千早「ミッドナイト・バスタイム」 (32)


 生放送の音楽番組に出演した金曜の夜、私はウキウキしながら家に帰る。
 土曜の朝早くにラジオ局で番組の収録をしなくてはならない春香が、家に泊まっているからだ。

 自分で言うのもどうかとは思うけれど、春香と私は仲が良いほうだと思う。

 ほら、だから今だって。

P「…………千早、大丈夫なのか?」

千早「……大丈夫、です」

 楽屋に置いてあった携帯電話。
 ここ2時間で、不在通知が72件。番組の放送中にも電話がかかってきている。
 もちろん全部、「天海春香」と書いてある。

P「……春香…………この時間、千早は歌ってただろ」

千早「……ふふっ」


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P「それじゃ、千早。春香が待ってるだろうから、早く帰らないとな。……送ってくよ」

千早「いえ、迷惑になりますから……事務所までで、構いません」

P「って言うと…………千早、早く帰りたがるんだよなぁ。送ってく」

千早「あ、ありがとうございます……」

 プロデューサーにも、もういろいろとバレている。
 春香が金曜の夜に我が家に泊まっていること。私の帰りたい度数までも。

P「じゃあ、とっとと楽屋出るぞ」

千早「はいっ」

 携帯電話が震えた。春香からのメールだ。

『お疲れ様、千早ちゃん! 家でジュースが冷えてま〜す♪』

千早「ふふっ」

 春香は毎回、何かを持ってきてくれる。それを食べたり飲んだりしながら話すことも、
 私の楽しみなのだ。


《三浦あずさのフライデーナイト、今日もお願いします〜》

 車内でプロデューサーがあずささんのラジオを聞くのも、
 私にとって金曜日の行動のひとつ。

P「…………」

千早「……」

 春香からの不在通知をひとつひとつ消しながら、ラジオを聞いた。

P「…………なあ、千早」

千早「なんですか?」

P「毎回毎回、春香からの不在通知って72……だけどさ」

千早「ああ、狙ってるみたいですね。本人から聞いたことはありませんが」


P「……あいつ、数えてるのか」

千早「おそらく。……まあ、いいですけれど」

《可愛げがあっていいと思います〜》

P「……あずささんが俺の気持ち、代弁してくれたよ」

千早「…………テレビの有名人と言いたいことがカブることって、ありますよね」

P「そうそう、まさにそんな感じだよ」

《では、新曲『晴れ色』、お聞き下さい!》

 あずささんの落ち着いた歌声と、優しい音色を受信しながら、車は走って行く。


 マンションの近くに車が停まった。
 プロデューサーは『アイドルの家がバレたらヤバいだろ』と言う。

P「じゃあな、気をつけて」

千早「はい、ありがとうございました」

 車はゆっくりと走って行く。
 角を曲がるまで見送って、マンションに入った。

 電話を取り出す。

千早「…………もしもし、春香?」

『ふぁーい』

千早「今、玄関に着いたわよ」

『おかえりーん』

千早「……どうしたの?」


『ちょーっとねー』

千早「……酔ってるみたいね」

『よってるんだよー』

千早「……眠いのね」

『……そーなんだー』

千早「…………だったら、寝ていれば? 明日も早いんだから」

『いやだー』

千早「なんでよ」

『ちはやちゃんといっしょにテレビみるー』


 自宅の扉前に着いた。鍵を使って、ゆっくりと開ける。
 電気はついている。

千早「ただいま」

春香「おきゃえりー」

千早「……すごい格好ね」

春香「へー?」

 春香はキャラもののTシャツに赤いパーカー、黒いジーパンという格好。
 それはまだいいとして……ベッド下に下半身を入れ、上半身だけ出てテレビを見ていた。

千早「どうしたの、いつもより変だけれど」


春香「あー、いろいろあってさぁ、やけジュースだよやけジュース!」

 テーブルの上には、からっぽのペットボトルが5、6本も置いてあった。
 ジュースの飲み過ぎと、夜ということもあってテンションが上がっているみたいだ。

千早「2回言うのはいつものことだけど……」

春香「もー……千早ちゃーん」

 ベッドの下からのそのそと出てきた春香は、コートを着たままの私に抱きつく。

