ほむら「あなたの欠片を」(217)
空を見上げる。
夜を裂いて広がる銀河に、手を伸ばし、声を掛ける。
「まどか、元気にしてる?」
『うん、元気だよ』
「今日はね、面白いことがあったんだよ」
『何があったの?』
「えっとね……」
あなたと話しているだけで、私の心は満たされて。
あなたの笑い声も笑う顔も笑う仕草も、すべて私の中に。
でも、それは幻。
私に相槌を打ち、反応し、言葉を返してくれるまどかは、私の弱い心が作り出した幻。
そんなことは分かってる。
だから消えてしまう。
哀しそうな笑みと共に、彼女の姿は闇に溶ける。
私はいつまでもこの場から離れられない。
雨の降りしきる中、あなたを失ったこの場所を。
あなたの言ったお別れが、私の心を縛り付けて離さない。
この痛みが癒えるまできっと、ここに来ては独り宙へと語りかけるのだろう。
無駄と知っていながらも。
暁の焔が空を紅に焼く。
仄かに瞬いていた星たちは夜の果てへ。
また夜は明ける。
明けて一日が始まる。
あなたのいない日常がまた。
彼女が概念となった世界。
私は今も戦い続けている。
引き絞られた弦から、矢が放たれ。
高速で飛ぶ鏃に追従するように、魔力の弾丸が流星と流れ、魔獣を殲滅した。
「ふむ、相変わらず見事な技量だね」
「当たり前よ」
繁華街。
人の感情がよく集まるこんな場所は、魔獣どもにとって格好の餌場。
私たち魔法少女にとっては、格好の狩場。
投げかけられる称賛の言葉に、これといって感慨はない。
幾百の魔獣を屠っただろうか。
いつしか数えることは止めていた。
穢れを吸い取り終えたグリーフシードを、後ろ手に放る。
地を打つ音が無いことを確認して、歩みを進める。
瘴気を肌に感じながら。
彼女のリボンにそっと触れながら。
「今日は本当に瘴気が濃いね」
「全部潰すだけ」
迷いはない。
それは私の生きる意味。
ただ寂しさに溺れながら、今日も力を振るう。
あなたの力を。
ねえ、まどか。
会いたいよ。
思いは届かず、目の前に現れるのは醜い獣。
蒸し暑い空気を力任せに裂くように、翼を広げ空を舞う。
「あら、先客ね」
一人暗闇にたそがれる私に、声が投げ掛けられる。
言葉の主は巴マミ。
「こんな所に何の用が?」
「その言葉、そっくりそのまま返すわよ」
「それも、そうね」
魔獣を狩り終えると私はいつも、朝までの時間をここで過ごす。
かつてまどかと別れたこの場所で。
何の変哲もないビルの屋上、そんなところに腰掛ける私。
さぞかし彼女の目には奇妙に映るだろう。
だからこそ私も、彼女のことを不思議に思う。
「どうしてかしらね、パトロールをしていただけなのに」
「自然と迷い込んだのなら、夢遊病の気でもあるんじゃないかしら」
「もう、バカにしないで」
そんな会話を二つ三つ繰り返して、
少しの沈黙を経てから、ゆっくりと言葉が吐き出される。
「ここ、何かあったのかしら」
「何って?」
「どう言えばいいのか分からないけれど。
喪失感、虚無感、あたりが近いのかしら、それに誘われて、気付いたらここに居たのよ」
「……」
「美樹さんが導かれてしまった時。
あの時あなたが零した言葉が、何故か胸から離れなくて」
覚えているということではないだろう。
あったはずのものがなくなった、その不具合が出ているだけ。
知らんぷりをしてしまえば、きっと日常に埋もれていくだけの小さな齟齬。
だけど。
「知りたいというなら、教えてあげる」
「知りたいわ」
「そうね、魔法少女が当然のように解している理。
それがどのように作られたのか、考えたことがあるかしら」
ただの概念になり果てたはずのあなた。
あなたが生きた証は、記憶という形を取り私の心に残された。
消滅の運命を免れて。
それならば、語り伝えていくことで。
何かを起こせると信じよう。
「……信じられない」
「聞いたのはあなたじゃない」
「ええ、そうなのだけれど、さすがにそう信じられるものじゃないわよ」
「僕も同じことを聞かされたけどね、その反応が妥当だろう」
「あらキュゥべえ、いたのね」
「ひどいなあ、マミ」
「もう少し詳しく話した方がいいかしら」
「興味はあるのだけど、ごめんなさい。
今は自分の中で情報を整理しないと、ちょっと混乱しちゃいそう」
「まあ僕も、作り話として切り捨てるには、あまりに出来すぎていると思うかな」
