鷺沢文香「埃を被る暇も無く」 (69)
きっとこのまま、私は。
私の生涯を、大きな子供のようなままに終えるのだと、そう思っていました。
恐らくは、大学生の身分にまで収まり、先が見えてしまったからなのだと思います。
幼稚園、小学校、中学校、高校。
さしたる変化も成長も無く。
これまでの十数年、『人生の転機』などと言ったものは、一度として訪れませんでした。
多分、このまま叔父の書店を継ぐなりして――
――私の人生は、一冊の本として綴じられる類のものだと、そう思っていたのです。
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人生とは、一冊の本である。
何処の書店でも。更に言うならば、この古書店でさえ。
少し探してみるだけでそんな本が見つかりそうな、ありふれた人生論です。
心の底でぼんやりと、私もこの詠み人知らずの金言を抱えていたのでしょう。
少しずつ少しずつ、ページを重ねて。
最後には古ぼけた、灰を、煤を、埃を被った、少しだけ厚めの本と成って。
手に取ったどなたかが、
『ああ、こんな本もあったな』
そう、ぽつりと零すような。
そこまで考えたところで、頁へ落ちた影にようやく気が付きました。
ああ、いけません。店番中だったというのに。
読書の最中に考え事とは、お客さんにも、本にも失礼を働いてしまいました。
「申し訳ありません」
本を閉じ、顔を上げ、目の前にいた方にひどく驚きました。
言葉を探すように開けられた口と、眼鏡越しに私を見つめる瞳。
ごく普通の、やや理知的な顔立ち。それはよいのですが……。
「……」
厚み、を感じる方でした。
ビジネスマンらしきネクタイもスーツも、恐ろしく似合っていません。
その胸板は、今までに出会ったどなたよりも分厚く。
「あの……何か、探し物でしょうか」
「……ああ、いえ。探し物、と言うか」
お客さんは、その分厚い胸元を探ると。
栞よりも小さな、一枚の名刺を差し出します。
「貴女を探していたんです」
何処からか秋の風が吹き込んで、閉じておいた小説を悪戯にめくりました。
文学女神こと鷺沢文香さんのSSです
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前作とか
モバP「楓さんも敬語を崩したりするんですか?」 ( モバP「楓さんも敬語を崩したりするんですか?」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1542458996/) )
中野有香「いつだってストレート」 ( http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1489823741 )
言葉を選びました
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『――いや、同僚にこの辺りを回ってみてほしいと言われて』
私を探していた。
彼は……プロデューサーさんは、確かにそう言っていました。
言葉尻だけを捉えれば、まるで予知能力者か占い師のようです。
理由を訊ねてみましたが、プロデューサーさん自身にも判然としないようで。
『まぁ……あの人が言う事だから。きっと、そういう事なんだと思う』
論拠をそう曖昧にぼかされたまま、彼はアイドルの魅力を丁寧に丁寧に説明してくれました。
三日に一度ほど、文庫本を買い求めにやって来た際、レジを挟んで。
毎回お客さんの少ない時間帯でしたし、説明もせいぜい五分程度。
何か作業をしている時にはおとなしく退店されて行きますし、無下には出来ません。
ただ、彼は大変粘り強い方のようでした。
およそ二ヶ月に渡る説得の末、とうとう私は首を縦に振ってしまい。
プロデューサーさんは、少し強引です。
「――……、……、……」
新しい事務所だと聞いて想像したよりも、随分と広々としたレッスンルーム。
その広々とした一角で、私はフローリングにへばり付いているばかりでした。
「……あの、トレーナーさん。一体何をやらせたんです」
「い、いえ……最初だから、簡単なステップとターンを少し」
「…………、……、……」
「少しには見えませんが……息、上手く出来ていませんし」
「……ぷろっ、ろ……けほっ……!」
「ああ、文香さん落ち着いて……!」
トレーナーさんの言葉に嘘は何もありません。
本当に、ステップとターンを少し教わっただけ。
この惨状は、偏に私の体力が為し得た光景に過ぎないのです。
「えーと……どうしましょう、か?」
「……今日はこれぐらいにしておきましょう。少し、考えを改めます」
「す……すみ、ませ……こほっ」
私の有り様に、プロデューサーさんは明らかに困惑しているようでした。
彼自身の鍛え方以前に、どう考えても私の体力水準は低く。
……アイドルとは、本当に私のような者でも務まるのでしょうか。
「あの……すみません、プロデューサーさん……」
「いや、文香さんが謝る必要は無いよ。こちらも配慮が足りなかった」
帰りの車中は形容しがたい空気に満ちていました。
ぼんやりとした気まずさとは対照的に。
プロデューサーさんの締める二点式のシートベルトは、ぴんと強く張り詰めています。
ひょっとすると、胸囲で言えば私よりもあるのではないでしょうか。
「文香さん、日曜の昼は暇だったりするかな」
「……? はい……特に、予定などはありません」
「そうか。良ければ、なんだけど――」
告げられた集合場所は、私にとって縁遠い場所で。
けれど私は、何となく頷いてしまいました。
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