少年「最後の一振りを少女に」(136)

屋敷の庭から見上げたその星空は、今までに見たものよりもずっと美しかった。

見慣れたはずの景色がこうも違って見えたのは、僕の心の在処のせいか。

それとも魔女のあの言葉が、耳に残っているせいだろうか。

満天の星々は、死ぬまでずっと網膜に焼き付いて消えないだろう。

目の奥でチカチカと輝き続けるのだろう。

そんな予感があった。

僕が死ぬ日というのが、いつのことかは全く分からないけれど。

とても救いがないお話です。
それでもよければ、そういうのがお好きな方は、おつきあいください。

―――
――――――
―――――――――

カランカラン

玄関のベルが鳴っている。

ご主人が帰ってきたようだ。

「おい、手を止めるなよ」

親方からげきが飛ぶ。

僕は慌てて作業を続ける。

僕はまだまだ下っ端だから、小さな木の剪定しか任せてもらえない。

だけど、いつかは親方のように大きな植え込みを任せてもらうのが夢だ。

この広い屋敷の広い庭には、僕の刈った植え込みもいくつかある。

でもやっぱり、ほとんどは親方のだ。

それがとても羨ましい。

「ああご主人、お帰りなさい」

庭に出てきたご主人に親方が挨拶をする。

ご主人は、また少し太ったようだ。

それだけ景気がいいということだろうか。

この国では裕福な人間ほど体が大きくなる。

僕のような貧しい人間は、体が小さい。

昔からあまり成長していない。

「玄関の横の植え込みは、誰が刈ったんだ?」

ご主人がおおらかに尋ねる。

僕はびくっと体を震わせた。

そこは、僕が刈ったところだ。

親方には褒められなかったけれど、僕は一生懸命やったし、うまくやったと思っていた。

なにか不備があったのか、と心配になる。

「あ、その、僕です……」

おずおずと前に出る。

顔は上げられない。

「……そうか」

ご主人はそう言って、少し間を置いた。

緊張する。

叱られるのかと、そう思った。

もしくはデザインが気に入らないから変えろと言われるかと。

「……なかなか上達したじゃないか」

ご主人はそう言って、僕の頭に手を置いてくれた。

心臓がまた跳ねる。

顔が熱くなる。

「やはりお前をこの家に置いて、正解だったな」

「は、あ、ありがとうございます」

「死んだお前の親父は立派な庭師だった」

「は、はい」

「親父に胸張って誇れる庭師になれよ」

「はい」

ご主人は屋敷の中へ戻っていった。

僕は少しぼうっとしていただろう。

親方に小突かれるまで、そこで突っ立っていた。

僕の父親はこの屋敷で働く庭師だった。

親方は、その一番弟子だった。

父親が死んだことで、僕は孤児になり、それを不憫に思ったご主人が僕をこの屋敷に置いてくれた。

それから僕は親方について剪定技術を学び、今に至る。

貧しいが、住む場所と食べるものがあるということは、この国では貴重なことだ。

幸せなことだ。

「褒められたからって、満足してんじゃねえぞ」

「っ」

我に返った僕に、親方から厳しい言葉が飛ぶ。

「でっけえのを任せるには、お前の腕はまだまだ未熟だよ」

「……はい、わかってます」

僕はうつむく。

厳しいけれど、でも親方は意地悪で言ってるのではない。

それがわかっているからこそ、僕はこの親方についてきたのだ。

「……はっ、『伸びしろがある』ってことだ。これに満足せずせいぜい頑張んな」

……やっぱり親方は優しい。

……僕は心の中で、小さく拳を握りしめた。

ではまた明日 ノシ

それからというもの、彼女の部屋に食事を持っていくのは僕の大きな楽しみになった。

その度に少しの時間だけ彼女と話すのが大きな楽しみになった。

だけど、彼女の話は要領を得ないことがよくあった。

「君はどうしてこの屋敷に来たの?」

「お父さんやお母さんは?」

「ここに来る前はなにをしていたの?」

そんなことを聞いても、曖昧に笑って頷くだけで、答えをくれなかった。

「うん……」とか「そうね……」とか言って、はぐらかされてしまう。

僕にはよくわからない事情があるのかもしれない。

話すのが嫌なのかもしれない。

僕はあまり詮索するのはやめようと思った。

……彼女のことを知れないのは、少し寂しいけれど。

―――
――――――
―――――――――

「これ、おまけだ。いつもありがとよ!」

ん?

