【オリジナル】夜の住人達 (141)


本作は吸血鬼物の厨二SSです。

吸血鬼の設定等は>>1の勝手な解釈なのでけっこういい加減です。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1371994122


 夜風が少女の頬を撫でた。

少し湿った亜麻色の髪を揺らして暗い空を見上げれば、雲の切れ目に満月が顔を覗かせ始めた。

少女の耳から風が木々を揺らす音も虫達の鳴き声も消えてゆく。

冷たい光を放つ月に少女は観入っていた。


ーーー

 「御館様?」


茨木尊【いばらき たける】は湯浴み後に縁側で涼んでいるはずの主人を探していた。

いつものようにお茶を淹れてきたのだが、その姿はなく代わりに彼女が着ていた浴衣の帯だけがポツンと残されていた。

風が吹き満月を覆っていた群雲がはれて庭先を照らす。


 (月に酔われたか……)


茨木が仕える主人は満月の夜になると、夢遊病患者の様にふらりと外へ出ていく事がある。

もう一度気配を探ってみたが、やはりこの屋敷に主人は居ないようだった。しかたなく茨木は固定電話の受話器を取った。


 『いかがなされました?』


三回ほどコールしてから老人の声で返事があった。


 「御館様がお出掛けになられた。迎えに行く」

 『今宵は満月でしたか……』


茨木が用件を伝えると、受話器の向こうでも事情を察したらしい。

 
「解っているとは思うが、御館様が現れても家の中には招くな」


彼女は初めて訪れる家には住人に招かれない限り侵入する事ができない。茨木の忠告に返ってきたのは『彼女が望むのならば招かざるをえない。彼女の手に掛かって死ぬのならば本望だ』という言葉。


 (愚か者め……貴様が御館様に殺されれば、悲しむのは当の御館様だろうに)


心の中で呟いた言葉を茨木は口には出さない。老人なりの忠義の表れを否定する気になれなかったからだ。

今度は老人から茨木に忠告があった。


 『例の件、報道規制は敷いておりますが、なにぶん人の口に戸は建てられませぬ。勘の良い者はこの町にやって来るでしょう……くれぐれもお気を付けを』


茨木は『解っている』とだけ言って電話を切った。


 ーーー??????????????????????????????????????
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 深夜の公園、二人の青年が自動販売機の前に座りこんで大声で会話をしている。一般人が『ちょっとかかわり合いになりたくないなぁ 』と思うくらいにはガラの悪い二人組だ。


 「おい、見ろよ」????

??
金髪の男は十数メートルほど離れた外灯の下にいつの間にかいた人影に気付いて、片割れのピアスだらけの男を促した。


 「マジかよ!?」


ピアス男がそちらを見てみると仰天した。

それは藍染の浴衣を着た少女。それも帯をしておらず前がはだけて白い肌が露(あらわ)になっている少女だった。


 ーーー

 深夜の公園、二人の青年が自動販売機の前に座りこんで大声で会話をしている。一般人が『ちょっとかかわり合いになりたくないなぁ 』と思うくらいにはガラの悪い二人組だ。


 「おい、見ろよ」


金髪の男は十数メートルほど離れた外灯の下にいつの間にかいた人影に気付いて、片割れのピアスだらけの男を促した。


 「マジかよ!?」


ピアス男がそちらを見てみると仰天した。

それは藍染の浴衣を着た少女。それも帯をしておらず前がはだけて白い肌が露(あらわ)になっている少女だった。


二人組が少女の元に近付く。亜麻色で緩やかなウェーブの長い髪、透き通るような白い肌、蒼みがかった灰色の瞳……彼女が外国人らしい事に気付いた。それもとびきりの美少女だという事に。


 「チョー可愛くね?つーか、なにそのカッコ誘ってんの?」

 「キミJC?ってか痴女?エロいねぇ写メって良い?」


金髪がスマートフォンを取り出して少女のあられもない姿を無遠慮に撮影し始めると、ピアス男は少女の小ぶりな乳房を鷲掴みした。


 「やわらけー、ヤらせろよ」


下品た表情で胸を揉みしだくピアス男に対して少女は熱をおびたような柔らかな笑みを浮かべているだけ。その吊り上げた唇の奥に鋭い犬歯がちらりと見えた。

ピアス男はその笑みを肯定と受け止める。もっとも拒絶されても襲い掛かっていたが。


 「日本語通じてねーんじゃね?」


茶化す金髪を無視してピアス男が少女の下腹部に手を滑り込ませようとする……が、突然彼女のこめかみ付近に金属の筒が現れた。

そして次の瞬間、轟音とともに少女の顔が下顎だけを残してグシャグシャに吹き飛んだ。


頭の大半を失った少女の身体は糸の切れた操り人形のように崩れる。

返り血や肉片がこびりついたピアス男はあまりにも異常な事態に思考が追い付かず固まっていた。


 「や、ヤベェ……マジヤベェ死体とか初めてみたわ……へ、へへへ……」


半狂乱気味の金髪が倒れた少女を撮影しようとスマートフォンを向けるが横合いから伸びてきた手に奪われてしまった。


 「くだらねえもん、撮ってるんじゃねぇよ」


革のジャンパーを着た青年がいた。彼は金髪から奪ったスマートフォンを握り潰し、更に地面に叩きつけて踏みにじる。


 (えっ?ちょ……俺のスマホ!ってかなに!?コイツ誰!?)


肉食獣のように狂暴な雰囲気を纏う青年に、金髪は恐怖と混乱で抗議する気すら起きない。


 (もしかしてコイツが殺ったのか?)


金髪は混乱しながらも人殺しかもしれない革ジャンの男に警戒していると、彼は苛ついたように口を開いた。


 「キリコ、さっさと終わらせろよ」

 「慌てんなよ恭兵。頭を潰したんだ、十五分は動けないよ」


金髪は返ってきた声の方に顔を向けると、ピアス男のすぐ近くにショットガンを持った女がいた。

二十代後半くらいだろうか?女にしては背が高い。タンクトップの重ね着に拳銃を納めたホルスター、野暮ったいカーゴパンツの腰には鉈の様なナイフ、胸元には十字架のネックレス、左の上腕部にも十字架のタトゥーが彫られている。


 「消えろ」


まだ呆けているピアス男と金髪にキリコと呼ばれた女が次弾を装填しながら言い放つ。同時に排筴された空のシェル(実包)が地面に落ちる音が響いた。


 「うわぁぁっ!」


ほうほうの体で逃げだした二人組を忌々しく睨み付ける恭兵。


 「ほっとけよ。ぶっ殺して金になるのは有害な化け物だけだし」

 「チッ、解ってるよ」


いさめるキリコに恭兵はふて腐れた様に舌打ちで返した。


 「無粋な輩だ」


ーー声が聞こえた。

ハッとしてキリコと恭兵は少女の倒れた方を見た。

少女には頭部を覆う様な赤い霧。その奥から失ったはずの瞳が更に紅い光を伴ってキリコを見つめている。


 「貴様らのせいで月夜の散策が台無しだよ」


少女特有のソプラノボイス。いつの間にか立ち上がっていた少女にキリコはショットガンの引き金を絞る。

轟音を響かせて無数の散弾を少女に浴びせる。着弾の衝撃で少しよろめくが、赤い霧と共に傷口はみるみるうちに塞がってゆく。身体に食い込んだはずの鉛玉がパラパラと少女の足元に落ちた。


 「その回復力……貴族種だな?」

 「その呼び方は好まぬが肯定しよう。狩人よ」


ーーヴァンパイア。吸血鬼。日の光りを嫌い、夜を生きる魔物。人の生き血を啜り、血を吸われた者もまた人外の怪物となる。その力は常人の数倍から数十倍もあるという。日の光を浴びて灰となるか心臓を破壊しない限り死ぬ事はほとんど無く、悠久の時を生きる人ならざる者。

中でも【貴族種】(人間が呼称した。ヴァンパイア達の間では【貴族】で通る)と呼ばれる種族は生まれついてのヴァンパイア。血を吸われヴァンパイアと成った元・人間より回復力も力も桁違いに高く、念動力や変身能力を持ち魔術を操る個体も確認されている。

そしてハンター。金の為、あるいは復讐の為、様々な理由で人外の異形を狩る者達。銃器や刀剣、罠等ありとあらゆる手段を駆使して、己の命が燃え尽きるまで執拗に追い続ける狩人。

人の命を喰らう魔物とそれを狩る者。決して相容れる事のない両者がはち会えば、自らの存在意義を賭けた命の奪い合いが始まる。


続く。

とりあえずエタらないように頑張ります。


 「名乗りな、偉い貴族様なんだろ?」


名の通った大物なら報酬額もはね上がる。キリコの問いに少女はフゥと溜め息を吐く。


 「無粋な上に無礼な奴。名を聞きたいのなら……」


銃声ーー恭兵が不意打ちのスナップショット。約四メートルの距離から放たれた計三発の弾丸が吸血鬼の少女を襲うが、少女は軽く身を反らせるだけで全弾を避ける。

銃弾を避けるくらい想定していたキリコはショットガンで追撃。更に引き金を引いたままスライドハンドル操作でスラムファイア(意図的な暴発による連射)を起こす。

散弾の雨を少女は地面すれすれの低い体勢でかすり傷一つ無くかわしつつキリコに貫手で襲い掛かる。


 「ぐっ!?」


しかし少女の貫手がキリコに届くより先に、常人離れした速度で距離を詰めてきた恭兵の蹴りが少女の脇腹に突き刺さる。

予想外の攻撃を受けた少女の小柄な身体は五、六メートルは吹っ飛び、公園のタイルの上を転がっていた。

キリコは追撃の為にショットガンを構えてうつ伏せに倒れた少女に向かって発砲する。

一八・一ミリメートルの鉛玉の群れが少女を襲う。


ーーー
 

 「比良坂君、もう上がって良いよ」

 「あ、はい」


食器を下げに厨房に戻ったところで比良坂凉一【ひらさか りょういち】は店長に呼び止められた。厨房の壁掛け時計を見たら定時の二十二時を八分ほど過ぎていた。


 「ごめんね。次からは時間が過ぎないようにするからさ」


謝る店長に『大丈夫ッス』と言って、まだ労働中の店員やパートさん達に挨拶をしてから更衣室で着替えていると、また店長が現れた。


 「あ、そうそう最近物騒な事件が多いみたいだから気を付けて帰ってね」

 「あ、はい」


『あ、はい』ばかり言っているなと思いつつも、凉一は先週も近所で起きたという事件の事を考えていた。


ーーこの店から二つほど先の交差点で中年男性が死んでいたらしい。ーー死体の頭がぐちゃぐちゃに潰れていたらしい。ーー轢き逃げや交通事故ではないらしい。

『らしい』というのは学校のクラスメイトからの又聞きだからだった。ちょっと気になって家にあった数日分の新聞を読んでみたが地方欄にすらそんな事件らしき記事は確認出来なかった。テレビのニュースも同様だ。

忠告してくれた店長も幾つかの事件を知っていたがやはり知り合いからの又聞きのようで、他の似たような事件の話もいずれも被害者の頭部が破壊されているというものだった。

通り魔だろうか?

警察に問い合わせれば事件の有無くらいは知る事が出来るのだろうか?

誰もが事件の噂を知っていて怖がっている。まるで都市伝説みたいだ。


突然鞄の中から電子音がした。

それが携帯電話のメール着信音だと気付いた凉一は、確認しようと鞄から携帯電話を取り出そうとしたが、中にあった先週借りたDVDの存在を思い出した。

返却期限は今日までだった。実は借りた翌日には観終わっていて、早めに返しておこうと鞄の中に入れっぱなしにして忘れていた。

延滞金は一本につき一日三百円、十六歳の高校生には痛い出費だ。店から学校の制服に着替えた凉一はちょっと遠回りになるがレンタル店に寄ってから家に帰る事にした。


ーーー

 無事に返却を済ませて家路を急ぐ凉一は近道になる森林公園の中を突っ切るコースを自転車で走っていた。


 (十一時過ぎてる……ばあちゃん心配してるかな?それよりも、じいちゃん怒ってないかな?)


