オリジナル小説【現代ファンタジー】 (69)

書き溜め終わったから、淡々と投下してく。

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『町』。街の中央に存在するそれは、誰が呼ぶともなくそう呼ばれている。
『町』に入れる者は、ごく限られた、異能の力を持ったもののみ。
 そして、その者たちは彼らを知っている人たちからは、『魔術士』と呼ばれた。
 ありふれた呼び名で。
 しかし、それほどまでに彼らの存在は謎めいている。
『町』に入っては、ある時は余裕で、またある時は傷だらけになって帰ってくる。
 魔術士なる異名を使わねば、彼らを説明することはできないのだ。
 これは、そんな『魔術士』の、一人の少女の物語である。

 少女の名はマート・エラメク。
 エメラルドグリーンのショートヘア。
 健康的な顔つき。
 ネズミ色のフードつきパーカーと、ラフなズボン。首元からは白いTシャツが覗かせている。
 腰には、二本の短剣が鞘に納められている。
 あまり膨らみはない。

『魔術士』だけが知っている、『町』の実態。
 それは廃屋立ち並ぶ中、まるで生物をかけあわせたような――否――まるでではなく、生物を掛け合わせてできた化物、合成獣が闊歩する戦場だった。
『魔術士』は、外界へのキメラの侵入を防ぐため、日夜闘争を繰り返している。
 無論、マートとて、その例外ではない。

「ギルァアァァ!!」
 猫の俊敏性。サソリの尻尾。
 これだけをとっても、かなり脅威と言えるだろう。
 そんな代物が、マートの前に数匹立ちはだかっている。
 また、その中には廃屋の一部を体に取り込んだ個体もある。

 彼ら合成獣は、貪欲に、さらなる力を求めて吸収を続ける。
 裏界隈のとある研究者によれば、彼らにはマザーたる存在がいて、それに捧げるために吸収するのではないかとされている。
 もっとも、確証がなく、眉唾物の話だ。
 今マートにとって重要なのは、そんな合成獣の謎よりも、今現在、目の前にある問題の解決だ。
 左腰にある短剣を右手で静かに引き抜く。
「ええと、この量なら……まぁ、それなりかな」
 魔術士が『町』に入る目的は、キメラの討伐だが、なにも正義感から行っているわけではない。
 キメラに対抗しうる力は希少。
 ゆえに、極秘裏に、国から大金が転がり込むのだ。

 当然、合成獣の正体も魔術士の正体も明かすわけにはいかない。
 魔術士の報酬の中には、口止め量も含まれている。
 マート・エラメクという少女も、大金に惹かれ『町』に入ったものの一人だ。

 猫サソリの合成獣が、マートに飛びかかる。
 ――魔術士というもの、文字通り魔術が使える。
 それこそが、人間である彼女たちが合成獣に対応しうる術なのだ。
 マートの魔術は風。
 今回は風の刃が合成獣を切り刻む。
 廃屋に血しぶきが舞い散った。
 マートにとって、この程度の合成獣は苦ではない。
 ただ一つ困ることといえば、その弱さゆえ、討伐報酬が少ないことか。
 魔術士の戦いの様子は、魔術士が服のどこかにつける小型カメラで、記録所に送られる。
 それを元として魔術士が仕事を果たしたかどうかを判断する。
 マートの場合は、パーカーフードの付根あたり。つまりは首元だ。
 そして、マートは着実に合成獣を倒していく。
 

 合成獣との戦いを長引かせるのは、あまり得策ではないとされる。
 合成獣とて、数も、種類もあるのだ。
 それらが一斉に襲い掛かってくるのなら、魔術士とて彼らに勝てる見込みは薄いだろう。
 ゆえに、魔術士の戦いは速攻が旨とされる。
 その後、頃合いを見て『町』から帰還するのだ。
 そして今、マートにとっての頃合いが来た。
 合成獣を全て討ち倒し、踵を返して、街の方へと向かう。
 それが彼女たち魔術士の仕事納めだ。

 魔術士とて、人間なのだ。
 彼女たちには、彼女たちなりの私生活がある。
 マートにとっては、なんの変哲もない一軒家で、妹の面倒を見ること。
 もっとも、最近では面倒を見られることが多いが……。

「メロ、たっだいま~!」
 戦闘中は決して気を抜かないマートだが、妹のメロの前ではヘロヘロのデレデレだ。
 マートはメロのことを過剰と言ってもいいほど溺愛している。
「お姉ちゃん、おかえり」
 メロの方も、あまりトーンはあげないが、笑顔で姉を出迎える。
 仄かにマートの鼻をくすぐる匂い。
 どうやら、夕飯を作っているようだ。
「いや~、メロの料理楽しみ!」
「その前にお風呂入ってきたら?」
 マートの性格は、基本的にはいい加減な性格と言える。
 それを反面教師としたのか、メロは非常にまじめな性格だ。
 ただ、二人に共通することと言えば、お互いに信頼し合っているということか。

 風呂場。すでにお湯がたまっている。
 メロが入れておいてくれたのだろう。
 だが、湯船につかる前にシャワーで泥などを洗い流さねばならない。
 マートの背中には、無数の傷跡がある。
 これらは全て、合成獣との闘争によるものだ。
 当然、そんなことも有り得るのだ。
 今日の合成獣も、油断すれば命を取られかねない相手。
 さらに、油断しなくても命をとられかねない合成獣すらいるのだ。
 魔術士の体が傷ついていくのも必然と言えるだろう。
 それでも、マートには、姉妹の生活がかかっている。
 いまさら止まることも、生き方を変えることもできないのだ。
 だから明日も、マートは『町』へ向かうだろう。
 いつ終わるともしれない、合成獣との戦いへ。
 メロも、そんな様々な事情、背景を理解している。
 理解しているからこそ、大好きな姉を止めることはできないのだ。

 翌日昼間。マートは『町』の前で人を待っていた。
 魔術士同士でも、協力することがある。
 当然のこと、一人あたりの報酬は減るが、生存確率は大きく上昇する。
 マートも、何度か他の魔術士と共闘したことがある。
 しかし今回は、見知った顔ではなく、初めて会う相手だ。
 第一印象は最悪。
 なぜなら、その魔術士の男は、待ち合わせより、数時間遅れてやってきたからだ。
 マートは短気は損気を肝に命じているが、さすがにこれは長すぎる。
 早朝から待っていたのに、もう、朝と昼の境目だ。
 マートの苛立ちは頂点に達していた。
「いや~、すんませんね。あ、自分スケアクロウって言います」
 マートはわざと聞こえるようにちっ! と大きく舌打ちした。
 この男、まったく反省していないではないか。
 いくら自分でも、こういう人付き合いの時のルールは守るぞ、と。
 心の中でいらつきが渦巻く。

 二人は『町』へと入る。
 魔術士はこの時、妙な感覚に襲われる。
 落ち着かないような浮翌遊感。気持ち悪いような、そうでもないような、どっちつかずの感覚。
 それらが体から完全に消え去った時、街から『町』へ、あるいは『町』から街への移動は完了する。

 魔術士が『町』に入って初めにすることは二つ。
 索敵と、場所の確保。
 索敵。これはもちろん、敵がいなければ、仕事にならないからだ。
 場所。正確には死角の少ない場所を探す。
 不意打ちを避けるためだ。
 ただし、たいていの廃屋はボロボロに崩れているので、そういった場所を探すのは難しい。

 しばらく、二人は索敵を続ける。
 それなりに時間が経ったころ、今回の獲物が見つかった。
 ベースは獅子。背中からはワシの翼。そして、尻尾代わりの蛇。
 おそらく、もっとも良く知られる合成獣・キマイラと酷似した姿を持っている。

 大型の合成獣には、倒し方というものがある。
 いや、もちろん小型のものにもあるのだが、大型はそれを駆使しなければ倒せない。
 合成獣の弱点。それは生物同士の連結部。
 そこをうまく狙うのだ。
 今回は翼と蛇の付根。
 マートとスケアクロウが連携してそこを狙う必要がある。

 マートにとって目下気になるのは、スケアクロウの実力。
 腰の鞘からのぞかせる刀は、それなりに立派なものに見えるが……。
 死角回避の場所は用意できていないものの、獲物は見つかったのだ。やるしかない。
「ごぁぁぁぁ!!」
 見つかった。というよりは見つけさせたのだ。
 マートは颯爽と、キマイラの前に出る。
「かかってきなさい!」
 合成獣に言葉を理解できる能力があるのかは不明だが、とりあえずは挑発してみる。
 そうすると、気分が出るような気がするのだ。
 言葉を理解したのかは不明だが、キマイラが突進してくる。
 かなり素早い動きだが、直線的だ。
 注意深く見れば、よけられないものではない。
 スケアクロウのほうをちらと見ても、ある程度の回避能力はあるようだった。

