京太郎「虹の見方を覚えてますか?」 (746)


・京太郎スレです

・安価はありません

・エロ、グロの描写はありません

・ほぼ完成していますので、1週間程度ですべて投下できると思います

・コクマとかジュニア選抜についてはまったく考慮してません

・そこそこ長いです(メモ帳で300kb程度)



では、少しずつ始めていきます

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1408457218


兆候が無かったといえば嘘になる

前からそれは確かにあったのだ。気が付かなかっただけ

いや、気付こうとしなかっただけか…

それにしても、そいつが俺に訪れたのは、あまりにも急だったように今にしてみれば思う

それは、清澄が全国大会を終えて1ヶ月くらいだったか

大会の熱気もようやく落ち着いてきて、日常の風景がだんだんと戻ってきていた頃だ

だからその日も、いつも通りの日常がまた始まると勝手に思い込んでいた



その日までは


――9月上旬 長野



ジリリリリリリリ!!!

京太郎「うぁ……」

ジリリリリリリリリリリ!!!!!

京太郎「うるせーなー……まだ8時半じゃ…」

京太郎「…8時半!?」

京太郎「マイガッ!」

落ち着け京太郎…こういう時は素数を数えて落ち着くんだ

1、2、3、5、7、11、13……

……

1は素数じゃねえ!!


まだ30分はあるから、飯食わないで急げば間に合うかもしれない

あ、でもパンくらいは食ってこうかな


ガチャ

京太郎「かあさーん、パン一枚もらえ」

母「じゃあ、今夜は少し早く帰って来るのね?」

父「ああ、久しぶりにおいしいもんでも買って帰るかな?」

京太郎「パン一枚も」

母「あら嬉しい、楽しみ待ってるわ」

父「あまり期待しないでもらえると助かるよ」

京太郎「パ」

母「いってらっしゃい」

父「行ってきます」

チュ


あー食パンおいしいなー。焼かなくても、何もつけなくてもおいしいなー

いや嘘、なんて不味い食パンなんだ

俺に優しくしてくれるのはカピだけだよ、ちくしょう


あれ?そういやカピの奴珍しく出てこないな…

どうしたんだろう?

京太郎「じゃあ母さん、時間ないからもう行くよ」

母「……」

京太郎「カピのやつ出てこなかったから、もしかしたら元気ないのかもしれない。よく見といてよ」

母「……」

京太郎「母さん、聞いてる?もう行くからよろしくね。いってきまーす」


どうしたんだ母さん…さっきまで父さんとイチャイチャしてたくせに

ってやべぇ、意外と時間食っちまった。急ぐか


家を出てすぐ、近所のおばちゃんが目に入った

朝早くから花の手入れをしている。何の花だろう?

小さくて黄色い花を咲かしているが、あまりに綺麗には見えない


京太郎「おはようございまーす」

「……」

ん、聞こえなかったか?

京太郎「おはようございまーす!!」

「……」

なんだよ、いつもは返してくれるのに…

まいっか、さっさと行こう


京太郎「うわ…」

珍しく校門に先生が立っている。朝からご苦労なこって

ここで足止めを食らうと、本当に遅刻しかねん

注意される前に、身だしなみを整えてっと…これでいいだろ

京太郎「おはようございます!」

先生「……」

京太郎「?」

またしても返されない。俺なんかしたっけか?

まいいや、さっさと行こう



京太郎「あ」

やべっ…ワイシャツ後ろからはみ出してたわ

よく気付かれなかったな、ラッキー


_________

_____

__


京太郎「うおおおおおおお!!!!」

ガラガラガラ

京太郎「セーーーーーーフ!!!」


シーン……


京太郎「あれぇ…?」

勢いよく入ってきた割に、反応が無いよー。ぼっちだよー

まあ、いいか。こういう日もある

席に向かおうとすると、クラスメイトの会話が聞こえてくる


「昨日の試合見たか、おい?すごかったよな!」

「ああ、かなり燃える展開だったな。やっぱ首位攻防戦はこうでなくちゃな」

「7回に追加点取られたときは、正直もうダメかと思ったね」

「そこで、9回のあのホームランだろ。痺れたね」

「そういえば、阪神は?」

「また負けた。ありゃあ、Aクラスも厳しいかも分からないね」

「「阪神(笑)」」


野球の話しらしかったが、興味ないので素通りする


京太郎「おう、咲。おはよう」

咲「……」

京太郎「今日起きたのが遅くてさ、危うく遅刻するところだったんだぜ」

咲「……」

京太郎「それに何だか、誰も挨拶すら返してくれないし…今日は厄日かー」

咲「……」

京太郎「聞いてんのかよ。少しは反応してくれ」


ガラガラ

担任「おうみんな、おはよう。席つけー!」

京太郎「っと先生来たか、また後でな」

咲「……」


担任「じゃあ早速出席取るぞー」

担任「新井ー」

「はい」

担任「梅野ー」

「はいはい」

担任「"はい"は一回」

その後もア行、カ行の名前を順に読んでいき、ついにサ行に入った

この次だ。それとなく備える



担任「関本ー」



え…



京太郎「すいません先生、俺飛ばしてますよ」

担任「福原ー」

京太郎「ちょ、ちょっと先生、無視は酷いんじゃないですか?」

担任「能見ー」

京太郎「先生、聞こえてるでしょ?な、なんか言ってくださいよ」

担任「マットー」

京太郎「いいかげんにしてください!!どうしたんですか先生!」バンッ

担任「宮永ー」

京太郎「咲もなんか言ってくれよ、俺なんかしたか?」


咲「はい」


京太郎「お、おい…咲……?」



担任「よし、みんな揃ってるな」



京太郎「は?」



京太郎「俺まだ呼ばれてませんって…変な冗談やめてください!」

担任「毎日こうだといいんだがなぁ」

京太郎「みんなも!どうしちまったんだよ…なんか反応しろよ!」

勢いよく席から立ち上がり、先生のところまで詰め寄る

京太郎「先生もなんとか言ってくださいよ!どうしちゃったんですか、さっきからっ!?」ガシッ


担任「うわっ、ととっ」フラフラ

「ちょっと先生、何もないところで躓かないくださいよ~」

担任「ははっ、すまんすまん。俺も歳かなあ…」

担任「みんなも気を付けろー、歳食っちまうとこうなるからなぁ」


「「あははー!」」

























え………………………………………え?


ちょっと待てよ

今、躓いたのは

俺が先生の腕を掴んだからだろ?



担任「今日は特に伝えることもないから、これでおしまいな」

担任「みんな今日も元気に授業を受けてくれ、じゃあまた放課後に」

「「はーい」」

もしかして、これって……いじめとか無視とかじゃなくて……



その先を考えるのはやめた、だってそれは有り得ない事だったから

そして、そんなことを考えてしまうこと自体、普通じゃないように思えた


________

_____

__



その後は、"普通に"授業を受けた

授業中に一回も、俺が指名されることはなかった

化学の実験は一人でした。クラスメイトはおろか先生すら何も言わなかった

体育では一人で準備運動をし、一人でストレッチをした

誰も記録をとってくれなかったので、仕方なく自分でタイムを計った

ストップウォッチを借りるとき、先生に許可を求めたが無言だった

お昼休み、咲が学食に行くようだったので付いていった

レディースランチを頼めなかったので、別の注文を学食のおばちゃんにした

しかし、聞こえなかったのだろう。いつまで経っても品物が来ることはなかった

仕方なく、厨房にお邪魔して自分の分をよそった

いつものように咲の近くで食べた。会話はなかったが、食事はとてもおいしかった

今度からこの定食もいいかもしれない。だけど、少し塩味が効きすぎていた



そして、放課後…


ガチャ

京太郎「こんにちはー」

久「……」ペラペラ

京太郎「部長…じゃなかった竹井先輩。また来てたんですね」

久「……」ペラペラ

京太郎「咲の奴、遅れるって言ってましたよ。日直らしいんで」

久「……」ペラペラ


ガチャ

まこ「おっ!"元"部長、来ておったんか」

久「まあね、部長さん」

まこ「いつも通り、まこでええ」

久「ふふ、そうね。そうしとくわ」


ガチャ

咲・和・優希「こんにちわー」

咲「あっ、竹井先輩また来てたんですか…受験とか大丈夫なんですか?」

久「んー、なんとなく大丈夫な気がするのよねー」

和「すごく駄目な人の台詞に聞こえますけど、先輩なら確かにそうかも知れません」

久「あら、褒められちゃった!」

優希「褒めてはないと思うじぇ…」

京太郎「あはは…」

まこ「ん?そう言えば、さっきから何読んどるんじゃ」

久「ああ、これね。インターハイの時の写真よ。懐かしいでしょ?」

和「懐かしいってほど昔のことでもないですけどね」

久「気分の問題よ、気分の」

咲「どれどれ…ちょ、ちょっと、先輩!こんな所も撮ってたんですか!?」

咲の寝ている姿だ

久「かわいいでしょ?」

咲「そんなことどうでもいいですよ!このデータ消してくださいよ!」

久「あらー、いい思い出じゃない」


和「……」

和「すみません、先輩。そのデータ貰えませんか?」

咲「え」

和「いえ、むしろ買います。買わせてください」

久「あはは、もちろんいいわよ。1枚ずつ買うこともできるけど、どうする?」

和「うーん、そうですね…正直咲さんが映っていないものはいらないのですが」

久「ちなみに……全部一括購入すると、今なら咲の寝息音声が付いてくるわ」

和「!!」

和「……」

和「言い値でもらおうか」キリッ

優希「ちょ、のどちゃんキャラ変わってるじぇ!」

和「こまけぇこたぁいいんだよ!!」

まこ「ええかげんにせい!!」スパーン


久・和「あいたっ!」


まこ「まったく、こいつらは」

咲「うわぁ…」ドンビキ


ハラリ


優希「あれ?何か落ちたじょ」

まこ「なんじゃろ?」

久「あら、これは……」

それは、大会の終わりに撮った"6人"全員の集合写真だった

優希「あはは、写真ののどちゃん、目が少し赤くなってるじぇ」

久「和にも案外かわいいところあるじゃない」

優希「それが今じゃこんなになって…」

和「"こんなに"とはなんですか、"こんなに"とは。そんなに変わってませんから」

咲「自覚がないんだね…」

まこ「重症じゃな」

和「皆さん最近、私に対する扱い酷くないですか…」

京太郎「はは…」


久「なかなか綺麗に撮れてるでしょ?私写真家でも目指そうかしら」

まこ「そこら辺に適当に置いて、タイマー撮影しただけだったじゃろうが」

久「やだねぇ、まこ。冗談よ」

咲「でも、なんだか本当に懐かしい気がしてきますね。こういうのを見ると」

久「そうね、ほんの1ヶ月前くらいのことなのにね」

久「こんなの見ると――」


久「ここに映ってる"5人"で、また大会に出たくなっちゃうわね」


京太郎「……」

まこ「そうじゃな、でも勉強はちゃんとしといたほうがええと思うぞ」

久「もうっ!せっかく良い話にもっていこうとしたのに、台無しじゃない」

「「あはは――」」


ああ…俺は馬鹿だ、大馬鹿だ

本当は家にいた時から変だと思ってた

通学途中にその疑問はほとんど確信に変わってた

そして朝のホームルームで明らかに、自分がそうなんだと分かった

でも、認めたくなった

それを認めてしまうと、おかしくなってしまいそうになるから

だから、今の今までなるべく普通に過ごしてきた

だが、それもおしまいだ。諦めよう。俺の負けだ

だってこの人達にすら、俺は……


京太郎「そうか…俺は消えたのか」

ポロポロ

京太郎「ぐ……ぅ…」

涙があふれてきた

京太郎「ちくしょう……くそっ!!…」

初めて人前で泣いた。それも女の子の前で

京太郎「俺がいったい…何したって言うんだよっ!!」

でも、そのことに誰も気付いてはくれなかった

京太郎「咲…優希…和…部長…竹井先輩……」

京太郎「なんで……」

それが何よりも悲しかった


――9月中旬 長野




さらに1週間が経過した

この現象の性質も大まかに把握し、慣れてきた頃だ


あれから、特にこれといって何かしたということはない

本来なら、元に戻るために何かしらの行動に出るべきなのだろう

しかし、その方針すらよく分からないので、未だに何もできずにいた



だからというわけではないが、普通の生活をしている

平日は学校に行き、授業を受け、部活をする

休日は、家でダラダラ過ごすか、一人で遊びに行ったりした

幸い俺の行動を制限するものは何も無かったので、かなり自由に振舞うことができた


だからといって、犯罪を犯したり、反倫理的なことをしたり、なんてことはしなかった。一切

自分でもよく分からないが、どうしてもそういう気分になれなかったのだ

むしろ、以前より幾分か自身を律するようになったようにさえ思える

自分で言うのもなんだが、人間とは本当によく分からない生き物だ


――9月下旬 長野




9月もいよいよ終盤に差し掛かってきた

あれからさらに経ったがこれといって何もしていない

いや、正確に言えば勉強と料理などの家事しかしていない


なんで勉強?と思うかもしれないが、その理由は単純だ。楽しいからだ

以前の俺なら絶対にそんなことは言わなかっただろうが、自発的学ぶと考えは変わるものだ


人間と人間の作り出したもの、自然の美しさと細やかさと驚くべき法則の数々

全てがどこかで関わり合い、歪ながらも不自然な完成度でもって調和している

学べば学ぶほど、自分の愚かしさを痛感する

なんて素晴らしいんだろうか


ああ、頭がおかしくなっている


だけど、俺も趣味として、ただ闇雲に勉強をしていたわけじゃない

元に戻るためのヒントが得られるかもしれないと考えたからだ

高校の物理、化学、生物の基本を学びつつ、心理学などにも手を出した

幸い時間は腐るほどあったし、誰にも邪魔されなかったので、ひたすら没頭することができた

最高の環境だな……クソくらえ


だが、当初の予想通り元に戻るためのヒントなんて得られなかった

まあ当たり前だ、こんなこと経験したのは恐らく人類でただ一人、俺だけだろうから

まさに、chosen one、選ばれし者

フォースと共にあれ。なーんてな

はぁ…


――10月上旬 長野




10月に入った

戻るためのヒントすら得られないまま、1ヶ月が経過した

最近何だかこの生活にも慣れてきて、このままでもいいんじゃないか、とすら思うようになってきている

変化の無い単調な毎日

世間の風景は少しずつうつろいで行くが、自分には何の関係も無いという疎外感

はは、そういえば1ヶ月間誰とも会話してないんだよな。不思議な気分だ


まあいいや。今日も学校に行こう

京太郎「そろそろ、行ってくるよ。じゃあ…」


母「ねえ、あなた最近カピの元気が無いんだけど、何か知らないかしら?」

父「そうかぁ?」

母「私の方が家にいて一緒にいる時間が長いんだから、そのくらい気付くわよ」

父「うーん、分からないなぁ。最近何かあったけ?」

母「なかったと思うんだけど…何かしらね」

カピ「キュ~…」


京太郎「………行ってきます」


_________

_____

__


ガチャ

京太郎「こんにちはー」

京太郎「あ、部長と――竹井先輩、また来てたんですね」



まこ「はぁー…」

久「どうしたの、まこ?ため息なんかして、珍しい」

まこ「いや、わしなんかが部長やってて本当にええのかと思ってな…」

久「なによ急に」

まこ「考えてもみぃ、麻雀の実力は1年の咲や和に及ばず、あんたみたいに指導力もない」

京太郎「……」

まこ「清澄はポっと出とはいえ、今や世間では全国で活躍した麻雀強豪校扱いじゃ」

まこ「来年には、そういう目的の部員も増えるじゃろう」

まこ「だから、わしなんかよりもっと別の――」


久「…大丈夫よ、まこ。安心なさい」

京太郎「……」

久「清澄の部長はあなた以外ありえないわ」

久「確かに、今のあなたは部長としてはまだまだかもしれないわ」

久「けど私も最初はそうだったもの」

久「それでも、ダメならダメなりに少しずつ学んだり、誰かに助けてもらったりしたわ」

久「だからこそ、そんな私でもここまでこれたの」

まこ「……」

久「まこは、あの3人こと信用していない?」

まこ「そんなこと、ない…」

久「でしょう?なら大丈夫よ。困ったときは、みんながあなたの手をとってくれるから」

久「だから安心しなさい」


まこ「人頼みなんじゃな」

久「あら、人の助けをうまく借りることは、人生をうまくいかせるためのコツの1つなのよ?」

まこ「ふふ、お前さんらしいのう」

久「そんなことないわ。だって、これはまこ、あなたから教わったことなんだから」

まこ「……」

久「さて、慣れないことしちゃったから疲れちゃったわ。だから今日はもう帰るわね」

久「あとのこと、よろしく頼んだわよ"部長"さん。じゃね!」

ガチャ

まこ「まったく…かっこつけおって」

京太郎「…ほんと、そうですね」




ガチャ

咲・和・優希「こんにちはー」

まこ「おう、みんな来たか。さあ、今日も張り切って行くかのう!」

>>23>>24の間に3レス分入れ忘れました
先に投下します


――9月上旬 長野




あれから、1週間近く経ったが事態は少しも好転しなかった

いや、現実を直視するなら、悪化したとも言えるかもしれない

あの日俺は、他の人は自分をただ見ることができないだけ、くらいに思っていた

しかし正確には違っていた

まったく俺のことを認識してくれないのだ

大声を出しても、誰かにぶつかっても、視界に入っても反応しないばかりか

黒板に字を書いても誰も気が付かない、気が付けない

いわば、完全に"いないもの"として、俺を扱っているかのようだ

まるでどこかのアニメみたいだな。くだらない


何度か実験してみたが、他人の示す反応には2つのパターンがあるらしかった

一つは完全に俺のことを無視するもの

基本的にはこれが行われているようだった


しかし、例えば俺がわざと人を躓かせたり、物を落としてみたり…

つまり無視できな程、物理的に何らかの影響を与えると、多少反応が異なる場合が稀にあった

これが、二つ目のパターンだ

俺が消えたあの日、腕を掴んで先生がよろめいたことがあったが、あの時は"偶々"、"偶然"そうなったことに変わっていた

またある時、教室に設置してあった本棚の本を間違って落としたことがある

その時は、偶然そうなったのではなく、近くにいたクラスメイトが落としたことに変わっていた


つまり、無視が基本のパターンだが、それだけでは無理がある場合ある

そういうときは、"偶然そうなった or 他の人のせいでそうなった"――の2パターンに分かれるらしかった


また、もしかして実は俺は既に死んでしまっていて、幽霊にでもなってしまったのだろうか?

などど、荒唐無稽な妄想をしたこともあるが、どうやらそれも無いらしかった

家にあったビデオカメラで撮影したら、きちんとその姿は映っていた

また、コンビニに行ってわざと監視カメラに写り、確認してみたがやはり俺の姿が映っていた

だが、機械に映った姿ですら他の人に認識されることはなかった


他にも、細かい点を挙げればきりが無いが、この一週間で分かったことはだいたいこのくらいだ


けどこんなこと分かってもどうしようもない

いや、分かってしまったからこそ、どうしようもない気分にさせられた

俺以外の人にとって、須賀京太郎という人間は、この世に完全に存在しないことになっているのだから

クラスメイトや両親、咲、和、優希、部長、竹井先輩、他のあらゆる人にとって…


神様なんてものが本当にいるかどうかは分からない

しかし、もしいるとすれば、そいつは俺のことがとことん嫌いらしい


俺はこの一週間で、早々に敗北を認めざる得なかった

何に対してかは分からないが

失礼しました。以上です
>>30の続きからまた投下します


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_____

__



「「おつかれさまでしたー」」


まこ「おつかれさん」

まこ「悪いが牌が汚れてきたんで、掃除してもらってもええかのう」

咲「いいですよ」

まこ「あと牌譜の整理もやっておいてもらいたんじゃが…」

和「構いませんよ、私がやっておくんで」

まこ「ありがとう、すまんな」

咲「今日は家の手伝いしないとダメなんでしょう?」

優希「部長はすぐに帰ったほうがいいじぇ。最近頑張りすぎだじぇ」

まこ「みんなありがとう…お疲れさま」

ガチャ


咲「じゃあ、私と和ちゃんで先にに牌の掃除しちゃうね」

咲「優希ちゃんは牌譜の整理お願い、私たちも終ったら手伝うから」

優希「分かったじぇ」

和「了解です」


咲「……」フキフキ

和「……」フキフキ

咲「……」

和「……」フキフキ

咲「ねえ、和ちゃん、ちょっと聞いてもらってもいいかな?」

和「なんですか?」

咲「ええとね…私、変かもしれないんだけど、こうやって雑用をするのがとても懐かしく感じるんだ」

和「懐かしく?いつも私達でやってるじゃないですか」

咲「そうなんだけど…でもそう感じるの」

和「はぁ…」

咲「それでさ、今の私達はそういうことの面倒臭さとか大変さとか分かってるけど」

咲「もし、他人に任せっきりだったら、そんなことも気付けなかったんじゃないかな?」

和「そうかもしれませんね」

京太郎「……」

和「でも、なぜそんな話を?」

咲「なんでだろ?けど誰かに何かを言い忘れてるような、そんな気に最近よくなるんだ」

咲「だから、他の人に聞いてもらいたかっただけなのかも…」


和「……」

和「ふむ…もしかしたら熱があるのかもしれませんね」

咲「えっ」

和「さっ、ベットに横になってください」

咲「へ」

和「ああ、汗をかいてるじゃないですか。これは大変です」

咲「ひ、冷や汗だからっ!」ダラダラ

和「服は私が脱がせてあげますので、ご安心を」ハァハァ

和「え、なに?怖いですって…大丈夫です、痛くはありません」ハァハァ

和「なぁに、天井の染みを数えているうちに終ります。ですから――」



優希「落ち着けい!!」スパーン


和「はっ!私は何を……すみません咲さん、どうやら内なる獣に支配されていたようです」

和「淫乱レズピンクって恐ろしいですねぇ……」

優希「それって自分のことじゃ…」

和「そんなオカルトありえません」

咲「」ガクガクブルブル

優希「私のツッコミも板についてきたじぇ…けどなんでだろう、涙が出てくるのは」ウルッ

和「花粉症ですか?大変ですね」

咲「大変なのは和ちゃんの頭の方だと思う」ボソ



京太郎「…咲も言うようになったなぁ」

京太郎「こいつら見てると、ほんと飽きないよ」

京太郎「……」


_________

______

__



優希「ふぃー、終った終った」

和「そうですね、ではみんなで帰りましょうか」

咲「うん」


優希「…あーそういえば、やり忘れてることがあったの忘れてたじぇ」

咲「そうなの?なら私も手伝うよ」

優希「確か明日、お姉さんが帰ってくる日だったような」

咲「う、うん。そうだけど」

優希「なら、私とのどちゃんでやっとくから。咲ちゃんは帰っていいじょ」

優希「ねっ」チラ

和「……そうですね。今日は早く帰ってゆっくりしてください」

咲「そ、そう?じゃあ、またね」


バタン


和「…で、なんの話ですか?」

優希「さすがのどちゃん、察しがよくて助かるじぇ」

和「……」

優希「のどちゃんは、いつまでそのキャラでいるつもり?」

和「何のことですか?」

優希「私にくらいには正直になってほしいじぇ」

和「……そうですね、咲さんが今よりもっと強くなったら」

優希「……」

和「咲さんはインターハイであまりにも注目を集めてしまいましたから」

和「きっとこれからは、外からの圧力が強くなります」

和「誹謗、中傷は当たり前。期待や羨望はわずかな失敗から、失望と罵倒へとあっという間に変わるでしょう」

和「友人、学校、マスコミ、ありとあらゆるものから好奇の目を向けられ、自分の居場所は限定されていきます」

優希「……」


和「私は、そういうのものにはもう慣れました」

和「しかし、咲さんは違います」

和「だから、咲さんがそういうものに負けないくらいに強くなるまで」

和「誰かが壁にならないといけないと思うんです」

和「私がこうしている内は、こちらに目線を逸らせますから」

優希「…のどちゃんはそれでいいの?」

和「ええ、構いません。咲さんは私の大事な友達ですから」

優希「のどちゃん…」

和「それに、これ。全部が演技というわけではないんですよ?」

和「9割5分くらいは本気ですから」

優希「9割5分っ!?高っ!!せめて半分くらいにしといてほしかったじぇ…」

和「冗談ですよ、冗談。ふふふ」

優希「目が笑ってないじぇ…」


京太郎「……」


__________

______

__



京太郎「……」ペラペラ

だめだ、なんだか集中できない

京太郎「はぁ…」パタン

仕方なく、読みかけの本を机に置く


そろそろ…

そろそろ、行動を起こすべき時かもしれない

でも、どうしたらいい?


『人の助けをうまく借りることは、人生をうまくいかせるためのコツの1つなのよ?』


なら、一人ぼっちの俺は、誰の助けを借りればいいのか


『そんなオカルトありえません』


オカルト、オカルトねぇ…とりあえずこの線でいってみますか



よしっ!!


――10月上旬 長野




準備は済ませた。旅行カバンに替えの服と下着を詰め込んだ

傘とレインコート、予備のマスクに小・中・大のビニールの袋を少々

タオル、ハンカチ、ティッシュは多めに入れといた

これからどんどん寒くなっていくので、手袋とマフラーも念のため持った


銀行でお金を降ろせないので、仕方なく家の金庫から自分の貯金の分だけ拝借させてもらった

元に戻ることができたら、ちゃんと補填しておくつもりだ

だから、父さん母さん。今のところは許しておいて欲しい



京太郎「さて、カピ行ってくるよ」ナデナデ

カピ「キュ~…」

京太郎「元気でな」

京太郎「じゃあ、父さん母さんそろそろ出るよ」


母「いってらっしゃい」

父「ああ、行ってきます」


京太郎「…行ってきます」


_________

_____

__


さて、まずは近場からだな


―鶴賀高校


京太郎「まずはここだろ」

実は、ここにはかなり早い段階で来ていた

なにせ、俺と似たような人物がいたからな

でもそのときは……


お、いたいた

桃子「さ、先輩っ!今日も部活に行くっすよ」

ゆみ「はぁ、またか」

桃子「だめっすか…?」

ゆみ「…仕方ない、1時間だけだからな」

桃子「さすが先輩っす!!」


やっぱり、駄目か…


―龍門渕高校



衣「ハギヨシー、おなか空いたぞ」

ハギヨシ「駄目ですよ、衣様。まだご夕食まで時間があります」

ハギヨシ「それに、すぐに部活が始まりますよ」

衣「むぅ…」プクー

ハギヨシ「……」

衣「……」ジー

ハギヨシ「はぁ…仕方ありませんね」

ハギヨシ「今日は特別ですからね、皆には内緒ですよ」

衣「うわっ、やったー!!」

ハギヨシ「はぁ、私もいいかげん甘いですね」


京太郎「……」



――10月上旬 



―宮守女子高校


トシ「おや、また来てたのかい」

塞「あはは、自習室として優秀なんで、ここ」

トシ「今日は他のみんなは来てないようだね」

塞「珍しいでしょう?まあ、でも、たまにはこういうのも悪くないですね」

トシ「あまり遅くならないうちに帰るんだよ。変質者が出るかもしれないからね」

塞「はは、こんなド田舎に出るのはお年寄りと野生動物くらいなもんですよ」

トシ「ふふ、そうだね。でも炬燵で寝落ちは駄目だから」

塞「ええ、気をつけます」


京太郎「……」



―白糸台高校


ガチャ

淡「こんにちはー」

菫「おう、久しぶりだな」

淡「菫先輩、おひさしぶりー」

菫「まあ、たまにはな」

淡「テルは来てないんですか?」

菫「ああ、あいつか…あそこで机に置いてあった菓子を勝手に食べてるぞ」

淡「あー、それ私のー!返して返して!」

照「もう遅い、ほとんど胃に到達してしまった。残念でならない」モグモグ

菫「せめて食べるのを止めろ。すまんな、淡。言っても聞かないくてな…」

菫「代わりにといってはなんだが、こいつも4月からプロになるんだ」

菫「その時たっぷりたかってやるといい」

淡「やったー、テルー大好き!」

照「そ、そんな…それでは私の『お菓子の家計画』が水の泡に…」ポロ

菫「なんだ、その如何にも頭の悪い妄想は…」


京太郎「……」


―永水女子高校



霞「今日は10月とは思えないくらい暑いわね…」

巴「そうですね、明日もこのくらいって天気予報で言ってましたよ」

初美「いやになりますねー」

春「……」ポリポリ

小蒔「はっ!だったら久しぶりにみんなで海にでも行きませんか?」

春「名案…」

霞「んー、でもねぇ…」

小蒔「だ、駄目ですか」ウルウル

巴「まぁ、いいんじゃないですか、たまには」

初美「そうですよー」

霞「んー…じゃあ明日にでも行きますか、海」

小蒔「やったー!」

小蒔「あ…でも水着…」

巴「どうかしました、姫様」

小蒔「い、いえ…あの…」

初美「ふふふ、最近また大きくなったのですよー。姫様のアレが」ジー

霞「ああ、なるほど。アレが」ジー

春「栄養豊富だから…」ジー

小蒔「も、もう、みんなして見ないでください///」


京太郎「……」ボタボタ


――10月中旬 大阪




ついに、この2週間に及ぶ旅の最終目的地に到着してしまった

他にも、阿知賀女子や新道寺女子、臨海女子などにも足を伸ばしたが手がかりなし

こうしてみると、ほんと女子高ばかりだな。変態か、俺

本当は、ここに来る前になんらかの手がかりを得たかったが、残念なことにそれも無かった


あと、残るは千里山女子高校くらいだ

確かあそこには、生死の淵を彷徨い、未来視をを身に着けた人がいるという

これで駄目なら、もう……


??「はぁ~、ええもん買うたわ。後で絹に自慢したろ~」ウキウキ


ドンッ


誰かにぶつかってしまったが気にしない

そちらの方を向くと、どうやら女性らしかった


ピンクと赤のちょうど中間の色をした髪を後ろに束ねている。所謂ポニーテールというやつだ

その色は、なんというか…濃い桜の花びらのような、そんな印象を受けた

タレ目だが、気の強そうな雰囲気を漂わせている。おもちはない

決して美人と言うわけではないが、愛嬌のある顔立ちをしている


ま、そんなことどうでもいいんだけど

千里山って、ここから北にあるんだよな。電車に乗って、それから――




??「うわっ、すんません。前見てへんかった、ごめんなさい」ペコペコ













??「あ、あれ?誰もおれへん…気のせいか?」

こ、これは…もしかして

京太郎「あ、あの、すみません!俺のこと分かりますか!?」

??「っ!!」ビクッ

??「な、なんや?声だけ……聞こえて…」ブルブル

声しか聞こえない!?ここは慎重に、慎重に…

京太郎「お、俺須賀京太郎っていいます!」

??「ひっ」

京太郎「……」ゾクゾク

ああ…なんかこの反応いいな

こう、いたずら心がね、くすぐられるというか

京太郎「ほう、どうやら俺の声が聞こえるようだな…」

??「え、それって…?」ブルブル

だめだ、我慢しろ須賀京太郎…クールになるんだ


京太郎「俺の正体を知りたいか、お嬢さん?」

??「あわわわわ…」ガクガク

京太郎「そう、俺は……」

??「俺は…?」ガクガクブルブル


京太郎「グワァァァァ!!!!」クワッ


??「どっひゃあーーーーーーーー!!!!!!」ダッ



京太郎「だめだ、やっぱり堪えられなかったわ」

しかし、逃げちまったな。あ、荷物落としてる。相当焦ってたんだな

仕方ない、届けるついでに追うか



京太郎「まあ゛てえ゛~、逃げるな人間~…!」

??「うぎゃーーーー!!!」

京太郎「オレサマオマエ、マルカジリーー!!」

??「ほげえぇぇーーーー!!!!!」


_______________

_____

__



??「はぁ、はぁ…こ、ここまでくれば安心やろ」

京太郎「そんなことないんだよなぁ、これが」

??「あわわわわわわ……」ブクブク

??「すすすすすいませんでしたーーーー!!!」

京太郎「…何のことですか?」

??「おかんの分のから揚げ、1個食べたんは謝ります!だから、許してください!」

京太郎「おや?そんなことをしていたのですか。いけない娘だ」

京太郎「でも、他にもあるのでしょう?正直に言えば許してあげないこともないですよ」

??「ほ、ほんまにほんま?」

京太郎「大阪の幽霊嘘つかない」


??「……あんな、実はこないだの晩、おかんがサラダ作ってたんやけど、そんとき…」

京太郎「そのとき…」ゴクリ

??「余ったさけるチーズ、まるまる全部食べてもうたんや…」

京太郎「ま、まさか裂かずに?」

??「…せや」

京太郎「なんてむごいことを…」

??「もうせえへん、せやから許してください!」ペコリ

京太郎「……仕方がありませんね。その罪許しましょう」

??「!!や、やた!」

京太郎「ただし!!俺の話を聞いてもらうのが条件ですが」

??「ゆゆゆゆ幽霊がうちにななななんの話や?」ガクガク

京太郎「幽霊?いやいや、違うんですよ……実は俺」

??「じ、実は…」ゴクリ


京太郎「I am your father.」

??「Nooooooooやでぇぇぇ!!!!!」


??「って、なに言わしてんねん!!」

京太郎「えー…そっちだって、ノリノリだったじゃないですか…」

京太郎「まぁでも、よくご存知で」

??「せ、せやろー、さすがやろー?」

京太郎「では、お化け・幽霊といえば、英語でゴーストですが」

京太郎「『ゴースト』といえば?」



??「ニューヨークの幻!!」

京太郎「攻殻機動隊!!」



??・京太郎「……」

??・京太郎「……」

??・京太郎「ちっ」


京太郎「どうやらあなたとは、仲良くなれそうもありません」

??「奇遇やな、うちもそう思うわ」

京太郎「では、もう一回だけいきましょう」

??「望むところや」

京太郎「…さっきニューヨークがでてきたので、それで行きましょうか」

京太郎「では、『ニューヨーク』といえば?」



??・京太郎「星の王子様 ニューヨークへ行く!!」



??・京太郎「……」

??・京太郎「……」

??「へへっ、やるやないか」

京太郎「あなたもね」

??・京太郎「あっはははー!!」



京太郎「あー、そういえば…まだ名前を聞いていませんでしたね」

京太郎「俺は須賀京太郎です。あなたは?」

??「ああ、うちか?うちはな――」


??「愛宕洋榎や」


愛宕、洋榎?…どこかで聞いたことがあるような、気のせいか?

洋榎「洋榎でええよ」

洋榎「って、ちゃうやろ…あかんで、うちいつの間に幽霊と普通に話してるやん……」

京太郎「あ、すみません。それ嘘です」

洋榎「う、嘘?」

京太郎「そうです。本当はただの人間です。姿こそ消えてはいますが…」

洋榎「…どういうことや?」

京太郎「ええ、実はですね――」


________

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__



洋榎「へぇー、そんなんあるねんなぁ」

京太郎「信じてくれるんですか?」

洋榎「信じるも何も、信じるしかないやろ、これは」

京太郎「ですね、声だけしか聞こえないようですから」

京太郎「じゃあ、あの…」

洋榎「なんや?」

京太郎「俺が元に戻るのを、手伝ってくれません?」

洋榎「いやや、めんどい」

京太郎「即答っ!?そこは二つ返事で了承する場面でしょ」

洋榎「自分、アホやなぁ。顔も素性も分からん奴に、ほいほい付いていく女子がどこにおんねん」

京太郎「うっ、それはまあ、そうですけど…」

洋榎「まぁ、おもろい話聞けてよかったわ、ありがとさん。ほななー」

京太郎「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

洋榎「い・や・や」スタスタ

まいったな。顔も素性もって……

そうだ!もしかして、これなら


京太郎「待ってください、これ見れば俺のこと分かりますから!」ズイッ

洋榎「ん、なんやこの感触?」

京太郎「今、洋榎さんの手にある物を載せました。もしかしたら、単なる物なら見えるかも」

洋榎「お、お、お…なんか見えてきよった。これ、おもろいな」

洋榎「ん、生徒手帳かこれ?」

京太郎「やった、予想通り!それ俺のです、読めば俺のこと分かりますよね?」

洋榎「ちょい待ち、これあんたが誰かからパクったってこともありえるやろ?」

京太郎「うーん、それはその通りですね」

京太郎「なら、テストしてみましょう。それでいいでしょう?」

洋榎「テスト?」

京太郎「俺が、そこに書いてあること答えますから、それを確認してください」

洋榎「暗記してるって可能性もあるやろ?」

京太郎「俺、かなり几帳面なんで細かい事もメモしてあります」

京太郎「いくら、他人から盗んだとしても、普通そこまで覚えないでしょう?」

洋榎「うーん、そうやな…」

京太郎「さあ、いきますよ」


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京太郎「どうでしたか?」

洋榎「完璧や。昨日の阪神の試合を見てるようやな」

京太郎「よ、よかったぁ…」ヘナヘナ

洋榎「しかし、清澄か…ちなみに自分、部活は?」

京太郎「ああ、言ってませんでしたね。麻雀部です、俺は弱いんですけど」

洋榎「なぁ、なら覚えてへんか、うちのこと?」

京太郎「え、俺が洋榎さんのこと?どこかで会いましたっけ?」

洋榎「姫松高校って知らん?」

京太郎「姫松、ですか?うーん…」

洋榎「ほら、インターハイで」

京太郎「インターハイ?麻雀の?」

洋榎「せや」

京太郎「うーん……」

洋榎「……」


京太郎「……」ジー

京太郎「……」ジー

京太郎「ああっ、思い出した!洋榎さん、あなた姫松高校の人ですね!」

洋榎「せやせや」

京太郎「うちの部長と打ってた、やたら強くて」

洋榎「うんうん」

京太郎「やかましくて」

洋榎「う、うん?」

京太郎「おもしろい顔の人ですよね!?」

洋榎「それは余計や!」ブンッ

京太郎「……ふっ、残像だ」

洋榎「……ふんっ」スパーン

京太郎「いてっ」

洋榎「おお、声だけで案外分かるもんやな」


洋榎「そうや、大阪一の美少女雀士、愛宕洋榎とはうちのことや。よく覚えとき!!」

京太郎「え、美少女?どこですか?」

洋榎「ここや、目の前におるやろ?」ドヤ

京太郎「……」

京太郎「えーと、それでですね――」

洋榎「ちょ、無視すな///」


京太郎「はいはい。で、手伝ってもらえませんか?」

洋榎「……」

洋榎「かわいそやな、とは思うけど…やっぱ無理や」

洋榎「どないしたらええか分かれへんのや…ごめん」

京太郎「…いえ、いいんです。俺の勝手な頼みなんですから、気にしないでください」

京太郎「あと、最初驚かしたのは謝ります。ごめんなさい」ペコリ

洋榎「……」

京太郎「久しぶりに他の人と話せて、とても嬉しかったんです」

京太郎「俺の話を最後まで聞いてくれて、ありがとうございました」

京太郎「もしかしたら、洋榎さんみたいな人がこの世界のどこかにまだいるかもしれません」

京太郎「地道に探してみますよ」

洋榎「あ……」

京太郎「ほら、そんな顔してたら駄目ですよ。大阪一の美少女雀士なんでしょう?」

京太郎「さ、俺はもう行きますね」

洋榎「……」

京太郎「ほな、さいなら。なーんてね」

洋榎「……ああ、ほなな」


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―駅 ホーム


はぁ、駄目だったか…せっかくの手がかりも、相手に振られちまったからしょうがない

とりあえず、ホテルがありそうなところまで電車で行くか


??「はぁ~、ええもん買うたわ。後でお姉ちゃんに自慢したろ~」ウキウキ


水色の髪をした、活発そうな女の子だ。赤みがかったツーブリッジのメガネをしている、珍しい

どうやら眼鏡にはこだわりがあるようだ

そしてなにより、かなりのおもちの持ち主である。うむ


しかし、この台詞さっきも聞いたような…気のせいか


おっさん「デュフフ、デュフ…」


なんだ、このむさ苦しいおっさんは

今日は対して暑くもないのに、大量の汗をかいている

そして、地面には荷物と思われる鞄が無造作に置いてある

せっかく美少女を見て、癒されていたところなのに…実に台無しだ


京太郎「あ、電車来た」


キラッ


あれ、なにか光った?あのおっさんの鞄か?……それに、さっきの女の子

もしかして、そういうことか?

仕方ない、念のためついて行くか


電車に乗ると意外と混んでいる。身動きが取れない、というほどではないがスイスイと自由に動くことはできない

さっきのおっさんの近くに行くと、案の定水色の髪の女の子のそばに陣取っている

足元には、不自然なほど自然にに鞄が置いてある

そして、その女の子は運悪くスカートをはいている

この状況とさっきの鞄からの光の反射

まぁ、これはあれだろうな……盗撮だ

ジー

念には念を入れて、ファスナーを開き鞄の中を覗いてみると、確かにそれがあった

自分で使うためか、あるいはよそに売るためか

どういうことかは知らんが、卑劣な行為であることには変わりない

ましてや、こんな国の重要文化財級のおもちの持ち主に対して行うとは

おもちマイスターの風上にもおけぬ!


京太郎「余の顔を見忘れたか!!」

京太郎「成敗!!」

京太郎「えい」チョン


ゴトッ


おっさん「あ」

「えっ、なにあれ?もしかしてビデオカメラ…」

「え、え、盗撮?」

「捕まえろー!すいません、駅員さん呼んでー!!」

ザワザワ

ふっ、勝利とはいつも空しいものだな


??「え、え、え…?」


京太郎「……」


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__



「時間とらせて悪かったね」

??「い、いえ…」

「…一人で平気そう?」

??「大丈夫…大丈夫です。ほんまに」

「さよか。ほな、気ぃ付けてなぁ」

??「お世話になりました」

気になって待っていたが、意外と大丈夫そうかな?


ガラガラガラ

駅員室から出てきたが、さっきまでの活発そうな雰囲気が感じられない

??「はぁー…」トボトボ

あれ、電車に乗らないのか?

…いや、そうだよな

仕方がない、乗りかかった舟だ。最後まで乗船するのが礼儀と言うものだろう

京太郎「お美しいお嬢さん。この命に代えてもあなたことをお守りいたしますよ」キリッ

??「……」トボトボ

京太郎「大丈夫、大丈夫です。安心してください」

京太郎「俺がついてます」


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~~~~~~~~~~~~~~~~~~



洋榎「絹のやつ遅いなあ、何やってるんやろ。携帯も繋がらんし…」

ビュウ

洋榎「うぅ、寒うなってきた」ブルブル

洋榎「出掛けるとき、けっこう薄着やったもんなぁ。大丈夫やろか?」


そういや、あいつ…須賀とかいったか、どこに泊まってるんやろ

さすがにこんくらいの寒さじゃ、死なへんとは思うけど…

洋榎「うがー、うちらしくもない!」

洋榎「もう終った話やろ、これは…」

顔は見えへんかった、けど最後寂しそうな声してた

やっぱあん時…



おっ、あれは絹か?やっと帰ってきた。無事やったみたいやな

あれ?でも、この声どこかで…



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


京太郎「それで、その時こう言ってやったんですよ」

京太郎「『次からは、相手を見て喧嘩を売ることだな……』」

??「……」トボトボ

京太郎「で、最後にこうつぶやいたんです」

京太郎「『持っててよかった、PSP』、ってね」

??「……」トボトボ

京太郎「まだまだ他にもありますよ」

京太郎「あれは、俺が戦艦ミズーリでコック長をしていたときの話です」

京太郎「迫り来るテロリストをちぎっては投げ、ちぎっては投げ。ついに相手も――」



タッタッタッ

洋榎「絹ー、どないしたんこんな遅くまで?お姉ちゃん、心配してたんやで」

ひひひ、洋榎さん!?それに、お姉ちゃん??

絹恵「……」グスッ

洋榎「絹?」

絹恵「う゛わ~ん、おねえ゛ち゛ゃ~ん…怖かったよぉ…」ブワッ

洋榎「どどどどないしたんや?お腹か、お腹痛いんか?」アタフタ

絹恵「いや、ちゃうねん…あんな、電車でその…男の人に」ゴニョゴニョ

洋榎「おおおお、男ぉ?もしかしておまえかー!須賀ぁーー!!絹に何さらしてけつけんねん!!!」

俺がいることバレてた!?


京太郎「い、いや、俺じゃ―」

洋榎「どたまかち割って、脳味噌チューチュー吸うたろかぁ!ああ゛!!」

京太郎「ひっ!…そ、それでも僕はやってない!信じてください、洋榎さん!」

洋榎「やった奴は皆そう言うんや!!」

京太郎「やってない人だってそう言いますよ!?」

洋榎「あんなぁ…いくら絹がうちに似て美人やからって、してええことと悪いことがあるやろ!?」

京太郎「いや、全然似てませんし、それに洋榎さんはそれほど美人ってわけじゃ…」

洋榎「あ゛!?」

アカン、誰か助けて




絹恵「お姉ちゃん、なにしてるの?」

洋榎「へ……ちゃうねん、ちょっとその…痴漢魔に尋問をやな」

絹恵「痴漢?、まぁええわ」

絹恵「あんな、ほんでその…おっさんに盗撮されそうになってたんや」

洋榎「へ」

絹恵「でも、なんやしらんけど…急にカメラの入ってた鞄が倒れてな、そんでその人取り押さえられたんやけど…」

洋榎「せ、せやったん。絹はなんともなかったんか?」

絹恵「うん」


洋榎「でもなんでこない遅く…?」

絹恵「その後、警察の人とかと話してたんや」

洋榎「それだけやないやろ?」

絹恵「…うん。そんで電車で帰ろうと思ったんやけど」

洋榎「…怖かったんやな」

絹恵「うん、だから歩いてきたんや。はは、馬鹿みたいやろ?」

洋榎「……そないなことない。でももう安心しぃやぁ、お姉ちゃんがついてる」ギュ

絹恵「お姉ちゃん…」ギュ

京太郎「……」

絹恵「私、子供みたいやね」
   
洋榎「うちからしたら、絹はまだまだ子供や」

洋榎「せやから、もっとお姉ちゃんのこと頼ってもええんやで」

絹恵「うん」


京太郎「……」


_________

______

__



京太郎「いいんですか、先に行かせちゃって?」

洋榎「おかんがおるから、ええんや」

京太郎「そうですか」

洋榎「……結局、おまえちゃうんかったんか?」

京太郎「さっきから、そう言ってるじゃないですか」

洋榎「もしかして、その盗撮魔の鞄倒したのって?」

京太郎「……さぁて、電車の揺れで勝手に倒れたんじゃないですかね」

洋榎「絹と一緒におったんは?」

京太郎「こんな夜に、美少女が一人で歩くのは危険でしょう?」

京太郎「それに俺、美人の住みやすい街づくりを目指してるんで、その一環ですよ」

洋榎「ぷっ、なんやそれ」


京太郎「あ」

洋榎「?」

京太郎「初めて笑ってくれましたね」

京太郎「怒ってるより、そっちの方がずっといい感じですよ」

洋榎「あほか」

京太郎「その通りです」


洋榎「なぁ、その…一人で寂しくないんか?」

京太郎「それが…よく分からないんですよね」

京太郎「最初のうちはそう思っていたのかもしれません」

京太郎「でももう、そんな気持ちも忘れてしまいました」

洋榎「……」

京太郎「じゃあ、そろそろ行きますね。今日の寝床探さないと」

京太郎「運がよければまた会いましょう。さよなら」



 







洋榎「ちょいまち」



京太郎「え、なんですか?」

洋榎「夕飯まだやろ?」

京太郎「そうですけど…」

洋榎「ほんなら、うちで食べていきぃ」

洋榎「おかんのから揚げは絶品なんやで」

京太郎「え、でも…」

洋榎「うちがええって言ってるんや、かめへん」


京太郎「えーと…それって、お礼ってことでいいんですかね?」

洋榎「ちゃ、ちゃうわアホ!困ってる人がおったら助ける、当たり前やろ!?」

最初助けてくれなかったじゃん!?