幼い頃両親を交通事故で亡くした凉一は父方の祖父母に引き取られた。心配性で優しい祖母と厳しくも頼りになる祖父、二人のお陰で凉一はなんの不自由無く暮らせている。

バイトを始めてからは午後十一時までには帰宅する約束になっていたのだが、今日はバイト後にレンタル店へ寄り道した為に門限を過ぎてしまった。

スピードアップしようと立ち漕ぎ体勢になったところで、凉一の耳に破裂音が聞こえた。


 (花火?)


第一印象は花火。しかし違うような気がする。どこかで聞いた事があるような音。凉一は思案しながらもペダルを漕いでいると、先刻よりも大きな破裂音が響いた。


 (近付いている?)


実際は音源に近付いているのは凉一の方だった。


続く。


街灯の下に数人の人影を見つけた凉一は、異様な雰囲気に自転車を急停止した。

浴衣を羽織った少女を男と女が取り囲んでいた。

白人らしき少女の浴衣はぼろぼろで黒っぽい染みが所々に浮かんでいる。

少女と対峙した女は散弾銃らしき物を構えていた。少女の後方にいる男も懐に手を忍ばせている。

絶体絶命ーーなのに少女は不敵な笑みを浮かべて余裕さえ感じる。

凉一はその笑みに覚えがあった。亜麻色の美しい髪に切り揃えられた前髪も凛とした立ち居振舞いも、紅く光る瞳も……。


 「お姫さま?」


そして場違いな事を口走っていた。

凉一は少女の後方で男が拳銃を抜いたのを見て、自転車を乗り捨てて少女の方へ駆け出した。


ーーー

 脇腹に食い込んだ恭兵の蹴りが少女の肺から酸素を絞り出していた。

タイルの上を転がりながらもキリコがショットガンを自分に向けて引き金に指を掛けたのを確認したが、少女は呼吸が上手く出来ないせいでうつ伏せの体勢から回復出来ずにいた。

殺意の塊の轟音が響く。


 (……?)


多少のダメージは覚悟の上だった少女は、予想していたものと違う衝撃を背中に感じた。


 「……おいおい」


キリコは目の前で起きた信じられない光景に目を見張った。同様に恭兵も言葉を失っていた。

突然、射線に割り込んだ少年ーー凉一が少女の身代りに散弾を受けて倒れたのだ。


自分に覆い被さっている凉一を突き飛ばして少女が立ち上がる。


 「お前は……」


少女はそこで初めて自分の代わりに散弾を浴びた凉一の存在に気付いた。

華奢な体つきの少年だった。急所は外れているが出血が酷い。凉一の血はタイルの上をじわじわと侵食していた。


 (なんだあのガキは邪魔しやがって……だが、チャンス!)


か弱い美少女を助けるヒーローになれるとでも思ったか、義侠心が湧いたのか、それとも単なる馬鹿なのか知らないが少年の行為はキリコにとって好都合だった。

少女は虫の息の凉一に気をとられている。キリコは恭兵に目配せして襲撃を再開しようとするが、恭兵は目付きがより一層険しくして少女の方を注視していた。


恭兵は目付き『が』より一層険しくして→恭兵は目付き『を』より一層険しくして


キリコが少女の方へ視線を戻すとキリコ達と少女の間に長身痩躯の男が立ちはだかっていた。一八四センチメートルの恭兵よりも大きい……一九〇以上はある。

腰まで伸びた黒髪が美女とも見紛う端麗な容姿を際立たせていた。

男は殺気を込めた鋭い目付きでキリコ達を睨んでいる。


 「遅いぞ茨木」

 「申し訳ありません、御館様」


少女の叱責に謝罪しながらも、その視線はキリコ達を捉えて離さない。


 (まったく……次から次に)


ショットガンを乱入者ーー茨木に向けながら、心の中でぼやいているとキリコの耳に小さなノイズ音が走った。


 『キリコ、キョーヘー、ケーサツに通報入たヨ』


キリコの耳に装着していたイヤホンから待機していた仲間からの通信が届いた。この場合は一分以内に退却、所定の合流地点へ向かう手筈になっている。


 「ざっけんじゃねぇぞ」


当然、恭兵にも先程の通信が届いていたはずだが、苛立ちを見せる彼は茨木に向かって一歩踏み出していた。


 「恭兵、潮時だよ」


フラストレーションが相当溜まっていたのか、彼はキリコの制止を聞き入れない。


 「うっ……せぇぇぇーーーッ!!」


瞬間、足元のタイルを爆発したように跳ね上げて恭兵が超人的なスピードで茨木に迫る。

茨木の側頭部に渾身の一撃。常人なら頭蓋と頸椎を破壊する程の威力を持つ恭兵の拳だが、茨木は人間ではなかった。


 「貴様、かすかに獣の臭いがするな……犬?いや狼か」

 「黙りやがれッ!」


こめかみに血を滲ませただけで大したダメージを受けず、自分の素性に触れようとする茨木に恭兵の苛立ちは最高潮に達していた。


続く。


レスをくれた方、読んでくれている方々有り難うございます。


 キリコは頭の中で状況を整理した。

恭兵は退くつもりはないらしい。完全に頭に血が上っているようだ。確かに月が満ちた夜は人狼の血を引く(四分の一だが)彼の能力を最大限に引き出すだろう……しかし、それは吸血鬼も同様だ。それも貴族種とくれば尚更だろう。

しかも得体の知れない大男まで現れた。コイツも人間じゃない。

装備が十分ではない。不利だ。

そしてなにより、あと数分で警官が此処にやって来る。故意ではないにしろ一般人の少年を撃ってしまった。銃刀法とか色々面倒くさい事になる。

 (……仕方無いか)

キリコは心の中で諦めた様に呟くとホルスターに収めたUSPに手を伸ばした。


 茨木は恭兵の怒りに任せた攻撃をことごとく防ぎ、かわしていく。


 「それなりに力を持っているようだが冷静さを欠いては無意味だな」


激しい格闘中にも関わらず、段々と単調になっていく攻撃を注意する余裕さえ見せる茨木に対して、恭兵は息が上がり始めている自分にすら苛立ちを感じていた。


 「……っせいッ!」


恭兵は苛立ちと焦りを吹っ切るように茨木の左膝を狙った回し蹴りを喰らわすが、まるで地に根を張り巡らした大樹の如くびくともしない。

上背はあるが自分よりも細身の茨木が倒れない事に恭兵は動揺していた。

人外の魔物を見た目で判断してはいけない。子供や老人の姿をしていても野牛並みの剛力や体力を持っていたり、首を跳ねても生きている等、人間の常識では計り知れない事が起きる。


茨木は恭兵の焦燥感を見てとった。


 「もしかして人間以外と戦った事が無いのか?」


図星だった。恭兵はキリコ達と行動を共にしてから一年も経っていない。妖物との戦闘は今回が初陣でそれまでは基礎トレーニングや射撃訓練(あまり上達しなかったが)ばかりしていた。


 「黙れッ!!」


自分の未熟さを否定するかの如く咆哮し 、力を振り絞った恭兵の左拳を右腕で防いだ茨木は、その予想外の速さと重さに顔をしかめた。

だがそれも一瞬の事。茨木がそのまま反撃の体勢に移ろうとした次の瞬間ーー。

銃声が響いた。


 後ろを振り返るとキリコが四五口径を構えていた。

恭兵は自分の右肩に鋭い傷みと熱い血が溢れ出すのを感じた。


 「キリコ……てめぇ……ッ!!」

 「聞き分けのない子は嫌いだよ」


冷徹な態度で返すキリコへ更に言葉を投げ掛けようとする恭兵の首に茨木の腕が絡み付いた。


 「があッ!?」


茨木の腕は万力の様に恭兵の首をじわじわと締め付けていくーー。


 「我が主に手を掛けた報いだ。往生しろ」

 「止めろ、茨木」


少女は恭兵の首をへし折ろうとする茨木を制止した。


 「……」


不服ながらも主の言葉を聞き入れた茨木は締め付ける力を調整して器用に絞め落とし、力の抜けた恭兵の身体をキリコの方へ投げ飛ばした。


キリコは恭兵の首筋に手を当て生きている事を確認した後、梱包用の拘束バンドを取り出した。


 「ありがとよ、正直殺されるものだと思っていた」


恭兵の両手を後ろ手に縛り、同様に両足も縛りながらキリコは少女に礼を言った。


 「……この地から去れ」

 「そいつは無理だね。あんたに会っちまったんだ」


少女の勧告を受け入れず、意識を失ったままの恭兵を左肩に担いでキリコは少女に問いかけた。

 
「あたしゃキリコって呼ばれている。コイツは恭兵……あんたの名は?」

 「……マリアヴェル」


返答を聞いたキリコは少女ーーマリアヴェルに向けて空いた右手の中指を上に突き立てた。


 「マリアヴェルね……次に会った時には只じゃ置かなぇからな。覚えてろよ」


三下丸出しの台詞を吐いた後、キリコはショットガンを拾い恭兵と共に茂みの向こうへ消えていった。


 「無粋で無礼な上に下品な奴」


キリコ達が去っていった茂みの方を眺めながらマリアヴェルは小さく呟いた。


続く。

戦闘描写は難しいですね。


 「御館様、帯と履き物を…」

 「手早く頼む」


茨木はマリアヴェルが置き去りにした浴衣の帯を取り出すと、彼女は両腕を水平に広げた。

手慣れた様子で浴衣を着付け直す茨木を尻目に、マリアヴェルは死に瀕している凉一を見ていた。今も彼から流れ続けている血液はちょっとした水溜まりを造り始めていた。

程なくして帯を着け終えたマリアヴェルだったが、穴だらけで鮮血の染み塗れの浴衣に真っさらな黄赤色の帯というなんともちぐはぐな格好になってしまった。しかし彼女は自分の観てくれなど大して気にしない風に茨木が用意した黒塗りの桐下駄を履く。


 「あの少年は?」

 「私を庇って鉛玉を浴びた」


茨木の問いを簡素な返答をしたマリアヴェルは血の気の引いた凉一の顔を見つめる。奇跡的に頭部に被弾は診られない、即死は免れたが反ってそれが彼を苦しませる結果を導いていた。


 「馬鹿な奴だ……あれくらいで私が死ぬわけないのに」


身を呈してまで自分を庇った凉一の有り様に、マリアヴェルは嘲笑とも取れる薄い笑みを浮かべた。しかしーー。


 (ど、どうしよう……やっぱりあの時の小僧だ)


実はマリアヴェルの心の内では激しい動揺の嵐が巻き起こっていた。


自分の忠臣でもある茨木の手前冷酷な盟主を演じているが、もしも自分一人でこの状況に置かれていたら涙を溜めて狼狽(うろた)えていたことだろう。


 「御館様、警察がやって来ます。もう、そろそろ……」


これ以上この場に留まっているわけにはいかない状況ーーしかしマリアヴェルは動けないでいた。

そして彼女の思考は七年前の記憶をたどるーー。


ーーー

 日暮れ近くまで降っていた雨は止み、望月が闇夜を晴らしていた。辺りは冷たい空気と雨上がり独特の匂いに包まれている。

標鳥山【しるべとりやま】の頂上付近にある崖から生えるようにせりだした、地元住民が【天狗岩】と呼ぶ場の先端にマリアヴェルは腰掛けていた。

その身を包むレースのネグリジェが緩やかな風にそよぐ。


 (む、少し薄着すぎたか?)


寝室からそのまま飛び出して来た彼女は靴すら履いていない……寒気を感じるのは当たり前の事だ。しかしそんな寒さをも忘れさせる美しい満月に少女は魅了されていた。

虫達のささやかな合唱をBGMに月光浴を興じるマリアヴェルは、その耳に異音が混じっている事に気付いた。


 (足音か?獣ではないな、こんな時間に登山とは……歩幅が小さい、女?いや、子供……か?)


初めは自分を迎えに来た茨木かとも思ったがそうではないらしい。足音が近づいてくる細い登山道に顔を向けたら、黄色の雨合羽を着た男の子が汗だくになりながら登って来るのが見えた。


雨合羽を着たままという事は雨が降っていた頃から山に入っていたのだろうか?十くらいの少年一人で雨でぬかるんだ暗い斜面を登るなんてただ事ではない。

何が少年をそうまでさせるのか?マリアヴェルは彼の動向に興味を抱いた。

少年は被っていた雨合羽のフードを外すとそこで初めて先客の存在に気付いたのか、ぽかんとした様子でマリアヴェルを見つめていた。


 「あ、こ、こんにちは!」

 「『こんばんは』だろ」


マリアヴェルと目が合って気が動転したのか少年は挨拶を間違えた。指摘され慌てて『こんばんは』と挨拶をしながらお辞儀をした後、再びじいっとマリアヴェルを見ていた。



 「なんだ?」

 「あの……その……」


少年が何かゴニョゴニョと口ごもる様に業を煮やしたマリアヴェルは『はっきり言え』と促そうとしたが彼は意を決したかのように口を開いた。


 「お姉ちゃんはお姫さまですか?」


少年のおかしな質問にマリアヴェルは真意を図りかねる。

確かに彼女の見た目は日本人であろう少年からは外国のお姫様に見えるかもしれない。


 「じいちゃんが標鳥山には鬼姫さまが住んでるって……」

 「ああ……そういう話か」


マリアヴェルは合点がいった。住んでいるわけではないがこの山にはよく訪れて十数年に一、二回人間と遭遇する事がある。

地元住民の間で【標鳥山の鬼姫】の噂がまことしやかに語られているのだろう。


えらい中途半端だけど続く。



 (鬼姫か……噂の域でも狩人を呼び込む事態になりかねないな)


人間から生き血を戴かなくなって何十年経っただろうか?近年は輸血パックで血液を摂取しているマリアヴェルは、特に人間に害を加えているわけではない。

懸賞金目当てのハンターに狙われる事はないだろうが、問題は人外の者を狩る事を己の義務だと勘違いしている輩だ。

彼等は人外と見たら、悪党でも善玉でも人間と共存していようが関係無く狩りまくる。

その上、異常に執念深い。

【標鳥山の鬼姫】が、どの程度の噂か知らないが、その手のハンターの耳に入れば必ずやって来るだろう。


 (名残惜しいがこの山には近づかない方が良いようだな)


こうしてまたひとつ彼女のお気に入りの場所が減ってゆくのだ。


マリアヴェルが思考の海から帰って来ると、心配そうな表情の少年がいた。

少年は物思いに耽っているマリアヴェルの様子を伺っていたらしい。


 「なんだ小僧、まだいたのか?頂上はもう少し先だぞ」


少年の噂話のお陰で当の少年への興味を失ったマリアヴェルは追い払わんばかりに少年に登山の続きを促したが、


 「ううん、頂上にはいかないよ」


と、少年は首を横に振る。


 「もしかして、私に会いに来たのか?」


ちょっと期待してマリアヴェルは少年に聞くが、少年は再び首を横に振った。


 「じゃあ、どこに行くつもりだったんだ?」


ちょっぴり……ほんのちょぴりだけ残念な気分になったマリアヴェルだったが、再び少年への興味がむくむくと沸き上がってきた。少年は彼女のいる岩場を指差しながら答えた。


 「てんぐいわ」



天狗岩が少年の目的地だったらしい。マリアヴェルには少年が何をしにここへやって来たのか解らなかった。


 「何故、ここに……おい!危ないぞ!」

 「平気だよ。だってお姫さまも入っているもん」


少年の真意を聞こうとした矢先、彼は侵入を防止するために張ってある簡素なロープを潜って天狗岩の先端にいるマリアヴェルの方に近づいてきた。

大人が五人程乗っても崩れる事はないだろうが、その名の通り天狗の鼻を想わせる丸みを帯びた岩場には転落防止の柵は設置していない。足を滑らせれば只では済まないだろう。


 「まんげつの夜にね、ここで会いたい人の名前をよぶとね……」


軽快な足どりで近付く少年をマリアヴェルはハラハラしながら見守った。


 「へんじが聞こえるんだって」

 「そんな訳……」


遂に少年はマリアヴェルのいる先端部にたどり着いた。

誰に聞いたのかは知れないが少年はそんな噂を信じていて、その表情からは信念の様なものすらマリアヴェルは感じた。


続く。

レスをくれた方、読んでくれている方々有り難うございます。
不定期更新で遅筆ですが、目についた時にでも読んでやってください。


月とマリアヴェルが見守る中、少年は大きく息を吸い込んで叫ぶーー。


 「おかあさーーん!!」


ーー母を。


 「おとうさーーん!!」


ーー父を。

少年が逢いたかったのは両親だったのか。少年の両親は彼には届かないくらい遠い場所に行ってしまったのだろうか?マリアヴェルには知る由もない。

そして、少年の願いを込めた叫びに返事が返って来る。

辺りの山々に反射してきた少年自身の声ーー山彦が。


 「…………」


少年が必至に耳をすましても、返ってくるのは複雑な反射を繰り返して小さくなっていく自身の声達。

それは音の反射。当然の現象だった。


 「…………グスッ……うう……うあぁぁ」


始めは堪えていた嗚咽(おえつ)も溢れる涙が少年の感情を押し留める事は出来ないのだろう……少年は感情の赴くままに泣き叫ぶ。

マリアヴェルには少年に掛ける言葉が見つからなかった。只々、咽び泣く少年を見守る事しか出来ないでいた。


 十分程経った。悲しみの吐露が治まりつつある少年は目尻に溜まった涙を手で拭いながら不服そうに呟いた。


 「……聞こえなかった」

 「まあ、そうだろうな」

 「グスッ……ヒグッ」


にべもなく返すマリアヴェルの言葉に少年は再びしゃくり上げ始めた。


 「おい、泣くな!……悪かった。私が悪かったから!泣くなよ!」


これ以上泣かれては堪らない……マリアヴェルは必至に少年をなだめながらも『思い遣りが欠けていたかもしれない』と反省していた。


 「すっきりした」

 「……そうか、それは良かったな」


なんとか泣き止んだ少年は鼻を啜りながら呟いた。悲しみの感情を吐き出して冷静になったのだろう。兎に角、泣かないのなら何でも良い……マリアヴェルは安堵した。


 「お姫さまは……」


少し気まずい沈黙が流れた後、少年おもむろに切り出す。


 「お姫さまは、会いたい人はいないの?」

 「…………」


マリアヴェルは答えない。


マリアヴェルに逢いたい人がいない訳ではない。

例えば、今はもう亡き母。彼女はマリアヴェルに深い愛情を注ぎ、沢山の大切な教えを残してくれた。

例えば、顔も名も知らぬ父。母はあまり父の事を語らなかった。声だけでも聴けるものなら聴いてみたい。

例えばーー。

マリアヴェルは考えるのを止めた。意味の無い事だ。もう【彼女】に逢う事は出来ない。


 「お姫さまも呼んでみたら?」


そんなマリアヴェルの気も知らず少年は奨めてきた。


 「私は……いい」

 「……すっきりするよ?」


断りを入れるマリアヴェルに少年は食い下がる。


 「くどいぞ。返ってきたのは山彦だけだったろ!」


マリアヴェルは頑なだった。


 「…………グスッ」

 「おい!泣くな!泣くのはズルいぞ!」


またもや泣き出した少年にマリアヴェルは慌てた。そして、


 「……解った。私もやるから泣くなよ」


遂に折れた。マリアヴェルは『泣く子と地頭には勝てない』という人間の格言がある事を思い出した。


今度は少年が見守る側になった。彼は岩場に腰掛けてマリアヴェルに好奇の視線を投げ掛ける。


 (くっ……どうしてこんな事に!?)


少年に興味を抱いた事にちょっと後悔しながらマリアヴェルは月に吠えた。


 「かやーーーッ!!」


ーー茅。【彼女】の名を口に出したのはいつ以来だろう。マリアヴェルは、もう逢えない筈の者の名を呼んでいた。

そして、反射してきた自分の声を聴いたマリアヴェルの瞳から一筋の涙が零れる。

静寂が辺りを支配していた。

 
 「その……ごめんね」

 「……すっきりした。キミが言った通りだな」


解りきっていた結果。それでも【彼女】の声が聴けるかもしれないと期待してしまった自分が可笑しかった。涙を見てばつの悪そうな顔をしながら謝る少年にマリアヴェルは微笑んだ。



 「さて、もうそろそろ帰らなくてはな」


マリアヴェルが突然切り出した。


 「えっ!?……うん」


少年は驚いた後、渋々頷く。自分の事を心配しているであろう家族の顔を想像したのかもしれない。


 「ほら、戻るぞ」

 「まってよ!」


先にロープを飛び越えて待つマリアヴェルを少年は追いかける。

この時、マリアヴェルは失念していた。

雨上がりで岩の表面が滑りやすい事をーー。長時間、悪条件の山道を登っていた少年の疲労をーー。


 「!?」


マリアヴェルの元に辿り着く寸前、少年は足を滑らせた。

少年は五メートル程の斜面を転げ落ち、次の瞬間ーー。

先にある崖からその身を宙に晒していた。


続く。

乙ーーーー!



 「小僧!!」


マリアヴェルは反射的に斜面を駆け降りた。

このまま地面に叩きつけんとする引力に捕らわれた少年は、瞬く間に小さくなっていく。


 (チカラを最大限に引き出せッ!)


マリアヴェルは崖縁を強く蹴り、少年に向かって跳んだ。

ヴァンパイアの筋力から繰り出す蹴り足の反発力と推進力は、落下中の少年を上回るスピードで迫る。狙いを定めた獲物を一直線に襲いかかる猛禽類の如く――。

マリアヴェルの左手が、はためく雨合羽の裾を掴んだ。

その手で少年の身体を引き寄せ、彼女は必至に考える。


 (このまま地面に激突すれば、私は兎も角……!)


