灰色の世界に彩りを! (37)

学校の屋上から見る夕焼けは、酷く暗い灰色だった。

灰色の太陽が地平線の彼方へ沈みかけ、雲はまるで水に墨汁を垂らしたように薄く伸びている。世界は、灰色の絶望の色をしている。

夕日を暫く見つめていた男は、懐から手鏡を取り出し、目を閉じた。

男はゆっくりと深呼吸をして、手鏡を覗きこむ。

手鏡には、まるでのっぺらぼうのような、男か女かさえ分からない者の顔が写っていた。

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暫く手鏡を見つめていた男は、深く息を吐いた。

男は手鏡を仕舞うと、金属製の柵に手を掛ける。その金属の冷たさに男は動じることなく、柵を越えた。

視線を下げると、遥か下に灰色の地面が見える。一歩踏み出せば、男の人生は間違いなく終わるだろう。

顔を上げ、夕日を見つめる男の表情は、夕日に照らされ分からない。

男が足を踏み出そうとした、その時だった。


「綺麗な夕日だねえ」

突然、背後から無機質な声が聞こえた。だとというのに、男は動じず、振り向かずに答えた。

「そうなのかな、僕には分からないよ」

「空は瑠璃色で、地平線へ近づく程朱色になる。昼間は見ることもできない太陽も、今じゃ姿を現し、白く見えるね。温かくて、だけどどこか寂しさを覚える、綺麗な夕日だよ」

男がゆっくり首を後ろを向けると、夕日に照らされ、確かに人が立っていた。服装からして女だろう。

「私はここから見る夕日が好きなんだ。君は―好きそうじゃなさそうだね」
 
肩をすくめる女。

「見るところ、夕日を眺めに来たわけじゃなさそうだね。 
 ……なんで自殺するの?」

「君には関係ないよ」

男は再び柵を越え、そのまま女に話しかけず素通りし、屋上から立ち去ろうとした。

「またね」

風に乗り男の耳に届いた小鳥のような高い声は、小さいけれど、確かに聞こえた。

男は家族と卓を囲み、夕食を食べていた。いや、家族なのかもはや分からない。

「今日は学校楽しかった?」

のっぺらぼうが、無機質な声で男に尋ねる。

その言葉に男は反応せず、黙々と夕食を口へ運ぶ。味は何もしない。

のっぺらぼう達が何かを言っているような気もするが、男には聞こえない。仮に聞こえたとしても、全部同じ声で、結局誰なのか分からないだろう。黙って食器を運び、自室へ向かう。

自室にある鏡の前に男は立つ。鏡には、やはりのっぺらぼうが写っていた。

翌日、再び男は学校の屋上に立っていた。
死に場所に学校の屋上を選んだのは、夕日のせいだろう。

柵を乗り越えると、再び背後から声がかかる。

「綺麗な夕日だねえ」

男はやはり動じない。
声からして、昨日の女だろう。

「私の名前は  。君の名前は?」

名前を尋ねられ、男は俯いた。

「僕の名前は……。分からない、分からないんだ」

男のその言葉に、女は一瞬黙った後、けらけらと笑った。

「自分の名前が分からないって人、初めて見た。やっぱり世界は面白いねえ」

面白い。
その言葉を聞き、男は体ごと振り返り、尋ねる。

「こんな灰色の世界が、面白いの?」

女はその言葉に首を傾げた。

「灰色? 私には灰色に見えない。世界は色とりどりに輝いているよ?」

男は黙っている。
その様子を見て、女は言った。

「何か悩みがあるみたいだね。こっちへおいでよ。ここで会ったのも何かの縁。聞かせてよ」

いつからだったか。
男の見る世界は灰色になっていた。

子供の時は確かに、色があったはずだ。
世界が輝いて見えたはずだった。

しかし視界の端から物がぼやけ、灰色に浸食されているのに、幼い男は気が付かなかった。
草むらは全て同じ灰色の雑草に、すれ違う知らない人の顔はのっぺらぼうに、徐々に灰色に置換されていた。

