高垣楓「キスマーク」 (14)

「駄目だ、って言ったのに」

「イエスかノーか。私はちゃんとノーを……今日は駄目だと、そう示したのに」

「それなのに、こんな。……どうしようもないくらい深く、強く、何度も求めて……私を愛して」

「酷い人。……本当に酷い人ですね、プロデューサー」


 汗に濡れた身体。乱れる息遣い。高鳴る鼓動。止められないそれらを自覚し感じながら、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。

 ベッドの上へ横になった私をすっぽりと包んで抱き締めるプロデューサーへ。きっとまだ申し訳なさそうな顔をしたままの彼、普段するよりも薄い力で遠慮がちに抱き締めてくるプロデューサーへ。

 ぽつりぽつり。合間に熱く焼けた息を吐きながら、首元へ吸い付くようなキスを何度も落としながら、囁くようにして言葉を注ぐ。


「酷かったです。私のことを押し倒して組み敷いて、いつもなら着けてくれるものも着けてくれずに何度も何度も」

「酷かった。強引で、情熱的で、普段の穏やかさが嘘のように猛々しくて……本当に酷かった。とても、とっても凄かった」


 無理矢理に押し広げられて貫かれる感覚。ずん、ずん、とお腹の奥を深く執拗に突き上げられる感覚。涙も涎も何もかも、溢れ出るまま身体中から流れ出していくいろいろに濡れて汚れていく感覚。数分前まで私を満たしていたそんな感覚が、けれど今も消えることなく残っているのを感じながら呟く。

 背中へ回した手を動かして撫でながら、今もまだじんじんと痺れる胸を押し付ける。私を愛してくれた証……粘つくそれがどろりと中から漏れ出してくるのを感じながら、それをプロデューサーにも感じてもらえるよう密着。絡めた足を更に深く絡み付かせて、足の付け根の濡れそぼった部分を擦り付ける。

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「プロデューサー」

「赤ちゃん、できちゃうかもしれませんね」


 霞のかかったような声。震えて届く囁き声を、キスと合わせて一つ送る。

 途端、一度びくんと震え。重ねた胸を伝わって大きく跳ねる鼓動が染みる。遠慮がちになりながらも私のことを抱き締め抱えていてくれる手が強ばる。私からの言葉を受けて、そうして一瞬プロデューサーが。


「……ふふ、なぁんて」

「今日は大丈夫な日ですから。きっとまだ授かることはありません。……絶対じゃ、ありませんけどね?」


 良いのか悪いのか、今日は所謂安全日というものだった。

 本当はそうでない日……危険日。子供を授かる可能性の高い日を選ぶこともできたのだけれど。それでも私は良かったのだけれど。理性的な部分の私はそれを選ばなかった。だから。

「ホッとしました? ……それともがっかりしました?」


 言うと、プロデューサーは無言のまま。

 きっとどちらも感じてくれているのだと思う。アイドルとその担当プロデューサー、そんな今の関係を壊さずにいられること。シンデレラの夢を諦めずにいられること。それにホッと胸を撫で下ろして。けれど私との子供を授かれないこと。私を自分のものにできないこと。それにがっかりと気持ちを落として。

 私のことを好きだから。私を恋しく想って、誰よりも何よりも愛しているから。だから生まれる二つの想いを、きっと抱いてくれているんだと。


「……プロデューサー」

「止まってますよ。……なでなで、止めないでください」


 私がそう告げると、すぐに背中を撫でる手の動きが再開する。優しくて柔らかい、そっと壊れ物を扱うときのような心遣いで撫でられる。

 行為を終えて、二人の中の熱が理性を取り戻せる一線以下まで鎮まったときにお願いしたこと。ハッと我に返ったようになって、今にも土下座をしそうな雰囲気の……きっと私が止めていなければしていたのだろうプロデューサーへ、お願いしたこと。「謝らないでください。謝るのなら……代わりに撫でてください。私のことを抱き締めて、そして、優しくそっと」と望んだこと。それをまた改めて。

「……ふふ」


 それに嬉しくなる。

 暖かい。心地いい。とてもとっても幸せ。

 プロデューサーを感じられて……。染みてくる。伝ってくる。私の中へ入ってくる。そうしてプロデューサーを感じられて嬉しくなる。


「……」

「……」

「……楓さん」

「ん……?」

「すみません」


 抱き締められて撫でられて。前も後ろも、外も中も、全部でプロデューサーを感じて幸せで。そんな心地をじっくりと噛み締めるようにして浸っていた私の耳へプロデューサーの声。

 わざと囁くようにした私のそれとは違う。震えているけれど囁くのではなく、ただただ小さくか細い声。普段のプロデューサーから送られるものとは違うそれが、私の耳へ。


「……」

「……」

「……がぶ」


 甘噛み。

 それまでキスを落としていたそこ。軽くそっと触れるキス。痕を残すような吸い付くキス。いろいろなキスを注いでいたその首元へ、甘噛みを。

 がぶ、と。痕は残らない。一瞬浮かんですぐに消えるくらいの淡い強さで噛み付く。がぶがぶ、と何度か続けて。

「……プロデューサー。謝らないでください、って言いました。謝るのは無しだ、って約束しました。そのはずでしょう?」

「でも……それでも……」

「……もう」


 噛まれることにも抵抗せず身を委ねてくるプロデューサーへ言葉。謝らないで、とそう伝える。……けれどプロデューサーは聞いてくれない。私の言葉は聞いてくれているけれど、それに応えようとしてくれない。

