P「天海春香は笑わない」 (117)



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『誰も独りにはなりたくない、それが、人生だ』尾崎豊




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アイドルを辞めよう。

一週間、食事も睡眠もろくに取らずに考え詰めた結果、辿り着いたのは、最悪の答えだった。

どうすればアイドルを続けていけるか、を考えはじめたはずなのにどんな道を辿っても『辞める』という結論に行き着いてしまう。

本当にそうするしかないんだと受け入れるのに、一週間かかったというだけだ。


『君は本当にそれでいいのかい?』


プロデューサーさんの番号を表示したまま、発信ボタンを押せずにいると、頭の中に声が響いた。

「……黙っていてよ、全部……あなたのせいじゃない……」

『うん、まぁ……否定は出来ないかな?
だけど僕だって君を選んだわけじゃあないんだ。
たまたま浮かび上がったのが君のところってだけさ』

そいつは私の中に突然現れた。


『言ったろ?』






――僕は自動的なんだよ。









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何もできなかった。

あの日も、私は何もできなかった。

大切なものは失わないように、大切なものを作らないように、ただ“歌う”という事に縋って生きてきたはずなのに……。

気がついたら……私の中の彼女はこんなにも重く、大きなものになっていた。

「千早……大丈夫か?」

「平気です。
春香はいつも私の歌を楽しそうに聞いてくれましたから……」

――あの子と同じように。

「だから、春香が元気をなくしている時こそ、私は歌わなければいけないんだと思います」

――春香は、親友だから。

「そう、か……。でも無理するなよ?
お前まで倒れちゃったら意味ないからな」

プロデューサーは少しだけさみしそうな、辛そうな顔をしていた。
疲れているのだろうか?
プロデューサーがそんな表情をするのを、私は初めて見た気がした。

「ほんと……どうなっちまうんだろうな……この先」

この時、無力なのは自分だけじゃないと気づく事が出来ていれば、未来は変わったかもしれない。




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『いやってほどに理解してるだろうけど、自ら命を断とうと思っても無駄だよ』


それは、アイドルをやめようと決心した日に痛感している。


『僕はね、世界の敵の敵なんだ。
世界の敵を倒すまでは消えられないのさ』


その日よりも……まずはこいつに気づいた日の事を語っておこう。

こいつに気づいた時、それは野外ロケの最中だった。



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「あっれー? ごめん!春香ちゃん、カメラの調子悪いから、少し待ってもらえる?」

ディレクターさんからそう声をかけられた時、その時までは私の心は晴れ渡っていた。

その日のお仕事は、お散歩からの温泉というご褒美みたいなものだったし、天気にも恵まれ、朝に事務所で千早ちゃんにも会えたからだ。

「春香、今日はハイキングからの温泉だけど……頼むから温泉でこけてラッキースケベとかやめてくれよ?」

……ギリギリアウトな発言な気もするが、そこまで浅い関係でもない。

「はは、睨むなって。 大切なアイドルの恥ずかしい姿なんて誰にも見せたくないと思うのは当たり前だろ?」

プロデューサーさんは笑いながら私の頭を撫でた。

撮影開始予定の時間はすでに二十分ほど過ぎているが、もとより長めに時間はとっているのでその辺は気にしない。
トラブルのない撮影の方が珍しいくらいだしね。

二人で世間話をしていると、プロデューサーさんがADさんに呼ばれ、なにやら話し込みだした。



『そこ、気をつけないとコケるよ?』



やることもないので、辺りをフラフラ歩いていると、急に頭の中に声が響いた。



『驚いた……初めからここまで僕を意識……っていうのか?
認識のほうが近いか? いや……感知?
まぁ、いずれにしろそういう事が出来るとはね……君はトップアイドルってのになれるかもね』


その声は聞き慣れた、というよりもいつも聞いている声だった。



『僕は……なんというか現象みたいなものでね。
あいにくと自分の肉体だとかは持ってない。
だから、声も顔も体も君のを借りることになる』



それはいつも聞いてる声のはずなのに、私では出せないような鋭く冷たいものだった。



『あぁ、僕のことは不気味な泡――ブギーポップと呼んでくれ。
名前は僕が持ってる数少ないものだ』



当然ながら、理解が追いつかなかった。
頭がおかしくなったのかとすら思った。

足元に転がる石ころを見つめていると、だんだん身体が冷たくなっていくように感じた。

「おーい、春香ぁ~! 撮影始まるぞ……って春香? どうした?」

ぽん、と肩におかれた手に体がビクリと跳ねた。

「なんかあったのか? 顔色悪いし、変なものでも食った?」

私はなにもわからない中で、たった一つ、このブギーポップとかいうやつの存在だけは真実なんだと本能で理解していた。



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『アイドルを辞めるのは別に構わないが……僕はそのうち消えると思うぜ? それが明日なのか一年後なのか十年後なのかは知らないけどさ』


結局発信ボタンを押すことは出来ず、私はベッドに寝転がっていた。

携帯電話は電源を切って枕元に置いてある。

『まぁ、そう落ち込むなよ。 僕だって仕事の時に出てきちゃったのは気の毒な事をしたと思ってるさ』

実感としてこいつの存在を理解したのは、邂逅してから一週間ほどたってからのことだった。
そして、この日が私がアイドルをやめようと決心した日でもある。


その日のお仕事はトーク番組へのゲスト出演だった。

ゲストは私と千早ちゃん。

司会のタレントさんに挨拶をして、楽屋に戻った時のことだ。

「春香、最近なんだか元気がない?」

「……そんなことないよ? 私はいつでも元気元気!」

無理矢理笑ってごまかす。

頭の中のヤツのことを話しても頭がおかしくなったと思われるだけだしね。

「そう……ならいいけど……」

人付き合いが苦手なくせに、誰よりも周りの人のことを見ている千早ちゃん。
事務所の中では一番人の変化に敏感な伊織にすらまだ気づかれていないのにね。

私は知ってるよ、千早ちゃんが優しくてあったかい人ってことを。

亜美、真美や雪歩が千早ちゃんをまだ少しこわい人って思ってるのに密かに傷ついてることも知ってる。

「ありがとね、千早ちゃん。 みんな千早ちゃんともっと仲良くなりたいって思ってるよ、亜美真美や雪歩もね」

どうしていきなりそんなことを言ってしまったのかはわからない。

ただ、口に出てしまった。

「いきなり、なに?」

なに?と聞かれてもわからないものはわからない。

スタッフさんがタイミングよく呼びにきてくれて助かった。

はい。
アイマス×ブギーポップ。
ブギーポップ新作出てたから立ててみた。
まだ読んでないけど、ご覧の通り本家とはだいぶ設定変えてる。
ブギーポップさんの設定は本家よりもデュアルのほうに近い感じかな?

途中で送信しちまった。
更新はのんびりやるけど8割り書き終わってるから最後まで書き終わったら一気に投下するかも。
あとまだ読んでないから新作のネタバレはしないでね!
またそのうちきます。



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「二人はプライベートでもよく遊んだりするの?」

「そうでもないですね、春香はよく声をかけてくれますけどオフの日は一人でいることが多いです」

「で、でも仕事終わりとかはよく遊びますよ! 千早ちゃんのお家にお泊りとかしますし!」

千早ちゃんは良くも悪くも正直者だ。

「すっげぇ温度差!なに?千早ちゃんは春香ちゃんのこと本当は嫌いなのかな?」

「いえ、嫌いではありませんし、春香のことは親友だと思ってますよ」

「あー……わかった、君は嘘がつけない子なのね? ごめん、やりにくいわ」

その後もあまりこういう番組に慣れていない千早ちゃんを司会のタレントさんは楽しそうにいじっていた。

「でも千早ちゃんがこういう番組に出るの珍しいよね? ゲストは765プロっていうから我那覇がくると思ってたよ。
我那覇元気?」

この人と響ちゃんはバラエティでよく一緒になっている。
ウマが合うのか、仲が良いみたいだ。

「あー、響ちゃん……今度こそギャフンと言わせてやるって出たがってたんですけどね……」

「春香と我那覇さんだと……というかあなたと我那覇さんだと趣旨が違う番組になっちゃうのでは? とディレクターさんに言われたみたいですね」

「まさかの我那覇拒否かよ! というか千早ちゃんは我那覇呼びなんだ?」


「はい、基本的には苗字にさん付けですね」

「私はそれだとなんか嫌だから春香って呼んでってお願いしたんですよ!」

「他に名前で呼んでる子は? というかぶっちゃけ765プロってみんな仲いいの?」

定番ネタだけど、持って行き方が流石かなぁとかそんなことを思っていた。

「そうですね、あとは――」

千早ちゃんが答えようとした瞬間、私たちを照らしていた照明が消えた。

「――え?」

三人の声が重なった。

私と千早ちゃんが座る椅子の丁度真上。
私たちを照らしていた大きな照明が、光を失いこちらに近づいてくる。

「死んだ」と思うのと同時に、頭の中に声が響いた。


『体を借りるよ』


ふっと力が抜け、視界がなんだかおかしくなる。

「大丈夫かい? 千早ちゃん」

そいつが表にいる時の景色は、モニターで見るような……何かを通して見るような感覚だった。

そして今目に映っているのは、千早ちゃんを抱きかかえ、落ちてきた照明を見下ろす、という景色だった。

その場にいた全員が言葉を忘れたように私じゃない私を見ていた。

「こういう場合、収録ってのはどうなるんだい?」

ぽかんとしている司会者さんに尋ねる。

「え? いや……ってそんなことより怪我はッ?」

「うん? 見ての通りぼ……私も千早ちゃんも平気だよ?
アイドルのレッスンも舐めちゃあいけないってことさ」

そいつは笑っていたが、落ちてきた照明のガラスに映る笑顔は左右非対称の変な顔だった。



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『でも僕だって精一杯頑張ったろう?
如月千早の呼び方も間違えなかったし、一人称もちゃあんと春香に合わせたぜ?
照明を避けたのも日々のレッスンの成果って誤魔化せたじゃないか』

あぁ、こいつはバカなんだ。
あんなので誤魔化せるわけがない。

その後は事後処理とかで現場はてんやわんやしていたし、こいつから体を返された私は気を失ってしまったのでどうなったのかはよく知らない。

目を覚ました時、プロデューサーさんと社長、そして千早ちゃんが心配そうに私を見つめていた。

そして、その時のこいつの言葉で私はアイドルを辞めることを決意したのだ。

『まぁ、世界の敵が現れたら僕は君の仕事を放り出して、殺しにいくよ。
なんせ――世界の危機だからね』

こいつが今こうして存在しているということは、その世界の危機とやらが近くに迫っているからだろう。

『あと君が死ぬこと、それはつまり世界の敵を倒す僕が消えるってことだ。
それも世界の危機だから僕が出ることが出来たんだと思うぜ? 』

普段はあの時のように表に出ることが出来ない、ということだろうか……。

『あぁ、あと言い忘れてたけど君が寝てる間にコスチュームを作らせてもらった。
お金も少し使ったけど……許しておくれよ』


「は?」

『……やれやれ、金には反応するのかい?』

呆れたように呟く声は無視する。

「コスチュームって……なにそれ?」

『無くても構わないがあった方がいろいろと便利なんだよ。君は有名人だしね。
照明事件の時にテレビ局の小道具倉庫に寄ってね、廃棄予定のものの中から使えそうなものをもらってきた。
あとは布を買ってきての手作り。だけど中々良いものが出来たぜ?』

そこのバッグの中に入ってるから見てみろよ、と言うこいつに従う。
見覚えのないスポルディングのバッグの中にはコックさんのかぶる筒みたいな帽子と装飾を施した黒いマントが入っていた。

『どうだい? なかなか良いものだろう?』

思ったよりもしっかりとした出来である。
ますますこいつがどんなやつなのか私はわからなくなった。

『まぁ、これでやっと世界の敵と戦う準備が出来たんだ。
張り切っていこうよ、春香』

なにをどうしても、世界に危機が訪れたらこいつは自動的に出てきてしまう。
私は張り切るもなにもあったものではないんじゃないか?

『……コスチュームがなけりゃあいざって時に派手に動けないだろう?十分な世界の危機さ』

言い訳のように付け足したその言葉になんだか無性に腹が立った。



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春香が休んでいる事は、アイドルでは私しか知らない。
長期のロケだといえばみんな納得出来てしまうほどに私たちの仕事は増えているのでみんなが知るのはもっと後の事だろう。

あまり高くないこのビルの屋上からの見晴らしは良いとは言えない。
だけど、なんだか春香の心を見ているような気持ちになれた。
彼女はいまこの街の風景みたいに、どこか晴れない霧を抱えているのだろう。

「お前にも伝えるべきじゃなかったかもな」

振り返ると、プロデューサーが缶コーヒー片手に立っていた。

「そんなこと……私は知らせてもらえて嬉しいですよ」

差し出されたそれを、礼を言いながら受け取った。

「歌に向かう気持ちが強くなったから、か?」

プロデューサーの視線が突き刺さるような冷たく鋭利になものに変わった。

「そ、れは……悪いことですか?
私には歌しかないから、歌で誰かを……親友を救いたい、そう思うのはダメなことですか?」

「いや、ダメなんかじゃないさ。
ただ――本当にそう思っているならな」

違った。

プロデューサーの目は冷たいんじゃない。

なにもないんだ。

空虚というのともどこか違う。

感情というものだけが無かった。

ただ向けられる無感情の視線。

それがここまでも恐ろしいと初めて知った。

その目に見つめられたのはたった数秒。

「……千早? どうしたんだ?」

気がつくと彼の目の色は普段の優しいものに戻っていた。

「い、いえ……なんでもありません」

「そうか? 前も言ったけど、無理するなよ? 春香が戻った時にお前が疲労困憊だとあいつ悲しむからな」

不安を紛らわせるようにプロデューサーは笑っていた。



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『君の友人は……頑張ってるようだね』

昼間学校にもいかず仕事にもいかずリビングでぼんやりテレビを眺めていると千早ちゃんが映った。

『何が彼女を動かすのか……何が僕を呼んだのか、君は知らなくてはならない』

それが僕が現れてしまった君の果たすべきことだと言われた。


勝手な事をベラベラと……そんなの、知らないよ……。
知りたくも、ないよ。

私はただ……大好きな人たちとみんなで笑ってみんなを笑顔にさせたいだけなのに……。



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私には歌しかない。

楽譜をめくりながら思い出す。

私の最初のファンを。

歌だけがあの子にしてあげられた姉らしい事だった。

いつもいつもお姉ちゃんお姉ちゃんってついてくるあの子を……歌ってって笑うあの子を……私は助けられなかった。


でも、今度こそ……私がどんなに無愛想で冷たく接しても千早ちゃん千早ちゃんとあの子のように笑いかけてくれた春香だけは救ってみせる……。

いつのまにか楽譜をめくる手が止まっていることに、私は気づかなかった。


「千早、おーい?」

「……あ、ごめんなさい。ぼーっとしてたわ。
何か用?」

楽譜片手にぼんやりしていると、我那覇さんが私の顔を覗き込んでいた。

「自分今日はもう仕事ないから千早もそうならご飯でもどうかなって思ってさ」

「……仕事はないけど、少し疲れたから今日は早く休みたいの。ごめんなさい」

きっと少し前の私なら一言「行かない」と言っていただろう。

「でも、帰りがけにお茶くらいで良かったら付き合うわ」

今はまだ午後三時。
夕飯にははやいが丁度おやつの時間である。

「お、じゃあ行こう! しっかし、ピヨ子がいない事務所は違和感が半端ないね」

音無さんは今日は高槻さんについている。
中学生組、特に高槻さんと亜美真美には高校生組か大人が必ず付き添うようにと社長から言われているらしい。

本来ならば春香と行くはずだった仕事なので、プロデューサーも律子も空いていなかった。
だから、音無さんがついて行ったのだ。

「……ところで事務所って無人でいいのかな?」

「社長もいないの?」

「うん、さっき自分と入れ違いに少し出ていくって。鍵預かった。
帰るなら帰ってもいい、鍵はたるき亭に預けろって」

社長がいいというならいいのだろうが……それは会社としてどうなのだろうか。

「社長に電話して聞いてみる?」

「社長の番号知っているの?」

「へ? 当たり前だろー。だって雇い主だぞ?」

当たり前なようなそうでもないようなことを言って彼女は電話をかけ始めた。


「あ、もしもし黒井社長?」

「……えええええええ?」

そして、その第一声に思わず声が漏れた。

「あっはは、冗談さ! まぁ黒井社長の番号知ってるのは本当だけどね」

961プロと765プロの確執はないわけではない。
ただ妨害をされるわけでもなく黒井社長が突っかかってくるだけなので、確執というほどでもない。

「あ、でも黒井社長なら高木社長の連絡先知ってると思うぞ!というか絶対知ってるぞ!」

もう私としてはたかだか少し出かけるためにここまで必死になる必要はない気がしてきたのだが、彼女は違うらしい。

カコカコと携帯電話をいじり、黒井社長に電話をかけた。

「はいさーい! 黒井社長ひっさしぶりさ~!
え?違う違う、社長の連絡先教えてくれないか?
……はぁ?今一緒にいるの?」

我那覇さんは黒井社長とすごく仲が良い。
元々我那覇さんをスカウトしたのが黒井社長だからだろうか?