――少年は助からない。なおも落下中の二人は背の高い森林地帯に突っ込む。

マリアヴェルはその動体視力と瞬発力駆使し、太い木の枝を掴んだ。

強すぎる握力で握り潰され、ささくれ立った枝が右手にくい込み、突き刺さる。

落下運動からの急制動の衝撃で右肩を外し、腱や筋肉、血管が千切れる様な音が体内を駆け巡る――。


 「ぁあぐッ!!」


マリアヴェルは声にならない悲鳴をあげた。

握力を失った右手は枝から離れて再び落下が始まる。

マリアヴェルは少年の頭を庇う様に抱き締めて墜ちていった。


続く。今回はこれだけ。

>>57
いつも有り難う。

『ーー』使いすぎかも。>>58から『ー』(全角)から『―』(半角)にしてみました。

>>59
べ…別に、ただ乙って叫びたくなっただけなんだから


>>60
申し訳ない。>>59の最後の一行はこのSSの自己評価です。
何はともあれ毎度有り難う。


――――


 雑草が頬をくすぐる感覚にマリアヴェルは目を開くと、眼前に泣きじゃくりながら『ごめんなさい、ごめんなさい』と謝る少年の姿があった。

少年を庇いながら地面に墜落した後の記憶が無い。ほんの数秒か気を失っていたようだ。


 「……泣くな」

 「!?……お姫さま?うわぁぁん!!」

 「ああ、もう!泣くなと言っているだろうに!」


泣きすがる少年を押し退けマリアヴェルは立ち上がる。身体中のあちこちが痛むが、傷は再生し始めている感覚があった。


 「痛くない?」

 「大丈夫だ。もう『治る』」


外れた右肩が元の位置へ強引に戻り、内出血で出来た右腕のどす黒い痣が少しずつ小さくなっていく。いつまで経っても慣れない感覚にマリアヴェルは顔をしかめた。

ヴァンパイアの彼女は、ずば抜けた肉体の治癒、再生スピードを誇るが痛覚が無い訳ではない。脛をぶつければ痛いし、刃物で刺せば血も出る。


 「そう言うキミは痛い所は無いのか?」


マリアヴェルは極めて平静を努めて尋ねる。『平気だよ』と答える少年が、自分の左腕を隠すように庇っているのをマリアヴェルは見逃さなかった。


 「見せてみろ」


マリアヴェルは少年の雨合羽を強引に脱がせると、肘のあたりの大きな裂傷から血が滴っていた。岩肌の斜面を転げ落ちた時に負ったのだろう。



 「……出血のわりには大した怪我ではないな……少々傷痕が残るかもしれないが」

 「……ッ!」


少年の腕を弄くりまわして骨や筋、神経に異常がない事を確認したマリアヴェルは、彼が唇を噛んで痛みを堪えているのが気になった。


 「先刻までわんわん泣いていたくせに……痛いなら痛いと言え。私には判らんぞ」

 「……グスッ、めーわくかけれないから……」


マリアヴェルは『何を今更』と少年の肘に口を付け流れる血を舌で舐め取ると、少年は顔を赤くして慌てた。


 (これくらいは役得だろう)


砂利混じりだが久し振りに口に含んだ新鮮な血の味は、マリアヴェルを酩酊した様な感覚に陥らせる。


 「お姫さま、助けてくれてありがとう」


手当てを受けてお辞儀をしながら礼を言う少年に、マリアヴェルは小さな悪戯心が芽生え始めていた。

色々とひどい目に遭ったんだ。ちょっとくらいの仕返しは良いだろう――と。



 「小僧……お前は鬼姫の私に命を救われたのだ。この借りは大きいぞ」

 「えっ!?……う、うん」

 「本当に解っているのか?私に借りをつくるという意味が」


不敵な笑みで執拗に怖がらせようとするマリアヴェルに、気圧されながらも少年は答える。


 「じいちゃんが……こまった時にたすけてもらった『恩』をわすれるな。かえせる時になったら『恩返し』しなさいって……」

 「ほう、恩返しか……小僧、私の眼を視ろ」

 「?」


マリアヴェルは雪灰色の瞳に紅い光を灯して少年に暗示をかける。


 「『お前の前で私が危機に陥った時、命を懸けて私を守れ』」

 「……はい」


魔女に魅入られた少年は、魂の抜けたような表情で誓い、気を失う。

――どうせ二度と会う事はない。マリアヴェルはそう高を括って命じたその言葉は、少年の心の奥深くに刻み込まれた【呪い】となった。


――――


 「……私のせいだ」


月が隠れて夜の闇に覆われた公園。

死が迫りつつある少年と吸血鬼の少女。まるでスポットライトの様な街灯が二人を照らしていた。


続く。

やっと回想シーン終わった……


――――


 息をしようにも噎せて上手くいかない。全身が怠く、どうしようもなく寒い。

凉一は薄れ行く意識の中、彼女の事を考えていた。


 (あの子は……お姫さまはどうなったんだろう……)


七年前のあの晩、麓のバス停で眠る凉一は捜索に参加していた大人に保護された。後日、何度も標鳥山で彼女を捜しても遂に逢う事は叶わなず、あの出逢いは夢の中の出来事じゃないか思うようになっていた。

今となっては、たまに肘の傷痕が目に入った時、ふと思い出す程度だった。

それなのに彼女の姿を見た瞬間、凉一の身体は『助けなくては』という一心で銃口に身を晒した。身体が勝手に動いていたのだ。

 仰向けの凉一に人影が差した。

照明を遮るように、何とも言えない様な面持ちの少女が凉一を見下ろしていた。


 (綺麗だな……あの頃のままだ)


七年前に出会った時とまるで変わらない容姿……段々、夢か現か曖昧になっている凉一に少女は語りかける。


 「私の名はマリアヴェル……名も知らぬ少年よ、キミのお陰で助かった……ありがとう」


初めて彼女の名を聞いた凉一は、お互いに自己紹介をしていなかった事に気付いた。


 (マリア……ベル)


凉一は自分も名乗ろうとしたが、口からは血の泡(あぶく)を伴った咳しか出てこない。それを制してマリアヴェルは続ける。

――それは、非情な宣告だった。



 「キミはもうすぐ死ぬ。遺言は……無理だろうから、せめて私がキミを看取ろう」


薄々感付いていたマリアヴェルの言葉に、凉一は然して衝撃を受けなかった。


 (やっぱり僕は死ぬのか……じいちゃん……ばあちゃん、悲しむかな?)


凉一が思い浮かべたのは、家で自分の帰りを待つ祖父母の事だった。

凉一が両親を交通事故で亡くしたのは彼が九歳の時。まだ幼い凉一は『死ぬ』という意味を正しく理解出来ないながらも、両親が突然居なくなった事に深く悲しんだ。

思えば祖父母の悲しみの方がより深いものだったのかもしれない。凉一よりも長い時間を過ごした息子と、息子が愛した人を一度に失ったのだから。


 (そんな思いをまた二人に味会わせるのか……)


凉一は咳き込みながらもマリアヴェルに答える。


 「ゴホッ……いや……だ」


――せめて、二人に今までの感謝とお別れの言葉を言いたい。


 「なんだと?」


マリアヴェルは凉一の言葉を聞き間違えかと思ったように、もう一度彼に聞き直した。


 「死にた……く……ない」

 「無理だ。キミはもう助からない……血が流れすぎている」


マリアヴェルは冷徹に言い放つが、血返吐を吐きながらも凉一は死にたくないと訴え続ける。



 「死にたくはないのか?」

 「しに……たゴホッ……くない」


マリアヴェルの問いに凉一は答える。


 「生きていたいのか?」

 「……に……たくな……い」


必死の……正しく必死の願いにマリアヴェルは目を閉じて思案する――。


 『命を弄(もてあそ)んではいけない』


マリアヴェルは母にそう教わった。

悪戯に他者の命を弄ぶ様な真似をすれば、いつかその報いを受ける――と。

マリアヴェルはその教えを破ってしまった。軽い気持ちで幼い頃の凉一に暗示をかけたせいで今、彼は死にかけている。

自分が受ける『報い』とは胸の内をチクチクと刺す針の様な罪悪感なのか……それとも、もっと恐ろしいものなのか?

マリアヴェルは意を決したように口を開いた。


 「死なずにすむ可能性がある」


 死なずにすむ可能性がある――。そのマリアヴェルの言葉に今まで静観していた茨木が口を開いた。


 「御屋形様……まさか?」

 「だが、生きながらえる代わりに失うものがある」


マリアヴェルは何か言おうとしている茨木を無視して凉一に語りかける。


 「し……にたく…………い」


最早、凉一にはマリアヴェルの言葉は耳に入っていない。彼の言葉は混濁した意識が紡ぐうわ言にすぎなかった。


 「無理です……今の彼に【血の洗礼】は耐えられない」


茨木は己れの主人を静かに諭そうとした。

ヴァンパイアによる吸血行為【血の洗礼】は人間を吸血鬼へと変化させる特性がある。だが、それは洗礼を受けた人間が生きていた場合に限る。

洗礼を受けて死んだ場合――。


 「お止めください……血を失いすぎている。この少年は屍喰鬼【グール】になる」

 「黙れ……邪魔をするな」

茨木の言いたい事はマリアヴェルも承知していた。それでも、わずかな可能性が残されているのならば――。

母の教えを再び破っても、人間を辞めさせる事になっても、罪滅ぼしをしたつもりになった自己満足だと云われても、マリアヴェルは凉一を死なせたくはなかった。


続く。

表現や心理描写が下手すぎてわけわからん事に……



 「キミは人間ではなくなる……それでも死にたくはないのか?」

 「しに……ゲホッ、たく……ない」


マリアヴェルは凉一のうわ言を了承の意として受け取る。


 (死に際に追い込んで取引を持ちかける……まさに悪魔の所業だな)


自嘲しながらもマリアヴェルは凉一の前で膝を落としその頬を撫でた。


 「死なないでくれ……」


マリアヴェルは切に願い、凉一の首筋にその牙を突き立てた――。


――――


 恭兵は路地裏のアスファルトを眺めていた。腹への圧迫感から、うすぼんやりとした意識ながら自分がキリコに担がれながら移動している事に気付いた。

視線を横に向けると恭兵を担いでいるためタンクトップの隙間から、キリコの豊満な胸の一部がチラチラと見え隠れしている。


 (横ちち……)


恭兵がそんな事を考えていると、次第に痛みだしてきた自分の右肩と共に先程の公園での記憶が蘇ってきた。


 「キィリィコォ……てめえ! 俺を撃ちやがったな!?」

 「げっ、起きた!?」


地獄の底から響く様な恭兵の怨唆を聞いたキリコは冷や汗を垂らした。

意識が覚醒した恭兵は『ほどけ』『下ろせ』と縛られたままの手足をバタつかせて暴れだす。


 「落ち着けよ、恭兵……痛っぅ!? 女の顔を蹴るんじゃないよ……」


キリコは蹴られた顎を撫でながら恭兵をなだめる。


 「うるせえ! このブスッ! ブースッ!!」

 「ったく……ガキかよ。おーいて……」


恭兵の悪態を聞き流しながらキリコは忠告する。


 「その芋虫みたいな情けない格好を誰かに見られたくなかったら静かにしてな」


見ようによっては『手足を縛った青年を拐かす怪しい女』の図ではあるが、女に良いようにされる大男というのは確かに情けない。恭兵は辛酸を舐める思いで口を閉じた。



 「よーし、到着」


恭兵を担いでキリコがやって来たのは郊外のパチンコ店。その駐車場の片隅にあるRVが彼女達の移動手段だった。

ドアを開け恭兵を後部座席に放り込みキリコが続いてRVに乗り込んだ。


 「おー?」


運転席から覗きこみながら東南アジア系の少女、アムリタが帰ってきた二人を出迎えた。褐色の肌と後ろ髪で結ったシニヨンが印象的な彼女は、恭兵の姿を見てその大きな目を丸くした。


 「キャハハハ! なにそれー! なに? ドーシタ?」

 「うるせえッ! 黙れ糞餓鬼!!」


手足を縛られているため、妙ちくりんな格好で後部座席に収まる恭兵を見て大爆笑するアムリタに、恭兵は顔を真っ赤にして怒鳴る。


 「恭兵はヘマこいたからお仕置き中。アムリタ、いいから車出して」

 「アイアイ・マム! ……ククク……」


キリコの説明に笑いを噛み殺しながらアクセルを踏み込む。恭兵の罵声と共にRVは発進した。


続く。

訂正
キリコの説明に笑いを噛み殺しながら→アムリタはキリコの説明に笑いを噛み殺しながら

こういうミスが多い……


横ちちより下ちちが好き


>>78
下ちちか……一理ある!


