男「だから、僕は死を選ぶ事にした」(143)


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男「う……」



男「ここは……?」キョロキョロ


目覚めると薄暗い部屋だった
窓もない、四角い質素な部屋

小さなテーブルやベッド、本棚などが置かれた部屋だ
そのどれもこれもが彩度を失ったような、無機質な部屋だった

男「なんだ…… ここ?」


周囲を見回してみる
整頓されている… 何もない、ないけれど落ち着く。そんな部屋だった

男「綺麗っていうか… むしろ散らかすほうが難しそうかな、コレ」

ペタ、ペタ…

板張りの床を裸足で歩く音が聞こえた
誰かいるようだ

意識を、部屋の唯一の出入り口である扉に向ける

カチャ

扉を開けて入ってきたのは、かわいらしい顔立ちをした年頃の女だった
僕のほうを見て、目を見開き… 一歩、後ずさった

男「えっと……?」


女「びっくり、した。目が覚めたのね」

男「え? あ…うん。寝てた…のかな」

女「……」

なんだろう、この微妙な沈黙は
というか… この子は、誰だろう

男「えっと…君は?」

女「え」

男「っていうか… ここはどこ?」

女「何いってるの?」

男「あ、あれ? 何言ってるんだろう… でも、あれ?」

男「僕は…… 誰?」


女「…ふざけてるの?」

男「ちょ、ちょっと待って…」

おかしい、おかしい
あたりまえの事が、綺麗さっぱり消えてしまったかのように思い出せない

男「えっと…僕の名前は…」

男「い、いや。家は、住所は……?」

女「…本気?」

男「はは… そ、そうだよね 嘘だよね? なんだこれ… 職業、年齢…… え? 何もおもいだせない…?」

女「そんなに会話が流暢なのに、自分のことだけ忘れてるとか。そんな都合いいこと言う?」

男「自分のことだけって言うか… ご、ごめん。君のこともわからないんだけど…」

女「え……」


男「えっと… ここ、君の家? 君は誰?」

女「うそ… 本当に… 記憶…ないの?」

男「はは… そう、みたい」

女「………」

女の子は少し青ざめた表情で口元に手を当て、虚ろな目で床の一点を見つめている


男「えっと… 僕のこと知ってるなら、教えてくれないかな?」

女「……」

男「あ、あはは。いやいや、考え込むのはいいんだけど… でも、ダンマリはちょっと…」

女「……」

男「え、えーっと… あ、あれなのかな? 偶然居合わせただけとかなのかな?」

女「……」

男「あ… えっと」


女の子は眉をしかめて こちらをいぶかしんでいる

男(それはそうか、記憶喪失だなんて… 自分でも冗談としか思えないもんな)

どうやら困らせてしまったようで
女の子は手を口元に当てたまま微動だにしない

男(……誰なんだろう? 可愛い子だな)

男(もしかして… 僕の彼女とかなのかな……?)

男(って)

男(自分が記憶喪失だっていうのに、何を暢気なこと考えてるんだ… あの子のほうがよほど真剣に考えてくれてるみたいじゃないか)

記憶がない、ということに実感が持てなかった
まるで最初からそんなもの無いとでも言われたほうが信じられるくらいに…

僕は綺麗に記憶をなくしていた

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のんびりやっていきます
100レス以内に完結予定 よろしくおねがいします


女「……痛かったり、しないの?」

男「痛い? ああ…頭とか? 記憶喪失っていうとそういうイメージあるよね…ズキン!みたいな」

女「みたいな、って。私は別にそういう冗談言ってるわけじゃ…」

男「あー… あはは。 なんかそういう痛いのは全然ないかな…」

女「うそ…」

男「あ、でもなんだろう。身体が重たいような、だるいような気はするよ」

女「……あたりまえよ。それくらいじゃないとおかしいもん」


少しきつめに睨み付けられる

男(なんだろう、何か悪いことを言ったのかな…)

それすら判断がつかない


こちらを冷ややかに睨まれると、とても居心地が悪かった
そうして僕はなぜか… そこでようやく、逃げ出したいような気になったんだ

男「え、えっと… そうだよね! 記憶が無いなんておかしいから病院かなんかいかなきゃだめだよね!」

女「え」

男「き、君にも迷惑掛けられないし… とりあえずどっか行ってみるよ」

女「……」

男「じゃ、じゃあ」

僕はそういって、彼女の横を素通りして扉を開けた
扉の向こうには部屋と同じような調度の廊下があり、他に2枚の扉がある
その先に、鉄製の扉


男(やっぱりここ、誰かの家なんだろうな…狭さからいって、一人用?)

男(ま、まあいいや。外の景色でも見れば ここがどこかわかるかもしれないし)

玄関と思わしき扉をひねる
ガツン、という音がして レバーが一定より下に下がることはなかった

男「……あれ?」

鍵がかかっているのかと思い、近くにあった鍵を回してみる
ガッ、という強めの引っかかりがある

男「あ、あれ… なんだこれ?」

ガチャガチャ、ガッ、ガッ

男「……開かない…?」


この扉は玄関ではなく、金庫のような何かなんだろうか
数歩引き返して、他の扉を開けてみる

その先には こじんまりとしたダイニングキッチンと、さらにこじんまりとした脱衣場
脱衣場の先にはバストイレがある
わりとありがちなワンルームタイプのアパートのようだった

だけれど、明らかに異様なのは
その部屋の全て どこにも… 

窓がないことだった


男「……な、なんだ? ここ…?」

女「……」

背後に気配を感じて振り返ると
女の子が扉の向こうに立って こちらを覗き込んでいた


男「えっと… か、変わった家だね…? ここ、君の家?」

女「……」

男「えっと… あそこの鉄製の扉が玄関だよね?」

女「…うん、そう。…あそこだけが、出口」

男「鍵が開かなくて。鍵、あけてくれる…?」

女「無理…なの」

男「は、はは… 無理って… 冗談きついよ?」

女「無理なの。あの扉は開けられない。ここからは… 出られない」

男「え…」

女「どうにかして、自分で開けてみて…?」

男(そんな無茶な…。っていうか…これって…)


男(閉じ込められてる…?)


僕はとりあえず、部屋にもどって考えてみることにした

閉じ込められているにしたって、その理由もわからない
だけれどこの家に居るのはあの女の子だけのようだし、いざとなればどうにでもなるだろう

自分でも驚くほどに楽観的だった
記憶をなくしたせいだろうか、どこか感覚が狂っているのかもしれない

部屋にもどって、ベッドに腰を下ろす
女の子はそんな僕の様子を やはり戸口に立ってみている

男「……えっと」

女「……」

妙に口数が少ない女の子だ
見た目は そこまで静かでおとなしい子には見えない


まんまるい目に、くりくりと ゆるく巻かれたダークブラウンの髪
可愛らしい短めのキュロットスカートに 荒めのニットセーター
中にはとてもビビッドなカラーのシャツを着ている

男(可愛い子だなぁ… なんか、部屋着とおしゃれぎの中間って感じ?)


女「…なんで、そんなに私を見てるの? やっぱり本当は私のことを覚えてるのに嘘をついてる?」

男「っ、ごめん!」フイッ

女「……」

男(しまった! つい凝視しちゃった…)


男(って。 なんで監禁されてんのに謝っているんだろう僕…)チラ

女「……」プイ

男(横顔も可愛い・・・)ジー

男(はっ)

男(いやいやだから。女の子を観察してる場合じゃないよ、ちゃんと考えなくちゃ)

男(でも、考えるといったって… なんも思い出せないんじゃどうにも…)


男(あ、そうか)


男「あのさ」

女「なに?」

男「えっと… 別に初対面ってワケじゃないんだよね…? 僕のこと何か知ってる?」

女「……」

男「えっと… 知ってたら…なんでもいいんだけど 教えて欲しいなぁって…」

女「……」

女の子は、また 軽く握った手を口元に当てて なにやら考え始めたようだった
しばらくの間があり、こちらも痺れを切らして 声をかけようとした時
ようやく、彼女は小さく口を開いた

女「……名前」

男「名前…」


男「そっか。名前。 僕の名前は何?」

女「……『男』」

男「えっと… え? それ、名前? 苗字とかないの?」

女「……」

男「じゃ、じゃあ 家は? ここが僕の家ってことは無いよね? なんかの施設?」

女「……」

男「えっと……」


今度は、考え込むのではなく こちらを見つめたまま黙っている
その様子から“答えるつもりがない”ということは すぐにわかった

さすがに、危機感が募ってきた
いくらなんでもこれは・・・おかしい気がする


家族なり、友人なり、恋人なりだったならば もう少し何か教えてくれてもいいはずだ
焦る心をなるべく冷静にとりつくろう
深い深呼吸をしてみる

男(考えてみよう、こういう状況がありえる可能性を…)

自宅に謹慎を余儀なくされている場合

…しかしこの部屋は明らかにワンルーム
閉じ込めて謹慎させるにしろ、普通は実家などに送るだろう
それになにより、この窓もない家が 普通の家だとは思えない

普通の家でない場合はどうだろう


たとえばここが何か… そう、たとえば警察病院とか、牢獄とか…
あとはそうだ、精神病とかの施設だったらありえるかもしれないじゃないか

窓に格子がはめられて脱走したり徘徊したり出来ないようにする
危険人物を押さえておくための施設にはそういうものもあるという

じゃあ、僕は危険人物かなにかなんだろうか
記憶をなくして、自分の悪行を覚えていないとか? 彼女はその被害者とか…?

