高垣楓「君の名は!」P「はい?」 (163)

シン撰組ガールズ回を見ていて思いついたお話です。
エロssを書く合間に書いていたらなぜか先に完成してしまいました。

※注意

地の文多しです
長めです
歴史もの要素があります。

よろしければご覧ください。
長いので数回に分けて投稿します。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1524043893

「――――を、最近ようやく観まして」
「へえ」

思いついたように楓さんが、そんなことを言った。

「Pさんはご覧になりました?」
「公開初日に行きましたよ」
「あら、さすがですね」
「公開前から話題でしたからね。芸能プロデューサーとしてそういうリサーチの手間は惜しみませんよ」
「後悔しないプロデュースを心掛けたいですものね」
「41点ですね」
「えーっ」

まあ、楓さんの話題が思い付きでないほうが少ないのだけど。
そんな子供みたいに膨れたってダメです。
これでも甘い採点ですよ、貴女は30点や20点出すと本気でヘコみますから。

「ラストシーン、逢えないんじゃないかとやきもきしてしまいました」
「ああー……あの監督ならやりかねませんからね」

前々からのあの監督のファンは、きっとあのシーンをヒヤヒヤして観ていたに違いない。

「Pさんは、遠距離恋愛のご経験は?」
「ありませんね、あいにく」
「実は地元に残してきた生き別れの幼馴染みが」
「無いですって」

なんですか、生き別れの幼馴染みって。
それ単純に疎遠でしょうよ。

「そもそも、ぼくが東京に出てきたのってあんまり前向きな理由じゃないですからね。新卒で入った会社が何年もしないうちに倒産しまして」
「とうさん」
「ド田舎すぎて再就職出来るような先もありませんでしたから、体当たり的に身一つでこっちに出てきたんですよ。言っちまえば、破れかぶれってやつです」
「とうさん……はーさん、ひーさん……いや……」
「無理矢理過ぎませんか?」

他人の苦労話も笑い話に変えようとするポジティブさはすごい。

「まあ、それでいま、こうして楓さんと仕事出来てるんですから、世の中わからないものですけどね」

いや、もはや笑い話以外の何者でもないか。あのまま地元に引きこもってたのなら、これほど毎日面白おかしく過ごす人生では無かったに違いない。
気苦労もそりゃ多いし、毎日気忙しいけれど。

「そうですね。私も貴方に逢えました」

そんな僕の胸のうちを読み取ったのか、なにかたくらんでる、あの笑みを浮かべた。

「「それもまた結び」」
「……ですねっ、ふふっ」

映画のキーワードが狙い通り俺とハモったのが面白かったのか、楓さんはくすくすと笑う。
打ち解けるまで時間がかかるから、外向きにはずっと「神秘の女神」のイメージだけど、実際の彼女はとてもひょうきんで、本当にどうでも良いことのなかにもポイントを見つけて、よく笑う。
この人はきっと、箸が転げても面白がってるんじゃないだろうか。
……きっと、笑うんだろうな。また掛かってるんだか掛かってないんだかよく分からない駄洒落で。
なんて洒落を飛ばすかはわからないが、その時の表情は……あぁ、ありありと想像できる。

「あ、失礼な事考えてる」
「今日も暑くなりそうですねぇ」
「あ、露骨に話そらした」
「……楓さんはどうなんですか? 地元にそういう……残してきた人、なんかは」
「……ふふっ。さあ……どうでしょーか?」

僕よりも若干高いくらいの身長の彼女が、両手を後ろで組んで、頭をかしげるようにして見上げてくる。
その悪戯な笑みに、おもわずこちらは面映ゆくなってしまう。

「Pさんは信じますか? そういうの」
「え?」
「前世の結びとか、縁(えにし)とか、そういう、運命みたいなものです」

左右で違う風に輝く瞳は、時々本当に吸い込まれそうな錯覚に陥る。

「ぼくは……」

碧の瞳の奥に棲まう虹彩の輪が、僕の意識を絡めとろうとするようだった。

「――――――信じませんね。僕は、信じません」

わりとはっきり、言ったかもしれない。
その時、彼女はどんな顔をしただろうか。

「二度目、三度目があるなんて考えたら、きっと甘えちゃいますから。生きてる間の事は、生きてるうちになんとかしなきゃ駄目だと思います。万事、後がないと思って臨むのみです」
「……なんか」

ぱちくり、と、大きな瞬きをした。

「お侍さんみたいですね、Pさん」
「へ?」
「ちょっと“弾正じゃ、弾正久秀の仕業じゃあ”って言ってみてください」
「うるっせえですよ高垣」
「“謀ったか三郎右衛門尉”でもいいので」
「クーデターですか? 僕クーデターされんの?」

なんでそんな腹黒いやつばかりなんですか。
こないだ楓さんの出演した時代劇、江戸時代の話じゃないでしたっけ。そいつら戦国の謀将なんですけど。

「私は……信じたいですね」

ひとしきり僕をからかったあと、おもむろに言う。

「信じたいです。縁えにしがあるということ」
「そう、ですか」

にっこりと、笑う。
それをみたら、僕も笑うしかなかった。

(……貴方に逢えました、か)

そりゃあこっちの台詞です、なんて。
言わないですけどね。

「あ、そうだ」

一瞬の沈黙ののちに、ポン、と楓さんは両手を叩いた。

「お侍さんと言えば、私の地元に侍神社ってあるんですけど、その近くに隠れ温泉が有ってですね」
「へえ」
「明日はオフですよね」
「そうですね」
「そこで一日のんびり過ごすというのはいかがでしょう」
「ああ、いいんじゃないですか? 久しぶりにご実家や地元の友人とも会ってきては」
「あら……いきなり実家へごあいさつ下さるなんて、気が早いですね、プロデューサー♪」
「え?」
「私、電車と温泉の予約しておきますので、荷造り、しておいてくださいねっ」
「……え、ちょっと待って下さい!? 僕も行く流れなんですかコレ!?」
「……?」
「いや意味わかんないみたいな小首かしげないで! ていうか、私明日仕事! 聞いてますか楓さん? 楓さーん!?」

「信じたいです。縁えにしがあるということ」 →「信じたいです。縁があるということ」

で、お読み替え下さい、スミマセン。


◆◆◆◆

『泣くなよ、楓。泣くんじゃない』

膝を抱えて泣く少女に、男の子はどうすることもできず、背中をさすった。
目の前に横たわる故郷の川は、何も語りかけてくることはない。良いことなど何もなかった故郷であるけれども、年端もいかぬ二人にそれでも、何も応えてはくれなかった。

『泣きっはらしたらな、泣きぼくろになってしまうぞ。泣きぼくろが出来たおなごはな、一生泣くことになってしまうんや。俺はそんなん、嫌じゃ。楓は、笑ってるほうが絶対にええ』

大粒の涙が流れる瞳は、緑と青が融けた絵の具のように混じる、互い違いの妖瞳である。
猫の瞳のようにきらきら光る、不思議な色をした瞳から落ちる涙を、男の子はまるでほほを濡らさせまいとするかのように、両の親指で何度も何度もぬぐった。

『泣いてなど、おりません』

ずび、と、赤い鼻を鳴らして、少女は唇をキッと結んだ。

『楓は、悲しいことなどありません。楓はうれしいのです。どうして泣く事があるのです』
『泣いとるじゃないか』
『泣いてません』
『泣いとる』
『泣いてません』
『じゃあそれはなんじゃ』
『心の汗です。』
『……』
『大人は、目から心の汗が出るんです。まだ童のおまえさまには、わからないでしょうけど』

男の子の小さな両掌にすっぽり収まったまま、りんごのようなあからほっぺがうそぶいた。

『楓は、うれしいのです。ほんとう、ですよ』

きらきらの眼は、真っ赤になってしまっている。

『楓は、京でたらふく白いおまんまさ食べて、綺麗なべべを着るのです。そしたらととさまもかかさまも、腹いっぱい食べれて、この冬さ越せるのです。
 こったな妖瞳の気味の悪い子供でも、みなのお役に立つことができます。楓にはもったいない果報な事です。』

零れ落ちそうなふたつの目がぱちぱちと輝いたとき、男の子はたまらなくなって、遮二無二、少女を抱き締めてしまった。
そうするほかに、その子が出来ることは何も無かったからだ。

『……そうやな。京はきっと、ええとこじゃろな。ええことも、いっぱいあろうな。こったな村より、ずっと。友達も、いっぱいできるぞ。新しいおっかさんも、きっと雅でええ人に違いねぇ』


少女の小さな頭を胸の中に、しまい込むように抱いた。
楓の強がりが、心臓の鼓動が送る温さに融けていき、やがて、しゃくり上げるような嗚咽に変わる。
男の子はぎゅっと目を瞑って、一層きつく、楓の頭を自らに押し付けるように強く抱いた。

――どうか、楓の涙が、俺の胸の奥に少しでも、移っていってはくれねえじゃろうか。
堪えきれぬ涙と共に流るる辛さを。ほんの少しだけでも、俺の胸に置いていって、楓の心を軽くしてはくれねえじゃろうか。

『こったな気味の悪い目ばしてて、好かれるはずがなか。ぶきっちょでろくに手伝いも出来んし、きっとすぐ捨てられます』
『馬鹿言うな。おまんは綺麗じゃ。ずっとずっと言うとるじゃないか。おまんは綺麗で、おぼこい。それになにより、優しい。きっときっと好かれる』

"島原に行けば白いおまんまが食えるよ、綺麗な着物も着られるよ"

そったな謳い文句が嘘っぱちだということは、子供だってわかっとった。まして楓はおつむが良え、自分が売られてゆくのだという事は、はっきりわかっておったに違いねぇ。
白いおまんまをたらふく食うのは、ろくすっぽ楓のことを可愛がらぬまま売り飛ばしてしまう、楓の父どと母がだけじゃ。

――楓はその引き換えに、これから地獄のような苦労を背負わされるはめになる。

瞳の色が互い違いというだけで疎まれ、人より少し口下手というだけで、己が貧乏の大本のように責められ。
捨てられて行く先でも、どうせまた捨てられてしまうのじゃと怯えておる。
自分の幼さが憎らしかった。腹の足しにもならない気休めを、語りかけることくらいしかできない。

『そったなひょうげたこと言うの、おまえさまだけです。楓という名前だって、きっと楓は忘れてしまいます』
『ほなら俺が呼んだる。うんざりごたるほど呼んだる。おまんの名を。楓、と。天下の誰もが、たとえおまん自身が忘れたとて、俺が忘れん。おまんの耳元で呼ばわって、必ず思い出させちゃる』

肩を柔らかに掴んで、楓の顔を上げさせる。
真っ赤に泣き腫らした目に、綺麗な顔立ちも涎と鼻水でぐちゃぐちゃじゃ。

『のう、おまん、歌が好きじゃろ。』

男の子は、少女に向けて、にかッと笑った。

『おまんはひとりになると、必ずここで歌った。俺はその声で、いつでもおまんに会いに行けた。おまんの綺麗な声は、きっと京でも人気になるぞ。遠く離れた京からでも、必ず俺の耳に届く』

うまく笑えていたのかはわからぬ。
じゃが、楓に笑えと言いながら、男の己が泣くわけにはいかぬと思うた。
ゆえに、少年は、精一杯の力を込めて笑顔を作った。

『たとえ千両でも用意できるようになれる立派な男になって、おまんを迎えに行くから。じゃから、俺がいのいちに見付けられるように、天下一等の歌い手になってけろ』

このとき、この少年の生きる目的が、その意味がはっきり決まったのだ。


「見棹屋ぁ、鯉風太夫、道中まかりこしまするゥ」

月明かりに浮かぶ、紅の着物。禿が両袖を胸に添え、きんきら声を張り上げる。
しゃなり、しゃなり。
花車の後ろから、内八字を練る三本下駄。
その艶姿が島原提灯に露にされた瞬間、沿道でやんやと喝采していた群衆の声が、ぴたりと静まる。
美しかった。ハッと、息することを忘れるほど。

――慶応三年の冬、天下は荒れていた。史上例をみない冷害と飢饉が毎年のように続き、民衆は疲弊していた。加えて諸外国の干渉による政情不安、反体制派によるテロリズムとその取り締まりで、連日血の雨が降った。
洛中は脱藩者やお役目を放棄した御家人くずれ、元は武士ではなかった農民町人出の金上げ侍ややくざものが溢れ、社会秩序の崩壊を如実に顕していた。

まさに、乱世である。

そのような末法の世にあって、島原の花魁たちはまさに時代の最後の残り火の如く、妖しくも鮮やかに咲き誇っていた。

「見棹屋ぁ、鯉風太夫、千尋屋さんまでえ、道中まかりこしまするゥ」

朱の番傘に美白面、白百合の精が人に化けたれば、このような出で姿であろう。
寄って見ればその双眸は、右と左で輝きが異なる。色の違う二つの空が映されているかのようだ。

「はぁ……綺麗やなぁ。なんやうち、ため息出てしまいそうやわぁ」
「島原の太夫いうたらお天朝様から正五位を下賜されとる格式やからなぁ。しかも鯉風太夫はあんどえらい別嬪さだけやのうて、歌と舞は迦陵頻伽の如しやっちゅうで。ほんま生身のおなごとは思われへんな」
「なーんや詳しいなぁ。まさか、あんたはんのお馴染みやないどすやろな?」
「滅多なこというなや。太夫のお相手言うたらおまえ、十万石のお大名様で、身請けなんちゅう話になったら千両ものの銭の話や。
 わしみたいな木っ端商人の倅じゃあ、遊びとォてもとてもかなわんわな」
「ほーん……お矢銭があったら遊びたい思わはるっちゅうことやんなぁ。そやろなぁ、背丈もすらーっとしてはるしなぁ。
 うちみたいなちんちくりんじゃあ、あんたはんにもよう満足してもらえへんのやろしなぁ」
「いけずすんない、お紗枝、去年の祇園祭り一緒に行けへんかったこと、まだ根にもっとるんか」

ふと、見物する京雀たちに太夫が流し目を遣り、笑顔をにじませた。
これに、目が合ったとばかりに男が思わず鼻を伸ばして手を振ってしまったのがいけない。
傍らの少女が可愛らしい顔に険を作って、思い切り男の腰をつねった。

「ぎゃおっ!?」
「ふんっ、お・き・ば・り・や・す!」
「ちょっ、すまんかったって、お紗枝、待ちや、お紗枝」


「――――おまねき頂き、ありがとうございます。見棹屋鯉風太夫、ご逢状承り、ただいままかりこしました。」

気の狂うような鮮やかな朱色の天井と金屏風を背に、上座からうやうやしく頭を下げる。

「……公卿の座敷にでも赴くが如き道中、窓から見ておったが、贅沢というべきか、嫌みというべきか」

筋金が入ったように腰をピンと立てて座した侍が、何とも言えぬ表情を浮かべた。

「それと、そのうやうやしい口調も、よしてくれぬか。やりにくくてかなわん」
「……そうどすなあ。お前様がそのだんだら羽織、脱いでくれはったら、童の頃のように話してもよいでありんす」

にっこりと笑った太夫のまなじりに、たちまち侍は、腰に立てた筋金がくずおれてしまった。

「もとは紀州の百姓ですやのに、久しぶりに会うたら尊王攘夷だの公武合体だの言うて血の雨降らして。そんな危なげな事に首突っ込まはってたとは、まったく夢にも思うてませんでした」
「おまんもその紀州の百姓じゃろ。すっかり京者が如きしゃべり方になりおって」
「お前様は、童の頃からちっとも変っておりませんね」

つん、と太夫は澄ましているが、侍はすっかり砕けてしまい、胡坐をかいた膝に肘をつき、酌を受ける。

「……おまんは」

ちびり、と口をつけ、ぼそり。
口当たりはするりとした、京流の伏見酒であった。

「……美しゅう、なった。あの日の言葉通り、押しも押されぬ天下一の芸者じゃ。まったく天晴よ」

侍が酌を返す。太夫の妖瞳に節くれだった手が移り、同時にほのかに香った、血の匂い。
それを認めて、不意に太夫の杯が乱れ、酒がこぼれた。


「おっとっと」
「……なんして」

ひょうとした声の侍と裏腹に、太夫は絞り出すような声を、耐えるように零した。

「なんして、こったなところまで来てしまいんしたの。十月に公方様が大政を奉還なされて、世の中はますますどうなるかわからん。
 お前様はわっちの事など忘れて、村で嫁でも貰うて大人しゅう百姓をしておれば良かったのに、なんしてよりによってこのどん詰まりの土壇場に、二本差しを気取ってこったなところまで来てしまいんしたか」

噛み切るように、言葉をつむぐ。
ぽたり、ぽたりと、堪え切れぬ雫が畳を濡らした。

「泣かんでくれよ、楓」

侍の手が頬に添えられ、昔のままの声色で名を呼ばれた。

「泣いてたら泣きぼくろが出来てしまうぞ。涙の筋にほくろが出来たおなごは、一生泣く事になってしまう。」

昔日の記憶が、太夫に蘇った。
貧しい百姓の子であった頃、まだ親に貰った名で呼ばれていた頃。
左右で色の違う妖瞳を気味悪がられて、村ではひとりも友達が居なかった。
一人で膝を抱えてめそめそとしていると、この男は決まってどこからともなく飛んできて、このように言った。

『楓、くよくよすな。泣きぼくろになってしまうぞ。泣きたくなったら、洒落のひとつでもうそぶいて、笑い飛ばしてやればええんじゃ』

涙を拭う親指を、太夫の掌が捕まえる。
この手から、血の臭いがこびり付いて離れない。
お前様は、この手で人を斬ってしまいんしたのか。
あの時と少しも変わらぬこの優し気な手で、人を斬ってしまいんしたのか。

「楓。昔から言うとるじゃろう、おまんは笑顔が一番じゃ」

六つか七つの頃、売られてゆくわっちにお前様はこういいあんした。

『のう、楓。どうせ芸者になるなら、天下一の芸者になってけろ。わしも天下に名乗りさ上げて、おまんの座敷ば呼ばれるような男になる。じゃからその時まで、決して泣くな。泣きたくなったら上向いて、洒落でも言うて笑い飛ばせ』

幼い時分とて、賢いお前様ですから。売られていく、というのがどういうことかはわかっていたのでしょう。
拳を固めてぶるぶる震わせながら、それでもニッカリと笑ってくれあんした。

そん言葉だけを糧に、わっちは今日までやってこれたようなもんであんした。

お前様はそう言ってくれあんしたけど、島原の芸妓とお百姓が一緒になることは無理でござんす。ゆえにわっちは、同じ空の下に生きていてくれるならそれで良いと、芸の道に努め、辛いしきたりも姉さま方からの折檻にも耐えられあんした。

よしんば来世のご縁におすがり出来たら、それでええなと思いながら。

「ばか」
「ばかか、わしは」
「ばか、あほ、ぼけ、唐変木、すけこまし」
「そこまで言うか」
「……お前様は、ばかです」
「すまん」
「虫も殺せないような人のくせに」
「……すまんな」