「あ、じゃあ代わって欲しいぞ。
社長に聞きたい事があるんさー」

黒井社長も、我那覇さんの事は気に入っているらしく、漏れて聞こえる声もどこか楽しそうだ。


『……天海春香の事か?』

「へ?なんで春香?」

「春香? 黒井社長は春香の事で社長と会ってるの?」

思わず我那覇さんに問い詰めてしまう。

「おわっ……千早待てだ待て!」

前のめりになる私を手で制し、携帯電話を耳から離した。
そして何かボタンを押し電話に戻る。

「あー、もしもし黒井社長? 話が見えないけど……春香のことで二人は話をしてるってことでいいんだよね?
いきなり長期ロケが決まってプロデューサーもつかずに単独行動っておかしいと思ったけど……なに企んでるんだ?」

『……貴音ちゃんがよく行くラーメン屋があるだろう? 詳しく聞きたければそこの裏の道を少しいったところにある喫茶店にこい』

どうやらスピーカーモードにしてくれていたので、諦めのような苦々しいため息混じりの声は私にもはっきりと届いた。

「……千早はなんとなくどんな話かわかってるんだよね?」

携帯電話を閉じると、我那覇さんは真剣な表情をしていた。

「えぇ……プロデューサーに口止めされていて……ごめんなさい」

彼女のまっすぐな視線から、思わず顔を背ける。




どこからかかすれた口笛のような音が聞こえた気がした。

今日はここまで。

おやすみなさい。


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「……今回だけは完全に私のミスだと認めてやろう」

こうも自信満々にこられると被害を被ったはずの私のほうが居心地が悪くなる。

まぁ、こいつの性格はよく知っているし今更なのだがね。

「やれやれ……しかしやましい事をしているわけではないからね。彼女らもわかってくれるだろう。
もとより全員が集まる機会があったら話すつもりだったしな」

「……しかし、天海春香か……アレが持つアイドルとしての資質はあの子に匹敵する……貴様の見る目だけは褒めてやろうではないか」

こいつは何かを謝罪する時に、必ず相手をおだてるような事をセットで言ってくる。
誠意のある謝り方でないことは理解しているようでなによりだと吉澤くんと笑いあったものだ。

「……春香くんはどうしてしまったのだろうね」

白々しい話題の振り方だったかもしれない。
我那覇くんからの電話がなければ私は本題にはいれずに帰ってきてしまっていたかもしれない。



「……精神病、という線はないのか?
いくら大人の世界で立派に仕事を果たしているとはいえ……むしろ果たしているからこそうつ病になったりもするだろう?
お前のところなんて最年長でも22~23だろ?」

春香くんのお母さんが言うにはふさぎこんでいる、というよりは迷っているというようだったということを黒井に伝える。
元気はないが、外に出たりとかはしているようだ。

「……まぁ、十中八九そういうものではなくあの時のやつの顔つきが全てだろうがな」

「ふむ……」

春香くんは如月くんと番組出演の際、照明が落ちてくるというトラブルに見舞われた。
彼女が自分の殻にこもってしまったのはそのあとからだ。

「……なにか引っかかることがあるのか?」

「お前が無意味に精神病だの言い出したことで引っ掛かりがより強くなってしまったよ」

まるであの日と同じだ。

そうこぼすと黒井の携帯電話が鳴り響いた。

「着いたか、ならば店員に私の知り合いだと言え」

どうやら我那覇くんと如月くんが到着したらしい。

やれやれ、どうしたものだろうな……。


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「黒井社長、お久しぶりです」

「貴様はいらん、帰れ。歌は魅力的だが貴様が目指すべきはアイドルではない」

初めて会った時テレビ局で絡まれ、ガン無視したのが尾を引いているのか、黒井社長は私に異常に厳しい。

北斗さんから聞いた話によると、私の歌を気に入ってくれてあわよくば961へ引き込もうとしていたようなので無視されたのが悲しかったらしいが……。

「もう、いつまで拗ねてるんさー。
あれから千早新曲出すたびにメッセージ添えてCD送ってるんだから機嫌治しなよ」

翔太くんから聞いた話によると、961プロの社長室には私のCDがずらりと並んでいるらしい。

「私の目の前で勧誘なんて辞めてくれたまへよ?
まぁ、うちの子達は961プロの環境には馴染めないと思うがね」

「勝ち誇った顔をするな、忌々しい。
だが、それがそうでもないぞ。
早速だが……」

「はい?」

なんだろう?

黒井社長はチラリと私の方をみて話を止めた。



「あ、我那覇さんには道すがら春香が実は家に引きこもっているという話をしておきましたよ?」

「そんなのはどうでもいい!
貴様には嫌な話になるかもしれんが、呼んでもないのに来たのは貴様だ、ということを言おうとしたまでだ」

……どうやら私のことを心配してくれているらしい。

大丈夫ですよ、と返すと咳払いをして話しはじめた。

「あの番組の録画を見たのだが……あの時の天海春香は出会った頃の冬馬、北斗、翔太と同じ目をしていた。
これがどういう意味かわかるだろう?」

詳しくは知らないが黒井社長が彼らと出会った時、三人は三人とも荒れていたらしい。
グレていた、ということではなく精神的にボロボロだったようだ。

「冬馬は……引くくらい明るいやつだったよね、目が死んでたけど……自分、他人を寄せ付けないというか、冬馬だけの領域で生きてるって感じが……怖かったさー」

天ヶ瀬くんと我那覇さんは同じ時期にスカウトされ、同じレッスンを受けていたことがある。

「うむ、私も彼にはティーンと来たが……我が765プロへ迎えても芽が出ないとあの頃は判断したよ」

「ウィ、当たり前だ。
逆に冬馬の異質さにすぐ気がついた響ちゃん、貴音ちゃんは961ではその輝きが別のものになると思ったからこそ、忌々しい高木へ預けたのだがな」

「社長と黒井社長って仲良いよね、気持ち悪いぞ」

無邪気な笑顔に社長コンビは大ダメージを受けたようだ。



「……ええい、話を戻すぞ。
あの時の天海春香の表情。
間近で見た如月千早ならわかるだろう?
あれは覇者の顔だった。
誰も寄せ付けぬ孤独を理解した上で、邪魔をする全てをねじ伏せる者の目だった」

あの時の春香の目には、安心と絶望が同居していた。
そのちぐはぐな目で、奇妙な笑顔を作っていたのだ。

「でもさ、そんな話のために二人は仲良くお茶してたわけじゃないでしょ?」

我那覇さんは頭が良いのか悪いのか判断に迷うのはこういうところにある。
アホな発言が多い割に、物事の本質だけはいつもしっかり見えているのだ。

「……私たちは同じような目をしたアイドルを一人だけ知っているのだ」

「昔、私がまだ黒井と仕事をしていた頃……担当アイドルが同じような状態になった。
今回の天海くんと違うのは、本人の自覚の有る無しだけだ」

観念したように話し出す高木社長の言葉は、よく意味がわからなかった。

「そのアイドルは、どうなったの?」

「今は事務員をしているよ――我が765プロでね」

意味が、わからなかった。

765プロの事務員といえば、音無さんだけだ。

その音無さんが……今の春香と同じだった?

「小鳥ちゃんは、歌は如月千早以上、ダンスは天海春香と同程度か少し劣る程度、表現力は水瀬伊織と美希ちゃんを掛け合わせたような子だった」

「な、なんだよそれ千早なんて歌だけならランクがつけられない、伊織と美希だって表現力では千早の歌並みだって言われてんだぞ?
千早の歌といおみきの表現力があれば、棒立ちで歌ってもトップに立てるぞ!」

音無さんへの評価が信じられないのか、我那覇さんの声には怒気があった。

「もちろん、ピヨ子は素敵な人だし、歌もうまいよ?
でも適当なこと言って誤魔化してるようにしか聞こえないさー」

「だが、事実だよ。
そしてそれ程の力がありながら、なぜ音無くんがいた時代が日高舞一強の世界となってしまったのか……今の天海くんは、あの時の音無くんを思い出させるんだ……」

二人とも嘘をついているようには見えなかった。

恐れと不安、そして後悔の篭った目に、我那覇さんも言葉を失っていた。



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『えーっと……高木さん、だっけ?
アイドルってやつはすごいね、人の心を掴み、狂わせる……誰よりも輝いて誰よりも煌めく……』


『世界の危機は……一応終わったよ。
だがもう少し僕は小鳥の中にいなきゃならないんだ……迷惑をかけるけど、世界のためだからね』


『それじゃあ高木さん、黒井さん……また会う日まで』


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「……最低な寝起きだな」

全身に汗をびっしょりとかいている。
私と黒井が守れなかったアイドル。

音無小鳥。

日高舞が舞台から消え、アイドル業界も一度死んだ。

どんな新人が出ても、消えたはずの日高舞の名前がチラつき消えて行く。

アイドル戦国時代などと囃し立てられ、盛り上がっているようにみえたが、あの時の業界は死んでいた。

だが……私たちは諦められなかった。

光り輝くアイドルをこの目でもう一度みたかった。


黒井のヤツが会社を興し、後を追うように私も独立した。

世間一般的には765と961はライバルという認識だがそれは違う。

これはいわば出来レースだ。

もともと口が悪く素直じゃない黒井が黒い噂の耐えない事務所を作り、それに対抗するようにかつての友人が事務所をつくる。
私たち二人がいがみ合い競い合う形でアイドルというものを復活させようとしたのだ。


そして、私たち二人はなんとなく盛り上がっている業界の中で過ごしていた。

何故かって?

答えは簡単だ居なかったのだ。

現状を打破できる、本物のアイドルというものが。

え? 小鳥くん?

あぁ、小鳥くんは眠り続けていたのだよ。

明日とも百年後ともわからぬ目覚めを待つのは本当に辛かった。

しかし、彼女の目覚めと共に、本物のアイドルたちも一斉に目覚めた。

今思えば、日高舞が大人しく消えた理由はここにあるのだろう。
自分が消えても、自分の影響力は消えない。
そして、影響というのは子供のほうが強く受ける。
その子たちが、自分に代わり目的を果たすことを信じていたのかもしれないな……。



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『あーあ、目覚めちまったかい。
残念だよ、また僕は世界の敵を殺さなくてはならない』

『しかし……プロデューサーだった二人が社長さんとはおどろきだよ……さて、僕もそろそろ目覚める時だね』

『音無小鳥さん、長い間お疲れ様でした。
君のおかげでこの世界は辛うじてマシなレベルを保っていたよ』

『君のような人間が描いた夢の残滓が、僕のような存在なんだろうな』

『君の夢……その夢の残りカスを僕が引き受けてあげるよ。
汚い部分は僕が全部貰ってやる。
だから、安心して夢を見ていろよ……君にはそのくらいの権利はあるはずさ』

『……僕に感情というものがあったら、君から大切なものを奪う代わりに君の笑顔が欲しいと願うんだろうね』

『ただ、僕には感情なんてものはないのさ……だから、君の大切なものを奪っちまうよ。
世界の敵は死んで貰わなきゃいけないのさ』

『日高舞、ヤツの遺した遺産は全て消さなきゃならないんだ……』

『それが……君がブギーポップと呼んだ僕の役割だからね……』


~~~

「えっ?」

収録の様子を眺めていると、急に名前を呼ばれた気がした。

あたりをキョロキョロと見回してみるけれど、どの人も私に目もくれずにライトの当たる現場を眺めている。

「……疲れてんのかな?」

空耳など疲れている時はよくあることだ。

「でも……なんか聞き覚えある声だったんだよなぁ…….」

「あ、あの……私なにか失敗しちゃいましたかぁ?」

正体不明、というより存在し得ない声の出どころを一人ブツブツいいながら考え込んでいると、聞き慣れた可愛い声が今度は空耳ではなく届いた。

「うぅ……小鳥さんなんだかこわい顔してるから……私ダメだったかなーって……」

……あぁ、可愛い。
まるで天使、いいえ天使すらも凌駕してるわ。

「あぁ、ごめんね。
そんなことないわよ、いつも通りとっても可愛かったわ。
ただ私不慣れでしょ? だから緊張しちゃって顔が強張っちゃったのよ」

そうなんですかぁ!よかったー!と笑うこの子の前では、笑顔を作ろうとしなくとも自然と笑顔になってしまう。

「……可愛い」

その笑顔が不審者丸出しの危ないものになるのも仕方がないだろう。



~~~

慣れないプロデューサーの真似事をした夜、懐かしい夢を見た気がする。

冷たい友人と、長い間ずっと話をし続ける夢だ。

その友人は、名前も無くて姿も無い。
なにもない存在だった。

世界の危機に泡のように浮かび上がってくる、なんて不気味なことを言ってたから不気味な泡〈ブギーポップ〉って私は呼んでいた。

ブギーポップとの会話は……楽しかったと思う。

内容は覚えていないけど、私はずっと目を輝かせていたから、楽しかったはずなのだ。

彼(彼女?)はいつでも冷たい目をしてそれでも私に左右非対称な変な笑顔ではなく、綺麗に笑いかけようとしてくれていた。

だから私はここまでやってこれたんだと思っている。

眠りから覚めて、リハビリをしたり、大学に通いながら高木さんの会社で事務員の仕事を覚えたり……辛い時私は存在しないはずのあなたの笑顔をいつも思い出していた。

だから私は信じてるよ。

私の夢と、あなたの言葉を。

あなたが絶対に私から笑顔を奪うことなんかないことを……。

ブギーポップの前だけでは、私はただの音無小鳥でいたいから。

アイドルでも事務員でも容れ物でもない、ただの少女に戻れるから。

あなたとの会話は全て止まった時の中で……。



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『今回の世界の敵に名前はいらない……何故かって?』

『いいよ、言わなくても……。
わかっちゃったもん……でも、なんで……なんで……舞さんが……』

体の自由を世界の敵の敵に奪われ、私は親友を氷のような目で見つめていた。

『おいおい、勘弁してくれよ。
君までそちら側へ行きたいのかい?』

そちら側。
世界の敵。

世界の……危機。

『わ、たしも……』

いけるのだろうか。

私にも彼女のような力があるのだろうか。

これだけの人を熱狂させ、感動させ、心を動かし、ひとつにする力が……。

世界の敵の敵なんて……。

『私も……あっちへ行き、たい……。
私も、たくさんの人を……笑顔にしたい……元気をあげ、たい……』

心の奥底が黒くなっていくのがわかる。

段々とブギーポップの存在感が失せ、手足に感覚が戻ってくる。

この感覚が完全に戻った時、私はきっと堕ちるのだろう。

『まぁ、僕は別に君がそっちへ行ってしまっても構わないんだけどさ』

だけど、顔も声も形も存在しない誰かの思いが私を引き止めた。

『君までそっちへ行ったら、この世界はバランスを崩して崩壊するぜ?
希望を与えるはずの美しい歌声や、思わず見惚れちまうダンスはたちまち崩壊のビートへと……人々を不幸にするものに姿を変えるぜ?
いいのかい?』

