恵美「もしも魔王の正体に気づかなかったら」短編集 (38)

・はたらく魔王様! 真奥×恵美

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 が前提の日常話です。

・原作七巻(短編集)の要素が多少あり

・原作でも明言されていない部分の独自解釈あり

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1373710003

【家族でお買い物】

恵美「そういえばこないだ話した、貞夫の知り合いの子のことなんだけどね」

梨香「ああ、言ってたね。何かあったの?」

恵美「色々家庭の事情があって、結局私と貞夫の娘として育てることになったわ」

梨香「へぇ、そうなんぶほぉっ!」

恵美「梨香!?」

コーヒーを吹き出す梨香に駆け寄る。
休憩中に、彼女には話しておこうと思ったらこれだ。
私としてはアラス・ラムスを真剣に育てるつもりなのだから、
プライベートでも付き合う友人には娘がいることを知っておいてもらったほうがいいと思ったのだが。

梨香「げほっ、ちょ……恵美、え、それ何? 真面目な話?」

恵美「ごく真面目よ」

梨香「……家庭の事情、ってのは聞かないけど……え、じゃあ貞夫さんと、その、結婚するの?」

恵美「それがねー、私はそうしたかったんだけど、まあこれも色々あってまだ先の話なのよね」

相手にお金がなかったり、魔王なので部下の面倒を見なきゃいけなかったり、
そもそもちゃんと告白はされていないという事情まで話すと面倒なので、"色々"で済ますことにした。

梨香「……へぇぇぇ……。いや、そうなんだ……すっごい驚いた……」

コトが家庭の事情だけにツッコむことはやめたらしい梨香が、素直な感想だけを述べる。

恵美「それでついでに聞きたいんだけど、ベビー用品とか豊富なお店知らない?」

諸々買ってあげないといけないものがあるのだが、売っている店に縁がなく分からないのだ。
ネット通販は見かけるが、ちゃんとあの子に合ったサイズのものを実地で確かめたかった。

梨香「んーと、そういうことなら……」

電車の椅子に座って、窓から外の風景を眺めるアラス・ラムスに注意する。

恵美「こら、アラス・ラムス、お靴脱ぎなさい」

アラス・ラムス「あん、やーの」

真奥「アラス・ラムス、ままの言うこと聞かなきゃめっだぞ」

彼にそう言われると素直に足を差し出すアラス・ラムスだった。
まったく、ぱぱの言うことは素直に聞くんだから。
やっぱり私が、言ってみれば継母みたいなものだからかしら。
それとも子供はそんなものなのかな。

私達は今、三人で聖蹟桜ヶ丘へ向かっている。
大きいショッピングセンターがあると梨香に教えてもらったのだ。

外を見ていたアラス・ラムスが顔を輝かせた。

アラス・ラムス「ぱぱ、まぐろばと!」

真奥「ん?」

恵美「マグロナルドのことみたいよ」

真奥「ああ……言いにくいもんな」

この子はマグロナルドでぱぱが働いてることを認識しており、最近あそこで食事をしたがって仕方ない。
まだ離乳食に毛が生えたような食事をしているこの子には早く、困っているのだ。

恵美「ぱぱと同じ匂いがするんだって言うのよ、通りがかると」

真奥「んー……そんなに匂い付いてるかな?」

彼は自分の手をくんくんと嗅いだあと、

真奥「自分じゃよく分かんねぇな。どうだ?」

手のひらを私の目の前に差し出した。

恵美「え、と……」

少しの躊躇いのあと、同じように匂いを嗅ぐ。
ちょっと荒れた、でも働いていることがよく分かる力強い手だった。

恵美「……よく分かんない、かな。私もそんなに食べないし」

真奥「だよなぁ。子供の嗅覚はなんか違うのかな」

自分も、とせがむアラス・ラムスに手を差し出す貞夫。

……うん、なんか今、夫婦っぽかった。
内心でそんな満足感を覚えていると、電車が目的地に着いた。

ベビー用品売り場に辿り着き、店員さんに布団の話を聞く。
親切な店員さんで、色々と細かい説明をしてくれた。
やはり通販ではなく店に来て良かった。
ちなみにアラス・ラムスは貞夫の腕の中で眠っている。

店員「……それで、今まではベビーベッドか何か、お使いでいらっしゃいました?」

恵美「いえ、三人で寝てるんですけど、……」

瞬間、言葉に詰まった。
ぶっちゃけた話、私が"夫婦の営み"を目論んでいるからアラス・ラムス用の布団を買いに来たのだ。
何故三人で寝るのに子供用布団が要るのか聞かれたら答えられない。
すると、貞夫が前に出た。

