「ポケモンを診るということ」 (13)


その日の救急外来は随分と忙しかった。
あらかた患者がいなくなったタイミングで、僕はついうとうとと眠ってしまっていたようだった。

「……先生、サツキ先生!」
「ぅあ、はい!」

僕を呼ぶ声に、乾いた喉であわてて返事をする。
焦点の合わない目を開けると、ピンクの髪を後ろで結んだ、すっきりした目鼻立ちの女性が立っていた。

僕が務めているポケモンセンターのジョーイさんだ。


僕が寝落ちしていたのは宿直室のソファーの上だ。

僕のお腹には読みかけの新薬の資料が散乱していて、起き上がると同時にそれらがパラパラと床に落ちた。

「先生。お疲れのところ申し訳ありませんけど、5分後に急患ですよ」
「や、すみません、自分だけ勝手に寝ちゃって……すぐ行きます!」
「ふふ、慌てなくてもいいですよ。問診だけ先にやっておきますから」

いつもと変わらない笑顔のジョーイさんは、そう言って宿直室を後にした。
ピンクの後ろ髪を見送って、僕はようやくソファーから立ち上がる。

「ん゛ー……、」

伸びをすると幾分か目が覚めた。
胸元のポケットに入っているポケベルで時間を確認すると、深夜の2時30分。

ジョーイさんからの着信が2件ほど入っていて、なるほどそれで起こしに来てくれたのか、と納得した。
脱ぎ捨てていた白衣を手に取って、僕は宿直室のドアを開けた。

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「ポケモンセンター」というと外傷……特にバトルで傷ついたポケモンたちを回復させる場所として知られているが、その実かなりの『なんでも屋』気質が強かったりする。

例えば救急車で運ばれてくるポケモンの初期対応。
例えば慢性期疾患の定期受診。
大きい街のポケモンセンターともなれば、入院加療できる設備も整って、数十床のベッドが常に埋まっているところなんかもあったりする。

僕が働いているタマムシシティのポケモンセンターは5階建てになっていて、1階にポケモンセンター、2階に簡易透視などの検査室と、職員のための詰め所が入っている。宿直室もその一部だ。
3階以上は病棟で、入院しているポケモンたちで常にいっぱいだ。


階段を降りると、ちょうど救急車が到着したところのようだった。

車内から滑り出てきたストレッチャー(移動式簡易ベッド)には、顔を赤くして荒い息を繰り返すデンリュウ。
その傍にはパートナーであろう、心配そうな顔のおばちゃんがデンリュウの手を握っていた。

「先生、お疲れ様です」
「お疲れです!」

救急隊員と簡単な挨拶を交わし、患者に最初に接触した際の様子が書かれたボードを手渡される。
「後は引き継ぎます」と伝えると、隊員も「では」とすぐにセンターを出て行った。
別の場所でも、救急車を必要とするポケモンがいるのだろう。

パートナーのほうを向くと、口元にハンカチを当てていたおばちゃんは不安そうな顔を上げた。

「こんばんは。タマムシシティ ポケモンセンター担当のサツキです」
「ああ先生、うちのモモちゃんは……!」
「ええ、夜中に大変でしたね。検査するのでしばらく待合でお待ちください」

よろしくお願いします、よろしくお願いいたします。
おばちゃんが何度も会釈をしながら処置室を出て行ったのを横目に、僕はボードに目を落とした。


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【profile】
デンリュウ ライトポケモン
名前:オウサカ モモ

【主訴】
発熱

【現病歴】
7月7日午前0時ごろ、眠っていたデンリュウの身体が熱いことにパートナーが気が付いた。
風邪かと思い、市販の風邪薬を内服したが発熱は持続し、呼吸も苦しそうになったため救急要請。

【内服】
市販の風邪薬

【既往】
先天性前額宝石欠損(オーキド研究所で定期検診)

【特記事項】
バトル経験なし

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きたい


「メスのデンリュウで、主訴は発熱……か」

呟いて僕は厚いゴム手袋をつけた。

でんきタイプのポケモンが発熱しているとき、迂闊に触れてはいけない。
その熱が『感染症』で、病原菌に対する免疫応答の結果であれば良いのだが、『電嚢炎』であれば触れると感電する恐れがある。

特に今回の症例はその可能性が高い。

「とりあえず血液検査ですね。後でんき穿刺の準備お願いします」
「はい!」

ジョーイさんはてきぱきと検査の準備を始めてくれた。
その間に再度ボードを見直す。

「わざは……そうか、バトル歴がないのか」

デンリュウやミニリューなどの身体に宝石を埋め込んでいるポケモンがいる。
彼らは宝石内のエネルギーをでんげきやこうせんに変えるという特殊な性質を持っている。
宝石は生体のエネルギーを効率よく『わざ』に変換する炉のようなものだ。

だから、先天性の宝石奇形を持っているポケモンはエネルギー変換がうまくできないことがある。
このデンリュウも、本来赤い宝石があるはずの額には、こぶのような茶褐色の小さな瘢痕がみられた。

「10まんボルトは覚えていますか?」
「覚えていますね。わざは『10まんボルト』『でんきショック』『たいあたり』『なきごえ』です」
「さすがジョーイさん。ありがとう」