これくらいが限界だろうか。
信じられないのはきっと無理もないこと。
世界の在り様を変えてしまった魔法少女の存在なんて、作り話と思われない方が難しい。
でも、彼女には信じて欲しい。
あの子の師として。
「もう少し時間を頂戴」
「ええ」
それからは、やくたいもない世間話に花を咲かせた。
学校のことや進路のこと、最近駅前に出来たショッピングモールのこと。
夜になって幾分か空気も涼み、ビル風が程よく私たちの身体を冷やしていく。
「随分と忙しそうね」
「学生しながら魔法少女の仕事もこなさなきゃいけないんだもの、当たり前よ」
「大変じゃない?」
「今は佐倉さんやあなたが手伝ってくれているから、そうでもないわ」
「そう言えば、杏子はどうしたの」
「……また」
「そう」
「乗り越えるには、まだちょっと時間が要るみたい」
「無理もないわ」
「君達二人で回るには、ちょっとこの街は大きいし、早く復帰して欲しい所だけど」
「あまり女の子を急かすものじゃないわよ」
「ええ」
「やれやれ、君達のためを思って言っているのにな」
思わず耳を疑うような発言を努めて冷静に聞き流して。
空が白み始めたことを確認し、腰を上げる。
こんなビルにも、鳥の朝鳴きが聞こえてくる所は、いかにもこの街らしい。
「あら、行くのかしら」
「もう朝じゃない、学校はどうするつもり」
「このまま行こうかなって」
「お風呂くらい入りなさいよ」
「ふふ、そうよね」
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「佐倉杏子」
「……ん、ほむら」
放課後を迎えた私の足は、自然とある場所へ向いていた。
とある市営地下鉄のホーム。
夕方ということもあり、多くの人が行き交う中、一人ベンチで佇む彼女。
とても小さく、儚げに。
「何の用さ」
「グリーフシード。 届けに来た」
「いらないって言ってんのに」
「好きでしていることよ」
ソウルジェムにグリーフシードを押し当てる。
口では拒否していたけれど、抵抗するような素振りは見せない。
片膝を抱えて縮こまる姿に、いつか見た雄雄しさは欠片もなく。
彼女は口を開かない。
ただ時間と人波だけが流れ続け、役目を終えたグリーフシードをキュゥべえに与えて。
それからしばらくの沈黙を経て、ようやく私の口は言葉を紡ぐ。
「ねえ」
「何だよ」
「どうして力尽きた魔法少女が消えてしまうのか、興味はある?」
「まあ、それなりに」
「話してあげる」
また私は語り始める。
そんな機会を与えてくれた、何処かの誰かに想いを馳せながら。
「世界の理そのものになった魔法少女ねえ、とんでもねえ話だな」
「信じられないかしら」
「そんな簡単に信じられるモンでもないだろ」
「まあ、それもそうね」
「大体、何でお前がそれを覚えてるんだよ。
存在が一切合切消えちまって、記憶だけ残ってるって訳わかんねーって」
「奇跡でも、起きたんじゃないかしら」
消えてしまうはずだった、あの子の記憶を。
私たった一人が引き継いだことが、奇跡でなくて何だろうか。
「まーた根拠のないことを」
「そうとしか言いようがないんだもの、しょうがないじゃない」
「なんだってそんな突拍子もない話を、あたしにしたのさ」
「道をあげようと思って」
「道?」
「ええ」
まどかが私に教えてくれたこと。
何もかもみな消えてしまうこと。
でも、心の中に残っている。
「美樹さやかは消えた、もう戻って来ない」
「でも、彼女が生きた証は、あなたの胸に傷跡として刻まれている」
「彼女の想いを知っているのは、私と巴マミ、それにあなただけ」
「誰よりも美樹さやかに近かったあなたが口を閉ざしてしまったら」
「彼女は埋もれてしまう、時の中に」
誰からも忘れ去られてしまうことは、きっととても怖い。
それは真の空虚。
だからこそ私が、世界を廻し続けた応報として、全ての記憶を保持し得たのかもしれない。
あの世界の営みを忘れ去ってしまわないように。
自分の事に多少の意識を取られていることを自覚し、改めて佐倉杏子に目を向ける。
「あなたは、どうしたい」
「あたし、は」
本当はゆっくり考える時間をあげたかったけれど。
この世界は、そんなに甘いことを許してくれない。
結界が私たちを包み込み、魔獣がずるりと地面から生える。