真奥「あの、子供が大きくなってきたんで。新しくこの子の布団を買おうかと」

店員「ああ、なるほど」

店員さんは納得顔だ。
そりゃそうだ、考えてみれば当たり前で、いつまでも子供と一緒に寝るわけにもいかない。
私も間抜けだった、と安堵していると、

店員「お若いご夫婦の方には多いんですよ、ええ。やっぱりお子様ができてもご夫婦ですから」

……少々、察しが良くて親切過ぎる店員さんのようだった。

フロアを移動する。
三人で寝るための大きいベッドも欲しいと思っていて、どうやら家具のあるフロアもあるようなのだ。

真奥「お、この辺じゃね」

その一帯には無数のベッドが並んでいる。
どうやら実際に寝転んで寝心地を確かめていいらしい。

恵美「あ……これとかいいかも」

目についたものは部屋に納まるサイズで、値段も予算内、デザインも悪くない。
あとは寝心地だ。

真奥「じゃ試すか。ほら恵美、来いよ」

言って彼は、ベッドの中央にまだ眠っているアラス・ラムスをそっと寝かせ、自身もその横に寝転がった。
……先ほどの店員さんとのやり取りを思い出す。

恵美「う、うん」

僅かに躊躇してから、アラス・ラムスを挟んで彼の向かいに寝転がる。

真奥「さすが、広いな」

いつも寝ているベッドは、本来親子で寝られるようなものではない。
アラス・ラムスの寝相が良いから何とかなっているが、ぎゅうぎゅうだ。
それに比べて、このベッドは余裕を持って寝られる。が——

恵美「広くていいけど……もうちょっと、くっついて寝てもいい、かも」

彼と、アラス・ラムスを挟んで密着するあの感覚がないのが、寂しい。
その思いから、寝転がったまま彼に近づく。

真奥「……恵美」

彼が真剣な顔になる。

真奥「ここ、店な?」

……言われて周りを見渡すと、通りすがる人達の視線があった。
新婚だか結婚間近だかの若々しい二人が、いいなーと呟くのが聞こえる。

恵美「……ほ、保留! ベッドは保留!」

真奥「お、おう」

慌てて起き上がった。……ああ、もう!

真奥「ほら、アラス・ラムス」

アラス・ラムス「まぐろばと!」

手渡された紙袋に目を輝かせるアラス・ラムス。
中身はポテトで、アラス・ラムスのために塩を抜いてもらった。

ここは聖蹟桜ヶ丘から歩いてすぐの多摩川河川敷にある公園だ。
どうしてもマグロナルドでのご飯を主張するアラス・ラムスのために
おにぎりと、マグロナルドで塩抜きポテトだけ買って外で食べることにした。

手元には子供用の服が何セットか。布団は大きいので送ってもらった。
……ベッドはまあ、保留だ。

ポテトを頬張ったアラス・ラムスが、貞夫から飲みかけのお茶を渡されて飲む姿を見つめる。

恵美「……ね、アラス・ラムス、それままにもちょうだい」

アラス・ラムス「うん!」

真奥「恵美、もう一本あるぞ、お茶」

恵美「いいの、これで」

首を傾げる貞夫だったが、アラス・ラムスからお茶を受け取り、飲む。
そう、私達は娘もいる夫婦だというのに、腕を組むまでしかしてない清すぎる関係なのだ。

それを更新した。ついに間接とはいえ、キスを果たしたのだ!
……達成感と共に、若干の虚しさも感じていることは否定しない。

しかし、公園で三人でベンチに座り、ご飯を食べている私達の姿は……

真奥「まるで、本当に親子みたいだな」

彼が、私の思っていたことを言い当てた。
私の不本意な考えを。

恵美「……そうね。まるで、ね」

今日、アラス・ラムスの布団や服を買いに来て、改めて意識した。
この子はどう成長するのかも知れない、イェソドの欠片。
そして私達は、……努めて意識することはしなかったが、半分天使の勇者と、人間の姿になった魔王。
三人とも、寿命すら定かではないのだ。極めて不自然かつ不安定な親子関係だった。

真奥「勘違いすんなよ、悪い意味で言ったんじゃねぇぞ」

恵美「……え?」

アラス・ラムスにおにぎりを取ってやりながら、彼が笑って言う。

真奥「変な関係だけど、それでもちゃんと親子みたいにやれてるってことさ」

真奥「これからもそうやっていけたらいいなって思ったんだよ」

その言葉は、アラス・ラムスと共に生きること、そして私と共に生きることを肯定するものだった。

がたんごとん、と電車が揺れる。
同時に、腕の中と、肩にかかる重みも。

恵美「うう……」

腕の中にはまたもおねむのアラス・ラムス、そして右肩には、眠ってしまった貞夫の顔が乗っている。
……家で寝ているときにもこれくらい密着しているのだが、外だとまた別の恥ずかしさがあるものだ。
夕方で良かった、と思う。赤くなった顔が少しは誤魔化せているだろうから。