男(いやいや… だとしても。被害者と加害者を同じ部屋に一緒にするわけないか)

男(まず、どう考えてもそういう施設には見えない。普通の家にも見えないけど)

男(それにもちろん、彼女の格好も看守だとか看護師だとかには見えないし…)チラ

女「……」


男「…………」ジー

女「……?」

男「………」


男(はっ!!! ナース服を着てる所を想像してる場合じゃない!!!!!!)ブンブン


女「どうしたの…?」

男「な、なんでもないよ!」


あまりに妄想じみた突飛な考えに、本当に妄想してしまった
だけどわかっている、むしろこれはちょっとした現実逃避なんだ


そんなことを考えてしまうくらいに
それよりも もっと現実的な考えが脳内に姿を現し始めているから

女の子と二人きりの、窓の無い小さな家
外に出る事が出来ない状態
何か理由があって、身内や保護者がそうしているならば そうと説明するはず

だけれど彼女は 僕が男という名前だとしか教えてくれない


教えてくれない。あるいは、教えられない
そんなものに… どんな理由があるというんだろう

あるとすれば
あるとすれば

この子は、僕のことを実は知らない…まったくの他人
そして、その動機もまた… 言えないような何かだという場合だ


ドクンドクンと、心臓が突然、不穏な音を鳴らしはじめた

まったくの他人を、監禁する…?
そうだとしたら、異常で犯罪的な動機がつきまとうのは否めない…

全力で逃げ出さねばならないような状況だということだろう
いろいろと確かめなくちゃ、ならない

聞きたくないような気がする
答えられるのが怖いような気がする
記憶が無いというのは こんなにももどかしいことなのか


ドクン、ドクン
怖いような気がした。聞きたくない、知りたくないと
何も知らないまま、何もかもを無くしてしまえば…楽なのに、と

心臓が警鐘を鳴らしている

だけど… 確かめなくては
この異常な状態を把握しなくては…いけない


どうか、この女の子が… 僕と関係性のある人物でありますように…!


男「も…」

女「……?」

男「もしかして… 僕のこと…よく、知らない?」

女「……」



女「うん。知らない」


ゾク、とした
凍るような感覚があり 僕はまた逃げ出したくなった

※後半にR18要素(性描写)がはいるかもしれません
描写程度は未定 御了承ください


男「君は… 誰なんだ…?」

女「……誰だとおもう?」

男「名前は!?」

女「…『女』だよ…?」

聞き覚えがあるような、ないような
割とありふれた名前だった
名前を聞いたところで、何も変わりはしなかった


男「か…… 帰る!」スタッ

女「どこに?」

男「どこに……って… どこに…?」


帰る場所すらもわからない
どこか帰りたい場所があるような気もする
だけど、それすらもわからない

血の気が引くような感覚がした

男「………っ」クラ

急に頭を働かせ立ち上がったせいだろうか
引くような感覚、ではなく 本当に血の気が引いているようだ

男「あ…」ドサ

思わず、ベッドに座り込んでしまう
頭を抑えてしまったのは この状況のせいなのか、体調不良のせいなのか
わけがわからなすぎる

血の気が引きすぎて、鼓動すらも鈍くなっている
思考回路も、体調も、感覚も、感情も、何もかも…
どうでもいいと思ってしまうほど… 

こんなの、わけがわからない


ゴロン…ッ
張り詰めたゴムがプツリと切れたように 僕はそのまま身体を倒した

女「…もしかして、思い出した?」

男「いや… 全然。でもなんかもう わけわかんなくて…」


女「わけがわからないと、男さんは寝ころがるの?」

男「そうじゃないけど… すごく身体が重くて…動けそうに無いだけ…」

女「あ……そっか」

男「誰のせいだとおもってるの・・・」ハァ


女「…男さんは…ずっと食べてないから。だから、身体が弱ってるんだよ」

男「え? 食べてない?」


女「動けないほどだなんて、思わなかったけど…。食事を用意してあげるね」

男「あ… うん…」

女「……口に合えばいいけど」

ポツリとつぶやいて、女の子は… 女さんは立ち去った

ゴロリ、と身を転がして楽な姿勢をとる
目を閉じて、いろいろなことを落ち着いて考えてみる

監禁というよりも、軟禁
どうやら暴力的なことをするつもりはないらしいという考えに至った


男(いや、でも… 食べてないって言ってたし)

男(僕がどれだけここにいるのかわからないけど、食べさせてもらってないとしたら十分に暴力的か…)


男(それに…)


『あ、でもなんだろう。身体が重たいような、だるいような気はするよ』
『……あたりまえよ。それくらいじゃないとおかしいもん』


男(あれは… どういう、意味…)



そうして重たい身体を横たえて思考しているうちに、いつの間にか僕は眠ってしまった
こんな状況で眠れるなんて、僕は元々どんなに図太い性格をしていたんだろう


・・・・・・・・・・・

目が覚めた途端、とても可愛い顔と目が合った
びっくりして、寝る前のやりとりが脳内を逡巡する

男(そうだ、彼女は…女さん。僕は寝てたのか…)

僕が寝ている間、女さんは隣に座って僕のことを見ていたようだった
何を考えているかわからないけれど、何かいろいろと考えているようだ
眉をしかめて、いかにも悩ましい という風に僕を見つめている

僕の目が開いたことに驚きもしないあたり、よほど一生懸命に思考してるのかもしれない
そうか、きっと僕の記憶が無いことで女さんも戸惑っているんだろう

少しの眠りが頭を整理させてくれたようだ
身体を起こして、横にいる女さんに対峙するように座ってみる


男(どうだ! 何かするならしてみろ!)ジー

女「……」ジー


男(う、うーん。すっごく見られてる。何かんがえてるんだろ…)ジー

女「……」ジー

男(きっと僕のことを考えてるんだろうな。よく見ると、こっちを見てるけど焦点があってる感じしないや)ジー

女「……」ジー

男(こうやって改めてみると… なんだか、頼りなさげな雰囲気だなぁ。監禁犯なのに、そんなに怖くないかも…?)ジー

女「……」ジー


男(すっごいボーっとしてるけど。ほそっこくて、頼りなさげで、押さえられないなんてこともなさそう)ジー

女「……」ジー

男(危機感がないわけじゃないけど、こういう子が犯人じゃ『真剣に今すぐにどうこうしなくちゃ!』って気になれないなぁ…)ジー

女「……」ジー

男(それにしてもなんでこの子は僕のことを監禁なんてしてるんだろう。やっぱりストーカーとか特殊な嗜好や性癖の持ち主…なんだろうか)ジー

女「……」ジー

男(普通に告白してくれたらOKしちゃうかもしれないのに…勿体無い)ジー

女「……」ジー


男(……勿体無い…っていうか…。いつまでこんな、見つめあった状態をキープするんだろ…)ジー

女「……」ジー

男(これは…… キスくらいしても、気づかないかも…)ジー



男「って!!!! 何をかんがえてるんだよ僕は!!! 危機感ゼロか!!!!」ウワアアアア!

女「!」ハッ


男「ああ、女さん。おはよう!」キリッ

女「え… あ、うん。おはよ…? あれ、いつの間に男さん起きてた…?」

男「一応聞くけど、これって全部 夢だったりする?」ジッ

女「………」


女「あ、そっか… やっぱり夢なのかな」スッ

男「え? 何を…」

ムギュー

男「いひゃい!? いひゃい、いひゃい! ちゅねるのひゃめて!」ムギュウ

女「痛いんだ…」

パッ

男「あああー… 夢じゃなかった… いきなり何するの!」ヒリヒリ

女「こんなの夢なんじゃないかなぁって。夢でしかありえないよねって 私も思ってたから、つい。ごめんなさい」

男(僕を監禁することって夢に見るほどのことなの!?)


