【モバマス短編集】「築き上げたもの」 (52)

地の文注意。
響子と本田の二本立てです。

前スレ
佐久間まゆ「苦くて甘い勘違い」

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【五十嵐響子】

「この度は本当に申し訳ございませんでした」

フラッシュが焚かれて俳優さんが頭を下げています。

おしどり夫婦なんて世間の皆様からは見られていたようですが、

旦那さんの方が浮気をしちゃったみたいです。

それでお昼のワイドショーで記者会見。

ぽりぽりとおせんべいを食べながら、私はぼんやりとテレビを見ていました。

「浮気かぁ……うーん」

頭の重みを右掌に全部のせて、頑張っているあの人のことを考えます。

「まぁ、大丈夫でしょう。さてお掃除お掃除」

きらりと光る左手のエンゲージリング。

そうです。

私、五十嵐……、間違えました。

響子は結婚したんです。

フローリングをT字のノズルが行ったり来たりします。

一往復、二往復。

それでもホコリが取れないと私も躍起になっちゃいます。

綺麗になるまで掃除機をかけ続けました。

お掃除は楽しいです。

何も考えなくてもいい素敵な時間。

気がついたらあたりが綺麗になってます。

ふんふんと鼻歌を歌いながら、目を瞑ると蘇るのは運命の瞬間。

私の運命が変わってしまった瞬間。

『響子、結婚してくれ』

モバPさんの真剣な眼差し。

あの時胸に湧き上がった感情を今でも忘れることができません。

「んふふ。がんばろ」

あの人は、モバPさんは。

キラキラの宝石箱から私を選んでくれたんですから。

旧姓:五十嵐響子

アイドルになったのは15歳。

シンデレラにはなれなかったけど、アイドル活動は8年頑張りました。

大きな引退ライブもなく、卯月ちゃんと比べるとひっそり引退しました。

趣味は家事全般。

好きなものはモバPさん。

なんの取り柄もない、ただの女の子でした。

だからあの人が私を選んでくれたのが不思議で仕方ありません。

理由を聞いたこともあるけれど、いつもはぐらかされてしまいます。

凛ちゃんみたいに綺麗でもないし、未央ちゃんみたいに元気なわけじゃない。

卯月ちゃんみたいに明るくなければ、美穂ちゃんみたいに可愛らしくもない。

うーん。

「私の魅力ってなんだろうなぁ」

ホコリと一緒に私の独り言も吸い込まれてしまいました。

「夕飯は……っと。あれ、モバPさんから?」

流しの近くに置いていたスマートフォンにメッセージが1件。

愛しの旦那様からの連絡でしたが、内容はあまり嬉しくないものでした。

「また外食……かぁ」

結婚してもう3年が経とうとしています。

三年目の浮気なんて考えるのは旦那様に対する裏切りですが、

お昼の会見を見てしまうとどうしても脳裏にちらつきます。

モバPさんは最近、外食が多いんです。

私としては二人でご飯を食べる時間が好きなんですけど、

まぁお仕事柄仕方ないことです。

「もぉー」

頭ではわかってるはずなんですけどね。

結局簡単に夕飯を済ませ、お風呂にも入り、あとはモバPさんを待つだけとなりました。

前までは「一緒にお風呂入りたいー」なんてお話もされましたけど、

最近は特に残念がる様子もなさそうです。

「むぅ……」

ヤダヤダ。なんかため息が多いなぁ。

時刻はそろそろ12時。

魔法が解けて早く帰って来てくれないかな。

と、その時。

「ただいまー」

旦那様が帰って来ました。

ぱたぱたと玄関まで向かいます。

こちらに背を向けて靴を脱ぐその仕草が一番好きです。

大きくて優しい、あったかい背中。

「おかえりなさい。今日も一日お疲れ様です」

「きょーこぉおおおつかれたああああああああああああ」

乱暴に靴を脱ぎ捨てて私に抱きついて来ます。

まったく。大きな赤ちゃんですね。

「はいはい。あ、お風呂できてますよ?」

「はいるううううううううううううううう」

お仕事の時はキリッとしてるのに、お家に帰ってくるとこれです。

私の素敵な旦那様。

今日も一日、本当にお疲れ様です。

「もぉー。こんなに脱ぎ散らかして」

脱衣所にスーツが散乱していました。

しわができちゃいますよ?