老婆「ご家族でお出かけですか?」

恵美「え?」

横を見れば、貞夫の反対側のおばあさんが声をかけてきていた。

恵美「え、ええ」

おばあさんはにっこりと笑った。

老婆「仲のいいご夫婦ですね」

恵美「……はい。そうなんです」

貞夫が寝ているから言えたのだろうその返答に、おばあさんは微笑ましそうに再び笑った。

腕と肩の重みが、これ以上ない幸せの証に感じた。

【聖職者の悩み】

鈴乃「……しかしなんだな、これが魔王軍幹部の姿とはな」

漆原「その側で茶を飲む聖職者に言われたくないんだけど」

クレスティア・ベル——鎌月鈴乃は、平然と背中で答える堕天使の姿に苦い顔をした。

日曜の昼過ぎ、家事を済ませ特にやることもなく、友人の恵美に電話してみると
今日は夕方から魔王城へ行くがそれまでは予定があるという。
もう一人の友人の佐々木千穂はバイト中である。
暇を持て余し、魔王軍の監視に隣部屋に来てみれば、そこにあったのはパソコンに向かうニートの姿のみだった。
真奥も芦屋も外出中のようだ。

特に会話を交わしたい相手でもないが、さりとて部屋に戻ってもやることはなし、
結局勝手に茶を淹れてくつろぐ鈴乃だった。

漆原「友達少ないね」

鈴乃「……貴様にだけは言われたくないぞ穀潰し。そもそも、この世界に友達作りに来たわけではない」

この世界で積極的に友人を増やすつもりは鈴乃にはなかった。
違う世界から来た以上、どうしても話せないことは多く深い付き合いはしづらいし、
今後も天使やらの襲撃があり得る自分達に一般人を関わらせるのは好ましくないと彼女は考えていた。

それ以前に、エンテ・イスラに再侵攻するという魔王達やそれに敵対する鈴乃は、
いつエンテ・イスラに戻ることになってもおかしくはないのだ。
ここに深く根を下ろすつもりはなかった。

漆原「それもどうなのかなー」

鈴乃「……何?」

聞き返すが、漆原は鈴乃を振り向くことなく続ける。

漆原「いや、真奥がどう考えてるかは知らないけどね。何しろ僕ら、寿命だけはやたらあるし」

漆原「十年単位でこの世界に居座る可能性もあるかなって」

漆原「特にほら、ここで仕事と家庭を持っちゃったお父さんがいるしね?」

"真奥貞夫"と"遊佐恵美"は日本の法律上結婚はしていない。
が、同じく法律上の娘ではないとはいえ、アラス・ラムスという娘を持った。
彼らが今後、正式に夫婦という体裁を整えるかどうかは
——真奥に恋する千穂の友人でもある鈴乃には胃の痛い問題だが——分からないが、その子供への愛情は本物だ。
自分達の戸籍を取得したときのように、アラス・ラムスの戸籍まで作って本当に娘として申請しかねない。

鈴乃「貴様らはそれでいいのか? アルシエルなど、魔王軍の再起が悲願だろうに」

思わず敵の心配をするようなことを言う鈴乃に、漆原が笑った。

漆原「どうかな、あいつはあいつで孫の相手が楽しくなってきてるみたいだし」

孫、という表現はあながち間違いではなかった。
芦屋の真奥への献身ぶりは、部下のそれを超えて保護者と言ってもいいレベルだ。

魔王軍会議によって週に一日二日程度、家族で過ごすこととなった真奥に恵美、アラス・ラムスだったが、
今のところ彼らは、週に半分のペースで恵美のマンションに泊まっていた。

それにより真奥がいない日は心配気に顔を曇らせ、真奥と恵美が娘を連れてくると
顔をほころばせて(魔王軍の財政で可能な範囲で)豪勢な夕食を作る彼の姿は、
確かに息子夫婦と孫の相手が生きがいの人間のようにも見えた。

漆原「あいつアラス・ラムスにはお菓子買ってやったりするんだよねー。僕が通販で買うと怒るくせに」

唇を尖らせ文句を言う漆原。
その姿に、鈴乃は疑問を抱いた。

鈴乃「……貴様らは、と聞いたぞ。貴様はどうなんだ」

鈴乃「腐っても、もと大天使、そして悪魔大元帥のルシフェルは、どう考えている?」

その質問に、漆原は手を止めて、考える様子を見せた。

普段の様子からは想像もつかないが、彼は人の身では想像もつかない遥かな年月を生き、
魔界にも天界にも通じた男だ。それがこの世界でのんびりと過ごしているのは、本意であるのか。