人を不幸にさせる。

その言葉に一気に魂が引き戻された。

『それだけは駄目っ!』

フッと体から再び力が抜けた。

『……君ならそういうと思った。
だから、僕は君のところに浮かんできてしまったんだろうね』

どこか寂しそうなその声は、私にだけ届いた。


~~~

『春香?』

「……なに?」

『いま、何か感じなかったかい?』

「そんなの、私にわかるわけ……」

『……アイドルなんだから僕という存在に触発されて超能力でも身につけろよ』

………。

『やれやれ、無視かい? 若いうちから部屋ん中でぼんやりしてると腐っちまうぜ?』


それから数日は過去と現在が重なりそうで重ならない状況が続いた。

ん?

あぁ、つまり。

世界の敵が消えちまったんだ。

正確にいうと、その行動が消えた。
存在が消えてない証拠は僕だと言わなくてももうわかるだろう?

だが、その存在が掴めなくなった。

嵐の前の静けさってやつだろうね……。



~~~

「私たちが始めて異変に気づいたのは……そうだな双海姉妹が一歳になるかどうか、という頃だろうか」

「その頃のアイドル業界は日高舞をどれほど精巧にコピーできるかを競っていた。
日高は間違いなく一万年に一人の逸材だったからな」

だが、と黒井社長はコーヒーカップを手に取り続けた。

「音無くんは……百万年に一人の逸材だった。
奴さえ現れなければ、音無小鳥の名前は世界中で有名になっていただろうな」

両社長はそれぞれに当時を追懐している。

高木社長は、悲しそうに。
黒井社長は、悔しそうに。

二人の性格がよく出ているな、とわずかに残った脳の冷静な部分が思考する。

「音無さんは……いえ、日高舞さんはどうなったんですか?」

「消えた、としか言えない。
日高くんは……いきなり消えてしまったのだよ。
まるで始めからいなかったかのように跡形もなく……彼女の映像も写真もCDも……存在を匂わすものが一切合切消えたんだ」

「事務所もその他の所属アイドルたちも一緒に消えた。
人々の記憶からも消えた。
我が961プロや忌々しい765、876が消えたら世間は大騒ぎになるだろう?
当時奴が所属していた事務所はそれ程の存在感を持っていたくせに、世間では何事もなかったかのような静けさだった」

芸能関係者たちですら、日高舞の存在を意識しないようになっていたと言う。

「そのくせ、新しいアイドルが現れても「どこか物足りない」と誰もが感じたのだ」

まるで、

「催眠術みたいだぞ……それで、そのあとピヨ子は?」

「眠り続けた。五年間だ」

「……だから自分が子供の頃好きだったアニメとかキャラクターの話してもピンとこない感じだったのか」

もしかしたらそういう話を振る事が音無さんを傷つけていたのではないかと、我那覇さんの表情が曇った。

「我那覇さん、大丈夫よ。
音無さん前に亜美や真美と一緒に事務所でDVD見て律子に怒られていたから」

「はは、小鳥くんは変わらんな。
アイドルだった頃も、見たいアニメがあるからオーディション行きたくないと言って黒井に怒られていた」

音無さんが出かけたあと、四苦八苦しながらこっそり録画設定をしている黒井社長が簡単に想像出来た。

「話を戻すぞ。
私と高木が確信したのは、小鳥ちゃんが……ブギーポップと名乗った時だ」

ブギーポップ……。

何故だろうか、初めて聞いたはずなのに、とても懐かしく感じた。


~~~

『高木さん、黒井さん?』

「なんだい?」

「なんだ?」

『この子が君たちには話をしておけとうるさいからね。
どうやら眠っている間と起きている間で記憶のリンクがまだ出来ないらしい』

「……今度はなんのアニメにハマった?」

「しかし、小鳥くん……そういう役柄も意外とハマるねぇ」

『はぁ……まぁいいさ。
僕は……そうだな、折角彼女がつけてくれたし……ブギーポップと名乗ろうかな。
世界の敵の敵、自動的な存在だ』

「……おい、高木腕のいい医者を知らないか?」

「そういうコネやらなんやらはおまえの領分じゃあないか?」

『待ちなよ、おかしくなったわけじゃない。
君たちも感じているはずさ日高舞の異質さ、異常さをさ……』

「……確かに、アイドル業界全体がアレを目指しあれのコピーを量産している今は異常だ。
だが、私たちのようにこうしてオリジナルでヤツを倒そうとしているのも何人かはいる」

『じゃあさ、予言するよ。
二週間だ、二週間でそういうのはいなくなる。
外れたら精神病院でもなんでもぶち込みなよ』





『その代わり、当たったら邪魔をしないでくれ――』


~~~

「邪魔?」

「ブギーポップは……自分の行動が我々の夢と小鳥くんの夢を壊すことを理解していた。
人間には夢が必要だ……我那覇くん、君も夢があるから立てる時があるだろう?」

無邪気に笑いながら胸いっぱいに抱えた夢を話す我那覇さんの声がだんだんと遠くなって行った。

黒井社長と高木社長の「打倒日高舞」という夢。
音無さんの「アイドルになりたい」という夢。
それらを壊すことを黙って見ていろとブギーポップは言ったのだ。

もしも、もしも私が同じことを言われたら……?

ゴールのない迷路の中に放り込まれたような孤独感がじわじわと広がる。

「……おい、ウェイター。コーヒーのおかわりを頼む」

きゃっきゃとした声を遮るように、そして深い闇を切り裂くように鋭い声が私を現実に引き戻した。

黒井社長はウェイターさんにお礼をいい、私にメニューを突きつけた。

「メルシィ……私のおごりだ、腹を壊すまで飲み食いしろ」

高圧的に、しかしどこか高木社長と似た目つきで黒井社長はそう言った。

本当はこの人も優しい人なんだ。

「はい、ありがとうございます」

メニューに目を通し、春香ならなにを頼むかな、と考える。

最近は美希におねだりされババロア作りに挑戦していたようだし、

「じゃあ、このいちごババロアとコーヒーを。我那覇さんは?」

「んー……黒井社長のおごりならこの店で一番高いパフェ!」

「フン、痛くも痒くもないわ。
その代わり……残したら響チャレンジで「サハラ砂漠のど真ん中に放り出された響ちゃんは無事帰ってこれるのか!」をやらせるぞ」

多分私の選択は間違っちゃいない。
大好きな友人を救うために、その人を知ろうとするのは正しいはずだ。

一通り注文を終えると、高木社長が話を再開させた。



~~~

「どうなっているっ!」

「アクアマリンもcookieもエンジェルスターも……なぜだ……」

『やぁ……どうだい? 日高舞を倒そうと躍起になってる奴らもきっかり二週間で奴のコピーになっちまったろう?』

「貴様……なにをした?」

『ご挨拶だな……僕は“まだ”なにもしちゃいないよ。
彼女が君たちに僕を認めさせないと仕事をさせないとうるさいからね……だから早く僕を認めてくれ。
このままだと世界が終わっちまうぜ?』




「はぁ……認めよう」

「高木ィッ!」

「黒井、それが約束だ。
どうやら……見ていることしか我々には出来ないらしい」

「貴様……本気で言っているのか?」

「ブギーポップ、小鳥くんは君のやる事とその結果に納得しているのだろう?」

『あぁ、そこは問題ない安心してくれ』

「二人で話を進めてんじゃあないぞッ!
小鳥ちゃんは……私の夢だ!彼女をトップアイドルにするために俺はここにいると言ってもいいくらいだ!それを……奪う、だと?」

「黒井……」

『やれやれ、だな。
いいかい? 僕がこうしてあんたらとお話してるのは義務じゃなくて義理だ。
そして……最大限の譲歩だ。
本当は音無小鳥の言葉なんか聞く必要ないんだぜ?
こいつだって、世界の敵になりうる素質を持ってんだ。
タイミングの問題では、世界の敵の敵が日高舞で世界の敵が音無小鳥だったかもしれないんだ』

「認めん……私は絶対に認めんぞォ……!」

『……認めるとか認めないとかじゃないんだよ。
僕はね、自動的なんだ……世界に危機が訪れた時自動的に浮かんできてしまう……だから彼女はそんな僕〈現象〉を不気味な泡〈ブギーポップ〉と呼んだんだろう』


~~~

「ほへへ?」

「食べながら喋るな、行儀が悪いだろう」

黒井社長はその後どうしたんだろう。
彼の性格ならば高木社長と縁を切ってしまいそうな気もするが、いま現在を考えればそうはならなかったのである。

「黒井は即日当時いたプロダクションをやめてしまった。私にもなにも言わずね」

いつも通りの穏やかな表情。

高木社長は、辛くなかったのだろうか。
なぜ、あんなにも物分り良く音無さんを諦めたのだろうか。

聞きたい事はたくさんあったが、口を挟む気にはなれなかった。


~~~

……如月くんは本当に不器用な子だね。
我が事務所で誰よりも人との関わりというものの大切さを理解していながら、彼女はそれをうまく表現出来ていない。

双海姉妹が空気を読まない振りをして不器用さを溶かしてくれると思っていたが……どうやら彼女たちは空気を読みすぎたようだし……。

ふふふ、しかしいいねぇ。

如月くんの将来が楽しみだよ。

黒井のやつは目指すべきはアイドルではない、などと言うけれど……私は歌一本でいくのはもう少し先で良いと思っている。

少なくとも、表情を全く変えずに冷静さを保とうとしている間はね。

さて……聞かれたら話そうと思っていたが――。


~~~

「そう、ですか……」

ブギーポップとの会談を終え、事務所に戻ると私は社長に呼び出された。

「黒井から話は聞いた。 音無くんの意思ならば私は止めない」

あのバカがなにをどう話したのかは想像出来ないが、どうやら小鳥くんは引退、という話をつけてしまったらしい。

「小鳥くん……すまない」

「……どうして高木さんが謝るんですか?」

社長室を出て、経緯を小鳥くんに説明する。
ブギーポップが言っていたリンクがどうのこうのはほぼ完全に繋がっているようだ。

「ブギーポップの事を受け入れたのは私です。
こうなる事もわかっていました。
だから、私は……後悔なんて……ありま、せん……よ?」

「小鳥くん……」

ポタポタと床に水滴が垂れる。

どんな泣き言を言おうとも、どんな辛い状況になろうとも、小鳥くんが泣いた事は今までなかった。

そんな彼女を、泣かせてしまった。

「や、約束、しよう……必ず、君を……どんな形に……なろうとも……頂点へ連れて行く。
く、黒井が何を企んでるかは知らんが……あいつは……バカ、だから……」

担当アイドルの前で、十近くも年下の女の子の前で、泣いてしまったのは後にも先にもこの時だけだった。

――聞かれなかったことだし、みんなには話さず私の心にしまっておこうかね……。


~~~

「黒井が去ってから日高舞騒動は一週間ほどで決着がついた」

我那覇さんの口の周りをペーパーで拭きながら高木社長は話を続けた。

というか我那覇さん社長陣と仲良すぎじゃないかしら?

「そして、それは小鳥くんの眠りのスタートだった。
ちなみに如月くんの眠り姫、あれの原型は小鳥くんが書いたのだよ」

思わぬ裏話(?)に当時を知らない私たちは驚いた。

「ピヨ子って……何者なんだ?
眠り姫といったら……千早のオーバーランク決め手になった超ヒット曲だぞ……」

「小鳥ちゃんは見たままだ。
駆け引きや打算などあの子にはない。
響ちゃんが見たままを素直に感じればそれが音無小鳥という人間だ」

きっと黒井社長はどんなアイドルよりも音無小鳥さんのファンなんだろう。
世界で一番のファンなんだろう。

音無さんが少しだけ羨ましくなった。
一番のファンでいてくれた人は、私には……もういないから。

「眠りについたのが……彼女が16の頃。 目覚めたのが21だ。
そのくらいの時に、私は765プロを立ち上げ、目覚めてからは彼女のリハビリ、大学、仕事と面倒をみた」

黒井社長とはいつ再会、もしくは和解したのだろう?

「黒井が再び私の前に姿を表したのは……小鳥くんが眠りについて四年目の事だった」



~~~

「やっと自分のプロダクションを興すメドが立ったよ」

小鳥くんが眠りについてから、私は毎日彼女の病室を訪れては話をしていた。

「しかし、黒井の奴はどこへ消えてしまったんだろうな。
悪い噂は良く聞くが、実際に黒井と会った人間は見ないよ」

この頃は大切な少女と大切な友人を同時に失った男として周りからはひどく気を使われた。
私としては、小鳥くんも黒井も失ったと感じた事はなかったのだがね。
テレビに出なくとも、歌を歌わずとも彼女は私の……いや、私たちの一番のアイドルである事に変わりはなかったからねぇ……。
黒井にしても、そのうちひょっこり帰ってくる確信があった。
毎月私の口座に彼女の入院費を振り込んでいたしね。

「体を壊したりしていないといいが……あぁ、そういえば善澤くんを覚えているかね?」

その日あった事はすべて報告していた。

小鳥くんが反応を示す事はなかったが、たまに微笑んでくれるような気がしたのだ。

「……というわけだったさ。実に愉快な話だろう?」

一通り話し終えると、病室のドアが叩かれた。


「うん?はい、どうぞ」

面会終了時刻にはまだ余裕があるはずだが、と思いながら返事をする。
彼女は身よりがないから、親族がくることもないし……友人たちも遠くの大学へ進学してしまったためくることはそんなにない。
ここにくるのは私と看護師くらいのものだ。

「邪魔するぞ……というか私が金を出しているのだから邪魔なのは貴様なのだがな」

扉を開けて現れたのは黒井だった。

「く、黒井! おまえ……今まで一体何を……」

「黙れ、騒ぐな。 この業界を復活させる下準備をしていたに決まっているだろう」

少し痩せただろうか、もともと目つきの悪いやつだったが、なんというか恐ろしさを感じた。

「復活、といっても……どうするつもりだ?」

何かとんでもないことをやるつもりなのではないかと不安がよぎった。

「フン……そんな顔をするな、情けない。
業界の人間から評判のいいおまえにも協力してもらうつもりだ」

「そういうおまえはあまりいい噂を聞かないぞ」

「だろうな、そういう噂を流したのは私自身だ。
これで私にはこの先ダークなイメージがついて回る。
対極な私たちが争う、という構図を作りたい――悪役は俺がすべて引き受ける」

一人称が俺になっていることにこいつは気づいているのだろうか……。


「協力は……出来ない。
それで他が刺激され風向きがよくなる保証もないし、なによりも……おまえのプロダクションに入ってくる子がいらぬ恨みを買うことになるかもしれない」

「守ってみせる」

「……ダメだ。私は……やるからにはまっすぐやりたい。
また、二人でやっていくではダメなのか?」

「ダメだ、それでは俺もおまえのここで終わるだけだ。
それだけはならん、俺でもおまえでも……どちらでもいいから頂に立ち、この子にそこからの景色を見せねばならんのだ」

結局私はこいつの話に頷き、善澤くんを呼び出して記事を書いてもらったのだ。



“新プロダクション・961プロの闇”



“かつての相棒の暴走を止めることは出来るのか?! 765プロ発足”



“妨害? 765プロアイドル、オーディション棄権”


私達の……黒井の思惑はピタリとハマった。



~~~

「今のアイドル業界の盛り上がりは……こういう仕組まれたものだ。……私たちを軽蔑するか?」

我那覇さんと目を合わせ、頷き合う。
二人で黒井社長に向き直り、

「軽蔑なんて、しません」

「軽蔑なんて、しないさー」

そういった。

「もしもこれが本当に作られた熱気ならば……あなた方が本当は仲の良い友人同士だと知られた時点で冷めてるはずです」

「うん、実際にステージに立ってる自分たちだからこそわかる。
あの熱気は、あの興奮は、あのエネルギーは――本物だ。
きっかけがなんだったとしても、ニセモノだったとしても、それを本物に変えるのが自分たちの役目だし……むしろお礼をいいたいくらいだぞ」

「……そうだったな……君たちは……君たちは成功者だからな……君たち以前の……まだ作られた盛り上がりの中で不本意に消えてしまった子たちには……」

罪悪感に押しつぶされそうな高木社長に、我那覇さんがため息をついた。

「みんながみんな怒らない、とは言わないけどさ……少なくとも一人……いや二人は社長たちを恨んだり軽蔑したりしてないぞ」

意味がわからない、という風に高木社長は我那覇さんを見返した。

「律子にさ、聞いたことがあるんだ。
どうして律子はアイドルやめちゃったの?って。
あの時の律子の言ってたこと、やっとわかったぞ……というか思い出したぞ」

律子ねー、と続けながらカフェオレに口をつける。


~~~

「なー、律子」

「ちょっとまって……これで、よしっと!……なに?」

黒いスーツに身を包んだ自分よりも三つだけ年上のお姉さん。
自分たちが入る前はアイドル、それもなかなか有名なアイドルだったというけれど……。

「なんで律子はアイドルやめちゃったの?」

どうしてプロデューサーになったのだろうか。

「んー、私は自分が輝くよりもあんたたちを輝かせる方が向いてると思ったから、かしら?」

「……あの真っ白なホワイトボードを見てもう一度どうぞ?」

「こ、これからよ!これから!」

まったく、とそっぽを向く。
年上なのに仕草だとか表情だとかは可愛い。

「もうちょい具体的な理由とかないの?
プロデューサーのが合ってると思った理由とかさ」

「理由ねぇ……社長を尊敬してるから、かな?」

「社長ぉ?」

「適当そうな人に見えて、あの人と黒井社長は本当に凄い人よ。
今のこの業界は、あの二人がいなかったらありえないといっても良いほどにね」

信じられなかった。
自称記者の善澤さんとお茶ばっか飲んでる高木社長に、無駄に絡んでくる黒井社長だぞ?