京太郎「…分かりました、せっかくだから頂いていきますね」

洋榎「そ、そうか…よかった」ホッ

京太郎「……洋榎さんも素直じゃないですねぇ」

洋榎「う、うっさい///」

京太郎「はいはい」


洋榎「…絹のこと、ほんまありがとうな」ボソ

京太郎「?」

洋榎「ほな、帰ろか」

京太郎「…ええ」



京太郎「あ、そういえば大事なこと一つ聞き忘れてました」

洋榎「?」

京太郎「洋榎さんと絹恵さんって、姉妹なのに胸の大きさが全然ちが――」

洋榎「ふんっ」スパーン

京太郎「あふん」

大阪の人のツッコミってすごい。改めてそう思った


疲れたので寝ます
また、水曜日の夜11時ごろ投下すると思います
おやすみなさい


――10月下旬 大阪




洋榎さんとの出会いから、1週間経った

あれから俺は、洋榎さんの家に居候している

あの日、夕食を食べ終わった後、別の場所に寝床を探しに行こうとした

しかし、洋榎さんがもう遅いからと家に泊まらせてくれた


それ以来、なぜだかここに居候させてもらっている

別に許可をもらったでわけではない。そういう言葉は交わしてない

でもなぜか、洋榎さんが色々と面倒を見てくれていてるうちに、こうなったのだ

俺に同情したのか、絹恵さんのことでの感謝か、あるいはこれこそが大阪人の人情というものなのか

判然とはしないが、洋榎さんにはとても感謝している


部屋は物置になっていたところを、掃除して使わせてもらっている

今までは、味気ないビジネスホテルなどの部屋を勝手に使わせたもらっていた(お金はもちろん払った)

だから、こんな部屋でも家独特の温もりが感じられるので満足している


ここでの生活にも慣れてきた、ある日のこと


雅枝「今週は帰りが遅うなるから、家事は二人で分担しといてな」


この人は、愛宕雅枝さん。洋榎さんと絹恵さんのお母さんだ

髪の色は絹恵さん、髪型は洋榎さんと絹恵さんとのハイブリッド

眼鏡着用は絹恵さんに似ているが、そのタレ目は洋榎さんとそっくりだ

そして、胸の脂肪はどうやら妹さんにしか遺伝しなかったようだ

実に残念である。洋榎さんはお父さんに似たのかな?


洋榎・絹恵「はーい」

雅枝「まぁ…洋榎はせんでもええねんけど」

洋榎「ちょ、おかん」

雅枝「まぁ、ええわ。行ってくる」

洋榎・絹恵「行ってらっしゃい!」

パタン


絹恵「ほな、私たちもそろそろ行こか?」

洋榎「そうやな」

洋榎「須賀はどないする?」ボソ

京太郎「今日は、千里山の方に行ってみようかと思います」

京太郎「あそこにもヒントがあるかもしれないので」

洋榎「そうか、ほなな」ボソ

京太郎「はい、また後で」


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はぁ……結局千里山でも収穫無しか

まあ、そう簡単にうまく行くとは思っていない

それに洋榎さんという、最大の手掛かりもある

気長にやっていこう


ガチャ

京太郎「ただいまー」

洋榎「おう、おかえり。なんか収穫は?」

京太郎「いえ、さっぱりですね」

洋榎「そか」


京太郎「そういえば、今週は雅枝さん遅くなるんでしたっけ?」

洋榎「ん?ああ、そうやな。せやから、家事せえへんと…」

京太郎「なら、俺手伝いますよ。これでもやもめ暮らしは長いんで」

洋榎「ほう、そうなんか……って、結婚しとったんかいっ!!」ビシッ

京太郎「さすが洋榎さん、いいツッコミです」

京太郎「やもめ暮らしは嘘ですけど、家事は慣れてるんで手伝いますよ」

洋榎「そ、そうか…?そうしてくれると助かるわ」


洋榎「なら…おーい、絹ー!」

絹恵「どうしたの、お姉ちゃん?」

洋榎「うちがご飯作っとくから、絹は風呂掃除して、ついでにお風呂沸かしておいてくれへん?」

絹恵「え゛っ、お姉ちゃんが料理!?それは止めておいた方が…」

洋榎「大丈夫、いけるいける!今回はサポートもあるし、お姉ちゃんにまかしとき!」

絹恵「サポート?まぁ、そこまで言うなら…」

洋榎「よっしゃ!汚名挽回したるでー」

京太郎「ベタですけど、汚名返上ですね


_________

______

__



絹恵「この炊いたん、めっちゃうまいやん!お姉ちゃん、どないしたの?」

雅枝「いつもと少しちゃうけど、味がしゅんでておいしいなぁ」モグモグ

洋榎「せ、せやろー!うちが本気だしたらこんなもんや」ドヤァ

京太郎「煮物作るとき、洋榎さん鍋の様子見てただけですけどね」モグモグ


絹恵「このお魚もうまいなぁ…いくらでもいけそう。これなんの魚なん?」

洋榎「えっ!?え~…とそれは…」チラ

京太郎「銀だらの西京漬けです。ちなみに俺は鮭の方が好みです」パクパク

洋榎「銀だらや銀だら、うっかり忘れてたわ~(棒)」

雅枝「洋榎がこない料理がうまくなってたなんて…お父さんも今頃お空の上で喜んでるわ…」ホロリ

絹恵「そうやな……って!まだ生きてるから!!」

洋榎「おとんがおらん時、いっつもこのネタ使うからなぁ…もう流石に飽きたわ」

ちなみに、お父さんは出張中らしい



雅枝「…それにしても、洋榎、その…大丈夫か?」

洋榎「え、なにが?」

京太郎「…うん、我ながらうまい」モグモグ

雅枝「いや、ええんやで。育ち盛りやなぁ思て」

洋榎「?」パクパク

京太郎「?」モグモグ


─別の日



絹恵「お姉ちゃん、ほんまに大丈夫?別に無理せんでもええよ?」

洋榎「なに言うとるんや絹。最近のお姉ちゃんの変わりよう知ってるやろ?」

絹恵「まぁ、そやけど…」

京太郎「9割以上、俺がやってますけどね」

洋榎「部活遅れてまうやろ?家事はうちに任せて、早よ行きぃ」

絹恵「うん…分かった。じゃあ行ってきます」

洋榎「いってらっしゃい」

京太郎「では、わたくしも行ってまいりますわ、お姉さま!(裏声)」

洋榎「ブッ!」

絹恵「?」

洋榎「い、いや、なんでもあれへん…気ぃつけてな」プルプル

パタン

京太郎「さて、家事の分担どうしましょうか?」

洋榎「って、行かないんかい!」ビシッ

京太郎「おうふ」


洋榎「絹は夕方頃帰ってくるから、それまでに掃除、洗濯して夕飯作っておけばええと思う」

京太郎「了解です。それにしても、洋榎さんは勉強とかしなくていいんですか?」

洋榎「勉強?なんで?」

京太郎「いや、ほら…大学受験とかあるでしょう?」

洋榎「おう、須賀~。うちをなめたらあかんでー」

京太郎「どういう意味ですか?」


洋榎「もう既に、麻雀プロのオファーが来てん。せやから勉強なんかせえへんで大丈夫なんやで~」

京太郎「へえー、すごいじゃないですか」

洋榎「せやろー、もっと褒めてもええんやで」ドヤ

洋榎「まあでも…ほんまははまだ本決まり、ってわけやないんやけどな」

京太郎「なんでですか?」

洋榎「実は1月と2月にプロも参加する大会があってな、そこで結果出さなきゃいけないんやと」

洋榎「ま、最終試験みたいなもんや」

京太郎「そこで、駄目だったらどうなるんです?」

洋榎「まぁ、アカンやろ。プロの世界は厳しいちゅうこっちゃ」

洋榎「せやから引退した今でも、時々部活には顔出してるんやで」

京太郎「そうだったんですか……で、オチは?」

洋榎「ないわ、そんなもん!」

京太郎「おかしいですね。大阪の人は長話の最後には、必ずオチをつけるとこの本に――」

洋榎「そないな本、ほってまえ!」

京太郎「いやん」


京太郎「じゃあ、俺は風呂掃除してきますから、先に洗濯物洗っといてください」

洋榎「りょーかいりょーかい」

京太郎「使い方分かりますか?洗剤は多すぎても少なすぎても駄目なんですよ?」

京太郎「柔軟剤なんですが、雅枝さんは匂いがキツイのが苦手みたいなんであまり入れすぎないでくださいね?」

京太郎「あと、絹恵さんのデニム、新しいみたいなんでかなり色落ちすると思います。だから白物とは別々にしてください」

京太郎「それと、洗濯機の横に置いてあるバケツなんですけど、中に漂白してるタオルが入ってるんでちゃんとすすいでから――」

洋榎「おまえは主婦かっ!!」


_______

____

__



雅枝「ただいまー」

洋榎「おかえりー」

雅枝「って、なんやこれ…大掃除でもしたん?」

洋榎「ま、まぁ、こういうのはいっつも絹とおかんに任せぱなしやったから…たまには、な」ポリポリ

京太郎「今日ばっかりは、洋榎さんもちゃんとやってましたからね」

雅枝「」ブワッ

洋榎「ちょ、おかん、どないしたん!?」

雅枝「うおー!洋榎~!!」ダキッ

洋榎「ちょ、やめ、やめて恥ずいから///」

京太郎「いい話だなー」

絹恵「夕飯も用意してあるみたいやしはよ食べよ、お母さん」

雅恵「ん」


雅枝「夕飯まで用意してあるなんて…私は世界一幸せな母親やなぁ」ウルッ

京太郎「料理作ったのはほとんど俺ですけどね。でも、そう言われるのは嬉しいです」パクパク

絹恵「それにしても、お姉ちゃん。水垢の落とし方とかよう知っとったね?」

洋榎「えーと、それはあれや…そのー…」チラ

京太郎「水垢落としに使ったのはクエン酸です。台所の油汚れにはセスキ炭酸ソーダを使いました」モグモグ

京太郎「まあ、あのくらいならクエン酸で十分なんです」パクパク

京太郎「けど、酷いものは研磨剤やスケール除去剤を使わないとうまく取れないんですよ。勉強になりましたね」モグモグ

洋榎「長いわっ!」

絹恵「?」

洋榎「あっ!そ、そりゃあクエン酸やろ?うちかてそんくらい知ってるわ」

絹恵「お、お姉ちゃん…」ウルッ

雅枝「洋榎…」ウルッ

洋榎「二人して泣く事ないやろ…」

京太郎「ほら、普段粗暴な人が時折優しさを見せると、そのギャップの分だけ感動してしまうというアレですよ」パクパク

洋榎「うちの評価、そない低かったんかい!?」

絹恵・雅枝「?」


京太郎「すみません、洋榎さん。ご飯おかわりいいですか?」

洋榎「……」コクリ

京太郎「了解です」


京太郎「やっぱり、イカの塩辛にはご飯が良く合いますねー」モグモグ

洋榎「せやなー」パクパク

京太郎「……」パクパク

洋榎「……」モグモグ

雅枝「……」

雅枝「あんなぁ、洋榎。あんまこないなこと言うたくないねんけど」

洋榎「?」

雅枝「最近ちょっと食べすぎやないやろか」

洋榎「へ」

雅枝「いつも軽く2人前は平らげるし、それに今なんてご飯3杯目やし」

雅枝「急に家事うまくなったんは嬉しいんやけど……なにか悩み事でもあるのかと思て」





洋榎「は?」


京太郎「あーそういえば、言い忘れてました」パクパク

京太郎「時々、俺のしたことが他人のしたことに変わることがあるんですよ」モグモグ

洋榎「え」

京太郎「今回で言うと、俺が食べたものは洋榎さんが食べたことになってるんですね」パクパク

京太郎「いやー、不思議ですねー。まあ、これなら矛盾も起きませんし、よくできた現象です」モグモグ

洋榎「はい?」

京太郎「今日は大掃除して疲れたんでお腹減りますね。もう少しおかず貰おうかな」

京太郎「いやー、うまいなぁ」モグモグ

雅枝「洋榎…」

絹恵「お姉ちゃん…」


洋榎「いや、ちゃうちゃう!うちやないから!!」

京太郎「あ、知ってますか洋榎さん。チャウチャウは中国犬で元々は食用だったんですよ」パクパク

洋榎「んなこと知らんわ!それより食べるのやめてくれる!?」

雅枝「独り言まで…」

絹恵「お姉ちゃん…」

洋榎「あ゛、あ゛、あ、あああ…」カタカタ

京太郎「どんな話にもオチを付けてくる、洋榎さんは大阪人の鏡ですね」モグモグ

洋榎「そんなオチいややーーー!!!」


――10月下旬 




大阪での生活にも馴染めてきたので、この一週間は大阪を中心して関西圏に手がかりを求めていた

兵庫、京都、奈良をとりあえず回ってきたが成果は上がっていない

念のため、神戸ではハーバーランドに出向いたが、誰も俺のことをつかまえてはくれなかった

ゲームのようにうまくはいかないものだ


とはいっても、この三県は立派な観光地でもあるので、思いの外楽しめてしまったのは事実だ

一人旅ってのは良さってのは、こういうことなのかもしれない

他人に気を遣わないで、ゆっくりと観光するというものもなかなか乙なものだ

でも、再びここに来る機会がもしあれば、友達や麻雀部のみんなと来たいと思う



さて、これだけ探し回って、未だにまともな手ががりは洋榎さんのみ

なぜだろうか?

洋榎さんとそれ以外との差はなんなのだろうか?

洋榎さんにしか、俺の声が聞こえないのはなぜだろうか?

その洋榎さんにも、俺の姿は見えないのはなぜだろうか?

そこに理由があるのなら、それは一体どういうものなのだろうか?

考えても答えが出ないのは分かっているが、それでも考えずにはいられない


それにしても、随分疲れた

慣れない土地というのもあるけど、この一週間ずっと動きっぱなしだったから尚更だ

早く帰って、ゆっくり浴槽に浸かって、雅枝さんの作ったおいしいご飯を味わいたいものだ


――11月上旬 大阪




11月に入った

寒さが厳しくなってきて、いよいよ冬本番を感じさせる

コートを着ないで外に出ると、寒いくらいだ

まあ、それでも長野よりはマシだけど


俺は、関西小旅行を終えて久々に大阪に戻ってきていた


ガチャ

京太郎「ただいまー」

洋榎「ん、この声…?須賀か、おかえり。1週間ぶりやなぁ、元気にしとった?」

京太郎「いやー、流石に疲れましたよ。成果も挙がりませんでしたし」

洋榎「ふーん…」

京太郎「だから、今日はゆっくり休みたいですね」

洋榎「休む?そら、アカンよ」

京太郎「何でですか?」

洋榎「これから出掛けるからや」

京太郎「どこへ?」

洋榎「甲子園」

京太郎「はい?」


_________

______

__



雅枝「ほら、ゆっくりせんと、はよせんかいな」

絹恵「ああー…急にお腹が痛くなってきたなぁー(棒)」

雅枝「ん?」ニコリ

絹恵「やっぱしなんともなかったわ…」ハァ

京太郎「俺は別に行かなくてもいい気がするんですが…それに疲れてるんで休みたいんですけど…」

洋榎「ん?」ニコリ

京太郎「ナンデモアリマセン」

雅枝「ほな行くでー」


―車内


雅枝「……」

洋榎「……」

絹恵「……」ハァ

なにこの、重苦しい雰囲気

京太郎「あっ、そうだ!ラジオつけましょう、ラジオ!いいいですよね?」

洋榎「……」コクリ

少しでも、この空気を紛らわせれば何でもいい

藁にもすがる思いとはこのこと


ポチ


「いやー、昨日の試合はすごかったですねぇ。私途中まで絶対阪神が勝つと思ってましたもん」

洋榎・雅枝「……」ピクッ

「そうですねえ、でもオリックスも後半頑張りましたよ。あの逆転劇には思わず感動してしました」

洋榎・雅枝「……ちっ」

絹恵・京太郎「ひっ」ビクビク

「でも、これでお互い3勝3敗になったので最終戦までもつれ込みましたからねえ」

「ええ、まったく分からなくなってきました。今日の試合、非常に楽しみです」

「しかし、阪神はペナント3位からCSで這い上がって来ましたからね。勢いはほんとうにありますよ」

雅枝「おっ、分かってるやないかい」

洋榎「負ける気せぇへん地元やし」

負けフラグ、ゲットだぜ!

でも、どっちとも地元ですよね?

「いやぁ、でも今のオリックスは打線が非常に調子いいですからね。私はこちらの方が若干有利なんじゃないかと――」

雅枝・洋榎「あ゛?」

絹恵「」ビクッ

京太郎「チャ、チャンネル変えましょ。ね?ちょうど今日のニュースが知りたかったんですよねー(棒)」


ポチ


「えー、本日提出された法案は賛成33、反対4。つまり33―4!、33対4ですよ!!、で可決されました」

洋榎・雅枝「」ピクッ

あわわわわわ…

「次のニュースです。昨日あった地震の影響で334世帯の――」

洋榎・雅枝「」ビキビキ

京太郎「そ、そうだ。明日の天気は何かなぁー」


ポチ


「明日の大阪市内の天気は、曇りのち雨となっております」

京太郎「ほっ…」

天気予報なら安牌だろ

「雨の確率は33.4%となっており、今後とも大気の状態は――」

大阪の天気予報ってすげー(棒)

洋榎・雅枝「……」ビキビキ


ポチ

「実はここに植えてある桜の木は334本ありまして――」

ポチ

「ここは生徒数334人の――」

ポチ

「本日の3時34分頃――」

ポチ

「33-4――」

「33対4──」


もうどうしようもないね…


雅枝「洋榎」ニコリ

洋榎「うん」コクリ





その後何が起こったか、俺の口からはちょっと言えない

だが、車のラジオを修理に出す必要があるのは確かなようだった


_______

____

__


―兵庫県 阪神甲子園球場



雅枝「モータープール、めっちゃ混んでるな…」

流石、最終戦とあってかなりの人だかりだ

恐らく全国からファンが集まっているのだろう

雅枝「お、空いてるとこあった」



雅枝「んじゃ、行こか」


車から降り、早速球場に向かう

ここが阪神甲子園球場か…

野球には全く興味はないが、こうして歴史ある球場を前にすると、不思議と感動が沸き起こってくる

シーズン中、毎試合の様にここに来るファンの方々の気持ちも、なんとなく分かるような気がした


京太郎「あ、そういえば」

洋榎「ん、なんや?」

京太郎「俺のチケットって、もちろん無いんですよね?」

洋榎「まぁな」

京太郎「じゃあ、どうやって観戦すれば?」

洋榎「立ち見」

京太郎「え」

洋榎「立ち見」ニコリ

京太郎「はい…」

洋榎「死ぬ気で応援するんやで」ニコリ

京太郎「」

洋榎「あとこれユニフォームな」

京太郎「見えないから意味ないじゃないですか…?」

洋榎「気分や気分。ほら、さっさと着る!うちのエースや!」

京太郎「……背番号14」


球場に入り、しばらくすると試合が始まった

凄い熱気だ。最終戦までもつれ込んだこともあり、互いの選手もファンも必死なのだろう

どんなことであれ、何かに一生懸命に打ち込めることができるということに、多少の羨望を覚える

さて、俺たちはというと

雅恵「……」

洋榎「……」

この2人、試合開始からひとっことも喋らない

どこぞのアニメの司令官のように手と手を重ねて、その上に顎を乗せて静観している

シンクロ率100%だ

熱心さを通り過ぎて、一種の狂気すら感じる

俺だったら絶対に他人の振りをするだろうな

絹恵「……はぁ」

絹恵さん、その気持ちよく分かります


5回表、二死満塁の場面、阪神は守りで対するは下位打線。危険な状況だが打ち取れる可能性も十分高い

ピッチャーが投げたボールははじき返されたが、芯から外れた鈍い音。なんでもないフライだ

誰もが取れると思っただろう。しかし、野手がファンブルしてしまい、その間にランナーが一人帰ってしまった


「「あぁ……」」


会場から、大きなため息が聞こえてくる


「何やっとんじゃ、ぼけぇー!さっさと引っ込めー!!」


後方から野次すら聞こえてくる。気持ちは分かるが、真のファンなら言うべきではないだろう

ヤジもあり周りの雰囲気が悪くなっていたところ、雅恵さんと洋榎さんがいきなりスクっと立ち上がった



洋榎「がんばれー!!汚いヤジなんかに負けんなー!!」

雅恵「まだまだ1点差や!気張れやー、阪神!!」


洋榎「失敗なんて誰にでもあるっ!まだまだ中盤や、次の打席頼んだでー!!!」

雅恵「そやそや!うちの娘なんかこの間、左右別々の靴下履いて出かけておったでー!!」

洋榎「ちょ…おかん!お願いやからその話はせんといてぇな!?」


「「あっはっはっ!!」」


「……」

「おいこらぁ!!喧嘩売ってんのか…!」

さっきのヤジの人だ

雅恵「あ゛?」ピキピキ

「おう、なんや!やる気かっ!!」

「……っ!!」

雅恵「?」バイン

「で、でけぇ…」

絹恵「ちょ、ちょっとお母さん、やめなよ…」バインバイン

「で、でけぇ…」

洋榎「おうおう、何か文句でもあんのか、おっちゃん」スカッ

「で、で…………あ!」

洋榎「?」スッカスカ

「…………」

「ご、ごめんな姉ちゃん。その、俺が悪かったよ…」

「こない人に優しくなれたの、ほんまに久しぶりや。ありがとうな」ニコリ

その表情、憐れみを乗り越えて、もはや悟りを開いた聖人の域に達してらっしゃる

これが現代における生類の憐れみ、いや"小"類の憐れみ、か…

くっ…


洋榎「おい、ほんまにいてこましたろか…」ピキピキ

京太郎「洋榎さん、落ち着いてください!」

洋榎「止めるな、須賀ぁ!うちは、うちは……!!」

京太郎「力に頼らず、争い事を治める。こんなこと、なかなかできることじゃないですよ」

洋榎「そ、そうか?うち、すごいんか……?」

京太郎「流石ですお姉さま、って感じですよ!だから、さあ!!胸を張ってください…………あ」

なかった

洋榎「……」

京太郎「……」

洋榎「……」

京太郎「……」


洋榎「覚悟はできたかな?」ニコリ

京太郎「いいえと言ったら、許してくれます?」ニコリ

洋榎「NOやで」

京太郎「Oh…やで」

洋榎「SEE YA!!」ブンッ

京太郎「ホームラン!!」アウチ


絹恵「何やってるの、お姉ちゃん…?」

洋榎「大丈夫や、絹。悪は滅んだ」キリッ

絹恵「?」

京太郎「」ピクピク


_______

____

__




絹恵「あああああ、アカンて……」

絹恵「このままやと前みたく、1ヶ月間朝食がロッ○の板チョコだけ、みたいにになってまう……」ガクガク

潔いのか悪いのか…

でも、オリックスに負けたらどうなるんだろう?気になる


回は9回裏、表の守備を終えて点差は1点、このままだと阪神の負け

ワンアウト一塁三塁の場面、長打を打てば一打逆転のサヨナラもあり得る


『ストライークッ!!』


絹恵「ああ…追い込まれてもうた」

洋榎「安心しぃや、絹。阪神がこのまま負けるわけないやろ」ニコリ

ガクガクガクガク

京太郎「そんなこと言って洋榎さん、とんでもない勢いで貧乏ゆすりしてますよ!!」

洋榎「ハハハ、ナニユーテンネン」

ガクガクガクガク


雅恵「洋榎、少しは落ち着きぃや。ほら、お母ちゃん見習って」ニコリ

ダラダラダラダラ

京太郎「とか言いながら雅恵さん、脂汗すごいことになってますよ!!滝ってレベルじゃないですよ!?」



絹恵「あっ、打った」


京太郎「え」


洋榎「え」


雅恵「え」



右中間に鋭く飛んでいった打球は


京太郎「捕れないっ!!」


三塁ランナーは余裕のホームイン、同点!

ライトの渾身の送球はコントロールよくキャッチャーの元へ

一塁ランナーは…………








『セーフッ!!!!』


「「ワァァァァ!!!!!!」」


京太郎「や、やりましたよ洋榎さん!!」

絹恵「お母さん、お姉ちゃん!やったやん、勝ったんやで、優勝したんやで!!」


雅恵「……」

洋榎「……」


京太郎「洋榎さん…?」

絹恵「お母さん…?」


雅恵「」

洋榎「」


絹恵「気ぃ失ってる……」

京太郎「メディーーック!!!!」


こうして阪神は勝った

今度こそ、Vやねん、タイガース!!

でも、この2人とは、もう一緒に試合観戦には行きたくはない。だって、ねぇ…?

でも、絹恵さんとならいいな

そうだ、絹恵さんとおそろいのユニフォームを着てサッカー観戦……

ふむふむ、なるほど……すばらっ!

絹恵さんのユニフォーム姿。ああ、やばい、めちゃくちゃ似合うな!!

きっと、胸の辺りとか殺人的過ぎるだろうな!!

サッカーはこれからもシーズン中だから、きっとそういう機会もあるだろう

楽しみだなぁ


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______

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―後日



絹恵「じゃあ、お母さんそろそろ行こ!」

雅枝「え……あー実はなぁ絹、車の調子が悪くて――」

絹恵「ん?」ニコリ

雅枝「ナンデモアリマセン」

洋榎「あー、恭子達と遊ぶ約束してたのの忘れてわー。ごめんなー絹(棒)」

絹恵「ん?」ニコリ

洋榎「ハハー、ベツノヒヤッタワー」


京太郎「どうしたんですか、洋榎さん?」

洋榎「いいから、須賀も来い。今から出掛けるから」

京太郎「えー、嫌ですよ。久々に勉強でもしようかなあって思って――」

洋榎「ん?」ニコリ

京太郎「イエッサー」



京太郎「それで、どこに行くんですか?」

洋榎「万博記念競技場や」

京太郎「確かガンバ大阪の本拠地ですね。まさか、サッカー観戦ですか?」

洋榎「せや…」

京太郎「やったー!さっ、早く行きましょうよ!」


―万博記念競技場



『ゴーーーーーーールッ!!!!』



絹恵「おんどりゃあああ!!なんぼのもんじゃい!!!!!」

雅枝・洋榎「ひっ」ビクッ

京太郎「あわわわわわわ…」ガクガク

愛宕家最後の良心、絹恵さんが…

絹恵「なんやあの審判!!」

絹恵「鼻の穴に割り箸突っ込んで、下からカッコーンしたろか!!!」

雅枝・洋榎「ひぃいい」ガクガクガク

京太郎「ふぇ~…」







訂正。愛宕家の女性たちと一緒にスポーツ観戦に行ってはいけない


――11月下旬 大阪




時が流れるのは早く、11月の終りが見えてきた

しかし、特に事態は進展していない

だけど、別に諦めたというわけではなく、ただ待つことにした

押して駄目なら引いてみろ、というが…アプローチの仕方を変えてみるのも一つの手だろう

そして、これでも駄目ならまた別の方法を採ればいい


さて、今日は土曜日

俺は居間でテレビを見さしてもらっているのだが、他のみんなはというと


雅枝「それや、ロン」

絹恵「あちゃ~…」

洋榎「絹はまだまだやなぁ」


三麻にいそしんでいた

俺は参加することができないので、テレビで映画を鑑賞しながら、家族麻雀の雰囲気を味わっている

贅沢な休日の過ごし方だ


洋榎「絹の仇はうちがとる。たまには、おかんをギャフンと言わしたるわ!」

絹恵「お姉ちゃん…」

雅恵「ギャフン」

タン

洋榎「京橋はっ♪ええとこだっせ~♪グランシャトーが、おまっせ~♪」

京橋グランシャトー…

雅枝「おお、えらく余裕やなぁ」

洋榎「……うーん、これやな」



京太郎「洋榎さん、それは切らない方がいいですよ」

タン

洋榎「え」

雅枝「ロン」

洋榎「うそ…やろ…」カタカタ

雅枝「洋榎もまだまだやなぁ、そんなんでプロやってけるのかいな」

洋榎「そんなん考慮しとらんよ…」

京太郎「……」


洋榎「おっ、もうこんな時間か。ちょっとテレビ見てくる」

絹恵「麻雀は?」

洋榎「とりあえずしまいや」

雅枝「勝手なやっちゃなぁ…」


洋榎「リモコン借りるでー」

京太郎「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。今いいところなんですから」

洋榎「それは聞けへんなぁ…なにせこれからコマンドーの吹き替え版がやるんやから」ウキウキ

京太郎「はぁ…」

洋榎「し・か・も、玄田哲章版なんやで!」

京太郎「コマンドーなんか、しょちゅうやってるじゃないですか?」

洋榎「な、なんか…やと!?」

京太郎「確かにユーモアのセンスは認めますが、正直勢いだけでおもしろくはないでしょう」

京太郎「最後の銃撃戦なんて何ですかあれ?被弾ゼロとかジャック・バウアーも真っ青ですよ」


洋榎「き、きさま…言うてはならんことを」

洋榎「自分こそ、薬中・パロディ・お下劣テディベアのクソ映画なんか見てるやないか!」

京太郎「ク、クソぉ!?」

洋榎「せやせや」

京太郎「洋榎さん筋肉モリモリマッチョマンの変態に殴られて、頭おかしくなっちゃたんじゃないんですか?」

洋榎「はぁ!?」

京太郎「……」

洋榎「……」

洋榎「はは、もうえええわ…久しぶりにキレちまった」

京太郎「それはこっちの台詞ですよ…」


京太郎「こいよ洋榎ット!リモコンなんか捨ててかかって来い!!」

洋榎「野郎、ぶっ殺してやらぁ!!」


雅枝「何が始まるんや?」

絹恵「第三次愛宕大戦や…」


京太郎・洋榎「うおおおおおーーーー!!!!!!」


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洋榎「ずみまぜんでじだー」ドゲザー

雅枝「分かればよろしい」

洋榎「さすが、おかん。話の分かる!」

雅枝「まったく調子のいい…ちょけてばっかしなんやから」ハァ

雅枝「最近よう食べるわ、独り言多いわ、挙句に一人芝居まで…ほんま大丈夫か、洋榎?」

洋榎「」

雅枝「ま、ええわ。そんだけ元気有り余ってるなら、外で遊んできなさい」

洋榎「…はい」


洋榎「はぁ…家追い出されてもうた」

洋榎「せっかく、楽しみにしとったのに。最悪やわ…」

洋榎「ま、ええか。どこ行こかなぁ。久々にゆーこと遊びに行こうか、それとも――」

京太郎「それとも?」

洋榎「…なんで、おんねん」

京太郎「さっきのあれは俺にも責任がありますから。付き合いますよ」

洋榎「律儀なやっちゃなぁ」

京太郎「そのくらいしか、取柄がありませんからね」


洋榎「うーん……!!、そや、須賀はまだ大阪のことよう知らんのやろ?」

京太郎「そうですね、洋榎さんの家の周辺と、あと千里山の方をちょこっと見たくらいですね」

京太郎「一応、大阪駅と梅田駅の周辺は最初着いたときブラブラしましたけど、なにせ上の空でしたから」

京太郎「生活圏が洋榎さんの家の周りくらいですし、まだ知らない所はたくさんあると思いますよ」

洋榎「ほうか…せやったらうちと大阪観光と洒落込もうか!」



京太郎「おっ、いいですね。府民自ら案内してくれるなんて」

洋榎「せやろー、感謝するんやで」

京太郎「で、どこ行くんですか?」

洋榎「そうやなぁ、あんましたくさん見るのも疲れるし」

洋榎「今日はミナミ行ってから、その後天王寺案内したるわ」

京太郎「ここから南っていうと、堺ですね!!」

洋榎「……もしかして、ツッコミ待ち?」

京太郎「…慣れない事はするもんじゃないですね」


洋榎「ほな行こかー」

京太郎「ああ、待ってー」


―心斎橋駅



洋榎「まずは、こっからやな」

京太郎「心斎橋をブラブラすること…いわゆる『心ブラ』ってやつですね」

洋榎「おっ、よう知ってるな」

京太郎「説明書は熟読するタイプなもんで。観光ガイドを少し読みました」

洋榎「まぁ、今では死語になってるけどな」

京太郎「時代ですねー」


洋榎「心斎橋筋はほっとんど商店街になってるんやで」

洋榎「けど流石に全部回ってたら時間なくなるから、今日はとりあえず心斎橋筋商店街だけやな」

京太郎「ラジャー」


―心斎橋筋商店街



京太郎「結構混んでるものですね」

洋榎「休日やしなぁ」

京太郎「いちいち話するのにも気を遣いそうです」

洋榎「まぁ、周り見て話すから平気や」


京太郎「そういや、この商店街の特徴とかないんですか?」

洋榎「特徴~?んー、そうやなぁ……」

洋榎「あっ!服屋が多いな、それに靴とかアクセサリーとかの店も」

京太郎「ファッション関連のお店が多いってことですか?」

洋榎「それやそれ。ここに来れば、大体揃うような気ぃするわ」

洋榎「うちも絹とかと一緒に来ることあるし」

京太郎「じゃあせっかくなんで服買ってもいいですか?冬服のストックが少ないんで、もうちょい欲しいんですよね」

洋榎「ええで」


―服屋



洋榎「そういや、買い物っていつもどないしてるんや?」

京太郎「それを聞いちゃいますか…」ハァ

洋榎「な、なんや…まさか!?ぬ、盗――」


京太郎「商品選んで、自分でレジ打つだけです」


洋榎「そのまんまやん!」

京太郎「盗みなんてくだらないこと、するわけないでしょう」

京太郎「今ではかなりの種類のレジを扱えますよ。長野が誇るレジ打ちの京ちゃんとは俺のことです」

洋榎「かっこわるっ」



京太郎「でも、今日は洋榎さんがいるんで会計の方お願いしますね」

洋榎「ええよ」

京太郎「ありがとうございます。洋榎さんもついでに何か買っていきません?」

洋榎「せっかくやけど遠慮しとくわ」

京太郎「なんでです?」

洋榎「考えてもみ。ただでさえ男物の服ばかり買う変な客なのに」

京太郎「なのに?」

洋榎「さらに…例えばな試着室出た後、須賀に『どう?似おてる?』、なーんて間違って言った日には…」

京太郎「男子としては憧れるシチュエーションですけど、間違いなく危ない人認定されますね」

洋榎「せやろ、だから今日はよしとくわ」

京太郎「なんかすみません…」


________

_____

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京太郎「おっ、やっと商店街抜けましたね」

洋榎「結構長かったやろ?心斎橋筋の店全部見とったら、1日あっても足らんかもな」

京太郎「流石商人の町、大阪ですね」

洋榎「せやろー」


京太郎「ん、あれは橋ですかね?」

洋榎「戎(えびす)橋やな」

京太郎「あー!これってアレですよねアレ、グリコのアレ!!」

洋榎「アレアレ言うな!まあ、確かにそやねんけど」

京太郎「テレビとかでもよく映ってるから、見覚えありますよ」

京太郎「と、思ったら今度はかに道楽ですね!」

洋榎「よう知ってるなぁ」

京太郎「これぞ大阪って感じですね。というこは、ここはもう?」

洋榎「ご存知、道頓堀や」

京太郎「なるほどなるほど。じゃあ阪神が優勝したとき、かつてはみんなここに飛び込んだんですねぇ」シミジミ

洋榎「いやいや、そんなんごく一部やからな!念のため」


京太郎「しっかし、こうやって道頓堀の看板見てると本当にドギツイですよね」

洋榎「そうか?別に普通やと思うけど」

京太郎「単なる平らな看板じゃなくて、わざわざこう立体にしてくるところとか、えげつないですよね」

京太郎「かに道楽とかくいだおれ太郎とか、牛とか龍とか」

京太郎「色も赤と白とかですし、くいだおれ太郎なんか完全にトリコロールじゃないですか」

京太郎「フランスに訴えられても文句言えないですよ」

洋榎「やめーや」




京太郎「それにしても、そろそろお腹空いてきませんか?」

洋榎「うーん、そやな。どっか適当なところで済ますか」

洋榎「おっ、あの店でええやん」

京太郎「本当に適当ですね…」

洋榎「今日は休日やし、わざわざ行列並んだりしとないからな」

洋榎「それに、知らない店行くのも悪くないやろ」

京太郎「そうですけど。それにしても、ひと気ののないお店ですね……嫌な予感がする」ブルッ


―食事処『男専用』



店長「あら~、いらっしゃ~い」ニコリ

女性だ。おもちはあまり無いが、容姿は整っており儚げな美人と言ったところか

でも、なぜか俺の中の防衛本能が、この人物に対してヤバイと警報を鳴らしている


店長「お嬢さん、一人かなー。うふふ」

洋榎「はぁ…」

店長「ごめんなさ~い。うちはその名の通り女人禁制の定食屋なの」

店長「だから、お帰りは、あ・ち・ら・よ」ニコッ

どんな店だ

店長「あら、でも変ねぇ……何だか男の子の香りがするような…」クンクン

京太郎「!!」ビクッ

店長「いや、気のせいみたいね」

びっくりさせてくれる…

店長「……」

洋榎「……」

店長「うふふ、どうやら引くつもりはないみたいね」

洋榎「残念やけどわが家の家訓は、引かぬ!媚びぬ!省みぬ!、なんや」

京太郎「いや、反省はしましょうよ」


店長「あら~、言うわねぇ。私、そういう男気のある人好きよ」

店長「気に入ったわ、あなた。席についてちょうだい、料理を出すわ」

洋榎「!!」

店長「た・だ・し、ペナルティーは設けようかしらね~」

洋榎「?」

店長「もし、出した料理を残したりしたら…」

洋榎「したら…」ゴクリ

店長「活きのいい、ノンケの男を一人差し出してもらおうかしらね。あっ、大事なのはノンケであることだから」

洋榎「……」

洋榎「おい、須賀。ノンケってなんや?」ボソ

京太郎「洋榎さんは知らないほうがいい業界用語です」

洋榎「そうか…よし、その話のった!!」

京太郎「やめてー!どうせ俺のこと差し出すつもりでしょう!?」

洋榎「すまんな、須賀」


店長「その返事待ってたわ。少し待っていてちょうだい。すぐに用意するわね」

洋榎「…ちょいと待った。せっかくやから大盛りにしてもらおうか」ニヤリ

店長「やめときなさい、お嬢さん。きっとあなたの小さな胃袋には収まりきらないわ」

店長「それでもやるの?」

洋榎「能書きはええで。早よしてもらおか」

店長「あら、ますます気に入っちゃった。あなたが、わたし好みのイイ男だったらもっと良かったんだけどね」





ゴトッ

店長「じゃあ、はい。うちの自慢の定食。男日照り定食~私の愛と肉欲と汗を添えて~、よ」

京太郎「どことなくフランス料理風っ!?」

店長「ああ、そうそう。汗は塩の隠語よ」

京太郎「なんて嫌な隠語なんだ!?」

洋榎「おお…」

すごい量だ、とても一人で食べきれるものじゃない

でもそれだけじゃない…見た目、香りから食器に至るまで

高級料理のもつ繊細さと、下町料理の大胆さを見事なバランスで備えている

これほど完成度の高い料理をこんな定食屋でお目にかかれるとは

この女、できる!!

洋榎「ほな、行くで!たかが定食なんかに、負けたりせん!!」


_________

______

__



洋榎「男日照りには勝てなかったよ…」グフッ

京太郎「洋榎さーーん!!!」

洋榎「後のこと、頼んだで須、賀……」ガクッ

店長「どうやらここまでのようね。女にしては頑張った方よ」

京太郎「……」

京太郎「いや、まだだ!俺の大事な貞操は、俺が守るっ!!」

京太郎「うおおおおおお!!!!」ガツガツ

な、なんだ、このうまさは…

うまい、うますぎる!某埼玉銘菓に匹敵するこのうまさ!!

店長「な、なにこの娘!?気を失ってもまだ食べる気なのっ!?」

ごめんなさい、洋榎さん。また大食いキャラにしてしまいそうです

でも今回ばかりは、自業自得ですよね?



京太郎「うおおおおおりゃあああ!!!!」ガツガツガツ

京太郎「どうだっ!!」

カチャン

京太郎「ご馳走、様でした…」ガクッ

店長「か、完食しちゃったわ。信じられない……」

洋榎「…ん、あれ?いつの間に終ってる?」ムクリ

店長「負けたわ、お嬢さん。そんな細い身体のどこにそんなに入っているのかしら?」

洋榎「なんやよう知らんが、こういう時は――」


洋榎「うちの胃袋は宇宙や」ドヤ


フードファイト……中途半端に終わったのが悔やまれる

店長「ふっ、どうやらそのようね」


_________

______

__



店長「完敗よ、私が間違っていたわ。今度からは女性も受け入れることにするわ」

洋榎「そうした方がいいですよ、なんせあんだけうまいんやから」

店長「で・も、今度来るときはイイ男、連れて来てちょうだいね」

洋榎「はは、考えときます」チラッ

京太郎「あの、こっち見ないでくれます」


洋榎「あの、でも、なんでここ男だけって…」

店長「ああ、それを話すと長くなるわね…」

いきなり、声のトーンが低くなった。何か複雑な事情でもあるのだろうか

店長「あれは、私があなたようにまだ若くてピチピチでお肌の張りがすごかった、世の中の汚さをまだ知らない花の十代だった頃よ…」

なげえよ

洋榎「……」

店長「私の大好きだった高校の先輩、もちろん男の人よ?、が卒業する少し前だったかしら」

店長「あの頃の私は、まだ若くてね。自分に全く自信が持てていなかったわ」

店長「だから、私。告白するべきか、しないべきか…とても悩んだのよ」

洋榎「店長…」

京太郎「店長…」

店長「そんな時、いつも通っていた定食屋の人が私に言ってくれたの」


店長「『確かにお前さんの理想とそいつの理想は違うかもしれねえ』」

店長「『だからってなんだ、お前に魅力が無いわけじゃねえ』」

店長「『自分らしくなんて言葉、俺は信じちゃいねえが、その男に合わせて無理してかっこつけても疲れるだけよ』」

店長「『だが、元気がないのだけはいけねえ。だから、さっ、そいつさっさと食べな』」


店長「そうやって、ただで料理を出してくれたわ」

洋榎「うっ…」ウルッ

京太郎「うっ…」ウルッ

店長「で、告白したんだけど、呆気なく玉砕。まぁ、物語みたいにうまくはいかないわね」

店長「でも、あの人の言葉がどうしても忘れられなくて、こうやって定食屋をしているの」


洋榎「ひどい男や…」

店長「そんなこと無いわ。彼、私の話を最後まで真剣に聞いてくれて、こう言ってくれたの」

店長「『ありがとう。でも、俺にはやりたいことがあるんだ。だから君の気持ちは受け取れない』、って」

店長「彼、すごい超然とした人だったんだけど、映画に情熱を傾けていてね」

店長「そのまま単身渡米。それっきり。今は何しているのやら…」

店長「初恋なんて実らないものなのかもね」

洋榎「うぅ~、泣ける話やぁ~…」ウルウル

店長「バカな女の昔話よ」

洋榎「でも、どうして男専用なんですか?」

店長「ぶっちゃけ、男目当てよ」

洋榎「台無しやぁ!!」

京太郎「煩悩全開だ、この人!!」


店を後にした俺たちは、次の目的地に向かうべく駅の方に歩いていた


京太郎「お代を無料にしてくれたのは助かりましたね」

洋榎「せやなー、ちょっとアレやったけど話の分かるいい人やったわ」

京太郎「量はすごかったですけど、料理の完成度は抜けてましたからね」

洋榎「今日一番の収穫やな、また来ーな」

京太郎「そうですね」



京太郎「まだ昼過ぎたくらいですけど、次はどこ行くんですか?」

洋榎「次で最後。キタ、ミナミに並ぶ今や第3の繁華街――」

京太郎「天王寺・阿倍野ですね」

洋榎「それ、うちの台詞!」


―恵美須町駅



なんとか無事に昼食を食べ終えた俺達は、日本橋駅から恵美須町駅まで来ていた


京太郎「あれ、天王寺駅じゃないんですね」

洋榎「ここからなら、うまいこと回れて最後に上町線に乗れるからな」

京太郎「なるほど、洋榎さんも意外と考えて生きてるんですね」

洋榎「馬鹿にしてる?」


京太郎「おっ、あれが噂の通天閣ってやつですね」

洋榎「せや、めっちゃ大きいやろ?」

京太郎「何メートルくらいなんですかね?」

洋榎「えーと、たしかー…100mくらいやったかな?」

京太郎「東京タワーの3分の1以下…」

洋榎「……」

京太郎「スカイツリーの6分の1以下…」

洋榎「べ、別に電波塔やないから。展望台やから!」

京太郎「そう、ですね」アワレミ

洋榎「これやから東京もんは!」

京太郎「長野県民です」


通天閣を通り過ぎ、少し歩くと商店街が見えてきた


京太郎「あれが、有名なジャンジャン横丁ですか?」

洋榎「せやな。昔は新世界とか西成は、危ないから近づいたらアカン言われてらしいで」

洋榎「今では、そないなことないけどな」

京太郎「へぇー」

洋榎「ジャンジャン横丁南に抜けると、西成区や」

洋榎「動物園前商店街やら飛田本通商店街があるんやけど…」

京太郎「?」

洋榎「まあ、もっと大阪のことが知りたい言うんやったら行ってみるのもええかもな」

京太郎「はぁ」


―天王寺公園


洋榎「天王寺公園やけど、どこ行く?」

京太郎「動物園!」

洋榎「え」

京太郎「動物園っ!!」

洋榎「お、おう…」


京太郎「いやー、実は前からここには来てみたかったんですよね」

洋榎「結構かわいいところあるやん」

京太郎「洋榎さんほどじゃないですよ」

洋榎「おっ、須賀もやっとうちの魅力に気付いたみたいやなー」

京太郎「そういうことにしといてください」


―天王寺動物園



京太郎「ない!?ないですよ、洋榎さん!!」

洋榎「なにが?」

京太郎「『カミマス』の看板ですよ!!」

洋榎「動物園に何見に来てんの!?」

京太郎「おのれ、天王寺動物園!責任者をだせい!!」

洋榎「アホやなぁ。動物園にわざわざ看板見に来るやつなんか、初めて見たわ…」

京太郎「何言ってるんですか、洋榎さん」

京太郎「関東の動物園とかじゃあ、長ったらしく説明するのが常ですが」

京太郎「大阪では『カミマス』の一言で済ませる、とこの本に書いてあるんですよ」

京太郎「これぞ大阪の文化だ、って。なのに…」

洋榎「んなもん、知らんわ」

京太郎「これが、グローバリズムの弊害か…こんなところにも東京の魔の手が、くっ…!」

洋榎「どっちの味方やねん」

京太郎「はぁ……………あっ!」

京太郎「見てください、洋榎さん!」

洋榎「今度はなんや」

京太郎「あの看板『ツッツキマス!』、って書いてありますよ。すごい!」

洋榎「さよか」

京太郎「あっ、あっちの看板なんか『アブナイ!』、ですって」

京太郎「いやー、よかったー。大阪文化は死んでいませんでしたね」

洋榎「ま、まあ、須賀が楽しそうならそれでええんやけど…」ヒキ



看板を見つけて上機嫌になった俺(達)は、その後も園内を回った

トラやライオン、ペンギンに羊などみんなに人気の動物がかわいかった

ただ、やはり一番印象に残ったのは


みんな大好き、マレーグマ


独特のアンバランス感、カラスにも似た艶のある黒の体毛、異様に長い舌

愛嬌のある内股にどことなくおっさん臭い仕草

奇跡的なバランスで、不気味さと可愛らしさを体現している

洋榎さんも最初こそ、「気味悪いなぁ…」とか言っていたのだか

しばらくすると、「なにあれ、めっちゃかわいいやん!」とあの可愛さに気付いたようだった

マレーグマ、恐るべし

しかも、あれだけ気味悪い風貌なのに、実は大人しい性格ときている

なんてキュートな奴なんだ!