果物屋のひげ面の店主がにっこりと笑っている。

僕の手元には、注文より一つ多いリンゴ。

「サービスだよ、他の客には内緒だぞ、ボン」

そう言ってにこにこと笑っている。

どうやら僕はリンゴを一つタダでもらえたらしい。

今までそんなことは経験しなかったし、見たこともないことだったので戸惑ってしまった。

「あ、ありがとう!」

お礼を言うのは忘れなかった。

「あの丘の上のでっけえ屋敷のお使いだろ? いつも大変だなと思ってよ」

「あ、ええ、本職は庭師なんですけど」

「おお、庭師か。その年で立派なもんだ」

「あ、でもまだ、全然見習いなんですけどね」

「それでも立派なもんだ」

ひげ面の店主は、見た目とは違って気さくで優しい人だった。

「ああ、そういやあ、あの屋敷と言えばよ……」

「はい?」

ひげ面の店主は辺りを少し伺いながら、僕に小声で尋ねた。

「金髪の女の子が住むようになった、ってのは本当かい?」

僕はどうして小声になるのかはよくわからなかったけど、小さく頷いた。

「……そうか、いや、悪かったな、変なことを聞いちまって」

今の質問が「変なこと」とは思えなかったけど、僕はあいまいに笑って頷いておいた。

そして、僕はもう一度お礼を言って、屋敷に戻るために来た道を引き返した。

帰り際、紫のテントがまた目に入った。

周囲とは明らかに違う色合いで、毒々しくもあり、神々しくもあった。

入口がかすかに開いている。

暗いけれど、中には確かに人がいるのが見えた。

見たくないのに、目が離せない。

その人は少しも動かず、ただ人を待っている。

僕の方を見ている? 僕を待っている?

そんな気がした。

気のせいだ。

そう、思いを振り払って、僕はまた足早に通り過ぎた。

―――
――――――
―――――――――

「え? これをくれるの?」

目の前の少女は不思議そうな顔をして僕を見つめてくる。

僕は恥ずかしくなって目を逸らす。

「おまけでもらったから、あげる」

それだけ言って部屋を飛び出す。

僕がこっそり食べるより、きっといいだろう。

ご主人には内緒だ。

もちろん親方にも言えない。

僕と彼女だけの秘密。

あ、でも日記にだけは書こうかな。

ドアの向こうで、小さく「ありがとう」の声が聞こえた。

―――
――――――
―――――――――

その夜、不思議な夢を見た。

真っ暗闇の中、ポツンと紫色の「魔女のテント」が立っている。

僕はその前に立って、中に入るかどうか迷っている。

しばらく前で躊躇していると、テントの中から細くて白い腕が伸びてきて、僕を掴む。

驚いて息を一度吸う間に、僕はもう魔女の前に立たされていた。

真っ黒なフード、真っ白な肌。

でも口は真っ赤に艶めいていて、ほとんどないはずの光を反射している。

その唇がゆっくり動いて、僕にこう言った。

「ご主人の部屋に、夜訪れないこと」

そこで、目が覚めた。

―――――――――
――――――
―――

では、また明日です

―――
――――――
―――――――――

次の日、僕はぼんやりと気分が悪かった。

なにをするにもため息が出て、動き出しが遅くて、覇気がなかった。

ミスが多くて、親方に三度も怒られた。

朝食の紅茶に入れるミルクをこぼした。

歯磨きに20分もかかった。

ハサミを足の上に落とした。

たぶん、昨日の夜に見た意味の分からない夢のせいだったと思う。

「おう、砥石のストックが足りなくなってきたから市場に行って買ってきてくれ」

昼過ぎ、親方にそう頼まれた。

普段なら自分の使う道具を僕に買いに行かせるなんてことはなかったのに。

「天気が悪いからな、あんまり外に出る気にならねえんだよ」

確かに、今日は朝からどんよりと曇っていた。

正直な人だ。

僕は言いつけ通り、市場の道具屋へ行くことにした。

今日の分の剪定は終わっていたし、それに……

心の中で少しだけ、夢で見た「魔女のテント」のことが気になっていたし。

「砥石と、あと麻縄も売ってたら頼む」

そう言って親方は僕にお金を渡す。

「親方、多くないですか」

「あ? なにが」

「いえ、お金、多くないですか」

「余ったらパンでも買って食いな」

ぷいっと親方は目を逸らす。

つまりは、お小遣いということか。

僕は嬉しくなって、「ありがとうございます!」と大きな声で言った。

「馬鹿、早く行け」って親方はまだ目を逸らしたまま言った。

ふと、庭のテーブルで本を読んでいる少女に気が付いた。

そうだ、彼女になにか買ってきてあげようか。

パンでもいいけど、屋台のフルーツや喫茶店のクッキーでもいいな。

なにがいいか聞いてみようか、そう思って彼女に近づこうとした時……

「おい、やめときな」

親方の重い声が響いた。

「え?」

「娼婦に使うために金を渡したわけじゃねえ」

「……娼婦?」

それって、あの、路地裏のお姉さんと同じ?

「……早く行け」

どういう意味?

あのお姉さんと、この少女は同じなの?