「これでも不満?」

「んー、若干」

「そうねぇ……私じゃあニセモノの熱気を本物の熱に変える事は出来ないって思ったからかなぁ……。
当時本物の熱気が0だったとは言わないけど、100だったとも言えない。
でも、そんな中でもあの人は私を間違いなく輝かせてくれた。
それは、100%の熱気の中で輝くよりも難しいことだと思うわ。
まぁ……同時に私が100%の熱気を生み出すステージに立つのは無理だと確信しちゃったんだけどね。
でも、そのステージを作ることなら出来る気がしたわけ。
だから、あんたたちには期待してんのよ?」

よくわからなかったけど、いつかわかるわ、という律子の言葉に従いその場はそれで良しとした。


~~~

「な、律子は軽蔑なんてしてないぞ。
あともう一人、天野って人知ってる?」

高木社長は首を横に降った。

「あ、子供がいるってことは結婚してるから名字は変わってるのか……名前は花って字があったのは覚えてるんだけど……」

「もしかして……み、美翔花織くん、かい?」

「それだっ!その人がこの前ファンレターくれてさ。
これからは子どもと一緒に響ちゃんを応援するね!って。
自分のことはそれだけで、そのあとはずっと高木社長の話が書いてあったんだ。
高木社長は最後の最後までアイドルとして芽が出なかった自分のファンでいてくれたって。
高木社長には感謝してるって。
……自分じゃなくて社長にファンレター書きなよってお返事しといたぞ」

……なんというか、我那覇さんは本当に不思議な人ね。

「そうか……そうか……はは……あっはっはっは……我那覇くん、ありがとう。本当に……ありがとう」

私たちに向けている優しい眼差しの奥で、この人はいつも罪悪感にとらわれていたのかもしれない。

――その気持ちは、痛い程よくわかる。

私も、同じだから。

ファンのためと言いながら私は優にだけむけて歌い続けている。

ファンの人たちが向けてくれる視線に、アイドルらしい嘘の微笑みを返して、騙している。

軽蔑されるべきは、嘘の世界を本当の世界まで育てた二人ではない。
必死の思いで作られた本当の世界で、嘘をつき続けている私だ。

「……千早?」

「ん、なに?」

「いや、なんか変な顔してたからさ。
そういえば時間平気?」

時計を確認すると、ここに来てから二時間ほど経っていた。

「そろそろ六時か……どうかね?都合がよければ晩御飯をご馳走するよ?」

おそらくその場ではブギーポップの話題は出ないだろう。

「すみません、最近少し疲れているので今日は遠慮します」

「えー行かないのか~?……って言いたいところだけど、千早確かに顔色少し悪いしな、でも可愛い女の子二人ともに振られちゃうと社長がかわいそうだから、自分はご馳走になるぞ!」

「如月くんには、天海くんの抜けた部分を大分カバーしてもらっているからねぇ……プロデューサーの彼や律子くん、小鳥くんにもだが……君には一番負担をかけてしまって……すまないね」

「謝らないでください、私が好きでやっていることですし……春香には……春香は親友ですから、あの子のためなら、私はなんでもしますよ」

「千早……」

何故だろう、我那覇さんが悲しそうな顔をしている。

「……ウェイター、適当にサンドウィッチか何かをこいつに持たせてやってくれ。
あとコーヒーのおかわりを頼む。
さて、最後にもう一杯飲んだら出るとするぞ」

我那覇さんが何かいいたそうにしているのを止めるように、黒井社長はそういった。

淹れなおされた温かいコーヒーは、なんだか味がしなかった。


~~~

「ねー、兄ちゃーん」

寝っころがりながら双海姉妹の可愛い方、双海真美が情けない声をあげた。

「な、なんだよ……その気の抜けた声は」

「こーれー、はーるるんがずぅっと楽しみにちてた番組だよね?」

今度は双海姉妹の可愛い方、双海亜美が企画書をぴらぴらさせながら言った。

「んでーなんで、私たちがここに来てるの?」

「はるるんは?」

左右から同じ声でそっくりな顔で問い詰められる。

「あー……だから、説明したろ?
春香は長期ロケ中だ」

「それって現場どこなの? 南極?北極?
ずっと携帯も通じないなんておかしいよ!」

「亜美たちが事務所で一番年下だからってそんな適当な嘘に騙されるほどお子様じゃないよ!」

がばりと起き上がり、左右から詰め寄られる。

「お、落ち着け。春香のことは心配いらないから! 確かに長期ロケは嘘だが、なにも心配はいらない。
ただ少し……いまの春香には……じ、時間が必要なんだ」

社長からの箝口令を無視し、事務所内で一番話しちゃまずい連中に思わず喋ってしまった。

いい終わってから、サァーっと顔から血の気が引いていく。

「ふーむ……亜美隊員、兄ちゃんのこの顔色……嘘じゃないみたいですな」

ニヤリと幼さが残る顔で笑う真美。

「真美隊員、ほっぺ舐めて嘘をついている味かどうか一応確かめますかい?」

こっちはニヤリとあどけなさの目立つ顔で笑う亜美。

「……これガチで律子も知らないくらいのウルトラデリケートな話だから社長には知ってること悟られるなよ?」

おれのクビがとぶ……と割と本気でなきそうな声が出てしまう。

おれは、いつからこんなアホになったんだろう……社会人として終わってるよ……。

「はぁ、兄ちゃん……流石に亜美たちもこれがどんくらい大きな話かはわかるよ」

「はるるんになにが起きてるのかは知らないけど、きっと真美たちはなにもしない方が……ううん、なにも出来ないんしょ?」

さっきまでの子供みたいな表情からすぅっと一段階も二段階も大人びた表情を二人はしていた。

「でもさ」

「亜美たちに何かできることがあったら……」

絶対に教えてよね!

二人は満面の笑顔で叫ぶような大声でそう言った。

何かあったらな、と返事を返したが、おれは知ってる。

春香をどうにか出来るとしたら、それは如月千早だけだということを。

春香がブギーポップに魅入られてしまったことを。

千早が……ブギーポップの敵となった事も……。

どうしてわかるのかはわからない。

ただ、自然と理解した。

十年近く前。
日高舞が消えた日と同じような感覚だった。


~~~

“おぉ?……ティーンと来た!”

中学二年生だったと思う。
学校の帰り、なんとなく公園に寄りベンチでぼーっとしていると、なんだか言葉では言い表せない妙なオーラを持った女の人が横に立っていた。

“あのさー、君大学出たらプロデューサーでも目指しなよ。
きっと君なら私と同レベルのアイドルを造り出せるよ”

ゆらゆらと消えてしまいそうなくらい希薄だが、圧倒的な存在感。

恐ろしいような心地良いような、矛盾に満ちた気持ちの悪い感覚に支配される。

“私はこんなところで終わりたくないのよ。
わけのわからない泡に潰されるなんてまっぴらごめんなわけ……だから……ふふふ”

突然その人は笑いだした。

“じゃあね、未来の敏腕プロデューサーくん”

そして、そう言い残して消えたのだった。

白昼夢かとも思ったが、その声、姿、存在感はあまりにもリアルでとても夢とは思えない。

だが、なにをどうすればこの不思議な邂逅を理解できるのかなんてわからなかった。
結局おれは違和感を抱えながら家に帰り、飯を食って風呂に入って眠るしかなかったのだ。

翌日、その人が日高舞というとんでもなく有名なアイドルだとニュースで知った。


~~~

「何かがおかしい……けど、それがわかんねぇ」

これだけ世間で騒がれている日高舞を全く知らなかった自分。
一日だけでぱったりとニュースにならなくなった日高舞。

そして、日高舞の名前にどこかピンとこないようなアイドル好きの友人たち。

「……違うな。おかしいことが何なのかはわかってんだ。
ただ、それが……」

超常現象すぎるだけだ。

一人の人間。
一つの会社。

それがタブー視され、話題に出せなくなる、という事ならば理解できる。

だが、日高舞はその強大すぎる存在感を持ったまま、存在感を消したのだ。

『やれやれ……日高舞の残滓を一掃できるのはいつになるんだろうね』

彼女と出会ったおれにとっては神聖な場所。

何時の間にか、暇さえあればおれはあのベンチに座っているようになっていた。

「あ、んたは……音無……小鳥……?」

彼女が消えたあと、おれは彼女について調べ尽くした。
彼女と同じ時代に同じ世界にいたアイドルたちもすべて……。

『君は僕を知ってんのかい? まったく……やれやれだ。
でも良かったな、小鳥……君にもファンがいたようだぜ?』

「……そうか、そういうことか……」

『……どういうことか知らんがどうやらファンじゃあなかったみたいだ、期待させてごめんよ、小鳥』

「あんたが、日高舞を……殺したんだな?」

『……僕は世界の危機を取り除いただけさ』

「そうか……それで、おれもその世界の危機とやらとして排除されるのか?」

『……そうか……君は……』

冷たい風と共に、音無小鳥は消え去った。


~~~

音無さんの中にいた奴はそれ以上なにも言わなかった。
ただ、おれがこうしていま生きているってことは……殺されずに済んだということだ。

そして……春香……お前はどうするんだ?

音無小鳥と同じ道を歩くのか?



――千早、お前は?



おれはあの人の言う通りにアイドルのプロデューサーになった。
音無さんのプロデューサーだった高木社長に拾ってもらったのは偶然という運命だったんだろう。

そして、これもあの人の言う通りに担当アイドル全員をA~Sランクにまで育て上げることができた。

記憶から消えたはずの日高舞の存在が、協会審査員たちが無意識に設定したランクの基準になっている。
このことは高木社長と黒井社長しか知らない(というか覚えていない)事だろう。

「Aランク、それが日高舞と同じ舞台に立つ素質……言わばスタートラインだ。
やっとあいつらを……スタートラインに立たせる事が出来たわけだ」

そして、日高舞と同じステージに辛うじて立てるレベル。

「……Sランクは春香と千早だけ……」

春香は歌A-表S+踊A++で総合S。
千早は歌S++表A-踊A+で総合S。

この二人を、日高舞は、ブギーポップはどうするつもりなんだ?

音無小鳥:歌OR++表OR++踊C-総OR。
日高舞:歌OR表OR踊OR総OR+。

この二人と並ぶ可能性をもつ二人。

だが、わからない。

「なぜ、ヤツは動かないんだ?」

どこかでボタンを掛け間違えている気がした……。


へへへ


~~~

「なぁ、二人とも……」

自分たちは人が大勢いるにも関わらずどこか寂しい街の中を歩いていた。

「食べたいものが決まったかね?」

黒井社長はまっすぐ前を見つめながらとぼけたような声を出した。
そのわかりやす過ぎる態度に苛立つと同時にどこか絶望感を感じていた。

――やっぱり、千早もそうなんだ。

さっき言っていた春香の表情と目の色。
千早も同じような雰囲気を纏うことがあるのは二人も気づいていたんだ。

「ねぇ、自分をスカウトしたのが黒井社長なのに自分が961プロじゃなくて765プロにいるのは……そう言うことなの?」

自分たちは、春香と千早の引き立て役に過ぎないということなのだろうか。

思わず言ってしまったが答えを聞くのがこわい。
もしもここでイエスという答えを聞いてしまったら……自分はどうなってしまうのだろうか。

「同じ環境に居ても、壊されないほどの図太さを持っていて尚且つギリギリ超えないライン……これが自分含めた765プロの評価だぞ」

三人とも立ち止まった。
道行く人たちは迷惑そうな顔つきで避けるが三歩も歩けばそんなことは忘れたかのように平然とした顔に戻る。

「……」

沈黙は肯定……って事かな。

アイドル活動は楽しいし、さっき言ったとおりステージの上は本当に胸が踊る。

でも……それは自分がどこまでもどこまでも走っていけると信じているからだ。

決して誰かの引き立て役になるために輝こうとしてるわけじゃない。

「ふ……」

「ふざけた事を言うなっ!」

周りの人たちが全員足を止めてこちらを振り返るほどの怒号が響いた。

しかも、高木社長から。

「……ざけるのも……って……おい、高木」

黒井社長は相変わらずの下手くそな悪役ヅラで笑い飛ばすつもりだったらしい。

どちらかと言うと、そんな事はない、と笑うのが高木社長で顔を真っ赤にして怒鳴るのが黒井社長なイメージだ。

亜美真美にどんなイタズラされても、春香が新調したばっかのスーツにお茶ぶっかけても笑っている高木社長が……怒鳴るとは思わなかった。

「私はね、そうならないためにブギーポップを受け入れたんだ!
私の未熟さゆえに、そのような評価しか下されなかったまま舞台を去ることになったアイドルがいたことは認めよう。
だけど……俺にとっては彼女たちも小鳥くんも君たちも……変わらず宝物だ。
君が……君たちが諦めてしまったら……」

