乃莉「雲の向こう」 (31)

パソコンの電源ボタンに触れると、かすかな機械音とともにディスプレイに光が灯った。
Windowsのロゴが表示されているだけの画面を、何が楽しいのか、なずなはじっと見つめている。


乃莉「まあすぐ起動すると思うけど……」

なずな「あっ、何かでてきたよ」

乃莉「ん?」


更新プログラムのインストール通知が出てきて、私がちょっとため息をついたの同時に進捗度の数字が10%だけ上がった。


乃莉「んー、もしかしたらちょっと時間かかるかも」

なずな「そうなの?」

茉里「これ、100%になればいいんですか?だったらすぐ終わるんじゃ……」

乃莉「途中で止まったりするからあんま信用できないんだよね、その数字。あ、お茶とかいる?」

茉里「ありがとうございまーす」

乃莉「なずなも飲むよね?」

なずな「うん、ありがとう乃莉ちゃん」

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この時間を有効活用すべく、私はキッチンに向かった。
冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して、ガラスのコップ2つとマグカップに注ぐ。
そういえば、ヒロさんの部屋にはコップもお皿もだいたい6個揃ってたな。
ひだまり荘基準で一揃いになったあの食器たちは、ひだまり荘を出た今、どうしているのだろう。


乃莉「お待たせー」


2つのコップを二人の前に置き、私はマグカップに口を付けながらパソコンの前に座った。
長くなるかも、という予想は外れ、既にログイン画面が映っていて、パスワードを打ち込むと見慣れた壁紙に変わった。


茉里「あ、乃莉さん、この過去封印っていうのは何ですか?」

乃莉「……」

乃莉「えーと、写真だったよね?ブラウザ立ち上がるのちょっと重いかも」

茉里「え、無視ですか」

乃莉「そういえば、茉里もパソコン持ってないんだよね」

茉里「はい、実家にはありましたけど」

乃莉「じゃあ結局ひだまり荘で持ってんの、私だけかー。沙英さんとヒロさんも買う気ないみたいだし」

茉里「なずなさんは?」

なずな「私が買っても全然使いこなせないと思うから……」

茉里「ですよねー」

なずな「それに、必要になったら乃莉ちゃんちに来ればいいかなって」

話している間にブラウザが立ち上がった。ブックマークからいつも写真を保存しているクラウドに飛ぶ。
一番手前のフォルダをクリックすると、1週間前くらいにひだまり荘の皆で集まったときの撮った写真が一覧で表示された。


茉里「わあ、いっぱいありますね!」

乃莉「うん、ゆのさんがすごい勢いで撮るから」

茉里「ゆのさん?」

なずな「うん、ゆのさんデジカメ持ってるから」

乃莉「そんでうちのパソコンに保存してくの」

茉里「へえ、それにしても凄い量ですね……全部見るまで何時間かかることやら」


日付ごとにフォルダ分けされている写真を適当に開いていく。
クリスマス会の写真。海に行ったときの写真。茉里の歓迎会。雪の日。ディスティニーランド。何でもない日常の1コマ。
特に機会がなければ見返すことのない写真たちが、私にこのひだまり荘で過ごした日々を思い出させてくれる。