やがて漆原が口を開いた。

漆原「……逆に聞くけど、お前は自分達の現状をどう思う?」

鈴乃「……どう、とは?」

漆原「魔王と勇者と女子高生と悪魔と異端審問官が、仕事に遊びに……いや僕は仕事してないけど」

漆原「とにかく充実した日々を送って、仲良くしてる現状をさ」

仲良く、の範疇に自分を含められるのは心外な鈴乃だったが、確かに——
それは奇跡と表現しても過言ではない状態だろう。

漆原「僕の生きてきた年月から比べれば、ここに来てからの時間はほんの短いものだけど」

漆原「いや、だからこそかな。多分そんなに長く続かないこの時間を眺めてるのは、結構悪くない」

そう言う漆原の顔は、どこか遠くを見ているようで、鈴乃は何も言えなかった。

漆原「……ま、何よりも」

鈴乃へ向けていた視線をパソコンに戻した漆原は、

漆原「こんな最高の暇つぶしアイテムは魔界にも天界にもないしね。人間やばい、マジやばい」

いつもどおりの頼りない表情だった。

鈴乃「……あまり無駄遣いをするなよ。私には関係ないが、アルシエルの怒鳴り声が私の部屋にも響いてうるさい」

何しろ今、魔王城の壁は安普請という以前にガブリエルとの戦闘で穴が空いており、
自転車カバーで無理やり塞いだものの音は筒抜けなのだ。

漆原「買い物ならあいつのいない時間に届けてもらうから大丈夫だよ」

気づけば、手に持った湯のみは空になっていた。
まったく堪えていない様子の漆原に嘆息しながら、鈴乃は玄関に向かう。

鈴乃「今夜はエミリア達が来るそうだな。貴様も少しはアラス・ラムスの相手をしてやれ」

漆原「手が空いたらね」

遊びと暇つぶしで手一杯の堕天使はそう言った。

鈴乃「……仲良く、か」

外に出て、独りごちる。
敵対するはずの魔王軍と隣の部屋に住み、ときに気軽に行き来する今の状態を、自分は——

それ以上は考える気にならず、鈴乃は自宅へ戻った。

【嫁と姑】

恵美「……重いわね……安売りしてたからって買いすぎでしょこれ」

芦屋「貴重なタンパク質だ。冷凍すれば一ヶ月はいける、問題はない」

そう言って100グラム38円の鶏胸肉、その他諸々が入った袋を両手に持つ芦屋。
これが悪魔大元帥の姿だというのだから平和なものである。

今は魔王城に夜帰る貞夫を待つ間に、芦屋とスーパーへ行ってきた帰りだ。
このあと彼と夕食を作る予定だった。
ベルの部屋で、だが。
魔王城に穴が開いている間、火を使うのは怖く魔王城の住人はベルの部屋で食事を取っていた。

私も料理については芦屋に劣らぬ腕を持っていると自負しているが、
日本に来て一年間貞夫が食べていたお袋の味は芦屋のものだ。
少しでも貞夫の好みの味を覚えるべく、芦屋と料理をすることは度々あった。

アラス・ラムス「あるしぇーる、おかし! あたしがもつ!」

芦屋「ん、そうか。落とさないよう気をつけるんだぞ」

言って袋からアラス・ラムスにせがまれて買ったお菓子を取り出し、
手渡してからその頭を撫でるその姿はまさに、

恵美「いつもすみませんお義母さん」

芦屋「……その呼び名はやめろと言ったぞ」

途端仏頂面になるが、私としてはそうとしか思えない。

芦屋「……呼び名と言えば。貴様は私やルシフェルを日本の名で呼ぶのだな、エミリア」

恵美「え? ああ、そうね、意識してなかったけど……」

ベルについては魔王城の面子と離れた「エンテ・イスラから来た人間」という意識が強いのだが、芦屋や漆原は……

恵美「彼を"真奥貞夫"って呼ぶから、その部下のあなた達もそう呼ぶ……のかな?」

芦屋「そういうものか」

恵美「そういうものかもね」

貞夫との付き合いが深まった今でも、私の中で"魔王サタン"への負の想いが完全に消え去ったわけでもない。
考えてやっていたことではないが、呼び名でそこの切り替えをしているのかもしれない。

恵美「そういや、この子にはお菓子買ってくれるのね。漆原には渋るのに」

恵美「ああそうだ、アラス・ラムス、ちゃんとお礼言った?」

アラス・ラムス「あるしぇーる、ありがとー」

芦屋「ああ」

私と芦屋が持っている荷物は全て魔王城の買い物であり、そのついでに魔王城の財布でお菓子も買ってくれたのだ。
あまり甘やかされても母親として困るが、お義母さんも息子が家に帰ることが少なくなり寂しいのだろう、
こうして一緒に過ごすときには素直に甘えることにしていた。
見上げて礼を言うアラス・ラムスの頭を再び撫でてから彼が言う。

芦屋「侮るな。我が家の家計に余裕はないが、子供に菓子一つ与えてやれないほど逼迫もしていない」

芦屋「立派な大人でありながら家事も仕事もしない、礼すら言わない穀潰しに与えてやる温情がないだけだ」

散々な言われようだが、実際漆原の家庭への貢献度は、食事のあと食器を片付けるアラス・ラムス以下である。
最近ようやくこの子と比較されることに辛さを感じたか、シンクに食器を運ぶことを覚えたらしい。

アラス・ラムス「まま、あたしあけるの!」

恵美「はいはい」

魔王城に着き、ドアを開けたがるアラス・ラムスを抱っこする。
まだ取っ手まで背が届かないのだ。
しかし、どうして子供というのはこういうことをしたがるのかしらね?

