進藤には一回も勝ったことねー
じゃねーか。オレもだけど」

奈瀬「分かってるわよ、そんなの。でも、初めっから負けると思って打っても、
しょうがないでしょ。打つからには勝つ気で打つ!真剣に打たなくちゃ」

ヒカル「オレもそう思う。良いこと言うじゃん奈瀬」

奈瀬「でしょー♪」スリスリ

ヒカル「へばりつくのはやめてくれー。夏はさすがに暑いって」

奈瀬「やだー♪」スリスリ

和谷(コレ、藤崎が見たらヒス起こしそーだな。てゆーか、いっつも奈瀬って
進藤にへばりつくよな。奈瀬が好きな奴って進藤なのか?)

和谷(とは言っても、普段は相変わらずオチャラケてけんのに、いざ対局
となると人が変わるんだよなぁ)

和谷(突然スイッチ入るってゆーか、真剣な顔になるってゆーか)

和谷(進藤の影響なのかな。進藤も碁打ってるときは、まるで別人のように
集中してるし)

和谷(…………オレにはちょっと無理だな。特に進藤のヨミの深さには
ついていけない)

和谷(いったいどんだけ集中すりゃ見えてくるんだろう)

和谷(こいつの目には何が見えてるんだろうか?オレには見えない世界が、
こいつの目には映ってるんだろうか)

ヒカル「…………和谷?どうかしたのか」

和谷「!」

和谷「な、なんでもねえよ。ちょっとボーッとしてただけだ」

ヒカル「ふうん?まぁいいや、打とうぜ」

和谷「ああ」

和谷(そうだ。今はこいつの強さを気にしてる場合じゃない。
オレだって伸びてるんだ。プロ試験、今年こそは受かってやるっ!)

プロ試験が始まるまでの間、ヒカルはあかりに勉強を教える傍ら、
和谷、奈瀬と打ち、二人の実力は着実に伸びていった。

そして、ヒカル自身もまた、ネット碁でプロ棋士と打ったり、佐為と
打つことで、プロ試験に挑む準備を整えた。

こうして、今年も暑い暑いプロ試験の本戦が始まった。

学校は2学期に入り、プロ試験6戦目。



本田「6連勝が4人か」

本田「伊角さんと奈瀬と越智。それから外来の進藤って奴」

越智(和谷が進藤ってのに負けてる。しかも中押しで。最近調子良さそう
だったのに、ポカでもしたのか?それとも……)

本田「門脇さんも進藤に負けてる。聞いたことない名だけど、強いのかな」

飯島「どーだろうな。学生三冠ってのも昔の話だろ。腕が錆び付いてた
んじゃないのか」

本田「いや、門脇さんは確かに進藤に負けてるけど、他は全部勝ってる。まだ1敗だ」

飯島「それを言うなら和谷もその進藤ってのに負けただけで、あとは全部勝ってる。
本田は和谷とやったんだろ。どうだったんだ?」

本田「調子いいよ、あいつ。ここんとこずっと調子良さそうだったし、このプロ試験も
良いリズムのまま打ててると思う」

越智「じゃあ調子の良い和谷に勝った進藤ってのは強敵ってこと?」

飯島「越智」

本田「そうなるな」

篠田「まだ始まったばかりじゃないか。6連敗してたって残り全勝することもある。
全勝も良し悪しだよ。一敗したらガタガタっとくるかもしれないからね」

篠田「さぁ、もう閉めるよ」

越智「全勝が良し悪し?良しに決まってるさ。僕は全勝を目指す」

飯島「けっ」

本田「そうだな。この進藤が去年の塔矢並みでもないかぎり、
全勝するとも思えんし」

飯島「そうそう。篠田先生の言う通り、プロ試験はまだ始まった
ばかりなんだからな」

海王中学。



塔矢「連勝を続けているようだな。進藤」

ヒカル「塔矢か」

ヒカル「ま、今んとこはな。それよりお前も連勝中じゃん。
プロになってからまだ負けなしだろ」

塔矢「うん。最初は低段者との対局が多いからね」

ヒカル「そのうち嫌でも高段者と当たるさ。勝ち進んでけば」

塔矢「ああ。楽しみにしてる」

塔矢「それよりさっき体育館の方から歩いてたみたいだけど、
どうしたんだ?キミの教室に行ったが、いなかったから戻る
ところだったんだが」

ヒカル「あ~……ちょっと呼び出されてな」

塔矢「?」

塔矢「ガラスでも割ったのか?……いや、教師に呼び出される
なら職員室か」

ヒカル「なんにもやってねーよ!……ちょっと女子に呼び出さ
れてただけ」

塔矢「ああ、なるほど」ニヤ

ヒカル「笑うな、バカ」

塔矢「返事は?」

ヒカル「断ったに決まってんだろ。彼女いるんだぜ、オレ」

塔矢「それもそうだった。そういえば奈瀬さんもまだ全勝中
だったね。キミのいった通り、彼女は弱くなんかなかった」

ヒカル「なんで急に奈瀬の話になるんだよ。ま、奈瀬は強いぜ。
特に最近は碁に対する姿勢が変わってきたのかな。前より真剣さ
がまして、かなり強くなってる」

塔矢「ほう」

ヒカル「このまま行けば、奈瀬も上位陣に残るだろうな」

塔矢「キミの見立てでは、誰が上位に残りそう?」

ヒカル「そうだなぁ。奈瀬、和谷、伊角さん、本田さん、門脇さん。
それに越智。この6人は絶対。あとは院生上位の足立と小宮。外来が
ちょっと残って番狂わせがあるかないかってとこか」

塔矢「……そこにキミが加わるのか。今年のプロ試験はなかなか
熾烈なようだな」

ヒカル「まーな。後にも先にもこんなにしんどいのは今年だけかも」

塔矢「どうだろう。来年も来年で、今年受からなかった者がまたぶつかる
だろうし、大変なのは変わらなさそうだが」

ヒカル「……それもそーだな」

ヒカル「そーだ。さっきさぁ。越智の名前が出たけど、お前、越智の
家にはまだ行ってねーの?」

塔矢「越智?いや、行ってないけど」

ヒカル「そっかぁ。てっきりプロ試験始まってるし、もう指導碁
に行ってると思ってたけどマダだったのか」

塔矢「おかしなことを言うな、キミは。いくらプロになって棋院から
指導碁の仕事が来るようになっても、先方の家に出向く指導碁は僕は
受けないぞ」

ヒカル「えぇっ!?」

塔矢「そんなに驚かれても。自分自身の碁の勉強を削りたくないし、
別に普通だろう」

ヒカル「いや、だって……あれ?」

塔矢「?」

塔矢「ああ。そういえばこの間、棋院から電話があったな。今プロ試験
を受けてる院生に指導碁に行ってほしいという」

ヒカル「そっ、それだ。それ!それ、きっと越智だ」

塔矢「へぇ、そうだったのか。でも断ったよ」

ヒカル「…………」

塔矢「なに?」

ヒカル「いや、別に」

塔矢「ふうん?」

佐為「どうやら塔矢は越智を鍛えたりはしてないようですね」

ヒカル(みたいだな。前の世界だと熱心に鍛えてくれたって越智は
言ってたけど)

佐為「ここでもやはりズレが生じてるみたいですね」

ヒカル(いったい何が原因なんだろうな。奈瀬とあかりが強くなった
だけだぜ、今回。和谷だって前の世界と強さあんまり変わってないし)

佐為「門脇……でもなさそうですね。となるとやっぱり、ヒカルが
原因なのでは?」

ヒカル(オレ?)