茉里「あ、これは文化祭ですか?」

乃莉「うん、去年のね」

茉里「宮子さん、血まみれですね」

乃莉「そうそう、実際に見ると結構ギョッとするんだよね」

茉里「なるほどー、美術科は文化祭がエキセントリックなんですね?」

乃莉「いや、そういうことじゃなくて、ゆのさんと宮子さんのクラスお化け屋敷やってたから」

茉里「なずなさんのところは何やったんですか?」

なずな「んーとね、バルーンルームっていって、教室の中を風船だらけにして」

茉里「なんか楽しそうですね!」

なずな「風船ふくらませるの大変だったけどね」

茉里「乃莉さんのとこは?」

乃莉「うちは劇」

茉里「へえー、もしかして乃莉さん、主演しちゃったり?」

乃莉「いや、当日に急遽出ることになっただけだから。牛役で」

茉里「え、牛?」

乃莉「一昨年は宮子さんが馬役だったらしいし……茉里も覚悟しといたほうがいいよ」

茉里「何ですかそれ、家畜ばっかじゃないですか」


そう言ってあはは、と茉里が笑う。


乃莉「次は羊かヤギか、そのへんかな?」

茉里「豚役にならないようにダイエットしなくちゃですね」

茉里「でもいいなー、なずなさんも乃莉さんも痩せてて」


ため息まじりにそうつぶやいた茉里がなずなに視線を送った。
私もそちらに顔を向ける。半袖のワンピースから華奢な腕が伸びていた。


乃莉「私は全然だけど……なずなは細いよね」

茉里「どうやったらこんな細くなれるんですか?」

なずな「ええっ、そんな……私は背も胸もちっちゃいし、茉里ちゃんの方がスタイルいいよー」

茉里「でもこうやって写真で見ると、腕の細さとか気になりません?」

茉里「私、この隣で写りたくないですもん」


茉里が開いた写真には、ひだまり荘の庭に植わっている桜の木をバックに満面の笑顔のなずなが写っていた。
なぜかドキッとして、目を逸らすように窓の外を見る。少し前に草取りをしたはずなのに、庭の雑草はまた伸び上がろうとしていた。
その上には分厚い雲がかかっていて、隙間から夏の日差しが少しだけ漏れている。
ディスプレイに視線を戻すと、濃緑の葉が風にそよいでいる下で、柔らかな光がなずなに注がれていた。
そのフォルダには2枚しか写真が入っていなくて、サムネイルにもう1枚の方の私の写真が小さく表示されている。
私が撮ったなずなの写真と、なずなの撮った私の写真。


茉里「……なんか、いい写真ですね」

なずな「乃莉ちゃん、写真撮るの上手だよね」

乃莉「そんなことないよ、普通だって」

茉里「乃莉さんもデジカメ持ってるんですか?」

乃莉「いや、私は持ってなくて、これ撮るときはゆのさんに借りたんだ」

茉里「そーなんですか」

茉里「でもなんか変な感じですね、パソコン持ってないゆのさんがこんなに撮ってて、乃莉さんはそんなでも、って」

なずな「乃莉ちゃんはデジカメ買わないの?」

乃莉「んー、まあ、お金がね……」

乃莉「ほんとはみんなパソコン持ってれば共有できたりして面白いんだけどね」

茉里「共有?」

乃莉「これ、クラウドに保存してあるから」

茉里「クラウド……?」

乃莉「んーと、ネット上に写真を置いといてあって、パスワードさえ分かれば誰でも見れるの」

茉里「へー、そうなんですか」

乃莉「そういうサービスをクラウドって言うんだけど、まあ何かのときに役立つかなって思って、クラウドに写真置いてるんだ。バックアップにもなるし」

乃莉「だからほら、ケータイでも見れるんだよね」


良く分かってなさそうな茉里となずなに、携帯の画面を見せる。
そこにもパソコンに出ているのと同じなずなの写真が映し出された。


茉里「ふーん、便利なんですね、クラウド?でしたっけ」

なずな「クラウド……って、こないだ英語の授業で出てきた気がするけど……」

茉里「うーん、そう言われるとなんか聞き覚えが……」


まったく、ふたりとも、ちゃんと勉強してるのかな……


乃莉「雲、って意味」

わずかな風が吹いているのか、窓の外では厚い雲がゆっくりと動いていた。
雲の切れ間が作る陰影が、遠くの街に明度のコントラストを落としていく。


なずな「雲……」

茉里「じゃあ……」


茉里が何かを言いかけて、遠くの空に飛んでいた私の意識がこの部屋に戻ってきた。
私となずなから注目された茉里が、少し照れたような表情になる。


茉里「この写真のなずなさんは、雲の向こうにいるんですね」


何故だろう、部屋の中にも風が吹いているような感覚がした。
エアコンの風とかじゃなくて、もっと大きな、そう、雲が流れていくような……
その雲の向こうになずながいるような気がして、ディスプレイまでの距離が急に遠くなったように錯覚してしまう。