バトルをしないポケモンたちは、わざの調整がされていないことが多い。
未だに、なきごえなんかを覚えているのはそのためだろう。


「穿刺の準備できました!」
「ありがとう」

症状からも、おそらく『電嚢炎』で間違いないだろう。

でんきわざが不完全に発動した際、でんきが身体の中に溜まる。
それが許容量を超えると、発熱や痛みが出る疾患だ。

バトルを数多くこなしているポケモンよりも、この子のようにわざを出すことに慣れていないポケモンや、ベビィポケモンがなりやすい傾向がある。

「よし、やるか」

であれば穿刺によってでんきを逃がす治療が有効となる。
針を刺す痛みはあるが、それほどポケモンに害を加えない検査(兼治療)なので疑った段階で行ってよい。

「オウサカさんに検査の同意書もらってきますね」
「はい、お願いします!」

僕は苦しそうなデンリュウの背中に触れた。

「キュウ……」
「よしよし。もうすぐ楽になるから、ちょっとだけ頑張ろうな」

声をかけるとデンリュウは少し安心したのか、フゥと息を吐いた。

なにこれ期待


僕はデンリュウをうつぶせにして、浮き出た脊椎を指でなぞる。
背骨の両側に『電嚢』という小さな板状の器官が、板同士をくっつけるようにして長く続いているのだ。

身体全体でみると、頭側がプラス、尻尾側がマイナス。
プラスルやマイナンがいる病院なら針も刺さずに治療が可能なのだけれど、今日はでんきタイプのポケモンが常時待機している日ではなかった。

「じゃあ、少しデンリュウを押さえていて」
「はいっ」

ジョーイさんもゴム手袋をつけ、デンリュウの両手を上から押さえた。
足の方には長い絶縁体バンドを巻き付け、暴れないようにしている。

電嚢穿刺は、この板状の器官に2本の針を刺し、そこから溜まったでんきを身体の外に流してやることで治療する方法だ。
局所麻酔をしてから行うため痛みは少ないが、『針で刺される』こと自体の恐怖心も強い。

「じっとしててね」

僕はデンリュウの背中に手を当てた。
ジョーイさんから電嚢穿刺に使用する針を受け取る。

針は1本目がプラス、2本目がマイナスの導線につながっていて、その先には蓄電器のような機械がつながれている。

「ヴヴヴ……」

デンリュウが機械を見て低いうなり声をあげ、僕は背中をさすった。
怖いだろうけど、穿刺後にはすぐに症状が改善するのが電嚢穿刺のいいところだ。

「じゃあ、やります」

麻酔を効かせた後、位置を確かめながらゆっくりと針を進めていく。
針は2㎝ほど進んだところで『パチっ』と音を出した。

電嚢に入った証拠だ。

「もう1本」

受け取って、今針を刺した場所の隣を狙って、2本目の針を刺していく。
針はもう一度『バチッ』と言って、ずっと身体を強張らせていたデンリュウの力が、すうっと抜けるのが分かった。


「先生、本当にありがとうございました、ありがとうございました」

「いえいえ、良くなってよかったですね」

オウサカさんは、元気になったデンリュウと一緒に、何度もお礼を言いながら帰っていった。

電嚢炎を起こしたポケモンは、癖がつくとしばらくは電嚢炎をおこしやすい状態が続いてしまう。
また来ることがないといいのだけど。

「先生、お疲れ様」

ふうと一息つくと、ジョーイさんがコーヒーを差し出してくれた。
僕はシナモンを入れた少し変わり種のコーヒーが好きで、当直をしている時にはよく淹れてもらう。

一口飲むと、温かい甘みが全身にしみわたっていくようだった。
深夜に飲むと格別にうまい。

「今3時半ですね先生、もう一度眠ります?」

「いえ、なんだか目が冴えちゃったので、多分起きてます。一度宿直室に戻るので、また患者さん来たら声かけてください」

「はい。じゃあ後ほど」

おかえりなさい


ぱたん。
宿直室のドアを閉めると、しんとした夜の静けさが再び訪れた。

夜に音がないのはどこも同じだ。
外ではむしタイプのポケモンだろうか、リンリンとかカラカラ、コロコロと不思議な鳴き声がかすかに聴こえた。

ソファーに座り、読みかけだった資料を手に取る。
ふああ、と間抜けなあくびが出てしまったが、やっぱり眠れそうにはなかった。

「『進化キャンセルの弊害』『わざマシンの被ばく量タイプ別』『妊娠しているポケモンへのインドメタシンの使用』……」

今持っている一冊は、毎月購読している医学雑誌だ。
僕の知りたい病気については、今回も何も書かれていない。

なんとなく文字の羅列を目で追ってみたが、当直疲れの頭には何一つ入ってこなかった。
無機質な活字が眠気を誘う。

小さな文字がくにゃくにゃしたドジョッチみたいに見えだしたころ、僕の携帯がピピピと音を立てた。

「もしもし」

《先生、また急患ですよ。5分後です》

「はいはい、すぐに行きます」

ピッ、と通話を終了して、雑誌をゴミ箱へ。
白衣の襟を正して、僕はまた1階へ向かった。


§1 過氷結

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