【モバマス】「まゆ、お前は夢を見せる装置であればいい」 (33)

 モバマス、佐久間まゆのSSです
 少しのあいだ、お付き合いいただければ幸いです

 【モバマス】「幸子、俺はお前のプロデューサーじゃなくなる」
 と、同じ世界観の話です

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1378985765

「本日は、佐久間まゆさんにお越しいただきました。宜しくお願いします」

 ――宜しくお願いします。

「佐久間さんは、立ち振る舞いも、仕草もしっかりされていて、大人の女性といった感じです」

 ――実感はないんですけど、もしそうだとすれば、素敵な先輩方に囲まれているお陰だと思います。

「読者モデルから専属モデルの座に駆け上がったということで、ファンの喜びもひとしおでしょうね」

 ――応援いただいたファンの方々には、本当に感謝しています。

「ではまず、ご家族の構成を教えていただけますか」

 ――両親以外には、小学生の妹と弟が一人ずつです。

「妹さん、弟さんとは、けっこう、年が離れているんですね」

 ――手のかからない、できた子たちです。仲も良いですよ。

「では、一緒に休日を過ごされることも?」

 ――妹とは原宿や渋谷に服や小物を買いに行きますよ。お洒落にうるさい年頃ですからね。

 弟とは、美術館や水族館に出かけますね。この子は芸術の分野に興味があるみたいです。

「素敵なお二人ですね。ところで、佐久間さんのお住まいはどのような?」

 ――閑静な住宅街、とでも言うんでしょうか。二階建てで、洋風の家に住んでいますよ。

 母がガーデニングに凝っていて、庭には色とりどりの花が咲いているんです。

「是非、拝見してみたいものです。そういえば、佐久間さんはお料理が趣味と聞きましたが?」

 ――自慢できるほどの腕前ではありませんけど、休日には母の代わりに食事を作ることもありますね。

 母の友人にパティシエの方がいるんですけど、最近、ご指導いただいて、お菓子作りに凝ってます。

「スイーツですか。流行りですものね」

 ――実は、本日、自作のお菓子をお持ちしたんです。よろしければ、いかがですか。

「そんなサプライズが。気をつかっていただいて、ありがとうございます」

 ――素人仕事で、お恥ずかしい出来なんですけどね。

「ご謙遜を。これは、マカロンですね。では、失礼して……美味しいです」

 ――ありがとうございます。

「この雑誌を読まれている、佐久間さんのファンの方には垂涎の一品ですよ」

 ――お上手ですね。

「いえいえ、ファンの方の総意で間違いありませんよ」

 ――(笑)