中に入れば、

芦屋「……これに菓子など買ってやる気が起きるか?」

恵美「……いいえ」

日陰でノートパソコンを開きつつ寝落ちしたらしい堕天使の姿があった。
これがかつての大天使筆頭というのだから、天界の胡散臭さここに極まれりだ。

芦屋が電気の無駄遣いを防ぐべくパソコンを閉じる。
ついでに漆原を踏みつけようとしたが、起こすほうが面倒と考えたか、思い留まったようだ。

恵美「アラス・ラムス、お菓子食べる前に……」

アラス・ラムス「しってる。てあらい、うがい!」

恵美「うん、良い子」

得意顔のアラス・ラムスを再び抱っこし、台所に持ち上げる。

そのとき横で荷物を冷蔵庫に入れる芦屋が、ふと気づいたようにこちらを振り向いた。

芦屋「そうだエミリア、今度携帯を買いに付き合ってくれ」

恵美「え? あなた携帯買うの?」

古い機種を選べばそう高くはない買い物だが、維持費が馬鹿にならない。
故に彼も今まで所持していなかったはずなのだが、どういった心変わりか。

芦屋「少し前にちょっとしたことがあってな、鈴木さんに購入のアドバイスを頂くことになっているんだが」

恵美「はぁ!?」

更に驚いた。
梨香と彼は一度センタッキーで会っただけのはずだが、いつの間にそんな約束を。

だが同時に腑に落ちる。
センタッキーで芦屋と話していたとき様子のおかしかった梨香。
ここ最近、いつも携帯の着信を気にして挙動不審な様子。
あれは……

芦屋「だがよく考えれば、携帯のことなら貴様に聞けば良いと思ってな。わざわざ鈴木さんの手を煩わせることも……」

恵美「却下」

芦屋「何?」

怪訝な顔の芦屋は捨て置き、お菓子の箱を開けたアラス・ラムスのためにジュースを用意する。

恵美「私より梨香のほうが詳しいから、彼女にお願いしなさい。なるべく早く電話してあげてね」

やれやれだ。
どうやら、悪魔に恋する女は例外なく苦労することになるらしい。

【もう一つの恋心】

千穂が事務室に入ると、そこには一人の男の姿。

真奥「……ん、ちーちゃんも休憩か?」

千穂「あ、はい、そうです」

真奥「そか、お疲れ」

それ以上会話は続かず、千穂は真奥の向かいの椅子に座った。

微妙な沈黙。
ここのところ、バイトで二人きりのときはこれが常だった。

ちらちらと千穂のほうを見て、何かを言いたそうにしている真奥の内心が、千穂には見て取れた。

千穂(……真奥さん、いい加減な人じゃないもんね)

彼は千穂と、千穂の友人でもある恵美とに言い寄られており、それを三人は互いに知っている。
千穂はその状態に不安はあっても、不満はなかった。
異世界から来て、いずれ戻るつもりの真奥が自分の恋心に応えるのは容易いことではないと分かっているし、
仮に恵美の想いに応えることになっても祝福できるつもりでいた。

千穂(けど、……こういう形になっちゃうとは思わなかったなぁ)

真奥と恵美の前に、実の子ではないとはいえ娘であるアラス・ラムスが現れたのはつい先日だ。
結果として、彼らは擬似的な夫婦、家族に近い形態を取ることとなった。

そして真奥は決意したのだろう。
順序を大幅に飛ばし、変則的な形とはいえ恵美と家庭を築いた今、千穂の想いへの返事をしなければならないと。

千穂「あの、真奥さん」

真奥「ん? あ、なに、ちーちゃん」

先手を取られ動揺する真奥に、千穂が向き合う。

千穂「もし、もしもですけど……」

そこで彼女は口をつぐんだ。

千穂(……危なかった。変なこと言っちゃうとこだった)

——もしもアラス・ラムスちゃんがいなかったら、私を選んでくれる未来はありましたか。

そんな、アラス・ラムスを否定するような発想をした自分に自己嫌悪を抱く。
千穂にとってもアラス・ラムスは守りたい、大事な存在だった。

真奥「……ちーちゃん? どうした?」

千穂「いえ、あの……」

言いかけた質問の代わりに、もう一つ確認したかったことを聞く。
彼がアラス・ラムスを含めた"親子"という形を認めているのは知っている。
知りたいのは、同時に成立する"夫婦"という形をどう思っているか。

千穂「真奥さん、遊佐さんのこと好きですか?」

想定外の質問だったらしく、真奥が沈黙する。
考え込んだ末に、困惑した様子で口を開いた。

真奥「ちーちゃんに言うのもどうかと思うが。……正直な話、そこのところがいまいち自信ない」

それは本心なのだろう。
真奥が悪魔としてどんな生涯を送ってきたのか、悪魔の恋愛感情がどんなものなのか、
異世界の人間である千穂には与り知らぬところだったが、彼がそういった感情に疎いことは知っていた。
この期に及んでも、はっきりとその辺りを自覚できていないのだろう。