「落ち着け、街中でしかも顔が売れているアイドルを連れているんだぞ。
あと、久々に聞いたな。貴様が自分を“俺”だなんて言うのは」

黒井社長に言われ高木社長は我に返ったようだ。

場所を移すぞ、笑いをこらえるような声で言うと、黒井社長はそのまま向かいにあった少し高級なホテルへと入って行った。

「あ、待って!」

黒井社長の横に並ぶように足を早めた高木社長の背中を数秒見つめ、やっと脳が驚愕から解放されて足を動かせと信号を発信した。


~~~

「今日は貴様の奢りだなぁ、高木ィ……」

ホテルの中華レストランへ入り、一番高いコース料理を三人分頼むと黒井はニヤニヤとしながら言った。

黒井のやつにまで奢ってやる義理などないのだが、

「……」

気まずそうに時折チラチラと向けられる視線を感じると仕方ないことか、と思い知らされる。

「あー……あ、あの……だね?」

どうやったらこの空気をリセット出来るだろうか、と頭をフル回転させてみるが老いぼれの脳みそは早々に白旗をあげるだけであった。

「ふん、驚いたろう?響ちゃん。
だがあの高木があそこまでなるような事を君は言ったということでもあるぞ」

黒井はまるで学校の先生のような口調で淡々と口を開いていく。

「プロデューサーと呼ばれる者が見たい景色というのは恐らくは共通している。
それは黄金の輝きをもった何かだ。
アイドル自体かもしれないし、歌のことかもしれない。
演技かもしれないし、ダンスかもしれない。
単に生み出される金かもしれない」

そういえば、アイドルは金を稼ぐ道具、と言い切ったヤツに殴りかかったことがあったなぁ。
あいつの捨て台詞……次会った時はなんて言いながら次は未だに来ていない。
若い頃の褒められる事ではない出来事が頭に浮かんでは消えていく。

「私とこいつは求めるものが同じだ」

まるで泡のように、浮かんでは……泡?

「それは……なんなの?」

「――精神だ。 太陽すらも暗いと感じるほどの黄金の輝きを放つ精神。
それがあれば、潰れかけの遊園地でやるミニライブも武道館でやるライブも変わらぬ最高のステージとなる。
そんな輝きの精神を持ったアイドルを間近でみたい、そんな思いで我々はやってきた」

私は……何かを忘れていないか?

「それなのに当の本人が自分を引き立て役、だなんて言ったら怒りたくもなるものだ。
我々は誰よりも自分たちがプロデュースするアイドルのファンなのだからな……」

黒井が良い話っぽい事をしているが、耳には全く入ってこない。

『はじめまして、高木さん』

違う。

『僕は自動的なんだよ』

違う。

『二週間だ、二週間でそういうのはいなくなる』

違う。

『また会う日まで』

……これだ……!

「なぁ、黒井。 おかしくないか?」

「なっ、私の話のどこがおかしい?」

「違うよ。 あいつは何故私たちの前に顔を出さない?」

「あ、あいつってブギーポップのことか?」

窺うような表情で響くんはこちらを見上げる。

「あぁ、怒鳴ったりして悪かったね。
ただ、黒井の言うとおりだ。君を含め私が応援しているアイドル達をバカにしないでやってくれ」

響くんはにっこり笑いながら、わかったぞ、と元気良く言ってくれた。

「それで、ブギーポップの何がおかしいんだ?」

不機嫌そうに黒井はふんと鼻を鳴らした。

「いや、私たちは何かを勘違いしているのではないだろうか?」

「勘違い……?」

「小鳥くんのケースと今回のケースは……同じなのか?」

「ど、どういう事?」

「もしも、春香くんの中にいるのが、小鳥くんの中にいたヤツだとしたら……あいつなら必ず私たちの前に姿を現すはずだ」

これは根拠の無い話だ。
だが自信はあった。

あいつは言ったのだ。

また会う日まで、と。

「な、なんでそんなにブギーポップの事を信用してるんだ?」

響くんのこの質問は最もだろう。
何故なら私自身ですらどうして引っかかるのかわかっていないのだ。

「……それは」

返答に困っていると、

「……癪だが私にはわかってしまうな」

不機嫌を通り越して不愉快な表情を浮かべた黒井が言った。

「小鳥ちゃんが……幸せそうだからだろう。
眠りから目が覚めてからもあの子は本当に幸せそうに笑う。
夢が奪われたというのに、だ」

「……」

黒井の言葉は的確に私の感情と一致していた。
にも関わらず、私は何故だかそれが百点の解答とは思えなかったのだ。

「……高木社長は理路整然と何かを説明するなんて似合わないさ!
いつも通り、てぃーんときた!でいいじゃん?」

黒井の言葉に何も返せずにいると響くんがそう言った。

……うむ、悔しいがその通りだろう。

「そうだな、ふふふ……その通りだ。
私はブギーポップにピーンと来た。
だから、あいつが現れたなら必ず私たちの前に現れるはずなんだ!」

自信満々にそう言い切ると、黒井は馬鹿にしたように笑い、響くんは得意気にニッコリと笑顔を見せてくれた。


~~~

「……そうか……簡単な事だったんだ」

黒いマントに筒のような帽子。
しかし一目で異様とわかるその姿を気に留める者は一人も居なかった。

「……なるほどね。 だから私なんだ……」

ゆらゆらと海の中を漂うクラゲのように、その黒いシルエットは人並みの中をするするとすり抜けて行く。
その動きは酔っ払いの覚束ない足取りのようにも見えるが、一切の無駄なく踊っているかのようにも見えた。

「ねぇ、ブギーポップ……やっとわかった。 そして“なんで私が”って気持ちが“私で良かった”に変わったよ。あはは……本当……世界は辛うじてマシなレベルを保ってるに過ぎないんだね……」

そして、影は一度立ち止まる。
ゆっくりと空を見上げ、右手を月にかざした。

「全てを、この手に……それが大好きな友人を救う……たったひとつの冴えたやりかた」

ぎゅっと月をつかむように拳を握ると、次の瞬間には闇にのまれるように消え去っていた。

影の立っていた場所に、口笛のメロディが消えそうな泡沫のように、ぱちんと弾けた。

前回本当は終わりまで一気にいくつもりだったのだが、一レス分コピー→ペースト、のつもりが全コピー→削除……(´・ω・`)
という感じになったわけだ。
それで一ヶ月かけてモチベ復活させていま再構成してる。
書き始めたらすぐ書ききれると思うからもう少しお付き合いください。

梅雨が明ける前には終わりたいなぁ……。

以上、失礼しました。次回藤花をお待ちください。



~~~

『やっと……目覚めたかい。
やはり小鳥ほど優秀に“世界の敵の敵”をこなせる者は居ないな……。
彼女が最後の最後に“世界の敵”になっちまったのが本当に悔やまれるよ』

『ん? あぁ、彼女は優秀過ぎたんだ。
自分がどうやっても世界の敵になるとわかると否や、すぐさま行動に移したからね』

『天海春香、如月千早、星井美希、水瀬伊織、高槻やよい、我那覇響、
双海亜美と双海真美、菊池真、萩原雪歩、三浦あずさ、秋月律子……立派なもんだな』

『四条貴音? あぁ、あれは別だよ、あれはどちらかというと僕に近い。
あれは……そうだね、今度彼女に聞いてみなよ……「私の歪みはなんですか?」ってな』


~~~

目が覚めると、まずおれはテレビをつける。
アイドル戦国時代とも言われる今の時代。
その中でうちの事務所が頭ひとつ飛び抜けているのは自他ともに認めるだろう。

だが、そんなうちの事務所と肩を並べるところがあるのもまた事実だ。
そのプロダクションが何か行動を起こせばどの局でも必ず流す、はずなのだが。

「……最近やけに765は大人しいな」

ここ数日そのライバル事務所の名前をテレビで聞かなくなった。
所属アイドルたちを見ない日はないが、プロダクションとしての動きはまったくない。

「一致団結、がモットーみたいな事務所がこれでいいのかぁ?」

笑顔を振りまきながら、某番組の料理コーナーを担当する三浦あずさに毒づくと、携帯電話が鳴り響いた。

着信相手の名前を見て、言いようのない不安が一瞬胸をかすめた。

「おっさんが朝っぱらから電話とは珍しいな。
何かトラブルか?」

だがそれは本当に一瞬の事で、電話を取る頃にはいつもの自分に戻っていた。

『トラブルというほどの事でもない。 ただのスケジュール変更だ。
忌々しい765が仕事に穴を空けたのでな、代わりにお前らが行け』

「はぁ? なんで765の穴をおれらが埋めなきゃならねーんだよ。
あいつらの事はおれなりに認めてはいるし、ライバルと言いつつ実態は兄弟プロダクションみたいな関係ってのはわかってるがそりゃやってもいい事なのか?」

『構わん、私がやってはいけない事など存在しないのだからな』

……これ以上なにを言ってもおれらが765の穴埋めをする事は変わらないと察した。

「そーでしたね、はいはい、やりますよ。
そんで? 何の仕事だよ?」

『……思いのほか声が乗り気ではないか……まぁいい。 今日の撮影が終わったらデルタテレビのBスタジオへ来い、くればわかる。
それでは、切るぞ』

「765には恩を売っておいても損はねーからな……別に乗り気ってわけじゃない。
おれらに限ってあり得ないだろうが、撮影が押したら連絡いれるわ。
じゃーな、終わったら事務所寄るから晩飯奢れよ」

からかうように笑いながらそう言ったら、セレブな私が~とか言いながらいつもみたいな返しがくると思っていた。

しかし、

『……すまないな、冬馬。ありがとう』

あのおっさんは不自然を通り越して、気持ち悪い事を言って、一方的に電話を切りやがった。

「……な、なんなんだ?」

切れた電話から響くぷーぷーという音を遠くに聞きながら、おれはそのまま数秒部屋の中に立ち尽くした。

ふと視界に入った三浦あずさの表情が、無理矢理笑っている物に見えたのは、きっと精神状態がまともじゃなかったからだろう。


~~~

珍事があったにもかかわらず、予定通りの時間で撮影を終えられたのは流石自分だと褒めてやりたい。

このまま黒井のおっさんの指示をこなして三人で寿司でもたかりに行こうと話しながら、おれたちはデルタテレビへと入った。

「おー、春香さんと千早さんのポスターだ。
そういえば何ヶ月か前に新番組はじまったんだっけ? あ、もしかしたらそれのゲストかな?」

翔太が指差したポスターには、困ったように照れて笑う如月千早と、如月千早に抱きつく天海春香が満開の笑顔で写っている。

「あぁ、あれ面白いよね。 春香ちゃんと千早ちゃんが765プロに似たセットの中でお喋りしたりしてるだけなのに……なんか見ちゃうんだよな」

765プロの風景、という番組タイトルらしいが、おれはまだ一度も見た事がなかった。

「それ、ゲストとか呼ぶような番組なのか? 」

「冬馬くん見た事ないんだ、2~3回に1回はゲスト来るよ。
前回は確か……真さんだったかな?」

どうやら翔太も見ているらしい。

「じゃあ、ゲストに呼ばれた765のやつがこれなくなったって感じかねぇ」

身内の番組ならばゲストなしでもいいじゃんか、とは思ったが口には出さない。
二人にからかわれるのは目に見えているからだ。

「まぁ、冬馬は春香ちゃんとテンポが合うからな。
にも関わらず恋仲を噂されないってのはちょっと気の毒だけどね」

「んな噂アイドルとしては致命傷じゃねーか、気の毒でもなんでもねーよ」

「まぁ、実際二人ともそんな雰囲気ないもんねぇ。
春香さんは千早さん大好きっぽいし、冬馬くんと噂立つとしたら響さんじゃないかな?」

我那覇? 確かにスカウトされた時期が同じだから仲は良いが、TVではほとんど共演もした事ないし……なんでそこで我那覇だ?

「あぁ、なんとなくわかるな。
春香ちゃんは冬馬の反応を面白がってさらにからかうから問題ないけど、響ちゃんは一緒に照れちゃったりするんね」

「そーそー、年上にこういうのもあれだけど、響さんのそういうところいいよね」

「……はぁ、くっだらね。 やめやめ、さっさと誰か捕まえて打ち合わせ済ませようぜ」

話しているうちに自分たちの楽屋へとたどり着いた。
まだあーだこーだ言っている二人に軽くため息をつきながら、おれはゆっくりと扉をあけた。


~~~

「……」

「……」

「……」

恐らくこの回が放送された時の視聴者は番組欄を三回ほど見直すだろう。

うちの可愛いリボンとクールな歌姫を見るためにテレビの前に座ったにもかかわらず、映り出されているのは真顔の男が三人。
確実に見直すわな、おれも多分見直す。

「……いやいやいや、ちょっと待とうぜ?」

静寂に包まれ、三分ほど経つと三人のリーダーが我に返ったように引きつった笑顔で言った。

「流石にこれは……放送事故だろ。 765はおれら使ってハプニング大賞でも取るつもりか? 」

残念だったな、冬馬。
おふざけでもなんでもなく、切羽詰まった故の策なんだよ。

765プロの番組にもかかわらずいまスタジオにいる765関係者はおれだけだ。
プロダクションの商品(この表現方法は好きじゃないが)であるはずのアイドルは一人もいない。

きっと今頃事務所で社長から話を聞いている頃だろう。

「『天ヶ瀬さん、翔太、北斗さん、緊急事態が発生しました。あとはよろしく頼みます。 如月千早より』って言われてもねぇ……千早さん、字綺麗だね」

「彼女の心が表れてるようだね、まっすぐでストイック。 そして妥協を許さないまさに高潔なお姫様って感じだ」

「いやいやいや、おまえらなんでそんな落ち着いてんだよ! 自分の番組を他のプロダクションのしかもライバルに丸投げって……あり得ないだろっ!」

まさに正論だ。
冬馬、おまえは熱くまっすぐないい男だな。

「冬馬、蒼の歌姫様が困ってるって言ってるんだぞ? ここで力にならないでなんのために僕はアイドルになったっていうんだい?」

「少なくとも如月千早と天海春香の穴埋めをするためではないよな? 頼むからイエスと言ってくれ!」

「まぁ、でもいいじゃん……楽しそうだし!
それに、このくらいこなせないとトップアイドルなんて無理だよ?」

北斗は相変わらずだが、流石は最年長というだけはあるな。
一番うまく対応出来るであろう冬馬の調子をゆっくりあげている。

対して翔太は子どもらしく勢いだけで乗り切ろうとしてるな。
しかも冬馬を煽って乗るという選択肢に無理矢理引きずり込もうとしてる。

そんで、

「……確かにそうかもな。 ふん、765の風景改めて961の風景……完璧にこなしてやるぜ!」

もやしよりやっすい挑発にすぐのる冬馬、と。

うん、やっぱジュピターもいいチームだな。


~~~

『――なしてやるぜ!』

とは言った物の……やっぱ流石におかしい。
天海が長期ロケってのは聞いていたが、プロデューサーが同行じゃないってのはどういうことだ?

翔太のやっすい挑発に乗りながら、何やら真剣な目をしているプロデューサーを盗み見る。

如月の緊急事態とやらもほっぽり出して現場に出てくるプロデューサー。
長期ロケという噂のみの天海春香。
今朝のおっさんの不自然な態度。

嫌な予感しかしないな。

『というかよ、おれこの番組見たことねー上に台本も何もないからどうしたらいいかわかんねぇんだけど?』

『冬馬くん、今765ファンを確実に敵に回したよ。
でも春香さんと千早さんが言ってたとおりこの番組本当に台本どころか構成もなにもないんだね。
どうしよっか?』

『幸い生放送じゃないし、このあと他の仕事もない。
ゆっくりのんびり961プロの風景をやればいいんじゃない?』

考えうるすべてのことを考えながらも、顔と声にはその様子を見せずにいられる。
これがプロって事なんだろうけど、普段なら誇らしく思ってもいい事なんだろうけど……何故か素直に喜べなかった。

『あいつらガチで全部アドリブでやってるのか……頭おかしいんじゃないか?』

『……冬馬、また765ファンを敵に回したよ』

どうするべきなんだろう。

765プロが恐らく全員集まっていま何かしらやっているのだろう。
そしてそれは、おれたちが普段口にするアイドル活動とか、そういう物とは関係ないもっと大きな話なんだろう。

それがなんとなくだが確信をもってわかってしまう。
その大きな話に自分が関わっていないのが心底悔しい。

『まぁ、じゃあ……天海と如月を中心に765プロの恥ずかしい話でも暴露していくか。
これくらいは許されるだろう』

だがおれはこの時まだ知らなかっただけなんだ。
こうしてここで喋っていられる時点でとてつもなく恵まれていたってことに……。


~~~

黒井のやつから『765の風景は今日限り961の風景にしておいた。その他の仕事もすべて私の権限で延期しておいた。
生意気な小娘共に全てを話すタイミングはいましかない』という電話で起こされ、私はヤツの心遣いに感謝しながら、アイドルたちを事務所へ集めた。
事務所に集まったみんながまず口にしたのは揃って同じだった。

それは、

小鳥くんは今日はおやすみなのか?