会津中将様のお座敷にお呼ばれ致したとき、お廊下にはべり、氷のような眼をして一分の隙もなく座していたお前様を見付けてしまった時、心の臓が止まるような心地でした。

『浅葱のだんだら血に染めて、四条の辻を鬼が通る』

数年前の池田屋と蛤御門の事変の折より、京でその名を知らぬものはありんせん。
いかな貴人であろうとも、お役目とあらば問答無用で叩き斬ってしまう、泣く子も黙る恐ろ恐ろしい壬生浪。
否、壬生狼の事でござんす。
わっちが、過ぎた望みを胸に秘していんしたから、御神仏さまがかような悪戯をしてしまいんしたか。
お前様が日ごろ言っていたような、下らぬ洒落話であれば、何かの見間違いであればどれほど良かったことか。
お前様は、あの時と変わらぬ顔のまま、人斬りの顔になってしまっておりました。

「……お逢いしとう、ございました」
「……わしもじゃ」

わっちが、どれほどその想いを胸のうちで焦がしてきたか。
その一念が、わっちを今日まで生かしました。
今生では叶わぬであろう思いつつも、せめて一目、息上がる前に、そのように夢想して、雨の日も風の日も、なんとか生きて参りやんした。
まさかこったな形になろうとは。
およそ、人斬りなぞ出来るようなお前様ではございませんでしたのに。
どれほど身と心を削ってこられたのか。
この先、血にまみれた末の報いが来ぬわけはございませぬのに。

「……お前様は」
「うん」
「来世のご縁というのを、信じておりますか」

世の中の行く末がどうなるかわからずとも、人を斬り続けたお人の行く末がどうなるかは、明らかです。
その知れ切った往生の、わからぬお前様ではありますまい。

「信じぬよ。わしは信じぬ」

まして尊王攘夷だの大義だの、そんな志士めいたお題目をただの百姓であった、お前様が胸に秘めていたわけではありますまい。
幼い日の、とるに足らぬままごとのような約束を守るために、生き方も変え、何もかも棄てて、こったなところまで来てしまいましたのでしょう。
もはや引き返せぬところまで、来てしまいましたのでしょう。

「今世の縁は、今世のうちに果たさねばならん。来世の縁にすがって望みを託すなど、男子の生き方ではあるまいよ」

お前様は、ばかです。


「楓、歌を聞かせてくれんか」
「……歌、ですか」
「ああ、おまんの歌。皆が我が事のように語る。ご天朝様ですら聞き惚れたというおまんの歌。わしにも聞かせてくれ」
「……約束してくれるのでしたら、良いです」
「なんじゃ」
「つまらぬ死に方だけは、絶対にしないでください。勝手に死んだら怒ります」
「……難しいことをいわしゃるな」
「約束を果たすおつもりなら、最後までお守りください。それを誓ってくださるのなら、夜が明けるまで聴かせてあげます」

侍は、年端も行かぬ子供でも相手にするかのように、困り顔で頬を掻いた。

「あいや、わかった。男に二言はない。誠の旗に誓って、おまんが許しなく、わしは死なぬ」

◇◇◇◇

「どうして、ここにいるの。教えて下さい……今すぐ」
「初代デジモンの主題歌って伝説ですよね、わかります」

和歌山行きの特急列車にて。
かたや、仏頂面のプロデューサー。
隣り合うのは、しれっとして小宴会の用意をする高垣楓。

「私、進行方向に向かった席じゃないと酔っちゃうんです」

と、今まで一度も乗り物酔いなどしたことのないはずの楓さんの強弁で、隣り合いの席になったまでは、このさい良い。
たが、プロデューサーにとって仕事詰めであったはずの1日が、急に楓さんのオフに合わせる形で、丸一日白紙になったのはどういうわけだろう。

「……僕、今日は朝から打ち合わせが入ってた筈なんですけどね」
「ええ、ですから打ち合わせしてるじゃないですか、私と」

昨日、あの掛け合いの後に、こいかぜMVのイントロの如く統括部のドアをバァンと開いて躍り込んでいった楓さん。
曰く、

「明日の全体打ち合わせですが、個別で打ち合わせたいことがあるので、私のプロデューサーのお時間を頂いても良いでしょうか」

と、のたまいける。
居並ぶエグゼクティブ・プロデューサー達がざわめく中、室長の

『ならばよし!』

で、めでたくプロデューサーの1日オフ……もとい、担当アイドルとの個別打ち合わせが決まったわけだが。
今までスケジューリングでプロデューサー自身のワガママが通ったことなどかつて一度も無かったのだが、楓さんの一言でこうも簡単に左右されてしまうと、なにか会社に置けるプロデューサーと高垣楓の扱いの差をまざまざ見せ付けられたような気分になる。
いやまあ、そりゃ楓さんのほうが発言力あるだろうけどさ……シンデレラガールだし……世紀末歌姫だし……デビュー当初から今まで総選挙関連平均順位圧倒的にトップ独走中だし……11秒ごとコンボナ15%upとかいう相変わらずの壊れ性能だったし……

「プロデューサー、なにかご不満がありげなような」
「いえ、べつに不満とかじゃないんですけどね……」

男として、なんかこう……

「お忘れですか? プロデューサーは私には逆らえないんですよ?」
「うっ……」

すみません、用事があり一旦中座致します。
改行、難しいですね……

戻って参りました。
再開します。

ハイボール水割りセットとビーフジャーキーを車窓の縁に用意しながら言う楓さんに、プロデューサーは思い当たって目を逸らしてしまう。
……僕、プロデューサーは前に一度、連日の過労が祟って倒れてしまった経験がある。
幸い、点滴を打って丸二日病院のベッドでゆっくりしたらすぐに快復したのだが、あのときは相当に心配をかけてしまった。

「プロデューサー、一番最後に全休を取ったのはいつですか?」

答えられない。少なくとも一ヶ月は前だ。
なにか、悪戯が先生にばれた子供のような気分になる。

「プロデューサー」

プシュ、と、缶ビールの栓を開ける、この綺麗な横顔に気圧される。

「もう一度同じことを繰り返したら、本当に怒ります」
「……はい」
「無茶はめっ、ですよ」
「……ええ」
「……心配するんですから」
「……おす」

……僕が倒れたときの、楓さんの事を思い出す。
案外、意識を失っていたのは数十分そこらだったらしく、現場から僕が倒れた知らせを受けた楓さんが、病院に来てくれたときにはもう、僕は目を覚ましてのんきに軽食を摂っていたのだが。
あの時は確か、部屋の扉を、楓さんにしちゃずいぶん乱暴に開け放って飛び込んできて。
僕が手を挙げて挨拶したとたん、ぺたん、とその場に腰を抜かしてしまった。
……そのあと、ものすごい剣幕でしこたま怒られたことを覚えている。


『――――ばかっ』

『なんで自分の事をそんなに粗末にしちゃうんです、どうして自分を大切にしてくれないんですか』

『約束してください、二度と身を削るような無茶はしないで。あなたが私の為に傷付いてしまうのなら、何の意味も無いんです』

……本当に普段、一緒にいるあの穏やかな楓さんなのか、と。思わず気圧されたくらい、すごい迫力だった。
思い出している間にもうひとつ、プシュッと開けて、楓さんは銀色の缶を僕に差し出す。

「女性を泣かせたのに行動を改めないなんて、私はプロデューサーをそんな子に育てた覚えはありませんよ?」
「ぐっ……」
「プロデューサー君は、約束を守れる素敵な子ですね?」

ああ、もう、色々言い返したいけど言い返せねぇ。

「……それとも、私と二人きりじゃお嫌でしたか?」

ひとしきり僕を責めた後に、オッドアイが、少ししゅんとしたように笑った。
……彼女は結局、僕より一枚上手なんだな、と、こういうときに実感するのだ。
この上でそんな顔されたら、ぼくはもう、文句なんて言えないじゃないですか。

「……生中一丁乾杯」
「……乾杯♪」

缶同士がタッチする、少し間抜けな音がした。
お疲れ様です、も、文字通り乾杯、も。
ありがとう、も、どういたしまして、も。心配かけてごめんなさい、も、わかってくれればいいんですよ、も。
……嫌なワケがないでしょ、も。
僕たちの間では、アロハくらいたった一言でいろんな意味が表せる、それはそれは便利な言葉だ。


◆◆◆◆


――――はあ、お勤め料の他に、不貞の輩を斬るか召し捕れば一両、士道不覚悟の者を介錯せば三両。死番を務めれば五両で、大物捕りなら十両でござんすか。
ほなら、百人斬れば千両ですな。
そったな怪訝な顔をなさいますな。俺は卑しい百姓なれば、大義や士道やとお題目は言わね。
俺は何がなんでも、銭ンコ稼がねばなんねえのす。
この身は悪辣魔道に墜つるとも、五百両でも千両でも稼いだる。百人だろうが千人だろうがぶった斬ったる。
おまんが自由になるのなら、あとは何がどうなろうがかまわね。だどもその時までは、俺は絶対、誰にも斬られね。
あと、ちょっとの辛抱じゃ。
待っとれや、楓――――


「派手な捕り物だったようだな、お疲れさん」

瓶かめに顔を突っ込んでガブガブと行水していると、ふと背後から声を掛けられ振り返った。

――この男の、人を斬った後は本当にわかりやすい。

血で血を洗う新撰組でも、十本の指のうちに入るほど多くの人を斬って来たであろうに、こいつはいつまでも慣れぬように、奪った命がのしかかってくるようなでろんとした隈を目の下に作って、それを洗い流すように、遮二無二ざぶざぶと頭から水を被るのだ。

こいつはいつもそうだった。隈の濃さも、浴びる水も、日ごと増した。

「――ああ、川島さん」
「よく毎度、器用に生け捕りに出来るもんだ。薩長の賊ばらなんぞ、ぶった斬ってしまえばよかろうに」

川島は男とは同時期入隊で、もう五年も同じ釜の飯を食った中だが、この男の働きぶりをよく知っている。
不逞浪士の取り締まりは元より、市中戦闘、死番突入、仲間の介錯や粛清。
命のかかる場面、誰もが躊躇する嫌な仕事、そういうヤマに決まって進んで名乗りを上げ、必ず相応の働きをした。

「……ま、斬り死にしていたほうがよほどマシだったと思うかもしれんがね」

川島の言葉には、言外の意味があった。
鬼の副長の詮議とは、なまなかのものではないからだ。それこそ死んだ方がマシ、というほどの。
釈放されたときにはもう、人間の形をしていなかった、ということは、少なくなかった。

「世の中はかまびすしいが、勤めは変わりませぬゆえ。褒美も変わらず出ますしの」
「明け透けに褒美褒美と申すな。士道不覚悟で腹切らされるぞ」
「あいやー……」
「お主、八木殿から持ち掛けられた縁談を断ったそうだな」
「ええ? あぁ、ははは」
「櫻井家は神戸港を本拠とする大商家だ。そこの入婿となれば五百や千両の金は右から左となる。銭金にこだわる貴様の事だから、飛び付くものだと思っていたが」

男は、困ったように、というか、ごまかすように目を逸らし、頬を掻いた。
このへつらうような愛想笑みが、いかにも百姓らしいと感じる。
この時代において、少なくとも武士道を鉄血の掟とする隊内においては、それは決して好ましい印象では無かった。
川島は無性に苛立ち、水の滴る胸元の、濡れた襟をむんずと鷲掴みにした。

「貴様この期に及んで、まさかあの芸妓とどうにかなるなどと思うておるのではあるまいな」

へらへらのへつらい顔が、すっと無表情になる。
人を斬る時の顔だった。
しかし、川島は構わず続けた。

「志も士道もなく、食い詰めた末に人斬りとなった百姓出のにわか侍めが。所詮、武士でもないくせに、なぜ徳川のため命を懸ける。
 天下に確たる大義もないまま、銭金の為にいつまでその手を血に汚す。にっちもさっちも行かなくなった身の上の貴様を、
 どうにかしてやろうという八木殿の親心がわからんのか。」

その言葉で、男の無表情は、とたんに悲しげなものに変わった。
辛辣な言葉と裏腹に、川島の目には涙が溜まっていた。

「どん百姓にもわかるように教えてやる。幕府は負ける。長州の征伐にしくじったばかりか、10月には大政奉還、今月には王政復古の大号令で、
 こともあろうに我々が不逞浪士としてぶった斬ってきた長州と、裏切り者の薩摩が手を結び新政府だと。外国と結んだ奴等の軍備は幕府軍を上回る。
 この京とて明日にでも戦場になるやもしれんのだ。そうなれば我らは捨て石になる。わかるか。
 こんな泥舟はな、さっさとうっちゃってどこぞに逃げてしまうのが賢いのだ。」

神戸は、外国による治外法権が認められている。桜田門外にて暗殺された先の大老・井伊直弼が不平等条約にて認可せざるを得なかった治外法権のことだ。
王政復古の大号令では薩長の新政府が樹立したゆえ、幕府は解体し佐幕派はただちに野に下れという。そんな無体な話を突き付けられても、将軍や老中はああでもこうでもないと無意味な合議を繰り返すばかりだった。
そうこうしているうちに、土佐を通じてイギリスから最新武器をズラリと買い揃えた薩長が京の目鼻の先まで詰めてきていていた。
この時すでに、将軍は単身、大阪に退いていた。会津や新選組は京に置き去りにされていたのだ。

「……貴様はっ、大馬鹿ものだっ! 皆が皆をして逃がそうとしているのに、なんでその理不尽を押し通そうとする。貴様はさっさと商家の若旦那になるか、さもなくば紀州に帰って百姓に戻れ。
 ただ一人の揚屋の女の為に知れ切った死に船に乗るつもりか。馬鹿か、貴様はっ。」

神戸や横浜など、外国人の居住する治外法権区を攻撃すれば国際条約違反として諸外国の干渉を招く。幕府も新政府も、それは避けねばならなかった。
ゆえに、そこならば、戦禍も追っ手も届くまい。
八木殿とは、彼らが上洛以来、陰に日向に支援してくれた八木源之丞殿である。壬生第一の郷士であり新選組最大の支援者である八木氏の縁談には、幹部たちの意向も汲まれていたことは多分に違いない。

「侍が百姓と死ぬことはできぬ。とっとと立ち去れ。戻ってくるな」

新選組に明るい明日がないのはわかりきっていた。討幕派の志士たちを先陣駆けて斬りまくった、最前線の切り込み隊長なのだから。薩長は新選組だけは決して許さぬ。
それも、時勢であるなら仕方ない。殺し合いの果てに己らの因果が己らに返るだけだ。
ゆえに隊内でもっとも人斬りの似合わぬこの男を、どうにか生かせぬものかと考えたのは、けだし人情であろう。
世話焼きの代名詞・土方副長の発案か。いや、それはやはり、死と隣合わせの時間を足掛け五年も共に過ごした者たちの、声にはしない本音であったように思う。

――――死ぬのは、俺たちだけで十分だ。

涙として流れる川島の、決して言葉には出来ぬ、してはならぬ本音であった。

「川島さん、あんたは優しいな。」

そいつは、優しい声をしていたような気がする。

「他人の為に涙を流して下さる。強くて、やさしい。瑞樹天神も、そんなとこに絆されたんでしょうな」

にっこりと、柔らかく笑う。

「本音と建前がいつも違う。侍ってのは大変な生き物ですな。けんど、わしはあんた様方の如き、鴻鵠の志も気高き義もござりませぬ。
 仰る通り、銭ンコのために人を斬り申した。銭ンコのために人を斬り、女に入れ揚げ申した。」

睫毛が長く、それは震えているようにもみえた。

「わしは、おまんの仰るように、どん百姓です。いつだっててめえの事だけしか考えられねぇんです。
 おまんの……皆様のお情けは涙の出るほどありがてぇけども、一介の百姓に過ぎぬわしには、その情けに応えられる器を持ちませぬ。申し訳ねぇ」

胸倉をつかむ川島の手を剥がしたのは、意外なほど小さく、なよやかな手だった。


「――――あ、せんせぇだ!! せんせぇーーーー!!!!」

場にカンと日差しが射すような、底明るい声だった。

「おー!」

男の表情は、その声の方向にぱっと明るんだ。
声とともに走り掛かってきた子を受け止めると、次々に子供らが駆け寄って来る。たちまちに腕やら背中やらにへばりついて鈴なりになった。

「あーせんせぇ! 川島せんせいの事泣かしたの!?」
「ケンカはダメでごぜーますよ! ケンカはダメだってせんせぇがいつも言ってやがるじゃねーですか!」
「いやいや。川島先生は偉い武士じゃ、武士が人前で泣くはずがなかろ。先生はな、心の汗を出しておられたんじゃ」
「心の汗は目から出るですか?」
「そうよ。薫も仁奈も大人になったら目から心の汗が出るんじゃぞ」
「そっかー!!」

男は子供らの目線に膝を付き、愚にもつかぬ冗談でからからと笑っている。
新撰組では、目上の隊士を「~先生」と呼ぶ慣習があった。川島や彼も古参の隊士からしばしば先生と呼ばれるから、子供らもそれを真似して先生と呼ぶようになった。
もっとも、子供らが男を先生と呼ぶときの響きには、なにかそういうおしきせの決まり事ではない、寺子屋の先生や若い父親を呼ぶような、自然な親しみを含む響きがあった。
子供は概して子供好きの大人になつくものだから、そういうことかも知れなかった。

「なーせんせー、剣術教えてくれよ。せんせーは実は物凄えつえーんだって、こないだ見舞いに行った時に、沖田せんせーが言ってたぜ」
「晴ぅ、お前はもっと女子らしゅうせい。嫁の貰い手が無くなるだろうが」
「っ……お行儀よく嫁入り修行なんてしてるばあいかよ! 薩長のやつらはすぐそこまで来てんだぜ!」

げしげし、とかかとを蹴っていた少女が、頭をがしがしと撫でられると、しばし撫でられた後に、びしっ、と拳を勇ましく向けた。

「おい、ワシも剣を取って戦うぞ。薩長なんぞ一捻りじゃけぇ、二度と京に火つけなどさせん」
「ほんとにお前らはのう、せっかくの別嬪じゃというのになんと猛々しい……」
「……せんせい」
「ん? どうした、雪美」

目付きをきつくした巴のさらさらの髪を、かいぐりかいぐりとしてると、裾を雪美が引っ張ってきたので、振り返る。
ちょこんと摘まんだ手が、震えていた。

「どんどん焼けの火……怖かったの……昼間みたいに明るくて、熱くて……鉄砲、大砲、ごうごう……怖かったの……」

会津藩主・松平容保の排除を目的として長州派がクーデターを起こした禁門の変は、京市中を戦禍に巻き込み、およそ三万戸が焼失する『どんどん焼け』と呼ばれる未曾有の大火事に発展した。
北は一条、南は七条まで多くの市民が焼け出され、この際の大火が原因で現代まで修復作業が続行中である山車が存在しているなど、市民生活に多大な影を落とした。

「心配するな、雪美」

雪美をひょいっと持ち上げ、カタカタと震える小さな体を抱き締めた。
禁門の変はもう数年も前の出来事だというのに、この小さな体には当時の恐怖が焼き付いて離れないのだろう。
戦争の被害を被るのは、いつの時代も力なき者達であった。

「なーんにも心配するな。絶対もう、怖い思いはさせん!」
「ほんとう……? 父様も……母様も……ぺろも……怖い思い、しない……?」
「ああ。わしらが、必ずなんとかする。雪美はいつも通り、いっぱい遊んで、一生懸命手習いばして、ぺろと一緒にぐっすり眠っておればええ」

にかっと笑うと、雪美の小さな白い腕が、男の首筋にきゅっとしがみついた。
川島は、胸の締め付けられるような、たまらぬ思いがした。
新撰組とて、鉄砲や大砲の威力を知らないわけではない。まして足掛け五年以上もこの国の内乱の最前線で戦ってきた彼らが、西洋式のガトリングやスペンサー銃を相手に、関ヶ原の頃と大して進歩もしていない、チャチ弾鉄砲や刀剣素槍で立ち向かえばどうなるか、わかっていない筈がないのだ。
せいぜい、肉の壁となって弾除けになるくらいしかやりようはあるまい。

「あーせんせぇ! かおるも抱っこしてよー!」
「仁奈も! 仁奈には肩車してくだせー!」
「おう、順番じゃ、順番」
「……おのれはしてもらわんでええんか、晴」
「んなっ!? も、もうそんなトシじゃねーよ! なぁ、いーから剣術やろうぜー、オレ荒木又右衛門やるから、せんせー河合甚左衛門ね」
「いいじゃろう、鍵屋の辻の講談は、何度聴いても“まったえーもん”じゃからのう。はっはっは」
「うわっ、さぶぅ……」
「喋らねばええ男なんじゃがな……」

子供らに引かれ、抱き上げ、頭を撫でる手。その同じ手で彼は、容赦なく人を斬った。
銭のために、と、彼は言った。
その手が、愛しい女を抱いたことがあったのだろうか。
子供らと手を繋ぐ、陽の射した後ろ姿が、川島に語りかけた。

――――惚れた女に命尽くすのが、男じゃねえのか。弱ぇ女子供のために命張るのが、男じゃねえのか。
忠義だ大志だ武士道だ、そんなのはわからねぇよ。けどな、男の死ぬ理由は、いつだって一等、それじゃねえのかよ。

何が正しくて、何が間違っているのか。本当は彼ら自身にも、なにもわからなかったのかもしれない。彼らもまた、時代の黒潮に呑まれて行く藻屑である。
ただ、その背中は、己の死に場所をすでに知っているのだと、川島には見えた。



◇◇◇◇

「ふふっ、また私の勝ちですね~」

酔いどれの楓さんがくるくる笑っている。
ちきしょう、何故だ。
何故、電車旅の小宴会とはこれほどまでに楽しいんだ。
座椅子は固いし席は狭いし、酒だってコンビニで買えるお手軽アルコールなのに、すごく楽しい。
これは海の家の焼きそば現象に匹敵する。

「それは、私と一緒に居るからですよ?」

こいつっ、直接脳内にっ……!?

「高垣楓と往く大人の遠足現象と名付けましょう」

なんてこった、そんなの桃源郷じゃねえか。
冷やせすらしない常温ハイボールが、通常の357倍は旨く感じるのも納得せざるを得ないというもの。
ちきしょう、俺ァ一体、前世でどんな高徳を積んだっていうんだ。地上にいながらにして極楽浄土じゃねぇか。

「というか、ぼくの頭の中を先読みしないでくださいよ」
「……プロデューサーの考えてることを、わたしがわからないわけがありませんよ?」

何言ってるんですか、貴方は? みたいな怪訝な顔しないでください。むしろ貴女が何を言ってるんだ。

「ウィスキ~が、お好きでしょう……ふふっ」

プラスチックのカップでマドラーをかき混ぜながら、鼻唄を歌っている。
持参した氷は既に溶けてしまって、もはやただのぬるい炭酸割りだが、どうにもこれが旨い。
めちゃくちゃ旨い。

「もう少~し~喋りましょう……」

柔らかい車窓の陽射しの中に浮かぶ楓さんの横顔と、融けていくようなウィスパーな歌声。
美しさとしっとり感と無邪気さが合わさり、最強に見える。

「どうぞ、プロデューサー」

ありがとうございます、というと、楓さんはきちんと両手でカップを手渡し、にこりと笑った。
女神かよ。綺麗で、気遣いできて、優しくて。
……楓さん、ずっと言えませんでしたがじつは僕はあなたの事が――――

「ウィスキーが、うぃ~、好きっす! ふふっ!」

ああ、うん。
やっぱり、僕のよく知る楓さんだ。



「……さて。プロデューサーには、どんなことを教えて頂きましょう?」
「う゛っ」

いたずらっぽい楓さんの声で、気持ちよく干していた杯が止まる。
僕と楓さんは、ひたすら飲み続けるだけなのもなんだということで、ちょっとしたゲームをしていた。曰く、「粗相をした方が負け」というもの。
この粗相の範疇が相互ジャッジなのだが、例えば箸を落としたとか、酒を零したとか……
そのうち、負けた方が勝った方の質問になんでも答える、という妙な流れが出来てしまって、それないけない。
それをきっかけに、からかい上手の高垣さんが本気を出してしまったのである、それがために僕のプライベートやら隠しておきたい過去やらが、次々と暴かれていた。
僕の一番最後にしたデートの話なんて、聞いてなんになるっていうんだ。そんな何年も前の、今更掘り返されたくもない恋愛未満で終わった異性交遊の話を、よりにもよって楓さんに聞かれるなんてとんだ罰ゲームだ。
あいや、罰ゲームなんだろうけどもさ!

「では、プロデューサーがこの間、デスクでこっそり見ていたえっちぃ動画の話を」
「ちょっと待て高垣」

そんな事実はないだろ高垣。ほかのお客さんが殆どいないからいいようなものの。

「……では、最近ご連絡した女の子のLINEの履歴を」
「そんなん見てもクソ面白くもないですよ」

ほとんど貴女とのやりとりですからね、悲しいことにな!

「そうですか、いないんですか……じゃあいいです。今日履いてるパンツの色でも教えていただければ」
「そこまでにしておきなさいよ高垣」

駄洒落お姉さんっていうより最近、ただのオッサンになってませんかねえ?
……結局、女性のタイプと「思わず襲いたくなるシチュエーション」とやらを、エチュードを交えて洗いざらい語らされたので、ひとしきり終わった後に楓さんが作ってくれたばかりの常温ハイボールを、やけくそ気味に一気飲みした。
ぐい、とカラのプラスチックカップを差し出すと、楓さんはにこにこしながらお代わりを作ってくれる。
くっそう、女神なんだよなあ、この笑顔だけは。

――――天使の上位互換、女神。

僕と楓さんとでカパカパ空けるものだから、まだ目的地の和歌山まで半分も進んでいないのに、すでに一本目のウィスキーボトルは四分の三を消費していた。

「私、プロデューサーのお酒作るの好きですよ」
「……っはい?」

ぼくが口をぐい、と拭うと、両手でちょこんとカップを持つ楓さん。
楽しそうにしているだけで何も言ってこないので、受け取ってそのまま一口目を頂く。


「もしプロデューサーと結婚出来たら、お晩酌はこんな感じかなーって」
「んぐっ!?」
「……あら、また、私の勝ちですね?」

これちょっと濃くありません、なんて言おうとした矢先にそんなこといわれりゃ、誰だって噴き出すだろう。
嬉しそうにぽん、と両手を合わせた楓さんに……謀ったな高垣、なんて言いながら、僕は何連続目かの粗相をした。

(――――――なんだかんだであれから8連敗だよ。もう話すことねえよ! けっこう酔ってきたし!)

酔っているのは完全に、やけくそ気味に杯を空けていく自分のせいなのだが、しようがない。

「梅酒は本当、うめ~っしゅね~フフフ……」

酒に酔えば少しは手元もおぼつかなくなると思いきや、楓さんの所作によどみはない。
駄洒落も絶好調だ。20~30点台のクオリティを連続して繰り出してくる辺り、波に乗っている。

「うふふー、プロデューサー」
「はい」
「……楽しいですね♪」
「……っ!」

肩口に顎を預けるようにもたれてきながら、眼を合わせた瞬間の、えへへと笑った上目遣い。
身長の高い楓さんを普段このアングルで見ることは少ない、それゆえのギャップ。
ちっくしょう、なんだこの人。女神か、あるいは悪魔か。
狙ってやってるなら悪魔だし、無自覚ならやっぱり悪魔だ。生まれつきの女神は悪魔に見える。
……それ、他の男性にやってないですよね?

「ふふっ、さぁ、どーでしょー……――――きゃっ!!」
「おっと!」

ゴトン、と不意に電車が揺れたので、とっさに楓さんを抱き留めた。

――――ご迷惑をお掛けしております。鹿が線路上を通行するため、車両を一時停止しております。ご迷惑をお掛けしております……

鹿かよ。
鹿で電車が止まるなんてのは、僕の地元なんかじゃままある光景だが、こっちに出て来てからははじめてだな。
なんにせよ、緊急事態とかではなくてよかった。

「大丈夫ですか、楓さ……」
「いえ、残念ながら……負けちゃいました。連勝ストップです」
「……あっ」

胸元に飛び込んできた楓さんの梅酒ソーダ割りが、僕の服をしたたかに濡らした。
……ベトベトになるな、こりゃ。


「さて、プロデューサー。どうぞ、なんでもお聞きください。高垣楓、なんでも答えてあげちゃいます」
「……この権利、急に貰っちゃうと使い道に困りますね。」
「何が気になります? 昔の恋愛の事でも、昨日の晩酌のおつまみでもなんでもかまいませんよ。」
「うーん、いざっていうとなかなか……というか晩酌は毎晩は控えてくださいって言ってるでしょうが」
「寝るときは右手の手枕をしないと寝られないということでしょうか?」
「いえ、別に」
「お風呂で体を洗う時は右のつま先から洗うってことですか?」
「それもべつに」
「プロデューサーは私の事なんてどうでも良いんですね……」
「少なくともその二点に関してはどうでも良いですね」

大体、自分から言っちゃってンもの。企画の趣旨を理解してくださいよ。
さて、いざ聞くとなると、うーん……
……とりあえず恋人が居ないってことは聞いてるけど。

『元カレってどんな方?』

――――やめよう。心が潰れてしまう恐れがある。

『好きな人、います?』

――――いや、馬鹿かおれは!? アラサーのおっさんがなに中学生みたいな質問しようとしてんの!?
電車旅で修学旅行気分甦っちゃったか!? 俺は確かあの頃、好きな女の子が居たけどその子は野球部のあいつと修学旅行最終日に付き合うことになって……
……あれ、何故だろう? 目から心の汗が流れてきたぞ?

「大人になったんですよ……プロデューサー」

ですから、心読まないでくださいよ25歳児。
ていうか、流れ通りにコイバナ振る必要はなんだよな、別に。


「秘密……秘密ですか、私の……」

……楓さん……元カレ。居るのかなぁ。いや、居るよなぁ、やっぱ。
『昔の恋愛の事でも』って、そういうことだよね……
こんなに綺麗だし可愛い人だもん。そりゃ男のほうがほっとかないだろうし、そもそも俺にどーこう言う権利ないんだけどさ……

「……あっ」

俺の知らない、大学生の楓さん、制服を着た楓さん、あるいはもっと昔の楓さんは、どんな人と手を繋いで、この笑顔を向けてきたんだろ。
あっ、やばい、また目から汗が。

「プロデューサー、あの」

我ながら、酔いが回ったと見える。いい加減、気色悪いことになっていた。
高垣楓をプロデュースするのが、僕の仕事。
勘違いしちゃいけない。
彼女が幸せになれれば、それでいいじゃないか、僕がそこにいなくたって。
だから、楓さんがもっと輝けるように、決して余計なことは考えず――――――

「実は、その」

なんですか、耳元で。
せっかく決心したんですからそんなに近づかないでいただきたく、


「私、処女です」
「――――――ごっはあっ!!?」

嘘だろ。

「プロデューサー、手応え無さすぎですね」
「かっ、かえっ、かえっ、かえっ」
「ふふっ……さあ、次は、何を教えてもらいましょうか♪」

着替えたばかりのシャツの裾で、酒を盛大に噴き出した口を拭う。
けんけんとむせて、かろうじて見る涙目の向こう側には、面白げに口元をおさえる25歳児。

――――――ああ、くそ。

やっぱりぼくは、楓さんに勝てない。

今日の分は以上となります。ありがとうございました。
続きは明日の朝か、仕事が押さなければ夜となります。
明日が無理であれば明後日……となります。よろしくお願いいたします。

どなたか、からかい上手の高垣さんってssを書いてくだんせえ……

素晴らしい

川島や彼も古参の隊士からしばしば先生と呼ばれるから→川島や彼のような古参の隊士はしばしば先生と呼ばれるから

です。たびたびすいません

>>38
ありがとうございます!

皆さん、レスありがとうございます、大変励みになります。
再開します。

◆◆◆◆

お前様、申し訳ござりませぬ。楓は、お前様ば不幸にしてしまいんした。
あの故郷の川で、楓はお前様のお情けば、決別するつもりでござんした。楓がお前様のごたる、つまらぬ駄洒落のひとつでも飛ばして上手く笑えておれたなら、きっとお前様も楓はもう大丈夫なのじゃと、笑って見送って下さったことでしょう。
けれど、お前様の腕の中があんまり温かくて、口惜しゅうなって結局、めそめそと泣いてしまいんした。そのせいで、お前様の哀れみば買うて、修羅の道に引きずり込んでしまいんした。

もう二度と逢ってはならぬとわかっているのに、逢いたや、恋しやと、思ってしまいんす。

楓は、弱きおなごでござんす。お前様のごたる、強くはなれぬでやんした。
どうか、お前様。楓が壊れてしまわぬうちに、甘ったれて何もかんもわからなくなってお前様にすがり付いてしまわぬうちに、血塗れた修羅の道、引き返しあってくんなんし。

今生の渡世は、楓の涙を拭ってくれたお前様の指の優しさだけで、十分でありんす。

もし、お情けを下さるのなら、お前様が幸せな天寿を全うされたる後の、来世の縁におすがりさせて下さい。
いつか、戦もなく、身分の違いもなく、お前様が刀の振り方も、血の匂いも知らぬでも済むような、そったな時代で巡り合うことができましたなら。
そん時は、頭からっぽにして、日がな一日、お前様のお酌をさせてくんなんし。
お前様は、来世もあの世も無いと仰りましたけれども、楓はやはり、縁はあると思いたいのです。

……それっくらいは夢に見ても、ようございましょう――――――



「鯉風こったいは、おりやんすか」

京者にしては颯爽とした美女が、鯉風太夫の膳を運ぶお禿を呼び止めた。

「ふわあ……みずき天神……おきばりやすー……」
「おきばりやす。こずえ、鯉風のこったいは、おりやんすか?」
「こったい……おるー……こったいの……しつー……」

瑞樹天神は、禿の目線まで膝を屈めて、改めて聞いた。
天神といえば上から数えて二番目の位、上の番付は太夫のみという位であるから、座敷も知らぬ禿にとっては雲上人である。
だが、この瑞樹天神は自身に関するこういった格式の序列を気にしない性格であるため、自分から見てどれほど格下である者に対しても変わらずに接した。
それゆえ、廓の中では彼女を慕う年少の者は多かった。

「おおきに。お母さんが飴ちゃん買うてきたようやから、瑞樹の姉さんに言われたいうてもらってきんさい」
「わーい……」

こったいとは、芸妓同士で太夫を呼ばわる際の敬称であった。

「鯉風のこったい、よろしおすか」

す、と隙間を開け、瑞樹天神は鯉風大夫に声をかけた。


「あら、瑞樹さん。おいでやす」

琴の稽古をしていた太夫が顔を上げ、笑いかけると、天神は膝行で室に入り、ふすまを閉めた。

「こったい、お話がありんす。正三位殿のお身請け話、お断りにならはったようどすね」

挨拶もそこそこに、天神は切り出した。

「はあ、そうどすね」
「はあ……じゃあ、ありんせん。どういうことでござんすか。あんないいお話を蹴るなんて」
「お身請けのお話をお断りする事は、別段、珍しいお話でもない思うけどなあ」
「そんなこと言うて、こないだの西園寺卿とのご縁談も、お断りにならはったですやろ」
「はあ、そうどすねえ」
「そうどすねえ……じゃあ、ありんせん!」

一見して、なんの気ないやり取りであるが、この世界ではおよそあり得ぬ光景であった。
まず、下位の天神が太夫の室を呼ばれもせぬのに訪ねていく、という事からしてあり得なかった。廊下でも上位の者とすれ違うときは、下位の者は目を伏せるようにして、決して正面から見てはならなかった。それくらい、芸道の序列というのは厳格なものだったのだ。

「また、あの新撰組のお人どすか」
「」ピクッ
「最初のお座敷の時は三度もお断りをしたらしいですのに、一度逢瀬をしはってからは、なんやえらい仲睦まじい様子やないどすか」
「は……はて? なんのことやら」
「こったい、あの方を慕うておられるのですか」
「………」ピューピュー
「そっぽ向いて下手な口笛など吹きませんの! 」

このように気安い関係が許されるのは、禿の頃からの同輩同士であるということ以上に、二人の人柄に依るところが大きい。
基本的に、番付の上位の者は、下位の者にとって神と同じで、下位の者が上位の者になにかものを言うなど言語道断である。
上位の遊女が目下のものを虐め殺してしまうことは珍しくも無かったし、それが特段、詮議されるようなことも無かった。

この時代の日本はとかく、身分と格式であった。

武士にしてみても、足軽と千石ものの大身旗本は、はっきり言って同じ人間ではなかった。牛や馬と、その主たる人間ほどの隔たりが存在した。
しかもそれは、本人の意思の及ばざる出自や家柄によってあらかじめ決められていた。
それでも女性ならば美貌と芸技で成り上がることが出来たかもしれないが、それにしたって、生まれたお家が安泰ならば、このような廓暮らしで苦労をすることもなかった。

「……みずき姉さまやて、あの川島さま言わはる新選組の方のお座敷では、態度が全然違うやないどすか……」

ぶうっ、と、少し膨れながら太夫が、ぼそっと呟いたところで、天神はピンと背筋を立て、パンッと柏手を一つ打った。

「――――かえちゃん」
「はっ、はい」

空気が変わって、思わず鯉風太夫もまた、背筋をピンっと伸ばした。

「ちょっとこっち来てなおりなんし。大事な話をしますえ」
「み、みずき姉さま?」
「かえちゃんがわっちを昔と同じようにそう呼ばわるなら、わっちも昔とおんなしようにお話しさせていただきます。」
「え、えーっと」
「早う!」
「はっ、はい!」

ダン、と天神が強く畳を叩いたら、太夫が小さく跳ねるようにビクリとなり、それからおずおず、天神の前まで膝を進めた。
元々、天神の方が太夫より3つほど年長であったという事もあるが、それにしたってどちらが格上かわからぬ光景であった。