 インタビューを終えたまゆは、しぼりかすみたい。

 カフェの窓から射し込む光に頭がくらっとして、思わず表情を歪めてしまいます。

「まゆ、気を抜くなと言ったはずだ。自分が商品だということを忘れるな」

 脱色した金髪に、サングラスを掛けた姿のディレクターが、まゆに耳打ち。

 無言であごを引くと、彼は満足したように頷いて、スタッフさんたちの輪の中へ。

 日焼けした浅黒い腕で、インタビューのメモをしきりに指差し、何事かと騒ぎ立てています。

 おおかた、この言葉が気に食わないから書き直せとか、そういうこと。

 自分のインタビューがいじくり回されるのを、まゆは他人事みたいに見ているだけで……。

 その時、瞳の中に、ふっと、幻の少女の姿が浮かび上がります。

 その子はディレクターに身を寄せて、彼らの輪の中へとごく自然に滑り込む。

 苦い思いが込み上げて、まゆは唇を噛み締めます。

 くるりと、幻の少女が振り返り、まゆに向かって微笑んで。

 ぞくりとした。

 その顔は、まゆ自身とうりふたつ。

 まゆと同じ顔をした、だけど、まゆの知らない佐久間まゆ。

 その子がそこにいるだけで、誰もまゆを見ようとしません。

 まゆの方が幻みたい。

 あなたは、佐久間まゆじゃない。

 心の中で叫んでみたけど、その子はまゆよりずっと、可愛く、綺麗に、笑ってる。

 ぎりっと奥歯を噛みました。

 まゆは、ここにいるのに。

 誰か、気づいて。

 まゆを見て。

 ディレクター主催の夕食会は、丁重にお断りしました。

 思ったよりも疲れが溜まっていたみたいで、帰りの電車で眠ってしまったみたい。

 最寄り駅を告げるアナウンスで目覚めて、慌てて飛び出せば、もう辺りが薄暗い。

 駅前のスーパーに行き、ポケットから折りたたんだチラシを取り出します。

 赤マジックで囲んだ食材たちを、次々と買い物かごに放り込み。

 にわかに精肉コーナーの辺りが騒がしくなり、まゆは目ざとく方向転換。

 バックヤードから、お肉のパックを載せた台車が出てきました。

 目をぎらつかせ、集まってくるおば様方に混じり、まゆはタイムセールに勝負を挑みます。

 押し合い、へし合いされた末、お肉のパックを片手によろよろと戦場から逃げ出しました。

 会計を済ませて、バス停の列の最後尾へと。

 バスに揺られ、辿り着いたのは、延々と田んぼが続くのどかな停留所。

 夕陽に焼かれ、ときおり汗を拭いながら、田舎道を歩きます。

 指に食い込む買い物袋の重さが辛くなり始めた頃、ようやく家が見えてきました。

 強風一つで崩れ落ちそうな、木造のぼろぼろ一軒家。

 立てつけが悪くて、動かすのが一筋縄じゃいかない扉を、右隅を蹴って開けました。

「ただいま」

 玄関で靴を脱ぐのもそこそこに、どたどたと廊下を駆けてくる音が。

「うわぁぁん、まゆ姉ちゃぁん!」

 顔を真っ赤にした弟が、垂れた鼻水も気にならない様子で抱きついてきます。

「どうかしたの?」

 膝立ちになり、鞄から取り出したティッシュで、弟の鼻を拭います。

「あのバカが、僕のアイスを食べたんだ。と、とと、取っておいたのに!」

「あらあら、可哀想に」

 遅れて、廊下の向こうに現れた妹が、不満そうな顔つきで歩いてきます。

「今の話、本当なの?」

「いらないものだって思ったの! この子、おやつの時間に食べなかったし!」

「まゆ姉ちゃんに、あげるつもりだったんだ!」

 まゆは弟の頭をそっとなで、妹と視線を合わせてみます。

「ちゃんと確認を取るべきだったね。悪気がないのは分かったけど、謝らないとだめよ」

 すると、ほら。

 唇を尖らせていた妹が、急に泣きそうな顔になってうつむきます。

「……ごめんなさい」

「素直に謝れる子、まゆは好きよ。素敵なお姉ちゃんになってあげてね」

「うん……」

 台所に向かうまゆの後ろを、妹と弟がついてきます

「まゆ姉ちゃん、おなかすいた。今日のごはん何?」

「ミンチのお肉が安かったから、ハンバーグにするわ」

「あのう、学校の宿題、難しくて……後でお姉ちゃんに教えてほしいんだけど」

「いいわよ。ご飯食べたら部屋で待ってて」

「僕、宿題、やるの忘れてた……どうしよう。先生に怒られる」

「仕方ないわね、お姉ちゃんが手伝ってあげるわ。でも、これっきりよ」