 ただ、厄介なのは、他の合成獣が近づいていること。
 騒ぎを聞きつけ、猫サソリが駆けつけて来たのだ。
 それら自体は、一撃のもとに斬り伏せられるのだが、いかんせん鬱陶しい。
 ここでは、その鬱陶しさが致命傷になりかねない。

 ぶぉん。
 そんな風切音を発して、キマイラの爪がマートの頬をかする。
 あと一歩で、マートの片目はつぶされていただろう。
 冷や汗が頬から出た血に紛れて流れ落ちる。
 スケアクロウはスケアクロウで、数の多い猫サソリに苦戦している。
 こうなれば、マートに残された道は一つしかない。
 猫サソリは全てスケアクロウに任せて、自分はキマイラに集中するのだ。
 まずは、猫サソリとキマイラを振り放す必要がある。
 猫サソリの処理をしながら、マートは思考する。
 体感時間は長いが現実時間では数秒と経っていないだろう。
 ともかく、マートは閃いた。
 キマイラの勢いを利用するのだ。

 キマイラを一時スケアクロウに押しつけ、距離を取る。
 マートの目の前に、廃屋のガレキが佇んだ時、その身はキマイラの方へと翻された。
 そして、マートは風の刃をキマイラの体にぶつける。
 これは、殺傷を目的とするものではない。
 キマイラの注意を自分に向けるためのものだ。スケアクロウとは十分に距離が離れている。
 キマイラは激昂し、十分な助走を持って、マートへと突進する。
 それこそが、マートの狙いだった。

 キマイラの勢いは凄まじいものだった。
 猫サソリを軽くけちらし、一直線にマートを狙う。
 しかし、いくら速かろうが、いや、速いからこそ、避けるのは簡単だ。
 少し横にずれる。
 たったそれだけで、勢いをつけすぎて止まれないキマイラの射程圏内から逃れられるのだから。
 そして、キマイラはその勢いのまま、ガレキの山へと突っ込んでいった。
 その過程で、何体かの猫サソリがはじきとばされる。
 狙いがうまくはまった。
 気は抜かないが、マートは内心でガッツポーズをとった。

 合成獣には、もちろん知能がある個体もあるのだが、彼らの本能には”近くにいるものを襲え”と言う命令が深く刻まれている。
 その命令に従い、猫サソリはスケアクロウの方へと向かっていった。
 猫サソリ程度なら、スケアクロウでも大丈夫だろう。
 肝心のキマイラはというと、ガレキの中に首を突っ込み、もがいている。
 ただ、蛇の部分だけは強くマートをにらみつけていた。
 マートは素早くキマイラに近づいていく。
 できれば、首が出る前に蛇を斬り落としたい。
 蛇の抵抗。
 体ほどではないとはいえ、手強い。
 マートは、蛇にかまれぬよう距離をとって、一気に風の刃を付根へと飛ばす。
 一撃では切断できない。
 ならば、それ以上の攻撃を加えるまでだ。
 幸い、体の方もつっかえているようだ。
 まだ、四分の一も出ていない。

 風の刃が一つ触れるたび、蛇の付根は確実に削られていく。
 ぼたぼたと蛇の血が流れ落ちる。
 それは、赤い水たまりを地面に描いた。
 一段階目の終わりが近づいている。
 蛇が切断されたのは、ちょうど、獅子の頭がガレキから抜け出た瞬間だった。
 キマイラは悲鳴にも似た雄叫びをあげる。
 いや、似ているのではない。悲鳴だ。
 それは、彼らにも痛覚があるということの証明にもなる。
 キマイラの咆哮は、幻の『町』の中を木霊した。

 同時に、それは第二回戦開始の合図でもある。
 出血多量。連結部位を一つ破壊したとはいえ、相手は獅子の体と鷲の翼を持っているのだ。
 いぜんとして油断できる相手ではない。
 なおも勢いを緩めぬ獅子の爪。
 風切音も、尻尾を斬り落とされる前となんら変わりない。
 ただし、出血の影響か、体全体の動きは鈍っている。
 油断はできないが、確実に脅威は下がっている。
 マートに少し余裕ができた。
 ちら、と一瞬だけスケアクロウの方を見る。
 向こうもひと段落ついたようだ。
 仕事納めは確実に近づいている。

 風の刃。
 さきほどから使っている、唯一マートが使える攻撃技。
 シンプルだが、それゆえに強力。
 動きの鈍ったキマイラの眼を、風の刃は打ち抜いた。
 そして、視界を失ったキマイラの爪は、闇雲に宙を切る。

 キマイラの翼がここに来て初めて羽ばたき始めた。
 おそらくは、劣勢を悟っての避難。
 だが、それを許すほどマートは、否、魔術士たちはお人好しではない。
 スケアクロウの刀とマートの風の刃。
 それらが一枚ずつ、翼に激しい裂傷を与えた。
 もはやキマイラにできる抵抗は、じたばたともがくことのみ。
 後は単純な流れ作業。
 慎重に近づいて翼を斬り落とす。
 大型の合成獣との戦いとは、こういった過程を持って終わりを迎えるものなのだ。

「お疲れさまっす!」
「お疲れさま」
 あいさつはそれなりに、魔術士は相手方に深く突っ込まずに『町』を出る。
『町』と街の狭間の、妙な感覚を感じながら。

 結局のところ、普通の人間も、魔術士も、居場所は日常の中に回帰するのだ。
 そして、マートにとっての居場所とは、メロがいる場所。
 その場所を守るため、今日も戦い抜くのだ。
 いつもと変わらぬ日常を守るために。
 ……だが、運命なるものは皮肉だ。
 平穏を許してはくれない。
 それはかつての、実体を持った幻影。
 崇高なる意志と邪悪なる意志。
 必然は偶然をよそおい、めぐりあった。
 それは子供が描いたかのような、現実味を帯びた夢物語。
 破滅は、薄ら笑いを浮かべて、人類を、地球という星を嘲る。

 大は小を兼ねるという言葉がある。
 星すらも射程に収めた運命は、人々の生活など、容易く破壊するだろう。
 だが、それらに民衆が気づくことはない。
 当然だ。理解せずともその運命に挑む魔術士でさえ気づいていないのに、戦わぬ彼らが知りえるはずはないのだ。
 魔術士は、戦う。
 それは、あるいは自分の欲望のため。
 またあるいは、世界を守るため。
 そして、親しきものを守るため。
 それぞれの理由を胸に、魔術士は強き意志を持って戦いに挑む。
 いや、そうではなく、逆なのかもしれない。
 つまりは、強き意志を持って戦いに臨める者のみが、魔術士になれるのかもしれない。

 それはともかく、魔術士といえども休日はある。
 いや、むしろ魔術士の方が普通の人よりも休日が多い。
 それは、合成獣一体あたりの報酬が高額なことに起因する。
 一回の報酬が高額な分、仕事の回数も数回で納められるのだ。
 マートは、月の始め、中盤、終盤で二回ずつ仕事をこなすことにしている。
 計六回。それだけ合成獣を討伐していけば、妹との二人暮らしは賄える。

ちょっとめし行ってくる。見ての通り厨二病なんだ、すまんな。

 マートにとっては、戦いよりも重大事なメロとのひととき、気合いも入るというものだ。
 仕事の空き時間で、徹底的に訪れるスポットを調査していく。
 その姿はさながら不審者だった。
 何度か、警察に補導されそうになったこともあった。
 だが、持ち前の体力を無駄に使っていつもその場を逃れていた。
 誰が見ずとも、その姿は異常と言えるだろう。
 しかし、この異常さにも、理由はあるのだ。
 ――彼女たちには、両親がいない。

 母親とも、父親とも過ごした記憶がないのだ。
 お互いに、お互いが心の支えとなっている。
 そして、マートは自分が姉だからこそ、母であり、父であろうとする。
 そして、なにより、メロの姉として振る舞うのだ。
 ただ、その気負いもあってか、マートはメロに対して心配症で過保護でもある。
 ただ、メロ自身は、あまり姉に甘えるわけにもいかないと、それをやんわりとなだめている。
 そんな関係は概ね良好な関係と言えるだろう。

 今日は、朝からメロと一緒に買い物。
 前はマートが料理をしていたが、今となっては料理の腕は完全にメロに抜かれている。
 そんなわけで、マートはメロの指示に従い、食材をカートに入れていく。

 エラメク家の財布は、3つに分かれる。
 姉妹それぞれの財布と、共通の財布。
 マートからメロへお小遣いをあげる形をとっているが、その都度マートが自分の分も使って過剰に渡そうとするので、メロも毎回、過剰分の受け取りを拒否する。
 今回使っているのは、共通の財布だ。
 