「うん、決めた」
明朗な声と共に、炎が燃え上がるように。
朱を基調とした装いが彼女の身を包む。
「行きましょうか」
「ああ」
「こんなもんかね」
「久し振りにしては、まあ合格点かしら」
「なんでそんなに偉そうなんだよ」
「気のせいじゃない?」
杏子と一緒に戦うのはとても久し振りで。
それでも、自分の足で立つ彼女はとても強かった。
あっさりと魔獣を片付け終え、地下鉄のホームに二人佇む。
ラッシュの時間帯はいつの間にか過ぎていて、そこに人はほとんどいない。
変身を解いた杏子は、屈託のない笑みを私に向けて。
「ありがとな、もう大丈夫だよ」
「助けになれたのなら、よかった」
「あ、ただ一つ頼みがあってさ」
「頼み?」
「ほむらはさ、その魔法少女の事を語り継ごうとしてるんだよね」
「ええ、そうね」
一拍。
珍しく、言葉を選んでいるようで。
その思いを受け止めるべく、私も心の準備を整える。
そして。
「さやかのこともさ、時々話してあげてくれないかな」
「あいつはあいつなりにさ、ほむらとも折り合いを付けようとしてた」
「なかなか素直になれないって、あたしに相談に来てたんだよ」
「結局、こうして、だめだったけどさ」
「あたしの口からに、なっちゃった、けどさ」
美樹さやか。
ほとんどのループではいがみ合うばかりだったけれど、そういえば、確かに。
ごく初めの頃は、私の数少ない友達だったっけ。
もう記憶は薄れてしまっていて。
それに気付いた途端、罪悪感が私の心を握り潰す。
彼女を思い泣いている佐倉杏子の姿が、さらに胸を締め付ける。
「約束する」
「頼むわ」
弁解しても、伝わることはないだろう。
これからの行動で、消えてしまった彼女に報いよう。
自己満足かもしれないけれど。
「んじゃ、またな」
そう言い残して佐倉杏子は去っていった。
どこへ向かうのかは知らないけれど、その目には力が込められていた。
きっと自分のすべき事を見つけたのだろう。
私のすべき事。
語り伝えていくにしても、どうしよう。
本でも書こうか。
そう思って、踵を返そうとした時に。
視界の端に、何かが映る。
「……?」
それは透明な欠片。
グリーフシードと同じ、立方体の結晶。
かつて美樹さやかが逝った場所に、不思議な存在感と共に。
見て見ぬ振りをすることも出来たけれど。
何故か放っておけず、拾って灯りにかざしてみる。
「綺麗」
きらきらと光を反射する。
まるで吸い込まれてしまいそうなその欠片に、何故か親近感を覚えて。
「キュゥべえにでも、聞いてみようかしら」
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「この世界の物質ではないようだね」
「グリーフシードと、何か共通点はあるかしら」
「似てはいる。
けれど、本質的には違うような……いや、分からないな」
「随分と曖昧なのね」
「勘弁してくれよ、僕も全知全能って訳じゃあないんだ」
そこまでのことを期待していたわけではない。
むしろ、分からないという答えにこそ、価値はある。
「イレギュラー、と捉えていいの?」
「意思を持った人間ならばともかく、ただの石ころをそう呼ぶのは抵抗があるけど」
「ただの石ころなの?」
「いや、まあそうとも言い切れないけど」
「そう」
キュゥべえにも分からないのなら。
きっと私が考えても、分かることはないだろう。
この欠片が、あの子と何か関わりのあるものだといいな、と、そんな楽観を抱きながら。
「聞きたいことも聞いたし、今日は寝るわね」
「杏子も復活したみたいだし、ゆっくりお休み」
久しくまどろみに落ちていく。
せめて夢の中では、幸せに過ごせますように。
『ほむらちゃん、お願いがあるんだ』
『この世界に広がってしまった、私の欠片を集めて』
『魔獣に奪われてしまわないように』
夢か現か。
金縛りにあったように動かない私の体へ、想い人の声が降る。
言葉の意味は、分からない。
頭が動かず、ただ文字として耳を通り抜けていく。
せめて忘れてしまわぬよう、その音を脳髄に刻み付ける。
視界は闇。
黒の中に少しずつ白が混じり。
薄れる声と共に、闇は晴れていく。
目を覚ましたら、そこは戦場だった。
「起きたかい、暁美ほむら!」
「状況を!」
「魔獣がいきなり湧いた!