口ではそう言いつつも、案外片付けるのは嫌じゃなかったりして。

「あれ?」

スーツのポケットをまさぐっていると何やら指先にごそっとした感触を覚えました。

『あなたのためならなんでもしますよ。
 二人だけのヒミツなんてドキドキしちゃいます。
 明日も楽しみですね、プロデューサーさん♪  』

無機質なメモを彩るのは可愛らしい文字と甘い言葉。

思い浮かぶのは昼間の光景。

『この度は本当に申し訳ございませんでした』

文末の「高垣楓」は私に向かってフラッシュを焚きつけました。

モバPさんがお風呂から上がって、夫婦の時間となりました。

最近じゃあめっきり回数も減って、その、そんなに欲しいわけじゃないんですけど、

でも魅力がなくなったのかなぁなんて嫌なことも考えちゃいます。

「モバPさん」

隣でうつらうつらと船をこぐ旦那様を呼んでみました。

「ん、どしたー」

応急処置が完治への近道なはずです。

「最近お仕事忙しいですか?」

「そうだなぁー。再来月にでかいライブがあるけど、別にだなー」

「そうなんですか。誰のライブなんですか?」

「んー? 千枝と桃華と薫。今のうちの稼ぎ頭……」

「そう、……ですか」

女優業へと転向した楓さんとは全く関係ない。

元年少組と楓さんが特別親しいイメージもない。

胸の中が不安で圧しつぶされそうになります。

聞いてスッキリしたい。でも余計辛くなるかもしれない。

「モバPさん……」

もぞもぞと彼の元へすり寄って行きますが微動だにしません。

昔はどんなに疲れていても、胸板に頭を乗せれば優しく撫でてくれました。

「………………」

結局その晩、彼の手が私の髪に触れることはありませんでした。

まだ小学生だった頃の話です。

お友達がお家に遊びに来て、私の部屋の壁のシミが『人の顔に見えるね』なんて一言漏らしました。

それからしばらくは一人で眠ることができなくなったのを覚えています。

お掃除をしながらそんなことを思い出していました。

「………………」

浮気……してるんでしょうか。

高垣楓さん。

モバPさんが初めてプロデュースしたアイドル。

時が経つにつれ、他のアイドル達はどんどんと別な道に歩み始めました。

中には事務所を移った人だっています。

でも、楓さんだけはずっと事務所に居続けました。

ちょっぴり歳をとったとはいえ、テレビに映るその姿は相変わらずお綺麗です。

モバPさんが私よりも楓さんを選んだと言われても、どこか納得してしまう自分がいます。

お手紙を見つけてから数日。

私はどんどん私のことが嫌いになっていきました。

大好きな旦那様を信じきれない妻。

もしかしたら不貞を働いているのは私の方なのかもしれません。

ピロンと軽快な音がなります。

テーブルの方を見やると、旦那様のスマートフォンが無造作に置かれてありました。

「あ、……忘れ物」

お仕事用の携帯は事務所にあるとはいえ、忘れていいものではありません。

まだお昼前。もしかしたらもう困っているかもしれません。

届けに……いこうかしら。

迷っている間にもどんどんメッセージは届きます。

『昨夜はありがとうござ……』

『いよいよ今夜で奥さん……」

『奥さんには絶対ヒミツ……』

液晶に映し出されるのは剥き出しの凶器。

私はたまらずお母さんに電話をかけていました。

「あ、お母さん……? うん、響子だけどね」

電話口のお母さんはいつもの調子で、結婚する前からのお決まりの質問を投げかけるだけ。

「うん、うん。孫? うーん、あははははは」

最近はそれに孫の一言が付け加わったくらい。

『あんた、なんか辛いことでもあった?』

いきなり核心に触れられて心臓を鷲掴みされたような気持ちになる。

「え? な、なんで?」

『あんた昔から嫌なことがあっても言わない人でしょ? お母さん、あんたの小さい変化にはよく気づくの』

「小さい変化って……」

『旦那さんのことでしょ?』

「なんでモバPさんが」

『孫のこと口に出したらいきなり様子が変わった。なんか気になることでもあるの?』

全てを打ち明けてしまいたい。

最近一緒にご飯を食べてくれないこと。

夫婦のスキンシップがめっきり減ったこと。

そして……モバPさんに女の影が見えること。

きっとお母さんは許してくれる。

『辛かったね』って優しい言葉をくれる。

でも、それは。

「ううん。大丈夫だよ、お母さん。また何かあったらかけるね」

気丈に振る舞って見せた。お母さんにはバレバレなんだろうけど、これは私の返事。

しばらく響子を放っておいてください。ありがとう、お母さん。

ちゃんと確かめよう。

それをしないままにお母さんに相談しちゃったら、それこそお嫁さん失格だ。

動き出そうと決心すると、またため息をつきたくなった。

事務所に向かう足取りが重いです。

こんな顔のお嫁さんが職場にお邪魔していいんでしょうか。

ありもしない妄想がどんどん膨れ上がって行きます。

ぽかぽかのお日様はちくちくと私の心を刺します。

「あれ?」

事務所に着いたはいいですが、様子が少しヘンです。

まだお昼すぎだからでしょうか。

明かりが消えているのはわかりますが、なぜかしんと静まり返ってます。

本当はお仕事にも行ってないんじゃ……。

いくら頭を振っても心の汚れは落ちてくれません。

ばっくんばっくんと心臓の音がうるさいです。

目の前には事務所の扉。

中からは何やら衣擦れ音が聞こえます。

……モバPさん。

意を決して、私は扉を開きました。

「え? 響子?」

私を出迎えたのは間の抜けた旦那様の顔。

他のアイドル達も鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていました。

散乱する装飾品。

天井から吊り下げられていたのは『いつもありがとう』の文字。

どうやら私も豆鉄砲を食らったみたいです。

「モバPさん……これは……?」

「え、いや、あの……」

照れ臭そうにぽりぽりと頰を掻いていましたが、そのうちモバPさんは笑い出しました。

アイドルの皆さんもつられて笑います。

くすくすと笑いながら楓さんが私に近づいて来ました。

「プロデューサーさんが『いつもお世話になってる響子になんかしてやりたい』って言うもんですから」

モバPさんが? 私のために?

「だから今日は事務所をお休みにしてパーティーの準備をしてたんですけど、”誰かさん”がスマホを忘れちゃったので、”誰か”も間違えてLINEしちゃいました」

ふふふっと笑う楓さん。

「か、楓さん!」

「悪いのはプロデューサーさんじゃないですか。楓はわるかねぇで……なんちゃって」

「……苦しくないですか?」とモバPさんが一言。

周りのアイドル達も思わず苦笑い。

そっか。最近ずっと帰りが遅かったのはこのためだったんですね。

ふと、目の奥がじんとしてきました。

鳥肌が止まらなくて、思わずしゃがみこんでしまいました。

「きょ、響子!」

ごめんなさい。ごめんなさい。

私の方がモバPさんを裏切っちゃうところでした。

ごめんなさい。

音にならない言葉でもモバPさんにはしっかりと伝わってくれたようです。

「ごめんな……。なんか、ヘンな心配させちゃったな」

こんなときばかり優しいのはずるいと思います。

周りにアイドルがいることも忘れて、私は子供のようにわんわんと泣きました。

準備が終わる頃にはすっかり日も暮れて、目の前にはごちそうが並んでいたのですが、私は食べることができませんでした。

それはモバPさんに怒っていたからです。

「響子ぉ。いい加減機嫌直せよー」

「…………ふーん」

頬を膨らますのに忙しいのでお話も食事もできません。

まったくまったく。

奥さんを労うなら『ありがとう』の一言だけでよかったのに。

細かいところにこだわりたがると言うか、なんというか。

とにかく!

お家に帰るまで許してあげませんからね。

お酒が進んで宴もたけなわになって来ました。

相変わらずモバPさんは色々なアイドルに絡まれています。

薫ちゃんってお酒癖悪いんですね……。

晴ちゃんなんかお腹出して寝ていますし……。

なんかだんだん心配になって来ました。

「もう大丈夫ですか?」

柔らかく笑いながら楓さんが話しかけて来ました。

「あ、いえ。なんかごめんなさい……」

「んふふ。いいんですよ。久しぶりにあんなプロデューサーさんが見れましたし」

楓さんの視線の先には幸子ちゃんに絡んでいるモバPさんがいました。

「響子に嫌われた響子に嫌われた響子に嫌われた響子に嫌われた……」

「なんでそれをボクに言うんですか! あー、鬱陶しいですね!!」

その光景は少し懐かしくて、ちょっと頰が緩んでしまいました。

「私、以前プロデューサーさんに聞いたことがあるんですよ。『どうして響子ちゃんだったんですか』って」

しんみりと遠くを見ながら楓さんが盃を傾けます。

「そしたらあの人、いつになく真剣な顔で」

『そうですね……。なんか、響子だったんですよ』

『楽しいこととか、嬉しいこととか。いろんなことを考えてたんですけど、

 最後には必ず響子がいたんですよ。

 疲れたーって家に帰ったら響子が迎えてくれて、

 腹減ったーって呟いたら響子が料理を作ってくれてて。

 響子を選んだっていうか、なんか、響子に決まってました』

「なんて。妬けちゃいますよね」

不味い酒を嗜む楓さんはどこか儚げで、とても綺麗でした。

浮気騒動があってからしばらくして。

私たちは旅行に来てました。

別に観光地でもなんでもない、ただの温泉旅館です。

大きなライブの前にモバPさんがお休みを取ることはあまりよろしくありませんが、

アイドルの方から勧められて仕方なくといった感じです。

「ういー。つかれたー」

カバンを放り投げ、畳にごろんと転がるモバPさん。

だらしないなぁと思いつつも、私も一緒に寝転がりました。

「なんかいいなぁー、こういうの」

「そうですねー」

い草の香りと混じってモバPさんの香りがします。

「モバPさん」

「んー?」

ダメダメな響子ですけど、改めて。

「これからも宜しくお願いしますね、旦那様♪」

ちょっぴりぶりっ子かな? なんて思ったりもしましたが、どうやら効果覿面だったようです。

それどころか……効きすぎちゃったようです。

モバPさん、目が怖いです。

「あ、やだっ、ちょっと……」

陽光射す和室の中で二人。

モバPさんに包まれながら、これから家事が忙しくなることをぼんやりと考えていました。


終わり

ちょい遅れて本田行きます。
しばしお待ちを。

遅れました。
本田行きます。

【本田未央】

第一回シンデレラガール総選挙。

1位はとときん。私は圏外。

第二回シンデレラガール総選挙。

1位はらんらん。私は圏外。

第三回シンデレラガール総選挙。

1位はしぶりん。私は5位。

第四回シンデレラガール総選挙。

1位はしおみー。私は18位。

第五回シンデレラガール総選挙。

1位はしまむー。私は6位。

第六回シンデレラガール総選挙。

1位はかえ姉様。私は2位。

この結果が私の六年間の結晶。

私の…………全部。

『未央はなんでアイドルになったんだ?』

プロデューサーから訊かれた時に、返答に困った。

アイドルになってたくさん友達を作りたい。

胸の中に灯ったのはそんな小さな炎だった。

でもそれは他の子達と比べるとちっぽけな炎で、

そんな私に人気がないのもしょうがないかもしれない。

私はみんなみたいに素敵な理由を持っていないのだから。

総選挙の回数を重ねることに、私の順位は上がっていった。

上がっていった順位に不満はない。

ファンのみんなのおかげだってひしひしと感じている。

でも総選挙には暗黙のルールがある。

『シンデレラになれるのは一度きり』

誰も口には出さないけど、シンデレラになったアイドルは順位がぐんと下がる。

だから6回目にして2位に輝いた私の順位も、本当ならもっと下。

こうして考えることはプロデューサーやファンのみんなに対する裏切りだと思う。

もちろん、歴代のシンデレラガールズに対しても。

でも、それでも。

みんなが知ってる『本田未央』はこんなことを考えてしまう女の子だった。

「未央ーやりたいこと決まったかー?」

今回の総選挙でアイドル活動に区切りをつける。

プロデューサーに持ちかけたのは私の方からだった。

6回目の選挙も無事に終わり、私は今、本格的に女優に転向しようとしている。

そして今は引退ライブ……というか、引退イベントの打ち合わせ。

といっても、私のわがままでプロデューサーの仕事が遅れているんだけど。

「むむー、難しいですなぁ」

「卯月や凛みたいにライブじゃダメなのか?」

「なんかねぇ……」

デビューライブと引退ライブはアイドルにとっての華。

一番輝かしいイベントだってことくらいわかってる。

正直に言うと、私はライブをするのが怖かった。

私だけに、私のためだけにライブに来てもらうことが。

「なんかさー、こう、みんな一緒にできることってないかな?」

「みんな? アイドルと、か?」

「そうじゃなくてファンのみんなと」

「ファン一体型のイベントかぁ……それは難しそうだな」

「引退イベントってよりは、ただのイベントに私の引退がくっつくみたいな!」

「いいのか? そんなオマケみたいな扱いで」

「いいのいいの! だって芸能界ではまだまだやっていくつもりだし、さようならって感じでもないしさ」

「ふーん。なんか未央のほうでも固まってないみたいだし、俺がいくつか案をまとめておくよ」

「ごめんね、最後まで迷惑かけて」

「”アイドル最後”、だろ? 頼りにしてるよ、女優さん」

ニヒルに笑うプロデューサーの顔を見ると胸がキューっとなる。

『私って人気あるのかな?』

その言葉が言えなくて、もう六年が経った。

しぶりんのファンは男の人が多いイメージ。

しまむーのファンは女の人と男の人が半々くらい。

じゃあ、私は?

私だけファンの姿が浮かんでこない。

ユニットを組んでしばらく経つけど、

いろんなところで現実を見た。

グッズの売り上げ、ファンレターの数、SNSの反応。

きっと、見なくてもいいものだったんだと思う。

でも”不人気”の三文字を払拭するための理由を求めてしまうと、

却って世間の反応に貪欲になってしまった。

早く否定してほしくて、その気持ちの分だけ傷ついた。

アイドルになったことを後悔なんてしてない。

一生分の宝物をもらったと思う。

…………不必要な醜い感情のオマケ付きで。

プロデューサーに指示されてレッスン場に行くと、ベテトレさんが張り切って待っていた。

「本田、今日から引退ライブに向けてレッスンだ」

……引退ライブ?