 朝、昼、夜に使う食料と、少しの菓子類。
 それらが次々にカートに入れられていく。
 特に、菓子類の中に含まれるチョコレートは、マートの瞬間的エネルギー源にもなる。
 普段は冷凍庫で凍らせておいて、仕事に行く前に食べるのだ。

 レジに持っていき、会計を済ませた後は袋詰め。
 さすがにこの時は分担して作業するが、マートの過保護っぷりが発揮されるのはここからだ。
 荷物を全て持とうとするのだ。
 メロはもう、何回も慌ててそれを止めてきた。
 街中では、姉妹はちょっとした噂になっている。

 ともあれ、マート三メロ二の割合で荷物持ちは落ち着いた。
 次は、昼食だ。
 マートはこのあたりのことはなにからなにまで調査済みだ。
 メロが望むところへエスコートするのは彼女にとって造作もないことなのだ。
 メロは、ラーメンが好きだ。
 マートは仕事帰りが夕方になるときを使って、全てのラーメン屋で試食を済ませている。
 その中から、もっともメロが気に入るであろうラーメン屋を見つけ出したのだ。
 とりあえず店に入って席に座り、注文する。
 メロが頼んだのは塩ラーメン。
 意外なことに、ここでマートの選択は、塩ラーメンではない。ミソラーメンだ。
 しかし、これはマートだけができる、荒技ともいえる、恐るべき作戦だったのだ。
 原理はマートのみぞ知る。
 ミソラーメンを食べるふりをしながら、様々な調味料を混ぜていく。
 するとどうだろうか。
 なぜか、ミソラーメンが塩ラーメンへと徐々に、徐々に、変貌を遂げるのだ。
 この後、店の人から原理の説明を求められるのだが、マートは企業秘密といって、絶対に話さない。
 ゆっくりと時間をかけてラーメンを食べ終え、姉妹は勘定してから外へ出た。

 昼食を終えた後は、荷物を置くため、一度家に戻る。
 すでに安全なルートは調べ尽くしているため、危険はない。
 万が一、そんなことが起ころうと、マートのメロを守り抜くという意志の前では、無力だ。
 ともかく危険域をそれとなく避け、姉妹は家へと向かう。
 実は、本人たちのも知らないことだが、魔術士とその親族には監視がついている。
 しかも、相当な手練れだ。
 マートに自身の存在を気づかせないことがその証明となっている。
 魔術士の存在は、あくまで国家機密なのだ。
 存在を隠し通せない本人と親族以外に秘密が渡ったなら、街はたちまちにパニックに陥ってしまうことだろう。
 そうなる前に、監視員は魔術士を阻止または殺害するのだ。
 もっとも、メロはもちろん、マートもあれで口の堅い方ではある。
 いや、そもそもメロに危険が及ぶ選択など、マートにはあり得ないのだ。
 だから、姉妹が監視員に干渉されることはないだろう。
 歩くこと約三十分。
 姉妹は自分たちの家へとたどり着いていた。

 鍵を開けて閉める。玄関で靴を脱ぐ。
 その一連の動作をこなしてから、姉妹はリビングへと向かった。
 メロの性格から、やるべきことは早めに済ませておく。
 姉妹は分担して、食料をしかるべき場所に運んでいく。
「テレビくらいはほしいねー」
「そう?」
 エラメク家には、テレビやパソコンといった類のものがない。
 あるのは最低限の生活用品に加えて、トランプなどの軽い娯楽のみ。
 一見、貧相に見えるが、それでいいのだ。
 テレビが欲しいなどと口に出しては見たものの、本当は、姉妹はお互いがいれば十分に幸せなのだ。
 それをマートはオープンに、メロの方は表には出さないが、お互いに感じている。
 彼女たちの関係はそんな共依存のもと成り立っているのだ。

 ふと、家のチャイムが鳴り響く。
 なにかの勧誘か、それともただのいたずらか。
 マートはそれを確かめ、勧誘ならば追い返すために玄関へと向かった。
 ドアの小さな丸窓から見えるのは一人の男の姿。
 どうも、追い返すというわけにはいかなくなったようだ。
 なぜならその男は、怪しげな勧誘をしに来たわけでも、いたずらをしに来たわけでもない。
 国の人間なのだ。
 マートは慌ててドアを開ける。
「どうも、アレックさん、ゆっくりしてってください」
「ああ、これはどうも」
 社交辞令を一通り交わし、マートはアレックを家の中へと招き入れる。
「こんにちは、アレックさん」
「うん。こんにちは」
 メロの挨拶の方が、マートより丁寧だ。

「いや~、相変わらずものが少ないね~」
 このアレックという男は、先日のスケアクロウとはまた違った軽薄さを持っている。
 主に女性関連でなにかしでかしてそうな感じだ。
「そういえば、エラメクちゃん、アニメとか見てる? 最近はまっちゃってさ~」
「アレックさん、皮肉ですか? うちにテレビはありません」
 あまり家の事情に突っ込まれたくないのか、マートの対応はどことなく冷たい。
「ああ、いや、そういうんじゃないんだよ。じゃあさ、漫画とかは?」
 反省しているように頭を掻きながらもアレックは次の話題を持ってくる。
「……まぁ、それくらいなら」
 アレックの態度も要因ではあるが、なによりメロとの時間を邪魔されたことが、マートの不機嫌のなによりの要因だ。
「それで、そんな世間話をしに来たわけじゃないんでしょう?」
 マートの声に、お茶を運んでいたメロの動きが一瞬だけ止まる。
 アレックの方は、メロからお茶を受け取り、それを一口飲んでから話題を切り出す。
「ははは、まぁそう怒らずに。重い話の前は、軽い話で流れをつけるって決めてるんだ」
 唐突にアレックの声と表情が重苦しいものに変わる。
 どうやら、本当になにか重要な話のようだ。

 マートも、お茶を一口飲んでから、これから来る話に備える。
 途端にその目つきは真剣なものになった。
 合成獣との戦いは常に危険と隣り合わせだ。
 少しでもリスクは避けていきたい。
 なにか情報があれば、それは身につけておいた方がいい。
 真剣にもなるというものだ。

「数年前に科学者が提唱した、マザー説は覚えているかい?」
「ああ、あの、確証がないからそのまま放置されていた……」
 やはり、人間というものは、確かな証拠がなければなにかを信じるということは難しい。
 マザー説も、確証を得れないために信用されない例の一つと言えるだろう。
「でもなんでいまさら……まさか、確証が見つかったとか?」
「いや、見つかってはいない。ただね、僕の仮定とマザー説を照らし合わせると、ある恐ろしいことが判明した」
「恐ろしいことって、なんですか?」
 疑問をアレックに投げかけたのは、メロだった。
「そうだね……」
 アレックはなにか考えるような素振りを一瞬見せてから、ガシッ、とメロを掴む。
「はっ?」
 姉妹が一瞬困惑した隙に、アレックは逃げ出したのだ。
「……ちょっと待て!」
 マートも数瞬で思考を回復させ、玄関から逃げ出したアレックの後を追った。

 メロを小脇に抱えているのに、アレックは速い。
 しかし、その動きはあらかじめ決められていたように規則的だった。
 まるで、マートをどこかへ誘導しているようでもあった。
「待ちなさい!」
「待てと言われて待つ馬鹿はいない!」
「なんかむかつく!」

 アレックの誘導先は、人気のない港。
「いったい、どういうつもりよ?」
 肩で息をしながらマートが尋ねる。
「いやぁ、アニメでこういうシーンがあってさー」
「は?」
 なにを言ってるんだ、この男は。
 そんな感情がマートの心によぎる。
「僕はね、君が主人公じゃないかって思ってるんだよ」
「冗談も休み休み言わないと、怒りますよ? さっさとメロを離してください」
「お姉ちゃん……」
 マートの瞳は、強くアレックを睨みつける。
 しかし、アレックも物怖じせずに演説を続ける。
「だって両親がいない。こんな可愛い妹がいる。特別な力を持っている。どうだい? これだけ証拠はそろっているよ」
「……とりあえず、一ついいですか?」
「なんだい?」
「アニメの見すぎです」
「僕もそう思う」
 淡々と会話を繰り返す中でも、マートはメロ奪取の機会を窺っている。
「でもね、これから起こることも、アニメのような出来事なんだ。主人公じゃなければ生き残れない」
 アレックが指をならすと同時に、屈強な男が二人、後ろからマートを押さえつける。