なずな「へ?」


なずなの素っ頓狂な声を聞いて、はっと意識が現実に引き戻された。


乃莉「……茉里、なんかポエムみたい」


自分も感傷的なことを考えていたのが気恥ずかしくて、取り繕うように茉里をからかう。
ひひひ、と笑うと茉里は少しだけ顔を赤くした。

茉里「これ、そこで撮ったんですよね?」


茉里が窓の外を指さす。


乃莉「そうそう、去年の夏ぐらいかなあ、ゆのさんにデジカメ借りてなずなと交互に庭で撮ったんだけど」

茉里「ひだまり荘の桜、けっこう立派ですよね」

なずな「うん、茉莉ちゃんが来た頃って咲いてたっけ?」

茉里「一応咲いてたと思いますよ、引っ越しでバタバタしてたんであんまりゆっくり見れなかったですけど」

乃莉「来年は茉里ともゆっくりお花見できるといいね」

茉里「はい、来年までお預けですね」

茉里「春以外に桜見ても別に面白くないですもんね」

乃莉「それはそうだけど、もうちょっと言い方ってもんがさあ……」

茉里「桜って紅葉ってするんでしたっけ?秋に」

乃莉「まあ一応ね」

なずな「落ち葉、けっこうすごいよね」

乃莉「そうそう、しょっちゅう掃除しないといけないし」

茉里「あーそっか……そういうのもあるんですね」

乃莉「ちょうど茉里の部屋の前だし、今年は茉里が当番だね」

茉里「えー、手伝ってくださいよー」

なずな「去年は私、そんなに落ち葉掃除できなかったなあ……」


なずながつぶやくと、急に茉里の目が輝いた。

茉里「じゃあ、今年はなずなさんと私でやりましょうよ!」
なずな「え、うん、そうだね」


余計な事いわなくていいのになあ。
これまでも適当に気づいた人が掃除してただけだったし。まあ、その「気づいた人」はたいていヒロさんだったんだけど。
確かに、私たちも今年は後輩のくせに受験生に気を遣わせていた罪滅ぼしをしなきゃいけないかもしれない。