「かえちゃんは見棹屋の太夫であんすな」
「えー……はい」
「この花街でも当代随一の太夫でござんすな」
「えー……」
「そうであんすな!?」
「は、はい」

颯爽とした物腰に、この武断整然とした話の進め方は、京女というよりも江戸や関東の武家という気がする。
加えて、この美貌と気品である。ひょっとしたら瑞樹天神は、御家断絶の憂き目にあった元は武家の息女かもしれなかった。
正座をして凛と声を張るたたずまいは、まさに武家の姫様さながらである。

「ほなら、かえちゃんは自分の価値というのんを、きちんとわかっとらなあきまへん」
「……」
「かえちゃん。わっちはアンタには、幸せになってほしい。故に、手に入る幸せいうんを、ちゃんとわきまえなあきまへんえ」

瑞樹天神の顔には、まったく冗談の気はなかった。まったく真剣な顔で、太夫の妖瞳を見据えていた。

「好きになってしまったら、しゃあない。わかるわ。けどな、新選組のお人いうのんだけはやめとき。恐っとろしい未来しかありえへん」
「……」
「あの人らは、元はお百姓かご町人が殆どや。よしんば武士の出でも、足軽かせいぜい貧乏御家人の次男三男で、家督も継げん。帰る場所の無い男どもがお命を的に大金を稼いどるんや」
「そんなお人では、かえちゃんをきちんと幸せにすることは出来ん。
 また、そんな人がたが命懸けで稼いだ五十両や百両を、花街で湯水の如く使わせるのは佳い女のすることではありんせん。せやからかえちゃんも、最初の逢瀬の時は三度もお断りにならはったんやろ」

「あの人らは、元はお百姓かご町人が殆どや。よしんば武士の出でも、足軽かせいぜい貧乏御家人の次男三男で、家督も継げん。帰る場所の無い男どもがお命を的に大金を稼いどるんや」
「そんなお人では、かえちゃんをきちんと幸せにすることは出来ん。
 また、そんな人がたが命懸けで稼いだ五十両や百両を、花街で湯水の如く使わせるのは佳い女のすることではありんせん。せやからかえちゃんも、最初の逢瀬の時は三度もお断りにならはったんやろ」



「あの人らは、元はお百姓かご町人が殆どや。よしんば武士の出でも、足軽かせいぜい貧乏御家人の次男三男で、家督も継げん。帰る場所の無い男どもがお命を的に大金を稼いどるんや。
 そんなお人ではかえちゃんをきちんと幸せにすることは出来ん。 また、そんな人がたが命懸けで稼いだ五十両や百両を、花街で湯水の如く使わせるのは佳い女のすることではありんせん。
 せやからかえちゃんも、最初の逢瀬の時は三度もお断りにならはったんやろ」

という風に読み替えてください。たびたびすいません

この時代の庶民の年収というと、大体二十五両から三十両くらいである。
対して新選組というのは三食住まい付きで“月給”が平隊士でも十両、さらに手柄を立てたり介錯人などのお役をこなせばその都度、三両、五両と褒美やお清め代が出ていたから、確かに金回りはすこぶるよかった。
幹部である助勤以上や隊長格は三十両、局長である近藤は五十両取っていたほどで、実際、隊士の中には正妻の他に、休息所と称して妾を囲っていたものも少なくなかったのだ。

その代わり、いつ死んでもおかしくはなかった。任務中の殉職はもとより、常に内部告発や士道不覚語による切腹沙汰が後を立たなかった。
しかも蓋を開ければ、良くて脱藩、並みで中間や戸籍もないような貧乏庶民、悪ければ殺人や不貞をしでかして逐電してきたようなのもいたくらいで、いずれにしろ国許には帰れない、潰しの利かない一方通行の男たちであった。
さすがにそうとは言えぬから、皆が憂国の志のため身を投じた志士であるとは語っていたものの、実情は飯と銭につられて集まった命知らずといったところが大半であったろう。

一方、島原の花魁というのも、また法外であった。瑞樹天神のような上級芸妓であれば一晩、酒を飲むだけでも二両から三両はした。身請けともなれば数百両は要った。
ましてその最高峰たる鯉風大夫の揚げ代となれば、推して知るべしである。一応、幕府のお触れで身請け代の上限は五百両までと決まっているのだが、図抜けた人気の遊女であればその先稼ぐであろう揚げ代の見込みがご祝儀やらなんやらに加算されて、その上限を超える金額となることもあった。

鯉風太夫の身請けともなれば、おそらく千両は下るまい。

「かえちゃんやったら、そのお人の事を諦めても、絶対幸せにしてくれはる人がいっくらでもおる。お互い、納まるべきトコに、納まるべきや」

そんな法外な金額であっても引く手あまたというのが、鯉風太夫という女性であった。

――――全国の花街の投げ込み寺に無縁仏として葬られた遊女の数は、優に十万を下らぬという。

人並みの生活ができる遊女はほんの一部で、ほとんどの遊女は過酷な労働環境を強いられ、二十代のうちに使い潰され死んだ。
病をもらい回復の見込みもないと言って、息のあるうちに寺に放り込まれた哀れな遊女もいる。

苦界はまさしく、地獄であった。彼女らがそんな地獄から脱する手段は、死ぬか、身請けされるかであった。

たとえ運よく年季明けまで勤められたとしたとて、幼いころに売られずっと花街で過ごしてきら彼女らが、それ以外の生き方などできない。
人並みの生活を得られる唯一の手段は、嫁に貰われる以外になかった。結婚は、女たちの夢であった。

太夫のように、せっかく来た身請けの話を蹴ってもなお次がある、というのは、たいそう恵まれており、また贅沢な話であったのだ。

「みずき姉さま。お心遣い、痛み入ります。みずき姉さまの真剣に怒って下さるところ、わっちは好きです。川島さまも、姉さまのそんな情の深いところに惚れておられるのでしょうね。」

駄目な人が好きなんですねぇ、お互い。
などと言って、クスクス笑う。

「女ですもの。姉さまもきっと川島さまが手を伸ばしたら、迷わずその手を取られるでしょう。たとえどんな知れ切った困難であろうとも、川島さまと生きていこうと思うはずです。女って、そういうものですよね」
「……そったな恐とろしいこと言わんで、かえちゃん。アンタが知れ切った往生を遂げるつもりなら、わっちも命に代えてそれをとめなあかんえ」

瑞樹天神は凍り付くように血の気の引いてくる顔を、必死に取り乱さぬよう保った。
太夫の表情は、何かを覚悟した顔に見えてならなかったのだ。

「安心して、姉さま。足抜けだとか心中とか、物騒なことは考えておりません。わっちは……あの人とは、一緒には生きられません。それは、わかっておりますから」

それは、天神にとって意外な答えであった。
が、続きに、もっと予想外な言葉が続いた。

「わっちは、誰のお身請けも、お受けいたしませぬ」

なんして、と、問う前に、太夫は続けた。

「わっちは、きっとあの人を忘れることは出来んせん。身請けの果報を頂きながら他の殿方を想い続けることは、不義理でありんす。けんど、あん人はわっちと生きるべきでは、ねのす」

普段は口にせぬ、お里のなまりが、端々に交じり始めた。


「あん人は、優しいお人ですから。きっとたんまりの幸せをくれる嫁御が出来ます。わっちなんかにかかずらわせて、要らぬ不幸を背負わせるわけには参りません」

それは鯉風太夫ではなく、楓というひとりの少女の言葉なのだろう。

「ですから、わっちは、身請けはされません。あん人にも。年季が明けるまで勤め上げて、あん人の幸せになった姿さ見届けられたら、それだけ瞼に写して、身が朽ちるまで生きてゆきます」

その笑顔が、あんまりきれいなものだったから。
瑞樹天神は言葉を失ってしまった。

「優しいあの人には、刀は似合わねえから。お天道様にぽかぽか照らされながら、お百姓をするのがええ。」

隣にはきれいなお嫁はんがいらっしゃって、あん人に良く似たお子らが遊んどる。
それさ一目、見届けられたら、わっちはそれでええ。

「……なんして」

理不尽や、そう思った。
瑞樹天神は、そう思わずにはおれなかった。

「なんして、そんな理不尽なことを言うの。かえちゃん、アンタ、今まで良いことなんてひとつもなかったでしょう。
 もっと自分勝手になってええの。わがまま言ってもええの。なんでわざわざ苦しい方に行こうとするの。そんなん、理不尽よ」

鯉風太夫がどんな苦労をしてきたのか、瑞樹天神は六つか七つの頃から知っている。どんな厳しい目にあっても理不尽な目にあっても、彼女は決して泣いたり嘆いたりしなかった。
人生は不平等だと、彼女たちは骨の髄まで叩き込まれている。他人から与えられるものなど、彼女たちには何もなかった。

この苦界に、夢も希望もなにひとつないという事を、彼女たちはそれこそいやになるほど思い知らされていたのだ。。

それでも、世の中が正負の法則で出来ているというのなら、ひとつくらい、幸せの種があったっていい筈だろう。
誰にでも幸せになる権利がある、なんてお題目が嘘っぱちだったとしても、少なくともこの娘にはその権利があるはずだ。
それを目の前の明るい未来から背を向けて、知れ切った不幸に向かおうとするこの娘の行いは、天神には耐え難い理不尽に思えた。


「みずき姉さまのお心遣い、痛み入るほどにありがたい事ですけれども。わっちは姉さまが見込んでくださるほど、大した女子ではありんせん。
 好いた男に名前を呼んでもろうたら、それで満足出来る女子でござんす。」

太夫は、安らかな面持ちで目を閉じながら、静かに首を振る。
そして笑って、そう言う。

「わっちの幸せは、決まっとります。好いたお人が幸せになってくらはったら、それで何もいらんえ。」

澄んだ左目が語った。翡翠色を溶かしたような、綺麗な碧色。

――――あの方は、約束ば守ってくださいんしたから。
わっちをもう一度、見付けてくださった。わっちをもう一度、楓と呼んでくださった。
この上ない、果報でござんした。
それだけで、十分でありんす。わっちの夢は、叶ったのですから。その夢だけで、わっちは生きていたいと思えたのですから。
それだけで、きっとわっちは、生きていこうと思えますから。

「――――泣いてはるの、みずき姉さま」

大粒の涙を拭いながら、天神は首を振った。


「泣いておらん」
「泣いております」
「わっちの涙ではありんせん。アンタがちっとも泣かんから、わっちが代わりに泣くの。」

溢れる涙を手の甲を押し当て拭う様は、泣きじゃくる子供のようにも見えた。

「かえちゃんのあほ。辛いとか苦しいとか、なんにもかえちゃんが言わへんから。ひとつも言うてくれへんから、だからわっちが代わりに泣くんよ」

平凡な幸せに憧れて、憧れて、ついに島原の囲いから二度と外に出られぬまま朽ちていく女子は、賽の河原の石ほどおる。
いっそ、この娘がこんなに優しすぎなければ良かったのに。
ほんの少しだけ身勝手ならば、好いた男に抱いてくだんせ、攫ってくだんせとすがり付いて、甘えられただろうに。
そうすれば束の間でも、共に生きることは出来ただろう。
ほんの少し人並みに薄情ならば、過去の男と割り切って、前に進めただろうに。
そうすれば、誰もが羨む女の一生を送れたはず。

「みずき姉さま」

しゃくり上げる天神の頭を、太夫は幼子を慈しむように、優しく両腕で包み、胸に抱いた。

「ありがとう、ござんす。」

うなだれた天神の首筋に落とされた、その優しく澄んだ綺麗な声が、天神には切なくてたまらなかった。

――――かえちゃん、あんたはやっぱり、阿呆や。
天下一の太夫になっても、昔とちっとも変わらん。ぶきっちょな癖に人の世話ばっかり焼いて損する、かえちゃんのまんまや。

お互いを想い合うがゆえに、離れねばならぬ。
好き合ったふたりが一緒に生きることすら許されぬ、そんな世の中なら。
こんな酷い時代に、こんなふたりを生まれさせたのは、なんとご神仏も、意地の悪いことでありんすか。
残酷なことでありんすか。


◇◇◇◇

「牙突・零式って」

名酒・十四代に唇をぷるんと濡らして、楓さんがおもむろにのたまいける。

「子供の頃、絶対真似しましたよね~」
「いやいや、女子はやっとらんでしょう、セーラームーンとかじゃないんですか?」
「時代はプリキュアですよプロデューサー」
「時勢で主義主張を翻すような男にはなりたくないんですよ」
「セーラームーンってスラムダンクの前にやってましたよね。流れでスラダンも見てましたよ」
「やっぱりその時代じゃないですか」
「おーとなになれないぼくらのー♪」
「あ~コレコレ、20代中盤世代間における微妙なジェネレーションギャップ。僕らはね、ニチアサ9時ったらもう選ばれし子供たちでしたから。ゴキゲンな蝶になってましたから」
「どっきりどっきりドンドン、不思議な力が湧いたらどーしよ?」
「どーする!?」

……フォーマルな関係の相手と一足飛びにフレンドリーになる方法、知ってますか?
それは明日の理想を語ることでも、意識高い仕事の話をすることでもなく。

子供の頃に見てた漫画やアニメの話を共有することです。

同世代同士なら当時のアニソン歌ってればなんとかなるんですよ。
五十代ならマジンガーZ歌ってればいいし、二十代後半なら無限大な夢を叫んでればひとつになれるんです。
それで冷めた態度を取るような非国民は士道不覚悟で切腹ですんで、付き合わなくてよろしい。

「そういえば、こんなの作ってきたんですよ。お酒が美味しすぎて忘れてました。」
「ダメ人間ですねえ、はっはっは」
「お揃いですねえ、うふふ」
「どういう意味ですかな、はっはっは」

尤も、僕と楓さんの腐れ縁具合は、沈黙も苦にならなければ、大暴投の茶化し合いでもキャッチしあえるくらいには成熟しているから、今さら話題なんてなんでもいいんだけど。

「……サンドイッチ?」
「はい」
「……楓さんが作ったの?」
「はい♪」

女神の皮を被ったうわばみから、はじめて女子っぽいものが出てきた。

「仕込みに4、5時間掛けて作りました。」
「……」
「仕込みに4、5時間」
「ええ、わかってます」

ドヤ顔でふんすとツッコミ待ちしてるところ申し訳ありませんがね。
女性の手作りサンドイッチを前にとっさに普段通りの突っ込みを浴びせられるほど、こう、ぼくは人間は出来てないというか。

「……本当は朝一時間くらい早起きして作りました。」

そういう、いじらしいところですよ。
ああ、もう。


「……楓さんにこんな一面があったとは。」
「どういう意味ですか?」
「のんべえオブのんべえだと思ってましたからね。てっきり自分で作れるのはおつまみくらいなもんだと」

顔面の紅潮を、軽口と冷や酒で飲み下す。

「ふーん……わかりました、仕方ありません。二人で分けようと思っていたこの秘蔵の北雪はお預けということで……」
「話をしよう、楓さん。」

またそんな通好みなヤツを。
しかもそれYK35の雫酒じゃないっすか、四合瓶で8,000モバコインは下らない代物……
いや……ちょっとちょっと、なにカップになみなみと注いでんのそんなぐい呑みするような酒ちゃうやろだからちょっと待て高垣ィ!!

「――さあ、復唱してください。楓さんは家庭的な料理も作れる素敵な女性です、嫁にしたい大好きです結婚しよう、はい」
「くっ……殺せ……!!」

楓さんの左目と同じ色をした魔性の四合瓶の輝きが、僕の中の劣情をちりちりと煽り立てる。

「ふふ……いまならこの一夜雫だって開けちゃいますよ……」
「ばっ、ばかなっ!? 圧倒的人気を博しながらその特殊な製法が故に去年、惜しまれつつも製造中止となったまさに幻の銘酒が、なぜ楓さんの元にっ……!?」
「ふっ……この高垣楓を、嘗めてもらっては困る!」

資源の多寡が物事の趨勢を決めてしまう事がある。戦いの持つ残酷な現実だ。
より多くを持つものに女神は微笑み、より強大な課金力を誇るPが上位報酬を手にする。

「くっ、くそ……旅行だってのに荷物から酒瓶ばかり出てくる女を、家庭的と認める、なんてぇっ、悔しいっ……でもっ……!!」
「言わないのならこの一夜雫を別のお酒とブレンドします。」
「やっやめろーっ!」

全国にごまんと居る高垣楓ファンからの貢物、そして自身の圧倒的購買力を背景にレア銘酒をずらりとそろえ、誘惑と恐怖を巧みに織り交ぜ交渉を優位に進めるその姿は、まさに世紀末歌姫。

「三井の寿あたりとなんかどうですかね」
「いっ、いやぁー!!」

よりによってふんわり浮かぶが如きまるい口当たりの一夜雫と、大辛キレキレのミッチーを混ぜるなんて。
ああ、神様……

「ふふっ……あなたを救う神はいません……神は死んだ!」

今まさに、目の前で僕の女神がダークサイドに墜ちようとしてますよ。お酒にも闇にも呑まれてるよ。
くそっ、このままでは楓さんを嫁に迎えてしまう。
楓さんに良く似た一男三女に恵まれて、少し朝の弱い楓さんを毎朝起こす幸せな日々を送ってしまう。
……あれ? 良い人生じゃないか……?


「……くふっ、ふ、ふっ……あははっ……っ!!」

悪魔のドリンクバーを敢行していた楓さんが、やがてころころと笑い出した。
どうしましたか、ようやく酔いましたか。

「はーっ……ふふっ、ごめんなさい。私、あまり友人とこういう騒ぎ方をしたことが無かったんです」

涙がにじむほど笑って、まなじりを指で撫でながら、楓さんが言った。

「プロデューサーはご存知でしょうけれど……私、人見知りで。コミュニケーションも、そんなに上手では無くて」
「……」
「私、どうやら変わったコだったみたいですし、こんな変な眼をしていますし……友達は、多い方ではありませんでしたから」

不意に、初めて出逢った時の彼女を思い出した。
突然、モデル部門から新設されたばかりのアイドル部門にフラッと現れ、素晴らしい歌声を聴かせてくれた彼女。
内気な女性だ、と感じたのを覚えている。そう、確かに内気な人だと感じたのだけれど、なぜかずっと前から知っているかのように、話しやすかった。
たじろぐほどの美人で、普通は緊張するだろうに、あの時の僕は、彼女を初めて見て、妙に安心したんだ。
その声も、佇まいも。なぜか、そのあとこの人とパートナーになるんだと、ぼくは信じきっていた。

「はーっ……おかしい……ふふっ」

――――貴方と私が、これっきりとは思えなくて。
それは、彼女の台詞だった気がする。
なんの根拠もなかったのに、不思議なものだった。

「……ねえ」

美しい瞳が、語りかける。

――――いっそ、和歌山にこのまま引きこもっちゃいますか。
アイドルも辞めて。プロデューサーも辞めて。ただのふたりで、いっしょに。

「幸い、お金はおっかねえくらいありますし。」

ふと、彼女の駄洒落は、いったい誰の影響なんだろう、と思った。
この互い違いの綺麗な瞳が笑っていると、ずっと見つめていてほしくなる。

「……人間なんて案外、いい加減なもんです。今が良くなれば過去の意味なんて変わります」

だからこそ僕は、楓さんにそんなことを言わせたくはなかった。

「あなたの周りには、たくさんの素晴らしい人たちがいます。瑞樹さんも、美優さんも、志乃さんも。心配しなくても、ここから先は良いこと尽くめですよ」

新しいミネラルウォーターのキャップを親指で開けると、パキッと音がした。

「もちろん、僕だって居ます。もう二度と、寂しい思いはさせません」

水の冷たさで渇いてきた喉を潤す。楓さんが、不安そうな顔をしていたような気がしたから。
ひょっとしたら――楓さんにとって故郷は、楽しい思い出ばかりの場所ではなかったのかもしれない。

『この瞳は、気持ち悪くないですか』

昔、たった一度だけ、二人きりの車の中で、ぽつりとつぶやかれたことがある。
僕は、なんのことかわからず、ぽかんとしてしまった。

『別に……? いつも通り綺麗ですが』

要領を得ないまま、そう答えてしまって、あの時は貴女の事を、僕と同じようなぽかんとした顔にさせてしまったけれど。
貴女は、辛いときは、得意の駄洒落を飛ばして、へっちゃらだって笑い飛ばしたんだろうか。
それとも、僕たちに出逢うまで、駄洒落を聞かせる相手も居なかったのだろうか。


「なんというか……楓さんには、下を向いてほしくないですから。貴方は、笑ってる顔が一番いいんで」

少し面映ゆくて頬を掻きながら、なんとか、安心させたくて、思いつくことを言った気がする。

「貴方のこれからに、僕は必ず居ますから。あなたが望む限り、僕は約束しますから」

貴方の幸せの端っこに僕の姿もあるのなら、しがみ付いててでも、最期まで一緒にいますから。
――言っているうちに顔から火が出そうになって、途中からしどろもどろだったが、言いたいことは伝わったと思う。
楓さんの瞳が、ちょっと大きくなったように見えたから。

「……プロデューサー」

すらりとした脚を組んで、頬杖をついてぷいっと視線を外に飛ばす。
車窓の外の景色は、どこまで来ているんだろう、和歌山はもう、だいぶ近いのだろうか。

「その……けっこう、恥ずかしいこと言ってます」
「うるっさいな。酔ったんですよ。忘れてください」
「……忘れて、あげません」

――いや、間が持たなくなって目を逸らしたのかと思ったら、違う。
何か作ってる。
すでに楓さん専用のサーブカウンターとなった車窓の窓際で、悪ふざけでしかない高級銘酒のドリンクバー。
えっ、混ぜてんの? マジで?

「酔うほどに、そんな恥ずかしいセリフが出てくるのなら、もっと飲んでいただきます」
「なんて劇物作ってんですか楓さん……」
「飲みなさい、飲んで飲んで飲み潰れて眠るまで飲むのです、さあさあさあ」
「くっ、この美人めんどうくせえっ!」

ほっぺたにすっげえおちょこを押し付けてくるんだけど。
この悪ふざけカクテル、クレイジーメープルとでも名付けてやろうか。

「美味しいんですよ、クレイジーメープル。さっ、くいっと……」
「マジでクレイジーメープルなんですか!? 一体誰が犠牲に……んくっ」

酒というのは、都合の良い飲み物だな。嫌なことはアルコールに混ぜて飲み下せば無かったことにしちまえるし、照れ臭いことは頬の赤みが隠してくれる。
僕と、楓さんがお酒が好きな理由は、たぶん同じだろう。
上手く生きるのが下手なのは僕も同じだから。

「…………うそ!? 旨い……!?」
「でしょう?」

百年前の人間も、こんな風に酒を煽ったんだろうか。



◆◆◆◆

ああ、しまった。
巴と将棋を指す約束、すっかりぶっ飛ばしてしもうたわ。
いや……春になったら薫と仁奈と花見にいこうと言っとった。夏になったら莉嘉とかぶと虫を取りに行こうと言っとった。
雪美と買い物に行くとも言うとったし、晴にも、組太刀型の続きを教えるようせがまれとったな。
……すまんのう。
せんせぇはおまんらとの約束、ひとっつも守れんようじゃ――――

「わしはいい……若い者から回してやれ」

川島は地べたに腰掛けたまま、握り飯を配給しにきた少年隊士を、腕を振って下がらせた。
半分凍った握り飯だが、物資不足の今ではそれでも貴重すぎる補給だ。
ならば、少しでも元気な者からありつけさせてやるのが道理であろう。

「……くそっ……!!」

川島はずくずくと血の染みてくる、下手くそな包帯の巻かれた自らの脚を忌々しげに見つめた。

鳥羽伏見で一敗地にまみれた新撰組は、敗走を重ねた。

京を追われて、旧幕軍はひとまず大阪へ落ち延びる事となる。それは将軍慶喜公が大阪に本陣を構えていたからなのだが、退却する彼らにもたらされたのは思わぬ知らせだった。
会津・桑名や新選組がいまだ戦っているうちに、公方様は僅かな側近を伴って海路で江戸に退いてしまったという。大阪に集合したときは大阪城はすでにもぬけの殻であった。

「千兵が最後の一兵になろうとも決して退いてはならぬ」

徳川慶喜公自らのその厳命とは裏腹に、主を失った本丸の御座所には徳川将軍の金扇御馬印だけが、とるものとりあえずとでもいう風に置き去りにされていたという。
しようがないので追っ掛けるように江戸に退却したが、そこでなんと慶喜公から江戸城登城の禁止と江戸追放を言い渡され、おまけに、会津・桑名は朝敵とされてしまった。

あんぐり、開いた口が塞がらぬ、とはこの事だった。死力を尽くして戦っていたら御大将から置いてけぼり、なんとか本陣にたどり着いてみたら、今すぐ出ていけ。とどめにお前らは今日から天下を乱す逆賊じゃ、と。

その後は甲州鎮撫隊として戦ったがこれが散々な負け戦で、めいめいが散り散りになって江戸まで退却してきたら、すでに江戸は無血開城しており将軍は水戸へ蟄居していた。

ここまであからさまなもんかい、と言いたくなるほどの、トカゲのしっぽ切りであった。幕府の最前線を担った会津・桑名を身代わりに、さっさと手終い店じまい、という話だ。

将軍や御三家といったお偉方はハナから保身の事しか頭になくて、旧幕軍の将兵は捨て石にされた。そればかりか最も忠義篤く抗戦していた会津・桑名に全責任をおっ被せて、自分たちはとっとと降参してしまった。
そうなると、徳川譜代大名も親藩も次々と新政府側に付いた。孤立してゆく中、新選組はあくまで旧幕軍として戦い続け、奥州まで後退する事となった。


「くそッ……くそうっ……ちきしょうめっ……!!」

煮えくり返る腸の忌々しさを抑えきれずに、川島は傷ついた自らの太腿を殴りつけた。

御大将が真っ先に帰順しちまったのだから、もはや幕府もへったくれもない。故に“旧”幕軍なのだが、会津の殿様は、引いては新選組は、武士道に外れたことはひとつもないはず。
右脚の甲と太腿に銃弾を受けて、さしもの剛剣・川島も、満足に立てやせぬ。へたくそな包帯は、殆ど経験の無い新米隊士が巻いたものだ。
ほんの数か月前に入隊したばかりの、簡単な応急処置のやり方も知らぬ十三、十四の少年隊士までが、補給も武装も医療道具もろくにない、こんな泥沼の戦争に放り込まれる事になってしまった。

とってもやり切れねえ、お国の為と信じて命懸けで働いて、挙句がこのざまかよ。

薩長が錦旗を掲げて新政府、というのは、そりゃ時勢だろう。後世は新撰組を時代の流れにいたずらに逆らった愚か者のように語るかも知れないが、現実が見えぬほどの馬鹿ではない。

時勢は百も承知であった。それでも、侍として国家の治安のために戦い、徳川の禄を食んだからそれを支えるために戦い、会津藩お預かりとして新撰組の名を賜ったからそれに報いるために戦った。それは合理以前に、違えてはならぬ物事の筋というものであろう。
それを、旗色が悪いからと悪いからって、はいさいと節を曲げて、聞き分けよく敵に寝返るなどというのは、それこそ士道不覚悟ではないか。

ところが蓋を開けると、その武士の棟梁が真っ先に逃げ出した。あまつさえ、必死の覚悟で戦った会津中将殿が、死ぬ気で働いてきた俺たち新選組が、天下に仇なす反逆者で賊軍だと。

そんなバカな話があるか。こうまで上の人間の思惑にいいようにされなきゃならねえのか。命がけでやってきたってのに、しょせん俺たち下々はお偉いさんの都合通りにされる虫けらか。

「ぐうっ……!!」

殴ったところで、痛みは自分の身に返ってきた。それが、川島をたまらないほどやるせなくさせた。

文久の頃から数えて五年、新選組は本当によく戦ってきた。
たかが五年と言うやつもいるかもしれんが、密度が違う。生死を絶え間なく行き来する毎日は、濃ゆいもんだぜ。

古参隊士はみな幾度もの修羅場を潜って死にぞこなった、一騎当千の強者だ。この戊辰の戦は散々の不利ながら、それでも二度も官軍を破った。それを率いた土方は、世が世なら英雄と呼ばれただろう。
流山で処刑された近藤局長だって、味方をうっちゃらかして一人で逃げ出した公方さまより、よっぽど大将の器だろうよ。

俺らはみんな、世の中の味噌っかすだ。近藤と土方は百姓、沖田は御家人の家来の息子、そういう俺だって、貧乏足軽の次男坊。
みんな負け組だった。生まれた瞬間にそうと決められていた。
どうにもならない貧乏人と小身者が、なにかを変えられるかもしれないと命を懸けたんだ。
心も体も傷付けながら、そんな世の中に風穴を開けたくて、戦い抜いた果てに何とかなると信じて。

「ッ………!!」

声にならぬほどの悔しさが、痛みよりも激しく川島の体を巡った。

殿上人であり和を重んずる会津中将殿が甘んじて朝廷の汚名を被り抗戦に踏み切ったは、身代りとして血祭りにあげられるしかない、我らが下々が忍びなかったからだ。
近藤や土方は俗物だったかもしれんが、幕臣としての矜持を貫こうと命を張っただろう。
ばかやろう、と、川島は叫びたかった。叫んだところで、ずたぼろの落武者であり天下の大罪人であるという現実を、びくとも動かせないのだという事実が、よりいっそう、川島の身体を焼いた。
我が身の進退を呪ったのではない、人間ひとりの健気など無慈悲にさらってしまう黒い大波のごとき得体の知れぬ巨大な力を、川島は恨んだ。

負け組は、負け組のままか。それにしたって運命というは、あんまり意地が悪かろう。

どうにもならぬ。理不尽であった。
殴り付けても動かぬ川島の右足と同じ。太く重く横たわる、ちょっとやそっとじゃビクとも動かぬ理不尽であった。

「怪我人は怪我人らしゅうなされよ、川島さん」

場違いにひょうきんな声が聞こえたので顔を上げたら、包帯ごしの傷口に、口に含んだ焼酎をブッと吹き掛けられた。

「ぐおっ!?……っつ~……!!?」
「消毒もせずほったらかしにおいたら、蛆が涌いていずれ腐りますぞ。新撰組の鬼伍長殿が片足落とすわけにはいきますまい。」

悲鳴を噛み[ピーーー]川島をよそに、焼酎で血糊を浮かせ、傷口と癒着しかかっていた包帯を手際よくはずして、手拭いを裂いた即席の包帯を巻き直していく。
べりべり、と包帯がはがれると、カサブタの下から新たな血が滲みだした。

「っつ……新撰組など、もはや名前だけしか無かろうが」
「そうかもしんねぇ。けんど、そりゃあ、あんたが死ぬ理由にはなんねぇよ」

最盛期二百人を超えた新撰組も、いまや五十人を切っていた。
かつて京を駆け抜けた仲間たちは、もう、この戦場にはいない。
百姓なまりまるだしの男は、懐から薬包をひとつとりだし、川島に渡す。

「石田散薬です。あいにく熱燗はござりませぬが、ご容赦下され」

二カッと笑って差し出してくるさまに何か無性にむしゃくしゃして、ひったくるように受け取り、焼酎で流し込んだ。
石田散薬と言えば土方の生家の品で、熱燗で飲めば打ち身や骨折、切り傷にも効くという重宝な常備薬であり、新撰組でこれの世話にならぬ隊士は居なかったほどだ。
喉から腹がかッと熱くなると、なるほど五臓六腑に効いていく気がするものである。

「気付けに、消毒、石田散薬。焼酎は万能です、実にしょっちゅう、使い申す」
「……」
「……焼酎はしょっちゅう」
「それはもういい」

強張った肩の力が抜け、血の巡りと共にむしろ痛みも増した気がする。
こいつは、なぜこんな能天気で居られるんだ。
顔の半分、砲弾に吹っ飛ばされているというのに。

悲鳴を噛み[ピーーー]→悲鳴をかみころす

です。なぜか規制が……

『――――ッ!!』

白坂口の戦いで官軍の奇襲を受けた時、こいつは砲弾を顔面に食らった。
赤い肉片を噴いて五間も六間も吹っ飛ばされるこいつの身体が目の端に映った時、さすがに胆が冷えた。
周囲の兵士で、思わず動きを止めてしまう者も何人かあった。歴戦たるこいつの存在は、すでに一介の兵卒にはとどまらぬものがあったからだ。
前線の士気が崩れかけた時、その雄叫びは聞こえた。

――――退くな!!

修羅が居ったよ。
脳漿を噴き洩らし、肉塊となった右の目玉をでろりとぶら下げたまま、ずんずんと怒らせるように歩み、続けて咆えた。

――――退けば撃たれる! 倒れていたらとどめを刺されるぞ! 立ち上がれ! 剣を下げるな! なんでも良いから前に出ろ!
生きるために、戦え! 退くな、一歩も退くな!

面を血まみれにしながらかまわず喚き、一分の迷いもなく斬り込んでくるあいつの姿は、敵もさぞ恐ろしかったろうな。
あの気の優しい男が、人を斬るために己に憑りつかせた、修羅であったよ。
結局、戦線は持ち堪えた。その戦いにおいて我らは政府軍を挟撃し、一時的に押し返すことに成功した。



「――――向井、腹は減っとらんか? 傷は悪くはないか」

顔半分吹っ飛ばされた重傷で、やつは腰を屈めて新米隊士の世話を焼いている。

「おまんの威勢はわしらの恃みじゃ。気張れよ、特攻隊長」

その屈託のない笑みを、やつは残った左半分の顔いっぱいを使って浮かべる。
その姿はおそらくにして、俺たちが往年の大幹部や隊長格を仰ぎ見ていたがごとく、いまだ戦場の何たるかを知らぬ少年隊士たちには、さぞや頼もし気に映ったであろうな。
やつの笑みには、不安を取り攫うような、不思議な力があったものだ。

「ふははっ、おにぎり様は逃げねぇぞ。ゆっくり食べれぇ」

まるで神仏からの御代物のように、心底ありがたそうに目に涙を溜めて握り飯を頬張る横顔は、まるっきりまだ前髪も取れぬ、あどけない子供のそれであった。
いや、きっと端から見りゃあ――――俺たちとて、変わらなかったのかも知れぬ。

ぽん、と少年隊士の肩を叩いたあいつとてまだ、実際の齢は二十歳をやっと過ぎた程度であった。
考えてみれば、泣く子も黙る我らが鬼の副長ですら齢三十四、あの大貫禄の近藤局長とて、斬首されたはわずか三十五。講談話で巷を湧かせた大幹部や剣豪たちも、みな二十代半ばの青年であった。

つくづく、ただ一途に剣のみを恃みにした、向こう見ずであったよ。
自らの生き死になどを知るには、我らはあまりにも若すぎたのだ。

「川島せんせ」

手の中に隠すように笹の包みを大事そうに抱えて、小走りで戻ってきた。

「最後のひとつですた。やぁーや、残って良かった。さっ、食べましょや」

会津の皆様から分けてもらいましただ、などと言いながら、当然のように二人で分けようとばかり、目の前で包みを広げた。
新撰組の人斬り某じゃ、と言えば酒だの飯だの、すんなりと出てきただろうに、この人の良さそうな笑顔でぺこぺこと頭を下げながら、会津軍の小荷駄から分けてもらって、年少の者から順繰り配っておったのだろう。
恐らく、俺が自分の分の握り飯を下の者に回したのも察しつつ、つつが無いように、最後には俺にもきちんと飯があたるように斟酌してな。

「逃げろ、貴様」

もう、我慢がならなかった。
川島がこいつのへらへら顔を見るとき、時折、無性に苛立ちを覚えたのは、他人の事ばかりおもんばかるこいつの優しさが、たまらなくむず痒かったからだ。

「いい加減、こんなことにもう付き合うな。もう十分戦ったじゃねえか。さっさと辞めにして、女と生きろ」

それは、懇願に近かったかもしれない。
こいつが地獄の仏でも超人でもないことを、ただのひとりの男に過ぎぬことを、俺は知っている。
お前、言っていたじゃないか。武士の体面など関係ない、惚れた女にもう一度逢いたいだけなんだと。
どうすんだよ、そんな顔になっちまって。どの面下げて、女を迎えに行くんだ。
死ななくていい人間が死に狂うのを見るのは、もうたくさんだ。

「ひとりにしてはならない。ひとりで、戦わせてはならない。新撰組なら、誰もが知っている事です」

片っぽになってしまった震えるような長い睫毛を閉じて、ヤツは静かに首を振った。

「誠一字に、わしは誓いば申した。『死なぬ』と。けんどその為に節ば曲ぐるならば、誓いを果たしたとは言えねぇでしょう。誓いば果たさずして、自ら旗を折る事ば、でき申さぬ」

魂は左目に宿る、という心得が剣術にはある。
俗説みたいなものだが、こいつの残った左目は、正眼の構えの如くまっすぐ前を向いていた。
千両松では源三郎さんが死んだ。吉村さんも死んだ。
この戦場には、藤堂も原田も、沖田先生も永倉先生も居なかった。
近藤局長も、斬首された。
新撰組はもう、粉々になっちまったんだ。
だのに、みんなして舞台を降りちまったってのに、お前はまだ戦うというのかい。

「俺には帰る場所など無い」
「在る。あんたが死んだら、嘆く人が居る。死に場所は、捨て鉢になって求めるもんではねぇ」

目の前のなよっちい男が、急に頑とした骨太の男に思えた。
死ぬること、生くること、こいつは既に答えを出していたのかもしれない。

「川島さん。あんた結構、すぐ泣くなア。侍が軽々しく、涙など流してはなんねぇ」

憎まれ口も、すぼんでしもうたな。こいつの強い理由が、はっきりとわかったから。
退くな、と響いたやつの叫びを思い出す。
きっと人生ってやつも、そうなのかもしれない。決して退いちゃいけないところを、命を懸けるべき“死に場所”ってものを、しかと弁えたるのが男ってものだ。
倒れていたら、とどめを刺される。向かい風がどれほど理不尽に吹いても、立ち向かって前へ進んでいくしかないんだ。

最期の時がやってくる、その日まで。

お天道様が決めてしまったどうしようもない理不尽に、やつは全力で抗っていたんだな。
人智じゃどうにもならぬ巨大なものに、こいつは臆さず立ち向かった。気圧されてもぶっ潰されても、立ち上がって剣を振った。折られてたまるかと、挑み続けたのだ。

あのときの叫びは、こいつが胸に掲げ続けた誠一字そのものだったのだ。

矛盾だらけであるよ、こいつのやってきたことは。子供と遊んだり拾い猫を育てるのが趣味のようなくせして誰よりも人を斬り、銭金の為だと言いながら手前の為には一切使わず、自分のことしか考えておらぬと言いながら殿で戦い続けて、こんなところまで残ってしまった。
人間なんて所詮、落ち目の土壇場にならないと本当の姿はわからんものだ。こいつは馬鹿と呼びたくなるほど不器用で、呆れるほど損得勘定の出来ぬ男だった。

「……なあ、川島さん。このひでぇ戦争で死んじまった奴等が、この先の十年、三十年、遠い未来の、平和な時代を生きることが出来たとしたら……きっと、色んな事をやったんでしょうなぁ」

すかんと晴れた青空を仰ぎながら、やつはそんなことをつぶやいた。
お前の残った目に見えた未来は、どんな形をしている。きっと侍などは居ないだろう。身分の差はどうだろうな。
誰もが自由に生きられる、そんな世の中か?
誰が生きるべきかは、わかっていたよ。だが目の前の男を、押し留める言葉は、すでに俺はもたなんだ。

「貴様は、わがままだ。とんでもなく、わがままだぞ」

男として世の中の誰より筋の通ったことをしている人間に、こんなことしか言えない自分の生き方を、これほど恥じたことは、後にも先にも無かった。
やつは、困ったように頬を掻きながら、優し気に笑っていた気がする。


「――――――降れと申すか? 貴様」
「さに申してはおりませぬ。しかし会津に千万両のご恩を賜りし我ら、会津と運命を共にせぬものが一人もおらぬのは、忍びませぬ」

差し向かいの男は、大あぐらをかいて左手の杯を舐めている。
座っていても、並外れた大柄であることがわかる。六尺近くはあったというから、平均身長が五尺二寸程度のこの時代では、まさに大男だ。
生来の左利きであるがゆえ、作法通りに右脇に刀を置いているものの、ことこの男に限っては、なんの安全弁にもならない。

「それは降れという意味だ。会津はすでに降伏に傾いておる。土方は既に仙台を抜け、蝦夷へ渡る肚を固めた」
「それには、隊を割るべきでござる。脚の動かぬもの、剣を既に握れぬもの。蝦夷まで行ってもうひと戦など、おぼつきませぬわ」

副長・土方をなんら憚らず呼び捨てにする不遜、ぐいぐいと杯を干し、しかし呑むほどに据わる炯炯とした両眼。
一目で大幹部とわかる貫禄だが、その佇まいに世慣れた鷹揚さなどはまるでない。

抜き身の剣、そのもののような男だ。

「……いつもの、検討外れの気遣いか。たわけめ。死に場所を奪われたる者達が、恨みこそすれ、感謝などしようものかよ」
「既に百の命を奪い、千の怨みを買うたる我が身。今さら、生者の恨みなどなんとしましょう」

味方すら恐れさせるこの男とまともに正面から話すのは、幹部を除けば生々しく血ぐされた包帯で顔の右半分を覆った、この若者くらいのものであった。

遡ること五年、手の内すらまともに知らぬ百姓小僧であったこの若者が剣を学んだは、この男である。

それは手ほどき、という生ぬるいものではなく、まさにしごかれたというが適切な、苛烈な稽古ぶりであった。
男は相手が初心であろうがお構いなしに、ずばずばと打ち込んで毎度の如く血だるまにした。その立ち合いの中からなんとか男の太刀捌きを盗み取り、寝込んではまだ傷が癒えぬうちに稽古を申し込んで血だるまにされ、の繰り返しであった。
そもそも男の方には、モノを教えるなどというつもりは無かったのやもしれぬ。事実、隊内随一の達人でありながら、この男に剣を習ったというは、この若者を除いて一人も居らなかった。

「もとより、感謝が欲しいわけではござらん。新撰組は戦う集団。戦うために在る者達。戦えぬものを連れて往くわけには参らぬ。戦えぬのに戦わせろと駄々をこねるは、わがままというものにござりましょう」

それでもいつの間にか若者はこの男の剣を受け継ぎ、隊内屈指の歴戦の猛者として今日まで生き残ったのだから、端から奇妙には見えても、師弟としての間柄が二人には合ったのだろう。

「その手前勝手ぶりは、いつ聞いても腹立たしいが。そのはしにもかからぬ下らぬ話、わしに聞かせてなんとする」
「隊を割るには、指揮官が必要です。副長が北へ往かれるのであらば、それに相応しきはお一人をおいて、他におりません」

瞬間、左手に持った杯を投げつけた。怒りのまま杯は男の右顔面を覆う包帯にぶち当たり、派手に砕け散った。

「わしに、生きろてか。このたわけが」

包帯に新たな血が滲む。しかし左目は瞬きすらせず、炯炯と光る両眼を見据えていた。

「貴様ごときが、いっぱしの口を聞いて隊の方針を意見し、あまつさえ死に場所さえ、このわしに指図しようと言うのかね?」

荒々しい所作とうらはらに、声には全く苛立ちの類いが込められていない。それが、逆に余人を恐れさせたのだ。
まったく色を出さぬままに相手を斬り捨てる、神速の居合いを得意としたその男の剣風そのものであった。

「図に乗るなよ、小僧」

痩せた狼を思わす細身に、鬼が宿る。
修羅をも屠る鬼人の怒気だ。

「去ねや、百姓。この期に及んでこれ以上、犬も食わぬ同情か仏心でものを言うておるのなら――――」

斬る、と。斬るのきの字が出かかったその時。


「――この、日本の!」

右側に置いた太刀を手に取った瞬間、小僧の矢のような一声が男を射抜いた。

「この国の明日のために、この戦争でこれ以上、死なぬでもよい者達を死なすわけには参りませぬ」

童顔のわりに鋭いまなじりは、鬼に対して一歩も引かぬと言っていた気がする。

「新たな日本の担い手、たった一人でも多く、後の世に繋がねばいかぬのです!」

斬る、と思うたは、洒落や伊達ではなかった。新撰組で斬るぞと言って、やはり斬らぬという間抜けは居らぬ。
まして鬼の群れの中でも最も人斬りに躊躇の無い、この男であればなおさら。
世に稀なる左利きの剣士である男は、右側に太刀を置いたまま、即座に抜き打つ事が出来た。その居合一閃でもって何度となく暗殺を成功させてきた。
ゆえに、斬るの文字が頭に浮かんだ時点で、言うが早いか肉体は既に斬り捨てるつもりであった。
男の打ち気、すなわち、右手で鞘を取った斬るのきの字を捉えたのは、小僧の後の先の剣気である。
あれが言葉でなく刀であれば、左手で柄を抜き放ったが際、交錯の刹那に男の頸が飛んでいたはずだ。

『剣気を捉えよ、打つのうの字を打て。後の先とは、即ちそれじゃ』

木剣で血だるまにされながら食らい付いてくる、いつかの百姓小僧に、男が教えた唯一の居合いの極意であった。

「この、阿呆が」

――――この小僧が、最初で最後であろうわしから取った一本が、よもやこれほど、考え得る中で最も忌々しい形とはの。

「恨むぞ」
「申し訳、あいや……かたじけない。」

小僧の顔からフッと剣気が消えて、すがるような元のくしゃくしゃ顔に戻りおった。
いっぱしの志士めいた口をほざいた、凛としたまなざしも消え失せて、低身して深々と下げる小僧の頭を、よほど蹴り上けてやりたいと思うたわ。

「かたじけのう、ございまする。斎藤先生」

武士が平伏するな、首打たれるがごとく頭を垂れるな。
何度言うても、この小僧の悪癖は直らなんだ。
今たびとて、互いに剣気をぶつけ合った相手を前に目を切り、あまつさえ首を差し出すなど。

武士の気構えに欠くるわ、この、たわけが。

そういってもどうせ聞かぬであろうから、やはりこいつは百姓小僧なのじゃと、斎藤は思うことにした。
どうにもならぬ、事であるから。
しようがないわ。

恨むぞ、小僧。

――――新撰組撃剣師範・山口二郎は、「会津を見捨てるは誠義に非ず」と会津での抗戦を主張し、北方へのさらなる転戦を決意した土方歳三と決別。本隊が降伏した後も七日余り戦い抜き、最後は会津中将・容保の使者の説得に従い、会津藩士として投降した。
山口二郎と共に投降した者たちは、全員が命を保証された。
その後、山口は藤田五郎と改名、明治政府警視庁に所属し西南戦争などで活躍した後、大正の新時代まで生き抜き、七十二年の大往生を遂げた。
後年、藤田は剣術草談や西南戦争での逸話を後進によく話したとされるが、戊辰の戦については一切語ることはなかったという。

かつての名は、新選組三番隊組長・斎藤一。
弟子や流名は、伝えられていない。


◇◇◇◇

「あんっ……! だめ、ですよぉっ……プロデューサーのドSぅ……」
「……なんの夢見てるのか知りませんが、起きたらすっぱり忘れていてくださいね」

悩ましげな声をあげる隣を見遣れば、陽射しに包まれながら気持ち良さそうに寝息を立てている。
おちょこをミネラルウォーターのペットボトルに持ち替え、寝起きに飲んだ頭痛薬がようやく効いてきたと見えて、ガンガンと頭を締め付ける不快な痛みはだいぶ和らいでいた。
あれだけしこたま呑んで、電車の固い座椅子でうたた寝すれば、そりゃ頭も痛くなろうってものだが。
隣の美女は、僕の1.5倍は呑んでけろっとしていたものだ。この細い体に、どうやったらあれだけの酒が入るんだろう。

「いやっ、立ったままなんてぇっ……ふふっ、そんなに私を、辱めたいんですか……」
「いやにはっきりした寝言なのか、狸寝入りなのか……」

どっちもいかにもやりそうであるからこの人は読めないんだが。

「ふふっ、焼酎は……しょっちゅう……くう……」

あ、大丈夫だ、コレは寝ている。

「…………」

この人は時々、生身の人だと思ないほど美しい。
この横顔に、この国の一億人が恋をするんだ。男も女も、この人の互い違いの瞳に、“こいかぜ”を歌う声に、くぎ付けになる。
それは確かに、ある意味で人を超えている。“女神”とかってのは、案外、洒落じゃないかも。
そんな彼女の隣に居るのが自分であることに、疑問を覚えたことは、僕は一度もなかった。
『貴方に逢えて良かった』と、貴女は言う。

「……僕は、貴女に逢えてから、人生が楽しくなりましたよ」

貴女の名を、呼ぶのが好きです。貴女が笑っているのが、僕はうれしい。
僕という男は多分、案外空っぽな、中身のない人間なんでしょう。
貴女が輝けるのなら、幸せになれるのなら、別に他には、何も要らないから。
僕の中には、すっぽりとそのまま、貴女がいる。
僕の人生は、貴女ひとりの為のものでいいから。そのことに、特に疑問は湧かないから。

「……酔っぱらってんだなあ、俺」

ミネラルウォーターを一気にあおると、ジャボン、と音を立てた。
既に温くなりかけている水を喉奥めがけ、流し込む。
……そんな風に想える人に出会える人生が、きっと何度あることだろう。

「……僕は、貴女に会えて、貴女のために生きられて、それだけでけっこう、幸せですよ。感謝してもしきれません。ありがとう、ございます。」

貴女が[ピーーー]というのなら、真っ先に命を捨ててもいいと思える。
だから、貴女が寂しいのなら貴女の傍に居るし、貴女が要らないのなら僕は消えます。
貴女に救われているのは、どう考えても僕の方ですわ。
我ながら、幸せなこったと思いますよ。それ以外に、考えなきゃいけないことはなにもないのだから。

「そういう事は、起きてるときに言わなきゃダメですよ。」

ギクッとした。
左右で違う碧い眼は、ふたつともばっちり開いていた。


「かえっ」

俺の言葉よりも、早かったろうか。
椅子についていた右手を、パッと上から被せるように押さえて、睫毛の節がわかるくらい近く、クイッ、と、楓さんが顔を寄せた。

「……っ」

クラっとするような、良い香り。
真剣な目が、僕を見つめてくる。
目をそらすことも、ごまかすことも許さない。そう言っていた。

「……その」
「プロデューサー、私、あなたに嘘ついたこと、ありません」
「いっ、いま狸寝入りしてたじゃ」
「それは、あなたが勝手に勘違いしただけです。ずっとあなたの言葉を聞いてました。」
「んなっ……」
「私、嘘ついたこと、ありませんよ」

じっ……と見つめられる。
なぜか、ラグドールを思い出した。
小さな顔に、こぼれ落ちそうなほど大きな、きらきらの瞳。

「……ええい、貴女に逢えて、良かったなぁって思ってたんです」

もう照れ臭いので、勢いで言ってしまおう。
そう思ったら、少し声が荒くなってしまった。

「だから……ありがとう、って思ってます。まあ……幸せ……です……」

すぼみながら、どうにか最後まで言い切った。


「続きは?」
「!? つ、続きはって」
「そこまで想って下さるなら、その先があるはずです。私に逢えて、幸せで、それで、あなたはどうしたいんです?」

重ねられた手が、きゅっと結ばれた。
楓さんのひんやりした手が、少し汗ばんでる。

「プロデューサー」
「は、はい」
「唇。ごはんつぶ付いてます」
「えっ……」

魅惑のつまった唇が、震えるのが見えた。
左手には、ペットボトルを握っていたから。
僕に逃げ場はない。
あっ、と思ったとき、時間が、音が、一瞬止まった。

『――――次は、終点、和歌山です。大変長らく、お疲れ様でございました。ご乗車の皆様は、お忘れもののなきよう……』

「……ん、やっと着きましたね、プロデューサー。長旅で体もガチガチになっちゃいましたし……温泉でスパッとコリをほぐしましょうか♪」

再び、焦点の合った楓さんの駄洒落が耳に入ってきたとき、ようやく僕は、自分の息が止まっていたのに気づいた。
右手の熱がふっと離れて、楓さんがいそいそと手櫛で髪を直す。
僕の手は、自然と自らの唇に触れていた。

「………べーっ……♪」

酒なんか、きっととっくに抜けてる楓さんの頬が、ほんのり紅い。
我知らぬ顔で荷物を整理しながら、チラリと、恐らく誰も見たことの無いようないたずらっ子の顔で、ちろっと舌を出して、はにかんだ。

「……嘘つきめぇ……」

口許を隠しながら、絞り出すように僕は言うしかなかった。

唇にご飯粒なんて、ついてるわきゃあない。
楓さんが作って来てくれたお弁当は、サンドイッチだったから。

申し訳ござりませぬ。思いのほか長くなったのとこれから家を出なければいないので、今夜はここまでとさせて頂きます。
既に三分の二から四分の三くらいの更新は消化しておりますので、週末には完結できるかと思います。
よろしければ、最後までお付き合い頂けると幸いです。

貴女が[ピーーー]というのなら、



貴女がそうしろというのなら、

とお読み替え下さい、たびたびすいません

トイレのドアノブがぶっ壊れましたが、なんとか帰ってきました。
出勤まで少し時間があるので、再開します。

◆◆◆◆

戦うと決めれば、あんがい、生き延びるもんじゃのう。
あっちへ行っても敵、こっちへ行っても敵。日ごとにわしらの居場所は少なくなり、海峡の向こうの最果ての土地まで追いやられて、それでもまだ生きとる。
生きようと思う。大したもんだのう。
だども、そろそろこの国に、わしらの生きれる場所が無くなるな。
来るべきものが、来る。

戦いの火ぶたは、沖からつるべ撃ちに降らされたカノン砲の艦砲射撃じゃった。
霧の立ち込める箱館湾にやがて姿を現したる、びっしりとわしらを包囲した、旗、旗、旗。
ご天朝様の菊章旗をど真ん中に、長州、薩摩、佐賀に土佐。中津に、岩国……西国だけじゃねえ、関東は新発田、忍、上田に飯山。東北は三春、米沢、津軽も。
徳川ご譜代は水戸に尾張に彦根に……ふっ、紀州もおったか。
すンげえもんさな、こりゃあ。この国にまつわるありとあらゆるすべてが、わしらの敵になった。
喧嘩屋・土方副長の真骨頂じゃな。日本まるごと向こうに回して、一世一代の大喧嘩じゃ。
土方さんの、声が聞こえる。

――――新撰組副長、土方歳三!!
遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ。誠一字を背に掲げ、蝦夷の果てまで戦い抜きし、我ら精忠国士なり。
衆を恃んでここまで圧してきた貴公らとは、覚悟の嵩が違い申す。
――――さあッ、死にてえヤツからかかってきやがれッ

姿は見えねぇ。この弁天台場の土けぶりと砲撃の轟音じゃ、聞こえる筈はねえ。
けんど、聞こえる。馬上で高らかに叫び、戦場を駆け抜ける鬼の副長の大音声が。

そうよ、新撰組さ。きっとわしらほど戦って戦って、戦い尽くしたやつらも居らんだろうさ。
京の四辻を朱に染めて、甲州、宇都宮、会津、仙台、そして箱館……この国の戦場という戦場が尽きるまで戦い続けた、わしらの名は、新撰組じゃ。

黒い霧を成して、弾丸の幕が降ってくる。地獄の扉が開いとる。
閉じたまんまの右目の奥が、暖けえ。

――――俺ァ、この眼は、あんがい気に入ってんのさ。

俺にゃあ、土方さんのごたる、かっこええ生き方は、とてもできね。
俺の誠は、ちっぽけさ。そのちっぽけな誠ば、砕かれまいとするが、俺の士道よ。
おまんは俺に、生きろというた。誓いじゃから、俺は最期まで、その通りに生きる。
俺の手紙、ちゃんと届いたかな。
あそこに書いてあることが、俺のすべてで、おまんへの、本音じゃ。
嘘偽りは、ねえよ。俺はおまんに、嘘ば吐いたことはねえ。
どうか、生きてくれ。
どうか、幸せになれ、楓。


――――その二月の日付の手紙と供に、突拍子も無い千両箱が届けられた時、鯉風太夫はすべてを悟った。
これもまた、唐突な大金の詰まった麻袋の前で、あの気丈な瑞樹天神が泣き崩れる姿、傍らで手紙を持ったまま困り果てるお禿のこずえの様が、すべてを物語っていたから。

「こずえ」

鯉風太夫はこずえの隣にしゃがんで目線の高さを合わせ、こずえに優しげに語った。

「お手伝い、きちんとしてくれておおきにな。瑞樹天神はこったいが面倒みやんすから、こずえはお部屋に戻りなんし。」

瑞樹天神の見たことも無い状態におろおろとしていたこずえが、その言葉で、返事もなくこくりと頷き、たたたっと朱の廊下を走り去った。

「……みずき姉さま」

鯉風太夫が瑞樹天神の肩に掌を乗せると、瑞樹天神はわっと鯉風太夫に抱き着いた。

「お命代や、かえちゃん」

瑞樹天神の体温を感じながら、鯉風太夫の胸に氷の棘が刺さった感触がした。
忍び寄るように早まる鼓動を感じながら、鯉風太夫は、瑞樹天神を宥めるように髪をなでる。

「川島はんが、往ってしもうた。うっとこがなんぼ呼んでも振り返ってくれんところに、もう二度と帰って来てくれんところに、往ってしもうた。」

身を引き裂くような、瑞樹天神の声だった。
その声を耳元で受け止めながら、鯉風太夫は幼子をあやすように、現実感の無い心地で、瑞樹天神の背中をなで続けた。


『――――楓へ。

それがしは君も既知の通り、百姓の出自ゆえ、手紙の作法も知らぬが、許せ。
さて、江戸へ帰参して折、ご公儀の務めを果たすべく幕府より五千両、大阪商人組合十家より四千両の矢銭が新撰組改め甲陽鎮撫隊へ付け届けられ、我ら隊士一同も過分なるご厚志を頂戴致したもの。
然れども、戦場にあっては金銭の使いようは無く、また君も既知の通り、それがしは天涯孤独の身の上ゆえ、洛中御勤めの頃よりの貯えとまとめて、とまれ君に送金するもの。』

そったな言葉で始まる、おまえ様のお手紙を、果たしてどのように受け止めたらよいものやら。
まずもって、とまれ、などという金額ではございませぬでしょう。
大の妓夫さん四人がかりでようやく運びましたれば、千両箱にぎっしり、それにおさまり切らず、さらに八十両余りもの大枚。

一体どないにして、こったな大金をこさえたんどすか。

……鳥羽伏見での戦も、上野の戦も甲州の顛末も、この京が島原にあっては、すべて聞き及んでありんす。
ですから、ほんとは全部、わかっとりやんす。みずきの姉さまが泣き崩れにならはった理由も、こったな場違いな大金が今頃に届く意味も。

そのひでえお戦の真っただ中に、おまえ様は居るのですから。

けんどねえ……ひょんたな事ではありんすが、ふわっふわと、なにやら地に足の着いた心地がせぬのです。
この字は、百篇でも見返した、おまえ様から頂戴したいくつものお手紙と全くおんなし、みみずののたくったような拙な書きゆえ、わっちが見紛うはずもありんせん。
けんど、なにやら頭が呆けてしまったように、これがまことにうつつの事でありやんすのか、ようわからんのですえ。


『千両箱を持って君を迎えにいくとの約束を違え、あい済まぬ。しかし、半分は叶えたということで、何卒、了見せよ。

君の年季を明けさせるには、どうにか足りる金額であると思う。この金でもって、これはと思う者と、一緒になって欲しい。
それがしは七生報国の志を以て、国難に殉ずるものなり。
君の晴れ姿を生きて見られぬのは残念なり。この手紙が届く頃には、それがしの身は果て、既に護国の鬼なり。生きて帰る事は無し。
それがしの事は君の門出の障りである。この手紙を確認したら、どうか、それがしの事はすべて忘れよ。
錦旗に弓引きし逆賊に、覚えがあること、まかりならぬ。
それがしの恐れは、唯、君が嘆くことなり。
どうか、涙は堪えたまえ。君がそれがしのために嘆くことは、何一つなかるべし。

それがしは、幸せであった。ありがとう。

君をいつか幸福にさしたいと思いつつ、その機会が遂に無き事は、甚だ残念であるも、君の残像を映したまま死に臨めるは、この上なき僥倖に候。
それがしは唯、君がこれより後、幸福な暮らしをしてくれれば、どのような方法であれ、それが本懐である。
君の花嫁道中を、鬼籍より参り侍従となりて見守り申す。どうか、生涯君と添い遂げられる立派な婿殿を取られ、達者に暮らせ。
ゆめゆめ、過去にこだわること、無かるべし。どうか笑って、暮らし給う。

追伸。
戦場はしんどいが、意外に楽しい。心配するな。
酒も飯も出る。焼酎は、色々しょっちゅう、使い申す。

追伸の追伸。
おまんのうたが、すきだ。
ずっとうたっていて呉れ。』


「……零点、ですね」

へたくそな字、めちゃくちゃなつづり。
胸に抱き締めた、くしゃくしゃになるのも構わず。
きっと、わっちを笑かそうと思って考えたでありましょう駄洒落は、こん時ばっかりは、まったく落第でありんす。

「ぜんぜん……笑え、ま、せっ……」

おまえ様のぬくもり、手紙のふちっぺらに残っておらぬものかと思いましたが、胸に押し当てても、巡るのはわっちの虚しさだけであんした。
嘘ばっかりの手紙どす。おまえさまは、あの世も来世も信じねえと言っていたではねのすか。

こったなもの、信じたくないよ。

わっちはただ、おまえ様に幸せになってほしいだけ。逢いたいとか、夫婦にしてほしいとか、そったな贅沢は申しませぬ。
なんして、それだけの願いがこの両手から滑り落ちていくのでしょう。
この妖瞳の忌み子には、そればかりも許されませぬか。
ご神仏様。もし居られるのでしたら、どうかなにもかも、わっちからお取り上げにならないでくださいませ。

「うっ……ううーっ……!」

獣みたいな掠れっ声が、喉の奥から漏れあんす。
もう、何をどうすれば良いのか、わかりんせん。
こんなにつらいのなら、いっそ、消えて無くなってしまえば良いのかな。


『おまんのうたが、すきだ。』

最後にとって付け加えたような、この走り書きが、きっとただひとつの、おまえ様の本心ではありませぬか。

――――それなら、それでようござんす。わっちはこの身が朽ちるまで、うたを歌いて、すごしやんす。
いつの日か、おまえさまに届くでしょう。

こったな手紙は、信じられませぬ。楓は、お前様とのお約束をば、信じております。
お前様の居らぬ天の下を、楓は生きようとは思いませぬゆえ。
たとえ気ぶれと呼ばれましょうとも、歌い抜いて見せましょう。
それが手前勝手な運命さだめへの、楓の意地でございあんす。
百年経って皴干からびても、歌っておりやんす。七度生まれ変わりて姿かたちば変わりましても、歌っておりやんす。
声さえ聞こえれば、きっと童の時分のように、飛んできてくださいますね。

あの頃の、故郷の川で、きっと。

笑顔でおりやす。ずっと歌っておりやんす。ですから、早く見つけてくんなんし。
お前様、おまえ様、おまえさま。
ねえ、おはやく。どうかどうかどうか

どうか。

◇◇◇◇

「――――この石段は……明治維新の後、鎮魂の意味を込めて、士族となった元お侍さんが積み上げたそうです。侍神社という名前の由来だそうです、全部で、二百段近くあるそうですよ。」

果てしない石段をくるむような背の高い木々がひんやりとした空気を冷やし、月光のような木漏れ陽が、森と岩肌を、碧く照らす。
先ほど通った赤い鳥居は、俗世と神域の境目だそうだ。
そう聞けばなるほど、この雰囲気は清浄で、幻想的で、何か別の世界に、ふっと迷い込んだような気にもさせる。
まさに俗世から離れた坂。神域に至る道。
――――しかし、すいません。

「そう……ですか……そりゃ……ハアッ……気合、入って、ますね……」
「ふふっ、プロデューサー、頑張って♪」

この運動不足のアラサーは、この空気感に浸る間もなく神域に召されそうです。やべえ。

「ぐぬっ……ふんっ……情け、ねえ……」

少し先を見れば、僕の太腿くらいのウエストしかない細身で、楓さんはひょいひょい笑顔で石段を昇っていく。
歯を食いしばってる僕に対して、余裕しゃくしゃくって感じだ。
元々それなりに体力に自信があった方だが、普段からハードなステージをこなしている現役アイドルに水を開けられ、現状をありありと思い知らされる。

「さっ……プロデューサー、頂上ですよっ」

二段飛ばし位の勢いで、タタンッと軽やかに駆け上り、振り返って両腕を僕に伸ばした。
楓さんの背に、森が開けて白い光がまぶしく、まるで後光のようだ。

太陽光の中で、楓さんが穏やかに微笑んでる。

――この人の隣を歩くには……まずは体力、作り直さなきゃな。
そう思いつつ、右手を伸ばすと、楓さんの華奢な両手が優しく僕の手を包み、引き揚げてくれた。

「へえ、頂上は結構、広いんですね」

境内は、ちょっとした広場のようになっていて、僕たち以外にもまばらな参拝客の姿が見て取れた。
高い場所にあるから、街の様子が見て取れる。

――――ああ、あの下の方にあるのが、本来の目的の温泉か。
隠れ温泉っていうからもっと原野の只中にあるようなのを想像してたけど、こじんまりした旅館みたいなのも併設されてて、その気になれば泊まることもできそうだな。
と、滴る汗を拭いながら、物見遊山気分であたりを見回しつつ、中央にででんとある本殿に向かおうとすると、楓さんが居ない。

「楓さん?」

きょろきょろと探すと、少し離れた隅っこのほうにしゃがみ込んでいた。

「――――あ、ごめんなさい、プロデューサー。お参りをしてました。」

見れば、スクリと立ち上がった楓さんの膝元に、小さな祠がある。
紙垂が掛かっているだけの、陰になって長らく忘れ去られてしまっているような、控えめな祠だった。

「ここに来ると一応、本殿へご挨拶する前に、お参りさせて頂いているんです。大きく目立つ社稷は皆さんがお参りしますけれど……こういうところは、気を付けていないとあまり人が来ないから……」
「ああ、わかります。僕も境内の中にある小さなお稲荷さんまで全部、お参りして回っちゃう派です」

小さく目立たなくても、祀られてる以上、ご神仏ですからね。
目立つところだけお参りしてあとはおざなりってのも、なんか不義理だし。
その辺の感覚は、わかるような気がします。

「おや、その社に番いで参られる方は、珍しいねえ」

楓さんに倣って祠に手を合わせていると、巫女装束のお婆さんに声をかけられた。

「ここはな。今でこそ高台じゃが、元々は川辺だったんじゃて。明治に入ってからの街区開発でこったな風になったらしいがの。この社は、この地にまつわる、とある悲恋のふたりを祀っておる。」

神社の人かな、と思ったが、はて。
社務所は近くに無いし、一体どこにいたんだろ、このお婆さん。

「むかし、鯉風太夫という花魁がおったそうな。吉野大夫の生まれ変わりとも言われた、それは艶やかで美しい花魁であったらしい。」



――――この辺りは、昔は貧しい村での。幼かった太夫は飢饉の口減らしの為に、島原に売られたそうな。
太夫には好いた男がおった。男は人買いに手を引かれ、連れ行かれる太夫に言うた。

『わしは剣を磨く、おまんは芸を磨け、互いに天下に名が轟いたら、必ず迎えば行って、おまんを連れてこの村さ帰って、共に暮らそう』

やがて太夫は花街随一とも呼ばれる花魁となり、男もまた、剣で名乗りを上げ、上洛を果たしたそうな。
男は勲を積み、ついに太夫を身請け出来ようというところまで来た。じゃが、ある戦に出て、二度と帰ってはこんかった。
太夫は男に焦がれるあまり、気がふれてしもうた。
年季が明け、自由の身となっても芸の稽古を辞めず、諸国を彷徨ったという。歌っておれば、いつか男が迎えに来る……と言うての。

結局、二度と出逢うことは出来んかったそうな。


「……村の者はそんな太夫を憐れみ、いつか後の世に、二人の魂が再び巡り合えるようにと、二人の生まれたこの地に社を建てたということだよ。」

語り終えた後、お婆さんは曲がった腰をよいしょと伸ばすように、楓さんの事を仰ぎ見た。

「お嬢ちゃんも、溜息が出るほど綺麗やねえ。なんとかっちゅう芸能人に似とる。なんと言うたかな、えーっ……」

少しぎくっとした。一応、変装はしてもらっているんだが。
お婆さんは眉間に皴を寄せ、えーっ……と思慮していたが、結局、思い浮かばなかったのか、答えは言わず、言葉を続けた。

「きっと伝説の鯉風大夫も、お嬢ちゃんのような別嬪だったんやろうなあ。気を付けなさいよ。美人は薄幸の相ともいう。その傍らの佳い人に、きちんと守ってもらいんさいな」

お婆さんの深い色の瞳に見つめられた気がして、思わず気を付けした。
一筋の強い風が吹いた。とっさに目を伏せた間に、お婆さんはもう、いなくなっていた。
祠は、静かに風を受けているだけであった。

「なんというか……切ないお話でしたね。逢えてたら良いですね、その二人……楓さん?」

歩みを進めようとしたら、隣に居なくて。
振り返ると、楓さんは、まだその場にいて。

「プロデューサー」

胸に片手を湛えた楓さんが、言う。

「聞いてほしい、言葉があります。」

きらきらの、まっすぐな瞳だった。

「プロデューサー、今まで、ありがとうございました。」

週末には完結できるといったな、すまない、あれは嘘だ。
あと一息ですが、仕事行ってきます。
今日の夜か明日には完結させます。

お待たせしました。
やっとこ完結です。
みなさん、レスありがとうございます。過去作などについては後程。


その束の間だけ、世界は間違いなく、私と彼のふたりきりだった。

「あ……それと、これからもよろしくお願いします。」

続きを告げると、一瞬、凍り付いた顔から、ホッとした血の気が戻る。

少しだけ背の低い、年上の可愛い人。

もし、私が続きを告げるのを噤んでいたとしたら、この人は口の中を噛み締めながら受け入れるでしょう。なんでもない風な表情をして。
そうした後は、私の瞳に決して映らないところから、最期まで私を見守り続けてくれるのでしょう。

貴方は、そういう人です。他人の為に、自分がいくら傷ついても犠牲になっても構わない人。
私との別れを、たとえ予感であっても、惜しんでくれる人。
優しくて、不器用な人。離したくない人。ずっと隣で歩んでほしい人。

「私は……自分が人に好かれるようになれるなんて、思えたことはありませんでした。怖くて。きっと嫌われてしまうと、人を遠ざけました。
 そうやって生きてきました。貴方に、この歌を見つけてもらうまでは。」

私は貴方より、ずるくて自分勝手です。
なぜ、そう思うのかは、わかりません。わかる必要も、きっとありません。
私は、只、どうしようもなく。

「人との手の繋ぎ方は、自分を信じる気持ちは、あなたが教えてくれたものです。」

笑い方を教わりました。想いの伝え方を教わりました。人の暖かさを教わりました。
シンデレラの坂道を登る度に、貴方は隣で、私にすべてをくれました。

「ありがとう、ここまで連れてきてくれて。一緒に歩いてくれて」

生きる事に、希望はあるという事。
誰かを、好きになるという事。
それは、とても素敵なことだという事。
私の半分は、きっと貴方で出来ています。

「……聴いて頂けますか。貴方に、聴いて欲しいんです。」

私の生き方は、貴方に頂きました。
この歌声は、貴方のものです。

――――私の歌を、すべてを。

貴方に差し上げます。

ですから、どうか私と――――

――――その一瞬だけ、この世界は間違いなく、僕と彼女のふたりきりになった。

颯に乗って、どこまでも、遠く。

“こいかぜ”が、響く。



◆◆◆◆

――――蝦夷の颯に、おまんの歌が聴こえてきよる。


不思議じゃのう。
そんなわけがないのに、そんな気がしたよ。


蝦夷の空は、大きかねえ。この唸る大自然の雄大さは、実際に津軽海峡を越えた者じゃなけりゃ、わっかんねえじゃろうなあ。

すべてを覆うようなぽっかぽかの日差しに、冷たさを残す涼やかな春風にばくるまれて、もはや大の字に横たわりお迎えを待つ他ない俺に、その綺麗な声、届けに来てくれたか。

さすが、天下一の芸者じゃ。日ノ本全土を飛び越えて、この蝦夷地の俺の耳にも、ちゃんと届いた。
俺の方からも出向きてえのは山々だが――――歩くべき二本の足が、どっかに吹っ飛んじまって見当たらねえ。
這っていこうにも腸がしこたま飛び出てしまってるけ、とっても京が島原までは辿り着けんね。
尤も、こったな隻顔では、もはや逢いに来られたとて、おまんの方が困るじゃろうから、やっぱりこのまんまで、何卒、了見してつかァさい。

科学の力とは、恐ろしいもんじゃ。
さしもの新撰組の血刀も、あのカノン砲やらガトリングやらの砲火に晒されちゃア、ひとたまりもねえ。
人間の体などほれ、この通り一瞬でバラバラにしてしまう。
黒鉄の兵器は、今後も大勢の人間を屠るじゃろう。引き金を弾く者は、感情も無く、手に消えゆく命の感触も覚えぬまま、科学の進歩と同じ速度で殺戮の桁数を増やすじゃろうな。

それはもはや、人が人を斬るのではね。人の意思を離れるほどに大仰になり過ぎた絡繰り仕掛けが、仕組みに則って牛馬を屠るが如く、人を殺すのさ。

そったなもの、もはや人智であって人智ならざるものじゃ。人の手には、終いにゃ負えんくなるじゃろ。
嫌ァな時代だね、そんなの。
向井、お主には何卒、長生きしてもらいてえが、そったな惨い時代には巡り合わせぬようにと、草葉の陰ながら祈っておるぜよ。


弁天台場は、どうなったかな。島田さんは生き残っておられるかな。もしそうならば良いが。
島田魁は見てくれはおっかねえけど、誠実と正直が服着ておるような、硬骨潔白の士であるから。
降伏にせよ続戦にせよ、あん人に付いていけば、まんず間違いはねえ。

斎藤先生には、申し訳ない事をしてしもうた。あの人は骨の髄まで新撰組じゃから、きっと最後の最後まで、とことん戦い抜きたかったに違いねえ。
だども、新撰組に白虎隊のごとき悲劇の道を歩ませぬ為には、斎藤先生に隊士のお仲間を率いてもらうほかなかったゆえ。
まさしく、先生の仰る所の見当外れの気遣いで、先生のご本懐ば、奪うことになってしまいあんした。
いつか彼岸で詫びまするゆえ、何卒、お許しくだんせえ。

川島さん、あんたも俺が蝦夷に渡ったこと、きっと怒るじゃろうが、あんたは俺の考えたること、わかってくれていたと思う。
俺は、副長をひとりで往かせることは、どうしても出来んかったのさ。


ひとりにしてはならない。ひとりで、戦わせてはならない。

集団で斬れ。
新撰組に入隊したら、誰もが一番最初に叩き込まれた事じゃ。

一対一なら分が悪くとも、二対一なら十中八九、三対一ならまず負けない。故に仲間を絶対にひとりにしてはならんのが新撰組の鉄則じゃった。
卑怯というかも知れねえ。けんど俺らは勝ち続けて、戦い続けねばならなかった。
どこまでも戦うのが、新撰組であったから。
それが、戦術の鬼才・土方歳三が、年端もいかぬ素人小僧であった俺らが生き残るために、何はなくとも死守させた決まりだったんじゃ。

そしてその通り、生き長らえた。
ならば、その教えば授かった張本人を、どうして一人にすることが出来よう。

箱館に渡った京以来の隊士は二十人余りはおったけども、試衛館以来の生え抜きという意味では、土方さんただひとりじゃ。
近藤局長、沖田先生、永倉先生、山南総長、井上さんに原田さんに藤堂さん。土方歳三が背中を託した竹馬の仲間は、誰一人居らんくなってしもうた。
唯一の斎藤先生とは、俺の無理難題のせいで会津で袂を別つことになってしもうた。

それでもなお、誠の旗が折れぬ限りは、たったひとりになっても戦い抜くと決めた、最後の侍を。
誰もが目ば伏せて、膝を折っちまいたくなるような土壇場で、日ノ本ぜんぶを向こうに回して、俺が新撰組だと啖呵切ってのけた、あの格好良い男を。
ひとりでいかせることなんて、出来なかったのさ。

――――俺には、あの人がごたる、格好良い生き方は、とても出来ね。俺の誠は、ちっぽけだから。
俺は、惚れた女に格好つけたかっただけだからよ。



こうして目ば瞑ると――――いつもそこに、おまんが居るんじゃ。
一人の夜も、おまんに逢えぬ日々も、なんにも不安は無かった。眠る前には、目の奥の裏側に、いつもおまんの姿があった。

ゆえに、この隻顔も、俺にとっちゃあ案外、悪かないんじゃぜ。

薩長の砲弾に面ごと右目ば持っていかれて、二度と眼が開かなくなってからは、この右目の奥には、いつもおまんが居たのよ。
地獄のごたる戦場でも、剣林弾嵐のあめあられでも、俺にだけ見えるおまんが、常に一緒に居てくれた。

幻さ。けんど、それが、どれほど心強かったことか。


どんな地の上に居ても、お天道様だけは変わらず、優しいやね。もはや死にかけておるというのに、ぽっかぽかと、ええ気持ちじゃ。
優しいお天道様の光に包まれながら、右目の奥でおまんが笑っている。
ここは極楽浄土かな。

いんや、俺はやはり、地獄にしかいけんね。

こんなけ痛い思いばして、死んでなお針の山さ登ったり血の池で溺れにゃならんと思うたらちっくとおっくうじゃが、しょんないの。
俺が斬った者たちにも、家族は居たろう。歳食った父母。女房に幼子。
俺だけが好いた女に逢いたいがために、人を斬っていい理由にはなんねえ。
手前勝手の理屈で何十という人間を殺め、ひとり極楽に行けるなどとは、思うてはおらぬ。

斬った者の顔は、忘れた。数は一桁の頃に、数えるのをやめた。恐ろしかったからな。
あったな恐ろしいもの、忘れずあまねく覚えておったら、俺はとっくに、気ぶれであろうさ。
俺は紛れもなく、人斬りであるよ。人斬りが人斬りたることの恐ろしさを身をもって知る、恐らくは最後の世代になろうな。

故に、俺がごたる男と、おまんが一緒になるなどということは、絶対にあってはならんのさ。
俺は、臆病な小物じゃけ。何もかもうっちゃらかして、よっぽどおまんをさらって、誰も知らぬところで二人で暮らしてえと思ったかわからん。
けんど、新撰組なんて、薩長ばらにとっちゃ兇状持ちと同じじゃ。しらみつぶしに探し出して、地の果てまで追い詰めるだろうさ、この箱館の戦なんて、まさにその縮図じゃないか。

そったな俺となど一緒になってしもうたら、一生追われの身となってしまう。安穏とした幸せとは、程遠い。
もし俺が斃れれば、残されたおまんはどうなる、もしも、ややが居ればその子はどうなる。

嫌じゃ。それだけは。


なあ、楓。ひとつだけ、言うておかねばならん事がある。
おまんは一度だけ、己が俺の労苦の大元であるかのように言うたが、それは断じて違う。
おまんは、俺たちの生まれた故郷の事、覚えているじゃろうか。

ひもじかったよな。ひもじくて、貧しかった。
毎年のように娘は売りに出され、乳飲み子は冬を越せず亡くなった。飢えに耐え兼ねて自らの子を食ろうてしまう親もあった。
父母には牛馬のごたるこき使われ、いつも罵られ、殴られた。
食い扶持が増えたるのも、稼ぎが少ないのも、父が大病を患ってコロッと寝たきりになってしまったがも、母が得体の知れん与太者と懇ろになった挙げ句、薬で身を持ち崩したばも、俺のせいじゃった。

おまんが居るからあかんのや、無駄飯を食うて役に立たんガキじゃからあかんのや、とな。

しまいにゃ、父が博打で銭をスったも、母がたんすに小指さぶつけたのも、気に食わない事はとにかく、俺のせいにしとけという具合じゃった。
きっと、そったな思いをしたは、俺ばかりではね。あの時代の寒村さ生まれた者らは、みんなおんなし思いを味わっておった。
世の中が悪くなりゃあ、溜まってゆく呪詛の淀みは、力の無え者たちが引き受けさせられるのす。

俺らは皆、こったな酷ぇ時代に生まれた、みなし児でござんした。

誰が悪いわけでもねえ、貧乏が悪かったんじゃて、しょんないわ。
したけど、たまらんよなあ。せっかく生まれて来たのに、天地の狭間に俺たちの生きてても良い場所は無かったんじゃ。


行き場のない俺が、あの故郷の川で途方に暮れておると、おまんはどこからともなく近くに寄って来て、歌を口ずさんだな。
何者じゃと俺が振り返ると、おまんは兎のようにサッと身を隠してしもうた。こっちを向けと言うたら顔ば伏せて、そのきらきらの瞳を、中々見せてはくれねかったな。
最初の一言を交わすまで、ずいぶん、時間が要ったよな。

人見知り――いや。おまんはきっと、人が怖かったんじゃ。

人から優しくしてもろうた事など、無かったものな。俺らをひり出した父母もまた、俺らを要らぬと責めたのだもの。
そったなおまんが、なして俺の近くをちょろちょろと参ったのか、今はわかる。
おまんは、俺の事ば、励まそうとしてくれてたのじゃろ。ひとりで寂しそうにしちょる俺の為に、歌ってくれていたのじゃろう。

俺は男じゃから。そん事に気付いても、まるで己が哀れまれているような気がして、素直にそうとは言えんかったけど。
おまんの歌を聴きたいが為に、俺は一日を生きられたのじゃぜ。


櫻井様との見合い話が持ち上がったとき、土方さんに俺は、こう言われたことがある。

櫻井家の婿に入れば行く末は大旦那様だ、そっから好きな女でもなんでも、妾に迎えりゃよろしかろう、とな。

俺はたぶん、はじめて副長のお下知ば、反故にした。
理屈ではそうすべきなのはわかっていたよ。土方さんは俺とは比べ物にならんほど、おつむが良えからね。
けんど、それは出来ねがった。櫻井様ば利用するような打算が、はばかられたと言うのもある。
けど、なにより惚れた女は、やっぱしおまんだけじゃったから。そのおまんを妾で迎えるっちゅうのは、どうも納得出来ねかったんさ。


おまんが売られて行くとき、俺はどうする事もできなかった。涙を堪えるのだけが、いっぱいいっぱいじゃった。
けんど、おまんは、幸せなのじゃというた。ありがたい事だというた。
我が身の不幸を嘆くことなど微塵も無く、たとえ強がりであったとしても、楓のおかげでとと様とかか様がお腹一杯食べられるなら、それで幸せなのですと言うたった。
俺はあん時のおまんほど強い人間を、ついぞ見たことがない。
たとえ俺たちが束になってかかったとしても敵わねえ、強くて気高いおなごじゃった。

あん時、俺は、はっきりおまんに惚れたのさ。

強くて、優しさの過ぎるおまんを、何としても幸せにしてえと思った。おまんから悉くの不安を、取り去ってやりたかった。
賑やかで、人に好かれて。毎日、いっつも笑っていられるような人生を、おまんに過ごしてほしいと心の底から思うた。

理由は十分さ。俺は男じゃから。おまんの歌が好きじゃったから。
俺の命ば、おまんの為に使うと決めた。

俺は、きちんとやれたじゃろうか。おまんの幸せば、ひとっつくらいは、増やせてやれたじゃろうか。
やれるだけ、やってはみたんだけども。

だからの、楓。俺は断じて、不幸ではなかったよ。
むしろ反対、俺はきっと、天下一の幸せもんじゃったと思う。
何の為に生まれて、何の為に生きるのか。わからぬまま終わってしまう男の方が、きっと多い。
俺は二十年と少しの短い人生じゃったが、その意味を知ることができた。そして最期の瞬間まで、それを疑わずにおれる。
案外、少ねえと思うぜ、ここまで惚れ抜ける女に出会えた、果報者はさ。

だから、それだけは何卒、覚えておってくだんせえ。


もう、血も脂もほとんど出て行ってしもうて、肉体が果つるを待つのみじゃが、中々死に切れぬ。
往生際悪く、この世に留まり続けるは、やはり、心残りがあるからなのじゃろう。

死ぬのは、怖くねえ。

俺は、何のために生きるのかは、はっきり決まっておったから。何のために生くるかと、何のために死ぬるかは、おんなしじゃもの。
惚れた女の為に生きるのじゃから、惚れた女の為に死ねるさ。

俺が怖いのは、おまんが泣きっ腫らしてしまう事。笑えんくなってしまう事。

だから……こればかりは、悔いじゃ。

おまんはきっと、俺を思い出してしまう。
俺がごたるちっぽけな男ば、さっさと忘れてしまえばおまんは幸せになれるけども、たとえどれほど念を押したとて、おまんはきっと、俺を忘れることは出来ん。
俺は、ずっと覚えてたもの。おまんの顔かたち、涙の温さを、片時も忘れたことはなかったもの。おまんの名、楓という名を。
俺ですらそうなのだから、おまんがごたる情の深い女が、忘れよと言うて忘れることなどできるわけがねえと、本当はわかっておった。

目を瞑れば、俺の中にはいつもおまんが居たんさ。
おまんと別れてからもずっと、十の頃には十の姿のおまんが、十五の頃には十五の姿のおまんがいて、再び相見えたおまんは、俺の目の裏側に居ったおまんと、全くおんなし姿であった。
胸の内には、おまんの歌声がいつも聴こえていた。忘れようとしたって、忘れようがねえのじゃ。


ひとりぼっちの俺の事ば、おまんが二人にしてくれた。そしたら、俺は二度と、元のひとりぼっちに戻ることは、出来んくなってしもうた。
おまんだって、おんなしに違いねえんじゃ。
じゃから、俺はどんな事ばしても、本当は帰らなきゃならなかったのに。
おまんのそばに、最期まで居なきゃならなかったのに。


ひとりにしてはならない。わかって、いたのになぁ。
ごめんな。


俺はおまんに、あの世も来世も無えぞと言うた。
それは俺の生命ば、必ずこの地の上で使い切って、今生のうちにおまんば幸せにするのだと、誓っておった故。

じゃから、こったな事は言い訳になり申す。だども最期じゃから。何卒、聞いてくりゃれ。

俺は、護国の鬼などにはなんね。俺の御霊はおまんの傍にあって、必ずやおまんの幸せば、見届け申す。
おまんを心から恋し尽くして、二度とおまんをひとりにはせぬ、おまんを支え抜くことの出来る婿殿を、必ずおまんに添わせ申す。

それまでの間、もし辛かったら、目を閉じ、歌え。俺は必ず、其処におる。おまんが俺の目の裏に居続けてくれたように、俺も、必ず。
そしていつか、そったな天晴れな婿殿と契り交わした、そん時こそ、俺の事ば何もかも、綺麗さっぱり、忘れて呉れ。

五体ばずたずたに千切れるまでもがいて、それでもおまんの事ば、ちっとも幸せに出来んかった。
面目次第もござらね、まったく情けねえ男だども、その偽りなき本心だけは、どうか、聞き届けあってくだんせ。


風が、寒い。空が暗くなった。いよいよきっと、終えじゃ。

最期に俺は、約束ば、果たすよ。

おまんの名、楓と。呼び続けたる。うんざりごたるほど呼んだる。おまん自身が忘れぬように。最期にその歌を届けてくれた、おまんの元へ俺も届けられるように。
息の果てる刹那まで、おまんの名、呼び申す。千遍でも万遍でも、おまんの名、呼び申す。

楓、、かえで、、、かえで……


◇◇◇◇


「――――楓さんッ」

名を呼ばれると、温もりに包まれていた。
彼の肩が、私の顔を抱いている。

「びっくりしましたよ、急に泣き出すんですから」

少し隙間を作ると、困ったように笑う彼と目が合う。
親指が、私の涙をそっと拭う。
――――涙?

「あ、あれ……私、泣いて、ました……?」

思わず手で触れようとしたら、頬に何かが触れた。優しい感触。
貴方の、掌。

そしたら、血潮のような熱が、両眼から流れた。
あとから、あとから、溢れた。

彼の指は、それをすべて掬い上げてくれた。
感情よりも、早く。それで私の表情は、くしゃくしゃになってしまった。
滲んでいく景色の向こうで、彼は困ったように笑う。



「泣きたくなったら、うんと泣いてください。」

顔を、頭を、撫でていく温もり。

「もう、好きなだけ、泣いてください。僕が全部、拭きますから。涙が渇いて、笑えるようになるまで、ずっと。僕はこれから先、二度と、貴女の側を離れませんから。」

意外とごつごつした、小さいけど逞しい掌が、私の頬を包む。
そっと手を添わせれば、互いのぬくもりが通った。

「きっと私、いま、変な顔です。」

泣きながら、笑っています。
変な子だって、思いませんか?

「いいんですよ。楓さんですから。」

この涙の、この気持ちの。理由はわかりません。わかる必要も、無いのでしょう。

「――――っ」

彼の胸と、私の胸を合わせる。心臓をくっつけるみたいに。
顎を、その肩に乗せる。最初から、そうだったみたいに。




「ねえ、お願いがあるんです。」
「なんですか?」

背中に手を回して、抱き締めた。
きっと、私はこうしたくて。

「私の名前、呼んで下さい。」

その声に、呼んでほしくて。

「楓さん。」
「もう一度。」
「楓さん。」
「はい。」

私は、生まれてきたような気がします。

「貴方に名前を、呼んでもらうのが大好きです。」

もう一度、貴方を見る。
僕も、と。貴方が言った。

「貴方の名前を呼びたくて、貴方の歌が聴きたくて。きっと、ここまで来たんです。」

止まることのない涙を、彼の親指は、もう一度、拭った。
この心地よさを、ずーっと前から、知っていたような気がするのは。
たぶん、私の中に、涙を拭いてくれるこの優しい指を、愛おしくて愛おしくてたまらなくて想い続けた、遠い日の誰かが生きているのだと思った。





~蛇足に代えて~

「――――少し、困ったことになりましたね」
「え……?」

いかにも小さな隠れ旅館、といった外観だったが、宿泊してみると中々どうして、趣がある。
数秒だけ零だった距離が離れると、楓さんがふと、そんなことを言った。


「和歌山だけでもわがままの言い過ぎかな、と思っていたのですけれど……北海道にも、お邪魔しなければならなくなりました。」

ふわっと香る湯上りの匂いを感じながら、彼女の言葉の意味に少しだけ思考をめぐらしたが、やがてすぐ、思い当たった。

「……僕の実家、ってことですか?」
「ふふっ……よろしくお願いしますね、お前様♪」

いたずらっぽく、笑う。
その芝居掛かった口調と、浴衣と照明の落ちた和室の暗さで、楓さんがこの間、出演した、時代劇を思い出した。

「ですが、その前に」

言うが早いか、ふわりと、楓さんは身をひるがえした。
僕が驚く間もなく、彼女の肢体は、胡坐をかく僕の上に着地する。
押し倒されないように、僕は両手を乗っている布団に突いて踏ん張る。
その隙に、楓さんは僕にまたがり、そのしなやかな両腕で、僕の首元を絡めとった。

「聞くべきお言葉を、まだ聞いていません」


息がかかる程の近くで、ノーメイクにも関わらずまるで色褪せない美貌。
触れるところから伝わる体温。なんの香水にも邪魔されない、彼女自身の香り。
浴衣からはだける、ほのかに上気した、彼女の肌。白魚の足に、何も着けていない胸元。

「……その、すいません。身体が、反応してしまうんですが」
「何も問題ありません。すべて差し上げると、言ったじゃないですか」
「やだ、格好いい……」
「……あなたも男らしく、覚悟を決めてくださいな」

態勢を整えるために腰を揺らして、またいつもの、悪戯っぽい顔。
”思わず襲いたくなるシチュエーション”……まさか昼間のアレが、伏線になるとは思いませんでしたよ。

「据え膳の、高垣食わぬは、武士の恥、でございますよ。」
「日本人の先祖は大体、農民か町民だと思うんですがね……」

真っ赤になっているだろう表情が恥ずかしくて、頬を掻きながら下を向いた。
――が、其処にはさらに刺激的な光景が広がっていて、思わず顔を上げた。
そこで、互い違いの瞳と目が合い、ついに観念した。

「僕とあなたは、プロデューサーとアイドルです、ですから今すぐは――――」
「あ、そういうのは今更良いです。やり尽くされていますから、そのくだり。」
「え゛っ」
「シンプルに、貴方の気持ちを私にください。好きか、大好きか、愛してるかのどれかでどうぞ」
「完全なる予定調和じゃん……」
「あ、結婚しよう、でも良いですよ」
「もはやノーガードですね……」
「今夜、婚約した……ふふっ」
「……1.00点」
「え゛ぇーっ!!」

外ではきっと、月が沈み、一日の中で最も濃くなる夜闇がすっぽり、すべてを隠してくれるだろう。
世界に、二人だけになった、この数時間だけは、秘め事は僕と彼女の、大切な秘密である。



――――すまんなあ、結局、泣きぼくろになってしもうたな。


――――良いですよ。ずいぶん遅かったですけど。きちんと、守ってくれはりましたから。





ずーっと昔からの、遠いお約束。




これで本当におしまいです、ありがとうございました。
今までうpしたやつは


・【モバマス】周子「切なさ想いシューコちゃん」

・【モバマス】速水奏「ここで、キスして。」

・P「付き合って2か月目くらいのlipps」

です。メモ帳見たら中途半端なままお蔵入りになってたのもありますので、そのうち上げるかも……

いま書いてるor考えてるのは

・縛った美波から良質のグルコースを摂取し続ける話。
・奏はお尻が弱いという話
・志希ちゃんと性衝動に関する実験と言う名のプレイをする話。
・紗枝はんの息子が周子ちゃんの娘にからかわれ続ける話
・紗枝はんの実家に挨拶
・周子の前世もの

です

とときん、ふみかの胸部装甲にクリームパイされて糖死したいのですが、どなたかそういうお話を書いていただけないでしょうか。

皆さん、ありがとうございました。
HTML化依頼出したいのですが乱立? してるとかしてないとか
どこに出せばいいか、おわかりになるかた居ますか……?

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