女「あ、そうだ。ごはん」ポン

男「あー… とりあえず食べる。話はそれからだ!」

女「はい」スッ


つ 豆腐


男「…………豆腐…?」

女「豆腐…だけど。嫌なの?」

男「なんか… 食べたいものとも違うけど…」


女「……男さんは…何が食べたいの?」

男「え?」


女「何がすきなの? …思い出せる…?」ジッ

まじめな顔で問いながら見つめられて、少しどきっとした
適当なことを言うのもはばかれるような気がする

女「ねえ。何が食べたいの? 思い出せないの? 本当に? 好きなもの、あるんでしょ!?」

詰め寄ってくる女さん
その鬼気迫る様子には少し恐怖も覚えたけれど、同時にどんどん近づいてくる顔には別の意味でドキドキとした

そんなことでドキドキしてる場合じゃない
誤魔化そうと言葉をひねり出す

男「そ、そういえば、何かな。とりあえず腹がへっている気がするから、これを頂くよ」ニ…ニコ


女「……」


女「そう」プイ

若干ひきつり気味な笑顔を元にもどして、豆腐に向き合う

男「……もしかしてと思うけど。毒とかはいってないよね?」

女「はいってない… はず。 たぶん?」クビカシゲ

男(なにその一番不安な答え方)


僕は豆腐をおそるおそる一口かじってみた
その様子を食い入るようにみつめてくる女さんがちょっと怖い

豆腐は、普通の絹ごし豆腐だった

男「うん、イケる」

女「食べれる?」

男「うん。なんていうか落ち着く味だよね。もう3パックくらい食べれるかんじ?」


男「3食コレでも、ぎりぎりイけるかなって思えるくらい」ムシャムシャ

女「」

男「どうかした?」モグモグ

女「なんでもない…」ハァ

男「?」


女さんは微妙な一息をつき、豆腐を食べる僕を残して部屋を出て行った

僕は豆腐を食べ終えると、ダイニングに皿を持っていく
そこで女さんが、テーブルにつっぷして寝ていた

監禁犯とはいえ、年頃の女性の寝ているところに居合わせるのは妙な背徳感がある
皿を流しにおくと、黙ってそそくさと部屋にもどった

そうしてしばらくすると また僕は眠ってしまったのだった

次の投下まで 少し間があくかもしれません


コンコン

男「……ん… ぅう」モゾ…

ノックの音で目が覚める

ぼやけた目をこすっていると 女さんが部屋にはいってくるのが見えた
手に、皿を持っている


女「ごはん、もってきた」

男「……」

寝ぼけていても、一目瞭然の白い固まり
先ほどもそうだったが、醤油などは掛けられていない
ただの 変哲もない絹ごし豆腐だ


男「ごはんというか、豆腐だよね?」

女「うん。豆腐だよ」

悪びれた様子はない。むしろあどけなく、キョトンとしている
それの何がおかしいのか、と聞かれているような気すらしてくるほどだ

男「あのさ、なんかもっと…」

女「?」

何か他にあるだろう、と言おうとして やめた
何が食べたいのか 自分でもよくわからなかったのだ


たとえば肉だとか…思いついては見たものの、どうも好みじゃない
むしろ避けたいような気がする

男(記憶に無いけど、宗教的な理由で肉は食わないとか。あるいはベジタリアンだとか、アレルギーがあるとかって可能性もあるんだよなぁ…)

万が一、自分がアレルギーなどを持っていたとして…
この監禁状態で何かあったらどうなってしまうのだろう
記憶には無くとも、本能的に苦手なものを避けている可能性がある

男(……だとしたら、食べようと思える豆腐を食べておくのは無難か)

考え込んでいる僕の姿を不審に思ったらしく
いつの間にか女さんはすぐ側にまで来ていた

豆腐を持ったまま困り顔をしている


女「…? 食べない、の?」

男「あ、ううん。いいや、とりあえず豆腐たべる。食べたいものはある気がするけど、思いつかないし。思いついたら言うよ」ニコ

女「……わかったわ。覚悟しとく」

男(覚悟って…)ハハ


大げさな。女さんは料理が出来ないんだろうか
作るのが難しい料理に、台所で苦戦する様子を想像してみる

男(うん、可愛いかもしれない)


そんなことを考えているうちに、気がついたら本日2度目の豆腐を食べ終わっていた
女さんはいつの間にか居なくなっていた
部屋を出て、ダイニングに皿を下げにいくと、また女さんは机につっぷして寝ていた

男(…? 僕がベッドを使ってるから、女さんはあそこで寝ている…?)

女さんを横目で見ながら、僕はまた なるべく音を立てないようにして部屋に戻った
この家には くつろぐためのスペースといえばここだけだ

それにしても…一体どういうことだろうか
僕はベッドに腰掛けて 周囲を改めて見回した

ベッドはシングルのものが1台、必要最低限のものしか置かれていない部屋
やはりここは、元々1人用のアパートなのだろうと実感した
だからこそ、違和感があった


男(……監禁した相手を ゆっくりと部屋で寝かせて、自分は机で寝る?)

男(虐げるのが目的なら、逆でいいはずだよね)

男(性癖や嗜好の目的なら、一緒にベッドで寝ればいいはずだ。…いや、よくないけど)

男(監禁するのを最初から決めていたなら、もうひとつの寝具を用意しておいてもよかった。そうしていないということは、突発的なものだったのだろうか)


難しく考えすぎたのか
さきほどまで寝ていたというのにまた眠気が襲ってきた

相変わらず身体も重い、体調がよくないのは否応無しに実感できる
きっとこの眠気は そのせいなのだろう


うとうとと閉じかける瞼と戦いながら… 
別室で それも、テーブルで寝ている女さんの姿を思い出す

男(そうだとしても… せめて同じ部屋で寝れば、床で寝転がって眠れる。なのに、何故そうしないんだろう?)

男(……男女だから、というのは この二人きりで監禁生活を送る上で あんまり理由にならない気がする)

男(だとしたら… 女さんが 台所で寝ている理由は…)


男(僕を… 避けている…?)



そうして僕は、気がつくと眠りにおちていた
その後は、また女さんに起こされて目を覚ます事になる


女「ごはん」

男「…豆腐だよね?」


そう。その日から、まさかの『お豆腐』生活が始まったんだ


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どれほどの時間がたったのか、はっきりとはわからなかった
気がつくと眠っていて、気がつくと起こされる

そうして豆腐を食べて、また眠る
女さんとの会話は、必要最低限しか交わしていなかった

彼女は何着かの洋服をローテーションで着ている
洗濯なども、僕が寝ているうちにしているらしかった

僕は相変わらず、着の身 着のまま
元々豆腐を食べて眠るだけの生活とはいえ、汚れたり匂ったりはしていない

男(……? 寝てる間に、なんかされてたりするのかな)


そんな事が可能なのだろうか
彼女の細い身体を見て思う。とても眠っている男を着替えさせたり出来るとは思えない

……そういえば、彼女は…

男「女さんは… 何を、いつ食べてるの?」

女「私?」

男「うん。もしかして、女さんも 豆腐を?」

女「まさか」

男(まさかって。ひとには豆腐だけ食べさせておいて、まさかって)

女「……見る?」

男「え?」


彼女に促されるまま、ダイニングキッチンへ向かう

まだ新しい、明らかに異様な大きさの冷蔵庫があるのには気づいていた
だが、女さんは冷蔵庫には見向きもせず、その横にしつらえられた戸棚を開ける

女「これを、食べてる」

男「………うぇ」

棚の中には、いろいろな乾物菓子が入っていた
栄養補助食品のスナック、同じ用途のゼリー
チョコレートやおせんべいなどもあった

見ているだけで、酷く喉が渇いた
脂っこそうな そのスナック菓子の山を見ていると気分すら悪くなりそうだ

女「……食べたいのが、ある? …いる?」

男「やめとく…」

僕は大人しく部屋に戻り、豆腐を食べた

中断します
次回の投下で、性描写のシーンが一部に含まれます。ご注意ください


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男「あ」

カチャーン…


女「……」

男「……あれ?」

女さんから受け取った豆腐の皿を落としてしまった
うまく、手に力がはいらない

さすがに毎日毎日
豆腐しか食べていないというのは無理があるようだった


男「身体が…弱ってきてるんだ…」

女「……そ、う。 うん… やっぱり、そうだよね」

男「……」


女さんは、しばらく何か考え込んで…豆腐を掬いなおして、床を片付けた
そして皿を持ち、黙って部屋をでていった

男(……このまま、死ぬのかな)