茉里「掃除って、箒とかあるんですか?」

乃莉「そこの物置の中にあるよ」

茉里「そういえば物置は中見たことないです。何が入ってるんですか?」

乃莉「んー、なんか……雑多なもの?」

なずな「うん、何があったか、箒くらいしか思い出せないや」

茉里「へー……気になるんで開けてみましょっか」


一方的にそう言うと、茉里がサンダルを履いて庭に出て行った。


茉里「乃莉さんも来ましょうよー」

乃莉「いや、サンダル1足しかないんだし……」

茉里「靴とって来ればいいじゃないですか?」

乃莉「あのさぁ……」


なずなは何も言わずに玄関に靴を取りに行っている。
私は小さくため息をついて立ち上がると、携帯をポケットに入れて、なずなの背中を追いかけた。

茉里「にしても、暑いですね……」


3人で外に出ると、とたんに茉里がボヤき出した。


なずな「うん、日差しがないからまだいいけど……」

乃莉「ていうか茉里が出ようって言い出したんじゃん」

茉里「そうですけど……」


そう言って、茉里が物置の扉に手を掛ける。
茉里がよいしょ、と口の中で声に出しながら扉を横に引くと、ガラガラと重い音がして物置が開いた。


茉里「あ、これが落ち葉掃き用の箒ですよね」

なずな「うん」

茉里「あとは……なんか、変なものばっかりですね」

なずな「けっこう前の先輩たちが置いていったらしいんだけど」

茉里「んー、用途不明なものばっかり……これなんですか?」

なずな「なんだろ……?」

そんな会話を聞きながら、ゆるく吹いてきた風に気を取られて、私は何となく空を見上げていた。
雲は相変わらずゆっくりと流れている。


なずな「乃莉ちゃん、どうかした?」

乃莉「いや、何でも」


本当に何でもなかったからそう答えたけれど、なずなも私と同じように上を見上げた。
そして、あ、と小さく声を漏らす。


茉里「何かあるんですか?」

なずな「えっと……ちょっと雲かかってるけど、雨、降らないかなあ?」

茉里「雨?」

なずな「うん、洗濯物干してるの思い出して」

茉里「んー、私、今日天気予報見てないです……」

乃莉「調べる?まあ大丈夫そうだけど……てか、もう取り込んじゃえば?朝から干してれば乾いてるだろうし」

なずな「うん、そうしよ」


ぱたぱたとなずなが階段を上がっていく音を聴きながら、もう一度空を見上げる。
ベランダに干してあるなずなの洗濯物の向こうで、やっぱり雲は流れていた。

庭に残された私と茉里の間に、わずかに沈黙が流れた。
別にそれが嫌だったというわけでもないけれど、なんとなく何か言おうとした瞬間、茉里のほうが先に口を動かした。


茉里「そういえば乃莉さんって……」

乃莉「ん?」

茉里「レズビアンなんですか?」


唐突にそう言われて、私は思わず吹き出してしまった。


茉里「うわっ、乃莉さん汚いですよ」

乃莉「いや……どっちかっていうと茉里のが汚いよ、発想が」

茉里「で、どうなんですか?」

乃莉「そんな訳ないでしょ、てか何で私がレズなの」

茉里「だって、いつもなずなさんのこと見てるじゃないですか、性的な目で」

乃莉「性的って……」

茉里「違うんですか?」

乃莉「違うよ」

茉里「ふーん……」

乃莉「茉里こそ、まさかそういう趣味があんの?」

茉里「いえ、全然?」

茉里「でもそっかー、絶対そういう人だと思ったんですけど」

乃莉「茉里さあ、人をなんだと思ってんの?」

茉里「分かりましたって」

茉里「……ロリコンなんですか?」

乃莉「あのさぁ」

茉里「冗談ですって、ロリコンだったらまずゆのさん狙いますもんね」

乃莉「全方位的に失礼だよそれ」

茉里「それはいいとして、でも本当に仲良いですよね」

乃莉「まあそれはそうだけど」

茉里「3年生のお二人も仲良いですし」

乃莉「確かにゆのさんと宮子さんはいつも一緒にいるイメージかな」

茉里「なんか羨ましいなあ……私は1年生ひとりですから」

茉里「ヒロさんと沙英さんなんて同棲してるんですよね?」

乃莉「……同性で住んでて同棲って言う?フツー」

茉里「あ!関西仕込みのギャグですね?さすが!」

苦笑しながら、ポケットから携帯を取り出す。画面全体にさっきのなずなの写真が映し出された。

雲の向こうにいる、か。

画面の中の純粋な笑顔を見ていると、自分の理解の範疇から外れた感覚が湧いてくる。
まるで僅かな風が遠くの雲を流していくような、そんな心のざわつきは、
なずなといるとき、なずなのことを考えるときだけ、なずな以外には感じたことのない気持ち。
そういえば、ひだまり荘に来てからの思い出をたどると、どの瞬間も、私はなずなを見つめていたような気がする。
案外、茉里が「いつもなずなさんのこと見てるじゃないですか」と言ったのも鋭いのかもしれない。
もっとも、断じて性的な目ではないはずだけれど……

ゆっくりと形を変えながら雲が流れていく。
ちょうど太陽が雲の切れ間に差し掛かったらしい。夏の日差しがじりじりと肌を灼くのを感じた。
空を見上げて、思わず目を細めた。雲の隙間から漏れる光は思ったよりも眩しい。
それはもしかしたら、私がいつもなずなを見つめている時と似ているのかもしれなくて……
だからかもしれない。いつも近くにいるはずのなずなが、雲の向こうにいるみたいだなんて思ったのは。

なずな「乃莉ちゃん」


声が聞こえて、私ははっとして目を開け、なずなの部屋の方に振り返った。
私と目が合って、えへへ、とはにかんだように笑うなずなは、雲よりは少しだけ近いところにいる。


なずな「ちょっと待っててね、すぐ入れちゃうから」

乃莉「うん」

茉里「なずなさん、乃莉さんにパンツ見られちゃいますよ?」

なずな「えっ、えっ?」

乃莉「いや見ないし、てか別に気にしないでしょ」

なずな「まあそうだけど……」

茉里が変なことを言い出したせいで、さすがになずなの方を見上げているのは気まずくなった。


乃莉「ふう……」


茉里にも背を向けて、適当に視線を泳がせる。


乃莉「あっついなあ……」


誰にも聞こえないくらいの声で、そんなつぶやきがひとりでに漏れた。
伸びてきた雑草が強い日差しに照らされている。目を閉じると、夏独特の青い匂いを強く感じた。
この匂いも思い出として保存できたら、なんてとりとめのないことを考えている間にも、汗がじわりと首元に滲んでくる。


なずな「終わったよ、すぐ戻るから!」


急に声を掛けられてそちらに振り向くと、なずなはベランダから手を振っていた。洗濯物はもうなくなっている。
部屋の中に入っていくなずなが見えなくなるまで手を振り返していた私の上に、また雲がかかったらしい。
陰に入ると、ふっと辺りの明度が低くなり、肌の灼ける感覚もしなくなった。

茉里「それにしても、なずなさん、遅くないですか?」

乃莉「そう?」

茉里「だって2階から降りてくるだけじゃないですか」

乃莉「……何かしてるんじゃないの?トイレとかかもしれないし」

茉里「まあそうですかねえ……」

なずな「乃莉ちゃん、茉里ちゃん」

乃莉「あ、やっと来た」

なずな「これ」


駆け寄ってきたなずなが、両手でを顔の前に掲げた。
その手にはデジカメが握られている。


なずな「ゆのさんに借りてきたんだ」

乃莉「あー、それで時間掛かってたんだ」

茉里「いいですね!撮りましょ撮りましょ!」

なずな「じゃあ、茉莉ちゃん」

茉里「いえーい!あ、ちゃんと可愛く撮ってくださいよ?」

なずな「大丈夫だよ、茉莉ちゃん可愛いもん」

乃莉「可愛くは良いんだけどさ、それだと思いっきし逆光……」

なずな「あ、そっか。でももう撮っちゃった」

乃莉「えー?」

乃莉「ほら、やっぱり顔暗くなってるじゃん」

なずな「ほんとだ」

乃莉「茉里、そっち立ってよ、もっかい撮るから」

茉里「はーい」


茉里が物置の前でポーズを取る。なずながカメラを構えて、シャッターを切った。
ぱしゃ、と音がして、それまで微動だにしなかった茉里が跳ねるようにしてこちらに向かってくる。
画面を私にも見えるようにしながら、なずなが再生ボタンを押して、撮ったばかりの写真が表示された。


