男「母さん、腹減ったー」(41)

そう、人類の誰もが言わなくなったのはいったいどれくらい前のことだろう。
ある日、私たち人類はそれまで当たり前に持っていたものを失った。


いや、正確には与えられたのかもしれない。

始めにこの事態に気がついたのは一人の乳幼児の母親だったという。

「赤ん坊が乳を飲まなくなった」

そういって母親は病院に駆け込んだ。
しかし、いくら検査をしても赤ん坊の体に異常は見られない。

二日経ち、それでも赤ん坊は乳を飲むことは無かった。
そして、母親は気が付いた。
赤ん坊のことが心配でずっと病院にいた自分。
その自分にも全く食欲がわいていないと言う事を。
しかし、体には全く異常が見られないこと。


三日もたてばこの事態は世界中の人間が知ることとなった。

私たちは食欲を失った。
その代わりに、私たちは一生を何も食べることなく暮らしていけるようになった。

世界は大きく変わっていった。
飲食店は要らなくなった。
農業、畜産業、漁業などは衰退していった。
食糧不足、飢餓の心配が無くなった。


私が生きているのは、それから数百年が経った世界だ。

私がある少年に出会ったのは、日本自然保護区に遠足で訪れたときのことだった。


高校生の私はここに来るのは二度目になる。
動物が好きな私は昔父に連れてきてもらったことがあるのだ。

日本自然保護区は、山一つという広大な面積を誇る、世界でも珍しい自然保護区だ。
自然保護区では、今では食用として要らなくなった牛や豚、鶏などを保護している。

動物たちは、私たちが食欲を失った後も、捕食を続けている。
草食動物は草を。肉食動物は肉を。

当時五歳だった私は父にどうして動物は食事をするのかと尋ねてみた。
すると父はこう言った。

「彼らは、神から私たちに与えられた悠久の栄養を受け取れなかったんだよ。もしかしたら、受け取ってはいるけど人間のように賢くは無いからそれに気がつけないのかもしれないね」

五歳だった私は父の言葉の意味はよく分からなかったけど、なんとなく言いたいことは伝わってきた気がした。

そして、高校生になった私はこの日本自然保護区で一人…………


…………迷子になっていた。

「……まさか、こんな事になるなんて」

珍しい鳥を見つけたので夢中になって追いかけていたら、完全に他の生徒たちと逸れてしまった。
私ったらお茶目っ!!

なんていってる場合ではない。
遭難だ、納得できなくても遭難だ。


「まぁ。でも死なないよね?」

そんなに山を登ってはいない。
凍死や、酸欠の恐れは無いだろう。
餓死も今はしない。
だから気をつけなければいけないのは熊などの生物と出くわさないようにすることだ。
その為にはあまりこの場を動かないほうがいいだろ────

「あっ! 鹿だ!」

しかも親子のようだ、余り普段山道の近くを通らないので、生で見るのは初めてだ。

「すごーい!! 茶色だし、角もある!!!」

生きてて良かった!
興奮が抑えられない。
鹿の親子は私には目もくれずスタスタと歩いて行く。
私は、その後をゆっくりと静かについて行った。

気が付くと、川に出てきた。
鹿の親子は仲良く水を飲んでいる。
私はそれを少し離れた岩陰から眺めていた。

何時まででも見ていたい、見ていられる。
私はそう思っていた。

しかし、その光景は突如として奪われた。

風を切るような音が響いた時にはすでに、親鹿は倒れていた。
急いで近づくと、親鹿の胸には一本の棒が突き刺さっていた。

親鹿は動かない、息をしていない。
死んでいる。死んでしまった。

「ひ、酷い。なんで、こんなこと」
「生きるためさ」

親鹿の体から熱が失われていくのを手のひらで感じながら問うと、直ぐ後ろから答えが返ってきた。

振り向くと、そこには私と余り背の変わらない男の子が立っていた。
男の背には弓矢が背負われていて、手には鉈が握られていた。

一瞬、喉の奥まで悲鳴がこみ上げてきた。
でも、私は悲鳴を上げなかった。毅然とした態度で少年にの前に立った。

「何でこんなことをしたの?」
「生きるためだ。さっきもそう答えた」

少年は先ほどと同じ答えを返した。
生きるため。生きる為に殺した。
少年はそう言っているのだ。

「生きるため? 生きるためって、鹿を殺さなくても生きていけるでしょ!」

少年に私は、私たちの食欲は数百年前に失われたと、世界中の誰もが知っていることを告げた。それに対して少年は、答えた。

「それは、『生きる』ということじゃない」

私は少年が、もしかしたら私とは違う生き物なのでは無いかと疑い始めた。
話が通じない恐怖と常識が通用しないという怒りが混ざり合い、私の口から飛び出そうとしたとき、先んじて少年は言った。