ということだった。

「ウォッホン、それではまずみんなの質問に答えよう。
小鳥くんにはあまり聞かれたくない話を今からするつもりだ、だから今日彼女には休みを与えた」

呼び出した全員が揃うと、私は柄にもなくみんなの前に立ち話を始めた。なんだか懐かしい気分だ。

「千早と響は?」

「千早くんは最近調子が悪そうだったからね、響くんに監視&看病を頼んだ。二人にはひょんなことから既に話した話だ。
もう察しがついていると思うが、春香くんのことだ」

「春香さん?」

小首を傾げながら聞き返すやよいくんに首肯する。

「実はだね……」

私は全てを語った。

小鳥くんのこと、ブギーポップのこと、961プロとの関係、全てを洗いざらい話した。

響くんが、律子くんは私たちを恨みなんてしていない、と言ってくれてそれにあの時は納得したが、いざ本人に話すとなるとやはり勇気がいった。

全てを話し終えると、暫く沈黙が続く。誰もが困惑しているようだった。

「……お茶、淹れ直しますね」

そんな沈黙を破ったのは雪歩くんだった。

「あぁ、ありがとう。頼むよ」

彼女がそっと席を立つと、やよいくんとあずさくんが手伝いをかって出て、雪歩くんのあとに続いた。

三人が動いた事により物理的にも精神的にも空気が動いたのだろう。みんなはお互いにそれぞれの顔を見合わせた。

「……とりあえず、社長」

そして、最初に口を開いたのは律子くんだった。

「響の言うとおり、私はあなたを恨んだりなんかしちゃいません。恨んでたら……とっくに復讐してますよ」

呆れたように笑いながら、彼女はそう言った。

「そうですよ、社長は律子をバカにしすぎですよ?
本当にアイドル続けたかったら意地でも続けるようなやつじゃないですか!」

真くんがなんの悪気もない100%の笑顔でそう言い切ると、

「真、次のレッスンは竜宮と合同ね」

メガネをキラリとさせながら律子くんは冷めた声でいった。
それに真くんよりも早く反応したのが、手伝いにいったあずさくんを除く竜宮小町の二人だ。

「ちょ……真っ!」

「まこちん!」

「うぇええ? 褒めたつもりだったんだけど……まぁ、いいじゃない。久しぶりだし、一緒に頑張ろうよ」

どうやら真くんにとっては律子くんのハードなレッスンもなんて事はないらしい。

「いやいやいや、まこちんは鬼軍曹を甘く見過ぎだYO! 最近はかなりパワーアップしてんからね? 酒呑童子並だよ?」

「律子だけでもアレなのにそこに体力バカが入ってきたら……考えるだけで嫌になるわね。まぁ、私がついていけない、なんて事はないけど……さ」

伊織くんと亜美くんはどうやら律子くんのレッスンをキツイと感じているようだ。能力があるとはいえ流石にまだ中学生、体力は高校生にはかなわないだろう。

「……励みたまへよ、だが無理だけはしないようにな」

私はただそういう事しか出来なかった。
謝ってしまったら、バカにしすぎ、というのを認めてしまう事になると思ったからだ。


「その辺は大丈夫ですよ! 真もですけど、特に伊織と亜美はまだまだ成長期ですからね。しっかり気を使ってますって!」

「あらあらぁ~なんだか今律子さんに喧嘩売られた気がしたわ~?」

お盆に湯のみを乗せ、あずさくんを先頭に三人が帰ってきた。

「い、いや……別にそういうつもりは全くないですよ? 本当に、これっぽっちもっ!」

湯のみを受け取りながら、どこまでも穏やかなアイドルたちを眺める。

この子達も成長したものだ、としみじみ思う。

「社長、しみじみしてる場合じゃないっしょ!」

ぼんやりと眺めていると、何時の間にか背後に回っていた真美くんが背中から飛びついてきた。

「おっとと……おいおい彼と違って若くないんだぞ? 気をつけてくれよ?」

「真美が重いっていいたいの?」

「いやいや……はっはっは……」

正直軽くはない。 決して真美くんが重いわけではないが、デスクワーク中心のおじさんには……ね?

「……まぁいいや。 それよりもさ――こうして話したって事は、真美たちにも出来る事があるって事だよね?」

ぴょん、と背中から飛び降りると力強い微笑みと共にそう言った。

「……あぁ、どうか、春香くんを救ってやって欲しい。それは多分私には出来ない事だ。
小鳥くんの中にいたアイツが……今どこでどうしているのかはわからない。ただ、天海春香の中にいるものは……アイツではない事は確かだ」

「社長、大丈夫です! 私たちにどーんっと!まっかせてください!」

アイドルがなんなのかも最初はよくわかっていなかったやよいくんも随分と頼もしくなった。

「……ミキも春香がこのままいなくなっちゃうのは納得できないから……いつもよりちょっとだけ頑張るの」

美希くんも、いい目をするようになった。

「あずさ、亜美……私たちも、しっかりやるわよ。別に、春香のためじゃない……あのバカリボンに、思い知らせてやるのよ」

伊織くん、誰よりもプライドが高く、誰よりも協調性に欠けていた君が……これほどしっかりとユニットリーダーをやってみせてくれると私ですら正直思っていなかったよ。


「とりあえずどうするかを決めるのが先だけどね、決まったらみんな頼むわよ!」

そして、彼女の資質を私よりも正確に見抜いていた律子くん。
君は私や黒井よりも優秀な目を持っている。君と彼がいれば、この事務所は安泰だろうな。

「でも聞いた話からすると物理も魔法もチート並の隠しボスって感じじゃーん! どうするの?」

弱気な事を言いつつもその目は期待でキラキラと輝いている。

「……そんなの決まってるっしょ?」

同じように瞳を蘭々と輝かせた真美くんがニヤリと笑う。

「……やっぱあれ?」

真美くんの意図を完璧に理解し、亜美くん真美くんの名コンビは「んっふっふ~」と笑った。

彼女たちのそのめちゃくちゃなパワーは、時折本気で律子くんの逆鱗に触れてしまうが、この事務所を動かすエネルギーになっている。

「そうねぇ……いつもは助けてもらっているし、たまには私が迷子になった春香ちゃんを助けるべきよね~」

ふわふわと笑いながら、いつも見事に最年長の役割を果たしてくれるあずさくん。

やはり、この事務所は最強だ。誰がきても、何がきても負ける事などありはしない。

そう確信しかけた時、

「果たして、そううまく行くのでしょうか?」

冷静な冷たさすら感じる声が全員を黙らせた。

「水をさしてしまってすみません。ですが、私にはそううまくいくとは思えないのです 」

銀色の女王は、顔色を変えずに静かに立ち上がった。

「まず、春香の中にいるのはブギーポップではない。 これは確かでしょう。
ですが、ブギーポップのふりをしているのも事実です。
あの自動的な存在をほぼ完璧にコピーしうる、それがどれほどの事かわかりますか?」

風にゆられて窓がカタカタと鳴った。

「そして、春香がそれをある程度支配下に入れてしまっている、これがどういう事かわかりますか?」

貴音くんはそっと私の胸を指差した。

「あなたは……いえ、あなたと黒井殿はなぜ日高舞とブギーポップという存在に出会いながらまだ存在しているのですか?」

彼女の指先が示す場所から動く事が出来ない。

「君は……一体……?」

「――我が名は歪曲王」

歪曲王?

「あなたの歪みに君臨する者、あなたがそれを黄金へと変えるまで私は存在し続けるだろう――」

貴音くんの瞳からは光が消え、すべての光を吸い込むように黒く塗りつぶされていた。


~~~

人が住んでいるとは思えないほどに殺風景な部屋で一箇所だけ他とは雰囲気の違う部屋があった。

思わず……というかその違和感の無い違和感に目を奪われていると、

「そこは……春香の部屋みたいなものね。あの子は用がなくてもよく私の家に泊まりに来てたから……」

苦笑混じりにこの家の住人が口を開いた。

「あの子ったら、使いもしないのにベッドまで買い込んで……バカよね」

もちろん、口調と表情はかみ合って居なかった。

春香もそうだが、千早は特に顕著だ。この二人はお互いの話をする時顔が綻ぶ。
名前を呼ぶ時は、とても大切そうに、互いの名を呼び合う。

「……ん?」

少しだけ羨ましいな、と微笑みかけた時、ある事に気づいた。

「えっと、春香はよく泊まるんだよね?」

「えぇ、週に一度は必ずと言っても良いくらいには」

「それなのに、そのベッド使わないの?」

「え?あ……」

かぁっと千早の頬が桃色に、桃色から紅に染まっていく。

「あの、えっと……べつに、その……」

「あ、慌てすぎだぞ! 逆になんか怪しくなるからやめるさー!」

普通に照れながらでも、あの子私の布団に潜り込んでくるのよね、くらいに言ってくれたらそれで終わるのに、

「な、なんだ?なんだ?なんなんだ?そうなのか? そういう……うがー! 自分今なに言おうとしたさー!」

そういう話とは縁がないとは言え自分たちも高校生だ。知識はあるし、興味だってなくはない。
だから、想像の行き着く先は当然同じだったんだろう。

「ばっ……我那覇さんっ! そ、そんなわけ……あ、あるわけ、ないじゃっ……馬鹿っ!」

燃えてるんじゃないかというくらい千早は顔を真っ赤にさせながら大声で否定した。
その必死さがより怪しさを増すが……友人同士の情事などあまり想像したくないので無理矢理話題を変える事にした。

「……冬馬たち、うまくやってくれてるかな?」

当然千早も渡りに船と無理矢理すぎる話題変換に乗ってくる。

「まぁ、天ヶ瀬さんたちなら平気でしょう。
黒井社長にも感謝しなくちゃね……」

そう、何故自分がいま千早の部屋にいるのかというとそれはすべて黒井社長の采配なのだ。

今朝方、太陽が昇るよりも早い時間に電話で叩き起こされ、

『こんな時間に済まない、響ちゃん。二度寝したあとでいいから今日はまっすぐ如月千早の家へ向かってくれ。
合鍵は高木が響ちゃんの部屋のポストへいれておくと言っていた。なんとしても如月千早を今日は仕事に向かわせ無いで欲しいんだ』

これだけ聞くと自分が961のスパイで、千早を陥れようとしてるみたいに聞こえるが、そんな事は一切ない。

どうやら黒井社長は先日の千早の様子がとても気になっていたようだ。
もちろん自分や高木社長、プロデューサーもなんとか千早を休ませたいと思っていたが、千早は言っても聞かないし、無理矢理休みを作ってもその分を事情を知っている自分が埋める事になるので、千早を監視する人が居なくなる。千早は一人だと絶対に休まないから、さてどうしようと思っていたんだ。

だから、つまりこれは黒井社長最大の優しさだ。遠慮なくお言葉に甘え自分も休みにして貰い、こうして千早の家へと来た。

すんなりと『765の風景がサプライズ企画で一回だけ961の風景になる』という馬鹿げた話を受け入れたあたり、千早も相当に疲れていたのだろう。

春香のあけた穴をほぼ一人で埋めていたのだから当たり前といえば当たり前だ。

「今度961の企画に飛び入りゲストとして乱入でもしてあげればそれでいいよ。
あの人根っこから千早のファンだからな」

「……そうね」

「まぁ、それは今度考えよう。それよりそろそろご飯作ろうよ。
春香がよく来るなら料理道具は揃ってるんだろ?」

少しだけ暗くなった千早の顔は見なかった事にした。
多分千早もそれを望んでいたと思う。


~~~

畢竟するに、私はどこまでも孤独なのだろう。

こうして私の身を案じて回りくどく助けてくれる立派な大人と優しい友人がいても、私の孤独感は増すばかりだった。

原因はわかってる、それは、多分嘘をついていたから。

もちろん我那覇さんも社長たちも私は大好きだ。
この気持ちに嘘はない。

だが、それは孤独を癒す気持ちではない。

私の孤独を癒せるのはもうこの世にはいない弟と、あのおばかな親友だけなんだと改めて痛感した。

春香に抱く気持ちと我那覇さんたちに抱く気持ちの大きさは同じだ。
だが、ベクトルが全く違う。

そのベクトルの向いている方向こそが私には重要なのだ。

隣で笑う我那覇さんを、思わず抱きしめそうになる。

嘘をついてごめんなさい、と泣きつきたくなる。

でも、それは出来なかった。

それをしてしまったら、私はきっと彼女を傷つける。
孤独を一時的に和らげるための道具として使ってしまう。

それは、悲しすぎる。

私がついた嘘は、春香と肉体関係がない、という事だから。

ふざけて抱きついてくる彼女を、そっと抱き返した時が最初だったと思う。

春香の体が一瞬強張り、緊張が解けていくのがなんだか嬉しかったのを覚えている。

そのままピッタリとくっついたまま数分を過ごし、お互いの顔を合わせられる距離まで一旦離れた。

春香は満足そうに笑いながら、私の左頬へ手を添えた。

なんの違和感も緊張もなく、私たちは口付けを交わしていた。

その時から、私の孤独は徐々に薄らいでいった。

春香が私の心を大切に抱えてくれている。

その実感が、私を救ってくれた。

だから、私はあの子を救いたい。

あの子を裏切らない。

あの子を傷つけない。

そして、あの子の大切にしている765プロを、守ると決めた。

「我那覇さん、私あなたの事も好きよ。ありがとう」

そう言ってしまえれば楽になるのだろうか?
それはわからないが、一つだけ確かなのは、その「好き」は私を救ってくれる「好き」ではないが、間違いなく真実だということだ。


~~~

『そう、これは音無小鳥が演じた舞台の再演なんかじゃあないってことさ』

人の居ないコンサートホールに立ちながら、そいつは呑気に口笛なんぞを吹いている。

『あの日の続きなんだよ。僕はあの日失敗したんだ……世界の敵の敵、失格だね』

やれやれと肩をすくめる。

『物語はリメイクではなく第二部だったってわけさ。
音無小鳥の継承者と日高舞の継承者とが戦うアイドル戦国時代の頂上決戦、それの続きだよ』

スタスタと真っ暗な闇の中を歩き回るが、足音は聞こえない。

『日高舞が存在感を消したのは、眠ってる小鳥と条件を同じにするためさ。
やつにとっては死んで伝説になっちまったら困るんだろうね』

風の流れが変わった気がした。
影がピタリと歩みを止めたのだろうとなんとなく思った。

『日高舞が唯一心を折れなかったアイドル。
やつはそいつを折りたくて仕方ないんだ。
だけど、同時にやつは知ってしまった。
唯一自分に足りなかったものを、そして自分よりも遥かに強い支配力を持ったやつがいるということを……ね』

かつん、かつん、とわざとらしい足音が鳴り響く。


~~~

「……と言えたらいいのでしょうが、残念ながら私は歪曲王本人ではありません。
これはブギーポップ、さらには天海春香の中にいる物も勘違いしているようですがね」

「へ?」

突然緊張状態が解除され、貴音くんの目の色も元通り澄んだ光を放つようになっていた。

少しだけ真似が出来る程度ですよ、と彼女は笑う彼女を見て、私は猛烈な違和感に襲われた。

その違和感の正体は、寝ているはずの子が起きていて、寝るはずのない子達が寝ていたからだろう。

「ふぁーあ、貴音……真似するなら徹底的にやれよ。
まだ僕はブギーポップとは会いたくないんだからさ。
君が僕をやり切ってくれなきゃ……僕は困っちゃうんだぜ?」

美希くんがあくびをしながら起き上がった。

「さて、歪みを黄金へ変える、これが出来なきゃ日高舞、天海春香、如月千早……そして音無小鳥と並ぶなんて不可能だ」

美希くんらしからぬ笑顔を浮かべ、その瞳には先ほどの貴音くんと同じように光が存在して居ない。

「僕の名前は歪曲王、人の歪みに君臨する者」

表情のない笑顔、とでもいうのが一番しっくりくるだろうか?
美希くんは……いや、歪曲王は確かに笑っていたが無表情にしか見えない、というような不思議な表情をして言った。

