【モバマス】周子「四つの季節、二人の帰り道」 (70)


 あれから二年が経つ。

 忙しない日々は飛ぶように過ぎ、気付けば十八の少女は、二十歳の女性になっていた。

 人生のほろ苦さも味わった周子は少しだけ大人びた表情を見せるようになって。


 そして俺達は、酒を飲むようになった。



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── 冬 ──


「ふふ、中々悪くない一日だったなー」


 隣を歩く周子がそう呟く。仄かに潤んだ瞳をゆっくり閉じて、満足そうに深呼吸した。

 彼女のアルコール混じりの吐息は一瞬白く柔らかい形を作り、冬の空気に溶けていった。

 それをぼんやり目で追ってから、俺は馬鹿丁寧にお辞儀する。


「それは大変よろしゅう御座いましたぁ」

「うんうん。くるしゅうないよ!」


 周子は胸を反らして目を細めていた。

 深い夜の帰り道。街路樹の向こうにベテルギウスが浮かんでいる。繁華街から離れ、人がまばらになるにつれて、空は益々澄んでいくようだった。

「初めての酒はどうだった?」


 のんびりと足を進めながら訊ねてみる。


「何か……身体ふわふわする。けど結構好きかも」


 普段よりも締まりのない顔で周子は微笑む。
 こいつ、相当酒飲みになりそうだなあ。

「味の方は?」

「ビールもカクテルも、意外とすっと飲めたなー。あ、けど一番気に入ったのは日本酒!」

「すっげえ……。俺が二十歳の時は、ビールも苦くて飲めたもんじゃなかったよ」

「あはは、Pさん味覚が子供やもんね」

「若々しい舌を持ってる、と言え」


 緩く優しい風が吹いていた。馬鹿騒ぎと酒で火照っていた身体が、冷えてゆくのが心地好かった。


 周子はコートのポケットに手を突っ込んだまま、ふと小さく笑い出す。


「ん? どうした」

「いやさ、ほら。奏ちゃんと美嘉ちゃんが不満そうにジュース飲んでたの、思い出して」

「あー。奏さんがしれっとワイン持ってた時は焦ったな」

「『私が頼んだものなのよ……』」


 周子がふざけて真似をする。


 つい数時間前、奏さんが勝手に頼んだボトルは仕方なしに、俺と彼女の担当が二人がかりで空けた。そんな俺達を眺めていた奏さんが、ぼそりと呟いた台詞だ。

 彼女の恨みがましい目を思い出すと、俺もおかしくなってくる。

「けど今回はまだ良かったよ。フレデリカさんの誕生日の時は、周子と志希さんもまだ未成年だったから……もう大混乱だったし」


 前回の飲み会を思い起こしてそう言う。

 そして気付いた。
 あれ、そういえばあの時は──


「美嘉さん、あの時は止める側じゃなかったっけ?」


 慌てた顔で志希さんを羽交い締めしていたのを覚えている。あの時志希さんは確か、興味深そうに目をキラキラ輝かせながら、テキーラを呷ろうとしていたっけ。

 あのとき防衛チームにいたはずの美嘉さんが今日は何故、冗談混じりにコークハイをちょろまかそうとしていたんだろう。

 にやけっぱなしの周子は、朗らかに返してくる。


