【夏目友人帳】面の下 (73)




小さい頃から時々変なものを見た。
他の人には見えないらしいそれらはおそらく、妖怪と呼ばれるものの類い。

今は亡き祖母、夏目レイコも同様に妖が見えたらしい。
そんな祖母が残した、多くの妖に子分になるよう名を書かせた契約書の束、友人帳。
遺品としてそれを受けて以来、妖に襲われたり名を返したりとてんてこ舞いの日々なのだ。

身寄りもなく、疎まれ、ずっとたらい回しだった俺を引き取ってくれた心優しい藤原夫妻。そして、この街で出会えたあたたかい友人達。
その人達に迷惑をかけないためにも、このことは秘密だーー。

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「じゃあなー、夏目」

「ああ、またな」

西村達に別れを告げて家路を急ぐ。さしたる用があるわけでもないが、あまり一人の時を作ると妖達の格好のまとになりかねない。
そうなると厄介だから、こうして急いでいるのだが……。



ーーがさがさっ。



特に風が吹いているわけでもないのに前方の草が音を鳴らせて揺れる。
おそらく“なにか”がいるんだろう。あまりいい予感はしない。

遠回りすべきかと来た道を引き返そうとしたら、草かげから“それ”が飛び出してきた。

「わっ」

「…………」

「あ、あれ?」

脅かそうとしたのに反応がなかったことに逆に驚いている、面をつけた妖。
こちらとしてもまさかの来訪に反応を取れなかっただけで、多少は驚いたのだが。内緒だ。

「どうしたんだ? この街に来るなんて」

尋ねると。面の上からでもわかるくらいの不服そうな顔を笑顔に変え、緑色の長い髪を揺らせながら高らかに言った。

「遊びに来たぞ!」




【面の下】




「ただいまー」

「おお、帰ったかなつ……ぬおッ!?」

俺に続いて部屋に入った妖を見るなり、先生が驚きの声をあげる。

ニャンコ先生は依代と同化していて他の人にも見えるから、飼い猫として共に暮らしている、自称用心棒妖怪。なのだが。
酒瓶片手にスルメを食べている姿はどう見ても中年男性のそれだ。

「また妖を呼び込んでからに! 貴様が招き入れてはせっかく張った結界も無駄になるだろう!」

「結界? ああ、あのちんけなものか。あの程度、私に通じるわけがないだろ」

「なんだと!?」

面の妖がそう言うと毛を逆立てて怒る先生。まあ俺も、最近いろんな妖が出入りしてるから忘れてたけど。

「まあまあ。せっかく遠くから遊びに来たのに、無下に帰させるわけにもいかないだろ?」

「遊びに来ただと?」

先生の目が鋭くなる。それを察したのか、妖はけらけらと笑いながら先生の前にしゃがんだ。

「そういうことだ。しばらく厄介になるぞ、化狸」

「狸ではなーい!」

「貴様、よく見れば木の上にいた妖か。名はーー」

「椛(もみじ)だ。忘れるな狸め」

「狸ではないと言っておろう!」

椛とは、俺がつけた名だ。
そもそも何故俺が名付けたかというと、以前名を尋ねた際に。

『私に名は無い。好きに呼んでくれ』

と言われたからだ。
考えた末、木に咲いた花のような妖だったから、椛と呼ぶことにした。
どうやらお気に召されたようで。

『椛、もみじか! 良い名だ!』

と、大層喜んでもらえた。なによりだ。

「で、椛とやら。いつまでいるつもりだ?」

「一月程さ。なに、迷惑はかけん」

「一月だと?」

相変わらず先生は鋭い目を向けている。妖とは言え、客人にそれはひどくはないだろうか。

「……此処にするのか」

「此処が良いんだ」

「なんの話だ?」

「ふんっ、なんでもない。まったく、本当にお前は厄介事を引き寄せるんだな」

俺に対してもひどくないか、先生。

本日ここまで。
書き溜めが無い上に、仕事や遅筆という病気持ちですので一ヶ月を目処に書いていきます。
オリ設定なども含みますが、なるべく原作の雰囲気を壊さぬようつとめますので、よければまったりお付き合い下さいませ。

では。

「というか椛、一月もなんて聞いてないぞ!」

しれっと言うものだからつい流しそうになったが、一月とは随分長い。
夏休みとかならともかく、残念ながら今は九月。学校もあるなかで、そんな長い間相手をしている程の余裕は無い。