だが、それでは千穂は困るのだ。

千穂「んー、たとえば……」

千穂「ほら、こないだのサリエルさんに遊佐さんが攫われたとき、どう思いました?」

真奥「そらまあ……心配したな」

千穂「じゃあじゃあ、遊佐さんと一緒にいるときどんな気持ちです?」

真奥「んん……? まあ、楽しいな。アラス・ラムスにも会えるし」

駄目だ。千穂が嘆息する。
この人には、もう少し具体的に話さないといけないんだ。

千穂「真奥さん、ちょっと真面目に想像してみてくださいね?」

真奥「お、おう?」

千穂「もしもですよ、遊佐さんの会社に、年頃のかっこいい男の人がいたとします」

実際にはテレアポの職場は女所帯だが、まあそういったこともあるかもしれないと千穂は続けた。

千穂「それで、その人が遊佐さんを好きになるんです。遊佐さんも悪い気はしなくて、だんだん仲良くなって」

千穂「その人と遊佐さんが、二人で遊んでるとこを偶然真奥さんが目撃するんです」

千穂「……そしたら、どんな気持ちになります?」

言われたとおり真面目に想像しているのだろう、腕を組み真奥が黙りこむ。
……やがて、その表情は苦いものになった。

真奥「……俺が口を出せる筋じゃないが、……嫌だな」

ぽつりと言ったその一言は、本当に嫌なのだと分かる、吐き捨てるような一言だった。

千穂(なんだ。……やっぱりそうなんだ)

いっそ清々しい気持ちで天を仰ぐ。
彼の抱いた気持ちに名前をつけてやることはできたが、それをしてやる義理は千穂にはなかった。

静かに深呼吸をして、彼女は席を立った。

千穂「ちょっと早いけど、もう戻りましょう、真奥さん」

真奥「え、ちーちゃん、ちょい待ってよ」

自分のそもそもしたかった話ができず慌てる真奥だったが、

千穂「駄目です、聞きません」

彼女は微笑んで彼の言葉を遮った。

千穂「前に言いましたよ。私が真奥さんのことを好きでなくなるときは、私が決めます」

千穂「だから、聞きません」

彼女の胸に宿る想いは、未だはっきりと形を残していた。
たとえ届かぬものだとしても、それは彼女にとってかけがえのないものだった。

はっきりと口に出して断られたら、この想いを消さなければいけなくなる。
それは嫌だった。いつか——それがいつになるとしても——自然と消えるまで、千穂はそれを大事にしておきたかった。

少しのあいだ千穂を見つめたあと、真奥は観念したように頭を掻いた。

真奥「……ほんと、これだから人間ってやつは」

千穂「そうですよー。真奥さんももっと人間の気持ちを勉強してください。むしろ遊佐さんが可哀想です」

真奥「……頑張るよ」

休憩時間が終わる。
彼らは笑い合って、職場に戻った。

【夏の夜】

恵美「さて、今日の夕食は私と芦屋で作りました。私が作ったものを当ててみなさい」

真奥「……何そのクイズって言うより罰ゲームみたいなの」

恵美「別に何の罰もないわよ?」

魔王城で、貞夫の帰宅を待っての夕食。
貞夫と私にベルと芦屋でテーブルの四方を囲み、アラス・ラムスは私が抱え、漆原は脇にどけている。

真奥「これは恵美の、か?」

恵美「残念、そのポテトサラダにマヨネーズ入れたのはアラス・ラムスなので私達の合作です。外れー」

アラス・ラムス「はずれー」

真奥「ずるくねぇそれ!?」

なお、アラス・ラムスすらお手伝いをしている間、ニートがニートしていたことは言うまでもない。

鈴乃「少し出てくる。待っていてくれ」

食事が終わり次第彼女がそう言って部屋を出て、待つこと十分少々。
貞夫と私でアラス・ラムスの相手をし、芦屋が洗い物をして、漆原がダラダラしていると、玄関のドアが開いた。

千穂「こんばんはー」

真奥「あれ、ちーちゃん?」

アラス・ラムス「ちーねーちゃ!」

見ればベルと、彼女が連れてきたらしい千穂ちゃんの姿。
一体何が始まるのかと思えば、

鈴乃「全員表に出ろ」

彼女はにやりとしてそう言った。

恵美「で、何で急にスイカ割り?」

鈴乃「夏だからな。一度はやってみたかった」

鈴乃「花火もしてみたいんだが、ここではちょっとな。今度どこかでやろう」

ベルが用意してきたのはスイカだった。
このアパートの敷地は結構広く、まああまり騒がなければ大丈夫だろう。
沈みきっていない陽とアパートの明かりで、幸い視界も良好だ。