京太郎「動物園も堪能したことですし、そろそろ帰りますか?まだ3時くらいですけど」

洋榎「うーん、そやなぁ……阿倍野に映画でも見に行くか」

京太郎「アベノというと……魔法商店街ですね」

洋榎「ん?残念やけど、商店街はもうあれへんで」

京太郎「ですよねー」


洋榎「まあ、今日は誰かさんのせいで映画見れなかったし、ちょうどええやろ」

京太郎「意外と根に持ちますね…」


天王寺から阿倍野方面に歩いていき、あべの筋までやってきた


京太郎「どこにあるんですか?」

洋榎「うちに着いてくれば分かる。今日行くところは特別なんや、他のに教えたらあかんよ」

京太郎「できませんけどね」

洋榎「まぁ、一回行ったくらいで、この道覚えられるとは思わへんけど」


そう言った洋榎さんに、俺はひたすらついていく

あべの筋から横に逸れ、右へ左へ、昇り降り

古びたアパートとマンションの間、猫も通らないような細い道

民家と民家の間にあった石畳を歩き、意味不明で錆付いた看板を何回も見た

そして…


洋榎「ここや」

京太郎「おお…」

言い方は悪いかもしれないが、随分寂れた映画館だ

だが、その古臭さがアクセントになって、逆にある種の荘厳さがそこにあった

うーん、なんというか

京太郎「ラストアクションヒーローに出てきそうな映画館ですね」

洋榎「言われてみれば…。さっ、入ろか」


入口を通ると、外観とは打って変わって清潔感に溢れた綺麗な造りだ

通りにはルージュの絨毯が敷かれており、歴史的な建造物を彷彿とさせる

天井には大きさは控えめながらも、煌びやかなシャンデリア

頭を横に向ければ、和・洋・中様々な調度品が所狭しと並べられている

一見するとちぐはぐな印象だが、全体として見れば調和がそこを支配している

それら全てが、異様な雰囲気を漂わせ、まるで白昼夢を見ているかのような気分になる


カウンターには、一人の若い男性がいた

その若さは、年季の入ったこの場からは明らかに浮いており、ミスマッチにさえ思える

しかし、それでもやはり、不思議とここに馴染んでいた


洋榎「お久しぶりです。元気にしてはりました?」

館長「ええ、おかげさまで」

洋榎「チケット2枚お願いします」

いや、それは

館長「かしこまりました。はい、こちらをどうぞ」

洋榎「ありがとうございます」

洋榎「今日は、どんなのやってます?面白いですか?」

館長「見てからのお楽しみです」

館長「それに…面白いか、面白くないかはあなた次第です」

館長「しかし、絶対に後悔はしないと思いますよ」

洋榎「はは、楽しみしときます」

京太郎「……」


京太郎「あの人…」

洋榎「ん、どないしたん?」

京太郎「…いえ、なんでもありません」


京太郎「しかし、見てからのお楽しみって…随分変わってますね」

洋榎「せやろ。でもあの人のチョイスなかなかのもんやで」

洋榎「見たことある映画は、なぜか上映されへんし。やるのは面白いのばっかやし」

洋榎「まぁ、ごくたまーにしょうもないのもやるけど、ご愛嬌やな」

京太郎「へぇ、それは楽しみですね」

京太郎「それにしても、さっきの人はどういう人なんでしょうか?」

洋榎「さぁ…よう知らんけど。映画の情熱だけなら誰にも負けへんと思うわ」

京太郎「へぇ…」


洋榎「じゃあ、適当に座ってええで」

京太郎「え、いいんですか?座席指定なんじゃ…」

洋榎「ええのええの、館長さんに前聞いたら、『かまわないですよ』言うてたし」

洋榎「それに、他に客が来ることほとんどあれへん」

京太郎「では、お言葉に甘えて」


スタスタ…

ボスン


洋榎「…なんで、うちの隣に座るんや」

京太郎「だって、ここがベストポジションなんですもん」

洋榎「いやいやいや、もっと席空いてるやん」

洋榎「なんで、わざわざ隣り合って座らなあかんねん」

京太郎「そう思うなら、洋榎さんこそ別の所行けばいいじゃないですか」

京太郎「俺にだけ譲歩を求めるのは、公平じゃないですよ」

洋榎「ぐぬぬ…」

洋榎「はぁ…まあええか。勝手なこと言うてすまんかったな」

京太郎「…洋榎さんのそういうところ結構好きですよ」

洋榎「あほか」


京太郎「あっ、始まるみたいですね」


_________

______

__



映画を見終わった俺達は、上町線に乗り帰路についていた

しかし俺達は、映画館出てから一言も言葉を交わしていなかった

電車から降り、しばらくすると洋榎さんの方から話しかけてきた


洋榎「どやった?」

京太郎「そうですね…うまく言えないんですけど、とにかくよかったです」

京太郎「あんなに感動したのは、本当に久しぶりかもしれません」

京太郎「洋榎さんですら、今の今まで黙らせいたんですから相当なもんですよ」

洋榎「おい」

京太郎「俺だって、見終わった後しばらく誰とも話したくありませんでしたし」

洋榎「せやろ。それにしても、今回のは大当たりやったなぁ」

京太郎「ですね」

洋榎「また一緒に来ーな」ニコッ

素敵な人だな

京太郎「ぜひお供します。正直まだ道がよく分からないんで」


洋榎「なぁ、須賀。今日の大阪観光どやった?」

京太郎「買いたいものは買えましたし、見たいものも見れました」

京太郎「ハプニングはありましたけど、とてもおいしい食事も食べられました」

京太郎「もちろん映画の方はは言うまでもないですね」

京太郎「最高に楽しかったです」

洋榎「そ、そうか…?自分の好きなもん褒められるちゅうのは、なんちゅーか……こそばいな//」

京太郎「洋榎さんが自慢したくなるのも、よく分かります」

京太郎「大阪って良い街ですね」

洋榎「せやろ!」


――12月上旬 大阪
 



さて、12月

いよいよ1年の終わりが近づいてきて、あちこち忙しくなる頃だ


雅枝「おーい、洋榎ー。ちょいと話があんねんけど」

洋榎「んー、なに?」

雅枝「今度、期末テストあるやろ。調子どない?」

洋榎「そんなん余裕過ぎて、あくびが出るくらいや。なーんてな!」

雅枝「ほう…実はな、さっき学校の先生から電話があってな」

洋榎「へ、へぇ…ななななんの用やろなあ」ビクビク

雅枝「いっつも冗談ばっかし言うてる先生やけど、めっちゃ深刻な感じでな」


雅枝「『娘さん、期末テストの成績次第では最悪留年です…』、って」


雅枝「どういうこっちゃ」

洋榎「あわわわわ…ちゃ、ちゃうねん…」

雅枝「地面すれすれの超低空飛行だったのは知っとったけど……なにがアカンのや?」


洋榎「物理…」

雅枝「他は?」

洋榎「英語とか化学とか生物とか現国とか……でも、たぶん、なんとか大丈夫…です」

雅枝「はぁ…ほとんど全部やないか……まだ2週間あるらしいから大丈夫やとは思うけど」

雅枝「ちゃんと勉強しとかなあかんよ?」

洋榎「はい…」



京太郎「洋榎さんって、そういうのは卒なくこなすタイプかと思ってましたけど」

洋榎「勉強なんかしとないのに…」

京太郎「麻雀ばっかりやってるからこうなるんですよ」

洋榎「どないしよう…」

京太郎「勉強すればいいんじゃないですかね?」

洋榎「……ほな、自分の部屋行くわ」

ガチャ

そう言うと、洋榎さんは部屋に引っ込んでしまった

大丈夫かなぁ


―30分後



ガチャ

洋榎「アカン」

京太郎「どうしたんですか教科書持って。休憩ですか?」

洋榎「物理の教科書開いたと思ってたら、いつの間にか漫画読んでた…」

京太郎「救いようが無いですね」

洋榎「だからリビングでやることにするわ」

京太郎「そうですね、人目があった方が洋榎さんにはいいかもしれません」

洋榎「よっしゃ、やったるで!」


京太郎「……」ペラペラ

洋榎「うーん…」

京太郎「……」ペラペラ

洋榎「あっ、こうか!……いや、ちゃうな」

京太郎「……」

洋榎「うがー、答え合わんやんか!」

京太郎「…そこの右辺の第2項の符号を逆にしてみてください」

洋榎「えっ、こ、こう?」

京太郎「あとは、そのまま計算すれば値が出るはずです」

洋榎「そうなん?」


洋榎「……」

洋榎「おっ、できた!」

京太郎「計算速いですね」

洋榎「これでも雀士やで。数学はけっこう得意なんや」

洋榎「それにしても、よう分かったなぁ」

京太郎「物理はそこそこやってるんで」

洋榎「確か1年生やろ?そういや、いっつも本読んでる言うてたな」

京太郎「まあ、数学やら物理やらの勉強してるんです」

洋榎「変わったやっちゃなぁ」

京太郎「勉強するのも案外楽しいものですよ」

洋榎「へぇー……そうや!ならうちに教えてくれへん?」

京太郎「えっ?……まぁ、いいですけど。あまり期待はしないでくださいね」

洋榎「やた!」



京太郎「そうと決まれば、明日にでも洋榎さんの高校に行っときたいんですけど」

洋榎「なんで?」

京太郎「範囲とか、先生の特徴とか、洋榎さんの現在の学力がどんなものかとか知りたいんで」

洋榎「りょーかいりょーかい。なら今日はここでしまいということで…」コソコソ

京太郎「だめですよ。あと3時間はみっちりやりましょうね」ニコリ

洋榎「ぅ…はい」

京太郎「先行き不安過ぎますね…」


――12月上旬 大阪 姫松高校



―数学


先生「じゃあここで問題な。この関数のグラフを描いてくれ。時間はまあ7、8分くらいやな」

「「はーい」」

洋榎「……」カキカキ

洋榎「……」カキカキ

洋榎「はい、できました!」

京太郎「早すぎません!?これ結構複雑な関数ですよ」

先生「おお、愛宕か。どれどれ……おう、ええな完璧や」

洋榎「へへー」

ほんとうに数学は得意みたいだな



―物理


先生「だからこういう問題の場合は、力学的エネルギーの保存則を利用して――」

洋榎「……」ウトウト

先生「空気と水の屈折率の違いから、光はこのように曲がり――」

洋榎「…っ!」ビクッ

先生「一様電界中の運動は放物運動。一様磁界中の運動は円運動で考えて――」

洋榎「……」ウトウト

京太郎「いや、起きましょうよ」

洋榎「っ…??」ビクッ

京太郎「重症だなこれは」


_________

_____

__



洋榎「ほな、帰ろか」

京太郎「そうですね」

洋榎「今日のうちの勉強っぷり、どやった?」

京太郎「勉強っぷりって何ですか…洋榎さんが想像以上にダメってことは分かりました」

洋榎「うっ…」


??「洋榎ー、一緒に帰るのよー」

??「はぁ、なんで私まで…」


洋榎「ゆーこと恭子か、ええで」

京太郎「えーと、すいません。どなたですか?」

洋榎「あーそうやな…変わった髪型してるのが、真瀬由子」ヒソヒソ

洋榎「ちょっとお堅そうなのが、末原恭子や」ヒソヒソ

京太郎「ああ、末原さんは覚えてますよ。うちの咲が大変お世話になったみたいで…」

洋榎「ああ、あの清澄の大将か…」

由子「洋榎?」

洋榎「い、いや。なんでもあれへん、行こか」


由子「久々にどっか寄っていかへん?」

恭子「えー、はよ帰って勉強したいんやけど」

洋榎「ええやん!行こ行こ!」

京太郎「洋榎さんは、末原さんの爪の垢を煎じて飲んだほうがいいですね」

由子「じゃあ、駅前の喫茶店に行くのよー」

洋榎「おー!!」

京太郎・恭子「はぁ…まったく」

京太郎「……はっ」


ああ、この人苦労人ぽいなあ

ご苦労様です


―喫茶店


俺達は、4人掛けのテープル席に陣取った

俺は洋榎さんの横に座り、前に真瀬さん末原さんがいる格好だ


由子「注文決まった?」

洋榎「うん」

恭子「…」コクリ

京太郎「決まりました」

由子「じゃあ……すみませーん!」


店員「はい、お待たせしました」

由子「ええと、ブレンドとこのチーズケーキください」

恭子「私はミルクティで」

洋榎「なら、うちはドリップのアイスコーヒーとこのケーキもらおうかな」

店員「はい、かしこましりました。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」


京太郎「すみません、洋榎さん。ミックスジュースと…あとこの右下の頼んでもらえますか?」

京太郎「小腹が空いてしまって」

洋榎「しゃーないなぁ…」ヒソヒソ

洋榎「あっ、すみません。追加でミックスジュースとこのサンドイッチお願いします」

恭子「え゛」

由子「そ、育ち盛りなのよー…」

店員「か、かしこまりました。少々お待ちください」

洋榎「……」

京太郎「えーと……目指せ大食いキャラ!!」

洋榎「正直この流れ予想してたし、別にええよ…はは」

京太郎「目が死んでる!?」


少しすると、店員さんが注文した品を運んできてくれた

俺がガールズトークに加わるのはいかがなものか、とも考えた

でも、洋榎さんも特に何も言ってこなかったし別にいいのだろう


由子「ちゃんとテスト勉強の方してる?」

恭子「まぁ、ぼちぼち」

洋榎「とか言うて、いつも5位以内には入ってるやんか。このこの~」

由子「洋榎だって、いつも下から5位以内に入ってるやん」

洋榎「それは、いらわんといてくれるかな?」ニコリ


洋榎「ゆーこはええよなぁ。もう推薦決まってるし」

由子「まぁねー」

洋榎「恭子は受験勉強の方、どない?」


恭子「まあまあですかね。こないだの模試では一応A判定でしたけど」

洋榎「A判定?」

由子「合格する確率がかなり高いってことなのよー」

洋榎「すごいやん!さっすが、姫松高校麻雀部の元ブレーンやな」

恭子「本番はまだですからね、安心はできませんよ」

洋榎「クールやなぁ」

恭子「洋榎の方こそ、1月に大会あるんでしょう?」

洋榎「まぁ、そやけど…」

恭子「けど?」

洋榎「いつも通り打って、勝つ。それだけや」

恭子「ふふ、相変わらずですね」

由子「かっこいいのよー」

京太郎「……」

危ないな、その思考


由子「そういえば最近気になってたんやけど、洋榎付き合い悪うなった?」

洋榎「ないない」

恭子「確かに以前よりかはそんな気ぃするわ」

洋榎「そうかぁ?」

由子「もしかして男でもできたんじゃ…」

洋榎「お、おとこぉ!?ないない」

恭子「洋榎に限ってそれはないか」

由子「その通りなのよー」

洋榎「なんやとー」

洋榎「…あ、でも透明人間なら一人おるか」ボソ

由子・恭子「?」

洋榎「いや、なんでもあれへん」

洋榎「あんま遅くなってもあれやし、ぼちぼち行こか」

恭子「そうですね」


洋榎「んじゃ、また明日なー」

由子「またなのよー」

恭子「ほな、また」

京太郎「……」

洋榎「……」

京太郎「すみません、せっかく友達との時間なのに邪魔してしまって」

洋榎「なんや急に。別にかめへんよ」




京太郎「洋榎さん、今日はありがとうございました」

洋榎「なにが?」

京太郎「久々に学校に行けて、とても懐かしい気分になれましたから」

洋榎「え、今まで全国の高校回ってた言うてたやん?」

京太郎「確かにそうです…けど今日みたいに普通に登校したり、授業を受けたり」

京太郎「会話こそできませんでしたけど、洋榎さん達と駄弁ったりできました」

京太郎「そういうのがなんだか懐かしくて」

洋榎「……ふーん」

京太郎「さっ、帰って勉強の続きをしましょうか」

洋榎「そうやな」


――12月上旬 大阪




いよいよ試験が迫ってきた。残り1週間、有意義に使わないと

洋榎さんの進捗状況はというと、正直言ってそう悪くはないと思う

俺や雅枝さんが結構うるさく勉強するように言ってたのが効いたのかもしれない


文系科目や生物、化学などの暗記が主な分野はなかなか仕上がってきたと思う

それでも高得点を狙えるというより、なんとか平均点は取れるかな?という感じだが


数学の方は全く問題ないように思う

ていうか時々レインマンかと見紛うほどの計算能力を発揮するからすごい

単純な計算能力や水平思考は素晴らしいものを持っている


さて、問題の物理だが正直よく分からない

数学的な部分は気にならないんだけど


洋榎「さっぱりわやや…」

京太郎「うーん……基本が出来ていないと言えば、そうなんだけど」

洋榎「はぁ…物理なんてよう分かれへんし、全然おもんないわぁ…」

おもんない、ねぇ…


京太郎「洋榎さん、麻雀は好きですか?」

洋榎「?、まぁ好きやけど」

京太郎「野球を見るのは好きですか?」

洋榎「阪神応援するのは好きやで」

京太郎「数学は?」

洋榎「うーん、まぁ学校の授業の中では好きな方やな。得意やし」

なるほど

京太郎「……分かりました。なら物理も好きになりましょう」

洋榎「はぁ!?」

京太郎「無駄に問題解法のテクニックを学ぶより、洋榎さんにはこの方が合ってるかもしれません」

洋榎「そりゃあ、好きになるに越したことはないんやろうけど…今更無理やろ」

京太郎「そんなことないですよ。向き不向きはあるんでしょうけど、基本的に学問てのはおもしろいものです」

京太郎「だからこそ、研究者が寝食を忘れてまで没頭することができるんですよ」

洋榎「はぁ」

京太郎「好きこそものの上手なれ。とりあえずやってみましょう」


京太郎「そうですね…まずエネルギーについて話してみましょうか」

洋榎「エネルギー?あの運動エネルギーとか位置エネルギーとかいうやつか?」

京太郎「そうです。でもエネルギーってのはその2種類だけじゃないのは知ってますよね?」

洋榎「太陽光やら風力やらあるなぁ」

京太郎「食べ物にもありますよね?ほら、このカントリーマ○ムの裏見てください」

洋榎「1枚(10.5g)当たり50kcal(キロカロリー)、って書いてあるな」

京太郎「それも、実はエネルギーの一種なんですよ。化学エネルギーなんていいますけど」

洋榎「へぇー。色々あんねんなぁ」


京太郎「では計算お願いします。これ、1g当たり何キロカロリーありますか?」

洋榎「約4.8や」

京太郎「ではここで質問です。映画などでお馴染みの火薬、TNT火薬は1g当たり何キロカロリーあるでしょう?」


洋榎「TNTってあれやろ、ビルとか爆破するやつ」

京太郎「その通りです」

洋榎「うーん……1000キロカロリーくらい?」

京太郎「さすが洋榎さん、おしい」

洋榎「はっはっは、うちをなめたらアカンよ」

京太郎「正解は、約1キロカロリーです」

洋榎「おっ、ぴったしやん!……って、1ぃ!?嘘つけ、カントリーマアムの5分の1やんか!」

京太郎「本当です」

洋榎「で、でもだって、カントリーマアムじゃビル吹き飛ばせないやん…?」

京太郎「それはそうですね。なぜそうなるのか分かりますか?」

洋榎「うーん…分かれへん」

京太郎「単純ですよ、エネルギーを放出するスピードが全く違うからです」

京太郎「これを、仕事率っていいます。授業で習ったでしょう?」

洋榎「まぁ…」


京太郎「TNT火薬は実に100万分の1秒という短い時間で、そのエネルギーを放出します」

京太郎「対して、カントリーマアムは口に入れて、胃に入り、様々な過程を経て」

京太郎「すこーしずつ長い時間をかけて、そのエネルギーを放出するんです」

京太郎「だからこそ、カントリーマアムを食べても人は爆発しないんですね」

京太郎「仕事率の大きさが違うだけで、こんなにも物理的な現象が変わるものなんですよ」

洋榎「なるほどなぁ。それ後でちょうだい」

京太郎「いいですよ」

京太郎「ちなみに洋榎さん、人間の脂肪って1キロで何キロカロリーあるか知ってます?」

洋榎「さぁ?」

京太郎「約7000キロカロリーです」

洋榎「……ほげ」

京太郎「これは、TNT火薬に換算すると7000グラム――つまり7キログラムに相当します」

京太郎「こう考えると、なぜダイエットが大変なのか、なんとなく分かりますよね?」

洋榎「やっぱ、それいらんわ…」

京太郎「そうした方がいいかもしれません」



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京太郎「作用・反作用の法則って軽視されがちですけど、本当はとても重要な法則なんですよ」

洋榎「それって、あれやろ。銃をバーン撃ったら反動で後ろにのけ反ったりする」

京太郎「そうです」

京太郎「じゃあ、その銃を持って下向きに発射したらどうなりますか?」

洋榎「うーん、少し身体が浮く…かも?」

京太郎「その通りですね。だったら下向きに連続して発射したら、宇宙まで行けそうな気がしません?」

洋榎「いや、流石に無理やろ!」

京太郎「そんなことありませんよ。だってこれがロケットの原理なんですから」

洋榎「はぁ!?」

京太郎「ロケットは銃弾の変わりに、燃料を下向きに発射して、その反作用で宇宙に飛び出すんです」

洋榎「そ、そう言えば、そうやな…」

京太郎「もちろん、ロケットに使われている数学や工学などはかなり高度なものだと思いますよ」

京太郎「けど、使っている物理は意外と単純だったりするんですよね」

洋榎「なるほどなぁ」


京太郎「単純と言えば、火力発電とか原子力発電の仕組みって知ってます?」

京太郎「あれも、結構単純で実は巨大な湯沸かし器だったり――」


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京太郎「洋榎さん、熱膨張って知ってるか?」

洋榎「温度が上がると、体積が増えるやつやろ」

京太郎「では、温度が何か分かりますか?」

洋榎「えーと……確か分子のスピードやったけ?」

京太郎「おしいです。正確には、物質を構成する粒子の平均的な運動エネルギーです」

洋榎「はい?」

京太郎「だから、洋榎さん言ったようなのもある程度は正しいです」

洋榎「はぁ」

京太郎「実は、このことがイメージできるようになると、熱力学の大部分が分かりやすくなるんですよ」

京太郎「例えば、さっき言った熱膨張もです」

京太郎「固体の温度が上がると、分子に関して『運動エネルギーが増す→速度が増す』ということが起きます」

京太郎「こうなると、隣り合う原子が互いに喧嘩をして、距離が遠ざかるんですよ」

京太郎「そして、原子同士の距離が遠ざかるから、体積が増えるんですね。これが熱膨張です」

洋榎「なーる」



京太郎「もちろん、この効果はかなり小さいものですから、人間はほとんど気付きません」

京太郎「だから、拳銃に熱湯をかけたり浸したりしても、少なくとも金属部分は何ともないでしょう」

京太郎「でも、例えば全長1000メートルの、一枚の鉄板でできた橋だったどうでしょうか?」

京太郎「鉄の熱膨張は、1度当たり100万分の12くらいです」

京太郎「夏と冬の温度差が40度あったら、この橋の長さはどのくらい変わりますか?」

洋榎「えーと…約0.5メートルだから……約50センチ伸び縮みするなぁ」

京太郎「50センチというと大したことないと思うかもしれませんが、設計者からしたら大変なことです」

京太郎「なにせ、冬に作った橋が夏になると膨張して、大惨事を引き起こす可能性もあるんですから」

京太郎「だから、橋の設計をするときや歩道をセメントで舗装するときなどは、通常溝や遊びを作ったりするんですね」

洋榎「みんなよう考えてるんやなぁ」

京太郎「まったくです」


_________

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洋榎「じゃあじゃあ!この図でなんかおもろい話して!」

京太郎「空気と水の屈折率の違いを表した図ですね」

京太郎「うーん…面白かどうかは別にして、役に立つかもしれない話はできますよ」

洋榎「なになに?」

京太郎「こっからは、作り話なんで他意はないです。あらかじめご了承ください」


京太郎「んん…こほん」

京太郎「むかーし、むかし。大阪は姫松の地に愛宕洋兵衛という者がいました」

洋榎「ん?」

京太郎「洋兵衛はその地で悪逆の限りを尽くしていましたが、あるとき代官の郁乃佐衛門の命により島流しにされてしまいました」

洋榎「おい」

京太郎「島は無人でしたが、幸い木の実や植物はありました」

京太郎「しかし、『たまにはたんぱく質も欲しいなぁ』と思った洋榎さんは魚を捕ろうと決心しました」

洋榎「もう隠す気ないやろ」

京太郎「ついに魚を見つけた洋榎さん。いざ、もりを魚めがけて突き刺しました」

京太郎「しかし、いくら突いても突いても、魚が刺さることはありませんでした」

京太郎「そのうち考えることを止めた洋榎さんは、魚こそ捕れませんでしたが天寿を全うしたそうです」

洋榎「おい」

京太郎「めでたしめでたし」

洋榎「…よう言わんわ」



京太郎「さて、なぜ洋兵衛は魚を捕ることができなかったか分かりますか?」

洋榎「うーん、さぁ?」

京太郎「答えは、光は空気と水との境界で屈折するからです」

洋榎「ああ、この図みたいに。でもなんで?」

京太郎「目の錯覚ですよ」

京太郎「人間ていうのは光は常に真っ直ぐ進むものだと考えています」

京太郎「しかし、実際にはこの図みたいに光は屈折してるんです」

京太郎「このギャップが人間に目の錯覚を起こさせるんですね」

洋榎「なるほどなるほど」

京太郎「だから、もし海で魚などをもりで突き刺そうと思ったら、実際に魚が見えているところより下側を狙わないといけないんです」

京太郎「これで、もし島流しにあっても安心ですね」

洋榎「そんな事ならんから!」


京太郎「光学は、レンズや光ファイバー、地球の周りを回ってる偵察衛星などに応用されています」

京太郎「しかし、俺達一般人にとって光学の最も素晴らしいところは、虹の見方を教えてくれるところです」



洋榎「虹の…見方?」

京太郎「そうです。洋榎さん、プリズムは知ってますよね?」

洋榎「実験で使ったことあるわ。あの光を分解するやつやろ?」

京太郎「せめて分離と言いましょうよ…まあでも、その通りです」

京太郎「簡単に言うと、空気中の小さな水玉がプリズムの役割をして、太陽光を色ごとに分離してくれるんですよ」

洋榎「ああ、だから虹っていろんな色に見えるんやなぁ」

京太郎「そして、空気中に水玉があるためには雨が降らないといけません」

京太郎「だから、虹ってのは基本的に雨が降った日にしか見ることができないんですね」

洋榎「うんうん」

京太郎「でも、俺達が見る虹の光はあくまで水玉の反射した光なんです」

洋榎「反射?」

京太郎「太陽光が水玉に入ってきて、その中で反射した光がうまく七色に分離して虹になるんです」

京太郎「だから、虹は太陽を背にしないと見ることができないんですよ」

洋榎「ははぁ」


京太郎「虹の見方を簡単にまとめるとこうです」

京太郎「雨の降った日、太陽が出て、なおかつ太陽を背にして斜め上を見る」

京太郎「簡単でしょう?」

洋榎「けっこう厳しい条件なんやな…」

京太郎「自然の条件ではそうなりますね。シャワーとかで人工的に作るのは簡単ですけど」


京太郎「あと、虹には副虹ってもあって――」


洋榎「……」ジー


京太郎「主虹と副虹の間は相対的に暗く見えるんですが――」


洋榎「……」ポー


京太郎「そうだ。虹の見える角度の計算もやっておきましょう。洋榎さんなら簡単にできますよ」

洋榎「……」ポー

京太郎「洋榎さん?」

洋榎「あ…ああ」

京太郎「まず、雨粒の円を描いて太陽光の入射角をα、屈折した光の――」

洋榎「こ、こう?」

京太郎「あ、そこ違います。いいですか、そこはですね」

ピトッ



洋榎「……」

洋榎「……」

洋榎「わっひゃあ!!」ガタッ

京太郎「あ、すみません!つい……嫌でしたよね?」

洋榎「い、いや…そないなことっ!」

京太郎「そう、ですか?」

洋榎「せやから、なんでもあれへん、なんでも。あははははは!…はぁ」

京太郎「?」


洋榎「しかし、須賀はすごいなぁ。高1のくせに色んなこと知ってて」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「え?俺が、すごい…?」

洋榎「せやせや、教師にでもなった方がええんちゃう?」

京太郎「……」

洋榎「どないしたん?」

京太郎「いえ…さ、続きをやりましょう」


―12月上旬 大阪




洋榎さんのテストも終わり、いよいよ答案用紙を返却されるのが今日だ

洋榎さん曰く、出来はそんなに悪くはなかったらしいから大丈夫だとは思うが…心配だ

そして夕方、洋榎さんが帰ってくる時間


ガチャ

洋榎「ただいまー」

京太郎「あ、おかえりなさい」

さて、俺から結果を聞いてもいいものだろうか?

いや、洋榎さんなら性格的に自分から言うだろう

京太郎「……」

洋榎「……」

京太郎「……」

洋榎「いや、なんか聞くことあるやろ!?」

京太郎「テストの結果を聞くことで、洋榎さんの自尊心を著しく傷つけてしまうのではと憂慮してしまいまして…」

洋榎「まーた、うちのこと馬鹿にして。これ見てみ!」

京太郎「えーと…数学98点、流石ですね」



洋榎「せやろー」

京太郎「現文49点、現社52点、化学37……うわぁ」

洋榎「そゆこと言わんといてくれる!?地味に傷つくわ…」

京太郎「あ、すみません。つい本音が」

洋榎「こら」

京太郎「英語が65、頑張りましたね」

洋榎「もっと褒めてもええんやでー」

京太郎「いえ、天狗になるほどじゃないです」

洋榎「おかたいなぁ」

京太郎「性分です。さて、お待ちかねの物理はと……」

洋榎「……」ゴクリ


京太郎「48点」


洋榎「いやっほー!!どやどや、すごいやろー!!びっくりしたやろー!!」

まあ、漫画やアニメのように都合よくいくわけないか

それに、ほぼ予想通りの結果だったし


京太郎「とにかくおめでとうございます」

京太郎「なんとか、首の皮一枚で繋がったようでなによりです」

洋榎「首の皮一枚って……その通りやけど」

洋榎「まぁ、でも…そのー、あんな…」モジモジ

京太郎「?」

洋榎「あ、ありがとう…須賀のおかげや///」

京太郎「…どういたしまして、俺なんかが役に立ったみたいでよかったです」

洋榎「なんかやない、めっちゃ頼もしかったで!」

京太郎「そう…ですか?」

洋榎「せや。最初はあかんたれなやっちゃなぁ思うてたけど、決めるときは決めるんやな!」

洋榎「見直したで、ほんま」

京太郎「……」

京太郎「ありがとうございます」

洋榎「どしたん?」

京太郎「いえ…」


ガチャ

雅枝・絹恵「ただいまー」

洋榎「あっ、おかんと絹や!」

タッタッタッ

洋榎「おかえりー!二人とも見てみぃ、これ!」

雅枝「お、テスト帰ってきたんか。どれどれ…」

雅枝「すごいやん!前よりずっと上がってるやないか!どないしたん?」

絹恵「お姉ちゃん、流石や!」

洋榎「今回はちょいとばかし頑張ったから、当然やなぁ」ドヤ

雅枝「流石私の娘や!よーし、今日はうんとうまいもん作るからな!」ギュ

なんという優しい世界。俺も雅恵さんに抱き締められてたいぜ

洋榎「やったー!」

よかったですね、洋榎さん


――12月下旬 大阪




ついに年の瀬、12月の下旬

さて、この時期最大のイベントは何だろうか?

ええと、大阪だから通天閣で行われる、干支の引継ぎ式?

いやいや、ちゃうちゃう、ちゃうねんで。正解は……


京太郎「クリスマスが今年もやぁ~てくる♪」

京太郎「楽しかったっ♪出来事をっ♪消し去るように……」

京太郎「さあ…パジャマを…脱いだら…出掛けよう」

京太郎「少しずつ…白くなる…街路樹を……駆け抜ぅぅぅけえええてえええええぇぇぇぇ!!!!!」


洋榎「うっさい!」スパン

京太郎「ちぎしょう…憎い、カップルが……俺も、早く人間になりたい」

洋榎「なんやねん…」

京太郎「貝にでもなりたい気分ですよ」

洋榎「あっそ」


京太郎「ちなみに、洋榎さんクリスマスのご予定は?」

洋榎「イヴに恭子とゆーこの二人で遊んで、そのままゆーこん家でお泊り」

洋榎「んで、25日には家でみんなとケーキ食べるんや!羨ましいやろー!」

京太郎「……ふっ」

洋榎「あっ、今鼻で笑ったやろ!?」

京太郎「気のせいです。洋榎さんはそのまま純粋でいてくださいね」ニコリ

洋榎「…なーんかバカにされた気ぃするけど、まぁ、ええわ」

京太郎「絹恵さんは?」

洋榎「漫とかと遊びに行く言うてたで。ちなみにうちと同じで泊まりやって」

京太郎「貴重なおもちは守られたか…雅枝さんは?」

洋榎「おかんはイヴの日は、泊まりで仕事みたいなこと言うてたな」

洋榎「せやからイヴにはおれへん。クリスマスの夜には帰ってくるらしいで」



京太郎「やはり、俺は今年も一人なのか……仕方がないな、洋榎さん!」

洋榎「今度はなんや…?」

京太郎「クリスマスの二日間、俺は大阪の町へ繰り出します!」

京太郎「そして、イルミネーションを見て喜ぶカップル、所構わずいちゃつくカップル」

京太郎「海遊館でデートしてるカップル、喫茶店でくつろいでいるカップル」

京太郎「レズ、ゲイ、ストレートなんて関係ありません!」

京太郎「カップル、カップル、カップル!!大阪を闊歩する全てのカップルの仲をズタズタに引き裂きさきます!」

京太郎「くくく…ついに、この体質が役に立つときが来たようだな!」

洋榎「自分、最低やな…」

京太郎「そしてキ○ストかぶれの異教徒どもを根絶やしにし、ゆくゆくは日本人全てを空飛ぶスパゲッッティモンスター教に改宗させ」

京太郎「教祖となった俺はこの日本を裏から操り、やがてクリスマスなどという野蛮な行事は――って」

京太郎「あれ、洋榎さん?………いないっ!?」


洋榎「なんや、さっきからやかましい」

京太郎「あ、いたいた。最後まで聞いてくださいよ、俺の一大叙事詩」

京太郎「まだほんの序盤なんです。この後アジア支配編、世界制服編、地球外生命体との交流編」

洋榎「制服っ!?」

京太郎「異世界からの侵入者編、と続いて最終章に俺と神との対話が始まるんです」

京太郎「そこで二人はクリスマスの是非について熱い議論を交わし――」

洋榎「んんっ…」ケホッ

京太郎「どうかしました?」

洋榎「んっ…なんか、喉の調子がさっきから悪いんや」

洋榎「話の途中で悪いんやけど、今日は先に寝かしてもらうわ」

京太郎「えっ、大丈夫なんですか?」

洋榎「まだ、なんともないからよう分からん」

京太郎「そうですか。なら温くして早く寝たほうがいいです」

京太郎「俺の部屋に加湿器あったんで、すぐに持って行きますよ。部屋で待っていてください」

洋榎「そうか?助かる」


――12月下旬 クリスマス・イヴ 大阪





雅枝「ああ、こらアカンなぁ」

洋榎「ぅ…」

雅枝「37度5分。微熱やけど今日は家で寝てなあかんよ」

洋榎「でも…約束が…」

雅枝「洋榎」

洋榎「ぅ…はい」

絹恵「お姉ちゃん、大丈夫?今日はずっとそばにおるから大丈夫やで」

洋榎「いやいや…絹は遊びにいくんやろ?」

洋榎「このくらいやったら、まだ全然大丈夫やって。病院にだって一人で行けるしへーきへーき!」

絹恵「いや、でも…」

洋榎「絹、お姉ちゃんが嘘ついたことなんてないやろ?」

絹恵「いや、結構ついてるとは思うけど…」

洋榎「なんやとー」


雅枝「ほらほら、二人とも。言い合ってたってしゃあないやろ?」

雅枝「とりあえず、今のとこ熱はそんなにないようやし、洋榎は家で寝てること」

洋榎「はい…」

雅枝「絹恵は友達と遊んできてかめへん。珍しく洋榎も気を使うてるみたいやし、な?」

絹恵「うん…」

雅枝「ただし、調子が悪うなったらすぐに私に連絡すること。ええか?」

洋榎「うん」


雅枝「じゃあ、私は仕事に行くから。ちゃんと寝てなあかんで?」

絹恵「お姉ちゃんがそこまで言うなら、私もそろそろ…」

洋榎「りょーかいりょーかい、いってらっしゃい」

バタン


京太郎「洋榎さん、実は結構無理してるでしょう?」

洋榎「は、はぁ…!?なに言うて…!」

京太郎「まあいいですけど、二人に心配かけないようにはしてくださいね」

洋榎「う、うん…」シュン



京太郎「ああ、後。恐らく、夕方頃には38度を超えてくるので、先に病院に行って薬を貰っておいた方がいいです」

京太郎「どうしますか?」

洋榎「……??」

洋榎「いやいやいやいや、なんぼ何だって先のことは分かれへんやろ」

洋榎「このくらいやったら、家に置いてある薬適当に飲んどけば平気や」

洋榎「心配してくれるのは有難いけど、嘘ついてまで病院行かせようとするのはどうかと思うな」


京太郎「……」

京太郎「まぁ…いいですけどね」

洋榎「?」

京太郎「家事は俺がやっておくんで、洋榎さんは部屋でゆっくりしていてください」

京太郎「12時頃にお昼ごはん持って行きますよ」

京太郎「後何か必要なものがあれば、遠慮なく言ってくださいね」

洋榎「至れり尽くせりやなぁ。じゃあT○TAYAで適当におもろい映画借りてきてくれへん?」

京太郎「お安い御用です。じゃあ、シンドラーのリストでいいですね?」

洋榎「くっ…!確かにええ映画やねんけど…けどっ…!」

京太郎「ふふ、冗談です。じゃあ、買い物ついでに元気の出そうな明るめの映画借りてきます」


_________

______

__




洋榎「あれ?キャプテンいらなくね?」

京太郎「はいはい!キャプテンの一番かっこよかったシーン」


京太郎・洋榎「スマッシュ!」キリッ


洋榎「けど、結構おもろかったな。有名すぎて避けてたのは損やったわ」

京太郎「これぞ、『THE アクション映画』って感じでしたね」

京太郎「でも、困ったら核兵器って展開は100回くらい見たんで、もうちょっと捻りを加えてほしかった気もします」

洋榎「あはは、もう一種の様式美やなあれは」


京太郎「あと、久しぶりにアクション物見たんで一言いいですか?」

洋榎「あ、うちもうちも」


京太郎・洋榎「ニューヨーク市民のタフさは異常」


京太郎「超凶悪な犯罪、テロ、殺人は日常茶飯事」

洋榎「怪物、怪人、異世界人、宇宙人の侵略はもはやお手の物」

京太郎「自然災害のメッカでもありますね。隕石も落ちてましたし」

洋榎「ああ、そんなんあったなぁ」

京太郎「それでも彼ら、あそこに住み続けますからねぇ」

洋榎「さぞ魅力的なところなんやろうなぁ」スットボケ


京太郎「じゃあここで、『ニューヨーク在住 主婦の会話』やりまーす!」

洋榎「イッエェェーイ!!ドンドンパフパフー!」




…………………………………………………………………………



京太郎(母1)「ねえねえ、奥さん。回覧板見ましたぁ?」

洋榎(母2)「ええー、見たわー。大変ねー」

京太郎(母1)「殺人犯を含めた犯罪者が50人、テロリスト100人に加えて大量の宇宙人が潜伏中ですってねぇ」

洋榎(母2)「もー、嫌になっちゃうわよ。核シェルターから出たらすぐこれだもの(笑)」

京太郎(母1)「来月は隕石が落ちてくるって言うし、もう家計に大打撃(笑)」

洋榎(母2)「はぁ、もう別のところに引っ越そうかしら?」

京太郎(母1)「例えば?」

洋榎(母2)「ニュージャージーとか(笑)」

京太郎(母1)「ニュージャージー(笑)」



『HAHAHAHAHAHAHA!!』


京太郎(母1)「話は変わるけど、この前主人とヴァージニアへ旅行に行ったのよ」

洋榎(母2)「あら~、いいじゃない」

京太郎(母1)「それがよくなかったのよ~」

洋榎(母2)「どうして?」

京太郎(母1)「最近、何とかの切り裂き魔ってワイドショーで有名でしょ?」

洋榎(母2)「ええ」

京太郎(母1)「それで、夜主人とぶらぶら散歩してたらその殺人現場にバッタリ!」

洋榎(母2)「あら~」

京太郎(母1)「しかも、絶賛死体の解体中だったのよ。あれきっと後で食べる気だったのよ~」

洋榎(母2)「過激ねー」



京太郎(母1)「そしたら主人、私を置いて一目散に逃げちゃってね」

洋榎(母2)「まぁ、ひどいわね」

京太郎(母1)「私も普段の癖でキャー、って言ったまではよかったんだけど主人のことで腹が立っちゃって」

洋榎(母2)「それで?」

京太郎(母1)「犯人に正中線四連突きくらわせて、さっさと帰ってきちゃったわ」

洋榎(母2)「ニューヨーカー舐めんな(笑)。それで通報はしたのかしら?」

京太郎(母1)「そんなことしなわよ~。だってあそこの捜査官無能揃いで有名なんだから」

洋榎(母2)「そうだったわねー」

京太郎(母1)「うちのCSIを見習えっつーの(笑)」

洋榎(母2)「(笑)」


洋榎(母2)「それで旦那さんは結局どうしたの?」

京太郎(母1)「3ヶ月おこずかい無し(笑)」

洋榎(母2)「(笑)」



『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!』


京太郎(子2)「ただいまー!」

洋榎(子1)「ただいまー!!」

京太郎(母1)「あら、お帰りなさい。遅かったわね

洋榎(子1)「学校出たら戦闘機が飛び回ってたから、例の地下のルート使ったんだ」

京太郎(母1)「えらいわね」

洋榎(子1)「そしたら、例のクモ男が敵とドンバチやっててさー。驚いちゃった」

京太郎(母1)「教えたことはちゃんと守れたの?」

洋榎(子1)「クモ男の視界から外れるな、わざと敵の攻撃を受けるようにしろ、でしょ?」

京太郎(母1)「そうすれば、勝手にあっちの方から助けてくれるから生存率がグンと跳ね上がるからね。偉いわ」

洋榎(子1)「えへへ」


洋榎(母2)「あなたも遅かったわね。何かあったの?」

京太郎(子2「[銀行の前通ったら銀行強盗。警察署の前では銃撃戦。まじビビったわー」

洋榎(母2)「あんた!銀行と警察署と高層ビルには近寄っちゃダメって言ったでしょ!!」

京太郎(子2)「あんなん大したことないよ。銃の手入れはなっちゃいないし構えはトーシロそのもの(笑)」

京太郎(子2「[あれならデイヴィッドおじいちゃんでもわけないさ」

洋榎(母2)「おじいちゃんは80年もニューヨークに住んでる生ける伝説」

洋榎(母2)「数々の修羅場を潜り抜けて、いまだに被弾ゼロの化け物なんだから一緒にしちゃだめよ!」

京太郎(子2)「はいはい、どうもすみませんでしたー」

洋榎(母2)「もー、あんたみたいな子は幼いころはいいけど、大人になったら真っ先に脳天ぶち抜かれるんだからね!」

京太郎(子2)「ちぇ」


洋榎(子1)「ねー、ママー。今日のおやつは何?」

京太郎(母1)「あなたの大好きな愛情たっぷりのアップルパイよ」

洋榎(子1)「わーい、やったー!」

洋榎(母2)「毒見は済ませたのかしら?」

京太郎(母1)「ふふ、もう主人にやってもらったわ(笑)」

洋榎(母2)「(笑)」



『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!』



…………………………………………………………………………



京太郎「おっそろしいですねー」

洋榎「おっそろしいわー」







京太郎「っていうか今更なんですけど、部屋で寝てなきゃダメじゃないですか」

洋榎「えー、だってそこまで具合悪うないし、一人でアクション映画見るっちゅうのもなんか寂しいし」

洋榎「それに一人だと、なんか…」

京太郎「…まあいいです。そろそろお昼にしましょう、食欲はありますか?」

洋榎「あんま食べる気せえへんなぁ」

京太郎「じゃあ、ミルク粥にしましょうか?意外とイケますよ」

洋榎「なんやそれ?」

京太郎「牛乳を使ったお粥です。そういえば、魔女の宅急便でおソノさんがそれらしきものを作ってましたよ」

京太郎「でもおソノさんはパン屋さんなんで、もしかしたら米の代わりにパンを使ったのかもしれませんが」

洋榎「ああ、そんなんあったなぁ。ほな、それにするわ」

京太郎「了解です。少し待っていてくださいね」


__________

______

__



京太郎「どうです、悪くないでしょう?」

洋榎「うん。米に牛乳って聞いて最初は『うげっ』、と思うたけど案外イケルな」

京太郎「でしょう?」

洋榎「なんというか、うまく言えへんけど……優しい味がする」


京太郎「…実はこれ、俺の母さんがよく作ってくれたんですよ」

洋榎「……」

京太郎「小さい頃、ひどい風邪を引いた時があって、なかなか普通の食事が喉を通らなかったんです」

京太郎「その時、母さんが俺のために作ってくれたのがこれだったんです」

京太郎「あの時の俺も、今の洋榎さんみたく、とても優しい味だなって思いました」

京太郎「なんて素敵な料理なんだ、って」


京太郎「それ以来、風邪を引くことが少しだけ楽しみになりましたよ。馬鹿みたいですけど」

洋榎「んなことない。うちだって小さい頃学校休んだ日ぃ、おかんに内緒でよく映画とか見てたし」

洋榎「毎日休みやったら映画見放題やないか!、ってな」

京太郎「はは、洋榎さんらしいですね」


京太郎「でも、今日はもう映画なんか見ないでゆっくり寝てなきゃダメですからね?」

洋榎「はいはい」

洋榎「……」

洋榎「なぁ、須賀?」

京太郎「なんです?」

洋榎「懐かしい?」

京太郎「そうですね」

洋榎「…うまいな」

京太郎「…そうですね」


________

_____

__




コンコン

京太郎「失礼します。洋榎さん、起きてますか?」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「洋榎さん?ドア開けますよ?」