 結束バンドから解放された恭兵は不貞腐れたように車外の流れていく景色を眺めていた。


 「恭兵、肩見せてみ……革ジャン脱げよ」

 「いい……大した事ねえよ」


キリコは(キリコが撃った)傷口を診るため、上着を脱がせようとしたが恭兵は拒否する。


 「右腕上がんねえだろ? 弾丸(たま)残ってんだから」


キリコが使用した弾丸はホローポイント弾。命中したら貫通せず、対象の体内で弾頭が潰れて効果的にダメージを与える。

痩せ我慢をしているが恭兵は想像を絶する痛みにさいなまれているだろう。キリコは強引に恭兵の上着を剥ぎ取って背中を向けさせた。


 「ん……まあ、とりあえずは応急処置でいいか。戻ったら弾丸抜くよ」


恭兵に流れる人狼の血のお蔭なのか出血はそれほど酷くはない。応急処置を始めるキリコに背中を向けたまま恭兵は聞いた。


 「あの時、俺を見棄てたんじゃなかったのかよ?」


公園で命令を無視してキリコに背後から射たれた時、無防備になった恭兵は敵である茨木に殺されてもおかしくはない状況だった。


 「ああ、見棄てたよ」


事も無げにキリコは答えた。キリコに背を向けた状態で治療を受ける恭兵には、彼女の表情を確認する事は出来ないが想像は出来た。

キリコはとてつもなく冷酷な笑みを浮かべているに違いない――。



 「でもまあ……」


何か思う事があるようにキリコは続ける。


 「あの状況で死ななかったのは、あんたに運があったという事さ」

 「……運……だと?」


確かに恭兵は幸運に恵まれていた。もしマリアヴェルが茨木を止めなかったら、恭兵は頸をへし折られ絶命していただろう。

キリコが何を考えているのかは理解出来ないが、恭兵は運などという曖昧なものに自分の命を預けるつもりなどなかった。


 「運はだいじヨ。どんなに死にたくないて神さまに祈ても運がわるいと簡単にしぬ。運がいいとしぬほど大ケガしてもしなないネ」


運転中のアムリタが会話に割って入ってきた。恭兵はこの少女の首から肩にかけて大きな傷痕があるのを思い出した。もしかしたらアムリタは自分の経験から話しているのかもしれない。


 「そうそう『運良く』『生き残った』ってのが大事なんだよ。生きてりゃ何度でもやり直せるからね……その幸運も買っているんだ、これからも期待しているよ山上恭兵くん」

 「……ちッ」


キリコとアムリタの励ましともフォローとも取れる言葉に恭兵は小さく舌打ちした。



 「で? これからはどうするんだよ?」


恭兵は気を取り直してこれからの方針をキリコに尋ねた。


 「んー? そうさねえ……」


恭兵の応急処置を終えたキリコは顎に手を添えて考えている仕草をしている。

その様子をルームミラーで見ていたアムリタにはキリコが何を悩んでいるのか解らない。いつも通りに吸血鬼の寝ぐら捜しを始めるものだとばかり思っていたのだが、


 「関係ねえガキ撃っちまったしなあ……」


マリアヴェルという吸血鬼を庇って散弾を受けた……おそらくは助からなかったであろう少年の姿をキリコは思い出していた。


 「人を射たのか!?」


キリコの告白に、運転中のアムリタは思わず後部座席を振り返った。


 「おい! 前見ろ! 前!!」

 「おとと……!」


恭兵にわき見運転を注意されアムリタは慌ててハンドルを切った。ぶつかる寸前にガードレールをかわした車は大きく蛇行した。


 「その前にあたしら見られたしなぁ……あの二人組、始末しとくんだったわ」

 「おい!?」


『あの二人組』とは、愚かにも吸血鬼にちょっかいを出してキリコに追い払われたチンピラ達だ。見逃してやった時、キリコが自分に言った事と正反対の発言に恭兵はツッコミを入れた。



 「恭兵の怪我もあるし、様子見も兼ねて暫くは大人しくしているか」


キリコの方針に恭兵は不服そうだ。アムリタは代案を提案する事にした。


 「ワタシが吸血鬼の寝ぐらさがすか?」


顔の割れていないアムリタが街中を捜索するのは比較的まともな案ではあるが、それでも問題点がある。


 「うーん……こういう地方都市だとアムリタは目立つしねぇ」


国際化が進むこの国でも大都会ならいざ知らず、地方都市ではアムリタのような東南アジア系の少女(十四歳)が一人でうろつくのは人の目を引くかもしれない。


 「こいつに運転させている時点でどうかと思うがな」


恭兵の皮肉に『なにおう』とアムリタが頬を膨らませる。

実はこの三人の中に正式な運転免許を所持している者はいない。運転技術の一番高いアムリタが運転を担当していて、申し訳程度の偽造免許を持っているが調べれば一発でばれるだろう。



 「まあ、いずれ奴等とは決着を着けてやるさ。『灰は灰に、塵は……』」

 『こちら仲町○六のイガワ。みどり町森林公園での発砲事件について……』


キリコの話を遮るようにスピーカーから盗聴していた警察無線が入った。


 『現場には多数の散弾銃と思われる空実包と多量の血痕を発見。付近に負傷者、不審者は見当たりません。本部に応援を……』


無線を聞いたキリコが押し黙る。そんなキリコの様子を見た恭兵が当然の疑問を口にした。


 「なんであのガキが見つからないんだ?」

 「……生きてたちがうか?」


事情をよく知らないアムリタは、射たれた少年は軽症で生きていると思ったようだ。


 「それか、死んだけど歩き出して現場を去ったか……」


キリコの言葉に恭兵とアムリタは息を飲んだ。


続く。


――――


 頬を誰かに触れられている――。

決して不快ではないその感触に身を委ねていたい気持ちを抑えて、凉一は目を開いた。

頬を撫でていた人物はびっくりしたように目を見開き慌てて凉一の頬から手を引っ込めた。


 「フン、目が覚めたようだな。随分と眠りこけていたのでほんの少し心配したぞ」


まるで『さっきのは無し』と言わんばかりに、マリアヴェルは布団に横たわっている凉一を尊大な態度で見下ろしている。


 「……え? あれ? なんで!?」


次第に記憶がハッキリしてきた凉一は目の前にいるマリアヴェルよりも、気を失うまで感じていた激痛が消えた事が不思議になり、銃で射たれたはずである自分の身体をまさぐった。

特に違和感が無い。痛みも感じない――。

凉一は上半身を起こしてTシャツを捲り上げ、自分の身体が傷ひとつ無い事をその目で確認した。

よく考えてみたら先刻まで着ていた学校指定のYシャツではなく、自分の物ではない無地の白いTシャツに着替えている。

――まさか、自分が眠っている間にマリアヴェルが着替えさせたのだろうか? いやいや、そうじゃなくて何で銃で射たれたはずなのに怪我を負っていないんだ? 夢? じゃあなんで彼女がいる?

凉一は混乱していた。



 「『銃で射たれたのに傷がない』……と、思っているな?」


そのよく通る声に凉一は自分の心を読まれたかと錯覚してマリアヴェルに向き直った。


 「気を失なう寸前だったからな……キミは」


マリアヴェルは雪灰色の瞳を伏せた。長いまつ毛が震える――。凉一にも彼女が何か躊躇しているのが感じられた。

少し時間をおいてから瞼をあげたマリアヴェルが口を開いた。


 「キミの名は調べてあるが、キミの口から直接聞きたい……君の名は?」

 「比良坂……凉一」


自分の身体に起きた異常を忘れさせるほどの綺麗な瞳に吸い込まれる凉一の名前。そしてマリアヴェルは彼に伝える――。


 「キミは……凉一は…………吸血鬼【ヴァンパイア】に生まれ変わった」

 「…………え……何を……」


理解を越えた発言。吸血鬼とはフィクションの世界の生き物のはず。凉一は自分の耳を疑わずにはいられなかった。


 「マ、マリア……ベル! ボクは……」


冗談や悪戯にしてもまるで状況を理解できない凉一は、詳しい話をマリアヴェルに求めようとしたが彼女は微笑んで言った。


 「名前……覚えてくれていたんだな」


その直後に『アフ……』と小さなあくびをして扉へ向かう。


 「すまないが眠くてかなわん……詳しい話は茨木に聞いてくれ」

 「え? ちょっと……」


食い下がろうとする凉一を遮るように『最後に』と、マリアヴェルは付け加えて


 「昨日の昼間……キミは何をしていたか覚えているか?」

 「何って……」


普通に学校に行って勉強したり友人達と話したりしただけだ――。マリアヴェルは何が言いたいのか?


 「それがキミの……凉一の陽光の元での最後の思い出になるだろう……大切にしておけ」


その後『ごめん』と、そう言い残してマリアヴェルは部屋から去っていった。凉一は彼女の哀しそうな表情に何も言えなかった。


続く。

暑い。


 マリアヴェルが部屋から去った後、凉一は彼女の言葉を反芻する。


 「陽光の元での……最後の思い出……大切に……」

 「忘れたほうが良い」

 「!?」


口から漏れ出た言葉への予期せぬ返事に凉一はびっくりして辺りを見回すと、部屋の角に異様に長身の男がたたずんでいた。

何時からそこに居たのだろうか? その長髪から覗く切れ長の眼は獲物の動きを伺う猛獣を思わせる――。男は再び口を開いた。


 「御館様……マリアヴェル様はその思い出を大切にしろと云っていたが、それでは日の光に未練が残る」

 「未練を残さないで……忘れろって?」

 「そうだ」


男の忠告はもっともだ、全てが真実ならば……しかし『貴方は吸血鬼になりました』と言われたからといって素直に信じられるものでもない。

例え、負ったはずの傷が塞がっていようともだ。


 「誰だ、あんた!?」

 「ほう、急に威勢が良くなったな」


段々と調子を取り戻してきたとみえる凉一に、男は愉快そうに口の端を吊り上げた。



 「俺はマリアヴェル様の従者だ……俺の事は『茨木(いばらき)』と呼べ」


凉一は彼の挑発的な態度から意地悪な奴かと思って身構えていたが、あっさりと茨木が名乗った事に拍子抜けした。


 「茨木さん、教えて欲しい。マリアヴェルは茨木さんに聞けって言っていた!」

 「マリアヴェル『様』だ、敬意を払えよ小僧!」

 (沸点低!? 怒っているのか、この人は?)


元から怒っているようにも見えた茨木との会話は、どうにも話の距離感が掴みづらい。凉一はなるべく彼を刺激しないよう心がけながら質問してみる事にした。


 「ま、マリアヴェル……様はボクが吸血鬼になったと言っていた」

 「そうだな」

 「どういう意味だ……ですか? もしかして吸血鬼というのは比喩的な?」

 「意味も何も、そのままの意味だ。比喩ではなくお前は吸血鬼になった」


にべもなかった。


 「ふむ……ならば実際にその目で見れば、何故傷が無くなっているのか理解できるだろう」

 
茨木はそう告げると凉一に近付いてきた。眼前に迫る異常な圧力に身動き一つ取れない、その大きな掌に右手首を掴まれた所で凉一は抵抗の声を上げた。

 
 「やめろ、何を……!?」

 
『何をするつもりだ』と抵抗しようとした所で凉一の右手人差し指は折られた。

ーー指を折られた。理解すると同時か早いくらいのタイミングで指に激痛が走り、叫び声を上げようとした凉一の口を茨木の腕が締め付けた。

 
 「んぐぅっ……!?」

 
ヘッドロックの体で凉一の悲鳴を封じた茨木は静かに注意を促した。

 
 「騒ぐな……御館様が御休みになられている」

 
そう言うとまるで小枝を扱うかのように中指までへし折った。

 
 「ーーッ! ぐうっ!!」

 「二本目を折るつもりは無かったが『ついでに』だ……一本より二本の方が見落とす事も無かろう?」

 
再び激痛が走った後から熱を持ち始めた指から茨木の掌が離された。
  


大きく腫れ上がった二本の指は内出血でどす黒く変色していた。熱をもった痛みと理不尽な目に合う屈辱感からか凉一の目尻から涙が溢れてくる。

茨木は腕を緩めて凉一を解放した。

 
 「……痛いか?」

 「当たり前だろ!? ふざけんな!!」

 「騒ぐなと言っているだろうに……」

 
凉一は折られた指を庇いながらありったけの敵意を込めて茨木を批難したが、当の茨木はどこ吹く風のように凉一の罵声を聞き流している。

そんな茨木に蹴りでも入れてやりたい思いの凉一だったが、酷く痛む指達のせいで脂汗を垂らしながら蹲(うずくま)るのがやっとだ。

そんな凉一を見下ろしながら茨木が語りかける。

 
 「別にお前を痛めつけるのが目的ではない……まあ、中指まで折ったのはちょっとした腹いせだがな」

 (こ、この野郎!)