「うん、ありがとう!」

 まゆはエプロンを着ると、時計をちらりと見ます。

 もう、結構な時間です。二人には、悪いことをしてしまいました。

 何気なく居間を振り返れば、二人が、玩具を手に、笑いながらじゃれ合っていて。

 まゆはまぶしいものを見るみたいに目を細め、たまねぎの皮を剥き始めます。

 二人をようやく寝かしつけ、時計の針は間もなく今日の終わりを告げようとしています。

 音を立てないようにふすまを閉めて、台所へと。

 水に浸けたままにしていた食器を洗っていると、ポケットの中で携帯電話が震えます。

 表示された名前を見て、まゆは驚きに目を見開いて。

『親愛なる我が友よ、現世で再び巡り合えた幸運に感謝する』

「……お久しぶりですねぇ。こんばんは、蘭子ちゃん」

 まゆはエプロンを脱ぎ捨てると、台所の床にぺたんと座り込みます。

 壁に背中を預けると、今日一日の疲労が押し寄せて、心地よい気だるさが全身を包みます。

『魔力が充実せし漆黒の夜!』

「ええ、今日は月も綺麗だわ。明かりいらずね」

 台所の窓から見える月は見事な半円で、表面の模様までもがくっきりと見えます。

『我が勘が鈍ったのでなければ……我が友よ、悪意渦巻く現世の瘴気に焼かれたか?』

「そうね……少しだけ、疲れたみたい。でも、大丈夫よ。へこたれてられないもの」

 わずかに気が楽になります。

 お仕事を通して、蘭子ちゃんみたいな子と知り合えたことは幸運でした。

「ところで、こんな時間にどうかした?」

『今宵より、我を縛る因果の鎖が効力を失う』

「もう夏休みなんて、早いわねぇ。私のところも、妹たちの学校も、まだ少し先よ」

『我が友の仮宿は魔力が噴出せし特異点! 傷ついた我が羽を癒すに至上の地!』

「来てくれるの? 明日は、学校だけど、仕事はオフだし、歓迎よ。あの子たちも喜ぶわ」

『二匹の小さき下僕! 我、再会を切望す!』

「夕方頃なら何時でもいいわよ。蘭子ちゃんのことは話しておくから、あの子たちに鍵をあけてもらって」

『我、感謝せり! 悠久の時を生きる我ら、存分に言の葉を交わさん!』

 電話を切ってしばらく、蘭子ちゃんの上機嫌な声が耳に残り、気分が上向きます。

 最近は、仕事が忙しくて連絡できていなかったけれど、元気そうで、嬉しい。

 アイドルと、モデル。歩む道こそ違うけれど、共感し合える部分は多いんです。

 蘭子ちゃんは、奇抜な言動とは裏腹に、素直で、まっすぐな心を持っていました。

 いったい、今、どんなアイドルになってるだろう。

 会うのが楽しみ。

 食器洗いを終えたまゆは、裏の白いチラシとマジックを手に、居間へと。

 机の上に、ラップをかけて並べた夕食の脇に、チラシを置いて。

『お母さん、いつも遅くまで、お仕事お疲れ様です。

 まゆは先に寝ますね。おやすみなさい』

 そう書き残して、寝室に向かう。

 まゆは布団に潜り込む前に、月光に照らされた、妹たちの寝顔を見つめます。

 布団を蹴り飛ばし、おなかを出して眠る妹……おなかが冷えないよう、パジャマを引き、布団をかけます。

 よだれを垂らして眠る弟……柔らかな頬をつつくと、むにゃ、と可愛らしい声が漏れました。

 まゆの口元に、自然と微笑みが浮かびました。

 学校からの帰り道、ディレクターから電話が来ました。

『まゆ、今すぐ事務所に来い。今後の方針について話がある』

「今日は、これから、予定が……」

『お前の予定は聞いていない。言う通りにしろ』

「はい……」

 重い溜め息を吐き出し、まゆは自宅とは反対方向の電車に乗り込みます。

 まゆが所属する芸能事務所は、実のところ、業界でも指折りの大手です。

 そこで働くまゆのディレクターは、豪腕で、自己中心的で、有能な人。

 お金を生み出す術を心得ている人。

 この人についていけば、きっと名を上げられるだろうという確信があります。

 だけど、彼は、まゆが途中で潰れたら容赦なく捨てて行くだろうし、

 まゆがぼろきれのようになったって、何ら思うことなんてないでしょう。

 それが、少しだけ、寂しい。

 いえ……少しでは、ないかもしれません。

 事務所に向かう道すがら、蘭子ちゃんに電話をかけてみます。

「もしもし、蘭子ちゃん?」