マミがすぐに駆け付けてくれたけど、いつもとは違う、数が凄まじい!」
「何を言っても起きないんだもの!
あなたのソウルジェムを守るのも必死だったわよ、早く手伝って!」
言われずとも、とうに戦装束は纏っている。
結界の中には私と、巴マミと、キュゥべえと、魔獣の群れ。
そして、あの欠片。
この腕の中に。
「ええ」
頭の中で言葉を反芻させる。
彼女の声が鮮明に蘇る。
あなたの欠片を、
決して離すものか。
背から白い翼を生やし、空へと飛び上がる。
感じる力は尽きる気配もない。
エネルギーの塊を、弓に番えて撃ち放った。
「ようやく……片付いたわね」
「そう、ね」
「お疲れ様、二人とも」
疲弊しきった顔を、巴マミと突き合わせる。
魔獣の量は怒涛の如く、こうして殲滅し終えたことが奇跡と感じられるくらいだった。
数に押し潰されてしまえばそれで終わり。
気付けば魔力の殆どを使い果たし、それでもなんとか生き永らえていた。
結界が解けていく。
戻る視界は、私の部屋の中。
こんな所に、あんな数の魔獣どもが湧いたとは、この目で見ても信じられない。
それは彼女も同じようで。
「何だったのよ」
「話すけれど、ちょっと休まないかしら」
「そうね、さすがに、疲れたわ……」
「出来れば、佐倉杏子も交えて話したいのだけれど」
「あたしならいるぞー」
「おや、いつの間に」
「随分といいタイミングね?」
「とんでもない結界の気配を感じたのはいいんだけどな、着いたと同時くらいに消えちゃってさ」
「もうちょっと早く来て欲しい、大変だったのだから」
「はは、悪い悪い」
まあ、手間が省けてありがたい。
私も巴マミもすぐには動けそうにないし、今また襲われたらひとたまりもない。
こうして彼女が居てくれるのは、単純に安心できた。
そんな中、グリーフシードが穢れを吸い込むのを傍目に、頭の中で言葉を探すけれど。
よく考えたら、一言で済んでしまうことに気が付いた。
説明を求める視線を受けて、声にする。
「夢で見たの」
「は?」
「端的に伝えようとしたら」
「いいからちゃんと話せ」
「聞いて貰う気あるのかしら」
「……ごめんなさい」
二人の叱責には返す言葉もない。
それほど思考能力も落ちていたのだと、言い訳をしようかと思ったけれど。
これ以上白い目で見られるのはごめんだし、やめようかな。
それよりも、ちゃんと二人に説明をしなければ。
「杏子、あなたと別れた後、駅のホームでこの欠片を拾ったの」
「何だそりゃ? グリーフシードに形は似てるけど、色がないな」
「うなされている間も、ずっと握り締めていたわね」
「私も何かは分からなかった、キュゥべえすらも知らない物質だった」
「そうだね、正直さっぱり分からないよ」
「その欠片がどうしたってのさ」
「あなたたちに、世界を塗り替えた魔法少女の話はしたでしょう」
そんな抽象的な言葉はもう要らない。
大切な、大切な大切な名前を。
「その魔法少女の名前は鹿目まどか。
とても優しく、とても強い、私たちの仲間だった。
彼女は自分の存在をこの次元から消し去って、世界の理を書き換えたの」
「この世界にあるはずのない、その子の欠片。
おそらく魔獣を引き寄せているのは、この欠片のせい」
「この空白感は、そのせいだったのかしらね」
「興味深い話だが、その子の欠片と、魔獣と、どんな関係があるんだい?」
「仮説に過ぎないけれど」
そう前置いて、頭の中で思考をまとめる。
消えた魔女、現れた魔獣。
彼女のしたこと、世界の在り様。
「かつてこの世界に、魔獣は居なかった」
「まどかの願いは世界を歪め、魔獣を生んだ」
「彼女の介入を世界は嫌い、なかったことにしようとしている」
「そのために魔獣は、人々の感情を吸い、グリーフシードとして力を集めている」
「そして彼女の欠片は、私が記憶を引き継いだ結果、世界に漂う情報の結晶として現れた」
「魔獣はそれを糸口にして、高次元にいるまどかに接触し、消そうとしている」
「筋は通っているね」
「夢の中でまどかは私に言った。 欠片を集めてと」
脳髄に焼き付けた声。