「高木さん、そして765プロのみんな……君たちは歪みを黄金へ変える事が出来るかな?」

すっと伸ばされた指先がまっすぐ私を指し示した。


~~~

「どういうことか説明してもらおうか?」

収録を終えると、着替えもせずに冬馬たちはやって来た。

「すみませんね、僕たちは別に気にしてないんですけどね。 冬馬は細かいことにうるさいから」

細かくないだろ、と短く怒鳴るとジロリと睨みあげてくる。

「あー、いや……ここでおれがすべて話してもいいんだが、黒井社長はなんて言ってた?」

「あぁ? いきなり電話して来て、穴埋めろ、で終わりだ。
いいからさっさと説明しやがれ!」

さて、困ったな。
ここまで迷惑をかけたんだ、説明するのは全く問題ないのだが……黒井社長がこれから話す予定だったら、またネチネチ言われちまう。

「そうだなぁ……じゃあ一緒に黒井社長のところまでいくか」

黒井社長から聞けと言っても聞かないだろうし、これが多分一番楽な方法だろう。
直接お礼も言いたいところだしな。

「ほれ、さっさと着替えて来い」

「いや、着替えも何もこれ私服だよー? 春香さんたちも普段私服でしょ?」

「あれ? そうかのか。 撮影の仕事のあとそのままって話だったから衣装かと思ってたわ」

本来ならば他のところの衣装を番組に着て来る、なんてあり得ないが、 961プロならお構いなしにやるものだと思っていた。

「まぁ、じゃあ荷物とって来いよ。 さっさと行こうぜ」

そんなわけで、おれたちは961プロへと向かったわけだ。


「三人ともご苦労だったな」

ノックすらせずにジュピターの三人は社長室へとズカズカ入って行き、黒井社長もそれを咎めることはなかった。
この人は本当に厳しいのか甘いのかよくわからない人だ。

「しかしなぁぜ765のヘッポコプロデューサーが一緒にいるのだね? 」

「あはは、相変わらずおれには冷たいですね、黒井社長。
今日の件のお礼と冬馬たちへの説明のためですよ」

口ではいつもおれを馬鹿にするが、この人はおれにもなんやかんや気を使ってくれている。

「貴様はいらん、説明ならば私がしておくからさっさと帰るがいい」

言いながら電話に手を伸ばすのを、冬馬が止めた。

「まてよ、それとは別にこいつには聞きたいことがある。
居ても構わないならこのまま話をしてくれよ」

「……良いだろう。 仕事あがりで疲れているだろう? 軽食を用意させるから暫くまっていろ」

受話器を置くと、コツコツ足音を立てながら黒井社長は部屋を出て行った。


~~~

「私が、あなたの歪曲王みたいですね」

気がつくと私の目の前には光のない瞳をした小鳥くんが立っていた。

わけがわからず、あたりをキョロキョロと見回す。

「ここはあなたの精神世界、とでもいうんでしょうかね。
大丈夫ですよ、害はないので安心してください」

にっこりと笑うが、光のない笑顔は恐ろしく感じてしまう。

「歪み、とはなんだね?」

「さぁ? 後悔とかそういうものじゃないですか?」

「君が……私の後悔……? そんなはずがあるわけないだろう、君は私の誇りだ」

何かが引っかかる。

「高木さん」

765プロを興してからは、小鳥くんが私をそう呼ぶことはない。

「君は……そうか、君は現在の君ではなくて、過去の君なのか」

「ねぇ、高木さん。 あなたは、私をどうしたかったんですか?」

きっとこれは、小鳥くんの言葉ではない。
私が彼女に聞かれたかったことを、言いたかったことを私自身が問いているのだ。

「そうだねぇ……私は……いや、俺は君を幸せにしたかった。
輝かせてあげたかった。
いつも笑顔で馬鹿なことばかりして黒井を怒らせて……私に泣きついてくる君が愛おしくてたまらなかった。
君だけは守りたかった……優劣をつけるわけじゃないが、君だけはやはり特別だったんだよ」

10個以上も年の離れた女の子に、私は何を言っているんだろうね。

「そうか……わかったよ。 俺の歪みが君ってことも君が俺の後悔ってことも……わかった。
だけど、それがなければ俺は俺じゃなかったんだと思うよ?」

ずっと、小鳥くんに言いたかった事がわかった気がする。

「……ふふふ、やっぱり高木さんは凄いですね。
流石、私のプロデューサーです!
あなたが今抱いている私の印象が、あなたが歪めてきたもの……だから、どうかそれを黄金へ変えてください。
いや、それがあなたの輝きを放つものなんだと認めてください。
それじゃあ、現在で会いましょう」

世界が暗転し、奈落に落ちて行くような浮遊感が体を包む。
だが恐怖はなく、安心感に私は包まれていた。


~~~

『黒井さん、久しぶりだね』

冬馬たちに食わせるものを適当に用意せよ、と部下に命じたあと、廊下を歩いていると、どこからか声が響いて来た。
まるで耳元で囁かれているようにも、遠くから微かに聞こえるようにも思える不思議な声だった。

「貴様……は」

『ん? 言ったろう? また会う日までって……高木さんにはもう会って来たからな……別にあんたらに会う必要はないんだが……約束しちまったからな』

「ブギーポップ、なのか?」

『あぁ、僕が出てきたって事は……わかるだろう?』

「そうか、もう終わりが近いのか……」

『終わりが近づく、なんて事はない。始まりが遠のいていくだけだよ』

振り返ったら、ブギーポップは消えてしまう気がした。
だが、振り向かずにはいられなかった。

クルリと回ると、

「おわぉっ……声かける前に振り向くなよ! びっくりするじゃねぇか!」

そこには冬馬が立っていた。

「……いま、何か声を聞いたか?」

「あぁ? 声なんか聞いちゃいねぇよ。
食い物来たのにおっさんが帰ってこないからプロデューサーと一緒に探してたんだよ」

「そうか……ならばいい。戻るぞ」

天海春香がブギーポップではないのならば……ブギーポップは誰だ?
未だ答えの出ないその疑問に、答えが出てしまった気がした。

途中でかつかつとやかましい足音を立てるヘッポコと合流し、私たちは社長室へと戻った。


~~~

「おや、私が最後かね? 流石君たちは立派だな」

目を覚ますと、すでに窓の外は真っ暗になっている。
そして、ソファに横たわる私はアイドル達に囲まれていた。
ファンに知られたら刺されてしまうな。

「……そろそろ限界だな。
貴音、あとの説明は任せたよ」

起き上がると、美希くんが一歩前に出てそう言った。

「消えるのかい?」

「消えないよ。言ったろう? 僕は君たちの歪みに君臨する者だ」

「ふふふ、そうだったな」

かくん、と糸のきれたマリオネットのように美希くんが崩れた。
それをそっと抱えて、いつものソファへ寝かせてやる。

「では、貴音くん。説明を頼む」

そして、歪曲王が説明役に選んだ貴音くんへと、向きなおった。


~~~

……あれ? なんで、自分……千早に押し倒されてんだ?

なんで、こんな苦しいんだ……?

なんで、こんな、痛いんだ?

なんで、自分の首を……千早が締めてんだ?

わかんない……わかんない……助けて……だれでもいい、だれか……“千早”をたすけてあげてよ……。

薄れゆく意識の中で自分が最後にみたのは、ボロボロと涙を流す千早だった……。


~~~

『ようやく、完全覚醒ってところかな……僕の話じゃないぜ?
世界の敵“天海春香”と“如月千早”の事さ。
どっちが舞でどっちが小鳥かって?』

『決まってるだろ、どっちも日高舞だよ……。
あぁ、そうそうそれだ。しかしそんなのよく知ってたね、その蟲毒とやらと同じさ……』

『……おっと、お客さんがきちまった。
この話はまたあとで、だな』

「久しぶり……だね」

「あぁ、久しぶりだな、お前のためにずいぶん無茶をやったぞ……感謝しろよ」


日高舞の“供物”と、音無小鳥の後継者……いや、それは正しくない。

日高舞の供物とブギーポップは、その日そこでやっとお互いを視界の中に収めた。

あとこの量2~3回で終わるかな?
ただいまの藤花で書き溜めつきたから次は早くても一週間くらいあくとおもう。
それでは。

~~~

「……961プロにプロデューサーさん、か。
変な組み合わせだね……」

チラリ、と春香さんは僕らに視線を投げかける。
春香さんの目の色と僕の目の色がぶつかった瞬間、ドキリというかギクリというか……なんとなく嫌な気持ちになった。

「君にそんな色っぽい目が出来るだなんて……知らなかったな」

隣に立つほっくんがニヤリと笑いながら言った。

……なるほど、どうやら僕は自分が思ってる以上にまだまだ子供らしい。
要はさっきの目の色は誘惑、ということだったのだろう。

「……あはは、春香さんってショタコンなの? 僕にそんな目をしてみせても、意味ないよ?」

嫌な感じがした、というのを悟られないように御手洗翔太を演じる。

「むー、そんなつもりじゃないんだけどなぁ……翔太くん相手ならこういう方がいいかな?」

一度目を閉じ、ゆっくりとまた開く。

その色をみた途端、僕は勢いよく後ろへ飛びのいた。

「な、なに……いまの……?」

もはや怯えたことを隠すことすら出来なかった。

「ヒ・ミ・ツ! 北斗さんには……こんな感じでどうですか?」

「……君にはそんな目は似合わない、僕は君の一番魅力的な瞳の色を知っているからね……それ以外には跪かないよ?」

やれやれ、という風に両手を広げる。

「んー、そっかぁ……でもね北斗さん……私の前に立って、跪かない人間ってのはあり得ないよ」

春香さんとは思えない冷たい声、そしてドス黒い迫力。

睨みつけているわけでもなく、ただ見ているだけ……それなのに、ほっくんは一歩後ずさった。
たぶん本人も一歩ひいたことに気づいていないだろう。

「冬馬くんは……冬馬くんは、私のことが好きだよね?
だったら、そこでなにもせずに、なにもさせずに見ててくれるよね?」

春香さんは今度は冬馬くんに目線を移した。
目の色は優しく、その声も甘えるような柔らかいものになっていた。

「……誰がおまえみたいなリボンの化身を好きになるかよ。自惚れるな、リボン馬鹿……だとリボンマニアみたいだな。馬鹿リボンめ」

「そっかー、共演した時に割と目が合うから両想いだと思ってたのになぁ……ざーんねん、えへへ」

あ、あざとい……なんだこいつ、と普段ならいうところだけど……不覚にも可愛いと思ってしまった。
もう、僕やほっくんは半分以上春香さんの奴隷みたいなものなのだ、と直感してしまう。

「……好きか嫌いか、ならもちろん好きだぜ?
お前だけじゃない、765プロの連中はみんな好きだ。
どいつもみんな可愛いしな、でもそれとこれとは別だ。
好きなやつだろうが、可愛いやつだろうが、おれはおれがアイドルと認めるヤツ以外に目を奪われたりしねぇ。
お前は違う、お前の中身が日高舞でも天海春香でも……お前はおれが認めない。
お前のすべてをおれが否定してやる」

何か冬馬くん主人公っぽいねぇ……でも、少しだけ春香さんに対する恐れが薄れた。

「あはは、やっぱ冬馬くんは765プロのファンなんじゃん?」

そして、それはほっくんも同じみたいだった。
ぽん、と冬馬くんの肩に手を乗せ、

「素直になれば一人くらいは冬馬と恋仲になってもいいって子がいるかもしれないよ?」

と笑った。

「765の連中と恋仲、など私が認めないぞ。特に響ちゃんと貴音ちゃんに手を出したら……貴様を女装させて再デビューさせるからな。
というか765の女はやめておけ、あそこの女どもは基本強すぎる……」

……こりゃあ、冬馬くんと響さんをくっつけてみるしかないかなー?
女装冬馬くんとか超笑えるだろうし……亜美、真美にも手伝ってもらおうかな?
そん時はやよいちゃんにはばれないようにしないとね!


「翔太、くだらないこと考えるなよ?」

「……え? なんのこと?」

そんな、いつものやり取りをしていると、

『――やっぱり、君はあの日殺しておくべきだったね』

春香さんが言った。
いや春香さんの顔をした何かが言った。

その声だけで、変わった、とわかってしまうくらいそれの声は怖かった。

冬馬くんが吹き飛ばしてくれた恐怖、怯えが数倍の大きさで返ってきた。

『君たちは“春香ちゃん”と“私”を舐めすぎだ。
欠片を与える価値もない、凡夫どもが……調子に乗るなよ?』

冬馬くんですら、じわりと額に汗を垂らした。
でも、冬馬くんだけが、一歩もひかずに耐えている。

緊迫した空気の中に、突然乾いた音が鳴り響いた。

『……ニュルンベルクのマイスタージンガー……』

その口笛を聞くと、日高舞はニヤリと顔を歪めた。


~~~

『響、君は本当にすごいやつだな。
日高舞、音無小鳥が出来なかった事を出来るやつがいるとは思ってもなかったよ』

なんのことだろう?

『貴音と響……この二人とユニットを組めたのは僕にとっては僥倖だったな。
貴音は僕の身代わりが出来るやつだったし……君は僕が出る幕もなく歪みを自分で黄金へと変えちまった……だから、これは歪曲王から君への敬意だ』

歪曲王? なんの話だ?

『ほら、目を覚ましなよ。 無敵の事務員さんを呼んでおいてやったぜ?』

は? 事務員……って、ピヨ子?

「――びき――ひび――ちゃ――」

あれ? 自分……そう言えば千早に首締められて……?
でもこの声……。

「――ちゃん」

ま、まっていま起きるから……。

「響ちゃん」

「うぅ……ピヨ……子?」

目を覚ますと、夢の中の声が言ったとおり、ピヨ子がいた。

顔を動かそうとすると、首に痛みが走ったから視線だけを動かし大丈夫だと伝える。

そのままピヨ子からも視線を外し、千早の姿を探した。

「はや……ち、はや……」

うまく声が出ない。
が、呼ばなくちゃいけない気がした。

「千早……自分大丈夫だから……そんな、顔するなよ……ピヨ子がきてくれて良かったな」

やっと脳に十分な量の酸素が回ってきたのか、意識がクリアになって行く。

「我那覇さん……私……」

千早は小さくカタカタと震えている。

「わたし、止められなくて……あんなことしたくなかったのに……止まらなくて……」

「わかってるぞ、すっごい辛そうな顔してたし」

ピヨ子の助けを借りてゆっくりと起き上がる。

「だから、泣くなよ。 きっとこれは仕方のないことだったんさ」

そして、そのまま千早に抱きつくようにもたれかかった。

「それに、わかったこともある」

そう、殺されかけてもお釣りがくるほどのことがわかったのだ。

「ピヨ子、おまえ……はじめから全部知ってたんだろ?
春香の中にいるヤツの正体と千早の中にいるヤツの正体、そして……誰がブギーポップなのか」

この状況をたいした驚きもなく受け入れているピヨ子。
それは、すべてを知っているからだろう?