『闇に飲まれよ!』

 電話の向こう、妹と弟の騒ぐ声が背景音として聞こえてきます。

「ごめんね、実は急にお仕事入っちゃって……もう少しゆっくりしてて」

『ククク……焦らされるのもまた一興。下僕たちとの戯れを続けるとしよう』

「ありがとう、ごめんね。また連絡するわ」

 事務所に着くと、受付の女性から、第三会議室に行くよう指示された。

「失礼します」

 中に入ると、上座にディレクターが腰かけ、それ以外の席には見慣れない人たちがいます。

 制服姿のまゆは、恐縮しながら、たった一つ空いた席に腰を落とします。

「さて、主役が来たところで、本題に入りましょうか。資料は既に行き渡っていることかと思います」

 ディレクターがサングラスを指で押し上げ、銀歯を見せるように笑いました。

「現在、我が社で専属モデルとして契約している、佐久間まゆのアイドル活動についてです」

 なにそれ。

 思わず顔を上げたけれど、ディレクターの、サングラスに隠れた瞳は別の方を向いてます。

 よく見れば、出席者たちの手元に置かれた資料が、当事者のまゆの席にだけありません。

「まず、佐久間まゆの現状について話をしましょう。資料の五ページを」

 声を失い、呆然とするまゆを、ディレクターだけじゃなく、誰ひとりとして見てません。

「佐久間まゆの主要な支持層は、小学生から高校生までの女性です」

「男性からの支持も低くはないですけど、女性票が圧倒的ですね」

「彼女の個性云々というより、仕事の幅の狭さが、支持層を狭めていると考えます」

 ディレクターに、感謝はしています。

 読者モデルとして、まゆを見出してくれ、まゆのことを高く買ってくれて。

 家計の足しになればと始めた仕事だったけれど、いつしか義務感でなく笑っていました。

 まゆみたいになりたいと、まゆの笑顔に力をもらえたと、雑誌の向こうのファンが言ってくれたから。

 まゆを信じてくれる人たちが、佐久間まゆを、ひとりのモデルにしてくれたんです。

「アイドル活動を通して、新たな分野へ進出し、支持層の拡大を狙うわけですね」

「本来の支持層からそっぽを向かれる危険もあるのでは?」

 だけど、いつからか、おかしくなっていました。

「アイドルには、物語が必要です。この子のようになりたいと、憧れ、共感し、恋するような」

 庭付きの、おとぎ話みたいにメルヘンな家に住み。

 非の打ち所がない家族と、何不自由なく暮らし。

 どこまでも高く、栄光の階段を駆け上がる。

 それこそが、佐久間まゆ。

 まゆではない人たちがつくりあげた幻です。

 今はもう、幻の方が主役みたい。

「佐久間まゆというアイドルを、私が管理し、コントロールしてみせましょう」

 おかしい、こんなの。

 だけど、何も言えません。

 そうして、光の中から滲み出るように、幻の佐久間まゆが現れます。

 その仕草は、優雅で、のびやかで。

 席でひとり縮こまるまゆが、みじめに思えるぐらい。

 ――まゆちゃんみたいになりたい。

 ――まゆさんの笑顔に励まされた。

 まゆを支えてくれるファンの方からの言葉さえ、あの子に奪われてしまったみたい。

 まゆは、何のために、ここにいるんでしょう。

 打ち合わせが終わったのは、もう日が落ちきった頃です。

 蘭子ちゃんに合わせる顔がありません。

 連絡もなしに何時間も待たせて、きっと怒っています。

 もう、帰ってしまっているかもしれません

 今頃、妹と弟は、おなかを空かせて、まゆの帰りを待っている……。

 着信が何件も入っていたけれど、怖くて掛け直せず、電車を乗り継いでいきます。

 息を切らせて田舎道を走ると、ようやく、一軒家が見えてきました。

 家の電気は消えていたけれど、豆粒ほどに小さな、不審な光が見えます。

 煙草をふかす、スーツ姿の若い男性が、縁側に座っていました。

 悲鳴を上げかけ、けれど彼の膝を枕とし、眠る蘭子ちゃんを見て口をつぐみます。

 蘭子ちゃんは暑そうな黒衣を身にまとい、傍らの彼に気を許しきったように脱力しています。

 彼はまゆに気づいたみたいで、懐から取り出した携帯用の灰皿に煙草を入れました。

「初めまして、佐久間まゆさん。俺は、こういう……すみません、立ち上がれなくて」