 
声を圧し殺しながら蹲ってどれくらい経ったのだろうか? 実際のところ三、四分ほどの時間が息の詰まるような苦痛のせいで、凉一には十五分、二十分にも感じられた。


 「……そろそろか」

 
そう呟く茨木に凉一は何が『そろそろ』なのか尋ねようとしたところで、自分の折れた指に強い違和感がある事に気付いた。折れた指が異様に熱いーー。

中指の腫れが引きどす黒い痣がみるみるうちに小さくなっていく。人差し指にいたっては既に元通りになっていた。

 
 
 「なんだ……これ?」


 
熱が引いた頃には身体の芯まで響いていた痛みは無くなり、多少突っ張るものの折れたはずの指を滑らかに動かしながら、凉一は信じられない物でも見るように自分の指を眺めて呆然とした。

 
 「人差し指は治っていたのか? やはり貴族の血を賜ったせいか……思ったよりも再生が早いな」

 「なんだ……なにが? 何が起きたんだ……」

 「それが瀕死の重傷から回復した理由だ」

 
巻き戻し再生動画を観ていたような気分だった。まさしく異常な事態に凉一の混乱は深まるばかりだ。

 
 「理由……って、解んないよ! ボクの身体はどうなっているんだ!?」

 「それが『血のチカラ』の一端だよ……凉一」

 
凉一の悲鳴にも似た問いに答えたのは茨木ではなく開いたドアの隙間から顔を覗かせるマリアヴェルだった。


凉一の叫び声はマリアヴェルの睡眠を妨げてしまったらしい。

 
 「御館様、申し訳御座いません……あまりにも理解力がないもので……つい……」

 「『つい』で指を折るな……だが、説明責任を果たさずお前に丸投げしたのは私の落ち度だ」

 
そう言いながらマリアヴェルは部屋に入り凉一に頭を下げた。

 
 「すまない凉一、キミに危害を加えるつもりはないのだ」

 
そんなマリアヴェルの態度に凉一は面食らった。目を覚ました時の高圧的で尊大な彼女の姿は何処にもなく、真摯に自分の過ちを認めて凉一に謝罪している。

 
 「御館様!?」

 「黙れ茨木」

 
己の主人が頭を下げるさまに茨木は慌てて声を荒げようとしたが、ピシャリとマリアヴェルに釘を打たれ渋々口をつぐんだ。


 「あ、いや……そんな、頭を上げてよ。もう治っているしさ」
 

グーパーさせる右手をマリアヴェルに見せながら凉一は慌てた。頭を下げるマリアヴェルの向こうで茨木の冷たい炎の様に恨めしげな視線が自分に突き刺さっている。

 
 (何なんだこの人!?)

 
主従関係というものがいまいち理解しかねる凉一には当然、茨木のマリアヴェルに対する忠臣や崇拝は解らないのだ。

なんとも理不尽な居たたまれなさを感じた凉一は話を戻して自分に何が起きたのかマリアヴェルに尋ねる事にした。

 
 「マリア……べ、ヴェル……その…………」

 
噛んだ。

 
「『ヴェル』と呼んでくれ。私の母もそう呼んでくれた」

 
頭を上げたマリアヴェルは凉一が言いにくそうにしている自分の名を愛称で呼ぶように勧める。

 
 「う、うん……ヴェ……ベル」

 「……発音が少し気になるがまあ、良い」

 
そう言って彼女は微笑んだ。

その後ろにいる茨木からは凉一に穴を開けんばかりの冷たい眼差しがあった。


 「その……吸血鬼って、やっぱり信じられないよ」

 
凉一はどうしても納得出来なかった。そもそも人間が別の生物に変化するなんてあり得るのだろうか?

 
 「現実を直視しろ。折れた指が再生したのをもう忘れたのか?」

 「だから、黙っていろ茨木」

 「はっ」

 
焦れた様子の茨木が口を挟むが、マリアヴェルに制されて素直に従う。「そうだな……」マリアヴェルはどう説明したものかと続けた。
 

 「とりあえず経緯を話そう。昨晩、キミは私を庇って撃たれたのは覚えているか?」

 「うん、一応……無我夢中だったけど」

 
無我夢中だった。七年前に出逢ったそのままの容姿をしたマリアヴェルに銃口が向けられるのを目撃して凉一は思わず飛び出していた。

常識的に考えればあり得ない事。彼女を庇って撃たれたら『他人の空似でした』という事態もあったかもしれない……もしそうなれば凉一は今此処に居なかっただろう。

 
 「酷い怪我だった。特に出血が……数分でも放っておけばキミは……」

 
――絶命していただろう。マリアヴェルは明言しなかったが凉一でも続く言葉は容易に想像できた。


 「私はキミを死なせたくなかった。だから『洗礼』……キミの血を吸って吸血鬼の再生力に懸けたんだ」

 「……なんで?」

 「吸血鬼にしてしまった事については申し訳無く思う」

 
マリアヴェルは目を伏せがちにして謝罪し、その後ろにいる茨木は凉一を射殺さんばかりに睨み付ける。自分の言葉足りない問いが彼女に質問の意が伝わっていない事に気付き、凉一は慌てて質問し直した。
 

 「あ、違う、その……なんでベルはボクを助けてくれたの?」

 「…………」

 
マリアヴェルからすれば凉一は突然飛び出してきて撃たれ勝手に死にかけている人間の筈だろう。ほんの一時の間を置いて彼女は答える。

 
 「……私を庇って死にかけている者を見棄てる様な事は出来ない…………それと……再会したキミに浅からぬ縁を感じたからだ」

 
そうは言ったもののマリアヴェルが凉一を見棄てられなかった理由はそれだけではない。その根底にあるのは幼い凉一に『命を賭してでもマリアヴェルを守れ』と暗示をかけたという罪悪感だった。

 
 「縁、か……」

 
呟く凉一に後ろめたさを感じながらもマリアヴェルは話を続ける――。


 「吸血鬼に血を吸われた人間は誰でも吸血鬼になるものではないのだ」

 「え?」

 
その事実は凉一にとって意外なものだった。映画などフィクションで知る吸血鬼とは違いがあるようだ。

マリアヴェルが言うには血の洗礼(吸血)を受けたものは人外の者へ変化に、ある種の拒絶反応を起こして絶命するらしい。変化を受け入れる事に成功した人間だけが吸血鬼として生まれ変わる――。

 
 「じゃあ、ボクも?」

 「……判らない」

 「判らないって……ボクは死ななかったから吸血鬼になったんじゃ……」

 
『確かにキミは吸血鬼へ変化した』と前置いてマリアヴェルは、意識を失った凉一が知る由の無い昨晩の出来事を語り始めた。


――――

 凉一に血の洗礼を施してから一分ほど経過した。

しかし凉一になんら異変は見てとれない。むしろ血を抜かれた分その顔からはみるみるうちに血の気が失せていく。

 
 「何故だ……何故、妖変しない!?」

 
マリアヴェルは焦りと苛立ちから、下唇を強く噛み締めていた。
凉一は吸血鬼に成りうる器では無いという事なのか――。

 焦り、苛立つ――。数年、いや数十年ぶりにそんな主人の姿を目の当たりにした茨木は少なからず驚きを覚えていた。

ここ数十年、何事にも無関心で在るがままを在るがままとしてきたマリアヴェルが、瀕死の少年に心を砕いてる様にも見える。

マリアヴェルに何か声をかけるべきかと迷っていた茨木は、公園の奥の方に明滅する赤色の光を見た。正確には公園の入り口――駐車場の位置だ。

銃声を聞き付けた近隣住人の通報を受けた警察が到着したようだ。


 「御館様、その小僧はもう駄目です。頭を潰してこの場を去るべきです」

 「…………」

 
茨木の進言はもっともだ。マリアヴェルに吸血された凉一がこのまま絶命すれば屍喰鬼【グール】と成り果てるだろう。

屍喰鬼はさ迷う亡者だ。主の血液を定期的に摂取しなければ身も心も朽ちていくだけの存在――。

朽ちた心は理性を失い血肉を求めて手当たり次第に人を襲う。そんな事態を気にも掛けない貴族(吸血鬼)もいるが、マリアヴェルはそれを良しとしない。そうなる前に頭部を破壊して完全な『死体』にするべきだ。

だが――。

彼はまだ生きている。その生命は風前の灯火かもしれないが凉一はまだ生きているのだ。


マリアヴェルの口の端から一筋の血が流れていた。唇を強く噛みすぎたのか、口内にも鉄錆びのような味の血で溢れていくのを感じる。

マリアヴェルはその血を一気に溜飲しようとしたが、脳裏によぎった突飛もない発想がそれを押し留めた。

吸血鬼にとって血液は『力』だ。心臓の鼓動が血液を循環させる限り極めて高い再生力を発揮する。妖物の力が増す月の満ちた夜にもなれば、破壊された頭部を再生させる事すら可能なほどに。


吸血鬼である自分の血でこの少年(凉一)の吸血衝動を促し吸血鬼へと覚醒出来ないだろうか?