ガチャ

京太郎「大丈夫…ではないようですね」

洋榎「…っ!?こ、こらー…なに勝手に入って…」ケホケホ

京太郎「ノックしましたからね、一応。ちょっと失礼しますねー」ピト

洋榎「ちょ、そういうの…ええから…//」

京太郎「やっぱり結構熱ありますね。辛いでしょう?」

洋榎「べ、別に…なんとも」

京太郎「洋榎さん」

洋榎「正直結構辛いです…」

京太郎「こういうのは、早めに診察してもらって薬をもらうに限ります」

京太郎「さっ、大変でしょうけど行きましょう。俺も付いていきますんで」


家を出た俺たちは、早速病院に向かうことにした

幸いなことに、病院は徒歩10分程度のところに位置していたのですぐに到着することができた


京太郎「徒歩圏内に病院があるのは助かりましたね」

洋榎「せやな…、とっとと入ろか。流石に寒いわ…」ブルブル

京太郎「……」

洋榎「須賀?」

京太郎「……すみません、洋榎さん。ここからは一人で行ってもらえませんか?」

洋榎「はぁ…?」

京太郎「ここで待ってますんで。お願いします」

洋榎「まぁ…別にええけど…寒うない?」

京太郎「いえ、平気です。その中よりはずっとマシですから」

洋榎「??、ええけど…ほな」

京太郎「ええ」


京太郎「寒い、な。やっぱり」

洋榎さんが病院の入り口を通ってから、もう45分以上経っている

中の様子をそれとなく伺うと、そこそこ混んでいる様子が見て取れる

時期が時期とはいえ、わざわざイヴの日にこんなところに来ることないだろうに

しばらく、出入りする人を眺めていたが、やはりと言うかなんというか

明からにお年寄り、特に女性の割合が多い

病院の待合室というものは、どうやら日本の津々浦々でおばあちゃん達の集会所を兼ねている様だ

善いか悪いかは別として


京太郎「う~、寒っ!」ブルブル

あまりに暇なもんで、くだらないことをぐるぐると考えてしまった

じっとしていたので、思いの外身体が冷えてしまっていた。露出している部分が氷のように冷たい

だけど、どうしても…あの中にだけは入る気にはなれなかった

もちろん、危険がないのは分かっている…分かってはいるが、どうしても、あの時のことが――


洋榎「――賀…」

京太郎「……」

洋榎「須賀…?」

京太郎「!!」

洋榎「おるなら、返事してやぁ…」

京太郎「す、すみません。ここにいます」

洋榎「よ、よかったぁ…置いてかれたかと、思て…うち」ウルッ

京太郎「だ、大丈夫ですから、ここにいますから」

京太郎「俺は勝手にいなくなったりなんかしませんから」

洋榎「ほんまに…?」

京太郎「ほんまにほんま、です」

洋榎「うん…」


京太郎「さっ、処方箋はもらったでしょう?隣の薬局行って、さっさと家に帰りましょう」

洋榎「せやな…」コホコホ

京太郎「お医者さんはなんて?」

洋榎「喉がかなり腫れてる言うてた、それで熱が出てるって」

洋榎「けど、薬飲んで安静にしてればよくなるって…」ケホケホ

京太郎「そうですか。そんなに酷いものじゃなくて、とりあえず安心しました」


すぐ隣の調剤薬局に行き、処方箋を提出すると今度はかなり早く終ってくれた

最近は、薬の飲み方や薬についての丁寧な説明など、薬局もかなり変わった

俺が子供のころはもっとずさんというか、かなり適当だったのを覚えている


京太郎「時代だなぁ…」

洋榎「ん…?」

京太郎「いえ、単なる独り言です」

京太郎「さっ、帰りましょう」

洋榎「……」

京太郎「……?」

急に座り込む洋榎さん

京太郎「洋榎さん?」

洋榎「しんどい…もう無理…」

京太郎「え、大丈夫ですか?タクシー呼びましょうか?」

京太郎「いやいや、俺呼べないじゃん!」

洋榎「……」

ひとりツッコミって悲しい



洋榎「おんぶ」

京太郎「はい?」

洋榎「おんぶがええ」

京太郎「いや、流石にそれは…」

洋榎「さっき…うちのこと無視した」

京太郎「うっ、それはそうですけど、決して故意ではなくてですね――」

洋榎「ここで、待ってる言うてたもん…」

京太郎「」グサッ

洋榎「嘘つき」

京太郎「」グサグサッ


京太郎「…分かりました」

京太郎「洋榎さんの前でかがむんで、感触があったら身体あずけてくださいね」

洋榎「うん…」

京太郎「ほらどっこいしょ、っと」

洋榎「おっさんくさい…」ギュ

京太郎「ほっといてください」


京太郎「しかし、これ。他の人から見たら、どうなんでしょうね?」

京太郎「洋榎さんが浮いてるって事になると、完全に超常現象ですよ」

京太郎「まあ、それはないんでしょうけどね。どう思います、洋榎さん?」

洋榎「……」

答える気力もない、か


洋榎さんを担ぎながら、しばらく歩いた

その間、特に会話することもなく、黙々と歩き続けた。珍しいことだ

それだけ辛いということなのだろう

だが、突然洋榎さんの方からこの均衡を破ってきた。ぽつりと


洋榎「わがまま言うて、ごめん…」

京太郎「いいんですよ、洋榎さんにはお世話になっていますし」

京太郎「それに、たまにはこういう運動も悪くはないです」

京太郎「清澄での雑用の日々を思い出せますよ。雀卓に比べれば軽い軽い!」

洋榎「……」

洋榎「……」

洋榎「なぁ、なんでうちに…こないよくしてくれるんや?」

京太郎「……うーん、そうですねえ」

京太郎「今のうちに恩を売っておけば、後々プロで活躍するようになる洋榎さんにたかることができるでしょう?」

京太郎「それに、テレビに向かってこう言うのが、目下の俺の目標なんです」

京太郎「『洋榎さんは、わしが育てた』、ってね!」

洋榎「……」

京太郎「……」

洋榎「……」

京太郎「自分の為です」

洋榎「?」


京太郎「実は俺、こういう風になって――つまり消えてからなんですけど」

京太郎「一回だけ、風邪を引いたことがあるんです」

洋榎「……」

京太郎「頭が痛くて、寒気がして、喉が痛くて、さらに咳と鼻水のおまけつき」

京太郎「熱を測ってみると、今の洋榎さんと同じくらいありました」

京太郎「最初は『いつも通りの風邪だ、すぐに良くなる』、って思っていました」

京太郎「辛いだろうけど、大丈夫だと」

京太郎「でも、その時の俺は事の重大さを分かっていなかったんです」

洋榎「……」

京太郎「一人暮らしの人間が病気になると、すごく不安になるってよく言うじゃないですか」

京太郎「すぐ近くに頼れる人がいないから、そうなるんでしょうね」

京太郎「でも、そんな人でも、最悪救急車を呼んだり、あるいは近所の人に助けを求めることができます」

京太郎「だけど、俺の場合は違いました」

京太郎「本当に誰にも、助けを求めることができませんでしたから」

洋榎「……」

京太郎「雪山で遭難した人でさえ、誰かが助けに来てくれる可能性はあります」

京太郎「だからこそ、そのわずかな可能性に賭けて、なんとか生き延びようと懸命に努力をするんでしょう」

京太郎「けど、もし…」

京太郎「もし、その可能性すら摘まれた人間がいたなら、その人はいったいどうすればいいんでしょうか?」
           
洋榎「……」



京太郎「それから俺は、家にあったメルクマニュアルを虱潰しに読みました。スミからスミまで」

京太郎「単なる風邪とは分かっていましたが、そうせずにはいられませんでした」

京太郎「でも、病院に行って薬を拝借というわけにもいきませんでした」

京太郎「これ以上病気を移されでもしたら、本当におかしくなってしまいそうでしたから」

京太郎「けど、家の中でできることなんか限られています」

京太郎「だからその日は、部屋を暖かくして、加湿器をつけ、氷枕を用意して、布団に入りました」

京太郎「家に置いてあった薬も一応飲みましたが、たいして期待はしていませんでした」

京太郎「けど、そんなことはどうでも良かったんです」

洋榎「……」

京太郎「それから3日間は一睡もできませんでした」


京太郎「別に、眠たくなかったわけではありません」

京太郎「ただ、このまま眠ってしまうと、一生目を覚ますことができないんじゃないかって思ってしまって」

京太郎「その後は熱も少し下がり、安心したのかようやく眠りにつくことができました」

京太郎「まあ、眠ったと言うより気を失ったというのが正しいのかもしれませんが」

洋榎「……」

京太郎「恥ずかしい話なんですが、あの時は本当に不安でした」

京太郎「小さい頃、インフルエンザで40度以上の熱を出して、母さんに泣き付いたことを思い出しましたよ」

京太郎「『僕、死んじゃうの?』、って」

京太郎「はっ、笑っちゃいますよね。こんな図体の大きい男が何言ってんだって」

洋榎「……」

京太郎「だからこそ、あの時みたいな思いを、洋榎さんにもしてほしくないだけなんです」

京太郎「だから、こうしておんぶしているのも、結局は自分のためなんですよ」


そう、これはきっと罰なんだ

神様が選び取ったんだ。今まで何もしてこなかった俺を罰するために、数多くいる人間の中から、わざわざ

お前はこの世界にいらない人間だ。だから、消してしまっても構わないだろう?、って



…ああ、くだらない、なんてくだらない妄想

なんでもかんでも、すぐに神様のせいにして逃げ道を作る

人間の悪い癖だ



でも、なんで俺だったのだろう?

なんで、洋榎さんだったのだろう?

原因、証明、方法、証拠、仮説、検証、修正。すべてが曖昧で掴みどころがない

おそらく透明なんだろう、俺みたいに。だから捉えることができない


ああ…誰か、答えを!いやヒントでいい!!俺に何かを教えてくれっ!!


なんで、なんで

なんで、なんで、なんで

なんで、なんで、なんで、なんで

なんで!なんで!!なんで!!!なんで!!!!なんで、俺が――――



京太郎「…っ!?」


これは…


京太郎「なんで…」

京太郎「なんで俺のこと、撫でてくれるんですか…?」

洋榎「…知らん、ただそうしたくなっただけや」

京太郎「はは…これじゃあ、どっちが病人か分からないですね」



洋榎「京太郎」

京太郎「…え」

洋榎「安心してなぁ、うちがついてる」






それは驚くほど優しい声だった


腹の底が鳴った




________

_____

__




京太郎「寝た、か」

家に帰ってきた後、簡単に夕食を済ませ、もらってきた薬を飲み、布団に入ってもらった

解熱剤のおかげか、幾分熱も下がったようで、楽になったのか眠りについてしまった


そろそろ大丈夫だろう

あまり、女性の部屋に長居するというのも気が引ける

ざっくばらんな洋榎さんといえども、見られたくないものの一つや二つくらいあるだろう


京太郎「俺はもう行きますね」

京太郎「時間はまだ早いですけど、おやすみなさい。洋榎さん」


洋榎「……いやぁ」ボソ


京太郎「?」

寝言か…?

いや、そんなことどうでもいい。洋榎さんが、いやと言ったんだ

京太郎「…分かりました。そばにいますから、安心してください」

京太郎「大丈夫、大丈夫です。俺がついてますから」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




絹恵「ただいまー…」ソローリ

雅枝「おう、おかえり。絹」

絹恵「ななな、なんでお母さんおるの!?」

雅枝「絹やって、今日は帰ってこないはずやったやろ?」

絹恵「せやねんけど、やっぱお姉ちゃん心配やったし…」

雅枝「まったく…似たもの親子やなぁ」

絹恵「じゃあ、お母さんも?」

雅枝「そゆこと」


絹恵「お姉ちゃんは?どう?」

雅枝「ああ、帰ってきたばっかりやから、まだ見てへん。ちょっと覗いてみよか?」

絹恵「うん」


ガチャ

雅枝「寝てるな」

絹恵「寝てるね」

雅枝「大丈夫そうやな」

絹恵「大丈夫そうやね」


雅枝・絹恵「ふぅー…よかったぁ」


雅枝「しかしあれやなぁ」

絹恵「ん?」

雅枝「ええ顔してる」

絹恵「そうやね」



洋榎「ふふ……京太郎……」ムニャムニャ



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

限界です。寝ます
では、木曜日の夜11時ごろまた投下します
おやすみなさい

神戸の件ってもしかしてハーバーランドでつかまえて?
懐かしい……あれって結構有名なのかな

>>270
神戸愛に溢れたいいゲームでしたね
なかなかトゥルーエンドに行けなくて、選択肢の組み合わせ表を作って総当たりしたのが懐かしいです
あそこは当時とは違い、今は結構様変わりしたようですが…時代の流れを感じます


――1月上旬 大阪




憎きクリスマスが終わりを迎え、新年1月あけましておめでとう、と言ったところ

さて正月、大阪の雑煮は丸餅白味噌仕立てとは聞いていたが…


京太郎「意外とおいしかったです。正直侮ってました」

洋榎「せやろー」

絹恵「なにが?」

洋榎「なーんでも」

雅枝「ほいじゃ、そろそろ行こか」

洋榎・絹恵「はーい!」


今日は初詣に行く日だ

クリスマスが終ったと思ったら、今度は神社にお参りに

まったく、日本人というものは節操がなく素晴らしい

寛容さに満ち溢れている


俺達は元旦を避け、少し日を置いてから行くことになっていた

混雑は勘弁だし、松の内までに参拝すれば歳神様も俺達の祈りも聞いてくれるだろう、たぶん

さて、俺は何をお願いしようかな?


―住吉大社



京太郎「思ったより人いますね」

洋榎「まぁ、すみよっさんやしなー。しゃあない」


俺達は、住吉大社こと『すみよっさん』までやってきた

愛宕家は初詣には毎年ここに来ているらしい。近いしね


住吉大社は住吉神社の総本社であり、その参拝者の数も膨大だ

特に、大晦日の夜から元日にかけての人だかりはものすごく、身動きが取れないくらいらしい

それに比べれば、人がまばらな今日の参拝はスムーズに進むだろう



京太郎「俺は観光がてらに不審者よろしくうろついてるんで、洋榎さんは皆と一緒に行ってきてください」

京太郎「俺といると会話しずらいでしょうし」

洋榎「え、せやけど…うーん」

京太郎「?」

洋榎「そや!」

洋榎「ねえ、おかんおかん。ちょっとその辺ぶらぶらしてきても、ええかな?」

雅枝「まぁ、別に…でも一緒におればええやん?」

洋榎「ふふ、乙女心は複雑なんやで」

雅枝「何言ってんだか……ええよ。時間には戻ってくるんやで?」

洋榎「うん」


京太郎「いいんですか?せっかくの家族水入らずなのに」

洋榎「今年はおとんがおらんし、たまにはこういうのもええんやない?」

京太郎「そういうもんですかねぇ」


京太郎「そういえば、洋榎さんのお父さんってどんな人なんですか?」

洋榎「うーん……」

洋榎「いっつもおかんの尻に敷かれてる普通のサラリーマン、かなぁ?」

京太郎「ああ、なんかそれ容易に想像できます」

洋榎「たまに喧嘩なんかしても、おかんが毎回言い負かしてすぐ涙目になるし」

京太郎「うわぁ…羨ましい」

洋榎「……」

洋榎「そんで絹がおとんを慰めるのが、いつものパターンなんや」

京太郎「うわぁ…羨ましい」

洋榎「……」


京太郎「しかし、いいところですね。住吉大社」

洋榎「そうか?」

京太郎「ほら、大阪って緑が少ないじゃないですか」

京太郎「だから余計に、落ち着けるというか」

洋榎「ふーん」

京太郎「俺の住んでたところは田舎でしたんで、そういうのもあるのかもしれません」

京太郎「それに俺、神社ってなんか好きなんですよね」

洋榎「なんで?」

京太郎「子供の頃、こういうところでよく遊んでいたんで愛着ありますし」

京太郎「それに、雰囲気がいいですよね。おどろおどろしいんですけど、妙な神聖さみたいなのがあって」

洋榎「それはあるな」

京太郎「夜に行った時なんか、このままどこか別の世界にでも行けるんじゃないか、って思ってたくらいです」

洋榎「意外とかわいいとこあるやん。このこの~」グイグイ


京太郎「おっ、あれが有名な太鼓橋ですね。写真で見たとおりだ」

洋榎「あれって有名なん?」

京太郎「住吉大社で画像検索したら、間違いなく出てくるくらいには有名です」


京太郎「作った当時は、この近くにまだ海岸線があったんです」

京太郎「だから、この辺まで波が打ち寄せてきてたらしいですよ」

洋榎「今じゃ考えられんなぁ」

京太郎「それに、この橋上向きに反ってるでしょう?」

京太郎「そのせいか、虹に例えられたこともあったようです。要は『虹の架け橋』、ってやつですね」

洋榎「ん?」

京太郎「つまり、虹っていうのは俺達人間が住む地上と、神様達が住む天上との架け橋、と考えられていたんですよ」

洋榎「へぇー、昔の人はえらいロマンチストやったんやなぁ」

京太郎「他にも、虹は多様性の象徴としてもよく使われていますね。色が多いからでしょうか?」


京太郎「確かにそこにあるはずなのに、決して触れることはできない」

京太郎「ロマンの塊ですね、虹は。昔の人が神話の中に登場させたがったのもよく分かりますよ」


京太郎「あ、拝殿が見えてきましたね」

京太郎「でもその前に、手水舎で清めないと。柄杓に直接口つけたらダメですよ?」

洋榎「さすがにそんくらい分かるわ…」

洋榎「でも、こういうのほんと面倒やなぁ。そう思わへん?」

京太郎「確かに面倒ですけど、昔はこれにもちゃんと意味があったはずですよ」

洋榎「今は?」

京太郎「ないかもしれません。けど、無駄を楽しむのも案外悪くないものです」

洋榎「定年後のおっちゃんみたいなこと言うなぁ」

京太郎「ふぉふぉっふぉ……きょうじいじゃ」

洋榎「さしづめ、『虚空(そら)から大阪を見てみよう』、ってところやな」

京太郎「何それかっこいい!中二心がくすぐられるぅ!!」

京太郎「でも、やめてくださいよ。これでもまだピチピチの高校1年生なんですから」

洋榎「!?」


洋榎「とーれとれ♪ビーチピチ?」

京太郎「カニ料理ー♪」


京太郎「はっ…!?」

かに道楽…

洋榎「やーい、つられてやんのー」ケラケラ

京太郎「うがー!!一生の不覚っ!!」


洋榎「さっ、遊んでないでとっととお祈り済ませよか」

京太郎「そっちが先に仕掛けた癖に…」

洋榎「あれ、せやったっけ?忘れてもうたわ」

京太郎「はぁー…まったく。ちなみに、二拝二拍手一拝ですから気をつけてください」

洋榎「なんやそれ?」

京太郎「2回おじぎして、2回拍手して、祈った後にまた1回おじぎするんです」

洋榎「アカン、いつも適当にやってたわ…」

京太郎「いいんじゃないですか?気持ちが伝われば」

洋榎「そんなもんか?」

京太郎「それに、みんなと少し違えば神様の印象も強くて、祈りが届きやすくなるかもしれませんよ」

洋榎「懸賞ハガキみたいやな」

京太郎「じゃあ、やりますね」


洋榎「おじぎするのだ!」

京太郎「……」

洋榎「おじぎするのだ!」

京太郎「……」

洋榎「……」シュン

かわいい


馬鹿やってないで、賽銭箱にお金を投げ入れ、鈴を3回鳴らす

2回お辞儀、2回拍手

さて、何を祈ればよいのだろう?

健康?交通安全?家内安全?人々の幸せ?世界平和?どうもしっくりこない

俺が元の状態に戻ること?それも違う気がする、なんとなくだけど


隣を見ると、一生懸命に祈りを捧げている洋榎さん。何やらブツブツ言っている

合わせた手に熱がこもるのを感じた

うん、そうだな




________

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__


京太郎「そろそろ、雅枝さんと絹恵さんのところに戻りましょうか」

洋榎「そうやな。あんま待たしても悪いし」

京太郎「……」

京太郎「ねえ、洋榎さんはあんなに一生懸命、何をお願いしていたんですか?」

洋榎「うーん…知りたい?」

京太郎「言いたくないならいいですけど、その……気にはなりますね//」ポリポリ

洋榎「ふふ」


そう笑みをこぼした洋榎さんは、飛び跳ねるようにして2、3歩前に出ると、くるりとこちらを振り返った

そのなんとも言えない色をした髪がふわりと宙を舞い、持ち主と一緒にダンスをした

ああ、なるほど…やっと分かった。これは寒緋桜だ

だけど、その花は上向きで、開ききっていて、数も多く、他の何よりも輝いている

ありえないものが、確かにそこに見えた

そして、まさに満開の笑顔で――




洋榎「京太郎が早く元の姿に戻れますように、って」



京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「……ぁ、う///」

洋榎「ん、どないしたん?」

京太郎「い、いえ…なんでもないです。なんでも、ははは、は…//」

はぁ…無自覚にこういうこと言うんだから、この人は…

そんな綺麗な笑顔で、そんなこと言われるこっちの身にもなってもらいたい

洋榎「?」

洋榎さんには悪いけど、今日の今ほど俺の姿が他人に見られなくてよかったと思った日はない

洋榎「そういう京太郎は、なんてお願いしたんや?」

京太郎「うーん……内緒です」

洋榎「あー!うち言うたやんかぁ、この卑怯者ぉ!」

京太郎「なんとでも言ってください」

洋榎「京太郎は、あかんたれのへたれの骨なしいかれぽんちや!!」

京太郎「古い言葉を…ほんとに言いたい放題ですね」


流石に、このことを正直に言うのは恥ずかしい

だって、洋榎さん。あなたのことを願ったんだから


――1月下旬 大阪




1月下旬、洋榎さんにとって運命の日とも言える日が迫ってきた

皆さんもうお忘れだと思うが、洋榎さんのプロテストを兼ねた大会が近いのだ

だから、最近は家にいる時間も短く、ほとんど学校で麻雀をしているらしい

家にいる時も牌譜を眺めたり、雅枝さんから指導を受けたりしている

本当に熱心だと感心する

まあ、洋榎さんの場合、もし受からなかった場合を考えると……


京太郎「ニート……」ボソ

洋榎「ん、何か言うた?」

京太郎「いえ、何でもないです。邪魔してすみません」

洋榎「別にええけど」


京太郎「そういえば、洋榎さんはどうしてプロを目指そうと思ったんですか?」

洋榎「うーん、そやなぁ……よう分かれへんけど、やっぱ子供ん時から打ってるし」

洋榎「おかんの活躍もテレビとかで見とったから、憧れてたのはあるなぁ」

洋榎「あっ、今のはおかんに言うたらアカンからな!オフレコ、オフレコ」

京太郎「この恥ずかしがり屋さんめ」

洋榎「う、うっさい//」


洋榎「でもやっぱし、チャンスが転がり込んできた、っていうのがいっちゃん大きいかなぁ」

洋榎「あれが無かったら、本気で目指そうなんて考えてなかったと思うわ」

京太郎「うーん、なるほど」

洋榎「なんで、そないなこと聞くのん?」

なんでだろ?俺にもよく分からん

京太郎「今のうちから進路のことを考えておこうと思いまして」

洋榎「ふーん、真面目やなぁ」

京太郎「とにかく、何でもいいです。陰ながら応援してますよ」

洋榎「おう!」


――1月下旬 大阪 大会会場




そして、ついに大会当日

俺は洋榎さんと共に会場まで来ていた

俺の他には、真瀬さんと雅枝さんが応援に駆けつけに来てくれていた

残念だが、末原さんは大学受験があり、絹恵さんは部活でここにはいない

少し寂しい気もするが、仕方ないだろう


洋榎「んじゃ、行ってくるわ」

由子「観客席からやけど、応援してるのよー」

洋榎「しっかり頼むでー」

雅枝「まぁ、そのー…気張ってな」

洋榎「うん!」


なぜか、俺も洋榎さんに付いていき、控え室まで来てしまった

この人口密集地で洋榎さんと会話するのは少々気が引けるので、辺りをを見回してみる

洋榎さんと同じように学生服を着た人からスーツ姿の社会人、テレビで見たこともあるプロの姿もある


ここにいる人間が、どのような思惑を抱いてここにいるかは分からない

洋榎さんのようにプロを目指すため、腕試し、遊び半分、さらなるランキングアップを目指して

それぞれの思いが交錯し、ある種の異様な雰囲気がこの部屋を満たしている

だが、それでもこの場にはたった一つの明確な目的意識が見て取れた

ただ勝つこと……そのためだけに、これだけの人間が集まったのだ


「では、選手の皆さん。準備ができましたので会場にお入りください!」


いよいよだ


洋榎「ほな、行くで!」


この大会のルールは単純だ

参加者全員と当たる総当りの東南戦型式で、最終的に一番ポイントの高い人が1位優勝

トーナメント形式よりかは、幾分平等かもしれない


洋榎さんの場合、テストについては明確な基準がないらしい

つまり、たとえ決勝まで残っても、見込みなしと判断されてしまえばそこで終わり、ということもありえるのだろう

逆に、たとえ結果が伴わなくても、素質ありとなれば採用される可能性がある

まさに実力主義、厳しい世界だ

つーか、試験官とかどこにいるんだろ?客席か?


洋榎さんの様子を控え室から見守る

まだ1回戦ということ、テスト本番であること、などから少し緊張しているのか表情もどこか堅い

いつものトラッシュトーク気味のアレも封印しているようだ

かといって、そこは洋榎さん。元々の実力もあり、1位から1500点差の2位で悪くない位置にいる


中に一人プロが混じっているようだが、気怖じせず果敢に攻めている

聞いたところによると、姫松くらいの強豪校は練習でプロとも打ったりしているらしい

清澄では考えられないようなことだが、プロとも打ち慣れているのだろう

うちでも、藤田プロとは打っていたらしいが


とか考えているうちに、いつの間にか洋榎さんがあがって1位に

この調子で行けば大丈夫そうだな


__________

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京太郎「お疲れ様です。なんとか1位で終れましたね」

洋榎「はっはっは!まぁ、うちにかかればこんなんもんやなっ」ドヤッ

京太郎「最後ぎりっぎりでしたけどね」

洋榎「なぁに言うてんや。あれも計算の内に決まってるやんかー」

京太郎「えっ!?そうだったんですか?やっぱり全国クラスの打ち手は違うなぁ…」シミジミ

洋榎「……すみません、嘘です。正直捲くられると思いました」

京太郎「変な嘘つかないでくださいよ。なんかものすごい戦術でもあったのかと思っちゃったじゃないですか…」

洋榎「てへへ」



京太郎「あっ、掲示板に次の対戦相手が表示されましたね」

洋榎「せやな。ほな、行ってくるわ」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「あ」

洋榎「ん、どないしたん?」

京太郎「……洋榎さん、気を付けてください。次の対戦相手は―――危険です」

洋榎「え、知ってる人でもおったん?」

京太郎「いえ、そういうわけでは……とにかく……いえ、頑張ってください」

京太郎「だけど、いつも通りにやっているようではおそらく……」

洋榎「は、はぁ…」



















「死ねば助かるのに……」

「ふっ、勝てば生負ければ死…ただそれだけのこと…あンた賭けるかい!?命を」

「お嬢さん……帰りそびれましたね?」


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なんやこいつら……

プロとは違うみたいやけど…せやかて、明らかに一般人のそれとはちゃう

てゆうか、カタギの人間には見えへんわ

宮永照、天江衣なんかも常人離れしとったけど、こいつらの雰囲気はそれよりもさらに異質や

一つの油断が命取りになる


タン

よし、早くも聴牌

高くはないけど様子見にリーチしてみよか

洋榎「リーチ」

「ふっ…」

洋榎「な、なんや!?」

「リーチは天才を凡夫に変える……あんたはどっちかな?」

洋榎「……」

人をコケにして…まぁ、ええわ



タン

タン

タン

タン

こーへんなぁ…せっかく一発でかっこよく上がろう思うてたのに

そしたら、この白髪のやつもびびったに違いないで

「リーチ…!」

と思ったら、この人もリーチかいな

洋榎「んー、これやな」

タン

「それだ、ロン……!リーチ、一発――」

洋榎「なっ」

一発で、さらにうちに直撃っ!?

狙った!?まさかな…

ま、まあ今のは運が悪かった。狙って一発なんて無理やし…

「ククク……」


次の局に入ったけど、なかなか聴牌する気配がなぁ…

白髪の人もそやけど、この真っ黒の服きた兄ちゃんも何考えてるかさっぱりやし

七三分けの人は、何も仕掛けてけえへんし

一体なんなんや?まるで、なんか観察されてるような…


「リーチ…!」

また、白髪の人がリーチ、か

さっきは一発もろたから、慎重に、慎重に、っと

洋榎「これや」タン

「ククク……」ニヤリ

ま、まさか…!?

「それだ、ロン……!またしても、一発……」

こ、こいつ…狙って!?

「だから、言ったろう……リーチは天才を凡夫変える、と……!」

洋榎「ぐっ」

それに引っかかったうちは、凡夫以下ちゅうことかっ…!?







雅枝「またソクかいな…」

由子「一発直撃なのよー。まさか、狙って…?」

雅枝「いや、それはちゃうと思うわ」

雅枝「あれは――」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~


京太郎「あれは、恐らく偶然だ」

でも、あの白髪の男には、その偶然を手繰り寄せることができるだけの何かがある

少なくとも、洋榎さんはそれを感じたはずだ

運、流れを読む力、勘。そんなチャチな言葉では到底言い表すことのできない何かが


だからこそ、洋榎さんがあれほど動揺している

偶然には違いない、けどそれ以外にあの男から感じるものがあったのだ

同じ卓に身を預けているなら尚のこと


全国大会で見た化け物どもすごかったが、この男はそれとはまた違う

勝利のためなら、自らの危険すら顧みず勝負に徹することのできる、真正のギャンブラー、博徒

あえて古典的な言い方をすれば、今の洋榎さんとは次元が違う


しかし、この三人からは何か違和感を感じる

あの挑発的な一発もそうだけど、序盤の様子見の仕方など明らかに変な部分が多い

試合をしにきたというよりも、もっと別の目的があるような、何かを試すような…

まあ、考えても仕方のないことか

とにかく、この試合を何とかしないと


洋榎さん……


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「あンた、俺達を忘れてしまっては困るぜ」


こいつ一人でも、化け物やっちゅうのに……


「ロン」

「ツモ」

「ツモ」

「ロン」

「ロン」




洋榎「ぁ、あ……あ…」


「御無礼、ロンです」


洋榎「ぁ……」カタカタ




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


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「勝負の後は骨も残さない………!」

「勝負は終った、もう話すことなどない」

「ここが高レート雀荘でなくてよかったですね」







洋榎「……」

京太郎「洋榎さん…」

洋榎「一人にしてもらってもええか?」

京太郎「…はい」


その後の試合は酷かった

らしくないベタオリ、俺でも分かるようなアタリ牌を打ってしまう、などとにかくおかしかった

普段なら明らかに格下と思われる相手と最後まで競っては負ける

原因は考えるまでもなく、あの三人との対局だろう


一度も上がることも出来ずに、ロン・ツモ地獄の焼き鳥

かといって、飛ばされることも許されず最後まで惨めに打たなければならなかった

というより、わざとそういう風に打たされていとたと言うべきか

舐めプと言うのがふさわしいそれは、洋榎さんの自信を打ち砕くには十分だったのだろう


結局、その後思うような活躍を見せることは出来ずに、大会は終ってしまった

これでは、プロテストの結果は言うまでもなく不合格だろう

もはや、2月の大会に賭けるしかなくなった


――2月上旬 大阪




大会が終わり一週間が経過した

完全にその自信を失った洋榎さんがどうなったかというと……


コンコン

雅枝「洋榎、ここに食事置いとくからな」コト

雅枝「……」

雅枝「あんなぁ、洋榎が今辛い思いしてるのはよう分かってる」

雅枝「だから、今はゆっくり休むとええ」

雅枝「だけど……もし、またおかん達と食べたくなったらいつでも来てくれてええんやで?」

雅枝「……」

雅枝「洋榎、初めて牌に触った時のこと覚えてるか?」

雅枝「ルールも知らんと私の真似して卓に並べて、『国士無双!』なんて言うてな」

雅枝「聴牌すらしてへんのに…ああ、懐かしいなぁ」

雅枝「……」

雅枝「はは…なに言うてんやろ」

雅枝「じゃあ、またな」





ガチャ

洋榎「……」

雅枝「ひ、洋榎…?」


洋榎「おかーんっ!!」ダキッ

雅枝「ひろえーっ!!」ダキッ


絹恵「さっきから、何やってんの…?」

雅枝「え、引きこもりの親子ごっこやけど?何かおかしかった?」

洋榎「なかなか堂に入ってたやろー。アカデミー賞の主演女優賞間違いなしやな!」

京太郎「どっちかって言うと、ラジー賞かと」

雅枝「ああ、そら大変や。何着てこうかなぁ」

絹恵「はぁー…よう言わんわ」


洋榎「ねえねえ、おかん。今日の夕飯なんなん?」

雅枝「今日はなー、久しぶりにから揚げ作ったでー」

洋榎「やったー!おかん、ほんま愛してるわ」

雅枝「はいはい、私もやで」


案外いつも通りだった。ただし、表面上は、だが

つぶさに観察していると分かるが、微妙にいつもと違うのは簡単に分かった

食事中にボーっとして上の空だったり、テレビを見て笑ってたかと思うと次の瞬間何か考え込んでいたり

麻雀の話題になるとすぐに話しを別の方向へ逸らしたり

明らかに無理をして、普通に振舞っているのだ


もちろん、雅枝さんや絹恵さんもそのことに気付いている

だからこそ、さっきみたいにあえていつも通りに接しようとしているのだろう


2月の大会で結果を残すことができなければ、今度こそ…

今は正に正念場であり、洋榎さんは崖っぷち立っているのだ

そして、その崖は酷く脆いらしい


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__




コンコン

京太郎「洋榎さん、俺です」

洋榎「うちに『俺』なんて知り合いおれへん」

京太郎「うーん……あっ、今の『俺』と『おれへん』をかけてるんですね。なるほど、うまいなぁ」

洋榎「……」

ガチャリ

京太郎「ひでぇ!?」

京太郎「つまらない冗談言ったのは謝りますから、鍵開けてくださいよー」

ガチャ

京太郎「し、失礼しまーす…」


洋榎「なんか用?深夜の1時やで」

京太郎「いえ、トイレ行ったら明かりがついていたんで、何をしてるのかなーと」

机の上を見ると、いくつかの教本とおびただしい数の牌譜。勉強していたのだろう

京太郎「あまり根をつめても仕方がないと思いますよ」

京太郎「まぁ、その、つまり…早く寝た方がいいです。寝不足はお肌の大敵ですよ」

洋榎「……」

京太郎「洋榎さん?」


洋榎「駄目なんや。うまくいけへんのや、なんべんやっても」

洋榎「今までは、いつも通りにやれば勝てたし、たとえ負けてもそれは想像の範囲内やったんや」

京太郎「……」

洋榎「これまで、負けるつもりで麻雀打ったことなんていっぺんない」

洋榎「せやけど、あいつらと打ってる時に考えてしまったんや」

洋榎「負けてもいいから早く終って、てな」

京太郎「……」

洋榎「反射が反応へ変化した気分や」

洋榎「昔は、リーチしたら、向こうから勝手に牌がやってきたのにな」

京太郎「現実に冒されたんですね」

洋榎「はっ…」


洋榎「実力で勝ってるような相手にも、勝負には負けて……どないしたらええのか、もう分かれへん」

洋榎「いっそのこと、どっかに嫁でも行こうか。なーんてな…はは」

京太郎「……」

洋榎「なぁ、京太郎。鼠すら捕れなくなった猫に、一体何の価値があるんや?」

京太郎「…随分と可愛らしい猫ですね」

洋榎「ああああ、あほっ///!真面目に質問してるんや!」

京太郎「……いいんじゃないですか?そういう猫がいても」

洋榎「なんやと…!?」

京太郎「物語とは多様に読みうるものです」

洋榎「何の話や?」

京太郎「洋榎さんもイラチな人ですね。人間の話です」

京太郎「一般相対性理論では、高校で習うような平らな空間じゃなく、曲がった空間を扱うって知ってます?」

京太郎「複素数って単に数学の産物じゃないんです。物理や工学でも実際に利用されるんですよ」

京太郎「素粒子物理では、もはや8元数を使うとかなんとか」

京太郎「ほんの少し見方を変えるだけで、世の中の別の側面が見えてくるなんておもしろいですよね」

洋榎「意味分からんわ…」

京太郎「洋榎さん、確かにあなたは鼠を捕れなかったかもしれません」

京太郎「けど俺は、そんな猫でも好きですよ」


洋榎「えーと」

洋榎「……」

洋榎「……」

洋榎「へ」

京太郎「まあ、俺は猫派、犬派というよりは、カピバラ派なんですけど」

洋榎「予想外の答え来たっ!?」


京太郎「それに、洋榎さん」

京太郎「俺にはその猫――…猫と言うよりは虎に見えます」

京太郎「だから鼠なんかじゃなく、もっと大きな獲物を狙えるような気がするんですけどね」

洋榎「……」

京太郎「はは、柄にもなく、ちょっとカッコつけすぎちゃいました」

京太郎「さて、俺はもう寝ますね。寝不足はお肌の大敵なんで」

京太郎「おやすみなさい」

洋榎「……」

バタン


――2月上旬 大阪




須賀京太郎の朝は早い

大阪府は上町線の沿線にある閑静な住宅街の一画

清澄高校麻雀部部員、須賀京太郎が現在居候しているのがここ愛宕家である

プロ雑用、須賀京太郎の仕事場である


世界でも屈指のプロ雑用

彼の仕事は決して世間に知られるものではない


我々は、彼の一日を追った


Q.朝、早いんですね?


京太郎「朝はやることがたくさんあるんです」

京太郎「一日のスタートをどう切るかが、その日の雑用の質を決めるんですよ」


Q.これから何を?


京太郎「ランニングです。朝の日課なんです」

京太郎「身体が資本ですから、こういう積み重ねが後々大事になってくるんです」


Q.どこまで行くんですか?


京太郎「家から長居公園まで行って、公園を一周して帰ってくるんです」

京太郎「朝の公園って、空気が澄んでいてとても気持ちいいんですよね」ニコリ


彼の笑顔とは裏腹に、その行程はゆうに10キロを越える

我々は彼のプロ雑用としての覚悟を、わずかながら感じることができた


ランニングを終え、朝の6時になる頃、我々は愛宕家に再び戻ってきていた

クールダウンを済ませた彼は、どうやら部屋に戻るようだ


Q.今度は何を?


京太郎「はは、軽い筋トレですよ」


Q.雑用に筋トレ、ですか?


京太郎「自動卓を運ぶこともありますからね、少しくらいはしておかないと」


そう言うと、彼は30キロのダンベルを使ってトレーニングを始めた

戯れに我々も同じようにしてみたが、とんでもない重量で早々床に降ろすハメに

その鍛錬の過酷さに、思わず唾を飲み込んでしまった


シャワーを浴び、汗を流すと今度は台所に向かった

ご飯が炊けているのを確認すると、フライパンに油を入れ熱し始めた

それと並行して、冷蔵庫から卵と味噌を取り出す。卵焼きと味噌汁を作るのだろう


Q.朝食の準備ですか?


京太郎「ええ、皆が起きてくる前に用意しなくちゃいけませんから」

京太郎「気付かれる前に済ませておく、雑用の基本です」


Q.寂しくはありませんか?


京太郎「はは、元々何やっても気付かれない身ですからね」

京太郎「それに……たとえ気付かれなくても、皆が笑顔でいられのが一番の幸せですから」


彼の何気ない一言に込められた真意を、我々は掴みきることはできなかった

しかし、彼のその表情からは――


バーン!!!!