「……そうだね。 さすがは響だよ……でもひとつだけ間違いだ。
知っていた、じゃなくて最近思い出した、が正しいかな?」

薄く笑いながら、ピヨ子はピヨ子らしからぬ口調でそう言った。


~~~

『……』

『……』

日高舞とブギーポップは無言のまま睨み合っている。

『……壊すつもりだったんだよ?』

いきなり日高舞が口を開いた。

『でも、壊れなかったから……面白いと思って計画を少し変えたんだ。
あ、私の天敵になる可能性もちゃんと考慮にいれてたよ?』

天敵とは、ブギーポップの事だろう。
やはり、冬馬が……?
いや、いまは考えるのはよそう。
未だその姿は見せないが、会話はしたしここにいるのは間違いないのだ。

『ジュピターの三人はさ……なんというか最初からほぼ完成形なんだよね。
それを未完成の765プロが見たら、やる気なくなっちゃうと思ったんだぁ。
それで壊れなかったし駒にしちゃえって感じかな?
だから、大切な欠片はあげなかった。
あ、冬馬だけを壊そうとしたのは冬馬がジュピターの核だからだよ?
冬馬がいなきゃ翔太と北斗はアイドルなんかにはならなかったんじゃないかなぁ?
その代わり、晴れる事のない霧をずっと抱えていたと思うな、だからむしろ感謝して欲しいわ』

駒……か。
日高は現765アイドル共の成長性を知っていたということか……。
基礎値は間違いなくジュピターが格上だが、成長性を考慮して限界値まで能力をあげたら差は無くなる、そういうことか。

『でも、正直アイドルとしての冬馬は期待はずれだったなぁ。
ちょっといじって壊れなかったから今でいうSランクにはすぐたどり着くと思ったけど……春香ちゃん、千早ちゃんが先にたどり着いちゃったし』

日高がバカにするようにジュピターをジロリと睨んだ。

「――ふふふ、それは単にあなたが春香ちゃんたちを見誤った、ということじゃあないんですか?
その二人の成長性を舞さんが見誤った、それだけですよ……なんでも思い通りになると思ってるから、そんな的外れなことを恥ずかしげもなく言えちゃうんです」

完全に言葉を失ったジュピターの代わりに、日高に異を唱えたのは私が良く知る私たちの最大のアイドルだった。

『……小鳥か、久しぶり、だね』

またもどこからか声が響く。
至近距離に固まっているにも関わらずその声の出どころはわからない。

「そうだね、ブギーポップ。
ついでに、あんたにも言っておくわね……世の中すべて自分の思い通りになると思うなよ?」

不敵に笑っているが、いまの言葉は自分は日高の敵であり、そしてブギーポップの敵でもある、と宣言したも同じだ。
一体この子は……何をやらかすつもりなのだろう、と懐かしい不安が胸をよぎった。


~~~

「――なんってね! 私がブギーポップだったのはもう何年も前の話よ。
今のはただの真似!どう? 決まってた?」

驚いて固まった自分と千早を、鳥はキラキラした目で見つめている。



「……あぁん?
焼き鳥にしてやろうか、このヒヨコめっ!」

「……ご、ごめんなさいっ!真面目に話すから、その拳をおろして!」

コホン、とひとつ咳払いをするとピヨ子は話しだした。

「えっとね、まずは舞さんの影響とブギーポップの影響について話しておこうかしら?」


~~~

「つまり、私たちはみな日高舞、そしてブギーポップの影響下にあった、ということなんです」

……なにが“つまり”なのかわからないのは私が馬鹿なのかなぁ……?

「うあうあー、そんなんじゃわかるわけないじゃん!
やよいっちが変な顔になっちゃってるよ!」

「そーだよ、お姫ちん! なにがつまりなのかさっぱりだよ!」

亜美も真美もわかってないみたい。
良かったぁ……。

「そ、そうですね……えっと、私たちが誰一人アイドルを目指さなければ、日高舞の残滓は自然と消え去っていた、という事です。
日高舞の残滓、というのは日高舞の欠片のようなものです。
日高舞は各々に合う欠片を配り、その欠片が育つのを待っていたのです」

貴音さんが言うには、わたしには、邪智、という欠片があるそうです。
欠片はその人が持っている一番の輝きの影なんだとか……良くわかりませんけど。


~~~

「――舞さんの影響はそんな感じね。
そして、ブギーポップの影響は本来の輝きを守る……いわば泡ね。
その泡を弾けさせることをブギーポップは“疑似的突破”だとか“暫定的進化”と呼んでいたわね」

自分本来の輝きと、与えられた影……。
でも影が強くなるってことは輝きも増してるってことだから……日高舞は何がしたかったんだ?

「みんなは覚えてはいないだろうし、私もその頃は半分以上世界の敵になっていたから良く覚えていないんだけれど……千早ちゃん、春香ちゃん……そしてプロデューサーさんの前に現れた時のことは良く覚えてるわ」

ピヨ子が……世界の敵?
プロデューサーが三人目?
言葉が出なかったのは驚き過ぎたからなのか、それともピヨ子の話に口を挟まない方がいいと判断したからなのか、どっちでもいいが話は途切れることなく進む。

「その三人はね、ブギーポップが泡を与えることが出来なかった三人なのよ。
舞さんが最も重要視した三人でもあるわ」


~~~

「今のブギーポップが誰なのか私は存じませんが、小鳥がブギーポップだった頃に、あれが自身の欠片……紛らわしいですね。
泡沫、と呼びましょうか。
それを渡せなかったのが三人います」

貴音ちゃんはまるで自分でみてきたかのように話をしていた。
それがなんだか不思議で、でも貴音ちゃんらしい、とも私は思った。

「それが現ブギーポップ、春香、千早です」

どうしてその三人、と真ちゃんが代表して尋ねる。

「それは、三人の輝きの影となるものを日高舞が持っていなかったから……またはその輝きが日高舞の最も色の濃い欠片だったから、でしょう」

「三人の輝きとはなんなんだね?
それは、私と黒井が感じたものと同一なのかい?」

「そうですね、目を付けた理由は違っても輝き自体は恐らく同一でしょう。
だから、あなたと黒井殿は消されることなく生かされた。
世界の敵の、器を育てるプロデューサーとして……」


~~~

「春香ちゃんは“支配”千早ちゃんは“孤独”そして、プロデューサーさんは“憧憬”ね。
いうまでもなく、舞さんの支配力……場の支配、とでも言えばいいかしら?
とにかく場を自分の色で染める力は絶大よ。
そしてそれは孤独にもなる、という事。
そして憧れるのよ……自分と同レベルの存在と覇を競うことを」

「孤独……」

ポツリと千早が呟いた。

「なんだか、納得できてしまうのが……おかしいですね」

私には春香も事務所のみんなもいるはずなのに、と自嘲するような笑みを浮かべた。

「千早、違うぞ。
本来持つ輝きがそれで、さらに欠片でその輝きが強くなったって事はさ……影も濃くなってるってことさ」

さっきの疑問の答えが出た気がする。

「孤独の反対はなんだろう? 団結、とかかな?
千早はさ、しっかり出来てるよ。
輝きを選ぶか、影を選ぶかは本人次第だろ?
なにを輝きと呼ぶかも本人次第だぞ」

つまりはその裏返しが日高舞が本当に望んだものなんじゃないだろうか。

支配の影は調和だ。
孤独の影は団結だ。

「憧憬はよくわからないけど、アイドルに与えた欠片としては多分そういうことだと思うぞ」

ピヨ子は満足そうに頷き、千早は豆鉄砲でも食らったかのような顔をしている。

ところで、自分の持ってる輝きはなんなんだろう?
そんなことを考える余裕が出来るほど、頭の中はスッキリと整理されていた。


~~~

「だから、これは高木殿に聞きましょう。
あなたは春香と千早のなににぴーんときたのですか?」

「春香くんは、支配、だ。 その影になる調和のほうに私はピーンときた。
千早くんは孤独の影。団結とでも言えばいいかな。
二人とも私が見たときにはすでにその影のほうをつかもうとしているように見えたのだよ」

「……なるほど、では春香が受け取った日高舞の影響は――やはり支配……日高舞は、春香の支配に……負けたという事ですか……」

四条さんの顔色が変わった。
その事が、私たちにことの重大さを物語る。

「……次はブギーポップについて考えてみましょう。
まぁ、考えなくとも天海春香の元へ行けば答えはわかるのですが……まだ時ではありませんからね」

一度目を閉じると、ゆっくりと自分を安心させるような微笑みを浮かべながら言った。

「その前に、雪歩……お茶のお代わりを頼んでもよろしいでしょうか?」

「え? は、はい……いいですけど……」

突然名指しされ、声がうわずってしまった。
みんなから湯のみを回収して給湯室へ向かおうとすると、手伝うよ、と真ちゃんがお盆を持った。

「珍しいよね、貴音が雪歩にお茶を淹れてくれ、っていうの」

真ちゃんも同じことを思っていたみたい。
四条さんは自分で出来ることは自分でなんでもやってしまうからかな?
あ、でも「淹れましょうか?」と聞けばいつも笑顔で「はい、ありがとうございます、雪歩」と答えてくれるので嫌われているわけでは無いと思います。

「それほどに、貴音が余裕を失ってるってことかな?」

少しだけ弱気な声。
真ちゃんはすっごくかっこいいけど、やっぱり可愛い女の子だなと思った。

「ま、でもあの貴音を落ち着かせることが出来る雪歩はやっぱすごいよ」

そして、すぐに明るく笑える相変わらず強い真ちゃんに、私はますます心を惹かれていく。

「はい、四条さん。はいりましたよ~!」

私が今こうして笑えている理由が、少しでもわかってもらえたら……私たちには違う未来があったかもしれない。


~~~

「ところでさ、自分が貰った欠片ってなんなの?」

空になったマグカップを再び満たし、一息ついたところで聞いてみた。

自分の輝きは?と聞くのは流石になんだか恥ずかしかったから、聞くのはその影になる欠片だ。

「んー……なんていうのかしらね……」

ピヨ子はうまい言葉が見つからないらしく、うんうん唸る。

「あれだ! 慧眼!」

そして数分悩んだところで探し求める言葉を見つけたらしく、キラキラした笑顔で叫んだ。

「おぉ! 慧眼か! さっすが完璧な自分だぞ!」

喜びの声をあげて三秒ほどしてからあることに気がついた。

「……」

ピヨ子も「やっべ」みたいな顔で固まっている。

「あのさ……もしかして、自分今ものすごく馬鹿にされた?」

「……」

沈黙は肯定、だよな?

「え? なに? ピヨ子は自分に殴られたいのか? というか殴るぞ?」

欠片が慧眼、ということは自分がもつ本来の輝きは愚鈍とかそういうものだということだ。

「ま、待って待って待って! 違うのよ! そうだけど違うのよ!
さっきの自分の言葉を思い出して! ねっ?」

両手をバタバタさせながら、ピヨ子は必死に自分を宥めようとする。

「……つまり、天才と馬鹿は紙一重、を体現してるのが自分ってことか……。
いや、自分でさっき偉そうに言っちゃったことだし、わかるけどさ……わかるけどさー」

なんだか面白くない。

「ふふ、でもすごくわかるわ。
我那覇さんってアホなくせにいつでも物事の本質は見まごうことがないものね」

……さらっとアホっていわれた。

「まぁ、もういいや。
それよりさ、さっきの話で二つ気になるんだけど、ブギーポップはどうして泡をみんなにあげたの?
もしもそれを割ることが出来なかったら、その人本来の輝きはずっと泡の中だぞ?
あとはプロデューサーだな、プロデューサーはなんなんだ?ブギーポップなのか?」

怒る気力もなくなり、机に突っ伏しながらそう聞くと、ピヨ子はなんだか嬉しそうに笑っていた。


~~~

「私は、天ヶ瀬冬馬が怪しいと思っています」

ゆきぴょんの絶品緑茶を一口飲むと、お姫ちんはブギーポップについての考察を始めた。

「私感で申し訳ないのですが、彼のあの目……出会った頃の黒井殿がいう覇者の目、あれが私にはブギーポップの表れに思えて仕方ないのです」

亜美はその頃のあまとうはよく知らないからなんとも言えないけど……それは違う気がした。
というか、あまとうがダークヒーローとか……認めたくないっしょー……。

「私たちはその頃の冬馬くんをよく知らないからなんとも言えないけれど……私はなんとなくプロデューサーさんが怪しい気がするわ~。
あの人、たまにものすごい遠くを見つめることがあるでしょう?」

あまとうの対抗馬兄ちゃんかよ!
どっちがブギーポップでもなんか嫌だよ!
……って、元はピヨちゃんなんだよね……うーむ、納得しかねますなぁ……。

「……社長がアイツにピーンときた点ってなんなの?」

お、いおりんは流石と言いますかなんと言いますか……かんじょーろんではなくろんりてき、ですなぁ。

「ふむ、憧れ、かな?
プロデューサーというものは担当アイドル一人一人に憧れるものだからねぇ」

ふむふむ、ということは律ちゃんと兄ちゃんも亜美たちにお熱ってことか……。
んっふっふ~、なんか……嬉しいじゃん。

「そう……じゃあ美希の輝きは?」

「美希くんは素直さ、だね」

それを聞くと、いおりんは社長にお礼を言ったのち涼しい顔で黙り込んだ。
亜美はいおりんみたく頭良くないからいおりんが何考えてるのかはわかんないけど、

「いおりん、言っちゃいなよ。
間違っててもいいじゃん? ごめんなさいして、それで解決!ね?」

いおりんが何かを思いついて、何かを掴んで、でもそれを確かめるのを怖がっている、ってのくらいはわかるんだぜ?

「……歪曲王、だったかしら?
聞きたいことがあるから出て来てくれない?」

いおりんは亜美の目をジッと数秒見つめたあと、ミキミキに向かってそういった。


~~~

「まず一個目ね。
答えは簡単で、貴音ちゃんの存在があったから、ね」

二人の問答をみていて思う。
やはり、我那覇さんは物事の本質をしっかり見抜いている。
答えに辿り着く最短距離を行っている。

「貴音?」

「えぇ、まぁ……本当は美希ちゃんなんだけどあの時は貴音ちゃんだと思ってたわ」

本当は美希だけど、四条さんだと勘違い?
意味がわからないわね。
一応期間限定ユニットであるフェアリーメンバーという共通点はあるけれど……。

「歪曲王を自称する自動的存在があったから、の方がわかりやすいかしらね。
美希ちゃんは私と違ってそれを自分で生み出してしまったのよ」

自動的存在を、生み出す?

「ブギーポップは歪曲王はそれ自体は世界の危機に繋がらないって言ってたけど、歪曲王の動き次第では戦うことになるかも、と警戒してたわ。
結局そうならなかったんだけどね」

「貴音はどこに関係してくるんさ?」

「歪曲王もブギーポップの存在を感じ取っていたから、身代わりというかなんというか……限定的な歪曲王っていうのかしら?」

音無さんもあまりよく把握は出来ていないようだ。
ちらりと我那覇さんを横目で見る。
その首の痛々しい跡に心が締め付けられた。

「……この話をしたのは、響ちゃんなら正解がわかるかも、と思ったからよ。
フェアリーで二人と長く活動していたし、貴音ちゃんと響ちゃんは物凄く仲がいいし」

「そんなこと言われてもわかるわけないだろ。
自分愚鈍だからな」

からかうように我那覇さんが笑った。

「う……そうやって私をいじめて、酷いわ響ちゃん……」

「あはは、冗談さー、冗談。
ところでさ、歪曲王ってなんなの?
それを知らなきゃ正解もなにもないぞ」

「それもそうね……歪曲王は人の歪みに君臨する者、よ。
その人が持っている後悔や矛盾、それを黄金に変えたいって言ってたわ」

この口ぶりだと、音無さんは歪曲王である美希と会ったことがありそうね。

「ちなみに私は歪曲王と話したことがあるだけで、歪みを見せられてはいないわ」

それは歪みがない、ということなのか歪みを見せるという歪曲王の攻撃を無効化しているのか、どちらなのだろうか。
前者ならばまだ納得できるが、後者ならば少し不可解だ。

音無さんの口調からすると未だブギーポップは歪曲王を四条さんだと勘違いしたまま、つまり歪曲王が出会ったのはブギーポップが消えてからの音無小鳥なはずだ。

世界の敵でも世界の敵の敵でもない音無小鳥が無効化できてしまう程度の力しか持たない自動的な存在……それをブギーポップが警戒などするだろうか。

「歪み、ねぇ……。
自分の歪みってなんだろう」

「んー、たぶん舞さんに貰った欠片じゃないかしら?
自分のものじゃない力、は後悔や矛盾を生みやすいものよ」

「じゃあ……私は?」

「千早ちゃんが与えられた欠片はもともと千早ちゃんが持ってたものでもあるから……わからないわね」

「それが、世界の敵、もしくは世界の敵の敵の証ってことか……あれ?じゃあプロデューサーも?」

つまりは、そういうことなんだろう。

何故だかすんなりと受け入れることが出来た。
それは、たまに見せるあの人の冷たい空虚な目のせいだろう。

「そうか、世界の敵の第一条件ってのは歪みを既に黄金に変えるってことか……その上で、その力を世界のバランスを崩す方向へ使うヤツが世界の敵、なんだな」

それならば音無さんが元世界の敵、というのも頷ける。

同時に私の中にも希望が生まれた。

――春香は、まだ救える……。

ここまで

ちょっとミスってる気がするけど細かい事は気にしない方向でよろしくね!
またかけたら投下する。
じゃあの。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年04月18日 (土) 04:40:07   ID: cmoYuDc0

ワクワクしますな!

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