「お姉ちゃん!!」
「なっ!?」
 マートの表情からは驚きが隠しきれていない。
「……主人公ならこの程度のピンチは跳ね返してくれるだろう?」
「できると思うんですか? 本格的にアニメの見すぎですね」
 マートはアレックに、自分の現状を皮肉まじりに伝える。
「できなければ、君はそこまでということだ」
「……ですか?」
「え……?」
 小さく、怒りをこめてつぶやいたのは、マートではなかった。
「メロ……?」
「あなたは何様ですか!?」
「な……」
 アレックに抱えられたまま、メロは激昂する。
「私とお姉ちゃんの時間を邪魔して! それだけじゃなく、お姉ちゃんをひどい目に遭わせて!」
「め、メロ。お姉ちゃんは平気だから……」
「お姉ちゃんは黙ってて!」
「は、はい!」
 メロの剣幕に、押さえつけられたままのマートの肩がすくむ。
「君は、怖くないのかい? メロちゃん」
「あなたなんかちっとも怖くないです! 私には、お姉ちゃんがいるから」
「メロ……。アレックさん、さっきの言葉、訂正します」
「なに?」
 マートは自身を押さえつけている男たちを徐々に押し返して、立ち上がっていく。
「うぉわ!」
 そして、完全に男たちを跳ね除けた。
「ふぅ~。なんか、メロがいたから跳ね返せました。アニメじゃありませんけど」
「……ふむ」
 アレックは、ゆっくりとメロを解放する。
「なるほど……。そういうのも、ありだな。君たち、もう帰っていいよ」
「あっ、はい」
 男たちはその場から静かに席を外す。
「お姉ちゃん!」
 メロは走ってマートの元に駆け付けた。
「よしよし、大丈夫だった?」
「平気。信じてたから。お姉ちゃんは?」
「うん。私も平気」
「あー、ごほん」
 姉妹の会話をアレックが無粋に遮る。

「さて、そろそろ本題に入ろう」
「少しは反省してくださいね?」
 メロがアレックを鋭い目つきで睨みつける。
「ははは、エラメクちゃんよりメロちゃんの方が怖いんじゃないかなぁ……」
 アレックの額からは微かに冷や汗が垂れていた。
「で、何の話でしたっけ?」
 マートの方も、冷たい声でアレックに催促する。
 だいぶ時間を取られてしまったからか、いらついているようでもあった。
「マザー説云々……までは話したね?」
「はい……」
「ここで仮に、マザー説が有効だとする。それを、合成獣の性質と照合すると、ある疑惑が浮かびあがるんだ」
「疑惑? なんのですか?」
 なにか、不穏な空気を感じる。
 マートはそう思って、本当に真剣にアレックの話を聞くことにした。
「合成獣はあらゆるものを吸収して、自身の力とすることは知っているよね?」
「あいつらの最大の特徴ですね」
「……合成獣は今、結界によって閉じ込められているが、『町』の外に出たなら、さらに吸収対象が増え、ネズミ算式に膨大化していくだろう」
「それで、マザー説とどう関係があるんですか?」
「マザーがいるならば、いくら子を叩いたところで意味はない」
「そういえば、そうですけど……」
「マザー説が否定されるのには、そういったたぐいの理由もある。魔術士の戦いは、ただの徒労なんじゃないかってね。
 ならば、なぜ魔術士は戦いに向かう? 
 そこには、マザーのなにか黒い影があるんじゃないかってことさ。
 上の方もなんか怪しいんだよねぇ。
 ……まぁ、あくまで僕の憶測だから、気にしない方がいい。
 今日は姉妹の時間を邪魔して悪かったね。じゃあね」
 アレックは一瞬だけ、本当に申し訳なさそうな表情をしてから姉妹の横を通り過ぎた。
「……ふぅ。帰ろっか、メロ」
「うん……」
 刻一刻と、運命は迫っている。
 歯車の様子など、気にもかけずに。

 月中盤の仕事だ。平日昼間。
 さすがに得物は一目につかないところへ隠している。
 今回は、予定のあう魔術士がいなかったため、一人。
 ともかく、マートは『町』の中へ入っていった。
 相変わらずのガレキの山だ。
 ただ、それは合成獣にも吸収限界があるということを表しているのかもしれない。
 または、ただ単にこれらのガレキが吸収するに値するとみなされていないのかもしれないが……。
 猫サソリは今日もいる。
 あまり苦になる相手ではないが、何度もやりあいたい相手ではないことは確かだろう。
 それでも襲ってくるなら対処するしかない。
 マートは猫サソリをあしらいつつ、大型合成獣を探す。

 合成獣の生態は、地球上の生態に酷似している。
 つまりは、強力な個体ほど数が少ないのだ。
 うんざりするほどの猫サソリの数も、弱小個体の多さに起因する。
 そう、合成獣の基本システムは、地球上の他の生物となんら変わらないのだ。
 これらの理由から、一体に集中されるマザー説よりも、それぞれが個であるとする分散説というものの方が信じられている。
 だが、そんなことは魔術士にとっては関係のないことだ。
 彼女たちに与えられた目的はただ一つ。
 戦いに勝って生き残ることなのだから。

 さて、大型合成獣は見つかった。
 周囲も、崩壊していない建物が多めで、戦いやすい場所と言えるだろう。
 しかし、どうも合成獣のパーツの中に、見たことも無い生物が混ざっている。
 それはまるで、漫画の中から飛び出してきたかのようなパーツだった。
 ――竜だ。
 竜と言っても、色々種類はあるが、ここではワニが巨大化したようなあれを想像してほしい。
 無論、それだけでは終わらない。
 今マートの目の前にいる物体は、合成獣なのだ。
 当然、他のパーツも使われている。
 そのパーツは、見るものに嫌悪感を与える。
 人間の手。
 おそらくは、合成獣に敗北した魔術士のもの。
 そんな代物が、合成獣の胴体からびっしりと生えているのだ。
 マートは、心底震えて身震いした。
 これほどまでに、おぞましいという言葉が似合う物体もない。

だが、震えてばかりもいられない。
戦わなければ、待っているのは死、あるのみ。
……とはいえ、いくら合成獣のパーツといっても、攻撃するのには抵抗がある。
マートはわずかな望みにかけて他のパーツも探すことにした。

竜と言っても、火は吐かないようだ。
しかし、なにぶん、その巨体だ。
必然的に攻撃範囲も広くなる。
普通に走って回避しようとしたのでは、すぐに追いつかれてしまう。
そこで、マートはとある魔術を使用することにした。
攻撃技ではない。
風の力で推進する魔術。
応用すれば、短時間の飛行も可能だ。
今回は、その応用の方も使用機会が多そうだ。
ひゅっ。
そんな事前予告の風切音が、マートの耳に届く。
そこで、マートはベクトルの違う二つの風を発生させる。
竜にとっての向かい風と、自分にとっての追い風。
もちろん、強風などとなまやさしいものではない。
人が食らったなら、確実にその身を浮かすであろう風だ。
その結果、尻尾の推進力は著しく低下。
逆にマートの動きは普段の数倍以上。
マートが竜の攻撃を躱すのは、必然と言えるだろう。
回避行動を続けながら、マートは竜の周囲を回り、その全体像を確かめていく。
しかし、どこに周りこもうとも、あるのは無数の腕のみ。
仮に、それ以外のものがあったとしても、埋もれてしまい、探しにくくなっているだろう。
さらに、手は蠢いている。
まるで生きているかのように。
それが、竜のおぞましさに拍車をかける。

無数に生える腕の動きは、まだ生あるものを、竜の体内に取り入れようとするかのようなものだった。
当然、マートにはあんな化物に取り込まれてやる気はない。
スゥ―と、一度深呼吸してから覚悟を決める。
人間の手を斬りおとす覚悟を。

風の刃。
結局は、相手がなんであろうとそれに集約される。
今回も、風の刃は合成獣のパーツを切り裂いた。
ただ一つ違うことと言えば、やけに生々しい音がマートの耳を抉ることか。
完全に遮断できるわけではないが、マートは戦闘に集中することで意識を逸らす。
ただ、逸らそうにも、怨恨纏ったかのような腕たちは、確実に視界に入ってくるのだが……。

また、そういった感情論抜きにしても、数が多い。
それゆえ、耐久力も馬鹿にならない。
ただ一つ、竜に欠点があるとすれば、その巨体さゆえに、小回りが聞かないことくらいだろう。
ただし、それは遠距離限定の話である。
近距離となれば、無数の腕が相手を襲うだろう。