「あたしと志希ちゃんが二十歳になって、Pさん達への負担減ったでしょ? 美嘉ちゃんもバランス取る必要なくなったんやろうね」


 自分が負担扱いされるのは良いのか、周子。
 そう思いながら俺は溜め息を吐く。


「……何だよ、美嘉さんはまともだと思っていたのに。彼女もやっぱりLIPPSなんだなぁ」

「ちょっとー。あたし達のユニット名、変な使い方せんでよ」


 周子はけらけらと笑った。


 だらだら歩き続ける俺達は、公園沿いの道に差し掛かっていた。

 歩道と敷地の境には植込みが並んでいる。その奥に砂場と滑り台、それからブランコが見えた。
 少し開けた位置にはぽつんと、時計が立っていた。

 二本の針はその頂点で今にも重なろうとしている。
 俺達にとって特別な、十二月十二日が終わろうとしている。


「周子」

「ほーい。どしたん?」

「誕生日、おめでとう」

「へへへ……うん。ありがと」


 時計のすぐ傍で、月が青白く輝いていた。



── 春 ──


「はぁー……久しぶりのお酒、美味しかったーん」


 白く光るスピカの下、彼女は気持ち良さそうに声を上げる。ふわりと何処からか淡く、梅の花の香りがした。

 二人だけのひっそりとした祝勝会の帰路だった。

 昨日行われたライブは無事に成功した。見る者全てが酔いしれ、熱くなるような良いライブだった。そのパフォーマンスは間違いなく、周子の隠しがちな努力に裏打ちされたものだった。

 晴れ晴れとした周子の顔を見るに、やはりこれまで不安や重圧を感じ続けていたのだろう。
 飄々として見える彼女も、その影では戦いの日々を送っている。


「──それにしても。ライブまでの間、そんなに焼鳥食べたかったのか?」


 からかうように訊ねてみる。何でもご馳走すると告げると周子が即答したのは、事務所近くの焼鳥屋だった。


「なにさー。美味しかったやろー! あたしあそこの皮、大好き」

「串とお猪口持ってる周子見たら、アイドルなの忘れそうになったよ」

「ふふ、変装いらずで楽じゃない?」


 スキップでも始めそうな程に軽やかな足取りの周子。
 そんな彼女はこちらを振り向いて、急に猫撫で声を出してきた。


「それにぃ。あたしはPさんと二人で、ゆっくり飲むのが楽しみだったんよ。うふっ」

「……何が欲しいんだ?」

「あはははっ、察し良すぎるでしょ!」

「何年担当してると思ってるんだ。どうせいつものおねだりだって分かったよ」

「流石やねぇ。うへへ、そしたらさぁ──」


 周子は足を止める。
 俺達は丁度、コンビニの前を歩いていた。


「──アイス買うて♪」



 コンビニの明かりがやけに眩しく感じた。安っぽい出汁の匂いがしてぼんやりと思う。もうそろそろ、おでんも見なくなる時期だなあ。

 店内には菜々さんの新曲が流れていた。十七歳の菜々さんと、二十歳の周子。彼女達の年齢は少しずつ離れていく。そう考えると何だかおかしい。


「別に、あれだからな」


 お菓子の棚を物色していた周子が顔を上げる。
 というかお前、アイス買いに来たんじゃなかったっけ?


