第1回十字軍「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」 (14)

このお話は、大分脚色されており、また間違っている部分も多々あるとは思いますが、
根本の部分は全て実際にあった出来事です。


11世紀から12世紀にかけての、イスラム教に支配された聖地エルサレムと十字軍とのお話。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1409051439

~1096年~ クレルモン教会会議にて

ウルバヌス2世「……では最後になるが。皆の者、良く聞けい!」(※1)

ウルバヌス2世「われらがキリシタンの聖地であるエルサレムは、知っての通り、ムスリム(※2)どもに支配されている!」

ウルバヌス2世「この事態を憂いている者は、私も含め、少なくはないはずだ!」

群集< …………………

ウルバヌス2世「では私たちは今なにをすべきか?……諸君とて、既に気付いていただろう。わかっていただろう」

ウルバヌス2世「しかしどうして誰も行動を起こさない?どうして何も訴えない!?」


群集「いや、そりゃあ…」「一人じゃ、ねぇ…」「俺なんかじゃ……」


ウルバヌス2世「答えは簡単だ!われわれは、たった一人ではとてもちっぽけで、弱いッ!!」

ウルバヌス2世「……私は考える。ならば、私は今、何をすべきか?教皇として、なにをすべきか?」

ウルバヌス2世「…………私がッ!!!」


群集「「「!!!」」」


ウルバヌス2世「おまえたちの意思を、全て束ねてやるッ!!」

ウルバヌス2世「今こそ聖戦の刻!!共にエルサレムを奪還しようではないかッ!!」

ウルバヌス2世「…………以上だ」


群集「「「う………」」」


群集「「「うおおおぉぉォォォォォ─────ッッッ!!!」」」



・・・・・・・・・・


1095年11月にクレルモン(聖堂の名)で開かれたクレルモン教会会議。
ウルバヌス2世は会議の最後に群衆へ向けて演説を行いました。
彼は異教徒に対する聖戦が必要であり、十字軍へ参加した者は罪が許されると訴え、人々は熱狂して「神の望みのままに!」と答えたといいます(なおこれに関しては資料が不確であり疑う学者も多い)。
この演説が、後の第1回十字軍、およびその後の十字軍運動の直接的契機となったことで非常に有名です。

※1...当時のローマ教皇。  ※2...イスラム教徒のこと。当時エルサレムを含む地域を支配し、エルサレムを「イスラム」の聖地としていたそうです。

~1096年 12月~

騎士A「とうとう十字軍の出番か……」

騎士B「思えば、よくもまあここまで集まったもんだよな」

騎士A「ああ、まさか民衆までこんなに集まるとはな……」


民衆「「聖地奪還!やっちまおうぜ───ッ!!」」

民衆「「おォ────ッッ!!!」」

民衆「つーかこれどう使うんだ?」「ばっかやろう、剣はこう持つもんだろ」「なんだその持ち方、おかしくねーか?」


騎士A「………アレ、大丈夫かなあ………?」

騎士B「まあ、別に剣くらい誰だって使えるだろ……多分」

騎士A「だよな……ハハハ……」

・・・・・・・・・・

1096年12月、ウルバヌス2世の呼びかけにより始まり、キリスト世界に広まった十字軍の第1回目の軍隊は、この日に各地より出発しました。
この中には、一般的ないわゆる「騎士」や「兵士」だけでなく、戦闘訓練などいっさい受けていない只の一般人、つまり民衆も
多く参加したそうです。
しかし、各軍がコンスタンティノープルに集結した際、民衆十字軍の醜態を見ていた東ローマ国王は彼らをあまり信用していなかったそうな。

※ここから第1回十字軍は一度エルサレムを奪還することに成功しますが、そこまでの流れはこのSSの雰囲気にあまり合っていないと判断したため、簡易的に説明します。


十字軍はその後、イスラム教徒の軍を次々と撃破すると同時に、道中にあったイスラム教徒支配下の都市を攻略(襲撃に近いイメージですね)し、虐殺、強奪、性的暴行等を行いながらエルサレムへ進んでいきました。
平和に暮らしていたイスラム教徒はもちろん十字軍に対してなんの備えもなく、団結することもままならないまま十字軍に怯えて道を開け、不戦勝を譲るしかありませんでした。
そのころから、十字軍内でも内部対立がみられはじめました。
その後もどんどんエルサレムへ歩を進め、1099年についにエルサレムの征服を果たしました。
しかし、エルサレムでも十字軍はユダヤ、イスラム教徒への虐殺・略奪をしていました。

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