一字一句違わぬよう、言葉に変えて。
「『この世界に広がってしまった、私の欠片を集めて』」
声帯を震わせながら、私は言葉を再び胸に刻み込む。
その意味を、その恐ろしさを。
希望が絶望を生み、絶望がまた絶望を生む淀んだ世界の記憶を。
「かつての世界では、希望を懐いた魔法少女は例外なく絶望し魔女へと変わった」
「恨みと憎しみと悲しみの果てに、世界を呪う存在となった」
「魔獣を止められなければ、きっと世界はまたその姿を取ってしまう」
そんなの、絶対に間違ってる。
あの子がそう言い張ったように、私もまたそう言い続けてみせる。
しばしの沈黙の後。
巴マミが口を開く。
「あなたの話、本当なのね」
「ええ」
「嫌だな、私、それだけ大切に思った子のこと、忘れちゃってたんだ」
「……無理も、ないこと」
「信じるわ。 欠片探し、手伝わせて」
巴マミの言葉を、あの子は認識出来ているだろうか。
きっと聞いてくれているはず、そう信じながら、
僅かに震える彼女の手を取って。
「とても心強いわ、ありがとう」
「お礼はこっちが言いたいくらいよ」
「かつての世界とやらに戻ったら、どうなるんだ?」
佐倉杏子の問いに対して、私の考える答えはある。
でも、それを伝えていいかどうか、分からない。
言ってしまえば、彼女はきっと協力してくれるだろう。
だがそれは、ある種脅迫に近いのではないか。
「私の主観が入りすぎてしまって、客観的に説明出来そうにない」
「いいよ、あたしも参考にできればって程度だったしさ」
「話を聞くまでもなく、悲惨の一言に尽きるでしょうしね」
悲惨か。
みんな死んでしまったその世界は、きっとそう形容されうるだろう。
おそらくは、話さなくて良かったのだろう。
彼女たちはこの世界に生きていて、この世界で生きようとしているのだから。
「あたしも手伝うよ」
「感謝するわ」
力を取り戻した彼女の言葉に、私もまた勇気付けられる。
記憶がなくとも、存在がなくとも、あの子は私たちを結び付けてくれる。
「そうと決まったら、すぐにでも動きたいのだけど」
「けど?」
「……疲れて、動けない」
「……ごめんなさい、私も」
「無理すんなよ、風呂でも入ってこい」
「そうね、それもいいかも」
「後で私も借りていいかしら」
「ええ、もちろん」
「とりあえず、何か変なことがあったらあたしが見とくからさ」
ありがたい話だ。
体が汚れるだとか、そういう問題がある訳ではないけれど、ちょっと心を休めたい。
これからもっと厳しい戦いがあるのだから、ちゃんと気力は充実させないと。
そんな言い訳をあれこれ考えつつ、私の足は脱衣所へ向いていた。
「佐倉さん、大丈夫なの?」
「何がだよ」
「あなた、実は間に合ってたでしょう」
「うっ」
「怖い?」
「別にタイミング見計らってただけだし」
「無理をする必要はないのに」
「マミたちだけに行かせるのは不安だし?」
「強がっちゃって」
「はん」
「まだあまり時間も経ってないのだから、ちゃんと心を労わりなさいよ」
「…………ん、ありがと」
「じゃあ、行きましょうか」
「それはいいけど、どこかアテはあるの?」
「探すつってもあのサイズじゃなあ」
「大丈夫、何箇所か」
「あら、頼もしい」
「どこよ?」
当然、推定に過ぎないわけだけど。
確信に近い自信があった。
「まずは巴マミ、あなたの家」
声を受けた彼女は、ぴたりと硬直し動かない。
仕方のないことかもしれない。
「それくらいにあの子は、あなたのことを慕っていたから」
「ほんとに、何で忘れちゃったのかしらね」
「覚悟の上だった。 あなたは何も悪くない」
そうやって心を痛めている巴マミの姿に、心から申し訳なさを感じる。
傷を知覚してくれているだけ、まどかも救われていると思うけれど。
その対価として支払われるものは、あまりに大きすぎはしないだろうか。
そう思ってしまうほど、目の前の彼女は痛ましかった。
「行きましょう、あなたが忘れ去ってしまったものを取り返したいと思うのなら」
「思い出せるかしら」
「きっと奇跡は、起こせるものよ」