洋榎「京太郎っ!!」

京太郎「…~~っ!?キャーッッ!!!エッチーー!!!」

洋榎「乙女の悲鳴っ!?」

京太郎「ちょ、ちょっと!今『ひとり情熱大陸ごっこ』してるんですから、ひと声かけてくださいよ!」

洋榎「自分、何やってんのっ!?」

京太郎「いやー、これやると仕事が捗るんですよねー」

京太郎「今度一緒にやってみませんか?あ、洋榎さんは『プロフェッショナルの流儀』派でした?」

洋榎「ほんま、よう言わんわ…」

京太郎「ちなみに10キロとか30キロ、ってのは流石に嘘ですので」

洋榎「何の話?」

京太郎「いい気になると、人は話を盛ることが多いってことです」

洋榎「?」


京太郎「それで、どうしたんですか?こんな朝早くに」

洋榎「え、え~とな…そのー」モジモジ

京太郎「どうしました?トイレならあっちですよ」

洋榎「トイレちゃうわ、あほっ!!」

京太郎「ならなんです?」

洋榎「京太郎と話してから、よう考えてみたんやけど…」

京太郎「はい」

洋榎「やっぱ、うじうじ悩んでるのはうちらしくないし…」

洋榎「せやけど、うちこういうの初めてやから……どないしたらええのかよう分かれへんし」モジモじ

京太郎「……」


なるほど、洋榎さんは大きな挫折というものを今までしてこなかったのだろう

才能豊かな分、多くの人間が当たり前のように経験することをできていなかったのだ

俺とは違う


京太郎「はい、なんとなく話は理解しました」

洋榎「ならっ!」

京太郎「でも、急に自信を取り戻したり、急激に強くなったりなんて都合のいいものはありませんよ」

京太郎「それに俺、麻雀のことはそこまで詳しくありませんし」

洋榎「そ、そう…」シュン

京太郎「けど、教えてくれる人は知っています。助けてくれそうな人も」

洋榎「?」

京太郎「洋榎さん、こういう時に自分の力でなんとかするのも大事なことだと思います」

京太郎「だけど、他の人の助けを借りるのもそれと同じくらいに大事なことなんですよ」


洋榎「なんやそれ、映画の台詞?」

京太郎「我が部の先人が残してくれた、偉大な知恵です」

洋榎「?」

京太郎「確か今、自由登校なんでしたっけ?」

洋榎「せやけど…なんで?」

京太郎「ふふ、都合がいいです」


京太郎「洋榎さん、多くの物語において、力不足を感じた主人公が次に取る行動ってなんだか知ってます?」

洋榎「さ、さぁ…」



京太郎「修行です」

洋榎「……」

洋榎「……」

洋榎「……」

洋榎「……」

洋榎「はぁ!?」


――2月上旬 岩手




洋榎「え?寒っ!!」

洋榎「寒っ!!」

洋榎「……」

洋榎「え?寒っ!!!」

京太郎「何回言えば気が済むんですか」


修行と言えば、やはり全国行脚の武者修行だろう

というわけで、まず岩手は宮守女子高校まで行くことにした


洋榎さんは道のりを詳しく知らないので、俺が案内することに

まさかこんなところで、今までの全国高校巡りの経験が活きることになるとは

人生とは、先の読めないことばかりだ


大阪国際空港からいわて花巻空港までひとっ飛び

その後は、釜石線で電車に揺られながら宮守駅までやってきていた


流石、雪国岩手県。気温の低さもそうだが、降雪量もかなりのものだ

辺りを見回すと一面雪景色。思わず長野での冬を思い出す


洋榎さんはこのレベルの寒さ慣れていないようで、さっきからやかましくらい同じ台詞を繰り返している

まあ、大阪じゃあせいぜい0度付近にしかならないので、仕方ないのかもしれない


京太郎「仕方ないですねぇ…はい、これどうぞ」

洋榎「なんやこれ?」

京太郎「使い捨てのカイロです。無いよりはましでしょう?」

洋榎「ここは、さりげなく相手の手を握る場面ちゃう?」

京太郎「そういう砂糖吐きたくなるラブコメみたいなことをしたいならいいですけど」

京太郎「……この寒さだと、余計に冷えますよ」

洋榎「わぁー、カイロってめっちゃぬくいなぁー(棒)」

京太郎「賢明です」



洋榎「おっ、なんやあの橋?変わった形してるなぁ」

京太郎「めがね橋ですね。観光名所らしいですよ」

洋榎「めがね?」

京太郎「めがねです」

洋榎「まぁ、頑張ればめがねに見えへんこともないか」

京太郎「正式名称は宮守川橋梁(きょうりょう)らしいですけどね」

京太郎「用が無かったら、この辺ぶらぶら散歩するのもよかったかもしれませんね」

洋榎「いややわ…うちは早いとこぬくもりたい…」ブルブル

京太郎「はは、そうしときますか」


それからしばらく歩いていると、コンクリート製の比較的大きな建物が見えてきた

10月以来となる、宮守女子高校だ


京太郎「今日の連絡の方はもう済ませてあるんですよね?」

洋榎「もち。部室に来てくれればええ言うてた」

京太郎「じゃあ、さっそく行きましょう。案内しますよ」

洋榎「おー」


当たり前のことだが、いきなり他校に突撃しても失礼になる

「たのもー!!」、が通じるのは漫画やアニメの中だけである

なのであらかじめ、姫松の赤阪監督を通じて、宮守には連絡がとってある

赤阪さんの意外なほど豊富な人脈には感謝しなくてはならないだろう


京太郎「ここです。さっ、入りましょう」

洋榎「ちょ、ちょお待ってぇな…!」

京太郎「なんです?」

洋榎「何か変なところあれへん?」

京太郎「洋榎さんって結構気にしぃですよね」

洋榎「ぅ…」

京太郎「大丈夫、いつもと同じでとても可愛らしいです」

洋榎「せ、せやろか…///」ポリポリ

京太郎「そうですよ」

京太郎「それに、大丈夫ですよ洋榎さん」

京太郎「なにせ、宮守の人たちはみんな――――天使ですからね」


ガチャ


洋榎「あ、ちょ…勝手に――」


パーン!パーン!


「「ようこそっ!宮守女子高校へ!!」」


洋榎「」ポカーン


エイスリン「ナ、ナラナカッタ…」アセアセ

白望「そういう時もある…」

豊音「ほ、本物の愛宕さんだよー。感激だよー」

塞「ありゃー、ちょっとはずしちゃったかな」

胡桃「そんなことない」


洋榎「何やこれ」

京太郎「ね」




既に知っている人もいたが、簡単に自己紹介を済ませた


塞「さぁ、どうぞどうぞ」

洋榎「部室に炬燵っ!?なんでやねん!」

白望「さぁ…」

洋榎「って、知らんのかい!」ビシッ

豊音「本場のツッコみ…感動だよー」

胡桃「うるさい」


エイスリン「アノ。オチャ、ドウゾ」

洋榎「おー、ありがとう」

エイスリン「……」ドキドキ

洋榎「ああ、温もるなぁー。めっちゃうまいわ」

エイスリン「ソ、ソウ?ヨカッタ」ニコッ

洋榎・京太郎「」キュン

守りたい、この笑顔


豊音「あのー、愛宕さん…?」

洋榎「同い年やろ?洋榎でええよ」

豊音「じゃあ、洋榎さん。そのー、あのー…サインお願いします!」ズイッ

洋榎「ん、ええよ」

豊音「わぁ~、やったー!」

洋榎「……」カキカキ

洋榎「……」カキカキ

洋榎「はい、これでどや」

京太郎「流石に慣れてますね」

豊音「ううう、嬉しいです。これ、家宝にします!!」ニコッ

洋榎・京太郎「」キュン

守りたい、この笑顔


洋榎「何やここ。天使ばっかやないか」ボソ

京太郎「いえ、まだですよ」

洋榎「?」

京太郎「あっちで茶菓子の用意をしてる、臼沢さんを見てください」

洋榎「ん、ああ……で?」

京太郎「で、じゃないです。心の目でよーく見てみるんです」

洋榎「ん~~……あっ、あれは!」


洋榎「割烹着っ!それに三角巾も!?」


京太郎「クク、洋榎さんにも見えましたね。"アレ"が」

京太郎「けど、それだけじゃないんですよ。用意しているお菓子を見てください」

洋榎「あ、あれは!?…おばあちゃん家でよく見る謎のお菓子の数々!!」

京太郎「あれ、どこで買ってくるんでしょうね?」

洋榎「日本七不思議のひとつやね」

塞「はい、遠慮なく食べてね」ゴト

洋榎・京太郎「こ、これは…!?」


洋榎・京太郎「おばあちゃんのぽたぽた焼きっ!!」


洋榎・京太郎「ばあちゃん…」ウルッ

塞「あれ、そんなに嬉しかった?わざわざ用意した甲斐があったよ」


白望「これ、貸してあげる…」

胡桃「これとか言うなー」

洋榎「はい?」

白望「湯たんぽ代わりになる…」

胡桃「こんな鶏がらみたいなのじゃ、充電にならない!」

京太郎「と、鶏がら……ぷっ」プルプル

洋榎「おい」

白望「?」

胡桃「はぁ、仕方ないなぁ。今回だけだから」ポスン

洋榎「お、おう」

胡桃「充電?むしろ、充電されているような…?」

洋榎「……」

洋榎「ああ、でも……これ気持ちええなぁ」モフモフ

洋榎「あ゛あ゛~、このままじゃ蕩けてまう~。ダメになってまうやんか~」

胡桃「きもちわるい…!」


白望「……」グッ

洋榎「……」グッ



ガチャ


トシ「何やってんだい、あんた達…」

「「あっ」」


トシ「なるほど、あなたが愛宕洋榎さんね」

洋榎「は、はい!」

トシ「ふーむ、なるほどねぇ…うんうん」ジー

洋榎「?」

トシ「緊張しなくていいよ。赤阪さんから事情は聞いているし」

洋榎「……」

トシ「なんでわざわざ、こんなことをしようと思ったんだい?」

洋榎「こんなこと、ですか?」

トシ「こんな辺鄙なところまで来て練習だなんて、さ」

洋榎「その…きょ、友達が教えてくれたんです。こういう時はもっと他人を頼っていいんだって」

洋榎「だからっ」

トシ「ふふ、いい友達を持ったね。大事にしてあげるといい」

洋榎「は、はぁ…」

トシ「うーん…もしかして、男の子かな?」

洋榎「なっ、なななななんで!?」

トシ「な・い・しょ」

その仕草、実にキュートだ

トシ「さあ、早速練習始めようか。私の指導についてこられるかな」


________

_____

__



「「お疲れ様でしたー!」」


練習が終った

洋榎さんは相変わらず調子を取り戻せないでいるようだ

なんとか試行錯誤しているようだが、俺の目から見ても明らかに以前の打ち筋とは違う

洋榎「はぁ」

あと、姉帯さんや小瀬川さんはともかく、熊倉さんめちゃくちゃ強ええ

この全国クラスの打ち手相手に3人同時飛ばしとか……ちょっと他とは違いすぎる


トシ「さて、愛宕さんは今日どこに泊まるんだい?」

洋榎「え、空港の近くにホテル予約してますけど」

豊音「えっ」

エイスリン「えっ」

洋榎「えっ」


エイスリン「ガッシュクジョ。トマラナイノ?」

京太郎「!!」

洋榎「でも、キャンセル料が…」

京太郎「いやー、いいじゃないですか。せっかくなんで泊まっていきましょうよー(棒)」

洋榎「いや、でも…」

豊音・エイスリン「……ダメ?」ウルッ

洋榎・京太郎「」キュン

洋榎「泊まります!!」

トシ「はは、そうしなさい。明日は休日だし、朝から練習ね」

洋榎「はい!」

トシ「あんまり羽目をはずさないように。頼んだよ、二人とも」

塞「はい」

白望「ダルいけど、仕方ない…」

豊音「うわー、お泊りなんて久しぶりだよー」

エイスリン「ウン!!」

胡桃「はぁ、うるさくなりそう」

京太郎「気分は修学旅行ですね」

洋榎「せやな」


和気あいあいと食事を済ませ、お風呂にも入った

複数人用の浴槽だったので、久しぶりにゆっくりとお湯に浸かれて気持ちよかった

あ、俺は教職員用のを使わせてもらいました、残念

洋榎さん、後で残り湯分けてもらえませんかね?