なずな「今度は綺麗に撮れたよ」

乃莉「うん、いい感じ」

茉里「見せてくださーい!あ、ほんとだ、超かわいいですね!」

乃莉「それ自分で言う?」

乃莉「じゃあ次、なずな」


なずなからカメラを取り上げた。なずなに物置の前に行くように言おうとして……
でも、その前に気が変わった。


乃莉「やっぱり、そっち立って?」

なずな「どこ?」

乃莉「桜の木の前」


なずなもそれで察したらしい。あの写真を撮ったのと同じ場所に、小走りで向かっていく。
私も後に続いた。どの辺りから撮ったのかまでは覚えていないけれど、適当な場所まで歩いていく。
その間もずっと、なずなを目で追っていた。

なずな「ここでいい?」

乃莉「うん、じゃあ、撮るよー」


なずなが写真と同じ場所に立つのを待って、私はカメラを構えた。
液晶に映るなずなが、ふわりと笑顔になる。


茉里「あ、やっぱり乃莉さんも一緒に写ったらどうですか?私撮りますよ?」


真後ろから急に声を掛けられる。私は茉里が近くに来ていたことも全然気づいていなかった。
え、と言っている間に、茉里にデジカメを奪われてしまった。

なずな「そうだね、乃莉ちゃんも一緒に入ろう?」


別に両方取ればいいじゃん、と言おうかとも思ったけれど、変に言い争っても仕方ない。
なずなの左隣まで歩いていき、私もカメラに視線を向ける。
すると、突然視界が明るくなった。一瞬フラッシュかとも思ったけれど、そうじゃないみたいだ。
雲が流れて、ちょうど太陽が切れ間に差し掛かったみたい。夏の強い日差しに、反射的に目を細めてしまう。
……でも、それが優しい、柔らかな光だと思えたのは何故だろう。
不意に、右腕になずなの肩が触れるのを感じた。
無意識にそちらを向くと、すぐ近くでなずなの髪がゆるく風になびいていた。

ぱしゃ。

シャッターの音が聞こえ、反射的に茉里の方を見る。
茉里はもうデジカメの液晶からは目を離していて、にんまりと笑いながら私たちのほうに近づいてきた。

乃莉「ちょっと、今横向いてたじゃん」

茉里「別に良くないですか?」

乃莉「いや、良くないでしょ」

茉里「でもほら」


茉里が撮ったばかりの写真を見せてくる。私がデジカメを受け取って、なずなもそれを覗き込んだ。


なずな「……茉里ちゃんも、写真撮るの上手だね」


横でなずなが顔をあげて、茉里と話しているのを感じながら、私はまだデジカメの画面から目が離せなかった。
写真に写る私は呆けたような顔で、柔らかく微笑むなずなの方を見つめている。
私の視線の先で微笑むなずなは、やっぱりどこか遠くにいるようで……

乃莉「もう、茉里、もう1枚撮ってよね、今度はちゃんとしたやつ」


そう言って、茉里の手にデジカメを押し付けた。
はーい、と言いながら、茉里が後ろを向いて歩きだす。
それからこちらを向いてカメラを構えるまでの何歩かの間だけ、横のなずなをちらりと見た。それに気づいて、なずなも私に視線を返す。
また、なずなの肩が私に触れた。
かすかな葉擦れの音とともにそよ風が私の頬を撫でていく。
今の風も、きっといつか、あの雲の流れのひとつになって、どこかの街に陰影を落としていくのかもしれない。


茉里「撮りますよー」


私は今度こそ、カメラのほうに顔を向けた。
きっと今も、さっきの写真みたいな間抜けな表情をしているのだろう。

まあいいか、それでも。

そんな私と、横にいるなずなを、カメラのレンズが捉えた。この写真も、きっと風に乗って雲の向こうへと行くのだろう。
それでもいいんだ。どこにいたって、それが例え雲の向こうだって、私はずっとなずなを見つめ続けるから。



おわり

乙、いいものを読ませてもらった

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