佐為「ええ。前の世界の塔矢も、ヒカルをずっと気にかけていたよう
ですし、ヒカルの実力を計るために越智を鍛えたのでは?このときの
ヒカルはまだ今ほど強くなかったでしょうし、勢いよく成長していた
頃だとしたら辻褄はあいます」

ヒカル(なるほど。そーかも)

佐為「でしょう?」

塔矢「進藤?」

ヒカル「あっ、わりい。わりい。ちょっと考え事してた」

塔矢「それならいいが、あんまり気を抜くなよ。キミの実力なら
合格は間違いないだろうが、他の者も真剣に打ってる」

塔矢「彼らも相応の実力者だ。なめてかかるなよ」

ヒカル「その台詞、去年のお前にそのまま返してーぜ」

塔矢「ぐっ……あれは、忘れてくれ」

ヒカル「……ま、手を抜くつもりはねーよ。連勝中だからって、
お前も気を抜くなよな」

塔矢「当然だ」

そして、プロ試験12戦目。



伊角(ここまで全勝は3人。奈瀬と越智。そして今からオレが打つ進藤。
正直、越智の実力は分かっていたが奈瀬がここまで強くなっているのは
想定外だった)

伊角(ここ最近、院生順位を急に上げてきていたが、まさかプロ試験まで
も調子を落とさず勝ち続けるとは)

伊角(そして、和谷から聞いた話によると、奈瀬の成長に、この進藤が
一枚噛んでいるとか…)チラッ

ヒカル「…………」

伊角(去年、藤崎が院生に入った頃の噂。幼馴染みに指導碁を打ってもら
っている)

伊角(冗談だと思った。プロでも名のあるアマでもない、まったくの
無名。タダの幼馴染みが、院生相手にそこまで打てるなんて、信じ
られなかった)

伊角(しかし、和谷が藤崎の幼馴染みに興味を持って、一局打って
もらったという。和谷は言った)

伊角(……簡単にのされた、と)

伊角(藤崎は四子で打ってもらっていた。そして、奈瀬も去年のプロ試験
予選前から指導を仰いでいるらしい)

伊角(和谷から今年のプロ試験に進藤が出てくると聞いたときは、嫌な予感
がした。もしかして、去年の塔矢みたいに突出した奴が来るのでは、と)

伊角(予感は的中した。進藤は未だ無敗。そして、驚くことに今までの
対局を全て中押しで勝っている)

伊角(自分の対局が終わったときには、進藤の対局はいつも先に終わって
いて、今のところ、きちんと見ることが出来ていない)

伊角(いったいどんな碁を打つのか…)

ヒカル「…………」


「時間です。始めてください」


伊角「おねがいします」

ヒカル「おねがいします」

伊角「………」パチ

ヒカル「……」パチ

伊角「……」パチ

ヒカル「……」パチ


………………
……………
………
……


伊角(…………よし)パチ

ヒカル「………」パチ

伊角(我ながら、今のところ上手く打てている。形成はハッキリ、
オレの方がいい)パチ

ヒカル「………」パチ

伊角(少し緊張していたが、どうやら良い方に働いたみたいだな)パチ

ヒカル「……………」

伊角(長考か)

ヒカル「…………………………」

伊角(確かに進藤は強い。妥協しないし、よくヨンでいる。だが、
今日のオレは調子が良い。このまま勝たせてもらう)

ヒカル「!!!」パシッ

伊角(…………?)

伊角(長考したわりには平凡な手を打ってきたな)パチ

ヒカル「……」パチ

伊角「えっ?」

伊角(こ、これは……)パチ

ヒカル「………」パシッ

伊角「くっ…」

伊角(い、いけない。ここをハミ出されては……)パチ

ヒカル「……」パチ

伊角(こ、こらえるんだ。ここで押し負けたら碁が崩れてしまう)パチ

ヒカル「!!!」パシッ

伊角(なっ……アタリに手抜きだと!?し、しまった。左辺が先だった)パチ

ヒカル「……」パチ

伊角(…………急所に打たれた!)

伊角「……………」

伊角「……負けました」

ヒカル「ありがとうございました」

伊角「ありがとうございました」ガチャ

伊角(……強い。立ち上がりしっかり打てたと思った。どっしり
と構えて、勝ちを確信できる会心の出来だった)

伊角(なのに………)

この日、奈瀬は門脇に負け、ついに全勝はヒカルと越智の二人だけ
になった。


和谷「とうとう進藤と越智だけになったかぁ」

奈瀬「ヒカルくんの言った通り、門脇さん強かったー。学生三冠の
名前は伊達じゃなかったよ」

ヒカル「でもよく打ててた。結果は3目半だし、惜しかったな」

奈瀬「でも、これで1敗。私、まだヒカルくんとの対局も残ってるし、
伊角くんと越智との対局も残ってる。ついでに和谷とも。楽観は出来ないよ」

和谷「オレはついでかよ!」

ヒカル「奈瀬は次伊角さんだっけ?」

奈瀬「そう。本田くんとヒカルくんに続けて負けてるけど、強敵
には変わらないよ」

和谷「進藤、今日の対局はどうだったんだよ」

ヒカル「前半は押されてた。流石に伊角さんは強かったな。上手く
打たれて苦しかった」

和谷「へー。でも、そんな勝ちの体制作った伊角さんに勝てるなんて、
お前やっぱすげーよ」

奈瀬「ちょっとやめてよ、ヒカルくん。ヒカルくんがてこずったなんて
話聞かされたら、憂鬱になるぅ」

ヒカル「あはは。明日は頑張れよな、奈瀬」

奈瀬「うー、頑張るけどね」

翌日。プロ試験13戦目。


本田、ヒカルに続けて負けた伊角は調子を上げることができず、奈瀬に半目差で負け、
3敗となった。

12戦目の会心の立ち上がりからの逆転負けで、気持ちを建て直すことが出来なかった
せいだった。


全勝。 ヒカル、越智。

1敗。 奈瀬(門脇)、門脇(ヒカル)、本田(和谷)

2敗。 和谷(ヒカル。足立)

3敗。 伊角(本田。ヒカル。奈瀬)

続く14戦目でも伊角は不調を脱せず、和谷に破れる。
これで伊角は4敗。もう負けるわけにはいかなかった。

一方、門脇を破り、全勝の波に乗る越智は、伊角を
ライバル視していた自分を損した気分になっていた。
次々に黒星積み上げていく伊角を見て幻滅したのだ。

「正直がっかりしちゃったよ。全勝の一番のハードルは
伊角さんだと思ってたのに、奈瀬はともかく、まさか
和谷や本田さんにも負けるなんて」

「確かに全勝の進藤は強敵だと思うけど、ちょっと意識
しすぎなんだよ」

不用意に言った、この台詞が伊角に火をつけた。

「越智。黙れ」

伊角は気持ちを建て直し、見事越智に勝利した。

この結果、全勝はヒカルだけとなり、上位陣の熾烈な
潰しあいが本格化することとなる。

プロ試験16戦目。

伊角に負けた後、合格に不安な気持ちがよぎる越智と、
ヒカルが対戦。
思いきった手が打てず、越智は序盤から形を崩され、ヒカル
の前にあっけなく破れる。

一方、伊角は完全に調子を建て直し4敗をキープ。
門脇と和谷も問題なく勝ち、2敗のまま。

そしてこの日、奈瀬と本田が対戦し、奈瀬が勝利。

全勝のヒカル。1敗の奈瀬。4敗の伊角。
そして、2敗に、和谷、越智、門脇、本田が並んだ。

しかし、上位陣の中で、奈瀬と本田はヒカルとの対局をまだ
残しており、二人とも全く安心は出来なかった。

プロ試験18戦~20戦。


ヒカルと本田、奈瀬の対戦がこの間行われ、どちらもヒカルの勝利。
結局、上位陣は誰一人ヒカルを倒すことができず、ヒカルの独走状態
は続く。

そして、門脇と伊角の対戦も行われ伊角の勝利。門脇は3敗。伊角は
4敗をキープ。

また、奈瀬と和谷の直接対決は和谷が奈瀬を下し、これで奈瀬が3敗と
なり、さらに、和谷と門脇の直接対決は門脇の勝利。
これにて和谷も3敗となる。

しかし、20戦目で和谷が不調が続く越智を破り、越智も3敗となり、
またもや勝負が分からなくなる。

全勝。 ヒカル

3敗。 奈瀬(門脇、ヒカル、和谷) 和谷(ヒカル、足立、門脇)