なかなか決定打が与えられない。
そうしている間にも、他の合成獣は這寄ってきているのだろう。
建物も、竜の攻撃によってことごとく崩壊していく。
ガレキの山が着実に積み上げられていった。
マートは、そのガレキも盾にしながら、竜の胴体から生える腕へ、風の刃を撃ち込んでいく。
そうすることで、なにか腕以外のものも見えるかもしれない。
しかし、落とせども落とせども、それは腕ばかり。
そして腕は地面に落ち、一度痙攣してからその動きを止める。
そんな光景を何度も見せられていること。
先刻から、ずっと走り回っていること。
それらが合わさり、マートの精神と体力はすり減っていった。

消耗している状態の時、人は思わぬミスをする。
今のマートの場合、それはガレキにつまずいたことだった。
推進力を増していた彼女の体は、盛大に転倒した。
同時にそれは、大きすぎる隙となった。
竜の尻尾が振り下ろされる。

このようなピンチに陥った時、必ず人は目を瞑ってしまう。
それはおそらく、体が諦めてしまっているからなのだろう。
それでもなお、マートの心は諦めてはいなかった。
だからこそ、奇跡など望まぬ彼女が奇跡を手繰り寄せることができたのだ。
奇跡の内容は救援。
たまたま通りかかった別の魔術士が、たまたまマートと竜の間に割って入ってきてくれたのだ。
「大丈夫ですか?」
凄惨たる戦いの現場に似つかわしくない、優しい笑顔でその魔術士は呼びかける。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
助けられたからには素直に礼を言う。
マートも、そこまで礼を欠いてなどいないのだ。

救援にきた魔術士は、槍を持った女性。
可愛いというよりは、綺麗と言った方が似合うだろう。
その槍は、竜の尻尾に深々と突き刺さっている。
自身の体長以上の尻尾を軽々と受け止めている。
それが魔術によるものであることは、誰が考えてもわかることだろう。
「あなた、名前は?」
槍を竜の尻尾から引き抜き、マイペースに女性は問いかける。
「マート。マート・エラメクです」
マートもそれに対して律儀に答えた。
「マートさんね。私はウィッチ。よろしく」
「は、はい!」
なんとも単純な偽名だ。
しかし、世の中は複雑であればいいというものでもない。
単純だからこそ強い。
そんなことが往々にして起こり得る。
ウィッチも、その例の一つと言える。
原理は明らかではないが、真っ向から合成獣の攻撃を受け止めているのは確か。
さらにこの時マートには、なにか予感のようなものがあった。
目の前にいる女性は、またなにかをすると。
それが確認できたのは、すぐ次の瞬間だった。

爆ぜたのだ。
竜の尻尾が跡形もなく。
しかし、マートの鼻には、火の臭いは届かない。
届くのは、生臭い竜の血の臭い。
竜は尻尾を失った痛みで闇雲にのたうち回った。
しかし、そんな行動でも、その巨体だ。
危険なことに変わりはない。
現に、マートたちへはまだ行っていないものの、建物がいくつかはじけ飛んだのだ。
そして、竜の巨体は無意識の内に、マートたちの方へと向かった。
直後、マートはウィッチの魔術の正体を知ることとなる。
結界。
それは、合成獣を『町』に閉じ込めているものと同種のもの。
ならば、さきほどの現象も納得がいく。
竜の尻尾は内側から、結界によって爆ぜさせられたのだ。
今回の結界は、防御用として使用された。
重々しい竜の体が襲い掛かろうと、ウィッチの結界は壊れない。
そのことからも、彼女が相当に力を持つ魔術士であることが窺える。
そして、ウィッチは止めに入る。
竜の腹、その中心部まで、結界に潜って入り込み、槍で一突きする。
中心部から発生する結界が、竜の全身を内部から焼き尽くす。
それは、マートの苦戦が嘘のような、あまりにもあっけない幕切れだった。
マートにできたことと言えば、ただただ呆気にとられることのみだった。

「……報酬は、全てあなたのものでかまいません」
「え? ……でも」
「いいんです。お金には困ってませんから」
「はい……」
今回の戦いで自分はほとんど役に立たなかった。
そう考えると、報酬を自分が受け取ることは、マートにとって後ろめたいことだったのだ。

ウィッチはもう少し残るらしい。
マートは足取り重く、帰路につく。
そして、『町』を越え、街に戻った時、視界に先日の魔導士・スケアクロウが映った。
「あ、エラメクさん、こんにちはっす!」
スケアクロウはこれから仕事なので、気持ちを上げようとしているのか、テンション高く挨拶する。
それが、今の沈んだマートとは、やや合わなかった。
「うん」
「元気ないっすね……」
「まぁ、ちょっと、合成獣にやられそうになってね。別の魔術士の人が助けてくれたけど」
しかし今は、どこかに気持ちを吐き出してしまいたい気分だった。
見知った顔のスケアクロウが通ったのは、マートにとって幸運と言えただろう。
「へぇ。なんて人っすか?」
当然、マートの内心事情など知る由もなく、スケアクロウはズカズカと尋ねる。
「……ウィッチって名乗ってたわね」
「……!」
マートがウィッチの名を出した時、スケアクロウの表情が一変する。
「スケアクロウ?」
「まじっすか!? まだ居ますか!?」
興奮した様子でマートに詰め寄るスケアクロウ。
どうやら、ウィッチを知っているようだった。
「う……うん。まだ残るって」
若干押されながらも、マートはウィッチに関する情報を告げる。
「もう俺、ウィッチさんにほのじなんすよ!」
「……ほのじ?」
あんたはいつの時代の人間だ。
マートは喉奥まで出かかったその言葉を、しっかりと呑み込み戻した。
しかし、沈んだ気分が少しだけ、やわらいだ。
マートの内心構成は、疑問と感謝が半々といったところだった。

なにが起ころうとも、メロに弱気は見せない。
だから、家に帰ってきて、何事もなかったかのように、メロと会話する。
しかしメロも、彼女の妹なのだ。
姉の様子の、微かな違和感。
それを察知するのは簡単なことだった。
「お姉ちゃん、なにかあったの?」
「え!? いや、なにもなかったよ?」
マートはメロの発言に少し動揺するが、とっさにごまかした。
だが、その少しをメロにごまかしきれるはずもなかったのだ。
「やっぱり、なにかあったんだね」
メロの視線は、いつもは見せない、厳しい表情だった。
「う……」
追い詰められ、マートが今日起きたことを白状しようとしたとき、乱入者が現れた。

ベランダに、アレックが立っている。
中に入れてほしそうな目をして立っている。
先ほどまでと一転して、抜けた空気が三人の間に漂った。
マートは慌ててベランダのカギを開け、アレックを部屋に招きいれる。
「こ、こんにちは、アレックさん。今日はどういったご用件で?」
話題を逸らしたいのか、マートの言動は機械的で丁寧なものだった。

「エラメクちゃん。君には、必殺技が必要だ!」
ズビシィッ、とマートを指さすアレック。
「は?」
アレックの言動は、いつも唐突だ。
彼が色々と影響を受けやすいのを、マートは重々承知しているが、今回ばかりは本当に意味がわからなかった。
「アレックさん、なにかあったんですか?」
食いついたのはメロ。
姉に関してなにか心配事があれば、針穴ほどのことも見逃さない。
それがメロのスタンスだった。

「いや~、実は今日さ~。エラメクちゃんが合成獣にボロボロのヘロヘロにやられちゃってさぁ」
「んなっ!?」
アレックがマートの『町』での様子を知っていることは、不思議なことではない。
小型カメラを通して、映像はしかるべき場所に送られているのだ。
それを国の人間であるアレックが見ていても不思議ではないだろう。
「お姉ちゃん、本当なの!?」
「い、いや、本当だったら、私は帰ってきてないし……」
「まぁ、結構誇張したけど、勝てなかったのは確かだよ」
アレックに嘘をついてるといった素振りが見られない以上、もはや取り繕うことはできない。
「まぁ、そうなんだけど……」
「お姉ちゃん、もう仕事行っちゃダメ!」
「む、無理だよ。あれが唯一の収入源なんだよ?」
そんなことはメロにもわかっているだろう。
しかし、生活できなくなることよりも、姉を失うことの方が、メロにとってはつらいことなのだ。
「それはこちらとしても困る。戦力は一人でも多い方がいいからね」
国の人間らしい、アレックの対応。
メロの表情は納得いかないといったようなものだった。
「そう睨まないでくれ。なにも、エラメクちゃんを死なせたいわけじゃない」
「それで、必殺技ですか? 唐突すぎる気がするんですけど……」
「唐突でも、生存確率は増やした方がいいだろ? 大丈夫、僕は天才だから」
自分で自分のこと天才っていうのは、なんだか変だなぁ、と思いつつ、マートはアレックの言葉をそれなりに受け止める。
「と、いうわけで! 僕の作った特設トレーニングルームに行こう!」
「さらに唐突なんですけど……」
「お姉ちゃん、行こうよ!」
「い……いや、あのね。……はい、行きます」
その場の雰囲気。メロの真剣なまなざし。
もはや、マートに断り切れるものではなくなってしまった。