そうして高校生。
気が付けば、男の見る世界はほとんど灰色だった。
数少ない友人の顔もぼやけ始め、のっぺらぼうに、終いには家族の顔ものっぺらぼうに。
何もかもぼやけ、灰色だ。

世界が灰色に染まっても、男は動じなかった。
自分だけは、はっきりと見えていた。色があった。

しかし遂に、男は自分の顔さえ失ってしまった。
自分を失ってしまった。
唯一恐れていた事が、起きてしまった。

もう、ダメだ。

自分が誰なのか、何がしたいのか、分からない。
心は完全に波打つことなく、平らになった。
自分の名前すら、分からなくなっていた。

男の語った内容に、女は首を傾げた。

「私には、暗くぼやけた灰色な世界になんて見えないけどなあ。むしろ眩しくって困っちゃうよ」

暫く女は考え込む仕草をした後、よし、と呟いた。
女は尋ねる。

「じゃあじゃあ。私の顔ものっぺらぼうなの?」
 
男は頷く。

「ひっどーい! こんなに可愛い顔が見えないなんて! 人生損してるよ!」
 
女は男の手を握り言った。

「決めた! 君の世界に光を取り戻すの、手伝ってあげるよ!」
 
女は男の手を離し、くるりと身を翻し、夕日を背に男に宣言する。

「灰色の世界に彩りを! 私の顔を、絶対に見てもらうんだから!」

灰色の夕日が重なり女の顔は見えなかったが、その顔は確かに笑っているように男は感じた。

翌日土曜日。
男は休みなのに学校の正門前に立っていた。
無理やり集合させられたというのに、肝心の人物はまだいない。

「ごめーん、待った?」
 
待つこと五分。
小鳥のような声が男の耳に届いた。

「待ったね。集合時間より五分も過ぎてる」
 
男は女を見ずに淡々と答える。
その言葉を聞き、女は言う。

「なってない、全然なってないよ! そこは、いいや、今来た所さ、だよ!」
 
女の冗談に笑うこともなく聞き流し、男は聞く。

「それで? 今日は何するの?」
 
その男の様子にムッとする女。

「まずは私に言うことはないの?」
 
男の視線の先に女は立ち、その場でくるりと一回転する。

「……?」
 
本気で分かっていないらしい男に、女は地団駄を踏む。

「むっきー! 今日も可愛いね、でしょ!?」

「顔、見えないから」

「むきゃー!!」
 
女はその場で飛び跳ね、地面を踏みつける。

その様子を見て、男は微かに笑った。

「今、笑ったでしょ?」

 今までふざけていたのに、急に真面目になる女。

「笑った……? 僕が?」
 
驚いて手を口の辺りに持っていく男。
笑ったのなんて、何年振りだろうか。

「ね、君は笑える。笑えるんだよ。これだけでも今日来た甲斐あったでしょ?」
 
その場でくるりと一回転し、手を後ろに組み、女は言う。
先ほどと違い、顔も傾げている。

「……可愛い服だね」

 
男のその一言に、女は笑ったような気がした。 

「君の趣味は?」

「ない」

「君の好きなものは?」

「ない」

「君の嫌いなものは?」

「ない」

「君の将来の夢は?」

「ない」

「今欲しい物は?」

「ない」

「君の好きな芸能人は?」

「いない」

「君は休日何をしているの?」

「何もしていない」

先ほどから、驚くほど会話が進まない。
男は会話のキャッチボールをする気がないのだろうか。

「ちょっと、ちゃんと聞いてる?」

「聞いてるよ」

「真面目に答えてる?」

「真面目だよ」

男は真面目だ。
真面目に答えているのである。
 
となると、本当に男は好き嫌いがないことになる。

その事を聞き、女は考え込みながら歩いていると、ふと雑草が目に入った。

「見て、タンポポの花が咲いている。もうすぐ春だね」
 
雑草を眺める男。

「どれがタンポポ?」

「タンポポ知らないんだ? 花が咲いてるやつだよ」

