エレン「チビ」 アニ「単細胞野郎」(748)

※エレアニ 現代パロ

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00

蝉の声。


「アニは夏と冬、どっちが好きなんだ?」

「どっちも嫌い」

「会話終了させんなよ。強いていうなら?」

「…………。冬」

「冬か」

「冬」


入道雲。

「俺は夏の方が好きだな」

「夏なんて汗かくし、虫に刺されるし、いいことないと思うけど」

「そうなんだけどさ。でも好きなんだよな」

「なんつーか生きてるって感じする」

「……意味わかんない」

「うるせえな」


滲む陽炎。


「でも確かにあんたは夏が似合うかもね」

「そうか?」

「熱血バカって言葉知ってる?」

「……それお前、遠回しに俺が暑苦しいバカって言いたいのか」

「さあね」


霞む思い出。


「どっちにしろ、嫌いなんだ」

「眩しすぎて、いやになる」

「自分の弱さを見せつけられてるみたいでさ」




「だから嫌いなんだ。あんたも夏も」



歪む視界。

いつか目にした、蜃気楼。

E 01
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図書室じゃないと勉強が捗らない、そういう学生たちがこぞって集まるので
この季節の図書室ほど席の確保が難しい時期はない。

かく言う俺も幼馴染の2人ほど勉強に対して情熱がもてないたちなので
今日も人がいる割にはしーんと静まるこの部屋にて、教科書とにらめっこしてるわけだ。

夏至日も過ぎたばかりだと言うのに、早とちりして土から出てきたのか……
窓の外のブナの木からは、もう蝉の声が聞こえてきていた。

エレン(うるさい……)

勉強に集中できないのを、蝉しぐれのせいにして。
扇形の面積の求め方、等と言うこれから一生使うことのないだろう方程式から目を上げた。


ちょうど斜め向かいの女子が席を立つところだった。
なんとなくその所作を横目で追ってしまう。

金髪を無造作に結わえている女子生徒。
片方の前髪が長く垂れさがっているので、こちらからは顔を見ることはできなかった。

俺の方に見向きもせず(するわけないのだが)、さっさと踵を返して図書室から出て行ってしまった。

背中がすごく小さい。初等部の生徒……がいるわけないか。
1年生か?

エレン(俺もそろそろ帰りたい……。いやでもまだ課題終わってないしな……、あ)

無意識に左手がペン回しを初めていたのだが、勢い余ってペンが机の下に飛んでいってしまった。
仕方ないので、頭を机に潜らせる。
すると机の下の、余分な荷物を入れておく引き出しのようなスペースに、先ほどの小柄な生徒が置き忘れていったと思われる教科書があるのが見えた。


教科書を片手に図書室を飛び出した。
自分の荷物は机に置きっぱなしだったが、まとめる時間もなかったので仕方ない。

テスト前のこの時期に、教科書が手元にないのは大分困るだろう。
一度俺も経験したことがある。教科書をなくした、と言ったときのアルミンの鬼の形相と言ったら。
できればもう二度と拝みたくない表情だ。
その後は優しく勉強を教えてくれたのだけど。

エレン「あ、いた。おい、あんた!」

渡り廊下の先で、ようやく金髪の女子生徒を見付けた。
彼女は自分が呼ばれていることに気づくと、怪訝そうに振り返る。


真っ青な瞳が、とても綺麗だと思った。
夏だということを感じさせないくらい、日焼けしてない白い肌も。


   「……なに?」

エレン「あ……これ。図書室に忘れてたぞ」

俺に対する不信感が募りつつあるのを感じて、慌てて教科書を手渡した。
表紙を改めて見たが、なんとも難しいタイトルだった。3秒ほどじっくり意味を考えてみても、内容が全然想像できない。


   「あ。………………どうも」
   
ボソリとつけ加えられた三文字の言葉。一応、礼のつもりなのだろうか。
それだけ告げて、すぐに去ろうとしまっている気配を感じて
俺は自分でも訳が分からず、咄嗟に紡ぐ言葉を探した。

エレン「随分難しいこと勉強してるんだな。1年生だろ?頭いいんだ…………な、」

ピシッ。
何かが固まる音が聞こえた。ような気がした。



   「…………1年生?」
   
正解は空気が固まる音でした。
まるで俺たちの周りの酸素が、どんどん氷に化学変化していっているみたいだった。
そんな方式、まだ理科で習ったこともないが。

   「私は3年生だよ」
   
エレン「え?……初等部の?」

ピシピシッ!
もうすでに俺たちの周りには冷気が目に見えるようだった。
気づくと小動物くらいなら射殺せそうなくらいの鋭い視線が、俺に向けられていた。


あんたと同じ、中等部3年生だ―――


その言葉を耳にするが否や、俺の視界はぐるんと一回転していたのだった。


アルミン「昔から思ってたけど、エレンは思ったことをすぐ口に出すよね」

アルミン「いつもいつもそれでトラブルになるんだから、もうそろそろその癖治しなよ」

エレン「俺もそれは分かってるよ。だけどさ!だけど!年齢を勘違いしただけで、足技かけるか、普通!?」

その後。
渡り廊下を通りかかった幼馴染のアルミンに、「……なんで廊下に寝っ転がってるの?エレン」と
呆れ半分心配半分で助け起こされた俺は、
今背中とふくらはぎの痛みに耐えながら、昇降口に向かっているところだった。


エレン「くっそ、いてぇな。絶対痣になってるよ」

アルミン「家に帰ったらおじさんに診てもらいなよ。今日は家にいるんだろ?」

エレン「うーん……また喧嘩したんじゃないかって疑われるだろうから、あんまり気が進まないな」

アルミン「じゃあ、僕んちに帰り寄りなよ。湿布くらいなら貼ってあげる」

エレン「サンキュ」


エレン「にしても、あいつ。次会ったら絶対文句言ってやる」

アルミン「エレンもちゃんと謝るんだよ?」

エレン「俺は言葉だけしか言ってないけど、あいつは足を出しやがったんだぞ?」

エレン「……まあ一応俺も謝るけど、あいつにも謝らせる」

アルミン「喧嘩しないでよ……?……それにしても、金髪で小柄の女子生徒……ね」


アルミンは思案顔で、下駄箱からローファーを取り出した。
知り合いか?と尋ねれば生返事が返ってくる。


アルミン「まあ、うん、そうかも。……それは置いとくことにしてさ、早く帰ろう。下校時刻になったら道も混むよ」

エレン「……何か、隠してないか?アルミン」

アルミン「っそそそそんなことないさ。ほらほら早く!」

何故か焦っているアルミンが、咄嗟に俺の背中をグイグイ押したので、俺は痛さに飛びあがった。


A 02
----

生徒会室の扉を開けると、もうすでに私以外のメンバーは集まっていた。

アニ「早いね」

ライナー「別にお前が遅れた訳じゃないぜ。安心しろ」

生徒会長のアルミン。副会長のミカサとライナー。
会計のベルトルト。書記の私、アニ・レオンハート。

これがこの中等部の生徒会メンバーだ。
入学時にほぼ無理やりに教師に押しつけられた生徒会の役職だったけど、
思ったよりやらなければならない仕事が少なかったので今ではいい暇つぶしになっている。

会長や副会長なら、朝会とかイベントでこなす仕事も多いかもしれないけど
書記の仕事なんてあってないようなもんだ。これで内申が上がるのなら、むしろ儲けものと言っていいかもしれない。


今日も今日とて、形式的に集まってみたはいいものの、やることなんてあんまりない。
月に一回発行している「生徒会だより」の原稿は粗方作っておいてあるので、
その続きをだらだら喋りながら書き続けた。

ミカサ「次、アニの番」

アニ「…………」

ベルトルト「ああっ!また負けた!アニとミカサ、ババ抜き強すぎるよ」

アルミン「はい、ベルトルトが次原稿を書く番だね」

ベルトルト「僕あんまり文書くの得意じゃないんだけど……」

ライナー「字は綺麗なんだから大丈夫だろ、ハッハッハ」


……こんな感じの、ふざけた生徒会だ。

アルミン「ところでさ、アニ……最近、渡り廊下で誰かと喧嘩した?」

トランプをシャッフルしながら、学年一位を誇る生徒会長様が私に変な質問をしてきた。
喧嘩した?なんて女の子に尋ねるような質問だろうか。
無言で答えると、アルミンは慌てだした。

アルミン「いやっ!そのー、喧嘩って言うか、無神経な問をしてきた男子生徒に会った?」

アニ「無神経……。ああ、私が初等部の生徒なんて抜かした奴なら会ったよ」

アルミン「や、やっぱりアニだったのか……」

諦念をにじませてアルミンは苦笑いをした。

アニ「あのデリカシーゼロの男、あんたとミカサとよくいる奴でしょ」

ミカサ「エレンのこと?」


エレン。そんな名前だっただろうか。
女みたいな名前だと思った。

ミカサ「アニ、エレンとしゃべったことなかったの」

アニ「ないよ。クラスも一緒になったことないし。第一あいつなんて、私が同じ学年にいることすら知らなかったみたいだけど」

ライナー「エレンはなぁ。少し変わった奴だけど、努力家だしおもしれー男だぞ」

ベルトルト「ジャンとよく喧嘩してるよね…」

アニ「まあどっちにしろ、これからも話すことはないと思うよ」

アルミン「……エレンもさ、悪気はないんだよ。だからアニも許してあげてくれないかな?」


何故かアルミンが申し訳なさそうにしている。
許すも許さないも、別に気にしていない。……全くムカついていないと言えばうそになるだろうけど。
どうせこれから関わることのない人間だ。私も思わず感情に任せて蹴ってしまったし、おあいこだと思っている。

そう話せば、やっと彼は安心したように笑った。


別にあいつと私がお互いにどんな印象を持ってるかなんて、アルミンには関係ないだろうに。
自分の友人と友人が反目し合ってようが仲良くし合ってようが、どうでもいいことに私は思える。

例えば私の幼馴染のライナーとベルトルトが、アルミンやミカサとお互い嫌悪し合っていたら……
あれ……少し嫌だな。 なるほど、こういう感情なのか。

なんとなく恥ずかしくなって、徒にミカサが5段まで積み上げたトランプタワーに息を吹きかけた。


ミカサの悲鳴をバックミュージックに、今日も蝉が窓の外で声を張り上げている。
穏やかな放課後だった。


E 03
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今日一日、ずっとジャンとコニーにエレン爺とからかわれた。
理由は簡単、俺が湿布の匂いを漂わせているからだ。

そして今も、廊下に湿布のツンとした匂いを振りまきながら、俺は生徒会室に向かっていた。

今日は急きょ部活が休みになったので、またも図書館で勉強していたのだが、
そろそろ生徒会もお開きだろうと思いアルミンとミカサを迎えに行っているところだ。

いつもは校門で待ち合わせているけど、まあ、気まぐれだ。
軽やかに階段を駆け上がり、角を曲がったところで彼らに出くわした。


エレン「よお。もう終わったのか、帰ろう……ぜ、…………あーーーー!!」

エレン「お前!昨日俺を蹴りやがった……!」


アルミン「あー……エレン、やあ。ええと……ミカサっ!どうしよう」

ミカサ「エレン、アニは生徒会書記。さっき私のトランプタワーを崩壊させた憎き宿敵」

ライナー「いやどうでもいいだろ、それは」

エレン「お前、生徒会だったのか」


アニというらしい彼女は、俺の登場に眉ひとつ動かさない。俺も相手の出方を窺ってじっとしていれば、
アニはやにわに腕を組んで一言こうつぶやいた。
「湿布くさ」……と。

この一言で、俺のちょっとは昨日の無礼を謝ってやろうという気持ちは霧散した。


エレン「誰のせいだと思ってんだ、誰の!」

アニ「男のくせにひっくり返ったあんたが悪いでしょ?」


エレン「は!?普通初対面の奴相手に蹴り技しかける奴がいると思うか!?大体不意打ちじゃなかったら俺だって抵抗できたっつの!」

アニ「負け惜しみ言わないでよ。大体元はと言えば……あんたが失礼なこと言ってきたのが悪い」

エレン「負け惜しみじゃねーよ。なんなら試してみるか?」

アニ「今日の倍の湿布貼ることになっても知らないよ」

エレン「お前みたいなチビに二度も負けるかっ」

アニ「チ…………ああそう、分かった。あんたみたいな単細胞野郎に、人間様への口のきき方を教えてあげるよ」

エレン「誰が単細胞だ!」

アニ「誰がチビだ!」


アルミン「はいはいそこまで」

ミカサ「エレン、喧嘩はだめだって何度も言ってる」

エレン「おい!離せよ」


ライナー「アニ、お前もストップ」

ベルトルト「抑えて抑えて……」

アニ「どいてよ」


さあゴングを鳴らすぞ、といったところで俺はアルミンとミカサに羽交い締めにされ、
アニはライナーとベルトルトに構えた手を取り押さえられた。
待遇に差がある気がしてならない。くそ。

エレン「くそ、離せミカサ。いてて、引きずるな!このっ、今度こそ決着つけてやるからな!アニ!」

アニ「ミカサ、もっとスピードあげて引きずっていいよ」

エレン「やめろ」


なんて可愛げのない女なんだろう。
青い目が綺麗だとか白い肌が綺麗だとか、
そんなファーストインプレッションにどぶ水ぶっかけて一から訂正したい。

人を心底馬鹿にした目で見やがって。

あんな厭味で冷たい女会ったことがない。


俺の性格も相当悪いと思うが―――
……無神経だったり、直情的だったり、駆逐という言葉が好きだったり。

あいつも相当だ。

いやな奴。


A 04
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いやな奴。


アニ「あいつだって、ベルトルトとライナーと比べたらチビのくせに」

コンビニの自動ドアから外にでると、むわっと湿気を含んだ熱い風が身を包む。
夜の帳が下りはじめていた。いくら日暮れが遅い夏といっても、さすがに下校時間ギリギリまで学校に居座れば帰りはこんな時間になってしまう。

ベルトルト「僕と比べるのは……その……エレンに悪いんじゃ」

アニ「小さい頃からあんたらに比べ続けられてきた私の気持ちも考えてよ」

幼い頃から3人でいることが多かった。
そしてこいつらは常に同年代の子どもの成長を遥かに上回っていた。
だから私は幼少の時から、相対的に身長が低く見られがちなのだ。


ライナー「いやいや、お前は普通に見ても身長ひく……あ、すいませんなんでもないです」


相対的に、低く見られがちなのだ。


アニ「はぁ、ムカつく」

言い捨てて、さっき買ったアイスの封を開ける。
生徒会が買い食いなんかしていいのか。なんて、そんなことをいちいち気にする学校じゃない。

ライナーとベルトルトは金欠だからと言って、二人で一つのパピコを分け合っていた。


キモイ。


ライナー「まあ、そんな目くじらたてんなよ。お前も喧嘩腰だったろうが」

アニ「さあ」

ベルトルト「女の子なんだからすぐ蹴るとか言っちゃだめだって……」

ライナー「そうだぞ、もっと女の子らしくだな。例えばクラスのクリスタみたいに……」

ライナーのクリスタ談義はもう飽きるほど聞いたので、耳からシャットアウトすることにして。


私たちはそのままブラブラと適当に話しながら、駅を目指した。

どこかの家から漂ってきた夕飯の匂いから、なんのメニューか当てようとしたり。
夏休みはどこに行こうか相談したり。
明日になったら内容さえ忘れてしまいそうな、下らない話題が次々と繋がっていく。

家に着くとお父さんが夕食の準備をしていた。
私もエプロンをつけて、手伝う。今日はオムライス。料理ならお父さんより得意だ。

それから夕食を食べて、風呂に入って髪を乾かして、テスト勉強でも進めようかと椅子に腰かけた時だった。
携帯の呼び出し音が、突然鳴り響いた。


ミーナ「あ、ごめんねアニ!いま大丈夫?」

アニ「何か用?」

ミーナ「あのさー突然で悪いんだけどね!」


明日の図書委員の当番代わってくれない?
どうしても外せない用事ができちゃって。

なんて頼みを引き受けるんじゃなかった。


エレン「……げっ」

アニ「……は」

この高校生活3年間で、一度も同じクラスにならなかったのに、
ここ最近のこいつとのエンカウント率は一体なんなのだろう。

私は図書室に現れたエレンをカウンターの中から睨む。
エレンも思いっきり顔を顰めていたが、流石に図書室で昨日の決着とやらをつけるわけにはいかないと思ったらしく、
脇に抱えてた一冊の本を、カウンターに置いただけだった。


エレン「お前、図書委員だったのかよ」

アニ「違う。友だちの代わりだよ」

エレン「……」

アニ「……」



気まずい。正直気まずい。
昨日色々暴言を吐き合っただけに、なんとも気まずい空気が流れる。
いっそ昨日の続きとばかりに騒がれた方がやりやすい。

しかし今の私は一応貸出当番をやってるわけで。
めんどくさいとぼやきながらも、差しだされた本に手を伸ばした。

アニ「……返却でいいんでしょ」

エレン「ああ」

私が貸出カードを処理している間、エレンの目がさっきまで私が読んでいた本の表紙を滑ったのを感じた。
ぷっ、と小さく噴き出す音が聞こえたので、すぐにギロリと睨み上げた。

アニ「なに?」

エレン「いや……お前、そういうの好きなんだな。意外だと思って」


私が読んでいた本。あまりにもやることがなさすぎて暇だったので、適当に棚から拝借したものだ。
古典のロマンス。
書いた作者は砂糖を摂取しながら筆をとってたんじゃないかって思うくらい、甘くて甘くて
つっこみどころ満載のラブストーリーだった。

別にそんなものが好きで好きで仕方なく読んでいた訳じゃない。
ただ適当に選んだものがその本だっただけだ。

とムキになって否定しても、どうせ揚げ足を取られそうだと思ったが、勝手に口が回っていた。


アニ「別にいいでしょ。私が何を読もうが。適当に棚からとっただけだし」

エレン「悪いとは言ってねえだろ。ただ、ギャップがあるなって思っただけ」


なんだそれは。つまり、ロマンスなんか天地がひっくりかえっても絶対読まなそうって思われてるってことなのだろうか。

アニ「……」

私は無言で、やや乱暴に貸出カードに返却のスタンプを押した。


やっぱり腹立つ奴だ。
私は反撃することにした。

アニ「あんただって。こんな子ども向けの冒険譚読むなんて、ほんとに3年生?」

エレン「なっ 別に好きなんだからいいだろ!?」

アニ「こんな本読んでる暇があるなら、受け身の取り方かテスト範囲の勉強してなよ」


あと大声出さないで。と、壁の『私語厳禁!』という張り紙を指さした。
エレンはぐっと言葉につまる。

エレン「……どんな本読もうが俺の勝手だろ」

苦し紛れにひねり出した反論が、先ほど私が口にしたものと一緒だと気づいたのか、エレンは再び黙った。

エレン「……俺が言えた台詞じゃねぇか。確かに自分の好きな本否定されるのって、嫌な気分だよな」

エレン「……わるか、」


サシャ「あれー!エレンとアニじゃないですか!」

コニー「うおー偶然だな、なにやってんだ?」


図書室のドアを開けたのは、中等部のトラブルメイカー二人組だった。
満面の笑みでこちらに近寄ってくる。


エレン「お、お前らこそどうしたんだよ」

コニー「図書室って言ったら用はひとつしかねぇだろ?勉強だよ、勉強」

サシャ「レッツ・スタディーですよ、エレン。今度こそレッド・ポイント免れてやります!!」

コニー「ああ、レッド・ポイント免れてサマー・バケ……バケ……」

エレン「バケーションな」

コニー「そうだ!サマー・バケーションをエンジョイだぜ!!」

サシャ「今日はまず30分、がむしゃらに勉強するって目標なんですよ」

コニー「で明日は35分、明後日は40分、こうやって勉強時間を増やしてく計画なんだ!」


どんな計画だ。
テストまであと2週間きっているのに、なんて楽観的な発想なんだろう。いっそ羨ましい。

そこまで会話を聞いたところで、私は静かに腰を上げた。
そうして馬鹿話に花を咲かせている馬鹿3人のワイシャツの首元をおもむろに掴み上げると。

図書室の扉から、ぽいっと外に放り出した。

コニー「わっ」

サシャ「えっ!」

体勢をよろめかせている3人に、威圧的に言い放つ。


アニ「『私語厳禁』」

二度目である。

そして俺関係なくね!?と喚く奴の鼻先で、ぴしゃりと扉を閉めたのだった。


テストが終わった。
というかもう返ってきた。

うちの学校の教師たちの、テストの丸つけ速度は異常だと、毎回思っている。
もう少し余韻をもたせてほしいものだ。
テスト終了後の解放感を味わう前に、己の成績不振を鼻先につきだされてはモチベーションも下がるばかり……別に言い訳じゃないぞ。

ミカサ「エレンだって成績が悪いわけじゃないと思うけど」

エレン「全部悪いわけじゃない、だろ」

アルミン「エレンは極端だよね。得意科目はほんと満点近くなのに、苦手科目は……あー、うん」

言葉を濁してくれる幼馴染の優しさが悔しい。
ちなみにアルミンとミカサは成績ツートップだ。
勉強を教えてもらえるのはありがたいが……たまに自暴自棄になりそうな時もある。


リヴァイ「成績優秀者のリスト、掲示板に貼りだしてあるからどうしようもなく暇な奴は見とけ。いいな」


どうしようもなく暇だったので、3人で掲示板を見に向かった。



E 05
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テストが終わった。
というかもう返ってきた。

うちの学校の教師たちの、テストの丸つけ速度は異常だと、毎回思っている。
もう少し余韻をもたせてほしいものだ。
テスト終了後の解放感を味わう前に、己の成績不振を鼻先につきだされてはモチベーションも下がるばかり……別に言い訳じゃないぞ。

ミカサ「エレンだって成績が悪いわけじゃないと思うけど」

エレン「全部悪いわけじゃない、だろ」

アルミン「エレンは極端だよね。得意科目はほんと満点近くなのに、苦手科目は……あー、うん」

言葉を濁してくれる幼馴染の優しさが悔しい。
ちなみにアルミンとミカサは成績ツートップだ。
勉強を教えてもらえるのはありがたいが……たまに自暴自棄になりそうな時もある。


リヴァイ「成績優秀者のリスト、掲示板に貼りだしてあるからどうしようもなく暇な奴は見とけ。いいな」


どうしようもなく暇だったので、3人で掲示板を見に向かった。


俺らと同じく、どうしようもなく暇な奴らが多いのか、掲示板の前にはそれなりの人だかりができていた。
俺の名前も一応末端付近に載っている。
それから言うまでもなく、1位アルミン・アルレルト、2位ミカサ・アッカーマン。

3位ライナー・ブラウン。
あいつ、見た目完全に脳筋なのに頭いいんだよな。

……4位、の前に、ライナーと同点数で一人。
アニ・レオンハート……って

エレン「あいつか」

あの無愛想な鉄面皮。確かに俺にはさっぱり分からなかった分野の本を読んでいたあたり、頭がいいのかもしれない。
なんか気に食わないな。
大体、図書室で俺を馬鹿3人に含めたのも許せない。あの時俺は大して騒いでねーし……


エレン「つーか人のこと馬鹿って言うなよな!自分が頭いいからってよ」

アルミン「ごめんエレン、なんの話?」


アルミンもミカサも、二人とも俺の頭の出来なんて比べ物にならないくらい昔から優秀だけど、
俺のことを馬鹿だ阿呆だと貶したことはない。
……本気で、貶したことはない。

つーか馬鹿って言った方が馬鹿だ。


いけすかない奴のことなんて、もう考えるのはやめにして、
せっかくテスト勉強から解放された記念にさっそく遊ぶことにした。


青い空に浮かぶ白い雲!光り輝く太陽!
今日は絶好の―――


――ファイアー!やったなー!ばよえ~ん ばよえ~ん…

ジャン「えぐい!!えぐいって!!10連鎖はひどいだろ!」

エレン「またジャンの負けかよ。お前もうちょっと頑張れよ」

ジャン「ミカサ強すぎだろっ!お前なんなの!?」

ミカサ「ちょっと考えればできること」


絶好のゲーム日よりだった。
こんな真夏日に外で遊ぶ気力もない。金もない。
夏休みにバイトかなんかしないと、どこも行けないな……


アルミン「バイト?エレン、お小遣いもらってなかったっけ」

エレン「この間、これ買っちゃってさ」


ミカサ「海の写真集?」

コントローラーを手放して、ミカサが横から覗きこんでくると、ジャンも興味を示してきた。
ゲームは一時中断するらしい。

エレン「また買っちまった。本屋で見かけてさ」

ぱらぱらとめくって見せる。どのページにも、見ているだけでわくわくするような海の写真が載っていた。
それなりの札を犠牲にして得たこの写真集を、俺は毎夜寝る前に必ず開いている。

空の蒼さを全部閉じ込めたような海。
砂浜を歩く野良猫と寄り添うように立つ漣。
別世界としか思えないほの暗い深海の底。
金色に輝く夕暮れの海に佇むシルエット。

――俺は海が好きだ。

ジャン「じゃ、夏休みに行こうぜ。みんな誘ってよ。ミ、ミカサも来るだろ?」

エレン「……俺はパス」

ジャン「は!?なんでだよ」


ジャン「お前が海好きだっつーから言ったんだろ!てかお前、空気読めや!」

エレン「空気?」

今読むべき空気があっただろうか。

エレン「……わりぃ、行きたいって気持ちはあるんだけど。なんつーか、憧れの気持ちが大きすぎて、実際見るのが怖いっていうか」

ジャン「はぁぁ?」

アルミン「……まあ、無理していかなくてもいいんじゃないかな。いつかみんなで行こうよ。人生は長いんだし」

ミカサ「賛成。それに今年はみんな受験生なんだから、あんまり遊んでばっかりいるのもどうかと思う」

ジャン「今年だからこそだろ!」

ジャンは拳を振るって熱弁した。


ジャン「来年俺ら、もう卒業なんだぞ?みんなバラバラの高校行っちまうんだ、今年の夏に遊ばなくてどうすんだよ!!」


卒業……。バラバラ、という単語が静かに静かに心臓に突きささる心地がした。
そっか。今年が最後なんだったな。

来年の今頃には、みんな別々の道を歩んでるのだろう。
こうして馬鹿みたいに小さい部屋に閉じこもってゲームをやることも、もうないかもしれない。

いつまでも、ずっと変わらないものなんてない。


アルミン「別に高校行ってからでも会えるじゃないか。来年同窓会しようよ。海で」

ジャン「海でかよ、なんつー同窓会だ」

ミカサ「生きている限りいつでも会える。家は近いんだから」


生きてる限り。死なない限り。

ミカサが大げさに言った言葉に、なぜか納得してしまった。
いつもならツッコミをいれるところだが。

俺たちがいま生きている世界は
とてつもなく、平和だった。

A 06
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クリスタ「あ……電子辞書忘れちゃった。アニ、ちょっと貸してもらってもいい?」

アニ「……ん」

クリスタ「ありがと。……えーと、オポ、ジット……オポジット、っと」


反対、か。と明るく言うと、彼女の女神と称される性格の良さがにじみ出ているような美しい字で、つらつらとプリントに日本語訳を書いていく。

The opposite of love is not hate, but indifference.
愛の反対は憎しみではなく、無関心。

マザー・テレサか。

クリスタ「私、分からないなあ。無関心でいられるより、憎まれる方がずっと悲しいと思う」

随分大きな独り言だと思ったが、文句を言うことなくそのまま手元のノートに目を落とし続けた。

クリスタ「……ねえ、アニ、聞いてる?」

すると横やりがまた入る。独り言ではなかったらしい。
面倒だったので「さあ」とだけ返すとクリスタはリスのように頬を膨らませた。
ぶりっ子みたいな仕草もクリスタがやると様になってしまうので腹が立つ。


クリスタがおしゃべりを始めれば、前の席のユミルも上半身をこちらに向けて喋りはじめる。
そうすれば斜め横のミーナも話に入ってくる。
なんとか教科書とノートを盾に、「私は話に入ってません」アピールをしたが無駄だった。


ユミル「分かってねーなークリスタ。憎しみってのは一応感情や印象が存在するんだぜ」

ユミル「でも無関心ってのはもう全くゼロ。感情も印象も全くなし。そこらにある石と同レベルに見られてるってわけだ」

ミーナ「そーそー。愛と憎しみは表裏一体って言われてるように、ただその二つはベクトルが違ってるだけなんだよね」

クリスタ「えー……でも、憎まれるくらいなら赤の他人って思われてる方がいいような」

ユミル「憎しみから一転愛に変わるっていうのもあんだよ」

ミーナ「よく使われるモチーフだと思うけどね。可愛さ余って憎さ100倍、憎さ余って可愛さ100倍」

クリスタ「そんなの聞いたことないけど……」

ミーナ「ねっ、アニ!そうだよね!」

アニ「……なんでそこで私に話を振る」

ミーナのにやにや笑いを貼り付けた顔に、嫌な予感がよぎった。
そしてそれは的中した。

ミーナ「なんかエレンと最近仲がいいみたいじゃん」

アニ「どこをどう見たらそうなる」

クリスタ「え~~!そうなの、アニ?」

ユミル「詳しく聞かせろよミーナ」

アニ「やめろ」


下らない。女子特有のこのノリが私は苦手だった。
勝手にやってくれる文にはいいが、私を出汁にして盛り上がるのはやめてほしいものだ。


アニ「さっさと自習プリント仕上げなよ。あとそこ、綴り間違ってるから」

クリスタ「ええっ どこどこ?」

ミーナ「なによー、アニは終わったの?別の教科の勉強してるみたいだけど」


こうして教室で授業時間内にこいつらが好き放題話せるのも、今が教師不在の自習時間だからである。
私は授業が始まる前に配られた状態のままの、白紙のプリントをつまみ上げた。

アニ「そもそもやってない」

クリスタ「え?なんで?」

アニ「提出もしないプリント仕上げても仕方ない」

ミーナ「いっけないんだー、ずるいんだー」


さっきからうるさいミーナに割と本気でイラついたので、プリントをさっと奪うと紙飛行機にして廊下に飛ばしてやった。
クリスタも私にプリントを取られまいと、黙って机に向かい始めたのは僥倖だった。


いけなくもないし、ずるくもない。
世の中、真面目に取り組む奴ほど損をするんだ。
これが私の処世術だというだけだ。


要領よく、評価に直結するところだけ努力する。他は適当に手を抜く。

馬鹿正直に全部真面目に取り組むような奴の気が知れない。

こうして生きた方が、圧倒的に楽なのに。

片親で、割と抜けてる父の元育ったせいか、冷めている性格だとは自覚している。

でももうこうして生きていくしかできない。この生き方しか選択できない。


きっとこれから私はこのまま要領と効率を重視して、
自分の手の届く範囲で一番いい高校に行って。
同じ様に大学にも行って。就職して。

……で、最後に死ぬ。こんな一生。

うーん 今更ながらにネタバレ注意


でも時々、そんな適当な人生でいいのかって思うときもある。
そんな作業みたいに生きてしまっていいのかって。

せっかく、『ただの人間』でいられる人生なのに。


……?

ただの人間って。


どうして私は今、そんな言葉を思い浮かべたんだろ。


* * *

何もない平地を、ずっと一人で駈けていた。
たまに針葉樹が点在するのが視界の隅で見えるだけの、果てしない草原。

長く垂れさがった前髪がうっとうしい。でも払うことはしなかった。
そんなことより、やらなければいけないことがある。

絶対に、成し遂げなければならないこと。
何故か私は服を着ていなかったが、それが「当たり前」だと感じていた。


ひゅんひゅんと、不愉快な音をたてて何かが眼下を飛び回っている。
蚊だろうか。蠅だろうか。

うっとうしい。私は右手を振りあげる。ブチっと何かがつぶれる音がした。
その虫の体液が手のひらを伝う感触。

なんだか違和感を感じて、手のひらをゆっくり開いた。

そこにあったのは、虫などではなく。

小さな、人間だった。


アニ「…………うっ……?」

じっとりと背中が汗ばんでいた。私は草原などではなく、自室のベッドに横たわっていた。
どうやら夢を見ていたようだ。なんて最悪な目覚め。

虫かと思ったら人間を潰していたなんて、夢占いでもしてみたらすごくおもしろそうな結果になりそう。
というか人間が宙を飛びまわれるわけない。
しかも裸で走り回る夢って、受験勉強でストレスでもため込みすぎてしまったのだろうか。

アニ「……最悪」

とりあえず登校の準備をしよう。
そう思って時間を確認した私は、もう一度、今度はより感情をこめて言った。

最悪だ。


時刻は8時55分。
完全な遅刻だった。


E 07
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エレン「最悪だ……!!」

寝坊した。清々しいほど寝坊した。
どうして起こしてくれなかったんだよ母さん!と母さんに詰め寄っても
何度も起こしたけど起きなかったあんたが悪いと一蹴されてしまった。

確かにその通りだ。

俺は今学校への道を全力で疾走している最中だ。
このままの速度で行けば……多分、1時間目にはギリギリセーフ……?

と思ったけど、時計を見たらもうすでに授業は始っていた。

エレン「くそっ!」

ギリギリアウトだった。
それでも速度を緩めずに、そのまま肉屋の角を曲がる。


エレン「わっ!?」

アニ「っ!」


キキー、とアニの乗っていた自転車のブレーキが軋む。


エレン「げ……!アニ」

アニ「飛びだしてこないでよ、轢かれたいの?」


遅刻しただけでも最悪なのに、朝からアニに出くわすとは今日の俺の運勢はどうなっていることやら。
しかもすっげえ怖い顔してる。すっげえ睨まれてる。
こいつもどうせ俺と同じ気持ちになっていることだろう。


エレン「お前も遅刻かよ」

アニ「……あんたも?」


全力疾走してきて汗だくな俺と違い、アニは呼吸ひとつ乱していない。
まるでいつも通り悠々と自転車をこいできたように見えた。


アニ「だってもう1限始まってるんだから、急いだって無駄でしょ」

とシレっと悪びれもせずアニは言った。


無駄って。
遅刻は遅刻であって、もうこの際いつ学校についても構わないということか。

やる気のない考えに、なんだそりゃ、と噛みつきそうになったが、
俺もこの朝とはいえ決して涼しいとは言えない気温の中走りぬけてきたので、もう体力の限界だった。

呼吸を整えながら歩けば、前を行くアニが振り返る。

アニ「ちょっと。ついてこないでよ」

エレン「行く方向が一緒なんだから仕方ねーだろ」

アニ「……」

エレン「そんなに嫌なら急いで漕いでけばいいじゃねえか」

アニ「なんで私があんたのために急いで行かなきゃいけないわけ」

エレン「……あ?」

アニ「……は?」


どうしたらここまで人の神経を逆なでする言い方をできるのだろう。
入学当時のジャンより心が嫌な奴だな。
ジャンは馬鹿な分まだかわいいが、アニは全く隙がないのでそこもおもしろくない。

エレン「……お前なぁ!アニ!!やっぱり今度勝負しよう。俺がお前に負けっぱなしなんて許容できない」

エレン「つっても喧嘩はまたアルミンとミカサに怒られるから……なんかのスポーツで勝負だ!!種目はお前に選ばせてやるよ」

アニ「はぁ?お断りだよ」

本当に脳みそつまってんの?とても言いたげな表情でアニが首を振る。

アニ「なんで、この暑い中、よりにもよってあんたと。大体結果は見えてるし」

エレン「んだと!?」

アニ「無駄なことはしない主義なんだ」


どこまで腹が立つ奴なんだこいつ。
絶対友だち少ないだろ、と言えば図星だったのか、少しだけギクリとした。
僅かに心が晴れたが、

アニ「諸刃の剣振りかざさないでよ」

と反撃され閉口する。これでも入学時よりは増えた方だ。


うるせえな、と言いかけたときだった。
後ろから悲鳴が上がった。

「ひったくり!そいつ、捕まえてっ……!」

アニも俺も振り返った。見ると妙齢の女性が地面に膝をついており、帽子を目深に被った男が走ってくるところだった。
男は逃走路に俺たちがいるのを見て、さっき俺が曲がってきた通路に進路を変えると脱兎のごとく走っていった。

ひったくり。初遭遇だ。


俺は頭を動かす前に、男を追って足を動かした。

アニ「……は!?あんたはここにいなよ、私が追いかけるから」

エレン「いやお前こそ邪魔すんなよ!」

何故か隣にはアニが並走してきている。
自転車は小回りが利かないと思ったのか、乗り捨てたようだ。
さっき聞こえた大きな音はその音だったのか。


エレン「すっ込んでろよ!」

アニ「あんたこそ弱いくせに出張るな」

エレン「俺はあの有害な獣をぶっ殺すんだよ!邪魔すんな!!」

アニ「ぶっ殺――あんた頭大丈夫?」


道を抜けて、狭い路地に男が入る。こんな道あったのか。
この道がどこに続いているのかは分からない。ここらへんで捕えなくては。

エレン「とにかく、危ないから女は着いてくるな!!」

アニ「はっ?」


アニが裏返った声を上げたのと同時に、俺は路地に置き去りにされていたバケツを男に投げつけた。
カコーン、と間抜けな音を響かせて、バケツが男の頭を包み込む。足元が見えなくなった奴はそのまますっ転んだ。


エレン「おっしゃ!」

男は足をもつれさせながら立ちあがる。
追ってきているのが中学生2人だと分かったのか、まず俺たちをなんとかする作戦に変更したらしい。
奇声を上げながら向かってくる。

体格はライナーとジャンの中間くらい、かなりがっしりしている。
俺は男の歩幅と手の動きを見ながら、じっと待ちかまえていた。


アニ「ちょっと、危ないって!」

エレン「お前はそこにいろ!」

拳をどこから、どの角度でぶちこむか考えている時に、アニの声を聞いたからだろうか。
始めてあいつに会った時、渡り廊下で転がされたことを思い出す。

腕を相手の首の後ろにかけて、前倒しにする勢いを利用して足を振り抜く。

――ドサッ!

エレン「……うお、できた……」


アニ「……その技」

アニは無表情に見えたが、よく見ると少し驚いた顔をしていた。
驚きつつも、しっかり倒れた男の鳩尾に踵を落として気絶させている。
恐ろしい奴だ。


エレン「……はっ、どうだ?俺もなかなかうまいだろ?お前にかけられた技を思い出したんだ」

アニ「まあ、全然なってないけどね」

エレン「そりゃあ初めてやったから完璧とは言えないかもしんないけど」


咄嗟にやったにしては、結構うまく決まったと自画自賛だ。
ひったくり犯も無事捕えられたし、なかなか上機嫌だった。

アニ「……さっき……」

エレン「え? なんだ、よく聞こえなかった」

アニ「さっき」

無表情でズバズバ言いたい放題言うアニが、珍しく口ごもっていた。

さっき、って、どの時だ。

なんだかうまく書き込めん 最近重いっすね
今日はここまでにしときます
読みづらい地の文読んでくれてる方ありがとう。読みやすいようにがんばります


アニ「……危ないから女はついてくるなって、なに。私より弱いくせに」

そう言ってアニはそっぽを向いた。


エレン「ああ、そういえばそんなこと言ったっけ。悪かったな」

アニ「……なにが?」

エレン「男並の強さを持つお前に、そんなこと言う必要なかったよな!」

さっきの技を自分で実戦してみて改めて思ったことだ。
アニは相当強い。俺が足技かけられた時は痛くて痛くて数分ほど立ちあがれない程だったが、
俺が転がした男は、アニが鳩尾踏んで気絶させなかったら立ちあがってきそうな気配だった。

一朝一夕じゃ身につかないの技術をアニはその体に宿しているのだ。
今まで本気でやれば俺だってこいつの蹴りに対応できると思っていたけど、少し自信がなくなってきた。


それと同時に、俺は今やアニに尊敬の念すら抱いていた。
自分より強い奴には簡単に憧れを感じる単純な奴だと自覚はしている。


エレン「お前が女だっていうのが信じられないくらいだ」

アニ「私もあんたのこと、誤解してたみたい」

エレン「ん?」

アニ「思ってたよりずっと――――頭が残念だね」


そんなに痛い目にあいたかったなら、素直にそう言ってくれればいいのに。
アニは両手を顔の前に掲げる、例のあの独特の構えを唐突に見せた。

いま褒めたんだけど……。どうしてこんな展開になった。俺はみっともなくうろたえた。
ようやく湿布に世話にならずに学園生活を送れるようになったのに。


エレン「な、なんで怒ってんだよ?」

答えの代わりに飛んできたのはアニの左足だった。


ミカサ「エレン、今日はどうして遅刻したの?アルミンも私も、とても心配していた」

アルミン「携帯に電話かけても全然でないし、何かあったの?」

マルコ「あれ。おはようエレン。社長出勤かい」


俺が学校に着いたのは昼休みも半分を過ぎた頃だった。
太陽が天球の真上で猛威を奮っているこの時間に数十分も歩いてきたので、俺のシャツは汗で大分湿っている。

あの後ようやくやってきた警察にひったくり犯を引き渡し。簡単な事情聴取もうけて。
カバンを取り返した女性が渡そうとする、金品の礼を必死に断って。
それからやっと解放されて、ここに辿りついたのだった。

アルミンが食べようとしていた卵焼きをヒョイと奪う。
この時間だともう学食は売り切れているだろう……。


マルコ「ええっ、じゃあひったくりを捕まえたの?すごいな」

エレン「まあ、あっちは体がでかかっただけだし」

ミカサ「アニとまた喧嘩したの、エレン」

エレン「してねえよ!」


ミカサが俺を責めるときにする、光を失った真っ黒な瞳がとても苦手だ。
嘘を言ったわけではないのに何故か俺が悪い気分にさせられる。

何故アニが怒ったのかは完全に理解不能だったけど、結果的に俺が負傷する事態は免れることができた。
どうやら本気で俺をぶちのめす気はなかったみたいだ。それでも恐ろしいスピードだったが。
俺が足をかわした直後に聞こえてきた舌うちは多分幻聴だろう。

多分。

マルコ「でもあのアニが、ひったくり犯をエレンと一緒に追おうとしてたことが、僕にはちょっと驚きかな」

エレン「それは俺も思った。あいつってなんか性格冷え切ってるし、見なかったふりしそうだよな」

マルコ「えっ、いや……僕はそこまで言うつもりなかったけど」

アルミン「アニは結構優しいと思うけどな。怒ると怖いけど。ね、ミカサ」

ミカサ「……うん。怒ると怖いけど」


さすが生徒会のアルミンとミカサは俺たちよりもアニのことを知ってるようだった。
……どんだけあいつは怒ると怖いんだ。アルミンはともかくミカサまでそんなこと言うなんて。


エレン「ふーん」

アルミンとミカサがそう言うのなら、そういう一面もあるのかもな。
マルコも頷いている。似たような友だちがいるからなんとなく分かるよ、と笑っていた。
あの馬面のことだろう。


なに考えてんだか全然分かんないし、すぐ人のこと蹴ろうとするし
口を開けば悪態ばっかついてて厭味な奴だけど
少しはいい奴なのかもしれないな。

俺はアルミンたちに分けてもらった昼飯に感謝を述べながら、
少しだけ、本当に少しだけ、あいつへの認識を改めたのだった。


A 08
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ベルトルト「あれ?エレンだ」

クリスタ「どこ?」

ベルトルトが窓の外を指さす。
教室から見下ろすことができる裏門から、エレンがとぼとぼと歩いてくるところだった。


ライナー「なんだ、あいつ。今日は随分遅い登校だな。もう昼休みだぞ」

アニ「ほんとにね」

ユミル「いや、お前も今日遅刻してきただろうが」


2限目があと20分ほどで終わるというところで、私は学校に辿りついた。
どうしたどうしたと珍しい私の遅刻をおもしろがって聞いてくる連中を徹底的に無視したので、
ひったくりのことやエレンに朝会ったことは誰にも話していない。

別に、言うほどのことでもないと思ったからだ。


アニ「どうせあいつのことだから、なにかしょうもない失態でもしたんじゃないの」

購買で買った焼きそばパンにもそもそとかぶりつく。
炭水化物に炭水化物をはさもうと最初に考えた人はすごい。

ミーナ「なんかアニ、今日機嫌悪い?」

ミーナが手のひらサイズの弁当箱を片手で持ち上げながら、私の顔色を窺った。
私の正面に座っているライナーの弁当箱を見てから、彼女の弁当箱を見るとサイズの比がすごい。
まるでリスとゴリラだ。……よく分からない比喩表現。


クリスタ「やっぱりなんかあったんじゃないの……?」

アニ「ない。ないったら、ない」

ライナー「ありそうな口ぶりだな」

アニ「だから、ない」


面倒な流れだ。
私から注意を逸らそうと、とにかく適当に食い付きがよさそうな話題を探して口にした。


この時期こいつらが盛り上がる話題なんて、そう考えなくても導き出せる。


ユミル「やっぱ海か?山か?それともライブとか行く?」

クリスタ「避暑地とか行きたいけど、中学生だけじゃ難しいかぁ」

ベルトルト「水族館なら電車ですぐ行けるし涼しげじゃないかな?」

ミーナ「それいい!水族館行きたい!」

ライナー「お前らなぁ、夏休みは受験勉強に文化祭の準備もあるんだぞ?遊ぶのもいいが……」

ユミル「うっわぁー、さすが副会長様は言うことが違いますねぇー」

クリスタ「そ、そうだよね。……でもちょっとくらいならいいんじゃないかな?」


もうすぐ、夏休みだ。


というわけで、暦をすっ飛ばして。
私たちはいま、夏季休暇を迎えている。

炎天下の中、教科書の詰まった重いカバンを持って歩かなくて済むだけでもありがたい。
エアコンのきいた涼しい自室で、部屋着のままで自堕落に過ごせるのも悪くない。


……かといって全く学校に行かない訳じゃない。
ライナーが言った通り、夏休み明けに文化祭があるので、その準備に時たま学校に足を運ぶのだ。

私たちのクラスは、クレープだかなんだかの食べ物を販売することに決まった。

次に文化祭の準備で学校に行くのは明後日だ。
今日は1日暇だったので、家事をしたり日用品を買いに行ったり勉強したりとそれなりにまったりと過ごした。やっぱり休暇というものはいい。

そして夕日が落ち始めた頃。早めに風呂に入って、夜にやる心霊特集でも見ようかと思っていた時だった。

「もしもし、アニ!?詳しいことは言えないんだけど、今すぐ学校に来てくれ!!僕らの身が危ないんだっ!!」

「昇降口で待ってるから、できるだけ急いでくれ、頼んだよ!!」


アニ「……アルミン、どういう」

着信音を響かせた携帯電話を手にとってみれば、聞こえてきたのは切迫したアルミンの声だった。
困惑して状況の説明を求めたのだが、「時間がないんだっ!じゃあ待ってるからね!」とそれだけ勢いよく言われて通話を切られた。

いや、なんなんだ。
僕らの身が危ないって、本当にどういう状況なんだ。
まさか不審者が学校に侵入してアルミンたちの身が危険にさらされているのだろうか。
最近物騒だし、可能性はゼロではない。

でもそんなの私が行ったところで戦力になると思っているのか。
私に電話する暇があるなら警察に電話しなよ。


アニ「お父さん、私ちょっと出かけてくるから」


そう思いつつも私は、既に星が輝きはじめている夜空の下を走っていくのだった。
勿論、行先はアルミンたちがいるという、学校である。


文化祭の準備といえど、こんな時間まで居残る生徒はいないのだろう。
闇夜に佇む休暇中の学校は、どこの教室も灯りはついておらず、
七不思議なんて馬鹿げた怪談があらゆる学校で流行るのも納得の不気味さだった。

一応駆け足で昇降口に向かえば、そこにいたのは
地球外生命体と武器で渡り合うアルミンたちの姿だった……なんてことはなく。

アルミン「あ、きた。やあアニ」

ミカサ「おそい」

ライナー「おー」

ベルトルト「やあ」

エレン「げ、アニか」


いつも通りのアルミンたちだった。


アルミン「わーーーっ 怒らないでアニ!ごめんね!すいません!だってあれくらい言わないと来てくれないだろうと思って!」

アニ「……」

私はよく短気だって言われるけど。
今は思う存分怒ってもいい場面じゃないかな。


アルミン「これには深い理由があるんだ!」

アニ「へえ……それはぜひ詳しくお聞かせ願いたいもんだね。ところでなんであんたもいるわけ」

エレン「それが俺にも分からん。アルミン、教えてくれよ」


夏休みに入ってから、幽霊がこの学校ででるらしいんだ。と、アルミンは至極真面目に言った。
私はその瞬間踵を返す。

アニ「お疲れ」

ベルトルト「待って!待ってアニ!別に肝試ししようっていうんじゃないんだ、ねっ!ライナー!!」

ライナー「そうだ!文化祭の準備に来てる生徒がこのままでは怖くて落ち着いて作業ができないって、俺たちに頼みこんできたんだ!」

ミカサ「本当に幽霊なのか、確かめてほしい、と」

アルミン「で、本当に幽霊だったら除霊してほしい、って」


除霊なんかできる奴がそうそういてたまるか。
生徒会はなんでも屋と勘違いされているのかもしれない。

アルミン「まあ、言われたからには確かめないとね。今のところ目撃情報があるのは、体育館と2階のトイレ付近と第3資料室」

アニ「いや勝手にあんたらでやってよ」

アルミン「2人1組で3か所一気に回った方が、時間も短縮できていいかなと思ってさ」

アルミン「はい、というわけで組み分けしよう。くじ作ってきたから、さっそくみんな引いてくれるかい」

エレン「俺生徒会じゃないから帰っていいか……」

ライナー「奇数だと一人かわいそうじゃねえか。俺らを助けると思って、頼むよエレン」

エレン「ええ……じゃあ、まあ、うん……」


本当にそんなアホくさいことやるのか……。
どうせ何かの見間違いに決まってるのに、なんで私たちがそんなわざわざ……。
でもくじまでわざわざ前もって作ってくるくらいの用意周到さを見るに、この場から逃走できる確率は非常に低い。
こいつらが本気になって協力すれば私一人すぐに捉えられるからだ。



「科学的に証明されたら幽霊も信じるよ!」

「いてもいなくてもどっちでもいい……立ちはだかるなら潰すだけ」


体育館組のアルミンとミカサ。


「本当にいるなら一度会ってみてぇもんだな」

「そ、そんなこと言うと本当にでてくるかもしれないから止めようライナー」


2階のトイレ付近組のライナーとベルトルト。


そして、

アニ「……なんであんたと」

エレン「なんだよ、不満かよ!俺だって嫌だっつーの!」


……やっぱり帰ろうかな。


ミカサ「待って、エレンとアニのコンビには不安が隠しきれない」

ミカサ「エレンは昔肝試しで泣きじゃくってたし、アニもお化け怖がってる」

エレン「おい何年前の話してんだよっ!!」

アニ「私はこいつと違って、そんなもん怖がってない……わっ、ちょっと」


ミカサがいきなり私の首に手を添えてきたので、一瞬絞殺されるのかと思った。
身を固くすると、「……脈が速いもの」と呟いた。……脈を測っていたようだ。
まぎらわしいことこの上ない。

ので、とミカサは前置きして、地面に適当な棒で新たな組み分けを書きはじめた。



体育館 アルミン・ミカサ・エレン・アニ
トイレ ライナー・ベルトルト
資料室 ライナー・ベルトルト


ライナー「おかしくないか?」

ミカサ「どこが?」

アニ「ミカサ、名案だね。これでいいと思う」

エレン「理想的だな」

アルミン「あ……じゃあ、これでお願いしてもいいかな?」

ライナー「待てよ!!おかしいだろ!!何かが明らかにおかしいだろ!!」


分かった、じゃあ、とミカサは再び棒を手にとった。


体育館 アルミン・ミカサ・エレン・アニ
トイレ ライナー
資料室 ベルトルト


ベルトルト「さらにおかしくなっちゃってるじゃないかぁぁぁ―――!!」

ライナー「お前らふざけんなよ!?」


ライナーとベルトルトが猛反対してきたので、ミカサの案は結局流れた。
それから、またしても用意のいいアルミンに懐中電灯を手渡されて
私とエレンは真っ暗な校舎を第3資料室に向かって歩きはじめたのだった。


アニ「なんであんたと……」

エレン「しょうがねえだろ、くじ引きなんだから」


非常出口の緑色した光が、ぼんやりと通路を照らしている。
2人分の足音がやけに反響して、知らず知らずのうちに忍び足になる。
懐中電灯の明かりが周囲を照らすというよりは、夜の闇が明かりを食らっていると言った方が正しい。

月がでている夜だということだけが幸いだった。


エレン「なんだ、アニ。怖いのか?」

窓のある廊下を歩いている時に、エレンがそんなことを言い出した。
声色からなんとなく察したが、横を見ると月明かりに照らされてこいつがにやにや笑っているのが見えた。


アニ「幽霊の前にあんたを退治してやろうか」

エレン「こんな暗がりでできんのかよ……うわっ!懐中電灯こっちに向けんなっ」


大体なんでよりによって、こいつと一緒の組なんだ。
5分の一の確立でこいつとペアになってしまった自分の運のなさが恨めしい。

こうなればさっさとやることをやってしまってから帰路につくしかない。
第3資料室は、この階段を上って3階の端にある。昼時でもめったに生徒のよりつかない場所だ。


エレン「なんだっけ、生首?」

アニ「らしいけど、どうせ何かと見間違えたんでしょ」


生首を見たっていう生徒も、とっぷり日が暮れたころにそれに遭遇したって言ってたし。


アニ「さっさと資料室に行くよ」


階段を上って、3階の廊下に辿りついた。
それまで足元を照らしていた懐中電灯を、何の気なしに通路のつきあたりに向ける。
細い光が長い長い廊下を通っていく。

なにも、視界に入るはずはなかった。私たち以外、誰も3階にはいないのだから。

なかったのだけど。


アニ「…………」

エレン「…………」

アニ「…………なんか、いま、動いた?」

エレン「…………たぶん、鼠だろ」

アニ「私の身長くらいある鼠がどこの世界にいる」

エレン「お前チビだから大丈夫だ!」

アニ「なにが?」


私たちは歩みを止めざるを得なかった。
明かりに照らされて、何かが――何かの影が、動いたのを見たからだ。

そして、私が見る限りではそれは、人の頭のように見えた。
ちょうど私の頭の位置くらいでソレは浮かんでいて、明かりから逃げるように動いた。

3階に至る階段は二つある。
ひとつはいま私たちが立っているところに、もうひとつは資料室の横にあって……
その生首もどきは、あちら側の階段に消えていったようだ。


エレン「見間違いだろ、生首なんているわけない」

アニ「……あんたも首に見えたんだ」

エレン「……まあ、首っぽいところがなくもないように思える」

アニ「……ビビってんの?」

エレン「お前こそ……」


会話をやめると、途端に校舎は静寂に包みこまれる。
アルミンたちとライナーたちは本当にまだ校舎にいるのだろうか。もうすでに確認を終えて、帰ってしまったのではないだろうか。
静まり返った廊下が私にそんな疑念を抱かせる。


エレン「と、とにかく追いかけようぜ。階段を下りてったみたいだぞ!」

アニ「……そうだね」

今日見ようとしていた心霊番組のことを思い出す。
直に遭遇したいなんてこと、これっぽっちも考えていなかったのに。


アニ「……あんたが前歩いてよ」

エレン「はっ? アニが歩けよ」

アニ「か弱い女の子を庇おうって気持ちはないの?」

エレン「か弱い女の子って……そりゃひょっとしてお前のことか」

アニ「私しかいないでしょ、喧嘩売ってんの」

エレン「全然か弱くないだろ!レオンハートだろ!?獅子の心だろ!?おい押すな!」

アニ「あんただって狩人でしょ!とっとと幽霊狩ってきてよ」

エレン「お前こそ獲物を屠ってこいよ!」


いっそ不審者であってくれた方が対処できて有り難い。
生首に蹴りって通じるのだろうか。

一歩一歩踏みしめるようにして資料室の前まで進んだ。
誰も、いない。

思わずため息がもれた。

もつれ合うようにしながら階段を降りる。
2階に辿りつくと、壁に身を隠した。もし幽霊がいるとしたら、さっきみたいに逃げられないようにするためだ。


エレン「いいか……せーので廊下を見るぞ。また幽霊がいたら、すかさず捕まえるんだ」

アニ「……一人で逃げ出るんじゃないよ」

エレン「お前は本当に俺のこと嫌いだな! チッ……せーのっ」


揃って壁から身を乗り出した。

彼岸と此岸の間をさ迷うように、ゆらゆらと首が4つ漂っていた。
明かりもないのに不思議とはっきり見える。
暗闇に生首が浮かび上がったその光景は非現実的で幻想的で、形容しがたい悪寒が背筋を駆けのぼる。

エレン「うおわああああああああああああ!!!」

アニ「逃げるよ」

エレン「決断はやっ ぐええぇ!おいシャツ離せ馬鹿!!」

疲れたからここまでにします

レスありがとうございます
ところで設定についてですけど、
このSSのミカサはエレンに命救われてないので原作より執着度薄めです重度のブラコン程度。
細かすぎるかもしれないけど一応注意書き

ほかにも、ここどうなの?とか聞きたいことあったらお気軽にどうぞ

エレンの首根っこを掴んで階段を降りようとする。
あんなの2人で退治しようがないし、エクソシストにでも頼むしかない。とにかくアルミンたちに合流しなければ。

アニ「……あっ」

エレン「おい!?早く逃げようぜ!」

カシャン、と何かが床に叩きつけられた音がした。
ポケットから携帯電話が滑り落ちてしまったみたいだけど、この暗がりでどこに飛んでいったか視認することができない。

アニ「携帯落とした……先に行ってて」

エレン「は!?携帯なんて明日とりにくりゃいいだろ!」

アニ「でも、」

エレン「生首近寄ってくるぞっ!早くしろ!」


ぎょっとして視線を合わせれば、首が確かに揺らぎながらこちらに近づいてきていた。
そんなに距離も離れていない。このままでは……


しかし何故か体が硬直して動けない。
エレンも私も、息を呑んだ。夏の夜なのに、この腕にたつ鳥肌はどういうことなのだろう。

首は、ゆっくり近づいて。
やがてどんな顔をしているかも分かるほどの距離に近づいて。

エレン「……!?」

短い黒髪と、やくざみたいな三白眼。
まるでうちの学校のあの教師みたいな―――って、まさか。





ペトラ「えっ!?エレンとアニちゃん!?」

オルオ「お前ら……夜の学校でなにしてやがんだ……」

エルド「あ、あれ?」

グンタ「なんでお前ら……」


エレン「え…!?先生たち…… え!?」

アニ「………………そのTシャツ、なんですか」


暗闇から姿を現したのは、生首などではなくこの学校の教師たちだった。
では私たちが一体なにを見て幽霊だと思ったのか。

一度深呼吸して脳内をクールダウンさせれば、あまりの馬鹿馬鹿しさにため息がでそうになる。
こんなものに一瞬……いや一刹那でも恐怖を抱いてしまった自分が情けない。

生首だと思ったもの――それは彼らが着てるお揃いの黒のTシャツにプリントされている、リヴァイ先生の顔だった。


オルオ「お前らもほしいか?いいだろう、これ」

エルド「文化祭のクラスTシャツって作るだろ?俺たちも作ってみたんだ」

グンタ「世界で一つしかない、リヴァイさんの特製Tシャツだぜ」

ペトラ「ほしいなら2人の分も発注するけど?」

エレン「割と本気で言いますけど――あんたら何してるんですか」


しかもご丁寧に暗闇で光るように、発行性の塗料を使っているようだった。
だからさっきは4人の姿が見える前に首だけ4つ浮いていると思ったのだろう。

生徒会に寄せられた幽霊の正体は、この人たちと見て間違いない。


エレン「先生たち、一体夜の学校でなにしてたんですか」

ペトラ「エレンたちこそ、危ないでしょ?なにしてたの」

エレン「俺たちは幽霊騒ぎの原因を確かめるために動いてたんです」

エルド「お?それなら俺たちも一緒だ」

オルオ「最近リヴァイさんが夜に人工模型が動いてるのを見たっておっしゃっててな…」

オルオ「俺たちが内緒でその謎を解明しようと思って、な……」

グンタ「夜に学校に忍びこんでる不審者かもしれんしな」


不審者はどっちだ…… 自分たちもまた噂になっていることを知っているのだろうか。
しかし、その動く人工模型とやらも気になる。幽霊の正体が判明したと思ったら今度は七不思議か。

それにしてもベタである。

オルオ「やっと不審者の尻尾を掴んだと思ったら……ガキどもはもう寝る時間だ、帰れ帰れ」

ペトラ「今日も見付けられなかったね。私たちも帰ろっかぁ」

エルド「ほら、お前ら送ってってやるから帰るぞ。リヴァイさんに俺らのことチクるなよ」

エレン「……あ、俺たち以外にほかにもいるんです。連絡とってみますね……」


完全に白けたムードになって、帰る準備を始める私たち。
まあとりあえず、生首の正体だけは分かったのだから御の字だ。
その人工模型はこの先生方にまかせればいい。私たちはお役御免というわけだ。

こうして拍子抜けするような結末で事は締めくくられた。ように思えた。


―――不穏な気配を感じて私は振り返った。誰かが、廊下の先から歩いてくる。
それにしては足音がおかしい。
まるでプラスチックか何かでできた物体が歩くような、ガタガタとやかましい音だ。
人間が歩いてだせる足音ではない。


アニ「…………ね、ねえ。あのさ……」

うわぁーーー
素で間違えてた 人体模型ですね
ごめんなさいてへぺろ


E 09
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ペトラ「今日も成果なしね。でも次こそっ!絶対に捕まえてみせるんだから!」

オルオ「気合だけは十分だな、ペトラよ」

グンタ「お前ら、ずっと昔に某大型遊園地のお化け屋敷に初めて入ったとき漏ら、」

ペトラ「ギャアーーーーッ 黙れグンタ!!」

エレン「……アルミンに繋がらないな。ミカサに電話してみるか……」


携帯の電波は良好なのだが、何故か繋がりが悪い。
不思議に思いながらミカサの番号を探してる最中に、右手の袖をクイと引っ張られた。

エレン「なんだよ、アニ」

なんだかアニの様子がおかしい。
何かを伝えたいようだが、言葉が見つからないようだ。最後に、アニは人差し指を廊下の先に向けた。

自然にそちらに目が引き寄せられる。
俺の目がぎこちない動きで歩いてくる人体模型を捉えたと同時に、叫び声が鼓膜を揺らした。

エレン「わーーーーーーーーっ!?」

俺の叫びだった。

ペトラ「え?どうしたのエレっきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」

オルオ「おいおいなんだペトラうるせっがああああああああああああああああああ!!!」

エルド「ちょっなに、ぐはぁっ!!」

グンタ「べぶらッ!?」

エレン「せ、先生ーー!!あんたら本当なんなんですか先生ーー!!」


リヴァイ先生の顔が盛大にプリントされているお揃いのTシャツを着た4人が、一斉に地に臥した。

人体模型に驚いたペトラ先生がひっくり返って、頭を打って気絶。
ペトラ先生が倒れる時に上げた右足がオルオ先生の股間にヒットして、彼も気絶。
オルオ先生が痛みに悶えた左手がエルド先生の鳩尾に命中して彼も気絶。
エルド先生が倒れた時にグンタ先生の後頭部にぶつかって、彼も気絶。

こうして全滅した。リヴァイ班は全滅した。

アニ「えっ」

エレン「あーーーーもーーーーー」


その間にも人体模型はガッタガッタとやかましく関節を鳴らしながらこちらに近づいてきている。
俺はアニの手を引っ張って駆けだした。


エレン「ハァ、ハァッ……!なんなんだよ一体!」

アニ「ちょっ……ねえ」

エレン「あぁ!?」

アニ「離して。携帯落としたままだから、取りにいかないと……」


階段を必死で駈け下りて、ちょうど一階に辿りついたところだった。

俺はアニの正気を疑いながら振り返る。
携帯なんかに拘泥している場合じゃないと分からない程混乱しているのか。

エレン「だから、明日とりにくればいいだろ!?とにかく今は……」

アニ「でも大事なものなんだ。もしあのお化け……じゃない、不審者に持ってかれたら」

エレン「はあ……?」


乾いた音とともに手が振り払われた。
「あんたは先に皆と合流してて。後で行くから」と言うが早いがアニは再び階段を上ろうとする。

俺は苛立ちや呆れを通り越して、むしろ関心すらしていた。
大事なものを危険を冒して取りに行こうというのは百歩譲ってまあ分かる。
が、なんでそこで「一緒に来てほしい」と言いださないんだ。

一人でまた3階に戻ることが全く怖くないって訳じゃないだろうに。
どんだけ不器用で意地っ張りなんだこいつ。


エレン「……待てって」

俺は咄嗟にアニの手を再び掴んだ。

エレン「俺が取りにいくから、お前はここに隠れてろ」

アニ「は?なに言ってんの」

エレン「いいからここにいろ!分かったな。あ、あとアルミン組かライナー組、どっちでもいいから連絡しといてくれ。じゃあな」

アルミン「エレンとアニ遅いね?電話もつながらないし」

ライナー「様子を見てこようか、何かあったのかもしれんしな」

ベルトルト「あ、待って。戻ってきたみたいだよ」

ミカサ「4人いるように見えるんだけど……」

アルミン「エレンとアニと……ハンジ先生?と……人体模型!?なんで!?」


エレン「おー、お前ら。なんか……久しぶり……」

ハンジ「やあみんな……ゲホッ、ゴホッ」

アニ「……」


昇降口に到着するとアルミンたちが待っていた。
うろたえる皆に事の次第をげっそりしながら伝えた。

死亡フラグを立てながら3階に向かった俺を待ちうけていたのは、言わずもがな人体模型だった。
もうこうなりゃ倒してやろうとやけくそで拳を振りかぶると、焦ったハンジ先生の声が聞こえたのだ。
人体模型は七不思議的な力で動いていたのではなく、ハンジ先生が支えていたというわけだ。


アルミン「え、ええー。なんでハンジ先生が人体模型もって夜の学校を徘徊してたんですか」

ハンジ「ゲホッ、いやあー、夏休みの間だけでも私の研究室にこれもってきたくて」

ライナー「……これをですか?」

ハンジ「うん、これを」


先生の声は涸れていて、喋るのも少しつらそうだ。
どうやら昨日飲み会でやらかしたらしく、今日も俺たちに遭遇しても声をかけることができなかったと言っていた。

うーん、ものすごい驚いて、力の限り叫んでしまった数十分前の自分が情けない。
総気絶したペトラさんたちも相当だが。


ハンジ「あっはは、本当にごめんね、お騒がせして」

アルミン「結局、幽霊はいなかったってことですね。よかったよかった」

よかったな。本当に。
ということで、これで俺らの学校の幽霊騒動は、本当の本当に幕を閉じたのだった。

そう言えば、人体模型の正体に混乱してて、拾ったアニの携帯電話を本人に返していなかった。
俺と同じく、辟易して疲れきっている(ように、見える)アニに携帯を手渡す。

エレン「ほら、これ。どこも壊れてねぇみたいだぞ。よかったな」

アニ「あ……」

しばしいじった後、本当に壊れてないのを確認できたのか、アニは安堵したようだった。
こいつも一応人間らしい表情するんだな。いつも怒ってるみたいな顔をしているから意外だ。

校舎で恐らく今も気絶している4人の先生は、ハンジさんが人体模型片づけるついでに起こしてくると言ってくれたので、
俺たちはその言葉に甘えてそのまま帰宅することにした。

喉元過ぎればなにもかも笑い話になる。今日のことをアルミンたちに詳しく話してやろうと
声を発しようとした時、隣からぼそっと何かが聞こえた。

アニ「……う」

エレン「え、なんか言った?」

アニ「……ありがとうって言った」

エレン「お前、今、礼を言ったのか!?」

あのアニが!あの、アニが、礼を言っただと。俺に。


アニ「私が素直に礼を言ったら、悪い?」

エレン「ああ、いやすまん。なんか意外で。お前、俺のこと嫌いだしさ」


出会いがお互いに最悪だったし、馬が合わない奴だと思っていた。
アニも俺も、会うたびにお互い顔をしかめあっていた犬と猿みたいな関係だったし、
こいつがそんな嫌いな相手に「ありがとう」なんて言うなんて……感無量というか。


アニ「私のこと、嫌いなのはあんたでしょ。……礼も言えないくらい失礼な奴だって思われてたみたいだしね」

エレン「いや、そりゃアニの方だろうが。……つーか揚げ足とんな。言葉の綾だ」

アニ「あんた」

エレン「お前」

アニ「……あ、ん、た、で、しょ」

エレン「しつけーーな!お前だろっ!」


ミカサ「二人とも、なによくわからない言いあいをしてるの」


A 10
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あれから数日後。
私はまた学校にいた。

この間と違うのは、今が月の代わりに太陽が主導権を握っている時間帯だということだ。


ミーナ「アニ、ここピンクに塗ってもらっていい?」

アニ「はいはい」


クラスには10人程度の生徒が制服ではなくTシャツやジャージを着て作業していた。
文化祭の準備中である。
当日のクレープの材料をどこに発注するか決めたり、教室の内装をどうするか考えたり、メニューを編み出したり。
やることは結構たくさんあって、文化祭実行委員はてんてこ舞いのようだった。


ミーナ「大変だけど、こういうのって準備してる時が一番楽しいよねっ」

当の文化祭実行委員がそういうのだから、そういうものなんだろう。

「ベルトルト、このカーテンあそこにかけてみてくれない?届かなくって」
「これくそ重い!ライナー手伝ってくれぇ!!」

力持ちのライナーとベルトルトも、色んなところに刈りだされて忙しそうだ。

刈りだされる→駆り出される


私とミーナは看板作りの担当だ。
畳みくらいの大きさのベニヤ板に、二人でどんどん色をつけていった。


ミーナ「あっ……赤のペンキがなくなりそうだよ。どうしよ」

アニ「……使うのはあとほんの少しだから、買いに行くのももったいないね」

ライナー「隣のクラスに少しもらってくればいいんじゃないか。あっちも今看板作ってたぞ」


それなら少し拝借しよう。
私たちは隣のクラスに押し掛けることにした。

そういえば隣のクラスは何を出し物にするのか、まだ知らなかった。
まあ文化祭の出し物なんてお化け屋敷か食べ物だと相場は決まっているから大体予想はつく。

ミーナ「あれ、アニ。知らないの?このクラスはね、」


アニ「なんとなく予測できるからいいよ」


ミーナの話を聞き流しながら教室のドアを開ける。
開けて、目を疑った。
教室のドアを開けると、そこは別世界だった。悪い意味で。

やけに桃色基調の内装と―――

エレン「うわーー!?ア、アニっ!?」

アルミン「あああああああぁぁ……なんてタイミングで……」

ジャン「俺文化祭休みたい……こんなの着て人前に出たくねえ……」

コニー「絶望しかねえ……これ誰が得すんの?」

サシャ「かわいいと思いますよ、みなさん」


そして、最も驚愕させられたのは―――いや、もう表現できないほど、なんか、あれだ。


ミーナ「……あー、あのね、このクラスはね、女装メイド喫茶やるんだってさ」

こういうときはなんて言ったらいいのか本当に分からない……。


E 11
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最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。
なんで俺がこんな格好をしなければいけないんだ。


ミカサ「大丈夫……エレンもアルミンも、よく似合ってる……」

「「嬉しくない」」俺とアルミンの声が重なった。

全身どこもかしこもフリルとリボンに包まれて、大分死にたい気持ちになってくる。
自分がそんな気持ち悪い格好しているだけでも死にたいのに、
周りの男子の気色悪い姿からも精神的にダメージを与えられるので困る。

コニーのミニスカートから度々覗く灰いろのトランクスとか
ジャンの腋毛とかすね毛とか……いや俺もだけどさ……
ここがこの世の地獄か。


サシャ「うん、採寸はみんな合ってるみたいですね!」

ミカサ「当日までにみんな体毛は剃ってくるように……」

ジャン「まじで」


エレン「もう脱いでいいか」

さっきから教室の鏡がおぞましくて見れない上に、股がスースーして落ち着かない。
許可が出ると俺もアルミンも心底ほっとした。
今こそ早着替えの技術を披露する時だとボタンに手をかけた。

―――ガラッ

アニ「……」

ミーナ「わー、メイドさんがいっぱいいるね」


由々しき事態だ。
アニの眼が、まるでどぶ川にいるボウフラでも見るかのように冷え切っている。
食物連鎖のピラミッドの最下層に叩きつけられた気分だ。


女装した男子全員がその威圧感に耐えきれず、教室に「死にたい……」「消えたい……」という声が木霊した。
俺も例外ではない。

しかし地獄はまだ始まってすらいなかった。
女子の無慈悲な提案が俺たちに襲いかかる。


「予行練習しとこうよ!アニとミーナをお客さんだと思ってさ」

「はい、じゃあまず『おかえりなさいませ、ご主人さま』ってかわいらしく言ってみてね」


ジャン「あぁ!?」

エレン「お前ら無責任なこと言いやがってよぉ!いいよな女子は!普通の格好だもんな!」

アルミン「ミカサのイケメン具合が異常だよ」

サシャ「じゃあ元気なエレンから行ってみましょー!」

ミカサ「エレン、頑張って……。大丈夫、エレンなら出来る。本番で緊張するより、今慣れた方がいい」


なんだこの流れは。まずい、生贄にされてしまう。

コニー「そ、そうだな!まずはエレンに手本を見せてもらおうぜ!頑張れよエレンッ!」

ジャン「俺たちは先に着替えてるから。エレン、お前ならできるって信じてるぜ俺ぁ」

エレン「おい!!ふざけんなよお前ら!!俺を見捨てんのか!!?」

アルミン「エレン……。君のことは忘れないよ。僕の胸の中でずっと生き続けるんだ……」


勝手にアルミンの心の中だけの存在にされてしまった……。
そしていつのまにかスケープゴートに仕立て上げられてしまった……。
友情って意外と儚いものなんだな。一つ賢くなった気分だ。


アニ「……ねえ、私たちはただペンキをちょっともらいたいだけなんだけど」


ミカサ「エレン、ファイト」

ジャン「エレン、やるからには全力だよなぁ?」

エレン「黙れアホ」


……いいだろう。ジャンのなめきった面を見たら俺の中の何かが振りきれた。
やってやろうじゃねーかよ……女顔だ女顔だと言われ続けた俺の真骨頂見せてやるよ……

俺は扉付近に立ちつくすアニとミーナに近寄った。
勿論歩き方も、いつものように大股でズカズカ進むのではなく、女子のように小股でつま先も外側に向きすぎないよう気を付けて、だ。

ミーナが既に笑いそうになっている。アニは直視に耐えきれなかったのか、僅かに目を逸らしていた。


アニ「目が腐るから、それ以上近寄らないで」


心に突き刺さるそんな言葉にも、俺はめげない。
今だけは俺は15歳の男子中学生ではない―――主人を玄関先で迎える一介のメイドなんだ。


両手の拳をあごの下に添えて、片膝を曲げてつま先をトンと下ろす。
最後に首をかしげながら渾身の裏声で俺は言った。

エレン「お帰りなさいませ!アニお嬢様、ミーナお嬢様!!」

我ながら体を張っている。
猪突猛進、全力投球が俺の売りだ。
なんだか……何か大事なものを、お金では変えない大切な何かを失った、そんな気がしなくもない。


「ぐっ」変な音がアニの口から洩れた。
怪訝に感じてミーナと俺が見つめると、完膚なきまでに無表情。
無表情なのだが、唇が何故か戦慄いている。

もしかして不愉快なものを強制的に見せつけられたせいで怒っているのだろうか。
気持ちは分からなくない。むしろすごい分かる。
俺がもしただペンキを借りにきたクラスで、目の前でこんな汚いものを見せられたらドン引きする自信がある。


アニ「……あんた……馬鹿じゃないの?」

いや、こいつは怒っているんじゃない。
唇だけではなく、肩も声も微妙に震えている。
こいつ、笑いをこらえてやがる。

エレン「笑いたきゃ笑えよ……いっそ笑ってくれた方が救われるって」

既に背後ではジャンとコニーとサシャを筆頭に大爆笑が沸き起こっていた。
ミーナは涙目になりながらひーひー言っている。
それでもアニが頑なにそっぽを向いて反応しないので、俺はこいつの視界に入るように移動してみる。


アニ「……っく………っ、やめてよ。馬鹿じゃないの……?」

エレン「ハッ、俺の勝ちだな」

アニ「勝負なんてしてないし……。だめだ、お腹痛くなってきた……なんなのあんた……っ」


最後にはミーナと支え合いながら声を出さずに笑い始めた。
俺は勝ち誇った気持ちになると同時に強烈な虚無感に襲われる。
なにやってんだろうな、俺。


A 12
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アニ「これ、見て」

胡坐をかいて漫画雑誌を見ていたライナーと、料理本を読んでいたベルトルトの目前に携帯の画面を突きだした。

ライナー「ん?なん―――ブフォッ!」

ベルトルト「ゴヴァッ!」

アニ「ちょっと!汚いな……絨毯変えたばっかりなんだけど」

ライナー「わ、悪い。この写真、エレンか?」

ベルトルト「ず、随分……なんていうか……可愛らしいね、ぶふっ」


この間無理やり撮ったエレンの女装姿はかなり破壊力抜群だったみたいだ。
ライナーもベルトルトも本を放り出してゲラゲラ笑っている。
表情筋が死んでるんじゃないかと父に心配までされる私でさえ耐えきれなかったのだから当たり前か。

それにしても何度見ても笑える。
二人がほしいと言うので写真の転送操作をしながら、思い出し笑いに耐えた。


データフォルダをスクロールしていく。
エレンの女装姿がまず一番上にある。
それから眠りこけるミーナのアホ面、クリスタとユミルの渾身の決め顔、
去年の体育祭、文化祭、修学旅行、どんどん時を遡れば今より大分幼いライナーとベルトルトの写真もある。

それから一番下の写真には、小さい頃の私と、若い父と母が眩しい笑顔をこちらに向けていた。


ベルトルト「その携帯、もともとはお父さんのなんだっけ?」

ライナー「結構古いよなぁ」

アニ「まあね」


機能も少ないし、ボディもところどころ傷がついている。
それでもこの携帯には色々な思い出が詰まっていて、私にとっては大事なものなのだ。
せめて壊れるまでは大切に使ってやりたいと思っている。

ライナー「なあアニ」

アニ「ん……って、その写真、見せるのやめてよ。……ねえ、ほんとにやめてってば……っ」

ベルトルト「やめろよライナー!せっかくおさまりかけてたのに、また再発しちゃうだろ!っはははは……」

絶対文化祭の日には、あいつがいる時間帯を見計らって女装喫茶を冷やかしに行こう。
そう私は震える肩を押さえながら心に誓ったのだった。

全然話がすすまNEEEE
今日は以上です

喫茶店のときエレンのクラスの女性陣の服装は制服?

>>145
女性陣は白シャツに黒パンツとかのシンプルな男装姿のイメージ
ミカサとサシャは男装が映えそうですね

スレ消えてあせったけど戻ってよかった……
じゃぼちぼち続きを



* * *

降り注ぐ日差しに照らされたグラウンドを、ボールの影が縦横無尽に飛び交っている。
右コートにライナー、左コートにベルトルト。
さすがに二人とも運動神経がいいのでラリーが続く続く。
私はデカブツ2人がラケットを振りかぶりながら走り回るのを、樹の根元で涼みながら眺めていた。


ライナー「アニ、お前もやろうぜ」

アニ「無理。暑い。無理」


「えー、楽しいのに」ベルトルトが肩でこめかみの汗を拭いながら笑った。
よくこんなに暑い中テニスなんてできるな、と思う。

今日の分の文化祭の準備が思いのほか早く終わった後、暇だしちょっと遊んでこうぜと案を出したのはライナーだった。
部活も引退した今年の夏、運動部に所属していた二人は何か物足りないものを感じていたのかもしれない。
水を得た魚のようにボールを追っていた。
テニスなんかするの初めてなくせになかなか様になっている。



エレン「お……?なにやってんだ、お前ら」

アルミン「テニスかい?この暑いのによくやるなぁ」

ミカサ「ライナーとベルトルトなら仕方ない」


聞きなれた声に振り向くと、エレンが手に持った団扇を振り回している。
女装喫茶をやるエレンたちのクラスも今日は準備が予想よりスムーズに終わったのだろう。
ふと脳裏にまた男子たちのむっさいメイド姿を浮かべてしまい、唇をぎゅっとかみしめる。
あれは当分忘れられないインパクトを持っていた。

ライナー「仕方ないってなんだ、仕方ないって。どういうことだオイ」

ベルトルト「アルミンたち、もう帰りかい?」

アルミン「うん。あー、君たち見てるだけでもう暑いよ。ふう」

確か今日は予想最高気温が38度を超えるとかなんとか、そういえば朝の天気予報で見た気がする。
アルミンは大分参っている様子を見かねてミカサがタオルで風を送ってやっていた。

エレン「俺も入れてくれよ!」

アルミン「えぇー!?やるの!?熱中症になっちゃうよ!」


エレン「アニ!勝負だっ!」

アニ「はぁ……?」


そういやこいつ、前にスポーツで対決しろだかなんだかと言ってきたことあったっけ。
よっぽど初対面で私に蹴られたのが悔しかったと見える。

しかし生憎と、私にこの炎天下の中元気にテニスなんかできる気力などないのだった。
普通に汗まみれになりたくないし、日に焼けたくもないし。
デメリットしかないことを何故あえてやらなくてはいけないんだ。

NOの意志を込めて、胸の前に両手で大きなバッテンを作る。
頼むからそこの筋肉馬鹿二人のどちらかと勝負してくれ。


エレン「俺が負けたらアイス奢ってやるよ」

アニ「……」


私はすっくと立ち上がって、前言を光の速さで取り下げた。

アニ「のった」

ライナー「早いな」


エレン「よし!手加減はしねぇからな」

アニ「アイス3つだからね」

エレン「わかっ……3つ!? おい、数量指定は許可してないんだが」

アニ「ハーゲンダッツ抹茶ストロベリークッキー&クリーム。サーブ権はあげるよ」

エレン「おいっ話聞け!しかもハーゲンダッツかよ!」



「僕はエレンに一票」アルミンが木陰で涼みながら片手を上げた。

ミカサ「私もエレンに一票」

ライナー「待て待て。アニもなかなかやる女だぜ。アニに一票」

ベルトルト「僕もアニに」


負けられない戦いが、いまここにある。

エレンは納得いかなそうな渋面をつくりながらも、制服のズボンのすそをまくりあげて、準備を整えた。
ボールが宙に上がる。太陽に目が眩みそうになりながらも、私はラケットのグリップを握りなおした。


アルミン「わー、二人ともうまいや」

がんばれーと聞こえる彼らのやる気無い声援を背中にうけて私はボールを追う。
点を取っては取られ、取られては取り返し。
20分もやってると、暑さも相まってなんだか変なテンションになってきた。


エレン「まだまだだな……アニ」

アニ「……お望みなら視覚以外も奪おうか」

エレン「なんだと!?くそっ……こうなりゃ奥の手だ!」

エレン「全身の毛穴をぶちまけな! イ ェ ー ガ ー 王 国 (キングダム)」


新しい国が生まれた……!とベルトルトがぼそりと呟いた。


アルミン「アニってほんとたまにノってくれる時があるよね」

ミカサ「二人が何を言ってるのか、全然理解できない……」

ライナー「お前はそのままのお前でずっといてくれミカサ」

ちょっと風呂はいってきますね

ぶちまけな→ぶち開けな


ミカサ「……いつまであの二人は勝負を続けるの」

ベルトルト「もう始まって40分くらい経ってるんだけど……」

ライナー「そういや、俺3時までに家に帰んなくちゃいけねぇんだよな」

アルミン「僕もそろそろ暑くて耐えられないな。ミカサも夕方用事あるんだろ?」

ミカサ「うん」


ライナー「おーい、お前ら。俺たちそろそろ帰るけど、お前らどうすんだー?」

さっきからデュースばかり続いて、一向に決着がつかない。
「「まだやる」」私とエレンはネット越しに睨みあったあと、声をそろえて言った。


ミカサ「今日の夜、雨が降るかもしれないらしいから、気をつけてね」

去り際にミカサがそんなことを言っていたけれど、心配はいらない。
私が次のターンで決めてハーゲンダッツをこの手にいれるのだ。


E 13
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エレン「はぁ、はっ……あーくそっ!しぶといなお前」

アニ「あんたに言われたく、ない……」


ミカサたちが去ってどのくらいの時間が経っただろう。
体育の成績も決して悪くはない俺とアニの息が上がるほど、長い間運動をしていたのは確かだ。

少し休憩するか、と言いだそうとした俺の頬に水がはじけ飛んだ。
「げ……」上空を見上げる。ラリーに夢中になって気付かなかったが、いつのまにか空は曇天と化していた。


エレン「夕立だ」

アニ「あーあ……とりあえず勝負は中断だね」


乾いた地面に水玉模様がどんどん広がって、やがて湿っていない箇所を探すのが難しい程になった。
俺たちは頭を覆いながら走って渡り廊下に移動する。

ミカサの忠告を聞いておくべきだった。と今更後悔しても時すでに遅し。
傘を持っているのかとアニに尋ねれば首を振った。

アニ「あんなに晴れてたのに雨が降るなんて思わなかったし」

俺もだ。


すぐに止むだろうという見立てのもと、俺たちは空き教室で時間をつぶすことにした。
雨の中走りぬけるのは最終手段にしておく。この貴重な夏休みをベッドで過ごしたくはない。


アニ「……無駄な汗かいた」

エレン「勝負は持ち越しだな」


人の姿が見えない校舎を進んで、適当な教室の扉を開け放つと、籠った熱気と湿気に肌が触れた。
2人だけなのに電気をつけるのも躊躇われて薄暗いままの教室。
窓際の席を陣取って、鈍色の空を監視する。早く止め。


アニ「暑い……」


アニは、そう言うとワイシャツの胸元を掴むとパタパタと仰ぎだした。
微風が淡い色の金髪を靡かせている。何故か俺はその光景から目を離せなかった。

が、突如アニが窓から俺に視線を移したので、俺は罰の悪い思いをしながら慌てて目を逸らす。
……いや罰の悪い思いってなんだ。
別に俺は何も悪いことはしていないし、邪な考えを浮かべたわけでもない。


エレン「なんだよ?」

アニ「……別に」


本当になんでもなかったらしく、再びアニは俺から目線を外してバッグに手を伸ばした。


エレン「あぁ……俺も飲み物もってくりゃよかった。自販で買ってくるかな」

夏場の水分補給ほど重要なものはない。
俺は小銭だけを手にして席を立とうとした。
わざわざ歩いていくのも面倒だが、一度意識すると喉の渇きが気になって仕方ない。

教室を出ようとする俺を、アニは感情の読めない瞳で見つめると、不可解な行動をした。

先ほどカバンから取り出したペットボトルを差し出したのだ。


エレン「…………なんだ?」

アニ「飲みかけだけど、飲む?まだ温くなってないし」

眠いのでここで切ります…



こいつは何を言っているんだ。
俺は茫然とボトルの中で揺れる液体を見つめていた。

それは俗に言う間接なんとかじゃないのか。


アニ「……なんでそんなに驚いてるんだ」

エレン「いや、さ。……普通女子ってそういうの嫌がらねぇか?」

アニ「飲み物なんてよくライナーやベルトルトとかと回し飲みしてるし」


あんただってミカサとやったことあるんじゃないの。
そう聞かれて思い出す。あまり気にしたことはなかったが……


エレン「……じゃあもらうわ」


変に拘るのも逆に意識しているみたいで癪だったので、深く考えずにボトルを受け取った。
確かにアニの言う通り、まだ冷えている。火照った体に丁度良かった。

まあ回し飲みなんて誰でもするよな。うんするする。
食べかけの菓子をサシャに食われたこともあったし、そういえば。
そうだ、全然おかしくねえな。なに考えてんだ俺は。


アニ「ま、あんたに貸しを作りたくなかっただけだから」

エレン「貸し?」

貸しなんてこいつに作った覚えはない。
あれか?ひったくり犯の始末を俺一人にまかせたことか?
思い出すと腹が立ってきた。そうだ、こいつあの時一人で学校に行きやがった。

アニ「違う」

エレン「じゃあなんだよ」

アニ「……これ。本当に大事なものだったから……」

エレン「ああ、携帯か。随分大事にしてるんだな」


アニは携帯のつるつるした表面を、そっと指で撫でた。
古い機種みたいだが、あまり目立った傷もなくて、普段の扱い様が想像できた。
あまりメールや電話といったコミュニケーションを重視するタイプには思えなかったので、その様子に違和感を感じた。


アニ「いっぱい写真のデータが入ってるから。昔からの」

俺の考えを読みとったかのようにアニが言った。
どっちにしろ意外に思う。

エレン「ふーん……」

俺は頬杖をつきながら、アニの伏せた睫毛をなんとなく眺めていた。
しかし次の言葉に椅子を蹴って立ち上がる。


アニ「あんたの文化祭当日のあられもない姿も、きっちり収めてあげるから」

エレン「っはぁぁ!?やめろ。まじでやめろ。ぜってぇうちのクラス来るなよ、お前」

アニ「やだ」

やだじゃねえよ。こいつ完全に冷やかし100%で来るつもりだ。


エレン「てめぇ……ほんと覚えてろよ。いつか泣かすからな」

アニ「できるもんならね」

エレン「チッ ――はぁ、雨やまねぇな」


沈黙が下りる教室に弱い雨の音だけが染みていた。
遠くで蛙の鳴く声が重なっている。久しぶりに降った雨に喜んでいるのかもしれない。
人間にとっては大迷惑なのだが。

エレン「俺、雨って嫌いだな。空が狭くなったように感じて、息苦しいし窮屈だ」

気づけばそんな言葉が口から落ちていた。抽象的な表現にアニが眉根を寄せている。
「……は?」とか、またあの絶対零度の声音で言われそうだ。


アニ「……は?」

予想が的中した。そろそろ俺もアニのリアクションが把握できてきたと思う。

アニ「もうちょっと分かるように言ってくれる」

エレン「だからな、青天ならどこまでも空が広がってて、俺は自由だ!って感じがするんだ」


どこまでも続く空を見ていると、胸が躍る。
この空の下に、俺のまだ見ぬ地が広がっていて、そこに住んでいる人々も同じように空を見上げてることを想像すると、
全身の血潮が沸くような思いがする。

俺は、この世界の人々は、皆鳥のように自由で。求めるならばどこまでも行けるのだ。

きっと気の遠くなるような時間と労力と犠牲を持って、人間が自由に暮らせるこの平和な世界は作られた。
俺の知らない遙遠なる時の中で、きっと誰かがこの自由のために戦っていた。

青天を見る度にふとそんなことに思いを馳せるが、いつもいつも不思議な心のざわめきを感じる。

まるで、それは、既視感のような―――


アニ「なに言ってんの、あんた」

アニが窓の外を、生白い手で指さした。


アニ「今日が晴れてたって、空は狭いことに変わりはない。ほら」


電線。建物。看板。電柱。送電塔。家。
天候関係なく空は限られている。どこから見たって私たちが見るのは切り取られた空でしかないんだ。
アニが肩をすくめた。


アニ「自由なんてどこにもない。どこにも行けないし、誰にもなれない」

アニ「下らない世界で皆妥協して生きてる。諦めて、呆れて、他人の顔色窺って」

アニ「そんな狭苦しい世界だと思うよ。私は別に……それでもいいと思ってるけど」

アニ「変える気がないし、変えられるとも思ってないから」

エレン「……」

アニ「……なに?」

エレン「よく、しゃべるなって思って」

アニ「蹴っていい?」


人が真面目に話したのにその態度?とアニが立ちあがる素振りを見せたので
俺は急いで二の句を紡いだ。


エレン「そのすぐ足をだす癖やめろよ。お前、格闘技でも習ってんのか?」

アニ「お父さんに教わったんだよ。護身用で」

エレン「お前の父さん何者だ」


護身用というか、襲撃用というか、むしろ一撃必殺用というか。
アニにとってかなり役に立っているのは間違いないけれども。

俺は逸れた思考を軌道修正する。


エレン「って違う。アニっていつもそんな厭世的なこと考えてんのか?大分暗いな、お前」

アニ「失礼な奴だね……しょうがないでしょ、こんな風に育ったんだから」


こいつがいつも冷え切った態度に見える理由が分かった。
常に何かを諦めて生きているんだろう。
どうしてそんな生き方を選択したのかは、俺には分からなかったけれど。


エレン「じゃあ、アニ」

俺もただ、お前に貸しを作りたくないだけだ。


エレン「何にも遮られてない空をお前に見せてやるよ」

うーん 眠いので朝から再開してキリのいいところまで進めます
こんなギップル湧いてきそうな台詞で締めるわけには


A 14
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なに言ってんだこいつ。

エレン「明日暇か?」

アニ「…………そうだけど」

エレン「じゃ、学校で待ち合わせるか。朝の10時な」

アニ「は? なにするつもり?」

エレン「そりゃ明日のお楽しみってやつだ」


エレンは何か企んでるように口の端を吊りあげた。

なんで休日にわざわざこいつと出かけなくてはならないんだ。
せっかくの一日なにもないフリーな日に。

何にも遮られてない空って……比喩だろうか。



雨音はいつのまにか、聞こえなくなっていた。

来たか…!

普通に考えて行く訳がない。そもそもこいつのいいなりになること自体癇に障る。
私にメリットがないし。目的も不明瞭だし。
時間は有限なのだから、無駄だと思うことは省くべきだ。

アニ「……はぁ、」

そう思っているのなら、何故私はここにいるのだろう。

アニ「なに、ここ?」

エレン「この階段を上ろう」

アニ「冗談言ってる?」

エレン「いいから行くぞ」

アニ「行くって……」


私は目の前にある、確実に100段以上はある石階段を見上げた。
階段の両側にはほんの施し程度の手すりがついているが、青々と茂った植物に侵略されて役目を果たすことは難しそうだ。
ジーワジーワとアブラゼミだかミンミンゼミだか分からないけど、蝉の鳴き声の大合唱がそこかしこから聞こえてくる。

昨日の雨のせいで樹の葉の先から時折ぽたぽたと滴が垂れてくる。
私は大きめの滴が鼻で弾けたことを皮切りに、来た方向にUターンした。


エレン「おい!なんで帰るんだよ!」

アニ「こんな暑いときに、こんなでかい階段上りたくないんだけど」

>>181
寝坊しました><
申し訳ナス


直射日光は茂った葉が僅かに遮ってくれていて、階段は木漏れ日でまだら模様になっている。
けれど暑いことには変わりない。
私はクーラーの恩恵を受けるために家に帰ろうとしたのだが、

エレン「絶対見ないと後悔するぜ」

とやけに自信満々でエレンがそう言うので、仕方なく階段の1段目に足を乗せた。
この先に一体なにがあるというのだ。
見上げてみても、その果ては識別できない。


アニ「しょうもないもんだったら承知しないから」

エレン「その心配はいらねーよ。いいから黙ってついてこい」


エレンは懐かしそうに辺りをきょろきょろ見渡すと、一段飛ばしでどんどん先に行く。
私は面倒なのでゆっくり上っていった。
途中で足を止めたエレンが振り返って、大声で言う。

エレン「ここでさ、よく小さい頃、ミカサとアルミンと遊んでたんだ。懐かしいな」

アニ「へえ……あんたら本当仲いいね」


しばらく黙々と階段を上り続けた。
エレンはどこか楽しそうで口笛すら吹いているが、対照的に私は暑さと疲れでだんだんいらいらしてきた。

額に汗がにじんでくるのが分かる。なんで私はこんなことをしてるんだろう。
なんでこいつの口車に乗ってしまったんだろう。


エレン「ほら、ついたぜ。アニ」

いらついているうちにエレンは最上段に辿りついていた。
逆光でうまく顔が見えない。まあ多分笑っているんだろう。


アニ「こっちは、あんたみたいに体力馬鹿じゃないんだけど?少しは慮ってほしいもんだね」

エレン「うそつけよ、俺とテニスで渡り合ってくせに。……ほら、よっと」


最後の一段。エレンが手を掴んで私を引き上げる。
急に引っ張ったことを咎めようとして口を開けたが、文句が言葉になる前に溶け落ちる。


エレン「な、すげーだろ。ここ、丘になってるから、街が見下ろせるんだ。俺も久々に来たな。懐かしい」


私の家も、学校も、近所のコンビニも、親指の爪ほどの小ささに縮小されてなにもかもが眼下に広がっている。
随分遠くにある東から西に流れる川も、北にある寂れたバッティングセンターも辛うじて見えた。

そしてそれらを包み込むように青が、ひたすら青が、空に塗りたくられていた。
昨日の夕立のせいで雲ひとつ浮かんでいない。雲はないけど遠くの方が白く霞んでいる。


エレン「全部空だ。何にも隔てられてないし、阻まれてもない」

確かに――空はどこまでも続いている。
地球の青さをそのまま実感できそうな程、手を伸ばせば届きそうだ。


私たちを普段閉じ込める全てのものが今足元より低い位置にある。


アニ「……で?」

エレン「え」

アニ「私だって、屋上とかくらい上ったことあるんだけど」


確かに少しだけ胸がすっとしたことは事実だったが、
それを素直に認めるのを良しとしないのが私の性格だった。


エレン「え、あぁ……そうだな、屋上でも良かったか、そういや」

しまった、というようにエレンが首に手をあてて顔を歪めた。


エレン「でも、ここが一番だと思ったんだ。昔からなんかあるとここにきて確かめてた」

アニ「……」

エレン「俺たちは自由なんだってこと。お前がなんか暗い顔してた時に、一番にここが浮かんだんだ」

アニ「暗い顔なんてしてない……元々こういう顔だよ」

エレン「いいや絶対してたな。まあお前は俺のライバルみたいなもんだから、暗い顔されてっと張り合いがねぇんだよ」

アニ「ライバルって対等な関係のことを言うんだと思うけど」

エレン「対等だろーが!まだテニスだって勝負はついてねぇからな!?」

アニ「そういうことに、しといてあげるよ」

エレン「チッ 相変わらず厭味な言い方するよな」


私は携帯を取り出すと、空と街をカメラにおさめた。
こうしてしまえば限りない空も切り取れてしまう。



エレン「なんだよ、やっぱ気にいってんじゃねぇかよ……いてっ」

アニ「うるさい」


携帯の画面に収まった空は
いつも見ているように狭く小さなものだったけど。
不思議と閉塞感は感じなかった。




私はいつも透明な壁を見ていた。
綺麗なものも自由というものもこの世には完全な形で残っていない。
義務、怠慢、偽善、まやかし、見栄、嘲笑、挫折、可能性の限界。
カビのようにどこにでも隙あらば蔓延るものたち。

思春期特有の厭世観なのかもしれない。
数年後にはこの考えも変わっているかもしれない。

でも、何故か私は既視感にも似た確信を持っている。
どこの世界だって根本は、一緒なんだ。
だから私たちはどこにも行けないし何にもなれない。


でも少しだけ、本当に少しだけ、今日見た果てしない空は
私を何かから解き放ってくれるような気がした。

本当に、少しだけだけど。

* * *

ライナー「この間、雨降ってきてたが、お前とエレンの勝負はどっちが勝ったんだ?」

朝の河原沿いの道で、ライナーが首だけ振り返って尋ねる。
犬の散歩やジョギングをする老人たちだけ時折すれ違って消えて行った。

夏の朝はとても静かだ。


アニ「途中で雨が降ってきて終わった」

ベルトルト「じゃあ引き分け?」

アニ「続けてたら私が勝ったと思うけどね」

ベルトルト「そうなんだ。ははは…」


夏休みも残り半分を過ぎた。
今日も今日とて文化祭の準備のための登校だけど、大分作業も進んでいて経過は順調だった。


自転車を駐輪場に止めてから、昇降口に行くとエレンが靴を履き替えているところだった。
私たちのクラスも最近登校日が増えているけど、隣のクラスもそうなのかもしれない。
この一週間ほどでやたらとエレン、アルミン、ミカサとかと校舎でかち合うことが増えた。

エレン「おう、お前らか。おはよ」

ライナー「エレンたちのクラスはどうだ。準備は順調か?」

エレン「まあな」

ベルトルト「ええっと、確か君たちは何をだすんだっけ。生徒会に提出された書類を見たと思うんだけど……」

アニ「女そ 「べっつに大したことはしねーって!!それよりお前らはなにやるんだ?」 ……」

ベルトルト「僕たちはクレープ作るよ。エレンも食べにおいでよ」

エレン「ああ、行く行く」


空笑いしながら靴箱に手をかけるエレンを、私はじとりと睨んだ。
後頭部の髪がひと房、変な方向に跳ねている。どうせ寝坊でもしたんだろう。
私はそれを親切にも指摘してやろうとした。



アニ「ねえ、あんた――」

エレン「……ん?なんだこれ」


声が届く前に、エレンが靴箱の取っ手を掴んで開けた。
靴の上においてある白い封筒を、訝しげに見つめる。

エレン「手紙か?誰だ今時……差出人の名前は書いてねえな」


私とライナーとベルベルトは、まさかという気持ちで、ひらひら翻る封筒を凝視していた。
それはもしかして、今時見ることもめったに叶わないと言われる――
一昔前の化石と称しても過言ではない代物の――


ベルトルト「エレン……それ……ラブレターってやつじゃあないかな……?」

ライナー「俺たちは……夢を見ているのか……?」

アニ「このご時世でお目にかかれるなんてね……」


エレン「なに言ってんだ、お前ら。そんなわけねぇだろ」

だって封をしてあるハート形のシールが雄弁に物語ってるし……
ラブレターの手本のようなラブレターだった。
もうそれ以外の手紙だったらへそで茶を沸かすことができる。ライナーが。

エレン「『今日の12時に屋上に来てください。ずっと待ってます』…………なんだ、果たし状か」

ベルトルト「絶対違うと思う」

廊下からミカサが現れて、私たちに声をかけようとした矢先に手紙に気づいたらしい。


ミカサ「エレン……なにそれ」

エレン「12時に屋上で待ってるからそこで喧嘩しようってさ」

ベルトルト「だから違うって」

ミカサ「なんですって……? エレン、喧嘩はよくない。どうしても行くと言うのなら私も行く。削ぎ落す」

ベルトルト「ねえ」

エレン「お前は来なくていいっつの!俺一人で十分だ」

ベルトルト「おい」

今日はここまでにしときます


E 15
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教室に入るなり、ジャンとコニーがニヤニヤ笑いを貼り付けて絡んできた。
肩を勝手に組んでくるのでうっとうしい。

ジャン「よおエレン、なに手にもってんだ?」

コニー「それってもしかして!?」

エレン「あ?なんだよ暑苦しいな。これ、俺の下駄箱に入ってたんだよ」

ジャン「へえ、よかったじゃんかよ」

エレン「よかねえよ。最近グチグチ言ってくる奴減ってこういうのなかったのに。売られた喧嘩は買うだけだけど」

ジャン「……あ?」

コニー「?」

エレン「え?」


2人は口を半開きにして珍妙な顔を晒していた。
俺は何か変なことを言っただろうかと先ほどの会話を反芻してみたけど、不自然な点は見当たらない。

三者三様の疑問符を頭の上に浮かべていると、サシャから声がかかった。
教室の内装に手をかしてほしいと。
腑に落ちない何かを感じながら俺たちは教室の中に入った。


「そろそろ休憩にしようか」教室のどこかでそんな声が上がった。
黒板の上にかかっている時計を見上げてみれば、正午を少し過ぎていた。

クラスのみんなが適当に場所をとりながら昼食を食べだす中、俺は屋上へ向かおうとするが
扉を開けようとした瞬間、俺の前にぬっと影が立ちはだかった。ミカサだ。


ミカサ「エレン、私も行くと行ったはず」

アルミン「え……エレンとミカサ、どこに行くの?」

エレン「だから!お前はいい加減俺の行くところに全部ついてくんのやめろ!一人で行くって言ってんだろ?」


でも、となおも食い下がろうとしたミカサの名を、反対側のドアから姿を現したクリスタが呼んだ。


クリスタ「ミカサ、ごめん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

エレン「ほら行ってやれよ」

チャンスとばかりに、この隙をついて俺はミカサの横を通り抜けて屋上に足を運んだ。
背中にかかる声も聞こえないふりをする。


屋上を昼食の場として選ぶ者はいない。
影なんてほとんどなく、直射日光を浴びながら地獄のランチタイムを過ごすことになるからだ。

錆びついたドアを開ければ軋む音がうるさい。
屋上には……まだ誰もいなかった。
呼びだしといて遅刻とはこれいかに。


仕方ないのでフェンスの向こうに広がる風景を眺めて、時間を潰すことにする。
高いところというのはいいものだ。
普段大きく見えるものが小さく見える。視点の逆転を機にして自分自身も全てのものに寛容になった気分になる。
馬鹿と煙はなんとやら……いやいや。いまの気分を害す諺に眉をしかめた。

ふと、この間の丘の上にアニを連れて行った時のことを思い出す。

『なんだよ、やっぱ気にいってんじゃねぇかよ……いてっ』

うるさい、と言いながら俺を蹴った後、アニの唇の端に浮かんでいた笑みを見てしまった。
この言い方だとアニがサディスティックな人物としか捉えられないが、そうではないと信じたい。

俺と同じく、果てのない景色を見て僅かでも心が軽くなっていれば。


そこで思考を止める。ギイ、と背後から扉の開く音がした。

「エレン」


A 16
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ミーナ「アニ、ご飯食べないの?」

そう聞かれて腕時計に視線をやると、確かに昼時だった。
「食べるよ」作業を中断して席を立つ。不意にエレンが手にもっていた手紙のことを思い出した。

そういえば、12時だったか。あいつが呼びだされてるのって。
物好きな女子もいたものだと思う。
あんなデリカシーがなくて無神経な奴のどこがいいんだか。

呼びだしに今時あんなあからさまな手紙を使うあたりで、相当の変わり者だということは知れる。
蓼食う虫か。悪食である。

コンビニで買ったパンを取り出していると、隣のクラスのジャンとコニーが笑いながら教室に入ってきた。


ライナー「なんだお前ら。どうした?」

コニー「いや、なんでもねえよ。ちょっとベランダ貸してくれ」

ライナー「ベランダ?」

返事も聞かずに2人はベランダに飛びだして何やらひそひそ話し合っている。

怪しい。その場にいる全員がそう感じた。


そこでクリスタもミカサを引き連れて戻ってきた。
ミカサは珍しく感情を表に出している。心配と焦りの感情を。

ミカサ「クリスタ、悪いけど、できれば早くしてほしい。エレンが屋上で喧嘩を始めてしまう前に」


事情を知らないクリスタはキョトンとしていた。
私はミカサにもエレンにもあきれ果てる。どれだけそっちに疎いんだ。

しかしエレンにべったりのミカサからすれば、告白も喧嘩も変わらないのかもしれない。
なら誤解の訂正はしないでいいか、とパンを食べる作業を再開しようとしたときだ。
「はっ?」という素っ頓狂な叫びがベランダから聞こえた。見ればジャンもコニーも鳩が豆鉄砲を食らった顔をしている。


コニー「おいおいどういうことだ?」

ジャン「まさか。どうもあいつと話がかみ合わねえと思ったら!まあいい、それもそれで……」

コニー「おいジャン!どういうことか俺にも分かるように説明してくれよ!!」

ジャン「うるせえ馬鹿!ちったぁ声低くしろ」

ライナー「俺にもどういうことか説明してもらいたいもんだな。お前らなに企んでんだよ」


ユミルが突然ベランダに出ると、クリスタの制止の声も聞かず身を乗り出した。
少しの間上を見つめると、「ははーん」としたり顔で頷きだす。


ユミル「なるほどな。ここの教室のベランダが一番屋上に近くなるってわけだ。
    わざわざお前らが隣のクラスまでやってきたのもそういうわけか」
    

つまりジャンとコニーは告白現場を盗み聞きしようという魂胆らしい。
悪びれもせず「お前らも聞くか?」と誘ってくる。

ユミルは興味津津で既にベランダに留まっていた。
私を含めたほかの連中は、無関心を決め込むか、他人の告白なんて聞くもんじゃないというスタンスのようで
おのおの普段通りの休憩時間を楽しむ姿勢に入った。


ユミル「なんだよ、あの浮いた話ひとつないエレンの野郎に愛の告白する奴が、どんな奴なのか知りたくねえの?」

ガタン、と音がした。
ミカサが青ざめてベランダがある方向に一歩踏み出して、そこで固まった。

手のひらを握ったり開いたり。目を閉じたりつぶったり。
どうやらモラルと欲求の間でさ迷っているらしい。

見てられなくて、背中でも押してやろうかと声をかけようとしたときだ。


「うわあ!?」

屋上から、エレンの声が微かに聞こえたのは。


「すいませんでした!」

「ごめんなさい!!」


告白を受けているはずなのに、どうしたらそんな台詞が飛び出す状況になるのだろう。
ユミルは相手が誰か確かめようと耳に手をあてている。
逆にジャンとコニーは笑いをこらえ切れないというように口に手をあてていた。

ミーナ「だ、だれなの?あのエレンにこんな態度とらせることができる女子って……」

ミカサ「エレンッ!」

ミカサもベランダ組に合流したところで、ユミルは神妙な顔をしてこちらを振り向いた。
いいかよく聞け、と重々しく前置きをしてからユミルはこう告げた。


「担任のリヴァイの声が聞こえる…………」


どういうことだ。


ベルトルト「ファッ!?」

ライナー「なに……!?本当なのかユミル」

ユミル「ああ、ガチだ。なんて言ってるのかは聞こえないが」

クリスタ「ぬ、盗み聞きなんてだめだよ……世界にはいろんな愛の形があるんだからっ」

ミーナ「そそそそそれって教師と生徒の関係+性別の壁!?」

ミカサ「え?え?」

にわかに騒然とする教室。
ミーナがやたらと深刻な顔で「状況を整理しよう」と言いだした。
降ってわいた非日常に、教室にやたらと深刻な空気が充満していた。

つまり、リヴァイがエレンを屋上に呼びだした。
エレンが告白を断った。焦ったようなエレンの必死の謝罪から、
逆上したリヴァイがエレンに暴力を奮って無理やり自分との交際を認めさせようとしているのでは。

アニ「そんなわけあるか」

さすがに発言せざるを得なかった。
少し発想が飛躍しすぎてはいないだろうか。
あのリヴァイが。鬼の教師と恐れられるリヴァイがエレンを?まさか。


ハンナがおもむろに黒板に近寄ってチョークを手にとる。
視線が集まる中、彼女は無言で何かを描いていた。

┌(

フランツ「ハンナ……?」

┌(┌^o

フランツ「ハン……」

┌(┌^o^)┐

フランツ「ハンナァァァ―――!?」

いまやほぼ全員がベランダに出て耳を澄ましていた。
クラスの大混乱に連れて私の頭の中も混乱を極めていく。

何か誤解が起きているに違いない。
ジャンとコニーの様子がおかしかったことから、二人が何かやらかしたことは分かる。
絶対にあり得ない。

でももし、ミーナの推測が事実だったとしたら
エレンがリヴァイに敵うはずがないので、二人は今頃口に出すのもおぞましいことになっているのかもしれない。


茫然自失としていたミカサが、意識を取り戻して教室を飛び出そうとした。
止めようとしたクリスタを腰にひっ付けながらも、なおスピードを失っていないところは流石と言える。


ジャン「おい誰かミカサを止めろ!ベルトルト!」

ベルトルト「ええっ 僕!?」

クリスタ「み、ミカサでもリヴァイ先生には敵わないよ!一人じゃ危ないって!!誰かほかの先生を呼んでこなくちゃ!」

ミカサ「離してクリスタ止めないでベルトルト、エレンが危ないの私が助けなくっちゃ」


身長も体重もそれなりにあるベルトルトさえミカサに引きずられている。
これが火事場の馬鹿力とは言い切れないことが恐ろしい。さすが猛獣。

アニ「待ちな、ミカサ」

私は猛るミカサの腕をとった。


ミカサ「離して、アニ」

アニ「落ち着きなよあんた」


足をとめたミカサ。ベルトルトとクリスタが目を潤ませて私を見てきた。
私は掃除ロッカーを開けると、ミカサにモップを投げ渡す。

アニ「あの怪物にはさすがのあんたも素手じゃ敵わないでしょ」

アニ「私はこの釘バットを使うからあんたはそれでやりな」

ミカサ「ありがとうアニ。私は冷静じゃなかった」

アニ「いいって。行くよ」

ライナー「だめだアニも混乱してるぞ!!おい二人を止めろ!!」

コニー「なんでこのクラス、ロッカーに釘バットなんて入ってんだよ!?」


私たちはこうしてカオス渦巻く教室を抜け出したのだった。
目指すは屋上、モップと釘バットを武器に悪の権化を倒すために。

E 17
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リヴァイ「夏休み終わるまでに提出しろよ」

エレン「あ、はい。分かりました」

渡された染みひとつない真っ白なプリントには、一番上に「進路希望調査」の6文字。
本来なら休みに入る前に提出されてなくてはならないはずなのだが、ついつい先延ばしにして忘れていた。
わざわざリヴァイ先生が届けにきてくれたらしい。
そのことを謝ると、先生は首を振った。

リヴァイ「今日は俺も学校に来」

ミカサ「エレン!!無事!?」

リヴァイ「てたから別にいい……」


大きな音に驚いて見れば、ミカサとアニが屋上のドアを蹴破って侵入してきたところだった。
ちなみに蹴破ってというのは比喩ではなく、本当に外れたドアが悲しそうにコンクリートの地面に横たわっていた。

アニ「変態……」

ミカサ「覚悟して」

エレン「お前らなにしてんだ?」

その手にあるモップと釘バットに、どうコメントしたらいいのかと迷う。



ミカサ「エレンが無理難題を押し付けられていると聞いて飛んできた」

アニ「……」

リヴァイ「無理難題だと?俺はただこいつがプリントだし忘れたから、わざわざ新しいの渡してやっただけだが」

エレン「なにを勘違いしてんだ?」

……ん?
なんか話がこんがらがってるような気がしてきた。

先生も腑に落ちないらしく、「どういうことだ説明しろ」と問うてきた。

いや、俺に訊かれても。


屋上で手紙の差出人を待っていた俺の前に、姿を現したのは担任のリヴァイ先生だった。
俺はそれを見た瞬間体中の血が凍った錯覚に陥る。

1年の時から、目つきの悪さやらなんやらで散々絡まれた俺はよく喧嘩に明け暮れていた。
ある日その殴り合いの現場に居合わせたこの鬼神……いやリヴァイ先生に
喧嘩両成敗と称して半殺しのボッコボコにされてから、しばらくは先生の顔を見る度にトラウマに悩まされていた。

彼が手紙の差出人だとすると、大変まずい。
何かまたやらかしてしまったのだろうかと必死に原因を探ってみるが何も思い浮かばなかった。

ならどうするか?平身低頭謝り倒すしかない。

エレン「すいません!!」

リヴァイ「は?」

エレン「申し訳ありませんでしたッ!!」

リヴァイ「おい、待て」


リヴァイ「なに言ってやがんだ」

エレン「え?だってこの果たし状だしたの先生ですよね……」

恐々と手紙を渡せば、彼は呆気にとられたかのように「なんだこれ」と吐き捨てた。

リヴァイ「俺はただお前に進路希望調査票のことで話があったから、この間ジャンとコニーにお前が学校に来る日を聞いたんだよ」

リヴァイ「そしたら今日のこの時間に屋上にいるって聞いたからわざわざ来てやったんだ」

エレン「……ってことは」


あいつらにまんまと騙されたって訳か。
朝のにやけた笑いを貼り付けた奴らの顔を思い出して、教室に帰ったら絶対仕返しすることを心に誓う。

リヴァイ「にしてもお前、これは果たし状っていうより……いや、いいか」


何か言いたらないことがあったらしいが、先生は途中で口をつぐむと
俺に一枚のプリントを手渡した。

そしてここらでミカサとアニが闖入してきた、というのが事の顛末だった。



説明を聞いたアニとミカサは、しばらく黙りこくっていた。
急に二人して顔を赤く染めたあと、消えるような声で「すいませんでした」と謝ると
疾風のごとく屋上から出て行った。


エレン「なんだったんですかね」

リヴァイ「さあな……」

それからまた少しして、下の方から聞こえてきた叫びは誰のものだったんだろう。
こころなしか知り合いの声色に似ていたのだけど。



帰り道、昼休みに起きた出来事を詳しくアルミンに話すと、珍しく大笑いしていた。
ミカサは納得いかなそうな、少し恥いっているような、微妙な様子で口をとがらせている。


アルミン「えーそれ本当かい?僕も参加したかったなぁ」

エレン「参加って。イベントじゃねーんだぞ」

ミカサ「もうその話は終わり」


見るからに話題を変えたそうなミカサは、「エレン、進路調査のプリントはどうするの」と俺に話を振ってきた。
俺はもっと釘バットについて詳細を訊きたかったのだが。
どこから持ってきたんだよ、あれ。

エレン「あー。どうするかな」

アルミン「悩んでるの?よければ相談に乗るよ」

エレン「んー……今度話すよ」

煮え切らない俺の返答にアルミンは違和感を感じたようだったけど、深く追求はしてこなかった。
こいつのこういうところが好きだ。


アルミンは県で一番の進学校を第一志望に決めている。
ミカサもそこに入れるだけの頭があるが、俺と同じ高校に行きたいと昔から言っていた。

俺もそこそこ興味をひかれる学校にはいくつか目をつけている。
けれど、第一志望はどこかで聞かれるとすぐに答えられるだけの意欲はどこにも感じていなかった。

この時期で俺みたいな曖昧な態度とってる奴っているのだろうか。
早く決めないととは思っているのだが、どうにも食指が動かなくって困っている。

エレン「とりあえずこのプリントはちゃんと出すさ。じゃ、またな」

分かれ道で、手を振って2人と別れた。


家に帰ると、珍しいことに父さんがリビングでくつろいでいた。
一応医師として働く父が、夕方に帰宅していることはあまりない。というかほとんどない。


エレン「ただいま」

グリシャ「おかえりエレン。学校はどうだった」

エレン「今日も色々あったよ」

一言では言い表せないようなことが。


カルラ「ご飯できてるよ。手洗ってらっしゃい」


ついでに着替えもしようと思って階段に足をかけた俺の背中に、父さんがこう言った。


グリシャ「そうだ、エレン。今日の夜話があるんだが、用事はないか?」

エレン「用事はないけど……話って今じゃだめなのか?」

グリシャ「大事な話になるかもしれないからね」

エレン「ふーん」


大事な話ってなんだろう。

(ホモじゃ)いかんのか?
ここで区切ります

次は土日くらいだと思います


A 18
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窓枠にひじをつきながら、校庭で白球を追いかける野球部の活動をなんとなく眺めていた。
掛け声と笑い声が3階のこの教室まで届く。ホームランでも飛んできやしないだろうか。

今日の分の仕事はもうすでに終わり、クラスのみんなが次々と教室を後にしている。
私のいるところから見下ろせる校庭までの道のりにも、同級生と下級生が入り乱れて談笑していた。
こちらに気づいたミーナに手を振り返していると、後ろからクリスタとユミルが声をかけてきた。


クリスタ「アニ、帰らないの?」

アニ「ライナーとベルトルトが、まだ用事残ってるらしいから。待ってやってる」

ユミル「お前らだけ家が遠いんだったっけ」


自転車通学の私たち3人はこのクラスでは珍しい部類に入る。大体みんな徒歩だ。気楽で羨ましい。


クリスタ「1年生と2年生たちも、もう準備終わったんだね。見て見て、小さくってかわいいね」

ユミル「それツッコミ待ちですかぁ?」

クリスタ「え、なにが?」


どうやら天然産らしい。クリスタなら今、外できゃーきゃーと群がっている下級生の群れに紛れていても違和感がないだろう。


みんな、悩みなんてひとつもないというように屈託なく笑っている。
短いスカートから伸びた真っ白な足が光り輝いていた。

ユミル「エレンも残念だったな。ラブレターの正体があいつらとは傑作だ」

クリスタ「ほんと、あれ、びっくりしちゃったよ……」

アニ「……」


今日のあの騒動は馬鹿二人が原因だった訳だけど、もし――仮に。いやまさか絶対ないと思うけれど。
手紙の差出人がいま見えているような、普通のかわいい女子生徒だったら、どうなっていたんだろう。

例えばあの子。茶髪の長い髪を二つにしばって、穏やかに笑っているあの女子生徒が屋上に現れていたら。
エレンは短気でバカみたいに単純そうだから、ああいう子みたいにしっかり者に陰で尻に敷かれてそうだ。
いや、それともその横の活発そうな女子の方があいつは好きそうか……。

クリスタ「アニ?……えーと、アニ?」

リヴァイじゃなくて、あの子たちの誰かが屋上に現れていたら、エレンはなんて答えたんだろうか。
とりとめのない思考に沈んでいたが、ユミルが背中を強めに叩いたので現実に戻ってきた。
背中のしびれを気にしながら、「なにするんだ」と振り返ればユミルの呆れ顔。

クリスタ「アニ、下級生たちがびっくりしてるよ」

どうやら変態親父顔負けの熱視線を彼女たちに送ってしまっていたらしい。
決していやらしい気持ちはなかったのだけど。
ヒソヒソ話しながらこちらを窺う彼女たちの当惑した視線を、窓を閉めることで断ち切った。


そしてそれから文化祭の準備は着々と進んでいった。
商品にするクレープを実際に作ったり、内装を凝ったり、エプロンをクラスで揃えたり。
大人数で歩幅合わせて、というような作業は正直苦手意識があったのだけど
……まあ、達成感が全くないと言ったらウソになる。

ベルトルト「なんとかできあがったね」

どでかく「クレープ屋」とペンキで書かれている、私とミーナ作の看板を眺めてベルトルトが言った。

ライナー「もうすぐ学校も始まるしな。そうすればすぐ文化祭だ。余裕をもって準備完了してよかったぜ」

アニ「じゃ、かえろ」

ベルトルト「アニもライナーも、勉強進んでる?」

ライナー「まあまあ、な。そうだ、この後3人で勉強会でも開くか。夏休みは遊びすぎちまったし、最後くらい勉強会で締めよう」


今日は学校に来ている生徒も少なそうだ。後はどこのクラスも確認作業くらいのものなんだろう。
勉強会をどこで開くか話し合いながら廊下を歩いていれば、割り込む声があった。


アルミン「僕たちも今日一緒に勉強しようって話してたんだよ。よかったら一緒にどう?」

やあ、とアルミンが爽やかに笑っていた。後ろにエレンとミカサもいる。

3人でやるよりも6人でやる方が効率的、なのかは私にもよく分からないけれど、
せっかくばったり会ったのだからと一緒に勉強することになった。

エレン「アニ、お前さ。この間の釘バット、どこから持ってきたんだよ?」

アニ「……黙って」

こいつは何故人が忘れたいことをピンポイントで抉ってくるんだろう。教えてよ生徒会長。
アルミンはさっと目を逸らした。

エレン「もしかして、あれお前の私物?」

アニ「だったらどうするの?」

エレン「笑えねえ冗談だな……」

で本当のところどうなんだよ、とやけに食い下がってくるエレンに苛立ちを感じながら、黙秘権を行使して足早に歩く。
一瞬でも早くこいつの頭からあの出来事を忘れ去らせてやりたい。
いっそショック療法か?頭蹴れば可能だろうか。

「先輩!」

そのとき、唐突に背後から聞きなれない声が飛んできた。
先輩。と呼ばれ得る人物は私を含めてこの場に6人。全員で一斉に振り返れば、下級生の男子生徒がうろたえていた。

ライナー「ベルトルトの後輩か?」

ベルトルト「エレンの後輩じゃないの?」

エレン「ちげえけど」


私は関係なさそうだ。
先に昇降口に向かってようかと歩きだせば、さっきよりもっと上ずった声で彼は私の名を呼んだ。
少し不意を突かれて「……私?」と恐る恐る言うと、確かに頷かれる。

知り合いかもしれないとジロジロ顔を見てみたが、やっぱり見覚えはなかった。

ライナー「……俺たち、先昇降口行ってるからな」

アニ「は?なんでさ」

ライナー「察してあげろ、馬鹿」


何を。と問う前にもうすでにみんなは歩きだしてしまっていた。
仕方ないので男子生徒に向かい合って、用件を聞こうとすると、とんでもないことを言い出した。


  
  「先輩は……イェーガー先輩と付き合ってるんですか!?」
  
アニ「……………」

意味が分からなすぎて思わず無言になってしまうと、彼は逆に捉えたようだ。


  「えっ……本当なんですか!?」

アニ「あのさ、意味わかんないんだけど。どこをどう見たらそうなるのか、一から教えてほしい」

  「あ、じゃあ違うんですね!よ、よかった」
  

アニ「……で、何か用?」



昇降口に着くと、ライナーたちが下らないことをポツポツと話しながら待っていた。
終わった、とそれだけ言えば、じゃあ行くか、とそれだけ返される。
勉強会は学校から一番近いミカサの家で行われることになったようだ。

ライナーもベルトルトもアルミンもミカサも、さっき私が何を話していたのか聞いてこなかった。
私の性格を考慮してくれているのかもしれない。ミカサはただ単に興味がないだけだと思うけど。
しかしこの場で空気が読めない男が一人だけいた。



エレン「なんの話だったんだ?」


エレンは、それはもう悪気の欠片もない瞳でそう言った。


E 19
-----

あっちゃあ、と言うふうに両隣でアルミンとライナーが米神を抑えている姿を見て不思議に思う。
なんか俺、変なこと言ったか。
ミカサを見ると首を傾げた。よかった、あいつも分かってねえな。


ベルトルト「被害を最小限に抑えるために、僕たちはちょっと先を歩いてようか、うん」

アルミン「ミ、ミカサもちょっとこっちにおいで」

ミカサ「?」

エレン「な、なんだよお前ら」


止めようと伸ばした右手は空を切った。僅かに居心地の悪さを感じながら、残されたアニの歩幅に会わせて歩く。
そうしてみて初めて分かったことがある。アニが二歩分歩いてようやく俺の一歩分、というくらいの歩幅の差があることだ。


エレン「もしかして、訊いちゃまずいことだったか」

アニ「別に……まずくはないけど……聴いておもしろい話でもないよ」

背が小さい上に、俯きがちになられると俺からはアニの表情が全く見えない。
でもその歯切れの悪さに、ますますあの男子生徒と何を話していたのか訊きたい気持ちが大きくなった。
その理由が俺自身も分からないまま。


アニ「あんたと付き合ってるのかって」

エレン「はっ!?正気か!?」

アニ「私もそう思うよ。あとは……今度の文化祭、一緒に回らないかってさ」

エレン「…………へえ。よかったな」


アニの青い瞳がゆっくり俺を見た。
怒ってるでも笑ってるでもないその色に見つめられながら
こいつが今何を考えているのか考えを巡らせてみたが、答えは見つからない。


エレン「なんだよ、言いたいことがあるなら口で言え。わかんねぇよ」

アニ「……別に?」

エレン「で、OKしたのか?そいつに」


アニは無言だった。俺から視線をずらして前に向き直ると、早足で歩きはじめた。
おい。俺の約半分くらいの歩幅のくせになんてスピードだ。


エレン「おいアニ!どうなんだよ!」

アニ「さあね」

エレン「なに怒ってんだよ?」

アニ「別に怒ってないけど。行くかもしれないし、行かないかもしれない」


競歩並の速さでアニが歩いてくれたので、必然的に俺も駆け足になって、
あっという間にアルミンたちに追いついた。


アルミン「別に走って追いかけてこなくてもよかったのに」

焦らなくてもおいてかないって。そうアルミンは笑ったけど、アニもそういうことを心配したんじゃないだろう。
俺も好きで走った訳ではない。
隣のアニが息ひとつ乱していないこともかなり腹立たしかった。

ベルトルト「ここがミカサの家?大きいね」

アニ「純和風だね」

ミカサ「そんな広くないけど……上がって」


来慣れたミカサ宅の三和土に足を踏み入れる。
ミカサの家はクーラーをつけていなくても何故か風が吹き抜けて涼しい。
開け放たれた縁側に吊るされている風鈴の音のせいだろうか。

迎えてくれたミカサのお母さんは、初めてみるライナーとベルトルトにかなり驚いていた。
同年代の男子を俺とアルミン基準で考えていれば、その驚きもさもありなん――いや言ってて悲しくなってきた。


勉強会は6人もいるので、ミカサの部屋より居間でやった方がいいだろうという結論に達した。
時折奏でられる風鈴の音と、まだまだ元気な蝉の音を聴きながら参考書を開く。問題を解く

……問題を解く。
……解こうと、する。
…………。

ああくそ。なんだかさっきのアニとの会話が妙に引っかかって数式の上を目が滑るばかりだ。
結局あいつと行くのか行かないのかどっちなんだよ。あそこまで言ったなら全部言えよ。

はす向かいに座っているアニの方をちらりと見れば、アニは


エレン「おい」

寝ていた。
開始30分も経っていないこの状況で、机に突っ伏して、寝ていた。


エレン「なに寝てんだてめぇ」

思わずチョップをかましてしまった。
お前、人をここまでもやもやさせておいて自分が寝るのはだめだろ。

アニ「いったいな……」

ライナー「お前、もうちょっとやる気だせよ」

アルミン「まあ今日も暑かったし疲れたよね」

ミカサ「はい、アニ。麦茶」

アニ「つめたっ…… あのさ、普通に手渡ししてくれればいいんだけど。なんで頬にあてんの」

ミカサ「……」

アニ「……」

時々流れるアニとミカサの間の、なんというかシュールな空気は一体なんなんだろうな。
女子の考えてることはよく分からない。


アニ「実は昨日あんまり寝れなくて。最近夏バテか知らないけど変な夢を見るんだ」

アニは片手で目をこすっている。本当に眠そうだった。
あくびをかみ殺しているのもはたから見ていて分かるほどだった。


「あと30分だけ寝かして。そしたら起こして」
それだけ言ってまたアニは組んだ腕に頭をうずめて寝てしまった。


エレン「こいつ、ここに何しにきたんだろうな?」

ベルトルト「ま、まあ……アニも色々大変なんじゃないかな……ハハ」

エレン「寝ても身長は……い゛ッ」


俺が呆れを隠そうともせずに丸い頭を指さしながら言うと、テーブルの下の左足に痛みが走った。
まだ完全には寝ていなかったらしい。

アルミン「エレン!エレンだめだってば!
     アニが寝てる間に彼女の教科書に落書きしてるのばれたらさすがにまずいよ!エレン絵下手だし!」
     
エレン「止めるなアルミン……!!」

ミカサ「エレン、あなたの勉強は進んでるの?」


進んでなかった。
ミカサの鋭い視線にたじろぐ。

ミカサ「アニより進んでないじゃない」

はい。


エレン「うるせえな!い、いまやるんだよっ!」

ミカサ「どこか分からないところあるの?」

エレン「まだ平気だ」


それからは皆で無言でペンを動かす。
上背のあるベルトルトが正座で真剣にノートに目を落とす姿が可笑しかった。

それからしばらくして、(多分俺だけ)集中力が途切れ始めた頃に、
ミカサが参考書をパタンと閉じた。


ミカサ「エレン。そう言えば以前の進路希望書、どうしたの?」

エレン「ああ、あれ……」

そのことについて、俺も話しておきたいことがあったことを思い出して、ペンを止める。
まだ俺の中でも決断に迷っている事項だった。


エレン「あのな…………」

言いかけた瞬間に、向かいのアニの頭がむくりと起き上がった。
不機嫌な猫みたいな目が、髪の隙間から爛々と光っている。



アルミン「おはよう、アニ」

アニ「……また、変な夢見た気がする」


変な夢?そういやさっきもそんなこと言ってたっけ。
どんな夢なんだと訊けば、少し考えた後「忘れた」と呟いた。


ライナー「夢ってあれだろ?深層心理が関係してるとかなんとか。お前、悩みでもあるんじゃないのか?」

アニ「ないよそんなもん。――――ん?」

エレン「?」


コップをとろうとした右手をアニがひっこめた。少し驚いた顔で手のひらをじっと見つめている。
親指に赤い色の線が引かれていた。
俺もよくやるが、紙で指を切ってしまったんだろう。地味に痛いあれだ。

ベルトルト「あ、切っちゃったんだ。僕もこの間やったよ。大丈夫かい?」

アニ「………………」

ミカサ「アニ?」


アニはいつもと違う、異様に感じさえする様子で、親指にしたたる血を眺めていた。
こいつ、まだ寝ぼけてんのか?猫だましでもしてやろうかと両手を広げたところでアニが俺を呼んだ。

アニ「思い出した。さっき見ていた夢。エレン、あんたと夜の学校で、4つの生首が浮いてるところを見た」

エレン「ああ、あれな。本物だったら当分忘れられない光景だったけどさ」

結局浮かんでたのはTシャツにプリントされてたリヴァイ先生の顔4つ分だ。
確かにそれも十二分に忘れられないけど、夢に見そうな光景だけど。

アニは首を振った。


アニ「違う。浮いてたのは……あの4人の先生の首だった。それが私を追いかけてきてて……」

アニ「いや……逆かな。追いかけてたのは、」

アニ「…………」

ライナー「なんの話だ?」


アニ「なんか……思い出せそうな、思いだせないような」

エレン「夢の話、だろ?つーかそろそろ指どうにかしろよ。ミカサ、絆創膏あるか?」

ミカサ「ある」


アニはゆっくり瞬きすると、一呼吸置いて「そうだね」と呟いた。
風鈴の音色にも負けそうなくらいの小さな声で。


アニ「ただの夢」

まるで、自分に言い聞かせてるみたいにそう言ったのだった。

* * *

「お邪魔しましたー」

結局、あの後進路について話そうと思っていたことは話題に上がらず終いだった。
まあいいか。また今度話せばいい。
ミカサの家を後にしながら、黄昏時の一層涼しくなった風を楽しむ。

今夜も熱帯夜にならずに済みそうだ。

「文化祭のことだけど」別れ際、アニが唐突に切りだした。

アニ「断ったんだ。……いろいろ仕事が多くて大変だし」

エレン「……もったいねぇな。行きゃよかったじゃん」

アニ「でもあんたのクラスの宣伝はちゃんとしといてあげた。感謝しなよ」


「「なんでだよ」」俺とアルミンの声がまたしても重なった。
俺たちは絶望的な顔を見合わせる。


アニ「あんたたちもこっちのクレープ買ってよね。割り引いてあげるから」

アルミン「ほんと?やったねエレン。でも割引、勝手にしちゃっていいの?」

アニ「大丈夫さ。差分はライナーの財布から出すから」

ライナー「出さねぇよ?」


アニたち3人と、街灯が照らすT字路のもとで別れた。

アルミン「僕たちも帰ろうか。すぐそこだけど」

エレン「ああ」


そういえばいつの間にか胸に充満していたもやもや感が、きれいさっぱり消えていた。
なんだったのだろうか。今日の出来事でどれがきっかけになったのか分からない。

体が一気に軽くなった気がする。俺は道端に落ちていた石をボール代わりに蹴りながら、口笛を口ずさんだ。


アルミン「エレン、ご機嫌だね。なんかいいことあったの?」

エレン「分かんねぇ」


いいことがあったのかは分からないが、今俺が比較的機嫌のいい状態なのは間違いない。
例えるなら、そうだ。

空くらいなら飛べそうな気分だ。
……ワイヤーとかガスとかを使って。

3時までじゃ書き終わんなかった
次は文化祭編ですたい おやすみ

A 20
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9月1日。世界で一番憂鬱な日である。
汚泥の中を進むような足取りで教室に向かえば、私とは正反対の、
生気たっぷりなクラスメイトたちのオーラが私を照らしだした。


眩しい。なんて眩しいんだ。
思わず目をつぶってしまう。太陽の光を浴びた吸血鬼のようにこの身を灰にしてしまいそうだ。


「死にそうな顔してるね」ベルトルトがカバンを肩から外しながら苦笑した。
恐らくこの学校で最も背が高い彼は、常に最後列の席に座らせられている。

アニ「実際死にそう」

クリスタ「夏休み、終わっちゃったもんね」

ユミル「だっりぃな~」

ライナー「休み明けだってのに、全然新鮮な感じしねぇな。毎日ほとんど会ってたしなぁ」

ベルトルト「だよね」


ほぼ毎日見ていたと言っても過言ではないクラスメイトたちのざわめきで満ちる教室。
私のように浮かない表情をしているのもいれば、青天のように晴れ渡った笑顔を見せる者もいる。
とにもかくにも、全ての者に平等に、今日は訪れた。
―――新学期である。


大きな音を立てて教室の扉を開けた私たちのクラスの担任、キース教官は、
――絶対教師より軍隊での教官の方が向いてるよね?という満場一致の声から、ひそかにこのあだ名は広まった――
クラスに紛れこんだ敵を見つけ出そうとでもしているかのような鋭い視線を私たちに向けた。

怒っているわけではない。これが教官の自然体なのだろう。

キース「夏休みだからと言って不摂生したり非行に走った者はいなかっただろうな?
    今日からまた学校が始まる。
    受験生の癖に気の抜いた学校生活を送ろうと考えた瞬間に貴様らの首が飛ぶと思え」
    
キース「さて……今週の土日に文化祭が開催される予定だな。
    文化祭を楽しみにするのも構わんが、それを理由に勉強を疎かにするな。
    今がどれほど大事な時期なのか貴様らにも重々分かっているだろうな」
    

ここまで釘を刺されて文化祭に浮かれ立つ者もいないだろう。
皆口を閉ざして俯いていた。一番前、中央列、教官に最も近い席に座っているフランツは震えていた。

教官は、これにてHRを終了する。と厳かに告げて教卓を後にした。
そのまま職員室に戻るかと思いきや……


教官「ちなみに、私は、チョコバナナが好きだ」

なんのことだろうかとその後しばし皆で話し合ったところ、クレープのことではないか?という結論に至った。
教官もそれなりに文化祭を心待ちにしている、らしい。


それから、授業を真面目に受けてから、放課後に文化祭の準備に取り掛かる、という生活が続いた。
生徒会での仕事もそれなりにこなしながらの活動だったので、それなりに忙しかった。

でもこの忙しさももうすぐ終わりだと思うと、嬉しいやらさびしいやら。
一言では表わせない感情の色が私の胸に差す。
文化祭が終われば、もう行事という行事は残されていないし、
生徒会も引退の時期だ。もう後輩のメンバーは既に選出されている。

面倒に煩わされなくて済む、ただそれだけのはずなのに。
人の心って不思議だ。


ミーナ「明日はついに文化祭前日だからね、午後の時間は丸々準備に使っていいって!
    みんながんばろーね!」
    
うおおお、と教室が沸いた。
受験生だろうとなんだろうと、授業が潰れるのはこの上なく嬉しい。


ミーナ「あれ?ねえ、アニ。ユミル見た?」

アニ「さあ……見てない」

ミーナ「どこ行っちゃったんだろ。当日の店番のことで訊きたいことあるんだけどな」

アニ「…………探してこようか?」

ミーナ「えっ……?」


驚いているミーナを見て少し後悔したけど、
そのことに気づいたのかやや大げさにミーナは「あ、じゃあお願いしてもいい!?ありがとアニ!」と答えた。

アニ「……ん」

なんだろうこの面映ゆい感じ。
やっぱり言わなきゃよかったと思いながら廊下を抜ける。

ふと窓の外を見下ろせば、見知った姿があった。
真っ黒の、少し癖っ毛の丸い頭。今日は寝癖はついていない。


中庭でコニーとマルコと、なにやらふざけ合っている。
話している内容までは3階のここまでは届かないが、よっぽど可笑しい冗談をマルコが言ったみたいで、
コニーは腹を抱えてうずくまり、エレンは笑いながら膝を曲げて空を仰ぎ見た。

その拍子に私の姿が目に入ったらしい。
黒猫みたいな琥珀色の瞳が開かれる。

しまった。見つかるつもりではなかったのに。
さっさとこの場を去ってしまえばよかった。

何故だか、無視して去ることができなかったのだ。


エレンがこちらを指さしながら、コニーとマルコに何か言った。
そして、口先に笑みを乗せながら、ゆっくり手を振る。

……思わず振り返った。本当に私に向けて手を振ったのか、不安に駆られて。
廊下にはクラスの皆の雑談する声だけが漏れ出していて、視覚的には閑散としていた。

なので、私も小さく―― やや乱暴に右手を振り返した。


アニ「……ばか」

なに遊んでいるんだ。ばか。サボってるんじゃないよ。


勿論私の言葉がエレンまで届く訳がない。
エレンもやはり「ん?」という風に首を傾げて、隣の2人を見た。

意味が分からないなりに、ポジティブに口の動きを解釈したらしく、
笑いながらこちらに向かって何か声を張り上げていた。


その位置から言ったって、聞こえないのに。窓だって閉まってる。
本当ばかだ。

私はようやく見切りをつけて、エレンたちから視線を逸らしてユミルを探すために薄暗い廊下を進んだ。
その途中でふと気になって、思わず独り言が口から零れおちた。


――あいつ、私がなんて言ったと思ったんだろう。








その夜。ベッドに横たわりながら私はなんとなくまだそのことを考えていた。

文化祭の日に……明後日、訊いてみようか。その頃には忘れているかもしれない。

明日はあいつに会う機会があるだろうか?

別に、特別どうしても、訊きたい訳ではないけど……。


そんなことを考えながら目を閉じた夜。
私はまた奇妙な夢を見た。見させられた。見てしまった。見ざるを得なかった。
見たくは、多分、なかった。


『いいなあ、ハンナとフランツっていつ見ても熱いよね』

『あんた、この間言ってた――とのことどうだったの?進展したの?』

『うん。昨日ね、座学で分かんないところあるって言ったらすっごく分かりやすく教えてもらっちゃった』

『いいなぁ!あーあ、私もさ、辛い訓練を乗り越えるために心の癒しがほしいよ』


「………………」


ガタッ


『……わ、やばい、今のあの子に聞こえたのかな。今わざと音をたてて皿を置かなかった?こっわい』

『え?あ、あぁ……やっぱり成績いい人から見たら、私たちって見てて腹立つのかな』


……今のはわざとじゃない、偶然だ。
そうわざわざ言うのも面倒だし、言ったところで彼女らにはそれすら厭味に聞こえてしまうだろう。


『あの子みたいな女の子には、私たちの気持ちなんて、絶対分からないよね』

『ね』


「………………」

あんたたちにも、私の気持ちなんて絶対分からないだろう。
3人で分けても重たすぎる使命を背負った時の気持ちも。
一人きりで壁と見つめ合いながら咀嚼するパンの味も。


『ハッ 俺も心の癒しってやつがほしいもんだぜ』

『なんだよジャン。荒んでんな』

『うるせぇよ。誰か恵んでくれねぇかなー……』


彼女らの会話を聴いていたのは私一人ではなかったようだ。
当の二人はおしゃべりに夢中で気づいていないみたいだけど。


『アルミン、そういやお前はそういう浮いた話ねぇのか?』

『えっ!?僕!?い、いやだな。ないよそんなの』


『無駄無駄。ライナー、アルミンがそんなのあるわけねぇだろ?エレンにべったりだからさ、そいつ』

『おい、ジャン。今の口ぶりはなんだよ?アルミンのどこが俺にべったりなんだ』

『べったりだろ?いっつも一緒にいやがってよ。ミカサも……』

『おいおい喧嘩はやめろ二人とも。そうだ。エレン、お前はどうなんだ?』

『どうなんだって、何が?』

『何がって、話の流れ聞いてりゃ分かんだろ?惚れた腫れたの話だよ』

『そんなのあるわけねぇだろ』

『……だよな』

『つーか意味わかんねぇな。恋人がいりゃ討伐数が上がんのか?巨人どもをぶっ殺せるのか?
 俺に言わせりゃ、訓練兵士である身で、んなもんに現を抜けせる奴の気が知れねえな。
 そんなザマでいざ戦場に立ったとき本当に使い物になんのか疑問だぜ』
 
『エ、エレン。ちょっと……声を落とそうよ。みんながみんなエレンみたいな考えじゃないんだよ』

『あぁ、悪い。でも本心だぜ。少なくとも俺は、巨人どもをこの世から絶滅させるまで、そういうのする気になんねぇな』

『相変わらずの死に急ぎ思考で安心したぜ、俺はよ。全くエレン様の演説には痛み入るね』

『……やっぱり、喧嘩売ってんだろ?』


「………………」

羨ましい。妬ましい。
私もあいつみたいにひとつのことしか考えられないような頭がほしい。
色が混じり合うことなく、たった一色にしか染まらない幸せな脳内がほしい。
あんたみたいな単細胞馬鹿になりたい。

そうすれば、きっと
多分、おそらく
今の私みたいなみじめで滑稽な姿をさらさずに済んだ。

戦士にも、兵士にもなれずに堕ちる、哀れな末路を辿らずに済んだ。


「アニ、落ちて」


もう、すでに。


E 21
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アニ「なんでだか分からないけど……」

アニ「あんたの顔見るとイライラする。虫唾が走る。腹が立つ」

アニ「……なんで?」



出会い頭にそんなことを、それなりに顔見知りの女子に言われた時の俺の気持ちを
的確に表現できるだけの言語力は、まだ身についてなかった。
多分これからも身につけることはできないと思う。


衝撃から俺の精神が解放された頃には、アニはいなくなっていた。
言い逃げである。ひどい言い逃げを見た。

俺は喧嘩を売られたのだろうか。

書く!


明日の文化祭に向けて、午後いっぱいの時間を使って作業を進めている途中だった。
生徒会室に用があった俺と、ちょうどその部屋から出てきたアニが偶然出会った。

昨日の今日で最近よく顔を見るな、そう思いながら軽く挨拶でもしようと思ったら、

アニ「あんたの顔見るとイライラする。虫唾が走る。腹が立つ」

この仕打ちだ。
どういうことだ。


アルミン「アニを怒らせた?誠心誠意謝るほかないよ、エレン。なにしでかしたんだい」

エレン「いや、俺なんもしてねーって!」

生徒会室に居残っていたアルミンに相談してもこの有様だった。
俺なんもしてない……よな?

エレン「なんだよ、あいつ。わっけわかんねー」



アルミン「じゃあ、なんで怒ってるのか聞いてくれば?」

エレン「なんで俺がわざわざ。大体俺は悪くないし、あいつが勝手に八つ当たりしてきただけだろ」

アルミン「意地張らない方がいいと思うけどな。明日、文化祭だよ?」

エレン「だからなんだよ?」


アルミンは数秒宙に視線を泳がせた後、「ううん、別に」と曖昧にほほ笑んだ。
含みのある言い方だ。
何が言いたいんだと問い詰めてもアルミンは口を割らなかった。

それどころか、さっさと謝りに行くか原因を突きとめに行くか、そうしないなら
文化祭の準備に参加しろと言って生徒会室を追いだされてしまった。

昔のあの親友はもっと優しかったのに……。
俺は舌を打ちながら自教室に戻った。

なんで俺がアニのこと気にしなきゃいけねーんだよ?
俺はただ普通に挨拶しようとしただけだ。

俺に非はない。……と思う。


…………本当に、なんもしてないよな?

文化祭の準備が終わって、帰宅してからも、10分おきくらいにそのことが頭をかすめた。
食事中でさえなんだか気がそぞろだった。

カルラ「エレン、それ、パンじゃなくてフォークよ」

エレン「ん?あぁ……どうりで固いと思った」

グリシャ「エレン、それはコップでなく花瓶だ」

エレン「あぁ……本当だ」


父さんと母さんは俺が熱でも出したんじゃないかと心配してたが、至って健康体である。
二度目は本物のパンとコップを手にとれた。

カルラ「……エレン。この間の話、だけど……」

エレン「なんだよ、もうそれは決まっただろ?もういいって」

カルラ「でも……」

グリシャ「その話はまた今度改めてしようじゃないか。エレンも明日は文化祭だろう?今日は早めに休みなさい」

エレン「……ああ」


まだ何か言いたげな母さんから逃れるように、俺は食事を食べ終わると自室に引っ込んだ。
扉を閉めて、一人きりになると安堵の息を吐いてベッドに転がった。
食べてすぐ横になると牛になる。ミカサがこの場にいたらすぐに起こされていることだろう。


エレン「…………俺なんかしたっけ。アニに」


思考はめぐりめぐって結局、導かれるようにそこに行きついてしまうのだった。
今日は、多分なにもしてない。そもそも会ってすらいない。
じゃあ昨日か?

昨日、3階の窓から俺たちを見下ろすアニを発見した。
手を振ったことが気に障ったのだろうか。でもあいつだって、少しだけど振り返してたし。

……。

エレン「あーくそ。なんで俺がこんなに頭悩まさなくちゃなんねぇんだ」

気を取り直して勉強をしよう。
そう思ってノートを開いてみても結局堂々巡りになってしまうのだった。
どうしたら平方根の計算からアニに辿りつくのだろう。意味が分からない。

俺は、観念して携帯電話を取り出した。時計の針が指し示すのは10と30。
連絡をとるには遅い時間かもしれないが、今時中学生でこの時間帯に眠る者もいまい。


結局アニに原因を尋ねる羽目になるのだったら、今日の放課後、あの後すぐに追いかけていればよかった。
まあいい。俺には文明の利器がある。

アニの番号を電話帳から探そうとして、ぴたりと指を止めた。
そういえば俺、アニの電話番号もアドレスも知らなかった。

というかほぼ何も知らない。
あいつが住んでるところも、好きな食べ物も、嫌いな食べ物も、
趣味も特技も、休日はどんな風に過ごしているかも。

俺はアニについて片手で数えられるくらいしか知らないのだった。
ほぼ、他人同然の関係性と言える。

その事実に驚きながら、俺はライナーに連絡してアニの番号を聞き出した。
「知らなかったのかよ」と呆れる奴に「うるせえ」と返して、通話を切る。

それから、何故か少し緊張しながら、11ケタの番号を間違えないように押していった。

A 22
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鳥肌がたつほどの冷たい夜風に僅かに肩をすくめた。上着を着てくればよかったと後悔する。
私を冷やかしていった風がそのまま後ろの木々の間を抜けて行った後、一拍遅れて葉が騒ぎ出す。
不気味だけど、怖くはなかった。

家の快適な自室にいるより、ここで膝を抱いてた方がほっとするのはなんでだろう。

またぼんやりとどこを眺める訳でもなく、墨汁色の空にぽつぽつ浮かぶ無数の明かりを瞳に映していたときだった。
ポケットの携帯電話が震えた。登録されていない番号が画面に表示されている。
こんな時間にイタズラ電話だろうか?

とりあえずでてみると、エレンの声が聞こえてきたので思わず切ろうとした。


エレン「おい、お前切ろうとしてんじゃねぇだろうな」

筒抜けだった。仕方ないので、会話を続ける。

アニ「……してないけど」

エレン「うそつけよ」

アニ「なんで番号」

エレン「あぁ、ライナーに教えてもらったんだ」

あの野郎。


エレン「お前さ、俺の何が気にいらねぇんだよ?」

苛立ったような急くようなエレンの声色が、手のひらの中の機械を通して伝わってきた。
私はその問いに答えられない。
単純に、私自身でさえ答えが分からないからだ。

アニ「分からないから、あんたに訊いたんだけど」

エレン「は……? それ……お前なりの冗談か?クソつまんねぇぞ」

アニ「うるさい」

また風が吹いた。髪がばさばさと煽られてひと房唇にはりついた。
その音は電話の向こうのエレンにも伝わったらしく「お前いまどこにいるんだ?」と尋ねられる。
その問いには容易に答えられる。

が、抵抗があった。

アニ「…………前、あんたと行ったところ」

エレン「前?どこだよ」

アニ「ほら、テニスした次の日に」

エレン「はぁ!?なんでそんなところにいるんだよ!今何時だと思ってんだ馬鹿!!」

あれ…文化祭までいけなかったクソ
明日また書きに来ます


怒声がキーンと右耳から左耳を貫いて、思わず携帯を放り投げそうになった。
衝動をぐっとこらえて、「なに」と不機嫌な声をわざとだす。


エレン「家出か!?」

アニ「……違う。別にただの気まぐれ」

エレン「意味わからん。あーもう、そこにいろよ。俺ん家近いからすぐ行く」

アニ「行く――え?」

こっちこそ意味が分からない。なんでエレンがここに来ることになるんだ。
来なくていい、むしろ来るなと答えたが時すでに遅し。通話は切れていた。

立ったまま、今の己の姿を確認した。
適当にひっかけてきた健康サンダルに、七分丈にまくったジャージ、色あせたTシャツ。
どうせこんな夜中だから、誰ともすれ違わないだろうと思って特に気にしなかったが……

客観的に見てもかなりのみすぼらしい格好だった。しかも髪までぼさぼさというオプションつき。
絶望的な状況だ。


もういっそ樹の影に隠れていようかと悩んでいるうちに、本当にエレンの家はここから近いらしく
ドッタバッタと石階段を駆け上ってくる音が既に迫ってきていた。

あっという間に階段を上りきって姿を見せたエレンは、さすがに体力を消耗したのか
ぜいぜいと息を切らしながら私を睨んだ。

エレン「あのな、こんな夜遅くに女一人でなにやってんだっ」

なにやっていたのかと聞かれても、ただここから街を眺めていただけだ。

エレン「じゃなくて、危ねぇだろ!? その、色々と」

アニ「いろいろ?」

エレン「だから……、いやちょっと待て。息整える……」


膝に手をついてせき込むエレンの姿も、私同様、結構ひどいものだった。
部屋着にパーカーをひっかけてきている点では、この肌寒い夜に半袖で出かけてきてしまった私より賢いと言える。
でも履物が右はスニーカー、左はサンダルでちぐはぐだ。よって同レベル。


アニ「そんなに心配してくれたの?」

エレン「はっ……!?」

揶揄のつもりで投げかけた言葉に、思った以上の反応を返されて逆にこっちが怯んだ。
ぎょっとした顔で固まったエレンに、私も内心ぎょっとして、暫く静寂が続いた。
口火を切ったのは向こうだった。

エレン「しっ、してねーよ!俺はただ昼間のお前の言動がどうしても気になったから、わざわざ訊きにきたんだ」

アニ「ふーん……」

エレン「なんであんなこと言ったんだよ。俺が無意識に癇に障ること言ったなら謝るから」

アニ「……」

まずい……。
あんまり覚えてないけど、夢にでてきたあんたに苛立った気がするから、八つ当たりをしたなんて
言いづらい感じになっちゃったな……。
正直軽口のつもりだったのだが。


1ヨクトくらいの申し訳なさまで感じてきた。
そのまま口を閉ざしていると、ますます正面のエレンが真剣味を帯びた双眸になってきて、
その分私の言いだしづらさも倍増するという負の螺旋。


10秒ほどで負けて、素直に全部話した。


エレン「………………夢ぇ?」

は?え?本当にそれだけ?え?夢!?と何度も確認した後

エレン「それ俺悪くないじゃん」

アニ「……本当にそうかな」

エレン「そうだよ!なに言ってんだ!?俺関係ねーじゃん!」


悩んで損した、とエレンは吐き捨てた。

悩んだのか。


エレン「……はぁ、なんか脱力した。もう帰ろうぜ。お前も気ぃ済んだろ」

アニ「そうだね……まあ」

流石にもうそろそろ家に帰らなくてはまずいし、これ以上外にいる気にもなれなかった。
両腕を抱きかかえると、風にさらされた皮膚の表面がひんやり冷たくなっているのが分かる。
階段を降りながら無意識に腕をさすっていると、エレンが上着を脱ぎだした。

もう一度言う。脱ぎだした。


アニ「ちょっと……なに脱いでんの、あんた露出狂?勘弁してくれない……?」

ありっっったけの軽蔑を込めて睨むと、エレンは渋面をつくった。

エレン「ちげーよ、アホ。これでも着とけ」


頭になにかが覆いかぶさって、木にひっかかったかと腕を上げると、布の感触。
ほんのり暖かい。エレンのパーカーだ。

「9月に入ると、もう夜は半袖じゃ寒いな!」階段を足早に下って行くエレンの背中が前にある。


アニ「は? ねえ、これ……」

エレン「早く行こうぜ。明日寝坊したら、お前もミーナに怒られんだろ。お前のクラスの実行委員、あいつだよな」


いつになく饒舌なエレンは、そのままとりとめのない言葉を紡ぎながら振り返らずにどんどん進んでいく。
返そうにも、受け取ってもらえそうにない。

アニ「……」

余計な気を使って、と腹立ち半分気恥ずかしさ半分でパーカーをはおった。
少し――いや大分――大きい。袖を何回もまくらなければならなかった。


……あったかい。のは、認めよう。
問題はなんというかその、嗅覚だった。別に臭いとかそういうのではなくて……落ち着かない。

ああもう。頭がこんがらがる。
らしくない。まったくもって私らしくない。

エレン「……で、その後ミカサとアルミンが来てさ、ジャンが……なぁ、聞いてるか?」

アニ「聞いてない」

エレン「聞けよ……」


階段の一番下の段まで辿りつくと、ようやく街灯の明かりが届く範囲にはいった。
私は自転車に跨ると、口早に告げる。

アニ「この上着、洗って返すから。……色々と、悪かったね。じゃ」

エレン「待てよ、どうせだから送ってく…………ってなんだその顔」


こいつは本当に私が知ってるエレン・イェーガーなのか、信じられない思いだ。
何か悪いものでも食べたのだろうか。

いきなり紳士的な態度をとられても、不気味なだけなんだけど。
なんというか、今日私が女子だということをはじめて知った、みたいな態度の変わりようだ。


エレン「いちいち腹立つなお前。……別に乗りかかった船ってやつだよ」

アニ「……じゃ、送らせてあげるよ」

エレン「送って頂きます、だろ?」

アニ「しっかり送り届けてよね」

減らず口め、と毒づく声は無視した。
照れると憎まれ口を叩いてしまうのは多分お互い様なのかもしれない。


E 23
-----


快晴だった。気温32度。湿度は分からん。
高校生活最後のイベント、文化祭初日の朝。早くも校門から他校の生徒や一般の人が入ってきていた。

既に俺たちのクラスにも客が集まっている。
女子生徒7割、男子生徒3割。例外なくカメラ(もしくは携帯電話のカメラ機能)を手にして笑っている。

「アルミン先輩!一緒に写真撮ってください!」
「ミカサ先輩とサシャ先輩超かっこいいッス!惚れるッス!」
「ジャン、コニー、エレン!こっち向けこっち!撮ってやるから!ブハハ!」

3人で苦虫を噛み潰したような顔を向ければさらに笑いの渦が巻き起こった。
あー……早く店番終わらないかな。
舌打ちしてると、男装もどきをしているミカサに諫められた。

ミカサ「エレン、笑顔が消えている」

エレン「こんな状況で笑えって方が無理だ」

突然ミカサが何故か、俺の肩をがっちりホールドした。

ミカサ「サシャ、今のうちに私とエレンの写真を撮ってほしい」

サシャ「合点!」

エレン「やめろ!おい、離せミカサ! ほら隅っこの客がオーダーだってよ!俺行くから!!」


こんな姿の写真撮られたら、ミカサに一生ネタにされるに決まってる。
本人にネタにしている自覚はなくとも。

視界の隅で誰かの片手が上がっている様を捉えたのを理由に、ミカサの手から逃れた。
今更だけど女装メイド喫茶なんてやろうと言いだしたの、一体どいつだよ。殴り倒したい。


エレン「いらっしゃいませ……注文は…………って」

メモを片手に隅のテーブルに近づくにつれ、足取りは重くなった。

エレン「帰れよ」

ライナー「っひ、ひでえな……くくく……客に向かってよ?」

ベルトルト「ははは……ごめんね」


エレン「男二人でむさっくるしいな、おい。頼む帰れ」

ベルトルト「え……。二人じゃないよ」

エレン「え?」

アニ「……どうやらあんたの視界には私の姿は映らなかったみたいだね」


あ。ライナーとベルトルトの影からアニがいたのに気付かなかった。
頬杖をついて、相変わらずの無表情だったが、時々口の端がぴくぴくしているのを俺は見逃していない。
こいつら……本当に冷やかしに来やがった。


散々無茶ぶりをしたり写真を撮ったり笑い転げた後、3人組は自分のクラスの店番の時間だと言って去って行った。
俺もその後店番を解かれたので、同じく自由の身になったミカサとアルミンとほかのクラスを見てまわることにした。

さっきの仕返しとばかりに隣のクラスに顔を出す。


クリスタ「あ、みんな。いらっしゃい」

にっこりと微笑みながらクリスタに迎え入れられた。


アルミン「おいしそうな匂いだね。僕なににしようかな」

ミカサ「教官おすすめチョコバナナ……なにこれ」

ユミル「うちの担任のお墨付き。うまいぜ?」

ミカサ「……キース先生の?」


「あんたら本当に来たんだ」
エプロンを身に付けたアニが、クレープの並べられたトレーを両手で持ちながら言った。


エレン「おすすめは?」

アニ「イチゴチョコホイップデラックスシュガーバターバニラ抹茶アイスクレープ」

エレン「は?なんかの呪文かそれ?」

値段を見ると一番高い商品だった。商魂たくましい奴め。絶対買わん。


アルミンとミカサと3人でお化け屋敷やらゲームやらしているうちに、あっという間に正午を過ぎた。
午後からはライナー・ベルトルト・アニの3人組も合流して校舎内を逍遥することになった。

ライナー「体育館の女装男装コンテストは、ナナバ先生とハンジ先生が同点で優勝したそうだ」

アルミン「あぁー……」

エレン「生徒押しのけて優勝か」


さすが、うちの学校。生徒に一切の遠慮をしないことに定評がある。
2階の廊下を歩いていれば、担任のリヴァイ先生とエルヴィン教頭を見つけた。
教頭の背が周りから頭一個分高いのですぐ目に入る。

エルヴィン「お。ここのクラスはなかなか気合入っているな!お化け屋敷に入ろう、リヴァイ」

リヴァイ「一人で入ってろ」

エルヴィン「命令だ、従え」

リヴァイ「ふざけんな」

ここまで。親密度が高くなるにつれ書くの恥ずかしくなってくる あああ
レスありがとうございます。めっちゃ励みになります

ふええ…完全に週1ペースだよぉ…ごめんねって妹が言ってたので許してください
書き溜め方式にしました


ピクシス「酒は売っとらんのか? む……」

リコ「中学校の文化祭で売ってるわけないじゃないですか」

イアン「たこ焼きいりますか、ピクシスさん」

マルロ「お前、他校の文化祭に来るのになんでそんなに露出度の高い服装なんだ」

ヒッチ「えー 別にいいじゃーん」


この昼時は文化祭の賑わいのピークなのだろうか。
だんだんと廊下にもそれぞれの教室にも人ごみができはじめ、通行も困難になってきた。
着ぐるみや何かの漫画?のコスプレをした生徒たちが看板を持って必死に呼び込みをしている。


エレン「賑わってきたな」

アルミン「ちょっと休憩する?中庭にも出店あるよ」

というわけで中庭に移動することにした。
緑に囲まれた中庭は、嬉しいことにそんなに込み合っていなかった。
日陰にある少し錆びれたベンチを陣取る。



ベルトルト「どこのクラスが売り上げ一位になるかな……」

ライナー「しばらくしたら集計の仕事に戻らなくちゃな」

エレン「なんだ、そんな仕事までするのか」

ミカサ「エレンも生徒会に入ればよかったのに」


何度も断ったろ、と言ってスプーンをさっき買ったかき氷にぶっ刺した。
まだまだ日中は暑いが、この氷と日陰のおかげで幾分緩和されている。

ふと視線を感じて横を見ると、アニが横目で俺の手元を見ていることに気がついた。
「なんだよ」と声をかけた途端にふいと逸らされる視線。


エレン「食べるか?」

かき氷が食べたかったのかと思って、屋台らしいプラスチックの器ごと差しだせば、
アニは何やらぎょっとしていた。といっても表情の変化は微々たるものだ。
俺もだんだんこいつの乏しい表情から感情が読み取れるようになってきたと思うと感慨深い。

A 24
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なんとなく見ていただけなのだけど、差しだされてから拒絶するのもなんか変に意識しているみたいで癪だ。
無言でかき氷を受け取る。
スプーンは当然ひとつしかない。

でも回し飲みや回し食いなんてみんなしていることだし。
さっきだってベルトルトの食べ物、一口もらったし。

細かく砕かれた氷が木漏れ日にきらきらと光って私を誘っている。
スプーンに掬われたそれを手に、じっと黙っている私をエレンが不審そうに見た。

なにを躊躇っているんだろう、こんな一口くらいで。
でもこれって所謂ああいうことになってしまうんじゃないか。
間接なんとかとやらに――

!?
不意に背筋が凍った。エレンを挟んで向こう側からものすごい視線を感じる気がする。
そちらを見てはいけないと本能がけたたましく脳内でアラームを鳴らした。
これはただの高校生が醸し出せる“気”ではない、まるで軍人100人分のそれだ。

やれるもんならやってみろ……そんな風な意思をひしひしと感じる。
そこまで言われると何がなんでもやってやろうと思うのが人の性だ。

冷や汗が滲むがそんなこと気にしてられない。
いいよ、やってやろうじゃないか……


エレン「おい、溶けてんぞ」



結局……かき氷は食べず仕舞いだった。それがよかったのか悪かったのかは分からない。
私は負けていない、不戦敗というやつだ。

各クラスの売上を集計しながら、いつの間にか眉間にしわを寄せていたらしく、
報告に来た生徒が涙目になって帰っていった。そこまで怖い顔をしていただろうか。


ライナー「この後は売上結果発表、それから後夜祭か。やっと俺たちの仕事も終わるな」

アルミン「みんなお疲れ様」

ベルトルト「もう僕たちがこの部屋に集まることもそうそうないだろうね……」

ミカサ「もう私たちは引退だから、この部屋も片付けないと」


そうだ、後輩の生徒会に部屋を引き継ぐためにまず片付けをしないといけないんだった。
暇な時にいつもやっていたトランプやボードゲームの類も持ち帰らなくては。
面倒だな、と思うのと同時に少しさびしい気持ちも湧いてきた。

多分、窓から差し込んでくる夕日のせいだろう。

待ってたよ>>1
外野騒がしくてごめん
でもそれだけ読んでる人が多いってことで


結果発表を放送室で済ませた後、後夜祭が校庭で行われた。こちらは自由参加である。
私は疲れたのでそちらには参加せず、帰宅しようかとも考えていたのだけど、
生徒会室にやってきたエレンとコニーとサシャに連れられて、なし崩しに参加することになってしまった。

コニー「おーやってるやってる」

サシャ「キャンプファイアーですね!」

校庭の真ん中では屈強な男子生徒たちがせっせと櫓を組んでいた。


アニ「毎年思うけど、なんでただでさえ暑い夏にキャンプファイアーなんてやるんだろ」

エレン「まあな」

アルミン「夜だとちょっと肌寒いしいいんじゃないかな。……正直雰囲気だよね。ちなみにエルヴィン教頭の提案で始まったらしいよ」

コニー「まじかよ」


やがて火が灯され、すっかり暗くなった夜の帳に真っ赤な光が立ち上った。
また定番と言うべきか、勝手にフォークダンスを踊っている男女の群れも見受けられる。
ジャンの組んでるバンドのライブのやかましい音と混ざってなかなか混乱極まる光景だった。

まあ、みんな楽しそうだからいいんだろう。

>>362
ご丁寧にありがとうございます
こちらこそ遅筆すぎて申し訳ない


火の周りでダンスなど私がするわけもなく、中心から離れた場所でひっそり見守ることにした。
ここからでは、誰も彼も火に照らされて黒々としたシルエットにしか見えない。
文化祭で騒いだ後にも関わらずみんなよくこれだけ元気にふるまえるものだ。

と、そこでひとつの影が群れから離れてこちらに近づいてきた。
影の形から、女子ではない。ライナーのようにがっしりともしていなければベルトルトのように長くもない。


エレン「こんな隅っこで、一人でなにしてんだ?」

アニ「……あんたか」

エレン「俺じゃ悪いか」

アニ「別に」


エレンは勝手に私の隣に腰を下ろした。どうやらこいつも休憩しに来たらしい。


エレン「クリスタがお前のこと探してたぞ。写真みんなで撮りたいとかなんとか」

アニ「ああ…うん」

ここからではどの影がクリスタなのかそうじゃないのか全然区別がつけられない。
後でぶらぶら歩いていればそのうちばったり会うだろう。


自分からこっちに歩いてきたくせに、エレンはその後口をきかなくなった。
遠くから聞こえてくるざわめきだけが私たちの間を満たしていた。

あっちも無言でいられると、なんだか色んなことが気になってくる。
座っているベンチの狭さとか、ちょっと動かせば触れそうな私とエレンの膝とか。

放っておけばどんどん気になることが増えて狂いそうになってきそうだと思ったので、
私から先に口を開いた。


アニ「もうこの学校にいるのも……あと半年くらいだね」

エレン「ああ、早いもんだな」


エレンがため息をついた。珍しく物憂げな表情をしている。


エレン「もう夏も終わるな」

声色が暗いのは、夏が好きだからという理由だけじゃないだろう。
気づいていたけれどこの空気を吹き飛ばしたくてわざと茶化すように言った。


アニ「終わってくれて助かるよ。夏なんて汗かくし、虫に刺されるし、いいことないね」

エレン「じゃあお前はなんの季節が好きなんだ」

アニ「……冬」

エレン「冬か」

アニ「冬」

エレン「俺は夏の方が好きだな。なんつーか生きてるって感じがする」

アニ「……意味わかんない」


「うるせえな」そう言うエレンの声はいつもと違って穏やかなものだった。


とりとめなく会話が続いていく。
蝉の声。藍色の星空。向こうで手を振ってるのは一体だれだろう。逆光になってて分からない。


お互いに喧嘩腰じゃなかったからかもしれない。私はいつもより素直に考えたことを口にしていた。



アニ「でも確かにあんたは夏が似合うかもね」

エレン「そうか?」

アニ「熱血バカって言葉知ってる?」

エレン「……それお前、遠回しに俺が暑苦しいバカって言いたいのか」

アニ「さあね」


ふと突然既視感を感じた。似たような会話をどこかで誰かとしたような気がする。
確かそれは青空に入道雲が悠々と浮かんでいて、今とは比べ物にならないくらいの暑苦しさで。
熱気が質感を持っているような真夏日だった。……ような。


アニ「この会話、前にしなかった?」

エレン「……なに言ってんだお前」

アニ「……なんでもない。忘れて」



確かに変な発言をしてしまった。それは認める。
でもエレンの「お前暑さで頭狂ったんじゃねーの」とでも言いたげな憐みの表情は見過ごせない。

隣を向いて睨むと、蹴られるとでも思ったのかエレンは慌てて身じろぎした。
頭の後ろで組んでいた両手を下ろす。
ベンチに置いていた私の右手の上にあいつの左手が重なった。

と思ったら次の瞬間にはもうなくなっていた。

エレン「うわっ! わ、悪いな」

アニ「いや……平気だけど」

エレン「……」

アニ「……」

エレン「……」

アニ「……クリスタ探しに行ってくる」

エレン「お、おう」


慣れない空気にいたたまれなくなって、私は立ちあがった。
口実があって助かった。

エレン「……気悪くしたなら謝る。すまん」

私が火の方へ一歩踏み出してから、声に降り向いて見下ろすと、
またしても珍しく殊勝なエレンが真っ直ぐにこっちを見上げていた。

一瞬どういうことだか分からなかったが、どうやら私が気分を害してクリスタを口実に立ち去ろうとしたのだと思ったらしい。


アニ「……馬鹿だねあんた」

エレン「ばっ……いや、そうだな」


そう素直に謝られると、こっちもいつもの調子を崩されてしまう。


アニ「夏は嫌いだけど、あんたはそこまで嫌いじゃないよ」

それだけ言って私はクリスタを探しに歩いて行った。


クリスタ「あ、アニ。もうどこにいたの?探したよ」

適当に歩いているとクリスタがひょっこり現れた。
後からユミルがのっそりついてきている。


クリスタ「写真撮ろう。卒業アルバムに載せる写真なんだ」

アニ「……」

ユミル「すっげぇ変な顔。おいクリスタ、今がシャッターチャンスだぞ」

アニ「変な顔、してる?」

思わず訊き返せばユミルは驚いたようだ。
クリスタのように私がユミルのとりとめない軽口に付き合うのは稀だ。

ユミル「変っつーか、まあ、写真撮られたくなさそうな顔はしてるな」

アニ「……そう」

クリスタ「アニお願い!最後の文化祭だし写真いっぱい撮りたいの!」

アニ「いいよ」

クリスタ「えっ いいの!?」


ユミル「おお、珍しいね。お前って自分が写真撮るのはよくやってるけど、撮られるの嫌そうだもんな」

クリスタ「あそこにいるジャンとマルコもいれようか」


近くでゲラゲラ笑っているジャンとマルコをクリスタが呼びに行った。
私はその間に、携帯を取り出してエレンが今も座っているベンチの方角に向ける。
軽やかなシャッター音にユミルが振り向いた。


ユミル「なに撮ったんだ今? ……ん?あそこに座ってる奴だれだ?」

アニ「さあ、ね」

ユミル「おいおいなんだよ、教えろよアニ」

クリスタ「二人ともお待たせ!ジャンとマルコ連れてきたよ」


タイミングよくクリスタが現れてユミルの追及を逃れることができた。
ユミルが言う通り、写真にもただぼんやり人影が写っているだけで誰なのかは判別できない。

まあ、誰かに見せるための写真でもない。
私だけが知っていれば、それで、いいのだ。

ここまでで
キャンプファイアーやる学校って実在するのかな 
ジャンとマルコのために出したかっただけです


* * *


「はあああああー」ミーナが肺の中の空気を一気に吐き出した。
それがため息だと気づくのに数秒を要した。

アニ「……なに」

頭を下げたまままんじりともしない姿が哀愁を物語っている。十代女子が醸し出していい空気ではない。


放課後に訪れた公立図書館で、私たちは教科書とノート相手に格闘していたところだった。
平日の閉館間近の図書館では閑古鳥が鳴いている。小声なら少しくらい話してもいいだろう。

よくぞ聞いてくれましたとでもいうようにミーナががばりと顔を上げた。


ミーナ「もう、ね、数学なんてこれから生きる上で何の役に立つのかな。今後絶対こんなの使わないって私、誓えるもん」

アニ「あっそ……」

ミーナ「冷たいなぁ。 あーあ、文化祭も終わっちゃったし、つまんないなぁ」

アニ「文句言う暇あるなら、次の問4解きなよ」

ミーナ「うう、ひどい」



気分転換に雑誌を持ってくる、と席を立ったミーナは何故か手に何も持たずにすぐに戻ってきた。
そして必要以上の小声で「左の方のテーブル見てみて」とささやいてくる。

促された通りに見てみるが、別段変わったところはない。
ただ自分たちのように自習用の机で勉強をする学生や、新聞を読む老人の姿が連なる光景だけだ。


と思ったが、よくよく目をこらせばどことなく知っている人物に似ている、金髪ひとつと黒髪ふたつ。


ミーナ「ミカサとアルミンとエレンだね。勉強しに来たのかな。ね、ちょっと行ってみようよ」


このミーナ、完全に勉強に飽きている。


アニ「私はいいよ。一人で行ってくれば」

ミーナ「えぇ……そんなぁ。あの3人っていっつも一緒にいる幼馴染だし、私一人じゃちょっと入りにくいよ」


なら無理して行かない方がいいんじゃないの。
と言い返そうとしたとき、背を向けていたはずのミカサが不意に振り返った。

かなり小声で話していたし、距離もあったので気づかれるはずはなかったのだが。
……あいつは野生の動物か。山育ちか。


結局私が折れる形になった。


アニ「ミカサ……あんた卒業したら狩人にでもなれば」

ミカサ「アニが何を言っているのか分からない」

ミーナ「どっちかって言うと、サシャの方が向いてない?」


アルミン「ミーナとアニもここにいたんだ。全然気付かなかったな」

エレン「おー」


背筋を伸ばして腰かけているアルミンに対して、エレンはぐったりと頬杖をついたまま気だるげに片手を上げた。
ミーナと同じく詰め込み教育に疲弊している様子だ。

席の配置的に、エレンはアルミンとミカサの二大教師に交互に、あるいは同時に勉強をサポートしてもらっていたのだろう。
贅沢なのか不運なのか……私には答えられない。
私は、二人が、なかなかのスパルタ教育を施すということを知っている。


ミーナ「いいなー。私もアルミンとミカサに教えてほしいな」

アニ「やめときな」

ミーナ「え、なんで?」

エレン「なんなら代わるか?成績が上がる代わりに色んなものが削られていくけどな」


アルミンとミカサは、ぐっと親指を立てた。「歓迎するよ」
ミーナはすぐに一歩引いた。「やっぱ遠慮する」


アニ「って、あんた勉強してないじゃん」

エレン「こ、これは別に息抜きだよ、息抜き」

ミカサ「エレン……」

エレン「なんだよちょっとだけだろ、少しくらい休ませてくれよ」


エレンは広げていた本を、伸びてくるミカサの手からさっと退けた。
反対側にいた私がそれをエレンの手から引きはがした。

エレン「あっ、おい!」



ミーナ「わー、写真がいっぱい。きれいだね。私も外国に旅行に行きたいなー」

エレン「だろ? つーかアニ、勝手にとるなよな」


ぱらぱらと適当にページをめくれば、国外国内問わず様々な土地の風景が色鮮やかに目の前を舞った。
ふーん。こういう本が好きなのか。


アニ「さぼらないで真面目にやりなよ」

アルミン「だってさエレン、アニもそう言ってるよ」

ミカサ「エレン」

エレン「こういうときだけ真面目ぶりやがって……恨むぞアニ」


無視してまた写真を眺める。ふと目を奪う光景があった。
南極に立ち上る蜃気楼。遠くに望む氷山が、蜃気楼に歪められて橙や青に色分かれしている。
蜃気楼って砂漠だけに発生するものではなかったのか。


エレン「ああそれ、すげぇよな。ほかにも南極には、虹色の雲や楕円型の太陽もあるんだぜ。ほらこのページ」

アニ「……CG技術じゃないの」

ミーナ「いやいやいや……」




エレン「んなわけねーだろ。信じられなくても、この世には見た事のない景色がたくさんあるんだ」


やたらと熱の入ったエレンの言葉は留まることを知らない。
アルミンとミカサも、横で微笑んでいた。きっと何回も聞いた話なのだろう。


エレン「鏡面みたいな塩原、生きる化石の住む世界最古の熱帯雨林、謎に包まれた空中都市遺跡……」

エレン「炎の水、氷の大地……」


「砂の雪原、だろ?」とアルミンが口をはさんだ。エレンが口の端を吊りあげる。


エレン「そうだ。全部実在するんだ、この世界には。まだ誰も目にしたことのない景色だってあるかもしれない」

エレン「俺は全て、この目で、見たいんだ」


E 25
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この世界に生まれたのだから、その全てをこの目に焼き付けたい。
余すことなく、全て。


アニ「……全部、って。一生かかっても無理でしょ。大体写真で十分だと思うけどね」

エレン「写真じゃだめなんだよ」


こいつはなんつー夢のないことを言うんだ。ミーナも横で苦笑している。

まあこんな反応が返ってきそうだとは思っていたが。
それでもどういう風に生きてきたらそこまで現実主義になれるんだ、と疑問を抱かずにはいられない。


エレン「写真じゃ、だめなんだ」



望めば世界の裏側でさえ写真でも動画でも見れる時代だ。なんだって見れる。なんだって聴ける。
でも俺はそんな薄っぺらいものじゃ満足できない。
だって俺は知識を得たいがために世界の全てを見たいんじゃないんだ。

もっと別の何か……大げさに言えば生まれた意味を知るための何かをずっと探し求めている。
喉から手が出るほどほしいもの、俺が求めているものがきっとこの世界のどこかにはある。


ミーナ「エレンは探検家になりたいの?」

エレン「え? あぁ……そうだな」

ミーナ「へぇ、すごいね。もう自分の将来を決めてるなんて」


それはなんとなく避けたい話題だった。
タイミングよく閉館の音楽が館内に流れ始めたので、俺らは荷物をまとめて帰途についた。

外に出ると、いつの間にか蝉の代わりに鈴虫が鳴いていた。
雨上がりのような湿った匂いが鼻孔を掠める。もうすっかり秋だった。

お久しぶりです 生きてます
地の文すらすら書ける人が羨ましい

キャンプファイアーやる学校あるんだ!いいね!

今日はここまでですって書くの忘れた
短いですが次はもっと早く投下できたらいいなぁ



ミーナ「じゃっ、私ここで。また明日ね」

ミーナの背を見送りながら、アルミンが「そういえば」とあごに手をあてた。


アルミン「アニとライナーとベルトルトも、××高校志望だよね?」

アニ「……そうだけど」

アルミン「じゃあ僕たちと一緒だね。みんなで一緒の高校いけるといいなあ」


「みんな、ね……」アニが俺に憐みの目を向ける。
何を考えているのか手をとるように分かった。この野郎。

エレン「言っとくがな、俺もお前らと一緒のところ目指してるから」


アルミンとミカサに比べればまだまだ合格圏内ではないが、
二人の協力のおかげで徐々に成績は伸びつつある。
机にかじりつくよりは外で体を動かしている方が性に合っているのだが、こればっかりは仕方ない。

母さんの顔が脳裏によぎる。
やりたいことばっかりできる世の中じゃないのよ、エレン。

それはきっと真理だ。



アニ「あんたが?……本当に?」

エレン「なんだよその顔……。そんなに信じられないのか。どーせ俺は馬鹿だよ」

ミカサ「この調子でいけば、エレンも絶対合格できる」

アルミン「うん、僕もそう思うよ」


二人からのお墨付きは嬉しくないと言えばうそになるが、
特にミカサは俺に甘い節があるのであまり真に受けてはいけない。


エレン「やるからには絶対入ってやるからな」


俺は、何故かまだ釈然としていない様子のアニの額を小突いた。いや小突こうと、した。
その寸前でアニの手に捕まえられて、俺の指は今まさにあらぬ方向に捻じ曲げられようとしている。


エレン「いっててて!! 離せアニ!!」

アニ「……ん? 何か言った?」

ミカサ「アニ」

アニ「はいはい、分かったよ」




なんで俺の制止の声は無視するのに、ミカサの言葉にはすぐ反応するんだ。
こいつら意外と仲いいのか。これだから女子は分からん。

ひねられた指がじんじん痛む。一切の容赦もない。
このゴリラ女……絶対入試の点でお前を抜いてやる。覚えてろ。

今のは俺から先に手を出したとも言えるのでここで引き下がるが、
恨みをこめてアニの後頭部を睨んでると急にこいつが振り返ったので、思わずびくりとしてしまった。

まさか心の中で言ったつもりが実は口に出ていたとか?


アニ「あのさ」

エレン「いやゴリラなんて思ってないぞ!?あれは言葉の綾でだな……」

アニ「は? ゴリラ? なんのこと……ちがくて。私も勉強教えてあげようか」

エレン「……誰に?」

アニ「あんたしかいないでしょ」

エレン「お前が?」



アニが微かに笑った気配があった。

俺はその弧を描いた唇に目を奪われながらも
アルミンとミカサのスパルタ教育で、ただでさえ心身共に疲労困憊している中に
このアニが加わった図を想像した。

真っ先に地獄絵図という言葉が浮かんだ。
飴と鞭なんてもんじゃない、鞭三本だ。それも棘つき。


アニ「あんたがどうしてもって言うんなら、脳みそ鍛えてやってもいいけど?」

エレン「やだよ。お前って厳しそうだし」

アニ「……」

エレン「……」

アルミン「……」

ミカサ「……」

秋にしては冷たすぎる一迅の風が、俺たちの間をすり抜けていった。


――遠慮なんかしなくていいって。

――ちょっ待て……。





背中に違和感を感じながら、自室の机の前に移動する。
もう痛みはない。アニと出会ってから受け身ばかりうまくなっている自分だった。

何故俺が帰って早々また机に向かったかと言うと、明日提出の宿題を思い出したからである。
すっかり忘れていた。しかもよりによってあのハンジ先生の宿題だ。
一問でも空欄があったらそれを口実に人体実験されそうな予感があるので、やっておくに越したことはない。

いくらあの人でもそこまでマッドサイエンティストじゃないとは思うが……
なんでだろう、たまに眼鏡の奥の瞳が変な風に光っている気がするのだ。
思い出すと背筋が冷える。宿題に専心しよう。


エレン「……」


――教えてやってもいいけど?


綺麗とは言えない字をつらつらとひたすらノートに綴っていく。
何も考えず、ただ黙々と。

――あんたがどうしてもって言うんなら。

誰がどうしてもなんて言うか。お前の勉強の教え方なんて、どうせ問題間違えるごとにキックが飛んでくるんだろ。
俺をからかうお前だけが楽しいだろうが。


エレン「って違ぇ。そうじゃなくて……えぇとここはどの公式使うんだっけか」


余計なことを考えている暇はない。宿題のほかにもやることはたくさんあるのだから。
部屋が無音なせいだろうか?さっきから全然集中できない。

俺は何か集中して取り組みたいときは静かな環境でやりたいタイプだ。
音楽をかけないと集中できないとジャンあたりは言っているが。

時計の針の音だけが部屋に反響する。家の外を通る車の走行音が気まぐれに訪れては遠のいて行く。
しかしいつもそんな雑音は全く気にならなくなって、ひたすら自分は脳と目と手を動かすのだ。

なのに、今日に至っては全てままならない。俺は頬杖をついた。
なんでアニのことばっかり考えているんだろう。
あいつは俺に何か恨みでもあるのか。こんな時にまで邪魔しやがって。


「夏は嫌いだけど」

ああ確かに。あいつって夏は嫌いそうだ。終わってよかったな。

「あんたは好きだよ」

……ん?

エレン「いやあいつそんなこと言ってねぇよ!“嫌いじゃない”って言ったんだよ!なに考えてんだ俺は馬鹿か!?」




カルラ「さっきから何一人で騒いでるんだい、エレンったら……ご飯できてるのに」

グリシャ「年ごろなんだろう」

カルラ「エレンー? 暴れてないで下に降りてらっしゃい、ご飯だよ」

お舞たせしました




A 26
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最近楽しそうだな、と父に言われた。
マカロニを沸騰した湯に入れようとした手を止める。

アニ「そう?」

父「なんだ、彼氏でもできたか?」

アニ「か」


にやけた顔から察するにただの冗談だ。
なのに言い返そうとした言葉が喉に張り付いて口から出てこない。

アニ「……くだらないこと言ってないで手伝ってよ。皿並べて」

父「え……その反応まさか……え?いや違うよな?アニ?」


無視してマカロニを茹でる。あと10分。
ソースはもう出来ているし、サラダもスープも用意してある。あとはこれだけだ。

父「だれだ!?言ってみなさい!ライナーくんか?ベルトルトくんか!?それともほかの男か!?」

アニ「うっさい」




食事中、何度否定しても信じない父の追求から逃れるのに苦労した。
仕舞いには勝手に結婚式の想像までし始めてうっすら涙を浮かべる様子には正直引いた。

そんなんじゃないって言ってるのに。
しかもなんでライナーとベルトルトの名前がそこで挙がってくるんだ。

そしてなんで私はあのときあいつの顔を思い浮かべたんだ。

――あんたのことは嫌いじゃないよ。


アニ「…………あーーもうやだ」

父「どうしたアニ。顔を手で覆って」


なんであんなことを言ってしまったんだろう。
文化祭ということで少なからず私も浮かれていたに違いない。普段なら絶対言うもんか。

嫌いじゃなくない。嫌いだ。あんなデリカシーのない男なんか。
今日だってせっかくの親切心からの提案をバッサリ切り捨てられたし。




私は将来の夢だとか目標だとか、そんなもの一切持ってないけれど、
エレンはやりたいことがもう明確に決まっているらしい。

世界を見たいとやたらスケールのでかい夢を語るあいつの目を見れば、その真剣さが見て取れた。
金色の虹彩に宿る光は、馬鹿らしいと一蹴するには眩しすぎた。

だから私も手伝ってやろうと思ったのに。
これじゃ私の方が馬鹿みたいだった。


そう。大体あんな悪人面の単細胞野郎なんか私の理想から遠いにも程がある。
例え亀に毛が、兎に角が生えたとしても、これだけは断固として言える。

あいつなんかを好きになるわけがない。



* * *


ライナー「一番奥だな」

ベルトルト「………………左の手前の子かな」

ライナー「お前本当タイプわかりやすいな」

ベルトルト「う、うるさいな。ライナーこそ」

アニ「あのさ、仮にも女の子がいる前でそういう会話やめてくれない」


昼過ぎのファーストフード店は賑わいを通り越して喧々囂々たる有様だった。
それにあやかって、奥のテーブルで喋っている女子グループを盗み見て何やら意見を交わす二人を
私は飲み物にストローを勢いよく挿しつつ、じっとりと睨んだ。

ベルトルトはすぐに降参したが、ライナーは怯まない。


ライナー「アニもそう思うだろ?こいつ、小学校の頃にもああいう子に初恋し」

ベルトルト「わあああ!もういいだろその話は!!やめろ!!」


私をも巻き込んでその話を続けようとするので、会話から外れてひたすら食べることに集中する。
ベルトルトいじめに加担してもおもしろそうだが、私に飛び火してはたまらないからだ。




安っぽい……実際安いハンバーガーを咀嚼していると、後ろの席の話し声が耳に入ってきた。


「聴いて聴いて。昨日○○くんと帰り道偶然会ってね、送ってもらっちゃったの」

「へえ、よかったね。ていうか早く告白しなよ。じれったいなあ」

「こ、告白なんてできないよ。昨日だって、なんか○○くんのことばっかり考えちゃってあんまり寝れなくって

……。
 そしたらなんか急に意識しちゃって、まともに彼の顔も見れなくなっちゃってどうしよう。どうしたらいいか

な?」
 
「だからさあ、告白しなよ」


……よかった。
私は誰かのことを考えて不眠になったこともないし、顔を見れなくなったこともない。

やっぱりこれは恋ではなかったのだ。

知ってたけど。





ライナー「で、お前は? アニ」

急に切っ先を向けられて我に返る。どうやらベルトルトの初恋は既に話題から退いていたらしい。
「なにが?」と訊き返せば、ライナーは「この間の模試の結果」と端的に答えた。


アニ「ああ……。A。 あんたらは?」

ライナー「俺らもA判定だ。このまま順調にいけば、来年の春には揃って同じ制服を着れそうだな」

ベルトルト「確かアルミンとミカサも同じところだよね?
      地元から離れて遠い高校に行く人も多いのに、これだけ揃うっていうのも珍しいなぁ」
      
ライナー「あんまり卒業って感じしないよな。そういやエレンの奴は?」

アニ「……エレンも、同じところだってさ」

ベルトルト「えっ、そうなんだ。初めて聞いたよ。じゃあ僕ら6人とも一緒の高校か」

ライナー「よかったな、アニ」

アニ「は? どういう意味?」





聞き捨てならない。身を乗り出して尋ねてもライナーは飄々と視線を躱した。


ライナー「別に変な意味じゃねぇって。喧嘩相手がいてよかったなって話。照れると恐い顔するのやめろ。顔赤

いぞ」

アニ「照れてないし赤くなってもないんだけど?
   あんたの部屋の本棚の裏に隠してあるアレのこと、クリスタにばらすよ」
   
ライナー「み、見たのかお前!?」

ベルトルト「ライナー声大きいよ……。それにしても、少し意外だな」


エレンのこと。と長い足を窮屈そうにテーブルの下に折りたたみながらベルトルトは言った。
私とライナーはなんのことだろうと不思議に思う。


ベルトルト「なんとなくだけど、エレンはどこか遠くに行っちゃいそうだなって思ってたんだ」

アニ「遠く?ここじゃなくて、都会とかそういうこと?」

ベルトルト「うーん。そうかもしれないし、そうじゃないかも」

要領を得ない話し方だったが、なんとなく気になった。




ベルトルト「僕たちが高校に進学する理由って、単に勉強を続けたいからとかそういうのもあるだろうけど、
      世間の一般的な人生のコースに高校が通過点として含まれているから……じゃないかと思うんだ」
      
ベルトルト「マジョリティの意見や無難さ、勿論そういうの関係なしに進路を考えてる人もいるだろうけど。
      少なくとも僕は、みんなが高校に行くから、『高校に進まない』という選択肢は考えてなかった」
      

ベルトルトの言っていることは私も分かる。
私も高校進学における明確な理由なんてもの、持ち合わせていない。
最小労力で最大幸福を得るためのただの通過点としか思ってない。


ベルトルト「でもエレンは違う気がする。
      やりたいことがあったら、僕たちが気にしていること全て、存在すら知らずに手放して」
      
ベルトルト「僕なんかには手が届かないほど遠くに、あっという間に行ってしまいそうだなって」


だから、エレンも僕たちと同じ高校に行くって聞いて少し驚いたよ。とベルトルトは締めくくった。




アニ「……」

ライナー「それは分かるな。ま、でも何かを目指すにしろ何にしろ、高校を出てからでも全く遅くはないってこ

った」

ライナー「エレンもそう思ったからこそ、俺たちと同じ道を選んだんだろう」

ベルトルト「そうだよね」


私たちは食事を終えて雑音で満ちる店内を後にした。
秋晴れのパステルブルーに吹いたら消えてしまいそうな鱗雲がかかっている。


アニ「ブレザー忘れた」

ライナー「そんな寒いか?まだ暑いような」

私はあんたみたいに服の下に分厚い筋肉を着ていないんだ。一緒にするな。


ベルトルト「幼稚園、小学校、中学校……それから高校まで一緒って、考えてみたらすごいよね」

アニ「腐れ縁って言うんだよ、それ」

ライナー「と考えると……俺たちは15年の人生のうち、ほとんど一緒に過ごしてきたんだな」



気色悪いことを言うな。

商店街のガラスウィンドウに、私たちの姿が映されているのが偶然目に入った。
相変わらず不均等でアンバランスで凸凹な三人組だ。
外見だけじゃない、性格だって、こうして今も一緒に歩いていることが不思議なくらいバラバラで。

出会った瞬間はどんな風だったのかは、既に忘却の彼方だ。

いつから……一緒にいたんだっけ。


ベルトルト「15年……か。光陰矢の如しだね。時が過ぎ去るのは早いなぁ」

「違うぜ、ベルトルト」ライナーがもったいぶって言った。


ライナー「時が過ぎ去るんじゃない。俺らが過ぎ去っているんだ」


……誰の言葉だっただろう。




夢を見た。

あの不気味で意味の分からない夢じゃない。

高校の制服を着た私とライナーとベルトルトが、見たことのない教室で

ひとつの机を囲んで何かを話している。

私たちのほかには誰にもいない。……いや、いま前方の扉が開けられた。

笑っているアルミン。その後ろに、今より髪が短いミカサ。

それからエレン。

少し背が伸びている。目つきの悪さは健在だ。

あまりにも鮮明な夢だったので、もしかしたら予知夢というやつかもしれない。

いつか訪れる平穏で暖かい、ただの一日の一場面。

私はそれなりに幸せだった。



E 27
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カルラ「あ、待ちなさいエレン。進路希望書はもう出したの?」

靴を履いて、玄関の戸に手をかけたとき、台所から母さんがでてきた。
もう出した、と答えるとホッとしたように腕を組む。


カルラ「ミカサとアルミンと一緒のところに行くって決めたのね?」

エレン「ああ、うん」

カルラ「そう……よかった。昔と違って聞きわけがよくなってくれて母さん嬉しいよ」

エレン「昔は聞きわけがなくて悪かったな」


このままだと小言が始まりそうだったので早々に家を出た。
アルミンとミカサとの待ち合わせ場所に向かおうとして、
今日は二人が用事で先に登校していることを思い出す。

一人で道を歩いていると、いつもより街の色んな部分が目に入る。
屋根の上で丸くなっている猫、庭先を掃除している爺さん、葉の色が変わり始めている銀杏の木……




以前、寝坊して一人で登校している時に、アニとぶつかりそうになった路地はもうすぐだ。
そこでひったくり犯に出会うという嘘みたいな本当の出来事もついでに思い返される。

また偶然会う確率ってどんなもんだろう。
さすがにないか。ご都合展開が過ぎるってもんだ。


エレン「……って、なんで本当にいるんだ」


前方に見たことのある金髪の背中があった。
走って追いつくのも癪というか、誤解されそうなので
早歩きで追い付いて、偶然遭遇したという体を装うことにしよう。


エレン「……よ、よお。偶然だな」

アニ「……今日は遅刻じゃないんだ」

エレン「お前こそ早いな」




アニは眠そうに片手で両目をこすっている。
そして突然「早く冬休みが来ればいいのに」と言い放った。

夏休みが終わったばかりの時期でそれを言うか。


アニ「11月くらいから冬休みが始まればいいのに」

エレン「ほとんど学校ねーじゃねぇかよ。やる気ないな」

「元からそんなのないよ」とあくびをかみ殺した後の、聞きとりにくい声でアニは言った。


エレン「そんな態度で俺より成績がいいのって、なんか腹立つな」

アニ「あんたは満遍なく力を入れすぎなんだ。抜けるところには手を抜いた方が合理的だよ」

アニ「ま、そんな器用なことできるわけないか……あんたに」

エレン「う……うるせえな! 別にそんなことしようとも思ってねぇよ」

アニ「一応褒め言葉のつもり」


嘘をつけ、嘘を。とってつけたようなフォローはいらねーんだよ。




アニ「あんた、それで寒くないの?」


アニはカーディガンの上にブレザーを羽織っているが、俺はカーディガンだけしか身につけていない。
昼を過ぎればこれで丁度いいくらいだと思うが、早朝の今は少し肌寒いかもしれない。


エレン「少し寒い。……はあ、もう衣替えの時期か」

エレン「今年も海に行かないで終わっちまった」


海?とアニが訊き返してくる。

もうすぐ学校が見えてくる頃だ。進むほどにちらちらと制服姿の生徒の数が増えていく。


アニ「海、好きなんだ」

エレン「ああ、好きだ。行ったことないんだけどな」

アニ「行ったことないのに、なんで好きって分かるんだ」



エレン「それは……そうなんだが」

言葉に詰まる。
胸の中にある海への曖昧模糊として歪な、海への憧憬をうまく表現できるだけの言語能力が俺にはない。


アニ「じゃあ質問を変えるよ。なんで行かないんだい」

エレン「それは……」


それは。後に続く言葉はなんだろう。自分でもよく分かっていない。

はっきりとした輪郭と、分かりやすい色をもっていない気持ちを
理解してかみ砕いて、無理やり言葉という枠に押し込めて、相手に伝えるという行為は
時として果てしなく道のりの長い工程に思えてしまう。


エレン「海に行っても、その先には行けないから……か?」

アニ「私に訊かないでよ」

エレン「……えーと」

口を動かしながら、自分の気持ちを手探りで調べて行く。
適当にごまかすこともできたが、俺はそれをしたくなかった。
誰かに聞いてほしかったのかもしれない。誰かというか……まあ、いま隣にいる奴に。




エレン「海の向こうには俺の見た事のない世界が確かに広がっている。俺はそれを見に行きたい」

エレン「でも、俺はまだ子どもで……それを見に行くためには金や知識だって必要で」

エレン「だから俺は、まだ……どこにも行けないんだ」

エレン「きっと海を見てしまったら、世界に繋がる入り口を目にしてしまったら」


きっとその入り口は美しいに違いない。
水平線で隔てられた海と空の青が、羽ばたく?の呼ぶ声が、波が浜辺に寄っては離れるその様が
きっと俺を感嘆させるだろう。

でも、その青の向こうに世界が広がっているという現実が、海の前の俺を打ちひしぐ。
無情で世知辛い現実という名の壁が、俺を取り囲んで影を落とすのだろう。
お前はどこにも行けないと。

物理的障壁はどこにもない。でも、壁はないわけじゃない。


エレン「俺たちは自由な筈なのに、……いや、そもそも自由ってなんだ?俺は、俺たちは本当に自由なんだろう

か」

エレン「それすら分からなくなってくる。だから、海へは、」

アニ「なにそれ」




アニの自転車のブレーキが軋む甲高い音が響いた。


エレン「……アニ?」

アニ「なにそれ?」

エレン「いや、だから」

アニ「あんたがそんなこと言うのは……許さない」


自転車を180度方向転換させてから、アニはこちらを見た。
その矮躯のどこから出してるんだと思えるほどの威圧感を感じ、俺は戸惑いを禁じえない。


アニ「乗って」

エレン「ア、アニ? お前なんでそんな怒ってんだよ?」

アニ「さっさと乗れ」

乗らなきゃ殺すぞと言わんばかりに睨まれたからには、言われた通りにするしかない。
……百歩譲って乗るのはいいが、俺が後ろっておかしくないか。




エレン「つーか、なんで逆走してんだよ!? 学校反対側だろ!?」

アニ「駅に行くんだよ」

エレン「はぁ!? いや今から行ってたら授業始まるって……駅になんの用事があるんだ?」


すれ違う生徒が、学校から遠ざかる俺たちを不思議そうな目で見ている。
アニは流石に俺を後ろに載せているときついのか、立ちながらペダルを漕いでいた。
体の揺れに合わせて、決して長くはないスカートの裾が翻るので、視線の置きどころに困ってしまう。


エレン「お、おい。いきなりなんなんだよっ!?」

アニ「あんたがあんまりうじうじしてるから――腹が立った」


アニは一瞬だけ振り返って、海の青さに似たその瞳で俺を見据える。
初めて会った時にも惹きつけられたその色。


アニ「今から行くよ。海に」

ここまでです
ありがとうございました


自分の耳を疑った。
何故平日の朝から、制服のままで、電車で何時間かかるか分からない海へと行くのだろう。


なんでだ、とか、どういうつもりだよ、とか、授業どうするんだよ、とか
何度も道中アニに問いかけたが全て無視された。
アニは無言で駅の駐輪場に自転車を停め、一番高い切符を2枚購入し、
改札を通り抜け、丁度停車した下り電車に悠々と乗車した。


ホームの向かい側に止まっていた上り電車はそこそこ混んでいたが、下りのこの電車はそれほどでもない。
アニは適当に空いている席に腰を下ろすと、「いつまで突っ立ってんの」といけしゃあしゃあとのたまった。
数人分の間を空けて俺も座る。


エレン「…………俺たち一応受験生なんだぞ?『大事な時期』に無断欠席して遊びに行くなんて、成績優等生のお前がやっていいのかよ」

アニ「1日くらいどうってことない。今日の分の授業はミカサやアルミンに聞けばいいよ」

アニ「下手な教師より教えるの上手いだろうし」

エレン「本当に海に行くのか」

アニ「しつこい。行くったら行くよ」


夕暮れまでには着くでしょ、とアニは窓の外の流れる景色を眺めながら言った。
引き返す気は毛頭ないらしい。



だんだんと建物が減り始め、田園風景が広がり始めた窓の外を眺めながら、
しばらく俺たちは電車に揺られていた。


下車する人たちが増えてきて、乗車する人たちが減ってきた。
制服姿で電車に乗り続ける俺たちのことを、時々不思議そうな目で見る人がいたが、何も言われなかった。


何時間電車に乗っていたんだろう。
数回乗り換えをしてからは、俺はざわつく胸をおさえるのに苦労した。
もうこのまま一直線、数十分すれば目的地に辿りつくらしい。


アニ「変な顔してるよ」

エレン「お前なあ、俺がどんな気持ちで……」

アニ「知らないよ、あんたの事情なんて」

エレン「この野郎」

アニ「野郎じゃないし」


俺とアニは寂れた田舎の駅に降り立った。
午後3時23分。
風は、潮の香りを含んでいた。

俺がずっと見たかった海がこの町にある。
鼓動が高鳴って落ち着きがなくなった。アニに鼻で笑われた。


エレン「うるせぇよ!」

アニ「何も言ってないし」

エレン「お前のその顔が言ってんだよ!『馬鹿じゃないの』ってな!」

アニ「被害妄想も大概にしてよ……あ、見えてきた」

エレン「え……」


海だった。海が遠くに広がっていた。

まるで生き物みたいに蠢いている。とてつもなく大きな青い怪物みたいだった。
立っては消える白波が輝いて眩しかった。


……動きを止めた俺のシャツの裾が不意に引っ張られる。


アニ「ここからじゃまだ遠いよ。せっかく来たんだから、もっと近くに」


返事をしようと発した言葉が思いのほか掠れていて、自分でも笑ってしまった。



A 28
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エレンが読んでいた本に載っていた写真ほど、きれいな海ではなかった。
色は僅かに濁った青緑、しかも今は夏じゃないからどことなく漂う寂寥感。
海岸を歩いてみれば、捨てられたペットボトルや半分砂に埋まった花火の燃えかすが目につく。

それでもエレンは海に魅入られたように、ずっとひたすら水平線を見つめていた。
瞬きをする暇さえ惜しいというように目を見開いて、唇を結んで、
潮風で前髪が煽られるのも気にせず、隣に私がいることも忘れて、
ただ、ずっと海だけを見ていた。


私はエレンから離れて海岸を少し散歩してみた。
カニとかヤドカリとかいるかなって思ったけど、見当たらなかった。
ザザン、ザザンと絶え間ない波の音は思考を奪っていく。
しばらくすると、ゴミにまじって貝殻を見つけた。小さな巻貝だ。

こんな海岸で貝殻が拾えるとは驚きだった。
せっかくなのでぼけっと海を見てるあいつにも見せてやろうと思い、エレンの元へ戻ると
なんかすごい驚いた顔をされた。


エレン「……いや、別に。お前の存在を忘れていたとか、そういうのじゃないぞ」


…………へえ。ふーん。そう。



エレン「海って、本当に大きいんだな……うそみたいだ」

何故かエレンは何かに打ちのめされたような表情をしていた。
思いだしたみたいに瞬きをして、こう言った。


エレン「ずっと見てみたいと思ってた」

エレン「生まれる前から、ずっと」



エレン「そうやって見ると水は透明なのに、たくさん集まると青く見えるってのも不思議だよな?」

ローファーと靴下を脱いで、ズボンの裾をひざ丈に捲ってから、エレンは波打ち際に近寄った。
両手に掬った海水は透き通っていて冷たかった。

アニ「神様が青色が一番好きだからじゃない」

エレン「……」

アニ「……」

エレン「……」

アニ「……いや、知ってるよ。青色の波長の太陽光が海に吸収されずに深いところまで進むんだ。
   つまり最も海の中で青色が反射されるってことだから、私たちの目に青い光が多く届くってこと」
   

「冗談なのか本気なのか分かりづれぇよ。反応に困っただろうが」とエレンは眉をしかめた。
たまに軽口を叩けばこれだ。嫌になってくる。


エレン「……うぇ!なんだこれ、塩辛い!つーか不味い!!」

アニ「なにやってんの……」

エレン「もっと海水っていい味かと思ってたのに……舌がびりびりする」

400番くらいになったら上げればいいよね…?
レスありがとうございます。次回

アニ「ミカサ…あんた何して」
ミカサ「エレンじゃなくて…私じゃ……だめ?」
アニ「……ミカサ、熱でもあるんじゃ」
ミカサ「アニ…………(私と恋に)落ちて」

っていうまさかのミカアニが始まるかもしれないです



気がつけば空も海もオレンジ色に染まっていた。
どうやら随分長い間海で遊んでいたらしい。

足元を気にしていなかったのか、エレンのズボンの裾は濡れないように裾を捲っていたはずなのに
しとしとと滴を垂らしていた。つまり無駄な努力だったというわけだ。

それを指摘してやると、エレンは無言で私のスカートを指さした。
まさかと思いながら裾を触ってみると濡れていた。
ミニのスカートにまで海水が飛ぶとは……


エレン「髪ぼさぼさだぞ」

アニ「あんたなんか、シャツまで少し濡れてるし……」


海の中で立ちつくす私たち。この姿で電車に乗ってこれから帰るのか……。
なんだか全てが面倒くさくなった。我に帰ってみると、なんでこんなことをしたのだろうという思いが全身を駆け巡る。


アニ「帰るか」

エレン「だな。……あー、楽しかった」


でも後悔はしていない。




みすぼらしい格好のまま電車に乗った私たちだったが、
時間帯がよかったのかなんなのか、車内には私たちのほかに誰もいなかった。

広い空間に私とエレンだけ乗せている、塗装の剥げかけた古い電車が夕焼けの中を静かに走っていく。

体が妙にだるく、電車の振動に身を任せているうちに睡魔が襲ってきた。
目を閉じると瞼の裏に夕日のオレンジ色が透けて見えてきれいだと思った。

隣でエレンが何か喋っている気がするけれど……海の底にいるみたいでよく聞こえない。
ありがとう、だとかなんとか……言っているような。
いっつもそのくらい素直ならいいのにね。







エレン「おいアニ。起きろ。ついたぞ」

アニ「……ん」

肩を揺すられて目を覚ました。
頭の左側にあたたかいものがある。

眠っているうちに、エレンの右肩に頭をもたげかけていたようだ。
ひそかに動揺しながら体を真っ直ぐに起こした。


頭がよっかかってきた時点で起こしてくれればよかったのに。
そう言いたかったけれど、もういっそなかったことにしようと思って口にしなかった。


エレン「もう暗いな……ってうわ!携帯にミカサとアルミンからめちゃくちゃ着信がある」


見知った最寄り駅の改札を抜け、街灯が点々と続く線路沿いの道を二人で歩いた。
カラカラと、私の押す自転車のタイヤが回る音と、
たまに電車が私たちを追い抜かす騒がしい音だけしか聞こえない。


エレン「今日は……その……悪かったな」

アニ「何が?」

エレン「いろいろと。確かに俺らしくなかったなって」


エレンはポケットに手をつっこみながら、やけに晴れやかな顔をしていた。
つきものが落ちたような……なんて言ったら失礼か。

エレン「俺決めたよ。海見たらなんか吹っ切れた」

エレン「ミカサとアルミンと……アニと、同じ高校目指すって言ってたけどやめる」

アニ「は」

足を止めた。




私の数歩先でエレンも足を止めて振り返った。
金色の眼だけが暗闇に浮かびあがっている。黒猫みたいだと場違いに思った。


アニ「行かないって、じゃあ、どうするの」

エレン「外国の学校に行く。父さんの知り合いが外国で地球工学を教えてるみたいで、前に話を聞いたんだ。よかったらそっちで勉強してみないかって」

エレン「……小さいときから冒険家とか探検家になって世界を旅してみたかった。誰も見たことがない景色を一番に俺が見てみたかった」

エレン「でももう今の時代って宇宙以外に未開の地ってあんまりないよな。で環境科学とか地球工学とかの話を聞いてみて」

エレン「新しいものを発見するのもいいけど、いまあるきれいな海とか……山とか……そういうのがきれいなままでずっと存在できるように研究するのもおもしろそうだなって思った」


アニ「……外国に行かなくても……そんなの、高校は無理でも大学でいくらでも学べるでしょ」

私がそう言うとエレンは破顔した。
母さんと同じこと言うんだな、と。


エレン「ああ、分かってるよ。でも俺はいま勉強したいし、いま、ここじゃないどこかの景色を見てみたい」

アニ「……そう……」

   


エレン「そう決められたのもお前のおかげ……と言えなくもないかもしれない……な」

エレン「……ま、ありがとな」

アニ「…………別にいいよ」


なんだか胸に穴が開いて、息を吸うたびに穴から空気が漏れていくようだった。
ミカサなら。
あいつならきっと。

この場ですぐ「私もついて行く」と即答するのだろうと、ぼんやり思った。

ばからしいな、と内心毒づいてから再び足を踏み出した。
エレンを追い抜いて自転車を押していく。



アニ「……置いてくよ?」


いつまで経っても続く足音が聞こえないので、今度は私が振り返った。
エレンは立ち止まったままだ。




電車が近付いてくる。カーブを曲がって黄色いライトがエレンの背中を照らしだす。
喧しい走行音の合間に、エレンが私の名前を呼ぶ声がかろうじて聞こえた。

エレン「あのさ」

アニ「なに?うるさくて聞こえないんだけど……」

エレン「俺、」


そのときちょうど電車が私たちの真横を通過して、エレンの言葉は掻き消されてしまった。
一瞬だけ強い風が巻き起こって、暴れそうになった髪をおさえている間に、もう電車は遠くに行っている。

再び静寂だけがこの場に残っていた。もう蝉も鳴いていない。夏は終わったのだ。


アニ「……で、なに?」


エレンは片手で顔を覆っていた。


エレン「……やっぱいい」

やっと終わりが見えてきた。ミカアニは冗談です
時をかける少女と耳をすませばみたいなエレアニ見たいなって思った結果こうなりました
書いてるのは文系の人間なので地球工学とかで変な説明してたとしてもスルーしてください
支援ありがとうございます



E 29
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ミカサ「私もついていく」

エレン「だからそれはだめだっつってんだろ」

ミカサ「どうして?私がどこの高校に進学しようが私の勝手」


この押し問答を何回繰り返したやら、俺には分からない。
ミカサは頑として俺と同じ外国の高校に行くと主張した。
こういうことになるかもしれないと薄々思っていたが、やはり舌戦では俺の圧倒的不利。

頼みのアルミンも今ここにはいない。
ミカサは首に巻いたマフラーに手をかけて、瞼を伏せて言った。

ミカサ「エレン一人で外国に行くなんて心配。もし遠く離れた地でエレンに何かあったらと思うと……夜も眠れない」

ミカサ「すぐに駆けつけられる距離でないといけない。そうじゃないと、だめ」

エレン「お前の進路なんだから、ちゃんと考えろよ。そんな、俺がいるかいないかで決めるな」

ミカサ「ちゃんと考えてる」


これは説得に骨が折れそうだ。俺はため息を漏らした。

A 30
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生徒会室の私物をすべて紙袋に詰め込み終わると、一気に殺風景になった。
この部屋からの眺めを見るのも、今日で最後になるだろう。ついに私たちの生徒会は解散の日を迎えた。

アニ「終わった?ミカサ」

ミカサ「待って、もう少し」


ゴソゴソと棚を漁っているミカサに声をかける。
終わるまで突っ立っているのも疲れるので、テーブルに腰かけて待つことにした。

アニ「そのマフラー、1年のときからしてるね。前から聞きたかったんだけど、子ども用じゃないの」

ミカサ「ああ、これは……エレンに小さい頃もらったものだから」


不意にミカサの唇から飛び出たその名前にぎくりとしてしまう。
いや、むしろミカサがエレンの名前を口にすることほど自然なことはないだろうが。
口数の多くないミカサが発する言葉の3つにひとつは、その名前が含まれている気がする。


ミカサ「小さい時……近くの森で迷子になっていた私を、エレンが見つけてくれた」

ミカサ「そのときにもらった」

アニ「ふうん」




一瞬だけ柔らかくほほ笑んだミカサの表情を見て、何かに心臓を突き刺された心地がした。
やはりミカサはエレンのことが。
幼いころにもらった、ほつれの見える赤いマフラーをいまだに身につけるほど……


アニ「……あんたはどうするんだ」

ミカサ「どうって、なにが?」

アニ「高校」


ミカサは作業する手すら止めずに、まるで1+1は2という小学生でもできる簡単な問に答えるように、平然と言ってのけた。


――エレンが外国に行くなら、私はエレンについていく。


アニ「……………………そう」


私の敗北だと思った。




相手は勝負だとは微塵も思っていないだろうが、いま確かにミカサは勝って私は負けた。
私はミカサみたいに即答できない。あいつが遠く離れた地に行くからと言って、なら私もついていこうなんて絶対言えない。

いや、ちがう。言いたくないんだ。
負け惜しみにしか聞こえないと自分でも思うけれど、どうせ負けなら最後に噛みついてやる。


アニ「あんたには、自分の意志ってもんがないの?」

ミカサは揺るぎない真っ黒の瞳でこちらを見た。
挑発をしたこちらがかえって萎縮してしまいそうになるが、それを押し隠して続けた。

アニ「エレンが行くからって、あんたも同じところに行くなんてさ。
   もうそろそろ幼馴染離れした方がいいんじゃないの」

アニ「はっきり言って異常だよ。あんたの中身ってエレン以外なにもないの?空っぽ?」

ミカサ「意思はある。ちゃんと自分の意思が」


アニに言われたくない、とミカサが言った。


ミカサ「エレンと一緒のところに行きたいと私自身がそう思ったから、私はこの進路を選んだ。これはまぎれもなく私の意思。
    アニ、あなたこそ自分の意思はあるの?何故その進路を数ある中から選んだの?」

アニ「……」




相手は勝負だとは微塵も思っていないだろうが、いま確かにミカサは勝って私は負けた。
私はミカサみたいに即答できない。あいつが遠く離れた地に行くからと言って、なら私もついていこうなんて絶対言えない。

いや、ちがう。言いたくないんだ。
負け惜しみにしか聞こえないと自分でも思うけれど、どうせ負けなら最後に噛みついてやる。


アニ「あんたには、自分の意志ってもんがないの?」

ミカサは揺るぎない真っ黒の瞳でこちらを見た。
挑発をしたこちらがかえって萎縮してしまいそうになるが、それを押し隠して続けた。

アニ「エレンが行くからって、あんたも同じところに行くなんてさ。
   もうそろそろ幼馴染離れした方がいいんじゃないの」

アニ「はっきり言って異常だよ。あんたの中身ってエレン以外なにもないの?空っぽ?」

ミカサ「意思はある。ちゃんと自分の意思が」


アニに言われたくない、とミカサが言った。


ミカサ「エレンと一緒のところに行きたいと私自身がそう思ったから、私はこの進路を選んだ。これはまぎれもなく私の意思。
    アニ、あなたこそ自分の意思はあるの?何故その進路を数ある中から選んだの?」

アニ「……」




言い返そうとして言葉がでなかった。
さすがミカサと言うべきか、ムカつくくらい痛いところを突いてくる。
完全に藪蛇である。下手なこと言わなきゃよかった。


アニ「……はいはい……変なこと言って悪かったね」
  
ミカサ「アニはエレンが好きなんでしょ?」

アニ「片付けが済んだならさっさと帰るよ。もう下校時間だ…………、え?」

ミカサ「エレンが好きなんでしょ?」

アニ「…………」

アニ「…………」

アニ「…………」

ミカサ「……私は言葉の裏を読むことが得意じゃないから、アニの言葉通りに受け取る。
    そのことをよく考えて、ちゃんと答えて」

ミカサ「……あ……これは別に脅迫じゃないから安心してほしい」


知ってるよ。どんな前置きだ。



アニ「あんたは……」

ミカサ「……私は……私は、エレンが好き……だと思う」

ミカサ「ずっとエレンと一緒にいたいと思うこの感情は、恋という名前が一番近しいと……そう感じる」


恥じらうミカサ。
私の何倍もの時間をエレンと過ごしたミカサ。
おそらく一途にずっとあいつを想っていたミカサ。
外国でも地球の裏側でも、あいつが行くなら自分もついていくと即答できてしまうミカサ。

ああ……。それに比べて私は……
負け戦にもほどがある。


アニ「私は」

アニ「好きじゃない」

ミカサ「……」

アニ「この話は終わり。帰るよ」

ミカサ「本当に……?アニ」


うん。本当。

ミカサのターン また夜に


E 31
----

俺はいま担任のリヴァイ先生に深々と頭を垂れているところだった。


リヴァイ「てめえ、こんな時期に進路変更しやがって。もっと早く言え」

エレン「すいません!」


頭の上から降ってきた舌うちに心底びびりながら職員室を出ると、ペトラ先生が肩を叩いてきた。


ペトラ「あんなこと言ってるけど、本当は嬉しいのよ。教え子が高い目標持ってくれて」

エレン「は、はぁ……」

ペトラ「頑張ってね」




教室に戻ると、放課後のクラスは無法地帯と化していた。
ペトラ先生とは程遠い乱暴な手つきで肩をバシンと叩いてきたのは馬……ジャンだった。


ジャン「バッカだなぁ~お前!留学なんて高校でするもんじゃねえよ、大学でだろフツー」

エレン「んだよ、うるせえな!!俺の勝手だろ!!」

マルコ「それにしても驚いたな。いつから向こうに行くんだ?」


もしも試験に合格できたら、卒業式を終えた後そのまま電車で空港に向かうことをマルコに告げた。
隣で馬鹿笑いしているジャンとコニーの尻は蹴った。
サシャはよだれを垂らして外国の料理に夢を馳せていた。



そして俺の家でアルミンとミカサと再び勉強会である。
なんかしれっとアルミンは推薦入試で合格していた。というわけで勉強会と言っても頭をひねるのは俺だけの勉強会だった。


アルミン「びっくりしたなあ。エレン全然相談してくれないんだもの。てっきり僕と同じ高校に行くんだと思ってたのに」

エレン「迷いはあったけどそのつもりだったよ。急に気が変わったんだ」


母さんを説得するのは大変だったが、父さんが俺に味方してくれたので助かった。
試験への勉強に加え、入学までに語学力も養わなければならなくなったので、
むしろ以前よりハードルは高くなったが後悔はない。


エレン「それよりアルミン、ミカサを説得してくれよ。俺と同じところに進学するって言って聞かねえんだ」

アルミン「ミカサは環境工学に興味があるの?」

ミカサ「勉強しているうちに興味がでてきた」

アルミン「じゃあ、いいんじゃないかな。きっかけはなんであれ、興味を持った学問を勉強しに行くんだからさ」


まさかのアルミンの反逆だった。




思わずテーブルに拳を打ちつけて腰を上げると、麦茶の入ったコップが倒れそうになって慌てる。

エレン「なんでだよ!!全然よくねーだろ!絶対こいつ俺の世話焼きたいだけだっつの」

ミカサ「そう」

エレン「ほら肯定しちまってんじゃねーか!」

アルミン「ミカサのお父さんとお母さんはなんて?」

ミカサ「ミカサの好きにしなさいと。だから好きにする」

エレン「だから!お前のやりたいことできる学校に進めって!!」

ミカサ「ちゃんとそうしてる」


暖簾に腕押しとはこのことか。
同じ言語を使ってコミュニケートしているはずなのにどうしてこうも伝わらないのか。
俺はミカサのためを思って言っているのに。


エレン「お前さ、高校を卒業後は大学も、就職先も、そんで老人ホームとか墓場まで俺と一緒のところ選ぶつもりかよ?」




ミカサは口ごもった。
思いのほかきつい口調で問い詰めてしまったことを少し後悔したが、謝りはしなかった。

「ああーっ!」気まずい沈黙をアルミンが突如吹き飛ばした。


エレン「な、なんだよ」

アルミン「ごめんエレン、ミカサ!僕……おじいちゃんに帰りにおつかい頼まれてたの忘れてたよ!じゃあ帰るね!」

エレン「ええっ?」


おじゃましましたー!と台風のごとく俺の家を飛び出していったアルミンに俺もミカサも目が点になった。
あんなに躍動感溢れるアルミンはレアかもしれない。


チラリと横目で見てみると、ミカサは俯いて長い黒髪で表情を隠してしまっていた。
まずい。落ち込んでいる。

俺は茶を飲んで喉を潤すと、ミカサに比較的明るめの声をかけた。




エレン「あー、お前は……料理とか好きだろ!栄養士とかいいんじゃねえの。あと農業とか。いまバイオ技術やらなんやらで注目されてる分野だろ」

ミカサ「……料理も野菜作りも好きだけど……」

エレン「あとはなんだ?やっぱり、好きなものから将来を考えてった方がいいと思うぜ。
    俺は海とか世界の冒険とか好きだからあの学校を選んだんだ」

ミカサ「……料理と野菜作りと……あとは、編み物も好きかもしれない」


着物を着るのも。花を育てるのも。洗濯物を畳むのも。髪の手入れをするのも。
あとは長ったらしい数式を解くのも頭がすっきりして好きだとミカサが言った。
俺には理解できない感性だ。


エレン「なんだ、いっぱいあるじゃねーか。ならやっぱりお前の好きなことを勉強できるところに行けよ」

ミカサ「でも……だめ」

エレン「なんでだよ?」

ミカサ「……」




ミカサ「だって……私はっ」


パタンと。びっしり外国語の単語が連ねられたノートが閉じられた。
ミカサの手は節々が赤くなって震えていた。


ミカサ「私はエレンがいちばん、…………」


A 32
-----


ライナー「クリスマスが……今年も……やってきたぁ……」

ベルトルト「楽しかった……出来事を……消し去るように……」

ライナー「そんな歌詞だったか?」

ベルトルト「さあ……」

アニ「あーーーっ 人の部屋で辛気臭いったらないね。いきなり押し掛けて何のつもり、帰ってよ」


メリークリスマス!七面鳥の代わりに唐揚げ買ってきたから一人身三人寄り添ってパーティしようぜ!
と玄関の扉を開けた瞬間にクラッカー鳴らしてきたバカノッポとクソゴリラのアホ面に、
今すぐテーブルの上のショートケーキをぶちまけたい。

大体なんだ、クリスマスパーティと銘打っているくせに、近所のスーパーで1ピースワンコインの安い萎びたショートケーキなんて私は認めない。
鎮座しているいちごが栄養失調で今にも倒れそうなショートケーキなんてショートケーキじゃない。


アニ「帰って。帰れば? 帰れ」

ライナー「アニ怒りの三段活用発動だな…… だが俺は帰らん」



ベルトルト「機嫌悪いね……アニ。何かあった?」

アニ「何も」


私は別に特定の宗教を信仰しているわけではないけど、何が悲しくてクリスマスをこいつらを過ごさなくてはならないのだろうか。
横でライナーが、クリスタは今日は誰かと過ごしているのかどうかを気にしていて苛立ち7割増しだ。


アニ「さっさと二人とも彼女作りなよ……本気出せば簡単にできるでしょ」

ベルトルト「できるわけないよ、僕なんか」

ライナー「へへ、そうか?」

アニ「クリスタは無理だろうけど」


ライナーが雄たけびを上げる前に、奴の口にケーキを突っ込んだ。



ライナー「げえっほ、ごふっ」

ベルトルト「ところでアニはどうなんだい?」

ライナー「がほ、オイ、アニ、てめえ、」

アニ「何が」

ベルトルト「だから……告白とかしないの?卒業式もうすぐだよ、一応」

ライナー「げほごほッ、変なとこ入った、おえっ!水……」

アニ「……」


ライナーが手を伸ばした先にあったコップをとると、中のお茶を一気に飲み干して、ベルトルトの問いは聞かなかったフリをした。


ベルトルト「アニ…… 本当にそれでいいの?」

アニ「しつこいね……どうだっていいでしょ」


ベルトルトはライナーがとろうとしたペットボトルを横から攫うと、飲み干してから言った。




ベルトルト「卒業式の日にエレンは向こうに行っちゃうんだよ?」

アニ「……。例えばの話だけど」


例えば私とベルトルトが焼肉屋に一緒に食べに行くとする。


「おい、なんだそのたとえ話」「いったッ」
ライナーがベルトルトを殴りつけてから言った。


アニ「2人前頼んで、お互い自分で食べる肉は自分で焼くっていうルール。
   あんたが席についてからじっくり手塩にかけて焼き育ててた骨付きカルビがあったとする」

ベルトルト「僕タン塩が一番好きなんだけど……」

アニ「その骨付きカルビがやっと焼け終わって、いざ食べようとしたときに
   横から私がそれを取って食べたらどう思う?」

ライナー「これ、何のたとえ話だ?」

ベルトルト「アニのセンスには時々脱帽だよ」




ベルトルト「でもさ、骨付きカルビには心がないじゃないか」

ライナー「深いな」

ベルトルト「エレンは人間だよ。アニ」


そんなことは言われなくても知っている。


冷静に考えると、聖夜にこんなごつい男どもと恋の話をしている自分が憐れで仕方なくなってきた。

あいつは今、誰と過ごしているのだろうか。
もう冬休みに入ってしまったので、年が明けるまでは顔を合わせることもないだろう。

年が明けて、冬が去って、春が来て、花が咲き乱れる頃には、もうエレンはこの地を遠く離れているだろう。
……いや、エレンとミカサは。

ケーキの上の朽ち果てそうなイチゴを摘まんで口に放り込んだ。
強すぎる酸味が口腔内に広がって、吐き気をこらえるのに涙が出そうだった。

やっぱり安物のケーキはだめだ。

ここまで 焼き肉回でした



冬休みはほぼ自室にこもっていた。
ひきこもりと言ってしまえばそれまでだが
受験生としてはむしろあるべき姿のような気がする。

ただひたすら試験勉強をしていれば、
なにも考えなくて済むのでそっちの方が楽だった。

そのことに気付いて朝も昼も夜も風呂に入っている間も食事をしている時も、
ずっと問題集のことを脳内で反芻していたので
私の成績はうなぎのぼり、ライナーとベルトルトの成績も抜いた。
正直すごいことになった。

そんな感じで大みそかを過ごし、元旦も餅を食べながら問題集をめくり
(横で父が「元旦くらい家族でゆっくり過ごそうよ」と半泣きだったのを無視して)
気づけば明日が入学試験当日である。




外に出ると冷気が肌を刺した。マフラーを強く巻きなおして、気合いを入れて一歩踏み出す。
冬はつとめて。雪は降っていないが、冬の早朝は日差しが半透明で
何もかも儚く感じられる。

通りに人がいなさすぎて自分の足音がやけに大きく聞こえた。
まるで知らない街を歩いている気分だ。
ライナーとベルトルトが白い息を吐きながら
コートのポケットに突っ込んでいた手を引っこ抜いて「よう」「おはよう」と言った。


「おはよ」と言った自分の息も白く揺れながら宙に消えた。


受験票を忘れた、とかありきたりなハプニングもなく、
そのまま電車に乗って第一志望の高校に向かった。


アニ「私は受かるの決まってるけど、あんたら落ちないように頑張って」

ライナー「お前……ちょっと成績上がったからって調子のるなよ!」

ベルトルト「緊張してきた……」




視界の隅に、黒髪の丸い頭が見えて心臓が嫌な音をたてたが
振り向いてみると全然違う顔だった。

あれからエレンにもミカサにも会っていない。
会うのが少し、怖い。


高校に辿りついて、暖房の効いた試験室に入室すると、
コートマフラー手袋などの頑強な装備を身から外していった。
早めの時間に家を出てきたので、試験開始まで十分余裕がある。

教室内には、ノートや参考書をめくって試験に備えている他校の生徒がまばらに席についていた


私も彼らの仲間入りしようと、指定された席でカバンを開いた。




アニ(どの教科やろうかな)

ミカサ「……」

アニ(なんでもいいけど)

ミカサ「……」

アニ「……」

ミカサ「……」

アニ「……」

ミカサ「……」

アニ「……!?」




アニ「ミカサっ?」

ミカサ「おはよう」


隣の席にミカサが座っていた。
あまりの驚きに、今まで頭に詰め込んでおいた受験用の知識が吹っ飛びそうになった。

何故ミカサがここにいるのだろう。


アニ「だってあんた……エレンと同じところに行くんじゃなかったの」

ミカサ「色々あって」

アニ「色々って……」

ミカサ「色々」


ミカサが、ふうとため息をついた。
寂しげな、それでいてどこか慈母のような横顔に、それ以上問いかけることはできなかった。




ミカサ「試験、がんばろう。アニ」


黒い瞳が僅かに揺らいだ気がしたが、ミカサの珍しい微笑ははっとするほどきれいだった。

試験……あ、そうだ、これから入試だった。
もうびっくりしすぎて正直それどころではなかったが
受けない訳にもいかない。


ああ、とそれだけやっとのことで発声して、
あとは貝のように私たちは口をつぐんだ。




* * *


試験の出来はまあ……多分大丈夫だろう。といった感じだった。
とりあえずの解放感に身を委ねつつも、
やはり何かに追われているような息苦しさを感じていた。

子どもすら遊んでいない寒空の下の公園で、
制服のままホットココアを飲む女子がベンチに二人。


ミカサ「コーンポタージュはどんな飲み方をしても最後にコーンが残ってしまうから
    あんまり缶では飲みたくない」

アニ「分かる」

ミカサ「だからいつもココアを買ってしまう」

アニ「ああ…… ってそういう話するために連れてきたの?」


帰っていいかな。
寒いんだけど。




ミカサ「振られちゃった」

アニ「え」

ミカサ「二回目。エレンにはもっと小さい頃にも一回言ったことがある。
    今回もだめだった……」


それは初耳だった。
そもそもミカサとこういう話するのも初めてだった。

どうして、と尋ねていいのだろうか。
傍から見ていてもエレンとミカサの二人のやり取りは、
長年寄り添った夫婦のそれというか、もしくは母と息子のそれというか

いつ恋人同士に発展してもおかしくない、幼馴染の距離感だと
私も周りの連中も思っていた。


ミカサ「ミカサは一旦俺から離れて、自分の大切なことを見つけた方がいいって
    ずっといっしょにいたから俺しか見えてないだけだって」




ミカサ「……言われちゃった」

アニ「……」


静かすぎる公園に、ミカサの言葉がぽつりぽつりとゆっくり落ちていった。
私はなんて言えばいいのか分からなくて、
ミカサだけが横でずっと言葉を落とし続けていた。


ミカサ「ちゃんと好きだった。それは本当だったけど
    エレンに言われると……そうだったのかもしれないと少し思い始めて」

ミカサ「でも、例えそうだとしても別に構わないって思った。思ったのだけれど」

ミカサ「結果的にそういう私の考えがエレンを苦しめてしまっているのに気づいて」

ミカサ「どうしたらいいのか分からなくなって……」

ミカサ「……試験なんかより、ずっと難しい」


成績優秀なミカサが言うくらいなのだから、それは相当な難問なのだろう。

12巻読んだら↑書くのしんどくて
現パロとかもうなにやってんだすいませんって消えたくなって
で失踪してました ミカサも全員好きなんですほんとに

保守ありがとうございました 
間を開けてすんません



ミカサ「色々考えて……私はこちらに残ることにした」

アニ「……そう」


「馬鹿だね、あいつ」それからしばらくして、私は付け加えた。
「エレンは馬鹿じゃない」すぐにそう返ってきた。ミカサらしい返答だった。


そして二人とも、思いだしたように温くなったココアを口元に運んだ。
甘いはずのそれは何故かほろ苦かった。
なんでもやればすぐ完璧にできて、どこか自分たちとは違う超人のように感じていたミカサの
乏しい表情の中にあるほんのわずかな悲しみと寂しさを察して、

見てはいけないものを覗き見してしまったような心苦しさと罪悪感とともに
私たちの間には何の隔たりもないのだと。
ミカサも普通の女の子なんだと。
化け物じみた能力を持っていようがなんだろうが、彼女も傷ついたり悩んだりする
一般的な女子なんだと……

そういうことがすとんと胸の底に落ちて、そのままじんわりと溶けていった。


ミカサ「……それだけ。じゃあ」


私たちは公園の出口で、言葉少なに別れた。




別れた後に、ミカサがこちらを振り返ってこう一人ごちたことを
私は知らなかった。



ミカサ「……アニ」

ミカサ「エレンは……最後にこう言ったの」

ミカサ「…………好きな人が、いるって……」

ミカサ「……」

ミカサ「あとはあなた次第だから」




E 33
----



ハンネス「もうお前らも卒業かあ。 あっという間だな」


卒業式の予行練習のために学校にアルミンと話しながら向かっていると、
近所に住んでいるハンネスさんが声をかけてきた。


ハンネス「お前ら無事、進路決まったみたいじゃないか。おめでとう!
     しっかし、アルミンは心配いらねーが、エレン、お前は大丈夫なのか?」


「外国に行くんだって?騙されねーよう気ぃつけろよ」とハンネスさんは言うが
俺は飲んだくれのあんたの方が心配だ。

とりあえず彼が今日は朝から飲んでいないことに、俺とアルミンは安心した。



アルミン「そう言えばさ」

アルミンが凍った水たまりをローファーでぱきんと割りながら切り出した。




アルミン「ライナーたちも合格したって。みんな」

エレン「そうか」


ということは、アルミン、ライナー、ベルトルト、ミカサ、……アニは
春から同じ高校に通うことになる。
わりかし有名な進学校なのでいろいろと大変だろうが、
真面目だったり要領がいい奴揃いなのですぐ馴染むだろう。

俺もなんとか目指す学校の試験は突破できた。
住むところの手続きやらビザ取得やら、勉強以外の処理の方に今は追われている。


エレン「じゃあ高校でも、成績優秀者はお前らで独占するんだろうな」

アルミン「あはは、いくらなんでもそれは無理だって……あ」

アルミン「噂をすれば、ほら、アニ。あそこに」


アニが自転車置き場の方からこちらに向かってくるのが見えた。
寒さからなのか、いつもの倍は早歩きだ。





アルミン「アニ、おはよう」

エレン「……よう」


アニは一瞬だけ俺の顔を見てすぐに逸らした。
そして空耳かと思うくらいの声量と、怒ってるのかと思うくらいの低さで
「おはよ」と三文字だけ発音するとそのままのスピードで立ち止まることなく去って行った。


……。
無言でいると、アルミンが俺の様子を窺っている気配がしたので、ハッとして続けた。


エレン「なんだ、あいつ。感じわっるいな。おっかねえ顔しやがって」

アルミン「……エレン、アニと喧嘩でもしたの?」

エレン「俺は何もしてねえよ! あっちが勝手に……」


あっちが勝手に俺を避けているだけだ。
俺は何もしてない……はず。




アルミン「本当に?」

エレン「……」


した、と言えばしたかもしれない。

海に行った帰りに、なにをトチ狂ったのか俺はあることをアニに伝えた。
ちょうど列車が俺たちの横を通過して、アニには聞こえなかったみたいだが。

でももしあれが聞こえなかったフリで、アニには実は聞こえていて、
そのうえでアニが俺を避けているならば、
……きっとそういうことなのだろう。


なかったことにしたいと、アニは思ったのだろう。


エレン「本当だ」


まだ疑っているようなアルミンを置いて先に校舎に足を踏み入れた。



久々に履いた上履きも、久々に座る自分の席も、久々に顔を見たクラスメイトたちも
何もかも懐かしく、だから今日と言う日は楽しいものだと胸を張って言えるはずだったのに

まるでまだ自分が北風吹きすさぶ曇天の下、コートの襟を立てて、無心で
修行僧みたいに終わりのない道をどこに行けばいいのかも分からず
一人さ迷っているような……そんな途方もない気持ちを胸の片隅で感じていた。


コニーとサシャの掛け合いにあげた自分の笑い声が
あまりにも空虚で驚いた。
「どうかしたのか」とマルコに心配されたが、理由なんて言えるわけない。

失恋なんて口に出そうものなら、熱があるんじゃないかと保健室に連れて行かれるか、
死ぬほど笑われるかのどちらかだろう。
俺だって笑えるくらいなのだから。

……俺が言えたことではないが、ミカサも今、俺と同じこの空しい気持ちを味わっているのだとしたら。
そう考える度に、横隔膜がひっくりかえったような嫌な感覚を腹に覚える。




ミカサと話したあの日から、最初は少し気まずかったが、
今では普通に言葉を交わすようになった。

教室の隅で、アルミンと話しているミカサを盗み見る。
背中に垂れる長い髪に、ジャンがこっそり視線を向けていることに気付く。


エレン「……」


何とも言いがたい気持ちを噛みしめているうちに、誰かが声を上げた。


「おーいみんな、もう体育館に移動だってさ!」


* * *


夕食を食べながら、パイプ椅子が並べられた体育館の光景を思いだしていた。
そこに椅子と同じくずらっと整列する生徒たち。見知った顔もいればそうじゃない奴もいる。


人の頭を棒グラフみたいに線で繋いだら、いきなりガクンと落ち込む位置にいる、前列の金色の頭。

それは一度も後ろを振り返ることはなかった。


カルラ「エレンももう卒業ね」

エレン「えっ? あ、あー、おう」

カルラ「好きな女の子のひとりやふたり、いないのかい?告白とかするの?」


スープをむせたおかげで、父さんの注目まで集めてしまって慌てた。


エレン「しねえよ! 別に関係ないだろ!?」

カルラ「まあ……」

グリシャ「おや……」

エレン「なんだよっ!」




カルラ「エレン、あんたも私の息子なら、当たって砕けてきな」


砕けること前提なのか。
すでに砕け散った後だが。


グリシャ「まあ……エレンの場合、いい返事をもらえても遠距離になってしまうからね……」

エレン「……」

グリシャ「若い子だったら難しいのではないかな」

カルラ「例えそうだとしても、あんた男ならちゃんと自分の気持ち伝えな!いいね、エレン!」

エレン「うるせーな!どうだっていいだろっ! ごちそうさまっ」

カルラ「なんだいその態度、こら、エレン待ちなさい!全く……」


カルラ「これが反抗期ってやつかしら」

グリシャ「思春期じゃないかね」




ある日

アルミンに「言わないのか」と訊かれた。

何を、とは訊き返さなかった。
誰に、とも言わなかった。

「言わない」と答えた。


二度目の告白はしないことに決めた。
あの夏の思い出とともに、すべてここに置いてくことに決めた。




A 34
----



卒業の日の朝は、まだ息がかすかに白むくらいの気温だった。

まだ桜は咲いていなかった。

でも春がすぐそばまで歩いてきている気配がそこかしこにあった。

私の横を通り過ぎる人も、追い越す人も、それを感じ取っていたのか

みな晴れ晴れとした表情をしている。


私はいつも通り、全てのものに冷めた視線を送りながら、ただ時が過ぎるのを待っていた。





フランツ「え?僕たち?」

ハンナ「勿論一緒の高校よ?」

ベルトルト「予想内」


ミーナ「クリスタとユミルは一緒に女子高なんだぁ」

ユミル「悪い虫がつかなくていいだろ?」

ライナー「おい何故俺を見る」

クリスタ「女子高に行ったら、ユミルはもてそうね……」

ユミル「えっ?」



式自体は滞りなく終わった。
卒業証書の入った筒は思ったより軽い。きっとすぐ引きだしの肥やしになるだろう。

安っぽいピンクの花を、みな一様に制服の胸に挿して
笑顔と涙を教室という四角い箱の中で混ぜ合わせていた。




笑ったらいいのか泣いたらいいのか迷っているような表情で、クリスタは言った。


クリスタ「もうこの教室で、みんなでこうしゃべるのも、今日で最後なんだね。
     なんだか私、まだ実感わかなくて……」

ユミル「なんだよ、やめてくれよ。そういう湿っぽい話はなしにしようぜ」

ミーナ「泣いちゃう?泣いちゃうのユミル?」


ユミルがミーナにフェイスロックを決めている横で、ライナーが言った。


ライナー「でも集まろうと思えばいつでも集まれるだろ」

ミーナ「ギブギブギブギブ、ユミル、ギブギブギブ」

ベルトルト「そうだよね」

クリスタ「……うん、絶対またみんなで遊ぼうね」




ライナー「ああ、そういや、この後エレンの奴の見送りに駅まで行くんだが」

ミーナ「イタタ……あ、うん行く行く」

クリスタ「もちろん、行くよ」

ユミル「ああ……あいつはどっか行っちゃうんだっけ?」

ベルトルト「アニも……行くよね?」


アニ「私は用事があるから、行かない」


窓の外を眺めながらそう言うと、一斉に上がる声を無視するために耳を塞いだ。
クリスタとミーナが信じられないという風に詰め寄ってくるのをかわす。


ミーナ「なんでなんで?」

クリスタ「その用事、今日じゃないとどうしてもだめなの……?」

ユミル「やめとけよ、用事なんてどうせ嘘なんだから」

アニ「嘘じゃないし」




二人の追及と、ユミルの皮肉と、男二人組のなにか言いたげな視線を受け流して
「私の分もよろしく言っといて」と全て丸投げした。


私たちは教室を出て、昇降口に向かった。
廊下の掲示とか、階段の踊り場の鏡とか、見る度に立ち止まって
「あのときはこういうことがあって」と思い出を皆話しだすので、とても時間がかかった。


一階の渡り廊下に差しかかると、私は一瞬だけ足を止めた。


クリスタ「……?アニ?」

アニ「いや……」


中庭に通じている渡り廊下。
あの日ここで図書室に忘れてきた本を差しだして、
私を初等部の生徒なんかと間違えやがったあの野郎。

今でも不愉快な思い出である。



思えばあいつとは最初から喧嘩ばかりで、馬鹿馬鹿しくて下らない話ばっかりしていた。
あいつが好きだと言った夏が私は嫌いだ。不愉快な思い出しか残っていない。

でもなんでだろう。

中庭の樹から聞こえる蝉時雨とか
日陰と日なたのハッとするほど強烈なコントラストとか
じっとりと重くうだるような午後の暑さとか


なんだか全て懐かしくて
できれば少しだけまたあの夏に戻って

先のことなんて何も考えずに、ただ暑さに文句を言ったり
喧嘩したり、怒ったり、怒られたり、
そんな日を過ごしてみたいと、思わないこともない。


アニ「なんでもないよ、行こう」


また夏が来る頃には、私もあいつも誰も彼も、この校舎にはいない。
そして私たちは3年過ごした学び舎を旅立った。

目が疲れたよ ここまでだよ

あれ?最初らへん高校最後って書いてたかったっけ?

>>612
読み返したら一か所そう書いてありましたね
ミスです。すみません
中三の夏から冬にかけてのつもりで書いてました


* * *

帰宅したはいいが、ひとり自室にいるのもなんとなく落ち着かなくて
着替えもせずにまた外に飛び出した。

財布と携帯電話だけを手に、特に行き先を思い浮かべることなくふらふらと歩いていただけだったが
無意識に駅から離れるように私の足は方向を選択していた。
そのままどこかの商店街の寂れた本屋――こんな時間だからか、それともいつもなのか、店には店主しかいなかった――の扉を開けた。

瞬間、埃臭いが暖かい空気に身を包まれてほっとする。
買う気もない、一昔前の小説をぱらぱらと捲っていた。
カウンターの正面に飾ってある大きな時計の針は、ずっと見ないようにして。




もうそろそろ、行ってしまった後だろうか。

きっともう行ってしまっただろう。

「でもこれでよかった。」小説の主人公がぽつりと言った。
そうだ、これでよかった。どうせ何もできないのだから。
本の内容はちっとも頭に入ってこないくせに、その台詞だけが目に飛び込んできた。

そのとき、BGMすらかかっていない静かな店内に、携帯電話のバイブの籠った振動音が鳴り響いた。
客は私しかいないので、もちろん私のだ。
どきりとしながらポケットをまさぐると、


ライナー『お前今どこにいるんだ?』


ライナーの声の後ろで風がびゅうびゅう唸っているのと、
ベルトルトが何やら喋っているのが聞こえた。




居場所を告げると、『なんでそんなところにいるんだ!?』と返ってきた。
あまりの声の大きさに、店主がこちらを睨んだ気がして、その居心地の悪さに私は店を出た。
軒下で「どこにいようが私の勝手でしょ」と応酬する。

ためいき。わざとらしい。
言外に「馬鹿だな、お前」と言われているようだった。


ライナー『ついさっき、行っちまったぞ』

アニ「あっそ」

ライナー『全く……エレンも寂しがってたぞ』

アニ「なに?風が強くて聞こえないよ」


本当ははっきり聞こえていたけれど、私はそう言った。
早く電話を切りたかった。
マフラーを家に忘れてきてしまったから外の冷気は身に堪えたし、
とにかくエレンのことは今耳にいれたくない話題ナンバーワンだった。

誰とも話したくない。会いたくない。放っておいてほしい。



アニ「もう切っていい?用がないんなら」

ライナー『待て。お前、これで本当によかったのか』

アニ「…………いいに決まってるよ」

ベルトルト『ねえ、アニなんだって!?』

ライナー『まだ面倒くさいこと言ってやがる!』

アニ「ねえ、聞こえてるんだけど。誰が面倒くさいって?」


ゆっくり、ゆっくり、牛歩の歩みで頭の上を雲が滑っていく。
霞みがかったように白い空は、建物に切り取られて、電線に区切られて、とても小さい。
ライナーとベルトルトの腹の立つ会話を聞きながら手持無沙汰に空を見ていた。


ライナー『誰が面倒だって?お前だ、アニ。あのなぁ、もどかしいんだよ、お前ら見てると』



ライナー『好きなら好きとそう言えばいいだろ?
     別に言わなくたって、最後に顔見て別れを告げるくらいしてやれ。
     お前、最近エレンのこと避けてただろ』
     
アニ「なんで私があいつのこと、好きって前提で話進めてるのか全然わからないんだけど」

ライナー『お前の面倒くさくて、ひねくれた性格は昔から知ってるが、
     エレンは俺の友達でもあるからな」
     
アニ「無視するな」

ライナー「もうこれで訊くのは最後にするぞ。だから正直に答えろ。いいな?」


お前、エレンのことどう思ってるんだ。

私は通話終了ボタンを、機械が壊れそうな勢いで押した。



アニ「うるっさいな……」


どいつもこいつも、人事なんだから放っておいてくれればいいものを。
ライナーが私の面倒くさい性格に小さいころから辟易したとすれば、
私だって奴の世話焼きな性格に昔からいらついていた。

誰も世話を焼いてくれだなんて頼んでいない。
ライナーだけじゃない。みんなみんなみんな、勝手に私の心をかき乱して嫌になる。

どうせ何も変わりはしない。私は何もできない。
こんな私に期待しないでほしい。何もできない、できない、できない。

頭上の小さな空を否定したエレンは、遠く彼方に旅立って、あいつは確かに何かを為した。
あいつと私は違う。私は、何も。




アニ「それに」

もし、もし何かが私なんかにできるとしても

アニ「もう……あいつは行っちゃったんだから……」

もう、会えないのだから。

アニ「言いたいことが、あったとしても……無理なんだ」










「言いたいこと、あるんだな?」
「やっぱりあるんじゃないか……全く、アニ、君って奴は」

キキッ、と。ブレーキの軋む音が右から聞こえた。
ライナーとベルトルトが息を切らして、自転車に跨って立っていた。



アニ「なんで、あんたら」

ライナー「文句でも憎まれ口でも告白でもなんでもいい、エレンに言いたいことあるんだな?」

ベルトルト「最初からそう言ってくれればいいのにさ……まあアニの性格は知ってるけど」

ライナー「おい?お前自転車はどうした?さっさと乗れ」

アニ「は? いや歩きだけど」

ベルトルト「なんで!?」

ライナー「なんでだよ!? ああもういい!俺の後ろに乗れ!乗り心地が悪くても文句言うなよ!ほら行くぞ!」


全く状況が飲みこめない。
「どこに行くの」かろうじてそれだけ訊くと、二人は苛立ったように口をそろえて言った。

「エレンのところに決まってるだろ!?」



ああもうなんでよりにもよって徒歩でここまで来てるんだよ、馬鹿かお前。
え?……いや重いぞ普通に。人一人乗せてるんだからしょうがねえだろ!
これでも頑張って全力で漕いでんだよ!

ああ、エレンは行ったんじゃなかったのかって?……いや嘘は言ってない。
確かにあいつは電車に乗って行っちまった、空港までな。
ここは田舎だからな、次の電車は1時間後だ、電車で追いかけるのは無理だ。


アニ「じゃあ無理じゃないか」

ライナー「最後まで話を聴け!」


ただ数十キロ先に大きな駅があるだろ、そこまで行けば電車があるはずだ。
それで空港まで行くぞ。上手く行けばそこであいつと話せる時間があるかもしれねえだろ。




私は思った。
何言ってんだこいつ、と。


アニ「自転車で追い付けるとは思えないんだけど」

ライナー「お前のせいだろーが!お前がギリギリまで駄々こねるから!」

ベルトルト「でも……言いたいこと、あるって、さっき言ったよね?アニ」

ライナー「くそっ! また赤信号か」


耳元で唸りをあげる風が止んだ。
二人は忌々しげに信号をにらむ。
私は自転車を漕いでいないのに、体の芯が熱くなるのを感じた。




暑い。まるで、夏みたいだ。


アニ「……ああ、あるよ。ある。言いたいこと、本当は、ずっと昔からあったんだ」

アニ「ずっと……」


赤信号が消えて、緑色に変わった。
隣の車と並ぶくらいのスピードで二人の自転車は走りだす。
私たちの異様な姿に、視界にちらと入った親子連れが目を丸くしているのが見えた。


アニ「……私はエレンに言いたい。言いたかったことが……ある」

ライナー「ちゃんと伝えろよ」

ベルトルト「やっと認めたね」

アニ「……あんたらがこんな必死になるのを見たら、さ」

ライナー「好きなんだろ?エレンが」


アニ「…………多分」

ベルトルト「多分って」

アニ「……あいつって、何考えてるのか全然わからない。
   直情的で何も考えてないかと思ったら意外にちゃんと考えてるし、
   でもやることなすこと急すぎるし言ってること滅茶苦茶だし
   現実性度外視してること普通に言うし、でもそれを実行しようとするし」
   
アニ「ムカつく」

ライナー「っはあ!?」

アニ「本当考え方が私と違いすぎて、脳みそに何が詰まってるのか見てみたいレベルだね。
   ……だから……もっと……ちゃんと知りたい、とは……思う」
   
アニ「……知りたかった。もしかして、いずれこの感情が好きっていうのに繋がったのかもしれないけれど」


エレンが遠くに行ってしまうと言うから。
私はそれごと全部消そうとしたのかもしれない。



ライナー「なんでもいいさ。なんだって。全部あいつに言ってやれ」

ベルトルト「どんなことでもいいんだ。アニが伝えたいことなら」

アニ「……そ」




らしくもないことを言っている自覚はあったし、
らしくもないことをしている自覚もあった。

いずれこの選択を後悔する時が来るだろうか?
……それでもいいと、今思っていることすら、後悔に変わってしまうだろうか。

ベルトルト「ライナー、もっと速く!」

ライナー「しょうがねえだろ、こっちにはアニが乗ってるんだから!
     アニ、今何時だ!?」
     

携帯のディスプレイには13:27とある。
ライナーがスピードを上げた。がくんと振動が全身に響く。景色が一段と速く切り替わっていく。


ベルトルト「タクシーでも通りかかればいいんだけど……!」

ライナー「くそっ」

アニ「……ねえ」

ライナー「何も言うな!!俺たちにまかせろ!」

アニ「……」


自転車で追いかけようなんて、無理なんじゃないかとか
ドラマや小説みたいに上手く会えるわけないとか
そんなことは全て胸の奥にしまっておいた。

アニ「……ちゃんとあいつの元まで私を送り届けてよね」

ライナー「はっ。やっとお前らしいふてぶてしさが戻ってきたな」

ベルトルト「ははは……」



何としてでも、今日、あいつに会う。
どんな結果になったとしても後悔はしない。
言いたいことは全て言ってしまおう。

そうしたら、私だって変われる気がする。
こんな私でも。あいつみたいに。

頬をなぶっていく風は、今では冷たさが心地いいくらいだ。
私は唇を噛みしめた。

遅すぎるかもしれないけれど……


言おう。

私の気持ちを。




「そんなこと言う資格、あんたにあると思ってんの?」




アニ「……は?」

アニ「……ライナー?……ベルトルト?」


私は、二人とともに自転車で道路を疾走していたはずではなかったか。
いつの間に室内にいたのだろう。

天井も壁も全て透明な水晶のようなものでできている奇妙な部屋で
私は私と向き合っていた。


「そんな資格、あんたにないよ。残念ながら」目の前の女は言う。私と同じ声色で。
声だけではない。髪も、目の色も、顔も、背丈も、何もかも私と一緒だった。
例外は服装で、女は丈の短いオレンジ色のジャケットに白いパンツを身にまとっていて、
体中に巻きついている黒いベルトが異彩を放っていた。

壁と同じく透明な素材でできた、冷たそうなテーブルの向こうにある椅子に女が腰掛けた。
それらと同じく、女の言葉は口から出た瞬間凍って落ちそうなほど冷たく、また鋭かった。




アニ「ここは……どこ」

「さあね」

壁の向こうにも、天井の向こうにも、薄暗い闇が広がっている。
この奇妙な空間で、女と私の姿だけがテーブルの上のろうそくの炎に照らされて揺らめいていた。


アニ「あんた、だれ?」

「アニ。アニ・レオンハートさ。あんたと同じくね」

アニ「……そんなわけない」

「あんたが認めようが認めまいが関係ない。事実なんだから」

アニ「……分かった。夢でしょ。ここから出して。自分としゃべる気味悪い夢なんて見たくない」

「あんたが……言うのをやめるのならば、出してあげるよ」




アニ「…………嫌だ。私は言う。そう決めたんだから」

「だからさ。言いたいこと全部言える資格なんて、あんたにはないの。全部諦めてくれる?」


自分と同じ顔をした人間と話すのは心底気味が悪かった。
……いや、この女は本当に「人間」なのだろうか。

夢のはずなのに、私ははっきりとした意識を持っているし
変に現実感があって、時間が経てば経つほど本当に夢なのか疑わしくなってくる。



アニ「資格がない、ってどういうこと? あんたに私の何が分かるって言うのさ」

「全部分かるよ。言っただろ?私はあんたなんだから……。
 知りたいのならば教えてあげるよ。平和ボケしてるあんたには、刺激が強すぎるかもしれないけどね……」



「そこの扉、開けなよ」

アニ「扉なんてない……、……? さっきはなかったはずなのに」


振り返ると、壁になかったはずの扉が私を見つめていた。
扉だけが水晶でなく木でできていて、向こうが見えない。
装飾は一切なくて金属でできたドアノブだけが光っていた。


アニ「なに、これ」

女は答えない。自嘲じみた笑みを微かに口の端に浮かべていた。
なんだか嫌な気配を扉から感じて、思わず後ずさると
何故か足元から水の跳ねる音がした。

ろうそく一本しか光源がないので気がつかなかったが、
そこで初めて私は、扉の下から黒い液体が染み出ているのを知った。


アニ「……なに……これ」


さっきと同じ質問を、女に言うわけでもなく口に出すと、
今度は答えが返ってきた。


「血」




女が血だという液体は扉からにじみ出て床に広がって行く。
嫌な汗が噴き出るのを感じた。

ドンッ!
誰かが向こう側から扉を叩いている。

ドンッ! ドンドンッ!! ダンッ!!
女は絶望的に笑っている。
血は広がっていく。


いやだ、開けたくない。
そう思っているのに、私の右手は震えながらドアノブに伸びていく。

ひんやりとした金属の冷たさを期待していたのに、
ドアノブはまるでついさっきまで誰かに握られていたかのように生温かく、人肌の温度だった。
それが妙に気持ち悪かった。

私の意志に反して、指はドアノブを握り、そして、ゆっくりと捻っていく。




カチリ、と音がした。
そして、扉がゆっくりと開きだした。


アニ「あ……」

「『アニ』は戦士になり損ねて……何にも出来なかった半端者だ。
 その目で見て、思い出して。全部全部私たちの罪なのさ」
 
アニ「嫌だ……」


扉は勝手に開いていく。
向こうの世界が、だんだんと、視覚と聴覚と嗅覚でもって、
私に何かを、伝えようとして


アニ「見たくない……思い出したくない……知りたくない……」

アニ「……い」

アニ「いやだ……っ」








――キキキイィーーーーーーーーーーーッ!!!



「こらーーーっ!!二人乗り禁止っ!!なにやってるの!?」

ベルトルト「うわあ!?」

ライナー「うおっ!! ……せ……先生」

アニ「………………え?」


甲高いブレーキ音が耳を劈いたかと思うと、私は再び空の下、
ライナーの大きな背中を目の前にして自転車に跨っていた。

何が何やら理解できないが、さっきのは白昼夢ということでよかったのだろうか。
それにしては現実感がありすぎた。
長距離を全力疾走した後みたいに、私は全身に汗をかいていた。
ごくりと唾を飲むと、驚くほど口の中が乾いていて、ただ茫然としていた。




ペトラ「うちの生徒の制服着てる男女が二人乗りしてるなって思ったら、あなたたちだったのね」

オルオ「卒業した途端はしゃぎやがって、ガキめ……」

エルド「まあ警察に見つからないうちにやめとけよ」

グンタ「なんでそんなに急いでるんだ?」

ライナー「俺たち、あと15分で××駅まで行かなくちゃいけなくて!!」

ベルトルト「後で謝るので今だけ二人乗り見逃してくれませんか!?」

オルオ「15分で自転車でその駅まで行けるわけねえだろ。お前ら阿呆か」

ベルトルト「そ、それでも、行かなくちゃいけないんだ」

ライナー「こいつを……送るために」




ペトラ「え……なに、訳あり?」

グンタ「よく分からんがとりあえず、エルドの車がワゴンでよかったな」

エルド「だからいつも言ってるだろ?大は小を兼ねるってさ」


車のドアが横にずれていくのを、私たちはぽかんと眺めていた。


エルド「俺の愛車だからな――汚すんじゃないぞ。車検持ってったばっかりなんだからな。
    ……なにしてんだ?さっさと乗れよ」
    
ベルトルト「え?……え?」

エルド「急いでんだろ?」

エルド「送っていってやるよ」




エルド「え?なんだ、空港まで行くのか?じゃあ駅まで行かずにこのまま車で行っちまった方が速い!
    もしかして誰かの見送りか?…………エレンの?飛行機の時間は?」
    
エルド「なにっ!?じゃあ急がねえとな……!おい全員シートベルトしっかり締めてるな?」

エルド「舌噛むなよ。とくにオルオ」


言うが早いが私の体は座席に押しつけられて、一瞬で肺の空気が全て抜けた。
ベルトルトは窓に頭をぶつけていた。「み゛ッ」オルオ先生の口から血が噴き出した。


ペトラ「ああああああああっ! ちょっとエルド安全運転心掛けてよね!?生徒の前なんだからっ」
    
エルド「その生徒のためなんだから仕方ないだろ!?」

グンタ「勘弁してくれよ……うおえッ! 酔いそうだ」



窓の外を景色が飛ぶように過ぎ去っていくのを、目が回りそうになりながら見ていた。
吐きそう。


ペトラ「それにしても、空港までエレンを追いかけるって、もしかしてもしかする展開なの?」

エルド「しゃべるな!舌噛むぞ!!」

ペトラ「空港で告白なんてロマンチックね……!」

オルオ「ペトラはそういうのに憧るぇ゛ッッ」


車の運転が原因ではない気持ち悪さが胃のあたりに渦巻いているのが分かった。
さっきの白昼夢が忘れられなくて、まだ心臓が変に脈打っている。


アニ「……でも私に、そんな資格…………ないんじゃないかって」

ベルトルト「? アニ、何言っているんだ?」

アニ「……」



ペトラ「資格なんて、いらないでしょ?」


助手席から身を乗り出したペトラ先生が、バックミラーに映るエルド先生が、
振り返ったグンタ先生と、口元をハンカチで拭っているオルオ先生が、にやりと笑った。
見たこともないほど楽しそうな様子で。


オルオ「お前らみてぇなガキはガキらしく何も考えずにやりたいことやりゃいいんだよ……」

アニ「……」

グンタ「俺もそんなドラマみたいなことしてみたかったぜ。
    好きな女の子追っかけて空港に走る! いいねえ」
    
エルド「そんなこと言ってないでグンタはさっさと彼女作れよ」




言っていいのだろうか。
私が……
アニが。


ペトラ「当たり前でしょ?」

ペトラ「ていうか、今言わなくていつ言うの!」

ペトラ「言わなくちゃ。アニちゃん」

ペトラ「大丈夫。あなたならちゃんと言えるよ」


アニ「……」

「……はい」私は頷く。
拳をぎゅっと握りしめる。







――――――――――――――――




「……ハァ。行っちゃった」


液体はどんどん扉から溢れて小さなその部屋を満たす。
女の膝から下は既に液体に飲みこまれていた。
いずれこの部屋全て満たされることだろう。


「……まあいいか」

「それなら……私が、ここにいる私が全て、背負うよ……」

「あんたは……言えばいい。あいつに、全部さ」




燭台は血に流され、ろうそくが倒れて灯りは消えた。
ただ水音に耳をすませて女はその青灰色の瞳を閉じた。


「あーあ」

「……羨ましいな」

「私もあんな風に生きてみたかったよ」

「言いたいことは言って、隠しごともしないで、使命なんて持たないで
 戦士にも兵士にもならなくて、どうでもいいことに真剣に悩んだりして」
 
「……誰かを好きになって……」

「そんな風にさ…………」

「まあいいや。全部、そういうのは、あいつにくれてやろう。あいつも一応私なんだから」

「私は、ここで…………」


液体は女を全て飲みこんだ後、あっという間に部屋を全て満たした。
それから、静寂が訪れた。
――――――――――――――――――――――

ここまで
次で終わりそう




私たちを乗せた車は急発進と急停車を繰り返し、
阿鼻叫喚の様を車内に展開させながら
違反ギリギリのスピードで灰色のコンクリートの上を滑走し続けた。
エルド・ジン、彼は実に楽しそうだった。

それからシートベルトの有難みを身をもって体験する時間が何十分経過しただろうか。
「ついたぞ!!」運転手が鬨の声を上げたがその4文字がぐるぐる頭の中で回るだけだった。

ツイタゾ……って……なんだっけ



オルオ「だめだこいつらグロッキーだぞ」

グンタ「ペトラ、ビンタ!」

エルド「ギリギリ間に合った! ほら行って来い!」


礼を口からなんとか排出して、地獄と書いて車と読む箱の中から飛び出す。
人々に引かれて、通路をガラガラ鳴きながら流れて行くトランクケースを飛び越え飛び越え、
(吐き気と戦いつつ)私たちは駆けて行った。


―――――――――――


グンタ「あいつら間に会ったか?どう思う」

エルド「間に会ってるといいけどな。なんだか3人とも具合悪そうだったし、少し心配だな」

オルオ「言っとくが……百パーセントお前のせいだぜ、エルド」

ペトラ「こういうのは間に会うって相場が決まってるのよ。間に合わなきゃ嘘よ、嘘」

グンタ「なんだそりゃ」

ペトラ「いいわね、若いって。青い春ねぇ」

オルオ「……ふん……馬鹿言え。春どころじゃねぇ。青い夏だ。気をつけねぇと火傷しちまうぜ



ペトラ「……」

オルオ「おい。なんとか言え。せめて反応しろ」




グンタ「オルオの言ってることがよくわからんが、まあ、なんだ。とりあえず、急いで戻ろうぜ。俺たちの用事が……」

ペトラ「……あっ!そうだった、私たちも急いで帰らないと!」

エルド「……!!まずい!もうこんな時間かっ……!! よし歯ぁ食いしばっておけよ!!!!!!!」

ペトラ「ちょっもしかしてまた……あーーーーーーーーー……………………」


――――――――――――



走るうちに煩わしくなったマフラーを引きちぎりそうな勢いで首から外して
はずむ息を抑えながら、視線を巡らせる。

もうこの先へは見送りをする人が立ち入ることはできない。
人とトランクがひしめくだだっ広いロビーで、エレンの姿を探した。
いない。いない。どこにも見当たらない。

あいつの馬鹿でかい声を聴こうと耳もそばだてたが、一向に効果はない。
いっそ誰かと喧嘩でもしてくれてたら見つけやすいのに。


ライナー「文明の利器を使おう」

つまり携帯電話のことだが、確かに一理ある。21世紀を生きる我々がこの便利な機械に頼らない術はない。

ライナー「つながらん!あいつ電源切ってやがる!気が早い奴だな!!」

何が文明の利器だ。この役立たずの鉄くずめ。肝心な時に。




ベルトルト「じゃあミカサとアルミンは?二人は空港まで見送りに行くと言ってたはず。かけてみるよ!」

そうだ、二人なら電源を切るわけがない。私とライナーはほっと一安心する。

ベルトルト「……なんか全然繋がらないな!?電源は切ってないみたいなんだけど、着信に気づいてないのかも」

なるほど、機械なんぞに頼った私たちが馬鹿だった。ノーモアセルフォン。シット。


アニ「あんたら背が無駄にでかいんだから遠くまで見えるでしょ?」

ライナー「いや俺たちだって探してるが……」

ベルトルト「こんなに広いんじゃあ……」


ふざけるな、覚悟決めてここまで連れてきてもらったのに、言わずにすごすご帰ることなんてできるか。
仇敵を見つけ出すつもりで目を皿にした。こうなったら何が何でもエレンに会う。会ってやる。
ざわざわとまるで一つの生き物みたく蠢く周囲の雑音に急かされるようにして、ロビー中を探しまわった。



一分、また一分と時が過ぎていく。焦りはつのる。怒りもつのる。
このままではエレンに会った瞬間、思わずうっかりたまたま偶然蹴り飛ばしてしまいそうだ。

エレンの乗る飛行機が離陸する時間を、ライナーとベルトルトは知っていた。
出国する者はセキュリティチェックやら出国審査やら諸々の手続きのため、
大体1時間くらい前には向こうのゲートを越えなくてはならない、らしい。

間もなくその1時間前の時刻が迫ろうとしていた。
ロビーの人は減るどころかどんどん増えていき、ますます人探しをするのが困難になっていく。

1時間をきった。
やがて50分前になり、さらに45分前。
もうこうなれば最後に顔を見て「元気で」とか「頑張れ」とかそんな一言だけでも言えればいいやと思い、
ゲートの前で待機してみたりもしたが、一向にエレンは現れなかった。

出発30分前……時計は慈悲もなく進んでいく。昨日や明日と同じように。
もう絶望的だと言ってもよかった。




それでもなおエレンを探そうとするライナーとベルトルトの二人に「もういい」と言った。
何気なく、いつも通り素っ気なくと心掛けたつもりだったが、言葉尻が微かに震えてしまった。
恥や無念や後悔や憤懣や自棄で二人の顔を見上げることができなかった。

まったく情けないったらありゃしない。


アニ「もういいよ……もう行っちゃってたんだ、あいつ。…………ありがとね。ここまで付き合ってくれて」

ベルトルト「アニ……」

アニ「こんな風になっちゃったのも、全部私が悪かったんだから、自業自得さ」


もっと早く私が決断していたら、こんな無様な結末を迎えずに済んだのである。
二人を巻き込んで、四人に手助けしてもらって、なのに何も伝えられなかった。
沈黙する二人に耐えきれず「帰ろう」と言おうとしたが、妙に喉の音がツンと痛くて
腕を引っ張ることでその意思を示した。二人は何も言わずついてきた。




体の芯は燃えるように熱いのに、表面はじっとりと冷たくて
泣きたくもあるし謝りたくもあるし怒りたくもあるし
我ながら変な身体・精神状態にあるなと思った。

あーあ。
だめだったよ。
ごめんなさい。
最悪。


アニ「…………離陸する飛行機だけでも見ていい?」

かなり未練たらしい女だと自嘲する。でももうそれだけでいい。
二人は頷いた。神妙な顔をしていたので尻を蹴ってやる。勿論手加減をして。せめてもの優しさだ。
絶対痛くないはずなのに二人はおおげさに声を上げた。


アニ「……飛行機を見たら、帰ろう」

今度は声を震わせずに、言えた。




方向転換するために、まず右足を半歩引く。
それから自分のローファーのつま先に視線を落としながらターンした。
前髪が微かな風圧でふわりと浮いて、景色が180度回転した後、無事に元の位置に戻る。
視界の両端に金のカーテン、それがいつも私が見ている世界だ。

その世界のど真ん中に、エレンが立っていた。


エレン「……お前らこんなところで何やってんだ?」

瞬きの合間にジロジロと不躾に投げつけられる視線。
私たちも目の前にいる男が夢幻の類ではないかと、疑惑と不信を思いっきりぶつける。

大きな黒色のトランク。エレンの後ろから顔を覗かせたミカサとアルミン。本物だ。


アニ「なんで……あんたこそ、ここにいるの」

エレン「なんでって、今日あっちに行くから、飛行機に乗るために空港に来た」

アニ「そうじゃない!」




けろっと応えるエレンの姿を見た瞬間、言い知れぬ怒りがフツフツと沸いてきて地団太を踏んだ。
床にやつあたりしているとアルミンが察したのか、
この「何故かエレンが飛行機に乗っておらずまだロビーに悠々と居座っている現象」の説明をしてくれた。


アルミン「あー、エレンの乗る予定だったフライトだけ、ちょっといま出発時刻が遅れているんだ。
     予定進路の天候があんまりよくないみたいで」
     
アルミン「だから僕たちとエレンのおじさんとおばさんで、近くの店で食事してたんだ。
     で、今ロビーに帰ってきたところ」
     
ライナー「そういうことだったのか」

ベルトルト「なんだ……」


もう怒りを通り越して脱力の域にきていた。
私は笑った。力ない空笑いだった。




「なんで3人が3人とも電話にでないんだ」これだけは文句を言ってやりたかったので、そう不平を述べると

彼らは携帯電話のディスプレイを見て「あ、着信がある」と異口同音あーーーーあんたらほんっともーーーなんなの馬鹿なのこちとらどんな思いで私が馬鹿みたいじゃないかそうだ私が一番馬鹿だ笑え畜生この野郎「あはは、全然気付かなかったや」「俺なんて電源切ってたわ」じゃないんだよ朗らかに笑うなムカつくミカサも横でほほ笑むなあんたもだあんたも同罪だこのズッコケ3人組が……!

脱力を通り越して再び怒りに戻ってきた。忙しいメーターである。


ミカサ「……それで、3人はなにをしに空港へ?」

ミカサが問う。私が答える。

アニ「ちょっとこのボンクラに話があって」

エレン「ボンクラって、誰だ」

アニ「あんたのほかに誰がいる」




エレンの顔を真正面から見つめ、またエレンの視線を真正面から受け止めたのは久々だった。
それはペトラ先生が言うように「ロマンチック」なものでは全然なく、
むしろ宣戦布告の緊張感を孕んだ殺伐としたものだったが
それでも、……まあ……強いて表現するなら嬉しかった。

いや、素直に、ただ嬉しかった。

言うと決めたことを自由に言えることが、
人への思いを言葉に乗せて届けられることが、その権利が、
そしてそんなことをしたいと思える誰かが私にいることが
とても幸福なことだと思った。


―――――――――――――――

ミカサ・アッカーマンとアルミン・アルレルトは予想と髪の長さについて話し合う。


ミカサ「……来るだろうとは思っていた」

アルミン「そうかい?僕はまさか空港に来るとは思ってなかったなぁ」

ミカサ「きっとこうなるって私は思ってたよ」

アルミン「……ミカサはすごいね」

ミカサ「ううん。…………髪を……切ろうかと思うのだけど、どのあたりまで切ればいいと思う?」

アルミン「えっ、切ってしまうの?」

ミカサ「なんとなく、そうしたい気分」

アルミン「そう。……うん、いいんじゃないかな。短いのも似合うと思うよ。肩くらいまで切ってみたら?」

ミカサ「そうする」

アルミン「もうすぐ、暖かくなるしね。春らしくて似合うよ。きっとみんな、驚くだろうな」

ミカサ「そうだね。……もう少しで、春になる」

ミカサ「……春に」



ライナー・ブラウンとベルトルト・フーバーは夢を見ている。



ライナー「なんとか……間に合ってよかったな」

ベルトルト「本当にね。なんだかどっと疲れてしまった。主に精神的に」

ライナー「ハハ。まあ、でも、楽しかったな」

ベルトルト「楽しいもんか。エレンに会えたからよかったものの」

ライナー「全く嘘みたいな偶然だったな、飛行機が遅れてたなんてよ。
     本当嘘みたいで……」
     
ライナー「……」

ベルトルト「ライナー?どうしたんだ」

ライナー「たまによ、全部夢なんじゃないかって思う時があるんだよな」

ライナー「朝起きて学校に行って授業を受けて、飯食ってお前らと冗談言いあって
     なんてことのない普通の生活が全部夢で、いつか目が覚めるときを待ってるんじゃないかって」




ライナー「……ははは、なに言ってんだろうな俺は」

ベルトルト「これが夢なんだとしたら一体誰の夢なんだい」

ライナー「さあな。俺のかもしれないし、お前のか、アニのかもしれん。
     ひょっとしたら俺たち全員が見ている夢なのかもな」
     
ライナー「は……笑ってくれていいぜ。俺も自分が何言ってるか分かってないんだ」

ベルトルト「笑ってやるよ。馬鹿だな、ライナー。変なこと言いださないでくれ。
      これが夢だなんてあるわけないだろ。僕たちはいつでも、帰りたい場所に帰れるんだ……」
      
ライナー「故郷に」

ベルトルト「そう、僕たちのあの街に」

ライナー「だな。世界中どこだって行けるんだ。エレンの奴みたいにな」

ベルトルト「そうさ」



ベルトルト「それにさ、僕は思うんだ」

ベルトルト「夢だったとしても、いいじゃないか? 楽しい夢なら」

ライナー「……そうだな。夢も現実も大して変わりゃしない」

ライナー「どっちだろうが生きるだけだ」
     


――――――――――――――――――




さっきまでかけずり回っていたロビーが陽とするならば
今私とエレンがいる自動販売機と簡素な連結ソファーだけが佇むこの場所は陰だ。

心なしか照明も暗い。ロビーとはそんなに距離が離れていなかったが、
こんなじめっとしたところで別れの前の言葉を交わしたがる連中もそういないだろう。

まあこんなところを告白の場に選ぶ私のセンスもなかなかのものだった。


エレン「で、なんだよ、話って」

アニ「……。あんたさ、もっと色々察してくれる?普通分かるでしょ」


私が私ならエレンもエレンだった。そんな喧嘩腰で切りだされたらこっちも喧嘩腰でやり返したくなる。
「わかんねーよ」エレンが歯をむき出した。本当に分かってない様子。

私はエレンのそういう礼儀に期待するのを止めた。見限った。
なんでこんな奴のこと、ここまで追いかけてきたんだか。私も馬鹿だ。こいつも馬鹿だ。



E 35
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人気のないスペースで俺とアニはソファーに腰をおろしていた。
自動販売機の稼働するブーンという音が嫌に耳につく、と考えていたのだが
実を言うと数秒前から己の心臓が活発に活動している音で、そんなものは優にかき消されていた。


アニ「……。あんたさ、もっと色々察してくれる?普通分かるでしょ」


まさかな、と一瞬思い浮かべた言葉を嗤う俺が脳みそにいて
まさか?と無謀にもアニの台詞に期待めいた感情を持ってしまった俺が心臓にいる。

隣のクラスの連中まで見送りに来てくれた駅で、アニがいなかったことに落胆を感じなかったと言えばうそになる。
でも、まあ、仕方ないなと納得していた。というか前日から予想していた。
予想が的中しただけのこと。



だけどアニとライナーとベルトルトが空港のロビーにいることは予想できなかった。できるわけなかった。
しかも今まで俺を避けていたアニが前みたいに真っ直ぐ俺の目を見て話していて、
なら俺も今まで通り普通に話せばいいだけなのに、それが久しぶりすぎて以前の自分がどう話していたかが思いだせなかった。

……どう話すも何も、何にも飾らず思ったことを言えばいいだけだろ。普通に。
ただそれだけのことがどうにもままならない(とりあえず喧嘩腰だった気がするのでそうした)。
むしろアニの目を見つめ返すことすら、この二人と自動販売機しかない空間では難しい。

こんな女々しい俺が俺の中にいたのかと思うと無性にあっちの窓ガラスに頭を打ちつけてやりたくなる。
そうすればこの訳の分からない状態も収まるだろうか。


エレン「そういえば、高校合格したんだってな」

アニ「まあね。……おかげさまで」

アニの付け加えたことがよく分からなかったが、それはともかく「おめでとう」と言った。
珍しく素直に「……ありがと」と返ってきたので目を剥く。




エレン「お前、そんなしおらしかったっけ? 毒でも飲んだか」

アニ「今すぐあんたを空港の医務室に運んでやってもいいんだよ」

エレン「や、やめろ。冗談だ。マジになんなって」

アニ「……あんたも、おめでとう。受かったんだ。やればできるじゃないか」


喉の奥でくぐもった声が、というより音が鳴った。
裏もなく純粋にそう褒められると、憎まれ口も喧嘩腰も効力を失い、
ただもごもごと「まあな」とか「そうだな」とかはっきりしない返事をするしかない。

くそ、調子狂うな。これならいっそアニに一発蹴りを入れてもらった方がよかったのかもしれん。
チラリとアニを盗み見るとちょうどアニもこちらを窺ってたようで
音が鳴りそうなくらいばっちり視線がかちあった。

脊髄反射ばりの速度で俺は視線を逸らす。アニも同様に俺から目を離――
――いや離さ……ない!? 貫通するんじゃないかってくらいの視線を顔の左半分全体に感じる……!?



左半身だけ異様に体温が上がり汗をかいている、気持ち悪い状態の俺
そしてアニが俺を見て、俺は向かいの直立不動で立っている自動販売機を仕方なく睨み上げているという気持ち悪い構図

一体何が起きているというのだ、この暗い空港の片隅に。
なんだよ逸らせよなんなんだよ!?アニの目力は半端じゃない。
この圧迫感といったら俺の表現力では到底描写できない。


「あんたとこうして話すのも、なんか久しぶりだなって思ってさ」
声のトーンが少しだけ高い。それから吐息がひとつ。笑ったのだろうか。


エレン「……お前が避けるからだろ」

アニ「悪かったって思ってるよ。でも私だって色々考えてたんだ」

エレン「いや、アニが謝ることじゃないな。……俺か」


そりゃ友人未満の男に、あんなこといきなり言われたら誰だって避けたくもなるか。
俺は生憎デリカシーというものを持って生まれてこなかったようだから、そういう機微に疎いのだった。
その点は昔から何回も言われているので自覚はある。
やっと自動販売機から視線を剥がして、アニに向ける。そして謝った。



何が、と訊かれたので答えた。


エレン「あの時、海に行った帰りのことだけど、本当は聞こえてたんだろ?俺が言ったこと」

気持ち悪いだとかウザイだとかそういう罵倒も甘んじて受けてやろうと、
神妙に、けれども精神にダメージが行きすぎないよう腹に力を入れて待っていた。

しかし降ってきたのはアニのあっけらかんとした声で、


アニ「……?……ああ、あのとき。いや、聞こえてなかったけど。そういえばなんて言ってんたんだい」

エレン「もういいって、ここに来てそんな演技しなくていい。思ったこと全部言っていい、俺もその方がすっきりする。
    大体お前、相手のこと考えて言葉にしないとかそういうタイプでもないだろ」
    
アニ「は、だから聞こえてなかったんだってば。思いだしたら気になってきた。教えてよ」

エレン「だからもういいんだって!!いっそひと思いにやってくれた方がいいって言ってるだろ!?」


とことん強情なままのアニに俺もイライラしてくる。
なんでそこまで意地を張る?嫌いだから俺のことを今まで避けていたんだろう。
白黒はっきりつけないままで異国へと旅立つのは嫌だった。きちんと言ってほしい。それで全部諦める。




エレン「言えよ!別に怒らないから――言えって!」

アニ「じゃあ言うよ!」


アニは目じりを怒った猫の尻尾みたいにピーンと釣りあげると、ソファーからさっと立ちあがった。
俺は激情燃え盛るアニの瞳に見下ろされて固まった。まさか立つとは思わなんだ。

姿勢を整えたということは蹴り……もしくはビンタ……もあり得る。警鐘が鳴った。
――が、もういい、全部受けてやる、何でも来い。警鐘のスイッチを切った。


アニ「よく聴け。一度しか言わないよ」

エレン「おう、来いっ!!」


上からガシリと両手で肩を押さえこまれる。肩の筋肉に指が食い込んだ。
これはサンドバックも視野に入れなくてはならない。




アニ「あんたのことが…………」


アニは鬼のような怒りの表情でその言葉を続けた。
ちょうど鼻先5cmのところにある唇が、そしてその奥に並ぶ白い歯が、赤い舌が強張る。

それらは一度だけ戸惑うように震えた後、再び歪み、冷たいナイフを生み落とそうとしていた。
俺は凶器が心臓に突き刺さる瞬間を、息を飲んでじっと待ちうける。

しかし、いつまで経っても血が出ない。
引き裂かれる痛みも、ズンと重い押しつぶされるような痛みもない。
ただあったのは衝撃と混乱だった。


アニ「好き」





……ん?



呆然。瞬き。理解。疑問符。
……瞬き。


エレン「……?……??」

アニ「好き。あんたが。それを言いにここまで来た」

エレン「え?いやお前……冗談よせよ。なに言ってるんだ。……本気か?」

アニ「本気じゃなかったら、こんなところまで追いかけてきたりしないし。そこまで暇じゃない」

エレン「だってお前、あのとき俺がお前のこと好きだなんて言ったからドン引きして、あれから俺のこと避けたんじゃなかったのかよ!?」

アニ「違うけど…… え。あんた私に告白してたの? いつ」

エレン「!?」


俺は悟る。アニは演技などしていない。本当にあのとき、電車の音でアニの耳に俺の声は届いていなかったのだ。
つまりどういうことかと言うと……端的にまとめると……全部俺の早合点だったということだ。




じゃあ俺は嫌われてなどいなくて、勝手に一人で納得して落ち込んで開き直っていたのか。
むしろその逆で、今アニは俺になんと言った?

想像してみてほしい、裸で氷水に投げ込まれようとしている奴が、今か今かと待ち受けていたら
次の瞬間その身を包んでいたのが温水だった気持ちを。

驚愕なんてもんじゃない。


エレン「じゃあなんであんなに俺のこと避けてたんだよ!?」

アニ「……それは」

エレン「待て、ちょっと一旦離れろ」


驚愕が理解に変わったとき、遅ればせながら俺の顔面の神経が機能し始めたらしい。
顔どころか体中あちこち熱をもったように火照っている俺とは対照的に
アニはほんのり頬を赤らめているが、歴戦の戦士のように毅然としている。

おかしい。普通立場が逆ではないだろうか。



「ここに来るまでに散々苦労したんだ。覚悟なんかその中でとうに決まってた」
アニはきりっとした表情で俺を見下ろす。だから逆だと。


アニ「あんたを避けてたのは……まあ私なりに葛藤があったってことだね。あんたのこと好きだなんて認めたくなかったし」

エレン「てめえ……俺だってな、好きでアニのこと好きになったんじゃ――、……ん?」

アニ「本当はもっと早く気づいていればよかったよ。とにかく今日は、あんたの返事は本当どうでもいいから、
   私がこのことを言いたかっただけだったんだけど」
   
アニ「……けっこう、嬉しいもんなんだね。同じ気持ちを返してもらえるっていうのはさ……」

アニ「ありがとね」

エレン「……いや、俺にもちゃんと言わせてくれよ」


アニに負けじと立ちあがる。身長差が逆転して一気にアニが小さくなる。
チビだなんて言って怒らせたときも、蹴り倒されたときもあった。今ではいい思い出だ。




エレン「俺もアニのことが好きだ」

エレン「……あー、アニもそう思ってくれてたって知ってすげぇ嬉しかった」

アニはゆっくり頷いた。
再び顔が上がるのを見届けて、続ける。


エレン「……でも、俺、知ってると思うけどあんまり器用じゃないんだ。
    一つのことに夢中になったらそのことしか頭にないっつーか」
    
エレン「要領がきっと悪いんだな。二つ同時に進められないんだ。どっちが大切かっていうんじゃなくってさ」

エレン「……だからごめん。アニ」

俺は右手をアニに差し伸べた。
友人として握手で終わりにしようと思って。




アニはじっとその手を見たのち、力強く握ってきた。
体温が伝わる。暖かく小さな手だった。
ただ、何故かだんだん握られる力が増していってるような気がする。


アニ「そんな風に言うとは思わなかった。あんたにしちゃ……まともな決断だね。
   知ってるよ、あんた単細胞だもんね」
   
エレン「いってえよっ!!離せ、握手だっつってんだろ!!」


右手の五指があらぬ方向に曲げられようとしている。
前にもこんな体験をしたことがあるが、まさか二度目があるとは思わなかった。


アニ「……でもこっちだって、あんたにそんな期待してないから。
   むしろそのままでずっといればいい……んじゃないの……?」
   
エレン「え?」

アニ「あんたのそういうところがいいなって思ったし、そういうところ見て
   私も……何かしてみようかなって気になったから」



アニ「世界はそう簡単に変えられないし、多分ずっとこのままなんだろうけど」


遠くから俺の名前を呼ぶ声がする。父さんだろうか、アルミンたちだろうか。
飛行機の離陸準備が整ったらしい。もう搭乗できるとのことだ。


アニ「でも自分は変われるんじゃないかって……あんた見ててそう思ったから。
   だからあんたはずっとそのままでいればいいよ」
   

投げやりにかけられた言葉が、旅立ちのほんのわずかな不安や寂しさを溶かした。
これから行くところがどんなところだとしても、俺は今のこの気持ちを思い出してなんとかやっていこうと思えた。




「私、変われると思う?」アニが問う。
ロビーのアナウンスと人々の足音が背後で音量を増している。そろそろ行かなくてはならない。

「お前が変わりたいんならいつでも変われるだろ」俺は頷いた。
アニは一瞬目を細めた。


エレン「……頑張れよ」

アニ「あんたもね」


一拍置いたのち、アニは我に返ったように視線を逸らした。

アニ「なんか……らしくもないことばっかしてる気がする。……ハァ」

エレン「じゃあ最後くらい俺たちらしくするか」



アニが唇の端をちょっと上げて笑う。俺もつられて笑った。
「そうだね、湿っぽいのなんて性に合わない」


アニ「じゃあね、単細胞野郎。せいぜい頑張んな。こっちで応援しといてあげるよ」

エレン「じゃあな、チビ。俺もお前がやりたいこと、あっちで応援してやるよ」


パシンと右手と右手の平を打ちつけ合って、それが別れの合図だった。

足取りは軽く、衣料や生活品がつまったトランクさえも羽毛のように感じられた。
大きなガラスの向こうの滑走路に、そしてその果てに広がる、気の遠くなるほど広大な宇宙に思いを馳せる。
それに比べたらなんて小さな自分がここにいることだろう。

でもそんな自分を応援してくれている奴がいるのだから、
俺は、俺が矮小だろうが無力だろうが馬鹿だろうが単細胞野郎だろうが、
それでも我武者羅に頑張ってみようと思えるのだった。



A 36
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白い飛行機が蒼穹を割って進んでいく。
地平線の遠く、まだ私が見たことのない異国の地へ颯爽と。
彼が右手に持っている夢はそこで何色に輝くのだろうか。


いや、彼だけではない。
空の下、轟音とともに離陸した飛行機を仰ぎ見ている彼らの手にだってそれはあるのだろう。
ミカサ、アルミン、ライナー、ベルトルト、そしてこの場にいない奴らにだって。


私も、いつか。私だけのそれを、拾い上げるために。
何分今まで虚無主義を生きていたから、少しは苦労するかもしれないけど、

次エレンに会う時にあいつばっかり大成していたら腹が立つので
私もそこそこ頑張ってみようかと、ようやく重い腰を上げたところである。


そうだ、まだまだこれから。これから何かが始まるのだ。



Last
-----


ついさきほど驟雨が上がったばかりだと言うのに、もう路地では子どもたちがふざけ合って遊んでいた。
アニ・レオンハートは自分のそれとは少しだけ違う子どもたちの肌の色に目を止める。

数着の着替えと最低限のグッズを適当に放りこんで、
整理整頓をすることもなく蓋をしめたトランクを、彼女は後ろにゴロゴロと引き連れていた。

子どもたちの一人が、路地を震わせるその音に気付いてアニを注視する。
もう一人は彼女のことなど気にとめた風もなく、改良に改良を重ねた自慢の紙ヒコーキを宙に飛ばしていた。


――と、突風が吹き、それはアニのさらけ出された白い膝小僧のあたりまで流される。
まだ湿っている地面に墜落する前に彼女の手がそれを救った。


「ありがとう!」

「どういたしまして」まだ発音しなれてない異国語でそう返した。
ついでとばかりに、道を尋ねる。すると子どもたちが目的地まで案内してくれることになった。




「じゃあお姉さんは本物のヒコーキに乗って、ここまで来たの?」

「すっげー」


ここの夏はあちらと違って、カラッと乾いた陽気が心地いい。
その分日差しがきついと聴いていたので、空港で適当にキャップを購入しといて正解だった。

燃える太陽に透き通る海が映えている。
アニは子どもたちに連れられて、遠くに息づく海に視線を馳せると眩しそうに目を細めたのだった。



* * *


アニは高校生になった。
まだ固いシャツに、紺色のブレザーとスカート、それからソックスを身につけて
朝ごはんを食べて駅まで行って、電車に揺られて改札を出て、学校に登校する。

中学校より遠いので起床の時間は早まった。が、遅刻はいまのところしていない。


初めは新しい環境に気疲れもしたものだったが、数カ月もすればそれなりに慣れる。
なんてことはない、前と同じルーチンワークだ。

だがそれでも順風満帆な高校生活を送れているかと問われると、アニは即答できない。
悩むときもある。苛立つ時もある。傷つく時も。窮屈さに息がつまりそうな時もある。

この四角い真っ白な箱の中で、悩みの種は見つけようと思えば五万と見つけられる。




そんなときアニは屋上に上がる。誰かが壊した鍵を見て見ぬふりをして。
そしてエレンと行ったあの石階段の上の丘を思い出すのだった。


青色の透き通った天井の下で、誰よりも高い場所から小さな家や建物や人を見下ろして
しばらくしてからふうと一息つけば、どんな悩みもなんとかなるか、と思えるのだった。

馬鹿と煙は高いところが好きだと言うが、それならもうアニは馬鹿でいいと開き直る。


たまに空を横切る飛行機や、それに連なる雲を見ては、あの日のことを思い出す。
アニが町を眺めているときに、誰かが屋上の錆びついて恐ろしげな音をたてる扉を開けることもあった。



ミカサの風になびく短い黒髪。
アルミンが小説や哲学書のページをめくる音。
ライナーとベルトルトの間を行き来する白い野球ボール。

アニがカメラを取り出して、そんな彼らの姿をフィルムにおさめることもある。

この学校では部活動に属することが決まりとなっていたので、アニは写真部に入ることにした。
大体部活動が面倒な生徒は、活動がほとんどないとされる家庭科部とか茶道部に入る。
アニもそっちにしようかと考えていたのだが、掲示板で写真部のチラシを見たときに、やめた。

写真を撮るのが好きかどうか。自分に問いかける。
嫌いではない。好きだろうか?……好きだ。写真をとりたい。
その日のうちに写真部を訪れて入部届けを出した。

楽な流れに身をまかせるのではなく、好きだからやりたいことをやるというのは
単純なようでアニにとっては照れくさく、どれぐらい照れくさいかというと
それを知ったアルミンが「へえ、写真部か、楽しそうだね」と至って普通のコメントをして笑っただけなのに
「なに笑ってるんだ蹴りあげるぞ」と睨んで彼を竦みあがらせてしまったほどである。




写真に限らず、アニは自分の好きなものややりたいことを探している途中だった。
教科、色、食べ物、スポーツ、どのジャンルにおいても
そりゃあアニも人間なので好き嫌いはあったが、自覚がなかった。
だから彼女にとっては自分の心との確認作業を行っているようなものだった。

やりたいことも少しずつ見つけて、自分から働きかけることを心掛けるようにした。
部活動入部はその一歩だった。
まだ将来の夢は見つけられていない。リストアップの最中である。

いつも眠りに落ちる前のほんの僅かな時間の中で、アニは目を閉じて暗闇に数年後の自分を思い描く。
どんなことをしていたいか。何のために頑張りたいのか。

そのイメージはまだ不確かなもので、はっきりとする前に眠りに落ちてしまうこともしばしばある。
だけどそうすることでちょっとずつ変われたらいいとアニは思っている。



アニが物心ついたときから考えていたように
社会は重厚で、信じられないくらい絡まり合っていて、途方もなく固い。
でもきっとそんなことはみんな知っている。


電車の中でばったり会った、制服を着崩したジャン
対照的にきっちりかっちり制服を着こなすマルコ
会う度いつも頬いっぱいに食べ物を詰め込んでいるサシャ
同じく常に牛乳パックのストローを口に差しているコニー
運動部に入って、少し日焼けしたミーナ
学業の傍らバイトを始めて店の看板娘になったクリスタ
女子高でやたら同性に告白される、と困り果てているユミル(アニは鼻で笑ってやった)


多分みんなそんなこととっくに知っていながらも
でもやっぱり自分が大人になったらほんのちょっとだけ、自分の周りくらいは変えられるんじゃないかと
淡い希望と夢だけを武器にこの息苦しい世界の水底を生きているのだ。
多分。




きっと大丈夫だとアニは思う。
こらえ切れなくなったら数段浮上して息を吸いにここに来ればいい。
ただそれだけのことだ。


フィルムカメラではなく、携帯のカメラで皆がふざけ合っているところを撮影した。
時差は考えずに、本文が空欄のままエレンに送信する。

返事は、帰ってこない。
ここ最近電話もメールも返事がなかった。




「ねえ、ちゃんと携帯見てる?」

「一文字でいいから送ってよ。」

「おい。蹴りに行くよ。」

「ふつー全部無視とかあり得る?毎日メールしてる訳でもないのに。」


以上のメール全て返信なし。
アニは壁に携帯電話を叩きつけようとして、ちょっと考えて、ベッドに思いっきり投げつけた。
機械は鈍い音をたててはずむ。

確かにアニは空港で別れ際に、エレンに「そのままのエレンでいろ」とか
「別に私に構わなくていい」とかそのようなことは言った。
でもこれはあんまりじゃないのか。一文字返信する手間さえ惜しいのか、あいつは。

エレンの性格は知っているはずだったが、いい加減怒りを抑えるのに苦労するレベルまで来ていた。
アニはこれでも我ながら我慢強く耐えた方だと自負する。
窓の外を見た。小雨が朝からずっと降り注いでいる、じめっとした7月初旬。

「いいよ、あんたがその気ならこっちだって……」
ガラスに映った自分の顔に向けて、アニはフンと鼻を鳴らした。

このSSまとめへのコメント

1 :  エレアニ好き   2013年10月05日 (土) 16:12:52   ID: exYkFrYY

頑張れ

2 :  SS好きの774さん   2013年10月06日 (日) 03:35:30   ID: yxAcCK12

終わりですか? 続編は?

3 :  SS好きの774さん   2013年10月10日 (木) 00:01:44   ID: Z_cekZsy

続編あるでしょ?

4 :  SS好きの774さん   2013年10月11日 (金) 19:09:16   ID: P1s8F2na

頼むから続編書いてください

5 :  SS好きの774さん   2013年10月14日 (月) 10:07:08   ID: elV3FGhS

がんばってくれ

6 :  SS好きの774さん   2013年10月26日 (土) 00:21:32   ID: 5ceqrBUx

久々の良作

7 :  SS好きの774さん   2013年10月27日 (日) 21:04:06   ID: KO8IoQBO

いいよいいよー

8 :  SS好きの774さん   2013年11月06日 (水) 19:47:53   ID: AoOyyxcu

素敵

9 :  SS好きの774さん   2013年11月13日 (水) 00:24:01   ID: KFirGX0_

エレンはアニから離れるのか…

10 :  SS好きの774さん   2013年12月11日 (水) 23:55:16   ID: BoLS3g3l

早く続きを

11 :  SS好きの774さん   2014年01月05日 (日) 15:22:35   ID: CU6ySZ2V

wwwwあれ??ww
続きは??
いいところで終わるんだな・・・・

12 :  SS好きの774さん   2014年01月11日 (土) 19:02:09   ID: xuFACf-c

期待

13 :  SS好きの774さん   2014年01月18日 (土) 20:58:19   ID: L_bHDXJE

期待

14 :  SS好きの774さん   2014年01月28日 (火) 03:02:38   ID: iq7Ofo4v

本スレ完結したのに更新されてないね

15 :  SS好きの774さん   2014年02月03日 (月) 18:22:56   ID: pF_2DOr0

フィルタ無効化すれば見れる

16 :  50:50   2020年03月04日 (水) 04:41:24   ID: hpcgSr4Z

感動した!

傑作でした!

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