それでも私はこの道を進もう。
彼女たちの心の痛みは、きっとそうすることでしか癒してあげられない。
その過程でどれほど傷付けてしまうのか、今更ながらに疑念が湧き上がって来たけれど。
もう、戻れない。
*****************************************
「確かに、こりゃすげーわ」
「この規模の結界は、そうそうお目にかかれないね」
そうして辿り着いた巴家には、巨大な結界があった。
何もかもを呑み込んでしまうような、巨大なものが。
「皆、準備はいい?」
「いつでもOKよ」
「ああ」
視線を交わす。
二人とも、その目に迷いはない。
心の内までは測りようがないが、各々の信ずるものを確かに燃やしていることは分かる。
「行きましょう」
背中にその存在をひしひしと感じながら。
戦場へと沈んでいく。
降り立った先は広大な空間。
しばらくは何も見えなかったが、
ある程度の距離を進んだところに、魔獣の群れが蠢いていた。
ひとまず引き返し、作戦を打ち合わせる。
「無限射程の光線に対して、二次元的に戦うのは愚策でしかない」
「そりゃそうだな、ってことは近付いて殴るしかないか」
「腕が鳴るわね」
近接格闘、インファイト。
確かに一次元的なアプローチは有効だが、それだけでは数の暴力に押し潰されてしまう。
たった三人では、とても力が足りないだろう。
さるっちゃいました
あと少しなので携帯から
私がそばにいたから満足?
死んでしまったのに?
この子はそんな事を言う子だったか?
そして何よりも。
絶対に信じたくなかった一つの仮説は、この子によってまで肯定されてしまう。
混乱する頭に追い討ちをかけるように、
またこの生き物が声を発した。
「僕の仮説はある程度正しかったという事かな、鹿目まどか」
「久し振り、キュゥべえ」
「僕からすると初めましてになるんだけど」
「あなたは変わらないね」
「まあ、変わる元がないからね」
一人と一匹の会話は、とても不思議なもの。
初めて会ったようなぎこちない感覚と、ずっと連れ添ってきたようなくつろいだ感覚。
まどかは一度言葉を切り、また話を戻す。
「みんなの最期を看取ったあなたには、何か言わなきゃいけないことがあるんじゃないかな」
「ああ、そういえば、彼女たちから君宛に遺言を預かっていたんだっけ」
「ゆい、ごん?」
「マミ曰く『私はあなたを恨んでいない』
杏子曰く『こんな終わり方も悪くない』だそうだ」
「どうして、どうして今まで」
「タイミングがなかっただけさ」
彼女たちの遺したことばは、優しいものであるはずなのに。
胸を締め付けるこの感覚は一体何なのか。
ただ自身を強く抱きしめ、辛うじて叫ぶことを堪えているくらい。
そんな私を他所にして、状況は移ろって行く。
「そうそう、君に会えたら聞きたい事があったんだ」
「……」
「かつての世界では、魔法少女は絶望し魔女に変わったらしいね」
「……」
「その理を変えてソウルジェムごと消滅するようにしたのは君、そういう解釈で合っているのかな?」
「……うん」
「なら、君が消えれば、またその世界に戻るんだね」
一気に空気が変わる。
キュゥべえが台詞を吐き終えるや否や、魔獣がまどかを取り囲むように山と沸いた。
その円結界の中には、私も。
肩に背負ったものはあまりに重い。
今にも押し潰されてしまいそうなほど。
彼女たちが幸せに逝けたから、それが何だというのか。
己の罪深さに慄く私。
心を塗り上げる言葉は一つ。
「――――――認めない」
怒り、悲しみ、後悔、懺悔、自責、ありとあらゆる感情が頭の中でごちゃ混ぜになっていく。
それでも私は立ち上がる。
背から生える翼のどこにも、いつかの白はもう見えない。
黒く黒く、染まり、鋭く鋭く、尖って。
それはまるで私の思いを代弁しているようで。
「運命なんて言葉、絶対に認めない」
高く昇る光の柱を見つめていた視線を、降ろす。
その先には魔獣。
私の大切なものを奪い、また今、奪おうとしている侵略者。
瞳孔が開くのを自分でも感じる。