「……ん? なぁに?」

「欲しい物あるからって、毎度媚売らなくていいんだからな。最初から素直に言え」


 笑いながらそう言葉を投げると、周子は身体をくねくねとさせた。


「えー。シューコちゃん奥ゆかしい京美人やから、そんなんよう言えへんー」

「紗枝はんに叱られてこい」

「素直に言うんやけど、チョコも買ってって良い?」

「……おう、買っちまえ。もう好きなだけ買っちまえ」


 諦めたように言う俺を見て、周子が吹き出した。


「んー……期間限定って惹かれるなぁ。でもやっぱ雪見だいふくも……」


 ショーケースを覗き込んで、周子が唸っていた。その横で俺も一緒になってアイスを眺める。

 手に持つ籠の中で周子のチョコと俺のミネラルウォーターが揺れて、ガサガサと音を立てた。


「Pさんは何にするん?」

「うーん、ソフトクリームかな。最近のコンビニのやつ、結構美味いし」

「お、ええやんええやん! そんならそれは、一口貰うとしてぇ……」

「計算高いわぁ周子はん」

「──あの、あれ。嘘やないからね」


 周子の言葉の意味が分からず、俺はきょとんとしてしまう。話題がすぐにあっちこっちと飛び回る俺達の会話は、稀にこんなことがあった。


「は? 何がだ?」

「Pさんと飲むのが好きなのは、別に嘘じゃないから」


 お前、何分前の話をしてるんだよ。
 そう笑おうとしたが途中で止めた。

 何でもないようにショーケースをうろうろ見定め続ける周子の横顔に、僅かに照れ臭さを見たからだった。


「あー……それはどうも」

「Pさんはどうなん」

「ん?」

「あたしと飲むの、嫌いじゃない?」


 好きか、と訊ねないそのいじらしさに顔が綻びそうになった。

 こんな何気ない所に時折、周子の幼さが現れる。それに気付く度、胸が締め付けられるような甘さを感じていた。


「嫌いなわけないだろ」

「ほんと?」

「ほんとほんと。──好きだよ」

「ん……そんなら、良かった」


 何だかしんみりとした雰囲気に、俺はまごついた。
 そして彼女はそれに気付いたのかもしれなかった。

 散々迷っていたはずの周子は突然、一つのアイスをむんずと掴み上げて声を出す。


「う、うははは! よぉーし、あたしハーゲンダッツにするっ!!」

「ふふ……遠慮ねぇな、おい」


 コンビニを出た俺達は公園に足を踏み入れていた。数ヶ月前と同じように、時計はぽつねんと立っている。

 日付の変わったばかりの砂場には、人っ子一人いなかった。

 滑り台の近くにあるベンチに二人並んで座り、ぼんやり夜の公園を眺めながらアイスを食べた。


「まだ桜は咲いてないみたいやねぇ」

「あと半月位はかかるんじゃねえかなあ」

「満開になったらさー、アーニャちゃんとか忍ちゃんとか誘って、お花見連れてってよ」

「良いなそれ。何処かおすすめスポット探しておいてくれ」

「やった。言ってみるもんやなー」


 涼しい春の夜風が、蕾の膨らみ始めた桜の枝を静かに揺らしていた。


 周子がアイスを食べ終えて、そのゴミまでしっかり俺に手渡してきた直後のこと。彼女は突然大声を出した。


「あーっ!!」

「うぉ、びっくりしたぁ。……何だよ急に」

「ブランコ新しくなってる!」

「……あ、本当だ」


 ぱっと駆け寄る周子の後を追って、俺もブランコへと歩く。不服に感じつつも、彼女のゴミをビニール袋へ片付けながら。


 より正確に言うと、ブランコは修繕されたようだった。所々錆の付いていた支柱は青いペンキで塗り直され、座面へ繋がる鎖は新しいものに取り替えられていた。