女さんが出て行った後の部屋を見回す
静かで、余計なものの何も無い部屋
人の気配もなくなってみると、まるで自分だけが孤独の中に住まう生物のような気がした

男(……独り…)ゾク

無性に怖くなった
独りで、このまま。何も思い出せず、何も心に残すことも無く、ただ死ぬだけなのだろうか


男(…そんなの…嫌だよ。でも、このままじゃ そう遠くないうちに死んでしまう…)


男(…逃げなくちゃ)


ふらつく身体を押さえて、立ち上がる
立ち上がった瞬間に、めまいがした

男「……これ、は。いよいよ本格的にヤバイね」

男「……なんで… 僕、こんなになるまで安穏と生活してたんだろう…?」


走り出すことも出来ない
壁伝いに、腕で身体を支えながら 必死に足を引きずって玄関に向かった
眠ってばかりの生活のせいなのか、筋力と言うものが機能していないように思える


男(それに、したって… なんだか、あまりにも妙…)

ズル・・・ ズル・・・

男(やっぱり… なんか、あの豆腐。入ってたのかな… 毒、とか)

ズル…


やっとの思いで玄関に辿り着く
ガチャリガチャリと、レバーを弄ってみるが…やはり開かなかった

男(それでも… それでも… このままじゃ嫌だ…)

ガチャンガチャン!!

音を聞きつけて、ダイニングから女さんが出てきて近寄ってくる気配がした
振り返ったりする余裕も無い
僕はただ、がむしゃらに玄関の鍵やレバーをいじくりまわすだけだ

女「…どこにいくつもり?」

男「わかんない… わかんない、けど…」

ガチャガチャ


女「……どこか、行きたいの…?」

男「どこか…?」

ガチャ…

男「どこか… どこに…?」


ふと、そんな当たり前の疑問を投げかけられて
朦朧としたの中にあるそのモヤが、固まるようにして何かを映し出した

男(……違う… 行きたい 場所があるんじゃなくて…)

ぼんやりと、まったく輪郭を映し出さない脳裏のモヤ
だけれどそれが、とても自分にとって愛しいものであるというのは感覚でわかった


男(……これ、は…)


無くしてしまった記憶の片鱗なのだろうと思う
どことなく、それが人であることだけはわかるのに
それが誰で、どういう関係なのか そういった事は相変わらず思い出せない
顔も、名前も 情報のすべては失ったままだった


男「あ…でも…」ポロ

女「……男…さん?」

男「分かんない、けど… すごく、大切な気がする…」ポロ…、ポロ

女「え… 泣いてる、の?」

男「どうせ、死ぬなら… せめて せめて… 一緒に、居たい…」ポロポロ

女「……っ」

男「わからない、けど… 最期まで…あの子の側に…」ポロポロ… 

ガチャ、
ズル… ズルリ


急に思い出してしまった、愛しい感情と やりきれない『何か』
僕は急速に自分の身体から力が抜け落ちていくのを感じた

ドアにもたれたまま、崩れるように座り込んでしまう
どうしてか急に流れ出した涙をぬぐうだけの気力すら、もう無かった


女「なんで… なんで?」

男「……」ポロ…ポロ

女「覚えてないんでしょう…? なんで、そんな事を言うの? なんで泣いているの?」

男「わかんない… わかんないんだ…」ポロポロ


男「でも… ただ、本当に… 愛しいことだけ…わかってしまうんだ…」

女「……っ」


男「……あの子は… 誰なんだろう…」

女「……~~~~~~~っ」


グイッ!

突然、女さんが 俯いていた僕の顔を捻り上げた
紅潮した頬に、憎らしげな目、何かいいたそうに半開きのまま止められた口

男「……? 女…さん?」

女「―――っ」

女さんは、どこか苦しげな表情で眉を寄せた
そして、そのまま… あろうことか 僕を押し倒したんだ


::::::::::::::::::::::::


僕にはその時、既に 
のしかかってくる女さんを振り払うだけの力すらなかった

押し倒されて、いきなりズボンを脱がしにかかってくる女さんに対して
その手をつかむことは出来ても、制止させることすら出来ない

あまりに情けなかった


――やめ… 何を!

『……だって… だって、こうでもしなくちゃ…』

ガチャガチャと、乱暴にズボンを引き下げる女さん
そうして中からでてきたものを、一瞬躊躇した後に、すぐに手で強く握り締めた


――待っ、痛い…! 

『…っ! 我慢 して』


ほんの少し、力を弱めてくれたのは確かだったけれど
それでもあまりに乱暴に擦りあげられていく
拙い、とかそういうものではない。とても快感には程遠い刺激の与え方

――なんで… なんで、こんなこと… 女さん!

『だって、だって 他にどうしたらいいのかなんか知らない!!』

必死の形相で、彼女は僕自身を握り締めていた
強弱を変えて握ったり、こすりあげたり…
彼女が何をしたいのかはわかる、どうにかして勃起を促そうとしているのだ

『~~なんで?? どうしたら…っ?』

――い、痛い、よ… やめて…

このまま放っておいたら折られてしまいそうな気さえした
苦痛に眉をしかめた僕を見て、女さんは意を決した表情で…

僕を、口に含んだ


――女、さ…… っう!

『~~……っ』

――ぁ、うぅ… や、め…

口の中で、まるで飴玉を舐めるかのように転がされる
不慣れがゆえの呼吸、それが 結果的に吸い上げたり口内で絞られる動きに変わり
僕は段々と自分が反応していってしまうことに気がついた

――っ、やめ…! やめて、女さん! なんでこんなこと…!

彼女の頭に手を当てて、一生懸命に引き離そうと試みるが
伸ばした腕はそれだけで震えているような始末だ

僕自身がすっかり屹立してしまった頃になって、
女さんはようやく 荒めの息と整えながら無言で口を離してくれた

――女、さ……

『―――っ』


ゴクリ、と息を呑む音が聞こえた
それと同時に、彼女はその時にはいていたスカートの下に手を差し入れ…
下着を 降ろした


――! 何を…

『いいから!!!』


叱り付けるような、怒声だった
これから行われるだろう行為とは、まったく似つかわしくない

――や、やめ…

『―――っ!』


必死の抵抗もむなしく… 僕自身は、彼女にあてがわれた
愛撫のひとつも行われていない彼女自身
そこに、無理やりに押し当て 裂け入ろうとするのには どう考えても無理があった

『ひぅッ・・・ う、ぐぅ』

――っ、う・・・ ぐ、こん、なの・・・ だめ、だよ・・・ 無理を・・・

『いい、から・・・! いいから、もう、いいから!!』


そうして、僕は・・・
彼女自身の無理やりすぎる誘導によって 挿入を果たしてしまった


::::::::::::::::::::::::::


男「……ん、う…」

玄関先で、床から伝わる僅かな冷気に目を覚ました
目を開くと、僕のすぐ横で女さんも同様に寝入っている

眠っているというよりは、力尽きて倒れたような表情
『ぐったりしている』というのが表現としてはふさわしいのだろう

眠ったおかげなのか、自分の身体を支える程度には力が入るのを実感した
そして、上半身を起こし… 自分の下半身を見てゾっとした

破瓜の感覚は、確かにあった
途中で気がついていた

だけれど、明らかにそれだけではない量の血液が、付着していたのだ

男「………っ」


ゴクリ。

自分で飲み込んだ、その喉の音にビクついてしまった


男「あ……」ガクガク

僕は
僕は

震える手が、無意識に口元を抑える

男「―――――っ」ガタ


玄関先に女さんを残したまま、僕は一目散にそこを離れた
そうして部屋に戻り、扉を閉め… 布団に潜り込んで
必死になって冷静さを取り戻すように呼吸に意識を集中させた


男「なんで… なんで、なんで なんで なんで、なんで……!!!」



僕は 血液にまみれて倒れている女さんを見て

確かに 欲情を覚えていたんだ


::::::::::::::::::::::


翌日、女さんは すこしぎこちない足取りで部屋に入ってきた
手には豆腐を持っている

男「……ち、近寄らないで」

女「……っ」

男「も、もう… あんなことは したくないんだ」

僕は昨夜の光景を思い出してしまう
赤い血液と、白い肌
眠る女さんの表情と、体に残る充足感

ゾワリと背筋を掻き立てる何かを感じ、僕はまた布団に潜り込んだ


女「……体調は、どう」

男「大丈夫… 大丈夫だから。もう、放っておいてくれて、いいから…!」

女「……本当に、大丈夫 なの…?」

男「…え?」


その声音が、本当に心細く心配そうなものだったから
僕は思わず、布団から顔をのぞかせて女さんと目を合わせてしまった

女「……本当に。大丈夫なの?」

男「え…… あ… う、ん…」

正直、体調不良だとかに気を回せていたわけではない
頭の中の混乱に、言葉と気持ちが麻痺を起こしているだけだったのかもしれない


女「……よかった」

男「え?」

聞こえるかどうかほどのか細い呟きが聞こえた瞬間…
女さんが、僕の頭に抱きついてきた

男「え…… ちょ、待っ」

女「よかった」

男「……? 女、さん…?」

訳がわからなかった
彼女の声音は、確かに安堵を表していた

昨夜の行為で、確かに僕にも痛みは強かったけれど…
傷ついたのは、間違いなく女さんの方だったはず


困惑してしまい、対処も取れずにいると 女さんは黙って僕にキスをした
彼女の口内は、栄養ドリンクの 少し甘ったるい独特な味がした

僕は、なぜか抵抗ができなかった
高所から一方的に送られるキス。滴るようにして口内に届けられる彼女の味

男「…… …… 」

女「…………」


やっぱり、彼女は 僕のストーカーなんだろうか
昨夜の乱暴な行為とは違い 労わるような優しいキスに…



僕は、急速な危機感を感じずにはいられなかった


それから、僕たちの生活は少し変化を見せた
僕は 豆腐の他に、栄養ドリンクもほんの少し飲めるようになった

食事が終わると、僕の意図とは関係なく 彼女に襲われる
そして彼女はシャワーを浴びに行き… 僕はまた、眠りにおちる

次に、ノックの音で目を覚ますまで
僕は眠りにおちるだけなんだ 


どこからかやってくる、重たすぎる感情が
夢の中でまで僕を苛むせいなのだろうか… 

休みきれないこの身体は、まだ 眠りを必要としているようだった


::::::::::::::::::::::::::


それから、どれほどの日が経ったのかはわからない
僅かな時間だったような気もするし、とても長い期間だったような気もする

僕の体調は ほぼ小康状態と言えなくもなかった
動き回るほどの元気も出ない、だが死ぬほどでもない
だけど、このままではきっと駄目なのだろうとわかる程度には消耗していった

そして、ついに

女「……お豆腐が、もうこれで最後なの」

男「……そう」

女「栄養ドリンクなら…まだ、あるけれど。他のものを食べる…?」


僕は、あの時戸棚で見た菓子の山を思い出す

脂。

吐き気がした、とても受け付けられる気がしない
やはり僕は何か特殊な食事情をかかえているのだろうと もう気づいていた

男「………」フルフル

女「……でも」

男「うん… 何か食べなければ… きっと死んじゃうんだろうね…」


死にたくない。それは確かな気がする
それでも、食べたくない

なら、どうして、死にたくないんだろう
僕は一体 どうしたいのだろう


男「………あ…」

女「……? どうした、の?」


またぼんやりと頭の中に浮かび上がってきたモヤをたどる

そうだ
まだ、まだ…。 まだ、望みが叶ってないんだ


男「望み……? って…なんだ? 僕は何がしたいんだ…?」

僕は自分の頭の中に降って沸いた回答の、計算式を探そうとする
ぐるぐる、ぐちゃぐちゃ
頭の中には つかみどころの無い『感覚』によく似た何かがあるだけで言葉にならない
それでも、そんな僕の様子を見て… 女さんは何か思うところがあったようだった

女「望み……」

ポツリと呟いて、彼女はしばらく虚ろな目でどこか空中の1点を見つめていた
そうしてしばらくして、「待ってて」と言い置いて… ふらりと、部屋を出て行った

男「……? 女さん…?」


そうして、僅かな後に 彼女は部屋に戻ってきた
泣き出しそうな、寂しげな笑顔をしていて…
僕は思わず、注目するべきところを間違えそうだった

だけど、明らかに 目を引く『ソレ』は異様だったから…
僕は間違わずに声をかけることができたんだろう


男「女… さ……ん」

女「うん…… ごめんね」


その手には、一本の 鈍く光るナイフが握られていた

年末なのにすみません。100レスを少し越えてしまいそう
次か、あと2回ほどで終わりの予定

皆様、よいお年を


::::::::::::::::::::


男「何、を…… 女さん…」

女「……」


僕は殺されるのだろうか
そう思った次の瞬間、僕の予想は裏切られた

女さんは、ナイフをぎゅっとにぎり、自分の腕にむけて……
思い切り、振り上げたんだ 


男「!? なっ、やめ……!」

思わず飛びかかり、ナイフをはねのけた
自分の中のドコにそれだけの体力が残っていたのかわからない
もしあと距離が1m遠かったら、辿り着くこともできなかったかもしれない


女「…… 男さん…?」キョトン


ナイフと一緒に掌を叩いてしまったらしい
女さんは赤みのさす掌を、反対の手で包むようにしながらも
『理解できない』という様子で目を丸くした

理解できないのは、こちらの台詞だ


男「何を… 何をするつもりだった!?」


思わず声が荒くなった
瞬間、女さんは ビクリと身体を縮めて言い訳を始めた
ペタリと膝をつき、顔を抑えて…涙ぐんでいるようだった
僕も、視線を合わせるようにその場に座った


女「だって。……だって、もう…」

男「……」

女「男さんは… こうでも、しなきゃ…」

男(……僕を振り向かせるための…自虐行為…か)


女「………お豆腐だって、もう無いし」

男「いや、豆腐はもうこの際 どうでもいいんだけど」


気が抜けて、僕もずるりと身体がへたり込む
ナイフを払うために近づきすぎていたせいか、僕の頭がおちた場所は女さんの膝の上だった

性的関係を持ってしまった以上、膝枕を今更云々言うつもりもないけれど
だからといってうつぶせで 女性の内腿に顔を当てているのはマヌケだ

力も入らない、ワケも意味もわからない
半分、ヤケクソ気味に 僕はごろりと寝返りを打ち 堂々と膝枕をされることにした

身体を伸ばした僕に、女さんは一瞬躊躇して…
そっと、僕の髪に手を触れた


男「はぁ……ともかく、そういう… 自虐的なことをするのは 本当にもうやめて」

男「その…習慣的になってしまっているけれど、本当は性行為だって望んではいないんだ」

女「でも」


男「そりゃ… このままじゃ僕が死んじゃうのは確かだと思うけど…」

女「……」

男「?」


女「やっぱりこうするしか」サッ

男「やめてってば! なんでそうやって自分の腕にナイフつきたてようとするの!!」


躊躇なくナイフに手を伸ばした女さんに、思い切りよく眉間への裏チョップをかましてやった
額を両手で押さえて痛みを堪えている


女「な……、なんで 止めるの?」

男「なんでって…… そりゃ…」


言われて見ると、わからない
倫理道徳から言えば、目の前で自殺されそうになったのならば止めるのも当然だと思う

だけれど僕は監禁されていて、
食事すら不自由で、体力的に弱りきり 生命の危機に陥っているのだ

『自由を奪う犯人が死ねば、都合がいい』はずなのに…
それなのに どういうことだろう

男(彼女が傷ついていたら、それを放って逃げようとは 思えなさそうだ…)

女「………?」


しばらくの間、無言だった

監禁しておいて、隙あらば自殺を図ろうとする女の子
死に至るほど弱りながら、犯人の膝枕で身体を休める僕

そろそろ本当におかしなことになってきた
最初から最後まで、何もかもおかしいのだけれど
“考えて”答えを導き出すなど、不可能な気がしてきた


男「……ねえ」

女「……何?」


男「もう、さ。そろそろ教えてくれないかな… きっと、僕はもう死ぬと思うし」

女「っ」

男「はは… みっともない話だけど、ナイフ弾くためにダッシュしたせいか、本当に体力尽きたみたいな感じするんだよね」

女「男さ…っ」

男「だから、もう 終わりにしよう?」


女「………終わり…って。だって、男さんは…」

男「……うん… 本当は、すごく会いたくて…一緒にいたい人がいるんだと思う。それが誰かも、わからないけれど」

女「………」

男「でも、君の死と引き換えにしてまで、そうしようとは思えないんだ」

男「君が自分を傷つけてでも僕を引き止めるというのなら、きっと放って出て行ったり出来ないんだ」

女「え……」

男「僕って、もしかしたら結構 薄情な男だったのかな。それとも浮気性とかかな…?」ハハ

女「………」



男「だから… 正直に、教えて欲しいんだ」


男「話を、しよう」


その時の女さんの怯えたような表情で、ようやく気づいた
やっぱり 僕は避けられていたんだ

僕たちは 長いこと一緒に監禁生活を送って
身体を重ねることも繰り返してきたというのに

彼女は そうしていた相手を避けていた



僕がもう少し謙虚な性格をしていたなら、
その事実から もっといろいろな事に気づけていたかもしれないのに


::::::::::::::::::::::::::::


男「君と僕の関係は?」

女「……知らない…他人。 きっと、片想いだったんだと 思う…」

男(……やっぱりか)



男「僕たちは、どこで知り合ったの?」

女「…………知り合うっていうか… 出会いがしらに…」

男(つまりは突発的な反抗、なのだろうか。典型的なストーカー…?)