 名刺を取り出した彼が、膝上の蘭子ちゃんを思い出したみたいに、苦笑します。

 まゆの方から、彼の傍まで歩み寄ります。

 暗がりで見えにくかったけれど、ぱっと見の印象よりもずっと若い。

「芸能プロダクションの、プロデューサーさん、ですか」

 受け取った名刺を、携帯の光で照らします。

「はい。蘭子を迎えに来たんですけど、あなたを待つと言って聞かなくて。結局、この有様です」

 ちっとも迷惑には思ってなさそうな、優しげな瞳で、蘭子ちゃんの髪をそっとなでていました。

「差し出がましいことを言いますけど、女の子の前で煙草というのは、嫌われますよ」

「お恥ずかしい。長く禁煙していたんですが、最近吸わずにはいられない出来事がありまして」

「女性絡みですか?」

「担当アイドルの去就についてですので、まあ、あながち間違ってはいません」

「それも、別の女の子の前で言うのは厳禁ですよ。蘭子ちゃんがおねむで、助かりましたねぇ」

 冗談めかして微笑むと、彼もまた微笑み返してくれます。

「読者モデル時代から知っていますが、佐久間さんの笑顔は、やはり魅力的ですね」

 ひどくまっすぐな賞賛に、まゆの心が高鳴って、だけれどすぐにしぼんでしまいます。

 まゆの心の、弱い部分から這い出した、もう一人の佐久間まゆが、にやにやと笑っていて。

 褒められてるのはお前じゃないんだと、幻のくせに主張しているんです。

「幻滅、しましたか」

「はい?」

「モデルの佐久間まゆは、庭付きの豪邸で、家族と優雅に暮らす、完璧な子みたいですから」

 口にしてみて、自分の卑屈さに心が冷え込むよう。

 無言のままでいる彼の視線が痛くて、思わず顔を背けてしまう。

「佐久間さん、一度、家の中に戻ってはどうでしょう。荷物も邪魔でしょうしね」

 まゆは頷いて、気まずい空気から逃れます。

 扉を開ければ、しんと静まり返った家が待っていて。

 まゆがいない間、あの子たちは、どうしていただろう。

 食事はおろか、掃除や洗濯、洗い物やお風呂だって、ひとりではできない子たちなのに。

 居間に足を踏み入れて、深呼吸をひとつしてから、電気をつけます

「えっ……」

 いつも、玩具が散らばり、雑然とした居間が、掃除した後であるように綺麗になっていました。

 テーブルの上には、大皿に入ったカレーライスと、小皿のサラダとが、ラップ掛けにされています。

 信じられない思いで、まゆはテーブルに近づきます。

 見れば、カレーライスの具材も、野菜も、大きく不恰好で、包丁の扱いに慣れてない人が切ったみたい。

 大皿の下には、二枚のチラシが挟み込まれていました。

『まゆ姉ちゃん、お仕事おつかれさまです。

 いつも、ぼくたちのためにがんばってくれてありがとう。

 まゆ姉ちゃんは、ぼくのじまんのお姉ちゃんです』

『いつも、優しくて、きれいで、いっしょうけん命なお姉ちゃんが、大好きです。

 めいわくかけてばかりで、ごめんなさい。

 お姉ちゃんみたいな、立派なお姉ちゃんに、私もなります。

 体に気をつけて、お仕事がんばってください』

 まゆは二枚のチラシを拾い上げ、壊れ物を扱うみたいに胸へと押しつけます。

 寝室に向かって歩いていき、ふすまを開けました。

 暗がりの中に、小さなふたりが、眠っています。

 非の打ち所のない子たちというわけでは、ないけれど。

 本当のまゆを見てくれる、大切な家族。

 まゆは、眠る二人の頬に、そっと指先を触れさせました。

「ありがとう……お姉ちゃん、頑張るから」

 お仕事を始めてから、はじめて流す涙が、ぽたりと布団を打ちました。

 家を出たまゆに、外で待っていた彼が、全てを見透かすみたいに笑います。

「素敵な、家族じゃないですか」

「はい……」

 かすれた声で、頷いて。

 瞳の奥が熱いです。

 会ったばかりの人に無防備な姿をさらすなんて、おかしいって思うのに。

 感情の高波が、まゆの目から新たな涙をこぼれさせ、手にしたチラシに染みをつくります。

「もう少ししたら、まゆは、モデルから、アイドルになります。そう、決まりました」

 彼は少なからず驚いたみたいです。

「おめでとう。無責任だって思うかもしれないけど、佐久間さんならきっと成功する」

 まゆは無言でうつむきます。

 きっと、成功、しますよ。