 まだ修理して間もないのだろうか。あまりに鮮やかな青色の遊具は、この公園の中で少し浮いているようにさえ見えた。


「へっへっへ、一番乗りー」


 ひらりと座る周子に従うように、俺も隣のブランコに腰を下ろす。


「この年になって遊具を使うとはなぁ」

「んはははっ! ええやん、何か哀愁感じるよ?」

「おっさんっていう人種は例外なく、ブランコに乗ると物寂しく見える生き物なんだ」

「うーわ、切なっ。でも確かにあたしも、何年振りだろうなー」

「むしろその年で『昨日乗ったばかり!』とか言う方が心配になるだろ」

「まぁそうなんだけどさ」


 しばらくの間ゆらゆらとブランコを漕いでいた周子はぴたりと止まり、口を開いた。


「大人になるとさぁ、出来なくなることが増えるよねー」


 何の話だ、いきなり。
 そう思いながらも彼女に返事を寄越す。


「んー……出来るようになること、じゃなくて?」


「それも少しは増えるけどさ。ほら、お酒飲めるのも、大人だからこそ出来ることだもんね」

「そうだな」

「けど大人なんだから、って理由で我慢することも沢山増えるでしょ。みっともない、恥ずかしい、みたいな気持ちが邪魔して」

「あぁ……そうかもなぁ」

「それは当然のことかもしれんけど。でもたまにそういうの、放り出したくなるときもあるんだよねー」

「……自由人の塩見周子にとっては、堪らないことなのかな?」

「んー。仕方ないことだってのは、分かってるんだけどね。ふふっ……大人って大変だ」


 そこまで言って、また周子はゆらゆらとブランコを揺らし始めた。

 あれは何年前になるだろう。大人と子供の境の頃、俺自身も同じように抱えた得体の知れないやるせなさ。
 そんなかつての感情が、周子の言葉と重なった。

 あのとき漠然と感じていた不満足は、気付く頃には俺の日常の一部となっていた。
 それを思い返すと、何だか胸がきゅっとした。


「夜中にブランコ乗るとか、公園でだらだらアイス食べるとかさ……」

「えっ?」


 彼女はブランコを再び止めた。今度は周子が顔をきょとんとする番だったようだ。
 『何の話をしてるん、このおっさん』
 そんな表情で、こちらを見ている。


「そういう無駄なことも、年を取る内にしなくなるのかもしれないなぁ」

「……うん、そうかもねー」


「──けど少なくとも、それが出来る今の間は。いくらでも付き合うからさ」


 そこで言葉を切って、周子の返事を聞かないままブランコを漕いだ。

 春の景色がゆらゆら動き、春の空気が耳の横を駆け抜ける。無性にそれが気持ち良かった。

 風の音に紛れるように、そっと周子が言う。


「おおきに。」


 帰り際に周子は満面の笑顔で滑り台に登って、降りた。そんな彼女を見て俺はけたけたと笑い声を上げた。

 真新しいブランコの鎖が、街の灯りを反射して輝いていた。




── 夏 ──


 その日、俺はアンタレスを眺める余裕さえなかった。


「ヴぅーっ……なんやねん、ちくしょぉぉ……」


 俺の左肩に顎を乗せて、周子が呻いている。
 普段ほんのり赤みが差す程度の彼女の頬が、今日は真っ赤に染まっていた。

 どうやら生温い初夏の風では、周子の酔いを醒ますに至らないようだった。


「この阿呆。アイドルが歩けなくなるまで飲むなっての」


 背中にずっしりとした重さを感じながら俺も唸る。
 確かに周子は女性の中でも、体重が軽い方なのだろう。しかし俺自身酔っている状態の今、彼女を運ぶのはそれなりに面倒なことだった。