事情を説明すると、椛は一瞬、残念そうな笑みを浮かべたように見えた。
だけどそれは見間違いだったのか、あははと笑いを溢す。

「別に一月の間、お前の相手をしてやるわけじゃない。私も暇じゃないからな!」

「意固地な奴め」

「なにか言ったか、ブサ猫」

「なにおうッ!?」

どうにもこのふたりは相性が悪いらしく、ぽかぽかと喧嘩を始めた。まあ先生も変化(へんげ)してないし、椛もただじゃれているようだから問題は無いんだろうが。

「で、俺がいない間はどうするつもりなんだ?」

「この街を見て回るつもりだ。私としても、興味があるからな」

「この街に?」

「ああ、とても……な。ふふっ。あ、いたっ。このブサ猫め! 加減してれば調子に乗りおって!」

遠方に住む、それも、長い間同じ場所にいた椛にとって、この街はどのように映るのだろう。
俺にとって、大事な街。友人に気に入ってもらえればいいけど。

どう思ってくれるかはわからないが、とりあえず。今は両手の拳を握って。

「いつまで人の部屋で喧嘩するつもりだ!」

ふたりの友人に振り落とすことにしよう。


ーーーーー



椛が遊びに来てから数日が経った。
先生曰く、俺が学校に行っている間、椛は本当にあちこちを見て回ってるらしい。

「悪さをするつもりは毛頭無いようだ。お前、よっぽど気に入られてるみたいだな」

「ははっ。そうなら嬉しいな」

探索に余程夢中なのか、椛が帰ってくるのは大体日が暮れてから。だからこうして、先生とふたりきりになる時間もある。

「まあ、奴が元々人に害を及ぼす妖では無いのもあるだろうが……」

「そうなのか? 脅かしたり、毛虫を降らせてたこともあったぞ」

「阿呆。そんなのただの戯れだ。脅かすのにしても、寧ろ、見える人に出逢えて構って欲しくなったんだろう」

「……そうかもな」

思えば、今も昔もあの木の辺りには椛しかいなかった。ずっと、ひとりきりだったのかもしれない。

ひとり、きり。
それがどんなに寂しくて、悲しくて、虚しくて……。

「……謝らなくちゃいけないな」

「ん?」

あの時、椛に言ってしまった言葉を。
知らなかったとはいえ、傷付けてしまったかもしれないから。

「ひとりきりでなんて、生きていけないんだから」

「……ふんっ」

丸まったままそっぽを向く先生の頭を撫でる。
どう謝ろうか。こういう時、言葉がすぐに思いつかない自分が嫌になる。

ーーああ、そろそろ日が暮れる。

それからまた数日が経ったが、残念なことに未だに謝ることが出来ずにいた。
そもそもは椛がどこかしらから酒瓶を持って帰ってきて、毎夜のように先生とどんちゃん騒ぎをするせいなのだが。というかいつの間に意気投合したんだ、このふたり。

それともう一つ、気になることがある。
椛が来てから他の妖をほとんど見なくなったのだ。
まったく見ないわけではないが、見かけても逃げるように去って行く。特に傍に椛がいる時は。