「いいから早く行けっ!!」

怒られた。僕は訳が分からなくなって、走って屋敷を飛び出した。

結局、彼女に欲しいものを聞けなかった。

砥石と麻縄を買って店を出ると、いよいよ雲行きが怪しくなってきていた。

飛び出してきたから傘もないし、早いところ帰ってしまいたかったけど、親方の言葉が気になっていた。

「娼婦」って、お金をもらって大人の男の人と遊ぶ女の人のことだ。

路地裏でいつもうろうろしている、あの人たちのことだ。

一人のときもある。たくさんいるときもある。

屋敷の少女も、路地裏に来て、お金を稼ぐのだろうか。

まさか、そんな。

ポツン、と雨が僕の腕を打った。

見上げると、黒い雲の流れは息を飲むほど速い。

本格的に降り出しそうだ。

腕に当たる雨粒がどんどん増える。

見上げていると目に入った。

「……くそっ」

反射的に屋敷への道を走る。

砥石も麻縄もそれほど重くないのが幸いだった。

濡れて困るものでもない。

いつもの買い出しだったら、苦労しただろうな。

荷物を抱えて僕は精いっぱい走った。

と、なぜか僕の足は紫色のテントに向かっていた。

頭では屋敷に続く坂道を目指しているはずなのに、なぜか僕の走る先にはテントがあった。

矛盾を感じている間に、すでに僕の体はするりとテントの中にもぐりこんでいた。

やはり「今日ここに来たい」と、僕は頭の奥底で考えていたんだろう。

前から気になっていたし、夢で見たし。



「やあ、いらっしゃい、ぼうや」

テントの奥から、不思議な声がした。

魔女が、目の前にいた。

夢の中と同じ姿で。

また明日です ノシ

―――
――――――
―――――――――

屋敷に戻った僕は、親方におつかいの物と余ったお金を返し、部屋に入った。

雨はどんどん激しくなった。

外から大きな雨音が聞こえる。

「初めて魔女と喋った」ことを日記に書こうか。

あのインパクトはなかなかだった。

でも、思っていたよりも普通の人だった。

それをうまく文字にできるだろうか。

そう考えながら、机の引き出しから日記帳を取り出した。

ゴンゴン

「おい、入るぞ」

ノックと共に親方が部屋に入ってきた。

僕は慌てて書きかけの日記帳を隠す。

「あのな、さっきの言葉は忘れろ」

と、突然言い出した。

親方がここに入ることなんて初めてではないか。

一体どうしたのだろう。

「さっきのって、なんのことですか」

「あの嬢ちゃんを『娼婦』と呼んだことだよ」

「あれはいったいどういう……」

「だから、あれはもう忘れろ。忘れてくれ」

「はあ」

「口が滑ったんだ、すまんな」

謝るのは僕にじゃなくて彼女に……と思ったが言わないでおいた。

やっぱり「娼婦」なんて、悪口なんだろうな。謝るくらいだし。

いい意味で使われることなんてないんだろうな。

少女が可愛そうだな、と、ふと思ってしまった。

ご主人が少女を連れてきて以来、親方は機嫌が悪い日が増えていた。

少女自体にもあまりいい顔をしなかったし、ご主人に対しても、あまりにこやかに話すことがなくなった。

家政婦さんたちの噂話にも、顔をしかめていた。

「ベッドメイクが苦だ」とか「世間の目が」とかいう度に舌打ちをしていた。

僕は少女と話をすることが楽しかったから、それらの雑音は気にならなかった。

だけど、やはり親方は嫌だったんだろう。

無節操な噂話も、その原因となる少女のことも、屋敷の評判が悪くなるかも、ということも。

―――
――――――
―――――――――

今日も、いつものように夕食を少女の部屋に運ぶ。

親方の「あの言葉」は、少女に聞こえていただろうか。

それが少し心配だった。

言葉の意味が分かっているかどうかは知らないが、言われていい気持ちはしないだろうから。

ゆっくりとノックをする。

コンコン

「……はい」

小さな返事が聞こえた。

部屋の中には少女がうつむいて座っていた。

「これ、夕食」

コトリ、と机にトレイを置く。

彼女は僕の目を見てくれない。

「ありがとう……いつも……」

「……うん」

すぐに部屋を出てもよかったんだけど、まだ彼女がなにか言おうとしている気がして、そこに突っ立っていた。

もしかしたらそれは気のせいだったかもしれない。

もしかしたら僕は邪魔だったかもしれない。

「今日……言われてたこと、気にしないでね」

不意に、そう言った。

彼女が。

「えっ」

「気にしないで、あの人が言ってたこと」

「……わかった」

やっぱり、嫌だったんだ。

「娼婦」だなんて言われることも。

それを僕に聞かれることも嫌だったんだ。

「僕は、君がなんと言われてても友達だと思ってるよ」

僕は目を逸らしながら言う。

なんだか恥ずかしいセリフだったけど、僕の本心だった。

彼女が嫌がることはしたくないし、嫌なことからは守ってあげたかった。

もし、今度親方がそう言ったら、文句を言ってやろう。

「友達のことを悪く言うのはやめてください」って。

僕は彼女の方を見て、笑った。

彼女も、ちらりと僕の方を見て微笑んでくれた。

もう、それだけで僕は十分だった。

そろそろ終盤です
また明日 ノシ

正直、元ネタの曲がすでに完成されているので、このSSは
蛇足(原作レイプ?)にしかなっていないかもしれませんが、
書いていて楽しかったです。心は苦しいけれど。



    ∧__∧
    ( ・ω・)   ありがとうございました
    ハ∨/^ヽ   またどこかで
   ノ::[三ノ :.、   http://hamham278.blog76.fc2.com/

   i)、_;|*く;  ノ
     |!: ::.".T~
     ハ、___|
"""~""""""~"""~"""~"


このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom