あずさ「プロデューサーさん、さよならってどういう意味ですか…?」(152)

運命の人なんているわけがないわ。

私が、いつも起き抜けに呟く言葉。
ほどよい体の痺れと、気だるさが、夢と現実の境界線を曖昧にさせてくれる。

その数分間だけは、全てを忘れられる時間。
だけど……

「ふぅ……ふぅ……」
右のつま先を擦らせながら、いつもの場所へと向かう。
蝉がうっすらと鳴いている。乱れた前髪が、汗でおでこに張りつく。

……もう、そろそろ夏なのね。

「今日も、時間通りね」
私は、腕時計で時間を確認する。AM10:00……の5分前ね。
うふふ、5分前行動の心がけ、ですよね?

「……」
白いハンドバッグを両手で握りしめて、ぽつりと言った。
「……プロデューサーさん、まだかしら」

だけど……あなたはいつまでも、強く抱きしめた私の心を、離してくれないんですね。

「あと3分……」
日焼けした手首を裏返して、また腕時計を確認する。
秒針が、そろりそろりと動く。
それに合わせるかのように、鼓動がゆっくりと高まっていく。

「……」
私は、ぼんやりと目の前の風景を眺める。
ここも、何も変わらないわね~。

ハンカチを額に当てて歩くサラリーマンのお方が、ふと私に視線を投げかけた。
「あ、あれ……?」
そのお方の、表情がふいに変わる。
あらあら、口をぽっかりと開けているわ~。とってもチャーミングね~。

「うふふ……」
にっこりとほほ笑みかけると、恥ずかしそうに、その方は行ってしまいました。
さすがに、話しかけてくる人はいないのね~。

──まっこまっこり~ん! 菊地真が10時をお知らせしま~す!

AM10:00を知らせる鐘が鳴った。
近くの時計塔のものね。11時は……確か雪歩ちゃんね~。

もう、プロデューサーさん、遅刻ですよ。

「……真ちゃん、元気かしら」
真ちゃんのとびっきりの笑顔を思い出す。
テレビで彼……ごめんなさい、彼女のドラマは毎週チェックしている。
タキシードを纏って、ワルモノさんをやっつける真ちゃんは何度見ても素敵ね~。

私の、すぐ隣の電話ボックスにも、ドラマの大きなポスターが張られている。
うぅん、それだけじゃないわ。
どこまでも伸びていくガードレールにも、隙間もないほど立ち並んだお店の窓にも……。

[天海春香 ドームソロライブ]
[星井美希 映画主演 近日公開]

765プロの、みんなの笑顔がどこにでもある。

「うふふ、デビューした頃は、まさかこんなことになるとは思わなかったわ~」
目を閉じると、みんなの顔が浮かんでくる。
雪歩ちゃんの微笑みも、伊織ちゃんの意地悪そうな笑い声も。

えぇ、目を閉じれば、すぐに、笑顔を思いだせるの。

……たった一人を除いて。

きゅぅとお腹の、小さな虫が鳴いた。
「あらあら~……」

今の、誰かに聞かれてないかしら~。
両手を頬に当てて、辺りをきょろきょろと見渡す。

数人の学生さんが、楽しそうにお喋りしながら、真横を通り過ぎる。
みんな、息を切らして額の汗を拭っている。

「うぅん……」
その後ろ姿を、ひたすら見つめる。
だんだんと、影が小さくなっていく……。

私は、首をゆっくり左右に振る。
玉になった汗がアスファルトに、ぽとりと落ちた。

……きっと違う。でも、もしかしたらあの時と似てるかも知れない。

やがて、学生さんは数十メートル先の小さなお店の前で立ち止まる。
私は、その後を追うように左足を前に出す。体をぐっと前に倒す。
つられて右足が動く。動く、というより、無理やり引っ張られる。

「はぁ……はぁ……」
ようやく小さなプリン屋さんの前にまで辿り着いた時には、
学生さんはもう居なくなっていた。

若い男性の、店員さんは、明るい笑顔を店中に振りまいている。
だけど、私を見るなり、一瞬、きゅっと苦しそうな顔つきをして……
「いらっしゃいませ、今日も来たんですね」
またすぐにいつもの声色になって、笑った。

「今日も、いつものですか」
「えぇ、いつものお願いします~」
「数も……」
「はい、2つでお願いします~」

それきり、店員さんは黙って、店の奥へと入って行って……
丁寧に包装された紙包みを、そっと私に手渡す。

「ありがとうございます~」
ひんやりと冷たいお店の壁に、手をつきながら自動ドアを抜ける。
むわっとした夏の匂いと熱気が、すべりこんで私の体を包む。

その時に、こめかみの辺りがキュッと締めつけられる。

この感覚……。
急いで、振り向く。もう一度、自動ドアをくぐろうとする。
同じ動きで、同じ気持ちで。

「あっ……!」
足がもつれて、尻餅をついてしまった。
「大丈夫ですか?!」
大慌てで、店員さんが私に駆け寄ってくる。

……ドジね~私ったら。
もう激しい動きはしちゃダメってちゃんと言われたのに。

お日様のよくあたるここのテラスは、いつも盛況ね~。
平日なのに、ずいぶんと賑わっているわ~。

「よいしょ……」
日傘のある白いテーブルにたっぷりと時間をかけて、座る。
プリンを紙包みから取り出す。
向かい側に、私とお揃いのプリンがちょこんと置かれている。

「うふふ、美味しいですよね。ここのプリン」
返事は返ってこない。私の声はすぐに、喧騒に掻き消される。

……。

──は、萩原雪歩ですぅ! 11時になったので、穴掘ってうまってますぅ~。

あら……?
もうこんな時間なのね。少しだけ、お昼寝しちゃったみたい。
目の前には、スプーンが丁寧に乗っているプリンが2つ。

もう少しだけ、待ってみようかしら。

──水瀬伊織ちゃんが、12時をお知らせしまぁす! にひひっ。

「……」
膝に強く握った手を置いて、その手と、にらめっこする。

そうしている間に、テラスの人は、くるくると入れ替わる。
お似合いのカップルが、猫のように笑いながら、急な坂道を駆けあがっていった。
うふふ、きっと、登りきる頃には息が上がってるわ。

きっと、あの男の子はちょっと意地を張って、
疲れてないよ、って言うわ。恋人の前だものね。

なんだか、あの子、ちょっと雰囲気が似てますよ?
ちょっと、エッチそうな……なんて言ったら怒られちゃうかしら、うふふ。

その時、不意に肩を叩かれた。

「……!」

全身が、逆立った。
つま先から頭のてっぺんまで、ぞわっとした塊が駆けあがる。

「プロ……!」
「あ、あの、申し訳ございません。長時間のお席の占有は……」
知らない店員さんだった。初めて見る顔。
怪訝そうな顔つきで見つめてくる。
まるで、お化けか何かを見るみたいに。

……あら、今日は、いつもの店員さんじゃないのね。

「ご、ごめんなさい~」
立ち上がろうとすると、また、ぽんと肩を叩かれた。

「見ぃつけた」
背中越しから、12時の時報と同じ声がした。

ゆっくりと振り向くと……
あら~、大きなおデコね。
視線を、すとんと落とすと、
頬っぺたがリンゴのように染まった少女がいた。

「伊織ちゃん……」
「あんた、まだこんなことしてるのね……」

頬の赤さは、暑さのせいじゃなかった。

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