「分からないよ。全部同じに見える」
 
じっと目を凝らす男。どうやら本当に分からないらしい。

「あっ、ツクシも生えてる。あっ、ナズナだ。春が近いねえ」

「……」
 
やがて興味なさそうに、男は草から顔を上げた。

「行こうか」
 
男を見つめ、女は再び歩き始めた。

通学路を、ぶらぶらと歩く二人。

「この辺は電柱だらけだねえ。ねねっ、電柱って中どうなってるか知ってる?」

「知らない」

「中は空洞になっててね、電線がいっぱい走ってるんだよ」

「へえ」

「電柱って、ここをぐるりと見回してもいっぱいあるよね。ここだけでこんなにあるなんて。日本には何本の電柱があるんだろうね?」

「さあね」
 
風が吹く。

「うーん、皮膚を刺すような冬の風から、段々と体を包み込むような春風になってきてるねえ。春になるっていう実感沸くね」

「ただの風でしょ」

先ほどから一人楽しそうに歩く女に、男は尋ねる。

「こんな通学路、何が楽しいのさ?」

変哲もないただの道だ。
男にとって面白い要素なんて一つもないのだが。

「面白いじゃないか。本当に面白い。新しいことが一杯だよ」

 
新しいこと? 
男は周囲を見渡す。

なんてことない、いつもの見慣れた通学路である。

「いつもと変わらないけどね。生まれた時から知ってる道だけど、何年も変わらない、ただの道さ」
 
その言葉を聞き、女はまた考え込んでいた。
 

結局、散歩するだけで日が暮れた。
楽しそうだったのは女だけで、男はただ歩いていただけだ。

河川敷に座り、夕日を眺める二人。

「この夕日に、色はあるのかな?」

「何さ突然」

「私には白色に見える。だけど君には灰色に見えるという。どっちが正しいのかな?」

「興味ないね」

「例えば、世界中の生物が死に、君だけが生き残る。その時夕日は灰色なんだろうね。だけど私だけが生き残ったら、夕日は白色だ。不思議じゃない?」

「何が?」

「じゃあじゃあ、全部の生物が死ぬ。その時夕日は何色なんだろう?」

「……。興味ないね」
 
風が吹く。

「おお、この時間になると流石にまだまだ北風が吹くねえ」

「だから、ただの風じゃないか」

灰色の夕日は、地平線に沈もうとしていた。
そろそろ帰ろうか、という女に、男は尋ねた。

「結局、夕日は灰色だったね。今日は一体何だったんだい?」

「分かったよ、君の世界が灰色に見える原因が」
 
男の心に、微かに波が立った。

「本当かい? 原因は何だい?」
 
今まで動じなかった男が、動揺を露わにした。その様子を見て、女はけらけらと笑った。

「簡単さ。君は、『世界を知らな過ぎる』。井の中の蛙、ってやつさ」

「世界を、知らない…?」

「そうだよ。君は、高校生になって世界を知ったつもりだ。ふふ、だけど現実は全然知らないんだよ」

女は続ける。

「君は草は全部雑草に見える、って言ったね。
 そんなことない。雑草なんて草はないんだよ。

 ゲームに疎い人が、全部ピコピコって言うようなものさ。
 実際は色々種類があるのにね。
 
 君は知識がないんだよ。
 じゃあなんで知識がないのか? 
 興味がないんだ。
 少しずつ興味がないことが全部同じに見え、つまらないと感じ、世界が灰色になっていったんだよ」

世界が灰色にぼやけて見えるなんて、気が付かないわけがない。
大事にしていた物がいきなり灰色になったら誰でも気が付く。

男は言っていた。
世界が灰色になっていると気が付いた時、それでもまだ見えているものがあった。

地球の反対の人が死んだって、誰も心を痛めない。
言葉を交わしたこともない赤の他人だし、興味がないからだ。
自分の飼っている犬以外、同じ種類の犬なんて全部同じに見えるのだ。
 