男「僕は記憶をなくしちゃったんだけど… その前は、話をしたことはあった?」

女「……少し、だけ。 ううん… あなたが記憶を無くす前は、たくさんしゃべった」

男「どんな話をしたのか、覚えてる?」

女「…………あなたが、豆腐なら食べる話とか」

男(なるほど、それで豆腐だったのか…)ハァ


男「んっと… 他には? 覚えてることでいいから・・・教えて?」

女「…………」

男「やっぱり… 教えてくれないのかな」

女「……」


少しの沈黙の後、女さんは俯き加減で小さく頭を横に振った

女「……よく、覚えてない事も 多くて…」

男「あー… まあ、時間も経ってるし…ね」


僕は少しでも彼女が話しやすいように、気負わず会話を続けてくれればいいと思い
そんな言葉でフォローをした

だけれど、彼女は余計に困惑したような表情で
焦るように、だけど、空回りしてもたついたような口調で、必死になって語りだしたんだ


女「そうじゃ、なくて。そうじゃなくて……混乱してたから。 あの時は、男さんばかりがたくさん喋ってたから…!」

男「え? ……僕が…… 喋ってた?」

女「怖くて、逃げようとした。でも逃がしてくれなくて……!」

男「え?」

女「本当は、知らないの。本当に知らないの。ここがどこかも、私には、本当に、わからないんだから…!」

男「ちょ… ちょっと、まって? それって…

女「あなたに連れられてきたから…! 帰りたいのに、帰れないの!」

男「どういう…… こと…? 君が、僕をここに監禁したんじゃ…?」

女「……」フルフル

女「ここに監禁されているのは… 私のほう、だよ」



女「あなたは…… 私のストーカーなのよね…?」

男「………………え?」


僕が、彼女のストーカー?

つまり僕のほうが、監禁犯だということなのか?

僕は、僕自身が閉じた鍵を開けられなくて 閉じ込められたと錯覚していたというのか?
だとしたら、彼女が僕を極端に避けていた理由はわかる

でも、おかしいじゃないか
そうなると今度は 彼女が僕を襲った理由がわからなくなる

そもそも、彼女が僕に何かをしたのではなく
僕が彼女をどうにかしようとしていたのだとしたら……



男「僕は、なんで記憶を無くした……? 何があったの…?」

女「…………それ、は 」


:―:―:―:―:―回想―:―:―:―:―:―:


半月前


ガチャガチャ! ガチャ、ガタン!ガタン!!

