塩見周子「煎餅ババア」 (139)

「……あぁ、もしもしあたし」


「あーもう、何回それ言うん?
 ほら、この髪色になってそこそこキャラ立ってる所もあるんやし」


「とりあえずさ、八ツ橋とお団子。
 4種類20個入りのあったでしょ。八ツ橋はそれを8箱と、お団子は普通のと胡麻のヤツ2箱ずつ」

「メンバーの子らとプロデューサーさんのお土産の分もあるから、持ち帰り用の袋も6個入れといてくれる?」


「大丈夫大丈夫。あたしの事務所、結構人いるから余ること無いって」


「……あぁ、ちょっと待って」

「プロデューサーさーん! あたしの実家のお土産経費で落ちるー?」


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「大丈夫だってさ」

「いやぁ、その辺は上手いことやってるからさ、心配しないでよ」


「ううん、数字。数字で346」


「うんうん、んじゃそういう事で」

「ん、何?」


「……えー、そうかなぁ? あははは」

   * * *

 小さい頃は、その感情に名前を付けることができなかった。
 だから、今の今までずっと忘れていたんだけど――こうして鮮やかにフラッシュバックする程度には、その感情はあたしにとって小さくないものだったんだと思い知らされる。



 京都にあるあたしの実家は御所の裏手で代々和菓子屋をやってて、自慢じゃないけどそれなりに繁盛してたし、老舗感を出して威張ってた。
 お母さんは窮屈で口うるさい事しかあたしに言わんし、そのくせお客さんには猫なで声でヘラヘラ媚びへつらうし。
 そんな『塩見屋の娘』呼ばわりされるのが嫌で、小さい頃はずっと外をほっつき回って遊んでた。

 街中のお菓子屋さんに気ままに顔を出しては、ぶりっこ気取って試食と称するサービスをねだり、また次の店へ梯子する日々。

 そんなワガママが許されたのも、あたしが嫌ってた塩見屋のブランドがあってのこと。
 それすら気づかないくらい、あの頃のあたしはアホで、幼稚だったなぁ。
 まだ健康的な黒髪のロリシューコちゃんだった頃の話ね。

 そんで日が暮れても帰らんあたしをお母さんはますます怒るんだけど、気にもしてあげなかった。
 今にして思えば、ちょっと早めの反抗期だったんだと思う。

 それはさておき、京都の商人はお世辞にも一枚岩ではなくて、老舗も当然に塩見屋だけじゃない。
 あたしの実家のはす向かいにある煎餅屋さんもその一つ。

 そして、その煎餅屋さんには、煎餅ババアという恐ろしいお婆ちゃんがいた。

 ――いや、当時の小学生のネーミングセンスなんてそんなもんでしょ。
 この話で大事なのはそういうんじゃなくて、ババアの方。


「店の前ではしゃぐなぁ!! ウチの商売邪魔したいんか、あっち行けぇ!!」
「す、すみませぇん!」
「こらぁっ!! 逃げるなぁ!!」
「どっち!?」

 曰く、お父さんが小さかった頃からババアだったそうで、まあまあ妖怪である。
 思い出せる限りでも、ババアの雷が落ちた日は京都中の市街からネズミが消えるだの、店内で悪さしたガイジンさんにババアが煎餅投げつけて前歯を折っただの、穏やかならぬ噂話が絶えない。

「物乞いみたいな目ぇしてウチの店見よって! 卑しんぼなんぞ京の都におらんわ!!」
「いや、ちょ、そんな風に見とらんって…!」
「見とった!!」

 その噂をさもありなんと思わせるだけのキャラがあったのも事実で、店の前を通っただけで理不尽な因縁をつけられて怒鳴られる子供を、あたし自身何人も見てきた。
 それどころか、自分の店のお客さんに対してさえ邪険な扱いをする始末。
 要するに、ちょっと頭のおかしい人だったんだよね。

「都人として恥じないお行儀つけたるさかいこっち来い!!」
「ひ、ひえぇぇぇっ!」

 この世の終わりかってくらい泣き叫びながら、鬼ババアに耳根っこ引っ張られて店の奥へと消えていく男の子。
 あたしは、向かいの店先でお団子をつまみながらその様子を見て――。

 何やねん、あのババア。
 はしゃぎ声がうるさいだの行儀が悪いだの、あんたの金切り声の方がよほどうっさいし、無茶な難癖つけるんは褒められたお行儀と言えんのかい。

 なんて思ったりもした。

 だけど、義憤に駆られるほどじゃない。
 客商売やってて人間嫌いなのはどうなん? って幼心に思ったりもしたけど、一定の距離感さえ保てば火の粉も飛んでこない。
 触らぬババアに何とやら、だ。



 ところが――。

「手前のじゃあかんからな。ちゃんと奥に置いてるヤツ取ってこいよ」

 いつものようにふらふら歩いていると、目の前に4、5人の男子のグループがいた。
 同じクラスじゃないけど、見知った顔も何人かいて、皆そこそこヤンチャで有名なヤツら。

 そんな連中に囲まれているのは、ちょっと大人しい、見るからに気弱そうな男の子だった。

「で、でもぉ……僕は、そんなぁ……」
「俺らみんなやってきてんねん。友達ならそれくらいできて当たり前や、なぁ?」

 コッソリ聞き耳を立ててみると、どうやらその気弱な子に万引きをさせるつもりらしい。
 数の暴力にものを言わせて無理難題を押しつけ、おもちゃにしようというのだ。

 ははーん、いじめかぁ。
 男子でもそういうのあるんやねぇ。カッコよろしいゲームだこと。

 でも、あたしには関係ないし。
 面倒がこっちに来ると嫌だから、見て見ぬフリして通りすぎよぉっと。くわばらくわばら。


「大丈夫やて、ババアも最近ボケてんねんから煎餅の一枚や二枚いちいち数えたりせーへんって」


 ――その場を去ろうとしたあたしの足が、ピタリと止まった。

「み、見られたら、どのみち終わりやん……」
「見られなきゃいいだけの話ちゃうんかい。お前ほんっまにドンクサいなぁ」

 ババア――煎餅?

 京都の商人は一枚岩ではない。
 だけど、ババアが煎餅売ってる店で、わざわざヤンチャな男子連中のゲームの舞台になりそうな所は、一つしか思い当たらない。


 黙って連中の後をつけてみると、ほら。
 案の定、だ。

「や、やっぱ無理やて、僕……!」

 煎餅屋の手前で逃げようとした男の子の肩を、ヤンチャ男子の一人がガシッと掴む。

「俺達と友達なりたないんか? おぉ?」
「う、うえぇぇ……」
「あーあー、土壇場でヒヨるようなヤツと友達にはなりたないなー、俺は」
「俺らまで根性無しやと思われたら迷惑やもんなぁー!」
「ひぃぃ、い、ぃ……!」

 いじめられている男の子は、今にも泣き出しそう。

 言うまでもなく、男子連中はその子をババアの餌食にして、檻の外から面白おかしく笑いたいだけだ。
 男の子にしてみれば、その万引きに乗ろうが反ろうが、悲惨な目に遭うことに変わりは無い。

 行くも地獄、帰るも地獄。


 あーあ、ったく――。

「ん? ……塩見」

 ジーッと見ていたあたしに、ヤンチャ男子の一人が気づく。

「何見とんねん、塩見」


「奥の方のを取ってきたらええの?」

「は?」

 ポカンと間抜けな顔を浮かべる男子連中。
 あたしは、返答を待たずしてスタスタと煎餅屋の中に入っていき――。

「あっ、ちょ……!?」
「おい……!」

 店の中に人影は無い。
 ブゥーンという、壁に備え付けられた扇風機ののんびりした音だけが聞こえる。

 あたしは、醤油の香ばしい匂いが立ちこめる店内の奥へそのまま進み、レジ横の棚に置いてあったザラメ煎餅を1枚引っ掴んだ。

「し、塩見……ヤバいって、戻れ……!」

 ――まだ、ババアが現れる気配は無い。
 案外楽勝やんな。

 店内を見回すと、良い感じの腰掛けを見つけた。
 そこにあたしは腰を下ろし――。

 バリッ、とザラメ煎餅の袋を開けて――。

「あっ、おい!」
「塩見!」

 かった。何これ。
 口ん中血だらけになるわ。

 あろう事か、店の中でバリボリと我知り顔でババアの煎餅を食べだしたあたしを、男子連中が外からハラハラと見つめているのが視界の端に見える。
 もちろん、お会計は済ませていない。

 義憤に駆られた、って言うとちょっとえぇカッコしく言い過ぎだけど――。

 直感的に、おもんない事してんなー、って思った――んだと思う。
 別に、そのいじめられっ子君とあたしは仲良しでもなんでもなかったけど。

 どんだけアホな事してるか、よう見てみぃ、っていう――。
 昨日もお母さんから説教されたし、イライラしてて荒んでて、鬱憤溜まってたんだろうね。

 投げやりが極まった、あたし史上でも一番アホな行いだったのは間違いない。

 そして――。

「あんた」


 ギクリと背筋が張り詰める。

 そぉーっと声のした方へ振り返ると――。

 機能性が良いとは思えない厚手の着物を袖まくりして、トレードマークの襷を掛けた立ち姿。
 神経質そうな、頬骨の浮き出た細面。
 金縁の、変なヒモが付いてるデッカい眼鏡の奥に、白目無いんかってくらいちっさい一重の眼。
 これ見よがしに白髪頭に光る、ギンギラギンの瀟洒なかんざし。

 全体のシルエットとしては小さくて細い。
 だけど、京都にその人ありと言わしめるだけの威圧感は、小さいあたしを萎縮させるには十分すぎた。

「う、あ……」

 一瞬で理解した。
 あたしの気まぐれは、なんとアホな行いだったのかと。
 視界の端に見えていた男子連中達は、いつの間にか姿を消していた。

「銭は?」
「へ……?」

「銭ぃ持っとんのか聞いとんねん」

 ババアがあたしに歩み寄る。

 あぁ、もうダメだ。
 あたしも耳根っこ引っ張られて、金切り声のお行儀を説教されるんや。
 どっかのガイジンさんよろしく、ゼロ距離で煎餅手裏剣投げつけられて前歯折られるんや。

 直面した“本物”への恐怖に、心底悔やみ、泣き出しそうになる。

「持ってないねんな?」
「…………」

 黙って頷くしかないあたしに、ババアは――。


「ザラメは口ん中痛なるやろ」

 せかせかと店の奥へと引っ込んでいく。

 戻ってきたその手には、焼きたて? ――の煎餅が、何枚か掴んでいるのが見えた。
 紙で包み、レジ横に置いてあるビニール袋にそれらを入れ、ババアはあたしに手渡す。


「こん中で好きなヤツ、あとで婆ちゃんにコッソリ教えてな」

 そう言って、あたしにニコリと笑いかけた。

 わ、笑った!?!? ババアが!?

「誰にも言うたらあかんで。あんたと婆ちゃんだけの秘密や」


 あたしは、ロクな返事もできず、ただ口をパクパクさせる事しかできなかった。

 偏屈で理不尽で、お客さんや子供にも容赦の無い鬼ババアがよ!?
 とても信じられない。何せババアが笑うなんて、死んだ人が生き返るより難しい事なのだ。

 な、何で――?


 そんなこんなで、その日から煎餅ババアはあたしにとって“ばあちゃん”になった。

 どうしてババア、もといばあちゃんがあの日、あたしを見逃したのか?
 蓋を開けてみると、そこは京都の商人。やはり善意なんかじゃなかった。


 早い話、あたしは試食係に抜擢されたのだ。

 繰り返しになるけど、塩見屋とばあちゃんの煎餅屋ははす向かいで、イヤでも毎日顔を合わせる機会はある。
 つまり、ばあちゃんはあたしが何者なのかを知っていた。

 あたしが外をほっつき歩き、街中の新作お菓子を試食して回っていた事も。

 あたしを――『塩見屋の娘』であるあたしの舌を見込んで、ばあちゃんはお菓子のトレンドを探ろうとしたのだ。


「ばあちゃん、1枚ちょうだい」

 いつしかあたしは、ばあちゃんの店でそう言うのが日課になっていた。
 あいよ、とばあちゃんはカウンターの手元に取っておいた日替わりのそれをあたしに差し出す。
 タイミングが合えば、熱々の焼きたてをくれた。
 (でも本当はちょっと湿気ってるヤツの方が好きだったのは言わなかった)

 そして店先の特等席に腰を下ろし、バリボリと頬張る。
 通りすがりの観光客さん達に愛想良く手を振り、お店の中へ案内してあげたりもして。

 どっちの看板娘かわかんないくらい、当時のあたしは煎餅屋さんに入り浸っていた。

「今日のはどう? シュウちゃん」

 団体さんが捌けていったのを見届けて、ばあちゃんがあたしの隣に腰を下ろす。

「全部あたしの好みになるけど?」
「それでええんやて、ほれ」
「うーん」

 とはいえ、小学生の語彙力なんてたかが知れてるんよね。
 お醤油の香ばしさがーとか、お豆の食感がーとか、あとはえーと――とにかく、そろそろネタ切れだ。

「いっそ思い切ってさ」

 ピンッ、と人差し指を思わせぶりに立ててみせる。

「あんこを挟んでみるのはどう?」
「餡子?」
「ほら、どら焼きとか最中とかあるやん。
 海の向こうでも、サンドイッチにハンバーガーとか、炭水化物で挟むの結構あるし、意外と王道なんちゃうかなぁ」

 ばあちゃんは、胸の前でポンッと手を合わせた。

「ええねぇ!」

 ええわけあるかい。
 こんな固いお煎餅とやわやわの餡子なんて、食感の相性最悪やろ。
 ツッコミを期待したボケやったのに、さらにボケを重ねてどうすんねん。

「確かに、お煎餅ってお米やし、そう考えたらおにぎりみたいに色々試すのも悪くないかもねぇ。
 さすが、シュウちゃんは天才やわぁ。おおきになぁ」

 ん?
 いや――これひょっとして、いけずか?

「あ、あのさ、あたしが考案したなんて書かないでよね?」
「何言うてんの、お菓子博士のシュウちゃんのお墨付きやで。
 お客さんも絶対喜んで買うてかれるに決まってるわよ」
「いや、ちが……」
「私には絶っ対できん発想やなぁ。
 ええなぁ若いって。どんな反響になるんか楽しみやわぁ」

「す、すみませんでした」

 ついに観念して頭を下げる。やっぱりいけずだ。

 さすが、年季の入った京都の商人。
 あたしみたいな小娘を手玉に取るくらい、お茶の子サイサイってことか。

「シュウちゃんに教えたるけどな」

 クイッと上げたばあちゃんの金縁眼鏡がキラリと光る。

「得難いものには素直に感謝するもんや。よう覚えとき」
「うっす……」
「ちゃんと返事ぃ」
「あ、はいっ、すみません」

 はいはい。
 タダで煎餅食わせてもらってる分、ちゃんとありがたく思って仕事しろ、ってことでしょ。
 あたしから頼んだ覚えないんやけどなぁ。

「周子」

 家に帰り、靴を雑に脱ぎ捨てて部屋に向かうあたしを、お母さんが呼び止めた。

 何、ってついトゲのあるトーンで応じる。
 どうしても反りが合わないんだよね、この人。

「あんた、煎餅の婆ちゃんに何かあったか知ってる?」
「何かって?」

 近所でも有名よ、と言って、お母さんは続けた。

「あの鬼ババアが、すっかり大人しくなったって。
 それどころか、ようさん笑うようになっただなんて……」

「ええコトやん」
「気味が悪いのよぉ、あんた最近よう行ってるでしょう、何か知らんの?
 ほら、ちょっとボケてきただとか、ご不幸とか、重たい病気かかっちゃったとか」

「何も無いよ、知らんけど」

 さっさと話を切り上げて、あたしは階段を上がった。

 ばあちゃんが――笑うようになった、か。

「ふーん……?」

 何でやろ。
 まぁ、十中八九あたしの影響なのかな、って感じはうっすらしてるけど。

 失礼なお母さんのせいで、ちょっと良くない想像をしちゃっている自分をふと見つける。

 何歳かは知らんけど、ばあちゃんも歳だ。
 本当にお父さんが子供の頃からババアやってるんだとしたら、それなりにお迎えが近いだろう。

 そういう、なんか――自分を振り返って、残り少ない人生をーとか、考えたりするんかな。ばあちゃんも。


「……いや」

 あたしが考える話じゃないか。
 今度機会があったら聞いてみるのも悪くないけど、たぶんきっかけなんてそう訪れることは無い。

 明日も明後日も、ばあちゃんの煎餅をただ気ままに食べ続ける。
 あたしがやる事は、それだけなんだ。

「えー、今日は14日やな。じゃあ14番……コバ、最初の文読んで」
「はぁい」

 二つ前の席の男子がガタッと立ち、教科書を両手で広げる。

「えっと……アイハバドリーム」
「プッ」
「クスクス……」
「そこ笑うなー。コバ、気にせんで続き読みなさい」
「あ、えー……アイハブァドリーム、ザット ワンデイ……マイフォー リトル チルドレン ウィルノット ビー ジャッジド……」

 京都はガイジンさんの観光客も多いから、意外と京都人にとって英語力は馬鹿にできたもんではない。
 でも、ご大層な文法を覚えんでも、「いえーす、ぐっどぐっど」とか「ないすとぅーみーちゅー」とか適当に言えば、結構あちらさん喜んでくれるんよね。
 かく言うあたしも、そうやってニコニコのジャパニーズスマイルで客引きする術は既に心得ていた。

 だから、こうして退屈な授業受けんでも、実生活は何不自由なくできてんのやからもう良くない?
 なーんて。

「はい、お疲れさん。そうなー、ドリーム。良い言葉やなー」

 本来の英語担当の先生は、産休とかでしばらくお休みみたい。
 代打で教壇に立った角刈りガチムチ体型の体育の先生が、黒板に「DREAM」とデッカい字で書いてみせた。

「キング牧師がおった頃はな、黒人ってだけで迫害される人達も大勢いたんや。
 そうでなくとも、戦争があれば若者もみんな駆り出されて……エラいことやなぁ。
 おう知ってるか? 当時の死因でな、戦死とか餓死とか、そういうのも普通に多かったんやで。今じゃ考えられへんやろ?」

 英語は苦手なのか、ガチムチ先生は得意げに脱線を続ける。

「普通に衣食住を得られて、教育も受けられる今っていうのは、それくらい恵まれた環境ってことやな。
 かつては平等こそが彼らにとっての夢やったんやけど、お前らにはもっと豊かで多様な環境が与えられている。
 せやから、それをありがたく思って、ちゃんと自分の進路と、その先にある夢をじっくり考えていかなあかんのや」

「先生は先生になるのが夢やったんですかー?」

 クラスの賑やかしぃが、茶々を入れた。
 すかさず先生は「おうよ」と胸を張る。

「当時、俺が学生だった時の先生が良い人でな。ああいう人になりたいって思ったんや。
 それに、俺にとってその先生がそうであったように、俺もまたお前らにとっての恩師になれたら、っていうのも夢やな」
「せやったらさ、まずちゃんと英語の授業をしてもらわんと、なぁ?」
「何ぃ?」

 賑やかしのツッコミで、クラスが笑いに包まれる。

「馬鹿にすんなよ。俺かて教職課程受けて教員になっとんのや」
「ほんじゃさ、さっきのコバの続き読んでよ先生」
「ええで、よぅ見とけ。あー、オッホン、えー……アイハバドリーム」
「同じやん!」
「コバと同レベルや、先生!」
「うるさぁい! ラーウドリィ、ドント ビー クワイエット!」
「先生ー、それやと『静かにするな』とちゃいますの?」
「シャーラップ!」


「ははっ」

 頬杖をつきながら、思わず声が出る。
 くだらないねー。この調子ならこの授業は楽勝やな。

 とはいえ――。


 夢か。
 ふぅん――夢、ねぇ?

 ガチムチ先生が言ったのは、たぶん本当なんだろう。
 戦争をやってた頃と比べれば、あたしらの人生なんて実にイージーモードで、ずっと恵まれている。

 ただ、素直に手放しで先生の言葉を飲み下すことが、あたしにはどうも出来そうになかった。

 豊かなのはそう。だけど――“多様”?

 よく言われるような、キミタチの人生には無限の可能性があるぞー、って、そういう事を言いたいのは分かる。
 分かるけど、分からない。


  ――周子もいずれ塩見屋の跡を継ぐんやから、今のうちにしゃんとおし。

  ――お仕事もお客さんの相手も、しっかり覚えとかなあかんで。ほれ、ボサッとせんで。


 勝手に敷かれたレールを後腐れなく自由に外れることができるなら、それは正しいのかも知れない。

 そりゃあ、あたしには実家の跡を次ぐ気なんてサラサラ無い。
 かと言って、小さい頃から窮屈な事を言われりゃ、あたしの中で無視できなくなるくらい塩見屋が大きくなっちゃうのも事実なんよね。

 で、本当は広かったはずの視野を一方的に狭くされて、いちいちゴールをチラつかせて――。
 いざ進路を決めるステージに立たされたら、今度は無限の可能性?

 無責任に勝手なこと言ってら、っていう気持ちにしかなんないよね。

 教科書通りの綺麗事を語ればお給金もらえんねや。
 教師ってのは良いご身分やねぇ、聖職と言われるだけあるわぁ。

「塩見ぃ、何笑うとるんや」
「えっ?」
「冴島おらんから、次、16番のお前や。はよぅ続き読みなさい」
「あ、はい」

 まだ笑い声が収まらない教室で、すごすごと椅子を引いて立ち上がり、教科書を手に取る。

 I have a dream ――



 そういや、ばあちゃんって戦争体験してんのかな。
 
 ばあちゃんはなんで、煎餅屋さんなんだろう?

「ウチも跡継ぎがおればねぇ」

 今日も煎餅屋さんは繁盛してる。
 疑いなく、どこぞの看板娘が与える恩恵の賜だ。

「そういや、ここって他の従業員さんおらんの?」
「おらんかったことも無いけど、皆すぐやめちゃうんやねぇ」
「え、ひょっとして煎餅、まだばあちゃんが自分で焼いてんの?」
「焼いてくれる人おらん言うたやないの」

 ――そらご苦労さんやな。
 その歳でそれだけ働いてりゃ、お迎えが来るヒマも当面は無さそうである。

 その一方で、新商品『きなこ揚げ煎』は、改良の余地ありだ。
 味は悪くないけど、気づくと制服のスカートが粉まみれになってる。
 またお母さんに怒られるなこりゃ。

「お店を畳む訳にもいかんもんねぇ、こればっかりは」
「…………」

 もらったおしぼりでスカートをはたきながら、あたしはばあちゃんの顔を覗き込んだ。

「あのさ」
「ん?」

「ばあちゃんって、どうして煎餅屋さんなんかになろうと思ったん?」

 お盆を下げようとしたばあちゃんの足が止まる。

「何やの急に」
「アイハバドリーム、ってヤツ」

 あたしは、今日の授業の話をした。
 ガチムチ先生の言うことがどの程度本当なのかを、ばあちゃんを通して知りたかったのだ。


 フッ、とばあちゃんは笑った。

「別に煎餅屋さんになりたかった訳やないんよ。元々そない好きでもなかったもの」

 へぇー、と声が漏れる。
 ばあちゃんの時代だと、そうか、親同士が勝手に決めた、顔も知らん人のトコに嫁入りしてーとか、あったのかな。

 思い入れが無いのに煎餅焼かされてたんじゃ、そら己の人生呪って鬼ババアにもなるか。

「最初はね」


「え?」

 ばあちゃんはあたしの隣にストンと腰を下ろした。

「ランデブーや」

「ランデブー?」

「カッコいい人がおってな。
 決まってたお見合いを蹴って家を出て、その人ん所に駆け落ちしたんよ」

 満を持して切り出されたのは、かつての旦那さんとの馴れ初め話だ。

「へぇー。やるやん、ばあちゃん」
「煎餅なんてオマケやったんよねぇ、でも結ばれて早々にその人死んじゃって」

 コミカルに肩を落とし、鼻でため息をつく。

「私に残されたのは、この店だけや。
 旦那には仕事場への出入りを禁じられとったから、焼き方だってロクに知らんのよ?
 せやかて他に従業員さんもおらんと、それからは私一人で全部やらなあかんもんねぇ」

 ――淡々と言ってるように聞こえるけど、すっごい大変でしょそれ。

「どうしたん、それ」
「どうしたも何も、やらなしょうがないでしょう」

 最初は煎餅が憎くてしょうがなかったわ、とばあちゃんはオホホホとか笑ってる。

 いや、笑い話にできんて。
 もしあたしが、今この瞬間から一人で塩見屋をやれ言われたら絶望やし、お父さんとお母さんをずーっと恨むわ。

 おまけに、お目当てのカッコいい旦那さんにも先立たれたんでしょ?
 どうやってモチベーションを保ったんだろう。

「私が選んだことやからねぇ」

 もう顔も覚えとらんけどな、ってさらに大袈裟に笑い飛ばして、ばあちゃんは続ける。

「あの人との繋がりやし、あの人が愛したモンやから、私が愛してやらなしゃーない。
 その一心があったから、重たい米櫃を抱えたり、両手を火傷だらけにしたり、お客さんから何か言われても、続けてこれた。
 私にはもうこれしか無い思ったら、人間ここまで頑張れるもんなんやなぁって、自分で感心したもんや」


「これしか……」

 本当は望んでいなかったはずの境遇に立たされて――それを受け入れた。


「……ばあちゃんはさ、夢ってあったん?
 旦那さんとか、他人に依存しない、自分だけの夢」

 気づくとあたしは、身を乗り出してばあちゃんに向き直っている。

「旦那さんと結婚することがばあちゃんの夢やったんなら、そこで終わり。
 それから先は、ただ“しょうがない”で歯を食いしばって頑張るだけの人生って、そういう事なん?」

 そんな夢の無い話ある?
 いくら惚れた人とはいえ、旦那さんの代わりとして、好きでもない煎餅のために自分の人生を消化していくなんて。


「確かに、煎餅屋は最初は私にとっての夢やなかったけど」

 遠くから、見知った常連客が歩いてくるのが見える。
 ばあちゃんはスクッと立ち上がった。

「育む夢もあるいうことやね」


「育む夢……?」

 ポツリと呟くあたしの声は、常連さんとばあちゃんとの賑やかな談笑に紛れて消える。
 かつての鬼ババアは、もうすっかり見る影も無い。


「夢……」


 その日、口の中に粘つくきな粉の甘味と一緒に、あたしの胸の中にチクリとむず痒い何かが芽生え始めるのを感じた。

「周子、これ。この八ツ橋、四丁目のテツさんとこに届けて行ったげて」

 中学を卒業し、高校生にもなると、いよいよ塩見屋の娘としての生活が本格化していく。
 あたしの意志なんか無視して。

「えー、店番だけって約束やんか」
「ワガママ言ってりゃ回るほど塩見屋は楽やないで、ほれ」
「ちぇっ……後でお小遣いちょうだいよ」

 でも、やってみたらやってみたで、意外と悪くないなと思った。

 たくさん買ってもらえたら嬉しいし、繁盛させればそれなりにお小遣いもらえるし。
 お客さん達と楽しくお話することで常連さんが増えたり、成果が目に見える形で確認できるのが楽しかったのもあるかな。

 ていうか、今あたしが感じているやりがいは、煎餅屋で『なんちゃって看板娘』をやっていた時に、既に経験していたものだ。
 本業(?)に帰った時に、違和感なくスッと受け入れることが出来たのも、きっとそれが大きいだろう。
 小さい頃に早めの反抗期を通過したおかげで、お母さんとの仲も今は良好。

 ふふ――。
 ちょっと前までは、勝手にゴール決められてーとか敷かれたレールをーとか、一丁前に反発心を抱いてたっけ。

 結局あれも、若さ故の過ちってヤツ?
 経験したことも無い未来、知りもしない世界に対して、一方的に食わず嫌いしてだだけやんな。
 シューコちゃんにも青臭い時期があったってこと。やーん、恥ずかし。

 その一方で――。

「……あ」

 配達を終えて店に戻る時、煎餅屋のばあちゃんと目が合った。
 店の奥から、あたしに小さく手を振っているのが見える。

 おざなりに会釈を返し、あたしは塩見屋の勝手口に進む。


 あれほど入り浸っていた煎餅屋さんには、ほとんど行くことが無くなっていた。

 ほら、やっぱりさ――。
 塩見屋の看板娘が、商売敵の商いをお手伝いするの、良くないっていうか?

 立場の違いを自覚して、ちょっと距離を置いといた方が、っていう――。

「あら周子、帰ってきてたん。何、ボサッと突っ立って」
「いや、ただいま言ったけど」
「いいから店番して、ホンマにあんたって子は、あっ、いらっしゃーい今日は暑いですねぇ~どちらから来はったん」
「聞いてる?」

 こんなん繰り返してたら、そういう暇も無いよねー。

 ま、友達なんてコロコロ入れ替わるし、小学校時代からずーっと縁が切れてない子なんてそういないし。
 そういう、なんか――。

 それと同じ。煎餅屋のばあちゃんもさ。

「ねぇ周子」

 夕食の席で、お母さんが思わせぶりにあたしに切り出した。

「煎餅屋のババアの話、何か知ってる?」
「何が?」

「最近あまり元気ないみたいなんよ。
 回覧板渡しに行っても、生返事しかせんようになったし。
 子供を怒鳴ったりも、全然しないでしょう?」

「ふーん」
「ふーんじゃなくて、あんたよう行ってたやないの、何か知らんの?
 ほら、ちょっとボケてきただとか、ご不幸とか、重たい病気かかっちゃったとか」
「お母さん、まぁまぁ失礼だよね」

 そうか――ばあちゃん、元気無いんだ。

 思い当たる節は、あるにはある。
 あたしの烏滸がましい主観を含めれば、それはまぁ色々と。

 だけど、今さらそれをわざわざ確かめることも――。

「ちょっと明日ね周子、ババアのとこへお届け物してくれる?」

「はぁ?」

 肉団子を取ろうとしたあたしの箸が止まった。

「そろそろ夏やし、ほら、ちょっと早いけどお中元とか適当に言うて」
「何であたしが」
「私が行っても話が弾まんもの。あんたの方がババアも喜ぶでしょう?」
「しょーもな。勝手に決めつけんでよ」

「あの煎餅屋も京都じゃ老舗やし、観光協会の人達からも注目されてるんよ。
 商売敵云々やなくて、京を生きる同行の士として、動静を探るのは立派な仕事や。
 お願い、周子」

 そう言ってお母さんは手を合わせ、年甲斐もない猫撫で声をしてみせる。
 お父さんはというと、そんなやり取りをずっと黙って見たまま、つまらなそうに缶ビールを傾けていた。

 あたしは鼻でため息をつき、首肯する代わりに最後の肉団子を3つ全部さらってみせた。

「ありがとねぇ、周子」


 あたしにも、塩見屋の人間としての自覚が芽生えてきたのは事実だ。

 でも、白状する。
 煎餅屋のばあちゃんと距離を置いていたのは、塩見屋の看板娘だからって訳じゃない。

 単にあたしが、ばあちゃんに顔を合わせづらく思っているだけだ。
 ついでに言うとあの日以来、きな粉もあんまり好きじゃない。

 ばあちゃんと顔を合わせると、思い出してしまう。
 自分の夢を嬉々として語ったばあちゃんに対して抱いた、あのモヤモヤを。

 あたしは――。
 塩見屋の娘として、大体もう、あたしの人生のゴールは見えていて。

 それで満足しているし、悪くないんだと今では思っている。

 ばあちゃんの話を聞くと、そんなあたしの境遇がウソだと思わされそうで、怖い。
 青臭かったあたしなりに選んだ道を、否定しなきゃいけなくなるんじゃないかって。

「夢……ううん」

 これがあたしにとっての“育む夢”なんだ。

 布団の上に寝転がり、色褪せた天井をジッと見つめながら誰にとも無しに呟き、あたしは眠りに落ちた。

 翌日。

 塩見屋謹製の生八ツ橋(16個入)1箱が入った紙袋を下げ、あたしは煎餅屋の前に立った。

 何だか、随分久しぶりだ。
 変わらず毎日イヤでも見ている店先なのに、こんなにも気持ちが離れていたもんだと改めて自覚する。

「ご……ごめんくださーい」

 緊張して、変に声が上ずる。
 ダッサいなぁ、我ながら。


 ほどなくして、ばあちゃんがパタパタと店の奥から出てきた。

「はーいー、あら、シュウちゃん」
「うん、毎度」
「お着物綺麗ねぇ、よぉ似合ってるわ」
「どうも」

 久しぶりに顔を見せに来たあたしを、ばあちゃんは至って普通に出迎えてくれた。

「生憎今日は、シュウちゃんの好きなお煎餅置いてないんよ、堪忍や。
 代わりに、ほれ、新作の試作品でも」
「ああ、いや、そういうのはいいや」

 ばあちゃんの気の良いお話を遮って、あたしは手前勝手なお土産をカウンターに置く。

「これ、一応ウチの人から。お中元?っていうの」
「……あらあらこんな、リッパなもん」
「リッパやないよ、あたしなんか毎日食ってるし」
「ごめんねぇ、気を遣わせちゃったみたいで」

 暑いしちょっとゆっくりしてき、と言って、ばあちゃんはパタパタとお茶の用意を始める。

 ばあちゃん一人で消費するのはエラい量だ。
 大方、あたしもここで一緒に摘まみながら、ばあちゃんと話をしてこいって意味だろう。
 お母さんめ。


 ほどなくして、二人分のお茶をお盆に載せて、ばあちゃんが戻ってきた。
 透明なガラスカップに淹れられた冷茶が、見た目にも涼しい。

 店の中の腰掛けに、二人並んで座り、塩見屋の八ツ橋を開封する。

「……へぇ~~」
「あんまりジロジロ見てもありがたいこと無いよ?」
「そんなこと無いわよぉ、八ツ橋なんて食べるの何年ぶりやろねぇ」

 ばあちゃんの初手はなんと、カスタードクリームの方だった。
 どこのお店でもやっているからと、あたしの提案でお父さんが渋々始めたヤツだ。

 口にしたばあちゃんの顔がほころぶ。

「美味しい?」
「えぇ、もちろん」

「そっか」

 あたしは順当に餡子を手に取る。

 ――ん。まぁブレの範囲内。

「今度ね、お煎餅に雪みたいな白粉してみよう思ってん」

 ばあちゃんが、おもむろに新作お煎餅の話を始めた。
 相変わらず、働き者やな。

「粉糖をさんさんとお煎餅の上にまぶして……ほら、ケーキとかクッキーとかでもあるでしょう」
「粉系はあたし、やめた方がいいと思うわ」

 二つ目のカスタードに手を伸ばし、あたしは首を傾げた。

「お煎餅って、あんまり手を汚さずに食べれるのが魅力でしょ?
 お砂糖とかまぶしたら、手ぇベタベタになっちゃうし、こぼしたら服も汚れるし、せっかくの長所が無くなっちゃう」

「はぁー、シュウちゃんはお利口やねぇ」

 ほんならね、とばあちゃんはめげずに提案する。

「お箸とか黒文字で食べれば、お手手も汚れんでしょう?」
「色々台無しやない? お煎餅の意味」
「あ、でも固いと切れないから、ちょっとヤワめにするか、ふやかさないとかねぇ」
「いやだから、それもう煎餅やない」

 いよいよボケてきたのかな。
 数年前までは京都の鬼ババアと恐れられた人が、すっかり角を無くして、シルエットもますます小さくなって。

 かつて第二の実家でもあった空間にいる事もあって、少し感傷にふけっている自分を見つける。

「ばあちゃん、どっか身体悪いとこない?」

 流れを無視し、意を決してあたしはばあちゃんに問いかけた。
 ゴクリと唾を飲み込む音が、頭の先まで響く。

「そらぁ、あちこち」

 そう言って、ばあちゃんはニコニコ笑顔で腕まくりをしてみせた。

「この歳にもなるとね、どっかしら悪ぅなるもんなんよ。
 絶好調の時の方が、むしろおかしいわ」


「……もうええわ、って、なること無いん?」

 ここに来る前、あたしは店先からコッソリ煎餅屋の様子を観察していた。

 全盛期――かどうか分かんないけど――と比べて、明らかに客足は少なくなっている。
 入ってくる客層も、観光客は全く。せいぜいが昔馴染みの爺婆で、発展性があるとも思えない。

 まして、新商品のアイデアも、昔の方がまだマシだった。
 チラッと見えていたけど、ここ最近の新作煎餅はどれも不評で、定着せずに消えていくものばかり。
 さっきの粉砂糖煎餅の話を聞けば、さもありなんってヤツだ。

 この店が衰退の一途を辿っていくのは、誰の目にも明らかだった。

「もう十分、ようやったよばあちゃん。
 そろそろ隠居してさ、これまで頑張ってきた自分の身体を労ってやるのも悪くないんやない? って」


 ばあちゃんはニコッと笑い、隣に座るあたしの頭をそっと撫でた。

「や、ちょ……」
「シュウちゃんは優しいねぇ」

 そんな、もうそういうトシでもないって。
 恥ずかしさで耳まで真っ赤になってるであろうあたしを尻目に、ばあちゃんは楽しげだ。

「シュウちゃんがおってくれるんなら、塩見屋は安泰やねぇ」

「……そらそうや」

 ばあちゃんの話してんのに、何であたしの話になんねん。

 どう考えても煙に巻こうとしているのは分かってるのに、あたしは敢えてその挑発に乗ることにした。


「ばあちゃん、前に言ってたでしょ?
 最初は煎餅屋は夢やなかったけど、後からそれを育んでいった、って」

「うん」

「たぶん、それと同じ。
 あたしにとっての塩見屋も、きっとこれからあたしの中で大きくなる。
 かけがえのない夢になっていく」

「うん」

「それがあたしの夢。
 かたや煎餅なんて、全然今のトレンドじゃない。
 時代遅れの駄作を量産して晩節を汚すくらいなら、潔くスパッと辞めちゃえば綺麗な思い出のままで終わるのに」

「うん」

「お煎餅に白粉しよーなんて、そんなんザラメでええやんか。
 何の捻りも無いどころか、食べる人のことも、煎餅の長所すらも考えられんくなったら、潮時とちゃうん?」

「うん」

「ちゃんと聞いてよ!」

 あたしは思わず立ち上がった。

「あたしさ、ばあちゃんのような生き方に一時期憧れたわ。
 レールを外れて好きな道を選んで、辛い境遇に立たされたのに文句も言わんで、誇りさえ持ちながらずっと続けるって。
 けど、あたしは今のばあちゃんみたいに歳をとっていきたないし、ばあちゃんに良くない感情を持つのもイヤ」

 この店のことは、あたしはばあちゃんの次に詳しい。
 いや、下手すりゃばあちゃんよりも。

 あたしが好きだと言って以降、胡麻煎があたしの特等席から取りやすい位置に置いてあるのも。 
 小さい頃から付いてる壁んとこの扇風機が、「強」を押すとガガガッて変な音が鳴るのも。
 水打ちに使う桶の底には小っこい穴が空いてるし、あたしが学校から帰る時間に合わせて焼き上がる時間が変わったのも。

 全部知ってる。

「この店、好きだよ。
 好きだから……好きなままでいたいんよ」


「ありがとうねぇ、シュウちゃん」

 ギュッと拳を握り、項垂れて立ち尽くすあたしを、ばあちゃんの優しい言葉がそっと叩く。

「シュウちゃんに会えただけで、あたしはこの店続けた意味があったんやねぇ」


「やめてよ……」


 それは「お店を止めてほしい」なのか、「寂しい事を言わんでほしい」なのか――。
 あたし自身、分からなかった。

 その夜、事件があった。
 ばばあの店から帰るなり、あたしが高熱を出して倒れたのだ。

 駆けつけてくれた隣のお医者さんの話では、食中毒かも知れんとのことらしい。
 言われてみれば、確かに吐き気すごいわ。

「な、なんか変なもん食うてきたん?」

 青ざめた顔して、お母さんがあたしの顔を覗き込む。

 そんなん、何も無い。
 強いて心当たりがあるものと言えば、ばあちゃんの店で食べた塩見屋の八ツ橋くらいだ。


 ――いや。

「ま、まさか……」

 血の気が引いて、あたしはお布団から身体を起こす。

「周子、無理せんで寝とき」
「ばあちゃんは?」
「へ?」

 塩見屋の人間として、あってはならない事を想像したくはない。
 でも、もしあの八ツ橋に、何らかの拍子で何か良くないものが入ってしまって――それが原因で今あたしがこうなってるなら。

「ばあちゃん、危ない……ねぇ、スマホ取って」
「しゅ、周子?」
「あたしのスマホ! はよぅ!」

 持ってきてくれたお母さんの手からそれを引ったくり、急いで連絡帳を探す。
 煎餅屋に電話したことなんて、今までなかったかも知らん。

 ようやく見つけた宛先をタップし、耳に当てる。


 ――――。


 ――――――。



「……出ない」

 ヤバい。本当に良くない想像ばかりが際限なく膨らんでいく。

「あたし行ってくるわ」
「待ちなさい周子」
「待てんわ!」

「俺が行く」

 言い争いをするあたしとお母さんを諫めるように、奥で座っていたお父さんがスクッと立ち上がった。

「ババアを見てくりゃええんやろ」
「お、お父さん……」
「すぐそこや。すぐ戻る」



 10分ほど後、お父さんからの連絡があった。

 ばあちゃんは、店の奥にある居間で、うつ伏せに倒れていたらしい。

「ば……!」
『すぐ救急車呼んだ。落ち着け、周子』

「ばあちゃん……!」

 煎餅ババアに、いよいよその時が来たらしい。

 救急車が到着する頃には、ご近所さんをはじめ、見知った人達が店先に大挙していた。
 こういう時の街のネットワークというのは、本当に馬鹿にできない。

 そして、その噂話に付いていた尾ひれがもう一つ。
 往来の人達がヒソヒソ話していたのを、表の様子を見に行ったお母さんが聞いたらしい。


 塩見屋の娘が毒を盛ったらしい、と。

 勝手知ったるかつての看板娘が、煎餅屋のババアと言い争いをしているのを見た、とも。


「あ、あたしは……!」

 そんなのウソだ。
 そりゃあ、ばあちゃんと顔を合わせんのがちょっと億劫になってたりもしたけど。

 だけど、そんな酷いことをしようなんてっ!

「大丈夫よ周子、ああいう噂話なんて誰も信じとらんし」

 でも、あたしが持っていた八ツ橋に、良くないモンが――。
 何であたしに持って行かせて――。

 ま、まさか――?

「それにしても、まさかこんな事になるなんてねぇ……ババアが急にねぇ……」
「お母さん……」
「ん、何?」


「お母さん、あたしにばあちゃんとこ行かせたのって……そういう事なん?」

 二階にあるあたしの部屋の窓から、向かいの煎餅屋の様子を見ていたお母さんが、ギョッとした顔であたしに振り向く。

「どういう事?」
「あたしが聞いてんだから答えてよ、何であの八ツ橋持たせてばあちゃんとこ行け言うたんや」
「せやから、ババアが心配で……ちょ、ちょっと何、周子?」

「一服盛ったのが誰や聞いてんの! 状況的に塩見屋の人間しかおらんでしょうがよ!」

「周子! 何言うてんの!」

 途端にお母さんが怒りを露わにする。
 当たり前だ、面と向かって縁起でも無い話の犯人扱いをされたんだから。

 でも、あたしは引き下がらなかった。
 こちとら八ツ橋掴まされて、知らんうちに実行犯やらされて、そうなんやで済ませられるか!

「どうりでおかしいと思ったわ。いいように鉄砲玉やらされてたってわけ?」
「あんたそれ以上言うたら許さんで」
「あたしはとっくに許してないけど?」
「何でババアにそんな酷いことせなあかんの。頭冷やしぃよ周子」

「だったら説明してよ。何であたしはこの有様で、ばあちゃんは倒れたん?
 考えられるきっかけが八ツ橋しか無いんはどういう事や!」

「し、知ら……!」

「知らんわ!! 出てけぇ!!」


 窓の外からデッカい声が聞こえ、ビックリしてお母さんと一緒に顔を出す。
 言うまでもなく、声がしたのは煎餅屋の方だ。


「誰やあんたら! 寄ってたかってババアを囲んで見せモンちゃうで!」

 店先に停まった救急車の手前。
 倒れたはずのばあちゃんが――救急隊員っぽい人達とお父さんを相手に、凄んでいる。

「い、いやお婆ちゃん、あんたが倒れてた言うから我々も…」
「寝とっただけや!
 何や、これからはいちいちお休み言う前にあんたらの許可が必要なんか!」
「そういう話やなくて……」

「ウチの八ツ橋食って、倒れたのかと思ってん」

 お父さんが後ろからそっとばあちゃんに声を掛けると、ばあちゃんはキッと睨みつけた。

「八ツ橋一つ食うたくらいで死ぬか!!
 せっかく仕事終わって昼寝しとったんに叩き起こされてこんな往来で晒しモンにしよって!!」
「お、おいバアさん落ち着けて…」

「出てけぇ!! お前ら帰れぇ!!」

 散々怒鳴り散らした挙げ句、終いには店先に置いてた桶に水を汲み、なんと周りの人だかり目がけてまき散らした。

 蜘蛛の子を散らすように捌けていく野次馬達。


「…………」
「ババア、元気やないの……」

 あたしとお母さんは、その様子を呆然と見つめるしかなかった。


 あたしの知る限りで――これが、煎餅ババアの最後の雷となった。

 そして、この事件をきっかけに、ばあちゃんと周囲の人達との溝は決定的になって――。
 ばあちゃんは、京の街で孤立した。

 皆して、触らぬババアに――に、なった。

「…………」

 その日の夜、家族会議が開かれた。

「あんた何か言う事あるんとちゃうの? 周子」
「おい、もうええやろ」
「…………」

 二人の前に座り、黙って俯くあたしに、お母さんが怒っている。
 お父さんは、そんな二人の仲介役に回っていた。

 後で分かったことだけど、あたしが熱を出して倒れたのは食中毒なんかじゃなかった。
 心因性? っていうの?
 ストレスとか心の病みたいなヤツで、おセンチが極まって熱とか吐き気が出ちゃったって話らしい。

 当然、塩見家の八ツ橋は何も関係ないし――ストレスの心当たりは、いくらでもある。

「周子も良くなかったが、早とちりをした俺も悪い。
 それに、周子に重たい役目を回したお前にも、それなりに責任あるやろ」
「そんなん分かってます!」

 分かってないくせに。
 癇癪起こしたお母さんのそれは、決まって相手の話を一方的に切り上げる時の言い草だった。

 心の中で舌を打ったあたしを尻目に、お母さんはテーブルに身を乗り出し、語気を強める。

「私が言いたいんはね、周子。
 あんたが塩見家の人間として、いっちばん言っちゃあかん事言うた、その事を正してもらいたいんよ。
 京都の伝統、京都の象徴。引いては食に携わる者として絶対にあってはならん事。
 京を代表する塩見屋を、塩見の跡継ぎであるあんたが疑うなんて、ウソでもあっちゃダメなんよ。分かるでしょう?」

「…………」

「そりゃあ、私かてババアの事はショックだったわよ。
 仲良うさせてもらってたババアのそういうんを目の当たりにして、あんたも辛かったでしょう」

「…………」

「でもね、周子。それはそれとして、あんたは塩見家の人間なの。
 塩見を否定する事は許されんし、もっと大事にしていかなあかん事がたくさんあるの。
 伝統の守り人としてこれからも…」

「……っさいなぁ」


「何?」

 しおみけしおみけ、シオミケ――はん。

「そんなに言うなら塩見家やめたるわ」

 あたしはガタンッと席を立った。

「ちょ、周子」
「どっかで男捕まえて塩見じゃなくなれば、お母さんもそんないちいちくっだらない事言わんで済むやんな?」
「何言うてんの周子! ちょ、座りよし! 話聞きなさい!」


「話聞けて……さっきっからお母さん、自分の話しかしてないやんか!!」

 必要以上に整えられたお母さんの眉がピクンッと跳ねる。

 それはそれ、だなんて――よくも言ったな。
 あたしはばあちゃんの事を“それ”の一言で片付けるなんてできないし、そんな人間になりたくない。

 塩見家にどっぷり浸かった末路がお母さんみたいなど阿呆だと言うのなら、どうしてそれを目指すべき夢だと認められるだろう。

「ばあちゃんも、あたしの事も全部無視して! 自分の事しか考えとらん!
 頼んでもないのに跡継ぎ呼ばわりして、あたしの意志を聞こうともせんで! 勝手に!!」
「そ、それが習わしだからやないの! あんたが継がな、誰が塩見屋を守る…」
「塩見がそんなに大事なん? 家や自分の事だけ考えとけ言うんがあたしの目指す幸せなん!?
 そんな夢、こっちから願い下げや!!
 お母さんみたいな人にあたし絶対なりたないしならない!! 時代遅れのばあちゃんやってる方がずっとええわアホんだら!!」
「……ッ!」

 たまらずお母さんは立ち上がり、あたしの頬を叩いた。

 痛くない。全然――痛くない。
 ばあちゃんが受けてきたもんに比べれば、こんなん。

 熱くなった頬に手を当て、あたしはお母さんをキッと睨み返した。

「何がアイハバドリームや!! ふざっけんな!!」

 呼び止める声を無視して、あたしは階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込み、ドアを叩きつけた。

 アホ――。

 未だに反抗期、終わってなかったんか、あたし。


 布団に包まり、ギュッと固く目を瞑る。
 嫌なことがあったら、さっさと寝てワンチャンこれは夢でした、なんてなってくれれば――。

 でも、全然寝れない。
 あたしの意志に反して鼓動はファンファーレみたいにバクバク言ってるし、いくら目を閉じても涙が溢れてくる。

「アホ……っ!」

 何もかもが、悔しくて仕方がなかった。
 自分の事しか考えないお母さんも、ばあちゃんを引き合いに出して酷い言葉を言ったあたしも。

 ばあちゃんは――。


 ばあちゃんはきっと、あたしを庇ったんだ。

 お父さんが塩見家の八ツ橋に言及した途端、ばあちゃんは一層激しい剣幕で否定して――。

 あたしが渡した八ツ橋にケチが付いたら、塩見家やあたしに変な疑いがかかるのも知っていたから。

「ちきしょう……!」

 だからばあちゃんは――あんな態度で、余計に変人扱いされる羽目になって――。

 あたしが追い詰めたんだ。

 ばあちゃんはこれから先、皆から白い目で見られ続けるんだろう。
 これまで必死に一人で頑張ってきたばあちゃんが、その人生を終えるまで。

 あたしなんかのせいで――!

 胸に抱いた枕を掻きむしる。
 布団を剥いで壁に向かってぶん投げ、また布団を被り直してあたしは声にならない声を上げて泣いた。



 ――――。


「周子」


 どれだけそうしていたか分からない。

 気づくと、ドアの向こうからお父さんの声が聞こえた。

「入ってええか」

 あたしの部屋のドアに、鍵は付いていない。
 入る時はノックしろ、って、お父さんやお母さんにはキツく言ってたつもりだったけど――。
 たぶん、あたしが気づかなかっただけか。

 あたしは、返事をしなかった。

「入るぞ」

 だったら聞くなや。

 布団の中で悪態をつきながら、内心ビクビクしていた。
 仕事人間のお父さんがあたしの部屋に入ってくるなんて今までめったに無い事だったし、さっきの事で絶対怒られると思ったから。

 ガチャッ――と静かに、慎重にドアの開く音が聞こえる。


「……おう、何や、案外綺麗やな」

 ギシッ、ギシッ、とお父さんの足音が近づいてくる。
 あたしは、まだ布団から顔を出さない。

「枕が飛んどる以外は」

 布団の隙間から、そっと外の様子を伺う。

 お父さんは、さっきぶん投げた枕を拾い、ポンポンと叩いた後、あたしの前に座った。

「ほれ」

 お父さんが枕を差し出す。

 あたしは、手だけをにゅーって伸ばしてその枕を掴み、中に引っ込めた。

「横着すんな」
「知らん」

「メシ、食うか?」
「……いい」
「そうか」

 だってお母さんおるもん、とは言わなかった。
 ガキみたいな言い訳するのが嫌だから、なんて理由で黙ってんの、ほんまにガキやな、って。

 きっとお父さん、そう思ってんだろうな。

「母さんもな、他所からこの家に嫁いできたんや」

 年頃のワカランチン娘を相手にするお父さんは、すごい慎重に言葉選んでんなー、って感じの、優しい口調だった。

「たぶん、俺の知らん所でも、お袋……お前の婆さんな。色々言われとったんかもな。
 一日も早く、塩見家に恥じない人間になろう思て、これまでずっと気張ってたんや」
「…………」
「母さんのこと、大目に見たってやれ」
「……イヤや」
「そうか」

「そうやって、お父さんを出汁にして仲を取り持とうとすんの……ズルくない?」

 そういう所がいちいち気に食わんのよな。
 お母さんが仲直りしたい言うんなら、お母さんが直接あたしんトコに来て――。

「せやったら、母さんここに呼んでくるか?」
「……それもイヤや」
「せやろ?」

 お父さんは、クックッと声を忍ばせて笑った。
 あたしも、そうとバレないように小さく笑う。

「周子は、塩見屋の跡を継ぐの嫌か?」

「…………」
「俺は無理強いはせん。ただ、正直に答えてくれ」

 ――――。


 あたしは、布団からそっと顔を出した。

「……分かんない」


 さっきはお母さんへの反抗心から、あんな事言っちゃったけど――。

 実際、お店のお仕事は嫌いじゃない。
 それなりにやりがいあるし、ブランドを上手に守れれば食いっぱぐれも無いだろう。

 でも、当たり前やけど――あたしには、一つの店を何十年も切り盛りした経験なんて無い。

 やった事が無いものについて、好きも嫌いも、良いも悪いも分かるはずがない。


「だろうな」

 お父さんは、否定も肯定もせず、あたしの返事を受け止めた。

「お父さんは、どうやったん?」
「店を継げ言われた時か?」
「うん」

「さぁ……俺は周子みたいに、ちゃんと考えてなかったからな」

 短い顎髭をポリポリと撫でながら、お父さんは首を捻る。

「小さい頃から親父の手伝いさせられて、その延長でいつの間にか跡を継いでた。
 お前が言ったように、良いも悪いも無い。最初から、ただの結果があっただけや」
「そうなん……」

「お前は偉いよ。それだけちゃんと悩んでるのは大したもんや」

 フンッ、とどこか嬉しそうに笑って、お父さんはあたしの頭を撫でた。

 やめぇ言うて、お父さんの手をどけて笑ってみせる。

「ばあちゃんの方が、偉いよ」
「煎餅のババアか?」
「若い頃に旦那さんに先立たれて、ずーっと右も左も分からんまま、煎餅屋を守ったんやて」

「それはババアがそういう選択をしたからや」

「……ッ」


  ――私が選んだことやからねぇ。


 不意に、あの時のばあちゃんの言葉が頭に浮かぶ。

「凄いことには変わらんけどな」

 知らんかったなぁとボヤきつつ、お父さんは「おう」と膝を打ち、声の調子を変えた。

「とりあえず、高校卒業までは見逃したる。
 それまでの間、何かお前のやりたい事が見つかったら、卒業してから好きにしたらええ」
「見つからんかったら、跡を継げって?」
「どうせ大学とか行く気無いやろ、お前」

「例えばの話やけど」

 あたしは身体を起こした。

「東京に行くとか、どう?」
「東京?」
「どこでもええけど、自分探しの旅をしてから、やりたい事を見つけたいかなーってさ?」

「ええ身分やな」

 鼻で笑うお父さんにあたしは食い下がる。

「ちゃんと働いて、お小遣い貯めるから」
「俺がええ身分言うたんは、経済的な話だけやない」

 お父さんは咳払いを一つした。

「他の子達と違って、お前には塩見屋という滑り止めがある。躓いても帰る場所がある。
 失敗を気にせず、自由にいくらでもチャレンジできるなんて、そうそう無いで」

「うん……分かってる」

 ううん、今、分かった。

 あの時のガチムチ先生が言ったことは、きっと本当だ。
 いや、本当にしなきゃいけない。
 お父さんと話をしていて、だんだん頭の中が整理出来てきた。

 あたしはずっと、得体の知れない未来に対して不安を抱いていた。
 夢ってヤツも、あたしにとっては取り留めが無くて、大きいか小さいかも分かんなくて――。

 だから、斜に構えて揶揄したり、距離を置いて逃げてきた。
 ばあちゃんの語った夢にモヤモヤを感じていたのも、きっとそれだ。

 分からないことは、分かるようにしないと、いつまで経っても怖いままなんだ。

「悪いけど、あたしは塩見屋を利用するよ。
 自分の夢が何なのかを知るまで、目一杯ね」

 そして、恵まれた環境にいるというのなら、それを使わない手は無い。

「俺はお前の見出す結論を、否定はしない。けど……母さんには内緒やな」

 お父さんは苦笑した。

「頼むから、今日みたいなのはもう堪忍やぞ」
「うん、任せて」
「偉そうに言う事ちゃうやろ」
「ははっ」


 ひとしきり話をしたら、何だかすごくお腹が空いちゃった。

 母さんに謝りに行こか、ってお父さんが誘って――。
 居間に降りたら、お母さんが手を揉み揉みしながら待ってて。

 それで、まぁ――そんだけ。
 若かりし頃の、青くて苦~い青春の1ページ。

 お母さんと仲直りしてからのあたしは、そりゃあもう真面目に看板娘やってたなぁ。

「こっちのくるみ餡とカスタードはあたしが考えたんだー♪
 あとは安パイのノーマル餡子。まっ、ミスドのオールドファッションくらい八ツ橋の定番よね。
 迷ってるならおすすめだよー、1箱ずつでいい?」

 若いカップルのお客さんには、思い出になりそうな捻りの利いたヤツを。

「へぇー、清水寺行ってきたんや。飛び降りてる人いなかった?
 ほら、ことわざにもあるくらいだし、毎年結構いるよ? あたしもやったし。
 何ならあたしがおじさん達ガイドしたげよっか、なーんて。あはは、冗談やておにーさん♪」

 賑やかそうなオッサン達には何個か用意してる京都ジョークの一つでもかましてあげて。

「おーぅ、ないすとぅーみーちゅー!
 どっから来たん? ふぇああーゆーふろむ……おほほー、ブラジル!? マジで!?
 遠いとこから来たねー、それじゃコレ、あたしからのサービス。おっけーおっけー、はぶぁぐったーいむ♪」

 日本が詳しくなさそうなガイジンさんには、オマケと称して正規料金で相手をしたり。
 (ホントにサービスしようとするとあたしの自腹になるのが塩見屋の悪い所)

 そんなこんなで、看板娘による大車輪の活躍で、いつしか塩見屋は大繁盛。

 口では言わないけど、お母さん、気味悪がっていたかな。
 いくら望んでいた事とはいえ、人が変わったように仕事に勤しむあたしを。
 それなりにお小遣いをもらってるはずなのに、大した散財もせずに粛々と貯金に励むのも。

 ホントに東京に行くかどうかなんて、決まっちゃいない。
 でも、将来何か自分のやりたい事が見つかった時、軍資金はいくらあっても困らないはずだ。

 そういう意味でも、あたしはツイてる。
 寄りかかった塩見屋という大きな懐を、いくらでも利用してやる。


 とは言うものの――。
 人生をかけてやりたい事なんて、そう簡単に見つかるもんじゃないよねー。

 これまでもご案内の通り、あたしは臆病で保守的だ。
 成功する担保が無い中でチャレンジする勇気が、どうしても持てない。

 このままで良いのかどうか、悶々とした悩みを振り払うように、学校以外の時間を仕事に費やす日々。
 そうして、塩見屋のことだけを考えているとますます視野は狭くなって、いたずらに時間が過ぎていく。

 一体、何のために仕事をしてるのか、分かんなくなってきちゃうな――。

 そんな事をボンヤリ考えているうちに、いつの間にか高校生活の三年間が終わろうとしていた。

「はい。あんまり日持ちしないから、お家帰ったら早めに食べてな。
 ありがとうございましたー、また京都来てねー♪」

 昼過ぎの、14時から16時くらいでピークを迎える日。
 お昼ご飯食べて新幹線で帰る前に、日持ちのしないお土産を買いにドドーッと来るんかな。

 卒業間近になると授業もあんまり無くなって、ますます忙しく働いてばかり。
 曜日感覚も無くなる生活にあって、こういう客足の多さで今日が日曜なんだと気づく。

 ようやく訪れたお客さんの切れ目に、ほぅっと少し深いめのため息が出る。
 今日はボチボチ終いかな。


「…………」

 チラッと、何と無しに斜向かいの煎餅屋の方を見やった。

 あの日以降、煎餅屋はすっかり閑古鳥が鳴いている。
 それどころか、まるでばあちゃんの気まぐれのように、お店自体も不定期にお休みする日が増えた。

 あんな事してたんじゃ、ますますお客さんの足、遠くなっちゃうよ。
 ふらっと気が向いた時に立ち寄りたくなる、いつも変わらずそこにあるもの。
 常連さんだって、そういうものを行きつけに求めてるはずだ。

 もう――あの店の元気な姿を見れる日は、無いんだな。
 あんな事なら、いっそ近所のガキんちょ達に万引きの一つでもさせて怒ってた方が、まだマシではとすら思えてくる。

「…………」

 もうじき、高校の卒業式だ。
 そしてそれは、お父さんとの約束の期限でもある。


 ――もうそれでいいんじゃないかな。

 よくよく考えたら、あたしの悩みはよほど贅沢だったんだと思う。
 決して小さくない立派な老舗和菓子屋の跡を、継げるもんなら継ぎたい人はいるだろう。
 実際、友達から何人か「周子はお店あるからいいよねー」なんて言われた事もあるし、たぶん勝ち組ってヤツだ。

 このままレールに乗っていれば、世間一般的に見て悪くない将来があたしには確約されている。
 それを投げ出す方が、あたしにとっての幸せを遠ざける行為なんじゃないか。

「あの……」

 何物をも諦めずに大人になれる人が、どれだけいるだろう。
 あたしだって、それなりに悩んだ。
 悩んだ末にたどり着いたゴールが、あたしには見えている。

 きっとそれがあたしの――。


「えっと……あのぉ」

「!? うわっ」


 声を掛けられて、咄嗟に我に返る。

 視線を戻した先には、観光街には見慣れない、折り目正しいスーツ姿の人が店の入口に立っていた。
 たぶん、しばらくそうしてあたしに声を掛けていたみたい。

「びっくりしたー。あ、お客さんか……サボってて、ごめんごめん」

 中に案内して、ひとしきりテンプレ通りの紹介をする。
 まだスイッチが戻ってこない。あかん、こんな調子じゃお客さんに失礼や。

「あっちには期間限定のえーと、何やったっけ、そうそうイチゴ餡ね。
 6月くらいまで置いてるけど、一番旬なんはやっぱり春先の今かなぁ。
 他にも色々あるからさ、どうぞ好きに見てってやー」


 目の前のお客さんは、あたしの営業トークをジッと聞いていた。
 というより――。

「……?」

 あたしをジッと見つめていた。

 何や――気色わる。

「……いやいや、あたしじゃなくてね?
 ふふふっ、面白い人やなー。アンタ、何なん?」

 とりあえずスマイル一つをお返しして、出方を伺う。

 明らかに観光目的じゃない。
 そりゃ、仕事で京都に来る人が来店しないわけでもない。

 でも、この人はまるで、京都そのものすら目的ではないかのように見えた。


「こういう者です」

 そのスーツ姿の人は、胸元から名刺を一つ取り出して、丁寧にあたしに手渡した。

 芸能事務所――。
 ん、何?

 アイドルの、プロデューサー?


 話を聞いてみると、近いうちにその事務所さんの方でオーディションとやらがあるらしい。
 それに参加してほしいとのことだった。

 ふうん――?

「ま、確かに塩見屋のシューコちゃんといや、看板娘で有名だけど……。
 別にあたしじゃなくても良かったんじゃない? 何であたし?」

 芸能事務所の、いわゆるプロの業界人さんのお眼鏡に適ったっていうなら、悪い気はしない。

 でも、動機が知りたかった。
 わざわざ客の切れ目を狙ってあたしに声を掛けに来たのなら、それなりの時間、あたしを観察していたはずだ。

 スーツの人は、とても淡泊に、でも、真っ直ぐにあたしに答えた。


「寂しそうだったから」


「……寂しそう? ふーん」

 変なこと言うね、なんて、鼻で笑いながら平静を装う。

 虚を突かれた、とはこの事か。
 会って2分と経っていない赤の他人に、こんなにアッサリとあたしの心の柔らかい場所を見破られたのは、初めてだった。

「君の中に眠る輝きを、私達に見せてほしい」


「……ま、名刺は受け取っておいてあげる。オーディションは……気が向いたらね」

 たぶん、この人にとってはモノのついでなんだろう。
 申し訳程度にプレーンの12個入りをお土産に買うと、スーツの人は最後にあたしに小さく会釈をして、店を後にしていった。

「……アイドル」

 その日の夜、自分の部屋で寝転がりながら、あたしはもらった名刺を繁々と眺めていた。

 アイドル――。
 何や、可愛らしい服着て歌って踊って、雑誌で写真撮られたり、テレビで楽しくお喋りしたりする、アレ?

 それにならんか、ってか。


  ――寂しそうだったから。


「……どんだけヤバい顔してたん、あたし」

 赤の他人に心配されるくらい、煎餅屋を見つめるあたしはよほど絶望に染まっていたんか。
 それこそ清水寺から飛び降りそうな顔だったのかも知れない。


 でも――。

 それをあたしに面と向かって言ってくる人に、興味が持てないというのもウソだった。

 そりゃあ、ああいう業界の、スカウトマン?
 いや、プロデューサーか。

 そういうプロの人からすれば、思わせぶりな言葉一つでいたいけな女の子の心をくすぐるのは、朝飯前なのかも知れない。
 ましてあたしは、ちょっと前まで自分の進路に焦っていたし、隣の青そうな芝生をチラ見せされたらまんまと飛びつくカモだったのかも。
 ――あ、ダジャレじゃなくてね?

 そういったネガティブな想像を差し引いてでも、あたしが興味を持ったのは、あの人があたしに何を見出したのか、だ。

 アイドルとしてあたしを売り出したいのなら、どういう売り方をしたいのか。
 つまり――あたしの魅力となるもの。


  ――君の中に眠る輝きを、私達に見せてほしい。


 クッサぁぁ~! クッサいなぁ。
 輝きて、夜空のお星さまを指差して、ほら、あの一等星が君だよ(イケボ)、みたいな?
 トレンディドラマかっつーの。見たことないけど。


 でも――こんなにワクワクするのは何でだろう。


 この判断は、あたしにとって失敗に終わるのかも知れない。
 だけど――賭けてみるのも悪くないって、ちょっと魔が差しちゃったんだよね。

 卒業式を終えた日の夜。

 あたしは、仕込みをしているお父さんをチョイチョイっと、自分の部屋にコッソリ呼んだ。

「卒業してから、何をしても自由……そういう約束やったよね」

「アイドル……」
「調べてみたらさ、大手の事務所なんやて」

 そう。本当に実在する事務所なのか、一応スマホで調べてみたらビックリ。

 城ヶ崎美嘉ちゃんとか輿水幸子ちゃんとか、あたしでも知ってるような有名なコ達がたくさん所属している事務所だった。
 結構カラオケで『TOKIMEKIエスカレート』とか歌ってたし。

 お父さんは、おぼつかない手でその人の名刺を掴み、奇妙なものと対峙するような目をしてジロジロ見ている。

「実際どう思う? お父さん」
「母さんが聞いたら卒倒するやろな。俺も目眩を抑えるのに必死や」
「ぶはは」

「だが、まぁ……お前が決めた事なら、な」

 あたしに名刺を返して、お父さんは自分を納得させるかのように小さく頷いた。

「そんなこと言って。本当はお父さん、止めろって言いたいんでしょ?」

 愛娘が自分の元を離れるなんて、隠し子でもいない限り、この人にとっても初めての経験のはずだ。
 ましてアイドルなんていう俗な業界に飛び込もうなんて、あたしかて不安になる。

「言うたやろ。俺は否定しない」

 かぶりを振るお父さんの表情は、いつものように無骨で飾り気の無い、優しい顔だった。

「だが、応援もしない」


「……ッ」
「お前の望む自由いうんは、そういう事や」

「……うん」

 分かっていたつもりだった。
 だけど――面と向かって言われると、結構堪えるなぁ。

 塩見屋の元を離れたら、もうあたしは『塩見屋の娘』じゃない。
 名前や顔なんて誰も知らん土地で、ただの『塩見周子』として生きていく。

 今まで守ってくれていたものが無くなって、怖くないわけがない。

「お母さんに、何て言おう……」

 不安が大きくなってきた。
 東京生活もそうだけど、お母さんに納得してもらえるだけの言い訳が、まだ思いつかないからだ。

「それなんやけどな、俺も考えててん」
「えっ?」

 思わせぶりに切り出したお父さんは照れくさそうに、でも何だか得意げに鼻の頭を掻いた。


「俺に怒られて、追い出されたって事にしとけ」


「はぁ?」

 思わず間抜けな声が漏れる。
 冗談も言わんクソ真面目なお父さんの口から、何やねん突拍子もない。

 だが、当人は至って本気のようだった。

「つまりやな、お前の話を聞いた俺が、塩見家の人間として何やーとか、この不良娘が―とか」
「いや分かるって。何でそれがお母さんを納得させられんのって話」

「どうせ母さんはこんな話認めん。
 なら、代わりに俺がガツンとシメてやったって事にしときゃ、多少溜飲は下がるやろ」

「そうかなぁ?」

 ますます火に油というか、余計な後腐れありすぎというか。

「こんなん綺麗にスパッとなんていきっこ無いねんから、贅沢言うな」
「……へーい」
「よっしゃ」

 急に何か思い出したかのように、お父さんは立ち上がった。

「何、どうしたん?」
「ちょぉ待っとれ」

 ドアを開けて、ドスドスと忙しなく階下へ降りていくお父さん。
 何か勝手にあたしより盛り上がってない、あの人?

 訳も分からずボーッと待っていると、しばらくしてお父さんがドスドス戻ってきた。

「ん、これ」
「? ……うぉわっ!?」

 差し出された封筒の中身を見ると、カステラを縦に立てたんかってくらい、札束が入ってた。
 たぶん、一番上と下だけ諭吉さんで、真ん中は全部千円札――ってわけじゃないよねこれ。

「いやいや、え、何!? いや無理無理、怖い怖い!」
「言っとくがやらんぞ、貸すだけや。後でちゃんと返せよ」
「にしても、せめて口座に振り込むとかしてよ! こんなん持ち歩けるかい!」

「一応、お前に何かあった時のためにな、母さんと取っといたヤツや」

 曰く、若い頃から大事に金庫にしまっておいたものらしい。
 この人にしてみれば、ついに使うべき時が来た、という事だ。

「せやけど、お前の自由を尊重して、丸々与える事はせん。
 貸したものを返しきったら、晴れてお前は一丁前として胸を張ったらええ」

「…………」
「自由には責任が伴うもんや。忘れるなよ」

 ――重たいなぁ。
 物理的にも、そうじゃない意味でも。

 でも――今さら、引き下がれんわな。

 あたしはお父さんの目を見て頷いた。
 あんまりマジマジと見たこと無い顔の皺が、今になって妙に目についた。

「なるべく早めに返すわ」
「知らん」

 お父さんは鼻で笑い、立ち上がった。

「ありがとう、お父さん」
「おう……あぁ、それと」

 ドアに手を掛けたまま、お父さんは振り返らないままあたしに告げる。


「見送りはせん。お前は俺から追い出されたんやからな」

「……うん」

 お休みの挨拶もしないまま、お父さんはあたしの部屋から出て行った。



 時計を見る。午後10時。

 東京にある事務所のオーディションの日程は、まだ少し先だ。
 でも、鉄は熱いうちに、って言葉もある。
 この家にいればいるほど、今あるあたしの熱はどんどん冷めて、もう出ていけなくなるかも知れない。

 やっぱり今――明日の朝、行こう。

 スマホで新幹線の乗り方を調べる。
 切符って予約、しないといけないんだっけ――いや、駅の窓口へ行けばなんとかなりそうやな。

 じゃあ荷造りすっか。

 あたしは押し入れを開け、奥に隠していたキャリーバッグを出した。
 貯めたお小遣いで買った唯一のものだ。

 二泊、三泊の旅行とは訳が違う。
 何を入れたらええんやろ。
 服はとりあえず入るだけ。お洗濯――げ、ひょっとして洗濯もしなきゃ!?

 ていうか、そもそも住む所どうしよ。
 あのプロデューサーって人んトコ行って泣きついてみるか。事務所の寮とかあるかもだし。

 恐る恐る、しかし思い切って荷造りを進めていくうちに、実感が強くなる。
 あたしは本当に、何かをしに行くんだな、って。

 ご大層な夢なんか抱いてない。
 そう――まだ見ぬ夢を、育みに行く。

 いつかのばあちゃんのように。



 ――――。

 うっし、大体いいかな。思ったより早く終わっちゃった。
 明日の朝は早く出たいし、もう寝とくか。


 ――いや、待てよ。
 良いコト思いついたかも。

 ええっと確か、この辺に――あれ、どこやったっけ?
 お、あったあった。
 テレレテッテテーン!

 ブリーチ~~♪(シルバーアッシュ)

 ――やっぱ止めといた方がいいかなぁ。どうしよ。

 あ、ちなみに何でこんなのを持っているかというと、あれは高2の体育祭の時。

 全学年が4色のチームに分かれて行う母校の体育祭では、応援団っていう一つの名物競技があった。
 団長を筆頭に陽キャグループが中心になり、有志で音楽に合わせてダンスを披露したりするヤツ。

 で、本番当日は、皆で各チームの色をモチーフにした衣装を着たり、団旗を作ったり。
 そして、気合いの入った連中は、髪をその色に染めてくるのが一つのノリでもあったんよね。
 わーお、ワルい学校。

 まぁ、あたしは店のお仕事があったからあんまり練習には参加できんかったけど、お祭り事は好きやし。
 ダンスはそれなりで、皆で作ったカッコ可愛い衣装とか着るのも、楽しくて好き。
 だけど――。

「一応、先輩に頼めばウィッグも貸してもらえるんやけど、周子どう?」

 そう言って、同じ団の友達がドラッグストアでまとめ買いしてきたブリーチの一本をあたしに差し出した。
 あたしは青団で、青って黒髪の上からただスプレーを吹くだけじゃあんまりキレイに乗らないみたい。

 真面目に――っていうと変な言い方やけど――やるなら、ちゃんと金とか銀で下地を色落ちさせた方が、カッコいい青になる。

「……うーん、いや、止めとくわ。お母さんに殺されそうやし」

 あたしは苦笑した。
 冗談でも何でもなく、こんな髪色にしたら家の敷居をまたがせてもらえんくなる。

「ああ……そうだよねー、周子んち厳しそうやもんね」
「うん、ごめんな。ウィッグ頼んどいてくれる?」
「ええよ、分かった」

「……あれ? あ、おーい、コレいらんけどー? ねぇー?」



 ――と、その時に返しそびれ、捨てるに捨てきれず押し入れの奥にしまっていたブリーチがこちら。

「う~~ん……」

 床に置いたそれと、夜中に20分くらい正座でにらめっこして出した結論は――。


「やったるか」

 どうせこれからは怒られることしかせーへんのやし、髪の一つや二つ、ナンボのもんじゃい。
 地味な黒髪なんて格好がつかないし、アイドルたるもの見た目のインパクトは大事にせんとね。

 やったことないので、しっかり説明を読みながら。
 ふむふむ――これとこれを混ぜる、と。

 うわ、クッサ!! クッサいなー何これ!
 あかん、換気換気。

 ほんで、えーっと――こ、こんな感じでいいんかな?
 デッカい鏡ほしいなぁ。
 よっ、と――あ、やべ。


 ふぃー、神経使う~~――。
 んで? このまま15~30分程度置きます。

 なるほど、ラーメンとかみたいにお好みの加減があるんやね。
 長く置けば、より強く脱色されると。

 どうしよっかな。
 ボーッと待ってんのもアレだし、例の事務所のホームページでも見てるか。


「……すごいなぁ」

 改めて、全く知らない世界だと思い知らされる。
 顔面偏差値の高さもそうだけど、貼ってある動画を再生する度に飛び出す、煌びやかでデッカいステージ。

 そして、その会場の絢爛さに少しも物怖じせず、元気一杯に歌い踊る女の子達。

「あたしもこういうの、やるんかな……」

 もっとちゃんと考えれば良かったかも知れない。
 せめて、もう少し色々と予習しておけば。
 そもそも、アイドルになると言っても、スカウトしてきた事務所があたしに合っているかも分からないのだ。


 ホントさ――。

 およそ世の中の皆さんって、マジでこんな勇気をいちいち振り絞りながら生きてんの?
 どうして怖いと思わないんだろう。
 涼しい顔をして、大変な事を平然とこなせるんだろう。

 あたしは、怖いよ。

 頼りない急ごしらえのイカダ一つで、荒れ狂う大海原へ単身くり出すなんて、怖くて仕方がない。
 実家でぬくぬく暮らしていれば、波風立たない安全な人生だっただろうに。

 でも、もう選んでしまった。

「塩見周子……アイドル塩見周子、か」

 新幹線の中で、サインの練習でもしたろうかな、なーんて。
 あたしもすっかり狂人やな。


 ――ん?

「あっ!!」

 やばっ! すっごい時間経っちゃってる!

 慌てて部屋を飛び出し、洗面台に直行する。
 1階のお母さん達、起きちゃうかな。ごめん、どうでもええな!

 蛇口を捻り、温水になるのを待たずして頭をツッコむ。
 うぎゃあーー冷たすぎる~~~! めっちゃくちゃ痛いぃ~~!


「…………うっわあぁ~~~」

 やってしまった。
 これならまだ黒髪の方がマシやったかも知らん。

 アッシュを通り越して、もはや白に近い真っギンギンのシューコちゃんがそこにいた。

 ほのかに黒が残った、カッコいいシャギシャギの感じにしたかったのに――。
 うわぁ、どうしよ。
 もうやり直せないよねぇ。ムリよねぇ。

 っていうか、これキープしよう思ったら定期的に染め直さないとアカンやん。
 うわぁめんど――とりあえず。

「絶っ対、バレんように出てかないとな……」

 物理的に一新したあたしを最初に待ち受けるのは、家からのスニーキング脱出ミッションだ。

 ――――。

 スマホのアラームが鳴るよりも前に、目を覚ました。
 まだ陽は昇っていない。

 遠足気分、とは違うよね、さすがに――。
 でも、興奮して全然寝れんかった。

 たぶん、お父さんとお母さんはもう起きてる。


 ――パジャマ。

「どうしよ……?」

 普段なら洗濯かごに放っておけば、お母さんが勝手に洗濯してくれる。

 持って行くか?
 いや、ばっちいな、やめとこ。最悪あっちで買うか。

 でも、洗面所に行くとお母さんとエンカウントしそう。
 うーん、やっぱりキミはこのままこの部屋に置いていく。さらば。

 サクッとおめかしして、忘れ物は、無し。

「……いやぁ、誰やキミ」

 鏡を見て、改めて苦笑する。
 うん、まぁ――いつか慣れるでしょ。大丈夫大丈夫。

 いざっ、東京。


 デッカいキャリーバッグを、ぶつけないようそーっと持ち運びながら、階段を降りる。

 工房を覗くと、開店前の仕込みをしているお父さんの後ろ姿が見えた。

 あたしに気づいてるかな?
 気づいてそうやな。

「……行ってきまぁす」

 小さく呟くと、あたしはコッソリ裏口へ進み、息を殺してドアを開け、ゆっくり閉めた。


 ほぅっ、と吐く息が白い。
 見上げると、夜明け前の寒空には普段見ない星々が瞬いていて、あの日のプロデューサーって人の言葉が思い浮かぶ。
 ほら、あの一等星が君だよ(イケボ)。それは言ってないか、はは。

 バッグをガラガラ引いて、勇み足で駅へ向かおうとしたあたしの足を止めたのは案の定、煎餅屋だった。

 どうしても通らずにはいられない位置関係だから、というだけじゃない。
 どうしても無視できない店だったからだ。

 あたしにとって、たくさんの思い出が詰まった第二の我が家――。

 ――白状者やと思われるかな、ばあちゃん。
 下手しなくても、今生の別れになるかも知れん。

 あたしは一人、かぶりを振った。


 お父さんやお母さんだけじゃない。
 ばあちゃんのためにも、あたしは頑張って、この街に錦を飾ろう。

 へへ――ガラじゃないねぇ、我ながら。

 新幹線に乗って一息ついた後、驚いた事があった。

 この、座席の横っちょに置いたキャリーバッグ――。
 いやまぁ、隣の人が来たらどけよー、って思ってたんだけどさ。

 妙にパンパンだった気がしたんよね。昨日の夜荷造りした時と比べて。

「……?」

 おもむろにチャックを開けて中を覗いてみる。


 違和感の正体は、塩見屋謹製の菓子箱だ。
 中身は言うまでもなく八ツ橋。

「……お母さんだ」

 あの人――ひょっとしてあたしが寝てる隙に、コッソリ部屋に来てたんか。
 あたしが出て行くのを見越した上で。

 ――あ、ていうか手紙あるわ。
 どれどれ。


 ・ ・ ・ ・ ・

 あちらに着いたら、これらのお菓子をご近所の方々に配っておきなさい。
 どうせ周子は色々な人の御世話になるのだから、くれぐれも失礼が無いように。

 辛かったら、いつでも帰ってきなさいね。

 母より

 ・ ・ ・ ・ ・



「……あははは」

 うっさいわボケ。ここでもまだ塩見屋の宣伝か。

 朝飯がてら、ここで全部食べちゃおう。
 八ツ橋は鮮度が命。作りたてを食べずに取っておくなんて、八ツ橋への侮辱だ。

「ホンマに、見栄っ張りやなぁ、ったく……」

 東京行きの車内で食べる故郷の味は、いつもよりちょっぴりしょっぱかった。

   * * *

『……なるほどぉ、ありがとうございます。
 それでは続いての質問なんですが、今度ゲスト出演されるドラマは、お二人の故郷である京都が舞台とのことで』

『あぁ、はい、そうなんです。
 うわー緊張するわ、上手く喋れるかな京都弁』

『周子はん、何言うてはるん。
 1年そこら離れたくらいで忘れるようなもんでもないですえ』

『いやー、紗枝はんはコテコテに京都カラー出してるからいいけど、あたしはほら、そうでもないじゃん?
 使わないとさー、忘れちゃうよねー。
 あ、知ってる紗枝はん? 語尾に「じゃん」って付けるのも東京弁なんだって。
 あたし東京人っぽいかな、どうじゃん?』

『はぁ……すいまへん、この人の事は無視して進行しておくれやす』

『やーん、ごめんて紗枝はんヘソ曲げんといてや』

『あはは、いえいえ……それで、ずばり本作にかける意気込みというのをお聞きしたいのですが』

『えっと、せっかくの地元ですさかい、そのぉ……
 素の自分と言ったらええんやろか、自然体で撮影に臨むんを心掛けたいんです。
 実際にそこに住んでた時と同じように、普通に。カメラが回っている前と後で、変化が無いように』

『うーん、でも普通って意外と難しいよねー。
 普通にしようと思ってる時点で普通じゃなくなっちゃうっていうか?』

『周子はんはいつも自然体すぎるから心配あらへんわ』

『おっと出たねー、いけず。さすが本場』

『あははは、そういった飾らない姿勢が塩見さんの魅力であるというお話もよくお聞きします。
 そんな塩見さんは、いかがでしょう? どんな点を気をつけたいとか、力を入れたいとお考えでしょうか』

『うーん、それがですねー、紗枝はんに全部言われちゃったからあたし何も無くってぇ』

『相変わらずズルいわぁ、周子はん』

 インタビューを終えて事務所に戻ると、またぞろ賑やかな事になっていた。

「あっ、いた! 周子ちゃんちょっと手伝って!」

 美嘉ちゃんが息を切らしながら、ドタドタとあたしに駆け寄る。

「おー、ただいま。どうしたんその汗? リングフィット?」
「事務所でやるかっ! そんなの!
 そうじゃなくて、あの二人をどうにかしてよ!」

 彼女が指差す先には、案の定ウチのお騒がせが鎮座していた。
 事務室ん中で、なぜか床にゴザを敷いて、お茶会を開いている。

「シキちゃん、はいっ。冷めないうちにせぼーん♪」
「あーん♪ ……んー、やっぱり徹夜明けの糖分摂取はカクベツだねー、志希ちゃんしあわせセロトニンドバドバムニャムニャ…」
「昨日もずーっと遅くまで頑張ってたもんねーシキちゃん、よしよし」

「寝るな! ほらっ、レッスン行かなきゃでしょ! フレちゃんも!」
「あ、ホントだー☆ ……いや、ミカちゃん。アタシ今日ムリかも」
「!? ど、どうしたのフレちゃん?」
「この宮本も、かつてはミカちゃんと同じレッスンを受けていたが、膝にシキちゃんがねむねむしていてな」
「起こせ!! この……んしょ! ふんぎぎぎぎ……!」

 二人が座っているゴザを必死に引っ張る美嘉ちゃん。
 いや、志希ちゃん本体を引っ張り出す方がまだラクじゃない?

「ていうか、何でゴザ敷いてんの?」

 ソファーで本を読んでいた奏ちゃんに声を掛けると、彼女はフッと肩をすくめた。

「仕事先からもらった和菓子を食べるに当たって、雰囲気を出したかったそうよ」
「あー……」

 普通にソファーで並べて食えばいいじゃん。
 アホやなー、我がユニットメンバーながら。じゃん。

「でもさ、言うほど雰囲気出てる? アレ」
「さぁ……出てるんじゃない? 当人達にとっては」
「あのゴザはどっから出てきたん?」
「この間のイベントで使ったもののようだけれど」

「周子ちゃーん! 奏ちゃんも見てないで手伝って! ふんがー!!」

 あっはっは、奏ちゃん見て、カリスマギャルともあろう子がしちゃダメな顔してるわ。
 面白いから動画撮ろ。

「こらーっ!! 何してんの!! ねぇーーっ!!?」
「にゃははー、意外と美嘉ちゃんって力持ちだよねー。
 フレちゃん見て、このタイルが1枚60cm角だから既にもう80cmくらい動いてる、ほら」
「ワァオ☆ ホントだすごーい! アタシの目から見てもシキちゃんスケールピッタリだよー!」
「いいから起きろ!!」

 アイドルになってからの日常は、こんな事ばっかりだ。


 事務所に入った当初、あたしが受けたオーディションは、まさかの役員面接というヤツだった。
 常務っていうお偉方が主導する、『プロジェクトクローネ』とかいう肝煎りのプロジェクトがあって、その参加者を決めるものだったそう。
 受けた時は、「うわっ、なんか圧の強い人おるなー」くらいの印象だったけど、まさかそんな偉い人だとは思わなかった。

 でも、軌道に乗るのも早かった。と思う。
 いわゆる新人発掘の一環であり、お偉いさんのお墨付きでもあったから、そこそこ力を入れて売り出してもらえた。
 シンデレラっていう、一応のライバル関係に当たる隣のプロジェクトの子らとも仲良くなれたし、事務所内でのあたしの立ち位置はすこぶる良好だ。

 そのプロジェクトの活動を終えた後、次にあたしが厄介になったのが、プロデューサーさん。

 あの日、塩見屋まで来てあたしをスカウトしてくれた人。
 東京に来た初日に事務所まで押しかけて、住む場所が無いことを言ったら、目を丸くしながらも入寮の手続きをしてくれた恩人だ。

 本来は、アイドルをスカウトしたら、すぐにそのプロデューサーが担当になるらしい。
 クローネは常務さんの管轄だから、一介のプロデューサーが口を挟むこともできず、内心ヤキモキしてたんだって。

 プロジェクトが終わり、ようやくあたしを担当する事になったプロデューサーさんは、ちょっと嬉しそうだったのを覚えてる。

 挨拶もそこそこに、あたしは当初から聞きたかったことをプロデューサーさんにぶつけてみた。
 一体あたしをどういう風に売り出したいのか。何をしたら良いのか。

 プロデューサーさんの答えはこうだ。

「何もしなくていい」

 ――は?
 え、何それ。働かなくていいってこと? ホントに?
 なんて、そんな美味い話なワケないよね。

 要するにプロデューサーさんは、飾らない、自然体の状態でいてくれ、って事を言いたかったみたい。
 新人アイドルに対する、ただの「肩の力を抜け」っていう忠告ではなく、そういうキャラこそが塩見周子の魅力なのだと。

「一つとして同じ星は無い。
 周子らしくいてくれさえすれば、それが周子の輝きになる」

 言うは易し、だ。
 頑張らなくていいって解釈できるなら楽そうだなとか思ってたけど、意識すればするほど飾ってしまう。
 まして、「あたしはこの道で頑張るんだ!」って少なからず意気込んでいたから、どうしたって肩に力を入れなきゃ落ち着かない。
 (もしかしてあたし、結構真面目?)

 あたしに課された「飾らないキャラ」というセルフプロデュースは、とてもじゃないけど無理難題だった。

 仲間がいなかったら。


 おかげさまで、今いるプロデューサーさんの元には、あたしの他に個性豊かなアイドル達がウンザリするほど居る。

 電車の乗り方や箸の使い方もまともに知らん、人智を超えた気まぐれの塊たるギフテッド。
 面白おかしいテキトーなアッパーテンションで皆を楽しくしちゃう、なんちゃってハーフおフランス。
 お姉さんを通り越しておかんの役回りを強いられる、苦労人の相丸出しのカリスマギャル。
 年齢詐称かってくらい大人びてるけど、なんやかんや弄り甲斐のある小悪魔気取りのリーダー。

 さっき一緒にインタビューを受けてくれた、紗枝はんっていう同郷の子も一緒だ。

 こんな個性豊かなメンバーに囲まれてりゃ、せいぜい髪を染めて個性を手に入れたつもりのあたしなんかまるで空気。
 おかげさまでのんびりユルくやらせてもらえて、それが結果的にプロデューサーさんの要求?にたぶん応えているんだから、感謝感謝だよねー。

「和菓子と言っても、何でも良いというものではないんでしょう?」

 志希ちゃんを皆で引き摺りながらレッスン室に向かう途中で、奏ちゃんが思わせぶりにあたしに尋ねてきた。

「どういう意味?」
「さっきの差し入れ、あなたは一口も手につけていなかったみたいだから」
「あぁ、そうだっけ」

「そっか、周子ちゃんの実家、京都の有名な和菓子屋さんなんだよね」

 美嘉ちゃんが納得したように頷き、あたしに振り返る。

「プロデューサーに頼んでさ、周子ちゃんちの和菓子、取り寄せてもらおうよ。
 経費で落とせなかったら、アタシ達でお金出しあってもいいしさ★」
「おほー、さすが美嘉ちゃんお金持ちやなー、あざーっす」
「い、いやいや! アタシ一人持ち!?」
「あはは、まぁ頼めば送ってくれると思うよ」

 家出、もとい家を追い出された後も、実家への電話は定期的にしてあげている。

 でも、そうか――お菓子の仕送りを頼むのは、初めてだな。
 家にいたときは毎日食べていたのに。

 どんな種類があるのかと聞かれて、昔取った杵柄というヤツで一通り紹介してみる。
 お菓子作りが趣味なだけあって、フレちゃんも興味津々そうに食いついた。

「カスタード餡は知ってたけど、チョコとかイチゴもあるんだー。
 さすが歴史アリだねー、楽しみだなーシューコちゃんのお袋の味しるぶぷれ~♪」
「んー……お袋ってより、むしろ親父の味かな。
 お母さんはあたしと同じで、売り子役だったから」
「パパデリカ?」

「ま、ケチくさい店だから値引きとかは無いだろうけど、味は保障するよ。
 今度実家に電話しとくわ。請求書はプロデューサーさん宛てでさ」

 ケラケラと笑いながら、いつものようにレッスン室の扉を開ける。
 いつもと違う心持ちになったのは、トレーナーさんが鬼の形相で遅刻したあたし達を待ち構えていたから、だけじゃない。

 1年以上ぶりに塩見屋の和菓子を食べられるのが、内心楽しみになっていた。

「……あぁ、もしもしあたし」
『テレビ見とるよ。
 綺麗な黒髪やったのに、そないな色にして……ほんま悲しいわ』
「あーもう、何回それ言うん?
 ほら、この髪色になってそこそこキャラ立ってる所もあるんやし」

 レッスンが終わって事務室に戻るなり、すぐにあたしは実家に電話をした。

『そうは言うてもねぇ……で、今日は何の用?』
「とりあえずさ、八ツ橋とお団子」
『はい?』
「4種類20個入りのあったでしょ。八ツ橋はそれを8箱と、お団子は普通のと胡麻のヤツ2箱ずつ。
 メンバーの子らとプロデューサーさんのお土産の分もあるから、持ち帰り用の袋も6個入れといてくれる?」

 久々なもんで、ちょっとはしゃぎ過ぎたかな?
 思いつくままに注文すると、電話の向こうのお母さんから呆れるようなため息が聞こえた。

『そんなに頼んで大丈夫なん? ウチは構わないけれど』
「大丈夫大丈夫。あたしの事務所、結構人いるから余ること無いって」
『そうやなくて、お金の問題。
 ウチは負けられんけど、ちゃんと経費っていうので落ちるん?』
「あぁ、ちょっと待って」

 一旦顔を上げて、あたしは部屋の隅にあるプロデューサーさんのデスクを見やった。

「プロデューサーさーん! あたしの実家のお土産経費で落ちるー?」

 プロデューサーさんはキーボードを叩く手を止め、困り眉をしながら手を上げた。
 あたしに送られたサインは、バツ印の“×”だ。

「大丈夫だってさ」
『そう? あんまりプロデューサーはんを困らせるようなコトしたらあかんえ』
「いやぁ、その辺は上手いことやってるからさ、心配しないでよ」
『あんたは調子だけはええんやから……それで、送り先はこの間メールしとった住所でええねんな?
 宛先は、みしろプロダクションやったっけ。みしろってどういう字書くん? 三つの代でええの?』
「ううん、数字」
『数字ぃ?』
「数字で346」

 ところで、お父さんから借りたお金は、まだ返していない。

 自分で言うのもなんだけど、今のあたしはハイティーン世代に大人気のアイドルユニットの一翼だ。
 それなりに稼ぎはあるし、返そうと思えば返せなくもないんだけど――。

「うんうん、んじゃそういう事で」
『ええ……ところで、周子?』
「ん、何?」

 返しちゃったら、繋がりが消えちゃうというか。

『あんた、言葉変わったねぇ』

 すっかり東京人らしくなっていく自分が、何となく寂しくなる気持ちもあったりして。

 後日。

「うーぉ、重ったぁ……!」
「手伝うよ、周子ちゃん★」
「助かるわ」

 絶対あたしが注文したヤツ以外のも入ってるでしょ、ってくらいの量がダンボール1箱分、事務所に届いた。
 数も数えられんのか、お母さんめ。

「ワァォ☆ シューコちゃんのお団子もう届いたんだー!
 アタシ朝と昼しか食べてないからすっかりお腹ペコチャンだよー、早く開けよ-♪」

 あたしのじゃなくって、あたしのパパデリカのだけどね。
 まぁいいや。
 皆がこうして喜んでくれるのは、悪い気がしない。

 ビリッとガムテープを剥がして開封すると、中には菓子箱がギッシリ。
 どうりで重いわけだ。

「こんな送りつけ商法でもさ、請求されたら払わなきゃいけないんかな。
 プロデューサーさん可哀想に……」
「勝手にプロデューサー持ちって決めつけてるし」
「まぁ、あの人もたくさん残業して、使う暇も無いだろうから、ね?」
「奏ちゃんも悪い顔してるわぁ」

 あーあー、美嘉ちゃんの「待て」を待たずして志希ちゃんが手近の八ツ橋を開封してペチャクチャ食べだしちゃった。
 ていうかあの時わざわざゴザ持ってきて雰囲気がどうとか言ってたくせに、あたしの時には無いんかい。

「ふむふむ……んー、あれ?」

 口の周りを餡子でベチャベチャにした志希ちゃんが、突然鼻をくんくんと鳴らし、辺りを見回す。

「どうしたん?」
「んー、ちょっと違う匂い……ハスハス、お、違和感の正体はやっぱりここかにゃ?」

 ゴソゴソと箱の中を漁り始める志希ちゃん。
 だーから手を拭きなっての。
 あ、フレちゃんが濡れタオルあげた。さすが気配り屋さんやね、フレちゃん。

 そして、目当ての物と思われるそれを、彼女は引っ張り上げた。

「志希、それは?」
「あたしにもわかんなーい、にゃははー♪」
「よく見たら、他のと包装がちょっと違う……っていうか、周子ちゃんちのお店じゃなくないそれ?」

 そう。
 それは塩見屋のお菓子じゃなかった。

 でも、あたしには見覚えがある。
 忘れられるはずがない。

「お煎餅屋さんもあるんだねー、スッゴいたくさん入ってない? ポチャデリカになっちゃう?」
「お団子と比べれば低カロリーだけど、ザッと見た感じ成人女性一人当たりの摂取カロリーを優に上回る分はあるねー。
 もっとも、食べきる前に体力と顎が消耗しちゃいそうだけど。
 美嘉ちゃん美嘉ちゃん、ここは一つチャレンジしてみない?」
「な、何でアタシが!? でも美味しそう!
 オーソドックスなお醤油と胡麻、あっ、ザラメもあるじゃん。アタシザラメ好きなんだよねー」


 どうして、こんなものが入っているんだろう。

「……周子?」

 お母さんや、お父さんだって、あの人とはもう関わらないつもりでいたはずだ。
 あたしも――挨拶を交わしていない。

「周子ちゃん、どうしたの?」

 あたしがアイドルになった事を、ばあちゃんは――テレビとかを通じて、知ったのかな。
 それで、これをあたしに――?

「シューコちゃん……」


「こんな……どうして……」

 どうりで重いわけだ。
 塩見屋の菓子箱の下、ダンボール箱の底にあったのは、ギッシリ詰まったお煎餅の箱。

 それと――ばあちゃんからの手紙。

 忘れられるはずがないものの中に、ずっと忘れていたものを思い知らされたのは、久々に味わうレベルの衝撃だった。

 ・ ・ ・ ・ ・

 シュウちゃんへ


 お元気にしているでしょうか?
 東京におられるとのことですが、お身体の方は、お変わりないですか?

 煎餅の婆は、いつもの場所で細々と煎餅屋をやっております。

 先日、お母様より話をお聞きし、ご迷惑かと存じますが、贈り物をさせていただきました。
 お友達と一緒に、召し上がり下さい。
 人懐こいシュウちゃんですから、そちらでもお友達がたくさんいることでしょうね。

 何だかとても、シュウちゃんが小さかった頃のことを懐かしく思い出しながら、筆を執っています。
 小さな看板娘に助けられた、あの日々を。
 今ではとても美人に育っているのだろう、お母様に似て溌剌とされているのだろう、
 などと、勝手に思いを巡らすばかりです。

 先日、京都では雪が降りました。
 東京ではきっと、珍しい事ではないでしょうか。

 こちらの方は気にせず、どうかお身体にだけ気をつけて。
 シュウちゃんのやりたい夢を、伸び伸びと。

 京都へお帰りになることがあれば、婆の所へも立ち寄ってくださいね。

 息災でありますように。


 煎餅の婆

 ・ ・ ・ ・ ・

 その時は、どうやら早く訪れそうだった。
 ゲスト出演するドラマの撮影のため、紗枝はんと一緒に京都へ行く事になったのだ。

 撮影自体は1日で終わるらしい。
 それでも、ユニット皆のスケジュールを調整し、前日から前乗りして1泊する予定を組んでくれたのは、プロデューサーさんの計らいによるものだった。

「ありがとう、って……言うべきなんは、分かってるけど」

 プロデューサーさんのデスクの前のソファーに腰掛け、フッと力無く笑ってしまう。
 人の好意を素直に受け止めることができない、自分の器量の小ささに。


「あたしさ……実家から追い出された、んだよね」

 知ってる、というプロデューサーさんの声が聞こえる。
 あたしが話してんのに、仕事の手を止めようともしない。

 ったく、この人はどこまでも淡泊やなぁ。
 まぁ、そういう所がありがたいし、こっちも遠慮無く独り言を続けられるんだけどさ。

「でも、実家に顔を出したくないのは、それが理由ってワケじゃない。
 むしろ、あたしは……あ、皆には言わんといてね? あたし結構、故郷に錦を飾ってやるんだ、って思ってて。
 今の自分のいる場所っていうか……到達点?っていうのには、満足してて、たぶん凱旋ってことになるんだろうなー、なんて」

 目の前のセンターテーブルには、例の煎餅が1箱置いてある。
 他所の人から見れば、それはごく普通の差し入れにしか見えないんだろう。

 あたしはそれを1枚取り、目の前に掲げた。

「実家じゃなくて……この煎餅屋さんなんよ。
 あたしには、ずっと心の中で重しになってた。
 何で重しになってんのか、あたし自身、分からなかった。でも……ついさっき、分かってさ」

 こういう風に表現するのは、きっと間違いなんだと思いたい。
 ただ、この気持ちに一番近い言葉で言い表すなら、“トラウマ”なんだろう。

「アイハバドリーム……あの有名なヤツ。私には夢がある、ってね。
 その煎餅屋のばあちゃんにもあたし、夢があったんか聞いたんよ。
 その聞き方がさ、ホント……アホやなぁっていう聞き方でさ」

 食べなくても知り尽くしている味。
 キラキラした思い出も、そうじゃないものも、全てがこの1枚には詰まっている。
 あたしはずっと、それを避けてきた。

 心の中にずっと残っていたしこりの正体を、ようやく認識できた。


「どうして煎餅屋さん“なんか”になろうと思ったん、ってね……聞いたんだよね」

 何であんなに失礼なことを、無意識に言ってしまったんだろう。

 それはずっと、あたしの胸の中にチクチクしていて。
 でも何が良くないのかも、よく分かっていなくて。

 たぶん、“後悔”というのもある。
 でもそれは、他のシーンでも散々やっていることで、あたしが既に知っていた感情。
 今回のとはちょっと違う。

 あの時感じたあたしの感情の正体は、“負い目”だ。

「煎餅屋のばあちゃんに、その日からあたし、会うのが何となくしんどくなっちゃった。
 ばあちゃんに、自分の夢を否定されるのが怖かったのもある。だけど……
 あたしは……何かアカン事をした、って、心のどこかで分かっちゃうのが、怖かったんかな」

 失礼な事を言ったことに、面と向かって謝ることすらビビっていたなんて、ね。


 ばあちゃんからの手紙には、「京都では雪が降りました」とあった。

 今は初夏だ。
 当たり前だけど、雪なんて降るはずがない。

 いよいよ本当にボケてしまったんだろう。

 人との繋がりが無くなった人は、その進行が早いって聞いたことがある。
 お店にお客さんがめっきり来なくなれば、さもありなんってヤツだ。

 そして、そのきっかけを生んだのは、あたし。
 そんなつもりは無かったとしても、結果的に突き落としたんだ。

 ――――。

 ――えへへ。
 なーんてね。ガラにも無くちょっとおセンチになっちゃったわ。
 照れ隠しに大袈裟な仕草で袋を開け、中のお煎餅をパリッと頬張ってみる。

 あぁ――懐かしいな。やっぱ。

「思いも寄らない拍子に、いきなり何かこう、ポロッと思い出すのってあるもんだねー。
 大した思い出でもないのにさ。何でこんなピンポイントでフラッシュバックすんだろ?
 変な話しちゃってごめんね、忘れてや」


「そんな事はないよ、周子」

「えっ?」


 いつの間にか、プロデューサーさんの仕事の手が止まっていた。

「成長したから、当時は分からなかった感情に、今気づくことができた。
 それは大した事のない思い出でも、変な話でもなくて、とても尊い事なんだと思うし」

 ガタッと椅子を引いて立ち上がり、あたしの前に座り直す。

「きっと周子自身、そこに置き忘れてきた何かがあるんじゃないかな」

「置き忘れてきた何か?」

 煎餅を1枚取り、プロデューサーさんはニコリとあたしに笑いかけた。
 言葉は淡泊なくせに、とても優しい顔。

「たぶん、呼ばれているんだよ。
 お婆さんだけじゃなく、“負い目”を感じたその時の周子からも。
 この煎餅は、清算したい過去を持つ周子に宛てた、周子自身からの便りでもあるんだと思う」


「……へぇぇー、プロデューサーさん、結構ポエミーだねー♪」

 なんて、斜に構えて揶揄するのはあたしの悪い癖だ。

 過去にチョンボをしたあたし自身に、あたしが呼ばれている、か――確かにね。
 ええ事言うやん。


「でもさぁ~~……」

 あたしはグデーッとソファーに寝そべり、手持ちの煎餅をモソモソと囓る。

「どんな顔して会ったらいいんか、分かんないもーん……
 あ、いや、怒られるのが怖いって話じゃないんよ? 違くてね? そのぉ、さ……えーと」

「女は度胸、ですえ。周子はん?」

「へ? うわあぁっ!?」

 視線をふっと外した先に、いつからそこにいたのか、紗枝はんがソファーの上からあたしの顔を覗き込んでいた。
 ビックリして飛び起きちゃったけど、頭ゴチンってぶつけなくて良かったわ。

「な、何、何っ?
 あ、奏ちゃんもおる。いつからそこにいたん、二人して」
「何やらプロデューサーと、親密そうな話をしているように見えたものだから」
「ほんまに周子はん、自分がからかわれる側になるとかいらしなぁ」

 普段あたしに弄られている腹いせか、目を合わせてクスクスと笑ってみせる二人。
 ていうか、プロデューサーの位置からだと絶対見えたでしょ。
 言ってよー、意地悪いなぁ。

「それはそれとして」

 コホン、と咳払いを一つして、奏ちゃんがちょっとだけ真顔になる。


「せっかくプロデューサーが、私達のスケジュールを調整してくれたんでしょう?
 行ってする後悔よりも、行かない事による後悔に付き合わされる方が、ユニットメンバーとしては面白くないのだけど」

 グサッ――!

「前、うちが帰省するんに二の足踏んでた時、周子はんがうちの背中押してくれはったやろ?
 せやから、今度はうちが周子はんの背中、押させてもらわんと。
 一方的に言いたいこと言うんは、ふぇあとちゃいますなぁ?」

 グサグサッ――!

 ――あーあ、はいはい分かった分かりましたっ。

 まったく、愉快な仲間に囲まれて助かってますわ、ホントに。

「何をため息してるん?」
「紗枝はん、これため息じゃなくて深呼吸ね」
「そうやなぁ、りらっくすは周子はんの十八番やさかい、サマになってるわぁ」

 うっさいわ。
 ったく、あの時のコバにこんなかいらしい親戚がおったとは。

 ふぅ~~――よし。


 あたしは今一度プロデューサーさんに向き直った。

「お言葉に甘えて、帰らせてもらうわ。
 プロデューサーさんの目論見通り、“実家”にね」

 フッと満足げに笑うプロデューサー。
 その横で、奏ちゃんがソファーの肘掛けにもたれ、クスッと悪戯っぽく微笑む。

「楽しい旅になりそうね」

 京都って、帰ろうと思えば3時間くらいでサクッと帰れちゃうんだよね。
 東京での普段の仕事でも、1日中あっちこっち移動してればそれくらい時間かかってる時もある。

 だからと言って、感じ入るものが無いと言えばウソになる。
 久しぶりに故郷の駅に降り立つと、あぁ、これが郷愁ってヤツなんかなぁ、なんて。

「どんな匂いする?」

 新幹線の中では20~30分おきに暴走と爆睡を繰り返していた志希ちゃんが、興味津々そうにあたしの顔を覗き込む。

「自分のルーツに直面すると、周子ちゃんはどんな気持ちになるのかにゃ?」

「志希ちゃんの実家って、岩手だっけ? そこに帰った時と同じような気持ちだよ」
「実家とかしきちゃん分かんなーい、にゃははー♪
 ダッドに連れられてアメリカとか色々行ってたからねー。
 ふーあむあい、ふぇあいずまいるーつ、ゆーのう?」

 美嘉ちゃんが、志希ちゃんの分の荷物を持ちながら追いかけてくる。
 それから逃げるように、志希ちゃんは駅前の階段をステップを踏むように跳ねながら降りていく。

「だから、後で教えてね?
 ついでに言うと、今の周子ちゃん、すっごくイイ匂いしてるよ♪」
「こらあぁ待てぇー、志希ちゃん!」
「わーい♪」

 必死に追いかける美嘉ちゃんを茶化すように、志希ちゃんは向こうの通りへと駆けていってしまった。
 あーあ、あたしんちそっちじゃないんだけど。
 まぁいいか。

「周子」


 後ろからあたしに声を掛けたのは、奏ちゃんだ。
 フレちゃんも隣にいる。

「私達は、しばらく市内を観光していれば良いのかしら?」
「え? あぁ」

 ――なるほど。
 志希ちゃん達も、わざとあっちに走って行ったのかな。

「ひょっとして、気ぃ遣ってくれてるん?」
「あら、何のことかしら。
 修学旅行以来の京都観光を楽しみたいだけよ。ね、フレちゃん?」
「ウィームシュ、カナデちゃん。
 アタシ大仏見に行きたいなー、あ、ねぇねぇアタシ外国人サンのフリすればたくさん話しかけてもらえたりして☆
 めんそーれ~京の都~♪」

「それなら、紗枝はんが同行できたら良かったなぁ」

 紗枝はんとプロデューサーさんは、仕事の都合であたし達と一緒の新幹線では来れなかった。
 大仏は奈良で、めんそーれは沖縄だってことをフレちゃんに教えてあげられる人がいない事が悔やまれる。


 ま、それはともかくとして。

「じゃあ、あたしちょっと寄るトコあるんで」

 後ろ手に手を振って歩き出すと、

「シューコちゃーん、ファイトー!」

 っていう声を上げたフレちゃんが、人目もはばからず手を大きく振っているのが、振り返らずとも分かった。
 もう、恥ずかしいからやめぇって。知らんぷりしよ。

 1年と、ちょっとか――。
 キンキンに冷えた朝だったな、あの日は。

 お上りさん丸出しのデッカいキャリーバッグをガラガラ引きながら、陽も昇らない時間に、この通りを歩いてた。

「懐かしいっちゃ、懐かしいか」

 1年で街並みがそう変わるわけじゃない。
 ましてこの辺の街道は、よく知らんけど街並みの保全がどうとか、そういう仕組みができてるらしいし。

 それでも、帰ってきたな、って感じはする。

 ただ、一つだけおかしいなって思うのは、通りにいる誰一人として、あたしの存在に気づかないってこと。

「あ、LiPPSの塩見周子ちゃんだ!」「羽衣小町の周子ちゃんだ!」

 とかもあって良いと思うし、それも無いのもちょっとアレ?って感じやけど、あたしが気にしてんのはそっちじゃない。

 沿道の商店さん、結構あたし顔出してたよ?
 ホントに誰も気がつかんの? 髪を染めた程度で?
 うわー、薄情。

「ま、いいけどね」

 その方があたしも気を遣わんで済むし、のんびりふらふら思い出に浸れるし。

 っと――。

 向こうに見えたのは、あたしの実家『塩見屋』。
 今日も繁盛して――。

 は? 何あれ?
 あたしがいる。

 遠目でよく見えないけど、あたしっぽいシルエットの等身大パネルが店先に置いてあるのが見える。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの人気アイドル塩見周子の生家ですー、ってか?
 あんな事をお父さんが率先してするはずがない。

 お母さんめ、散々あたしの髪に文句言ってたくせに。
 ホンマええ根性してるわ。

 まっ! 今日のあたしの目的は塩見屋じゃないし?


 さて――。

 その塩見屋より手前――つまり今、あたしは言うまでもなく、かの煎餅屋の前に立っている。

 ケジメ、付けてくっか。

 と言いつつ、やっぱりビビリなのがあたし。
 なので、いつぞやのヤンチャ坊主達よろしく、入口の端っこからそーっと顔を伸ばし、中の様子を伺う。

 ばあちゃんはカウンターの奥で、まるで置物のように座っていた。

 よく見ると、トレードマークの襷をかけていない。
 ちょっとムワッとする陽気の中、厚手の着物を折り目正しいままに着て。

 微動だにせず、まるで目を開けながら眠っているみたいだった。


 いや――ひょっとして、ひょっとしないよね?

 まさか、ってことは無いよね?


 慎重に――何に対して慎重になってんのか知らないけど――店の中に足を踏み入れる。
 ばあちゃんは、まだあたしに気づかない。
 ていうか、動かない。

 どうりで静かだと思ったのは、壁んとこの扇風機が止まっているからだと気づいた。

 いよいよ壊れたのはしょうがない。
 だけど、新しいの付けようとも思わないんかな。

 店内をソロソロと見回しながら、ばあちゃんに近づく。

 ばあちゃんは、虚ろな目をして壁に掛かってるカレンダーの方をボーッと見てる。

「あ、あのぉ……」

 勇気を出して、とうとうあたしは声を掛けた。
 ばあちゃんは、まだ動かない。

「あの……す、すみませぇんっ」


 少し声を張ると、ばあちゃんの肩がピクッと動いた。
 おぉ、良かった生きてたわ。


 ゆっくりと顔をこちらに向けて、ばあちゃんの視線があたしと交錯する。

 前よりも、少し頬がこけたかな。
 でも、いつものデッカい眼鏡と、その奥にある優しげな一重の眼は、相変わらずだった。

 何だ、思ったより元気そうやん。

「あぁお客さんかい?」

 よっこらしょ、と緩慢な仕草でばあちゃんは立ち上がる。

「どちらから来はったん?」

 ――あたしに気づいていない、か。

 ま、通りの人達からも、気づかれなかったし。こんな髪色だし。


「東京です」

 ほんの少し悩みながら答えたあたしに、ばあちゃんは「えっ?」と耳を向けた。

「あ、あの……東京です」
「えぇ?」
「あの、と、東京っ」
「トウキョー? あぁ~、東京、へぇー、遠いとこからよう来はったねぇ」

 いつからだろう。
 ばあちゃんの耳に、見慣れない補聴器が付いていた。

 ふーん――。

「何か、おすすめありますか?」

 東京人のフリを続け、あたしは愛想よく話しかける。

 もちろん、聞かなくても分かることだった。
 でも、本題を切り出す勇気やきっかけが、持てなかった。

「おすすめねぇ、そうやねぇ」

 久々のお客さんが、よほど嬉しいんだろう。
 ノソノソとカウンターから出て、ばあちゃんはニコニコと丁寧に、陳列された商品を案内してみせる。

 あたしがかつて、誰よりもこの店に詳しかった人とは気づかないまま。

「よう買うていきはるんは、この辺りかしらねぇ。
 好きなのを5枚選んで1000円。ザラメはちょっと固いけどね、美味しいですえ。
 ほいでね、えーと、こっちの箱はね、えぇーと、10枚入ってますよ。
 こっちは20枚。ちょっと女性だと重たいかしらね。
 宅急便もありますさかいね。あぁ、そうそう、後ろにあるのが変わり種です。のりチーズとか。
 あぁ、ええと、そこに座ってね、お茶出しますんで食べていかれるんも大丈夫ですよ」

「へぇー」

 値上げしたんだ。
 あたしがいた頃は、5枚で800円やったのにな。

 しかし、要領を得ない紹介だ。
 あたしがやった方が、よっぽどマシにできる。
 ていうか間違えてるし。そっちのは12枚入りで、こっちのは24枚入り。

 ま、看板娘でしたし? 目ぇつむってても出来ちゃうよね。
 言うなりゃ、ジョブズにiPhoneのプレゼンをするようなもんやな。
 それは言い過ぎか、あはは。

 はは――。

「ええと、それがねぇ、そうそう、ごめんなさいね、暑くないですか?
 こっちの扇風機がねぇ、最近ちっとも働きませんで」
「…………」
「この「強」のボタンを押してもねぇ……あら」

「…………」
「どないしはりました?」

「いや、その……」


 言え!
 あたしは塩見周子や、って。

 今のタイミングしかない。

 あの時、ばあちゃんの夢を“なんか”呼ばわりして、ごめんなさいって言え! あたし!


「その……」
「はい」


「……そっちのデカイ方のヤツ、ください」

「あぁ、こっちね。毎度おおきに。
 ……あら、24枚も入ってたかしらね。ごめんなさいね、おほほ」
「あはは」


 ビビんな! まだ間に合う――!


「そ、その……あの……」
「ビニール袋いります? あぁ、こっちの紙袋がええわ。
 それと、お嬢さんお綺麗ですし、婆からのサービスで何枚か入れときますね?」
「す、すみません……ねぇ」

「そうや」

「え?」

 レジに向かおうとしたばあちゃんの足が、ピタリと止まった。

「お時間、ありますかの?
 ちょっとそこに掛けて、涼んでいってください。
 今ね、冷たいお茶お出ししますんで、ちょぉ待っとってくださいね」

「えっ? ちょ……」

 急に何かを思い出したらしいばあちゃんが、先ほどまでとは5割増しくらいの速さでパタパタと奥に引っ込んでいった。


 何や一体。
 ひょっとして、あたしの正体に気づいたかな?

 でも、これは見方によっては好都合だ。
 あのまま会計していたら、もう店を出るしかなくなる。
 ばあちゃんと話す時間が――謝るチャンスが、もう少しできた。

 ――やっぱりあたし、ばあちゃんが好きだな。

 おっ、胡麻ある。
 コッソリ食べちゃおうかな。なんちて。

 ――――。

 本当にお客さん、来ないな。
 まるで、この店の中だけ時間が止まっているみたいだ。

 今日が最後になるんかな。あたし。

「ごめんなさいねぇ」


 振り返ると、ばあちゃんがお盆を持ってこちらに向かってきていた。

「あ、えっと、大丈夫ですよ、持ちましょうか?」
「いーえー。お客さんにそんな、いいですよぉ、掛けててください」
「ど、どうも」

 そうは言っても、危なっかしくて見てられんわ。
 すっかり鼻緒がくたびれた歩きにくそうな草履で、転んだりしないかハラハラする。

「はい、お茶。それと……」

「あ……」

 見たことが無い。
 ばあちゃんの新商品だ。

 黒文字を添えられたそれは、およそ煎餅とは思えないような上品な出で立ちで――。

 舞妓はんのような――雪のような白粉をあしらった、今まで見た中で一番綺麗なお煎餅だった。


「柔いのが好きやったでしょう?」

「……えっ?」


 あたしの隣に座り、ニコリとばあちゃんが微笑む。

「切りやすいよう、ちょっとだけふやかしてるんよ。
 お煎餅っぽくないかも知れんけど、シュウちゃんに喜んでもらえたらって、ね?」

「……何や」

 照れくさくて、頬をポリポリと掻く。

「気づいてたん?」
「何言うてんの。当たり前やないの」
「ふふ……言ってよ」

 ええ根性してはるわぁ。さすが京都の商人。


「その、さ……ばあちゃん」
「なぁに?」

「あたし……ずっとばあちゃんに、謝りたかってん」


 あたしの中にいる小さいあたしが、手招きしている。

 手を引かれ、あの日のあたしに帰っていくあたしを見つける。


「ばあちゃん、ここであたしに話してくれたこと、あったでしょ?
 旦那さんと駆け落ちして、このお煎餅屋さんを継いだって話。
 その時、あたし……語ってくれたばあちゃんの夢を、馬鹿にした」

 あたしはブンブンと、かぶりを振った。
 違う。もっとある。

 いくらでも思い出せる。
 いちいち特定できないくらい、あたしはばあちゃんに迷惑をかけ続けてきた。

「それだけやない。もっと……まだある。
 あたしがお中元持っていって、その日の夕方、あたしの勘違いで救急車呼ぶ事になって……
 皆からばあちゃん、白い目で見られてさ」

 ばあちゃんと目を合わせることができないまま、お皿の上に乗ったお煎餅に視線を落として、やっと気づく。

 手紙にあった雪って、これのことか。

 あたしはずっと、ばあちゃんの事を勘違いしてたんだな。
 勝手にボケたもんだと。
 下り坂の残り試合を、衰えながら消化していく、可哀想な境遇にいるんだと。

「あぁ、あと……万引きしたり?
 あはは、覚えてる? こんな小っさい頃の話。ヤンチャ坊主が、その辺の影から見ててさ」

 そんな事無かった。
 ばあちゃんはずっと、変わってない。
 ちょっとトロくなったけど。細くなって、耳も遠くなったけど。

「それに……もっと失礼な事も言ったよね。こんなん売れるワケない、って」

 あたしが馬鹿にしたアイデアを、こんな素敵なものにできるほど、まだまだ心は萎えてないし――。
 優しくて可愛い、大きな人だった。

 でも、だからと言って――。
 ばあちゃんに対するやらかしに、あたしが無責任のままでいていいはずが無い。

「今日来てみてさ……やっぱあたし、この店好きやわ。
 でも、これからも好きでいさせてもらえるために……あたし、言わなきゃあかん」


「あの人が好きでねぇ。新しいお煎餅を考えるの」


 顔を上げると、お婆ちゃんは視線を外し、遠い目をしながら懐かしむように通りを眺めていた。

「私もねぇ、最初は、お煎餅なんてどれも同じでしょ、って言って、旦那から怒られてたんやけど……。
 そういう時、決まってあの人が言う口癖があってな」

 手近にあった変わり種を取り、ばあちゃんはあたしに向かって、ニカッと笑いかけた。

「人との繋がりを作り続けるんが人生や。
 そのためには、新しいもんに挑み続けなあかん」

「新しいもん?」
「私には、そういうんがからっきし無くてねぇ」

 ケラケラと笑って、ばあちゃんは話を続ける。

「次第に客足も遠くなって、つまんなくなっちゃったんだろうねぇ。
 イライラして、一度、おイタをした子に怒鳴った事があったんよ。
 したら、その親御さんから、逆にお礼言われちゃって」

 ――ははーん、なるほど。
 煎餅ババアの誕生秘話見たり、ってか。

「ばあちゃんの成功体験だったわけやね」
「そう。何も生み出せない私が、人との繋がりを保つ唯一の手段。
 おかげで子供達からも、親御さん達からも、たっぷり注目してもらえてねぇ」

 今で言う炎上商法ってヤツかな。
 一歩間違えばぶっ叩かれる危ない橋渡りだろうけど、当時はSNSも無かった。
 幸いにして、トンチキな鬼ババア程度の認識で留まったというわけだ。

「え、じゃあ、外人さんの前歯を煎餅手裏剣で折ったってのは……」
「何やのそれ。初めて聞いたわぁ」
「さすがにデマかぁ、あははは」

「でも……シュウちゃんが来てくれてからは、それもしなくて良くなってん」

「……ばあちゃん」
「たくさんお客さん来てくれて、たくさん、新しいお煎餅できたねぇ……。
 ホンマに、いくら感謝しても、しきれんよねぇ」

「言わんでよ……」

 そんなこと無い。
 あんなの、好きでやってただけで――それに第一。

「言わないでよ……あたし、感謝される筋合いなんてない。
 何もばあちゃんにしてあげられてない……!」

 全部それをぶっ壊したんだ。
 今閑古鳥が鳴ってるの、あたしのせいなんだよ。

 謝らなきゃいけないのは、あたしなんだ!

「変な噂が立ったあたしをばあちゃんが庇ったせいで……だから、あたしなんか……!」
「私がやった事や」

「え……」

 シワシワの指で、あたしの目尻をそっと優しく拭い、ばあちゃんは笑う。

「やりたいようにやっただけ。
 優しいシュウちゃんとの繋がりができた私は、果報者やからねぇ」

 細くて骨張った、でも温かい手で、ばあちゃんは私の手を握った。

「謝る必要なんてない。何もしてないなんて嘘。
 私が、シュウちゃんにありがとうや。
 どんなものより得難いもんを、シュウちゃんは私にくれてきたんよ。小さい頃からずっと」

「ばあちゃん……!」

 やめてよ――!
 そんな事、あたしなんかに言わんでよ!

「ただ、ちょっと怒鳴り方間違えたかしらねぇ。
 ああいう怒り方で、もっと新しいお客さん増えるかと思っとったんやけど、全然サッパリ来んで」
「アホ! 当たり前や!
 せっかく救急車呼ばれといて、あんな……あんな難癖あらへんわっ!」
「忘れてもうたんやねぇ、煎餅ババアの怒り方。
 しばらく怒鳴ってなかったものねぇ、誰かさんのせいで、おほほほ」
「アホぉ……!」

 そんな優しい言葉、言われたら――謝れないやんか。

 ケラケラと楽しそうに笑うばあちゃん。
 その顔が、何だかひどく憎たらしくて、悔しくて――でも、すごくホッとして。

 ボロボロ泣きながら、あたしも笑った。
 感情が行方不明になってる自分が、自分でもおかしくて。

 モヤモヤしていたあの頃のあたしが、氷解していく。

「ほれ、シュウちゃん。そんな事より」

 パッと手を放し、ばあちゃんはあたしの膝元にあるそれを指差した。

「冷めないうちに、早う」
「とっくに冷めとるわ」

 お鼻をチンして、フンッと笑い、あたしは黒文字を手にとって改めてそれと対峙した。


 ――お。意外と、柔らかくない。
 そりゃ、ケーキとかと違うのは分かるけど。

 おや、今気づいたけど、餡子をお煎餅で挟んでるんだ。
 そういやそんなん言った事あったなー。ずっとあっためてたんかな。

 そして、煎餅っぽい食感を残してそうな、そこそこ絶妙な固さ。
 ちゃんと考えられてそうやん。

 期待大、だ。
 では。

「いただきます」
「あいよ」


 ――――。

 ――――――。

「どう、シュウちゃん?」


「……まぁ、好きな人は好きなんちゃう?」
「えぇー?」

「ていうか、何で塩入れたん?」

 完全に裏切られた。悪い意味で。
 食感は悪くない。お煎餅としての存在感を残しつつ、中に挟んだ餡子を邪魔していない。

 でも、こんな見た目やったら、ケーキみたいな甘々のお菓子やと思うやん。
 粉糖だけとちゃうんかい。

「だってぇ、お煎餅言うたら多少の塩っ気は必要やんか。きな粉だってお砂糖と塩入れるし」
「そこは割り切った方がええって。
 餡子の甘味を引き立てるどころか、見事に大喧嘩してるわ」
「あら~」
「あら~ちゃうよ、もう」

 ったく、煎餅のセンスが欠片も無いくせに、今までようやれたもんやわホンマに。

「これもお蔵入り、かぁ」
「残念でした」

 あたしはスクッと立ち上がり、先ほど買ったお土産袋を手に取った。

「また来るわ。次はもっとマシなのにして」
「あいよ。ああ、シュウちゃん」

 お土産の袋を指さして、ばあちゃんがニッコリと笑う。

「お勘定、まだよ?」

 ――抜け目無いなぁ、ババアのクセして。

「……こら、すいまへんなぁ」
「おほほほ」

 でもどうやら、まだお迎えが来ることは無さそうだ。
 少なくとも、自分の夢を見出したあたしが、もう一度ここに来るまでは。

 お店を出て、もう一つのあたしの実家、塩見屋の方をふと見やる。

 案の定、というか何というか――見知った連中が大はしゃぎしてるのが見えた。

 あたしの等身大パネルと並んでピースするフレちゃんと志希ちゃん。
 それをスマホで撮る奏ちゃん。
 その横では、美嘉ちゃんとお母さんが話をしている。
 可哀想に、お母さんの世間話に捕まったんだろう。その人話長いよー?


「用事は済んだん?」

 呆れてため息をついた所で、後ろから声を掛けられた。

「紗枝はん……」
「スッキリした顔、してはるなぁ」

「おかげさんでね」

 横にいたプロデューサーさんから、紗枝はんの仕事が予定より早く上がった事を知らされる。
 真っ直ぐこちらに来た二人と、寄り道しながら来たあたし達。

 奇しくもあたしのターニングポイントで、皆が大集合ってワケだ。

「それじゃあ行きまひょか、周子はんのお店」

 紗枝はんは、食べたことはあるものの、塩見屋に実際に来るのは初めてだという。
 それなら、しっかり案内してやらんとね。

「よっしゃ……あ、そうだ、プロデューサーさん」
「ん?」

 二人の姿を見て、明日の仕事のことでお願いしたい事を思いついた。

 素の自分――。
 そこに住んでた時と同じように、普通で飾らない、自然体のあたしでいられるように。

「明日の撮影さ……あたしの“実家”でやらせてもらう事って、できるかな?」


 あたしが登場するシーンは、こっちの希望を聞いてもらえるって話だった。
 既に希望はスタッフさん達に伝えていて、予定ではそれは塩見屋になっているけれど――。

「大丈夫」

 プロデューサーは頷いた。

「“もう一つの実家”でお願いしたい、とは昨日、先方に伝えているよ」

「……あっはっはっは」

 嬉しくなって、ついプロデューサーさんのお尻を叩く。
 はしたない、って紗枝はんは憤慨するけど、構うもんか。

 繋がりを作り続けるのが人生なら、アイドルという道を選んだあたしは正しく謳歌し放題なんだろう。
 周りを見れば退屈しない人達に囲まれて、あたしの方が果報者だ。

 それでもあたしには、帰りたい場所があって、どこにいてもそこに至る道は続いているんだと気づく。
 それがある限り、たとえ破天荒に見えたとしても、決して地図の無い旅にはならない確信を与えてくれる。

 あるいは、あたしを通して、それを感じてくれる人がいてくれるなら――。

 誰かにとっての帰る場所にあたしがなれるなら、それが一つの恩返しで、繋がりになる。
 そうだよね?

 ばあちゃんだけじゃなく、この道へと“追い出して”くれたお父さんに、うるさく見守ってくれたお母さん。
 それに、アイドル塩見周子を見出してくれたプロデューサーと、愉快なアイドル仲間達。

 すぐには無理だけど、少しずつ返していきたい。
 アイドル塩見周子という一等星が持つ輝きが、誰かにとっての帰り道になれたなら。

 それがあたしの育む夢。
 アイハバドリーム、なんちて。

「ささ、早うおいでませ塩見屋へー♪」

 うるっさい連中が待つ場所へ、あたしはプロデューサーさんの手を引いた。


~おしまい~

周子にこういう過去があったらと思い、書きました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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