興味を失った物から灰色にぼやけ、世界に興味を失い、遂に自分さえ興味を失った。

男の心は平らになった。
心が揺り動かされることは無くなった。
感情を失った。

興味を失い、つまらないこの世界が灰色に見えるようになったのだ。

「子供の頃は世界は広く、輝いていたよね? 
 それはね、何もかもが新鮮だったからだよ。

 だけど人は成長し、程度はあれ人は新鮮さを失う。
 その極地が、君だ」

女の言葉に、男は声を失う。
男の、平らな心に、波紋が広がった。

「大丈夫。君はまだ完全に全てに無関心になったわけじゃない。
 自殺しようとするくらいだからね。まだやり直せるよ」

女は手鏡を取り出し、男に渡す。

「どうかな?」

 男は震える手で手鏡を覗きこむ。

そこには懐かしい、自分の顔が写っていた。

「君の名前は?」

「俺は……。俺は、哲也。哲也っていうんだ」

「よろしく、哲也君。
 
 ね、こんな不思議なこともあるんだよ。
 本当、世界って面白いよねえ」

けらけら笑う女の顔は、夕日のせいで見えなかった。

あれから、哲也は散歩をよくするようになった。
道を歩くと、ウグイスの鳴き声が優しい風に舞っている。
春到来を哲也は感じる。

「へえ、これがタンポポか」
 
草むらを観察する哲也。
手には図鑑を持っている。

彼女の言う通りだ。
雑草なんて草はない。
全部異なる特徴をしている。
生えている場所も、色も形も、全然違うじゃないか。
どうして同じに見えたのだろう。

春風が草むらを吹き抜ける。
春の香りがした。

哲也の灰色の世界に、緑が戻った。
しかし、まだまだ灰色は多い。

いつものように哲也は彼女と共に、通学路を散歩する。

見慣れたはずの通学路、と前に哲也は言ったが、全然そんなことはなかった。
毎回毎回驚きと新たな発見の連続だ。

「ほら、今の鳥、メジロだよ。県鳥なんだよ」
 
楽しげに、哲也は女に説明する。
そんな哲也に関心する女。

「へえー。目の周りが白いからメジロなんだねー。
 あれ? 全部灰色の同じ鳥に見えてるんじゃなかったっけ?」
 意地悪な問いに、哲也は顔を赤らめ背けた。
「べ、勉強したんだよ」
「あはは、ごめんって。違いの分かる男はかっこいいよ」
 その言葉に、哲也は更に顔を赤くする。
「おやおや? ふふ、君は表情豊かだったんだね? 前は常に無表情だったのに、今じゃリンゴみたいだ」
「もうやめて下さい……」
 哲也はもう悶絶して恥ずかしさの余り死にそうだ。昔の自分が恥ずかしすぎるのか、彼女に照れているのか、哲也には分からない。
そんな哲也を見て、女はけらけらと笑った。