翼に力が漲り、植物の根が広がるように、虚空へと黒が脈動して伸びていく。
思いの流れるがままに、ただ憎しみを、解き放った。
力は渦を成して竜巻となり、私とまどかだけを残して、何もかもを壊し、呑み込んでいく。
「ほむらちゃん、ありがとね」
「どうして」
あっさりと結界は解け、私たちはビルの屋上へ戻ってくる。
そして私はまたここで、彼女とお別れをしなければならない。
「どうして私は、一人になっちゃうの」
「それ、は」
「まどかは世界を見てきたんだよね」
自分の質問がどれだけ幼稚なワガママか、何となく分かってはいる。
だけど、それでも、どうしても。
「お願い、教えて……」
たっぷりと沈黙を経て。
その身を殆ど光と変えてしまうほどの時間を経て。
ようやく彼女は声を震わせる。
「……ほむらちゃん、何度も私のために、時を遡ってくれたよね」
「でもね、ほむらちゃんがいなくなっても、その世界はずっと続いていったんだ」
「私が壊してしまう世界、誰かが壊してしまう世界、緩やかに朽ち果てていく世界、様々だったけれど」
「ほむらちゃんが繰り返す度に、失われていく世界と命と想いがあった」
「その報いを、私は消し去ることが、できなく、て……………」
どこまでも私は沈んでいく。
絶望という名前の底なし沼に。
「ごめん、ごめんね」
「わたし、いつでも傍にいるから」
「見えなくても、聞こえなくても、感じられなくても、絶対にいるから」
「だから、生きることを諦めないで」
くずおれる私に、掛けられる声は謝罪。
どうしてあなたが謝るの。
私のしてしまった事が、どれほどの事か、誰よりも分かっているのはあなたなのに。
そんな気持ちも言葉には出来ない。
ただ意味を成さぬ吐息がひゅーひゅーと漏れ出るばかり。
そうやって時間を浪費する私に、残酷にもタイムリミットが告げられる。
「そろそろ、かな」
「いや、いやだよ、行かないで」
「待っててね、いつか必ず会えるから、その時まで」
「もうみんないないのに、わたしのせいで、わたし」
「ほむらちゃんがしてきたことは、絶対に無駄なんかじゃないから」
「一人は、いや、そんな、耐えられない」
「だからどうか、みんなが、わたしが生きられなかった世界を、生きて、守って」
「わたし、あ、」
「約束、忘れないでね」
そして空へと還っていく。
光の柱が消えたとき、いつしか辺りは闇に染まり切っていた。
「あ、うう、あ、あ」
ようやく私は実感する。
ただ一人取り残された事を。
「ああああああああああああああ」
「うううぅぅぅぅぅぅ、あああああああああぁぁぁああああああああ………………!」
流し方も忘れていた涙が、溢れるように眼から零れる。
拭っても拭っても、止まる気配はない。
同時に、雨も降り出した。
それはまるで空が泣いているようで。
頬を伝う透明な雫は、もうどちらの流した涙か分からない。
体を濡らす冷たい雨は、次第にその勢いを増し続ける。
私の口は延々と謝罪を繰り返すけれど。
その音は、雨が掻き消していた。
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そして私は、独りで生きていくことになった。
世界が終わるまで。
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いつか私は滅びるだろう。
永遠の命など存在しないのだから。
それまで私は、あの子と交わした約束を、守り続けよう。
でも。
その時が来てしまっても。
私は最後の最後まで、やれる事を探し続けようと思う。
意味はないかもしれない。
この手を汚してしまうだけかもしれない。
それでも、私は諦められないから。
幸せになるために。
笑ってあなたたちと、世界を歩んでいくために。
以上です。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。
本編BパートとCパートの妄想補完でした。
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