 ディレクターがつくりあげた、幻ですから。

「アイドルっていう立場が、佐久間さんは、不満かな」

「そんなこと、ありません。多くの人に笑顔を与える、素晴らしい仕事だと思います」

 彼は目を細めて頷くと、いまいちど、蘭子ちゃんの髪をなでます。

「この子は、本当に楽しそうによく笑う。アイドルであることが、蘭子に笑顔を与えているみたいに」

 彼の声は、自信に満ち溢れていて。

「蘭子の笑顔は多くの人々を魅了すると、確信してます。今はまだ無名ですけどね」

 蘭子ちゃんの持つ可能性を誰より信じてるんだっていうのが、伝わってきた。

「雑誌で見た佐久間さんも、ここにいるあなたも、凄く魅力的な表情をしていました」

 まるで、幻の向こう側から、まゆを見つめるような眼差しです。

「だから、どうか、自分を見失わないでください」

 はっとします。

 気がつけば、幻の佐久間まゆが、まゆを嘲笑うみたいに指を振っていて。

 結局、頷くことが、できませんでした。

 学校が夏休みに入って、間もない頃。

 佐久間まゆがモデルからアイドルに転向すると、大々的に報じられました。

 取材の依頼が次々と舞い込み、先物買いみたいな仕事がいくつも飛んできて。

 ディレクターの手で、まゆのスケジュールは完璧に管理されます。

 そうして迎えた初めてのステージで、まゆは大勢のファンの前に立ちます。

 百貨店の一階に築かれた特設会場で、衣装で着飾ったまゆは、スポットライトを浴びました。

 数歩先には、まゆと全く同じ衣装を身にまとった、もう一人のまゆが立っています。

 だけど、構いません。

 音楽が鳴り始め、まゆは、幻を振り払うみたいに精一杯の思いを歌に乗せる。

 体が引き裂かれてしまわんばかりに、豪快なダンスを披露します。

 自分の全てを絞りつくすみたいに。

 こうすれば、いつか、幻の背中に手が届くはず。

 今までに奪われたものを、取り返してみせると。

 そんな思いで、歌い、踊った、ステージでした。

 だけど、舞台裏に戻ったまゆを待ち受けていたのは、憤怒の形相をしたディレクターです。

「まゆ! 何だ、今のステージは!」

「え……」

「粗雑で醜い、お前の歌と踊りだ! あの必死で泥臭い姿を、佐久間まゆのファンが見たいと思うのか!」

 奈落の底に落ちていくみたい。

「まゆはただ、自分らしく……」

「自分らしさなど不要だ! お前を通して見る、美しい幻にこそ、人々は熱狂する! お前は夢を見せる装置であればいい!」

 びしりと、心にひびが入る音がしました。

 その巨大な隙間から、するりと、幻の佐久間まゆが這い出てきた。

『何も疑問を持たない、お人形様のままでいれば、よかったのにねぇ?』

 まゆはよろよろと後ずさりして。

 心が軋みます。

 まゆは……もう。

「闇に飲まれよ!」

 扉が勢いよく開いて、花束を抱えた蘭子ちゃんが飛び込んできます。

 呆然とするまゆの胸に、色彩豊かな花束が押しつけられて。

「何だ、お前は!」

「ククク……我を知らぬとは、瞳を持たぬ者か。高貴なる我が真名を聴くがよい。我、冥府より――」

 遅れてまた扉が開いて、今度は蘭子ちゃんのプロデューサーが入ってきました。

「申し訳ございません、蘭子がご迷惑をお掛けしまして。この子がどうしても、佐久間さんに花束を贈りたいと」

 彼が差し出した名刺を、ディレクターは横柄に取り上げて、ふんと鼻を鳴らします。

「うちのまゆと、どのようなご関係で?」

「我らは前世より深い絆を築きし――」

「蘭子は、ご友人として、佐久間さんによくしていただいております」

「ほう、友人ね……まゆ、本当か?」

 頷くと、ディレクターは、うさんくさそうな目で蘭子ちゃんを見ました。

 そんな目で、蘭子ちゃんを見ないで。

 そう思うのに、まゆは……。

「失礼ついでに……実は、折り入ってお願いしたいことがありまして、ご挨拶に参りました」

 プロデューサーさんは、鞄の中から冊子を取り出します。

「今度、秋葉原のカフェで、新人アイドルによるライブイベントがあります。小規模なイベントではありますが、取材も入ります。そして……これは私情になりますが、蘭子にとっては初めてのステージです。もし、よろしければ、佐久間さんにもご出演を願えないかと」

 心が高ぶったのは一瞬のこと。

 ディレクターは、下らない仕事だと一蹴するに、決まってますから。

「いいでしょう」

 思わずえっと声を上げました。

「まゆを出しますし、小規模なイベントだというなら我々がスポンサーとして出資しましょう。まゆと懇意にしてくれている、その子の門出を、盛大に祝おうじゃないですか」

「ありがとうございます! 本当に……感謝致します」

 まゆはディレクターの横顔を見つめ、そうしてから、目の前の蘭子ちゃんを見た。

 蘭子ちゃんの瞳が喜びに輝き、うっすらと涙さえ浮かんでいます。

「我、光を得たり!」

 まゆたちは、抱き合います。

 少し前、ディレクターにかけられた辛辣な言葉なんて、消えてしまったよう。

 ディレクターは、約束通り、イベントをスポンサードし、資金を回してくれたみたいです。

 会場の規模が拡大し、取材の数も桁違いに増えるそうです。

 大勢の人がまゆたちを見に来てくれる、そのことが純粋に嬉しい。

 電話を掛ける度に、蘭子ちゃんは、緊張であたふたしていました。

 だけど、口調からは確かな自信がうかがえて……。

 まゆも、負けてはいられません。

 ライブイベントに備えて、今まで以上に、歌と踊りのトレーニングに励みます。

 まゆには専属のトレーナーさんがついて、マンツーマンでみっちりと。

 ファンの方にみっともない姿は見せられないから、手を抜くことなく全力で。

 その日は特に練習が厳しくて、全てをこなすともうぼろ雑巾みたい。

 今にも倒れそうな体に鞭打って、もうろうとした意識で家に帰り着きます。

 居間では、妹と弟が、夏休みの宿題に真剣な顔で向かっていました。

 まゆは足音を立てないよう、静かに台所に入ろうとして。

「まゆ姉ちゃん、おかえり。洗い物と後片付けは僕がやるからね」

「おかえり、お姉ちゃん。お風呂沸かすのと、後の掃除は私がやるわ」

 振り返ると、二人はまゆを見もせずに勉強の手を動かしている。

「ありがとう……助かるわ」

 ここから見える二人の背中……。

 こんなに、頼もしかったっけ……。

 イベント当日、開始まで随分時間があるのに、会場周辺は大混雑していました。

 ディレクターの車で店舗前まで乗りつけると、何やら騒がしいです。

 警備の人と、押し問答をしている人たちがいて。

 蘭子ちゃんと、プロデューサーさんだ。

「そんなはずがない。確認をしてください!」

 プロデューサーさんが、声を荒げて警備の人に詰め寄っています。

 気合の入った衣装を着た蘭子ちゃんが、戸惑ったような顔をしています。

「どうか、しましたか」

 まゆの姿を見て、プロデューサーさんの興奮は少しおさまったようです。

「出演者の中に、蘭子がいないと言うんです。だから、通せないと。何かの伝達ミスだと、思うんですが」

「分かりました、すぐに……」

 ディレクターに誤解を解いてもらおう。

 振り返れば、ディレクターはもう目の前まで来ていて、まゆの腕をつかみます。

「行くぞ、まゆ」

「あのっ、蘭子ちゃんたちが、出演者って伝わってないみたいで……」

 サングラスの向こうの、ディレクターの瞳が、暗い輝きに満たされたように見えました。

「誰だ、そこの薄汚い奴らは」

「え?」

「まゆ、さっさと来い」

 痛いほどに強く手を引かれて、まゆは店舗へと連れられていきます。

「蘭子ちゃん!」

 伸ばした手の先に、目を見開いて立ち尽くす蘭子ちゃんの姿がありました。

 信じられないって顔をして、まゆをじっと見つめる、その瞳から……。

 強引に店舗内へと連れ込まれたまゆは、ディレクターの手を振り払います。

「どういうことですか! 蘭子ちゃんが、今日のことを、どれだけっ……」

「あのような、無名で、ふざけた輩は、お前の歩む道に必要ない」

 血が滲みそうなほどに唇を噛み締めて、ディレクターを睨みます。

「割り切れ。そして進め。俺がお前を頂上まで導いてやる。それこそが、お前を信じるファンに唯一報いる道だ」

 まゆに背を向け、ディレクターが去っていきます。

 取り残されたまゆは、膝を抱えてきつく目を閉じました。

 それでも、外では、まゆたちのライブを待つファンの声が、止むことなく聞こえていて。

 逃げることなんて、できません。

 まゆが思い悩む間にも、時間はどんどん過ぎ去っていって。

 蘭子ちゃんを置き去りにしたままに、開演の時間を迎えてしまいます。

 一組目、二組目、と、ライブを終えた出演者たちが楽屋に戻ってきます。

 ここには、蘭子ちゃんがいるはずだったのに。

「まゆ、時間だ。誰もがお前に期待している。俺たちを失望させてくれるな」

 ディレクターに立ち上がらされ、まゆはステージへと進んでいきます。

 光射し、歓声が噴き上がる場所に、まゆは他人事みたいに立っています。

 気がつけば、まゆの前には、輪郭をはっきりさせた、幻の佐久間まゆ。

 音楽が流れ始め、まゆはマイクに向かって歌い出します。

 声援が、ひどく遠いです。

 まゆを呼ぶ声は、違う誰かを呼んでるみたい。

 みたいじゃなくて、実際、そうなんでしょう。

 だってほら、まゆじゃない、幻の佐久間まゆは、あんなにも、綺麗で、輝いて。

 誰も、まゆのことなんて、見ていない。

 なんて……からっぽ。

「まゆ姉ちゃんーッ!」

 たくさんの歓声に混じって聞こえた、確かな声。

「お姉ちゃん、頑張れーッ!」

 幻のこちら側へと届く声。

 それが、虚勢を張っていた心に、とどめを刺したみたい。

 まゆの喉から声が途絶えて、歌が止まります。