女『やだ、開けて… 開けて! なんで!? なんでこんな!?』

男『……ごめん。でも、その鍵は僕にしか開けられないんだ、諦めて』

女『なんで、なんで…!? どうしてこんなことするの!? あなたは誰!?』

男『僕は…』


男『僕は、男。 君の事を好きになりすぎてしまった、誘拐犯だ』


・・・・・・・・・・
・・・・・・・


女『……ねぇ… いつまで、こんなところに閉じ込めておくつもりなの・・・?』

男『・・・・・・本当は、一生でも 傍に居たいような気がするんだけどね』

女『っ!』ビク

男『大丈夫だよ。きっと、そんなに長くはならない。もう少しだけ、付き合って欲しいだけだから』

女『な・・・ 何が、目的なの・・・?』

男『目的? ……なんだろう。ただ、君の側に居たいだけかな』

女『そん、なの…』

男『ごめんね。傷つけたりはしないから、安心して。 ……大好きだよ』

女『―――……っ』


・・・・・・・・・・
・・・・・・・


男『食事… やっぱり、それじゃあ駄目かな』

女『お、お菓子とか、 栄養剤とか… こんなんじゃおかしくなっちゃうよ』

男『ん… 何が欲しい?』

女『そうじゃ、なくて! そうじゃなくて、もう ここから私を出して…!』

男『……それは、駄目だよ。もう少し我慢して? 多分、本当にもう少しだから…』

女『我慢なんか出来ない!!』

男『え、ええ? 困ったな… じゃあ 夜になったら、欲しいものはなるべく調達してくるようにするよ』

女『夜とか、昼とか! 窓もないし、時計も無いのに わかんないよ!!』

男『え? わかんない? おかしいなぁ、僕にはわかるんだけどな』アハハ

女『な、何で… なんで、そんな 馬鹿みたいに 本気で困った顔で、笑ってられるの…?』


・・・・・・・・・・
・・・・・・・


カタ

男『あ… まだ起きてたの?』

女『……なんで、台所で寝ているの?』

男『? あ、ごめん。ここは1LDKだから狭くて… 僕のことは気にしなくていいよ?」

女『そ、そうじゃなくて! その、誘拐して監禁までしたのに、なんでベッドルームには来ないのってことで…!』

男『えっ』

女『えっ?』

男『あ、その… いや、だって。僕も男だし、ましてや相手が君じゃ・・・その・・・理性に自信がないって言うか…』モジモジ

女『は・・・、 はい?』

男『さささ、誘ってくれてるのだとしたら嬉しいけど!!』キリッ

女『誘・・・!? 違うよ!?』

男『ええっ!? 違うの!?』


・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・


女『……ねぇ? お弁当とか、たまに買ってきてくれるのはいいんだけど…』

男『……何か他にほしいものがある?』

女『あなたは・・・ 何を食べてるの? 食事してるところを、見た事が無いんだけれど…』

男『ああ… うん。食べてないからね』

女『え…? どういう、こと?』

男『ちょっと、特殊な食事情があってね。食べれるものが本当に少ないんだ』

女『だ、だって。だからって 何も食べてないの?』

男『んー… 一応、食べてないわけでもないんだけど… 食事って言うのかなぁ。水分補給代わりって言うか…』

女『……水分補給…? もしかして、あの栄養剤?』

男『あれ、飲んだことないんだけど飲めるのかな、僕』

女『違うの…? じゃあ、何を…?』


男『冷蔵庫、あけてみて? きっとびっくりするよー』

女『……?』

ガチャ

女『な』

男『あははは ね? びっくりしたでしょ?』

女『こ、これ もしかして全部 お豆腐なの!?』

男『正解! 僕、ほとんど脂質を受け付けないんだ。モノにもよるんだけどね』

男『安心して食べれるのは、たんぱく質がほとんどかな。 なんていうか豆腐なら、水分補給にもなるし丁度よくてね』

女『お、おかしいんじゃないの?』

男『うん、おかしくなかったら きっとこんな風に誘拐とかしなくて済んだんだろうなぁって思うよー。本当に、ごめんね?』

女『…………』


・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・


ガタッ

男『……っ』

女『……ね、ねえ。大丈夫なの…? あなた、それ… 身体、すごく弱ってるんじゃ…』

男『うん、弱ってるよ? ……ごめんね。欲しいものとか、食べたいものもあるだろうけど… ちょっともう、買いにいけそうにないや』

女『え……』

男『一応、栄養とか糖分とか? 揃えられるように買ってあるはずだから、あの戸棚の中のもので繋いでおいでくれると嬉しいかな』ハハ…

女『―――っ じゃ、じゃあ あなただって…』

男『だから、食べられないんだ』

女『な、何なら食べれるの? 何が食べたいの!? そんな、フラフラして笑ってる場合じゃ…!』

男『………そう、だね。うん… 正直、そうやって近寄られると ちょっと困る』

女『え?』


男『……食べたくなる。ねえ、君を食べてしまいたくなる…』

女『…何、を……』


男『……本当に食べたいものは、君かな』

女『それ…って… どういう…』

男『そのままの意味だよ』

男『……怖がらない? 怖がらずに居てくれるなら、教えてあげる』

女『……』

男『もう、そろそろ僕も…保たないだろうし。種明かしってとこかな? はは…』


男『僕は、血を飲んで生きてる。……吸血鬼なんだ』

女『え?』

男『だから夜しか外にでれないし、あまり食べれないんだ。何しろ主食は血だからね。それ以外は基本的に、僕にとっては有毒に近いものなんだよ』

女『な… 嘘でしょ?』


男『最初は…君の血を飲みたくて、近づいたんだ。僕は元々偏食が強くて…飲みたいと思える血を持つ人がいなくて』

男『君を最初に見たときに、この子しかいないって思った』


男『けど…… 君の血を吸う機会を伺ってるうちに、あんまり好きになりすぎちゃって』

男『もう、君を傷つけてまで 血を飲んで生きていたいとも思えなくなっちゃって』

女『なに、それ… じゃあ… 私は何のために、ここに…?』

男『最初にいったでしょ? ……ようやく飲めそうな血を見つけたのに、飲めなくなっちゃった』

男『君を好きになりすぎて… 君が側に居てくれることのほうが、僕が生きることよりも大事だと思えるようになっちゃって』

男『だから、もう 長くは生きられないから… せめて、最期まで。君の側にいることを、この生と代えさせて欲しいんだ』


女『血……とか。そんなの』

男『はは… ごめんね、変な話をしちゃって』

女『…君を食べたい なんていうから、えっちな話かとおもった…』ボソ

男『えっち…。 いや、うん、まあ。そ、それも本当はしたいけどね!』

女『しない。っていうかそれどころじゃないじゃない、そんなフラフラで何言ってるの…?』

男『え、でも 本当はそれでも少しは生き長らえることができるんだよね』

女『え?』

男『血液とはちょっと違うけど、取り込むことさえ出来るなら、分泌液も体液であることに代わりはないし…。 それにその きっと、血も出るだろうし』ゴニョゴニョ

女『なっ!』

男『ご、ごめん!! でも、嫌でしょ? しない! しないから安心して!!』

女『……なんで、処女だと思ったの』

男『思うって言うか… 血の匂いでわかっちゃうんだ。吸血鬼だからね』ハハ…


・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・


男『……はぁ… っ、はぁ…』グラッ…フラ

女『! 大丈夫?』

男『ち、近寄らないで!!』

女『え・・・』

男『ご、ごめん… でも ちょっと、飢えが強くて…。 間違って、君を傷つけてしまいたくないから…!』

女『な、なに それ… 襲いかねないってこと…?』

男『……ごめん、怖いよね…。僕も、こんなに飢えが強いとは、思ってなくて…』

女『ど、どうすればいいの…? 』

男『……優しいね、やっぱり大好きだよ。こんなに危険な状況なのに、僕を心配してくれるの?』

女『ど、どうせ 私はここからは出れないじゃない!』

男『あ、そうだった… はは、僕ってちょっと自意識過剰なのかなぁ…』

女『~~~~~っ』


男『……僕でも、いきなり現れて吸血鬼だなんていわれても信じられないだろう話を信じてくれただけで、嬉しかったよ』

女『怪しいとは思ったもん…』

男『あはは、むしろ怪しすぎて。僕なら話し聞いた時点で、そんな頭のおかしいヤツは斬りつけて逃げるよ』


女『ぁぅ…』

男『……ごめん、やっぱり……無理矢理すぎたよね』

男『どうしても君のそばにいたいと… 思っちゃっただけなんだ。出来ることなら、許して欲しい』

女『………』

男『僕が死んだら、扉は開くよ。それ以外では僕だけしか知らない方法でしか開けられないようになってる』

男『僕が死んだら、すぐに逃げて。…………でも』


男『僕は… もう、生きていたくないんだ。知らない誰かを傷つけて、美味しくもない血を飲み込んで、ただ無闇に長く生きる命なんて…終わりにしたいんだ』

男『ずっと…孤独の中で、誰かを犠牲に生きてきたけど。ようやく、君に出会って…そうじゃない人生を味わえたんだ』


男『だから…… お願いだ』

男『最期は、大好きな君をそばで感じておわりたい』


男『最後だけでいいから、もう 孤独なままじゃないって。僕は 一人きりじゃないんだって… そう、信じて逝きたいんだ』

女『え… 何、を』


男『本当だよ。怖がらないで、君をどうこうしようとは思わない。道連れとかも考えてない』

男『ただ、僕の心に 君を強く残したまま 逝きたい。本当に、それだけなんだ』

男『もう、終わりたいだけなんだ。君にあえて幸せだったから、それで満足してしまいたいんだ』


男『僕が死んだら、すぐに逃げてね。…… 僕も自分が死んだらどうなるかなんて知らないし… 不死なんて噂があるしね。もしかしたら、生き返っちゃうかもしれないし』

チャキ

女『! な、なにそれ… そのナイフで、一体何を……



男『ありがとう。素敵な時間を、最後に君と過ごせて…… 本当に、勝手に幸せになってしまって……』



男『ごめんね?』ニコ…

女『待っ……!!』



グサ。


:―:―:―:―:―回想終わり―:―:―:―:―:


男「…………な」

女「あなたは、ナイフで…… 自分の胸を突いて…… 死んだんだよ……」


男「そ、そんな 馬鹿な事」

女「その後、確かに玄関の扉はあいたけど…… あなたを放って帰るのは、わからないけど、どうしても躊躇われて…」

女「一晩だけ、と傍についていたら また扉があかなくなっちゃってて……」

女「もしかして、と思ったら。 ……あなたの心臓が、また動きはじめてたの・・・」

男「…………そんな」

女「・・・…言ったでしょ? 痛いところとか、ないのかって。少しくらいないと、おかしいって」

男「あ… あれは、そういう意味で…? 僕は、じゃあ、本当に……?」

女「吸血鬼かどうかなんて、わかんないよ……。でも、生き返るなんて普通じゃないし……」


男「女さ…

女「でも、生き返っちゃって! その癖、記憶はなくしてるし! それで、あなたも扉を開けられなくなっちゃうし……!」

女「わかんないけど、わかんないけどっ」

女「あなたの言った言葉を信じるしかなくて……!」

男「……僕の、言葉…?」


女「豆腐くらいしか、食べれないとか。吸血鬼だなんていわれたら、頭おかしいし怪しすぎて斬るとか…。 き、斬られたくないし、言えなくて…」

男(それは多分、冗談だと思うけど… それで何も教えてもらえなかったのか…)ハァ


女「それに… 記憶なくして起きてきても、やっぱりまったくの他人じゃなくて、あなたがあなたなんだって思えたから……」

女「食糧がつきて、弱るのをまた待って…… 今度は、ちゃんと自殺じゃなくて 最期まで傍にいてあげられたら……」

女「私も、ちゃんと、帰る気になれるかなって……死んだあなたを置いて帰る気になれるかなって」



男「え… でも、まって。じゃぁ、その…エッチなこととか、腕を斬ろうとしたのは……?」

女「……」

男「女、さん……?」


女「見て、いられなくて……。 血をどうやって呑むのかわからないし…… 」

女「でも、弱ってくのみてるの…… 辛くて…。 あなたの栄養になるもの、教えてもらったのはそれだけだったし…」

男「あ……」

女「…………なんで、こんなことになっちゃったのか… 私にもわからないよ…」


女「……私ね、一生一緒にいたいって思った人がいるの」

女「卒業旅行に、行く約束だったの。告白して、その返事待ちもしてて…」

女「それで、旅行にいく所だったんだよ。旅行先で、きっといい返事がもらえるってドキドキしてたんだよ」


女「4泊5日の、温泉旅行。待ち合わせ場所で 楽しみに待っていたら… あの人のことを、待っていたら…」

男「あ…… もしかして…」

女「……」コクン


女「その人が大好きで、こんなふうに拐われたのは悔しくて……情けなくて。 あの人に会いたくて……」

男「……っ」

女「でも」

女「…………あなたに、あんなに必死に、私のこと大好きだっていわれて……」

女「傍にいて、優しくて、楽しいあなたを…… だんだん、好きになってたんだって 気が付いちゃって……」


女「なのに… 勝手に死んじゃうし」

女「待ってくれないし」

女「生き返ったら、私のこと忘れてるし」


女「…………それでも 私のこと…… 記憶、なくしても… 愛しいって。傍にいたいって思ってくれてるんだって……わかっちゃって」


女「そんなの…… 酷すぎるよ」

男「そんな話…… 」

女「吸血鬼なんて信じられない…… っていってたのが本当なら… 呑んでみる……?」

男「!」


女「確かめてみればいいよ。もう、私も……  なんだか 怖くないような気がするの」


女「……あなたを殺したくなくなっちゃったの。飢えてあなたが死ぬくらいなら…私の血、あげたくなっちゃったの」

男「な… だって でも そんな…」


女「……言わないと… わからない? それとも、私を食べたいって言ってたのは… 嘘なの?」

男「え…」



女「いいよ。 …私を、飲んで」

男「……っ!」


::::::::::::::::::::::