枯れた井戸に水を入れる呼び水のごとき行為がこの状況で有効な手段か解らないが、彼を助けると決断したマリアヴェルは既に治りかけている唇をより強く噛み切った――。


内唇に鋭い痛みが走り、再び口内に血が溢れ舌に触れる異物感があった。噛みちぎった内唇の一部だ。

 
 (つっ……やりすぎたな)

 
後悔もそこそこマリアヴェルは抱き寄せた凉一と唇を重ねる。

 
 「な!? おやかたさ……!」

 
主の突然な奇行に驚愕し絶叫しそうになる茨木を左手を広げて制しつつ、マリアヴェルは含んだ血液を口移しで凉一へと流し込み強引に飲み込ませた。

離した口から粘性の血の赤糸をぷつりと指で切り口元を拭うと、マリアヴェルは傍らで呆然としている茨木を促す。

 
 「この少年を連れていくぞ」

 「…………はい」

 
もはや、主の決意は揺るがない。警官もすぐこの場にやってくる……茨木は腹立たしくも諦めたように気を失ったままの凉一を抱き上げた。


――――

 
 打ち明けたられた昨晩の出来事は凉一にとって衝撃的な内容だった。

マリアヴェルの血を飲まされたという事実もさることながら、その情景を想像した凉一は自分の顔が熱くなるのを感じた。

 
 「……何を赤くなっている」

 
と、ジト目で指摘するマリアヴェルの顔も若干ながら赤みを帯びているように見えるのは気のせいか、ちょっとしたパニック状態の凉一には判断出来ない。

 
 「あ、いや! ボクはベルの血を飲んで吸血鬼に!?」

 「それが直接的な原因かは判断し難いがな……屍喰鬼には無い再生力も有るようだし、キミには吸血鬼の資質があったのだろう」

 
自分はなんとか生き延びて吸血鬼となったらしい……受け入れ難い事実に、どうしようもない不安を掻き立てられる凉一だった。


 「ボクはこれからどうすれば……」

 「ふむ……まずは吸血鬼としての生活に慣れてもらう。それと【血のチカラ】を使いこなすために訓練が必要だな」

 
『吸血鬼としての生活』……昼間は棺桶の中で眠り、夜な夜な処女の生き血を求めてさ迷うのだろうか? 凉一の不安はより深まるばかりだ。

 
 「と、とりあえず家に電話しても良いかな? 婆ちゃんが心配しているだろうし……」

 
若干、心の整理がついた凉一は自分を心配しているであろう祖父母の事が気になっていた。吸血鬼の件はともかくも自分が無事だと連絡したかったのだがマリアヴェルはこう言った。

 
 「駄目だ。家族や知人との接触は許さん」

 
思いもよらない……いや、心の奥底では薄々感付いていた、聞きたくなかった返答――それでも凉一は彼女に問う。

 
 「……なんでさ!? 良いだろ、電話くらい!」

 「すでに吸血鬼となったキミは人間だった頃のような生活は出来ない……解るだろう?」

 
声を荒げた凉一にマリアヴェルはあくまで冷静に問い返す。そんな態度を見せられた凉一は意固地になっていた。

 
 「解りたく……ない!」

 
そう叫んで凉一は部屋から飛び出した――


 部屋から出ると板張りの廊下が左右に伸びている。凉一はわずかな空気の流れを頼りに廊下を駆けだす。吸血鬼になり感覚が鋭敏になっているのかもしれない。

制止するマリアヴェルの声を背後に、ひたすら走ると上り階段に突き当たった。

 
 (地下……だったのか?)

 
今いる建物の設計を把握していない凉一は、出口までの経路を知らない。マリアヴェルと茨木が追ってくる以上この階段を上る他にないと判断した凉一は階段を駆け上がった。

上りきった先にある頑丈そうな扉を開けるとまた扉がある。凉一がドアノブに手を掛けたところで制止する声が響いた。

 
 「開けるな! 日が射している時間帯だぞ!!」

 
マリアヴェルの言葉を信じていない訳ではない。陽光が吸血鬼を害するのを疑っている訳ではない。しかし自分が吸血鬼になったからといって、家族に別れすら告げずに身を隠すような事は出来ない。

凉一は一瞬躊躇したが、ノブを握る手に力を込めた。
 


開いた扉の先は、薄暗く細長い板の間だった。廊下ではなく襖で仕切られている部屋のようだ。閉じた襖が日を遮っているのだろう。

 
 「やめろ! 凉一!!」

 「御館様、危険です。後ろに下がってください」

 
茨木が前に出ようとするマリアヴェルを庇っているため二人とも凉一を止める事は出来ない。

凉一は意を決して襖を開けた。

まず視界に飛び込んできたのは畳だった。

徐々に視線を上げていくと閉じられた障子に柔げられた光が室内に注がれている。

 
 「…………うっ!?」

 
凉一は反射的に光を遮る襖の裏側に身を引いてしまった。

 
 「な……なんで……」

 
チカチカする目をしばたかせながら凉一は咄嗟にとった自分の行動に動揺していた。

自分は日の光を恐れている――


ほんの数秒しか光を浴びていないはずの身体や顔が、まるで真夏の強い日差しに炙られて日焼けした時のようにじんじんと疼く。

早鐘のように脈うつ鼓動とじわりと滲む脂汗。それはまさしく恐怖のサインだった。

 
 「は、ハハッ……」

 
これが吸血鬼の防衛本能なのかもしれない――

凉一は襖にもたれるようにへたりこむと自嘲ぎみな笑い声をもらす。もはや陽光は害でしかない事を自分の身体は知っているのだ。

 
 (ボクはもう人間じゃないんだな……)

 
ふさぎこむ凉一のそばで茨木が乱暴に襖を閉じた。

 
 「手間を掛けさせるな」

 
そう言い放つと踵を返し下階へと降りていく。もう凉一は無茶をしないと踏んだのだろう。

 
 「凉一……」

 
凉一はマリアヴェルが近付く気配を感じながらも顔を上げないでいた。


申し訳ないです。読んでくれてありがとう。


 「……すまない」

 「ベルは悪くないよ……」

 
尚もうずくまったまま返事をする凉一に、マリアヴェルは何とも言えないような気分になる……が、更に語りかける。もはや同族である凉一が知っておかなくてはならない情報だ。

 
 「昨晩、私を襲撃した二人組……奴等はハンターだ」

 「…………」

 
マリアヴェルが【ハンター】と呼ぶ女の姿が凉一の脳裏にちらついた。

あの女が狩人ならば、マリアヴェルや茨木のような人外が獲物という事になるのだろう。

 
 (……いや、今はボクも『獲物』側になっているのか)

 
明らかな殺意を孕んだ視線と銃口……昨日は無我夢中で飛び出してしまったが、あの視線を向けられて逃げ切れる自信が凉一には無い。
 

 「解るとは思うがハンター達は我々を狩る為に執拗に追ってくる。あのキリコとかいう女が何らかの組織に属する狩人だとしたら尚更厄介だ」

 「…………」

 
凉一にはそう説明したもののマリアヴェルはキリコ達がフリーランスのハンターだと確信していた。

 
 「ハンターだけではない、我々のような者は他の妖物も引き寄せる場合も……いや、キミ自身が家族を襲う可能性だって……」

 「ごめん……ちょっと一人にしてほしい」

 
凉一の静かながらも強めな主張にマリアヴェルはハッとした。彼の為を思っての忠告だったが少々熱が入りすぎて言葉が過ぎたのかもしれない……

マリアヴェルは凉一の意を汲んで自室へ向かうべく階段を降りていった。

 
 マリアヴェルが去ってからも、凉一はその場で塞ぎこんでいた。

どれくらいの時間が過ぎたのか……いつの間にか階下からやって来た茨木は、まだ塞ぎこむ凉一を面倒臭そうに「どけ」と、いきなり襖を開け放った。

凉一は驚きながらも射し込むであろう日光に身構えた……が、その身に日を浴びる事はない。もう日は暮れていた。

そんな凉一には目もくれず、茨木は和室の奥の鴨居を潜り何処かへ行ってしまった。

 
 (もう夜……か)

 
立ち上がった凉一は開け放たれた襖を抜けて和室に入ってみた。立派な書院造りの部屋だ。

い草の香りが凉一の沈んだ心を少し和らがせる。


凉一は八畳程のその部屋を渡り、茨木が出ていった側の障子を開ける。うっそうと生い茂る木々が凉一の視界に飛び込んできた。

外だ――

ガラス戸の開いた縁側に立つと、昼間の名残りか熱気を帯びた微風が凉一を扇ぐ。

昨晩からずっと室内に籠っていただけなのに、凉一には真夏の不快な蒸し暑ささえ久しく感じた。

軒下の石畳には一足のサンダルがあった。大きさといい茨木の物だろう。

外に出るべくサンダルを履こうとした凉一の前にスニーカーが転がってきた。驚いた凉一が縁側を振り返ってみれば、そこには茨木がいた。

 
 「……お前の靴だ」

 
それは確かに凉一のスニーカーだ。『外に出るなら自分の靴を履け。俺のを履くな』口には出さないが茨木の行動はそれを暗に示している。


 「……外に出ても?」

 
慣れた自分のスニーカーを履きながら凉一は茨木に尋ねた。

 
 「お前が何処に行こうと俺は構わない」

 
『構わないのなら何処に行こうが自分の勝手だろう』と、解釈した凉一は狭い庭に降りてこの場を離れようとした。

 
 「……帰る事が出来るのか?」

 「え……?」

 
茨木の問いを背に受けた凉一は思わず振り返った。相変わらず憮然とした表情の茨木は縁側から凉一を見下ろしている。

 
 「御館様の忠告を受けてなお、自分の家に帰れるのか?」

 
射ぬくような眼差しを正面から受け止める事が出来ずに、凉一は茨木から目を反らしまう……
 

 「……わからない」

 
それが凉一の本音だった。

家で自分の帰りを待つ祖父母に心配を掛けたくない。しかし、危険に巻き込む訳にはいかない――

 
 「……そうか」

 
そう言い残して縁側から離れていく茨木が何を思っていたのか凉一には解らない……考えても仕方がないと、凉一は庭から繋がる林道へ足を向けた。


 道行くままに林道を五分程歩き続けると立ち並ぶ木々の向こうに瓦葺きの屋根らしき物が見えてきた。

更に進むと開けた場所に出て、その全容が明らかになる――

 
 「うわぁ……」

 
豪奢な庭園の中で荘厳に佇む邸宅に、凉一は足を止め声にならない声を洩らしていた。マリアヴェルの屋敷も立派なものであったが、こちらの屋敷は輪を掛けて大きく豪華だ。

 
 (あれ……もしかしてベルの家が離(はなれ)でこのお屋敷が母屋なのか……?)
 

屋敷の向かいにある重厚な土蔵門と高い塀を見て、凉一はマリアヴェルの邸宅と、この大屋敷は同じ敷地内にある事に気付く。

 
 (それとも、こっちの屋敷もベルの……)

 「お出掛けですかな?」

 「……!?」

 
凉一は唐突に掛けられた声に吃驚してキョロキョロと辺りを見回すと、横手にある庭木の向こうから杖をついた老人が現れた。


白髪頭に深い皺、麻の単の着物が堂に入っている……少し腰が曲がって杖をついているものの老人の貫禄は、この大屋敷に相応しいものがあった。

 
 「え、はい……あっ、すいません! その……勝手に入って……」

 
屋敷の住人であろう老人からしてみれば、自分は不法進入者だ。凉一は目の前の老人に慌てて頭を下げた。

あたふたしながら謝る凉一に、老人は目尻の皺をいっそう深くしながら顔をほころばせた。

 
 「ホホッ、大丈夫ですよ。昨晩に御館様が担ぎ込んで来た時には酷い怪我でしたが、もう大事無いようですな」

 
『御館様』……老人の口から出たその単語は、彼も茨木と同じくマリアヴェルに仕える者を意味する。

――もしかしたら目の前の好好爺も人じゃないのか?

そんな考えが頭によぎり身体が固まる凉一を察した老人は更に破顔した。

 
 「いやいや、そんなに警戒せんでも私は正真正銘ただの人間ですよ」

 「あ……え? あはは……」

 
まるで自分の心の中を読まれたかのような発言に、凉一はバツが悪そうに頭を掻きながら苦笑した。


 「吾妻(あづま)です。どうぞ良しなに」

 「比良坂凉一(ひらさか りょういち)です……あの、御館様ってマリアベル……さまの事ですよね?」

 「左様です。吾妻の家系は御館様に奉公するのが務(つと)めでしてな」

 
凉一は老人……吾妻につられて名乗ると(実は吾妻は凉一の素性を調査済みだった)何故、人間の吾妻老がマリアヴェルに仕えているのか気になり、それを訊ねられた吾妻老は側にある庭石に腰を降ろすと、うやうやしく語りだした。

 
 「恩返しですよ。その昔、この土地には悪逆非道な鬼の一族がおったそうでな……」

 
吾妻老の話を要約すると、

『大昔、村を荒らし廻っていた悪い鬼を、マリアヴェルと茨木が退治した』

と、いう事らしい。
それ以来、名主(なぬし)である吾妻の家は彼女らを土地の護り神として崇め、代々の当主が奉公するようになったという。

無垢な少年のように目を耀かせながらマリアヴェルらの活躍譚を紡ぐ吾妻老から、彼女への信望と憧憬、そして畏怖が凉一にもありありと伝わってくる。吾妻家ではマリアヴェルをまさしく神の如く語り継いでいるのだろう。 


ひとしきり話終えた吾妻は杖を手に立ち上がった。

 
 「年寄りの長話に付き合わせてしまいましたな。お出かけするのでしょう?」

 
マリアヴェルは災妖から土地を護り、吾妻の家は世間の目を隠すための塒(ねぐら)を提供しサポートする……そんな関係が長い年月代重ねで続いてきたという。
それは凉一には想像もつかない時の永さと信頼関係なのだろう――

 
 「凉一さん」

 
礼を言い外へ向かおうとする凉一を吾妻が呼び止める。

 
 「御館様を宜しくお願い致します」

 
深々とお辞儀をする老人に凉一は曖昧な返事をして門を潜り出るが、その胸に小さな疼きを覚えた。

凉一の心をチクリと刺すのは『後ろめたさ』という名の針だった。


 「……行かせて宜しかったのですかな?」

 「良くはないな……」

 
 マリアヴェルは素っ気なく答えた。

いつからそこにいたのか彼女は吾妻と一緒に小さくなっていく凉一の背を見つめている。その雪灰色の瞳には凉一の姿はどう写るのだろうか?