門脇(ヒカル、越智、伊角) 本田(和谷、奈瀬、ヒカル) 越智(伊角、ヒカル、和谷)

4敗。 伊角(本田、ヒカル、奈瀬、和谷)

そして、22戦目。


本田「……………負けました」

越智「ありがとうございました」

本田「……ありがとうございました」


第21戦で門脇に破れた本田は、続く越智戦でも破れ、5敗となる。


奈瀬「これで、本田くんは難しくなったわね」

和谷「ああ。あと5戦。上位陣との対局が全部終わってる進藤が
落ちるのは現実的に考えてあり得ねえだろうから、実質、枠は
2つ」

ヒカル「上位陣同士の対決はあとどれくらい?」

奈瀬「あとは私と越智だけね。和谷も伊角くんも門脇さんも、
もう全員と戦ってるから」

和谷「本田さんも昨日と今日で終わったしな」

ヒカル「3敗同士の対決か。これで決まりそうだな」

奈瀬「ええ。越智と私の対局は最終日。和谷と門脇さんが
これ以上負けなかったら、私と越智の勝った方と3人並ぶ
ことになる。プレーオフね」

ヒカル「……門脇さんは、落とさないだろうな」

和谷「残りの面子見た限りそうだろーな」

奈瀬「と、なると伊角くんと本田くんはもう無理かな」

奈瀬「最後は和谷、門脇さん。それと私か越智のどっちか」

和谷(いや、オレは上位陣じゃないけど、最終戦にフク戦がある)

和谷(勝たないと、オレも4敗だ)

奈瀬「和谷?」

和谷「プロになる。プロになってやるからな絶対!」

奈瀬「……私だって、プロになるわよ。去年みたいな悔しい思いは
もう沢山!」

奈瀬「この半年、ほんとに必死だったんだから」

ヒカル「…………二人とも、よく頑張ってたもんな。最後のもうひと
踏ん張りだ。頑張れ」

和谷「おぉっ!」

奈瀬「ええ!」

そして、時間は少し流れ、プロ試験最終日。

上位陣は全員勝ちを崩さず、ヒカルは全勝で合格を決め、
和谷、奈瀬、門脇、越智は3敗を死守。

伊角と本田はそれぞれ4敗と5敗のままだった。

奈瀬「あと、ちょっとで対局か。きんちょーしてきた」

ヒカル「それは越智も一緒だよ。大丈夫、いつも通りの
奈瀬なら、きっと勝てる」

奈瀬「…………」

ヒカル「奈瀬?」

奈瀬「なんでだろ。ちょっと涙出てきちゃった。きんちょー
しすぎかな」

奈瀬「今までこんなことなかったんだけど」

ヒカル「……今日、大一番だからな。無理ないさ」

奈瀬「はぁ。カッコ悪いなぁ、私。まだ戦ってもないのに
泣いちゃうだなんて。しかもヒカルくんの前で」

ヒカル「オレは気にしないぜ?」

奈瀬「私が気にするの!」

ヒカル「…………」

奈瀬「……………」

ヒカル「ぷっ。懐かしいかも、その台詞」

奈瀬「だね。あれから1年とちょっとか」

ヒカル「うん」

奈瀬「…………そうだね。あのときヒカルくんに励まして
もらえなかったらここまで来れなかった」

奈瀬「本当にヒカルくんには感謝してもしきれないなぁ」

ヒカル「オレは大したことなんかしてないよ。奈瀬が頑張ったから
いま、ここにこうしているんだ」

ヒカル「もっと自分の実力に自信持ってこーぜ」

奈瀬「…………そうだね。ありがと」

和谷「おい、お前ら。何やってんだよ。もう始まるぞぉ、急げよ」

奈瀬「えっ、う、うん」

ヒカル「よし、じゃあそろそろ行くか」

奈瀬「うん♪」

対局場。


越智「……今日が大一番だってのに、随分と余裕だね」

奈瀬「そーかもね」

越智「ハッキリ言って、僕は負けるつもりないから」

奈瀬「それは私の台詞よ」

越智「それにしても、和谷に聞いたよ。奈瀬って進藤の弟子
なんだって?」

奈瀬「何か言いたいの?」

越智「別に。プロでもない奴の弟子だなんて、聞いたことない
から、興味あっただけさ」

越智「プロ試験受けるようなやつに弟子入りするなんて、
奈瀬も変わってるね」

越智「どう考えても、進藤なんかよりプロの高段者の方が、
きちんと教えてくれて、もっと伸びただろうに」

奈瀬「進藤『なんか』ですって?あなたヒカルくんに負けて
おきながら、よくそんな口が聞けるわね」

越智「あ、あれは伊角さんに負けたすぐ後だったからさ」

越智「そうじゃなきゃ、あんなおかしな髪型したヤツに僕
が負けるはず」

奈瀬「黙りなさい」

越智「っ!?」

奈瀬「ヒカルくんは越智が思ってるよりもずっと強い。それと、
私の前でヒカルくんを悪く言うことだけは絶対に許さない」

越智「…だったら、進藤が強いって言いたいんなら、弟子
の奈瀬が証明してみろっ」

奈瀬「見てなさいっ!」

「時間です。始めてください」


越智(僕はいつも、高段者のプロに指導碁を打ってもらってる!
彼らはプロだ!プロとしてのプライドだってある)パチ

奈瀬「………」パチ

越智(それをプロ試験を一緒に受けるようなやつに習ってるだって?
なめるのも大概にしてほしいねっ)パチ


奈瀬と越智の一局が始まった。

奈瀬はまだ院生研修で越智との手合いに勝利したことはなく、下馬評
では越智に部があるとされた。

しかし。


奈瀬(私はプロになる。プロになってヒカルくんの隣にならぶ!今回
を逃したら、もう一生、ヒカルくんと一緒にいられなくなる、そんな
気がする)

奈瀬(ずっと背中を見続けるなんて、そんなのはイヤ!私はヒカル
くんの隣に立ちたい!並びたい!)パチ

奈瀬(それに、ヒカルくんの弟子の私が負けちゃったら、ヒカルくん
の顔に泥を塗る!)

奈瀬(絶対に負けられない!!!)


対局前の越智の言葉が奈瀬の力を引き上げていた。

二人は互角の戦いを進め、いつしか局面は中盤に差し掛かろうとしていた。

越智「………!」パチ

奈瀬「!」

奈瀬「くっ………」パチ

越智(やった。今の奈瀬のミスは大きい。所詮この程度なんだよ。
勝つのは僕だ!)パチ

奈瀬(しまった。あそこでトビに回られるなんて。はっきり白の
私が悪い)パチ

越智「………」パチ

奈瀬(でも、焦っちゃダメ。踏ん張らなきゃ!踏みとどまって、
チャンスを待つ!ネット碁で世界のトップ棋士と打ってるときの
ヒカルくんは、どんなに追い込まれても、いつも逆転の一手を
見逃さない!私にもやれる!やってみせる!)パチ

越智「……」パチ

奈瀬「!!!」

奈瀬(そこっ!)パチ

越智(…………ふん。ケシたつもりか?攻めには格好の目標だ!)パチ

奈瀬(よしっ!)パチ

越智「………」パチ

奈瀬「…………」パチ


…………
……


越智「なっ!?」

越智(さっきまで悪手だったはずの一手が……ここに来て絶好の位置
にいるっ!?そんなっ)

奈瀬(見たわね越智。これが、ヒカルくんに鍛えてもらった
今の私の力!)

奈瀬(絶対に負けないんだから!)

越智「………ぐぅぅぅ」

越智(まだだ!まだ諦めない!)パチ

奈瀬「……」パチ

越智(奈瀬には負けない!プロになるのは僕だ!)パチ

奈瀬(粘るわね、越智。でも、粘り強さなら私だって負けないわよ!)パチ

二人の激闘はその後も続いた。

しかし、ヨセに入る段階で、越智はこれ以上の巻き返しは無理だと
悟り、投了する。

これにより、奈瀬は3敗を死守。
越智は4敗となった。

門脇も無事に勝利を納め、3敗を守りきり、残るは和谷とフクの一局
となった。

しかし。


和谷「…………負けました」

和谷がフクに敗れ、まさかの4敗。

プレーオフにもつれ込むと思われていたが、この日、全ての
合格者が決まることとなった。


プロ試験合格者。

進藤ヒカル。27戦27勝無敗。

奈瀬明日美。27戦24勝3敗。

門脇龍彦。27戦24勝3敗。


こうして、長い長いプロ試験は幕を降ろした。

プロ試験から、数日後。
奈瀬はヒカルの家を訪ねていた。


ヒカル「奈瀬じゃないか。どうしたんだよ」

奈瀬「あの、今日はちょっとヒカルくんに話があって」

ヒカル「ふぅん?ま、上がってけよ。玄関で立ち話もなんだし」

奈瀬「ううん。今日はここでいい」

ヒカル「?」

奈瀬「あの。これ、受け取って欲しいんだけど」スッ

ヒカル「これって、扇子じゃん。これを?」

奈瀬「うん。この間のプロ試験、ヒカルくんのおかげで無事受かる
ことが出来て、その……どうしても、なにかお礼したくて。それで…」

奈瀬「ヒカルくんに何贈れば喜んでもらえるかなーって、すごく
考えてみたんだけど、プロになるんだし、だったら扇子が良いかなって」

ヒカル「そんなの気にしなくてもいいのに。最終日も言ったろ。オレは
大したことなんてしてないって。合格したのは奈瀬が頑張った結果だよ」

奈瀬「うん、分かってる。ヒカルくんならそう言うだろうなって。
でも、どうしてもお礼がしたくて。迷惑だった?」

ヒカル「そんなことないさ。ありがとう奈瀬、すっげー嬉しい」ニコッ

奈瀬「そう?良かったぁ。扇子で良いのかすっごい悩んじゃって」

ヒカル(……扇子か。そういえば前の世界でオレも持ってたな)

佐為「へぇ。そうだったんですか」

ヒカル(そうそう。夢にお前が出てきてさ。お前の持ってる扇子渡される
夢見て、買ったんだよ。お前の想いを託されたような夢だったからさ、あれ)

ヒカル「…………」

ヒカル「う~ん……そうだよな。それもそうか」

奈瀬「ヒカルくん?」

ヒカル「よし!奈瀬、今からちょっと時間ある?」

奈瀬「えっ、あ、あるけど」

ヒカル「んじゃ、ちょっと付き合ってくれないか?行きたいとこがあるんだ」

ヒカルは行き先を告げぬまま、奈瀬の手を取り、ある場所に向かった。

その場所とは。


奈瀬「ここって、棋院じゃない。ヒカルくん、行きたい所って、
もしかして」

ヒカル「そっ、ここ。ちょっと待っててくれよな」

ヒカルは奈瀬を待たせて、売店に向かった。
そして。

ヒカル「お待たせ」

奈瀬「?」

ヒカル「奈瀬、オレからもプレゼント。オレの方は奈瀬の合格祝いな」

奈瀬「えっ。これって……」

奈瀬はヒカルから扇子を手渡された。

ヒカル「奈瀬もこれからプロだからな。一人前になったってことで」

奈瀬「…………」

ヒカル「奈瀬?」

奈瀬「あ、ご、ごめん。ヒカルくんに渡すだけだった筈なのに、まさか
私の方がこんなの貰えるなんて思ってなかったから、ビックリしちゃって」

ヒカル「そっか。でも奈瀬はオレの弟子だからな。弟子が合格したからには
師匠としてお祝いの一つでもしないと」

ヒカル「師匠のオレだけ貰ってちゃ示しつかねーし」

奈瀬「わ、私別にそんなつもりでプレゼントした訳じゃ」

ヒカル「分かってるよ、そんなの。でも、受け取ってくれないか。オレの
気持ちもこもってるしな」

奈瀬「ヒカルくんの、気持ち?」

ヒカル「うん。プロ試験の最終日、奈瀬と越智の一局。あれ見て思ったんだ。
奈瀬の手ってオレの打つ碁に似てるなって」

ヒカル「そりゃ、まったく同じって訳じゃないぜ。オレが奈瀬を指導したの
なんか1年とちょっとだし」

ヒカル「でも……越智との対局で、奈瀬の手がオレの手とダブった。師匠
として嬉しかったよ。オレの指導も無駄じゃなかったんだって分かって」

奈瀬「…………」

ヒカル「そういうワケだからさ。奈瀬にならオレの想い託せれると思うから、
プレゼント」

ヒカル「その扇子、隣にオレがいると思って持っててくれないか?」

奈瀬「………」

ヒカル「奈瀬?」


奈瀬は泣いていた。
ヒカルは自分を認めてくれていた。ちゃんと見てくれていた。
それが凄く嬉くて、次から次へと涙が溢れてしまう。

奈瀬は思った。

自分はヒカルの前じゃいつも泣いている。
どうしてこの人は、私の心にこんなに入ってきてしまうんだろう、と。

プロ試験の最終日。
越智との対局の後もそうだった。

合格が決まって、奈瀬は泣き崩れた。
和谷も越智も、なんで合格したお前の方が泣くんだよと言ってきたが、
だって仕方ないじゃん。嬉しかったんだもん、と、奈瀬は泣きながら
答えた。

そんな奈瀬を、ヒカルは頭を撫でながら「おめでとう」と言った。
嬉しすぎて、涙はいつまでたっても止まってくれなかった。


今日もやっぱり、涙が止まらない。

ヒカルはいつものように、奈瀬の頭を撫でながら、泣き止むのを待った。

それからしばらくしての院生研修日。


あかり「え?伊角さんやめちゃったの?」

和谷「ああ。卒業する奴だって普通3月までは残るのにな。
しかもそれだけじゃない。九星会もやめたってさ」

あかり「九星会も!?」

和谷「そっか。お前もやめてるから知らなかったか」

あかり「……うん」

和谷「プロ試験の後、伊角さん落ち込んでたからな。電話とか
掛けにくかったし、今日姿が見えないから篠田先生に聞いたらさ。
やめたって話された」

あかり「そうだったんだ…」

和谷「篠田先生は、伊角さんのためにはその方が良いかもって
言ってたけどな」

あかり「?」

和谷「一人になって冷静に自分を見つめ直した方が良いって」

あかり「そうなのかな。私だったら傍に誰かにいて欲しいけど」

和谷「先生は、『伊角くんは納得してない。きっとまた来年受け
に来る』って言ってたけどな。あー、あと、伊角さんのことは伊角
さんに任せて、キミはキミのことを頑張りなさいって言われちまったよ」