倒錯的に 首筋にかぶりついていた
吸いたいと思った瞬間、牙が立ちあがるのがわかった
ブツリと、肉に刺さりこむ感触が生々しくて
自分の中にある捕食願望が急に湧き上がるのを感じた

血を呑む。吸い上げる
瞬間、身体の中から満たされていく

痛々しい傷口を舐めて…… それでも止まらず、僕は彼女の唇へ吸い付く
止まらない。何もかもを吸い付くしてしまいそうだった

彼女の首筋に残った 生々しく抉れた肉の痕
ソレを見て、ようやく正気に返るまで

実際、僕は
理性を持たない獣のように 荒々しく彼女に襲い掛かっていたんだ……

::::::::::::::::::::::::


男「あ…… 僕…? なんて、ことを…」


青白い顔をした彼女を見て
僕は自分自身に恐怖して震え上がってしまった

女「いいよ… 大丈夫。それより…」


女「…………生き返った?」


男「……僕… 本当に、吸血鬼なんだ…… すごく力がでてくる…」

女「……そう…。よかった」

男「ごめん……ごめん…! 君を傷つけたくないとか思っていたくせに、僕は…!!」

女「それは、いいの。私が言った事だから」

女「でも… 私は。 吸血鬼を好きになったりした私は、もう……」

女「普通に生きていける気がしないよ」

男「っっ!」


女「大好きだった彼の所にも…… もう、帰れないよ」

男「っ… 僕は。 僕は本当に、なんてことを…!!」


女「いいの。 …いまならわかるの」

女「このまま、面倒なことなんか忘れて…… あなたのいない未来や生活とか考えないで…… 」

女「あなたを思い出しながら、好きだった彼と過ごすなんて、そんな最低なことにならないで…… 」

女「このまま終われたら、幸せだなって。あなたの思った事と同じ気持ち、今ならわかるの」

男「え……?」


女「私は謝らないよ。 あなたが私にしたことだから…」



サッ…

男「っ、待…



女「おあいこだね」


ドス。

男「……っ!!」


彼女は、僕の目の前で…
僕が彼女にしたコトと同じように、その胸を貫いた


:::::::::::::::::::::::

死んでしまった


泣きながら思い出す
思い出しながら涙を流す

記憶がもどる…… 

愛しくて仕方なかった記憶を、僕はようやく 思い出した
遅すぎた。彼女の死で、ようやく 僕は思い出したんだ


男「……君が… 君が死ぬ必要なんて、なかったのに……!」


僕は君を見かけて、君をずっと追いかけていた
人の姿に変装して、君を助けたりして 君の側にいられるようにしていたんだ


君は僕を人と思って、親しくしてくれて
好意を感じてると、いってくれて

嘘ばかりついて、人の振りをして、何も知らない君の側にずっと居たんだ
最初は、それだけでも嬉かったんだ

なのに、君は… 君は、こんな僕の側に…
一生…… そばにいたいって。いってくれた


僕は、我慢できなくて
全てを君に打ち明けるつもりで… 君を、旅行に誘った


待ち合わせ場所で僕を待っていた君
可愛らしくめかしこんで
遠目にも、待ちわびて楽しみにしてるのがわかるほどで

…………でも、姿を戻した僕には君は気付いてくれなくて

そこで僕は
人間である君が僕と添い遂げるなんて不可能だと、気づいてしまった


ならもう、おわりにしたくて
もう、めちゃくちゃになってもいいと 自暴自棄になってしまった

そうして
君を無理やり連れ去って… 僕の家に連れ込むことにした…… 


でも

あの待ち合わせ場所で、君の手を引いたときに…
君を連れ去ろうとした時に、君が僕の名を呼んでくれたのが嬉しかった

僕に助けを求めた君を…… 傷つけられないと、わかってしまったから 



男「……だから、僕は死を選ぶことにした」


なのに
なのに…… こんな……


:::::::::::::::::::::::::


彼女の亡骸を抱えて、僕はただ泣き続けてた

あまりにも浅はかで
あまりにも我儘で
僕は 一番大切にしたかったものを壊してしまった

後悔や反省じゃない
僕はもう、このまま ここで 彼女の亡骸を抱いたまま飢えて死ぬことを決めた

何もする気が起きなかった
ただ、彼女を抱きしめて、泣いて… そのまま眠って
目が覚めたら、また泣いた

そうしていつか終わりが訪れますようにと
このまま、君の事だけを心の中に満たして 消えることを待ち望んでいた



はずだった。


女「」パチ

男「えっ」


女「…………あれ……?」キョロキョロ

男「……え? え?」


女「……あれ?」

男「…………いやいやいや。 ……え?」


女「…………生き返っちゃった…?」

男「………ふぁっ!?」



男「も、もしかして…… 僕が血を吸ったから……?」

女「私も… 吸血鬼に…… なっちゃった?」


男「……」

女「……」

男「……」

女「……」


男「……はっ!!」



男「記憶はっ!?」

女「えっ、ある…… けど……」

男「なんで!?」

女「知らないよ!」

男「吸血鬼の生態ってどうなってるんだ!?」


女「わ、私にわかるわけないでしょ!?  記憶なくすほうがおかしいんじゃないの?!」

男「お、おかしいってなんで!?」

女「~~~わ、わかんないけど。もう終わりたいって思ってたなら、生態的に擬似的な死っていう事象をきっかけに故意に記憶なくしたりしたとか…」

男「へ?」

女「つまりなんかこう、悪いことは忘れたいって脳が判断したが故の防衛機能というか…」

男「こんな時に人体の自己防衛機能と脳の仕組みの講義とかいらないよ!!」

女「し、仕方ないでしょ! 医学部なんだから!」

男「そんな…… 無茶苦茶な…… っていうか…… 」


男「君まで吸血鬼って…… なんだよ、それ……。 なんで、オンナちゃんまで……」

女「…………『オンナちゃん』?」

男「あ」


女「…………… その呼び方… もしかして、『オトコくん』なの?」

男「…………」

女「………」

男「いやうん、あのね? 事情があって…… いやまあ正体が吸血鬼だったからなんだけど……」


女「…………」

男「…………」


女「吸血鬼…… 一生、ながいんだっけ?」

男「……あ、うん… 嫌になるくらい長いよ……」


女「…………私を吸血鬼にした責任、とってくれる?」

男「う……。できる範囲でなら……もちろん善処させていただくよ…」

女「…………善処って」

男「…………ごめん…」


女「……その、ちょっと頼りない感じ。ほんとにオトコくんなんだね」

男「ごめんなさい…。 君が死んで、ようやく思い出したんだ…」ハァ


女「記憶もどったなら…… とりあえず ここから出れる?」

男「うん、たぶん。 今は夜だとおもうし」

女「なんでわかるの?」

男「体感ってゆーのかな? 慣れ? 夜って独特な匂いがあるしね、湿度とか」

女「…………へえ」

男「…………う… ごめん…」


女「じゃあ…」


女「夜景でも、見に連れてって」

男「え」

女「すっごい長い一生…… 一緒に居られるのって、もう男くんしかいないんでしょ」

男「……それって?」

女「生涯を共に過ごせる伴侶の選択肢をひとつにしちゃうなんて…、ひどいと思うの」

男「うっ」

女「責任、とってね。男くん」

男「だ、だって でも…」


女「……大丈夫だよ」


女「旅行の約束する前… 言ったでしょ」


女「 『一生、側にいたいくらい 好きです』 って」

男「…………うん」


男「僕も… ずっと 思ってたから。死ぬまで……ううん。死んでも……」



男「最期の瞬間まで……、ずっと 君の傍にいたい」



女「策士?」

男「違うよ!?」

―――――――――――――――――――
おわり

※予定よりずっと投下量をオーバーしてしまいました、すみません

あけましておめでとうございます
みなさまによい1年が訪れますように

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