アレックに連れられ、エラメク姉妹は、それらしい場所にたどり着く。
なにやら、ハイテクそうな機械や、旧式のトレーニングマシンがある。
おそらく、アレックがファンタジー系と格闘系のアニメのイメージをごちゃまぜにしたのだろう。
「どう!? 僕の作ったトレーニングルームは?」
子供のように感想をせびるアレック。
これを彼一人でつくったと考えると、呆れを通り越して感心するものがある。
「ほんとにアレックさんが作ったんですか?」
あまり、答えの気にならない問いがマートの口から出た。
「当然! いや~、趣味と実益を兼ねた、素晴らしい施設だね!」
「アレックさん、なにを目指してるんですか……」
「スーパーハカーだね」
「はい? ハッカーじゃないんですか? それでも変ですけど」
「いや、スーパーハカーでいいんだ。正義の味方の味方は、スーパーハカーくらいが丁度いいんだよ」
「正義の味方って言うのは……」
 その答えはなんとなくわかっていた。

「もちろん、君を含む魔術士さ!」
 なぜだか、アレックは上機嫌だ。
 役になりきっているということなのだろうか。

とにかく、アレックに勧められて、色々とやってみる。
 バーベルや、サンドバッグにランニングマシンなどのありがちなものからはじまり、インベーダーを格闘で撃退するシュミレーションまで、とにかく色々あった。
 マートにとって気になることは、それで得られる成果よりも、これのためにどれほどの金が使われたのかということだった。
 エラメク姉妹は、マートが魔術士となる前はわりかし貧乏だったのだ。
 金銭面に関しては、気にすることの方が多い。

「でも、こんなので必殺技とかできるんですか?」
 必殺技の件にしても、こんな基礎体力作りでできるとは思えない。
 それに対するアレックの反論。
「ふっ、甘いね、エラメクちゃん。基礎の中にこそ応用があるんだ!」
 ああ、改めてアニメに影響されてるんだなぁ、とマートは内心つぶやいた。

「でも、基礎は大事だと思うよ!?」
 メロは、姉の心配となると、姉以上に周りが見えなくなる。
「……まぁ、そうだね」
 しかし、マートはメロの眼に応えないわけにはいかない。
 妹は、自分の事を本気で心配してくれているからだ。

 マートがあらかたのものはやり尽くした時、アレックが切り出した。
「いや~、しかし、体力あるねぇ~、エラメクちゃん」
「まぁ、体力ないと魔術士なんてやっていけませんから……」
「今、やっていけなくなりそうになってる最中でしょ!?」
「はい、ごめんなさい」
 別々の方向から周りが見えていない二人に挟まれ、マートは少し憂鬱になってきた。

 結局、数日経っても、必殺技とやらは完成しなかった。
 少し付き過ぎた筋肉も気になるようになってしまったので、マートの心境的にはマイナスと言ったところだ。
 さらに、『町』に行けないため、前にやっていたバイトでなんとか食いつないでいる状態だった。
 彼女が痺れを切らしたのは、まさに時間の問題と言えた。
 メロが寝静まった夜、マートは『町』へと向かった。
 当然、アレックにはバレることになるが、要するに、ここで勝って自分は大丈夫だと証明すればいいのだ。
 武器を懐に入れ、マートは走る。

 幸か不幸か、マートの相手は『町』に入ってすぐに見つかった。
 ベースは、先日戦ったものと同じ竜。
 パーツは、ガレキがほとんどだ。
 これならば、前の人竜と違って幾分か戦いやすい。
 夜の『町』で、戦闘は始まった。

 前回の戦いで似たようなものと戦っている分、その動きも読みやすい。
 足元にも注意を払っている。
 前回の戦いでの経験が活きているし、多少なりとも体力は向上している。
 戦いは順調に進んでいった。
 しかし、それは錯覚なのかもしれない。
 ガレキを一つ一つ砕いていっても、竜の表情に変化はない。
 ただ同じ行動を何事もなかったかのように繰り返すだけだ。
 ときおり竜が繰り出す咆哮は、マートの耳にだけ甲高く響いていた。

 ジリ貧。
 そんな言葉が今の状況から浮かんでくる。
 そして、人間よりも動物の方が、力も、持久力も強いのは自明の理だ。
 軍配が合成獣にあがるのは、当然と言えるだろう。
 ぶぉん。
 竜の尻尾は音をたてて向かってくる。
 風で勢いを[ピーーー]のにも限界がある。
 風はかろうじて、死亡を免れるだけ、衝撃を抑えた。
 後の衝撃はマートへ直撃したのだ。
「うぁ……」
 マートはガレキの中に叩きつけられ、声にならないうめき声をあげる。
 竜はそんなマートの様子など、歯牙にもかけずに、結界の外側へと向かった。
 合成獣は、基本的に『町』の中を徘徊しているが、時折、外を目指すこともある。
 それは、閉塞感への抵抗のためか、あるいは”獲物”を探しているのかは定かではない。

 マートも、やや回復してきている。
 痛みをごまかしてその身を起こし、少し遅れて竜の後をつける。
 その先では、彼女にとって予想外の事態が起こっていた。
 竜が結界を猛り狂って叩いている。
 それ自体は、合成獣がたまにやるのをマートも目撃している。
 問題はその先だった。
 アレックと、メロがいるのだ。
 いくら結界があるとはいえ、力を持たない二人に、竜に対して一歩も引く様子がない。
「メロ! アレックさん!」
「いや~、やっぱりこういうのはさ、ちゃんと伝えとかなきゃな~って……」
 アレックが横目でメロの方を見る。
 メロの表情は、誰が見ても怒っていると言えるものだった。
 緊迫した状況にもかかわらず、いや、だからこそマートは追い詰められていた。

「あう……」
 先ほどとは違う意味で、言葉にならない声が漏れる。
 気まずさが、なによりも広がる。
 だが、そんな中でマートは正気を取り戻さなければならなかった。
 結界があるとはいえ、妹に危険が迫っているのだ。

 考えてみれば、必殺技とやらを作るのは簡単なことだった。
 マートの魔術は、妹を守るために身に着けたものだ。
 ならば、妹に危険が迫った時、力が増すのは必然と言えよう。
 マートは、竜の前に立ち、短剣を静かに振り上げた。
 そして……
「人の妹に手ぇ出すなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 叫びとともにそれを振り下ろした。
 そうやって発生した風の刃は、以前より遥かに巨大なものだった。二、三倍近くも巨大だ。
 そして、その威力に至ってはそれどころでは済まなかった。
 風の刃は、竜の顔から尻尾にかけてをすさまじく通り過ぎ、その体を両断した。
 
 こうして、圧倒的不利かと思われた竜との戦いも、驚くほど速く、呆気なく、幕を閉じた。
 当然、マートはこの後、メロとアレックにこってりとしぼられるのだが……。

 後日。
「メロ~、お菓子とって~」
 竜との戦いはマートの勝利に終わったとはいえ、そこで受けたダメージは馬鹿になるものではない。
 しばらくは療養しなくてはならない。
 しかし、前回とは事情が違うので、マートが無茶をすることはないだろう。

 前回に色々あった反動か、マートはいつになくだらしない。
 芋虫のように体をくねらせ、テーブル辺り移動する。
「お姉ちゃん、いくらお仕事しばらくないからって、そんなにだらけてちゃダメだよ……」
 メロの方は、そんな姉の様子に、やや呆れ顔といったところだった。
「は~い」
 マートはそれに対して、ゆる~く答えるが、メロの忠告を聞いているようには見えない。
「もう……」
 メロは、また呆れ顔になり、ため息をついた。

 そんな時、来客が来た。
 来客は、今回もまた正面から入って来れず、ベランダに突っ立ているアレックであった。
「どうして普通に入ってこれないんですか……」
「天才が普通なはずないだろ?」
「そうですか」
 ベランダのドアを開け、アレックを向かい入れるマートの口から、もうどうでもいいといったニュアンスを含んだ言葉が漏れる。。
「それで、今日はどういったご用件で?」
「エラメクちゃん、今日は機嫌悪いね……」
「まぁ、色々ありまして……」
 だらけた時間を邪魔されたのだ。それは不機嫌になるというものだろう。
 しかし、そんなことをアレックに言ったところで、何の得にもならない。
 そんなことより、アレックの伝える重要事項を真剣に聞いて、後はゆっくりすればいいのだ。
 アレックも、悪ノリしている時と真剣な時があるが、今回は真剣な雰囲気だった。
 だから、それをないがしろにするわけにもいかなかったのだ。
「エラメクちゃんさ、最近、二人の魔術士に会ったでしょ?」
「ええ、まぁ」
 マートは頭の中で、スケアクロウとウィッチを思い浮かべる。
 確かに、それは事実だが、それがどうしたと言うのだろうか。
「あの二人、実はデータがないんだよね」