普段とは真逆の生活で、かえって落ち着かない。
名を返してもらおうと訪れる妖もいないし、一体なんなのだろう。

「なにを辛気臭い顔してるんだナツメー! ほら、早く呑め呑め!」

「だから俺は未成年だから飲めないって言ってるだろ」

「なにをーッ!」

酔っ払っているのか、名の通り顔を紅く染め上げた椛が急に立ち上がり俺を羽交い締めにする。い、意外と痛いんだが……。

「今だブサ猫! ナツメの口に酒を注いでやれ!」

「な!? 馬鹿なこと言うな!」

「ふっふっふ……。そのまま抑えておけ」

うわあ、先生がこれ以上ないくらい悪人面で笑ってる。手に持ったお猪口に酒を注いで、俺の方にゆっくりと……。

「中級どもではお前を抑えられんからな。ふふふふふ。夏目、覚悟ッ!」

「い、い、加減にしろとッ!」

「わっ」

椛を振りほどき、拳を強く握り締める。
振りほどかれまいとたかをくくってたのか、唖然とした表情のまま固まっている先生にそれを。

「ニョッ!?」

「言ってるだろ!」

どうにも頭に血がのぼると手がしまう。
足下の、でかい頭の上に大きなたんこぶを乗せている先生を見て反省する。まあ、怒らせる先生も悪いけど。

「あっはっは! ゆかいゆかい!」

「笑いごとじゃないぞ」

椛はよく笑う。本当に楽しそうに、けらけらと。思い出となったあの頃と同じように。

「見た目こそ間抜けな姿だが、こいつも随分な大妖だというのに。それを拳骨一発で……。アハハハハハ! 笑うなという方が無理だろう!」

確かにそう言われると、他の者から見ればシュールなのかもしれないな。先生ほどの妖が、人間のゲンコツで気絶するなんて。

「ああ、もう。本当に……」

腹を抱えて笑っていた椛が後ろから抱きついてくる。今度は羽交い締めじゃなく、そっと。優しい笑顔を浮かべながら。

「……強くなったね、ナツメ」

「……そんなことないさ。今も弱いまま、昔と変わらない」

くすり、と耳元で笑いが聞こえる。

「変わったよ。ずっと強く、もっと優しくなった」

「……椛は、相変わらず優しいな」

「あはは。そうだ、私は優しいんだぞ。だからーー」

抱き締める手が強くなる。
ちょっと痛いと思うくらい、強く、強く。

「もっと笑ってくれ。私にナツメの笑顔を見せてくれ。私は、そんなナツメが……」

「……椛?」

そんな俺がなんなのか問う前に、静かな寝息が聞こえてきた。
やれやれ、たいしてお酒に強いわけでもないのに飲み過ぎるから。

「よいしょ……っと」

背中で寝かせるわけにもいかず、押し入れの中に敷いてある布団に椛を運ぶ。俗にいう、お姫様だっこで。
その、妖とはいえ女性にぞんざいな扱いをするわけにはいかないからであって、やむを得ず。

と、誰に対しての言い訳なんだと自答しながら運んでいる最中、ふと、違和感を感じた。
それがなんなのかわからないが、たぶん、きっと。よくない“なにか”。

椛を横にさせ、気絶してる先生を自分の布団に入れてから辺りを見回す。
視界に映るのは、いつもと変わらない自分の部屋。妖がいる気配もない。

「気のせい……だったのかな」

最近先生や椛以外の妖と会っていないから、感覚がおかしくなったのだろうか。

「……いや」

おかしいのはもともとかもな。普通の人には見えないものが見えているんだから。

自嘲気味な笑みを浮かべ、電気を消して布団に入る。
寝よう。明日は休みだし、椛をどこかに連れていってやろう。何処がいいだろうか。何処なら喜んでくれるだろうか。

そうこう考えているうちに、意識は闇へと沈んでいった。


ーー山を紅葉が紅く染め上げる。まるで燃えているのかと思うくらい紅く、美しい景色。
それを見ている自分が山道に立っていることに気づくまで、そう時間はかからなかった。ここは何処なのだろう。

ふと、下から人が登って来ていることに気づいた。
その男性は何本もの薪を背中に担ぎ、身なりからここが現代ではないことを教えてくれた。

ああ、たぶんこれは夢だ。
おそらく、椛のーー。

薪を背負ったその人は俺の横を通りすぎ、近くにあった祠の前でしゃがみ、手を合わせる。

「ーー様。どうか無事に、山を越せますよう……」

この人は見えていないんだろう。祠の後ろの草むらで木の枝を振り回している女性のことが。

「ええい! 分かったから早く行け!」

なにをしているのか気になって、女性に近づいてみる。足下には蛇が一匹、男性の方に向かって進もうとしている。

「このっ、貴様! 私に歯向かうつもりか!」

ようやく諦めたのか、蛇は反対へと向かって進みだした。
女性の妖はふう、と息を吐いてその場に座り込む。

「さあて、そろそろ行くかな」

「ああ。気をつけてな」

男性には聞こえないその言葉とともに、優しい目で見送る。長い緑色の髪を風で揺らせながら、見えなくなるまでずっと。

「本当に、人とは世話のかかる生き物だ」

言葉とは裏腹に顔は嬉しそうで、世話をするのを楽しんでいるんじゃないかと思うくらい。



面をしていないその妖は立ち上がり、次の旅人を待ちわびるように山道の下を眺め始めたーー。

目を開くと、柔らかな月明かりが包む自室が視界に入ってきた。眠りについてからまだそれほど時間が経ってないのかもしれない。

今の夢は、やはり椛の記憶なのだろうか。
身につけているものも、名も。今とは違うものだったけれど。

「起きたのか」

声のした方を見ると、窓の外に椛が
いた。屋根の上に立っているのか。

「まったく、夢を覗くとは。誉められた趣味では無いな」

「見たくて見てるわけではないさ」

嘘ではない。俺の意思じゃなく、勝手に入っていってしまうんだ。
そう答えると、椛はふふっと笑い。

「こっちに来い。良い月夜だぞ」

と、屋根の上に俺を招待する。
聞きたいこともあるし、その誘いを承けさせてもらおう。

椛は屋根に腰をかけ、足をぶらぶらとさせながら月を眺めていた。ここに座れと言うように隣をぽんぽんと叩いたので、お言葉に甘えさせてもらう。
ああ、今日は満月だったのか。本当に綺麗だ。

「酒はダメだな。心を開きすぎてしまう」

それとも。と小さ呟き、首を振りながら笑った。

「なんでもない。やはり酒のせいだ」

「ーー……」

小さく呟いたその言葉は、すぐに夜の闇へと消えていく。
だが椛の耳にはしっかりと届いたらしく、首を数度、横に振った。

「違う、違うよナツメ。“それ”は私の名では無いんだ」

椛は微笑みながら“それ”を否定した。
でも、俺は確かに聞いたんだ。
椛の、本当の名を。

そう考えながら怪訝な顔をしてたせいか。面に隠れていない口許が困ったように笑う。

「“それ”はな、紛いなりにも神の名だ。ただの妖である私が名乗っていいものでは無い」

「本当の名を名乗るのに資格なんかいらないだろ」

と、いうか。と続け。

「今は、神様じゃないのか?」

椛はおもむろに立ち上がり、満月へと顔を向ける。ちらりと見えた面の下の椛の目は、月ではなく、どこか
遠くを見つめているようだった。

「昔話をしてやろうか」

「昔話?」

「ああ。ーーとある、情けない神の話さ」

顔を月に向けたまま。椛はぽつりと話し始めた。
おそらく、神様だった頃の椛の話を。

書き溜めたいんですが時間がほとんどなくて即興でちょこちょこ書いてくのが精一杯の状況です…。
本当に申し訳ありません…orz


ーーーーー



山々に囲まれた小さな村があった。
そんな場所にあるせいか、他の村や町とほとんど交流の無い村でな。米や山菜が不作の年は随分と苦労していたんだ。
そんな時は若い衆が山を越えて薪や笠などを売りに行き、稼いだ金で食物を買って村へ持ち帰っていたんだが……。

別に険しい山でもなかったんだが、熊や蝮、それにたちの悪い妖がいてな。道中で亡くなる者が後をたたなかったんだ。

食物が届かないばかりか、働き盛りの若い衆を失っては村の存亡に関わる。かといって他に手立てがあるわけでも無い。
そこで、村人はその山道に祠を建てる事にした。これ以上死人が出ぬよう神に護ってもらおうと。

そうして、その祠に神が宿った。
これは偶然か、村人たちの計らいかは分からんが、祠は拓けた場所に建てられていて、周りの山々がよく見えたんだ。その景色がとても美しくて、こんな素晴らしい場所に祠を建ててくれた人間に感謝した。

この恩に報わねばと、護り神は役目を果たす為に躍起になった。ある時は人間に近づく獣たちを追い払い、またある時は悪しき妖を封じたり。
そうこうしていると、死人がぱたりと止んでな。村人は神のお陰だと喜び、祠に手を合わせに来たり、供物を持って来たりしたんだ。

その神は益々力を得て、更に人間を護れると喜んだ。

喜んで、いたんだ。

それからいくつかの季節を過ぎた頃、その神が山を散歩してた時、ある少女と出会った。
神は驚いたよ。山道から外れた森深いこんな場所に何故、しかももう日が暮れるというのに幼子が1人でいるんだと。

泣きじゃくる幼子をよく見れば、手に薬草を握っていてな。ああ、これを取りに来たのかと。
だがそれにしてもこんな所に来なくともと思っていたら、幼子から妖の匂いがして。それもまだつけられたばかり。