和谷「そーなんだよなー。今年こそ合格ーって思ってたから
ショックでかいぜ」

和谷「今から高校受験の勉強だぜ?間に合うかビミョーすぎる」

あかり「そんなにヤバイの?」

和谷「ヤバイに決まってるじゃねーか。学校の勉強なんざ全然
してないってーの」

和谷「はぁぁぁぁ…」

あかり(やっぱり、受験って大変なんだ。私はヒカルや日高先輩
に勉強習ってるから成績よくなったけど、他の院生の子は碁の
勉強ばっかりだもんね)

越智「そんな様子じゃ、来年も落ちるんじゃない、和谷。
高校入試も受からない奴が、プロ試験を突破出来るとは
思えないけどね」

和谷「なにぉう!碁の腕と頭の出来は違うだろ!」

本田「いやいや、逆に高校に行かずに碁の勉強を一日中
やれば、和谷が一番受かりやすいぞ」

和谷「本田さぁん。それ冗談に聞こえねーぞ」

本田「ははは」

あかり「あははは…」

本田「まぁ、プロ試験は夏だからな。受験も終わってるし、あんまり
心配することもないだろ」

本田「今年受かった奈瀬だって、高校入試明けのプロ試験だったんだし」

和谷「そうそう!だからお前に心配される必要はねーんだよ、越智」

越智「ふん。別に心配して言った訳じゃない。ただの事実さ」

和谷「ほんっとに口のへらねー奴だな、お前は!」

本田「……さてと、来年こそはオレも受からなきゃな。伊角さんが院生
やめたから、オレが最年長になったわけだし」

越智「本田さんは来年、院生でいられる最後の年だもんね」

本田「ああ、そういうことだな」

本田「ところで和谷。さっき小宮と進藤の家に行くとか、
話してなかったか」

越智「え?」

和谷「ああ、してたしてた。奈瀬の奴、急に強くなったてだろ?
まぁ、オレも自分自身、随分強くなったと感じてるんだけどさ」

和谷「これってやっぱり、オレも奈瀬も、進藤の家に行き始めて
からだと思うんだよ」

和谷「森下師匠にも最近調子上がってるけど、何かあったのか
って聞かれたし。時期的に丁度、進藤のとこに行き始めてから
だったから、間違いなくあいつの影響だと思うんだ」

和谷「んで、小宮にさ。奈瀬やオレが強くなった理由聞かれて、
たぶん進藤のおかげだって言ったんだ。そしたらさ」

本田「自分も連れてってくれって頼まれたのか」

和谷「そゆこと」

本田「進藤か。確かに強かったな」

越智「……ふん」

本田「なぁ、和谷。進藤に小宮を紹介するとき、オレも一緒に
行っていいかな」

越智「なっ」

和谷「いーんじゃねーか、別に。進藤なら誰が来ても文句言わねー
だろうし」

越智「ふ、ふん。院生上位の面子が、揃いも揃って、プロでもない
進藤に習いに行くなんて笑っちゃうね」

和谷「なに言ってんだよ。進藤はもうプロだぜ。合格したんだから」

越智「ま、まだだろ!進藤がプロとしてスタートを切るのは4月からだ!」

和谷「かわんねーだろ。そんなの。プロ試験に合格したら、もう実質
プロみたいなもんだ」

本田「だな」

越智「ぐっ…」

和谷「それに、どーせお前は来ねーんだから良いじゃねーか」

越智「……だ、誰も行かないとは言ってない」

和谷「えっ。まさか、お前も来るの?」

越智「……い、行くさ。僕も」

本田「…………っぷ」

和谷「あっははは!あの越智が自分から行くって言うなんて」

越智「わ、笑うな!進藤の弟子の奈瀬に負けたからって、進藤
が気になってるわけじゃないんだ!」

和谷「気になってんじゃねーか!あははははは」

越智「ぐっ。ふ、ふん。笑ってればいいさ!その代わり、来年の
プロ試験では笑えなくしてやるから!」

和谷「言うじゃねーか。今年オレに負けたくせに」

越智「次は負けない!」

本田「……そうだな、来年は負けられないな」

和谷「……だよな。分かったよ越智。お前も来いよ」

和谷「あと、そーだ。おーい、藤崎」

あかり「わ、私?」

和谷「おう。お前も来いよ。勉強になるぜ」

あかり「えっ。で、でも……」

越智「藤崎?和谷、2組でノロノロやってる藤崎なんか誘って
どうするんだよ」

和谷「なに言ってんだよ。藤崎は元々1組にいたじゃねーか。
それに藤崎は進藤の一番弟子だぞ」

越智「!?」

本田「ほんとか、和谷」

和谷「ホントホント。そもそも奈瀬が進藤に弟子入りしたのだって、
藤崎の紹介からなんだぜ」

和谷「だよな?」

あかり「う、うん。確かにそうだけど」

本田「……そういえば、藤崎が院生に入ってきたとき、確かに
そんな噂があったな」

和谷「誰も信じなかったけどな。オレも含めて」

越智「僕は聞いてないけど」

和谷「そりゃあ、お前の方が藤崎より後に院生になったんだから、
知らなくて当然だろ」

越智「ふん。僕より早く院生になって、1組にいたのに今じゃ2組か。
進藤の弟子にも当たり外れがいるんだね」

和谷「おい、越智!」

越智「いや、言わせてほしいね。僕は藤崎を見てるとイライラするんだ。
真剣に碁に打ち込んでもないくせに、ヘラヘラして院生研修に参加する
こいつが」

あかり「わ、私はそんな」

越智「そんなことないって?僕にはそう見えるけど?」

越智「確かに奈瀬は強かった。進藤もね。でも、おまえは違う!」

和谷「おい、越智!」

越智「プロ試験のときの奈瀬をおまえは知らない!最終日、僕は進藤をバカ
にした。そしたら奈瀬は言った。黙れってね」

越智「師匠がけなされて怒ったんだ。そして奈瀬は僕に勝った。師匠の
名誉を守るために、必死で戦って!」

越智「もし僕がここで進藤をバカにしても、お前は僕に向かってこないだろ?
指を加えて見てるだけさ。一番弟子のくせにね」

越智「藤崎の、一番弟子としてのプライドなんて、所詮その程度さ。碁に
対する姿勢が、まるでなっちゃないんだから」

あかり「………」

越智「ふん!」

和谷「お前なぁ、女相手に恥ずかしくねーのかよ」

越智「男だろうが女だろうが関係ないね。女だろうが敬意を払うべき
相手には敬意を払うし、年上でも払いたくない相手には払わない」

和谷「はぁ、やれやれだよ」

和谷「まぁ、藤崎もこんなの気にすんなよな」

あかり「だ、大丈夫。気にしてないから…」

和谷「…………けど、越智の言ってることも間違ってはないぜ。
言い方はアレだけどな」

あかり「えっ?」

和谷「お前が真剣じゃないのは皆知ってる。顔見りゃ分かる。一人
だけノホホンとしてるから」

あかり「………」

和谷「進藤もお前のことで随分心配してたぜ。何か言われなかったか?
そう、丁度お前が1組にまだいて、2組に落ちそうだったときとかに」

あかり「………」

和谷「その頃、オレは初めて進藤に会ってさ。院生でのお前について
聞かれたんだ。どんな様子だって。オレはあいつに調子悪そうって
答えたんだ」

和谷「そしたらあいつ、すっげー怖い顔して、お前の家に向かって
行ったよ」

あかり(それって、ヒカルが私に別れようって言ったときだ)

あかり(あの時、ヒカルにも言われた。自分と恋人になったから
私から真剣さが消えたって)

あかり(そんなことないと思ってた。最近は調子悪いだけだって。
でも、他人から見ても、やっぱり私は碁に打ち込めてないように
見えるんだ…)