 ……そして、踊りが止まり。

 音楽さえ止まり。

 ざわめきが広がり。

 ついには、静寂。

 まゆはマイクをきつく握り締めたまま。

 もう、喉からは、何も出てきません。

 ……おしまいです。

 すべて。

「我が友よ!」

 顔を上げる。

 観客席に、ひときわ目立つ格好をした、蘭子ちゃんがいました。

「我、冥府より、幾星霜の時を越えて降臨せし、真の魔王、神崎蘭子!」

 顔を真っ赤にして、声を張り上げて。

「我、友との絆を信じし者なり!」

 まゆを指さす、その指は、震えてます。

「悪辣な敵の奸計に、我はかからぬ!」

 まゆは……馬鹿です。

「前世より因果の糸で結ばれし我らを引き裂くことなど、神にも叶わぬ!」

 瞳から、熱いしずくが、こぼれて。

「我は無敵! 我の身を案ずるには、及ばぬ! 故に、だからっ……!」

 蘭子ちゃんは、天に向かって咆哮するみたいに。

「だから、まゆさん、頑張れーッ!」

 全身に血が巡ったみたい。

 幻の佐久間まゆが、唖然とした顔で、まゆを振り返っていました。

 まゆは、不敵な笑みを浮かべて。

 幻の鼻面を指さして。

 弱い自分を叩き潰すみたいに、言ってやる。

 消えちゃえ。

 それだけで十分。

 幻のまゆは、呆気なく、ばらばらに砕け散ります。

 まゆは、一歩を踏み出し、観客席を見渡すと。

 もう大丈夫だというように、マイクを高々と突き上げて。

 ディレクター曰く、必死で、泥臭い、まゆの姿を。

 本当の自分を。

 存分に、披露します。

 ライブを終えて、楽屋に戻ったまゆを、ディレクターが待ち受けていて。

「ディレクター、まゆはプロダクションを辞めます。最後まで、身勝手で、ごめんなさい」

 殴られることも、覚悟していました。

 だけれど、ディレクターは、サングラスを外して。

 ひどく寂しそうな目で、まゆのことを見下ろして。

「今までで、一番、まゆが、綺麗で、輝いていたステージだった。……悔しいが、それが答えということだろう」

 それだけ言って、ディレクターはまゆに背中を向けます。

 その大きな背中に、まゆは、深々とお辞儀をします。

 外に出た途端、蘭子ちゃんが、まゆの胸に飛び込んできてくれました。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにした、蘭子ちゃんの背中を、ぽんぽんと叩いてあげます。

「ありがとう……蘭子ちゃん。信じてくれて」

 何度も頷く蘭子ちゃんの後ろから、プロデューサーさんが歩み寄ってきます。

「佐久間さん、素晴らしいステージだった。アイドルの真髄、見せてもらったよ」

「ありがとうございます。まゆはもう、アイドルじゃなくなりましたけどね」

 思いきり面食らう彼の顔を見て、おかしくなって笑ってしまう。

「ですけど、プロデューサーさん、まゆは、アイドルに未練がいっぱいなんです」

 彼を見ながら微笑んだ。

 幻の向こうにいた、本当のまゆを見つけてくれた、彼になら。

 まゆを委ねてみても、いいって、思えました。

 この気持ちは、もしかして。

 いえ……まさか、というやつでしょう。

「もし、よろしければ、まゆをアイドルとして導いてくれませんか?」

 そして、夏はまだ終わりません。

「まゆ、こんな仕事、本当に引き受けていいのか?」

「まゆは新米アイドルなんですから、仕事なんて選んでられませんよ」

「だからってなぁ、顔も出ないし、どうなんだ、これは……」

 渋い顔をしたプロデューサーも、なかなか素敵だって思います。

「前まで、こういう仕事は、耳に入るまでもなく蹴られてたんです。だから、たまには、こういうのも、ね?」

 新しく開店する、コンビニエンスストアのバックヤードで、まゆは可愛らしく首を傾げます。

「そこまで言うなら、止めないさ。それにもう、遅いしな」

「そういうことです」

 まゆの半身は、着ぐるみのウサギに覆われていて。

 今、ウサギの頭を、がぼりと被りました。

 結構、重くて……熱いです。

 ハードなお仕事になりそうです。

 傍らで、携帯電話の鳴る音がします。

「……えっ、乃々がレッスンに来ない? そうですか、すみません……後で、俺から話しておきます」

 電話が切れて、重い溜め息がひとつ。

「どうかしましたかぁ?」

「俺の担当する新人が、レッスンをサボタージュだ」

「病気とか、そういうのでしょうかね」

「あいつは、性格的に、色々な……今度会ったら、ちゃんと話さないと」

「まあ、女の子は、色々ありますからねぇ」

 まゆは一気に興味を失って、訳知り顔で、適当な言葉を返します。

 他の子の話をされるのは、あまり……いえ、とても、良い気分がしませんから。

「まゆ、もし……乃々に会うことがあったなら、先輩アイドルとして、頼むぞ?」

「……考えて、おきますねぇ?」

 まゆは、くすりと微笑んで。

「まあ、でも、少なくとも――」

 まゆは前を向き、つっかえそうになりながら、バックヤードを後にします。

 外では、強い日差しの下、オーナーのおじいさんが、フランクフルトを焼き始めていました。

 まゆは、全身ウサギの姿で、プロデューサーさんの肩を叩きます。

「まゆは、いつでも、お仕事に全力投球なんですよぉ。知ってましたか?」

「ああ、知ってる」

「それでこそ、まゆのプロデューサーさんです」

 着ぐるみの中、まゆは密かに微笑みました。

 以上となります。
 ありがとうございました。

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