そして俺は今、洋榎さんたちとは別の部屋にいる

洋榎さんたちは、今頃部屋の電気を消してガールズトークに励んでいるのだろう

布団は勝手に拝借させてもらったので寝るには全く問題がない

ちなみに、女子高生の残り香スーハー。なんてことはやっていない

残念ながら、加齢臭しかしなかったからだ。職員用のだし仕方ないね

世知辛い世の中である



さて、一仕事済ませてから寝ることにしますかね


~~~~~~~~~~~~~~~~




豊音「はいはい、質問質問!」

洋榎「なんや?」

豊音「やっぱり洋榎さんくらいになると、彼氏の一人くらいはいるのかなー?」

洋榎「!! ま、まぁ…?うちくらいになると男の方から勝手に寄ってきて、それはもう行列が──」

豊音「わ、わわわー///共学ってすごいんだねー」カァァ

エイスリン「ヒロエ、オトナ!」

洋榎「もてる女は辛いなぁ、なーんてな!あっはっは」

白望「……」

白望「本当のところは…」

洋榎「す、すみません、嘘つきましたぁ!男のおの字もございません!!」

塞「なーんだ」

胡桃「嘘はよくない」

洋榎「そないなこと言うても、うちの周りにだって男っ気のあるやつなんておれへんからなぁ」

豊音「へぇー、共学って言っても女子高とあんまり変わらないんだねー」

塞「そんなもんでしょ」


エイスリン「……」

エイスリン「ジャア、スキナヒトハ?」

塞「おっ、それ聞いちゃう」

白望「ダルい…」

洋榎「スキナヒト?スキ、スキ……?えっ、好きな人!?」

胡桃「あからさまに動揺してる。怪しい」

エイスリン「アヤシー」

塞「怪しいね」

洋榎「そ、そないなこと――」アタフタ


クゥーン…


洋榎「ん?」


クゥーン…


洋榎「あれ?今、犬の鳴き声せえへんかった?」

胡桃「話題を逸らそうとしてる」

洋榎「い、いや、ほんまに」

塞「鹿とか熊が出ることはあっても、犬はないよー」

洋榎「それはそれですごいな…」

洋榎「悪いけど、ちょっと気になるから見てくるわ」





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


バタン


シーン…

洋榎「なんや、何もおれへんやんか」


クゥーン…


洋榎「ん?」


クゥーン…


洋榎「何や?」








京太郎「くぅ~ん、人肌が恋しいワン」

洋榎「……」

京太郎「僕もみんなと一緒に寝たいワン。布団も一緒だと尚いいワン」

洋榎「……」

京太郎「寒いから早くお家に入れて欲しいワン。おもちが恋しいワン」

洋榎「……(ゴミを見る目)」


バタン


京太郎「閉められた!?」


ガチャリ


京太郎「鍵掛けられた!?」


「何かいたー?」

「はは…喋るゴミが一匹な」

「なにそれー、あはは」


京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「ちぇ、欲を出すとすぐこれだ。まいったね、どうも」フッ

京太郎「洋榎さんが犬派だから、犬でいいやと考えたのが安易だったか…ちっ」

京太郎「……」


どうやらちゃんと馴染めているみたいだ

普段は飄々としてるけど、変なところで気の小さいところがあるからなぁ

いいかげん、俺も気にしぃかな。人のこと言えない


――2月上旬 岩手




2日目――と言っても今日の練習が終ったら帰る予定なので、岩手での修行最終日

今日は休日ということで、朝から練習に明け暮れている

みんな進路が既に決まっているとはいえ、献身的に洋榎さんに付き合ってくれている

やはり、宮守女子高校の(元)麻雀部員は天使で構成されているようだ

いや、大天使、権天使をやすやすと超えて、座天使、智天使すら及ばず、もはや熾天使だ!!


だが、残念ながらその甲斐もなく、なかなか洋榎さんの調子は戻らない

熊倉さんも考えあぐねているいるようで、色々試してはいるが効果上がらず苦戦中

スランプというものは得てしてそういうものだろうが、なかなか直らないものだ

さらに言えば、問題はスランプ脱出だけではない

仮想敵の戦力を考えると、さらなる実力向上も必要になってくる



キッカケというか、もっと根本的な何かが必要なのだろうか?


タン

タン

タン


あっ

京太郎「洋榎さん、それです」

洋榎「え」

トシ「それだよ、ロン」

京太郎「ほら」














洋榎「……前にも」ポツリ


_______

____

__



洋榎「なぁ、京太郎」

京太郎「なんです?」

洋榎「さっきの……前にもあったよな」

京太郎「さっき?」

洋榎「さっき、うちが熊倉さんから直撃くらったときや」

京太郎「ああ、あれですか」

洋榎「あれって別に、熊倉さんの待ちを見てたわけやないんやろ?」

京太郎「ええ、まぁ…」

洋榎「前におかんと打ってたときも一緒や」

洋榎「あん時も京太郎はうちらとは離れていたはずなのに、当たり牌が分かってるみたいやった」

洋榎「もしかして……」

京太郎「もしかして…?」ゴクリ



洋榎「未来のことが分かるんか?」


京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「俺が未来から来たって言ったら、笑う?」

洋榎「ま、まさか…」

京太郎「……」

京太郎「ぷっ。あはははっ!!!」

洋榎「な、なんや…人が真面目に質問してるっちゅうのに!」

京太郎「あはは、すみません。あまりに突飛な考えだったもんで、つい」

洋榎「むぅ」プクー

京太郎「はは、怒らないでくださいよ」

洋榎「なら、一体全体何なんや。さっきのは!?」

京太郎「うーん、なんて言うんですかねぇ……」

京太郎「なんというか、危険なものが分かるんですよ」

洋榎「危険?」


京太郎「ええ、さっきの当たり牌なんか特にそうです。なんとなく分かっちゃうんですよ」

京太郎「どの牌を切るべきかとか、このタイミングでリーチをかけて大丈夫なのかとか、ここでカンしていいのかとか」

京太郎「とにかく、あらゆる場面で危険性が直感的に分かるんです」

洋榎「なんやそれ、チートやないか…」

京太郎「そうですね。けど、俺はどのみち対戦することができないんで、麻雀での意味はありませんが」

洋榎「それは、まぁ」

京太郎「もちろん、麻雀限定じゃないですよ、これ」

京太郎「洋榎さんが風邪を引いたとき、熱が高くなることを予測しましたし」

京太郎「大会で、彼らと当たる前にその実力を予想しました」

京太郎「ああいうのも分かるんです。すごいでしょ?」

洋榎「一種の未来予知やな」

京太郎「ええ。ですけど、危険に関するものだけですし、範囲もだいぶ限られてますよ」

洋榎「どゆこと?」


京太郎「せいぜい俺と、俺に近い人のことくらいしか分かりません。例えば、洋榎さんとか」

京太郎「それに、『なぜ?』そうなるのかの原因まではよく分からないんですよ」

京太郎「危険性の有無やその強度は分かるんですけど、その理由まではちょっと…」

洋榎「うーん、なるほどなぁ……でも、なんでそないなこと急に?」

京太郎「……」

京太郎「大事は小事より起こる、と言いますが。今の俺にとって小事は致命傷そのものになりますから」

そう、単なる風邪でさえ

京太郎「いわばこれは、か弱い俺がこの世の中で生きていくために、急遽必要になった生存戦略なんです」

洋榎「京太郎…」

ああ、そんな顔しないでほしい

だから、この話題は出したくなかったんだ

京太郎「ここで、闘うことよりも逃げることを選んだところは正に俺らしいですけどね。はは」

洋榎「……なぁ、なら。それ…うちにも教えてくれへんか?」


京太郎「は?えーと、感覚的なものなんで教えるも何も、ムリムリムリのデンデンムシですよ」

洋榎「いや、その。感覚やなくてな」

洋榎「ただ、うちが打ってる時、京太郎が危険だと思ったら、そのことを教えてくれるだけでええんや」

京太郎「まぁ、別に構いませんけど……そんなことに意味なんてあるんでしょうか?」

洋榎「意味はうちが考える。だから頼むっ!」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「分かりました」

洋榎「!!」

京太郎「洋榎さんのためなら、一肌脱ぎますよ」

洋榎「京太郎!」

京太郎「よしっ、そうと決まればやるだけだ!」

京太郎「さぁ、洋榎さん!!生存戦略、しましょうか?」


_________

______

__




洋榎「ありがとうございましたー!!」ペコリ

豊音「ううん。私も久しぶりに打てて楽しかったよ!」

塞「確かに、麻雀なんて何ヶ月ぶりに真面目に打ったことか」

白望「たまには、こういうのもダルくない…」

胡桃「麻雀はともかく、マナーは上達してたかな?」

洋榎「う、うっさい」


トシ「あまり教えることができたとは言えないけど、応援してるよ」

洋榎「そんなことありません。すごくタメになりました」

トシ「ふふ、そう言ってもらると少しは気が楽になるよ」

トシ「あと、途中から打ち筋が微妙に変わってたけど、あれは結局何だったんだい?」


洋榎「えと……アカンかったですか?」

トシ「いや、そんなことないよ。こういう時に試行錯誤するのはいいことだと思う」

トシ「ただ、何というか。異様な…」

洋榎「?」

トシ「いや、やっぱりなんでもないよ。気をつけて帰りなさい」

洋榎「は、はい」


エイスリン「エト……ヒロエ」

洋榎「?」


エイスリン「行ってらっしゃい」

洋榎「ん、行ってきます」


京太郎「いやー、宮守女子高校。いいところでしたねー」

洋榎「その台詞だけ聞くと変態みたいやで」

京太郎「否定はしませんが」

洋榎「うわ…流石女子の部屋までわざわざやってくる駄犬やな」

京太郎「ひでぇ言われよう」


洋榎「せやけど、みんなええ人達ばっかだったちゅうのは同意するわ」

京太郎「でしょう?」

洋榎「今度来るときは、麻雀じゃなく観光しにきたいなぁ」

京太郎「時間があればそうしたかったんですけどね。次がありますよ」

洋榎「そうやね」

京太郎「俺としては、温泉入りたかったんですけどね」

洋榎「どーせ覗くつもりやったんやろ」

京太郎「滅相もない」




洋榎「あ、めがね橋」

京太郎「ライトアップされてますね。こんなんなるなんて知りませんでしたよ」

洋榎「きれいやなぁー」

京太郎「きれいですねー」


──2月上旬 鹿児島




洋榎「あったか~い」

京太郎「何やってるんですか。バスの本数少ないんだからとっとと行きますよ」

洋榎「イラチやなぁ。情緒っちゅうもんがあるやろー」

京太郎「洋榎さんにだけは言われたくないですね、それ」


岩手は宮守の次は、鹿児島は霧島市までやってきていた

大阪国際空港から鹿児島空港まで1時間と少し。あっという間に南の国だ

正直、気温はそこまで高くはないが、先日まで雪国にいたこともあり確かに暖かく感じてしまう




京太郎「でも、直接神社の方に来てくれって、結構変わってますよね」

洋榎「うちも最初に聞いたときはびっくりしたわ。どひぇー、えらいこっちゃー!!、てな感じで」

京太郎「そこまでではなかったですけど」

京太郎「個人的には永水女子高校に直接行きたかったんですけどねぇ」

洋榎「……変態」

京太郎「男の性ですね。しゃーない」


洋榎「そう言えば、宮守も永水も、次行く新道寺もみんな女子高やったな」

洋榎「京太郎の行ったことのある高校って、女子高ばっかりなんやな」ジロリ

洋榎「もしかして、女子高マニアなん?」

京太郎「ククク、バレてしまいましたか」

京太郎「そうです。長野が誇る女子高愛好家の京ちゃんとは俺のこと」

洋榎「キモ…」

京太郎「そのかわいそうな人を見る目、やめてもらえません?」

洋榎「ごめんな、あまりに気持ち悪くて」

京太郎「まぁ、それは冗談なんですけど。強豪校が女子高ばかりなのがいけないですね」

洋榎「それは確かに。なんでやろ?」

京太郎「さぁ?大人の事情なんじゃないですか?」

洋榎「ふーん」


京太郎「あ、バス来ましたね。行きましょう」

洋榎「おー!」


鹿児島空港からバスに乗り、途中で乗り換えを済ませると霧島山(きりしまやま)の麓近くまでやってきた

ここからさらに北西に進むといくつもの温泉が名を連ねるが、残念ながら今回は行く暇はない

残念だが仕方がない。うむ、実に残念だ…残念だ……


洋榎「うぅ~、寒っ!」

京太郎「そうですね。この辺まで来ると少し寒いです」

京太郎「向こうの霧島山なんて、雪積もってますよ。鹿児島でも降るもんなんですねぇ」

洋榎「はよ行こ、はよ」ブルブル

京太郎「そうしますか


バスを降りて、徒歩で少し歩くと大鳥居が見えてきた

さらに歩を進め、二の鳥居、三の鳥居をくぐるといよいよ社殿がその姿を現した

おのぼりさんよろしく、辺りをキョロキョロしていると向こうから見知った顔が…


?「お待ちしておりました。愛宕洋榎さんですね、私は石戸霞と申します」ペコリ


京太郎「石戸さん来たーーー!!!」

洋榎「キャラ違うてるで」

霞「?」

洋榎「あ、なんでもありません。わざわざご丁寧にどうも…」ペコリ

洋榎「でも、敬語は別にええで。同い年やろ、確か?」

霞「あら、そう?ならそうさせてもらうわね」

洋榎「変わり身早いなー」 

霞「ふふ。さあ、行きましょう。案内するわ」


霞「愛宕さん、あなたそれ少し寒くないかしら?」

洋榎「多少」

霞「鹿児島だと思って甘く見たわね。たまにいるのよね、そういう人」

洋榎「うっ」

霞「だから、はいこれ。私のコート貸してあげるわ」

洋榎「ええの?」

霞「そのために持ってきたんだもの。いいに決まっているわ」

洋榎「ありがとう。んじゃ遠慮なく」


京太郎「いや、しかし神社の中ってこんなになってるんですね。すごく不思議な気分です」

洋榎「……」チラチラ

霞「あら、落ち着かない?」

洋榎「こういう所初めてやし。なんていうか場違いな気がして」

京太郎「落ち着かないのはいつも通りですけどね」

洋榎「」ギロッ

京太郎「ひえー…」

霞「大丈夫。すぐに慣れるわ」


霞「それにこの建物、実はそんなに古いものじゃないのよ」

洋榎「えっ」

霞「ほら、すぐ近くに霧島山があるでしょう?」

洋榎「うん」

霞「あれ火山だから、時々噴火するのよね。だから昔は噴火のたびに火事になっていたらしいわ」

洋榎「ひょえー」

霞「だから、今のこの社殿は1700年頃に再建したものなの」

洋榎「それでも十分古いと思うけどなぁ」

霞「最近では新燃岳が噴火したじゃない?その時もすごい騒ぎだったんだから」

洋榎「昔の人はこんな所によう神社なんか作ろう思うたな…」

京太郎「もはやここまでくると、意地すら感じますね」


会話をしながら歩いていると、いつの間にか目的地であろう部屋に到着した

神社特有の静謐な雰囲気に当てられて、どうやら感覚が鈍っているようだ

どこをどう来たのかよく思い出せない

霞「さあ、どうぞ」


 
ギィィ

小蒔「あっ、お久し振りです愛宕さん!私、神代小蒔と申します」ペコリ

小蒔「寒いですか?今暖房強くしますね」

小蒔「お昼ご飯は食べましたか?もしまだ食べていないんだったらこちらで──」

洋榎「お、おう…」タジタジ

春「姫様、困ってる…」ポリポリ

小蒔「あ、すみませんでした。私調子に乗って、つい…」シュン

洋榎「いやいや、わざわざ気ぃ使うてもろて…ありがとうな」

小蒔「は、はい!」



霞「さて、こちらが愛宕洋榎さんよ。今日と明日みんなよろしくね」

洋榎「いや、お世話になるのはこっちやから、そんなに気ぃ使わんでも」

小蒔「そういうわけにはいきません。大事なお客様なんですから」

初美「そうそう、黙ってお世話されちゃえばいいんですよー」

巴「困ったことがあったら、遠慮なく言ってくださいね」

春「気楽に……」ポリポリ

宮守ではどちらかというとアットホームな感じだったが、ここではお客様待遇なようだ

各高校の特色が出ていてなかなかおもしろい

しかし、永水の最大の特徴は何といっても──







京太郎「でけぇ…」

洋榎「でっか…」

噴火は神の怒りだからそれを鎮めるため、ってのは火山地帯ではよくある信仰。
噴火して焼失しまうのは信仰が足りないからって理屈。
大体そんな噴火は数百年に一度ってサイクルだがら、上手くできてる。

>>351
へえ、そうなんですか。よく知ってますね、勉強になります



霞「?」

石戸さんは国の宝、人間国宝クラスのおもちの持ち主だ。洒落ではない

もはや言葉で語る必要すら感じないほどの、その圧倒的存在感。まさに鹿児島の、いや世界の至宝

彼女の纏う雰囲気と相まって、そこから母性すら溢れているよう。女神だ


小蒔「何がですか?」

石戸さんと比べればサイズこそ劣るが、大きさと形、そしてそのサイズからは想像できない張り

言うまでもなく、ワールドクラスのおもち

間違いなく今年のおもち界のサイヤング・バロンドール賞の最有力候補とみていいだろう


春「……」ポリポリ

上の二人の陰に隠れてはいるが、彼女も相当のポテンシャルを秘めている

恐らく黒糖から得たエネルギーは全ておもちのために使われているのだろう

洋榎さん、滝見さんから黒糖をいただいては如何だろうか?


巴「どうかしました?」

狩宿さん。あなたを見ていると、おもちは大きさだけじゃないということを我々おもちマイスターに思い出させてくれる

サイズはどうしても、上の三人に劣る。これは間違いない

しかし、指通りのよさそうな艶のあるビロードのような赤みがかった髪の毛

思わず守ってあげたくなるような繊細で華奢な身体つき

身体のラインはまるで黄金比のような普遍性をもち、巫女服との組み合わせは細部においてもほころびが見えない

眼鏡は大人の知的さを演出し、髪に結ったリボンは少女のあどけなさをさりげなく残している

我々はそこに一種の完成された美を見る。あなたにはそのおもちこそが相応しい!

美しさという言葉はあなたのためにあるようなものだ


京太郎「イイ…」

洋榎「……」ジロリ

京太郎「近ごーろ私たーちは♪イイ~感じ♪」

洋榎「……」

よし、振り付けも完璧、ごまかせた。たぶん

しかし、イカンイカン。四人の美女を前に思考がオバーロードしてしまった

俺も修業が足らんな。反省せねば。イキねば。

間違えた

生きねば。

まだ見ぬおもちのために!!


洋榎「むぅ…」

京太郎「?」

洋榎「う、うちかて、おかんの遺伝子が半分あるんやからいつか絹みたいに…」ボソボソ

京太郎「叶わない夢を見るのは止めましょう」ポン

洋榎「くっ」

京太郎「それに、洋榎さんにはそれ以外に、素敵なところがたくさんあるんだから気にしない方がいいです」

洋榎「ほんまに…?」

京太郎「半年近く、洋榎さんのそばにいた俺が言うんだから間違いないです。保証します」

洋榎「そ、そう…?そうか、そんなんや…ふふ、えへへ//」

かわいい


霞「さあ、そろそろ練習始めましょう。時間が無くなっちゃうわ」

洋榎「よっしゃ!」

小蒔「私、頑張ります!」

巴「力になれるか分かりませんが、お手伝いしますよ」

春「うん」


洋榎「あれ、何か忘れているような気ぃするけど?」

京太郎「そうですか?気のせいだと思いますよ」















初美「あれー?」

疲れたので寝ます。やっと、半分以上を投下できました
金曜日ですが、いつものように夜11時に投下できるか分かりません
おそらく、12時ごろになるかと思います
では、おやすみなさい

急な用事が入りましたので、今日の夜は投下しません
もし待っていた人がいるなら、申し訳なく思います
では、また

訂正。見直していたら気付きました

>>336 上から三行目
京太郎「俺が未来から来たって言ったら、笑う?」

京太郎「俺、未来から来たって言ったら、笑う?」

以上でお願いします

今日は夜11時とはいきませんが、12時過ぎには投下できると思います
では


________

_____

__




練習が終わると、(俺と)洋榎さんは神社の境内から少し離れたところに、客間を用意された

木造の建物で落ち着きがある。大阪ではこういうものは中々無かったので新鮮さを感じる


京太郎・洋榎「ふぃー、疲れたー」

洋榎さんにその場その場の危険を伝えるだけの簡単なお仕事のはずなのだが

これは思っていた以上に集中力を使う


京太郎「くっ…これが『能力』の使い過ぎの『代償』なのかっ…!」

京太郎「だめだ、これ以上意識が……」

洋榎「京太郎、京太郎っ!?だめや、目を閉じたらアカン!」

洋榎「うちの目を見るんや!!アイズ・オン・ミーや!!」

京太郎「どうやら俺は……ここまでのようです」ゴホッ

洋榎「京太郎っ…」ポロポロ

京太郎「洋榎さん…お願いだから…泣かないでください」

京太郎「せっかくの綺麗な顔が台無しだ」

洋榎「……」ゴシゴシ

京太郎「最後に一つだけ……いいですか?」

洋榎「……」コクリ

京太郎「家族に……愛していると…つた……え」

京太郎「……」ガク

洋榎「京太郎ーーーっっ!!」


コンコン

初美「ご飯できましたよー」

京太郎「……」ムクリ

京太郎・洋榎「はーい」


洋榎「メニューなんやろなぁ。今から楽しみや!」ウキウキ

京太郎「俺一回、鹿児島奄美の鶏飯ってのを食べてみたかったんですよ」

京太郎「後で誰かに作り方聞いてもらえません?隣でメモするんで」

洋榎「ええよええよ」

京太郎「よしっ!帰ったら雅恵さんと絹恵さんにも、ぜひ食べてもらいましょう」

洋榎「おっ、それええな」

京太郎「さあ、行きましょうか」


永水の皆と食事を済ませた

九州男児もびっくりの量の料理が用意されていたので、洋榎さんの分を少しいただいた

どの料理も素晴らしかったが、特に豚骨料理がめっちゃ美味しかった。大阪に帰っても作ってみようと思う

あと、食後に出された餡の入っていない軽羹(かるかん)も、素朴な郷土料理といった風情で楽しむことができた


約束通り、洋榎さんに頼んで鹿児島料理のレシピを教えてもらった

驚いたのは、石戸さんや狩宿さんよりも薄墨さんが最も料理に詳しかったことだ

ただの露出ロリ枠と思って侮っていたが……大変申し訳ありませんでしたっ!!


そして、お風呂も済ませ、歯磨きを終わらせると、いよいよ寝るだけとなった

このまま床に就くのも悪くはないが、それでは味がなさすぎる

洋榎さんも見当たらないし、外をブラブラしますか


外に出ると満点の星空。大阪では中々お目にかかることができなかった光景だ

山奥の夜ということもあり、空気が澄みきっている

神社が近いので、雰囲気も抜群に良い


見晴らしのよい場所を求めてさまよっていると、二人の女性の後ろ姿を発見した

洋榎さんと狩宿さんである

二人の赤みがかった髪の色を後ろから眺めると、本物の姉妹よりもよっぽど姉妹らしい

もちろん、狩宿さんのほうがお姉さんだ

二人は霧島山の方を向いて、何か喋っているようだ



巴「ここからの眺め、綺麗でしょう?」

巴「今はまだ雪化粧してますけど、春になると緑が顔を出してくるんですよ」

巴「5月の終わり頃になるとミヤマキリシマ(深山霧島)も咲き始めて、それはもう綺麗で」

洋榎「ミヤマキリシマ…?」

巴「ツツジの一種で、ピンクの花がとても綺麗なんですよ。それこそ一面に咲いて」

洋榎「ツツジ…?」

だめだこりゃ


京太郎「ほら、よく道路脇に植えてあって、春頃に咲く花のことです」

洋榎「!」ピクッ

京太郎「子供のころ、よくその花の蜜を吸ったことがあると思いますよ」

洋榎「ああ…」

巴「?」

巴「今度来る時があったら友達と一緒に、その頃来るといいですよ。みんなで案内しますから」

洋榎「うん、そん時は頼むわ」

巴「ええ」


巴「じゃあ、私はそろそろ行きますね。愛宕さんはまだここに?」

洋榎「もうちょっとだけ」

巴「分かりました。身体が冷えないように気を付けてくださいね。お休みなさい」

洋榎「うん、おやすみ」

巴「……」

巴「あと、頑張ってください。愛宕さんはそのままでも十分すぎるほど魅力的だから、大丈夫ですよ」

洋榎「あ、ありがとう…//」

京太郎「?」


洋榎「行ったか…」

洋榎「さて、乙女の会話を盗み聞きするとはええ度胸してるなぁ」

京太郎「すみません。プライベートな会話をしているようではなかったのでつい」

洋榎「そ、そうか…?なら最初の会話は──」ゴニョゴニョ

京太郎「はい?」

洋榎「いや、なんでもあれへん。気にせんといて」

京太郎「はぁ」


洋榎「何しにここへ?」

京太郎「外に出たら星が綺麗だったので、眺めのいいところを探してたんです」

洋榎「せやったん」

京太郎「大阪ではここまで星がよく見えないんで、ここで見溜めしとこうと思いまして」

洋榎「見溜め、ねぇ」


京太郎「さっき狩宿さんも話してましたけど、星だけじゃなく霧島山も綺麗ですよね」

洋榎「むっ。お、大阪にだって天保山あるし!」

京太郎「天保山ってあーた…せめて愛宕山ぐらいは挙げときましょうよ」

洋榎「はは、うちだけに愛宕ってか!こら一本取られたなー!」

京太郎・洋榎「あっはっはっはー!!」

洋榎「って、やかましいわ!!」ビシッ

京太郎「……」

洋榎「……」



洋榎「なぁ、京太郎」

京太郎「なんです?」

洋榎「…こんなとこまで来て、牌遊びに夢中になって、アホみたいやな」

どうしたんだ、急にそんな。らしくない

京太郎「そう、ですね」

そうなのだろうか?


洋榎「そや!せっかくやから、星のこと教えてくれへん?」

京太郎「ん…ああ、もちろん構わないですよ」

京太郎「今は見頃なんで、ネタはたくさんありますから」


京太郎「この時期は、一年でも最も多い数の1等星を見ることができるんです」

洋榎「1等星?」

京太郎「特に明るい星のことをそう言うんです」

京太郎「オリオン座は分かりますね?」

洋榎「そんくらいなら」

京太郎「例えば、今見えているオリオン座の、あの左上の星はベテルギウスっていうんですが、あれも1等星です」

洋榎「ふーん」


京太郎「それでオリオン座の真ん中に、三つの星が並んでいるベルトがあるじゃないですか」

洋榎「うん」

京太郎「その少し下にぼんやりと光る雲みたいなもの見えません?」

洋榎「うーん…うっすらとあるような、ないような」

京太郎「大阪では見えませんでしたけど、それオリオン大星雲っていう星の赤ちゃんみたいなものなんですよ」

洋榎「星の赤ちゃん?」

京太郎「ええ」


京太郎「初期の宇宙に存在した元素はほとんどが水素で、ごくわずかにヘリウムがあったと言われています」

京太郎「水素はとても軽い元素ですが、質量があるので重力を及ぼします」

京太郎「なので、長い時間をかけると水素の集団ができてくるんですよ」

京太郎「オリオン大星雲もそうやってできた、水素の大集団なんです」

洋榎「なるほど」


京太郎「もちろん、水素が集まってはい終わり、というわけじゃありません」

京太郎「さらに水素が集まって重力が増していくと温度が上昇して、ついには核融合が起こります」

洋榎「核融合?」

京太郎「この場合は、より重い元素を作る過程と思ってもらって結構です」

京太郎「つまり、水素を元にして、炭素や酸素などのより重い元素が核融合でどんどん作られていくんですね」

洋榎「星も料理をするんやな。えらいやっちゃ」

京太郎「おもしろい例えですね。まさにそんな感じです」

京太郎「だけど、この核融合は鉄を作ったところで止まってしまうんですよ」

洋榎「なんで?」

京太郎「鉄はとても安定な元素なんで、この条件下ではそれ以上核融合が起こってくれないんです」

洋榎「ふむ」


京太郎「けど、ここで疑問が湧きません?」

洋榎「何が?」

京太郎「例えば、洋榎さんが今持ってるスマートフォンなんか鉄より重い元素たくさん使ってますよね?」

京太郎「それだけじゃありません。金・銀・銅などはもとより、ウランなんか鉄よりはるかに重い元素ですよ」

京太郎「世の中に鉄より軽い元素が存在する理由は、さっきの説明でなんとなくは納得できます」

京太郎「では、それよりも重い元素は一体どうやって作られたんでしょうか?」

洋榎「う~ん…ギューン、バーン!、てな感じで?」

京太郎「適当ですけど、かなりいい線いってますよそれ」

洋榎「マジ?」

京太郎「大マジです」


京太郎「実は、ある質量以上の星は鉄の核融合が終わったあと、超新星爆発ってのを起こすんです」

京太郎「この爆発、まるで新しく星が誕生するように見えるんで、爆発するのに『新星』なんて名前が付いているんです」

京太郎「おもしろいでしょう?」

洋榎「矛盾してるやん」

京太郎「いえ、必ずしもそうとは言えません。この爆発の後には中性子星やブラックホールなどの新しい『星』が残るからです」

京太郎「これらの星は、それ単体でも非常におもしろい性質を持ったものなんですけど、ここではその話は横に置いておきますね」

洋榎「ええー」

京太郎「今度暇なときにでも、話しますよ」


京太郎「さて、話が少し逸れましたけど、この超新星爆発が起こる時に、実は鉄より重い元素ができるんです」

京太郎「そして、その爆発と共に今まで作られてきた様々な元素も宇宙にバーンとばら撒かれるわけですね」

京太郎「こうやってばら撒かれた星の欠片が、何十億年かけて巡り巡って、今の地球に様々な元素をもたらしたんです」

洋榎「宇宙の営み、壮大すぎるで…」

京太郎「そうですね」

京太郎「数十億年以上かけて、これらのことが起こっているって言うんですから」

京太郎「もはや人間の100年なんて短すぎて、宇宙の欠伸にも満たないですよ」


京太郎「あのオリオン大星雲もいつかは核融合が起こして、超新星になって、新たな星の元になるのかもしれません」

京太郎「そして、オリオン座を形作っているベテルギウスは近いうちに超新星になると言われています」

京太郎「まぁ、近い内といっても明日かもしれませんし、数万年後かもしれませんし、よく分かりません」

京太郎「ただ、生きているうちに見ることができないかもってのは、ちょっと悔しいですね」

洋榎「オリオン座なくなってまうん?」

京太郎「星座といえど、不変じゃないんですよ」

京太郎「……」


ああ、なるほど。このモヤモヤとした感じ、分かったぞ


京太郎「さっき洋榎さんが、"牌遊び"って言って、俺もそれに同意しましたけど」

洋榎「うん」

京太郎「その台詞、取り消します」

洋榎「は」

京太郎「確かに、麻雀なんか星の歴史に比べれば、それこそ地球から見た軌道上のデブリのようなものかもしれません」

洋榎「……」

京太郎「けど、俺はそうは思いません」


京太郎「麻雀は単なる牌を使ったルールの集合で、その牌にしたってただの樹脂の塊です」

京太郎「それ自体には何の意味もありません」

洋榎「……」

京太郎「最初は大した戦略もない、運任せのゲームだったのかもしれません」

京太郎「しかし、勝ち方が分かってくれば、戦略や戦術が生まれていきます」

京太郎「勝ち方分かるなら、それはもはやゲームの枠を超えて競技なります」

京太郎「けど、いくら技術的なことが幅を利かせても、運の要素を排除することはできません」

京太郎「これこそ、勝負事の妙ですね。野球なんかもそうですが」


京太郎「今まで、洋榎さんや雅恵さんの対局を何度も間近で見ていて、気付いたことがあるんです」

京太郎「"流れ"とかいうオカルト的なものが、その場を支配しているように見える時がありましたし」

京太郎「数学的な統計上の判断が、命運を分けることがありましたし」

京太郎「ミスとさえ言えないようなわずかなズレが、驚くほど明確に優劣を分けることがありました」

京太郎「洋榎さんは、長いこと打ってるからこんなこと既にご存知ですよね?」

洋榎「……」

京太郎「けど俺は、こんな身体になって初めて実感することができたんです」

京太郎「今まで真剣に、麻雀に取り組んだことがなかったからでしょう」

京太郎「悪いことも、悪いばっかりじゃありません」

洋榎「……うん」


京太郎「あの、たった70センチ四方程度の卓上に、これまで数えきれないほど様々な思惑が駆け巡ったに違いありません」

京太郎「賭け事として使われることもあったでしょうし、単に自身の矜持のためだったのかもしれません」

京太郎「その中には人生を左右するようなこともあって、中には将来や夢を決定づけることも…」

洋榎「……」

京太郎「現代ではあれほどの競技人口があるんです」

京太郎「長い歴史の中には、表に出ることもなく忘れ去られた人の数の方が多いのでしょう」


京太郎「俺には、もはやあの牌はただの樹脂の塊には見えません」

京太郎「麻雀はルールの集合で、プレイヤーはそれに従っているだけなのだ、とは口が裂けても言えません」

京太郎「"牌遊び"、と言うにはあまりにも勿体ない何かが、そこにあるように思えます」

洋榎「……」


京太郎「あっ、偉そうにしてすみません。話が長すぎました。最近俺、こんなんばっかですね」

京太郎「イラチな洋榎さんにはきつかったでしょう?」

洋榎「はっ、なに言うてんだか」

京太郎「……」

京太郎「俺は洋榎さんが麻雀しているとこ見るの、好きですよ」

京太郎「だから、そんなこと言う必要はないです」

京太郎「惚れ惚れするくらい、かっこいいんですから」

洋榎「…うん」



しばらく沈黙が続いた後、それとなく視線を少し上げてみる

本当に星が綺麗だ。それに比べて人間とはなんとちっぽけなことか

でも、それでいいんだ。うん、それで


洋榎「ハー…」

京太郎「手、寒いですか?」

洋榎「少し」

京太郎「ちょっと待ってください。確かコートの中に予備のカイロがあったはず」

京太郎「……」ゴソゴソ

京太郎「……」

京太郎「あー、洋榎さん。ボビー・オロゴンの出身地は?」

洋榎「ナイジェリア」

京太郎「現在セリエAのローマに所属していて、ベルギー代表歴もあるサッカー選手と言えば?」

洋榎「ナインゴラン」

京太郎「ナイジェ♪ナイン♪」

洋榎「…なかったんやな」

京太郎「人生なかなか、ままならないものですね」

洋榎「せやな」


洋榎「あ」

突然、何か気付いたような素振りをみせた

洋榎「あー……//」モジモジ

京太郎「……」

洋榎「あ、あんなぁ……その…///」チラチラ

京太郎「……」

視線をあちこちに漂わせながら、手と手を合わせてモジモジさせている

もしかして、ナックルカーブの練習だろうか?

京太郎「洋榎さん、ボールの変化については流体力学でいうところのマグヌス効果の理解が重要でして──」

洋榎「変化球の練習ちゃうわ!」

京太郎「はは、冗談です。少しからかいすぎましたね、ごめんなさい」

洋榎「もう、知らんっ!」プイッ

うーむ、怒らせてしまったようだ。これはこれで、かわいいのだが……困ったぞ

こうなれば、実力行使しかあるまい



京太郎「すみません、失礼します」

ギュ

洋榎「えっ」

洋榎「~~っ!?///」

京太郎「どう、でしょうか?」

洋榎「……ま、まままままぁ、悪くはない、な///」ゴニョゴニョ

京太郎「ならよかったです」

洋榎「う、うん」

京太郎「これなら温かいですね」

洋榎「うん///」

顔を赤らめながら、少し俯いたその姿はあまりにも可憐で健気だった

それこそ、抱き締めたくなるほどに

だが、急にそんなことしたりはしない。俺は紳士なのだ





ほのかな温かさをその手に感じながら、二人でしばらく天球に張り付く星々を眺め続けた

不覚にも、顔に熱がこもるのを感じてしまったが、これは洋榎さんには内緒だ

男子といえど、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ


──2月上旬 鹿児島




2日目の練習も終わり、俺たち二人は境内の外を歩いていた

今日はこのまま帰途に着くことはせず、このまま福岡の新道寺女子高校に行く予定だ

時間と経費の削減だ


京太郎「どうでした?」

洋榎「なにが?」

京太郎「収穫ありました?」

洋榎「うーん……まだよう分かれへん」

京太郎「そうですか」

洋榎「でも、手ごたえってわけやないんやけど、何というか…」

京太郎「?」

洋榎「変わったような、変わらんような…」

京太郎「どっちですか?」

洋榎「言うたやん、分からんって」


確かに、対局を見ていても、前より打ち筋が変わってきているとは思う

もちろん、良いか悪いかは別にして。というか、俺には雀士の繊細な機微などよく分からないのだが

調子もだんだん取り戻してきているし、前の状態に戻るのは時間の問題だろう

だが、前の状態に戻ったところで、あの大会で出会った彼らのような人間に勝てるわけではない

俺の見立てでは、彼らを最初に見たときに感じたような危険な雰囲気を、洋榎さんからはまだ感じ取れない


まあ、それはいいや。今は次の新道寺でどう成長できるかだ

けど、あそこの人達、あんまりおもちがなかったんだよなぁ…残念


京太郎「さぁ、行きますか」

洋榎「りょーかい」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




巴「行ってしまいましたね」

霞「あっという間だったわね。少し寂しいわ」

初美「光陰矢の如し、ですねー」

春「うん……」ポリポリ

小蒔「私、今日の対局中の記憶、ほとんどありません…」

霞「神様降ろしちゃったから、仕方がないわね」

初美「ですねー」


小蒔「愛宕さん、大丈夫でしょうか?」

巴「確かに心配ですね。全国大会のときに比べて、らしくありませんでしたし」

霞「まるで、メジャーの固いマウンドにまだ慣れていない状態で、新しい変化球を試しているようなものだったわね」

「「……」」

霞「…ごめんなさい、分かりずらかったわね」

初美「まるで、適正ポジションは左サイドバックなのに、急遽ボランチを任されてしまったかのような状態でしたよー」

「「……」」

初美「…ごめんなさい、分かりずらかったですねー」


小蒔「あっ、私それ知ってます。『天丼』って言うんですよね」

春「姫様、どこでそれを?」

小蒔「愛宕さんから直接教えてもらいました」ドヤッ

巴「姫様、よかったですね」

小蒔「えへへ」




霞「そういえば、小蒔ちゃんが今日降ろした神様は…?」

巴「えーと、確か。ニニギの──」

霞「え」

巴「どうかしました?」

霞「い、いえ……私てっきり一番弱い神様だったのかと思ってて」

巴「どうしてですか?」

霞「あら、見てなかった?だって彼女、危うく姫様を完──」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


──2月中旬 長野




鹿児島の後は、福岡の新道寺女子

その後も全国各地を飛び回り、奈良、広島、東京などどこにでも行った

そして、いよいよ全国(ほぼ)女子高巡りも最終目的地


洋榎「うーん、なーんもあれへんなぁ」

京太郎「何もない、があるんですよ!!」

洋榎「べ、別にムキにならんでもええやん…」

京太郎「まぁ、ほんとに何もないんですけどねー」


俺たちは今、長野県の清澄高校

言わずもがな、俺の母校に向かって歩いている



洋榎「……」キョロキョロ

京太郎「どうしたんですか、キョロキョロして」

京太郎「そんなことしてると、県警にマークされますよ」

洋榎「いやな、京太郎はここで育ったんやなぁ思て」

京太郎「それはそうですけど、楽しいですか?」

洋榎「楽しいっちゅうか、興味深い」

京太郎「……」

どうしよう。かなり嬉しいぞ、これ


________

_____

__




─清澄高校


半年ぶりくらいか、ここに来るのは

みんな元気にしているだろうか?

あれからもっと強くなることはできたのだろうか?

早く会いたいような、でもそうでもないような。変な気分だ


手に汗が溜まるのを感じる。だめだ、なんだか緊張している

洋榎さんが部室の扉をノックしようとしている。しかし、止めてはいけない



コンコン

洋榎「失礼します」

京太郎「……」


ガチャ


和「うおぉーーー!!咲さーーんっ!!うおぉぉぉーーーーーー!!!!」

咲「ちょ、なんでこういう時に限ってみんないないの!?」


洋榎「……」

京太郎「……」


和「そないなこと言うても、ここはもう大洪水になってるやないか。ぐへへ」

咲「何言っているの!?これ、さっきこぼした花瓶の水でしょ!!」


洋榎「……」

京太郎「……」


和「あぁ~ん、咲さぁ~ん。私たち以外誰もいないんだから、いいかげん素直になっ…ても……?」

咲「い、い、い…やぁー……?」

和・咲「──あれ?」


洋榎「……」

京太郎「……」


バタン


京太郎「ごめんなさい、洋榎さん。どうやら俺がいない間に部室の位置変わってたみたいです」

洋榎「ハハ、そうみたいやな」


バンッ!!


咲「ちょ、ちょっと、助けてくれてもいいじゃないですか!」

洋榎「え?てっきり長野では一般的なプレイなのかと……」

咲「どうみても私、襲われてたじゃないですか!?」

洋榎「せやったの?ごめんごめん」

咲…どうやら元気そうだが、その……貞操の方は大丈夫だろうか


和「すみません、お見苦しいところを。ですけど、もう安心してください」

和「咲さん成分はたっぷり頂いたので、あと5時間は持つはずですから」ニコリ

だめだこいつ、あれからさらに悪化してやがる

しかも、たった5時間って…家にいる時はどうしているんだろうか?想像したくない



まこ「ああ、もう来ておったんか。遅れて申し訳ないのう」

洋榎「いやいや、こっちが勝手にやってることやから」

まこ「わしがここの部長の染谷まこじゃ。よろしゅう」

洋榎「うちが姫松高校麻雀部の元主将、愛宕洋榎や。よろしく」

染谷先輩は前より頼もしくなっている気がする。部長らしくなったというか

この口調を聞くと、清澄に戻ってきたんだなと実感する


優希「大阪の人、久しぶりだじぇ」

洋榎「えーと、誰やったけ?」

優希「ひどいじぇ!清澄のエース・オブ・エースを忘れるとは!」

洋榎「嘘や嘘。ちゃんと覚えてる。清澄のタコス娘やろ」

優希はうーん……いつも通り。相も変わらずといった感じか

しかし、恐らく染谷先輩と共に和のストッパーになっているのだろう

後で、洋榎さんに頼んでタコス渡してやるからな


久「ハロー、久しぶりね」

洋榎「おお、ほんまに久しぶりやな。元気にしとった?」

久「まぁね、おかげさまで元気にしてたわ」

まさか、竹井先輩まで来るとは思っていなかった

この様子だと、大学も受かって暇してる感じなのだろう。よかった


まこ「さて、挨拶はこれくらいにして、と」


挨拶もそこそこに、早速練習モードだ

部長の声を皮切りに、いよいよ最後の修業が始まった


_______

____

__




洋榎「お疲れさま。んじゃ、うちはちょっと」

久「あら、どこ行くの?今日はここに泊まっていくはずでしょ?」

洋榎「行きたいところがあんねん」

久「そうなの、ならいいけど。夕飯までには、ちゃんと帰ってくるのよ」

洋榎「うちは小学生か……ほなな」


パタン



京太郎「どこ行くんですか?洋榎さん、ここら辺の土地勘ないでしょう?」

洋榎「んー、まぁ、ちょっとな」


京太郎「何ですかそれ?」

洋榎「ついて来れば、そのうち分かると思うで」

京太郎「はぁ」


自分で言うのもなんだが、何にもないぞここら辺

実は重度の鉄オタで、JR七久保駅にどうしても行きたかった、というなら話は別だけど


清澄高校を出ると、スマートフォンを取り出して、何かを見ているようだった

特に言葉を交わすこともなく、しばらく洋榎さんの後を付いていく

うーん、なんだろうこの道筋は。すごく懐かしいような……






あっ


京太郎「…洋榎さん、ちょっとそのスマホ見せてもらってもいいですか?」

洋榎「ほい」

京太郎「やっぱり、グー○ルマップだ!」

洋榎「グー○ル様様やで、ほんまに」

京太郎「どこでうちの住所を!?言った覚えありませんよ!」

洋榎「机の上に、部員名簿ほっぽりぱなしやったからそん時」

京太郎「おのれ部長めっ!」

洋榎「ええやないか、減るもんでもないし」

京太郎「個人情報ってなんだっけ?」

洋榎「ほら、アホやってるうちにもう着いたみたいやで」

洋榎「ほな行こ」

京太郎「ええー…」


ここまで来てしまったので、仕方なく洋榎さんを家に上げることにする

しかし、この時間帯、父さんは仕事でいないが母さんは中にいるはずだ。どうしよう?

俺の部屋がある2階には、滅多に来ることはないから……よしっ!それでいこう


京太郎「すみません、少し窮屈かもしれませんけど、そこのカドで待ってて貰えませんか?」

洋榎「ああ、うん」

京太郎「そこなら、死角になっているので見つかる心配はありません」

京太郎「俺が合図したら、そこの段差を使って二階によじ登ってください。洋榎さんならできるでしょう?」

洋榎「余裕余裕。今日はスカートじゃなくてよかったなぁ」

当たり前だ。誰が他人に見せてやるものか



さて、やり方が決まったところで、俺はいたって普通に合鍵を使って家に入った

台所を見ると、久しぶりに母さんの後ろ姿が…

この香りは何だろうか?この料理は何だろうか?誰のために作っているのだろうか?

ほんの少しだけ、目頭が熱くなった


階段を上り、自分の部屋に入ると、驚くほど何も変わっていなかった

まぁ、当たり前なのだが

しかし、ホコリはかなり積もっている。半年近く放置していたのだ。こうもなる

10分ほど簡単に掃除をして、窓の鍵をあけると、スマホを使って洋榎さんに合図を送る




京太郎『こちらα1、準備が完了した』

洋榎『こちらα2、了解した。作戦行動に移る』

段差を利用し、器用に屋根まで登ると、あっという間に俺の部屋に侵入することができた

京太郎「慣れてますね」

洋榎「昔、絹と一緒にこういう事して遊んでたから」


洋榎「ふーむ、しかし。これが京太郎の部屋か…普通やな」

京太郎「いったい何を期待していたのだか」

洋榎「エロ本、ドーン!脱いだ服、バッサー!みたいな?」

京太郎「俺、綺麗好きなんで」

洋榎「おもんないわぁ」


洋榎「しかし、庭にプールとは恐れ入ったわ。ほんまに金持ちやったんやね」

洋榎「さすが、うちの分の旅費も出してくれるだけのことはある」

京太郎「別に金持ちってわけじゃないですよ」

洋榎「金持ちはみんなそう言うんやで」

京太郎「前にもの同じようなやり取りしましたけど、金持ちじゃなくてもそう言いますから」

京太郎「それに、これは俺の金じゃなくて親の金です。自分で稼いだわけではありませんので」

洋榎「相変わらず、かったいなぁー」

京太郎「あと、言っておきますと。あのプールはうちのカピ専用のものなんで」

洋榎「カピ?」

京太郎「カピバラです」

洋榎「あのヌートリアに似てる?」

京太郎「ああそういえば、天王寺動物園にヌートリアいましたね。あんな感じです」

洋榎「すごいな…後で見せて見せて!」

京太郎「いいですよ」



洋榎「おっ、早速卒業アルバムはっけーん!まずは幼稚園のころからやな」ワクワク

京太郎「そこからっすか」


洋榎「ほわ~、中々かいらしいなぁ」

京太郎「そうですか?」


洋榎「ちょっと見てみぃこれ、今と変わらんアホ面してるで」ケラケラ

京太郎「いや、洋榎さん。俺の顔写真でしか見たことないでしょ」


洋榎「あかん、これ泣いてるやないか。どないしたの?」

京太郎「ああ、これはですね──」


洋榎「ほいじゃ次は、中学校や」

京太郎「はいはい」

洋榎「おっ、京太郎めっけ。あれ?横におるのって…」

京太郎「ああ、咲のやつですね」

洋榎「仲良かったんやなぁ」

京太郎「腐れ縁みたいなものですよ」


洋榎「京太郎!、かと思たらまた咲ちゃん…」

京太郎「あいつ、いつも一人で本読んでましたから。俺とその他数人とくらいしか喋ってるの見たことなかったな」

洋榎「そ、そうか」


洋榎「集合写真やな、どーれ京太郎は……ってまた咲ちゃんやんか!」

京太郎「あの頃は結構べったりでしたからねえ」

洋榎「むぅ…」

京太郎「今ではそんなことありませんけど、中学時代の咲はですね──」


アルバムを眺めながら、昔話をしているとあっという間に時間が過ぎた

そして、清澄への帰り道


京太郎「すみませんって、洋榎さん…」

洋榎「ふんっ!うちが隣にいるちゅうのに、他の女の話に夢中になって!」

他の女って…昼ドラみたいだな

京太郎「悪かったですって、今度おいしいものでも奢りますから機嫌直してくださいよ」

洋榎「……」

洋榎「じゃあ、たこ焼きとお好み焼きと串カツとラーメン」

京太郎「…太りますよ?そのくらいならいいですけど」

洋榎「ただしっ!」

京太郎「?」

洋榎「京太郎と一緒に、やからな…//」ゴニョゴニョ

京太郎「……」

これは反則ではなかろうか


ポトリ

京太郎「あっ、洋榎さん。何か落としましたよ」

洋榎「え」


?「あら、あなた。何か落としたわよ」


洋榎「え」

え、この声

京太郎「げっ、母さん!?」

洋榎「え」

母「あらどうしたの?豆鉄砲食らった鳩みたいな顔してるわよ」

洋榎「い、いえ…なんでもありません。ありがとうございます」ペコリ

母「うーんと、もしかしてあなた、観光客の方かしら?」

洋榎「そ、そんなところです」



母「変わってるわねー。ここら辺何もないでしょう?私が言うのも何だけどね」

洋榎「はぁ」

母「あらいやだ。思わず引き止めちゃったわ。ごめんなさい」

洋榎「いえ、こちらこそ。わざわざありがとうございました」

母「礼儀正しい娘ね。偉いわー。じゃあ、はい、これ」

洋榎「えーと、これは?」

母「あら、大阪のおばちゃんは見知らぬ人にも飴をあげるって聞いたんだけど」

飴ちゃんいる?、てか

洋榎「私、大阪から来たなんて一言も…」

母「イントネーションがちょっと変わってたし」

母「それに、清澄が全国大会に出てた時に、チラッとあなたのことをテレビで見たことあるわ」

母「大阪の姫松だったかしらね」

洋榎「その通りです」


母「私、麻雀なんてほんとは興味ないのにね。なんで、わざわざ見てたのやら」

京太郎「……」

母「あら、ごめんね。また時間取らせちゃって。歳取るとほんとにダメね」

洋榎「いえ、そんな」

母「何もないところだけど、ゆっくりしていってね。じゃあ、さようなら」

洋榎「はい。さようなら」

洋榎「……」

洋榎「……」

洋榎「あの、一つ聞いてもよろしいですか?」

母「?」

洋榎「須賀京太郎、ってご存じないですか?」

母「須賀?ここら辺だとうちくらいなものね、その苗字は」

母「でもごめんなさい、知らないわ」

洋榎「そう、ですか…」

母「でも、もし──」

洋榎「?」

母「もし私に子供がいたなら、そんな名前を付けたかもしれないわね」


_______

____

__



洋榎「ごめん、京太郎」

京太郎「何がですか?」

洋榎「ごめん…」

京太郎「……」

京太郎「母さんから貰った飴食べましょうよ。ちょうど2つでしたし」

洋榎「うん…」


洋榎さんと一緒に、夕暮れの歩道を歩いていく。影のできない不思議な光景が目に映った

マッジックアワーだ、と思った。しかし、いつもみたいに洋榎さんにそれを説明する気にはなれなかった

楽しいことも、辛いことも。この飴みたく、最初から分け合うことができたらよかったのに


京太郎「甘いですね」

洋榎「甘いな」

疲れたので寝ます
日曜は夜の12時頃投下できるように努力します
おそらく、あと二回ですべて投下できるかと思います
おやすみなさい


部員名簿に名前残ってるのか

>>421
すみません、説明不足だったかもしれません
残っていても、京太郎・洋榎以外には認識できないという設定にしておいてください

少しだけ投下します


──2月中旬 長野




2日目の練習もいよいよ終わりに差し掛かってきた

少し休憩をとっていると、洋榎さんは何か目に付いたようだ


洋榎「あの写真は?」

咲「ああ、あれですか。夏の、全国大会の時の写真です」

"みんな"で最後に撮った、集合写真だ

久「綺麗に撮れてるでしょー。どうやら私、写真の才能もあるみたいなのよね」フフン

優希「先輩、前にも同じこと言ってたじぇ」

まこ「優希、久は受験の影響で脳が、もう……」

優希「先輩…」

久「ちょっとひどくない、それ」

和「……」グッ

久「仲間!、みたいな仕草やめて。まだまだ和ほどじゃないから」

和「ちっ」


咲「よく撮れているかは別にして、その写真がどうかしましたか?」

久「咲まで…」

洋榎「いや、ここに…」

咲「?」

洋榎「ここにさっ…」

京太郎「洋榎さん」

洋榎「っ…」

咲「どうかしました?」

洋榎「いや…なんでも」


久「いやー、しかし。時が経つのは早いわね」

まこ「そうじゃな、もう半年くらいかのう」

優希「二人とも年寄りくさいじぇ。まあ、私はまだまだピチピチだけど」

久・まこ「なぬっ」


久「この頃はまだ、和も比較的まともだったのにね」

咲「そうですね」チラッ

和「なんですか、咲さん?じっくりねっとりこっちを見て。ついに私に興味を持ってくれましたか」

咲「まず、その発言がちょっときつい」

和「そんなぁ~」


久「まぁ、でも。そんな和や咲、それに優希が入ってくれたから全国に行けたんだけど」

まこ「それまでは、団体戦やる人数すらおらんかったからのう」

久「ふふ、そうね。部室に二人だけだったころが懐かしいわ」

咲「今じゃ毎日賑やかですもんね」

久「だから、あなた達3人には本当に感謝してるわ。もちろん、まこもね」

優希「照れるじぇ」

和「そう言われると、悪い気はしませんね」

咲「わ、私はそんな──」











洋榎「あんまりや…」ボソ

咲「?」


洋榎「これじゃ、あんまりや」

咲「愛宕、さん?」

洋榎「いくら京太郎が、地区予選敗退の麻雀ド素人で雑用くらいしか取り柄がない言うてもっ!」

いや、そこまで言わなくてもいいのでは…

洋榎「それは、あんまりやっ!!」

久「ちょ、ちょっと、どうしたのよいきなり!?」


洋榎「……」

洋榎「咲ちゃん、和ちゃん、それに久。打つで」

優希「仲間はずれだじぇ」

まこ「お、おい…」

洋榎「もちろん、本気で。半荘や」

「「……」」


久「ふぅー…分かったわ。何があなたを怒らせたかは知らないけど、やりましょう」

まこ「久…」

久「ブランクがあるとはいえ、私は強いわよ」

洋榎「望むところや」


和「私は構いませんよ。ただし、さっきまでのようにただの練習相手と思わない方がいいでしょう」

洋榎「言うねぇ」


咲「何だかよく分かりませんけど、みんなのこと侮辱された気分です」

咲「手加減なしの本気でいかせてもらいます」

洋榎「特に咲ちゃん、あんたには負けへんで。いや、負けられへんのや」


洋榎「あと、京太郎。今回はアドバイスいらんから」

もはや、俺がいること隠す気ないな、この人

京太郎「……分かりました」


洋榎「ほな、行くで!」


_______

____

__




久「じゃあ、またね」

洋榎「おう」

久「しかし、あなたも熱くなることあるのねぇ。意外だったわ。普段は飄々としてるくせに」

洋榎「うっ…あれは忘れてもらえるとありがたいわ//」

久「ふふ、そうしとくわ」ニヤリ

あ、悪い顔してる。絶対覚えておいて、後で何かあった時にこのこと使う気だな

洋榎さんは気付いてないみたいだけど

まったく…この人も変わらない


久「でもあなた、前と少し雰囲気変わったわね。最初は気付かなかったけど」

洋榎「んー、麻雀の話?」

久「それもあるけど……なんというか。柔らかくなったというか、前はもっとツンツンしてたわ」

洋榎「なんやそれ?」

久「綺麗になったわよ」

洋榎「…その台詞は、男の口から聞きたかったけどな」

久「あら、私は女の子から聞いても嬉しいけど?」

洋榎「はは、らしいな」


久「あー、そろそろ時間ね」

久「愛宕さん、今のあなたならきっと大丈夫。私が保証するわ」

洋榎「うちに負けたのに、よう言うわ」

久「はは、違いないわね」

久「さようなら。また会いましょう」

洋榎「ああ、またな」



──2月下旬 大阪 大会会場




ついに、ここまで来た

1月に洋榎さんが負けてから、ほぼ1ヶ月

背油チャッチャの超濃厚とんこつスープよりも

3年間、発酵・熟成させた自然食品よりも

アイスボックした、ロシアン・インペリアル・スタウトよりも

さらにはるかに濃密な1ヶ月だったように思う


今日は、雅恵さん、絹恵さんの他に何人も応援に駆け付けていた

末原さん、真瀬さんに上重さん。それに後輩と思われる人もちらほらと

うむ。雅恵さん、絹恵さん、上重さんの3人は素晴らしいものをおもちだ

南大阪の三重士と命名しよう

あと、下手な変装をした赤阪監督の姿もかすかに目に入ったが、黙っておく


俺は控室から試合を眺める

どんどん試合は進んでいく

洋榎さんは負けない。勝ち続ける。強い

だが、ここまではある程度想定通りだ。洋榎さんは元からそれくらいの実力を持っている

問題はそこではない。問題は"彼ら"といかにして戦うか、ということだ

さっき、競技者の名簿を見たが、あった。"ヤツ"の名前がぬるりと


ここまで来て、俺は確信する

以前、ほのかに抱いた推論に過ぎなかったものは、確かに正しかった

洋榎さんを審査している人間は、観客席にはいない

かといって、どこか別の場所で映像越しに対局を眺めているわけでもない

人を評価する際の最も簡単な方法は、実際にその人と対面することだ

そしてそれは、自然であればあるほど良い

ならば答えは極めて単純だ

そう、洋榎さんを審査する、本当の試験官は──!!










アカギ「ククク……狂気の沙汰ほどおもしろい……!」


_______

____

__



京太郎「洋榎さん、いよいよ次ですね」

洋榎「ああ」

京太郎「大丈夫ですか?」