山には妖が多い。良いのもいれば悪いのもいる。恐らく、その子はたちの悪い妖に迷わされたんだろう。神が近づいてきて逃げ出したのか、妖の姿は無かったがな。

さて、どうしたものか。
見たことの無い子だ。山の向こうの町の子だろう。手を引いてやりたいが、人間と繋げる手は持ち合わしていない。
だが幸いにも神は変化が出来た。病を運んだり穀物を食い漁ったりする鼠や害虫を駆除する、ある意味人間からすれば護り神ともいえる猫にだ。

神は姿を変え、少女に近づいた。

「なーん」

「すんっ……んっ……。ねこ……ちゃん?」

思えば、人と話したのはそれが初めてだったな。

よかった。ちゃんと見えているな。
猫に変化する機会なんてほとんど無かったから人の目に映るかが心配だったが、どうやら杞憂だったらしい。
これなら道案内してやれると安心した瞬間。

「ねこちゃん!」

早かった。避ける間も無いくらい。
気が付いた時には少女に抱き締められていたんだ。

「助けて、助けてねこちゃん……」

ぎゅーっと、力強く。
悪い気はしなかった。人と触れ合え、温もりを感じれて。なんとも言えない、嬉しさがあった。

だがまあ、道案内してやりたいのにこのままではいかん。助けてやるから早く離せ。

「早く帰らないとおっかあが……おっかあが……! ねこちゃん、助けて……」



ーーこれが人か。自らが窮地に立たされているというのに、他の者の心配をする。自らよりも、他の命の方が大事だというのか。

神は思ったよ。こんな綺麗な心を持つこの子を、絶対に助けなければと。

なんとか少女の腕から抜け出し、少し離れたところで歩を止める。

「にゃん」

また泣き出しそうな少女に、早く着いて来いというよう顔を見つめると、少女は気付いたのか、立ち上がって神を追い掛け始めた。
その手に、しっかりと薬草を握り締めて。

「わあ……!」

町にたどり着いたのは日が落ち、月が頭上へと登った頃だった。道中、少女を狙う獣や妖をバレないように払うのはなかなか苦労したものさ。

ここまで連れてくれば大丈夫だろうと山に帰ろうとしたが、少女は神を抱えあげて走りだした。

「こっち! こっちだよねこちゃん!」

見知ったところに帰って来れて安心したのか。さっきまで満身創痍だったくせに、今は軽快な足取りで家へと向かう。

その子の家は町の外れにぽつんと建っていた。
お世辞にも立派だとは言えない家。少女の身なりからも裕福だとは思っていなかったが、そうか。だからこの子は薬草を得る為にわざわざ山まで……。

「おっとお!」

家の傍らに立つ木の下に男が立っていた。その男は少女が呼ぶやいなや、少女に駆け寄り抱き締めた。挟まれて神が苦しがったのは言うまでもないがな。

「あのね、おっかあにね。これ、これ!」

解放された少女は手に持つ薬草を父親に見せる。

「ああ、ごめんな。ごめんな……!」

父親は謝りながら泣いてたよ。その雫は、不思議な事にとても温かそうだった。

長らくお待たせしてごめんなさい…。
仕事が忙しくなる前に書き上げたかったのですが、遅筆過ぎて間に合いませんでした…。

ようやく仕事が一段落しましたので、土曜日頃から更新再開致します。
本当に申し訳ありませんでした!

さて。落ち着いた父親に少女は経緯を話した。薬草を取りに山に行った事。気が付いたら山中で迷っていた事。猫が道案内してくれた事。
父親は抱えられた猫に大層感謝してな。お礼に飯でもと言い、家へと招き入れた。

そこで、神はまた愕然する羽目になる。

「おっかあ! ただいま!」

母親らしきその女性は床に伏せていた。
見るからに窶れ、生気も乏しい。いつ事切れるやも分からないほど衰弱していたんだ。
そして月明かりの下では気付かなかったが、焚き火に照らされる父親の顔も痩せ干そっていて。如何に貧しい生活を送っているかが手に取るように解った。

「ほら、これをお食べ」

差し出されたのは焼かれた小さな川魚。
普段祠に供えられている魚の方がよっぽど立派なくらい。
父親は少女にも同じような川魚と、小さな器に入った山菜汁を手渡す。

「お前も食べなさい。疲れただろう」

「おっとうは食べないの?」

「ああ。もう食べてしまったからね」

そっか、と。納得したように微笑む。
たぶんこの子も気付いているんだろう。父親の、優しい嘘に。でも、それを咎める事が出来ないと知っているから、敢えて気付かぬふりをしているのだろう。