夏に相応しいデザートを食せることと、アラス・ラムスが強い興味を示したことで
漆原除く全員が張り切って参加することになった。

真奥「よし、そのまま前……いいぞ、そこだ!」

千穂「そのまま思いっきり振り下ろして、アラス・ラムスちゃん!」

アラス・ラムス「だぁー!」

目隠ししたアラス・ラムスの振り下ろした、百均のプラスチックバットがダミーにぺちっと音を立て直撃する。

漆原「うぼぁー!?」

芦屋「よくやった! 本当によくやったぞ!」

漆原「よくないよハズレだよ! ていうかなんで僕がスイカの横で縛られてんの!?」

ダミーが騒ぐが、あれなら大した痛みもあるまい。

恵美「それ以前に、あれでスイカは割れないわよね」

鈴乃「逆に割れてしまっても食べづらいだろう? 最後に包丁で綺麗に分ければいい」

彼女は、殊の外楽しそうだった。
魔王城の連中を敵だという建前すら忘れてしまったかのように。
それを口に出すと、

鈴乃「ん、そのことか。それは変わらんが、まあ……」

鈴乃「今の私の暮らしは半分ほど、降って湧いた休暇のようなものだからな。もう少し、毎日を楽しもうと思っただけだ」

……彼女がそう考えた理由は知らないが、考え自体には大賛成だ。
先々どうなるかは知らないが、この毎日を楽しく過ごせるに越したことはない。

アラス・ラムス「ままー!」

真奥「恵美、出番だ! 俺達じゃ力が足りねぇ!」

千穂「やっぱり難しいですよね、スイカ割り」

芦屋「ええ、無念です……我々にもう少し力があれば」

漆原「いやお前ら全員僕を狙っただろぉぉぉ!?」

鈴乃「ほら、ご指名だぞ」

ベルに背を押される。
家族と友人の呼び声に応え、私も笑ってバットを手に取った。

【もしも】

虚ろな空間。
虚ろな意識。

ああ、これは夢だ。

すぐに分かった。
だって、目の前に私がいる。

貞夫に本気の憎しみの目を向ける"私"。
魔王城の連中と馴れ合うつもりもない"私"。
アラス・ラムスを貞夫に近づけたくない"私"。

恵美「……ねぇ、どうしてそんなに頑ななの?」

返答があった。

——当たり前でしょう。あいつはお父さんを殺した敵よ。

恵美「だったら、どうしてすぐに殺さないの」

——千穂ちゃんやアラス・ラムスを悲しませるわけにはいかない。

恵美「千穂ちゃんやアラス・ラムスが好きになるような人だっていうことには目を向けないの?」

——それが何。あいつは魔王で、沢山の人を殺してる。

恵美「私だってあの人の部下を殺してる」

——当然よ。あいつは侵略者なんだから。

恵美「日本では真面目に働く彼がそうした理由を知りたいと思ったことはないの? 分かり合えるかもとは思わないの?」

——分かり合うなんて不可能だし、その必要もない。

"私"の表情は鋭く、頑なで、けれどどこか辛そうに見えて——

真奥「恵美。……大丈夫か、恵美?」

彼の心配気な顔が見える。

辺りを見渡した。
私の部屋、ベッドの上だ。
薄暗く、横には熟睡しているアラス・ラムスと、貞夫の姿。
そうだ、二人でアラス・ラムスを寝かしつけているところだった。

恵美「……大丈夫。ちょっと寝ちゃってたみたいね」

真奥「なんか唸りだすからどうしたかと思ったぞ」

言いながら立ち上がって冷たい水を取ってきてくれる。
汗をかいていたようだ、受け取ったそれは染みこむように美味しかった。

恵美「……ねえ、貞夫。もしもの話だけど」

真奥「ん?」

ベッドの私の横に座った彼に——"私"には想像も付かないだろう状態で——問いかける。

恵美「私が最初から、あなたの正体を魔王と気づいていたらどうなっていたかしら」

彼が怪訝な顔をする。

真奥「何だそれ? なんか大事なことか?」

恵美「別に、ちょっとした遊びよ。深い意味はないわ」

そう言うと、少し考える様子を見せる。

真奥「……まぁ、聖剣で斬られてたんじゃねぇか? 思えば結構危ない橋渡ってたんだな、俺」

恵美「どうかしら、当時の私にはエンテ・イスラに帰るあてもなかったし、うかつに聖法気は使わなかったかも」

真奥「だったら様子見で……あ、そしたら漆原とオルバが来るのか。そうすると……」

恵美「とりあえず魔力のないあなたより、あいつらを優先して倒すかもね」

真奥「じゃああんまり今と変わんねぇのか」

"私"は、そうしたのだろうか。
この日本で働く貞夫の姿と"魔王サタン"とのギャップに悩んでいるうちに、勇者と魔王を狙う別口の敵が現れる。
そうなれば、否応なしに貞夫と共闘することになるかもしれない。
だとしたら今の私と結果は大差ない。が——