洋榎「うーん、だめかも」

京太郎「ええー…」

洋榎「ふふ、嘘や。じょーだん」

京太郎「洒落にならないですよ、それ」

洋榎「ごめんごめん」


洋榎「なんかここまで、えらい長い道来た気ぃするわ」

京太郎「色々ありましたからね」

洋榎「京太郎と初めて会ったとき追いかけっこしたのが、めっちゃ懐かしく感じる」

京太郎「はは、俺もです」


洋榎「なぁ、もしこの試合。うちが勝てたら…」

京太郎「?」

洋榎「…いや、何でもあれへん」

京太郎「は、はぁ」


放送が鳴る

京太郎「呼ばれたみたいですね」

洋榎「みたいやな」

京太郎「行かないんですか?」

洋榎「……」

洋榎「なぁ、行く前にちょっとギュってしてもらってもええかな?」

え?

ギュ?……ギョギョギョ~~!

いや、違うな。ギュ、だ。ギュッ!

えーと、それはつまり、俺の推論が正しければ、抱き締めるということで間違いないだろうか?

抱き締める?ハグ?

それってあれだよな?

こう…互いに腕を回して、2点間の距離をゼロにして、接触を図るあれだよな?


いやしかしこれは、健全な男女関係を今まで構築してきた俺と洋榎さんにとって、

著しく重大な意味を持つ行為になり得る可能性が極めて高く、であるならば時間的

かつ質的により丁寧な議論と吟味を重ねる必要があり、その後発生するであろう

関係の変化及び永続的な心理的影響も考慮するべきなのだが、このことを考察する上で

必須となる心理学・生理学・物理学・生物学・医学の知識を総括しまとめることで得られる

既知の理論だけではなく人間が持つ普遍的な曖昧さから生じる量子論的な世界観に近いそれは

やはり人の脳髄で演繹するのに無理があるのでここでの正しいアプローチ仕方は確率・統計の

極めて集団的な母集団に依るのが一般的であるのだがそれは個の持つ非線形性を否定するような

ものに感じられしかしそれは量子電磁気学における繰り込みの計算の気味悪さが現実をうまく表し

てしまうことに近似しているようであたかもウィトゲンシュタインが述べたような語り得ないこと

についての考えに肉薄してようでもあり進化論的立場から生物が目指している進化の方向性と

エピジェネティクスの持つ可能性が──────



京太郎「……」

京太郎「はい!」

洋榎「また、えらいかかったな…」

京太郎「男の葛藤というやつでして



でも、ここが他の人に声が届かないところとはいえ

京太郎「変な人に思われるかもしれませんよ?」

洋榎「それでも、や」

京太郎「…分かりました。では、いきますね」

洋榎「うん」


洋榎さんに近付き、その身体を包み込むようにして腕をまわす

身長差もあって、肩の上から抱きかかえるような形になった

恥ずかしそうに身を強張らせる洋榎さんを安心させるように、思い切って力を込めて抱き寄せる

微かにビクッと反応するが、すぐに向こうの方からも腕もまわしてきて、身体を預けてくる

心臓音がすごい。間違いなく洋榎さんにも聞こえてる

しかし、そんなささいなことは不思議と気にならなかった

それくらい、心地よい感覚

こうして、身体全体で誰かの体温を感じるのはいつ以来だろう?

自分の存在を感じた


洋榎「ん…」

名残惜しかったが10秒ほど経ったところで、身体を離す

洋榎「もう大丈夫や」

京太郎「はい」

洋榎「それじゃ……ん?あれ??」ゴシゴシ

洋榎「え?、え!?」ゴシゴシ

京太郎「どうかしました?」

洋榎「いや、あれっ?おかしいな……今確かに、京太郎が…」

京太郎「はい?」

洋榎「い、いや…気のせいやったみたいや」

京太郎「?」



洋榎「んじゃ、そろそろ」

京太郎「はい、行ってらっしゃい……うーん、いや違うな」

洋榎「?」

京太郎「おはようおかえり、洋榎さん」

洋榎「ははっ、行ってきます!」


後ろを振り返らずに、片手だけ挙げてこれに答えてくれた

どうやら、俺にできることはもう無いようだ

あとは、遠くから見守るだけ。なんとももどかしい

戦地へ赴く夫を見送る妻の気持ちとは、こういうものなのかもしれない

俺は男だけども



京太郎「洋榎さん…」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




アカギ「久しぶりだな……と言っても、1ヶ月くらいか……」

洋榎「今日は他の2人はいないみたいやな」

アカギ「ああ、ちょっとしご……いや用事があってな…」

洋榎「?」

アカギ「しかし、お嬢ちゃんにとってはそっちの方が都合が好いだろう……?」

洋榎「せやな。確かにあんたら3人をいっぺんに相手にするのは、正直言うて無理や」

アカギ「……ほう」

洋榎「でも、うちをこの前のままの木偶と思うてもろたらは困るで」

アカギ「ククク……言うねぇ……!」

洋榎「御託はここまでや、行くで!」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


運命の試合が始まった

俺は控室から観客席に移動し、雅恵さんや絹恵さんと洋榎さんを見守る


雅恵「うぁ~…、ほんまに大丈夫やろか洋榎のやつ」

雅恵「こんな大事な時に、お父ちゃんおれへんしまったく、娘の一大事に……」ブツブツ

雅恵「帰ったらアルゼンチン・バックブリーカーで……」ブツブツ

絹恵「お母さん、試合見よう」


恭子「それにしても、洋榎。打ち方少し変わったやん、うまく言えへんけど」

由子「そう?」

恭子「前から、勘とか読みは鋭かったんやけど、今はそれにも増してって感じやな」

由子「ふーん」

絹恵「前の大会でボロ負けして、それからいきなり『修業やー!』言うて全国飛び回ってましたけど」

由子「それがよかったんかな?」

絹恵「どうなんでしょう」

漫「この前、部活で少し打たしてもらった時なんかも、確かにちょっと変でしたね」

郁乃「でも、めちゃめちゃ強くなったで~。見違えるようやな~」

「「!?」」


試合が進んでいく

対戦相手は、アカギさんと他の二人は洋榎さんより少し年上であろう女性だ

この二人は、今までの対戦成績を見る限り、そこまでの打ち手じゃない

それを自ら察しているのか、この二人は最初から守りに入った無難な戦略を取っているようだ

しかし、そんな痩せた考えの腑抜けた打ち方を、アカギさんが見逃すはずもない

彼は根っからの勝負師だ。弱者を瞬時に明確に見分ける

そして、むしり取る。どこまでも、執拗に、死なない程度に、いつまでも


洋榎さんの点数は3万ちょい、アカギさんとは1万点以上離れている

だけど、焦りはない。虎視眈々とチャンスを狙っている

形の上では四人の戦いだが、実質的には洋榎さんとアカギさんの独擅場になっている


そして、南入。ここからが勝負だ


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



─清澄高校


久「彼女、そろそろ対局してる頃かしら?」

まこ「何の話じゃ?」

久「ほら、愛宕さんよ」

和「そういえば、確か今日って言ってましたね」

咲「……」

久「咲、どうしたの急に黙っちゃって?」

咲「いえ、愛宕さんは大丈夫だと思いますよ」

咲「少なくとも、私レベルの打ち手となら問題なく勝てるはずです」

優希「でも、大阪のおねーさん、最後はのどちゃんに負けてたじぇ」

咲「まあ、そうなんだけど…」

優希「?」


咲「はいこれ、その時の牌譜。ちょっと見てみて優希ちゃん」

優希「うーん、いたって普通としか」

久「確かに変なところはなかった思うわよ。一緒に打った私でもそう感じたわ」

和「……なるほど。プラスマイナスゼロですね。偶然でしょうけど」

優希「ああ、咲ちゃんが…最近は全くやらなくなってたから気付かなかったじぇ」

まこ「けど、なんで咲はわざわざこんなことしたんじゃ?」

久「確か、対局前は本気で打つって言ってたわよね?」

優希「矛盾してるじょ」

咲「いいえ、私は本気で打ちましたよ。間違いなく」

「「えっ?」」


咲「おそらく、愛宕さんのあの対局での目標は私に勝つことだったんです。それも徹底的に」

咲「理由はよく分かりませんけど」

久「確かに、咲に対しては異様に執念燃やしてたしね」

咲「しかも、私の点数をプラマイゼロに調整してなお且つ、1位になることが目標だったんです」

咲「いかにも屈辱的でしょう?」

まこ「そんなこと可能なんか?それに自分の点数調整ならまだともかく…」

和「そんなオカルトありえません」

咲「結果だけ見ると、和ちゃんが1位になったので不可能だったんでしょうけど」

咲「それでも、できるという確信があったのかもしれません」

咲「愛宕さんは、私にも見えない何かを卓上で見ていたはずなんです」



─アカギ



なるほど、これは確かに前とは違う……

タン

勘が鋭いとか、ツキが味方しているとか……もはやそんな言葉では済まされなくなった……!

タン

こいつの……これはっ……!!

タン



洋榎「ロン、6400」



アカギ「……」

洋榎「どや?今のは、流石に痛かったんちゃう?」

ふっ……ガキが……!


─愛宕洋榎




やっと、1000点差まで詰め寄ったで

ここまで、ほんまに長かった。こちとら1ヶ月、あんたを追い詰めることだけ考えて打ってきたんや

そしてついに、この化け物の首が見えた。安手で上がっても十分捲れる位置、うちの射程圏や

このオーラス、うちの親!ここで確実に仕留めるっ!!


タン


不思議な気分や。いままで、数えきれないぐらい対局してきたけど、こんなん初めてや


タン


分かる。聴牌気配が、危険牌が、安牌が。理屈やない、感じる


タン


別に、オカルトが覚醒したわけやない。それは分かる

京太郎の感覚をトレースしているのか、あるいはパターンを無意識に学習したのか

理屈が何であれ、もしそうなら、これが京太郎の見ている世界なのかもしれない

だとしたら、また少し見えないものに近づけた気がして嬉しくなる

はっきり言うて、負ける気せぇへん


タン

アカギ「一つ聞いてもいいか?」

タン

洋榎「なんや、急に?」

タン

アカギ「何がおまえをここまで強くした……?」


何が?新手の精神攻撃か、これは?

うーん、でも考えたこともあれへんなぁ、そないなこと

才能?指導者に恵まれたこと?切磋琢磨できる友人がいたこと?ライバルの存在?

確かにそうゆうのもあるんやろうけど…


洋榎「正直言うて、うちにもよくわからん。けど敢えて言うなら」


洋榎「それは、あんたには見えへんもんや」

タン

アカギ「……なるほど、な」

タン

アカギ「それは、狂気だ……間違いない……孤独と言ってもいい……」

洋榎「……」

タン

アカギ「お嬢ちゃん、あんたは今…間違いなく自分の勝利を確信している……」

タン

アカギ「しかし、後学ために一つ教えておいてやろう……」

タン

アカギ「勝利とは…それを確信した瞬間から、はるか彼方に遠ざかってしまうものだということを……!!」

タン

はたして、そうかなっ!

来たでっ!!


洋榎「リーチ!!」













「あ、それロンです」












洋榎「へ」





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


京太郎「へ」

雅恵「へ」

絹恵「へ」

恭子「へ」

由子「のよー」

漫「へ」

郁乃「へ」



「「…………」」



「「えっ!?!!?」」


________

_____

__




洋榎さんのところに駆け付けようとしたが、もうすでに皆に取り囲まれて近づけない

茫然自失といった感じで、魂ここにあらず状態だ


洋榎「あはは~、ほらおかん見て見て~」

洋榎「あそこリバー・フェニックスとクリスティアーノ・ロナウドとクレイントン・カーショーが来てるで~」

洋榎「みんなで阪神に入団すんやって~、心強いな~、あはは」

雅恵「洋榎!阪神にカーショーの給料は払えへんのや!それに前の二人は野球関係あれへんで、しっかりするんや!!」ガクガク

絹恵「いや、お母さん。ロナウドの身体能力なら適応できればあるいは…」

漫「何言うてるんですか、先輩。カーショーはうちのチームのファースト守る約束なんですよ」

由子「私はミゲレラのバッティングを一年通して見てみたいのよー」

恭子「プイーグみたいな、野性味溢れるプレーも魅力的やね」

郁乃「チャップマンのファストボールも捨てがたいで~」

雅恵「いやいや、シモンズの守備の方が見応えあると思うわ」


なぜか、野球談話が始まった

というか、洋榎さんの話をしましょうよ。みなさん


この状態の洋榎さんに話し掛けても、どうしようもないと思い、少し時間を置くことにした

落ち着いてから、いくらでも話を聞いてあげよう

それに結果はまだ出てないのだ。慰めるにはまだ早い


京太郎「ん?」

アカギさんが外に向かう姿目に映った。もう帰るのだろうか?

不思議に思って、近づいていくと、ちょうど電話をしているようだった




アカギ「ああ…終わったよ…もう帰るところだ……」

アカギ「他の対局は棄権した……用は済んだからな……」

アカギ「結果?……思った以上だ……俺の首元に手か届くところだった……」

アカギ「思わず、本気を出しちまうところだった……それくらいだ…」


アカギ「十分合格だ」

京太郎「!!」

アカギ「ああ、またな……もう若くないんだから身体には気を付けるんだな」

ピッ

アカギ「ククク……宮永姉妹…神代に天江、それに愛宕洋榎か……つくづく俺を楽しませてくれる……」

アカギ「やはり……狂気の沙汰ほどおもしろい……!」


どうやら、洋榎さんのことをちゃんと見ていてくれたみたいだ

京太郎「ありがとうございました」ペコリ













アカギ「ん、気のせいか…?」


________

_____

__



洋榎「うちはう○こなんや。う○こ製造機以下のゴミやったんや……」

洋榎「だから、これから下水処理場に行って、きれいな水に生まれ変わるんや……」

京太郎「年頃の女性がう○こなんて汚い言葉使っちゃダメでしょ」

洋榎「うちはハエや、蛆虫や、ゴキブリや、ゲジやったんや…」

京太郎「ゲジはあの見た目で益虫なんで、その括りはちょっとかわいそうですね」

京太郎「それに蛆虫だって、すごくきれいに腐肉を食べてくれるんで治療の役に立つこともあるんですよ」

洋榎「んなもん、知らんわ…」


京太郎「そういえば、他の皆さんは?」

洋榎「ラウンジで、NPBで通用する外人選手の特徴は何か、について語ってる……」

京太郎「ま、まあ、そういうこともありますよ…」

洋榎「変な慰めやめて…」


京太郎「はぁー……」

こりゃあ、後の試合にも影響するかもしれないな。仕方がない人だ

京太郎「ほんとはちゃんとした連絡が来るまで、黙っているつもりでしたけど、言いますね」

洋榎「?」

京太郎「合格です。おめでとうございます、洋榎さん」

洋榎「合格…?クズ人間検定が合格ってこと?」

京太郎「どこまで卑屈なんですか…違いますよ。見事、麻雀プロ合格です」


洋榎「へ」


京太郎「春からプロとして活動できるんですよ」

洋榎「なんで…だってまだ…?」

京太郎「なんで、ですか。うーん……実はテレパシー能力も獲得したみたいでして」

京太郎「そういう信号をピーンとキャッチしたんです」


洋榎「嘘や」

京太郎「まあ半分嘘ですけど、洋榎さんが合格したのは本当です」

洋榎「嘘や」

京太郎「俺が、洋榎さんを傷つけるために嘘をつくことなんてありえませんね」

洋榎「嘘やぁ…」ジワァ

京太郎「洋榎さん、もう安心してください。もう大丈夫ですから」

洋榎「嘘や。だって、うちの負け方無様やったもん…」ウルッ

京太郎「確かに、最後のなんかアカギさんのことしか見えてませんでしからね」

洋榎「だって……だって…」ポロポロ


いくら俺だって、こういう時どうすればいいのかぐらい分かる

今度は、自然に抱き締めることができた

堰を切ったように泣く洋榎さんを、しばらくそのままにしておいてあげた

普段は表に出さないが、この1ヶ月間ずっと緊張しっぱなしだったのだろう

だけど、それもたった今で終わりだ。お疲れ様、洋榎さん


こうして、俺たちの長い長い物語は終わりを迎えた

これから何度も同じような困難が、俺たちの前に立ちはだかって来るのだろう

だけど、俺たちは負けない。今回だってできたんだ。これかもきっとできるさ


時は移ろい、処変われど、人の営みは変わらない

俺たちはこれからも、生きていく。この世界を生き抜いて見せるぜ!


オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな

このはてしなく遠い麻雀坂をよ……



カンッ!!

















いや待て、違うだろう須賀京太郎。一番大事な事忘れてるじゃん

なんか一仕事終えたみたいになって、その雰囲気に流されるとこだった

だって、俺、俺…


京太郎「全然戻れてねえ!!」

この辺で
ではまた夜に

おつー
咲ちゃんなんか感じて欲しかったな最初写真に違和感持ってたし
あと愛宕母は雅枝ね
愛宕家の女連中「え」はみんな違うんだよな細かい

>>490
それ何だっけ

>>495
訂正ありがとうございます
咲の辞書DLしたので、過信しすぎていたようです
正直最初からやり直したいところですが、あまりに面倒なので皆さん脳内変換よろしくお願いします

雅恵→雅枝

以上でよろしくおねがいします

あと、所々で『雅枝』と書いてあったり、『雅恵』と書いてあったりしています
読みにくくなって申し訳ありません
二つのパソコンを使ってこのSSを使って書いたのですが、そのそれぞれに別の咲の辞書を使ったのが原因かと思います

これ以降投下するものに関しては、きちんと訂正します
ご迷惑おかけしました


──3月下旬 大阪



─阿倍野


大会からさらに1ヶ月。俺はまだ大阪にいる

あれっ、俺そろそろやばいんじゃないか?もしかして、一生このままインビジブル!?

そういう考えが、頭の片隅にすら残らなくなってきた今日この頃。今なら悟りが啓けそう

でも、今日はそんなことどうでもいいのだ


天気は雨。俺は今、阪堺電気軌道の上町線を使って阿倍野まで来ていた

傘を差しながら、人を待っているのだ

服は2週間かけて選んだ。たぶん、おそらく大丈夫だ。他の人には見えないんだけど

髪も綺麗にカットできたと思う。もう慣れたはいえ、やはり美容院のようにはうまくいかない

うん、これは仕方がない、忘れよう。まあ、他の人には見えないんだけど


今日という日を、どれほど待ちわびたことか

ああ絶対俺、今気持ち悪いほどニヤニヤしてる。他の人から見たら、怪しまれること間違いなしだ

こういう時に限り、消えていることに感謝したい


ダメだ待ち遠しい。この早い心拍数の状態も悪くはないが、やはり心臓にはよくなさそうだ

今すぐ傘を放り出して、雨の中で歌い、気ままに踊りたい気分だ。ああ、雨に唄えば!

恥ずかしような、嬉しいような…期待に胸を膨らませるが、プランクスケール程度の不安もあり、胸のあたりがムズムズする

咲が読んでた恋愛ものの小説バカにしてたもんだけど、今の俺は少女漫画の恋する乙女と区別がつかない

それもそのはず。だって、今日は、待ちに待った──


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




雅枝「ふわぁ~…おはよ…洋榎」ゴシゴシ

洋榎「おはよう。おかん髪の毛爆発してるで」

雅枝「……」ギュッギュッ

雅枝「どや…?」

洋榎「ばっちしや。今日も綺麗やで」ニコッ

雅枝「機嫌ええな」

洋榎「へへ~、まっあね~!」

雅枝「それ似合てるで」

洋榎「えへへ、そう?よかった~。絹と一緒に選んだんや、これ」


雅枝「ふーん。で、そないやつしてどこに行くねん?まだ、朝やんか…ふわぁ~…」

洋榎「知りたい?」

雅枝「何や、もったいぶって」

洋榎「ふふ、デートや!」

雅枝「へぇ~…」






雅枝「え゛」

洋榎「んじゃ、行ってきまーす!」

バタン

雅枝「……」

雅枝「……」

雅枝「お父ちゃーん、洋榎がついにおかしくなってもうたー…」

愛宕父「ふぇ~…」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


約束した待ち時間からまだ30分近くある

そろそろ、来てもおかしくないかもしれない

じいっと改札口を眺めていると、来た!洋榎さんだ

辺りをキョロキョロ見回しているが、一向に見つからない

当たり前だ

やはり、この身体で待ち合わせるのは無理があったか……


トントン

京太郎「ここです、洋榎さん」

洋榎「どっひゃあー!?!!」ビクッ

京太郎「!」ビクッ

洋榎「し、心臓止まるかと思うたわっ!!」

京太郎「す、すみません」


洋榎さんの服装を上から順に見てみる

よく手入れのされた髪の毛は、艶がありとても美しい。最近さらに綺麗になったのではないだろうか?

いつものように後ろでまとめた髪型はポニーテールで、洋榎さんにはやはりこれが一番似合う

上にはデニムジャケットを羽織り、中には膝が隠れるくらいの趣味のいい白のワンピース着用している

肩からは斜めに小さい鞄をかけており、こじんまりとしていてかわいらしく素敵だ

靴はブーツで、色はブラウン。シンプルだが全体の色やシルエットとよくマッチしている

まぁ、そのつまり、総合的かつ客観的に、しかしいくらか独断と偏見をもって評価するなら

かわいい、かわいすぎる!今すぐ抱き締めたいぐらいだ!!

こんな素敵な人がこの世に存在していていいのだろうか?

かわいい

ああ、脳細胞が溶けていく。確実におバカになっていくのが分かる

かわいい

ダメだ、危険すぎる。ここは一旦距離を取って態勢を立て直さなければ──







洋榎「ど、どうやろ…//その…似合てる、かな?///」モジモジ

参考絵頼む!


プツン

京太郎「ふああああああああああああああぁぁぁ!!!!!!!」

洋榎「!?」ビクッ

京太郎「ふぅー……危なかった」

洋榎「何がっ!?」

京太郎「はい、最高に似合ってます!!」

洋榎「そ、そう…よかった//」

洋榎「後で絹に感謝やな」ボソ

京太郎「?」


京太郎「じゃあ、早速行きましょうか」

洋榎「うん!」

>>506
申し訳ありません。絵心がありませんのでちょっとそれは…
ですが、『ジャケット ワンピース』などでぐぐるとそれらしいのは出てくるみたいですね
あとは妄想力を使って想像してください


洋榎さんと並びながら、あべの筋を歩いていく

最初の目的地はもちろん、例の映画館だ


洋榎「せっかくのデートやのに、雨なんて最悪や…」ブツブツ

京太郎「はは、確かにツイていませんでしたね」

京太郎「でも、雨の日もそう悪いもんじゃないと思いますよ」

洋榎「そりゃあ、そうかもしれへんけど…時と場合っちゅうもんがあるやろ」

京太郎「また次がありますよ」

洋榎「そ、そうか…ほんなら、ええかもな//」

かわいい


でも、本当にそうなのだろうか?


京太郎「あ、着きましたね」


________

_____

__



洋榎「いやー、めっちゃええもん見たわ!!なっ、京太郎!」

京太郎「そ、そうですね。最高でしたよ!」

どうしよう、あまりにつまらなくて途中で寝てしまったなんて言えない…

洋榎「どこが良かった?」

京太郎「え、えーと…ですね。ほらっ、あの戦闘機がビューンでドカーンなシーン最高でしたよ!」

洋榎「せやろー、やっぱアクション映画はこうでなくちゃな」

京太郎「ですよね、最近のCG技術の進歩には度肝を抜かされますよ」

洋榎「うんうん……まぁでも、戦闘機なんて出てこーへんかったけどな」

京太郎「え」

洋榎「……」ニヤニヤ

京太郎「す、すみませんでしたっ!わたくし実は寝ておりましたっ!!」

洋榎「まーったく、せっかくのデートが台無しやわぁ。傷ついてもうたわぁ」チラ

京太郎「今度何か奢らせてください、お願いします!!」

洋榎「そこまで言うなら、奢られてやらんこともないかなぁ」ニヤニヤ

京太郎「ははー、感謝の極みでございます!」


館長「今日は、如何でしたか?」

洋榎「めっちゃよかったです。安心のセレクトですよ、ほんま」

京太郎「いや、無しですね無し」

館長「ありがとうございます」


館長「あ、そうそう。今、いつも当館をご利用いただいているお客様だけに、特別にお渡ししているものがあるんです」

館長「よろしかったら、どうぞ」

洋榎「えーと……入場引換券、ですか?」

館長「ええ、いつもご利用いただいていますから、そのささやかなお礼と思ってください」

洋榎「でも、2枚も…」

館長「大丈夫です。それで間違いありません」

洋榎「はぁ」


館長「いいですか、それは引換券です」

館長「何か大事なものを得ようとするとき、しばしば引換券が重要になることがあります」

館長「これは単なる紙ですが、それ以上の意味を持つことがあるんです」

洋榎「えーと…テリーの話?」

京太郎「こら」

館長「だから大事にとっておくことです」

館長「人生においては、その時重要に見えないことが、後になって重大な意味を持ってくることがままありますから」

館長「そのことをゆめゆめ忘れぬよう、お願い致します」

洋榎「うーん…」

館長「決して離さないことです。そう、決して……」


京太郎「……」


洋榎「うーん、さっきのは何やったんやろ?」

京太郎「ちょっと分かりかねますね」

洋榎「まぁ、ええわ。じゃあ、はい、これ1枚」

京太郎「いいんですか?」

洋榎「ええよ、別に。お金には困ってへんし。せやから、これ使ってまた2人で来ーな」ニコッ

かわいい、笑顔も素敵だ

京太郎「もちろんです、喜んで!」


洋榎「しかし、微妙な時間やなぁ。どないする?」

京太郎「そうですねぇ、じゃあお昼ご飯食べちゃいませんか?」

京太郎「実は朝ごはん、あまり食べられなかったんでお腹空いてるんですよね」

緊張で、だけど

洋榎「あ……実は、うちも…///」モジモジ

京太郎「え、具合でも悪いんですか?」

洋榎「いやいや!ピンピンしてるで、ほらっ!」

京太郎「なら、いいですけど…」

もし、同じ理由だったら少し嬉しいかな

京太郎「じゃあ、場所はどこにします?」

洋榎「そんなの決まってるやんか、難波の──」


─食事処『男女兼用』



あっ、久しぶりに来たが看板が変わってる。ネーミングセンスゼロだな、つーかマイナスだな

前もお客さんいなかったけど、これじゃあ誰も来ないよ。さらに

ていうか、俺もあまり入りたくはないよ…


カランカラン

店長「あら~、いらっしゃい。待ってたわよ、可愛らしいお嬢さん」

洋榎「お久しぶりです」

店長「んも~、最近来てくれないから私のこと忘れちゃったんじゃないかと思って心配したんだからぁ~」

洋榎「相変わらず、お客さんいないんですね…」

店長「なんでかしらねぇ、お姉さんまったく分からないわ…」

いや、まず表の看板を直した方がよいかと

あと、定食の名前も変えたほうがいい


洋榎「さて、今日は何にしようかなー」

店長「だったら、いいのがあるのよ。新メニュー、試してみない?」

洋榎「なら、それにしようかな」

店長「あ・り・が・と、後で感想聞かせてね」

洋榎「はい。ああ、あと……」

店長「ん、なに?」

洋榎「男日照り定食一丁」ニヤリ

店長「ふっ、相変らずの底なしね」

京太郎「いや、勝手に頼まないでくれません。それ絶対俺のでしょ」


________

_____

__



店長「あらあら、行かず後家定食はともかく、男日照り定食も一緒に完食しちゃうなんて…お姉さん嫉妬」

店長「まったく、大した娘よ」

洋榎「いやー、相変らず最高でした。定食屋にしておくのがもったないぐらいです」

京太郎「まったくですね。これがワンコインっていうんだから、驚異的です」ゲフ

店長「いや、うちはこのままでいいのよ」

洋榎・京太郎「?」

店長「この街のイイ男たちが、私の料理をおいしそうに食べてくれる。それだけで十分だから」

洋榎「くっ…」ウルッ

京太郎「店長…」ウルッ

店長「正直、見てるとムラムラするの」

洋榎「この人、最悪やぁ!!」


店長「それじゃあ、またね」

洋榎「ほなまた」

カランカラン


京太郎「しかし、デートの食事が定食屋っていうのは、少し色気がありませんでしたかね?」

洋榎「うちは全然かめへんよ。あそこおいしいし」

京太郎「うーん、それでもやっぱり、男の意地みたいなのも確かにありまして…」

洋榎「ええかっこしいやなー」

京太郎「大体の男なんてそんなもんですよ」


洋榎「うちはあそこがよかったんや」

京太郎「なぜです?」

洋榎「だって……京太郎とな…初めて外で食べたんがあそこやったんや…せやから、な///」ニコリ


ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

もうっ!!!

かわいすぎるっ!!!


洋榎「ん、どないしたん?」

京太郎「はっ!いえ、少しだけ脳内宇宙旅行をしていただけですから」

洋榎「大丈夫かいな…?」


京太郎「さっ、お腹もいっぱいになりましたし、次行きましょうか」

洋榎「うん、そうしよ」

疲れたので寝ます
月曜で最後の投下になると思いますが、一気に最後まで行きます
時間については、夜の10時30~40分あたりから投下を始めます
では、おやすみなさい


─梅田



地下鉄四つ橋線を使って、大阪キタの中心地、梅田にやってきた

梅田と言えば、新宿に匹敵する地下街、高層ビルの数々などが存在する、大阪随一の大都会だ

大阪駅舎を含む大阪ステーションシティや新梅田シティ、グランドフロント大阪などが最近のトレンドだろうか

ここに来れば、大体なんでも揃う。ここはそういうところだ

歴史的には、この梅田は1909年のキタの大火や第二次大戦の大阪大空襲でだいぶボロボロになったらしい

歴史的建造物のほとんども、その時になくなってしまったという

しかし、それからたった100年余りでここまで発展を遂げるとは

なるほど、人間のすごさとはこういうものなのかもしれない


さて、俺たちの目的は観光ではなく買い物だ

春から、洋榎さんの一人暮らしが始まるので、必要なものを買いに来たのだ


─百貨店



ちなみに、大阪ではデパートとは言わないで百貨店と呼ぶことが多い

それを洋榎さんに尋ねてみたところ

洋榎『デパートより百貨店の方がいろいろ揃ってそうやろ?』

だそうだ。これが大阪というものか


京太郎「今日は何買うんですか?」

洋榎「必要なもんは大体買うたから、今日は食器とか調理器具とかやな」

それなら、俺にも手伝えるかもしれない

京太郎「よし、俺も微力ながら力になりますよ」


洋榎「なぁなぁ、これどうやろ」

京太郎「だめですよ、そんな深いコップ買っちゃ。洗うとき大変でしょう?」

洋榎「う…そうやな」

洋榎「おお、このお皿かいらしいなぁ。これにきーめた!」

京太郎「うーん…これもダメですね」

洋榎「な、なんでや!?」

京太郎「まず、この角ばってるところがすごく洗いにくいです。マイナスですね」

京太郎「あと、この表面少しざらついた加工してあるでしょう?これスポンジがだめになりやすいんですよね」

京太郎「それにこの皿、裏に取っ掛かりがないんで、洗剤で洗うとき滑って落とす可能性が高いです」

洋榎「主婦視点。洗う時のことしか考えてへん…」

京太郎「大体一人暮らしの人間が、こんなに大きいお皿をどう使うっていうんですか」

洋榎「ほ、ほら!最近じゃあ、女子会ちゅうのもあるみたいやし、必要になるかもしれへん!」

京太郎「そもそも、洋榎さんってあまり料理しないですよね」

京太郎「こう言っちゃあなんですけど、そのシチュエーション自体ありえないと思いますけど」

洋榎「ぐぬぬ」

京太郎「普段使いのものは、シンプルで使いやすいのに限ります」

京太郎「ほら、こういうのだったどうですか?」

洋榎「あっ、意外と悪うない。せやけど、何か負けた気ぃするな…」


洋榎「このフライパンすごそう、これにしよう」

京太郎「あーた、何言ってやがるんですか」

洋榎「今度は何や…」

京太郎「フライパンの上に食器をのっけて運んで、雅枝さんに怒られたの忘れましたか?」

洋榎「あんなん怒らんでもええのになぁ」

京太郎「喝っ!!!!!」

洋榎「!!」ビクッ

京太郎「何言ってるんですか、洋榎さん。あの程度で済んでよかったと感謝するべきですね」

京太郎「本来、閻魔さまに舌引っこ抜かれても文句言えませんよ。あの行為は」

洋榎「ええー…そこまで言わんでもええやん」

京太郎「朝、フライパンで焦げなく綺麗に目玉焼きを作れることは、その日の家事の質を左右するんですよ」フッ

洋榎「ええー…」

京太郎「料理をするようになれば、その内この気持ちも分かります」シミジミ

洋榎「主婦と言うより、もはや小姑の域やな…」


─中之島



梅田で買い物も済ませたので、今度は歩いて中之島まで来た

百貨店での買い物では、なぜかデートっぽいことができなかったので、今度こそ

いや、まあ、俺が悪いんだけどさ


中之島は梅田から少し南に位置する中州で、都市化の進んだエリアだ

堂島川と土佐堀川に挟まれた細長い島で、科学館、美術館などの文化施設

日本銀行大阪支店や中之島図書館、中央公会堂などの重厚な建造物もある

東へ行くと中之島公園もあり、散歩をするのが楽しそうな場所だ

また中州ということもあり、橋も数多く架かっていて、建築物マニアにはうってつけの場所かもしれない


京太郎「ここへは、確かに晴れのときに来たかったですね」

洋榎「まったくやな」


少し先の方を眺めていると、雲の隙間が光った

1、2、3、4……、7秒

少し遅れて、空気を裂く強烈な音がゴロゴロと響いた


京太郎「雷ですね」

洋榎「大丈夫やろか?」

京太郎「ああ、それなら安心してください、だって──」


洋榎「ここから、約2300メートル離れてるから。せやろ?」ニヤリ


京太郎「…はは、これは一本取られましたね」

洋榎「音は1秒で約330メートル進むから、7秒で約2300メートルや」

京太郎「その通りです。もちろん、光が音に比べてはるかに速いからこそできる近似ですけどね」

洋榎「ふふん、褒めてくれてもええねんで」ドヤッ

京太郎「はいはい、すごいすごい」

まさか、全く同じことを考えていたとは。嬉しいな


それからも、2人並んで、傘を差しながら歩いていった

雨の中ということもあってか、人はかなりまばらだった

おかげで気兼ねなく、洋榎さんと外で話をすることができた。やはり雨というのも悪くない

科学館、美術館を通り過ぎ、そのまま道なりに進んでいった

日本銀行、中之島図書館、中央公会堂を外から見て回った


特に施設の中に入ったりはしなかった

2人で手を繋ぎながら、雑談しているだけで十分満足だったから


不思議と疲れは感じなかった。この雨の中を傘をさしながら歩いているはずなのに

疲れを感じるより、この人ともっと話していたいという気持ちの方が強かったのかもしれない

こんなに幸せでいいのだろうか、俺?


京太郎「ねえ、洋榎さん。なんだか最近、世界が輝いて見えるんですよね」

洋榎「なんやそれ、夢でも見てるんちゃう?」

そうかもしれない




眠い


─毛馬桜ノ宮公園



3連アーチの美しい天神橋を北に渡り、少し東方面に進んだ

途中、喫茶店で少し休憩を挟んで、銀橋を渡って毛馬桜ノ宮公園にやってきた

ここは、桜の名所として有名だが、まだ桜は咲いておらずつぼみの状態だ

周りに人の気配はない


洋榎「なぁなぁ、ここ来るとなんだか懐かしく感じる気ぃせえへん?」

京太郎「ええと…ここ来るの初めてだったような」

洋榎「覚えてへんのかい!薄情なやっちゃなぁ」

京太郎「うっ、申し訳ないです」

洋榎「ほら、初めて会うた時、ここで追いかけっこしたやろ?」

京太郎「…ああ、そういやここら辺来たような覚えあります」

洋榎「せやろせやろ。だからここは思い出の場所やねん」

京太郎「あの時は、かなり警戒されてましたけどね」

京太郎「最初、助けを断られたときは結構ダメージ大きかったですよ」

洋榎「正直、すまんかっと思うてる」

京太郎「はは、あれはあれで仕方ないと思います。むしろ、家においてもらったりしてかなり感謝してますから」


洋榎「あれから色々あったなぁ」

京太郎「そうですね」

洋榎「何かいつも間にうち、大食いキャラになってるし」

京太郎「それにはいつも感謝しています」

洋榎「阪神の応援にも行ったなぁ」

京太郎「正直、もう洋榎さんと雅枝さんとは一緒に観戦したくないです」

洋榎「あんなん慣れや慣れ!来シーズンには、もう阪神無しでは生きられない身体になってるはずや」

京太郎「なにそれ怖い」

洋榎「一緒に心斎橋とか天王寺とかにも行ったなぁ。覚えてる?」

京太郎「もちろんです。看板とマレーグマと映画館ですね」

洋榎「チョイスがなんちゅーか、アレやな…」


京太郎「試験勉強もしましたね。まさか洋榎さんが勉強できない人とは思いませんでしたけど」

洋榎「誰にでも、得手不得手があるんやで」ニコ

京太郎「数学は流石でしたけどね。今度またおもしろい話でもしてあげますよ」

洋榎「はは、楽しみにしとくわ。京太郎センセ」

京太郎「その後も、クリスマスとか正月の初詣とか」

洋榎「なつかしいなぁ」

京太郎「最後はやっぱり、あれですね。麻雀の試合」

洋榎「うわー!!恥ずいからその話はやめやめ!」

京太郎「いいじゃないですか。洋榎さんの色んな部分が見えてよかったと思いますよ」

洋榎「絶対いらんとこ見せてもうたわ…年上の威厳が…」

京太郎「見かけによらず、結構打たれ弱いですもんね」

洋榎「ああー、もうっ!//」

京太郎「でも、全国飛び回ったのは、今からすればいい思い出です。また皆さんに会いたいですね」

洋榎「そうやなぁ」



ああ、眠い


洋榎「でも、京太郎がいてくれたから、うち最後まで頑張れたんやで」

京太郎「俺だって洋榎さんがいてくれたからここまで」

洋榎「京太郎…」

京太郎「洋榎さん…」

握った手から互いの熱が伝わる

洋榎「雨、止んだな」

京太郎「そう、ですね」

洋榎「……」

京太郎「……」

洋榎「よ、よしっ」グッ

京太郎「?」

洋榎「あんな…その…うち…ずっと京太郎に言おう思うてたことあんねん」

洋榎「うち、うち…京太郎のことめっちゃ──」

京太郎「ちょっと待ってください」

洋榎「え…」

京太郎「洋榎さんが何を言おうとしたのか、全然これっぽちも分かりません」

京太郎「けどその先の台詞は、俺がちゃんと元に戻れたら言いますから」

京太郎「だから、もう少しだけ待ってもらえませんか?」

洋榎「う、うん…約束やからな//」

京太郎「はい、約束です」


京太郎「俺、こんな身体になって、最初は色んなものを恨んだんです」

洋榎「……」

京太郎「もしこんなことをした神様がいたなら、絶対ぶん殴ってるやる、てくらいに」

洋榎「……」

京太郎「でも、おかげで色んなものを見れました」

洋榎「……」

京太郎「洋榎さんに出会えました」

洋榎「……」

京太郎「ほんの少し、自分を好きになることができました」

洋榎「……」

京太郎「全部、あなたのおかげです」


洋榎「うちは何もしてへんよ」

京太郎「そうでしょうか?」

洋榎「それにうちだって、京太郎からもらったもんいっぱいあるし」

洋榎「だから…その、あいこやな//」

京太郎「…はい」


目頭が熱くなる

だめだ。我慢してたのに、どうしても溢れてくる


洋榎「ああ、涙が…」

京太郎「ごめんなさい、ちょっと我慢が…」












洋榎「え、あれ…?見えてる……」


京太郎「何がですか?」

洋榎「い、いや、だから身体が…京太郎が」

京太郎「は」

洋榎「見えてる見えてる!やったやんか、京太郎!!」

京太郎「え、でも…」

洋榎「元に戻ったんやで!!」

京太郎「ほ、本当ですか…?」

洋榎「ほんまやほんま!!なんなら、あそこのおっちゃんに話し掛けてみぃ!」

京太郎「そ、そうですね」


京太郎「あのー…俺のこと見えてます?」

なんだこの質問


「何や言うてるんや兄ちゃん、頭大丈夫か…?」


京太郎「!!」


京太郎「や、やった!!でもなんでだ…?」

洋榎「んなもん、どうでもええわ!ほらっ!」

京太郎「なんです、その手は?」

洋榎「嬉しいときは、躍るもんやろっ!!」

京太郎「わっ、ちょっと──」


太陽が後ろから姿を現した

その光は、まだ乾ききらない桜の花びらをうまい具合に反射して煌めいて映る

洋榎さんの手に引かれながら、桜並木の道をテンポよく跳ねながら踊る

風が吹いて、桜が舞う中、洋榎さんの髪も一緒にダンスする

時間が止まったかのような感覚

ああ…なんて綺麗な人なんだろう





だめだ、眠い




伝えなきゃ、このことを


え、桜?


洋榎「ん、どないしたん?」


ああ、ちょっと眠いだけなんです。大丈夫


─榎「えーと、きょ…う……大…丈……?」


すみません、──さん。もう少しはっきり喋ってもらわないと


誰?


ああ、眠い


ええと、なんだっけ?大事な事は…?


『離さないことです、決して』


何のことだ?髪?神?紙?ああ…そういえば、ポケットに…?


──さん?


ああ、ほら、見てください。虹が見えますよ。あんなに綺麗に、はっきりと


虹?


虹の見方?


大事なこと、大事な人…?


ええと、何のこと?誰のことだ…?


確か赤い…?えーと、物理の話?数学か?赤方偏移?ほら、スペクトルがずれるんだよ


膨張する宇宙、重ね合わせの世界、夢…?現実と見分けがつかない夢は、本当に夢なのか?


認めること、認められること?多様性?自分を好きになること?世界の見方の変化?


いや、大事なのはバランスだ。でも、俺にとって本当に大事なのは…?


もう少しで、ああ…もう少しで思い出せそうな気が…そう──


ジリリリ…


うるさいな


ジリリリリリリ


あとちょっとなんだよ、少し静かにしてくれ


ジリリリリリリリリリリ!!!!


ああ、うるさい

この音って……?

鐘の音?いや、目覚ましか?起きろって?

いやだ、ここは居心地がいいんだ


ジリリリリリリリリリリリリリリ!!!!!!


京太郎「うるさいっ!!」



バンッ!!






何かが壊れる音がした



__

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「きょ……た…」


__

____

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「京……た…ろ……」


__

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「京……太郎」



「京太郎っ!!」



京太郎「っ……!」

母「すごい音したから来てみれば……自分で目覚まし時計買いなさいね」

京太郎「え……あれっ?もう朝…?」

母「まだ寝ぼけてるみたいね」

京太郎「母……さん…?」

母「どうしたの?」

京太郎「いや…その……」

母「まるで、電車の中で急に便意を催してしまったけど、しばらく電車は駅に止まりそうはなくて」

母「脂汗を流しながら我慢に我慢を重ねて、暴発しないようにロボット歩行をしながらトイレに着いたはいいけれど」

母「個室が全部使用中だった時のような顔をしてるわよ」

京太郎「どんな顔だよ…」

母「ふふ、冗談よ。でも、豆鉄砲食らった鳩みたいな顔してたわよ」

京太郎「いや…」

母「まあ、いいわ。早く降りてきて朝ごはん食べちゃいなさい」

バタン


――9月上旬 長野




首を少し傾けると、無残に破壊された目覚まし時計が目に入る

京太郎「やべぇ…壊しちまった…新しく買わないとな、とほほ」

ベットから上半身を起こして、思いっきりカーテンを開ける

うっ…

京太郎「眩しい…」

朝ってこんなに明るかったっけ?

すごく爽やかな気分だ。さっきまであったダルさが嘘のよう

早く起き上がって、朝食を食べて、歯を磨いて、登校して、勉強して、麻雀して……

とにかく、力が湧いてくる。今なら何でもできそうだ


京太郎「あほか」


まぁ、いいか。着替えよう

京太郎「…あれっ、なんだこれ?」

いつの間に手に何かを持っている

紙くず…?ゴミか。なら捨て──




『重要に見えないことが、後になって──』




いや、やっぱり引き出しにしまっておこう

まだ時間には余裕があるし、今日はゆっくり学校に行けるな


階段を降りて、台所に向かう

なんだろう、まるでホテルにでも来たような変な感覚だ。俺の家なのに

懐かしい


母「今日はトーストでよかったかしら?」

京太郎「ああ、うん」

母「じゃあ、はい、どうぞ」

京太郎「ありがとう」

綺麗に焼けたパンに、市販の安いバターを塗る。なんていい香りなんだ

京太郎「おいしい…」

母「そう?なら、愛の力ね」

京太郎「パン変えた?」

母「いえ、いつもと同じスーパーで買ってくる、いつもの食パンよ」

おかしい、味が全然違う。こんなにおいしいものだったか?


食事を済ませて、制服に袖を通す。なんだがすごい新鮮な感じがする

まるで初めて着た時みたいな


京太郎「じゃあ、母さん。行ってくるよ」

母「ええ、行ってらっしゃい」

京太郎「行ってきます」

京太郎「カピも行ってくるな、元気にしてるんだぞ?」

カピ「キュ~!」


なんだろうこの気持ちは

ただの挨拶のはずなのに、涙が出てきそうになるくらい、嬉しい


家を出て少しすると、近所のおばちゃんが目に入った

何やら、花の手入れをしているようだ

すごく繊細で綺麗な花だ。美しい黄色い花を咲かしている


京太郎「おはようございまーす!」

「あら、おはよう京太郎ちゃん。今日もバッチリ決まってるわね!」

京太郎「はは、どうも。その花、綺麗ですね」

「あらー、分かる―?うちの主人はこういうのダメでねぇ、まいっちゃうわ」

京太郎「そうなんですか?こんなに綺麗なのに…」

「わたしもこれくらい可愛かったら、京太郎ちゃんみたいないい男をゲットできたのにねぇ」

京太郎「ははは…」

なんと反応してよいやら

京太郎「あれ、その余ってるのは植えてやらないんですか?」

「ああ、適当にやってたら植える場所がなくなっちゃって…」

京太郎「そうなんですか…もったいない」

「そうだ!せっかくだから京太郎ちゃんにあげるわ。ほら、持っていって!」

京太郎「いや、俺これから学校──」

「いいからいいから。ほらっ!!」


半ば無理やり花を持たされてしまったが、家に戻るのも面倒なのでそのまま登校する


京太郎「すぅー……はぁー…」

天気は晴れ。まだ夏の暑さは残っているが、朝の空気は澄んでいて、深呼吸をすると肺に溜まった毒が抜けるようだ

太陽に照らされて、木々の葉が煌めいて見える

そこに風が吹くと、サラサラと葉っぱが音を出しながら揺らめいて、いとも簡単に心を落ち着かせてくれる

さらに歩を進めていくと、小川が目に入った

やはりこれも、太陽の光に照らされて、その不規則な光の反射がとても美しい

そこを魚が力いっぱい元気に泳いでいる。生命の躍動

いや、木や小川や魚だけじゃない

朝の何気ないやりとりや朝食のトースト、そこら辺の石ころや雑草でさえも、愛おしく感じてしまう



世界ってのは、こんなに輝いているものだったか?


________

_____

__


ガラガラガラ

京太郎「おはよー」


「須賀君、おはよう」

「Good mornig! スガサン」

「おはようさん」

「おう、おはよー」


京太郎「……」

咲「京ちゃん、おはよう」

京太郎「咲…ああ、おはよう」

咲「どうかした?なんか変かな?」

京太郎「…いや、変なのは俺みたいだ」

咲「?」


席に着こうとすると、男子の会話が耳に入ってくる


「昨日の試合見たか、おい?すごかったよな!」

「ああ、かなり燃える展開だったな。やっぱ首位攻防戦はこうでなくちゃな」

「7回に追加点取られたときは、正直もうダメかと思ったね」

「そこで、9回のあのホームランだろ。俺はどっちのファンでもないけど痺れたよ」

「そういえば、阪神は?」

「また負けた。ありゃあ、Aクラスも厳しいかも分からないね」

「「阪神(笑)」」


むっ…

京太郎「そんなことない、ここから阪神は追い上げていって、最後は優勝するに決まってるだろ!」

咲「きょ、京ちゃん!?」


「おーおー、須賀は阪神ファンだったか。すまんな」

「けどあの調子じゃあ無理だろ。チームはバラバラ、投打もかみ合わない」

「監督の采配もことごとく外れるしな」

「正直言って、5位にいられるのがおかしいくらいだぜ」

「優勝なんて夢のまた夢、CS行けたら奇跡だね」


そんなことない!


京太郎「……」

京太郎「いいぜ、だったら賭けしないか?」

「「はぁ…!?」」

咲「ちょっと!」

京太郎「阪神がもしCSに進んで、最終的に優勝したら俺の勝ち」

京太郎「阪神の優勝の可能性がゼロになったら、その時点で俺の負け。簡単だろ?」

「おいおい、そこまでムキにならんでも…」

「別に俺たちだって、阪神をバカにしてるわけではなくてだな…」

「いや、いいじゃねーか。おもしろそうだから、やってみようぜ」

「おい…」

「うーん」


咲「どうしたの、京ちゃん!?止めようよ、こんなこと」

京太郎「……」

咲「野球に興味なんてなかったじゃん、どうしたの急に?」

京太郎「大丈夫だ、安心しろ、咲。阪神は勝つよ」

咲「え?」

京太郎「負けるわけないだろ?だって」




だって、──さんが、あんなにも




京太郎「……」

咲「京、ちゃん?」

京太郎「ん、どうかしたか?」

咲「それはこっちの台詞だよ…」


「結局どうするんだ?」

京太郎「もちろんやるぜ」

「うーん…まあ、いいけどね」

「でも、賭けるって何賭けんの?」

京太郎「お金」

「え」

京太郎「バレット・ストロングのヒット曲で、ビートルズがカバーした曲としても有名なのは?」

「Money」

「That's What I Want……俺も金が欲しいぜ」

京太郎「もちろん、そんな大金は賭けるつもりはねえよ」ニヤリ

「巻き上げるみたいでいい気はしないなぁ…」

京太郎「言ってろ」

「止めた方がいいと思うけど…」

京太郎「詳しいことはまた後で決めようぜ、先生にばれると怒られちまう」

「そうだな」

咲「もうっ、私知らないからね!」

京太郎「そうしてくれ」


咲「まあ、それは別にいいんだけどさ」

京太郎「うん」

咲「それなに?」

京太郎「花」

咲「見れば分かるよ…なんでそんなもの」

京太郎「えーとだな、運命のいたずらというか、おばちゃんの強引さが生んだ結果というか」

咲「意味が分からないよ…」

京太郎「すまん、俺にもよく分からん」

咲「ふふ、なんだか今日の京ちゃんちょっとおかしいみたい」

京太郎「…そうかもな」

咲「綺麗だね、それ」

京太郎「ああ」

本当に綺麗だ


授業が始まった。数学の時間、なんだかウキウキする

おもしろいな、もっと色んなことを知りたい


先生「じゃあ、この問題、誰かにやってもらおうかな?」


シーン…


先生「うーん…ちょっと難しかったか。では――」

いや、なんだか解けそうだぞ

京太郎「はいはい、俺やります!」

先生「はい!?」

咲「はい!?」

京太郎「おいおい、先生はともかく。咲、その反応なんだよ…」

咲「え、いや…だって」


先生「じゃあ、須賀。頼んだぞ」

京太郎「了解っす」

京太郎「……」

京太郎「……」

京太郎「……」

先生「おい、どうした?」

京太郎「先生、これってどうやって解くんですか?」

先生「って、分からないのかよっ!!」


ドッ


咲「ああもう、こっちまで恥ずかしくなってくるよ…//」

京太郎「ははは…まいったまいった」

おかしいな、こんな問題簡単に解けると思ったんだけど…


________

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京太郎「さて、今日は何を食べるかな」

咲「普通のB定食でも食べれば?」

京太郎「つれないなー、咲さん。いつもの頼むよ」

咲「はぁー…またー?」


また?そうだったけ…?


京太郎「なっ、この通り!」

咲「…調子いいなぁ。わかったよ」

京太郎「恩に着るぜ」


咲「じゃあ、はい。どうぞ、京太郎くん」

京太郎「ありがとうな、咲。金はいつものところに振り込んでおくから」

咲「ああ、すまねえな……って違うでしょ!今すぐ払ってよ!」

京太郎「残念、騙されないか」

咲「もうっ、京ちゃんは…」

京太郎「悪い悪い」


いつも通りの日替わりレディースランチ。今日もうまそうだ

今日も?

京太郎「……」

咲「どうしたの?食べないの?」

京太郎「いや、食べるよ。いただきます」

パクッ

京太郎「……」

咲「またボーっとして。もしかして味変?」

京太郎「変というより…変わった?よく分からねぇ」

咲「?」

でも、うまいのは確かだ。おいしい。昨日と全然違う

いや、味付けや風味や食感は大差ない。なのに、なんでこんなに……


________

_____

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ガチャ

京太郎「こんにちはー」

まこ「おお、京太郎か。早いな」

京太郎「ああ、ホームルームが早く終わったんで、先に来ました」

まこ「咲の奴はどうしたんじゃ?」

京太郎「日直で少し遅れるそうです」

まこ「おお、そうか」

京太郎「部長は何してたんですか?こんな早くに」

まこ「これか?次の大会で当たりそうなところの牌譜見たり、対策練ったり、いろいろな」


机の上を見ると、牌譜の山とそこに記されたびっしりと埋め尽くされたメモ

各校のデータと、三年がいなくなってからの新しいメンバーの情報をまとめた紙の束

さらに、教師に提出しなくてはいけない書類もいくつか見える。しかし、手つかず

これは少しやり過ぎだ

しかも、俺の視線に気付くと、すぐにそれらを鞄の中にしまってしまった

いじらしい人だ


こういう時はどうすればいいんだ?

えーと、たしか──




『困ったときは、みんながあなたの手をとってくれるから』




京太郎「あー…実は先生に、部の書類を早く提出しろをせっつかれていまして」

まこ「そ、そうか…」

京太郎「今日はたまたま時間もありますし、俺がやっときますよ。たしか部長が持ってるんですよね?」

まこ「お、おう」

京太郎「なら、それちょっと借りますね。家でパパっと片づけてきちまうんで」

まこ「いや、でもこれは…」

京太郎「あー、あと咲のやつが今度の大会で当たるところのデータ欲しがってましたよ」

京太郎「あいつ、今暇してるっぽいんでついでに分析させとくといいですよ。俺も手伝いますし」

まこ「これはわしの仕事じゃから──」


京太郎「部長の仕事は、みんなをまとめることだと思います」

京太郎「決して、全部を一人でやるのが部長ってなわけじゃないです」

京太郎「ほら、竹井先輩も俺によく雑用させてたじゃないですか?あんなんでいいんですよ」

まこ「…もしかして、京太郎はMの人なんか?」

京太郎「ええ、そうです。実は他人にいじめられることに、極度の快感を覚えることを最近発見しまして」

京太郎「特に言葉攻めにはたまらなく憧れますね」

京太郎「和にジト目で見下され軽蔑されながら、なお且つ敬語で罵られるのが今月の目標なんです」キリッ

まこ「すまん、正直気持ち悪い」

京太郎「そんなぁ~…」

まこ「……」

まこ「ぷっ、あはは!分かった分かった!なら、この書類頼むけぇの」

京太郎「…了解です、部長!!」


ガチャ

久「あら、須賀くんに京太郎くんにまこじゃない?早いわね」

京太郎「いつの間に俺、分裂したんですかねえ…」

まこ「まったく…」

ガチャ

和「こんにちは」

咲「こんにちはー」

優希「こんちはー」


まこ「よしっ。一人部外者がいるが、みんな来おったか」

久「それって私のことかしら?」

まこ「はは、冗談じゃ冗談。さっ、部活始めるとするかのう」


部活が始まる。そう、いつも通り、いつも通りだ


久「うーん……」ペラペラ

和「勉強なら家でやればいいんじゃないでしょうか?」

久「やあね、私が一人でそんなことできると思う?」

優希「思わないじぇ」

咲「思いません」

京太郎「残念ながら」

久「何気にみんな酷いわね」

まこ「普段の行いが悪いんじゃな」

久「ちぇ」



久「うーん…」ジー

京太郎「何ですか、ジロジロと?」

久「ねぇ、須賀くん。気のせいかもしれないんだけど、あなた今日少し変な感じするわね」

京太郎「なんすか、それ?」

久「女の勘」

京太郎「はぁ?」

咲「そうなんですよ、先輩。朝から京ちゃんちょっとおかしくて」

京太郎「おい、俺を変な人扱いするなよ」

咲「あ、ごめん」

久「なーんか、顔つきが変わったわね。恋でもしたのかしら?」

京太郎「恋をすると可愛くなるって、女性の話でしょう…?勘弁してくださいよ」

久「それに、花なんか持って色気づいちゃって。私へのプレゼントと考えていいのかしら?」

咲「それ、近所の人にもらったらしいですよ」

久「あ、そう」

まこ「ぷっ」

久「こら」


咲「その花って何なんでしょう?見たことはありますけど」

和「よく分からないですね。私はそんなに詳しくありませんし」

和「ですが、そんな咲さんにはこの素敵な百合の花が似合うと──」

咲「優希ちゃんは分かる?」

和「ちっ……」

優希「うむ、これは新種の花に違いないじぇ。そうだ、タコス花と命名しよう」

京太郎「全然タコスに見えねえよ」

久「ふふふ、ここは私の出番のようね。それはオミナ──」

まこ「オミナエシじゃな」

久「エシ……」

咲「さすが、部長!」

優希「よっ、日本一!!」

京太郎「花に詳しい人って素敵ですよね」

まこ「おいおい、そんなに褒めても何もでんぞ…///」

久「オミナエシ……」ボソッ


京太郎「素朴ですけど、黄色くて小さな花が綺麗ですよね」

まこ「秋の七草の一つじゃな」

和「女性の一人としては、やはり花言葉が気になりますね」

咲「確かに」

まこ「すまん、さすがにそこまでは分からんのう…」

久「……」

久「くぁー!どーせ、愛だの恋だのに決まってるわよ!!まったく!」

京太郎「なんで怒るんですか…」

まぁ、花言葉なんて大体そんなもんだとは思うけど

久「あーいやだいやだ!もう少し世間様は受験生に気を使うべきだと思うのよね!」

まこ「これは、受験勉強で脳がだいぶやられてきておるようじゃな…」

久「そういうわけで、今日はもう帰るわね。おつかれさんさん、さんころり~」

久「なーんてね。若人よ頑張りたまえ。んじゃ」

バタン


「「……」」

京太郎「相変らず自由っすね」

まこ「引退して、吹っ切れた感があるな…」


和「あれ?何か忘れていったようですけど」

咲「写真だね。ああ、インターハイのときの…」

どうやら、わざと置いていったみたいだ

和「ああ、こんな写真まで…あとでデータを買う必要があるようですね」

咲「ダメに決まってるでしょ」

和「ちぇ…」


ハラリ


京太郎「あっ、何か落ちたぞ」

まこ「なんじゃろ?」

咲「ああ、これは…」

みんなで、最後に撮った集合写真だ


優希「懐かしいじぇ」

和「そうですね」

咲「この頃はまだ、和ちゃんまともだったのにね…」

まこ「そうじゃな…」

和「皆さん最近、私に対する扱い酷くないですか…」


咲「でも、こういうの見ちゃうと来年もみんなでここに行きたくなっちゃうね」

優希「うん」

和「行けますよ。私たちなら」

まこ「そうじゃな」

……

京太郎「あれっ、それって俺も入ってるの?」

咲「当たり前じゃん、何言ってるの京ちゃん」

優希「まあその前に、地区予選を突破するための地獄の練習が京太郎には必要だじぇ」

京太郎「うげぇ…」

和「まずは、基本をしっかりですね」

咲「大丈夫。私たちが教えれば、間違いなく、いやたぶん、おそらく……えーと、とにかく大丈夫だよ!」

京太郎「どんどん確率下がって行ってるんですけど、咲さん…」

まこ「ははは…」


そうか、俺もそこにいていいんだ


________

_____

__



「「おつかれさまー!!」」


京太郎「んじゃ、帰りますか」

優希「なぁーに言ってるのかな、京太郎くん」

和「今日の対局のおさらいをしましょう。正直、理解不能な打ち方してましたよ」

まこ「たしかに今日のは特に酷かったのう」

京太郎「ひぇー」

咲「うーん……みんなは先に帰っていいよ。私が見るから」

和「いや、ですけど」

優希「咲ちゃんの指導じゃ甘すぎるじぇ。もっとこう鞭で叩くような──」

咲「大丈夫、私にまかせて」

優希「うーん、咲ちゃんがそこまで言うなら…」

和「須賀くん、くれぐれも咲さんに粗相のないように」

京太郎「粗相ってなんだよ…」

まこ「分かった、じゃあ部室の鍵よろしく頼む」

京太郎「了解です」


まこ「おつかれさま」

優希「おつかれだじぇ」

和「お疲れ様です」


何か言い忘れているような…気が




『誰かが壁にならないといけないと思うんです』





京太郎「あーと、和」

和「なんですか?」

京太郎「咲のこと、いつもありがとな」

和「…なんのことだかさっぱりですね」

京太郎「すまん、俺にもよく分からん」

和「はは、なんですかそれ。ああ…なら、私からも」

和「いつもありがとうございます」

京太郎「何だそれ?」

和「私にもよく分かりません」


咲「さっきのは何だったの?」

京太郎「いや、俺にもよく分からないんだよな」

京太郎「でも、なんだか言わなきゃいけないような気がして…」

咲「変なの」


咲「変と言えば、今日の対局どうしたの?明らかにおかしかったよ」

京太郎「ええ、咲までかー。どこがおかしかったんだ?」

咲「なんでその牌切るの?、って場面が多すぎるよ」

京太郎「んー…だってなぁ。なんだか危ないな感じがして、『それはダメ』、みたいな気になるんだよ」

咲「何言ってるの?それでめちゃくちゃにされてたじゃん…」

京太郎「それはそうなんだが、おかしいなぁ」

咲「これは、優希ちゃんが言うみたいにスパルタが必要かもしれないね」ゴッ

京太郎「それだけはやめてください。死んでしまいます」


________

_____

__



京太郎「ただいまー」

母「お帰りなさい。遅かったじゃない」

京太郎「鬼教官の指導がきつくてさ」

母「何言ってるんだか」


母「あら、綺麗な花ねえ。オミナエシじゃないかしら。どうしたの、それ?」

京太郎「登校中に近所のおばさんにもらった」

母「誰から?」

京太郎「ほら、あのコンビニの角曲がったところの」

母「そうなの?後でお礼言わないとね」


京太郎「ねぇ、母さん。この花の花言葉って分かるかな?」

母「いやぁ、ちょっと分からないわね」

京太郎「そう」

母「でも、どうせ、愛だの恋だの決まってるわよ」

京太郎「うちの先輩と同じこと言ってる」

母「それは、まだ私が女子高生でも通用するくらいピチピチってことかしら?」

京太郎「何言ってんだよ…その二の腕のたるみを見てから言ってくれ」

母「ひっどーい!」

母「ねえ、お父さん。京太郎が私のこといじめるの…助けて」シクシク

父「なんだとっ、京太郎!!」

京太郎「な、なんだよ」

父「一つ良いことを教えておいてやる!」

父「母さんをいじめていいのは、この世でたった一人。俺だけだ!!」

母「あなた…」

父「おまえ…」

うげぇ…

京太郎「ごちそうさま…」


帰って早々こんなのを見せられては堪らないので、そそくさと自室に行く

制服を脱ぎ捨て、上半身裸になり、鏡の前でポーズをとる

京太郎「ふんっ!、ふんっ!!……いいじゃん」

ああ、何やってんだろ俺


花言葉か…

パソコンの電源を入れて、『オミナエシ 花言葉』でググる

瞬時に検索結果が表示される。グー○ル様様だな、本当に

上の方から、順に見ていく


『親切』、『美人』、『はかない恋』、『深い愛』、『心づくし』、……


まじで、愛だの恋だのなんだな。ていうか、多いなぁ。もう少し統一した方がいいと思うけど

というか、これ以外にもまだあるのかよ…

えーと、なになに


『約束を守る』


約束……約束か

あっ、そうだ!そういえば、隣のクラスの松井くんににDVD返すの忘れてたわ

今度ニューヨークに留学に行くらしいから早く返さないと

あれ…、それだけだったけ?もっと大事な…

京太郎「……」

母「京太郎ー!ご飯よー!降りてらっしゃーい!」

京太郎「あ、ああ。今行くよ」


_______

____

__



京太郎「母さん。そういえば、さっきの花言葉分かったよ」

母「へえ、何だって?」

京太郎「約束守れ、ってさ」

母「あら、いい言葉じゃない」

京太郎「そうだけど、当たり前のことすぎない?せっかくだから、もっとこう、捻りをね」

母「ふふ、あなたもまだまだ若いわね」

京太郎「?」

母「歳をとってくると、当たり前のことが当たり前にできなくなってくるから」

母「だから、そのことを忘れないよう、昔の人は私たちのためにそういう言葉を選んでくれたのよ」

京太郎「…ふーん」

父「うんうん、そうだぞ京太郎。約束を忘れちゃあいかん」

父「特に、結婚記念日の約束だけは覚えておいた方がいい」

京太郎「でないとどうなるの?」

父「……」ツー…

何かを悟った風な顔をしながら、親指を首に当ててゆっくりと横に引き、首を切る仕草をした

いったい何があったんだい、父さん……

母「あらあら、うふふ」


母「でもいいのよ、あなた。今まで一つだけ、それだけは守っていてくれているから」

父「はて、なんだっけ?」

母「ずっと私のこと愛してくれる、って」

父「……いやん///」

母「きゃー!!言っちゃった、言っちゃった!!」

何この夫婦…


母「京太郎、あなた何でもほどほどにこなすくせに、肝心なことはダメだったりするから」

父「麻雀とかね」

京太郎「うっせ」

母「だから、その言葉肝に銘じておくといいわ」

京太郎「うん」

母「それにね、京太郎」

京太郎「?」

人差し指を口元に持っていき、こう言った

母「約束を守れない男の子はモテないわよ」

京太郎「……」

やっぱり、女子高生でも通用するかも


──10月中旬 長野 清澄高校




担任「えー、皆もう聞いているとは思うが──」



なんだか最近ボーっとしっぱなしだ

使い古された言い方をするなら、心にぽっかり穴が空いたような感覚

表面はうまく取り繕ってはいるが、中身に何か一番大事なものが抜けているような、そんな感じだ


咲「どうしたの?」

京太郎「思い出せないことがあるんだよ」

咲「若年性アルツハイマーの気があるね。早く病院に行くのをおすすめするよ」

京太郎「おいこら」


担任「3月に予定している、修学旅行の行き先は──」



咲「うそうそ、冗談。何か悩み事でもあるの?」

京太郎「悩み事…なのか?それすら、よく分からん」

咲「ふーん」

京太郎「こう喉まで出かかってはいるんだが…」

京太郎「例えて言うなら、福神漬けのないカレーライスを食べている感覚みたいな」

咲「ごめん、私らっきょう派なんだ」

京太郎「くしゃみが出そうになるんだけど、結局出なかった時のようなやるせなさというか」

咲「あ、それは分かるかも」


担任「各班の行き先をまとめて、私に提出して──」



咲「今度の修学旅行、京都、奈良、大阪だってね」

大阪、か

京太郎「『修学』してないのに、修学旅行とはこれいかに」

咲「最近はうちみたいに、1年生の内にやっちゃうところも結構あるらしいよ」

京太郎「世も末だな」

咲「でも、京都、奈良、大阪って……ちょっと無難過ぎないかな」

咲「それに私、大阪にあまりいいイメージ持ってなくて…」

京太郎「いや、そんなことないぞ、咲」

京太郎「ミナミは確かにごちゃごちゃしたイメージがあるかもしれないが」

京太郎「活気あふれるいい街だし戎橋・道頓堀は有名だよな千日前なんて」

京太郎「道具屋筋商店街みたいなマニア心をくすぐるものもあるしそこから」

京太郎「少し下って行くと天王寺があるんだが天王寺といえばパリのエッフェル塔を」

京太郎「模した通天閣が有名だ動物園、美術館、公園もあって遊ぶのには困らないし」

京太郎「じゃりン子チエの舞台にもなっているジャンジャン横丁は今も昔も愛される」

京太郎「新世界の名物だなでも阿倍野周辺は再開発が進んでしまって」

京太郎「もうすでに魔法商店街の面影は見られないが、キューズモールやハルカス」

京太郎「ができてキタに行くまでもなくショッピングが楽しめてしまうなけどそういう」

京太郎「商業施設だけじゃなく四天王寺に行けば寺だって楽しめるし近くには大江神社っていう」

京太郎「阪神ファンの聖地ともされる場所があって──」


咲「長い」

京太郎「あ、すまん」

咲「別にいいけどね」

まだ全然言い足りないんだけど

だって、ほら。日本一小さい天保山とか奇抜な外観の海遊館とかいかにもおもしろいし

住吉大社でぶらぶらするのもいい、長居公園で朝の散歩をするのは最高だ

キタはちょっとハイソだけど、それはそれでいいものだし、梅田の地下街で迷ってみるのも一興かもしれない

京太郎「まあ、つまり、大阪はいい街なんだよ」




『せやろ!』




咲「そうなんだ。京ちゃん、もう修学旅行の下調べしてくれてたんだ」

咲「これなら、私達の班は大丈夫そうだね。ありがとう」

京太郎「あ、ああ…」

そんなことしてないような


________

_____

__




京太郎「あ~…、疲れだー」

咲「あんなんでへばってたら、インターハイなんて夢のまた夢だよ」

京太郎「へいへい」

咲「まぁ、でも、最近は前にあった変な癖も直ってきたみたいだし。そこは進歩かな?」

京太郎「へへ~、それもこれも咲様のおかげです」

咲「調子いいんだから」


時間は夕方、部活の帰り道。咲と二人

日が沈む少し前、影のできない特別な時間。マジックアワーだ

全てのものが際立って見えて、宙に浮いているような気さえしてくる

ああ、世界ってのはなんて綺麗なんだろう


咲「最近京ちゃん変わったね」

京太郎「そうか?」

咲「そうだよ」

京太郎「どんなとこが?」

咲「うーん、RPGに例えてみるとね」

京太郎「例えるなよ」

咲「前はね、小さな町の入口に立ってる村人Aで、主人公たちに『ようこそ』って言って町の案内をしてくれるんだけど」

咲「その夜町が魔物に襲われて、残念ながらあっけなく死んでしまう。そんな感じだったんだ」

京太郎「ひでぇ」

咲「でも今はね、序盤は主人公たちの親友ポジションなんだけど」

咲「中盤に裏切って、ラストバトル直前に主人公たちに戦いを挑んで儚く散っていく。そんな感じにランクアップしたよ」

京太郎「結局死ぬんじゃねえか!」

咲「途中でいなくなる奴に限って結構強キャラだから、種とか使って大事に育てたりしちゃうんだよね……嫌になっちゃうよ」

京太郎「咲に『種は全部キーファにあげるといいよ』、と笑顔でアドバイスされたことは一生忘れません」

咲「ごめんごめん。あれは若気の至りで、ついね」テヘ

京太郎「あの時の俺の気持ちを、お前に教えてやりたいよ…」


咲「最近はやたら真面目に勉強するようになったし、麻雀だって少しは上達してきてるし」

咲「なにより、うーん…性格?顔つき?うまく言えないんだけど、そう、かっこよくなったよ」

京太郎「そうか?でも、そう言われると悪い気はしない、かな…///」ポリポリ

咲「ふふ、どういたしまして」


京太郎「そういう咲だって、インターハイが終わってから変わったぞ」

咲「そう?」

京太郎「前は泣く子も黙る、カンするマシーン、清澄の白い悪魔、ってな感じだったけど」

咲「何それっ、初めて聞いたよ!?」

京太郎「初めて言ったからな」

咲「京ちゃん、私のことそんな風に見てたんだね…ひどい」ジー

京太郎「へっ、さっきのお返しだ」

咲「ふんっ!」プイッ


京太郎「すまんすまん。でも最近はほんと、楽しそうに打つようになったよな」

咲「そうかな?自分ではよく分からないけど」

京太郎「そうだな…あえて言うなら、かわいくなったよ。ほんと」

咲「何それ、落とし文句?だとしたら、20点以下の赤点だね」

京太郎「うっせー、そんなんじゃねぇよ。たくっ、正直に褒めなきゃよかったぜ…」

咲「あはは」


こんなバカみたいな会話をできることが、何よりも嬉しい


京太郎「修学旅行、楽しみだな」

咲「そうだね」


──3月下旬 大阪 修学旅行



咲「大阪っ!」

京太郎「うん、大阪だな」

俺たちの班は、大阪駅まで来ていた

咲がはしゃぐのもよく分かる。長野の片田舎に比べれば、このビル群は圧倒的だ

東京もすごかったが、ここも中々のものだ

咲「ここが大阪駅かぁ…思ってた以上に思ってた以上だよ」

「ここから少し行けば、甲子園に行けるのか…なんだか感慨深いぜ」

「ここから少し行けば、京セラドームに行けるのか…なんだか感慨深いぜ」

京太郎「お前ら何しに来たんだよ…」



咲「あっ、見て見て京ちゃん!高速道路がビルに突っ込んでる!」

京太郎「ゲートタワービルだな。大阪のスケールのでかさをよく表してるよ」

咲「そうだね」

京太郎「まあ、ほんとは土地関係でいろいろあって、あんなんになっただけらしいけど」

咲「…現実は夢がないね」

京太郎「そう言うな、咲」


京太郎「さて、とりあえ予定通り梅田駅に行こうか」

「「おおー!」」


________

_____

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まだ朝ということもあり、結構人ごみがすごい

お上りさんよろしく、少し道に迷いながらも梅田駅に到着した


京太郎「おーい、みんな着いてきてるか?」

咲「う、うん…なんとか」

「……」


京太郎「あれ?咲だけ?」

咲「え、おかしいなぁ。さっきまでここに…」

京太郎「おいおい、さっそく迷子かよ…勘弁してくれ」


ブーブーブー

京太郎「なんだよ、こんな時に、メール?えーと…」


『やっぱ我慢できなかった。芝の感触を確かめてくる』


京太郎「お前らが試合するわけじゃねぇだろうが…」プルプル

咲「きょ、京ちゃん落ち着いて」


『追伸 おみやげは甲子園の砂でいいかな?』


京太郎「ちきしょう…あいつら帰ってきたら縛り上げて、頭部死球喰らわせてやる」プルプル

咲「ま、まあまあ。子供じゃないんだし、大丈夫だよ。最悪連絡とれば、ね」

今だけは、咲が天使に見える

京太郎「咲さんかわいい」

咲「何言ってるの!?」


京太郎「もういいや…行こうぜ、咲」

咲「うん」


駅のホームで電車を待っていると、前方に水色の髪をした美少女が目に入った

その後ろには、明らかに怪しいおっさんがいる


おっさん「デュフフ、デュフ…」


なんだ、このむさ苦しいおっさんは

今日は対して暑くもないのに、大量の汗をかいている

そして、地面には荷物と思われる鞄が無造作に置いてある


キラッ


今光ったな

京太郎「ふーむ」

なるほど、そういうことか


まあ、これはあれだろうな……盗撮だ

自分で使うためか、あるいはよそに売るためか

どういうことかは知らんが、卑劣な行為であることには変わりない

ましてや、こんな国の重要文化財級のおもちの持ち主に対して行うとは

おもちマイスターの風上にもおけぬ!

京太郎「余の顔を見忘れたか!!」

京太郎「成敗!!」

咲「急に何っ!?」


京太郎「すみません、駅員さん?あそこに盗撮魔が──」

駅員「なんやて!兄ちゃん、ありがとな」

咲「自分でやらないんだ!?」


タッタッタッ

おっさん「な、なんですか、あなた達!?」

駅員「ちょっと、鞄の中を見せてもらってもいいかな?」

おっさん「い、いやだ。何の事だかさっぱりだ。見せるもんか!」

駅員「うーん…いや、あんた前に見たことあるなぁ……」

おっさん「!!」ビクッ

駅員「ああ、確か前にもっ!!」

おっさん「今はやってない、やってないんだ…!」アタフタ


ゴトッ


おっさん「あ」

駅員「あ」

おっさん「…ビデオカメラですね」

駅員「…ビデオカメラやな」

おっさん「…駅員室ってどこでしたっけ?」

駅員「あっち」


おっさん「い、いやだー!!もうあそこは、あそこだけは…!!」

駅員「はいはい、中身確認するだけだからこっち来ようねー」

おっさん「いやだー!!もう、今度こそ……ケツが、ケツが……!!」

おっさん「いやーーー!!!!」


ふっ、勝利とは空しいものだな

でも、ケツってなんだろう?うん、知らない方がいいな

咲「京ちゃん、えらい!でも、よく分かったね?」

京太郎「ああ、それはな――」

あれっ…?何で分かったんだ…?証拠なんてほとんどなかったはずなのに…

京太郎「……」

咲「京、ちゃん?」


??「……」ジー

京太郎「えーと、何か…?」


さっき見た美少女だ。こっちを見ている

水色の髪をした、活発そうな女の子だ。赤みがかったツーブリッジのメガネをしている、珍しい

どうやら眼鏡にはこだわりがあるようだ

そしてなにより、かなりのおもちの持ち主である。うむ


??「さっきの、なんやったんやろ?知ってます?」

京太郎「ああ、盗撮魔らしいですよ」

??「そうやったんやぁ。怖いなぁ」

京太郎「ですねぇ」

??「……」ジー

京太郎「……」ジー

??「えーと、前にどこかでおうたこと…?」

京太郎「奇遇ですね、俺もどこかであなたとあったことがあるような…」

しかも、一度や二度じゃない。もっと、ずっと…


咲「ああ、誰かと思ったら愛宕さんですね?」

??「えと……ああ、あなた清澄の!」

咲「宮永咲です。お久しぶりです、愛宕絹恵さん」

絹恵「宮永さん、久しぶりやなぁ。せやけど、何で大阪に?」

咲「修学旅行でこっちに来てるんですよ」

絹恵「そうなんやぁ。せっかくやから、案内したいとこやねんけど…」

咲「別にいいですよ。京ちゃんいますし、大丈夫です」

絹恵「京ちゃん?」

咲「隣のこれです」

京太郎「これとか言うな。どこかで見たと思ったら、インターハイの時ですね」

絹恵「ああ、なるほど!あん時かぁ。ということは麻雀部なんやね」

京太郎「その通りです」


咲「結構荷物ありますけど、買い物ですか?」

絹恵「そうそう、お姉ちゃんと梅田で買い物してん」

お姉ちゃん…?

咲「あれ、でも今は一人みたいですけど?」

絹恵「ああ、よう知らんけど『用事思いだした』、言うてどっか行ってもうた」

咲「うちの部長みたいな人ですね…」


京太郎「あ、電車来ましたね。愛宕さんもこれに?」

絹恵「絹恵でええよ、お姉ちゃんと間違えてまうから」

そうだよ、この人にはお姉さんがいたんだ……えーと、たしか

咲「京ちゃん、電車に乗り遅れるよ」

京太郎「…ああ」

絹恵「私は別のやから、ここでお別れやな」

咲「そうですね、また大会で会いましょう」

絹恵「ほなな、宮永さん」

京太郎「さようなら、絹恵さん」

絹恵「うん、また会おな…京太郎くん」



絹恵さんと別れてから、御堂筋線を使って心斎橋まで来た

心斎橋商店街を見て回って、途中に買い物も少しした

戎橋を渡ったし、グリコのアレも見た




『アレアレ言うな!』




道頓堀の名物看板を見た

くいだおれ太郎、かに道楽のカニ、龍に牛にふぐにマグロの握りずし、全部


そして、お昼頃

京太郎「そろそろ、昼ご飯食べるか」

咲「そうだね。でも、どこにしよう。お店がいっぱいあり過ぎて決められないよ…」

京太郎「うーん、そうだな。どっか適当なところで済ますか」


京太郎「おっ、あの店がいいんじゃないか?」

咲「本当に適当だね…」

京太郎「他の店は人が多いみたいだし、あそこでいいだろ」

京太郎「それにあの店、外見はあんなんだけど、味は最高なんだぜ」

咲「京ちゃんがそこまで言うなら…」


─食事処『男女兼用』



店長「あら~、いらっしゃ~い」ニコリ

女性だ。おもちはあまり無いが、容姿は整っており儚げな美人と言ったところか

でも、なぜか俺の中の防衛本能が、この人物に対してヤバイと警報を鳴らしている


京太郎「ども」

店長「……お、おとこぉ!?久しぶりにフィーーシュ!!きたきた、来ましたわー!!」

京太郎「ひっ…」

咲「ん」ゴッ

店長「あら、私としたことが。仕事中だったわね。さっ、席に座ってちょうだい」

さすが咲さん

京太郎「は、はい」

咲「どうも」


店長「さ、何にする?といっても、定食以外ないんだけどね!」

京太郎「ああ、じゃあこの男日照り定食と行かず後家定食を一つずつ」

咲「私まだ決めてないんだけど!?」

京太郎「大丈夫。これでいいんだ」

店長「了解!お兄さん、お嬢ちゃんちょっと待っててね」


________

_____

__



食事が終わり、簡単に自己紹介を済ませると、会話が始まった

店長「へぇ、京太郎ちゃん達は麻雀部員だったのね」

京太郎「俺はてんでダメですけど、こいつは正直かなりのもんですよ」

咲「ちょ、ちょっと…恥ずかしいから//」

店長「ふーん…うちの常連の娘にもね、麻雀やってる娘がいるんだけど、これがまた滅法強いらしいわよ」

咲「へぇ、誰だろう?プロの人かな?」

店長「さあ、私にもよく分からないの。けど、なかなか見どころのある嬢さんなのよ」

咲「そうなんですか?」

店長「ああ……今でこそうちは、女の人も受け入れているけど、昔は女人禁制だったの」

咲「うわぁ」


店長「そんな時に、颯爽とうちの暖簾をくぐってきたのが、そのお嬢さんだったんだ」

店長「最初は追い返そうとしたのよ?けど、逆にこっちに喧嘩を売る始末」

店長「試すつもりで、うちでも一番の量の料理を出したら難なく食べてちゃってねぇ…」

店長「あれは今でも忘れられないわ。あの時の彼女は間違いなくイイ漢だった」

咲「うーん…すごいの、かな?」

店長「それ以来、店の名前を変えて、こうやって営業してるってわけ」

咲「へぇ」

店長「実は、京太郎ちゃん達が来る少し前まで。ここにいたんだけどね。その前に帰っちゃった」

咲「そうなんですか、ちょっと見てみてたかったですね」

店長「ちょっと時間がずれてればね。会わせてやりたかったわ」


京太郎「……」


食事を食べ終わり、会計を済ませた


京太郎・咲「ごちそうさまでした」

店長「ありがとう。久しぶりにイイ男と会話できて、若返った気分だわ」

京太郎「ははは…でも、あんなにおいしい料理がたったワンコインだなんてすごいですよ」

咲「正直、外見で判断してました。とてもおいしかったです」

店長「そう言ってもらえると嬉しいわ。こっちにいる間、また来てちょうだいね」


カランカラン


咲「いやー、おいしかったね」

京太郎「そう、だな」

咲「?、でもよかったの、さっきからちょくちょくお金払ってもらったりしてるけど」

京太郎「大丈夫大丈夫。賭けで儲けた金なんざ、さっさと使っちまうに限る」

咲「ああ、野球の…一体いくら稼いだのさ?」

京太郎「内緒だ」ニヤリ


その後は、天王寺をブラブラした

通天閣、天王寺公園、そして天王寺動物園

動物園には『カミマス』看板は無かったけど、『ツッツキマス』や『アブナイ』看板はあった

これぞ、大阪文化というものだろう



『んなもん、知らんわ!』




京太郎「はは」

咲「何いきなり笑って…気持ち悪い」

京太郎「え、今俺笑ってたか?」

咲「そうだよ。前は冗談で言ったけど、ほんと頭に異常があるじゃない?」

京太郎「そんなことねえよ……ないよね?」


そして、天王寺動物園を出てすぐに、それは起こった


京太郎「あれ、咲……?」


そう、俺は忘れていたのだ


京太郎「どこ行った?」


最近、咲と出掛けることもなかったので心に留めていなかった


京太郎「咲……?」


あいつは、少し目を離したら、迷子になってしまう奴だということを…







京太郎「あ、雨。そういえば、傘忘れたな」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





咲「京ちゃん、京ちゃん!見て、あれあれ……えーと、あれっ?」

咲「京ちゃん?」

咲「……」

咲「……」

咲「……」

うーんと、これはあれだね。久しぶりだから、油断してたみたいだよ。はは

咲「ま、迷った~…」グスッ

どどどどど、どうしよ~…?

ここら辺の地理、全く分からないよ…

こういうの京ちゃんに任せっきりだったからなぁ。まったく、まいっちゃうよね

咲「うぅ…京ちゃ~ん」ウルウル


仕方なく人気のない道を恐る恐る進んでいく

しかし、周りに人はおらず道を尋ねることすらできない

咲「な、なんで~…」オロオロ

あっ、人がいた!あの人たちに尋ねれば……

咲「あ、あの、道をお尋ねしたいんですけど…」


「なにかなお嬢ちゃん。迷子かなー?」ニヤニヤ

「ふふふ…」

「じゅるり…」


あ、ヤバイ。人選間違えた…明らかにガラの悪い女の人たち

「へぇ、中々ええ足してるやないか…どーれ」

咲「ひゃ、ひゃい!!」ビクッ

「あらあら、初々しい反応してくれるやないの」

や、やばい…この人たち、アレだ。あっち側の人たちだ

咲「いいいいいい、いえ。わわわた、私、急いでますので…!!」

「でも、迷子なんやろ。ええやん、一緒にあ・そ・ぼ」

咲「ひっ…!!」

今更だけど、まず京ちゃんに電話すればよかったんじゃん!

私のバカ!ポンコツ!貧乳!……品乳!!


あばばばばばば…まずいよ。貞操の危機だよ!!

何だよ、京ちゃん!

大阪いいとこ、一度はおいで。酒はうまいし、姉ちゃんは綺麗だ。とか抜かして…

全然、全く、これっぽちもよくないよ!ただ今身の危険を感じてるよ!

咲「……」ブルブル

「震えちゃって。かーわいー!」

気分は生まれたての子羊だよ!

「さあ、はよこっちに来ぃや。新しい世界見せてあげるで」

そういうのは、読書で十分間に合ってますから!

「あまり痛い目はみとうないやろ?さあ、さあ!」

万事休す!

さあ、こういう時はあれだね。懺悔タイム!!

もうやけくそだよっ!


京ちゃん、ごめんね。練習とはいえ、10回連続で飛ばしたのはさすがに謝るよ

でも、最近少し打てるようになったからって、調子に乗るのはいけないよね?

優希ちゃん、ごめん。勝手にタコス食べちゃって。でも、ダイエット中だったから仕方ないよね?

和ちゃん、ごめん。えーと…あれ?うん、特に何もないかな

部長、ごめんなさい。前部室に置いてあった少しBL風味な本、実は私のだったんです。後で返してくださいね?

もし気に入ったようでしたら、今度『BANANA FISH』と『日出処の天子』貸してあげます

竹井先輩、ごめんなさい。私──

って、あー、もうっ!!いちいち考えるのが面倒くさい!!

もう、この際誰でもいいから、誰か──!!


助け──








?「おやおや、私の咲さんを涙目にさせるとは趣味のいい……じゃなかった」

?「なんたる悪逆非道の行い。許せませんね」キリッ

??「まったく、のどちゃんが急いでるのを見かけて、何だと思ったら…」


?「少し教育をしてあげましょう」

咲「あ、あなたは…!」

咲「和ちゃん!!」

和「ごめんなさい、少し遅れてしまいました」

??「間に合ってよかったじぇ」

咲「それに、優希ちゃんもっ!!」

優希「一人ということは、また迷子か咲ちゃん…?」

咲「うっ、恥ずかしながら」


和「さて、私が来たからにはもう安心してください」

和「こんな雑魚ども、三分もあれば伸び切ったカップ麺状態にしてあげますよ」

「な、なんやと…!」

「くっ…」

「ほう」

咲「ごめん、『こいつ、できるっ…!!』みたいな反応されても、正直よく分からないです」


「調子に乗ってっ!!」

ヒュッ

和「残像です。後ろですよ」

「な、なにっ、いつの間に!?」

「見えへんかった…」

「は、速い…」






咲「ねえねえ優希ちゃん。喉乾かない?自販機で何か買ってくるよ」

優希「なら、力水で」

咲「りょーかい。あれ結構おいしいよね」


和「ああ、そのまま動かない方がいいですよ。私はレズです」

「……」

和「おや、驚かないんですね?」

「大阪の女をなめたらアカンで。うちもレズや」

和「ほう、少しは楽しめそうですね」






咲「優希ちゃんは天王寺動物園行った?」

優希「行った行った。ヌートリアが可愛かったじぇ」

咲「ああ、たしかに。でも何といっても一番は?」

咲・優希「マレーグマ!!」


和「しかし、私とやるのはやめておいた方がいいですよ」

和「なにしろ──」


和「私の性闘力は53万です」


「なっ、なんやと?せやけど、私だってっ!!」

和「なるほど、威勢だけいいようですね」

和「ですが、それだけで私に勝てるほど、世の中甘くないはないのだということを教えてあげますよ」

和「手とり足とり、ね」ニヤリ







咲「でさぁ、途中に寄った定食屋さんがすごかったんだよ」

優希「それは、私も行きたかったじぇ」

咲「なら、明日一緒に行こうよ。もう、班なんてあってないようなものだし」

優希「やった!」


和「あ、そうそう。一つ言い忘れていました」

「まだ、何かあるんか…!?」


和「私はまだ、変身を3回残しています」


「な、な、な……」プシャー

和「ふっ、他愛のない。きたねぇ花火ですね」

和「さて、残りのあなたたちは、これでもまだ戦うつもりですか?」

「二人同時にかかれば、あるいはっ…!」

「……いや、もうやめよう」

「せ、せやけど」

「うち、聞いたことあんねん。長野には、超ド級の淫乱レズピンクがおるって」

「まさか、こいつが!?」

和「さて、私にはよく分かりませんが」ニヤリ

「ちっ…」

「ずらかるで!」


和「ふっ、行ったか…」キリッ

咲「かっこつけてるところ悪いんだけど、全然かっこよくないからね」

和「そ、そんなぁ~」

優希「これぽっちも見習いたくないけど、さすがのどちゃん。すごかったじぇ」

和「それ、褒めてないですよね?」


和「ああ、せっかく咲さんの評価をあげる絶好の機会だったのに」

優希「普段の行いが悪いから、こうなるんだじぇ」

和「まあ、でもいいんです。私は咲さんが無事なら、それで」ボソッ

優希「……」


和「さっ、厄介事も片づきましたし、行きましょうか」

優希「うん」

咲「あっ、ちょっと待って」

和「?」

咲「言いたいことは山ほどあるけど、今回のは本当に感謝してるよ」


咲「ありがとう、和ちゃん」ニコ


和「……」

和「……」

和「……」ポロポロ

咲「ど、どうしたの!?」

和「い、いえ…何でもないんです…私、それだけで……十分ですから…」ポロポロ





優希「ふぅー、まったく。世話のかかる友人だじょ……やれやれだじぇ」

優希「うーん、でも何か忘れているような…」

優希「あっそうだ。京太郎は?」




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


京太郎「電話出ねー、咲の奴マナーモードにでもしてるのか?」

京太郎「いやいや、もしかしたら事件に巻き込まれて、出るに出られないという可能性も…」

京太郎「例えば、とりあえずどうすればいいか分からなくて、彷徨っているうちに」

京太郎「人気のない場所に紛れ込んでしまい、運よく人を発見し道を尋ねようとするも」

京太郎「その人たちは、実はあっちな気の3人組の女性で、今頃とても俺の口からは言えないような」

京太郎「責苦という名の快楽調教の真っ最中なのかもしれない」

京太郎「くそっ……」ムラムラ

あ、間違えた

京太郎「くそっ……」ムカムカ

京太郎「うぁ~…、考えれば考えるほど不安になる…」

京太郎「ていうか、ここどこだ?」


さっと周囲を見回すと、でかいビルが一本ニョキっと地面から生えているの目に付く

さらに、注意してみると、ショッピングモールらしきものも

あべのハルカスとキューズモールだ。ということは、ここは阿倍野か


阿倍野?


ええと、今やキタ・ミナミに次ぐ第三の繁華街は天王寺・阿倍野って?

いや、違うな…

京太郎「あ、チン電。上町線か」

そうだ、上町線、阪堺電気軌道。──館の帰りに、いつもあれに乗って帰ってたじゃないか


帰る?どこへ…?




『ほな、帰ろか』




─榎さん?


ドンッ


京太郎「す、すみません」

やべぇ、ボーとしてたみたいだ

「どこ見とんじゃ、こらぁ!!」

「ああー、今ので骨折れたたなぁ、こりゃあ」ニタニタ

京太郎「はっ、そんなわけ」

「せやから、慰謝料として財布おいていきな。分かるやろ?」

分からねえよ

どうやら、頭のネジの緩いやばい奴らみたいだ。数は5人、しかも武器も所持と

こりゃ絶対に勝てないな

仕方ない、こういう時は──逃げるっ!!

「逃がさねえぜ、兄ちゃんよぉ」

「へっへっへ」

ちっ、やばい囲まれた!?


咲の奴もまだ見つけてないっていうのに、こんなこと!

ああ、全くなんてツイてないんだ俺

「さあて、もう逃げられないよん」

「こいつ、たぶん修学旅行生だぜ。金持ってるぜきっと。他にもいねえか見てこようぜ」

「あっ、それいいかも!ギャハハ!!」

こんな馬鹿共に、これから何されるか想像するだけでも、怖気が湧く

ちくしょう、せめて他に仲間がいれば──











??「あら、京太郎ちゃんじゃない。傘も差さずにこんなところでどうしたの?」

京太郎「あ、あなたは!?」

京太郎「店長!!」

「なぁんだ、こいつ?」

「こいつもまとめてヤッちゃおうぜ」

店長「ふぅむ、どうやらやばい感じのようね…」


ダメだ、いくら店長が常人離れした、男日照りの行かず後家女でも、この数は…

店長「ねぇ、あなた達。この子は私のお客さんなの、見逃してあげてくれないかしら?」

「ははっ、こいつ何言うてるんや。アホやろ」

「あんたも財布置いていったら考えてもやらんこともない、かもよ?」

店長「馬鹿な子達」

店長「……」

店長「108、よ」

「は?」

店長「108……この数字の意味が分かるかしら?」

「?」

確か、煩悩の数だったような…


「これは、私が今まで男に言い寄って逃げられてきた数よ」


やっぱり煩悩だ!!

「このババア、何言って――」

グシャ

「おげぇぇぇ……」ビシャビシャ

昼飯はお好み焼きか……

店長「お姉さん、でしょ?」ニコリ

京太郎「お姉さん」

店長「あらあら、うちじゃあもんじゃ焼きは扱ってないんだけど」

店長「男を追いかけてるうちに、未だ人類が到達したことがない一つの頂を踏破してしまった私の女子力、見せてあげるわ」

女、子…?


「なんだ、こいつ!?尋常じゃねえ!」

「ちくしょう、こうなったら…!お前ら、出合え!出合え!!」

あ、僕それ、時代劇で見たことあります


ゾロゾロゾロゾロゾロ


店長「ゴキブリみたいな連中ね」

京太郎「いくら、なんでもこれは…」

店長「うーん、確かにねえ」

京太郎「やっぱり…」

店長「夜の営業に間に合うか心配だわ~」

京太郎「そこですかっ!?」


「いっくぜっー!!!」

来る!!


ファッサー


「ぎゃあー、目がっ!目がぁー…!!」


「たくっ、こんなところで甲子園の砂を使っちまうことになるとはなぁ」

「念のために、サイン入りバット買っといてよかったぜ」

京太郎「お、お前ら!」

「ヒーローは遅れてやってくるってね」

「たまたまだけどね」

「おい、ここで借り作っておけばさっきまでの自由行動、先生にチクられないよう頼めるだろ!」

京太郎「おい、聞こえてんぞお前ら」

「俺らだけじゃないぜ」


ズバン!!

「150キロのストレートなんていらないんですよ。アウトロー(顔面)に決まればいいんです」

京太郎「隣のクラスの桑田くん!」

「僕が言いたいのは『永遠』」

京太郎「外国語科の有くんも!!」

「それだけじゃねえぜ。前田、中村、k原、t浪、──他にもみんな来てる」

京太郎「みんな…」


店長「どうやら、役者は揃ったようね」

店長「終わったら、みんなうちに来なさい。サービスするわよ」

「「いっやほー!」」

店長「よっしゃー!!男子高校生、ゲットだぜっ!!」

「「……」」

店長「さ、京太郎ちゃん。さっさと行きない。あと、傘は貸しておくわ」

京太郎「いや、俺も!」

店長「だーめ。さっき一緒にいた、咲ちゃんだったかしら?、いないわよね。迷子じゃないのかしら」

京太郎「ぐっ…」

店長「あなたにはあなたの仕事があるわ。さ、早く行きない」

京太郎「…この恩は、必ず」

店長「ふふ、なら明日私とデートしてちょうだい」


京太郎「……一回だけですからね」

店長「わかってるわ。だって、あなたには――」

京太郎「?」

店長「……なんだったかしら?忘れちゃった」

京太郎「」ズルッ

店長「まあ、いいわ。デートの場所考えておかないと、だ・め・よ」

京太郎「ああ、それならいい場所が!映画館に行きましょう!!」





『初恋なんて実らないものなのかもね』





店長「映画館、か……あれ以来、避けていたんだけど」ボソ

京太郎「?」

店長「うーん、ベタだけど悪くは無いわね。楽しみにしてるわ」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




店長「行ったわね…」


店長「さあ、行くわよ野郎ども!!少し早めのオールスターと洒落込もうじゃない!!」


「「おう!!」」


店長「ん、何かしらこれ?」

店長「財布と、携帯ね……学生証?ああ、京太郎ちゃんのか」

「どうやら、さっきのいざこざで落としてしまっていたようですね」

店長「そう見たいね」

店長「悪いけどあなたたち、後でこれ届けておいてくれないかしら?」

「いいっすよ」

店長「……」ジー

「どうしたんですか、そんなにじっと見て?」

店長「……はは、なるほど。そういうことだったのね。私も歳かもしれないわ」

「?」

店長「いつもありがとう、京太郎ちゃん」

店長「またあの時みたいに、二人でうちの暖簾くぐってくれるのを待っているわ」





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ちっ、2人?3人…?何人か追ってきやがる

とりあえず、ここは逃げねえと

「待ちやがれー!!!」

待つかよ!


それから、必死に走った。道も分からず、雨の中


「こらぁー!!」


あべの筋から横に逸れて、右へ左へ迷い込み、上り下りを繰り返した


「おい…ま……」


古びたアパートとマンションの間を抜けて、猫も通らないような細い道を行った


「…………」


民家と民家の間にあった石畳を渡って、意味不明で錆びついた看板を何回も見た



そして…


京太郎「はぁはぁ…さすがにもう追ってこないか」

京太郎「えーと…」

なんだ、この建物

京太郎「映画館…?」

言い方は悪いかもしれないが、随分寂れた映画館だ

だが、その古臭さがアクセントになって、逆にある種の荘厳さがそこにあった

うーん、なんというか

京太郎「ラストアクションヒーローに出てきそうな映画館だな」


京太郎「あっ、そうだ。咲に電話しないと」

……あれ?ん、あれ?…ない?ないじゃん!

京太郎「ちくしょー…さっきので落としたか、ツイてねぇ…」

さすがにまた、あの地獄絵図の中に飛び込む勇気は俺にはない

仕方ない、この映画館の人に電話借りるか

雨でだいぶ濡れてしまったし、乾かすついでだ


入口を通ると、外観とは打って変わって清潔感に溢れた綺麗な造りだ

通りにはルージュの絨毯が敷かれており、歴史的な建造物を彷彿とさせる

天井には大きさは控えめながらも、煌びやかなシャンデリア

頭を横に向ければ、和・洋・中様々な調度品が所狭しと並べられている

一見するとちぐはぐな印象だが、全体として見れば調和がそこを支配している

それら全てが、異様な雰囲気を漂わせ、まるで白昼夢を見ているかのような気分になる


カウンターには、一人の若い男性がいた

その若さは、年季の入ったこの場からは明らかに浮いており、ミスマッチにさえ思える

しかし、それでもやはり、不思議とここに馴染んでいた


京太郎「あの、すみません」

館長「はい、なんでしょう?」

京太郎「不躾なんですが、電話を貸してもらえないでしょうか?」

館長「ええ、もちろん構わないですよ。さあ、どうぞ」

京太郎「ありがとうございます」


早速、咲の携帯に電話を掛ける

咲『はい、もしもし』

掛かった!

京太郎「おお、咲!無事か、今どこだ?」

咲『京ちゃん?知らない番号だったから、誰かと思ったよ』

京太郎「まぁ、色々あってな」

咲『そう?今、和ちゃんと優希ちゃんと一緒にいるの』

咲「こっちも色々あったけど、大丈夫。どうする、合流する?」


京太郎「うん、そうだな──」

館長「いえ、それは止めておいた方が良いかと」

京太郎「え」

館長「まだびしょ濡れですし、それに雨風も強くなっているようです」

館長「ここでしばらく一休みしておくのが賢明でしょう」

うーん、そうだな…

咲『京ちゃん?』

京太郎「あ、ああ。すまんが雨が強くなってるみたいだし、ホテルで合流しよう。だから、またな」

咲『うん、了解』

京太郎「気をつけてな」

咲『分かった、じゃあね』


どうやら、無事だったようだ。ひとまず安心だ

京太郎「電話、ありがとうございました。とても助かりました」

館長「いえ、お役に立てたようでなによりです」


うーむしかし、ここで待つといっても、何もしないというのは気が引けるというもの

京太郎「ここって映画館なんですよね?」

館長「はい」

京太郎「今日は何の映画を上映しているんですか?面白いですか?」

館長「見てからのお楽しみです」

京太郎「変わってるんですね」

館長「当館の方針でして、私の選んだ映画しか上映しないことになっております」

京太郎「へぇ…」

館長「それに…面白いか、面白くないかはあなた次第です」

館長「しかし、絶対に後悔はしないと思いますよ」


京太郎「分かりました、ならチケット一枚もらえますか?」

館長「かしこまりました」

京太郎「じゃあ、これ……あれ?、あれ…?」

館長「どうされました?」

京太郎「あ、あああ……しくったー…」

京太郎「携帯はおろか財布まで落としてしまっていたとは……」ガクッ

館長「……」

京太郎「すみません。そういうことなので、さっきのは無しということに」

館長「それは残念ですね」

京太郎「そう、ですね…」シクシク

仕方がない、ラウンジの椅子を貸してもらって、しばらく時間を潰すしかないか

とほほ…ジュースすら買えないとは


館長「ですが──」

京太郎「?」

館長「ですが、あなたの場合は違うようだ。だって、ほら」

そう言うと、自分のポケットを指でトントンと叩く仕草をする

ポケット?

京太郎「この中には何も……」

いや、紙くずの感触。開いてみると、これは

京太郎「入場引換券…?」


館長「ふふっ、だから言ったでしょう?」

館長「それは単なる紙ですが、それ以上の意味を持つことがある、と」

館長「今のあなたにとって一番大事なものは何か、思い出すんです」

館長「そうすれば、きっと…」

館長「さあ、行ってらっしゃい。どうやら、私にできるのはここまでのようだ」

京太郎「あなたは、一体…」

俺の疑問に答えることはなく、二度だけ首を振り、ニコリと笑ってこう言った




館長「お客様がお待ちですよ」


中に入る。小さめのスクリーンと少ない座席が目に入った

先客は一人しかいない。よく見ると、女性らしかった

ピンクと赤のちょうど中間の色をした髪を後ろに束ねている。所謂ポニーテールというやつだ

その色は、なんというか…濃い桜の花びらのような、そんな印象を受けた




『寒緋桜』




タレ目だが、気の強そうな雰囲気を漂わせている。おもちはない

でも、とても綺麗な人だ。そう、今まで見た誰よりも


京太郎「……」

??「ん、どないしたん?」

この声を聞くだけで、どうしようもなく懐かしい気持ちになる

ああ、またこの感じだ。あと少しで思い出せそうな…大事な


京太郎「ああ、えと…すみません、そこ俺の席なんですけど」

??「せやったん?ごめんごめん」

??「けど、これだけガラガラなら別にええやろ?館長さんに前聞いたら、『かまわないですよ』言うてたし」

京太郎「自由に座っていいってことですか?」

??「そゆこと。それに滅多にお客さん来ることなんてあれへんから安心してええで」

京太郎「そうですか。ではお言葉に甘えて」


ボスン


??「…なんで、うちの隣に座るんや」

京太郎「だって、ここがベストポジションなんですもん」

??「いやいやいやいや、もっと席空いてるやん」

??「なんで、わざわざ隣り合って座らなあかんねん」

京太郎「そう思うなら、あなたこそ別の所にいけばいいじゃないですか」

京太郎「俺だけに譲歩を求めるのは、公平じゃないですよ」

??「ぐぬぬ…」

??「はぁ…まあええか。勝手なこと言うてすまんかったな」

京太郎「はは、俺そういうの結構好きですよ」

??「あほか」


京太郎「ここへはよく?」

??「まあ、映画好きやし」

京太郎「へぇ、そうなんですか。なら、あのテディベアの見ました?」

京太郎「あれ、結構面白いですよね」

??「何言うてん、あんなの薬中・パロディ・お下劣テディベアのクソ映画やないか」

京太郎「は、はぁ!?何言ってるんですか!」

京太郎「あなたの『コマンドー』に比べれば、はるかにマシですよ!」

??「き、きさま…言うてはならんことを」

京太郎「……」

??「……」


京太郎・??「えーと…」


京太郎「ごめんなさい、少し興奮しすぎてしまいました」

京太郎「正直、俺もあの映画好きなんですよ。セリフ回しのユーモアは群を抜いてると思います」

??「いや、うちも…。ナイトライダーのシーンは思わず吹き出してしもたし」

京太郎「なら、あいこですね」

??「はは、せやな」


照明が落ちて、辺りが暗くなり、上映が始まった

隣り合って座り、映画鑑賞。見ようによってはデートだな

デート?

こんな素敵な人とそんなことをできる人間がいたなら、そいつはさぞ幸せな奴に違いない

きっと、そいつには世界が輝いて見えるはずだ





『ねえ、──さん。なんだか最近、世界が輝いて見えるんですよね』





しかし、酷い映画だ

B級以下のC級映画。それこそ最後までキチンと見ることができるか、疑わしいほどの

あまりに退屈で、内容が頭に入ってこない

映画の音が遠ざかって聞こえてくる

眠い

瞼が妙に重い

現実感がぼやけて、思考が曖昧になっていくのが分かる





『夢でも見てるんちゃう?』





そうかもしれない



『だぁーかーらー、大事なものは──』


ありきたりな台詞。知らないよ、そんなものは


『最近変わったね」


そうか?でも、なんでだっけ?


「それはですね、ほんの少し見方を変えるだけで世の中の別の側面が」


意味が分からないな。もう少し分かるように言ってくれ


「はぁー…、ここまで言っても分からないとは、ほんとに救いがたいアホ犬だじぇ」


なんだと!?


「これはさすがにわしも、擁護できんのう」


そんなぁー


「デートはどこに行ったのかしら?」


えーと、たしか今日と同じように雨が降っていてですね


「へぇ、それで?」


阿倍野で映画見た後、梅田で買い物して、中之島でぶらぶらして


「あら、妬けるわね。じゃあ、その前は?」


大会があったんですけど、そのための修業が思いのほか楽しかったんですよ


「どこへ行ったの?」


岩手から鹿児島、その他もろもろです


「鹿児島と言えば、おっぱいオバケの人かしら?」


そうですそうです!!あれはもうすごいとしか言いようがなかったですね


「その前は?」


正月に住吉大社に初詣に行きました。いいところなんですよ


「ふーん」


「その前は?」


クリスマスがありましたし、少し前には試験勉強を手伝いましたね


「試験勉強?ああ…もうその言葉だけは聞きたくなかったわ」


別に本当に役に立つと思って勉強していたわけではないんですけどね


「その前は?」


大阪観光ですね。心斎橋、難波、天王寺、阿倍野。楽しかったなぁ


「その前は?」


日本シリーズに半ば無理やり観戦に…


「その前は?」


家事を手伝ったり


「その前は?」

「何のために?」

「誰と?」

「私には一番大事な部分が抜けているような気がするけどね」


誰と?


『約束やからな』


オミナエシ


『早く元に戻れますように、って』


住吉大社、祈り、願い


『うちがついてる』


一人ぼっち、寄り添ってくれた人


『ほな、帰ろか』


もう一つの家


『ああ、うちか?』


はい


『うちはな──』


あなたは


________

_____

__



??「あっ、起きた」

京太郎「……ん。あれ、寝てた…のか?」

??「そうみたいやな」

京太郎「待っててくれたんですか?」

??「まぁ、な」

京太郎「ありがとうございます」

??「起きたとき一人っきりやと、さすがに寂しいやろ?」

京太郎「そうですね」

??「しっかし、こないおもろい映画で寝てまうなんて、ほんまもんのアホやな」

京太郎「……ええ、その通りです。さっき、ようやくそのことに気付くことができました」

京太郎「どうやら俺は、ドの付くほどのアホだったみたいです」

??「そう、か」

京太郎「ええ」


京太郎「そうそう、まだ名前言ってませんでしたね」

京太郎「俺の名前は──」



??「須賀京太郎、やな?」



京太郎「……ええ、その通りです」

??「ああ、うちはな──」



京太郎「愛宕洋榎さん、でしょう?」



洋榎「……そうや」


京太郎「……」

洋榎「……」

京太郎「……」

洋榎「で、何か言うことあるんちゃう…?///」

京太郎「なんのことでしたっけ?」

洋榎「こらぁ!」

京太郎「はは、嘘ですごめんなさい。ちゃんと戻ったら、ってやつですよね」

そう、大事な大事な約束だ

洋榎「ぅ……はい///」

京太郎「あんまりごちゃごちゃしたのは嫌いなんで単刀直入に言います」

洋榎「はい」

京太郎「俺は──」


________

_____

__



館長「今日の映画は如何だったでしょう?」

洋榎「最高でした」

京太郎「いや、無しですね無し」

館長「でも、どうやら後悔はしなかったようですね」

京太郎「…そうですね」


京太郎「あっ、そうだ。明日ある女性とここに遊びに来るんで、その時はよろしくお願いします」

洋榎「なっ…早速…う、浮気やと…!?」

京太郎「店長とです」

洋榎「あ、そう」

この、店長の信用されっぷりよ

店長「そうですか。それは楽しみです」


挨拶もそこそこに、映画館を後にした


洋榎「それにしても、よくここまで来れたなぁ」

京太郎「ああ、それはですね。オミナエシです」

洋榎「は?」

京太郎「みんなのおかげここまで来れたってことですよ」

洋榎「ますます意味分からん」

京太郎「はは、違いないです」


京太郎「そういえば、試験勉強は大丈夫でしたか?」

洋榎「ぼちぼちやな」

京太郎「プロテストは?」

洋榎「ばっちしや」

京太郎「よかった。案外神頼みって言うのもバカにならのないかもしれませんね」

洋榎「?」

京太郎「こっちの話です」

ご指摘ありがとうございます
>>661
一番下の行について 店長→館長 でお願いします


京太郎「さて、どこ行きましょうか?」

洋榎「デートの続きに決まってるやろ///」

京太郎「はは、そうですね。じゃあ、はい。お手をどうぞ」

洋榎「ぅ…は、はい…///」

やっぱり、なんて可愛らしい人なんだ

手を繋ぎながら、大通りを歩いていく

京太郎「雨、止みましたね」

洋榎「そうやな」

京太郎「あ」


太陽が


京太郎「洋榎さん、前に雨なんて最悪だって言ってましたよね?」

洋榎「うん」

京太郎「でも、そんなことはありません。それを今から証明してみせます」

京太郎「だから、ほんの少しの間目をつぶっていてもらえませんか?」

洋榎「う、うん」


京太郎「すぅー……はぁー……」

思いっきり深呼吸をする

ああ、世界ってのなんて綺麗なんだろうか

以前までくすんで見えていたものが、今ならはっきりと見える

以前までつまらなかったことが、今なら楽しくてしょうがない


来シーズンは洋榎さんと一緒に、阪神の応援に行こう

絹恵さんと、少しエキサイティングなサッカー観戦をするのもいい

雅枝さんと、夕飯のメニューをどうするか悩んでみるのも一興だ

勉強をしよう、麻雀をしよう

きっと何度も間違えて、何度も負けるんだろう

楽しみでたまらない

世界が変わった。いや、俺が変わったんだ。この人のおかげで


そうだ!今なら、雨の日だって楽しめるはず

だから、こんな日は、傘を片手に、思い切って外に出掛けてみよう

そして、雨があがって、雲の隙間から太陽が顔を出したら

それを背にしてこう言うんだ

そうすれば、きっと



京太郎「ねえ、洋榎さん」

洋榎「ん?」

京太郎「虹の見方を覚えてますか?」












ほら、見えた!

終わりです


なんかちょくちょく自己啓発セミナーみたいだったけど、清々しい雰囲気だった

地の文での心理描写は感じ入れるし伏線とかもいい感じに回収してるし締めのさわやかさとか最高なんだけど
所々入れなくていい描写に力裂いて若干冗長になってるのが残念だった

>>675
うわ…そう言われると、ほんとにそんな風に見えてきますね
むしろ、そういうの嫌いなんで避けてるくらいなんですが
このレスが一番ズシンと来ました。参考になります、ありがとうございました
ああ、後このSSにはそういう意図はありませんので

>>682
その通りですね
出来上がった後、通して読んでいた時すごいテンポの悪さを感じました
もう少しコンパクトにすれば良かった、と今更ながら思います
参考になります、ありがとうございました

乙、面白かった
京太郎が過去に戻ったというか目を覚ましたあとも京太郎以外で思い出す人がいることや
京太郎を知覚できたのがネキだけってのを含めて置かれた状況の理由付けは読者の判断に任せるって方向で良いの?

すみません、後日談は考えていません
なので、HTML化依頼出してきます

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました
では、また。さようなら

>>726
失礼しました。見逃してました

そういうのは作った側が得意気に語ってもシラけるだけなので、皆さんにお任せします

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年08月27日 (水) 01:03:21   ID: WKHzf_lQ

素晴らしい話だった。
良い時間をくれてありがとう。

2 :  SS好きの774さん   2014年08月29日 (金) 04:49:20   ID: oN2ZnRf9

いい雰囲気だった
ネキ可愛い

3 :  SS好きの774さん   2017年04月18日 (火) 00:45:37   ID: tKsnfFxI

良きSSでした
ベタな終わり方は、王道というものです
多くの人々が最も望むENDなのですよ

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