「え、ちょ、聞いてないよ!」

「聞いてない? アイドルたるもの、ライブは定番だろう。今更何をそんなに驚くことがある?」

「それはそうだけど…………」

「本田」

ポンと肩に手を置かれる。

「お前とももう長いな」

六年間の歳月。

私は成人になり、ベテトレさんには小じわが増えた。

「何を燻っているかは知らんが、私がお前に手を抜くことはない」

優しすぎる目に耐えきれなくなって、逃げるように吐き捨てた。

「私の……引退ライブなんて……」

しっかりと声が届いていたはずなのに、ベテトレさんは思いっきり笑い飛ばした。

「アッハッハッハッハ。こんなことを言うと失礼だが、本田のライブが楽しくないなら誰のライブだって楽しくないと思うぞ?」

「そ、そんなこと……!」

「まぁなんにせよライブは決定した。アイドル活動最後のレッスンだ。気を引き締めていこう」

「…………はい」

その日のレッスンは今まで以上に苦しかった。

つくづくプロデューサーはずるいと思う。

取って来てくれる仕事は毎回うええええって感じなんだけど、

終わってみればスッキリした顔の自分がいる。

わかってるんだ。

私たちのことを誰よりも理解してくれて、

私たちのことを誰よりも考えてくれて、

私たちのことを誰よりも応援してくれている。

アイドルの中にはそんなプロデューサーに恋してる子もいるみたいだけど、

私はどっちかというと尊敬に近い。

全幅の信頼を預けられる素敵なパートナー。

だからこの引退ライブもきっと成功するはず。

頭ではわかっている。

でも、どうしても。

心だけがついていってくれなかった。

ライブ前日。

結局あれから一度もプロデューサーと顔をあわせることがなかった。

事務所に行ってみてももぬけの殻。

『プロデューサーさんならいませんよ?』ってちひろさんに何回言われたことか。

会場の下見に向かうと、ようやくそこでプロデューサーと会うことができた。

「あ、未央。悪い悪い。レッスンお疲れ様。いよいよ明日だな」

会議室で待っていたプロデューサーは言葉とは裏腹に悪びれる様子はない。

「ねぇ、プロデューサー」

私は切り出すことにした。

「プロデューサーがいつも正しいことは知ってるよ」

色々あった嫌なこと。

それは全部私が至らなかったからだと思ってる。

「でもさ、今回だけは……ライブ…………やめない?」

きっとこの言葉は私らしくないんだろう。

でも、これ以上傷つきたくもなかった。

「もうチケットだって販売してるのは知ってるよ。それを買ってくれてるかもしれないファンに対しても失礼だと思う」

「でもね、でも。私の引退なんかのためにライブをする必要はないと思うんだ」

「こんなこと、プロとして失格だとは思う」

「でもやっぱり私なんかよりも他の子達のために……!」

「未央」

優しい言葉。私を引き止めてくれる優しい言葉。

でも、そんな仮初めの優しさなんかもう充分だった。

「だって、だってそうだよ!」

もう……限界だった。

「しぶりんやしまむーみたいに人気があるわけじゃないじゃんっ!」

初めのうちは流してた。いつかなくなるだろうって。ぽっと出だから当たりが強いんだろうって。

「シンデレラガールにだってなったこともない! ファンのみんなに笑顔を届けようって気持ちも、誰かを幸せにしようって気持ちも! 私はみんなに比べれば持ってないもん!」

でも、いつまで経ってもなくならない。私をなじる言葉があることに慣れてしまってる自分がいた。

「友達が欲しかっただけ! アイドルが楽しかっただけ! みんなみんな、私が楽しくなるためだけにアイドルやってたんだもん!」

心無い暴言が辛かった。

「プロデューサー、私にファンっているの? みんなしぶりんとかしまむーのファンなんじゃないの?」

守ってくれる人が存在するのかわからなかった。

「ユニットの仲間だから”ついでに”応援してくれてるだけなんじゃないの!?」

「私の引退ライブなんて、プロデューサーが思ってるほどの価値なんてないよッ!!」

…………言っちゃった。

ついに言っちゃった。

胸の内に溜め込んだ思いを吐き出したところで、罪悪感に押しつぶされるだけだ。

そんなことはわかっていた。

でもこのまま溜め込むなんて死んでもできなかった。

……怖い。

本当は引退ライブが取りやめになることが怖い。

何よりもプロデューサーの顔を見るのが怖い。

ごめんなさい…………。

でも。

これが私の本音です。

「未央」

怒るわけでもなく、もちろん茶化す様子もなく。

プロデューサーは静かに名前を呼んだ。

恐る恐る顔を上げて見ると、

そこには。

真っ赤に目を充血させたプロデューサーがいた。

「ごめんな。全部俺が悪いんだ」

私はこんな言葉が欲しかったのだろうか。

「未央のプロデュースには反省点がたくさんある」

「まず売り出す時期を間違えた。あの時は出せば売れると思ってた。それに売れたがっているお前に笑顔になって欲しかったんだ」

「だからメディアの露出を増やした。我ながら芸のないプロデュースだったと思う」

「くだらない感情で仕事をした。そのせいで未央が叩かれたのも知ってる。他のアイドル達にもひどいことをした」

「ユニットの組ませ方だってそうだ。複数人グループだと必ず不人気になる子が出る」

「卯月や凛が悪いとは思ってもない。お前ら三人は最高のユニットだとも思ってるよ」

「でも未央が不人気になる可能性をしっかり考えてあげられなかった」

「卯月と凛がずば抜けて人気が出るなんて俺自身思ってもなかったんだ」

「そのことについて未央に話をしたこともなかった。未央のプライドを傷つけたくない。俺はまた俺の感情を優先させたんだ」

「うちの事務所をテーマにしたドラマだって嫌な役をやってもらったな」

「俺は未央にだからやってもらいたかった。それを快く思わなかった人たちだっている」

「俺のプロデュースはいつだって空回ってばかりだった。一番割りを食ったのは未央だ。本当に申し訳ないと思ってる」

重々しい沈黙が会議室に広がる。

やっぱりプロデューサーも気づいてたんだ。

「でもな」

そういってプロデューサーはタブレットを手渡してきた。

液晶に映ったのは『本田未央 引退ライブチケット 完売』の文字。

「俺の失敗を救ってくれたのは未央だったんだよ」

一本のムービーが再生される。

これは……プロデューサーの声?

『この人のこと、知ってますか?』

一人目は、真面目そうな青年。

あぁ、知ってるよ。本田未央でしょ?
引退しても寂しくはないかな。
だって女優になるんでしょ? 
俺、結構ドラマとか好きな方だしさ。

二人目は、小さな女の子。

あ、みおちゃんだー!
あたしね、大きくなったらみおちゃんみたいになりたい!
うづきちゃんとか、りんちゃんもすきだけど、みおちゃんもだいすきだよ!

三人目は、老夫婦。

あぁ、なんだっけね。
えっと……、よく知ってるんだけど、名前が思い出せないねぇ。
私は大好きだよ。この子、いつも明るいし、人様のこと悪く言わないし。
みぃんな同じ顔に見えちゃうんだけど、この子だけは知ってるよ。

プロデューサーのインタビューはずっと続いていた。

晴れの日も、雨の日もいろんな人たちがインタビューに答えてくれていた。

私のために、私なんかのために。

そのうち画面が見えなくなって、私はただみんなの声だけを聞いていた。

「凛のファンはな、10代から40代くらいの男の人が多いんだ」

「綺麗で、かっこよくて、王道なクールアイドルだからな」

「でもその分、中高年の女性からはあまり人気がない。そこはターゲットじゃないんだ」

「CDとかグッズの売り上げがずば抜けてるのも、ファン層に関係してるんだ」

「卯月のファンはな、凛に比べると女性のほうが多い」

「特にちっちゃい子からの人気が凄いな。その縁あって保護者にも認知されてる」

「逆に言うとキュート属性が強すぎて一部の男性からは嫌がられることもあるし、女性からはぶりっ子だと思われることもある」

「良くも悪くも普通だから、高齢者からは認知されにくい。見分けがつかないなんて話もよく聞く」

一息区切ってプロデューサーは続けた。

「未央はな、うちのアイドルの中でも一番幅広く人気があるんだよ」

「老若男女、誰からも認知されてる」

「確かに凛や卯月に比べると熱狂的なファンは少ないのかもしれないな」

「でも、どうだ?」

インタビューはまだ続いている。

「いろんな人が未央のことを知ってくれてるんだ」

「陰ながら、暖かく、未央のことを見守ってくれてる」

「ナンバーワンじゃないかも知れないが、俺は未央がアイドルの完成形の一つだと思ってる」

「俺の不甲斐ないプロデュースのせいでたくさん迷惑かけたけど、未央はこうしてみんなから愛されてるんだ」

涙に滲んだ視界でも、プロデューサーがどこか遠くを見る仕草は確認できた。

「好きなんだよ。俺は好きなんだ。未央のライブが一番好きなんだ」

思い出すような、確かめるような、優しい声音。

「菜々のメルヘンチェンジだって、杏のメーデーだって、みくのにゃーにゃーだって、ファンのみんながライブを作ってくれてる」

「でも俺は、未央のミツボシが一番好きなんだ」

「未央の掛け声で揃うサイリウムの波」

「誰に命令されたわけでもないのに、綺麗に斜めに上がるんだよ」

「未央が謳うように、ファンのみんなは歓声を鳴り響かせてくれる」

「未央が全部、俺を、ファンを、引っ張っていってくれたんだよ」

気づいたらプロデューサーに抱きついていた。

不甲斐なくて、申し訳なくて。

ファンのみんなに、自分に、そしてプロデューサーに。

これ以上涙なんて出ないんじゃないかって思うくらい泣いた。

涙の跡が残ることも、声が枯れることも一切考えないで。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

そして、ありがとう。

本当に……ありがとう。

ライブ前の会議室には二人の洟を啜る音だけがずっと響いていた。

ライブ当日。

若干の気恥ずかしさを胸に現場入りする。

アイドルとして最後の大仕事。

みんなを沸かせるために、そして最大の感謝を込めて。

胸張ってIt`s OK!

吸って吐いてリラックス。

明日へ駆け出していこう。

「本田未央、行ってきます!!」

アイドル、やってよかった!!



終わり

お疲れちゃんです。
浮気相手が楓さんって嫁さん側からしたら絶望しかないと思います。
私は本田が大好きです。
素敵だと思うんだけどなぁ。不快な方がいたら申し訳有りません。
気が向いたら奏か美優さんいきたいです。

本田ァ! 一年かけてごめんなァ!!

以上です。
なんかあったらどうぞ。

未央については森久保とか川島さんとかと同じテンションで苗字呼びなだけでした。
よく考えればいらないこだわりでしたね。申し訳ない。

自分はアニメ化前くらいからモバを知ったんですが、未央だけやたら叩かれてた印象が強かったです。
別にそこまで言わなくても……ってのを感じていたのが今回のに現れただけです。

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