「こんなところ写真でも撮られたらどうするんだよ、もう」


 呆れ返りながらも、決して不愉快ではなかった。

 ……まぁ。今日くらいは、仕方ないよな。


「──だいったい、あの審査員センスないねん! なんやねん『空っぽですね』って! 具体的に言えやぁぁっ!」


 うわぁぁ、と喚くように周子は手足をじたばたさせる。
 頼むから暴れないでくれ。ただでさえ妙なところを触らないよう、気を付けておぶっているんだから。


「次だ次。活躍してその審査員を後悔させてやれ」

「言われんでも分かってるわ阿呆ぉっ! ありがとう!!」


 感謝の言葉と裏腹に、何故か周子は俺の首を両手で掴みぐらぐらと乱暴に揺さぶる。
 止めて、止めて。誰か助けて。


 そうやってじゃれ付いていた周子が、ぴたりと動きを止めて黙り込んだ。俺は慌てて訊ねる。


「……もしもし周子さん? どうした、気持ち悪い?」

「ブランコ」

「えっ」

「ブランコ行こ、ブランコ」


 運転席からの指示には、従わざるを得なかった。


「わははははっ! たのしーーーっ!」


 馬鹿笑いをしながら周子は揺れていた。120度近い弧を描くほど力一杯、ブランコを漕いでいる。真夜中に全力で遊具を使う女。傍目で見ると中々異様な光景だ。

 サイコホラー映画を見ているような気分になると同時に、俺はヒヤヒヤとしてもいた。頼むから怪我するなよ。


 やがて満足したのか、周子は次第に動きを止めて無言になった。

 しばらくして、ぽつりと呟く。


「乗り物酔いした。気持ち悪い」

「……馬鹿なの、お前?」


 そりゃ散々やけ酒した後にあんな運動をしたら、三半規管もぐちゃぐちゃになるだろう。


「うぅぅ……吐きそうー……」

「えぇ、引くんだけど。本当にアイドルかこれ?」

「限界……目の前が緑色や」

「もうちょい堪えろ。ほら、立てるか?」

「ヤバいって……助けてぇ、Pさぁん……」

「あー、はいはい。あんよが上手、あんよが上手」


 人気のない茂みの影で周子は噴射した。
 一体何してるんだ、こいつは。


 公園内にある自販機で水を買ってベンチへ戻ると、周子はしおらしくなっていた。


「ほんまごめんって……許してぇ」

「気にしてないって、ちょっとは楽になったか?」

「出すもの出したからね……」

「それならとにかく水飲め、ほら」


 手渡すと周子は気恥ずかしそうな表情のまま、水を口に含んだ。


 不幸中の幸いだが、二人とも服が汚れるようなことはなかった。周子にかろうじて残った理性が必死に働いたのかもしれなかった。


「あっはっは。いやぁ、流石にブランコは不味かったねー」

「当たり前だろ……。時々周子、頭パーになるよな」

「ちょっとー。そこまで言うなら止めてよぉ」

「たまには滅茶苦茶したくなる時もあるだろうしさ」

「やーでも、びっくりしたぁー。あたしの胃の容量そんなにある? て位吐いたわ……」

「うぇ、生々しい感想やめろ! お前本当にアイドルか!?」


 俺の悲鳴と周子の笑い声が、夏の公園に響いた。



「いくらか楽になったんなら、ぼちぼち帰るぞ」


 ベンチから立とうとしながら俺は周子に声を掛ける。
深夜一時。ベンチのすぐ裏には、朽ちかけた紫陽花がしょんぼりと佇んでいた。

 その前で座り込んだままの周子は、紫陽花と同じようにだらりと背を丸めている。


「帰り道分からーん」

「……えぇ?」


 何馬鹿なこと言ってるんだ。そりゃオーディションに落ちて凹んでるのは分かるけどさ。それにしてもお前今日は、やけに面倒臭いこと言うなぁ……。

 そんなことを胸の内で溢して、周子の顔を眺める。
 彼女はそっぽを向いて唇を尖らせていた。


「帰り道分からんから、帰れへんわー。困った困った」


 帰りたくないと……言っているのだろう。
 ほとほと手の掛かるアイドルの担当になったものだ。

 そして何より困ったことなのは──


「どうしてこんなに、こいつに甘いかなぁ……」


 呻く俺に、周子は尋ね返してくる。


「うん? なんつったの?」

「……どこに行きたいんですか、塩見さん?」

「うはははっ! カラオケ行こ、カラオケ~♪」



 ──ゆらゆら揺れて夢のようで


 周子の澄んだ歌声が狭い部屋に響いていた。


 ──ゆらゆら揺れてどうかしてる


 こちらをちらりと見て、目元だけで笑い掛けてくる。


 ──歩く速度が違うから BPM83に合わせて


 ……まずいなぁ。
 そう、俺は思う。
 酒を飲んでこんな所に周子と来るのは失敗だった。


 ──きみと夜の散歩 それ以上もう何も言わないで


 プロデューサーをしているにも関わらず。
 これだけこいつと長い付き合いをしてきているのに。

 俺は……周子に見惚れてしまっていた。


「あれ、まだ曲入れてなかったん?」


 歌い終えた周子は俺の隣に座って、タブレットを覗き込んで来た。


「さてはシューコちゃんに釘付けだったなー?」

「……そんな訳あるか阿呆。ほら、続けて入れて良いぞ」


 何となく視線を合わせないようにしながら、机の上のリモコンを彼女へと押し出した。

 しかし周子はそれを手にしようとしなかった。こちらに肩を寄せるようにして、そのまま操作し始める。


「おい、近い」

「なぁにー、照れてるん? ほれほれぇ」


 鼻歌混じりに周子はより一層距離を縮めてくる。
 肩同士が触れた部分が、やたらと温かく感じた。


 そしてそれを意識してしまったことに、自己嫌悪する。

 ……何どぎまぎしてるんだ、おっさん。
 思春期の男子中学生みたいな反応してんなよ。

 そんな動揺を決して周子に見せないよう注意しながら、丁寧に溜め息を吐いた。


「これだから酔っぱらいは」

「あははは! 今日は流石に、そう言われると反論出来んなー」


 苦笑している周子の肩を遠ざけようと、ぐうっと押し返す。すると彼女はふざけたように矯声を上げた。


「やーん、いけずぅー♪」

「何だ? 今日はやけにベタベタしてくるなぁ」

「えー、そうかな。まぁでもそういう時は黙って受け入れてあげるのが、男の器量じゃないー?」

「そういうのは俺じゃなく、将来周子が結婚するような良い男に期待しとけ」

「あたし、Pさんがええけどなぁ」


 さらりと放つ周子の言葉に、息を呑んだ。
 ──本当に、自分の単純さが嫌になる。


「……はいはい、ありがとな。俺がいつまでも売れ残ってた時は貰ってくれ」

「へへーん。予約済みってことで、よっろしくー」


 子供の指切りのような下らない会話。それに胸を弾ませてしまう自分の浅ましさを、俺は恨んだ。


 俺の苦々しい顔を見て周子はにまにまと笑っている。
 彼女の白銀の髪が、安っぽい照明を反射して輝いていた。



── 秋 ──


 その日もフォーマルハウトは、見えていたのだろうか。ふにゃふにゃと柔らかいアスファルトを歩く俺に、それを確かめる術はなかった。


「あーあー。肩貸そっか?」


 周子が隣で呆れたような声を出す。


「ありがと、大丈夫だ。歩ける……歩けるから」


 重い頭を揺らしてそう返す。手足はまるで自分のものでないかのように、頼りなかった。


「フラッフラやん。ほら、こっちおいでー」


 笑いを噛み殺しながら、周子は俺の腕を引く。そのまま彼女は、半ば俺の肩を支えるようにして隣を歩いてくれた。


「ん……悪い」

「珍しいよねー。そんなにPさんが酔うなんてさ」

「ん。そうだな」

「……」

「……」

「──あの子が辞めたの、そんなにショックだった?」


 周子の問い掛けに、少し時間を置いてから返事をする。


「まぁ、ちょっとはな」

「研修に耐えられなかったのは、あの子自身の問題じゃん。Pさんが責任感じる必要なんてないのに」

「……それは違うよ、周子」


 周子は何も言わずにこちらを見て、話を促していた。


「確かに最終的に決めるのは彼女自身だった……けれどそこに至るまでにモチベーションを高めてあげたり、迷いなく進めるよう配慮出来ていれば。こんなことにはならなかったはずなんだ」


「結果論に聞こえるけどなぁ」

「かもな。けど……やっぱり俺の落ち度だ」

「まったく。真面目すぎるのも考えものやね」


 苦笑いする周子に、俺も薄く微笑み返した。


「なぁ、周子」

「はいよー、どしたん」

「公園に寄り道しようか。酔い、醒ましていこう」

「ん、ええよ」


 銀杏の傍のベンチに、二人で腰を下ろした。


「最近一気に肌寒くなってきたよねー」

「だな……風邪引かないように気を付けろよ?」

「あっはは、こんな夜中に外ほっつき歩いてる時に言われてもねぇ」

「……はは、確かにな」


 まるで黄葉は夜空によって、その鮮やかな色を抑えられたようだった。ぼんやり滲む黄金の葉が時折思い出したように、俺達の足元へポロリポロリと落ちてきていた。


「Pさん、そんなに期待してたんだ」

「うん? 何だ急に」

「期待してたから、そんなに落ち込んでるのかなって」

「……そりゃあ担当するアイドルには、全員に期待してるさ」

「ふーん。あたしも?」

「言わずもがな、だよ」


 自分達の会話がむず痒く感じて、二人で顔を見合わせヘラヘラと笑った。


「けど、期待してたことよりもさ……」

「うん」


 銀杏を見上げたまま、周子が相槌を打つ。俺と彼女の間にまた一枚、扇形の葉がくるくる回りながら落ちてきた。


「彼女の夢を潰してしまったことが、恐ろしくなった」

「……」

「俺のプロデュースで彼女は、自分の夢を諦めた。諦めてしまった。俺はもしかしたら……あの子の人生をねじ曲げてしまったのかもしれない。そう思うと、何だかゾッとしたんだ」