学校の屋上から見る夕焼けは、酷く明るい朱色だった。

白に近い太陽が地平線の彼方へ沈みかけ、雲はまるで水に牛乳を垂らしたように薄く伸びている。
温かくて、だけどどこか寂しさを覚える、綺麗な色だ。

哲也の瞳から、涙が零れ落ちる。
理由は分からない。
ただ、心が、激しく波立っている。

「綺麗な夕日だねえ」
 
突然、背後から小鳥のような高い声が聞こえた。
だとというのに、哲也は動じず、振り向かずに答えた。

「そうだね。夕日はこんなに綺麗だったんだね。

 ……昔、僕は夕日が好きで好きで、いつも見ていたんだ」

「私はここから見る夕日が好きなんだ。君は―」

「好きだよ」
 
肩をすくめる女。

「結局、この夕日は何色なんだろうね?」

「白色だね。
 僕の世界じゃ、確かに輝いている、綺麗な白色だ」

「どう? 世界は輝いているでしょ?」

「そうだね。眩しくって困っちゃうよ」
 
女は哲也の横に立った。

「私は彩輝。君は?」

「俺は哲也」
 
彩輝は夕日を背に、哲也の前に立つ。
その場でくるりと一回転した。哲也は笑う。

「何か言うことは?」

「……?」
 
ニヤニヤと笑う哲也に、彩輝は地団駄を踏む。

「むっきー! 今日も可愛いね、でしょ!?」

「顔、見えないから」

「むきゃー!!」

彩輝はその場で飛び跳ね、地面を踏みつける。

「まだ見えないの!?」
 
ふざけてはいても、彩輝の声は真剣そのものだった。

「眩しすぎてね」
 
なるほど。世界は色とりどりに輝いている。

眩し過ぎて困っちゃうくらいだ。本当に。

白色の夕日が重なり彩輝の顔は相変わらず見えなかったが、その顔は確かに笑っているように哲也は感じた。


灰色の世界に彩りを! 終わり

本当はもう少し詳しく書いて、結局哲也は彩輝の顔が見えたのか、いつから彩輝を認識してたのか、とか詳しくやりたかった。
だけど初心者にはこれが限界。気力が尽きた。
文章や構成とか、一言アドバイス下さい。

そのうち、
彩輝が部長の娯楽部へ哲也が入部し、世界に色を取り戻す!
的なラノベ風味な展開にしてみたいです


結局最後まで彩輝の顔は哲也には見えなかったっての、分かりづらいですね

ついでにもう一作、5分程度の短編

故郷

私はあなたを知らないが、あなたは私を知っている。
そんなよくある田舎であり、現代日本の社会問題であった私の田舎。

村での最年少は私だった。
私しか子供はいなかった。
そんな田舎のため、たった一人の子供の私を村の皆のみならず、山の向こうの人も知っており、私が知らない人にすら大層可愛がられた。
長期休暇や正月や盆、帰る度にそれはもう孫のように可愛がられた記憶がある。

散歩をすると、畑仕事をしている爺ちゃん婆ちゃんに声を掛けられ、採れたての野菜を貰える。
キュウリを毟り、用水路で洗い、あぜ道で空を舞うトンビの鳴き声をBGMにかぶりつく。
日に照らされ、艶だった曲がったキュウリは甘く、渇いた喉を潤す。
トンビの鳴き声と田んぼと山。日に照らされた田んぼは反射し、村はキラキラと輝いて見えた。

疲れるとその辺の家に上がり、飲み物を貰ってお菓子を食べる。
そのまま昼寝をしたり家主の知らない爺ちゃんと将棋をしたりして時間を潰す。
いつも線香の匂いがする家だった。

子は県外へ行ったきり帰って来ず、夫は亡くなり一人で大きな日本家屋にいる婆ちゃんは私を実の子のように可愛がってくれた。
毎回毎回美味しくない謎のお菓子を勧め、私を豚にしたいのかと言うほど食べ物を勧める。
寂しいのだろう。あの手この手で引き止め、なかなか帰らせてくれなかった。

あぜ道に座っている知らない爺ちゃんにセミ採りしたいと言えば網とカゴを用意し、一緒にセミを捕まえてくれた。
セミ、カエル、トンビ、コオロギ、数多くの生命のオーケストラが村を賑わせる。

目覚まし代わりの鶏の卵を採り、暖めて孵そうとするも、いつもポケットの中で割れては親に怒られた。
ネズミ捕りを嗤うが如く真横を通り、卵を狙う大きなアオダイショウは我が家の一員であり、家の中にすら侵入する。

父が通っていた学校のプールで泳いで帰る途中、通りがかった軽トラは私を家まで送ってくれた。
アスファルトの上で力尽きたモグラに私は目を通しただけだった。

盆の墓参り。
山の上にある小さなお墓を目指し軽トラの荷台に乗る。
サスがヘタっているのか今にも陥没しそうなどうしようもない穴だらけの道が悪いのか、ガタガタと震える荷台から見る村の景色はとてつもなく広かった。