「ほら、ねこちゃんも食べよ?」

促されるままに喰わえた魚はすっかり冷えきっていて、身も固くなっていて。
ーーでも、美味しかったよ。

それからというもの、神はしばしば少女の家に訪れた。無論、猫の姿で。
少女はいつも歓迎してくれてな。よく一緒に出掛けたものさ。薬草を採りに行ったり、川で魚を捕ったり、ただ散歩したり……。

浮かれていたのかもしれない。“神”としてではなく“自分”を必要としてくれている事に。
今までずっとひとりで過ごしてきた神にとって、それはとても甘美で、幸福な事だったから。

だから神は思った。幸せをくれたこの子には、必ず幸せになって貰いたい。その為に出来る事はしてあげたいと。

先に述べたが、神は護り神だ。
母親の病気を治したり、裕福にしてやれるような力は持ち合わせていない。
だが災厄や妖からは護ってやれる。
護ってみせる。

本来の使命とは違う理由で力を行使するなど許されるものでは無いと知っていたが、それでも構わなかった。
どのような禁忌を犯してでもこの子と共にいれるなら、それで良いと。



それが、どんな結末を迎えるとも知らずに。

例えばだが。両手を使ってようやく持ち上げられるものがあるとしよう。
そして、それを持ち続ける事が己の役目だとしよう。

なのに片方の手で無理矢理違うものを持とうとしたら、どうなると思う?
……考えるまでもないな。両方とも、落としてしまう。

「なんでだ!」

「役立たずめ!」

「あれほど崇めたのに!」

祠に向かい浴びせられる罵倒。少女の家から帰ってきた神が目にした光景がそれだ。
すぐに理解したよ。自らの愚かさを。

祠を建てた村に向かうと、数人が藁を被せられて横たわっていた。周りには、泣き崩れている家族の姿があった。

妖か、獣か、それとも事故か。
理由はなんであれ、村人が数人死んだ事に変わりはない。本来、神が護らなければならぬ者達が。

悔やんでももう遅い。事は起きてしまった。

それから暫く、神は少女の家に行くのをやめて使命に没頭した。それこそ死に物狂いでな。
だが一度失った信用は簡単に取り戻せる訳が無く、逆にどんどん信仰が薄れ、神は力を無くしていった。
気付いた時には、誰も護れぬくらいにな。

それからいくつかの季節を巡った頃には、最早それは神と呼べるものでは無くなっていた。
いつ消えるやも解らぬくらい力が衰え、ただ存在するのがやっとだった。

もう、誰からも必要とされない。
誰にも気付かれず、消えるのを待つだけ。

とても恐ろしいものだよ、それは。自分が存在している意味が無いのだからな。
だがそうなったのは自業自得。誰かのせいでは無い。悪いのは、全て自分だ。
それでもやはり、ひとりで逝くのは怖かったんだ。

ならば、と。神だったものは最期の時をあの少女のもとで迎えようと決意した。それなら安心して逝けるだろうと。
僅かな力を振り絞り、山を降りて少女の家に向かう。早くあの子に会いたい。あの子の腕に包まれたい。そんな想いを巡らせながら向かったんだ。

……だが、それすらも叶わなかった。

それからいくつかの季節を巡った頃には、最早それは神と呼べるものでは無くなっていた。
いつ消えるやも解らぬくらい力が衰え、ただ存在するのがやっとだった。

もう、誰からも必要とされない。
誰にも気付かれず、消えるのを待つだけ。

とても恐ろしいものだよ、それは。自分が存在している意味が無いのだからな。
だがそうなったのは自業自得。誰かのせいでは無い。悪いのは、全て自分だ。
それでもやはり、ひとりで逝くのは怖かったんだ。

ならば、と。神だったものは最期の時をあの少女のもとで迎えようと決意した。それなら安心して逝けるだろうと。
僅かな力を振り絞り、山を降りて少女の家に向かう。早くあの子に会いたい。あの子の腕に包まれたい。そんな想いを巡らせながら向かったんだ。

……だが、それすらも叶わなかった。
辿り着いたそこに、あるはずの家が……無かったんだ。

>>69はミスです。
本日ここで区切りとします。
遅筆でごめんなさいぃ…。

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