あかり「…………」

和谷「どうやら、思い当たる節があるみたいだな」

和谷「やっぱりお前も来いよ。一回だけでいいから」

あかり「でも……」

和谷「多分来たら、きっと良く分かるからさ」

あかり「何が、分かるの?」

和谷「自分のこと」

数日後。


ヒカルの部屋には大勢が詰めかけていた。

いつもの面子の奈瀬と和谷。
そして、小宮、本田、越智。さらに、あかり。

あと、面白そうという理由で何故か日高も。

ヒカルを入れて計8人。
ヒカルの部屋はいっぱいいっぱいだった。

ヒカル「……せまい」

奈瀬「さすがにこの人数だとね」

和谷「……女子はまだいいだろ。ベッドの上にいるんだから。こっち
なんか無駄に本田さんがでかいから、苦しいんだからな」

本田「おい、どういう意味だ」

奈瀬「こっちだって3人いるんだから狭いわよ!」

ヒカル「あぁ、もう!せまいせまい言うなよ!仕方ねーだろ!」

ヒカル「まぁ、確かにせまいけどさ。今日は門脇さんいなくて助かったぜ」

和谷「なんだよ。門脇さんまでお前の家来てんのか?」

ヒカル「うん。プロ試験の後、家の連絡先聞かれてさ。そしたらもう一回
打ちたいからって来るようになった」

和谷「へー。じゃあもし門脇さんも来たら、誰か廊下だな」

皆の視線が本田に集まる。

本田「おいっ!門脇さんだってでかいだろ!」

和谷「いや、まぁ、ねえ」

ヒカル「さすがに門脇さんを廊下には……」

小宮「と、なると……」

本田「分かったよ!でも、絶対これからもオレは来るからな!」

ヒカル「あはははは…」

和谷「さてと、くっちゃべってても仕方ねーし、打とうぜ」

和谷「誰と誰が打つ?」

ヒカル「そうだな。とりあえずオレが4面打ちするよ」

和谷「4面打ち?でも、お前の部屋に碁盤って2つしかねーだろ」

ヒカル「うん。でも、あかりに持ってきてもらったから大丈夫」

あかり「はい。私が普段使ってる折り畳みの碁盤」スッ

越智「折り畳みか。足付きじゃないんだ」

あかり「足付きもあるんだけど、重くて運べないからこっちにしたの」

和谷「まぁ、そうだよな。いくら近所でもいちいち運ぶのはしんどいし。
でも、一つしかないじゃないか。もう一つは?」

あかり「もう一つは、これ」スッ

和谷「紙?」

ヒカル「オレとあかりが幼稚園のころ使ってた碁盤だよ。あの
ときは金がなくてさ。二人でこれにおはじきで打ってたんだぜ」

和谷「へぇ」

奈瀬「確かに、打てなくもないわね」

ヒカル「まさか、またこれ使うとわなー。それにしてもよくまだ
持ってたな。あかり」

あかり「えへへへ♪」

あかり(だって、ヒカルとの大切な思い出だもん。捨てられるはず
ないよ)

ヒカル「んじゃ、打つか」

ヒカル「まずは、奈瀬と和谷と越智、それから本田さんな」

ヒカル「お願いします」

奈瀬・和谷・越智・本田「「「「お願いします」」」」


あかりは見た。
四人の手練れと同時に戦い、互角の戦いを繰り広げるヒカルを。

越智(強いのは分かっていたけど……)

本田(四人同時にだぞ!?)

和谷(やっぱりだ。やっぱり……)

奈瀬(ヒカルくんは強い!)

その後、検討を挟み、今度は奈瀬と越智。和谷と本田。小宮、あかりと
ヒカルが2面打ちをし、日高は観戦という形式をとった。

対局が終わったら、ヒカルと順番に一局ずつ検討。
皆真剣な顔でヒカルの一手一手に注目する。

一番真剣な表情で盤面を見ていたのは越智だった。
ヒカルの思わぬような手に越智は驚く。

「さっきのこの手は、ここのヨミあいを睨んでのもの…」

戦慄した。いったい何処まで深く読んでいるのかと。
そして、それは小宮や本田も同じ気持ちだった。
絶対に自分では気づかない。気づけない。

だが、奈瀬だけは一人、静かにヒカルの手に頷いていた。

検討は遅くまで続き、この日はヒカルの部屋から一日中
碁石を打つ音が聞こえた。


そして。


和谷「じゃ、そろそろ帰るか」

奈瀬「うん。もう遅いしね」

本田「ああ、今日はいい勉強になった」

越智「………また、来るから」

日高「私はお邪魔みたいだし、もういいかな。でも、今日は
楽しかった。ありがと」

小宮「またな、進藤」

ヒカル「うん。皆また来てよ」

和谷「んじゃな……と、忘れるところだった。藤崎、今日はどうだった?」

あかり「わ、私!?」

和谷「ああ。分かったか、自分のこと」

ヒカル「?」

あかり「…………うん。なんとなくだけど」

和谷「そっか」

越智「……ふん」

ヒカル「何の話してんだよ?」

和谷「それは、藤崎本人から聞いた方がいいぜ」

ヒカル「?」

和谷「んじゃ、オレらは帰るから、またな」

ヒカル「……和谷の奴、なんだってんだよ」

あかり「……」

ヒカル「あかり?」

あかり「ヒカル。私、ヒカルに話さなくちゃいけないことが、
あるの」

ヒカル「話さなくちゃいけないこと?」

あかり「うん…」

ヒカル「…………」

あかり「…………」

ヒカル「……あかり?」

あかり「………………ごめんなさい、ヒカル。私、やっぱり
勇気がなくて、まだ言えない」

ヒカル「なにか悩みでもあるのか?だったら相談に乗るぜ。これでも
一応、お前の彼氏なんだし」

あかり「…………ごめん」



あかりはこの日、気がついた。
皆の真剣な表情に。
真剣に碁を打ち、真剣に学んでいる、その姿勢に。

今日の勉強会で、真剣さが足りないのは自分と日高だけだった。
いや、もしかしたら日高の方ですら、自分よりも熱心に勉強に
加わっていたかもしれない。

あかりは思った。

自分は今、どれくらい打てるんだろう?
1組を離れて久しい。
もう、ずっとピリピリしたような勝負はしていない。

確かに2組でも打っているが、それは自分が真剣に打たなく
ても勝てるような相手でしかない。

真剣勝負とは程遠いものだった。

真剣に打てない理由ももう分かっていた。

おそらくあの日、ヒカルに言われた通り、ヒカルと
付き合っているのが原因なのだろう。

きっと自分は、ヒカルが傍にいてくれることで安心
してしまったのだ。

越智と和谷に言われてからあかりは考えていた。
なぜ、自分は院生なのだろう。
なぜ、碁を打つのだろう。

自分がなぜ碁を打っているのか、そう考えたとき、あかり
は気づいてしまった。

自分が碁を打つ理由はヒカルに振り向いてもらうため。
ヒカルの傍にいるため、碁を打っていたのだと。

それが分かったとき、あかりは突然不安になった。
あの日。ヒカルが言った意味が理解できてしまったから。

勉強も出来ない。真剣にプロを目指すことも出来ていない。
どっちつかずの、半端者。

和谷は言っていた。
今から受験は厳しい、と。

しかし、和谷が言っているのは、とりあえず通う学校のことだ。
当然だ。
和谷はプロを目指しているのだから、学歴など、どうでもいい。

では、自分はどうか?
自分もプロを目指している。口先だけど。
口先でどんなにプロを目指していると言っても、所詮口先、なれる筈はない。

ならば、自分には学歴が必要になる。プロになれないのだから。ならないのだから。
最低でも、高校は卒業しないと社会でやっていけないだろう。

だから、ヒカルは自分に聞いたのだ。
どうするんだと。

自分の人生は、自分で決めろ、と。


でも、あのときの自分は、そんなこと何も考えてもいなかった。
ただ漠然と、ヒカルの恋人という肩書きに浮かれて、日々を過ごしていた。

そして、それが分かってしまった今でも、やっぱり大好きなヒカルと
離れたくない。一緒にいたいと思ってしまう。他の何を差し置いても。

……しかし、ヒカルはプロになった。
今日の奈瀬以外がほぼ院生で構成されたこの面子でも、あんなに
真剣に勉強している。

そのうち、ヒカルの周りはプロばかりになるだろう。
そのとき、自分はヒカルの隣に、傍にいることが出来るんだろうか?