祖父が亡くなったのも幼い時。
歳を取るにつれ田舎に帰る機会は減り、年に数日、それも数時間のみとなった。
反抗期を迎えると、いよいよ田舎へは帰らなくなった。

反抗期を過ぎ、海を渡り県外の大学へと渡った私は実家にすら帰らなかった。
田舎のことなど頭になく、年に数回祖母の声を片手間に聞き流し、適当に相槌を打っていた。

祖母が危篤である。
その知らせを受けバイクに跨り、真冬の凍える道を追いかけてくる月すらも突き放す勢いで夜通し走り海を渡り、辿り着いた時にはもう葬式は始まっていた。

つつがなく葬式は進み、別れの言葉を皆の前で発表することになった。
大学生の男である。
泣くわけがない。
そもそも田舎のことなどここ数年忘れていたのである。

スピーチをしていると不思議と涙が溢れ、子供の頃の記憶が戻ってくる。
最後は言葉にならなかった。

食事では色々な人から大きくなったね、元気にしてたか、あんたがくれたセミの抜け殻まだ大切に持ってるよ、家に置いて行った釣竿まだあるよ。
次々と言葉が掛けられるが、私はあなたが誰なのか知らなかった。

遺骨を墓に納め、眼下に広がるかつて幼き時に見た村はとても狭かった。
久々に挨拶でもしようと昔ヤクルトをねだりに行っていた家へ行くと、朽ち果てた家のみ存在していた。
見渡せば朽ちた家があちこちに存在し、愕然とした。

本当にこの家だったかと記憶を疑いながら倒壊寸前の家へ入ると、懐かしい傷の入った将棋盤が懐かしい記憶と共に目に飛び込んで来る。
将棋に負けて怒ってぶん投げた時についた傷。
将棋を教えてくれた爺ちゃんの家に間違いなかった。
線香の香りはしない。

キュウリを勝手に食べてた畑は荒れ果てており、虫に食べられているキュウリが僅かに残っていた。
パサパサしており、以前の味は思い出せない。

父さんが子供の頃泳いでいた川。
父さん達が子供の頃ロープで木に吊るしたタイヤ。
20年後に私も使って川へ飛び込んでいた。
更に15年の時が経ってもそこに吊るされたタイヤは残っていた。
涙が溢れ出た。

あんたが子供の頃欲しがった蛇の抜け殻、爺ちゃんが渡してくれだって。
今となってはどうでもいい、頭まで綺麗に残っている蛇の抜け殻を、綺麗な御守りに入れられ知らない人の形見として渡される。
私が来たら渡そうと思っていたらしい。
私は誰にこの頭まである蛇の抜け殻をどうしてねだったのだろう。

父さんが通い、私も度々勝手に泳いだプールのある学校も廃校となっていた。
名簿や備品が昔の記憶のまま残っていたが、個人情報など大丈夫だろうかと湧き上がる気持ちを抑えてボンヤリ考えた。

荒れ果てたあぜ道に座ると、静かすぎて眠っているような、孤独な不安に襲われる。
目覚ましは鳴らず、オーケストラは聴こえない。。

あんなに可愛がって貰った村が、気が付けば終焉を迎えていた。
朽ちた家に荒れた田畑。
朝の四時から歩いてた爺ちゃん婆ちゃん達もいない。
かつて輝いていた村は、いや、輝いて見えた村は私に本当の姿をまざまざと見せつけた。

スッポンとブドウで有名な村は私に鐘の音を思い出させた。
爺ちゃん婆ちゃん達が、私が元気に育ってくれたらもう満足だと度々言っていたことを思い出す。

お礼も言えず、元気に育ったと顔も見せず、後悔してもしきれない、発狂したい気持ちが全身を駆け巡る。
そして、発狂したくても発狂出来ない自分が更に私をドン底に陥れる。

県外への就職が決まり、最早ここへ帰って来ることは難しいだろう。

最後にせめてお世話になった方のお墓参りでもと思ったが、足は途中で止まり、先へ進むことは二度となかった。

結局揺り籠から墓場まで。あなたは私を知っていて、私はあなたを知らなかった。

終わりです。
依頼してきます。

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