「データがない?」
 ここで言うデータとは、魔術士の個人情報のこと。
 秘密事項である彼らを管理するには、彼らの秘密を握っていなければならない。
 だが、スケアクロウとウィッチには、それがないというのだ。
「考えられることは、彼らが、先日初めて戦いに赴いたこと」
「まぁ……その線が妥当でしょうね……」
 しかし、スケアクロウはともかく、ウィッチが初戦だったとは考えにくい。
「でも、女性の方はどこかで見たような……」
 なにやらアレックがつぶやいている。どうやら、ウィッチには心あたりがあるようだ。
 またなにか、不穏なことが起こっている、マートはそんな気がしてきた。
 結局この日、もう来客はなく、家でダラダラしていただけだったが……。

 また後日。
 マートの体調も復調し、ある程度のリハビリも終え、戦線に復帰する。
 ただし、条件はメロがついていくこと。
 メロもアレックもなんだかんだ言って心配症なのだ。
 メロに見送られ、マートは『町』の中へと入っていった。
 メロに、必ず戻ると誓って。

 メロが付き添いに来たと言っても、ある程度は離れてもいいということになっている。
 というより、そうしないと合成獣が見つからないのだ。
 マートが『町』を索敵するうち、二つの影が彼女の視界に映る。
 影の正体は、合成獣ではなく、スケアクロウとウィッチ。
 見知った顔だ。
 ここでマートは、先日のアレックの話を思い出す。
 ”彼らのデータがない”
 それをなんとなく探りを入れてみようと気まぐれに、マートは思った。
 そこで、マートはスケアクロウたちに自然に声をかける。
「こんにちは、スケアクロウ、ウィッチさん」
「あ、こんにちはっす、エラメクさん」
「こんにちは、マートさん」
 挨拶一つとっても、スケアクロウとウィッチのふるまいは違うものだ。
 かたや元気で馬鹿っぽく、かたや、穏やかで大人っぽい。
 ただ、どちらもそれなりに礼儀正しい点は共通しているか。
「そういえば、二人とも、年齢とか教えてもらえたりしますか?」
 基本的に、目上の人と目下に話しかける場合は、目上の人に合わせる。
 だから、ここではマートは敬語を選択した。
 しかし、緊張とか抜きにしても唐突すぎるだろう、と、マートは自分の中で自分の言につっこんだ。
 明らかに探りを入れてることがバレバレな、怪しさ満点の言葉だ。
 肝心の反応は……
 スケアクロウとウィッチが顔を見合わせている。
 なにか、地雷でも踏んでしまったのだろうか。空気が重い。

「……まぁ、いいでしょう」
 ウィッチの抑揚のない声。
 違和感と、かすかな恐怖。それを感じてマートは二人から飛び退き離れた。
「あれ? どうしたんすか? エラメクさん」
 スケアクロウの方も、声に抑揚がない。
 マートが警戒するうちに、彼らの元へ無数の合成獣たちが集まってきた。
 しかし、どうも様子がおかしい。
 集まって来た合成獣たちに、敵意が見られないのだ。
「不思議ですか?」
 ウィッチは落ち着きはらっている。
 なにか、確信を持っているようでもあった。
「どういうことですか?」
 周囲への警戒をとかず、マートはウィッチに言葉を投げかける。
「こういうことです」
 スケアクロウとウィッチが抱き合い、融合した。
 いや、性格には連結したと言うべきか。
 つまり彼らは、合成獣だったのだ。

 運命という名の破滅は、ある日唐突に訪れた。
 それは、合成獣という形を取り、人間の牙を向こうとした。
 その時、一組の男女は運命に抗い、合成獣を『町』に封じ込めることに成功したのだ。
 だが、合成獣は沈黙したわけではなかった。
 ずっと蓄えていたのだ。結界を打ち破るための力を。

 スケアクロウとウィッチを中心として、無数の合成獣たちが彼らに連結されていく。
 その中には、合成獣に敗れた魔術士の姿もあった。
 なぜかはわからない。
 だが、合成獣は確実に勝負を決めようとしている。
 そうした過程を経て出来上がったものがある。

 運命なるものがもし、意志を持っていたとしたら、彼は子どもに違いない。
 それはまさに、子どもが考えたような化け物だったからだ。
 なにもかもを飲み込んで型創るそれは、絶望そのものだった。
 
 具体的に現せるのは、その馬鹿げた大きさのみ。
 街にある高層ビル一つと半分。その巨体は、今まで判明していなかった結界の頂点と同じだった。

 その他は、抽象的な表現でしか現せない。
 バレットに適当にぶちまけた絵の具が、やがては黒になる過程のような色合い。
 そして、なにより特徴的なのはその姿かたちだ。

 混沌が秩序を蝕もうとしている。有機物と無機物の融合。生と死の具現化。
 そんな表現とも思えぬ表現の羅列が、次から次へと浮かんでくる。

 これこそが、運命の創った化物だった。

『頃合いです』
 合成獣から、スケアクロウとウィッチの声が重なって聴こえてくる。
 どうやら、会話能力があるようだ。
「頃合い?」
 マートは心に浮かんだ絶望を押さえつけ、平常を装い、対話を試みる。
『そう、私の使命を果たすための』
「そうですか……で、それはどんな使命なんですか?」
 表情は隠せても、流れる汗だけは隠しきれない。
 もっとも、マートの身長を遥かにこえる合成獣がそれを視界に入れられるかは不明だが。
『私の名前はキメラ。これより、地球を吸収します』
「なっ!?」
 本当に、本当に馬鹿げている。
 外見どころではない。内面までも子どもが考えたような、そんな物体が目の前にいるのだ。
 しかもタチの悪いことに、目の前の相手は、考えたような、ではなく現実なのだ。
 それをできるほどの力を有している。

「冗談じゃないわ! なんでそんなことしたいのよ!」
 もはや、なにがなんだかわからない。
 マートは叫ぶことで、理性を取り戻そうとした。
 そこでまた、キメラからの返事が返ってくる。
『例えば……例えばあなたが、朝起きて、パンを食べることに疑問を抱きますか? 夜、床について眠ることに疑問を抱きますか? 私にとって、吸収とは、その程度のことです』
「つまりは……本能だって言いたいの?」
『有り体に言えば、その通りです。しかし、それを行うためには、この結界が障害となりました』
 キメラのパーツから生える、数個の眼が結界を睨む。
 キメラには感情というものが見受けられない分、パーツの方が表情豊かだ。
 さらにキメラは言葉を続ける。
『そこで、気がつきました。私の核の半身となっている女が張ったこの結界は、あなた方が魔術士と呼ぶ存在にのみ通り抜けられるようになっている』
 マートは、この時、全てに合点がいっていた。
 目の前にいるキメラはいわゆるマザーなのだ。
 そして、そのマザーの狙いとは……

「ようするに、あんたは自分が魔術士になることで、結界を通り抜けようってことね?」
『その通りです』
 以前、アレックの言っていたマザーの黒い影。
 それは、魔術士を『町』へと誘い込み、結界を通り抜ける力を我がものにするということだったのだ。
「でも……どうやってそんなたくさんの魔術士を招き入れたのよ?」
『それも、半身の女がやってくれました。正確には彼女の肉体に宿った私が、ですけどね』
 また以前のアレックの言葉が思い出される。
 ”上の方もなんか怪しいんだよねぇ”、”女性の方はどこかで見たような”
 その二つから、たどり着く結論がある。
「ウィッチさんが、アレックさんのかな~り上の上司だったわけね……」
『どうやら、話はついたようですね』
「いいや、まだついてない!」
『なんでしょう?』
「なんでスケアクロウとウィッチさんは感情があったのに、あんたはそんな抑揚ないの?」
『……人間の意志とは興味深いものです。死して、千年程の時を経てもなお、保たれ続けていたのだから。つい先日、消えてしまいましたが』
「あー、驚きはするけど、納得したわ。だからスケアクロウはあんなに古臭かったんだ……」
『私に意志があるとすれば、地球を不要と判断した天使と、きまぐれな悪魔の考えが重なった本能のみ』
「ああ、はいはい。天使と悪魔と来ましたか。そんなすごーい方たちは、どうしてめぐり合っちゃったんでしょうね?」
 絶望的な状況でも、諦めずに作り笑いを浮かべる。
 勝てる確証にはならない。
 しかし、それをしなければ負ける確証ができてしまうのだ。
『半身の男はそういったたぐいの科学者だったということです』
「うっわ、似合わない」
 しかし、とんでもないことをしでかしてくれたものだ。千年前のスケアクロウは。
 マートはもはや表情のないスケアクロウの体を、非難の眼で見つめる。それで反応が返ってくるはずもないが。