千早「よしよし」

 頭をなでた。

春香「ねー、千早ちゃん」

千早「なに?」

春香「お風呂、一緒に入って欲しいなぁ」


千早「お風呂……でも、昨日入ってからお湯を抜いていないわよ」

春香「洗ってあるよー」

千早「そうなの?」

春香「だから、入ろうよー」

千早「……ええ」

春香「わーい」

 おかしな春香を戻すには、お風呂で悩みでも話してもらうのがちょうどいい。


 2人で入るには、狭すぎるバスタブ。
 だから、1人が入るときにはもう1人が身体を洗う。春香と編み出した入浴法だ。

春香「…………ふぃー」

 シャワーから最初に出る冷水を手にかけながら、お湯につかる春香に話しかける。

千早「ねぇ、春香」

春香「なーに?」

千早「何か、あったんでしょう」

春香「……別に」

千早「テレビ局でもらったメールまでは、普通だったもの」

春香「…………」


 お湯が出てきた。身体にかけて、冷たかった身体を温める。

千早「……冷蔵庫の中にジュースなんて無かった」

春香「……それは」

千早「…………あの飲んでしまったジュース、買っておいたものよね?」

春香「…………うん」

千早「私に話して、春香」

春香「……」

千早「ひとりごとでもいいから」


春香「……じゃあ、ひとりごとってことで」

千早「ええ」

 シャワーのお湯が身体をつたって、タイルにあたる音だけがお風呂場に響く。

春香「……あのメールの後にさ」

千早「……」

春香「律子さんから電話があったんだ」

千早「……」


春香「私、ドラマのオーディション受けてたって言ったでしょう?」

千早「ええ」

春香「……落ちちゃったんだよね」

千早「…………」

春香「結構、自信があったんだけど」

千早「……」

春香「プロデューサーさんの電話に通じなくて、律子さんにかかって来たんだって」

 電話中、プロデューサーはいつもドライブモードにするから気づかなかったのね。


春香「……それで」

千早「ああなったのね」

春香「それだけじゃないけどね」

千早「……まだ何かあったの?」

春香「ジュピターの3人が出てるドラマを見ちゃってさ」

千早「ええ……」

 髪にお湯を流し、ゆっくりと手で髪を梳いていく。

春香「あんまり言いたくないんだけど、北斗さん以外の2人は演技がすっごく下手でさ」


千早「そうなの?」

 私は演技がそもそも苦手なので、解らないけれど。
 舞台の主役まで務めた春香が言うのであれば、そうなんだろう。

春香「あー、3人はドラマに出られているのに、私はダメだったんだなーって」

千早「……春香だけのせいじゃないわ」

春香「ううん、私が悪いんだよ。私だけが。それぐらいは分かってるの」

千早「…………」

春香「……なんか、自己嫌悪もあって、嫌になっちゃってさ」


千早「……言ってくれれば」

春香「言えるわけないよ、私嫌な人間だなーって思ってるのに」

千早「……」

 シャンプーで髪を洗い、シャワーを持ってボタンを押した。

春香「出たかったなぁ」

千早「なんてドラマなの?」

春香「『女探偵ロックンロール』」

千早「…………イカすタイトルね」


春香「……うぅ」

千早「ねえ、春香」

 流れてタイルに落ちる泡を見ながら、シャワーのお湯を止めた。

春香「え?」

千早「お風呂から出たら、今度はアイスでも買いに行きましょう」

春香「……」

千早「春香がもっと良いドラマのオーディションに合格することを願って、ね」


 春香が浴槽から出るのと同時に、私はお湯につかる。
 シャワーの音を聞きながら、目をつぶった。

春香「千早ちゃん」

千早「ん?」

春香「ありがと」

千早「……ふふっ、ひとりごとでしょう?」

春香「……そうだね」

千早「ふふ」

春香「あはは」

 グスッ、と音が時々聞こえる。シャワーで涙を流しても、音はごまかせない。
 ジュピターは事務所の力で楽に仕事をもらっていて、春香は実力でここまでのし上がってきた。


 だから、悔しいのだろう。そして、悲しいのだろう。
 実力が足りずに、律子やプロデューサーを悲しませてしまったことが。
 ジュピターに苛立つ自分が嫌になって、それで……。

春香「…………ふぅ」

 水の音が止まった。

千早「春香」

春香「うん?」

千早「今度、旅行にでも行きましょう」

春香「2人で?」

千早「2人でいいなら」

春香「……じゃあ、オフ取ろ?」


千早「ええ」

春香「来週とか」

千早「来週は……ごめんなさい、多分仕事」

春香「じゃあ、再来週」

千早「なら、多分……」

春香「あー、私がいっぱいかも」

千早「まぁ、忙しいことはいいことだから」

春香「いいことだけど、良い事じゃないよー」


 身体をスポンジで洗いながら、ぷーと頬を膨らませる春香。
 …………なんだか、クラクラしてきた。

千早「ふー…………のぼせた」

春香「はやっ!」

千早「ごめんなさい、先に出るわ」

春香「じゃあ、私も髪を洗ったらすぐに出るよ」

千早「……」

春香「待っててねー」

 お風呂場を出て、バスタオルを身体にまいた。
 濡れた髪の毛で、リビングに移動しソファに腰掛ける。


 水の音が聞こえている。

千早「…………」

 壁にかけられたアナログ時計は、もうすぐ日付が変わることを伝えてくれる。
 結構、長く入浴していたようだ。

千早「……」

 水の音が止まって、ドアが開く音が聞こえた。

春香「千早ちゃんっ」

 バスタオル一枚しか身にまとっていない春香が、私の横に座った。


千早「春香、風邪ひくわよ」

春香「ひかないよ」

千早「……私はあついからいいのだけれど」

春香「私もあついよー、ずーっと湯船にいたからね」

千早「そう、かもね」

春香「あつい同士ー」

 春香が手のひらを私のおでこにあててくる。

千早「あったかいわね」

春香「えへへー」


千早「もう、大丈夫そうね。春香」

春香「うん、ありがと千早ちゃん」

千早「だから、ひとりごとだったんでしょう?」

春香「そうだったねぇ」

千早「ふふっ」

春香「えへへっ」

 春香は立ち上がって、

春香「着替えよっ、あとアイス!」

千早「そうね」

 すっかり笑顔だった。さっきとは違う、純粋なもの。


 パジャマにコートを着て、サンダルを履く。
 春香には「アイドルっぽくないよ」と言われるけれど、動きやすいと思う。

 結局春香も、パジャマにコート。私の家には、春香のパジャマが3着ぐらい置いてある。

千早「行きましょうか」

春香「準備は出来てるよー!」

 鍵を持って、外へ。……夜風が冷たい。

千早「……春香」

春香「ん?」

千早「…………いつも、泊まってくれてありがとう」


春香「そんな、私こそお礼しなきゃいけないぐらいだよっ!」

千早「え?」

春香「だって、いっつも金曜の夜はここにいて……。
   千早ちゃん、休まる暇がないでしょう?」

千早「むしろ、誰もいない家に帰るほうが寂しいし、休めないわ」

春香「……そう?」

千早「ええ。……春香が、うちに住んでくれたらいいのに」


 階段を下りて、マンションの外に出ると、すぐ近くのコンビニの明かりが目についた。

春香「……千早ちゃん」

千早「春香がうちにいてくれたら、それはとっても楽しくて、嬉しいわ」

春香「…………千早ちゃんがいいんなら、わ、わた……」

千早「あと、高槻さんも」

春香「……へ?」

千早「真や、律子。我那覇さんも」

春香「…………」

 春香はなぜか、困ったような笑みを浮かべた。


春香「私、千早ちゃんのそういうところ、大好きだよっ」

 春香が腕をギュウと絡ませてきた。

千早「……突然、どうしたの?」

春香「ううん、なんでもないっ」

 腕が、春香の体温で温まっていった。

千早「私もよ」

春香「えっ?」

千早「春香のこと」


 言うのが少し恥ずかしいけれど、

千早「大好きだから」

春香「…………」

千早「?」

 春香の顔を見ると、暗くても分かるぐらいに赤くなっている。

千早「……春香も、のぼせていたの?」

春香「……あはは、天然だなぁ」

千早「天然?」


春香「なんでもないよ、千早ちゃん」

千早「……まあ、いいけれど」

春香「…………コンビニ、近くていいなー。さ、入ろう?」

千早「ええ、入りましょうか」

 春香の笑顔が、とっても眩しくて、そして綺麗だった。
 金曜の夜は、やっぱり大好きだ。
 私の大好きな友人……親友が、こうして隣で笑ってくれるから。



 おしまい


 金曜の夜に投下すべきだったと、今更ながら思っています。
 お風呂シーン書きたかっただけでした。
 お付き合いいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。

ええな

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