「俺に一日付き合え、そうしたらお前に」




「生きるっていうことを教えてやるよ」




私は少年について行くことにした。
先の言葉を放った少年の瞳には何か、私に無いものが光って見えたからだ。

着いて行くと言った時、私は、私が迷子であることを思い出した。
少年にその事を伝えると、明日には山を降りるから俺についてくるなら安全に返してやると言われた。
ある意味ラッキーである。

現在少年は岩に腰掛、釣りをしていた。

私は河原で石を拾っていた。
珍しい石を拾っては、少年の腰掛ける横に置いていった

少年は私の拾った石を一瞬チラッと見ると、反応に困ったような顔をして直ぐに視線を川へと戻す。

私は途中からいかに少年の気を引けるものを探すことに躍起になった。

タンポポに始まり、姫林檎などを少年の横に並べた。
私が木の枝で鹿の糞をはさんで持ってきたときには、ついに少年はぎょっと驚いた顔をした。私の勝ちだ。

少年は、私にも釣りをしてみないかと言って来た。
いい加減、私も暇だったので少年の誘いに乗って釣竿を受け取った。

ただ、糸を垂らしていたら、急に竿が弧を描いた。
驚いた私は思わず手を離しそうになったが、後ろから少年が私の手を掴んだ。

少年は私にゆっくりと竿を持ち上げるように言って来た。

耳元に少年の吐息を感じた。

少年に促されるまま竿を上げていった。
しだいに魚が水面に上がってきた。

つれた魚は鮭だという。
この時期に釣れることは珍しいと、運があるといわれた。


さっきから感じる胸の高鳴りは、きっと達成感と興奮であろう。

それからもちょくちょくと川魚が釣れた。



日か落ちて、辺りは真っ暗になった。

私と少年は焚き火を二人で囲っていた。
途中、調子に乗ってはしゃいでいたら岩からすべり落ちて川に浸かってしまったのだ。
ちなみに落ちるとき、咄嗟に少年の手を掴んだので少年も巻き添えになった。

濡れた服は干して、少年に代えの服を借りた。

少年は実に手際よく火を起こし、魚をと鹿を調理していた。
私が目を話した隙に鹿を捌いていたとは。まあ、私も見たかった訳ではないので別に怒ってはいないのだが。

そうこうしているうちに肉と魚は焼けていた。


「食ってみろ」

そう言われて恐る恐る、お肉を口に運んだ。

涙が出た。
悲しくないのに、涙が出た。

心の奥底、そこから私の知らない何かが満ちて涙となって溢れ出した。

「これが生きるということだ」

これが、生きる。

私は自分の釣った魚も食べた。

こういうとき、何と言えばいいのだろう。
私は少年に尋ねた。

「美味しいって言うんだ」

美味しい。美味しい。
その言葉が私の中でこだまする。

私は少年に色々なことを尋ねた。
どこから来たのか。何しに来たのか。どこでこういうことを知ったのか。今の世界をどう思うか。
その全てに、少年はきちんと答えてくれた。


「北のほうから。歩いてきたんだ」

「狩をしに、食べてみたいものがあるから。旅をしているんだ」

「父から、父は父の父つまり俺の爺さんに教わったと言っていた」

「俺が、どう思うかではないけど。うちの家系には代々『今の俺たちは野良猫が餌をもらっているのと同じだ』って言う言葉がある」


私は少年にどうして動物は食事をするのかと尋ねてみた。
少年はこう答えた。

「それは、生きているからだよ」

生きる。
私は、私が生きていると思っていた。
しかし、私は生きてはいなかった。死んでもいなかったけど、生きてもいなかった。


次の日、少年は私を山の麓まで案内してくれた。

少年にまた会えるかと尋ねると、少年は

「俺は今度は南に行く、その次は海を越えて日本をでる」


「これから先、何かあったら人気の無い森で俺の名前を叫んでみるといい。服はそのときに返してくれ」

そういい残して、少年は去っていった。


一週間後
少年と別れた日、私はコッテリ親に絞られた。
もう、激怒を超えて弩激怒だった。

それから、私は何も食べてはいない。

食べ物なんて、手元に無いんだから。
これが今の私たちにとって当たり前なんだ。

そう思っていたけれど。一度、生きるということを知ってからは、あの感動を忘れられない。

そんな事を考えていると、座っている私の横を先生が通りすぎたとき、聞いたことの無い音が聞こえた。



『グゥ~』




終了です

理数系なので毎日数字やアルファベットとにらめっこしていると、活字が恋しくなります
つたない文章ですが少しでも楽しんでいただけたなら幸いです





間違えた、

乙ありがとうございます

まだつづくよね?

なんかすきです



このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom