【ウマ娘】エアグルーヴ「たわけがッ! 今日が何の日か知らんとは……」 (70)

今日は何の日?

1日1回、その日に沿ったSSをぶん投げるだけのスレッド。



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1626363375

7/15



「貴様ッ、また仕事にかまけて寝てないな!」
「……あはは。わかっちゃう?」
「まったく……! あれほど寝ろと言い付けておいたのに……このたわけ!」


 朝から物凄い剣幕で怒鳴っているのは、僕の担当ウマ娘――エアグルーヴ。

 普段から(一応は)年上の僕を「貴様」呼びしたり、事あるごとに「たわけ」と叱るウマ娘だ。

 そんな彼女は生徒会の副会長。気位が高いのも頷ける。常に生徒たちの模範であろうという意識も、気位の高さに拍車をかけている。

 要するに、とても凄いウマ娘なのだ。なんで僕がトレーナーになっているかわからないくらいには――。


「おい貴様、話を聞いているのか?」
「ごめん、ぼーっとしちゃって」
「たわけが……。集中力の低下は睡眠不足の典型的な症状の一つだ!」
「でもそうしなきゃ終わらない仕事があったから……」


 トレセン学園におけるトレーナーの仕事は、それなりに多い。

 担当ウマ娘の体調等の管理や、出走レースの提案、出走する場合は出走に際する処理など――。

 それに加えて、練習等にかかった費用などの稟議書作成や、育成に関する報告書の作成……。

 ウマ娘とのトレーニングの時間は削れないから、一番削りやすいものを削った。それが睡眠だった、という話で。

 エアグルーヴも副会長。仕事が多いだけに感じたことがあったんだろう。じっとりと僕のことを見つめて、深い、深い溜息を吐いた。


「……貴様がいつも、私のために時間を割いてくれているのは解っている。それが貴様の身に強い負担をかけていることもな」
「――そんなこと!」
「心情はどうあれ、事実だ。トレーニングの時間を減らせば、それだけ貴様にかかる負担は少なくなる。そうだろう?」
「それはそうだけど……」


 正直、確かにね、と思ってしまう。

 でも、エアグルーヴとのトレーニングの時間を減らすことはできない。

 かの”女王”に並ぼうと努力しているエアグルーヴを僕のわがままで止めてはいけないし、止めたくもない。

 どれだけ無理をしてでも、僕は彼女を――目下の目標である秋華賞に勝たせなければいけない。

 トレーナーとして、当然の責務だと思っている。


「だけど――」
「”だけど”……何だ? 私の歩みを邪魔したくない、などと考えてはいないだろうな」
「……よくわかったね」
「――たわけがっ! だいたいお前はな――」


 ぐら、と視界が揺らいだ。全身に巡っていたはずの血の温かさが消えていく。

 あ、これヤバいかも――そう思った時には、僕の体は傾いていた。

 流れる視界。コンクリートが映り、でも体は動かせない。

 地面に倒れ伏せる瞬間、遠くからエアグルーヴが僕を呼ぶ声がした。

 心配――かけるだろうなぁ。




「………さま」


 微睡の中、誰かが僕のことを呼ぶ声がした。

 滅茶苦茶重いまぶた。開くことがとても面倒くさいくらいに重い。

 でも、その声を聞いていると今すぐにでも開けなければ、と思ってしまう。


「………さま、だい……ぶか、おい………!」


 その上、頬になにかひんやりとしたものが触れている。

 目覚めろ、と。だんだんと現実のものへと戻っていく感覚。

 血が巡って、体が再起動する。指先を少し動かして――目を開いた。

 ……するとそこには、必死なエアグルーヴの顔がいっぱいに広がっていた。


「貴様……トレーナー、返事をしろ………」
「……」
「脈はある、まだ生きてはいる――。除細動器は……あちらかッ!」
「待ってエアグルーヴ! 僕生きてる! 生きてるよ!」


 ぴた。

 ………と止まることにはならず、10メートルほど制動距離を取って――こちらに振り向くエアグルーヴ。

 その表情は、本当に驚いているようで。にじみ出る汗が、完璧だったエアグルーヴのアイシャドウを崩していた。


「………無事なのか?」
「うん、ちょっと気を失っただけみたい」
「……よかった」
「何か言った?」
「言ってない、このたわけがっ!」


 明らかに怒っている言葉と裏腹に、エアグルーヴの表情は安堵しているようだった。

 もしかして、僕のことで心配させてしまったのだろうか。

 だとしたら、申し訳ないな。今後何をしても無理をしていないか心配させてしまうだろうし……。


「はぁ……。貴様、今日が何の日か知っているか……?」
「……7月15日。何かの祝日でもないし、特別印象に残っている日でもないなぁ」
「……今日はな、とある言葉を贈る日だ」


 とある言葉?


「その言葉って――」
「――ッ! たわけ、たわけ、たわけーッ! 聞き返す前にまずは寝ろ! 休暇の申請はこちらから出しておく! いいか、これは担当ウマ娘命令だ! 決して違えるなよ!」
「ええ! 困るよ、仕事も溜まるし……」
「おおたわけが! こちらで処理をしておくから絶対にこっそりやったりするなよ……!」


 ……そこまで言われると、強くは出れない。

 そもそも僕が無理をしているというのは真実なので。

 というわけで、エアグルーヴに監視されながら、僕はトレーナー用の寮に戻った。

 その間、エアグルーヴはいつもよりも少しだけしおらしい――気がしたけど、多分僕の勘違いだろう。


「……そういえば、今日って何の日だったんだろう?」


 床に入る準備をしながら、ふと思った。

 あれだけの反応を見せられたら、気になってしょうがない。寝ようにも寝ることができない。

 エアグルーヴには悪いけど、こっそりと検索させてもらった。

 ……。


「……こちらこそ、なんだよねぇ」


 僕は一人ごちって、瞳を閉じるのだった。 

7/15

https://okwave.co.jp/news/info/6359/

7/16



「トレーナー、まだ足りないぞ……!」
「マジ、か」


 空になりかけた財布をひっくり返して、空虚な気持ち。

 懐が寒いとは良く言うが、実際そうなってみると寒いのは懐というより心だった。

 かたりかたりと小刻みに揺れるサイドテーブルは、もはやそこにテーブルの面影を見せていない。

 そこにあるのは山ほどの――駅弁の残骸だった。


「オグリ、さぁ。どこにそんな量の飯が入るんだ……?」
「解らない。でも入るという事は食べろという事だ。さぁトレーナー、もう10個」
「残念だがオケラだ。もう俺の財布には一銭も入っとらんわ」


 え。オグリから言葉が漏れる。

 葦毛の怪物だとかなんとか呼ばれてるが、俺からしてみたら葦毛の怪物じゃなくて食い気の怪物だ。

 どうやら母親公認の食いっぷりのようで、それなりに高価なシューズやトレーニング着をして”アンタの食費より安い”と言わしめるほど。

 オグリキャップの母親から教わった、「安い、早い、多い」の”はやお”料理で今まではどうにか凌いできた。

 が――電車の中でおなかが減ったと言われて咄嗟に出せる食べ物なんてない。

 つまり答えは駅弁。そして今に至る。


「お前なぁ、これから笠松に帰るっていうのに……ちょっとは緊張したりしないのか?」
「どうして緊張する必要がある? 私は故郷に帰るだけだぞ」
「オーケイ、錦を飾るって言葉をお嬢さんはどうやら甘く見ているようだ」


 あと2日もすれば新年だ。

 トゥインクル・シリーズも無事に乗り越え、あとは寂しく新年を迎えるだけだと思っていたが、そんなときにオグリから帰省に誘われた。

 ただ一つ、通常の帰省と違うところがあるとすれば、それは俺たちがつい先日行われた有馬記念の勝者である、という事だ。


「今日の夕食を賭けてもいい。笠松のみんなは絶対オグリのことを大仰に迎えるはずだ……!」
「みんなはいつも応援してくれるが、無理はしなくていいと伝えている。昼間に行くわけだし、そんな大げさな準備は……」
「していない、と言いきれるか? 有馬記念の時だって、あんなに笠松の人たちは来ていたのに?」


 ぐぬ、とオグリは口ごもる。どうやら疑わしくなってきたようだ。

 オグリを応援してくれている方々――その中で最も熱狂的で真摯なファンは、間違いなく地元・笠松の人たちだ。

 そんな素晴らしいファンたちだからこそ、結果がどうなるかなんて解り切ったことだった。

 
「トレーナー、今からでも遅くない……! 笠松のみんなが出迎えをしていない方に夕食を賭けるんだ……!」
「どうして負けることが確定している賭けに乗っからなきゃいけないんだよ……。やだよ……」
「これでは、私の夕食が……」


 がっくりとうなだれるオグリ。


「……オグリお前、まだ食うつもりか」
「当然だ。医食同源、食べることは健康に繋がると教えられた」
「シンボリルドルフ……やってくれたなぁ……ッ! だいたいオグリ、お前太ったら来年のレース出れなくなるぞ! ほれほっぺだって……!」
「いはいお、ほれーはー!」
「いつも通りだ――」
「――ッ。体型意地に余念はない!」
「うるさい、人の金で食う飯はうまいか?!」
「うまい!」
「だろうな!!」


 餅みたいなほっぺたを引っ張り、オグリは引っ張る俺の手を放そうとする。

 だが離れない。

 ……ウマ娘の力をもってすれば簡単にはがせるので、これもスキンシップの一つだと認識しているのだろうが――俺にとっては懐事情に直結する有事である。

 唯一の救いは、これも経費として落とせることだろうか。さすがに上限はあるので、三割程度は自費負担だろうが……。


「トレーナー! あれを見てみろ!」
「なんだいきなり……。ふむ、”弁当の日限定、飛騨牛丼”……ってお前まさか」
「トレーナー、今からトレーナーのことを揺すったら金が出てきたりしないか?」
「お前は俺のことを、金のなる木か何かだと思ってないか?」
「……オ、オモッテナイゾ」
「こりゃ思ってる顔だ……」


 はぁ、と息を吐くが、これもまぁ冗談で。


「勿論嘘だ。トレーナーは私にとって、一番大事な人だからな!」
「――。お前、それ他の誰にも言うなよ……?」
「何故だ? そもそも一番大事な人はトレーナー以外に居ないだろう。言う機会もない」
「それでもだ!」


 妙なところでこんな言葉が飛び出してくるから、放っておけない。

 やっぱり愛くるしいウマ娘なんだ、オグリキャップというウマ娘は。

 だから愛されるし、俺もこれからこいつを愛していくんだと思う。


「オグリ、来年もよろしくな」
「ああ……! こちらこそよろしく頼む」


――美味しいご飯も!


 続けられたオグリキャップの言葉に、思わずずっこけた。

7/16

https://j-town.net/2014/07/16188413.html?p=all

7/17



「トレーナー! 今日付き合ってよ!」
「テイオー、いきなりどうしたの?」
「買いたいものがあるんだー。ね、一緒に買い物いこーよ―」


 小さな手が、私の腕を掴む。

 トウカイテイオーはいつだって私の腕を引っ張ってくれて、私はそれが大好きだった。

 この手に連れていかれるのであれば、たとえ地獄であろうとも向かってもいいと思っているくらいには。


「トレーナー? また変なこと考えてるでしょ?」
「え? ああ。ごめんなさいね。少し考え事をしていて……」
「もー! そんなんじゃ甘いよ、これから行くのは”皇帝”ご用達のお店なんだからっ」


 皇帝……シンボリルドルフさん。テイオーが憧れている最強の三冠ウマ娘だ。

 彼女のあり方はテイオーに強い影響を与えているけれど――時折妙な方向にテイオーが突き進む原因にもなっている。

 今回は妙なものでなければいいんだけど……。


「む、トレーナー、何か疑ってるー?」
「疑ってなんかないよ! ただ、皇帝御用達のお店ってどんなお店なんだろうって思って……」
「ふふーん。それは行ってみてのお楽しみだよ、トレーナー!」


 テイオーはいつも通りのドヤ顔をこちらに向け、白い歯を見せる。

 最初のころはこの笑顔がとても頼もしく見えたけど、今となっては――少し怖い。

 いや、テイオーが怖い、ってわけじゃない。なにが起こるのかわからないという意味で、怖い。

 テイオーのお転婆ぶりは私もよく知るところ。だからテイオーが悪いわけでもないんだけど……。


「トレーナー、行くよ?」
「あ、ごめん。……どこに行くんだっけ?」
「あー、聞いてなかったんだぁ……? いっけないんだー。人の話はちゃんと聞かなきゃ!」
「うっ……。その通りだ、ごめんねテイオー」
「はちみーで手を打とうじゃないかー!」
「濃いめ固め多め、だよね」


 わかってるねトレーナー!、とテイオーは握った手をぶんぶんと振る。

 どうやら機嫌を直してくれたようだ。


「それで、どこに行くのか改めて教えてほしいんだけど……」
「どこって、皇帝御用達のお店だよ?」
「具体的に、それは何のお店なのかな?」


 テイオーの視線が「待ってました!」とにやついた。


「――書店だよ、トレーナー!」
「ああ、書店ね……書店?」


 皇帝御用達の書店……?




「着いたよ、トレーナー!」
「……普通の書店だ」
「え? 普通の書店だよ?」
「いや、うん。ルドルフさんが使ってる書店だっていうから、もうちょっとこう……オシャレなものを想像してた……」
「ちょっとわかるかも。カイチョーだったらこう……。びしっと決めたおじいさんが店主してるお店とかで、眼鏡キラーン! ってさせながら本探してそうだもんね!」
「いや、そこまでは……」


 ……でも、確かに似合いそうではあるな。なんて思ってたら、テイオーに腕を引っ張られて店内へ。

 中に入ってみると、やっぱり普通の書店なんだな、と再確認する。

 特別目につくところはない。駅前にある少し狭めの書店だな、という印象。

 テイオーが目的とする場所は少し奥まった場所にあるようで、引っ張られるままに向かう。


「よし、ここだ……!」
「えーっと……。単行本、諸芸・娯楽――?」


 皇帝のイメージにはそぐわない本が揃っているコーナー。それが私の抱いた第一印象だった。


「カイチョーが言ってた本ってこれだったっけ……」
「”究極のウケを狙え! 必殺ダジャレ百連発”……?」


 はた、と気づいた。ルドルフさんには悪癖が一つだけあったことに――!

 それは、壊滅的なまでのジョークセンス。

 ありとあらゆることが完璧に見えるルドルフさんだからこそ、際立って見える。

 どうやら、エアグルーヴさんもルドルフさんのジョークセンスには苦悩しているらしい……。

 そんなセンスまで、テイオーは真似しようとしている。なんとなくだが、それは駄目な気がして。


「て、テイオー! あっちにいい感じの本があったから、そっち見よ?」
「えっ、トレーナー? いきなりどーしたのさ……?」
「ほら、この本とかよさそうじゃない?!」


 破れかぶれに、近くにあった本を指さす。


「……ぇ? と、トレーナーって……もしかしてそういう……?」


 テイオーの顔が、見る見るうちにゆでだこみたいに赤くなっていく。

 見慣れない反応。だけど、その表情が意味するものをちょっと理解してしまって……。

 私は、油が差されていない機械みたいに、ギギギと首を本の方へと向ける。

――”白百合学園の事件簿~弱気な陸上部顧問と、強気な陸上部エースの秘め事~”と題されたそれ。

 表紙に描かれているのは、女性同士で絡み合う、中学生くらいの女の子と大人の女性。

 何故か、運命的なまで私とテイオーに似ている登場人物が――その、R-18的行為を行うであろう、漫画。


「……?! こ、これは違うの!」
「ぴっ……?! と、トレーナー! 確かにボクはトレーナーのことが好きだけど、そーいうことをするにはまだ早いっていうか!」
「違うんだよ、テイオー?! これは偶然指さしちゃっただけで……!」
「わかってる、わかってるから――少し落ち着く時間がほしーなーっ!!!」


 ばびゅん、と。今までに見たことがない速度でトレセン学園へ向かうテイオーを、私は見送ることしかできなかった……。


7/17

https://zatsuneta.com/archives/107171.html

※7/18分は「光化学スモッグの日」、「ネルソン・マンデラ・デー」が観測範囲では発見しうる記念日ですが、両者とも政治的、あるいは他者に対して心理的負担を与える表現となり兼ねず、これはウマ娘公式が定める二次創作コンテンツのあり方に反すると考えられます。その為、適宜的に2021年7月18日(第三日曜日)の記念日となりますことを予め報告させていただきます。

「……。どうしたのさー。今日はやたらとべったりじゃないですかー」
「今日だけはこうしたいなーって思って」
「……ま、いいですけどね。釣りの邪魔になったら転がしますよ~」
「そりゃ勘弁だ」


 セイウンスカイの膝の上で、笑いをこぼす。

 今日は快晴。絶好の釣り日和という事で――スカイと一緒に沢釣りに来ていた。

 が、俺は割と早々に根を上げてしまい、釣り糸を垂らすスカイとじゃれあっていた。

 結果としてうざがったスカイが俺のことを膝にのっけて、今に至る――。


「にしても、釣れないな」
「まだ釣り糸垂らして一時間も経ってないじゃないですか。そんなんで根を上げるなんて、トレーナーさんは釣りには向いてませんな~?」
「そうかもな……。でもまぁ、慣れ親しんでおく必要はありそうだし」
「へぇ~。どうしてか聞いても?」
「どうせ末永くよろしく、ってことになるだろうし」


 へぇ、と頭上から声が降ってくる。

 今の会話を聞いた誰かが思うような関係ではないけれど、多分、お互いがお互いの距離感に居心地の良さを感じている以上――近しい関係にはなるんじゃないかな、と考えている。

 そもそもこの距離を許してくれているんだ。そう考えても別に――問題はないだろ?

 そんな視線をスカイに投げると、にゃはは、と小さな笑みが返ってきた。

 うーん。やっぱりこの空気感がたまらなく好きだな。何というか、阿吽? って感じがして。


「トレーナーさん? いきなりおなかに頭を押し付けられると竿が動いちゃいますってば~」
「多少動かすくらいなら、逆に魚が食いつくんじゃないか?」
「……一理あるかも」
「だろ?」
「でもそれは少しくすぐったいので辞めてほしい気がしますよ~セイウンスカイさんは」
「そっか」
「やめてといったんですけどね~? トレーナーさーん?」


 咎めるような言葉。でも、そこに本当に咎める気はない。

 もう少しだけ、おなかの柔らかさを感じようとぐりぐりと頭を押し付けようとしたとき――。

「――仕返し、しちゃいますからね」


 間延びしていて。でも少しだけ真剣みを帯びた声が降ってくる。

 しまった、やりすぎたか――そう思った時にはすでに遅かった。

 白く細い両手が、俺の頭をかっちりと掴む。がっちりと視線が真上にロックされた。


「にゃは、やっぱり人間って弱いなぁ」
「そりゃウマ娘に比べたらか弱いよ、俺たちは」
「そんな相手にちょっかいを出す魂胆は見上げたもんですよ、トレーナーさん?」
「……はは、何されるんだか」


 諦念を込めて、全身の力を抜く。すると、空が映っていた視界が――急に手で遮られる。

 ひんやりとしていて、少しゴムの匂いがする手。根っからの釣り好きが、今は俺のことに意識を割いていた。


「何されると、思います?」
「さぁ。今でも君のことを十分に理解していないからね、俺は」
「にゃはは、女は多少ミステリアスなほうがモテるって聞きますからね~」
「これ以上謎を増やさないでくれ、見失いそうだ」
「心配しなくても、のらりくらりとしたら帰ってきますよ~。そう、猫みたいに!」


 ……はぐらかされた、気がする。

 まぁ、今此処で殺されようと、俺にとって文句はない。

 何なら幸せな気分のまま死にたいから、殺してくれ、とすら思ってしまう。

 試しに口に出してみようか。そしたらスカイは、俺のことを殺してくれるのだろうか。


「トレーナーさん? 妙なことを考えてますな?」
「良く解ったな」
「はー。それくらいわかりますってば。何年一緒にいたと思ってるんですか?」
「何年だったっけか」
「……そんなことを言うトレーナーさんにはーこうだっ!」


 ば、と。手のひらがどけられる。

 そこには、視界いっぱいに広がるセイウンスカイのにやけ顔。

 毛先から、その肌から。セイウンスカイが匂った。

 何度もどきりとさせられたが、やっぱりどきりとする。何度でもする。

 整った顔立ちだとか、雰囲気とかもそう。多分、何というか。

 ……全部が、好きなんだな、と思う。セイウンスカイの。

 あちらが、俺と同じ気持ちなのかはわからないけど――。近しい気持ちであることを願って。

「ひゃ」


 ……変な声が俺の口から漏れた。

 ふと見れば、スカイの白く細い指が、俺の脇腹を這うように登っていて。


「ひ、は! そ、それはっ……! あは、駄目だって!」
「うりうり~」
「ひゃ、う、ひ、はははっ! 駄目、死ぬ、死ぬって! ひへっ!」
「これは罰ですから~。トレーナーさんが反省するまで止まりませーん」
「は、反省するからっ! やめ、辞めてくれー!」
「しょうがないにゃぁ」


 ぱ、と手が離されると、息が苦しかった。


「ま、でも大事なのは今までだけじゃないんですけどね」
「今後も?」
「そう」
「末永く?」
「いえす」
「そりゃいいや」
「でしょう?」


 いつもみたいに、猫みたいに笑うスカイ。

 そんな頭を乱暴に撫でて、起き上がる。

 スカイに肩をくっつけるように座って、大きく欠伸。


「穏やかだなぁ」
「ずっと続くといいですな~」
「ま、続くんじゃないか?」
「そうですかね?」
「疑問を持たれちゃ弱いよ」
「にゃはは。だって、ほら」


――髪飾りのこれ、タンポポなんですよ?

 そう笑うスカイの笑みに、俺はなんとなく頷けてしまった。

7/18(第三日曜日)

https://www.nnh.to/00/#d3sun
http://www.jra.go.jp/

「む、むむむ……!」
「おや、何を悩んでいるのかね、助手君」
「ええ、実は――って、誰が助手ですの?!」


 おやおや、意識外から認めさせる作戦は失敗してしまったようだ。

 いつもは優等生のメジロマックイーン君に隙があるとすれば、こういう考え事をしているときだと思ったのだがね……。

 現実はそう甘くない、という事なのだろうね。


「……それはそうと、何を悩んでいるのかな? 君がそこまで悩むという事は、さしずめスイーツ関連かい?」
「えっ?! 何故それを……!」
「はぁ……。君は君が思っている以上にわかりやすいことを自覚したまえ……」
「わかりやすいってどういうことですの……?」
「いつもは迅速果断なのに、こと菓子類を目の前にしては壮麗なまでの雰囲気が台無しだ、と言いたいのだよ……」


 いつもは見惚れるくらいに美しいのに、菓子類がかかわると如何してこうも気の抜けた様子になるのだか。

 そんなところもメジロマックイーン君の魅力なのだろうけれど。

 まぁ、簡単にほかの人にこんな様子のメジロマックイーン君を見させるわけにはいかないし、情報の操作はさせてもらっているんだけれどね!

 理由? そんなものはない。ただ、そう。これはイメージ戦略のためだ。たった今考えた。

 ……ファンを増やすことを目標とするのであれば、むしろ魅力的な姿を発信するのがトレーナーの役目である気がするが――。いや、気にしないでおこう。


「で、悩みは何かね、助手君」
「もう助手君呼びは治らないんですのね……。観念しましたわ」
「そういう星の下に生まれたと納得してもらえると助かる」
「誰もそんな星の下に生まれていませんわ?! まったく、トレーナーさんったら……」
「まったくとはなんだまったくとは。まるで子供をあやす様な口ぶりだな、心外だぞ!」
「自覚ないんですの?」
「何の自覚だというのだね」
「え、だから……トレーナーさんが子供っぽいっていう自覚ですけれど……」


 どちらかというとメジロマックイーン君の方が子供っぽいと思うのだが……これでは堂々巡りだ。

 しぶしぶ折れてやる、と目で語れば、メジロマックイーン君は頬を膨らませながら抗議の視線を送ってきた。

 どう、どう。


「なんだか腑に落ちませんわ……」
「まぁそれはいいんだよ、助手君。悩みは何かね?」
「実は……この前お菓子の会社からCM出演の依頼が来たではありませんか」
「ああ、知育菓子のCMだね。いやはや、随分と似合っていたよ――」
「誰が似合っていたですか、誰が! ……話を戻しますわね」
「ああ」
「イラッとしますわね、その相槌……。CM出演のお礼に、知育菓子をそこそこの数頂いたのですが、その処理を考えていまして……」


 ああ、この前トレーナー室に積み重ねられていた段ボールは知育菓子の山だったのか。

 謎が一つ解けて少しホッとした――のだが。


「処理に困るものか? 食べればいいのではないかい?」
「……貴方がそれを言うんですの?! レース前ですのよ?」
「あぁ、そうだった……。軽率だったとは思わないけれど、一応謝っておこう」
「謝罪する気なんて毛頭ないんですのね?!」
「あるよ、だから謝っているんじゃないか」
「心から謝ろうとする人間は一応謝ろうなんて物言いしませんわ……」


 はぁ、とため息を吐くメジロマックイーン君。

 疲れているのかい? 休みを取ったほうがいいのではないのかい? と聞いたら「誰のせいでッ……!」と怒られてしまった。何故だろう……?




「それで、一体全体君はどうするつもりかね」
「それを悩んでいるのですわ……」
「まぁ、悩み事はそう簡単に解決しないものだからねぇ」
「私の悩み事の筆頭が何かおっしゃっていますわ」
「褒めるな」
「褒めていませんわ?!」


 耳元で怒鳴らないでいただきたい。


「冗談は置いといて。本格的にどうするつもりかね。かなりの量があるようだし、同室のウマ娘とかに配ってはどうだろうか」
「普通の菓子でしたらそれも考えましたわ。でも知育菓子ですのよ?」
「……ふむ。君は知育菓子というものを幼稚なものであると捉えているようだね」
「……? 幼い子供向けに作られたものではなくて?」


 知育菓子メーカーの担当者とて不服な認識だろう。

 何せ知育菓子には尊ぶべき理念が存在するのだから。


「では君に問おう――。知育菓子とは、一体全体どのような菓子だと思う?」
「……そう聞かれると、難しいですわね」
「一言では説明できないだろう?」
「そうですわね、おっしゃる通りですわ」
「そも、知育菓子とは――子供たちに得難い価値観を提供する菓子群だ。むろんだが、子供たちから大人が学ぶことがあるように、知育菓子から我々大人に教えられる価値観もある」
「それは……?」


 メジロマックイーン君は、いつの間にか前のめりになって話を聞いていた。

 適当に受け流せばいいのに、まじめに受け取るところが――実に君らしくて好ましい。

 だから君からは目が離せないのだ。


「――個性を伸ばす。失敗を楽しむ。違いを尊重する。これが知育菓子メーカーの掲げる理念だよ」
「個性を伸ばす、失敗を楽しむ、違いを尊重する――」
「どうだい、君に不足しているものはないかい? きっとあるんじゃないかい? 少なくとも――僕もこの理念には感じ入るところがあるよ」
「そう、ですわね……」


 深く感じ入るように頷くメジロマックイーン君。

 僕たち人間も、メジロマックイーン君たちウマ娘にも違いがある。個性がある。

 挫折も失敗もある。それらを乗り越える力を知育菓子は育まんとしている。

 むろん、そのコンセプトは子供向けのそれなのだろう。けれども、何事も捉え方次第で。


「さて、今の君には――それでも知育菓子が幼稚なものであると認識できるかい?」
「もう、狡いですわ。もうそんな認識は、私にはございません!」
「で、あれば。やることは決まったも同然だろう」
「……ええ!」


 そういうなり、メジロマックイーン君はトレーナー室を辞した。

 これから彼女は知育菓子を配って練り歩くことになるのだろう。


「……そうだ、一つ言い忘れていたな」


 君だけが理解していても、果たしてほかのウマ娘たちは理解してくれるかな……?

 メジロマックイーン君の声がそこかしこから響くのを聞きながら、僕は仕事に戻ったのだった。

7/19

https://www.kracie.co.jp/foods/okashi/chiiku/#

「ふゥん……ハンバーガー、かい」
「……口に合わなかったか?」


 小さくハンバーガーを齧り、咀嚼、嚥下。

 渋い顔を浮かべるアグネスタキオンは、柳眉を寄せていた。

 俺がそう問えば、タキオンは少し逡巡し、明け透けに述べる。


「カロリー過多だよ、トレーナー君。体重の微増は免れない」
「そうか。ただ、果たして本当にそうかな」
「ふむ。君が思わせぶりな時は何かがあるときだ。しっかりと観察してやろうじゃァないか」


 小さく齧られたハンバーガーをめくり、ふむ、と息を漏らす。

 その瞳は研究者のそれだった。


「なるほど、君も随分と考えているようだね」
「そう言うところを見ると、気付いたか」
「はぁ、むしろこの私がトレーナー君の考えを見通せないとでも?」
「見通せるのか?」
「人間の頭とは未知の宝庫であり、それ即ち解明が進んでいない、ということだ。――解明が進んでいないという事は、君の意思を汲み取ることは現状の科学力では不可能だ、という事でもある」
「つまり」
「君の考えは見通せない、が結論だ」
「見通せないんじゃないか」


 呆れたように笑えば、タキオンは冷笑で返す。

 タキオンはいつもこうだった。こちらのアクションに対して、諧謔を弄するような態度で返してくる。

 人によっては、それが鼻につくこともあるだろう。ただ、そんな行動に対して――俺はなんとなく、愛らしさを覚えてしまった。

 これを本人に言ってしまえば怒って拗ねてしまうだろうから、言わないでおいてあげるが……。



「それで、俺があえて君にハンバーガーを食べさせた理由がわかるか?」
「ふむ、パンズはともかく、パティは大豆で出来ているね?」
「ご名答。ソースもカロリーを出来る限り取り除いたうえで、味を似せている」
「随分と器用になったものだね」
「君のおかげだ」
「そうかい。だったら還元してもらわないとねぇ」


 還元、と鸚鵡返しすれば、タキオンは頷いて、こちらに手を差し出す。

 いつもは長すぎる袖に覆われているものだから、差し出された手の白さにびっくりした。

 思わず怪訝にタキオンを見ると、彼女はいつにもまして爛々とした目でこちらを見つめていた。


「……俺には君の考えが見通せない」
「だが汲み取ることはできる」
「汲み取れないからこういう質問をしていると気付いてほしいものだが」
「それこそ”汲み取れない”だろう? 君が第一に聞くべきは”何か御用ですか、タキオン様”ではないのかな」
「堂々巡りだな。で、還元って具体的に何を欲してるんだ、タキオンは」


 ふむ、とタキオンは一つ考えて。


「私は日夜思考を欠かさない。眠るときくらいだろう、あるいは眠っているときも思考は止まっていないのかもしれない。つまりそれは、思考するために必要なリソースを常に消費している、と言い換えることもできる」
「ほう」
「思考に必要なものは大きく分けて二つ。睡眠と――適度な栄養摂取だ。一般的にはブドウ糖を摂取することにより脳細胞の活動が活発化する、などと言われているが……物事はそう簡単ではない」
「……へぇ」
「心と頭の関係だ。心という非実際性でありながら、しかし明確に存在する人間の器官は、我々のパフォーマンスに大きな影響を与えてくれる」
「つまりだ、君は何を言いたいんだ?」
「もう一つくれ」
「もうないぞ」
「えぇーっ?!」


 ここにきてタキオンが相貌を崩した。


「君、私のトレーナーなら私の要望を前もって予想したうえで行動するべきだろう!」
「いや、そもそも材料の都合上一個しか作れなくて」
「今すぐ調達したらどうだね、トレーナーであるならば!」
「そんな無茶な……」
「今すぐ準備しろよー。はーやーくー」


 いつもは理知的だが、自身の要望が通らないことがあるとこうなる。

 俺以外の誰の目にも触れたことがないであろうこの態度が、少しむずがゆくて俺は好きだった。

 だが。


「ないものはない」
「……」
「無言で見られても作れないからな」
「……」
「……本当だ」
「……」
「……はぁ。わかった、今すぐには無理だから、今日の夕方だったらどうだ?」
「それでいいんだよ、さすが私のトレーナー君だね」
「現金な奴だ……」
「物質主義の何が悪い、本来知性ある生き物は――」
「はいはい、理解してるぞ。じゃあ今日の夜、トレーナー室に来い。実験にかまけて遅れるなよ」


 タキオンは聞いているのか聞いていないのか、こくりと頷いて部屋を出て行った。

 ……ちなみにだが、やはりと言うべきかタキオンはやってこなかった。

 ので、研究室にハンバーガーを持っていくと、珍しくタキオンが眠っていて。

 ひょっとして、期待のあまり体力を使いすぎたのだろうか、なんて思って。その様子が少しだけ微笑ましく思えた。

 こうして、今日も一日が暮れていくのだ。明日もまた、タキオンのわがままに付き合わされる日が待っているんだろう。

7/20

https://www.mcdonalds.co.jp/

7/21

―――

「トレーナーちゃん、結婚しよ!」
「いきなりどうした?!」


 ノックもなくトレーナー室に入ったマヤノが、俺に抱き着きながらそう言った。

 距離感がバグるほどの接近に一瞬ドギマギしながら、俺はマヤノを引っぺがす。

 不満げに頬を膨らませるマヤノだが、俺としてはまず説明してほしいことがある。


「……で、何でいきなり結婚なんて話をしてるんだ?」
「この前、ウエディングドレスの勝負服作ってもらったでしょー?」
「ちょっと前に開催されたビューティードリームカップの、だよな?」


 聞き返せば、マヤノは頷いた。

 ビューティードリームカップ。世界を股にかける天才デザイナービューティー安心沢が日本で開催した、真のビューティーを求めるオークション形式のレースだ。

 紆余曲折ありマヤノもビューティードリームカップに参加することになった。結果、ビューティー安心沢の目に留まり、専用勝負服をデザインしてもらった経緯がある。――それはそれは美しい、純白でひらひらしていて……少し丈の短い、ウエディングドレスを。

 マヤノ自身も大変に気に入っているらしく、定期的に、特に理由もないのに着てくることがある。


「マヤ、あれから少し考えたんだよ」
「……一応聞くが、何を?」
「プロポーズはしたじゃなーい? だけど、マヤ、気付いちゃったの……。――まだ、結婚式はしてないってことに……!」


 頭を、抱えた。

 勝負服を作成してもらうにあたって、勝負服への想いをポロポーズ形式で告白した、とは聞いている。

 あの時はそれで十分だったはずなんだ。でも時間が経つにつれ……いや、勝負服を着るにつれて、憧れのようなものが累積していったのだろう。俺は良く解らないが、マヤノくらいの年齢だったら、結婚式に対して憧れを持つのは当然のことなのかもしれない。

 だからと言って、ここで「はい」と頷くわけにはいかない。それは……事案だ。マヤノの父親にもしこのことが知られれば、トレーナー室を爆撃されかねない。


「あのな、マヤノ……」
「トレーナーちゃん、マヤと結婚するの……イヤ?」
「……」


 困った。とても困った。

 はいと答えたら終わりだし、いいえと答えてもマヤノがへそを曲げてしまう。どちらにしても事態の解決にはそれなりの時間が必要になるだろう。ケアもまた然り。

 救いはないんですか。


「おいっすー、ナイスネイチャでーす」


 ありました。


「そして来るは近場の神社!」


 あの後、ナイスネイチャに縋った俺は、有益な情報を手に入れた。

 これであればある程度の意思を示しながら、理由があるために事案にもならない。

 ありがとうナイスネイチャ、君のことは忘れない。

 とはいえ、理由も聞かされずに連れてこられたのだから、マヤノは少しだけご機嫌斜めだ。


「……トレーナーちゃん、いきなりどーしたの?」
「いや、マヤノの目的も果たせつつ、俺の保身が出来る折衷案があったんだよ」
「……せっちゅーあん?」
「ああ、予約は取り付けてあるから、行こうか」


 そう言いながら、何ともなしにマヤノの手を握る。

 ぴくりとマヤノが動いたので、マヤノの顔を覗き込んで「大丈夫か?」と尋ねた。

 すると頬を少し赤くして、マヤノは頷いた。

 大丈夫かな、なんて思いながら、手を引いて参道の外で待機する。


「中に入らないの?」
「ああ、さすがにそこまでは……迷惑だろうし」
「……? トレーナーちゃん、何でここに来たの?」


 マヤノがそう聞いた時だった。境内へ続く扉が静かに開いて、雅な音楽が響いた。

 参進の議というらしいそれ。神社の外から、砂利を踏みしめる音が聞こえてくる。

 マヤノの問いには、もう答えられない。静謐な雰囲気が、口を開くことを良しとしなかった。

 それだけ静かで厳かな雰囲気だからだろうか、音が鳴ったほうへと視線は吸い寄せられる。


「わぁ……」


 マヤノの口から、思わず感嘆の息が漏れた。

 俺ももう少し若ければ、マヤノみたいに息を漏らしていたかもしれない。

 それほどに、それは美しい光景だった。

 新雪のように真っ白な白無垢。薄く紅を引いた唇、頬に差した朱が一層際立って、まるで浮き上がるようだった。

 ……そう、今日の目的はこれ――神前式の婚姻の見学だ。

 偶然学園の関係者で神前式の婚姻を行う夫婦がいたらしく、少し無理を言って参進の議のみを見学させてもらうことになったのだ。

 夫婦、新郎新婦の親族、神職が整列し、境内へと入っていく。――その後ろ姿を見送り、ぱたりと閉じられた扉を見て……俺はようやく息を漏らす。


「どうだった?」
「すごく……綺麗だった」
「だろ? マヤノが思ってるよりも、結婚っていろんな選択肢があるんだよ。だから、いろんなことを知って、学んでから結婚について考えてみるのもいいんじゃないか?」
「……そうだね、こんな結婚式もあるんだって思ったら、知らなきゃソンだよ~」


 そう思ってもらえて何よりだ、と思う。

 こんな感じで話を持っていけば、先ほどの結婚云々の話も誤魔化せるはずだ。

 そろそろ帰ろうか、とマヤノの方を見て――。


「トレーナーちゃんはどういう結婚式がいいの?」
「……もうちょっと、マヤノが大人になったら話してやるよ」


 雰囲気に充てられたマヤノが、潤んだ瞳でこちらを見つめていることに気付いてしまえば。

 俺は、結論を先延ばしにすることしかできなかった。

7/21

http://www.tokyodaijingu.or.jp/

7/22




「トレーナーさんッ!!」
「応ッ、どうしたライアン?!」
「今日海の日ですよッ!」
「そうだったかッ?!」


 飛び散る珠の汗。

 響く大声。

 トレセン学園のトレーニングルームは、今日も相変わらずの形相を呈していた。

 もはや学園生徒にとっては風が吹いて葉っぱが揺れるくらい当然のこととして見られている光景が此処にはあった。

 ……ウマ娘の運動性能を以て行われる筋トレについていくトレーナーは明らかに異常なのだが、もう誰も触れない。初めのころには触れる者もいたのだが、回答が回答になっていないせいで置いてけぼりにされたのだ。

 というわけで。トレーニングルームの一角には二人だけの世界が広がっていた。

 ライアンはルームランナーのペースを徐々に落とし、トレーナーもそれに追随する。やがてクールダウンもかねて少し歩いていたライアンは、トレーナーへと話題を再度振った。


「ほら、Tokyoウマンピックが今日あるじゃないですか」
「む、そうだったなッ!」
「だからズレたんですけど……気にしてなかったんですか?」
「ウマンピックが楽しみでな……ッ!」


 ルームランナーから降り、あらかじめ作っておいたスポーツドリンクを飲むトレーナー。ライアンはそんな彼を呆れた顔で見つめていた。


「さすがに祝日くらい把握しておきましょうよ……。ってことは、これからトレーナー室に向かうつもりだったってことですか?」
「そうなるなッ!」
「だったら、一緒にウマンピック見ませんか? 筋肉の付け方とか参考になるかも……!」
「それはいい提案だな、ライアンッッ!」


 ライアンもまた汗を拭いて、軽く伸びをする。

 そんなライアンを見て、トレーナーは深く頷いた。


「……トレーナーさん?」
「うむ、いつ見ても見事な筋肉だ……。俺もウマ娘になれれば、ライアンのようなしなやかだが強靭な――素晴らしい筋肉をつけることができたのかもしれん……ッ!」


 筋骨隆々のトレーナーを見て、次にトレーナーがウマ娘になった姿を想像するライアン。

 だが、ライアンの脳裏には、今のトレーナーに耳と尻尾が映えた姿しか想像することができなかった。

 それが筋トレの度にぱたぱたと揺れ、ぴこぴこと震える。それを想像して――堪え切れなかった。


「トレーナーさんが……、ウマ娘は……くっ……ちょっと無理ありますって……!」
「む、そうか……? 最近は科学技術が進歩していると聞くからな、ウマ娘になるくらいは造作もないんじゃなかろうか……ッ」
「ひ、駄目ですってばぁ……! 無理、もう無理です……! あは……あははははは!」
「何を笑っているッ! 俺は至極真面目だぞッ?!」
「それが余計に笑いを誘うんですよ……っ!」




「……むぅん。にしても、やはり開会式は壮観だなッ」
「そうですね……! 特にこの曲たち……興奮しますっ!」
「む、俺には良く解らんが……知ってる曲なのか?」
「はい! あ、さすがにこの曲は……トレーナーさんも知ってるんじゃないですか?」
「むッ。懐かしいなぁ、おもちゃ屋の店頭でよく聞いていた……ッ。子供のころは、この世界に行ってみたいと憧れていたものだッ」


 トレーナーの発言に、ライアンは思わず驚きの声を上げてしまう。

 筋トレ一筋だから、子供のころもスポーツ少年だったのだろう、と高を括っていた。だが、実際はそうではなかったらしい。


「トレーナーさんが、この世界に?」
「うむ。剣や魔法を使って、悪を倒してみたかった。……母親にゲームをねだって、お小遣いで買いなさいと無理難題を申し伝えられた時は絶望したな……」
「……そう、なんですね」
「以外か?」
「ええ、まぁ……。だって、トレーナーさんって筋トレ以外のことに興味なさそうでしたから」


 ライアンの発言に、トレーナーは思わず驚きの声を上げてしまう。

 確かに筋トレは趣味だが、それ以外にも趣味はある。それなりの期間共に居たライアンならばわかっていたことだと考えていた。

 そこでふと、自分のことを話していないことを思い出す。


「ライアン、思った以上に俺は、自分のことを君に話していなかったようだッ」
「まぁ、トレーナーさんの名前と年齢くらいしか知りませんからね……」
「俺は君が思っている以上に……いろんなことに興味があるぞッ」
「なるほど、例えば?」
「ふぅむ。料理とか、ゲームとか……楽しそうなこと、面白そうなことには興味があるッ!」
「トレーナーさんって料理するんですか?!」
「一人暮らしだからしないわけがないだろうッ! ああ、それと――君にも興味があるぞ、ライアンッ!」


 ぴしり、と。ライアンが固まる。

 想像していなかったバックファイアに、心臓が跳ねるような感覚を覚えた。

 ひょっとして、自分のことなんて特に考えていないのでは――なんて小さく考えていたところを狙い撃ちされるような気持だった。

 同時にそれは、恥ずかしさを内包していた。……今まで覚えたことがない気持ちが、ふと首をもたげる気がして。


「どうした、ライアンッ?」
「な、何でもありませんッ! あ、オープニングプログラムが次に移るみたいですよ?!」
「おぉ、やはりこれも――」


 無邪気な子供のように、テレビにかじりつくトレーナー。

 いつものトレーナーの姿だが、なんとなくいつもより――楽しそうな雰囲気で。

 そんな様子に、ライアンもまた、彼のことをよく見ていなかったことに気付いた。

 良くも悪くも、両者ともストイックに過ぎたのだ。

 胸を震わせる鼓動が五月蠅いくらいに、反響する。ライアンは真っ赤になった顔をトレーナーに見られないようにと、少しの間顔を逸らした。

 背後では、開会式終了の宣言が流れていて、トレーナーはそれらに夢中だった。


――それが果たして、ライアンにとって良いことだったのか、悪いことだったのか……。それは、神のみぞ知る。

7/22

https://olympics.com/tokyo-2020/ja/

「おはよ……って、グラスワンダーが居ない……?」


 開いた扉の先には、見慣れたトレーナー室の光景。

 ただ、いつもは僕より先に来ているグラスワンダーの姿がなかった。

 おかしいな、放課後になったら速攻此処に来てるらしいけど……。

 今日は何かあったのかな。

 ……なんてことを考えていると、トレーナー室をノックする音が聞こえた。

 どうぞ、と答えると、いつも通り控えめで、だけど芯がある声が、室内に響いた。


「トレーナーさん、遅れて申し訳ありません~」
「いや、何ならまだまだ時間があるからいいんだけど……今日はどうしたの? 珍しく遅かったね」
「実は、スペちゃんたちと手紙を書きあうことになりまして~」


 なるほど、と息をつくけれど、何も理解しちゃいない。

 スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、セイウンスカイ、キングヘイロー……彼女たち五人はかなりの仲良しで、しばしば一緒に遊んだりトレーニングをしている姿を見かける。

 だが、手紙を書きあうなんて文化的なことをやったことはなかった気がした。失礼だけど、エルコンドルパサーはその手のこと、苦手そうだし……。


「トレーナーさん?」
「あ、いや! 珍しいななんて思ってないよ?」
「珍しいな、って思ってたんですね」
「……。まぁ、正直に言えば」
「ですが、まぁ。そんな感想も頷ける話ではありますよ?」
「……と、言うと?」
「実は、私から手紙を書いてみないか、って提案したんです」


 今度こそなるほど、と思った。

 スペシャルウィークは直接想いを伝えるタイプだし、エルコンドルパサーもそう。セイウンスカイはそもそもはぐらかしそうだ。可能性があるとすればキングヘイローだけど、彼女にしては提案に華がない。

 だから、グラスが提案したと聞いて納得した気持ちになった。


「なるほどねぇ。じゃあ、手紙の用意をしてたってこと?」
「そうなりますね~」
「そっか。ちなみにテーマとかはあるの?」
「変にテーマを決めると、手紙を書きなれていない子がいるので……」
「ああ……」


 主にエルコンドルパサーのことだろうな、と思う。


「じゃあ、グラスはどんなことを手紙に書くの?」
「そうですね……」


 グラスは少し考えこんで、いつものふわふわとして、つかみどころのない笑みを浮かべた。

 この微笑みが出るとき、僕は何というか、竜ににらまれたように追及できない。

 多分グラスにとってもこの微笑みはそういうものなんだろうな、とも思ってる。

 そして。


「内緒です♪」


 ……やっぱり、はぐらかされた。

 こうなると梃子でも動かないのがグラスだ。


「まぁ、手紙の内容なんて送り主以外に話すことでもないしね」
「ええ。……トレーナーさん、そろそろトレーニングの準備があるので、私はここで失礼しますね~」
「あ、うん。気をつけてね」
「ええ、それでは~」




 あれから数日が経った。どうやら期限は今週いっぱいらしく、グラスのクラスに行くと、スペシャルウィークとエルコンドルパサーがうんうん唸っていた。

 逆にグラスは特に問題なく書くことができたようで、早い段階から「楽しみですね」なんて余裕の笑みを漏らしていた。

 特にグラス、こういうの得意だからなぁ。ファンレターへの返信も丁寧だし。


「……ん? これは……」


 床に落ちている紙片が目に入り、僕はそれを取り上げる。

 どうやらグラスの落とし物のようだ。多分手紙の草案だと思われるそれは、優美な模様が入っていた。

 インクの染みがうっすらと見えるので、確実に中には手紙の内容が書かれているんだろうな、と思った。

 だからと言うべきか、僕の好奇心は手紙に向かう。グラスは内緒と言っていたけれど、どんなことを書いているんだろうか……と思って。

 ゆっくりと、静かに、手紙を開く。


「トレーナーさん、落とし物が……」
「……あ」
「……」
「……」


 目が合って。その後、グラスの視線が、僕の手元に落ちて。


「……読み、ました?」
「いやまだ読んでないよ?!」
「……”まだ”?」
「あ゛っ゛……」
「トレーナーさん……」


 瞬きをしたその直後、グラスの顔が僕の視界いっぱいに近づいた。

 手紙を握っていた手は、グラスに掴まれて――。

 近いしなんかいいにおいするけど、それ以上に――目が笑ってないのが怖すぎる。

 そのままグラスは僕の耳に口を寄せて、耳打ちする。


「トレーナーさんには一番見られたくないものですので……返してもらって、いいですか?」
「ひゃい……」
「よろしい」


 ぱっ、と離されて、手紙も奪い取られる。

 いつも以上の距離にドキドキしていると、グラスはいつもの笑みに戻る。

 ……グラスは怒らせないほうがいいな、って思った。


「それでは、失礼しますね、トレーナーさん」
「あ、うん……。おつかれさま」


 ぴしゃり、と扉が閉じられ、グラスは退室する。

 脚の力が抜けてへたりこめば、思考だけはクールダウンする。

 ……そんな思考に、ふと疑問が過る。


「……にしても、僕には聞かれたくない内容っていったい何だったんだろう?」


 ……なんだかいつもより、グラスの顔が赤かった理由って、何だったんだろう?




 さらに数日後のこと。


「……わ、グラスちゃんのトレーナーさんだべ」
「あの人がグラスさんの……?」
「ナルホドなるほどデース……」
「へぇ~アツアツだねぇ……」

 
 グラスを迎えに行くと、そこにグラスはおらず、代わりに四人がいた。

 遠巻きに僕のことを見ながら、ひそひそと何かを話していた。

 ……グラス、本当に何を書いたんだ?

7/23

https://www.post.japanpost.jp/index.html

チャラ男「へートレーナーのことが好きなんだww」
○○(←ここに好きなウマ娘の名前を入れる)「そうよ!だからこの関係も今日で終わり…」
チャラ男「えー俺らの方が体の相性いいってwww」パンパンパン
○○「やめっ//…んっ//」♡♡♡♡

「なぁ、キングヘイロー」
「何かしら」
「色々あったのは解ってるけど、さすがに実家に手紙の一通くらい送ったらどうだ……?」


 俺がそう言うと、キングヘイローは解りやすいほどに動揺した。

 彼女にとっての両親――特に母親は、何というか、彼女にとってのコンプレックスだ。

 下手に刺激するとキングのやる気が下がったり、コンディションに異常をきたすから今までは刺激してこなかったが――さすがにそろそろ度が過ぎている気がした。


「イヤよ」
「ですよね……」
「そもそもどうして手紙を送らなきゃならないのよ」
「そりゃぁ、安否確認とか……色々あるだろ?」
「テレビでこのキングの活躍を見れば、それだけで十分でしょう?」


 確かに。


「……流されるな、俺! 駄目だ、トレーニングはキングが実家への手紙を書くまでやらん!」
「今日はいつにもまして強引ね?!」
「トレーナー権限だ」
「……まったく、いつもいつも妙なおせっかいばかり。キングのトレーナーであるならば、スマートに何事も行うべきじゃない?」
「でも、こうするしかキングを動かせそうにないな、と思って……」


 俺がそう言うと、キングはため息を吐いてこちらを見る。

 その表情からは、諦めにも似た感情が見て取れる。……キングが折れてくれた時の顔だった。


「仕方ないから、手紙を書いてあげる。気は乗らないけれど……」
「……! ありがとう、キング!」
「下々の願いを叶えるのはキングの責務――って、近い近い! 少し離れなさい!」




「と言っても、手紙に何を書くんだろうな」


 父親についてはわからないが、母親とキングの関係性にはある程度察しがついている。

 キングに事あるごとに連絡をよこし、やれスペシャルウィークの走りが良かっただのなんだのと、まるで走りを諦めさせるようなことを延々とよこしてきていた。

 まぁ、つまり。キングと母親の仲は――あまりいいとは言えない。

 もちろん最終的には少し改善されたとは思うが、思いたいが……。


「うーん。気になるな……」
「何が?」
「そりゃ、キングがどんな手紙を書いてくるのか――って、キング?! いつからそこに?!」
「今しがた堂々と入り口から。で、トレーナーは私がなにを書いたのか気になってるの?」
「まぁ、そりゃあ、ね?」


 俺のその答えに、キングはあっけらかんとして答えた。


「別に見せてもいいわよ。キングの書面を見れる光栄を噛み締めて見なさい!」
「え、いいの?」
「私がいいって言ってるんだから良いに決まってるじゃない。それとも見たくない?」
「見ます!」


 キングから手渡された手紙を食い入るように見る。

 そこには時候の挨拶から丁寧に自分の現状を語られていて……俺は思わず驚いてしまう。


「意外だ……」
「失礼ね?! 手紙くらいキングも書くわよ!」
「いや、そっちじゃなくて。もっと簡潔に書いてくるのかな~って思ってたから、結構しっかりと書かれてて驚いたっていうか」


 ああ、とキングは頷く。


「対面じゃなくて手紙よ? 言いづらいことを込められるのがいいんじゃないの」
「あー。確かに対面じゃ言いづらいことも、手紙だったら書けちゃうよな。……ってことは、本心はこんな感じなのか?」
「……親に褒められたくない子なんていないと思わない?」
「同感だ」


 そう言えば、キングは微笑みを浮かべて、便箋を封筒に入れて、シーリングスタンプを押した。

 切手を貼れば、それを持って外に出ようとしたので、俺もついていく。


「そう言えばキング、家には帰らないのか?」
「? まだまだ早いわ」
「そうか? 家に帰るのに早いも遅いもないと思うけど……」
「そういう意味ではないのよね……」


 ぼそりと、キングが何かを呟いた。

 ただ、その言葉は俺の耳に届かなくて。

 何か言ったか、なんて聞けば、キングは振り返る。


「ナイショよ」


 夕陽に照らされたその表情があまりに綺麗で。

 俺は黙って頷くことしかできなかった。

7/24

https://www.nnh.to/07/weekmove.html#d4sun

「トレ~ナ~」
「……いつにもまして声がふやふやじゃん、ウララ。どしたん?」
「あついよ~」


 なるほど、と私は頷く。

 確かに今日の気温はかなり高めで、正しく盛夏。

 トレーニングも軽めのものを用意していたはずだけど、さすがに厳しかったらしくハルウララは根を上げてしまっていた。

 さすがに30度後半を超える気温の中、これ以上トレーニングを継続するわけにはいかないし……。


「そーだ! トレーナー、アイスたべよ?」
「うーん。ま、これ以上のトレーニングは却って体に毒だろうし、ここでおしまいにしよっか」
「やった~! じゃあ着替えてくるね~!」
「シャワーも浴びて…………え、着替え?」


 想像もしていなかった一言に、私は思わず呟いてしまった。





 さて、ハルウララというウマ娘について軽く触れておこう。

 天真爛漫――と言えば華があるように聞こえるけど、実際のところウララは正しく子供だ。

 好奇心旺盛で、それでいて行動に対する躊躇があまりない。

 ……少し悪い言い方になってしまうけど、思慮分別が出来てない。

 まぁ、そこがいい所でもあるんだけど……こういうときはそんな行動力の塊みたいな性質にやきもきしてしまう。


「お待たせ、トレーナー!」
「いきなりどこに行ったかと思えば――自室に帰ってた?」
「うん! だって、今から学園の外にアイス食べに行くんでしょ?」
「そんなこと一言も――いや、そだね。外に食べに行くか!」


 否定しようとすると、ウララの笑顔が曇ってしまう気がして。

 駄目だ駄目だと話を切り替えて、ついウララを甘やかす方向に向かってしまう。

 同期にも甘やかしすぎだーとかなんとか言われてるから気を付けなきゃいけないんだけど。


「トレーナー、て、つなご!」
「……あいあいさー」


 厳しくなんて、出来ないんだよなぁ……。

 これが愛嬌ってやつかな、なんて思ったりしなかったり。

 まぁ、ゆっくりと関係を進めていければ、いずれは甘やかす以外のことも出来るんじゃないかな。

 ――そんな楽観的な考え方を抱きながら、手を引かれて街へ出る。

 繋がれた手はぽかぽかの太陽みたいで、ちょっと暑かった。




 公園にやってきた私たちは、早速困っていた。

 と言うのも、そもそも公園にアイスの屋台なんてめったにないからだ。

 ちなみに商店街ではなくこちらに来たのは、ウララの謎の直感が働いたからである。大外れだけどね。


「どーしよ、トレーナー……?」
「うーん。今から商店街行く?」
「うーん……」


 悩む様子を見せるハルウララ。

 確かに、今から商店街に行くのは少し骨が折れる。

 とはいえ、公園にアイスの屋台が都合よく現れるとも思えない。

 さて、どうしたものかな――なんて考えてると、ふと目の前のベンチに、小学生くらいの子供が座った。

 その手に持つものを見て、私は”これだ!”と閃いた。


「ウララ、行くよ!」
「え、どこにどこに~?!」


 子供が歩いてきた方向へしばらく歩けば、そこには出店が設けられていた。

 日に焼けて色が落ちた旗に、柔らかな笑顔を浮かべるおじいちゃん。

 出っ張った台にはいろとりどりの液体が置かれていて、その中央には――大きな氷が鎮座していた。

 そう、先ほどのベンチで見たものは、かき氷だったのだ。


「アイスじゃないけど、かき氷もたまにはいいんじゃない?」
「わ~! かき氷だ~! 練乳かけていい?」
「……すっかりその気じゃん。まぁ、練乳はほどほどにね」


 私の言葉に頷いたウララは、そのままおじいさんにイチゴ味を注文する。

 ウララの姿を見たおじいさんはにこりと微笑んで、かき氷機のハンドルを回す。

 しゃりしゃりと、氷が削れて器に盛られていく様が、妙に気持ちいい。


「おまえさんのことをようけテレビで見とるわい」
「わぁ、おじいさん私のこと見てくれてるの?! ありがとー!」
「ああ。孫もおまえさんのことが好きでなぁ……。一緒にいつも応援しとるわい」


 ほほ、と笑いを漏らすおじいさんから、かき氷が差し出される。

 ……先ほど見たかき氷よりも、そこそこ多く盛られている気がした。


「おじいさん、これちょっと多いよ~?」
「はは、応援の気持ちじゃ。ああ、シロップと練乳はかけ放題じゃからの、好きなだけかけていくといい」
「え?! やった~!」


 ウララはぴょんぴょんはねて、イチゴシロップをこれでもかとかけまわす。

 練乳もかなり多めだ。……カロリーが気になる。

 おじいさんは、そんなウララの様子を見て満足げにほほ笑んでいた。


「あの、ありがとうございます」
「いいんじゃよ。おまえさんはトレーナーかい?」
「ええ、まぁ」
「いつも応援しとるよ。頑張ってな」
「――はい。応援に応えられるように頑張りますね!」


 私の言葉におじいさんは再び頷くと、しゃりしゃりと小気味の良い音を立ててかき氷を作り出した。

 それを私の前に置くと、ほれ、と顎をやる。

 応援しているぞ、と。その瞳が何よりも雄弁に語っているから、私はありがたくそのかき氷を受け取って、ブルーハワイをかけた。


「ね、トレーナー! 見てみて~!」
「……舌がまっかっかだ」
「それにね~。えいっ! トレーナーのかき氷を食べるとね……紫色になるんだよ!」


 べー、と。小さな舌を突き出すウララの様子に、私も、おじいさんも笑みを漏らす。

 レースの時も、そうでないときも。ウララはいつだってこうだから。

 だから、みんなに好かれるウマ娘になるんだろうなって思った。


「ウララ、そろそろ帰るよ」
「はーい」


 かき氷を食べ終わった私たちは、再び手を繋ぎ、帰路につくことになる。

 カップを握ってひんやりと冷たい手のひらは、繋げばたちどころに暖かくなる。

 それはまるで、ウララみたいだな、って思えた。

 いつも太陽みたいに、私たちを照らしてくれる――あの笑顔みたいだな、って。

7/25

https://gakuen.monteur.co.jp/library/anniversary/entry/002814.html

「トレーナー!」
「……いきなりどうしたんだエル、いつにもまして声が大きいじゃないか」
「それが、それが――!」


 腕を掴んで、見事に恐怖しているエルコンドルパサー。

 そのままぎゅ、と力が強くなっていき。


「エル、それだけはダメなんデース!!」


 雄たけびにも似た悲鳴が響いて、俺の腕は感覚が消えた。

 脱臼させられたと理解したのは、エルの声からくる耳鳴りが収まったころだった。


「で、何がダメなんだよ」
「うぅ……。実は、今週末、みんなと遊園地に行くことになったんデース」
「ほう、みんなと言うと――スぺちゃんたち?」
「ハイ! みんなのスケジュールが空いたこの時期に行くことになりました!」


 なるほど、確かにこれからレースが本格化するにつれて、取れる時間は少なくなっていくからな。

 特にエルをはじめとして、スペシャルウィークやセイウンスカイ、グラスワンダー、キングヘイロー……彼女らへの期待は凄まじく、それなりの結果が望まれている。

 それに、それぞれに目標があって、達成するためにはかなりの努力が必要になる。

 だからこそ、遊べるうちに、という事だろう。


「ふむ、楽しんで来るといいじゃないか。なにが駄目なんだ?」
「ケ?! それは……」


 ごにょごにょと小さくつぶやくエル。マスクをつけているのに、まるでマスクをつけてないときみたいに弱気だ。

 
「……笑わないで、聞いてくれますか……」
「ああ」
「実はエル……オバケが駄目なんデース!」


 その言葉に、俺は思わず「はぁ」と気の抜けた息を漏らしてしまった。

 なるほど、つまり――遊園地に行くのは楽しみだが、お化け屋敷に行くのは勘弁だ、という事かな。

 あの面子であればお化け屋敷に行く確率は低くないだろう。であればこそ、エルは恐怖しているというわけで。


「頑張れ」
「他に何かなかったんデスか?!」
「いや、こればっかりは個人の趣味嗜好だし」
「そんな~……」


 とはいえ、びくびくしながら遊園地に向かうのもそれはそれで可哀そうだ。

 ここは一つ聞いてみるかな。


「なんでエルは幽霊が苦手なの?」
「……だって、物理技が効かないから」
「倒す前提なんだ」
「あくまで倒すとなった時の話デス! うぅ……」


 倒す倒さないの観点で恐怖を感じられると少し困る。

 怖いなら目を瞑っているといい。何かわからないなら自分の中で幽霊を定義付けるといい。

 でも幽霊を物理的に倒す方法なんてないからなぁ。


「……待てよ。そういえば、幽霊を倒す方法が一つあるぞ」
「ケ?! なんですかそれは!」
「怖がらないことだ」


 俺の言葉に「は?」とでも言いたげな冷えた視線を送ってくるエル。

 だが、この言葉には一定の説得力がある。なぜならば――。


「詳しくは知らないけど、日本の幽霊とは人間の恐れる心がないと生きていけないらしいぞ!」
「……つまり、エルが怖がらなければ?」
「幽霊は死ぬという事だ」


 気付きを得たらしく、耳と尻尾はぴんと張る。

 そして次の瞬間には、いつものエルが戻ってきていた。


「優勝、快勝、エル圧勝――ッ! 幽霊の正体此処に見たり――ッ!!!」
「……なんにせよ、元気になってよかった。お土産よろしくね」
「ハイ! 精一杯楽しんできマース!」


 楽しむのはいいけど、お土産もよろしくね。




 後日電話がかかってきた。


「トレーナー……このお化け屋敷、アメリカンな佇まいデス……。どうしたら」
「頑張れ」


 電話を切った。

 抱き着くならグラスワンダーがお勧めだ。

7/26

https://dic.pixiv.net/a/%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%97%A5


「――よし、今日はここまで」


 声を張り上げると、「えー」と物足りなさそうな声が返ってくる。

 これ以上の練習はオーバーワークになってしまう。如何にGⅠレースが数か月後に控えていて焦る気持ちがあったとしても、過度な練習は却ってマイナスとなりかねない。

 それに、今日のトレーニングの成果も上々だ。このままいけば優駿の頂点は彼女のものとなる。

 クールダウンに移ろうとしない彼女――担当ウマ娘であるスペシャルウィークにこちらから近づいていく。


「物足りないか?」
「はい!」
「明日、その気持ちを爆発させような」


 明確に突きつけるNOに、スペシャルウィークは短く息を吐いて落胆の意を示す。だが、彼女もオーバーワークになってしまうことはある程度理解しているのだろう。

 いつもは自動車も斯くやといったスピードで走る彼女も、今は競歩程度の速さでトラックを回っている。

 初秋の柔らかな風が頬を撫でて、体温を緩やかに奪っていく。スペシャルウィークも心地よさそうに、柔らかな笑顔を浮かべていた。

 彼女のそんな表情を眺めていると、ふと紫の視線がつい、と動いた。まんまるとした瞳に、俺の表情が反射する。



「そういえばトレーナーさん、お渡ししたいものがあるんですけど……この後空いてますか?」
「空いてるけど……」


 何を渡すつもりだ、とは続けなかった。この時期に贈られるものなんて想像だに出来ないのもそうだが、それを確定させてしまうのももったいない気がした。

 はっきり言えば、心の何処かで特別な贈り物をしてもらえるんじゃないかと期待していた。とはいえ、こんな想像ももう何回目かな、というくらいには贈り物をもらっているわけで……。


「スイカです!」


 まぁ、だろうな……と予測がつく。

 スペシャルウィークの実家から時折送られてくる野菜類は、まぁ量が尋常ではない。

 スペシャルウィーク本人が健啖家であるというのが半分、もう半分はトレセン学園の親しい人たちと分けて食べてね、というあちら側の善意だろう。

 ありがたくご相伴にあずかっているので、本当に文句はないのだが、無いのだが……。

 毎度期待しては馬鹿を見るようで、少し気落ちする。

 当然と言えば当然。だって俺は大人で、二十も後半が過ぎたオッサン。方や十代半ばの花盛りで、有馬記念出走確実とも呼ばれる有名人。

 むしろトレーナーとして接することが出来るだけありがたいと思うべきだ。


「……トレーナーさん?」
「あ、ごめん。なんだった?」
「もう、聞いてなかったんですか……?」


 小さく不満をあらわにするスペシャルウィークに平謝りする。怒る表情もかわいい。

 もう一回だけですよ、と前置きして、スペシャルウィークは続けた。


「明日トレーニングはお休みですよね?」
「ん? あ、ああ。そうだったな」
「だから、トレーナーさんが良ければなんですけど、スイカ配るの、手伝ってくれないかな、なんて……」


 ああ、と手を打つ。量が尋常ではないという事は、配るにしても時間がかかる。

 いかにウマ娘よりも身体性能が劣るとはいえ、人手があることに越したことはない。

 つまり、猫の手も借りたい状態なのだろう。……どれだけ届くのか、今から恐ろしいくらいだ。

 とはいえ、明日はトレーニングがない日……つまりスペシャルウィークと会えない日だったのが、これを承諾すれば明日も会える日になる。

 そのことがにわかに嬉しくて、俺は二つ返事で了承したのだった。




「……こりゃ、骨が折れるってレベルじゃないな」
「はは、あははは……」


 思わずスペシャルウィークも苦笑を浮かべる。

 当日、スペシャルウィークの部屋に入らないからとトレーナー室に運ばれた段ボールの量は、実に二桁中盤にまで登った。

 トレーナー室は広めに作られている。……のだが、その半分程度が段ボールによって埋まっていた。

 これを二つある寮に届けるだけでも一苦労。マルゼンスキーなどのことも考えると……それだけで立ちくらみを起こしそうになる。


「まぁ、これもトレーニングと考えるべきか……?」
「そうですね、こつこつと運んでいけばすぐに終わるはずです……!」
「……希望的観測だぁ」


 どう考えてもこつこつ運んで直ぐに終わる量ではないのだけれども。

 ともかく、運び始めないことには話が始まらない。

 一つ約20kgから30kgくらいがあるそれを、よいしょよいしょと台車に乗せて運んでいく。

 成人男性である俺は1つが限界。ウマ娘であるスペシャルウィークは、その3倍もの量を軽々と運んでいるのだから膂力が違う。

 必至に、時折意識を朦朧とさせながらも何とか運び終えた頃には疲労困憊だった。


「お疲れ様です、トレーナーさん……!」
「ああ……」
「ここから寮への運搬ですね」


 ああ、これを寮へまた運搬しなければならないのか……。

 忘れていた……というよりも、あえて目を向けないようにしていた。


「さぁ、ここからですよトレーナーさん!」


 スペシャルウィークの笑顔が、やけに光って眩しかった……。




「「つ、疲れた――!」」


 二人そろってどっかりと腰を下ろす。

 時間が経って午後の七時。日がとっぷりと暮れて、うっすらと藍色に染まっていく空に足を投げ出す。

 寮に運んではそこでいろいろな歓待を受け、運んではトラブルに巻き込まれ、運んでは――。

 本来は午前中だけで終わりそうな作業だったが、気付けばこんな時間になってしまっていた。


「疲れたろ?」
「まぁ、はい……」


 珍しく疲弊した様子を見せるスペシャルウィークの耳はへたり込んでいて、見るからに弱弱しい。

 しおらしいスペシャルウィークを見るのは久しぶりだな、などと思いながら、今日の出来事がトレーニングに及ぼす影響について考えていた。

 これほどの肉体労働を行ったのであれば、筋力トレーニングをほぼフルメニューで達成したようなもの。とすれば……。


「トレーナーさん、明日のトレーニングのこと、考えてます?」
「良く解ったな」
「トレーナーさんのことなので!」


 にへら、と笑顔を漏らすスペシャルウィーク。何度見たことかわからないほどに見慣れた表情だが、相も変わらずくらりとする。

 かぶりを振り、一瞬脳裏に浮かんだ邪念を振り払って――スペシャルウィークと向き合った。


「明日のトレーニングは中止にしよう。今日だけでかなり負荷がかかったはずだしな」
「え~。でも私はトレーニング、したいですよ?」
「とはいえ、絶対にオーバーワークになってしまうしなぁ……」


 何か方法はないものか、と考え――ふと思い至たる。

 根本的に、スペシャルウィークは何故トレーニングをしたがるのか。それを把握できれば、彼女の欲求を満たすことが出来るのではないか、と。


「なぁ、スペシャルウィーク」
「なんでしょう、トレーナーさん?」
「――君は何故、そんなにもトレーニングをしたがるんだ?」


 言われてみれば、担当となったその日からトレーニングをせがまれた。ウマ娘として当然のことかとは思ったが、ここまでトレーニングに熱心な子も珍しいという。

 それであれば、何か特別な理由があるのかもしれない。……日本一のウマ娘になるという目標がそうなのだろうか。

 さて、どう答えてくれるかな――と思ってスペシャルウィークの表情を見れば。


「――っ!」


 真っ赤だった。

 まるで夕方の太陽のように赤く茹だったその表情は、俺が今まで見たことがないもので。その表情の真実を知りたいという気持ちと、逆に知りたくない気持ちがあって。

 ……だけど、気付いてしまったからには落ち着かない。



「教えてくれ、スペシャルウィーク」
「えっと、それは、それは……」


 しどろもどろになるスペシャルウィーク。言葉にならない言葉を発しながらも、しかし懸命に何か言葉を紡ごうとして――。


「や、やっぱり無理だべーっ!」


 立ち上がり、スイカを俺の手元においてから走り出すスペシャルウィーク。

 何が何だかわからない。困惑の中にいたが、頭の片隅で寮の方へ走っていったことを理解して安心していた。

 ……その心中に、どんな思いを抱えたのか気になってしょうがない。それでも、彼女があんな反応を見せたのならば、見ないのが当然で。

 俺は手中にあるスイカを見下ろして、深いため息を吐いた。

 ちょっと裂けた表面から、みずみずしい果汁が溢れ出ていた、スイカ。

 舐めてみたら、ほんのりとした塩気に、果実らしい甘みが溢れて。


「青春の味ってこんな味なのかなぁ」


 うすぼんやりと、空に呟いてみたりした。

7/27

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「どうして野菜を食べなきゃならないのよーっ!」
「うーん、困った魔女さんだ……」


 フジキセキに依頼された以上、私には彼女の意識を改善する必要がある。

 だけれども、目の前のちびっこ魔女――トウショウスイープには、その余地すらないように見える。

 もともとかなりの野菜嫌いだったが、最近は輪をかけて毛嫌いするようになった。

 どうやらフジキセキが、あの手この手でトウショウスイープの野菜嫌いを治そうとしたらしい。

 その過程で、トウショウスイープの中にある何かに火が付いたのか、ハンバーグの中からすら野菜を取り除くようになってしまった。

 一体どんな熱意なんだ……。


「とにかく、魔法少女スイーピーにはそんなもの必要ないんだから!」
「でも、野菜を食べてくれなきゃ君をレースに出せないしなぁ……」
「じゃあ出ないもん!」


 それでは困る……と言っても、こうなったスイープトウショウは梃子でも動かない。

 担当トレーナーとして着任してから何か月も経ったが、彼女の癇癪……というか、子供っぽい気分の移り変わりには振り回されっぱなしだ。

 そして、一度彼女の中で「これだ」と決まったからには、どうやっても動くことはない。

 一応動くには動くらしいけど……それには、スイープトウショウが動くに値する理由を与えなければならないし。


「ふんだ!」


 ……この様子じゃ本当に動きそうにもないんだもんなぁ。

 どうしたら彼女のことを動かすことが出来るのだろうか……?

 そんな時、ふと視界の端から誰かが現れた。眼鏡を掛けた彼女は――ゼンノロブロイ。

 スイープトウショウと何度かつるんでいるところを見たことがある。波長が合うと言うか、仲が良いと言うか……。

 ……とにかく、知識が豊富な子だ。


「あの、どうかしましたか……?」
「ああ、ロブロイちゃんか……。ごめんね、騒がしかった?」
「いえ、外ですし、特に気にしてないですよ。それよりも……スイープさんと何かあったんですか?」


 誰かに話すのは憚られたが、ゼンノロブロイならば誰かに漏らすこともないだろう。

 それに、知識が豊富な彼女ならではの知見を得られたならば、解決策に繋がる何かを得ることも出来そうだし。

 彼女の耳にそっと口を近づけて、スイープトウショウについてのもろもろを共有する。


「……なるほど、野菜嫌いをどうにかしたい、と」
「そうなんだよ……」
「ふーむ」


 ゼンノロブロイは数秒考えて――そして、手を打った。


「そうだ、こういうのはどうでしょう――?」






「――そう言うわけで、今日はお茶会」
「お茶会……?」


 スイープトウショウは不思議そうに首を傾げた。

 今日はもともとトレーニングを行う日だったから猶更不思議なのだろう。

 今から何が起きるのかときょろきょろと所在なさげなスイープトウショウに、とりあえず席につくように促す。


「せっかくのお茶会だから、魔女様に相応しいものを持ってきたよ」
「魔女に相応しいもの……!」


 期待にキラキラと目を輝かせているスイープトウショウ。やっぱり心根は子供なのだな、なんて思いながらも、ゼンノロブロイと一緒に皿を並べていく。

 これはウマ娘だけではなく人間にも言える話だが、ある程度機嫌をよくすると細かいことを気にしなくなる。

 例えば今、スイープトウショウの目の前に並べられているスイーツ群の正体なんて、スイープトウショウは気にしない。

 彼女にとってはこれは魔女への供物であり、私たちが彼女を魔女と認めた証拠でもあるからだ。

 純真さに漬け込むような真似に、少し心が痛むけれど。


「さぁ、召し上がれ――」


 クローシュを開いて、その中身を露わにする。

 魔法がかかったみたいに、甘いにおいがふわりと漂って、空間をオレンジ色に染め上げる。

 あまーいパイと、スコーンと、クロテッドクリームと、ラスクと、クッキーと、ケーキと……。

 幸せをいっぱい。きっとこれは、人間の原初の魔法。


「紅茶も用意したからね、スイープ」
「……! 気が利くじゃない!」


 居ても立っても居られない様子の、魔法にかかった少女。目を爛々と輝かせながら、どれを食べようかと指を走らせる様はまるで不思議の国のアリス。

 紅茶を注いであげて、傍らに。彼女の耳が揺れるたび、ああ、スイープトウショウは魔法にかかっていくんだな、って思う。

 もひとつ紅茶を注いであげて、おまけに角砂糖を一つ。ミルクをひと回し。


「グランマも連れてきたかったなぁ……」
「お土産もありますよ、魔女様」
「ホント?!」


 ええ、と一つ呟いて、小包を見せる。

 とてもお優しいグランマ。彼女はスイープトウショウにとって大切な人だから、きっとこう言いだすと思って前もって準備していた。

 スイープトウショウは受け取り、満面の笑顔を浮かべる。さて、グランマは果たして気付くだろうか――。


「さて魔女様、お茶会が終わりましたらトレーニングのお時間ですよ」
「……ふん、いいわ、やってあげる!」


 ……とりあえず首尾は上々。あとは仕上げをご覧じろ……と言ったところか。

 にこりと笑顔を浮かべて、テーブルの上の品々を片付け始めたのだった――。




「トレーナー~っ! 騙したわね!」


 よかった、私とロブロイちゃんの計画に、グランマは乗ってくれたみたいだ。

 私がホッと一息を吐いたのを見て、スイープトウショウはなおも怒る。


「あのスイーツ、みーんな野菜で出来てたってグランマが言ってたわよ!」
「うん、それが?」
「え、えっと……」
「美味しかったでしょ?」


 そう問えば、スイープトウショウは頷いた。……こういう時は素直な子だ。


「美味しかったら何か問題があるのかな?」
「ない……けど」
「だよね。お野菜もあんなにおいしいってこと、わかってもらえた?」
「うん……」


 ……恐らくだけど、グランマにも同じようなことを言われたのだろうな、と思う。

 実はあの包みの中にはメッセージカードが添えられていて、野菜嫌いを直すための一環です、と書いていた。

 スイープトウショウにとって、今は私よりもグランマの言葉の方が聞きやすく、従いやすい言葉。

 その意図を汲み取って、グランマはスイープトウショウに教えを施してくれたのだろう。


「苦手な野菜はちょっとずつ慣らしていけばいいから。これからはお野菜も食べようね」
「う~、わかったわよ!」


 唸るように叫んだスイープトウショウに、私は苦笑で返す。

 ともあれ、これでスイープトウショウの野菜嫌いはある程度緩和されたはず。

 ……されたよね?