『……』
 ふと、キメラの頭部パーツが、空を見上げる。
 上空には何機かのヘリコプターが飛行していた。
『ふむ。結界も、時を経るにつれて薄まってきたようですね。どうやら、彼らには私たちの姿が見えているようです』
「マジですか……」
 だが、それも今となっては意味のない話かもしれない。街中パニックにはなっているだろうが。
 どちらが勝とうとも、この戦いで全ては決まるのだから。
 マートは、世界の命運をかけて戦う勝負、その代表に選ばれてしまったのだ。

 キメラが身じろぎする。
 それだけでマートの体は吹き飛び、ガレキの中に叩きつけられた。
 その力は、巨体だけでなく、魔術士によるものも含まれているだろう。
 もはや、戦力の差がありすぎた。
 ゾウとアリが戦ったところで、アリに勝てる道理などないのだ。
 マートには、立ち上がる気力も起きなかった。
 ただひとつ心残りがあるとすれば、メロとの約束を守れないことくらいか。
 だが、このザマでどうしろと言うのか。
 心の折れたマートに向かって、キメラの最後の一撃が放たれた。
 ――否。
 それは、最後ではなかった。
 防ぎようもないはずのそれは、阻まれたのだ。
 いるはずもない魔術士の結界によって。

 マートは、周囲を見回す。
 マート以外の人間は、キメラの核になっているスケアクロウとウィッチ。
 そしてあと一人……
 メロがいた!
「メロ!」
 様々な感情がないまぜになり、マートは叫んだ。
 キメラが攻撃対象をメロに変更し、パーツを振り下ろす間に、マートはメロの元へ駆けつける。
 次の瞬間にはっきりした。
 メロは魔術士になったのだ。
 結界がキメラの攻撃を防ぐ。
 ウィッチの使うもの、『町』を覆っているものと同種のもの。
「大丈夫、お姉ちゃんは私が守るから」
 それは、強い瞳だった絶望に屈しない、強い瞳だった。
 だからこそ、マートは再確認できた。
 自分は今ここに、メロを守るために立っていたんだと。

「メロ、お姉ちゃんね、怖いんだ」
「……うん」
 二人の体は、嘘偽りなく恐怖で震えている。
「本当は、逃げ出したいんだ」
「うん……」
 彼女の言葉にも、嘘偽りはない。
「でもね……」
 だが、魔術士は意志を貫きとおすから魔術士なのだ。
「一つだけ言わせて」
「うん。私も」
 だが、感情持たぬキメラには、それが理解できなかった。いや、理解しようともしていなかった。
 だからこそ、自らの敗北の原因となる瞬間を見過ごしたのだ。
 二人が会話を続けている間にも、キメラのパーツはメロの結界に叩きつけられていく。
 そんな中、マートはメロに背を向け、キメラの方に向き直る。
 そして、短剣を振り上げ……
『大丈夫、私がついてる』
 姉妹の声が、そして心が重なるという必然とともに、風の刃は放たれた。一瞬だけ開いた、結界の隙間を通り抜けて。

その刃は巨大とかそういう問題ではなかった。
 キメラの右パーツは、跡形もなくはじけとんだ。
『……』
 キメラは自分の窮地に立っても、なんの感情も湧き起っていない。
 それが、彼らの敗因なのだ。
『いやぁ~、熱いね~、映画化決定!』
 聞き覚えのある声が、マートの首元から流れてくる。
「アレックさん?」
『そうです。ぼくは、スーパーハカーのアレックと申します』
 なにか様子がおかしい。
 まるで、マートたち以外の誰かと話しているようだった。
『あ~、色々言いたいこともありますが、あれだ。彼女は主人公です』
 また、アレックのアホな話が始まった。
 それに付き合わされるのかと、マートは頭を片手で抱えると同時に、さきほどから、アレックは誰に話しかけているのか、と。
「あの、アレックさん、一体誰と?」
『い~い質問だ、エラメクちゃん。答えは世界中のみんなとさ』
「せかい?」
 あまりに荒唐無稽な答えに呆けた声がとびでる。
『そして、エラメクちゃんとメロちゃんの会話は、みぃ~んなにオ・ン・エ・ア、されてる』
 いやらしく一文字一文字区切るアレック。
 どういうわけかはわからないが、さっきのあの気恥ずかしい会話が、地域どころか世界中で放送された。
 そのことから、エラメク姉妹の顔が、恥ずかしさで真っ赤に染まるのには、あまり時間がかからなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「お姉ちゃん!?」

 わけもわからずマートは闇雲に叫ぶ。そして、その闇雲の矛先は、張本人のアレックに向かった。
「アレックさんどうしてこんなことを!?」
 もはや質問の言い方もめちゃくちゃで、彼女は傍から見てもパニックになっていた。
 その間にも、キメラは残ったパーツでメロの結界を叩き続けている。
「ま、ちょっとメロちゃんに渡してあるんだよね。マイクみたいなものを」
 見れば、メロの首元にも、マートの小型マイクと似たようなものがあった。
『僕もねー、主人公になりたいと思ってさ、特別な力が欲しかったけど、そうじゃないんだ。
 妹は、お姉ちゃんのためなら自分の身も顧みずに突っ込んだ。お姉ちゃんは、諦めかけていても、妹のために迷わず立ち上がった。
 わかるかい? 彼女が、いや、彼女たちが主人公なのは、特別な力を持ってるからでも、不幸な生い立ちを持ってるからでもない。
 彼女たちだから主人公なんだ』

 運命は一つの誤算をしていた。
 それは、自分を動かす歯車たちの力を見誤ったこと。
 初めは、一つの歯車が逆回転を始めた。
 次に、その隣の歯車も、それに付き添い逆回転を始めた。
 そして、幸運なことに、最初の歯車が三番目に引き当てたのは、影響力のある歯車だった。
 逆回転という”異常”が、正常になったのだ。

『彼女たちが勝ったら、これを元にした映画を創る。お前たちも、彼女ほどじゃないにしろ、本気出してみろ。エキストラくらいにはしてやるから』
「ちょっと、アレックさん、なに勝手なことを……!?」
 世界が震える。
 キャッチコピーとして、よく使われる表現だ。
 しかし、そんなことが実際に可能なのだろうか?
 ――答えはイエス。
 当然、数百人が叫んだとかでは震えないが、ならば世界中が叫んだらどうだろうか?
 人一人が叫んでも、少し離れたペットボトルは震える。
 それが世界規模で起こったのだ。
 世界が震えないはずはない。
 それが、『町』の中にいようが、外の様子を伝える。
 その現象を引き起こしたのは、他の誰でもない、マート・エラメクという少女だった。

 マートはもう、パニック状態も収まり、ため息をつく。
「はぁ……原作料はいただきますよ?」
『OK、OK。なんなら主演女優になってもいいよ?』
「遠慮しときます」
 マートは会話を終え、キメラを見上げる。
 彼らを倒す方法はわかっている。
 だが、それにはかなりのためらいがあった。
 なぜならその方法は、スケアクロウとウィッチの分断だからだ。
「……!」
 スケアクロウとウィッチの瞳に、光が灯るのをマートは見た。
 その眼は語っている。
 ――やれ、と。
 それは、未だ彼らの意志は尽きていないという証拠。
 マートは静かにうなずく。マートはメロの視界を塞ぐように彼女の前に立った。あまり見せたいものでもない。
 そして、いつもと変わらぬ動作をするのだ。
 短剣は、振り下ろされた。

 世界から合成獣という脅威は去った。
 その後、後始末が色々あったが、それもようやく全て終わった。
 エラメク姉妹は、戦いの後、職と引き換えに、莫大な金と名声を手に入れていた。
「いや~、キメラ・ハート・クロスは売上好調。エラメクさまさまって感じかな?」
 アレックは、軽快に自分の創った映画の売り上げ自慢をしている。
「調子いいですね……」
 マートはそれに気のなく返すだけだった。
 傍らにはメロがいる。
 今、マートはラーメン屋を営んでいる。
 マートとアレックは、そこで会話をしているというわけだ。
「でもさ~、エラメクちゃん、もっといいとこあったんじゃないの? なんでラーメン屋なんか……」
 アレックは不満げにラーメンをすする。
「決まってるじゃないですか」
 マートは大好きな妹と顔を見合わせる。
 そう、アレックの質問に対するマートの答えは決まっていた。
「メロが好きだからですよ」

fin


  

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