 
 「戸惑っているのでしょうな」

 
吾妻は人間だ。それ故、人間ではなくなってしまった凉一の苦悩は推し量れないが、想像する事は出来る。

今までの生活を捨てて吸血鬼として生きていくなんて多感な少年には酷だ。やはり一番長い時間を共にした家族への思慕は大きくなるばかりだろう――

 
 「いずれにしろ凉一が決めた事だ……アイツはもう戻らない……な」

 
もう凉一の姿は無い門に視線を向けたまま独白するマリアヴェルに、老人は問うた。

 
 「彼を同胞に迎えたのを悔いているのですかな?」

 「…………いや、後悔は無い。ただ……寂しいな」

 「『寂しい』……ですか」

 
マリアヴェルに仕えて数十年、彼女は寂しさを纏うような憂い顔を覗かせても、その口からこれほどの弱気が漏れ出るのを吾妻は見た事は無かった。

しかし、吾妻はそんな主の変化も好ましいものだと思えた。マリアヴェルにとって比良坂凉一は必要なのかもしれない。

 
 「御館様――」 



 吾妻屋敷の外には視界一面の田園風景が広がっていた。
風に運ばれた業雲が月の光を遮り、辺りには雨を呼んでいるかのような蛙の群唱が鳴り止まない。

正面の山で交互に明滅を繰り返す二対四つの光が凉一の目に入った。??

 
 (あれって……)

 
その光は凉一に見覚えのあるものだった。
実家から北東の方向に見える山に建つ二本の鉄塔……明滅する光はそこに設置された航空障害灯だ。

 
 (山の形も同じ……まさか!?)

 
凉一は小学生の頃に社会科の授業で『自分の住む市の地図を描く』というグループ研修を思い出した。

実際に児童達が市内を散策して、自分の住む土地の地図を完成させるというその授業は、普段のそれとは違い新鮮で楽しかったのを覚えている(ちなみに凉一のグループは市西武の担当だった)

市の中心を流れる川を挟んで北部に広がる田園地帯、更に北にはその山がある。凉一の実家は市の南部、駅近くだ。

 
 「ベルは……ボクと同じ市内に住んでいたのか?」

 
狐につままれたような気分とはこの事だろう……七年前のあの日以降、幼い凉一はマリアヴェルを探していた時期があった。
彼女と出会った隣町の山、その麓、町内を駆けずり回ったがマリアヴェルの姿を見つける事は叶わなかったのだ。
 

 (……行こう)

 
凉一は南部に続くであろう農道に歩を進めた。

ただ形が似ているだけの山かもしれない、ここは自分の住む街と遠く離れた場所かもしれない……どちらにしても進めば判る事だ。


 夜の田園地帯を進む凉一は、湿った風に雨の匂いを感じた。

 「……降るかもしれないな」

迫る雨の予感に凉一は歩みは徐々に速度を増して、丁字路を曲がり少し広い農道に出ると走り出していた。

その軽い足取りは、とても昨晩に死にかけていた者の動きには見えない。以前よりも速く軽快に走る凉一自身が驚く程だ。

 (凄い……これが吸血鬼の力なのか?)

更に速く、もっと速く……凉一は駆け抜ける。

 「……!? ぶあっ!」

しかし、顔にぶつかる細かい何かのせいで急停止してしまう。
凉一は口に入った『何か』を吐き出すと、唾液に混じって数匹の藪蚊がのたうち回っていた。どうやら電信柱の街灯に群がった蚊柱に顔から突っ込んでしまったようだ。

 「ぺっ……あぁもう!」

蚊は全て吐き出したはずだが、口内の違和感が拭えない凉一は苛立たしげに唾を吐く。
右目にも異物感のある、蚊が入ったらしい。溢れる涙を手で拭うと、ふいに気配を感じた。


凉一は目を凝らし耳を澄まして前方の気配を探ると、何者かの足音が聞こえる。
次第に近付くそれは、ついに目の前に現れた。


夜の暗闇に溶け込むような烏羽の髪に黒いワンピース。対照的に映える白い肌。

――少女がいた。

凉一と同年代くらいの女の子だ。
何より異様なのはその左目を覆うように巻かれた包帯、それは彼女の剥き出しになっている左肩から指の先までにも巻かれていた。

 「ベル……?」

凉一は思わず呟いた。

彼女がマリアヴェルではないのは明白なのだが、目の前の少女と似通った雰囲気がそうさせたのか……或いは包帯に隠されていない片方の瞳がマリアヴェルと同じ雪灰色だからなのだろうか?

 「べる様はとても寂しがり屋なの」

 「…………」

おもむろに語る少女の透き通るような声に凉一は聞き入った。

 「べる様のそばに居てあげて」

ただマリアヴェルの事を気に掛けているような黒い少女に凉一は問う。すると彼女は少し思案するように俯いた後、僅かな笑みと共に答える。

 「私は……貴方の『きょうだい』」


凉一は目を凝らし耳を澄まして前方の気配を探ると、何者かの足音が聞こえる。
次第に近付くそれは、ついに目の前に現れた。


夜の暗闇に溶け込むような烏羽の髪に黒いワンピース。対照的に映える白い肌。

――少女がいた。

凉一と同年代くらいの女の子だ。
何より異様なのはその左目を覆うように巻かれた包帯、それは彼女の剥き出しになっている左肩から指の先までにも巻かれていた。

 「ベル……?」

凉一は思わず呟いた。

彼女がマリアヴェルではないのは明白なのだが、目の前の少女と似通った雰囲気がそうさせたのか……或いは包帯に隠されていない片方の瞳がマリアヴェルと同じ雪灰色だからなのだろうか?

 「べる様はとても寂しがり屋なの」

 「…………」

おもむろに語る少女の透き通るような声に凉一は聞き入った。

 「べる様のそばに居てあげて」

 「キミは……誰なんだ?」

ただマリアヴェルの事を気に掛けているような黒い少女に凉一は問う。すると彼女は少し思案するように俯いた後、僅かな笑みと共に答える。

 「私は……貴方の『きょうだい』」


『貴方のきょうだい』と、少女はそう言った。

『姉弟』『兄妹』凉一には姉も妹もいない。
まるで要領を得ない……その真意を問おうとした凉一は少女の右目に釘付けになった。

紅い光を宿したその瞳は吸血鬼の証。

 「貴方は夜の住人……昼の世界には戻れない」

 「キミは……!?」

その時、凉一の質問を遮るように遠くの空で雷光がひらめき低い唸り声を轟かせた。やがて凉の額を小さな水滴が打つ。

 「私は茅(かや)……貴方と同じく、貴族マリアヴェル様に己の血を捧げた元・人間……」

それを皮切りに辺りにポツポツと雨が落ち、瞬く間に地面を湿らせていった。それでも凉一は紅い瞳から目を離せない。

 「貴方は今の出来事を忘れるわ」

 「ま、待って!」

 「また逢いましょう」

辺りは静寂に包まれた。
遠くの雷鳴も雨が地面を打つ音も、蛙の鳴き声も聞こえない。




 「……? ボクは……何で」

少女の姿はもうない。
この雨で流れ落ちたように少女の気配は消え失せて……いや、凉一から茅との邂逅(かいこう)の記憶が抜け落ちていた。


 「帰らなきゃ……」

何故、この場で立ち止まっているのか解らない凉一は、いつの間にか降っていた雨に打たれていた。

踏み出した脚が止まる。
 
一瞬、  脳裏にマリアヴェルの寂しげな姿が浮かんだが、それを振り切るように凉一は生家に向かって走り出した――


 凉一は田園地帯を抜けて住宅街に入っていた。自家のある駅の方へ近付くにつれ傘をさす通行人がちらほら見受けられた。

 (あの郵便局……三叉路)

速度を落としつつ雨の中を走り抜ける凉一の視界に見覚えのある景色が混じり始める。

 「やっぱり、ボクの……ボクの住む街だ」

実家の近所にある自動車修理工場、この先の交差点を左に曲がれば家はすぐそばだ。

 
――貴方は夜の住人……昼の世界には戻れない

 
心の奥底で誰かが囁いた。

 「……!?」

その声に弾かれたように跳躍した凉一は、側の電柱を足掛かりに修理工場の屋根の上へ飛び乗ってしまった。

 (う、こんな所に……何してんだろボク)

幸い今は雨の降る真夜中、わざわざ外の景色をじっくりと眺める物好きはいないだろう。
自分の不可解な行動が気になりつつも発見される可能性が低いと気を取り直した凉一は、その場から我が家の様子を伺った。

交差点の端から三軒目、そこが凉一の実家だ。

 「……あ」


子供の頃から見馴れているシャッターには『比良坂建具』の文字、祖父の仕事場が併設されている凉一の生家はいつもと変わらずそこにあった。

――懐かしい。

たった一晩帰らなかっただけで、そう思えるのは凉一の身に起きた現実味の無い数々の体験のせいだろう。
熱くなる目頭を堪えて玄関に目を向けた時、凉一は愛しい人影を見つけた。

 「……ばあちゃん」

 
玄関先の路上に祖母はいた。

 
シトシトと降りしきる雨の中、藤色の傘をさして……孫が帰って来るであろう方角を見据えてじっと待っている。
時々、通り掛かる凉一と似た背格好の通行人に反応しては、人違いである事に落胆して……凉一の帰りを心配そうに待っている。

凉一は居ても立ってもいられずその場を駆け降り祖母の元へと駆け寄ろうとしたが、その足は急に止まってしまった。


――帰る事ができるのか?

凉一の脳裏に別れ際に交わした茨木の言葉がよぎる。
そして、マリアヴェルの必至な訴えも――

――ハンターだけではない、我々のような者は他の妖物も引き寄せる場合も……いや、キミ自身が家族を襲う可能性だって……

あの時の彼女の言葉に嘘はないと凉一は信じている。

優しい祖父母は、たとえ凉一が人でなくなっていても受け入れてくれるだろう。
日の下に出られなくても、学校に通わなくとも、変わらずに愛情を注いでくれる……そんな人達だ。

凉一の手はそんな優しい人達の血に塗れるかもしれない――

 
 「帰れるわけ……無い」

 
喉が詰まるような熱いものが、頭の芯まで昇ってきたのを感じた時には、すでに涙が堰(せき)を切っていた。
 
 (ボクは何をしているんだ!? ベルの忠告を無視して、吾妻さんの信頼を裏切って……じいちゃんやばあちゃんまで裏切るかもしれないなんて!)
 
むせび泣く凉一の嗚咽をかき消すように、雨は強さを増していった。

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