 申し訳なさそうな、罪悪感に塗れた、暗い声。

 そんなふうに思うことはないのに。思う必要も、感じる義務も、そんなもの何もありはしないのに。


「プロデューサー」


 それまで唇を触れさせていた首元へ顔を埋める。

 燃えるような熱。脈打つ振動。押し付けた顔からそんなプロデューサーのたくさんを感じながら、その状態で言葉を送る。


「言ったでしょう。私は、嬉しかったんですよ」

「プロデューサーに求められて。押し倒されて組み敷かれて、私の『だめ』も無視して愛されて……私の誘惑がちゃんと効いてたんだ、って分かって」

「嬉しかったんです。好きでいてくれているのを確かめられて。愛してくれているのを実感できて。とってもとっても嬉しかったんです」

 今日のこと。プロデューサーに求められる前のこと、プロデューサーに求めてもらえたときのことを思い返しながら言う。

 二人きりの飲み会。注文を委ねてくれているのをいいことに精の付くようなものばかりを頼んで、いつもよりも少し強引にお酒を勧めて。酔ったふりをして、しなだれかかってみたりして。

 私のこの部屋の中。送ってもらった流れのまま連れ込んで、この日のために用意しておいたアロマを焚いた中へ導いて。軽くシャワーを浴びた後、着たのは薄いシャツ一枚とパンツだけ。私の身体にはかなり大きいそれからは当然のように肌が零れて晒される。それを自覚しながら、わざと露にして見せながら、近く傍へ身体を寄せて。

 ベッドの上。いつだったか何かの弾みで買った枕を置いて……イエスかノーか、それを示す枕をノーの側で置いて。今日は駄目、とそれを示しながら、けれど言葉や行動では真逆の誘惑を繰り返した。私の知る限りの淫らな言葉をすべて尽くして、まるで娼婦のように囁いて。酔ったふりを建前に擦り付いてのし掛かって、プロデューサーを覆う邪魔な服を捲って入ってその中の熱い素肌を撫で回して。

 駄目。とそう言いながら、けれどそれを越えて襲ってほしくて。求めてほしくて、愛してほしくて。だから言葉とは反対に心の中では「きて……。いいですよ……いいんです。だから……早く……」と何度も何度も声を上げながら誘い続けた。……そして、それは叶った。

「プロデューサーも分かってるでしょう。貴方は悪くない。悪いのは私なんです」

「謝ることなんてない。何も、貴方が悪いことなんてないんですよ」


 私の言葉だけの「だめ」を乗り越えて、プロデューサーは私のことを求めてくれた。淫らに誘う私に応えて、プロデューサーは愛してくれた。

 何度も何度も触れられた。潰れるほどに掴まれて、飲み込まれそうなほど吸い上げられた。強く深く結ばれた。壊れてしまいそうなほど突き上げられて、受け止めきれないほど吐き出された。「好き」「大好き」「愛してる」……そんな告白を数えきれないくらいに重ねながら、私のことを愛してくれた。


「貴方は私のことをあんなにも想ってくれていたのに。好きでいてくれて、愛してくれていたのに」

「私を想って必死に我慢していてくれたことを、淡白だと受け取って。心を尽くして優しくそっと触れてくれるのを、愛が薄らいでしまったのかな、なんて考えて。仕事に真面目でみんなに真摯な貴方の姿を見て、浮気されてしまうのかな……捨てられてしまうのかな、なんて……そんなふうに、思ってしまって」

「だから、ってこんなことをした私が悪いんです。貴方は悪くない。私なんです。全部全部」

「貴方を疑った。怖くて、嫌で、寂しくて……貴方を試すようなことをした」

「貴方のことが好きなのに……貴方が好きで、貴方のことを愛しているから……だからって、そんな愛しい貴方のことを騙した。私が全部悪いんです」

 何度か止まりそうになりながら、けれど止まることなく撫でてくれる背中の暖かさを感じながら続ける。

 悪いのは私。自分の勝手な思い込みで焦って怖がって、そしてこんなわがままに付き合わせてしまった私が悪いんだ、と。

 格好だけ否定して、でもその否定を乗り越えてもらいたくて誘惑を繰り返して。そうして、プロデューサーから襲わせるような形を作って……。

 プロデューサーは悪くない。悪いのは私。そう言葉を続ける。


「……」

「悪いのは私。貴方が謝る必要なんてない。ないんです」

「でも」

「それも。『でも』なんて言わないでください。……私を想ってそうなってくれているのは分かります。それは貴方の良いところ、私もとても好きなところ。……ですけど、今は言わないでほしいです」

「……」

「むしろ、その」

「……?」

「そんなふうになってくれるなら……もっと私を求めてください。これからも、ずっとずっともっともっと。……今日こんなことをしてしまった私が言う台詞ではない。それは分かってます。……でも、もし叶うなら求めてほしい。私がまたこんな馬鹿なことをしないように、もう不安を抱いて貴方を疑うようなことのないように……求めて、愛してほしいんです」

 心の中で「ずるいなぁ」と自覚しながら言う。

 相手を縛り付けるような、自分の安心と独占欲……自分の勝手な幸せのために相手を強制するようなことを。綺麗じゃない、でも紛れのない本心を言う。


「ねえ、プロデューサー」

「……はい」

「私、嬉しかったんです。愛してもらえて。その中で、何度も何度も『好きだ』『愛してる』って言ってもらえて。私の中へ貴方の証を刻んでもらえて。本当に、心から嬉しかったんです」


 顔を少し後ろへ。

 押し付けていたのを離して首から少し間を空ける。

 つい数分前までの行為ですっかり湿って熱を持った部屋の空気が顔に触れる。それを少しくすぐったく感じながら、また口を開いて続きの言葉。


「もっともっと、私にプロデューサーの証を刻んでほしい。もっともっと、プロデューサーへ私の証を刻みたい。私は貴方のもの、貴方は私のもの。……そんなふうになりたいんです」

 晒された首元へ指を這わす。

 手のひら全体を添わせながら親指を数回撫でるように動かして、そこを汚すものを拭う。


「分かってます。私はアイドルで貴方はプロデューサー。だから、叶えられないことはある」

「貴方へ証を刻みたい。そうは言っても本当にそれをするわけにはいかない。……これ。こんなふうに、ごっこでしか叶えられない。それは分かってるんです」


 這わせていた指を離して目の前へ。

 見るとそこには指の肌色を塗り変える赤色。プロデューサーの首元へいくつも残るキスマーク、その赤色がべったりと。


「でもそれでもいい。……今日はごっこを越えるところまでしちゃいましたけど。普段はそれでもいい。いつか本当に結ばれるそのときが来るまではそれでも構わない。構わない、だから……プロデューサー」

「……」

「私のこと、愛してほしいです」

「……はい」


 ぎゅう、と。それまでよりも強く、力を込めて抱き締められる。

 抱き締められて……頭の上から、何度も言葉が降ってくる。それまでみたいな謝罪の言葉じゃない。私が欲しくて望んでた、私への想いが詰まった言葉。

「……」

「……」

「……ふふ」


 幸せ。

 心でも身体でも、自分自身の何もかもで感じる。心地よくて愛おしくて、たまらない幸せに満たされる。


「……プロデューサー」

「はい……?」

「私のこと、好きですか?」

「……好きですよ」

「愛してますか?」

「愛してます」

「それじゃあ……私のこと、許してくれますか?」


 ちゅ、ちゅ。再びキスを降らしながら質問。

 触れて、重なって、吸い付いて。そうして何度もキスを贈りながら、それと共に投げかける。


「私はずるい女です。酷くて悪い、いけない女。……今日は本当にたくさんのことをしました。明日からもきっとたくさんのことをします。貴方を想ってする、貴方に迷惑をかけてしまうようなたくさんのこと。それでも……」

「もちろん」

「……本当ですか?」

「本当ですよ」

「全部……今日のことも、明日からのことも?」

「楓さんが僕を想ってしてくれることなら……それは、叶えられる限り」

「……ありがとうございます。……プロデューサー」

「?」

「ごめんなさい」

 最後に謝罪。これまで何度も『謝らないで』と繰り返しておきながら、けれどきっと明日起こってしまうのだろう光景を想像して口に出す。

 ごめんなさい。きっとまた明日言うことになるだろう言葉。


「ごめんなさい……?」

「ふふ。いいえ、なんでもありません。気にしないでください」


 視線を下げて首元へ。私のキスを受けて、私の唇へ塗られた紅で汚されたそこを見る。

 汗に濡れて、涎に塗れて、ついさっき拭われたことでどろどろの赤に汚されているそこ。滲んで広がった赤の奥、そこで一つ、滲むことも崩れることもなくはっきりと刻まれた唇の痕を見る。

 ごっこじゃない。本物の私の証。鮮明に刻まれたキスマーク。


「プロデューサー」

「ん……?」

「愛してます」


 はっきり浮かぶ。事務所の中、たくさんのアイドルやスタッフ達に囲まれて詰め寄られるプロデューサーの姿が。首元へ残る私の証を見咎められて、答えに窮するプロデューサー。あわあわと慌てながら、傍で眺める私へ視線を流し送る光景がはっきりと。

 きっと明日は大変になるんだろうな。もしかしたら関係を暴かれるまで至ってしまうのかな。そのときはどうしようかな。……そんなことをぼんやり思いながら、ぽつりと零す。

 プロデューサーへの告白。自然と溢れて漏れてしまう、どうしようもなく愛おしい私の想い。


「誰よりも好きで何よりも大好きです。きっとずっといつまでも……貴方のことを、愛してます……」

以上になります。

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以前に書いたものなど。よろしければ。

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