恵美「全然違うわよ。だって私は貞夫が魔王と知らなかったから、最初から好きになったんだもの」

恵美「知ってたら多分、共闘はしても仲良くなんてしてない。そんなときにこの子が来たらどうなるのかなって」

二人で眠っている娘の顔を見る。
アラス・ラムス。彼女は私達の事情に関係なく、私達をぱぱ、ままと認識するだろう。
もしも貞夫を嫌っている私と、私を嫌っている貞夫の前に彼女が現れたら——

真奥「……すげぇギスギスした家庭になりそうだなぁ」

恵美「でもこの子の前でケンカなんて見せたくないと思うのよ、きっと」

真奥「じゃあストレス凄そうだな」

多分、それが"私"なんだろう。
貞夫のことを好きなんてとんでもない、むしろ殺意を抱いているのにタイミングがずれて殺せず、
そうこうしている間に千穂ちゃんと友人になれば、彼女が好きな貞夫を殺すのも難しくなるだろう。
更に娘ができて、しかもそれが貞夫を殺すための聖剣と合体するのだ。

アラス・ラムスに父殺しをさせないためにも、貞夫は殺せない。
けれど憎しみは消えない。
なのに貞夫は日本で意欲的に働いて充実しており、その姿を見る"私"の思いは、どれほどのものか。

彼の手を握る。
彼も、握り返してくれた。

真奥「……なんか、どっちかって言うとそれが本当なんだろうな。魔王と勇者で慣れ合ってるほうがおかしい気もする」

恵美「そうね。でも私は、今に辿り着けて良かった」

彼を好きになることができて、本当に良かった。

余計なお世話かもしれないが……"私"にも、ほんの少しでもそんな気持ちが芽生えているのであれば……
いつか、"私"もそれを素直に出せる日が来ますように。
そう願う。

真奥「なぁ、恵美。好きだ。……多分」

彼が、あまりにも自然にそう言うものだから、反応が遅れた。
数秒してから彼を振り向く。

一度も言ってくれたことのないその言葉に、信じられない思いでいると、彼は彼で気まずそうな顔だった。

真奥「いや、多分がついちまうのが申し訳ないんだが」

真奥「色々あってよく考えて、アラス・ラムスと三人でこうしていたいって気持ちは、きっとそうなんだろうなと」

真奥「……まあ、そう思うわけだ」

そう言って頬をかく。

恵美「……遅いわよ。私が、何度そう言ったと、何度そう言って欲しいと思ってたか分かってるの」

真奥「そこは悪かったと思って、」

最後までは言わせなかった。
自分の唇で、彼の口を塞ぐ。
彼の気持ちが知られた今、最早私の気持ちを押し留めるものはなかった。

顔を離し、驚きに目を見開いている彼に言う。

恵美「ね。……あれ、使わない?」

あれ、とは先日購入した子供用布団である。
アラス・ラムスには悪いが、親には親だけの時間も必要なのだ。

真奥「……弟か妹が欲しいんだっけか? 給料厳しいなぁ、おい」

恵美「そうよ。きっとこの子だって……」

言葉が止まる。
視線を向けたベッドの中央には、いつの間にか覚醒し目を輝かせるアラス・ラムスの姿。

アラス・ラムス「ちゅー?」

恵美「きゃああああああ!」

真奥「うぉおおおおおお!」

真似をしてか、唇を尖らせるアラス・ラムスに驚き、思わず飛び退く。
これは……これは色々と、まずい!

アラス・ラムス「ぱぱとまま、ちゅーしてた」

……どこでそんな言葉を覚えた!
あいつか、あの魔王城の不良債権の穀潰しか!?

恵美「いや、それは、あのね、ええとね」

真奥「あ、アラス・ラムス、皆にはしーな、しー、分かったか?」

慌てて、どこまで通じるかも分からない口止めをする貞夫だったが、

アラス・ラムス「あたしもちゅーしたいの!」

それを認識したのかどうか、彼女はそう無邪気に言った。

貞夫と顔を見合わせてから、二人で挟みこむように、アラス・ラムスの両頬にキスをした。

アラス・ラムス「ほっぺ?」

不満そうに言うアラス・ラムス。

真奥「あのな、口のちゅーは大人になってからするもんなんだ」

恵美「そうそう、大人になってから、ね?」

実際、生まれたばかりの乳幼児には虫歯菌が存在せず、それが口に入り込む大きな原因は
親が噛んで柔らかくした離乳食や口へのキスであることが多いらしい——などと育児サイトで目にした知識が頭に浮かぶ。

すっかり目が冴えてしまったアラス・ラムスを二人であやしながら、
どうやら今夜はここまでのようだと考えた。
目を合わせれば、貞夫も苦笑してくる。
まったく、育児というのも大変だ。

けれど、そんな日々がたまらなく愛おしいのだから、仕方ない。


おしまい

9巻の表紙が素晴らしかったので色々高まって続きです。今度こそ終わりです。
読んでくださった方、ありがとうございます。

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