「なんでピーマンを食べなきゃいけないのよーっ!」


 ……されてませんでした。

7/28

https://zatsuneta.com/archives/107281.html


――ここは宿舎のとある一室。就寝時間が近付いてきたころ、人目を憚るように集まった三つの影があった。


 一見ただの女子会にも見えるそれだが、しかし纏う気迫が尋常ではない。

 とあるものは目を曇らせ、とあるものは目を獰猛に瞬かせ、あるものは呆れるように追随するも、その魂胆は透けて見えていた。

 一室に入り、周辺に人影がないことを確認するとそそくさと鍵を閉める。その動作は、一歩間違えれば盗人のそれ。

 故にこそ迅速、故にこそ隠密。彼女たちは今此処では忍者とも呼べた。


「――さて、此処に集まってもらったのはほかでもない」


 そのうちの一人、目を獰猛に瞬かせていたウマ娘が口火を切る。

 異様な雰囲気に飲み込まれる他二人だったが、しかし彼女たちも慣れっこなのだろう。飲み込まれることはなく、逆に溶けるように混ざった。


「夏合宿が始まり、我々は運命と分かたれた――」


 仰々しい語り。かの皇帝を思わせる重厚な雰囲気はしかし、鈴の音を転がすような可愛らしい声音だった。

 だが、やはり雰囲気は重厚。重々しい空気が、空間を支配している。


「よって、我々は運命を取り戻さなければならないのだ!」
「はいはーい、質問質問!」


 ……三人のうち一人、目を曇らせていたウマ娘が手を上げた。


「スマホは圏外で使えない、連絡手段がないのに、どうやってウンメイを取り戻すのー?」
「ふっふっふ……。それはもう考えてあるのだよ――マヤノ君!」


 金色の瞳に疑問符が浮かぶ。いつもは直ぐにでも理解するマヤノトップガンが言葉を理解できなかったことに、ウマ娘――トウカイテイオーは僅かにほくそ笑んで続ける。


「マヤノが解らないってことは、大体の人には解りようがないってことだね!」
「むー。なんだかそう言われるとフクザツ~」
「でも、それがこの作戦の成功率を物語ってるんだよ!」


 びしり、とトウカイテイオーは指を一本立てて、自慢げにほほ笑んだ。

 いつもの強気な表情に、二人は実家のような安心感を抱きつつも……。


「……あんまり奇をてらった方法だと、逆に失敗しやすくなるんじゃありません?」
「ネイチャは心配症だなぁ。だいじょーぶいぶい! 何せワガハイは無敵のテイオー様ぞよ?」


 その自信が何より不安なんだけどなーとナイスネイチャは息を吐く。こうなったトウカイテイオーは止めることが出来ないと、彼女なりに納得していたからだ。

 ……とはいえナイスネイチャ、冷静になって考えろと二人を諭す立場にいるが、その本心はむしろ推進派のそれである。ここにいることが何よりの証拠だ。

 マヤノトップガンとトウカイテイオーが堂々と作戦を決行しようとする立場。比較すると、本心はまんざらではない……というか、むしろ嬉々として参加したいまであるナイスネイチャのそれは、少し卑怯なものだといえた。

 ともかく。三人が結託した以上作戦は決行される。その結果がどうあれ。


「では、本作戦の趣旨について話すのであーる!」


 トウカイテイオーは手に持っていたメモを二人に配り、四角い何かをそれぞれに2つずつ手渡した。

 これが一体何なのか、特になじみがあるマヤノトップガンは直ぐに理解したが、敢えて口をつぐむ。この後に解説が待っているのだからか、口を出すのは野暮であることを理解したのだ。


「マヤノの言う通り、スマホは圏外で使えない。夜間外出の禁止があるから、外を出歩くこともできない。つまりこのままでは、ボクたちは……トレーナーと寝る前にお話が出来ない!」
「毎晩トレーナーちゃんの声を聞いてから寝てたから、マヤ、聞かないと寝れないかも……」
「……ま、まぁ、トレーナーさんと連絡を密にした方がいいのはそうですし?」


 理由は三者三様だが、そこにある想いは全員一緒。

 ……つまり、担当トレーナーと夜の間もお話したい、という思い。

 トウカイテイオーは同志の存在に感謝の念を抱きつつ、計画の概要をまくしたてる。



「これから、エアグルーヴの目を掻い潜って、トレーナーの部屋にメッセージカードとこれ――無線機を置いて帰る作戦を決行する!」
「……でも、生徒会の監視の目はエアグルーヴ先輩がいなくても強い。無敵のテイオー様は、そこをどう突破するつもり?」
「ふっふっふ……。実は生徒会メンバーをスイーツで釣って……これを手に入れてきたよ!」


 高々と掲げるそれは、名簿だった。

 一体そんなものが何の役に立つのかとナイスネイチャは目を凝らして――そして気付いた。


「これ、シフト表じゃん!」
「そのとーり! これがあれば、隙が多くなる交代の時間を狙って抜け出すことが可能になる!」
「んー……。でも、トレーナーちゃんたちが部屋に居たらダメじゃない?」


 ……そう、そんな悪事を働こうとする彼女たちにとって最大の敵は、彼女たちの担当トレーナー。

 良識ある大人。子供のやることを笑って受け流し、時に叱る――。社会規範に悖る行動をとろうとしている彼女たちにとっては、トレーナーの存在こそが最も懸念すべきところ……!

 だが、そんなことは百も承知だったトウカイテイオー。彼女は追加のメモを取り出した。


「これは……トレーナーちゃんたちのしおり?」
「うむ! トレーナーが練習の準備をしてる時、トレーナーのカバンを漁って……んん! 偶然開いてたのを見つけて、その中身を書き写したメモだよ!」
「うわ、本当にやばいことやってるよこの子……」


 ドン引きしつつもしっかりとメモの内容に目を通すナイスネイチャ。


「と、いうわけで。今から作戦を決行すれば、成功する確率は大体70%!」
「「な、70%……!」」


 明確な数字を用い、二人の期待値を巧みに上げて見せたトウカイテイオー。彼女は心の中でほくそ笑みながら、ダメ押しの一言を二人に解き放つ。


「普段なら携帯の電池とかを気にしなきゃいけないけど、この大容量バッテリーを内蔵する無線機なら、アレが出来るよ……!」
「……まさか。トウカイテイオー、流石最強無敵のトウカイテイオー!」
「やったー! 一回やってみたかったんだよね、寝落ちもしもし!」


――寝落ちもしもし。

 平たく言えば寝落ち通話のことである。

 それは主にラブコメに心をときめかせる少女の夢だと言えた。

 親しい間柄の二人が両方が眠りにつくまで会話し、眠った後にも通話を繋ぎっぱなしにする。そして、眠った後も通話を繋いだままということは、起床した時もいの一番に相手の声を聴ける――。

 相手のことをより深く知れる。普通なら結婚しなければ聞くことも出来ない、起床時のあれやそれも!

 通常、携帯のバッテリーの消耗や明日のことを考えて敬遠してしまうそれだが、旅の疲れを癒すために休みにされた明日の予定と、尽きる心配のないバッテリーを内蔵した無線機が、彼女たちの欲望のタガを外したのだ!



「それでは、作戦は今を以て決行とする!」
「……ふむ、質問だが良いか?」
「なに?」


 トウカイテイオーは思わず振り向いた。ノリにノリまくったテンションは下がることなく、その声の正体についても彼女の思案から除外した。

 そして、それが視界に入る。


「貴様らの行おうとしていることは、夏合宿のルールに反しているが――その自覚はあるんだな」
「え、え――エアグルーヴ! な、なんで……!」
「たわけ! 会長を慕う生徒会メンバーが甘味ごときでつられるか! テイオー、貴様に流されたシフト表は偽のものだ!」


 な、なんだってー!

 トウカイテイオーはうなだれる。


「まったく……! そこの二人も、何か弁明はあるか?」
「え、えーと、その……アタシは別にトレーナーさんとずっとお話してたいなとか、そんなことは思ってなくて――」
「でもネイチャちゃんもノリノリだったよね?」
「マヤノ!」


 毒を食らわば皿まで。沈む船から逃げ出そうとするナイスネイチャの足を引っ張るように言葉をかぶせたマヤノトップガンは、もう覚悟を決めた顔をしていた。


「第一この無線機は免許が必要になる類のものだぞ……!」
「あ、ボクのトレーナーには前もって免許を取らせたけど?」
「………貴様は取ることが出来る年齢か、答えろトウカイテイオー」
「そ、それは……」


 正解は「できる」。

 だが、トウカイテイオー自身にその資格を入手するために勉強する余裕などなく、そもそも試験の予約さえしていない。

 つまりは無免許である。


「これは生徒会で預からせてもらう!」
「そ、そんなー……」
「第一昼間にもトレーナーとは話しているだろう……。どうしてこんな夜中まで話していたいと思うんだ……」
「だって、寝てる時も起きる時も一緒にいたいじゃん」


 呆れかえって、トウカイテイオーをじっとりと見つめるエアグルーヴ。その視線は絶対零度のそれだった。


「とにかく、早く自室に帰って寝ろ。次に巡回するとき起きていたら……わかるな?」
「ちぇ、エアグルーヴのケチ!」
「何か言ったか?」


 何も言ってませーん、とトウカイテイオーがダッシュで逃げると、マヤノトップガンとナイスネイチャも蜘蛛の子を散らすように退散した。

 一人空き部屋に残ったエアグルーヴは重いため息を吐きながら、ふと三人が残したメモに目をやる。


「……寝落ちもしもし?」


 エアグルーヴがその意味を知り、たわけるのは、また別の話――。

このSSまとめへのコメント

1 :  MilitaryGirl   2022年04月21日 (木) 08:44:54   ID: S:U7BVnA

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