……出来るはずがない。
今日の勉強会ですら、もうついていけていないのだ。

きっと、隣にいることが出来る女性は、奈瀬のように、ヒカルの言葉に
頷くことが出来る人だけ。自分じゃない。

そんな考えが頭から離れず、あかりは不安な気持ちで、押し潰されそう
だった。

>>341
ジャンプコミックだからこそ余計に女なんてほっといて碁を打つべきだろ。

>>344
ニセコイ「せやな」

ToLOVEる「せやせや」

いちご100%「ほんとこれ」

お前ら文盲かよ
344はジャンプコミックって言ってるじゃん

ジジィ「苦しみも迷いも必要じゃ、なんの心配もしとらんわい、あやつは必ず戻ってくる」

ジジィ「小娘を碁の世界に引きずり込んだ進藤が上を向いてる限り、あやつは自分の向き合うべき相手の前に戻ってくる」

天野「まるであかりちゃんが進藤くんの正ヒロインみたいな言い方をしますね、買いかぶりですよ」

ジジィ「買いかぶりなもんか、進藤ヒカル自身がそう思っておるんじゃから」

それから、あかりは院生研修を休むようになった。


本田「今日も来なかったな、藤崎の奴」

和谷「ああ」

越智「進藤の一番弟子って言ってたのに、意外と脆い奴なんだな。
やるなら真剣にやれって言われたくらいで逃げ出すなんて」

本田「ほんとにな」

和谷(……もしかしたら、何か理由があったのか?オレらの真剣な姿
見たら、自分の腑抜け具合が分かると思って、勉強会に誘ったつもり
だったけど)

和谷(……奈瀬なら何か知ってるかもしれない。あの日、あいつは
オレと帰る途中、進藤が心配で引き返してたし)

和谷(まぁ、オレがそこまで藤崎の心配してやる必要もないんだけど、
進藤には世話になってるしなぁ)

和谷(藤崎のことで進藤と勉強できなくなるのも困るし。たぶん進藤
の中での優先順位は、オレ等との勉強会よりは藤崎だろーから)

ヒカル「和谷!」

和谷「ん。え?進藤?なんで棋院にいるんだよ」

ヒカル「今日は院生研修日だろ?あかりの奴いる?」

和谷「お前、なんで藤崎が来てないの知ってるんだ?」

ヒカル「やっぱり、あかりの奴来てなかったのか!?」

ヒカル「あいつ……どうしちまったんだろ」

和谷(あぁ~、やっぱりな。思った通り最悪だ。進藤の顔がまた
険しくなってやがる。このままだと、オレらの勉強会にも絶対
影響出るぞ)

和谷(……とにかく、藤崎のことこのままにはしておけないな)

和谷「進藤。少し話しないか?」

ハンバーガーショップ。


和谷「えーっと、とりあえず状況確認したいんだけど、お前は
なんで藤崎が院生研修来なくなったのを知ってるんだ?」

ヒカル「おばさん……あかりのお母さんから電話で聞いたんだ。
院生師範の先生から電話があったって言ってた。あかりの奴、
院生研修の日は出掛けてたから、てっきり研修に出てるもんだと
思ってたって」

和谷「そっか。お前と藤崎って幼馴染みだったし、そういうことか」

ヒカル「おばさん、あかりに聞いても、あいつ何も言わないって。
オレも会いに行ったんだけど、何も言わなくてさ」

ヒカル「それどころか……最近あかりに避けられるようになった」

和谷「え?」

ヒカル「和谷はなにか知らないか?皆と勉強会した頃から、あいつ
変なんだよ」

和谷「分かった。でも、お前の方も知ってることがあるなら言ってくれ。
一人で悩むよりは二人で悩もうぜ。オレも付き合うからさ」

ヒカル「うん」

和谷は勉強会にあかりを誘った日、なにがあったのかをヒカルに話した。

ヒカル「……そうだったのか。そんなことが」

和谷「オレは越智の言い方はどうかと思うけど、言いたいことは分かるぜ。
2組だって皆真剣なのに、あいつだけ気の抜けた顔してんだから」

ヒカル「……………そう、だな」

和谷「さてと、んじゃ次はそっちだ。そーだな。藤崎が何で真剣じゃなく
なったのか知ってるのなら教えてくれよ。それが分かれば解決できるかも
しれねーぜ」

ヒカル「たぶん、それは……」

ヒカルは和谷に、あかりが何故碁を打つのか、何のために打っているのか話した。
オレの想像だけど、と前置きして。

和谷「…………」

和谷は話を聞いて、聞くんじゃなかったと後悔した。
多分ヒカルが言ってる通りの理由で間違いない。

それなら腑抜けた理由にも納得がいくし、院生研修に
来ない理由もわかる。

来ないのではなく、おそらく来れないのだと和谷は思った。
あかり自身、自分が気の抜けている状態だと自覚して
しまったのだ。

あかりの性格上、他の院生仲間に迷惑を掛けていたと分かり、
足が進まないのだ。もっとも、来ないなら来ないなりに、迷惑
は掛かっているのだが。けれど、あかりの頭はそれどころじゃ
ない筈だ。

多分、この世の終わりみたいなことを考えているのだろうと、
和谷は思った。

ヒカル「どうしよう……あいつ、どうするつもりなんだろ」

和谷「どうだと言われてもなぁ…」

和谷は返答に困った。

勉強が出来ない。碁に対して真剣にもなれない。お先真っ暗。
この話は、高校受験を控えてる自分にとっても、なかなか耳
の痛い話だった。

まぁ、自分はプロになるつもりなので学歴などどうでもいい。
だが、真剣にプロを目指すことが出来ないあかりには学歴は
必要になってくる。

ヒカルも和谷もそれは痛いほど分かっている。

和谷「あーっと。でもさ、ほら。お前と日高さん?藤崎の
勉強見てたんだろ?少しは成績上がったんじゃねーのか?
どうなんだ?」

ヒカル「確かに、0点はとらなくなったけど…」

和谷「…………」

ヒカルの発言に和谷はまた頭を悩ませた。
いくら勉強の出来ない自分でも0点は取ったことがない。

というより、狙って取れるものなのかすら疑わしい点数だ。

和谷「あいつ、本当に大丈夫かよ」

ヒカル「…………ごめん」

和谷「いや、お前が謝ることじゃねーから」

ヒカル「で、でもやっと成果出てきたし、ちょっと前のあいつは
0点沢山取ってたし!」

和谷「進藤。それフォローになってねぇぞ」

ヒカル「…………」

和谷「もう何言っていいか分かんねーな、規格外すぎだろ、あいつ」

ヒカル「…………」

和谷(いかんいかん、オレが進藤を落ち込ませてどーする)

和谷「えーっと、でもさ進藤。ものは考えようだ。院生このまま
やめて、勉強に専念して高校行くって考えれば、それはそれで
いいんじゃねーか?」

和谷「たぶん藤崎の奴、おまえと別れるなんて選択無理だと思うし」

和谷「院生もやめて、碁もしばらく休憩してさ。それから自分の人生
しっかり自分で歩いていけるようになったら、また始めたらいいさ」

ヒカル「…………」

和谷「無理だな」

ヒカル「ああ」

ヒカルも和谷もそれは難しいと思った。
幼い頃から今まで、碁漬けの人生を送ってきた人間が、碁が生活の中心
だった人間が、急にそれを辞めるなんてことは。

どんなに腑抜けてても、碁の勉強はやっている。
まったく身にはついていないが。

ヒカル「……はぁ」

和谷「でも、これも結局藤崎本人じゃねーと解決できないよな。
だいたい、女子の気持ちなんて、男のオレらには分かんねーこと
だらけだし」

和谷「藤崎が今何考えてるかなんて、オレにはさっぱり」

ヒカル「オレだってそうさ。オレ、あかりの彼氏のくせに、あいつ
のこと何も分かってない。あいつがどうしたいのかも、何でオレを
避けてるのかも」

和谷「女の気持ちなら女に聞くのが一番かもな。奈瀬にでも聞いてみるか?」

ヒカル「……そうだな。オレ、今度奈瀬に相談してみるよ」

和谷「いや、だったらここに呼ぼうぜ。オレ携帯持ってるから
掛けてやるよ」

ヒカル「サンキュ、和谷」

電話を掛けてから奈瀬を待つまでの間、和谷はずっと後悔していた。

「バカじゃねーのか、オレ?」

いくら色んなことを一変に聞いて、頭が回ってなかったとは
いえ、奈瀬がヒカルに気があるかもと、思っていたはずじゃ
ないか。

なんで、こう修羅場に修羅場を呼ぶような真似を自分はしてるんだ、と。

奈瀬が店に来てから、大まかな流れを、ヒカルは奈瀬に説明した。
和谷は奈瀬がどう思うか気が気じゃなかったが、意外にも奈瀬は
どこ吹く風のように、あっけらかんとしていた。

和谷は変わらぬ奈瀬の表情にほっとした。


奈瀬「なるほどねぇ。幼稚園の頃から好きだった、か」

ヒカル「だから、オレと付き合い始めてあかりの奴、気が抜けちゃった
んだと思うんだ」

奈瀬「まぁ、そうよね。それしかないと、私も思う」

奈瀬「で、成績も壊滅的で中卒になるかもしれない、か。あのとき、
ヒカルくんが随分あかりちゃんのこと心配してた意味がやっと分かったわ」

奈瀬「プロを目指すなら別れよう。目指さないならこのままで、でも
勉強一緒に頑張ろうな、ねぇ」

和谷「理に敵ってるとは思うけどな。進藤の言ってることは、尤も
だと思う」

奈瀬「うーん、そうかしら?」

ヒカル「え?」

奈瀬「ねぇ、ヒカルくん。これあかりちゃんに言ったのいつ?」

ヒカル「確か、今年の四月だったと思うけど」

ヒカル(だよな、佐為?)

佐為「ええ、たしか」

奈瀬「だったらあかりちゃん。まだ中学二年生になったばかりでしょ?」

奈瀬「てゆーか、四月だったらほとんど中一と変わらないじゃない」

和谷「それはそーだろうけど、だからどうしたんだよ?」

奈瀬「分からないの?あかりちゃんはそんな事言われても、きっとまだ
ピンと来なかったのよ」

奈瀬「だって、高校受験なんてまだまだ先の話だし、院生もやっと1年
たったばかりの頃よ?プロ試験も一回しか受けてないし、プロになる
ための大変さも、まだ良く分かってなかったと思う」

和谷「あ…」

ヒカル「そ、そうだ。そうかもしれない…」

奈瀬「ヒカルくんは確かにあかりちゃんの事を考えて言ったと思う。
それは間違ってない」

奈瀬「でも、それってきっと、親や年の離れた兄弟の台詞なんじゃないかな」

ヒカル「えっ」ドキッ

奈瀬「そうねぇ。例えば、もしヒカルくんとあかりちゃんと全く同じ
立場の中学二年生のカップルがいたとするでしょ?」

ヒカル「うん」

奈瀬「男の子は、彼女に対してそんな大人びたことなんてきっと言わない」

奈瀬「言わないってゆーか、言えない。だって子供だもん。思い付かないわよ、
なかなか。彼女の人生がどうなるかなんて。仮に予想できたって、大好きな
彼女と別れるなんて選べないと思うけど?」

和谷「そりゃそうだ」

奈瀬「自分の人生をよく考えなさいなんて台詞、同年代の子じゃなくて、
ふつう親や教師とかに言われると思うけど、どうかな?」

奈瀬の言葉に、ヒカルは頷くしかなかった。

確かにそうだ。

自分はあかりの事を真剣に考えていた、つもりだ。
でも、心のどこかで、保護者としての立場で考えていたんだろう。

あかりの事は好きだが、どっちかというと娘や妹、家族としての
意味合いが強かったのかもしれない。

彼氏として、一人の女性として見ていたつもりだった。
でも、小さい頃から自分の後ろをトコトコとついてきていたあかり
を、親のような目で見ていたのも確かだった。

……そうだ。確かにあの日、オレは言った。

「お前の人生を潰したくない」と。

彼氏なのに。彼氏の目線でオレはあいつを見ていなかった。

前の世界ではヒカルは17才だった。
6才の時点から、もう一度人生をやり直し始めてもう8年になる。

見た目と精神が一致していないから、精神年齢自体は17才以上に
なかなかならないが、それでも実質20年以上は生きたことになる。

あかりと同い年の彼氏目線でものを考えろというのも酷な話だった。

奈瀬(それにしても、この分だとヒカルくんって、あかりちゃんのこと
全然彼女として見てなかったんじゃ…)

奈瀬(大人びてるとは思ってたけど、考え方が中学生離れしすぎでしょ)

奈瀬(ってゆーか、この分だと私も恋愛対象に見られてなかった気が…)

奈瀬(……なんか、昔の自分なにやってたんだろって思っちゃうわ。
良かったー。プロにちゃんとなれてて)

奈瀬(これだと、自分が一人前になってからアプローチするしかなかった
じゃない。多分、院生の頃の私って、ヒカルくんから見たら小さな女の子
がはしゃいでるようにしか見えてなかったよね)

奈瀬(い、今はどうなんだろう。もう大丈夫よね?プロになってからは、
へばりつくのやめたし…いや、まだあかりちゃんと付き合ってるから、
一人前の女性として見てもらえても、恋愛対象にはならないけどさ)

奈瀬(いやいやプロって言っても4月からだけど。でも良いよね。
もうプロだもんね、実質)

奈瀬(ヒカルくんちゃんと見てくれてるよね。ね?)

奈瀬(うん、見てる。きっと見てくれてる)

奈瀬(扇子もらったもん。一人前って言ってくれたもの)

奈瀬(……………)

奈瀬(弟子として一人前、かぁ)

奈瀬(はぁ)

奈瀬(あのとき、頭撫でてもらえて嬉しかったなぁ)

奈瀬(また撫でてもらいたいなぁ。最近ヒカルくん背が伸びてきたし、
顔つきも大人っぽくなってきたし、きっとあと1年2年したらぜったい
イケメンになる。間違いない。そしたらきっと、モテモテだろーなぁ)

奈瀬(バレンタインに沢山チョコもらうんだよね、きっと)

奈瀬(はぁ)

和谷「おい。おい、奈瀬!」

奈瀬「な、なに?」

和谷「なにはこっちの台詞だ。どーしたんだよ。さっきから
嬉しそうな顔したかと思えば突然暗い顔になってため息つくし」

和谷「ため息ついたかと思えばまた笑顔になるし」

和谷「百面相の練習でもしてんのかぁ?」

奈瀬「してないわよ!ちょっと考え事してただけ!」

和谷「ほんとかよ」

奈瀬「ほんとほんと。失礼しちゃうわ、まったく」

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