「Pさん一人の責任じゃないよ」

「それでも。それでもさ……」


 形容出来ない感情で胸が一杯になって、俺は息を大きく吸い込んだ。

 そして息と共に言葉を吐き出す。


「──彼女にも、色んな景色を見せてあげたかったなぁ」


 何だか急に倦怠感を覚え、ゆっくり目をつぶった。
 銀杏の残像が瞼の裏でチカチカと瞬いた。


 しばらくそのままでいると、周子が肩を寄せてくる感触が、腕を通じて伝わってきた。

 彼女の動きは夏にじゃれついてきた時のそれと比べるとより柔らかく、そしてより優しいものだった。


 静かな声で周子が語りかけてくる。


「Pさんのその苦しさ、あたしはきっと分かってあげられない。だって……あたしはアイドルだから」

「うん」

「けど。ずっと横に居るからさ」

「うん……」

「だから、もっともっと色んな景色、あたしに見せてね」


 周子の言葉を俺は喉に力を込めて聞いていた。そうしていないと、感情が溢れ出してしまいそうだった。

 そのまま嗄れ声で彼女に応える。


「……ありがとな、周子」



 目を開くと、周子は温かく微笑んでいた。それから俺の腿を左手でピシャリとはたいて言う。


「さーて。Pさんの足腰もしっかりしてきたようだし、そろそろ帰ろっか」

「迷惑掛けたな、悪い」


 改めて謝ると彼女はにやりと、口角を吊り上げた。


「この借りは高くつくよー?」

「……リボ払いで返していくよ」

「あ、ニュースで見たことあるわ。いつまでも返せないやつだ、それ」


 真面目に話していたかと思えば、急にこんな訳の分からない会話を始めて。

 気が塞いでいたはずなのに、俺は思わずくすりと笑ってしまった。
 目をやると周子も、隣でニヤニヤ笑っている。


「ちょっと感動すること言ったと思ったら、すーぐふざけるんだもんなぁ……」

「いやいや、今のはPさんの返し方が悪かったんじゃん!」


 そんなやり取りをしながら、またひとしきり笑って。


「……Pさんがまだ帰りたくない気分なら、何処でも付き合うけど?」


 こちらをさりげなく気遣うように周子がそう言ったので、俺は肩をすくめておどける。


「俺は誰かさんみたいに、吐くまで飲もうとは思わないからなぁ」

「ちょっと! 忘れてくれるって言ったやろそれ!」


 周子は焦ったように喚いてから、もごもごと続ける。


「そうじゃなくてさ、その……何て言うか……」

「ん?」

「あの、さ」

「うん」

「…………うち、来る?」


 一瞬、時間が止まったように感じた。

 真意が分からず、俺は思わず訊ね返す。


「周子。それ、どういう意味だ」

「……どういう意味だと、思うん?」


 彼女のその言葉が、俺達にとっての引き返し不能地点だった。

 最早冗談だと誤魔化すことも、酔ったせいだと言い訳することも出来ない場所。
 気付けばそんな所にまで、来てしまっていた。


 周子の目を見る。

 彼女の瞳は熱を帯びていて。そしてまた、湿っているようにも思えた。


「Pさんなら別に……うち来ても、ええよ」


 喉が締め付けられるような緊張を感じていた。そして正直に言うと──それと同じ位、強い興奮を。


 一度深呼吸をして、俺は口を開く。


「……あのさ、周子」

「うん」

「俺はプロデューサーで、周子はアイドルだ」

「ん……」

「その、だからさ……」


 彼女もその言葉の続きが予測出来たのだろう。

 周子は目を伏せ、寂しげな顔をした。
 それを見ると俺の胸はズキズキ痛んだ。そんな自分の感情に気付かないふりをして、言う。


「だから、また今度な」


 ……ん?


 あれ、待て。
 俺は今……何て言った?

 自分の口の動きが信じられず、咄嗟に周子の顔を眺める。

 彼女も俺と同じように、ポカンとした表情をしていた。
 それから徐々に口の端から顔全体へと、笑いが広がってゆく。


「……ぶふっ! んふ……ふふ、あはははは!」


 彼女の反応で確信する。
 あぁ。俺はやっぱり、そう言ってしまったのか。


「わ、笑うな。おい」


 情けなさの余り、片手で顔を覆い隠しながら周子に言う。
 当然ながら、そんなことで彼女の爆笑は止められなかった。


「んははははっ……なに、『また今度』って? どういう意味よそれ、あはははは!」

「うるさい、ちょっとお前、黙れ」

「性欲滲み出てるやん! 未練たらたらやん!」

「もう本当、勘弁してもらえませんか……」


 目に涙を浮かべるほど笑いながら、周子は声を震わせる。


「ダッサいなぁもう……Pさんって、いざという時締まらんよねー」

「自分でも嫌になるよ、本当に」


 死にたい気分でそう応えると、周子はまた笑い転げていた。

 恥ずかしさと情けなさにどっぷり浸かっていた俺だったが、少しずつ自分でもおかしくなってくる。
 本当に……何なんだよ、『また今度』って。


 堪えきれずに吹き出してしばらく笑っていると。
 突然、柔らかく温かいものが俺の胸に飛び込んできた。


 周子だった。



「うわ! お前、何して──」


 驚きの声は上げてしまったものの、俺は彼女を遠ざけようとしなかった。

 周子が俺の首根っこに力一杯しがみついていたからでもあるし、また俺の方も、引き剥がす気にはなれなかった。




 周子自身の甘い香りと、彼女が付ける香水の淡い香りが混じり合い、鼻をくすぐる。

 俺の首筋に貼り付いた彼女の頬は温かく、呆けてしまいそうな心地好さだった。

 彼女の華奢な肩に手を添えながら、呟く。


「……はぁ。周子、お前本当、滅茶苦茶なことするよなぁ」

「ふふ……そうかなぁー」


 周子から息が漏れる度、俺の首は熱くなった。


「ね、Pさん」

「ん?」

「好きだよ」

「……うん、知ってる」

「……ふふふ、うん。知ってて」


 俺の首に顔を埋めたまま、周子は続ける。


「それから……ありがと。アイドルとしてのあたし、大切にしてくれてさ」

「俺に、度胸がなかっただけだよ」

「あっはは。うん、それでも……ありがと」


 顔を上げた周子が今度は、俺の耳元へと顔を近づけ、そのまま囁く。


「『また今度』やからね。約束……楽しみにしてるから」


 それから耳に軽くキスをして。

 次の瞬間、俺の身体を突き飛ばすようにして、周子は離れていった。


 その勢いのまま数歩駆け出した周子はこちらを振り返り、からかうような表情で大声を出す。


「ね、Pさーん!」


 首を傾げて応えると、周子はにんまりと笑った。


「アイス食べたーい! 買ってぇー♪」


 彼女の笑顔が、街灯の下で輝いていた。




【終わり】

ありがとございましたー

次は新人三人組が合宿する話か、シャニマスの摩美々の話を投稿すると思います

依頼出してきますー

うまく言語化できないけど、すごく良かった

すいません、ちょっと投稿テスト
◎○●☆♪『』〈〉

ありがとうございます!
凄い嬉しいです

【デレマス】半熟娘。うっとりと快楽に溺れる幼い肉体――性奴隷に堕ちるまで
【デレマス】半熟娘。うっとりと快楽に溺れる幼い肉体――性奴隷に堕ちるまで - SSまとめ速報
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